952 :
名無しさん@3周年:03/08/07 01:43
イエスは、失われた羊が一匹でもいなくなれば見つけるまで探すとおっしゃいました。
使徒ペテロは、神は一人も滅びないことをお望みであると書きました。
使徒パウロは、アダムによってすべての人が罪を犯したが、イエスによってすべての人が生かされると書きました。みな一致しています。
ごく一部の人しか救えないとすれば、イエスの贖いは失敗に終わったということになり、他のキリストが必要になります。しかし、そのようなことはありません。
「永遠」というギリシャ語aijwvnには「無限」の意味はありません。長い時代という意味。
http://bible1.crosswalk.com/Lexicons/Greek/grk.cgi?number=165&version=kjv 「滅びる」というギリシャ語に「殺される」の意味はありません。「失われる」という意味。
イエスは失われた羊を一匹残らず救ってくださいます。イエスは嘘をつきません。
「永遠」は「いつまでも」と訳せます。単語は一個の意味だけではありません。多重的です。
「永遠の地獄」とは一人残らず救われる日までいつまでも失われた状態にあるという意味です。
すべての人が救われるのであり、ごく一部しか天国にいけないなどというのは大嘘です。
しかし、天国に直行できる人、すぐにはいけない人、かなり時間がかかる人、すごく時間がかかる人、途方もなく時間がかかる人など色々です。
そうでなければ、失われた羊を一人残らず助けるという、イエスの言葉は嘘になります。
旧約の「シェオル」、新約の「ハデス」は、すぐに天国にいけない人の死後の状態を指す言葉。
火の燃える「ゲヘナ」とは、救われるまで途方もなく時間がかかる人の死後の状態を指す言葉。
「地獄で永遠の火の責め苦に合う」とは、いつか救われるその日まで、いつまでも後悔の念に苛まれているということです。
どうせ行くなら、早く行きましょう。悔いが残らないように、キリストの言葉を指標にして生きましょう。キリスト教の意味はここにあります。
953 :
名無しさん@3周年:03/08/07 01:44
質問箱でコピペはめいわくだよ。自分でスレ立てなよ。
954 :
名無しさん@3周年:03/08/07 01:44
>>952 ですから、永遠のいのちが必要なのです。他の何よりもまず、
このいのちを手に入れなければならないのです。
それはどのようにして手に入れることができるのでしょうか。
それは、イエス様からです。イエス様はそんな私たちを救うために、
十字架にかかり死なれたのです。私たちを地獄から救うために、
私たちの罪をその身に負い、私たちの身代わりに裁かれてくださったのです。
そればかりではなく、死んで後三日目によみがえられたのです。
死んで終わりの方ではないのです。もし死んで終わりならば、
私たちに永遠のいのちを与えることもできなかったでしょう。
しかしこの方はよみがえられ、今、天におられるのです。
だからこそ、この方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、
地獄から救われ天国に行くことができるのです。
どうかこのイエス様を信じて下さいますように。
>>952 地獄(ハデス)は、それほど怖い所ではありません。
なぜならば、それは一時的な刑罰の場所だからです。本当に怖い所とは、「火の池」です。
聖書において地獄とは、キリストを信じないで死んだ人の霊が行くところです。
そこで、キリストの再臨まで、霊の状態で待ちます。
歴史が終わって、キリストがもう一度最後の審判を行うためにこの地上に戻ってこられる時に、
彼らには肉体が与えられます。そして、肉体のまま「火の池」と呼ばれる場所に投げ込まれます。
私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。・・・また私は、死んだ人々が、
大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。
また、別のひとつの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。
死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。
・・・いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。(黙示録20章11−15節)
そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。
そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。(同20章10節)
この「火の池」に比べれば地獄などは楽園です。
霊だけではなく、肉体の苦しみが「永遠に」続くからです。100年だけ苦しんだら出てこれるということはありません。
1億年たっても「絶対に」出てこれないのです。
私たちは、アウシュビッツやヒロシマにおいて、火の池のさわりを見ることができます。
しかし、これとてもハワイでバカンスしているようなものです。
「火の池には脱出の希望はまったくありません。」
956 :
名無しさん@3周年:03/08/07 01:46
イエスは、失われた羊が一匹でもいなくなれば見つけるまで探すとおっしゃいました。
使徒ペテロは、神は一人も滅びないことをお望みであると書きました。
使徒パウロは、アダムによってすべての人が罪を犯したが、イエスによってすべての人が生かされると書きました。みな一致しています。
ごく一部の人しか救えないとすれば、イエスの贖いは失敗に終わったということになり、他のキリストが必要になります。しかし、そのようなことはありません。
「永遠」というギリシャ語aijwvnには「無限」の意味はありません。長い時代という意味。
http://bible1.crosswalk.com/Lexicons/Greek/grk.cgi?number=165&version=kjv 「滅びる」というギリシャ語に「殺される」の意味はありません。「失われる」という意味。
イエスは失われた羊を一匹残らず救ってくださいます。イエスは嘘をつきません。
「永遠」は「いつまでも」と訳せます。単語は一個の意味だけではありません。多重的です。
「永遠の地獄」とは一人残らず救われる日までいつまでも失われた状態にあるという意味です。
すべての人が救われるのであり、ごく一部しか天国にいけないなどというのは大嘘です。
しかし、天国に直行できる人、すぐにはいけない人、かなり時間がかかる人、すごく時間がかかる人、途方もなく時間がかかる人など色々です。
そうでなければ、失われた羊を一人残らず助けるという、イエスの言葉は嘘になります。
旧約の「シェオル」、新約の「ハデス」は、すぐに天国にいけない人の死後の状態を指す言葉。
火の燃える「ゲヘナ」とは、救われるまで途方もなく時間がかかる人の死後の状態を指す言葉。
「地獄で永遠の火の責め苦に合う」とは、いつか救われるその日まで、いつまでも後悔の念に苛まれているということです。
どうせ行くなら、早く行きましょう。悔いが残らないように、キリストの言葉を指標にして生きましょう。キリスト教の意味はここにあります。
>>952 人間は、キリストを信じなければ、滅びるのです。他の宗教のように、人間の耳ざわりのいいことは述べていません。
キリストを信じない人間の運命はきわめて悲惨であり、人間の現実はきわめて厳粛です。
私たちはだれでも、全能者なる神の前に出て、審判を受ける運命にあるのです。
「人はだれでも、一度死ぬことと、死後裁きを受けることが定められている」。
神の裁きは、絶対の裁きであり、そこから逃れることはできません。
だから、私たちはキリストの贖いが必要なのです。
キリストは十字架にかかって、私たちの罪の刑罰をすべて身代わりに受けてくださいました。
そえゆえ、キリストを信じる時に、私たちは神の最終審判において「無罪」の宣告を受けることができるのです。
そればかりか、キリストを信じる人には、神の子とされる特権が与えられます。
つまり、神の相続を受けることができるのです。
神の永遠の御国においては、「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない」のです。
私たちの前には、二つの道があります。一つは、永遠の刑罰、一つは、永遠の祝福です。
この選択ができるのは、この人生の間だけです。
私たちの肉体が滅んだ後になって決心することはできません。
決断は今です。
「御子を信じる者はさばかれない。」(ヨハネ3・18)
「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、
決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
(ヨハネ4・13ー14)
聖書には、死んだ後に裁きがあるとはっきり語られています。
永遠の地獄で苦しまなければならないのです。
それは生きている間に自分勝手に生き、神様を完全に無視しているからです。
私たちは神様によって造られ、生かされ、そしてその方を礼拝するために存在しているのです。
しかし人間はその神様から離れ、自分勝手に生きています。
そしてその人生は本当にひどいものです。罪を犯し、神様に敵対しています。
だからこそ、死後に裁きを受けるのです。
958 :
名無しさん@3周年:03/08/07 01:47
イエスは、失われた羊が一匹でもいなくなれば見つけるまで探すとおっしゃいました。
使徒ペテロは、神は一人も滅びないことをお望みであると書きました。
使徒パウロは、アダムによってすべての人が罪を犯したが、イエスによってすべての人が生かされると書きました。みな一致しています。
ごく一部の人しか救えないとすれば、イエスの贖いは失敗に終わったということになり、他のキリストが必要になります。しかし、そのようなことはありません。
「永遠」というギリシャ語aijwvnには「無限」の意味はありません。長い時代という意味。
http://bible1.crosswalk.com/Lexicons/Greek/grk.cgi?number=165&version=kjv 「滅びる」というギリシャ語に「殺される」の意味はありません。「失われる」という意味。
イエスは失われた羊を一匹残らず救ってくださいます。イエスは嘘をつきません。
「永遠」は「いつまでも」と訳せます。単語は一個の意味だけではありません。多重的です。
「永遠の地獄」とは一人残らず救われる日までいつまでも失われた状態にあるという意味です。
すべての人が救われるのであり、ごく一部しか天国にいけないなどというのは大嘘です。
しかし、天国に直行できる人、すぐにはいけない人、かなり時間がかかる人、すごく時間がかかる人、途方もなく時間がかかる人など色々です。
そうでなければ、失われた羊を一人残らず助けるという、イエスの言葉は嘘になります。
旧約の「シェオル」、新約の「ハデス」は、すぐに天国にいけない人の死後の状態を指す言葉。
火の燃える「ゲヘナ」とは、救われるまで途方もなく時間がかかる人の死後の状態を指す言葉。
「地獄で永遠の火の責め苦に合う」とは、いつか救われるその日まで、いつまでも後悔の念に苛まれているということです。
どうせ行くなら、早く行きましょう。悔いが残らないように、キリストの言葉を指標にして生きましょう。キリスト教の意味はここにあります。
>>958 地獄(ハデス)は、それほど怖い所ではありません。
なぜならば、それは一時的な刑罰の場所だからです。本当に怖い所とは、「火の池」です。
聖書において地獄とは、キリストを信じないで死んだ人の霊が行くところです。
そこで、キリストの再臨まで、霊の状態で待ちます。
歴史が終わって、キリストがもう一度最後の審判を行うためにこの地上に戻ってこられる時に、
彼らには肉体が与えられます。そして、肉体のまま「火の池」と呼ばれる場所に投げ込まれます。
私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。・・・また私は、死んだ人々が、
大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。
また、別のひとつの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。
死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。
・・・いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。(黙示録20章11−15節)
そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。
そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。(同20章10節)
この「火の池」に比べれば地獄などは楽園です。
霊だけではなく、肉体の苦しみが「永遠に」続くからです。100年だけ苦しんだら出てこれるということはありません。
1億年たっても「絶対に」出てこれないのです。
私たちは、アウシュビッツやヒロシマにおいて、火の池のさわりを見ることができます。
しかし、これとてもハワイでバカンスしているようなものです。
「火の池には脱出の希望はまったくありません。」
>>958 人間は、キリストを信じなければ、滅びるのです。他の宗教のように、人間の耳ざわりのいいことは述べていません。
キリストを信じない人間の運命はきわめて悲惨であり、人間の現実はきわめて厳粛です。
私たちはだれでも、全能者なる神の前に出て、審判を受ける運命にあるのです。
「人はだれでも、一度死ぬことと、死後裁きを受けることが定められている」。
神の裁きは、絶対の裁きであり、そこから逃れることはできません。
だから、私たちはキリストの贖いが必要なのです。
キリストは十字架にかかって、私たちの罪の刑罰をすべて身代わりに受けてくださいました。
そえゆえ、キリストを信じる時に、私たちは神の最終審判において「無罪」の宣告を受けることができるのです。
そればかりか、キリストを信じる人には、神の子とされる特権が与えられます。
つまり、神の相続を受けることができるのです。
神の永遠の御国においては、「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない」のです。
私たちの前には、二つの道があります。一つは、永遠の刑罰、一つは、永遠の祝福です。
この選択ができるのは、この人生の間だけです。
私たちの肉体が滅んだ後になって決心することはできません。
決断は今です。
「御子を信じる者はさばかれない。」(ヨハネ3・18)
「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、
決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
(ヨハネ4・13ー14)
聖書には、死んだ後に裁きがあるとはっきり語られています。
永遠の地獄で苦しまなければならないのです。
それは生きている間に自分勝手に生き、神様を完全に無視しているからです。
私たちは神様によって造られ、生かされ、そしてその方を礼拝するために存在しているのです。
しかし人間はその神様から離れ、自分勝手に生きています。
そしてその人生は本当にひどいものです。罪を犯し、神様に敵対しています。
だからこそ、死後に裁きを受けるのです。
961 :
名無しさん@3周年:03/08/07 01:50
きちがいだ
962 :
名無しさん@3周年:03/08/07 01:50
>>958 はたしてそうでしょうか。それは根拠がありません。
誰も死んで何もないのを見てきた人はいないのですから。
では死後、何があるのか。それは、二つの永遠です。
一つは、世界の創造主なる神様のおられる場所・・・天国。
もう一つは、その神様の愛や恵みが全くない世界・・・地獄です。
この二つの永遠が、死後にはあるのです。
そして人間は、必ずどちらかに行かなければならないのです。
では、あなたはどちらに行かれるのでしょうか。
天国と言われるかも知れません。しかし、残念ながら違います。
今のままならば、確実に地獄なのです。なぜなのか?
それは、まことの神様を無視するという罪を犯しているからです。それだけではありません。
日々、多くの罪を犯すのではないでしょうか?
嘘・ねたみ・憤り・盗み・・・など、多くの罪をあなたは犯していませんか?
また表に出さなくても、心の中でそのような思いはないですか?神様は、すべてをご存じです。神様の前には、すべてが明らかであって隠せるものは何一つありません。その神様の前に、私は罪がないと言える人間はいないのです。
神様は、そのすべての罪に対して、裁きを与えられる方です。
なぜならば、神様は罪なく汚れなく、完全に義なる方だからです。
例えば、人生の中で、うそを一回だけついた人間はどうなるのか?
当然、裁かれます。人間の基準で言えば、「それぐらい・・・」となるかもしれません。
しかし、神様の基準は完全です。ですから、裁きを与えられます。その裁きは地獄です。
964 :
名無しさん@3周年:03/08/07 01:53
みんな、3次元の中でしか生きられない
気の毒な方々ですね。
大地は 宗教や神なんて考えずに
自由気ままに終わりを待っているというのに。
“囚われの身の者達”よ…
イエスは、失われた羊が一匹でもいなくなれば見つけるまで探すとおっしゃいました。
使徒ペテロは、神は一人も滅びないことをお望みであると書きました。
使徒パウロは、アダムによってすべての人が罪を犯したが、イエスによってすべての人が生かされると書きました。みな一致しています。
ごく一部の人しか救えないとすれば、イエスの贖いは失敗に終わったということになり、他のキリストが必要になります。しかし、そのようなことはありません。
「永遠」というギリシャ語aijwvnには「無限」の意味はありません。長い時代という意味。
http://bible1.crosswalk.com/Lexicons/Greek/grk.cgi?number=165&version=kjv 「滅びる」というギリシャ語に「殺される」の意味はありません。「失われる」という意味。
イエスは失われた羊を一匹残らず救ってくださいます。イエスは嘘をつきません。
「永遠」は「いつまでも」と訳せます。単語は一個の意味だけではありません。多重的です。
「永遠の地獄」とは一人残らず救われる日までいつまでも失われた状態にあるという意味です。
すべての人が救われるのであり、ごく一部しか天国にいけないなどというのは大嘘です。
しかし、天国に直行できる人、すぐにはいけない人、かなり時間がかかる人、すごく時間がかかる人、途方もなく時間がかかる人など色々です。
そうでなければ、失われた羊を一人残らず助けるという、イエスの言葉は嘘になります。
旧約の「シェオル」、新約の「ハデス」は、すぐに天国にいけない人の死後の状態を指す言葉。
火の燃える「ゲヘナ」とは、救われるまで途方もなく時間がかかる人の死後の状態を指す言葉。
「地獄で永遠の火の責め苦に合う」とは、いつか救われるその日まで、いつまでも後悔の念に苛まれているということです。
どうせ行くなら、早く行きましょう。悔いが残らないように、キリストの言葉を指標にして生きましょう。キリスト教の意味はここにあります。
966 :
名無しさん@3周年:03/08/07 02:11
>>964 >>964 地球もいつか滅ぶだろう。
太陽系もいつかなくなるだろう。
しかし人は、その外を見出している。
創造主の愛と、良心なる聖霊と、主イエスの言葉は、
とこしえに失われることはない。
神は愛なり。
967 :
名無しさん@3周年:03/08/07 02:13
私たちは今を生きなくてはなりません。死後の天国・地獄はあくまで結果。今自分の中にある天国・地獄のどちらを生きるかということですね。
968 :
名無しさん@3周年:03/08/07 02:17
969 :
或る福音派信徒 YahooBB219179154018.bbtec.net:03/08/07 02:19
>>965 あんたはコピペばかりでいったい何考えてんだ。
地獄はある。地獄の永遠の苦しみについてはイエス様ご自身が語られた。
救いに選ばれた者は時に至ってイエスを主と告白し、洗礼を受けるだろう。
しかし、信じない者は滅びる。
地獄で永遠に苦しめられることになる。
>>965 異端の教えを広めるな。
地獄は、永遠だ。
地獄の苦痛は、永遠に終わることはない。
神の言葉に矛盾もウソもない。
971 :
名無しさん@3周年:03/08/07 02:30
ジルさんは賢いなー。或る福さんとは雲泥の差だなー。少しは見習えよ。
>>969 http://8309.teacup.com/biblebach0/bbs (無題) 投稿者:ジル@ACC 投稿日: 8月 6日(水)19時53分53秒
プロテスタントはカトリックについて本当に無知です。教職たちは、
「マリア崇拝は偶像崇拝です、あれは間違いです」と断言していました。
「崇敬」という言葉さえ知らなかったようです。私が所属教会を変えたのも、
この「マリア崇敬」について意見の違いが大きかったからです。
宗教改革者のルターも生前にはマリア崇敬に熱心だったというのに・・。
お互いのことをよく知らなければエキュメニズムも何もあったものではありません。
「あなたは勉強のしすぎです」とまで言われてしまいました。教職がこのていたらくですから、
信徒はいわずもがなです。自分で勉強しなければならないのだなと、つくづく思い知らされました。
またいつでもおいでください。お待ちしております。
972 :
名無しさん@3周年:03/08/07 02:33
イエスは、失われた羊が一匹でもいなくなれば見つけるまで探すとおっしゃいました。
使徒ペテロは、神は一人も滅びないことをお望みであると書きました。
使徒パウロは、アダムによってすべての人が罪を犯したが、イエスによってすべての人が生かされると書きました。みな一致しています。
ごく一部の人しか救えないとすれば、イエスの贖いは失敗に終わったということになり、他のキリストが必要になります。しかし、そのようなことはありません。
「永遠」というギリシャ語aijwvnには「無限」の意味はありません。長い時代という意味。
http://bible1.crosswalk.com/Lexicons/Greek/grk.cgi?number=165&version=kjv 「滅びる」というギリシャ語に「殺される」の意味はありません。「失われる」という意味。
イエスは失われた羊を一匹残らず救ってくださいます。イエスは嘘をつきません。
「永遠」は「いつまでも」と訳せます。単語は一個の意味だけではありません。多重的です。
「永遠の地獄」とは一人残らず救われる日までいつまでも失われた状態にあるという意味です。
すべての人が救われるのであり、ごく一部しか天国にいけないなどというのは大嘘です。
しかし、天国に直行できる人、すぐにはいけない人、かなり時間がかかる人、すごく時間がかかる人、途方もなく時間がかかる人など色々です。
そうでなければ、失われた羊を一人残らず助けるという、イエスの言葉は嘘になります。
旧約の「シェオル」、新約の「ハデス」は、すぐに天国にいけない人の死後の状態を指す言葉。
火の燃える「ゲヘナ」とは、救われるまで途方もなく時間がかかる人の死後の状態を指す言葉。
「地獄で永遠の火の責め苦に合う」とは、いつか救われるその日まで、いつまでも後悔の念に苛まれているということです。
どうせ行くなら、早く行きましょう。悔いが残らないように、キリストの言葉を指標にして生きましょう。
キリスト教の意味はここにあります。
973 :
名無しさん@3周年:03/08/07 02:41
>>969 あんた、寂しがり屋さんなんだろ?
自分の掲示板があるくせに誰もきてくれないから
2CHを荒らすようになったよね。
自由空間にもシタラバにもスレッド乱立させてるくせに
誰も相手してくれないから、賑やかな2CHの
しかも他人の作ったスレッドを専門に荒らしてるよね。
そうすれば相手してもらえるから。
イエスと本当に心の交流が出来てれば寂しくなくなるよ。
あなたにはそれが出来ていないのだよ。
974 :
名無しさん@3周年:03/08/07 02:43
テモテさんがカトリックになったからってどうだって言うの。
カトリックで救われればよいではありませんか?
所詮どの教会にいようと同じですよ。
キリスト者としての生き方が問題になるの。
>>或る福
975 :
或る福音派信徒 YahooBB219179154018.bbtec.net:03/08/07 02:45
>>973 あの掲示板はしつこいカトリックの人との対話用につくった。
それ以上の意味はもともとない。ソースは別から持ってきた。
正直言って本当のホームページに2chの人は来てほしくない。
イエス・キリストのほかに救いはない。
他に救いがあるという思想は悪質な異端か、単なる異教。
976 :
或る福音派信徒 YahooBB219179154018.bbtec.net:03/08/07 02:45
977 :
名無しさん@3周年:03/08/07 02:48
>>975 本当のホムペってどれさ。教えてくれない?俺いくからさ。
聖書キリスト教会のか?
>>976 また発作か。(w
>>966 ぷぷぷ。だから君のは所詮、3次元的だって言ってんの。発想が。
地球だの、宇宙だの、イエス様と名前付いちゃってる人(神)だの。
人間の脳で理解できる範囲の、そのまた内側の発想だよ。
私は、人間になる前(あえて“時”を付けたなら)が
あるって感じてる、感じてきた。幼少のころから、今も。
そして、死んだ後(“後”と、あえて表現するが)も
残念だけど人間じゃなくなって(体は失って)
それでも我は 嫌でも存在する。
だたし、それは3次元なのか何処なのか、
つまり、宇宙だのイエス様だの
そういう枠をはるかに超えた発想での事。
1−1=0(生まれて死ぬ事)なのだけど、その“0”は
味わいのあるグレードアップした素晴らしい“0”でありたい。
イエスでもイオスでも何でも良いよ。
そんな誰かが作った一つにしがみついてちゃ
見えるもんも、見えなくなるぜ〜。
私は今は人間時代だからそれを受け入れて
後悔のなるべく無いように努力して
良心と野心を半分だけ信じて まっとうしようとするのみ!
“神”ってのは、誰かに教えられたり
もともと名前が付いちゃってたり しないもんなんじゃないの?
みんなの中にもともといて、共に育ち、磨き、
信頼しあって、支えあって生きてゆく、
“命・魂”みたいなもんなんじゃないの?
“教え”は、
イエス様とかの受け売りなんかじゃなくて
自分で作って行きなよ。感じ取って経験して。
努力して、傷付いて。支えあって。乗り越えて。
なるべく何かを傷付けずに、それでもポジティブに。
磔
980 :
名無しさん@3周年:03/08/07 02:54
なるほど難しい問題ですね。しかし最初は偶像を信仰の対象にするのもいいのではないの
でしょうか?。
981 :
或る福音派信徒 YahooBB219179154018.bbtec.net:03/08/07 02:57
982 :
名無しさん@3周年:03/08/07 02:58
ここフジテレビのHP内のBACKNUMBERから
2003年08月01日をみてみれ
983 :
名無しさん@3周年:03/08/07 02:58
984 :
名無しさん@3周年:03/08/07 02:59
>>984 もともとのソースになった本物のホームページは別にある。
荒らされたくないから、新しく作った。
986 :
名無しさん@3周年:03/08/07 03:06
>>985 荒らされたくないって、ずいぶん被害妄想だね。
あんたを荒らす人なんていないよ。ゼロだろう。w
あんたのスレッド、どこ見たって、閑古鳥がないてるじゃん。
てか、あんたが荒らしてることになぜ気づかないのか?
あんたが2chにきて他のスレッドやカトスレまで荒らしまくってるわけ。
わからんの?
987 :
名無しさん@3周年:03/08/07 03:07
( ´_ゝ`)フーン
或る福は荒らされたtくないくせに荒らすキリスト教徒
988 :
名無しさん@3周年:03/08/07 03:08
神のひと声でイラクに大量殺戮兵器投下する福音派。
ブッシュが福音派で洗礼を受け、福音派で聖霊降臨を受け、
福音派の牧師を顧問にして、毎朝福音派の祈りをしているのは
世界が認める事実。
福音派で気が狂った人数知れず。行ってはいけない。近づくな。
ぷ。そうだった。
偏る人間って、所詮盲目なんだったヮ。
気の毒に。
991 :
名無しさん@3周年:03/08/07 03:11
>>986 テモテをカトリックにとられたことがよほどショックだったんだろうな。
992 :
名無しさん@3周年:03/08/07 03:15
イコンも偶像だと思いますか?。それとも芸術なのでしょうか。
いえいえ本当の神様なら信仰している者のハートを照覧しているはずです。
それよりも信仰の対象をただの紙きれとか石造とかにおとしめることの
ほうが問題なはずです。どうでしょうか?。もう寝ますおやすみ。
993 :
chebicro (50歳/男性/広島市西区):03/08/07 03:15
あんた方はそうはいうてじゃがのう・・・
死んでからではもう遅いのです。
私のような愛の人は心が痛むものです。
何とかしてキリストの十字架を知って戴きたいわけです。
996 :
名無しさん@3周年:03/08/07 03:32
黙示録の最後の審判を振り返ろう。二つの審判が書かれているが、裁かれるのはいのちの書に名前の書かれてる者だけ。
第1段階 いのちの書が開かれて、死とハデスから出てきた死者のうち、いのちの書に名前の書かれている者は、その行為に応じて正しく裁かれた。
20:12これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
20:13 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
第2段階 死とハデスは「火の池」に同化する。
20:14 それから、死も黄泉(ハデス)も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
第3段階 死者のうち、いのちの書に名前の書かれていない者は、裁きなしで火の池に投じられる。
20:15 このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。
というわけで、ハデスに入った死者には火の池地獄に行く者と行かない者の2種類がいることになる。同じハデスに行った死者でも、いのちの書に名前が書かれていて、行為に応じて裁きを受ける者は、火の池に入らない。
ここで問題。火の池に入った者たちがどうなるかは聖書のどこにも書かれていない。火の池に人間の霊が投じられるのは黙示録20:15の時点であるから。だが、彼らは裁きを受けていない。いつ裁きを受けることになるのだろうか?これについて聖書は何も語っていない。
997 :
名無しさん@3周年:03/08/07 03:36
或る福はハデスに落ちろ
998 :
名無しさん@3周年:03/08/07 03:38
998
999 :
名無しさん@3周年:03/08/07 03:41
イエスは、失われた羊が一匹でもいなくなれば見つけるまで探すとおっしゃいました。
使徒ペテロは、神は一人も滅びないことをお望みであると書きました。
使徒パウロは、アダムによってすべての人が罪を犯したが、イエスによってすべての人が生かされると書きました。みな一致しています。
ごく一部の人しか救えないとすれば、イエスの贖いは失敗に終わったということになり、他のキリストが必要になります。しかし、そのようなことはありません。
「永遠」というギリシャ語aijwvnには「無限」の意味はありません。長い時代という意味。
http://bible1.crosswalk.com/Lexicons/Greek/grk.cgi?number=165&version=kjv 「滅びる」というギリシャ語に「殺される」の意味はありません。「失われる」という意味。
イエスは失われた羊を一匹残らず救ってくださいます。イエスは嘘をつきません。
「永遠」は「いつまでも」と訳せます。単語は一個の意味だけではありません。多重的です。
「永遠の地獄」とは一人残らず救われる日までいつまでも失われた状態にあるという意味です。
すべての人が救われるのであり、ごく一部しか天国にいけないなどというのは大嘘です。
しかし、天国に直行できる人、すぐにはいけない人、かなり時間がかかる人、すごく時間がかかる人、途方もなく時間がかかる人など色々です。
そうでなければ、失われた羊を一人残らず助けるという、イエスの言葉は嘘になります。
旧約の「シェオル」、新約の「ハデス」は、すぐに天国にいけない人の死後の状態を指す言葉。
火の燃える「ゲヘナ」とは、救われるまで途方もなく時間がかかる人の死後の状態を指す言葉。
「地獄で永遠の火の責め苦に合う」とは、いつか救われるその日まで、いつまでも後悔の念に苛まれているということです。
どうせ行くなら、早く行きましょう。悔いが残らないように、キリストの言葉を指標にして生きましょう。キリスト教の意味はここにあります。
1000 :
名無しさん@3周年:03/08/07 03:41
イエスは、失われた羊が一匹でもいなくなれば見つけるまで探すとおっしゃいました。
使徒ペテロは、神は一人も滅びないことをお望みであると書きました。
使徒パウロは、アダムによってすべての人が罪を犯したが、イエスによってすべての人が生かされると書きました。みな一致しています。
ごく一部の人しか救えないとすれば、イエスの贖いは失敗に終わったということになり、他のキリストが必要になります。しかし、そのようなことはありません。
「永遠」というギリシャ語aijwvnには「無限」の意味はありません。長い時代という意味。
http://bible1.crosswalk.com/Lexicons/Greek/grk.cgi?number=165&version=kjv 「滅びる」というギリシャ語に「殺される」の意味はありません。「失われる」という意味。
イエスは失われた羊を一匹残らず救ってくださいます。イエスは嘘をつきません。
「永遠」は「いつまでも」と訳せます。単語は一個の意味だけではありません。多重的です。
「永遠の地獄」とは一人残らず救われる日までいつまでも失われた状態にあるという意味です。
すべての人が救われるのであり、ごく一部しか天国にいけないなどというのは大嘘です。
しかし、天国に直行できる人、すぐにはいけない人、かなり時間がかかる人、すごく時間がかかる人、途方もなく時間がかかる人など色々です。
そうでなければ、失われた羊を一人残らず助けるという、イエスの言葉は嘘になります。
旧約の「シェオル」、新約の「ハデス」は、すぐに天国にいけない人の死後の状態を指す言葉。
火の燃える「ゲヘナ」とは、救われるまで途方もなく時間がかかる人の死後の状態を指す言葉。
「地獄で永遠の火の責め苦に合う」とは、いつか救われるその日まで、いつまでも後悔の念に苛まれているということです。
どうせ行くなら、早く行きましょう。悔いが残らないように、キリストの言葉を指標にして生きましょう。キリスト教の意味はここにあります。
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1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。