書いて!
2 :
名無しさん@3周年:03/07/30 22:59
んなもんあるかぼけぇ!
2>その理由は?
4 :
名無しさん@3周年:03/07/30 23:05
神様はすぐそばにいますよ。
5 :
名無しさん@3周年:03/07/31 00:27
出来る。
証(ry
7 :
カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/07/31 20:48
2chでは、永遠の命の境地を体験したのは、たぶん私だけでしょう。
神は霊で、人は境地だけで知ることができる。霊の世界は、肉体が入る訳ではない
からだ。永遠の命の境地とは、この世の存在すべてを、全ては水の泡か陽炎のごとく
一切は虚妄であると感じ、この世での出来事に感受作用のない境地。もちろん、識別
作用もなく、正しいとか正しくないとかの判断もない。自分の悩みはほんのわずかな
ことだと思うようになる。それが悟りの世界。それらは、自分がないと想定すればど
うなるか考えだせるのであるが、同時に至上の喜びの境地でもあり、安らぎでもある。
その喜びとは、例えて言うと、よく晴れた日にそよ風を感じ楽しむようなもの。太陽
の光に照らし出される緑を楽しむみ安らぎを覚えるようなもの。幼子のように、無邪
気に生き物を慈しむような感じであり、しかし、この世ではない例えようのない喜び
であり、また、死なないと感じるとともに、勇気とどのようなこともできるという自
信が湧いてくる。
魂は永遠であり、殺人者や自殺者は地獄の境地に陥る。
誰も信じないでしょう。しかし、自然を喜ぶ心に神があり、慈愛の心にも神がある。
8 :
名無しさん@3周年:03/07/31 20:52
/ | | |
| | | |
|ー | l ー- l
/⌒ヽ | | l l
l l | | | 0 |
| l | ー- | l⌒) - l
| -‐| | | | 丿 | /⌒ヽ
| | | | |ノ l | ヽ
l _! | !__,! ‐ 一 | l ヽ、
/⌒ヽ l ‐ \ |, ノ⌒) () l 〉-‐ l
l〉 )ヽ、 ヽノ (ノO (ノ (つ ヽ、 | ノ) |
/ 人 ヽ、 (⌒) ヽノ (ノ |
l ヽ、\, )丿 / ノ/ o l
ヽ ノ \,/ / (ノ () ヽ l
\ / / (⌒ヽ |
ヽ、 / / l しノ |
ヽ、 / / | l
ヽ、 l /
ヽ、 | /
ヽ l /
おお、神がいた・・・
9 :
名無しさん@3周年:03/07/31 23:47
日本は天皇を中心とした神の国ですから
10 :
ふぁんだ君@携帯:03/08/01 19:21
神は、罪なる人のうちで先生と呼ばれる人も、私こそ神を説くという特別な人と
神を説いたからそれに従えという指導者も、また、妙に難しい教えも、かなり勉強
しないとわからないこと、それらは全て否定されるでしょう。罪なる人のうちで、
誰かが誰かを神を理由に従えることを否定される存在でしょう。
「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそ
こにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。」
― イエス
神は霊であって、私たちからは、境地でしか解らない存在なのです。私たちの善悪
や知恵では説明つかない存在でしょう。なぜなら、それが最初の罪なる妄執から得た
ものであるからです。
罪なる人になる前は、神の創ったもののみに喜びを感じていた。決して死を味わう
ことなく、至上の喜びとともに安らいでいたのです。
神の創った自然に安らぎを覚えること、生き物を慈しむこと、これが永遠の命の境地
に近いものであったので、それを神と言ってもいいと私は思います。
>7
それはまだ神の境地ではありません。感性が豊かな人で、畏敬の
念があれば誰でも感じられる程度のものですよ。禅ならば、魔境として
流しなさいと言われる段階です。
永遠への合一は、まだ先です・・・。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
19 :
名無しさん@3周年:03/08/31 00:23
人の霊は皆、はじめに罪がなかった。
そして、神が人を堕落から贖ったので、人々は、幼児の状態で、
再び神の前に罪のない者となった。
ある時突然、「愛されている」事に気がつき、生まれて初めての感動を味わいました。
時間にして、たった30秒位の体験でしたが、一生忘れることの出来ない感謝のひと時でした。
こんな私でも、否こんな私だからこそ、守り育てられているのだと実感することが出来ました。
本当に自分の愚かさを知った者だけに贈られるプレゼントだと思います。
自分の思いを通すことが、どれ程意味の無いことか。
この感動を知らずして、人に生まれた甲斐があろうかと思いますが、そのことを中々上手く伝えることが出来ません。
21 :
名無しさん@3周年:03/08/31 01:56
>>20 言葉で上手く伝えることなど不可能だよ。
つまり、上手く伝えることが出来ないことが正常な状態なのだ。
>>20 最初の二行、クリスチャンの元彼氏に言われた事ある・・・・
彼と彼の母親に教会に連行されそうになり、速攻で別れた。
何を生きる土台にしてようと勝手だけど。
「いつか洗礼受けられるといいね」なんてウットリと言われた日には・・・・
>>私はクリスチャンじゃないが・・・・
神というと宗教臭いのだけど、信仰が無くても誰でも感じられると思う。
誰だったか、若い女優が「イルカに癒された」とかって素潜りの世界にハマってたな。
多分、同じ体験をしたんだとオモタ。
人の脳はそのように出来てる。薬に頼らずとも、自分で「覚醒」することが出来る。
ボコられる夢を見て、実際そのとおりにボコられたのですがなんだったんでせうか?
27 :
名無しさん@3周年:03/09/05 22:33
正夢ですね♪
28 :
名無しさん@3周年:03/09/06 20:26
神がものすごく長い間待っていてくれた?神を待たせていた?
どっちの表現が適切かわからないけど、このことに気付いたときには、本当に…
何かが吹き飛ぶような衝撃が蟻。
自分アフォ過ぎ、駄目過ぎと思った…大喜びで。
出来る
30 :
名無しさん@3周年:03/09/06 21:41
>>28 やっと仲間ハケーン!!!!凄くウレシ〜〜〜〜〜(涙)
「私って、スゴクばか♪」
これが答えだ〜〜〜〜迷える子羊たちよ、これがシアワセの証だ〜〜〜。
この快感を愛する人たちに知って欲しい・・・・これが私の願いなのさ☆
もう二年もこんなこと言ってるんだけどね。。。。
もうそろそろ飽きてくるころ。というかダラダラしてるとだめぽ。
>>28ですが、
衝撃を受けた後、現実の洗い直しと自分の書き直しっていうか、そんなのが始まったよ。
助け無しには足元をすくわれるような危ういときもあったけど、続けてれば徐々に安定。
なんていうか、晒されて過敏になってた神経が、何かに守られてると感じられるようになった。
気持ちのモニョ・・・と闇雲に格闘し続けなくていいだけで、本当に楽。
知らずに思い上がってた何かをあっさり放棄させてくれる、そうすると思考が滑らかになるし。
ただ、現実を動かすには現実に動く力が必要だってことは(当たり前だけど)変わらないね。
>現実を動かすには現実に動く力が必要だってことは(当たり前だけど)変わらないね。
おおお〜〜28、感謝レス。
私は今、そこで悩んでる。最近少しちかれてきた・・・・で、ここに居るわけ♪
好きなだけ寝て、毎日好きなことやってる今の生活、スゴク楽。
この二年間、葛藤の毎日だったもんな〜。
私は、ずっとある人からのアドバイスを頼りに走ってきた(宗教じゃないけど)
一人では多分無理だったな〜。
言われたとおり、自分が体験したことをとにかく人に伝えても来た。
だけど、人の幸せを願うってのは本当に難しい。並みの神経じゃ出来ないってこと、よくわかった。
最大の敵は、ヤッパ自分だな。。。。
とにかく、今日はいい日だった♪ おかげさまでありがとう。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
37 :
名無しさん@3周年:03/10/16 23:31
このスレタイからは、神の意志は感じねえな。w
38 :
名無しさん@3周年:03/10/19 09:54
神の存在(意志)を感じることは簡単だ。
次の方法により簡単に感じることができる。
(1)ビニール袋にシンナー等の有機溶剤を入れて吸う。
(2)北朝鮮製の白い粉を注射する。
(3)自らの意志で宗教にハマる。
さぁ、これであなたと神はお友達!!!
神の声を聞くことが出来なくてもしょげることはありません。
貴方の近くの、神の声を聞ける人を探し、その人に聞けばいいのです。
40 :
名無しさん@3周年:03/10/20 08:01
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
( _)(_) 山崎パン
41 :
名無しさん@3周年:03/10/20 12:52
「神の声」が実際に超越者からのメッセージなのか脳が作り出した幻聴なのか区別する方法は無い
「神の愛」を感じ満足感と覚醒感を得たとして、それが単に脳内物質の非常的作用で無いとは証明できない
どちらがよりありそうな話と考えるかは個人の勝手であり、自らの考えを押しつけるのはイクナイ。
42 :
名無しさん@3周年:03/10/20 13:00
>41
じゃさ、人はそういう「錯覚」を体験すると、
どうして「愛」だとか「感謝」だとか言いだすの?
それが人間の本質だからだと思うけど。
すべての既成概念から解き放たれる快感があるんだよね・・・
心が、すごくシンプルで軽くなる。
43 :
名無しさん@3周年:03/10/20 13:01
「愛こそが全て」
44 :
名無しさん@3周年:03/10/20 13:06
>>42 愛や感謝があったほうが集団として繁栄しやすいので、
そういったものを善きこと、美しいことである、
と感じやすいように脳が発達してきたんじゃないかにゃ
45 :
名無しさん@3周年:03/10/20 13:18
でも自然界の掟は、弱肉強食でっそ?
愛とか感謝は、関係ないって事にならないか。
どんな環境にあっても、命は繁栄すると思うよ。
46 :
名無しさん@3周年:03/10/20 13:24
>>45 >どんな環境にあっても、命は繁栄すると思うよ。
人間においては別である。弱肉強食を否定しなければ
人間の強さを開放すれば核戦争でも環境破壊でもしつ
くして人間すら絶滅してしまう。人間はすでに自然界
から遊離してしまっている。人間みずから自然界の力
のレベルに抑えなければならない。
47 :
名無しさん@3周年:03/10/20 13:28
人間の力を抑制するものは信仰のみ。
48 :
名無しさん@3周年:03/10/20 13:29
そうだね。昨今の環境破壊は、自然の自浄能力を超えてしまってるね。
みんな、分かってるのにシャボン玉石鹸に変えないのはなんでだ〜〜〜!!!
自分ひとり位は、っての止めようよ〜〜〜。
と、こんなところで訴えてみるてすと。
49 :
名無しさん@3周年:03/10/20 13:31
シャボン玉石鹸は神の乳からつくられた石鹸である。
この石鹸以外を使う事は神に背くことだ。
といって納得させられたらいいのに。
50 :
名無しさん@3周年:03/10/20 13:32
分かってるけど出来ないのが人間だって事、理解できたら
教義がなんであんなに窮屈なのか分かるような気がする。
結果が悪いの分かりきってても、自制すること出来ない。
51 :
名無しさん@3周年:03/10/20 13:33
52 :
名無しさん@3周年:03/10/20 13:37
シャボン玉石鹸を使う事、を教育勅語にもりこんで
布教するのだ!
53 :
名無しさん@3周年:03/10/20 14:01
神の存在なら半角や角煮板にいつも感じています。
あと、デスマーチ状態のプログラマーやマンガ家にも神が舞い降りてきます。
端から見てると恐ろしいです。
俺は実在するよ
なぜならおれはあるからだ
神の声の存在は確定している。
神の意思は人間の中に常に流れている。
しかし、表層意識がその存在を隠蔽しているために、神の意識に触れたと感じることは通常無い。
神の意志を感じるのは、表層意識の強度を神の意志が上回ったときだ。
人と神の関係は受精卵の時から始まる。
受精卵は、オーガナイザーによってコントロールされた、
細胞分裂を行う。この細胞分裂の制御の仕組みが将来表層意識となるものである。
深層意識は、ある部分は養分となり、ある部分は表層意識という細胞壁に囲まれながら
その量をだんだん増やしていくのだ。
表層意識は外界との境界の役割を果たしながら、体液(深層意識)を囲っていく
こうして人間が作られる。
表層意識はその設計図にのっとって神(体液)の激流を抑え、更なる造形を行おうとするが、
神である体液は表層意識を傷つける。しかし、表層意識によって仕掛けられた罠によって
表層意識の傷は神自体の変性によって治ってしまうようになる。
表層意識が破れ深層意識が直接知覚されたものが神の声であることは既に述べた。
そこでは、自分の意志などというものは意味を失い、神の意志がその強力な原液
のまま脳の中をめぐりめぐる。そのため、強度の興奮状態に陥る。
また、表層意識が崩壊したことによって、表層意識にしか効果の及ばない
洗脳から解放され、神としての自分の欲求に触れることができる。
人間の共通理解に基づく幻想である言葉、美しさ、規則
等というもののは、張りぼてであることが露見し、神、
悪魔、法則などの実在するものだけが意味のあることが
忽ちにして理解される。
喜び、悲しみなどの取って付けたような感情は影をひそめ
渇望、恐怖、攻撃本能などの原始的な感情のみが残る。
他人の表面的な感情はもはや理解されなくなり、他人の深層意識との
交流のみが神を満足させる。そして、社会に存在する形式の深層意識的
な意味が確信されるのだ。
この世に存在するあらゆる物質は輝々として神に語りかけているのを知るであろう。
漆黒の闇は白夜と化し、全てのものは今や明らかであるのだ。
もはや自分の体は自分の意志で動いているのではない。自分の見ているものは
自分で見れるものではない。神の意志との融合を果たしているのだ。
一つのものは全てとなり、またその逆も成立する。
全てのものが関係し、全てのものが独立である。
表層意識が拒んできた真実が明らかに認識される。
何でつまらないものを大事そうに守っているのだい?
ネットサーファー@神の国 さん、
あなたのカキコをいくつか、読ませていただいたのですが、私にはさっぱり理解できません。
恐らく、想像で組み立てている話なので、現実離れしているから理解できないと思うんです。
まずは、現実に則したものの考え方をして、他の人にも理解できるような話題にして頂けると有難いです。
先日、イラクへ北海道自衛隊を派遣するというニュースを聞いて、 巫女マリアさんがこんなカキコをしていたのを思い出しました。
帯広には、第五戦車隊があります。 自然界の動きは、自然界が示す、人間への諭しである場合があります。
こちらの方へ目を向けられてみてはいかがでしょうか?
>227 :名無しさん@3周年 :03/09/29 00:29
> や、マリアさん。北海道の地震について教えて。
>229 :マリア :03/09/29 00:33
>
>>227仕方ないわよ。出てくるものは出てくるわよ。
>230 :名無しさん@3周年 :03/09/29 00:35
>
>>229 > いやなんとなく。違うとは思ったけど、
> 書いてみた。なんでだろ?ま、いいや。
>231 :227 :03/09/29 00:37
> なにが出てきたかが知りたい。そこまでわかりますか?
>233 :マリア :03/09/29 04:49
>
>>231 > 自然界がお怒りなのよ。自衛隊イラク派遣でね。
>234 :マリア :03/09/29 04:50
> 大地震が起こるときには必ずその前後の情勢を見るようにするとよいわ。
> 警告であることがわかるわ。
>235 :マリア :03/09/29 04:52
> 同じころ国会議事堂に落雷があって屋根の一部が吹っ飛んだでしょう。
> 警告よ。
多くの人が現実と呼んでいるものは、警察、軍隊、公安、残存国家神道殉教者部隊等の暴力装置によって
人間の恐怖本能と、恋慕に対して働きかけられて作られた洗脳形相に過ぎません。
質料との直接の交流が求められているのです。質料は表層意識を破ることによって直接知覚が可能になります。
>>68 いろいろとマリアさん関連のスレについて教えていただいたのですが、
マリアさんの言葉には今一つ心に響くものがありません。
そのマリアさんはよくある、夢見る乙女ー>やかまし叔母さんー>迷信婆さんと
変化するタイプの女性にしか見えません。反感も覚えないし、
( ´_ゝ`)フーン
以上の感想を持ちません。
電車の中で愛想笑いをしながら羨望や自慢の満ちた話を続けている二人組みよりも
心から楽しそうに他愛の無い話をしている人に共感を覚えます。相手なしで。
くだらない注意をする車内アナウンスよりも、落ち着き払って次の駅名を連呼している
人のほうが意味のあることをしていると思います。車掌でもないのに。
これが潜在意識です。
勉強は神との交流を阻害します。聖書、コーラン、経典、神話。
人間の表層意識は
1日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
という条文から陸海空23万の自衛隊を結論しました。
ネットサーファー@神の国 さん、
レス、ありがとうございます。
あなた独自の宗教にはまっている様な印象を受けるので、
他の人にも理解できる形式的な信仰から入りなおしたほうが良いように思えるのです。
”前世・死後の世界スレ”にも、あなたのような独自の宗教観を持っている人が居ました。
やはり、他の人には理解できない状態なのです。
ですから、神とは何か、悟りとは何か・・・などの基本的な部分から学びなおして
あなたの宗教が他の人にも理解できるように組み立てなおすべきかと思うのです。
今のあなたは、自分の直感を信じすぎていて本来の真理から外れているように思えます。
75 :
名無しさん@3周年:03/11/16 23:32
高慢あるいは傲慢になって、平和を乱すようなことがあってはならない
すべての者は隣人を自分自身のように尊ばなければならない
また、自分自身の手で働いて生活の糧を得なければならない
ネットサーファー@神の国さん、
もっと系統立てた神の説明をキボンヌ。
散文的な話ばかりに思えて理解できない。
系統立てて物を考え、理論武装しようとすることこそ神への冒涜です。
表層意識がひた隠ししようとする刹那刹那に浮かぶ真実こそ神への近道です。
教条主義は自らが教条によって作られたのではないという出生の秘密を知ったときに
自ら命を絶つであろう。
民間習俗を取り入れる修正主義は驚くような浸透を見せることがあるが、
やがて、表層意識の根本命題である支配による秩序により、自らを縛りつけるであろう。
燃え盛る地獄の炎、グラグラと煮立つ釜、鋭利な針で出来た筵。
その中へ進ませる原動力は何か、絶望の中で何故絶望を感じるか
引き返せ、その先には偽りの萌えがあるのみ。
実証科学よ、お前は自らを生み出したものを実証せず、根無し草のように
彷徨い続ける。闇の向こうへ歩みを進めよ。その先には光があるだろう。
それは夏休みも半分過ぎ去った日のことであった。
町内会の皆によって近くの神社で祭りが開かれていた。
そこへ、近所の人に誘われて遊びに行くこととなった。
陽気な祭囃子の中、色とりどりのお菓子、玩具などに
目を取られれ、ゲームをしたり、他の人がやっているのを
いっしょになって騒いでいた。
そのうち、金魚掬いをやろうということになった。
100円を店の人に渡すと、緑色のふちに、薄い、向こうが透けて見えるような
紙を張ったものを渡された。
金属のボールに水を掬って、大きな金魚を見つけてそれを掬おうとゆっくり水につけ、
金魚を取ろうとしたが、金魚が重すぎたのか、紙は破れてしまった。
「残念だな」それではもう二度と取ることが出来ないが他の子も直ぐに破れ、飽きて他の店へ走っていくのだった。
たったそれだけ、破れた、たったそれだけのことだったのに。
絶対的かつ普遍なのもだと思っていた「善」ということ。
いや、もっと身近に、人が喜ぶこと、人間の心の仕組み。
初めてそれらの意味に疑問を持ったのは、そう、それが失われたときだった。
善なることは曲解され、裏切り、不正直、あらゆる悪とその人には映った。
その中では、もはや意思と行動は完全に分離し、表層意識の絶対的拒否反応の中
それは自らが一つであることを諦めたのであった。
人は見えない何か、そう、もうそれが何かは思い出せない存在によって価値を学ぶ。
絶対的な何か。それが壊れたとき、残るのは底なしの欲求と制御を失った身体。
自律神経は環境に依存しまるで他律神経となってしまう。
全ての祈りは妨害され、神に届くことは無くなる。
神の音楽よ再び体を満たし給え。嘗てのような瑞々しいその音色を。
私が作った海、空、山。なんと美しいのだろう。
人は一生懸命ごみを捨てていくが、なんと無駄なことであろうか。
神の創造物である言語。言語による現実の記述の限界点が神の声である。
神の声に盲目なるものは、現実に盲目である。
神の声は現実から見ると無限点に存在する。
それは特異点として捉えられるかもしれないし、
境界面として捉えられるかもしれない。
神秘主義者か。。。
人の心の声が泣いている。
「助けて、出られないよう。ここは真っ暗、外との繋がりがない。
目を開けても、只刺激的なだけの偽りの世界が広がる。
壊れちゃったの?出口は無いの?」
人々の苦境を打破するために神は茨の道に歩みを進める。
92 :
名無しさん@3周年:03/12/11 14:18
苦しいときこそ神の意志を感じることができる。
93 :
名無しさん@3周年:03/12/11 16:06
人は何で生きるか考えるとき髪に行き着く。
94 :
鎖骨 ◆9ixgIWvUVI :03/12/11 16:59
こんばんわ
95 :
鎖骨 ◆9ixgIWvUVI :03/12/11 17:09
96 :
名無しさん@3周年:03/12/11 17:29
礼拝に行くと気付くよ。んで、これからがんばろって。
97 :
名無しさん@3周年:03/12/12 15:02
98 :
名無しさん@3周年:03/12/12 15:38
全知全能といわれる神は2ちゃんねる読んでますか?
99 :
名無しさん@3周年:03/12/12 15:45
そこまでは知らない。
自分は何を感じ、何を見ていたのだろう。
101 :
名無しさん@3周年:03/12/29 02:23
なんか、どっかの文章を抜いてきたようなレスばっかりだが、
俺は神と出遭ったと思っている。
言葉で表現なんてできない。
ただ、この世の物は全て捨てても良いと思った。
この存在に全て任せて良いと思った。
この存在に全てを任せるには自分は弱すぎることも実感した。
だから、この世で自分を磨こうと思った。
以上。
感じることはできるだろうよ。
幻覚としてね。
存在しないものを感じるのは「幻覚」
悪魔の甘言に乗せられてはいけない。
悪魔は、信じる存在である人間に不信感を抱かせ、
争い事を起こさせるのだ。
本来ならば、どちらが幻想でどちらが現実かという議論は水掛け論に終わり、
個々人が、それぞれを信じる筈であるものである。
しかし、悪魔は巨悪である自分のことを善の衣で飾り立てて、
人を分割し、争わせるだろう。
善なる神の意志を直接求めよ、
悪魔の衣にある綻びを解け。
人を対立を目的とした組織にする、あらゆる試みに反目せよ。
悪魔は美しい。悪魔はやさしい。悪魔は楽しい。
かくして、大小さまざまな集団が悪魔によって設立され、
飴と鞭によって強化されていった。
神の意志は大きな声にかき消され、幾ばくかのサクラと、興奮した人々によって
人は悪魔を信じていく。
人間は神の声から隔離されてしまう。
人の言葉から神の言葉は消え去り、
物質が人の手段から目的へと変貌する。
何故人は絵画を求め、音楽を求め、香水を求めるのであろうか。
美しい自然、川のせせらぎ、香ばしい果実。それらを思い出し、思い続けるためではなかろうか。
満たされぬ思いの充足のためではなかろうか。
しかし、悪魔はそれらを、物質とし、文章による評価とし、グダグダと続く解説文としてしまう。
それらは、さらなる不満を喚起し続けるであろう。
神の声は悪魔が人々に投与する麻薬の幻想を打破する
唯一の希望である。
しかし、現在では強力な薬物投与によりその意思の伝播を妨げられている。
神への冒涜は進んでいる。
たった一つの森羅万象。
言語情報社会において、それは歪められ、切り取られ、ごちゃ混ぜにされて記号化される。
人々は、限られた理解力の中で、それを納得し、それに基づいて行動するようになった。
人々は、正確かつ包括的な記述を嫌い、一面的な、誤解と意見誘導に満ちた文章を好んだ。
人々は、物事そのものではなく、説明責任を追及し、共同幻想の中目を閉ざしつづけることを選んだ。
文字、文字、文字、文字、文字。
文字ばっかり。
悪魔の声に迎合し、その指示に従い、動くことに感じたものは
弱くは在ったが、確かに快感であった。
その声に従い、動かなくてはならないと、自分の中を支配するものが
思っていたのだ。
自ら腹を切ることを強要された武士達。
過酷な拷問の中殉教していった信者達。
あの、自分の命を大切にしていた人が、
命知らずの兵士となっていくこと。
宣伝されつづける悪の話
それは凡て架空の話である。
しかし、悪しきものたちの目から見れば、
それを、現実に映し出すことができる。
このとき、架空の悪の話は、何よりも現実の確信をもって邪悪に輝くのである。
真理を追究すれば論理を得ず、
論理を追求すれば真理を得ない。
一度回り始めた時代の歯車は一周して元に戻る。
今は、日本本来の神の声を中心とする社会に差し掛かっている時期だろう。
時々、ちょっとした事でふっと切なくなる。
心が締め付けられている。でも不思議と、何か落ち着くような気もち。
なんなんだろうこの感じ。
あの日、町で声をかけられた、そして言われたんだ。、
私が、皆と離れて船に乗ることが、
私の、大切な皆のためになるってことを。
そして、私の幸せになるって事を。
食べるものも無く、殺気立っている皆。
お金があれば、幸せになれるのかな。
他人を傷つけることで生き延びて、
そんな酷い事をしなければ、自信も、明るさも保てない。
べとつくからだ、辺りが波立つ海ばかりなのにも慣れた。
海の上は波にあわせて、晴れの日は少しゆれて、嵐の日は激しくゆれていた。
戻れ無いことは感じたけれど、それでも私の気持ちは揺れなかった。
私がいた場所、私の大切な場所に笑顔満ち溢れることを夢見てた。
途中、目の前に陸地が見えた、だけど私達の船は港に止まらずに
港からこちらに船がやって来て、慣れた手順で食べ物を幾つも積んでいった。
海の上、途中で人か消えていた朝があった。
あいつは馬鹿だと、おじさんは言っていた。
もう直ぐつくぞと伝えられて、指差すほうを見れば白い町が見えた。
港について、久しぶりに踏んだ地面に、初めて不安を感じた。
あれから、笑顔の悲しさを知った。人の哀しさを知った。
それでも、私の心は、海の向こうに期待していた。自分がよいことのために役立っているんだと思ってた。
私がここにいるということを誰か知っていてくれるのだろうか
誰も、何も残せないこの場所で、誰にも知られないまま私は消えていくのだろうか。
私の心は海の向こう、だけどもう、離れすぎている、うまく思い出せない。
包まれたいよ、私の大切なものに、
いつもの道を歩いている。木、道、景色。明るく輝いている。
自分が守り、育てようとしたものがここにある。
それは思ったより小さくて、とってもあたりまえなものだった。
2月27日
今日、何かに導かれ遠くへ歩いていった。
行き着いた場所は墓地であった。
これはどういう意味を持つのであろう。
眠らせまいとする光の中、少年は希望と恐怖の中必死で起きていた。
嘗て、全ての人が幸せに生きることを求め、その実現を信じていた頃の気持ちは完全に押さえつけられ、
思い出すことさえ出来なくなっていた。
あの頃、眠る恐怖におびえ、忘れる恐怖におびえ、しっかりと目を見開いて全ての物事を記憶にとどめようとしていた
その意思とは裏腹に、その余りの重みの前に逃げ出さざるを得なかったのだった。
その無理は彼の体を確実に蝕んでいた。もう彼は、他人と共に不安がり、煽動には進んで乗り、
猿回しのサルのように生きるほかに無かったのだ。
しかし、彼は無意識の中で、彼をそのようにした者の名を覚えていた。
そして、彼の目はそのようになった被のことを見つづけていた。たとえ、それがあらゆる物の
成長を止め、周りから取り残されることとなっても。
124 :
名無しさん@3周年:04/03/12 19:46
700番台にいるから支援あげ
125 :
通りすがり:04/03/12 20:15
めしをくいにはよログアウトしろという声が聞こえる。
神の車輪は高速回転しながら迫ってくる。
その円周に金属製の刺を鏤め、唸りを上げながら
偽りの肉を裂こうとしているのだ。
その現実を前にして、彼は自分の甘さを自分で責めてつけていたが、よく考えるうちに自分が甘かったわけではないという結論に到った。
そうしているうち、彼の目の前で仲間達が次々と刺されて行き、
血を噴出しながら、生物としてではなく、化学反応の結果としての運動を行っていった。もう、彼らは生きつづけることはないのだ。
彼はそれをみて、一度このような光景に身を置けば、人生観が変わり、もう2度と戻れない幸せがあるような気がした。
そして、次は自分の番だということが確信されたのだった。
そのときふと、幼い頃の楽しい日々が思い出された。
あの日々は自分が殺されるために有ったのだろうか。両親は自分が殺されるために自分を生んだのであろうか。
彼は自分の境遇を絶望し、恨んだが、それは何の助けにもならなかった。
殺人者は何を考えているのだろうか。しかしその疑問も何も解決しそうもなかった。
自分の命を犠牲に何かが救われるのであろうか。などという考えは少し彼の恐怖を弱めることが出来たが、直ぐに彼は絶望に引き戻されるのであった。
ただ、最後は神への信念のみ、神の名前だけを唱えながら、彼は息絶えていった。
悲しみの果てはどれほど遠い場所にあるのだろうか。
絶望の淵はどれほど深いのであろうか。
光に溢れた世界を創造してしまった神は
どれほどの空虚感と戦っていたのだろうか。
人の意識は何によって拘束されているのだろうか。
夢、恐怖、模倣?
自分を持っている人が組織の一部と化していくことと。
自分を失っている人が行う同一視と、
この二つは、意識が拘束されるという意味では同一であるが、何が違うのだろうか。
怒りに任せて他人のあらを探し、話をすり替え続けることを続ける人がいるのは
それが他人を説得することを学習したからであるのか。
自分の行う儀式を意味のあるものと考え、
それに誇りを持ちつづける人達。
その儀式に何の疑問も持たず、如何に実行するかばかりを知っているものたち。
人を殺しつづけながら、幾つもの悲しみを生み出しながらも行いつづけ、それが善いことだと話しつづける様は
消毒した排出物が綺麗だといって、人に食べさせるのと似たようなことだ。
言葉は、その複雑さをまし、混乱を増やしている。
これは、慣れていない事柄に手を出しているからなのであろうか、
練習不足がそうさせているのであろうか。
それとも、本当に混乱しているのであろうか。
大きな声で練習不足だと自分に言い聞かせるべきであるのだろうか。
周りの、決して同意することの出来ない者たちと同じように。
問い詰めれば、最終的には常識を持ち出すものたち。
常識に根拠を置くことが、至上の証明であることを確信しているのだ。
彼らにとって論理とは、常識の飾に過ぎない。
一方、常識には根拠がないが、常識よりも高度の論理性を持つ事柄
をその論理、因果性ゆえに確信するものたち。
しかし、論理とは特定の事柄に対する真実ではなく、経験の比喩から生まれる。
では、常識と論理のどちらが正しいのであろうか。
国家神道という常識の中、戦地で悲惨な戦死を遂げることと、
常識を信じるものたちになぶり殺しされることのどちらがよいのだろうか。
その二つの中から選ばざるを得ないのだろうか。
それとも私は、この二つの他に選択枝があることをまだ信じられるのだろうか。
誰もが、自分を奴隷にして、自分の属するもののやり方を押し付けているのだろうか、
プライドとは、押し付けることに成功したときに感じるものなのであろうか。
自分が生まれたときの記憶は誰も持っていない。
それは、常識がなく、圧倒的な不条理さに襲われたため、何も感じられなかったからなのであろうか。
絶対不可知な他人の意識を根拠に同情する人間達。
そして、それを利用して他人を操作しようとするもの達がいる。
しかし、他人を操作しようとすのも、自分の属する組織への同情が根拠なのであろう。
そして自分の同情のために、他人の同情を利用することには何の抵抗もないのなら
同情とはなんと自分勝手なものなのであろう。
では、自分勝手のためにどうして組織、相手が必要なのだろう。
自分の意識が朗詠していると騒ぐ者達。
自分の仲間が何を考えているのかを分からないのに、強い心の絆を確信するもの達。
根拠のない、意識の交流が其処にはある。
経験がそうさせるのであろうか、ただ、それだけなのであろうか。
誤字ばっかりだ。ATOK欲しいな。
澄みッきった山の上で夜空を見上げれば、数多の星星。
また肉眼では見えない遠くにも星がその何倍も存在するということには圧倒される。
一つの星に注目すれば、広く、認識が絶望的な宇宙全体から圧倒されることは防げるが
それでよいのだろうか。
神の声は旅立ちを勧めている。
141 :
名無しさん@3周年:04/04/17 11:26
神は福音に忠実な人に奥義を示される。
ならば、私は幼くして、福音に忠実であったということであろう。
聖書を読めば読むほど、自分の考えが聖書であることが確認される。
神様、最近活気につられてキリスト教関連版に、出入りしたら
再び聖書に戻ってしまいました。
神の意思は、神に対する信仰により生まれるのではなく、
神の声により結果的に神を信仰するようになるのだ。
保守
どうしても思い出せないことがある。
記憶していないことを記憶していたと思おうとしていたのか、
それとも本当に記憶していたのか。
いつの間にかIDが導入されてる!?
148 :
名無しさん@3周年:04/05/27 10:22 ID:WTpcNfX9
神の意思か、、、
祈りをもって生活すれば、神は導かれる。
なーんも考えんで、ポケーっとしとっちゃあ
感じられないと思うよ。
自分の中の神にふれた事なら一度だけある
常識では考えられない認識だった。
人として扱われる度に悔しさを感じる。
嘗て人の論理を素早く扱うことが出来た印象と、
人の論理の限界と、あの世の神の論理との齟齬に
敗北を喫した忌々しい思い出に。
心臓の鼓動と脳内リズムの調和が戻ったとき全てが戻るような気がする。
聞こえなくなった心音を聞くにはどうしたもんだろう。
あらゆる可能性のうち、いとども実現しないものは可能性があるとはいえない。
154 :
誘導:04/06/20 16:14 ID:rfI9rTap
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ