マリアが「神の母」というのは、三位一体の唯一の神性の母という意味ではなく、
御子なる神格の母という意味です。
例えば、もし「神の子」が神性の子とすると、
三位一体の唯一の本性の子ということになり、
キリストは御父の神性の子、聖霊の神性の子、御子自身の神性の子になり、
サベリオス異端になります。ですから、「神の子」は御父なる神格の子という意味でなければなりません。
御父が神格であるということは、御子も聖霊も神格ということになります。
御子は一つの神格であて、人格ではありえませんし、神格と人格に分かれることもありません。
コンスタンチノープル公会議(381年)でにおいても、御父と御子と聖霊のことを、
三つの神格 "the three divine persons" と呼ばれています。
http://www.piar.hu/councils/ecum02.htm So what is presented here is the synodical letter of the synod of Constantinople held in 382,
which expounded these doctrinal decisions, as the fathers witness,
in summary form: namely, along the lines defined by the council of Nicaea,
the consubstantiality and coeternity of the three divine persons against the Sabellians,
Anomoeans, Arians and Pneumatomachi, who thought that the divinity was divided into several natures;
and the enanthropesis (taking of humanity) of the Word,
against those who supposed that the Word had in no way taken a human soul.