1 :
名無しさん@3周年 :
03/06/21 03:10 宇宙の真理を要約した大典。 般若心経を皆で極めてみよう。
2 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 03:12
深夜に2ゲット!
3 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 03:13
色即是空 空即是色
極めたくない。
5 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 03:28
般若心経か。 松下幸之助はこの経が大好きだったらしいな。 最近だと石原慎太郎もこの経のファンらしいし、木村拓也も暗誦出来るほどこってるらしい。 まぁ、意味を知れば何かしらの魅力はあるんだろうな。
>>5 >意味を知れば何かしらの魅力はあるんだろうな。
あんまりないと思うんだけどな。
7 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 03:30
石原慎太郎だけは許せん nox法撤廃しろやカス
8 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 03:36
極めるほどの知性が無い。
9 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 10:23
はにゃーん心経
10 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 10:46
空をきわめること!
観世音菩薩行深般若波羅蜜時照見五陰空度一切苦厄。 舎利弗。色空故無悩壊相。受空故無受相。想空故無知相。 行空故無作相。識空故無覚相。何以故。舎利弗。非色異空。 非空異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。 舎利弗。是諸法空相不生不滅。不垢不浄。不増不減。 是空法非過去非未来非現在。是故空中無色。無受想行識。 無眼耳鼻舌身意。無色聲香味触法。無眼界乃至無意識界。 無無明亦無無明盡。乃至無老死亦無老死盡。無苦集滅道。 無智亦無得。以無所得故。菩薩依般若波羅蜜故心無罫礙。 無罫礙故無有恐怖。離一切顛倒夢想苦悩究竟涅槃。 三世諸佛依般若波羅蜜故得阿耨多羅三藐三菩提。 故知般若波羅蜜是大明呪無上明呪無等等明呪。 能除一切苦真実不虚。故説般若波羅蜜説呪曰。 掲帝 掲帝 波羅掲帝 波羅僧掲帝 菩提僧莎訶。 摩訶般若波羅蜜大明呪経
12 :
名無しさん@3周年 :03/06/22 21:56
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時 観音菩薩が深い知恵を得ようと修行していた時 (般若とはパーリ語の”パンニャ”を中国語に音写したもの。意味は知恵) (波羅蜜多はパーリ語で”パーラミター”。意味は完成) 照見五温皆空度一切苦厄 存在するものは全て皆空であるとして、一切の苦しみ、厄を見抜いた。 (五温とは「存在するもの」と同義語と解される)
あぼーん
14 :
名無しさん@3周年 :03/06/22 22:10
舎利子色不異空空不異色 シャーリープトラよ。実在するものは空しいものであり空であるに 違いなく、空しいもの、形無いものは実在するにものに違いないのだ。 (舎利子はブッダの弟子。インド名をシャーリープトラと言う。 般若心経はブッダが弟子に教えを授ける台詞の形をとっている。) 色即是空空即是色 形あるものは、すなわち空であり、形ないものはすなわち形がある ものである。 受想行識亦復如是 感じているもの、想っていること、行っていること、知っていること もまた同じく空である。
15 :
名無しさん@3周年 :03/06/22 22:24
舎利子是諸法空相 シャーリープトラよ。この世の全ての存在するものには、実体がないという 性質がある。 (法はサンスクリット語で”ダルマ”の意) 不生不滅不垢不浄不増不減 であるから、生まれることがなければ、滅することもない。汚いものもな けば、きれいなものもない。増えることもなければ、減ることもない。
16 :
名無しさん@3周年 :03/06/22 22:38
これら全ては人間が主観で勝手に感じる感覚であって、宇宙の真理において は、汚い綺麗の差別もないし、高い低いの差別もない。ただあるものである。 人間の感覚、とはそれくらい頼りないものである。 例えば「机を見る」という行為は、宇宙の一部である人間が、同じく宇宙の 一部である机を感じているのである。同じ宇宙、自然の立場を取れば人間も 机も同じ宇宙であり、同一の存在である。 このように全てのものを空しく感じることができれば、物欲も全ての欲も ない。よって、悩みも死への恐怖もない。 ただし、色即是空の後に、空即是色となっているので、形はないが結局実際 には形が在るものとしている。 要するに、全ては空しく形がないとしたら、社会性を無くしてしまい、現実 世界では生きられなくなる。 ところが、形がないがそれでも在るとすれば、在ると認めることになる。 これを否定の否定という。
17 :
名無しさん@3周年 :03/06/22 23:02
是故空中無色無受想行識 これ故に、全てが空とする中では、感じることも、想うことも、行うことも 全てが無なのである。 無眼耳鼻舌身意無色声香味触法 眼で見ること、耳で聞くこと、舌で味わうこと、身で感じること、全ては 無であり、よって五感で感じることは、宇宙の真理の前では全て空しい無 である。
18 :
名無しさん@3周年 :03/06/24 02:09
般若心経と般若の面は何か関係があるのかしら?
=で、ございます!
20 :
名無しさん@3周年 :03/06/25 02:21
無無無無
21 :
名無しさん@3周年 :03/06/25 02:33
前半の訳 観音菩薩が深い知恵を得ようと修行していた時、存在するものは全て皆空であるとして、一切の苦しみ、厄を見抜いた。 シャーリープトラよ。実在するものは空しいものであり空であるに違いなく、空しいもの、形無いものは実在するにものに違いないのだ。 形あるものは、すなわち空であり、形ないものはすなわち形があるものである。 感じているもの、想っていること、行っていること、知っていることもまた同じく空である。 シャーリープトラよ。この世の全ての存在するものには、実体がないという性質がある。 であるから、生まれることがなければ、滅することもない。汚いものもなければ、きれいなものもない。増えることもなければ、減ることもない。 これ故に、全てを空とする中では、感じることも、想うことも、行うことも全てが無なのである。 眼で見ること、耳で聞くこと、舌で味わうこと、身で感じること、全ては 無であり、よって五感で感じることは、宇宙の真理の前では全て空しい無 である。
22 :
名無しさん@3周年 :03/06/26 16:51
難しいねえ。
23 :
名無しさん@3周年 :03/06/26 17:05
しかし…訳すと有難味が薄れてしまうから やっぱり訳さない方が良いと思う。
そうそう、内容よりも形式が大事
アタマ使わねえとボケるぞ
The color is the sky. The sky is the color.
27 :
名無しさん@3周年 :03/06/27 01:37
∩ | | | | ∧_∧ | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ´Д`)// < 和尚、やっぱり訳がわかりません! / / \______________ / /| / __| | .| | __ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \ ||\ \ ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ || || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| .|| ||
Here in this world, O Shariputra, form is emptiness, emptiness indeed is form. No other than form is emptiness, and no other than emptiness is form. What is form, that is emptiness; what is emptiness, that is form. The same can be said of feeling, perception, volition and recognition.
29 :
名無しさん@3周年 :03/06/27 08:09
般若心経解説書としては次のものが読みやすくおすすめ。 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ他「チベットの般若心経」(春秋社) 巻末には日本語でよめる参考図書が多数紹介されています。
30 :
名無しさん@3周年 :03/06/27 11:20
空=無?
31 :
名無しさん@3周年 :03/06/27 12:34
空=無=蜃気楼?
32 :
名無しさん@3周年 :03/06/27 12:37
Yes!!! 空=無=蜃気楼=映画=マトリックス=テレビ=幻覚=夢
33 :
名無しさん@3周年 :03/06/27 13:51
なんか中国の「道」思想にそっくりだな。 あれも分かるような分からんようなとらどころのない思想だった。
34 :
名無しさん@3周年 :03/06/27 14:08
現実→夢→現実→夢 これが輪廻だろうか。
35 :
名無しさん@3周年 :03/06/27 17:08
36 :
名無しさん@3周年 :03/06/27 20:28
この世(夢)→現実世界(霊界)→この世(夢)→現実世界(霊界) これが輪廻だろうか。
37 :
名無しさん@3周年 :03/06/28 00:22
無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得 悟ることもなければ、迷うこともない。悟りがなくなることもなければ、 迷いが無くなることもない。こうして、老いも死もなく、老いも死も無く なることがことがないといとう境地に至るのである。 (つまり、老うも死ぬも、汚いもきれいも、高いも低いも、人間が勝手に 作り出した「どちらが良い」とか「どちらが優れてる」だとかの観念に とらわれずに、自然の法則したがって、自然の運行に従って、自然のま ままに、あるがままに在るものは在るものとして受け止めよということ つまり、人間そのものも自然に同化せよということであり、そこでは存 在するものは皆空であるという思想が生まれる)
38 :
名無しさん@3周年 :03/06/28 00:26
(補足:であるか、悟りがあろうがなかろうが、悟ろうが悟っていま いが、それを自然そのままに受け入れることこそが「悟り」である。) 苦しみも苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道 もない。知ることも無い。また、得ることも無い
39 :
名無しさん@3周年 :03/06/28 01:24
空はブラフマンに対抗して作られた言葉である マントラの部分は、本来は釈迦が禁じた呪文である どうでもよいのだが、般若心経はあり難いお経だという、 そのように思われる事実がパワーになるのである 現代訳してしまうと、有り難味が半減するというのは、奇妙な人間心理が 影響しているのかもしれない とにかく、難しそうな雰囲気を人間心理は神々しいと認識する習壁があるのは間違いない
40 :
名無しさん@3周年 :03/06/28 01:30
以無所得故菩提薩多依般若波羅蜜多故心無圭疑無圭疑故無有恐怖遠離顛倒夢想 究境涅槃 得るということがないから、諸々の求道者の知恵が完成され、求道者は心覆 われることなく生きている。心を覆うものが無いから、恐れがなく、顛倒し た心を遠く離れて、永遠の平安に入っていくのである。 (菩提薩多は梵語のボーデイサットゥヴァの音写。意味は、悟りを求める人 つまり求人者)
41 :
名無しさん@3周年 :03/06/28 01:45
三世諸仏依般若波蜜多故得阿多羅三 過去・現代・未来の三世にいる(または、いた)目覚めた人々は、すべて知 恵を完成された。故にこの上ない正しい目覚めを悟り得た。
42 :
名無しさん@3周年 :03/06/28 02:07
>>33 禅の思想は、インドから中国に入った仏教思想を、それと似た中国の道思想とを
融合させて中国人が独自に編み出した思想です。
ちなみ般若心経は、「西遊記」で有名な三蔵法師が、インドから持ち帰った典を中国語に訳、音写したもの。
43 :
名無しさん@3周年 :03/06/28 02:28
44 :
名無しさん@3周年 :03/06/28 02:34
>>39 そのマントラっていうのは、曼荼羅のこと?
45 :
名無しさん@3周年 :03/06/28 10:36
色即是空 空即是色 識別出きる物は空間である。 識別した物は、空間である。 是故空中無色無受想行識 貴方が、空間に解け入れば、識別出きる物が無く無である。
つまり、言いたいのは 世の中にある全てのものは自分が五感を通じ 感じているだけの実体の無い物なのだから 苦しみ、悲しみも頭でそう感じさえしなければ 何も障害にはならない そういうこと?
あ、あと「大病人」の般若心経のオーケストラ 良かったねー。
48 :
名無しさん@3周年 :03/06/29 04:24
>>46 半分正解です。
苦しみ悲しみだけでなく、楽しいことや快楽もまた実体が無いんです。
ただ、そうなると本当に何もない世界観で世の中を見てしまい、生きることに無気力になってしまいますよね。
だから、ブッダの教えでは、
色即是空 形あるものは皆空、とした上で
空即是色 空なるものもまた皆形あるもの、と否定の否定で結局形あるものとしているんです。
普通人が感じるように、在るものをただ在ると感じるのではなくて、一旦無いものとしておいて、それでもあるものとすることが大事なのです。
要するに「在る」「無い」にこだわらず包括的に、すべての事象をあるがままに受け入れる。
だから「悟る」「悟っていない」にこだわらず、あるがまま、そのまま、自然のまま全てを受け入れることこそが悟りだということです。
それを「悟り」とこだわっていないにも関わらず、「悟り」はあるのです。
これが否定の否定の妙意で、あまり考えすぎると訳が分からなくなってきますが、
世の中の事象、物、全てを否定、肯定の対極性を廃して、あるがままに全てを見ていくと新たなる境地が開けるという訳です。
なるほど、ある意味これは究極だよね 普通に生きていれば、嬉しいことにはやっぱり喜んでしまうし その分だけ辛いことに対しては恐れを抱く様になる そこを価値観にとらわれることなく全てを受け入れる というのは普通に難しいことだよ。 でも考えてみれば、苦しい事、悲しい事があった時に、早く脱したい 克服したいと思うから余計に辛くなるんだよね。 そんなへこんだ状況でも、この「悟り」があれば救われると思う。
故知般若波羅蜜多 故に、人は大いなる知恵を知るべきである。 是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚 知恵の完成の大いなる真言、大いなる悟りの真言、無上の真言、無比の真 言は、一切は苦しみを除去する真言であり、偽りがないから真実であると
51 :
名無しさん@3周年 :03/06/30 03:32
故説般若波羅蜜多呪即説呪曰 その真言は知恵の完成において次のように説かれた。 ギャ諦ギャ諦波羅ギャ諦波僧ギャ諦菩提薩婆可般若心経 往ける者よ、往ける者よ、彼岸に行ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、悟り よ幸あれ。ここに知恵の完成の心を終わる。
52 :
名無しさん@3周年 :03/06/30 03:40
後半の訳 悟ることもなければ、迷うこともない。 悟りがなくなることもなければ、迷いが無くなることもない。 こうして、老いも死もなく、老いも死も無くなることがことがないといとう境地に至るのである。 苦しみも苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。 知ることも無い。また、得ることも無い。 得るということがないから、諸々の求道者の知恵が完成され、求道者は心覆われることなく生きている。 心を覆うものが無いから、恐れがなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っていくのである。 過去・現代・未来の三世にいる(または、いた)目覚めた人々は、すべて知恵を完成された。 故にこの上ない正しい目覚めを悟り得た。故に、人は大いなる知恵を知るべきである。 知恵の完成の大いなる真言、大いなる悟りの真言、無上の真言、無比の真言は、一切は苦しみを除去する真言であり、偽りがないから真実であると その真言は知恵の完成において次のように説かれた。 往ける者よ、往ける者よ、彼岸に行ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、悟りよ幸あれ。 ここに知恵の完成の心を終わる。
53 :
名無しさん@3周年 :03/06/30 17:40
観音菩薩が深い知恵を得ようと修行していた時、存在するものは全て皆空であるとして、一切の苦しみ、厄を見抜いた。 シャーリープトラよ。実在するものは空しいものであり空であるに違いなく、空しいもの、形無いものは実在するにものに違いないのだ。 形あるものは、すなわち空であり、形ないものはすなわち形があるものである。 感じているもの、想っていること、行っていること、知っていることもまた同じく空である。 シャーリープトラよ。この世の全ての存在するものには、実体がないという性質がある。 であるから、生まれることがなければ、滅することもない。汚いものもなければ、きれいなものもない。増えることもなければ、減ることもない。 これ故に、全てを空とする中では、感じることも、想うことも、行うことも全てが無なのである。 眼で見ること、耳で聞くこと、舌で味わうこと、身で感じること、全ては 無であり、よって五感で感じることは、宇宙の真理の前では全て空しい無 である。 悟ることもなければ、迷うこともない。 悟りがなくなることもなければ、迷いが無くなることもない。 こうして、老いも死もなく、老いも死も無くなることがことがないといとう境地に至るのである。 苦しみも苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。 知ることも無い。また、得ることも無い。 得るということがないから、諸々の求道者の知恵が完成され、求道者は心覆われることなく生きている。 心を覆うものが無いから、恐れがなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っていくのである。 過去・現代・未来の三世にいる(または、いた)目覚めた人々は、すべて知恵を完成された。 故にこの上ない正しい目覚めを悟り得た。故に、人は大いなる知恵を知るべきである。 知恵の完成の大いなる真言、大いなる悟りの真言、無上の真言、無比の真言は、一切は苦しみを除去する真言であり、偽りがないから真実であると その真言は知恵の完成において次のように説かれた。 往ける者よ、往ける者よ、彼岸に行ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、悟りよ幸あれ。 ここに知恵の完成の心を終わる。
54 :
名無しさん@3周年 :03/06/30 18:03
>>53 >>シャーリープトラよ。実在するものは空しいものであり空であるに違いなく、
>>空しいもの、形無いものは実在するにものに違いないのだ。
「空」=「空しい」?
55 :
名無しさん@3周年 :03/06/30 18:17
>>54 空=「空しい」とも「形ないもの」ともとれると言うこと
56 :
名無しさん@3周年 :03/06/30 18:35
>>48 更に言えば、楽しみも快楽も無でありながら、形あるものでもある。
だから、難しく言ってるだけで、全てを作為なく自然のままに受け入れろということです。
人間が宇宙の一部であり、本来宇宙と同化した存在ならば、当然思考や感情も宇宙の一部。
こうして自分と対象物(例えば自分と感情。自分と目の前の椅子。自分とあなた)という両極性さえも廃すと、
自然と一体となり、即ち仏教用語で言う「大我」の世界に入れるわけです。
57 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/06/30 18:45
<ROM記念>
ハーラー アーゲー
59 :
名無しさん@3周年 :03/07/01 00:49
ハーラーアーゲー
60 :
名無しさん@3周年 :03/07/01 01:09
ハーラ サム アーゲー
61 :
名無しさん@3周年 :03/07/07 18:19
アーゲーアーゲー ハーラーアーゲー
62 :
ゴータマ シッターカブリ :03/07/07 19:38
空を間違って理解すると、ニヒリズムにおちいるよ。 空とは、テーゼでもなく、アンチテーゼでもなく、テーゼアンチテーゼ両方 でもなく、そしてテーゼアンチテーゼ両方でなくもない、とゆーこと。 テーゼを『有る』アンチテーゼを『無い』とあてはめても、分かりやすい。
63 :
ゴータマ シッターカブリ :03/07/07 19:53
そしてこのまえ夕飯の時、妻に『このタマゴヤキどう?』と、きかれ 「マズくもなく、オイシクもなく、マズイオイシイどちら でもなく、そしてマズイオイシイどちらでなくもない。」 と言ったらケンカになった。 答えは、このタマゴヤキも『空』なのだから、この俗世においては、 「とってもオイシイ!」と言うべきなのでした。
64 :
αντιΧΡΙΣΤΟΣ ◆QGqJqBYRck :03/07/07 22:23
その論法ってサンジャヤのパクリ?
65 :
名無しさん@3周年 :03/07/10 00:04
ようするに、不味いも、おいしいも感じるままに感じることが空だということですね。 ちがいます?
66 :
ゴータマ シッターカブリ :03/07/10 11:22
>>65 じゃー、タマゴヤキがほんとにマズかったら、マズイ!と相手に
言っちゃうってこと?
じゃなくて、このタマゴヤキの味が「空」なんじゃない?
実に、ウマイやマズイなんていう価値や基準はしょせん曖昧なもの、
そしてあらゆるものの価値や基準も「空」なんじゃないかな。
67 :
名無しさん@3周年 :03/07/10 18:57
零次元→点 一次元→線 二次元→面 三次元→立体 四次元→空
68 :
名無しさん@3周年 :03/07/12 13:25
むやみに唱えてると変な霊とか寄って来るんですか?
69 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 19:35
というのか、霊能力というのもが本当にあると仮定してだが、 霊媒士や霊払いの坊さんはよく、霊に般若心経を聞かせて成仏させるが、 霊が古代の中国語なんか理解できるのか? 確かに意味を聞いて悟れば、恨みも無の世界になりそうだが。 それとも言霊という奴か?
70 :
?S?[?^?}?@?V?b?^?[?J?u?? :03/07/17 15:31
↑正見せよ! とゴータマに言われるぞ。
72 :
名無しさん@3周年 :03/07/29 11:16
>62 集合で考えれば、A and not A = Φ(空集合)
ハニャーン♪ ∧∧ (*゚ー゚) U | 〜( | (/~U
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
82 :
名無しさん@3周年 :03/09/05 04:54
ガテガテってたぶん当時の流行り言葉みたいな、 うまく言えないけど今で言うと チョーイケイケ〜 とか マジサイコーッス!パラミタ〜とだったのではないかなあ。 そんな気がする。 真面目に考えたってわかんねーような事いってんだから そんなギャグっぽい感じだったんじゃないかなー。
え、え〜〜〜! なかむらタン *´д`) ハァハァ のとら屋
84 :
般若心経とは :03/09/09 22:33
85 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 12:56
【朝鮮退散祈願心経】 漢字文面 木魚韻律 朗読推奨 無学小坊 読了困難 不逞鮮人 退散心経 常連往来 固定名無 毎日頭痛 妄想半島 驚愕唖然 年中無休 喜怒哀楽 体質変化 電波中毒 感情麻痺 禁断症状 接続患者 反日厨房 主張展開 洗脳教育 常識解脱 左翼新聞 錯誤報道 文化伝導 強要感謝 検定制度 内政干渉 従軍娼婦 補償要求 辛味成分 脳内醗酵 元首裁判 事後立法 親日鮮人 圧殺差別 創氏改名 地位向上 強制連行 国外脱出 歴史歪曲 自爆民族 新造軍艦 調達失敗 高速鉄道 誤算敷設 電信回線 唯一自慢 犯罪入国 贋作貨幣 強盗恐喝 婦人暴行 良心在日 帰化申請 漫画動画 海賊複製 電脳遊戯 泥棒市場 楽曲円盤 無法地帯 模倣文化 滑稽千万 起源捏造 腹茶沸騰 伝統収奪 宗家願望 韓流幻想 外国喧伝 妄言国家 看過不可 涅槃到達 閑話休題 外務大臣 無能典型 恥辱外交 売国奴隷 省内対立 御家騒動 熱烈待望 国民覚醒 支援停止 竹島奪還 国交断絶 一心賛同 南北半島 平定祈願 民団総連 帰国解散 絶交歓迎 朝鮮退散 祈願心経
86 :
名無しさん@3周年 :03/09/27 18:25
解凍形般若心経 スゲー 漏れマジ 言葉ツマル、
般若心経の漢字のままで、
>>21 +
>>52
なんとなく覚えようかなと思って最近唱えるようになったんだけど、般若心経ってどういうときに唱えるものなの? お寺だったらどこでも唱えていいの?神社は駄目なの?お墓参りは?葬式は?幽霊には?金縛りには? 逆にこういう場面では絶対に唱えてはいけないとかってある? どの本読んでもそういうこと書いてないんだよね。知ってる人教えて。
88 :
名無しさん@3周年 :03/10/14 08:29
hannnya
89 :
名無しさん@3周年 :03/10/14 08:50
神社は○でしょう
90 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 22:01
age
91 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 19:17
修行の時に唱えます
93 :
名無しさん@3周年 :03/11/05 14:52
94 :
名無しさん@3周年 :03/11/05 16:32
つのだ☆ひろの般若心経はなかなかだな。思わず聞きほれちまったぜ。
95 :
名無しさん@3周年 :03/11/08 03:31
>>94 それってどこで聞いたの?聞いてみたいなー
つのだ ひろ の実兄は、漫画家・つのだ じろう だったよな。 「つのだじろう 霊界からの招待状 本当にあった恐怖体験」 おいっ、弟! ニーチャンの誤った考え、正してやれ(笑
98 :
◆PT5MXLpFOU :03/12/16 22:38
test
結局のところ、幸せになるための方程式なぞ存在しない。 花も木も、蝶もバッタも鳥も人もそれぞれに影響を与えながら存在する。 「それぞれがその場その場でベストを尽くせばよい」 その瞬間に正しいと思ったことが正しい。それが正しいか間違っているか なんて誰にもわからないのだから。 ということでよろしいでしょうか?
自己を正当化するためでは ござりませぬのでは・・・
101 :
brown :03/12/28 00:46
>99 そんなことはないぞ。 幸せになるために努力すべきことは何もないということですぞ。 花も木も蝶もバッタも鳥も人もそれぞれに自らのあり方をしながら存在している。 「それぞれがそれ自身の働きによってベストを尽くして生きている」 だから何をどうすれば幸せになるか,などとそれ自身の働きを変更しようと しなくても自然に完全な幸せは成り立っていく。 だからあえて言えば,幸せになる方程式はこうしてあるということですな。
>>100 >>101 レスありがとうがざいます。
う〜ん、わかるような、わからないような。まあ、理解や解釈しよう
とするのがいけないのでしょうね。「執着心を捨てろ、中道を行け」
などを心に納めておいて、忘れたころにまた般若心経の本を読ん
でみます。
>結局のところ、幸せになるための方程式なぞ存在しない。
>花も木も、蝶もバッタも鳥も人もそれぞれに影響を与えながら存在する。
>「それぞれがその場その場でベストを尽くせばよい」
なるほど。
幸せになるための方程式なぞ存在しないだろう。
幸せになることはできない。「なる」という行為はできないだろう。
本当に、その場その場でベストを尽くすことができれば、幸せをみつけるだろう。
幸せは、もともと、持っているものを、何かの条件で、少し、垣間見るということなのだから。
で、brownさん
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1067905317/378 で、何を言おうとしているのか、さっぱり解らない。
続きを聞かせてくださいね。
104 :
名無しさん@3周年 :04/02/07 19:50
「幸せ」や「成功」は、ただの現象でしかない事に気づき、自分自身の存在も、これまた現象に過ぎないと気づきました。 「記憶」が積み重なって、ただの現象に過ぎない物事を、あたかも存在するかのように過ごしていた日々が、今となっては笑えます。 今はただ「空」に立ち、「色」を感じる、ただそれだけ・・・。 でも「色」の魅力についフラフラと・・、それも又よしというところです。
色は空に異ならず、空は色に異ならず、
>>84 は、凄いですよ。
107 :
名無しさん@3周年 :04/03/07 13:13
「空」をなにもない空っぽという意味だと解釈したら、わけが分からなくなる。 「空」とは何も分かれていず、全てを包含した絶対領域を表現したもの。 色でいえば白い光のようなもの。白い光は色が無い光ではなく、全ての色の光を 集めたもの。白い光がプリズムを通ったあとに赤から紫まで無限の色調に分かれる のと同じように、絶対領域である彼岸の世界が「空」であり、五蘊に分かれた 相対領域の世界が此岸でありこの世である。 般若心経が明かしているのは彼岸と此岸は表裏一体であり、それを理解すれば 一切の苦しみを克服し、幸せになれるということ。幸せになるために彼岸に行くには 自分が既にそこに居ることに気づけばよい、と教えてくれているのだよ。 ギャテーギャテー・・・ 以下の呪はそれに気づいた喜びの歌。第九のようなもの。
108 :
名無しさん@3周年 :04/03/10 01:02
109 :
名無しさん@3周年 :04/03/10 18:36
110 :
名無しさん@3周年 :04/04/03 11:40
般若心経を唱えてると望みが叶ったり、病気が治ったりするんですか?
111 :
名無しさん@3周年 :04/04/03 11:49
唱える気持ちしだいです。 真剣に唱えれば叶ったり治ったりします。 いいかげんだとそれなりになります。
112 :
名無しさん@3周年 :04/04/09 03:35
七田眞 右脳開発 般若心経 空海
113 :
名無しさん@3周年 :04/04/27 12:00
あげ
114 :
名無しさん@3周年 :04/05/05 14:54
般若心経は極端な要約文だからな。 かといって、元の経典(論文?)は極端に長い。
115 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 01:53
ここで語られている空とは そら、と読むのですか? くう、ですか?
116 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 16:59
般若心経 プラ・ジュニャーナ(ギャーナ)・パラ・ミタ =至高の英知+全ったき節度 フリダヤ =心臓 スートラ =経典
般若心経 プラ・ジュニャーナ(ギャーナ)・パラ・ミタ =至高の英知+全ったき節度 フリダヤ =心臓 スートラ =経典
118 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:02
フリダヤ=心臓、心 ウパニシャッドでは、心臓はアートマンの宿る場所である。 さらにフリダやは心であり、ブラフマンである。〜〜〜 と の こ と で す
>>84 ちょっと見たんですが何でしょうか?
よかったら解説ください。
般若心経、気持ちが落ち着きます。
本当にありがたいです。
あの、心を込めて唱えるとは実際どうすればいいのでしょうか? 神様ありがとうございます、という気持ちでいいのでしょうか? それとも願い事をすればいいんでしょうか?
121 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 17:09 ID:MlkU9FJ6
>120 試合前とかに「がんばるぞ」って気合入れるでしょ? それと同じように、唱える
内容を 噛みしめて 誦経しる!
123 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 13:36 ID:8KD5Ilib
>122 そういう境地になれれば最強だね。
124 :
謎 :04/05/25 18:19 ID:YDCdJXEk
般若心経唱えるたびにイライラしてくる それはなぜ?
125 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 12:26 ID:RPOLpxig
>124 それは、真言が嫌いだからだ。間違いない!
126 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 16:27 ID:ONV/cqqr
長いこと、カキコが、ないよね〜 スレタイは、いいものなのに。 解説本の引き写しになってしまったようだね。 また、皆 集まってきて欲しいよ。 こう、思うとか、 そんなところから、リスタート、したいね。
128 :
修士論文般若心経 :04/06/29 18:39 ID:Vo5vtc3q
般若心経は浄土真宗と法華宗(日蓮宗)はやっちゃだめなんすよ。 友達の知り合いの話だが、旅先、アメリカのホテルで幽霊にあってしまたらしく、 「ここは般若心経を唱えよう」として、唱えたのだが、だめだった。 「ああ、アメリカ人だから、英語でやらなきゃいけないんだな」 と思い、 「あいむ さぷらいど あいむ さぷらいど・・・」 とやった。 「ぎゃーてー ぎゃーてー はらぎゃーてー」を 「仰天、仰天・・・」 と思ってたのだそうで。 アメリカ人の幽霊さん、消えてくれたらしい。 帰国して、般若心経を調べてみて、仰天じゃないとわかったらしいけど、 「いっしょうけんめいなのがわかってくれたのかな?それともあきれた?」 とその人は思ったらしい。
>>128 さん
> 般若心経は浄土真宗と法華宗(日蓮宗)はやっちゃだめなんすよ。
日本の仏教会で、なにか統一的なお経さんは、無いものだろうかと言う事で、般若心経が良かろうとなって、言われるように、駄目なところがあって、ついに、どの宗派にかかわらず、あげられるお経さんというものは,無いと聞いてます。
お経は、仏様が、お弟子さんに教えを説いているのが、その内容だから、
幽霊話とは、なんら,接点が,無いんだけど、それでも,幽霊退治をしてくれたんだろうか,(爆)
そのひとの声が大きくて、幽霊さん、耳をふさいで、逃げ出してたり、(笑)
130 :
名無しさん@3周年 :04/06/29 23:13 ID:3u8l7IjT
「空」って捉えどころのない不安定な状態ってことだよね。 例えば、今日は大企業のお偉いさんで社内権力を振りかざしてたとしても、 明日会社が倒産したら、社内権力なんて意味ないよね。 逆に空即是色は、状態は不安定で絶えず変わるものだから、 その瞬間瞬間を最大限努力しなさいって意味だと思う。 恋愛なんかいい例だよね。
>>130 > 「空」って捉えどころのない不安定な状態ってことだよね。
否、
そうじゃないよ。
実体そのもの自身、存在そのもの が、空 という存在でもあるし、実体 でもあるなんだよ。
さらに、参禅して欲しい。
132 :
フリダヤマントラ :04/07/10 00:48 ID:UL0M3Fgc
般若心経は難しい経ではありません。弘法大師『般若心経秘鍵』曰く 簡(かん)ニシテ要(よう)ナリ、約(つつ)ヤカニシテ深(ふか)シ。 <簡単で要領よく、短いが内容は深い> なぜならば、「ギャテイの咒を唱えるという瞑想修行を実践せよ」と端的に述べているからです。 そもそも、「般若心(プラジュニャージャ フリダヤ=智慧の心臓)」とは「ギャテイの咒」の ことであり、般若心経の成立には、この咒(=真言)が「一切の苦厄を度する」という信仰が根底 にあります。現行の『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』以外にも異訳の心経はありますが、すべて “ギャテイの咒”が説かれるのも、この咒が主題であり、これがなければ心経として成立しないからです。 一般的に心経の主題が「空」のように思われていますが、そうではなく「空云々」の部分は、あくまでも 修行をした結果得られた境地を述べているものであり、その境地に至る方法こそが「ギャテイの咒」による瞑想です。 また「空」が主題でない理由として、解空第一の「須菩提」でなく、智慧第一の「舎利子」が対告衆として 登場する点も指摘できます。 その瞑想の修行者こそ「観自在菩薩」です。この菩薩をいわゆる礼拝対象の「観音様」とみなすのは表層的です。 「観自在菩薩」とは「観法(瞑想)を自在に行う仏教修行者」のことであり、この修行者が「般若波羅蜜多(ギャテイの咒) による観法をした時に、(五蘊はすべて空の境地に至り)一切の苦厄から度された」のです。 般若心経を要約するならば、 般若波羅蜜多を唱える観法(瞑想)によって一切の苦しみから済度された。 なぜならば、この世のすべてが「空」であることを覚ったからだ。 すべての迷いを離れ、最上の覚りの境地に至ることができる般若波羅蜜多は、 偉大にして最高の咒である。その般若波羅蜜多の咒とは、 「ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボウジソワカ」である。 だから、般若心経が現在まで実際に唱えられるのも、唱えることを目的とし (さらにいえば咒を唱えること)、唱えることが修行である経だからです。 また、この咒を唱えている自身こそが、まさに「観自在菩薩」でもあるといえます。
遅レスだが
>>126 リンク先のサンスクリットが間違ってるのはどうにかせんとあかんサイトだ。
>>128 その知り合いオモシロ。
「ワタシビックリシタヨー」
と英語で言ったから通じたのかも。
それ以前に仏教を知らない幽霊さんだったらなおのこと
「こいつなにいってんだか・・・」状態!!
ちょっとかなりつぼでした。
>>131 >実体そのもの自身、存在そのもの が、空 という存在でもあるし、実体 でもあるなんだよ。
この答え方はいまいちだ。と思うのはなぜかなぁ。
まあ、空は空だし。
あんまり考えて変に空病にはなりたないな。
134 :
けちゃっぷ :04/07/10 10:50 ID:XEBf67tP
空とは「有るのでもなく無いのでもない事象のありかた」らしいです。人間の体は細胞の代謝で変化してるから、昨日の僕と今日の僕は別の物体なのに、頭の中では「我」という同じファイルで認識してる。
135 :
けちゃっぷ :04/07/10 10:59 ID:XEBf67tP
インフルエンザで死んでもウイルスに復讐しないのに、殺されたら犯人を殺せと憎むのも、客観的ではない。人は必ず死ぬのに、死に方を分別判断するのも、幻みたいな「空」。
136 :
けちゃっぷ :04/07/10 11:07 ID:XEBf67tP
一度に書き込める文字が制限されるのは、ケータイだから?2ちゃんデビューしたてでわからないです。 コロッケ売り切れだったら、揚げ物でいい、それもなければ腹がふくれりゃ何でもいい。分別・判断は、空だから。
137 :
けちゃっぷ :04/07/10 12:22 ID:XEBf67tP
色即是空(何しょーもないこてにこだわってんの、疲れるやろ?)空即是色(でも結局みんなそうやって、自分の好きなことやって生きてるんやね。あんたのも、けっこう好い人生やんか)
138 :
フリダヤマントラ :04/07/11 01:05 ID:rtGSXKhA
インド本来の観法(瞑想)は、老荘思想の影響を受けたいわゆる 「無の境地」云々の中国化・日本化した禅と違い、視覚・聴覚・嗅覚・ 味覚・触覚の五感をフル活動させて「悟りの世界」を観て、それと 一体化することです。 その初期段階として仏像や仏画など「理想的修行者」や「理想的世界」 を見たり、仏の名を口で唱えたりします。ですから口称念仏も本来は観法の 一つでした。 それが上達するに連れて、自然や天体を対象とし、最終的には自分自身を観る 瞑想へと段階的に進んでいきます。段階を踏んで修行していくので、いきなり 「大悟した」というのは、観法においては受け入れられる考えではありません。 また、奈良・平安・鎌倉初期の仏像・仏画が「観法の対象」として製作されたため、 美術的にも優れたものが多いのに対し、「無」を重視する禅や、観法としての念仏を 重視しない専修念仏の興隆によって、視覚的に優れた仏像・仏画が作られなくなってきました。 ここに合理性を重視するインド哲学と、情緒性を尊ぶ日本的美学との矛盾が 仏教において顕著に現れるようになり、咒による瞑想の実践を説く『般若心経』の主題が、 「空」が主題という理解されるようになってきたのではないでしょうか。 しかし現在、世間一般に広まっている「空」を「こだわりを捨てる心」などの珍説は、 合理性を尊ぶインド哲学とは相反する教えのように思いますし、そんな説を広めている 「タレント僧侶」はまさに「越法罪」ではないでしょうか。
140 :
名無しさん@3周年 :04/07/12 22:27 ID:vf0tjEOy
般若心経は、仏教諸派のすべての教えを網羅したものだから、一行一行を独立 して読まないと内容を誤解してしまう。 具体的には、 「建」=華厳宗の教えが 「色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなわちこれ空、空はすなわち これ色なり。受想行識もまたかくのごとし。」 「絶」=三論宗の教えが 「この諸法は空想にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、 減らず」 「相」=法相宗の教えが 「この故に空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も 舌も身も意もなく、色も声も香も触も法もなし。限界もなく、ないし意識界 もなし。」 「縁覚」の教えが 「無明もなく、また、無明の尽きることもなし。ないし、老も死もなく、 また、老と死の尽きることもなし。」 「声聞」の教えが 「苦も集も滅も道もなく」 「一」=法華宗の教えが 「智もなく、また、得もなし。得る所なきをもっての故に」 だから、一行一行に、気の遠くなるほどの深遠な思想が隠されているのだよ。
>>140 さん
あまりに日本的な解釈だし・・・
大般若経の心経,とだけ言えば,良いと,思うよ。
142 :
フリダヤマントラ :04/07/12 23:51 ID:XxaNz1o9
141さんへ 大般若経の対告衆は解空第一の「須菩提」で、主題は「空」です。 「ギャテイの咒」は説かれません。 般若心経の対告衆は智慧第一の「舎利子」です。主題は「智慧」それは即 「ギャテイの咒」です。異訳をふくめてこの咒が説かれない心経はありません。 また経題の「摩訶(=大)」は{大心(=フリダヤ)}に対しての美称であって けっして大般若経の大ではありません。 旧訳の心経の経題をみれば「咒」が主題であることはより明らかです。 『摩訶般若波羅蜜咒経』『般若波羅蜜神咒経』『摩訶般若波羅蜜大明咒経』 なく、が
>>142 フリダヤマントラ さん
詳しい方なんですね。
ありがとうございました。
して、説かれている、そのこころは、なんだったんでしょうか ?
うかがわせてください、m(_ _)mペコリ
144 :
フリダヤマントラ :04/07/13 11:56 ID:3AtsMugN
≫143さんへ 「心」とは「ギャテイの咒」のことです。そもそも心経の心は インド語で「フリダヤ」といいます。フリダヤは心臓のことであり、 同時に中心を意味します。最古の梵本心経である「法隆寺貝葉本」 にも「プラジュニャージャ(般若)パーラミータ(波羅蜜多) フリダヤ(心)」と記されています。 私たちが普通に使う精神的なココロは「チッタ」と言い、 それに対しフリダヤは肉体的な心、心臓・肉団心です。この フリダヤはチッタを包括するので大心とも訳されます。 心臓は単なる臓器というよりも生命のシンボルであり、 また蓮華の蕾の形をしているため、衆生が本来宿す仏性を 象徴します。そして、般若波羅蜜多のフリダヤの真言(マントラ)が 「ギャテイの咒」です。宮坂宥洪師の『般若心経の新世界』(人文書院) では、なぜフリダヤがマントラであるかの説明として、心音や鼓動を 生命の音・リズムと捉え、そこから聖なる音であるマントラとの つながりを示していますので、一度ご参照されてはどうでしょうか。
145 :
フリダヤマントラ :04/07/13 11:56 ID:3AtsMugN
『般若心経』の成立には、「ギャテイの咒」を唱えることにより 「一切の苦厄を度する」という信仰が根底にあります。その点では、 法月訳や般若訳の心経には、真言の後に記される「功徳文」として、 それが的確に示されています。 此ノ経ヲ誦セバ、十悪五逆九十五種ノ邪道ヲ破ス。若シ十方ノ諸仏ヲ 供養シ、十方ノ諸仏ノ恩ヲ報ゼムト欲セバ、当ニ観世音ノ般若ヲ 誦スルコト百遍、千遍ニスベシ。無閭m昼夜ニ、常ニ此ノ経ヲ誦セバ、 願ヒトシテ果サ不トイフコト無シ。 「観世音の般若」つまり「ギャテイの咒」を唱える瞑想法の実践を 勧めています。だから『般若心経秘鍵』は、空海独自の説ではなく、 本来帰するべき説を、より具体的に再構築したものだと思います。 これら心経成立の歴史的経過を無視し、ましてや「般若心経は こだわりの心(チッタの方のココロでしょうか?)を捨てる教えだ」 などの珍説を述べている「タレント僧侶」や「タレント学者」 (誰とは言いませんが)の解説本では、なぜ「心経が読誦されるのか」 の説明すらできず、結局わけの分からない言葉遊びに終始した人生論か エッセーに過ぎません。
146 :
名無しさん@3周年 :04/07/13 16:58 ID:PK6YhXa9
よくお経読んでると、字が浮いてくるみたいのあるじゃん? あれってどんなんだろ?俺も般若心経でも半分くらい言ったら 文字が鮮明に浮かんでくるんだが… あと空については、偉大な僧でもこれは空の解釈には入らない という人と入る人がわかれるくらい、難しいところだと思います。 ただひたすら論理的に考えたりしても決して見えない領域ですよね。
>>144 >>145 フリダヤマントラ さん
懇切、丁寧なご説明、ありがとうございました。
心経の呪の部分に大きく、光を当てて、語っていただきました。
ここの部分は、意味的にではなく、心経を強める 願いみたいなものかな と思っていました。
ですから、全く新しい角度から、般若心経を学びました。
ありがとうございました。
お礼申し上げます。
148 :
フリダヤマントラ :04/07/13 22:51 ID:dDR7TBrK
>>147 あは氏 パシル ◆FNpT2a5MGA さんへ
丁寧なお礼のお言葉、ありがとうございます。
心経の冒頭にある「観自在菩薩」は、表層的には礼拝対象としての
「アヴァローキテーシュヴァラ」。秘層的には「観法を自在に修する
行者」。心経においては般若波羅蜜多、つまり「ギャテイの咒」による
瞑想を行ずる者。さらに深秘的には、まさにこの経を唱え、咒を誦する
自分自身が「観自在菩薩」であるといえます。ただし、これも知識として
知るだけでなく、「ギャテイの咒」による瞑想によって実感するべき
境地でしょう。
「空」について言えば、「一切は五蘊である」という境地を得た
舎利子(声聞・縁覚)に対し、その上の段階として「さらに、五蘊は空である」
の境地に観自在菩薩(大乗)が至ったからこそ「一切の苦厄を度された」のです。
凡夫である我々は「一切が何であるのか分からない」状態です。「五蘊皆空」は
出世間での境地ので、格調高い言葉だからといって、軽々しく扱うのはどうか
と思います。
『般若心経秘鍵』に「ギャテイの咒」を
ギャテイ…声聞の悟り
ギャテイ…縁覚の覚り
ハラギャテイ…顕教の悟り
ハラソウギャテイ…密教の覚り
ボウジソワカ…前述の各仏教の最高の悟りに帰する
と示されています。段階を踏んだ修行、つまり「ギャテイの咒」による
瞑想によって最終的に「五蘊皆空」に至られたのです。
<続く>
149 :
フリダヤマントラ :04/07/13 22:52 ID:dDR7TBrK
心経の構成を卑近な例えをするならば、心経本文の「空」云々の部分は、 ガイドブックでいうところの「観光地の紹介」にあたります。知識として 観光地の由来は分っても実際に現地に行った事にはなりません。 今、書店で売られている「著名な執筆者」による心経解説書の大半は、 この紹介の部分だけを見て「空」を説明しようとするから、人生論として は面白い内容であっても心経の解説としては体を成していないものばかりです。 「ギャテイの咒」は、いうなればアクセス方法です。ガイドブックで一番 大切なのはここです。この部分に視点を当てた解説書は、現在では 甚だ少ないです(あろうことか、真言宗の僧侶までもが「心経」を「こだわりの心を 捨てる教え」などと解説したりするぐらいですから。弘法大師に顔向けできません)。 その点では前述の『般若心経の新世界』は、比較的に優れた内容です。 あと、付け加えるなら「呪(ジュ)」と「咒(シュ)」ですが、辞書的には同じ字 ですが、「のろう」には「呪」を、「いのる」には「咒」と使い分けます。 そのため真言や陀羅尼には「咒」です。また、神仏の力を意味するならば 「咒力」「咒術」とするべきでしょう。
150 :
フリダヤマントラ :04/07/13 23:30 ID:dDR7TBrK
>>148 訂正
誤 「五蘊皆空」は出世間での境地ので、格調高い言葉だからといって
正 「五蘊皆空」は出世間での境地なので、格調高い言葉だからといって
>>148 >>149 フリダヤ マントラ さん
聞けば聞くほど、初めて聞く事ばかりです。
真言密教のお立場でしょうか?
般若心経は、法華宗と、浄土真宗の二派が、拒否していると聞いています。
その辺の事情、教えてください。
152 :
名無しさん@3周年 :04/07/14 02:11 ID:0/vU+CTf
ガテーガテー パラガテー パラサンガテー ボーディー スヴァーハー
153 :
けちゃちぷ :04/07/14 08:25 ID:gQO8hlk/
真宗は念仏オンリーで徹底してますから、戒律もないそうです。日蓮さんは、法華以外のお経は法華に導くための方便にすぎないと考えてましたから、今さら法華以外のお経に価値はないと思ってます。
154 :
フリダヤマントラ :04/07/14 11:55 ID:ZLzNF1If
専門外の宗派なのであまり詳しくは分かりませんが、 支那天台宗における五時教判では、釈尊一代の説法を 華厳、阿含(小乗)、方等(諸々の大乗経)、般若、 法華・涅槃の五つに分けます。そして、法華を最高に して完全なる教えとします。その考えにもとづき日蓮は 末法における救済は真実教である法華のみと考え、それ 以外の教典は、法華を説くまで方便教とします。 ですから般若心経を含めた、他の教典を今さら信仰する 必要性が無いとします。 浄土真宗においては、末法において凡夫は阿弥陀如来の 本願(他力)において救済される(されている)とします。 末法において自力の修行は本願を疑うこととなるため、弥陀 以外の仏や般若心経・法華経・諸々の真言などは信仰の対象 とはなりません。 表面的に見るとこのような感じでしょうか。いづれにしても より深い意味があると思いますので、専門の方に伺う方が よろしいかと思います <続く>
155 :
フリダヤマントラ :04/07/14 11:55 ID:ZLzNF1If
なお、弘法大師は『般若心経秘鍵』のなかで、 「如来ノ説法ハ、一字ニ五乗之義ヲ含ミ、一念ニ三蔵之法ヲ説ク。 何ニ況ンヤ一部一品、何ゾ匱シク、何ゾ無カラン」 (釈尊の説法は一字に五乗<人・天・声聞・縁覚・剱衄>の教えを 含み、一瞬の間に三蔵<経・律・論>が説かれている。だから 経文の一分一節には多くの意味が含まれている。どうして説き足り ないということがあろうか) と、法相宗の三時教判を批判しています。大師にとって釈尊の 説法はすべてが真実であるとします。 また末法思想についても『法華経開題』で 「ソレ道ノ本ハ、無始無終、教ノ源ハ、無造無作ナリ。 三世ニ亘ツテ変ゼズ、六塵ニ遍ジテ、常恒ナリ(略) 興廃何レノ時ゾ、機根絶絶タリ。正像何ゾ別タン」 (仏法の根本は始まりも終わりもなく、人為的に 作られたものでない。過去・現在・未来において 変らず、感覚対象において作用しても不変である。 (略)真実は個人の能力、性向を超越しているので 正・像・末などの時代区分など何の意味も持たない) と、すでに批判しています。 いづれにしても、仏法の真理は永遠不変で絶対であるので、 それを受けとる側の能力を問題としています。
156 :
フリダヤマントラ :04/07/14 11:58 ID:ZLzNF1If
≫155 訂正 文字化けしました 誤 <人・天・声聞・縁覚・剱衄> 正 <人・天・声聞・縁覚・菩薩>
降って湧いたように濃いレスがたまってる!
153 名前:けちゃちぷ[] 投稿日:04/07/14 08:25 ID:gQO8hlk/ さん ありがとうございます。 簡潔にご説明をいただきました。 理解しました。
155 名前:フリダヤマントラ[] 投稿日:04/07/14 11:55 ID:ZLzNF1If さん 156 名前:フリダヤマントラ[] 投稿日:04/07/14 11:58 ID:ZLzNF1If → 菩薩 了解ッ ('◇')ゞ 何故、この、日本での大きな勢力を持つ二派が、般若心経を、日本の仏教会の共通のお経さんにする事に、反対なのか、根源からの由来なども含めて、ようやく分かりました。 ありがとうございます。 密教と言えば、理趣経だと思いますが、 南無妙法蓮華経を,ケンキョウとし、理趣経を密教とする、 これは、どちらの立場の見解でしょうか? また、その、ご説明を、いただけたらと思います。
160 :
フリダヤマントラ :04/07/14 23:38 ID:ZLzNF1If
まず、一般的に言えば法華経や般若経・華厳経・ 阿弥陀経などは顕教教典で、大日経・金剛頂経 そして理趣経は密教教典です。しかし、そう単純に 割り切れないのが密教の特色と申しましょうか。 心経のスレなので『般若心経秘鍵』に基づいて説明 いたします。 問ウ、顕密二教、其旨、天ハル懸カナリ。今、 此ノ顕経ノ中ニ秘義ヲ説ク、不可ナリ。 問う、「顕教と密教は、その内容が、はるかに かけ離れている。今あなたは、この『心経』と いう顕経から秘密の意味を説くが、それは 不可能である」 私見ですが、この質問者は密教を顕教より上位に見て いるため、おそらく密教の修行者でしょう。ただしまだ 密教を完全に会得はしていないようです。 <続く>
161 :
フリダヤマントラ :04/07/14 23:39 ID:ZLzNF1If
それに対する弘法大師の答えが 医王之目ニハ、途(みち)ニ触(ふれて)皆薬ナリ。 解宝之人(げほうのにん)ハ、礦石(こうしゃく)ヲ 宝ト見ル。知ルト知ラザル与、何誰(だれ)ガ 罪過(ざいか)ゾ。 (略) 顕密ハ人ニ在リ、声字(しょうじ)ハ即チ非ナリ。 然レドモ猶、顕ガ中之秘、秘ガ中ノ極秘ナリ。 浅深重々(せんじんじゅうじゅう)マク耳(のみ)。 (答え)「名医の目には、(普通の人が雑草 と見るものを)薬草と見える。鉱山技師は、 鉱石から宝石を見る。顕経から秘密の意義を 読み取ることを理解できる、できないは、 いったい誰に罪があるというのか(誰にもない)。 (略) 顕密の違いは受け手側に在り、経文の声字自体 に違いは無い。しかしながら、それでもなお、 顕教の中に秘教があり、秘教の中に極秘がある ように、浅いものから深いものへと幾重にも 教えは重なっているのである」 と答えています。つまり教え自体が顕密に分かれているのでなく、 それを受け取る能力が重要となります。 <続く>
162 :
フリダヤマントラ :04/07/14 23:39 ID:ZLzNF1If
ですから弘法大師は『法華経開題』において、法華経も 密教教典として解き明かします。つまり、妙法蓮華は蓮華 で象徴される「自性清浄」の理。つまり阿弥陀如来の働き である、観自在菩薩のヨーガの境地。そしてそれを説く観音 の真言がキリク(フリーヒ)。さらに法華経の梵名、 「サッダルマプンダリーカ・スートラム」の梵字、一つひとつ の意義を明かし、その9文字の梵字を胎蔵曼荼羅の五仏四菩薩に 配当し、法華経の経題そのものを、すでに曼荼羅と見なしました。 よって、同じ密教修行者であっても初心の行者のうちは、顕密は 分けて考えて修行をしますが、最終的には顕密の差別はなくなると いえます。「心経」や「法華経」「金剛般若経」「最勝王経」なども 大師は秘められた価値が見いだし、著述しています。 また密教というのは、先の「医王の目には…」にあるように、 対象層のものに変化が起きるのではなく、それを見る我々がその対象の 内に秘めたる価値を観る教えです。ですから同じ「心経」でも、凡夫と 顕教の人、初心の密教の人、密教を極めた人とではその価値が大きく 変わってきます。それを観るための修行方法が、真言を唱え、印を結び、 観法を行うという瞑想修行です。その不断の修行により、凡夫から 信仰心が芽生え、声聞・縁覚・菩薩(顕教)そして、釈尊が覚られた、 宇宙の絶対真理(密教ではそれを尊格化し、大日如来と名付けます)へと 至ることとなりますが、ここは心経スレなので密教については これぐらいにします。
>>160 >>161 >>162 フリダヤマントラさん
おぉ、すらすらと読み進めました。
ありがとうございます。
フリダヤマントラさんのレベルで、理解しているのではないのですが、よぉく、頭に入ってきます。
ありがとうございます。
理趣経についても、いのちのかがやきを教えてください。
随分前に、呼んだ事が、あるのですが、(汗)
164 :
フリダヤマントラ :04/07/15 22:16 ID:JvdzgHhR
>>145 訂正 心経の「功徳文」は周の義浄三蔵訳
『仏説般若波羅蜜多心経』のものです。
法月三蔵訳、般若三蔵訳は「序分」と「流通分」が記載されているのを
勘違いしました。お詫び申し上げます。
165 :
フリダヤマントラ :04/07/16 12:29 ID:IedBFob7
まず『理趣経』で注意しなければならないのは、他の大乗教典のように 霊鷲山において釈尊が舎利子や須菩提などの弟子を対告衆として説かれますが、 理趣経においては、法身(真理そのものを尊格化した仏)大日如来が 他化自在天において、対告衆である金剛手菩薩(金剛薩埵の異名。一切衆生 の菩提心の本体。大日が覚りの総体ならば、金剛薩埵は迷いの総体であり、 同時に菩提心を引き起こす引き金でもある)に教えを説きます。 ですので、過去に説かれた教えでなく、過去・現在・未来にわたって 説かれ続けているので、「是如我聞」も一般的に「私はこのように聞いた」 ではなく「私はこのように聞いている」。つまり自身が金剛薩埵となり、 その教えを聞きます。 また、理趣経で誤解される「性欲礼賛の教え」ですが、先に述べたよう 欲界の最上位の世界である他化自在天で、菩薩が教えを聞いています。 他人の快楽を自らの快楽にすることができ、願うことはなんでも叶うという、 欲のエネルギーが最大に発揮できる世界で、菩薩に「欲も本来は清らかである」 と説かれます。我々の世界、つまり欲の力に振り回される世界でなく、また 聴聞する側も世俗的な快楽を超越した菩薩です。そこを理解しなければ 単純な「現実追従」「快楽主義」に陥ります。 <続く>
166 :
フリダヤマントラ :04/07/16 12:30 ID:IedBFob7
さて、理趣経は大日如来がその働きを、さまざまな菩薩の姿となり 教えを説きます。例えば「一切平等観」を説くときは、大日如来は 自性清浄法性如来(しせいせいせいはっせいじょらい)つまり観自在 大菩薩となり教えを説き、その三摩地(サマーディ・瞑想の状態)への 姿と心(フリダヤ)と印(ムドラー)、つまり観自在菩薩なら 左手(衆生)にもつ蓮の蕾(菩提心の象徴)を右手(仏)によって 開かせようとする姿を現し、その心真言であるキリーク(フリーヒ)と 蓮華印が説かれ、我々を一切平等観への瞑想の門(実践)を説きます。 『理趣経開題』によれば、理趣経全体を大(金剛界・胎蔵の両部) 曼荼羅、そこに説かれる仏の持ち物を三昧耶(サンマヤ・仏や誓願 を象徴するもの)曼荼羅、心真言である梵字と三摩地を法(真理にいたる門) 曼荼羅、印を羯磨(カツマ・仏のはたらき、作用)曼荼羅とします。 この境地で心経を唱えれば、釈尊による霊鷲山の説法も過去の出来事でなく、 自身が釈尊・観自在菩薩となり教えを説き、そして自身が対告衆、舎利子 となり聴聞することとなります。まさに読経は霊鷲説法の再現にほかならないと いえうでしょう。
167 :
真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/07/16 13:10 ID:DFrXJiAR
フリダヤマントラさん
はじめまして。私、真言坊主という者です。
おそらくは同業者ではないかと存じます。
ご高説拝見いたしました。
なかんずく、ちょっと疑問に思ったところがありましたので、
ご教示よろしくお願い申し上げます。
>>149 >あと、付け加えるなら「呪(ジュ)」と「咒(シュ)」ですが、
>辞書的には同じ字ですが、「のろう」には「呪」を、
>「いのる」には「咒」と使い分けます。
>そのため真言や陀羅尼には「咒」です。
>また、神仏の力を意味するならば「咒力」「咒術」とするべきでしょう
という部分なのですが、以前、私はこのような記述を
宮崎忍勝師だったか村岡空師だったか失念してしまったのですが、
いずれかの師の著書の中に書いてあったことを記憶しています。
で、以来、そのことが気になっていたのですが、
はたして、そのことを明示する資料、
もしくは用例といったものはあるのでしょうか。
わたしが調べた範囲におきましては、
本字の「祝」から「呪」字が派生する過程において、
「呪」が「のろう」の義を主につかさどり、
「祝」が「いのる」の義を主につかさどるように
なっていったということはわかったのですが、
いまだ「呪」と「咒」とを使い分けた用例は
見いだせないでおります。もし、
フリダヤマントラさんが上の説についての何らかの根拠
のようなものをお知りでしたら、ぜひご教示ください。
168 :
フリダヤマントラ :04/07/16 14:46 ID:IedBFob7
ご指摘の通り村岡空師の説です。 根拠は 1弘法大師の真筆に「呪」が使われていない 2日本では古語で呪をノロイなど不吉な言葉で使用し(『日本霊異記』「汝牛を呪ひて殺す」) 咒を吉祥の意味(天平四年の正倉院文書に大神咒の記載あり)で使い分けたように思われる 特に大師が「呪」でなく真言を「咒」を使用しているので、真言の末徒であれば それを使用するべきでしょう。
169 :
真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/07/16 16:55 ID:DFrXJiAR
>>168 レスありがとうございます。
しかし、納得できません。『日本霊異記』と正倉院文書とは
別人の筆ですよね。ということはあくまでも書写者のくせ、
書体の違いということはできませんか?同一人物の筆で、
なおかつ同一文献の中で、「呪」と「咒」とを使い分けた用例が
挙げられなくては村岡師の説は立証されえないと思います。
ところで、根拠1の大師の真筆とは何ですか?
『聾瞽指帰』には仮名乞児が水を加持する「呪水」の例と
虚亡隠士の言論中に「神符呪禁」の例との二つがみられますが、
いずれも同じ「呪」字(ちょっと微妙、もしかしたら「咒」かも)
が使われています。前者は「いのる」、後者は「のろう」の意味とも
解することができますが、いずれも同じ書体で書かれているということは、
字義の違いで「呪」と「咒」とは使い分けられていなかった可能性が
高いと考えられます。
また、『三十帖策子』所収の『四十華厳』には「呪詛」「大明呪」の
用例が見られますが、いずれも同じ書体の「呪」が使用されています。
したがいまして、大師が「呪」と「咒」とを意味の違う文字として
使い分けていたとする村岡師の説は明確なる根拠はないものと
私は考えるのですが、いかがでしょうか?
170 :
名無しさん@3周年 :04/07/16 22:37 ID:ncR3MdlD
日本の真言宗は、下タントラである
165 名前:フリダヤマントラ[] 投稿日:04/07/16 12:29 ID:IedBFob7 ありがとうございます。 「是如我聞」・・・「如是我聞」と、言うのは、知ってましたが、 「是如我聞」 と言う言い方が、あったんですね ? 一字が入れ替えてありますが、意味は、「われはこのようにきいた」と言う事でよろしいのでしょうか? いのち、 エネルギーの燃焼体。 それは、うつくしい (清) と、思いました。 それは、何も、一人、人間だけの事では、無いと思います。 生きとし生けるもの、 全宇宙のいとなみ、 それは、うつくしい【清】と、思います。 そう言う風に、理趣経を受け取らせていただいています。 ですから、 密教と言ういいかたに、違和感を覚えています。
172 :
フリダヤマントラ :04/07/16 23:46 ID:hIVPw61t
>>169 お返事有難うございます。
さて「大師の真筆」の件ですが、講談社刊の『空海大字林』を見ますと、
大師筆として確実な『聾瞽指帰』と『三十帖策子』のシュの字は
口二つを書いた後に、横に一を引き、儿とあるので、これは「呪」で
なく「咒」ではないでしょうか。(同書に記載される『金剛童子法』
と『破体心経』には「呪」と書かれていますが、両書は真筆であるか
どうかが確実でないので、『聾瞽指帰』と『三十帖策子』に限定しました)
ですから大師は神仏の力を意味する言葉には、あえて「咒」と
記したと思います。
ただし「『日本霊異記』と正倉院文書」の件でのご指摘の通り
同一人物による使い分けされた文書が残されていないので、その点で
根拠が弱いところは認められます。
さて、真言坊主さまもご同業のように思われますので、
『般若心経秘鍵』の教えはもっと普及していきたいですね。
>>166 訂正です。脱字がありました
誤 自性清浄法性如来(しせいせいせいはっせいじょらい)
正 得自性清浄法性如来(とくしせいせいせいはっせいじょらい)
173 :
フリダヤマントラ :04/07/16 23:49 ID:hIVPw61t
>>171 >「是如我聞」・・・「如是我聞」と、言うのは、知ってましたが、
>「是如我聞」 と言う言い方が、あったんですね?
すみません。漢文をいったん書き下して、再び漢文に直した時に
入れ違ったまま気が付きませんでした。「如是我聞」です 。
「是如我聞」は存在しません。平に、平にお詫びします
166 名前:フリダヤマントラ[] 投稿日:04/07/16 12:30 ID:IedBFob7 >釈尊による霊鷲山の説法も過去の出来事でなく、自身が釈尊・観自在菩薩となり教えを説き、そして自身が対告衆、舎利子となり聴聞することとなります。まさに読経は霊鷲説法の再現にほかならないといえうでしょう。 「読経は霊鷲説法」、 あぁ、そう言う気持ちで、度胸と言うものと、向き合った事は、ありませんでした。 ただ、 お経さんというのは、おしゃか様が、いきとしいけるものたちに、教えを述べられているのに、お坊さん方も、我々も、おしゃか様に向かって教えを、垂れてる形だ、おかしいな、と思っていましたら、 タイだったか、ビルマだったかのお坊様は、おしゃか様をバックにして、信者さんの方へ向かって、読経されていました、TVですが。 あぁ、是が、本来の姿だよな、と、意を、強くした、覚えがあります。
172 名前:フリダヤマントラ[] 投稿日:04/07/16 23:46 ID:hIVPw61t さん 正 得自性清浄法性如来(とくしせいせいせいはっせいじょらい) そんな風に読むものなんですね。 わたしは、こんな風に読んでまいります。 とく じしょう せいじょう ほっしょう にょらい 呉音で、読んでいらっしゃるんですか? 如是我聞の件、∠(・_・) ラジャ!
176 :
真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/07/17 10:58 ID:A0VXO7pb
>>172 おっしゃるとおり、聾瞽指帰は咒かもしれません。
ただ、私がいいたいのは、虚亡隠士論に
「蓬矢・葦戟・神符・咒禁の族は以て外難を防ぐ」と
あることでして、「咒禁」はかならずしも「のろい」に限定されませんが、
「外難を防ぐ」ための呪術であることには違いありません。
このほか、仮名乞児論のなかには
「仮名、瓶を採りて水を咒じ、普ねく面上に灑ぐ」という一文があります。
これは「のろう」の意味ではなく、「いのる」の意味です。
このことから大師は「咒」は「いのる」、「呪」は「のろう」
という使い分けはされていなかった、と私は考えるのです。
なお、「咒」の文字は「口+兄」の形声文字で、
「口口+几」ではありません。「口口+几」の形声ならば
「ジュ」「シュ」という発音にはならないでしょう。
しつこく食い下がって申し訳ありませんでした。
村岡師の説を見て以来、ずーっとこのことが気になっていたので、
ついつい粘着してしまいました。
ところで、ついでながら聾瞽指帰の筆記者についてですが、
近年の研究ではどうやら大師の真筆とは断定できないようです。
太田次男先生が『成田山研究紀要』の中で詳細な考察をされています。
私がみたところでは、ちょっとあの説はくずれないと思います。
177 :
フリダヤマントラ :04/07/17 11:50 ID:SgAC6pj+
≫174 >「読経は霊鷲説法」 この考えは、真言系宗教新聞である「六大新報社」主筆、今井幹雄師の法話より伺ったものです。 >タイだったか、ビルマだったかのお坊様は、おしゃか様をバックにして、信者さん>の方へ向かって、読経されていました、TVですが。 >あぁ、是が、本来の姿だよな、と、意を、強くした、覚えがあります。 確かに、仏様に向かって読経するというのは本当に「釈迦に説法」ですよね。 ただし、真言や念仏(観想念仏。仏の姿を観て、誓願を想い、仏名を口にするという瞑想のひとつ) を唱える際には、仏像を前にして観法を行うので、「仏を前に読経する」行為は、読経そのものを 観法としたかもしれませんね。 また、リズム良く、きれいな声で唱えられる心経に、なにかしらありがたさを感じますが、 釈尊の弟子のひとりの善和は「音声(おんじょう)第一」とされているので、初期仏教から、 清らかな声で法を説くことの重要さがうかがえます。
178 :
フリダヤマントラ :04/07/17 15:38 ID:SgAC6pj+
>>176 >近年の研究ではどうやら大師の真筆とは断定できないようです
そのような説が発表されたのですね。
ご教示いただきまして、ありがとうございました。
177 名前:フリダヤマントラ[] 投稿日:04/07/17 11:50 ID:SgAC6pj+ さん >「読経は霊鷲説法」 この考えは、真言系宗教新聞である「六大新報社」主筆、今井幹雄師の法話より伺ったものです。 そうでしたか。でも、わたしの中では、読経というものが、深くなりました。ありがとうございます。 >>タイだったか、ビルマだったかのお坊様は、おしゃか様をバックにして、信者さん>の方へ向かって、読経されていました、TVですが。>あぁ、是が、本来の姿だよな、と、意を、強くした、覚えがあります。 >確かに、仏様に向かって読経するというのは本当に「釈迦に説法」ですよね。 >ただし、真言や念仏(観想念仏。仏の姿を観て、誓願を想い、仏名を口にするという瞑想のひとつ)を唱える際には、仏像を前にして観法を行うので、「仏を前に読経する」行為は、読経そのものを観法としたかもしれませんね。 それは、祈り と 言えますか? >リズム良く、きれいな声で唱えられる心経に、なにかしらありがたさを感じますが、釈尊の弟子のひとりの善和は「音声(おんじょう)第一」とされているので、初期仏教から、清らかな声で法を説くことの重要さがうかがえます。 読経の声を聞くことは、喜びでも、ありますね。
巡回 です。。 保守 担当の、天使のささやき と申します。 よろしく お見知りおきください。(ここで名刺を両手で持ち、差し出す) romさん 名無しさん コテハンさん 今日と言う日は、全宇宙時間の中で 2度と無い1日です。 がんがって じゃなく マタ〜リと、カキコお願いします。m(___)m ☆彡(注) Age2ch と言うアプリで自動実行 されてます。 ▲一部の方には、ご不快の念、これありと伺っておりますが、 これもスレご盛会を願う一念でございます。 ご了承ください。 m(__)m
181 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 17:32 ID:P3lWxeIY
中学生で般若心経好きはおかしいですか?
182 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 21:53 ID:P24UwA4V
>>181 ストレスの多いサラリーマンや
人生に疲れた社会人の間では、
ひそかに好まれているみたいだけど。
何か悩みでもあるのか?
183 :
親鸞学徒 :04/07/31 22:33 ID:es0++xhZ
般若心経よりも大無量寿経、正信偈を拝読いたしましょう。さて、皆さんは 「なぜ、人間の命は地球よりも重いのか」 「なぜ、人間に生まれてきたことを喜ばねばならないのか」 ハッキリ答えられるでしょうか。 確率的にみても人間に生まれることは、たいへん難しいことです。 大地の砂の数を人間以外の世界の生き物の数とすれば、人間に生まれる人は、ひとつの指の爪の上にのるくらいの砂の量です。 大変な少なさです。 しかも、さらに、そのなかで、真実の仏教(本当の仏教)にめぐりあうということは、これまた、さらに難しいことなのです。 さらに、その仏教が間違いのない真実だと知らされ喜んで真剣に求める人も、これまた少ないのです。 そして、阿弥陀如来に救いとられ絶対の幸福の身になる人は、雨夜の星です。 でも、これらのことは、すべて強い強い阿弥陀如来のお力によって進ませていただけることなのです。 目に見えないですが、皆さんを本当の幸福に救いとろうと今も全力をあげておられるのです。 人間に生まれなければ仏教は聞けません。 ですから、人間の命は尊ぶべきものなのです。 粗末にしてはいけません。 今、人間としての生を受けているのですから、永遠に変わらない本当の幸福になる願ってもないチャンスなのです。 私が仏教を聴くきっかけとなったのも、阿弥陀如来に救いとられた方から、話を直接お聞きし度肝を抜かれたからでもあります。 まさか、阿弥陀如来という仏がおられ、この世ではっきり救われるという体験があるとは、思いもいたしませんでしたから、びっくりしたのです。
184 :
親鸞学徒 :04/07/31 22:33 ID:es0++xhZ
私のような見ず知らずの者から、このよう書き込みをされても皆さんには、にわかには信じがたいとは思いますが、うそではなくホントのことですから、強く言わざるをえないのです。
世界中ほとんどすべての人が知らされていませんが...
わたしは、10人ぐらいの人から話を聞きましたが、その体験というのは、親鸞聖人のおっしゃられている体験とまったく一緒です。
まあ、とにかく聞いていただきたいのです。疑問点があれば、どんどん質問していただきたいと思います。
真実の仏教にめぐりあい、聞かせていただくというのはホントありえないと言いましょうか不思議なご縁です。
人生の目的を明らかにされた『なぜ生きる』という本があるのですが、ぜひ読んでみてくださいね。
http://www.10000nen.com/book/naze/naze.htmを参照してください 。
また、ぜひ、次のHPもご覧になってください。
本当の浄土真宗の教えを知って頂きたいのです。
http://www.shinrankai.or.jp/qa/index.htm 皆さんの中には、どの宗教も幻想にすぎない、非科学的な盲信と考えてる方も多いようですが、私も以前はそうでした。
しかし、それはとんでもない浅はかな間違いでした。
浄土真宗は紛れもない大宇宙の真実であったのです。
私が、こう断言したところで納得されない人がほとんどでしょうが、いつの日かわかってくださることを念じあげます。
「知らなかったぁ。ホントかよぉ。そんな、たいへんな真実があったのか」と真実を真実と見抜ける鋭い人がいらっしゃればなぁと思います。
185 :
名無しさん@3周年 :04/08/01 00:40 ID:7wucPAg1
南無大師遍照金剛
186 :
名無しさん@3周年 :04/08/01 09:05 ID:Q8ujwOEz
>>これらのことは、すべて強い強い阿弥陀如来のお力によって進ませていただけることなのです。 この典拠は何ですか?
188 :
名無しさん@3周年 :04/08/01 15:39 ID:7wucPAg1
南無観自在菩薩
山本太郎が言っていた 呪文を教えてください
190 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 00:17 ID:IsuEg6n/
どなたかにアドバイスをいただけたらと思ってこのスレに来ました。 般若心経に興味を持っているのですが、「般若心経を唱えたり写経したりするのは、自分なりの理解を形成してからの方がいいのか」という点で悩むときがあります。 とりあえず、読経を聞いて、読経することから始めたのですが、意味も分からないまま唱えていいんだろうかと考えてしまいます。 かといって、>1から読んでいっても「自分なりの理解」を作り上げるなんてなかなか難しいだろうなと思います。同じような経験をされた方、この点どのように対応されたのでしょうか?
>>190 読経することから始めたとのことですが入門としては間違ってないと思います。
意味も分からないまま唱えていいのかという疑問は当然おこります。
自分なりの理解はしておいてもいいし、しておかなくてもいいと思います。
空の教えなので。どうせ分りっこないんだからと言う気持で
あっけらかんと悩むことはないと思いますよ。
観念的に理解することは、本がいろいろ出ていますので
なんでも読んだらできると思います。
ただ一般の般若心経の解説には偏見もはいってるので真にうけないほうが良い気がします。 般若心経の解説として最高のものはやっぱり、 弘法大師空海の般若心経秘鍵がいいですね。 金岡秀友氏の読みやすい訳書が出ていますのでお勧めです。 原文と書下しも訳もあるので良書です。 僕は理解したと言えないのですが、空海の文章はさすがに美しいと感動しました。
193 :
けちゃっぷ :04/08/04 12:59 ID:MUiq3Gu1
生命は自分だけのものじゃないですよね。たとえば、国民の税で育てられたのだから、働いて税を納めてお返しせねばなりません。勝手に自殺するのは、国民の財産を奪うことでもある。
194 :
けちゃっぷ :04/08/04 18:47 ID:MUiq3Gu1
浄土宗で般若心経を唱えるのは、食事前の「食作法(ジキサホウ)」くらいです。食物への執着を避けるためでしょうか?
195 :
くそ坊主 :04/08/04 21:50 ID:0111ga6J
私見 般若心経は解脱した人の世界観である。 ゆえに、凡人には理解できない、 丁度、プリンの説明を文字でするようなものだろう。 どれほど詳しく説明されても???。 食すれば、誰でもわかるものである。 言葉で説明は難しい。 ではないかと思う。このごろ。
196 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 21:53 ID:R2qzbDdT
↓ハニャーン心経
197 :
名無しさん@3周年 :04/08/08 19:44 ID:l7/bh23R
理解できないものが、現代の一部のサラリーマン などににおいても、共感され、読まれるとは思えません。 苦悩の世界を生きている人にとっては、 救いの教えなのかも。 解脱した人の世界観を知ることは、凡人にとっても 役立つと思うが。
198 :
名無しさん@3周年 :04/08/08 20:15 ID:w4y/NMZ2
私見ですが、サラリーマンというのは入社以来、「ノルマ達成できぬは人に あらず、会社のためなら命を惜しむな、会社は永遠なり」という風な洗脳を 受けて、わき目をすることさえ許されずにひた走りに走ってきたわけです。 ところが、こういう生き方は本来の人間の性に反した生き方だから、必ず むなしさを感じる時が来る(一番不幸な人は、それが臨終の間際になるん だけど)。 その時に、自分を取り戻そうとすると、それまで洗脳に使われてきた会社の 呪文に対抗する何かが必要で、それを般若心経に求めたのじゃないかと思い ます。 私自身、対人関係でノイローゼ寸前にまで追い込まれた時、般若心経に救い われた経験があります。
199 :
名無しさん@3周年 :04/08/08 21:14 ID:+22ShJig
>>197 般若心経が言わんとしている「空」の教理だけでも知っているのと知らないのとでは、
人生が大きく変わってきますよね。理入も立派な仏道でしょう。極端に行入だけを
重んじて理入を蔑ろにするのは、中道に反すると思います。顛倒した無知や我執を
取り除き、正しい知恵に目覚めさせる道案内となるのが教学 だと思います。
200 :
名無しさん@3周年 :04/08/08 23:32 ID:p5FooiJr
理と行、は分けなくてもいいと思います。
表裏一体、一致しているものではないでしょうか。
本を読んで、禅や写経を始める人もいるだろうし。
その逆もあるわけで。
「禅とはなにか特別なものではなくて、
生活の全てが禅である。」
と永平寺の禅師が言っていたし。
>>198 に共感できるなあ。
生き方について書かれた本、や考え方は
山ほどあるけど。
般若心経には、特別な力があるような気がする。
だから、こんな古いものが、現代でも読まれてる。
201 :
名無しさん@3周年 :04/08/10 12:38 ID:TKhqdzzr
>「禅とはなにか特別なものではなくて、 >生活の全てが禅である。」 >と永平寺の禅師が言っていたし。 いきなり日常性から、はては全宇宙までをも一絡げに包みこんじゃ うような大風呂敷の感じがしないでもありません。あまりにも広大 無辺すぎて、改めてその中から禅のエッセンスを探し出すという新 たなる求道が生じそうです。中国禅宗が何故、「拈華微笑」などと いう本来は経典にもない創作をわざわざ捻出し、以心伝心や教外別 伝を方向づける必然性があったのだろうか。その場合の依典は?八万 四千ともいわれる仏典は、まるで正法にあらずという意味にも解され ます。 わたしのような凡夫には、どうしても禅が特別なもののように映って しまいがちです
202 :
名無しさん@3周年 :04/08/11 00:55 ID:Qs7G9gws
禅とは ただ何も考えずに座る。 心に拘りがない。 広大無辺の概念すらない。 何も考えないのだから。 悟った、悟らない、難しい仏典や思想、概念 そんなものも一切が空である。 と私は般若心経を解釈しました。
203 :
名無しさん@3周年 :04/08/12 23:45 ID:ucrbpBSB
>>195 たとえば
失われた料理のレシピを作るため、その料理を
昔食べたことがある人の話を参考にして試行錯誤
して作ってみる。
果てしない試行錯誤の末、ついには料理が完成し
その料理を食べたことのある人の話がどういうこと
だったのかを体験し、理解する。
大変な回り道も強いられる事に見えるが、その料理を
食べたことのある人の話がなければ、目指す場所
すら分からなかった。
教典の価値とはこんな感じのものではないだろうかと
最近は思っています。
204 :
名無しさん@3周年 :04/08/13 00:34 ID:bT/O3uSc
>悟った、悟らない、難しい仏典や思想、概念 >そんなものも一切が空である。 >と私は般若心経を解釈しました。 そのように十把一絡げで空に収斂させる手法というのも、如何かと 思いますYO。 それは空観ではなく空見であり、空見はニヒリズムに結びつきます。 空観と空見やニヒリズムの違いは、根底に縁起の法則があるかないかでしょう。
205 :
名無しさん@3周年 :04/08/15 03:10 ID:iW9UKdwx
ハニャーン心経 とにかくみんな空(クウ)なにょな。そう思えばつらいことも何もないにょだYO! モノが在ると思ってもその実体は無いわけだし、 実体が無いようなモノも在るように見えるものだにょ。感覚知覚するのもそういうもにょなの。 とにかくモノ・感覚・知覚、みーんな実体がないわけだから、生まれもしない滅びもしない、 汚くもならない浄くもならない、増えもしない減りもしない、当たり前の話だゴルァ。 実体がなく変化も無いんだから、縁起なんて表面的なこと、実体など無いわけでして、 無明がどうとか老死がどうとか、もう言うだけ無駄。悟りとか悟りを得るってことも無かったわけだ。 こう思えば何にも考えなくてすむし、考えないから怖いものナシ。 考え違いもないからもう究極だあーヽ(゚∀゚)ノアヒャ 。 ブッダというのはみーんなこんな風な修行をしたわけで(ホントか)、 それで究極の悟りを得たと(なんだ結局得たのかよ)。 まー智慧の修行ってこういうわけのワカランものだから、 もまえら愚民たちは最強のマントラとしてこのお経を繰り返し唱えるぐらいが関の山ってわけだ。 じゃあ唱えるぞ。 「逝ってよし、逝ってよし、もまえらみんな逝ってよし。漏れもなー」 ハニャーン心経
206 :
名無しさん@3周年 :04/08/15 08:32 ID:11afZUVS
は、はにゃーん
207 :
名無しさん@3周年 :04/08/15 09:32 ID:sV2a1iI3
(-人-)逝ってよし、逝ってよし、もまえらみんな逝ってよし。漏れもなー
208 :
名無しさん@3周年 :04/08/15 11:53 ID:6w6bO+1Q
>>204 空観と空見の違いは難しいですね。
拘りによって、争ったり、苦悩するより、
空見、ニヒリズムの方がまだましかなと思います。
宗教の対立で、殺し合いや戦争をしている
宗教ってなんだろ?
という疑問に般若心経は答えていると思う。
巡回 です。。 保守 担当の、天使のささやき と申します。 よろしく お見知りおきください。(ここで名刺を両手で持ち、差し出す) romさん 名無しさん コテハンさん 今日と言う日は、全宇宙時間の中で 2度と無い1日です。 がんがって じゃなく マタ〜リと、カキコお願いします。m(___)m ☆彡(注) Age2ch と言うアプリで自動実行 されてます。 ▲一部の方には、ご不快の念、これありと伺っておりますが、 これもスレご盛会を願う一念でございます。 ご了承ください。 m(__)m
211 :
名無しさん@3周年 :04/09/03 05:35 ID:uas7gDDM
ヨン様と般若心経 今話題の韓国四天王にはヨン様の他にサン様、ニさま、イチ様 がいるのはみなさんご存知ですね? では韓流ファンの間で今密かに注目を集めているもう一人の天王 「ゼロ様」はご存知ですか? ゼロ様はその名の通りゼロ、つまり存在しないのです。その不思議 な雰囲気がファンの心を捉えて放さないようです。(つまり捉えて いないし放さない事もない) そのゼロ様がこのたび存在しない映画「存在しないこともない」 のプロモーションで来日する事が決定しました!つまり存在しない 人が来るという事なので、誰も来ないという事になります! ファンの皆さんには吉報ですね。
212 :
↑ :04/09/03 07:12 ID:lCYphuW8
つまらん
This is a little story about four people named Everybody, Somebody, Anybody, and Nobody. There was an important job to be done and Everybody was sure that Somebody would do it. Anybody could have done it, but Nobody did it. Somebody got angry about that because it was Everybody's job. Everybody thought that Anybody could do it, but Nobody realized that Everybody wouldn't do it. It ended up that Everybody blamed Somebody when Nobody did what Anybody could have done.
214 :
名無しさん@3周年 :04/09/20 05:39:08 ID:g8AjyVi4
般若
316 名前:あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA [sage] 投稿日:04/09/27(月) 20:37:00 ID:bT02vi4u 犬に、仏性があるか? あるに決まってる。 だが、そこを、無、と言うらしい。 この公案以後の禅は、ここに尽きると言う。 しかし、飲み込めない。 犬に仏性があるとも、答えている。 これはまともだと思う。 然し前の、いぬに仏性が有るか、無。 がひっかかる。 空の理解は、している。 仏性のある、なし、には、かかわらない。 仏性は、あるに決まっている。 犬に仏性はあるか。無。 これは、受けと入れない。 犬に仏性は、あるか。空。 これだと、門の内側に入る。 無。 これに、迷う。 空では、無いのか、と。
217 :
名無しさん@3周年 :04/10/26 14:12:36 ID:NG+4Sk3g
218 :
名無しさん@3周年 :04/11/10 21:30:34 ID:7LKyMI92
お経とは訳が解らなくても良い。ただ唱えよ。理屈は良い。 南無阿弥陀仏。全てをお任せいたします。
219 :
名無しさん@3周年 :04/11/12 20:47:54 ID:+zCAuBcb
地震に会ってカネの心配で般若心経どころではありません。 今まで何だったのだろうか? カネの余裕の有る人が遊んでいるとしか思えない。
220 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 21:22:54 ID:DansmvP8
金とお経を比較対象するなや
221 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 19:14:41 ID:PftOJyCU
>>218 浄土宗な感じでしょうか??
>>219 大変そうですね。。
物質的な悩みについては、お経はいまひとつ役に立ちづらいですよねえ。。
人間関係とか、俺はなんで生きてるんだっていうような実存的な悩みに対しては、
何か答、ありそうな感じではありますが。
>>220 ちなみにお寺いあるお経ってどっかから買ってるんでしょうかねえ、、
自分で写してくるものなのか??
最近、あらためて般若心経をみていて思ったのですけど、これって、催眠の際の
誘導文みたいですよね。あえて、ダブルバインドというか、矛盾したように見える言葉
をならべ、意識をぼわぼわっとさせ、トランス状態に近づけさせる、というか。
上の方の議論で、「般若心経とは最後のギャーティー……という咒を案内する内容
だ」という話が出てますがむしろこの心経全体がもうある意味、そんな咒になっている
のかなあ、と。個人的にはこんな過激なことが正しいものの見方だというその内容に
にやりとさせられるというか、ま、たしかにこんな風なものがみれたら、楽だろうなと
感じるので、好きだったりします。
お経を読むという行為は気休めにはなります
>>222 たしかに読経をする心理って気休めってのがあうのかも。。
少なくとも何かに対決しようって超ポジティブっていうより、何かに耐えているようなイメージが。
三蔵法師玄奘が般若心経を、西域に行く際読経していたというのは有名な話ですけど、
個人的には、わきあがってくるマイナスな心を、静めるってことなのかな、なんて、
想像していたりします。
山登りにつらくなって、仲間とエロ話して、気分ふるいたてる感じ、というか。。
ち、ちがうかな。
224 :
名無しさん@3周年 :04/11/17 19:43:47 ID:5ySKhEJA
たまたま貴方は般若心経に興味があるなら、まずは、松原泰道さんの書物を 800円で買って読んで見れば? どんどんと引き込まれれば幸いです。 禅宗が我々日本人の生活にいかに食い込んでいるかを考えさせられると存じます。
225 :
名無しさん@3周年 :04/11/17 21:42:48 ID:UZGDoWh/
226 :
M.B. :04/11/17 21:52:31 ID:JSAQvVdt
小原弘万『般若心経いろはがるた』。 嫁。
227 :
名無しさん@3周年 :04/11/20 23:13:31 ID:E2kb1Hu0
>>227 15、6年前のバブル景気の頃に経済学者として、般若心経をご紹介してくれてたなら
わたしは元教授を「神!」呼ばわりしてるんだが。(ワラ
229 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 21:47:06 ID:2tSpB2wa
>>218 南無阿弥陀仏となえるならお経はイラネーだろうがよ
230 :
名無しさん@3周年 :04/11/23 19:10:17 ID:MdiC0bID
南無大地獄。
>>229 「一日三回お経を読むのは功徳になりますか?」と聞かれた法然は
「かつては私もそんな虚しいことをしてましたが、今は南無阿弥陀仏だけです」
と答えたそうな。
232 :
名無しさん@3周年 :04/11/28 22:26:10 ID:ORxnzWso
般若心経のなかに「得るものが無い」と言っている所に興味があるのだが?
233 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 02:51:15 ID:byZDa14t
あ〜〜〜 今年ゃ 豊年だ〜〜〜よっ ♪♪
>>232 無智亦無得ってとこでしょうか??
個人的には、「あーそういうことか、なんかそういうものって感じてしまえば、
知ったというか、前からそうだったような気もするし、なんかあらためて得たって感じもしないし、
まーとにかくそういうことなんだろ、よくわかんないけど。まあいっか」
という状態なのかな、と。
ガチガチに論理的にゆくならば、存在するもの、認識されるもの全てに実体は無く、
実体が無い以上、それを絶対的には知ることもなく、得ることも無く。知ることと得ること
とがあったとしても、それは、現象としてはあったとしても、確定的には存在しない。
つまり、通常の認識より深く物事をみるならば、確定的なものは存在しないといいうこと
が分かるため、その認識すらも、究極的には認識したことにはならない。
ということか。
中村元センセの「竜樹」を読んでいるところですが、、なかなかすっと頭に入りませぬ。
235 :
名無しさん@3周年 :04/12/09 22:29:44 ID:+2VxKKCF
般若心経の解説として最高のものはやっぱり、 弘法大師空海の般若心経秘鍵がいいですね。 金岡秀友氏の読みやすい訳書が出ていますのでお勧めです。 原文と書下しも訳もあるので良書です。 僕は理解したと言えないのですが、空海の文章はさすがに美しいと感動しました。
236 :
名無しさん@3周年 :04/12/10 00:02:36 ID:JUaap1k5
漫画家の桑田次郎(二郎)さんが瞑想より得た回答により般若心経解説した著書があります。「漫画で読む般若心経」てなタイトルだったかな? 私は桑田さんのほのぼのとした観音様の描写が結構好きです。一般の解説書とは違った観点からの解説で読んで見る価値ありと思うよ。私も瞑想してみるかぁ〜? ガティー ガティー パーラーガティー パーラーサmガティー ボディースワハー !
237 :
名無しさん@3周年 :04/12/11 22:51:03 ID:1JG83iqg
般若心経の内容って、すべては無の世界ということ?
>>237 因みに桑田二郎さんの解釈では違いますね。
「空」と「無」は異なると言う事でつ。
漫画で読む般若心経1 ISBN4-331-65053-7
漫画で読む般若心経2 ISBN4-331-65056-1
漫画で読む観音経1 ISBN4-331-65054-5
漫画で読む観音経2 ISBN4-331-65057-X
漫画で読む観音経3 ISBN4-331-65060-X
漫画で読む観音経4 ISBN4-331-65064-2
239 :
名無しさん@3周年 :04/12/12 00:04:20 ID:+k3lLPGo
でもなんとなく般若心経の真理ってあたってる気がする。すべては無の世界であり。。。私たちが生きたり考えたりしてるのも実は無なのかな?とたまに思う。
>>239 実体は無いけど、でも存在している、空、ってのがポイントなじゃないかな。
無なんだけど、現実を感じているということはやっぱりあるわけで。
外界からの刺激があって自分がなりたっているけれども、それを感じている自分に
究極の何か芯のよなものがあるかはわからない。けれども、感じているのもまた事実。
そのどちらでも無く、どちらでもある、という位置が中道ではないかと。
がちがちにどうにもならない世の中に対しては、全ては絶対ではないと感じて、
不確かな人の気持ちに対しては、何かを思う気持ちは否定しても、やっぱり「ある」
んだと認める。あたりまえといえばあたりまえことなのかもしれないけどね。
全てを見、全てを知る。 その人が、深く、その行いの中にあるとき。 感じること、思うこと。 全ては、空であると、知った。 君に言う。 形あるものは、確かななにかを持つものではなく。 確かななにかでもないままに、それは形をつくっている。 形あることは、なにかであることではなく。 なんにでもないということは、形あるもの全てでありえる。 感じること、思うこと、わきあがる何かも、確かだと思えるそのことも。 みな、また、同じく。
君に言う。 全ては空であるから。 はじまりも、終わりも無く。 けがれることも無く、まっさらでも無く。 それは、増えもせず、減りもせず。 全ては空であるならば。 形は無く。 感じることも、思うことも無く。 見ることも、聞くことも、味わうことも無く。 肌に触れることもなく。触れるその相手もいない。 目に見えるその世界は無い。 感じて、思う、その世界は無い。 暗闇に迷う、その迷いは無い。 それでも、迷いはつきることは無い。 老いて死ぬことは無い。 それでも、人は老いて死ぬ。 苦しみも、苦しみのもとも、苦しみから逃れる術も、なにも無い。
分かることはない。 得ることもない。 それでも、気づいた人は、その行いの中に知る。 その思いにうたがいは、無い。 うたがうことは何も、無い。 だから、恐れは無い。 だから、こだわる何かも無い。 だから、安らぎの中にいる。 いまも。むかしも。この先も。 その人は、その行いの中で、とこしえに、その安らぎの中にいる。
だから、知って欲しい。 その言葉にまさるものは無い。 その言葉にならぶものは無い。 全ての苦しみを解く。 それは真実。 いつわりは無い。 その行いの。 その言葉を告げる。 『ゆけ』 『ゆけ』 『はるか、ゆけ』 『はるか、そう、ゆけ』 『そこに』 『そう、ある』 そう、ある。
245 :
名無しさん@3周年 :04/12/16 02:07:17 ID:b9M7+ugc
本屋でえらい小さな「般若心経お守り」なるものが売られていた。 たしか500円。 売れるのか? ゆるゆると仏教ブームがあるとはいえ。
いまから、お宝AAを貼る(予告) ちょっと待ってね。ゴソゴソ…
般 羯 多 呪 多 得 想 掛 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観 摩 若 諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自 訶 心 羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在 般 経 諦 説 一 神 多 涅 掛 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩 若 呪 切 呪 羅 槃 礙 提 盡 無 意 是 是 是 一 薩 波 波 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行 羅 羅 真 大 藐 世 無 陀 苦 明 色 空 法 空 苦 深 蜜 羯 実 明 三 諸 有 依 集 亦 聲 中 空 即 厄 般 多 提 不 呪 菩 佛 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若 心 虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波 経 波 故 無 故 般 遠 波 無 明 觸 無 生 受 子 羅 羅 説 上 知 若 離 羅 智 盡 法 受 不 想 色 蜜 僧 般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多 羯 若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時 諦 波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照 羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見 菩 蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五 提 薩 婆 訶
↑ペタッ どうぞ。m(_ _)m
249 :
名無しさん@3周年 :04/12/16 02:50:32 ID:b9M7+ugc
>>247 どうもです。咒ではなく呪バージョンですね。玄奘訳でもいろいろありますな。
250 :
半地下の靴屋のマルチン :04/12/16 02:51:48 ID:zqGb3+qn
都合の悪い時だけ親(神様の)の性にする、アメリカとニ本の足のこどもは わがままだから、余り好きになれません。みんなにクリスマスプレゼントで 一人子与えましたが、喜んでくれましたか・・・?。私がプレゼントしたかったのは あなた方の”幸福感”を取り戻す事だったのです。 もっともっと賢くなりたい もっともっと勉強。 もっともっと裕福にってどんどん身勝手に強者の論理に振り回されて、 もともとプレゼントしていた”人間らしさ”を捨て逝くのを見てて悲しくなってついつい、 そのひとつひとつの命を助けるための、究極のプレゼント”友なるジーザス”気に入って くれてたら、スゴク嬉しいのだが・・・・・。 みんなも”賢者の贈り物”のお話の様な バカみたいな話だけど、心のぐっと来る”シアワセナ愛のクリスマス”に成るとイイね。
251 :
名無しさん :04/12/18 00:58:04 ID:A4ayKHj9
252 :
アダジオン :04/12/25 14:14:37 ID:qZMqjZ6Z
253 :
アダジオン :04/12/31 00:38:56 ID:KZD1t/Sc
254 :
名無しさん@3周年 :04/12/31 08:25:16 ID:v/ow80ni
般若真教の意味は、無ってこと?いまいちわからない。。
255 :
アダジオン :04/12/31 19:05:53 ID:KZD1t/Sc
256 :
【大吉】 :05/01/01 11:52:18 ID:/+tKXVdA
うむぅ
257 :
☆M :05/01/02 02:35:07 ID:Y+rT0GoS
明けましておめでとうございます。 初めまして 私は仏教に興味はありますが難しくろくな知識はありません。 ですが般若心経に関する本をパラパラと見て漠然とこう思いました。 →生きていると悩みや心の闇に捕らわれることがある。 悩みも闇も煩悩(生命維持の損得勘定)が作り出している。 個々の魂からすると闇でも悩みでも無い。魂にとっては絵空事。空。 現世に生きるとは、寿命のある五感の中(体)に独立して意志を持って生きること。 意志を持ち遂行する強さを養い、人生は個人の判断により成っている。 この生命・存在の喜びを感ずべし。 ←と思いました。 →他の言い方をすると私は輪廻転生を信じているので、 現世は魂からすると夢のようなもの。 年月がたてば全てが跡形もなく消える。空。 それでも私は在る。存在する。この喜びを知りましょう。 ←ということかなと思います。 パラパラと流し読み他のことと混合しているかもしれませんが この考え方はどうですか?
258 :
名無しさん@3周年 :05/01/02 23:16:33 ID:Y+rT0GoS
ここに詳しい人はお正月だから忙しいのかな? 試しage
259 :
名無しさん@3周年 :05/01/03 01:29:45 ID:qg6YcRB1
あけましておめでとうage
260 :
名無しさん@3周年 :05/01/07 00:53:51 ID:TnXR9cQP
保守上げ
261 :
☆M :05/01/13 23:47:35 ID:TrK/nBwr
唯我独尊と混同してるかもしれない。
262 :
名無しさん@3周年 :05/01/14 00:03:05 ID:LeekieDR
>妙法蓮華経 如是。我聞。一時。仏住。王舎城。耆闍崛山中。与大比丘衆。万二千人倶。皆是阿羅漢。諸漏已 尽。無復煩悩。逮得己利。尽諸有結。心得自在。其名曰。阿若?陳如。摩訶迦葉。優楼頻螺迦 葉。伽耶迦葉。那提迦葉。舎利弗。大目?連。摩訶迦旃延。阿?楼駄。劫賓那。?梵波提。離婆 多。畢陵伽婆蹉。薄拘羅。摩訶拘?羅。難陀。孫陀羅難陀。富楼那弥多羅尼子。須菩提。阿難。 羅?羅。如是衆所知識。大阿羅漢等。復有学無学二千人。摩訶波闍波提比丘尼。与眷属 六千人倶。羅?羅母耶輸陀羅比丘尼。亦与眷属倶。菩薩摩訶薩八万人。皆於阿耨多羅 三藐三菩提。不退転。皆得陀羅尼。楽説弁才。転不退転法輪。供養無量百千諸仏。於諸仏 所。植衆徳本。常為諸仏。之所称歎。以慈修身。善入仏慧。通達大智。到於彼岸。名称普聞。無 量世界。能度無数。百千衆生。其名曰。文殊師利菩薩。観世音菩薩。得大勢菩薩。常精進菩 薩。不休息菩薩。宝掌菩薩。薬王菩薩。勇施菩薩。宝月菩薩。月光菩薩。満月菩薩。大力菩薩。 無量力菩薩。越三界菩薩。?陀婆羅菩薩。弥勒菩薩。宝積菩薩。導師菩薩。如是等菩薩摩 訶薩。八万人倶。爾時釈提桓因。与其眷属。二万天子倶。復有名月天子。普香天子。宝光天 子。四大天王。与其眷属。万天子倶。自在天子。大自在天子。与其眷属。三万天子倶。娑婆世 界主。梵天王。尸棄大梵。光明大梵等。与其眷属。万二千天子倶。有八龍王。難陀龍王。跋難 これってなんなんだろう?荒らしの馬鹿が貼りまくってるんだけど
それは法華経というお経の中で 最初の序品第一というものですよ。 「このように私は聞きました。あるとき、ほとけが王舎城の東北にある霊鷲山に住まれていて、1200人の僧と一緒にいました。これらの僧は、みんな阿羅漢(悟りを開いていた)欲望というわずらいを滅ぼして、煩悩がない、自己に打ち勝っていて(目的を達成している) 迷いを離れている。いつでも涅槃に至れる状態にある。その名を・・・・・・・・」 といったように、名前が紹介されている。悟りを開いた僧だけではなく、それに続いて、神や王やいろんな仏・菩薩が様々なものたちの名前が出てきます。 その荒らしの人は漢訳をただ貼り付けているだけですね。
>263 法華経なんですか。法華経って言うと創価学会関係者かな、荒らしているのは・・・・
265 :
名無しさん@3周年 :05/01/17 00:14:56 ID:Smj2VZuu
お坊さんは今でも、このスレ読むのかな?
266 :
アダジオン :05/01/19 17:43:48 ID:Bx0+76qH
267 :
名無しさん@3周年 :05/01/29 23:08:05 ID:5ppZslNd
今『チベットの般若心経』を呼んでいる最中なんだけど、ここまでの感想としては、 般若心経には一つの、非常に単純明快な理論が根底に流れているんだなと思った。 即ち、「森羅万象を詳細に分析してみると、そのものだけで独立して存在しているも のは無く(自性が無い=空)、縁起(相互依存関係)で存在している。だけど、普 通の人はその対象に対して自性を認める(虚構する・そのものだけで存在している と認める)からそのものに対して善悪・好き嫌い等の感情を抱くし執着する。これ が煩悩発生の原因であり、これが輪廻の原因となる。でも、縁起によって存在して いるものにも効用があるから(フトガラとしての自分に「現実的に」作用するから、 これを甘く見てはいけないよ(断辺に陥るな)。」 未だ読んでる途中だけど、こんな解釈で良いのかなぁ?
>>267 あなたは、無自性を認めたようですね。
つまり、本質はないんだなあと。
最初はそれでよろしいと思います。
どんどん追求をしていってください。
いままで考えた事もなかったなと、感心している最中でしょうか。
もし理解に行き詰まった時、あたまで考えるという事は、
空でない何かを「基準」にしているのを思い出してください。
269 :
名無しさん@3周年 :05/02/01 22:05:39 ID:XGXKAqIf
267です。 268さん、レスありがとうございます。あなたのおっしゃる通りで、まったく触れたことの無い 事の無い考えに触れて驚いているところです。「色即是空」とか、言葉としては知っていても 意味まで深く考えたことありませんでしたし。 >もし理解に行き詰まった時… 教えて君ですみません。「あたまで」考える、とおっしゃっているということは、 普段慣れ親しんだ考え方、あるものに自性を認めること(「有身見」でしたっけ) が基準になってしまっている。ということに気をつけなさい、ということですよね?
科学と宗教を対立したものとする定義する時、以下の4種に分類できる。
a,科学を装った科学 b,科学を装った宗教
c,宗教を装った科学 d,宗教を装った宗教
どうも
>>270 がdに思えて仕方ない。
物申したい。
本来の坊さんとは体系化された仏教を客観的に受容し扱う科学者ではないのだろうか?
仏教というxyz軸の中でベクトルを移動しやがて球になり
修行でさらに球の巨大化、四次元化を図り、そして自然へとたどり着く。
故に仏教を通すことで
どこにも属さない自分を見出すことができるのでは?
小学校の道徳の時間を思い出した。
”道徳の暗記”ほど不道徳なものはないだろう。
272 :
名無しさん@3周年 :05/02/02 22:33:39 ID:bm/9nbka
分かり易い形で教示するのは悪いことではないのではないでしょうか。 真実を伝える物としては粗いのかもしれませんが、修行を重ねるときにも順序が必 要であると思います。先ずは世俗諦の次元で理解できる話を、と。 そも、どこにも属さない自分とは?
>>271 道徳のお話し。知識と心の問題と捉えると
いかに心を創ることが出来るか。
まずは道理を学んでから、心を創っていく。
空もそれに似ていると思われます。
貴方の言いたいことを、主観と客観に言葉を置き換えて考えさせてもらいました
あなたの論は、イメージでは仏教の学のスタイルです。
主観も行き着けば、客観の必要性に迫られ、客観も行き着くのなら
主観の必要性に迫られる。
「どこにも属さない自分」ですが、意識が外に脱却している事に
もし気づく事がないのなら、「本来の坊さん観」に陥り
それもまた仏教でなくなります。
外だけに目を向けると、内がおざなりに。
科学と宗教を対立との前提で私も述べますが
発展途中の段階だから、対立が生じると思います。
本来のという言葉を使いますと、宗教と科学の両極でないのが
本来の仏教だと。(本来とは適当ではないですが。)
274 :
名無しさん@3周年 :05/02/11 20:46:57 ID:IHLylM9a
花びらは散っても 花は散らない」これが ある時 ありありと解る時がきます。 それまでは 何事も今と変わりません 解った時 貴方は変わります。
雪がすべての山を白く覆うている時、なにゆえにあるひとつの山は覆われずにあるのか。 清浄の行者、涅槃に入らず、破戒の比丘、地獄に堕ちず。 我の知っている事を汝は知らず、汝の知っている事を我はことごとく知る。 柱が毎日動き回っているのに、どうして私は動かないのか。 大力の人がどうして彼の両脚を挙げることができないのか。 一粒の芥子、よく須弥山8しゅみせん)を隠す。 一掬(きく)の水の中に人魚たちが心ゆくまで踊る。 私は終日汝に相対していて、劫初以来会った事がない。 わたしは釈迦の出現以前からさとりの状態にある。 看よ、東山全嶺が水上を歩いている。 エックハルトの乞食の挨拶 「[朝な朝な好(よ)き朝です」。 雲門 「日々是好日」 雨降って、降らず。 扇を扇と呼ぶな、鋤(すき)を鋤と呼ぶな。 昨日は痛かったが、今日は痛くない。 さっきは泣きわめいたが、今は笑っている。 腹が減れば食い、疲れれば眠る。 啼かぬさきの烏(からす)の声を聞け。 光あれと命ずる以前の神と共にあれ。マタイ伝
276 :
名無しさん@3周年 :05/03/21 02:16:37 ID:F0X7uEMP
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕 警視庁防犯課 二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
277 :
名無しさん@3周年 :2005/04/10(日) 21:30:27 ID:RZZAFLuc
ハニャーン心経 とにかくみんな空(クウ)なにょな。そう思えばつらいことも何もないにょだYO! モノが在ると思ってもその実体は無いわけだし、 実体が無いようなモノも在るように見えるものだにょ。感覚知覚するのもそういうもにょなの。 とにかくモノ・感覚・知覚、みーんな実体がないわけだから、生まれもしない滅びもしない、 汚くもならない浄くもならない、増えもしない減りもしない、当たり前の話だゴルァ。 実体がなく変化も無いんだから、縁起なんて表面的なこと、実体など無いわけでして、 無明がどうとか老死がどうとか、もう言うだけ無駄。悟りとか悟りを得るってことも無かったわけだ。 こう思えば何にも考えなくてすむし、考えないから怖いものナシ。 考え違いもないからもう究極だあーヽ(゚∀゚)ノアヒャ 。 ブッダというのはみーんなこんな風な修行をしたわけで(ホントか)、 それで究極の悟りを得たと(なんだ結局得たのかよ)。 まー智慧の修行ってこういうわけのワカランものだから、 もまえら愚民たちは最強のマントラとしてこのお経を繰り返し唱えるぐらいが関の山ってわけだ。 じゃあ唱えるぞ。 「逝ってよし、逝ってよし、もまえらみんな逝ってよし。漏れもなー」 ハニャーン心経
278 :
名無しさん@3周年 :2005/04/10(日) 21:31:13 ID:L9SBXyK1
(-人-)逝ってよし、逝ってよし、もまえらみんな逝ってよし。漏れもなー
ワロタ。オモロイ・・・
280 :
名無しさん@3周年 :2005/04/12(火) 19:58:54 ID:LNS6ltaU
281 :
名無しさん@3周年 :2005/04/12(火) 22:25:17 ID:eJFK2CUt
282 :
名無しさん@3周年 :2005/04/14(木) 01:03:49 ID:dhYHPDSy
これ千回唱えたら病気が治るんだよね?
千願って一日でも唱え忘れた日があったらもう効果はなくなるの?
284 :
名無しさん@3周年 :2005/04/16(土) 11:58:55 ID:Glm0ntcj
声に出さずに心で唱えるだけでも意味はあるんでしょうか?また場所はどこでも大丈夫何ですか?手をあわせないと意味ない? 後ウチでは供え物は最終的には食べてしまうんですがこれって大丈夫何ですか?
285 :
名無しさん@3周年 :2005/04/16(土) 18:10:07 ID:Glm0ntcj
あげます
286 :
般若の使い :2005/04/17(日) 00:02:04 ID:g63e/FeL
般若心経って、彼岸に渡った人の詩ですよね。 彼岸と此岸の間をどうやって渡るのか、それが簡潔に書かれてあるから、何世代にも渡って詠いつがれているんでしょうね。 でもせっかくの「般若心経」を置いておいて、安易に宗教に頼る風潮はいかがなものでしょう。 現代ある百万諸宗は、そのいずれもが彼岸に渡せるのは我が宗派だと勧誘しますが、これは旅行会社のセールスとよく似てるように思います。 「格安で快適かつ安全に現地までエスコート」・・・そんな上手い話があるわきゃない。 どれもが、彼岸に渡った気にさせるバーチャルツアー。 本気で彼岸に渡るには自力で行くしかないでしょ。 川を自力で渡ろうとするなら、先ずどうします? 重い荷物を持ったまま川に飛び込む? 般若心経には、こう書いてあるように私は読めます。 「沢山の執着という重い荷物を、みんな後生大事に担いでるけど、そんな物には意味はないよ。 彼岸に渡って来れたのは、それに気づいて、荷物を捨ててきた人だけだよ。 だから君たちも、荷物を持ったまま渡ろうとせずに、捨てて・捨てて・最後に捨てたという思いすら捨てて飛び込めば、そこは彼岸だよ。」 簡潔も簡潔、これ以上簡潔な詩はないでしょう。 「般若心経」ってやっぱ最高。
287 :
チラシ配布中 :2005/04/23(土) 00:42:58 ID:yAfuJxbR
◇山田無文・訳 「般若心経」 (禅文化研究所刊)より引用 自由に真理を観る眼の開けた菩薩は、その深い英智に依って、 肉体も精神も、すべて空であると達観して、 一切の苦悩災厄から免かれる。 舎利佛よ。 肉体は空を離れては無い、 空は肉体を離れては無い。 肉体はそのまま空であり、 空はそのまま肉体である。 感覚も想念も意欲も、或は自我という精神組織も、みなその通りである。 舎利佛よ。 すべては空であるから、 生ずることも無ければ、滅することも無い。 垢れもしなければ、奇麗にもならない。 増えもせねば減りもせん。 だから空の中には、 肉体も無く、感覚も想念も意欲も自我も無い。 眼も無く耳も無く鼻も無く舌も無く躰も意も無い。 色も無く声も無く香も無く味も無く触れられるものも無く、 想われるものも無い。 曽て見た世界も無ければ、曽て想うた世界も無い。 盲目的本能も無ければ、盲目的本能の無くなることも無い。 また老死の苦しみも無ければ、老死の苦の尽きることも無い。 苦悩も無ければ、苦悩の因である貪愛も無い。 苦悩からの救いも無ければ、そのための修行も無い。 知ったというのも無ければ、得たとというものも無い。 本来得られるべき何ものも無いからである。 菩薩方は、このような徹底した英智に依って、心中何のこだわりも無い。 こだわりが無いから、恐怖も無い。 恐怖が無いから、 あらゆる混迷邪見な想念から救われて、 永遠に静寂なる境地が得られる。 三世の諸佛も、この偉大なる英智に依って、その尊厳なる普遍的人格を自覚されるのである。 だからこの偉大なる英智こそ、最も神秘的な呪文であり、最も光輝ある呪文であり、地上最高の呪文であり、 他に比類なき呪文である。 この呪文が世のあらゆる苦難を排除することは、まさしく真実であって、一点の虚妄も無い。 ではその偉大なる英智の呪文を示そう。 救われた。救われた。 完全に救われた。 みんな完全に救われた。 ここが浄土だった。 「般若心経」山田無文著(禅文化研究所刊)
288 :
名無しさん@3周年 :2005/05/06(金) 21:16:43 ID:P6Op/w+2
テレビで細木数子さんが言ってたけど、浮気3回以上した償いをするのに、夜7時に一人で誰にも見られずに知られずに墓に行って般若心経を唱えたらいいと言ってました。なぜ7時でなぜ唱えてるのを知られてはいけないの?誰か知っていたら教えて下さい!
289 :
名無しさん@3周年 :2005/05/08(日) 21:47:24 ID:JVx/bqGq
細木数子のこと信じているの? いんちきだよ。
290 :
名無しさん@3周年 :2005/05/09(月) 00:06:59 ID:9DK4zDhi
般若心経 = Maha Prajna Paramita Huridaya Sutra Om Namo Bagavathiya Arya Prajna Paramitaya、、、、 解釈) 真の大英智である勝者の境地に居られる存在に対して礼拝いたします、、、 サンスクリット語をローマ字で表記することは、ほぼ不可能であるが、 般若心経は、「空の境地、空の認識」に至る乗り物(マントラ)でもあると、十数年前にある覚者から 伺ったことがある。 皆さんも原語で唱えてみたら如何でしょうか?
>>290 マントラの部分だけは言語で唱えまつ・・・
ガティー ガティー パーラガティー パーラサムガティー ボーディースヴァーハー
292 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 17:24:00 ID:NUGN7vBk
浮気の償いに? …それ償いになっとるんけ?
293 :
名無しさん@3周年 :2005/05/24(火) 20:47:01 ID:xorFIVFz
般若心経の訳としては、宗教法人GLA教団の創始者・高橋信次著「原説般若心経」がお勧めです。この方の般若心経は、本当にスゴイ!! 一度、熟読される事を強くお勧めします。
GLAはカルトだよ
296 :
名無しさん@3周年 :2005/06/05(日) 05:42:06 ID:vVzcm4Ls
297 :
チラシ配布中 :2005/06/06(月) 18:53:44 ID:2/zI3lml
age
age
302 :
名無しさん@3周年 :2005/06/10(金) 18:41:10 ID:6zkOAwjY
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303 :
名無しさん@3周年 :2005/06/11(土) 01:19:57 ID:CNBV50Rm
304 :
名無しさん@3周年 :2005/06/11(土) 18:12:58 ID:6uiFjsnF
age
管理人さん及びこの掲示板に集まる皆さんへ
初めまして,hannnyaと申す者です。
仏教の経典。論。など知らない人間です、お経も,知っているの般若心経だけです。
般若心経を勉強しているなかで気づいた事が有ります。般若心経は整った美しい姿をしている点です。般若心経の解説書は世間にごまんとあふれ、何千字、何万字と費やして余計に解らなくしているのが多いですね。
私のホームページを見て頂きたいのですが、般若心経274文字だけで
般若心経を語る、いや、般若心経が自身で語る姿です。
30秒〜1分で解りますのでご多忙と思いますが是非御訪問をお願いします。
http://tokyo.cool.ne.jp/hannnya
306 :
名無しさん@3周年 :2005/06/16(木) 01:05:33 ID:KzHk7Al3
そろそろ極まったか?
307 :
名無しさん@3周年 :2005/06/16(木) 01:22:34 ID:4ezew5F8
所詮仏教この程度
309 :
名無しさん@3周年 :2005/06/18(土) 00:41:38 ID:+ko0ytUT
↑で?
310 :
名無しさん@3周年 :2005/07/05(火) 20:27:32 ID:RF33EVbT
>>308 面白くもなんとも無い。
著作権侵害でなければよいが・・・
311 :
美しい般若心経 :2005/07/05(火) 21:07:36 ID:RF33EVbT
312 :
悩乱説法者頭破作七分 :2005/07/05(火) 21:09:58 ID:rpALxzlz
有供養者福過十号
スレを支える参加者、発言者、の参加を募ります。
坐禅と見性 第20章◎飯袋子の集い◎驢年横行◎
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1119079479/ 現在、下記の公案に取り組んでいます。
参禅をお待ちします。
三毒の人、貪瞋痴(とんじんち) 「貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)」または、インテリバカセ、とも言うらしい。
眼が見えず、
耳が聞こえず、
口がきけず、
この三毒の人が、さくらを知るために、さくらの木に抱きついた。
この三毒の人にさくらだと悟らせるには、どうしたらいいのだろうか。
314 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 08:24:24 ID:AUxUzvBW
315 :
名無しさん@3周年 :2005/08/09(火) 00:18:21 ID:cyT8WkOw
極める、とはどういうことを言いたいのでしょうか? 般若波羅蜜を窮める、ということでしょうか? そもそも2003年の開闢以来まだ315とは、少な過ぎ。
316 :
名無しさん@3周年 :2005/08/09(火) 19:15:05 ID:++nHPME+
>>315 > 般若波羅蜜を窮める、ということでしょうか?
そう言うことでしょう。知恵の完成です。
一切が空である事に、問題がないことです。
317 :
名無しさん@3周年 :2005/08/11(木) 01:58:00 ID:kjqMppDy
六波羅蜜 1.布施 2.持戒 3.忍辱 4.精進 5.禅定 6.般若 誰でも、生まれてきて、どれかをやってるのでない? 313のやってるのは5番目
318 :
名無しさん@3周年 :2005/08/11(木) 11:23:02 ID:yHjKtmUV
瞑想しろ。
初めまして,hannnyaと申す者です。
仏教の経典。論。など知らない人間です、お経も,知っているの般若心経だけです。
般若心経を勉強しているなかで気づいた事が有ります。般若心経は整った美しい姿をしている点です。般若心経の解説書は世間にごまんとあふれ、何千字、何万字と費やして余計に解らなくしているのが多いですね。
私のホームページを見て頂きたいのですが、般若心経274文字だけで
般若心経を語る、いや、般若心経が自身で語る姿です。
30秒〜1分で解りますのでご多忙と思いますが是非御訪問をお願いします。
http://tokyo.cool.ne.jp/hannnya
320 :
名無しさん@3周年 :2005/08/19(金) 10:06:35 ID:739dfCMc
>仏教解体講座
グループの説明:6年前、現代思想家であり弁護士の山根二郎が書き下ろした大著「仏教解体」は、
初めての本格的かつ根底から仏教という闇のの本質を解明したことで、衝撃を与えたが、
いまその衝撃波は静かに世界に波及しつつある。 日本が近代国家として再脱皮するには、
どうしてもこの色即是空の呪縛から自由にならなければならないが、日本社会の現実はさらに閉ざされてゆくばかりではないか。 眼から鱗を落とした志ある人だけでいい、ここに集え。深く思考し、行動せよ。
・投稿用アドレス
[email protected]
321 :
名無しさん@3周年 :2005/08/19(金) 21:43:42 ID:WEjXgEwO
>>320 なにタワゴト語っているのだ。
日本に色即是空の呪縛などないわい。
322 :
名無しさん@3周年 :2005/08/20(土) 22:20:04 ID:zRCT/h/6
こんな質問無いかい? 空だからどうだって言うだ? この質問の答えは何だ?
323 :
名無しさん@3周年 :2005/08/22(月) 08:52:14 ID:hn4JVhXw
324 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 13:10:19 ID:YQOq9yvg
325 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 13:13:11 ID:QwwlgATl
摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩 依般若波羅蜜多故 心無礙 無礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若 波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経
326 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 13:16:11 ID:QwwlgATl
観音さまが修行によって深い智慧を完成した時、物体や精神には実体がなく 空であると悟り、すべての苦悩や災厄から抜け出すことができた。 舎利子(お釈迦さまの弟子)よ、物体は実体のないものであり、実体がない のが物体である。つまり、物体の本質は実体がないということであり、実体 のないものこそが物体なのだ。これは、感覚や意識といった精神的なことも 同じである。舎利子よ、すべての現象には実体がないのだから、生じること も滅することもない。汚いとかきれいということもない。増えたり減ったり することもない。物体もなく、精神や感覚もない、目に映る世界もなければ、 意識に映る世界もない。悟りを妨害するものもなく、悟りを促すものもない。 老いも死もないし、老いや死がなくなることもない。苦しみの原因もなければ、 苦しみを解決する方法もない。悟れないし、悟りもない。何もないのだから。 菩薩さまは、こうした深い智慧によって、すべてにこだわりがない。こだわり がないから恐怖もない。すべての誤った妄想からはなれて、究極の静寂の境地 となる。過去・現在・未来の仏さまも、この深い智慧の完成によってこのうえ なく優れた境地となった。この深い智慧こそが、比類なく最上の、すべてを明 らかにする真理の呪文である。これは偽りなく、本当にすべての苦を除く。 ここに、この深い智慧の呪文を示そう。 行ける者よ。行けるものよ。彼岸に行ける者よ。 彼岸にともに行けるものよ。悟りよ幸いあれ。彼岸に渡る智慧の教え。
327 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 13:21:12 ID:QwwlgATl
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 観音さまが修行によって深い智慧を完成した時、物体や精神には実体がなく 空であると悟り、すべての苦悩や災厄から抜け出すことができた。 ↓ 観自在菩薩が深い智慧の行により、「私の身体や心は(五蘊)は、 条件(因と縁)に依って存在しているのだ」と知ることができ、 すべての苦しみを断つことができた。
328 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 13:25:04 ID:QwwlgATl
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子(お釈迦さまの弟子)よ、物体は実体のないものであり、実体がない のが物体である。つまり、物体の本質は実体がないということであり、実体 のないものこそが物体なのだ。これは、感覚や意識といった精神的なことも 同じである。 ↓ 舎利子よ、身体(色)は因と縁により存在し、因と縁により消滅する。 それは、意識作用(受想行識)についても同じことが言えるよ。
329 :
神の教え子 :2005/08/23(火) 13:37:38 ID:zPjUVaPN
本当に、般若心経を理解している人は、極めて少ない。 自然界から抜け出して、初めて真意を知る。
330 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 13:38:04 ID:YQOq9yvg
スッタニパータ 948世間における諸々の欲望を超え、また克服しがたい執着を越えた人は、流されず、束縛されず 悲しむことなく、思い焦がれることも無い。 949過去にあったもの「煩悩」を枯渇せしめよ。未来には汝に何物も有らぬ様にせよ。 中間においても汝が何ものをも執しないならば、汝は「矢すらかな人」として振舞うであろう。 950名称と形態について、(我が物と言う思い)の全く存在しない人、また(何ものかが)無いといって悲しむことの無い人--------- 彼は実に世の中にあっても老いることが無い。 951「これは我が物である」また「これは他人のものである」というような思いが何も存在しない人------ 彼はこのような「我が物と言う観念が」存しないから、「我に無し」と言って悲しむことが無い。 952過酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩まされること無く、万物に対して平等である。------ 動じない人に付いて問う人があれば、その美点を私は説くであろう。 953動揺して煩悩に悩まされること無く、叡智ある人にとっては、いかなる作為も存在しない。 彼はあくせくした営みから離れて、いたるところに安穏を見る。 954聖者は自分が等しいものどもの内にいるとも言わないし、劣ったものの内にいるとも、優れたものの内にいるとも言わない。 彼は安らいに帰し、物惜しみを離れ、取ることも無く、捨てることも無い。 −−−−−−−と師は説かれた。 以上は般若心教の教説そのものである。
331 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 14:10:34 ID:YQOq9yvg
>>328 >↓
舎利子よ、身体(色)は因と縁により存在し、因と縁により消滅する。
それは、意識作用(受想行識)についても同じことが言えるよ。
次の判断が欠けていると思います。
だから、因なる実体も無く、果なる実体も無い。
「苦しみの原因もなければ、苦しみを解決する方法もない。」これが相当するか?
「苦しみの原因も無く、結果としての苦しみも無い」と言うのが正解で、判りやすいのではないでしょうか?
332 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 14:19:56 ID:j9uHnO2N
実体の無い物質からどうしたら感情が生まれるのでしょうか?
333 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 15:03:39 ID:YQOq9yvg
>>実体の無い物質からどうしたら感情が生まれるのでしょうか? 生まれませんと言うべきでしょう。色すなわち物質があるので、それに対応いして心すなわち受想行識 が生じたのです。ですから、色が無いなら心は生じないでしょう。 ところが凡夫は、色が有ると妄想し、それに対応して心が生じているのです。
334 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 15:06:53 ID:j9uHnO2N
では、因と縁により生じる「心」とやらはどこから生じるのか?
335 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 15:17:03 ID:YQOq9yvg
>>334 だから対象である色に執着することによって、生じ、執着そのものが心です。
336 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 15:23:41 ID:j9uHnO2N
では執着とはどこから生じるのか? その動機の存在そのものはなんであるか? 執着→物事に深く思いをかけてとらわれること。 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988
337 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 15:41:51 ID:j9uHnO2N
>>333 悟った仏さんには心が無いという事ですね?
338 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 15:45:41 ID:YQOq9yvg
>>336 それは「業」と言われるものだと思います。
しかし、それでは、業の発端は何かということになりますね。
339 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 15:58:58 ID:YQOq9yvg
業の発端は、種族維持本能だと思います。自然界は全てこれによっていると言えませんか? 物質にさえも引力と言うものが有ります。 でも、釈迦は、この本能が、相対的に存在する事に注目したんです。そうすると、実体の無いものであると いわなければならないと判断する事になったんですね。
340 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 16:01:20 ID:j9uHnO2N
では、「業」を消滅したほうが執着しないですむわけですね。 そうすると、「業」そのものの本質が問われてしかるべきだと思いますが?
341 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 16:18:04 ID:j9uHnO2N
>>339 失礼しました。では、整理しますと。
「種族維持本能」→「業」→「執着」=「心」
>この本能が、相対的に存在する事に注目したんです。
これは「因」「縁」に内在されていると言うことでしょうか?
342 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 16:23:29 ID:j9uHnO2N
結論としては、「種族維持本能」は実体が無いとういことでよろしいですか?
343 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 16:34:38 ID:YQOq9yvg
>>342 そういうことだと思います。
>>341 >これは「因」「縁」に内在されていると言うことでしょうか?
因縁は結果果報と相対するものです。
この本能がどのように相対的に存在するものかの質問ですか?
344 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 16:36:43 ID:j9uHnO2N
はい、宜しくお願いします。
345 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 17:08:14 ID:YQOq9yvg
>>344 種族維持本能を固体維持本能に修正します。
この本能はあると認識されるものであり、ない場合を考えると自己を失い恐怖を感じるものです。
あるものはないものと相対的に存在します。またこの本能は生まれたものであるから、生まれない状態と相対的に
存在します。
346 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 17:16:03 ID:YQOq9yvg
情欲(欲望)はこの固体維持本能です。
347 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 17:18:13 ID:j9uHnO2N
では、我々の本質は情欲と言うことですね。
348 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 17:33:54 ID:YQOq9yvg
そうです。これが生存の素因と言われるものだと思います。
349 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 17:59:53 ID:j9uHnO2N
方法論的(方便)には解りやすい理論ですね。
350 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 18:24:01 ID:YQOq9yvg
この生存の素因が実体のないものであることが知的に理解できたら、その理解に基づき 修行する事になるのだと思います。 この意理解に基づけば、不生不滅(無生法忍)といわれることもまた理解するでしょう。
351 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 21:01:46 ID:niYEJUSs
ありがとうございます。
352 :
名無しさん@3周年 :2005/08/23(火) 22:26:54 ID:YQOq9yvg
>>345 >またこの本能は生まれたものであるから、生まれない状態と相対的に
存在します。
生まれない状態ではなく、滅した状態です。滅した状態と相対的に存するのです。
353 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 10:32:14 ID:OSvlMrMs
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 舎利子よ、すべての現象には実体がないのだから、生じること も滅することもない。汚いとかきれいということもない。増えたり減ったり することもない。物体もなく、精神や感覚もない、目に映る世界もなければ、 意識に映る世界もない。悟りを妨害するものもなく、悟りを促すものもない。 老いも死もないし、老いや死がなくなることもない。苦しみの原因もなければ、 苦しみを解決する方法もない。悟れないし、悟りもない。 ↓ 舎利子よ、空の領域においては、物事には、生滅 垢浄(浄不浄)増減という 現象はない。それゆえ、空と言う観点から見れば、 色受想行識、眼耳鼻舌身意、色声香味触法 眼界〜意識界、 このような五蘊、六処、十二処、十八界も無い。 空の中にないとは、それらは「条件依存」で存在していると言うことである。 同じく、無明〜老死(十二の因縁)、無明〜老死(12にの因縁)が尽きること、 苦集滅道(仏教の原理) 智、得(智慧や智慧の獲得)。これらも、空の中にない。 すなわち、これらも「条件依存」で存在していると言うことである。 さらに言えば、これら(蘊、処、界、無明〜老死、苦集滅道、智慧、獲得された智慧など) は「私自身」ではない。身体も思いも執着も智慧も、その他上記すべては、「私自身」では 無いのである。
354 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 10:42:50 ID:OSvlMrMs
以無所得故 菩提薩 依般若波羅蜜多故 心無礙 無礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 ↓ 智慧の獲得でさえ、空であり、条件依存であり、恒常的な存在では ないのであるから、 菩提薩は、般若波羅蜜多によって 〜涅槃を得ることができた。 般若波羅蜜多とは、「彼岸に行けるすべての仏に呼びかけること」 そして「********」。
355 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 10:53:41 ID:OSvlMrMs
「私自身」は無始の昔から、無限の未来まで存在しているのである。 現在の「私自身」は、空なるもの(五蘊etc. 蘊、処、界、無明〜老死、など) に悩み苦しみ恐れている存在であるが、般若ハラミタにより、それらより 脱却した「私自身」になることができるのである。
356 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 13:14:15 ID:I5Yi/Eba
「私」であるかぎりは脱却ではないと思うが
357 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 14:10:37 ID:OSvlMrMs
>>356 仏陀、如来様は、もはや「わたし」じゃないの?
358 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 19:23:36 ID:8kmlVgHC
>>355 > 空なるもの(五蘊etc. 蘊、処、界、無明〜老死、など)
に悩み苦しみ恐れている存在であるが、般若ハラミタにより
ここは間違いじゃないのかな?
「五蘊etc. 蘊、処、界、無明〜老死、など」の有無に恐れを抱いているが、
空の真理である般若ハラミタにより、それら(五蘊etc. 蘊、処、界、無明〜老死、など)から
脱却した(私自身に)になることができるのである。と言うべきじゃないでしょうか?
サンユッタにカーヤT第2編第三章第六節赤い馬に次のようにあります。
「友よ、私は、世界の終局に達しないで、苦しみを消滅すると説くのではない。そうではなくて、
意識も備え心もあるこの一尋の身体に即して、世界そのものと、世界の生起と、世界の止滅と、世界の止滅に導く道とを説示するのである。
歩行したからと言って、何時になっても世界の終極に達することはできない。
世界の終局に達しないで、苦しみから離脱することはあり得ない。
それ故に、世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に
至る人となるであろう。
彼は悪を静めて、世界の終極を知り、この世をもかの世をも望まない。」と。
>>356--
>>357 五蘊を我「自分」だと誤解している人が、「私」という時と、仏様が、説法されるときに
今だ正覚を得ていない聴衆との会話の中で、「私」と言われるときがあるが、仏様の我「わたし」は
空性を指すと解すべきだと思います。前例の仏陀の説教をよく吟味してみょう。
359 :
355 :2005/08/24(水) 19:47:11 ID:OSvlMrMs
>>358 さん、コメントありがとうございました。
かなり難しいので、2〜3日考えて見ます。
サンユッタニカーヤの一節はとても面白そうですね。
360 :
名無しさん@3周年 :2005/08/25(木) 14:00:36 ID:qzn+CDEN
>>358 やはり無我の解釈の違いで、
わたしの場合は無我とは、「永遠普遍の輝かしい?我(アートマン)はない」。
すなわち「我」は六道輪廻し、時にはニルバーナを得る。と解釈。
あなたは、無我すなわち「本来我は無い。凡人は思い間違っている。
悟れば我が無いことに気づくはず」と思ってらっしゃるみたいですね。
流転する「我」はあるんですよ。 と私は言う。
361 :
名無しさん@3周年 :2005/08/25(木) 14:06:13 ID:qzn+CDEN
>>358 世界の終局の話は、不思議で示唆的ですね。
いままで一度も目にしたことの無かった言葉です。
とても意味深い言葉のように思えます。
362 :
名無しさん@3周年 :2005/08/25(木) 20:56:30 ID:iO4wAt8I
>>361 世界の終極とは、空の境地の完成です、と思います。
世界の真相は、空ですから、世界を知った事になります、それを一切知と言うのだ、と思います。
どれだけアインシュタインが、いろいろな原理を発見したとしても、それらは相対的に存在しているものに他ならず、
だとすれば、空であり、あるものではないのだ、と思います。アインシュタインは縁起(相対的存在)を発見したに過ぎない、
と言わなければならないと思うんです。
西洋では、相対的存在を発見していますが、それが相対的故に、実体の無い、空なものであるとの、判断がなされていないんですよね。
いや、ただ一人を除いてですが、それは、古代ギリシャのパルメニデス、です。
363 :
名無しさん@3周年 :2005/08/25(木) 21:04:02 ID:iO4wAt8I
ソクラテスの無知の知も仏教の空であるから一切を知ることができない、一切を知らないのが 真実であると言う真理と同じものの可能性が大きいです、と思いますね。 ただソクラテスの場合、無知の地の自覚が彼自身から生じていないんです。 それ故に彼は、釈迦やパルメニデスのように、人の解き明かせなかったのですよね。
364 :
法華講様 :2005/08/25(木) 22:07:57 ID:bCpxvTj0
般若心経は女性は成仏できません。
365 :
名無しさん@3周年 :2005/08/25(木) 22:25:24 ID:iO4wAt8I
そんなことないでしょう、五蘊は女性も男性も差別なくあるのですし、 その五蘊が空であるといってるのです。男女の差別を排しています。 どう言う意味なんでしょうか?
366 :
法華講様 :2005/08/26(金) 11:22:00 ID:rhsD8eHs
空で男性に生まれ変わらないと成仏を認めてません。
367 :
名無しさん@3周年 :2005/08/26(金) 14:33:42 ID:Iq3KbWTb
何処にそんな根拠がある_?
368 :
名無しさん@3周年 :2005/08/26(金) 17:46:26 ID:Iq3KbWTb
>>366 仏教を知らない日蓮の妄想を信じているんじゃないの?
369 :
名無しさん@3周年 :2005/08/26(金) 18:30:44 ID:VW/HONp4
>>364 >>366 法華経は後世に書かれた経典ですから、よく吟味する必要が
あると思います。初期の経典では、男女の区別無く、在俗の区別無く、
涅槃の世界に至る。と書かれています。もちろん在家の人は、出家の者より
遅れるわけですが。例えばブッダに乳粥をご供養したスジャータなども、
ちゃんと良き世界に行ったと書かれています。
370 :
名無しさん@3周年 :2005/08/26(金) 20:32:24 ID:Xd232+m0
法華経こそ最高の教えです。般若心経は捨てて下さい。 真宗では般若心経をよむのを禁じています。
371 :
名無しさん@3周年 :2005/08/26(金) 20:41:00 ID:Iq3KbWTb
またまた仏教を知らない人が出てきたんじゃないの? 大教の、仏の知恵を疑ってはならない、仏の知恵を疑って善行をなしたものは、 蓮華の蕾の中に500年間閉じ込められると教えられているのを知らないの? この仏の知恵とは、般若の知恵じゃないの?
372 :
名無しさん@3周年 :2005/08/26(金) 21:31:54 ID:Iq3KbWTb
正法とは般若の知恵なんです。これは浄土の入り口にあるもので、これを疑ったり誹謗するものは、 浄土にはいれないんです。
373 :
名無しさん@3周年 :2005/08/26(金) 21:40:21 ID:EJ9Hjmrq
ニョニン成仏を否定しているかのように見えるのはむしろ法華なんだが。
374 :
名無しさん@3周年 :2005/08/26(金) 22:07:46 ID:Iq3KbWTb
日蓮は仏教会のキチガイ。ホントの意味でキチガイ。日蓮から離れなさい。 日蓮を捨てなさい。
375 :
名無しさん@3周年 :2005/08/26(金) 22:16:24 ID:Iq3KbWTb
法華経とは般若の知恵を教えるものです。ところがそれに成功していないんです。 クマラジュのものと、梵文と比べるとよく判ります。般若心教は法華経以上の法華経です。
376 :
。。。 :2005/08/27(土) 09:37:41 ID:vo23Zun5
>>374 日蓮聖人は法華経を仏陀の教えだと信じきっていたんです。
でも、それはず〜と後世になって捏造されたお経だった。だから
だまされちゃったんですよね。
例えば大涅槃経という経典がありますが、先日、全3巻丸ごと売
ってたので買ってしまいました。
本の少し読んで愕然。詐欺師の文章ですよ。仏教寺院に溜まった
経読み屋がいかに信者から金を巻き上げるか、というマニュアル
のような経典。
ヒトの心は恐ろしいですね。
やはり仏教を学ぶ場合は、初期仏典(ニカーヤの類)をしっかり読んで、
仏陀の基本的な考え方を心得てから、後世の仏典を読まないと、すっかり
だまされてしまいますよ。
般若心経は素晴らしい教典ですよ。
377 :
。。。 :2005/08/27(土) 09:54:19 ID:vo23Zun5
>>376 続き、大はつ涅槃行の抄訳なんかはわりと素晴らしいですよ。
(雲井正善先生訳)いいところばかり取っているから。初期仏典の
「仏陀最後の旅」(岩波文庫、中村元訳など)にとても似ているしね。
でも、全訳読んで、ひどい詐欺師の口調にびっくりした。
あのころから、お供えや供養にたかる「仏教詐偽」は始まってたんだね。
378 :
名無しさん@3周年 :2005/08/27(土) 12:22:12 ID:dM5OoRE5
>>377 日本仏教は、「念仏」南無阿弥陀仏と「唱題」南妙法蓮華経が多数派である。
379 :
。。。 :2005/08/27(土) 12:55:36 ID:vo23Zun5
>>378 どちらも免罪符仏教ですよね。
どんな行いをしようと、どんなに怠惰であろうと、
「なむあみだぶつ」「なんみょうほうれんげきょう」で救われる。
でも、お釈迦様はそういうことは教えていない。
「自分の積んだ業は、自分で摘み取るしかない」
「善い事をすれば良い果実を得るし、悪い事をすれば苦い果実を得る」
380 :
。。。 :2005/08/27(土) 14:57:40 ID:vo23Zun5
阿弥陀仏+善因良果、悪因苦果の教え=仏陀の教え
381 :
名無しさん@3周年 :2005/08/27(土) 14:59:38 ID:Hn8tKU/M
ブッタの教えは宇宙の真理を理解して真理に目覚める事なんじゃないの?
382 :
名無しさん@3周年 :2005/08/27(土) 15:00:14 ID:Hn8tKU/M
ブッタといより仏教。
383 :
名無しさん@3周年 :2005/08/28(日) 13:02:19 ID:ADOA978h
>>376-
>>377 私も大はつ涅槃経を読んだことがあります。
私の感想では、大乗経典の中では、より現世に密着した教えであると思いました。
より具体的で、どちらかと言うと、原始経典に近いのじゃないかと思いました。
それで大乗経典の中では、空の真理をよく理解しているなら、手元に置きたい経典と思いました。
「でも、全訳読んで、ひどい詐欺師の口調にびっくりした。 」という事ですが、
そこはどんなところですか、よろしければ、明かしてください。
384 :
名無しさん@3周年 :2005/08/28(日) 13:11:43 ID:d9NrroCe
>>381 でも、宇宙の真理を知ることが目的ではありませんよ。
苦悩の原因を消して苦悩を消すのが目的です。
その目的のための手段として、真理を説くのです。苦しみの解決に関係のない真理については、仏教の守備範囲ではありません。
385 :
名無しさん@3周年 :2005/08/28(日) 13:18:49 ID:d9NrroCe
すぐには真理を覚れないような人でも、念仏などを信じて苦悩が消えれば、それはそれでOKだと思います。
386 :
名無しさん@3周年 :2005/08/28(日) 13:59:50 ID:ADOA978h
原始経典において、仏教を即効性のあるものとされています。 どうしてそうなんだろう?このことが判らないなら、仏教を判っていないのであると思う。 私は、それは、一切が空であるという教えにあると思う。直ちに欲の思いを止めることができる。 過去を後悔することを止めることができる。未来を心配することを止めることができる。 これは空の真理を理解することに始まる。空の真理を理解しないならば絶対にできない。 このほかに即効性をもたらす教えがあるのでしょうか?
387 :
名無しさん@3周年 :2005/08/28(日) 16:10:31 ID:ADOA978h
>>384 無記ということをさかんに論じられ、説明されない部分があるように論じられるが、またきでんのように「苦しみの解決に関係のない真理については、仏教の守備範囲」
と言われるように、仏陀の世界に闇の部分若しくは、説明しない部分があるように論じられるが、それは間違いであると思います。
もしそうなら、説明される部分と説明されない部分がある事になり、それらは相対的に存在するものとなり、
両者とも空なるものといわなければならないのです、そのように判断することを仏陀は説かれたからです。
一切は空であるという教えに、全ては服していると思います。
388 :
名無しさん@3周年 :2005/08/28(日) 17:52:52 ID:d9NrroCe
>>387 一切は空であると説くのも、執着を断って執着に伴う苦悩を消し去るためですよね。
一切のことについて知り尽くしたい…という哲学青年の知的好奇心を満たすために、一切について説明するわけではありません。
なぜそのことを強調するかというと、たとえば「宇宙の謎について現代科学のほうが詳しく説き明かしているから、古くさい仏教はもう不要だ」などと言う人がしばしばいるからです。
そういう人は、仏教が宇宙の真理を知るための知識だと勘違いしているのです。
宇宙の真理は目的ではなく、あくまで手段です。苦悩の原因になるならば、真理を知りたいという欲すら捨てねばなりません。賢くて不幸よりも、バカでも幸せなほうがいいからです。
389 :
名無しさん@3周年 :2005/08/28(日) 20:22:27 ID:ADOA978h
>>366 賢くて不幸よりも、バカでも幸せなほうがいいからです。
上は問題ある発言と思いますが。
原始経典でも、大乗経典でも、それから、キリスト教の新約聖書でも、
忍耐を説いています。究極の忍耐をです。左のほほを打たれたら、右のほほを差し向けよ。
上着を奪うものから取り返そうとせず、下着をも与えよ。仏教では、ののしられても、殴打されても、
殺されても耐えよ。キリスト教でもこの意味で十字架の苦しみに耐えたのではなかったですか?
あなたは、上の忍耐している人を馬鹿と言いますか、賢いと言いますか?
390 :
名無しさん@3周年 :2005/08/28(日) 22:37:25 ID:d9NrroCe
ですから、賢くてもバカでもどちらでもいいじゃないかと言ってるだけですよ。バカになれと言ってるわけではない。 忍耐強い人は賢いと思います。忍耐強い人は、失敗が少ないので苦悩も減るでしょう。
391 :
名無しさん@3周年 :2005/08/28(日) 23:28:23 ID:ADOA978h
すごく難しいところに違いないとは思います。
>>389 の様に忍耐がなぜ勧められているかというと、一切が空である(25来ることもなく、行くこともなく、生ずることもなく、
没することもない。住して留まることもなく、依拠することもない。------------、それが苦しみの終極であると説かれる。感興の言葉第27章」)
から、抑圧するものなどない、と言うのが真実だからだと思うのです。忍耐によって、自分の空の境地を、不完全な状態から、究極の完全な
境地に至ることになるからだと思うのです。無理な理屈の様に思えますね。w
392 :
。。。 :2005/08/29(月) 11:51:33 ID:unPszawx
>>383 私の買ったのは、かなり分厚い本、全三巻でした。
一冊7〜8千円。3×8=2万4千円?痛かった。
最初から長々と供養の効用が説かれる。その供養に当たって、
仏陀や諸尊、諸仏がどのように姿を変えるかを語る。
たとえ卑劣なこじき坊主のように見えても、それは仏様の変化身かも
知れないんだよ。
そういうことが長広舌で書かれている。
数日頑張って読んだけど、捨ててしまったんですよね。古本屋も
仏教書は買わないだろうし、もし買ってくれたとしても世間に害毒を
残したくなかったから。
大はつ涅槃経だと思うのですが。違ってたらごめんなさい。
(何しろ捨ててしまったので)
393 :
。。。 :2005/08/29(月) 11:54:28 ID:unPszawx
>>383 薄い一巻の本、雲井正善?先生訳、は全漢字ルビつきですが、
まあ、良い本だと思いました。内容も「仏陀最後の旅」岩波書店と
あまり変わらないし。これは抄訳みたいですね。
394 :
。。。 :2005/08/29(月) 11:59:07 ID:unPszawx
>>381 真理といっても内容がありますよ。
1.善因良果、悪因悪果(苦果)の理。
2.因と縁の法則。無明から始まり老死に終わる十二の縁起。
因と縁の基礎法則として、これあればこれ有り、、云々。
、、長々とは書きませんが、10項目くらいの基本原理が真理として
教えられていると思います。
395 :
。。。 :2005/08/29(月) 12:29:07 ID:unPszawx
>>387 無記調べてみました。
釈尊は、次の十の問題に対しては答えなかったと言われる。
これを十無記という。
(一)世界は常住であるか
(二)世界は無常であるか
(三)宇宙には限界があるのか、
(四)限界がないのか
(五)霊魂と肉体は同じであるのか
(六)霊魂と肉体は同じでないのか
(七)死後に精神は存続するのか
(八)死後に精神は存続しないのか
(九)死後に精神は存続し、また存続しないのか
(十)死後に精神は存続することもなく存続しないこともないのか
。。。。。。。。。。。。。。。
死後の主語がありませんが。
如来の死後、人の死後。と文献によって違うみたいです。
原文は「タターガタ」だそうですが。
素直に読めば、如来の死後はどうなるのですかという質問だと思うけど。
どうしても「人の死後も無記」にしたい人は「人」と訳すみたいです。
396 :
。。。 :2005/08/29(月) 12:35:03 ID:unPszawx
>>387 このように無記はとても限定的です。
お釈迦様はあらゆる問題に関して明確な回答をされたみたいですよ。
397 :
。。。 :2005/08/29(月) 12:37:20 ID:unPszawx
原始仏典を読んでいると、ニルバーナを得た弟子達、すなわち如来になった 弟子達の死後は語ってないです。表現のしようが無いみたい。 如来にまでは至らなかった弟子達の死後は、ちゃんと語ってますよ。 〜と〜は紅蓮地獄に落ちたとか。〜は天の良き所に生まれたとか。
398 :
名無しさん@3周年 :2005/08/29(月) 22:11:06 ID:Kb7vd+Km
>>396 私も釈迦は充分に形而上の問いに答えていると思います。それは明らかですよ、一切は空であるとしているのですから。
しかし、毒矢の例えの教えも、その通りだと思います。そこで私が思うに、釈迦は、質問者と
形而上の議論をしたくなかったのだと思うのです。質問者にはそのような議論はふさわしくないというわけで。
彼には、四諦の法門がふさわしいと感じられたのでは、と思います。しかし、四諦の法門を
説くときには、やはり中道の説明をしなければならないのではないでしょうか?中道の説明は空の説明にならないでしょうか?
どうも、やはり、この無記の経典は「?」だと思いますね。
399 :
名無しさん@3周年 :2005/08/30(火) 08:16:37 ID:1JPng6n7
>>392 >最初から長々と供養の効用が説かれる。その供養に当たって、
仏陀や諸尊、諸仏がどのように姿を変えるかを語る。
たとえ卑劣なこじき坊主のように見えても、それは仏様の変化身かも
知れないんだよ。
そう言えばそんなところがありましたね。しかし釈迦仏のほんのかすかな残りでも
大事にすると言う趣旨ではなかったでしょうか?それは、釈迦仏の遺骨の些細なものでも大事にすると言うようなものとして。
400 :
。。。 :2005/08/30(火) 10:45:08 ID:PJ50O/bz
>>399 原始仏典にはかなりなじんでいるので、とても大きい違和感を
感じたことは確かでした。こうやって「大乗?が発展?」したんだなと。
原始仏典の記載はとても直裁です。供養する場合も、ちゃんと道の人か
どうかを見極めよと書いていますしね。
でも、手元に本がないので、議論のしようもありませんが。
また、書店に行く機会があれば、ちょっと読んでみます。でも「仏陀最後の旅」
を読めば、釈迦の滅時の状況は十分に分かると思うから、あまり必要ないような
気もします。
401 :
阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/08/30(火) 18:49:08 ID:Wi9N5C2o
402 :
阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/08/30(火) 18:50:48 ID:lCPe5Cxt
誤爆失礼致しました。
403 :
名無しさん@3周年 :2005/08/30(火) 20:04:23 ID:1JPng6n7
404 :
名無しさん@3周年 :2005/08/30(火) 20:55:10 ID:QbYjuWAi
般 羯 多 呪 多 得 想 掛 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観 摩 若 諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自 訶 心 羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在 般 経 諦 説 一 神 多 涅 掛 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩 若 呪 切 呪 羅 槃 礙 提 盡 無 意 是 是 是 一 薩 波 ___ 波 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行 羅 ,;f ヽ 羅 真 大 藐 世 無 陀 苦 明 色 空 法 空 苦 深 蜜 i: i _.,.,_ .羯 実 明 三 諸 有 依 集 亦 聲 中 空 即 厄 般 多 | ,,,,,_ ,,,,,,| ///;ト, 提 不 呪 菩 佛 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若 心 |r-==(三);(三) ////゙l゙l 虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波 経 (. ヽ :::__)..:: } l .i .! | 波 故 無 故 般 遠 波 無 明 觸 無 生 受 子 羅 ,,∧ヽ ー== ;. | |.| .羅 説 上 知 若 離 羅 智 盡 法 受 不 想 色 蜜 /\..\\___ !, { .ノ.ノ .僧 般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多 / \ \ ../ / .| .羯 若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時 諦 波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照 羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見 菩 蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五 提 薩 婆 訶
405 :
名無しさん@3周年 :2005/08/31(水) 08:42:36 ID:BDw6pFve
>>403 誤読でした。「ふざけるな、邪魔物!引っ込んでろ!」を取り消します。スマソ。
406 :
。。。 :2005/08/31(水) 09:41:05 ID:ZQjkOD0/
供養とその受け取り手、これが問題ですね。
407 :
名無しさん@3周年 :2005/09/01(木) 19:15:15 ID:5pv30gfT
>>406 供養と布施とはどの様に違うのでしょうか?
供養とは、正しい修行僧を尊敬し養うことで、布施とは、欠けている為に困っている人を満たしてやること
でしょうか?
「福田」とは、どう言う意味でしょうか?
福を生み出す畑と言う意味なら、そこに種を植えることが必要です。その種から
芽が出て成長し、自分に大きな収穫をもたらしてくれる、と言う意味でなければならないと思います。
408 :
名無しさん@3周年 :2005/09/01(木) 20:26:36 ID:5pv30gfT
正しい修行僧をどうやって見分けるのだろうか、我々凡人に?
409 :
名無しさん@3周年 :2005/09/02(金) 08:07:10 ID:/Yc7SJ34
正しい修行僧って、 観自在菩薩のような人です。
410 :
。。。 :2005/09/02(金) 09:39:53 ID:DMy0oJEY
>>407 同じ意味じゃないかと思うのですが。
生きている人(僧や一般のひと)には布施、無くなった方(先祖や仏様)
には供養を使うような気もするけど。
お与えするとお供えするの違いで、行為としては同じじゃないでしょうか。
(あまり詳しく知りません)。
福田とは、如来や正しく法を守る僧侶に供養すると、信者に徳が授かる
という意味だと思います。世間福と「心が澄み、良き所に生まれる」
という徳が得られるみたいですね。
411 :
名無しさん@3周年 :2005/09/04(日) 10:33:16 ID:5HoZbTH4
極楽浄土では今現に仏様は、法を説いておられると言う。法を菩薩たちに説いていると言うことは、 仏様が、法を布施されていると言うことだ。このことは、仏様が、菩薩たちに供養をしておられると言う意味でもあろうか?
いきなりこいつアホか?って思われるかもしれないけど 宇宙人とリモートビューイングで接触した人が 宇宙人から聞いた、宇宙摂理というか大宇宙の法と 般若心経がどことなく似てる ただ、地球人より3000年程度の進化したヒューマノイド型宇宙人の話で もっと進化した宇宙人(グレイ型、もっと進化すると体をもたない霊体みたいなものらしい) の話高度すぎて、地球人の知的レベルだと理解不可能らしい。 真偽は眉唾だが、読み物としては面白かった。 大宇宙にはきっと人類以外の生命体が存在する そして、その生命体が地球人よりも遙かに進んだ文明を築いている可能性もある その宇宙の隣人達が地球人の前に現れたら面白い 神や仏の概念は大きく変わるだろうな・・・ きっと般若心経の内容も進化の途中で 人類が知り得る通過点だと思う その先に何があるのか知りたい・・・ と思う人は異端ですか?
413 :
名無しさん@3周年 :2005/09/12(月) 19:10:47 ID:n23g0rbp
>>412 > きっと般若心経の内容も進化の途中で
人類が知り得る通過点だと思う
その先に何があるのか知りたい・・・
と思う人は異端ですか?
存在しているもの、過去に存在したもの、未来に存在するだろうもの、これらは全て、
縁起によってあるもの、と言うのが仏教であると思います。縁起している存在なら、
実体あるものとして存在していないでしょう。幻の様に取り柄のないものなのです。
自らを含んだ一切がそのような実体のないものだと言うのです。これを仏教の「空諦」と言います。
般若心教はこの「空諦」を述べているものです。
今あなたが、「その先に何があるのか知りたい」と言われていますが、その先にあるだろうものは、
縁起しているものであることは疑い得ないのではありませんか?だとすればそれは実体のないものです。
ですから何か有るかもしれないと思う点で、異端であると言わなければならないでしょう。
以下は知恵の完成についての抜粋です。
知恵の完成とは、空諦を体得することだと思います。
15、あらゆるものが無辺であることから、知恵の完成も無辺であると知るべきである。
物質的存在はあらゆるものにある無辺なるものの本性であり、感覚、表象、
意欲も同様であり、思惟もあらゆるものにある無辺なるものの本性であるからである。
16、空性が無辺であることから、知恵の完成も無辺であると知るべきである。
物質的存在は空であって、無辺なるものの本性であり、感覚、表象、
意欲も同様であり、思惟も空であって、無辺なるものの本性であるからである。
17、心や心の作用が無辺であることから、知恵の完成も無辺であると知るべきである。
物質的存在は心と心の作用の無辺性であり、感覚、表象、意欲についても同様であり、
思惟も心と心の作用の無辺性であるからである。
18、心の動きが無辺であることから、知恵の完成も無辺であると知るべきである。物質的存在は心の動きの生起であり、感覚、表象、意欲も同様であり、思惟も心の動きの生起である。
聖なる(八千ジュ般若経)のうち、「知恵の完成への随順」
アホな質問に答えて下さったどうもありがと 何度か読んだけど、難しいですね・・・ 簡単にわかったら、過去の偉人達に申し訳ないと言い聞かせて 自分の能力のなさを誤魔化します 話をリモートビュアーに戻しますと 高度に進化した宇宙人の思考はフェードイン (何やら相手と同化して考えている事をくみとる技術らしい) しても言語化できるレベルのものではなく 地球上のどの宗教も持ち得ない、まったく新しい概念で ただわかるのは、人間という種がそこへ到達するのには、 気の遠くなるような年月が必要だろうなという事だけらしいです。 その宇宙人がいうには、現存する地球人ではまだ誰も理解できてないとの事。 今はまだない概念、だから言語化できない その著者も苦しそうだった。猿が人間を理解しようとするぐらい難しいとかw そこへ到達する前の段階の、3000年ぐらい進んだ宇宙人が話してたのが 観音様が言われてる事に凄く似ています。 というか、多くの宗教家はリモートビュアーだったって書かれてる 都合がいいw まあ、バカみたいな話しで、僕自身、読み物として楽しんでますが・・・ しかし、リモートビューイング系の本って怪しいですねw これからの宇宙時代、また火星への探査機も打ち上げられます いつ地球外生命体の痕跡が見つかるかわかりません その時は怪しいニューエイジ宗教には気を付けないと と自戒しておきます。
415 :
名無しさん@3周年 :2005/09/13(火) 20:36:47 ID:WBHjwecE
416 :
般若 :2005/10/03(月) 02:11:20 ID:vJ5vFBSF
417 :
般若 :2005/10/03(月) 02:14:35 ID:vJ5vFBSF
『般若心経完全マスター・バイブル』を無料公開しているお寺、空王寺です。般若宗という新しい仏教宗派で、万教帰一思想を標榜し、ラーマクリシュナやサイババを聖者だと認定している仏教宗派です。
418 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 08:09:33 ID:VHaN7vkw
この様な団体を作ったお心に敬意を表します。
419 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 17:26:25 ID:VHaN7vkw
だけども、極楽浄土って、何処が楽しいのか? 確かに、食う心配はないし、死ぬ心配もない。 また、苦しみもない。 悟りの世界とは極楽浄土のことだよ。 喜びの極みであると経典には説かれているけどね。
420 :
名無しさん@3周年 :2005/10/08(土) 22:26:25 ID:sCmR05Wa
虎穴にいらずんば虎児を得ず
421 :
hannnya :2005/10/09(日) 16:20:56 ID:vZV0r3Pm
422 :
hannnya :2005/10/13(木) 04:33:48 ID:ZAAA0+oN
423 :
名無しさん@3周年 :2005/10/16(日) 22:01:02 ID:sqtw4ETz
>>421 >>422 どっちもどっちだな。全然オッケーじゃない。
般若心経を標榜するサイトには『トンデモ』的なのが多いので用心されるよう。
ちょっと改良してみますた。 マターリハニャーン心経 (・∀・)が修行によって深い智慧を完成した時、 物体や精神には実体がなくヌルポであると悟り、 すべての「(゜∀゜)アヒャアヒャ」や「(゜д゜)ゴルァ」に (・∀・)カエレと言うができた。 とにかくみんなヌルポなにょな。そう思えば鬱だ氏のぅも何もないにょだYO! 物体は実体のないものなにょ、実体がないのが物体なにょな 感覚や意識といったなことも同じなにょな(-_-) みーんな実体がないわけだから、生まれもしない滅びもしないにょ、 汚くもならない浄くもならないにょ、増えもしない減りもしないにょ、 当たり前の話だ(゜д゜)ゴルァ。 精神や感覚もないにょ、(-_-) 目に映る世界もなければ、意識に映る世界もないYO!(-_-) ヌルポを妨害するものもなく、ヌルポを促すものもないにょ。 老いも氏もないし、老いや氏がなくなることもないにょ。 鬱だ氏のぅの原因もなければ、鬱だ氏のぅを解決する方法もないにょ。 ヌルポの完成によって、すべてにこだわりが無くなるにょ、 こだわりが無いから怖いものナシだにょ。 誤った妄想からはなれて 究極キタ--ヽ(゜∀゜)ノ--!! 静寂の境地キタ--ヽ(゜∀゜)ノ--!!となる 過去・現在・未来の(・∀・)も、この深いヌルポの完成によってこの うえなく優れた境地となったにょ。 この深いヌルポこそが、比類なく最上の、 すべてを明らかにする真理の呪文であるにょ。 これは釣りはなく、本当にすべての鬱だ氏のぅを除く。 ここに、この深いヌルポの呪文を示そう。じゃあ唱えるぞ。 「逝ってよし、逝ってよし、もまいらみんな逝ってよし。漏れもなー」 ハニャーン心経
(・∀・)が ↑って言うのが(・∀・)イイ!ですね
正直、般若心経は俺には荷が重い orz 頭では荷などないと分かっていてもなw
(・∀・)つ【日に用いてしらず】
(・∀・)が(・∀・)の心に生じ滅するよしなしごとを そこはかとなく観察している時 (・∀・)に(・∀・)!が生じ (・∀・)はついに悟り観た 全部空想だ、 と。
430 :
名無しさん@3周年 :2005/10/22(土) 08:37:36 ID:8iJLBXau
般若心経を極めるどころか、脱線の連続だな。
いそがばまわれ
>>414 遅レスですか
あなたが読まれたのはコズミックなんとかっていう本ですか?
般若心経って、宗教や神様によって唱えてはいけないってあるのですか? 仏教だけでしょうか?家に仏壇無かったら?どこで唱えるのでしょう?
>>434 >>家に仏壇無かったら?どこで唱えるのでしょう?
心で唱えろ
心も空ですが
437 :
名無しさん@3周年 :2005/10/25(火) 21:47:55 ID:8QSbxRZP
>>432 空海の著作ですね。ご苦労様なサイトですな。
>>434 般若心経は自力の経典ですから、他力を立てる宗派では誦んではいけません。
浄土真宗とかがそうだな
なむあみだぶつは極めようがないってことかな
440 :
名無しさん@3周年 :2005/10/26(水) 02:05:29 ID:Cbq7EOzh
>>439 ついにきみはまさに今その真実を悟ったのだ
>般若心経は自力の経典ですから、他力を立てる宗派では誦んではいけません。 すみません、お答えいただいたのに、自力の経典がわかりません。 自力で生きて行くというような事でしょうか?
442 :
名無しさん@3周年 :2005/10/26(水) 05:19:16 ID:G4z0uS2M
>>441 他人に依らず自分で考えろ
あんたは
それはあなたが死ねば良いのということですという答えを
問うた人から聞いたら
死ぬとでもいうのか
>442 やはりそれは無い。おそらく自分に都合が悪いから。 >他人に依らず自分で考えろ の続きにその例がくると意味がわかんなくなったのは バカなのか?
>>443 バカとキチガイで解決すればそれはきっと万能の答えだけれども
その答えほど内容のない答えも自分はそんなにしらない
>>443 でも自分は悪気や悪意やからかいや悪ふざけや怒りを
あなたに対し抱いているところは全く無いのです
それは本当です
>>443 然しながら例えばそう在り得ないことであるのだけれども
仮に誰かに真実を教えてもらったとしても
その内容が
>おそらく自分に都合が悪いから
ということであればそのようなことは決して信じないし実行することもない
のだとすると
得られる答えは
それが真実であったとしても虚実であったとしても
むしろその真偽など本当はどうでもよくて
自分に都合が良くて不都合が少ない答えを自分以外の誰かから
聞けさえすればいいのだから
もしそうであるならばそれが利になるのかという問題が生じると。
447 :
名無しさん@3周年 :2005/10/28(金) 20:15:55 ID:ScOjQW4F
>>441 自力とは、自ら努力して仏陀になろうとすること。
他力とは、自ら努力しないで阿弥陀如来の計らいに一切をゆだねるということ。
デアエタコトダケデモスバラシ(・∀・)イイ
450 :
名無しさん@3周年 :2005/10/28(金) 21:36:36 ID:ScOjQW4F
百千萬億劫にも遭い遇うこと難し
そですりあうも たしょうのえん(・∀・)!
452 :
名無しさん@3周年 :2005/10/30(日) 20:31:30 ID:+gPnnTFI
すべては縁じゃ。因縁和合の果であるから空という。
返す返すも、すべては円じゃ!の一職業と化した坊さんたちの存在は せっかくのブッダの教えのイメージを、大いに大いに損ねてるなぁ・・・・。
悪くても信じるというか、受け取りますね。 悪かったら「決して」信じないではなくて「死にます」は悪すぎるからというか、 何か今後かえられないような、死なないようどうするかじゃなくて 「しぬ」限定みたいなら信じない・信じた方が死ぬみたいな。 だから信じないんだと思う。 みんなそうっしょ。信じるからこんなとこ来てんだし、 でもここ来てる人みんな死ぬって予言信じんのかって言われたら 少ないと思う。でも、悪いの全否定もしないんのでは? >自分に都合が良くて不都合が少ない答えを自分以外の誰かから 聞けさえすればいいのだから もしそうであるならばそれが利になるのかという問題が生じると。 利になるでしょう。どれを受け止めるか自分で判断してるから。ん? 言いたい事がまとめられん。。。 悪いの受け止めないで直さないのもそのまま悪い方行きそうだが、 だいたいうまく判断できるんじゃ? 死ぬ信じちゃうほどうけとめんのもどうかと思うし。 それいったら自分の悪い事直さず受け入れないのか、になるし。 信じるタイプです!っつたらなんで自分で決めないんだよ、 死ぬっていわれたら死ぬんか〜い、になるし。 みんなバランス持ってる。
>>454 ほら、ちゃんと自分で考えれる人じゃないですか。
457 :
454 :2005/10/31(月) 19:16:26 ID:NrLuTHNt
何か自分で言いたい事まとまってないかんじだったのに みんなレスありがと。
(・∀・)つ【無無明亦無無明尽】
459 :
名無しさん@3周年 :2005/11/01(火) 22:10:15 ID:mCcLBqUf
無智亦無得
>>458 >>459 無無明亦無無明尽
無智亦無得
何故か気持ち良いですねこの2つ
(・∀・)つ【無と亦】が好きなのかもしれません
(・∀・)つ【無無明亦無無明尽】 →◎ (・∀・)つ【是故空中無色】 →△ 視覚的キモチヨサ
464 :
名無しさん@3周年 :2005/11/04(金) 21:59:36 ID:R+eCFyD2
心の病気のいとこがいて、般若心経を教えてあれげば 少しは楽になりそうな気がするんですが、人の話を聴いてくれません。 宗教っぽくなく教えるにはどうしたらいいでしょうか? スレ違いでしたらごめんなさい。
466 :
名無しさん@3周年 :2005/11/05(土) 01:19:49 ID:ZXgnqSzH
>>465 難しいですね・・。
専門用語を避け、なるべく今風の言い回しで少しづつ、さりげなく話すと良いかと。
こんな事しか書けなくて申し訳ありません orz
467 :
名無しさん@3周年 :2005/11/05(土) 10:33:29 ID:2zp++dNa
宗教っぽさを避けたいなら、般若心経はだめです。 宗教そのものですから。 カウンセリングとかヒーリングが必要なら、別のスレを探したらどうでしょう。
468 :
名無しさん@3周年 :2005/11/06(日) 00:58:50 ID:C9zKnumY
(・∀・)つ【無無明亦無無明尽】
469 :
465 :2005/11/06(日) 01:03:57 ID:/fbt2HvV
レスありがとうございます。 これも何かの因縁で、、 自分に与えられた修行だと思うことにします。
470 :
名無しさん@3周年 :2005/11/06(日) 21:06:28 ID:nWmAaWN0
>>465 般若心教は、心の病ばかりでなく一切のものは無い、一切のものに働く命は無い、個性は無い、
実体は無い、頼るべきものはもともと無い、病気は無い、病気になる自分も無い、肉体も無い、得るものも無く、
捨てるものも無く、持っているものも無い、とこの様に言ってませんか?
これは実に道理により帰結する真理だと思います。これを科学と呼ぼうが、宗教と呼ぼうが、
どうでも良いのです。過去の罪もなくその結果を受けることもないのです。
それを受け入れ様としないのなら、あなた自身が、その様に接するのはどうでしょうか?徐々に。
471 :
465 :2005/11/07(月) 22:59:45 ID:lSaI17u/
私が般若心経を知ることが出来たのは彼のおかげなんです。
>>470 さんのお話良く分かりました。ありのままに受け入れます。
472 :
名無しさん@3周年 :2005/11/08(火) 22:35:56 ID:24V5Orak
ムチャですね。 あなた自身、もっと深く学んでからにしたほうがいいと思いますよ。
473 :
名無しさん@3周年 :2005/11/08(火) 22:38:38 ID:v+eWLQEw
474 :
名無しさん@3周年 :2005/11/09(水) 00:07:50 ID:bnHs9XHO
475 :
名無しさん@3周年 :2005/11/09(水) 08:30:31 ID:w4iqL2be
>>473 よくできたやり方ですね!すばらしい。
他だ、読経の声がもうひとつ、と言う感じがしますが。
いずれにせよ、読経の意味をよく知っていることが必要。
般若心教を行為するときは、仲間:仏がたくさんいることを忘れないで、
「これをサンガと言うべきでしょうね」、その仲間の中に入る、また入れる
と言う念をするべきじゃないでしょうか?このサンガは極楽浄土と言うべきじゃないでしょうか?
>>475 仲間:仏がたくさんいることを忘れないで、
「これをサンガと言うべきでしょうね」、その仲間の中に入る、また入れる
この部分がうまくイメージできません
もしよかったら詳しく教えて頂けませんか?
悟りに達したら仲間になれるというこですか?
般若心経って、「仏説〜」からですか?「ま〜か〜」からですか? 本によってはじまりが違うんですが、どちらもあるって事は同じでしょうか?
478 :
名無しさん@3周年 :2005/11/10(木) 20:28:31 ID:NgNqVPyv
>>476 般若心教の解釈を参考に言ってみますね。
病気は無いと言うもののなぜ苦しみなのか?それは健康と言うものを求めているからである、と言うのでしょう?
所が健康と言うものも無いと言うのですね。だから、病気を求めてもいけないし、健康と言うもんを求めてもいけないのではないでしょうか?
病気と言うもんは健康と言うもんと相対的にのみ存在していたのです。
健康であれば、不通一般の人と同じに、生活できる、それが普通の健康な人の生活であり、
そこに至れないのは、健康な人の得る善き物を、病気の為に失っているんだ、とこの様に考える。
善き物を得ないのは悪いものを得ているのだ、とこの様に考えるんでしょう?そして、病字の自分は何て不幸なんだろう、と考えるのです。
でもこの般若経は、健康も無く、善き物も無く、悪きものも無く、失うものも無く、得るものも無く、持つものも無い、といってる。
だから病気であることは何ら損な事をしてるのでもなく、得なことをしてるのでもない、のですよね?
しかし、ひとたび、健康と言うものがあり、善き物があり、この様なものを健康な人は持っていると、考えると、
たちまち、自分は苦しみだけを負っていると考えることになります。
健康な人達は、多くの友達を持ち、楽しく飲んだり騒いだりしています、でも般若経は、
そのようなものは一切無いのである 、といってるのですよ。
それじゃどうしてうらやましく思ったりするのでしょうか?有ると思っているからです。
どうしてあると思っているのでしょうか?欲の心があるからです。どうして欲の心があるのでしょうか?
無明と言う無知があるからです、その無知とは何ですか?自分が不生不滅の存在であることを忘れ、知らず、
更に不生不滅の存在となろうとしていることに気づかないのです。これを欲と言うのです。
自分が十分に持っているにも拘わらず、更に求め様と言うことが。
479 :
名無しさん@3周年 :2005/11/10(木) 20:29:34 ID:NgNqVPyv
この世間はこんな人間であふれているのです。これをこの世間は燃えている即ち「火宅」であるといいます。 欲の織り成す世間もまた、縁起の法則により成り立っているので、実体がありません。 病気の人は、自分もこの虚妄の世間を認めているから病気になっているのです。 この、この世間は実体の無いものを追及する欲の人間の織り成すものであると 知ったのが、ブッダです。この般若心教を知ったのです。 観自在菩薩はこの真理と真実を知りました。 欲のこの世間の友達は、あなたを欲の世界に誘うことしかしません。それは真実の友ではないのです。 この欲の世間には真実の友はいないのです。孤独です。それぞれが我利を追求しているのですから。 我利を追求しないでは 生きていけないと思っているからです。 反対にこの般若心教を知り理解し修行し様とす得る人は、欲の世界の人と反対の事をすることになります。 欲の世界の人は、生産的な合理を追及します。しかし般若の智慧を修行する人は、 智慧なるものが無いと言うことを知っているので、悪い善いことなど分別しないのです。 病人が言うことには、よい悪いと判断しないで、いくらでも言うことを聞いてやります。 それによって、自分に損が生じているとか、相手に過大な利益を与えているなどと 考えることは無いと思います。あらゆる損得はないと知っているので、どんな場合にも心は「平安」 なのです。この「心の平安」これが一番大事なものであり、病人にも獲得して欲しいものです。 この「永遠の心の平安」これをもたらしてくれるのが般若心教ではないですか? この様な平安を求める修行をしている人の集まりをサンガと言うのでしょう。 みんなこの心の平安を求めているので(真実には)、あなたが勇気をだして求めるなら、みんな協力 するのです。 大乗経典は、この心の平安を求めるもの、この平安を広めるものは諸仏の護念がある、さらに、 全ての神々もまもるといっているとしています。これらこそあなたの友です。あなたの協力者です。 常に見守っていると言うことです。 例えば、あなたが欲の世界では、信じられないようなくだらないことをしていても、真理の世界では、諸仏、神々は あなたを褒め称えていると言う具合です。
480 :
名無しさん@3周年 :2005/11/10(木) 22:48:02 ID:yuaMoP0T
>>478 >>479 ふーん。で?
これだけドグマを並べ立てられるのは、何れかの教団の信者に相違ない。
481 :
名無しさん@3周年 :2005/11/10(木) 23:22:29 ID:NgNqVPyv
>>480 ドグマ?ドグマなんて言ってるのは、仏教を知らないんだね。
これ仏教よ。
482 :
名無しさん@3周年 :2005/11/10(木) 23:32:59 ID:NgNqVPyv
>>477 内容に影響ある問題では無いから、どちらでも良いと言うべきでしょうな。
でも、仏説の方が良いかも、仏説で無いといけないからね。
そこで、 仏様が、観自在菩薩を例にとって説かれた教えと言う意味ですか?
483 :
名無しさん@3周年 :2005/11/11(金) 08:47:11 ID:oEHQ2T0M
故説般若波羅蜜多呪即説呪曰 その真言は知恵の完成において次のように説かれた。 ギャ諦ギャ諦波羅ギャ諦波僧ギャ諦菩提薩婆可般若心経 往ける者よ、往ける者よ、彼岸に行ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、悟り よ幸あれ。ここに知恵の完成の心を終わる。
484 :
476 :2005/11/11(金) 17:14:19 ID:r8doweC7
>>478 >>479 大変お手数をお掛けしました。
とても分かりやすく解説して頂きありがとうございます。
「心の平安」は方法論の違いこそあれ人であれば誰しもが求めていることであり、
それがすべての欲求を作り出している気がします。
「心の平安」と「永遠の心の平安」の違いに般若心経の教えを見出すことができそう
です。
485 :
名無しさん@3周年 :2005/11/11(金) 22:01:43 ID:mdXOu2u1
486 :
名無しさん@3周年 :2005/11/11(金) 22:25:53 ID:oEHQ2T0M
>>484 > 「心の平安」と「永遠の心の平安」の違いに
うえの違いを意図したのではないのです。同じものとして言いました。
ただ、この世の「心の平安」はおうおにして、相対的な平安を言う場合があると思います。
例えば、宝くじが当たって、お金の心配が無くなって心が平安であると言うような場合です。
この様な平安は、相対的存在であるが故に、真に有るものではないと思います。
仏教の平安は壊れない平安です。
>>485 仏教のドグマと言われることがありますが、
仏教の教条は、道理に基づいたもんで、説明できます。全て道理をもって説明できるものです。
また、道理をもって理解できるもんです。
ドグマ的に原始経典などは欠かれていますが。
487 :
名無しさん@3周年 :2005/11/11(金) 22:28:22 ID:oEHQ2T0M
続き この般若心教などはさしづめ、ドグマの様でしょう。でもこれはしっかりとした道理の故の 結論です。
488 :
名無しさん@3周年 :2005/11/11(金) 22:34:30 ID:oEHQ2T0M
>>485 >
>>478 >>479 は独自の解釈を述べているに過ぎません。
私の解釈が、般若心教に反していない限りにおいて、間違っていないのです。
ただ、そんなに上手に表現しているとは思っていません。
489 :
名無しさん@3周年 :2005/11/11(金) 22:51:52 ID:mdXOu2u1
>>488 間違っていないと思われるなら、それは構いませんが・・・
私は受容できない、というだけのことです。
これ以上書くと荒らしになりますから、終わりにします。
490 :
名無しさん@3周年 :2005/11/12(土) 22:44:14 ID:71ixDxdD
般若心教は仏教の源泉。これを知って、心はさまよわなくなった。心は形成作用を働かなくなった。
申命記 4:24 あなたの神、主は焼き尽くす火、ねたむ神だからである。 4:25 あなたが子を生み、孫を得、あなたがたがその地に永住し、堕落して、何かの形に刻んだ像を造り、 あなたの神、主の目の前に悪を行ない、御怒りを買うようなことがあれば、 4:26 私は、きょう、あなたがたに対して、天と地とを証人に立てる。 あなたがたは、ヨルダンを渡って、所有しようとしているその土地から、たちまちにして滅びうせる。 そこで長く生きるどころか、すっかり根絶やしにされるだろう。
Luke 1: 5-10 NLT 5 It all begins with a Jewish priest, Zechariah, who lived when Herod was king of Judea. Zechariah was a member of the priestly order of Abijah. His wife, Elizabeth, was also from the priestly line of Aaron.
493 :
名無しさん@3周年 :2005/11/13(日) 10:30:34 ID:33RL/MSZ
>>491-492 oi!なんだよ。キリシタンじゃないのか?般若心教とどういう関係があると言うのか?
そこのところを書かないでは意味が無いじゃないか?
なんだ、それとも、スレ間違いか?
494 :
名無しさん@3周年 :2005/11/13(日) 22:33:58 ID:33RL/MSZ
>>489 自分の正しいと思うこと、また正しいと思う主張、これらをここに発表することは、
すごく効果のあることですよ。私は最近そのことを知った。
495 :
名無しさん@3周年 :2005/11/13(日) 23:00:49 ID:U77ioFpx
496 :
名無しさん@3周年 :2005/11/13(日) 23:48:27 ID:33RL/MSZ
有言実行だよ。
497 :
名無しさん@3周年 :2005/11/14(月) 00:00:20 ID:33RL/MSZ
有言実行だよ。
498 :
名無しさん@3周年 :2005/11/14(月) 06:25:25 ID:ZDXTzjxo
(・∀・)つ【無無明亦無無明尽】
写経が最強
500 :
名無しさん@3周年 :2005/11/14(月) 22:09:02 ID:8NuecVRn
何で真宗では般若心教を読経しないんだ?
>>500 なんか自力の思想があるからだってなんかで読んだ事がある。
503 :
名無しさん@3周年 :2005/11/14(月) 23:03:46 ID:8NuecVRn
心の平安を得る為に、欲を起こさない、怒らない、愚痴を思わない、と言う心がけは 自力と言うのか?欲を起こし、怒り、愚痴を言い、それこそ自力で何かを獲得しょうと言うものじゃない? これらを抑止することを自力と言うのなら、これらを野放しにしておきながら、弥陀の本願を 信じると言う心は無駄無理じゃないかね?
504 :
↑ :2005/11/16(水) 06:53:52 ID:MZ9vg0lW
解脱するためのには抑制ってゆう自力が必要なんだょ。 むしろ、それは人間が本来もってるエスに似てるから、自力というよりは自然に近い気がする。
505 :
名無しさん@3周年 :2005/11/16(水) 18:51:09 ID:M9M29d/n
>>504 エスってなに?
弥陀の本願を信じると言うことは、自らの努力で救われようとしないで、そして、その自らの努力とは、
欲心が満たされての幸せであり、この様な幸せは本来的にあり得ないものであるから、そのような欲心を起こさないでおれば、
弥陀のほうから、彼岸に導いてくださる、と言う風に解釈する必要があると思うけど、どうでしょうか?
506 :
名無しさん@3周年 :2005/11/17(木) 21:48:12 ID:YBsIUKRu
だから、真宗も般若心教を読経すべきであると思うのだ。般若心教を信じると言うことは欲心を 取り除くことだから。
507 :
名無しさん@3周年 :2005/11/17(木) 22:10:14 ID:13jVj0yI
>>506 般若心経は密教系の陀羅尼経典の色彩が強烈です。
浄土系の教団がそれを受け入れるかどうか・・・
般若のお面がこの宗教のイメージキャラなんでしょ?
親鸞マンセー
510 :
名無しさん@3周年 :2005/11/18(金) 19:56:57 ID:XL862fSx
>>508 ぜんぜん関係ないと言うことだよ。
般若の面ちなみに「般若の面」と言われて、「嫉妬した女の顔」としての鬼女の面を指すが、般若とは何の関係もない。
一説には般若坊という僧侶が作ったところから名がついたといわれている。あるいは、『源氏物語』の葵の上が六条御息所の嫉妬心に悩まれ、その生怨霊にとりつかれた時、般若経 を読んで御修法(みずほう)を行い怨霊を退治したから、般若が面の名になったともいわれる。
"
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5 " より作成
カテゴリ: 仏教 | 妖怪
般若心経ってなんで宇宙論なんだろう?
512 :
名無しさん@3周年 :2005/11/18(金) 22:58:32 ID:XL862fSx
宇宙の真実を明らかにしているだろう?空なんだと。
宇宙を構成するモノ その質量 目に見えるもの。我々が観測可能なのもの 6% ダークマター 23% ダークエネルギー 73% 真空にも真空エネルギーが存在しその力が宇宙を膨張させている。 今日この事実を知って感動した。
釈迦ってスゲーな。
515 :
名無しさん@3周年 :2005/11/18(金) 23:36:46 ID:XL862fSx
真空と言うのは、物質が有って始めて存在しているもの。だから相対的存在である。 相対的存在は、実有ではない。だから、仏教では、あなたは、星を手に取り、太陽をつかみ、 月に触ることができるといわれている。
太陽より小さい星は、白色矮星となり、崩壊。太陽より大きい星は超新 星となり、爆発、その後、中性子星かブラックホールになるかの運命を たどり、まず中性子星が燃え尽き、崩壊し単なる塵となる。ブラックホール も小さいブラックホールから順番に死を迎え、宇宙には、たった一個の ブラックホールしか残らなくなる。やがて、これも死を迎える。 そして、宇宙には、何もなくなる。 そこにはただ、真空のエネルギーだけが瞬き、果てしなく膨張しつづける 宇宙がある。 その先は、我々の科学では未知の領域だ。
517 :
名無しさん@3周年 :2005/11/19(土) 00:05:31 ID:XL862fSx
最近アメリカの学者が、宇宙を探れば探る程、未知の分野が生じてくるといっていた。 当然だ。有る物が有る物として発見されたら、それを成り立たしめる他のものがなければならない訳だから、 それが未知のもんとして生じてくる。果てしがないのだ。 極微の世界では、その極微物質に触ろうとすると、人間の触手に反応して、その極微物質が逃げてしまうと言うことだ。 これは自分と極微物質とは因果関係にあることを示しているもんだ。同様に、宇宙の物質に付いても、 自分と無関係に有るもんではないといわなければならないと思う。 しかし、この様にすべては縁起(因果)関係にあるのだから、あらゆる物は実体としてあるのではなく空が真相である、 とこの様に見、自分の心を散乱させづ、精神統一を心がけるなら、それは真実に至る、または真理に至る道に他ならないのだと思う。
絶対的存在なんてなにも無いってことだね よく分かりました。
>>510 ありがとう
あのお面が宗教に深く関わる物だとずっと思ってた
深いね
520 :
名無しさん@3周年 :2005/11/19(土) 17:48:12 ID:er1pz9Ss
>>518 > 絶対的存在なんてなにも無いってことだね
「 絶対的な心の平安」これはあると経典は常に言います。
521 :
名無しさん@3周年 :2005/11/19(土) 19:17:42 ID:4a2zrqiX
般若心経は説いていません。 のみならず、否定さえしています。
つ 「以無所得故」
つ 「無智亦無得」
524 :
名無しさん@3周年 :2005/11/20(日) 10:15:39 ID:DC1HTRVB
>>521 <梵語原文に沿って訳す>
それ故に、「(個としての)獲得(一切)無し」(との一事)を以て、「悟りへの発心堅固な勇者」たる者、完全究極叡智に依拠して「覆うもの無き心」に住むのである。
心を覆うもの、絶無となるが故に、(物事に)恐怖することも無く、転倒した謬見(一切)を超脱して、遂に涅槃に入定するのである。
(また、過去・現在・未来の)三世の何処(どこ)にでも御座(おわ)します諸々の仏陀たちも皆、完全究極叡智に依拠して(いるが故に)、「無上の真正・無欠・覚醒境」という正覚(さとり)を円(まど)かに現前させているのである。
http://www.hannya.net/index.htm 紹介の有るサイトをお借りして。
どうして「絶対の心の平安」を説いていないと思われますか?
「涅槃」の意味は「絶対の心の平安」ではないと?
525 :
名無しさん@3周年 :2005/11/20(日) 15:22:44 ID:MlViaUcz
>>524 言及されている、ということが、そのまま説いているということではありません。
526 :
名無しさん@3周年 :2005/11/20(日) 16:06:52 ID:MlViaUcz
無智亦無得 → 智(般若)も無くまた得も無い → 故に菩薩は 般若波羅蜜多〈が無いということ〉をさとり → 一切の倒錯した考えを離れる → これが〈得ることのない〉涅槃というもの だから「絶対的な心の平安」を先ず否定して、それがどういうことかを解き明かすのです。 それと、ネット上の信仰教団の解釈を鵜呑みにしないことです。
527 :
名無しさん@3周年 :2005/11/20(日) 16:27:40 ID:wcgnlbwj
>>521 に同意
筏を捨てないと般若心経じゃなくなる
528 :
名無しさん@3周年 :2005/11/20(日) 16:46:12 ID:1hEAU2vt
どうでもいい
真実を求める為には常に持論を捨てる覚悟が必要
531 :
名無しさん@3周年 :2005/11/20(日) 19:53:53 ID:MlViaUcz
>>528 ネット上にはこの手の怪説がウジャウジャ飛び交っています。
532 :
名無しさん@3周年 :2005/11/20(日) 20:41:14 ID:MlViaUcz
>>530 臨済録にある「仏に逢うては仏を殺し・・・」ですな。
533 :
名無しさん@3周年 :2005/11/21(月) 19:24:24 ID:sWUvaYDl
>>528 空=霊、と言うのは、何故に空であるかを理解していないところから来た概念じゃないかな?
〃∩ ∧_∧ ⊂⌒( ・ω・) はいはいワロスワロス `ヽ_っ⌒/⌒c ⌒ ⌒
536 :
名無しさん@3周年 :2005/11/23(水) 01:13:56 ID:i/7j704U
「宇宙論」って書いてあるとこ
538 :
名無しさん@3周年 :2005/11/23(水) 19:54:16 ID:i/7j704U
>>534 般若心経を論ずるのに宇宙論はいらない。
なにを勘違いしておられる?
539 :
名無しさん@3周年 :2005/11/23(水) 22:35:46 ID:VYHf2a/L
>>538 宇宙のことも当然のこととして論じていると思います。
「一切」の中に宇宙が入らないと、「一切」ではないですから。
540 :
名無しさん@3周年 :2005/11/24(木) 05:40:29 ID:W218AGez
なかなか自分の考えを正直にいうことは勇気がいるね。
本当にそれはまかりまちがえば自殺行為だ。
でもそういう自殺行為を死を恐れるあまりに回避するのだとしたら
全然般若心経の実践者でも何でもなくなっちゃうし。
般若心経って無敵の教えみたいな感じがするし。
自分の般若心経の解釈こそが正しいと思ってそれに固執してしまうと
壊れる般若心経みたいになっちゃうし、
だからもしかしたら般若心経の真髄みたいなところは
言葉にできないものなのかも知れないなあ、と思ってみたり・・。
またそういうふうにそのそもそう思うこと自体が
非般若心経的なのかしら・・・と・・・
・・・またそういうふうにそのそもそう思うこと自体が・・・エンドレス・・・無限地獄・・・
(続く)
>>532 「仏に逢うては仏を殺し・・・」って言い得て妙な表現ですね。
541 :
名無しさん@3周年 :2005/11/24(木) 20:41:33 ID:ToGe6GyW
>>540 「仏に逢うては云々」は臨済録です。中国禅の頂点。
爾如法の見解を得んと欲せば、但だ人惑を受くること莫れ。
裏に向かい、外に向かって逢著せば便ち殺せ。
仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して始めて解脱を得ん。
物と拘わらず透脱自在なり。
542 :
名無しさん@3周年 :2005/11/24(木) 21:34:27 ID:6GsFJfiG
>>541 いいことかいてありますね。
言うは易しそれを行じるははなはだ難しなんでしょうけど。
それにしてもいい句ですね。
ご紹介ありがとうございます。
具体的な功徳が一切語られない件について
544 :
名無しさん@3周年 :2005/11/25(金) 00:36:25 ID:IyjmJaK/
>>543 その件に関してもっと詳しくを説明を切に願う件について
極めるつもりでいます
546 :
名無しさん@3周年 :2005/11/25(金) 17:57:07 ID:h4fYX1zE
>>543-544 智慧の完成に付いては、代般若経にかかれているのですが、その教において、
その功徳が、それはそれは大変なものと繰り返し繰り返しかかれています。
その部分を法華経がそっくり引用しています。直ちに紹介してあげたいのですが、
なかなか苦労に感じます。
法華経には六根清浄が功徳の一つとして書かれています。
法華経は、般若心教を説くためのお経と解釈すべきものと考えていますので、
法華経の功徳は、般若心教の功徳になると思うと言うわけです。
しかしこの功徳を知りたいと言うのは、自然な気持ちと理解でます。
この功徳は、仏の心そのままであると思うのです。この空の世界の気持ちがどうして
幸せなのか、説明して欲しいものですね。
>>546 ありがとうございます。法華経を調べてみます。
548 :
名無しさん@3周年 :2005/11/25(金) 21:22:00 ID:+GpUxxYH
>>546 引用は法華経のどの品にあるのでしょうか?
549 :
名無しさん@3周年 :2005/11/25(金) 22:28:20 ID:h4fYX1zE
>>547 分別功徳品、随喜功徳品、法師功徳品、ここラ当たりのようです。
550 :
547 :2005/11/25(金) 22:33:13 ID:OcDfxD0r
漏れは自分で調べるのでお返しします。 (・∀・)つ品
551 :
名無しさん@3周年 :2005/11/25(金) 22:44:23 ID:+GpUxxYH
>>546 そっくりではないですね。付き合わせればすぐわかる
この部分の表現は大乗経典、特に般若経典群では『型』となっています。
法華経がその型を頂いただけ。これがないと経としての格式が保てないからでしょう。
ハニャーン信教に対抗して漏れも考えたぞ。 人間の諸々の苦しみは執着である。 受験に拘るのも執着である。 企業内定に心を狼狽するのも執着である。 何々が欲しいと思うのも執着である。 他人の身を心配するのも執着である。 生きたいと思うのも執着である。 未来を案じて不安を抱くのも執着である。 これら執着によって、人間は己自身の心を縛りつけ、 時間の瞬間瞬間を正確に捉えることができなく、 物ごとを全く正しく見れないでいる。 まず執着を取りなさい。 この執着を取るということは、簡単なようで非常に難しい。 また、非常に難しいと思うことも執着である。 執着を取るとは、物ごとを大いなる仏に任せるということである。 宇宙真相に任せるということである。 真相は如何にしても変えることができなく、 真相こそ大いなる慈悲であり愛であり安らぎであり恵みである。 それなのに、人間は真相を差し置いて己で結果を想像し、 心配し恐怖もし、心は全く落ち着くことがない。 これらは、全く無駄な苦労であって無駄な苦しみである。 何故、人間はこれほどまで無駄な苦しみを作るのであろうか。 それは、大いなる仏に反抗しているからでは無いだろうか。 大いなる仏は、あまりにも空であり、あまりにも希薄であるが、 その愛は、地上に遍く満たされており、どこからでも 大いなる仏の慈悲を仰ぐことができる。
心を澄まして執着を捨て去れば、 大いなる仏の慈悲、 大いなる仏の生命、 大いなる仏の息吹、を仰ぐであろう。 執着を捨てることには、それほどの恩恵がある。 それだからしてまた、それほど簡単なものでもない。 俗人はとかく、いい加減 というものを好む。 いい加減とは、良い加減 という意味でもあるが、それは停滞である。 また、それは大いなる仏の意思に反するものだ。 執着を捨て大いなる仏の慈悲を仰ぐには、いい加減ではできない。 自ら勤めて、執着を取らねばならない。 しかし、執着を取ることに拘るのも、また執着である。 本当に執着が取れたら、執着が有る無しという概念すらも執着である。 空とは、このように、全く執着が無いことを指す。 人間よ、執着を取りなさい。求道者となって執着を取りなさい。 常に心が物ごとに縛られるような生き方を辞めて、 自然に生きるようにし、執着を取りなさい。 しかして、経済原理にある世の中では、執着を取ることは非常に困難でもある。 しかし、執着を持たない方が真であり、その方が幸福である。 執着を持ち、経済原理に生きるか、あるいは情熱を燃やして何かに打ち込むか。 これらを選択するのは、各自の意思に任せられるだろう。 しかし、真相の知覚程度においては、執着を捨てた方が上である。 結果とは、執着を持ってして求めるものではなく、 執着を捨てて求めるものであり、また結果とは得てして大したものではない。 その大したものでもないモノに、心を縛られて追い求めることは、言ってみれば地獄である。 既にあるように、大いなる仏の意思は、地上に遍く有り、場所や時間に関係なく、 人の心は仏の慈悲と共にある。それならば、一体人は、何に心を縛られる必要があるのであろうか。 心を燃やして結果を急ぐ必要など、何も無い筈である。
人間の苛立ちといい焦燥というものは、全て執着であり、 それは、大いなる仏の慈悲に対して心を反らしているからである。 大いなる仏の慈悲が、全く観えないから、なお余計な苛立ちをし余計な不安を抱く。 考えてみれば、当然の結果であるが、大いなる仏の慈悲を見失った当人にしてみれば、 全く分からないであろうし、分かろうとも思わないであろう。 そうした者であるほど、傲慢であり、打算的であり、慈悲もない。 こうした大いなる仏の慈悲が観えない者が多くなればなるほど、 世の中はなお地獄的となる。 大いなる仏の慈悲が分からない結果、余計な不安を起こし、 頭脳で物ごとを憶測し、統計的か経験則で物ごとを予測し、 将来を案じて、無益な所作を取る。 それが、ダム開発であり堤防であり予防医学であり予防接種であり雑多な規則であろう。 それら、無益な所作は、ただ無益であるばかりか、自然の恵みをも破壊し、 自然の恵みと人の接点を無くし、より自然の気から人を遠ざけ、なお社会人心は盲目に傾向する。
555 :
名無しさん@3周年 :2005/11/25(金) 23:12:21 ID:h4fYX1zE
>>551 あるいは、大品般若経と八千ジュ般若経の関係を間違ったのかもしれない。
しかし、法華経においても、冗長な繰り返しを省略する例があるから、見当たらないのかも。
しかし、法華経の仏の知恵と言うのは、一切種知と言い、それは、方便を用いて教えを説くこと、及び、
その種類を全て知っていることを言うと解すべき様ですが、そうすると、方便を用いて明らかにしたかった始めの
智慧(之を縁起と空の智慧即ち般若の智慧)と言うべきと思うのですが、この後者のほうが弱く感じられます。
どうもここの所が、法華経のはっきりしないところなんです。更に、薬草喩品において、ラジュう訳とサンスクリット訳の相違、
この相違の意味も、すごく大事なところだと思います。そんなで、法華経は初転法輪経に基づいて判断しますと、スマートじゃない、と言いたいです。
初転法輪経に基づいて判断すべきといいますのは、原始経典の(大パリニッバーナ経)の第四章:十五ボーガ市に於ける4大教示に基づいて判断解釈すべきだと思うのです。
556 :
名無しさん@3周年 :2005/11/25(金) 23:15:28 ID:h4fYX1zE
>>551 つづき
般若心教は、法華経の言うところの真髄を要約していっていると思いませんか?
これは般若経群の真髄でもあるのでしょう。
557 :
名無しさん@3周年 :2005/11/25(金) 23:30:32 ID:h4fYX1zE
>>546 あるいは、私が大品般若経と八千ジュ般若経の関係を間違ったのかもしれない。
しかし、法華経においても、冗長な繰り返しを省略する例があるから、見当たらないのかも。
558 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 00:09:19 ID:JqeXF3aK
>>556 全然違います。
般若心経は般若経典群と比べると、きわめて異質です。
般若心経の得意な点は、陀羅尼(呪文)が中心で、それに般若経からの引用を付け足して陀羅尼経典としているところです。
般若経典で協調する陀羅尼は、まさに総持のことで、呪文はありません。
呪文を使わせないという教えは、まさに釈尊が説いていたことなのです。
そういう意味では、法華経の陀羅尼品は呪文集ですから、釈尊の教えを蔑ろにしています。
結論として、般若心経は般若経典群の真髄ではないということです。
559 :
typo :2005/11/26(土) 00:12:33 ID:JqeXF3aK
560 :
554no :2005/11/26(土) 02:29:10 ID:HPkVpPFM
執着を捨てた果てにあるものは、何であろうか。 それは、悟りを得ぬ者は、ただ無 であると捉えがちである。 しかし、そうではない。 仏の慈悲が遍く有るように、執着を捨てた果てにあるものは、 仏そのものである。 ・・・。すると、仏自体が執着ではないかと、思う俗人もあるだろう。 しかし、そうではない。 仏の存在自体が慈悲であり許しである。宇宙がこうである。大いなる慈悲である。 あらゆる苦しみが生じる宇宙において、 御魂を創造された子として、無窮に愛し慈しむ。これが大いなる仏の慈悲である。 最高の生命がこうである。 これを思えば、他を冷たくあしらい、他に冷酷な人間の、なんと浅はかで小さなことであろうか。 人間の価値とは、知識を得て、それによる論理に長けて、判断をこなすことなどでは 断じて無い。 人間は、他に慈しみを持たねばならない。 決して他に仕返しをしようとか、苦しめようとか、思ってはならない。 思うことすら、いけないことである。
561 :
554no :2005/11/26(土) 02:30:06 ID:HPkVpPFM
・・・。さて、現代は殺人強盗など、多くの悲劇が有る。 元来、結果とは相応であるから、 人は仏に心を向ければ良い。 社会を構成維持する管理者達は、とかく社会犯罪を恨み犯人を罰する傾向にあり、 管理者によって作られた社会を善として、それを乱す者を悪とする。 こうした思想によって、悪の程度を測った場合、懲役何年とか死刑とか算定される訳である。 また、そうした社会に生きる人は、とかく社会を善として、それを乱す者を悪とし、 その悪を犯した者を、恨む傾向にある。 しかし、管理者によって構成されている社会が、 本当に善であるかどうかを、自分という立場を捨てて、考えたことがあるのだろうか。 社会の管理者は、社会を構成するあらゆる機関を使って、 社会を善であるごとく説くだろう。そして、それらに常日頃接する社会人は、 そのまま受け入れた場合、管理者の理想的社会人となることだろう。 しかし、もしも、社会自体が悪であれば、管理者によってできた社会人もまた悪である。 そうした社会人の相応した結果とは何であろうか。 人生で、何を信じて生きるのか。 社会を信じていきるのか。 社会を信じて生きた場合に、他を恨むことが生じるのではないだろうか。 それは、独善を信じている結果である。 人間が他を恨むということは、 心が仏に向かれていないからである。
仏道とは、また科学である。 科学者が、科学の真相を追求することと、 求道者が、仏道を追求することは、 根本的には同一の精神的価値である。 釈尊は、最高の覚者であると共に、最高の科学者でもある。 科学者の科学真相追究は、まずは己の悟りで科学法則を打ち出すことにある。 求道者の仏道追究は、まずは己の悟りで仏道を追求することにある。 そして、両方とも、奥を極めても極めても限りが無い。 非常な努力をして奥を極めても、また奥がある。 道を求め追求する者に共通していることは、 探究心であり、探究心とは、神の意思に叶ったものである。 探究心が神の意思に叶うというのは、神が人間の御魂の高度化を望むからだろう。 そしてまた、地上がむしろ人間の御魂を堕落させる環境に溢れていることも、 また、神の仕組みである。 元来、人はみな仏であり、みな罪もなく、真相そのものである。 そこへ、仏と人を遠ざける悪なるものが介在し、 それを端緒として、悟りなく力なき人の心は、仏から遠ざかり、 ついには、仏を見失い苦しみを作り、その連鎖を成した。 苦しみにある者は、他を恨み他を傷つけ他を殺めもする。 しかし、苦しみの果てに他を殺めた結果とは、なお深き罪であり、 こうして、心は限りなく罪を構成していき、仏の真相から遠ざかっていった。 しかし、悪なるものは、神の仕組みであり、 悪を介在させることで、また人の御魂を高度化させることになる。 現代において、魂を堕落に誘う多くの誘惑が有るのは、神の仕組みでもある。 そうした、誘惑に打ち勝って、誘惑に溺れないで、 人は、仏に心を向けねばならない。 誘惑に負けた者は、真の幸福は掴めない。
探究心とは、こうした悪を介在し魂を高度化させんとする神の 歴史創造の一端としての、肯定な姿勢であり、 その計画に加わるという、非常に大きな価値を持つ。 しかし、人は皆仏であり、真相を知ることにおいては、神と同一の能力をもつ。 それは、理性でもあるだろう。 よって、神の計画によって御魂を高度化させることには、 時として、その方法が、解せない場合もある。 アメリカが旧日本軍に勝ったことは、神の仕組みの1つである。 しかし、勝った側のアメリカには、なお重い役割が生じる。 それが、世界から戦争を排除するという、世界平和である。 そして、負けた日本には、世界の戦争を排除する役割はなく、 その結果、徴兵もなく戦地に赴くこともない。 アメリカの日本制圧は、非常に恐ろしいことである。 よって、神の計画よる魂の高度化は、 深き人類史を成すものでもあるが、 また、人間に苦しみが多く生じるというものであり、 言ってみれば、諸悪の根源は神である。 しかし、いくら神といえども、正道に生き正道を貫く者を、 殺めることはできない。 そこで、神の計画で魂を高度化させるか、 または、仏道によって魂を高度化させるか、 という選択が生じる。 神の意図は、非常に大きなもので、その意図に加わらずに済む、 魂の高度化とは、非常に正であり価値あるものでなければならない。 そして、それは仏道である。 何者も傷つけず、有史以前の仏の人であることである。 完
565 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 17:44:41 ID:JqeXF3aK
566 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 18:25:54 ID:4aCnsIBy
空と言うことは一相と言うことだ。自分も含め一相なら、何があるのか? 何もないのだ。この空とは、縁起しているものには自性がないと言うところから帰結する結論だ。 あらゆる物が縁起しているので、一切が空であると言わなければならないのだ。 縁起しているものは、我々の五蘊である。我々と言うのは正しくない。 自分の五蘊であるといわなければならない。之が空なのだ。 この真理に従うと言うことはどう言うことになるのだろうか? 何も得るもの失うものがないのだから、一切の分別が必要でなくなる。分別自体がこの真理に反するのだ。
567 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 18:36:13 ID:JqeXF3aK
>>566 相変わらずの珍説ですな。空とは無相ということです。
怪論を書きまくらないこと。
568 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 18:53:58 ID:4aCnsIBy
得たいもの欲しいものは、既に、そのことを思ったときに、掌中にあるのだ。 要らないものは、要らないと思ったときに、既にないのだ。 ここで、「思い」と言うものがあると言うべきか?しかしそれはこの真理に反する。 思い(願い)も空である。思い(願い)の対象も空である。双方の空に差別はない。 それ故に思った瞬間に願いがかなえられているのだ。決して願いとその達成の間に間隙はないのだ。 怨んでいる人を殺したいと思えばすぐに間隙なく達成されている。あなたの願いで満足されないものはないのだ。 ガンで苦しんでいる人に付いても言える。どんな病気の人に付いても言える。 ガンが治って開放されたいと思えば、その時点でガンはない。ガンなるものは空であるし、自分のガンが治って欲しいと言う気持ちもまた、 ないからである。 信じて試みてみてください。
569 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 18:56:09 ID:4aCnsIBy
>>568 つづき
この修行を決して停滞させないことが肝心ですよ。Let us Go!
570 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 18:59:23 ID:4aCnsIBy
つづき 大無量寿経の極楽浄土は、この様な人々の国です。
571 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 19:02:34 ID:4aCnsIBy
>>567 無相ということは、無相という一つの相しかないと言う意味ですから、一相と言うことになるのです。
一つのものしかないと言うことは、何もないと言うことですから、無相とも言うのです。
これらのことは般若経に書かれています。
572 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 19:20:17 ID:4aCnsIBy
首リョウ厳三昧経の以下を参照 Iあらゆる存在は非存在としてあり、それが分別されること無く説かれているのである。そこには何か説くというものがあるのではない。それゆえに説くといわれるのである。 Jあらゆる存在は他のものと混ざり合わないものであるし、またそれらのものには本体があるのでもない。このように存在が存在として認められないとき、それらのものには差別が無い。 K あらゆる存在は執着されるものではない。それらのものは虚空と同じように本姓として清らかである。それこそが存在の本姓であり、ダーラニーというのもそのことに他ならない。 Lあらゆる存在は一相であって、それらのものには(一)と言う事さえあるのではない。それらのものには種種の本性が有るので無いから、だからそれらのものは一相なのである。 Mあらゆる存在は無相である。それらのものには実体があるのではない。実体として存在し無い時、それが故にダーラニーといわれるのである。 般若心教が呪を眼目としていると言うのは、誤解です。
574 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 20:13:51 ID:4aCnsIBy
>>573 〜がある、と言うのと〜である、と言うのとでは大変な相違になります。
575 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 20:15:01 ID:4aCnsIBy
つづき ここが「正見」かどうかの分かれ目だと思います。
あなたの心には迷いがあると視た
577 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 20:58:28 ID:4aCnsIBy
>>577 自分も修行中なのでまだまだです
とても助言なんてできません
579 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 21:12:37 ID:2RIyfeTV
無一文とか一文とかでなくて 文が無いのでは?と 通りすがりでスンマソン
580 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 22:00:44 ID:JqeXF3aK
>>571 般若経のどこに書かれているのでしょうか?
乞御教示。
581 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 22:04:02 ID:JqeXF3aK
>>572 この経の引用では、心経の眼目が呪文でないという説明になっていませんが。
582 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 22:11:40 ID:4aCnsIBy
>>580 無相が一相であることは道理として言われなければならないことです。首リョウ厳三昧が容易に証文となすことが
できるんで出しました。この経も般若経群の中のものですから、大品般若経にもないはず無いと思います。
>>581 この引用は呪文でないことを証するために出したものではありません。
仏の知恵が呪文だなんて、釈迦の初典法輪の初めの「信仰を捨てよ」に反しています。
それにガテーガテーは呪文じゃなくて、和訳されているでしょう・
583 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 22:11:50 ID:JqeXF3aK
>>581 続き
この経は初期大乗経ですから、陀羅尼は総持です。
しかし般若心経は、陀羅尼集経という雑密経典からギャテイ呪を持ってきていますから、
ずっと時代を下ります。ここでの陀羅尼は呪文になっています。
584 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 22:17:56 ID:JqeXF3aK
>>582 道理という言葉は説明にならない。一方的な言明でしかないからです。
無相が一相であるというのは、貴方個人の主張です。
般若経ではそのようなことは説いていません。
585 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 22:18:15 ID:VZxiO+XN
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕 警視庁防犯課 二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
586 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 22:29:21 ID:4aCnsIBy
>>584 >道理という言葉は説明にならない。一方的な言明でしかないからです
どのような道理で、無相が一相の意味になるのかと言う質問ならわかりますが、
当該経文でも説明していますが。
587 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 22:44:51 ID:4aCnsIBy
>>583 ダーラーにも当該経文が説明しているでしょう。この経文のほうを採用すべきです。
588 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 22:48:59 ID:JqeXF3aK
>>586 少なくとも『佛說首楞嚴三昧經』『摩訶般若波羅蜜經』には一相云々という部分はありません。
前者には無相についての部分もありません。
ただし空・無相・無願の三解脱門に関してはありますが・・・
現代語訳の一相という語は、一相という見方を否定するために説いているのです。
589 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 22:51:12 ID:JqeXF3aK
>>587 陀羅尼に関してはもっと文献を研究されるようお勧めいたします。
時代によって意味が大きく変わっています。
590 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 22:58:49 ID:4aCnsIBy
>>588 Lあらゆる存在は一相であって、それらのものには(一)と言う事さえあるのではない。それらのものには種種の本性が有るので無いから、だからそれらのものは一相なのである。
うえは首楞嚴三昧經ですよ。
>現代語訳の一相という語は、一相という見方を否定するために説いているのです。
上は理解できません。
仏典に唯一の道と言う言葉が出てきます。
この唯一と言う「一」と「一相」は同じ意味です。
>>589 変化するものは真実ではないと思います。当該経文は、ダラニ―を説明し、それは、
空相、又は空性を指していると思います。これなら、変化するもんではありません。
591 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 23:07:16 ID:JqeXF3aK
>>590 たまたま、その現代語訳にそう書いてあっても、それが仏典一般の用法ではありません。
実際に般若経典一般には一相という用語は出てきません。
それに貴方は般若経の主旨を正しく掴んでおられないようです。
この辺もよく研究されることをお勧めいたします。
592 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 23:12:16 ID:JqeXF3aK
>>590 あなたが、さらに研究される意志がなく、その現代語訳を至上のものとして信じているなら、議論は終わりです。
593 :
名無しさん@3周年 :2005/11/26(土) 23:24:20 ID:4aCnsIBy
三智 <1>一切智 一切の事象を総体相としてとらえ、それらが等しく空であり、一相であると知る智慧。(声聞・縁覚の智) <2>道種智 種々の衆生を教化・救済するために、真理を種々の差別相に即して知り尽くす智慧。(菩薩の智) <3>一切種智 一切の事象・真理を総体相に即しつつ、個別相においてすべて知り尽くす智慧。(仏の智)
594 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 00:30:29 ID:y4c0a059
595 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 00:34:28 ID:yt4J7341
596 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 10:40:25 ID:yt4J7341
597 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 11:07:13 ID:y4c0a059
>>596 仏教である以上、経典の記述を逸脱しての解釈はありえません。
このサイトの論文は、あくまでも島村氏の学説です。
この人は空ということに独特の解釈を持ち込んでいます。
あくまでも空は、小品〜大品の発展の中に記述される説で理解しなければなりません。
八千頌般若経は、漢訳の小品般若経よりもずっと後の時代のサンスクリットテキストの現代語訳です。
だjから、阿頼耶識縁起や如来蔵縁起の説が混入しています。
598 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 11:09:50 ID:yt4J7341
別に「一相」にのみこだわることはないですね。
599 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 11:19:52 ID:y4c0a059
600 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 11:54:48 ID:y4c0a059
だんだん判ってきました。何故一相=無相という勘違いをしたのか。 般若経では、三解脱門として、空・無相・無作を説きます。佛説首楞嚴三昧經では、空・無相・無願ですが。 一相という語は、法華経にはありますが、ここでは般若経の空とはちがいます。 中国撰述の大乗起信論に、法界一相という語があり、これが勘違いの本のようです。 法界一相が空の説明でないのは、いうまでもありません。 広く仏典を研究している人は、一つの概念を時代的背景による違いを忘れて解釈してしまうことがあるということです。 陀羅尼についても同じです。経典のつくられた時代によって違います。 全一的に仏教を把握しようとするのは祖師たちのやってきたことでいいことだと思いますが、 しばしば独自の解釈に陥ることがあります。
601 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 12:04:05 ID:yt4J7341
>>600 あなたは「一相」をどの様に解しておられますか?
602 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 16:26:19 ID:y4c0a059
岩波仏教辞典などに言う『一相』です。空のことではありません。
603 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 17:21:53 ID:yt4J7341
>>602 相するとこの一は、縁起している(一)と言うことになるね
604 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 17:41:17 ID:yt4J7341
つづき 縁起している(一相)ならば、それは「空」である。実体としてあるのではない。 一(または一相)は、一相以外のものと縁起している。
605 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 17:57:50 ID:y4c0a059
一相以外のものとは何でしょうか? すべては一相である、という文脈で使われるものですから、 一相が一相以外のものの因縁和合というのは、誤解です。
606 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 18:09:11 ID:y4c0a059
一相とは、哲学的に表現すると、 その内に差別や反対者をも含む、絶対的平等の様相をいうのです。 縁起とか因縁和合という概念をも内包します。 ですから法界一相というのは、ブッダと衆生は差別無し、ということになります。 ブッダも衆生も、もちろん空ですが、使われる文脈が違うということです。 般若経の空は、一相という概念を指しているのではありません。
607 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 20:06:19 ID:EyUWR/Lr
話が本筋からわきみちにや枝葉に・・・
608 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 20:13:25 ID:y4c0a059
609 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 20:20:44 ID:yDllKTWv
>>608 さん、どうぞ 般若心経の骨頂としんづいと極意を
我々素人衆々にも誰にでもわかりやすく仏の言葉でやさしく解き明かしてください
610 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 20:50:00 ID:y4c0a059
では僭越ながら口切りを。 般若心経は、法華経の言うところの真髄の要約でもなければ、 空海の言うように大般若波羅蜜多経の要約でもありません。 単独の、覚りを讃える般若波羅蜜多呪を説くお経です。 心とは真髄ではなく、呪文のことを指します。この呪文を潤色するために、 摩訶般若波羅蜜経から抜粋した句を添加して作り上げられた経です。 添加部分は、般若経の空を説く部分が中心となっています。 このために般若心経は般若経典群の一つであると誤解されることは多いのです。 しかし、般若経典群には、呪は出てきません。
611 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 20:59:15 ID:fiTAlzk3
612 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 21:09:30 ID:y4c0a059
ぎゃてい・・・は『陀羅尼集経』の中に、収録されていますが、 『般若大心陀羅尼』というのです。般若菩薩の偉大な心を讃える陀羅尼です。 この場合の陀羅尼は呪文のことです。
613 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 21:11:46 ID:BexUPBHk
>>612 >般若経典群には、呪は出てきません。
ということと ぎゃてい・・・呪 説の意味と違いは?
素人衆々にも誰にでもわかりやすく仏の言葉でやさしく解き明かしてください
614 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 21:24:53 ID:y4c0a059
先ずはじめに、般若心経は『般若』の語句はありますが、 般若経典群には含まれません。 般若心経の、ギャテイ云々の前に、 「・・・故説般若波羅蜜多咒即説咒曰」とあります。 つまり、ギャテイ・・・が『般若波羅蜜多咒』です。 これは誰かの説でなく、経文そのものです。 そして、このような咒(=呪文)は般若経典群には出てこないのです。
615 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 21:26:06 ID:i7OJP/Dc
616 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 21:27:40 ID:wFCvbyJC
>>614 少し霧が晴れたのでお気になさらずに続けて解説おねがいいたします。
617 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 21:40:38 ID:y4c0a059
さて、般若心経の解説となると、これこそ宗派の違いが出てきます。 真言門の方は、陀羅尼を自家薬籠中のものとしていますから、呪文を中心とした解釈をなさるし、 禅門の方は、全般に添加された般若経の空の説明を、ものにこだわるなという解釈をします。 あまりに短すぎるため、解釈の余地が大き過ぎるのです。 この経の成立と発展は、おそらく真言門の中にあると私は思います。
618 :
typo :2005/11/27(日) 21:41:32 ID:y4c0a059
全般 → 前半
619 :
騎士 :2005/11/27(日) 21:43:11 ID:g6TsrlnW
神は愛です。限りない、無限の愛です。何も心配ありません。神の愛のなかにあなたがたは生きているのですから。世の虚しい思いにとらわれる必要はもうありません。神の愛はあなたがたの胸のなかに広がっているのですから
620 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 21:55:43 ID:y4c0a059
>>619 神は無慈悲です。基督教の聖者たちは殉教者が多いでしょう。
神は彼等を殉教させてしまった。神は愛だといえるだろうか?
仏教の教えは慈悲と智慧です。
畏れている者に安心を与える。これが仏教の教えの一つです。
621 :
騎士 :2005/11/27(日) 21:58:20 ID:g6TsrlnW
キリストを求める人生にはよろこびがあります。それは本当のよろこびです 私はそれを知らずに生きて来ました。しかし、もう過去の虚しい心、虚しい生きかたから私は解き放たれました。神が導いているからです 私は神を信じているつもりだった。けれど私は人を愛するということを知らなかった。でも、今は人を愛せます。神が私の心を開いて下さったからです。私はもう恐れません。
622 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 22:04:45 ID:y4c0a059
>>621 誰も貴方を束縛していません。行きなさい。ここに神はいません。
623 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 22:22:56 ID:x8OC0p8F
>>622 おかしなミシンの押し売りみたいな人の相手になさらずに般若心経の解説を続けてなさってください
624 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 22:24:35 ID:x8OC0p8F
>>622 押し売りの人とまともに取り合っても利益が得られることはそう多くはありません。
625 :
騎士 :2005/11/27(日) 22:26:27 ID:g6TsrlnW
私はミシン売りなのかも知れません。でもこのミシンは、ほころびた心を縫い、新しい服を用意してくださいます。どうか耳を傾けてください
626 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 22:37:19 ID:g0iZ2WKl
>>625 一応ここには般若心経の展示即売会場ですので
ミシンの営業はたとえそれがどんなに優れた逸物でもミシン売り場でお願いできませんか?
そのことを私はあなたに心からお願いします。
627 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 22:37:29 ID:y4c0a059
じゃあ、基督者からみた般若心経を説いてください。 そうでなかったらミシンは不要です。
628 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 22:40:01 ID:g0iZ2WKl
>>625 あなたが良いミシン売り場会場を新規に設立したというのであれば
その住所と広告を1行程度でここに書き記しておいてください。
興味をそそる広告であれば何人かの人は見に行くことでしょう。
629 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 22:43:02 ID:g0iZ2WKl
神の新約ミシン教というスレを立ててあれこれミシンの営業を説いてまわるというのも 面白いと思いますよ。そこであなたがもっともなことを次々におっしゃればミシンを買う人も大勢現れると思います。
630 :
騎士 :2005/11/27(日) 22:47:16 ID:g6TsrlnW
神を信じるのに知識は要りません。ただ愛があればいいのです。すべてを愛し抜こうという、力強く、勇気ある愛があればいいのです
631 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 22:49:46 ID:y4c0a059
仏教においては、 愛は苦の原因であり、否定します。
632 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 23:03:34 ID:RJs9fMAL
>>630 その程度のトークならあなたはミシンの営業マンとしては失格のように私は思います。
玄関も開けてもらえないかもしれません。
警察に通報されかねません。
あなたがミシンの宣教師でありたいと願うならば策を練って
新約旧約聖書を何十回も読んで
到底人知の及ばない神についてより詳しくより深く学び
出直してきたほうがよいでしょう。
633 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 23:07:12 ID:TP3+PMZX
>>622 おかしなミシンの押し売りみたいな人の相手になさらずに般若心経の解説を続けてなさってください
634 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 23:11:06 ID:y4c0a059
とりあえず落ちます。気が向いたらまた。
635 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 23:12:18 ID:8ab7qAOS
>>634 続きを楽しみにして待っていたのに残念・・・
636 :
騎士 :2005/11/27(日) 23:17:47 ID:g6TsrlnW
私は無学であり、あなたがたのような知識はありません。ですから無学ながらも大胆に語ることだけが私にある信仰なのです。皆さん、神を信じることに知識は恐らく必要ないでしょう。勇気をもって神の福音を告げて下さい
637 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 23:24:03 ID:jp7x4c3C
>>636 無学とか学歴、知能指数などそのようなことは神とそれほど関係はありません。
もしかしたら却って無学の方が神に愛されるのかもしれません、
しかし神のことが最も詳しく書かれている地上の書を新約旧約聖書と仮定するならば
それらをほとんど何度も読みもしないで
適当に誰か人や信者が言ったようなそれらしい文句を暗記して言い続ける
というのならばあなたは神と直接の関係が無い人と認定せざるを得ません。
638 :
騎士 :2005/11/27(日) 23:24:49 ID:g6TsrlnW
キリストの言葉は大いなる神の愛に満ちています。空虚な世界に救いをもたらします。わたしたちは過ぎ去りますが、神の言葉は永遠です。安易な空に頼らずに勇気を持って生きて下さい
639 :
名無しさん@3周年 :2005/11/27(日) 23:26:39 ID:jp7x4c3C
>>636 あなたはもっと新約旧約聖書を何十回も読み直してもよいと私は思います。
そうすればあなたのミシン販売のトークも奥行きが生まれ多くの人が興味を抱いて
耳を傾けることだろうと思います。
640 :
名無しさん@3周年 :2005/11/28(月) 00:11:20 ID:JfN8N+9r
>>638 ものみの塔か末日聖徒かモルモン教、大方そんな類でしょう。
聖書なんて空約束です。三宝に帰依しなさい。
641 :
名無しさん@3周年 :2005/11/28(月) 00:24:00 ID:y4oun7ME
>>638 私の場合はあなたが新約旧約聖書を何十回も読み直して
その上で再びミシンを売りに来ることがあったならあなたの話を
もう少しは耳を傾けて聞くつもりです。
そういうことをするつもりは無いというのであれば私はあなたの話を聞く耳を持ちませんと申し上げておきます。
642 :
名無しさん@3周年 :2005/11/28(月) 18:17:07 ID:sFnAoN1+
三流ミシン売りの練習セールスのせいでせっかくの般若心経の解説がお流れになっちゃったわよ だとしたら騎士はもう立派な犯罪者よ
>642 だね。贈り物も相手に断れるようじゃな。
644 :
名無しさん@3周年 :2005/11/28(月) 20:06:54 ID:NP16ah8H
他人のコンサート会場のステージに土足で無断で入り込んでコンサートを中断させ 音痴な歌を絶叫したあげく謝りとお詫びの一つもないなんてやっぱりどう考えても騎士は犯罪者よ
もんじゅのりけんは、しょけをたつ。かくものぼんもんはぢょうごのしなり。 ちく・まんのしんごんをしゅじとなす。しょきょうをがんぞうせるだらになり。
646 :
名無しさん@3周年 :2005/11/28(月) 20:26:54 ID:7R4bqy3j
ガテ―がテーの意味は和訳されているし、之がどうして(呪)とされて、あたかも 意味のわからない呪文として考え無ければ鳴らないと言う考えが出てきているの?
647 :
名無しさん@3周年 :2005/11/28(月) 20:29:25 ID:ctHq55P2
>>645 不思議な響きね。
それはどういう意味なの?詳しく説明してみて。
>>646 どう解釈しても文法的に矛盾が起きるからだそうな。
だから和訳も色々ある。
649 :
名無しさん@3周年 :2005/11/28(月) 20:42:27 ID:MU6LRVJl
650 :
名無しさん@3周年 :2005/11/28(月) 21:07:47 ID:7R4bqy3j
>>648 昔真如園に行った事がある。そしたら、ダラニの合唱であった。
全く意味が沸かないのだが、みんなで合唱しているとなんだかきれいな感じがしてきた。
意味が判らない、と言うことは、考えを排斥しているのだ。意味の判らないことを合唱して
考えることを排斥しているのだ、無念無相に導く一つの方便に違いない。
意味が判らなくとも、涅槃に居る事又は涅槃に至ることをスタート時点で信じて居なければなるまいよ。
>>649 ああ、すいません。
ところで、
>>649 のリンク先では、「種子とす」と書いてありますが、
私の持っている本(「般若心経秘鍵 金岡秀友著 太陽出版)では
「種子となす」となっているんです。どちらが正しいんでしょうか?
どちらでもいいんですかね?
652 :
名無しさん@3周年 :2005/11/28(月) 21:19:04 ID:pATnqJCt
>>651 >種子とす
それは本筋とはそんなに関係が無いんじゃないかしら?
あまりにも細かいところを気にしすぎなんじゃないかしら?
それとも重要な鍵の部分で大事なことなのかしら?
653 :
名無しさん@3周年 :2005/11/28(月) 21:27:04 ID:JfN8N+9r
>>651 原文は『爲』という字がありますから、『となす』が正しいでしょう。
訓読は読む人によって違いますから、意味が同じなら問題はありません。
>>652 もう少し読み込んでみようとおもいます。
ありがとうございました。
>>653 リロードしてませんでした。わざわざありがとうございます。
656 :
名無しさん@3周年 :2005/11/28(月) 21:33:41 ID:JfN8N+9r
>>646 梵語の真言や陀羅尼は、当時のインド人には意味がわかる人もいたでしょう。
呪文が意味のわからぬ言葉だというのは、全くの誤解です。
ギャテイ・・・は、別に無理やり呪文と考えているのではなくて、
要は、般若心経自身に『般若波羅蜜多呪』と書いてあるから呪文なのです。
>>646 さんが、自分は呪文と認めないと仰っても、経文に書いてあるのだから仕方がありませんね。
657 :
名無しさん@3周年 :2005/11/28(月) 23:59:26 ID:e3ndWzdH
┏━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┓ ┃ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ ┃ ┃般│ │多│呪│多│得│想│掛│所│亦│無│耳│不│是│異│蘊│観│摩┃ ┃若│ │呪│能│是│阿│究│礙│得│無│意│鼻│増│舎│色│皆│自│訶┃ ┃心│ │即│除│大│耨│竟│無│故│老│識│舌│不│利│色│空│在│般┃ ┃経│ │説│一│神│多│涅│掛│菩│死│界│身│減│子│即│度│菩│若┃ ┃ │ │呪│切│呪│羅│槃│礙│提│盡│無│意│是│是│是│一│薩│波┃ ┃ │ │曰│苦│是│三│三│故│薩│無│無│無│故│諸│空│切│行│羅┃ ┃ │波│ │真│大│藐│世│無│陀│苦│明│色│空│法│空│苦│深│蜜┃ ┃ │羅│羯│実│明│三│諸│有│依│集│亦│聲│中│空│即│厄│般│多┃ ┃ │僧│諦│不│呪│菩│佛│恐│般│滅│無│香│無│相│是│舎│若│心┃ ┃ │羯│羯│虚│是│提│依│怖│若│道│無│味│色│不│色│利│波│経┃ ┃ │諦│諦│故│無│故│般│遠│波│無│明│觸│無│生│受│子│羅│ ┃ ┃ │ │ │説│上│知│若│離│羅│智│盡│法│受│不│想│色│蜜│ ┃ ┃ │菩│波│般│呪│般│波│一│蜜│亦│乃│無│想│滅│行│不│多│ ┃ ┃ │提│羅│若│是│若│羅│切│多│無│至│眼│行│不│識│異│時│ ┃ ┃ │薩│羯│波│無│波│蜜│顛│故│得│無│界│識│垢│亦│空│照│ ┃ ┃ │婆│提│羅│等│羅│多│倒│心│以│老│乃│無│不│復│空│見│ ┃ ┃ │訶│ │蜜│等│蜜│故│夢│無│無│死│至│眼│浄│如│不│五│ ┃ ┃ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ ┃ ┗━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┛
>>656 確かに「即説咒曰〜」(すなわちその咒は〜)と書かれていましたね。
漢訳版の元になった般若心経はサンスクリット版ですが,そもそもそれがオリジナル言語で
あったかどうか判っていないということを考えると,サンスクリット版もインド東部の言語からの
翻訳であった可能性もありますでしょうし。 そう考えると咒の内容をサンスクリットで解釈する
というのは矛盾が出て当たり前のことなのかもしれません。
(咒や陀羅尼の成立年代を調べてみれば,元々が何語であったのかという手掛かりが
得られ,書かれてある意味を確定できるかもしれませんね。)
659 :
名無しさん@3周年 :2005/11/29(火) 20:31:35 ID:168JDtYV
般若心経は中国で作られ、それが中国人によってサンスクリット語に訳されたという説もあります。
ジャン・ナティエというインディアナ大学の教授の説で、なんと京都の牧師さんによって紹介されています。
ttp://fkk.cside.com/framepage4 ただ、この先生は日本でも研究された人のようですが、日本の学界では黙殺されているのか、話題になっていません。
660 :
名無しさん@3周年 :2005/11/29(火) 20:46:34 ID:sj2y/ixO
掲諦掲諦波羅掲諦 という部分はチベット語とされているが 英語やギリシャ語との類縁関係があるような気がしてならない。 gate gate という部分は英語のgo go みたいなものだし para gate の para はギリシャ語のpara(παρα)すなわち「反対の」で ずっと前に見た和訳「行け、行け、彼岸へ行け」と通じる。
661 :
名無しさん@3周年 :2005/11/29(火) 20:59:57 ID:168JDtYV
ヨーロッパの言葉は、インド=ヨーロッパ語族といって、ヒッタイト語が広まったものです。 だから、似ている単語が多いです。 わが日本語は、朝鮮語やモンゴル語と仲間で、アルタイ語族といいます。 中国語は、よく知りません。
662 :
名無しさん@3周年 :2005/11/29(火) 21:07:39 ID:qRzbI+ry
般若心経って仏教の中でどのように位置づけ られているのですか? キリスト教だと聖書以外に教えが無いけど 仏教だと法華経や観音経などがあって 諸派で意見が違いどれが釈迦の教えだかわかりません。
663 :
名無しさん@3周年 :2005/11/29(火) 21:20:10 ID:168JDtYV
>>662 どこに釈迦の教えがあるのか分かりませんが、私はそれでいいと思っています。
遠い昔に、釈尊から始まった教えは、様々に変化し、時には釈尊と反対の教えになったり、
果てしなく広まっています。それぞれが対立したり、互いに影響し合いながら現在まで来ました。
これらを、総称して仏教というのです。キリスト教みたいに正統・異端はありません。
ときにはいがみ合ったりすることもあるでしょう。
しかし、それも長い歴史の中のエピソードに過ぎません。
多くの経典に、様々に優劣をつけたりしたのも、仏教の中の一つの流れです。
般若心経をどのように位置づけるか、というのも様々です。宗派によって違います。
664 :
名無しさん@3周年 :2005/11/29(火) 21:52:23 ID:pIuNO3aW
>>663 仏教はやはり縁起と空だと思います。いろいろな仏教宗派があっても縁起と空を根本にしていませんか?
縁起と空を体得した仏が、キリスト教の神の様に存在しても間違いではないと思います。
般若経ではまさに空と仏は同一であり、それ以上のものは無いとしていますし、
キリスト教を良く調べても、縁起と空の思想を変容していると思います。
ギリシャのパルメニデスは、まさに、仏教であると言えます。彼も縁起と空の思想を説明しているのです。
釈迦は、自分のほかにも、仏は居るし、彼のもとで修行して仏になる人としてシャリホツその他を上げている
ことは言うまでも無いです。釈迦は真理として縁起と空しかないと思っていたのですから、
ギリシャにパルメニデスが居たのを知っていたら、少しも驚かなかったと思います。
665 :
名無しさん@3周年 :2005/11/29(火) 21:52:40 ID:hTJqsiVK
666 :
名無しさん@3周年 :2005/11/29(火) 22:07:58 ID:168JDtYV
>>664 相変わらずの珍説ですね。
現在流布している経にはそのようなことが書いてあるのもありますが、
縁起と空のセットを釈尊が説いたということはなさそうです。
縁起は、おそらく古層に属する仏教教団の教義でしょう。
しかし、空は部派仏教の時代あたりから説かれていますが、
初期大乗時代に移ってから、大きく意味が変わります。(般若経の空)
667 :
名無しさん@3周年 :2005/11/29(火) 22:15:51 ID:168JDtYV
>>666 続き
ついでに申し添えますと、パルメニデスは、仏教的に行ってみれば『有』の哲学者で、
縁起や空とは縁遠いところにあります。
新約聖書には、般若経と類似の内容がありますが、縁起と空などは全く違います。
668 :
名無しさん@3周年 :2005/11/29(火) 22:19:56 ID:168JDtYV
>>665 確かに、日本語がアルタイ語族に属するというのは一つの説です。
現在は、違うという?の方が強いようです。
しかし、民族的には日本人はアルタイ諸民族のようです。
669 :
名無しさん@3周年 :2005/11/29(火) 22:40:10 ID:168JDtYV
>>664 般若心経は縁起説を否定している。
「無無明亦無無明尽乃至無老死亦老死尽」
670 :
名無しさん@3周年 :2005/11/29(火) 23:14:41 ID:pIuNO3aW
それゆえにシャリープトラーよ。空の中には物質はなく、感覚はなく、思いはなく、
行いはなく、認識はなく、眼、耳、鼻、舌、触覚、心はなく、物質の声、香り、味、
>>669 [「触覚、存在はなく、目に見える界に至るまでない。さらに意識の界に至るまでなく、
煩悩も、知識が尽きることもない。さらに老い、死、老いや死が尽きることすらない。
苦しみも、その原因も、消えることも、道もなく、知恵もなく、獲得すべきものはなく、
獲得すべきものがないので覚有情の智恵の第一義に順応するため、心に煩悩の妨げなく、
妄想を超越し、究極の智恵を持つ。」
独学なんですが、お寺廻りして仏の前で唱えたりしてもいいのかな?
672 :
名無しさん@3周年 :2005/11/29(火) 23:39:55 ID:pIuNO3aW
ものすごく喜ばれるんじゃない?独学と言うのは関係ないと思う。 それから、人に伝えることもすごく喜ばれると思う。その功徳は絶大。 般若心教ではわからないけど、八千ジュ般若今日とか、大品般若経を読めば そのことが書いてあるから、確認できる。
674 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 07:22:23 ID:uY87/cZo
>>673 お寺の住職などが喜ぶと言うのじゃないよ。仏様が喜ばれると言うことだ。
その真理を共有する人も、喜ぶ、本心では。と言うのは、例えばキリスト教徒は、一応
排するだろう、しかし、本心では拒否していないと思う。仏教の全ての宗派が、
それを処依の経典としているわけではない。
>>674 キリスト教徒によっては本心から拒否することもあるかもしれません。
また,キリスト教徒等,他宗教の人たちに加えて,浄土真宗,日蓮宗の人たちも
般若心経にいい顔はしないかもしれません。
仏様は喜ばれるかもしれないが,生きている周囲の人たちのことに配慮するのも
また重要なことかと思います。
676 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 17:21:27 ID:xFVpiX65
インド人のお客さんに最高のもてなしをしようとして 高級和牛サーロインステーキを大奮発して用意したつもりが 逆鱗にふれたり とかそうことはあるんじゃないのかしら。
677 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 17:34:46 ID:orjdb/G8
般若心教の教えは、病気は無い、争いは無い、悪いことは無い、悩む種は無い。 こう言う教えを誰が嫌がる?いやもっと大事なこと、生老病死は無い、こう言うことをお互いに確認 し合うのだよ。 このとき、その訳を話せる様で無ければならない、縁起の理法を説くのだ。
678 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 17:47:24 ID:12xPG844
キリスト教のいくらかの人の中には仏教を無神論と認識して そのことだけでもいやがる人がいるらしいわよ。 道理や理屈や正しいことをいって何が悪いとかそういう問題じゃなくて。 だから地動説の人かなんかだって牢屋に入れられたじゃない。 そういうニュアンスのことだよ。
679 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 17:56:40 ID:l3+lFdHG
般若心教の深遠な教えを寝ぼけたキリスト教徒に講釈して 夢からさましてやろう、みたいな動機からやるのなら それでもいいと思うけど 単純に知り合いのキリスト教徒の人にお祝いの言葉をいって喜んで もらうことが第一目的だったらお世辞でも「神様のご加護がありますように」 って言ってあげたほうが喜んでくれように思うわよ。
680 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 18:07:05 ID:orjdb/G8
キリスト教の目的は(天国)であり、それは般若心教の言う浄土(仏の国)と異ならない と見るのが自然じゃない?キリスト教は、天地創造と言うけど、天国に入るのに、天地創造は イエスさんは関係あらしめていないよ。だから俺はイエスさんの教えは、仏教の教えと同じ真理 即ち、般若の智慧から来ていると見ているんだけど、そして、イエスさんの天国は、浄土と同じなんだよ。 浄土と言うのは極楽浄土。
681 :
679 :2005/11/30(水) 18:23:17 ID:DqQTh5Jv
>>680 あなたみたいに心や理解が広い人ばっかりだと余計な気を必要以上にまわしたり宗教同士の争いとかがなくなるのにねえ。
682 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 18:57:24 ID:orjdb/G8
679さんはいささか現実的ですね。w
683 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 19:01:52 ID:SeeN/ayH
上座部仏教のスマナサーラ長老は、般若心経も間違ってると言ってる
684 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 19:09:59 ID:orjdb/G8
685 :
679 :2005/11/30(水) 19:24:30 ID:lOGT1gJz
>>682 あなたのおっしゃる通りできればなるべく眠りから覚めることを望む人間です
686 :
679 :2005/11/30(水) 19:26:45 ID:lOGT1gJz
>>683 その話は聞いてみたいですね。
よろしければ詳しくお聞かせ願えますか?
詳細が容易でなければ大筋の道理をお聞かせ願えませんでしょうか?
687 :
679 :2005/11/30(水) 19:29:04 ID:lOGT1gJz
>>683 その内容次第によってはスマナサーラ長老の自分の認識の中での位置づけが
変動してしまいます(もちろん主観的に)。
詳細は不明ですが,色即是空は正しいが空即是色は間違っていると いうのが論点のようです。
689 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 19:56:36 ID:M7GRMknX
>>688 その説明をきいた限りでは全然わかりにくいわねえ。どうとでもうけとれちゃうし。
こっちもそれに対して何かをいうことはできんですよ。
690 :
679 :2005/11/30(水) 19:58:34 ID:M7GRMknX
自分は長老信者ではないし ましてや長老反信者でもないから。 言葉を聴いて判断するより他は無いから・・。
691 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 20:11:01 ID:orjdb/G8
>>688 実は私もその点に付いて、少しどの様に解釈したらいいか判らないままだったのだ。
そこで、長老の意見がどのようなものかはっきりするまで、自分たちで考えてみたいと思うのです。
いささか生意気ですが、679さん私の質問に答えて欲しいのです。判る範囲で良いのですよ。
色とはどの様に定義していますか?
692 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 20:42:56 ID:orjdb/G8
済みません、勝手なことを言いました。 それでは自分で言うことにします。
693 :
679 :2005/11/30(水) 20:44:33 ID:jYxFtq5a
>>691 >>688 さんはあんまりは詳しくご存知無いみたいだし
そんなに細かく問い詰めたら気の毒ですよ。この件に関しましては
また何か新しい詳しい情報とかが入った時に
>>688 さんか
あるいは別の方が報告してくれると思います。
今すぐに急にみたいなことにはならないのだと思います。
また勝手にその場しのぎみたいなことやおおざっぱすぎることを
いってしまうとかえって長老の信用を損なってしまうように思います。
694 :
679 :2005/11/30(水) 20:52:32 ID:tIWPwgnJ
>>692 それはきいてみたいですね。是非お願いします。
695 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 20:53:55 ID:xtA2QucV
無明はどう訳せば良いのですか? 本能、それとも、あらゆる欲?
696 :
679 :2005/11/30(水) 21:07:52 ID:ZJ24wMit
定義一つ意見するにしても命みたいなもんだから 命がけ行為になっちゃうわね。 無明はこれこれこうです、とかいって何寝言言ってんだよ全然違うよ、 とかいわれちゃったら死にかねないわけだし。 だけど般若心経の場合は最後に般若心経すらもっとくと不吉なことがおこるから 役目が終わったら燃やして捨ててしまえみたいな風になってるから その辺りはすごいところなのかしら。
697 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 21:31:54 ID:orjdb/G8
>>692 疑問のところまで。
いま三角形があるとします。三角形は三辺の内部とその他の部分からなっているんですよね。
決して三辺の内部だけで三角形はあるのではないのですよ。三辺の外部も、それ自身ではないのです。
これを三辺の内部と外部は縁起していると言うのですよね。そして、縁起関係によって存在しているものには
自性が無い即ち空であると言うのが定説になっているよね。だから、自性の無いもの、ここでは、
三辺の内部だけに執着して、三辺の内部だけであると思ってはならない、又は、三辺の外部だけでそれが存在していると思って
三辺の外部に執着してはならない、と言うのですよね。ここまでは判るんですよ。
そこで、空であると言うのは、三辺の内部が空であること、及び、三辺の外部が空であること、だと言うことでしょう。
遅れましたが、三辺の内部を形態と言い、それは一つの色を持つと言うのですよね。外部も同様に。
それから、三辺の内部の形態とその色は同一のものであると言うことを認めねばなりませんよね。だから三辺の外部にも、その形態と同一の
色があるんですよ。この色とその形態を総称して(色)と言っているのだと思うのです。
この識が空であると言うですが、私が判らないのは、縁起と言う関係は、何であって、それは何処に行ったのかと言うことなんです。
縁起を認めること、それは我々の知性だと思うのです。この知性が色が空であると教えてくれたのである、とこれだけで良いものでしょうか?
698 :
679 :2005/11/30(水) 21:43:19 ID:pH1RgvuI
>>697 前半部分はすごく丁寧でごくごく分りやすい優れた説明のようにおもうけど
>縁起と言う関係は、何であって、それは何処に行ったのかと言うことなんです。
>縁起を認めること、それは我々の知性だと思うのです。この知性が色が空であると教えてくれたのである、とこれだけで良いものでしょうか?
↑この辺が少しわかりにくいわね。ここをもうすこしわかりやすく話してくれないかしら?
699 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 21:49:09 ID:orjdb/G8
上は色即是空でしたが、空即是色は、どの様に考えるべきでしょうか? 空と言うのはあくまでも実体が無いと言うことで、考えるべきものではないのですよね。 所がそこに色が見えるのです。そしたら、色即是空となって、色が空と認める事になるので良いのでしょうか? 知性と言いましたが、知性は、空の真理(色即是空、空即是色)と縁起していると考えて、これも最終的に、空である、と考えて良いのでしょうか?
700 :
679 :2005/11/30(水) 21:49:28 ID:+h0OoJjm
縁起=関係 0→泡バブル→0 ←時間軸→
701 :
679 :2005/11/30(水) 21:51:29 ID:+h0OoJjm
>>699 色=空のとき
空=色○
空≠色x
と思いますが・・・
702 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 21:59:06 ID:1WidBv/G
みなさん、色ばかり弄ってらっしゃいますが、 受・想・行・識はどこへ捨ててしまわれたんですか?w
>>702 さんの知識で
受・想・行・識をうまく説明してみてください
704 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 22:14:48 ID:orjdb/G8
>>701 同意します。この様に考えれば、何も問題ないようですね。当たり前のことです。
長老がどの様にこの考えに疑問を呈するのか興味があります。
>>700 の疑問を解決する前に、こちらのほうが解明されるべきと思います。
それは、色と言うとき、いろいろな形態をそしていろいろな形態にはそれぞれの色彩があると考えるべきだと思うのですが、
そう言う色と形態の、他のものとの関係を、(色)という言葉は持っているのだと言うことです。
赤、青、黄色、これらを総称して色と言うのです。赤は青無くしてないし、黄色は赤無くしてないのですから、それぞれの色は
縁起しているのですよね。つまり、青と言う色だけでも縁起関係を表しているのではないでしょうか?
有る物が存在していると認めることは実際生活において必要なんですが、それは執着ではなく、
縁起を認める事に他ならない、ではないかと思うのですが。だとすれば、色即是空で、
色は空であって、存在を認めるものではないと、考えたら、間違いで、色(形態)を認めることは、
むしろ必要なことではないでしょうか?できるだけ間違い無く、こぼれるところ無く認めることが求められるのではないでしょうか?
705 :
679 :2005/11/30(水) 22:19:18 ID:LPcI/ZYC
>>704 存在の相対性理論みたいな話ですね
独立してそれが存在たりえない みたいな。
これがあるからあれがあるあれがあるからこれがある・・みたいな。
706 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 22:22:21 ID:orjdb/G8
>>704 いや間違いだ、縁起して居る事は当然のこととして、したがって、空であると判断してとらわれることがあってはならないのだ。
707 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 22:28:37 ID:orjdb/G8
>>705 >独立してそれが存在たりえない みたいな。
これがあるからあれがあるあれがあるからこれがある・・みたいな。
まさにそれですよ。
物理化学の世界の学問は縁起関係の追及にほかならならないと思うのですが、
それを否定する人がいますけど、それは誤解ではないでしょうか?仏教では執着しないになりますが、
科学では反対に執着するんですね。
708 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 22:31:36 ID:h0bVRR3T
>>704 このような考えを、偏空といいます。
ちょっと勉強した人が陥りやすい罠。般若経典をよく読めば分かります。
色即是空 空即是色 等は、仮説であると、はっきり言っています。
真理は言葉で表すことができないが、言葉で説くしかない、ということです。
709 :
やっぱりレスしとくかw :2005/11/30(水) 22:33:03 ID:1WidBv/G
五蘊=人間。(実存的に捉えれば、私という存在。) → 広義の色で考えれば、一切の存在。 色=物質および肉体(或いは、視覚によって知覚されるもの) → 「五蘊に於いてのみの狭義の色であれば、(この私の)肉体のみを指す」という見方もあり。 ちなみに、色(rupa)の語源は「壊れるもの、変化するもの」。 受=感受作用。 想=表象作用。(印象、イメージとも。) 行=意思及び受想識以外の心作用。→(十二支)縁起や、諸行無常で言われる行とは違う。(原語は同じだけどねw) 〔作意(注意)・(和合としての)触・思(意思)・定(精神統一)・念(忘れないこと)・慧(知的作用)・etc.〕 識=認識作用・意識。或いは(六識の総体という見方をすれば)認識主体との解釈もありうる。 色即是空=色は、空なる性質を持っている。(縁起するものである) → 空そのものではない。 空即是色=空なる性質を持つものは、すなわち色である。 当然、受想行識についても同様に見る。
710 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 22:38:21 ID:orjdb/G8
>>708 >色即是空 空即是色 等は、仮説であると、はっきり言っています。
どの言葉で言っていますか?
空相非空相処 空相非空相処非空相非空相処 ・・・∞
712 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 22:51:55 ID:h0bVRR3T
一口に縁起といても、そう単純なものではない。 縁起とは、因縁生起の略。 一般に代表的な考え方として、四種縁起があげられる。 1.業感縁起:原始仏教から説かれている十二支縁起 2.阿頼耶識縁起:瑜伽行唯識派 3.如来蔵縁起:如来蔵思想 4.法界縁起:華厳宗 これ等のうち、上↑の議論で言及されているのは、1の業感縁起である。
713 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 22:52:28 ID:orjdb/G8
あらゆる言葉は縁起している。縁起している以上あらゆる言葉に実体は無い。言葉は空である。 したがって、言葉に執着してはならない。こう言うことか? 受想行識、これらは心の変化と捉えるべきではないか?縁起により心の変化が生じると。 縁起した心は実体が無い、故に空である、心に執着してはならない。ということか?
>>708 もうちょっと慈しみ溢れる言葉で諭してあげても良い気がします。
みんなふざけたり面白半分で仏教の本読んだり勉強したり瞑想したり
しているわけじゃないと思うから。
あんたの理解は間違っている、ワシのいうこの解釈が正しい、 みたいな感じになってくるのだとしたら 少なくとも般若心経の理解はともかく仏教の教えを理解している人 じゃないですよ。苦しんで苦しめる人ですよ。
筏を人に自慢して筏で人を苦しめる人ですよ。仏教の人じゃないですよ。
717 :
716 :2005/11/30(水) 23:06:46 ID:C4RjXfQJ
少し悪い風に言い過ぎました。謝ります。気に障ったらごめんなさい。
般若心経の編者(及び訳者)が、もっと簡略化して 五蘊不異空、空不異五蘊、五蘊即是空、空即是五蘊。 或いは、 五蘊不異空性、空性不異五蘊、五蘊即是空性、空性即五蘊。 としていたら、現代の般若心経の広まり方や理解のされ方は かなり違っていたかもねw てか、心経なんかは、極めるほどのこともないっしょw トイレに掛かってるみつをの言葉と同じくらいの受け止め方で自分の生活に活かしていけばいい訳で・・・(^^)v これほど、短くて、受け止め方の幅を許し、かつエッセンスの凝縮された経は少ないよw よっぽどトンデモな理解でなければいいんじゃない?
719 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 23:10:05 ID:orjdb/G8
>>711 >空相非空相処非空相非空相処
上の言葉は般若心経にありませんが?
720 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 23:13:26 ID:h0bVRR3T
>>713 心の変化を云々するのは、般若経よりも後の時代で、
瑜伽行唯識派あたりからです。
般若経は、静的に真理を解き明かしますが、
覚りに到達するまでの心の動きに関しては説いていません。
心の動きをダイナミックに捉え、研究するのが瑜伽行唯識派です。
玄奘三蔵がインドに行って学んできた教学です。
言葉は縁起しているという表現は見聞したことがありません。
般若経は、『名字』という表現をします。
一切は空であり、名称と文字があるだけだ。つまり概念だけだということ。
ここから→名称と文字を使って説く→仮説、ということになります。
722 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 23:26:41 ID:h0bVRR3T
>>710 大品般若経 三假品第七に、
「須菩提、譬えば色・受・想・行・識の如きも、亦た和合の故に有り。
是れ亦た不生・不滅にして、但だ世間の名字を以ての故に説く」
とあります。
須菩提。譬如色受想行識。亦和合故有。是亦不生不滅。但以世間名字故説。
723 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 23:27:42 ID:orjdb/G8
725 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 23:40:08 ID:orjdb/G8
>>724 > 、但だ世間の名字を以ての故に説く」
せけんで、色受想行識に相当する言葉があるから、それに言及しただけであると言う意味ですか?
726 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 23:54:17 ID:orjdb/G8
>>709 >色即是空=色は、空なる性質を持っている。(縁起するものである) → 空そのものではない
上には異議があります。空とは、中身が空っぽと言う意味の様に採られがちですが、中身も外見もないと言う意味で無ければ成らないと思います。
中身にとらわれなとしても、外見にとらわれると言うのは、とらわれから離脱していません。
だから外見にもとらわれてはならないのですから、外見も無いと解すべきだと思うのです。
だから一切は(無)であると言うのが良いのではないでしょうか?
>>725 >空相非空相処非空相非空相処
の話じゃなかったの?
728 :
名無しさん@3周年 :2005/11/30(水) 23:59:11 ID:orjdb/G8
>>727 漢文は苦手です。空相は空相にあらず、と言う意味でしょう?
最終的には、この様に縁起している言葉は否定されるべきでしょうと思います。
729 :
727 :2005/12/01(木) 00:00:44 ID:LpzeMXQe
>>728 それはそのとおりですね。そう思います。
730 :
727 :2005/12/01(木) 00:02:02 ID:wotYEBVR
言葉が筏とか地図とか道しるべとかそういう感じには思っています。 仮橋みたいなイメージ。
>>726 rupam syunyata syunyataiva rupam.
rupam na prthak syunyata syunyataya na prthag rupam.
yad rupam sa sunyata ya sunyata tad rupam.
evam eva vedana sanjna samskara vijnanani.
732 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 00:34:33 ID:ziHEivB8
>>725 違います。
ただ、世間の言葉を使って説くのだ、ということです。
733 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 00:39:50 ID:ziHEivB8
>>711 金剛三昧経ですか?
これは中国撰述の偽経といわれています。(般若心経もそうかも・・・)
734 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 00:42:38 ID:ziHEivB8
>>730 言葉は真理を伝えるには不完全であるが、言葉しかない、ということでしょう。
これをある面で徹底したのが、中国唐代の禅です。不立文字。
735 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 00:46:26 ID:0JsRIHTl
禅も 完全な無から地図なしで歩くというよりは 十牛図とかがあるのかしら。 それとも十牛図すら無しに只座禅というのがあるのかしら。
736 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 00:53:03 ID:ziHEivB8
唐代の禅は、むしろ、歩かないといった方が譬えとして合っています。 ここは禅のスレでないので控えましょう。
737 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 12:16:14 ID:wGYoGyQW
般若心経と観音経って何か関連があるのですか? 般若心経を暗記したので 今度は観音経に挑戦してみたいと思ったのですが...。
738 :
688 :2005/12/01(木) 14:17:38 ID:UpdGzMZx
>>693 時差のある国から書き込みをしてるので,タイミングを逸してる点をご容赦ください。
「色即是空」は正しく「空即是色」は論理的に間違っており,お釈迦様もそう言っては
いないと長老が述べられているという点しか私は存じておりません。
玄侑宗久師とスマナサーラ長老の対談を収録した書籍,「なぜ、悩む!―幸せになる
こころのしくみ」において言及されているようですが,私は持っておりませんので。
このため詳細につきましては,どなたかにお任せすることになると思います。
ちなみに私は「色」を「自らの肉体とそれ以外を隔てる架空の境界線」であると定義しています。
(架空の境界線とは地図の県境を示す点線のようなものです。)
これは,極めて狭い定義と言えますが,件の節は,観自在菩薩が智恵第一の舎利子に一つ
一つ解説していく部分の冒頭になっているため,もっとも五蘊(肉体を含む自我)に近い(いわば
判りやすい)ところから説き始めているのではないかと解釈しています。
つまり「五蘊皆空」→「一切苦厄」までの過程を順々に説いているのではないかと考えている
わけです。
このため心経全体の組み立ては,五蘊を構成する要素それぞれに対して色=空,
受=空,想=空,行=空,識=空を述べ,そこから五蘊(=諸法)=空を導き出し,
生滅垢浄増減が無いことを導いているのではないかと考えています。
その後,空そのものに目を転じ,空の観点から五蘊,十八界が無いことを説き,
五蘊,十八界が無ければ十二縁起も無い,十二縁起もないから四聖諦も無い,,,
そして智も得も無いと説いているように思えるのです。
739 :
688 :2005/12/01(木) 14:18:11 ID:UpdGzMZx
>>709 >色即是空=色は、空なる性質を持っている。(縁起するものである) → 空そのものではない
法月訳「普遍智蔵般若波羅蜜多心経」では,「色性是空空性是色。色不異空空不異色。色即是空空即是色。」
となっています(サンスクリット版でも同じ)。
この「色性是空」であれば上記の解釈でよいと考えています。
しかし,「色性是空」と「色即是空」という双方の表現が同時に使われているということは,
「色性是空」≠「色即是空」であるということではないでしょうか?
(ただし「色性是空」から「色即是空」を導き出せるということであるはずですが。)
>>739 sktはすべてsu^nya『ta^』(岩波文庫 解題)
漢訳経典は、音韻とかリズムも重要視されていたのではなかろうか。
が、そうは言いながらも、漢訳者の意図を探し出すのもまた面白いものであるだろう。
(でも、おいらに聞かないでね。詳しくないからw)
741 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 18:13:29 ID:B0u/cUjb
742 :
688 :2005/12/01(木) 18:32:46 ID:wnt5FA4h
>>肉体も最初は色じゃなかったっけ。 しかし髪の毛や爪のことを考えると,その境界は非常に曖昧なものになります。 また,四肢を落とされた場合,その四肢は自分なのか,,,と。 そうすると所詮肉体は食べたものが変化したものに過ぎなくなるのではないでしょうか。
743 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 19:31:57 ID:Tq6wUf9e
>>742 腕切り落として落ちた腕は自分じゃない・・・じゃなかったけ?
無所有じゃなかったけ?
所有は想念(執着、虚妄)じゃなかったけ?
744 :
688 :2005/12/01(木) 19:43:53 ID:wnt5FA4h
そうです。 切り落とされれば,その腕は自分では無くなります。 A県とB県の県境に行って,A県側に落ちている岩を拾ってB県側に放り投げたとしましょう。 B県側に落ちた岩はB県の土地を構成するものになるはずであり,その岩がA県の「飛び地」 になることはありません。 つまり「色」としての自分は,自分が考えている架空の境界線でしかないと思えるわけです。
745 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 19:45:39 ID:gvNWSAsM
はにゃ〜ん
746 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 20:20:04 ID:qNnVcnN1
色 (仏教)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
色(しき、ruupa (sanskrit))とは、一般に言う存在のことである。「色法」と同じ意味。
仏教では、修行・禅定を前提に考えるので、存在はすべて物質的現象とみる。
感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって認識する対象(境)の一つで、眼識の対象。
認識の対象となる物質的現象の総称。
物質的現象であるから、諸行無常、諸法無我であり、縁起であるからこのような現象が生じている。
般若心経の「色即是空 空即是色」における色は、「色・受・想・行・識」の五蘊(ごうん)の一つである。
五薀とは人間の構成要素のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2
>修行・禅定を前提に考えるので、存在はすべて物質的現象とみる。 意味不明な文章だな。ワケワカランw
748 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 20:48:52 ID:qNnVcnN1
>>747 ウィキペディア(Wikipedia)』 の説明は未だ完成されたものではないらしい。
749 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 22:17:32 ID:ziHEivB8
>>746 Wikipedia の記事を書いた人は、きっと瑜伽行唯識派から禅門の学生ですね。
文章が下手だから、論文などの作成に熟練した人ではないでしょう。
750 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 22:22:22 ID:ziHEivB8
色 しき 仏教用語で物質のこと。 物質を表すのに仏教ではサンスクリット語でルーパr仝paという語を用いるが, この語は色と漢訳される。物質といっても現代でいう原子・分子からなる事物を意味するのではない。 それは (1) 同一空間に 2 者が共存できないもの (質礙 (ぜつげ) ), (2) 変化して壊れてゆくもの (変壊 (へんね) ), (3) 悩まされるもの (悩壊 (のうえ) )という三つの性質を備えたものとして次のようなものを色と考える。 まず五蘊(ごうん) のなかの一つである色蘊の色とは,こころに対応する物質的なるものの総称であり, 具体的には五根 (眼,耳,鼻,舌,身の五つの感覚器官) と五境 (色,声,香,味,触の五つの感覚対象) と 無表色 (戒体など具体的に知覚されない物質的なるもの) との 11 種がある。次に五境の一つの色とは, 視覚の対象となる〈いろ〉 (顕色 (けんじき) )と〈かたち〉 (形色 (ぎようしき) )とをいう。 このように仏教で用いる色という語には広義の色と狭義の色との二つの意味がある。 《般若心経》のなかにある有名な〈色即是空,空即是色〉の色は広義の意味の色,すなわち色蘊の色である。 横山 紘一
751 :
無色無 :2005/12/01(木) 23:12:29 ID:ixx0Gktv
坊主ども聞くがよい 色不異空空 不異色色 即是空空 即是色 受想行識 無色無 受想行識 知識で遊ばず精進するべし
752 :
名無しさん@3周年 :2005/12/01(木) 23:22:57 ID:qNnVcnN1
>>737 観世音菩薩のことを書いたのが観音経だろう?観世音菩薩は、般若ハラミッタを知って、
仏となったのだよ。般若心経を良く理解し、観世音菩薩をよく知って、観音経を読誦するのは、
ベストじゃないかね?
753 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 01:15:51 ID:JrcWBAE1
754 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 03:48:49 ID:YM8IBIHu
六境の色はいろ・かたちで眼の対象 ―――狭義の色 五蘊の色は、六境のすべてを包括する―――広義の色 〔色〕については↑のようにコンパクトに理解すると憶えやすいと思います。
>>751 その切り方じゃ意味不明の漢文にならないか?
色不異空空。不異色色。即是空空。即是色。受想行識。無色無。受想行識
>>754 五蘊とは元々「自分とは何か?」を分析する過程で見つけ出されたものですよね?
だとしたら、五蘊における「色」は「自らの肉体」という狭義の解釈もあるのでは
なかろうかと思う。
もっとも、この五蘊は「自分を構成する五蘊」という限定された狭義の(原始的な)五蘊なんだが。
757 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 08:44:07 ID:RG3rYZdF
>>753 まだまだ修行と勉強が足りないからじゃないw?
758 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 18:51:25 ID:RG3rYZdF
759 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 21:17:41 ID:84E3sJFN
emptyness という本もあったし、また void というのもありますよ。
760 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 21:26:07 ID:84E3sJFN
五蘊ごうん 原始仏教以来説かれる存在分類法。サンスクリットでは、パンチャ・スカンダという。 生命的存在である〈有情〉を構成する五つの要素すなわち、 色(しき)、受(じゆ)、想(そう)、行(ぎよう)、識(しき)の五つをいう。 このうち色(ルーパ)には、肉体を構成する五つの感覚器官(五根)と、 それら感覚器官の五つの対象(五境)と、 および行為の潜在的な残気(無表色(むひようしき))とが含まれる。 受(ベーダナー)とは、苦、楽、不苦不楽の三つの感受作用をいう。 想(サンジュニャー)とは対象が何であるかを認知する知覚作用をいう。 行(サンスカーラ)とは、行為を生み出す意志作用をはじめとするさまざまな心的作用をいう。 識(ビジュニャーナ)とは、広く感覚・知覚・思考作用を含んだ認識作用であり、 眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の六識をいう。 横山紘一
761 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 22:13:17 ID:RG3rYZdF
>>759 nothingと言う表記はありますか?
762 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 22:20:55 ID:RG3rYZdF
真理が何も無いと言う意味で、そのことが我々に絶大な平安をもたらしてくれる、そのようなものとして 説かれて居る事を再認識すべきじゃないかな?
763 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 22:33:57 ID:84E3sJFN
>>761 nothing というのは出くわしたことがありません。
有るとか、無いとかの分別を離れるのが般若の智慧ですから、ちょっと考えられません。
764 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 22:37:39 ID:84E3sJFN
>>762 真理は無いのではなく、不可得=実体として認知できない、ということです。
有るとすると、実体があるということになります。
こういうのを空とよぶのです。
765 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 22:51:03 ID:RG3rYZdF
1068 師は答えた、 「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、 ──それは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」と。 ------------------------------------------------------------ ◆<7、学生ウバシーヴァの質問>◆ -------------------------------------------------------------------------------- 1069 ウバシーヴァさんがたずねた、「シャカ族の方よ。わたしは、独りで他のものにたよることなくして大きな煩悩の激流をわたることはできません。 わたしがたよってこの激流をわたり得る<よりどころ>をお説きください。あまねく見る方よ。」 1070 師(ブッダ)は言われた、「ウバシーヴァよ。よく気をつけて、無所有をめざしつつ、<なにも存在しない>と思うことによって、 煩悩の激流を渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」
766 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 23:02:08 ID:RG3rYZdF
>>764 >真理は無いのではなく、不可得=実体として認知できない、ということです。
真理は空=無であるので、不可得何です。
23、あらゆる存在は無であってここには何も有るのではない。あらゆる存在が無い時、それが存在の究極のあり方である。
29、あらゆる存在は無いのであるから、それらのものは前世から生じてくることも無いし、また来世に生まれ変わることも無いのである。
そこにものの本性(法性)はあるのである。
首リョウ厳三昧経
上の「無」はどの様に思われますか?
767 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 23:06:07 ID:84E3sJFN
>>765 部派仏教時代の考え方ですね。
諸々の欲望を捨てる。諸々の疑惑を離れる。妄執を消滅する。
このような修行が極めて難しい、という現実が大乗仏教の引き金になりました。
般若経典は、この種の教義を饒舌に否定します。
768 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 23:11:16 ID:RG3rYZdF
>767 765はスッパニパータです。 766の首リョウ厳三昧経の教条とスッパニパータは矛盾してないと思いますが?
769 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 23:15:56 ID:84E3sJFN
>>766 これはサンスクリット原典の行文のスタイルで、実体が無いこと=本性が有るということだ、という表現です。
こういうパラドキシカルな文脈は金剛般若経以来、般若経典の決まった言い方です。
ただし漢訳は、また独特な表現で、不可得などの用語が頻繁に出てきます。
般若心経で頻出する無は、説一切有部の教義の部分を否定するための無です。
770 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 23:20:30 ID:84E3sJFN
>>768 大いに違います。
まあ、個人的に矛盾してないと思うのことに反対はしませんが・・・
それが貴方の教義なのでしょう。
ただ、一言。
般若経は、そのような捕らわれから脱するよう教えているのですよ。
心経も、最後の呪文の部分を除けば同じです。
771 :
753 :2005/12/02(金) 23:21:06 ID:JrcWBAE1
>>758 リンク先にあった映画の予告映像の最後で、
ダライ・ラマが「nothing!」といって、大笑されているのを見まして。
「そう言ってしまってよろしい?」と感じたんですね。
本編見てないからなんとも判断できませんが。
772 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 23:23:46 ID:RG3rYZdF
>>769 769さんは大変勉強しておられると観じます。所が説明がよく判りません。
遠慮して説明をされないのではないかと疑います。同か遠慮せづに知っておられることを発表してください。
又間違いを恐れることも押さえるべきです。何かのヒントになるかもしれないからです。
言葉は生きています。 たとえば、「おはよう(ございます)」。 これは、朝の挨拶ですよね。もともとは、「活動を始めるのが早い時間ですね」という声掛けであったろう。 (言語学に詳しい人の解説がほしいところだがw) ま、『朝の挨拶』として長いこと使われていることは疑いない。 しかし、特に水商売関係では、夕方であっても「お早う」と挨拶をすることが多い。 つまり、『朝の』挨拶ではなく、互いがその日初めて顔をあわせた時に用いられるということだ。 もし、そうした会話が遠い未来に文献として残されたとして、読む人は、 その後に続く会話が「お早うの後だから『朝』為された会話である」と解釈するかもしれない。 しかし、実際は夕方の会話であったわけだ。 粗雑なたとえではあるが、文献を読み解くということは、そうした「意味の多様性」を忘れてはならないだろう。 『無』についても『空』についても、当時の漢訳者がどのような思想・スタンスを以って その語を用いたのか?についての吟味をしなければならないと思う。 もしかしたら、現在使用されている意味と全く逆の意味で使われているかもしれない。 今で言えば『全然』は肯定に繋がるのか否定に繋がるのか、みたいな・・・・・。
774 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 23:36:17 ID:84E3sJFN
>>772 私は、なるべく解説書は避けて、お経や論書の原典に当たるようにつとめています。
それで分からなかったら、図書館などに行って解説を探します。
そのお陰で、原典と違う説は結構見えるようになりました。
しかし、説明するのは容易ではありません。
いろいろな知識の因縁和合で理解していることを説明するのは私の能力に余るのでしょう。
だから、私のレスが分かりにくいのだと思います。
どうか、多くを知りたいと思われる方は、時間のかかるのを厭わずに原典に当たってください。
岩波文庫の般若心経をお持ちの人は、金剛般若経も読めるはずです。
この経は般若経典の中では古いので、空という言葉が出ません。
空という用語抜きで、空を説く、このお経を是非味わってください。
775 :
名無しさん@3周年 :2005/12/02(金) 23:42:33 ID:tQkDBkhC
このスレは偏見や過去の自分の知識や見解の固執を少なくしてみれば すごいスレですね。 もっとも「偏見や過去の自分の知識や見解の固執を少なくしてみる」ことも そのことから一歩も逃れることはできないのだけれども。 でもすごいスレのような気がします。
776 :
名無しさん@3周年 :2005/12/03(土) 00:40:11 ID:IZbM0URx
>>775 学問・文系の哲学板にある般若心経スレなど、荒れ放題です。
777 :
名無しさん@3周年 :2005/12/03(土) 00:49:48 ID:T4Y6Oci/
>>776 ここで書き込む人の動機が持論で他人の意見を破壊してやろうという
方向のものでないならばそんなには荒れないと自分は思うのですが。
なにか自分の般若の知恵で他人のそれをきりきりまいさせてこらしめて苦しめて
やろうというのでなければ。
778 :
名無しさん@3周年 :2005/12/03(土) 00:58:46 ID:IZbM0URx
>>777 そういうのは般若の智慧ではないですよ。
ただ、相手を論破してやろうというのは人間の性です。
般若経なんかはそれで発展したような面がありますから、
一概に否定されるべきとは思いません。
仏教に於ける論理学もそうやって出来上がりました。
779 :
名無しさん@3周年 :2005/12/03(土) 01:02:01 ID:3JBIskdr
>>778 >相手を論破してやろうというのは人間の性です。
>般若経なんかはそれで発展したような面がありますから、
そういう自分の心に生じる現象を自覚した上で気をつけながら
注意して論じたり意見を述べていけば全然良いと個人的には思います。
あなたの意見に賛成します。
2chは両極端で、ちょうどいい塩梅を歩く人種は少ないからなw
781 :
名無しさん@3周年 :2005/12/03(土) 01:03:24 ID:IZbM0URx
さて。寝ます。
お前らよくこんな下らん事で盛り上がれるな
783 :
名無しさん@3周年 :2005/12/03(土) 18:52:15 ID:IZbM0URx
真理は些事にあり
空の中に十二支縁起が無いのなら、どこにあるの?
785 :
名無しさん@3周年 :2005/12/03(土) 20:03:27 ID:+3Io5Jte
786 :
名無しさん@3周年 :2005/12/03(土) 20:09:25 ID:s1X3nfvo
その(空の中には無い)無明はどこにあるの?
787 :
名無しさん@3周年 :2005/12/03(土) 20:14:57 ID:+3Io5Jte
執着の中に。
788 :
名無しさん@3周年 :2005/12/03(土) 20:53:56 ID:s1X3nfvo
執着は空では?
789 :
名無しさん@3周年 :2005/12/03(土) 21:17:33 ID:+3Io5Jte
空である事が判っておれば、それを取ろう等としますか?取ろうとする事又は、自分のものと することを執着と言うのですが。
790 :
名無しさん@3周年 :2005/12/03(土) 21:18:39 ID:IZbM0URx
791 :
名無しさん@3周年 :2005/12/03(土) 23:13:58 ID:3uhp9wc3
縁起は”ある”のではなく、”する”のです。 縁起するから空であるといえます。 疑問の出発点に問題がありそうです。
792 :
名無しさん@3周年 :2005/12/04(日) 00:26:04 ID:GelujiJT
>>791 >空の中に十二支縁起が無いのなら・・・
これは単に般若心経の中の、
「無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽」の部分を指しているだけでしょう。
これは、縁起説を否定している部分。
空の中では縁起等無いということです。
縁起するから空、というのは誤解です。
794 :
名無しさん@3周年 :2005/12/04(日) 00:43:08 ID:GelujiJT
>>793 心経にそう書いてあるということ。
別に上下などいっていない。
実際は大品般若経の文章を抜いているだけだから、心経の説ではない。
般若経は有部の諸説を否定するから、当然十二支縁起説も否定されます。
>>794 そか、心経(般若経典群)の中ではという文脈だったのねw
失礼しました m(_ _)m
796 :
名無しさん@3周年 :2005/12/04(日) 09:13:00 ID:O+ByyPA4
>>794 >当然十二支縁起説も否定されます
否定すると言っても、この法門が嘘偽りであったと言って否定するのではない事に注意が必要だ。
教えとして否定しているのではない。十二支縁起は縁起関係そのもんであるから、空であると言うのだ。
そして十二支縁起の法門そのものは、無明を滅ぼせば縁起から開放されると言うが、その無明とは、縁起関係にあるものは
実体のない空であると言う事を知らないことなのである。十二支縁起の法門が説かれたときは、この縁起と空の真理
を当然の前提としていたものと言うことは、明らかなのだ。つまり、この法門の前に、縁起の説明がなされている文句が
あるのだ。これあればあれあり、これなければあらなし、の文句だ。十二支縁起の法門は、この縁起の説明の文句なくしては
成り立たない教えなのだ。所が十二支縁起だけが一人歩きしている様にみうけられることが多い。初心者は面食らうであろう。
四諦の法門に付いても同様のことが言われなければならない。
797 :
名無しさん@3周年 :2005/12/04(日) 09:40:38 ID:O+ByyPA4
>>796 つづき
ウダーナヴァルガ第十二章
「明らかな智慧によって四つの尊い真理を見る時に、この人は迷える生存の妄執を破り砕く道を明らかに知る。
風によって吹き上げられた塵が雨によって静まる様に、人が明らかな智慧によって見る時に、諸々の欲望の思いが静まる。
この世においては、、実相を洞察するに至るこの智慧が最も優れている。それによって人は、
生と死の尽きてなくなることを正しく明らかに知る。」
この智慧が、縁起と空である。ウダーナには、縁起を説明する先ほどの文句はないが、
上の記述に続いて、八正道を称え、諸行無常、一切皆苦、一切皆空、諸法非我(無我)と説いている。これらは縁起と空の真理に基づく教えである。
それでも、四諦の法門を説く時に、縁起と空の説明の文句を何処かで言っても言いと思うが、見出せない。
四諦の法門も12支縁起も全て、縁起と空の真理(般若の智慧)の完成を説いているのであり、
四諦の法門の縁起関係、12支縁起の縁起関係の消滅を持って、これらの法門がない、と言っているのであると解釈しなければならないと思う。
798 :
名無しさん@3周年 :2005/12/04(日) 10:00:57 ID:O+ByyPA4
>>797 縁起関係の消滅とは、両方のものが共に無自性空であるので、縁起関係の消滅と言うのである。
これは又、変化が生じていないと言う表現もする事になる。つまり、「無起」「無相」「一相」「無願」「無作」「不可得」
「不可称」「不可説」である。
799 :
名無しさん@3周年 :2005/12/04(日) 18:23:35 ID:GelujiJT
四諦・十二支縁起説は、縁起と空を結びつける説より、ずっと以前の教説です。 貴方はさかんに『縁起と空の真理』を力説するが、これは四諦・十二支縁起説の時代にはなかったのです。 いろいろな経を読まれるのは良いが、すべてをごっちゃにして仏教一般の説であると主張するのはよろしくないでしょう。 縁起と空を関連付けるのは、1〜2世紀ごろのことです。 パーリ語経典も、現在残っているのは大乗仏教の影響をたっぷり受けた後のもので、漢訳阿含経よりも新しい時代のものです。 一般に、パーリ語経典、サンスクリット経典、チベット語経典は、漢訳経典よりも新しい時代のものが多いので、現代語訳を用いるときはその点を考慮しなければなりません。 ご自分の説や信念を持たれるのはいいことだと思いますが、それを普遍的真理として表現するのは賛同できません。
800 :
名無しさん@3周年 :2005/12/04(日) 18:49:54 ID:GelujiJT
>>799 続き
大品般若経(二万五千頌般若経)が、何故『四諦・十二支縁起説』を否定しなければならなかったかを考えなければいけません。
般若心経は、この部分をそのまま転用しているのですから。
四諦や十二支縁起など初期仏教の教義を体系化した部派仏教に対抗するためです。
そして、初期大乗仏教教団の成立と共にそれは民衆の間に広まっていったのです。
しかし、反対するばかりでは仏教でなくなりますから、ナーガールジュナなどの学僧が空の哲学を体系化し、それらの成果を般若経典に取り込んでいきました。
この時代に成立したのが大品般若経です。空と縁起の関係はこの時代に体系化されました。
しかし般若の智慧は、言葉も空であるとしますから、空を空である言葉で説明するという、根源的矛盾を来たさざるを得なくなりました。
だから、仮に施設したものとしての教義ということになるのです。
般若経典以前の経典とは、そこに大きな飛躍があるのです。
おそらく般若心経に呪文を取り込んだのは、その辺に一つの理由を見つけられそうです。
801 :
名無しさん@3周年 :2005/12/04(日) 20:35:13 ID:3RUPExJ3
般若心経を解説しすぎたら般若心経の意味がどんどん遠くなる。 スッタニパータでも読んだ方がよくなる。
802 :
名無しさん@3周年 :2005/12/04(日) 20:39:29 ID:GelujiJT
>>801 意味を求めるなら、解説本は沢山出ています。
2ちゃんねるでは難しいでしょう。間違いもいっぱいあります。
12/8 木 NHKハイビジョン 13:30 14:25 [S][文]ハイビジョン特集[再]「決定版・ディープインパクト・生命の起源に迫る彗星探査」 12/9 金 NHKハイビジョン 03:00 04:00 [S][文]ハイビジョン特集[再]「決定版・ディープインパクト・生命の起源に迫る彗星探査」
804 :
名無しさん@3周年 :2005/12/05(月) 19:09:11 ID:32C62HVe
12/9 金 NHKハイビジョン 04:00 05:00 [S][文]ハイビジョン特集[再]「決定版・セカンドインパクト・ミサトの体の傷跡の起源に迫るアニメ探査」
すぐに悟れるものではないのは十分承知していますが、 早く悟った方がいいの? 若いうちは悟らない方がいいの?
806 :
名無しさん@3周年 :2005/12/06(火) 22:46:32 ID:c0pWZvJh
般若心経を読まれるなら、悟りも空だとお考えください。 求めて得られるものではありません。
>>806 まったくその通りでした。修行し直してきます。
空腹時に空を感じますた
811 :
名無しさん@3周年 :2005/12/07(水) 06:51:52 ID:lnWYJVfy
┏━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┓ ┃般│ │多│呪│多│得│想│掛│所│亦│無│耳│不│是│異│蘊│観│摩┃ ┃若│ │呪│能│是│阿│究│礙│得│無│意│鼻│増│舎│色│皆│自│訶┃ ┃心│ │即│除│大│耨│竟│無│故│老│識│舌│不│利│色│空│在│般┃ ┃経│ │説│一│神│多│涅│掛│菩│死│界│身│減│子│即│度│菩│若┃ ┃ │ │呪│切│呪│羅│槃│礙│提│盡│無│意│是│是│是│一│薩│波┃ ┃ │ │曰│苦│是│三│三│故│薩│無│無│無│故│諸│空│切│行│羅┃ ┃ │波│ │真│大│藐│世│無│陀│苦│明│色│空│法│空│苦│深│蜜┃ ┃ │羅│羯│実│明│三│諸│有│依│集│亦│聲│中│空│即│厄│般│多┃ ┃ │僧│諦│不│呪│菩│佛│恐│般│滅│無│香│無│相│是│舎│若│心┃ ┃ │羯│羯│虚│是│提│依│怖│若│道│無│味│色│不│色│利│波│経┃ ┃ │諦│諦│故│無│故│般│遠│波│無│明│觸│無│生│受│子│羅│ ┃ ┃ │ │ │説│上│知│若│離│羅│智│盡│法│受│不│想│色│蜜│ ┃ ┃ │菩│波│般│呪│般│波│一│蜜│亦│乃│無│想│滅│行│不│多│ ┃ ┃ │提│羅│若│是│若│羅│切│多│無│至│眼│行│不│識│異│時│ ┃ ┃ │薩│羯│波│無│波│蜜│顛│故│得│無│界│識│垢│亦│空│照│ ┃ ┃ │婆│提│羅│等│羅│多│倒│心│以│老│乃│無│不│復│空│見│ ┃ ┃ │訶│ │蜜│等│蜜│故│夢│無│無│死│至│眼│浄│如│不│五│ ┃ ┗━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┛
812 :
名無しさん@3周年 :2005/12/07(水) 12:49:42 ID:O9w1Ledh
>>806 経の全体を考慮しますと、それは悟ってはじめて言えることとの見方もできますよね。
空を知っては12支縁起は不必要。悟れば無明でなくなるのですからそうならなければ嘘になります。
剣術だったか、禅だったかの「門前の瓦」に当てはまるのではないでしょうか。
813 :
名無しさん@3周年 :2005/12/07(水) 14:43:03 ID:Y2BB3MLN
悟りも無明もどちらも無自性空です。 無自性で流動的だから、修行によって実際に 般若智とか、唯識で言えば無分別智(真如智)を体得することが 可能になるのです。 悟りや無明が実体的な自性として固定的で変化のないものだとするなら、 いくら修行しても無明は無明のままだし、また一方では修行をしなくても 悟っているということになりますが、わたしたち凡夫の日常は六窓猿顔の 心の如く、時々刻々において揺れ動いているような状態であります。 悟りが空なればこそ、わたしたちはその空の何たるかを勝義において証知 することが大切なのでしょう。
814 :
名無しさん@3周年 :2005/12/07(水) 20:29:10 ID:u8/eEhiX
>>812 開元中に沙門道一有りて伝法院に住し常日坐禅す。
師是れ法器なるを知り、往きて問う、曰く「大徳、坐禅して什麼(いんも、何)をか図る」
一(道一)曰く「仏と作るを図る」
師乃ち一磚(かわら)を取りて彼の庵前の石上に於て磨く。
一曰く「師、什麼をか作す」
師曰く「磨きて鏡と作す」
一曰く「磚を磨きて豈(あに)鏡と成るを得んや」
「坐禅して豈仏と成るを得んや」
一曰く「如何が即ち是れなる」
師曰く「人の駕車行かざる(とき)の如し。車を打つ即ち是れ、牛を打つ即ち是れ」
一、対無し。
師又曰く「汝坐禅を学ぶは、坐仏を学ぶを為すや。若しは坐禅を学べば、禅は坐臥に非ず。若しは坐仏を学べば、仏は定相に非ず。無住の法に於て、取捨に応ぜず。汝若しは坐仏、即ち是れ仏を殺し、若しは坐相に執さば、其の理に達するに非ず」
一、示誨(じかい、教え)を聞きて、醍醐を飲む如し。 景コ傳燈録巻第五
/ヽ v1 |Y ゝくY :! | |Yゝク | f三 へ三ニト {ゝ二 二kミ! | ー 一 Y U、 ー ,U >'1ミ二彡^ヽ、 / 个 ー イ 彡ヽ / i ト/ミy@┬ ヘ /| ̄|ヘ / ,h /| ̄ | 7|> ' /n `タ._k | ゝ _ /彡イ `〜 、...,,_} __ >彡 '_ゞ_ゝニゝ、_ < ミ三三彡彡へ r‐ァニ三彡ハ 〉ーニ二三彡彡1 l キニ三二−ヲ f⌒Y⌒⌒Y⌒⌒Y⌒⌒Y⌒⌒Y⌒ハ f⌒Y⌒⌒Y⌒⌒Y⌒⌒Y⌒⌒Y⌒⌒ 〉 ゝ⌒X⌒ヽ〜‐-<⌒⌒ メ⌒Y / ヘ ( \ \ 〉-‐rく ,.-く ノ `丶 _ へ ハ ) / //
816 :
名無しさん@3周年 :2005/12/09(金) 18:39:44 ID:CKCCYJ/X
空なのは分かっているつもりですが、 般若心経から数々の功徳を頂きました、 仏様に感謝の気持ちやお礼をするにはどうしたらいいでしょうか?
819 :
名無しさん@3周年 :2005/12/09(金) 23:22:48 ID:G7zmTi7I
>>818 ,819
それらも般若心経から教わりました。
821 :
名無しさん@3周年 :2005/12/10(土) 01:45:46 ID:uE7SUHEl
822 :
名無しさん@3周年 :2005/12/10(土) 03:11:40 ID:93IL5NWP
>>821 わしは実行など指図した覚えはないんじゃ、あれは信者が勝手に蒔いたんじゃ
わかってくれい刑事さん
823 :
名無しさん@3周年 :2005/12/10(土) 10:23:40 ID:uE7SUHEl
>>819 くれぐれも「教えを説くこと」に執着召されるな。
825 :
名無しさん@3周年 :2005/12/10(土) 15:50:42 ID:uE7SUHEl
>>817 どんな功徳を受けられたか教えてください。どのような修行をされたかもお願いします。
NHK BShi 後 08:00 夢の美術館「うるわしのアジア 仏の美100選」(後編)
827 :
名無しさん@3周年 :2005/12/11(日) 16:34:12 ID:1rc+M5lT
てゆうか、初期仏教では、釈迦は自分の像や画を作って崇めることを禁止してたよね。 まぁ、仏像、美術品としては綺麗だし、布教の媒体としての効果はあったんだろうけど、 般若心経を極めた人が仏像に固執するはずはないとおもふ。
828 :
名無しさん@3周年 :2005/12/11(日) 21:55:52 ID:jQMAF9zr
仏像に固執しないということにも固執しない 何物にも執らわれないということにも執らわれない
829 :
名無しさん@3周年 :2005/12/11(日) 22:35:38 ID:0Fq7PRBQ
何物にも執らわれないということにも執らわれないことにも執らわれないことにも・・ ・・・エンドレス・・・
830 :
名無しさん@3周年 :2005/12/11(日) 22:39:46 ID:OIOdKU+J
色は無常であると観なさい。このように観ることを正観するという。 正観する者は必ず厭離する。厭離するものは喜貪が尽きる。 喜貪が尽きた者を心解脱するという。 同じように、受・想・行・識は無常であると観なさい。このように観ることを正観するという。 正観する者は必ず厭離する。厭離する者は必ず喜貪が尽きる。 喜貪が尽きた者を心解脱するというのである。 このように比丘よ、心解脱した者は、もし自らの本性を知りたいと思えば、 自らの本性を理解することができるであろう。 そして、私の生は既に終わり、梵行は既に立ち、なすべきことを既になし、 もはや自らがこの世に転生しないことを知るのである。」 阿含経第一 無常経 心経は之と同じ意味だ。阿含経は以下に空・苦・無我と続く 大乗は阿含経から1歩も出てないんじゃない?
831 :
名無しさん@3周年 :2005/12/11(日) 22:43:15 ID:OIOdKU+J
832 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/11(日) 23:03:59 ID:hAl8BgPp
>>830 お馴染みの方ですな。
同じ意味どころか、遥かに別の境地にあります。
般若経は、無常=恒常の対立を超えた境地を説いているのです。
833 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/11(日) 23:16:51 ID:hAl8BgPp
ついでに申し添えておくと、この経のテキストは5,6世紀のもので、 大乗の影響をたっぷりと吸収しています。
834 :
名無しさん@3周年 :2005/12/12(月) 07:34:17 ID:0feghRRi
主張の裏づけとなる、理由、教証、文証は大事だよね。マトモナ人ならこれを欠いた事は言わないと思う。 殺生をするだけだから。
大乗仏教で「真如」や「空」などと表現されているものはこの世界の真理 などではなく、ある固有の意識状態における「境地・体験」なのです。 これらが境地、体験だからこそ、概念的な表現、つまり言葉による描写 には本質的な無理があり、そのため一即多、色即是空、梵我一如 といった一見、神秘主義的な色合いを帯びてしまうわけです。
836 :
名無しさん@3周年 :2005/12/12(月) 18:42:00 ID:86oLw8zO
主張の裏づけとなる、理由、教証、文証は大事だよね。マトモナ人ならこれを欠いた事は言わないと思う。
838 :
ウキウキワクワク :2005/12/12(月) 19:11:54 ID:IBt/kRVw
+ + ∧_∧ + (0゚・∀・) 神通力で発見 (0゚∪ ∪ + と__)__) +
839 :
名無しさん@3周年 :2005/12/12(月) 20:51:28 ID:0feghRRi
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/book_review_miyamoto3.html (a) 菩薩が自分の積んだ功徳を他人に与える廻向や他人の罪業を引き受ける代受苦という行為が成立しない。
(b) 自ら願って苦しみの世界(地獄など)に生まれてその世界の衆生を救済すするという行為が成立しない。
という致命的な欠陥が含まれています。なぜこの(a),(b)が成立しないのでしょうか?
それは仏教思想の根幹である縁起と矛盾するからです。善悪の行為がカルマという因となり、
諸縁と作用しあって結果が生じるという縁起の法則は引力の法則と同様、人間の意志によって変えることはできません。
人間の意志で隕石の落下をとめることができないように、悪業の結実である苦果は縁起の法ですから、
菩薩の善意がどれほど大きかろうと、本人以外が引き受けることはできないのです(廻向の否定と自業自得は初期仏典で明確に説かれています)。
良い行いをすれば苦しみの少ない世界に生まれ、
悪い行いをすれば苦しみの多い世界に生まれるというのも縁起によって成立しています。
ですから、縁起の法を破らない限り他人とカルマの交換をすることや、地獄の衆生の救済をするために地獄に意図して生まれることは不可能なのです。
このように大乗仏教の菩薩という理念、目標は初期仏教(原始仏教)の核である縁起をその根幹部分で否定することで成立しています。
以上で、
・大乗の仏という存在が成立しない。
・ 大乗の菩薩という存在が成立しない。
・ 大乗の菩薩という理念が釈迦の教えの根幹(縁起)を破壊している。
という大乗仏教の致命的な欠陥が明らかになりました。大乗仏教は初期仏教(原始仏教)の基本思想に沿った発展形態というよりも、
解脱という目標を実質的に捨てさり、その替わりに菩薩というそれまでになかった、
崇高にして空虚な目標を導入したことで実質的に別の宗教にすり替わってしまったと見るべきだと考えます。
論じられる価値のある論点が提示されているジャン。
コテトリさんだろう?
みなさんご意見を!
840 :
名無しさん@3周年 :2005/12/12(月) 21:08:16 ID:k/vsC+fC
>>839 のような否定の仕方だと
ブッダが解脱して行為の動機を消滅したのに
生きて教えを説いてまわったこともただの矛盾となる
841 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/12(月) 21:08:33 ID:ba6fCnyK
>>839 残念ながら、私はこんなサイト作るほど暇人ではありません。
貴方の怪説を正すのに精一杯なもので。
842 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/12(月) 21:16:09 ID:ba6fCnyK
>>839 いい加減ネタのためのコピペは止めなさい。
843 :
名無しさん@3周年 :2005/12/12(月) 21:17:44 ID:dlcjumMt
844 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/12(月) 21:27:11 ID:ba6fCnyK
>>843 貴方からみれば、気にしすぎに見えるかもしれないが、
脱線した論説を展開しているトンデモサイトからコピペするのはよろしくないと思う。
あのサイトの人が自分のテキストを自分のサイトに上げるのに対しては個人の自由です。
しかし、それをこのスレにコピペするのは、荒らしに近い行為だと言わざるを得ません。
なにしろ、
>>839 の方は私のことを別のサイトで荒らしだと規定しているのですから。
845 :
名無しさん@3周年 :2005/12/12(月) 21:37:45 ID:Stw4TeRY
>>844 はじめてこのコピペを見た自分の立場からすると
矛盾点がかえって理解できたし為になったよ。
それに
>>844 は荒しだとは自分は全く思わないから。
846 :
845 :2005/12/12(月) 21:44:22 ID:cYCErQ7a
コテトリさんがつじつまの合わないことを語ったり コテトリさんの信念や信仰から一定の道理を無根拠にゴリ押しすることが あれば、自分はそれを指摘するけど コテトリさんが確かなもっともなことを語ればコテトリさんの話を 熱心に聴く立場です。
847 :
845 :2005/12/12(月) 21:47:30 ID:cYCErQ7a
又コテトリさんに憎悪から誰かが道理に合わないいいがかりを つけてきた場合には自分はそのいいがかりをつけてきた人の 矛盾点を指摘する立場です。
なにはともあれくそすれになったな
849 :
名無しさん@3周年 :2005/12/12(月) 21:57:07 ID:ba6fCnyK
>>846 =
>>847 さん
>>845 を名乗っておられますが、IDがちがっているのはどういうことなのでしょうか?
>>845 ID:Stw4TeRY
>>846 ID:cYCErQ7a
>>847 ID:cYCErQ7a
数分の間に別のインターネット接続に変えられたのでしょうか?
こういうことをふせぐためにコテトリを使われるようお勧めいたします。
わたしも混乱を防ぐために『コテトリ』というふざけたコテトリと付けるようにしました。
850 :
名無しさん@3周年 :2005/12/12(月) 22:15:50 ID:MA8kNh19
851 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/12(月) 22:31:56 ID:ba6fCnyK
>>850 何のことはない。
貴方が叩きを誘発したいだけでしょ。
別に構わないが、そんなことが面白くて心経スレに来るのですか?
>>840 確かに。
あのサイトは大乗の矛盾をついたつもりになっているが、その主張の先には
「釈迦の悟りそのものがウソだった」という結論が待っていることに気づいていない。
よって私の中で、あのサイトはトンデモ系決定です。
ただ、「面白い*1ものを教えてもらった」という点で、私は
>>839 自体が荒しだったとは
思っていません。
[*1] 他山の石以て玉を攻むべし
853 :
名無しさん@3周年 :2005/12/13(火) 23:59:00 ID:DzFXKpPE
充電中です。
854 :
名無しさん@3周年 :2005/12/14(水) 21:27:10 ID:VTSSS5zw
855 :
名無しさん@3周年 :2005/12/14(水) 21:30:32 ID:odcBtS6r
856 :
854 :2005/12/14(水) 21:43:29 ID:VTSSS5zw
>>855 偶然ですな。
これは私のサイトです。最近忙しくて遅々として進まず。
857 :
名無しさん@3周年 :2005/12/14(水) 22:09:25 ID:odcBtS6r
>>855 ホントですか?私はこの様なサイトに感謝したかったのです。
最後まで読んでみたい。読みやすい口語体です。しかし、ほんの少し、校正できるところもありますが、
あり難いです。
858 :
名無しさん@3周年 :2005/12/14(水) 22:16:24 ID:VTSSS5zw
本当は2ちゃんねるなどに出没せず、皆がそれぞれ好きな経典に取り組むと良いでしょう。 現代語訳のない経典は五万とありますから。 校正すべきところは山ほどもあります。しょっちゅう気がつくと修正をしています。 そもそも、漢語の仏教用語を現代日本語に置き換えながら文脈を残すのが難儀です。
859 :
名無しさん@3周年 :2005/12/14(水) 22:39:38 ID:odcBtS6r
ふむ。難儀なところもあるでしょうね。頑張って頂きたいと思います。
860 :
名無しさん@3周年 :2005/12/15(木) 23:03:58 ID:nSIR+FS6
>>839 >このように大乗仏教の菩薩という理念、目標は初期仏教(原始仏教)の核である縁起をその根幹部分で否定することで成立しています
初期仏教でも、縁起と空と言う理法を修行することが目的になっています。この方は、縁起は言っても空を言っていません。
空の代わりに無常無我、とも言っています。空と言うのが真理であるので、空を体得することが修行の目的でした。
私見ですが、大乗も同様な修行です。
何処に違いがあると言うのでしょうか?すこしも違いはないと思います。
ただ利他と言う言葉を初期経典は言わないのです。でも、空を体得すると言う目的の中に
利他と言う徳目は必須だと言わなければならないと思います。空を体得していながら、
隣人(衆生)が苦しんでいるのを平然と見ると言うことはあり得ないのです。どうしてその空を体得した人(正覚者)
苦しみと言う、空でないものを知っていながら、自ら空の体現者であると思うはずがあるでしょうか?
初期経典には、この利他愛があるのですが、それを言わず、八正道の中に含めているとお思います。
八正道の中に、利他愛があるのです。八正道の中の、「正」とは「空」であるのです。
大乗は六波羅蜜を言いますが、六波羅蜜の中のどれが、利他愛であると殊更に明言されているでしょうか?
六波羅蜜は般若ハラ蜜の完成であるのです。この般若ハラ蜜が「正」なのです。正を正法と言います。
八正道の初期経典中の修行者を「修行僧」と言い、八正道の「六波羅蜜」の大乗経典中の修行者を
菩薩といっているのだと思います。
839の引用中の方は、縁起している存在は、実体のないもの即ち「空」であると言う理法を看過されています。
善因善果、悪因悪果と言うものも、縁起しているもの故に、空であると言う意味で、
初期経典でも、善にも悪にもとらわれないとあちこちで言っています。
861 :
名無しさん@3周年 :2005/12/15(木) 23:07:07 ID:nSIR+FS6
>>860 つづき
教証、文証をお望みなら、遠慮せずに質問してください。
862 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/15(木) 23:22:41 ID:UjaL03nV
>>861 何も望まないから、怪説を垂れるのは止めてください。
貴方の誤謬説にはうんざりです。
864 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 00:03:20 ID:G+ijBcUh
コテトリにはうんざりです。 来ないでください。 それを望みます。
865 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 04:32:09 ID:IIK8iT0B
866 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 04:36:00 ID:ACJCOLNw
どなたか般若心経の訳おしえてくれ
867 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 04:40:22 ID:l22AJ0V8
868 :
加護♂ ◆IP8URYGBVY :2005/12/16(金) 04:43:26 ID:52sfbUeW
869 :
加護♂ ◆IP8URYGBVY :2005/12/16(金) 04:47:21 ID:52sfbUeW
870 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 05:00:11 ID:x49hLEVV
871 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 06:07:54 ID:ACJCOLNw
ありがとうございます 最後の「ここがお浄土だった」がすごいなんかイイ・・すがすがしい んとにありです^^!
872 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 06:29:28 ID:8yhwTL7z
ここがお浄土だったなどという一休さんの頓知のような結びは 両手放しでは喜べないのだけれども それでも心が和み優しく聞こえる
873 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 06:33:08 ID:wK7injzD
「ここがお浄土だった」とはそれはみんなが待ち望んでいた答え ツボ、願い、希望、祈り そのすべてが詰まった真言
874 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 06:38:00 ID:/yO+tRqN
コテトリでさえなければ大乗でも小乗でも和やかな気持ちになれる
875 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 06:42:11 ID:SaYdU55O
コテトリは例えば南無阿弥陀仏と唱えれば浄土に逝けると信じて安らぎを得ている農民にそれは嘘ですよと吹聴して苦しみを撒き散らして回るただの不吉な人間
876 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 07:02:36 ID:ACJCOLNw
仏様の書いた一番最初のお経って日本にないのかなぁ??
877 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 07:04:54 ID:+CYD35yB
コテトリはお経の真偽の問題を人の苦しみの上位に掲げて 本末を顛倒させる人間。 コテトリは仏の衣を着て仏の言葉で人々を苦しめて回る仏道の人の中で 最もなってはならない人間の典型 最も悪い仏道の人間の鏡
878 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 07:08:48 ID:lfBOM0Uh
879 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 07:10:40 ID:DS1NUMRK
880 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 07:12:26 ID:DS1NUMRK
でもスッタニパータとか言ってあげる方が方便
881 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 07:16:54 ID:DS1NUMRK
人を苦しませる事実の告白よりは 人の苦しみを除く嘘の方が良い場合がある。 また人の苦しみをとくに除かない事実の告白よりは 人の苦しみを除く嘘の方が良い場合がある。
882 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 07:21:31 ID:ACJCOLNw
お経書かなかったのか・・・・w・; お釈迦さまのお弟子さんって、だいたいが当時の高い技術者たちだったて ほんとかなぁ?? スイマセン質問ばかりw
883 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 07:25:24 ID:DS1NUMRK
>>878 の真実の告白がむしろ役に立ったみたい
ごめん
884 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 07:26:52 ID:Hqfe7xwb
最初は華厳経を説いた。これはかなり突っ込んだ内容だったので。 弟子が理解できないことが分かったので小乗の阿含経から徐々に 段階を進めていった。
885 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 07:28:10 ID:ACJCOLNw
いえ、情報ありがとうございます^^
886 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 09:46:29 ID:34Kr1qZV
>>884 日蓮系の手前勝手な教判を歴史的事実にすんなタコ。
887 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 15:03:54 ID:knNW+A7n
仏様はお釈迦様お一人ではありません。
888 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 15:49:07 ID:Hz+RFQEu
>>887 すげえこといいなさる。
悪くは無いものいいだ。
観自在菩薩はいないね
>>889 いる。
俺はまだ存在を感じることはできないが、おわします。
そうでなければ、俺みたいな人間が今日まで暮らしていられる訳がない。
明日もいい日でありますように。
891 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 22:09:29 ID:T0M7ln+b
>>882 初期経典に大パリにバーな教と言うのがある。その第四章十五ボーガ市に於ける四大教示の中に、
「・・・・それらの文句を正しく良く理解して、ひとつずつ経典に引き合わせ、戒律に参照吟味すべきである。
それらの文句をひとつずつ経典に引き合わせ、戒律に参照吟味してみて、経典の文句にも合致せず、戒律の文句にも
一致しない時は、・・・」
とあってこれは尊師(釈迦である)が修行僧達に教示されたもの、とある。
だとすると、釈迦の生前に既に経典としてあったものがあると言うべきであろう。
この発言が釈迦ではなく、長老であったとすれば、その嘘はどの様に評価されるべきだろうか?
大乗経典が書き表されたのは、一世紀前後とされているから、大乗経典は採用すべきではない。
しかし大パリにバーな教は、初期経典(原始経典)であろう。
経典を信用しないならば、信用できるほかに何があるだろうか?
>>891 自分を基準にしてはいけない
文字でなくとも比較校正はできるだろう。
今でも、上座部の比丘たちは暗誦をめざしているのではないかい?
893 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/16(金) 22:23:16 ID:gcAJI8d6
>>891 相変わらず、出鱈目を吹聴しているな。
このスレは日蓮経信者に乗っ取られたようだ。
諸君ら、もっと真実を見る眼を持たなければだめだ。
コピペ名人の教祖もどきを信じてはいけない。
私が諸君らに叩かれて退散すると思ったら大間違いだ。
心せよ。
894 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 22:24:58 ID:T0M7ln+b
896 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 22:37:04 ID:gcAJI8d6
897 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 22:40:41 ID:T0M7ln+b
>>894 つづき
菩薩は全ての苦しみを喜んで引き受けると言うのも、真実を知った菩薩は
、真実が一相で無相であるから、その苦しみを解消して、一相の世界にする仕事を
名誉と考えているのだと思う。
898 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 22:53:22 ID:T0M7ln+b
>>892 さん、暗誦は、教典を後世に伝える為にするのばかりではなく、当人自身の修行のためだったと思います。
我々も、大事な経典の部分でも暗誦しているべきであると思います。
音韻言語は、暗誦するのに適していると思います、漢文日本語は、その点劣るのではないでしょうか?
899 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/16(金) 23:10:16 ID:gcAJI8d6
>>898 ID:T0M7ln+b さんもこんなところに誤謬を書いてないで、経典の暗誦をされることをお勧めします。
そうすれば少しはまともな仏教者になれるでしょう。
900 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 23:14:24 ID:T0M7ln+b
>>899 さんは大品般若経を口語訳している人ですか?
901 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 23:18:22 ID:gcAJI8d6
>>900 そんなものは知りません。
貴方の誤謬を正すために、法華経サイトからやって来ました。
貴方が天台〜日蓮系で、大きな誤解をしていることは手に取るように分かります。
902 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/16(金) 23:19:18 ID:gcAJI8d6
コテトリ忘れ。 スレごとにコテトリ変えているので忘れること多し。
903 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 23:20:48 ID:T0M7ln+b
>>901 天台日蓮系ではもうとありません。私ほど、天台日蓮を攻撃したものは
日本に、いや世界中に居ないのです。
904 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/16(金) 23:23:48 ID:gcAJI8d6
>>903 攻撃するために、染まるほど研究したと言うわけですな。
考えるスタイルがまさに天台〜日蓮系そのもの。
自分では気付かないかもしれんが。
905 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 23:28:17 ID:T0M7ln+b
>>904 >考えるスタイルがまさに天台〜日蓮系そのもの。
自分では気付かないかもしれんが。
上のようなことを言う人こそ、てんか台日蓮を染まるほど研究した証ではないでしょうか?
私はそんなに深く研究(研究と言うほどではない)しなくとも、その重大な間違いに気づきました。
906 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/16(金) 23:29:12 ID:gcAJI8d6
『一相』に拘るのは天台〜日蓮系に多い。 すべてを『縁起と空』で括るのは天台的。決して原始仏教ではない。
907 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/16(金) 23:30:44 ID:gcAJI8d6
私の基底は中国禅です。
908 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 23:34:51 ID:T0M7ln+b
>>906 一相と言うことを天台日蓮が気づいていたなら、彼等は仏教の破壊者とはならなかったでしょう。
私は日蓮を通してしか天台を知らないといった方が良いのです。
禅なら、私と意見が違うことはないはずなんですがね。
909 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/16(金) 23:36:30 ID:gcAJI8d6
禅ではなく、唐代の中国禅です。
910 :
名無しさん@3周年 :2005/12/16(金) 23:38:56 ID:T0M7ln+b
日本の禅は中国から入ってきたものでしょう?そんなに大変わりしないはずです。
911 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/16(金) 23:45:34 ID:gcAJI8d6
>>910 ぜんぜん違います。
少なくとも鎌倉時代以降の日本の禅は、中国で禅が形骸化してからのもの。
そのようなステロタイプで仏教を見ているから、怪説になるのだということが分かりました。
種智とは、違いを見分ける智慧です。一緒くたにして解釈しないことです。
折角罵りあいから対話の糸口が見えてきたところで誤らねばならないが、
明日、仕事なので、これから入浴して寝ます。
912 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 00:03:26 ID:yYg2qT5g
>>911 それでは明日、一切種知と中国唐代禅を教えてもらいたいですね。
般若心教と関係が深いし、般若心教の理解を深めることができるでしょう。
913 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/17(土) 21:23:14 ID:LgvPY3Np
>>912 唐代の禅は経とは程遠い。釈尊とも程遠い。
だから貴方に興味はないでしょう。
それと私は一切種知などとは書いていません。
914 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 21:29:09 ID:yYg2qT5g
>>913 禅とはもともと教を「月を指す指」と例えているんですよね?
不立文字とかも言いますね。これは一切が空であることをそのまま実行していると言えませんか?
般若心教そのままです。
915 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/17(土) 21:40:11 ID:LgvPY3Np
>>914 私は『唐代の禅』と言っているのです。
禅とは云々など、十把一絡げにステロタイプを作るのが貴方の悪い癖です。
それと、般若心経は呪文であり、般若経典とは違います。
これは今まで書きつくされてきたことです。
他人の書いた事を読まぬのなら仕方ないが。
916 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 21:48:21 ID:yYg2qT5g
>>915 呪文と言うのは、その成立にやはり根拠があると思います。般若の智慧は、
有為法から見ればまさに呪文であると思います。有為法を全く否定するのですから。
般若経は全て般若の智慧を説いている限り呪文であると言えると思います。
経典中に見える呪文は、何かある隠された意味があるのではないかと考えることはないのだと思います。
まさに考えて見出すことを拒否している言葉とだと思います。
917 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 21:55:44 ID:LgvPY3Np
>>916 そう思うのは勝手ですが、どうしても十把一絡げにしなければ気が済まないようですね。
だから怪説が出来上がるのです。
種智ということをよく考えてください。コピペなどではなく貴方自身で。
918 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 22:01:47 ID:yYg2qT5g
919 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/17(土) 22:06:24 ID:LgvPY3Np
>>918 種智なら広辞苑にでも出ているでしょう。コピペは不要です。
以前あったカキコは日蓮系の定義でしたな。
920 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 22:11:04 ID:LgvPY3Np
921 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 22:17:19 ID:yYg2qT5g
>以前あったカキコは日蓮系の定義でしたな。 これは何処にありますか?
922 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/17(土) 22:30:10 ID:LgvPY3Np
>>921 自分で探してくださいよ。
>>593 と
>>594 日蓮系の定義というのは一相についてのことでした。三智ではありませんでした。
種智は種の智ですから、種を弁別して理解しなければならないということです。
十把一絡げにして、結局・・・・・なのだ、と言う風に結論付けてはいけないということ。
923 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/17(土) 22:31:26 ID:LgvPY3Np
924 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/17(土) 22:46:25 ID:LgvPY3Np
ついでに書くと、
>>541 を書いたのも私。
中国禅の巨匠の家風の一端を知ることができます。
925 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 22:51:52 ID:yYg2qT5g
摩訶般若波羅蜜経句義品第十二 >二、ブッダ、一切は空である中でまさに学び、知るべしと説く この『阿耨多羅三藐三菩提』『菩薩』『菩薩という字句の意味』は、この一切の事物はみな合わさることなく、散ることなく、 物質的存在がなく、形がなく、対するものがない、一つの姿かたちであり、いわゆる姿かたちがないということである。 一つのものしかないとき、いかなる区別もないんですから、何も判別できるものがないのです。 だから何もない、「空=無」であると言わなければならないのです。
926 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 22:53:28 ID:yYg2qT5g
927 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 23:01:08 ID:LgvPY3Np
『一切は空である中でまさに学び、知るべし・・・ 』というのです。 こういう中で、『阿耨多羅三藐三菩提』『菩薩』『菩薩という字句の意味』を学び、知れと言っているのです。
928 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/17(土) 23:02:55 ID:LgvPY3Np
>>926 このサイトは全然参考にならんでしょう。
929 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 23:17:54 ID:kEmoebDB
930 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 23:19:11 ID:yYg2qT5g
>926 なりますよ。少し本格的に勉強しようとするなら絶対必要でしょうね。 このサイトとゆうよりも、大品般若経です。
931 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/17(土) 23:19:24 ID:LgvPY3Np
トンデモの大将が来たので私は去ります。(この相では)
932 :
コテトリ ◆TbPhix9DQk :2005/12/17(土) 23:24:36 ID:LgvPY3Np
>>930 最後にバラしますが、あのサイトは私でした。
口語訳ではなく、現代語訳といって欲しいものです。
訳文ではなく、原文に必ずあたるよう注意します。
序文に書いたように、研究用には適しません。未完成。
このコテトリはもう使いません。
933 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 23:28:59 ID:yYg2qT5g
>>932 >>925 :名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 22:51:52 ID:yYg2qT5g
摩訶般若波羅蜜経句義品第十二
>二、ブッダ、一切は空である中でまさに学び、知るべしと説く
この『阿耨多羅三藐三菩提』『菩薩』『菩薩という字句の意味』は、この一切の事物はみな合わさることなく、散ることなく、
物質的存在がなく、形がなく、対するものがない、一つの姿かたちであり、いわゆる姿かたちがないということである。
それじゃ、自分でうえの様に訳しておきながら、一相が理解できないのですかね?一相=空と言うことが。
934 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 23:35:43 ID:yYg2qT5g
>>932 八千ジュ般若経のほうが短いからやりやすいかも、どちらかサイトにあって欲しいものです。
コピペは自由でしょう?その様にして欲しいですね。
935 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 23:48:40 ID:LgvPY3Np
八千頌は中公文庫にあるから避けただけ。 一般に『コピペがいかん』というのは、サーバーの負担が増えることを考慮してのこと。 WEBに公開されている以上、但し書きがなければコピペは問題なし。 ただし、それ自体が著作権を侵害している場合は同罪となります。 あのサイトは、著作権は放棄していないが転載は拒否していません。 ただ、誤訳等があった場合の責任はコピペした人に帰します。
936 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 23:56:22 ID:yYg2qT5g
>>935 >ただし、それ自体が著作権を侵害している場合は同罪となります。
これはどう言うことですか?詳しくお願いします。
937 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 23:57:49 ID:yYg2qT5g
翻訳した場合にも、翻訳に付いて著作権が発生するのですか?
938 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 01:21:54 ID:/WPC1+Nz
>『一切は空である中でまさに学び、知るべし・・・ 』というのです。 >こういう中で、『阿耨多羅三藐三菩提』『菩薩』『菩薩という字句の意味』を学び、知れと言っているのです。 「菩薩は真如を体と為す」ということですか。 つまり妄分別の対象たる境がない→無相
>>935 コテトリ氏は判っているのかもしれないが、誤解する人がいるといかんので、注釈を付けておく。
> WEBに公開されている以上、但し書きがなければコピペは問題なし。
Webに公開されており、但し書きがないからといって無制限にコピペが許されるわけではない。
コピペは、著作権法で定義されている「引用」の範囲内においてのみ許されるもので、自らの意見、
主張を付加することもなく他人の言説をそのまま貼り付けるだけという行為は許されていない。
なお、著作物の存在するURLを書き込むことは引用には当たらないとされている。
>>936 > ただし、それ自体が著作権を侵害している場合は同罪となります。
著作権を侵害しているサイトのコンテンツを、「侵害行為があったことを知った上でコピーした場合」
同罪に問われる可能性がある。
>>937 > 翻訳した場合にも、翻訳に付いて著作権が発生するのですか?
翻訳物の場合、それは原著者との共同著作物という形で著作権は発生する。
940 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 09:29:56 ID:uA0TPi2G
トンデモの大将コテトリが消えてくれてよかった
941 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 12:12:33 ID:rdff8/og
故中村元氏が翻訳したものを著作権を立てに、不満に思っているとすればどう言うことになるのかな? 佛教経典は、教えを伝えることを最重要としている。そして金や著作権を条件としていない。 そのような文書を翻訳して同一の意味を伝える人は、金や著作権を条件にするならば、その内容に於ける 教えに反していることになるのだが。
>>941 不満に思っているというのは、著作を無償公開せよということなのでしょうか?
故中村博士の持っていた著作権が今どうなっているのか(ご遺族の方が持っている?)は
判らないが、現在の権利保持者が首を縦に振らない限り、無償公開はされないでしょう。
> そのような文書を翻訳して同一の意味を伝える人は、金や著作権を条件にするならば、
> その内容に於ける教えに反していることになるのだが。
権利を持つものが、その著作物の内容に共感したり、内容を実践しているとは限りません。
(なお、決して故中村博士が「経読みの経知らず」だったと主張しているのではありません。)
943 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 17:25:22 ID:rdff8/og
>>942 故中村氏があの世で、自分の骨折って翻訳した佛教経典がネット上に載せられているのを見て、
自分の著作権の侵害である、と不満を漏らしているであろうか?と言う意味です。
944 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 19:32:39 ID:oh3zkrVs
>>941 教えを伝えて金を取ってはいけないのでしょうか?
少なくとも布施というのがあり、教えを伝える側は法施(ほっせ)、
教えを受けた側は、その見返りに財施(ざいせ)で応えるのは当たり前で、
教えに反しているとは思えません。
945 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 19:47:27 ID:oh3zkrVs
日本の法令では、著作権保護期間は著者死後50年間だけです。 ですから、ネットに河口慧海翻訳の維摩経をアップしている人がいますが、これは著作権法には触れません。 『青空文庫』は保護期間を経過した本の電子テキストをネットに公開しているサイトです。
>>944 確かに書籍販売と印税収入を法施と財施と考えることはできますね。
>>943 故中村博士が彼岸に渡られた時に、博士の著作権は誰かに相続されているはずです。
このため、「自分の著作権云々」という不満を漏らすことはできないのです。
諸法は空相なのだが、それはそれ。 現世の法は守らなければなりません。
>>945 河口慧海訳であれば問題ないでしょう。 しかし、故中村博士はあちらに渡られてまだ数年しか経っていません。
翻訳の場合、原典がいくら古いものであっても翻訳者の保護期間が過ぎていなければ保護対象となります。
一部表現が不十分なところがありました。 原作者の死とともに「著作権そのもの」が誰かに相続されるのではなく、その対価の受け取り先が 相続されることになります。 つまり保護期間中は、例えば遺族に対価が渡されるということになります。
949 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 21:16:47 ID:rdff8/og
>>944 三輪清浄と言う言葉がある。与える人、貰う人、その間の物。これらの三つは全て
空である。三者に差別または区別がない。この間に若しも、差別区別が感じられる様であれば
、その区別は汚染である。汚染とは空に反するものが働いているのである。つまり物惜しみである。
さて、布施とは見返りを求めないもの、または、見返りのない贈与のことではないのか?
950 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 21:21:50 ID:oh3zkrVs
>>949 だから双方とも進んで法施、財施をすればいいのです。
財施をしないで無断使用することは教えに反するのではないでしょうか?
951 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 22:28:21 ID:oh3zkrVs
>>949 むかし、ピカソが「天才は何をしても許される、とニーチェ言っている」などと言いながら、
バス待ちの列に割り込んだと言う話を読んだことがあります。
「布施は空だと般若経に書いてある」といって、著作権のあるテキストをコピペするようなものですね?
952 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 22:33:17 ID:rdff8/og
>>951 >
>>939 コピペは、著作権法で定義されている「引用」の範囲内においてのみ許されるもので、
953 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 22:39:55 ID:S0wD3FAw
>>951 歴史上にニーチェほど破綻した人物はいない
人類の矛盾、人類の不吉
コテトリみたいな人
954 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 22:40:11 ID:oh3zkrVs
岩波文庫の中村『般若心経』のテキストをそのままコピペしているサイト、ありますが。
955 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 22:42:32 ID:sf7kCfiV
宗教書はいくらコピーしてもかまわない。原作者の釈迦がそれを望むから、 その意思に反したことはできない。
956 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 23:01:58 ID:0SfBLbYn
コテトリは1つとして1_もコピーしてはならない。原作者の釈迦がそれを望むから、 その意思に反したことはできない。
957 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 23:08:27 ID:oh3zkrVs
この時間帯になるとスカムが浮いて来ますね。 曝気装置の具合が悪いのかな。 『釈迦が』などと呼び捨てにしているところをみると、草加か。 草加、越谷、千住の先よ。幸手、粟橋まだ先よ。 まだまだ。
コテトリはここでも嫌われたのか… 神仏板でも難癖つけてたけど
959 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 23:12:58 ID:oh3zkrVs
別に不思議でもない。 2ちゃんねるでは、文字どおりコテトリつけると叩かれるだけ。 ターゲットが定まってしまうから。
960 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 23:38:22 ID:QZFwJ0Uy
961 :
名無しさん@3周年 :2005/12/18(日) 23:43:59 ID:isd6/W52
コテトリ◆TbPhix9DQk は存在するだけで周囲の人を苦しめるような存在。 コテトリは正真正銘のただの悪。 コテトリは地獄で泣き叫んで苦しみその罪を償う。 コテトリは仏の衣を着て仏の言葉で人々を苦しめて回る仏道の人の中で 最もなってはならない人間の典型 コテトリは悪の鏡
コテトリ対策としては、コテトリの得意の原典分野や 仏教史にはまり込まない事。 あくまでも自分で咀嚼した自分の言葉で仏教を語るように 要求することだね。
>>954 私はそのサイトを知らないのですが、著作権法第三十二条で言うところの「引用の目的上正当な範囲」を逸脱しているのでしょうか?
もしそうであれば著作権法に違反していることになります。
また、書籍という著作物であれば出版社の出版権を侵害している可能性もあります。
ただ、著作権法の百二十三条にあるように、著作権法自体が親告罪の性質を持っているため、著作権者自身の告訴がないと公訴を提起することができません。
このため、もしも侵害行為が目に余るようなのであれば、著作権者の方にお知らせするべきでしょう。
>>955 お釈迦さまの意思は法を広めることかもしれませんが、お経を誰かが訳したり、解釈文を付加した場合、その部分の著作権はその訳、解釈文を付加した人に帰属します。
宗教書はすべてコピーできるなどというトンデモ解釈がまかり通ると、出版社はビジネスができないため宗教書の分野から撤退してしまうでしょう。
そうなってしまうと困るのは他ならぬ我々自身ではないでしょうか。
ご参考(著作権法):
http://www.cric.or.jp/db/article/a1.html
964 :
名無しさん@3周年 :2005/12/19(月) 08:06:45 ID:qI9aHFmt
引用は権利として保護されており、その範囲以内で引用することができるのだから 、我々には何も問題ない。我々には引用が必要なのだから、逸れ以外のものは必要ではないのだ。 さ、佛教の話に戻ろうではないか。
では軽いネタ振り、いや質問を。 般若心経の中で使われている語、特に「羯諦」や「菩提薩婆訶」等の原音をそのまま採用している語について、 鳩摩羅什訳、玄奘訳等で異なった漢字が充てられています。 こういった漢字の違いをまとめた文献というものは存在するのでしょうか? 歴史的な変遷とか宗派によるとかがあるのかと思いまして。
宗教対立の縮図はここですか?
967 :
慧 :2005/12/19(月) 19:59:53 ID:2voFfy8n
経験から申しますと… 著作権についていえば、50年以前のものであれば 承諾無しで引用可能です。 ただし、翻刻、外国語からの翻訳であれば、翻刻者若しくは 訳者の承諾が必須になります。 まず、出版社に連絡をとるべきですね。出版社サイドとしては 翻刻者若しくは訳者の承諾と、出典明示を条件に許可はもらえます。 いずれにしても、文書でのやり取りが必要です。
968 :
名無しさん@3周年 :2005/12/19(月) 20:17:39 ID:U6IinTuT
原典と比べると現在の般若心経は変化してしまっているのではないでしょうか。
969 :
慧 :2005/12/19(月) 20:23:30 ID:2voFfy8n
>>968 原典を本当に理解したいなら、当時の分化習俗を学ぶことから
始めることが必要ですよ。
日本人には、なかなか難しいけど
ここでの原典とは般若教典群のことでしょうか? それとも鳩摩羅什訳や幻の支謙訳(あるいは梵語)の般若心経のことでしょうか?
971 :
慧 :2005/12/19(月) 20:40:03 ID:2voFfy8n
自分の実力の及ぶ範囲でいいと思います。 僕は鳩摩羅什訳をテキストとして議論する方が いいとは思いますがね。 中には別のテキストを持ち出す方もいますから ここは宗教板ですので、学術的な精度はそれほど重要とは 思えません。
972 :
名無しさん@3周年 :2005/12/19(月) 20:46:35 ID:c4us3ViJ
原典から変化してしまった現在の般若心経を唱えても 色んな意味でのパワーが無いのではないかと言う危惧感があります。
973 :
慧 :
2005/12/19(月) 20:54:44 ID:2voFfy8n 経典に何かしらの力を持つとお考えですか。 それならば、漢音じゃだめですね。 サンスクリットを学ばないと… サンスクリットも変化してる可能性がありますから、 インドのそれなりの専門家に師事することをお勧めします。 後、文化も重視すべきです。一つの単語であっても、今とは 意味が違うことがありますから。 古代インドの文化と習俗。その素地となったバラモン教を学ばないと…