原始佛教 その4

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936クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 20:48
>>932
>人から人へ転生すること,
>人間関係が転生の間保持されることは,数の点からも不自然です.
これは何の数です?(返答を希望します)

>>933
>すなわち,語られている前世は,催眠術師が行う誘導によって,
>人為的に後から作りだされた<前世>である可能性が高いと述べられている.
意義在り! 実にツマラナイ批判ですよ。
そんなものならば、私だって否定します。
第一、この批判は何も内容を知りませんね。
語られた内容が誘導やでっち上げでは到底、説明のつかない事例が幾つもあります。

辞めるといってスンマセンが、
チト、気になりましたんで・・。
937名無しさん@3周年:03/09/14 21:10
>>936
人類の総数のことじゃないかな。
人間は何億人単位で増えつづけていますからね。

この文章はネットでひろったもので、一応参考までに紹介したまでです。
個人的には転生の事実を突き詰めること自体が、苦からの解放という視点からは無意味だと考えます。
938クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 21:37
>>937
>人類の総数のことじゃないかな。
>人間は何億人単位で増えつづけていますからね。
うーーん。参考コピペでした(笑)
まっ、そうだとは思いました。

人口増加が生まれ変わりの否定理由によく用いられることは、当然、私も知っています。
では私からの単純反論です。
転生の外に在る魂については想定しないのでしょうか?
どうして魂は40億とか60億個と決め付けるのでしょうか?
仮に太陽系内だけで600億個の魂が在って、
これらが代わるがわる肉体に受肉しているという考えがあってはどうして駄目なのですか?

それと、私は「と学会」本の大ファンであり、ここにも6冊あります。
そして概ね9割以上は「と学会」側の見解を支持しています。
ただし、「トンデモ超常現象99の真相」を除いてです。
この本の内容には意義が沢山ありますよ、私は・・・。

催眠療法からでる話はそのまま鵜呑みにはできないことは知っております。
ただし、暗示や誘導、幼少時の記憶想起といったことでは説明のつかない事例が沢山あるのです。
過去世の当人でなければ知り得ないようなものであり、
当然、療法を受けている被験者が知っている筈のない情報を語るものであり、
その正確性が検証され事実と合致する事例です。

それからこれは別の話ですが、ダライラマ14世のケースなどは催眠とは関係がありませんね。
13世しか知り得ないことや、一部の高僧だけにしか知られていない内容を
小さな子供(当時の14世)が正確に全ていい当てるのです。
もの凄い多くのそれらの試験をクリアーして初めて13世の転生者として承認されます。
939クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 21:38
>個人的には転生の事実を突き詰めること自体が、
>苦からの解放という視点からは無意味だと考えます。
>
それには特に反論しませんが、

この人生における私たちの行為の結果を自分で受ける必要があるという意味においては、
「来世」での果報というものが、当然、想定されなければならないのではありませんか?
「前世」は今生で受けている生まれながら苦境について、
それすら自己が集めた苦悩(四諦/苦集)に他ならないことを自覚する上で役立つものです。
940名無しさん@3周年:03/09/14 21:52
ダライラマ猊下等のトゥルク、化身は、輪廻しているのではなく、
化身として下生されていると考えられています。
941名無しさん@3周年:03/09/14 21:54
>>939
>「来世」での果報というものが、当然、想定されなければならないのではありませんか?

果報を将来得ようという魂胆を持たないように努力します。
現時点でのより良い生の積み重ねが良い人生を形成するものと信じます。
現世であれ来世であれ、結果を将来に期待することのないように。
942名無しさん@3周年:03/09/14 22:00
>>現世であれ来世であれ、結果を将来に期待することのないように。

これは非常に重要な視点です。結果を期待してはならないとお経によく戒めが説かれますから。

しかし解脱しない限りどうあがこうが輪廻してまうようになっているから、十善を守り菩提心を起こし行するしかない。

でなければ一切皆苦なんだから自殺すればそれでおわりでしょう。自殺しても終わらないから行するしかない。
943クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 22:39
>>940
もちろん、知っています。

しかし、それはダライラマに対する信奉心からきた神格化ですね。
そんな話は私は信用しません。
あくまでも代々全部ではないが、高僧が自己の修行と
衆生との関わりにおける使命を帯びて意識的に転生している現象でしょう。
944名無しさん@3周年:03/09/14 22:51
>>942
>しかし解脱しない限りどうあがこうが輪廻してまうようになっているから、十善を守り菩提心を起こし行するしかない。

果報を将来に求めない態度は、ひとを将来の不安からも解放します。
輪廻してしまうから仕方無しに行をするのではないでしょう。
より良く今を生き抜くために行をするのでしょう。
将来におびえて今を生きるよりも、今を大事にするために。
945名無しさん@3周年:03/09/14 22:56
まぁー取り合えずクリスタルさんは後退催眠しろ!
人に勧めるぐらいだからな。
話はそれからだ!

もしくはオカルト版に逝ってくだしゃい
946クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 23:03
>>945
エッ..私が受けるの??
そんなことして、とんでもない過去世が出てきたら、どう責任とんのよぅ?
織田信長だったら、どうするよ。エッ!

前世占いじゃ、ダメ!!(笑)
947名無しさん@3周年:03/09/14 23:08
ん?
948名無しさん@3周年:03/09/14 23:37
>>944
>>果報を将来に求めない態度は、ひとを将来の不安からも解放します。
>>輪廻してしまうから仕方無しに行をするのではないでしょう。
>>より良く今を生き抜くために行をするのでしょう。
>>将来におびえて今を生きるよりも、今を大事にするために。

すいません。否定して悪いんですが、こうゆう考え方は仏教とはまったく関係ない単なる現代的人生論の一つでしょう。

輪廻にあるということを認識し断見から離れ、一切皆苦を認識して現世も来世もどこへ行っても苦であることを実感して、
八正道を行じて解脱を目指すしかないんですね。
それができない場合は、できるだけ十不善を制し、十善を行うことや、諸々の供養などをする。

そうゆうのが仏教で輪廻を無視して今を楽しく生きようというのは、まさに断見派的見解です。

949クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 23:53
>>948
オール100%>絶賛!!

ところで、ゴータマ仏陀に想いをはせる皆様、
今、偶然チャンネル回して気づいたのですが、
NHKでルンビニ(仏陀生誕の地)とか映ってますよぅ。

はやく..はやくぅ!!!
950クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 23:57
間違えました。民放です。
「世界遺産---仏跡紀行ブッダ誕生の聖地・ルンビニー」
951名無しさん@3周年:03/09/15 00:07
無記によって何故、来世が否定、あるいは判断停止(無記)されるのか疑問だったんですが、
理由が分かりました。
>>159 
>如来は、死後、
> 11.存在する。
> 12.存在しない。
> 13.存在しかつ存在しない。
> 14.存在するのでも、存在しないのでもない。
阿呆陀羅經さんが既に欠いていました。
>>160 
> >>159
> >如来は、死後・・・
> は「タターガタ」−この文脈では衆生一般−と認識するほうが適切ではないかと思います。

中公の世界の名著でも「如来」を「人」と訳しています。
しかし何故人や衆生と取るのが適切なのでしょうか。
「如来」を「人」と解釈する他の用例が存在するのでしょうか・

「如来」と「人」では全く意味が違ってきます。
「如来」の場合は解脱した方が、死後どうなるか、ということで正にこのことを質問したのでしょう。
「人」と解釈すると一般に死後どうなるのか、来世はあるのかということになります。
これは非常におかしい。なぜなら釈尊は他で来世についてたくさん説いているからです。

阿呆陀羅經さんが「衆生」と解釈する根拠はなんですか?
952クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/15 00:11
来週は、悟りの聖地ブッダガヤだって。さぁ
953波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/09/15 00:12
もう終わってた・・・。
954名無しさん@3周年:03/09/15 00:17
>>948
>すいません。否定して悪いんですが、こうゆう考え方は仏教とはまったく関係ない単なる現代的人生論の一つでしょう。

まぢっすか!?
955クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/15 00:41
>>851
 『「タターガター」を正確に表現すると「タターガタガルヴァ」で「仏になっていく何ものかは
必ず有にして存続するはず」ということ。一般に如来蔵や仏性と意訳する。  
それを「諸法実相」と解釈する学説は天台教学の中に特徴的に現れている。』
http://www.d8.dion.ne.jp/~asuwasan/s/tataagataa.htm

 『如来(にょらい、tathaagata)は、諸宗教において修行を終えた者のこと。
字義は「真如の世界より来るもの」。仏教においてはゴータマ・シッダッタのことを指し、
さらに十号の一つとなった。大乗仏教では信仰の対象としての諸仏の尊称となっている。
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E6%9D%A5
956クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/15 00:42
つづき.
>「如来」の場合は解脱した方が、死後どうなるか、ということで正にこのことを質問したのでしょう。
当然そうでしょうね。

そうでなければ、如来(タターガター)という言葉で尋ねる意味がないです。
ここは当然、解脱してニルヴァーナ境地に到達した如来の死後はどうなのか?について
知りたがったいる質問に他なりませんね。
そして、仏陀はその回答もここでは明言を避けたということでしょう。
この一連の回答の流れにおいては、「如来」についても当然そういう態度になるでしょう。
何故ならば、どうなどとは簡単に示せるようなものではないからですね。

>>160
>この文脈では衆生一般−と認識するほうが適切ではないかと思います。
「如来 tathaagata」という言葉が「衆生」の意味として使われるなどとは、
到底、考えられませんね。
私は聞いたことも見たこともありません。

上記コピー説明の
「仏になっていく何ものかは必ず有にして存続するはず」
という解説は、とても重要な意味を含みます。
「諸行無常」との関係において考察されるべきです。
つまり、無常なる一切の中には如来も含むかどうかですね・・・。
957名無しさん@3周年:03/09/15 00:48
スートラって何ですか?
958名無しさん@3周年:03/09/15 00:51
如来 tathaagata 物事をあるがままに見ること。
現世は苦しみである。
という認識を善悪抜きで出来る人。
959クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/15 00:53
エッと、>>955-956は、
>>951の内容に対する投稿でした。間違えました。。


>>953
波木井さん、
見逃しました??(笑)

映像の一部では、2500年の遥かな時を経て、
宗派の違いを超えた世界中の弟子が聖地ルンビニーに集っているという紹介でその様子が映りましたよ。
各国、各グループの各々のスタイルと習慣で読経を捧げていたなぁ。
で、その中にはなんと日本の「日本山妙法寺」(たぶん?)の僧侶集団が太鼓叩いてまスた。
太鼓に「日本山・・」まで見えていたから、まず間違いなさそう。
想いは共に同じですから、良いことですわ。
960クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/15 00:59
>>958
世俗の社会的な一般人たちと同様であっては「如来」とはいえません。

(もうすぐ、1000ですな)
961:03/09/15 01:01
とにかく、常見の方
今、子作りしてる連中に「罪なことは、おやめなさいっ!」「罪なことは、おやめなさいっ!」
と言ってやってくれ。
962名無しさん@3周年:03/09/15 01:03
>>956
>「如来 tathaagata」という言葉が「衆生」の意味として使われるなどとは、
>到底、考えられませんね。

アホだらさんの立場ありませんねー(w
963NB ◆0buMLZ/Vxc :03/09/15 01:53
>>955-956

ttp://www.d8.dion.ne.jp/~asuwasan/
↑このページ、どうやら真宗系みたいなのでレスしますが、
はっきり言って微妙にトンデモ入ってます。(真宗教義の解説についても)

タターガタの解説のところは、個人的に有害指定しときます。
ちなみに如来蔵と仏性は、厳密には原語が違います。
つーか、『如来蔵経』自体は絶対に原始仏典じゃないです。

ちなみに、、如来(去)の「如」をどう解釈するかによって「衆生」と見るべきだ
とかいう話だったんだと思います。(…後見賢者の取捨をたのみます)

つか、、、このスレで如来蔵なんて微妙でやっかいなものを簡単に持ち出さないように。
おながいします。
964名無しさん@3周年:03/09/15 02:41
輪廻なんて簡単には信じられないよ。チーン
965名無しさん@3周年:03/09/15 10:50
良スレがカルトに荒らされてる。
966666改:03/09/15 10:56
なるほど、たしかにこれでは荒らしですなあ。
盛り上がればいいってものでもないか。
電波さん、もしMLにこんなひとが来たら削除対象にしますか?
967名無しさん@3周年:03/09/15 17:07
>>730でのクリスタルさんの質問ケース
>仏道に帰依し始めたばかりの弟子が今まさに臨終を迎えようというときに、
>彼から発せられた、「死後、私はまた再び仏道に帰依して、
>いつかはニルヴァーナに到達する機会は得られるのでしょうか?」
これに対してベロさんが答えてます>801 が、

これによく似たケースがお経にありました。中公の世界の名著1、451-456ページ
「病あつきヴァッカリ」です。示唆に富むと思われるので以下に紹介します。

病の床についたヴァッカリ尊者のもとへ釈尊がいらして、語りかけます。
釈尊:悩みや後悔がないか?
ヴァッカリ尊者:ある
釈尊:では戒律は清浄だったか?
ヴァッカリ尊者:清浄
釈尊:清浄なら悩みや後悔などないではないか!
ヴァッカリ尊者:釈尊にお目にかかる体力がないこと(意味不明、たぶんヴァッカリの小さな拘り)
    以下引用、
968名無しさん@3周年:03/09/15 17:08
>「ヴァッカリよ、もうそういうことはよしなさい。おまえが、(わたしのやがては)腐敗してゆく
>この肉身を見たからといって、それがいったい何になろう。ヴァッカリよ、ものごとの理法を
>正しく見る者は、わたしを見るのであり、わたしを見る者は、ものごとの理法を正しく見ること
>になるのです。ヴァッカリよ、ものごとの理法を正しく見ている者は、(結局その理法にほかな
>らない、この)わたしを見ていることになり、わたしを見ている者は、(結局のところ)もの
>ごとの理法を正しく見ていることになるからです。
> ヴァッカリよ、ものは、永遠に不変のものなのか、それとも無常なのか、
>おまえはこのことをどう考えるか」
>「師よ、無常です」
>「感受、想念、因果的存在、心は永遠に不変なのか、それとも無常なのか」
>「師よ、(それらはすべて)無常なものです」
>「こういうわけだから、このように(すべてのものが無常であることを)みて、再びこの(苦の)
>世界に生をうけることはないと知るのである」

この後ヴァッカリ尊者は無常を覚り、自殺する。すると悪魔がヴァッカリ尊者の魂を探すが、
魂は止まることなく涅槃したことを釈尊がみなに告げる。
969名無しさん@3周年:03/09/15 17:08
ヴァッカリ尊者のように自殺して涅槃に入ったケースにゴーディカ尊者がいます。
六度解脱し六度解脱から後退した彼は、七度目に解脱した時に自殺し涅槃する。
悪魔がゴーディカ尊者の魂を探すが、見つからない。釈尊は彼が涅槃したことを讃える。
       中村元訳『悪魔との対話』岩波文庫 48-52ページ

もちろん釈尊は不殺生戒で普通の自殺を禁じています。諸律に説かれますが複雑なので引用しません。
解脱せずに自殺すれば輪廻しますし悪趣に落ちるとされます。
それとは逆に上の二ケースのように解脱した状態で自殺した場合、涅槃できると考えられます。
悪魔は自殺した人が輪廻にあると思って魂、中村訳では「識別力」を求めていること、
それを釈尊が認めていることから、凡人の死後が想定されていることがはっきりします。
これはベロさんの答え>>801 と全く対立すると思います。
もちろん、ここで「魂」「識別力」と訳されている識(ヴィンニャーナ)も無常なものであることは、
「心」と訳されている識(ヴィンニャーナ)が無常であること既に釈尊が確認ずみです。
    (尚、輪廻の主体は仏教で問題となり色々な説が考え出されたが、このように初期は識とも
     言われていたようです。無常性を強調して後に心相続というようになったのかも?)
970名無しさん@3周年:03/09/15 17:09
「ヴァッカリよ、もうそういうことはよしなさい」というのは、釈尊がヴァッカリ尊者の
拘り「釈尊にお目にかかる体力がないこと」を後悔している、煩悩を引きずったままでは、
解脱へ引導できないので、そういった些細な煩悩を意識から取り去ったと考えます。
そして心を静まった状態に導いたと。

次に釈尊がヴァッカリ尊者に聞いたことは死にあたって重要な問題だったと考えらます。
戒律が清浄であること、梵行に努めたかということは、
不善をなさなかったかということ、悪業を作らなかったか、ということだと考えられます。
なぜなら、悪業を作らなければ、来世に対して悩みなく、それは死に対して悩みなくなるからです。

次に我の構成要素である色・受・想・行・識の五蘊すべてが無常であることを確認し、
それを実感できれば解脱し、後生をうけない、つまり輪廻しないと仰っています。
これは梵行では悩みのない善趣を受けられるが、解脱はできないことを示していと思います。
これが最も重要なところで我はどこにもなく無常で無我、人空を実感することが解脱につながると
考えられます。解脱すれば来世、死、どころか輪廻すべてに悩みがなくなり、根本解決になるからです。

ということでクリスタルさんアートマンでは解脱できないと考えるのが仏教です。
>>963 でNB さんが仰るように諸法実相とかはまた別で、ジャータカを認めず天台を認めるというのは変ですね。
また、動物への輪廻は三悪趣に落ちるという風に一般的に説かれています。
それでも認めないのでしたら律の中の因縁を説く箇所でも説かれますよ。    
971名無しさん@3周年:03/09/15 17:16
>>964
信じないのは自由だが、教えの内容を変更して喧伝されては困ります。
もちろん輪廻を信じずに十善行等を実践しても結構で、それでも有意味だと思います。

仏教はで強制しませんし、やれることからやる、だから方便がたくさんあるんです。
972名無しさん@3周年:03/09/15 17:44
輪廻については、釈迦が死者に向かって気休めを説いた方便よりも、
現在までの輪廻に対する仏教等の蓄積によって判明した或る程度の知識を以って
判断しなければ、それこそ原始人の信仰になってしまいます。

分からない世界に対して方便で説明するほうが有効であったかもしれないし、この手の話しは
寓話や伝承ミス、改竄、何らかの方便といったものが入っている可能性を考えたほうがよい。
釈迦の直説に近いものを唯一の拠り所とすることは危険だし、
簡単に判断できる世界ではないと思う。
973名無しさん@3周年:03/09/15 18:03
やはり「無我(非我)」の解釈の違いが主な原因でしょう。
因果なもんよのうー。
取り合えず「無我」解釈から起きた、延々と続く議論を中断した方がいいんじゃないの?
次は
例えば「中道」について…とか
モチロン基本は原始仏教としての

他スレで
「中道の程度も分からないのか!」って言われたんで
質問
中道に「程度」って、あるんっスか?
974名無しさん@3周年:03/09/15 18:40
クリスタル教のスレを立てたら?
975名無しさん@3周年:03/09/15 18:59
>>972
>輪廻については、釈迦が死者に向かって気休めを説いた方便よりも、
気休めではないでしょう。涅槃しているんですから。核心的な教えだと思いますが。
気休めはまさにこちら>>801

>現在までの輪廻に対する仏教等の蓄積によって判明した或る程度の知識を以って
>判断しなければ、それこそ原始人の信仰になってしまいます。

現代人の方が仏教知っていると思っているんですか? 

>分からない世界に対して方便で説明するほうが有効であったかもしれないし、この手の話しは
>寓話や伝承ミス、改竄、何らかの方便といったものが入っている可能性を考えたほうがよい。
>釈迦の直説に近いものを唯一の拠り所とすることは危険だし、
>簡単に判断できる世界ではないと思う。

基本的にあらゆる時代のあらゆる仏教が輪廻を前提としています。
例外は日本の現代仏教だけですね。それ以外にあったら典拠を上げて教えてください。
976名無しさん@3周年:03/09/15 19:09
[原始佛教 その5] なんとなくクリスタル
977名無しさん@3周年:03/09/15 19:25
>>975
輪廻から解脱した涅槃と、
死んだ後もこの世を彷徨ってしまう状態から逃れて次の生に赴ける状態と、
次の生でまた同じ苦しみを味わうことから脱したことと、
それらの違いが分からず、
「涅槃」として受け取ってしまった勘違いが入ってしまう可能性だってあるでしょう。
真実と方便の違いをわからず、とんでもないことをやってしまう団体だって世の中には
あるのですからね。
978名無しさん@3周年:03/09/15 19:59
とんでもないことをやって、方便だったと言い逃れ
979名無しさん@3周年:03/09/15 20:02
>>977
真実と方便の違いが、あなたには解るのですか
わたしの考えでは真実(悟り、ねはん、真理)は言葉や文字に出来ないものです。
980クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/15 21:12
>>963 >>970
ハイハイ。
いやー、どうもスンマセンねぇ・・・。
なんか、余計なもんをコピペ紹介したようで、酷ーい誤解をうみまスたねぇ。
アッハハハハ。真宗だからダメか!!(真宗さんもゴメンねぇ・・)

いやいや、ホント、
ただ、「衆生」なんて意味があるのかってことだけで紹介したんであって、
それと、「仏になっていく何ものかは必ず有にして存続するはず」という文句が気に入った(笑)。
まー、そういうことです。

>NB さんが仰るように諸法実相とかはまた別で、ジャータカを認めず天台を認めるというのは変ですね。
尚、このような意図は私には全くありませんので、ご理解下さい。ペコリ


>動物への輪廻は三悪趣に落ちるという風に一般的に説かれています。
この点についてはチト、私は納得がいきませんね。

たとえばそのジャータカ物語などでも、たしか仏陀の過去世としてウサギの物語などが描かれています。
これは飢えてヒモジイ人間に自分(ゴータマの過去世)を食べさせた
過去世での功徳を説くものであったと思います。
これらは、どう考えても明らかに動物への生まれ変わりという意図で述べたものです。
つまり、インドでは一般的には人間が動物にも生まれ変わり、
再び動物から人間へも転生するという考えが当然のようにあったことを示しています。
そして動物に対する慈しみの大きな理由の一つとして、
自分の愛する家族や先祖たちが転生している姿かもしれないから、
という教え方をして、動物への不殺生および無害を実践するよう教えていたものと思われます。
981名無しさん@3周年:03/09/15 22:23
話は変わるけど
電波男さんが勧めてた
「原始仏教」水野 サーラなんとか
って、何処で売ってるの?
982名無しさん@3周年:03/09/15 22:30
漏れはネットで買った
古本だけど
983名無しさん@3周年:03/09/15 22:49

サンキューです
そうですかネットってオークションですか?
古本って事は今は絶版なの?
984名無しさん@3周年:03/09/15 23:17
いや、高かったから
ネットで在庫を見れる古本屋で
985名無しさん@3周年
新スレ立ててみました、よろしければこちらでどうぞ。

?。?。?。仏教の無我と真我は両立可能か?。?。?。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1063635819/l50

宗教板では立てられなかったので、哲学板に立てました。