★★★ † 福音派質問箱 † ★★★ 12

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952或る福音派信徒 ◆RevGiOKgRo :03/06/28 21:18
>>948
神の創造によらず、偶然に進化する確率。
953あずみ ◆eeV.9uSetc :03/06/28 21:20
 その理論を提唱した人がクリスチャンならその理論は正しくて、
そうでなければまちがいということですか?  >949

 アインシュタインはクリスチャンじゃなかったはずだけど....
954名無しさん@3周年:03/06/28 21:20
確率といえば「神が創造した」場合と「神が創造しなかった」場合
の二つに一つ、1/2だ。
955あずみ ◆eeV.9uSetc :03/06/28 21:22
 偶然にじゃなくて、突然変異によって環境に適合したものが生存していく
んじゃないですか?   >952

 専門じゃないから、よくわからないけど....
956名無しさん@3周年:03/06/28 21:23
>>939
あなたは外典の中にも真理があることは、全面否定していましたよ。
957或る福音派信徒 ◆RevGiOKgRo :03/06/28 21:24
量子力学は相補性原理と不確定性原理によって基礎付けられている。

・粒子が同時に波動である、相補性という非常識。
・確率的偶然性。(進化論の偶然とは別のもの)
・観察者効果。

アインシュタインは偶然ではなく、決定論が成り立つと信じていた。
「神はさいころをふりたまわず」
「私はスピノザの神を信じている」byアインシュタイン

958あずみ ◆eeV.9uSetc :03/06/28 21:25
 で、相対性理論は聖書的、それとも反聖書的?  >957
959或る福音派信徒 ◆RevGiOKgRo :03/06/28 21:26
>>955
突然変異は進化ではない。

>>956
自然だって神の栄光をあらわす。
一般恩寵。コモングレース。
960名無しさん@3周年:03/06/28 21:27
聖書的、反聖書的?という態度、思考自体キリスト教的なのだろうか?
(違うと思う)
961名無しさん@3周年:03/06/28 21:29
あずみさんへ。
ミッシングリンクの説明には
生物学的には有神進化論もあります。
ウイルス進化説。
突然変異説などがあるみたいです。
962あずみ ◆eeV.9uSetc :03/06/28 21:29
 突然変異一般は進化ではないけど、突然変異によって環境により適合する
ものが発生することも進化ではないんですか?  >959
963名無しさん@3周年:03/06/28 21:33
>>969
では、外典のなかにも真理があることは認めるのですか?
964あずみ ◆eeV.9uSetc :03/06/28 21:33
 こういうのは専門じゃないので、あまり深くは書けないけど....  >961
965あずみ ◆eeV.9uSetc :03/06/28 21:34
 私も違うと思う。   >960
966名無しさん@3周年:03/06/28 21:40
>>969>>960
同意します。ですが、彼らにとっては聖書的=キリスト教的なので。
967訂正:03/06/28 21:42
正しくは>>965です。
968或る福音派信徒 ◆RevGiOKgRo :03/06/28 21:43
>>960 >>958
科学を反聖書的に用いることもできる。

聖書は神の啓示の書であり、誤りなき神のことばであり、
真理の最終的規範であるので科学をも基礎付けることができる。

>>963
聖霊に霊感された誤り無い啓示は旧新約聖書66巻であり、付け足されることはない。

ローマ書一章20節
人は神の創造である被造物を見れば、神を認めることができるはずなのです。
969アンダルシアの犬:03/06/28 21:45
>>960
僕も違うと思います。一応念のために書き込んでおくと、僕は進化論も創造論も両立して頭の中にありますね。
あずみさんも多分そうなんじゃないかな。。
ようは、創造論絶対は危ないですよと言いたいです。
進化論絶対は、まあ一般的な話なのでそのままでいいです。
創造論は生き方にかかわるキリスト教の考え方の一つですので、そこに科学を持ち込んでくるとお話にならなくなりますね。
970名無しさん@3周年:03/06/28 21:48
>>968
その付け足されることはないという言葉はどの聖句から?
971或る福音派信徒 ◆RevGiOKgRo :03/06/28 21:49
>>969
別に創造科学は必要ない。聖書があれば進化論の間違いなどすぐにわかる。
進化論を宗教にしてしまった者らがおかしいのだ。

「神が世界を創造されるまでは時間も空間も存在しなかった。」
アウグスティヌス

972或る福音派信徒 ◆RevGiOKgRo :03/06/28 21:52
>>970
黙示録 
22:18 私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
22:19 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。
22:20 これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。
22:21 主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。
   新共同
22:18 この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
22:19 また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。
22:20 以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。
22:21 主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。

973名無しさん@3周年:03/06/28 21:53
聖書によって進化論の間違いを科学的に論証して下さい。どうせできないだろうけど。
974アンダルシアの犬:03/06/28 21:54
>>971
あなたはそうしてガリレオを殺害した者たちの列に加わるわけです。
すこし、さがってご自分を見つめられる事を強くお勧めします。
975或る福音派信徒 ◆RevGiOKgRo :03/06/28 21:59
創世記
1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
2:7 その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。
2:8 神である主は、東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。
2:18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
2:21 そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
2:22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
976名無しさん@3周年:03/06/28 22:00
>>971
今の時代にこんな奴いるんだ。
宗教の力って凄いねw
977或る福音派信徒 ◆RevGiOKgRo :03/06/28 22:00
>>974 なんども言うように聖書によって科学を基礎付ける。

創世記 新共同訳
1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
2:8 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。
2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
2:21 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
2:22 そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、
2:23 人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
2:24 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
978名無しさん@3周年:03/06/28 22:03
>>972
実にあほらしい解釈ですね。
「この書物」って何を指しているのでしょうか?
パトモス島のヨハネが幽閉されていた頃は新約聖書すら確立されてなかったのに。
394年の会議(だっけ)新訳編者は黙示録の災いによって罰せられる?w
979名無しさん@3周年:03/06/28 22:04
全然基礎づけられてないじゃんw
980名無しさん@3周年:03/06/28 22:06
>>976
宗教から外れて、カルト化してるので困ってます。。
981名無しさん@3周年:03/06/28 22:08
アダムとイウ゛の話をそのまま信じるのは痛すぎるw
むしろ、猿から人への進化において神懸かり的な何らかの力が作用したと考える方が自然だ。
982名無しさん@3周年:03/06/28 22:12
>>980
あんなんがいるとキリスト教も大変ですなーw
983名無しさん@3周年:03/06/28 22:15
ご理解いただき、深く感謝します。。
984名無しさん@3周年:03/06/28 22:29
或る福音派信徒みたいのや、もののみの塔がキリスト教のイメージを悪くしていると思われ。(パンピーの視点からはものみとキリスト教は区別されてない)
985名無しさん@3周年:03/06/28 22:55
うちの親もものみをキリスト教と勘違いしてた。
986名無しさん@3周年:03/06/28 22:56
しかし、不思議に「或る福音派信徒」はものみの塔
訪問者に似ているな。
987あば丼:03/06/28 22:58
エホ証さん、あまり派手な建築物建ててないところは
感心するな。
988いのちの危機の時代に:03/06/28 23:00
小さないのちを守る会 代表
辻岡 健象


 雪崩 現象で押し寄せる、生命軽視と性の乱れ。果たして、歯止めがかけられるのか? 
この終末的危機感……。答えは「NO・否」であるかもしれません。

 現代の若者(に限ったことではありませんが)の中に、「なぜ人を殺してはいけないのか」という思いと、「殺したかったから殺した 」という現実があります。
また「法に触れずに、人を殺す方法を書け」と出題した学校の先生がいたそうです。加えて、中高年の自殺も増加の一途をたどり、生命軽視の蔓延の時代に突入しています。

 いのちとは何か。いのちの創造主である神を閉め出し、築き上げた現代文明社会に、いのちに対する絶対的価値観がなく、すべてが相対化されました。
その結果、自分にとって価値がなく、不都合であれば、相手を殺害していいのです。そして、自分自身さえも簡単に抹殺する時代です。
989このいのちにいかされて:03/06/28 23:01
「なぜ殺してはいけないのか。殺したい。殺してみたい。殺してどこが悪いのか。死にたい。死んでなぜ悪いのか」。
そして、他の動物界にも類を見ない、同種族間の殺戮を飽くことなく繰り返し、それが人工妊娠中絶という形ででも猛威を振るっています。
わが国だけでも、その数は一日一万件以上、七秒に一人の割合で、年間の中絶件数は三百万から五百万件と聞いています。
生まれてくる子どもの三倍近いわが子を殺しているのです(あの凶暴なライオンでも、仲間のライオンを殺したという話を聞いたことはありませんし、
ましてや自殺したらしいという話も聞きません)。ライオンよりも凶暴で、かつ自分に対し、逆境に弱いのが人間なのでしょうか。

「殺してはならない」(出エジプト二〇・一三)、これは、いのちの創造主である神の無条件の命令です。何の妥協もありません。
至上命令です。創造の冠として、尊い神のかたちに似せて造られた、いのちそのものの中に、神の栄光が現されています。
いのちは神のものであり、自分のものとして私物化してはならないものです。
人間の恣意によって、決して手をつけてはならない、尊い聖なる神の領域です。いのちは神秘に満ちた、神の領域です。

 遺伝子工学で世界のトップを行く、筑波大学の村上和雄教授は、どんなに科学が進歩しても、オタマジャクシがなぜ蛙になるか、が究明できれば、
ノーベル賞が何個でも取れると言っています。サムシング・グレイト(何か偉大な力!)によって、いのちは存在しているというのです。
生命誕生の神秘がここにあります。
990このいのちにいかされて:03/06/28 23:03
創造主の意志と目的によって、いのちが始まり、胎内で母胎との体温差一度、一つの受精卵が六十兆の細胞になり、
そして誕生の瞬間のオギャーという産声は、水呼吸から空気呼吸に変わる危機的瞬間で、各個人にとって、秒差のずれも許されないとか。
まさに奇跡です。誰がこんな神秘的な創造を成すことが出来るでしょうか(あの呱々の声は、神を賛美する厳粛な第一声です)。
そして、ただ一つの、尊いかけがえのない神のいのちが誕生するのです。

 私は、小さないのちを守る会の働きの中で、時には暴力沙汰や刑事問題に発展しそうな危機的な状況の中で、
日々いのちの感動に浸っています。ひとたび、いのちが胎内に宿り、どんな苦しい状況の中でも、産む使命に徹し、
その使命を果たした女性のすばらしい輝き。オギャーと泣く新しいいのちに接した途端、事情があって顔も見ず、自分で抱くことが出来なくても
、いのちの尊さを知ったと語ってくれる女性。一つのいのちを生み出すことによって、この世の価値でない、
もっと素晴らしい世界があることを知ったと語ってくれた女性……。また、たとえ実子でなくても、神から授かったこのいのちを、
真にわが子としていのちを懸けて、養育の使命を果たしたいですと、顔をほころばせて決意する養親……。
その養親のもとで、すくすく成長する小さないのちの幸せ一杯の笑顔は、どんなことばよりも、いのちの尊さ、生かされている喜びを表しています。
991あずみ ◆eeV.9uSetc :03/06/28 23:04
 進化論って宗教だったんですか?   >971

 だったら、教典は「種の起源」?
992アンダルシアの犬:03/06/28 23:06
>>986
原理主義ということで一致します。。
993あずみ ◆eeV.9uSetc :03/06/28 23:07
 遊びに来た甥っ子、お風呂に入れてきたよ。

 疲れた....
994このいのちにいかされて:03/06/28 23:08
マザーテレサは、最も貧しい人々の中に、イエス・キリストが見えると言いました。
私も、小さないのちを守る働きの中で、小さなイエスさまが見えてきたように思います。いのちといのちの触れ合いの感動です。

 神が望んでいる平和……、
それはすべてのいのちが尊ばれ、愛し合い、助け合い、いのちといのちの触れ合いに、
温もりがあり、優しさがあり、感動があり、喜びがあり、希望がある平和です。地に平和を! 
私は今、そんな日の到来を夢見ています。生まれてきて良かった、生きていて良かった、幸せだったと言える日の到来を。

 神よ、いのちの創造主である神よ。来たらせてください。全てのいのちが尊ばれる、主よ御国を。


995生命の尊さは造り主から:03/06/28 23:09
生命の尊さは造り主から

保守バプテスト同盟 恵泉キリスト教会 関宿チャペル 牧師
後平 一 

 公立学校では、道徳および教育活動全般を通じて「生命を尊ぶ心を育てる指導」が行われるように定められています。
しかし、公教育の枠組みの中で、創造主を抜きにして、生命の尊さを教えることがはたしてどこまで可能なのでしょうか。

 以前、公立中学校の教師をしていたときのことです。一人の生徒が浮かない顔で私のところに来ました。
「先生、私ってサルに近いんでしょうか?」
 聞くと、自分では精一杯努力したのに、テストの成績が悪かったというのです。皮肉にもその時のテスト範囲は「人類の進化」でした。
彼女は、自分が努力しても成績が悪いのは、自分がサルに近いからだと思い込んでいたのです。
私は彼女に、人は決してサルから進化したのではなく、偶然の産物などでもないこと、神さまが目的をもって、
計画をもって、ご自分のかたちに造ってくださったこと、それゆえに一人一人に生きる意味と価値があることを一つ一つ話して聞かせました。

 このように、創造主抜きの教育では、「生命は尊い」と言葉では言っていても、同じ教室で、様々な教科を通して進化論的な世界観、人
間観を教え込まれています。進化という枠組みの中では、自分の存在も偶然の産物にすぎなくなってしまいます。
996生命の尊さは造り主から:03/06/28 23:09
また、道徳指導では「人間尊重の精神」が掲げられていますが、これも進化の枠組みの中では、自然淘汰をくぐり抜けて来たがゆえに、
より進化が進んでいるがゆえに尊いという論拠に行きついてしまいます。
このような世界観、人間観の中からは、自分の存在の意味、価値を見出すことができません。
そして生徒たちは、「サルに近い自分」というように、アイデンディティーを著しく傷つけられ、ゆがめられていくのです。

 また、知的障害を持つ子どもたちとの交流学習を行ったときのことです。一人の男子生徒がこうつぶやきました。
「あいつら、生まれてこないほうがよかったんじゃないか?」

 一瞬、耳を疑いました。生命を尊ぶ心を育てるための教育活動の中でのつぶやきです。どうしてそう思うのかと問いただしたところ、
「人並みに仕事ができないから自分で生きていけない。社会の役に立たない」という答えが返ってきました。
彼と私のしばしの問答の間、本音をぶつけて来る彼のまわりには、それを否定しようとしない他の生徒たちが無言でいました。
おそらく本音の部分では、そう考えたのは彼だけではなかったと思うのです。

 確かに、能力や生産性で評価されるような世の価値観の中で、障害を持つ方々の生命の価値、存在の価値をどのように説明しきれるというのでしょうか。

 そして、これは障害を持つ方々のみならず、全ての人のいのちの尊厳に直接関わってきます。
この経済優先、効率優先の社会では、役に立つか立たないかで人間のいのちの価値まで決められてしまいます。
997名無しさん@3周年:03/06/28 23:10
>>987
海老名ベテルやブルックリンベテルは派手ですよー。
個々の部屋にシャンデリアがついていたり、天蓋付きのベッドがあったり。
噂ですけどね。
極め付けは、ピラミッドに眼(フリーメーソン・リー)が付いた創始者のお墓。これはかくしょうあり。
998生命の尊さは造り主から:03/06/28 23:11
 しかし聖書は「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ四三・四)と語ります。
能力があるから、役に立つから尊いのではない。神さまが、そのご意志によって、ご計画を持って、ご自分のかたちにお造りになったのです。

 そして、それだけでなく、ひとり子イエスさまを贖いの代価として与えてくださいました。
私たちのいのちの値段は、御子イエスさまのいのちなのです。
それゆえに、無条件に、何ものにも変えることのできない尊いものであることを私たちは知るのです。

 アメリカ、コロラド州の高校での銃乱射事件の犯人の少年は、事件当日Natural Selection(自然淘汰)と胸に書かれたTシャツを着ていたと伝えられています。
まるでこの銃乱射が「自然淘汰」の一つなのだと暗示しているかのようです。

 これを対岸の火事として見ていてよいのでしょうか。しばしば報道される凶悪事件は特別の事件なのでしょうか。
もっと身近なところで、自殺、虐待、中絶など、数多くの尊いいのちが失われています。
そして、多くの人々の意識の中に、創造主を抜きにした暗闇の価値観が深く入り込んでいるのです。

 生命の尊重を唱えながら、その実、生命を軽視する風潮が蔓延している昨今、様々な事件は、
「なぜいのちは大切なのか」という問いに対して、根本的な解答を提示することのできない社会、学校に対する無言の叫びなのではないでしょうか。

999生命の尊さは造り主から:03/06/28 23:11
 今こそ、教会の出番だと思います。創造主抜きの教育に大切な子どもたちを任せるのではなく、創造主にある教育を回復していかなければなりません。

 あなたを造られた方がいる。あなたを尊んで、いのちを与えるほどに愛してくださった方がおられる。
このメッセージを抜きにして生命の尊さを教えることは不可能なのです。

 最近、日本でもホームスクーリングやチャーチスクーリングのムーブメントが起こりつつあります。
私も、教会で小さな学習塾をやりながら、そのことを祈り、模索しているところです。
今こそ、主がこの国を癒してくださるように祈り、行動すべき時が来ているように思うのです。
1000あずみ ◆eeV.9uSetc :03/06/28 23:11
 人間は猿から進化したのではなく、同じ種から
分化したのでは?   >995
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