860 :
名無しさん@3周年:03/06/18 09:11
>859
>造物主とは(デミウールゴス)グノーシスの人間を肉体に閉じ込めた神の名で
デーミウールゴスの引用・出典箇所は何処ですか?
@プラトンの公共職人(製作者:デーミウルゴス[希])ですか。
それとも
Aアテネ(アテナイ[希])のポリス(都市国家)の
民会(エクーレシア[希])の役員・議員・指導者(アルコーン[希])の事ですか?
Bエジプト・アレキサンドリアのユダヤ人共同体の
70人訳ギリシア語旧約聖書の創造主(デーミウールゴス)の訳語からですか。
プラトーン以来
アリストテレースによるアレクサンダー大王(ホ・メガス・バシレウス[希])の
ヘレニズム(ヘレニク)の
ギリシア人(エルリン人[正教翻訳]・エリナス人[希−現代語・男性])の
人間観では、
肉(サルクス[希])と違い肉身(ソーマ[希])には、
霊(プニューマ[希])と魂(プシュケー[希])が宿るとしています。
動物には霊(プニューマ[希]・スピリトゥス[羅])がありません。
魂(プシュケー[希])による生きる息(呼吸)があるのみです。
861 :
名無しで宗教問答:03/06/18 09:12
>860 つづき
父なる神(ヤーヴェ[ヘブライ語]父:アッバ[アラム語]神:エル[ヘブライ語])と
子なる神キリスト(イエス[希]ヨシュア[ヘブライ語])は
人格(ペルソナ[羅]・実体:ヒュポタシス[希])ではなく
本体(ウーシア[希]・本質:スタトゥス[羅])において同一(同等:ホモ[希])です。
これを神(テオ[希])の同一本質(同質:ホモウシオス[希])と呼びます。
三位一体(三一さ:トリニタス[羅])の根拠です。
主イエス・キリストは神の言葉(ロゴス[希])であって、
このロゴスが、
おとめマリアから人間(アントローポス[希])となって生まれた方だという考えです。
だからイエスは、全く神であり、全く人間です。
神が人間にヘンゲ(変化)したのではありません。
人間(アントローポス)の霊(プニューマ)の部分が、
神の霊(テオ・プニューマ)であり
それが聖霊(ト・ハギオン・ト・プニューマ[希])となって、
マリアの肉(ソーマ)と混交(≒コイス?[希])して
生まれたのではないのですよ。
862 :
ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/06/18 09:17
訂正。伸ばし音が違う。
>860
@プラトンの公共職人(製作者:デーミウールゴス[希])
民会(エクレーシア[希])
863 :
ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/06/18 11:07
【 参考文献 】
ナグ・ハマディ文書U 福音書 岩波書店
¥4800+税 p19 ヤルダバオート 造物主(創造主)デーミウールゴス
ほか、キリスト教用語辞典 岩波書店および、いのちのことば社
聖書が原語で読めたなら−聖書語学の証しと勧め 大久保史彦 聖書語学同好会
¥1300+税 p47 アッバ(アバ)父
p55 エル(エール)神
聖書ギリシア語入門 野口誠・著 いのちのことば社
¥2700+税 p32 第22課 ことばは肉体となった サルクス
p25 神の:テウー 息子:ヒュィオス 救い主:ソーテール
p44 人は:アンとローポス
今すぐ話せるギリシャ語 入門編 木戸雅子 東進ブックス
¥2500+税 p31 語句コラム@国籍・言葉・職業 エリナス
古代ギリシアの思想 山川偉也 講談社学術文庫
¥1200+税 p364 エピロゴス(終章) 大王(ホ・メガス・バシレウス)
エウセビオス 教会史1 秦鋼平・訳 山本書店
¥4200+税 p14 創造主(形成者・p85生成者)デーミウルゴス
p27 イエースース(ヨシュア)
p79 復活 アナスタシス
p94 天使(み使い:アンゲロス→エンジェル[英])
p98 ヒエロソリュマ(エルサレム)
p119 監督職(エピスコペー)信仰(ピスティス)
原典 古代キリスト教思想史 1初期キリスト教思想家 小高毅・編 教文館
¥4200+税 p169 テルトゥリアヌス 三一さ(三一性)trinitasトリニタス
p171 テルトゥリアヌス 人格(位格)ペルソナ
カラー世界史百科 編集:下中邦彦 平凡社
¥2800+税 p61 ペリクレス時代のアテネ 民主制の完成 エクレーシア
世界大百科事典 1ア−アン 平凡社
p487 アルコン
864 :
名無しさん@3周年:03/06/18 14:24
誤読・誤解があるかもしれないけれど。。。カトリック教会のカテキズムから。
--------------------------------------------------------
神は全能、無から素材を創り出し、
物理的善と悪を、道徳的善と悪を造り出された。
(世界の創造)
人間は良心と自由意志を授けられて創造された。
(神の息を吹き込まれ、神の形に似せて創られた。)
また男女協力して神の至善を目指すように創られた。
しかし人間の側から自由意志を乱用し神との関係を断ち、
(善悪を知る実を食べ、契約を破った)
物理的悪と道徳的悪を選んで生きる過ちを犯した。
(堕罪による原罪の発生)
神の命の言葉である独り子を世に遣わし、
物理的善と道徳的善に立ち返るようにした。
(神の愛による十字架の贖罪契約と原罪からの救済)
神は世の終わりに至善を完成される。(黙示録)
福音派のマイコン危険度は?
福音派一直線 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧ ∧ < ゼロ パーセント !!
(゚Д゚ )__ \________
/ ̄ ̄∪ ∪ /|
/∧_∧ //|
/_ ( ´∀`)_// ┌─────────────
|| ̄( つ ||/ < ウーン・・ 50パーセント くらいかなあ・・・
|| (_○___) || └─────────
もとぴ
私は10年程前まで、福音派の教会に10年くらいおったけど、たいていの信徒は、
おっとりしておったなあ。
まあ、学歴はともかくとして、真面目に働いて、生活が安定して、
おっとりした生活の信徒が多かった。
(今では社会も雇用情勢も変わってしまったけれど)
・・・牧師も、「地獄」は、強調しなかったし。
牧師が、「礼拝厳守だ!集会だ!宣教だ!信仰だ!従順だ!・・」と騒いでも、
さらりとかわして、マイペースで自分の信仰生活を送っていた信徒さんたちの
ことは、私は今も敬愛してます。
866 :
罪人のかしら:03/06/18 20:58
イエス様、愛します。
867 :
名無しさん@3周年:03/06/18 22:07
【 赦し説 】
監督や執事は人の評判によって立てるが、(パウロ書簡)
裁きは、
神のみ前に正しいか正しくないかである。死後、裁きにあう。
主の来臨は父だけが知っている。(福音書)
いつ来るか、予定は未定。神のみぞ知る。
時が満ちていなかったから。祈りが足りなかったから。(福音書)
主は天に昇りて父なる神の右に座し、聖霊を送られた。(使徒行伝)
信じる者を赦すように洗礼を授けよと、弁護しているに過ぎない。(福音書)
主よ、主よ、と呼ぶ者だけが救われるのではない。
ヒツジとヤギに分けるという。(福音書)
また、偽教師や偽預言者でないかどうか。(使徒書簡)
天には人それぞれの悪行をいちいち書き記してある。(旧約聖書)
人はそれぞれの行いによって裁かれる。(使徒書簡)
最後まで耐え忍ぶものなのか。
いのちの書に書かれていても「除かれる」場合がある。(黙示録)
868 :
名無しさん@3周年:03/06/19 00:04
>>858 >被造物と自認するユダヤ人は神を決して父と呼ばなかった。血縁を表す
>父と言う言葉を使ったためイエスは自らを神と等しくしたと責められた。
>つまり神を父と呼んだことは自分は被造物ではないと言われたのです。
ここがユダヤ教とキリスト教を分けた最大の特異点なんだろうねぇ。
それまで神と人とを果てしなく隔てていた壁を、
イエスは自らの存在とその言葉で一気に近づけた。
「見えないが居る神」を証明する起因となった人だ。
>「生ける神」と呼びます。神が居るという言い方では申せません。
「生ける神」という呼び名があるが、
それが存在を意味するものではないと言うことなのか?
「神の存在」という事象を表現する言葉を私は知らないので、
便宜上「存在・居る」という言葉で表すことしかできないのだが…。
宗教者も学者も同じように自らを正当化する。
宗派の定義に「リベラル」や「福音派」、古くからは「プロテスタント」や「カトリック」という言葉があるように、
同じモノ(聖書や事象)に対して、それぞれの見解があり、それぞれが各見解に従って展開してきた。
神学者と宗教者が相反すると同じように、
神学者同士、宗教者同士も敵対し、同じように別々に分かれてきた。
学者だけが正当性を語る者ではなく、皆同じように正当性を語ってきた。
その善悪や正邪は別にしてね。
だが双方とも同じように聖書に何らかの信仰や思想を持つ者であったり、
イエスに、またはキリストにそれに近しいものを持つ者であることは確かだ。
その一方を一方の思想のみで弾劾し、悪と見なす事はあまりにも幼い思考だと思う。
「汝の敵を愛せ」と言ったイエスは、相手を敵として見なす事を嫌っていたのではないだろうか。
そして、相手を愛するには、相手を理解することが一番大事であり、その思想や見解を知ることが大事なんじゃないだろうか。
片思いじゃ愛されないし、判らない人は愛せないから。
>868
>父と言う言葉を使ったためイエスは自らを神と等しくしたと責められた。
批判と別に、信仰の父アブラハムはアブ+ラハムで「父+多くの」です。
>それが存在を意味するものではないと言うことなのか?
シナイのある山に登ったモーセが燃える柴から聞こえる神の答えが、
私の名は「あってあるもの」と言うことで「生きている神」
「存在の中の存在の神」なんですよ。
陰府(よみ)の神(ハデス[ギリシア語])とか
地獄の神(タルタロス[ギリシア語])とか
死者の国(シェオル[ヘブライ語])の神(エル[ヘブライ語])
じゃない。ということ。
>868
>片思いじゃ愛されないし、判らない人は愛せないから。
母子の愛と男女の愛の違いって何だろうね。
全能(エル シャッダイ[ヘブライ語])とは、乳房の神です。
子供は善も悪も分かりません。罪を自覚しません。しかし母乳は飲みます。
キリスト・イエスは十字架上で
彼等は何をしているのか判らないのです。父よお赦し下さい。とはこの事です。
しかし隣の十字架の罪人は赦しを求めパラダイスを約束されました。
キリストの罪人を救うとは、この改心の為です。
このような神の愛(アガペー[ギリシア語])は、無償の愛です。
男女の愛はギブ&テイクです。有償の愛です。離婚も慰謝料の請求もあります。
神は、善人にも悪人にも太陽を昇らせ照らし、雨を降らせ恵むという。
これは神の相手である人間がどういう状態の者であっても。という意味です。
>>869 ふむ、物理学的に云うところの「場」的な概念なんだろうか?
大雑把に言うと物理学ではある一定のエネルギーに満たされた空間のことを「場」という。
各種エネルギーは高いところから低いところに流れることによって、
その存在を知ることができるのだが、
一面を同じ値のエネルギーが満たしている場合、在るにも関わらず見えない(観測できない)。
例えが悪いかも知れないが、概念的にはこんな感じかなと私は理解している。
>>870 アガペーによる献身的な愛と、エロスに代表されるある種の物理的な愛の違いに関してはそれなりに理解しているつもりだ。
無条件に愛することがどれだけ大変で苦痛を伴うことかもね。
他人を認めることに大切なのはもちろんこのアガペーだと思う。
物理的な利害の一致で得られるモノは事の他少ないし、
常に流動的な人の願望は、一時的な一致では補いようが無い。
善悪を生んだ神の恩恵はその両方に及ぶが、
人は善悪を区別し、それ相応の対処をしなければならないだろう。
だが、それが常に一次的な見解を元に行われてはならないと思う。
キリストを信じているから善であり、信じていないから悪であると考えるのは、
過去のイエスを十字架にかけたユダヤ教会と同じ過ちを犯すことになりはしないかと思うのだ。
「どちらにも善はあり、また同じようにどちらにも悪がある。」
これを忘れてしまっては、善を見つけ、選ぶことができないのではないだろうか。
人は知恵の実を食べ、善悪を知る者となり、そのとき初めて、神から名を得られた。
名で呼ばれることになった各人それぞれが、善悪を知ること、選ぶことを怠らないように、
平等に光を当てられている神に則し、平等に物事を扱うことが求められてるのではないかと思う。
>>868 >「生ける神」は無から世界を創造した存在の根拠なので、居るでも存在
でもなく、人間との間に人格としての交わりで自らを示される、
抽象概念でなく、人間に自らを開示する神という、関係と働きで表現され
真に生きているのは神(被造物は死にます)である、という感じです。
彼らは神を存在する「それ」としないで人格と向き合う「あなた」と
いう関係で表したようです。自分とは関係なく存在する「それ」でなく
常に人格として向き合う「あなた」です。絶対他人事でいるとかいない
と呼ばなかったようです。絶対だと誓うときは「神は生きておられる」
という言い方をしました。
宗派争いについては正しいのは神であるイエス・キリストだけですから
いつのまにか人間が作った神学と教義ばかり論じるようになり、
生きて働かれる神救い主であるイエス・キリストをなおざりにした結果
自ら招いた混乱と分裂です。人が自分の知性をほこり、神を定義したり
した結果です。現在も最も欠けているのは神への畏れです。
信仰は結婚のようなもので排他的です。配偶者は絶対一人です。
宗教どれにでも理解を示すがいますが、女なら誰でもいいと平気で言える
信用ならない人です。寛容じゃなくてだらしないだけです。
排他的で人間のご機嫌をとらないのは「生ける神」だからです。
信仰は気休めや倫理道徳ではないので全身で体験しないと
全くわかりません。しかしわかるときは疑いようも無くわかります。
信仰は実践であって哲学と違いますので、現に生き物です。
体験して初めてわかる信仰を屁理屈で難癖つけるのは知らないことを
そしる理性の無い動物です。体験してはじめて信仰は排他的なのがわかります。
嫌われるのは承知です。なにおおいても正しいのは神でわたしではありません。
聖書は必読です。よく効く薬は必ず劇薬指定ですから真面目な関心をもって
読まなければ自我肥大して自分が神になったきになってヘンな宗教の教祖に
なったりします。クリスチャンで気味悪いほど選民意識もってるのがいますが
これも安易に読んだ結果です。
それと祈りは信仰の呼吸ですから祈りを欠いた信仰は実体験がありませんから
神学とか教理とかたくさん知ってるだけで知識が誇りになってすぐ論争してきます。
でも祈りに時間裂かないクリスチャン多いですね。そうすると生きてる神の
実感がないので観念的な定義を必要とする人格があやしくなって否定する
人まで現れます。だから論争で勝つか負けるかが信仰の最重要点になります。
勝てば自分の信仰の正しさの証明とします。クリスチャンの議論がとかく
ひどい言葉でののしったり馬鹿にして笑ってみたりするのは、どんな手を
使ってでも勝たなければ死活問題だからです。絶えず祈れと言う命令を
軽く見ていたためです。祈るのはクリスチャンの仕事といわれるほど
聖書を読む前に、読後に、朝に、夕に実際祈り続けて見て下さい。
必ず身をもって知ることができ、聖書をあかしし、大きな信頼に恵まれます。
もう論争なんか必要ないです。
>>872 ふむ、信仰が排他的であるのは確かにそうだろうと思う。
宗教の成り立ちがナショナリズム的であるからね。
特にユダヤ教を礎にした信仰には根強く残っている。
だが、自らの結婚には寛容だが、他の結婚にはあまりにも厳しいように思う。
自らを悔い改める意識を常に持つ事が、信仰としてあるべき道を歩む唯一の方向のように思う。
私自身は何かの教派に属しているわけではないが、信仰をもつ神は居る。
名も知らない、酷くぶっきらぼうで厳しい神ではあるがね。
救いを齎す神でもなく、概念的な真理に近い神だ。
それが正しい神とも思わないし、誰かを非難する神とも思わない。
ただ、従わされている(従わなければならない)と思わせる神ではある。
聖書はもちろん読んだ。
自らの信仰を委ねる為ではなく、一文献としてね。
信仰の名のもとにキリスト教がどれだけの悪行を行い、
またどれだけの貢献をしてきたかもいろいろ調べた。
だが、一番納得がいかないのが、貴方も言う、
「なにをおいても正しいのは神でわたしではありません。」
というある種の自暴自棄、或いは他に自己を預ける行為だった。(別に非難するものではない、すまない…。)
イエスは自らの足で歩き、見、そして語った。
だから、私もそうありたいと尊敬はできるが、
その行いに、存在に自らを預けることはどうしてもできなかった。
他に背負われて歩く道がどれだけ恐ろしいか…。
自らが生きる為に自らが血と汗を流して耕さなければならないと思ったからだ。
それが私が従わされている神の意志のように感じている。
同じキリスト者でなければ話ができないのであれば、すまなく思っている…。
>自らを悔い改める意識を常に持つ事が、
>信仰としてあるべき道を歩む唯一の方向のように思う。
罪とはあくまで神に対する罪であって寛容とか厳しいとか人間の判断に
対するものではありません。信仰者は決してヒューマニストではありません。
それと信仰をもって聖書を読まなければイエスはたんなる賢者にしか見えません。
キリスト教が信仰の名のもとに戦争をおこしたことは一度もありません。
信仰が無いゆえにドグマを戦争の口実に腐った教皇や野心家がキリストの名を
殺人に利用し正当化したのです。背教者ゆえに汚されました。
それと自己を放棄するのは信頼が無ければしません。創造主に信頼したなら
自暴自棄ではなく自棄ではあっても信頼によるので自暴ではありません。
絶対他力は、修行で自分が磨けると思っていること自体愚かと気づいたからです。
自分は磨かれたと自分で思い込むか、人から評価うけたりとか、自分の満足を求め
努力が誇りになってしまう。理想を高くすれば磨かれたと満足できない。
理想を低くする以外苦しみが死ぬまで続いた上それでも進歩したと自画自賛するしかない。
>他に背負われて歩く道がどれだけ恐ろしいか…。
信頼するなら恐ろしければあえてやるべきだと思いました。
>自らが生きる為に自らが血と汗を流して耕さなければならないと
生かされていることをはっきりとさせとかないと自分を生かすのは自分だ
と思ってしまうので、努力崇拝という自らの誇りにしてしまうのが私です。
>「なにをおいても正しいのは神でわたしではありません。」
これは信仰告白で現実に正しいかどうかなど問題にしません。
プライドを捨てなければならないので一番難儀しました。
自己正当化と思われてもしょうがありません。でも事実だけ書きました。
信仰によるもので哲学でも倫理学でも一般常識でもありません。
>>875 私のように矮小な人間には貴方のように生きることはできないだろう。
貴方は尊敬すべき人だと思う。(そんなことを望んではいないと思うがw)
ある種の確信をもって信仰を貫くことは、なかなかできることではない。
貴方はそれを実践している。
私には苦しみに耐え、その中で生きることしか選べない。
他の全てを自らの鏡像の存在として生きることしかできないから。
>キリスト教が信仰の名のもとに戦争をおこしたことは一度もありません。
>信仰が無いゆえにドグマを戦争の口実に腐った教皇や野心家がキリストの名を
>殺人に利用し正当化したのです。背教者ゆえに汚されました。
これいう歴史関係は教義・背信云々の話になってしまうから、なるべく話をしたくなかった。
宗教という括りのなかには、必ずこう云う政治権力が含まれている。
そしてこれが信仰の暗黒面でもある。
後の世の流れで善悪が入れ替わるのは人の世の常であるから、ご都合的に見えてしまう。
背教者云々もそれ自体を決めるのは(または存在を認めるのは)神であるから、
耳を塞ぎただ「背信の悪」を叫ぶのはよろしくないと思う。
私には告白するような信仰を持っていないので、
>>874の中段に書いた神に従うまでだろう。
迷い、足掻き、絶望する度に、狂うほどそれを切望してやまない。
それが善であるか悪であるかという問題は関係なくね。
>875 さん。
> キリスト教が信仰の名のもとに戦争をおこしたことは一度もありません。
>876さん。
> 宗教という括りのなかには、必ずこう云う政治権力が含まれている。
> そしてこれが信仰の暗黒面でもある。
「キリスト信仰」と、「キリスト教」とは、区別したほうがよいと思う。
「キリスト信仰」(信仰)は、信仰の名のもとに戦争をおこしたことは一度もないでしょう。
けれども、「キリスト教」という宗教は、信仰の名のもとにたくさんの戦争をおこしてきたと思う。
>868 名無しさん@3周年 さん。
> ・・・ そして、相手を愛するには、相手を理解することが一番大事であり、 ・・・
相手を愛するには、自分自身を受け入れて愛すること(自己受容)が、大切と思う。
聖書の中で、「自分を愛する」は、二つの意味で、それも正反対の意味で使われています。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
マルコ12:31、エペソ5:28は、「自己受容・自己愛」の意味
Uテモテ3:2では、「自己中心・利己主義」の意味
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
「あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。」マルコ12:31
・・・自分自身を受け入れて、愛すること。それが、隣人を受け入れて、愛することの前提
または基準になります。
神の無条件の愛を受けて、自分自身を愛し、そして隣人を愛するようになります。
>871さん。
> 無条件に愛することがどれだけ大変で苦痛を伴うことかもね。
同意します。
879 :
もとぴ お気軽モード:03/06/21 20:31
蒸し暑い季節になりました。
★★ 夏期は、一日に一度くらいは、しっかりと汗を流しましょう ★★
からだの温度は、場所によって違います。(内部では高く、外側では低い)
健康な人の体温は、内部でおよそ37度、脇の下で36.5度です。
冷房などで体を冷やすと、内部と外側の温度差が大きくなり、体がだるくなります(冷房病・夏ばて)。
からだを「内部」と「外側」に分けていますが、その定まった境界線はありません。
体内部の体温の高いところが、「内部」あるいは「芯」です。
・・・「体の芯からあたたまる」ということは、「芯」の部分が拡大するということれす。
私は「ウツ」の経験を書いた(>463)けど、ウツの時の私は、汗を流さない生活をしておった。
で、【ウツから抜け出るのに、全身に汗をかくことは、驚くべき効果がある!】らしい。
散歩でもサウナでも風呂でも、なんでもいいから、夏は汗を流す。
クーラーを切って、それで汗が流れてくるのであれば、それでもいい。
風呂なら、熱い湯ではなく、ぬるめの湯(38〜39度くらい)でゆっくりと。
ただし、汗をかく前や、休憩中や、汗をかいた後などには、必ず【水分の補給】をしてね。
(ビールなどのアルコール類では、水分の補給とはなりません)
汗をかくのに 【少しくらいの我慢はしても、無理はしない】でね。
880 :
愛するイエス様。:03/06/21 20:55
,.. ---- .._
,. '" `丶、
/ ` 、
,..-‐/ ...: ,ィ ,.i .∧ , ヽ.
. ,:' .l .::;',. :::;/..://:: /,':/ ', l、 .i ヽ
. ,' ..::| .::;',' :;:','フ'7フ''7/ ',.ト',_|, , ',.',
,' .::::::!'''l/!:;'/ /'゙ / '! ゙;:|:、.|、| 'l
. ,'. .:::::::{ l'.l/ _ _ 'l/',|.';|
l :::::::::::';、ヾ /! ';. '
. ! :::::::::::/ `‐、 ゝ |'゙ |
| ::::::::/ \ 、_, _.,.,_ ノ::: !
|::::/. _rl`': 、_ ///;ト,゙;:::::./ <罪人の私をあわれんでください。
.. `´ /\\ `i;┬:////゙l゙l ヾ/ 愛するイエス様。
,.:く::::::::`:、\ 〉l゙:l / !.|
. /:.:.:.:\:.:.:.:.`:、ソ/:.:| | |
/.:.:.:.:.:.:.:.:.:\:.:.:.:У:.:;l /./
. /:.:.:.:.:.:.:.r'´`‐,`、:/.,.:‐{ | !`:、
,'.:.:.:.:.:.:.:.:.';_,゚.,ノ.:./,:':.:.:.:', | |`、:|
!:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.゙、:.::/:.:.:.:.:.:.ヽ, / ,!:.:`、
>880 『神さま。 こんな罪人の私をあわれんでください。』 ルカ18:13
「・・ あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、
決して天の御国には、はいれません。 」 マタイ18:3
882 :
◆XqrQAy2Hxg :03/06/24 19:23
x
883 :
名無しさん@3周年:03/06/24 22:13
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
「わたしに向かって、
『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、
天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」 マタイ7:21
また私は、
死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。
そして、数々の書物が開かれた。
また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。
死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、
自分の行ないに応じてさばかれた。 黙示録20:12
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、
神は、この書に書いてあるいのちの木と
聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。 黙示録22:19
884 :
名無しさん@3周年:03/06/24 22:27
三時ごろ、イエスは大声で、
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
という意味である。 マタイ27:46
;".:^; ;".:^;
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ミ ':, ;.,,;.,. ;.,..,;.,. ',
....,.,ミ ミ' ~;";^:ミ X ミ' ~;";^: ミ
ミ `"ミ ミoOOo ミ ミoOOoミ ミ
ミ ,.,.,...':,_ミ ○ ;ミ '; ;ミ ○ ;ミ_:'
ミ,.,;.,.;,,. 丶, ,:"丶,,:" ミ,.,;.;,.丶
そして、三時に、イエスは大声で、
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
という意味である。 マルコ15:34
885 :
名無しさん@3周年:03/06/24 22:33
・☆・っ・・! ・・・と・・・スペシャル(^◇^)ノ
__∧∧__ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/\ (*゚ー゚) \ < ・・・・・、・・・・・☆
\/| ̄∪∪ ̄|\ \______________
\|____| しぃ☆
さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。
主はモーセに会われ、彼を殺そうとされた。 出エジプト4:24
そのとき、チッポラは火打石を取って、
自分の息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけ、そして言った。
「まことにあなたは私にとって血の花婿です。」 出エジプト4:25
そこで、主はモーセを放された。彼女は
そのとき割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。 出エジプト4:26
886 :
名無しさん@3周年:03/06/24 22:37
日々回心し、
賛美歌うたい
聖書の聖句を読み
でたらめ信徒 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧ ∧ < 主の平和。
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|| ̄( つ ||/ < 神に感謝。アーメン。
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適当氏
主の祈りを唱え
感謝の祈りをささげる。
887 :
名無しさん@3周年:03/06/24 22:44
>883 黙示録20:12 【いのちの書】
救われないで死んだ者は、死後、「ハデス」(よみ)にはいる。
・・・多くの人はハデスに行き、そこで生きていた間の報いを受け、自分の人生を振り返るでしょう。(ルカ16:25)
ハデスにいる者は、千年期の後にハデスから出されて、「大きな白い御座」の前に立つ。(「最後の審判」)
最後の審判では、数々の書物が開かれる。 また、「いのちの書」も開かれる。 (黙示20:11-13)
「いのちの書」に名のしるされている者は、「新しい天と新しい地」を相続する。(21:1-7)
しかし、「いのちの書」に名のしるされていない者は、「ゲヘナ」(地獄)。(20:15)
(参照:パート3の645)
ここで、問題は、
黙示録20:12の「最後の審判」で、「いのちの書」に名のしるされている者が 【だれもいない】 と、
解釈してよいのかどうか、です。
福音派の教理 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧ ∧ < だから、 だ れ も い な い っ つ ー の !!
(゚Д゚ )__ \__________
/ ̄ ̄∪ ∪ /|
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/_ ( ´∀`)_// ┌─────────────────
|| ̄( つ ||/ < だから、 なんで そ う 言 い き れ る の さ !?
|| (_○___) || └──────── イイキルダケデナク、ワカルヨウニ カイセツシテヨ
もとぴ
>884
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」 マタイ27:46、マルコ15:34
十字架上のイエスの叫び。
これは、詩篇22:1のことばで、メシヤの受難の詩でもある。
イエスは、人間の罪をその身に負って、神から見捨てられた。
・・・神との断絶の苦しみの叫び。
(しかし、逆説的に最も深いところで神への信頼を示す。)
参考:新改訳聖書 註解・・付
890 :
或る福音派信徒 YahooBB219179154018.bbtec.net:03/06/25 19:52
>>888 行き先は地上で決まる。
人が滅びるのは罪があるから。
ただ、イエス・キリストを信じれば救われる。
弁解の余地はない。
>888 :もとぴ :03/06/25 19:37
>・・・多くの人はハデスに行き、そこで生きていた間の報いを受け、自分の人生を振り返るでしょう。(ルカ16:25)
カトリックの煉獄じゃない。リンボの概念そのもの。
>888の補足
- - - - - ルカ 16:19-31 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
23節 その金持ちは、【ハデスで苦しみながら】目をあげると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。
・・・・・
25節 アブラハムは言った。 『 子よ。 【思い出してみなさい。】
【おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。】
【しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。】 ・・・ 』
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
多くの人は、【ハデス】に行き、【そこで生きていた間の報いを受け】、【自分の人生を振り返る】でしょう。(ルカ16:25)
しかし、ハデス(よみ)では、たとえ苦しみがあったとしても、その人はまだ神との関わりの中にあります。
最終的に、天国に行くか地獄に行くかは、最後の審判のときに決定されるでしょう。 ( >888に戻る・・)
>>890 > 行き先は地上で決まる。
「行き先」って、どこ?
>>891 > カトリックの煉獄じゃない。リンボの概念そのもの。
【煉獄説】
部分的にしか清められていない大多数のキリスト者は、「煉獄」に行って、
すべての罪が洗い清められるまで苦難を受け、それから天国に移される、とする説。
【 リンボ 】
語源のラテン語limbusは「端、縁」の意。 転じて地獄の端、縁の部分を意味する。
ダンテの『神曲』では、罰せられる罪の度合いに応じて、地獄はますます深く暗黒の地中に
下りていく構造になっているので、リンボとは最も地上に近い浅い部分をさすことになる。
(以下略。「岩波キリスト教辞典」より)
893 :
或る福音派信徒 ◆RevGiOKgRo :03/06/26 22:50
>890 或る福音派信徒: 行き先は地上で決まる。
>892 もとぴ : 「行き先」って、どこ?
>893 或る福音派信徒: 天国か地獄。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
人は死んだら、【パラダイス(天国)】にいくか、【ハデス】に行くか、そのどちらかです。
今、【ゲヘナ(地獄)】にいる者は、一人もいません。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
或る福音派信徒さん。
このところまでは、同意していただけるでしょうか?
>>894 再臨の時まではね。
再臨の時にノン・クリスチャンはゲヘナに投げ込まれ永遠に苦しむという、
さばきを受けます。
896 :
ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/06/27 22:44
>895 :或る福音派信徒 ◆RevGiOKgRo :03/06/27 21:10
福音派教会で洗礼を受けたが、教会の日曜礼拝に来なくて友人葬だったり、
福音派以外の洗礼で、教会の礼拝に出なくて、仏式葬式で亡くなった場合でも、
ゲヘナでしょうか?
>>896 イエス様が自分の罪の身代わりとして死なれ、よみがえられた救い主、主であると信じるならば、
滅ぼされることはありません。
聖霊によらなければだれもイエスを主と告白できず、
クリスチャンの内には聖霊なる神がおられます。
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☆エホ証と福音派とリベラルの聖書解釈☆Part5
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>895 或る福音派信徒さん。
> 再臨の時まではね。
同意していただけたようですね。 >894
<いちおう解説>
福音派の多くは、〔前千年王国説〕の立場です。
しかし、尾山令仁師は、〔無千年王国説〕の立場に立っておられるようです。
或る福音派信徒さんは、〔無千年王国説〕の立場でしょう。
- - - - - 千年王国についての三つの見解 - - - - - - - - - -
〔後千年王国説〕: 「千年王国」 → 「キリストの再臨」 → 「最後の審判」、 というような立場
〔前千年王国説〕: 「キリストの再臨」 → 「千年王国」 → 「最後の審判」、 というような立場
〔無千年王国説〕: 「キリストの再臨」 → 「最後の審判」、 というような立場
いずれにしても、「最後の審判」までは、【ゲヘナ(地獄)】にいる者は、一人もいないわけです。
・・・ そこで 次に問題となるのが、
「ハデス(よみ)」とは、どのような場所であるのか。
ハデスが、「地獄」なのか? それとも「地獄ではない」のか?
・・・ です。
> 再臨の時にノン・クリスチャンはゲヘナに投げ込まれ永遠に苦しむという、
> さばきを受けます。
聖書の箇所を示してください。
このホストでは、しばらくスレッドが立てられません。
またの機会にどうぞ。。。
ホストX999999.XXX.XXXX.XX.XX
☆エホ証と福音派とリベラルの聖書解釈☆Part6
名前: 名無しさん@3周年
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内容:
☆エホ証と福音派とリベラルの聖書解釈☆Part4
1 :名無しさん@3周年 :03/05/21 22:05
聖書に忠実、聖書崇拝、DQNな翻訳、聖書につけたし。
70人訳、エロヒム伝承、ヤウエ伝承、司祭伝承・・・。
現代訳に世界訳・・・・・。
様々な問題がある聖書の世界。またーりと論じてちょうよ。
履歴・定義は
>>2-20 以下で。
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905 :
名無しさん@3周年:03/06/29 19:21
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>904は、私(もとぴ)ではありましぇん。
907 :
或る福音派信徒 ◆RevGiOKgRo :03/06/29 20:29
908 :
もとぴ ◆ScLPAqp5yQ :03/06/30 18:51
>907
トリップ付けてみました。
・・・ これでいいのかな?
909 :
もとぴ ◆ScLPAqp5yQ :
>907 或る福音派信徒さん。
どーもです。トリップできました。
ネームの後に、自分で ◆ を付けるものと思っていましたが、、、
「トリップ」で検索して、その方法を知ったです。