【マターリ】お念仏lt;lt;萌えgt;gt;スレ2【雑談可】
537 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :
>>536 >思うのはおいらだけ?
真宗の坊主は大半がそう思うだろう。
教行信証に墨を塗ってきた外道の坊主が、親鸞の念仏はどう称えるの
か、知るはずもあるまい。
墨を剥がした教行信証に触れれば、何の話かと訝るだろう。
座禅して念仏するのはいやじゃという人は、座禅しないで称えればいい。座
禅して唱題したいという人は、座禅して唱題すればいい。それだけの話だ。
念仏が、座禅しないで称えられれば大したものだ。自分は、座禅しないで念
仏を称えていますという人がいれば、それはそれで他人がどうこういう話じゃな
いわいな。
538 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/11/08 19:50
>>529 >留守だったから阿弥陀如来を倒して腰掛けにいて
>待ってたなんて話もありまつな
これは深い話かも知れんな。
一休という人は、腰に敷かれて休ませてくれる腰掛けに
も、如来性を感じ、腰掛とさえも対話できる知恵者だった
ということかも知れんな。
仏壇に置いてあった阿弥陀如来像を降ろしてきて尻に
敷いたということではないだろう。
置いてあった腰掛けに腰掛けさせて貰い、腰掛けさせてく
れたその腰掛けにさえ如来を感じる繊細さがあったんだろう。
539 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/11/09 16:29
ちょっと書き直します。
>>538 余所の家に出かけていって待たせて貰うにあたり、近くにあっ
た漬け物石にでも腰掛けていたのか?。
主人が戻ってきて、漬け物石を尻に敷いている一休に腹を立
てる。
「すまん。すまん。漬け物石とは知らなかった」。一休は謝る。
「実は丁度いい阿弥陀さんが転がってると思って、座らせても
らってたんじゃ」。
阿弥陀さんなら、少しの間、尻に敷かれても怒るまい。阿弥陀
さんを長年漬け物石に使っていたとなると、主人も阿弥陀さんに
恐れ多いことをしていたことになる。一休の言葉に、主人も怒れ
なくなり、笑い出す。
こう言うとき、もっと怒り出す主人もいるだろう。怒り出す相手
か、シャレが分かって笑い出す相手か、一休なら見極められる
だろう。漬け物石にでも何にでも如来性を見出す一休の懐の広
さ、巧妙な謝り方、頓知。やはり一休は逸材だったんだろうね。
540 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/11/09 16:35
<ちょっと言いたくなった>
>>530 >仏像は、寒い時には、薪にもなるし、腰掛けにもなるでしょう。
>仏をみて仏像に着さず。形に執われない。
ささくれだった味もそっけもない神経だな(苦笑)。
理屈で考えるのはいいが、祈りと命を忘れるないようにな。
541 :
名無しさん@3周年:03/11/09 17:29
>>540
秋の深い夕べは、いいですね。
竹藪は、こんな私でも受け入れる。
漬け物石のように・・・・