1 :
名無しさん@3周年:
話の中で背びれ尾びれがついていったんじゃないの?
オウム信者は麻原をすっごく立派な人と思ってるらしいけど
それと似たようなもんじゃないの?
アッラーとかお釈迦様でも全ての宗教がそうかもしれないけど
元となる人物だってそんなに凄い人だとは思えない
無意味なので終了
>リストは本当に立派な人だったの?
偉大なる作曲家じゃないか
4 :
名無しさん@3周年:03/04/21 17:41
別に煽るつもりは無いですけどこのスレの成り行きが非常に
興味がありますね。それよりも立派というのは何を以って立派
というのかをハッキリとさせたほうがいいと思います。
例えば「奇跡を起こしたから立派だ」とか、そういう論拠を破らなければ
このスレは成立しないと思います。
>>4 1が名無しでいる限りはダメポ。20レスで終わり。
6 :
名無しさん@3周年:03/04/24 19:24
キリストは実在していません。
論拠を知りたくば、キリスト教撲滅戦士さんに
聞いてください。
7 :
名無しさん@3周年:03/04/24 19:34
キリスト教撲滅戦死=フリーメーソン
キリスト仮現説
キリストってウンコするの?
9 :
名無しさん@3周年:03/04/24 19:54
>>1 私は坊さんなんだけど、お釈迦様はすごいですぞ!
「例えば、あなたの目の前に壁があるでしょう!それは止まって
みえますね?5秒後も同じ物ですね?5秒たっても同じですよね?
しかし、同じものと認識していますが、実はそれは違うものです。
【さあ。この坊主あやしいと思ったでしょう?】
それでは、10年経ったら?。。。さすがに汚れたなあと、写真で
見たらわかりますよね?
という事は、ほんの少しでも時間が経てば、もう姿が変わってるんです。
だから、止まっているように見える壁でも実は変化している。
つまり、いま見たものは厳密に言うと、この世には無い、変化した形で実は
見えているのです。
物理の世界で証明しましょう!物には細かくすると原子がありますが、
その原子は原子核が真ん中にあって、その周りをくるくる電子が回ってるの
です。つまり、目の前のかべも電子がくるくるしてるの。
まったく止まってないのです。
お釈迦様はこの世でとまってるものは無いのに気がつきました。
よくいわれる諸行無常です。」
普通、2500年も昔に、止まってるものがないと気づきますか?
道端の石をみて、止まってると思いません?
10 :
名無しさん@3周年:03/04/24 20:00
現役のご住職のかたですか?
11 :
名無しさん@3周年:03/04/24 20:32
12 :
名無しさん@3周年:03/04/24 20:40
でも聖職者の方なんですね。なかなか良い話だからコピペで使わせて
もらいます。
13 :
名無しさん@3周年:03/04/24 20:47
ただの「気が付いた人」でしょ、キリストさんって。
取り巻きの連中が悪かったからあんな目にあったんだろう?
気の毒にねぇ…。
>>12 あれま、それでしたら。もっと考えれば良かったです。
ちなみに、まだ諸行無常しか説いてません。
諸法無我・涅槃寂静とも、これが基本となって説明が出来ます。
「諸行無常」だから、と表現するがちがう。
結果的に、諸行無常といわざるを得ない。
諸行無常だから、と説明する方は私は本当に理解してるのかと思うのです。
さらに、空の思想もこれと大変つながりがあります。
言葉使いが未熟なのは、理系大学出身の坊主ですから、割愛を!
>>13 気がつくといいましたが、それが悟りです。
お釈迦様は今では菩提樹と呼ばれる木の下で、座禅をして、
頭の整理をして、真理を見出しました。
私から見ると、形はちがえど、キリストも仏陀であると思います。
>>14 聖書に次のような言葉があります。
人は皆、草のようで
その華やかさはすべて、草の花のようだ
草は枯れ、花は散る、
しかし、主の御言葉は永遠にかわる事は無い。
(ペテロの手紙1、1章24節)
諸行無常・盛者必衰の理の中にも
不変の真実があります。
例え聖書そのものは汚れ、破れ、
虫に食われようとも、変らぬ物が
あります。
17 :
名無しさん@3周年:03/04/24 21:10
444さん、昨日はどうも。真似してしまいまして。
本物の覚者が教えを広めたりするかねぇ…。
どうも宗教ってのはネズミ講みたいでウソ臭いな。
どこでもトップの奴はいい暮らししてんでしょ?
いっそのこと宗教なんてものはなくしたほうがいいんだよ。
そうすりゃ戦争も減ると思うんだけどね。
>>16 あなたのおっしゃる事がわかりますよ!
教えが変わらないといいたいのでしょう!
世の中に変わらないもの。
例えば、言葉そのもの、日本語訳ですでに変わっていますが
じつは、教えも、人によって受け取り方が違います。
真理は真理でも、それを解釈するのは人間です。
教えが変に伝わってしまうのはそれです。
だって、極端な話、超完全な教えがあるなら、
文字をしらない赤ん坊でも見れば理解できるはずです。
あなたの心も絶えず変化している。
キリストの教えも、初めて聞いた時といまでは
受け取り方が違うでしょう!
>>18 そうなんです。お釈迦様の言い伝えに寄りますと、
仏陀になられたお釈迦様は、自受法楽といいまして
いわゆる、一人悦にはいっておられました。
どうせ、この境地はだれかに言ったところで理解されないと
思い、一時は人に説くのをやめようとはいたのです。
>そうすりゃ戦争も減ると思うんだけどね
その戦争はまさに、諸法無我に気づいてない結果だと
いえます。仏教はその点、戦争反対の宗教のはずである。
21 :
名無しさん@3周年:03/04/24 21:40
ブッダもイエスも、永遠にある真理から教えを語ったと思うよ。
追求すれば、同じようなこと言ってるじゃ〜んということになると思うよ。
真理と一体になった人は、いやでも立派になるのです。
>>16 ああー。
だからといって、キリストを否定はしてないですよ!
それは、お釈迦様の対機説法というやつで、
ひとに応じて説いている。
例えば、子供に物を盗んではいけないと教えるのに、
神様からバチがあたりますよ!といったほうが、
やめてくれる場合もあるでしょう!
だから、キリストも、お釈迦様も悟りの一端を
明かしたに過ぎず、実は我々ぬは想像できないhighレベル
の人であったと、考えてます。
だから、
キリストとお釈迦様が一緒にいたら、お互いを認め合い
喜んだとも思います。
あと、追加でいいましょう!
お釈迦様の教えには二種あり、
わかりやすくいえば、
アマ使用の教えと、プロ使用の教え。
これを知ってる人はかなり少ない。私はあえて、みんなに知らせたい。
私は最近になって、この違いより、世の中にある多くの
他の宗教でもみとめる気持ちが生まれた。
私は視野が狭かった。
立派だったか、悪党だったかは分からないが、
人間であり神ではなかったはずだろう。
>>24 その神ですが、世界を創造した神と言うものは
存在しないとお釈迦様は言い切ってます。
26 :
名無しさん@3周年:03/04/24 22:09
神ではないが、人が死んで、あの世に行ってから、この世を見て考えること
を話す人。
27 :
名無しさん@3周年:03/04/24 22:18
ブッダ「わたくしは怒ることなく、心の頑迷さを離れている。マヒー河の岸のほとりに一夜の宿
りをなす。自身はあばかれ、欲情の火は消えた。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせ
よ。」
少なくとも、天上に雨を降らしてくれる神はいるんだろう。
>>27 これをそのまま鵜呑みにするのは視野が狭い気がする。
前後の文は不明だが、わたしの見解だと、神を天と置き換えてみよう!
神というと、世界を支配している世界の創造神に行き着く。
それは、雨になるんだったら、雨になれとも解釈できる。
いると断言してないのがポイント!
断言してたら、信じてもいいかもしれない。
30 :
名無しさん@3周年:03/04/24 22:33
>>8 キリストもウンコはしたと思われます。
「口から入ったものは腸に下っていき、下水に排出される。
だから、口から入ったものが人を汚すのではない。むしろ、口から出るものが人を汚すのだ」
という旨のことを語っています。
Kさん、
>>15 我々クリスチャンにとってイエスキリストは
悟りを開いた『人』ではなく、主なる神がこの世に
送られた(贈られた)『神様の独り子』と理解して
います。
『天上天下唯我独尊、わしゃホンマはこんな世の中で
苦労する必要が無かったんやで!』と言うところでしょうか・・・
>>19 実はクリスチャンには、信仰のレベルと言うのが
ありません。『主に救われた喜び』があれば、今日クリスチャンに
なった人も、50年間毎日かかさず聖書を読み、日曜礼拝ばかりか
早朝祈祷会に連日出席された方も、サンデークリスチャンどころか
クリスマス近辺でのみ教会に出るような人も、この『主に救われた
喜び』さえあれば、全くかわりの無い者です。
この世は移ろいやすいですが、その世を超越して見守って下さる
主なる神様、そしてそのメッセージとしての御言葉は、永遠に代わらない
と言う事です。
>>22 私は個人的にお釈迦様はハイレベルな人であったと尊敬しています。
しかしそれはあくまでも『人』としてであって、イエスキリストとは『人』
では無く、死からの復活という奇跡を成し遂げた『神の子』であり
同列には論じる事が出来ないと考えております。
この『神の子』と言うキーワードは多くのクリスチャンに共通のものである
と考えております。
ところであなたの仏教は他力系ですか自力系ですか?差し支えなければお教え下さい。
32 :
名無しさん@3周年:03/04/24 22:50
釈迦は、自分が生まれる前から、ダルマは存在していた、と言いましたよ。
ヴェーダの神々はどうか知りませんが。
33 :
名無しさん@3周年:03/04/24 22:56
『神の子』は地球外知的生命体がマリアに人口受精を施して作ったのですか?
34 :
名無しさん@3周年:03/04/24 22:56
馬鹿もん!
釈迦とキリストを同列にして論じるなど
言語道断だわに。
釈迦 = 実在の人物
キリスト = 架空の人物
35 :
名無しさん@3周年:03/04/24 23:01
イエスは実在しましたが、神の子・キリストは実在していません。ぜんぶ作り話です。
詳しくはキリスト教撲滅戦士さんにお尋ね下さい。
36 :
名無しさん@3周年:03/04/24 23:13
>>33 『神の子』は地球外知的生命体がマリアに人口受精を施して作ったのですか?
福音書は史実やおまへん。ペテン師の作り話でっせ。
騙されんようにしなはれや。
アーメン。
>>15 次のような体験をしました。
これが、悟りでしょうか?
『自分が無意識の元でしか生きていなかったことに気づいた瞬間、
粉々に崩れた塔が「ゴォーー」という音と共に
ビデオの巻き戻し再生のように出来上がり、
そして、その塔の破片と共に自分も一緒に引き上げられ、
「シーン」となったかと思うと、今までの囚われていた自分が
高いところから見えた』
という感覚に教われました。
「そんな小さな世界でしか生きていなかったのか・・・」と、
悔しく、悲しく、そして恐ろしくて、その日は一日中泣きました・・・。
38 :
ネットdeDVD:03/04/24 23:24
私をここに導いた言葉は、
「神はあなたを愛してくださる。」
「神を信じなさい。」
「神に祈りなさい。そうすれば救われる」
です。
囚われた自分が見えたとき、
最初の言葉が私を揺さぶり、
残りの言葉は現実の普通の言葉に変わりました。
40 :
名無しさん@3周年:03/04/24 23:32
まめさん、抽象的な表現のせいか言ってることがよう分からん
のですよ。無意識な元でしか生きなかったことてのは
「既成概念でしか生きてこなかった」ていう意味で?
クリスチャンになろうかと思ったのですが、プロテスタントで
他の宗教を軽視する姿勢に疑問を感じて、すこし待つことにしました。
その後まもなく、洗脳の現場を見て、キリスト教会を離れてしまいました・・・。
教会の人たちは、皆、あたたかい人たちなのですが・・・。
>>40 まだ勉強不足ですが、
仏教のいうところの「マナ識」じゃないかと思います。
>>25 お釈迦様の教えからすれば「言い切っています」というのは矛盾しないのですか?
確認し得ないことを、何の根拠があっていいきれるのでしょうか?
あの世に対しても「わからない」とするのが仏教の立場でしょう。
「神」に対しても「居るのか居ないのかわからない」ではないんですか??
44 :
名無しさん@3周年:03/04/24 23:51
>>42 :まめ :03/04/24 23:36
まだ勉強不足ですが、
仏教のいうところの「マナ識」じゃないかと思います。
全然違う。
単なる魔境じゃ(笑)。とらわれてはいかん。
>>1 人じゃなくて神
神>>>>(天と地ほどの開き)>>>>立派な人
46 :
名無しさん@3周年:03/04/25 00:39
通行人です。
「キリストは本当に立派な人だったの?」
あまりのもナンセンスだと思えたので立ち寄ってしまいました。
また、キリストとは誰のことを指しているのでしょうか?
おそらくナザレのイエスの事だと思いますが・・・。
一つ気になったので書き込みました。
>>9 何が言いたいのか分かりますが、このような解説は良くないですね。
物理の説明、間違ってません?
それとも例が適切じゃないのかな。
もう少し練った方がいいと思います。
すこし理科の詳しい者に足元を救われますよ。
大きなお世話で申し訳ございません。
物理で説明するなら熱力学を使われると説得力があります。
証明という言葉もふさわしく在りません。
理系出身ならもう少し合理的に!!
質問があります。
生きていると人間は年をとるのに、死ねば何故年をとらないのですか?
それどころか直ぐに腐ってしいます。
もし解答があるなら、分かりやすい言葉で!!
あれま。みなさん、ちょいと落ちてました。ごめんなさい。
>>31 444さん。
そういわれますと、わたしはイエスがはじめから悟っていたと考えますね。
今思ったのですが、強いていえば、神≒悟りの世界 といった感じでしょうか?
この世に現れた姿は人でした。ちなみに、悟りを開いた人は、心の中が人の
それでは無いと思いますが。
「天上天下唯我独尊」は本当に生まれたときに言ったかは、信じてませんが…
その意味は【人間一人一人、自分自身が一番尊い】と言った感じで、
みんな、尊い生命であり、不要な生命などない!ということです。
ジャイアンの俺様というのではありません。
さて、信仰について、例えばなのですが、
自分で努力を怠り、祈ることに意識が向いてしまい、自己を高めるの事がおざなり
になるのは良くないと思いますし、視野を広くないとと思います。
つまり、やる事をやらないで、そうそうと神頼みが中心になるのは大変おろか
だと思うのです。
続き。
私の思想は「みんな悟りを備えているのですが、人として、煩悩があったりと
それに気づかない。つまり、気づけば悟れると考えています。日常において、
ああ!そうだったのか!と思う事があります。環境によって、いい大学に入れたり
変化しますよね? 人に限界をつけるのは間違いだと思います。本当の自分の限界
を本当にしっているのか?という話です。世の中の真理に少しずつ気づいて
いき、やがて、「悟り」にいたるとかんがえてます。人の成長と一緒だと思います。
我々は、気づいてない事があふれていると思います。
>9
の話も、目の前の壁は静止してると思っていませんでしたか?
話をきいたあなたは、もうさっきのあなたとは違ってます。他人からはどうなった
のかわかりませんが。あなたのこころも静止してません。
私の仏教は、自分でやらなければ何もならんという自力系でありながら、悟った
ものからの教えを得るといった他力系の性質もあります。他力は、人だけではなく、
世の中のすべてからも、学ぶことがあると思います。
まめさん
それは、神秘体験だと思います。神秘体験≠悟りであると考えてます。
しかし、その「そんな小さな世界でしか生きていなかったのか・・・」
というのは、あなたの気づきであり、悟りに近づいたと思います。
お釈迦様を見ると、まず悟りの境地はあまりにも奥深く、一人悦に入るんでは
ないでしょうか?
神に一心に祈るというのは、不安な心を平安にする意味でも重要だと
思います。もしかしたら、世の中には、神か仏が一生懸命、語りかけてる
かもしれません。それは、煩悩などで聴く耳をもってないのかも。
考えたら、いろいろ出てきますね。
しかし、あなたは賢明な判断をして、幅広く学ぼうとしています。
すばらしい。ある信仰をしながらも、客観的に真理を追究していくのは
必要だと思います。仏教なら、華厳宗と密教を学ばれてはどうでしょう!
【勝手にわたしの解釈】
「悟れると信じなさい。」
「悟りに一心に努力しなさい。そうすれば救われる」
50 :
名無しさん@3周年:03/04/25 03:37
オレはキリストよりクロウリーの方が好きだな。
翁さん
>お釈迦様の教えからすれば「言い切っています」というのは矛盾しないのですか?
>確認し得ないことを、何の根拠があっていいきれるのでしょうか?
お釈迦さまは世界の創造神といった我々の常識的に思う永遠であり、不変で
ある存在などないと、「言い切りました」それについては、いろいろ説明があります
が、その根拠は
>>9と実は関係があります。お釈迦様は決してありえないと、
まさに悟りました。(笑)理論については、わたしも、なるほどと思いました。
>あの世に対しても「わからない」とするのが仏教の立場でしょう。
>「神」に対しても「居るのか居ないのかわからない」ではないんですか??
そうです。私は、イエスキリストは否定してませんが、それにまつわる
話(死の世界から復活とか)は肯定はしてはいません。
わたしは、悟りの境地を持っていた。キリストがその土地に見合った対機説法
つまり、その真理の法を知ってもらうため、理解できる形をとったのが
ああいった方法だと思います。
私の言ってる神ですが、あくまで、絶対的存在としての世界の創造神
といった神です。
つまり、宇宙全体で考えると静止してるものは何もないということです。
そもそも、神といいますが、空をみて、雨が降ったり、太陽が射したり
とする動きをみて、神と表現するならそれはそれで否定はできませんし。
52 :
名無しさん@3周年:03/04/25 04:53
人が有徳の線に添ってものごとを考え、話し、行うのであればその人の良心
はきれいで、内なる平安が伴います。知は力なりと言われてますが、徳は平安
であります。世の中は今日に至るまで有徳の手本となるような生活を送った偉大
な人々を尊敬しています。イエス、モハメッド、ゾロアスター、仏陀、シャンカラチャリア、
などの人々は彼らの行為、行動が純粋であったという理由だけで人々の忠誠心と
賞賛とを勝ち得ることができました。彼らは人類の心の中に住む不滅の存在に
なったのであります。
>>46 そもそも、証明という言葉じゃなくて、説明にしとくべきでしたね。
熱力学とは、そんな難しい。あなたなら、エントロピーの話なら
わかりやすいかもしれませんね。むむむ、軽率でした♪
もう来ないかも知れないけど、ご忠告ありがとう!
もし、アレンジできたら、みんなにも話してあげてください。
とにかく、言いたいことが分かって、くれれば幸いですぞ。
>生きていると人間は年をとるのに、死ねば何故年をとらないのですか?
>それどころか直ぐに腐ってしいます。
死ねば年をとらない。。。ん?
あなたは、不滅の霊魂のようなものを信じてますか?
もし、そんな霊魂があって、年をとらないと考えてるなら
それは、へんなはなしです。この宇宙で変わらないものなど
ありません。必ず変わります。
とにかく、死んだらどうなるか、不明です。死ななきゃ分かりません。
人は必ず生まれて、死にます。その人間の時以外のことについてお釈迦さまは
おっしゃってません。生前は?死後は?
>>9 の話を考えると、何も無いところから、「ぱっ」とは逆に現れません。
原因があって、移り変わっていくもの。生前・死後やはり、なにかがうつり変わって
いるのでしょう!年はその人間としての時間と考えれば、死んで年をとるのは変。
仏教には『因果』と言う言葉があり、「原因とその結果」
と言うほどの意味でしょうか・・・キリスト教を他の宗教の
用語を借りて説明するのは、色々な誤解を招くリスクが
ありますが、因果や縁、一期一会などの仏教用語は、
日常生活でよく用いられており、比較的誤解を導くリス
クも少ないのかとも思います。
この地球が、この宇宙が出来た原因があり
進化論であれ、人類の先祖・祖先と思しき
存在があらわれ、その結果として今の地球・
宇宙・人類が存在しているのではないでしょうか?
もちろん白い髭をたくわえ、白いギリシァ劇風の服を着て、
杖を持ったおじいさんが創造主だとは思いませんが、
おそらく人間に近い風貌(神はご自分にかたどって人を
創造された/創世記1章27節)のお方の
意志に基づいて、計画に基づいて(因果の『因』)
地球があり、人類がおり、何よりも『私』が
存在している(因果の『果』)と考えております。
結果には必ず原因がある、それがゴータマ・ブッダの因果の法則です。
原因から結果が導き出される。
つまり既に原因に、結果が含まれている。
この宇宙という結果には、必ず原因がある。
その原因をいま神と呼ぼう。
神という原因から、宇宙という結果が生まれた。
神という存在があったから、宇宙ができたのだ。
そしてこの宇宙という結果には、「意識」が含まれる。
例えば人間が持っている「意識」だ。
であるから、神という原因には当然「意識」が含まれていた、と見なさねばなるまい。
では神は意識的存在だったのだろうか?
意識的に宇宙という結果を創造したのだろうか?
この回答が啓示宗教によって与えられた、と言えるだろう。
56 :
名無しさん@3周年:03/04/25 21:16
キリスト教の世界には因果の法則がない。
作り話丸出し。案の定と言うべきか、
キリストが実在した証拠もありません。
57 :
名無しさん@3周年:03/04/25 21:51
不幸な人は、神が与えた運命だと言われると、いやな気がするでしょう。
前世に悪いことしたから、あなたは今不幸だと言われると、現世で自分の悪が
他人にも影響されたものだとすると、この世があるからだと、この世を憎ことも。
それに、不幸な人をみて、あれは前世に悪いことした罰が当たったんだと軽蔑する。
結局、宗教は人の心の悪を生み出すかも。
58 :
名無しさん@3周年:03/04/25 22:03
それって、某宗教団体の考えじゃない。公称700万人の
信者が居るとほざいてる。
Kさん、
>>49 レスありがとうございました。
自分に一体何があったのか、しばらく混乱していましたが、
ニーチェやクリシュナムルティ、ケン・ウィルバーを知り、
そしてKさんにレスしてもらって、なんだかホッとした気分です。
これから仏教の本を読んでみようと思います。
ちなみに、私は教会でぼーっと時間を過ごしていました。
軽い鬱状態に陥るたびに、知人が教会に行くように強く勧めてくれました。
2,3年を経て、「行ってみるか」と足を運びました。
教会では、自分では真剣に祈っておらず、
真剣に祈っている信者の言葉をきいておりました。
「神を信じなさい。」
→「謙虚になりなさい」
「神に祈りなさい。そうすれば救われる」
→「よく考えなさい。そうすれば分かる。」
私の中では、こう変わりました。
60 :
名無しさん@3周年:03/04/25 22:59
えー、イエス研究という領域がありまして、現代のキリスト教学では
けっこうホットなテーマです。
つまり、アカデミックな研究として、実際のところイエスはどうだったのか、
という研究が多くの学者によってなされています。
キリスト教に疑問を持つ人だけでなく、
キリスト教徒の研究者も同じように、史実としてのイエスについては
疑問をもたざるを得ないんですよね。
今の時代は。
『イエス研究史』佐藤研ほか/ という本があります。
とりあえずは読んでみては?
単なる反抗心からスレをたてたのでなければ。
>>51 むぅ、釈迦のその話を知っての上での質問だったのですが・・・
神が永遠不滅で「無い」としたならば、不変で「無い」という前提が
あれば、「言い切れない」のではないかと・・・
クリスチャンは認めない(不変では無い、永遠では無い)でしょうが、
キリストの生まれる前のことですからねえ。
62 :
名無しさん@3周年:03/04/26 00:16
>>60 キリスト教に疑問を持つ人だけでなく、キリスト教徒の研究者も同じように、
史実としてのイエスについては疑問をもたざるを得ないんですよね。
イエスはいましたよ。複数のイエスがね。だって、平凡な名前なんだもん。
あの町にもこの町にもいたよ。しかし神の子・キリストはいなかったんだよな。
63 :
名無しさん@3周年:03/04/26 19:54
「イェシュアは実在しない!」
キリスト教撲滅戦士さんの一貫した主張でしたな。
64 :
名無しさん@3周年:03/04/26 20:16
キリスト教撲滅戦死=フリーメーソン
>>翁さん
レスが遅くなってごめんなさい。
不変で無いから、言い切ること自体不変ではという主張ですか?
たしかに、「言い切る=断言する」は不変といっているように
聞こえますが、YESとNOの二択の答えた上での事。
しかし、ですね、その言葉自体にパラドックスの原因が潜んでます。
たとえば、机を考えてください。机といいますとイメージが沸きますが
その机は大雑把な特徴で捉えているに過ぎません。机を壊しましょう!
原型を留めなくなった其れは机とは言いません。その境界は?
人間が特徴を作っているにすぎません。
言葉どおりの世界が目の前にあるのではないということです。
だから、真理でない言葉を我々は使っているが、その言葉を使わないと
説明がまったく出来ないので、お釈迦様は真理でない言葉の世界で、
説法を試みました。
444さん
>仏教には『因果』と言う言葉があり、「原因とその結果」
と言うほどの意味でしょうか・・・
わたしは、この言葉において、「無→有」の否定。
また、不変である「有」の否定をを意味してると考えてます。
>因果や縁、一期一会などの仏教用語は、
日常生活でよく用いられており、比較的誤解を導くリス
クも少ないのかとも思います。
実は、間違って使われている場合がかなりあります。
例:方便(仏教用語の場合)〜嘘も方便とかは、仏教の教義から外れてます。
これは、「真理を説く為の便宜的手段」です。ウソではないのです。
あと、あなたの世界観について。たしかに原因があって、結果が伴う
のですが、宇宙の始まりに、人間みたいな意識を持った存在がいて
この世界を作った。それを神と人は名づけたという所でしょうか?
それは、翁さんにも言ったように、人間が特徴をつけているだけです。
人は頭で理解できないものに対しては、不安感を抱くように出来ていると
思います。もし、神などいないと、思うようになったら、固定概念を飛び越えて
囚われなく、真理を見出して欲しいとおもいます。
神は「人間みたいな存在」ではないでしょう。
神のごくごく一部の特徴を人間が
引き継いでいる可能性はありますが、
全知全能というところは、我々が想像すらも
できないものでしょう。
人間としての最高峰にあった、孔子なり釈迦は
この想像を絶する存在に勘付き、それ=創造主を語ること
それ=創造主を評価する事を控えたのかもしれません。
これは同時に主なる神=創造主を信じるクリスチャンにとっても
聖書にかかれている以外の主なる神を勝手に解釈し
「〜〜すれば地獄に落ちるぞ!」
「XXXは、救いにならない」などと声高に叫ぶことは
厳に慎むべきでしょう。私も含めて・・・・
68 :
名無しさん@3周年:03/04/27 11:25
イエスや釈迦は直観智で真理を悟ったわけだから、われわれが
使う学問や分別による理解ではないと思う。
そしてその絶対的存在の世界に没入した彼等は、それを言葉にして
表現するのに苦労したのではないかと思われる。両者ともたとえ話を
よく使っているのを見ればわかる。
ただ、民衆は、ほとんど理解できなかったと思う。その結果が現在の
尾ひれがついた状況であろう。
結局、民衆は無知と煩悩に曇らされ、真理を理解できないゆえに、
自分勝手な解釈によって聖者を否定してしまう。釈迦はもと王族と
いう身分が幸いしたのと、出家、隠遁というインドの慣習が社会的に
認められていたので、殺されなくてすんだだけである。天才と呼ばれる
人物が生前認められないことが多く、狂人あつかいされるのと同じで
ある。彼等の理解は新しいので、民衆の理解を超えている。
麻原尊師も同じである。最終解脱をした麻原はキリスト宣言をした。
人類の救済のために民衆の邪悪なカルマを吸収したのである。それが
民衆に理解されるのにはあと30年は待たないといけない。
>129水子供養は、救いにならないとかしつこく書き込むヤシは多いけどなw
70 :
名無しさん@3周年:03/04/27 15:32
444さん
わたしがいっているのは、世間でいう神というのは
人間のように石とかではなく、「意識をもっている存在」ということです。
だから、神が意識的にこの世界を作ったと考えているのか?と聞きたかったのです。
この世が出来たのをそのように(創造主)神と表現して、自分の存在も神によるものと
理解をする事に関しては、否定しません。
それに対して、私は捕らえ方が違います。この世はなるべくしてなった!
例えば、氷を暖めれば溶けるように、ごく安定した形をとった結果がこの世界。
つまり、自然な流れの中で自分も生かされている訳でそれに特徴をつけるなら
因果というとふうにした感じです。
しかし、人間は自分の意思をもっている不思議な存在です。自分を独立して
考えてしまいます。それは不自然と考えます。わたしの仏はあくまで、自然なので
あります。だから、自然なお手本として、さまざまな仏があると思います。
あくまで、自然な生き方の象徴として仏を捕らえています。
わたしとあなたの違いは、世界を作った存在がいるか、いないに尽きると思います。
もっと、いうと不確実な神を信じることは出来ないの一言につきます。
というのは、不確かな存在にお願いは出来ないと言うことです。
仏教は誓願のほうだと理解してます。
>1
キリストは人ではなく神。
>>68 途中までは「うんうん」と納得して読ませてもらいましたが
わたしは、麻原に関しては、仏教的価値観を考えたとき、
どう見積もっても肯定できません。
人類の救済といっているが、殺された人にとっては救済でもなんでも
ない。この世で人の不幸の上に成り立つ幸せは無いと思う。
それは結局、人を人とみていない。我の存在である。
人類の救済のためを思うなら、黙秘などせず、最期まで説法を
つづけるのが普通だと思う。
麻原には慈悲と智慧が欠けているのではないだろうか?
>キリストは本当に立派な人だったの?
人ではなく神の御子。
>最終解脱をした麻原はキリスト宣言をした。
>人類の救済のために民衆の邪悪なカルマを吸収したのである。それが
>民衆に理解されるのにはあと30年は待たないといけない。
麻原がキリストなら俺は生きる希望を失いまつ
76 :
名無しさん@3周年:03/04/27 16:34
キリストは立派だったからとゆう理由で信仰されてるわけじゃ
ないからねえ。。。確かに立派だけど。でもそれが理由ではない。
創造主である神(父)=イエス・キリストである神(子)=聖霊である神
一つの神の三つの位相。
これを三位一体という。
>>70 十分に理解できます。
神などいるか、いないか、
断言できない存在を信じろと言うのは
無理なのは当然ですが、多くのクリスチャンは
神は存在すると言う体験を経て、
神は存在すると言う確信に基づいて、
主なる神を信仰しております。
氷がとければ、水になると言う秩序も神が
つくった秩序であり、
流され行くままに男と女が出会い、SEXを
経て生まれた私達一人一人も、
『たまたまの存在』『偶然の産物』ではなく
神の計画に基づいた、かけがえの無い存在
と考えております。
もしイエスが自分の前に立たれて血の滴る手を差し出して「この血を飲め」と言われたら飲めますか。
>>79 激しく
な ん じ ゃ そ り ゃ 。
主の救いは霊によるものだよ
イエスはパンを取り・・・『取って食べなさい。これは私の体です』
また杯を取り・・・『みなこの杯から飲みなさい。これは私の契約の血です』
聖餐式において、我々は、主イエスの体であるパンと
血であるワイン(ブドウジュース)を飲んでいます。
>>79さん、
「気持ち悪くて飲めない」と言う答えを期待されたのですか
「恐れ多くて飲めない」と言う答えを期待されたのでしょうか?
いや、上の方で麻原の話が出ていたので思ったのですが、
イエスもたいしたグルぶりだったのだなあと。
単なる聖職者やシャーマンと違ってグルというのは、自分自身を「真理そのもの・神にも等しい者」とする。
髪、爪、風呂の残り水など自分の体の一部を信者に分け与えて信仰させるのも特徴。
83 :
福音書をでっちあげたマルコ:03/04/27 22:39
444さん
あらさがしという訳ではないのですが、
「神は存在すると言う体験を経て」
というのと、創造主である神というのはどういう結びつきがあるのでしょうか?
面白いことに、啓示みたいな事は仏教でもあることはあるのです。
しかし、世界を作った存在には至りません。
>>81 それが、私が目の当たりにした洗脳です。
「ヒトラーが国民の心を捕らえたのと同じだ・・」
と思い、身の毛が逆立ちました。
86 :
名無しさん@3周年:03/04/28 02:43
87 :
名無しさん@3周年:03/04/28 03:47
>>1 キリストじゃなくてガリラヤのイエスのことだろ?
少なくとも3年間は「立派な人」だったよ。
>>84 Kさん あら探しではないことは十分に伝わります。
おそらく或る程度の人が、創造主なり、宇宙の真理なり、「運命」なり、
「宿命」なり、人間の力では及びつかない何か、超越した何かを、
何となく感づいたり、そういうものがあるかもしれない、
あったかも知れない、という風な考えをお持ちかと思います。
理神論というのでしょうか、確かに神はいるのだろうが、今の
自分とは、何の関係があるのか?そんな超越者が一人一人の
人間の生き様にまでどうやって関与してくるのだろうか?
という距離感・断絶感を感じている人が多いのも事実でしょう。
>>88 444さん
ご意見ありがとうございます。
わたしの解釈に依ると、お釈迦様はあなたたちの言う「全知全能の神」に
おいても、変わらない存在ではないというのです。
冷静に聞いてください。真っ向否定ではありません。共通性が見えました。
あなたの「全知全能の神」の評価
では「我々が想像すらもできないものでしょう。」
とおっしゃいました。
しかしながら、その表現法としてこの世界の創造主と認識をしている。
それも想像ではと考えてます。この根本的な、人間は特徴付けてしまう
ことについて、お釈迦様は指摘しております。【神と名づければ祈りやすい。】
想像できない=囚われないに尽きると思います。
そういう意味においても、キリストもその事を承知で説法をしたのだと
わたしは考えています。
仏教には二種類の教えがある。
プロ使用の教えと、アマ使用【方便】の教え。
このプロ使用の教えの方はすべてに通じると思われる。
わたしなら、神をつかえば、すべての人間、生物、存在が神の子である。
>>89 すべての生物は神の子ではないでしょう。
これをもってキリスト教的自然観が自然破壊を推進した
という人もいますが、この地球の管理を任されたのは、
人間であり、自然破壊が進んだ、というのであれば
善管義務を怠っただけのことで、
聖書の中に、「産業廃棄物は捨て放題」
「日本海に放射性物質を捨てても良い」
「日本中の河口はコンクリートで固めよ」
などは見当たりません。
神の形をかたどった人間、現在は、放蕩三昧ですが
時と場合により、ひよっとしたきっかけで、神の子で
ある事を思い出し、その唇で「神を賛美する」可能性
のある人間しか、神の子ではとない思います。
>>1 まったく同感。
当時は今と比べ物にならないほど情報網がなかったから、
噂が噂を呼んで尾ひれがついたとしか思えない。
この情報網が高度に発達した現代でさえ
麻原やサイバカを信じる人がいるぐらいだから、
文明の発達していない当時ならなおさらのこと。
ちょっとしたマジックを見せるだけで「奇跡」だと信じただろうね。
>神の子で
>ある事を思い出し、その唇で「神を賛美する」可能性
>のある人間しか、神の子ではとない思います
わたしは、無機質なものも神の子との表現であります。
すべてを、そのように感じることが出来れば、環境破壊など
おこりません。それに気づけば、「自分が生かされている事」を
実感し、我という存在を作っていたに過ぎないと。
前にも言いましたが、人間は気づきにより(無我)、あなたのいう
全知全能をも実感する事が出来ると思います。(私は悟りと表現しますが)
気づきは、環境にも依ると考えます。
であるからして、良い縁にであえば、倫理や道徳に目覚めるし、
自分が生かされている事も実感できるようにもなりましょう!
神の子なら、初めから神の子。それを否定し、我を張り、争いごとが
はじまる。または、他の種類の神の子を否定する。
世の教えは一つではない。
神の子で無いなら、それはどういう存在であろうか?
無から、有に転じる事にはならないだろうか?創造主ではないのか?
自分も環境が環境なら、オームの一員であったかもしれない。
本来人は、盲目であるのだ。
環境に依らず、自身で見出したものが、賢者と呼ばれる。
わたしが熱くなっているのは、常に視野を幅広くあって欲しい
と思うのです。
世の事象すべてが神の子と認識した時、さらに、聖書が深く読めるのでは
ないでしょうか?なぜ、区別をつけるように説くのであるか。
日本仏教もそうなのですが、最近、真の研究がされているようです。
神の子と気づかない人を愚者と呼ぶなら、まだわかります。
大庭聡さん
稚拙な文ですが、
>>9 を読んで見てください。
カルトでは無いと、思っていただけるかと。
カルトにしたのは後世の人間です。
なんか面白そうな
話してる〜。
個人的には十字架に
架かって死ぬなんて
同情しますよ。
でもそれと超常現象は結び付けるべきなのだろうか。
一部の外国人は
信じ切ってる見たいで
>>94 世の中には超常現象を
こじつけて、うまく人の心を操るひともいますね。
それを見切るのが、仏教でいう所の智慧です。
>>92 自分も環境が環境ならオーム・・・・
全くおっしゃる通りです。
大きな犯罪もおかさず、大きな誤りも犯さず
たまたま人を殺さず、たまたま銀行強盗をはたらかず
ただただ神様の庇護の下、その導きの下で
なんとか今日まで生きて来た
なんとかここまでやって来た、というのがクリスチャンの多くの
実感でしょう。
喜び勇んで、環境破壊をするクリスチャンにも
イエスを信じなければぶっ殺す!と機関銃をぶっ放し
回教徒は皆殺しだ、と言う理由でイラク戦争を支持する
クリスチャンと、幸いなことに遭遇したことがありません。
ただ、「森羅万象全てに仏性有り」と「森羅万象全てが神の
手によって作られた」というのは、全く違うものであると
思います。
444さん
>「森羅万象全てに仏性有り」と「森羅万象全てが神の
>手によって作られた」というのは、全く違うものであると
>思います。
そうです。世間の認識ではそのとおりです。
この違いは、創造主を考えるか考えないかが関係してると思います。
仏教では、世界を作ったような、永遠不変の絶対的な存在は無いよ
とお釈迦様がお説きになってるのであります。
仏性という言葉は「仏となる可能性」と一般では言われますが、
この結論に至るわたしなりの見解は、現代的ですが、
「この宇宙全体、すべてのものを考えたとき、独立した存在
ではなく、繋がりがある。(それは、
>>9におけるこの世で静止した
存在は無いから導かれますが。)」
繋がりがあるから、なぜ仏の可能性があるか。
ではビッグバンの例を取りましょう!
宇宙は爆発前は一点であったという説です。(確定説になったかな?)
そうするならば、仏も何も元々はその一点であり、我々はその一点が広がった
中での一部分と言えるでしょう。だから、仏となる可能性がある。
人間は、迷いという闇に覆われているようなものだと思います。
さて、神の思想をとる人は、そのビッグバンを神の意思
と解釈するかしないかみたいなものだと思います。
そのビッグバンですが、氷が水になるように、安定した形をとろうとして
起こった動きと考えると、我々は、ただ縁があって、偶然存在して
いると考えられます。
お釈迦様の教えは、現代科学から、いじくってもインチキにはならない。
当時は文字すらなかったのに、これだけのことを見抜くのは、
やはり、悟ってたとみとめるしかないと私はおもいます。
というより、凄いと思いません?
Kさん、444さん、なかなか興味深く拝見しています。深く信心
しているものが無いため(知識が無いため)レスつけることは出来ませんが、
お二人のやり取りを注視している人間が一人は居るということを申し上げておきます。
お二人の造詣が深い観点からの論調はROMっていて退屈しません。
もし、語論に決着がついたとしても何かしらかの形で論議を続けていって
頂ければ幸いです。このレスを読んでいて私の中に吸収できるものが
あります。 改めて御礼申し上げます。
100 :
名無しさん@3周年:03/04/28 17:25
キリスト教や仏教では殺生はイケナイ事だと教えていないのでしょうか?
101 :
名無しさん@3周年:03/04/28 19:13
>>100 托鉢だけで生きていたブッダの時代、仏弟子たちも肉を食っていた。
キリストは作り話の中のキャラクターだから、実在していないので
何とも言えない。
Q:キリストは本当に立派な人だったの?
A:イエスは神です
以上
>>1 キリスト≠苗字
キリスト=油注がれた者
つまりキリストというとき神に特別に祝福されたものであるのです。
このキリストの称号はイエスにしか付けられません。
イエスは神の御子であります。
その証拠に聖書にこのような言葉があります。
マルコ
14:61 しかし、イエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。大祭司は再び聞きただして言った、「あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか」。
14:62 イエスは言われた、「わたしがそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。
104 :
名無しさん@3周年:03/04/28 19:33
ビックバン信じている時点で門前払いですなw
105 :
名無しさん@3周年:03/04/28 20:07
>>103 イエスは神の御子であります。その証拠に聖書にこのような言葉があります。
聖書は史実ではない。特に福音書などは
ペテン師の作り話と考えたほうがよい。
ということは、仏教は殺生を禁じていないと受け取ってもいいですか?
109 :
名無しさん@3周年:03/04/28 20:33
仏教の五戒という戒律には「不殺生」というものがあります。
諸々のブッダは生きものを害することはしません。なぜなら、全て生けるものは自分が最も愛おしいということを知っているからです。
>>105 だったら聖書の箇所と何章何節に書いてあるか述べろ。
述べれねーよなウンコタッレw
111 :
名無しさん@3周年:03/04/28 20:37
>>1 イエスが立派な人だったかどうかそんなこと、俺は知らないよ。
誰か知っているのか?
聖書に描かれているイエスを立派だと思う奴ならばいるかもしれ
ないけどね。
by クリスチャン
112 :
名無しさん@3周年:03/04/28 20:53
>>106 「正しいやり方でヨーガの瞑想を行え」それが、
ブッダの教えのすべてです。部派仏教の時代に
なってから、煩瑣な教理が作られただけです。
113 :
名無しさん@3周年:03/04/28 21:08
114 :
名無しさん@3周年:03/04/28 21:09
全宇宙全次元を今解明しますた
オレ様→神を超越した兵隊達8台→イデオン→神や仏等々→ガンダム→
人間とかゴミとか
全宇宙全次元を今解明しますた
オレ様→神を超越した兵隊達8台→イデオン→神や仏等々→ガンダム→
人間とかゴミとか
116 :
新生した聖書信仰の福音派:03/04/28 21:22
>>1 「立派」って…あんた、高校生だろ?
他のボキャ使えよ。
成功した叩き上げの中小企業のシャチョさんじゃないんだからさ。
この板の人たち、皆、優しい人たちばっかだから誰もキツイこと
言わないけどさ。「何いってんだか…」って呆れてロムってる人
たち沢山いるよ。気軽にスレたてるのはいいけど、あんたの稚拙
な文章表現で、あんた自身が評価されるんだぜ。
>呆れてロムってる人たち沢山いるよ。
何を根拠にそんなこと言い切ってるんですか。
あんたが勝手にそう思い込んでるだけでしょう?
>>104 いま、ホーキングなどが提唱しているビッグバン説ですが
物理世界は、オカルトや迷信ではありません。
段階を踏んだ理論に基づかないと、みとめられません。
中には、ある説を打ち出すのですが、実験の結果により、
あってはいるが、理論的に解明できないという事もあるそうです。
ビッグバンを信じる信じないではなく、世間において非常に信憑性
が高いものに対して、宗教は無視してはいけないと思う。
真理というものは、世の中のすべてを含んでなくてはならない。
つまり、
>>9のように、現代科学からみても、理にかなったもので
あると考えています。
さて、ビッグバンの説を利用すると、言いたい事がわかってもら
えないだろうか?宗教ではない、科学の世界から、宗教を考えてみると
みんなが広い視野をもてると思うのですが。
まあ、ビッグバンを否定するなら、ホーキングを理論でやり込めないと(笑)
私より大変ですね。
120 :
名無しさん@3周年:03/04/29 12:14
てゆーか、ビッグバンを否定する論拠を示してほしい。
否定するとすれば、それなりの説得的な理由付けがあるはずですが、
それがないとすれば、単なる意気がりにしか見えない訳で。。
で、結局ナザレの
イエスの教えは
「汝の敵を愛せよ」
って事なの?
凄いセリフだね
何を持って敵とする
のか知らないけど
それとも
「汝の隣人を愛せよ」だったのかな?
これは道徳になる
のかな。
おそらく今の北朝鮮の偉いさんには理解出来ない教えだね。
>>115 漏れ様さん
今気づきましたが、あなた素人ではないでしょ。
性質の悪い冗談ですね。しかし、その関連性は
鋭いところをついてますね。
暗闇の根源ですね。
ひょっとして、わたしを試しましたか(笑)
123 :
福音書をでっちあげたマルコ:03/04/29 19:53
>>121 で、結局ナザレのイエスの教えは「汝の敵を愛せよ」って事なの?凄いセリフだね。
別に凄くありませんが、なにか。
Kさん
>現代科学から見て〜〜〜
確かに2003年現在では最先端の科学でしょうが、
2105年から見れば、2351年から見れば、
「100年前はバカな事を信じていたのだろうな」
「250年の前近代では、そんなことマジで思ってたわけ?」
と言われ続けて来たのが科学でしょう。今日の科学も間違
いなくそう言う評価を受けざるを得ません。
これは、自然科学のみならず、社会科学においても同様でしょう。
例えば、国連・社会主義・民主主義・市場経済etc
もちろん、新幹線のぞみの東京の次の停車駅が新横浜なのは
信憑性が高く、事実であると言い切れるでしょうが、
進化論・ビッグバン、いづれにしろ、「同様の環境が人間の手に
おいて準備が可能で、かつ再実験可能なもの」ではないので、
信憑性が高いが、即座に事実と断言できるかは、何とも言えません。
もちろん科学を否定している訳ではありません。
また、「科学が万能でない」などと月並みな台詞を吐く気は
ありませんが、あくまでも「今日現在で最先端の理論」と
言うことと「本当の真実」は違います。
むしろKさん、あなたの今までの論調から、少しずれてしまう
「こだわり」「固執」ではないでしょうか?
挑発のように取られたら、困りますが・・・・・
125 :
ふぁんだ君 ◆qWq9dVeBlk :03/04/29 22:16
聖書って当時に近い書物だよ(=◇=)
でも、最初は確かに秘密結社みたいに思われていたみたいれすねσ(・◇・)
宗教にしては像はないし、儀式も聖餐式とかぐらいなものだったろうし、
しかも聖餐式って素人が聞いたらびっくりするし(^◇^;
という訳で当時としてはローマに反逆する結社かもしれない、という
感じで確かにオームみたいに思われていたのかもしれませんね(^◇^;
だけど、聖書を読めばわかるけど内容はオームとかとは全然
違いますよ(=◇=)
いや、一回読めばわかるって・・・
126 :
名無しさん@3周年:03/04/29 22:33
マタイによる福音書より
7-15 にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、
その内側は強欲なおおかみである。
7-21 私にむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国に入るのではなく、
ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、入るのである。
7-22 その日には、多くの者が、私にむかって『主よ、主よ、私たちは
あなたの名によって予言したではありませんか。
また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって
多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7-23 そのとき、私は彼らにはっきり、こう言おう、
『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
127 :
名無しさん@3周年:03/04/29 23:20
128 :
名無しさん@3周年:03/04/29 23:52
マタイによる福音書より、イエスキリストの終末予言
24-4 人に惑わされないように気をつけなさい。
多くの者が私の名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、
多くの人を惑わすだろう。
・・・あたってるな
>>86 確かに、教会の人たちにそんなことは言えないので、黙ってさりました。
でも、牧師は「来なくなった人の気持ちが知りたい」と言っていたので、
牧師だけには、私の思いを全部はきました。
一度、ヒトラーがどういう風に国民の心を引きつけたか、
そのポイントを押さえてみてください。
ちなみに、私はイエス・キリストは実際にいたと思うし、
彼の残した言葉で、自分の苦しみの元を知ることができました。
感謝しています。
しかし、彼の教えを深いところまで伝える時間が無かったのでしょう。
過去にイエス・キリストの教えが
一部の人々の都合の良いように扱われたという歴史を
今も引きずっているのだと思います。
130 :
聖書信仰-或る福音派信徒 ◆2/GHlARf6k :03/04/30 01:00
>>124 444さん
そうですか、皆さんは思った以上にビッグバン説に否定的なのが
わかりました。これは予想外でした。
私は、世間で信憑性の高いと思う話を取り上げ
「この世で変わらないものは無い」では原子のお話。
「すべてには繋がりがある」ではビッグバンのお話を利用して
説明を試みたのですが。後者は不評でしたね(笑)
「こだわり」「固執」についてですが、もしビッグバンの説が
間違いであったら「そうか違うのか残念」程度です。そもそも
これは私の考えに似たところがあったから、採用したのです。
私は、以前の文で、「ビッグバンの例をとりましょう!」
と申しました。確認して欲しいのは、ビッグバンから
「すべてに繋がりがある。」の主張に至ったわけではありません。
実は、例を挙げるまでなく、今までに話したことから、
「すべてに繋がりがある」の結論に至ります。(
>>66)
444さん確かに、挑発ではありませんでした。私はホーキング向けの説明
をしようとしてましたから(笑)素直ないい指摘でした。
ありがたいことに、すこーし視野が広くなりました。
ビックバンって科学者が本当に言ったの?
これは科学者から出た言葉ではないな。
なんの根拠も無いじゃん。
ビックバン信じてるのって一種の宗教じゃん?
>>131 仮にビッグバンがあったとしても、そのビッグバン以前には
何があったのか?何が狙いでビッグバンが起こり、あるいは、
たまたまの偶然でビッグバンが起こったのか・・・・
ビッグバン以降に、いろいろな生物が生まれ、何よりも「あなた」が生まれ
人生に苦悩し、恋愛をし、或る時は家族を憎み、あるいは友達に裏切られ
或る時は、喜びの絶頂に駆け上がり、あるいは、絶望の淵に立たされる
ことと何の関係があるのでしょうか?
たまたま起こったビッグバンから、
たまたま地球ができ、
たまたま人類に進化し、
たまたま、2003年我々が生きている、のではなく、
我々クリスチャンは
起こるべくして起こったビッグバンから、
誕生するべくして誕生した地球に
生まれるべくして生まれた人類と、
その末裔として、これまた、主なる神の
計画に基づいて生まれるべくして生まれた我々が、
「今日ここにいる」と考えております。
「挑発!」と誤解されなかったことに感謝します。
134 :
名無しさん@3周年:03/04/30 10:42
あの…横レスでつが
キリストの存在は、ムスリム達も認めていますが。
135 :
名無しさん@3周年:03/04/30 13:39
>>134 クリスチャンたちはコーランを認めてませんが、なにか。
136 :
名無しさん@3周年:03/04/30 13:53
>>134 時代のズレを考えれば、マホメットが
キリストについて知っているわけがない
ことぐらい解るやんか。アホちゃうか。
>>133 444さん
>仮にビッグバンがあったとしても、そのビッグバン以前には
>何があったのか?
わたしは、そこには理由が無いと考えてます。ビッグバン以前も
お釈迦様が生前や死後のことを語らなかったことから分かるように、
知ったところでも意味がありません。まるで前世をあれこれ議論すること。
前世があったとしても現に記憶が無いですし、解ける問題ではありません。
いかに現世(生まれてから死ぬまで)をまっとうするか。に尽きると思います。
444さん 続きです。
>何が狙いでビッグバンが起こり、あるいは、
>たまたまの偶然でビッグバンが起こったのか・・・・
【この世の現れは】以前申しましたように
氷のお話のように【なるようになった】と考えてます。
つまり、因果の関係。それも私たちが偶然と考えれば、偶然ですし、
必然と考えれば必然であります。(現にこの世界があるから)
偶然必然の討論はは、人間が特徴を作らないと理解できない事に起因してます。
わたしの考えている【なるようになる】は「偶然」にちかいですね。
そもそも、「断じて偶然ではなく、必然的」≒「創造主」という事は
ビッグバン説のように各方面で【ビックバン信じてるのって一種の宗教
じゃん?】というように疑問の声がでますね?
それが信仰だと思います。
[続き]※「偶然」というと、因果が無いように聞こえますが
ここでの「偶然」は、創造主の存在の否定ぐらいに思ってください。
「偶然」であるから、たまたま縁があっただけの「貴重な命」であり、
さらには『すべてと繋がっている』ことに気づいて、我々は独立した
存在ではないのに気づきます。
勝手に存在しているのではなく『生かされている』存在と考えます。
これは、すべて
>>9から、段階を経て導かれた事です。
それに気づかない事は結局、「この世に静止したものがある」と
考えているのだと思います。
この真理(ぜんぜん一部だと思いますが)に気づいてこそ、「貴重な命を
意味のあるものに変える」と思います。
だけれども(私がキリストを肯定する理由です)
創造主の存在を信じることも、「貴重な命を意味のあるもの
に変える」点において、非常に有効であるといえます。
であるからして、イエスもお釈迦様と同じような方法を取れたのですが
その、土地柄、このように説法をした(対機説法)のでは?
とかんがえています。
悟りを開いたものが説法をするときは、人に理解してもらいやすい
ように、考えたのだろうと。
実は、お釈迦様は神通力(超能力みたいなもの)が使えたといいます。
仏陀になると、備わるらしいのです。しかし、お釈迦様は神通力を
使わずに言葉において(説法)をしました。(一部例外あり)
一方、奇跡にまつわる話があるのより、仏陀であるキリストは状況に
応じて使ったのでは?
モルモン教の人は、変態が多くてみんなホモらしい
142 :
名無しさん@3周年:03/04/30 15:47
>>141 もしもそうなら、数代で滅んでいるはずだが??
コミュニティーもって、一定の年数経過してるってことは、一定の
基準はクリアしてんだろ。
しかし、キリスト教関係の内ゲバって醜いよね、いつものことながら。
>>129
本当にみなさん信仰が厚くて驚かされます。
疑問をお持ちになられるのはそれだけ熱心だということですよね。
わたしの方こそ失礼しました。
★私の考える事
他を認めたがらない固執した宗教の存在。これが世の中に蔓延っています。
日本の仏教ですら、よその宗派を否定、自分の一番というのが現実です。
自分も環境が環境なら、どの宗教にいたかわかりません。
しかし、どこにいようと真理は真理のはず。
その真理は形をかえているだけで
本当の真理はすべての宗教を含めるはずでは。
つまり、どの宗教にいたとしても(例えオームでも)、それに埋もれる
事無く、真理を見出す。囚われのない存在でありたいものです。
それは、他の否定では無く、色眼鏡をなしで見れる広い視野を
持ちたいものです。(変な洗脳をされない。)
創世記1:1 初めに、神が天と地を創造した。
ビックバンはありません。ここで言う天とは宇宙を指します。
>>137 お釈迦様が生前・死後の事を語らなかったとありますが
それは事実でしょう。
ただ、クリスチャンは、
神の計画の中で「母の胎内に形作られ」
神の計画でこの世を生き、
死後はイエスキリストをその弁護人として
審判を受け、永遠の生命を得て天の御国で暮らす、
というのがその信仰の重要な基盤の一つです。
148 :
平成の論師:03/04/30 20:21
>>147 永遠の生命を得て天の御国で暮らす。
霊魂は存在しません。ただ、無明の中を
永遠に輪廻するのです。さあ、仏門に入りなさい。
149 :
名無しさん@3周年:03/04/30 20:51
>>148 >さあ、仏門に入りなさい。
( ゚д゚)ハァ?
市 ね
150 :
名無しさん@3周年:03/04/30 22:27
ビッグバン以降の宇宙は拡散しているかも知れない。
熱力学的には乱雑な方向へ進んでいる。
被造物が時間と共に崩壊するのもそうであると思う。
しかし、熱力学的に逆の方向に進すむものもある。
自己組織化するものがある。その代表が生命活動である。
人間はその生命の一つであり、生命の代表であると言える。
他の動物と人間の違いは、神を知り、祈り、創造物を崇める事であると思う。
その様な人間も生命を失うと、たちまち肉体は崩壊する。
人間は命の根元を神の息吹と考えている。
何かの意志が働かないと生命は存在し得ない、即ち何かエネルギーが与えられないと自己組織化し活動しえないと考えられる。
それを神の意志と考える。
生命の発生は偶然でなく必然である。
何かの意志が働いたのであると思う。それは創造者であり神であると思う。
意志が働かないと私たちの存在はあり得ない。
ビッグバン理論は、現象を物理学的に理解しようとするものであり、宗教として理解するものでありません。
私達もビッグバンに引き起こされた宇宙の中に存在しています。
ビッグバンによって多くの元素が作り出され、それが集められて生命が創られました。
そして、何故自分たちが想像されたか、自分たちの住む宇宙がどのようにできたか、
物理がという人間の知る手法で解き明かそうとしているだけで、そこには宗教的要素は一切ありません。
しかし、幾らがんばってても人間の知恵はたかが知れています。
ビッグバン理論は、なぜビッグバンが起こったのかは説明しません。
証拠はあるが動機が分からないのです。
神が引き金を弾いたと主張しても誰も否定できません。
ビッグバン理論である学問は人間の理性によって作られたものです。人間に創作されたものです。
神、宗教は人間の理性の中に納まるものではあり得ません。
151 :
名無しさん@3周年:03/04/30 22:39
>444
天国で人は人のままなの?それとも違うものになるの?
152 :
名無しさん@3周年:03/04/30 23:46
>>150 私達もビッグバンに引き起こされた宇宙の中に存在しています。
独り善がりも程々にしたら?
あなた、キリスト教の神を論じてるんでしょう?
現代自然科学の言う神とキリスト教のヤハウェの神を混同しないでね。
| うるせーカスども!
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|◎(・)(・),◎◎◎ヽ
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| 三 | 三 ヽ◎|
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\ ヘ_/ |/
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.lO|--- |O゜.|◎ストーカ |.|ー車 追跡中|
|_∈口∋ ̄_l◎◎_l⌒ l.|◎◎◎_| l⌒l_||
 ̄ ̄`--' ̄ ̄ `ー' ̄ ̄`--' `ー'
154 :
名無しさん@3周年:03/04/30 23:52
>>152
現代自然科学の言う神とは何ですか?
「私達もビッグバンに引き起こされた宇宙の中に存在しています」の何処が間違っている?
科学をつかおうが、何で説明しようが、創造主そのものを人間が理解できるものではない。
神は唯一である。
155 :
名無しさん@3周年:03/04/30 23:54
>>150 あなたは宗教的要素な無いと思われる現代科学の見解から、
創造主といった神の存在を導いていますね。
あなたの言う「人間の知恵はたかが知れています。」で
あるから、そのように理解をしようとしています。
それも信仰である思う。人知を超えたものを神として、特徴付けています。
否定しませんが、あなたの科学は結局、宗教に含められていませんか?
わたしの思う悟りの境地は、真理というものは、物理の世界であろうと
様々の宗教であろうと、すべてを含むのです。あなたは、「人間の知恵はたかが
知れています。」とおっしゃいますが、それに限界を作ってるのは、あなたの
認識であり、囚われでもあります。そもそもその限界をあなたは知りません。
お釈迦様はその真理を得て、あくまで一端しか言葉であらわせませんでした。
言葉≒理性としてみると、なにか宇宙と真理に類似性を感じないだろうか?
157 :
名無しさん@3周年:03/04/30 23:58
きりすと・・・
158 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:00
昨日のイエスの聖杯の番組見た?
159 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:00
>>154 現代自然科学の言う神とは何ですか?
あなたが懸命に喋っているのが
自然科学の神よ。寝ぼけてるんじゃないの?
自然科学の神とキリスト教の神を混同しないでね。
160 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:03
>>154 神は唯一である。
宗教の数だけ神がいます。だから宗教戦争が
起こるんです。物凄い宗教音痴。キリスト教のイロハが
解ってない。
[補足]
私は、ビッグバン説を本来は宗教的要素が一切無いと思い、話の中で、使おうと
使ったのですが、「不確か」ということでありました。宗教として理解したの
では無く、利用したのです。たとえれば、二人で喧嘩をしてて、中立な第三者
から意見をもらうようなものです。それで、その第三者は中立でないぞといった
形になりました。私のミスです。
後半の5行はまったくの同感です。だからこそ、囚われをなくして
視野を幅広く持たなければならないと思うのです。
あなたは囚われているところが無いとおもいますか?
162 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:06
>>159 ???
言ってる意味が分かりません。ちゃんと説明してください。
163 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:09
>>162 キリスト教を過大評価しないでね。
ガリレオを宗教裁判にかけたのは、
キリスト教会なのよ。それぐらい知ってるわね。
164 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:11
>>162 キリスト教を語るのに、ビッグバンはないでしょう。
キリスト教は三層の宇宙で語るものです。
>>156 おそらく宇宙と真理は近いところにあるでしょう。
神=真理と言う言い方も許されるのかも知れません。
ただ、その真理が(場合によっては神が)、
2003年4月30日に日本にいる、この地球に
迷いながら、苦しみながら、泣きながら、怒りながら
憤りながら、あがきながら生きている
「私たち」にとって一体なんの関係があるのか?
真理(場合によっては神)とは、結局役立たずな、
衒学の徒が喜ぶ程度の代物でしょうか?
我々の主なる神は、イエスキリストをこの世に遣わし
我々と積極的に関わることを宣言されています。
ヨハネ福音書14章6節
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり
命である。わたしを通らなければ。だれも父(=主なる神)
のもとに行く事が出来ない」
166 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:12
>>152 現代自然科学と神と、どのような関係があるというのですか?
現代自然科学は神を説明するものではありません。
自然科学を通して、神を知ろうとする科学者が居たらお笑いです。
もし居たら、相当なアホです。
自然科学は自然現象を合理的に説明する一つの手段(単なる学問、人間の知恵と理性)です。
神は Natural Scienceではありません。(神は被造物ではありません)
神が自然現象(まず光から、これは電磁波ですね。人間も含む)を想像されたのです。
私達はその現象の僅かな部分を自然科学という手法を精一杯使って知ろうと努力しているだけです。
(単なる知的好奇心。自己満足。時々生活の役に立つことがある。お遊びかも)
自然科学で神を理解するなどとうていできません。自然科学は現象の観察が可能であるのみで、現象の意志を解明できるものではない。
人間は神を信じることができても、理解することは不可能であると思います。
科学に携われば誰でも分かることである。
167 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:17
>>166 現代自然科学は神を説明するものではありません。
現代自然科学は神を証明するための営みです。「神を否定する科学者は
二流である」とは、アインシュタインの有名な言葉です。
168 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:21
>>167 ばかか。
その言葉は、必ずしも神の肯定を意味することばではない。
不可知について、無条件に否定することの不毛を説いた言葉だ。
169 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:22
>>166 科学に携われば誰でも分かることである。
キリスト教の神とイスラム教の神が
どう違うか理解できてますか。ひどい宗教音痴だ。
170 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:24
171 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:27
>>166 自然科学者が頻繁に口にする「神」と、
宗教世界の多彩多様な「神」を同列に論じている。
ひどい宗教音痴だ。
172 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:27
>>160 キリスト教徒にとって神は唯一、三位一体の神であるのではないのですか?
キリスト教徒が他宗教の信仰する神を自分たちの信じる神と混同しては、キリスト教でなくなってしまうのではないのですか?
使徒信条に何と書いてありますか?
また、十戒に、あなたは私の他に何者も神としてはならない、とあります。
それを外して、キリスト教と言えるのでしょうか?
キリスト教徒にとって、神は唯一じゃないのですか?
キリスト教徒は父子聖霊の名によって洗礼を受けているはずです。
キリスト教のイロハとは何ですか?
それに、宗教戦争まで神のせいにするのではないでしょうね。
173 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:30
>>172 論旨をずらすな。
それから、落ち着け。
174 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:32
土から最初の人間アダムを造った神と、
生命進化を司る神は、神は神でも全然違う。
そこが解っていない。宗教音痴さん、もうお休み。
175 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:32
>>169,171
言ってることが無茶苦茶、支離滅裂。
176 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:35
>>174 生命進化を司る神?
初めて聞いたよ。そんな神居るの?
それって、何という宗教なの?
177 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:38
みんな、落ち着きなよ。
人それぞれ考え方や信じることは自由なんだから。
また、必ずしもそれが理論的である必用もないのだから。
>>165 真理、悟りに向かう事はすなわち、そのような人間の抱える
苦しみから逃れる一つの道であります。
わたしは、悟りは気づきと解釈してますが、苦しみの
原因を見つけることが出来れば、つまり、煩悩という囚われを
取り除く事と関係があります。(
>>48を参考にして下さい。)
お釈迦様の真理の一端は、この苦しみの原因解決であります。
しかし、真理とは言葉であらわれない。とても深いものだそうです。
迷っているからこそ、学ばなくてはなりません。
そして、死ぬ事に対する問題解決をこの世でしなくてはいけません。
あの世の問題にしてはいけません。それは、一日をかけがえなく
意義のある生活に変えます。
最期の文のイエスの言葉ですが、ますます仏陀であるとの見方が
強まりました。わたしの境地まで来なさいとも取れます。
179 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:40
>>173 ずらしていないし、落ち着いているよ。
間違ったことは言っていないと思う!!
>>174はカルト?
180 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:42
>>178 迷っていても、学ぶ必要は無い。
死ぬことに対する問題解決をする必要も無い。
すべては、過程である。
181 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:46
>>179 そうか。失礼した。
だが、172のレスには問いが多すぎる。混乱していたのではないか?
>>180 あなたは、幸せですか?
あきらめることが人生で良いのですか?
自分の人生に何の意味を持たずただ死んでいく
それはとても虚しい。
183 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:50
>>182 うはははは
人生に意味は無いよ。
人生はもともととても空しいのだよ。
人生はただの壮大なジョークなのだよ。
184 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:52
皆様どーも。
最近クリスチャンになったんだけど2chが好きできてしまう俺って一体・・。
クリスチャンは唯一の神を信仰しています。
父と子と聖霊とっていうのは一見その点から矛盾しているようにも思えますが
この3体に神は時と場合、目的にあわせて形を取ります。
仕事場での俺、家庭での俺、教会での俺
みたいな感じですね。
185 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:54
この宇宙を取り巻く様々な法、秩序、理といったものが真理であり、
別の言い方をすれば神「とも言われてきた」くらいが私的には一番しっくりしっぽり。
法に性格的要素は無い。生まれ、育ち、そしていつか必ず死ぬ。これは理。
裁きと感じるのも人間。恵みと感じるも人間。
例えば台風は直撃喰らって多大な被害を受けた人たちにとっては「神の怒り」と
受け取れるかも知れないが、地球規模で見れば大気循環を促す「恵み」とも取れる。
どの女優が好き?と聞かれある香具師が誰それサイコーと言った瞬間、他の香具師が
「え〜〜〜〜〜!?」という。
同じ事象でも捉える人の心の有り様によっては様々な「形」となる。
自然科学だろうが神だろうがどっちでもいいんではないか。
宇宙に銀河系があり、その中に太陽系があり、その中に地球があり、その地球には大自然があり、
合間を縫って文明があり、その文明のうちの一所に私がいる。
たったそれだけのこと。と、感じるのが私。
たったそれだけのこと。 乱文失礼。
186 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:55
>>178 Kさんのイエスのとらえ方は尊重いたします。
ただ最後の、「わたしの境地まで来なさいとも取れます」が、失礼な言い方ですが、少し違うです。
単なる言葉の遊び、表現の問題といわれるかも知れません。
イエスは救い主(キリスト)です。救いに来られたんです。人間の方から私(イエス)の境地に来なさいと言われたんではないと思うんです。
私の所、私の境地に来なさいと言ったのでなく、来れないから引捕まえに来たんです。
泥沼の中で喘ぐ私達所に、同じように泥沼に飛び込んで来られて、一緒に苦しみ、私達人間を救おうとされたのです。
私はこのように考えます。
187 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:57
188 :
名無しさん@3周年:03/05/01 00:59
>>186 日本じゃそれを悟りというんだ。
そして、悟りはだれでもひらけるそうだ。
特別なものではない。
それは、価値観の違いだから、議論の余地があまりないんだな。
189 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:00
>>185 すごくよくわかるよ。
だけど、何故自分が居るんだろう、何のために自分が居るだろうと考える事無いかな?
444さん
さらに、我々がもし、真理を見出すならば、
つまり真理をついた生活するならば、この世を謳歌し、
良い教育にもつながり、残される後世においても
幸せが充満してるのではないかと思います。
ところで、自分の境遇について考えましょう。
この境遇は何によるものか。
それは、父、母、元は先祖の存在は否定できません。
逆にみれば、自分が子孫に幸せをもたらせる存在であります。
親の悪質な教育が子孫に影響を及ぼす。
私はこれを一種のタタリといえないかと私は考えます。
子孫を考えるなら、使命があるのでは。
191 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:04
>>189 私も185の言うとおりだと思うよ。
でもね、どんな宗教でも自分の価値観が一番だと思っているから、本当のことが見えなくなってしまうんだ。
192 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:07
>>188さんへ
186ですけど、申し訳ないです。少しおしえて下さい。
>>186の文章を思うことをストレートに書いたわけですが、どの部分が悟りと理解すればいいのでしょうか?
ただ真理的な事が解ると言うことが、悟り、なんでしょうか?
価値観の違いは、押しつけあっても意味がないことは解ります。
193 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:09
イエス様は神の子だけれどもそれを全然自慢しなかった。
逆に私は人の子ですといって自分を低めた方なのです。
ですが周りの人たちはイエスのただならぬ雰囲気や教える言葉があまりにも人間離れしているのに驚きました。
聖書ではこう在ります。
ルカ21章38節 民衆はみな、み教えを聞こうとして、いつも朝早く宮に行き、イエスのもとに集まった。
そうとういい教えだったんですね。俺は朝苦手だからムリですけど・・・。
194 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:13
>>192 「わたしの境地」が悟りの境地だと思いましたですよ。
>>186 なるほど、そうですか。
イエス・お釈迦様においても、他が為に救済をすると言った点では
似たところがありますね。
イエスはわざわざ、泥沼に。
お釈迦様は泥沼から出るのを止める。
といったところでしょうか。
196 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:18
私はこの言葉にショックを受けました。
自分の生きている意味が分からなくて、苦しかったときに読んだ言葉です。
ヨハネ14章6節 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
かつてこれを言った人間がいたでしょうか?釈迦もクリシュナもこんな言葉は吐きませんでした。
イエスの宣教は3年、釈迦はうん十年、クリシュナは知らんでも一番広まっていったのがキリスト教。
3年でこれだけのことができるなんて比喩無しで人間業じゃないと思ったね。
197 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:18
>>195 186です。
「お釈迦様は泥沼から出るのを止める」
とは、どう理解すれば良いのでしょうか?
YES
No.1
200 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:20
K氏はナザレの人イエスをキリスト教的イエスとは全くとらえてないようですね。
今まで私はナザレのイエスをただのユダヤ新派教師としか思ってなかったのですが、
なるほど、彼もまた一人の仏陀・・・。いや、新しい事を得た気分です。
ただ、この話はクリスチャンの方と話しても終らない気がします。
イエスという人の概念が全く異なりますからね。
神の子、つまり悟るも何も無限なる最初から知っていて、知らなかったことは
なかった、という解釈ですからね>キリスト教
201 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:22
「神」を使うと、日本人は拒否反応をしめすからな。
究極的には同じことを言っているのであれば、仏教のほうが手法として日本では優れているんじゃないか。
202 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:25
愛が理解できなくて祈っているときのことです。
正直にもうしあげますとクリスチャンになりたての時です。
神様がイエスという人の形を取って十字架で死んで私を救ったというのがピンとこなかったんです。
祈りの中でイエス様はこう言いました。
イエス様はは十字架に架けられ血を流しながら優しくこう言いました。
「よく聞きなさい・・。私は貴方の為なら喜んで十字架につけられよう。私は貴方を愛している。
さぁ私のもとへおいで。愛する息子よ・・。」
その時「愛」がなんであるか悟りました。
>>197 お釈迦様は仏陀(真理に目覚める)になられたときに
「この世のあり方・真理は見がたく、難解で、議論の余地がなく
普通のものとまったく違い、論理的思考をこえていて…」
とおっしゃいました。
それで、この悟りは衆生にいっても理解できないから、説法を
止めようとした。だが、やはり説法をすることにした話です。
衆生の世界を泥沼とお考えください。
204 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:27
>>200 キリストもただの仏陀だろう。
ただ、他の仏陀に比べ、布教能力はたいしたもんだ。
まあ、教会は歴史的にろくなことはしていないが。
205 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:27
>>200 クリスチャンはイエスを神が受肉して人となって地上に来られたと考えます。
決して、優れた人物で悟りの境地を得たという理解はありません。
イエスはキリスト(救世主)であり、神の意志そのものなのです。
決して偉大な人物ではなく、神そのものなのです。
ですから、議論が少しすれ違ってしまうような気がします。
「神の子、つまり悟るも何も無限なる最初から知っていて、知らなかったことは
なかった、という解釈ですからね」その通りに考えます。イエスには欠けるところが一つも無いと考えます。
206 :
185だが・・・:03/05/01 01:28
軽い気分でカキコしたんで正直レス付いててびく〜〜り(w
十代の頃友人とよく学校の帰りにどっかでだべってよく下らん話とかしててさ。
その中でとある香具師が「俺らが正義だと思ってることが本当は悪だったりしてな」とポロッと言った。
「それ怖いなぁ〜〜」とか言ってゲラゲラしてたんだけどあの一言は私の価値観を変えたなぁと
今にしてみれば思う。
んでやっぱそういう時期って「自分」ってことをいろいろ考えたりする訳で。。。
尾崎がはやり出した頃ってのもあるが(w
なんつーか結局のところ、自分を見つめる、もっと言えば見つけるという事は
意識が自分に向かえば向かうほど遠ざかるっていうか・・・
上手く言えないがそう思った。
陳腐な書き方で申し訳ないが、そんなことを考えるうちにあーいった考えに至ったのかなぁ・・・
まぁその過程にはいろんな影響があるので記憶してるものだけでも挙げてたらキリがない。
ただし、それも他人の感想を聞くと「えぇっ!?」ってのもやっぱりたくさんあった訳で。
別に刹那的な感覚ではないんだよね。不思議と。
まぁこんなこと書いててもグータラなんで自分で自分に突っ込みたくなるんだが(w
しかし個人的には仏教よりだと思ってます。
こればっかりは肌に合う、合わないがあると思うので。
思わず共感と取れるレス見て調子こいちまいました(笑) 長文スマソ。
>>204 仏陀というのは分かる気がします。
イエスがどんなに立派でも、どうしても彼がキリストだとは思えないので
208 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:33
イエスは仏陀ではありません。
仏陀は人のために十字架で死にません。よみがえりもしません。
しかしイエスは人の罪を背負い神の子の力を使って人の罪を聖めました。
いまだかつてこのようなことを方がいたでしょうか?
キリスト・イエスは
1.基地外
2.詐欺師
3.神の子
基地外がこんなに優しいでしょうか?詐欺師が十字架でしなれるでしょうか?
私は神の子としか思えません。
209 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:33
>>205 存在のすべてが神だと考えれば、議論はすれちがわないのでは。
救うものと救われるものではなく、神であることに気づいた人(キリスト達)と気づく前の人(われわれ)の違いじゃないのかな。
ちょっとニューエイジっぽくなるが。
>>209 そもそも、唯一神教で創造主と被造物ですから、クリスチャンは
そのような考え方もしないのでは?
211 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:38
>>208 一般人でも、場合によっては自己犠牲ぐらいするだろ。
よみがえりについては、ただの信仰だからなー。
たぶん、キリスト教徒の人は、キリストを他の仏陀と同列に語られるのはプライドが許さないんだろう。
それは、ただのエゴの問題だから、議論の余地が無いんだよなー。
212 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:39
>>209 205だけど、考え方はいろいろあるみたいだね。
神であることが分かった(分からされた)から、救われていることに気づくのかも。
だから、気づく前と後では、全然考え方が違うのかな。当然かも知れないけど。
213 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:41
>存在のすべてが神
神は存在の全てをマントの様にまとわれるかたです。
神≠全ての存在
神は全ての存在をはるかに超えた方です。
神から見れば宇宙など庭の様なものなのでしょう。
仏教はあまりに神を低く捉えすぎです。
神はその気になれば宇宙を一瞬で粉砕できる方なのです。
キリスト教の神がまさにそれです。
214 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:43
>>213 一部のキリスト教の中での完結した価値観としてはそれで良いんじゃない?
ただの信仰だから、議論の対象にはならない。では。
215 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:45
>>209 それは神ではなく、仏陀と呼ぶべきでは・・・
216 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:46
実は聖書で出てくるパウロという人がいるんですが、
最初はイエスを基地外だと思ったらしくクリスチャンを殺しまくったそうです。
パウロはイエスがよみがえったということを死ぬほど否定しました。
それを信じてるやつは皆基地外だってね。
それでクリスチャンを殺しまくったわけです。
でも結局パウロはよみがえられたイエスに会ってしまうんです。
その後はみなさん知ってのとうりです。
217 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:47
>>213 というか仏教的には「無記」
そもそも「神」を捉えようとしないのでは。
釈迦が言ったかどうか知らないけどそうした概念、信仰も結果として人の苦の原因となり得ると
言ってたような、どっかで聞いたような。
宗教の育まれた土壌というものの影響は大きいんだろうなと妄想してみる。
もしキリスト教が中国で発祥してたらどうなってたかな。
氏曰く、「汝右の頬を(以下略
218 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:48
すいませんが仏陀って何?
219 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:49
覚者。悟りを得た者。
220 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:49
>>216 宗教の世界ではよくあることだよ。
反宗教的であるほど、一度はまったら狂信的になる。
221 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:50
>>213 言いたいことはよく分かるけど、すこしたとえが刺激的すぎ!!
誤解を招くと思うよ。
>>214 ただの信仰とは失礼な言い方だと思うよ。
他の人から見れば、軽く見えるかも知れないけど、当人達にとっては「ただの信仰」じゃないからね。
自分の存在を裏付けるものだし。クリスチャンにとって信仰は重いものです。
222 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:51
熱いねぇ。
223 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:52
窓を開けてると寒いでつが
224 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:52
>>217 同感。神はエゴを肥大させる道具になってしまうことが多い。
神を信仰している自分に価値を見出してしまう。
225 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:52
226 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:54
寝たらシヌな・・・
>>200 わたしは以前にキリストを「初めから悟っていた」と表現していた
のですが、
なんとナザレ人のイエスなる存在があったのですか!!
それは、知りませんでした。
わたしはキリスト教についても勉強をしないといけません。
深層をかんがえて、表面上ではないところを
探ると、「仏陀であった」という考えに行き着きました。
宗教は戦争をするもんではありません。
押し付けるわけでもありません。あくまで一つの道を指し示す
道しるべ。
あなたが、環境が環境なら、どの宗教にいたのか分かりません。
仮にですが、そのときの自分と議論する事まで考えて、
真理を見出して欲しいと思います。
228 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:55
仏教はキリスト教の亜種です。イスラム教もそうです。
キリスト教は昔使徒の働きによってインドまで伝えられました。
おそらくローマ宣教での働きがシルクロードに乗って中国、インドに伝わったんでしょう。
インドでは釈迦の教えが広まっていました。そこである一人の僧がキリスト教の教えを釈迦の教えに混ぜたのです。
それが中国に経教という形で伝わりました。
さらに日本からの遣隋使などの働きによって日本に仏教という形で伝わりました。
どこか世界中の宗教が似ているのはこのためです。
さらに日本ではアニミズムと仏教をあわせ多神教の教えになりました。
日本では如来が8人、仏陀が12人もいるそうです。
229 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:55
>>221 >ただの信仰とは失礼な言い方だと思うよ。
>他の人から見れば、軽く見えるかも知れないけど、当人達にとっては「ただの信仰」じゃないからね。
>自分の存在を裏付けるものだし。クリスチャンにとって信仰は重いものです。
言いたいことはワカランでもないが、それでも『ただの信仰』でしょ。
主観的な価値観でしかありえないワケで、それを他者と共有できると思い込む前提がオカシイんでは?
230 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:57
良 ス レ に な り そ う な ス レ は こ こ で す か ?
231 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:58
イエスは洗者ヨハネ派を裏切って自分の分派を作ったユダヤ(教)の異端。
キリストは、その後の弟子たちの努力(含む思い込み)によって、神にまで高められた救世主。
232 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:58
>>228 キリスト教徒が本家でえらいってことは良くわかったから。
仏教は、そんなことどうでもいい、エゴにとらわれるなという教えです。
233 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:58
>>224 よく言われる言い方だけど心の拠り所程度なら(・∀・)イイ!!と思うが、
人間悲しいもので素晴らしいと思えば思うほどそれに反する言動を行う人を
蔑む傾向があると思います。
それを戒める聖句もあったような気がするんだけど、
そうした言葉は綺麗さっぱり消えてしまうことが多い。
謙虚な心を常に・・・・ 寝よ。
234 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:59
>>230 違 い ま す ね
あ な た は 迷 い 子 で す ね ! !
235 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:59
イエスは基地外ではないよな?
西暦はイエスを境に紀元前と紀元にわかれているよな。
236 :
名無しさん@3周年:03/05/01 01:59
237 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:01
釈迦を西暦では分けなかったよな?
238 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:01
>>232 仏教えらい!の競争になりかけてるよん・・・
239 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:02
240 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:02
241 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:03
>>231 つまり貴方はイエスも使徒もクリスチャンも基地外だといいたいんですね?
でも釈迦は仏陀だといいたいのですね?
242 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:03
>>228 勘違いしてイエスをキリストにしたてる香具師がここにもう一人・・・
243 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:04
>>231 によれば人類の33%は基地外だそうです。
精神科はきっと儲かるぞぉ!
244 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:05
245 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:05
228は間違ってるよ。亜種ってあーた・・・
246 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:05
>>241 違うよ。
イエスは客観的存在であって、
キリストは(信者の)主観的存在だと。
キリスト教徒でなくとも、イエスの(史的)存在は否定しきれないけど、
彼がキリストか否かは、信仰する者の価値観次第でしょ。
247 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:07
248 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:07
>>241 >>243 他の意見をそうやって根拠も無く悪くとらえるあなたがたの精神には問題アリそうだけどね。
249 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:09
>>247 論点がオカシイよ。
聖書の否定って、ナニ?
聖書は存在しないってこと?
聖書は存在するよ。それは客観的事実でしょ。
聖書の記述が全面的に誤謬の無いものと考えるのは信仰が基準でしょ。
信仰は、主観的なモノじゃない?
250 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:12
クリスチャンは自分の信じている神の超越ぶりに惚れ惚れするんだよね。
こんなに強い神がいていいものか、こんなに聖い神がいていいのか、
こんなに愛してくれる神がいていいのかってね。
まぁこれはクリスチャンに与えられた特権だね。
でも仏教徒にけんかを売るのは自粛しよう。
クリスチャンは神様に全てゆだねよーよ。な?
251 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:15
エゴって悪いこと?キリスト教徒にとっては、誉め言葉になるのかもしれないよ。
ego、egoistic、egoist、egoism
いろいろあるけど、まあ「私はイエスキリスト信じる、これ以外の神は信じない」と言うんだから超エゴだと思うよ。
超エゴじゃないと、キリスト教信仰なんてあり得ないもん。
キリスト教徒にとっては、きっと誉め言葉になるかな!!
252 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:17
俺たちが言っても無意味だよ。
仏教徒は彼らできちんとした信仰持ってるしさ。
信仰のない毎日を「今楽しければイイや」って思っている人たちよりは全然いいよ。
俺はクリスチャンだけど仏教徒もリスペクトしてるよ。
形は違うくても信仰という面では仲間だよね。
聖書にも書いてあるけど、貴方の神が寛大であるから貴方も寛容でありなさいってどっかにあった。
仏教徒は割りと好きだな俺は。
新興宗教の人々は理解できないけどさ
253 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:17
>>251 エゴもスーパーエゴも、悪い観念だと思わないけど・・・。
宗教は、フロイト的には、正にそのスーパーエゴの部分でしょ。
254 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:19
>>252 新興宗教って言葉は差別用語だよ。
偉そうな事言う前に、自分を高める努力をしましょう。
あなたの神も、それを望まれているのでは?
>>254 申し訳ない。確かにそうですた。
俺はもう完全に救われた身だから霊を高めることはできないけど、
精神的にはまだまだ未熟だからその辺を神様とともに鍛えていこうと思ってまつ。
実はクリスチャンになって凄いことが発覚したんですよ。
祈りと聖書を読むっていうのはペアらしいんです。
祈り=神への語りかけ
聖書を読む=神様からの返事
最初は( ゚д゚)ハァ?でしたが
信じられないんですけど確かにそうなんです。
牧師さんが言うには聖書を読んでみるとその日その日で気になる聖書の言葉が違うらしいんです。
「んな馬鹿な話あるかよヴォケ!」って思いました。
あの日までは・・・。
つづく・・。
別に続かなくていいよとか言わないで下され。
257 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:30
仏教とキリスト教、あるいは他の宗教の比較をしたところで、あまり良いものは得られそうに無さそうですね。
どんな宗教も信仰している人はだいたいエゴだから。
他宗教の存在を知る事はできても、、それをすばらしいとか、自分の宗教より優れてると考えるのは困難だと思いますね。
自慢し合っても、意味がない。
それより、無宗教の人が、反社会的な危険なカルト宗教にハマるのが怖いです。
少なくとも、いま此処にいる、仏教やクリスチャンが危険なカルト宗教にハマることは皆無だと思うけど。
エゴの無い人の方が危ないと思う。
258 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:31
『キリストは本当に立派な人だったの?』
結局、この問いに対する返答は、然り、となる。
キリスト(観念および信念における存在)は、その名の示すように、油注がれた者であり、即ち、救世主、
ひいては、人類の王であり、神である。
『イエスは本当に立派な人だったの?』
この問いには、まだ、議論の余地は残されるだろうが。
259 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:32
260 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:33
>>258 クリスチャンにとっては議論の余地はもうないですね!!
261 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:34
>>256 その日、その日、眼を瞑ってパッと開いた聖書の箇所に、何かの意味を見出す。
...想像力の訓練ですね。
262 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:36
263 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:37
>>261さんそれもちょっと違うんですよ、通読っていってね今日読む箇所から
神様の返事をいただくんです。
今までは神様に結構暴言はいてたんですよ。
何でこんな汚い世の中に俺を生かしているんだ?ってね。
マジで俺を殺してくれって願いましたよ。
死ななかったから余計むかつて神にこういいました。
「てめーは俺を殺すことも出来ねーのか?糞ったれだ!テメーは!」
っていいました。
それから数年後クリスチャンになって聖書から神はこう語りました。
続く
それから数年後クリスチャンになって聖書から神はこう語りました。
神:「うるせー馬鹿」
>>265 結構つぼにはまりますね。ゲラゲラ
神様は流石に「うるせー馬鹿」とは言いませんでした。
その時神はこう語りました
マルコによる福音書3章28節
まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。
正直その時泣きました。神様ありがとうってね。
皆さんから見れば僕は基地外に見えるでしょうけど、でもほんとに感動したんですよ。
ということでEND
268 :
名無しさん@3周年:03/05/01 02:55
もう少し聞きたかったと白状してもよい。
269 :
名無しさん@3周年:03/05/01 03:27
へ
/∧\
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/ ,/ i; \
< / i; >
\,i' カミ | /
i ⌒ |"
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
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|∵∵/ ○ \| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ / 三 | 三 | < うるせー馬鹿!
>>256 |∵ | __|__ | \_______
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J|;;|;;|;;|;;|;;|;;|;;|;;|し
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|;|;;|;;|;;|;;|;;|;;|;|
270 :
名無しさん@3周年:03/05/01 07:04
ひえー昨日のゆめは怖かった・・獣臭いのも人の意識も
俗世とは地獄の要素も持ってます。こわいよー人の意識の幻が・・・
びえええええ神様大好き。本当怖すぎだよ・・。やばすぎです。
271 :
名無しさん@3周年:03/05/01 07:13
ego
ラテン語で「私、我」
心理学では「自我」
272 :
名無しさん@3周年:03/05/01 07:21
>>256 うるせーバカ!
と父なる神が、我々をどやしつけてくれるとは、
それはそれで、実に祝福です。
私の場合は、
ええ加減にせーよ!
と父なる神に怒られて悔い改めました。
私も教会で泣く事も、祈りの中で泣く事もあります。
あなたにも明確に聖霊の働きがあったわけですね。
>>196 自分が生きている意味がわからない時に出会った聖句ですか・・・・
主なる神は、その聖句の意味を最も効果的に悟らせるように、
苦境に追い込んだり、厳しい状況に連れて行ったりする訳です。
同じ聖句を聞いても何の感動も受けなかった時もあれば、
まさに、のどの渇きを潤す言葉のように、体で吸収したり、と。
主なる神は、我々を地上に置き捨てたわけではなく、常に我々を
見ておられて、一人一人の状況に応じて、絶好のタイミングで
イエス様との出会いを用意して下さいます。
聖書を通して、牧師の口を借りて、兄弟姉妹の証を通じて、
賛美歌を通じて、書籍を通じてetc その出会いは多様です。
275 :
名無しさん@3周年:03/05/01 16:05
>>228 よくそんなでたらめを
平気で書けましたね。
如来も仏陀も同じ意味です。あなた、アフォですか。
277 :
名無しさん@3周年:03/05/01 16:09
>>258 この問いには、まだ、議論の余地は残されるだろうが。
福音書は信仰者の目撃記録ですか、ペテン師の作り話ですか。
論じられるべき一番肝腎な点です。
278 :
福音書をでっちあげたマルコ:03/05/01 16:11
279 :
名無しさん@3周年:03/05/01 17:49
仏教はキリスト教の亜種です。イスラム教もそうです。
キリスト教は昔使徒の働きによってインドまで伝えられました。
おそらくローマ宣教での働きがシルクロードに乗って中国、インドに伝わったんでしょう。
インドでは釈迦の教えが広まっていました。そこである一人の僧がキリスト教の教えを釈迦の教えに混ぜたのです。
それが中国に経教という形で伝わりました。
さらに日本からの遣隋使などの働きによって日本に仏教という形で伝わりました。
どこか世界中の宗教が似ているのはこのためです。
さらに日本ではアニミズムと仏教をあわせ多神教の教えになりました。
日本では如来が8人、仏陀が12人もいるそうです。
>>275追記:如来は欲から解脱している。
仏陀は欲をまだ持っている。と坊さんが言っていたのを聞きました。
280 :
名無しさん@3周年:03/05/01 17:50
281 :
名無しさん@3周年:03/05/01 17:59
>>279 確かにそうかもな、キリスト教は人類最古の経典を持つ宗教だしね。
世界中に文化が伝わるように宗教も伝わったんだろう。
インドも欧州の影響を受けてるし中国もそうだね。世界史でははっきりそう教えてるからねぇ。
宗教もまた文化の一つなんでしょうね。
282 :
名無しさん@3周年:03/05/01 18:10
>>279 如来は欲から解脱している。仏陀は欲をまだ持っている。と坊さんが言っていたのを聞きました。
君がアホ面してるから、坊主にからかわれただけだ。君は初歩の初歩さえ
解っていない。何一つ理解できていない。
283 :
名無しさん@3周年:03/05/01 18:18
仏教はよくわかんねーや。漢字で書かれているしね。
っていうか写経しているやついるか?
意味分かってやってンのか?
まぁ時間の無駄としか思えないけどな。
日本人にはDNAの中に組み込まれちまったんだろうなぁ。
仏教の教えがさ。
ホント日本人て特殊な民族だよなぁ・・・。
「大乗」仏教が
キリスト教の亜流。
って方が正しいのではないですか?
例えば法華経と新約聖書がよく似ているって昔から云われてた事
だし、でも2500年前に活躍していた釈迦の教えの全部が2000年前に活躍していたイエスの教えの亜流
ではないし、スッタ二パータなどの純小乗の正当な教えはイエスが生存する以前からあった筈だ。
そういえば法華経の
成立はちょうどイエスの活躍していた時期に重なるんじゃないかな?
いい処ついてると
思いますよ。
285 :
名無しさん@3周年:03/05/01 19:47
キリスト教は仏教の後に出来たんだよ
キチガイキリスト教はうそをつくな
286 :
名無しさん@3周年:03/05/01 19:59
本気でそんなこと言うほどアホがいるとは思えん。吊られるのもみっともない。
287 :
名無しさん@3周年:03/05/01 20:24
キリストはインド周辺で仏教、ジャイナ教などで修行し、超能力および悟りを得た。
その後イスラエルへ帰り平凡に暮らしていたが側近がキリストを勝手に救世主に持ち上げたために
十字架で貼り付けになりそうになった。
しかし、ここでイスラエルを抜け出し日本の東北地方へ脱出、青森で余生を送った。
そして現在でもキリストの墓が残っている。
288 :
名無しさん@3周年:03/05/01 20:25
スレタイトルよりよっぽどマシな話に変わっているね。
289 :
名無しさん@3周年:03/05/01 20:27
あまりにもトンデモだと逆にマターリしてくるね。
>>284 特に浄土宗・浄土真宗にはその色あいが強いですね。
日本の白樺派などは、同じようなもの、ととらえていたのかも
知れません。青年期の必読書は、資本論・聖書・歎異抄などと
言われた時期もあるようでした
一部の宗教学者の中には、大乗仏教にキリスト教の色彩が練り
こまれたと主張するむきもあるようですが、
「生ける神の子イエスキリスト」に相当するものと
「往生する前に、すでに我々は、イエスキリストの
十字架により救われている」という概念が見つけにくいのです。
「善人なおもて往生す、いわんや悪人おや」素晴らしい言葉ですが
聖書の「醍醐味」は、地獄と思える今も、実は主なる神が我々に
与えて下さったものであり、天国とは「往生」の後に行くところで
はなく、
「あなたは今日私と一緒に楽園にいる!」(ルカ福音書23章43節)
のです。
291 :
名無しさん@3周年:03/05/01 20:57
法華経って仏陀の教えなのか
法華経の中に仏陀出てくるか
292 :
名無しさん@3周年:03/05/01 23:06
何事もそうだけど、
半可通
って性質悪いよね。
293 :
名無しさん@3周年:03/05/01 23:30
>>284 例えば法華経と新約聖書がよく似ているって昔から云われてた事
法華経の古層部分は紀元前の成立です。
294 :
名無しさん@3周年:03/05/01 23:33
>>287 キリストはインド周辺で仏教、ジャイナ教などで修行し、超能力および悟りを得た。
学研の『ムー』の説です。
本気にしないように。ワラ
295 :
福音書をでっちあげたルカ:03/05/01 23:36
>>290「あなたは今日私と一緒に楽園にいる!」(ルカ福音書23章43節)
ただの作り話ですが、なにか。
296 :
名無しさん@3周年:03/05/01 23:37
キリスト教の基礎はユダヤ教として3500年前〜4000年前に始まる。
それが旧約聖書である。
この旧約聖書は創世記から始まり神の選民であるアブラハムから始まるイスラエル国民の繁栄、神への反逆、
そして予言の書へと続いていく。旧約聖書の中には一部死海文書に似たものも含まれており旧約聖書の神の
わざが事実であったことを歴史的にも裏付けられると考古学会でも認められている。
新約聖書はイエスキリストの福音のみならず旧約聖書の予言が成就する書物でもある。
メシア予言は成就され罪の贖いがなされた。旧約聖書にあるとおり「神の子羊は血を流し、裏切られ、苦しみを受け殺されたのである」
さらに新約聖書も旧約聖書も同様最後は黙示録という予言で締めくくられている。
「ただの作り話」なのか
「聖霊に導かれての『作り』話」なのか
少なくとも、
「正に今日、この時間、イエスとともに楽園に
いる人」が、数億人単位でこの地球上に存在する
ことは事実です。
阿片を吸って幻覚を見ているのではなくて・・・・
296 旧約聖書の中には一部死海文書に似たものも含まれており旧約聖書の神のわざが事実であったことを歴史的にも裏付けられると考古学会でも認められている。
認めた覚えはありませんが。
299 :
名無しさん@3周年:03/05/02 00:04
旧約聖書は生物学や遺伝学というような学問ができていない時代から
人間は3人種ありそれがノアの箱舟以降から書かれている。
つまり セム ハム ヤペテ
これは非常に興味深いことである。なぜ4000年前に書かれた旧約聖書に
今日の高度な遺伝学にも通じる真理がかかれているのか?
また旧約聖書にはアダムから続く家系図が永遠と記されており最後はイエスキリストの家系までたどり着く。
予言どうりイエスはアブラハムの子孫ダビデの家系から生まれた。
最も不思議なのはこの家系図がどのように作られたかということだ。
アブラハムの家系から数千年にわたって連なる家系図。一体誰が記録したのだろうか?
しかもアブラハムが生まれたころには紙などなく記録が取られた様子も無い。
口伝と考えるがこれほど膨大な家系図を編纂することは不可能である。
300 :
名無しさん@3周年:03/05/02 00:07
キリストは現人神です。
301 :
名無しさん@3周年:03/05/02 00:20
仏教って、漢文をながなが朗読しるお経って意味あるのかなぁ
めんどくさいし、文字で書いてあるもの意味もわからずに朗読
しることっておかしい
キリスト教は、あんなつじつまの合わないことやらないだろ?
聖書は立派
302 :
名無しさん@3周年:03/05/02 00:23
キリストが十字架に吊るされたのは本当の話なのでしょうか?
どれもキリストの手の平に釘が刺さっているのですが
もし、そうだとしたら十字架に吊るされる前に
キリストがずり落ちてしまいます。わかりますか。
303 :
ナザレ村の凡人・イエス:03/05/02 00:23
>>299 また旧約聖書にはアダムから続く家系図が永遠と記されており最後はイエスキリストの家系までたどり着く。
予言どうりイエスはアブラハムの子孫ダビデの家系から生まれた。
私は母の不倫で生まれただけです。
父は神ではなく、平凡な人間です。ドイツには父の墓もあります。
家系の記述はでたらめです。
304 :
福音書をでっちあげたマルコ:03/05/02 00:25
>>302 キリストが十字架に吊るされたのは本当の話なのでしょうか?
作り話です。
305 :
名無しさん@3周年:03/05/02 00:28
聖書は現在数千語に翻訳され世界中で 年間2億5000冊 売れるそうです。
しかも超ロングセラーであり、数百年にわたって単独首位を保持し続けている
本はこれ以外にありません。
また現在も献身的な語学博士や翻訳家、神父、牧師、伝道士の活躍もあり残る地区は
アフリカの密林地帯、高山地帯などを残すのみです。
聖書の語学的な人口カバー率は99.81%との報告がなされています。
現在も懸命な努力により翻訳がスーパーコンピューターと人の手によって進んでいます。
306 :
名無しさん@3周年:03/05/02 00:30
307 :
名無しさん@3周年:03/05/02 00:33
十字架には手で釘を打ちつけられた所と腕にワイヤーを張って体を支えていたことが
当時の文献に残っています。
また日本でも磔 獄門という刑があったように
十字架刑は処刑方法として洋の東西を問わずポピュラーだったそうです。
たしかに磔が嘘であればお奉行様も「磔・獄門!」なんていわなかったですね
308 :
名無しさん@3周年:03/05/02 00:33
>>305 血によって罪を贖うという教義が正しいかどうか、
それだけが問題です。本がたくさん売れても、
真理であることの証明にはなりません。
309 :
名無しさん@3周年:03/05/02 00:36
>>307 血によってなぜ罪が贖われるのですか。
文明の時代に呪術の出番はないでしょう。
310 :
名無しさん@3周年:03/05/02 00:41
>>308 死んでから真理だとわかっても遅いしね〜〜
311 :
功無き我を 賛美歌271番 :03/05/02 00:48
(Just As I Am)
勲(いさお)なき我を 血をもて贖(あがな)い
イェス招き給う み許(もと)に我ゆく
罪科(つみとが)の汚(けが)れ 洗うに由(よし)なし
イェス清め給う み許に我ゆく
疑いの波も 恐れの嵐も
イェス鎮め給う み許に我ゆく
心の痛手に 悩めるこの身を
イェス癒(いや)し給う み許に我ゆく
頼りゆく者に 救いと命を
イェス誓い給う み許に我ゆく
勲なき我を かくまで憐れみ
イェス愛し給う み許に我ゆく
312 :
名無しさん@3周年:03/05/02 00:49
それは一つの比喩なのです。
旧約聖書時代イスラエルの民は神への罪の許しのために生贄を捧げていました。
当時、子羊の首を切ってその地を祭壇にまき罪の許しを得ていました。
レビ記14章25節にはこうあります。罪過のためのいけにえの子羊をほふる。祭司はその罪過のためのいけにえの血を取って、それをきよめられる者の右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗る。
しかしイスラエルの民は生贄を捧げるのを止めました。そして神はこの民に試練を贈りました。
バビロン捕囚というのはその好例です。
神はこれを見てもう神自分を生贄にしてこの民(全人類)を救うしかないと考えました。
そしてイエス・キリスト(受肉された神がこの世界に来られたのです)
イエスは神の子羊。その血は全ての悪を除き罪を除く力を持っていました。
イエスが十字架に付けられるのは神が定めた計画であり人を救う計画であります。
旧約聖書ではこのようにイエスの十字架を予言しています。またこの予言の成就の書が福音書と呼ばれるものです。
313 :
イエス様 感謝します。:03/05/02 00:50
Just as I am, without one plea,
But that Thy blood was shed for me,
And that Thou bidst me come to Thee,
O Lamb of God, I come, I come.
Just as I am, and waiting not
To rid my soul of one dark blot,
To Thee whose blood can cleanse each spot,
O Lamb of God, I come, I come.
Just as I am, though tossed about
With many a conflict, many a doubt,
Fightings and fears within, without,
O Lamb of God, I come, I come.
Just as I am, poor, wretched, blind;
Sight, riches, healing of the mind,
Yea, all I need in Thee to find,
O Lamb of God, I come, I come.
314 :
イエス様 感謝します。:03/05/02 00:51
Just as I am, Thou wilt receive,
Wilt welcome, pardon, cleanse, relieve;
Because Thy promise I believe,
O Lamb of God, I come, I come.
Just as I am, Thy love unknown
Hath broken every barrier down;
Now, to be Thine, yea, Thine alone,
O Lamb of God, I come, I come.
Just as I am, of that free love
The breadth, length, depth, and height to prove,
Here for a season, then above,
O Lamb of God, I come, I come!
315 :
名無しさん@3周年:03/05/02 00:53
みんながんばれ!
316 :
名無しさん@3周年:03/05/02 00:54
がんがんいこうぜ!
317 :
イエス様 感謝します。:03/05/02 00:55
私はいま御許に参ります。少しの言い訳も無く。ありのままの姿で。
あなたの血が 私を洗ってくださったからです。
神の子羊イエスよ。
318 :
名無しさん@3周年:03/05/02 01:01
仏教はキリスト教の新興宗教です。イスラム教もそうです。
キリスト教は昔使徒の働きによってインドまで伝えられました。
おそらくローマ宣教での働きがシルクロードに乗って中国、インドに伝わったんでしょう。
インドでは釈迦の教えが広まっていました。そこである一人の僧がキリスト教の教えを釈迦の教えに混ぜたのです。
それが中国に経教という形で伝わりました。
さらに日本からの遣隋使などの働きによって日本に仏教という形で伝わりました。
どこか世界中の宗教が似ているのはこのためです。
さらに日本ではアニミズムと仏教をあわせ多神教の教えになりました。
日本では如来が8人、仏陀が12人もいるそうです。
319 :
名無しさん@3周年:03/05/02 02:02
>>318 ぶっきょう ―けう 1 【仏教】
〔仏陀が説いた教えの意〕
紀元前五世紀(一説に六世紀)に釈迦が開いた宗教。
インドにおこり、ほぼアジア全域に広まった。この世を苦しみ・迷いの世界と見、
苦行にも悦楽にも偏らない正しい実践によってそこから脱け出ること、
さらには迷いに沈む生きとし生けるものを救うことを目ざす。
発展史的に原始仏教・部派仏教(小乗仏教)・大乗仏教、伝来の相違により南伝(南方仏教)・北伝(北方仏教)などの
区別が立てられるが、受容された地域の特殊性や社会変動によって多様な信仰に展開した。
イエスは700歳くらい生きたんでつか?(w
当時のインドにユダヤ教が広まったなんて聞いたこともないし、
釈迦が影響を受けたってのも聞いたことありませんが。
320 :
ついでだ。:03/05/02 02:05
ユダヤ-きょう ―けう 0 【―教】
紀元前四世紀頃から発達し、モーセの律法を基とし、唯一神ヤハウェを信奉するユダヤ人の宗教。
ユダヤ人を神の選民と自覚し、イエスを救い主と認めず、神の国を地上にもたらす
メシアの到来を信ずる点でキリスト教と対立。
主要聖典は旧約聖書とタルムード。一九世紀末におこったシオニズムの思想的基盤。
イスラム-きょう ―けう 0 【―教】
610年にアラビアでムハンマド(マホメット)が創唱した宗教。
世界宗教として、アラビアをはじめ、中近東を中心に広がり、東はインドネシアから、
西はアフリカの大西洋沿岸諸国にまで及び、多くの国々でイスラム教が政治・経済・文化面で枢要な
役割を担っている。
唯一神アッラーのみを信仰し、偶像崇拝を禁じる。経典は預言者ムハンマドへの神の啓示であるコーラン。
教義はシャリーアとして体系化され、宗教的であると同時に法の体系でもあり、
信仰とその社会的実践とが重視される。
主要な信仰および儀礼として、六信(アッラー・天使・経典・預言者・来世・予定)と
五行(信仰告白・礼拝・喜捨(きしや)・断食・巡礼)が説かれる。
ムハンマドの死後、後継者としてカリフが立てられたが、その後、後継者をめぐる対立が生じ、
スンナ派とシーア派その他の諸派に分裂。八世紀中頃から一一世紀にかけては古代ギリシャ文化を吸収し、
哲学・医学・地理学などを発展させて、近代ヨーロッパの科学的伝統へ大きな影響を及ぼした。
イスラム。イスラーム。回回(フイフイ)教。回教。
321 :
名無しさん@3周年:03/05/02 03:01
322 :
名無しさん@3周年:03/05/03 19:38
>>312 神はこれを見てもう神自分を生贄にしてこの民(全人類)を救うしかないと考えました。
その神は、自分の無能をさらけだしただけです。
ただイエスを殺した
ユダヤ人はあまり
いい目には合って
ないわなー
ローマ総督もこの死刑執行には責任をとらんとソッポを向いた
のだからこの三十男を殺した報いを二千年間受けてるともとれるし日本で圧倒的にメジャーなのはユダヤ教じゃなくキリスト教だもんね。
こんな考えカルトに走ってるかな〜?
汝の敵(隣人)を
愛せよといった割には辛辣な人見たいで祭司からは嫌われてた
見たいだけどその後のユダヤ人の苦悩は
イエスを殺した事が
原因なのではと
カルトの考えに走る次第でありました。
ちょうど金光教の
川手文次郎教祖のような人間主義の教えではなかったかと云々
>>323 イエスを殺したユダヤ教徒云々は、非常に危険な香りが漂う表現ですね。
過去のユダヤ人差別、ユダヤ人迫害の背景には、必ずその考えが一部を
構成していたようですから。
イエスキリストは、殺されるべくして殺され、
殺されたからこそ復活があり、それゆえに我々は
救われたのです。
殉教者第一号のステファノもユダヤ人なら、異邦人伝道の
先駆者パウロ先生もユダヤ人。
そもそもユダヤ人の定義が曖昧で、当時のユダヤ人とは
地理的に、人種的に大きく変異しておりますので。
326 :
名無しさん@3周年:03/05/03 21:01
そりゃぁもう立派だったサー。
もうちょっとで社会の教科書に乗るとこだったよ。
327 :
ナザレ村の凡人・イエス:03/05/03 23:23
>>325 殺されたからこそ復活があり…
復活なんかしてませんが。
>1
君よりは立派だった可能性が高い。
329 :
名無しさん@3周年:03/05/04 00:36
神とか、生まれかわりとか、復活とか、奇跡とか、そんなキチガイじみた観念にもてあそばれる、人間の脳味噌なんか捨てちまえと、仏陀は教えています。
330 :
名無しさん@3周年:03/05/04 01:20
唯一無二の超ベストセラーでもある聖書は、「女性は慎ましくしなさい」と厳しく断言しています。
332 :
名無しさん@3周年:03/05/04 01:40
受け入れと言う名の拒否、克服と言う名の逃避。私は何から逃げる為に悟りを必要としているのだろう、騙すのも自分なら騙されるのも自分。
あーしんど、くそして寝よ
悟る悟らんて議論は
このスレには必要
ないね。
ブッダを漢字の仏陀で表記する奴も
信用ならん。
334 :
名無しさん@3周年:03/05/04 01:59
なぜ??
335 :
名無しさん@3周年:03/05/04 02:12
きりすと信者は観念の中で神を作り出し、世界さえも彼等の観念の中にあります。
彼等は、世界が観念の中にあるのでは無く、人間が世界の中にあるのだと言う事を知りません。
頭の中の脳味噌が作り出した観念、そんなものはその人が死ねば消えて無くなります。
しかし世界はそのままです。
357 :Ms.名無しさん :03/05/04 01:10
父親が小学校高学年ぐらいになると体にさわってきた
離婚してから、母親が次男から次へと男を連れてくるようになった
こんな母親を軽蔑するようになって、自分は絶対母親みたいな
男好きの女にはなりたくないと思った
体の発育が早かったためか、小学校4年のときに初めてチカンに合い
それからよくチカンにあってた
中学1年のとき、好きな男子にからかわれレイプされそうになった
そのとき、「ブサイクだからキライ」と言われた
それから外見にコンプレックスが強くなり
自信が持てず、男の子を好きになれなかった
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上のことからずっと男嫌いだった
でも去年、すごく好きな人ができた
でも、フラれた
私は自分の外見が悪いからフラれたって思ってヒッキーになってしまった
そして現在、また男嫌いになってる
男の子を意識すると自分の外見が嫌になるから
358 :Ms.名無しさん :03/05/04 02:05
母親が潔癖だったからだと思う。
それがなぜ娘の私に関係あるのかって聞かれると分からないけど
たぶん、それはおおいに関係している。
母親は大の男嫌いだった。
私の心にも「男ってきたないもの・こわいのもの」という意識が植え付けられているように思う。
20才を超えたら男嫌いも治りつつあるけど。恋愛もするし。
359 :Ms.名無しさん :03/05/04 02:10
>>357 聖書を読みたまえ。たまに近所の教会にでも行きたまえ。仲間がいる。
「わたしにとってあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」
と主は言われる。(イザヤ書・参照)
経文に出て来る仏陀はイエス顔負けの神通力を発動するからサ。
薬使って見た幻覚作用を経文に書き写したに違いない。
ブッダには多数の顔があるが仏陀は超越者
イエスのような御伽噺の住人になって
スレ主から見れば
どちらもカルトと
判断するだろう。
だから幻覚仏陀は
必要ない。
超越者イエスも
必要ない。
イエスは神
ブッダは偉人
1 :番組の途中ですが名無しです :03/05/03 03:24 ID:Pc15vn43
スズメなぜ消えた 英国で9割減
英国中の街角をにぎわせていたスズメが、すっかり姿を消してしまった。ロンドンでは
イエスズメがこの5年で半減、英国全体でスズメは過去25年で9割も減った。地球温
暖化、伝染病からチェルノブイリ原発事故の影響まで諸説が飛び交うが、原因はナゾ
。「人里を好むスズメが消えたのは、人間にとってもよくない環境変化が進んでいる兆
候」と、英政府が原因究明に乗り出した。
引用元
http://www.asahi.com/science/news/K2001040500592.html
>>327 もしイエスが『復活』していないのなら
あなたのHNを次のように変えるほうが妥当でしょう。
「ナザレ村の凡人・イエス」
=>
「ナザレ村の外基地・イエス」
しかし、外基地兄ちゃんイエスの弟子たちが
必死で伝えようとしたものはなんだったんで
しょう。
それも、イエスの十字架の死後、急に頑張り
出します。
外基地にたぶらかされて、3年ほど一緒に生活し
挙句に死刑にされ、惨めに死んでいった「外基地師匠」
であれば、私なら、「ええ加減にせーや」と故郷に帰り
元の仕事に戻りますが・・・
弟子たちも「外基地イエス」の名を借りて、誰一人大金を
儲けたり、立身出世したものも無かったようなのですが・・・
>>327さん、ご意見をお聞かせ下さい。煽りでないのなら。
毒猿ってHNの人が
書き込んだスレに
「死んでもあとに残された人の心の中に生きるんじゃないか」と
云っていた事がある。
つまり、死にはしたんだがあとの時代の人間に影響力を持って、
(まるで生きてる人の様に)世界を誘導しちゃうんじゃないかな。
迷惑と感じる人もいるし祟りと感じる人も
いるし超越者を感じる人もいる。
平将門や弘法大師や
尾崎豊も特定の人の
心の中では生きてるのだよ。
>>339 しかし、外基地兄ちゃんイエスの弟子たちが必死で伝えようとしたものはなんだったんで
しょう。それも、イエスの十字架の死後、急に頑張り出します。
別に必死で伝えようとしたわけではありません。
別に急に頑張り出したわけでもありません。福音書の
記述を史実だと思っているんですか。ひょっとして、
アフォですか。
福音書はでっちあげですが、なにか。
344 :
名無しさん@3周年:03/05/04 12:10
そうそう。使徒は当局との軋轢を回避するため、
エルサレム神殿にも詣でていたしね。恐る恐る「救世主ビジネス」を
始めたものでしょうね。
345 :
名無しさん@3周年:03/05/04 12:14
>>339 444さん、使徒を信仰者だったと思い込まないほうがいいですよ。 彼らの実像は
何一つ分かっていないんですからね。
346 :
名無しさん@3周年:03/05/04 13:31
>>345 彼らの実像は何一つ分かっていないんですからね。
信仰者だったのかベテン師だったのか、
それを考えながらキリスト教と付き合え、
ということだな。
347 :
名無しさん@3周年:03/05/04 14:30
本当にキリストは、蠅みたいにうるさい奴だ。「俺は神の子だ」とか「復活だ」とか、死んだ後迄未練たらしくまだ言っているのか!
仮にそれが事実だとして、それがどうしたと言うんだ!
あんたが神なら、かってに神をやっとれ、他人にからむな!
人間界は忙しいんだ!
348 :
名無しさん@3周年:03/05/04 14:43
おい。とりあえずおちつけ。話し合えばきっとわかりあえるからな、な。
349 :
名無しさん@3周年:03/05/04 15:00
反 キ リ ス ト が 多 い ス レ は こ こ で す か ?
350 :
名無しさん@3周年:03/05/04 15:30
キリストは全ての罪の元であると思う。
死んで罪を肩代わりしてくれても、差し引きゼロなので
立派とは言えない。
>>350 少なくともキリストマンセー派は批判的に見ることはできないだろ。
352 :
名無しさん@3周年:03/05/04 15:49
自分の聞いた話ではキリストは町のちょっと
目立つ真面目な人だったらしいね。死後、みんな
が、あれこれ噂を立ててキリストを偉い人にした
らしいね。ようは、みんな伝言ゲームよ!最後には
話がデカクなって伝わって。
353 :
名無しさん@3周年:03/05/04 15:53
社会学的に見ればキリストは宗教を利用した社会改革者。
心理学的に見ればキレたおっさん。
354 :
名無しさん@3周年:03/05/04 22:41
>>352 ようは、みんな伝言ゲームよ!
BBCもCNNもNHKもなかったしな。
ニューズウィークも読売新聞もなかった。
口コミだけだったんだぜ、青野さん。そこんとこ、
よく考えろよな、青野さん。ワラ
355 :
名無しさん@3周年:03/05/04 22:45
>>354 青野和明はんの独り善がりには閉口します。
使徒は信仰者、と勝手に決めてかかるのですから、
困った人です。
>>352 漏れが思うには、ただの兄ちゃんだと思うな。
その後、みんなが作り上げて、
主だとか何とか作ったような気がする。
357 :
名無しさん@3周年:03/05/04 22:51
358 :
名無しさん@3周年:03/05/04 22:58
>>356 たぶんそうでしょうね。
ただ、ボランティアでそんなこと
する人もいないでしょうから、
営利の臭いはしますよね。
359 :
名無しさん@3周年:03/05/04 23:08
キリストは最強だと思う。
世界が一つの宗教によってまとまるとすれば、
全世界はキリスト教一色になる。
360 :
御霊と御言葉:03/05/04 23:10
聖書と聖霊様により初代教会は前進しました。
361 :
神か気違い:03/05/04 23:47
>>339 C.S.ルイスもそういうことを言っていますね。
キリストが神でなくて偉大な教師ということはありえない。
もしイエスが神でないならば気違いでしかないのだ、と。
362 :
『キリスト教の精髄』by C.S.ルイス:03/05/04 23:48
『キリスト教の精髄』というC.S.ルイスの有名な本の中で、彼は次のように書いています。
『単なる人間でありながら、イエスが語ったようなことを語った人物がいたとするなら、そのような人は偉大な道徳的教師ではないだろう。
そのような人は精神病者---- 自分が半熟卵であると言う程度の-----であるか、地獄の悪魔かのどちらかであろう。
あなたは自分の選択をしなければならない。この人が過去において神の子であり、また現在でも神の子である方か、それとも狂人か、
あるいはそれよりも悪い者であるかのどちらかである。
しかし、彼を偉大な人間的教師であるとして、彼を後援するというようなことを、われわれはしてはならない。彼はこの点において、
われわれに疑問の余地を残しておくようなことはされなかった。』
364 :
名無しさん@3周年:03/05/04 23:50
>>362 あのさあ、その本、すっごく欲しいんだよね。
今どこで手に入る?アマゾンでも、売ってないみたい。
365 :
名無しさん@3周年:03/05/05 00:17
個人の担う、また民族として担う過去――それは心理学の立場から、しばしばトラウマ(心的外傷)
と表現される――の記憶の聖化があり、救いがある。そのことが神の人に与え給う苦難の意義である。
恩恵である。仏法ではそのところを「煩悩即菩提」「難即悟達」「逢難即安楽」と説いている。
そもそも、4000年の昔、アブラハムの世代では、ユダヤ教徒イスラム教の別はなく、ともに唯一の霊
なる真の神を拝していた。その子イサクと異母兄弟イシマエルの世代からこの分離は始まっている。
そしてキリスト教はユダヤ教を母胎として2000年前にイエス・キリストの受肉よって始まった。幸か
不幸かそのいづれもが聖地をエルサレムに置き、互いに反目を繰り返し今日に至っている。
神の御経綸によってユダヤ教、イスラム教、キリスト教の三大宗教が絶対他力としての
イエス・キリストの十字架の贖罪と聖愛の下に掃一し、和解せしめられたその時に、人類の救いは完成する
のではなかろうか。そしてその三大宗教のいずれにもアレルギーを生ぜず、反感を抱いていない私共、日本人
がその和解に一役担うこと、そのことが日本人に与えられた天からの召命である、と思うのは僭越であろうか。
366 :
名無しさん@3周年:03/05/05 00:18
>>364 キリスト教書店、CLC、あるいは新教出版に問い合わせればあるかも!!
たとえば銀座の教文館とか大阪キリスト教書店、ライフセンターなど(可能性のあるところを問い合わせまくれば在庫があるかも知れません)
品切れになってる可能性が高いと思います。
増版してないと可能性が高いと思います。
この本、私は普通に手に入ったけどな。
368 :
名無しさん@3周年:03/05/05 00:22
「偉大なる生涯の物語」のビデオかDVDが欲しいのですが現在でも入手可能でしょうか?
どこのレンタル店・販売店行っても見つかりません。
369 :
名無しさん@3周年:03/05/05 00:23
>>365 最後の2行がチョット?と思います。
だけど、そういう働きができれば良いですね。
370 :
古書店つのぶえ :03/05/05 00:24
371 :
名無しさん@3周年:03/05/05 00:26
キリスト教関連の本は増版しないので、書店で売れ残っていればあるし、売れてしまえば、もう入ってこないって感じですね。
372 :
名無しさん@3周年:03/05/05 00:27
西方の3つの宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はセムの背景を持っている。
イスラム教の聖典コーランとユダヤ教やキリスト教の旧約聖書は似たような
セムの言葉でかかれている。インド−ヨーロッパの人々は汎神論であったが、
セム系の人々は早い時期からたった1人の神を信仰してきた。これが「一神教」
である。ユダヤ教とキリスト教、イスラム教は、神はたった一人だという考えに
基づいている。
>>365 煽りではないので、誤解しないで下さい。
必ずしも日本人でなくとも韓国人・朝鮮人・中国人・タイ人
いずれでも可能でしょう。チベット人やネパール人でも
良いのではないでしょうか?
日本人と言うのが、「大和民族」的なニュアンスなのか
量りかねますが、日本人などと言う集団に天からの召命が
下る可能性よりも、あなた個人に主からの召命が下ること、
あなた自身がその重荷を背負うことを決意する事は、
あり得る事ですし、その働きは、素晴らしい!の一言に尽きます。
374 :
名無しさん@3周年:03/05/05 00:32
>>373 わたしもその様に思います。
だれか、その様な働きを担う人が現れるとイイですね!!
世界が大きく良い方に変わる事ができると思います。
ええっ
キリスト教では神は一人じゃなく三人じゃなかったっけ?
三味一態とかって
ちちとことせーれー
がいる事を明かした
のがイエス・キリストなんでしょ?
ユダヤやイスラムと
ちょこっと違うかも
307 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 01/10/12 01:37
聖書は啓示・預言の書。世界の鏡でもあり、社会性ある実践的指針。当然、意味が
あり、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、等々・・全世界40億人もの人間が、
未だ捨てることのできぬ「霊の賜物」である。人間は皆、確実に死ぬ。終末を恐れ
ることは矛盾。また、人間は創られしもの、ゆえに、創りしものの意を悉く解する
ことはできない。したがって神の経綸を批判する立場にない。人間は神ではない。
ユダヤ教徒はなぜイエスを裏切り者と呼んだか。
なぜローマに売り渡したのか。
誰か、教えて。
379 :
名無しさん@3周年:03/05/05 12:00
>>366、370 ありがとう×10!本当に見つからなくって、
古本屋を捜し歩いてたんだよ。すごくありがたい。2chねらでよかったと
思った瞬間。
結城浩さんの「キリスト教の真髄ガイド」と平行して勉強してみたかったんだ。
早速注文スマッシュ。
380 :
名無しさん@3周年:03/05/05 12:11
キリストが凄い人だったのと同程度かそれ以上にヨハネも凄い人だったらしいよ
381 :
名無しさん@3周年:03/05/05 16:08
こらっ、青野和明。
自作自演を止めろ。
382 :
名無しさん@3周年:03/05/05 16:40
>>1 立派な人であり、
神と同質の神の御子でした。
383 :
名無しさん@3周年:03/05/05 18:47
>>375 本気なのか?それとも冗談なのか?
もしかして、あんたはグノーシス?それもエホバ?
一人だから三位一体だろ!!
384 :
名無しさん@3周年:03/05/05 18:53
ヨハネはキリストの1/10000程度でした。
385 :
ナザレ村の凡人・イエス:03/05/05 19:49
>>382 立派な人であり、神と同質の神の御子でした。
いいえ。あたしゃ平凡な人間の子でしたが。
386 :
tohtoshi@message:03/05/05 20:09
12人の弟子についての話しからもイエスは立派な人物であったと思う。
多くの民衆に影響を及ぼして彼らも後継者に育てたことは凄い。
真理を説いた世界の聖人と言われる人々の一人に並べられるだろう。
しかし、神ではない。凡人より神に近いことは確か。
教説の内容は語り部で伝わっているから一部には間違った部分が無いとは言えない。
過去に世界の諸聖人と言われる人々の教説を調べると共通している部分が多くあり、
それらを効果的に分類し組み合わせると、より良い真理の集大成が出来上がります。
この真理の集大成がより正しい教説となるだろう。
387 :
tohtoshi@message:03/05/05 20:16
>386 の続き
今の一般的に蔓延している宗教はほとんどが真理から逸脱しているとしか思えません。
宗教家やその団体活動の目的は本来、諸聖人の示された神仏に基づく教えの真理を知らせる伝道と
いう愛行であったのです。そして伝道者自らが真理を体得して実践しつつ、慈悲の精神を他者に
移し植えることで、その人の精神を利己心から慈悲心に立て替えさせ、自発的に愛行へ目覚めて
人心を開発して救済することでしたが、一部には道を誤り矛盾もあります。
一般的に宗教という教えの多くは、人間の精神(思考)を標準とするようになっていますから、教える
内容は実生活の標準が単に偏見であるばかりでなく、教えの中に多くの誤りを含んでいますから、不完全の
教えによって民衆や社会は知らず知らずに害されて、全ての実践者には真の安心も幸福も来ないのです。
人は真理を実践し体得することで何時の日にかイエスと同じ心境になれるものです。
この件に関する出典の説明がHP↓にあります。
ttp://www.d7.dion.ne.jp/~tohmatsu/
ちちとことせーれーは仏教の三宝に
当て嵌めると、
ちち=仏
せーれー=法
こ=僧
かと思っちゃった。
一人で親と子の役割
演じちゃうの?
なんか他に裏がある
気がするなぁ。
え??仏教頭で
イエス・キリストを
考えるな?
いーじゃないですか。気にしない
気にしない
389 :
名無しさん@3周年:03/05/06 01:55
>>388 どう考えても良いと思うよ!!
だけど、神をどうとらえるかで、全く違う宗教になってしまうよ。
キリスト教会の教派は沢山あるけど、基本的に同じ神を信じてます。
キリスト教会とキリスト教を名乗るカルトとは信じる神が全く違います。
教義が多少違ったり、ルールが違ったりするけどね。
統○協会、もの○の塔、モルモ○教、などはキリスト教ではありません。
カルトの中には貴方と同じ様な事を仰る集団もあるようです。3人別々の神さまがいると。
388の内容は???ですね!!
390 :
無気力太郎:03/05/06 01:57
キリストが本当に立派だったかどうかなんて、私には分からないよ。会ったことないもん。
391 :
無気力太郎:03/05/06 01:58
でも、本当に人々のために尽くした人だったのなら、立派だよね。
392 :
名無しさん@3周年:03/05/06 01:59
キリストはそれはそれは立派なお方でした。
=====終了=====
おめでとう御座います。
394 :
無気力太郎:03/05/06 02:08
みなさん
本当に
ありがとう御座いました。
395 :
名無しさん@3周年:03/05/06 02:09
>>394 いえいえ、こちらこそ、
あ り が と う ご ざ い ま し た
396 :
無気力太郎:03/05/06 02:10
394は、偽者。なんで、そんなことするの?
397 :
名無しさん@3周年:03/05/06 02:10
398 :
名無しさん@3周年:03/05/06 23:24
>>386 12人の弟子についての話しからもイエスは立派な人物であったと思う。
12人の弟子の存在が史実なのか作り事なのか、
歴史的にまったく不明。論理破綻。反省しなさい。
399 :
名無しさん@3周年:03/05/06 23:39
>>398 なに?この人、みんなハッピーな気分になっていたのに
反省しなさい
400 :
名無しさん@3周年:03/05/06 23:41
400ゲット
401 :
名無しさん@3周年:03/05/06 23:51
キリストなんて最低の人間に決まってる
信者がこんなにもクソばかりなのだからな
>>401 イエスキリストは、そんな『クソども』の
前に膝を屈し、足の汚れを洗って下さる立派な方です。
『クソのような我々』でも救われます。
素晴らしいあなたは、間違いなく救われます。
2000年に渡り人類をだまし続けている史上最大の妄想電波野郎。それがイエス。
404 :
名無しさん@3周年:03/05/07 00:14
結局、否定派対肯定派になるんだよなぁ。
あの世があるかないか。輪廻転生があるかないか。神様を信じるか信じないか。
このスレも同じ。きりがないんだよな。進歩がないんだよ。w
405 :
名無しさん@3周年:03/05/07 03:48
相変わらず、無益な空論が続いている。
しかも、あまりにも低次元すぎる。
否定するにしても、388,398,401や403の様(他にも沢山)な、箸にも棒にもかからないようなものは、書かない方が良い。
キリスト教を信じない人間が全て地に着かない大バカに思われてしまう。
否定するにしても、僅かでも知ってから否定しなくては!!
信じてる奴をなるほど、と思わすような否定は無いぞ!!??
別に否定は
してないですよ。
それじゃあ
法身如来=せーれー
応身如来=ちち
報身如来=こ
ってのは
どーでしょ?
408 :
名無しさん@3周年:03/05/07 14:09
>>405 イエス様はその3年と言われる公生涯も
その後2000年に渡る期間も「無益な議論」を
見守り続けておられます。
かってクリスチャンを弾圧をした旧ソ連の官憲が、その
信仰を見て回心したり、何よりも聖書の中にもイエス
キリストの十字架の死を見たローマの百人隊長が、イエスを
神の子と認めたという記述もあります。
それから考えれば「低次元」な煽りをされる人の中からも
信仰を持つに到る人が出てくることも否定でき無いと思います。
イエスに出会う機会は、真面目・不真面目、煽りをする奴・しない奴
クソ野郎・クソで無い野郎、屁タレ・厨房関係無く等しく与えられた
ものですから。
410 :
名無しさん@3周年:03/05/07 23:39
>>409 キリストの十字架の死を見たローマの百人隊長が、イエスを神の子と認めたという記述もあります。
記述があることと、
史実かどうかということとは
別問題です。
411 :
名無しさん@3周年:03/05/08 00:23
>>410 何を言いたいのだ?
409が伝えようとする本質をとらえることが出来ないのかな?
クソ野郎も、イエスキリスト出合うチャンスが大いにあると言いたいのではないか。
その為に、クリスチャンは、どの様なことがあっても、時が良くても、悪くても、イエスキリストをのべつ耐える義務があると言いたいのではないのか。
444は、その為に先立つ恵みを頂いていると言いたいんだろうと思う!!
私は、例を挙げて分かりやすく説明していると思うが!!
>>410 確かにご指摘どおり記述が史実かどうかはわかりません。
もちろん我々クリスチャンは、これと殆ど同じ経験をしているので
スンナリとこの箇所は受け入れられます。
例えば、新婚当時日曜日毎に教会に行く奥さんを苛めていた
(=表現は悪いが一種の迫害)ご主人が、ある日教会に足を運び、
イエスに出会い、悔い改め、現在は、伝道者として奉仕してると
言う例は、私の身近にあります。
何よりも、私自身がキリスト教に否定的でしたが、やはりある日、
説教を通してイエスに出会い、洗礼を受けたのですから
『聖書がどうの』『他人がどうした』『どこかで読んだ話だが』
ではなく、
>>409に関しては、強く言い切れる自信があるのです。
>>410さん、程度の差こそあれ、かなり多くのクリスチャンが
一度は聖書を放棄し、一度はイエスを裏切り、
一度は自分の信仰を疑い、一度は神の愛を否定し・・・
しかしながら、ある日再びイエスに出会い受け入れて行く、
彼に従う事を決意する、というものです。
もう少し極論すれば、一日のうちに朝に神を怨み、イエスを疑い
夜に神に感謝し、イエスの愛に気づくと言うことの繰り返し
かも知れません。
もちろんクリスチャンホームに生まれ、ご家族の祈りの結果、
比較的すんなりイエスと出会い、クリスチャンになるという、
恵まれた人もいますが、そう言う人も、やはり、『親がどうの』
『子供のころからどうした』ではなく、自身がイエスに出会い、
自身を悔い改めてこその信仰なのです。それゆえに救われた喜び
イエスに会えた喜びがあるのです。
414 :
名無しさん@3周年:03/05/08 09:20
キリスト教というのは、「キリストの犠牲によって、全人類の罪が帳消しに
された」という、「虫が良すぎる」話を信じなさいという教えです。譬えれば、
借金がかさんで倒産寸前の会社の社長が、見知らぬ人物から「私のバックには
政府の高官が付いていて、あなたに一億円無利子で融資できる」という話を
聞いたのとあまり変わらない。
それが本当かどうかは誰にも確かめられない。しかし、疑っていても問題は
解決しないから、「背に腹は変えられない」と割り切って、不合理の海に自ら
の身を投じるのです。まわりに「同志」がいっぱい居るからと安心しないように。
みんな揃って詐欺にかかっているということもある。
要は、自分の「要請」から、この「虫のよすぎる教え」を信じているんだという
こと、騙されても文句を言う権利などないのだ、という自己責任でやっている
ことを認識すべきです。
415 :
名無しさん@3周年:03/05/08 10:54
>414
面白い言い方ですね。
たしかに虫が良すぎます。しかし、それを信じられるほどノー天気なら、それこそラッキーと言うことです。
>>414 詐欺の結果、土地を取り上げられたなら話は別です。
洗礼に際して
一級洗礼なら50万円、二級洗礼なら25万円、ご家族洗礼なら
二人目から30%割引・・・・・という話も聞きません。
もし、「あなたは天国にいけるから事前に200万円出しなさい」
とM資金まがいの話があるのなら、別ですが。
>416
たとえ世界中の土地を手に入れられたとしても、「自分」を失ったら何もなり
ません。
50万円など、「自分の放棄」という取り返しのつかない損害に比べたらゼロに
近い。
>>417 414さん、冷静に読んでください。あなたが「詐欺」という
単語を出したので、
五十万出せば救われる、天国行きのチケット200万円、
などということは現在のキリスト教会においては、されていない、
と言うことです。
なお、煽りでないのなら、別の観点から言えば、自分の放棄では無く
自分の回復(=神との関係の回復)とも言えます。
「改」心でなく「回」心とはそういう意味です。
>418
私が「詐欺」と書いたのは、「御利益」を期待して神と契約を結んだような
気になっている人々のことを想定したからです。彼らは、もし神が契約を守ら
なかったなら「詐欺にあった」とわめき立てるでしょう。しかし、宗教は自己
責任を伴った「自己放棄」なのだから(捨てなければ拾えないが、必ず拾える
という保証はない)、「自分は救われる」というのも欺瞞ならば、他人に対し
て「あなたも信じれば救われるよ」と勧めるのも欺瞞なのです。実は、それは
「自己放棄」なんてほど遠い、神様と契約でも結ぼうかという商人の発想だ
からです。
「キリスト教は儲かりまっせ(もちろん、霊的救いも含めて)」なんて
おっしゃるものだから、思わず「オイオイ、あなたは自己放棄のために信仰
しとるのとちゃうんかいな」と、神様に代わって突っ込みを入れさせて
もらったのです。自己放棄した人間が、損得計算しますかいな?
420 :
名無しさん@3周年:03/05/08 17:26
>>414 君はいい線ついてるな。よく理解している。
非常に日本人的で仏教的な考えに根付いたレスだ。
だが一つ言わせてもらう。人間の罪は悟りや修行で消せるほど軽いものではない。
「キリストの贖罪」を言い出したのは、パウロです。ユダヤ教には、
贖罪の意味を込めて生贄を捧げる「燔祭」という習慣がありました。
だから、キリストの受難を贖罪につなげようとしたのは、ユダヤ人で
あった彼にすれば、自然な発想であったかもわかりません。
パウロは、いくら律法を守ろうとしても守りきれない自分と格闘し、
最後にキリストの受難によって、問題が解決したと感じたのです。それ
は、ユダヤ律法(割礼)を守ることが義務とされていたユダヤ人に
対する神の責務であると同時に、キリストの受難による赦しなのです。
イエス自身がユダヤ人だったし、教えを説いたのもユダヤ人に対して
でした。そして、その受難もまたユダヤ教独自の解釈です。ユダヤ世界
にしか通用しないローカルな教義を、非ユダヤ人に適応してしまい、
最初から割礼の習慣もなく、燔祭の必要も感じていない日本人
が「キリストの受難で罪が救われた」と主張するのは、単なる拡大解釈
にすぎず、水虫に効く薬を拡大解釈して「ガンにも利く」と言いふらす
のと変わりありません。
>>419 商人の発想・・・・良い言葉です。
主なるイエスは、審判の席で「このものは私の知り合いである」と
弁護してくれると約束されています。もしこの約束が守られないのなら
当然私は、「約束守ってんか!」と強く抗議します。もしくは、
「何とかしてもらえませんか?お目こぼしを!」泣きすがるつもりです。
ただ、同時に、それだからこそ、この生きにくい世の中を、日々
イエス様に守られて生きている事についても日々感謝しない訳には
いかないでしょう。
423 :
名無しさん@3周年:03/05/08 17:53
悔い改めただけで許される、もしくはそれによってしか許されない
罪というものはなんなんだろうかなんてことを考えたりせんの
>>414
424 :
名無しさん@3周年:03/05/08 17:56
別にパウロが言い出したわけではないではない。
それは旧約時代からずっと予言されていたことだ。
イエス自身も自分が死ぬため(人を救う為)に受肉されたのだと、
最後の晩餐の際に話している。
425 :
名無しさん@3周年:03/05/08 17:57
罪≠犯罪
426 :
名無しさん@3周年:03/05/08 19:02
>>421 ユダヤ教には、贖罪の意味を込めて生贄を捧げる「燔祭」という習慣がありました。
その習慣は、早い話が呪術です。
427 :
福音派のひとり:03/05/08 19:05
>>426 呪術も聖書の証言を裏付けている。それは神の前に罪であるが、
「神は人の心に永遠への思いを与えられた」と伝道者の書に書かれてある通り、
人の神を求める心が間違ったものを求めてしまった結果である。
ローマ書によってすべての人はなんらかの神知識を持っていることがわかる。
>>421 『ユダヤ人を中心に教えを説いた』という表現が適切でしょう。
ヨハネ福音書9章では、敵対する民族であるサマリヤ人の女に
教えを説いています。
またルカ福音書7章ではローマの百人隊長の信仰を評価しています。
ユダヤ人云々については、創世記12章3節で主なる神はアブラハムに対して
明確に『地上のすべての民族はあなたによって祝福される』と約束されています。
東経何度から何度に住み、北緯何度から何度に住み、皮膚の色がどうの、
髪の毛の色がどうの、戸籍がどうの、パスポートの色がどうの、という
祝福の対象を『先天的』に限定するような約束事はありません。
429 :
名無しさん@3周年:03/05/08 19:36
信仰があつければあついほど、立派なひとどころか神さまだと確信するんでしょうね。
430 :
福音書をでっちあげたヨハネ:03/05/08 19:44
>>428 ヨハネ福音書9章では、敵対する民族であるサマリヤ人の女に教えを説いています。
それは作り話ですが、なにか。
毎回毎回飽きもせずに煽りご苦労様です。
そういうあなたも聖書に拠れば、
神様の目から見れば『高価』で『尊い』存在
なのです。
これも作り話ですか?
432 :
名無しさん@3周年:03/05/08 20:03
歴史上のイエスの偉大な点は次の二点にあると思います。
まず、ユダヤ教を改革しようとしたこと。
ユダヤ教は極めて排他的かつ孤立主義的な教義を持っています。
選民思想に代表されるように、最後の審判において救済されるのは
ユダヤ民族のみです。このような教義を持つに到ったのはユダヤの
苦難の民族史に依るところが大きいと思いますが、逆にそのことが
ユダヤに対する偏見と憎悪を、助長するということにもなります。
このような、教義に対して疑問を持ち改革を試みた者達がいます。
イエスもそのような改革者の一人だったのでしょう。
偏狭なユダヤ教の教義に対し、博愛という旗を高く掲げて、全ての民族、
全ての人々が救われるのだと説いたのです。
但し、これはユダヤの原理から見れば、裏切り以外のなにものでもなく
のちにユダヤの手によって、ローマに売り渡され磔刑に処せられること
になります。
次に、彼イエスは社会の底辺にいた売春婦や障害者などの弱者に対しても
同じく愛を持って接し、彼らもまた供に救われるべき人々なのだと
説きました。この点もイエスのすばらしいところでしょう。
最後にもう一つ、磔刑上で息たえるまでイエスはその信念を曲げませんでした。
歴史上、稀有な人物の一人といって差し支えないのではありませんか?
>423
罪というのは、あらかじめ禁止事項がはっきりしている場合に限られ
ます。人間の側が、禁止事項であると知りつつ、それをやらずに済ます
立場にいながらやってしまった時にのみ、罪になるのです。旧約聖書
が日本人に対して説かれてものか、冷静に批判してみる必要があるで
しょう。
>432
禿同です。歴史的なイエスだけで私は十分だと思います。彼は、命を
賭して神へ「自己放棄」してみせた。死後の御利益など度外視で、義
に自分の一生を賭けたのです。「エリ、エリ、サバクタニ」の悲痛な
叫びこそが、彼の偉大さの証です。もし、彼が死後、「天の父」の右に
座を占めて、諸国民の支配者になることを知っていて、十字架にかかった
のだったとしたら、単なる「茶番劇」にすぎなかったでしょう。結果が
不明にもかかわらず「自己放棄」したからこそ、本物の信仰だったの
です。
キリスト教で言う原罪は、ユダヤ人に
434 :
福音書をでっちあげたヨハネ:03/05/08 20:12
>>431 作り話です。作った本人が
作り話だと告白しているのです。
どうです、巧く作っているでしょう。
435 :
名無しさん@3周年:03/05/08 20:15
>>432 歴史上のイエスの偉大な点は次の二点にあると思います。
歴史上のイエス像は捉えられていません。あなたが
言っているのは、福音書の中のイエス像です。
436 :
ナザレ村の凡人・イエス:03/05/08 20:18
>>424 イエス自身も自分が死ぬため(人を救う為)に受肉されたのだと、最後の晩餐の際に話している。
そんなこと喋った覚えはありませんが。
>>433 言い古されていますが、
『エリ、エリ、サバクタニ(わが神、わが神、どうして私を
お見捨てになったのですか)から始まる詩編22編は、実は、
そのような状況にあっても
『私はあなたを信頼します』『私はあなたのことを子孫に語り
伝えます』『あなたを慕い求める人に祝福があるようにして
下さい』という主への全幅の信頼を表した詩編です。
事実、主なる神への全幅の信頼度は、
ルカによる福音書の23章46節ではイエスの最後の言葉として
『父よ、私の霊を御手にゆだねます』と大声で叫ばれた、となっ
ていることからもうかがい知れます。
>>432 歴史的イエスの素晴らしさのみを評価することは、
同時に、それほど立派な事をしながら、最後は、
「神の子である!」と言いながら、為すすべもなく十字架の
上で殺された『外基地オヤジ』『妄想宗教家』『詐欺師』と
言う事になります。
ユダヤ教・ユダヤ人・旧約聖書に関しては、本来的には
アブラハムとの約束
>>428 をご覧下さい。
439 :
名無しさん@3周年:03/05/08 21:48
>>438 イエスがキリストだったのかどうか、
歴史の中にまったく証拠がありません。
440 :
名無しさん@3周年:03/05/08 22:10
神さまを信じる、信じない分けたほうがいいね。
スレ立てたひとハッキリ言って信仰とか別にないでしょ。
441 :
名無しさん@3周年:03/05/08 22:17
馬鹿な反キリストが煽り、親切に答えている者が不愉快になるスレはここだな?
442 :
名無しさん@3周年:03/05/08 22:39
はい。そのとおりでつ。
豚に真珠をやってはいけません。
443 :
名無しさん@3周年:03/05/08 22:45
弱い奴は俺のところに来い
いえす
444ゲッツ!
445 :
名無しさん@3周年:03/05/08 23:28
まあな
446 :
名無しさん@3周年:03/05/09 00:42
>>440 スレ立てたひとハッキリ言って信仰とか別にないでしょ。
歴史の中にキリスト実在の証拠がないから、
信仰抜きでは語れないのだろう。
実在の証拠とか歴史とか知識とかよりも、
僕から見たら信仰がない人はイエスキリストが立派であろうと
無関心。立派ではなくても(そんなわけはないが)無関心
で終わりそうな気がするんだけど。
信仰があるのと無いのは話し合う土俵が違うよ。根本的に違うよ。
448 :
名無しさん@3周年:03/05/09 01:13
つまり痛々しいスレということで終了!
へ
/∧\
/ ,/ i; \
/ ,/ i; \
< / i; >
\,i' ゲソ | /
i ⌒ |"
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ / 三 | 三 | < 皆さん御疲れ様
>>1-1000 |∵ | __|__ | \_______
\| \_/ /
. \ /
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| |
J|;;|;;|;;|;;|;;|;;|;;|;;|し
|;;|;;|;;|;;|;;|;;|;;|;|
|;|;;|;;|;;|;;|;;|;;|;|
449 :
名無しさん@3周年:03/05/09 01:23
450 :
名無しさん@3周年:03/05/09 01:45
>>439 2000年間、多くの人がそれを信じ、イエス・キリストが歴史そのものに強烈な影響を与えてきた事実がある。
実在しなかったという証拠もない。
証拠が有ろうと無かろうと、信仰は守られていたことは事実である。
それを根底からひっくり返すことは不可能である。
イエスがキリストであることは聖書に書いてある通りである。
それで十分である。不足は無いと思うが!!
>>450 でもマルコ書でイエスは自分がそう呼ぶな(キリストと呼ぶな)と言ってるよね。
つまり、生きてるうちはイエスは自分のことをキリストだと認めてなかったんじゃないかねぇ。
452 :
名無しさん@3周年:03/05/09 02:15
>>451 認めているから(分かっているから)そうしたのではないか!!前後を読むべきである。
変貌山の出来事を弟子達に見せた事、オリーブ山の祈り、分かっているからではないのか!!
なんども、弟子達に信仰告白を求めているし、ご自身の洗礼の時のヨハネとの対話、バブテスマのヨハネの弟子に対する解答、引き渡される夜の聖餐の制定、主の祈り、他にも色々ある。
それに、ご自身のことを「人の子」と呼んでいる。
分かっていたからその様にしたのである。
>>452 わかっておろうがおるまいが、「そう呼ぶな」と言ってるじゃないか。
これはペテロのみに聞かされた(有効な)言葉なのか?
イエスの神はユダヤの神と同一である。
それは、本人が「モーセの約束の話」を見るからには明らかだ。
しかし、その神は何があっても人を崇めてはならないと言ってる。
だからその言い訳の「人の子」なんじゃないのか?
当時のユダヤ教会の勢力・権力を調べるとそのようにしか採れないのだが?
時期の反権力者であったイエスを担ぎ上げた人間が居ると思ったことはないのか?
>>450 >2000年間、多くの人がそれを信じ、イエス・キリストが
>歴史そのものに強烈な影響を与えてきた事実がある。
え?どこに?
このスレ・・・
かなり笑えます。
>450
信仰は自己責任(「自己放棄」が究極の目的なのだから)ですから、他人が
とやかく言ってひっくり返せるようなものではないでしょう。
ただ、私のように生身のイエスが説いた教えや「生き様」に感動するのと、
「キリストの受難で罪が贖われた」という一般のキリスト教の信仰とは
全く別物だという区別はちゃんとつけるべきでしょう。「生き様」に惚れ
こんだ人が行きつく先は、イエスと同様に自分を神に対して「自己放棄」
することです。「自分の十字架を背負って、彼についていく」ことです。
彼のように十字架にかからないまでも、世間で味わうあらゆる種類の苦難を
神の義を守るために耐える。そういう覚悟ができた人達です。しかし、
「キリストの受難」を感受するだけでは、そういう覚悟は出てこないのでは
ないでしょうか。「生贄の子羊は燃え尽き、祭りは終わった。」ただ、それ
だけの話です。しかも、自分が生まれる前に祭りは終わり、煙すら残っていない。
私が思うに、キリスト教が歴史に果たした役割は、「仁慈の教え」を世界に
広めるというイエスの悲願の達成よりも、宗教や政治権力にものを言わせて
異教徒を弾圧し、略奪するための隠れ蓑であったことの方が多い。それは、
キリスト教徒が「自己放棄」する覚悟なしに、「キリストの受難」を商品と
して、できるかぎり自分に有利な取引をしようとする商人ばかりだったのが
理由だったのではないでしょうか。
457 :
すっきりー:03/05/09 08:50
人の心を変える奇跡は2000年のあいだ続いています。
これはまぎれもない事実ですよ。
私もその中の一人です。
>457
抑圧が一時的にも解けたとき、誰でも一種の開放感を味わうものですよ。
特に「自分は許されない、永遠に呪われた存在だ」と思い込んでいた場合
には、「あなたの罪は許された」と宣言されただけで大きな安らぎを得るで
しょう。しかし、それは心理セラピストにもできることで、必ずしも奇跡で
はありません。
パリサイ人のように、「厳格な神」を信仰する人は、「神」にダブらせて
「父」を重ね合わせている場合が多く、幼児に「厳格な父」から高い理想を
一方的に押し付けられ、自分がその期待に答えられなかった、という敗北感
が抑圧として残っているケースが見られます。そういう場合の「自己放棄」
は、いわば自己の精神的自殺で、「厳格な神」は「虎の威」として利用され
ているにすぎません。
人間は、誰でも抑圧のひとつやふたつはあるので、この落とし穴にはまりがち
です。ニーチェが「ルサンチマン」という言葉でキリスト教を批判したのも、
このような屈折した心理状態を指摘したのだと思います。「ルサンチマン」が
原動力になる限り、正統キリスト教だろうと、白装束集団だろうと、「宗教
依存症」であることは何ら変わりありません。
「ルサンチマン」に影響されず、「正しい信仰」=「理性が納得した上での
神への自己放棄」に至るためには、心理学的な自己批判が不可欠です。
459 :
名無しさん@3周年:03/05/09 09:49
>元となる人物だってそんなに凄い人だとは思えない
2000年記憶され続けて来ただけでも大したもんさ。今生きてる連中の
ん中で、百年後まで記憶されてそうなヤツはいるか?
461 :
名無しさん@3周年:03/05/09 10:32
>>458 何故セラピストが罪から解放することができるのだろうか?
神よって、罪からの解放が無い限り意味が無いと思うが。神からの罪の赦しを信じることに価値があると思います。
罪からの解放は心理的、精神的な開放感とは全く意味が異なると思います。
理性的であろうが、直感的であろうが、信じる事ができるかできないかだと思います。
おそらく、信仰(キリスト教)は理性によって解決できないと思います。
使徒信条を理性で納得するのは大変だと思います。(白装束程ではないかもしれませんが)
キリスト教徒は、理由はともあれ、信じたから洗礼を受けたのであります。その信仰が正しいか正しくないか、人間が判断できるものではないと思います。
また、神には依存する事に問題があるのだろうか、敗北感じゃなく、イエス・キリスト(自分が信じる)によって勝利がもたらされたのではないのだろうか?
(他の宗教については知りませんが)
まあ、信仰に至る経緯、信じる理由などは人それぞれ、信仰のスタイルも色々、だと思います。
>>458のご意見は、あなたにとっては正しいと思います。同じ考えの人もいると思います。
だけど、全ての人にとって、正しいとは言えないと思います。
念のために、使徒信条を記します。
われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
われはその独り子、われらの主イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりて身ごもられ、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
三日目に死人のうちより復活し、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したもう。
かしこより来りて、生ける者と死せる者とをさばきたまわん。
われは聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、
聖徒の交わり、
罪の赦し、
からだのよみがえり、
永遠の生命を信ず。
アーメン
462 :
すっきりー:03/05/09 10:32
>458さん
レスありがとうございます(*^o^*)
心理学でも人から言われたことはなんか
眉唾になってしまうのです。
うちは父が厳格?な草加だったので
その反発もあったのかもしれません。
しかし家の父もクリスチャンであったなら・・・。
あいかわらず父に反発してる状況ですが
そんな恥ずかしいと思っていた父に感謝の気持ちを
持つようになれたのは
ゆえに神のお力があったればこそと
最近思うのです。
神を知らなかったらあいかわらず
父を馬鹿にして終わっていたかも知れません。
別に草加批判ではないです。
ただ私の体験です。
>461
宗教感情のすべてが心理学で説明できるとは、私も考えておりませんが、
人間が知らず知らずのうちに、目に見えない抑圧に突き動かされながら
日常生活を送っている事実は否定しようがありません。
基本的に、宗教の世界では理性による批判を一切拒否しますので、一旦
足を踏み入れたら最後、出て来る手段はありません。こういう「一生一度の
決断」を行なう際に、知らず知らずのうちに自分の心理的抑圧の言いなりに
なってしまうことほど悲劇的なことはないと思います。
たとえば、「神の存在」ひとつにとっても、誰も真相を知る者は居りません。
教会へ行けば、右も左も神を信じている、だから、きっと神は存在するんだ
ろうな、位の判断しかありえません。また、よくよく自分の心を自己批判して
いくなら、実は「神の存在」とは、自分が「神が存在して(私を救って)
欲しい」という「要請」にすぎないことがはっきりするでしょう。
信仰の本質とは、「神の存在」が実は自分の虫のよい「要請」にすぎないと
いう危うい立場に置かれていることを受け止めた上で、その孤独に耐え、それ
でも自分をその「神」に投入しようという決意のことだと思います。「私は
神の存在を確信する」とぬけぬけと言える人ほど、神の存在から離れた人は
いないでしょう。完全なる信仰は、完全なる疑惑からのみ生まれます。
464 :
名無しさん@3周年:03/05/09 13:23
>>456 祭りは、終わっていません。というか、意味がイマイチ把握できないのですが。
イエスは聖餐の制定するときに、私の記念としてそのようにしないさいと、言われています。
この記念はアナムネーシスというギリシャ語は、不定過去形で書かれています。
これは過去に起こった一点の事をあらわすのではなく、未来においても、直ぐ今起こった出来事をあらわします。
この出来事は一点で終わらず連続しています。
現に、教会において過去、現在、未来も聖餐はそのように行なわれています。
十字架と復活についても同じですね。
また、信仰(どの宗教においても)は自己を放棄するものではないでしょう。
自己の快復のためにあると思います。
本来の人間のあるべき姿に戻る為に、放棄した自分を取り戻す為に。
言い方を変えると、信仰がある状態が普通で、無い状態が放棄した状態。
>>456 414様 ご説逐一ご尤もです。
あなたのような「強い方」は主なるイエスに
I follow you!とついていけるのでしょうし
私のようなへタレは、
I follow you!と言いながらも
He leads meが無ければ、到底信仰生活は
まっとう出来ません。
おそらく多くのクリスチャンと呼ばれる人が、
I follow youと同じ程度に
He leads meという祝福と喜びと光栄を感じ
つつ日々を歩んでおります。
イエス様の強さと同時に「優しさ」も感じ取ってください。
>464
まず、聖餐に関してですが。
最後の晩餐の「儀式」を「わたしの記念としてこのように行いなさい」
と明記しているのは、ルカだけで、最も成立が古いマルコには「これは
契約の血である」としか書かれていません。また、一番最後に成立した
ヨハネに至っては、記述そのものが欠落しています。
もし、カトリック教会が主張するように「聖餐」がイエスが制定した
神聖な儀式であったとするなら、すべての福音書にもれなく「このよう
に行ないなさい」と書いてあるはずです。だから、私は聖餐の儀式が
初期教団に行なわれるようになったのに合わせて、それを権威付ける
ためにルカが付け加えたのだろうと思います。マタイは、ルカとは独立
に編纂されたと思われますが、そちらにはそういう記述がない(結局、
ルカだけが突出している)こともこの推測を裏付けます。
さて、聖餐の歴史的事実に関する詮索はひとまずおくとすれば、すべて
宗教的な真理は「連続する現在」に属するものでなければ無意味だと
思います。だから、「キリストの復活」が歴史的事実である必要はない。
また、「キリストを信じれば天国へ迎えられる」という未来の期待も
必要はない。過去も未来も、もともと信仰とは何の関わりもないから
です。
>465
He(You) と Me の区別がある内は、本物ではないと思うのです。464さん
が的確に表現されています。
>信仰がある状態が普通で、無い状態が放棄した状態。
「救いを求めている」ことは、「救われていない」証拠です。救われ
ている人に「救い」は必要ありませんから。「彼に付いていけば、救わ
れるだろう」。これも救われていない。「彼が私を導く」。これもまた
救われていない。
坦々とひとり歩むうちに、気付いていたら救われていた....という感じ
なんだろうと思います。道で出会った人に「あんた、どうしたの。救わ
れているじゃない」と言われて、キョトンとするような感覚でしょうか
(私自身、救われた状態を経験してませんので悪しからず)。そのとき、救う「彼」と、救われる「私」の区別もなく、「救う、救われ
るって一体何のことかいな?」ということになるでしょうね。そういう
意味から、「最初から罪もなく、最初から私は救われていた」という
言い方ができるかもしれません。
>>467 キリスト教においては、どこまでいっても「彼我」はあります。
どんなに聖書を読んで、真面目に教会に通い、献金を1000万円
積もうとも、神は神、我々は我々で、神と我々の距離は近づきますが
我々が神の存在に近づくということはありません。神の傍に行き
抱擁はしてもらえますが、一体となるーーー我々が神になるーーー
ということはありません。
また救いに関しては、あなたの言われるとおり、穏やかな形で
信仰を持つ人もいれば、劇的な体験を通して信仰に至る人もいます。
泣きながら洗礼を受ける人もいれば、ニッコリ笑って洗礼を受ける人も
冷静に「坦々」と洗礼を受ける人もいます。
ただし、どれも主なる神の計画のうちにあり、各人に最もあった形で
聖霊がはたらいていて信仰に至るものと考えられています。
ただ、どういう形にしろ明確に自分の罪を認め、
その罪が主なるイエスによって許されたことを認め、
イエスを通ってのみ天の御国に至ることは認めなければ
なりません。
最初から罪も無く、最初から私は救われていた・・・・は
キリスト教ではない414教でしょう。
469 :
名無しさん@3周年:03/05/09 15:33
470 :
名無しさん@3周年:03/05/09 15:46
>>467 罪が無いというのは神と義なる関係でしっかり結びついた状態です。
罪はあくまでも神との関係における罪です。(法律における罪ではありません)
罪は神への背き、神と向かい合わない事ですから、
最初から罪がないというのは、最初から神と義なる関係で結びついている事になります。
罪からの解放、罪からの救いの始まりは、神との出会いからです。
>>466 神にとって、時空は関係ないと思います。
しかし、有限の命を持った人間にとって、与えられた時間における信仰生活は重要であると思います。
また、神が人間として私たちと同じ時間と空間を共有された事、十字架と復活の事実も、重要だと思います。
聖餐式で引用される聖餐の制定の言葉は(教派によって違うかもしれませんが)、いま手元に聖書が無いので間違ってるかも知れませんが、コリントの信徒への手紙1の11章24ー25節だったと思います。
パウロ書簡です。福音書よりパウロ書簡の方が古いと思います。
また、福音書は全て同じ事を記載しているわけではないです。
伝えている期間も場所も違います。
4つを補って読むべきです。
>468,469
もし、「罪」が「人間に自覚症状がなく、しかもなぜそれが罪なのか
理解できないもの」だとしたら、そのような「罪」に人間を落としめた
神は恐るべき暴君でしょう。そして、そのような「暴君の神」を
「要請」する人の精神は、全く荒れ野のように荒廃しているとしか
言えません。ニーチェなら「ルサンチマン」に囚われた、畜群の輩だ
と罵倒することでしょう。私も同様に思います。
聖餐については、確かにパウロがコリント書で主張しているのが初め
だと思われます。しかし、パウロ自身が「ルサンチマン」に囚われて
いた哀れな人間のひとりにすぎなかった、という解釈は可能です。
考えても御覧なさい。真面目に考えれば考えるほど、完全に守りきれ
ない律法を人間に押し付けるような「暴君の神」に裁かれ、永遠の罪
に定められたと信じて絶望に沈んだ独りの男、パウロが健全な意識で
神を「要請」できたでしょうか。私は否だと思います。
472 :
名無しさん@3周年:03/05/09 16:06
律法学者は何をしたのでしょうか?
誰が律法をこねくり回したのでしょうか?
神ではないでしょう。
イエスはその律法で罪とされたのです。
福音書を読めば、ユダヤ人の「ルサンチマン」の犠牲になった収税人や
売春婦が、永遠の罪の影におののき、絶望していたのをイエスが癒して
いたことがわかります。彼は十字架にかかることで人々を癒したのでは
ない。「あなたたちに罪などない、ルサンチマンに囚われた偽善者ども
が勝手に律法をでっちあげて、誰にも守れないほどにしてしまい、その
犠牲者を非難することで自己満足しているユダヤ人こそが罪人なのだ」
という事実を悟らしめたからです。イエスは、宗教の名の元に人々を
苦しめてきた抑圧から人々を解放したのです。
だから、今の世にイエスが来たなら、「キリスト教徒の諸君よ、君等
が気にする罪は一体どこにあるか」と問うことでしょう。ちょうど、
心理カウンセラーがアルコール依存症患者に向かうようにです。
そして、「だって、神の定めた戒律が...」と言おうものなら、イエス
はじっと目を見詰めて「戒律はおいておくとしよう。あなたはどう思う
んだ。戒律は人間のためにあるのか、それとも戒律のために人間がある
のか」と問い詰めるに違いありません。
474 :
名無しさん@3周年:03/05/09 16:12
>>471 どのように考えるのも自由です。
ニーチェという罪深い人間を通して信仰をとらえるのは如何なものか?
それも一つの方法かもしれないですが。
475 :
名無しさん@3周年:03/05/09 16:23
救いということを考えている時、救いを求めているということ
救いというものを知ったとき、が救われているんじゃないかと
いうのは揚げ足取りだろうか?
そもそも、キリスト教の「原罪」というのはいかなるものなのでしょう。
1.自覚症状はあるのか、ないのか。
2.具体的にどういう行為をしたら罪になるのか。
3.あるいは、行為に関係なく、心に思っただけで罪になるのか。
もし、「原罪」に自覚症状がないのなら、「自分は罪深い」という意識
そのものが単なる妄想ということになります。幼児が、自分の母親に
向かって「おかあさんなんか、死んでしまえ!」と暴言を吐いたとして、
偶然に母親が交通事故で亡くなったとします。幼児は「母親を殺した
のは自分だ」と深く罪の意識を持つでしょう。これが言い知れようの
ない抑圧として心に残る。成人してから教会で「原罪」のことを聞く。
彼は「自分は原罪を知っている」と錯覚する。実は、罪などないにも
関わらず。
彼を救うには、心理カウンセラーによって「母親を口先で罵っただけ
では死なないんだ」という事実を潜在意識に語りかけて、抑圧を解く
しか方法がありません。
477 :
名無しさん@3周年:03/05/09 16:27
478 :
アダム&イブ:03/05/09 19:03
>>476 そもそも、キリスト教の「原罪」というのはいかなるものなのでしょう。
私らの犯した罪が原罪ですが、なにか。
479 :
名無しさん@3周年:03/05/09 21:20
イエスキリスト本人にもし・・会えるのなら
わたしの見解だと、この人は何者なのか?みな驚くだろうと思われます。
雰囲気も奇跡に対しても・・ひとの理解を超えた存在は尊敬されたり恐れられたり・・
そのくらいひとと違うと思いますが。
480 :
名無しさん@3周年:03/05/09 21:34
脅迫概念の塊なんでつかね。あふぉくさ(w
481 :
名無しさん@3周年:03/05/09 21:37
キリストはセコイ豚やろうです
考え方がどーも・・・ 適切な表現ではないが不自然さを感じる。
お前等無理するな。
483 :
名無しさん@3周年:03/05/09 21:47
彼が偉いかどうかは人それぞれによると思う。
事実、彼の教えに救われた人もいれば宗教によって多くの人も死んでいる。
古くは十字軍などから最近は自爆テロとその報復のアフガンへの攻撃など。
少なくとも彼は人々を救いたかったのだろうが宗教というものは古来から権力者の都合の良いように
変えられてきた。
重要なのは過去の人が偉いかどうかではなく、それにより生きる人死ぬ人がいるという
現実をふまえ自分がどうあるべきか宗教とはどうあるべきかを考え
個というものをしっかりともつことだとおもうのだが。
普通に考えたら理解できない部分が信仰の良い所だと思いますが・・
本当にそう思います。
>>457 >>462 すっきりーさん
素晴らしい信仰ですね。主なる神によって与えられた
家庭環境の故に、すっきりーさんは、主なる神
との関係を取り戻せたのかも知れません。
過去の経験・体験。先天的・後天的に与えられた今日までの
条件の何一つが欠けても、「今日現在の救われたすっきりーさん」
は存在し得ない訳です。
これをクリスチャンは、主なる神の計画の中で、今日までに至った
と取るのでしょうし、クリスチャンで無い人は、「たまたまや」と
取るのでしょうが、私は、はっきりと
「すっきりーさんが母の胎内にある以前から、主なる神は、
すっきりーさんのことを知っていた」と言い切れます。
(イザヤ書44章)
家族揃ってクリスチャンというのが理想でしょう。ただ、
家族全員で教会に通うと言うのも主の祝福なら
あなた(実は、私もですが)のように、一代目クリスチャン
と言うのも実に祝福です。
私は創世記のアブラハムが好きですが、アブラハムは、主なる
神の言葉に従い、故郷を捨てました。ある意味我々と同じように、
父の信仰・家族の信仰から、離れる訳です。その後も主の言葉に
従い、一生を全うします。
あなたも信仰的には、アブラハムと同じ道を歩みつつある訳です。
偉大な信仰の大先輩と同じ人生・同じ道が歩めるとは
誠に素晴らしい祝福ではないでしょうか?
487 :
名無しさん@3周年:03/05/10 09:59
イエスを神の子呼ばわりするのは、やめてもらいたい。
イエスが自ら、我こそ神の子であるとか、我のみ神の子であるとか、そのような
ことを言うはずがない。
それでは、今時のどこぞの新興宗教の基地外教祖とイエスを同列に扱うのと同じ
ではありませんか。
イエスが言っているのは、貧富を問わず、貴賎を問わず、民族を問わず、人種を問
わず、全ての人々は等しく神の子であると言っているのです。そのことに目覚めよ
と言っているのです。それが神の前の平等ということではありませんか。
人の子イエスが、すべての人々の原罪を背負って、磔刑上で息絶えたとき我々は
彼の中に、神の光明をみたのではありませんか。
彼の人の名誉のためにも申しあげる。彼の人は自らを我のみ神の子などと称する
ような不遜な人では決してありません。
488 :
あまり熱心ではないクリスチャン:03/05/10 10:28
>>487 磔刑上の死の3日後の「復活」こそが我々クリスチャンの信仰です。
磔刑上の死で完結するなら、義民・佐倉惣五郎や、各地で圧制に
死をもって抗議する民族主義者や社会運動家とかわりません。
彼らがすべて(尊敬はされても)信仰の対象とならないのは、
復活が無いからです。
彼らの存在を否定し・貶めるのではありませんので誤解なきよう・・・
十字架上の惨めな死で話が終わり、「3日後の復活」の
無いイエスであれば、毎週日曜日に復活を覚えるための
教会での礼拝も必要でなく、せいぜい年一回「命日」に福音書の
好きな箇所を読みながらエレサレムに向かって「黙祷!」で
済むのではないでしょうか?
イースターとは妄想集団のお祭りと言う事になりかねません。
490 :
名無しさん@3周年:03/05/10 11:29
john- 4:25
女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを
知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知ら
せてくださるでしょう。」
john: 4:26
イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」
491 :
名無しさん@3周年:03/05/10 11:33
john: 6:51
わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを
食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、
世のいのちのための、わたしの肉です。」
日本人はやっぱりお米
493 :
名無しさん@3周年:03/05/10 12:31
あの時代のパンとか、魚食べてみたいな。
あんまり美味しくないだろうけど
494 :
名無しさん@3周年:03/05/10 12:37
>>487 これはキリスト教じゃ無いようですな!!
ネタにマジレスカコワルイですが、良い機会なので一言。
>>492 弥生系日本人(半島系)あるいは、越の国(中国南部)
からのボートピープルが持ち込んだのが「お米」です。
外来と言う言い方をすれば、「お米」も「醤油」も「仏教」も
「“日本語”と言う漢字」も外来です。「天皇」も様々な意味で
外来でしょう。
496 :
名無しさん@3周年:03/05/10 14:34
おいらもマジレス。
日本人の本当の強さというか、図太さって、外からのものを柔軟に
受け入れて自分たちの文化にしてきた歴史にこそ、あるんじゃないかと思ふ。
497 :
名無しさん@3周年:03/05/10 15:35
やっぱり奇跡が必要なんですね
奇跡を必要とする人にも必要としない人にも
影響を与えるには今の形がいいんでしょうね
そもそもイエスの言っていることの全ては
ユダヤ人によるユダヤ人のためのユダヤ人に対するユダヤ教改革のキャンペーンであって、
イエスの言動や聖書の真偽がどうであれ、その対象はユダヤ人に限定されているのです。
アフリカの土人やアジアの黄色い猿などは彼らのいう救いの対象外です。
イエスも麻原も似たようなモンだ。
Qなぜキリスト者はイスラムの民を殺すのですか?
A異教徒は人間ではないからブチ殺しても無問題だからです。
501 :
やばいぜみんな!:03/05/10 16:22
俺たちクリスチャンは神道や天皇を馬鹿にしていたが、もしかすると
天皇家はユダヤ教の可能性が非常に高いことが分かった。
天皇家の菊の紋はイスラエルの神殿に多く見られる。
しかも神社の様式がイスラエルの神殿に酷似しているのだ。
また伊勢神宮に在る紋にはイスラエルのダビデの星である六妨星が刻まれている。
さらに三種の神器であるやたの鏡にはヘブライ語で書かれた文字があり、かつて
日本政府はユダヤ人にその文字の解読を頼んだそうだ。
また三種の神器の一つ勾玉にもダビデの星が刻まれている。
ユダヤ人の習慣に似たことを我々は多くしているのだ。例えば正月にもちを食う。
これはイスラエルでも見られ種無しのパンを食べることによく似ている。
さらに多くのカタカナひらがながへブライ語の筆記体に酷似している。
神輿は聖書の契約の箱によく似た構造を持っている。
しかも日本人はイスラエル部族のユダ族の末裔という生物学的論争まで・・・・
ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!
マジかよ!聖書どうりだよ!(((゚Д゚)))ガタガタ!
ユダ族は私の教え(キリスト教)を頑なに拒むという聖書の言葉どうりだ・・。
つーか、自分を信仰しないヤシは地獄に堕ちるとか言うのは
現在のトンデモ宗教と大して違わないじゃないか。
503 :
やばいぜみんな!:03/05/10 16:26
504 :
名無しさん@3周年:03/05/10 17:16
駄スレと化したか。
505 :
名無しさん@3周年:03/05/10 17:52
真面目なイエスの信奉者をキリスト教徒がよってたっかって
弄りり倒しているスレはここですか?
506 :
名無しさん@3周年:03/05/10 18:11
>>501 神道のそもそもがユダヤ教だっつーのは、昔から言われてた
ことやろ
507 :
名無しさん@3周年:03/05/10 18:14
>>501 それで、何がやばいの?
神の栄光がその都を明るくし=東京
この都の中には聖所を見なかった=教会はいらない
全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである=やはりキリスト教
はいらない
ってこと?
それとも、この国はいけにえにされるのか?
508 :
名無しさん@3周年:03/05/10 18:20
日本人はユダヤの末裔だとか、真の子孫だとか逝っちゃってる新興宗教も
あるようだが、実際のところ、中国経由でユダヤ文化が入ってきたと
考えるのが妥当だ
キリスト教にも興味
なかった私がキリストに興味を持ったのは
日ユ同祖論からです。
キリスト教と神道と
仏教の融合が生まれるのではないか?
実はイエス・キリストの魂を懇ろに弔って
いるのは、日本の
神道ではなかろうか?
510 :
名無しさん@3周年:03/05/10 18:22
>>498 異邦人が救われるためにユダヤは頑なにされた。
511 :
やばいぜみんな!:03/05/10 18:45
なぜやばいかと言いますと、聖書にある黙示的災害がこの日本
に起こりうる可能性が高くなるからです。
我々はユダ族の末裔であり、ユダは戦争に強かったということからも
もしかしたら戦争に巻き込まれるかもしれない。
私の予測では2006年日本に大きな災害があります。
512 :
名無しさん@3周年:03/05/10 19:14
ただの「人間」でも「神の子」でもない「人の子」としてのイエスに注目。
つまり神が直接介入して生まれたのではなく
人が造りし者・・
アトムみたいな人造人間だったんじゃないのか?
アトムの人生はイエスをホウフツとさせる。
アルマゲドンみたいに壮絶な自己犠牲的な最期を遂げるし。
513 :
名無しさん@3周年:03/05/10 19:16
神を裏切った日本。
贅沢三昧の日本。
結婚するまで処女はいないに等しい
ぐらいの女たち。
男も同様、童貞はいないに等しい。
へんな国?
514 :
名無しさん@3周年:03/05/10 19:38
変ではないべ。
アメリカなんて小学生の分際でセクースらしいからな。
515 :
名無しさん@3周年:03/05/10 19:51
Hと文明の盛衰は関係ないってことか.....
516 :
名無しさん@3周年:03/05/10 20:03
>>515 関係あります。文明の崩壊に先立って、
必ず性が乱れます。たとえばギリシャ文明が崩れる
直前にも、未婚の母や子捨てが激増しました。
517 :
名無しさん@3周年:03/05/10 20:36
実際、日本経済は崩壊しそうだな。っていうか、もう裁きを受けているかも。
NHKスペシャル「21世紀日本の課題・よみがえれ日本経済」見てると先行き
が絶望的になってくる。
518 :
名無しさん@3周年:03/05/10 20:47
イエスキリストは未来のことなど見えていただろうに。
「神と富とに兼ね仕えることはできない。」
富に仕えた国は、ああいう具合に滅びたと歴史に残るかもしれない。
それがいけにえ。後の人々の教訓になるために.....
519 :
名無しさん@3周年:03/05/11 07:46
>>518 歴史に残るかもしれない・・・という前に、
歴史に予表として示されてるいくつかの国家と、日本との関係を
認識して・・・いくほうがいいかもね。ソドムやゴモラにも
見られる性的乱れとゆうのは、アメリカももちろんそうだが、
映画やらネットやらで文化を共にしている日本にもいえそう。
520 :
名無しさん@3周年:03/05/11 07:49
ひろゆき見ればわかるだろう。
立派な奴が教祖になるんじゃない。
いい奴が教祖になるんだよ。
521 :
名無しさん@3周年:03/05/11 08:48
人の悪いとこばかり見て、なにか悪いことが起きるなんて言う人は、心が狭い。
「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者
にも、雨を降らせて下さるからである。」
心の狭い私だったが、そのイエスのことばでどんな人も愛せということを悟り、気楽になった。
イエスに感謝です。
>>ひろゆきを見ればわかるだろう。
「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。」
いま、無料で掲示板に書き込みできるから、あなたはひろゆきが立派だと言っているのです。
もし、一レスあたり100円取られるようになれば、あなたはひろゆきを立派だと言わなく
なるどころか「ひろゆきは最低」と言うに違いない。
しかし、100円取られても立派だと言うなら........
522 :
名無しさん@3周年:03/05/11 09:58
ま、心が気楽になるというエサに釣られたわけだ。
イエスの言葉と、イエス信者の言葉は別物だよ。
モー娘の歌とモー娘ファンの歌くらいの違いがある。
523 :
キリスト教会:03/05/11 15:07
>>522 ま、心が気楽になるというエサに釣られたわけだ。
気休めを販売してますが、なにか。
524 :
名無しさん@3周年:03/05/11 15:56
今日は母の日です。みんな母親孝行してますか?
525 :
名無しさん@3周年:03/05/11 19:29
526 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:54
大切だよね。人生の基本かもしれない・・
家族も友人もクリスチャンにはニノツギだろ。
『ホントウノ トモダチハ いえすサマダケ』
↑こんな奴らとは友達にはなれねーよ。
>>489 遅レスでスマソ。
>十字架上の惨めな死で話が終わり、「3日後の復活」の
>無いイエスであれば、
これを「惨め」と見て、「復活という大団円で終わらなければ勝利でない」
という発想こそが、イエスに対する躓きだと思うよ。
ユダヤ人がイエスを十字架にかけたのは、「救世主というのは、ローマ帝国
を腕力でぶっ潰すような強者であって、イエスのような女々しい奴のわけが
ない」と信じていたからでしょう。イエスの言う通りに、右の頬を打たれた
後に往復ビンタを甘受するような生き方を貫けば、最後は殺されるか、不遇
なまま一生を終わることになる。それを「よし」とする者だけがイエスに追従
する者と言えるんじゃないか。
カークラッシュと、「善は最後に勝つ」的な安っぽいハッピーエンド(考えた
ら、政治もそうだな)しか取り得がないアメリカ映画がわかる人は多いが、
「善」が勝ったのかわからないような、エンディングが流れて初めて終わった
と知るような高級映画の真価を知る人は少ない。
ユダヤ人は、映画オンチだったので、イエスの真価がわからなかった。同様に
どうしてもイエスを復活させねば気がすまないキリスト教徒もまた、映画オンチ
で、「勝利」という妄想から抜け出せない「ルサンチマン」依存症なのだ。
宗教というものは、「勝ち負け」を超越すべきものでしょう? 復活なしの
イエスじゃ「かっこ悪くて厭だ」というのなら、イエスに躓いてしまっている
し、愛しているのは「彼の栄光」にすぎなくて、「彼自身」ではないのだと
思う。
529 :
名無しさん@3周年:03/05/12 09:17
キリストは文鮮明師ですが何か?
↑
統一厨
イエス人造人間説に
秀同。
ロボットなら壊れても蘇るし、ジェット噴射で空も飛べるし水の上も走れる。電磁波で
病気も治すし
粉末の原液を燃料タンクに持っていて水を
酒に変える事も可能。
死んだ人が生き返ったのは精巧に似せて作ったアンドロイドを秘密裏にすり替えたのだ。科学的で現実的な判断を所望。
532 :
名無しさん@3周年:03/05/12 17:05
>>531 やっぱり!俺もそうじゃないかと思ってたんだ。
きっと23世紀あたりの時間犯罪者がタイムマシンでなんかやったに違いない!
早速、タイムパトロール隊へ通報しますた。
533 :
名無しさん@3周年:03/05/12 17:07
キリストって確か、源義経が頼朝の手から逃れてモンゴルに渡ってからの名前だよね。
534 :
名無しさん@3周年:03/05/12 17:56
そりゃチンギス・ハーンDA。
535 :
名無しさん@3周年:03/05/12 19:55
神の子・キリストの物語は
でっちあげです。歴史の中に
何一つ証拠がありません。
人ではありません
神です
でっちあげという人にも何一つ根拠がないので、でっちあげという人は
でっちあげです。
538 :
名無しさん@3周年:03/05/12 20:20
>>527 母の日というのは、アメリカの教会の日曜学校で生まれた行事だ。
ばかもん。ぷんすかぷん。
まーそれはいいとして、クリも非クリも母ちゃん大事にせいよ!
539 :
名無しさん@3周年:03/05/12 20:25
>>528 「彼にある神の霊」=「神の栄光」=彼
別にいいんじゃないの?彼自身でも彼の栄光でも、どっちでも。
「アンタ、アタシとアタシの体とどっちが好きなのよ!」
「お前の体もお前自身だろ」
・・・よくわかんなくなってきた。444さん再登場キボン
540 :
名無しさん@3周年:03/05/12 21:28
541 :
名無しさん@3周年:03/05/12 21:35
俺も444さんの再登場を願う!!!
542 :
名無しさん@3周年:03/05/12 21:43
543 :
名無しさん@3周年:03/05/12 22:13
レベルの低さにホッとする自分がいる。
分からないとか不安になるし・・飲まれてるだけか?
本当訳わからんよね。話しの展開もなにが面白いのかも、
ぼくも家がキリスト教ならこのスレの話し合いがわかるのかも・・
イエスキリストはただ立派だと思う。以上
イエスキリストに限らず、インドの神の化身とか偉大でありながら
過去に正確な記述が残念ながら、残っていない伝説は割りとありますよね。
だからインドとかよりはヨーロッパとかのほうが、語り継がれる土地柄
ではあると思いますが・・
サイババが2000年前にいたら今ごろサイババ教があったであろう。
いまの時代にイエスがいたらそんなもんだと思う。
わからないのは無の揺らぎだ。 ここはやはり実験室か?
妄想と小ばかにするまえによくよく考えるべきである。
近年は、ようやく遺伝子の世界まで人間の技術は発展しましたね?
昔では夢物語でした。しかし世の中には奇跡といわれる事があり、現代人は
すべてを解明できるほど万能でないのである。
さて、我々が遺伝子を伝えるだけの存在としたらどうであろうか?
現代社会の大学などの実験でマウスを使ったりしている。動物である。
実は神と呼んでいる存在が圧倒的な科学力を備えた生物であったら?
その実験材料にサル(今の人間)を使い知能をいじる研究をしないだろうか?
一昔は、宇宙人の存在が流行っていた、我々より、圧倒的知能を持って
いる存在がいたら、何をするであろうか?
では、問題提示だ。
キリスト・仏陀が遺伝子操作によって作られた存在であるならば?
普通の人間を越えた存在は、親の遺伝子を受け継いでいるので限りがある。
何故、これだけの時間と科学の発展がありながら、キリストなどの存在を超える
者が現れないのか? 変には思わないか? 未だ謎とされる古代文明の存在。
奇跡なんぞ脳をいじればたやすい。すべては、操作されている。
キリストはその圧倒的科学力により、遺伝子操作を受けた超人類。
神について、ひたすら話をしたのはその為だ。
一方、釈迦は実験により、操作されている事に気づいた稀な存在。
マトリックスは非常に核心についたはなしだ。
〜続き〜
やはり圧倒的知能を持ったものにも限界がある。なぜなら、限界がないなら
実験などする必要がないからである。それをも越える存在が本当の神である。
ところでアメリカでUFO目撃の情報が絶えないのは、ヤラセの言葉で済ま
せるのか?
犬が我々をみたら、圧倒的な知能をもっているので、どのくらいのレベルか
自分とは違う存在(人間)を感じてはいるだろうが想像すら出来ない。
我々人間も、みな何かの存在を感じているであろう!
もう一度考えるが良い。太陽はあと100億年もすれば燃え尽きてしまう。
ただの実験材料でしかないのだ。
あがいてあがいて、真実に目覚めるのも良いし、操られたまま死んでいくのも
よいであろう!
そういえば仏陀は、厳しい修行の話しは語り継がれていますが、
イエス・キリストも同じように厳しい修行を行っているにもかかわらず
その具体的な修行法はあまり語られません。それも土地柄なのでしょう・・
それともイエス・キリストは優しすぎたのかもしれないですね。
基本的に自力の色彩が無いからです。
せいぜいマタイ福音書4章の40日間の荒野の誘惑の
場面でしょうが、これとて特にこう言う修業をすれば
救いに到るどうのこうのと言うことではありません。
仏陀も、実は『そう言う厳しい修行からは、結局は
何も得られない』と言う結論ではなかったでしょうか?
550 :
名無しさん@3周年:03/05/12 23:46
釈迦とマトリックス その正体はキアヌ・リーブス?
宮本武蔵が5人いたとの説がある。5人が一人の人間に集約されたのだ。「いえす」も
当時はよくある名前で十字架に架けられる時に身代わりに釈放に
なった犯罪者「バラバのイエス」とか
弟子でイエスと見た目がそっくりだった
トマスとかいくらでも摺り替わりが可能で
あったと思う。
魔術を使ったイエス。処刑されたイエス。
捏造されたイエス。
これらの物語が
重なって一人の
スーパー超人イエス
が誕生したのだ。
>>444
>基本的に自力の色彩が無いからです。
そうなのですよね。イエス・キリストは生まれながらに、神の聖者として
あまり修行の意味が無かったのかもしれないですね。
553 :
名無しさん@3周年:03/05/13 03:47
イエスが完璧超人になってしまったのは信仰心によるものでしょう
四福音書も成立順に人間らしさが無くなってきてますね
ヨハネ福音書ではもう苦悩とは無縁の存在になり、ほとんど神です
555 :
名無しさん@3周年:03/05/13 06:57
貧乏人の家に生まれ、漁師なんぞを弟子にし、
お偉いさんの逆鱗に触れ、十字架に磔になった人
イエスは、世間的に言う「立派な」人だったわけではあるまい。
>>545 サイババが2000年前にいても、イエス・キリストがインドに現れたとしても
サイババ教やキリスト教になるのでしょうか?
よくわかりませんがヒンドゥー教の神々の一人として祭られそうですが・・
仏教もヒンドゥー教の一派とする考えもあるようですし、インドの宗教は
そういった懐の深さがあるように思われます。インドやチベットの信仰心は本当に厚いですから・・
>>556 イエスはユダヤ人が偉いか、優秀かという問題とは
別に、イエスは「選民」であるユダヤ人の間に出現する
必要がありました。
主なる神との関係を明確にその民族の出自の中で認めながらも
ある時は主なる神から離れ、
ある時は他の「神々」に浮気をし、
ある時は主なる神に恐れおののき、
そのありさまを(旧約)聖書に記録として残し続けてきた
ユダヤ人にあらわれる意味がありました。
たまたまイスラエル界隈に出現されたのでは無く、
こう言う背景からこの世に使わされたのです。
再三言っておりますが、創世記にある通り
主なる神は、アブラハムとの約束で、アブラハムを通して
『地上のすべての民族が祝福を受ける』と約束されています。
>444さん
その「自力」というのが曲者でしてね。「自力」の対極が「他力」だから、
何でもかんでも神様に任せて、天から牡丹餅が降ってくるのを待っていさえ
すれば救われる、というのは詭弁にすぎません。
人間には自由意志が与えられるから、「自律」から逃げるわけにはいきませ
ん。他人から指図される場合でも、他人の意見を選択肢に含めて、その中から
自分の意志で選ぶ場面が必ずある。その時に、「自律」の責任の重みに押し
つぶされそうになる。「もし、自分の選択が誤りだったとしたら」という
不安がつきまとうからです。その不安を乗り越えて、「自分の十字架を背負う
ことを覚悟して」、イエスに従う者だけが「自律」的で、正しい信仰をして
いるのだと言えるのではないでしょうか。
歴史的に救いが証明されている(たとえば、救世主はユダヤ民族から出ること
になっているなど)ということは、「自律」の重みに対して責任を取らない
という態度ですから、信仰でも何でもない。せいぜいのところ、気休めにすぎ
ないでしょう。同じ信条のもとに集う人々の中に身を置いても、「自律」は
見つかりません。説教者は、言葉巧みに「皆さんは騙されていない」と証拠
を並べ立てようとするし、まわりの信者達の存在が安心感を与える。しかし、
とどのつまりは「自分達は騙されていないか、不安だ」という心理を打ち消す
ための工作にすぎません。人々は集うことによって「自律」から遠ざかり、
ますます信仰を失うのです。
559 :
キリスト(本人):03/05/13 10:08
>>558 つまりキリスト教徒がキリストを信仰することは不可能ということですね。
>>557 最後の晩餐にあるようにイエスは、裏切られるのを予言していました。
しかしそれすら神の計画であったのはその時代においての救世主という事でしょうね。
後の世代のために
このことは書き記されねばならない。
「主を賛美するために民は創造された。」
>559
「自律」から出た信仰でないと無意味です。カルトでは、本人が「自律」
と思っているだけで、巧みな誘導尋問で袋小路に追い込んでいる場合が
多いから気をつける必要があります。「信じなければ、他に救いがなく、
地獄へ落ちる。それでもよかったら勝手にしろ」というのでは、自律も
クソもありません。強制しているのと同じです。
先ほど、「自律」を失った宗教の行く末がいかに悲惨なものであるかを
示すニュースを見ました。
http://cnn.netscape.cnn.com/news/default.jsp 神のお告げで子供を殺すようになったら....アブラハムの時代や中世
でなら可かもしれませんが、近代人としては人間失格です。
562 :
キリスト(本人):03/05/13 12:00
>>561 神の性質は古今東西こんなもんでしょう。
さておき
「自律」なんて単語を使うと561氏の意図するところは
誤解されると思います。
立派であることと信仰することとはイコールではない
>>100 そんな教えはない
564 :
名無しさん@3周年:03/05/13 19:00
414さん
あなたは仏教に精通していらっしゃいます。
私から見ると、お坊さんに見えます。
研究者の可能性がありますが、よっぽどお坊さんです。
その思想は、明らかに浄土教を批判してます。まあ同感ですが(w
しかしながら密教でもなさそうです。
あなたがもし若い方であるなら、キリスト教すら含めてしまう
より一層高い次元の思想を持つことを期待しております。
日本の仏教は堕落してしまった。
>564
仏教のことについてもただの素人ですよ。自分では、自分の考え方は実存主義、
キルケゴールやハイデッガーに一番近いと思っています。「自律」というの
は、本当は「実存」に置き換えたいところです。
>>565 いやーとても仏教の考えに共通点がありましたので。
人間の与えられた自由意志は身・語・意と表現してますね。
とにかく、仏教よりのものの考え方です。
お釈迦さんは「他の誰ではなく、自分を拠り所としなさい」と言いました。
不安感を他者に委ねる事で解決しようとする人間の弱さと
それによる危険性を知っていたのです。
しかしながら、現代において、あなたの批判する宗教で無いと生き残ることは
出来ないし、無いならないで秩序の乱れになる。
宗教無しで生きていけるほど、万人は強くない。
だから、あなたの「正しい宗教判別法」を世に普及させてはどうだろうか?
真っ向否定は最良の方法ではない。誘導していくのが賢者なり。
イエス・キリストを信じなさい。信じれば救われます。
568 :
名無しさん@3周年:03/05/14 02:05
>>567 信じれば、早漏が(または遅漏)が治りますか?
>565
>お釈迦さんは「他の誰ではなく、自分を拠り所としなさい」と言いました。
>不安感を他者に委ねる事で解決しようとする人間の弱さと
>それによる危険性を知っていたのです。
そうですね。そして、実はイエスもそのように説いています。有名な
「ソロモンの栄華」の部分がそれです。人間は、野辺の花よりも神にとって
ずっと尊い存在なのだから、悪くされるはずがない、だから安心して生きよ、
という意味ですが、そうなると一切の貯蓄も保険も社会的地位も、「未来の
備え」のためになされることはすべて無意味になります。裏返すと、そういう
杖に頼らずに、素手で「現在」に生きよ、という意味になります。確かにこれ
は最も勇気を必要とする「強い」生き方だと思います。イエスは、弱者を憐れ
んだだけではなく、彼等に「君らは強い。強く生きられる。『実存』せよ。」
と説いたのだと思います。
>無いならないで秩序の乱れになる。
秩序と言ったって、実のところ「未来の備え」に対する不安に駆り立てられて、
生産性ばかりが重視される「リヴァイアサン」の歯車をうまく運営するための
秩序なんですから、人間を「生かす」ことにつながっていません。イエスの
時代のユダヤもそれなりに政治支配は確立していましたが、なぜその神殿の
秩序を打ち壊してまで彼は「義」を示さなければならなかったか....人間は
肉体レベルだけでなく、精神レベルでも「生き」なければならないことを
伝えたかったからです。「人はパンのみにて生きるにあらず」です。
>真っ向否定は最良の方法ではない。誘導していくのが賢者なり。
釈迦もイエスも、説くべきものは説き尽くしてしまったのです。それに耳を
傾けない人間の方にボールはあります。
570 :
キリスト(本人):03/05/14 09:59
実存主義は寂しくなるよ。
実存主義や禅はむしろ科学だから、
宗教やってる人は理解しようとしないよ。
キャバクラ嬢に重積分を教えるようなもんだ。
571 :
名無しさん@3周年:03/05/14 10:07
>>569 秩序についてですが、言葉が少ないわたしがいけませんでした。
言いたいことは、秩序が無くなったら、こころがフラフラしてしまい、
「生かす」も何も考える余裕というものが無くなってしまう。(現実問題)
例えば、みんなが自分勝手に平気で人を殺すような世では余裕が生まれない。
つまり「生かす」までの思考に到底たどり着かない者が多くなる。
では秩序がある状態を考えますと、現代のキリスト教は
「あなたの言う批判する部分のある宗教」でありました。(理想的な精神問題)
まったくの同感であります。
その上で「真っ向否定は最良の方法ではない。誘導していくのが賢者なり。」
はあなたに向けた言葉であります。
釈迦、イエスは見事なまでに、賢者のそれを発揮しました。
耳を傾けるように、対機説法をしたでしょう!
補足しますと耳を傾けないのは、その人に適した方法で無いからだと思います。
いかに耳を傾けてもらうかの難しさが「地獄に落ちるとの脅し」のように
現れているのです。賢者でないものが説くから教えが曲がるのですが。
安易に流れやすい凡夫を真っ向否定したところで、敗北感を与えるだけです。
逆に、誘導する事が、本人に自分で気づいたという自信を与える。
実際は考えを真っ向否定をしているのですけれど。
真っ向否定は「我」であります。そうではなく共に考える方法がベターかと。
まあ期待してる訳なんです。
>570-571
実存主義が底に持っている虚無も、キリスト教で説く虚無からの救いも、究極の
「救い」の通過点にすぎないのだと思います。新しい自分が生まれるためには、
古い自分が絶対否定されないといけない。リビルドのためのスクラップです。
否定を恐れることは、古い自分に安住してしまうことです。「あれか、これか」
であって、「あれも、これも」は許されません。
2chで見て、非常に感銘を受けた話があります。事故で両足を切断した人が、
「神様、私に両足をください」と三日三晩祈りつづけたそうです。しかし、神
はその願いを聞いてはくれなかった。彼は自分の虚無に対面したのです。そこ
で、「両足がないのが自分にとって当たり前なんだ」と気付き、「両足がない
自分」に徹して生きることを決心します。その時、彼は新しい自分として生き
返ったのです。
人によって、「両足」はいろいろと違うでしょうが、一度は「両足がない」と
いう現実に直面して、虚無と対面しなくてはなりません。それ以外に「救われる」
道はないでしょう。
573 :
名無しさん@3周年:03/05/14 13:31
>573
ただ一つ確かなことは、仮に神が存在するとしても、それは人間が想像するよう
な形で存在するわけでないので、人間の理解を超えているだろうということです。
人間は、空間と時間という制約の上でしか生きられません。そもそも、人間は
歴史的存在で、昨日の自分と現在の自分が連続しているから「自分」を自覚
できるのです。歴史がなくなったら、記憶喪失患者のように「自分」を失って
しまうし、歴史を取り戻した患者のように「私は誰?」と問うことすらなく
なるでしょう。
もし、人間が歴史的存在なのなら、軽々しく「永遠かつ普遍なる神」なんて
「わかったようなふり」をするべきじゃないと思います。なぜなら、永遠も
普遍も、空間と時間の概念を延長させただけの話で、人間側の思い込みの
産物だからです。海を見たことがない人が、近所の池から類推するだけで、
海を完璧に想像できるでしょうか。誰かが「これこそが神である」と主張する
ような代物は、誓って「そんなものは神ではありえない」。
575 :
”管理”人:03/05/14 15:05
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576 :
名無しさん@3周年:03/05/14 18:21
>>569 人間は、野辺の花よりも神にとってずっと尊い存在なのだから、…
人間を特別の存在と考えるところが
キリスト教の最大の誤り。
577 :
名無しさん@3周年:03/05/14 21:10
神その方がどんな方かは、分かるはずがない。
神の言葉たるキリストが、今私たちに明らかにされてる部分なり。
>444
十字架に掛けられてそれでも、そんなひどいことをした民衆を憐れむ視点
とはどういった境地なのでしょうか?
ほかの宗教では悪い行いをした者は来世で苦しむのは仕方の無いことと
言われます。
よっぽど神さまに対して信仰をお持ちであれば悩むことはないと思うのですが
そういった運命やひとの罪を真面目に考えると
イエス・キリストは神さまでありながら人間よりの神様もっとも憐れみ深い
神といえますね。世俗のなかにいる人々我々にとってもっとも信仰の対象に
しなければならない。したほうがよいそんな重さを十字架に掛けられたイエス
からは感じます。
キリスト教徒には「陶芸家に作られた器の心」と同じやけっぱちな感情が見え隠れすることがある。
>>572 414さん
あなたは強い考えをお持ちのようで。
ずばりと言ったほうがよろしい珍しいタイプですね。
神に対する認識が似ているだけに気になる点を言いたい。
あなたの尺度で人に話をするのをやめなさい。(神の話はいいけど)
頭ごなしになんでも否定をすると、不安のどん底に落ちる人がいるのです。
真っ向否定をして、立ち直れる人がいるなら良いですが、両足を失う
苦しみを味わって、目覚めた人がいるそうですが、中には自殺に走る人もいる。
あなたの主張は人は何かしろ苦しみを味わないと虚無を知ることができない
と強調して言ってますが、あえて、不幸を体験する必要も無い。
なぜなら、不幸により永遠に自分を見失ってはいけないからだ。
まあ、苦しまなくても方法があると考えているならいいんですが。
>>572 パート2
>新しい自分が生まれるためには、
>古い自分が絶対否定されないといけない
少し違います。自分が常に変わっている事を知る事だ。
むかしの自分を絶対否定するのは変な表現だ。昔の自分がいなければ
今の自分もいやしない。
だがら、両足が無くなって、現実を直視し、これが今の自分なんだと
ある時、はっと気づく。足があるのを当然と思っていたのは間違いだと。
このことは実は自分が連続してない。
自分が連続しているというのは「いま、こうしてある足。急になくなって
あるのが当然ではないと気づいたけど、実は、日々変化しているのだ。
時計が針を刻むように、あしも刻々変化をしている。
いま、いきなり無くなってハッとしたが、実はいつも変わらないで
あると思う自体、自分を失っていた。」
絶対否定だのは囚われの世界を彷徨ってるだけです。
何度も言いますが、真っ向否定ではなく、相手を誘導するのです。
あたらしい自分を生むのでなく、実は常に新しくなっている。
それを、気づかせて(誘導)しなさいと主張するのです。
583 :
名無しさん@3周年:03/05/15 05:42
>>572 414さん
ある伝道者の夫人は、鉄道自殺を図り両足と片手がなく、
残った手の指も3本かなんかです。
しかし、この事を通じて、彼女は主なるイエスに
出会いました。
彼女が
@『宗教と言う阿片に騙されている』のか
A『事故の結果、気が狂った』のか
B『神様の大いなる計画の中でイエスに出会う最高の
タイミングを用意された』のか、
この結論を、70年・80年の人生の中で、我々が
第三者的に下せるのか・・・などと言う実存主義的な
疑問が生じます。しかし、我々クリスチャンは、
マークシートのBを堂々と塗り潰します。
それが我々の信仰ですし、何よりも、一人一人が
劇的なのか、日常的なのかは、別にして、
何らかのキッカケで「生ける主イエスキリスト」
に出会った経験があるからです。
>582
では、あなたはアルコール依存症患者は永遠にアルコール漬けにしておけ、
彼等からアルコールを取り上げると不安になるから、と主張するのですね。
確かに、ビジネス・セミナーなどで半ば強引に個人を追い込んで「虚無」を
味合わせて「改心」を迫る方式で、鬱病患者が自殺したという報告があります。
しかし、それは精神病と宗教をごっちゃにしているのがおかしいのです。
宗教は健全なる精神の持ち主にしかできないことです。精神病は、精神科医
の担当です。「弱い人」は、まだ宗教への準備ができていないのです。彼等に
真に必要なのは心理カウンセラーです。
>>579 543さん
十字架上のイエス様の祈りは、最高の執り成しの祈り、
と言われています。新約聖書:使途行伝7章60節で、
殉教第一号と呼ばれるステファノが、石打の刑に処せ
られながら同じ祈りをしてます。
(この私刑に賛同したパウロは、この後に劇的に主イエスに
出会い、迫害する立場から、迫害されつつイエスを伝える
立場に劇的に変身します。)
かって第2次大戦中、フイリッピンで日本兵が
アメリカ人宣教師夫妻の首を日本刀ではねた時、
@その宣教師夫妻は、同じような執り成しの祈りを行い
Aその娘さんが、日本人捕虜収容書で「憎き父母の仇」
である日本兵に、献身的な看護を行い
Bその姿を見て真珠湾攻撃に参加した日本人パイロットが
悔い改め、クリスチャンになった、
というのは有名な話です。
この話が経済誌である「東洋経済」で紹介された時、
読みながら私は不覚にも昼休みの職場で涙を流しました。
587 :
名無しさん@3周年:03/05/15 08:52
肛門からエビが出てきますた。
(続き)
必ず、苦しみが無いと「虚無」を体験できない、と断言はしませんが、
「古い自分」に対する否定がなければ、自分を超えることはできません。
確かに、今の自分と「古い自分」は連続している。しかし、「古い自分」
は「本当の自分」ではないと心の底で感じている。「本当の自分」を
求めることは、「古い自分」を捨て去ることだから、よほどの契機が
なければ簡単に踏み出せない。
いわば、天動説で「自分中心で回る世界」が、ある時に「太陽中心で
回る世界」に転換するようなものです。この場合、「これか、あれか」
で両方は独立しえない。「古い自分」と連続したままで、回転軸が移って
しまう。回転軸は一本しか許されないから「絶対否定」という表現に
なるのです。
>584,586
私が思いますに、たとえ他人の目から見て不合理極まりないことであって
も、その人が現実から逃避することなく、立ち向かった結果として、自分
の全存在を賭けようと決心したような生き方は「実存」と呼べると思い
ます。人の心を打つものは「実存」です。そこにその人の全人生が込め
られているからです。
ただ、「私たちクリスチャン」という表現には疑問を感じます。「実存」
するのは個人であって、「私達は実存する」なんてことはありえないと
思うからです。宣教師夫婦や日本人パイロットは「実存」だったかも
しれないが、大部分のキリスト教徒にとっては全く「他人事」にすぎず、
「実存」とは程遠いと思います。
教会では、一般人に対する教義を説くかもしれないが、個人の「実存」
にまでは踏み込めない。だから、キリスト教徒を自称する人々が、いく
ら「神は愛だ」と声高に叫んでも、個人の体験が盛り込まれていない
かぎり、空々しさを感じてしまう。そこに「実存」が含まれていない
からです。
(続き)
ステパノの殉教は、彼自身の「実存」の証であったかもしれません。
しかし、『使徒行伝』を史実として読む人の「実存」にはつながりません。
彼の「実存」は、血と砂にまみれ、激痛の中、意識が薄れいく、あの
日あの場所に実現した状態の中にのみ生きています。キリスト教は
ステパノを救ったかもしれない。しかし、ステパノ以外の人の救いとは
何の関係もありません。
591 :
名無しさん@3周年:03/05/15 10:11
キリストなんてクソだろ
信者がクソばっか
592 :
名無しさん@3周年:03/05/15 10:22
>>591 信者はクソだけれどキリストはクソじゃないよ。
モー娘ファンはクソだけれど、モー娘はクソじゃないのと同じ。
俺はモー娘は好きだけれど、モー娘ファンには関わりたくない。
同様に、キリストには関わりたいけれど、キリスト教徒には関わりたくない。
593 :
名無しさん@3周年:03/05/15 11:08
俺が神に決まってんだろ?
594 :
名無しさん@3周年:03/05/15 11:11
>>593 兄貴!かっこいいっす。おいらも兄貴みたいになりたいっす。
>>592 信仰のある時期において、深山幽谷でイエスを追い求めるのも
否定はしません。
ただ、イエス様によるクリスチャンへの強力な命令として
宣教/伝道というのがあります。
この宣教/伝道をどう捉えるかでによっては、残念ながら
あなたの言う「クソ信者」とかかわりを持たざるをえません。
ただ、他の信者を「クソ」呼ばわりするとは、一体いかなる
権威によって「クソ断定」をされるのか、疑問ではありますが・・・
>>444,586
>十字架上のイエス様の祈りは、最高の執り成しの祈り、
>と言われています。
やはりイエス様はすべてを見透かして人々に同情したのではなく
愛そのものを実践した最高の神なのでしょう。
善良で神聖な生き方を追求する中で、人は数多くの困難や障害に出会うかも
知れません。たくさんの不審や疑問が出て来ます。これらの困難にまともに
直面し、辛抱強く勇気をもって様々な問題に耐えて初めて私たちは、真実と
いうものの本当の性質がわかるようになります。どんなことがあっても、
困難や不幸や疑いや落胆に負けてはいけません。あなた方は信じる心を持って
いなければなりません。自分自身を信頼し、神の愛の性質をよく理解するように
努めるべきであります。それは、人生の聖なる目的が愛であることを確信する
ためです。愛が人を変える力は無限です。もとは頑固にイエスを批判していた
聖パウロは、キリストの愛によって、イエスの最大の使徒に作り変えられたのです。
597 :
名無しさん@3周年:03/05/15 16:03
>>595 イエス様によるクリスチャンへの強力な命令として宣教/伝道というのがあります。
宣教と伝道は同じ意味ですか、
多少異なる点もあるんですか?
>>596 543さん、今晩は。
@主なる神は、我々が耐えられない試練は与えられませんし
試練とともに脱出の道も備えて下さいます。(第一コリント10章13節)
A自分自身を信頼し・・・・しかし、同時にこの世で一番信頼できないのも
永年付き合ってきた「自分自身」ではないでしょうか。ヘタレな私などは
その典型です。
Bパウロのイエスの出会いは、「パウロ、お前ええ加減にせいや!マジで
怒るで!」と言う出会いでは無かったのでしょうか?
揚げ足取りのようですが、最高の神・最低の神・日本列島限定の神・
土や木で作った神・などはなく、唯一の神しかありません。
我々人間が神の姿は想像する事はできませんが、創世記1章27節に
「神はご自分にかたどって人を創造された」という記述があり、
外見は我々に似ているのかな?と読み取れます。
>>585 414さん
>では、あなたはアルコール依存症患者は永遠にアルコール漬けに.
わたしは、すべての人に対して、真っ向否定はいけないというのです。
薬は人に応じてと言うこと。まして、心からキリストに捧げてる人に対して
真っ向否定は、最良では無い。変化球も覚えなさいというのです。
>確かに、ビジネス・セミナーなどで半ば強引に個人を追い込んで「虚無」を
>味合わせて「改心」を迫る方式で、鬱病患者が自殺したという報告があります。
あなたの主張は仏教の言う苦行です。わたしの苦行の解釈は
たとえば、生きる事の大切さを知るために、あえて、生命の危機に身を投じる
やりかた。たしかに、得られるものがあるがそこまでする必要は無いというので
あります。
>「弱い人」は、まだ宗教への準備ができていないのです。彼等に…
その弱い人に真っ向否定はいけないというのです。あなたは強い意志を
もっているのでなんでも頭ごなしに否定をする人にみえる。
自分を持ってないと否定をするなら、自分を持ってない人は「弱い人」
である。言ってる事とやってる事が矛盾してます。
さらに、弱い人を救うのが宗教の役目。また、倫理や道徳に満足できなくなり
宗教を求めはじめる。 逆に
はじめから宗教で、倫理や道徳を持たせるのは、いわば洗脳で好ましくない。
自分らしさをなくす要因になり得ます。
>>588 414さん
>必ず、苦しみが無いと「虚無」を体験できない、と断言はしませんが、
>「古い自分」に対する否定がなければ、自分を超えることはできません。
>確かに、今の自分と「古い自分」は連続している。しかし、「古い自分」
>は「本当の自分」ではないと心の底で感じている。「本当の自分」を
>求めることは、「古い自分」を捨て去ることだから、よほどの契機が
>なければ簡単に踏み出せない。
まだ足りないです。言いたいのはもっと上の次元です。
「古い自分」「新しい自分」と言ってる時点で連続はしてない。
途中でぶつっと切れてます。自分というのは常に変わってるという事に
気づかなければならない。それでは、あらゆる問題に自らぶちあたり
考えをどんどん更新していくでしょう!
では、あなたは足の大切さを知る為に足を失くせというのですか?
一行目であなたは、断言できないと言ってるでしょう!そうではないですね。
つまり、こだわっていたと自分に気づかないといけないのです。
「絶対否定」がおかしいと言ったのは、自分が連続しているとの主張へ
の矛盾でいったのです。
601 :
和尚ジャパン:03/05/16 03:52
サリン化学式
2CH4H6C0N3H
VX化学式
4H6C5CH3NC5H
ソマン
マスタード
炭素菌の培養
>599
昨日、『依存したがる人々』(筑摩書房)を完読したところですが、薬物依存症
の経験者から言わせると、本人には依存症の自覚がないということです。それで、
「とことん」まで行くしか方向転換するすべがない。薬物ならば、肉体の限界
=死です。現実主義者は、現実に依存している。キリスト教徒の大部分は、
現実否定や来世思想に依存している。いずれも、彼らからそれらを取りあげて
しまうと、気が狂うほどにまで依存しているが、本人はそれに気付かない。
こういう観点で私は捉えています。
それで、昨日も書いたことですけど、現実不適応で不安を抱えたため、キリスト
教に救いを求めた人は、ただ依存の対象が変わっただけのことで、問題解決に
なっていません。それなら、最初から心理カウンセラーの治療を受けた方が
よいのではありませんか? 彼等は、依存症そのものから解放してくれますよ。
あなたは変化球を投げよだのと気楽なことを言ってますが、そもそもそういう
弱い人をバッターボックスに立たせてはいけないのです。依存症の患者がまとも
な信仰持てると思いますか? それに、同じ宗教でも「神の権限」を持ち出さ
ずに人を救う仏教があるし、その方がずっと患者にはやさしいでしょう。森田
療法の「あるがままの生き方」も仏教思想から出てきたものです。
心理カウンセラーに任せれば、治せる患者をキリスト教会が横取りした挙句、
もっと依存症を酷くしているのではありませんか? というのが私の問題提起
です。
>600
「古い自分」と「新しい自分」というのは、言わば「自分観」というべき
ものです。別人に生まれ変わるというわけではなくて、自分は自分。ただ、
「古い自分」は「現実の自分が許せなくて、妄想の中に引きこもること
によってギャップを埋めようとしている」が、「新しい自分」は「現実
の自分をあるがままに見つめて、自分以外のものには依存せず、「自分
の自分による自分のための人生」を生きているということです。「自分
のため」と言ってもエゴという意味じゃなくて、それまで「自分のため」
と思い込んで猛烈に利益を追求していたのは、実は依存症から来る神経症
の症状だったんだということを認識して、「本来の自分のため」という
目標に舵を取り直すという意味です。
別に両足を切り落とす必要はありませんが、さっきも書いたように、
自分の依存症を自覚するには、「とことん」行き詰まらないといけない
ので、その人なりに苦痛が伴うのはしかたがないことです。
600は、「自分」の連続性を守って、除々に進めという意味なんでしょう
が、蛙を湯につけて、ゆっくりと温度を上げていくと、60度になっても
苦痛に気付かずゆであがって死んでしまうように、人間が安楽死するだ
けの話です。程度の差こそあれ、「アッチチチ、こいつはたまらん」と
湯から飛び出す位の契機が不可欠です。
ふと感じたことですけど、パウロの時代の教会では、終末思想が説かれて
いました。また、信者達は一切の生産活動をやめ、私有財産を提供しあ
って「世の終わりまで」を食いつないでいました。また、私有財産を正直
に申請しなかった信者は容赦なく殺されました(精神的に追い込んで
ショック死させた。しかもそれを神の業だと正当化した)。
どこから見ても「破壊的宗教カルト」以外の何ものでもない。それを
「教えが正しいのだから、カルトじゃない」と否定する人は、すでに
カルト依存症にかかっている。なぜなら、カルトに属する信者は判で
押したようにそのように答えるからです。(S.ハッサン『マインド・
コントロールの恐怖』恒友出版)
605 :
名無しさん@3周年:03/05/16 09:48
今度生まれてくる時は せめてあなたのウンコになりたい。
今度生まれてくる時は せめてあなたのウンコになりたい。
一言だけ付け加えるならば、
「神の前において自分の生き方を全うする」というのと、「神に依存する」
というのは違うと思います。「神への信頼」は重要ですけど、間違っても
「神に依存」してはいけません。人間としての尊厳である自由意志の置き場
がなくなってしまうからです。
>>598,444さんこんにちは。終わりの文章は444さんのおっしゃる聖パウロと
イエス様の出会いの話しがどこかにあったと思い何か感じるものがあるかと思い
その本の一部を書き込んだものです。お気に召さなかったようですみませんでした。
>揚げ足取りのようですが、最高の神・最低の神・日本列島限定の神・
>土や木で作った神・などはなく、唯一の神しかありません。
まったく同意であります。ただ僕はそれを理解する過程においては世界中の偉大な
人々彼らの行為、行動をお手本にするのもよいのではないのかとは考えますが。
もちろん信仰においては地道なものでないと成果は望めないことはどの宗教においても
同じだとは思いますが・・
わたしの尊敬する宗教とは全世界に古くからある五つの偉大な宗教
イスラム教、仏教、ゾロアスター教、ヒンドゥー教、キリスト教の事です。
まったく知識はありませんがw
>>こんばんは444さん
>@主なる神は、我々が耐えられない試練は与えられませんし
>試練とともに脱出の道も備えて下さいます。(第一コリント10章13節)
>A自分自身を信頼し・・・・しかし、同時にこの世で一番信頼できないのも
>永年付き合ってきた「自分自身」ではないでしょうか。ヘタレな私などは
>その典型です。
>Bパウロのイエスの出会いは、「パウロ、お前ええ加減にせいや!マジで
>怒るで!」と言う出会いでは無かったのでしょうか?
@はまったくですね。とくに悪い夢にうなされた後目が覚めたとき生きるのは
なんと幸せなのだろうかと思います。
Aそれは444さん以上に自分はそうです。w
Bすいません知識不足です。でもいい話ですよね。
キリスト教では、永年の地道な努力も結構、
天に召される2時間前に突然悔い改めて洗礼を受けるも結構、
生まれてから日曜日の礼拝を欠かしたことがないのも結構、
どれもこれも同じ「救い」です。
永年の地道な努力が、苦行ではなく、喜びに満たされてと
言うのが特徴かもしれません。
611 :
名無しさん@3周年:03/05/16 23:07
キリスト教を現実否定という人は、何をもって、そう言ってるのかな?
クリスチャンになると、仕事にも家庭にも、むしろ現実世界の勤めに
全力を尽くすようになるもんだが。
612 :
名無しさん@3周年:03/05/17 06:33
テキトウに、なんとなく、過ぎていた人生が、
キリストによってかけがえのないものになった。
>>602 414さん 用事で返信がおくれてごめんなさい。
>キリスト教徒の大部分は、
>現実否定や来世思想に依存している。いずれも、彼らからそれらを取りあげて
>しまうと、気が狂うほどにまで依存しているが、本人はそれに気付かない。
>こういう観点で私は捉えています。
だから、すべての人に真っ向否定はいけないとわたしは主張してますよね?
あなたは、真っ向否定しか手段が無いようにみえる。だから、野球で言う
直球だけでなく、変化球も織り交ぜなさいと言いたいのです。
はっきり言わなきゃいけない人にはソリャ言わねばならんでしょう!
でも、取り上げたら気が狂うぐらいの人ならば、真っ向否定をされると
聴く耳を持ってくれない事がある。
そういう人が自己否定をされるのは、異常に拒絶する。
やられたらやり返すみたいにです。それは戦争にも共通することでは?
だから、誘導を持って「あれ?なんかおかしいぞ!」と本人に気づかせる
という変化球もおぼえるべきでは?と言いたいのです。
ヤク中と宗教が同じとは思いませんから、完全に対応に関しては安易にYES
とは言いませんが、人が流されやすいのは肯定できます。
宗教も自らヤクに流れちゃう気が小さい人、(わたしの知り合いは、どういう
世界か体験したと言ってましたが、依存はしなかった)不安を抱えた人が安易に
求めたら流されたりしてしまう。盲目になります。
逆に自分をしっかり持っている人が宗教をやるのは良いが、
そうでない人がやっているある宗教が(名指しはしませんが)おかしいと思うのが
あなたの主張でしょう?
まえから、言ってるように全くの同感ですよ!
ただ、わたしから見ると我の張り合いをする人に見えたのです。
我の張り合いは森田さんの支持する仏教思想からもはずれてるのですよ。
>>603 その2
>別に両足を切り落とす必要はありませんが、さっきも書いたように、
>自分の依存症を自覚するには、「とことん」行き詰まらないといけない
>ので、その人なりに苦痛が伴うのはしかたがないことです。
それは承知してる事ですよ。 だからこそ言いたいことが!
極端な例。今にも死にそうな婆さんがいます。その人は、神様を信じていた。
その人にあなたの主張を言う→婆さん混乱→動揺したまま壮絶な最期
こういう場合も頭に入れないといけません。
>600は、「自分」の連続性を守って、除々に進めという意味なんでしょう
>が、蛙を湯につけて、ゆっくりと温度を上げていくと、60度になっても
>苦痛に気付かずゆであがって死んでしまうように、人間が安楽死するだ
>けの話です。程度の差こそあれ、「アッチチチ、こいつはたまらん」と
>湯から飛び出す位の契機が不可欠です。
失礼な〜断定されましたが全く違います(笑)
わたしの言いたいことは全くもって正反対です!
つまり、常に囚われずに温度を把握している生き方です。
「新しい自分」とか、あなたの言いたいことは承知してるのですが、
「自分の連続」みたいに言ってたので、その言葉を出されちゃ、わたしは
言わねばならん!というのです。あなたが真っ向否定をしちゃいけない人
なら、流しましたが(^^) つづく
その3
「自分の連続」について
あなたは足が無くなって生まれる苦しみの解決法を
前のご自身がレスで紹介してたように「なるほど」と感心してました。
それでは、その苦しみはどこから来るのか?という話なのです。
自分というのは絶えず変わっております。肉体のピークを迎えた人は
徐々に老化していったりと変化しております。
一時も同じであるのはありえません。しかし、ある程度の変化では
人は不変と思ってしまうのです。自分は絶えず変化していると
いう「連続」なのに関わらず、連続になっていないのです。
あるとき「ぱっ」と変わったみたいに理解します。
その例として、恋人が急死するときです。多くの人は、まだ若くて
いっつも元気な恋人がいたら、死ぬはずが無いとどこかで思っています。
または、死ぬ事すら考えていない。
そこで、心臓発作で死んだとしましょう。
すると、悲しみ、苦しみのどん底に落ちる。その原因は、いつまでも元気
でいると、変わらないと思っているからです。
死ぬ事が分かっていて、日に日に死に向かっているのがわかる場合と
では悲しみの度合いが遥かに違います。
したがって、「自分の連続」。つまり、自分が常に変化している事を
〜あるがまま〜を見る心のあり方が大切であるというのです。
思い切って、湯を飛び出すのではなく、温度すら把握するです。
次元の違う話といったのはこういうことです。
あなたは、強い人だから、「次元の違う」と挑発的に書いたのです。
婚約者を結婚の直前に失った人に、
『愛別離苦』の4文字を思い起こすのが良いのか
『天の御国でいつかは会える』と思うのが良いのか・・・
『慈しみ深き友なるイエス』という有名な賛美歌は
結婚式の直前に婚約者を無くした人が作ったそうです。
それはかわいそうで出る言葉がありませんよね。
618 :
名無しさん@3周年:03/05/17 18:39
疑い様もなく、イエス・キリストはこれまでこの世に存在した中で最も偉大な人です。
彼以上に立派で偉大な方は存在しえたでしょうか?
いえ、しませんでした。
キリスト・イエスは御父であられる神エホバの威光を十分に反映した方でした。
全ての人に哀れみ深く、愛をもって接せられ、しかし御父エホバ神の前に大変謙遜でした。
杭の上での磔刑により、人間としての命を終えられ、全人類の贖いの犠牲となったのです。
これ程までに立派な方がいたでしょうか?
今現在も主イエス・キリストは御父エホバ神の右に座し、王として私達を統治しておられるのです。
ですから、主イエス・キリストを通して全能者たるエホバ神に忠誠を保たなければならないのです。
私達の主であられるキリスト・イエスがそうであったように・・・。
619 :
名無しさん@3周年:03/05/17 21:12
ここは史的イエスを語る場ではなかったの?
単にキリストとしてのイエスだったら「キリスト」なんだから立派に決まってるじゃん。
キリストから切り離してイエスを語りたいんだが
>>619 人間としてのイエスは30歳過ぎて妄想型総合失調症を患った男としかならないのですが・・・
彼が神の子だと言われているから皆何となく納得しているのであって、ただの男だというなら
単なるキ○ガイでしかない。彼の言動はそれぐらい奇行なのだから。
>>618 なぜキリストが一番だと言い切れるのですか?
それだったら、イスラム教とか、ヒンズー教とか
が(まけたああああ(>_<))とキリスト教徒になってもいいのでは?
そもそも、おまいはキリストをどのくらい理解してるのですか?
あらゆる宗教を勉強して、その結果なら、おいらも納得するけど。
おいらから見ると、麻原信者が麻原一番といってるのと
違いがわかんねえよ。やつは、悪行がバレタカラ、みんなが
自信を持って批難できた訳で、バレル前なら、どうです?
それにもっと凄い人が山に籠もってるかもよ?全世界の一人残らず探した?
ほら、あんたたちは頑固だから、どうせきく耳をもたんでしょう?
もっと凄い人がいるかも知れないのに、おまいらが取り返しのつかない洗脳に
かかってるから、みはなされたのかもよ?
それにね、イチローが凄いって本当に言えるのは、その世界のヤシが
もっともわかってんぜ?結果じゃないんだよ!
620は煽りでなく
仮にイエスが人間なら、外基地兄ちゃんが体制派にたてつき
見せしめに殺されたにすぎず、到底立派ではないという事。
天の神はわしのオヤジやで!と言いながら何ら奇跡を起こす
事なく十字架上で死刑に会い、葬られ・・・・
そこで終わっていたなら、「その昔イエスと言う優しい心
のお兄ちゃんがいたけど、体制派に睨まれて殺された。
長いものには巻かれないといけないね」とせいぜいが
教訓か義民伝説でおわってしまっただろうという事。
誤解を生みかねない書き込みなので一応フォロー?(のつもり)
623 :
名無しさん@3周年:03/05/18 14:59
スレッド立てて下さい!
■■■ウィナーズ倶楽部■■■
ウィナーズ倶楽部ってなに??
↑ ↑ ↑
お願い致します!!
イエス=被抑圧階級の指導者
教会=原始共産主義の一形態
訂正
被抑圧階級の指導者でなく被抑圧階級に属する民衆の指導者
626 :
名無しさん@3周年:03/05/18 15:12
ケルソス曰く、イエスはローマ兵とユダヤの女との間にできた私生児で、国事犯として処刑されたもっとも忌むべき罪人
628 :
名無しさん@3周年:03/05/18 15:31
ケルソスって「真の言葉」の著者だっけ?
629 :
名無しさん@3周年:03/05/18 15:38
真の聖者は日蓮上人のみだ!
630 :
名無しさん@3周年:03/05/18 16:59
>>629 あまり笑わせないで下さい。真剣そうなレスで余計おもしろいれす。
日蓮[大聖人]て
つけないだけマシ。
イエス人造人間説は
もう消えちゃったの?
すべての神は唯一、昔ひとりの王がいて、生まれつき目の不自由なひとを
大勢連れてこさせた。そして一頭の象を引き入れて、盲人の真ん中に立たせた。
盲人たちは手を伸ばし、身近にある象の身体の一部に触れるよう指示された。
その結果ある者は頭に触れある者は耳に触れある者は牙に触れまた別な者は
鼻足尾などに触れた。ひとりは尾の先の房に触れた。そこで王は盲人たちに
いったい象は何に似ていると思うかと順番にたずねた。大きく堅い頭に触れた
者は「象はなべのようです。」と答えた。耳に触れた者は「穀物をふるうザルの
ようです。」と答えた。牙はべらを連想させ、鼻は柄を連想させ、足は柱を
尾はすりこぎを連想させた。尾の先の房だけに触れた者は「象はほうきのようです。」
と答えた。王がおもしろがったことにはこれら異なる意見の持ち主の間で、
大論争が展開しやがて殴り合いのけんかがはじまった。聖者は真実の一面だけ
しか見ないで、全体を見たと独断的に考える人々も同じことだと説明したの
です。
633 :
名無しさん@3周年:03/05/18 23:58
>>621 お前釣られてるよ。みんな無視してんのにさw
文面がモロエホ証口調じゃん。
エホ証のフリしてるか元エホ証が吊りしてるだけだよ。
無視できないの?
634 :
名無しさん@3周年:03/05/19 00:01
635 :
名無しさん@3周年:03/05/19 08:04
キリスト教とは、
「人の罪を贖うために人の姿になって地上に降りて十字架についた神=イエスを信仰することで罪から救われる」
というものです。
立派な人間なら誰でもいいわけではないし、
立派だからみんなで教祖に祭り上げたわけでもない。
むしろ、当時の人は外見が立派でなかったために躓いたのです。
>>613 「宗教依存症」の患者なら、いくら正論をまくしたてても、聖書からのコピペ
や祈りの文句をコピペして思考停止してしまうから、真面目に取り合わないで
しょう。依存症とはそういう病気です。他人から諭されて自分の心の中に疑惑
が起こるのを素直に認められる人なら、健全な信仰者だし、放置しておいても
何ら問題ありません。私も、以前は571さんと同様に「ソフトランディング路線」
をとっていましたが、「依存症」について勉強してから考え方を改めました。
ちなみに、「聖書からのコピペや祈りの文句をコピペして思考停止してしまう」
というのは、典型的なカルトの手口であることにご注意ください。いくら、
「自分のところの教義はカルトとは違う」と主張しても、実際にやっている
行為はカルトと見分けがつかない。一般人には教義の差はよくわからないから、
結局は行為から推定するしかないので、たとえば2chなどでむやみに聖句や
祈りの言葉をコピペする人を見かけると、ああ、キリスト教ってカルトなんだ
と感じるのがむしろ自然だろうと思います。
>>614-615 もともと「完全否定」というのに深い意味を込めたわけではないので、
お好きなように解釈していただいて構わないと思います。一応、説明
責任がありますから、できるだけ簡潔に書いてみます。
まず、個人にとって「真理」とは、それまでに積み上げてきた「自分」
の主観と、現実世界の客観とが一致することです。「自分は名医だ」と
思っている人が、実際に難病患者を治し、「あの人は名医だ」と噂され
ることで「自分は名医だ」という真理が確定します(主観と客観の一致)。
しかし、実際には主観と客観にズレがあり、どうしても主観を修正しな
いといけない。また、健全な人の主観はひとつしかありませんので、
「あれか、これか」の二者択一を迫られる(この場合は、自分は名医で
あるか、そうではないかのどちらか)。だから、古い自分を否定する時
は、唯一の主観の否定なのだから、「自分は決して名医なんかじゃない」
という「絶対否定」になるのです。
(続き)
もちろん、巧妙に現実から逃れる手段はあります。「自分は、本気にな
れば名医なんだが、環境が悪すぎる」とか、現実とは別のところに自分
を作ってしまう場合です。この場合、仮に現実の自分が否定されても
「スペア」が残るから傷つかずに済みますが、そうすることで「自分」
を失ってしまいます。現代人のほとんどが、そういう「二刀流」を演じて
いるだろうと思います。競争社会では、強くなければ生きる術がなく、
「強者の自分」を完全否定すると死の恐怖に曝されるからです。だから、
多くの「それほど強者ではない人」にとって、「弱者のままで生きる
価値があるのだ」という、自分が納得できる理論づけが必要なのです。
これは難しくない。「強者・弱者」など、現代社会が作り出した仮想
的な価値観でしかないからです。大切なことは、自分が弱者であること
と認識した上で、「強者・弱者」の妄想を超越して「あるがままに生きる」
ということです。しかし、そのためには、本人にとって辛いことですが、
初めに「弱者としての自分」の認識が不可欠なのです。
私見ですが、イエスがパリサイ人の偽善を非難したのは、彼等の
「自分」が二刀流に分裂していて、現実の自分が「墓の内側のように
穢れている」からです。パリサイ人は、「律法依存症」患者だった。
彼らが知るべきは、「君らが律法にこだわっているのは、現実の世界で
弱者である事実から自分を誤魔化すためなんだ」という事実です。
>>636 414さん
聖書を唯一のよりどころとする以上、自分の感情・思い込みに
よるキリスト教へのミスリード(自分に対しても、他人に対し
ても)を防ぐために、聖書の中に自分の意見の根拠を探すのは
当然です。
日本において受け入れられやすいであろう
『イエス様は、えらい人の一人です』
『みんなイエス様に近づけるよう努力しましょう。
努力次第で神になれますよ。』
『荒野での断食をすれば自分が磨かれ、救いへの近道ですよ』
『努力しない人は、救われません。日々努力しましょう』
『西洋においてはイエス様、日本ではお釈迦様か大日如来、
さしづめ中国では孔子様ですね。みんな同じですよ』
などという「クリスチャンまがい」の方がたま〜にいますが、
これらを否定するにしても、それが聖書の中にあるのか無いのかで
否定せざるをえません。
>>639 すでに確立した教義で満足している人ならば、そういうことになるでしょうけど、
私は常に「懐疑」を忘れずに持ち歩いています。正典が定まるまでの数百年間、
グノーシス主義を初めとして、多くのキリスト教徒が「懐疑」を持った。
どんなに立派な教義にも懐疑は付き物だし、その懐疑を真面目に取り上げる
からこそ、教義が完成されていくのだと思うのです。しかし、実際には教会は
そうしなかった。「異端」として排除しただけです。その後、圧倒的な政治力
のお陰で、歴史を生き延びたというだけで、歴史の歯車がひとつ違ったら、
グノーシス主義が正統になっていたかもしれない。もし、「正統派」が本当に
正しかったのなら、武力で排除せずとも、彼等が納得のいくだけの説明ができ
たことでしょう。実際にはできなかったし、今でもできないのです。
ある教義の正しさを、その教義から証明することを「同語反復」と言います。
「白馬は白い」は正しい表現ですが、白馬=「白い馬」ですから、「白い馬
は白い」と「白い」を反復しているだけです。キリスト教徒の方の意見の大部分
(神学に含めて)は「同語反復」になっています。
イエスの時代には、異端など居りませんでした。そこから「正統・異端」と
いう関係に「懐疑」を持てる人は幸いです。なぜなら、それだけが「同語反復」
の罠に引っかからずに真理を考えることができる唯一の「窓」だからです。
>>444,639
僕は個人信仰でどこの宗教にも属していませんが,なかなか厳格なのですね。
過去の話だし聖書(色々種類があるみたいですが)歴史を元にする以外検証の
しょうがありませんものね。ただ信仰が厚ければイエス様を信じれると思いますが・・
頭が固い、融通が利かない、と思われるかもしれませんが
譲れない点はあります。
もちろん初対面の人にいきなり『イエス様は人間じゃなんだぞ』
『八百万の神々と同一視すんなや!』と言う人もいれば、敢えて
言わない人もいます。
まずは相手の言い分を聞いてみて長期的に徐々にイエスについて
説明する人もいれば、いきなり顔を真っ赤にして論戦する人も
います。
>>636 わたしは、聖書にしろ経典にしろ、表面上ではない作者の意図を
読み取らねば、全く意味はないと思ってますよ!
>「ソフトランディング路線」 をとっていましたが、
>「依存症」について勉強してから考え方を改めました。
とどのつまり、あなたとわたしの一番の違いはこの点ですね。
比喩ですが、あなたは、口で言って分からないのを暴力で訴える形を
取っています。すべてが自分の思い通りにならないのは、ご存知でしょう!
あなたに「共生」という言葉を思い返して欲しいです。
あなたのやっている事は世界の宗教を一つにまとめるような事。
あなたが、悟りを開いているなら話は別ですが、争いを招く危険が
大きい。 何を焦って躍起になっているのか。
なにか、理想と現実のギャップに焦っているようです。
まじめですなあ。
では問題提起です。 麻薬と宗教をリンクするなら
「麻薬にハマッテいる集団を更生させようとして、武力行使にでた
その集団はかなりの抵抗があった。かなりの人数を殺してしまった。
いまは、捕まえた一人一人を更生している。」
わたしは、これこそ地獄だと思う。
これを宗教にあてはめて、いいものなのか?逆に武力行使で負けたら
いかがなものか。 別問題だと思うなあ。
>>367-368 あなたは、気づいてませんか?
わたしの言った事を別の具体例で表現している事に(笑)
元来、考えてる事は同じなんですぞ!
>もともと「完全否定」というのに深い意味を込めたわけではないので
それと、「自分の連続」と偶々あなたが表現してしまったから、
「適当で無い」と指摘をしたに過ぎないんですよ。
責任もなにも言いたいことが分かってると申したでしょう。
あなただから、指摘をしたんですよ。まじめ(熱心)だから。
>>632 良い話です。一神論と多神論の関係。これはうまい。
>>444,642
まったく信仰そのもの。神様を信じる事はそうですよね。
信じられない者から見たらよく言い争いになるのは世の常です。
信じている者同士にも当然こだわりはありますよね。
>>644 仏陀の仲裁を求められた時のお話しです。
よいたとえだと思いました。
646 :
名無しさん@3周年:03/05/19 20:53
>>645仏陀の仲裁を求められた時のお話しです。よいたとえだと思いました。
読むなら原始仏典です♪
>>646 聖典も派によっていく種も伝承があるみたいですね。
でも僕は信仰は知識ではなく神に対する親愛だとは思いますが・・
トンデモではないですがイエスがインドに渡った日本に渡ったとか
伝説多いし大陸だとありえん話ではないですなぁ。誰にもわからんワケですが。
649 :
bloom:03/05/21 19:17
650 :
名無しさん@3周年:03/05/21 19:37
>>648 レムナント出版の久保有政さんがそういうこと
書いていましたが、バカバカしくて読む値打ちゼロ。
ゆめゆめ本気にしないように。
源義経がジンギスカンになり
明智光秀が天海僧正になり
ヒトラーはチベットに逃げたそうです。
しかしイエスなら言葉が通じない土地でも盗賊に襲われようとも
色々な意味で乗り越えれるカリスマがあるわけですが、トンデモでスマン。
さげとく。
655 :
名無しさん@3周年:03/05/21 21:40
キリストは何語話していたんでしょう?
ヘブライ語アラム語あるいはギリシャ語ですか?
よくわかりまへん。
657 :
名無しさん@3周年:03/05/22 05:41
>>656 ガリラヤ訛りのアラム語であったと推測します。
ギリシャ語は恐らく喋れても片言でしょう。
>>657 そうですか。イエスは何カ国語か喋りそうですよね。
659 :
名無しさん@3周年:03/05/22 17:45
異言が出来たのでは?
660 :
名無しさん@3周年:03/05/22 23:38
イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。そのとき、湖に激しい嵐
が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。弟子たち
は近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。
イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、
起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。
人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも
従うではないか」と言った。
661 :
名無しさん@3周年:03/05/22 23:52
>>660 わたしはそれを見て、凄い人なら危険を回避することが
できる。凄い人=神(または主)に頼れば危険が回避できる。
と考えてしまうのでは?と思いました。
自分は「死からむやみに逃げるのでない。苦しみを
信仰心を持って、動揺せずに受け止めなさい。
あなたには、わたしがついてるから、安心しなさい。」
不安が出ると、どうしても自分がいなくなる。弱い人
だから自分の凄さを持って安心感を与えた。
662 :
名無しさん@3周年:03/05/23 00:50
イエスかっちょええ。カリスマや・・
663 :
名無しさん@3周年:03/05/23 02:07
街なかをスピーカーで説教流しながら走ってる車って
教会に行って静かにお祈りしてるような人から見るとどうなんですか?
なんか昼間から「信じないやつは地獄におちるであろう」みたいな
言葉をえんえん流してて嫌なんですが…。
まあ夜に流されたらもっと嫌ですけど。
前から思ってたんですが、街宣カーじゃなくても、
「私を信じろ。さも無ければ地獄に落ちる」って脅迫ぽいと思うんだけど。
悪いことをしたら地獄に落ちるというのならわかるけど。
悪いことなどしない心優しい人だけどキリスト教徒じゃない場合はどうなるの
でしょうか?
>>660 >>661 企業が破綻し、経済が行き詰まり、
核兵器の危機が迫り、環境が破壊され、治安の悪化による
社会不安は高まり、おまけに家族関係はヘトヘトと言う
我々の人生の「波」・「風」・「嵐」と置き換えて見ても
良いのではないでしょうか?
665 :
名無しさん@3周年:03/05/23 11:56
57 :名無しさん@3周年 :03/05/22 23:52
聖母マリアsexのあまりの気持ち良さに
「お〜イエス お〜イエス・・・」
と思わず、よがり声をあげてしまい
その結果生まれたのが
イエス キリストであったと思われる。
58 :リス(サタン) ◆qo8iRnhqjY :03/05/22 23:54
| ええか?ええか?ええのんか?
\___ ____________________________
V ______________
∧ ∧∧∧ /
( ,,)*´Д`) < お〜イエス お〜イエス・・・
/ つ | \___________
〃(@ ノ /U
U UU
地獄で会おう。
・・・キリバンゲト
668 :
名無しさん@3周年:03/05/23 18:34
>>1 いいえ、お父さんの亡くなった家庭の長男なのに働かないロクデナシです
以上を持ちまして彼の言う神様云々は現実逃避の手段と考えられます
たとえ彼の話が正しくても人間としての義務を果たさなくてもいい理由には
なりません
おそらく全て問題のすり替えだったのでしょう
>>661,664
信仰が薄いと動じるのは本当にそうですよね。
670 :
名無しさん@3周年:03/05/23 20:13
>>660 起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。
実際の出来事か只の作り話か、
それが問題。ワラ
・・・貴様たちも、死ぬのが楽しみだな。
>>670 誤解をおそれずに書けば
そう言う書き込みをされているあなたの地方の
天候は晴天でもあなたの心の中は、曇天である
かもしれません。
イエス様によって心の曇りが晴らされる事を、
「我々」クリスチャンはたびたび経験しております。
憐れみ深い神をみんなが知るようにこころをキレイにしる。
674 :
名無しさん@3周年:03/05/24 22:08
>>672>>673 いや、心の中云々ではなく、福音書の記述が
実際の出来事か只の作り話か、それが問題だと
言ってるんです。日本語、分かります?
675 :
名無しさん@3周年:03/05/24 22:15
事実です。見ました。
だから正しい方法で神に近ずき、神を理解し、神を体験して自分の目で
判断してください。
>>1 歴史上トップクラスの釣り師だということは確かだな。
>>674 人間モーゼですら、エジプトからの脱出に於いて
主なる神は、海の水を分けてエジプト軍からの
逃れる道を示されました。(旧約聖書 出エジプト記14章)
神の御子であるイエス様が、「凪」を呼ぶことくらい簡単でしょう。
私は寧ろ、
「俺は、砂漠に住んでるから、湖で奇跡を起こしてもらっても
俺には関係ない」とか、
「家の近くの湖は、膝下までしか水位が無いので、奇跡を
起こしてもらってもしょーがない」という
「あなた以上のあおり」を想定したもので、
「凪」が我々の日常とどう関与するのか、ということにまで
言及してしまいました。
尚私は、日本語は能力検定試験は受けていませんが、
学校教育で16年間使ってきましたので、一応の
コミュニケーションは可能です。ただ、古語・2ちゃん語は
いささか不得意とすることは、前もってお話して
おきます。
679 :
名無しさん@3周年:03/05/25 12:03
事実があったとしても多大な脚色はされてるんじゃ?<福音書
680 :
名無しさん@3周年:03/05/25 13:34
>663
>悪いことなどしない心優しい人だけどキリスト教徒じゃない場合はどうなるの
でしょうか?
イエスは、どんなに世に貢献しようが熱心な信奉者であっても
そこに驕り高ぶりがあってはいけないと言っていますよね。
大事なのは、神の御心に沿った素直で従順で穏やかな心で、キリスト教徒でなくとも
神の子として相応しければ、救済されると思いますよ。
ただ、終末におとずれるであろう天変地異・大迫害に天から雲に乗って来る人の子(イエス)
を信じなければ、救済は得られないとは言えるね。
681 :
名無しさん@3周年:03/05/25 14:21
やっぱりだめじゃん>680
いえすもけつのあなちさいのか?
682 :
名無しさん@3周年:03/05/25 15:58
イエスを信じることと、キリスト教徒であるかは別問題だよ。
さげ
>>679 むしろ、ヨハネなんぞはヨハネ福音書21章25節にて
「イエスのなさったことは全部書ききれませんでした、スンマセン」
と言っていますが。
685 :
名無しさん@3周年:03/05/26 09:04
686 :
qwkhkhjkh:03/05/26 09:30
俺、亀仙人教ですけど何か?
687 :
名無しさん@3周年:03/05/26 11:49
>>682 全く別。モー娘ファンだからといって、ファンの集いに出かけていく必要はない。
キモイ奴らの仲間入りする必要はない。
・・・お前なんか知らないってキリストに言われそうだな。
モー娘も言うだろう。
689 :
名無しさん@3周年:03/05/26 12:00
age
普通に善人はすべての幸運と幸福は前世の善行でもたらされるでは納得できませんか。
もちろん神を信じない人と限定することはないんじゃないでしょうか。
691 :
名無しさん@3周年:03/05/26 20:16
>>685 だから福音書を目撃談だと思うのは
素人の浅はかさ。キリスト教会は、素人の浅はかさを
手玉にとって商売してる、ちゅーの。
692 :
名無しさん@3周年:03/05/26 21:44
キリスト教演義
693 :
名無しさん@3周年:03/05/27 15:14
>>692 俺、それ読んだよ。民明書房のやつだろ?
なんか、キリストが自分の宗教の影響力が(当時)あんまりにも弱かったから、天下三分の計
を用いて、世界の主な宗教を3つの勢力(仏教、イスラム教、キリスト教)に分けたって話だよな。
俺、あれで一番感動したシーンは、エルサレムでモーゼと一騎討ちをして数十合くらい打ち合っても
勝負がつかなかったんで、モーゼが「次の勝負は海が割れるときまでおあずけだ!!」って
言って、走り去っていく所だな。
あの後の三蔵法師が実は女だったっていう衝撃のシーンがまた涙を誘うんだ。これが。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
と言う訳でキリストは本当に立派な人だった
と皆解った所で終了!有難うござんした。
696 :
名無しさん@3周年:03/05/29 21:13
>>695 イエスがキリストではなかった、という結論が出た。
目出度きことじゃ♪
697 :
マンガ編集者:03/06/07 20:07
>>696 処女がキリストを生んだというバカバカしい話は、
そのままギャグ・マンガになります。
無数の神名をあまり重視せず、見たところそれぞれ異なる意味を総合すべき
です。様々な神の御姿は、ひとつであり同じなのです。神をあれやこれやの
姿に想像するなら、それは間違いです。心を清らかにすませ、愛と親愛で
満たすなら、神の真の姿を観る事ができます。
700 :
聖書キリスト教会教会員:03/06/13 21:39
>>1 イエス・キリストを救い主、主と信じなさい。
ハレルヤ!!!
701 :
名無しさん@3周年:03/06/14 22:12
イエス自身は「立派」などとは言われたくないでしょう
702 :
名無しさん@3周年:03/06/14 22:24
キリストが立派な人だったかどうかなんて誰も知らないだろ。誰に質問
しているんだよ。
聖書に描かれているイエスが立派と思うかどうか、という質問ならば
趣旨自体はわかるけどよ。
703 :
名無しさん@3周年:03/06/14 22:26
立派でなければ信じられない、それがキリスト教徒
704 :
名無しさん@3周年:03/06/14 22:28
立派であろうがなかろうがキリストだから信じる、それがキリスト教徒
キリストを立派なことにして信じることを強要した、それがキリスト教。
706 :
名無しさん@3周年:03/06/20 10:44
キリストの名の下なら何やってもオッケイ。姦淫も殺戮も。それがキリスト教徒。
当時、大工として一流の技術を持っていた。
それで彼についたあだ名が「神」
709 :
名無しさん@3周年:03/07/05 03:00
わたしは異邦人を憐れみ、イスラエルの家の残りの者に
大いなる裁きをもって報いを加える
710 :
一尺八寸 尽:03/07/10 05:06
>>442 トリビアの泉見てたら、それもイエスの言葉なのですね。ものしりですね。
新約聖書マタイの福音書、第7章、6節だったかな?
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
非常にまったり進行だ。
さりげない、名スレだ。
714 :
名無しさん@3周年:03/07/24 21:10
>>710 少なくとも体格は立派だったらしいね。
違います。ケルススの著書『真理の言葉』に
せむしの小男だった、と報告されています。
>>714 違いますって断言しちゃってるけど(藁 あんた見てないがな。体格はいいだろうよ。いくらなんでも、せむしの小男じゃ人もついてこない。やっぱり、それなりに魅力的な人物だったんだろ。
いやいや、単に弁舌が巧みでだまされたヤシがたくさんってだけかもしれない。
人類が生んだ最も偉大なる詐欺師=キリストだべ?
そしてある意味では最大の殺人犯。
こいつがいなければ死ななくてすんだ人間が何億人いる事やら。
718 :
名無しさん@3周年:03/07/28 10:02
>>717 俺も最初はそう思ってたんだが、最近になってこう思うようになった。
詐欺師なら、磔になる前に逃亡するだろ?
思うにこいつは本心から神を信じてた単なるイッチャッテた奴なんじゃないのかと。
こいつも神の犠牲者なのかもな・・・
719 :
名無しさん@3周年:03/08/01 21:03
720 :
名無しさん@3周年:03/08/02 21:30
福音書が営利目的の創作だってことぐらい、
今どきの常識でしょう。
721 :
名無しさん@3周年:03/08/06 14:16
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723 :
名無しさん@3周年:03/08/06 18:18
>>721 まあ、銭儲けをたくらまない宗教があったら
お目にかかりたいねえ。
724 :
名無しさん@3周年:03/08/07 00:45
>>723 それにしても、金儲け下手な宗教多過ぎ。
726 :
名無しさん@3周年:03/08/07 01:11
>キリストは本当に立派な人だったの?
まさか。
727 :
名無しさん@3周年:03/08/07 01:11
キリストなんてショーコーとかわらんだろ。
成功したか失敗したかの差だけ。
シャカ・マホメットもそう。
ほんのちょっとショーコーより運が良かったって事だろ。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
733 :
名無しさん@3周年:03/08/31 17:15
磔になったのは弟
736 :
名無しさん@3周年:03/09/05 21:03
ほんまに磔になったのか、資料は福音書だけ。そやさかい
信用できん、ちゅーこっちゃ。
そんな事言い出したら歴史なんかほとんどがそうだろ。要は優れた人間の存在を認めたくない感情がミソもクソも一緒にしたがる。第一、本当に桀になったのかって何?お前の頭では磔がそんなに珍しい事なのか?wさらし首の立場は?
738 :
名無しさん@3周年:03/09/11 18:46
>>737 要は優れた人間の存在を…
福音書に信憑性がないのに、何を論拠に「優れた人間」と言うのか。
739 :
名無しさん@3周年:03/09/14 14:34
>>715 体格のいい人、磔にしたら、手の皮やぶれちゃうよ。
741 :
名無しさん@3周年:03/10/17 23:42
別スレやけどな、キリストは実在せえへん、
ちゅうことで決着がついたんや。すまんのぉ〜横山♪
742 :
名無しさん@3周年:03/10/18 00:00
キリストのは本当にご立派だったの?
あいつパンばっか食ってた。
746 :
名無しさん@3周年:03/11/15 15:45
キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。
そして、その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、
エルサレムからはじまって、もろもろの国民に伝えられる。
747 :
名無しさん@3周年:03/12/27 20:51
キリストのモデルは仏陀です
748 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 21:13
>>739 釘入れたの手のひらだと思ってる? 違うのよ。
実はね、手首。手首の骨と骨の間に釘を入れたの。
手のひらだと、体格が良くても悪くても破れてしまう。
体中で一番痛いところなんだってね。
で、右手に体重がかかるとつらいから左手に体重をかける。
左手も痛くなると今度は足首にかける。
そうやって悶絶しながらやがて痛みと失血とで気を失って死んでいくんだそうだ。
749 :
名無しさん@3周年:03/12/27 21:16
ついでに首に縄もかかっててね、
体を持ち上げないと首が絞まる仕掛けです。
そのために、息絶えないものはひざを折るわけね。
750 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 21:17
>>749 「悪魔が考えついた処刑方法」と言われる所以でつね。
751 :
名無しさん@3周年:03/12/27 21:18
752 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 21:29
因みに、マタイ福音書に、瀕死のキリストに「酸っぱいぶどう酒を飲ませようとした」という記述がありますが、
今でいう「ワインビネガー」のことだそうです。
今や死に至ろうとするキリストに酢を飲ませ、苦しみに悶え苦しむものをむせ返らせて楽しもうとする、
悪辣な行いです。
753 :
名無しさん@3周年:03/12/27 21:32
鎮痛剤です。
754 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 21:35
>>753 残念ながら違います。
詩篇69−22
人は私に苦いものを食べさせようとし、
渇く私に酢を飲ませようとします。
救い主を殺すような行いに至ったばかりか、
その死を弄ぼうとする人類の罪悪を示しています。
755 :
名無しさん@3周年:03/12/27 21:37
>>754 27:34 苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。
勝手な解釈はやめましょう。
756 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 21:38
ルカ福音書にはこうあります。23-36
兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して言った。
「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」
757 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 21:40
イエスさまを気遣って、痛みを和らげるのが目的で鎮痛剤である酢を差し上げようとするのであれば、
なぜ、侮辱するのでしょうか?
それに、瀕死のものに「酢」を飲ませようとすることが善意によるものかどうか。
758 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 21:44
あなた、喉が渇いているときに「酢」を飲みたい、という欲求がありますか?
救世主を殺すばかりか、その屍を弄ぶもの、
たとえばこういうスレを立てて反応を見てはほくそえむものがそうですね。
759 :
名無しさん@3周年:03/12/27 21:45
>>756 共観福音書は、そのように読んではいけません。
最古のマルコです。没薬は生誕の時にも、もたらされた宝物です。
15:23 没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
鎮痛剤です。あなたの主観で誤った読み方をするのはやめましょう。
760 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 21:51
>>759 古ければ良い、ということであれば、キリスト教で正統な流れは正教会だけになってしまいますね。
古い、新しいを元に物事を計るのは必ずしも正しいことではありません。
福音書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの順に並んでいます。
また、没薬というのは「防腐剤」ですよ。鎮痛剤ではありません。
761 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 21:55
あ、ちょっと待ってくださいね。
あなたの言っているマルコ福音書の記述は、十字架にかけられる前の出来事ですね。
失礼しました。それは、鎮痛剤としての意味でよろしいようです。ごめんなさい。
私の言っているのは、十字架にかけられた後の出来事で別のことです。
お許しください。
762 :
名無しさん@3周年:03/12/27 21:56
キリストは、天草シロウと同レベルの祭り上げられた人。
真実か嘘かわからないようなエピソードを真に受けている人も多いが。
貼り付けの情けない姿をさらしたマヌケを神と呼ぶのはどんなものかと思うぞ。
本当に真面目な人間なら、ヲヤヂの大工家業をちゃんと見習うものだ。
まあ、あの香具師は人間だけでは(言葉の選び方が難しいのう)なかったらしいが。
765 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 22:00
>>762 マルコ福音書にある「没薬を混ぜたぶどう酒」をのませよう、としたという出来事と
兵士があざけりを持って「酢」を飲ませようとした出来事は別々のことです。
766 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 22:01
767 :
名無しさん@3周年:03/12/27 22:02
768 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 22:03
天草四郎と同レベルだというなら、天草キリスト説を示す聖書があってもよさそうなもんですがね。
769 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 22:04
>>767 僕が来てこういう発言するの、楽しんでるでしょ?
それでいいじゃないですか。
770 :
名無しさん@3周年:03/12/27 22:06
浅原が偉大ならば、
2000年後の教科書に浅原の記述が見られるでしょうね。
771 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 22:08
ひょっとして、教科書にキリストの記述が現われたのがごく最近だとでもおもってる?
772 :
名無しさん@3周年:03/12/27 22:08
>>769 あなたがどんな聖書解釈しててもかまわないですけど、
スレッドルールがわからないなら、所詮或るちゃんとおんなじだと言う事です。
だれが、どれほど貶めようと、僕の主はいささかも傷つきませんが、
なにか?
773 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 22:11
>>772 へ〜。
あなた、或るちゃんなんて知ってるの?
ツウですねぇ。
774 :
名無しさん@3周年:03/12/27 22:14
>>773 あめま。多分栗関係は、みんな知ってます。
俺さんと一緒くたにして、見分けがつかないようでは、サタニストの餌食です。
善い心で読まないと、聖書も2CHも真実は見えてこないかもです。
775 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 22:16
>>774 あらら、栗関係だったの?
ハリセンボン関係だとばかり。
で、サタニストって何?
776 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 22:17
ノンクリスチャンのことだったりして。
777 :
名無しさん@3周年:03/12/27 22:18
本人の実力が関係なく流れで有名になることも十分ある。
ボケが神に祭り上げられてもおかしくはない。
面白くもない考えればわかることだ。
ぼけヨハンの妄信のほうがよほど面白い。
779 :
質問箱できました:03/12/27 22:21
ヨハン頼むから、一度で良いから、納得できる
話をしてくれ。
空想も精神論もいらん。
納得できる説明をまつぞ。
782 :
名無しさん@3周年:03/12/27 22:32
嘘も方便、利用出来る物は何でも利用するのが正しい。>1
783 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/27 22:34
784 :
名無しさん@3周年:03/12/27 22:35
>>749 ローマ人がユダヤで足の骨を砕いてトドメをさしていたのは
日暮れ後に死体を晒さないという、ユダヤの慣習に合わせたものです、
以外な話ですが当時のローマはユダヤ人を刺激しないようにかなり気を
配っています、エルサレムに近づく前に軍団旗を降ろす事をしなかった
為に罷免された武将も居るくらいです
>>783 何でも良いから、キリストでも神様でもいいから
真実を誰にでもわかるように証明してよ。
相でなければ
「私はあくまでも私の主観および創造でえらそうに話しています。」と
宣言してください。
よろしくー
>>784 補足レスアリガトデス。
僕的には、とどめをさしていた、というあなた様の言葉で充分です。ありがとうございます。
ローマ兵にも慈悲の心があったことが、よくわかるエピソードです。
或るチャン
ヨハン君
反省してね。おながい。
ところで或るチャン。君の教会の尾山先生の説教WEBで聞きました。
福音派らしいな〜と感じました。僕には合わない。リベラルだも〜ん。
君がおんなじメッセージを発すると、
異教徒はじごく逝きになります。
僕が、未信者で君と出会ったら、キリスト教徒にだけは絶対になるまいと思います。
尾山牧師なら、ちっと考えるかもね。でも、たぶん聖書キリスト教会の信徒にはならんが w
君は、言葉が足りない。直さないと、生活困ると思うよ w
朝が早いのでコレにて失礼。。
787 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/28 11:11
>>785 真実は自分で追求しようという欲求がなければわかりません。
聖書には真実へ至るための言葉が書かれていますが、
インスタントに把握できるようにするための真実マニュアルではありません。
他人から教えてもらうようなことではありません。
しょうがないから宣伝しといてあげましょう。
「私はあくまでも私の主観および創造でえらそうに話しています。」らしいです。
788 :
ヨハン君 ◆DV4hb.MG/U :03/12/28 11:13
>>786 あんたはそうやって平あやまりにあやまっているものに、さらに反省を求めて悦に入るような
そんな趣味の悪い類いか?
789 :
名無しさん@3周年:03/12/29 10:58
>>1 一流の策士であったことは間違い無いだろう。
「信じなければ破滅する」と脅迫紛いの巧い口説き文句で
大勢力を気付いた智謀の人だな。
791 :
◆IbYG6dQTTc :03/12/29 22:29
>>786 言葉が足りないというなら申し訳ないが、
イエス・キリストを信じない者が行ないによって救われているとか、
万人救済説などを唱える多元主義者ヨハンはサタンに仕えています。
イエス・キリストを地上で信じなかった者、
福音を聞いたけれども拒んだ者、福音を聞く機会が無かった者は、
罪の内に死んだのであり、滅びるしかありません。
すべの人は罪を犯したからです。
イエス・キリストの他に救いはありません。
†使徒の働き-----------------------------------------
4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。
世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、
どのような名も、人間に与えられていないからです。」
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792 :
名無しさん@3周年:04/01/01 22:00
少し前だが、ニュ−ヨ−クでキリストは同性愛者だったという映画が
上映され、当然のごとくファンダメリスト達の猛反発をくって
すぐに上映中止になった。
793 :
名無しさん@3周年:04/01/01 22:07
新約聖書はなぜこうもSEXを毛嫌いするのか。
794 :
名無しさん@3周年:
>>1
いや、それほどでも・・・