>>527補足
「神とは、・・・エネルギーの全ての総計であり、・・・これらのエネルギーとその関係とを支配する法である」
「・・・その仕組みを理解するにつれて、我々は法を操作するものとなる」
「・・・マイトレーヤのような偉大な存在は、これらの法を知るまでに進化され、・・・それを正しく科学的に操作する仕方を知っておられる」(「マイトレーヤの使命」邦訳p.142)
「瞑想は、・・・進化のための科学的手段である」(クレーム「伝道瞑想 新時代のヨガ」訳者序文p.13)
また、アリス・ベイリーによれば、「科学者がエネルギーと呼び、宗教的な人々が神と呼ぶもの、これらは同一のものである」(A Treatise on Cosmic Fire,p.1136)
というわけで、私が(1)(2)(3)において示した各点は、クレーム教のテクストそのものによって明示されました。
伝統的ヒンドゥー教においては、一切の限定を超えた無限たる梵が、対象化され操作されるエネルギーにすぎない、などという教義は、もちろん存在しません。
いうまでもなくこの様な主張はセム的一神教ともまったくかけ離れています。
進化によって、神をも操作対象とする・・・このような教義は、まさに、
「われ神のごとくならん」(イザヤ14:14参照)というルシファー教、
「あなたは神々のようになるだろう」(創世記3:5参照)とささやく悪魔の誘惑ということができるでしょう。
悪いことは言いません。クレーム支持者の皆さん、セム的一神教がイヤならまともな東洋の伝統に帰依してください。
人類のために奉仕したいのであれば、セム的一神教においてもそちらの伝統においてもいくらでもできます。
反キリストについて警告する聖書的基準にもろに該当し(
>>521リンク先参照)、悪評と内部分裂にまみれた神智学協会の末裔にすぎないクレーム教を信用せねばならない理由がどこにあるでしょうか。