>>42補足
聖エイレナイオス「異端反駁」第三巻16・1には、
「イエスはキリストの器であって、このイエスにキリストは上から鳩のように降り、名づけることのできない父を知らせた」と主張するグノーシス主義者たちの話が出てきます。(邦訳:教文館p.76、英訳は
>>43のサイトでIrenaeusを検索のこと)
この種の「イエス」と「キリスト」の分離が、まさしくニューエイジ思想において反復されていることについては、
>>34参照。
いうまでもなく、正統キリスト教は、イエスとキリストは別であるとか、イエスがキリストでない時があったとか考えたりしません。
聖エイレナイオスが当該箇所で聖書を引用しつつ説明しているとおり。
ニューエイジの思想的源流である神智学協会系統の思想に興味を持ってしまった方へ。
ピーター・ワシントン「神秘主義への扉:現代オカルティズムはどこから来たか」(中央公論新社)
をまず読んで、彼らの思想的祖先たちの内部対立や、聖性とはほど遠い伝記的事実を確認してください。
ブラバッキーから派生した各種の神智学協会系の思想は、伝統的宗教を滅ぼすために作り出された疑似宗教です。
「我々の目的は、ヒンズー教を再興することではなく、キリスト教を地表から一掃することだ」
(アルフレッド・アレクサンダーへのブラバッキー夫人の言葉。Rene Guenon,Le Theosophisme,p.6に引用)
「とりわけわれわれは、ローマとその司祭たちと戦い、至る所でキリスト教に反対して活動し、神を天から追い出さなければならない」
(1880年9月ブリュッセルにおける自由思想家会議でのアニー・ベサントの講演)
反キリストはRene Guenon「量の支配」三十四章「巨大なパロディ、あるいは転倒した精神性」において論じられているとおり、また聖書的伝統においても個人的存在に留まるものではありませんが、
黙示録第十三章の「獣」、イスラームにおける「ダッジャール」、つまり個人としての反キリスト、偽メシアについても新約聖書「テサロニケ人への第二の手紙」第二章は次のように明確に述べています。
「まず背教のことが起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自分は神だと宣言する。」
「背教」とは、もちろん伝統的教義からの逸脱に他なりません。
このような、個人としての反キリストの到来を否定する「秘教的キリスト教」などというものは、近代になってから作り出された疑似秘教の勝手な言いぐさにすぎません。
正統的公教を滅ぼすことを意図として公言する「秘教」などというものは、その教祖たちが断片を寄せ集めてつくりだしたパロディにすぎません。
そのような疑似秘教の支持者の方々にとっては、こういう反キリストの問題は大変不愉快な話題ではあると思いますが。
ルネ・ゲノンによる疑似秘教批判を現代的な事象とからめて論じた著作として以下のものがあります。
Charles Upton,The System of Antichrist
Sophia Rerennis,ISBN 0-900588-30-6
著者は1960年代末から1980年代にわたって神智学協会由来のさまざまな思想・実践にかかわってきました。
しかし、キリスト教のみならずイスラーム、ヒンズーなどをも含めた諸宗教の伝統的教義の立場から、これらの活動の諸相に検討を加え、その危険性を認識し、批判に転じました。
アリス・ベイリーに多くを依拠するベンジャミン・クレームについては、p.464以下の「ベンジャミン・クレーム:神智学的反キリストの預言者」という章で取り扱われています。