なお、シャンカラは次のように書いています。
「・・・一切の変化(vikriya)を否定する聖典によって、梵の不変性(kutasthatva)が理解されるからである。
・・・唯一の梵が転変を特質とするとともに、転変を欠いていると了解することはできない。」
「最高の神格は、一切の力能を伴うと承認されなければならない。」
(「ブラフマ・スートラ釈論」邦訳・金倉円照「シャンカラの哲学」上(春秋社)p.405、p.438)
”異端者”氏の支持するクレームはシャンカラを持ち上げ、自称「マイトレーヤ」の顕現であったと主張していますが(「使命」第二巻、p.85)、
>>402で批判された”異端者”氏の思想はカトリシズムのみならずシャンカラの思想(したがってヒンドゥー正統の思想)ともほど遠いことはこれだけでも明白です。
セム的一神教が気に入らないのなら、パロディではなく正統の東洋の伝統を学んでください。
パロディでは、魔境に進んで落ちるだけですから。