反キリスト、ロード・マイトレイヤについての警告

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21名無しさん@3周年
ベンジャミン・クレームについては教皇庁の下のニューエイジ批判文書で言及されている。

PONTIFICAL COUNCIL FOR CULTURE
PONTIFICAL COUNCIL FOR INTERRELIGIOUS DIALOGUE

JESUS CHRIST THE BEARER OF THE WATER OF LIFE
A Christian reflection on the “New Age”
http://www.vatican.va/roman_curia/pontifical_councils/interelg/documents/rc_pc_interelg_doc_20030203_new-age_en.html

クレームが宣伝する、自称「キリスト」、自称「マイトレーヤ」が仮に実在し彼らの主張するような公の活動をこれから行うと仮定するならば、反キリストに関する聖書や私的啓示の予言にもろに該当する。

この問題はペブル問題とは切り離したうえで、全てのカトリックはこの文書を読んで警戒しておくべきだろう。
22名無しさん@3周年:03/04/27 14:52
反キリストに関する東方正教会系統の参考資料をいくつか紹介。

Dennis Eugene Engleman
Ultimate Things: An Orthodox Christian Perspective on the End Times

反キリストに関する古代教父たちの教説・予言を整理して提示している。
エルサレムにおける反キリストの台頭、世界の諸問題を解決することによって人心を惑わす反キリスト等々、興味深いテーマが扱われる。

「世界中に送られる偽りの霊は、人間たちの中に、反キリストへの高い評価、普遍的な恍惚感、彼への抵抗しがたい誘惑を引き起こすであろう」
(Saint Ignatius Brianchaninov)

また、現代ロシアで最も有名な正教の著作家の一人、セラフィム・ローズは、つぎのようなニューエイジ批判本を書いている。
彼はアメリカでプロテスタントの家庭に生まれるが、東洋思想の研究を経て正教徒になった人物。カリスマ運動や初期ニューエイジを批判した以下の著作は、ロシア語に翻訳されて百万部単位で流通している。

The Soul After Death: Contemporary "After-Death" Experiences in the Light of the Orthodox Teaching on the Afterlife
Seraphim Father Rose

Orthodoxy and the Religion of the Future
Seraphim Father Rose
23名無しさん@3周年:03/04/27 15:17
プロテスタント陣営からのクレーム批判としては定番となっている次の二著を挙げておかなければならない。

Constance Cumbey
Hidden Dangers of the Rainbow: The New Age Movement and Our Coming Age of Barbarism
(Vital Issues Press)

Douglas R. Groothuis
Unmasking the New Age
(Intervarsity Press)
24名無しさん@3周年:03/04/27 20:10
キリスト教のことよく知らないけど、ニューエイジっていわゆる
神智学関連、ブラバッキー、アリスベイリーや、
GIグルジェフ、ルドルフシュタイナー、
ラジニーシなどのグル系の本も「クリスチャンが読んではいけない」本になってるの?
その理由はなぜ?
クリシュナムルティはどういう扱いなのかな。
25名無しさん@3周年:03/04/27 20:26
最近クレームの顔を電車で見かけるな。講演会も近いのか。

バチカンはユングもだめみたいだね。

クレームの本が駄目というのはそうだろう。
到底善良なクリスチャンが受け入れられるものじゃないよ。
純粋にニューエイジやオカルトとして見ると結構おもしろいんだけどな。

反キリスト=クレームの言うマイトレーヤというのは、
カトやプロはペブルと一緒の主張というわけだな。

一度クレームの講演会に行ったことがあるが、光の十字架の実物や、
何人かが、通路で百合の強烈な匂いがあったと感動していた人がいたな。
本当かどうか知らないが会場で癒しがあったとかないとかも聞いた。
これはクリスチャンにとっては反キリストの証なのかな。

そういえば敵陣視察かどうか知らないが、他の宗教信者らしき人もチラホラいたぞ。
(挙動でわかる)
26稲葉翔:03/04/27 20:32
(^^)v
27名無しさん@3周年:03/04/27 21:31
>>24
「読んではいけない」という規定は現在の教会法上存在しません。

そのような近代の自称「秘教」は、カトリックの教義、あるいは、より広く言って伝統的キリスト教の根本的立場と真っ向から矛盾している、ということです。

ブラバッキー、シュタイナー、ベイリーついては>>21の文書で言及がありますのでそちらを参照」。
大雑把に言えば、ユングを含めて、ニューエイジ系統の思想の多くは、人間の潜在意識の神格化に至る自我崇拝的・汎神論的疑似神秘主義だ、ということです。

教理を十分に勉強していないカトリックが、不用意にそれらの本を読んで自らの信仰を危機にさらすことは、もちろん教会法とは無関係に罪になり得ると思いますが。
28名無しさん@3周年:03/04/27 21:38
>>27追加

なお、グルジェフから由来したエニアグラムも、>>21の文書の批判対象となっています。
日本では、鈴木秀子や彼女を支持した故遠藤周作のような人物が、このようなニューエイジの影響を多くのカトリック信徒へ浸透させてきました。

アメリカ、ヨーロッパでも事情は同様で、>>21の文書は、このような状況に対するバチカンの警告であるといえます。
29名無しさん@3周年:03/04/27 21:52

グルジェフ自身の教義について言えば、カトリックの教義とはもちろん、伝統的諸宗教とも全く相容れない。

普通の人間は単なる肉体のみで、死んだらそれまで、というような主張(ウスペンスキー「奇跡を求めて」邦訳p.61参照)は、霊魂の死後の存続(あるいは仏教的には心相続)の明確な否定だし、

「もし<絶対>が神なら、神の長さと重さを測り、構成要素に分解し、計算し、明確な公式の形で表すことが可能だ」(「奇跡を求めて」邦訳p.144)
というような物質主義的世界観は、セム的一神教の正統はもちろん、ヒンズーやシャーマニズムのような諸伝統ともほど遠い。
30名無しさん@3周年:03/04/27 21:56
>>29は、仏教の教義がセム的一神教の霊魂観のそれと同一だという趣旨ではないので念のため。
31名無しさん@3周年:03/04/27 22:06
>>27補足

ユングが自分自身を神格化する疑似宗教の創立を意図していた事実関係に関しては、リチャード・ノル「ユング・カルト」(邦訳:新評論)が詳しい。
教義的側面の批判に関しては、Wolfgang Smith,Cosmos&Transcendence (Sherwood Sugden & Co)の第六章参照。
32名無しさん@3周年:03/04/27 22:37

キリスト教徒ばかりではなく、ルネ・ゲノンやフリッチョフ・シュオンのような二十世紀のヨーロッパ人スーフィーたちは、
ニューエイジの思想的源流となった神智学協会を、普遍的・伝統的教義の立場から激しく批判してきた。
(ミルチャ・エリアーデ「オカルティズム・魔術・文化流行」邦訳:未来社参照)

シュオンによるニューエイジ批判は下のサイトのNew Age関連項目で読める。
ttp://www.sophia-perennis.com/
33名無しさん@3周年:03/04/28 00:27
>そのような近代の自称「秘教」は、カトリックの教義、あるいは、より広く言って伝統的キリスト教の根
>本的立場と真っ向から矛盾している、ということです。

読んだらキミの信仰が混乱するかもしれないから気を付けてね。ということかな。
ナグ=ハマディ文書とか死海関連はどう言ってるの?
34名無しさん@3周年:03/04/28 00:45
イエスは洗礼の時になってはじめて「キリスト」になった(ルドルフ・シュタイナー)とか、
「キリストは三年間にわたってイエスの体をのっとった」(Benjamin Creme,The Reappearance of Christ and the Masters of Wisdom,p.53)

というようなニューエイジ系統の異端的キリスト論に関する研究は、

Ron Rhodes,The Counterfeit Christ of the New Age Movement(Baker Book House)

が詳しい。本書では他にスパングラー、マシュー・フォックス、テイヤール・ド・シャルダン、アリス・ベイリーのキリスト論も批判されている。
>>21の文書でも本書についての言及がある。
35名無しさん@3周年:03/04/28 00:57
>>34
ナグ=ハマディはいわゆるグノーシス主義系統の文書ですが、聖エイレナイオスなどの古代教父たちはこのタイプのグノーシス主義を「作り話」として二世紀ごろから批判してきました。

イエスとエッセネ派の関係に関する問題は>>34で挙げた本の第四章で論じられています。
ただしこの本自体は、カトリック教会の文書ではありません。
36名無しさん@3周年:03/04/28 01:11
>>35補足
要約すれば、エッセネ派の厳格な律法主義とイエスの態度の差(マタイ2、マルコ7:5など参照)やエルサレム神殿に対する考え方の違いなどからして、
イエスが単なるエッセネ派であったとか、あるいは「義の教師」であった、などという主張には根拠も妥当性もない、ということです。

これは、エッセネ派にキリスト教と類似する思想が見られることや、初期のキリスト教との関係を否定するとかいうことではありません。