219 :
名無しさん@3周年:03/03/01 15:10
>>208 そのような印象は無理もない、しかし・・・という意味で
>>175を書いた者です。
民主主義と資本主義的自由にたいして、カトリックが公然と反対していた時代が何世紀もつづいたのはなぜだかわかりますか?
それに対して反動的という否定的な言葉がもちいられる場合はあっても、反聖書的という表現はほとんど用いられない。
教会なんだからあたりまえ、とは言い切れないと思います。なにせ反聖書的との告発を種々の新興キリスト教各派から受け続けた時代ですから。
僧職と俗権との分離が深まっていった時代だからでもありますが、
少なくないプロテスタント教会が了解していた人種差別政策を除くとしても、権威主義・専制・位階制(階級支配と服従の要求)について採ったカトリックの肯定的態度の理由は利害関係だけではなく、
それが聖書が示す天国の姿だと信じていたからでもあります。すくなくとも反聖書的などとは言われない。
これはプロテスタントでも広く認められる考え方だったはず。
資本主義的に有利な意味での平等・自由などなどについて、
それが人類の普遍的な価値だと無意識的に信ずるから、文脈で示されている「支配」に抵抗感を抱くのではないでしょうか?
そういえば、一時期ランバダが流行(?)していた頃にテーマ曲のように流れていた曲がありました。曲に対するそのときのイメージはわたしには悪かったんです。それしか知らなかったから。
あれを、今になってオカリナなどでスローテンポに奏でられると、なんてきれいな曲か、と思います。
「支配」という曲も、そうではないかな。
220 :
名無しさん@M:03/03/01 19:58
>219さん。どーもです。
> 民主主義と資本主義的自由にたいして、カトリックが公然と反対していた時代が何世紀も
> つづいたのはなぜだかわかりますか?
当時の西欧世界の時代背景としては、カトリックと近代フリーメイソンの対立関係があったから、
ではないかな。。。
・・・ 近代フリーメイソンについて、簡単に解説 ・・・・・
1717年、イギリスにおいて、「ロッジ(フリーメイソンの集会場)を統括するロッジ」という意味の
「グランド・ロッジ」が結成された。この時をもって、「近代フリーメイソン」の発足とされる。
近代フリーメイソンは、18世紀の時代精神(啓蒙思想、科学主義、、、自由、平等)の受け皿
として機能し、発足から30年ほどの間に、当時のローマ・カトリック教会に匹敵する一大ネット
ワークを、ヨーロッパ全土に完成させた。
そして、アメリカ大陸に進出。アメリカは、フリーメイソンによって建国された。
このように、近代フリーメイソンは、西欧世界を縦断した、巨大な組織であり、ネットワークです。
(私の過去のカキコからの要約。「ふざけるなスレ20」164,183)
221 :
名無しさん@M:03/03/01 20:01
> 【 聖書的に「万人祭司」は疑問 】
プロ的には、「すべての信者が神の祭司」どえす。その聖書的根拠はTペテロ2:5-9にあります。
【患難時代】について
神の国の、「産みの苦しみ」(マタイ24:8)の時代
患難の二つの面
@サタンの煽動と、人間の罪の増大による患難
A神の怒り、さばきによる患難
【ハルマゲドン】(黙示16:16)
@ハルマゲドンの文字通りの意味は、「メギドの丘」。
Aハルマゲドンの象徴的な意味は、「戦い、戦争」
イスラエル北部のメギドは、ヨーロッパ、アジア、アフリカを結ぶ交通の要所で、
軍事的にも重要な場所とされ、しばしば大きな戦いが なされてきた。
そのために、ハルマゲドンは 「戦い、戦争」の意味を持つようになった。
ハルマゲドンの戦いには、「神の大いなる日の戦い」(黙示16:14)と、「人類の最終戦争」
の、二つの側面があるようです。
222 :
名無しさん@3周年:03/03/01 20:23
イエスキリストは聖ミカエルですか?
223 :
名無しさん@M:03/03/01 20:45
>222さん。
イエス・キリストは、ミカエルではありません。
>222
【 ミカエルのこと 】
ダニエル10:13 ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、
そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、
私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、
10:21 しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。
あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。
12:1 その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。
国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。
しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。
ユダ9 御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて、悪魔と論じ、言い争ったとき、
あえて相手をののしり、さばくようなことはせず、
「主があなたを戒めてくださるように。」と言いました。
黙示録12:7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。
それで、竜とその使いたちは応戦したが、
>223
【 主イエスの再臨 】
Tテサロニケ1:9 私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、
また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、
1:10 また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、
すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが
天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです。
4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、
ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
4:17 次に、生き残っている私たちが、
たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
4:18 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。
Uテサロニケ1:5 このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、
神の正しいさばきを示すしるしであって、
あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。
1:6 つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、
1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、
報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。
そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。
1:8 そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。
1:9 そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、
永遠の滅びの刑罰を受けるのです。
227 :
名無しさん@M:03/03/02 14:31
【ミカエル】
ミカエルは、天使長のひとりで、戦いの御使いです。
ダニエル書では、ユダヤ人のためにペルシャと戦い、(10:13)
世の終わりに、神の民のために立ち上がる。(12:1)
ユダの手紙では、モーセの遺体をサタンから守った。(1:9)
黙示録では、サタンを天から追い落とす。(12:7-9)
ところで、私は今朝、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」を見ました。
【特集「アメリカがイラクを攻撃する本当の理由」〜Aキリスト教原理主義者の政治力〜】
・・・この番組を見た人も多いと思いますが、何か気になることのあった人は、ここにカキコ
してみませんか。
私も、気になったことをカキコします。
>227
>【特集「アメリカがイラクを攻撃する本当の理由」〜Aキリスト教原理主義者の政治力〜】
テレビ無いから見ちゃいないし分からないけど、戦争は反対でない。
いずれしないといけないだろう。サウジやエジプトみたいに大人でないから。
中近東からの貿易品、たとえば石油とかが滞り、
原爆や原子力や化学兵器・細菌兵器で、今後とも世界貿易に問題が起こらなければ、
日本での生活には問題ないですけどね。
北朝鮮の偽ドル工場から輸出された偽ドルは、
リビア経由で本物のドルに交換されて、ロシアからの技術供与や、
中東の反米諸国との取引に使われていますよ。
北朝鮮が、パキスタン・アフガニスタン・アルカイダ・イラク・リビアと、
これからも関わって、
北朝鮮のテポドンやパキスタンの原爆をイラクが改良して、
リビアに輸出されたら、たまらないですよね。
リビアの向かいのシチリア島やサルディニア島・コルシカ島にイタリア・ローマが、
角度を変えて距離があるがテポドンなら届く、
フランス・マルセーユや、イタリア・ミラノに、スペインの端イギリスのジブラルタルが、
攻撃されれば、
地中海世界の西半分は、そう簡単に軍事的反撃も、経済復興もできないでしょう。
でも攻撃した側は、
もともとが貧しく、自活するのが西洋に頼っていないから、
外交的にも貿易とかで困らせられないし、困った存在ですよ。
軍事力の威嚇や行使以外に取引の仕様がない。
229 :
名無しさん@3周年:03/03/02 23:11
踊る仮面達…我、神を敬い神を頼らず、己を信じ棘の道を行く…イエス
>208 もとぴさん
JWの集会では聖書が示す日常生活の指針の話もありますが、
教理の説明の話もあります
その中にはハルマゲドンや神の王国についての話も確かあったと記憶しています
毎年の主の記念式の話でもそれに関係する濃い話がありました
JWもプロと同じく贖いを信じていますが、その多くは
罪のない環境の下で、地上で永遠に生きるという希望を持ちます
これは当初アダムに与えられた希望と同じです
天に行く人々がイエスのように王とされ、支配することは聖書から明らかです(>174)
謙遜さが必要であるという意味で、もとぴさんのご意見も正しいです
でもそれは支配する王としての仕事を度外視すべきものではないと思います
教会の中の責任を伴う立場の資格についてパウロは何度か述べましたが、
資格があればその立場として仕事をしなくてもよいという意味ではありませんでした
(マタイに関しては、ルカ22章に似た記述がありますが、
天の王国に行く謙遜な人たちと支配権がここでも結び付けられています
>>222>>225>>227 ゼカリヤ3・4章をユダ9、啓示各章と比較。
ユダ9 しかし、み使いの頭ミカエルは、悪魔と意見を異にし、モーセの体について論じ合った時、彼に対してあしざまな言い方はせず、ただ、「エホバがあなたを叱責されるように」と言いました。
ゼカリヤ3.1-2 それから彼は、大祭司ヨシュアがエホバのみ使いの前に立っているのを見せてくれた。そしてサタンは、彼に抵抗しようとしてその前に立っていた。
その時、エホバのみ使いがサタンに言った、「サタンよ、エホバがあなたを叱責されるように。エルサレムを選び取られるエホバがあなたを叱責されるように。この者は、火の中からつかみ出された丸太ではないか」
文脈を追っていくと
ゼカリヤ3.8-9 (さきのみ使いが大祭司ヨシュアにエホバの言葉を告げて)「『大祭司ヨシュアよ、あなたも、あなたの前に座すあなたの友たちも、どうか聞くように。これらは、異兆となる人々だからである。
今わたしは、自分の僕である新芽(ネーツェル)を携え入れるのである。
見よ、わたしがヨシュアの前に置いた石がある!その一つの石に七つの目がある。今わたしは、それの彫り込みを行なう』と、万軍のエホバはお告げになる。『そして、その地のとがをわたしは一日のうちに取り去る』
「七つの目を彫り込んだ一つの石」とは?
啓示5.6 するとわたしは、み座と四つの生き物との真ん中に、また長老たちの真ん中に、ほふられたかのような子羊が立っているのを見た。それには七つの角と七つの目があり、その目は、全地に送りだされた神の七つの霊を表している。
「七つの目=神の七つの霊」でつながる「ひとつの石」と「子羊」。
神の七つの霊についてのさらなる比較はこのつづきに…
「七つの目(神の七つの霊)」でつながる「ひとつの石」(ゼカリヤ3.9)と「子羊」。
神の七つの霊についてのさらなる比較。
啓示4.5 そして、み座からは、稲妻と声と雷が出ている。また、火のともしび七つがみ座の前で燃えており、それらは神の七つの霊を表している
ゼカリヤ4.2-3(ゼカリヤと話していた別のみ使い)そうしてわたしにこう言った。「あなたには何が見えるか」
それでわたしは言った、
「わたしが見ますと、ご覧ください、全体が金でできていて、その頂にひとつの鉢を載せた燭台があります。また、その七つのともしび皿、ちょうど七つがその上にあります。その頂にあるそれらのともしび皿には、七本の管が付いています。
そして、その傍らには二本のオリーブの木が、一本は鉢の右側に、一本はその左側にあります」
「二本のオリーブの木」と、その真ん中にある七つのともしび皿をもつ燭台……それはつづきに。
ユダ9とゼカリヤ3.1-2の比較から、ゼカリヤ3章に出てくる、大祭司ヨシュアの前にいるみ使いをミカエルと類推できます。
(ここで、
「ユダ9のミカエルはモーセの体について悪魔と論じていた。しかしゼカリヤ3.1-2では、モーセではなく汚れた衣をまとった大祭司ヨシュア(ゼカリヤ3.3)についての対決ではないか?」
と思う人がいるでしょう。この点についてはこのつづきでちょびっと考慮します)
そのみ使いは神の言葉をヨシュアに告げ、ゼカリヤ3.8では「新芽」(ネーツェル)について、さらに3.9で「わたしがヨシュアの前に置いた石がある」と万軍のエホバの言葉を語ります。
それらが示すのは、「彼はナザレ“ネーツェル”人と呼ばれるであろう」と言われた人物、また「ほふられたかのような子羊」です。
預言者ゼカリヤが見たその場面で、はじめからヨシュアの前にいたのは誰か?
そう、ゼカリヤ3.1の「み使い」、おそらくミカエルです。
さて、「二本のオリーブの木」と、その真ん中にある七つのともしび皿をもつ燭台(ゼカリヤ4.2-3)について。
七つのともしびが「神の七つの霊」を表す場面が啓示4.5にある。同様に…
ゼカリヤ4.10 小さな事の日を侮ったのは誰であろうか。しかし、彼らは必ず歓び、ゼルバベルの手に下げ振りがあるのを見るであろう。これら七つのものはエホバの目である。それは全地を行き巡っている」
(ゼカリヤ4.10は、七つのともしび皿をもつ燭台と、傍らの二本のオリーブの木の意味を、ゼカリヤ3.1とは別のみ使いがゼカリヤに教えている文脈の一部。
しかしオリーブの木についてはこのあとで別に説明しているから、ここは七つのともしび皿についての説明であることがわかる)
したがって、ここでの「七つのともしび皿をもつ燭台」を、「七つの目」をもつ「ほふられたかのような子羊」(啓示5.6)と推定できる。
では「二本のオリーブの木」とは何か、なんですが、長くなったのでそれはつづくレスで。
「二本のオリーブの木」(ゼカリヤ4.3他)とは何か。
ゼカリヤ4.14 すると彼はこう言った、「これらは、全地の主の傍らに立つ二人の油そそがれた者たちである」
啓示11章と比較。(可能なら、「神のイスラエル」「新しいエルサレム」に関する聖書の文脈を参照してください)
啓示11.3-4、6 …そしてわたしは、わたしの二人の証人に、粗布を着て1260日の間預言させる」。
これらの者は、二本のオリーブの木、また二つの燭台によって象徴されており、地の主の前に立っている。
「二人の証人」について考えるのに、つづく6節が役立ちます。でもこれはまたあとで。
「二本のオリーブの木」(ゼカリヤ4章)が表す二人の預言者また証人について、啓示11.6を考慮します。
(6)彼らには、天を閉ざして、その預言するあいだ雨を降らせないようにする権威があり、また、水を制してそれを血に変え、あらゆる種類の災厄をもって何度でも望むだけ地を撃つ権威がある。
「二本のオリーブの木」すなわち「二人の証人」とは誰か?
彼らは「1260日」、文脈で「42ヵ月」(啓示11.2)のあいだ預言し、証する。42ヵ月はつまり三年半。
「天を閉ざして、その預言するあいだ(1260日間)雨を降らせないようにする権威」
列王上17.1 それから、ギレアデの住民の出のティシュベ人エリヤはアハブに言った、
「わたしがまさしくその前に立っているイスラエルの神エホバは生きておられます。わたしの言葉の命令によらなければ、ここ何年間かは露も雨もないでしょう!」
ちなみにこのあと、三年半干ばつがつづきます。
「水を制してそれを血に変え、あらゆる種類の災厄をもって何度でも望むだけ地を撃つ権威がある」(これは明らかに、エジプトのナイルを血に変えた人、つまりモーセを連想させます)
つまり、「二本のオリーブの木」は、1260日間預言する二人の証人、それは象徴的な意味で「モーセ」と「エリヤ」。彼らはユダヤ教の聖典、「律法」と「預言者」の代表者。
大祭司ヨシュアは、ゼカリヤの時代、モーセの律法の代表者でした。(モーセ自身は律法のみならず、バプテストのヨハネまでの最重用の預言者でしたが。そのヨハネは「来るはずのエリヤ」)
「律法と預言者」、これはヘブライ語『聖書』の、昔からの別名ですね。
さらにその真ん中に神の七つの霊をもつ者(啓示3.1)、七つの目の彫り込みがある石、七つのともしび皿がある燭台、つまり七つの目があるほふられた子羊、イエス(ちなみにヘブライ語ならヨシュアか)。すなわちミカエル。
この点、さらに言えば、ゼカリヤ3章の「み使い」は4節で大祭司ヨシュアに、「見なさい、わ た し はあなたのとがをあなたの上から過ぎ去らせた」と、
述べています。
この言葉は贖い主キリストの権能を想像させます。
あと、モーセとエリヤの真ん中に立つイエスの幻は、福音書(とペテロ書簡)「にも」あるのを、みなさんはご存じのはずです。
ゼカリヤの預言はこのように、黙示録の預言や記述を解釈するための、いわば「合鍵」のような部分が特に多いどす。
236 :
名無しさん@M:03/03/03 20:04
>228さん。
今、【キリスト教原理主義】について、カキコの用意をしているところです。
少し時間がかかります。
>230さん。
またゆっくりと考えておきます。
>231〜235さん。お疲れ様でした。
レスを付けたいのですが、とても長い文章なので、
要点を箇条書きにして、まとめていただけませんか?
>236
>少し時間がかかります。
了解。
>236
長文
>>231-235を、主張または解釈ごとに出来るだけ整理してみました。
@ミカエルと名指しはされていないものの、ユダ9との比較から、
ゼカリヤ3.1-2で書かれているみ使いをみ使いの頭ミカエルと類推できること。
Aゼカリヤ3.9「七つの目の(彫り込みのある)石」と啓示5.6「ほふられたかのような子羊」の類似。
Bゼカリヤ4.2「七つのともしび皿(をもつ鉢、それが頂にある燭台)」と啓示4.5 七つのともしび の比較、「七つのともしび」は神の七つの霊であること。
よって、ゼカリヤが見たという七つのともしび皿をもつ鉢、または燭台全体は、「子羊」のことであろうこと。
Cゼカリヤ4.3、11-12、14燭台の左右の「二本のオリーブの木」が、啓示11.6などから「モーセとエリヤ」によって象徴されていると言えること。それは「油そそがれた」二人の「証人」。
ゼベダイの子らとペテロが見たという、イエス(ヨシュア)の変貌(マルコ9.4やペテロ第二1.18)と比較。
D大祭司ヨシュアの前に置いた、とか、一日のうちにとがを取り去る、という文脈で語られている(七つの目のある)「石」(ゼカリヤ3.9)と、
そのときヨシュアの前にいてそれを告げているみ使い自身の類似(ゼカリヤ3.4)。
@から、このみ使いをミカエルと解釈すれば、ミカエル…七つの目のある石…ほふられたかのような子羊 とつながる。
239 :
名無しさん@M:03/03/06 19:52
・・・ H15.2.2 テレビ朝日「サンデープロジェクト」より ・・・
アメリカのイラク攻撃。現在、掲げている理由は、大量破壊兵器所有、アルカイダとの関係。
隠された本音は、フセインシンドロームと9/11テロ、2004年大統領選挙、石油利権、経済停滞隠し。
ブッシュ政権がイラク攻撃にこだわる理由の一つとして、「キリスト教原理主義者」の存在と政治力がある
というふうに言われている。
彼らは、聖書を文字通り解釈するプロテスタントで、中西部や南部に多い。(テキサス州、カンザス州、ジョージア州)
彼らの主張は、内政では、進化論教育の反対、妊娠中絶の禁止、同性愛者の人権制限、銃規制に反対など。
対外政策では、「強いアメリカ」を主張、軍備拡大に賛成、敵対国には武力行使を含む強硬策。
つまり、おおむねタカ派的で、超保守的な政策を支持している。
アメリカ国民のおよそ10%にあたる、2000万〜3000万人が「キリスト教原理主義者」だと言われ、
これに近い信仰を持つ者は、7000万人にも達するとされる。
もともと南部を中心に古くから根付いてきた「キリスト教原理主義」は、レーガン政権誕生の80年代頃から、
強力な指導者のもと、組織化されていった。そして、3000万人ともいわれる信者数の力でとくに共和党の
最大の支援母体となり、大統領選挙にも介入した。
2年前の大統領選挙では、「キリスト教原理主義者」が支援した3000万票にも助けられ、ブッシュ候補は大接戦
の末大統領になった。ブッシュ大統領は就任後、「キリスト教原理主義者」を政権内の重職に登用した。
240 :
名無しさん@M:03/03/06 19:55
(つづき)
「キリスト教原理主義者」のあり方には批判も多い。とくに、彼らの圧倒的多数をアングロサクソン系
の白人が占め、移民にも反対し、排他的な思想が目立つことから、同じ宗教界からも批判が強い。
・・・キング牧師の運動を継ぐフレッド・テイラー牧師のインタビュー・・・
「彼らは、政治的野心を実現するため、宗教を利用しているにすぎません。宗教というより〔白人主義〕
だと私は思います。」
ブッシュ大統領自身が、今から16年前(1987年)39才の時にテレビ伝道師のビリー・グラハム牧師の
再洗礼を受け、「キリスト教原理主義者」となっていたという。
ブッシュJRの政権になってはじめて、大統領も「キリスト教原理主義者」、それを取り巻く主要閣僚も
「キリスト教原理主義者」になったという。
「キリスト教徒だけが天国に行ける」「天国に行けるのはキリスト教徒だけだ」
専門家は、「キリスト教原理主義」の最大の特徴は、自分たちだけが正しく、それ以外は
悪(邪悪=evilイーブル)であるとする【善悪二元論】だという。
そして、力ずくでも自分たちの価値観を押し付けようとするものであり、
それがイラク攻撃に向けても一貫して流れている、という。
・・・「来週は アメリカの正義を疑うシリーズ 第三弾」とのこと。。。 2月9日の放送です。
質問ですけど?
キリスト原理だというと、誤弊がありますが、
中西部のペンテコステ派と、南部のバプテスト派が中身ですよね。
メソジストとかアングリカン、各国リフォームドにプレジピテリアン、
カトリックに少数ながら正教など、支持していないのでしょ。
個人的に私は、キリスト教徒はキリスト教の天国へ行けばいいのであって、
ユダヤ教やイスラム教や仏教の天国には、キリスト教徒は行かないから、
別に大した発言に聞こえませんけど。
7つの天の内のどれかいいのを選べばいいじゃん。
全部がキリストの福音を聞いて死んだわけでなし、
キリストの福音を聞かなかった時代や地域の人は、
死んで律法に当てはまる義人であれば、天国に行くわけだから、
7つの天が全部、キリスト教徒の天国である訳じゃないし。。。
>241
イエメン(シバの女王のアラビア半島南部)で、
バプテスト派の教会や病院がテロにあったじゃないですか?
ロシアで、
ペンテコステ派が正教やイスラムに目のカタキだし。
>242
アメリカ臭ければ、世界各地の何処でも何でも狙われるんだよ。
マクドナルド、ケンタッキー・フライドチキン、バーガーキング、
日本でも(仙台しか見ていないが)ケンタッキーが閉店し、
赤黄青のシルエットに「草家」という店名で、
漢字とハングルで書かれた韓国家庭料理店(キムチと焼肉)の店が開店した。
>243
だって本当だもん。
仙台、ソウカに狙われているし、仙台藩揺れるとか市バス広告に伊達騒動の浮世絵、
それに、スプレー落書きなど嫌がらせ続出。。。
彼らに、
ジェントルマン(紳士)もナイト・スピリット?(騎士道)も、
減った暮れも無いし。
>244 揺れると言えば。
そういえばこの前、(宮城県で)地震があった。
呪われている鴨?
248 :
名無しさん@M:03/03/06 22:16
訂正
>239 ×H15.2.2 ○H15.3.2
>240 ×2月9日の放送です。 ○3月9日の放送です。
>241さん。
私はキリスト教の教派については、あまり興味がなかったので、よくわかりません。
今から21年ほど前のことですが、日本で「ビリー・グラハム国際大会」が開催されました。
当時の日本のプロテスタント諸教会は、ビリー・グラハム牧師を、熱狂的に迎えたのでした。
・・・日本のプロテスタント教会には、「キリスト教原理主義」の政治的な面での影響はないでしょうが、
神学的な面では、「キリスト教原理主義」の影響を少なからず受けている、と私は思います。
牧師のメッセージは、たいてい二元論的だし。。。
・・・ キリスト教徒以外は「邪悪」ってか。。。
はっきり言うと、「ファンダメンタル」と「善悪二元論」をキーワードにすると、
日本のプロテスタントと、エホ証は、似てるのよ。。。 (これは 問題発言鴨)
249 :
名無しさん@M:03/03/06 22:38
>248の修正
> ・・・日本のプロテスタント教会には、「キリスト教原理主義」の政治的な面での影響はないでしょうが、
> 神学的な面では、「キリスト教原理主義」の 【影響を少なからず受けている】、と私は思います。
・・・日本のプロテスタント教会には、「キリスト教原理主義」の政治的な面での影響はないでしょうが、
神学的な面では、「キリスト教原理主義」の 【影響が少なからずある】、と私は思います。
250 :
名無しさん@3周年:03/03/06 23:06
Mさん
>>338についてキリスト教ではどう考えているのですか?
251 :
名無しさん@M:03/03/07 23:05
>250さん。 >338とは>238のことでしょうか?
238さん、お待たせしました。
あなたが、結論として「イエスはミカエルである」と言いたいことはわかりますが、
その結論に至るまでの過程、つまり、その「根拠」は、とてもわかりにくい。
それで、私なりに、あなたの主張の概要をまとめてみました。
>238
> このみ使いをミカエルと解釈すれば、ミカエル…七つの目のある石…ほふられたかのような子羊 とつながる。
・エホバのみ使い(A)=ミカエル(B)。(類推。ユダ9との比較から)。 A:ゼカ3:1-2 B:ユダ9
・七つの目のある石(C)=ほふられたかのような子羊(D)。(類似しているから)。C:ゼカ3:9 D:啓示5:6
・七つの目のある石(C)=エホバのみ使い(A)。(類似しているから)。 A:ゼカ3:4
エホバのみ使い(A) = ミカエル(B) と 解釈すれば、
ミカエル(B) = 七つの目のある石(C) = ほふられたかのような子羊(D) とつながる。
・・・つまりは、「A=B=C=D」ということでしょうか。。。
252 :
名無しさん@M:03/03/07 23:07
>230さん。お待たせしました。
> 天に行く人々がイエスのように王とされ、支配することは聖書から明らかです
私としては、次の三点を記しておきます。
【千年王国】においては、
〔第一の復活にあずかる者。聖なる者〕が、〔諸国の民〕を指導する、と考えられる。(黙示20:3-6)
黙示20:15の【いのちの書】は、【子羊のいのちの書】(21:27)である。
罪ある人間は、子羊イエスの血によって、罪の赦しと、永遠のいのちにあずかる。
【新天新地】は、千年王国と最後の審判の後に到来する永遠の〔神の国〕である。
神の一元的支配が完全に回復する。 (サタンの支配からの開放と、善悪の二元支配からの開放)
・・・簡単ではありますが、このカキコをもって、
>205
> 〔地上の楽園/千年王国〕 と 〔新しい天と地/新天新地〕について
> お互いの立場で、過去のカキコを簡潔に整理しておくことにしませんか?
に対する、私の答えとさせていただきます。
254 :
名無しさん@3周年:03/03/08 03:25
>>252 そのようです。
それについてはどう思われますか?
やはり、イエスはミカエルだったんでしょうか?
それとも、やはり子なる神ですか?
255 :
名無しさん@3周年:03/03/08 13:28
>251
「とてもわかりにくい」とのご指摘、お恥ずかしいかぎりです。
ミカエルがキリストであるとの主張が、文脈の示唆するところを逸脱した解釈とは必ずしもいえない、という事に傍証を付けたため、ずいぶんまわりくどくなりました。それは同時に以下の論点への伏線です。
ゼカリヤとヨハネの啓示についてのさらなる考慮をいずれカキコします。それがもともと主眼でした。
それによって
T「新天新地」
U「王として統治」
V「復活と天と地」
W「最後の審判」
X「144000」
Y「新しいエルサレム」「聖なる都市」
Z「祭司 王」
[「24人の長老」
そして
\「子羊」
]「エホバ」
こういった部分の話ができそうです。
256 :
名無しさん@M:03/03/08 20:18
254さん。255さん。
>251は、とりあえず >231-235 >238のアウトラインを把握しなければと思って
とりあえず まとめたものです。
挙げられた聖句については、私はまだ十分な検討をしていません。
ところで、254さんや、255さんは、
〔エホバのみ使い = ミカエル = 七つの目のある石 = ほふられたかのような子羊〕
が、聖書の真理であると、信じておられるのですか?
258 :
名無しさん@M:03/03/09 18:02
>254、257さん。
> やはり、イエスはミカエルだったんでしょうか?
> それとも、やはり子なる神ですか?
聖書の中で、「イエスは〔ミカエル〕」、と告白している箇所は一つもないし、
また、「イエスは〔子なる神〕」、と告白している箇所も、一つもないと思います。
(「ひとり子の神」と告白している箇所はあります。ヨハネ1:18)
聖書は、「イエスは〔神〕」、と告白しています。
ここでは、ヨハネ1:1とヨハネ20:28を紹介します。
259 :
名無しさん@M:03/03/09 18:05
【ヨハネ1:1】の 本文と訳
ギ) エン 【アルケー】 エーン ホ ロゴス,
英) In the beginning was the Word In the beginning was the Word,
日) 初めに あった ことばが 初めに、ことばが あった。
カイ ホ ロゴス エーン プロス 【トン セオン】,
and the Word was with the God and the Word was with God,
そして ことばは あった とともに 神 ことばは 神 とともに あった。
カイ 【セオス】 エーン ホ ロゴス.
and God was the Word and the Word was God.
そして 神 であった ことばは ことばは 神 であった。
参考: 【ヨハネ1:1のアルケー(初め)】は、創世記1:1の「初め」とは違う意味を持っている。
創世記1:1の「初め」は、天地創造の「初め」。
ヨハネ1:1の「初め」は、天地創造以前の「初め」。
(ヨハネ伝における天地創造は1章3節)
260 :
名無しさん@M:03/03/09 18:10
>259 ・・・禿げしく ズレました。。。 未熟者なので、ゆるしてね。
カイ 【セオス】 エーン ホ ロゴス. (ことばは神であった。)
・・・ヨハネ1:1の、冠詞の付いていない【セオス】の解釈(1)・・・・・
解釈と訳語
A.述語名詞が、連結動詞の前に置かれるなら、その名詞には冠詞を付けない
主語:ホ ロゴス(ことばは) 連結動詞:エーン(であった) 述語名詞:セオス(神)
訳語は 【God】
B.この〔セオス〕には、冠詞がないから、神(God)と同一ではない
@ ウイリアム バークレーや、J・ハロルド・グリンリーの見解。
訳語は、Aと同様に【God】を用いている。
A ロゴスがセオスと同じ特質を有している。 言葉は神性を備えた者であった。
訳語は 【divine】(ディバイン)。
B ロゴスのある特質を表わしているに過ぎない。
訳語は 【a god】。
Aの解釈と訳語が、ギリシャ語学者の一般的な見解のようです。
Bの解釈には、@ABの見解があるようです。
次に、Bの@について詳しくカキコします。
261 :
名無しさん@M:03/03/09 18:12
・・・ヨハネ1:1の、冠詞の付いていない【セオス】の解釈(2)・・・・・
Bの@について。イギリスの聖書翻訳者William Barclay(ウイリアム バークレー)の著書から引用。
(聖書註解シリーズ5 「ヨハネ福音書 上」 ヨルダン社 \2000円 1968年第一刷発行)
・・・ヨハネは、言葉は神であったという。これは確かに私たちにとって理解しにくい言葉であり、ヨハネが
福音書を書いたギリシャ語は、英語と違ったいい方をしているのでむずかしいのである。
ギリシャ語で名詞を用いるときには、ほとんど常に定冠詞を用いる。神に対するギリシャ語は〔セオス〕であり、
定冠詞は〔ホ〕である。ギリシャ人が神について語るときは、ただ〔セオス〕といわずに、〔ホ・セオス〕という。
ギリシャ語が名詞に定冠詞を用いないときは、その名詞は形容詞のようになり、その人の人格、素質を
あらわす。
ヨハネは、言葉は〔ホ・セオス〕であったとはいわなかった。
そういったとすれば、言葉は神と同一であったということになったであろう。
ヨハネは定冠詞なしに言葉は〔セオス〕であったというのである。
それはいうなれば、言葉は神と全く同じ人格、素質、本質であったという意味である。
ヨハネが言葉は神であったといったとき、彼はイエスが神と同一者であるといったのではない。
彼はイエスが精神において、心において、また実在において神と全く完全に同じであり、
私たちがイエスのうちに、完全に、神はどのようなおかたであるかを見るのである、
といったのである。
> 私たちは、イエスのうちに、完全に、神YHWHはどのようなおかたであるかを見る。
このカキコ(>202)は、この本の53ページから引用したものでした。
262 :
名無しさん@M:03/03/09 18:14
・・・ヨハネ1:1の、冠詞の付いていない【セオス】の解釈(3)・・・・・
Bの@について。 J・ハロルド・グリンリー著「新約聖書ギリシャ語釈義文法の手引」から引用。
【ホ セオス】・・・冠詞の付いているセオス (トン セオンは、ホ セオスの語形変化したもの)
神的称号に冠詞が付く場合には、人格すなわち彼はだれか、に強調点が置かれる。
【セオス】・・・冠詞の付いていないセオス
神的称号に冠詞がなければ、その本性や働きに、すなわち彼は何か、に強調点があると考えられる。
解釈 ・・・ 「ことばは神 (神の本性や本質について言われている) であった。」
263 :
名無しさん@M:03/03/09 18:20
・・・・・ トマスの告白 ・・・・・
【ヨハネ20:28】 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
ギ) ホ キュリオス ムー カイ ホ セオス ムー
英) The Lord of me and the God of me My Lord and My God.
日) 主 私の そして 神 私の 「 私の主。 私の神。 」
264 :
名無しさん@M:03/03/09 21:23
>259の修正版です
ギ) エン 【アルケー】 エーン ホ ロゴス,
英) In the beginning was the Word In the beginning was the Word,
日) 初めに あった ことばが 初めに、ことばがあった。
カイ ホ ロゴス エーン プロス 【トン セオン】,
and the Word was with the God and the Word was with God,
そして ことばは あった とともに 神 ことばは神とともにあった。
カイ 【セオス】 エーン ホ ロゴス.
and God was the Word and the Word was God.
そして 神 であった ことばは ことばは神であった。
265 :
231-235:03/03/10 13:08
>256-264のレスを読みました。254さん、
>>258の指摘の通りかと思います。
>256 キリストがミカエルであるというのが聖書の真理であると信じているのか?とのご質問に答えます。
信じていません。
「妥当な推測だと判断する」のみです。証拠を組み立てて推理する人のような気持ち。
ドラマでも、「信じたくはないが…」てな感じの台詞がありますね。
だから、ヘブライ・アラム・ギリシャ語聖書の記述と不整合なら、たとえ不愉快でも不当だと判断するでしょう。
つまり、「妥当な判断」と「信じる、信じない」とは少し違うと思っています。
そういう意味で、「信じていません」
266 :
名無しさん@3周年:03/03/10 13:30
そういう意味で
267 :
名無しさん@M:
>257(=254)さん。>265さん。
>231-235、>238で挙げられた聖句について、検討を始めました。
難解(てゆーかわかりにくい)なので、しばらく時間をください。
遅くとも、一ヶ月以内には回答できると思います。
>259-262の ヨハネ1:1については、私が、今から14年ほど前にいろいろ
調べてまとめたことどえす。
思い起こせば14年前、>260のように頭の中で整理されるまでには、
かなりの時間がかかったのだ。
それが、こうして他の人に読んで頂けるとは、思ってもいなかった。
・・・でも、少し訂正しておきたい。
>260
× A ロゴスがセオスと同じ特質を有している。 【言葉は神性を備えた者であった】。
○ A ロゴスがセオスと同じ特質を有している。 【ロゴスは神性を備えていた】。