どうやってイエスを信じたの?教えてたもれ。

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1十字架の血潮
イエス・キリストを信じている人にお尋ねします。
どんな経過でイエス・キリストを
ご自分の救い主として信じましたか?
信じる前、信じる過程、信じた後、
どんなだったか書いてくれると嬉しいです。
2橋田壽賀子:02/10/02 12:23

作り話だろうと、なんだろうとおナミダちょうだいが、いいんだーーーーーー!
3名無しさん@1周年:02/10/02 14:13
2GET!!!
43:02/10/02 14:15
しまった遅かったか!
5名無しさん@1周年:02/10/02 14:19

 >>1

 >どうやってイエスを信じたの?教えてたもれ。

 マインド・コントロールに決まってまんがな!

6wise:02/10/02 14:22
だまされて・・・とかは駄目?
7名無しさん@1周年:02/10/02 14:23



   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< >3ワラタ
(    )  \_____
| | |
(__)_)
8名無しさん@1周年:02/10/02 14:32
 私が教会にくるきっかけとなったのは、ゴスペルコンサートでした。
そのコンサートで初めて「ゴスペル」というものがどのようなものかを知り、
感動しました。それから日曜日の礼拝に出るようになり、何度か聖書勉強をするうちに、
いつの間にかイエス様を受け入れていました。
 しかし、受け入れてもなかなか礼拝に出ることができませんでした。というのは
当時ダンスの専門学校に通っていたので、本番近くなると、ダンスの練習のため、日曜日も
朝から夜まで学校という日々を送っていたからです。それに教会に通い始めたばかりの
私にとって、礼拝に出るよりも、日曜日くらいは疲れている体を休めたいという気持ちが
優先していて、学校がない日でもいろいろな理由をつけては教会に来ることを拒んでいました。
でもそんないいかげんな私に姉妹はとても熱心に聖書勉強をしてくれました。
そんな姉妹の姿を見て、神様に対して、その姉妹に対して申し訳ないと思いました、
それ以来、学校のない日はもちろん、学校がある日でも教会に来れる日は来るようになりました。
それからの私は今までの私と違い、すごく明るくなりました。神様に出会う前は人になかなか
心を開くことが出来ませんでした。それに、親に対しても反抗的で、素直に言うことを
聞けませんでした。でも牧師先生のメッセージの中で、親を愛することは神様を愛することと
同じだといわれたとき、私は口では愛していると言っていても、心のそこから愛していないんだと
悟り、悔い改めました。今では親の言うことも素直に受け止めるようになりました。
9続き:02/10/02 14:32
続き また、最近のことなのですが今年の2月に父の勤めていた会社が倒産し、失業しました。
その時父に新しい就職先を与えてくださるように御言葉をもって祈りました。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイによる福音書7:7)
その結果7月から新しい会社に就職しました。
 もうすぐ教会キャンプが始まりますが、私は去年初めて教会キャンプに
参加しました。そのときはまだ信仰の確信がなく、参加しようかどうか迷っていました。
でも、兄弟姉妹の証しを通して行きたいという心が与えられ、祈り課題を
もって参加しました。そんな私に神様は多くの恵みを下さり、講師の先生方の
熱いメッセージによって、救いの確信が与えられ、キャンプファイアの時に
今までに感じたことのない神様の深い恵みを感じ、受洗を決意しました。
今回は2回目なので、去年よりももっとたくさんの恵みをいただけるように
期待して参加します。私のキャンプでの祈り課題は、新しいビジョンが
与えられるように、家族と友人の救いです。祈ってください。
10名無しさん@1周年:02/10/02 14:41
 今、私は美術大学に通っています。とても優れた大学で、昔の私のまま
でしたら絶対に入学することはできませんでした。それは、私が自分自身
何者なのか、自分は一体何がしたいのか良く理解していなかったからです。

昔の私はキリストを知らず、わからず、嫌っていました。クリスチャン
という言葉さえ口に出して言えなかったのです。今思えば自分の腹の考え
に縛られていました。気が付けば心は硬くなり、偏見は付き物、人を見下
すことは悪いことだと分かっていてもとまらないのです。自分が悪いのか、
何が悪いのか分からず、時には高揚したり、時には意気消沈したりの毎日
でした。自分を見失っていたのです。とても寂しいものでした。そして、
その場限りの軽いノリで適当にハイ、ハイと頷くことが既に習慣になり、
それが高じて誘われるがままに教会に来たのです。

そこから、私は変わりました。はじめは何に対しても理解が浅く、聖書の
こと、神様のこと、教会のこと、何を教えられてもさっぱり分かりません
でした。特に礼拝は逃げ出したいという気持ちに駆られる勢いで、食事を
目的に来ていた節もありました。それでも、神様が毎週、毎週、日曜日に
私を教会に呼んで下さったので、礼拝を休むことなく、夏の教会キャンプ
へと行くことができたのです。

11名無しさん@1周年:02/10/02 14:42
>どうやってイエスを信じたの?

イエスといったから。
12名無しさん@1周年:02/10/02 14:42
キャンプは楽しかったのですが、気持ちの上でまだはっきりと神様のこと
を認めていなかったので、心の底からは楽しめませんでした。まだ人を赦
しきっていなかったのです。神様のことをコレッポッチも考えていません
でした。それでも神様は私を愛してくださいました。神様ご自身、その身
を引きちぎってまでも私に命のパンをお与えになるのだと知り、心がゆれ
ました。そのときは聖餐式の最中で渡されたパンが私の手の中にありまし
た。今まで散々悪いことをしてきたし、これからもそれは止まらない。そ
れでも神様は倦むことなく私を愛される。私には何もないけれど、信じら
れるなら信じたい。」と言って泣きながら食べたのです。この生涯一度で
いい、本気になって皆が言っているこの「愛の神様」を信じてみようと、心
からそう思ったのです。

それから、不思議なことが徐々に起こり始めました。第一に、生活が安定
していくのです。一人暮らしの私の部屋は汚く、生活にリズムがなかったの
ですが、それが実に安定し、部屋は常に整理整頓されるようになりました。
第二に心に余裕が生まれました。生活に落ち着きが生まれたのもこのためだ
と思います。何に対しても平等に目を配ることができ、なに過不足なく、充
実した毎日を送るようになりました。第三に気持ちが優しくなっていき、喜
ぶことに満ちていて、偏見の心はいつのまにか薄れ、自分自身をよく理解す
るようになりました。自分が本当にやりたい事を深く突き進んで考えられる
ようになったのです。
13名無しさん@1周年:02/10/02 14:43
 そして、今年の春、神様はそんな私を大学に進学させました。昔は「何を
一番に優先すべきか、一番なんてわからない」と思っていたのですが、今で
は「御旨こそが一番です」と自信を持って言えます。この方を一番にすれば
物事が不思議なくらいに順序良く整理されていき「よく分からない」という
混沌とした自分から解放されるのです。私はますます神様と一緒にいたい
と思うようになりました。生きていく上で明確なビジョンが与えられるか
らです。
 これからは今まで通り主日礼拝を朝から献げ、御言葉を聞いて実践し、
イエス・キリストが来られる日まで信仰をもち続けることです。これを守
れることは神様にとって幸せであり、そのことが私にとって幸せです。
 最後に、今はもっぱら来年のキャンプに期待しています。たくさんの
恵み、たくさんの愛に溢れる3泊4日となり、キャンパスの目標、教会の
目標を大いに達成し、神様の御力を見る夏キャンプになることを祈っ
ています。
14名無しさん@1周年:02/10/02 14:43

自分だけが、幸せになるため。  自分だけが、幸せになるため。  自分だけが、幸せになるため。  
自分だけが、幸せになるため。  自分だけが、幸せになるため。  自分だけが、幸せになるため。  
自分だけが、幸せになるため。  自分だけが、幸せになるため。  自分だけが、幸せになるため。  

15名無しさん@1周年:02/10/02 14:46
>>14
正直でよろしい。

俺もだ。
16名無しさん@1周年:02/10/02 14:48
神を信じてる奴はその精神構造に問題があるんじゃないか?
何で信じれるんだ?
教えてくださいよ。
17名無しさん@1周年:02/10/02 14:50
>>16
お前、自分で答え書いてるじゃん。
精神構造に問題があるから信じれるんだよ。
18 聖母マリアの約束:02/10/02 14:52
1.ロザリオを熱心に唱えた全ての人に、私は特別な保護と豊かな恵みを約束します。
2.ロザリオを忍耐強く、繰り返し唱える人は顕著な恵みを受けるでしょう。

3.ロザリオは地獄に対するとても力強い武器になるでしょう。ロザリオは悪をくだき、罪から救い
  異端を追い払うでしょう。

4.ロザリオは徳と善業を行わせ、 最も豊かな神の慈しみを注ぎ、 世を愛するよりも 神を愛させ、
  天国の永遠の富を望むよう魂を高めるでしょう。ああ、それらの魂がロザリオによって、自分を
  聖化しますように!

5.ロザリオを通して、私に自分をゆだねる人は滅びないでしょう。

6.それぞれの奥義を黙想しながら、 ロザリオを信心深く唱える人は、 不幸に打ち負かされる事も、
  不幸な死を迎える事もないでしょう。 罪人は改心し、正しい人は恵みのうちに成長し、永遠の
  生命にふさわしい者となるでしょう。

7.ロザリオの信心に熱心な人は、教会による慰めや恵みなしに死ぬ事はないでしょう。
8.ロザリオを唱える人は生きている間も、死に臨んでも、神の光、神の恵みに満たされ、祝福された
  者の功徳にあやかる者となるでしょう。

9.私はロザリオの信心に熱心な霊魂を煉獄から速やかに救うでしょう。
10.私のロザリオによって、本当の子供となった人は、天国ですばらしい栄光を受けるでしょう。
11.ロザリオを通して、あなたが願う事を、あなたはきっと得るでしょう。
12.ロザリオを広める人々は、自分が必要とするあらゆる時に、私を通して助けを得るでしょう。

13.ロザリオによって結ばれた仲間が、生きている時も死んだ時も、天国の聖人と親しい交わりを
  持つ事が出来る様に、私は我が子イエズスを通して恵みをいただきました。

14.ロザリオを信心深く唱える人は、すべて私の愛しい子供たちで、イエズス・キリストの兄弟、姉妹なのです。
15.ロザリオの信心は、天の国に入る約束の特別なしるしなのです。
 
       http://www58.tok2.com/home/hoarun/holy%20rosary.htm
19主よ感謝します。:02/10/02 14:55
 一冊の本との出会いが、私の信仰生活を変えました。神さまがすべてを
益にしてくださることを知ったからです。しかし、私のいのちはガンにむ
しばまれていました。

私はそれまでカトリック教会のカリスマ刷新のグループに所属している
クリスチャンでした。聖書はあまり読まず、あいまいな信仰生活を歩んで
いました。
その中で私は1冊の本に出会いました。それはマーリン・キャロザース
著の「賛美の力」でした。この本を通して神はすべてのことを支配してお
られ、私たちを導き、すべてのことについて感謝するように語っておられ
、その感謝のなかで、すべてを益としてくださることを知りました。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のため
には、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは
知っています。」(ローマ書8章28節)
これが私の心に、いつも刻み込まれたみ言葉となりました。
20主よ感謝します。:02/10/02 14:55
 私は何年も前から、蓄膿症という診断で耳鼻科通いをしていました。
ところがそれは蓄膿症などという簡単な病気ではなく、手遅れのガン
だったのです。私には直接知らされませんでしたが、うすうす、ただ
ごとではないことに気がつきはじめました。家族、友人の様子から察
することができたのです。医者から入院が半年から1年になることを聞
かされ、手術もしなければならないことも言われました。不安のなかで、
毎日毎日このことを主に「感謝します。すべてを益としてくださることを
信じます」と主に叫び続けました。本当に不安との戦いでした。
 入院の前日、渋谷で行なわれていた聖会に出席し、いやしのために
祈っていただきました。そして、その集会でみ言葉をいただきました。
「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」
(?コリント12章9節)このみ言葉を握って次の日、入院しました。
 私の病の正式な病名は「上顎洞ガン4期」。末期だったのです。
余命は半年、絶望的診断が下っていたのです。友人たちは、私に隠れて
涙を持って、祈ってくれていたそうです。

21主よ感謝します。:02/10/02 14:56
 そして1997年12月18日、病巣にカテーテルを挿入する手術が行なわれ
ました。手術室に入って行くとき不思議なことに平安だったのです。
主よ感謝します。このことを感謝します。すべてのことを益としてくだ
さる主をほめたたえます。」私はただひたすら感謝しつづけました。
すると、心のなかにイザヤ書35章10節の「主に贖われた者たちは帰って
来る。彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、その頭にはとこしえの
喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、嘆きと悲しみとは逃げ去る。」
とはっきりと語られ、それを口ずさみながらストレッチャーで手術室へ
運ばれていきました。予定は抗ガン剤を注入するための管の挿入だけ
だったので、手術は局部麻酔で始められました。意識はあります。
病巣が開かれたとき、お医者さんたちは急に全員が集まって相談を始め
ました。医者たちの当惑した会話が聞こえてきます。そのなかでも、
私はひたすら心の中で「主よ感謝します。主よこの病ゆえに感謝します」
と祈っていました。
22名無しさん@1周年:02/10/02 14:56
>>16
それじゃ、世界の半数以上の人間は、精神構造に異常があるんだ。
デカルトもスピノザもカントも、アインシュタインも、異常者だったのか。
ユングも異常者なんだ。新渡戸稲造も精神異常者。
そうそう、マザーテレサも異常なんだ。
こうなると、現代社会は精神異常者で作られたことになるな。
しかも、神を否定したマルクス、エンゲルス、毛沢東、金日成などは、
精神構造がまともなんだな。

新しい説だね。
23主よ感謝します。:02/10/02 14:57
 主治医の「カテーテル中止」と言う声が聞こえました。また、「○○さん
大丈夫ですよ」と主治医の先生の声も聞こえました。「死ななくてもすむん
ですね」「そうですよ」。
 私は一瞬何が起こったのかわからずにいました。しかし主が触れて
くださったのだということに気がつきました。私の頬を埋め尽くし、
眼球を圧迫していたガンの病巣は、その時まったく消え去っていたのです。
ただそこにガンがあった証拠に、顔の裏側の骨が激しく溶かされ、眼球は
骨膜だけで支えられていました。
24主よ感謝します。:02/10/02 14:57
 信じられないお医者さんたちは何度も骨の裏側を削って病理検査を
繰り返し、首を傾げるばかりでした。主は生きておられます。
主は私を死から救い出してくださいました。主は賛美と感謝のなかで、
私を完全にいやしてくださったのです。主はみ言葉の成就を見せて
くださったのです。
 私はいま鎌倉で牧師をしています。主がくださった私の命を主に捧げ、
主に聞き従い、主が私にしてくださったこのみわざを世界中の人に
伝えていきたいと、心から願っています。
 神さま、いのちをありがとう。心から感謝します。
25wise:02/10/02 15:00
>>24
あまり人を騙さないようにね。
26名無しさん@1周年:02/10/02 15:02
まあ。何かを信じて幸せなら
それは、ソレでいいんじゃないの?
他人に迷惑(勧誘とか)かけなければ・・・
27名無しさん@1周年:02/10/02 15:04
私がイエスを信じることが出来るのは
マリア様の息子だからです。
それ以外の根拠は特に有りません。
2828:02/10/02 15:04
二八が16文。
29名無しさん@1周年:02/10/02 15:07
>>19
>マーリン・キャロザース著の「賛美の力」

うーん、なんというか、私、この本の読み方がよくわからないです。
ちょっと、私個人としては単純にお薦めできないものを感じてるので、
横からレスしますね。

たとえば、ベトナム戦争にキャロザーズさんが参加したときのことなんかが書かれてますよね。
それで、故郷アメリカに残してきた問題の解決を、
みんなでお祈りしたら見事解決した!!っていう証がいっぱい書かれています。

それはそれで「ハレルヤ!」なんです。

でも、この本を通して、戦争に関わったことへの反省が一度もなくて、
また、戦争に対する祈りや、ベトナムの人々を殺戮しなければならない事への祈りとかもないのです。
「アメリカへ残してきた、自分の息子が非行から救われた!ハレルヤ!」と言っていたその兵士が、
次の日には無差別爆撃に行く。そのことをなんとも思っていないようなキャロザーズ氏の姿勢に、反発を感じるんです。
30名無しさん@1周年:02/10/02 15:07
>>26
「主よ感謝します」の牧師さん、長文お疲れさまでした。
でも、ここ2ちゃんでは、証はあまり読まれることなく、葬り去られますよ。
今までがそうでしたから。
あるいは、もう少し短くまとめられ方が、読んでもらえると思います。

先生の活動に、祝福を祈ります。
31名無しさん@1周年:02/10/02 15:08
>>22
それで自らを正当化できてるとでも思ってるのか?
詭弁は止めろよ。
これだから馬鹿は嫌なんだ。
3222:02/10/02 15:11
>>31
別に正当化してないよ。「新しい説だ」と言っているだけだ。
むしろ、神を信じることが、なぜ精神構造に問題があるといえるのか、
その説明をしてくれないかい?
結論だけ言うのなら、どんな説だって主張できるでしょう?
33ハレルヤ:02/10/02 15:11
キリスト教に興味を持った友につれられ、大阪府八尾市の教会学校に
通い始めたのは小学6年生の時でしたが、私はなんでも一度顔を出す
となかなか抜けられないたちで、ずるずると通い続け気がついたら教
会高校生会のレギュラーメンバーとなっていました。聖書は結構興味
を持って読み、ついに高校3年生の春、わたしが道であり、真理であ
り、いのちなのです」(ヨハネ14:6)、「患難は忍耐を生み出し、忍
耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているから
である。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたした
ちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれて
いるからである。」(ローマ5:3-5口語訳)との御言葉に導かれイース
ターに受洗しました。

34ハレルヤ:02/10/02 15:12
そして大学に入りましたが、おりしもベトナム戦争が勃発し、日米
安保闘争、万博への教会参加反対運動という教会学生運動の中に身
を委ね、一方では大学の混声合唱団に所属しまがりなりにも指揮者
まで勤めました。家内とはそこで出会いました。既存の教会のあり
方を問いつめる一方、教会学校の先生にもなり、成人してからは教
会の役員も勤めました。思い起こせば大学の4年間は、本来の学業
は半分そっちのけながら組織論を学び、教会活動と合唱クラブ活動
を軸に実に多種多様な経験を積めた、超多忙かつ超充実した時でし
た。

35名無しさん@1周年:02/10/02 15:13
すべてロザリオの祈りで解決します。 聖母マリアさまに祈り求めましょ。


      〜 ロザリオは信者の聖務日課です〜

   http://www58.tok2.com/home/hoarun/holy%20rosary.htm


36ハレルヤ:02/10/02 15:13
やがて卒業を間近に控え、運動の仲間には初心を徹して活動に
残るものもいましたが、私は兄弟の無い一人息子として生まれ
、両親に心配をかけるわけには行かないとの思いで、最後はご
く平凡に70年に卒業・就職という道を取りました。そして結
婚し、おぼろげに願っていたアメリカ勤務のチャンスを74年
に得てニューヨークに転勤、教会にはこの間も通い続けていま
した。しかし、振り返ると、その頃は本当の救い、神の恵みと
いうことはわかっておらず、結局は自分の力を信じるものであ
ったと思います。家内は、クリスチャンのご両親に反抗して結
婚までは教会から離れていたのですが、そのような私を見ては
なかなか信仰に入れず、ようやく結婚5年後にロサンゼルスで
T姉に出会い、洗礼に導かれました。

37ハレルヤ:02/10/02 15:14
一度目の駐在を終え79年に帰国、81年に2度目のアメリカ駐在
、ロス、ニューヨークを経て、84年に当教会に導かれました。今
も信仰とビジネスの大先輩であるS兄が元メンバーであられたこと
による導きです。そして、この教会でホーリネス信仰に触れ、初め
て信仰の何たるかを見させていただきました。以来17年、そのう
ち2年間は日本に逆単身赴任しましたが、SCVJCCは私と家族にとっ
てかけがえのない教会となり、生活の基盤となりました。
38ハレルヤ:02/10/02 15:15
日本の駐在員の常で、仕事・出張もはげしいですが、
私にとっては「国籍は天にあり」(ピリピ3:20)、
日本、アメリカどこでもそれは神様が自分を遣わさ
れた地であり、いずこにあっても奉仕に励むように
と示されました。とはいえ、前回駐在時までは執事
のご奉仕まではいたりませんでしたが、今回の3度
目駐在時には体調をくずした家内に代わってという
きっかけながら、示されて執事をさせていただき、
そのことを通しても私は神様の素晴らしい業の中に
入れていただきました。
39ハレルヤ:02/10/02 15:16
奉仕するところに必ず神様のお恵みがあります。養われます。
また日本、アメリカ両方での教会生活を通して私は人だけを
見てはいけない、否、人を通して背後におられる神様の御業
を見ることを教えられ、この点でも恵まれました。

SCVJCCはシリコンバレーにしかないミッションを神様から
いただいています。日語部・英語部というユニークなコン
ビネーション・力をいただいています。英語部あっての日
語部、日語部あっての英語部と私は信じています。全教会
リトリートの早天祈とう会に出席され、言葉を越えた祈り
の力、すばらしさを皆様もご経験されることをお勧めしま
す。(日語部の水曜祈とう会の恵みが素晴らしいことも付
け加えます)。日英両語部の交わりがうまく深められる事
を祈っています。日英が一体となるとき、会堂新築の願い
も必ずや満たされるものと信じます。

40ハレルヤ:02/10/02 15:18
最後に、この17年間私を養って下さった、H先生、
O先生、N先生、そして日英両語部の皆様、そし
て背後にある神様に心から感謝します。かつ歓送会で
お話ししましたように、私は家内の信仰によって本当
に支えられ導かれ恵まれていることをここにお証しい
たします。私の方が先に受洗しましたが、今や家内の
方がずっと先輩と感じています。教えられることが多
くあり感謝です。この度、シンガポールに転勤となり
ましたが、神様のご命令として私はまた、ごく自然に
そのお導きに従ってまいります。しばらく家内と娘を
残していきますので、よろしくお願いします。
If you have a chance to come to Singapore,
I will be waiting for you with warm heart
and hot weather.
41名無しさん@1周年:02/10/02 15:19
ハレルヤさん、長すぎるって。
42  :02/10/02 15:19
Q:なぜイエスを信じるのか
A:ノーといえない日本人だから
43名無しさん@1周年:02/10/02 15:21
連続コピペもこのくらい続くと圧巻だな。
恐れ入りましたっと。
44証しします:02/10/02 15:22
私は大学では儒教思想を専攻し、その後ヒンドゥ教、
チベット密教といったアジアの宗教に関心を持ち、イ
ンド、ネパールまで足をのばした事もありました。し
かし、無神論者であると自認していた私には、それら
は異質文化の基盤をなすものとして興味を持っていた
だけでした。ヨーロッパの文化にはまるで関心がなか
ったので、キリスト教についてはごく一般の知識があ
る程度でしたが、10年前、クリスチャンであるイギリ
ス人の夫と結婚してから聖書に目を通すようになりま
した。それでも旧約聖書はおとぎ話、新約聖書はとて
も信じられないようなイエス様の奇跡と、あとは何が
何だかさっぱり理解出来ませんでした。

45証しします:02/10/02 15:22
イギリスの田舎町で始まった結婚生活はまるで想像も
しなかった事ばかりでした。長く住む程にひしひしと
感じられるアジア人蔑視。毎年8月の終戦記念日に向け
、反日感情を煽るメディア。子供達が生まれた時には、
金髪に青い目でなかった事を不幸に思いました。まず
見かけで差別されるであろう彼らの困難を思うと...。

46名無しさん@1周年:02/10/02 15:23
>>32
存在しないものを頑なに信じる。
これを思い込み・妄想と言わずして何という?
47証しします:02/10/02 15:23
真面目なクリスチャンである夫と共に7年間英国教会に
通いましたが、教会の人々からさえも受ける偏見と苦痛
に耐えられなくなり、私は夫に宣言しました。私はクリ
スチャンにはならない、彼らの偽善を憎んでいる、と。
そして、私にトラブルがあった時に、夫はけっしてなぐ
さめの言葉をかけてくれず、いつでもイギリス人、イギ
リス社会のカタをもつことに絶望し、私の心は夫からど
んどん離れていきました。自分の価値を見失い、子供達
が将来成功する事を自分の生きる目標にすりかえていっ
たちょうどその頃、サンノゼ転勤の話があったのです。
8月に越し、9月からこの教会の礼拝に出るようになりま
した。

48名無しさん@1周年:02/10/02 15:24
本当に信じてる奴なんて少数派じゃないか?
殆どの奴は、信じてるフリしてるだけだと思うよ。
49証しします:02/10/02 15:24
始めてルツ会に出たとき、N牧師が読まれた御言葉、
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい
。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて
与えられます。だから、あすのための心配は無用です。
あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に
、十分あります。」(マタイ6:33.34)に私の心が開放
されていくのに驚きました。その後、ルツ会でのシェ
アリング、中尾牧師からのメッセージでクリスチャン
に対するマイナスの思いがゼロになり、神の存在、そ
して神に背を向けることによってどんどん生み出して
いた私の罪、その罪を背負ってイエス様が十字架で死
んで下さった事を理解し、クリスチャンへの一歩を踏
み出してみようかと思うようになりました。

50名無しさん@1周年:02/10/02 15:25
何なんだ!?お前らは。
神を信ずるのであれば何故その証明を怠る?
それをも無視して「神はいらっしゃいます」と言う?
馬鹿なのか?お前らは。
51証しします:02/10/02 15:26
この数ヶ月間、聖書を読み進むうち、どうしても
わからない事、おかしいと感じる事が次々と出て
きました。それらは夫が仕事から帰って来るなり
、機関銃のようにあびせていたのですが、彼もさ
すがにクリスチャンです。ほとんどの事に納得の
いく答えがすらすら返ってくるのです。御言葉を
めぐっての会話が深夜まで続く事も度々ありまし
た。こんな幸福な時間を私達夫婦が持てるように
なるとは思ってもみませんでした。しかも、9才の
娘までが私の質問にきちんと答えてくれ、「マミー
、もっと神様のこと私に聞いて」と言うのです。
私は嬉しくなりました。「だれでもキリストの
うちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しく
なりました。」(コリントU5:17)実にイエス・
キリストは私のそして私達家族の救い主であると
信じるようになりました。

5232:02/10/02 15:26
>>46
それだと無限ループに陥るよ。
>>16で言っていることと同じ内容を、言葉を変えて言い直しただけ。
53名無しさん@1周年:02/10/02 15:26
LPがキャラ変えて出てきたのか???
54証しします:02/10/02 15:27
「御霊も同じようにして弱い私たちを助けて下さいます。
私たちはどのように祈ったらよいかわからないのですが、
御霊ご自身が言いようもない深いうめきによって、私たち
のためにとりなして下さいます。」(ローマ人への手紙8:26)
の通り、聖霊の働きによってこの地へ来て、聖霊に
満たされているルツ会、KGの皆様、M牧師の導きで受洗の
決心が出来た事、そしてそれが神のご計画であった事に
深い喜びを感じ、感謝致します。
55名無しさん@1周年:02/10/02 15:28
>>52
そうやって逃げるわけ?
それとも自分は正常者で神を信じない者の意見など聞く必要も無いと思ってるわけ?
馬鹿か?
56名無しさん@1周年:02/10/02 15:31
>>52
おいおい、逃げるなよ馬鹿。
57名無しさん@1周年:02/10/02 15:32
ノンクリの方がよっぽど正常に見えるのは俺だけか…
5832:02/10/02 15:34
>>52
逃げてはいないよ。逃げるつもりなら、書き込まないさ。

存在しないもの、と言ってるね。
でも、存在しないかどうか、誰にも分からない。
むしろ、神の定義の仕方によっては、明らかに存在したりもする。

神の存在については、ゲーデルが存在論的証明という論文の中で、
一応証明してみせたことになっているけど、個人的には、そう言うのはあまり信用しない。
哲学的にはそれでもいいのだろうけど、宗教的な神の存在は、むしろ、次の二つに分けられると思う。
1 その宗教の、教義上での存在
2 文化史的な意味での存在

ところで、「存在しないもの」というからには、そこに至るまでの思考があると思うけど、
それを教えてくれないかい?
59名無しさん@1周年:02/10/02 15:38
>>58
物質としての神は存在するのか?

お前らの信じる神とは何だ?万物を創造した存在=神ではないのか?
俺がお前らの教義を歪めて理解してしまってるのか?
60名無しさん@1周年:02/10/02 15:38
キリスト教に入った人はどっかの国が拉致をしたように
騙されたが、無理やりやられて抜け出せなくなったかのどちらかでしょう
キリスト教など無視しましょう
61救いの証し:02/10/02 15:38
クリスチャンのホームページに行って「証し」を読むとき感じることは、
みなさん神様と劇的に出会っているな、ということです。何か大きな病
にかかったとか、大きく道を踏み外したとか。残念ながら、私はあんま
り劇的なことはないんです。でも、クリスチャンホーム育ちではなく、
大人になって洗礼を受けた私は「どうしてクリスチャンになったの?」
って、よく聞かれます。だから、このさいまとめて証ししてみようと思
いました。拙い文章ですが、読んでいただけたら嬉しいです。ちょっと
ハズカシイですけど…。尚、これはあくまで「洗礼に至るまで」の部分
ですので、その後の紆余曲折についてはまた別のスペースで語りたいと
思います。
62救いの証し:02/10/02 15:39
私が初めてキリスト教の礼拝に出席したのは、大学4年生の時
でした。それは全く不純な動機からのことでした。私は当時、
中学校の音楽の教員を志望していました。某私立ミッションス
クールの教員募集要項に「当校と同じ福音教会教会員、または
求道中であり、そのことが牧師の推薦状によって証明できる者
」という条件が提示されていました。そして、当時の自宅のす
ぐ近くに系列のA福音教会がありました。そこでこれ幸い
と、聖書も読んだことがなくキリスト教に興味も全くないのに
、推薦状目当てに求道することにしたのでした。しかし、その
教員試験は不合格となり、転居を理由に大学卒業と同時に教会
からも卒業してしまったのでした。
63救いの証し:02/10/02 15:41
れから数年経ち、私は結婚し子供も産まれていました。
その頃私の主人が、仕事を通して知り合ったクリスチャ
ンの方の生き方に感銘を受け、当時の自宅近くの東京W
教会に通い始めました。そして求道数ヶ月で洗礼を受け
ることになりました。平成7年のペンテコステのことで
した。その時、私は他人事だと思っていました。私も主
人と一緒に礼拝に出席していましたが、母子室で赤ん坊
をあやしながらメッセージを聞いている状態でしたし、
聖書も難しく感じられてあまり手に取りませんでした。
信仰よりも同じ赤ん坊連れの他のお母さんたちとおしゃ
べりするのが楽しくて通っていたというのが本音です。
メッセージで「人はみな罪人です」と言われれば、納得
するものはありましたが、自分は世の中の平均からすれ
ばそんなに悪人ではないし、今の自分にはキリストの救
いはこれといって必要ではないと思っていました。私の
中には、宗教は心の弱い人のために人間が自ら作り出し
たもので、教会はそれにすがらなければ生きていけない
弱い人の集まりだという偏見があり、牧師先生のどんな
に熱いメッセージも心に根付きませんでした。
それでも、人生のパートナーである主人がクリスチャン
になってしまったからには、やはり彼の見つめているも
のを一緒に見たいと思い、仕事と育児の合間をぬって婦
人の集いや祈祷会にも参加しました。主人はしきりと「
早く牧師面接を受けなさい」と勧めましたが、面接を受
けたら洗礼を受けなくてはならないような気がして、先
延ばしにしていました。
64救いの証し:02/10/02 15:42
そんなある日の、通勤電車の中、目の不自由な外国人の
男性の方が、大きな荷物を抱えて乗って来ました。私は
席を立ち、譲りました。その男性は私に「学生さんですか?」
と話しかけて来ました。少し言葉を交わした後、その
方は懐から教会のパンフレットを取り出して「私はクリス
チャンなんですが…」と言いました。おそらく自分の
教会へ誘って下さるつもりだったのでしょう。私は「私も
今教会に行っているんです。」と言いました。
すると彼は「日本人はクリスチャンが非常に少なく、残念
です。でも、今日あなたに会えて、私はとても嬉しいです。」
と笑いかけてくれました。その笑顔が実にさわやかで、
私はまるでイエスさま御自身が笑いかけられたような気が
しました。そして、今この時にこの出会いがあったことは
決して偶然ではなく、神様が私を導いて下さったのだという
ことを理屈抜きで素直に信じることができました。その
方とは特に連絡先を教えあったりはせずにそれきりですが、
後になって外国人宣教師か何かだったのかも知れないと思いました。
65名無しさん@1周年:02/10/02 15:44
信じているのではなくて、思い込んでいるだけだろ?
存在の有無さえ分らないものを、一体どうやって信じるというのだ?
クリスチャンは、一見、理路整然と答えているようにみえるが、
どこかでトンデモない論理の飛躍をやらかしているような気がするけど。
66救いの証し:02/10/02 15:44
その後すぐ、牧師面接を受けました。牧師面接ではビル・ブライト著の
「豊かな人生のための4つの法則」というトラクトに従って救いについ
ての学びをしました。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉
を受けることができない。」(ローマ人への手紙3章23節)という
みことばをいただいたとき、不思議と過去の自分の過ちが思い出されました。
私はいつも「良い子」で通ってきましたが、その裏には自分の正しさを
他人に主張することが多く、他人のことを見下していました。自分が
「良い子」でいるために他人をおとしめるようなこともしてきました。
いつも「自分は正しい」と信じ、他人の気持ちを思いやらない偽善者でした。
そのことが分かった時、自分は世の中の平均からすればそんなに悪人で
はない」と思っていたのは間違いだということに気付きました。
私は牧師先生の前で泣いてしまいましたが、先生は「神様は、私達の
罪を赦して下さるばかりではなく、罪に穢れた私達を清めて良いことの
ために用いて下さるのです。」とおっしゃいました。それを聞いて、
あれほど自分とは関係ないと思っていたイエス様の教えが、自分に
とってこんなに必要なことだったのだとわかりました。そして、
A福音教会のことを思い出しました。不純な動機から始まった教会との
関わりであっても、自分が導かれたのは、あのとき福音教会の方々が
祈って下さった結果ではないかと思いました。そしてその後すぐ、
洗礼を受けたのです。
ハレルヤ、主よ感謝します。
長くてごめんなさい。
67名無しさん@1周年:02/10/02 15:46
http://www.info.sophia.ac.jp/theol/
ある大学教授の研究課題(抜粋)

〜贖罪手引き書』(Libri Poenitentiales)をみると、
避妊の方法として断罪されているものの中で、薬や漢方薬の使用、中断された性行為、
口や肛門での性行為などがあげられている。これらの行為の断罪が、
たびたび堕胎の断罪と魔術的な方法の使用の禁止と結ばれているのは注目される。〜

イロキチガイ、爆笑
こんなことを6年も勉強して神父になるのかよ、爆笑
68名無しさん@1周年:02/10/02 15:47
匿名掲示板で「救いの証し」か? お笑い種だぜ。
6932:02/10/02 15:47
>>58
だから、定義の仕方によっては存在するよ。
例えば、「神とは、その宗教の教義に記された存在」と、簡単に定義してみようか。
すると、その宗教で「神はどこそこにご神体を持つ、何々というお方」とうたっていれば、
そこに(少なくともその宗教の教義上の)神は存在する。
そして、明らかに存在するその「もの」を、神として信じるかどうか、と言うことになる。
そこに、その人の精神構造云々を持ち出すことは、ちょっと難しくはないかい?

それから、キリスト教の神、と言うことで考えても、同じようなことが言える。
「聖書に証しされた神」を、信じるというのが、キリスト教信仰だろうけど、
その神であるイエス・キリストは、確かに存在していた。
そのキリストを、神と信じるかどうかは、精神構造云々の問題ではないと思うよ。
70ナポレオン:02/10/02 15:48
ナポレオンの証し
ナポレオン・ボナパルト(1769−1821)
「イエスは確かに単なる人間ではない。キリストと帝国 の建設者たち、
他の宗教の神との類似点というものは存 在しない。その間には無限の
隔たりがある。キリストに あるすべてのものが、わたしを驚嘆させる。
彼と世の中 の者との間には、比較しえる言葉がない。彼は真にそのまま
絶対者である。彼の思想や感情、彼の述べる真理、 彼の説得力は、説明
できない。近づけば近づくほど、調 べれば調べるほど、すべてわたしの
はるかに上にある。 すべてが偉大であり、何ものをも圧倒せずには
やまない 気高さを持っている。彼の生涯と類似するもの、また同じ
たとえを他に見いだすことは絶対にできない。わたしはイエスに似たものを
歴史の中でも、人間の中でも、ど の時代にも、それと比較し、またそれを
説明しえる何も のをも提供できない」
日本福音書房発行の「恵みの言葉」第1号の24ページのナポレオンより引用
7132:02/10/02 15:49
救いの証しさん、その他の方々へ

ちょっとうるさいです。
あなた一人の掲示板ではないのです。
一人で長々と書き込み、スレを占領するのは、やめていただけませんか。
非常に迷惑です。
72うめけん:02/10/02 15:51
22歳 男
聖書:「なぜなら、『主の御名を呼び求めるものはすべ て救われる』
からです。」ローマ人への手紙第10章13節
僕は1985年に主イエスの名を呼んで救われました。まだ、子供で、
よく分からなかったのですが、「おお主 イエスよ」とイエスの名を
呼ぶことを教えられて、それ を実行してみたら、ものすごい喜びに
満たされました! その後いろいろな遊び、勉強、スポーツ等を、
やってみ ましたが、それらの楽しみは、「おお主イエスよ!」と
呼んだこの喜びには、かないませんでした。主の名を呼んだ時のその
喜びは、何物も、およびません!□この喜 びこそ、真の喜びです!
どうか、この喜びを、味わっ てみてください。
73名無しさん@1周年:02/10/02 15:54
http://www.info.sophia.ac.jp/theol/
ある大学教授の研究課題(抜粋)

さかのぼってふりかえると、女性の周期が発見され、1845年にプシェー
(Pouchet)がそれを利用する避妊法を初めて提案した。
1880年に聖赦院はこの方法を使う夫婦を贖罪師は安心させても良いと解答し、
さらに、オナニーを避けようとして他の方法のない夫婦に対して、
この方法を勧めてもよいと控え目に述べた。周知の通り、
この方法は荻野(1928)とクナウス(Knaus,1929年)
によって発展させられた。

好きモノ神父さんの勉強内容 これが6年も続くんですよ!大笑い

74名無しさん@1周年:02/10/02 15:54
「バカボンのパパだからパパなのだぁ〜!」と平然と言える奴の
精神構造に問題がないと言えるだろうか...
クリスチャンが、「神の存在」という最も肝心な部分で思考停止状態になるのは何故だ?
75名無しさん@1周年:02/10/02 15:55
>>69
宗教とは言い回しばかりするものなのですか?
そもそもあなたは何を神とし、信じているのですか?
76ダーウィン:02/10/02 15:56
1859年、ダーウィンは有名な「種の起源」という本を発表しました。
この本は多くの人を唯物論者や無神論者にしました。彼は22歳の時、
5年間、南アメリカ、オーストラリア、南太平洋の島々を旅行し、多くの
珍しいものを見ました。特に南アメリカのティエラフェゴにいる原住民を
見た時、彼は彼らを人間と認めず、猿から人間に進化するつなぎであると
考えました。やがて類推によって彼の 学説を発表するに至ります。
このダーウィンが訪れたティエラフェゴに、次々と宣教師達がキリストの
福音を伝えに行きました。宣教師達は住民に殺害されたりしますが、それで
もティエラフェゴに初めて行った時から20年を経て、彼はもう一度そこに
行きました。そして、彼はそこに驚くべきことを発見したのです。それは
原住民の姿が全く変わっ ていたことです。宣教師の働きを通して彼らが神の
祝福にあずかっていたのです。彼は良心のとがめを覚えました。彼は進化論が
否定されてもよいと思いました。「宣教の働きの結果起こったティエラフェゴの
奇跡は、世界のどんな大きな奇跡 よりも偉大であると確信する」と彼は言って
います。この時から、ダーウィンは 毎年、宣教活動のために献金を送り続けたそうです。
日本福音書房発行の”恵みの言葉”第2号の14P〜15Pより引用
77ダーウィン:02/10/02 15:58
                      ダーウィンは、またある時に書きました、「今日の状態を批評する人たちは、キ
リ スト教の影響で、子供を殺して神々にいけにえとしてささげたり、あらゆる不
正や、 軽薄な行動が少なくなったことを忘れてしまっています。」

ダーウィンの弟子であり、彼の原稿を保存した生物学者G・J・Dマネス(18 4
8−1894)はこう言っています。「イエス・キリストの語られた言葉は、 科学の
進歩によってはひとつも地に落ちることはありません。」彼は若い日にキ リスト
への信仰を失いました。なぜなら、ダーウィンの教えによる感化を受けた から
です。また、キリスト教を攻撃する多くの書物を発表したからです。しかし、 彼
はのちにイエス・キリストへの信仰に立ち返りました。そして、次の告白を持っ
て、神に帰ったのです。「科学と哲学は、神は愛であるということに比べれば人
類に対して何をなしてきたのだろうか」。

余談ですが、つい最近の新聞でご存知のように、 アメリカの多くの学校では進
化論を教えないことが 決められました。
7832:02/10/02 15:58
>>74
一度に数名の方とお話しをすると、混乱してしまいますので、
レスつけるのはどうかと思ったのですが、
大事なことが書かれているので、一言だけレスつけます。

>クリスチャンが、「神の存在」という最も肝心な部分で思考停止状態になるのは何故だ?

神の存在から出発して思考し、それで信じているのではないのですよ。むしろ逆です。
このスレに長々と書き込まれた証しを読むと分かりますが、
先ず、自分の存在から出発して、神に到達するという流れだと思ってください。
実存論的信仰、とでも言いましょうか。
(ブルトマンみたいでいやだけどね・・・)
79名無しさん@1周年:02/10/02 16:00

また何でも奇蹟にしたがる悪い癖が出てきたよ…
80ノンクリ:02/10/02 16:01
>>19の牧師さんのケースについてですが、「奇跡」がすべての信者に起きるわけ
ではないですよね。もし、この牧師さんが同じような末期癌の患者さんに「祈り
なさい」と指導したとして、助からなかったとしたら、患者さんはもちろん、
牧師さん自身の信仰が揺らぐことになると思うのですが。

ここで証を書いておられる方についても同じで、たくさんの入信者の中で、救われた
と感じた人だけが教会に残って、ここで証のカキコなんかをされているのでしょう。
では、救われずにそっと教会を立ち去っていった人たちはどうなんでしょう。

その人たちのことを考えたら、自分にはこんな証があったから、読んでいるあなたも
教会に来なさいなどという無責任なことは書けないと思いますが、如何?

私「は」救われたが、救われなかった人もある。あなたが救われるかどうかはわかり
ません、と言うべきなのでは?
8132:02/10/02 16:01
途中の書き込みが多くて、混乱してきたぞお。

>>75
今お話ししていることの中心は、「神を信じる人は精神構造がおかしい」ということに対するものです。
私は、そのように言い切ることはできない、と言いたいわけです。
82名無しさん@1周年:02/10/02 16:02
>先ず、自分の存在から出発して、神に到達するという流れだと思ってください。
精神異常者だな。
8332:02/10/02 16:04
>>82
また話が戻った。。。
だから、なぜそういえるのか?と聞いたわけですよ。
前にも書いたことを、もう一度書きますが、
結論だけならどんなことだって言えます。

神を信じる→精神異常者
この「→」の部分を説明してくださいと言ったのですが、
誰も説明してくれへん。
84名無しさん@1周年:02/10/02 16:05
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、
世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、
はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
(ローマ人への手紙1章20節)
神が存在するかどうかは、自然や地球、宇宙、また人間自身を
よーく観察して研究すれば、おのずと分かると聖書には書かれているよ。
たしかに、最先端の物理学者には神を信じてる人が多いらしいよ。
NASAとか原子力研究してる人とか。
85名無しさん@1周年:02/10/02 16:06
>>81
言い回しに詭弁を重ねて存在証明から逃げ回ってるあんたらにはもう何も聞かんよ。
存在証明を要求すれば「教義の上での神」について熱く語りだすしもうやってられん。

86名無しさん@1周年:02/10/02 16:06

>>78
>先ず、自分の存在から出発して

ほんとにその通りだと思う。自分を棚にあげてたころは(今もそういうところ
バッカリなのかもしれないけど)、
イエス・キリストは自分と関係ないとか、クリスチャンはバカだと思ってたし、
偽善宗教だと思ったし、どうでもよく思ってた。

あるとき聖書が、「お前は一体誰だ」と急に問い掛けてきた感じだった。
87名無しさん@1周年:02/10/02 16:07
自分の存在から出発しても、神に到達できないと思うけど。順序の問題か?
信仰には「カン違い」や「思い込み」といった要素が不可欠だろう。
それなくしては、クリスチャンには到底なれない。
2ちゃんのレス読んでいて、つくづくそう思う。
88名無しさん@1周年:02/10/02 16:09
>>32
教えてくれないか?
神は俺という存在にも何かしらの影響を及ぼしているのか?
89名無しさん@1周年:02/10/02 16:10
>信仰には「カン違い」や「思い込み」といった要素が不可欠だろう。
激同。
90名無しさん@1周年:02/10/02 16:10
>83
神を信じてる人は正常者だから、説明できないんじゃない?
神を信じない人のほうが精神異常者だと思うけど・・・
9132:02/10/02 16:10
>>85
結局、「神を信じる→精神異常者」の「→」の部分は、説明できないわけですね。
私が行ったとおり、あなた方自身で無限ループに陥っていると思います。
あるいは、直感的に「→」で結びつけただけかも知れませんが。

久しぶりに、骨のある議論ができると思ったのですが、残念でした。

それに、ヲイラそろそろ行かないといけないし。
>>86さん、あとゆずります。
我らの主に、栄光あれ!

主の平和が共に♪
92名無しさん@1周年:02/10/02 16:12
論理的思考の根底部分が無神論者に比べて異なっているから
信仰を必然と思ってる連中に何を説明しても無駄だと思うけど?
93名無しさん@1周年:02/10/02 16:13
>>91
逃げるんじゃねーよ。
94名無しさん@1周年:02/10/02 16:15
>>91
酷く勘違いしてるようだから言っておくけど、そもそもここに論議など成立してませんでしたよ。
あなたが自身のトンデモ論理を展開して同胞の肯きを得ただけ。

頼 む か ら 人 間 界 に 降 り て き て く れ な い か ?
95名無しさん@1周年:02/10/02 16:16
>88
そうだよ。あなたを見て神様はとっても悲しんでらっしゃるよ。
悪いこと言わないから、イエス様のもとへ行きなよ。

>89
信仰ってのは、盲目的じゃないんだよ。
正しい信仰ってのは、イエス様にすべてを自分の意志で委ねることだよ。
自分の意志で信じることを選んでるんだよ。
96名無しさん@1周年:02/10/02 16:16
>87
たとえば?
97名無しさん@1周年:02/10/02 16:16
>頼 む か ら 人 間 界 に 降 り て き て く れ な い か ?
激同。
98名無しさん@1周年:02/10/02 16:16
>>92 

まあまあ。
このスレは、そういう思考の転換が「どうして」起こったかを
話すスレなわけでしょ。
99名無しさん@1周年:02/10/02 16:17
>>95
キリストという一人の人間の馬鹿げた妄想に感化された”信徒”が
団体組んで偉そうに真理を説いてるだけだろ?
100名無しさん@1周年:02/10/02 16:18
>正しい信仰ってのは、イエス様にすべてを自分の意志で委ねることだよ。

結局・・・イエスにおんぶな訳だ
101名無しさん@1周年:02/10/02 16:19
>>99 と、いう意見、それも盲信だと思うよ。
見えないものを、背伸びしてみたつもりになっているのでは。
102名無しさん@1周年:02/10/02 16:19
>>90
>神を信じない人のほうが精神異常者だと思うけど・・・

そうかぁ?
もともと正常だった人が、信仰の世界に足を踏み入れて、
オカシクなったという話なら腐るほどあるぞ。
オカシクなりたくなければ、信仰には近づかないことだ。
ロクなことない。

103名無しさん@1周年:02/10/02 16:20
>99
あなたの信じているものとは?
あなたが「これが真理だ」というものとは何ですか?
104名無しさん@1周年:02/10/02 16:21
結局>32も神の存在については一切証明できてない。
存在証明の義務も果たさずに「宗教は異常ではない」だ?
馬鹿もいいところだな。
105名無しさん@1周年:02/10/02 16:22
>>91
「→」は、つまり常識に則っているか否か、ということだとおもう。
106名無しさん@1周年:02/10/02 16:23
>>100

神がおんぶしてくれんだから、結果的にはいいんだけどね。
議題は、どうして納得づくで、イエスにおんぶされることになったのか。
とうゆことだ。
107名無しさん@1周年:02/10/02 16:23
>>103
その存在を証明できるものしか信じない。
108名無しさん@1周年:02/10/02 16:24
>>105

え。具体的に、どんな非常識がそこに!?
109名無しさん@1周年:02/10/02 16:24
>>106
それを「思い込み」と言うのだ。
110名無しさん@1周年:02/10/02 16:26
>107
それじゃあ、生活大変ですね。
111名無しさん@1周年:02/10/02 16:28
>>110
は?
112名無しさん@1周年:02/10/02 16:29
>>106 ほんとは、クリスチャンでも、クリスチャンでなくても、
神におんぶされて生きてると思うんだけどね。気づかないだけで。

誰も自分の力でこの世に生まれてきたわけではない。
太陽も水も雨も空気とか、そーゆう目に見える分かりやすいものからして、
誰も自分の力で手に入れたものではない。
自分たちの命そのものが、神様におんぶされてる。
そーゆう「自分が生きてる」ことへの「気づき」というのが、信仰の始まりだと
いう言い方もできる気がする。
キリスト教の「神を信じる」というのは、「私は神に生かされています」
とゆう告白なわけだし。
113名無しさん@1周年:02/10/02 16:30
>>112
あのー、全く理解できないんですけど?
何でそういうアホな思考に流れ着くのですか?
114名無しさん@1周年:02/10/02 16:32
>>113
アホだから。
115名無しさん@1周年:02/10/02 16:32
宗教やってる奴は肝心な部分を全部無視して話してるよね。
116名無しさん@1周年:02/10/02 16:33
>>113

>誰も自分の力でこの世に生まれてきたわけではない

>太陽も水も雨も空気とか、そーゆう目に見える分かりやすいものからして、
>誰も自分の力で手に入れたものではない。

↑これ分かるか?

自分の「いのち」は、自分の力によって存在しているものではない。

↑ここまで理解できりゃ、だいたい一緒だ。
117すまん長くて:02/10/02 16:33
学生時代に気付いたのですが、私の心の奥深く、自分の力ではどうすることもできない
悪の固まりが有りました。自分の高慢さ、おごりたかぶりです。卒業研究を指導して
くださる先生に知ったかぶりをしたり、先輩の言うことを聞かず自己中心的でした。
対する人が違えば、正反対の主張をしたりもしました。不安にも駆られ、いろいろな
方に心を低くして相談しますが、次第に高慢が頭を持ち上げてきました。解答が
得られず、自分の気に入る答えを求めている状態が続きました。そんな頃、教会を
訪れました。1976(S51)年4月18日でした。教会に通っていた友人のお誘いが、
有ったのです。礼拝後友人に、ある方を紹介され、その方と二人で会話しました。
私は自分の状態を少しずつ話し、その方はキリストの救いを語ってくださいました。
信じたいなあという気がしましたが、頑固な気持ちも有りました。一生で一度の
機会かもしれないと言われ、教会から去って日常生活に戻ったら、このような機会が
再び来るだろうかと思い、自分の心を無にして一切を創造主にゆだねた時、平安が
118すまん長くて:02/10/02 16:33
与えられました。福音をはっきり理解したものではありませんでしたが、イエス様と
創造主に強い信頼を置いたものでした。いわば助けてくれと言って、すがりついて
行ったような気持ちでした。初めて創造主に祈り、導いていただいてさらに祈りました。
マタイの福音書から「神の国とその義をまず第一に求めなさい。」と御言葉を示して
くださり、また箴言を毎日読むことも奨められました。4月18日だったので、箴言18章を
一緒に開きました。箴言18章2節「愚かな者は英知を喜ばない。ただ自分の意見だけを
表す。」箴言18章12、13節「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。
よく聞かないうちに返事をする者は愚かであって、侮辱を受ける。」創造主からの、
戒めの言葉だと思いました。このようにして創造主に拾い上げてもらい、
同じ年1976(S51)年の12月5日に洗礼を受けました。仙台のこの母教会には3年
居まして、その後就職し、茨城県の阿見町に来ました。水戸の教会に1年通った後、
119すまん長くて:02/10/02 16:33
近くの土浦の教会に10年間出席しました。転勤で四日市に引っ越してきたのが、
1990(H2)年6月でした。救いの保証になる聖句は、ヨハネ3章16節「神は、実に、
そのひとり子をお与えになった程に、世を愛された。それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。」です。御子を罪からの
救い主として告白し、永遠の命をいただくことができました。
福音の理解については、第一コリント15章1〜5節のうち「キリストは、聖書の
示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、
聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に
現れたことです。」の所から、確かな根拠が得られております。イエス様によってで
なければ、創造主の御元に行けないことは、ヨハネ14章6節の「わたしが道であり、
真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに
来ることはありません。」から、信じています。一度しかない人生において、
イエス・キリスト様に出会い、共なる歩みができる幸いを感謝しています。
120名無しさん@1周年:02/10/02 16:40
理性的に神を信じることは不可能ということで、結論出たんじゃないの?
「思考停止」、「カン違い」、「思い込み」は信仰の三大儀礼だと思うよ。
いいじゃない。それで幸せだったら。
121名無しさん@1周年:02/10/02 16:40
>>112
神タソ、おんぶ。してくれてる・・・
折角だから(・∀・)もっと!!

と?
122名無しさん@1周年:02/10/02 16:41
>誰も自分の力でこの世に生まれてきたわけではない
>太陽も水も雨も空気とか、そーゆう目に見える分かりやすいものからして、
>誰も自分の力で手に入れたものではない。
>自分の「いのち」は、自分の力によって存在しているものではない。

何故そこに神が絡むのか全く解らん。
俺が馬鹿なのか(w
123名無しさん@1周年:02/10/02 16:42
>111
いちいち、「あんたそれ証明しなさいよ、出来ないなら
信じませんよ。」と言われたら「おれがそんなに信じられ
ないのか」とか思うでしょ。
ファジー的にみんな生きてんじゃないのかと、そうでなきゃ
やっとられんでしょ。証明といっても、根本的なものについ
ては自明のものとして、これを出発点に組み立ててられてい
る訳で、論理が完璧でも、根本は証明出来ないのでは?
自明とされてきた内容が実は近似的にそのように観測されて
いるだけだとして修正されたものがあるでしょう、科学でさえ。
124名無しさん@1周年:02/10/02 16:43
>>122

まあ、人の思考はいいから。君の思考としては、

>誰も自分の力でこの世に生まれてきたわけではない
>太陽も水も雨も空気とか、そーゆう目に見える分かりやすいものからして、
>誰も自分の力で手に入れたものではない。
>自分の「いのち」は、自分の力によって存在しているものではない。

は、理解可能なのか?
125105:02/10/02 16:43
>>108
良くあるのが勝手に作った常識に反すると排除するという奴。
組織に限らず、ちょっとした集まりの中でも、少数派は排除される。
少なければ悪いという安直な考えだ。最近気づいたが、話を聞いて頷きながら、個人に直接干渉しないですますばあい
憲法の精神の自由にくわしい人なら、それを護っているつもりらしいが、干渉しなければ尊重しているように見えているだけ
というポーズであることに気づいていない。ちょっと違う考えを持つと、ほとんどの者はこうなってしまう。
しかも、肝心の常識は一つも作ったことがないのだ。暗黙の了解で共通点だけで分かり合い、反する者はその集まりから立ち去るまで攻撃される。

じつは、日本人は雰囲気を察しているというのはかなり嘘だということが分かった。
「A→B」だけで全て説明できると思っている。「A」というセリフから察することが出来るのはつねに「B」。しかも、それで正解だと思っていると言うことが分かった。
困ったことに、「人の心は複雑だ」と言いながらも「A→B」ですませている。
今回の場合は「A→B=変わり者→立ち去れ」ということだろうか。

脱線したが、作った覚えもない常識に反する者は排除したくなるらしい。
126名無しさん@1周年:02/10/02 16:44
「足跡」とかいう詩の影響なんだろうねぇ。
オンブなんて言い出すのは...
127名無しさん@1周年:02/10/02 16:46
>>123
は?(笑
128名無しさん@1周年:02/10/02 16:47
>>125

話の流れがよく見えないんだけど、

>作った覚えもない常識

でもって、キリスト信仰を「非常識」とかゆうてる人がその前に
いたんじゃなかったっけ?
129名無しさん@1周年:02/10/02 16:47

誰もいない海
イエスの愛をたしかめたくて
あなたの腕をすりぬけてみたの
走る水辺のまぶしさ
息も出来ないくらい
早く強くつかまえに来て
好きなんだもの
私は今 生きている

青い空の下
イエスの愛を抱きしめたくて
光の中へ溶けこんでみたの
ふたり鴎になるのよ
風は大きいけれど
動かないでおねがいだから
好きなんだもの
私は今 生きている

あつい命にまかせて
そっとキスしていい
空も海もみつめるなかで
好きなんだもの
私は今 生きている
私は今 生きている
私は今 生きている
私は今 生きている


130名無しさん@1周年:02/10/02 16:47
お前らの言い訳は全て詭弁だな。
迫害されたくないのなら義務を全うしろ。
131名無しさん@1周年:02/10/02 16:48
>は、理解可能なのか?
はぁ、確かにそうですけど、
何故そこに神が絡んでくるのですか?
132名無しさん@1周年:02/10/02 16:49
>>129
ファンだったんだよ、南沙織の!
133名無しさん@1周年:02/10/02 16:50
>>130
つまり、キリスト教は、昔も今も迫害され続けているわけね。
ここにいる人たちの大半は、キリスト教迫害の急先鋒に立つ人たちなのでしょうね。
恐い。
134名無しさん@1周年:02/10/02 16:50
ファン そうファンだったんだよ。イエスちゃまの!
135名無しさん@1周年:02/10/02 16:51
宗教やってる奴には>>123>>133のような極端な奴が多いよね。
テンパってんの?(ワラ
136名無しさん@1周年:02/10/02 16:52
神が全てを創造した
なんて思えるのは何故よ?
キチガイじゃねーのか?
137名無しさん@1周年:02/10/02 16:53
 わぁ〜ぃ。。イエスちゃま大好きなんだぽ★
138名無しさん@1周年:02/10/02 16:54
宗教=妄想
これ定説。
反論できる?
139名無しさん@1周年:02/10/02 16:54
電波の周波数が合う奴にはタマラナイんだろうねぇ。
140名無しさん@1周年:02/10/02 16:55
ほんとどこかネジが数百本ぶっ飛んでんじゃねぇの?
141名無しさん@1周年:02/10/02 16:56
おいこら>>124!何処行った!?
142 異邦人♪:02/10/02 16:57

子供たちが空に向かい両手をひろげ
鳥や雲や夢までも
つかもうとしている
その姿は
きのうまでの何も知らない私
あなたに この指が届くと信じていた
空と大地が ふれ合う彼方
過去からの旅人を 呼んでいる道
あなたにとって私 ただの通りすがり
ちょっとふり向いてみただけの
異邦人

市場へ行く人の波に 身体を預け
石だたみの街角を
ゆらゆらとさまよう
祈りの声 ひづめの音
歌うようなざわめき
私を置きざりに 過ぎてゆく白い朝
時間旅行が心の傷を
なぜかしら埋めてゆく 不思議な道
サヨナラだけの手紙 迷い続けて書き
あとは哀しみをもて余す 異邦人
あとは哀しみをもて余す 異邦人


143名無しさん@1周年:02/10/02 16:59
>>142
それ歌ってた女も逝っちゃったな...
144名無しさん@1周年:02/10/02 17:00
>>124

横レスになるが、「誰も自分の力で生まれたことがない」以下は、事実の
羅列だから誰もが認めることでしょう。だけど、その裏に「神」という存在
が働いているかどうかは、その人の主観に任されていると思うけどね。
神が存在するとも存在しないとも証明できないわけだから(詳しくはカント
の二律背反を見てちょ)。

それよりも、キリスト教の教義は「主観の勝手」などと言えない独善的な
ものが多いよ。キリスト復活のくだりは、歴史的事実について議論している
んだから、それが事実と証明された時にのみ有効でしょう? 復活したか、
しなかったかのどちらかだから。現代聖書学の観点では、もはや復活の事実
を証明することは不可能。これを信じることは、「主観の勝手」ではなくて、
「信じるに足らないものを信じる」非理性的な行為になる。「昨日、多摩川
を散歩していたら、河童に会ったよ」と話を聞いてそのまま信じられる人は
「非理性的」な人です。河童の存在を議論する限りでは「主観の勝手」ですが、
「河童に会ったという事実」は本当か嘘かのどちらかで、証明できない限り
根拠にはなりません。
145105:02/10/02 17:00
>>128
>でもって、キリスト信仰を「非常識」とかゆうてる人がその前に
>いたんじゃなかったっけ?

そう。つまり、キリスト教を受け入れられないような常識が出来ていたんだね。
当時は宗教そのものが理解できないかも。たぶん、日本と違って、神を考え出したのは随分先のことだったと思う。
詳しいことは知らないけど。
日本人でなくても、話し合えば「こういうルールで行こう」と思うだろう。

あまりにもルールに慣れすぎたせいで、ルール以外のことが気持ち悪くなってくる。違うことが出てくると又苦労して考え直さないといけないから。
というより、変化に慣れていない。あまりにも変化がないと、

「それが正しいと思いこむ」
「しっかり身に付いてしまって変える必要があっても変えられない」

ということになってしまう。そして、実際にどこかが間違っているからおかしいことになる。
146名無しさん@1周年:02/10/02 17:00
http://www.info.sophia.ac.jp/theol/
ある大学教授の研究課題(抜粋)

2002/06/28  Child abuseの問題に関するシンポジウム 上智大学神学部教授 

人権擁護者が人権侵害者に転換するとき
−性的な暴力を含んだ人権侵害事件が問いかけるもの−
 性的な暴力を含んだ人権侵害事件が最近よく報道されますが、
その報道のしかたはゴシップ程度に終わってしまうとき何か物足りないと思います。

4.カトリック教会の一員として私は問いかけられた。
5.現代日本の社会で活動している宗教者として私は問いかけられた。
人権擁護者が人権侵害者に転換するとき
−性的な暴力を含んだ人権侵害事件が問いかけるもの−

おそろしい宗教じゃ、禁教をせねばなるまい

147名無しさん@1周年:02/10/02 17:00
ハレル〜ヤ 主をほめうたおぅ♪
148135:02/10/02 17:00

149名無しさん@1周年:02/10/02 17:04
キリスト教徒のあ・か・し・って、どうしてこうもキモイのか?
どれもこれも、自慰そのものだ。多少、宗教に興味がある人間でも、こういうの
読まされちゃ、「キリスト教はやめておこう」と考えるのは道理だな。キリストさんに
申し訳たたないんじゃないのか?自分達のキモレスがイエスさんを貶めてるんだからな。
それとも、実はみんな層化のなりすましか?w。>オールあ・か・し・さん




150名無しさん@1周年:02/10/02 17:04
日本人がキリスト教を受容れないのは「理性的」だからだよ。最近は電波も多いが…
151名無しさん@1周年:02/10/02 17:06
不条理故に我信じる

現代ではこれをやる勇気のある奴は歴史の中で最も少ないだろう。
152144:02/10/02 17:06
ちと話が長くなったが、要するに「私はキリストが復活したことを事実を
認める」が「ギリシャ神話のアフロディテの実在は認めない」とは言えない
ってことだよ。

歴史的事実として証明できない限り、それは「神話」にすぎないってことだ。
153名無しさん@1周年:02/10/02 17:06
>149
自慰って何どすねん?
154名無しさん@1周年:02/10/02 17:08
>>151
そんなもの勇気ではない。
155144:02/10/02 17:23
>>151

宗教に不条理な部分があるというのは正しい。あるかないか証明できない神を信じる、
形がない「愛」に価値を認める、自分の利益にならないのに困った人を助ける、悪人
でもその罪を許してやる....。「なぜ」と問われても答えに窮するものは全部不条理
ですが、不条理を許さないと恋愛もできない(好きだから好きとしか言えないはず)。

ところが、不条理と「非理性的」とは違う。理性で解決するべき世界では、正誤の
二つしかない。そして、理性的に議論さえ尽くせば、必ず正しい答えが見つかります。

だから「キリストの復活があったことは証明不可能である」という事実を認めた上で、
「それでも私はその神話によって救われると信じている」と信仰告白することは不条理
ではあるが認められます。
156十字架の血潮:02/10/02 17:24
本来のネタからずれてるんですけど。
ここはどうやってイエスを信じたか書き込むスレッド。
議論するスレではなし。
157名無しさん@1周年:02/10/02 17:25
俺の嫌いな言葉。
「神を冒涜する行為だ」
158名無しさん@1周年:02/10/02 17:26
http://www.info.sophia.ac.jp/theol/
ある大学教授の研究課題(抜粋)

言い換えれば、性的な暴力を加えた200人の司祭がいれば200人の犯罪者という
ことになりますがけれども、何の肉体的な暴力も加えていないので犯罪者に
されていないのに、女性や少年に対するpossessiveな人間関係のありかたを通して
abuse of powerしているのは200人ではなく、何千人規模かも知れません。
その中に私が入っているのでしょうかと私は問いかけられています。
この問いかけを深刻に受け止めなければ有意義な形での独身生活の道を
正直に歩むことができないのではないかと思っております。

おそろしい宗教じゃ。これからもっと強姦するということか?
159157:02/10/02 17:27
>>157
この台詞を吐いた途端に、そいつに対する俺の評価は地に落ちる。
160名無しさん@1周年:02/10/02 17:27
 心で信じて義とされ 口で告白して救われるだ・ぽ★
161151:02/10/02 17:29
>>155
不条理を埋める理由は「愛念」です。
162名無しさん@1周年:02/10/02 17:31
カトリックに入ればロリやショタと合法的に姦れるのか!?
ummm,俺も神を信じたくなってきました。
163名無しさん@1周年:02/10/02 17:32
日本の協会でもロリとヤれるのかな?
まじヤりたい・・・
164名無しさん@1周年:02/10/02 17:33
>「神を冒涜する行為だ」

こう言えば黙ると本気で思っているのだろうか。
165144:02/10/02 17:33
>>159

禿道。神様の気持ちがわかる人間なんているんだろうか。そのセリフを口に
した本人は、すっかり神様気分になっているってことだからね。カン違いも
いいところだ。
166名無しさん@1周年:02/10/02 17:34
あ、今俺の目の前に神が!

決断しました。明日教会に行ってきます。
167名無しさん@1周年:02/10/02 17:34
ロリ? ショタ? ってなに?
168名無しさん@1周年:02/10/02 17:36
>>167
ロリ=少女
ショタ=少年
修道院に居るロリやショタに神父様という身分で近づいてセックスしたい!
そんな思い出明日教会に行きます。
だって神様見えましたから。声も聞こえましたし。
169名無しさん@1周年:02/10/02 17:36
>156
パウロが良い例だと思う。使徒行伝読んだ方がためになる。
一番良い見本だよ。だいたいの所、共通してるんでは?
違うかな?
170144:02/10/02 17:37
>>161

一理ある、と言いたいところだけど、その命題もまた不条理なんだぜ。
クラシック好きな奴が、ロックのファンにクラシックのよさを伝道しても
無駄でしょ? 「愛念」がわかるひとが、わからない人にいくら説明して
も無駄。それが不条理というもの。
171名無しさん@1周年:02/10/02 17:40
キリスト教の愛
http://www.info.sophia.ac.jp/theol/
ある大学教授の研究課題(抜粋)

言い換えれば、性的な暴力を加えた200人の司祭がいれば200人の犯罪者という
ことになりますがけれども、何の肉体的な暴力も加えていないので犯罪者に
されていないのに、女性や少年に対するpossessiveな人間関係のありかたを通して
abuse of powerしているのは200人ではなく、何千人規模かも知れません。
その中に私が入っているのでしょうかと私は問いかけられています。
この問いかけを深刻に受け止めなければ有意義な形での独身生活の道を
正直に歩むことができないのではないかと思っております。

おそろしい宗教じゃ。これからもっと強姦するということか?
172144:02/10/02 17:41
>>169

使徒行伝に書かれているのは、パウロの不条理。それを第3者がいくら読んでも
パウロの信仰は理解できないと思うし、パウロの体験を自分の体験と同じだと信じて
いるとしたら、単なる思い込みだけだよ。不条理とはそういうものだ。
173名無しさん@1周年:02/10/02 17:42
>>171
ウザイ
174名無しさん@1周年:02/10/02 17:43
チンコ勃ってきた。
ロリ画像でオナニーして明日への期待を膨らませました。
さてさて、、、司祭になるためのイロハを調べに行くかな・・・
175名無しさん@1周年:02/10/02 17:49
>>157
>神に対する冒涜だ

神様は大愛で人の幸せを願っているので、多少のことでは怒りません。悲しみはするけど。
ちょっとしたことでいちいち怒るのは大愛ではありません。なにしろ、この宇宙で最高に善なる存在で、最高に優しく、最高にきびしく、寛大な存在ですから。
しかも、みなさんの人格を怒るようなことはしません。私の知る限り、怒るのはあなたの行為そのものについてです。
私も人のことが言えないのですが、神様は「何でもっと有意義なことをしないのか」と嘆いて居られるとか。

176名無しさん@1周年:02/10/02 17:52
>172
何せ、「病気になるのはその人に罪があるからだ」と信じられて
いたような時代に書かれた書物なので、厳密な物差しを当てはめ
てはまずいと思う。パウロは神秘的な体験がきっかけになって回
心したというような描写の仕方で書かれているが、もちろん、神
の声を私が聞いた訳じゃない。その点でいうなら、同じではない。
177名無しさん@1周年:02/10/02 17:53
>「何でもっと有意義なことをしないのか」

それは人間が神に言う台詞だろう。笑わしちゃいかんよ。
178名無しさん@1周年:02/10/02 17:54
>>175
神よ、ヒトの遺伝子操作は許される行為でしょうか?
179名無しさん@1周年:02/10/02 17:56
>>178
許されているから操作出来ているんじゃないか。
180名無しさん@1周年:02/10/02 17:58
>>179
そうですよね。
もし許されないのであれば落雷でも喰らいそうなもんですよね。
181名無しさん@1周年:02/10/02 17:59
科学者として言わせてもらうけど、
この先俺の科学の探求を宗教的理由なんぞで邪魔しやがったら
金に物言わせてマジでそいつ等虐殺してやる
182名無しさん@1周年:02/10/02 18:00
ゆるされるも ゆるされないも 自己責任だニャ。。
183名無しさん@1周年:02/10/02 18:02

おまえら昼間から不毛なことしてるな
184名無しさん@1周年:02/10/02 18:02
182はいいことゆった。
185名無しさん@1周年:02/10/02 18:02
アメリカでも同じようなことを言ってる人がいる

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020917-00000884-reu-ent
186名無しさん@1周年:02/10/02 18:02
>181
科学者には見えんが。
187名無しさん@1周年:02/10/02 18:03
>金に物言わせてマジでそいつ等虐殺してやる

通報しました
188名無しさん@1周年:02/10/02 18:03
>>183
その為のスレじゃないか。
189名無しさん@1周年:02/10/02 18:05
>181
科学者て、錬金術師みたいな?
190名無しさん@1周年:02/10/02 18:05
>>183
引きこもりの暇つぶしですから
191144:02/10/02 18:06
>>176

体験がどうであれ、不条理によって救われることは結構なことだと思う。
ただし、不条理を大量生産して、教会の門をくぐる人に無理やり貼り付ける
ような愚行はよした方がいいと思うよ。「キリストの復活によって、万民の
罪が贖われる」なんてその最たるものだよ。もともと不条理な存在である
信仰を、下手に歴史的事実と結びつけようとするから、かえって「非理性的」
な子供だましの信心に自ら貶めてしまう。もちろん、理性的な現代人には
シカトされる。
192名無しさん@1周年:02/10/02 18:09
人はそれぞれ色んなことを信じて生きているわけで、
神がいないといっているひとも、「神が居ない」ということを信じているわけだ。
信じるものが神なのかそうじゃないのかなんて、どうでもよくないか?
基本的に何かを信仰してる当の本人達は、周囲の目が気にならないことがよくある。
その代わりと言うか、だからというか、まあ人のことは放っておけばいい。
気にしたら負けだ。
193名無しさん@1周年:02/10/02 18:12
>>190
暇つぶしって、けだるい快感がありますな〜。

194名無しさん@1周年:02/10/02 18:13
信じるも 信じないも すべて自己の意志決定に基づくなりょ 
195144:02/10/02 18:13
>>192

禿道。要するに、自分の信仰は不条理なものだということを認めて、
他人に押し付けても意味がないことを自覚することだよ。あくまで自己
責任で信仰するってことかな。
196144:02/10/02 18:16
余分なことをつけ加えると、自己責任の信仰である以上、教会も聖書も
あてにはできないってことになるんだよね。自分の不条理の責任は、自分
自身が取らなくちゃね。
197名無しさん@1周年:02/10/02 18:22
「神がいない」ということを信じるのは自由。神様はあらゆる自由を与えたわけだから、皆さんが不幸になろうともいっこうに構わない。
ただ、何もかも自力でやらないといけなくなるだけで、大した違いはないだろう。

一度に3個しか覚えられないような記憶力でこの世の複雑さを相手にしないといけない。
し、ケガをしたら実際のケガよりも辛い目に遭うだろうし、どんなに些細なことが起こっても憤慨して傷つくだろう。

それと、1つやっただけで10の効果が得られるような方法で順調にやっていくのとどちらが良いだろうか?
あの世のことを抜きに考えても、こうなっているのは事実だ。

せっかく幸せになる方法が存在するのに、自ら不幸になろうとするとはもったいない。

幸せになりたいのならそうなる方法をもっと考えるべきだろう。
198名無しさん@1周年:02/10/02 18:24
メキシコ人もキリスト教に呆れている

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020906-00000836-reu-ent
199名無しさん@1周年:02/10/02 18:32
>>197
幸か不幸かは、俺自身が決める。

>せっかく幸せになる方法が存在するのに、
>自ら不幸になろうとするとはもったいない。
・・・ネズミ講っぽいよ。
200名無しさん@1周年:02/10/02 18:35
理性的な現代人(笑)。
201 こげぱん どらやき:02/10/02 18:40


    かまどの中は あつくてあつくて 

          そりゃあ もぅ・・・・  えぇ・・・ あぁ・・・
202197:02/10/02 18:54
>>199
わるい。そういうつもりは全くない。
何かの宗教に入れと言っているんじゃないんだ。
別に入っても入らなくても良いから、その辺に潜んでいる幸せをみすみす
逃して不幸になるようなことは私個人は悲しく思う。
むしろ、金を使わなくても幸せはあると言うことを知って欲しい。
本物の幸せを知って欲しい。本物の幸せとは「永久に幸せでいる」ということだ。

ぴんとこないなら、「出来るだけ長く幸せでいる方法」を見つけて欲しい。
>>199が「これは幸せだ!」と思いたくなることは起こすことが出来る。
その方法を知って欲しい。

ここで全部言ってしまうのはたやすいが、私も人間。全部分かっている訳じゃない。
なにもかも正しく言える自信はない。

これを見た者が幸せを手に入れようと行動を起こすきっかけとならんことを。Amen
203名無しさん@1周年:02/10/02 18:58
コリント第1の手紙 13章9節〜13節
われわれが知るのは一部分、また、預言するのも一部分であるゆえに。
完全なものが到来するときは、部分的なものは廃れ去る。
わたしは、幼い子どもであったとき、幼い子どものように語り、
幼い子どものように考え、幼い子どものように思い巡らした。
だが、一人前の者になったとき、幼い子どものことはやめにした。
われわれが今、見ているのは、ぼんやり鏡に映ってのもの。
「その時」に見るのは、顔と顔を合わせてのもの。
わたしが今、知っているのは一部分。・・・・・・このうち最も
優れているのは愛。
204名無しさん@1周年:02/10/02 19:07
無しと、有りの違いで、信じました。
祝福の道と呪いの道で、人生の岐路で選択したのです。

自分には、善いところがありませんでした。
人生の目的はありませんでした。
理性に解決はありませんでした。
誰も助けにはなりませんでした。

イエス様には愛があります。
イエス様には、命があります。
イエス様には助けがあります。
イエス様には真実が、本当、真実のみがあります。
イエス様には清さがあります。

イエス様はありてあるもの、わたしはいまあって明日は無いもの、
「私たちがまだ罪人であったときに、神は私たちを愛してくださった」
それなら私は大丈夫、それが信仰の始めでした。

つまり、在るを選べば、信仰。
そして、それが、信じて分かる世界。
分かって信じる世界でもなくて。

今、56才、信仰生活36年、幸せです。
幸せな人の言うことを聞くのが智恵でしょう。

皆様に祝福がありますように。
205 Say Yes♪:02/10/02 19:09

空に Say Yes! 悲しいことがあっても
いつも Say Yes! 君を信じていてね
愛にはぐれたり
淋しさが涙に負けそうな時は
思い出して みんなひとりきりじゃないと
夕陽が舗道に落す影のように
そっと首かしげ誰かがキミのこと
優しく見つめている
勇気を出して翔んでね 怖がらなくて平気よ
夢の重さ支えあえば走れるわ
空にSay Yes!Vのサインを挙げて
OK Say Yes! 涙を吹き飛ばして
もっと Say Yes! 力の限り遠く
それは Say Yes! 青春へのメッセージ・・・
生きるのがとても好き・・・
世界中がキミを待ってる
悩みを話して・・・ ひとりで泣かないで
心を閉じたら明日が見えなくて
夢も道に迷うわ
大事な気持伝える 言葉は探せなくても
泣き止むまで背中に手を触れてるわ
空に Say Yes! 悲しいことがあっても
いつも Say Yes! 君を信じていてね
空にSay Yes! Vのサインを挙げて
OK Say Yes! 自分宛てのメッセージ・・・
青春がとても好き・・・
世界中がみんな待ってる
206名無しさん@1周年:02/10/02 19:14
キリスト教の愛
http://www.info.sophia.ac.jp/theol/
ある大学教授の研究課題(抜粋)

言い換えれば、性的な暴力を加えた200人の司祭がいれば200人の犯罪者という
ことになりますがけれども、何の肉体的な暴力も加えていないので犯罪者に
されていないのに、女性や少年に対するpossessiveな人間関係のありかたを通して
abuse of powerしているのは200人ではなく、何千人規模かも知れません。
その中に私が入っているのでしょうかと私は問いかけられています。
この問いかけを深刻に受け止めなければ有意義な形での独身生活の道を
正直に歩むことができないのではないかと思っております。

おそろしい宗教じゃ。これからもっと強姦するということか?
207名無しさん@1周年:02/10/02 19:19
>>206
ずっとそういうコピペばかりやっているようだけど、
あなた自身の考えはどうなの?
レポートするだけなら、誰にでもできる。
問題は、あなた自身がそのレポートをどのように受け止め、どのように評価し、
どのような結論を導くか、じゃないですか?
208名無しさん@1周年:02/10/02 19:29
コリント第1の手紙 6章9節〜11節
みだらな行ないをする者、偶像を拝む者、姦通する者、男娼、同性愛に
ふける者、盗みをする者、貪欲な者、酒におぼれる者、人をののしる者、
かすめ取る者は、いずれも神の国を受け継ぐことはできません。
あなたがたの中には、以前このような人もいました。しかし、あなたがた
は洗い清められたのです。主イエス・キリストの名によって、また、わた
したちの神の霊によって、神との正しい関係にある者とされたのです。
209199:02/10/02 19:35
>>202
君は、「皆。不幸」であるという前提で人と接するの?
スレを読んでて気分が悪いよ。
俺は、「永久の幸せ=幸せ」と思わないし欲しく無い。
「出来るだけ長く幸せでいる方法」よりも
地道に努力した結果としての幸を得たい。

しかも、効率的に得た「幸せ」なんて論外
210名無しさん@1周年:02/10/02 19:36
>>208
2ちゃんねらーは神の国を受け継ぐことが出来ないわけだ。
211199:02/10/02 19:37
>>209の訂正ッス

× スレを読んでて気分が悪いよ。
○ レスを読んでて気分が悪い。

ですた。スマソ
212名無しさん@1周年:02/10/02 19:39
キリスト教=北朝鮮
213名無しさん@1周年:02/10/02 19:40
>>210 どんな罪びとも 悔い改めて イエスさまを信じるなら救われます。 
214名無しさん@1周年:02/10/02 19:42
>>210
だ・か・ら
悔い改めよ。最後まで読んでね。
215名無しさん@1周年:02/10/02 19:42
キリスト教を信じて神父になると少女を強姦出来ます
ラーメン
216名無しさん@1周年:02/10/02 19:44
キリスト教をやると男も抱けるぞ!
ラーメン
http://www.badi.jp/kiji/nw0205161.html
217144:02/10/02 19:45
>>208

それは、パウロの不条理を文章にしただけなんだがな....
218名無しさん@1周年:02/10/02 19:48
>>215
>>215
あんたは懲りない面々のメンバーですか?
アフォですか?
パーですか?
頭かち割って修理してやるから、住所教えろ!!
219名無しさん@1周年:02/10/02 19:50
>>209
ただ効率的にやるだけでは幸せになれません。

幸せになるための情報はいくら知っても知りすぎることはないでしょう。
「しまった。幸せな情報を知りすぎた。トップシークレットを知りすぎたスパイのように消されてしまう」
とは思わないでしょう。
220名無しさん@1周年:02/10/02 19:51
>>216-216
カウンセリングの上手い牧師、紹介してやろうか?
221名無しさん@1周年:02/10/02 19:53
>>218
「これから塀の中に入れてやる!」ということ?
222名無しさん@1周年:02/10/02 19:57
http://www.cbcj.catholic.jp/doc/c_abuse/
こんなことをしておいて、よくもまあ偉そうなことが言えるものだな。

キリスト教の愛
http://www.info.sophia.ac.jp/theol/
ある大学教授の研究課題(抜粋)

言い換えれば、性的な暴力を加えた200人の司祭がいれば200人の犯罪者という
ことになりますがけれども、何の肉体的な暴力も加えていないので犯罪者に
されていないのに、女性や少年に対するpossessiveな人間関係のありかたを通して
abuse of powerしているのは200人ではなく、何千人規模かも知れません。

おそろしい宗教じゃ。これからもっと強姦するということか?
バカ神父は全員精神病院でも行け。
223名無しさん@1周年:02/10/02 19:59
>>221
どうしようもないアンポンタンですか?
ということ。
あの映画から象徴的に引用しただけ。
要するにワタクシのいてまうぞゴルゥア!!
という感情表現。
224名無しさん@1周年:02/10/02 20:06
>>219
効率的に幸せを手に入れようって考え自体が
嫌いなんだよ。
225名無しさん@1周年:02/10/02 22:39
こんなに荒れた掲示板を見て、主はさぞ嘆いておられるでしょう♪

まあ、恋人と出会うようなもんで、タイミングが大事ということではないですか。

みなさんだって、弱気になったこと一度や二度はあるでしょう。
226名無しさん@1周年:02/10/02 22:56
人の弱みに付け込むな! ( ゚Д゚)ゴルァ!!
227名無しさん@1周年:02/10/02 23:04
まだまだ弱りが足りんようじゃな!( ゚Д゚)ゴルァ!!


 
228棄教者 ◆KIKYO7cg :02/10/03 08:01
トレ・エト・レゲとガキ共が歌ってるのを聞いて聖書を開けてみましたがまだ感動できません。
「何で私を迫害するのか」と迫ってくる幻も見えません。
。。。
もともと神秘的な体験ができない体質なのでトマス秋茄子みたいに理性によって神の存在を確信したいのですが
どうすればいいでしょう。
229名無しさん@1周年:02/10/03 08:09
>>228
実存論的に思考せよ。
まず、トレルチあたりを嫁。ちと難しいし、本も高いが。
それから、ブルトマン。何なら、トレルチをとばしてブルトマンでもいいかも。
わかりやすくていいのは、日本人神学者の柏井円。
だが、現在本が手にはいるかどうか。

もし、哲学的思考に強いのであれば、
そして、少しでも信仰のかけらをお持ちであるなら、
マルチン・ブーバーをお勧めする。
あるいは、アブラハム・ヘシェルも面白い。
ただし、どちらも、ユダヤ人の学者。
だから、それなりの素養がないと、読んでも訳が分からない。

これだけは言っておく。
いのちのことば社等、福音派系の出版社が出している本は、禁書目録に書き込むべし。
読めば読むほど、訳が分からなくなる。

他に聞きたいことは?
230名無しさん@1周年:02/10/03 08:18
>>229はアフォですか?
231名無しさん@1周年:02/10/03 08:29
>>230
あなたはこれらの書物を読んだことがありますか。
それよりなにより、ここに書き込まれた人々の中の一人でも知ってますか。
232名無しさん@1周年:02/10/03 08:34
ブルトマンとマルチン・ブーバーは知ってます、名前だけは。
233名無しさん@1周年:02/10/03 09:41
理性的に考えているとき、話しかけてくる者がいる。
それを自分の考えと思うか、自分以外の者の考えと
捉えられるか。この視点を得ることは大切である。
234名無しさん@1周年:02/10/03 09:44
>>231 自分230じゃないけど、

>読めば読むほど、訳が分からなくなる。

この点をアホだといわれてるのでは。自分の視点見失って読むと
ワケわかんなくなるのはどんな本でもそうでしょう。
>>231のカキコからもそういう性格の臭いがゆんゆん。
情緒的な本を実存論と比較する時点でアホかもしれない。
235229:02/10/03 09:53
>>234
うむ。
私は、230さんはきっと聖書主義に凝り固まった人で、
聖書以外のものは読んでも意味がない、くらいに思っている人ではないかと感じた。
だが、聖書だけをいくら読んでも、わきゃわかめだと思う。
だからこそ、聖書に関するいろんな研究がなされ、論文が書かれ、本が出版がされているんだ。
聖書だけ拝んでいればそれで事たれりとするのは、ちと幼稚すぎると思った。
236名無しさん@1周年:02/10/03 10:10
>聖書だけ拝んでいればそれで事たれり

そんなこと、ひとことも言ってねーぞ。W
237229:02/10/03 10:18
>>236
だからさ、そう思ったんだってばさ。こちらの勘違いだよ。笑わば笑え。
238234:02/10/03 11:02
>>229

悪いけどちょっと神経症の傾向を感じる。
>>230の一言から>>235のような思考が出てくるとは・・。
自分の意見否定されるとキレるタイプ?

あとちなみに、「聖書主義に凝り固まる」というのと、
「聖書以外のものは読んでも意味がない」の間には何のつながりもないよ。
現実の世界や生活があるから、聖書が生きてくるんだろ。
239229:02/10/03 12:25
>>238 自分の意見否定されるとキレるタイプ?

まさかあ(藁 だったら社会生活でけへんで。
ただ、私の周りには、トレルチだのブルトマンだの持ち出すと、
あからさまにいやな顔をするファンダメンタリストが何人もいるものだから、
こいつもそうなのか?と思っただけだよ。

こんな2チャンで、そこまで深読みされると、かえって困ってしまう。。。
240名無しさん@1周年:02/10/03 12:27
キリスト狂徒は狂っているから気にするな
241名無しさん@1周年:02/10/03 12:31
ちと気になることがあるのでsageで書くが、229さんは以前に福音派質問箱に
書いてた「以前福音派にいた」人ではないだろうか。
こちらの勘違いだったらゴメン。

意見の内容とか、レスの仕方が非常に共通しているので。それ抜きにしても、
229の意見に大変違和感感じるんだよね。何かって言うと、「聖書主義」の
意味の取り方なんだけど。「聖書第一主義信仰」のことを言ってるのだと思うが、

それらは所詮、「神学的区分け」に過ぎないんだよ。わかるかな?
神学的に、とゆうと、組織としていかに信仰指導していくか、
組織としていかに信仰姿勢を保っていくか、といういわゆる方法論なわけだ。

これらと、「個々人の信仰」とは、まったく別。どういう組織に属するにしろ、
どういう神学的立場のところに所属するにしろ、どういう立場から聖書を読むにしろ、
クリスチャンである以上、いきつくところはイエス・キリストなんだよ。
人によってアプローチは違えど、最後はup to you、
自分自身が生活の中でどのようにキリストと歩むかどうか、なんだ。

もっといえば「信仰」と「神学」は別物。神学や信仰の立場は人を救わないが、
信仰そのものは人を救う。その点をちょっとわきまえれば、
自分と違う神学的立場の人を否定したり、ましてや「発禁目録に」なんて発言
はでないはずだと思うんだよね。

幼子は神学勉強しないだろ?しかし幼子はより神の国を受け入れるだろ?
神学と信仰の違いというのは、そういうところにあるよ。
242229ではないが:02/10/03 12:40
トレルチやブルトマンを読む者は、たしかにいのちのことば社など、
福音派の本は読む気しないもんな。お前等福音派はトレルチやブルトマンを
くそみそになじるんだから、お互い様じゃねえの。

ブルトマン教のあずみに対しても、お前らがやってきたいやがらせについては
2ちゃんねるのクリスチャンはみんな知っているぜ。自分らのしてきた
ことを棚上げにしてよくいうよ。
日キ教団出版局の、注解書・ヨハネの手紙;ブルトマンはどうですか?
買ってみようかと思うんだけど、3600円はぼりやがる。
ここで酷評されるようなら、幾らか足して、公文書全集でも買います。
244名無しさん@1周年:02/10/04 20:24
C.S.ルイスの『キリスト教の精髄』をお勧めします。
一般書店の宗教コーナーに売ってます。
出版社は新教出版社です。
値段は2200円、図書館にもあるでしょう。
245名無しさん@1周年:02/10/04 20:33
クリスチャンの方、ここにはいらっしゃらないんですか?
証は無いんですか?
246名無しさん@1周年:02/10/04 20:40
証って何?
247名無しさん@1周年:02/10/04 20:44
>>245
ここは比較的マトモなスレだな。。。
クリスチャンは、糞スレに逝けばいるだろう。
248229:02/10/04 20:50
>>241
あり?レスがついていた。だけど。。。

誰の事やら知らないが、神学が「組織としていかに信仰姿勢を保っていくか、といういわゆる方法論」だってか?
そいつあ違うと思うぞ。
それは、あえて言うなら、教派神学のことでしょうが。だが、神学は果たして教派神学だけかな?
それから、
>これらと、「個々人の信仰」とは、まったく別。
というのも、どうかと思う。
例えば、個々人の信仰において、ブルトマン的実存論的信仰を持つことはあっても、
教会のよってたつべき神学にはならないだろう。
「うちの教会は、ブルトマンの神学でやってます」なんて教会は、無いと思うけどね。
249私の魂は主を褒め称えます:02/10/04 21:00
ハレルヤ!(^〇^)/主の御名を賛美します。
イエス様を信じてから、心の平安が与えられました!!!
主よ、感謝します。
イエス様を信じる前は、何をしても虚しく、生きる意味を感じませんでした。
しかし、今は違います。
神であり、最高のお方であるイエス様が、こんな私を愛して下さっているからです。
イエス様は、私に生きる喜び、生きる意味を与えて下さいました。
人は私を裏切ることもありますが、イエス様は決して裏切りませんし、私がどんなふうになっても見捨てません。
皆さんも、イエス様を信頼して、最高の人生を歩んで下さい。
イエス・キリストの尊い御名によって祝福します。アーメン。
250名無しさん@1周年:02/10/04 23:40
自分はね
天使グッズのコレクターだったんだよ〜
だって奇麗だし可愛いじゃん
小さなものから大きなものからいろいろ飾って楽しんでた
そのうちに天使に関する本とかいっぺんに10冊ぐらい読むようになった
面白いんだよね〜
でも天使に関する本とか必ずと言っていいほど聖書や教会のことが書いてあるんだよね〜
読んでるうちに、聖書ってどういうことが書いてあるんだろう?教会に行けばわかるのかな〜とか
教会の中って何やってるんだろ? とか思うようになって
近所にある教会に一人でふら〜っと行っちゃったんだけど
当時の自分はカトとプロの違いすらよく知らないぐらいに無知だったんだよね〜
ふらっと行ってみたところは、たまたま福音派教会だったんだよ〜
でも天使の飾り物もステンドグラスも何もないし、
牧師は「聖書よめ。聖書よめ。」ってそればかり言ってるし
牧師や信者が「主よ。わたしたちには、聖書がすべてです。」と祈っているのを見て
なんか違うよな〜って思っちゃったんだ
でもこの教会のお陰で、イエス様が神、主であるということを信じることが出来たんだよね〜
牧師さんには相当お世話になったよ
251 :02/10/04 23:41
252名無しさん@1周年:02/10/04 23:42
>>247 福音信仰者の集いスレ
253名無しさん@1周年:02/10/04 23:50
でもプロの人って信仰に入ること=救われる って表現するでしょ
信仰心の破片らしきものを与えられたのは大変いいんだけど
いわゆる救われてからその後をどうしたらいいんだか見失っちゃったんだよね〜
牧師は「あとは神の国の再臨を待て」とかなんとか言う
でもそのうちに自然とカトリックが気になる存在になって来たんだよね〜
カトリック教会にふら〜っと行ってみたら
信者が「わたしたちが神の国をつくれますように」なんて祈ってる
神の国って自分たちでつくれるのか…待っているだけじゃなくて
自分たちでつくれるのか…フーン( ´,_ゝ`)と思ってびっくりした
254名無しさん@1周年:02/10/04 23:55
>>253
神の国は近づいた。只中にある。
255名無しさん@1周年:02/10/04 23:58
初めのうちは俺さんみたいなこと言ってシスターを困らせたりしたけど
今はカトに移って、霊名も大天使の名をもらって
まあ忙しくてあまり教会のこと出来ないんだけど、
ミサの有り難み、お祈りできることの有り難みを
日々感じる日々でございまつ
プロもカトも行き来してるからどっちの言い分も実によく分かるんだけど
まあ本人が幸福ならどっちでもいいんじゃないかな〜

† 主にみ栄えあれ
256プロですが:02/10/05 08:07
>>253
確かに、そういう教会もあるようですが、
自分の所は違います。
肝心なのは、洗礼を受け手からの歩みだと教えられてます。
つまり、キリスト者として、どのように生きてゆくのか。
行為によって救われるのではないけれども、
キリスト者としての歩み、生き方が、問われるのだと教えられました。
確かに、ヤコブ書などを読むと、そう思いますね。
洗礼は出発点であって、終着点ではないそうです。
257元ヒッキー:02/10/05 14:09
ハレルヤ!!!
主の御名を賛美します。
イエス様は癒し主です。私のうつ病を癒してくださいました。
祈った時に、体、特に頭に、暖かいものを感じました。
聖霊様が触れて癒して下さったのです。
今では、やる気も出て、以前何もできなかったのが、嘘のようです。
引きこもりの人は、イエス様に希望をおいて下さい。
イエス様は必ず、あなたを癒してくださいます。
ぜひ、イエス様を信じて、癒しを体験し、
イエス様がどのようなお方か知ってください。
258 ◆U6tQlVmras :02/10/05 15:50
大学で英語学専攻→ちょっと昔の聖書の言語学という授業を取る→しばらく放置→
ある日、家の近くの教会がビラ配りしていた→たまたま受け取ってそこに行った→
礼拝に行った→聖書買った→新約読んだ→イエス、すごいなぁと思った→
あちこちの教会をてんてんとする→カトリックにとどまる→今、洗礼準備中
259夜破音 ◆U6tQlVmras :02/10/05 15:51
258は、ありきたりかもね。なんか、他の例見ていたら、もっとすごいね。
260名無しさん@1周年:02/10/05 21:08
>>257 に同意。それがコピペでも
もとレスを書いた方は真摯な告白をされたはず。
聖霊派キリスト教会での体験と思われ。主の霊に満ちる教会ならではの証しだ。
261名無しさん@1周年:02/10/05 21:53
永遠の命というのは転生輪廻のことを言っていると
直感したときイエスの恵みを受け入れることができました。
262カミミタ ◆OxPaZFslIs :02/10/05 23:53
私は神をみてからイエスは真理に基いて語っていると知った。
それまでは仏教徒でしたが、いまの仏教では真理が語られていないとわかった。
今はイエスのことばのみ真理を語っている事実であるといいきれます。
しかし、予言についてはわかりません。
263おしえて!:02/10/06 01:25

初めてこのスレッドにレスします。
一神教の神を信じている方に聞きたいのですが、貴方の信じる「私たちの力の及ばない存在」を固有名詞で呼ぶのは何故ですか?。

何故貴方の「神?」と別の人が信じる「神?」を別だと言うのですか?。

何故貴方の「神?」が正しくて、別の人が信じる「神?」が正しくないと言うのですか?。

何故貴方の「神?」は従う人だけを救い、従わない人を無理に従わせようとするのですか?。
264名無しさん@1周年:02/10/06 14:14
聖書に「求める者には与え」と書いてありますので、クリスチャンである私は
>263さんのレスを見てしまったので答えなければなりませんでしょう。
でも、「借りようとする者を断るな」とも書いてあります。しかし、先日弟が
デジタルビデオカメラを貸してくれと言ったけど断ってしまいました。
私たちには、あなたの問いに答えるだけの勇気も知識も行動力もなにもありません。
それが答えです、わかりましたか。アーメン
265名無しさん@1周年:02/10/06 14:35
age
266名無しさん@1周年:02/10/06 19:34
神は神様です。わたしたちはそのように呼んでます。それが何か?
別の人の信じる神を別に別だと思いません。
別に別の人が信じる神を正しくないと言っているのはごく少数です。
キリスト教では、強引に従わせようとは思いません。
聖書を読めば皆、勝手に従うものなのです。
 >263
267名無しさん@1周年:02/10/06 21:06
自分でもわからなくなってしまった自分というものを仮説であれ上手に説明
してくれて、半信半疑でも信じてみると確かに救いを実感できた。
仕組みがわからなくても俺はいい(自分なりに考えるけどね)。
ただ後付の奇跡は確かにどうでもいいW
268名無しさん@1周年:02/10/06 21:53
>267  キリスト教じゃなくても、みんなこの宗教で救われたっていうもん
 
269さらに教えて!:02/10/07 01:39
一神教を信じている人は、同じように信じている人を「シスター?・ブラザー?」なんて呼んで、それ以外の人と何故区別するの?。

例えば、異教徒に酷い事をしておいて、懺悔することで自分のやったことを忘れてしまえるのは何故?

自分が苦しい時に救われたからといって、自分の神を盲信できるのは何故。

270名無しさん@1周年:02/10/07 01:56
>1
或る冬の日、地元の街へ買い物に行ったら、ホームレスのオヤジが、
地下鉄の階段にす座ってました。上半身裸で、とても寒そうだったので、
つい、買ったばかりのTシャツを上げてしまいました。
その夜、夢の中に、そのTシャツを着たホームレスが天使達と出て来て、
『お前がTシャツを与えたのは、私だったのだ。』と...(略)
271名無しさん@1周年:02/10/07 12:59
>270

ところが、そのTシャツは「ユニ○ロ」の製品で、オマケに見切り処分で500円で
手に入れたものだった。それで、ホームレスと天使達は、500円分だけ1さんの夢に
とどまり、大部分を「ユニ○ロ」の社長と、中国の職工さん達の家の挨拶回りに
大部分の時間を費やしたのであった。

教訓:たとえあなたが「Tシャツをあげた」と思い込んでいたとしても、それは
Tシャツを横流ししただけの話で、Tシャツを作った人は他にちゃんといる。
272名無しさん@1周年:02/10/07 13:05
>>269

>異教徒に酷い事をしておいて、懺悔することで自分のやったことを忘れてしまえるのは何故?

自分は別に異教徒にヒドイことをした覚えも、ざんげして忘れた覚えもないですが。
同じ立場のものは連帯責任を持つべし、とゆう考えを前提に聞いているわけか?
273名無しさん@1周年:02/10/07 14:29
>自分が苦しい時に救われたからといって、自分の神を盲信できるのは何故。

苦しい時に何かにすがりたくなって教会へ行ってイエス様に出会う人もいると
思うけど、それはその人に相応しい神様の導き方だと思う。
私は聖書を読んで「これは確かに真理なりー」と思って信じた。
私に相応しい神様の導き方だと信じている。


274名無しさん@1周年:02/10/07 18:42
>261 名無しさん@1周年 :02/10/05 21:53
永遠の命というのは転生輪廻のことを言っていると
直感したとき・・・

永遠の命は、転生輪廻のことではありません。人生は一度限りであり、一度生まれ、
一度死んで終わりなのです。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)
別の存在に生まれ変わって、別の人生を歩むことはありません。あなたは永遠にあなたのままです。
永遠の命とは、神と共に永遠に苦しみのない至福の世界で暮らすということです。
ちょっと差し出がましいかもしれませんが、大事な点なので、一応カキコしました。
275名無しさん@1周年:02/10/07 19:07
>263
>貴方の信じる「私たちの力の及ばない存在」を固有名詞で呼ぶのは何故ですか?
A:それは、神様は、ロボットのような存在ではなく、人格を持っておられる方だからです。専門用語で神格と言います。
あなたにも名前があるでしょう?それは、あなたが人格をもっており、唯一の存在だから、名前があるのですよ。
同じように、神様にも意思・感情・知能があり、唯一のお方だから、固有名詞で呼ぶのです。
276名無しさん@1周年:02/10/07 19:19
>>275
たしか明治ぐらいまでは名字を名乗れなかったんですよね?
277名無しさん@1周年:02/10/07 19:22
>263
>何故貴方の「神?」と別の人が信じる「神?」を別だと言うのですか?。
A:それは、神といっても、人によっては、全然違う存在を、“神”と呼んでいることがあるからです。
聖書の神は、イエス・キリストの父であられる神であり、全知全能であり、この全宇宙を創り、維持しておられ、
私達人間をこの上なく愛しておられ、唯一まことの神であり、我々人間を創って下さった創造主なのです。
さらに、神にみずから敵対した、私達人間を救いたいと思っておられ、その為に
ご自分の独り子を身代わりにしてくださったお方です。

一方、日本にはハ百万の神々がいると言う人もいます。
学業の神、安産の神、縁結びの神、などなど・・・
学業の神は、人間に知能と感情と自由意志、考える力を与えて下さった神ではありません。
安産の神は、人間が母親から産まれる時に働かれる神ではありません。
縁結びの神は、人が結婚するように定めて下さった神ではありません。
278名無しさん@1周年:02/10/07 19:36
神道の神々は、超自然的な存在の多くを神と呼んでいるものです。
一神教の神の概念とは、根本的に違います。
また超自然的な存在として霊格を高め、人間の手で神を創り出しているの
もまた大きな特徴です。
279277:02/10/07 19:41
277続き
それらは、聖書の神、唯一神、創造主、イエス・キリストとは、まったく別の存在です。
また、人によっては、物体に過ぎない“物”を、神と呼んで拝む人もいます。
また、人によっては、被造物に過ぎない“人間”を、神と呼んで拝む人もいます。
唯一まことの神は、物ではありません。人ではありません。物や人は被造物に過ぎません。
創造主は、被造物とは次元そのものが違うのです。創った方と、創られた物では、次元が違うのです。
人が考え出せるような存在は神ではありません。
人には考え出せず、理解も超えているからこそ、まことの神なのです。
だから、別だと言うのです。日本では“神”の意味と定義が混乱しているのです。

>276
その通りです。明治維新までは名字を持っていたのは一部の特権階級だけでした。
私がここで言ってるのは、その人を呼ぶ時に使う名です。その人をその人たらしめる名です。
だから、名字でも名前でもあだ名でも、いいんです。その人固有のものだから、固有名詞ですよね。
280名無しさん@1周年:02/10/07 19:52
キリスト教で神が一人だと思うのは、全知全能だからあらゆる幸せのために一人で働かれると思うからですよね?
281277:02/10/07 20:19
>263何故貴方の「神?」が正しくて、別の人が信じる「神?」が正しくないと言うのですか?
A:どなたの「神」を言ってるかによって答えが違ってきますが、
イエス・キリストの父であられる神=創造主=唯一神、以外の「神」は、
ニセモノだから、正しくないのです。本物の神は、イエスの父である、創造主なる神だけです。
クリスチャンはこの方を“主”と呼びます。全被造物の主人だからです。
本物が最も優れています。創造主なる神と、他の、神と名のっている存在を比べてみて、
どちらが優れていて、力があるでしょうか?
人が考え出せるような存在は、少なくとも人間の思考の範疇を超えることはできないので、
人間よりも下のレベルの存在ということになります。そんな、人間以下の存在が神であるはずがありません。
まことの神は人間をはるかに超えています。知恵において、知識において、力において。
創造主なる神、主は、このスレッドを見ているすべての皆さんに言われます。
「わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。わたしが地のもといを定めたとき、あなたはどこにいたのか。
あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。あなたは知っているか。誰がその大きさを定め、
誰がはかりなわをその上に張ったかを。」(ヨブ記38:3-5)
旧約聖書:ヨブ記37章〜41章をお読み下さい。
全能なる主が、どれほどのことが出来、どれほどのことをなったのか、
また、どれほどのことを今なさっているのか書いてあります。
主は今、生きて働かれておられます。このスレッドも今見ておられますよ。
282名無しさん@1周年:02/10/07 20:22
罪人である我々は、イエスの言葉を聞き入れ罪を滅ぼす。
イエスの言われたことを行うことにより幸福を願う。
神に幸せを祈っても、真理にもとづく行動を起こさないならば、
神に見放される。
祈りは、イエスの言葉を忘れ去らないため祈り、神に懺悔すること
により、自身の罪を悔いる。悔いることにより罪を行わないと心得る。
神は、自身の幸福のためだけを聞き入れる雇われ人でないのです。
283277:02/10/07 21:01
>263何故貴方の「神?」は従う人だけを救い、従わない人を無理に従わせようとするのですか?
A:それは誤解です。創造主は、人間に自由意志を与えています。それは人間をロボットのようにしたくないからです。
創造主は、人間を無理矢理に従わせることを求めているのではなくて、人間自らの意志で従うことを求めています。
また、従う人だけを救い、と書かれていますが、もともと先に敵対したのは人間の側です。
創造主が愛とすべてのものを与えてくださっていたのに、人間が自分の意志で創造主にさからったのです。
人間が自分で救いをこばんだのです。
これが、“罪”というものです。
284名無しさん@1周年:02/10/08 19:27
>277さん

>イエス・キリストの父であられる神=創造主=唯一神、以外の「神」は、
>ニセモノだから、正しくないのです。本物の神は、イエスの父である、創造主なる
>神だけです。

これって、あなた自身が考え出したことでも、確認した事実でもないでしょう?
たんに教会で聞いてきたことを繰り返しているだけ。世界中を歩き回って、あらゆる
宗教をチェックしてみたの? その結果なら「キリスト教こそは最高の宗教です」
というあなたの言葉に敬意を表してもいいけど。

単なる受け売りを「これこそが真実です」などと断言するような人間は不誠実すぎ
て、耳を傾ける気も起こらない。せめて、あなたの体験で感じた神を語ってみてよ。
受け売りの神なんてどうでもいいからさ。
285277でないけど:02/10/08 22:35
神に現世利益だけ求める宗教があるけど、祈ったりして頼みごとかかなったとしても
それだけものでしかないんじゃないかなぁ。それによって人は戒められることはないし、
欲望は抑えられない。また、試験に合格したり、商売繁盛の神がいるけど神にただ祈願
するだけで人生の勝敗が決まったら神が負ける人をつくるので人は勝敗にさらにあけくれる。
それで、祈ることが清いのだと反論されても、その人の心の内は利己主義が改善されていないのでは。
仏教で訳のわからない漢語をながながと朗読しても、具体的に人々が何をしたらよいか明確にできて
いないし、意味不明なことばの朗読や、漢語の朗読で世界は変わらない。文字には意味があるんだ。
そして意味を理解して行動することが必要であり、それが、よく研究した者だけがわかり、研究しない
者はそれに従うのでは、神からきたことばではない。神は誰にでもわかりやすいことばを語り、それを
伝えたのがイエスであり、イエスが神の子である証明のためだけに奇跡はある。
286名無しさん@1周年:02/10/08 22:48

きちんとした証しを語るには、それなりの場が必要でしょう。
善意で始まった数多くの掲示板が、誹謗・中傷の嵐(荒らし)によって
閉鎖の憂き目にあっています。
このスレも同様です。
このままでは、証ししたくても、ネタの扱いに終わってしまいます。
残念です。


287名無しさん@1周年:02/10/08 22:54
神の子は人であり、人が神の子である証明のために奇跡はある。

とした方がまだまともだろうに。
288名無しさん@1周年:02/10/08 23:31
>257 わたしは、クリスチャンになってから、うつ病にかかったけど。
   みんな、キリスト教を信じたら、ハッピーになるとは限らないよ。
   
289名無しさん@1周年:02/10/08 23:35
キリスト教を信じて幸せになる人もいるし、
不幸になる人もいる。
ひとそれぞれだね。
290名無しさん@1周年:02/10/08 23:49
わたしは、不幸のないことが幸せと感じるようになりました。
291名無しさん@1周年:02/10/08 23:53

上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。
あなたがたは死んだのであって、
あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。(中略)
古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、
日々新たにされて、真の知識に達するのです。
そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、
未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。
キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。
あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、
憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、
責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦して
くださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。
愛は、すべてを完成させるきずなです。
また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。
この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて
一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。キリストの言葉が
あなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、
諭し合い、詩篇と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。
そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、
イエスによって、父である神に感謝しなさい。コロサイ信徒への手紙3:2−17



292名無しさん@1周年:02/10/08 23:56

キリスト教は「幸せ」を指向してはいない。
「神は最善以下はなさらない」という「信仰」をよしとしている。
「不幸」と思われることが「自己中心」からくる葛藤かもしれないし、
欲望を満たすことが「幸せ」である、と思い込んだり、
人間は揺れ動く。


293   ↑:02/10/09 00:16
なるほど・・・・・自分から何かの不満な心がなくなり、やすらいでくるようだ。
よくおぼえておこう、292のレス。
294名無しさん@1周年:02/10/09 01:38
292に禿同だが
277は神父と神子だけを語って、聖霊については忘れているようだ

どうしてなのか、純粋な疑問だが、ちと気になった。
ではみなさん、おやすみなさい。
295284:02/10/09 08:41
>>292

それは何も「キリスト教の神」にすぎないんじゃない? 神道の神や、仏教の如来
菩薩が人々の最善を望んでいないとでも思っている?

>「不幸」と思われることが「自己中心」からくる葛藤かもしれないし、

のくだりはヨブ記にも見られる思想だよね。キリスト教がユダヤ教から受け継いだ
部分で、キリスト教オリジナルというわけではない。クリは我田引水しすぎ。不勉強
な神父や牧師の話ばかり鵜呑みにしているからじゃない?

「私こそは唯一絶対の神である」と宣言した時点で、「いつ、どこ、誰の」神かと
いう疑問は意味を失うんだよ。キリスト教の神は絶対だが、神道は違う、と言った
時点で化けの皮がはがれてしまう。人間が「これは本物だが、あれは違う」と見比べ
られる存在じゃないからね。「この神だ」と指さした時点で贋物になってしまう。
唯一絶対の神の懐は、無限に広い。どこを指しても唯一絶対の神でないといけない。
296277:02/10/09 14:19
>294 相手がノンクリスチャンだろうと思ったので、まず、神様とイエス様のことについて正しく知って欲しくて、聖霊様にはあえて言及しませんでした。
聖霊さまについて話すのは、信じた後がいいだろうと思ったので。最初から書いたほうがよいと思いますか?

>284 「キリスト教こそは最高の宗教です」
一つ一つ順番に答えたいと思います。まず、個人的な意見で、クリスチャンの方でも、意見の異なる方がいらっしゃるでしょうが、
私は、キリスト教が、人類を救うとは思っていません。イエス・キリスト唯一この方が、人類を救うのだと思っています。
私は宗教には救いはないと思っています。たとえ、キリスト教でもです。矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、私は宗教は嫌いです。

>284 世界中を歩き回って、あらゆる宗教をチェックしてみたの?
そんなことをしなくても、本物に接したのならば、本物かどうかは分かります。もし、すべてを比較検討してみないと分からないのであれば、
284さんは、どうやって生活していくのですか。例えですが、タレントのタモリのそっくりさんがいるとします。本物のタモリさんかどうか、
見分けるためには、タモリさん本人を知らないとできません。いくらそっくりさん同士を比較検討しても、本物かどうかは永久に分かりません。
逆に、本物のタモリさんを知っていれば、すぐに偽者だと分かります。

続きます。
297277:02/10/09 14:51
84 :名無しさん@1周年 :02/10/08 19:27
>277さん

>イエス・キリストの父であられる神=創造主=唯一神、以外の「神」は、
>ニセモノだから、正しくないのです。本物の神は、イエスの父である、創造主なる
>神だけです。

これって、あなた自身が考え出したことでも、確認した事実でもないでしょう?
たんに教会で聞いてきたことを繰り返しているだけ。

いいえ、違います。少し、霊的な話になりますが、体験的に確認しています。キリストの霊なる神である、聖霊さまに触れられる
体験を日々しています。また、聖霊様との親しい交わりを持っています。具体的に言うと、「聖霊様、私に触れてください」と
祈ると、暖かいものを体の芯に感じるのです。錯覚や盲信ではありません。それは、聖霊様を呼ぶたびに起こります。
実際、体も温かくなります。他人が触っても分かるのです。私の場合は、手の平と体の芯が熱くなることが多いです。
また、日曜(主日)礼拝で賛美している時、言いようのない感動を覚えます。イエス様が、私の罪の為に身代わりに死んで下さった、
その愛が、私に迫ってくるのです。感動で涙が出ることもあります。(これを「聖霊の感動」とよんでいます)それは、礼拝の度に感じます。
私はこれらを「ここには『主の臨在』がある」と表現しています。
また、イエスの御名によって祈ってもらった時に、ぜんそくが一瞬で癒されたこともあります。
298名無しさん@1周年:02/10/09 15:06
age
299名無しさん@1周年:02/10/09 15:09
>289
キリスト教を信じたのなら、不幸になる可能性もあるが、
キリストを信じたのなら、幸せにしかならんぞ。
300名無しさん@1周年:02/10/09 15:25
>292キリスト教は「幸せ」を指向してはいない。

少し、引っかかるな。
その人が求める幸せは、単なる錯覚で、必ずしも、その人にとって本当の幸せでないという場合があるけど、
神様は、ご自分の子供たちが幸せになることを望んでいるはずだろ。まあ、確かに、一部のキリスト教徒は御利益信仰だとか
言って、「幸せ」を志向していないかもしれないが、御利益信仰だけでは確かにだめだろうけど、行き過ぎもあるのでは?
大前提、神は善、そのなすことはすべて最善、失敗はなさらない。確かに神様はイエスを信じる者に、益となることだけをして下さる。
というか、神以外には、「完全によいこと」は出来ない。人間が出来るのはせいぜい「よい事」、最善は出来ない。今の人間は不完全だから。
たとえ、不幸にしか思えなくても、感謝して神を信頼して歩んでいくなら、いずれ、その不幸が最善だったことが、分かるはず。
ほんとに苦しいこともあるだろうけどね。病が癒されなくても、いつかは必ず癒されるし、病を通してその人を鍛えることもある。
わたしはそれを体験した。最終的には神の奇跡で癒されたけどね。長かったよ。しかし、主よ、感謝します。
301名無しさん@1周年:02/10/09 15:33
>286さん。そんな否定的なことを言ってると、あなたの信仰の通りに、
あなたの告白した通りになってしまいますよ。
神様は何でも出来る方です。このスレを護り、祝福することなど、
神様には造作もないことです。
どうぞ、勇気と信仰をもって、大胆にイエス様を証してください。
主が祝福してくださいます。
302284:02/10/09 17:13
>>297

あなたの「聖霊様」を否定するつもりはないですが、その種の「奇跡体験」は、
どんな小さな教団にもあるものです。私自身、仏教系の新興宗教団体に籍を置いて
いたとき、自ら経験し、他の人達が経験するのを何度も目撃しました。

しかし、私は奇跡では人を救えないと思っています。奇跡を通じて信仰する人は、
必ず奇跡に躓きます。奇跡で人を救うことができるのなら、神は惜しげもなく奇跡
を振舞われるでしょう。実際にはそうではない。いわば、奇跡を起こさないことも
また「神の義」だからです。神は公平無私であって、いかなるえこひいきもお許し
にはなりません。奇跡が存在することは特別な人だけにえこひいきを許す、という
ことで、「悪人の頭上にも太陽や雨を恵まれる神」に対する冒涜です。

「聖霊様」とのお付き合いは、くれぐれも眉にツバをつけてなさった方がよろしい
でしょう。
303297:02/10/09 19:56
>302
そういうことが他宗教でも起こっていることは知ってますよ。
ただし、それらは、悪霊が聖霊さまの真似をして起こした事で、
偽りであり、偽物なのです。悪霊は、そうやって出来れば信徒をも惑わそうとする
ことは、すでに聖書でイエス様が言っておられることです。
奇跡の結果、イエス様への愛と信仰が増し加わらないものは、ほぼ悪霊のわざでしょう。
奇跡は、信仰を増し、神とイエス・キリストと御言葉の確かさを証しするために
与えられるのです。見分けのポイントは、奇跡の結果、イエス様に栄光を与えているか、
イエス様への愛と信仰が以前より増し加わっているか、などです。
続く
304303続き:02/10/09 20:10
また、霊を見分ける賜物(Tコリント12:10)を与えられている人は、
すぐに聖霊のわざか悪霊のわざか見分けがつきます。

>>302 私は奇跡では人を救えないと思っています。

奇跡自体が人を救うのではなく、奇跡によって与えられる、

イ エ ス 様 へ の 信 仰 が、その人を救うのです。

奇跡そのものは、創造主が与えて下さる素晴らしい恵みです。
創造主が与えて下さるものは、すべて完全で誤りがありません。
ただし、どんな奇跡でも盲信して鵜呑みにするのではなく、
聖書と、主の臨在の有無、見分けの賜物で吟味しなければなりません。
悪霊が引き起こす場合もあるからです。

305284:02/10/09 20:18
>>303-304

もし、悪魔が「聖霊様」に化けているとしたら、恐らく同じ事を言うで
しょうね。あなたはイエス様に会った事もないのに、自分の愛している、
信仰しているイエス様が本物だといつわかったのですか。

「聖霊様」と「イエス様」が両方とも悪魔の芝居だということも考えられる。
「どの、どこの、誰の」という枠に当てはめて「本物だ、贋物だ」と騒ぐ
宗教はどれもこれも同じようなもので、恐らく全部が「騙されている」。
306284:02/10/09 20:21
大悪は、善の仮面を被って人を騙す。悪魔も例外ではありません。
307303続き:02/10/09 20:28
>>302 奇跡を通じて信仰する人は、必ず奇跡に躓きます。

私は必ず躓くとは思いませんが、奇跡だけで信じた人は、
その信仰が、奇跡だけを土台にしていて、
イエス様への信頼と御言葉を、土台とするように
なっていない時は、いつか躓くでしょう。

>奇跡が存在することは特別な人だけにえこひいきを許す、という
ことで、「悪人の頭上にも太陽や雨を恵まれる神」に対する冒涜です。

それは違いますね。奇跡を誤解している、
奇跡を求めていない、奇跡を信じてない、奇跡を恐れているから
奇跡を体験できないのだと思います。
イエス様を信じて、御言葉をそのまま信じる人は、奇跡も体験できます。
イエス様も言われました。「あなたの信じた通りになるように。」(マタイ9:13)
奇跡を信じない人、奇跡を心の奥底で拒絶している人、
奇跡を恐れている人には、聖霊様は、普通奇跡をお与えになりません。
聖霊様は、その人が嫌がっていることはあまりなさらない紳士的なお方ですから。
ただ、神様の一方的な憐れみと、神様の人知を超えた計画に
よって奇跡を与えられる人もいますが。
唯一の神様は、人間に完全によいものを与えたいと願っておられるのですよ。
もちろん、奇跡だけを求めるのは、悪霊の罠にはまる危険がありますが。
308303続き:02/10/09 20:48
>>305 
それは、イエス様を信じた時です。本当に信じた人には分かります。
また、それは信じた人にしか分からないことです。
ですから、クリスチャン生涯は不思議で冒険に満ちているのです。最高です。
信仰は、人間の理解を超えたものです。
頭で理解するから信じるのではないのです。霊によって知るのです。
ですから、神がいる、これは本物だと、直感のようなもので分かるのです。
もちろん、まずある程度、頭で知らなければ、信じようがありませんが。
聖書では、聖霊様の超自然的助けによって信じるのだと書かれてあります。
体験した人、一歩踏み出した人にしか分からない世界もあるのです。
だから、理論ではなく、信仰で救われるし、信仰によって癒されるのです。
信じない限り、未来永劫、分かることはないでしょう。
信じない事を選ぶあなたは、永久に悪魔の欺きからは解放されません。
信じてみようと、勇気をもって一歩踏み出す時、
あなたは、創造主が生きておられることを体験するでしょう。
イエス・キリストは信じるに価する唯一のお方です。
「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中で
この御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、
どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒4:12)
どうぞ、イエス様を信じて驚くばかりのいのちと祝福を受けて下さい。
309308追加:02/10/09 20:55
>>305 「聖霊様」と「イエス様」が両方とも悪魔の芝居だということも考えられる。

悪霊は、イエス様に栄光を返すことは絶対に出来ませし、しません。
また、悪霊は、イエス様を冒涜し、栄光を奪おうとします。
聖なるものを、わざと、下品なジョークや、卑猥なことで汚します。
このスレッドの最初のほうにも、書き込まれているでしょう。
ですから、イエス様を信じて、聖霊様と真の交わりをもっている
クリスチャンは、理屈抜きですぐにそれが神から来たものかどうか分かります。
310名無しさん@1周年:02/10/09 21:03
イエスを信じる信仰ってのは、盲信とは違うんだよ。
確かなその人なりの信じられる根拠があるから、信じるんだよ。
だから、吟味に吟味を重ねて、最終的に矛盾がないと知って、
これは本物だと気づいて信じた、歴史上の偉人もたくさんいるよ。
信じられない人、信じてない人は、はたから見ているだけで、
信じてみる勇気もないのに、批判だけして過ごしているんだよ。
四の五の言わずにイエスを信じてみいや!
違ったら、その時方向転換すればいいんです。
311名無しさん@1周年:02/10/09 21:29



「御霊のことは御霊によって悟る」という聖書の言葉どおり、
イエスさまを信じてる人どうしでない限り、「聖霊」に関する
議論は、つまずきにこそなっても、益になることはないでしょう。
徳を立てない主張は、害になります。
ストップしましょう。

312名無しさん@1周年:02/10/10 10:23
>>310
言いたい事は、解るけど・・・
その人為を尊敬出来ても、信仰は出来ない。
>>308-309を見てると、しみじみ思う。
313十字架の血潮:02/10/10 11:00
クリスチャンの皆さん、めげずにどんどん証して下さい。
どんな小さなことでも良いんですよ。
そういう日常的な証こそ聞きたいんです。
314名無しさん@1周年:02/10/10 11:02
>>313
で、結局このスレの趣旨って何ですか?
315名無しさん@1周年:02/10/10 11:04
イエスを信じる信仰と聖霊は、関係ない。
目を醒ますのだ。

          by イエス
316284:02/10/11 11:07
>>310

>確かなその人なりの信じられる根拠があるから、信じるんだよ。

ある漢方薬を例に出すとすると、その薬が本物である根拠というのは「薬を飲んだら
病気が治った」という事実以外に考えられないと思うけどね。いくら神学的な議論を
尽くして、「キリストこそが唯一の救い主」という結論を出したとしても、議論の土台
にある「IF」の部分が必ずあるわけでしょう。イエスはユダヤ人を対象に教えを
説いたはずなのに、それを全世界に人間に当てはめようというするのも「IF」だし、
聖書が数百年間の編集作業を経て完成した際に、錯誤や加筆がなかったとするのも
「IF」でしょう。その「IF」に眼をつむって事実だと主張するのは、不誠実な
態度だと思う。他人だけじゃなく、自分自身に対して、あるいは神に対してもね。

結局のところ、「信じたい奴だけ信じろ、信じたら救われるんだから」という説明しか
ありえないと思うんだよね。「私は救われた。だから、あなたもきっと救われるだ
ろう。」以外の言葉は、一切無効だという気がする。ここのクリは、自分の「IF」
について語りすぎ。313じゃないけど、自分の「救い」について語ってくれ。
317名無しさん@1周年:02/10/11 11:09
>>315

その byイエス は人違いだなや。
聖霊によらなければ信仰もてないからな。人間は。
318名無しさん@1周年:02/10/11 11:10
しかし聖霊を勝手にキャラクタライズするのはよくない、
という気がするな。うん。
319名無しさん@1周年:02/10/11 11:32
>>317
イエスを信じる信仰は、必要なしということ。
悪いとは、言わない。
320名無しさん@1周年:02/10/11 15:49
イエスを信じるか、否かっていうのは、

あ な た が 、 永 遠 に 生 き る か 、

あ な た が 、 永 遠 に 死 ぬ か 、

というあなたの永遠(の命)に関わる、生涯で一番重要な問題だってこと。
信じる、信じないを選ぶのはあなたの自由意志に委ねられている。
しかし、その決断の結果を、あなたはあなた自身の責任で受ける。
だから、イエスを信じることをクリスチャンは勧めるわけ。
地獄で永遠に苦しんでほしいとは誰も思わないからね。
321十字架の血潮:02/10/11 16:03
>>314
このスレの趣旨は、極論すると
284さんの「あなたの体験で感じた神を語ってみてよ。」です。
特に、人がイエスを信じる時って、どんな風にして信じるんだ?
という事例に限定して、たくさん集めて読んでみたかったのです。
今からは、信じた時の証限定ではなく、
イエスの父なる神(god,godsでなくGod)を体験した時の証でも
よいからカキコして下さい。癒しなり、悪霊追い出しなり。
奇跡なり、日常体験したことでもOKです。

322名無しさん@1周年:02/10/11 16:14
>>318 聖霊を勝手にキャラクタライズするのはよくない

聖霊様は、人格(神格)を持っておられます。
意識があり、意思があり、感情があります。
喜んだり、悲しんだり、怒ったりされるのです。
単なるエネルギー体や、単なる超自然的力ではありません。
聖書、特に「使徒の働き」を読んで下さい。
エペソ 4:30には「神の聖霊を悲しませてはいけません。」とあります。
これは聖霊様が悲しまれることを、
つまり、感情を持っておられることを示しています。
聖霊様に対して悔い改めて下さい。
「今まで、あなたを単なるエネルギーのようなものだと思っていました。
聖霊様、悲しませてごめんなさい」って。
323名無しさん@1周年:02/10/11 19:52
>>320
盲信だよ。
>>322
人格はない。
324名無しさん@1周年:02/10/12 00:32
聖霊さまを感じるという自律神経訓練法ですか?
325名無しさん@1周年:02/10/12 00:44
信仰とは関係なく
自己催眠です
326夜破音 ◆U6tQlVmras :02/10/12 00:49
その1
とある教会での説教で、ザアカイの話でイエスってすごいと思った。
その2
ヨハネ福音の石打ちをしなかった話で、イエスって寛大だなぁと思った。
その2
ミサの時の、ぶどう園と農夫のたとえで、泣きそうになった。
327名無しさん@1周年:02/10/12 01:00
>>325
自己催眠なら信仰と同じ。
信仰の結果では、ない。
328名無しさん@1周年:02/10/12 01:00
農夫は使用人にさからえない。

従業員は社長にさからえない。

さからう者は殺せとイエスは命じている、う〜う〜ん悲しい。
329309:02/10/12 10:32
>>311
忠告ありがとう。感謝します。
悔い改めて、徳を立てない主張はやめます。
330名無しさん@1周年:02/10/12 10:57

 カトリックは、ローマ教皇庁を頂点とする全世界的な教会組織ですよ。
 基準は聖書と伝承にあり。救いは信仰と行いによりまふ。神と人との
 仲介者はキリスト・教皇・聖母マリヤ・諸天使・聖人と色々あります。
331名無しさん@1周年:02/10/12 11:10
>>323 信仰は、盲信、勘違い、思い込みではありません。
   聖霊は神格(ペルソナ)を持っています。
>>324 自律神経訓練法ではありません。
>>325 その人は信じているから、体験したのですよ。
    信仰は、自己催眠ではありません。
>>327 自己催眠は、信仰と同じではありません。
    その人は、信仰の結果、父なる神との生きた交わりを体験したのです。

信仰は、生ける一人のお方イエス・キリストを信頼することです。
信仰は、生けるまことの神との信頼関係です。
信仰は、ある人が、ある一人の人物を信頼することと本質は同じなのです。
332名無しさん@1周年:02/10/12 11:22
>>330
救いは信仰のみによるんだよ。
行いによるんだったら、誰一人、永久に救いは受けられないよ。
キリスト教と他宗教の最大の違いって、そこ(信仰か行いか)じゃん。

神と人との仲介者はイエス・キリストただお一方。
1テモテ 2:5 「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、
人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。 」
あなたのカキコは、聖書からずれてるよ。
333名無しさん@1周年:02/10/12 11:45
>>322 カトリックは 神によって建てられ 使徒ペテロを継承する唯一の教会です。何か?
334名無しさん@1周年:02/10/12 11:48
>>332
 「信じる」って行為じゃないんですか?
335名無しさん@1周年:02/10/12 11:54
教皇様はキリストの贖罪の雛形です。すべての教会はローマ教皇様に従いましょう。
336名無しさん@1周年:02/10/12 11:58
カトリックの異端性がよくわかる良スレですね 主に感謝!
337名無しさん@1周年:02/10/12 12:03
カトリックは異端になり得ないんだが。
338名無しさん@1周年:02/10/12 12:08
パパが私に代わって十字架についたのか?
それにしては、1度も死んでなさそうだ
339名無しさん@1周年:02/10/12 12:09
パパが毎週生贄を捧げているらしいよ。
340名無しさん@1周年:02/10/12 12:12
そうだったのか、
キリストの十字架だけでは、不十分なんだな
カトリックでは。
341名無しさん@1周年:02/10/12 12:12
教皇様は これまで幾度も命の危機にさらされて来ました。
キリストの受難は、今も教皇様に引き継がれているのです。 
342名無しさん@1周年:02/10/12 12:13
>>341
 煽るな、福音厨房
343名無しさん@1周年:02/10/12 12:14
サダムフセインは これまで幾度も命の危機にさらされて来ました。
キリストの受難は、今も教皇様に引き継がれているのです。 


344名無しさん@1周年:02/10/12 12:15
サダムフセインは これまで幾度も命の危機にさらされて来ました。
キリストの受難は、今もサダムフセイン様に引き継がれているのです。 


345名無しさん@1周年:02/10/12 12:15
>>342 あなたが福音厨房です 教皇様は現代に生きるキリストです。教皇庁に従いなさい!
346名無しさん@1周年:02/10/12 12:16
>>345 ますます悪ノリしてるな・・・
347名無しさん@1周年:02/10/12 12:17
カトリックは異端やね
348名無しさん@1周年:02/10/12 12:18
>345
そのとおり カトは教皇に従いなさい!
349名無しさん@1周年:02/10/12 12:19

さあクイズです。
次のような考え方をする「キリスト教」をなんと言うでしょう。

     「キリストの受難だけでは、不十分だ」

答えは「異端」です。


350名無しさん@1周年:02/10/12 12:23
プロテスタント=キリストの受難で充分
カトリック教会=教皇の受難が不可欠
351名無しさん@1周年:02/10/12 12:23

ある宗教では、「キリストとの連絡役」が必要なのだそうです
お祈りするときには「言づて」するそうですよ。
直接キリストに祈るのはダメなのかな?

そこ、たしか、カトリック、とかいうところだったと思います。



352名無しさん@1周年:02/10/12 12:24
もしあなたが自分自身を知ったら
そのときには
あなたは知られよう
そして知ろう
自分が生ける父の子であることを
 
しかしもしあなたが自分自身を知らなかったら
そのときには
あなたは貧困の内にある
そして貧困そのものだ
353名無しさん@1周年:02/10/12 12:24
キリストに言づてして神に祈る
354名無しさん@1周年:02/10/12 12:26

また、ある宗教では
聖書よりも自分たちのお仲間の教えのほうが
優先するらしいですよ。

そこ、たしか(以下略)

355名無しさん@1周年:02/10/12 12:27
 聖書は、なきゃないで、何とかなる。
356名無しさん@1周年:02/10/12 12:29

355
新興宗教ではね
357名無しさん@1周年:02/10/12 12:30
>>356
 なるほど、初代教会は新興宗教だったな。
358名無しさん@1周年:02/10/12 12:30
カトは、ヨハネ・パウロ二世に従順でいなければならない。
教皇様は大聖人で在られる。
我々に忠誠を誓われた偉大なる教皇様にこれからも従順であらねばならない。
そうすることによって、あなた方は真実私たちの民に加えられる。
あなた方はそうすることによって今後くる大迫害を逃れることができる。
神は民が苦しむのをほおってはおかれない。
逃れる道を御用意なさっておられるのである。
腐った教会を刷新し、どこまでもかいかくして、
神のみ心に沿ったものに完全に作り変え、
すべての民、すべての宗教、すべての国民、民族、部族、国語が
共有できるものにする。その大使命に加わり、神の代理としての本分を果たせ。
359名無しさん@1周年:02/10/12 12:31
ネオをよろしく!オプスをよろしく!
あなた方は、目先の利益、自分だけの利益にとらわれず、
五〇年後の教会の栄光ある姿を見よ。
自分を離れて、社会全体の刷新の中枢として、教会を見て、
われわれとともに行動せよ。そのような生き方こそが世の光となる。
ネオをヨロシク。オプスをヨロシク。とりわけ、テイヤールをヨロシク!

360名無しさん@1周年:02/10/12 12:31
バチカンに従順でありなさい。
多元主義を究極目標に据えるホワイトメーソンのオプスデイと
フリーメイソンのフロント、ネオカテで、
諸教会を併合し世界教会を結成する大目標を神より授けられているのである。
決して、バチカンに不従順であってはならない。従順こそ信徒の責務である。
カトは教皇さえ心の中で信じていない自己分裂の渦中にいる。
霊的に一番危険な状態にある。くれぐれも聖座への従順を薦める。

361名無しさん@1周年:02/10/12 12:31
カトの腐敗状況を見ると 教皇さまの受難が 足りないってことですな。
362名無しさん@1周年:02/10/12 12:32



もし352が自分自身を知ったら
そのときには
352は知られよう
そして知ろう
自分が悪魔の子であることを
 
しかしもし352が自分自身を知らなかったら
そのときも
352は貧困の内にある
そして貧困そのものだ


363名無しさん@1周年:02/10/12 12:34
>>334 「信じる」って行為じゃないんですか?

本当に厳密に言うと、行為に含まれるかもしれませんが、
「信じる」ことは、一瞬でできる選択です。
労力が最小で、老人でも幼児でも健常者でも、非健常者でも、誰でも、出来ます。

しかし、「行い」は人間の努力、行為なので、それができない人もいます。

だから、信仰によって救われることは、
創造主の公平さと愛と憐れみを表していると思います。
364名無しさん@1周年:02/10/12 12:34


旧約が前提ですが…

>>356
 なるほど、初代教会は新興宗教だったな。
365名無しさん@1周年:02/10/12 12:35
>>363 君は信じているのか、大した自信だな
366名無しさん@1周年:02/10/12 12:36
>>364
 旧約とて今のようには纏まってなかったよねぇ。
367名無しさん@1周年:02/10/12 12:38

366
以降
お決まりのパターン

368名無しさん@1周年:02/10/12 12:41
>>365
ええ、信じてます。

ハレルヤ、この喜びを感謝します。!!!
369イエスの血:02/10/12 12:43
スレアラシよ、イエスの御名の権威によって命じます。

このスレッドから出て行きなさい。二度と入ってきてはいけません。

スレアラシは、書き込むことを禁じます。
370名無しさん@1周年:02/10/12 12:45
369=スレアラシ
371I LOVE JESUS:02/10/12 12:52
イエス様を愛する主にある兄弟姉妹よ、
真のクリスチャンよ、どうした!!!
イエス様をいいようにあしらわれて、悔しくないのか!!!
立てよ、主の戦士よ!!
主イエスの旗をかかげ、この世に示そうではないか!!
キリストは生きておられる!!
主イエスは王の王、主の主、全治をすべ治めるおかたぞ!!
ユダ族の獅子、ダビデのひこばえなる方ぞ。
イエス様が生きておられる証を、このスレッドに書き込みまくるのだ!!!
372I LOVE JESUS:02/10/12 12:59
愛する天のお父様。
どうぞ、このスレッドを祝福して下さい。
イエス様の尊い血潮で、覆い、守って下さい。
どうぞ、このスレッドを用い、あなたの栄光を表して下さい。
お願いします。
スレアラシや、煽りがいいようにするのを、黙って見ていないで下さい。
あなたの力ある御手で、正しい裁きをくだして下さい。
兄弟姉妹を奮い立たせ、大胆にイエス様を証するよう励まして下さい。
このスレッドを通して救われる魂が起こされますように。
その救われた証がこのスレッドに書き込まれますように。
愛する主イエス・キリスト様のお名前によって、お祈りします。アーメン。
373名無しさん@1周年:02/10/12 13:01
2cで暇つぶししてるのは偽クリだけです。以上
374名無しさん@1周年:02/10/12 13:02
373=偽クリ 
375名無しさん@1周年:02/10/12 13:15
自分が後ろめたいからって変なことかくな!
世の中いろんな人がいるんじゃ。
376名無しさん@1周年:02/10/12 13:40
>>362
悪魔の自覚をいつかあなたも持つよ、ハレルヤ!!
377名無しさん@1周年:02/10/12 13:46
>>331
信じる必要はなし。
信じれば、見えなくなる。
378名無しさん@1周年:02/10/12 13:49
「どうやって」って自分の力で信じるんじゃないですよ。
みんなあなたの為に祈ってますからね。そのうちイエス様
に出会うでしょう。
379名無しさん@1周年:02/10/12 15:18
イエス様ってどんな顔だろう?


 いや、近所でもし出会ってもあいさつしないなら変な顔されるかもしれないから・・・・・
380名無しさん@1周年:02/10/12 15:22
>>305
人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、
神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。
イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。
それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを
聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。
ヨハネの手紙 第一4:2-3
381名無しさん@1周年:02/10/12 15:29
>>379
会えばきっとわかるから、心配いらないよ
382名無しさん@1周年:02/10/12 15:29
私は、以前から、真理を知りたいと痛切に願ってました。
世には偽りが多いじゃないですか。騙されるなんて日常茶飯事。
それで、いろいろ、探しているうちに
キリスト教会に導かれ、イエスさまに出会ったのです。
イエス様は、
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
 わたしを通してでなければ、
 だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言われました。
いまだかつて、「私が真理です」と言った方はいません。
また、言える方もいません。
今は、真理なる方と出会えて本当に幸せです。
みなさんもイエス様と人格的出会いをなされますよう、お祈りします。
383名無しさん@1周年:02/10/12 15:32
>>1
綺麗だと思ったから。
384名無しさん@1周年:02/10/12 15:39
>380
それは、その当時のことだけかもしれません。
385名無しさん@1周年:02/10/12 15:45
>>384
「まことに、あなたがたに告げます。
 天地が滅びうせない限り、律法(聖書を指す)の中の一点一画でも
 決してすたれることはありません。
 全部が成就されます。」(マタイ5:18)
神の言葉は今も変わらず有効です。
386十字架の血潮:02/10/12 15:46
>>383
それ、おもしろい信じ方ですね。
もっと詳しく聞かせて下さい。
387名無しさん@1周年:02/10/12 15:46
「それは、その当時のことだけかもしれません。」
と、聖書に書いてあったよ。
388名無しさん@1周年:02/10/12 15:47
>>387
どこに?読んでみたいから教えて。
389名無しさん@1周年:02/10/12 15:50
2ちゃんによる福音書2章10節
390名無しさん@1周年:02/10/12 15:56
>>387
「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。
 もし、これ(聖書)につけ加える者があれば、神はこの書に書いてある
 災害をその人に加えられる。」(黙示録22:18)
知らなかったのなら、今なら大丈夫だから、悔い改めて、
悪いことは言わないから、イエス様を信じなさい。
そうすれば、これに関しては神様不問にして下さるから。
391名無しさん@1周年:02/10/12 16:02

さあクイズです。
次のような考え方をする「キリスト教」をなんと言うでしょう。

     「キリストの受難だけでは、不十分だ」

答えは「異端」です。


ある宗教では、「キリストとの連絡役」が必要なのだそうです
お祈りするときには「言づて」するそうですよ。
直接キリストに祈るのはダメなのかな?

そこ、たしか、カトリック、とかいうところだったと思います。


また、ある宗教では
聖書よりも自分たちのお仲間の教えのほうが
優先するらしいですよ。

そこ、たしか(以下略)




392名無しさん@1周年:02/10/12 22:49
自分の信仰を信じるのは委員だけどその信じているものが悪魔で無いという
根拠はありますか。
すぐに分かるぐらいなら悪魔でさえないでしょう。
いま自分が行じているそれが実は悪魔のそれであるかもしれないという恐れを
持っていますか?
393名無しさん@1周年:02/10/12 22:57
"This is my beloved son, hear him."
394名無しさん@1周年:02/10/12 23:13
Oh! This is a pen.
395 王将♪:02/10/13 00:36

吹けば飛ぶよな 2chのスレに〜
賭けた命を 笑わば笑え
うまれ馬小屋 飼い葉桶
星も知ってる カトスレ受難

あの手この手の 思案をレスに
やぶれ荒らしで 今年も暮れた
暴言に罵倒を 聖母に噴射
つくる笑顔が いやらしい

明日はミサに 出て行くからは
なにがなんでも 勝たねばならぬ
空に灯がつく 聖書を胸に
プロの闘志が また燃える
396名無しさん@1周年:02/10/15 19:00
たぶん、牧師さんの奥さんが、箪笥の陰で祈っていて下さったから。

ここにレスされた方、読まれた方、
全ての方の祝福をお祈りいたします。
私たちのために、
御宝血を流されたイエス様のお名前に頼って祈ります。アーメン。
397聞かれる祈り:02/10/15 20:14
>>321 イエスの父なる神(god,godsでなくGod)を体験した時の証でもよいから
   カキコして下さい。癒しなり、悪霊追い出しなり。奇跡なり、日常体験したことでもOKです。

ということで50年以上前の話ですが、証を書きます。『ある先生が礼拝が終わって下宿に帰ってみると、
下宿屋のお父さんが家出して一家が心配している所だった。その先生は即座に思った。
「そうだ、今日聞いたばかりの神様の奇蹟をお願いしよう」某先生は、その家の娘さんを連れて、
私の家に来た。娘さんが言う。「私の父はどちらに行っているか、分からないでしょうか」
なるほど、町の拝み屋さんでは、失せ物や家出人の方角などを占ってみせるそうだったな。
たまに、よく当たる霊能者もいるらしいが。私は言った。「方角はどうでも良いでしょ?。
お父さんがお宅に帰ってくれば良いのでしょ?」「はい、もちろんです。父は帰って来るでしょうか」
「帰って来ますよ。さあ、全知全能の神様にお祈りしましょう」私はそのお嬢さんと某先生を前にして
祈った。正直に言って、本当は私はそんな祈りを、それまでに、したことは無かった。
今の私たちのように力強く祈れるわけでもなかった、しかし熱心に祈った。
そして頼りなげに帰ろうとする娘さんに「大丈夫ですよ」と、やっと言えたのだった。
ところが、翌朝、その娘さんが私の家に駆け込んできた。「先生、先生、父が帰って来ました」
私はビックリして、彼女に事情を聞いた。「先生、聞いてください。父は昨日、
小倉駅に居たそうです。そうして何となく、そわそわして、『もう、帰ろうかな』と、
ふと思って急に家が恋しくなったんだそうです。その時刻を聞いてみると、ちょうど、
先生が祈ってくださった、あの時刻なんです」と身を震わせて訴えるようにして言うのです。
私は上ずった声で言った。「良かったですね」。そして、平伏して神様に感謝の祈りをささげた。』
398土地に関する祈り:02/10/15 20:23
先日、別府万民教会のK先生からお聞きしました証です。
先生がある信徒の方から、癌の癒しの祈りを求められて熱心に祈られた。
そうしたら、即日か短時日だったか聞き漏らしましたが、完全に癒された姉妹がいました。
その方に弟さんがいて、無理難題な法外の土地の要求をしてきて
困りきっているというのです。その事を聞いてK先生は祈ったそうです。
先生は言います。「私は土地のことなんか、一遍も祈ったことはありません。
しかし、仕方なく祈りました。祈ろうとしても、半信半疑ですが、しかし、祈っていると、
熱心になって机を叩いて祈らざるを得ませんでした。すると、次の日、
電話がありました。『いつもは寄り付きもしない親不孝息子が、どうした風の吹き廻しか、
訪ねてきて、そして私の心配を聞いて、〈お母さん、任しときなさい。いっさい大丈夫だよ。
僕は今、不動産の仕事してるんだ〉、そう言って、すぐに弁護士など呼んできて
解決にとりかかってくれました。とにかく驚いています。感謝ですって、こういうことでした」
先生自身、驚いていますけれど、不動産問題など、兄弟、親族の間で血みどろの争いに
なることがあります。こういう時にも、みごとな解決をしてくださるのが神様です。
ハレルヤ、主に栄光あれ。
399ともなり:02/10/15 20:36
東京連合春の修養会で、そのときの講師の吉高叶先生が僕と
話してくれました。そこで僕は
「先生、教会に来てる人は格好いいひとばかりですね?」
と聞くと、叶先生は
「でも、本当に格好いいのはイエスさまだぜ。」
と教えてくれました。

この言葉に心を打たれ、また、その格好よさに引かれた僕は
イエス様についていきたいと思いました。
400ともなり:02/10/15 20:38
バプテスマの準備会が始まりました。
そこで、春には漠然としかわかっていなかったイエスさまの格好よさに
ついて、牧師先生から学びました。

ヨハネによる福音書15章13節の
〜『友のために自分の命をすてること。
             これ以上に大きな愛はない。』〜

と、いう言葉から、イエス様は私たちのためにこの世にきてくださり、
私たちの罪のために死んでくださったほどに私たちを愛してくださった
方だという事を学びました。

僕はこれがイエス様の格好よさだと思います。

イエス様は僕を愛してこの世に来て下さり、僕に代わり、
僕の十字架にかかってくださいました。
そしてイエス様は復活して、いつも僕と共にいてくださいます。

それはちょうど神さまがモーセに伝えた、
『私は必ずあなたと共にいる』と同じ事だと思います。

だから僕は礼拝を守り、安心して神さま、そしてイエス様に
従っていきます。
401名無しさん@1周年:02/10/15 20:40
>>391
その考え方はカトリックでも異端です。
一から勉強し直しましょう。
402十字架の血潮:02/10/16 12:47
>>397 聞かれる祈りさん、鳥肌の立つ証をありがとうございます。
>>398 土地に関する祈りさん、素晴らしい証を感謝します。
>>399、400ともなりさん、イエス様の格好よさの証、新鮮でした。

他のクリスチャンの方も、どんな証でも良いですから、どんどん書き込んで下さい。
403名無しさん@1周年:02/10/16 12:48
404名無しさん@1周年:02/10/16 13:02
今、見てきましたが、
上のスレのアドレスは、救いの証とは何の関係もありません。
405名無しさん@1周年:02/10/16 13:08
カトリックの方が、イエス様に人格的に出会った証です。
http://tlcccngs.2.hotspace.jp/katoriku-akasi.htm
406名無しさん@1周年:02/10/16 13:22
>>405
泣いちゃった。
407名無しさん@1周年:02/10/16 13:27
私もカトリックを非難していると思われるようで、
書くのを差し控えていたのだが、実は元カトリックで今はいわゆる
福音派です。

主は必要なとき、必要なところに導かれると思うのですが、
>>405の話は自分の実体験と重なるようで、とてもリアリティありました。
本当に、イエス様その方がすべてを包んでおられるんですよね。
イエス様にすっぽり包まれていることを知ったとき、イエス様だけを
まっすぐ見てられる。日課も、サクラメントも、不要なんです。
信仰的食べ物、信仰的飲み食いについて議論する必要は、実はまったく
ないんだと。はじめから終わりまで、この方だけなんだと。
408名無しさん@1周年:02/10/16 14:49
>>405、406
 ハレルヤ(^0^)感謝します。
>>407 はじめから終わりまで、この方だけなんだと。
 本当にそうですよね。
 イエス様だけがすべてになる時に、
 本当に平安に包まれますよね。
 主に出会った方に、主の祝福が豊かにありますように。
409名無しさん@1周年:02/10/16 17:23
age
410M・F・パワーズ:02/10/17 19:40
(注:“主”はイエス様のことです。)
足跡-Footprints-
ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、渚を歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。わたしの人生で一番つらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合って下さると約束されました。それなのに、わたしの人生の一番つらい時、
一人のあしあとしかなかったのです。一番あなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
  ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとが一つだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」
411M・F・パワーズによる証:02/10/17 19:50
ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、渚を歩いていた。暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生で一番つらく、悲しい時だった。このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
 わたしと語り合って下さると約束されました。それなのに、わたしの人生の一番つらい時、
 一人のあしあとしかなかったのです。一番あなたを必要としたときに、
 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとが一つだったとき、
 わたしはあなたを背負って歩いていた。」
412名無しさん@1周年:02/10/17 22:12
けどよく見ると東京靴流通センターで買った980円のオレの靴後じゃねーかよ
413名無しさん@1周年:02/10/17 22:18
それともオレの水虫の靴をかわりに吐いてくれたのかい?
だったらうつるぜ。
414オナン:02/10/18 12:48
>>411
おめでとう。
415名無しさん@1周年:02/10/19 16:15
あげ
416十字架の血潮:02/10/19 16:16
今までの証をまとめてみました。Part1
@救いの証1 >>8-10>>12-13       A末期ガンの奇跡的癒しの証 >>19-21>>23-24
B救いの証2 >>33-34>>36-40      C救いの証3 >>44-45>>47>>49>>51>>54
D救いの証4 >>61-64>>66        Eナポレオン(本物)の証 >>70
F救いの証5 >>72 主を呼び求める感動   Gダーウィン(本物)の証 >>76-77
H救いの証6 >>117-119          I救いの証7 >>204
417十字架の血潮:02/10/19 16:17
今までの証をまとめてみました。Part2
J救いの証8 >>249 心の平安        K有り難味を感じる >>255
L元ヒッキーのうつ病の癒し >>257、それに対するコメント>>260
Mカトで洗礼準備中 >>258          N小感想 >>326
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418名無しさん@1周年:02/10/19 16:20

 カトリックは殉教して世界を贖うべきだ。
長崎だけじゃなく、バチカンに原爆を落とすべきだな。
キリスト教のじゅんきょうの偉大なる記念碑になるだろうな。
罪滅ぼしをして、カトリックの面目がこれで立つだろうな。
世界は平和になるだろうな。
419名無しさん@1周年:02/10/19 16:20
イエスは、末端の庶民を救ったから。
んで、イエスは神の子である、というテーゼを真として
聖書を読み直せば、すんなり納得いくもんだ。
420名無しさん@1周年:02/10/19 16:29
キリスト教徒同士が仲良くなれますように!
                ザーメン
421名無しさん@1周年:02/10/19 16:30
隊長!過去ログでこんなものをハケーンしました!!!
『ねぇ「救いの証」、書いてみてよ・・・』
http://life.2ch.net/psy/kako/1024/10249/1024997260.html
422名無しさん@1周年:02/10/19 16:35
『ねぇ「救いの証」、書いてみてよ・・・』 より
30 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/06/27 09:39
「救われていない人の証し」というのを先日聞いた。

牧師さんの息子さんなんだけど、まだイエス様を受け入れてない。
その人が礼拝でみんなの前にたったとき、最初は正直、「エーッ」って
思ったんだけど。

でも彼の話はすごーく赤裸々に、自分の心の中を語っていて。
牧師の子供であることを嫌だと思っていた子供の頃のこととか、
親にしかられたこととか、
でも自分はまだイエスが主であるかわからない、とか、いろいろ。
で、最後に「神様はいらっしゃると思う、自分を牧師の子供にして
くれたから」で締めくくった。

人を信仰に導きいれる証しでは決してなかったんだけど、
聴いている人にとっては、いろんな、正直な言葉の端々から、
「イエス様はこの人のことを呼んでいるな」と感じられるものだった。

大言壮語、「救われた人になりたがり」のうっとうしい証しも
ごく稀にあるが、そんなものよりよっぽど神様の実在を証ししていた
気がする。飾らないって、大事なのね・・・。
423名無しさん@1周年:02/10/19 16:36
『ねぇ「救いの証」、書いてみてよ・・・』 より
39 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/06/28 17:54
僕は好きな女の子がクリスチャンでした。
彼女に教会に誘われて、その子に会うために行くようになりました。
行っているうちに、神様の存在について考えるようになりました。
彼女や牧師にイロイロと質問を投げつけたり、
聖書をよんで神様について知ろうとしました。

でもダメでした。なかなか信じることができませんでした。

それまでは祈ることもできなかったのですが、
あるとき、真剣に神様がいるなら答えてホスィと祈りました。

すると不思議なことにいいようのない平安が心を支配しました。

それとき、完全に信じた訳ではありませんが
信じたい・・・という思いが初めて自分に起りました。
そして、それまでは彼女のために教会に行っていましたが、
そのときから僕は神様のために教会に行こう・・・という思いになっていました。
(略)
そしてキリストの十字架は自分のためであったことにメッセージやデボーションを通して知りました。


PS.そんな彼女は今は僕の妻です。

さしさわりのない証でした・・・。
誰も書かないのも情けないので・・・。
でも、最初のキッカケが「女」ってヤツ、意外に多いんでない?
424名無しさん@1周年:02/10/19 16:50
私の信仰の証詞をします。
私の小学校は、ミッションスクールだったので、小さい頃から神様がいらっしゃるというのは知っていました。
けれど、私にとっての神様は、どこか遠いところにいらっしゃって、人が良い事をすれば喜び、悪い事をすれば
悲しむ存在のように思っていました。ですからイエス様が十字架にかかられた事は知っていても、その意味は
知りませんでした。私が中学の時のクラスで、いじめが起こりました。一人の女の子が孤立しました。その子
は、私の一番の友達でした。私は、自分がどうすべきか知っていたのに、勇気がなくて、できませんでした。
私は、申し訳ない、申し訳ない、と思いながら、孤立している友達を助けるどころか、彼女を拒否しました。
その時の自分の卑怯さを忘れる事はできません。自分の中の自分を責める声は、忘れた頃にやってきました。
その声は、非常に大きくて、私はひどく苦しくなり、いろんな人に相談しましたが、もう随分過去の事でした
ので、誰にもその苦しさを理解してもらえませんでした。私は、自分がやってしまった事や、するべきだった
のにしなかった事は、もうすっかりすんでしまって取り返しがつかないので、どんなにつらくても、この重荷
を下ろす事はできないのだと、その時思いました。日本語教会に来るようになったきっかけは、下の子が
キンダー(幼稚園)に上がって随分手がすいたので、また教会のESLに行きましょうと誘われたからです。
そこで、はじめてイエス様の十字架の意味が分かりました。イエス様は、重荷を背負っている人は、私の
ところへいらっしゃい。私が、あなたの重荷を背負ってあげましょう。あなたを休ませてあげましょう。
と言われました。私は、心がスーッと軽くなったのを感じました。私はようやく私の罪の身代わりとして
、イエス様が十字架におつきになったと分かりました。そして、神様は、赦してくださったのだと
思いました。
私を教会に誘って下さった方々、教会で暖かく迎えて下さった方々、それからいつもご指導下さった
S牧師ご夫妻に、感謝いたします。そして、気がつかないうちから人々に働きかけて、私を救って
くださったイエス様に、感謝いたします。これからの、私の信仰生活を、暖かく厳しくお導き下さい。
425名無しさん@1周年:02/10/19 16:56
58 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/06/28 18:54
ヘンな話なんだけど、毎日オナーニしてたよ。
でもしなくなったよ、ていうか、気がついたら、する気が起こんなくなった。
性格が明るくなった。怒らなくなった。
友達が増えた。仕事のポジションが変わった。
聖書開くとワクワクする。仕事が楽しい。朝起きるのがうれしい。

これを心理学的に説明するか、聖霊によるものと思うか・・・。
あなたのご自由にどうぞ。って感じ。

自分にとっては、イエスを受け入れたときに起こったことで、
今自分はイエスの真理の中に住んでいるという確信があって、
これらは全部、自分の中のものだからね。
『ねぇ「救いの証」、書いてみてよ・・・』 より
426名無しさん@1周年:02/10/19 16:58
96 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/02 18:18
>>93
そだね。イエス様を受け入れたときの感じ、言葉にするのは難しいなあ。。。

たとえると、真っ暗な海の中で、上も下も分からず、時々は体制を立て直して、
でもまたでんぐり返って、そんな感じでもがいていたのに、
あるとき、ふっと足が何かについて、水面に出ることができた感じ。

そこには抜けるような青空と、
青い青い海が広がっていました・・・・・。そんな感じ、かな。

やばい詩人になってきた。

やっぱ普通の証しがいいな。
427名無しさん@1周年:02/10/19 16:59
104 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/02 18:38

96じゃないですが、まず考え方が変わりました。
自分は何のとりえもない、ただの罪人
良いことなんて何も出来ない人間だって言う事に
気づきました。

そんな私の身代わりとして、キリストが十字架にかかってくれたという
本当の愛も分かりました。

生活の何が変わったかといえば
いつも、神を見る生活になりました。
428名無しさん@1周年:02/10/20 14:18
他人に過大に期待しなくなった。
人間はみんな不完全だから。
神の愛があればそれでOK
429名無しさん@1周年:02/10/21 10:48
>>416 >>417さんありがとう。読み応えありました〜!!

Today is the first day of the best days of your life!
今日も明日も、日々あたらしい信仰をお与えください!
430名無しさん@1周年:02/10/21 16:01
194 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/03 18:23
>193

でも説明するとしたらそんな感じになっちゃうのかも。
宗教ごとに「救い」の定義はあると思うが、救われるためには○○しなさい、
じゃなくて、「ただ神からの恵みによって新しく生まれ変わる」
これが真理じゃないかと思った。

この世も自分も作られた神様だったら、
考えてみたらそれが一番自然なんだよね。神様だったら当然そうだろう、
みたいな。自分は自分の努力でこの世に生まれてきたわけではないし。

あとは、周りにいるクリスチャンの人。証しとか聞いて、
あ、この人たちは嘘を言っていない。と思った。

それから聖書の言葉ひとつひとつ。迷って迷って、「こうじゃないか」
と思っていたことが、もう先に書いてある。すごーく力強くて。
目から鱗がおちることばっかりだった。この頃に、キリスト教の真実って
いうのは自分の中に疑いの無いものになっていたのかも。

本当にイエスを受け入れたのはそれからずっと後のことだけど。
431名無しさん@1周年:02/10/21 16:02
196 名前: 194 投稿日: 02/07/03 18:54
証し書くよ。

自分は、初めて尊敬した大人の人がクリスチャンだった。
もう本当に「聖書的」な。

当時自分はカナリぐれてまして、あの、ち〜ま〜って奴だったんですが。
バイトしてお金かせいでオシャレすることにしか興味なかった。

そのクリスチャンの人、バイト先のオーナーでした。
見た目はへんてこりんな(ゴメン)オジサンなんだけど、
とにかくあったかくて、パワフルで正直な人で。
海外からの留学生をたくさんお世話しながら、レストランを経営してて。
賛美歌歌いながら、もうハッピー!って感じで料理するのね。

祈ってからお店明ける。お店閉めてからまた祈る。で、とにかくよく
働いて、とにかく人の心を汲み取ってくれる人で。叱るときは
バシッとしかるんだけど、そのあとで大抵、
聖書の言葉一つ教えてくれるのね。神様はいると思ってたので、
「自分は今神様から怒られてるんだろうか???」ってときどき錯覚した。

親の言葉には耳も貸さなかったんだけど、それだけは素直に聞けたんだよね。
なぜか。その人とのかかわりの中で、何か空の方に、一つの、真実が
あるという感じを覚えた。それを真理っていうんだよね、今になって。
432名無しさん@1周年:02/10/21 16:03
204 名前: 194 投稿日: 02/07/03 21:43
そいで、えーと、なんだっけ。

その人から、聖書の箴言を薦められた。「知恵の書」だ。って。
これは結構夢中になって読んだ。>194に書いたとおり。
「愚かさ」の対極は「賢さ」ではなく、「愚かさ」の対極は「神」
である・・。そんなイメージが自分の中にできたと思う。

でもイエスに関しては、なんだか遠い、ただ立派な人だと思っていて、
イエスが自分と何の関係があるのか良く分からなかった。
「あなたのために十字架にかかった」って言われてもさ。知ったこっちゃない
と思うでしょ。普通。なんで十字架に掛かってイエスが死ぬと自分の罪が綺麗に
なるねん・・・。さっぱりわかんなかったよ。

んで、そんなある日、学校と家でいろいろあって、家出したのね。
(箴言がまったく身についてなかったのね、今思うと)
あ、言い忘れたけどこれ、高校生の頃のことです。

先輩に誘われるままに家出。先輩の知り合いのプー太郎が5人くらい
固まって住んでるたまり場につれてかれた。
そこの人たちは、時々日雇いのバイトして、
食料品はほとんど万引きでまかなってたの。
スゴイ世界もあるんだなあ。と思ったんだけど、それと同時に、
自分も高校卒業したらこんなになるのかなあ。って考えたりした。
結構進学校にいたんだけど、勉強全然してなかったから、すでにお先
真っ暗でさ。そこでクスリというのも、やらされた。っていうか、やった。
その最中は、「早く死にたいなー」ばっかり考えてたなあ。

あー、なんか人に話したことないことを書くようになってきた・・・。
433名無しさん@1周年:02/10/21 16:03
205 名前: 194 投稿日: 02/07/03 21:52
3日くらいそこにいて、3日目の夜、外でご飯たべることになった。
道あるいてファミレスに行く途中、「帰りたい!」て突然思ったんだけど、
それと同時に、頭の中に、なんでか知らないけど

箴言 3:6 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば/
主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。

ていう御言葉が頭に浮かんだのね。あ、行っとくけどこの時クスリは
完全に切れてたのよ。普通に、なんとなく思い出すような感じで、
浮かんできた。「あなたの道」って言葉と、今自分がいる状況比較して、
すごい鬱になった。「自分の道ってこれだっけ?」って。

そいで、プー太郎さんのひとりに「帰りたいんだけど」って言ったら、
みんな「勝手なこといってんなよ」とか言われて。
でもなぜか、リーダー格のひとりが、「帰れ」って言ってくれた。

で、そのまま駅に向かったんだけど、大事なこと3つ、忘れてたの。
1.無一文 2.夜中の12時すぎ(終電ぎりぎり) 3.駅までの道がわからない


・・・ところで長いな、この証し。まあいいや。読む人だけ読んでね。
まだ続くよ。
434名無しさん@1周年:02/10/21 16:04
207 名前: 194 投稿日: 02/07/03 22:04
(こっから先は、ちょっと詳しく書くね。今でも昨日のことのように
思い出せてしまうんだ。)

でもまさか、戻るわけにはいかないし、とにかく歩いたら、
駅が出てきた。時刻表みると終電直前!しかも改札人がいない(当時は
自動改札じゃなかったのよ)ので、するっとホームに入って、
そしたら電車が来た。家まではそこからあと2本、電車載らなきゃいけなくて、
途中で終電終わるかな、という考えが頭よぎったんだけど、でも
戻る気にもなれなくて、とにかく乗った。

で、次の乗り換えの駅。ここも改札が無人!ラッキーと思って通過。
で、そこに来たのは終電2本前の電車。乗った。

最後の乗り換え、「ここでアウトかな〜」と思ったら、アナウンス。
「最終電車が間もなく発車します」で、猛ダッシュで間に合った。

・・・そうして自分の住んでいる町に帰ったんだけど、
最後の難関、今度は改札に人がいた。しょうがない、無一文でここまで
来ました、って言って、日を改めて払いに来よう・・・と思って
改札に近づいたら。駅員さんが、自分に目配せした。ちっちゃい声で
「いいから、いきなさい」。

今思うと、真夜中の終電から小娘が降りてきて、改札の前でモジモジしてた
から、駅員さんもなんとなく事情わかってくれたんだろうな。
改札出たのは1時過ぎ。で、なんとそこには・・・・・。
バイト先のオーナーが車で待っていたんです。
435名無しさん@1周年:02/10/21 16:04
208 名前: 194 投稿日: 02/07/03 22:21
>206 ありがと。すみませんね、ちょくちょくageちゃって。

バイト先のオーナーって、小さな子供もいるし、そんな時間に駅で
待ってるのも大変なことだったと思うんだけど。しかも、
今日この時間に私が帰るなんて、知らないはずでしょ。
自分の家出のことは自分の親から連絡がいってたそうなんだけど、
なんでその時間にそこで待っててくれたのかは、結局教えてくれなかった。
今思うと、3日間、店閉めたあとそこで待機していてくれたのかもしれない。

無言で車に乗り込んで、そしてらオーナーが、ひとこと私に
「馬鹿」って。で、親にあやまりなさい。と。それから、
「聖書の放蕩息子の喩え知ってるか?」って聞いてきた。
なんとなく覚えてたけど、自分は返事しなかった。
親の財産持って放蕩して、すっからかんになって帰ってきた息子を、
父親は一言も責めたりせず迎え入れ、それどころか祝宴を開いた、ってやつね。
オーナーはこういったの。「あの父親は、イエス様だよ」。
くー。今思い出すとキザだねー。

ここで自分が何感じたか、言葉でいうの難しいんだけどさ。
オーナーは、イエス様がお前の帰りを待ってる、といってくれたわけだ。

電車に載って、自分の町の駅まで帰るまでの道のり、なんかすごく
暖かい空気の中にいたような気がする。
あの時イエス様が一緒にいてくれたのかもしれない。
というのは、後から思ったことなんだけど。

その日から、イエス様が自分と一対一にいらっしゃる方だと思うように
なった。でも、「罪の贖い」は、相変わらずわかんなかった。

あと1レスくらいで終りにするわ。
436名無しさん@1周年:02/10/21 16:05
209 名前: 194 投稿日: 02/07/03 22:48
それから福音書を読むようになったのね。教会も、オーナーに
連れられて時々行くようになった。でも教会キライだったのよ。
みんな立派すぎる感じがして。

でも、あの日以来、イエス様がどうも自分にくっついてしまった気がして
(笑)、自分の部屋でちょくちょく祈るようになった。

試験の前、恋愛のこと、英語が勉強したい、パソコン勉強したい、
心に思うことを「イエス様へ」っていって、祈るようになった。
「受け入れの祈り」をその頃した。「イエス様自分の中にいらしてください」
。もういらしてたのかもしれない・・・んだけど。
その頃から、急に自分が変わったことといえば、すごく直感的に
なんでもできるようになったってこと。仕事でも、なんでも、理屈っぽさが
消えて、迷ったり、考えたりってことがほとんどなくなった。

437名無しさん@1周年:02/10/21 16:06
やっと贖罪の意味がわかったのは、それから10年以上あとです。
親しい人が突然死んだ。自分はすごくその人を傷つけたことがあったので、
言葉にいえないくらいの責任感感じて。我侭だった自分、自分の言動、
いろんなこと思い出して、夜中もガバッと起きて、冷や汗かいて。
イエス様ごめんなさい、ごめんなさい。って夜中に布団の中で
祈った。祈り終えたとき、「罪のために死なれた」よりむしろ、
「神が、死よりイエスを復活させた」ことがすごーくリアルになった。

今はもう、朝も昼も夜も、イエス様が一緒にいるという気がしてる。
完全にイエス様に自分を明渡せるのはまだ先かもしれんけど。

あー長かったね。このヘンにしておきます。
たらたらとごめんなさい。でした。

ヨハネ福  15:5
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっ
ており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
438名無しさん@1周年:02/10/21 16:18
>>431-437
泣いたYO。感動した。
この証を勇気を出して書いてくれた姉妹、
聖書的クリスチャンのバイト先のオーナーさん、
神様に用いられましたね。主よ感謝します。
天の国で再び会える日が楽しみです。
このお二人に、この証を読んだすべての人に、
イエスの御名によって、主の祝福が豊かにありますように。アーメン。
439名無しさん@1周年:02/10/22 11:38
431-437は、何度かコピペされている話だよね。

確かに感動的ではあるけど、その「彼」の体験をいくら繰り返して読んでも、自分の
体験にはならないんだよね。宗教体験は、もともとプライベートなものだと思うよ。
「私」の神と「私」の関係、「私」の証、「私」の苦しみとその救済、なんだからね。

私の場合は、日常で起こるさまざまな「不幸なできごと」を笑顔で耐えて過ごそうと
するたび、いくらヨブ記を読んだって、ヨブの体験が自分とは関わりのないことなんだ
ということを痛感するよ。自分が感じた痛みを通じてしか、人間は神にはめぐり合えない
のだと信じている。他人の証を読んでも、ただそれだけのこと、コーラを飲み干すよう
なものさ!
440オナン:02/10/22 14:42
そうだよねぇ。
人の感動話読んで、自己改革できるなら、世の中いい人だらけだよねぇ。
北の金正日なんて、すごくいい人になってるはず。(W
441名無しさん@1周年:02/10/22 17:35
>>431-437 書いた本人です・・・。
スレ開いたらコピペされてて、ビクーリした(笑)

>>440
それは本当にいえてるとおもう。さすが牧師の息子さん?だね。
ことばって、タイミングとか状況とか、聞くときの心の状態とか、
よくわかんない要素がいっぱいあって、それらがうまく織りあって、
織り成されて、あるとき、ベストタイミングのときに
自分の中にずどん、っ突如に入ってくるもんだと思う。

聖書のことばですら、そうだと思う。
たぶんそれは、すごーく大きな流れの中で起こること、
ヤパリ、神様のなさることなんだと私は思う。
442名無しさん@1周年:02/10/22 17:37
>>438さんありがとう。
443十字架の血潮:02/10/22 19:25
>>439 宗教体験は、もともとプライベートなもの
「私」の神と「私」の関係、「私」の証、「私」の苦しみとその救済

これはまったくその通りだと思います。
イエス様を通しての、「唯一まことの神」と「私」の関係は、非常に個人的なものです。
しかし、イエス様を受け入れた人にとっては、
「あなたの創造主(かみ)」は「私の創造主(かみ)」でもあるのではないですか。
ですから、イエス様は「主の祈り」で「われらの」父よ、と祈るよう教えて下さったのでしょう。
聖書に書かれている信仰の家族(彼らとは天の国で再会するのですよ)の生涯を読むこと、
また今いる兄弟姉妹の証を聞くことを通して、
私たちの父さんである神は、どのようなお方であるのか、
また、私たちにどのように関わって下さるのか、を分かち合うことで、
「私」の創造主(かみ)への信仰(信頼関係)を強めていくのではないのですか?

>>439 他人の証を読んでも、ただそれだけのこと、コーラを飲み干すようなものさ!
>>440 人の感動話読んで、自己改革できるなら、世の中いい人だらけだよねぇ。

それは、その証を自分のものとして共有しようとしないからではないですか?
人は人、自分は自分、みたいに。人の感動話を読んで、自分も頑張ろう、
あるいは何かをしようと触発されるならば、必ずしもそうではないと思いますよ。
自分の自由意志を用いて、積極的に関わろうとすれば、変わることもあると思いますよ。
余計なお世話かもしれませんが、そんなシラケムードで生きないで下さい。
私たちのイエス様は、命に満ち溢れたお方じゃないですか。
それともあなたはイエス様とは何の関係もないのですか。
444GG(Get Gocc):02/10/22 19:26
444!!!
445名無しさん@1周年:02/10/22 20:14
神さまには、パブリックもプライベートもない
446オナン:02/10/23 10:36
>>443十字架の血潮さんは私をご存じないらしい。(w (知れ渡ってると思いこんでいる俺も俺(W)

最近、うんちくモノの番組が増えてるよね。
それみて、感心したり参考にしたりしようと思うけど、
次の日には忘れてるってことありませんあ?
これが体にいいぞってTVでやるとその次の日は、
スーパーのその商品だけは異常に売れる現象って知ってます?
でも、せいぜい一週間も続けばいいほうですよ。
人にはそれぞれ、違う環境があるわけで、どんなにすばらしい生き方も、
その状況にない第三者には、感心するのが関の山です。
結局、自分の生き方は自分で決めるしかないんですよ。
だから、聖書も色々な解釈が入るんです。でしょ?
447439:02/10/24 17:27
>>443

他人の経験に感動するなとは言いませんよ。ただ、わかったような気になるな、と
いうこと。末期癌の痛みと苦しみは、それを経験した人でなければ「わからない」
そうです。いくらまわりの人間が「痛いでしょうね、気の毒にね」と涙を流して
あげたとしても、その人の痛みがわかっていない限り、「他人事」にすぎんのです。
家帰ったら、Jリーグの試合でも見ながら忘れてしまうような「痛み」でしょ、所詮は。

オナンさんも言うとおり、

>その状況にない第三者には、感心するのが関の山です。

というのが事実に近い。人間など、所詮はそんなものです。他人のことなど永遠に
理解できない。理解できると言ったら、そいつは嘘つきか世間知らずです。
448439:02/10/24 19:26
人間というのは、自分にしかわからない世界でもがきながら生きている。友人や
肉親が苦しい時に支えてくれるかもしれない....が、相手が本当に自分の苦しみを
理解してくれているわけではない。「わかる」というのも錯覚なら、「わかって
もらえた」というのも錯覚。

絶対に「わかりあえるはずがない」ことを知りつつも、人は寄り添わずにはいられ
ない。真相はわからないが、お互いの傷を舐めあわずには居れない。その惨めな姿
を自覚するとき、本当の意味で神の前に「ひとりで立つ」用意ができるんだと思う。
449十字架の血潮:02/10/24 19:47
>>446>>447

ああ、その意見は私もおおむね賛成です。

>十字架の血潮さんは私をご存じないらしい。

すいません、その通りです。
オナンさん、まあ、これから仲良くしていきましょう。
450オナン:02/10/25 13:40
>>449
すみません。知らなくて当然なんです。町ですれ違う人がいちいち知り合いなわけありませんから(W

仲良くできるかどうかは、何を「頑な」と見るかにかかっていますね。
私は父が牧師をしていますが、私は神を否定しています。
しかしながら、
諸処の都合で(ここ以外では)信者を装っているという卑屈な状況です。

私は>>440>>446での意見を後ろ向きな諦めモードで
書いているわけではありません。
自分は自分として生きることに意味が有ると信じての書き込みです。
基本的にそのスタンスでこれからも書き込みをすることでしょう。
451名無しさん@1周年:02/10/25 16:57
>>450 横からごめんね。オナンさんの存在は、前からちょっとユニークに感じて、
存じてました。

>しかしながら、
>諸処の都合で(ここ以外では)信者を装っているという卑屈な状況です。

こーゆうのは初めて聞いた。一体どういう心理で?良かったら教えてください。
なんか面白いことのように感じるんだけど。
452451:02/10/25 16:57
面白いというか、不思議というか。
453オナン:02/10/25 17:02
>>451
私からふっといてなんですが、こんなに続くとは思わなくて・・・
細かい事情は、板違いってか、少なくともすれ違いなので、勘弁ね。
454名無しさん@1周年:02/10/25 17:03
そっかー。じゃんねん。こちらこそプライベートなこと聞いてスマンソ。
455名無しさん@1周年:02/10/28 17:03
わたしがかみさまを、しんじたわけは、お母さんや、お父さんに、すこし教えてもらったし、
子どもバイブルを毎ばんよんでいたからです。でも、その前字がよめなかったので、
お母さんや、お父さんにはなしをしてもらって、そのはなしをわたしはききました。
でも、ようちえんのともだちに、「イエスさまは十字かにかかってくれたんだよ。」
と、しかいえませんでした。一年生になったら、わたしはおいのりをするようになりました。
それで、”せんれいうけると、どうなるんだろう”よくわかりませんでした。
「でも、天ごくにいけるから、いいな。」
と思いました。わたしは小さいこえでさけびました。
「いつかは、ぜったいせんれいうけるぞ!。」
と言いました。二年生になって、わたしが先生と、べんきょうをしている時、
「しーちゃん、天ごくに行ったら、まず、イエスさまに会うよ。」と言いました。
わたしは、せいしょをよんだだけだったら、いみがわからないけど、
べんきょうしたら、だんだんどんなおはなしで、だれがどうなったかのかが、
わかりました。毎日せいしょを三回ずつよむのがしゅくだいです。
わたしは、ほとんど、一週間の内、六回ずつしか、できないので、ときどき夜、
”あしたはよめますように”と、おいのりしました。
せんしゅうは、せんれいしきのことを、考えたら、とてもどきどきしました。
でも、今は、とてもうれしいです。
456名無しさん@1周年:02/10/28 19:54
俺は、神主、しかも結構有名どころの神宮の宮司家に生まれちゃって、チビの頃から
その道の英才教育=洗脳をうけていたのだが、小学5年の時に聖書にであって、14歳
の時に家には内緒で長老派の教会で洗礼を受けた。もちろん、家人の前で聖書なんて
読んでいたらどうにかされかねないので、夜、布団の中で懐中電灯で読んでいた。
(バビロン捕囚からの帰還のところでは涙がでた。)当然、日曜に教会にいくのも
一苦労だ。最初は友人の家に遊びにいくとウソいっていたが、それも毎週というわけ
にもいかない。本当にキツイ時期だったが、なんとかのりきった。神のおかげだ。
だが、大学に入った直後に試練は訪れた。新任の牧師が実家に手紙を出してしまい、
コトが全て発覚したのだ。当然、俺は実家に勘当され、以後、10年以上たった今まで
一切の音信はない。授業料免除や奨学金も申請したが、実家のビジネス=神道は結構
儲かっているようなので、全部断られた。結果、俺は生活費+学費+健康保険料+
20歳からはアホな日本政府の政策転換により国民年金代まで稼がなければならなく
なった。滞納する手もあったが、研究者を目指している以上、国立の仕事場の公募に
申請する可能性もあったので首根っこをつかまれているようなものだった。
今、やっと落ち着きかけている。愛する京都を離れることになったが、聖書も自由に
読める。幸せだ。本当に心から神に感謝している。
だが、常に気になる。この国の少なくとも一部では、信仰の自由なんて全くありえない
のだということを。



457名無しさん@1周年:02/10/28 19:57
>>1
子供の姿の天使(3人)が現れて、
それからキリストを信じました。
信じてもらえないと思いますが
本当の話です。
それ以来カトリックになりました。
神を心から信じています。
おかげさまですごく幸せな毎日です。
458名無しさん@1周年:02/10/28 19:59
>>457

その天使は男の子ですたか、それとも女の子でしたか?
459sage#:02/10/28 20:10
>>457
上のレスさんとは違いますが、
もしよかったら、もっと詳しく聞かせてもらえませんか。
興味があります。どんな状況でだったとか。天使はどんな感じだったとか。
私も天使に会ってみたいなーと祈っている一人です。在主。
460十字架の血潮 :02/10/28 21:00
>>450 諸処の都合で(ここ以外では)信者を装っているという卑屈な状況です。
 
オナンさんは地獄の恐怖を知っていながら、イエス様の救いの喜びを知らないということで
(霊的に)さぞ、苦しいのではないかなと推察します。また、人間的しがらみから
抜け出したくても抜け出せないくてもがき苦しんでいるのではと、手前勝手ですが、想像します。
私は、イエス様を信じる前は精神的に地獄も同然の人生でした。

どうぞ、オナンさんが生けるまことの父なる神様に、
救い主イエス様に人格的に出会い、新しく生まれ変われますように。
主よ、オナンさんにあなたの特別なご計画があると信じます。
どうぞ、オナンさんを憐れみ、その苦しみから救ってください。
聖霊様、どうぞあなたの恵みと憐れみをオナンさんに注いで下さい。
イエス様の御名でオナンさんを祝福してお祈りします。アーメン。

(新改訳)使徒 16:31 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
神様は真実な方です。お父さんが牧師としてイエス様を信じておられる故に、
オナンさんも必ず救われますことを、信仰によって宣言します。
461名無しさん@1周年:02/10/30 20:02
age
462緑色醍醐:02/10/31 00:36
私は色んな事があって、人が信じられなくなり、自分を立て直すために
キリスト教を信じてみようと思いました。
ガイシュツだけど、人間って不完全だよね。
神は完全な筈だから、迷わなくなるし。
聖書を読み始めたら、自分が好きになってた。これが大きい。
463名無しさん@1周年:02/11/01 15:34
age
464棄教者 ◆egKIKYO7cg :02/11/01 16:40
アウグスティヌスは tolle et lege と歌うガキ共の声を神の声と思って
聖書を読んで回心したし。
パウロはキリストの幻を見て回心したし。
お前ら、マジでうらやましいぞ。>>456>>457

超常現象が見えたり聞こえるようになる方法を教えてください。
そうすれば心の曇った漏れでも回心できる。
465名無しさん@1周年:02/11/01 16:49
>464
そういう人って、けっこういるのでわ(・。・)
哲学的思想遍歴の果てに、キリスト教信仰に行き着いた、という人もいるだろうが、
むしろ少数でしょう。
多くは、何かしらの体験があるのではないかと。
466名無しさん@1周年:02/11/02 15:14
主に飢え乾いてらっしゃるように思える>>464さんへ この言葉を送ります。

「私は信仰を求めて祈った。そして、いつの日か信仰が稲妻のように落ちて来て、
 私を打つであろうと、考えた。しかし、信仰は来そうになかった。
 ある日私は、ローマ人への手紙10章に次のことばを見出した。『そのように、
 信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについての御言葉によるの
 です。』私は聖書を閉じ、信仰を求めて祈った。その時から私は聖書を開き、
 学び始めた。そして信仰は日ごとに成長し続けている。」ーD.L.ムーディ

父なる神様に祈り求めてみてはいかがですか。「信仰を増し加えて下さい。」
「信仰の賜物を与えて下さい。」「私も奇跡的な信仰体験をしてみたいです。」と。
この約束の御言葉を握って(信じて祈りの中で告白して)祈ると、神様は必ず答えて下さると思いますよ。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。
 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ7:7)
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉(レーマ)を
 聞くことによって始まるのです。」(ローマ 10:17)
467棄教者 ◆egKIKYO7cg :02/11/03 17:38
>>465-466
ご助言ありがとうございます。
アウグスティヌスはマニ教を信仰していましたがそれを捨てて回心しました。
サウロはキリストを迫害しようとしていましたが回心しました。
だから、今、私は喉が渇いていますが
もしキリスト教が真の宗教ならばいつか
キリストが価なしに水を飲ませてくださると信じています。
468名無しさん@1周年:02/11/03 17:40
>>467

>もしキリスト教が真の宗教ならばいつか
>キリストが価なしに水を飲ませてくださると信じています。

じんわり涙・・・激しく同意、あるいはアーメン。
469十字架の血潮:02/11/05 17:44
>>467

愛する天の父さん。どうか、あなたに飢え乾いている棄教者 ◆egKIKYO7cgさんを憐れみ、
あなたの元へと引き寄せて下さい。イエス様、あなたが棄教者 ◆egKIKYO7cgさんを愛する
がゆえに、棄教者 ◆egKIKYO7cgさんの罪の身代わりとして十字架で死に、よみがえって
下さった事を覚えて感謝します。聖霊様、どうかあなたが働きかけて下さって、先行する
恵みでもって、この方がイエス様を心に信じ受け入れるようにして下さい。その苦しみから
救って下さい。尊い主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン。

470十字架の血潮:02/11/05 17:44
棄教者さん。あなたは、いつかと言わず今この瞬間、価なしにイエス様の下さる命の水を
飲むことができます。『しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが
与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。』(ヨハネ4:14)
あなたはサマリアの女がしたように、イエス様にただ求めるだけでいいのです。
『女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、
 その水をください。」(ヨハネ4:15)』
イエス様は『わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。』
(ヨハネ14:14)と言われました。イエス様は真実な方です。そのご品性の故に、嘘をつく事の
出来ない方です。今、このようにイエス様に求めることをお勧めします。そうすれば今この瞬間、
イエス様はあなたに永遠の命の水を飲ませて下さいます。
「すべての創造主なるイエス様。私は真実なるあなたに飢え乾いています。もう二度と渇く
 事がないよう、私に永遠の命の水を与えて下さい。心の曇った私を新しく創り変えて下さい。
 私はあなたを受け入れます。私をあなたにささげます。どうか、来て私と共にこの世の勤めが
 終わるまで一緒にいて下さい。私の罪をすべて赦し、天国に私の住む場所を用意して下さい。
 あなたを信じる心をサタンに奪われないように、私をお守り下さい。イエス様の御名によって
 祈ります。アーメン。」
471十字架の血潮:02/11/05 17:45
どうか、神様と二人きりになり、この祈りをささげて下さい。あなたはまったく新しく
生まれ変わる事が出来ます。全能なる主が、あなたを創り変えて下さるのです。そして、
全知全能の唯一まことの神が、あなたの永遠のお父さんになって下さいます。もし、
このクリスチャンになる祈りをささげられたら、ご連絡下さい。そして、ぜひ、イエス様
の十字架の死と復活を正しく教えている、お近くの教会へお越し下さい。あなたを愛して
おられる神様が、あなたを見守っていますよ。
472名無しさん@1周年:02/11/05 20:48
 16歳のある日、愛する母が突然、脳溢血で死んで以来、私は生きることの本当の意味を
求めてさまよい続けていました。「なぜ、人は生きるの?結婚して子供を産んで、年老い
て何も残すことなく死んでいく。そんな人生なんかないほうがましでしょう?」
 難解な哲学書を読みあさっては、友人や高校の先生に生きることの本当の答えを求めて
みましたが、何も返ってはきませんでした。「君は少し、考えすぎだね。そんなことを思い
詰められるだけ甘ったれているんだ。もっと勉強に打ち込んでみろ。悩みなんか吹っ飛んで
しまう!」
 生き長らえることが無性に切なく、むなしい心を忘れるために覚えたタバコと強い酒。
そして、ある日、一日も早く母の所へ行きたいとの死の誘惑に負け、ついに東京・新宿駅の
ホームから電車に身を投げたのです。
 昭和30年2月。18歳の私は、鉄道自殺未遂で無残に切り裂かれた肉体をベッドに横
たえて絶望の日々を病院で送っていました。包帯でグルグル巻きに去れた両足は、左が
膝の下から、右が足首のあたりからなく、左腕の肩の付け根は、電気に触れたようにしびれ
、寝間着の袖だけが力なく垂れ下がっていました。右手に巻かれた包帯の先からは、
わずかに残った3本の指が見えるだけでした。
473472:02/11/05 20:49
 入院生活は、毎日が悲しみと焦りの日々でした。痛みと眠れないことを理由にもらった
睡眠薬を、飲んだふりをしては隠し集めていました。それは、果物ナイフから寝間着のひも
まであらゆる自殺の道具を取り上げられた私の唯一の“希望”だったからです。一日も早く
致死量をためたい・・・。
 毎週金曜日になると、キリスト教の宣教師と一人のクリスチャン青年が病室を訪ねて
きましたが、二人が話す神の話などに耳を傾けることなど、とうてい、できませんでした。
「本当に神がいるというなら、なぜ私を死なせてくれなかったの!こんな体でどうやって
生きろというの!」枕に顔を押しつけ、声を上げて泣き叫ぶ夜が何日も続きました。
 そんなことばかり考えている私でしたが、ある一つのことが気になり始めました。それは
訪ねて来てもろくに返事をしなかった宣教師とクリスチャン青年の存在でした。どんなに
つっけんどんにしても腹をたてない。約束したことはどんなささいなことでも守ってくれる。
よれよれの服を着ていても、今まで見たことのないような明るい笑顔・・・。
 私はクリスチャンとは一体どういう人種なのかつかみかねていました。初めは、人の弱み
につけこんでどうせ信者を増やそうとしているんだ、と警戒しました。それにしても、少し
鈍いと思わせる反面、あの底抜けの明るさ、あたたかくて優しい態度・・・。
474472:02/11/05 20:51
  どうしてか、この柔和さはどこから来ているのだろうかと思うようになりました。信仰心
が人を変えるのか。それとも、この人たちが存在すると信じているキリストという神が本当に
人を救いえるのか・・・。私は歓迎できない、このお客さんたちを迎えながら、だんだん
こんな思いがわいてくるのを、どうしようもできませんでした。
 入院3ヶ月後の5月、宣教師らが置いていったテープレコーダーから流れてきた聖書の話が
私の心をとらえました。語られていたのは〈キリストの愛と十字架について〉でした。
「キリストが十字架にかかられたのは、あなたを救うためにあなたの罪の身代わりと
なられたからです。ご自分のいのちさえもなげうってキリストは、あなたを愛しておられる
のです。3日目によみがえられたキリストは・・・・・」聞き入る私の目からは、涙が
とめどなく流れていました。「キリストなら私のこの苦しみを分かってくれる」と思った
からです。
 「自己中心でわがままいっぱいに生きてきた自分。そして今はこんな体になった自分。
この神の愛にかけてみよう・・・・」そう決心すると、その夜は睡眠薬も飲まずにぐっすりと
眠れたのです。本当に不思議でした。
475472:02/11/05 20:53
 心の底からあふれる喜び。翌朝、すべてが新しく見えました。窓の外に広がる春の風景の
色はあまりにも美しく、3本の指しか残っていない腕を見ても、もう前のように悲しみの
気持ちなどわいてきませんでした。
「なぜだろう?」そんな気持ちでそばに置かれていた聖書を、意味もなくパラパラと
めくっていると、一つの言葉が飛び込んできました。
『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って
見よ、すべてが新しくなりました。』(2コリント 5:17 )
 なにかとってもうれしい気持ちになり、このところを何回も何回も読み返しました。そして
この時、本当にキリストが私を救ってくれるとわかったのです。
 よく人から、「両足があったらと思うでしょ」と聞かれます。でも、前の生活は確かに見かけは
健康でした。でも心は病んでいました。たとえ、両足、片手がなくても、キリストの新しい
いのちに生かされるなら、それ以上にすばらしいものはありません。
476472:02/11/05 20:54
 あれから45年の月日がたちました。私はかつて、あの病床に宣教師とともに通い続けてくれた
クリスチャン青年と結婚し、2人の子供にも恵まれました。母親として2人の娘を育てながら、
牧師である夫とともに、これまで、自分が受けた大きな愛を人々に伝えてくることができました。
60歳を過ぎた今も、各地の中学や高校に招かれては、悩み多き世代に、あの愛の物語を語り
続けています。心の重荷で苦しむ人々に生きることのすばらしさをお届けしたいからです。
おわり
>>472-476
477名無しさん@1周年:02/11/06 14:19
感動age
478名無しさん@1周年:02/11/06 14:35
>>472-476 は、有名な「米子さん」のお話しなり。
いかにも本人のように書き込んだあなたはなにもの?
479名無しさん@1周年:02/11/07 17:54
>>472-476 ・゚・。・゚・(ノД`)・゚・。・゚・ウワァァァン イエスサマー
480名無しさん@1周年:02/11/07 17:56
・゚・。・゚・(ノД`)・゚・。・゚・ウワァァァン イエスサマー カンシャシマース
481名無しさん@1周年:02/11/07 17:58
・゚・。・゚・(ノД`)・゚・。・゚・ウワァァァン イエスサマー ジュウジカノシトフッカツヲ カンシャシマース ハレルヤー
482名無しさん@1周年:02/11/07 18:01
本田先生の話の中でも登場したぞ。
「バシッ!」父親の右手が飛んだ。
 言う事を聞かない二女の顔を打った。打ちどころが悪かったのか、二女の唇から血が流れた。
中学三年の二女は、かなり前から服装が派手になり、隠れて化粧までしていた。それくらいなら
父親も我慢できると思っていた。しかしその日の朝、母親に「この頃、男の子とつき合っていて、
いつも帰りが遅い」と聞かされたのが、そもそも父親の理性を狂わせていたのかも知れない。
「このままではいけない!注意し、直させなくては!」。夜、十時過ぎに帰って来た二女に、
父親の忍耐は限界に達してしまった。嫌がっている娘を引きずるように居間に座らせ、お決まりの
説教をした。三十分、一時間。しかし反抗する娘は聞く耳を持たない。プッとふくれて目も
合わせようとしない。ついに、父親の平手が飛んで、娘の頬を叩いてしまった。娘は目にいっぱい
涙を浮かべて憎らしげに父親をにらみつけ、走るように自分の部屋のドアをバタンと思い切り
閉めた。父親は「しまった」と思ったが、あとの祭り。「叩いてはいけない」と思いつつも、
自分の感情を抑えることができなかった。
 父親は、決して手を上げたことなどなかった。それなのに、もう大人に近づいている中学三年の
娘を打ってしまった。心の痛みと自責の念が噴き上がってきた。しかし一方「いや、どうしても、
注意しなくてはいけない。打ったのは悪かったかも知れないが、親としてやむを得なかった」と、
弁解と反省とが心の中で格闘しているようだった。「年頃の娘の心にどのように響いただろうか、
これによって娘はもっと悪の道にのめり込んでは行かないだろうか?」娘を打った右手の痛さが
残ってしまった。
 この二女は、その後、年とともに素直なよい娘に変わっていった。ある時、父親はこの娘に、
十数年前の平手打ち事件のことを謝ろうと思った。実は、父親の心はいつもこの事を思い
出しては痛んでいた。右手の痛さもそのまま残っていた。あの時の娘の無念な顔、目に涙を
浮かべて、「お父さんなんか、大嫌い!」と叫んだあの声が、何かあると心に響いていた。
しかし、今では母親の一番の理解者である娘。そのことは父親の喜びであって、こんなに
よく変わった娘に、心底から謝りたい気持ちを駆り立てた。娘を呼んで目の前に座らせ、
あの時と同じ状況の中で、「お前が中学三年生の時、お父さんは、あまりにお前が言う事を
聞かなかったので叩いたことがあったね。お前は唇から血をながしてさ・・・。こんなに
良くなったお前に今、お父さん謝るよ。赦しておくれ!」。すると娘は、遠い過去を見る
ように、上目遣いに目を動かして考え込んでいたが、やがて、「私の覚えている限りでは、
私、お父さんに叩かれたことは一度もないわ。お父さん、私を叩いたことなんかあるの?
何かの間違いよ」と言った。父親は目頭が熱くなり、「ありがとう」と言って自分の部屋に
駆け込み、床に両手をついて祈っていた。「天のお父さま、私はなんと良い娘を持った
のでしょう。赦すとは忘れることだと知っていましたが、私の娘は私の過ちを赦すだけで
なく、私が叩いたことを忘れてしまっているのです。ありがとうございます」。涙声と
ともに祈る父親の心に、聖書の言葉が浮かんできた。

『わたしは彼らの咎(とが)を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。』
                    (新改訳:エレミヤ書31:34)

 聖書は、「愛とは赦しを与えるだけでなく、その罪、咎を忘れる」と約束している。
娘は父親を愛している故に、過去の咎を赦すだけでなく、忘れてしまっていた。

『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』
                       (新改訳:ルカの福音書23:34)

 この言葉は、イエス・キリストが十字架上で、私たち人間のすべてを「赦す」ために祈られたものです。
全世界にイエス・キリスト教会があり、世界で最も多くの人々がキリストを信じているのは、この「赦し」
を体験しているからです。私たちは、自分でどんなに頑張っても、どうしようもないものがあります。
自分を責め、他人を責め、挙句の果てには、すべてを責めて、自暴自棄になってしまう。頑張れば頑張る
ほど、落ち込んでしまう。その人間の心を、イエス・キリストは、あるがまま、そのままで受け止めて
くださいます。「赦し」こそ、イエス・キリストの十字架の力です。
 実は、娘はキリスト教会に行っていたので心の改心を経験し、この「赦し」を体験していたのでした。
「赦された者は赦すことができる」と言います。娘に赦された父親も「赦されている」喜びを味わいました。
誰でも、赦してくださるイエス・キリストに信頼するなら、心の傷、あの過去の悲しみ、心のわだかまりを
ぬぐい去ることができるのです。
 私たちの罪の身代わりとなったイエス・キリストは、すべてを赦し、罪過を忘れてくださるのです。あなたの
罪は赦されている。あなたの過去の咎は忘れられている。ここに、イエス・キリストの十字架の力があるのです。
あなたも、イエス・キリストの十字架を見上げて、心に受け入れるならば、今、新しい人生が始まります。この
体験をする時、あなたは他人を赦し、自分の罪をも忘れて、幸福な人生を歩みだせるのです。

どうぞ、イエス・キリストの十字架の身代わりの死と復活を信じて、イエス様を心に受け入れて下さい。
そして、たった一度しかない、いつ終わるかわからない貴重な人生を、最高のお方イエス・キリスト様と
共に歩み、永遠のいのちを受けて下さい。

「イエス様、私はあなたを個人的に必要としています。私の罪のため、身代わりに死んで下さり
ありがとうございます。私は今、心の扉を開き、私の罪からの救い主、人生の導き手として、
あなたをお迎えします。私のすべての罪を赦し、永遠の命を与えて下さりありがとうございます。
どうぞ、私に人を赦す心を与えて下さい。今から永遠に至るまで、あなたと共に生きていきます。
私の心の中心で私を導き、あなたが望むような者に、私を創り変えて下さい。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン。」
489名無しさん@1周年:02/11/07 21:19
>>483-488
HNが気に入った!
490名無しさん@1周年:02/11/07 21:41
きもちわるっ・・・・・
491名無しさん@1周年:02/11/08 19:01
>>483-488 ・゚・。・゚・(ノД`)・゚・。・゚・ウワァァァン イエスサマー ツミヲユルシテクダサリ カンシャシマース
492小学2年生:02/11/08 20:43
どうやってイエスさまを信じましたか
「3歳のころ、うちのお母さんがイエスさまのことを教えてくれて、
自分もはいりたいと思い、教会学校に電話をしてもらってはいることにした」

イエスさまのことで知っていること
「人間のつみをゆるしてくれたこと」

どんなおいのりしてますか
「交通事故にあわないようにとか、ごはんありがとうございます、とか」
493エホバの証人から:02/11/08 21:15
エホバの証人からキリストの証人へ 

今から18年前のことでした。一人の婦人が訪ねて来られ、
「聖書を学びませんか。」との誘いかけを受けました。
このことがきっかけで、私とエホバの証人とのかかわりが始まりました。
当時は、まだ証人達の数も少なく、
今日のように社会問題も引き起こしていませんでしたから、
その人達の存在すら知りませんでした。

その頃の私は、家事や育児にささやかな幸せを見い出していた、
ごく普通の主婦でした。
そんな中でも、時折、人生の意義について考えることもありました。
そんな私にとって、「聖書」という言葉に、なにか魅かれるものを感しました。
もしかして、その書物の中に自分の求めているものがあるかもしれないと感じ、
すぐにその誘いに応じました。
さっそく次の週から毎週2時間程の家庭聖書研究が始まりました。

 聖書を初めて手にしたときは、何かしら嬉しく感じたことを覚えています。
勿論、聖書を一度も読んだことがなく、分厚い、難しそうな本なので、
一人では理解できないと思いましたから、
協会の手引書を用いての研究には何の抵抗も抱きませんでした。
半年程かかって聖書の基本的教理と言われるものを学び終えましたが、
まだその段階では、神に信仰を抱いていた訳ではありませんでした。
楽園、永遠の命、復活、そのほかの教理についてもまだまだピンとこず、
完全に受け入れていませんでした。
とにかく用意されている質問に対し、
書かれている内容から答えるのに精一杯でした。

 
494エホバの証人から:02/11/08 21:19
その頃に、研究司会者から集会に出席するよう勧められました。
どんな人達が学んでいるのか少し興味もありましたので、
出かけることになりました。
大変歓迎を受けたことや、大人・子供達の熱心に学ぶ姿を見て、
世の人々とは異なって映りました。

やがて夜の集会にも出かけるようになると、主人の反対が始まりました。
集会は定期的に出席する(最終的には週5時間)よう強く勧められていましたので、
反対にもめげず出かけていました。
そのうちに伝道にも出かけるようになりました。

伝道は私にとって挑戦でした。
見知らぬ人の家を訪問して会話することなど
到底できないと考えていましたが、
証人になるためには伝道ができなければなりません。

そんな中で次第にエホバの証人として形作られてゆき、
2年後の1974年の春にバプテスマを受け、エホバの証人となりました。
それ以来組織に村する確信も増し、
野外での伝道活動と集会中心の生活に変わっていきました。
というのも、絶えず演壇や出版物からそのことが強調されていたからです。
又、組織に徹底的に忠実であることも求められました。
それらが信仰のバロメーターになっていたのです。

 
495エホバの証人から:02/11/08 21:21
ですから、当然のこととして主人の反対も強くなりました。
理解をしていただくためにあらゆる努力を傾けましたが、
分かってもらえませんでした。
それでも信仰の面では妥協することはできませんでした。

次第に、夫婦の問の溝は深まり、深刻化してゆきました。
そんな中で、一番被害を被ったのは子供達でした。
父親と母親の問で板挟みになり、又、組織の高い要求や期待に応えるには
荷が重すぎ、やがて二人の子は十代になり、組織から離れてゆきました。

子供をエホバから離してしまった負い目や分裂家庭での子育て、
それに加えて、ある時にはパートに、病気の母の世話に、
との生活でしたから精神的にも肉体的にも限界を感じることがしばしばでした。
そんなときにも、エホバが私の信仰を強めて下さっているのだと思い、
奮起しました。

伝道し、研究生を見い出すことによって喜びを見いだし、
エホバが私の労苦に必ず報いて下さるとの期待もあって、
慰められ、又、自己満足していました。

 
496エホバの:02/11/08 21:23
1988年の初秋、ある兄弟から組織の矛盾やまちがいを指摘されたときには
大変な驚きでした。
唯一の神の組職と信じていましたから、
初めのうちは兄弟の方がサタンに惑わされてしまったと感じ、
とても悲しく恐ろしくさえありました。

それでも、今まで学んだ教えはどうなるのかと次から次へと疑問があふれ、
それらを討議してゆくうちに、
組職の教えが聖書の教えと違うことに気づきました。

そして決定的にその確信にいたったのは、
私が今までの教えを頭から除き、
素直に文字どおり聖書に書かれていることを読み通した時でした。
救いや信仰は、組織に従うことではなく、
イエス・キリストを信じることだったのです。

「この方以外には、誰によっても救いはありません。
世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、
どのような名も、人間には与えられていないからです。」
(使徒4章12節、使徒16章30節、31節。)

十数年問もの問、聖書を学んでいたはずなのに、
実際は組織の教えを学んでいたのです。
その教えを都合の良い聖句に当てはめていたのです。
文脈をまるで考えない、なんとおかしな聖書の学びだった事でしょう。
そのような学びは、決して、聖書を正しく読み取る事ができなかったわけです。


 
497二代目はノンクリスチャン ◆2.1aeQwNbs :02/11/08 21:27
>>496
だからあんたはエホ馬鹿の証人なんだよ!!!
498エホバの証人から:02/11/08 21:35
その時以来、聖書の言葉が素直に自分の心に入って来ました。
それで組織に対する信頼は完全に崩れ、組織を離れる決意ができ、
1988年の10月に断絶届けを出しました。

それで、組織を出てどこに行けば良いのか一抹の不安がありました。
今まで親しくしてきた友を失うことや過ぎた十数年を思う時、
複雑で言いようもない感情に襲われ、すっかり取り乱してしまいました。

そんななかで、聖書に根ざした教会があると聞かされ、
自分の目で確かめようとキリスト教会に足を踏み入れました。

教会はサタンの組織だと学んでいたので少し不安がありましたけれども、
行ってみると少しの違和感も感じられませんでした。

むしろ、心から歌われる賛美の声に感動し、安らぎさえ覚えました。
そして、次の聖日にイエス・キリストを自分の救い主として受け入れ、
信仰告白をしました。

 
499エホバの証人から:02/11/08 21:37
自分の罪深さや、イエス・キリストの十字架上での死と復活の重さ、
神の愛、あわれみを本当の意味で知ることができました。
この救いに価しない私に、神様は大いなる恵みを示して下さったのです。

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、
キリストが私たちのために死んで下さったことにより、
神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられす。」(ローマ5章8節、21節)

すでに救われ、罪赦され、神の子として迎えられ、
そして永遠の命さえいただいています。これが恵みでなくて何でしょう。

今では、反対していた主人も末の子も時々教会に足を運んでいます。
神はすべてのことを益として働かせて下さったのです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」          (ローマ8章28節)

今、この祝福をお与え下さった神様に心から感謝しています。
この小さき者の体験が、
一人でも多くの証人達の救いのために生かされることを祈ってやみません。

 
500エホバの証人から:02/11/08 21:40
今も多くの時間と多くの犠牲を払って
救いを獲得しようとしている証人の皆さんに、私は証しをしたいのです。
罪人である限り、どんなに立派なことや業を行っても
罪が赦されることはありません。罪の赦しは、業ではなくて信仰なのです。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
「私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い(あがない)、
すなわち罪の赦しを受けているのです。
これは神の豊かな恵みによることです。」
 (2コリント5章17節、エペソ1章7節、イザヤ59章1節、2節、
イザヤ64章6節、ローマ4章25節、21節、エペソ2章8節、9節、コロサイ1章14節)

そのために、イエス・キリストは十字架で死なれ
3日日によみがえられたのです。このお方こそ救い主です。
組織ではなくキリストに結び付くのです。
神は、今、あなたを招いておられます。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11章28節〜30節)
 
どうか、あなたがこの招きにお応え下さいますように。
今、私をすべての重荷から解放して下さり、
平安と望みをお与え下さった恵み深い神様に感謝します。
すべてのことが、神様の御栄光となりますように。アーメン。
    (西舞子バプテスト教会会員)大迫孝子さんの証から



501二代目はノンクリスチャン ◆2.1aeQwNbs :02/11/08 21:51
いつまで言ってんだよ!
エホ馬鹿の証人はこんな風にしつこいから嫌いだ!!!
502名無しさん@一周年:02/11/09 07:17
二代目はノンクリスチャン ◆2.1aeQwNbsさんに
祝福がありますように。
503名無しさん@1周年:02/11/09 10:49
>>502
汝呪うなかれ
504名無しさん@1周年:02/11/09 12:44
奴隷根性を捨てなさい。
505名無しさん@1周年:02/11/09 12:45
信じちゃえば奴隷でいることの幸せが味わえます W
506名無しさん@1周年:02/11/09 13:55
主の御心を行うものは、僕(しもべ)ではなく友とよばれる。
507名無しさん@1周年:02/11/09 14:00
御心を行ってますか。
508名無しさん@1周年:02/11/09 14:33
>>506
あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。(ローマ:6:22)
奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。(エペソ:6:5)
509名無しさん@1周年:02/11/09 14:36
聖なる生活の実を結んでいますか。
真心を込めて、肉による主人に従ってますか。
510名無しさん@1周年:02/11/09 14:40
ヨハネ15章15節

わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。
しもべは主人のすることを知らないからです。
わたしはあなたがたを友と呼びました。
なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。
511十字架の血潮:02/11/09 15:20
>>493-496>>498-500 および>>すべての証さんへ

書き込んで下さってありがとうございます。
主イエス・キリストの恵みが皆さんと共にありますように。
(PS:ここでは固有名詞は書き込まないほうがよいですよ。)

主イエス様、あなたは十字架の上で、私たちの為に苦しまれ、誤解され、恥を受け、
あざられ、罵られ、独り孤独に罪と死とサタンと戦い、これに打ち勝って下さいました。
イエス様、あなたは二代目はノンクリスチャン ◆2.1aeQwNbsさんの苦しみを
真に分かち合うことがおできになります。
あなたのくぎ打たれた手を差し伸べ、二代目はノンクリスチャン ◆2.1aeQwNbsさんの
心の傷を癒して下さい。天のお父様。この方を憐れみ、あなたのもとへ引き寄せて下さい。
宗教の霊からこの方を解放して下さい。イエス様の血潮で覆い、罪から来る霊的覆いを取り除けて下さい。
贖い主イエス様の御名によって祝福してお祈りいたします。アーメン。
512名無しさん@1周年:02/11/09 15:24
>>511
祈ったふりして呪ってる
513名無しさん@1周年:02/11/09 15:36
なんと名前を変えても、奴隷は奴隷ってことだな W
514名無しさん@1周年:02/11/09 15:37
自分のことを「十字架の血潮」と名乗るくらい不敬虔なことはない。
 僕の家庭は、幼い頃から両親、嫁姑の仲が悪く、僕は争いの中で育ちました。そのせいか
とても無口で臆病な子供でした。自分の気持ちを言う事が出来ず、いつもヘラヘラ笑ってご
まかしていましたので、みんなからはいい子いい子とかわいがられ、自分もその気で、自分は
かなり良い人間だと思っていました。しかし、そんな僕にも転機が訪れました。専門学校で
一年先輩の彼女が出来たのです。結婚するまでは性的な関係も持つのやめようねと、清純な
お付き合いを始めましたが、心の中では、関係を持つ事ばかり考えていました。それがある日
、はじけてしまったのです。それも他の女性と!
 そこから二股生活が始まりました。もちろん彼女にもすぐにバレ、その事からも清純な交際
をしていた彼女とも関係を持つようになり、泥沼状態でした。学校への不満も重なって、よく
暴れるようになりました。キレては物を壊し、先生に喧嘩を売り、彼女にも暴力を振るいました。
自分は良い人間であると言う神話はもろくも自分の中で崩れ去っていったのです。良くない事
だと知っていても止められない、湧き上がってくる怒りを押さえる事が出来ない!また、性的
な欲望も抑える事が出来ない!その頃から、救いを求めて新興宗教にはまりました。しかし
依然として、生活は変わらず、二人の女性を行ったり来たり。そして暴力的な生活。その内、
彼女が転勤で東京に移ったのを機に後を追って中退。東京での半同棲生活が始まりました。
憧れの同棲も心を満たしてはくれず、空しさは増すばかり、敗北感と罪責感で押し潰されそう
でした。ついにアルバイトも辞め、ミュージシャンへの夢もあきらめ、一人アパートを出、
実家に戻る事にしました。もし、生きて行く意義をここで見いだせないなら、僕は死ぬ!と
心に決めて部屋に閉じこもり、本ばかり読む生活を始めました。
 2ヶ月位たった頃でしょうか?三浦綾子さんの小説の中で、主人公が「私の罪の為にキリスト
は十字架にかかってくださった」と言っている言葉がやけに心に引っ掛かり、聖書を買い、
読み始めました。そこには僕の問題が書かれていてビックリしました。「殺してはならない」
と言われているが、腹を立てる事自体が殺人と同じだと。「姦淫してはならない」と言われて
いるが情欲を持って女を見る事はその女を犯したのと同じだと言うことをイエスは言っている
のです。心から納得しました。キレた時は殺人が出来るような状態である事。そして、状況
と環境さえ許せば女を犯すであろう事。僕はそんな心を持っていると納得しました。その
ように自分の欲に捕えられて自己中心の状態が聖書で罪なんだと知りました。そして、全て
の人はその罪のなわめの中にいると言う事を知りました。その罪からの救い主として、
イエスキリストがこの世に来られ、私達が本来受けるはずの罪の罰を十字架の死刑を通して
私達の代わりに受けられたのだと知りました。
 また、それだけでなく三日後にはよみ返り、今も生きていて、ご自身を信じる者の心の
中に入ってきてくださる。全ての人を愛しておられ、全ての人が自分を信じて本当の命を
得てほしいと、心のドアをたたいているんだと知りました。僕はこれだ!これが僕の必要
としているものだ!と分かりました。僕の全ての原因はこの罪のせいなんだと、自分が
罪人だと言うことを認め、悔い改めてイエスキリストを自分の罪からの救い主として受け
入れました。すると素晴らしい平安が心に訪れ、希望で満たされ、罪が赦された事がわか
りました。そして、イエスキリストが心に入って来てくださったんだとわかりました。
僕はこれからはこの方の為だけに生きて行こう!と新しくされた人生をささげました。
それからと言うもの次々と人生が変えられていきました。心から謝り、二人の女性とは
別れる事にしました。少しずつ酒も煙草も必要なくなりました。怒っても、抑えられる
ようになりました。たとえ、また罪を犯しても、赦してくださいと祈るなら、赦して
くださり新しい力をくださる。このイエスキリストに日々赦されつつ、少しずつ変え
られながら新しくされた人生を感謝しつつ歩んでいます。


あなたもキリストを信じてみませんか?
=信じるお祈り=
イエス様、わたしはあなたを必要としています。
わたしの罪のために十字架で死んでくださってありがとうございます。
わたしの罪を赦して下さい。どうぞ、私の心に入って来てください。
これからはあなたを信じてついていきます。導いて下さい。アーメン。

どうぞ、お気軽に、お近くの十字架の死と復活を正しく教えている
キリスト教会をお訪ね下さい。そして、
イエス・キリストのことについて話を聞いてみて下さい。あなたの
永遠のいのちを豊かに保ち、育むために、どうぞ毎週日曜は教会へ
お越し下さい。強制されることはありませんが、ぜひ、忠実に
続けられる事をお勧めします。信じた方は、天の国へ行けますが、
あなたが天の国へ行った時に、それが、どれほど、祝福され
重要な事であったかを知る事でしょう。他宗教・無宗教・無神論の方も、
気兼ねなく、どうぞお気軽にキリスト教会へお越し下さい。
519名無しさん@1周年:02/11/09 16:19
証しを書くなとは言わないよ。自由なんだからね。
でも、証しが2ちゃんでまともに扱われたことは、
漏れが知る限り過去に一度もないよ。
それから、証しが書き込まれるスレは、たいてい荒れる。
520夜破音 ◆U6tQlVmras :02/11/09 16:35
>515-518
ええ話やなぁ・・・
521名無しさん@1周年:02/11/09 16:47
>>519さんへ

忠告感謝します。しかし、兄弟。だったら貴方はあきらめるんですか?
一人の魂が救われる事以上に尊い事・重要な事は、この世にはありませんよ。
イエス様は、こんな私たちを救う為にご自分のいのちを捨てて下さいました。
>>301の言葉をあなたへ送ります。
主の豊かな祝福が、519さん、その他の兄弟姉妹へありますように。
聖霊充満となり、勇気をもって大胆に立ち上がり、イエス様を証しますように。
主の御名によって、アーメン。
522名無しさん@1周年:02/11/09 16:56
エゼキエル書24:27 その日に、あなたは逃れて来た者に向かって口を開いて語り、もはや黙しているな。
 あなたは彼らに対してしるしとなり、彼らはわたしが主であることを知るようになる。
マタイによる福音書28:19-20 19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。
 彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。
 わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
マルコによる福音書13:10  しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
マルコによる福音書16:15 それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
コリントの信徒への手紙一9:16  もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。
 そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。
(新改訳:コリント人への手紙第一9:16  というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。
 そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。
/口語訳:コリント人への第一の手紙9:16 わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。
 なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。)
テモテへの手紙二4:2  御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。
ペトロの手紙二3:12 神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。
 その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。
ヨハネの黙示録22:10 また、わたしにこう言った。「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。

   以上 新共同訳より
523クレソンの花(男性):02/11/10 11:40
敗戦後のベビーブーマーです。暗い時代に、さらに暗いことを考えていました。
人間は死んだらおしまいではないか。それなら総てが無駄ではないのか?と。
私がアイスクリームの補充のためにお使いにいったお店は、
魚屋からスーパーにまでした立志伝中の親父さんが経営していました。
そのだるまのように頭のはげたおじいさんが死ぬときに
「死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ・・・」と言い続けたと聞くと、
何と救いのない世界なのかと、更に心が暗く冷たくなりました。
こんな事もありました。裏通りの角に、その当時は極めて珍しい、
背も鼻も高い外人が、黒のキャソックを着て仁王立ちし、
「あなた方、滅びますよ!!」と叫んでいたのです。恐ろしくなって家に逃げ帰りました。

高校に入ってからは苦しい大学受験へと自らを追い込んでゆきました。
工学部を出た叔父は、当時名古屋におり、私は名古屋大学受験を目指しました。分子生物学の黎明期でした。
次々と明らかにされてゆく生命、人体の神秘に触れる科学を万能と考えていたのです。
科学は生命を解明することが出来る。何も不思議なことなどない。総ては物質の働きである。
そんな風に考え、ユートピアピアも科学によってもたらされるものと漠然とながら考えていました。

大学受験の一年まえに下見に来ないかと誘いをうけて名古屋へ出掛けました。
数日滞在したある日、皆が身支度を始め、「行くよ!」と言われて、
日曜日だからデパートにでも行くのだろうと思って付いて行った処がなんと教会でした。
大勢の人々、ことに婦人方が多かったのですが、礼拝をしていました。
それに触れて「あぁキリスト教は生きているんだなぁ」と思いました。
それまでキリスト教なる宗教があることは知っていました。
しかし礼拝が守られていることも、本気で信じられていることなど、
思ってみたこともありませんでした。
この科学万能の時代に宗教が…と、そんな時代だったのです。
礼拝後の紹介の時に叔父はしきりに私を制しましたが
私はそれを振り切って自分の名前を告げたのでした。何かそうせずにはおられなかったのです。

 
524クレソンの花(男性):02/11/10 11:47
名古屋から帰るとすぐ教会へ行くことにしました。
ところが優柔不断である私は教会の前まで行きながらなかなか中へ入ることが出来ません。
教会の前を二、三度行き来しながら入れず日曜日はついに帰ってきてしまいました。
そこで教会の看板をよく読んでみると夕方には晩祷があること、
木曜日の夜には聖書研究会があることを知り、夕方になって聖書研究会に出掛けて行きました。
真っ暗な聖堂の入り口に立って「こんばんわ」 「御免下さい」 と何度か声をかけると、
ようやく暗い中から人影が現れ、パチッと昔の古い型、先のとがった電球に灯が入り、
ニッコリ笑って「よくいらっしゃいましたさあどうぞ」 と言われたのでした。
今も親しい交わりにあり、祈って下さっている司祭との出会いでした。
          
それから勉強がはじまりました。人生の目的は何なのだろうか?と思っておりましたので、
説教、聖書研究会以上に、洗礼準備のための、体系的で、丁寧な教育がありがたかったと今でも思っています。
大略、次のような要旨であったと思います。

「神は愛です。神様は愛なのです。これが聖書の最も短い要約なのです。
神様の愛と人間の愛とは違います。人間の愛は善いもの、美しいものを愛する愛ですが、神様の愛は聖なる愛、罪人を愛する愛です。

罪とは犯罪のことだけではありません。犯罪を円で表すとしたら、その回りには、犯罪にはならなくとも、道徳的に問題となる罪があります。
では、道徳的に完全であればそれで良いのかというと、かならずしもそうではないのです。宗教的な罪があります。
たとえ、道徳的に問題がなかったとしても、神様の教えに従わなかった罪、背く罪があるのです。
私達は神様の言葉、戒め、律法を守ることが決して出来ません。
してはならないといわれるとしたがる、それが現実の人間です。

525クレソンの花(男性):02/11/10 11:56
そして罪は死をもってあがなわれなければなりません。血を流すこと無しに罪が許されることは無いからです。
しかし私達は死ぬことができません。ですから、生きている限り私達は罪のなかにいます。
たった一つの罪を犯しても私達は罪人なのです。そして自ら罪人である人間にはこの罪を取り除くことが決して出来ないのです。
ヘブライ語で罪という語には的外れという意味があります。神様を神様としない自己中心、自分が第一、それが罪なのです。

そこで神様はこの私達を救う道を備えて下さいました。それも預言、約束の言葉の成就という明らかで真実な方法によって。
みせしめのために絶え間の無い激痛を出来るだけ長引かせて殺すローマ人の考えた最も残酷な死刑である十字架刑によって、
自ら罪無くして私達の罪をあがなう犠牲の供え物となられたイエス様を信じる者は、
自らの行いの義によることなく、恵みによって罪許され、洗礼によって神の子とされるのです。

神様と私達の間のこの新しい関係、契約は決して対等のものではなく、神様の恵みによるものです。
我々にできることは、この恵みに応えて生きること、神様の栄光をあらわすことにあるのです。
新約聖書の約はこの契約の約であって新しく翻訳されたという意味の訳ではないのです。
神様は真実な方です。この真実ということをアーメンというのです。」

十戒の勉強もしました。「汝、姦淫するなかれ。」の説明の中で、
「心に情欲をいだいて女を見る者は、すでに姦淫をしたのである。」
というイエス・キリスト様の言葉が引用され、聞いているうちに恐ろしくなって、
とても私には出来そうにないことと思え、「私には出来ません。」と言いましたところ、
「そうです。ですから、祈祷書には神の助けによりて我これを努むと書いてあるでしょう。」と言われ、すこしホッとしました。

526クレソンの花(男性):02/11/10 11:57
主の祈り「天におられる私たちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。
み心が天に行われるとおり、地にも行われますように…」の勉強では、黙想について初めて聞くことが出来ました。
天という一字を黙想するだけで修道士の一時間の黙想に充分であると聞いてびっくりしたことでした。

私の的外れの質問にも、理路整然と答えて下さいました。そして私の最終的な質問は、クリスチャンの苦しみについてでした。
「クリスチャンであることによって苦しみが来るのではどうも?」という問いに対して
「苦しみはこの世の人々に対してもあるのですよ!」という答えにギャフンとなったことを覚えています。
若くしてシベリア抑留を経験された方の言葉には、反論を許さない力強さがありました。

家で分からないながらに新約聖書を読み始めました。ふとんの中で、
福音書に比べてまだしも馬鹿げていない(何という罰当たりな言い方か)使徒書を通読したり、
パッと開いた箇所で迷いを開こうとしたり。
ある晩はローマの信徒への手紙五章八節が急に自分のこととして分かったりもしました。
「しかし、まだ罪人であった時、私達のためにキリストが死んで下さったことによって、神は私達に対する愛を示されたのである。」

私がまだ罪人であった時、既に私は愛されている。それなら私は大丈夫なのだ。
罪は他の人のことではない。私の日常の現実なのだ。私は、善い者、美しい者のみが愛されるものと思っていました。
神の愛はそうではない、とは聞かされていても、まさか、この私が神様に愛されているなどとは夢にも思えないことでした。
暗闇の中で天井を見上げていると、次から次へと熱い喜びの涙があふれ、耳の中に入ってゆくので、
中耳炎になったらどうしようなどと、変な心配までしたことでした。
そんな私が、これ以上の方が居られたら教えて欲しいと思う十字架上のイエス様に出会えたのです。
「我が神、我が神、なんぞ我を見捨てたまいしや」。私が神様に見捨てられても、なんの不思議もありませんが、
唯一見捨てられるはずのない神の御子が私にかわって見捨てられたことを、
これ以上ないほど、はっきりと示して下さる御言葉でした。
527名無しさん@1周年:02/11/10 19:03
キリスト教徒って・・・・プッ
528名無しさん@1周年:02/11/10 19:05
長いレスにキリスト教徒の俺もひいた。
529名無しさん@1周年:02/11/10 21:23
マリヤ崇敬反対者のスレッドだ!
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1034334812
530名無しさん@一周年:02/11/11 07:40
>528
申し訳ありません。
長いのは、昔から、文章を書くのが好きなためです。
言い訳になりますが、本文の二十分の一にすぎません(笑)。

528さんのお証をお聞きしたい。

皆様に祝福がありますように。
531名無しさん@1周年:02/11/11 08:28
おらが、行く当てもなく、ぼーっとすがしでだら、「来なさい」ってーいわれたー。
なんだべ?どおもってだら、イエスさまだったんだなー。
532名無しさん@1周年:02/11/11 19:31
感謝アゲ
533名無しさん@1周年:02/11/12 11:48
それにしてもクリスチャンって語りたがる人
多いよねぇ。

つきあいきれねぇ。
534賛美する喜び:02/11/12 17:46
 私は16才、教会生活も16年。ということは私は0才の時から教会に行っています。と言うか覚えて
いないので行っていたらしいです。母がクリスチャンで、初めは諏訪から毎週、伊那の教会まで4年間
通いました。それから飯田に来て飯田教会に12年も行っていることになります。この12年間のことで
覚えていることを書かせていただきます。
 小さい頃は教会に行き、ときには夏季学校などもあり楽しくやっていました。小学校もすぎ、中学生
となると私の心に神様の存在が何かわかってきました。プレ賛美は桜井さんのギター伴奏でやって
いましたが、中1のときにシャインズというバンドが誕生しました。小中学生が集まりみんな音楽が好き
で練習を重ねどんどんうまくなっていきました。そして、神様の栄光を本当に輝きながら賛美できるよう
になってきました。最初は5、6人でやっていましたが、今では15人近くまで増えようとしています。本当
にうれしく神様に感謝します。新しく来られた石原先生や私の父が中心となって指導してくれて、こ
のように人前でも賛美ができるようになりました。ちなみに私の父はクリスチャンではないのに、熱心に
私たちのために教えてくれます。とても嬉しいことです。そしてこのクリスマスコンサートには毎年出さ
せていただきCDデビューを目標に、思いっきりイエス様の御名を賛美していきたいと思っています。
 
535賛美する喜び:02/11/12 17:46
中学2年生でなんと受洗をすることができました。すべての罪を悔い改め神様に一生従い通すと
誓いました。このときは聖霊がすごい勢いで私の中に注がれました。その結果大きく変わったことが
ありました。1つは人の悪口を言わなくなり、妹もいじめなくなったことです。それまでは人の悪口をど
んどん言い、妹をいじめたり、ときには物を造んだこともありました。しかし受洗したら造むことはもちろん、
今までの自分が1800変わったのが自分でも分かはした。もう1つは聖書を読んで祈り、神様の御言
葉を聞いて従う「デイボーション」を毎日続けてできるようになったことです。それまでは怠け癖があっ
たけれど、受洗してからほぼ毎日やり、今では毎日やらなきゃ寝られないくらいまでになりました。そし
て問題が起こっても神様にお祈りして、聖書の御言葉によって力をいただき、喜びを持って生活でき
るようになりました。なんという恵なのでしょう。ハレルヤ!主をほめたたえ、これからも神様の道をまっ
すぐ進んでいきます。
「罪から来る報酬は死です。しかし、神様の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠の
命です。」ローマ6章23節
536十字架の血潮:02/11/12 19:37
>>523-526クレソンの花(男性)
>>534-535賛美する喜び

他、証を書き込んで下さった兄弟姉妹、これらの証を読んで下さった皆さんに
主の祝福が豊かにありますように!
537名無しさん@1周年:02/11/13 17:03
kitai age
538新しい人生が始まる:02/11/13 20:18
 新しく生まれ変わることができたらなぁとか、「人生をもう一度やり直すことができたらなぁ」などと、
一度二度思ってみたことのある人は少なくないでしょう。「よし、今度こそは再出発だ」などと何回か繰り
返して、「やっぱりダメだ」と挫折した覚えのある人も、けっこう多いのではないでしょうか。こういう私
にもその経験は十分すぎるほどあります。
 そんな私たちに、希望を与えてくれる次のような聖書の言葉があります。「だれでもキリストを信じるな
ら、その人の心は全く新しく変えられる。もはやそれまでと同じ人生ではなく、この新しい人生が始まった
のである。この新しい出発は、神がしてくださったのである」(現代人の聖書より)
 いかがでしょう。今までと同じ人生ではなく、新しい出発も夢ではないのです。新しい人生や新しい出発
は、私たち自身の決心やがんばりでは、どうしてもできないということを、私たちは今までいやというほど
経験してきました。ですから、新しい出発は神がしてくださることなのだと聖書はいっているのです。
ここで、ひとりの方の本当にあった話を紹介してみましょう。
539新しい人生が始まる:02/11/13 20:19
 自分のやることなすこと、何もかもうまくいかないところから、自暴自棄になって身を持ち崩し、とうと
う自分自身にも愛想を尽かして、死のうと決心したひとりの青年がいました。彼は服毒自殺を図ろうとして
、ある旅館に宿をとり、その一室で遺言をしたためました。その中に「今夜十二時を期してこの世にいとま
を告げます」と記したのです。手元の時計を見ると十二時二十分前でした。「まだ二十分あるな」と思いな
がら、今までのことをいろいろと考えているうちに、極度の緊張が続いていたせいでしょうか、そこにうつ
伏せになったまま寝込んでしまいました。だいぶ時がたったと思われるころ、ハッと目を覚まし、「そうだ
オレは死ぬんだっけ」と気を取り直して時計を見ると、なんと、まだ十二時二十分前を指したままです。「
あれっ、確かさっきも二十分前だったはずだけど」。時計を耳に当ててみる。音がしない。振ってみた。針
は動かない。「なあんだ。この時計、壊れてる」。そしてこの青年はこうつぶやいたのです。「しょうがな
いなぁ。時計屋へ持っていって直さなきゃ」。
540新しい人生が始まる:02/11/13 20:20
 しばらくして、彼にふと、こんな考えが浮かんできました。「待てよ。時計が壊れたら時計屋へ持ってい
ば直る。もし車が壊れたら車屋だ。少なくともそれを作っているところへ持っていけば直る。このオレはい
ったいどこへ持っていけば直るんだろう。オレの造り主って誰なんだろう。それがわかれば、このオレでも
何とかなるんじゃないのかな」。それでこの青年は、「遺書も用意したし、死ぬのはいつでも死ねる。オレ
の造り主とやらを探してみてからでも遅くはない」と死ぬのを延期して、「オレの造り主やーい」とばかり
に探し始めたのです。多くの本をあさり、宗教家を何人か訪ねたりもしましたが得られず、ついに彼はキリ
スト教の教会の門をたたいたのでした。そして聞いたのは、「天地を創造された神があなたの造り主だ。だ
から、その神はあなたをも造り変えることができる。そのために神は、ご自分の独り子のキリストを遣わし
、そのみ子が私たちの罪の身代わりとして十字架に死んでくださった。そのみ子を信じるなら、すべての罪
や過ちを赦してもらうことができる。それだけではなく、このみ子キリストは死よりよみがえってくださっ
た方だから、あなたの人生をもよみがえらせることができる」という話でした。
541新しい人生が始まる:02/11/13 20:21
 この青年は、「だれでもキリストを信じるなら、その人の心は全く新しく変えられる」という神の約束の
ことばを信頼し、その教会の牧師と共に祈り、そして新しい人生のスタートをきることができたのです。や
がてこの青年は牧師になり、「この私を造り変えてくださった神は、あなたをも造り変えることができる方
です」と伝える人となったのです。まさに「もはやそれまでと同じ人生ではなく、この新しい人生が始まっ
たのである。この新しい出発は、神がしてくださったのである」と聖書に書かれているとおりではありませ
んか。
 ちょっと話は飛躍しますが、「桃栗三年柿八年」ということばがあります。桃や栗は三年で実がなり、す
ぐに食べられますが、柿は八年もかかってやっと実がなっても、渋くて食べられません。「渋柿や丸八年の
恩知らず」という句があるそうですが、この渋柿に甘い実を実らせるにはどうしたらよいのでしょうか。ど
んな肥料をやっても、日当たりのいいところへ植え替えても、それによっては甘くはならないことはご存知
のとおりです。方法はただひとつ。渋柿の木をバッサリ切って、そこに甘柿の木を接ぐほかありません。す
るとなぜか内側から変えられて、見事に甘い実を結ぶようになります。
542新しい人生が始まる:02/11/13 20:21
 人間も新しい、甘い実を結ぶように変えられるのに、方法はやはりひとつしかないのです。どんなに環境
を変え、教育などの手入れをしてみても、渋柿は渋柿、その本質が変わるものではありません。ちょうど、
渋柿が甘柿の木に接ぎ木されるように、人間もキリストのいのちに接がれるほかはないのです。キリストの
十字架の傷口に、私たちの悔い改める心が結び付けられるとき、キリストの十字架の愛とよみがえりのいの
ちの力は、内から働き始め、全く新しい実を結ぶ、新しい人生へと出発させてくださるのです。
 いかがでしょう。あなたも「人生をやり直したい」と思いでしたら、造り主なる神、そして救い主である
キリストによって、新しい人生をやり直してみてください。
543名無しさん@1周年:02/11/13 20:29
>>542
>キリストによって、新しい人生をやり直してみてください。

それが出来るぐらいなら、みんな教会に逝ってるよ。
出来ないから教会に閑古鳥が鳴いているじゃないか。
544名無しさん@1周年:02/11/14 19:20
>>543さんにお尋ねしますが、あなたはイエス様が力ある方だと信じてらっしゃいますか?

日本のキリスト教界は何やってんだ。
信じてないから出来ないんだよ。
俺達のイエス様には出来るんだよ。

>それが出来るぐらいなら、みんな教会に逝ってるよ。
>出来ないから教会に閑古鳥が鳴いているじゃないか。

それが出来ることを日本のクリスチャンが証してないから、だろうが。
イエス・キリスト様には出来ないことなどない!
どこまで、ここのクリスチャンは不信仰かつ否定的なんだ!悔しくないのかよ。
命をすててまで救って下さったイエス様に対して、申し訳ない、恥ずかしいとは思わないのか!!!!
545名無しさん@1周年:02/11/15 09:25
またーり またーり
聖書を読むと、人間は神の道に生きて天国へいくか、神様を知らない人生を過ごし、罪と悪の
奴隷となって、最終的には地獄に行くか、二つに一つだと書かれています。

私は、幼いときには家族に無理やり教会に連れていかれていましたが、思春期を迎えると悪い
連中と遊び出し、高校生になると暴走族に入って、シンナーを吸い、町で女の子をひっかけた
り、敵対する暴走族とけんかをするというような人間になっていきました。やがて高校も中退
し、何度も警察のお世話になり、とうとう鑑別所へ入れられたわけですが、保護観察処分になっ
てしゃばに出ると、すぐにまた同じことを繰り返すわけです。

暴走族から組員へ
そうこうしているうちに、以前の暴走族仲間から「やくざになったら金もうかって、ええ暮ら
しできる。」と言われて、やくざの世界に入ってしまいました。十八歳のときです。やくざの組
織の力をかりて金もうけをし、女房、子供には生活費だけ入れて、自分の快楽のためにお金を使
いまくり、自分の力で何でもできると思っていたわけです。
奴隷状態の生活
しかし、私の家族は、祖母とおやじが熱心なクリスチャンで、私がヤクザをやめるように日夜
祈り続けてくれました。そして神様は、この高ぶった人間をへりくだらせるために、これでも
か、これでもかと試練に遭わせたわけです。ばくちで負けが込んでいく。恐喝に行っても全然お
金がとれない。一週間に一度回ってくる手形を落とすために死ぬほどの戦いが続きました。なぜ
こんなに歯車が合わないのかと、占いにも走りました。拝み屋さんにも拝んでもらいました。し
かし、そんなものは何の役にも立たなかったわけです。あげくの果てに、乳飲み子から小学生三
人の子どもをカトリックの施設に預けて、夫婦がヤクザの世界で奴隷の状態で生活をしなければ
ならなかったわけです。

もうここから抜け出そうということで、二十八歳のときにヤクザをやめて、東京へ行ったので
すが、背中には百万円かけた入れ墨があり、借金の件で指を詰めていたので、こんな人間をだれ
が雇ってくれねんという気持ちがあって、なかなかまじめに働くことができず、むなしさをごま
かすために覚醒剤を打ち続け、、ばくちをしながら生活をしていました。
死の恐怖の中で
ある日、子どもがパンダを見たいというので上野公園へ行くと、キリスト教会の人たちがギタ
ー片手に神様の話をしていました。私は、この人たちは何と平安で喜びいっぱいの顔か、それに
比べておれの人生は一体何か、神様もこんな罪人は相手にしてくれへんやろなと思いました。

その晩、覚醒剤を打ち過ぎて、意識がもうろうとなり、頭の中と目の奥で血管が切れる音がし
て、死の恐怖に駆られ、苦しい時の神頼みで、「神様、私は今、覚醒剤で人生を終えようとして
おります。このようなぶざまな死に方を許してください。女房、子どもをよろしくお願いしま
す」と祈りました。

その祈りをささげ終わってしばらくすると、覚醒剤の症状がすうっと消えていきました。その
瞬間、「これはただの薬の症状や、神様みたいなんおれへん」と、神様のことを忘れてしまった
わけです。
それからまた薬を打ち続けて、心臓発作で倒れ、救急車で病院に運ばれて、薬をもらって家に
帰ったとき、何げなくテレビをつけて、チャンネルを回していると、イエス様が十字架をかつい
で坂道を歩いておられるシーンが出てきました。それを見た瞬間、私は神様に対してものすごい
恐れを感じました。

働く喜び実感
それから、私は覚醒剤を全部捨て、ばくちも一切やめてまじめになると神様に誓い、女房、子
どもにも言って、焼肉屋のマスターになるというビジョンを持って、皿洗いから仕事を始めまし
た。初めてもらった給料は十八万円でしたが、二十八歳にしてようやく働くことの喜びを味わう
ことができたわけです。

そのことを親に伝えると、祈りが聞かれたと喜んでくれましたが、それから数日後に、おやじ
が病で倒れたという連絡が入りました。医者からもさじを投げられて、私は、神様なんかおるも
んか、いたらおやじの命ぐらい救ってくれるわと神をのろったわけです。そして、坊さんを呼ん
できて、朝から晩までお経を唱えてもらいましたが、そこには何の解決もありませんでした。
こんな罪人でも!
絶望の中で、おじが私を教会に連れていってくれまいした。扉をあけると、前に十字架があり
ました。それを見た瞬間、イエス様が私の罪のために死んでくださったということを思い出し
て、「神様、こんな罪人でも赦されるのですか。あなたの救いを体験したいのです。この悲惨な
人生から解放してください。」と祈りました。牧師先生は「イエス様は皆さんの罪を全部背負っ
て十字架で死に、三日目に死からよみがえって、今も生きておられます。イエス様を信じたら、
あなたは救われます。と言われました。

私はその日に「イエス様、あなたを信じます。心の中に受け入れます。」と告白し、家族全部
がこれから教会生活をしようと誓い合ってクリスチャンになったわけです。それを見届けるかの
ように、おやじは天国へ帰っていきました。

私のような悪党でなくても、皆さんも罪人なのです。というのは、初めの人アダムが罪を犯し
たゆえに、全人類に罪が入ったと聖書は述べています。その罪から解放されるために、心を開い
てイエス・キリストをお迎えください。「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物
は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
(ローマ人への手紙6章23節)
551名無しさん@1周年:02/11/16 15:00
age
552名無しさん@1周年:02/11/16 15:01
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--------------------------------------------------------
553名無しさん@1周年:02/11/16 15:10
natto.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1037197339/
554夜破音 ◆U6tQlVmras :02/11/16 15:16
  __
  J_†_|  
   (,,゚Д゚) 
  ハ ̄ ̄`つ 宗教板見て、イエスを信じたという人っている?
  し ╋| いたら、尊敬するけど(w
   |___|
   ∪ ∪
555名無しさん@1周年:02/11/18 20:04
>>554 いるよ。俺見たことあるよ。詳しくは書かないけど。あるスレッドで信じて救われたよ。
 感動的だったね。されいげないものだったけど。天の歴史では偉大な一ページが記されたと思う。
 中学時代から、ひどいいじめに遭っていた私は、両親が離婚して家庭崩壊の悲しみを味わい、心の休み場を求
めて教会に行き、救い主に12歳で出会いました。18歳の時、母親が事件に巻き込まれて殺害されるという思
いがけない悲劇が起こりました。しかしその試練や悲しみに遭ったことにも深い意味があったのだと、わかるよ
うになりました。

 中学1年の夏、両親が離婚し、私と弟は母に引き取られ、新しい生活が始まりました。転校した学校では陰湿
ないじめがあり、いじめられている人を助けたため、私もいじめられるようになりました。母は女手一つで二人
の子供を育てるのに大変でしたので、よくヒステリーを起こしました。学校でも家でも気の休まる場所はなく、
私は毎日のように、心の中でだれかに助けを叫び求めていました。そうした中で、私は近所に教会を見つけ、母
には内緒で、ある日曜の朝、思い切って教会に行きました。それから毎週、教会に通うようになりました。12
歳の時のことでした。教会学校で、「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」(ヘブル13:5)
という神様の慰めのことばに出会ったのでした。そして私の罪のために、罪のないイエス様が十字架にかかり、
血を流すほどまでに私を愛してくださっていることを知りました。私は自分がすごく良い子だと思っていました。
両親が離婚した後、頼りない母と弟は私が面倒を見なければと思っていました。自分のことより他人のことを気
にし、助けてあげたいと思う女の子でした。
 けれども「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。もし私が自
分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪で
す」(ローマ7:19-20)という聖書のことばは、私自身のことでもありました。三浦綾子さんの小説「氷点」を
読んだ時、まじめな主人公陽子が、自分の罪に気づくところを読み、ああ、これは私だと思いました。私はイエ
ス様の十字架の血潮により、私のすべての罪が赦されることを信じ、心から感謝しました。私は中学、高校の六
年間も、学校では激しいいじめに遭いました。不良にからまれていた同級生を助けようとしたことから、集団リ
ンチを受けたこともありました。その時は体育館の裏で二十人以上の人たちに囲まれて殴られ、蹴飛ばされ、つ
ばを吐きかけられました。私はその時、人々からあざけられ、暴力を振るわれ、十字架にまでかけられたイエス
・キリストのお姿を思い出していました。私の心は悲しみでいっぱいでした。

 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と、イ
エス様は祈られたのです。私はイエス様のように人を赦したいと思いました。どんなにいじめられても悪口を言
われても、いじめる人たちに笑顔を返すようにしました。そしてこう祈るようになったのです。「神様、どうか、
この人たちをお赦しください。この人たちは寂しさや人から理解されない憤り、さまざまな悩みを抱えて、どの
ようにそのエネルギーを発散したらよいのかわからないのです。この人たちは私を痛めつけていますが、実は、
自分自身の心をぶつけているのかもしれません。この人たちは、神様のことも、罪のことも、救いのことも知り
ません。どうかあわれんでください」私はこの六年間、不思議にも、学校を一日も休みませんでした。神様がい
つも私とともにいてくださることがわかった時以来、つらいことや悲しいことから逃げ出さなくなったのです。
私は十六歳でイエス様についていこうと決心し、洗礼を受けました。そして十七歳の時に、後に私のライフワー
クとなる出来事に出会ったのでした。それは聖書の世界であり、イエス・キリストがお生まれになったあのイス
ラエルに強く心を引かれていったのです。高校を卒業し、就職した十八歳の時に、小学校時代の親友が、十一階
建てのビルの屋上から飛び降り自殺をしたのです。互いに大きくなったら会うことを夢見て、いつも心に掛かっ
ていた親友でした。
 悲劇はされに続きました。当時、私と弟は母と生活していました。その母がストーカーに追われるようになっ
たのです。母はわりと美人で、性格も明るく、周りの人々にも好かれるタイプの人でした。その母を変質者がね
らい、後を追いまわすようになったのです。それだけでなく家に嫌がらせの電話を五十回以上もかけ、家の前で
待ち伏せしたりしました。母は警察に通報し、その男性を何日間か拘留場に入れてもらいましたが、逆にそのこ
とが変質者を怒らせ、警察から釈放されると、母を待ち伏せして、誘拐・監禁して、ついに絞殺してしまったの
です。犯人は恐ろしい残忍な手口で母を絞殺し、それだけでなく私が妹のようにかわいがっていた愛犬までも生
き埋めにしてしまったのです。母は享年四十七歳でした。このとこは、あまりにも私には残酷なものでした。

 人のいのちは、なんとはかないものでしょうか。何も考えられなくなった私の足は、いつしか遊園地に向かっ
ていました。母と一緒に乗ったことのある観覧車に、呆然とした思いで身をゆだねている時のことでした。いち
ばん高い所に来た時、眼下にぱーっと風景が広がったのです。その時でした。神様はすべてをご存知なのだ、と
いう思いがやってきました。地上に小さくうごめいている人々。そのすべての人が罪人。でも神様は、そんなち
っぽけな罪深い一人ひとりを愛しておられる。私はその時、母を失った悲しみと同時に、赦せないと思っていた
犯人をかわいそうに思うようになりました。私は、数々の試練や悲劇を通して、人間の無力さ、弱さを知りまし
た。そして、このような体験の中で、自分で生きているのではなく、天地を創造された神様の愛によって造られ
、恵みにより生かされていることを知りました。
私は今、ユダヤ人に、イエス様による救いをお伝えしています。今もイスラエル・パレスチナ紛争の
悲しいニュースを見聞きしながら、「ユダヤ人もアラブ人も、またすべての人が救われるよう。イエ
ス様にある真の平和が、イスラエルにもアラブにも、全世界に来ますように」と祈っています。
561wise:02/11/18 20:20

話が長いですね。
まとめて書いてください。

562名無しさん@1周年:02/11/18 20:22
読んでる人がいるんだから、このままでいいよ。
563名無しさん@1周年:02/11/18 20:22
>>555 されいげない

訂正→さりげないものだったけど。
564名無しさん@1周年:02/11/18 20:24
あ、wise さんだ (w
この頃ちょっと常駐ぎみですか?
565名無しさん@1周年:02/11/18 20:28
>552
荒らすんじゃないよ。こんないいスレを。良識ないな。

>>546-550 ヤクザすらも救ってくださる主に栄光あれ。何度読んでもいいね。
>>556-560 主の祝福があふれますように。お母さんも主が憐れみによって救ってくださいますように。
566名無しさん@1周年:02/11/18 20:43
素敵な証をありがとう。
主の祝福と恵みがますますあなたに溢れ
ますように。”試練の中を通って金になる”
567夜破音 ◆U6tQlVmras :02/11/18 22:48
>555
へー、いるんだ。ありがとう。
568名無しさん@1周年:02/11/19 21:00
>>321 このスレの主旨   >>371クリスチャンへの励まし  >>371このスレを祝福する祈り
>>416今までの証をまとめてみましたPart.1  >>417今までの証をまとめてみましたPart.2

今までの証をまとめてみましたPart.3
>>410-411 詩「足跡」By M.F.パワーズ   >>86 元アンチ・クリだったけどある時聖書が迫ってきた
>>250 天使グッズの収集がきっかけで信じたんだよー 
>>253>>255-256 救われた後、どうしたらいいか分からなくなって、プロからカトヘ
>>262 元仏教徒「イエスのことばのみ真理を語っている事実であると言い切れる」
>>273 聖書を読んで、「真理だ」と思って信じた     >>382 真理を求めていて信じました
>>396 牧師が祈って下さっていたから   
>>421 姉妹スレ『ねえ「救いの証」、書いてみてよ・・・』アドレス
>>422 「救われていない人の証」   >>423 好きな女の子がきっかけで
>>424 親友を拒否して・・・    >>425 信じたらオナニーから解放された
>>426 イエス様を受け入れた時の感じ・・・おぼれていて、抜け出せた・・・
569通りがかり:02/11/20 08:46
水さすようで悪いんだけど。
宗教にとって「証」は大切なものとは思うけど、一番大切なものではないよ。
「証」は感動を伴うけど、日常はそんな感動の連続じゃない。むしろ、日常に感動
が乏しいから、たまにそういう体験をすると感動するんだよ。

大部分の人間は、「証」を体験した感動を短時間で忘れてしまう。そして、また元
の日常へ戻っていく。本当の宗教体験とは、その後の日常が元からいくぶんでも
変わるということだと思う。もちろん、「証」の感動がそのまま続くというのでは
なくて、日常の生き方が、前の「当たり前」から別の「当たり前」に変わるという
形で。

本当に仁慈を実践する人なら、最初に善行を施したときの感動はすぐに薄れて、や
がてそれが「当たり前」になることを知っている。その「当たり前」こそが「証」
よりも数百倍尊い。「証」にこだわる人の多くは、結局元の日常に埋没してしま
ったため、昔の感動をなつかしんでいるだけでしょう。本当に「証」の恩恵を受けた
人は、新しい「当たり前」の自分に忠実に生きるのみで、無用な昔話などしない
ものです。
570名無しさん@一周年:02/11/20 09:16
>本当に「証」の恩恵を受けた人は、
新しい「当たり前」の自分に忠実に生きるのみで、
無用な昔話などしないものです。

2チャンネルも便所の落書きから、このような高尚なことを
書き込む方がおられるようになって、進化が著しい。
祝福がありますように。


571名無しさん@1周年:02/11/20 15:15
>>569 たぶん、お読みにならずにおっしゃっていると思うのですが、

>本当に仁慈を実践する人なら、最初に善行を施したときの感動はすぐに薄れて、や
>がてそれが「当たり前」になることを知っている。

キリスト教の「証し」というのは、「施したこと」には一切関知しないのですよ。
自分が一方的に「受けた」ことを述べるだけです。

一方的に受けた恵みや感動とか悦びは、忘れるものではありませんね。
心に残り、刻まれ、共有するように、人間は造られていると思います。
572名無しさん@1周年:02/11/20 15:33
生まれて成長し暫くして信仰を持つような人がいるが、一方で生まれて物心ついた時、いきなり宗教的環境があってその中で成長した人は違う。
だからたんにこの板にあるような「信じるのはバカ」等と言うことは的を得ない事が有得る。
573通りがかり:02/11/20 20:09
>>571

つまりですね、「あの時、自分は恵みを受けた」というのではあまり意味がないと
いうことを言いたいのです。「あの時」でなくて「只今も」でないと。
いくら受けても、それを拒否することはできる。食べ物を食べた後に吐けば、それ
は血肉にならない。神から受けるものも同じでしょう。「あの時、自分は神から
食べ物を受け、それは実に甘味であった」。しかし、それが今の自分の血肉になって
いるかどうかは別だと思います。

「証し」は、その人にとっての「新しい自分」のスタートラインにすぎず、他人から
問われてみれば、確かに「あの時、ああいう感動的なことがあった」、そしてそれが
きっかけになったのだなあ、と記憶を辿るようなものではないでしょうか。「証し」
だけがいつまでも記憶を占領しているのは、その後に特筆すべき変化がなかった証拠
です。

「新婚時代は本当に幸せだった」と日頃から考えている人は、実は「只今」の結婚
生活は不幸でしかたがなく、過去に生きるしか手がない人です。
574565:02/11/20 20:11
>>565です。

ルカ 6:31 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
ルカ 6:32 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。
ルカ 6:33 また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。
ルカ 6:34 返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。
ルカ 6:35 しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。
 いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
ルカ 6:36 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

マタイ 5:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

↑以上の御言葉が、神様によって示されたので、悔い改めます。
私は接する態度をその人の行いに応じて変えました。主よ、赦して下さい。
イエス様の御名によって、552を書き込んだ方を赦します。552さんを祝福します。
主よ。どうぞ552さんを憐れみ、イエス様を信じ受け入れて生まれ変わるように祝福して下さい。
イエス様の御名によって、お祈りします。アーメン。
575十字架の血潮:02/11/20 20:49
 >>321 このスレの主旨   >>371 クリスチャンへの励まし  >>371 このスレを祝福する祈り
 >>416 今までの証をまとめてみましたPart.1  >>417 今までの証をまとめてみましたPart.2
 >>568 今までの証をまとめてみましたPart.3  >>396 敵意を持ってこのスレッドを荒そうと思っておられる方へ
今までの証をまとめてみましたPart.4
 >>427 信じて考え方が変わった@    >>428 信じて考え方が変わったA
 >>430-437 元チーマーの救いの証「聖書的なクリスチャンのオーナーに出会って」
 >>455 小学生低学年の児童の証   >>456 神主の息子―迫害の中で―
 >>457 天使を本当に見て信じました >>462 聖書を読み始めたら、自分が好きになった
 >>472-476 電車に身を投げて・・  >>483-488 中3の娘を叩いた父親(和解)
576十字架の血潮:02/11/20 20:50
今までの証をまとめてみましたPart.5
 >>492 小学2年生の証   >>493-496>>498-500 元エホバの証人だったがイエス様に出会って
 >>515-518 姦淫の罪を犯してしまった僕がクリスチャンになったわけ
 >>523-526 クレソンの花(男性)の証   >>534-535 16歳の証・・・賛美する喜び
 >>538-542 新しい人生を手にした青年の話 >>546-550 元ヤクザ、でも今は牧師となって
 >>556-560 母親が殺害された・・・けど・・・

 >>470-471>>488 クリスチャンになる(信じ受け入れる)祈り   >>466 信じたい方、信仰を求めていらっしゃる方へ
 >>378 自分の力で信じるのだと思っておられる方へ 
577555:02/11/20 20:59
>567 :夜破音 ◆U6tQlVmras さんへ

どういたしまして。
どんな所にでも、創造主(かみさま)は働いておられるんだなぁと思いました。
励まされますね。2ちゃんねるの住人も神様は見捨ててはおられないんだなって思います。
578わが人生の変革:02/11/21 20:48
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」使徒言行録16章31章
 私は、昭和14年、横浜の泉町で生まれました。正確に言えば、生まれたとされています。私は自分がどこで
生まれ、母親がだれなのか未だに知らないのです。父が死んだ後、母から初めて「お前は、お父さんが道楽のす
え、ある女の人に生ませた子で、生後間もなく、私が引き取って育てたんだよ」と聞かされました。母は、父の
道楽によって生まれた私を、憎いとも思わず、ふびんにさえ思って引き取り、育ててくれたのです。出生の秘密
を知ってしばらくしてから、聖書の御言葉を読んでいた時、涙が出てしかたがありませんでした。それは、この
ような私をも見捨てることなく、愛しぬいて下さる神の愛を知ったからです。
 父は、日中は実直な紳士ですが、夜は狼のようでした。帰宅は常に深夜でしたが、乱暴を働かない日は一日も
なかったと言っていいでしょう。極度の酒乱で、酔いが回ると、人が変わってしまうのです。ある時、黒壇のテ
―ブルを母に投げつけ、バラバラになった黒壇の棒で、母の脳天を強打したのです。悲鳴をあげ、頭から血をふ
き出しながら、転げ回る母を見て、「父ちゃん。やめて。やめて!」と声の限り叫んで、助けを求めたものです。
父は母にばかりではなく、私にも暴力を振るいました。
579わが人生の変革:02/11/21 20:50
 私の性格はすっかり暗くなっていました。父に対する恨みと憎しみの気持ちは、増大していきました。戦争に
よって、横浜の市街は、見渡す限り焼け野原と化しました。やがて、バラック仕立ての粗末な建物が次々と立ち
並び、復興して行きました。映画館も建ちました。友達が、家族と連れだって映画館に入って行く姿を見ると、
悲しみで一杯になりました。ねたましさのあまり、米軍払い下げのズックのかばんに、石ころをいっぱい詰め込
み、高い崖の上から、映画館のトタン屋根めがけて次から次へと投げつけました。驚いた観客は外へ飛び出し、
責任者は、どなりながら崖を登って来ます。私は飛び去るように裏山に逃げました。
 高校三年の頃、だれに勧められたわけでもないのに、無性に聖書を読んでみたいと思うようになりました。さ
っそく、近くの古本屋に行って、聖書を探して読みました。私は聖書を手にした日から、毎日むさぼるように読
みました。どこを読んでも興味がありました。こうして、聖書との出会いを契機に、私の新しい人生の旅路が始
まりました。
 父に対する激しい憎しみは、いぜんとして心の奥深くに潜んでいました。一方では、このような憎しみは捨て
去らなくてはならないという思いがあり、二つの考えの板ばさみとなり、気がおかしくなりそうでした。聖書を
読んで描く、自分の理想像と現実の自分が、真っ向から対立しました。聖書は厳しい律法の書のように、思われ
て来ました。ある日、近所に住むMという婦人に呼びとめられました。その方は蒲田シオン教会の会員で、「よ
ろしかったら、ぜひ一度教会にいらっしゃいませんか。」と私を誘いました。蒲田シオン教会は蒲田駅の近くにあ
580わが人生の変革:02/11/21 20:52
りました。当時の蒲田駅は、現在では想像もつかないほどみすぼらしいバラック造りの駅舎で、駅の周辺には屋
台や赤提灯の飲み屋が立ち並んでいました。こうした駅前の雑踏を抜けて、教会に行きました。それは伝道会の
晩でした。二階の集会場は、私にとって、別天地のようでした。私を迎えてくれた人々の顔が、何と輝いて見え
たことでしょう。親切で温かいもてなしは、身にしみてありがたいものでした。その場の雰囲気は、愛に満ち、
喜びにあふれていました。やがて集会が始まります。賛美歌が歌われ、あかしが続きます。その時の賛美歌の一
つに次のようなものがありました。「明るくなった 明るくなった ほんとだよ ハレルヤ みんなの顔が 明る
くなった ほんとだよ ハレルヤ」会衆一同が、手拍子を打ちながら楽しそうに歌っています。最後に、説教者
は言いました。「皆さんの中に、今晩の話を聞いて、キリストを心から信じ、救われたいと思う人はありませんか
。そのような人がいたら、勇気を出して前に進み出て下さい。」私は、今まで他人の言葉に従って行動するタイプ
ではありませんでした。それなのにその時は違います。だれよりも早く前に進み出た私は、自分の罪と不信仰を
心から悔い改めました。自分でも不思議に思うほど素直になり、十字架による主イエス・キリストの救いを完全
に信じ、一切の重荷をキリストの十字架のもとに投げ出すことができたのです。心の重荷は嘘のように全く消え
去って、大きな喜びと平安が心に満ちあふれてきました。先輩クリスチャンの励ましの声に送られえて外に出ま
した。来た時の道を戻り、蒲田駅に向かいました。不思議なことに、あんなに暗く殺伐としていた蒲田駅前の雑
踏と駅舎が、何か別の場所のように見えました。
581わが人生の変革:02/11/21 20:53
 父は、私が教会に行っていることを知ると怒り、ある時は、家の内側からかぎをかけて中にいれてくれなかっ
たり、また、ナタを振り上げて私を追いかけました。しかし、そんな父が献身の道を選び、東京聖書学校を卒業
して牧師となり、二年目の春、結婚式を挙げた時、こう挨拶してくれました。「今日から、私もクリスチャンにな
るため進んでまいります。息子たち共々、よろしく御指導下さい」かくして、ついに母も入信し、父も過去の罪
をすべて謝罪して、相前後して洗礼を受け、家族全員が救われて、クリスチャンホームになったのです。そして
わが家に、地獄のような日々が終わり、天国のような愛と喜びに満ち溢れた幸せな日々がめぐって来たのでした。
ああなんとすばらしい主イエスのみ救いでしょうか。主のみ名はほむべきかな!
582名無しさん@一周年:02/11/22 05:57
聖名讃美

感謝です。

この証を読まれた皆様に、豊かな祝福がありますように。
583名無しさん@1周年:02/11/25 11:29
678 :名無しさん@1周年 :02/10/18 21:38
今までずっと神様を否定してた。
人生どうでもよくって、やりたいこともなくて。
ただ、目を閉じてしまいたかった。さっさと死んで開放されたかった。
でも、親を残して死ねないし。
自分が死ぬのはいいけど、親が泣くから。親まで殺してしまうから。
親が死ぬまであと何年?私はそれに耐えられる?
そんな時、教会に行った。ミサで神父様が祝福してくれた。
わけわかんなかったけど、心があったかくなった。
そのとき思った。神様はいる。私のことを見ていてくれる。
そばにいてくれる。
「もういい、これでいい」
満たされた。神様見ていてくれるならそれでいい。
生きていける。朝が来るのを怖がらなくてもいい。
神様、ありがとう。本当にありがとう。
そしてごめんなさい。ずっとあなたを否定していたこと。
あなたを悲しませたこと。
どうかお許しください、ずっと側にいてください。
神様なしで私は生きていけません。
あなたが全てです。
『罪の告白だけで1000目指すスレ 』より
584名無しさん@1周年:02/11/25 11:31
>>575

訂正↓>371ではなく>372
>>372 このスレを祝福する祈り
 「テストが終わりました。成績はともかくとして、なにか心の中にむなしい風が吹き込んで来たように思いま
した。なぜ、こんなに勉強しなければならないのでしょう。・・・・・・人生にはどんな意義があるのかしら。・・・・・・
死にたい思いが心の中に・・・・・・。悲しい思いを胸に、私は学校を早引けして、たったひとり、あてもなく歩き続
けていました。そんな時にふとなぜか分からない、『教会に行ってみよう。牧師さんに会ってお話を聞いてみよう』
そんな気持ちになって・・・・・・とにかく来たのです」高校3年の、美しい女生徒は、涙をいっぱい目にためて、牧
師に悩みを打ち明けました。あなたも悩んでいませんか?
 18歳のころでした。私は悩んでいました。美しい星を眺めながら、ひとりわびしく涙を流したことがありま
す。遠くから聞こえてくる野犬の鳴き声を耳にして「ぼくも思いきって泣いてみたい」と、そんな思いになりま
した。朝起きて働き、夜が来る。10年1日のような生活、同じことを繰り返しつつ、いつかは人間は死んでし
まう。なぜ生きなくてはならないのだろう。
 19歳の春、私にとって思わぬことが起こりました。「T、お前は牧師に似合いそうな顔をしているぞ」「ええ?
どうして」「どうしてということはない。きみが黒い服を着て白いカラーでも首につけたら、似合いそうだと思う
んだよ」牧師に似合う・・・・・・牧師に・・・・・・牧師とはいったいなんだろう。聖書の話なんか一度も聞いたことがな
い。教会に行ったこともない。牧師に会ったこともない。でも、とにかく一度行ってみよう。1949年2月13日
、日曜日、私は教会に電話をかけたのです。「話を聞きにいってもよいですか?」「どうぞ来てください。お待ち
してます」3人の友人と一緒に何か冒険にでも出かけるような気持ちで教会に出かけました。そこに集っている
人たちは、美しい賛美歌を心から歌っていました。私はなにげなく、来ているひとりひとりの目を見たのです。
なんと美しい目をしているのだろうと、驚いてしまいました。「私の手の届かないところにいる人々、それに比
べて私はなんと汚いのだろう」悲しい思いになってしまいました。私は気が小さく、友だちの誘惑に勝つことも
できず、いろいろな失敗や罪を犯していました。私の心にはいつも良心の苦しみがありました。過去の罪は私を
責めていたのです。
 私は1つのことを決心しました。とにかくわかるまで教会に行ってみよう。神がいるかいないか、私にはわか
らない。もし神が事実、存在するなら信じてもよいではないか。いなければ信じなければよいではないか。こう
して私は、毎週教会に行くようになりました。牧師の語ることを真剣に聞いているうちに、私を愛してくださる
神がおられるということがわかったのです。
 神とは、人間を造られたお方です。聖書には、「はじめに神は天地を創造された」とありますが、生まれてはじ
めて、私を造られたまことの神がおられることを知ったのです。汚い罪人である、この私さえ愛してくださる神が
おられるのです。その方こそ神の子、イエス・キリストです。イエス・キリストは十字架につけられて殺された
のですが、実はすべての人の身代わりとなって死んでくださったのです。人を生かすために人の身代わりになって
正しいお方が死んでくださったのです。そして、イエス様は3日目に死人の中から生きかえってくださったのです。
だれでも、よみがえった主イエスを信じるなら救われます。
 私の罪のために主イエス・キリストが死んでくださったと知った時、心の底から悔い改めて、神のみまえに1つ
1つの罪を告白しました。その時、私の心の中には不思議な変化が起こりました。「ゆるされた」という喜びに満ち
あふれ、いつも重かった心が、急に軽くなったのです。神が私とともに生きてくださるのです。さらに、私は今ま
で知らなかった、すばらしい事実を発見したのです。それは聖書に、「神は、実に、そのひとり子をお与えになった
ほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
(ヨハネの福音書3章16節)と書かれているように、罪人である人間に永遠のいのちが与えられたのです。人は主
イエスを信じるだけで、いつまでも生きることができるのです。寂しさも、むなしさも心から取り去られ、愛なる
神とともに生きることができるようにされたのです。神はあなたにも新しいいのちを与えてくださいます。いのちを
求めて教会にお越しください。お待ちしてます。
589名無しさん@1周年:02/11/25 13:06
>>578-581 わが人生の変革
>>585-588 若い悩める友のために

牧師さんの証は感動的だ。 感謝、感謝。
590名無しさん@1周年:02/11/25 13:14
>>21
「主よ、この病ゆえに感謝します」との言葉がでるまでになられた
21さんのご努力に感銘をうけました。
そして、私が主を自分の神として選んだことを、神に感謝する心が
湧いてきました。
21さん、良いお話をありがとうございます。
私も主の御旨を信じ、精進したいと思います。
591名無しの賛美:02/11/25 13:16
ギデポン協会というところが聖書を配布しているけど、この後ろのほうに「私たちは皆罪人です。
・・・だから神を信じなさい。」
みたいなことが書いてあった。

「罪人」であることを押し付け、だから信じなさいというような構図は悪徳商法みたいで誤って
いると思う。

カール・バルトというスイスの神学者は聖書の登場人物、例えばパリサイ人、律法学者、
無知な女、さまざまな病気や不幸を抱えた人々、使徒たち、そしてイエス・キリストを一番鳥
が鳴く前に3度知らない、といったペテロ、これらの人々に哲学的、恣意的な罪人の定義では
なく、自分が登場人物として聖書によって具体的に表現されており、その意味で神と人との関係が
はっきりと提示されている。

あくまで歴史的なイエスの存在に直面したときに罪人は正しい理解となりうる。

そんなことを言ってました。(浅学なので間違っていたら申し訳ありません。)

ギデポン協会版聖書の最後にある「罪人」というのはイエスキリストとは独立した概念で導入的
に使われている傾向がある気がします。
つまり順序が逆で、イエス→罪人の認識となるはずが、罪人の認識→イエスという具合に転倒し
ていると考えられます。

すべての教会がそんなわけはないでしょうけど、日本人が教会を毛嫌いする端的理由なんでしょう
ね。きっと。
そういう、私もキリストも教会も正直言って好きだけど、ほとんど行きません。
なんか「福音主義」の看板を掲げていても実は改革派の神学の根拠として聖書を利用しているよう
な印象があって(「エホバの」から脱会してプロテスタント系の教会に行った人の話しがあります
けど、私の場合それどころか)「無教会主義」になってしまってます。
(駄文御免)
592名無しさん@1周年:02/11/25 13:21
>>591 日本人が教会を毛嫌いする端的理由なんでしょうね。

同意。
ただ、ギデオン聖書は、長いこと米国の管理下におかれていましたから、
日本人にそぐわない面もあると思います。
日本のギデオンが、米国から独立したのは、ほんの数年前。
だから、今でも米国のギデオン聖書に書いてあることを、そのまま引きずっているのではないでしょうか。
593名無しさん@1周年:02/11/25 15:33
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
594名無しさん@1周年:02/11/25 16:42
「なんという空しさ、なんという空しさ、全ては空しい」(コヘレトの言葉)
595名無しさん@1周年:02/11/25 18:37
>591

イデオロギーは、それを信望する人間達の血の生贄を要求する。資本主義ならば、
貧者が、共産主義ならば、ブルジョアが生贄に供される。今のキリスト教の大多数
は、イデオロギーをもって別のイデオロギーを制しようとしているだけ。生贄に
されるのは、「罪人」の呼び名のもとに一切の自己判断能力を放棄し、奴隷化した
信者達。

キリスト教という名のどろどろした混合液から、イデオロギーという沈殿をこした
後のうわずみに、本当の宗教的な真理が隠されている。それを知る者は少ないし、
それを知れば教会などというイデオロギー訓練センターには居れなくなるのが当然。
596595:02/11/25 18:43
その辺のスーパーで買い求めた既製品の靴に、無理やり自分の足を入れて
喜ぶ人は、一度も自分に合った靴を履いたことがない人に限られる。
597名無しさん@1周年:02/11/25 19:04
>>591

>あくまで歴史的なイエスの存在に直面したときに罪人は正しい理解となりうる。

ここがキーだと思うんだよね、自分も。
はじめて「罪人」という言葉に触れたとき、うわー、いやだなー。
自虐的だ、と思った。
三浦綾子の本を読んで、「原罪とは、的外れという意味です」という説明を
読んで、抵抗感が少しなくなった。

その後、キリストのことばに触れて10年、信仰の確信が得られた瞬間からこっちは、
「罪人」という言葉がまったく自分を表現するに的確な訳だと思うようになった。

最近の宣教では、罪の部分を後回しにして、神に愛されているとか、祝福されている
ことだけを強調する傾向があるけれど、「悔い改め」っていうのは
ただハッピーなことじゃないと思うんだよね。剣で刺されるような、
痛みが伴うものだった。自分にとっては。

いわゆる普通に知っている「罪人」という言葉と、聖書の証しする神との
関係における「罪人」ということばのちがい、理解するまでは絶対に理解できない、
大変微妙なことばだと思う。
598名無しさん@1周年:02/11/25 19:08
>>596 名言だね。よくご自身を表現されている。

しかしキリストを知る道のりは、人間にとって本当に長く感じるものだよ。
599名無しさん@1周年:02/11/25 19:09
聖書はどうなる?
600595:02/11/25 19:53
>598

まあ、これは問題提起ということで。

このスレに登場するような「証」のように、異常な「二重拘束状態」に追い込まれた
状態で神にすがるというのは、信仰という面から本物と言えないんじゃないかな、と
思うのです。いわば、神経症患者が拒食症にかかり、自分で自分を制裁するように、
「自分は罪人である」という概念を命令のように受け止める....そんな神経症的な信仰
が本当とは思えないのです。もちろん、本当の信仰へのきっかけにはなるでしょうが。

ヨブが本当の信仰に入ったのは、自分に降りかかる吉凶の波と、信仰とを切り離して
からでしょう。「信仰しても苦難は降りかかるものだ」ないし、「信仰と苦難とは
無関係である」という事実を認識するまで、本当の信仰は「お預け」状態なのでは?
601595:02/11/25 20:02
少なくとも、「○○しないと地獄へ落ちてしまう」などという教義を疑いも
なく信じるような人の心は病んでいます。立派な神経症じゃないかと思います。
602名無しさん@1周年:02/11/25 20:22
靴を使った表現なら、こういうほうが、しっくりくる。

「窮屈な靴をはいていることに気づく」=「罪人であることに気づく」
そしてキリストを信じるというのは、靴を脱ぐという体験だったよ。

いらだち、赦せない人、将来がみえない、周りとうまくいかない・・・
本当に不自由だったから。
603602:02/11/25 20:23
>>601 自分もかつては、あなたと全く同じことを考えていた。
604名無しさん@1周年:02/11/25 20:30
>>603
かつてはってことは今は改めてるわけ?
私は今でもそう思ってるけど。
大体そんな事を言うのは人間くらいだろ。
神様が言ったって証拠も無いしね。
605名無しさん@1周年:02/11/25 21:53
>>597

横からごめん。

三浦綾子さんの、「原罪は的外れという意味」というのは
どういう意味ですか?
良かったらちょっと解説してほすい。
606名無しさん@1周年:02/11/25 23:22
>>1
↓↓↓こうやって信じるらしいです↓↓↓
ttp://www.kisweb.ne.jp/jesus/oshirase.htm
607ひろし:02/11/26 12:29
告白するだけで、罪は許されるんだ。お手軽だねぇ。

許してくれなかった信じないんだ。わがままだねぇ。
608名無しさん@1周年:02/11/26 12:47
>>605
罪ってそもそも、原語の意味が「的外れ」だと聞いたけど。
三浦綾子さんが言ってるのは「神の聖からみて的外れ」という意味じゃないかな。
609名無しさん@1周年:02/11/26 13:57
>>605 

罪というのは、神中心ではなく、自己中心であること。唯一まことの神様からそれてしまった事。
つまり、唯一まことの神から的外れの状態であること。
本来あるべき姿(唯一まことの神様と親しく一つになっていること)からそれて離れてしまったこと。
罪の結果は、すべての源である創造主(かみ)からの離別、そして、死をもたらした。
病、苦しみ、困難、不調和、争い、怒りなどなど、人間のすべての苦しみは罪から来た。
610名無しさん@1周年:02/11/26 14:10
>>607 告白するだけで、罪は許されるんだ。お手軽だねぇ。

イエス・キリストが、あなた自身の罪の身代わりとなって十字架で死んで、死からよみがえった
ことを信じて告白したら、あなたの罪は赦され、あなたは(将来はあなたの家族も)救われるんですよ。
あなたが罪人であることを素直に認め、自分の罪を悔い改めて、父なる創造主(かみさま)に告白するなら、
イエス様の流された犠牲の血潮のゆえに赦されるんですよ。悔い改めは反省ではないんです。
お手軽じゃないんです。あなたを救うために、イエス様の命が犠牲になってるんですよ。父なる神様が
私たちをとても愛していて、私たちを救うために神様の側で絶大な犠牲を払って下さっているから、
私たちがすべき事が、ほんの少しですんでいるのです。
そして、人間にはそれしか救われる方法がないんです。これは救いの唯一のチャンスです。
これを逃したら、永遠に救われるすべはないんです。だから、今、ご自分の意志で信じて欲しいんです。

>607 許してくれなかった信じないんだ。わがままだねぇ。

????
611ひろし:02/11/26 14:11
>>609
いいえ。人(生き物)の死は、種の永久的存続を目的としたからあるのです。
612ひろし:02/11/26 14:20
>>610
びっくりしたー(w
面白いですねぇ。上の方を読んでないので、わからないんですけど、
貴方は、宣教師さんかなにかですか?

して、罪とはなんでしょう。イエスを信じなかったことが罪?
それとも、これまでにしてきたことの行動に罪があると?
613サッカー選手M.M.:02/11/26 14:40
 サッカーというスポーツを通じてこれまで大きな選択を迫られる経験が3度ありました。1度目は高校進学の
時でした。実際、東京での生活は、想像以上に厳しいもので、何度止めて地元に帰ろうと思ったかわかりません。
でも男の意地もあり、このまま帰ったら親が恥をかく、それだけは絶対にさせたくないという思いから、なんと
か3年間続けることができました。そのかいあって2年のときに、あこがれの国立競技場で全国優勝することが
できました。2度目はプロになるときです。プロ1年目は自分でも驚くほど活躍でき、自信過剰になるほどでし
た。さあこの調子で2年目も、という矢先に腰を痛め、開幕戦を断念しなければなりませんでした。体は思うよ
うに動かない、試合に出てもすぐケガをする、そんな状態が続きました。自信を失いかけていた私は、お守りや
数珠や本など、心を癒してくれるものに頼るようになっていました。しかし、どれもこの状態からは救ってはく
れませんでした。
 3度目は膝を手術するときです。私の膝はすでにボロボロの状態でした。その頃、妻と出会いました。彼女は
熱心なクリスチャンで、デートのときによくキリスト教会に誘われました。行って驚いたことは、イメージして
いた所とは全然違ってリズミカルな賛美歌が歌われ、活気に満ちた雰囲気でした。はじめて来た私の膝のために
も、みなさん心配して真剣に祈ってくれたのです。だからといって、すぐに信者になったとか、神様を信じたと
いうわけではありません。それでも手術を受けることに不安を感じていた私に、この祈りがどれほど大きな励ま
しとなったかわかりません。ボールを蹴れるまで3ヶ月はかかると言われていたのに1ヵ月後にはボールを蹴っ
ていました。気がつくと自分にではなく、神様という存在に信頼している自分がそこにいました。
614サッカー選手M.M.:02/11/26 14:40
 1995年8月13日、洗礼を受けました。もちろん、クリスチャンになったからといって、何もかもがいつ
もうまくいく、なんてことはありません。でも、試練を通して教えられたことは「神様はオレにとっていつもベ
ストな方法を備えてくださる」ということでした。何か問題や課題にぶつかり、悩みや不安に押しつぶされそう
になったら、神様にその思いを打ち明けます。そうすると、自分では考えてもみなかった方法で解決が与えられ、
心には大きな喜びと確信が与えられるのです。これからも、人生のあらゆるシーンのなかで、自分の無力さ、足
りなさを感じながら、ずっとこの神様と共に歩んで行きたいと願っています。
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(新改訳聖書 詩篇37編5節)
615名無しさん@1周年:02/11/26 14:44
松波?
616名無しさん@1周年:02/11/26 15:03
>611 人(生き物)の死は、種の永久的存続を目的としたからあるのです。

「罪から来る報酬は死です。」(新改訳 ローマ6:23)罪の結果、死(肉体的死と霊的死の両方)が生まれました。
ですから、罪の存在しなくなる新天新地(いわゆる天国)では、死がありません。
「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。
 最初のものは過ぎ去ったからである。」(新共同訳 黙示録21:4)

>>612
>して、罪とはなんでしょう。イエスを信じなかったことが罪?
>それとも、これまでにしてきたことの行動に罪があると?

両方です。また、残念ながら人は生まれながらにして罪(Sin)を持っています。
Sinは原罪であり、Sinsは犯した罪のことです。しかし、その両方を解決するために
イエス様が来られたのです。詳しくは>>610参照。
617ひろし:02/11/26 16:12
>>613>>614
がんばれ!! そして、アン・ジョンファンみたいに高慢知己にならないでね。

>>616
だから違います。
死は、上にかいたとおり。そして死が怖いのは自分自身も保存したいから。
だから、天国は死んでもなお自分はあるんだと思いたい故の妄想です。

>>両方です。
あなたは、この掲示板には長くない方?
まず、「イエスを信じなかったこと」が罪ならば、
産まれて死ぬまでイエスの名を聞きもしなかった人は、地獄行き?
ってのは昔から言われてることですがどうでしょう?
そして、「これまでにしてきたこと」ならば、
ほとんどの人が罪だけを起こして生活しているわけではないじょうきょうで、
さらに善事に励んだことは、無視されるってことですか?

あなたがいう原罪ってのは、
アダムとイブがしでかしたことによるよ思いますが、
親の罪が子に及ぶべきではないとする聖書の記述は、
方便だったということですか?
618名無しさん@1周年:02/11/26 16:40
このスレ、イイ感じだ罠
619名無しさん@1周年:02/11/26 18:43
>617 天国は死んでもなお自分はあるんだと思いたい故の妄想

獲得すべき「天国」はあると、聖書にはっきりと記されています。イエス様も言及されました。
また、避けるべき「地獄」もあると、はっきり聖書は宣言しています。イエス様も語りました。
死んだら終わりではないのですよ。永遠の至福か、永遠の苦しみが待っています。
この世は、それをその人の意思で選ぶための中間期間のようなものです。
それを信じる信じないはあなたの自由です。ですが、大勢の人間が、何千年にも渡って
命がけで伝え続けている事を、妄想だと言って一笑にふすべきではないと思います。
620名無しさん@1周年:02/11/26 18:50
>617 産まれて死ぬまでイエスの名を聞きもしなかった人は、地獄行き?

生まれてから死ぬまでの間に、イエス様の福音を一度も聞くチャンスがなかった人はたくさんいらっしゃるでしょう。
それらの方の救いに関しては、現在はまだはっきりとはわかっていない状況です。色々な説があります。
ただ、全知全能の創造主(かみさま)は愛なるお方であり、正しい裁き主であり、失敗なさることも誤ることもない方です。
聞いてないから即地獄行き、というのは神様の御性質を考えるとありえないと思えます。仮に、もしそうだったとしても、
すべてが明らかになった時には、それが実に正しい誤りのない裁きであったとわかることでしょう。
余談ですが、イエス様を信じずに死んだら即地獄ではないのです。まず冥府(よみ)という所に行きます。そこで、苦しみ
ながら裁きの時をまつのです。それから、最後までイエス様を信じる事を拒んだ人は、サタンと一緒に地獄に入れられます。
地獄は本来、人間の為に造られたものではありませんでした。しかし、一部の人間が、そこに入ることを自分で選んでいるのです。
イエス様の救いの福音を拒むという事は、それすなわち、神様の愛を拒む事であり、自分で永遠の破滅を選ぶ事を意味します。
福音は救いの唯一のチャンスです。それ以外には救いはありません。その代わり、ただ信じる(受け入れる)だけでよいのです。
ぜひ、純粋に信じて、永遠のいのちを手にしてほしいと思います。
621名無しさん@1周年:02/11/26 18:56
>619

>大勢の人間が、何千年にも渡って命がけで伝え続けている事を、妄想だと言って
>一笑にふすべきではないと思います。

しかし、何千年にも渡って「動くのは地球ではなくて、太陽や月だ」と信じてきた
常識をコペルニクスは覆したのでは。多くの人がどれだけ長く信じようが、迷信は
迷信でしょう。

新約聖書だって、イエスの死後数百年かかって今の形に編成されたのです。中には、
トマス福音書のように、文献としては古いが、当時の教義にそぐわないという理由
で正典から外されたものもある。それを信じる人の間で異論が出ること自体、絶対
とは言えない証拠じゃありませんか。


622ひろし:02/11/26 18:56
聖書にあるから信じるんですね。ではニュータイプは信じますか?(W
聖書だけが特別であるわけを教えてください。
それと、別スレで地獄は神が行かせるのではないという書き込みが
有りましたが意味分かります?

永遠の苦しみとはどんな種類の苦しみでしょうか?
まず、肉体の苦しみではないですよね?(W

命がけだろうが時間が長かろうが、関係ありません。
とんでもない迷信をごく最近まで信じていたってのは、
そこらじゅうにありますからね。
空の星を神の焚き火だと信じた人達がいたようですが、
それは現在真実でないことがわかっていますよね。
623621:02/11/26 18:58
もし、今日の夕刊に「明日には絶対に雨が降る」と書いてあったならば、
「絶対なんてことがあるものか」と眉にツバをつけて読むのが理性を持つ
人の読み方です。それを、「書いてあるから」という理由で信じられる人は
理性を失っている。ましてや、二千年前の新聞だとしたら....
624名無しさん@1周年:02/11/26 19:07
福音:イエス・キリストがあなたの罪の身代わりとなって十字架で死なれ、よみがえられ、
 今生きておられる。この十字架で死なれ蘇られた救い主イエスを心から信じるならば、
 あなたの罪は完全に赦され、あなたは(あなたの家族もいずれ)救われて、天の国に
 入ることができる。そして、主イエスに従うならば、今この人生においても信じられ
 ないような大いなる祝福を受ける。

信じる(クリスチャンになる)祈り
「罪からの救い主イエス様。私はあなたを信じ受け入れます。私の心をあなたにお捧げします。
 私は罪人です。私の罪を清算するため、身代わりに罰を受けて下さりありがとうございます。
 今からとこしえまで、あなたと共に生きていきます。私の罪をすべて赦し、永遠のいのちを
 与えて下さり感謝します。あなたを信じる心をサタンに奪われないよう守って下さい。
 イエス様の御名によって祈ります。アーメン。」
625ひろし:02/11/26 19:07
>>620
「まだはきりわかっていない」ですか?笑止。
では救われるとか天国とか地獄とか
全部まだはっきりっわかってないことになりませんか?
あなたは何を望み確信して神を信じているんです?
626ひろし:02/11/26 19:13
>>624
>>信じられないような大いなる祝福
殉教者のこの世での祝福ってなんでしょう?
627名無しさん@1周年:02/11/26 19:20
>621-623

以下のHPで、皆さんの疑問に対する答えが書いてあります。
聖書は神のことばか?
http://www.fsinet.or.jp/~kanaoka/grace/tes2.html
聖書とは?
http://www.kingdomfellowship.com/Keywords/Bible.html
628名無しさん@1周年:02/11/26 19:36
>この世での祝福ってなんでしょう?

この世の祝福だけではないですが、ざっと列挙しておきます。(まだたくさんある)

@あなたは新しく生まれ変わることが出来ます。
Aあなたは天国を受け継ぐことが出来ます。
Bあなたは真の救いを得ることが出来ます。
Cあなたは永遠の命を得ることが出来ます。
Dあなたのすべての罪が赦されます。
Eあなたは神の子供とされます。
F真の心の平安が与えられます。
G全能の神御自身である聖霊様があなたの中に宿って下さいます。
H聖霊様があなたにすべての力を与えて下さいます。
Iあなたは祝福を受けます。
Jあなたは罪と死と律法と呪いと悪魔から解放されます。
Kあなたは、豊かな逆転勝利の人生を歩むことが出来るようになります。
Lあなたは神の家族となります(世界中のクリスチャンと家族になる)。
Mあなたは神様の目に聖い者となります。
Nあなたは更なる癒しと解放を受け取ることが出来るようになります。
629621:02/11/26 19:40
まるで、北○鮮はパラダイスだから来なさい、って言われているみたい...。
630621:02/11/26 19:45
>あなたは、豊かな逆転勝利の人生を歩むことが出来るようになります。

なんて、ルサンチマン丸出しだよね...。これが、自分に与えられた理性を呪う
者の末路か...。
631名無しさん@1周年:02/11/26 19:50
>622 永遠の苦しみとはどんな種類の苦しみでしょうか?
まず、肉体の苦しみではないですよね?(W

永遠の地獄の業火で焼かれ続けるのです。永遠に悶え苦しみながら。
詳しくは以下のHPで。

地獄とはどんな所ですか?
http://www.fsinet.or.jp/~kanaoka/grace/q21.html
いったい人は死んだらどうなるのでしょうか?
http://www.believers.org/jp/jbel161.htm
632名無しさん@1周年:02/11/26 19:55
論証好きの2ちゃんねらーにおすすめ
疑問に思っていることのだいたいの答えがあると思われ。
キリスト教会に直接行って牧師に聞くのもよいかも。

グレイス・アルバム
http://www.fsinet.or.jp/~kanaoka/grace/
633名無しさん@1周年:02/11/26 19:56
自称クリスチャンと言うものはイエスを理解していない、理解するものはそれをイエスが望まない事をしっているし、
キリストの意識は我々の中に例外無く存在する事を知るからです。信仰を持つ事はかまいませんが、持ち続けることはできません
信仰はいつかは手放す時がきます、例外は在りません。
634名無しさん@1周年:02/11/26 19:59
>>633

それって催眠術だろ。
635名無しさん@1周年:02/11/26 20:04
催眠術がなんなのかわかりません。
636名無しさん@1周年:02/11/26 20:08
キリスト教入門講座・全16課  第一課 聖  書
http://www5a.biglobe.ne.jp/~vct/nyumon1.html

聖書について(凡人の聖書観(^^;))
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/pisgah/myweb/scripture.htm

WHAT’S BIBLE?? 著名人の聖書観
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/pisgah/myweb/bible.htm
637温和派クリ:02/11/26 20:09
聖書一字一句マンセーの人々と「神はいない」派が激突しても
あまり建設的な議論はできないよ(苦笑
>>628 にあがってる祝福を 628が本当に理解し実感しているかはよーわからん。
あまりにも観念的でしょ?
非クリにわかるように説明できなきゃ、宣教もヘチマもない。
あるのは洗脳のみか?
それじゃエホ証とか統一教会とかと手口は一緒。立派なカルト。
こういう人を Fundamentalist と呼ぶのかもしれないが、
非クリの人もこういう輩と2chで喧嘩するより、
周りにいる普通のクリと話をしてみてよ。
もっと実り多いと思うよ。
638でちゅ:02/11/26 20:14
>>633
>「キリストの意識は我々の中に例外無く存在する事を知るからです。」
あぶないでちゅねぇ。ニューエイジかぶれでちゅか?
あなたはいちゅの日にか神さまになられるのでちょうね。。。
あなた自身が「自称クリスチャン」なのがよくわかりまちゅよ。
ぜひとも、そのあなたのもっている「信仰」を
はやく「手放す時がきます」ようにお祈りいたしまちゅ。
まぁ、でちゅけど取り越し苦労でちょうかね、
「例外は在りません」のだそうでちゅから。
639名無しさん@1周年:02/11/26 20:23
神がいるなら見せてくれませんか?
http://www.fsinet.or.jp/~kanaoka/grace/q1.html

論証1. 神は存在するのか?
http://www.fsinet.or.jp/~kanaoka/grace/tes1.html

キリスト教入門講座・全16課 第二課 神
http://www5a.biglobe.ne.jp/~vct/nyumon2.html
キリスト教入門講座・全16課  第四課 イエス・キリスト(一)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~vct/nyumon4.html

キリスト教入門講座「神を知る」
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/kamiwosi.htm

天国・よみ・地獄
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/yomema02.htm
640名無しさん@1周年:02/11/26 20:38
質疑応答集
神の実在について
http://www.path.ne.jp/~millnm/athe2.html
神の実在について2
http://www.path.ne.jp/~millnm/athe3.html
神の実在について3
http://www.path.ne.jp/~millnm/athe4.html
641名無しさん@1周年:02/11/27 11:41
37 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/20 15:26

キルケゴールは言った。(正確じゃないかもしんない)
「私が求めるのは世界が崩壊しても拠り所となる確固たる存在である」と。
それが神であり、キリストの救いだった。
つまり、相対化不可能な絶対者を「信じる」ことにより、
真の心の平安が得られる、と。

……こんなこと書いてもピンとこないでしょうが、そういうことですよ。

『★この宗教に入ったらこんなに得するゾ自慢スレ★ 』より
642神のわざがこの子に:02/11/27 12:12
娘に下された診断は「自閉症」。しかし、御言葉に触れ、神が娘を与えてくださったと受け取れるように
変えられました。
私の娘は、表情に乏しい子でした。1、2歳になっても人にまったく関心を示さず(親にも)、
言葉も出ませんでした。いつもひとりで遊んでいました。もしかしたら自閉症なのではという
不安が私にはありました。娘より後から生まれた子たちがどんどん成長していくのを見ながら、
「どうして私の子だけ?」というあせりと、娘の将来を思い煩う毎日を暗い気持ちで過ごして
いました。
そんなとき、長男の通う教会付属幼稚園に、田原米子さんという手と足を失った方が招かれ
講演してくださいました。そして最後にこう言われました。
「子供は、神が与えてくださったものです。たとえ、どんな障害を持った
子でも、それは、あなたなら育てられると思って神があなたに与えられ
たのです。自信をもって育ててください」
私は一筋の光を見た思いでした。
643神のわざがこの子に:02/11/27 12:13
「私にはその神はわからない。でも、その神がおられ、この子を私に与えられたのなら信じて育ててみよう」
娘を病院へ連れて行くと、「自閉症」と診断され、原因もわからず、治療法もないということでした。しかしなぜか、私には平安があ
りました。そして、人づてに自閉児のための訓練をしているところが数ヵ所あることを聞き、そこへ通い始めました。そんな中で、
ある訓練士が「お母さんがたに、はっきり言っておきます。自閉症が治ったというデータはいまのところありません。私はみなさん
に変な気休めや期待を持たせたくないのです」と言われました。
「私はあきらめない。たとえ99パーセントだめと言われても、親が望みを失ったらだれがこの子を育てるのだ。私はたとえ1パーセ
ントであっても望みを失いたくない」と、お腹の底から怒りにも似た感情が湧きあがってきました。
せめて幼稚園だけでも普通の子供たちとともに過ごさせたいと願っていた私は、長男の通っていた幼稚園に娘を連れていき、自
分の気持ちを正直に話したところ、快く引き受けてくださいました。
入園当初の娘は人に名前を呼ばれても振り向きもせず、言葉もわからない、自分の思いどおりいかないと泣き叫び、床をドンドン
と踏みならしていました。じっとしていられず、各クラスを自分の気分しだいで回っていました。それでもクリスチャン教師の方々
は、温かい心で見守り続けてくださいました。子供たちも最初はとまどいながらも娘のできない所を手助けし、何かできたとき「わ
あー、彩ちゃんができたー」とクラス中で喚声をあげ、喜んでいました。娘はきっと体でその愛を感じ取っていったのだと思いま
す。訓練の場、幼稚園、教会の人々と、多くの人とのふれあいの中で娘は著しく成長していきました。
644神のわざがこの子に:02/11/27 12:14
そして私も娘とともに教会へ行くうちに、御言葉に触れかえられていったのです。ひとつの御言葉が私の心の中に深く入ってきました。
「またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。『先生。彼が盲目に
生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。』イエスは答えられた。『この人が罪を犯し
たのでもなく、両親ですか。』イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこ
の人に現れるためです』」(ヨハネ9章1-3節)
私は娘を盲人に置き換えたのです。神のわざがこの子に現れるためだと。そしてなぜ自閉症の娘を私に与えられたのか神さまの
深い愛がわかったのです。娘を受け取れなかった私が心から「イエスさま、彩をありがとうございます」と受け取ることができ、イエ
ス・キリストを信じ、受洗しました。
娘は小学校から高校へと普通の学校へ入学し卒業しました。その間にもいじめの問題、反抗期といろいろありましたが、そのた
びに神さまは私を支え、御言葉を与え、乗り切る力をくださいました。娘も小学2年生のとき受洗しました。
小学4年のとき担任に娘の病気のことを話しました。すると「全くわかりませんでした」と言われました。イエスさまは娘をいやして
くださっていたのです。娘はいま24歳です。家族から離れ、宮崎県の山や田畑のある自然の中で、友人のお母さんの家に、友人
2人と娘とゴールデン・レトリバーの5匹の犬とともに生活しています。人に関心を示さなかった娘が、老人ホームなどに犬を連れ
て、アニマルセラピーのボランティア活動を行っています。私たち親子にイエスさまがなしてくださったみわざを感謝し、ほめたた
えます。  
645名無しさん@1周年:02/11/27 12:31
娘さんの自閉症を神のせいにするのはやめた方がいいと思います。思春期の若者が
自閉症になる理由の多くは、親が宗教などに凝り固まって、自分の言葉と手で子供
を愛することが少ないからです。子供はイエスを介した両親の愛など望んでいない。
両親が愚かだろうが、貧乏だろうが、かけがえのない自分の両親として、自分を
無条件に愛することだけを望んでいる。いちいち聖書をひっくり返さないと、自分
の子供を愛せない親に、健全な子供が育つわけがない。

はっきり言って、娘さんの心はまだ治っていませんよ。あなたがすべてを神やイエス
のせいにしているうちはね。
646十字架の血潮:02/11/27 12:37
>>321 このスレの主旨   >>371 クリスチャンへの励まし
>>372 このスレを祝福する祈り >>369 霊的戦いの祈り
>>396 敵意を持ってこのスレッドを荒そうと思っておられる方へ

>>416 今までの証をまとめてみましたPart.1  >>417 今までの証をまとめてみましたPart.2
>>568 今までの証をまとめてみましたPart.3  >>575 今までの証をまとめてみましたPart.4
>>576 今までの証をまとめてみましたPart.5 

>>624 福音とクリスチャンになる(信じ受け入れる)祈り  >>628 信じたらどんな祝福が与えられるのか
>>470-471>>488 クリスチャンになる(信じ受け入れる)祈り   >>466 信じたい方、信仰を求めていらっしゃる方へ
>>378 自分の力で信じるのだと思っておられる方へ  
647十字架の血潮:02/11/27 12:38
>>632 色々キリスト教一般に疑問がある方へ、真理を知りたい方へ
>>627 聖書は生ける神の言葉か? >>636 聖書入門講座&歴史的人物の聖書観 
>>619 天国と地獄はある >>631 地獄とはどんなところですか?
>>620 福音を生前聞いたことのない人はどうなるの?
>>639-640 神がいるなら見せてくれませんか?
648名無しさん@1周年:02/11/27 12:45
>>645
「もの言わぬ よものけだもの すらだにも
       あわれなるかな 親の子を思う」
  という和歌を源 実朝が読んだ。
  ごく自然な感情であるはずだ。
  親が子を恥じたら、身を置く場所もない。
649名無しさん@一周年:02/11/27 12:58
★証に対して、立派な解説をして下さる皆さん、ありがとう。
祝福がありますように。
650名無しさん@1周年:02/11/27 12:59
>648 詠む 
651645:02/11/27 13:06
>648

禿同。

欧米の臨床例では、宗教に熱心な家庭ほど、自閉症の子供が出る可能性が
高いと言われている。日本の場合は、両親ともエリートの家庭で、子供が
そのプレッシャーに押しつぶされるケースが多い。宗教でも、学業でも、
過度な期待を子供に押し付けることは、親の愛に飢えてしまい、愛という
ご褒美を貰うために曲芸を見せるような「ペット」に作り上げてしまう。

イエスが説いたのは、神が人間に与える「無条件の愛」で、その愛の典型
が648さんも言うとおり、本来の親子関係なんだが、どこでどう捻じ曲がって
しまったのか、古今東西を問わずキリスト教が生み出すのは大量の自閉症患者
や「ペット」達ばかり。
652ひろし:02/11/27 13:07
>>628
重複しまくりですね(W
言い方が違うだけ。
で、それはよくわかっていることなんですか?

>>真の心の平安が与えられます。
おかしいですねぇ。パウロって随分悩んでますよ。パウロの書いたとされる手紙類を
読んでみてください。

>>聖霊様があなたにすべての力を与えて下さいます。
全ての力って、神と同じ力?

>>あなたは、豊かな逆転勝利の人生を歩むことが出来るようになります。
さんざ迫害されるのが? 殉教が?

>>631
>>永遠の地獄の業火で焼かれ続けるのです。永遠に悶え苦しみながら。
なぜ、「まず、肉体の苦しみではないですよね?」
って書いたか気付いてます?
653十字架の血潮:02/11/27 13:08
>>331 信仰って何? >>95 正しい信仰  >>310 信じるのを恐れている方へ
>>320 信じようが信じまいが、別に何も関係ないんじゃないの? >>300 クリの御利益信仰に反論
>>301 神に敵対するアンチ・クリの攻撃を受け、否定的になっているクリスチャンの方へ  
>>332 キリスト教と他宗教の違いって?   >>363 「信じる」って行為じゃないんですか?
>>380 聖霊様(神の霊)と悪霊(悪魔からの霊)を見分ける方法  >>385 聖書は一部だけが正しいと思っているクリへ
>>390 聖書を書き換えても大丈夫だと思っている方へ
654名無しさん@1周年:02/11/27 13:15
>645 読解力のない勘違い者 

>651-652 645の勘違い意見に、これ幸いとクリを攻撃するアンチ・クリ

皆さん、荒らしは無視しましょう。
いいスレを荒らさないように。感動的な話が読めなくなるでしょ。
655645:02/11/27 13:23
>654

ほお、どこが勘違いなんですか。

自分の娘の自閉症を、盲目に生まれてきた人と重ねているじゃありませんか。
「自閉症の娘は重荷だ、まるで盲目に生まれてきたようなカタワだ」と思っていた
証拠では? それに対して648さんは

>親が子を恥じたら、身を置く場所もない。

と書いたのです。私がその娘さんなら、「なにが原因不明だ。原因はあんた自身
なんだよ」とどなりつけただろう。
656名無しさん@1周年:02/11/27 13:34
愛する天の父さん、私の主よ。
このスレッドを荒らす方、クリスチャンを攻撃・迫害する方、敵意を持って書き込みされる方を、
どうぞ憐れみ、祝福して下さい。彼らは何をしているのか分からないのです。
イエス様の血潮で彼らを覆い、暗闇の支配から解放されるようにして下さい。
イエス様がこれらの方々の為にも十字架で死に、血を流して下さった事を感謝します。
イエス様を信じ受け入れ、救われ、天の国に入ることができるようにして下さい。
彼らの生活を祝福して下さい。彼らの仕事を、学業を、健康を祝福して下さい。
救い主、神の子イエス様の尊い御名によって、祝福して祈ります。アーメン。
657名無しさん@1周年:02/11/27 13:34
>>655

>と書いたのです。私がその娘さんなら、「なにが原因不明だ。原因はあんた自身
>なんだよ」とどなりつけただろう。

うち、生まれつきの病気もった家族がいるから分かるけど、
そういう考え、一番人を不幸にするよ。本人も、親も。
根拠もなくそんな思想広めてる新興宗教の功罪感じてる。マジ。

別に私はキリスト教擁護しようとしてこの発言をしているわけでは
ありませんので、あしからず。
658(´・ω・`):02/11/27 13:40
何事も過ぎたるが及ばざるがごとしだにょー。
子を恥じる親なんてキリスト教でもドキュソだにょ。
ましてや、生まれつきの要因を「あんた自身」なんて酷いにょ。
659ひろし:02/11/27 13:46
>>654 >>656
でた!! 反論仕切れなくなるとそれだ!(W
いいね。逃げ場があるって。

>>658
では、生まれつき障害ある方が産まれる原因は?
660名無しさん@1周年:02/11/27 13:57
ひろしさん。あなたはなぜそんなにも心が傷ついているのですか?
661645:02/11/27 14:02
>657

ちょっと舌足らずだったかな。まともな心理カウンセラーなら、子供の
自閉症の原因が両親だということ位わかるはずだ、ってことですよ。
自閉症の原因は、神でも宿命でもない。両親の育て方に欠陥があったという
こと。そういう意味で

>「なにが原因不明だ。原因はあんた自身なんだよ」とどなりつけただろう。

と書いたのです。
662名無しさん@1周年:02/11/27 14:06
>>661 相変わらず舌足らずだじょ。

「精神的な要因」と「体の要因」をごっちゃにしてるのでは。

>「なにが原因不明だ。原因はあんた自身なんだよ」

これは体の要因を精神的要因に転嫁する発言だもの。
663名無しさん@1周年:02/11/27 14:09
たぶん、娘さんも本人もこーゆう考えに陥らなかった↓

>「なにが原因不明だ。原因はあんた自身なんだよ」

それが一番ハッピーなことではないんかな。
障害児生んで自分を責めて自殺したり心中する親もたくさんいるって。

「自分だったら・・・」というけどそれは、あくまで「自分だったら」
でしょ?この娘さんや本人にその考えを押し付けることもないんじゃない?
664名無しさん@1周年:02/11/27 14:11
荒らすな
665645:02/11/27 14:16
私は別に642-644の責任を糾弾するつもりはありません。娘さんだって成人された
わけだし(ただし、その子育てに障害が出ている可能性が心配)。

ただ、642-644の「証」を読む内に、「この人は自分の子育てが原因であった可能性
について、一度も考えたことがないのではないか」という疑問を感じました。人間
は誰でも間違いを犯すものです。だから、他人から過ちを指摘されたら素直に謝る
し、自分が正しいと信じていても「本当に自分は悪くないか」と反省してみたりし
ます。ところが、自分が過ちを犯すことを認められない人がいます。この世に起きる
すべては自分以外の誰かの責任である、責任者が見つからない場合は、神からの試練
である、という風にこじつけてしまう。

子供にとって、「間違いを犯さない親」ほど厄介な存在はありません。だから、立場
上弱い子供の方が自閉症になるしか解決策がないのです。
666賛美する喜び:02/11/27 14:18
★証が読みたい方のためにも、
このスレを批判するスレを建てて
そこで充分にやっていただきたい。
ここは、大切な証のスレですし、
批判に何の魅力も感じられないから。

「人の心は捕らえがたく病んでいる。」
というのが反論に対しての実感なんです。すまん。

祝福が豊かにありますように。アーメン。
667645:02/11/27 14:22
>666

ご心配なく。そろそろ私は去りますから。十分に問題提起はしたしね。

>662-663

自閉症というのは、一種の精神病です。だから、

>体の要因を精神的要因に転嫁する発言だもの。

というのには当てはまりません。自閉症=引きこもり、と言った方がわかり
やすいかも。
668ごめん最後に言わしてけれ:02/11/27 15:05
>>645

オイオイオイ、君は、自閉症に対して大変な誤解をしているよ!

自閉症は先天性、生まれつきの脳の病気だよ!ヒキコモリの「自閉的性格」とは全く違う!
言葉が紛らわしいから、「分裂症」と同じく、新しい病名をつけることが
検討されている。

頼むから、一度、ちゃんと調べて、正しい知識をもって語ってくれ。

(自閉症という言葉を誤解しないで)↓
http://www.asahi-net.or.jp/~fe3s-mrkm/autism.htm
669名無しさん@1周年:02/11/27 15:13
668に禿同。「生まれてきた子供」の話とその成長の話をしておられるのに
なぜ「思春期」になるのか、わけわかめ。
670ひろし:02/11/27 16:10
>>660
ほらねって感じ(W
煙にまくというか、話をそらすというか・・・・
あなた達ってどうして、事実を事実として見ることが出来ないんでしょうね。
かわいそすぎる。

まだよく分かっていないものを信じるってことの方が、
傷ついてると思うが、どうか?
671名無しさん@1周年:02/11/27 16:20
 だいたいその娘さんが「自閉症」そのものか
どうかも定かではないと思えるけどね、その文
面だけでは。
 自分の娘の状態の、親としての受け入れ方
の方に寧ろ問題を感じますね。
672645:02/11/27 16:22
>668

今確認したら、確かにあなたの言うとおりだった。お恥ずかしい。
指摘していただいてサンクス。
673名無しさん@1周年:02/11/27 17:23
肥溜めのうんこもイエスキリストもあなた方の心の中に存在します。それらに対して汚いとか清らかとか、どう感じるも完全に自由です。
674ひろし:02/11/27 17:48
>>673
肥溜めは視認できるし臭いもかげるし、
触ることだって(触りたくないけど)できるんですがねぇ・・・
675名無しさん@1周年:02/11/27 21:42
>>672
伝道用のお決まりの泣かせ系の話に、予期せぬ揚げ足とり
でその筋の方がむかついてるのでは。
 それはさておき、自閉症の定義の点は別にして、決して
あなたの意見が的外れだとは思えません。
676ひろし:02/11/28 15:53
うちにも子供が1人居るかけど、そのこが3才くらいの時、
原因不明の呼吸停止状態に陥り、なんとか回復はしたものの
医者からは、酸素欠乏症による脳障害が残っている恐れがあるって
言われて、絶望したことがあるよ。
今は全然大丈夫で、小学校に元気に通っているんで問題ないんだけど、
あの時は、まじ自殺さへ考えた。

俺の場合、子供に何かあったとき、思考はほとんど停止状態で、
誰に何に原因があるかなんて考える余裕もなかったな。
イエスなんて、思いつきもしなかったよ。

どんな疾病にしても、何が原因かなんてのは、
分からないことの方が多いと思う。
だから、宗教に行く人は藁にもすがる思いからなんだろうね。
でも多分まだ、余裕があるんだよ。
677名無しさん@1周年:02/11/28 17:39
私の場合、神を信じる事ができ幸せですYO
神はいつも心にいらっしゃって、間違った事をしそうになると出てきて
戒めて下さいますし。
良い事をしようとする時は、一緒に微笑んで下さいますよ。
楽しい事も悲しい事も、主と共有し、主のみ言葉を聞けば癒されます。
ま、それでも悩むのが人間ですけどネ。
祈ることなんて滅多になかったのが、祈るようになりましたネ。
678645:02/11/28 17:42
>675

フォローをいただき、再度サンクスです m(_ _)m

>676

どんな人でも、最初は「こんな悪いことが自分の身に起こるわけがない」と考えて、
どうしても現実を受け入れられないと思います。普通の人なら、何度か医者の話を
聞いたり、病人の看護をしているうちに、「現実」を受け入れることになります。

ところが、どうしても「現実」を受け入れられない人がいると思います。私は、過去
に証券関係の仕事をしていたことがあるのですが、株が暴落した直後などに、特に
女性が多いのですけど、「私は電話で買い注文をした記憶がない」というクレームが
集中します。こっちだって、全会話の録音を残しているから、その気になれば反証
できるんですけどね。最初は、なんてずうずうしい客だ、なんて応対しているのです
が、中に本気で株を買った記憶がなくなっているらしいケースにぶつかります。
緊急避難的に忌まわしい記憶を消して、現実から逃避してしまう人が...。あとで
心理学の本を読んでみると、そういうのを「神経症」というのだそうです。現実を
忘れるためにアルコールやギャンブルに走ったりする。

そういう人が、もし宗教に走ったとしたら、家族の病気という現実を何か別のもの
で置き換えて「解決」してしまうのでしょうね。藁にもすがる思いで宗教の門を
叩く人の多くは、「神経症」と見分けがつかないかもしれません。
679645:02/11/28 17:56
>676

私は、「楽しい事も悲しい事も」あるがままの現実を受け入れられるように
なることこそが本来の宗教であると思っています。現実から逃避して、ひた
すら死後の幸福だけを「死にがい」にしたり、終末思想に走って、世界滅亡
の前兆を探して暮らすような宗教は、神経症のひとつにすぎません。

宗教とカルトの差は、現実を直視して、それに順応していけるかどうか、に
あるのかもしれません。ヨブが神からよしとされたのが、苦い現実を受け入れた
後であるのと同じように。
680675:02/11/28 18:11
>>678
 念のため、私自身はあげあしとりと考えていませんので。
 個人が抱える現実の問題は、それぞれ適切な対処でしか
解決できないのは言うまでもないことです。
 というのは、病気や経済的な問題など、信仰をもってさえ
いれば自ずから解決がもたらされて、轍に車輪をとられてい
るような難儀をするのは、「信仰・教会の活動に不熱心だか
ら」というような画一的な思考を時折見聞きするからです。
 とりわけ、うつ病や神経症のような症状の人にそのような
接し方をしては、ひどい苦痛を与えるだけだと思えます。
681ひろし:02/11/28 18:25
>>677
それは、良心という人の心です。誰でももってるものです。たぶん。
それを神の声ととるのは、その方が説得力があるような気がするからです。
ってか、自分の行動の責任転嫁です。

675さん。それで幸福なら、これ以上申し上げることはありません。
くれぐれも、ノンクリを哀れむなかれ。
682645:02/11/29 08:35
>680

禿同です。

>病気や経済的な問題など、信仰をもってさえいれば自ずから解決がもたらされて、
>轍に車輪をとられているような難儀をするのは、「信仰・教会の活動に不熱心だか
>ら」というような画一的な思考を時折見聞きするからです。

ふと思い出したのですが、イエスの時代の律法学者は皆、この種の思考の持ち主
でしたね。それを真正面から叩き潰したのが他ならぬイエスです。そして、敢えて
「盗賊や売春婦達の方が、あなた方偽善者よりも先に天国へ行く」とまで言い切った。

キリスト教会ですら、パリサイ人は健在ということでしょうか。
683645:02/11/29 08:38
引用した聖句は正確ではありません。多分に私流の解釈が入っているかも。
一応、念のため。
684名無しさん@1周年:02/11/29 08:54
神は自分たちの世界に人々を引き込もうと
必死になって光のまやかしで誘拐した。
たんまりとお金を集め更に自分を着飾った。
それでも光に目のくらんだ人々は神を信じた。
悪魔は言いました。
「幸せは自分の力で手に入れろ」と…
「俺を信じるな自分を信じろ」と…
「神など居ない」と…
685ひろし:02/11/29 12:12
闇による恐怖。これが光を正義とする思考のはじまりと思われる。
しかし、闇を安住とした生物もいる。

光は正義などではないことを悟らなければ、裸の王様は裸のままである。
686クレソンの花(男性):02/11/29 12:12
日本では、ほとんどの場合、ノンクリがクリになるのだ。
そして、ノンクリの時は思い出すのも厭なほど惨めだった。
だから、ひろしさんに
>くれぐれも、ノンクリを哀れむなかれ。
といわれても、実行できるかどうか?

あなたは「クリを哀れむなかれ」と言われて、出来る人なの?
687名無しさん@1周年:02/11/29 12:31
>>686
胴衣ですわ。クリになって、というか、今の牧師さんに出会って、
神に出会って、やっとホッとしたよな気するわ(藁)
688サタン:02/11/29 12:47
優越感とは、なんと哀れなものか!
悪魔を生んでいるのは
一体誰なのか?
自分がそうなるまで気づかないとは…
人間とは、なんて愚かで…
つい、手を差しのべたくなる…
儚い、子羊達よ!
689ひろし:02/11/29 13:30
>>686
やれやれ。自分がクリに引きこもってることを棚に上げて・・・。

あなたが惨めだったこととクリでなかったことは等位ではありません。
クリでなくても、立派な方はたくさんいます。
いえ、日本の場合、クリでない人の方が立派な方は多いでしょう。


「ノンクリを哀れむ人」に対しては哀れみを感じます。

>>687
逃げ込んだ、または引きこもったわけですね。
690クレソンの花(男性) :02/11/29 15:58
クリに引きこもると幸せになれます。
おいで、おいで(笑)。

あなたの言うことがとてももっともなんだけれど、
幸せそうでないので
言うことを聞く気になれんのだよ。

祝福がありますように。アーメン。
691ひろし:02/11/29 16:11
>>690
幸せってのは、どうゆう状況しょう?
その価値判断は、本人以外が決めることではありません。
また、幸せでいることが、生きることの究極の目的でもないと思われます。
692クレソンの花(男性):02/11/29 19:04
>幸せってのは、どうゆう状況しょう?
幸せはいつも心がきめるもの 相田みつお

>その価値判断は、本人以外が決めることではありません。
それを言うならいちいち証に口をださないのでは?

>また、幸せでいることが、生きることの究極の目的でもないと思われます。
疑問形で言われても、どう答えたらいいのかわからない。
キリスト教では、「神の栄光をあらわし(簡単に言えば神様のお仕事をし)、
神様を永遠に喜び、讃美すること」が人生の目的だけど。
それ以上の究極があったら、教えてください。

体験が無いと分からないだろうね。
お料理は食べて分かる。信仰の世界は信じてから始まる。


693YOSHIKI:02/11/29 19:09
おい、お前ら! ■神=謎の巨大コンドーム■ 
について何か知りたければ ■コンドーム■を使え!
■コンドーム■の使用法はここに掲載してあるぜ!
■コーヒー浣腸■のやり方も、ここに掲載してあるぜ!
http://www12.brinkster.com/uhikaru/a&w.htm

■コンドーム■をした感想は このスレでオレに知らせろよ!
http://music.2ch.net/test/read.cgi/classical/1037874647/l50
,,,,,,
694テンプル・ナイト:02/11/29 19:10
 私がシュ・イェスを崇拝しているのは、憎きイスラムの邪教とを叩きのめすためだ。崇高な使命だと感じている。
695名無しさん@1周年:02/11/29 19:11
ひろしたんは、自分が今求めているものを紙に書き出してみるといいかもよ。
なんだかんだいいながら、(中身は違えど)誰しも、知らないうちに幸せを
求めているもんだと思うよ、人間って。
(またケチつけられちゃうのかなー、この意見にも)。
696saty:02/11/29 19:13
信じる前、苦悩の現実に追いやられ、そこから逃げ出す為に主を求め、主を
信じたら、既に救われていることに気が付いた。
697名無しさん@1周年:02/11/30 11:10
>696
そうです。
主は私の全てをご存知ですから、苦しんでいる私というのもご存知なわけです。
その上で、具体的な言葉で生きる指針を指し示して下さる。
主との約束を守り、主から背かずに生きれば、天国へいけるのです。
698名無しさん@1周年:02/11/30 12:03
>694 この人はクリスチャンではありません。クリの評判をおとしめようとするアンチ・クリの巧妙な煽りです。
699名無しさん@1周年:02/11/30 14:38
>>697
>具体的な言葉で生きる指針を指し示して下さる。
勝手な解釈カモナー
700名無しさん@1周年:02/11/30 15:15
聖書の言葉は具体的だョ。
「求めなさい。そうすれば与えられます。
 探しなさい。そうすれば見付かります。
 門をたたきなさい。そうすれば開かれます。」
「わたしの名によって願いなさい。
 そうすれば与えられ、あなた方は喜びで満たされる」

701名無しさん@1周年:02/11/30 15:21
求め方は分かりました。聖書からどのような答えが得られますか?
702名無しさん@1周年:02/11/30 15:40
平安です
703名無しさん@1周年:02/11/30 15:47
>>700
ドコガグタイデキデスカ.....
704名無しさん@1周年:02/11/30 15:48
>>703
ハゲドウ
705名無しさん@1周年:02/11/30 15:56
>>702
答えてくださってありがとうございます。
702氏は、どの言葉から平安を得ることが出来ましたか?
そのような言葉は、聖書の中からどうやって捜すことが出来ますか?
706名無しさん@1周年:02/11/30 16:09
モーセの十戒は具体的。
1私をおいて他に神があってはならない
2いかなる像も拝んではならない
3神の名をみだりに呼んではならない
4安息日を心にとめ、それを聖別せよ
5父母を敬え
6殺してはならない
7姦淫してはならない
8盗んではならない
9隣人に対して偽証してはならない
10隣人の家、妻、奴隷、持ち物を欲してはならない
707名無しさん@1周年:02/11/30 16:16
荒らす(議論)な。ここはどうやってイエスを信じたかを書き込むスレッド。
純粋に証を読みたい人の迷惑です。他のスレでやって下さい。
708もと僧侶いま牧師:02/11/30 16:22
 日々の喧騒を離れ、古いお寺を訪れて、仏に手を合わせるという人は少なくありません。世の中が騒がしくな
ればなるほど、そのようにお寺や古い仏像に安らぎを求める人も増えてくるのではないでしょうか。私は以前、
僧侶でした。私は1962年に、寺の僧侶として生まれました。二つ上に兄がいましたから、寺を継がなくてはなら
ないということはありませんでした。高校生の頃から、「なぜ私は生まれてきたのか。なぜ生きていかなければな
らないのか」といった疑問が、絶えず私の心を支配するようになりました。周りの人たちを見ていると、夢の実
現に向けて、あるいはお金を得るために、わき目もふらず一生懸命になっています。しかし、生きている目的が
わからないまま、なぜ自分の夢やお金や名誉、社会的地位のために力の限り努力することができるのか、私には
不思議でなりませんでした。生きる目的とは何かを見いだそうと、私は自ら望んで僧侶の道に入ったのです。大
学では仏教を研究しました。やはり仏教は深遠で、その思想、哲学の中には、偉大な真理が隠されているように
思えました。いつかきっと真理に目覚める時が来るだろうという期待を持ち、山に行ってさまざまな修行もしま
した。
709もと僧侶いま牧師:02/11/30 16:24
 そのような私が人生の問題の解決を得たのは、仏教ではなく、聖書によってでした。私にとってまったく縁の
ないものと考えていたイエス・キリストとの出会いが、人生を変えました。私は1988年に、韓国仏教を研究する
ために韓国のソウルに留学しました。そして、ソウルにあるキリスト教会にも足を運びました。それはクリスマ
スの時で、初めは友達に誘われただけでした。しかし、僧侶としての宗教的教養として、聖書も学ぶ必要がある
のではないかと考え、その教会で聖書の勉強を始めました。すると、読めば読むほど、聖書の言葉が私の心に響
いてきました。人はみな罪をもっており、その罪のために身代わりとなってイエス・キリストは十字架にかかった、
という教えは大変興味深いものでした。しかし本当の意味を理解することはできませんでした。そしてある日、
ひとつ試してみようという気持ちで、「私は罪人です。どうぞおゆるしください。」と、神に向かって祈りました。
すると突然、涙があふれてきました。これには自分にも驚きました。私は泣きながら続けて、「神さま、ゆるして
ください。私の罪をゆるしてください。」と祈りました。その時、驚くべき変化が私に訪れました。それまで心を
支配していた。「生きるのは空しい、意味がない」という暗い思いが、まったく消えてしまい、今までに経験した
ことのない大きな喜びに包まれたのです。また、「神さまはいらっしゃる」という力強い確信が心に刻まれました。
「イエスさまこそ真理だ、私の人生はこのイエスさまのものだ、イエスさまが人生を導いていらっしゃる」とい
う喜びで心はいっぱいになりました。
710もと僧侶いま牧師:02/11/30 16:24
 それまで学び、求め続けていた仏教からは多くの知識を得ました。しかしそれらは頭だけのもので、まったく
私の生きる力とはなっていませんでした。仏を礼拝しても、極楽浄土に思いを馳せようとしても、それらを信じ
られない自分にきづくだけでした。ところが、イエス・キリストが私の罪のために十字架にかかったことを信じ心
を神に向けた時、人生を新たにする救いの手がさしのべられたのです。それは頭だけの知識でもなく、思い込み
でもなく、確かな経験でした。そして同時に、「私は天国に行ける」という確信も与えられました。私の人生は目
的のない、どこに行くのかわからないものではなく、神の国である天国に確実に向かっている、という揺るぐこ
とのない信仰が神から与えられたのです。
711もと僧侶いま牧師:02/11/30 16:25
 科学が進み、物が豊かになり、「仏や神などいない」という結論を出しているかに見える現代でも、お寺や神社
に参拝する人はますます増えています。これはいったいどうしてなのでしょうか。聖書では、唯一なる神が宇宙
万物を創造したと説きます。西洋人でも東洋人でも、世界のすべての人々は、創造主である神が造ったものであ
るといいます。それならば、子どもが親を慕い求めるように、人間ならばだれでも自分を造った神を求め、その
神に帰りたいとする本能的な要求を持っているのではないでしょうか。人々が、仏像などを見て思わず拝みたく
なる衝動にかられるのは、本当の神を求める心をもっているからだと思います。その本当の神とは、聖書に説か
れている唯一の神です。そして、その神に帰る道は、イエス・キリストを信じることです。私のように、イエス・
キリストから最も離れているところにいた者でさえ救われ、人生が変えられたのです。ですから、どんな人でも、
どんなことをしてきた人でも、救われない人はいません。また、自分の努力など必要ありません。ただ、イエス・
キリストを信じるだけで、すばらしい人生へと変えられるのです。
712名無しさん@1周年:02/11/30 16:28
クリスチャンの証に対する議論、否定的意見は、
それ専用のスレを立ててよそでやってください。
713名無しさん@1周年:02/11/30 16:49
>>705さんへ
>そのような言葉は、聖書の中からどうやって捜すことが出来ますか?
私の場合は、御言葉を読む際、自分の心に留まった箇所をピックアップして、
ノートにメモします。だらだらと長く読むより、その方が自分に合っていると思ったからです。

>聖書からどのような答えが得られますか?
>どの言葉から平安を得ることが出来ましたか?
私にとっての唯一の答えが、心の平安・安息をバロメーターにしています。
箇所は、エペソ6:14-17が特に大好きです。
問題に直面するなら、ノートを開きます。

実は以前、創価学会を信仰していました。
そこからキリストへと向かわされたのですが、
創価にいた頃は、祈りごとを祈ると、かなえられることはあったのですが、
人としての真理に触れる事はありませんでした。創価にいた経験は悪いとは思ってません。
私にとってのかけがえのない唯一求めていた答えが、「平安」でした。
平安・安息なくしては人は空しいのではないかと。。。
ヨハネの手紙も全部、好きな箇所であり、私にとって平安を得る、慰めの箇所です。
答えになっていなくてすみません。こんな感じです。
望んでやっと入社した今の会社なのに、人間関係につまづいて、
悩んでおりましたところ、会社以外の友人に誘われて教会へ行ったり、
聖書の教えに触れ、私に欠けていたものに気づかされ、それ以来
キリスト教の教えを信じております。
715名無しさん@1周年:02/11/30 17:46
>>714
主の祝福と平安があなたにありますように。
悩みも解決されること、祈ってます。(小さな祈りですが…)
716あずみ ◆eeV.9uSetc :02/12/01 22:59
 キリスト教を信じることと、イエスを主と信じることとは、まったく別。

 インチキなキリスト教のドグマ信じても、何にもならないよ。
717名無しさん@1周年:02/12/01 23:02
イエスがインチキだけどな
718名無しさん@1周年:02/12/02 13:37
>>716

キリスト教がすべてインチキだ、というつもりはないけど、自分とドグマの関係に
ついて批判的に見直すことは不可欠だと思います。「ドグマには一切の誤まりがない」
と決めつけて平気になった時点で、精神的におかしいところがある。しかも、本人
はいくら回りから指摘されてもおかしいとは思わない。一種の精神異常です。

シュナイダーによると、人間は誰でも精神異常の10の要素のいくつかを抱えている
そうです。ttp://www6.ocn.ne.jp/~gekkou-c/notes/sinrib1.html
この内、明らかに正常範囲を越えていると考えられるのが約2%もあるとか。「狂信」
の傾向が強い人がドグマを信じ込んだら、自分の力では抜け出せません。少なくとも、
自分に「狂信」の要素がないかどうか、点検してみることは決して無駄ではないと
思います。
719 :02/12/02 13:47

ここまでのレスで、気がついたが、事実を正確に伝えようとしている人がいない。

順番として「信じられた」の前に、必ず「信じたい」があるんだ。

キリスト教徒として、「信じたい」を通り越して「信じられた」人なんていない。

なぜなら、キリスト教では普通、「信仰」も神からの賜物と考えているから。

「奇跡を見たから」とかで「あっという間に信じた」ように思い込んでる人は、

実は「知った」と「信じた」を混同しているようなところがある。

しかし、「知った」には、計り知れない「神」について、

多くの誤った先入観や、誤解がついてくることがかなりある。

「信じたい」には、「私ごとき者にはとても思いの及ぶ方ではありませんが」という謙遜が育つ。

そして、健康的な「信じる」キリスト教徒が生まれるのだ。
720718:02/12/02 14:09
>順番として「信じられた」の前に、必ず「信じたい」があるんだ。

受験でも、最初から「自分は不合格になるんだから」なんて思っている人は
いないですよね。自分は必ず合格するんだ、と信じている。ところが、現実
には合格する人の方が少ないんですよね。そういう現実の荒波を正面から受け
とめてきた人なら、自分の信じることがそのまま事実だ、などという都合の
よい話などない、という批判精神が身についています。平たく言えば、世の中
は自分が望むようにいくような甘いところではない、ということを知っている。

その中で「自分が信じたいから信じる」というのは、かなり不合理なバクチで、
全人格を擲った賭けだと思う。しかし、それが勝つ保証がない賭けである(が、
自分には他に救いがないから、それに賭ける)と意識する人と、他人の言われる
ままに「勝つのは確実である」と信じ込まされた人とでは、信仰の「中味」が
全く違うと思います。
721名無しさん@1周年:02/12/02 14:21
なんだかんだカッコ良いこと言っても
8割の人は親類縁者がキリスト教で
仕方なくってことでしょ?
あとは聞こえが良いとかで入っちゃうバカな人。
722神との出会い:02/12/02 15:21
 人の一生は、どのように生き、どう死んでいくのか、十代の頃の漠然とした思いの中で大人の
言動を見聞きしていたことを思い出す。戦争、物・食糧不足、敗戦と激動の世を大人達は必死
に貧しさと戦い、苦しみ悩みの中でも何かに向う前向きな姿を見せてくれていたように思う。その何かとは物質的、精神的、文化的といったものだったろうか。
 養母が羽仁もと子のキリスト教信仰による「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」の生活に共
鳴して友の会に入会したことから、私は幼い頃より神の存在を信じ、この創造者、絶対者の前に
は嘘をつけない、罪は神を悲しませる……といった一面のみが少女期の心に焼きつけられて、自
分を律していたように思う。矛盾だらけの大人の社会を垣間みながら創造者の世界で生きていな
い私自身にも失望もし、愛に渇き、やすらぎを得られない不安定さを抱えての娘時代であった。
 
723神との出会い:02/12/02 15:21
神との出会いー新生活を目指しての結婚……理想に向って努力の日々は全力投球で活気はあ
るが疲れもした。夫との価値観のズレや子育ての喜びの反面、大きな不安を感じて次第に確かな
拠所を求めていった。自分の人生これでよいのかと立ち止まった時、羽仁もと子のことば「われらの生命の大いなる責任者には大いなる癒しと救いと育みの手がある」を思い出し、28歳の2月極寒の朝キリスト教会に足を運んでいた。

宣教師のタドタドしい日本語は天地創造の神、イエス・キリストによる救いの計画・真の愛、罪の救しについて語っていた。長い間求め続けていた確かなものがこの神にある!と直感、「すべての人は罪を犯した為、神の栄光を受けられず‥‥‥」
世の中や自分の中の混沌もここにあることを。
「わたしは心優しく謙っているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。そうすればたましいにやすらぎがきます。」と言われるイエスさまに信じ習って行こうとその日決心した。それから何十年、この方は私を裏切らなかった。きっとこ
れからも。
724ソロンあさみ:02/12/02 15:48
  キリスト教を信じることと、イエスを主と信じることとは、まったく別。

 インチキなキリスト教のドグマ信じても、何にもならないよ。
 \_____ ______/
         V
                    
        ∧∧      \  きゃあの☆アズミ!  /            
        (*゚ー゚).O                   
        ノ つ つ|       アズミチャーン       ソンナコトシカカケナイノ?    
      〜(  ノ               ウザイバカー  アンタノチテキレベルハ0サイジ?
_____U"U______ 
                  │∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
                  │ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧  )    )    (    (    )
(    )    )    (    (    ) ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧(    ) 
ステージ上で、所狭しと動き回るラッパーと、アーティストをより生かすために陰で助けるプロデューサ
ー、神の愛と豊かさを知るために学ぶ神学生、そして日本で生まれ育った韓国人。いろいろな立場を持つ
バーバルがずっと抱えてきた一つの問い。
「自分は一体何人で、何者なんだろう?」。自分を探す旅をし続けてきたとバーバルは本の中で正直に
告白する。「韓国人として日本に住むには根性がないとだめなのよ」と母親に言われ続けた少年はいつし
か努力を重ね、安定した職業を望むようになる。大好きだった絵やラップも、それで身をたてようとは思いも
しなかった。
日本では「国際人になってほしい」と願う親の影響でインターナショナル・スクールに通った。やがてアメリカの大学に進む。「い
い成績をとり、いい仕事に就こうと漠然と思っていた」。それなりの成績をとって、それなりの生活をする。友だちもいるし、彼女も
いる。しかし大失恋を経験する。「もう俺なんて、どうなってもいい」。生きる目的が漠然としていた上に、心をゆだねきっていた彼
女が去った時「ボロボロになった」。
飲んだくれていたバーバルを、同じ寮に住んでいた韓国人のクリスチャンが声をかけ、教会という場所に誘う。「牧師が、性や
金の欲望、この世の誘惑などについて話すと、なんだか僕のことを知っていたかのようだった。痛い言葉だったがなぜかここに真
実がある気がした」
教会主催のキャンプに行った。「僕は変わりたかった。すべてを注ぎ込んで好きになった彼女にふられ、僕は自分を受け入れる
ことができなくなっていたし、『人に認められる道を歩まなくてはいけない』という幼いころからの強迫観念みたいなものに、押しつ
ぶされそうになっていた」。
キャンプファイヤーの時に語られたメッセージ。今までの罪が次から次へと思い起こされてきて、プライドもすべてくずれた。「僕
は弱くてだめな男だ・・・」。
続けて語られた聖書の「放蕩息子」の例え話。「もう何もなくなっていた僕の心に染み渡るものだった」。父の財産を使い果たし
て帰ってきた息子を抱きしめた父の愛が神の愛を現していることと、「だめな男」を愛してくれる神の存在を知る。19歳の夏、バ
ーバルは弱いままの自分を、神の愛ゆえに受け入れた。
幼いころに「チョーセンジン!」といじめられた経験や、韓国の名前を名乗った途端アルバイトを拒否された経験、その結果知ら
ず知らずのうちに人に認めてもらいたくて努力重ねてきた自分自身。 無意識にコンプレックスとなっていた自分の姿を真っ正面
から見ることができるようになった。
努力をして人に認めさせてやると思い続けてきたVERBALが、自分に起こるすべての出来事や能力を、「賜物」として喜べるよ
うになった。
「神が与えてくれたチャンス」。バーバルは今の自分の立場をはっきりそう断言する。好きなのに否定し続けてきた「賜物」
が、思いもよらぬきっかけで生かされていることに素直に驚きと感謝を文中に表現している。最近は"espionage."という
レーベルを立ち上げ、「自分も生かされているのだから」と、他人の賜物を生かすプロデュース業を初めているという。
「神の計画はぬかりなくすべてつながっている」。m-flo・バーバル、26歳。今、夢を見失ったすべての人々に伝えたい言葉だ。
人生の困難にどう対処するか
 人生には、さまざまな困難があります。死、病、経済苦・・・。バブル崩壊後、終身雇用も崩れ、リストラ、
失業、老後の不安も広がっています。小説『罪と罰』で有名なロシアの文豪ドフトエフスキーも、青年時代に厳
しい試練を受けました。母の死、領地の農民たちの怒りによる父親の殺害、極度の貧困。さらに政治犯として逮
捕拘留され、官位や身分上の権利を一切剥奪された上に、銃殺刑の判決を受けました。彼は死刑のまさに直前に、
刑の変更を受け、シベリヤ流刑となりました。囚人としての四年間、読める唯一の書物である聖書を耽読しまし
た。どん底で彼の人生に奇跡と勝利を与えたのは、イエス・キリストの愛です。ドフトエフスキーは断言していま
す。「つまりキリストよりも、美しく、高貴で、優しく、理性的で、力強く、完璧なものはあり得ないと信じるの
です。いや、あり得ないというより、妬ましいほどの愛情を込めて、あり得るはずはない、と自分にきっぱりと
言い切るのです。」

人生の絶望や困難の原因
 聖書は、人生に死や呪いなどの絶望や困難が来た原因を、『そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が
世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がった』(ローマ5:12)といっています。人類の
罪が、公害のように悲劇や災難や呪いを生んできたのです。
絶望を希望に 不可能を可能にするために
 人間が罪を犯した結果受けた呪い、貧困、悲しみ、争い、病、死という絶望や不可能に打ち勝つにはどうした
らよいでしょうか。ドフトエフスキーのように、絶望を希望に変える神の愛を受け入れることです。天と地と海
とその中のいっさいを造られた神様は、私たち人間一人ひとりを愛しておられます。神様は言われます。『私の目
には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ43:4)。二千年ほど前に、父なる神は全人類
の救いのために御子イエス・キリストをこの地上に送られました。罪を犯したことのないイエス・キリストは十字
架で血を流され私たち人類の罪の刑罰を身代わりに受けられ死なれ、三日目に復活されました。人類がそれまで
絶望だ不可能だとしていたことを可能にしてくださったのです。イエス様は十字架を通して私たち人類の罪を打
ち破り、救いの道を開いてくださいました。イエス様の愛によって、人間にとって絶望であり不可能であったこ
とが希望となり可能となったのです。具体的にはどうでしょうか。
罪の赦し
 『私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです』(エペソ
1:7)。私たちが罪を悔い改め、イエス様を信じるなら、私たちの罪は赦され、神様は私たちを義と認めてくださ
います。十字架の血は私たちを雪よりも白くきよめてくださいます。十字架は私たちを罪責感からも解放します。
この血は、神様との和解だけでなく、人との和解の道も可能としました。赦せない人を赦す力も十字架の愛から
湧いてきます。

病や痛みと悲しみのいやし
 イエス・キリストの打ち傷によって、病や痛みと悲しみのいやしを受けることができます。『まことに、彼(イ
エス・キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛み(悲しみ)をになった』『彼への懲らしめが私たちに平安を
もたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた』(イザヤ53:4-5)。イエス様の贖いの十字架と復活により、
彼を信じる者に神のいやしがおとずれたのです。神様はどんな病もいやし、解放することができます。どこまで
も神様を信頼するのです。否定的な呪いの言葉をイエス様の御名で断ち切り、『彼の打ち傷によって、私たちはい
やされた』と告白し続けるのです。十字架の血により、いやしと健康は私たちのものです。
大いなる祝福の人生
 イエス様は私たち人類のすべての呪いを身代わりに十字架で受けてくださったので、信じるなら呪いから解放
され、祝福の人生に変えられるのです。
『キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖いだしてくださいました。
なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。このことは、アブラハ
ムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためである。』(ガラテヤ3:13-14)
 経済苦などの人生の諸問題に解決できる道をイエス様は開いてくださいました。
『また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくだ
さいます。』(ピリピ4:19)

死に打ち勝ち永遠のいのちが与えられる
 信じる私たちの中に神のいのちが注がれているので、たとえ肉体が死んでも、復活でき、永遠に生きることが
できます。イエス様を信じるなら、永遠の新天新地である天国はあなたのものです。
『罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。』
(ローマ6:23)
私の場合
 私も大学三年の時に、イエス様を信じました。このお方に信頼し従う決心をしたのです。その時まで、神経症、
母の脳溢血による卒中、参加していた合気道部の先輩の自殺という三つの試練が次々に私を襲い、恐れと絶望の
中にいました。しかし、悔い改めてイエス様を信じた時、私の内から恐れが出ていき、本当の不安と喜びが与え
られたのです。母もいやされ、クリスチャンになりました。その後、祈ると父のぎっくり腰もいやされ父も信仰
に導かれました。教会に来られた脳腫瘍の女性にも祈ると、彼女は神様の超自然的力でいやされ、担当医師に「こ
んなことは今まで見たことがない。学会で発表する」と言われました。絶望を希望に変える神の愛です。あなた
も、困難、絶望、不可能を、創造者であり、救い主であるイエス・キリストを信じて希望に変えていただきましょ
う。

イエス・キリストを心に迎えるための祈り
「イエス様。私はあなたを必要としています。私のために死んでくださりありがとうございます。今、私は心を
開き、あなたを私の救い主、人生の主として受け入れます。どうぞ私の人生を導いてください。イエス様のお名
前でお祈りします。アーメン」
732名無しさん@1周年:02/12/03 20:42
なんだかなあ 笑
 わたしがキリスト信者になった時、友人たちは「へー、あの人がクリスチャンになったって?」と、驚いたと
いうことである。なぜ驚いたのか。その第一の理由は、わたしが大のキリスト教ぎらいだったからである。わた
しには、キリスト信者という者は、妙に堅苦しい人種に思われてならなかった。上品ぶっているようにも見えた。
へんに優しげな種族とも言えた。それでいて、内心、信者でない者を上から見くだしているような、傲慢さがあ
るように思われた。それに、日本人が何も外国の神を拝むことはないという気持ちもあって、とにかく、わたし
はキリスト信者なる人たちに反感をもっていた。友人たちが驚いた第二の理由は、わたしが、あまりにも自堕落
な人間だったからである。当時のわたしを、友人たちはヴァンプ(妖婦)だと言っていた。美しくもないのに、
わたしには男の友だちが多かった。わたしは、生きることに何の喜びも持たず、いつ死んでもいいと思っている
投げやりな、虚無的な人間だった。およそわたしは、上品でもなければ、正直でもない。優しくもなければ、真
面目でもない。そのわたしがキリスト信者になったと聞いた時、友人たちが、「あの人が!」と、唖然としたのも
無理はない。
 このわたしが、どうしてキリストを信じるようになったのか。話は少しさかのぼる。昭和20年、敗戦を迎えた
時、わたしは旭川のある小学校の教師をしていた。教師をして7年目、23歳だった。わたしは旧制女学校卒業後、
検定試験を受けて小学校教師になったのは、まだ17歳未満であった。自分の口から言うのもおこがましいが、わ
たしは生徒に対しては熱心すぎるほど熱心な教師であった。それは、若い者が誰でも持っていうる情熱の故であ
ったろう。教壇に倒れるならば本望だと、本気でわたしは思っていた。そのわたしが、敗戦を迎えてのショック
は大きかった。敗戦によって日本はアメリカ軍に占領された。占領軍の命令は絶対である。その指令により、わ
たしたちの使っていた教科書は、いたる所、自分たちの手で真っ黒にぬりつぶさなければならなかった。わたし
も、受け持ちの四年生に墨をすらせ、何頁をひらいて、何行から何行までを消しなさいと、生徒たちに指示した。
生徒たちは、言われるままに素直に自分の教科書を筆でぬりつぶす。その姿を見て、教師であるわたしの胸はお
しつぶされる思いであった。昨日まで、教科書は手垢もつけないように、生徒たちに大事にさせてきた。その教
科書を今、筆で墨をぬる作業をさせねばならない。彼らの姿を見ながら、わたしは胸にぽっかりと穴があく感じ
をどうすることもできなかった。以来わたしは、何を生徒に教えるべきか、わからなくなった。今まで教えてき
た日本の方針が正しいのか、アメリカの新方針が正しいのか。そのどちらもまちがっているのか、わたしはわか
らなくなった。生徒に何を教えるべきか、わからなくなったわたしは、教師をやめた。
 そして、わたしは二人の男性と同時に結婚の口約束をするような女に堕落した。どちらか早く結納を持ってき
たほうと、結婚しようと思っていた。一生の一大事である結婚にさえ、こんな投げやりな考え方を持っていたの
であるやがてその一人が結納を持ってきた。ちょうどその日、わたしは貧血を起こして倒れ、間もなく肺結核を
発病した。こうして二年、療養生活にはいったわたしは、むなしさの果てに自殺をはかったこともあった。その
わたしにキリストを伝えてくれたのは、幼馴染の前川 正であった。彼もまた肺を病む医学生だった。だが、い
つまでたっても真剣に生きようとしないわたしの姿に、彼はある日、旭川の街を一望する丘の上で、わたしをい
さめた。その彼に応じないふてくされたわたしを見て、彼はいきなり、傍にあった小石で自分の足を打った。驚
いてとめるわたしに、彼は言った。「綾ちゃん、あなたが真剣に生きることを、ぼくは今まで神に祈ってきた。し
かし、ぼくにはあなたを救うことはできない。その不甲斐ない自分を、ぼくは責めているんです」彼の目に溢れ
る涙を見た時、わたしは全身を彼の愛がつらぬくのを感じた。それは、男が女を愛する愛ではなく、人格が人格
を愛する愛であった。以来、わたしの姿勢は変わった。だまされたと思って、彼の信ずるキリストを求めてみよ
う。わたしは、彼の背後にある何か輝く清いものを求めて生きはじめた。この世には信ずべき何ものもないとし、
キリスト信者を侮蔑し、きらっていたわたしも、彼の真実な生き方に心打たれたのである。その後、幾多の曲折
はあったが、わたしは遂に、病床で洗礼を受けた。忘れもしない昭和二十七年七月五日だった。
 わたしがどのようにして、神の子キリストを信じたか。それは、わたしの自伝「道ありき」や「光あるうちに」
などに詳しく書いてあるが、わたしは自分の小説「塩狩峠」の一節を引用して、その一端を伝えたい。小説「塩
狩峠」は、明治四十二年二月二十八日、北海道塩狩峠における列車転覆の際、一命を投げうって乗客の命を救っ
た一人のキリスト信者の青年をモデルに書いたものである。その青年は国鉄職員で、当時旭川運輸事務所主任の
職にあった長野政雄という人である。彼の死に感動した人々は、同時に彼の信仰に打たれて、続々とキリスト教
に入信した。彼は神と人とのために、いつでも死ねるように遺書を常時していたが、その血まみれの遺書の言葉
と長野氏の写真が絵ハガキとなって、彼の死後多くの人に配布された。次は、その彼が雪の札幌の街角で聞いた、
一伝道師の説教で、この説教は彼に大きな影響を与えた。
「人間という者は、皆さん、一体どんなものでありますか。先ず人間とは、自分を誰よりもかわいいと思う者で
あります。しかし皆さん、真に自分がかわいいということは、おのれの醜さを憎むことであります。しかし、我々
は自分の醜さを認めたくない者であります。例えば、つまみ食いはいやしいとされておりましても、自分がする
分にはいやしいとは思わない。人の陰口を言うことは、男らしくないことだと知りながらも、おのれの言う悪口
は正義の然らしむるところだと思うのであります。俗に泥棒にも三分の理という諺があるではありませんか。人
の物を盗んでおきながら、何の申しひらくところがありましょう。しかし泥棒には泥棒の言い分があるのであり
ます。
737名無しさん@1周年:02/12/06 18:34


 ☆★★ Merry Christmas ★☆☆
738私を変えた愛-三浦綾子- :02/12/06 19:31
 皆さん、しかし私は、たった一人、世にもばかな男を知っております。その男はイエス・キリストであります。
イエス・キリストは何ひとつ悪いことをなさらなかった。生まれつきの盲目をなおし、足なえをなおし、そして
人々に、ほんとうの愛を教えたのであります。ほんとうの愛とは、自分の最も大事なものを、人にやってしまう
ことであります。最も大事なものとは何でありますか。命ではありませんか。このイエス・キリストは、大事な
その命を我々に下さったのであります。彼は決して罪を犯さなかった。我々は自分が悪いことをしながら、自分
は悪くないと言う者でありますのに、何ひとつ悪いことをしなかったイエス・キリストは、いや善いことばかり
をしたイエスはこの世の罪を背負って、十字架にかかられたのであります。彼は、自分には罪はないと言って、
逃げることもできた筈であります。しかし、彼はそれをしなかった。悪くない者が、悪い者の罪を背負う。悪い
者が、悪くないと言って逃げる。ここにハッキリと、神の子の姿と、罪人の姿があるのであります。しかも、皆
さん、十字架につけられた時、イエス・キリストは、自分を十字架につけた者のために、かく祈り給うたのであ
ります。〈父よ(神よの意)、彼らを赦し給え。そのなす所を知らざればなり〉皆さん。今、自分を刺し殺す者の
ために、人間は祈り得るものでしょうか。イエスは赦し給えと祈ったのであります。これこそ神の人格を所有す
る方であると、わたしは思うのであります」
739私を変えた愛-三浦綾子-:02/12/06 19:32
 以上の伝道師の路傍説教を、小説の主人公は聞き、大いに心動かされ、やがて信仰にはいるのであるが、これ
は、言ってみればわたし自身の信仰告白である。わたしは前述したように、何のために生きているのかもわから
ず、虚無的な日々を送っていた。二人の男と結婚の約束をし、それをさほど悪いこことも思っていなかった。だ
が、そんな生き方を、もし続けていたら、一体わたしの人生はどんな一生になったことだろう。こんないい加減
な、その日暮らしの生活に、何の実りがあったろう。かけがえのない命をいたずらに亡ぼしてしまったにちがい
ない。この、わたし自身の心の汚さ、醜さのために、つまり罪のために、イエス・キリストが十字架にかかられ
たと知った時、わたしの生活は変わったのだ。今まで、どんなに罪深い生活をしてきた人でも、自分勝手な人で
も、手のつけられぬ人間と思われている人でも、自分勝手に愛想つきた人でも、そのままでいい。罪深いままで
いい。聖書にあるとおり、キリストは我々罪人を救うためにこの世に来られたのだ。ああ、私が悪かった、おゆ
るしくださいと言う人を、神は喜んで迎えようとしておられるのだ。だまされたと思って、あなたもイエス・キ
リストの神を信じてください。全く別の人生があなたの行く手に待っていることを、わたしは断言してはばから
ないのです。
740名無しさん@1周年:02/12/10 16:26
とってもすばらしいスレです。
非キリスト教徒の方々にぜひ読んでいただきたいものです。
741名無しさん@1周年:02/12/10 16:49
Aさんの心の痛みはAさん自身にしかわからない。それをBさんが自分のことの
ように痛みを感じようとしても、完全には不可能です。安易に「Aさん、私に
はあなたの痛みがわかる」と言うなかれ。Bさんがわかるのも錯覚なら、Aさん
がわかってもらえると思うのも錯覚にすぎない。

同じ理由から、Aさんが犯す罪と、心の痛みはAさん自身にしかわからない。
それをBさんが肩代わりできるというのなら、そこには誤魔化しがある。

自分に愛想がつきた人に、キリストが罪を償ってくれたから、あなたの罪は
許された、と言うのも錯覚にすぎないが、錯覚によってその人が癒されるのなら
よいことだと思う。ただし、くれぐれもそれが錯覚であるということを自覚する
ことだ。それは、かえって神を冒涜することになるから。神父や牧師は、「神は
あなたの罪を許された」とまことしやかに口にするかもしれないが、ことの真相
どころか、その人の罪がどういうものかですら知らないのだ。
742名無しさん@1周年:02/12/11 18:12
>741 「キリストが罪を贖ってくれたから、あなたの罪は赦された」と言うのは、その人が本当に悔い改めて、
   イエス・キリストを自分の罪からの救い主として信じ受け入れたなら、錯覚ではありません。
   錯覚だというほうが、唯一まことの神様を冒涜することです。十字架の贖いと復活は歴史的事実です。
   その人の罪がどんなものであれ、赦されるのが十字架の贖いです。キリストの十字架の贖いは完全です。(前半の意見は賛成しますがね。)

愛する天の父さん。主よ、どうぞ、741さんを憐れみ、イエス様に人格的に出会い、救われるようにしてください。
イエス様の尊い血潮で、この方を覆い、生まれ変わることができるように、霊的目が開かれるようにしてください。
真理がなんであるか、悟れるようにしてください。イエス様のお名前で祝福して祈ります。アーメン。 
743POWER OF LOVE:02/12/11 18:17
 肩まで伸びた髪、穴のあいたジーパン。教会の入り口の前を行ったり来たりしながら、なかなか中に入れない
一人のロックシンガーがいました。「自分は歓迎されるだろうか?酒や麻薬に溺れ、妻を裏切り、自らの欲望のま
まに生きてきた。こんな俺が、神に愛される資格なんかあるはずがない。ここは、俺には関係ないところだ。」…

 このロックシンガーが私、小坂忠のその時の姿でした。しかし、私がここで出会ったのは、私の考えをはるか
に越えた大きな愛でした。神の愛は、私と無関係どころか、神とは無関係に生き、自分勝手な生き方で人に悲し
みを与え、罪の泥沼に溺れていたこんな私をも救う愛であることを知ったのです。
 私が、教会に通うようになったのは、当時1歳10ヵ月のひとり娘に起きた事故がきっかけでした。台所で、煮
立ったスープを頭からかぶってしまったのです。急いで病院に連れて行きましたが、手当てが進むにつれて、負
った火傷のひどさがわかってきました。医者はベストを尽くしてくれたのですが、どこまで回復できるか全くわ
かりません。彼女の将来を考えると、不安で一杯でした。そのような時、最も励ましとなったのは、クリスチャ
ンであった妻の祖母の祈りでした。その祖母に誘われて、私は初めて教会に行ったのです。
 教会では、数人のクリスチャンが真剣に祈ってくれました。祈りが応えられて、娘はわずか1ヶ月で火傷の跡
がわからないほど奇跡的に回復したのです。私は、娘が癒された喜びと共に、祈りに応えられる神を知りたいと
思うようになりました。神とはどのようなお方か、神と自分にどのような関係があるのか知りたかったのです。
そのような時、私にそれを教えてくれたのが、次の聖書の言葉です。
744POWER OF LOVE:02/12/11 18:17
「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(イエ
ス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(聖書)
 私は、ひとり娘の苦しみに心を痛め、なやみ苦しんだことを思うと、「そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された」という神の愛が、どれほど大きく強いかがよくわかりました。そして、その愛が、愛される資格
のない私のために注がれていることを知った時、私は深い感動に包まれ、この神の愛を受け入れ、イエス・キリ
ストを心にお迎えしたのです。その時以来、私の人生は変わりました。何をしても満たされなかった私の心の中
に、神に愛されている喜びが泉のように湧き上がるようになったのです。
 武力、経済力、学力、体力、……。私たちの周囲には様々な力があります。しかし、一番大きな力は愛の力で
す。神の愛は罪の赦しを与え、救いを与え、不安な心に平安を与え、失望している心に喜びと永遠の命の希望を
与え、新しい人生を与えます。
 今、これを読んでくださっているあなたも、この神の愛と決して無関係ではないのです。「世を愛された」とい
う「世」とは、あなたのことだということを知ってください。私たちの罪のために十字架につき、死んで葬られ、
三日目によみがえられたイエス・キリストこそ、あなたを愛する神の愛のあらわれなのです。この神の愛が、今、
あなたの上に注がれているのです。
745名無しさん@1周年:02/12/11 18:48
>>711
わかった。あの人だ。
746名無しさん@1周年:02/12/11 18:50
747名無しさん@1周年:02/12/11 18:53
>「なぜ私は生まれてきたのか。なぜ生きていかなければな
>らないのか」といった疑問

単にクリスチャンになっても、その疑問の答は得られません。
予定説によってのみ説明が可能です。
748名無しさん@1周年:02/12/11 18:56
私は高校生のとき聖書を読んだり、プロテスタントの伝道番組を見て教会に行きたいと思った。
しかし、同じ頃ファチマやルルドの奇跡などに興味を持ってしまった。しかし、マリヤ崇敬が聖書と矛盾しているので、神様に回答を求めたが、何時の間にかマリヤに回答を求めるようになってしまった。
始めて教会(プロテスタント教派は伏せる)に行ったときにはマリヤ崇敬をしており、その結果、金縛りも経験していた。
しかし、プロテスタント教会にはマリヤ崇敬がないので、その後、カトリックに行った。
しかし、プロテスタントの伝道番組を見てキリスト教に興味を持った私は、そこに留まる気にはなれず、最初の教会に戻り「マリヤ崇敬をするべきだ」と主張し、それを認めさせた上で、そこに留まろうと考えた。
★その結果、門前払いされ、教会を追い出されたような結果になってしまった。まだ、高校生のときだった。
その後は、教会には行かず、マリヤ崇敬をしながら、聖書を読んだりマリヤ崇敬という聖書と矛盾する行為に説明を付けようと外典を調べたりしていた。
夜、天使祝詞を唱えると金縛りになる場合が多く、稀に、幻聴を伴なう金縛りもあった。
夜中に天使祝詞と主の祈りを唱えているときに、異常な幻聴を伴なう金縛りを経験し、危険を感じて天使祝詞を止めることにした。

その後、他の教会に誘われて、行ってみた。何回か行っているうちに、ある神学校の元校長が、教え子(宣教師)をたずねて、教会の近くの家庭集会に来たからマリヤ崇敬の事で質問してみた。
回答は概ね1の@BCとEの一部程度だったと思う。
次に奇跡の事も質問してみた。回答は「悪魔によるもの」癒しはどうなのか?それも 「悪魔」という回答。
★の牧師が何一つ教えてくれず、私を追い出した事に比べると、遥かに丁寧な回答であったが、完全には納得いかなかった。
だから神様に直接回答を求めた。(★の教会から追い出される前にも、神様に回答を求めたつもりだったが、その祈りは何時の間にかマリヤ崇敬になってしまっていた)
その直後、カトリック教徒に会う機会があり、マリヤ崇敬に関する話しをした。意外な事に、その人はカトリックでありながらマリヤ崇敬の事を「迷信です」と言った。
私は、その意外な発言を聞いたとき「今、神様が答えて下さったのだ」と思い、納得する事が出来た。
749748:02/12/11 19:02
イエスを受け入れたのは、ジミー・スワガートアワーを見たときか
>その後、他の教会に誘われて、行ってみた。
その際、宣教師の導きによってだったか、自分でも良く分かりません。
しかし、救われたと感じたのは
>その人はカトリックでありながらマリヤ崇敬の事を
>「迷信です」と言った。
そのときだったような気がします。
750マジレス:02/12/13 01:04
学校の課題で教会出席レポートを書く為に礼拝に行った時、一番印象に残っているのは
その教会にいつも通っている人達の冷淡さとデムパっぷり。
宿題の為とはいえ、常識的に行動していたんですけどね…キリ教信者以外は教会に
来るなってことなんでしょーかね。
751名無しさん@1周年:02/12/13 01:25
>>750 うん、自分とこも、人付き合いは淡々としてる人が多いと思う。
信者増やしたいならもっと愛想笑い位した方が。。。とも思うときがある。
困ったことあると命投げ出しても助けてくれそうな人たちだと分かったのは
ずっと後だ。

あと、聖書とかキリストの十字架の贖いとか真剣に、事実として信じている
人たちだから、普通の「知性」からそれを解こうとしても、
そのストーリー自体が電波に感じるのではないだろうか。
別に教会に来るなというのはサラサラないが、(無関係な人を救うための
もんだし)、神を求めたいというような気持ちがない限り、
教会って大方つまんないんじゃないかな。神様と交わるための場所だし、
そもそもが。
752名無しさん@1周年:02/12/17 14:55
宗教板の中でもきっての良スレッド、
真摯なキリスト教信徒のみなさんどしどしカキコください!!!
753名無しさん@1周年:02/12/17 17:25
>>710
お世話になりました。
754名無しさん@1周年:02/12/17 17:37
罪を犯したら(神様に背いたら)天国には行けません。
どんな人でも多少は罪を犯します。

しかし、キリスト・イエスを信じ、心の中に受け入れた人は、それだけで正しい人と認められ、天国に行けます。
「信仰義認(しんこうぎにん)」と言います。
ローマ3章21節〜31節。ガラテヤ2章16節。ヨハネ1章12節。ローマ10章9〜10節。

良い行いをしても、それは救いを左右するほどのものではありません。
※良い行いや、罪を避けることが無駄というわけではありません。
マタイ6章19〜20節。マタイ5章18〜19節

複製は禁じられているのですが、キャンパス・クルセードの小冊子から引用します。
次のように祈ってみてください。


イエス様、私はあなたを個人的に必要としています。わたしの罪の為、身代わりに死んでくださりありがとうございます。
私は今、心の扉を開き、私の罪からの救い主、人生の導き手として、あなたをお迎えします。
私のすべての罪を赦し、永遠の命を与えてくださりありがとうございます。
私の心の中で私を導き、あなたが望むような者に、私を変えてください。
イエス・キリストの御名(みな)によって祈ります。アーメン

クリスチャンとは、イエスを主と信じ心に受け入れた人のことです。
洗礼を受けたときにクリスチャンになるというわけではありません。
755名無しさん@1周年:02/12/19 15:57
罪の償いは、罪を犯した人が日夜悶々と苦しむことによってのみ清算されるの
じゃないだろうか。信じたら救われるなんてナンセンスだよ。救いへの道が
始まるというのならわかるけど。

「信仰義認」は、そのまま信じちゃいけないよ。子供に夢を持たせるために
サンタさんがいるのと同じこと。重大なのは、「信仰義認」を通じて自分の
一切を神にゆだねられるかどうか。一般の人と歩く道も距離も変わらないが、
罪を許してもらえた、という気持ちでずいぶんに楽になる。そういうものだ
と思うよ。
756万軍の主 ◆YHWHumrPSY :02/12/19 16:02
てか、神なんていないし
神の漏れがいうんだから、
まず、間違いないし
757万軍の主 ◆YHWHumrPSY :02/12/19 16:14
おっと、でもこれ
ナイショの話だから、
他言は控えてくれよ、
良い子のみんな
でもこれホント
758名無しさん@1周年:02/12/19 17:38
 私はキリストを受け入れる前までは、全て自分中心でした。
自分の正当性を主張する為だったら、争う事もしばしばありました
そんな私が何故キリストを受け入れたかと言うと、前の会社にいる時の事で、
ある大きな仕事が終わり、ふと気付くと代休が3カ月貯まってしまいました。
かなりストレスも溜まっていた事もあり、2カ月の長大型連休を取った時の事です。
実家の飯田に帰ってきて過していると、
無料で英会話を教えてくれる所があると聞き早速習いに行きました
(ただほど高い物は無いと思いながらも)。
一応キリストの教会だと分っていたので、宗教には絶対にはまらないよ
うにしようと思ったし、私は絶対大丈夫だと自信もありました。
授業の内容はと言うと、英語の聖書を教材に勉強しました。
先生は別段普通で、キリスト教についての話をする訳でもなく、
勧誘をするそぶりも無く淡々と英語を教えてくれました。
ただ時々、聖書の内容にそってイエス様のすごさやイエス様に対する愛を熱く語る時がありました。

最初は何とも思いませんでしたが、ある時そこまで言うなら
ちょっと聖書なる物を読んでみようか、読んでから判断したって遅くないと思うようになり
日本語で書いてある聖書を購入しました。
購入後、時間があったのも理由の一つでしたが、夢中になって聖書を読みました。
何故か分らないが、これこそ真理だと確信しました。当然イエス様も受け入れました。

それからと言うもの自分という人間が徐々に変わっていくのが分りました。
争いを好まず、人に素直に仕える事が出来るようになり、
今まで抱えていたこの世的な悩みはキリスト・イエスにあって
大した問題ではなくなりました‥・・‥が、
今となっては、イエス様に従順について行けない自分が
まだ残っている事の方が重大な問題です。
あ一罪深き私をお許し下さい。アーメン
759名無しさん@1周年:02/12/19 18:38
自費で孤児院建てて、ボランティアで地雷除去作業中に爆死した
イスラム教徒、この人生前真っ向からイエス否定してたから地獄行き?
760名無しさん@1周年:02/12/19 19:32
「神の国は、実にあなた方の間にある」
生前、神の国に生きている人が、
死んで地獄に行くというのは
考えにくいが。

あえて言うなら、イエス・キリストのいる天国では無くて、
酒はうまいし、ねーちゃんはきれいで、皆処女という
イスラムの天国におられるでしょう。

あなた様が、イエス様を信じて、
イエス・キリスト様のおられる天国に
行くことができますように。アーメン。
761名無しさん@1周年:02/12/19 19:55
何がアーメンだ。
おまえらは地獄行きだ。日本は神国だ。
邪教をやるなら畜生国でやれ。
762ゆうちゃん@神:02/12/19 19:58
ゆーちゃんが神らよ

ひざまづくのにゃんw

説法聞きたい人はかけ、書きやがれなのにゃんw

http://www.free-bbs.net/html/yuka9677.html





763名無しさん@1周年:02/12/19 20:22
そんなこと聞いたら、どっちの天国か迷っちゃうジャナイカ
アーメン
764名無しさん@1周年:02/12/19 23:50
日本は敗戦国!!

最近、おめでたいことがあった。
ロケットが4回発射成功した。

でも、30年前にアメリカは月に行って帰ってきてる。
深刻、なら、認めてあげるよ。
765名無しさん@1周年:02/12/20 00:33
日本は神の国、耶蘇教徒はキチガイ。
耶蘇教は鬼畜の宗教だ。
神聖なる日本から耶蘇を排除せよ。
766名無しさん@1周年:02/12/20 17:59
マルコーシュ・パブリケーション刊の「世の終わりが来る」に
黙示録の七つの教会について興味深い解釈がされています。

関心がおありの方はお読みになってみられては。
再臨についても記述あり。

イエスさまがお生まれになられたのはBC.5年だともいわれています。
そうしてヨハネの洗礼を受けられ公生涯にはいられたのはAD.26年。
さ〜て、この年を西暦紀元にしたなら、
2000年はいったいいつになるでしょう?
767名無しさん@1周年:02/12/20 18:06
>>766
携挙についても書いてあるよ。

「あなたが、わたしの忍耐について言った言葉を守ったから、
 わたしも、地上に住む者たちを試みるために、
 全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。」
 
主よ、きたりませ、アーメン。
768名無しさん@1周年:02/12/22 22:18
私は小さな頃から仏教を信じていて、もちろん家族も仏教徒です。
しかし最近聖書に興味を持ち、キリスト教について学び、その愛の精神に深く感動しました。
でも、どうしてもキリストの奇跡について理解できないのです。
処女受胎や、亡くなって3日で生き返ったことなど、クリスチャンの方は本当に事実として受け入れていらっしゃるのですか?
信じないと救われないのでしょう?
私を納得させる答えを下さい。お願いします 
769名無しさん@1周年:02/12/22 22:29
スレ違いでしょうが、一言。
司祭でも信じてない人はいますよ。我が教派では(笑)。

でも、奇跡無しにわたしのようなものが、天国に行けるわけないし。
調べてみると、この宇宙と言うか、世界は、
奇跡というか、わたしどもの想像を絶する世界ですし。

10年でも、20年かけてでも、
こんな事が信じられるようになるとしたら、
それだけでも、不思議でしょ。

奇跡なんて信じられない、と言った女の子に、
「あなたは、奇跡の無い宗教と、奇跡のある宗教のどちらを信じるか?」と
聞いたら、奇跡のある宗教と答えましたよ(笑)。
770名無しさん@1周年:02/12/22 22:51
>>768 回答になるかわかんないけど(質問箱じゃないから、いいか)、
私も「事実として」自分の中に受け入れるまでに、気がつけば
実に10年以上が経過してた。(イエスが幼子のようでなければ。。。と
言われた意味がなんとなくわかる)。でも信じたフリだけはしたくなかったし、
しなくて良かったと思う。

ゆっくりゆっくり。。。神様は本当に
ひとりひとりに合わせた歩みで、求める人に答えてくれる、と思う。
お祈りは良いよ。「神様こんなこと信じられません、イエスさま本当に
いるなら教えてください アーメン」。答えられたとき、イエスさまが
勝利の方で、今生きておられる!と、ためらいなく証しできるようになった。

イエスの愛はあなたを招いている!良いクリスマスをお過ごしください!
771名無しさん@1周年:02/12/22 22:56
>>768
「信じる」というのは別に、
聖書から根拠を掴みたいと思うなら、旧約の預言を学ぶ
というのも、いいと思う。何故、処女懐妊でなければいけなかったの?
その根拠は旧約にあって、ダビデの血筋からイエスは生まれると
預言されていたから、父と母がヨセフとマリアである必要はあったが、
ヨセフとセックスする前でなければならなかった。その根拠も、
旧約の中にある。2000年以上かかって(旧―新)40人以上の人の
手によって書かれた聖書が、一貫性を持って、マリアの処女懐妊を
証ししている。スゴイ本だと思う。
772名無しさん@1周年:02/12/23 00:11
家がクリスチャンホームなので、信じるというよりは、疑ったことがなかったよ
大人になってからノンクリからクリになるんだったら、時間がかかったかも。
773名無しさん@1周年:02/12/24 18:01
私は769さんの意見が一番、正直だと思うけどね。

まずは、人間の側に「自分は罪深い」という自覚と、「その罪から救われたい」
という欲求があり、神に救いを求める。仏教でも、阿弥陀如来の救いを説くけど、
誰も阿弥陀様に遇った人がいるわけでなし、ただ「地獄落ち確実の私のような
悪人を救ってくださるのなら、ありがたい」という気持ちだけが根拠ですよね。
キリストが救世主だというシナリオも、こうした人間からの救いの欲求が生み
出したものだと思います。ただし、それを迷信として切り捨てるべきではない。
救いを求めることが人間の特質で、宗教はそれを満たしてくれるものだから。

言っちゃあ悪いが、771さんのような「我田引水」をする信者がまだまだいる
うちは、キリスト教は真の宗教にならんわな。
774名無しさん@1周年:02/12/24 22:58
>>773 771がなんで我田引水なん?処女降誕のこと聞かれて、
聖書調べるといいよ、という回答がどうして?よーわからんちん。
          「昭和20年8月、終戦のあの静かなとき、隣のクリスチャン平田姉が貸してくれた賀川豊彦の伝記の印象が私の心を離れず、
帰国後の教会生活の原点となった。」

 私は昭和5年1月31日、今の北朝鮮平安南道鎮南浦市で生まれました。

 昭和20年8月15日の終戦の日は、平壌第一中学3年で、市内の中学3年以上の学生が、山中の飛行場建設作業に動員さ
れ、百日の突貫工事を完成し、夏休みのときでした。先生は「この戦いで我々は科学で敗れたのだ。」と唇をかんだのを思い出
します。

 朝鮮は38度線で南北に分断され、満州、中国は蒋介石と中共が支配することになり、支配権が確立するまで空白の時代
に、満州から日本人がリュック一つに、子供を背負って南下してきました。平壌はその通路で、大量の難民であふれていまし
た。まもなく私たちも官舎が接収され、平壌の知人の二階の一室に三所帯が疎開しました。ロシヤ軍が進駐してくるまでのわ
ずかなとき、私の住む官舎の向かいの家に平田さんという九州出身のクリスチャンの中年の婦人が住んでいました。彼女は中
学三年の私にたくさん本を貸してくれました。その中に賀川豊彦の伝記がありました。全部読んだわけではないのですが心に
残ったのです。
  昭和21年5月末、平壌在住の日本人に帰国の許可が出て、無蓋車(屋根のない貨車)で国境まで運ばれ、38度線を徒歩で
渡り、一週間かかって南朝鮮に京城に到着、更に二週間の滞在の後日本への帰国許可。南朝鮮の仁川港から出港、玄界灘
を渡り博多に到着、父の実家、新潟県葛塚町黒山に着いたのは、平壌を出てちょうど一ヶ月後でした。母は私を連れて新発田
中学校に行き編入手続きをし、昭和21年7月2日より、私は中学三年として通学を開始しました。私の新発田町の親戚の奥二
階での間借り生活。まもなく五軒先の貸本屋に賀川豊彦の本があるのを見つけました。早速「一粒の麦」という本を借りて読ん
だ。ものすごい感動だった。

 帰国後一年くらいして父は、フィリピン・ウマヤンにて爆死との公報を受けた。また、私は帰国途中の栄養失調からか、肺結核
と診断され、失望の中にあった。そんなとき賀川豊彦の生き方は大きな希望となり、教会へ行ってみたいという願望が大きくな
っていった。幸い高校二年の友人が教会へ案内してくれた。その日は青年会の日で、女学生もいっしょにゲームをして遊んだ。
当時は男女別学で女学生もいっしょの生活は新鮮で、新しい時代の象徴のように思われた。その後、教会での説教はあまり
心に響いてこなかったが、楽しい教会生活で礼拝のみ守る生活が続いた。高校卒業後一年目のクリスマスのときに(昭和25
年)私は洗礼を受けた。キリストの救いはわからなかったが入学のつもりで受けた。 昭和31年、私の弟が東京商船大学を卒
業、東京で船員試験の受験勉強、その年の7月私も母の手伝いの商売をやめて上京、弟と一緒に大学受験の勉強をはじめ
た。昭和32年4月、茨城大学教育学部数学科に入学、八年遅れの大学生活が始まった。
777人生はよい出会いによって決まる:02/12/25 13:36
 大学ではクラブYMCAに入部、福富啓泰先生の聖書講義、そのころ水戸キリストの教会では高尾利数先生が牧会しており、
熱気に満ちていた。私と妻は、当時めずらしいテープレコーダーを秋葉原で買って、高尾先生の話を録音、水戸国立病院の結
核病棟で患者といっしょに聞きながら共に学んだ。
 昭和36年3月大学を卒業、昭和37年茨城キリスト教学園高校が中学校を新設するからと招聘され就職。ところが教師にな
るやクリスチャン教師として扱われ、学年礼拝の説教を分担することになった。生まれてはじめての説教。私は真剣に聖書を学
びなおし、説教しました。今でも私は生徒の心に響く説教をしただろうか、救いの喜びを伝えただろうかと心が痛むことがありま
す。
778人生はよい出会いによって決まる:02/12/25 13:36
 その私が定年退職して三年目(平成5年)の夏、信徒伝道ハンドブックを読み返していたとき、ルターの言葉に出会ったので
す。「主は、金銀の力によらず、ご自身の神聖にして尊き血潮と、罪なくして受けたもうた苦難および死をもって、神から離れ、ま
た罰せられるべき私を、すべての罪と死と悪魔の力より救いたまいしことを信ず」という信仰告白文である。このとき、「あっ、こ
れが救いなのだ。神はひとり子をこの世におつかわしになったのは、私を罪の中から贖いだし、神の恵みに生きる者にするた
め、自らの身を捧げて下さったのだ。」今まで心に響かなかったことばが、神のことばとして心を打つようになったのです。これこ
そ神の御霊の働きなのです。その後、高等学校聖書科の藤山先生よりローマ書3章21〜26節はキリスト教の中心が書かれ
ているとすすめられ、内村鑑三の聖書注解全集ロマ書の研究を手引書として読み直した。  そしてわかったのです。自分の救
いは自分の努力によって得られるのではなく、神がとりなしのみわざをすでになし遂げて下さっている。それを信じて従うことだ
と気づいたのです。  内村鑑三の聖書注解全集の中で、「神のひとり子の貴い血が万民のために流され、その死が万民の罪
を一身に担いて贖いの死であればこそ、罪ある我らも罪なきものとして見られ、義ならざるわれらも義なるものと見なされるので
ある。されば、キリストの贖罪は実に福音の根底である。」と。  人の救いのためキリストの贖いのわざがすでに完成している
のです。私たちはそのみ業をなして下さった神を信じて仰ぎ、みことばに従って歩むのみでよいのだと教えられたのです。ハレ
ルヤ。
779名無しさん@1周年:02/12/26 22:06
キリスト教徒たちは
祈り・聖さん・礼拝などの習慣や
それ以外の日常生活の体験を
イエスに結びつけて解釈する生活を繰り返すことにより
キリスト教は正しいという確信を強めていくと考えられる

しかし
これらの体験によって信仰が強められることは
キリスト教は正しいかどうかということとは
全く無関係の話である

なぜなら
キリスト教が仮に誤っていたとしても
このような生活を繰り返せば
信仰は強められていく傾向にあることに変わりはないからである

このような心理状態・心理過程や信仰心理が存在することは
キリスト教が正しくなくても起こるということである

このような習慣により信仰を強めていくのは
キリスト教徒に限った話ではなく
イスラム教徒でもキリスト教の異端と呼ばれる分派でも
同じことなのだ
780名無しさん@1周年:02/12/26 22:09
>>779 ・・・と、いう仮説。
私は一度教会に行って、祈ったりしたけど、理解できなかった。
それきり8年以上行かなかったけど、キリスト信じたよ。
求める気持ちがガーッと湧き上がって、聖書読んで、祈った。
今は信じたので、通っている。
だからその「習慣説」はチト当たっていないという気がするな。
781779:02/12/26 22:15
>>780

そうか

只、あなたも自分の体験により信じたということでしょ?

あなたは
求める気持ちが生じ
その結果再度キリスト教を学び
信じるに至った

俺の述べたかったのは
そういう過程を通って信仰に至っても
それは正しい正しくないとは別の次元の話だということです
782名無しさん@1周年:02/12/26 22:18
>>781

つーか、信仰というのは正しいとか正しくないとかの問題ではないと
思う。哲学板へお行き。
783779:02/12/26 22:23
>>782

正しかろうと間違っていようと
そんなことは自分にとってはあまり重要ではない
自分は信じるというスタンスで生活するってことか

もちろんキリスト教徒は
間違っていても信じるみたいには考えないだろうけど
784名無しさん@1周年:02/12/26 22:54
自分自身の傲慢さに気づいたことはありませんか?わたしは若いときには
たいがいの若い人間がそうであるように、物質的な豊かさや目の前の快楽
が人間にとって幸福をもたらすものと考えがちでした。もちろん生来の理想
主義も持ち合わせていましたから、自分が正しければ世の中との調和が図ら
れるはずだと信じていました。
しかし、現実の世界とのさまざまな軋轢の中で自らを見失い、いわば悪と
汚濁・屈辱に埋もれる日々を過ごしました。今思えば、恥ずかしく、ばか
ばかしいことも多く行いました。
人間の思い上がりといいますか、ばれなければ何をしてもいい、とにかく
人に抜きん出たい、競争に負けたくない、といった本能こそが、自分自身を
不幸にし、周りとの疎外感を深めていたことにある日気がついたのです。
イエスは神の国と地上(世俗)の価値を峻別し、神の国をめざすことを求め
るとともに、地上の価値を別の世界の無価値なものと切り捨てられました。
苛烈であり、極論とも思える思想ですが、私が精神的な行き詰まりを覚えた
ときにある種の爽快感をもって受け止めることができました。
自分自身を愛するよりも、神に愛される人間になる方がずっと簡単なように
思えるのですが、いかがでしょうか?幼子のごとく、なんの力もなく、無邪
気に、ほめられもせずに生きるだけです。
芥川龍之介がアフォリズム集の中で、道徳を拾得するには意識的な
努力がいるとか何とか言ってるが、信仰も同じだ。そもそも、それ
はイエス自身の教えでもあるからな。
786名無し仔猫@1周年 ◆.EDMOUBKE2 :02/12/26 23:09
 正確には「良心は我々の口髭のように年齢とともに生ずるものではない。
我々は良心を得るためにも若干の訓練を要するのである」。
 ちなみに次の断章は「一国民の九割は一生良心を持たぬものである」、
だってさ・・・。「侏儒の言葉」ね。
787名無しさん@1周年:02/12/27 09:00
何が一番悪いって、自分を騙すほど悪いことはない。
心の底にある疑いを素直に認めることが良心の基本なんじゃない?
788名無しさん@1周年 :02/12/27 10:00
どの評論も、証が持っているインパクト、感動が無いな。
よほど、本を宣伝した方が、感動がある。

「マイ ライフ」 レーナ・マリア・ヨハンソン
いのちのことば社
・・・寂しくなることもありました。
そういう時は、小さい頃から教えられ続けてきた、「イエス様は最高のお友達」
ということばを思い起こし、イエス様にお祈りしながら、
心の中にあるどんなことでも打ち明けました・・・
主イエス・キリストが私といつも共におられるので、
私はいつも喜んでいられます。

789名無しさん@1周年:02/12/27 10:30
宗教を信じれる時、日本においては特にキリスト教信者はそうなんだが、
孤独を感じた時に誘われて行ったようだ。
苦しい時・悲しい時に出会う神という要素が多いようだ。
もう一人の自分、心の友的感覚が大きいと思う。
ただ、その想像を行うためにどのような神であるのかというものは
ひとつでなければならない。

そのために聖書があり、カトリックやオーソドックスなら
聖像というものや、聖堂を天国のように飾ったり、
α波を出すような音楽、視覚的・聴覚的効果を副次的に取り入れる。
プロテスタントでも音楽を用いるが、これは両者と概念が異なるようだ。

日本人にとって神とは特別なものではなく偏在しているものらしい。
親であり、友であり、先祖であり、自然のものだったり、
日本人は色んな神がいるらしい。全て対話できる存在である。
他にも仏教の仏という像もあるらしい。
>>787
 判断逃れのために疑うのと、信仰に基づいて浮上する懐疑は違う。
疑うだけなら猿にも出来る。
791名無しさん@1周年:02/12/27 11:52
>>789

偏在の「神」は創造主にはなりえないからねえ。。。
言葉が一緒で紛らわしいけど。良く日本人はどんな神でも受け入れるから
柔軟だ、なんていうけど、「どんな神でも受け入れる」ということと、
「創造主である神を受け入れる」というのは裏表の関係にあるからね。
言葉の混合はよくないね。
792名無しさん@1周年:02/12/27 12:37
>>790

嘘を言うな。懐疑は人間だけに与えられた特権だ。その特権を活用しないで
自分を騙す奴こそ猿以下だ。
793792:02/12/27 12:43
懐疑することは勇気がいるんだよ。答えのない宙ぶらりんの中で堪えつづけな
ければいけないから。その孤独感に堪えられる者だけが、自分の心にある懐疑
とまっすぐに向き合える。孤独を恐れて、他人が用意した既製品の「真理」に
身を投じるのは、単なる迷信者だ。自分を見失って、小を捨て大に走る、大衆
の一部にすぎない。
794名無しさん@1周年:02/12/27 12:47
荒 ら す な ! ! ! イエス様を信じた証 を 書 き 込 め !
スレッドの趣旨からしてノンクリ&新生してないなんちゃってクリは書き込めない。
従って、ノンクリの書き込み=荒 ら し !(真摯な、神を求める質問は情状酌量の余地ありとして)
795名無しさん:02/12/27 13:32
>>791
「表裏」の使い方間違ってますよ。

日本では「自然」そのものが創造主の役割を内在しているので、
キリスト教の創造主が入り込む余地がないのです。
796名無しさん@1周年:02/12/27 13:52
今までの証をまとめてみましたPart.6
>>578-581 わが人生の変革       >>583 今までずっと神様を否定してた
>>585-588 若い悩める友のために    >>602 キリストを信じたことは、靴を脱ぐ体験だった
>>613-614 サッカー選手M.M      >>642-644 神のわざがこの子に
>>677 神を信じられて幸せ       >>690 クリに引きこもると幸せに・・・
>>708-711 もと僧侶いま牧師     >>713 以前創価学会員でした
>>714 会社の人間関係につまずいて  >>722-723 神との出会い
797名無しさん@1周年:02/12/27 14:13
今までの証をまとめてみましたPart.7
>>725-726 僕は一体何者だろう?(Byバーバル) >>727-731 絶望を希望に変える愛
>>733-736>>738-739 私を変えた愛-三浦綾子-  >>743-744 POWER OF YOUR LOVE(小坂忠)
>>748-749 マリヤ崇拝でつまずいて       >>758 信じたら、自分中心だった自分という人間が徐々に変わっていった
>>769 信じられるだけで不思議         >>770 ゆっくり待って下さる神様(復活信じるのに10年かかりました)
>>772 クリホームなので疑ったことなかったよ  >>775-778 人生はよい出会いによって決まる
>>780 8年間ブランクがあったけどキリスト信じたよ  >>784 物質的豊かさや快楽が幸福だと思ってたよ
>>788 レーナ・マリア・ヨハンソン(手足のないゴスペルシンガー)
798名無しさん@1周年:02/12/27 14:19
>>321 このスレの主旨   >>371 クリスチャンへの励まし
>>372 このスレを祝福する祈り >>369 霊的戦いの祈り
>>656 敵意を持ってこのスレッドを荒そうと思っておられる方へ

>>416 今までの証をまとめてみましたPart.1  >>417 今までの証をまとめてみましたPart.2
>>568 今までの証をまとめてみましたPart.3  >>575 今までの証をまとめてみましたPart.4
>>576 今までの証をまとめてみましたPart.5    >>647 キリスト教一般に疑問のある方へリンク集

>>624 福音とクリスチャンになる(信じ受け入れる)祈り  >>628 信じたらどんな祝福が与えられるのか
>>470-471>>488 クリスチャンになる(信じ受け入れる)祈り   >>466 信じたい方、信仰を求めていらっしゃる方へ
>>378 自分の力で信じるのだと思っておられる方へ  >>653 信仰・聖書に関して
799792:02/12/27 14:37
>>794

もう邪魔はせんよ。他人の「証」を求める心の裏に、自分の心に芽生えた
疑惑をそれで打ち消そうという心理が働いているんじゃないか、と思った
から意見したまでだよ。

自分の姿を醜いと思い込んでいる人は、鏡を見るたびに不快になるから
家中から鏡を排除しようとする。しかし......鏡をなくしても事実は
全く変わらない。もちろん、「悪い」のは鏡ではない。
>>792
 イエスがキリスト(救い主)なのは、俺が自分に対して決めたことだ。
疑うも糞もねえ。おめえがそうしたくないのは、おめえの勝手だ。
 ああ、他人を愛することも知らずに、疑心暗鬼の中で生きて死ぬもよし。
801名無しさん@1周年:02/12/27 14:44
>>641 キルケゴールの証
「福音」スレ http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1038839605/l50
↑119にダイジェストあり(地獄を見た人の証あり)
>>687 クリになってやっとホッとした
>>692 クリスチャンの人生の目的
>>696-697 主を求め、主を信じたら、既に救われていることに気づいた
>>701-702 聖書からどのような答えが得られますか?
>>706 モーセの十戒
>>719-720 信じる前には「信じたい」がある
>>718 キリスト教のドグマを鵜呑みにするのではなくて、自分でも考えてみるべし
>>742 罪が赦されたのって錯覚じゃないの?
>>754 信仰義認についてと救いを受ける祈り
>>771 聖書ってすごい本だと思う
802名無しさん@1周年:02/12/27 14:51
>>800
他の宗教を信じている者の価値観を認められる人になれ。
愛はすべてを耐える。批判されて熱くなるのが単純の証明。
803名無しさん@1周年:02/12/27 14:58
>>791日本の神は実在するものが多いが、
主やキリスト教・イスラム教の神とは、
実在がそのものが怪しいものさ。実在の証がないからな。
その怪しい存在を信じることができるということは、
よほどのことから逃げたくなったり、衝撃を小さくしたり、
そういった目的がない限り受け入れられないものだよ。

そういう異教徒たちの疑問を封じるために、
先代のキリスト教徒はイエスを神とした部分もあるのだよ。
イエスは実在したからね。
804名無しさん@1周年:02/12/27 15:01
>>800人に愛を求めず、人を愛せよ。
それができない限り、キリストに批判されるだろう。
 オウム真理教が毒ガスまいたのもニコニコしろって?
てめえの言うのは責任逃れだ。俺に向かって偉そうに
説教するな、このチキン野郎。
寛容の精神に必要なのは忍耐だって、俺のHPに書いて在るから
ちゃんと読め。俺はゆえなくして他宗教にケチを付けるような
馬鹿なことはしない。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~petercat/
807792:02/12/27 15:13
「証」というのは、キリスト教に限らず、すべての宗教に共通する問題
だからね。ひとつ問題提起させてもらうよ。>800さん

「証」というのは、言わば神様が窮地に陥った自分を特別扱いして、恩寵
をくだされた状態に当たるよね。ところが、世の中は恩寵を受ける人間
ばかりじゃない。戦争だって飢餓だってなくならない。もし、神様が
全知全能で、かつすべての人類を愛されているのなら、その一挙一動が
すべて恩寵でないといけないはずでしょう。同じ病気に苦しむ百人が
神に祈って、ひとりだけが「奇跡的」に助かったとしたら、恩寵を受け
たのはそのひとりだけで、それが「証」としてこのスレで語られる。

私はそれは実に誤った考えだと思う。病気が治らなかった九十九人も
また神様の恩寵を受けたので、「証」として特別扱いすべき特別なでき
ごとなど、ただの一つもないはずだ。そうでなければ、神様が人間に
対してくだされる愛を心の中でひそかに疑っていることになる。畏れ
多いことだが、神様は自分だけを特別扱いするようなエコヒイキの神
と決めつけて、その恩寵があらんことを祈っていることになる。

「証」など語ったところで、恩寵を受けなかったと(誤って信じている)
九十九人の人に羨望の情を起こすだけの話で....他人が食べたパンは、
自分の胃袋を満たすことにはならないのです。それどころか、腹いっぱ
い食べておきながら、「神様は私にパンをくれない」と不満を言うよう
な罰当たりを増やすばかりです。
808名無しさん@1周年:02/12/27 15:18
>>805なぜ彼らが毒ガスをまいてしまったのか、
彼らと一緒に生活し、語り合ったみることさ。
イエスは「罪びと」たちと一緒にいたんじゃないのか?

キリスト教徒はユダヤ人に「我々はこういうことができる」
と言っていつも噛み付いてくるが?
できないのならキリスト・イエスの言ったことは
嘘だと言っているのと同じだよ。
809名無しさん@1周年:02/12/27 15:19
>>807

キリストを証しするというのを、独自解釈されている。
病気が治ったとか(ワールドメイトとか、そうか)、別にそれは証しには
なりませぬ。貧困から救われたって、それは証しにはなりませぬ。
それは神にも、サタンにもできるからね。

病気が治らないどころか、病気がますます悪くなったという証しもある。

キリスト教でいう「証し」とは、心の中にキリストがいかに来られたか、
ということの「証し」だからね。それなくしては、どんなにいい思いを
しても、証しにはなりませぬ。

つまりだ、あなたの前提論
>言わば神様が窮地に陥った自分を特別扱いして、恩寵
>をくだされた状態に当たるよね。

これはトンチンカンなのです。
810名無しさん@1周年:02/12/27 15:26
証とは、自分の神が本当の神ということを証明するものから、
間接的に証明するものまで様々ある。
様々な証の仕方があるのだが、先代のキリスト教徒たちは、
哲学的理論でもキリスト教は正しいと証明していった。
ごく初期と比べると様々な変化が出てきたわけだが、
それは聖霊の導きによるものとされた。

一方、日本人たちの証とは非常に面白い。
ここに何がある?あそこに何がある?などといわれる。
私が○○だと答えると、それがその証だ。と言われた。
非常に面白く思った。
811792:02/12/27 15:34
>>809

しかし、実際にこのスレの最初の方を読んでみれば、どちらかというと祈りで
病気が治ったなどの「証」が書いているんじゃない?

具体的に書くと....>>9とか>>20とかね。
812名無しさん@1周年:02/12/27 15:42
>>811
証しの中にそういうのがあっても別にいいんでないの?
何を問題にされているのか。
 それより、792、ちゃんと聖書読んでケチ付けてるか? てめえの
脳内キリスト教で物言う馬鹿が実に多いからな(藁

814792:02/12/27 16:05
>>812
もし病気が奇跡的に治った人が、それを「証」と(誤って)認識した場合、
その信仰は正しいものになるんだろうか。極端な例だけど、宝くじが当たった
ことを「証」とした人は、たとえ2回目以降すべての宝くじが外れ続けても
信仰が揺らぐことなどないんだろうか。

本当の「証」とは、宝くじの当落などに神の意志を見出すような、「自分勝手
な思考」をやめることだと思うんだけどね。少なくとも、あの信者の病気が
治らないのは、祈りや信仰が足りないからだ、というような馬鹿げた話をする
はずがないんだけどなあ。
815792:02/12/27 16:09
>>813
いかなる良書も、自分の都合のいいように解釈する限り、読めば読むほど
頭に毒が浸透していくんだよ。聖書なんか、好例だ。頭を陰干しして毒
抜きするといいよ(藁
816名無しさん@1周年:02/12/27 16:09
>>814 だから前提論から違ってるって、>>809 が指摘しているんだよ。

>少なくとも、あの信者の病気が
>治らないのは、祈りや信仰が足りないからだ、というような馬鹿げた話をする
>はずがないんだけどなあ。

それはどこの教会だか知らないけど、まったく聖書的ではないよね。
そういう方に会った?多分、誤った認識そこで得られたのでしょ。
奇跡や不思議はサタンにもできる。これじゅーよー。

「病気が治った」ことを証しするんじゃないんだよ。病気の中で
キリストと出会って、そのまま病気が治らずに死ぬ人もいる。
それもまったく同じ価値ある、証し。「キリストに出会う」ことを「証し」
するんだよ。
817名無しさん@1周年:02/12/27 16:10
>>815 なんか毒々しいけど、どこの人?
宗教板に来て、「証しはキリスト教だけじゃない」と書かれるからには、
どこかに所属されていることが明確ですが。
818792:02/12/27 16:30
>>816

趣旨はよく理解できるんだが....やはり矛盾があると思うよ。病気が治ったこと
で「キリストに出会えた」人は、勘違いしているわけでしょ。病気が治ることと
証とは本来関係がないわけだから。そして、その勘違いをこのスレで書いている
わけ?

「病気が治ることと証は関係がない」のが本当なら、病気が治った体験の証
を書く人などいないはずだよ。
819ひなた:02/12/27 16:49
>>818
各自が都合の良い神体験を持っているものですよ。
概念を信じたい欲求が有る。
820792:02/12/27 17:15
>>819
禿同。まず「救われたい自分」が先にあって、必死になってすがりついたロープ
がそのまま救いになる。手にしたロープが偶然、キリスト教だっただけの話。
「救われたい」と思っていた人間が信仰によって「救われた」。これ以外に
宗教体験などない。ところが、変な屁理屈をこねくりだすから問題が起きる。
キリストでなければ救われないとか、犯した覚えもないのに持って生まれて
くる「原罪」とか。挙句の果てに、同じ唯一絶対の神を信仰する者同志が殺し
合いをする。

イエスの教えは別として、パウロが始めた「贖罪のキリスト教」は、彼が追い
詰められて万事休す、で飛び降りた底なしの崖で手にしたロープの一本にすぎ
ず、そのロープはパウロを救いはしたが、他の人を救うという保証がない。
まさに「都合の良い神体験」だよね。それを一般人向けに大量生産して売り
出したのが今のキリスト教でしょう。

それでもちゃんとロープをつかんで、救われる人はあると思う。しかし、その
ロープはパウロのとは全く違うだろうし、本当にロープを掴んだ人ならば「そ
れは誤ったロープである」などという、訳のわからないことは言わないと信じ
る。そして、パウロのロープと信じてまむしを掴み、救われることがない信者
もいるかもしれない。
>>815
たまにはメフィストレスを気取ってみるのも結構なことだな(藁
822名無しさん@1周年:02/12/27 17:58
>>796 今までの証をまとめてみましたPart.6
>>797 今までの証をまとめてみましたPart.7
>>798 今までの証をまとめてみましたPart.1-5
823名無しさん@1周年:02/12/27 17:59
>>801 証集
824ひなた:02/12/27 18:16
>>820
私の勘ではあなたはKKの人かも知れないけど、人を信仰する宗教は最悪。
教祖も人の子。お金の魔力に負けて、草創期には真面目に精進するけど、
地位を確実にすると、そろばんを毎日はじくようになっちゃう。
宗教に依存したい人もいるから、キリスト教等の宗教は必要だけど、
カルトは論外。「宗教」と「カルト宗教」とは別物だという事です。
825名無しさん@1周年:02/12/27 18:20
証とはご利益のことですか?
「どうやって信じたか」は
証を経験したから信じたわけですか?
その前に、信じたから証を経験できたのではないのですか?
最初に人がなぜイエスを信じようと思ったかというその理由は、
他人の証を聞いて自分も証が欲しかったという動機の人が多いのでしょうか。
826ひなた:02/12/27 18:33
>>825
>他人の証を聞いて自分も証が欲しかったという動機の人

それはご利益目当てのWM信者でしょう。
イエス様を慕える人は、自己犠牲の精神が強い人ではないかな。
人の役に立ちたいという神性からキリスト教に関心が行くと思う。
私は現在、宗教に所属していませんが、以前はキリスト教系信者でした。
宗教に依存しなくても大丈夫な自己を確認できた今は充実した気持ちで日々を送れています。
827名無しさん@1周年:02/12/27 19:39
本当に。それで私もユダヤ教をやめました。
828名無しさん@1周年:02/12/27 19:57
キリスト教「系」というと、エホバの証人とかモルモン教?
教義も救いも全然ちゃうけど。
829名無しさん@1周年:02/12/27 20:02
私は毎週行ってたらいつのまにか信じてましたよ。
今はもう辞めたい気分ですね。
830名無しさん@1周年:02/12/27 21:33
>>829

昔のように
しばらく無宗教者として生活してみるのも悪くないのでは?

一生キリスト教徒続ける義務もないし
戻りたかったら戻ればいいし

キリスト教徒になる前に持っていた
何かかけがえのないものを失ってしまったのかもな
831名無しさん@1周年:02/12/27 21:43
洗礼を受けるなら
イエスを信じなくなった人の体験談を
聞いてからにした方が良いように思うので
俺は聞きたい

どうやってイエスを信じなくなったの?教えてたもれ
832ひなた:02/12/27 21:51
イエス様は今でも信じているよ。
イエス様を材料に金儲けをする宗教を信じなくなっただけ。
新約聖書は都合の良い解釈に書き変えられて来たという説が有るけど、本当だと思う。宗教の教義も時代と共に変わる。
イエス様を信じていたのに信じなくなった人がいるなら、私も意見を聞いてみたい。
833名無しさん@1周年:02/12/27 21:59
俺はクリスチャンの気持ちを以下のように理解している

仮に哲学の結果として
キリスト教は誤っているという結論が出たとしても
可能性が残されている限り希望を捨てることはない

洗礼を受けるところまでいったら
もうイエスなしの生活は考えられない

信仰は哲学じゃないのだ
834名無しさん@1周年:02/12/27 22:02
>>832

つまり「教会」を信用しなくなったわけか
835ひなた:02/12/27 22:11
私の偏見ですが、プロ野球に例えると、イエス様は王選手と松井選手。
巨人(宗派)は嫌いでも、人物そのものに魅力がある。
かといって、人物を信仰しているのではなく、イエス様の神に対する
姿勢を敬っている。見つめるべきはイエス様の先にある神様です。
836名無しさん@1周年:02/12/27 22:12
つーか、ひなたんは、>>828に回答してけれ。
このスレの「証」とゆーのは、エホバの証人とかモルモン教じゃないぞよ。
837名無しさん@1周年:02/12/27 22:17
その教会の牧師が「わたしはキリスト教を信じません。イエス様を
信じるのです」といっていたよ。

信じなくなった理由はなんでイエスが本当の神だと言いきれるのか?
なんで、家族を捨てて信仰したらそれ(家族)以上の報いを得る事が出きるのか?
と疑問が出てきたから。家族以上のものってあるのか?
838名無しさん@1周年:02/12/27 22:18
>>835

ということは
あなたはイエスを救い主と信じているわけではないのね?

イエスの生き方や教えから
学ぶものがあるといったところか
839名無しさん@1周年:02/12/27 22:21
>>837

そういう牧師もいるんですね
840ひなた:02/12/27 22:21
>>834
教会の神聖な雰囲気は好きですよ。

>>836
証というのは、スレのタイトルにも>>1にも無いよ。
その言葉にこだわっていたのは別の人でしょ。

>>828
カトリック以外のヤバイ所とだけ言っておきます。
想像におまかせします。
841ひなた:02/12/27 22:28
>>838
救い主であったと信じているが、それが現代の今も当てはまるのかという点においては疑問を持っている。
それと皆、私がこの板の主人公みたいに質問責めにするのはやめてね。脇役のつもりなんだけど。
842名無しさん@1周年:02/12/27 22:52
>>839
それ、プロテスタント的にはすごいノーマルな説教だよ。
ルターに由来するのでは。
「キリスト教を信仰してはいけない、キリストを信仰する」という。
この板に来るのはどっちかつーと前者が多い気もするのは偏見か。
843839:02/12/27 22:57
>>842

あ、そうか
イエスを救い主として信じることに変わりはないのか

イエスを救い主として信じるということではなく
教えに信頼するという意味かと思ったから
844名無しさん@1周年:02/12/27 23:39
証について様々な論議をして下さった方に
神様の祝福が豊かにありますように。アーメン。
845名無しさん@1周年:02/12/27 23:46
     ____
    /∵∴∵∴\                             
   /∵∴∵∴∵∴\                            
  /∵∴∴,(・)(・)∴|                            
  |∵∵/   ○ \|                            
  |∵ /  三 | 三 |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄                          
  |∵ |   __|__  | < うるせーカス!                          
   \|   \_/ /  \_____                          
     \____/                            
846ひなた:02/12/27 23:48
>>844
あなたの愛ある書き込みに感動しました。
あなたに神様の祝福が豊かにありますように。アーメン。
847名無しさん@1周年:02/12/28 00:05
     ____        / ̄ ̄ ̄ ̄
    /∵∴∵∴\    < うるせーカスども!
848この言葉は真実です。:03/01/04 13:18
キリストは偽り者です。
彼の言ったことは嘘ばかりです。
もともと恵まれた人だけが救われたと言っているのであり、
本当に苦しい人は、何も救われません。

彼の言ったことを信じ切っていても、救われません。
彼は、詐欺をしています。
おいしい話を、持ちかけてきて、結局、人を絶望に追いやります。
期待している間は、希望があるので、喜んでいますが、どんどん不幸になります。
祈りは、決してかないません。何年、祈っても、信じても、腹の底から願っても、求めても
求めても、得られません。心を低く低くして、へりくだって、謙虚になっても何もしてくれません。
どんなに罪を悔い改めてもだめです。待ってもだめです。神の時はありません。

キリストを忘れよう。
彼の名は地に落ちろ。
かれは、だれも救えない。
彼に望みをかけるな。
彼が、苦しみにあったのは、彼によって、私たちに絶望がもたらされるためであり、
彼の打ち傷によって、私たちがさらに苦しむためである。

この言葉は真実です。
849josh:03/01/06 16:12
http://6327.teacup.com/josh3jpn/bbs
2ちゃんねるの「心と宗教」掲示板は
パソコンでたとえたら、パソコンにソフトとハードがあっても
ユーザーがいない形です。「心とは何か?」が霊(ユーザー)が死んでいる者が
主催しているというか管理しているか、スレッドをあげているため
わけわからめになっているのです。で、あんな意味不明の隠語隠語の
振る舞いになっているのですよ。
850名無しさん@1周年:03/01/06 17:25
>848 および このスレッドで福音を否定し、おとしめようとした人々へ

しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、
呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を
告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。
                        新共同訳ガラテヤ 1:8-9 
851名無しさん@1周年:03/01/06 17:28
この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。
これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、
神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。

              新共同訳 黙示録 22:18-19
852名無しさん@1周年:03/01/06 17:33
イエスの血潮を、このスレッドに書き込んだ人・関わった人・読んだ人・関連するリンク全てに注ぐ。

イエスの血!イエスの血!イエスの血!イエスの血!
イエスの血!イエスの血!イエスの血!

聖め主イエス様の御名によって祝福してお祈りいたします。アーメン。
853名無しさん@1周年:03/01/06 17:37
この書物(聖書)の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。
これ(聖書)に付け加える者があれば、神はこの書物(聖書)に書いてある災いをその者に加えられる。
また、この預言の書(聖書)の言葉から何か取り去る者があれば、
神は、この書物(聖書)に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。

              新共同訳 黙示録 22:18-19
854名無しさん@1周年:03/01/06 17:41
>>416 今までの証をまとめてみましたPart.1  >>417 今までの証をまとめてみましたPart.2
>>568 今までの証をまとめてみましたPart.3  >>575 今までの証をまとめてみましたPart.4
>>576 今までの証をまとめてみましたPart.5  >>796 今までの証をまとめてみましたPart.6  
>>797 今までの証をまとめてみましたPart.7  >>798 このスレッドのしおり
855名無しさん@1周年:03/01/06 17:49
856名無しさん@1周年:03/01/06 18:54
>>1
レイプ被害者の踏ん張りが見たいから
857名無しさん@1周年:03/01/06 19:51
>848
自分も不幸なことがあったとき、そのように思ってしまう。
858名無しさん@1周年:03/01/07 09:35
>>857

>神の時はありません。

この「神の時」の中味が問題でしょうね。神が自分の側に立って裁いてくれる、
という種類の「神の時」ならば、永遠に来ない。これは真実でしょう。ユダヤ
人が救世主を待ち望んだように、二千年経っても待ちぼうけです。

「神の時」はすでに来た、あるいは今まさに「神の時」である。そうでなけれ
ば、「神の時」は永遠に来ることがないでしょう。
859名無しさん@1周年:03/01/07 10:18
珍しくまともなスレだね♪
860名無しさん@1周年:03/01/07 15:02
>848 吟味のポイント(新改訳)
(Tコリ12:3)ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、
「イエスはのろわれよ。」とは言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と
言うことはできません。
(Tヨハ4:2-3)人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの
 霊を知りなさい。イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの
 霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。
(Tヨハ4:6)私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、
 私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。
861名無しさん@1周年:03/01/07 16:00
マタイ 12:32 人の子に言い逆らう者は(悔い改めるならば)赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、(悔い改めても)この世でも後の世でも赦されることがない。」
ルカ 12:10 人の子の悪口を言う者は(悔い改めるならば)皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は(悔い改めても)赦されない。

ルカ 9:26 わたし(イエス)とわたしの言葉を恥じる者は、人の子(イエス)も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。

以上 新共同訳

862名無しさん@1周年:03/01/07 16:04
使徒5:4-5 売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりに
 なったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、
 神を欺いたのだ。」この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。

使徒5:9-11 ペトロは言った。「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。
 あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」
 すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを
 見ると、運び出し、夫のそばに葬った。教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。
863名無しさん@1周年:03/01/07 16:09
使徒13:6 島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会った。
使徒13:7 この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。
使徒13:8 魔術師エリマ――彼の名前は魔術師という意味である――は二人に対抗して、地方総督を こ の 信 仰 か ら 遠 ざ け よ う と し た。
使徒13:9 パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、
使徒13:10 言った。「ああ、あ ら ゆ る 偽 り と 欺 き に 満 ち た 者 、 悪 魔 の 子 、 す べ て の 正 義 の 敵 、
 お 前 は 主 の ま っ す ぐ な 道 を ど う し て も ゆ が め よ う と す る の か 。
使徒13:11 今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目が
 かすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。
使徒13:12 総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。
864名無しさん@1周年:03/01/07 16:21
カルトの勧誘手段は、今も昔も変わらない。真理の押し付けと脅迫だ。>861-863
865こういう証もありました:03/01/11 09:28
230 :名無しさん@1周年 :03/01/10 15:05
証します。話せばかなり長くなるのですが、
神様、イエスキリスト、精霊は存在します。
私はビスマルクにあこがれて洗礼を受けてしまったミーハーなクリスチャンで、
お祈りは小学校3年のころから毎晩欠かさずにしています。

今29歳ですが、25歳のときに、イギリスに留学して、
徐々に神様がいるような不思議なことが回りでおきてきて、
神様はちゃんといてくれるんだなあって感動しています。
日本はクリスチャンの人口が少ないので、
神様のみわざがあまりおこらない国なのかもしれません。
何が起きているのか、具体的に書くことが難しいのですが、
とにかく、神様はいて我々の行動や人生は神様にコントロールされているというか、
導かれているようです。
そして、どういうしくみで神様は人間とかかわっているのかは、
教会いわく、天国に行ったときのみわかるそうです。
だから、人間にはとうていわからないこともあるようです。

私みたいに、敬虔でないクリスチャンに神様のあらゆるわざが働いていることを
証明してくれるなんて、神様がいないと思っていたころにくらべるとすごく嬉しく、
やっぱり教会に行ってたころはよかった、お祈りは聞かれていたんだ、
生活はみられているんだってわかります。
神様がいないって思ってる人達に会いたいです。
866名無しさん@1周年:03/01/11 09:37
祈りと信仰のある中には、神様のわざってはっきりと現れてると思う。
私は信仰もまだまだ赤ちゃんで、皆の後ろからヨチヨチついてってるだけだけど、
教会って不思議なことばっかだもん、そりゃ無理だろー、と
思うことをほかの人が「大丈夫」と断言してて、本当にうまくいってしまったりとか。
信仰のある人は、祈り通じて神様の御心を知っているのだと思う。
867名無しさん@1周年:03/01/11 09:43
>>864
今も昔も変わらない、というより、今のカルトが極端に取っている
ような勧誘手段の元祖がキリスト教なのでは?と思うときがある。
キリスト教だって、キリストを通じてのみ救われるのだから、
そこだけなら、そんじょそこらのカルトと代わらない。

ただ結果がどうであるかによる気がする。実りのないものは枝ごと切り落と
されて火の中に入れられるだろう。・・・と聖書にある。
良い木は良い実を実らすが、悪い木は悪い実を実らす。だから実によって
見分けなさい、と。
クリスチャンとて、教会とて、それは同じ。
868864:03/01/14 12:33
>>867

例えば、使徒言行録にある「アナニアに対する神の刑罰」の話は、本当にそう
いう史実があったのかもしれないけど、これを「神の刑罰」と判断して書き込
んだのは教会指導者だったんだよね。今のカルトを指導するような、狂信者が
教団の上に立って、迷信を総動員して勧誘をしていただろうから、こういう
記述が聖書に多く見つかっても不思議じゃないと思う。

昔の狂信者が残した病原体に、現代の狂信者が感染しているだけでしょう。
狂信は世代を超えて伝染する。そして、本来のイエスの教えとは似ても似つか
ぬ狂信的な教えがキリスト教の中心に居座り続ける。異常なほどの熱意で
キリスト教を広めてきたのが、この種の狂信者だったろうから、仕方が無い
のかもしれない。聖書を「滅菌」して読むしか感染防止の方法はないかも。
869867:03/01/14 12:52
>>868 アナニアの話は、確かに新約の愛に浸りながら読んでいると
意表をつかれるよね。でも旧約から読んでいくと何の違和感もない。
まあそれはおいといて。

それを「狂信的」と訳すあなたは何かにとらわれているんでしょう。
アナニアを打った私たちの神は、創世記の時代から変わらない方であり、
ひとり子をこの世に遣わされたのも、その方の愛である。
と、クリスチャンは信じる。このメッセージが正しく届くところには、
別に滅菌も殺菌も必要はない。そこには狂信的信仰ではなく
神と人との関係の成就とそれに裏打ちされた平和がある。

あなたが「滅菌せねば」と言われるのは多分にこの聖書に便乗した
数々の新興宗教がなしてきた悪行(キリスト教の団体にもそのような
ものがなかったとはいわない)をみてのものでしょうね。
悪い木や悪い枝を見て、聖書を叩くというのは本末転倒だと思う。
870864:03/01/14 13:05
>>869

>アナニアの話は、確かに新約の愛に浸りながら読んでいると
>意表をつかれるよね。

そこで立ち止まるべきだと思いますけど。使徒言行録の作者は、ルカ福音書の
作者と同一とされていて、一人の人間にすぎないのだから。人間が書き残した
ものである以上、その人の偏見や誤解もまた含まれている。アナニアの話に
ついては、私自身がもし「ルカ」だったなら、迷信として捨てていたでしょう。
捨てずにそのまま載せたことに「ルカ」の狂信、ないしは著述家としての
限界が現れていると思う。

福音書を編纂した連中も人間だったし、おまけに科学知識や論理性について
は現代人とは比べ物にならぬ位のレベルだった。そういう人たちの思考フィル
ターを通して書かれたのが聖書という産物だ、という事実を否定するべきじゃ
ない。聖書は、史実そのものではなくて、当時の人達の世界観や歴史的解釈が
書かれているのだから。
871864:03/01/14 13:16
ついでに書くと、使徒言行録が書かれたのは紀元後90年代とされていて、
パウロが殉死して30年が経過していた。だから、「ルカ」は30年前の
伝説などを継ぎはぎしてあの記録を残したのです。当然、「ルカ」が
福音書で強調したキリスト理解を追認するような出来事が最優先に
選ばれただろうし、少なく見積もっても「ルカ」自身が印象的と感じた
出来事だけが残ったことでしょう。

パウロやシモンを登場人物とする、「ルカ」の大河小説という方が実態
に合っていると思う。
872名無しさん@1周年:03/01/14 13:39
ってか、おたくら実際神様とかがいなかったら、どうするの?
まあ、どうしようもないけども。
873748:03/01/14 13:57
秋田でマリヤの偶像が涙を流したのは悪霊の仕業です。
それを本気にしてしまった人は、これを読むように。

http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1041605216/l50
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1042257507/l50
874名無しさん@1周年:03/01/14 19:18
あなたは、実際神様がいたらどうするの?死も存在するし。
少なくとも自分の良心に背く行動は慎んだほうが身のためだと考えはしないか。
私は自分の良心からイエスを信じている。それでいいと思う。
>872
875864:03/01/14 19:37
恐らく、多くの人は神様の存在をうすらうすら気付いている。しかし、それを
おおっぴらに認めると、自分の自由行動が許されない。だから、必死になって
神を否定し、屁理屈をつけて良心の声に反した行動をとる。これが神から逃れ
る第1の道。

これとは逆に、自分の自由行動を完全放棄して神様のご機嫌を取る方法がある。
全部の人間が神様を認めているわけではないので、神様に媚びておけば有利
になる。たいていは、現世で恵まれない境遇に置かれている場合が多く、神様
のご機嫌を取ることで、来世での一発逆転を狙っている。これが第2の道で、
その代表者がパリサイ人。

神様のご機嫌を取るのに、イエスの死を利用したのがパウロの発想。しかし、
根本の目的は変わっていないので、同じ穴のムジナにすぎない。よって、第2
の道の亜流。

イエスが主張したのは、律法や世間体などでなく、心の底から良心の声に耳を
傾け、これに従うということ。だから、874さんの信仰告白こそが本当の道だと
思う。罪が許されようと許されまいと、良心の声に従ってイエスの行き方を
受け入れるということ。イエスの贖罪が有効であるかどうかは二の次でしょう。
たとえ贖罪がなくともイエスに従う人こそが本当のクリスチャン。
876865にコピペされた人:03/01/14 19:42
自分の証がいきなり出てきたのでびっくりしました。
私は聖書をちゃんと解読できるような頭の良い人間ではないのですが、
イギリスでメディアを勉強したり、アラブ系の子と語りあったり、ギリシャ人
の子達と交わりをもったりしていくうちに、日本みたいに宗教がいろいろ
あったり、無宗教でいられる国は珍しい(異様?)ことに気づかされます。
私は小さいことろからなにかと教会には縁があったほうですが、宗教を
毛嫌いしてた時期もありました。でも、洗礼をうけたころは、とにかく
教会にちゃんと通ったりしていました。(意味もわからないまま)そして、
不思議なことが起こるようになってから、お祈りはしてたのですが、もう
こんな生活嫌だと思って、教会にも行かなくなってしまったのです。
そして、今年のお正月、またイタリアの友達に会いに行ったら、不思議な
ことが起きて、神様を信ぜざるをえないくらいの状態になりました。
だから教会に戻りました。そういえば、教会に通ってたころはなにかと
幸せなことが多かったなあと思い返しました。だからこれからも教会に
行きたいと思います。色んな宗教の人がいていいと思いますが、私は
イエスキリストを信じています。人間のできることなんて、神様からみれば
本当に小さなことだと思わされます。
877匿名希望:03/01/14 21:48
私はどうやってイエスを信じたというか、なんというか。物心つくころからキリストイエスについて何でも知りたい。というような
感じで関心がありました。信じる信じないではなくて、いまおもえばそのころからイエス様は私を必要とされていたのです。と思います。
教会には子供のころに行ってました。が中学高校と通っていたところがなくなり、離れていましたが前にも書いたように気になり教会に行きたいがどこに行けばよいのかわからず、
自分で本を読んだりしてイエスキリストについて興味はありありでした。
やはり呼ばれていたのでしょうね。大学のころには教会を探し、アルバイト先でクリスチャンの人と出会うことができました。
それから教会へ通うようになり、洗礼を受け今でも教会へ行っています。
今までいろんなことがありましたが、今思い返すとすべてがイエス様の導きの故だったのではと思います。
今では教会に行くことが楽しく、イエス様と共に歩んでいること本当に感謝です。イエス様に出会ったことも感謝です。
どうやって信じたと聞かれると簡単には話せませんが、イエス様が歩まれた生涯を知れば知るほど信じれるのではと思います。
他にもたくさんの聖人がおられますし、いろんなことを知ると信じれると思います。
イエス様が十字架にかけられ亡くなられたのは、私たちの罪のため十字架をおうて死んでくださった。これこそ愛である。
神は愛なり。みなに祝福がありますように。
878876:03/01/15 19:10
私はあんまりイエス様に選ばれたって意識はないです。みんなイエス様につながって
るのにそれに対してどうリアクションするかっ(神様とつながってることを信じるとか、
感謝するとか、罪を謝るとか)ていう差があるくらいのことだと思うのですが、聖書をちゃんと読んでないので、
まちがってたらごめんなさい。聖書が得意な人教えてください。選ばれたっていうと
どうも偉そうな感じがしちゃうんです・・・。

それから、神風特攻隊の心理ってクリスチャン的にはどう考えるんでしょうか?
879こういう証もありました:03/01/19 11:52
○ICFのTTさんの証です。
私の場合は自分で聖書を買ったのではありません。ただでもらったのです。
その昔(25年程前)、店員の仕事をしていまして、
ある時店に来たお客さんからいただいたのです。
その方は教会へ行っているクリスチャンで伝道奉仕のつもりだったのでしょう。
特に欲しいとも思いませんでしたが、せっかくタダで
くれると言うので遠慮しないでもらっておきました。

その聖書はリビングバイブル新約で「27のエピソード」という副題が付いていました。
実は私にとって初めての聖書がこれで、大変良かったと思っています。
読んでいて面白く、また意味がとても良く分かるからです。
しかし当初はもらってからも全く読まずに放って置きました。
何しろ興味も関心もありませんから…
私たちの世代は戦後の無神論的価値観の中で育っています。
学校でも進化論を教えていただきました。
先生が真面目な顔をして「人間はその昔、サルだったのである。」と言っていました。
「その証拠に尾テイコツにしっぽの痕跡がある。」
この先生はそう信じているのだから仕方が無いですね。放っておきましょう。
それとは別に昭和20年までは日本はすごい宗教国家だったらしいです。
「日本は神の国である。」「○○は神である。」
そう教え込まれていたのに戦争でぼろぼろに負けてしまったので
何だ神等いないではないか、と思ってしまうのも無理は無いでしょう。
いや私がではなく日本人全体がです。

「これからの新しい時代は神サマなど必要ない。科学万能の時代だ。神を信仰するなんてもう古い。」
それにキリスト教は欧米人の宗教だと思っていました。
日本には昔から寺院や神社がいっぱいあるし、やはり仏教と神道の国だろう。
結婚式は神前、お葬式はお寺でやるのでもう全部間に合っている。
「ますますキリスト教なんて必要ない。」「だから聖書も読もうとは思わない。」そう思っていました。

880こういう証もありました:03/01/19 11:58
それなのに何がキッカケだったのか今となっては思い出せないのですが、
ある時、聖書とは一体何が書かれているのだろうと思いパラパラとめくって見ました。(ヒマだったのかな)

うん?何か変だぞ。さっき読んだ事と同じ事がまたこちらにも書いてある。
何だこれは。さらにべつの場所にもまた同じような記述が…、
よく調べて見るとどうもこれはイエスという人の生涯を
4人の人物がそれぞれ別に書いた物をひとつにしてあるらしい、とやっと分かったのです。

まぁとにかく前の方から読んでみるか、というわけで「取税人マタイの記録」から読み始めました。
なんと、いきなり人の名前がたくさん出てきてその名前が
読みにくいものだから舌を噛んでしまいました。

気を取り直して次に進みましたがここが気に入りました!
ヨセフという人が婚約者とこっそり離縁しようと考えているという下りです。
この男は私と同じく堅物で彼の考える事は良く分かります。

「おれは身に覚えが無いのに何でこの婚約者のマリアには
子供が出来ちゃったワケ?何だコイツ大人しそうな顔して信用できん…。」

ここで分かったのは2000年前の人間も同じ考え方をするのだと言う事、子供向けのおとぎ話ではない事、
ただの作り話ではなくリアルなドキュメンタリーである事などを直感として感じました。
「これは良い。聖書は信用できるぞ。」

いやぁ、その後もいろいろ読んで見てかなり気に入りました。
主イエス・キリストの毅然とした言動。山上の説教の素晴らしさ。
苦しんでいる人々を次々と救い出していく態度。映画を観ているような弟子達の伝道記録。
使徒パウロの信徒へ宛てた手紙も善かったです。
「聖書の神を信じよう!」

881こういう証もありました:03/01/19 11:59
何でも自由、何をやっても良いと言う価値観の時代の中で
これはダメ、これは善いとはっきり教えてくれます。

惑わされないように暗闇から離れ、光の中を歩むように薦めてくれます。
何が正しいのか、何が間違っているのか明快に答えてくれます。
もう何も迷う事はありません。
全て聖書の教えに従って生きていけば間違わないのです。

苦しい時も頼りになる本物の神様がいます。いつも共にいてくださいます。
もう安心です。いつも心は大きな平安に包まれています。何の心配も不要です。
全くありがたい事です。
この世的な価値観から言ったら私などつまらない人間です。しかし聖書の神はそうは言いません。
「私が貴方を造った。私の目には貴方は尊い。」
何と言うありがたい神様でしょう。
神ご自身の方から先に私の事を愛して下さるとおっしゃるのです。嬉しくて泣けてきます。
これからも神様がしてくださった全ての事に感謝しつ従って歩んで行きたいと思います。

882エリア:03/01/19 15:20
ここがふさわしいのか分かりませんが、私は自分の守護、大天使ミカエル、神様、堕天使とか『光の存在』と話したことがあります
一緒に住んでる彼女が『入りやすい』体質らしく彼女の守護、自分の守護、大天使ミカエルそして神様といった『光の存在』が彼女の体を借りて私と会話をします
それまで宗教には興味が無く神様や天使の存在などおとぎ話として半分バカにしていたのですがこんなことがもう1年も続き今では2人とも信じています。
こうゆう経験ってやはり異常でしょうか?変態扱いしかされないでしょうか?
883エリアへ:03/01/19 15:49
異常と言うより心配です。
間違っても韓国とかには行かないように。
884名無しさん@1周年:03/01/19 15:52
>882
それで人はなぜ、死をみることもなく、願えばかなわないことはない
という神聖なものから離れたの?
885エリア:03/01/19 18:27
>883ご心配頂きサンクスです>884聖書の話だと思いますが不勉強のため分かりません
私の知識は寝ている彼女に『乗り移った(?)』ミカエルや私の守護タイキ(麒麟)と名乗る人格から聞いたことだけです。彼女はやはり夢遊病でしょうか?それとも多重人格でしょうか?私達と同じような人がいるのでは?なんて思ったのですが…
886エリア:03/01/19 18:54
光の存在から聞いたこと
神に最も近い存在は大天使ミカエル。他に妊娠を告げるガブリエル、癒やしの天使ラファエル、天気を司るウリエルなど7人の大天使がいる
神様は2匹の猫を飼っていて名前はリーとメイ。この猫は寝ている人が見る夢をコントロールする

やっぱり『ふざけるなテメェ!』って感じですか…?
887名無しさん@1周年:03/01/19 19:04
>>886
犬はいなかったん?
888名無しさん@1周年:03/01/19 19:05
>>886
どのように生きるべきかとか聞かれました?
木は実によって選ぶことが出来るので詳しくお話ください。
889エリア:03/01/19 23:56
>888すいません、宗教観も知識も全くないので質問の意味を捉え切れませんが、彼女が『生きがいの創造』を読んだ直後だったためか『愛』の話をされました。
正直、光の存在が話す内容は彼女の知識・主観が若干影響していると思います。
でもこれは彼女の体を借りているので言葉も彼女のボキャブラリーの範囲だし、彼女が理解できるように話すには彼女の考えを否定しないことが得策だとの判断かなと、都合良く考えていました。
890名無しさん@1周年:03/01/20 00:02
あのお、もうしアゲいにくいんですが、ここは霊体験のスレではないので
できれば別スレたてられて移動された方が、レスもつきやすいのではないかと
思うのですが。
891名無しさん@1周年:03/01/20 00:10
世界の物事すべては神によりあらかじめ予定→調和されている。だからこそ神から与えられた職分を勤勉・禁欲に努めることで神からの恩恵を受けているのだと信じている。
892エリア:03/01/20 00:11
神と初めて話した時、驚いたことがあります
『生きがいの創造』に人は生まれる前に自分でこの人生の計画をたてそれに沿って成長するとかありますが、神に尋ねたところ『皆が皆、予定通りに成長するのもどうであろう』と、否定していたことです
神は『調和』を強調していました。成長出来る人もいれば出来ない人もいて調和がとれるとのことです
893名無しさん@1周年:03/01/20 00:28
まあ悪が無ければ善は存在しないからね。
他には?興味あります。
894890:03/01/20 00:30
話をアゲで続けておられるので、単なる「あらし」と断定します。
「エリア」の話はスルーで行きましょう。
895エリア:03/01/20 00:46
>893なるほど。その通りですね
他には、『自分を信じ愛することはとても難しい。だがそれができたとき人はまた一歩成長できる』
『愛することは大切。自分がつらいときも愛することを忘れなければ信じる道が開ける』と言われました
896エリア:03/01/20 00:50
お邪魔してすいませんでした。
897名無しさん@1周年:03/01/20 13:14
>エリアさん

「生きがいの創造」って、出口日出麿さんの?
いずれにせよ、人間が書いたもので、誰でも代価を支払えば買える本の中味を
わざわざ人間に伝えるような存在は、正神とは程遠いでしょう。悪は善を装い、
善は一見悪に見えることの方が多い。いきなり出てきて「愛」を持ち出すよう
な輩は、大体見当がつきます。

エリアさんも彼女も、そういう霊的な悪戯は相手にしないことです。相手に
しなければ去るでしょう。去らないようなら、精神病(精神分裂症)の疑いが
あるから、信頼のおける精神科医に相談されることです(宗教団体は不可)。
898名無しさん@1周年:03/01/20 14:07
899名無しさん@1周年 :03/01/20 15:29
>898
履歴を見ると偏執狂だとわかる。
900通りすがり:03/01/20 20:38
900 げとざんす
901897>898:03/01/21 11:14
やっぱりネ〜 ^^;
902証を書きます(1):03/01/21 12:29
人がひとり救われるのは本当に大変なことだとつくづく思うのですが、
何故大変なのか、と考えたとき、それは主が大変さを要求しているのではなく
人の心がそれを大変にさせている、と思います。そうでなければ本当は、
クリスチャンになるというのはすごく簡単でシンプルなことではないのかな?と。

息子のことを書きます。息子(当時たしか6歳)からある日、
こんな質問を受けました。「お母さん、俺死んだらどうなるの?」
おばあちゃんが死んだ後だったので、子供心にそれを考えて
心が騒がされる日が続いていたのだと思います。
私は高校生のころ教会に行っていましたから、また死んだ母がクリスチャンで、教会で葬儀を
あげていただいたあとでしたから、自然にこんな言葉が口から出ていました。

「人は自分から進んで、神様から離れた生活を選んでしまったの。
だから、死んで神様のところに行くことはできないの。
でも神様は人が神様のところに帰るのを待っているよ。そこは、天国というよ」
903証を書きます(2):03/01/21 12:30
息子は「神様のところに行くのはどうしたらいい?」と真剣に聞いてきました。
だからイエス様の十字架の話をしました。
神様のひとり子であるイエス様が私たちの「神様から離れた
心」のために十字架にかかり、私たちの代わりに罰を受けて亡くなったこと、
そして約束どおり復活されたこと。この方を信じることで、私たちは
神様の子供としての関係を取り戻せるということ。息子は目を丸くして
聞いていました。

「今の話、信じられる?」と私が聞くと、
「えーと、人が神様から離れてしまったというのは、すごく分かるのね。
でもなんで、イエス様が十字架に掛かると俺たちが神様のところに
帰れるのか、良くわかんなかった」。

私は答えました。「それはねえ、言葉ではなかなか理解できないことだよね。
聖書にはいけにえが必要だったとか、難しいことが書いてあるけどね。
分かるためには、自分がね、どのくらい神様から離れていたかを、
そのイエス様にお話するといいみたいよ。そうすると、分からせてもらえるというよ」
904証を書きます(3):03/01/21 12:31
私自身、その当時、キリスト教が事実を語っているという強い確信を
持っていて、ある意味「信じて」いましたが、イエス様を自分の救い主として受け入れるような
信仰の確信は得ていませんでした。だから、昔教会から聞いた話を
そのまま伝えたような感じです。息子はあっさりと答えました。
「分かった。俺、イエス様信じるよ、自分がどれくらい神様から
離れていたかどうか、俺はわからないけど、イエス様に聞けばいいんでしょ
そういうのをお祈りというんじゃないの」。えー、そんな簡単に信じちゃっていいのかなあ。

でも、とにかく、お祈りというのを、一緒にしてみました。
「イエス様、あなたが私たちの罪のために十字架に掛かってくださったこと
を信じます。私たちには、私たちの罪がどのくらいで、どのようなものかは
分かりませんが、それを教えてください。私たちに永遠の命を与えてくださ
った方だと信じます。アーメン」

これで息子はクリスチャン?私はどうなの?頭の中には「?」マークがイッ
パイの状態でした。それから間もなくして、教会からお誘いを頂くようにな
りました。母の記念式(一周忌にあたる)も教会でやりたいという要望が出
てきました。息子は日曜学校に通い始めました。彼の中で何がどのように起
こっているのか、私にはわかりませんでしたが、息子なりに、神様との関係
を築きつつあることがわかりました。一人で自分の部屋でお祈りしている姿
を見たりしました。
905証を書きます(4):03/01/21 12:34
そしてこの私自身、その前後に自分の罪に気付かされるという体験をしまし
た。それはかなり痛恨ものの悪いことだったのですが、それをを具体的に
神様に言い表すということをして、そしてイエス様の十字架が私を新しく生
まれ変わらせてくださったということを強く確信しました。世界が新しく
開けたような、なんともいえない心の変化を体験しました。

息子は今でも私と一緒に教会に通っています。一緒に祈りをするかけがえ
のない信仰のパートナーでもあります。これは息子の救いのエピソードで
もありますが、神様が子供の心の純粋さを通して私に救いを体験させてく
ださった証しでもあります。「誰でも幼子のようにならなくては神の国に
入ることはできません」。私には、いろんなへ理屈や文句を、神様に対して
述べていた時期もありました。クリスチャンでなくては救わないなんて、
そんなおかしなことがあるもんか、と、怒りに似た気持ちを持ったことも
ありました。それが私の足を教会から遠ざけていました。

でも、その気持ちが、神様の定められた宣教の言葉をまっすぐに受け入れ
ない私の気持ちが、一番私の求めていたはずの救いから私自身を遠ざけて
いたことを知りました。
「まず、あなたが救われなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救
われます」。神様は文字通り幼子を通じて、頑なな私の心を開いてください
ました。主の言葉は真実で、主の言われたとおりになります。私たちの間に
は、主が言われた通りに、主の平和が、平安があります。

本当の神様は、信じられないものを無理に信じさせるようなことはしない。
自然に私たちを導かれます。私たちは心をひらいて、主の言葉を
アーメンと受け取る自由があります。感謝です。
906エリア:03/01/22 12:47
>897ありがとうございます

目が覚めました。『神』と名乗る人格から言われると"自分達は選ばれた人だ"なんてバカなことを思っていました。お恥ずかしい話です。本当にお邪魔してすいませんでした
907897:03/01/22 12:56
>906(エリアさん)

憚りながら、エリアさんの心の底に「選民願望」が潜んでいるから、「悪霊」に
つけこまれるのだと思います。エリアさんの精神的、霊的回復を心よりお祈り
しています。
908俺様 ◆f0ugTrYQRI :03/01/22 12:57
(;´Д`)ハァハァ  兄弟、姉妹の皆はん!
お昼ゴハンはお済みでちゅか? ぼくちんはお金が無いのでゴハンを食べる事ができまちぇん!

きょうは近くの小学校に逝こうと考えてまちゅ〜 給食の残飯を分けて貰うでちゅ〜
最近の糞ガキ共の給食は凄いでちゅ〜 ぼくちんもグルメになるでちゅよ!

やっぱり、ぼくちん偉いモルモン!!!!!!!
909名無しさん@3周年:03/02/01 01:48
?
910名無しさん@3周年:03/02/03 01:21
親牧師のクリスチャンホームやってんけど、ずっと信じられんかってん。

でもあるとき「神様、きてください」って祈ったら、
「もうここにいるよ」って声が聞こえた気がして、
でもどうせ自分の考えやと否定してんけど、
めちゃぼろぼろ涙出てきて、まぁ今までそういう経験はあってんけど
なんかそのときびっくりするほど心がすっきりして、なんかおるって分かってん。
そのときのことうまく説明できんけど

あとで気づいたけどその後に疑いが全くなくなっててん。

まぁそれからまた疑うことはあったけど、

キリスト信じて今までまじ後悔したことないで。
神様が自分の中にいてくれて、愛してくれてるって、こんなうれしいことはない。

「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7:7)っていうキリストの言葉はほんまやで
911名無しさん@3周年:03/02/03 04:01
どうして、キリストが人類の罪の代わりに死んだことになるの?
912910:03/02/03 05:07
神様である天のお父さんは、おれらのことを愛してくれてる。
でもおれらは罪があるからお父さんに近づくことができへんねん。
でもお父さんは愛してくれてるから、自分の愛する子であるイエスをこっちに送ってくれた。
そしてイエスを十字架で死なせて、それによっておれらの罪が赦されて、こうやって神様を「父さん」
と呼ぶこともできるし、こうやって親子の関係のように親密な関係になることができてん。

イエス・キリストは十字架の上で「父よ、どうして私を見捨てたんですか!」って叫んでる。
十字架にかかる前、裏切り者のユダだけでなく全ての弟子から裏切られ、まわりからばかにされ、十字架で精神的にも肉体的にもボコボコにされ、
そして父にも・・・。

それはおれらのため

っていうのが今んとこ個人的に理解してることです。
まだ付け加えるべきとことか表現やら間違ってるって言われるかもしらんけど
913910:03/02/03 05:08
こういうのって体験してみなわからん、神様がはたらかな絶対信じられんことやと思う。

でもさっき言ったみたいに、ほんまに求める人には絶対に応えてくれる神様やとおれは信じてる。

もし今この神様に信じて「神の子になりたい」って願うなら、そうなれると思う。
祈りはお父さんとの会話。

実際、信じてからも今でもよく神様のことわからんようになったりする。
祈ったこと全てかなえてくれるわけじゃない。
聖書のこともよくわからんことが多い。
でも神様がいつもいっしょにいてくれて一番いいことを考えてくれてて
一番いいものをくれる。

それに気づくときほんま神様すげーって思う。

キリストがいなかったら今の自分はないし生きててもめちゃしんどいやろなって思う。
まぁおれもよくしんどくなったりいっぱいいっぱいになるけど。
神様がいつもいっしょにいてくれてるって安心感が(うすれてしまう時もあるけど)どこかにある。

聖書はよく神様からのラブレターって言われる。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い」っていうのが神様からのメッセージ。
914名無しさん@3周年:03/02/03 08:29
くっ狂ってる。。
915まどれーぬ:03/02/03 08:49
>>910
すごくよくわかる。私も神様が「聞こえた」経験がある。
もちろん本当に「耳で」「音声として」ではないんだけど、
何というか「どーん」と私の中におりて来られた感じ。
916名無しさん@3周年:03/02/03 12:24
俺はキリスト教が嫌いで神と聖書の嘘をあばく為に聖書を読んだり礼拝に参加したりしたそしたらどーんじゃなくてじわーっとした神の感覚がきた。だからキリスト嫌いはあまりキリスト教にふみこまないほうがいい。俺は洗礼は受けてないしキリスト嫌いは確かだけど
917名無しさん@3周年:03/02/03 12:30
続き そんでじわーっとした感覚がきて神が心で聞こえた 価値観にフクラミが出てきて 少し変わった。文や言葉で表現すると変な体験としか受ってくれないと思う。しかし俺は絶対洗礼しない!
918名無しさん@3周年:03/02/03 12:59
>>911 ひとことでいうと「神の子だから」 
で、それは旧約から新約まで聖書を一貫して読むといろいろと見えて来るんだが、
神から離れて生きている人が神のところに戻るためにはいけにえが必要だったということが。
罪のない人が人の罪の身代わりになって死なれた、その方が神の力により復活した。

しかし、人類というより「自分の」救い主として受け入れたときにそれは本当にクリアになるもん
なんだよね。

919名無しさん@3周年:03/02/03 13:01
>>917 

>しかし俺は絶対洗礼しない!

なんで?キリスト教嫌いでも、キリストにあると人は新しくなれるのに。
920名無しさん@3周年:03/02/03 13:39
917さんへ!その感覚が単なる思いこみかも知れないから!神の救いとは断定できないでしょ!じわーっとしたりどすーんとして神を救いと決め付けるのが異常。あと仮にそれが神の救いであっても牧師が嫌い形式が嫌いだから洗礼は受けません
921名無しさん@3周年:03/02/03 13:48
キリスト教徒って、みんな電波なの?
922名無しさん@3周年:03/02/03 14:13
>>920 917と同じ人なんじゃないの?それは自分へのレスか?
923名無しさん@3周年:03/02/03 14:14
>>920

>じわーっとしたりどすーんとして神を救いと決め付けるのが異常

それはキリスト教においても異常とされることなんだが。
感情だけで「信じた」というのでは、そもそも洗礼させてもらえないし、
それ見分けるのがイマドキの牧師の仕事
924名無しさん@3周年:03/02/03 14:25
>>920

>じわーっとしたりどすーんとして神を救いと決め付ける

そういうヤバイ宗教も増えてるので気をつけてね
キリスト教で大事なのは自己(精神とか生活)と聖書の御言葉の一致。

不思議体験だけで信仰だと思ってしまうと、実は自己が破壊されていく
ということもある。
925名無しさん@3周年:03/02/03 15:01
920番だよ。どーいつじゃないよ。聖書の言葉を粗捜ししていくうちに聖書の言葉が脳裏にやきついて、むかつく奴ともめた後 あとで聖書の言葉の意味が分かりその時 じわっとなって神?らしいものの声が心にきこえた妄想かもしれんが
926名無しさん:03/02/03 15:11
私の友達に大昔から続く霊能力者の家の子がいるんだけど、
その子曰く、キリストは本当に存在したらしいけど、結構いい加減な
人だったらしいよ。
927名無しさん@3周年:03/02/03 15:11
キリスト教って、どうして生贄(イエス)が必要なの?
なんか野蛮な感じ。
ゾロアスター教の方がクール。
928名無しさん@3周年:03/02/03 15:13
>>925 自分の実生活と一致しなければ、妄想にすぎんよ。
929名無しさん@3周年:03/02/03 15:15
>>926 それにはどっちがイイカゲンなのかの議論も必要そうだな(w
930名無しさん:03/02/03 15:24
>>929
はじめ胡散臭いからあんまり信じてなかったけど、彼女の家は
すごいんだよ。政府の仕事とか何たらで、授業中変なおっさんたちが
迎えに来たり、家には50人以上召使がいるような、ドラマの中のような
生活してる子なんだよね。
931名無しさん@3周年:03/02/03 15:24
925だ。洗礼をやめたのは!同じように実生活に云々とぬかす牧師がいたから辞めた!テストで三十点ばかりが三十五点になっても誉めないで たかが五点じゃないかと言われたようなんでかえって元のキリスト嫌いになった!
932名無しさん@3周年:03/02/03 15:33
>>930 典型的な新興宗教教祖様の家系れすね
933名無しさん@3周年:03/02/03 15:34
>>931 うっせー!自分は妄想じゃないと思ってんだよ!
って言い返せばよかったのに
まあ洗礼は救いの手段ではないからいいけどね
934名無しさん@3周年:03/02/03 15:36
でも931 牧師が嫌いだからって元のキリストまで嫌いになるつーのは
やっぱり感情でそう思ってたと言われても仕方ないんじゃ?

人に躓かないものは幸いである とか、なかったけ聖書に・・・
935名無しさん@3周年:03/02/03 15:47
牧師にとっちゃ、洗礼を授けるには、その人の信仰の吟味が不可欠。
生活にキリストがおられるか、というのは一つの見極めアイテムなんだけど、
そればっかに頼ってしまったのかもしれないね、>>931の牧師さん。

キリストの命というのは、望みを置きながらゆっくりとその人の中に
浸透してくるものだと思うんだけど、聖職者が焦っちゃダメだーね。
936名無しさん:03/02/03 16:17
いや、卑弥呼の家系らしい。古文書も見せてもらったから
本物と思うよ。なかなか面白い子でね、いろんなこと教えてくれるんだ。
たとえば、人間の中には落書きと呼ばれる本来ならば生まれてくることはなかった
はずの人もいるんだって。流産とかはたいがい落書きなんだって。
で、落書きは本来生まれてくれはずじゃなかったもんだから、
生きててもろくなもんじゃなくて、自殺志願者だとかに多いらしいよ。
937名無しさん@3周年:03/02/03 16:21
聖書みてから音楽つくるといいメロディが出来るぞ、
聖書みないと出来にくい。
938名無しさん@3周年:03/02/03 16:22
>>936 卑弥呼の家系を名乗る古文書は日本の各地にあるよ(w
どれが本物か分かっていたら、邪馬台国論争にも終止符が打たれるはずなんだけどね。

あと、後半書いておられる思想は優生思想、差別の温床みたいな奴なので
個人的にはあまりのめりこまないことをオススメする。
あなたのお友達がどう、とか言うのは自由だけど、このスレには全く関係ないね。
939名無しさん@1周年:03/02/05 08:57
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/kidakei/40conv.htm

「40人の美しい回心物語」のうちの21人分が載っている。
外国人だけど、そんなこと、関係ないでしょう。
「アメージング・グレース」を作詞したジョン・ニュートンとかです。
940名無しさん@3周年:03/02/19 12:51
キリストが原因で救済された人間よりも、
殺しあった人間の数の方が多いのでは?
941名無しさん@3周年:03/02/19 13:15
>>940 ワケワカラン
だから救済される必要があるんでは?
942名無しさん@3周年:03/02/20 16:55
どうやってキリストを信じたのかより、どうやって、キリストを信じれなくなったのか
聞きたいものだな。
要するに、信仰が、なくなったり、薄れたりする話が俺は聞きたい。
943名無しさん@3周年:03/02/20 17:34
スレをたてなさい
944名無しさん@3周年:03/02/21 12:57
次スレでいい?
945あずみ ◆eeV.9uSetc :03/02/22 23:48
 イエスを信じるって、イエスをどう信じるということなのか不明だよ。
946名無しさん@3周年:03/02/22 23:51
イエスを信じるって、イエスをどう信じるということなのか不明だよ。
 \_____ ______/
         V
                    
        ∧∧      \  ボケナスニャーン!  /            
        (*゚ー゚).O                   
        ノ つ つ|       アズミチャーン       コッチムイテー    
      〜(  ノ               ダッコサセロー      ハァハァ
_____U"U______ 
                  │∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
                  │ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧  )    )    (    (    )
(    )    )    (    (    ) ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧

947ラッキーアイテム:03/02/26 00:53
948名無しさん@3周年:03/02/26 00:57
気が付けば隣にいた。
949名無しさん@3周年:03/02/27 00:49
最近よく思うんだけど、
男と女で信じ方って多少差がある
ように思えるんだよね
950名無しさん@3周年:03/03/04 18:19

                \ │ /
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               ─( ゚ ∀ ゚ )< かみさまかみさま!
                 \_/   \_________
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< かみさまかみさまかみさま!
かみさま〜〜〜!   >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /

951都内OL22歳 ◆mbd9XHnic6 :03/03/05 09:26

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952へたくそ>951:03/03/05 11:09

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953名無しさん@3周年:03/03/09 23:43
e
954神はいません、絶対。から:03/03/15 21:32
277 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 03/03/13 15:09
私は、家庭のことで悩んでいて、子どものときから、自殺を考えていました。
その度に、もう少し、生きてみよう、なんか希望があるかもって思って、伸ばしてきました。
姉もいたので、姉のことも心配だったし。
 大晦日とかで神社いったりするけど、心の中でなんとかなるようにお願いしたけど、
全然聞かれることなく、すぎました。
 でも、10年くらいたって、知り合いから教会に誘われ、まあ、レポートもあるしって感じで
聖書を夏休みにいっきに読んで、そしたら、神様が、しゃべったり、いろいろ意志を伝えたり
しているのを読んで、いるのかな?って、期待しはじめました。
 そして、とりあえず、状況をなんとかしたかったし、すぐ洗礼を受けました。
 でも、家庭は変わらず、私は、もう絶望して死ぬ日を決めました。
でもその日、私は、白い服を来て、正座しているイエスさまをみました。
朝5時、チラっと、時計をみたら、白いものが見えて、そんなとこになんか置いたっけ?って、思ったんです。
私がそっちに近づこうとすると、不思議な空気?が流れてきて、心の中に入ってきて、
それまで、すごい絶望してたし、暗い考えいっぱいだったけど、なんかスーっと、それが晴れていって、
私はそのまま倒れてしまいました。私1人で、自分の部屋でのできごとです。それで、次に気付いた時には、すぐ時間をみました。
 私の中に、あたらしい記憶があって、私はイエス様と、なにかをはなしている記憶でした。時間は7時でした。
なにを話していたかは、わからない。記憶だと、私は、ぐったりしていて、うつむいて聞いているという感じ。
 家庭のほうもじょじょに解決していきました。すぐではなかったけど。
私は、それ以降、自殺しようなんて思わない。神様も疑わない。
不思議なことは、それ以降も続いているから。
955名無しさん@3周年:03/03/23 14:20
キリスト氏ね
956megumi:03/03/24 12:33
神の恵みを知って

昔の事になりますが、誰からも好かれた優しい父、村の大きな農家から婿養子として我が家に参り、
近所でも評判の働き者でした。私達子供は朝、目を覚ますと、父の姿が折々見えなかった。
働きすぎたのか、私が十七才の秋、六人の娘を残して他界してしまいました。

私は父の死に直面して、淋しいとも悲しいとも解らない気持ちになって、
うつろな幾日が過ぎて、世間を呪わしくさえ感じ、無気力になって行く自分に気がついて、
人の顔を見るのも、話すこともいやで、やがて体調が変わってきた感じで食事も進まず、
熱が出る様になって、これでは医者に行かねばと、母に病院へ連れて行かれました所、
早速肺尖カタルとか病名を付けられて、肺病の一歩手前だから安静にしている様に言われて、
仕方なく一ヶ月位は床の中の生活でした。床の中で考えている内に色々な事を思い出しました。

其の当時教会で、講演等を聞きに行き、お訪ねもしてお話をお聞きしている内に、
なんとなく悟りに近い諦めがついて前途が明るく見える様になって来ました。

矢張り神様は居られるのだと思い切って心の悩みを、お話しして
お縋りする決心をして教会へも行く様になり体調もよくなりました。

でもそれからも様々な試練が待ち受けていて、其の間挫折もありましたが、よく考えて見ると私にはこれから生き抜くに必要な試練を
神様は与えて下さったのかと、何年か掛かって考えられる様になりました。困った事に逢う度にそれを一ツステップとして乗り越えて来たのだと
私は神様が守っていて下さるからと素直に打ち明けてお祈りしております。

八十路の坂を越えても今まで生かして下さった事も感謝し、まだやり度いこともあるのでもうすこし生かして下さいと、
毎朝お願いのお祈りをしています。しかし私は命ある限り見果てぬ夢を追うでしょうか。

「幸福は何時も自分の心が決めるものだ」と言った有名な相田みつをの言葉、思います。
957名無しさん@3周年:03/03/24 15:54
956 頼むからシンデくれ
958名無しさん@3周年:03/03/27 17:10
>>956
よいお証をありがとうございます。
>>957
何ということを・・・コレッ。
959名無しさん@3周年:03/03/27 19:45
がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
皆狂ってる
960名無しさん@3周年:03/03/27 20:07
宗教を信じている皆さんに質問します。  私は、宗教自体は別に悪いとわ思わない
でもわからん事が多々ある。まずは、お布施ってなんだ!!高すぎやせんか?あとは、
信仰道具、何であんな高いんだ!もろ金儲けじゃないか!教祖がベンツのるな!
教祖が贅沢するなアホ!    どう思います宗教家の皆さん

961山崎渉:03/04/19 23:46
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
 「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます。」
私はなぜクリスチャンになったのか。
どこの誰にでもある、そして不思議な出会いの積み重ねが、神様の用意して下さった道だったのだと、今は思える。
--------------------------------------------------------------------------------
過去の私のキャラクタ−
☆自分の行いがすべてを決める。努力・根性・鍛錬・強さ・自立・自律・・・・ある意味厳しく、しかし、うまくいくことはすべて自分の努力の成果だという、思い上がった考えに陥りやすいタイプ。
☆聖徳太子よろしく「和をもって貴しとなす」。和の崩れが怖い。人の間に入ってあれこれお節介を焼くのが好き。はずれている人を見ていられない。自分自身がすごい寂しがりだから。
☆自意識過剰。人にどう思われているかが、非常に気になるタイプだった。批判を受けるとめちゃめちゃ凹み、評価されると天狗になる。
こういう私が作られた背景、生い立ちについては省略。

祈られていたなんて!
北海道釧路湖陵高校。私は部活に燃える根性少女だった。そのころ、私とは交流のない一人の男子生徒がいた。彼はクリスチャンになり「この学年から救われる人を起こしてください。」と祈ったそうな。
この事を知ったのは、昨年のこと。札幌の十二使徒教会の牧師さんが同窓生であることを、あるかたのHPを通じて知り、急いで卒業アルバムを見たら・・・いた!
私が知らない時からすでに道はつくられていたことに驚く。
そして、彼の祈りが、18年という、祈ったご本人でさえ忘れた頃に、ご本人の知らないところで成就していることも、驚くばかりである。
後日談であるが、今年の夏、札幌でその方とのご対面を果たすことができた。感無量だった。
963なぜクリスチャンになったのか:03/04/21 12:09
長男の幼稚園

官舎の向かいの部屋に住むIさんと親しくしていた。彼女にはウチの長男より1つ上の男の子がいた。彼女から「いい幼稚園がある。自由保育をやっている。」と聞き、どんなものかと
説明を聞きに行った。これがS金岡幼稚園との出会いである。Iさんはクリスチャンではなかった。後に私の方がクリスチャンになって、その時もIさんは「私はそんな”いい人”じゃないから。」と言っていた。
しかし、Iさんも、ちゃ−んと神様は救いへと導いてくれたのだ。ハレルヤ! さて、3歳にて長男を入園させたのだが、担任のT先生の話を聞いてあきれたことを覚えている。
「人はちりで造られたものだったのです。」 何を言っているの?教育者のくせにそんな非科学的なことを。
(しかし、後に、まさにそうなのだと感じる私がいた)
私は幼稚園で覚えてくるかわいい子供のお祈りもちんぷんかんぷんだったし、いったい幼稚園で何をやっているのか知りたくなった。それで私は聖書を購入。しかし読んではみたが、ちんぷんかんぷんに変わりはなかった。それどころか、アダムとエバの話が非現実的な話として、
大きなつまづきとなっていった。 そうなっても、相変わらず幼稚園は大好き。先生達もいい人ばかりで、自然に「金岡ワ−ルド」にはまっていくのだった。
964なぜクリスチャンになったのか:03/04/21 12:13
ねばり強い人々

官舎の隣の棟に、TOMOKOさんという人がいた。彼女は、S金岡幼稚園保護者の先輩であり、すでにクリスチャンであり、
ライトハウスキリスト教会に導かれて豊かに信仰生活を送っていた。TOMOKOさんは、私の顔を見るたびに「聖書読んでる?」
「たかはしさんが逃げても、神様がたかはしさんを選んだんだからね。」「恵まれた女よ、おめでとう!やで〜。」と
話しかけてくる。しつこい。あまりのしつこさに辟易して、「アダムとイブの話が信じられないから、聖書は信じない!」
「もう聖書は引き出しにしまって、今は読んでいないから!」と突っぱねた。私の大好きな仏像の写真集も見せた。
TOMOKOさんは、とても悲しい思いで、しかし私のために祈り続けてくれていたらしい。今となっては笑い話でもあり、
またすばらしい証しでもあるが、当時はなんてしつこい人なんだろうと、怒りさえ覚えていたものだ。
時折TOMOKOさんの家に出入りする、外人を含む教会の人々を4階の窓から冷たい目で見つめ、「宗教っていや〜ね!」
なんて思っていた私だった。長男の同級生のお母さんに、ライトハウスキリスト教会に導かれた人がいた。
KIMIちゃんがその一人だった。KIMIちゃんは、私の長男を車に乗せて、ライトハウスの日曜学校に連れて行ってくれた。
仲良しの友達と遊ぶ感覚で、長男KUNITOは教会に行っていた。私も、子供を預けっぱなしでは悪いので、
お義理で行ってみようかと、ライトハウスキリスト教会に足を運んだ。しかし、すぐに後悔の気持ちでいっぱいになった。
「来るんじゃなかった!」
その雰囲気は、フレンドリ−で暖かく、自由で、霊に充ちていた。だからこそ、私には逃げたくなるような雰囲気に感じられたのだ、
と、今は思う。サタンの精一杯の抵抗・・・私を教会に行かせまいとしたのだろうか? しかし、KIMIちゃんは私を含む
「お母さん友達」が救われるようにと、ずっと祈り続けていたそうな。そんなことは露も知らず、一緒にカラオケに行ったり、
バカな話をして楽しいおつきあいをしているお気楽な私だった。
965なぜクリスチャンになったのか:03/04/21 12:16
涙のわけは?

ある時、礼拝の最後に「我が魂よ 主をほめよ」を賛美していた。最後の歌詞は♪忘れるな 忘れるな 
主に愛されていることを・・・の繰り返しだった。ここを歌っていたとき、突然私の中からこみ上げてきた涙。
なんで泣くのか・・・自分でもわからない。泣くような歌でもないのに・・・恥ずかしい。でもこの
「忘れるな・・・」が、明らかに自分に語られていることを、私は魂の深い部分で感じていた。
しかし、一人の女性が私の肩を包むようにそっと手を置いてくれた時、「いや〜〜どうしよう!この人にあとで
”ありがとう”とか言った方が良いのかな?」などと雑念に飲み込まれていく私なのだった・・・・。

いい加減にして!

幼稚園の保護者には、色々な教会の人がいて、それぞれの教会の伝道集会にノンクリスチャンのお母さんを誘って、
草の根のような伝道活動をされていた。ある教会に連れて行かれた時、そこで例によって私は「アダムとイブの話が
信じられないんですよね〜。」と言った。するとその教会の人は必死になって反論してきた。「じゃあ、あなたの先祖は
猿なのか?動物園の猿山で、あなたは”ご先祖様!”と手を合わせるのか!?もっとさかのぼって、あなたの先祖は
アメ−バのような物体だと言うのか?あなたは顕微鏡でアメ−バを見て”ご先祖様!”と手を合わせるのか!?」
私はほとんどぶち切れ状態。誰が猿山で手をあわせるものか。誰が顕微鏡に手を合わせるものか。なんなのさ?
いったいなんだっていうのさ?このころの私は、教会やクリスチャンに対する思いが、近くなったり遠くなったり、
揺れに揺れている状態だったようだ。
966なぜクリスチャンになったのか:03/04/21 12:18
アルファ−(α:初めという意味)

KIMIちゃんの家で「アルファ−」という学びの集会が行われることを聞き、誘われるままに参加を決めた。
KIMIちゃんも、TOMOKOさんも、私を誘ってはみたものの、まさか本当に参加するなんて思ってもみなかったそうだ。
そのくらい、私は頑なに見えた・・・いや、実際頑なだった。第一、アルファ−に参加した理由は、「好きなことをしゃべっていい」と
言われたからだ。教会で「神様なんていない!」とは言いにくい。でも、何を言ってもOKなら、出かけて行って好きなこと言わせてもらおう。
「アダムは男前の白人で金髪、イブはセミロングの金髪でしょ。なんで私の祖先が白人なのかわからない。」
「悪魔って、矢印みたいなしっぽで、矢印みたいな槍を持ってるんでしょ。」
「天使って、森永の♪ピポピポじゃん。そんなのホントにいるとは思えない。」というように、言いたい放題。
たくさんの人と話したりできることは楽しかったけど、ほとんど知らない人だったし、自分を守ろうとしていたと思う。
今では仲の良いY姉妹が「学校の先生だったの?」と聞いてきたとき突っけんどんに「はあ。」と答えただけ。
(Y姉妹曰く、”怖かった〜〜〜!”)しかし、このアルファ−の最終日に、大きな祝福が待っていた。
967なぜクリスチャンになったのか:03/04/21 12:21
見ないで信じる者は幸いである

アルファ−の時、毎回持ち寄りの昼食会があり、それが楽しみの一つでもあった。準備をしながらも色々話をした。
「今、目の前に神様が現れ、私の体の痛い部分をすぐに治してくれたら信じてもいい。」そう言った私。なぜこんな風につっかっかって行ったのか。
求めていたからに他ならない。今はそう思えるが、当時は「こいつらの話術にはまってなるものか!証拠を見せろ!証拠を!」と思っていた。
話術もなにも、真実を語るのだから、これに勝る強さはないよね。
ここで言われたのは、「治ったから信じるのではなくて、信じるから癒されるんだよ。今、仮に本物の神様が目の前に現れても、
今のTさんは”これは神様じゃない!”って言うよ。見たから信じるのではなくて、見ないで信じる者になりなさいって聖書に書いてあるよ。」
う・・・・。痛いところを突かれてしまった。
なんとなく、私の考え方は間違っているような、神様はすぐ近くにいるような、そんな気持ちになっていた。
968なぜクリスチャンになったのか:03/04/21 12:23
こんなんでいいワケ?

アルファ−最終日。牧師であったSAMが私をみんなの輪からはずれた部屋の隅に誘った。「自分のためにイエス様が十字架に
かかったこと、信じられる?」アダムとエバは信じられなかったが、イエス様の十字架は信じることができる自分がいた。
「うん。」「じゃあ、ぼくと一緒に祈ってくれる?」「いいよ。」ここで、私はSAMに導かれて自分が罪人であることを告白し、
私の罪のためにイエス様が死んでくださったことを感謝して、心に聖霊様を迎えますと祈った。「Tさん、今からクリスチャンよ!」
SAMに言われて、私は大いに不満だった。何も変わっていない。何も起こらなかった。こんなんで、私はクリスチャンなのか?
つまんない!美しい光や虹が見えて、涙を流したりするのが受け入れの時ではないのか?
969なぜクリスチャンになったのか:03/04/21 12:25
神のなさることはみな、時にかなって美しい

しかし、後で私は知った。私のような理屈っぽくてガンコな者は、誰かに背中をぼん!と押されなければ主を受け入れることが
できなかったことを。SAMが、神様からその「時」を示されていたということを。受け入れた後の私は、主によってどんどん
成長させられていった。信じられなかったアダムとエバを、理屈でなく、信仰によって信じるように導かれ、シャウトゴスペルクワイヤで
神様を賛美する喜びを知り、1998年2月14日、時間はかかったが、受け入れてから約半年後に洗礼を受けることができた。

よく、「弱い人間が神様にすがるんだよ。」などという人がいる。しかし、私は強かった。強いと思って生きてきたと言った方が正しいかな。
少なくとも悩みの中で救い主を求めてきたような繊細な人間ではなかった。強いことは誉れでも何でもない。くだかれ、神様の恵みを受けとるのに
時間がかかった私は、強いがゆえの傲慢を感じずにはおれない。「自分」が求めて「自分」が選んで「自分」が決めてクリスチャンになったのではない。
いつも誰かに祈られ、いつも誰かに導かれ、いつの間にかクリスチャンになってしまった。
「神様が私を選んだから、私はクリスチャンになりました。」そう答えるしかない。それ以上の答えも、それ以下の答えもない。
不思議な出会い(”偶然”という言葉で片付けがち)、誰かに祈られていること、こういう経験、きっと誰もがしているのだと思う。
ただ、気付くか気付かないかの違いだけ。すべては神様の計画。すべては神様の恵み。感謝します。ア−メン。
970名無しさん@3周年:03/04/23 17:09
く、狂ってる
971名無しさん@3周年:03/04/23 17:14
>>970
何が狂ってるんですか? それよりちょっと聞いてください。
私、テレビ見ないんですよ、テレビ。
でも、皆さん、テレビ見ますよね。帰宅すると、すぐテレビのスイッチつける。
で、ご飯食べてようが、子供と話していようが、テレビ見っぱなし。
風呂に入ってまでご覧になる方もいらっしゃる始末。
でもって、物品の価格に上乗せされている広告料金をそれとも意識せず、
唯々諾々と払っていらっしゃる。テレビはご本尊。しかも献金までして。
これってテレビ教(狂)なのでは?
972名無しさん@3周年:03/04/23 18:10
イエス様や聖書の事に興味がある方へ
阿刀田高さんの「新約聖書を知っていますか」
を知っていますか?
堅苦しいところがなくとても読みやすくてなにより面白いんです。
阿刀田さんご自身はクリスチャンではいらっしゃらないので
そういう目線で客観的に聖書を読み解いてあります。
聖書のはじめの一歩として是非ご一読あれ。
973&lro;:03/05/16 18:24
 
974名無しさん@3周年:03/05/29 01:59
age
975名無しさん@3周年:03/06/04 09:52
age
976名無しさん@3周年:03/06/04 16:56
高校生の時、校門の前でギデオン協会の人が
日・英対訳の新約聖書を配っていた。
その日はみんながキリスト教や神をバカにした話で
もりあがっているのを見て、俺は逆に神を信じたくなった。
で、「俺は神を信じる」なんて言ってみると、
頬をたたいて、「ほら、もう片方も出せよ、ワッハッハ!」
なんて言う奴が必ずいた。
俺は「もっと!もっとー!」とか言って、
「わーマゾだ、ヘンターイ」なんて事で笑いをとっていたわけだが・・・・
後に俺のこの信仰告白が人生を狂わせる事になるとは
予想だにしなかった・・・・・・・ToBeContinued
977あずみ ◆eeV.9uSetc :03/06/06 03:15
 キリスト教なんかにかかわるのは、やめた方がいいよ。

 人生あやまるよ。
978Ellen:03/06/06 03:17
あずみはイエス大好き女の子なんだろ?
979Ellen:03/06/06 03:25
あずみが書いてることが一番まともだとおいちゃんは思ってるがな。
めげずにイエスにしがみついて生きるこっちゃ。がんばれ。w
980名無しさん@3周年:03/06/06 11:06
イエスが生きていた時代の教えだけを信じることだ

黙示録などは、別の宗教と思ったほうがいい
一種の霊感商法と同じだから、恐怖を与えて隷属的にしているからです

イエスの教えは、モーゼの十戒をベースにし
「隣人を愛する」人としての教えでしょう。
981名無しさん@3周年:03/06/14 13:20
イエスはクソ
イエスはホモ教
やめてくれ キリスト教をやめてくれ
982名無しさん@3周年
2ちゃんねるを見てキリスト教に興味を持った。
キリスト教関係の本を買う金が無いので持ってる人は僕にください。