誰か十二縁起をわかりやすく説明して下さい

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342仙人:02/10/26 16:12
>>341
>>「仏教」の著者ベックも、どこからが肉体かで悩んでいたよ。
>>ぜひ仙人さんのご意見を。

無明から有までは自分の昔話なんだよ。生い立ちなんだ。
生ではじめて生まれるんだ。
その結果老死あり。
343ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 16:42
>333 名前:名無しさん@1周年 :02/10/26 14:37
>>増谷文雄先生が「五蘊」と書かれていますけど。
>名=受想行識 色=四大 五蘊=色受想行識 これは阿含経にはっきり説明されているよ。

>334 名前:バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 14:53
>>333 阿含経のどこですか?

○阿含経典 第二巻 人間の分析(五蘊)に関する経典群 増谷文雄 筑摩書房 
★p37 蘊相応 16 重荷 
 南伝 相応部経典 二二、二二、重荷   漢訳 雑阿含経 三、二三、重荷 
かようにわたしは聞いた。ある時、世尊は、舎衛城の祇陀林なる給孤園にましました。
・・・では、比丘たちよ、重き荷物とはなんであろうか。
生を構成する五つの要素(五取蘊)がそれである。
・・・いわく、色(肉体)なる要素、受(感覚)なる要素、想(表象)なる要素、
行(意思)なる要素、識(意識)なる要素である。・・・
★p76 蘊相応 35 意見 
 南伝 相応部経典 二二、四七、観見   漢訳 雑阿含経 三、五、等観察 
・・・我というものがあると考えている。たとえば、人間を構成する五つの要素(五蘊)・・・
○阿含経典 第一巻 存在の法則(縁起)に関する経典群 増谷文雄 筑摩書房 
 南伝 相応部経典 一二、二、分別   漢訳 雑阿含経 一ニ、一六、法説義説 
★p93 因縁相応 1 説法 
・・・比丘たちよ、では、名色(五蘊)とはなんであろうか。
受(感覚)と想(表象)と思(思惟)と触(接触)と作為(意思)と、これを名というのである。
また四大種(地・水・火・風)およびそれによって成れるもの、これを色というのである。
つまり、そのような名とそのような色とを、名色というのである。
・・・・・・
344ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 16:43
【 阿含経典に関する薀蓄・コラム 】
○阿含経典 第一巻 存在の法則(縁起)に関する経典群 増谷文雄 筑摩書房 
★p303 利得と供養相応 1 恐ろし  
 南伝 相応部経典 一七、一、恐ろし   漢訳 雑阿含経 なし 
・・・比丘たちよ、利得と供養と名声とは、恐ろしく、苦々しく、過酷なものであって、
最高の安穏に達する障疑(しょうげ)である。(注:変換の都合上疑、疑は石ヘン)
★p307 利得と供養相応 3 一子  
 南伝 相応部経典 一七、二三、子   漢訳 増一阿含経 九、一、優婆斯 
・・・だからして、比丘たちよ、このように学ぶがよい。
〈わたしは、すでに生じた利得と供養と名声を捨てよう。
また、いまだ生ぜざる利得と供養と名声には、心執することなくしてありたい〉と。
比丘たちよ、汝らは、そのように学ぶべきである。 

○阿含経典 第三巻 人間の感官(六処)に関する経典群 
 実践の方法(道)に関する経典群 増谷文雄 筑摩書房 
★p115 聚楽主相応 2 歌舞伎聚楽主 
お経の趣旨は「物マネ芸は止めよ。地獄か畜生である。」
★p119 聚楽主相応 3 西方の人 
お経の趣旨は「加持祈祷によって死後の人の転生先は変えられない。」
★p148 道相応 4 一比丘(1) 
お経の趣旨は「梵行とは八正道をさす。」
★p179 覚支相応 2 サンガーラヴァ(傷歌羅) 
お経の趣旨は「自他双方の利益も分からなくなる心境を七覚支で解決せよ。」
読誦した聖句の思い忘れを以下に例え、
欲を色濁り水に 瞋恚を沸騰水に 昏眠を苔むした水に(昏はリッシン偏) 
卓悔を風による渦巻き水に(卓は手ヘン) 疑惑を掻き回しの泥水に 
これらの疑惑のから脱出する法として 以下の七覚支を説いている。
念(記憶して亡失せざること)・択法(よく法の真偽を選択すること)・
精進(よく一途に努力すること)・喜(正法に歓喜すること)・軽安(身の安らかなること)・
定(心の一境に専注すること)・捨(心に雑念なく平静なること)
345ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 16:52
>343−344 訂正。

○ ★p93 因縁相応 1 説法 
 南伝 相応部経典 一二、二、分別   漢訳 雑阿含経 一ニ、一六、法説義説 
× 位置移動

× これらの疑惑のから脱出する法として 以下の七覚支を説いている。
○ これらの疑惑 から脱出する法として 以下の七覚支を説いている。
346ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 17:44
>340 :バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 15:32
あんた阿含経や阿含宗に本当に行っているの?阿含宗会員なの?
いろんなスレッドで、さんざん阿含宗を弁護しておいて、
勉強した批判者を 精神異常者を呼ばわりして答えもせず 恥ずかしくないのかな!?
阿含宗の人なのに「修行の手引き?」に書かれた 
部派仏教や唯識仏教で使う 「大善地法?」をご存じないのでしょうか?
恥の種類を調べてみな。恥の治し方も書いてあるから。実践出来るかドウかは別だが。
「人間の改造の原理?」「阿含密教は今?」だかいう著書にも詳しく書いてあったハズ。
自分もちの著書は 
退会の時に阿含宗の道場の納札箱(宗教用ゴミ箱)に綺麗サッパリ捨てたから、手元に無い。
自分で探してください。

>すると、受、愛、取、の居場所が無くなっちゃうんだよね。困った。
>仙人さんは、五蘊破れた後残るものは何だと思いますか?
>「行、識」だけで、輪廻できるかしら? 天人は「行、識」しか持ってないの?
もしもし?阿含宗の管長ゲイカ法話では、
「五蘊など仮合であって、死後は五蘊は破れ中有に陰蘊(意生身)を生じて生きる。」
と聞かなかったのかい。おたく新しい会員なわけでしょうか?
1999年7の月の地球壊滅のハズレ予言後は 教学や管長法話のレベルが低くなったのか?

陰蘊(意生身)を唯識とか仏教の学者の霊魂論では、健達婆(香陰)って呼ぶんだがね。
(変換上、達にした。本当の達の字は門構え)
347ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 17:45
【 輪廻転生の際の心の居場所の薀蓄・コラム 】

あと心の居場所については、
『法相二巻抄』を読む 唯識とは何か 横山紘一著(東大印哲・立教大教授)春秋社 2900円+税。
「第3章 百法 第3節 心所」に書いてある。
倶舎論は七十五法を説くが 瑜伽行派は百法を説いている。
p136 驚かし目覚めさせる心(作意)から始めて、
p159 はじる心(慚:ざん 愧:き) p176 おろかな心(癡・無明)
p178−179 疑う心(疑)の 二には辺執見 三には邪見 五には戒禁取見 とかあり、
p182 なぐろうと思うほどにいかる心(忿) p183 うらむ心(恨)
p184 相手に咬みつく心(悩) p185 罪をかくす心(覆)
p190 ねたむ心(嫉) p192 はじることなき心(無慚 無愧)
p203 追求する心(尋と伺)まで多数アル。
大体が 前五識までに心の居場所が含まれるが、
第七末那識 第八阿頼耶識 にも心の種子(非活動体?)は存在する。
348ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 17:52
>347の つづき。唯識本の別件 紹介。

阿含宗の道場で話し相手だった宮本武蔵が好きなオバチャンは、
五輪の書?だか葉隠れ?だかも好きだったが、唯識についても薀蓄があって、
「凡夫が凡夫に 呼びかける唯識 太田久紀 大法輪閣」とか紹介してくれたよ。
そのなかに「煩悩浄化の図」とかいう便利表が付録についている。
勉強会の宗務局とか伝法会の法務部の紹介でなく、
自分で勉強して本屋で探したのといっていたがね。
349ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 17:55
>346 訂正。
× 勉強した批判者を 精神異常者を呼ばわりして答えもせず 恥ずかしくないのかな!?
○ 勉強した批判者を 精神異常者 呼ばわりして答えもせず 恥ずかしくないのかな!?
350バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 17:58
>>346 仙人さん、昔話じゃないよ。
仙人さんは、いま「無明」を持っているでしょう?もし持ってなかったとしたら、
如来様だよね。
いま、無明があれば、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死が
「いま」必ずあるんだよ。
(空だからないと言うのは置いておいてね。空を悟る前の話で)。

その現在の肉体が滅びた場合、異蘊、意生身、として残り輪廻するのはどの部分
なのか?
「行、識、名色、六処、触、受、愛、取」を輪廻する魂と考えるととても
分かりやすい。名色を五蘊と考えると、「行、識」が輪廻の主体=魂=異蘊
と言う事になり、愛や取は、「識」に記憶されていると考えざるを得ない。
ちょっと難しいんだよね。しかも、五蘊→有 までの間が開きすぎるしね。
351バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 18:00
>>342
>>無明から有までは自分の昔話なんだよ。生い立ちなんだ。
>>生ではじめて生まれるんだ。
>>その結果老死あり。

無明から有までは自分の「こころの」話なんだよ。「魂」なんだ。
生ではじめて肉体を持つんだ。その結果老死あり。
と、思っているんだけど。



352バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 18:02
>>339  仙人さん。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
識を縁じて名色ありとは、云何が名なる。いわゆる四無色陰の、受陰・想陰・行陰・
識陰なり。云何が色なる。いわゆる四大と四大に作られし色なり。これを名づけて
色となす。この色及び前に説きし所の名、これを名色となす。(阿含経)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

これは驚天動地。阿含経でも、後世の解説部分と言う事はないのですか?

353ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 18:16
>352 
○阿含経典 第一巻 存在の法則(縁起)に関する経典群 増谷文雄 筑摩書房 
★p93 因縁相応 1 説法 
 南伝 相応部経典 一二、二、分別   漢訳 雑阿含経 一ニ、一六、法説義説 
・・・比丘たちよ、では、名色(五蘊)とはなんであろうか。
受(感覚)と想(表象)と思(思惟)と触(接触)と作為(意思)と、これを名というのである。
また四大種(地・水・火・風)およびそれによって成れるもの、これを色というのである。
つまり、そのような名とそのような色とを、名色というのである。
・・・・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
識を縁じて名色ありとは、云何が名なる。いわゆる四無色陰の、受陰・想陰・行陰・
識陰なり。云何が色なる。いわゆる四大と四大に作られし色なり。これを名づけて
色となす。この色及び前に説きし所の名、これを名色となす。(阿含経)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

誰がどう見たって同じ箇所ジャン。
似た経の文句や章節ともいえるが。似た経が沢山有るなら後世の解説ではないね。
増一阿含経や南伝しかないのと違って、最古のが雑阿含経なのさ。
暇ならヴェーダやウパニシャッドの 四大とか身体や心の説明の スートラを探して 
同じか新しい用語かどうか ドウ古いか検証しなよ。

自分の意見に合わないから 後世解釈や資料改竄なんてトンデモじゃん。
嫌いな奴が言おうと 尊敬する奴が言おうと「真実は一つだ」。
インド(バーラタ)の国旗の銘は「真理のみ勝つ」だがね。
近代哲学の「真善美」ではなく 「利善美」とかいって 
利益の為に嘘を押し通して 真実を売ってしまう 団体じゃあるまいしに。
354pyiy :02/10/26 18:17
>>351
>>無明から有までは自分の「こころの」話なんだよ。「魂」なんだ。
>>生ではじめて肉体を持つんだ。その結果老死あり。
>>と、思っているんだけど。

そうじゃないよ。
無明から有までは、前号までのあらすじだよ。
つまり輪廻だから、前号までのあらすじがあるんだ。
この世で死ねば、また今生も前号までのあらすじになって、次の世に
輪廻するんだ。
355バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 18:18
>>354 仙人さん、そのHN、2回目。可愛いHN使っているんだね。
356バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 18:19
ピュイュって読むの?
357ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 18:24
>354 
>無明から有までは、前「業」までのあらすじだよ。
>つまり輪廻だから、前号までのあらすじがあるんだ。
唯識で言う引業(インゴウ)

【 参照 】
原始佛教 U
907 :名無しさん@1周年 :02/10/20 18:04
>906 異熟の解説
唯識思想入門 横山紘一 第三文明社 レグルス文庫66
(おいおい 中身は非ソウカでも ガワはソウカだよ 

p113・115−116 異熟 vipaka ヴィパカ 
根本識が前世の善業や悪業の結果たるものとして存続する期間の呼び名 
無始から「金剛心」という過去の影響を全く払拭してしまう段階までの期間 
「前の原因(過去のカルマ・善か悪)と異なって 
結果が成熟する(阿頼耶識・無記)」因是善悪 果是無記 と言う。
現在の自己存在の基体そのものは価値的には白紙(善とか悪の存在と決められない)
であるというのである。
悪から善に転換できると言う意味で ここに宗教的救いが存在する。
人は過去のカルマを受け束縛されている。
しかし現在自分を成り立たしめている根源そのものは過去のカルマから独立している。
そして過去のカルマに 引業インゴウ 満業マンゴウがある。(ワラ 仏教って読みがイヤ 
絵で言うとインゴウはデッサン マンゴウは着色である。

★ 自己流解釈 ★
ようは 今なぜか報いを受けている果(現世に着色する 前世のデッサンのインゴウ)に 
報いを受けた際の対応が因(前世のデッサンを 現世で着色のマンゴウ と 来世にはデッサンになるインゴウ)でもあるという 
この因果応報の時間差攻撃による 今イイことしたのにナゼ悪い報いが来ている?
という疑問への回答である。 
358仙人:02/10/26 18:25
pyiy=仙人
漢字が出なかっただけだよ。漢字を外すと仙人はpyiyになるよ。
359仙人:02/10/26 18:32
>>357
ろんぎぬすさん。引用そのままでなくてもいいからさあ。
もう少し、かみ砕いて解りやすく説明してくれんかなあ。
360バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 18:33
>>358 
仙人さん、ローマ字入力じゃなくて、かな入力しているの?
驚異だね。
361ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 18:34
>359 ちょっと待って。

>346 
>退会の時に阿含宗の道場の納札箱(宗教用ゴミ箱)に綺麗サッパリ捨てたから、手元に無い。
すまん。書きすぎ。
破滅予言の著書は 貴重本(レア物)になりそうなので 手元にある。
362仙人:02/10/26 18:41
>>いやいや、ろんぎぬすさんの『考え』でいいんだよ。
363バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 18:43
「比丘たちよ、では、名色とはなんであろうか。受と想と思と触と作為と、これを
名というのである。また四大種(地・水・火・風)およびそれによって成れるもの、
これを色というのである。つまり、そのような名とそのような色とを、名色というの
である。」


電波さんは、これを否定したんだよね。(五蘊より一つ多くて六蘊なのが面白い)。
丘山新先生の、阿含経現代語訳では(たぶん)「名称と形態」となっている。

ヒトの要素としての名称と形態(名色の特殊系)として「受と想と思と触と作為
(名)、(色)」があり、十二の因縁の「名色」は一般的なことなのだろうか?




364ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 18:44
>361 商売じゃないが 退会のネタやアホな昔話に持って来いなので 
記念に残している。

>359 
>>無明から有までは、前「業」までのあらすじだよ。
>>つまり輪廻だから、前「業」までのあらすじがあるんだ。
>唯識で言う引業(インゴウ)

>そして過去のカルマに 引業インゴウ 満業マンゴウがある。(ワラ 仏教って読みがイヤ 
>絵で言うとインゴウはデッサン マンゴウは着色である。

>357 
「インゴウはデッサン」じゃ不味いわけ?噛み砕いていると思うが?
365ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 18:46
>357 難しいが補足。
●ろんぎぬすの専用スレッド6■
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/231

231 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/21 20:45
>224−225 つづき。

唯識入門p118−121 法相二巻抄p108−110p340−341(両方とも横山・本)

無覆無記(聖道の修行を障害しない)阿頼耶識 に生天や堕三悪の報いの種子が貯め込まれる。
有覆無記(四つの煩悩[我痴 我見 我慢 我愛]のある)第七識末那識 阿頼耶識を自我と見る意識
意識は肉体の五感を 自我と錯覚するが 
末那識は阿頼耶識を 意識と五感の関係ほどに 自我と強く見ない。

また 善心(福業)を起こして善の種子うを植えつければ人(にん)か天に生まれ 
逆に悪心(非福業)を起こして悪種子を薫ずるならば 
その力によって未来世に地獄・餓鬼・畜生の三悪道におちいることになる。
その異熟習気(じっけ)の業種子が 増上縁となって 来世に阿頼耶識を生じさせる。 
三悪に生まれても阿頼耶識はある その境涯から善の種子を溜め込めば 生天 するからである。
それで阿頼耶識を 不善(悪)でも善でもない 無記の存在としている。
これを「因是善悪 果是無記」と呼ぶ。

来世に因果応報するのを 異熟 といい 
人間に男に女に賢く愚かに美しく醜く生まれる という 
各々の報いを受けて生きる期間をも 異熟 と言いならわす。 
そのいっぽうで 現世のうちに因果応報がある業を「同類因 等流果」と呼ぶ。
366バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 18:48
>>362 仙人さん「ろんぎぬす」と言うのは、あっちこっちから
長文を持ってきて貼りつけて、スレッド妨害することなんだよ。
その集大成?が「ろんぎぬす」というスレッドにあるよ。
今それをやっているのは、いつもの密門会氏。
367ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 18:58
>362 名前:仙人 :02/10/26 18:41
>>いやいや、ろんぎぬすさんの『考え』でいいんだよ。
引用が過ぎたのかもしれませんが。
美味く噛み砕いて説明できないのですが。

現世に現れている心は 前世から発芽した心「も」ある。それを「インゴウ」と思っている。
運命の出会いとか縁が出来るのも 前世で粗筋を書いたデッサンした「インゴウ」だと。

死んで五蘊が消えても 過去に犯したカルマが輪廻中の阿頼耶識に残って、
次の生涯に報いとなって 阿頼耶識に溜め込まれた「心」が発芽し 来世に事件を起こす。

が、その現世で「四正勤」をなして、既に生じた悪を改め、未だ生じざる悪をなさなければ、
悪いカルマは消せる。と考えている。
心に悪い気持ちが発芽しても、それを消す「シャマタ止・ビバシャナ観」をして、
言動や動作にまで発展させなければいい。
また言動や動作にまで うっかり出てしまっても 改革したり訂正したり 
より多くの善行によって帳消しにして貰うように 善意を働かすのである。
368仙人:02/10/26 19:00
>>364
>>そして過去のカルマに 引業インゴウ 満業マンゴウがある。(ワラ 仏教って読みがイヤ 
>>絵で言うとインゴウはデッサン マンゴウは着色である。

うん。これは解るような気がするね。
369バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 19:02
↑ 
これが「法」と言うものには全く興味は無いが、「法」で一儲けしたい
と思っている人の文章ね。いちおう大相乗?らしいから、それらしい文
章は書ける。用語をちりばめただけだけどね。
370バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 19:03
>>369 誤爆スマソ。これは密門会氏宛てです。じゃあ、お出かけ。
371ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 19:03
>366 
バウ氏へ、随喜説法が出来ないもんでね。悪かったね。
用語の理解も長文の読解力もないんじゃん。

阿含宗も退会し 仏教の仏像や宝塔や曼荼羅に対する礼拝は止めているので 
仏教徒でないし まして蜜門会ではないんだがね。
372バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 19:04
蜜門会 ← この字、前も使ってたね。
373仙人:02/10/26 19:09
>>367
これだよ。はっきり解るじゃないか。
識だよ、カルマの蓄積が識なんだよ。
識によって人は生まれるんだよ。

374ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 19:11
>378 蜜は変換みすじゃ。
ごんめんね。漢字変換機能がハッカーでやられて どうしようもないんでね。

>369 :バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 19:02
>これが「法」と言うものには全く興味は無いが、「法」で一儲けしたい

「法」で儲けたい?そりゃ 阿含宗の桐山靖雄に言え。
一体10万だとか「法」で金儲けたくらんで 10万円など破産の基準じゃ。
三ベン宝珠尊だかは200万円だそうで。「法」で ぼろ儲けやね。

こんなドン臭い信者から供養と賞して自分の使いたい金を巻き上げているのだから。
しょうもないわ。
375ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 19:16
>373 
>識によって人は生まれるんだよ。

仙人さま。恐れ入ります。私もそう思います。
ただ細かいことを言えば 学問的小言になりますが 
識がチッダなのかマナスなのか吟味が必要かと。
376仙人:02/10/26 19:26
>>375
>>識がチッダなのかマナスなのか吟味が必要かと。

だからそのチッダとマナスをかみ砕いてくれ。
377ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 19:27
>347 
>ごんめんね。漢字変換機能がハッカーでやられて どうしようもないんでね。
反省します。
自分のソソッカしい打ち間違いや変換区切りミスもあります。
378ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 19:33
>376 
すみません。仙人さん。

手元に私の欲しがっている仏教大辞典が無く リンクの仏教辞典を使えこなせません。
参照の仏典や解説書に行き着くかどうか。
パーリ語ではなくサンスクリット語だとは思うのですが、今のところ分かりません。
中村元先生の著書バウッダに書いてあった記述が思い浮かんだので さしあたってカキコだったもんで。

現在のところ少々調べても 分かるか分からないかのメドがつけられません。
379ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 19:36
>376 返答レス 後日になります。
380仙人:02/10/27 08:24
>>352
>>これは驚天動地。阿含経でも、後世の解説部分と言う事はないのですか?

もちろんあるよ。地獄界の様子。餓鬼界の様子。阿修羅界の様子・欝単曰の世界
の様子・龍の世界の様子・三十三天の様子など。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
大目ノ連は神通力によって知り合いの天子に会うために三十三天を訪れた。
そのとき、天子は100人ほどの女と、大浴場に入っていた。
目ノ連は仏の教えに背いているではないか。と天子を戒めた。
そして、目ノ連が地に指を付けると、大地震が起こった。
女たちは悲鳴をあげて、仏が来たと言って恐怖した。すると天子は女たちに言っ
た。心配するな、彼は仏ではない、仏の弟子の大目ノ連だと言った。(阿含経)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
381ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/27 08:37
>376 仙人さん。おはようございます。
チッダでなくチッタでした。訂正します。

で マナスとチッタは日本語では同じ「こころ」で漢字でも同じ「識」あっても、
インドでは別の物を意味しています。
漢訳でも別の漢字を当てはめ 
心(チッタ)第八阿頼耶識→意(マナス)第七末那識→識(ヴィジュニャーナ)意識と前五識と
翻訳語を分けています。
心も意も識も「チッタ」として同意義にしているものもありました。
「バウッダ 中村・三枝著 小学館」p283−286。

>373 識によって人は生まれるんだよ。
については 
無明よりサムスカーラ(行・意志作用・習気・種子)によって人は生まれます。
「バウッダ 中村・三枝著 小学館」p129−130では 
諸「行」無常の行の字がサムスカーラと解説しています。
同p341のローマ字表記サンスクリット文の(*3)の最後の−samskara−です。
お寺(法相や禅宗)や仏教大学で唯識学を また趣味でヨガに関心がない限り 
日本人には馴染みが薄い言葉です。

サムスカーラを消す知恵が身につけば(悟れば)無明は無くなり寂静涅槃(解脱)を得ます。
ヨガの解説でも心に寂静を得ればアートマン(チッタ・第八識・阿頼耶識)は 
ブラフマン(宇宙)と一体を感じて輪廻が止むと見ています。
382ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/27 08:38
◎Glossary 用語集[1 (A〜 し)];2 (す〜わ)
http://www.maharshin.com/HYougo1.html
○意
い。こころ。
(1)第六識(マナス)
(2)広義の心
○心
こころ。かなり広義に使われている言葉なので、ケースバイケースでその意味を理解する必要がある。
第六識の分別・判断作用。
第八識。狭義のチッタ(citta)。
前五識・第六識・第七識・第八識=全八識。広義のチッタ(citta)。
身心を唯識用語で表わせば有根身+全八識となるので、普通には心は全八識と理解すればよい。
一般用語としては、“こころ(情け)がある”とか、“こころ(受容力)が広い”とか、
色々に味つけされて使われることが多い。
R. マハルシの定義「心は考え事の束」は、明確である。→チッタ
○サムスカーラ
サンスクリト語の「samskaara」で、次のような意味がある。
1) ヨーガでは「潜在印象」の意味で使われることが多いが、この場合は種子や習気と同義になる。
先天的素質をも意味する。
2) 仏教用語として「行(ぎょう)」と訳され、五蘊(色受想行識)の4番め、
十二因縁の2番めに出てくるが、一般的には「意志作用」と解釈されている。
3) ヒンズー教の浄化儀式。
○出力
しゅつりょく。第八識→第七識→第六識→前五識→五根→有根身と、
内部の情報を外界に出すこと。英語では「output」。
383ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/27 08:40
◎Glossary 用語集[1 (A〜 し)];2 (す〜わ)
○十二因縁
じゅうにいんねん。「十二縁起」とか「十二支縁起」とも言う。
順観(流転の縁起):
1無明(avidyaa )の縁(条件)によって→2行(samskaaraa)があり、
行の縁によって→3識(vijnaana)があり、識の縁によって→4名色(naama-ruupa)があり、
名色の縁によって→5六処(sad-aayatana)があり、六処の縁によって→6触(sparsa)があり、
触の縁によって→7受(vedanaa)があり、受の縁によって→8愛(trsnaa)があり、
愛の縁によって→9取(upaadaana)があり、取の縁によって→10 有(bhava)があり、
有の縁によって→11 生(jaati)があり、
生の縁によって→12 老死(jaraa-marana)・愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。
逆観(還(げん)滅の縁起):
1無明を残りなく離れ滅することによって→2行は滅し、行の滅により→3識は滅し、
識の縁により→4名色は滅し、名色の縁により→5六処は滅し、六処の縁により→6触は滅し、
触の縁により→7受は滅し、受の縁により→8愛は滅し、愛の縁により→9取は滅し、
取の縁により→10 有は滅し、有の縁により→11 生は滅し、
生の縁により→12 老死・愁・悲・苦・憂・悩が滅する。
384ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/27 08:41
◎HIRO'S HOME PAGE唯識三十頌
http://www.urban.ne.jp/home/junsoyo/yuisiki/sannjuuju.htm
◆「彼」:さまざまな姿として現れる我・法。これらは,識が変化したものだという。
◆「識」:唯識仏教では,こころを実体として捉えるのではく,「はたらき」として捉える。
1)「八識」:唯識では,「心」を眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識,
という8つの識で考える。
2)「心・意・識」:8つの識は,3つに分類することができる。
・心(チッタ)…広く心全体を意味する場合もあるが,唯識仏教では第八阿頼耶識を指す。
心は,ただ考える作用の主体であるだけでなく,
さまざまな自己の行為の影響をとどめていく場所でもある。
・意(マナス)…意は,物事を考えるというはたらきを持つ心。
唯識仏教では,「考える」というはたらきを深層心理における自己執着心に限定して考える。
従って,第七末那識を指す。
・識(ヴィジュニャーナ)…眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の6つを指す。
3)「心・心所」
心(=心王)とは,心の主体のこと。
心所(=心所有法)とは,それに付随してはたらく細かい心理作用。
心を考察していく上で大変重要。
例えば,ものを見る場合,私たちは「心王」という純粋は視覚の上に,
私たちが持っている様々な思いでもって(「心所」)見る。
つまり,私たちの視覚は,みているそのものではなく,
心所が働いて,はじめて具体的な視覚として成立している。
◆「識」のはたらき
 「知る」というはたらきが成立するためには,
「認識されるもの」(客観)と「認識するもの」(主観)という二つの要素が必要である
(客観と主観という二元対立の関係の上に,知るという作用が成り立つ)。
唯識仏教でいう「識」は縁によって起こるものであるから,
認識対象を無くすことによって,認識主体もなくなっていく(識の縁起性)。
自己を離れて認識対象があるわけでなく,
すべては根源的な心である阿頼耶識が知らしめているにすぎないと考える。
385ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/27 08:42
心の法則(一)
心の取り扱い――その方法について
(隔月誌『Paramahamsa』25号より)
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/sanatana/mind_1.html

心の客観的把握のための方法論はすべての心理学に必要だと思うが、それを発展させたヨーガは、
心に関してついに一つの結論に至る。
ヨーガの根本教典『ヨーガ・スートラ』の冒頭、ヨーガは次のように定義されている。
ヨーガとは心の働きを抑止することである。その時、見る者は自己本来の状態に留まる。
[ヨーガ・スートラ 1-2, 3]
 この前半のスートラ(経)に、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは
よりかみ砕いた次のような翻訳を付けている。
ヨーガとは、心という素材(チッタ)が
様々な形(ヴリッティ)を取らないように抑制することである。
[Yoga is restraining the mind-stuff (Chitta) from taking various forms (Vrittis).]
 ここでヴィヴェーカーナンダは、mind-stuffという言葉を使っている。
stuffというのは、原料とか材料を意味する言葉であり、
通常、建築資材とか、そうした物質的なものを表すのに用いる。
つまり心とは、粘土とか木材と同じような、物質的な素材・資材にすぎない
ということがここで表明されている。
これは単なるヴィヴェーカーナンダの思いつきではなくて、
伝統的にヨーガの心理学では心を物として扱うのである。
事実ヨーガ行者は、心をそれ以上には扱わない。
感情とか思いとかに引きずられて真実を見失うことを、ヨーガ行者たちはひどく嫌うものである。
それはまさしく、心が様々な形を取って外界に巻き込まれることで本来の自分を見失い、
「見るもの」つまり本当の主体を忘れさせる元凶であると見なされている。
386ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/27 08:45
スワミ・ヴィヴェーカーナンダによる パタンジャリのヨーガ格言集注解
第1章 心の集中、それの霊的効用
http://www.vedanta.jp/contents/publishing/jbook-ichibu/ry-ichibu/ry2-01.html

(1)さて、心の集中の説明である。
(2)ヨーガは、心(チッタ Citta)が
さまざまの形(ヴリッティ(ス)vrttis)をとるのを抑制することである。
 ここでは、実にたくさんの説明が必要である。
われわれは、チッタは何であるか、そしてヴリッティは何であるか、を理解しなければならない。
私は目を持つ。目は見ない。あたまの中にある脳の中心をとり去ってみよ。
目はなおそこにあり、網膜は完全で対象物の絵もそこにうつっているが、目は見ないであろう。
それゆえ目は知覚の器官ではなく、補助的な道具にすぎない。
視覚の器官は、脳の神経中枢にあるのだ。二つの目では十分ではない。
ときどき、人は目をあけたままで眠っている。光はそこにあり、絵もそこにある。
しかし第三のものが必要である――心が、器官につながらなければならないのである。
目はそとの道具である。われわれは、脳の中枢と心のはたらきを必要とする。
馬車が街路をはしっているのにあなたはその音をきかない。なぜか。
あなたの心がそれ自身を聴覚器官にくっつけていないからである。
第一に、そこに道具、それから器官があって、三番目にこれら二つにつながる心があるのだ。
心は印象をさらに内へとつれて行き、それを決定する――反応する――能力、
ブッディBuddhi につれて行く。この反応とともに、エゴイズムの観念がひらめく。
それから、この動と反動の混合が、プルシャに提供される。
387ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/27 08:46
第1章 (2) つづき。

それは、この混合の中で対象を認識する、真の魂である。
諸器官(インドリヤ(ス))は、心(マナス)、
決定する能力(ブッディ)およびエゴイズム(アハンカーラ)とともに、
アンタッカラナ(うちなる道具)とよばれるグループを構成している。
それは、チッタとよばれる心の中でおこるさまざまの過程にほかならない。
チッタの中の思いの波は、ヴリッティ(字義は「うずまき」)とよばれる。
思いは何であるか。引力または斥力とおなじように一つの力である。
自然の中の、力の無限の倉庫から、
チッタとよばれる道具がそのいくらかをとってそれを吸収し、思いとしてそれをおくり出すのである。
388ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/27 08:46
第二章 心の集中、それの実践
http://www.vedanta.jp/contents/publishing/jbook-ichibu/ry-ichibu/ry2-02.html

(9)それ自身の本性の中をながれており、学識ある者たちの中にさえ定着しているのが、
生へのしがみつきである。・・・
インドではそれの上に、生まれかわりの説の論拠のおもなものの一つが立てられたのである。
くり返しやってくるさまざまの恐怖の経験が、やがてこの生へのしがみつきを生み出す。
それだから幼児も本能的に恐怖する、過去の苦痛の経験を内に持っているからだ。
この肉体はほろびる、と知っており、「心配するな、われわれは幾百の肉体を持ったのだ、
魂は死ぬことはない」と言う(もっとも学識ある)人びと――彼らの中にさえ、
われわれはあらゆる知的確信とともに、なおこの生へのしがみつきを見いだすのである。
なぜこの生へのしがみつきがあるのか。われわれは、それが本能化したのを見た。
ヨーギーたちの心理学上のことばによると、それは一つのサムスカーラになったのだ。
サムスカーラは精妙でかくれており、チッタの中に眠っている。
この過去の死の経験のすべて、われわれが本能とよぶすべては、潜在意識となった経験である。
それはチッタの中に生きており、無活動ではなく、下の方ではたらいている。

(13)根がそこにあるから、結実が種(しゅ)、生命、および快苦の経験(の形で)やってくる。
 根、原因、サムスカーラがそこにあるから、それらが現れて結果を形づくる。
原因は徐々にきえて結果になる。結果はより精妙になって次の結果の原因になる。
木はもう一本の木の原因となる種子を生み、この関係はつぎつぎとつづく。
いまのわれわれのはたらきのすべては過去のサムスカーラの結果であり、
また、これらのはたらきはサムスカーラとなって将来の活動の原因となるだろう。
こうしてわれわれはつづくのだ
389ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/27 08:47
◎Who Am I? (NAAN YAAR?)
http://www.maharshin.com/Hramana/02who.html
質問
「私」とは何者なのでしょうか?

 7つの「だートゥ(構成要素)」(皮膚・血液・筋肉・腱(けん)・骨・骨髄(こつずい)・体液)
から成るこの粗雑な身体、私はそれではない。
五つの感覚器官である聴覚・触覚・視覚・味覚・嗅覚器官は、
それぞれの対象である(音)声・(感)触・色(形)・味・香(り)を感知するけれども、
私はそれらではない。五つの能動(作用の)器官である発声・移動・把握・排泄・生殖器官は、
それぞれに話すこと・移動すること・(手で)把握すること・排泄すること・
[セックスを]楽しむことの機能を持つが、私はそれらではない。
五つの生気であるプラーナなどは、それぞれ吸気などの働きをするけれども、それらは私ではない。
考える心でさえ、私ではない。対象の残存印象だけが保持されていて、
そこに対象も[=対象に作用する]機能も無い無知[=チッタ。第八識]もまた私ではない。
[参考]
 有根身、五根(五感覚器官)、前五識(五生気)、五運動器官、第六識、
[第七識&]第八識などと分類される身心[=有根身+全八識。五蘊(ごうん)]は
個的自分 (I。私)であって、アートマン( I-I。唯識。全体宇宙生命。和他私)ではない、
とラマナは答えたのです。
390仙人:02/10/27 09:08
うーん。
ろんぎぬすさんよく調べたね。後でじっくり読ましてもらうよ。
391ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM
仙人さん 恐れ入ります。