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231ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM
>224−225 つづき。

唯識入門p118−121 法相二巻抄p108−110p340−341(両方とも横山・本)

無覆無記(聖道の修行を障害しない)阿頼耶識 に生天や堕三悪の報いの種子が貯め込まれる。
有覆無記(四つの煩悩[我痴 我見 我慢 我愛]のある)第七識末那識 阿頼耶識を自我と見る意識
意識は肉体の五感を 自我と錯覚するが 
末那識は阿頼耶識を 意識と五感の関係ほどに 自我と強く見ない。

また 善心(福業)を起こして善の種子うを植えつければ人(にん)か天に生まれ 
逆に悪心(非福業)を起こして悪種子を薫ずるならば 
その力によって未来世に地獄・餓鬼・畜生の三悪道におちいることになる。
その異熟習気(じっけ)の業種子が 増上縁となって 来世に阿頼耶識を生じさせる。 
三悪に生まれても阿頼耶識はある その境涯から善の種子を溜め込めば 生天 するからである。
それで阿頼耶識を 不善(悪)でも善でもない 無記の存在としている。
これを「因是善悪 果是無記」と呼ぶ。

来世に因果応報するのを 異熟 といい 
人間に男に女に賢く愚かに美しく醜く生まれる という 
各々の報いを受けて生きる期間をも 異熟 と言いならわす。 
そのいっぽうで 現世のうちに因果応報がある業を「同類因 等流果」と呼ぶ。