★阿含宗という宗教 21★

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77名無しさん@1周年
誤解の元!
『379 :またある時のこと、釈尊がナーランダー(那燗陀)の郊外なるパーヴァーリカン
バ(波婆離迦奄羅)という林にあったとき、アシバンダカプッタという村の長が、
釈尊を訪れて来たことがあった。彼は釈尊にむかって、このようなことを訊ねた。
「大徳よ、西の方より来たれる婆羅門は、水瓶を持ち、花環をつけ、水に浴し、火につかえて、死
せる人々を天界に至らしめることができるという。大徳は、世尊にましまし、応供にましまし、
正等覚者であらせられると聞くが、大徳もまた、人々の身壌れ命おわりてのち、
よく善趣天界に上生せしめることを得るであろうか」』
『380 :釈尊は死者の供養を否定した :02/07/08 17:53
かように問われた釈尊は、ここでもきっと慈眼に笑みをたたえていられたであろう。そして、いき
なり彼の質問をしりぞけるかわりに、静かにこのような問いを試みられたのであった。
「村の長よ。わたしの方からなんじに問うてみたいことがある。なんじの思うとおりに答えてみる
がよい。村の長よ、こんな場合になんじはいかに思うであろうか。
ここに一人のひとがあって、人を殺し、物を盗み、偽りを語るなど、あらゆる邪まの行為をなしたとするがよい。
さてその人が死んで、そこに大勢の人が集まってきて、――この人は死して後に善趣天界に生まれますように――と、
祈祷し、合掌したとするならば、なんじは如何に思うか、この人は大勢の人々の祈祷合掌の力によって、
死してのち天界に生まれることができるであろうか」
「いいえ、大徳よ、その人は天界に生まれることはできますまい」』

これによって釈尊が死者の供養を否定した様に誤解する人がいるのが情けない。
釈尊は否定なんかしていない。よく文章を読むべき。
<ヒント・・大勢の人の祈願には成仏法が無いんだよ。>
釈尊は自分が問われたが、一般人が大勢で祈願する場合について否定しただけ。
つまり自分のレベルにならなければ成仏させられないという事。
真理として否定したなら「私でも出来ない」というはず。
78名無しさん@1周年:02/07/18 22:22
ふんふん!それで??
79名無しさん@1周年:02/07/18 23:54
>77
あらゆる邪まの行為をなしたとするがよい。
・・・(釈尊は否定なんかしていない)・・・祈祷合掌の力によって、
死してのち天界に生まれることができるであろうか」・・・
「いいえ、大徳よ、その人は天界に生まれることはできますまい」』
の次の、お釈迦様の答えは???

次の381を読まないと困りますね。
否定していない。のではなく、否定する前の文で止めていては。。。
「釈迦は否定してない」とは言えない。
80名無しさん@1周年:02/07/18 23:55

阿含宗批判資料
http://life.2ch.net/psy/kako/1004/10045/1004523485.html

9 名前: ヌマツダ 投稿日: 01/10/31 19:21
阿含宗という宗教2
569 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/30(日) 23:08

抜粋
=====================================
かれはそのとき、ナーランダ近郊のとある林の中にいた。
そこに村長がやって来て、かれに問いかけた。

「バラモンたちが言っているところによると、彼らが儀式を執り行
えば、死者はたちまち天上界に再生するそうだ。
どうだ、お前も同じことができるか?」

かれに対する村長の態度は、いささか傲慢不遜であった。
しかしかれは、そんなぶしつけな質問に慣れていた。
別段顔色も変えずに、かれはこんなふうに応えた。

「その問いに答える前に、村長、私からひとつ質問したい。
湖があって、かりにその湖に大きな石を投げ込んだとしよう。
当然に、石は底に沈むだろう。
そしてそのあとで、人々が集まって、湖の周りで『石よ浮かべ、石
よ浮かべ』と祈願するのだ。
すると、石は浮き上がってくるだろうか?」

「いいや、そんなことはない」

「村長よ、それと同じなんだよ。
生前、さんざんに悪を積み重ねた者が、死後地獄に堕ちても、いく
ら祈願をしようが、彼が天上界に生まれることはない・・・。」
81名無しさん@1周年:02/07/18 23:55
10 名前: ヌマツダ 投稿日: 01/10/31 19:22

「それからね、村長。
今度は、ビンに油を入れて湖に投じたとしよう。
そして、ビンが割れたとする。
すると油が浮き上がってくる。
人々がそこで、『油よ沈め、油よ沈め』と祈願するのだ。
すると、油は沈むだろうか?」

「いいえ、そんなことはありません。
油は浮くにきまっています」

「それと同じことなんだよ。
生前に善行を積み重ねた者は、死後天上界に生まれ、地獄に堕ちる
ことはない。
村長よ、これがあなたに対する解答である。」

かれはそう言い終えて、村長に向かってにっこりとほほえんだ。

      (『南伝大蔵経』第16巻上、10〜13ページ)
         阿含経 相応部
82名無しさん@1周年:02/07/18 23:56
11 名前: ヌマツダ 投稿日: 01/10/31 19:25

ご存じでしょうが、『かれ』は『釈尊』です。
「いかなる霊障の不成仏霊でも、かならず、解脱成仏にみちびく霊
力を持つ××××管長が、くわしく霊視をされた上、戒名、法名を
つけて、成仏するまで修法されます。
はっきり成仏されますと、その御霊牌は、京都の総本山・△△霊廟
に安置され、永代にわたってご供養申し上げます」

これは、まさに村長が言っていた、
「バラモンたちが御祈祷すれば、死者は天上界に再生する」 に相当
するものです。

上記のエピソードが示しているように、
釈尊は、不成仏霊の成仏なんて、否定しておられます。
石は沈み、油は浮く。
一体につき何十万円の御供養料を支払って、
「石よ浮き上がれ」と祈願したって、沈むものは沈むのです。
釈尊はそう言っておられます。
バラモンたちはそれができると主張しているかもしれないが、
釈尊はそんなことは歯牙にもかけておられません。
そうすると、上記のパンフレットを配布している宗教は、
バラモン教の伝統を受け継いでいるのでしょうか・・・?
83名無しさん@1周年:02/07/18 23:57
原始ぶっきょーアーゴンさんたち、教祖の御著書の出典を読みなさいよ。

密教占星術の「功過格表」の引用なら、
@陰シツ録 石川梅次郎 中国古典新書 明徳出版社 定価2500円
A道教百話 窪徳忠 講談社学術文庫 875 定価740円

おまけ。
●密教秘伝『西遊記』と 小周天 
張明澄 篠原「日廣」安 東明社 定価2000円
●四柱推命実践命譜 滴天髄活用口訣 
張耀文 佐藤六龍著 定価1万〜5千?円

アゴンの教祖キリチャンいわく、七科三十七道品は、
「平安時代」の弘法大師空海と「鎌倉時代」の道元禅師しか知らなかった。

うそばっか、
「奈良以前」に聖徳太子は、維摩経で知っているはず。
「平安時代」に伝教大師最澄が、
天台小止観で三十七道品となくとも内容は知っていた。
菩薩の「魔事」も同じ本が出典。

●総解説シリーズ 仏教経典の世界 自由国民社 定価1900円
p59
維摩経 仏国品第一 十七清浄仏国土
p60 
四念処 四正勤 四如意足 五根 五力 七覚支 八正道の三十七道品、
回向心、八難除く。とある。
84名無しさん@1周年:02/07/18 23:58
●現代語訳 天台小止観 関口真大訳 大東出版社 定価1100円
p92
四念処 四正勤 四如意足 五根 五力 七覚支 八正道の諸法門、
とある。
p101 第八章 魔事を覚知せよ、に「魔事」はある。

●大乗仏典 中国・日本篇 6摩「言可」止観 中央公論社 定価3710円
p9 序章 第一節 序分 第一項 縁起 〔止観明静〕〔前代未聞〕
p18 円頓
p63 上には仏道を求め〔上求〕下には衆生を化する〔下化〕
p65 上求下化する発菩提心
p80 四弘誓願 菩薩が衆生を救おうとするひろやかな誓い〔弘誓〕
p86 須陀(恒←さんずい)しゅだおん、とか阿羅漢
p98 四種の聖なる悟り〔四果四向〕・・・三十七種の悟りにいたる方法〔三十七品〕
p288 毘婆舎那びばしゃな(音写語。正しい直観、観)は、
よく煩悩を破するけれども、
奢摩他しゃまた(音写語。散乱したこころを制御して静める、止)
の力をもちいて正しい知見を助けるのが普通である。
p289 根本四禅(禅観の基本・・・初禅から四禅まで)

p44 第一章 止観の大意 第一節 発大心について
どういうことを感大果というのだろうか。
(たとえば、ある貧女が子を抱いて河を渡ったときに、母子ともに沈んでしまった。
けれども、日ごろの優しいこころの功徳によって、死んでから梵天に生まれたという。)
梵天に生まれることを求めていなかったのに、梵天が自然と応じられたように、
不思議な報いがあることを褒め称えて、その心を慰め悦ばすのである。
p189 第三節 感大果について
85名無しさん@1周年:02/07/18 23:58
●倶舎論 仏教講座18 桜部 建 著 大蔵出版株式会社 定価4200円
分別界品第一 十八界
分別根品第二 二十二根 六因・五果・四縁
分別世間品第三 三界・五趣・四生 中有について 十二縁起
分別業品第四 業の種類 十善業道
p163
5 業に関する雑多な事項(番号はサンスクリット原文の偈にも対応)
□□□□□ □□□□□ 戒修勝如次 感生天解脱 (127)
感劫生天等 為一梵福量 法施謂如實 □□□□□ (128)
p169
《勝れて》(お経や金品による布)施も生天の果を感ずるが、
よりすぐれている点から、(具足)戒が生天の果を感ずるとのみいい、
戒も解脱の果を感ずるが、よりすぐれている点から、
(座禅などの)修が解脱の果を感ずるとのみいう。
p170
《劫の生天を感ずる》天界に生まれて一劫の間快楽を受ける。
分別「随眠」品第五 九十八随眠 煩悩の断滅
分別賢聖品第六 諦 三賢・四善根 見道・修道
p202 不浄観・持息念(数息観)が止(奢摩他しゃまた、心の静止)
・・・四念住(四念処)は観(毘婆舎那びばしゃな、智恵による観察)
分別智品第七 忍・智・見
分別定品第八 四静慮 四無量 八解脱