511 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:13
【 仏教団体なら聖はショウと読ませる。その3 】
【 聖教(しょうぎょう)と聖人(しょうにん) 】
時宗(じしゅう)
http://www.miyagawa.com/syuha/syu/jisyu.html 鎌倉末期に一遍がひらいた浄土教の1宗派。遊行(ゆぎょう) 宗、臨命終時宗ともいう。
一遍は、はじめ浄土宗西山(せいざん)派の
聖達(しょうたつ)に師事したが、
熊野権現(→熊野詣)の神託をうけ、
念仏を書いた紙の札をあう人ごとにさずける賦算(ふさん)と、
念仏をとなえながらおどる踊念仏を中心として布教をおこなった。
やがて一遍を聖とあおぐ信者集団が形成され、これを時衆といい、
江戸時代には宗派を時宗とよぶようになった。
512 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:14
【 仏教団体なら聖はショウと読ませる。その4 】
【 聖教(しょうぎょう)と聖人(しょうにん) 】
一遍(いっぺん)
1239〜89 鎌倉時代の僧で、時宗の開祖。
「捨ててこそ」を自らの信仰のキーワードとしたので、「捨て聖(ひじり)」とよばれた。
諱(いみな)は智真。諡は円照大師。伊予の人。父は豪族河野道広。
10歳のとき母をなくし、父の命で出家した。1251年(建長3)太宰府(だざいふ)にいき、
法然の孫弟子の聖達(しょうたつ)のもとで浄土念仏(→浄土宗)をまなんだ。
ついで肥前の華台のもとで浄土の教えをうけ、名を智真とあらためた。
52年(建長4)ふたたび聖達のもとにかえり、63年(弘長3)父の死により伊予に帰国するまでの12年間、
そこで修行した。そののち、一度還俗(げんぞく)するが、ふたたび出家。
一説には、あるとき子供がまわすおもちゃの輪鼓(りゅうご)をみて
「輪廻(りんね)もまたかくのごときか」とさとって仏門に帰したともいわれている。
1271年(文永8)の春に信濃の善光寺に参詣(さんけい)、善導の教えを感得し、
「二河白道(にがびゃくどう)図」をうつしえがいて伊予にもってかえり、
草庵(そうあん)にかけて念仏に専心したという。
74年には四天王寺、高野山さらには熊野権現(→熊野詣)に参詣して、神のお告げをうけ、
一遍と名のった。
その後は、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、決定往生六十万人」と書いた木の札を
くばりながら全国を遊行(ゆぎょう)、その足跡は九州から東北地方におよんでいる。
その途中、89年(正応2)8月摂津でなくなった。
その直前に、もっていたすべての経典や法具などをやきすて、
「一代の聖教(しょうぎょう)みなつきて、南無阿弥陀仏になりはてぬ」といったとつたえられている。
513 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:16
【 仏教団体なら聖はショウと読ませる。その5 】
【 聖教(しょうぎょう)と聖人(しょうにん) 】
一遍の思想は、はるか昔、法蔵菩薩(ぼさつ)が阿弥陀仏になったときから、
衆生(しゅじょう)の往生は決定しているという本覚(ほんがく)思想にもとづいたものだった。
それゆえ南無阿弥陀仏の名号そのものに絶対的な力があるため、
衆生の信と不信、浄と不浄などの別はいっさい関係なく、
ひたすら名号をとなえればすくわれるという信仰が生まれた。その純粋な発露が踊念仏であった。
一遍の思想や生涯は、
「一遍上人(しょうにん)語録」や「一遍聖絵(ひじりえ)」などでつたえられている。
聖 ひじり
特定の寺院に属さず人里はなれた山中で修行したり、
社会事業などをおこないながら民衆の教化につとめた僧。
古くは「日知り」として、太陽のようにすべてのことを知っている聖帝、聖人のことをいったのが、
奈良時代にはいり仏教が盛んになると僧の尊称となった。
そのもっともはやい例は、民衆をひきいて土木事業や灌漑(かんがい)事業をおこなった行基で
行基菩薩(ぼさつ)ともよばれた。
平安時代にはいると阿弥陀仏に対する信仰がめばえ、念仏聖が活躍した。
彼らは浄土教に帰依し、寺院からはなれて念仏にはげんだ。
また庶民の間に仏教をひろめたのも聖であった。平安中期には、「市聖」とよばれた空也がでた。
こうした半僧半俗の聖は草庵をいとなみ、「別所」とよばれる集落をつくるようになった。
なかでも有名なのが、高野山につくられた別所で、ここに住した人たちを高野聖とよんだ。
この念仏教化の大集団は中世を通じて庶民宗教に大きな影響をもちつづけた。
ついで法然がでたが、彼も比叡山の別所のひとつである黒谷の念仏聖のひとりであった。
その弟子親鸞も聖と同義である
聖人(しょうにん)とよばれた。
514 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:17
>つづき、
聖 ひじり
その後、鎌倉後期の一遍は踊念仏をもって全国を遊行し、「捨て聖」とも称された。
【 仏教団体なら聖はショウと読ませる。その6 】
【 聖教(しょうぎょう)と聖人(しょうにん) 】
わかりやすい歎異抄 浄土真宗本願寺派 成人記念冊子編集委員会より抜粋
http://www.tees.ne.jp/~hiro4331/tannnisyou.htm ”お経や、その解釈をした本を読んで学問しないものは、往生できない”といって、
学問が往生の条件であるかのようにいうものがあります。
これはまことに、論ずるにも足りない主張といわねばなりません。
他力のみ教えが真実であることを明らかにされた
お聖教(しょうぎょう)には、
〃ご本願を信しお念仏をもうせば仏になる”と教えられてあります。
そのほかにどんな学問が往生に必要でしょうが?
本当に、この道理がわからない人は、ふかく学問して、ご本願のおこころを知らねばなりません。
お聖教を読み学間をしても、その本当の意味がわからないのはまことに気の毒なことです。
文字ひとつ知らず、お聖教のすじ道もわからないような人が、
称えやすいように工夫してくださった名号ですから、〈易行〉というのです。
学問を本意にするのは聖道門であり<難行>というのです”学問をしながら心得ちがいをして、
名誉や財欲を満足させようとしている人は、来世の往生はどうなることでしょうか?〃と、
仰せられた聖人のご文もあったはずです。
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名無しさん@1周年:02/08/17 15:22
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名無しさん@1周年:02/08/17 15:26
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名無しさん@1周年:02/08/17 15:35
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名無しさん@1周年:02/08/17 15:37
520 :
皆様へお願い: