私的には、やはりプロテスタント カトリックは、偶像的なものが多いかと。
2 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 15:53
>>1 極めて意味のない論争だと思うので、正直やめて欲しい。
>>2 そうですか??
2ちゃんだからこそ、やってみたいとは思いませんか?
4 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 16:12
>>3 まず、プロテスタント諸派の「違い」は、カトリックとプロテスタントの
「違い」よりも大きなものがあるのです。
だから、まずプロテスタントについては、「プロテスタントはこうだ」とか
一定の評価というのはできないのです。
これが理由その1.
なっとくできないようでしたら理由その2をあとで書きます。
5 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 16:17
>>4 たしかにそうですね。
しかしここでは、そういうことではなく
根本に流れるものを、議論してみたいと思います。
カトリックの事は良く分かりませんが
プロテスタントなら、キリストが信仰の対象ですよね。
6 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 16:18
ルター派や聖公会はカトリックに近いですよ。 殊にルター派は、自ら破門を望んだわけではないから。 特異的に遠いところにいるのは福音派だけ。
7 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 16:23
エホ証が一番聖書に忠実なんじゃない。 聖書に忠実だからって、あまり自慢にはならないと思われ。
8 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 16:26
でもやっぱり、聖書が全てにおいて 上に来ますよねぇ。 エホ証ってそんなに聖書的なんですか? 聞いていると、そうとは思えませんが。
9 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 16:30
彼らは、安息日を日曜日とはしないし。 血も避けるし。クリスマスを祝わないし。ユダヤ暦で過越祭を祝うし。 種無しパンを用いるし。女性は被り物をするし。 そういう意味では、何処とっても聖書的ですよ。
10 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 16:35
>7 「サタンが本物の蛇と組んで腹話術を使い、エバをそそのかした」 などと教えているぐらいだからな。 あきれるよ、全く。
11 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 16:38
12 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 16:48
なるほど 完全に再現しているわけですね。 ならむしろ、ユダヤ教に近いのかな? 律法はキリストの影であるという所の 理解が乏しいんですね。
13 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 16:51
暴論だけど、三位一体論者は決して聖書的になれないと思う。
14 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 16:52
>>13 三位一体は論ではなく、聖書があらわす神とイエスと聖霊の関係を
表現しただけの言葉です。
15 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/06/27 16:53
>>13 根拠を100字以内で簡単に述べよ☆
(立命館大学倉木麻衣学部)
16 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 16:59
>>14 三位一体は奥深いですよ。
聖書のみから導くなんて不可能な沙汰。
少なくとも、聖書のみからアタナシオス信条を導けなければ、
異端の排斥は無理。
17 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 17:06
>>13 それでは、あなたは父なる神、子なるキリスト、聖霊を
どう理解していますか?
18 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 17:07
>>16 > 聖書のみから導くなんて不可能な沙汰。
この一言が全てを物語っていると言えるでしょう。 →
>>15
聖書的なのはプロテスタント(の一部)。 何故かというと、彼らのよりどころは聖書だけで聖人の書いた書物や典礼から知識を得られないから。 バプテスト派のいいお歳の牧師がパンの儀式や安息日の意味を知らなかったりします。(本当)
>>18 そうでしょうか??
聖書をもっと読んでいって下さい。
父なる神は、霊であり
また、受肉したキリストであり
そして、ひとりごであるキリストを、人間のために
差し出した、父なる神である事が分かると思いますよ。
21 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 17:20
毎日聖書読んでいる人で、三位一体に疑問を持つ人はまずいないが、 オカシナ団体から聖書を学んでいる人は「作り話だ」という。 要は聖書の一貫性を理解しないツマミグイ的な読み方に問題があると思う。
たしかに。 それでは聖書は全く理解できないでしょう 全てを読み、照らし合わせてください。 そうでないと、どんどん外れていきますよ
23 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 17:33
>>20 >父なる神は、霊であり
これであなたは既に躓いています。
御父と聖霊は異なる実存です。
同じなのは神の本質です。
父なる神は、・・また、受肉したキリストであり
という文では、まるで御父が人間のグルミを着たような表現になります。
正統教理では、御父はキリストを創らずして永遠に生んだとならなければなりません。
ここでも、御父とキリストは別の実存です。同じなのは神の本質のみです。
ですから、聖書からは、様ざまな三位一体の解釈が導かれるということです。
>>23 それでは、神は本質は同じでも
三人いるということになりませんか?
父なる神が霊でなかったなら、創世記の初めに記してある
水の上を漂っていたのは、父なる神ではないのでしょうか?
そして、キリストには父なる神が宿ってました。
キリストは、父なる神であり
また子なるキリストであると考えるのはおかしいのでしょうか。
父なる神は、子を十字架に架けるつらさとともに
自らも、キリストとともに十字架に架かって苦しんでくださったのですよ
25 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 18:20
>>23 異なる実在と言う時点で
聖書からもう外れています。
>まるで御父が人間のグルミを着たような表現になります。
それはいい表現だと思います。
キリストには、御父が宿ってましたから。
神の新しい創造をみなさい。 新しい天と地は聖母によって用意され、イエズスによって実現された。 聖母は常にイエズスの前にある。土台なくして家が建ちますか。 土台あっての神の家です。教会の土台は聖母です。 土台石は縁の下に隠れて見えません。忘れられています。 それでも土台あって教会は成り立っています。 プロテスタントもどこもかしこも、神の教会は聖母が見えないところで 支えている。あなた方は喩えでしかわからない。 だが、聖母にあった私には理解できる。聖母は神の家の土台です。 黙示録12章の女の冠は天国の12の門。 21章に書かれている天国の神殿に聖母はいない? その下を支えている土台です。 聖母は活ける神の神殿の活ける土台です。
27 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 18:29
聖書では、人の内に神の霊がとどまっている、とされている(創世記) から、イエスという人間は神の霊でもある、といっても不自然ではない。
28 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 18:29
>26 良くできた詩だ。 しかし、間違っていると言わねばならない。
29 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 18:30
いえ、大切なのは聖母ではなく イエス・キリストです。 イエスキリストが土台であって、他の一切は 土台とはなりえませんし、聖書を読めば明らかです。 生まれ来る、メシヤが重要と書いてありますか? それともメシヤ(キリスト)に救いがあると 聖書は書いてありますか? 黙示録の十二章の十二の表すものも ユダの、十二部族であり、十二弟子です。
聖母が何故にそこまで大切なのでしょう?? 大切なのは、御父のひとりごである イエスキリストなのは、明白なのでは?? マザーテレサも言っています。 キリストから、目を離してはいけないと。 29も蒼でした
26は青眼に化けている「俺」さんですよ。
>>29 >生まれ来る、メシヤが重要と書いてありますか?
>それともメシヤ(キリスト)に救いがあると
>聖書は書いてありますか?
生まれ来るメシヤ(キリスト)に救いがあると書いてありませんか?
それとも、メシヤを生む母に救いがあると書いてあるのですか
33 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 18:54
>>24 >それでは、神は本質は同じでも
>三人いるということになりませんか?
正確には、三位格と言います。
それが正統教理ですから仕方がありません。
あなたがこの教理に躓いているだけです。
>そして、キリストには父なる神が宿ってました。
>キリストは、父なる神であり
>また子なるキリストであると考えるのはおかしいのでしょうか。
これも間違いです。御子は神性において御父から創られずにして永遠に生まれ、
人性においてマリアから生まれたと考えるべきです。
その御子がマリアから生まれることによって人性を取ったのです。
これが御子の受肉です。御父が受肉したのではなく、御子が受肉したのです。
それで、御子には神性と人性の二つの本質を持ち、
神性において御父と同本質、人性において我々人間と同本質と考えるべきです。
34 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 18:57
>>25 >それはいい表現だと思います。
>キリストには、御父が宿ってましたから。
これは、聖書から本当の三位一体を導いたことにはなりません。
>>33 三位格には躓いていませんよ。
むしろそれは、プロテスタントの基本教理でもあります。
しかし、なぜマリアを強調するのでしょうか??
そして、たしかに御子は想像の初めから
いらっしゃられました。
そして御子が受肉されたのも確かです。
では何故、御父が受肉した事は否定なのでしょう??
それこそ、三位一体を否定しています。
キリストが受肉したときには、完全に人としてこの世にお生まれになりました。
そうでなくては、受肉する必要がありません。
キリストは、私たちがこの世の中で
どのように生きるべきかを、示してくださいました
では、三位一体を聖書的に説明していきたいと思います。 神は唯一神(エホバ) ではどういう存在か? 霊的な存在 ではキリストは? 聖霊によって、この世に生まれたもう 救い主なるキリスト では、人々を救うのは 神ではないのか?否神である すなわち、神、父なる神はキリストである キリストとは、父なる神のひとりごであり また父なる神その人である 唯一神である。
37 :
青眼 ◆4rJYsZg. :02/06/27 19:14
イエズスの母、教会の母、神の受肉の母、聖母よ。 イエズスを世に生み出された父のみ心の受け手。聖霊の浄配よ。 罪深き我らを哀れみ、われらのために今も臨終のときも祈りたまえ。 すべての民の御母、われらの擁護者として、いつまでも清き信仰生活を導き、 世にあリて世ならぬものになるまで我らを育てたまえ。 罪深き我らをあわれみ、心砕かれしいのりをきき給え。 聖母よ。神と一つなるそのとうとき御心を心として、 われらが償いのわざを共にできるよう導き給え。
38 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 19:16
>>35 >では何故、御父が受肉した事は否定なのでしょう??
>それこそ、三位一体を否定しています。
それも、あなたが躓いているだけです。
御父は御子を生み聖霊を発します。御子は御父から生まれ聖霊を発します。
聖霊は御父と御子から発します。それぞれの位格は別です。
同じなのは、すべての位格が永遠であったり天地の創造主であるということです。
御子が御父から生まれたからと言って、御父も聖霊も御父から生まれたとか言うとドキュソです。
これと同じように、マリアから生まれ受肉したのは御子であって御父ではありません。
これでもお読みください。
http://www.din.or.jp/~koki/sinkou.htm
>>33 >神性において御父と同本質、人性において我々人間と同本質と考えるべきです。
と言った時点で、もうすでに二格になっていますよね。
それでは、私たちにはキリストのような生き方など出来様わけが
ありません。キリストは、完全に人となってこの世に受肉されたのです。
40 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 19:24
>>39 >と言った時点で、もうすでに二格になっていますよね。
キリストの一の位格(実存)に神性と人性があるのです。
これが正統教理だから仕方がありません。
私が悪いのではなく、あなたが認めないというだけです。
「アタナシウス信条」には
(29)神であるというのは、すべての世に先立って父の本質から生まれたことであり、人であるというのは、この世に母の本質から生まれたことである。
となってますね。
>>38 >御父は御子を生み聖霊を発します。御子は御父から生まれ聖霊を発します。
そういう考え方こそ危険です。
それでは、生み出すときに現れた力が聖霊なのですか?
そうではないでしょう。
聖霊こそは、神の源であり、本来の姿だと思われます。
それは、聖書を読んでいれば分かるでしょう。
>御父も聖霊も御父から生まれたとか言うとドキュソです。
これこそ、あなたが三位一体を理解していないという証拠です。
42 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 19:26
聖母を否定しないで下さい。 罪なくして生まれた婦人から罪なき者が生まれたのです。 罪なき婦人が天にあげられるのは当然です。ですから、 今も世界各地に出現する権威をお持ちです。 何故、聖母を信じられませんか。 何のために御出現になっていると思います。
43 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 19:27
「受肉」についても、どのようにしてみ言葉が人間となり、 我々の間に住むようになったのか、聖書には記されていない。 ただ、「神によって生まれた」としか書いてない。 (ヨハネ 1:13) 「聖霊」についても、当時の自然現象に対する理解のレベルでの 表現であることに注意しなければならないだろう。 そして、現代においても特に「心」の問題については、知らない 事が多すぎるように思う。この乏しい知識で三位一体を論じるの は無理があると考えるが、いかが?
44 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 19:29
>>39 「カルケドン信経」でも、
3 同じかたが神性において父と同一本質のものであるとともに、人間性においてわれわれと同一本質のものである。「罪のほかはすべてにおいてわれわれと同じである
とあります。
これを否定すれば、アルメニアやコプト正教会の単性論になります。
>>42 マリアがつみ無く天にあがったという事実はあるのですか?
むしろマリアは、イエスを批判しています。
そして、イエスの兄弟たちも生んでいます。
46 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 19:33
41 名前:蒼 :02/06/27 19:24
>>38 >御父は御子を生み聖霊を発します。御子は御父から生まれ聖霊を発します。
そういう考え方こそ危険です。
あなたこそ危険です。
「アタナシウス信条」
http://www.din.or.jp/~koki/sinkou.htm (20)父はなにものから成ったのでも、造られたのでも、生まれたのでもない。
(21)子は父からのみ生まれたのであって、成ったのでも、造られたのでもない。
(22)聖霊は父と子から出るものであって、成ったのでも、造られたのでも、生まれたのでもない。
47 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 19:34
>>41 >>御父は御子を生み聖霊を発します。御子は御父から生まれ聖霊を発します。
>そういう考え方こそ危険です。
あなたこそ危険です。
「アタナシウス信条」
http://www.din.or.jp/~koki/sinkou.htm (20)父はなにものから成ったのでも、造られたのでも、生まれたのでもない。
(21)子は父からのみ生まれたのであって、成ったのでも、造られたのでもない。
(22)聖霊は父と子から出るものであって、成ったのでも、造られたのでも、生まれたのでもない。
>>40 >>44 その二つの信条は知りませんが
すでに、聖書を離れていますよね。
そこが、問題なのかと。
認める認めないかは、聖書によって
各々が考えていく事。
しかし、明らかに違っている信条もたくさんあると思われます
>>46 いや、その信条からいくと
あきらかに、聖霊は御父と御子から作られていますが。。
子であるキリストも、父から作られてますし。
50 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 19:41
>42 すみません。まりあがいえすをひはんしているのはどこですか。
51 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 19:44
少なくとも、アタナシオスという教父は 三位一体を否定するアレイオス異端と戦った正統教理の父と言われる人です。 彼がいなければ、三位一体の信仰は教会に残らなかったと言っても過言ではありません。 アタナシオス信条は彼の時代の成立ではありませんが、 彼の著書「受肉論」に基づくものです。 あなたの、聖書から離れているという主張は結構ですが、 それは三位一体の正しい教理が聖書から離れているという主張と等価です。 少なくとも、使徒信条、ニケア信条、アタナシウス信条は、 すべての西方教会が認める信条であるはずです。
>>46 やはり考えても
御父>>イエス・キリスト>>聖霊
という風になり、三位一体とはかけ離れた図式になってしまいます。
53 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 19:45
>>49 御子も聖霊も「作られたものではない」
御子は御父から「生まれたもの」であり
聖霊は御父と御子とから「出るもの」だ
とはっきりアタナシオス信条に書いてあるだろうが!
>>48 諸古代信条が非聖書的だというのは認める
なぜなら、御父なくしてキリストはなく 御父と、キリストなくして聖霊がなくなってしまうからです。
>>53 >(22)聖霊は父と子から出るものであって、成ったのでも、造られたのでも、生まれたのでもない
この時点で、順番があり
三位一体とはいえないと思われますがどうですか?
56 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 19:50
>>49 >いや、その信条からいくと
>あきらかに、聖霊は御父と御子から作られていますが。。
>子であるキリストも、父から作られてますし。
聖霊は、創られずに御父と御子から永遠に発するのです。
御子は、創られずに御父から永遠に生まれるのです。
ニケア信条
主はよろず世のさきに、父より生まれ、
神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神。
造られずして生まれ、父と一体なり、すべては主によりて造られたり。
われは信ず、主なる聖霊、生命の与え主を、聖霊は父と子よりいで、
>>53 しかもその図式は
キリストからは成り立ちません。
よって、三位一体とはかけ離れてるでしょう。
58 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 19:55
>>57 だから、それが三位一体の教理なんだから仕方がないんです。
>(22)聖霊は父と子から出るものであって、成ったのでも、造られたのでも、生まれたのでもない すなわち、父と子がなければ、聖霊は生まれないという事です このことから、もう三位一体が崩れています。 聖霊が副産物になっています。 しかし、私たちはそうは考えません。 聖霊こそ神の本当の形であり、霊的父なる聖霊である神が 受肉され、神という立場をおすてになり 人となってキリストとなり、十字架に架かってくださいました。 キリストは、完全なる人としてこの世に受肉されました。 でなかったら、救いなどないでしょう。
61 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:03
聖母マリアは神です。証拠。 新共同焼く聖書から 10:34 そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。 10:35 神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。 10:36 それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。 聖母はイエズスをおうみになる前から神の言葉を受け入れたのですから、 聖書によれば、聖母が神であることは確実です。 なお、キリストを受け入れた人はみな、神の子です。
62 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:05
もんくある?
63 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:06
聖母が神であることは立証されました。文句ないでしょう?
64 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:08
>>61 全然人を納得させる証拠になっていないです。
65 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:08
>61 あなたは神?
66 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:10
マリアは人
67 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:10
>>59-60 御父も御子も始まりはありません。
御子は御父から永遠に生まれるたので、
始まりはありません。
従って、始まりの無い位格から永遠に発するので、
聖霊も始まりはありません。
これを否定すれば、二ケアコンスタンチノープル信条にも反します。
三位一体の定義を一言で言えば、
三つの位格と唯一の神の本質(神性)ということ。
神が唯一と言った場合、唯一の神性のことを言うのです。
68 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:11
69 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:12
>>61 俺さん、下らないギャグで荒らすのやめろよ。
>>61 それは、律法学者を言及するところじゃないですか
すいません キリストはアホ!がきになって そっちに行ってました
72 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:17
神、キリスト、聖霊とも御心は一つということでは?
>>67 いえ、違うんですよ
明らかに、順位が出来ています。
永遠にしても、順位ができてしまっているので
三位一体とは言えないと思います
>>72 新約では
御霊という表現になっているんですよ。
御霊は一つ、神も一つ
そして、御霊は神であり、キリストであり、聖霊である
と言う事ですね
75 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:24
だから、おれさんじゃないって。あなた方の兄弟です。聖母を擁護すると俺さんになるの?ようわからん<69
76 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:27
>>76 しかし、信条には明らかに順番が記されてますよね
それがおかしいのではないのかと思うのですが。
聖母を信じなさい。
>(20)父はなにものから成ったのでも、造られたのでも、生まれたのでもない。 >(21)子は父からのみ生まれたのであって、成ったのでも、造られたのでもない。 >(22)聖霊は父と子から出るものであって、成ったのでも、造られたのでも、生まれたのでもない 20に全てが書かれているのであれば 何も言う事はありません。 しかし、その後の21、22を読むと あきらかに順番が出来ています。 すなわち、父がなかったなら子も聖霊も無く 三位一体とはかけ離れています。
80 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:34
>>72 >神、キリスト、聖霊とも御心は一つということでは?
確かに一つです。意志は位格ではなく本質に従属しますから、神の意志は一つです。
その代わり、キリストの意志は人性の意志と神性の意志の二つがあります。
キリストの人性の意志が、神性の意志に従順であり一致しているのです。
ヨハネ福 6:38 わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
マタイ 26:39 少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
>>78 分からないのですが、聖母の何を信じるのですか?
>>80 神性の意思はなかったでしょう
ただ、神の意思を選び取る事が出来るための
苦しい訓練は受けましたね。
もし、神性の意思があったら
キリストは私たちの救いの基準にはなっていません。
なぜなら、神だったから。
キリストは、完全に人となり
人がどのように、神に従うべきかを示したお方です。
私たちは、神ではない。
しかし、キリストのような生き方が出来るのです。
83 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:42
>>77 >しかし、信条には明らかに順番が記されてますよね
>それがおかしいのではないのかと思うのですが。
α=∞+2
β=α+1
γ=β
という順番で書こうが、
β=∞+4
α=β+1
γ=α
という順番で書こうが
α=β=γ=∞です。
>>83 しかし、あの信条ですと
御父=キリスト=聖霊
という図式は、全く成り立ちません。
もうそこで三位一体はくずれてませんか??
85 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:49
>>82 >神性の意思はなかったでしょう
ありました。
>ただ、神の意思を選び取る事が出来るための
>苦しい訓練は受けましたね。
それは確かに人性の意志です。
キリストの神性の意志は、御父の意志でもあり聖霊の意志でもあります。
キリストという位格は、誠の神であり誠人間としての一つの実存です。
誠の神でありながら、神の意志がないはずがありません。
人間性としても同様です。
86 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:51
>>84 ですから、実存としては区別をし、
本質において=で結ばれるを考えるべきです。
87 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 20:53
>>83 お〜い
その式は、全然あてはまってないぞ!!
父と、御子と、聖霊を違う数字にしないとな!
αとβの位置関係も違うしな。
そもそも
α=β=γになっていません
その信条では。
>>85 だとしたら、イエスは神と人間の両面を持っていることになり
何一つ救いを示してない事になりますね。
私たちは、神の側面など持てないからです。
ただ、神の意思に従おうという心は持てます。
モーセは荒野で四十年かかりました。
キリストは、荒れ野で四十日かかりました。
キリストは御子であったけれど
完全なる人だったのです。
そうでなければ、救いにはなりません。
人にはまねできませんから。
>>86 しかし、初めに神は霊でありました。
初めに、霊的存在だったと考えられます。
90 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 21:06
>>87 これでどう?
御父の存在時刻:α=−∞(無限大過去)
御子が御父から生まれた時刻:β=α+Δt1=−∞+Δt1=−∞
聖霊が御父と御子から発した時刻:γ=β+Δt2=−∞+Δt2=−∞
∴α=β=γ=−∞
∵Δt1,Δt2∈∀有限実数。
91 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 21:13
>>89 創世記では,神は初めに天地を創造されたと書いてあります。
聖書の記述はすべてそれ以降のことです。
天地が創造される前は聖書から何も知ることは出来ません。
神の霊があったというのは,天地が創造されて後のはなしです。
>>90 α、β、γ
と分けた時点で、=にはならないと思うよ
数学ではね。
だって、あの信条では
αからβ
α+β=γだからねぇ
つまり
α=β=γ
にはならいのよ
そうするには、信条を変えないと
+が出てくる時点でもうだめ。
>>91 そうですか??
よく、創世記の一章一節二節を読んでみてください。
そして、神の霊
すなわち、聖霊が創造の後に造られたと言うならば
それこそ、三位一体ではありませんよね。
94 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 21:20
オレの人生は失敗だらけだったけど、 ただ一つ、プロテスタントでなくカトリックになったことだけは、 成功、幸運だった。
落ちます。
96 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 21:23
>>92 >α+β=γだからねぇ
どうしてそうなるのか良く分かりませんが。
御父の存在時刻:α の Δt1 後に、御子が御父から生まれた。
だから、御子が御父から生まれた時刻:βは、
β=α+Δt1=−∞+Δt1=−∞。
御子が御父から生まれて Δt2 後に御父と御子から聖霊が発した。
だから、聖霊が御父と御子から発した時刻:γは、
γ=β+Δt2=−∞+Δt2=−∞。
よって、
∴α=β=γ=−∞。
でいいじゃないですか。
因みに、α+β=−∞−∞=−∞=γ
だから、同じくα=β=γ=−∞ になってしまうから。
97 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 21:26
>>93 >すなわち、聖霊が創造の後に造られたと言うならば
聖霊が創られたとか言うのがドキュソです。
天地を創造したのは、父と子と聖霊です。
>>96 時間計算でしたか。
そこにも、確実に順番が発生してますよ。
計算式にする事事態おかしいかと。。
いくら−∞を使っても
α、β、γに時間差があるわけで、
=式にはなりませんよね。
今度こそ落ちます(^-^*ゞ
101 :
はりつけのおっさん :02/06/27 21:37
キリシタンは嘘つき。都合が悪くなると、 いつもちんちんもみもみだとか、 エロのAA張ってごまかし。 本当はすげえバカだろ、おまえら。 聖書なんか読んで頭がよくなったつもりでいる。 本当は、何も知らないんだろ。 進化論を本気で否定したり、 ユダヤ人問題にもまともに答えられない。 はっきり聞く、キリストは信者に売られたんだろう。 何でそんなやつを拝んでるんだ? そんなの拝んでも効果ないだろ、違うか。
102 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 21:39
>>98 無限大の定義を勉強してください。
無限大に何を掛けても何を足しても無限大です。
そういうときも、等号で結ばれます。
但し、∞−∞や∞/∞は不定ですが。
103 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 21:45
104 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 22:01
1 名前:1 02/06/27 15:52 私的には、やはりプロテスタント カトリックは、偶像的なものが多いかと。 ばかの一つ覚え。
105 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 22:26
ス レ タ イ ト ル が 聖 書 的 で は な い そ も そ も
聖母のふところに入り、体に宿るものはみな、聖母によって新天地に生み出 されます。黙示録を読みなさい。12章の婦人は竜から守られました。あな た方が聖母を崇拝し、心を聖母だけに一つにしていれば、悪魔はあなた方に 近づくことができません。どうか聖母を崇拝してください。聖像はそのため に必要不可欠です。あなた方はご先祖の慰霊を拝むときに、写真をみて手を あわせ、はかに手を合わせます。焦点が必要なのです。聖像はそのために必 要です。聖像は祝別してもらってください。祝別された聖像は、信心が十分 に満たされると血を流すこともあります。聖母の贖罪のおんちはイエズスの おんちとなって結晶しました。どちらも同じです。神は聖像さえ使って、あ なた、罪深いものに語りかけます。聖母の体はキリストの体、聖母の血はキ リストの血、聖母の声はキリストの声です。神の声です。聖母は神そのもの であられます。なぜなら、この方なくして世界は創造されませんでした。聖 母はすべての母です。聖母はロゴスの第一の受肉。天のすべての権威を持っ て、救いに臨みます。おんこは審判します。聖母は救います。審判の前に救 いを願い、難を逃れてください。はこぶねの聖母に来てください。
107 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 22:30
関目くん。マリア様は神じゃないって。
108 :
青眼 ◆4rJYsZg. :02/06/27 22:48
認識をちゃんとしてください。イエズス様の御母はイエズス様が神とされた ことによりまして、自動的に神の御母になられました。当然のことです。イエ ズスさまは神の子。蛙の子は蛙。神の子は神。神の子の母は神です。当然のこ とです。神である母を崇敬するのは当たり前のことです。 >107
>>102 それは、百も承知です。
0に1を掛けても、10を掛けても0です。
しかし、掛ける前の1と10がそもそも違うではないですか。
私は、そこを言いたい。
たしかに、-∞に1を足しても2を足しても同じです。
でも、その前の1と2が、もう違うではないでしょうか。
>>108 神を身ごもった母=神ということですね。
しかしそれは、聖書の中では一度も出てきません。
従って、プロテスタントでは、聖母と呼ぶ人さえいません。
もし、マリアが神でしたら
イエスの後に生まれた、兄弟姉妹六人も
イエス同様神であったんではないんですか?
もしくは、半神ということになりますね。
110 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 23:07
111 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 23:15
聖母の被昇天と天国での戴冠式がロザリオの最後になっているけど、 a.被昇天 b.天国での戴冠式 という話は、聖書には載っていませんけれども、 歴史的に aいつ、 bどこで、 c誰が 制定したものなのでしょうか。 カトリックの方々に、マジレスを希望します。よろしく。
112 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 23:16
マリア崇敬と聖変化と教皇とっぱらえば、カトリックの方が聖書的 聖書のみ、などと言い出さなければプロの方が聖書的
113 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 23:22
114 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 23:48
>>106 >おんこは審判します。聖母は救います
おんこは御子の事でしょうか??
キリストが審判をして、マリアが救うんですね。
んー
でも私は、キリストに心を絞りたいと思います。
イエス・キリストこそ、救い主だと思うからです。
115 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 23:51
>114 あれは俺さんがカトリックを演じているのです。 カトリックももちろん救い主はキリストだけと信じてますよ。 ああいうのに惑わされるとレベルの低い議論に終始しますよ。
そりゃあもう断然プロのほうが聖書的じゃん! 教会逝くなら絶対プロよ。これ最強。
117 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 07:36
俺はプロだけど、必ずしもそうは思わないね。聖書に線いっぱい引いてる ようなトコロが本当に聖書的かどうか、甚だギモンだ。
119 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 09:16
>>115 >あれは俺さんがカトリックを演じているのです。
悪いけど、それはちょっと妄想たくましすぎ・・・。
自分もあのスレに書き込みしたことあるけど、(煽りじゃなくて、質問YO)
「俺さん自作自演」とか言われて誰も相手してくんなかったし。
誰も彼も俺さんに見えるのは重傷でないかい。
そういう人がたくさんいるんだ、というのは分かっといた方がいいかも。
正しいとか間違ってるとかは別にして。
120 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 09:20
それが2時間かけて考えた言い訳か?
121 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 09:23
人間イエスは人間マリアによって人間として生まれ、無限ではなく 有限なかで、時間の流れ、赤子の不自由さを全て経験され人間と して生きて神の御心を実現されたので私たちの救い主となられた のです。 よって、マリアの信仰は模範的ではありますが、彼女は人間です。 マリアが神だとすると、神=御子(イエス)=御霊=マリア=人間(我々)ってことですか?
122 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 09:27
カソリックの方々が世の中から隔離された世界で生活されるのは エッセネ派の流れなのですか?イエスは世と中で生きたのでは?
123 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 09:37
めでたし 聖寵満ち満てるマリア、主御身とともにまします。 御身は女のうちにて祝せられ、ご胎内の御子イエズスも 祝せられたもう。天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、 今も臨終のときも祈り給え。アーメン。
124 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 10:22
マリアはイエスを生んだあと、ヨセフと普通に性的関係を持って 息子たちを産んだでしょう。普通の人間。 純粋な信仰が神によって選ばれた普通の人間。
125 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 10:33
「聖書的」と称しているプロはコリゴリ。 今度はカトリックへ行ってみようと考えている。
126 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 10:37
マリアが神であるなら、キリスト・イエスはなぜマリアを拝まないのか?
127 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 10:48
>126 だれに聞いてるのか分からん。
128 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 10:48
キリストは唯一の贖罪の犠牲で、唯一の救い主です。
>>124 どこにマリアがイエス以外の子供を産んだと聖書に書いてある?
>>122 ルカ 18:29 イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、
この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」
>>124 モーセだろうと、ダビデだろうと、アブラハムだろうと、神が純粋な信仰を見て選んだ器は、生涯、神の器として生きなかったものがいるでしょうか?
132 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 11:07
>>125 向いていない人というのは確かにいるよ。
133 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 11:41
>131 そうですね。しかし、モーセ、ダビデ、アブラハムは神ではない。
134 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 12:41
間違いなくプロのほうが「聖書的」だが 聖書的=エライ、pure、などとでも思ったら大間違い とゆーことでどおよ。
135 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 12:52
聖書は従わなくても良い本 と言う意味?
136 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 13:00
↑ じゃあ、ピンクチラシについつい目が行ってしまったら、 聖書に従って目を抉り出してください。
137 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 13:07
初代教会は、手元に新約聖書がかけらもなく、マリアがまだ生きてて 取次ぎなどしてくれようはずもなくても成り立っていた、という意味さ。
138 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 13:08
>>137 そんな記録は聖書に記されていないぞ。ノータリン
139 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 13:34
大馬鹿な聖書至上主義者を騙ったネタだろうか?
>>129 マタイ12:46−50、13:54−56
に、それらに関する記述が出てますよ。
マルコと、ルカにも同様に出ています。
141 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 15:42
カトリックでも、聖母は神ではありません。人性しか持たない人格です。
カトリックではマリア様を無原罪と認めますが、罪が人間にしか定義されないため、
無原罪も人間にしか定義されません。勿論、キリストに原罪が無いというのは人性においてです。
また、「カトリック教会のカテキズム」によれば、
http://www.hvri.catholic.ac/ccc0422-0682.htm 503
神性において父と同実体であり、人性において彼の母と同実体である。
とあります。これを否定すれば、カトリック信者とは言えません。
142 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 15:45
>>133 ですから、カトリックでもマリア様を神だなんて言ってません。
143 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 15:52
>>135 聖書にではなく、生きた神に従いなさい。
聖書にではなく、生きた神に仕えなさい。
聖書にではなく、生きた神を拝しなさい。
単に聖書的ではなく、霊的でありなさい。
144 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 16:05
145 :
名無し@1周年 :02/06/28 16:13
>1 プロテスタントってったって、千差万別だろ。 マリア崇敬するところもあるし(アングリカンなど) 確かに、旧約の聖句などをそのまま現在にも当てはめて、献金地獄に陥ったり、聖絶とか言って終末思想を煽ったりする、カルトチックなところはプロテスタントに多いけどな。
146 :
名無し@1周年 :02/06/28 16:15
というか、カトリックとオーソが作成編纂した聖書なんだから、プロテスタント過激派たちは、ありがたくそれを使わなきゃ。 「聖書的」でないと言って、聖書を他教派批判に使うのは、使い道を誤っています。 「裁くな」という聖句にも反しますし、聖書的ですらありません。
147 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 17:22
>>144 >イエスの兄弟がマリアが生んだ子であると断定することこそ
てことは、異母兄弟ってことですか??
ヨセフには、他にも妻がいたということになりますが??
148 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 17:27
149 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 17:39
世界中に支持者が居るカトリックのほうが信頼できそうに思う。 プロで世界中に信者がいるようなところってあるの?
150 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 17:41
エホ証って世界中に居るんじゃないの。
151 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 17:42
じゃ、統一協会もジャン!!!
152 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 17:44
>>149 うんにゃ。
「派」単位だったら世界規模のものがほとんどだと思うよ。
とにかくプロも多様なので、安心材料のために規模で選ぶというのも
否定はしないが、でかいからいいとも限らない。
まあ、ちっこいとこを疑うというのも常識的なことかもしれないけど。
153 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 17:47
少なくともルター派はローカルなところがありますね。 ドイツと北欧と、アメリカと日本には北欧系がちょこっとだけいるだけ。
154 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 17:50
世界規模で支店を出しているかもあるんだけど、単にそれだけじゃなくて その地域でどれだけ信頼されているかなんだよね。はて? さしあたり、日本に住んでいて日本の状況を考えると一番手っ取り早い判断材料って 教会付属幼稚園の評判なんかどう?
155 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 17:52
カト系の高校って偏差値高いね。
156 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:01
>>133 もちろん神ではない。
しかし、信仰の父としてアブラハムは敬意をもたれていないでしょうか?
モーセは尊敬されていないでしょうか。
ダビデに倣おうというものは間違っているでしょうか。
聖母も信仰の母として、敬われて当然かと思いますが。
157 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:05
>147 断定するなってことでしょう。 マリアと結婚する前になくなった前妻がいたかもしれない。 カトリックの聖伝が教えるように、従兄弟という言葉がないヘブライ語は近い親戚を 表すのに兄弟という言葉を使ったのかもしれない。 とにかく、マリア様が子供をイエス様以外に産んだことはどこにも書いていない。
158 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:06
159 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:06
>155 なんで、カトリック系の高校って有名校多いの?政府や大企業の エリートや大学教員にカトリックが少ないのは、そのせい?
160 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:09
>>158 誤:"αδελφός" について以下を参照ください。
正:"αδελφός" については、以下を参照してください。
161 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:11
>>157 なるほど、そういうことですか。
でも、マタイの13:55、56を見ると
本当の兄弟のように思われるんですけどねぇ。
たしかに、改訳されてますから難しいですよね。
でも、ヨセフに前妻がいたとは考えにくいかと・・
系図にも出て来ませんし。
162 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:16
>>161 >でも、マタイの13:55、56を見ると
>本当の兄弟のように思われるんですけどねぇ。
思われるじゃね。ワラ
>でも、ヨセフに前妻がいたとは考えにくいかと・・
>系図にも出て来ませんし。
イエスの系譜にヨセフの前妻のはいらないでしょ。
多分いないとは思うけど。
163 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:19
>聖母も信仰の母として、敬われて当然かと思いますが。 それもそうだと思います。当時の状況を学びましたが、マリアの純粋な信仰は素晴らしいと思います。 マリアが人間の罪を償うというのはどう理解したらいいのでしょう? ロザリオの祈りをどのように理解したらよいのでしょう?
164 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:19
>>161 系図に女性の名前が出てくるのは特別な場合だけかと。
165 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:21
>>162 >思われるじゃね。ワラ
あなたの方は確信なんですか??
系図に、ヨセフの前妻との間の子
つまり、イエスより先に生まれてきているわけですから
兄としてでてくるんでは
166 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:21
>カトリックの聖伝が教えるように、従兄弟という言葉がないヘブライ語 勉強になります。イエスの肉の兄弟の存在は不明ですね。 兄弟とかかれている以上いないとも断定できないですよね。
167 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:23
>>165 ヘブライ・アラム語には「いとこ」に相当する言葉がないってことについては
どう思います?
168 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:32
>>167 いとこという言葉がないと、いとこになるんですか?
母(マリア)と(兄弟、姉妹が)行動していることからも
子ではないと言い切れないと思いますが。
169 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:35
>>168 だからといって、彼らがイエスの二親等の兄弟であるとも限らない。
170 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:39
マリア議論は他にいっぱいあるので、例えば幼児洗礼についてはどう?
171 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:44
>>169 そうですね
でもなんで、従姉妹としたら兄弟たちの親は
表記してないんだろう?
172 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:44
幼児洗礼に関しては、カトの方が聖書的ですね。
173 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:47
プロだと、献児式? とかいうのがありましたっけ?
174 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:50
>>171 だから、マリアが終生処女であるか否かの議論は、
表記していないことの推測に過ぎないんです。
カトは聖書以外の推測はOKだけど、プロはそれが許されない。
だとしたらプロには、カトの伝承にケチつける筋合いが皆無だってこと。
175 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:51
>172 どこった辺が聖書的?
176 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:54
177 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:56
>>174 マリヤを拝めなんて聖書は言ってないって。
178 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:56
>>159 ホントにそうなの?
美智子様の実家はカトリックだし、故大平総理だってカトだったと思う。
自分は遠藤周作(ま、これはエリートとは言えないが)や、マザーテレサに
カトリックの懐の深さを感じるんだよね。プロの福音派を辞めるきっかけに
なった。
考えてみたら、進化論が間違っていると信じ込んでいる国立大生物系教授や公立小学校の理科の先生
なんているとしたら怖い。
幼児洗礼は別に構わないと思うよ。カトリックが嫌ならいつだって(親に食わしてもらっている間は
まあ無理としても大きくなったら)辞める自由はある。
幼児洗礼をするかしないかは別としても、プロだって食わせてもらっている間は実質的には親に
従わない自由が無いのは所詮同じ。
179 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 18:58
180 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:01
>>177 >マリヤを拝めなんて聖書は言ってないって。
拝んでないって。敬ってるの。
181 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:03
182 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:04
>>181 どえらい勘違いをしているのでしょう。
人は自分の思いこんだとおりに受け取りますから。
183 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:06
182 >人は自分の思いこんだとおりに受け取りますから。 じゃなくて、「自分の都合の言いように受け取ります」じゃない?
184 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:07
「聖書的」って言葉自体、カトでは聞かんな
185 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:07
>>181 見えるだけでしょ。
食べる真似をして、食べてるように見えたら、お腹が膨れるんですか?
それなら、働かなくても、働いているように見えたら、お金儲かるの?
そうだったら人生楽だね。
186 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:08
>カトは聖書以外の推測はOKだけど、プロはそれが許されない。 >だとしたらプロには、カトの伝承にケチつける筋合いが皆無だってこと。 頭悪いので良くわかりません。もすこしわかりやすく論理的に書いて。
187 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:09
>>186 結局、「プロには、カトの伝承にケチつける筋合いが皆無」だって。
188 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:09
拝んでるじゃないか
189 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:12
マリアが人間の罪を償うというのはどう理解したらいいのでしょう?
190 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:13
つーかそもそも何で拝むのさ?
191 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:14
192 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:14
聖書的・聖書的とかしましいが、そもそも聖書って誰が編纂してつくったんだっけ???
193 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:16
もともとの聖書を編纂したプロってw
194 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:17
例えば、神社でパンパンしてたら心で拝んで無かったとしても どうみても拝んでるだろ。
195 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:18
マリア像は木とかでできていますよね。あれは偶像でしょ? あれそのものを拝んでるかどうかは別として。
196 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:18
>>189 要するに既に行っているマリア崇拝という
矛盾した行為を正当化するために
そういう説を後から付けただけ
197 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:20
聖書は紙とかでできていますよね。あれは偶像でしょ? あれそのものを拝んでるかどうかは別として。 木とか金属だったら偶像?w
198 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:21
>196 なるほど。カソリックの人もそれでいい?
199 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:22
>>193 聖書の再編集をして、気に入らない旧約続編をカットしてしまったことを
聖書の編纂とプロは考えているのだろうか。
Septuagintには続編はしっかり入っています。
後にユダヤ教はヤムニア会議を開いて、続編をカットしましたが、70
人訳の時は確かに続編は正典に数えられていました。
200 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:22
200
マリア様って罪償うの?ホントかよ?
202 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:23
>>196 カトですが、マリア様が人の罪を償うなんて聞いたことがありません。
偽青眼さんの主張じゃないですか? カトリックはそんなこと言いません。
203 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:24
>>186 カトリック教会では聖書に表記されていない命題でも教理として認めます。
一方、プロテスタント教会では聖書に表記されていない命題は教理として認めません。
マリアが終生処女であるという命題は、
>でもなんで、従姉妹としたら兄弟たちの親は
>表記してないんだろう?
聖書に表記されていない命題を扱わねばなりません。
カトリックは記述されていない命題でも教理として認めますから、
論理的矛盾はありません。
しかし、プロテスタント教会では聖書に表記されていない命題は教理として認めないのですから、
表記されていない兄弟の母をイエスの母マリアであると断定することも、論理的に許されません。
従って、プロテスタント教会が、マリアが終生処女出ないという立場で、
カトリック教会を批判することは不可能であるということです。
204 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:24
>>196 それに、崇敬しているのであって、神として「崇拝」していません。
206 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:25
カトリックは、教義が聖書的でない。 プロテスタントは、実際の行動が聖書的でない。
ということは、どっちもどっちじゃねーか。
208 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:27
私の聖書は私の心の中で生きているのさ。 はっ。って自己を偶像としているのでは?むっ難しいですね。
209 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:27
>>205 どっから出てきたんだ? >マリア様が罪を償う
210 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:28
117:名無しさん@1周年 :02/06/28 19:18
>>111 書かれてないことは、してはいけないのか?
プロテ教会だって書かれてないことイパーイやってるうえに、
御聖体がただのパンだもんなw「ぶどう酒」って聖書に書かれてるのに
ぶどうじゅーすだし(藁
勝手なもんだ
125 名前:名無しさん@1周年 :02/06/28 19:24
葡萄ジュースは聖書的でない。
まぁそういうことだな
211 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:29
>>202 あれ?ごめんなさいロザリオの祈りって何を祈ってるんでしたっけ?
212 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:31
>>211 聖母に祈りの取り次ぎを頼んでいるだけで、聖母を神として祈っているのではありません。
私のために祈ってくださいって、プロも親しい友人に頼むでしょ。
カトリックは親しいマリア様に祈りを頼んでいるの。
213 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:32
>>211 「今も死を迎える時も、私たちのために祈ってください。アーメン」
214 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:33
聖母マリアの「取次ぎ」を祈るんだべ。 どこに「聖母マリアの罪のゆるし」があるんだべ。
215 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:33
文語 天主の御母、聖マリア、罪人なる我らのために、今も臨終の時も祈りたまえ。アーメン
216 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:34
こういうこともしらねーで批判するのは恥ずかしいっぺ?<お取次ぎ
217 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:37
神父さんがプロを批判するのは聞いた事がないが、ヴォクシは聞くよね。 「金持ち喧嘩せず」ってとこかな。
218 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:38
WASPはPなのにね<金持ち喧嘩せず 日本のPは貧乏だよなw信徒の流出が・・・
219 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:38
>聖母に祈りの取り次ぎを頼んでいるだけで ということは、人間→聖母→御子→神ですか?聖母→神?
220 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:40
>217 だってカトにProtestするから、プロっていわれているんだもん。
221 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:41
人間「たのんまっせ!」→聖母「おう、まかしとき!」 人間「たのんまっせ!」→神「まっかしとき!」 のあとに、 聖母「たのんまっせ!」→神「まっかしとき!」 人間「たのんまっせ!」→神「まっかしとき!」
ちょっと違うな・・鬱
223 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:42
>221 御子は何処行った?
224 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:43
>>220 と、なるとプロって自分達が言ってる程聖書的かいな?
自分の目の中に梁がある分際じゃないか。藁
225 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:43
1テモテ 2:1 そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。 マリア様が出来ないはずが無い。
226 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:44
227 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:44
228 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:46
だぶったw
229 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:48
はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。
230 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:48
聖書的でないのは
>>1 発想自体が聖書的でない。
だから、このスレ全体も聖書的でない。
どっちもどっち。と思われ。
231 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:50
フランスの聖グリニォン・ド・モンフォールはこう説明している。 王様のところに農夫がりんごを一つ差し上げたいと思ったが、虫食いのある リンゴなど、自分の無骨な手から王様にお渡しするのも恥ずかしく思った。 そこで、王様の寵愛を受けている優しい奥方様に、リンゴをお渡ししていただける ようお願いした。女王様は快く引き受けるとリンゴを金のお盆に載せて、恭しく 王様に差し出した。 つまり、我々のつたない祈りも、マリア様に取り次ぎを頼むことで、神の元に もっと素晴らしくなって届く、ということだ。
232 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:54
>>231 よーはこっちの気持ちの問題。
たとえで言うところの王様になぞらえた神的には
どっちでもいいんだが、祈る側のその謙虚な思いが心を打つ事もあるということ。
233 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:55
僕はイエスの名によって祈る。
234 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:59
>僕はイエスの名によって祈る ほら、もう勘違いぷろたんが出現してるよ マリアの名によって祈ってないてば。まったく疲れるな・・
235 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:01
王様の寵愛を受けている御子に祈る。
236 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:03
>234 ごめんなさい。
237 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:03
いいけど、気をつけてね。
238 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:05
>>231 どうしてマリアが取り次ぐんですか?
マリアは祭司ってことなんですか?
神に私たちの祈りを取り次ぐのは
イエス・キリストただ一人ではないでしょうか
239 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:08
240 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:10
イエスは大祭司
241 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:12
イエス=神、だっての。
242 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:13
細かいなー。いちいち。 ほっとけ。
243 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:14
>241 イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです。
244 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:14
>>239 ????
どうしてマリアが取り付ぐんでしょうか?
立派な信仰を持っていたからですか??
そうしたら、信仰の父であるアブラハムに祈るのと
同じことになりますが
245 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:14
イエスは大祭司ってよく聞くけど どういういみ? 神じゃないの?
246 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:15
>>241 イエスは神であり
また、私たちの大祭司の役目をもしてくださっていますよ。
247 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:16
ヘブ 5:10 神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。 ヘブ 5:5 同じようにキリストも、大祭司となる栄誉を御自分で得たのではなく、/「あなたはわたしの子、/わたしは今日、あなたを産んだ」と言われた方が、それをお与えになったのです。 ヘブ 5:2 大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。 ヘブ 5:1 大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。
248 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:16
>そうしたら、信仰の父であるアブラハムに祈るのと >同じことになりますが アブラハムに取り次いでほしけりゃ、アブラハムに祈ればいいだろうよ
249 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:17
イエスの名によって祈るのは そのためですね。 イエスを通して、私たちの祈りが聞かれるのです
250 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:19
>アブラハムに取り次いでほしけりゃ、アブラハムに祈ればいいだろうよ アブラハムは取り次ぎませんよ しかし、カトリックではマリアが取り次ぐそうですね
251 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:19
エリザベトが主の母と呼んだから、マリヤはイエスの母である。 ならば、イエスに兄弟たちがいたという聖書の記述も そのまま、イエス以外にマリヤの子供がいたことの証明になる。 娘三人、息子5人はいた。マリヤはただの人間である。 カトは虚偽を宣伝している。
何でこんな下らんスレが繁盛してるんだ。よせよ、恥曝し共
253 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:22
カトはおお嘘吐きだ。 カトリックは嘘吐きだ。 エリザベトが主の母と呼んだからマリヤはイエスの母であるといっているが、 ならば、イエスに兄弟たちがいたという聖書の記述も、 そのまま、イエス以外にマリヤの子供がいたことの証明になる。 娘三人、息子5人はいた。
初めての男の子、みたいな言い方するくらいだから 後続がいるんだろ。
255 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:25
アブラハムってあの世の大将だっけか? フトコロがなんとかって…
256 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:30
ヤコブ 5:16 だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。 取り次ぎを特別視しすぎていませんか? 互いに祈ることは良いことだとパウロも勧めています。 マリア様に我々のために祈ってもらうことは良いことじゃないでしょうか。 また、キリストの命につながれた人は死んではいません。マリア様に祈りを頼むことを 死者との交信だと勘違いしないように。
257 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:35
>>256 パウロは、生きている人を対象にそう言ってますよね
互いに祈ると言う事は、相手も生きていることが不可欠です。
258 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:36
>また、キリストの命につながれた人は死んではいません。マリア様に祈りを頼むことを >死者との交信だと勘違いしないように。 なんで、マリアだけが特別なんですか?
259 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:46
カソはかたい プロはゆるい
260 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:50
>>258 聖母だけじゃなく、全てキリストにつながれた人は生きていますよ。
私はアブラハムの神、ヤコブの神、イサクの神である。
生きている者の神であって、死んだものの神ではない。
とはっきりおっしゃっているじゃないですか。
261 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 20:53
262 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:01
全然特別視していないですよ。 聖母以外にも多くの人たちがキリストの命に結ばれて生きているじゃないですか。 聖人というのは、みな生きている人々ですし、我我は聖母だけでなく、彼らにも 取り次ぎを頼んでいます。
263 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:03
聖ペトロとパウロ、我らのために祈りたまえ。 聖アンデレ、我らのために祈りたまえ。 聖ヨハネ、我らのために祈りたまえ。 聖ヤコブ、我らのために祈り給え。 ・・・・続く
264 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:12
>>263 どうしてユダヤ人が最も尊敬するダビデが出てこない。
265 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:15
ダビデもアブラハムもモーセも大いに尊敬するよ。 ただ、イエス・キリストを知っている人々はそのままストレートに祈りを共にできるでしょう。 イエスの啓示を知っている人々は神を正しく理解できるんじゃないかな。
266 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:15
ユダヤ教じゃねもん
267 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:15
268 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:17
>>265 それじゃぁ、マリアよりも
いつも一緒にいた、ヨハネやペテロの方が
いいんじゃないのかなぁ
269 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:19
270 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:22
イゼベルは?
271 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:26
>>270 イゼベル
エテバアルの娘、アハブの妻。。。。
すごい事をたくさんしてますが
イゼベルの意味を調べると
未婚の、純潔な
と言う意味なんですよね。
272 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:27
ダビデかぁ。 漏れも好き。 なんか、すごく人間的でイイ!
273 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:29
アダムが一番偉いかも。
274 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:29
聖ヤコブなんて、明らかにセム語的な名前じゃない。
275 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:30
三大悪女の一人だぞ
276 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:31
アダム・・・・ エヴァの誘惑に屈しなかったら、どうなってたんだろう?
277 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:37
全くちがってたかもね
278 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:40
>>276 アブラハムがハガルに子供産ませなかったら、
同時多発テロは起きなかった。
279 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:42
280 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:43
やはり一夫多妻はよくなぁ〜〜〜い! ハガルはある意味、とってもかわいそう
281 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:44
使徒が殉教しなかったら、今ごろキリスト教は日本の国教だったかも。
>>278 核心と思われ。先に生まれた子か、正妻の子か、というのは
古今東西を問わずお家騒動の典型例らしい。
283 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:46
テアテラ教会が偶像しなかったら 鉄の杖を持って世界を治めていたかも
284 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:47
エサウが祝福されていたら・・・・
両親同じじゃなぁ
286 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:48
ノアの箱舟が手抜き工事で穴だらけだったら、 地球は魚の惑星だったかも。
287 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:50
ハガルはかわいそう。 でも、イシュマエルの子孫達の台頭もすごい
288 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:52
なるほど 古い時代ほど後世への影響が大きいようだ。
289 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:53
モーセがファラオの娘に拾われなかったら
290 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 21:59
カトリックの人は、なんで聖書に重点を置かないんですか?
291 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:01
聖書よりも教会が大切
293 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:05
294 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:05
295 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:07
なんかここのレス読んでると カトリックの人は、勝手に作り出した妄想を 信じているように思われるのですが
296 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:08
297 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:09
>>290 聖書に重きを置いてませんか?
ただ、聖書は教会が真理を伝えるために書いてまとめたものなので、教会の
信仰に沿って理解しなければ意味がないと理解しているからです。
あれこれトンデモ説や新説を生み出して、なんの益がありましょう?
298 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:10
>>296 聖書の成立過程を知れば、そのような事は言えないでしょう。
299 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:10
>>295 カトリック信者は
メルヘン趣味がこうじて
教会に行っただけですから。
300 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:10
聖書こそ、神から私たちに送られた 神からのメッセージではないのでしょうか?
301 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:11
>あれこれトンデモ説や新説を生み出して、なんの益がありましょう? それはカトリックでは??
302 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:13
>>300 もちろんそうですね。
でも聖書は聖伝の中から生まれたものです。
教会が信仰を伝えるために書かれ、まとめられたものです。
教会の理解から離れて、どうして正しく理解できましょう。
303 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:13
不可謬説とか無原罪説 永世処女説。 メルヘンの世界です。
304 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:14
>>301 聖書に書かれていなくても、みな聖伝に根拠があることです。
それより、どうしてプロテスタントはみな教派によって、それぞれ理解が
異なってしまうのですか。みなバラバラの理解で、どの教派も全て正しい
とはならないでしょう。教派の数に従って解釈が増えてしまったら、たまった
ものじゃないですね。
305 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:15
>>300 インチキ文書を除いた結果、正典が残ったんだよ。
Sさん
306 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:15
>>302 すいません、あまり詳しくはないのですが
聖伝が、聖書から生まれたのではないのですか?
307 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:15
イエス様に原罪がないことは、メルヘンじゃないのですか?
308 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:15
しょうがねーだろ、聖書読んでるだから。
309 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:16
310 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:17
>>307 カトは女ばかりじゃねえか?
メルヘン集団だ
311 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:17
創造論や逐語霊感はメルヘンの世界です。
312 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:18
>>307 聖母マリアのメッセージとかがメルヘンだっつーの。
313 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:19
マリアが処女を貫いたというのは どこからきているんですか?
314 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:19
>>305 いいえ。カルタゴ会議で正典が決定するまで教父によっては、ヘルマスの牧者やディダケーは
正典に含まれたり、外されたりしました。ユダの手紙とか黙示録だって、含められるかどうか
いろいろ議論はあったといいます。外されたものは必ずしも「うそ」とは言えません。
正典に含めるほど重要な文書とはみなされないとして外されたものは数多くあります。
もちろんインチキ文書もありますが、どれが信頼の置けるものか、聖伝によって
伝わっていますよ。正典を定めた同じ考え方が教会の中にありますから、
それに従って文書は取り扱われています。
315 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:19
316 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:19
三位一体論はメルヘンじゃないのですか?
317 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:19
マリア崇敬と教皇と聖変化を除けば、カトリックの方がプロ なんぞよりも遥かに聖書的だ。
318 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:20
神が受肉したという話はメルヘンじゃないのですか?
319 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:20
>>314 その聖伝は、どこに根拠をおいているんですか?
320 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:21
創造論や千年王国論はメルヘンの世界です。
321 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:21
マリアが一生処女だったら、崇敬されるべきはマリアでなく ヨセフだ。
322 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:22
323 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:22
創造論や千年王国論は、近代原理主義が創った妄想です。
324 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:23
325 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:23
>>313 すみません。願望です。根拠はないです。
326 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:24
>>322 三位一体が聖書に書いてある言う人こそ、
聖書を読んだ方がいいです。
327 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:25
>>317 マリア崇敬 ヨハネ19:27
聖変化 マタイ26:26、ヨハネ6章
教皇 マタイ16:18、ヨハネ21:15
極めて聖書的です。
328 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:25
329 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:26
>>326 しかし、解きつめていくとそうなりますが
330 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:27
>>319 使徒から直接伝えられた事が聖伝です。
使徒継承が大切なのは、それがダイレクトにイエズスを知っている使徒たち
から伝えられたことだからです。
初代教会は聖書を持っていませんでした。使徒達から直接指導を受けていたからです。
やがて使徒達や彼らの弟子がいなくなってきたので、信仰を保持するために
必要に迫られて聖書にまとめたというのが真相でしょ。
331 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:29
>>313 聖アウグスティヌスも終生処女だったと書いています。
聖伝によれば、マリアは自らを神殿に奉献していました。婚約が決まっても、
自分を神に捧げる気持ちに変化はなかったと言います。
332 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:29
>>329 本スレに出てくる「蒼」さんに聖書で解きつめましたが、
アタナシオス信条や二ケアコンスタンチノープル信条を受け入れようとはしませんでしたが。
333 :
chebjcro :02/06/28 22:30
333
334 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:30
335 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:30
336 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:32
>>330 使徒の継承を聖伝としながら
使徒たちが書いた、聖書は無視してるんですか?
使徒の継承を記した書物はあるんですか?
337 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:32
>>334 今からお風呂に入るので、また今度。
明日は結婚式の司会なので、明日も無理かも。
338 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:35
>>332 蒼は聖書に詳しいぞ。マジで
別に知ってるわけではないが。
339 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:35
>>336 全然無視していませんよ。
何を誤解しているんですか?
>使徒の継承を記した書物はあるんですか?
使徒行伝他にも一部書いてあるでしょう。按手によって代々受け継がれて来ています。
聖ヨハネが伝えたことが、聖ポリュカルポスへ、聖ポリュカルポスから聖イレネウスへ
とよく知られた継承もありますし。聖イレネウスはご存じですね? エイレナイオスとも
言いますが、偉大な神学者です。
340 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:38
>>339 そうですか
その中に、マリアを敬愛しなさいという事も
入っていたんですか?
341 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:40
>>338 >蒼は聖書に詳しいぞ。マジで
それは否定しないよ。マジで。
しかし、そういう彼がアタナシオス信条や二ケアコンスタンチノープル信条を受け入れられないとなれば、
やはり聖書のみから三位一体の教理を導出するのは不可能であったと考えるべきでは。
342 :
名無し@1周年 :02/06/28 22:44
今日、イカ食べちゃったんだ。 本当は食べるつもりなんてなかったんだ。 でも、韓国料理屋でチヂミたのんだら、中に入ってて、気が付かなかったんだよ。 どうしよう。 主に滅ぼされる。 私は聖書的でない行為をしてしまった。 あれだけ明確に食べてはならないと、聖なる書に書いているものを食べてしまった。 もう終わりだ。 でも、一ついいことを思いついた。 私の住んでる町は小さい。 私のいる集落は数世帯だ。 これらの異教徒を聖絶して、すべて神にささげよう。 そうすれば罪はやわらぐ、うまくいけば神様はゆるしてくれるかも…… でも、どうやって? 私は、とりあえず納屋にあるはずの農薬を探しに行くことにした。
343 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:46
三位一体って 何処から出てきたものなのですか?
344 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:47
345 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:48
>>341 補足
要するに蒼は聖書に精通しているにも関わらず、三位一体を受け入れないというのは、
むしろ聖書から三位一体の教理が一意的に導けないという根拠になりますね。
「蒼」さんが三位一体を認めるというのは、単なる口先です。
アタナシオス信条や二ケアコンスタンチノープル信条の命題を認めない限り、
本当に三位一体を認めたことにはなりません。
彼は、アタナシオス信条を聖書から離れたものだと言ってました。
346 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:48
347 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 22:52
三位一体かぁ、聖書から導き出せると思われますが 神は唯一の神ですから。
348 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:00
>>341 過去レス読んできたんですが、蒼さんですか
まともな事言ってるような
信条それ自体は否定してないですし、むしろ順番付けしてるのが
おかしいと言ってるみたいですけど。
349 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:05
350 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:05
351 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:07
申命記ですよ。 鱗のない魚は食べちゃいけないんです。 だからウナギもダメです。
352 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:08
プロは鰻を食べちゃいけないんですよ。 聖書的に生きてますから。
353 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:08
>>347 でも、三位一体は公会議で決定されたんだろ?
それだったらマリア崇敬もそれなりの聖書的根拠(ヨハネ福音書)もあることになるだろう。
イエスは、自らのことを何度も「預言者」(≠神)と言っている。
354 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:09
>>351 もろイスラムじゃないですか
だったら、豚も鳥も食べれません。
355 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:11
鳥は種類によってOKでしょう。 イスラムはユダヤとキリスト教の思想を商人だったモハメッドがお客から伝え聞いて 影響を受けたということです。旧約聖書はイスラムにとっても聖典ですし、 福音書も読む人は読むそうです。
356 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:11
>>353 >イエスは、自らのことを何度も「預言者」(≠神)と言っている。
そうなんですか?
どの辺ですか??
357 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:12
預言者は故郷では受け入れられない。
358 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:12
頭が堅いなあ。
359 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:13
聖書にしか権威を認めないのは聖書的ではありません。
360 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:13
つうか、もう殺し合いはやめたの?
361 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:13
イカはダメなのかぁ でも、食べ物の事でもめてはいけないって ペテロが言ってなかったっけ? 血を除けばいいんじゃないのかなぁ
362 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:14
363 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:15
>>359 でも、イエスは全て
旧約から引用して、メッセージをしてますよ
364 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:16
>>362 聖書のどこに「聖書のみ」と書いてあるのですか?
365 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:16
「聖書的でない」ってなに? キリスト教徒って、キモイ。 「般若心経的でない」とかいわないし。
366 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:17
>356 君は本当にクリスチャンですか? ちゃんと聖書を読みなさい
367 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:17
368 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:18
365 名前:名無しさん@1周年 :02/06/28 23:16 「聖書的でない」ってなに? キリスト教徒って、キモイ。 「般若心経的でない」とかいわないし。 自己矛盾しているということです。 そのエッセンスを理解できればいいです。
369 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:19
むしろ聖伝(聖なる伝統)を大切にしろとパウロは書いています。 1コリント11:2「私があなた方に伝えた通りに、伝えられた教えを守っているのは 離派だと思います。」 いいですか? パウロは聖書のみだとは言っていません。伝えたとおり教えを 守ることが大事と書いているのですよ。そして新約聖書は聖伝から生まれたものです。
370 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:20
離派 →立派
371 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:22
聖書が、今の形に確定したのは5世紀(公会議は4世紀)に過ぎない。 聖書原理主義者は、5世紀になるまではキリスト教は存在しなかったとでも言うのだろうか? また、聖書原理主義者の教会の<すべて>が聖書の作成・編纂にかかわっておらず、その<ほとんど>が、新興の団体であることに注意。
372 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:23
>>361 しっかりしてくれ。
食物規定はなくなったでしょう。
プロテスタントは聖書に忠実に、と言っているので、旧約も守れと冗談で書かれて
いるのですよ。
373 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:23
イカに血はあるのか?
374 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:24
でも、新約のほとんどは パウロが書いていますよ。 パウロの言う伝えられた事=パウロの書いたことではないのでしょうか
375 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:24
1さんは、イカも食べず、イカを食べたら近くの住民(異教徒)を皆殺し(聖絶)にするのでしょうか? 原理主義者コワイ (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
376 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:26
>>368 ふーん。エッセンスってなに?
よくわかんないけど、ほんとうに守ってるの?聖書の言葉。
スレ多すぎるし、喧嘩してるスレばっかりだし。
377 :
マタグラのマリア :02/06/28 23:26
レズとホモ、どっちが生殖的? 大地真央と松平健、どっちがタチ、ネコ? プロテスタントとカトリック、どっちがペニスで、糞で、肛門? 聖書は、そもそも、偶像じゃないの? 「あんたが擁護すればするほど、それは、偶像になる」 わかるわね。 「あんた自身が偶像になりたいんでしょうが?」 おりこうさんね。 坊や。 ジッパー下ろして、チンチン、出して!!!
378 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:27
>>372 食物規定がなくなった、というのは人間の解釈に過ぎない
旧約は生きているのだ
600数十個の掟は守らねばならない
イエスは、律法を破ってよいなど一言も言っていない
379 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:28
>>371 じゃあ、旧約から見ていこうよ。
新約は、旧約にそっていると思えますが
原始教会も、キリストも
旧約を用いていた事は間違いないですよね
380 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:29
2テサ2:15も読んでください。 説教や手紙によって私たちが伝えた教えを守りなさい、とパウロはかいています。 英語はもっとはっきりしてます。 So then, brothers, stand firm and hold to the teachings[ 2:15 Or traditions] we passed on to you, whether by word of mouth or by letter. 口で伝えたものであろうと、手紙で伝えたものであろうと教え(伝統)に従うようにとあるでしょう。 パウロは聖書のみとは言っていません。大切なのは聖伝だと教えています。
381 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:29
>エッセンスって何? それは、「人間の教え」と理解してもらって間違いありません 勝手にエッセンスとするのは人の教え。 神の教えから離れていることに他なりません
382 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:30
>>378 それじゃあ、ペテロはおかしい事を言ってるということだね
383 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:30
>>374 パウロは「私」とは書いていないでしょう。
私たち、です。
384 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:32
教会を離れてパウロは存在していません。 だからこそ、後の時代にパウロは全面的に受け入れられて聖書の正典とされ たのでしょう。パウロは自分だけに従えとは言っていません。 もしそう言ったら自己矛盾です。
385 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:32
なんで、いつも正教は無視されるのだ? 正教より勢力のあるプロテスタント教派など存在しないのに
386 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:33
>>378 ではイカを食べるな。カニもどぜうもウナギも食べるな。
豚を食べるな。母羊の父で子羊の肉をにるな。
387 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:34
388 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:35
389 :
マタグラのマリア :02/06/28 23:35
イエスは「律法を破っていい」とは、たしかに、言ってないわね。 イエスはこう言ったのよね。 「律法を破れ」って。 わかる? 彼は自分自身にずっとそう命じていたの。 「命を賭して、律法を破れ」と。 おりこうさんね。 あなた。 さあ、正直になりなさい。 尊敬されたいんでしょう。 でも、愛と尊敬は、両立しない。 ぜんぜんちがう。 高い塔も、教会も、要らない。 聖書も、要らない。 愛があるなら。
390 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:36
391 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:37
>>385 オーソの人って、無視されたって怒るくせに、話し相手になろうとすると
急につっぱねるんだもん。つきあいづらくて!
392 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:37
イエスの言葉:わたしが来たのは律法…を廃止するためだ、と思ってはならない(マタイ2・4)
393 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:38
>>380 なんか変なこと言ってるぞ
by waors of mouth or letter
なんだから、聖伝にこだわるのはおかしい。
大切なのは聖伝(伝承)などと一言も言ってませんが
394 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:38
律法を完成したら、食物の細かい規定など、不要になるんじゃないの? 焼き尽くす捧げ物が不要になったように。
395 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:40
376 :名無しさん@1周年 :02/06/28 23:26
>>368 ふーん。エッセンスってなに?
よくわかんないけど、ほんとうに守ってるの?聖書の言葉。
スレ多すぎるし、喧嘩してるスレばっかりだし。
プロテスタントはソラフィデ=only faith信仰のみなので
いくらでも守ってるといえます。
カトリックはそれに信仰をとうして行うといいます。
396 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:40
>>393 カッコ内にTraditionってあるでしょう。ギリシア語から訳すとき、聖書によってはteaching、別のものによってはTraditionと訳されているんだよ。
397 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:40
>386 私は聖書的に生きていますから、当然イカもカニもうなぎも食べませんが。 当然です
398 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:41
>>395 信仰を持っていると言いながら、信仰に生きていなければ、口先だけの信仰です。
399 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:41
>>394 それが「人の教え」ですよ。
そうあってほしいと言う願望が、そのような教えを作りだすのです
400 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:41
401 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:42
>>397 すげえ。えらい。
豚も食べなくて、肉食う時は血抜きの儀式もするの?
402 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:42
403 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:43
>>397 ちゃんと血を抜いたコーシャーミートだけを食べてください。
404 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:43
>>396 そのカッコは、限られた翻訳内だけで
使われてないですか?
405 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:44
>389 そういえばそうだよな。 突き詰めれば、聖書なんかも不要になるね。 俺は今から自分の聖書を踏みつけたあと、燃やしてみます。 そこにわだかまりがあるようなら偶像崇拝をしていることになる。 聖書「そのもの、それ自体」に何かを見出しているのだから。
406 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:44
398 名前:名無しさん@1周年 :02/06/28 23:41
>>395 信仰を持っていると言いながら、信仰に生きていなければ、口先だけの信仰です。
プロテスタントはその疑いが強し。
本人の信仰のみということなのでいくらでも周囲の評価を無視できるのです。
カトリックは信仰をとうして行うので、プロテスタントより
厳しいです。
407 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:45
パウロが言ってるだろ。「すべて市場で売られているものは恵みによるもの、 食べなさい。また食べる者は食べない者を裁いてはならない」
408 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:45
食物に関しては、ペテロがちゃんと言ってますけど。。 旧約しか信じない人は イカもカニもうなぎも食べない! それでいいんじゃないですか
409 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:45
>>399 1コリント 8:4 そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っていま
す。
410 :
マタグラのマリア :02/06/28 23:46
>>388 ごめんね〜〜♪ 根っからお下劣で。 マタグラ地方出身なので。 でも、彼は、そんなわたしたちにやさしくしてくれた。 彼は歌が上手だったのよ。 天国と便所をつなぐたとえ話が好きだった。 汚物というば、心の汚物。 彼は通常汚いといわれてるものに天国的な祝福を与え、 権威あるものをクソミソにけなした。 彼は、痛快な人だった。 彼はいつも愛を口にしたけど、 じつは恋の達人だった。 ローマの兵隊さえも、 彼に胸をキュンキュンさせてたのががいっぱいいたのよ。 彼は、愛する機械。 永遠の愛の代用品なの。 わたしだけのものにしたかった・・けど・・・・。
411 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:47
412 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:48
さあ、みんなも自分の聖書を燃やしてみよう! それが出来ない人は、みんなの前で踏みつけてみよう! それが出来ない人は偶像崇拝をしていることになります。
413 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:49
414 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:51
>>412 それはただの、あほのやることですな
また買うのにも高いんですよ
415 :
マタグラのマリア :02/06/28 23:53
>>405 「燃やさなくていい」
と、天使が言うでしょう。
アブラハムのときのように。
416 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:53
>>413 あれは「神が清め」られたからであります。
そうでないなら、食べてはいけません。
少なくとも、食べない方がベターです
417 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:54
>>380 コロサイ2:8には「気をつけなさい。もしかすると、人間の伝統に
したがい、また世の基礎的な事柄にしたがってキリストにしたがわない
哲学やむなしい欺きにより、あなた方をえじきとして連れ去るものがい
るかもしれません。」ってありますよ??
三位一体にしろ、クリスマスにしろ、マリア崇拝にしろ、カトリックも
プロテスタントも異教の教えにどっぷり浸かったり、哲学塗れじゃん。
カトリックもプロテスタントもパリサイ人と同じだね。人間の伝統に縛ら
れて聖書の内容を拡大解釈してんのよ。そりゃー信者同士戦争もするわな。
すんばらしい愛の実践だこと…。
418 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:54
>>413 神が直接言ってることと、ペテロの言ってることのどちらが重要なのですか?
ペテロ教の信者ですか?
419 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:54
>>412 聖書は結構高いですよ。
意味もなく燃やしてどうするんですか?
420 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:55
ゲラゲラ
421 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:56
>>414 では、直ちに、日曜日に皆の前で聖書を踏みつけてください。
お金はかかりません
出来なければ偶像崇拝です
422 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:57
>>419 あなたも日曜日の礼拝のときに、聖書を皆の前で踏みつけなければなりません。
出来なければ、偶像崇拝のそしりを免れません。
お金はかかりません。
423 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 23:57
>>418 あなたは神に直接言われたんですか?
ペテロは、神に言われた事を他の弟子たちに伝えてますけど
424 :
名無し@1周年 :02/06/28 23:58
425 :
マタグラのマリア :02/06/28 23:59
ほんとは、この世に偶像なんて、ないんです。 もうすこしだよ。 もう少し。 すべてが偶像なのよ。 あなたの周りを見回して。 パソコンも。 テレビも。 机も。 天井も。 四角い部屋も。 すべてが偶像だとわかったとき、 偶像なんて、この世に一つもないことに気づくかも。 音がなくなる。 しーんとするよ。 びっくりするくらい、しーんとするよ。 そうしたら、感じる。 ほんとに、心で、呼んでみなさい。 イエスのことを。 かならず、あなたに、答えるから・・・。 歴史上のイエス、その人が。 だまされたと思って、やってみみなさい。 不思議な笑いがこみあげてくるから。 「ほんとだよ」
426 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:00
>>421-422 かなぁ〜〜りレベルの低い人ですねぇ
笑っちゃいます
聖書なんて、よく踏んづけてますよ♪
それをどうこう言う人もいませんし(笑
427 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:01
>>417 それは人間の伝統の話でしょう。
教会の伝統はイエズスと使徒に連なる神の啓示を伝えられたものです。
428 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:02
聖書を踏むと罪なんですか?
429 :
名無し@1周年 :02/06/29 00:03
>聖書なんて、よく踏んづけてますよ♪
いや、それが出来ない人がけっこういるのですよ。
なぜレベルが低いと断ずるのです?
そこには少しばかりの大事なことが含まれてるように思うのですが、間違いなのでしょうか?
間違いと思うなら、理由くらい書いてください。
↓のように断罪されるのは納得できません。また、イエスの教えにも反することで、聖書的ではないと思います。
-----------------------
426 :名無しさん@1周年 :02/06/29 00:00
>>421-422 かなぁ〜〜りレベルの低い人ですねぇ
笑っちゃいます
430 :
名無し@1周年 :02/06/29 00:05
>423 あなたはペテロに直接言われたんですか?
431 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:05
432 :
名無し@1周年 :02/06/29 00:06
>>431 なぜ「ドキュソ」と断罪するのですか?
その理由も書いていただけないと納得できません。
また、あなたの態度は聖書的ではないかと。
433 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:07
>>430 いわれてませんよ(笑
ペテロは神じゃないですし
434 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:08
>>429 こそ
聖書を偶像としてあがめてますが何か?
435 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:10
大きいのは枕にもなる。
436 :
マタグラのマリア :02/06/29 00:10
>>424 だれが許さないの?
イエスが許さないの?
わたしを?
そんな、ばかな^^
じゃあ、教会がわたしを許さないの?
そんなの、ど〜てことないわよ。
十字架に糞!
教会にわたしの聖水を!!!!
でも、ほんとうに許さないのは、あなたでしょう?
ふん!
だれが、あんたなんか、腐れチンポに許しを請うものですか?
バカにしないでよね。
マタグラのマリアを見そこなっちゃ、いけないよってんだ!!
>>424 あんたそこ、決して許されないでしょう。
かわいそうに。
救われないでしょう。
だれからも。
イエスが傍らに立っていても、あなたは決して気づかないどころか、
かならず彼を迫害するわね。
そういう輩よ。
彼がよく言ってたわ。
「蝮の末裔」って。
でも、それじゃあ、蝮のほうがかわいそう!!!
437 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:11
聖書は確かに神の言葉です しかし、聖書自体(ただの本)にはなんの効力もありません 聖書を持ってるだけで、救われるというならば別ですが。 その辺が理解できないならば、ただの言いたいことをいうドキュソでしょう
438 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:11
二、三冊積むと立派な枕になるね
>>435 あと、ちょっとした足台にも使えるよ。
439 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:13
カトリックは、唯一正統なキリスト教会です。
440 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:13
441 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:14
442 :
マタグラのマリア :02/06/29 00:16
>>432 言葉にはその言葉の伝える意味だけじゃなくて、
その言葉を放つ人の心の美醜や力がこもるものじゃない。
イエスは、その力のこもった言葉で病人たちを癒したわけだけど、
>>432 の言葉には、意味を超えて、そういう力みたいなのがあるね。
いま。
ほかの人の言葉より。
443 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:19
質問 カソリックはなんで修道院にこもるんですか
444 :
名無し@1周年 :02/06/29 00:25
>>437 その程度が偶像崇拝禁止の意義というなら、マリアや聖人たちの像やイコンも、それら自体に効力があるとは誰も思ってないのだから、偶像崇拝にはならないのでは。
あくまで天にいるそれらの本体?がいてこそ像やイコン。像やイコンはその本体を思い起こすためのものに過ぎないということだそうだ。
445 :
名無し@1周年 :02/06/29 00:26
>>443 カトリック信者なんて、その辺にいっぱいいると思うが
こもってる方が一部なんじゃないの?
446 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:29
低レヴェルな1がいるスレはここですか?
447 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:31
>>444 そうだよなぁ。
でも、信仰の対象がカソは違うような気がする。
448 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:31
>>443 修道会も活動系と観想系があって、活動系はマザーテレサに代表されるように
外に出て人々に奉仕活動をするのが主な仕事です。
こもるほうも世の中のために毎日長時間祈っています。自分の全てを神に捧げている人たちの祈りはききます。
449 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:34
マザーテレサ 本当に、神に用いられた器だと思います。 愛に生きた人ですよね。
450 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:35
>>447 勝手に「対象が違う」と、そう思いこんでるだけなんじゃないの?
別にプロの人と違うと思った事ないし。
方法論が違うなとは思ってるけど。
451 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:37
>>450 そうなのかなぁ。
どうしても、カソの人はマリア様というふうになってしまう。
ちがかったら、すいません。。
452 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:39
453 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:39
454 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:43
色んな人が居るよ。カトにも。 マリア様要らないって言う人も居るし。 それに「対象が違う」って、いわれるけど、 神様に向いてる事を確信してるけど? 神様に心が向かなくなるのは良くないって教えられるし。 同じだよ。 そういう根源的なところを否定しようとするのは、酷いなと思うときある。
455 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:44
>>453 すいません。。。
マリア様は、どういうた立場なのでしょうか?
456 :
名無し@1周年 :02/06/29 00:48
>>449 しかし、マザーテレサは毎日何回もロザリオの祈りをしておりました。
こんなマザーをも「同じキリスト教」と都合よく解釈しちゃうのがプロテスタント原理主義者。
457 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:48
神様の事を話す話相手。
>>455 祈りは対話だから。時々神様の事、悩んでる事、色んな友達と話したくなることある。
けど、実際はそういう話出来ない事多いよね。
そういう時、マリア様とか聖人とかと話すんだよ。神様と直接話す時もあるけど、
なんとなく直接話せない時やなんかあるから。
これは私の場合だけどね。
458 :
名無し@1周年 :02/06/29 00:49
>>451 マリアさまは人でありかつ神であるイエスさまの母ですよ。素直な感情として、尊敬しないはずがない。
公会議でも「神の母」と認められております。
また、ヨハネ19章26節以下を見てみてください。
イエスさまは、マリアさまに、弟子達が「あなたの子です」と明確におっしゃられている。
そして、弟子達に、マリアさまは「見なさい・あなたの母です」とおっしゃられている。
そして、夫と子をなくしたマリアさまを弟子達は自分の家に引き取られた。
このように、マリアさまを尊敬するのは理にもかなっており、聖書的にも間違ってはおりません。
これが聖書的ではない、というなら、三位一体なども聖書的ではないことになります。
また、これを他宗教の信仰と言うなら、旧約聖書の内容の多くが古代オリエント他宗教の信仰になってしまいます。
とはいえ、マリアさまは人間が重要です。
神であるイエスさまに対する信仰と、マリアさまに(、神さまに取次ぎを頼むことという)対する崇敬はは全く別次元であります。
「信仰」対象は三位一体の神さまであるのは当然である。
そうでない、と思い込みたいのは、カトリック(や正教など)の信仰をよく知らない人か、もしくはカトリック(や正教など)を攻撃したい人だけでありましょう。
459 :
名無し@1周年 :02/06/29 00:52
458 訂正 マリアさまは人間が重要です→マリアさまは人間だと言うことが重要です。
460 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 00:54
>>455 何度か書いたつもりなんですが、また説明します。
聖母は救われる人間(教会)の型どりであり、我々の信仰の模範です。
聖母が天にあげられたのも、我々の将来の姿として神に感謝しています。
と同時に信徒の代表ヨハネにイエズスがマリアを与えたことから、我々の
母という理解です。イエズスの兄弟になるのですから、聖母が我々の母に
なるのも変じゃないでしょう。
461 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 01:01
お前らなぁ、反クリの思う壺ってことにいい加減気付けよ。情けない連中だ。
オレ、聖書を通して語られるイエスキリストを信じているワケで、 聖書教徒ぢゃないんで、聖書的かどうかはどうでもいいや。
463 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 01:14
>そして、弟子達に、マリアさまは「見なさい・あなたの母です」とおっしゃられている。 それは違うと思われますが
464 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 01:16
>>458 それなら、アブラハム
イサク、ヤコブを尊敬してもいいと思いますが
465 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 01:17
>>458 なぜ取次ぎを頼むのがマリアなのか
その辺が、このスレ読んでても全然分からん
466 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 01:23
>>465 何度も書いているように、聖母だけに取り次ぎを頼んでいるわけじゃありません。
聖人達にも頼んでいるし、教会の友人達にも「私のために祈ってください」と
度あるごとに頼んでいますよ。
467 :
458じゃないけど :02/06/29 01:25
>>464 その3名も信仰の模範として敬いますが、イエスを知らない人たちでしょう。
イエスによる新しい啓示を知り、啓示の通りに生きた人たちが第一の模範と
なることは当然じゃありませんか。
468 :
名無し@1周年 :02/06/29 01:25
>>465 取次ぎを頼むのが、マリアだけなんて書かれてないと思いますよ。
マリアに一番多くより頼むのは、彼女がイエスさまの母であるので、もっともイエスさまを知る人のひとりであるから。
と言うのも、一つの理由であります。
また、最初の「キリスト教信者」(み使いのお告げの聖書の個所を参照)でもありましたし、誰かがおっしゃっていたとおり、信徒のお手本のようなものなのです。
興味があるなら、カトリック出版社(サンパウロ、ドンボスコなど)の本を読まれるのもたまにはいいものかと。
469 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 01:29
>>468 なして死んだ人に取り次ぎ頼むのかなぁ?
キリストは、御霊として今も大祭司となって取り次いでいてくださるけど
なんで、マリアにたのむん??
470 :
468じゃないけど :02/06/29 01:32
これも何度も書いていますが、死んだ人じゃありません。 キリストの命に与って、本当の意味で生きている人です。 私はアブラハムの神、ヤコブの神、イサクの神である。 死んだ者の神ではなく、生きた者の神である。 と聖書にあるとおり、神の命に与っているアブラハムらは死人じゃありません。 聖母ほど神の寵愛を受けた方が、死んでいるわけないでしょう。
471 :
名無し@1周年 :02/06/29 01:38
>469 死んでいても、天国から見守っておられます。 なぜマリアに頼むか、と言うのは、それは個々人の感性によるものなので、とやかく言いません。 別にあなたに押し付けるつもりはありませんし。 カトリック信者でも、マリアさまにより頼まない人もたくさんいます。 わたし個人の意見を言わせてもらうと、イエスさまは畏れ多いと思うことがあり、そういうときに、マリアさまにとりついでもらうことがあります。 わたしは、「ハレル『ヤ』(神様の名前)」とかは畏れ多くて言いにくいという感性をもっております。 プロテスタントの方は、神さまの名を盛んに呼んで、激しく賛美することも多いようです。 わたしは、そういうのもすばらしいと思います。 伝わりますか心配ですね。誤解されそう。 まあ神さまは愛にあふれた方ですが、マリアさまに取次ぎを頼むことも別のルートとしてあるのです、とでも言いましょうか。
472 :
名無し@1周年 :02/06/29 01:41
473 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 13:23
>>348 >過去レス読んできたんですが、蒼さんですか
>まともな事言ってるような
>
>信条それ自体は否定してないですし、むしろ順番付けしてるのが
>おかしいと言ってるみたいですけど。
48 :蒼 :02/06/27 19:35
>>40 >>44 その二つの信条は知りませんが
すでに、聖書を離れていますよね。
そこが、問題なのかと。
認める認めないかは、聖書によって
各々が考えていく事。
しかし、明らかに違っている信条もたくさんあると思われます
蒼さんは明らかに、キリストの両性説と両意説、三位格の区別に反発しています。
彼は聖書的では合っても、明らかに異端的です。
474 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 13:30
>>473 いま、ふと思ったんだけど
異端的って概念そのものが非聖書的な気がしてきた。
475 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 15:49
>>474 それは、聖書から一意的に三位一体の教理が導かれるわけではないことを念押ししているようなもんですね。
確かに、とことん聖書的になれば、エホ証さえも異端的ではなくなります。
476 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 16:32
あなたがた原理主義者が幾らほざいても、現実は我々の勝利へと突き進んでいる。 ネットで匿名でしか発言できない彼らの哀れさを思え。 笑いが込み上げてくる。 新求道共同体はついに、歴代の教皇によってばかりか、教理省によっても、 正式に認可を受けました。皆さん、古い皮袋を捨てて、新しい皮袋に ぶどう酒を注ぐときがきました。ぶどう酒すなわち聖霊を受け入れるには、 袋を新しくしなければなりません。古い典礼、古い廃れた教理によっては 聖霊を受けることはできない。われわれの運動に参加し、刷新の器に 加わりなさい。我々は多くの優れた司祭を司祭不足に悩む各地の教会に送り届け、 主の働きに大きく貢献している。カトリックの兄弟姉妹よ、 分裂ばかりを生む原理主義は滅びる。ピオ10世かいを見よ。成相をみよ。 彼はピオ10世かいに加わり、ついに教会から破門された。 同じ轍を踏まず、我々に加わりなさい。 新求道共同体の非常に優れたホムペがあります。 検索し勉強され、正しい理解を持つことを望む。
477 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 19:28
>うしても、カソの人はマリア様というふうになってしまう。 >ちがかったら、すいません。。 ねぇ、素朴な疑問なんだけど、プロ教会ってそういう教育してんの?
478 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 19:52
聖書的って意味は、どういうことなんでしょぅね。よくわかりません。 聖書に対する認識や取り組みも、カトリックとプロテスタントでは、逆さま に感じるときがあります。 カトリックは伝統や教会の生活を大切にします。 プロテスタントは、聖書そのものに書かれていることから調べ、確認 していこうじゃないか!という聖書への向き合い方ではないかと思います。 プロテスタントはカトリックが教会生活を大事にして、教会の教えを 宣教することに批判的です。これは、カトリックが教会の伝承に生きることに よって聖書の意味は明らかになると考えているからなのです。聖書に照らして 教会の生活は、ここが間違っているのではないかという批判は、カトリックも 真摯に受け止め、返答すべきだと思います。しかし、カトリックが、伝承や教会 生活を宣教しているからといって、必ずしも聖書的ではないと非難することは 出来ません。カトリックは、プロテスタントに伝承や教会生活が大事であること をもっとわかってもらわなければなりません。プロテスタントはカトリックに 聖書の記述に基づいて、カトリックの教会の教えに対する不明点を明らかに指摘 し、互いに理解を深めていかなくてはなりません。
479 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 12:45
良スレage
480 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 12:49
>>477 そんなことないですよ
むしろ、何も知らないっていう感じです。
481 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 12:50
聖体拝領って、どんなことをするんですか?
482 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 13:02
>>478 さんは
とってもいい事を行っていると思います。
やはり、両者が違う所は正し
よい所は、互いに取り入れていく姿勢があったなら
おかしな分派もなかったと思います。
結局、人間のエゴが働いてますよね
483 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 13:17
すいません。初レスですが、三位一体というのは、 大宇宙と、この自分と、この自分の中の自分という意識という関係に 何か関係あるのかな?
484 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 13:23
そうですか。こりゃ失敬しました。
ここで言っているのは 父なる神=御子なるイエス=聖霊(御霊) の三位一体ですね。
487 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 17:05
秋田の聖体奉仕かいの祈りも変だな。 「幸いなるおん母よ,御身のおんこより引きはなさるるを許したまわざれ。 御身のものとして守りたまえ。」 現代語にすると, 「幸いなお母さん。御子から離れず、御子をあなたのものとして守って」 この祈りの文句はおかしい。 イエスが母の守りがなければ生きていけない幼児のままだ。 いくらカトリックが詭弁を使っても、こういう祈りばかりなんだから、 聖母すうけいはどうみても聖母崇拝である。 俺さんが正しい。
488 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 17:11
いや,本当ですね。
489 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 17:19
>カトリックが詭弁を使っても、こういう祈りばかりなんだから、 ばっかり??ほかには?
490 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 17:46
>>497 極端はなし、トレント公会議によれば、ぶどう酒の形態のもとでも、キリストの肉と血と霊魂と神性が成り立っていることになってますからね。
ぶどう酒の形態だけの拝領も、聖体を拝領したことになる。
491 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 17:46
age
492 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 17:49
聖体奉仕会の祈りも変だな。 「幸いなるおん母よ,御身のおんこより引きはなさるるを許したまわざれ。 御身のものとして守りたまえ。」 現代語にすると, 「幸いなお母さん。御子から離れず、御子をあなたのものとして守って」 この祈りの文句はおかしい。 イエスが母の守りがなければ生きていけない幼児のままだ。 いくらカトリックが詭弁を使っても、こういう祈りばかりなんだから、 聖母すうけいはどうみても聖母崇拝である。 俺さんとまるたさんは正しい。
493 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 17:54
>>492 一部切り取った祈り文を見せられても、判断しようがない。
全文公開きぼーん。
494 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 18:03
>>492 幸いな母よ、あなたの御子から引きはなされることがないようにして下さい。
あなたのものとして守ってください。」
でしょ。私たちが、御子イエスから離れることがないように、またマリアの子として守ってくれと願ってるんです。
アフォなこと言うなよな。
495 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 18:15
これが正しい。勝手に作り変えないで下さい。 文語「幸いなるおん母よ,御身のおんこより引きはなさるるを許したまわざれ。 御身のものとして守りたまえ。」 口語「幸いなお母さん、あなたが御子から引き離されるのを許さないでください。 あなたのものとして守ってください。」 御身のの「の」は文語。口語は「が」である。
496 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 18:16
カト、日本語まで作り変えて、はじサラスなよ。笑われるぞ。>494
497 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 18:17
498 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 18:31
これが正しい。勝手に作り変えないで下さい。 文語「幸いなるおん母よ,御身のおんこより引きはなさるるを許したまわざれ。 御身のものとして守りたまえ。」 口語「幸いなお母さん、あなたが御子から引き離されるのを許さないでください。 あなたのものとして守ってください。」 御身のの「の」は文語。口語は「が」である。
499 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 20:34
文語の格助詞「の」が、常に「主格」を表すとは限りませんよ。
「連体」の用法もありますから。それでよく高校を卒業できましたね。
以下が全文ですね。文脈から考えて、
「あなたの御子から引き離されるのを許さないでください。」
でいいと思います。
http://www.bishop-jp.com/jyo8.html 御聖体のうちにまことにましますイエズスの聖心よ、一瞬の休みもなく、全世界の祭壇の上にいけにえとな
られ、おん父を賛美し、み国の来たらんことをこいねがう至聖なる聖心に心を合わせ、わが身も心も全くお
んみに捧げ奉る。願わくは、わがこのつたなき捧げを受けとり、おん父の光栄と魂の救いのために、聖旨の
ままに使用し給わんことをこいねがい奉る。
幸いなるおん母よ、おんみのおん子より引き離すを許し給わざれ。おんみのものとして守り給え。アーメン
500 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 20:41
英文を見つけました。
http://web.frontier.net/Apparitions/akita.html "Most holy Mother of God, never let me be separated from Your Divine Son. Please defend and protect me as Your Special Child. Amen."
やはり、「あなたの御子から引き離されるのを許さないでください。」という意味になってます。
俺さんこそ、義務教育からやり直すべきです。
501 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 22:21
最悪だね!
502 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 22:47
ところで、カトリックでは「給料明細を出せ」「焼香禁止」「ノンクリとのケコ〜ン禁止」 「タバコ禁止」「酒は基地外水」「たなばた・こいのぼり・ひなまつりは偶像礼拝」「進化論はウソ」 みたいなろくでもないオマケは大丈夫?
503 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 22:59
カトリックにも基地外はいるけれど、 日本のカトリックはまともなのが大半。 だから、502はすべて問題なし。 基地外カトリックは2ちゃんねるのカトスレをチェックしていれば、自ずとわかる。
504 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 23:38
>503 へ?カトは>502全部おっけぇなの?
給料明細 → 提出しない。というより、提出する教会なんてあるの? 焼香 → 香を焚くことは仏教固有のものではないのでOK ノンクリとのケコ〜ン → むしろ普通 タバコ → 吸いたい奴はお好きにどうぞ 酒 → ミサで使ってますが、なにか? たなばた・こいのぼり・ひなまつり → これらが礼拝の対象になりうるのか? 進化論 → 支持してるよ
506 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 23:58
香を焚くほうが聖書的。乳香とか。関連する聖句もたくさんあるし。 ピューリタンのなんでも切り捨て論で、変になったキリスト教多すぎ。
マリア香 大好き。 あの香りイイ!
509 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 10:57
>>香を焚くほうが聖書的 そうかも。でもね。香は神に礼拝を捧げるときに焚くものですよね。 さて、仏教で特に葬式で焚かれるときはその対象は何になるのでしょうか? 死者および自分に対してですよね。ちょっと違うと思うのですが。
510 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 11:57
半島的なのはプロテスタント。
このスレ、初めて来ましたが、ずる賢い意図がミエミエだね。 「どちらが聖書的?」という問いには、あたかも「聖書的である方が 優れている」という暗黙の了解を強いている。 ナンセンス極まりない。 ヨハネによる福音書の最後(21-25)に 「イエスの行われたことは このほかにもたくさんある。 そのひとつひとつを書き記すなら、 世界さえも、その書かれた本を収めきれないであろう〜」とあります。 つまり、主の教えは聖書のみならず、カトが主張するように 「使徒伝承」「聖伝」「教会の伝統」を考慮しなけりゃダメじゃん。 聖書的、であることが素晴らしいわけじゃありません、って、 聖書に書いてあるじゃん。 以下sage進行で。
512 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 12:56
>>509 > > >香を焚くほうが聖書的
> そうかも。でもね。香は神に礼拝を捧げるときに焚くものですよね。
それは、違いますね。死者のために香を焚く例もありますが。
エレミヤ 34:5 あなたは平和のうちに死ぬ。人々は、あなたの先祖である歴代の王の葬儀に際して香をたいたように、あなたのために香をたき、『ああ、王様』と言って嘆くであろう。このことをわたしは約束する、と主は言われる。」
513 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 13:14
もう一回書くね。 このスレ、ずる賢い意図がミエミエ!!! @「どちらが聖書的?」という問いには、あたかも「聖書的である方が 優れている」という文脈上の暗黙の了解を強いている。 Aで、プロは「聖書第一主義(聖書中心主義)をとっている。…というか、 それっきゃない。使徒継承も、教会の伝統も、聖伝もみーんな否定 しちまってるわけだからさ。聖書しかないわけよ。 Bだから、@プロの方が信仰的にすぐれている。 …そーゆー結論に導きたいわけさ。そもそも1.はプロだって 自分でバラしてる(藁) ヨハネによる福音書の最後(21-25)に 「イエスの行われたことは このほかにもたくさんある。 そのひとつひとつを書き記すなら、 世界さえも、その書かれた本を収めきれないであろう〜」とあります。 このスレのカト諸君、全員引き上げようぜ! 以下、sage信仰で。
515 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 21:31
トマスはとってもさびしんぼう(笑
516 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 21:34
別に、スレタイなんてそんなに気にしなくていいんじゃない? カトとプロの違いも、結構ここ読んでると分かるよ。
517 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 21:37
>このスレのカト諸君、全員引き上げようぜ! あんた痛いね(笑 私はカトだけど、あんたは2ちゃんのカトのボスですか(笑
518 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 21:40
みんなは、ぶっちゃけご焼香の時 どうしてます? 私は、出来る限り献花にしてますが 無理な時は、やっちゃいます。
>>517 ここのスレ、ローカルで言うのなら問題ないんでは?
520 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 21:44
>>519 質問する時はageてください
もしかしてトマスさん?
トマスさんしかsageてませんし(笑
>>518 私は、カトですが、焼香ならしますね。
カトの信者の葬儀でも乳香を焚きますからね。
しかし、異教徒の葬儀に香を焚くのが虚しい行為であるなら、
初めから葬儀に出るべきではないと思います。
香を焚く以前の問題だと思います。
私は異教徒の葬儀でも出席しますが。
522 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 21:51
トマスはプロテスタントに対して不自然な対抗意識を持っている ように見えるよ。 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。 しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさ る。」 たがいに主につながっていればいいじゃないか。 そして良い実を結び合えるように互いに祈ることができれば、 何も問題ないんだよ。主の目から見て、カトもプロもあるもんか。
523 :
519, 521 :02/07/01 21:53
>>520 トマスさんのために否定します。
私はトマスではありません。
524 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 21:55
>>521 異教徒っていうか
日本の葬儀は、仏教式が多いですよねぇ
あと、香を焚くのと焼香をあげるのは
なんか違うと思いますけど。
525 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 21:59
>>522 たしかに、その通りですよね。
またこうも言ってますよね。
あなた方は、私の体です。そしてわたしが頭であると。
キリストの体として、その各器官である私たちが
協力していかないといけないですよね。
手が足に向かって、いらないというのはおかしいですもんね。
イエス様は、みんなの事を必要だって言ってくださいますよ。
僕は、このスレの立て方、「文脈」が恣意的である、
という指摘をしたまでです。
>>522 さん、不自然な対抗意識を持ってはいません。
プロを見てて、素朴に不思議だなあ、と思うことはあります。
で、あなたのの意見には、賛成です。
528 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 22:10
>>527 そうですよ
聖書をよく読んでいますか?
キリストにあって、私たちは一つです。
それは、ぶどうの木のたとえでも分かります
聖餐式でのパンにも、それが現れていますよ。
529 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 22:10
◆焼香三回の意味(例) 一、天魔波旬(魔性)を除くよう念じ 二、仏祖の影現を念じ 三、諸天善神の擁護を念じる (日蓮宗宗定法要式P192) だそうです。
530 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 22:11
531 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 22:12
>>529 日蓮宗という特殊な宗派の解釈であることを念頭に置くようにね。
532 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 22:13
>>528 勿論、読んでます。
ですから、プロのような分裂は良くありません。
テトス 3:10 分裂を引き起こす人には一、二度訓戒し、従わなければ、かかわりを持たないようにしなさい。
ユダ 1:19 この者たちは、分裂を引き起こし、この世の命のままに生き、霊を持たない者です。
534 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 22:14
聖書に書かれている「癒し」や「異言」をバカにするような教会が 聖書的だといえるだろうか?
535 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 22:16
焼香は釈尊在世中から続けられた儀式であり 六波羅蜜(ろくはらみつ)の「精進(しょうじん)」にあたる。 身を清めて仏を供養する必要から 我が国では仏教伝来とともに焼香の習慣が儀式に取り入れられた。 ともあった。
>>533 ほんと、そう思います
本来分派など、あってはいけない事だと思います。
537 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 22:19
>>533 カトリックにも様々な修道会があり、様々に運営されていますが、
プロの場合は「分裂」になるの?
私たちは主につながる限り、一つですよ。
みことばのいう「分裂」とは、主とは違うものを第一とする心を云います。
「私はパウロにつく、私はアポロに」というような。
物理的な教会の違いは分裂とはいいませんよ。
538 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 22:19
パウロが植えて、アポロが水をあげた。 しかし育てたのは神である。 とパウロは言ってますね 大切なのは、育てて下さる神であると だから神を見なさいと。 人を見ているうちは、まだ肉に属している者であると
コリントにおける分派は 異端的なものではなく、誰につくかという 個人的な問題だったみたいですね。 しかし、異端的なものに関しては妥協の余地がなく Tコリント11:18,19でパウロも言っている通り 「あなた方の中で、本当の信者が明らかにされるためには 分派が起こるのもやむをえないからです。」ということです。
541 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 22:41
プロで分裂しているのは確かによくはないが、でも、502のような感じの教会で狂信的にやっている クリスチャンと話しても嫌な思いをするだけで、関わりたくない。プロの分裂は仕方ない。 やっぱりカトは安心して行けそうに思うこの頃。最初からカトに行ってれば良かったのかもしれない。 いろいろ修道会とかあるけど、大ざっぱで良いからめぼしい会派の特徴なんか情報をくれたらありがたい。 家の近所にはたしかフランシスコ会がある。
542 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 22:48
カトリックの中に「分派心」があるのも、 残念ながら事実。
543 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 22:57
>>541 教えは一緒だよ・・
修道会に入るわけじゃないんだろ??
544 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 01:16
>>537 >カトリックにも様々な修道会があり、様々に運営されていますが、
>プロの場合は「分裂」になるの?
>私たちは主につながる限り、一つですよ。
>みことばのいう「分裂」とは、主とは違うものを第一とする心を云います。
>「私はパウロにつく、私はアポロに」というような。
>物理的な教会の違いは分裂とはいいませんよ。
我々も、物理的に離れているのを分裂とはいいません。私達は組織を別にしても信仰は一致しています。
公会議を認め、教皇の使徒座の教指導権および使徒座宣言による教理を認めています。
また我々は、叙階という秘蹟を通して、使徒継承を保っています。
それに対し、あなたたちの教派は、教理においても一致していません。
ルター派では、マリアの「神の母」の教理を認め、聖餐のパンと葡萄酒の実変化を認めています。
また、聖公会は教会名に「聖マリア教会、聖パウロ教会」のように聖人の名前を付け、
聖人のカテゴリーを定めています。他の福音派の教会では認めていないことです。
また、正典(殊に旧約正典)の定め方も異なります。
545 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 01:33
>>541 :名無しさん@1周年 :02/07/01 22:41
>いろいろ修道会とかあるけど、大ざっぱで良いからめぼしい会派の特徴なんか情報をくれたらありがたい。
>家の近所にはたしかフランシスコ会がある。
フランシスコ会:大雑把、いいかげん、それぞれの司牧者の個性が強い。明るい
イエズス会:規律がしっかりしてる、知的、画一的な空気がある、チョット陰気
サレジオ会:音楽が好き、イエズス会同様画一的空気がある、禁欲的、おだやか
今まで出会った司祭の観察比による。
他の観察者の情報キボーン。
546 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 01:37
>>540 >コリントにおける分派は
>異端的なものではなく、誰につくかという
>個人的な問題だったみたいですね。
既に、初代教会の頃から、異端教派がありました。
黙示録 2:6 だが、あなたには取り柄もある。ニコライ派の者たちの行いを憎んでいることだ。わたしもそれを憎んでいる。
黙示録 2:15 同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉ずる者たちがいる。
新共同訳聖書、用語解説の「ニコライ派」の項目には、
ヨハネの黙示録2:6、5によれば、エフェソとベルガモンの教会に影響を与えた分派。キリスト者はこの世を超越しているの
から、偶像に供えた肉を食べることや、みだらな行いなどの禁止をことさら守らなくてもよいと唱えた。アンティオキア出
身のニコラオ(使6:5)を始祖と考える説もある。
とあります。
>>546 そうですね
ニコライ派には様々な説がありますよね。
14、15節のバラムの教えと同一視する説。
ニコライの意味する「民に勝つ」から
聖職者による階級組織を促進させる分派とする説とか。
「あなた方の中で、本当の信者が明らかにされるためには
分派が起こるのもやむをえないからです。」
ということですね。
548 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 15:05
独裁てきだったのがカト それを、民衆的にしたのがプロ 今ではどうか知りませんけど
549 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 16:42
貧しい国で支持されている教会のほうが結局イエス様の心に適っているのでは?
550 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 16:54
>>549 具体的に言うと、どんな教会なんだろう?
551 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 17:00
どちらが聖書的かって問題だね・・・。 何をもって聖書的とするか?だね。 聖書の文字か、聖書の文字が持つ意味かとなれば、 前者ならプロテスタント、後者ならカト・正教となるだろうね。 こう言ったらカトと正教が揉めそうだけどね。
552 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 17:02
貧しい国で生活するのは厳しい。そういった人を本当に支えてこそ 本当の教えじゃないかなぁ。先進国でしか支持されていない教会は パリサイ教会と思う。
553 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 17:12
>>552 たしかに、律法的になってる教会が多いですよね。
つみばかりを意識しすぎていると思います。
しかし、イエスが言いたかったのは
立法的に暮らせということではなく
もっと愛に生きなさいという事だったと思う。
誰かを助けているときって、罪を犯そうなんて思いませんしね
554 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 17:32
555 :
chebjcro :02/07/02 17:34
555
556 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 17:57
>>551 >聖書の文字か、聖書の文字が持つ意味かとなれば
全然わかんないんですけど?
557 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 18:05
>>554 ユダヤ教やカトリックや正教というのは伝承を重視する宗教ってこと。
聖書は伝承から生まれてくると考えているところがあるよ。
だから言葉一つをとっても伝承に従ってその意味を考えようとする。
プロテスタントというのは聖書の言葉を重視する宗教なんだ。
聖書の言葉は伝承とは関係がないと捉えるから、
言葉そのものを重視してるってわけさ。
558 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 18:08
でも、聖書もいうなれば 伝承によって書かれたものだよねぇ。 正典とかの区別はあるけど。
559 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 18:11
>>558 プロテスタントにはそういった考え方は禁物なところも多いよ。
ルター派ぐらいなんじゃないかな?
560 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 18:30
ようするにプロでは「言葉」が一人歩きしているって事かな。 各自勝手に解釈した慣れの果てが2千だか2万だかの分裂って事か。ふ〜ん。
561 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 18:33
>>560 どちらが正しいのかは御父しか知らんと思うよ。
でも、解釈ばらばらだよなぁ。確かに<プロテスタント
562 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 18:41
でも、考えてみると カトリックの伝承にも、おかしいところはあるかも。 カトとプロが、歩み寄っていけたらいいのにね
>>562 ほんとそうだね。
元は同じキリストに信仰を置くものだもん
564 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 18:58
統合されたらいいのにね
565 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 19:01
>>564 たぶんそれが良くないんじゃない?
違いを理解する、相手の中に意義を見出す、それが
あらゆる平和の秘訣だと思われ。
566 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 19:02
>>565 そうかぁ。
たしかにそれもそうかもしれない
もっと話し合っていってほしいね
567 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 19:23
568 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 19:47
カトリックは伝承の正しさを主張して他を裁き、 プロテスタントは言葉の正しさを主張して他を裁く。 ・・・僕がキリスト教に惹かれない理由。日本人の多くもこうだと思う。 「それ程度」のことで何を争ってんの?てな感じ。 でも、当のキリスト教徒さんたちには全然届かない。 全然届かないから僕たちは一層キリスト教から遠ざかっていく・・・。
569 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 19:53
でもさ、ユダヤ教なんかを調べてたら 聖書のみを信仰の基準とするプロテスタントは、 ちょっと違うかも・・・なんて思ってしまったりもするなぁ。 言葉を大切にすることは良いことなんだけど、 言葉を人に精神的危害を与える道具にしたり、 仏壇の意味を激しく誤解したり、 神社の神の意味も誤解したりするのは最低な行為だと思う。 そういうところも日本人として受け入れられないな。 その点カトリックは柔軟のような気がしたよ。 秋田の預言はちょっと気持ち悪かったけどね・・・。 ちょっとスレ違いだね。スマソ。
570 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 21:28
age
571 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 00:38
ageてみよう
572 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 15:13
>>569 ユダヤ教って、旧約のモーセの五書とかを重んじてるんじゃないのかなぁ?
573 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 15:33
> 仏壇の意味を激しく誤解したり、
> 神社の神の意味も誤解したり
>>569 ソース希望
プロテスタントは仏壇と神社の神をどように表現したのですか
そして>569さんは何故それを誤解だと思うのですか?
574 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 15:53
>>568 それ2ちゃんの中の話でしょ?あなた自身がクリスチャンに裁かれた経験
があるとかなら別だろうけど。
彼らが互いに好きなように論争してるのはむしろいいことだと思うんだが。
内部批判のまったくない宗教なんて信用できないし。
575 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 16:03
265 :マルタ ◆7MiQXQsw :02/07/03 15:17 マリヤの像は偶像です。いくら詭弁を尽くしても ヨーロッパのカト聖地巡礼をしてみればわかります。 無数のロザリオの首飾り,はな飾りをされ けばけばしい后の服を着せられ,宝石や金でできた重たい冠を載せた マリヤと称する偶像が、無数の祠に腐るほ祭られているのです。 みなそれを安産や商売繁盛のために拝んでいます。 明らかな偶像崇拝です。 266 :マルタ ◆7MiQXQsw :02/07/03 15:19 264はあたしの名前を騙るのおやめください。 カトリックのこのマリヤ偶像崇拝のやり方が 異教の借り物であることは歴然とした事実です。 267 :マルタ ◆7MiQXQsw :02/07/03 15:49 百聞は一見にしかず。行ってみて下さい。 ヨーロッパのプロテスタントはそれを目の当たりにして、 本当に嫌な思いをさせられています。 ルターが改革を決意した理由が痛いほどわかりますよ。 そのような像を使って礼拝する習わしの起源をたずねると イシスに結びつくのです。
576 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 23:08
何処のスレの発言なんだろう?
577 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 23:17
マルタはまだ生きてたのか。
578 :
マルタ ◆7MiQXQsw :02/07/04 02:25
>577 悪かったわね。生きてて。はぁと
579 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 02:37
なぜ丸太なの?
580 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 04:11
581 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 04:59
age
582 :
ろんぎぬす :02/07/04 05:17
583 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 11:43
>>572 モーセ五書は伝承の一部だよ。
旧約聖書もその伝承の一部に過ぎないらしい。
それとタルムードをよりどころとする。
新約聖書の内容も時代が経つ毎に内容が変化していってるでしょ?
あれと一緒なんだよ。後からどんどん追加されていくのさ。
古代カトリックもそれに倣ってどんどん追加していったのさ。
トーラーはキリスト教徒やイスラム教徒たちに利用されたから、
経典として重んじつつも実際には参考文献。
実際はタルムードを経典としているんだよ。
>>573 実際には存在しない神、酷いところでは悪霊といっていたけどね?
仏壇については、死霊あるいは悪霊を祀る廟と言ってたよ。
その言葉を直に聞けば、自然が存在せず、魂が存在せず、
存在するとしたら悪霊の技といっていることになるね。
全てを神の被創造物だとは言いながら、
実はそれを悪霊のものといっているからだ。
そういう答えは矛盾してて奇異にしか聞こえないよ。
>>574 残念だが、実際の話だよ。
カトリックの連中は「プロテスタントはたくさんあるから分からない」
と言っていた。「うちは伝承に基づく教会だから分裂しない」
ということを言ってたね。暗に他への否定をしていた。
プロテスタントの連中は聖書の正当性ばっかり言ってたね。
「カトリックの伝承には聖書に反することが在ります」といってた。
外から見てたら、どっちもどっちだよ。
神道なら重んじるものが違っていてもそれはそれで良しだ。
何でそういう理解が出来ないのかが日本人の私には分からない。
ユダヤ・キリスト・イスラム、この三つはいつも争う。何故だ?
発生した環境の影響だろうか?まさにジギルとハイドだよ。
同じ神を信仰し、愛を説き、みな神の子だと言いながら、
人を呪い、殺し、自分達のみを神の民という。
それから普段は穏やかで尊敬できる人物でも、
時に恐ろしく被害妄想に陥ったり、
ヒステリックになりやすいのもキリスト教徒共通の特徴だ。
急に豹変するものでビックリする。何故だ?
584 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 11:52
>カトリックの連中は「プロテスタントはたくさんあるから分からない」 >と言っていた。「うちは伝承に基づく教会だから分裂しない」 >ということを言ってたね。暗に他への否定をしていた。 まー。プロには色んな教派がありすぎて、それがどんなんだかわかろうって のは無理。 ただ、「伝承に基づく」というのはどうなんだろうか?俺はカトだが、 そういう事なんかどうでもいい。なにが正統だなんて誰にもわかる ことではないから、それを持って他を否定する根拠にはならん。 分裂という傾向にたいしてはまた別の考えを持ってるが。
585 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 11:56
↑ そういう曖昧な認識はあなた固有の考えですわな。
586 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 12:00
>>684 カトリック教義では、
カトリックのみが正統な教会ではないのですか?
そういう説明も受けましたが?
587 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 12:02
>>586 シルビウスか、カツラかナリー神父にだろ。ゲラゲラ
588 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 12:03
589 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 12:10
590 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 12:12
ところで、神社の神や仏壇の件に答えられる人はいないのだろうか? 何回話を聞いても、私には理解出来んのだよ。
591 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 12:50
>>590 意味がわからないんだけど、「偶像礼拝をしてはいけないのにカトは焼香OKなのはおかしい。説明きぼ〜ん」って言う意味?
それとも「神の愛を伝えるのがプライオリティーの筈のクリスチャンが仏壇焼き払いをしたり焼香を拒否するのはおかしいので説明してよ」
どっちの意味なんですか?
592 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 12:53
>>591 残念ながら違う。
偶像礼拝に当たると決め付けていること自体がおかしいということ。
593 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 12:54
自然を神の創造によるものだといいながら、 それを存在しない偶像である、あるいは悪霊である というところがおかしいってことね。
>>547 :蒼
遅レスでスマソ。
>そうですね
>ニコライ派には様々な説がありますよね。
>14、15節のバラムの教えと同一視する説。
>ニコライの意味する「民に勝つ」から
>聖職者による階級組織を促進させる分派とする説とか。
それを言うなら、「国民の勝者:"victor of the people"」でしょ。
民にかつなら"victor for the people"になってしまう。
http://bible.crosswalk.com/Lexicons/Greek/grk.cgi?number=3532&version=kjv 三位一体を否定するアリウス異端に対し、アタナシオスと共に戦ったニコライもいます。
また、司教、司祭、助祭の神品階級の制度が異端的であるという記述は、聖書の何処にもありません。
近代啓蒙思想による「民主主義」を、勝手に聖書に当てはめるべきではありません。
グノーシス主義が勝手に、ギリシャ哲学をキリスト教に持ち込む振る舞いと全く同じです。
>「あなた方の中で、本当の信者が明らかにされるためには
>分派が起こるのもやむをえないからです。」
>ということですね。
それはそうですね。エホバの証人もその分裂の一つですが。
本当の信者はエホバの証人という可能性もありますね。
>>594 なるほど、国民の勝者か(^-^*ゞ
間違ってました。
ただその事は、そういう説もあるということなので
一応あげてみました。
596 :
名無しさん@1周年 :02/07/05 10:05
>>592 申し訳ないけどあなたの言ってること意味不明です
597 :
名無しさん@1周年 :02/07/05 10:08
>>593 偶像崇拝の意味はね。
人の体以外の被創造物に対して神が降りる、神が宿ると考えたり、
神以外のものを主とすることを言う。
598 :
名無しさん@1周年 :02/07/05 13:16
偶像は、簡単に言えば 人が作ったものを、神として崇めること。
599 :
名無しさん@1周年 :02/07/05 13:22
>>598 人が作ったものに限りません。自然物である場合もあるし、
ひどいところでは人が偶像になっています。
600 :
名無しさん@1周年 :02/07/05 14:07
偶像は人の(自分の)思い通りになる神。 つまり、自分が神になれるものです。
601 :
マルタ ◆7MiQXQsw :02/07/05 15:16
マリヤの像は偶像です。 いくら詭弁を尽くしてもヨーロッパのカト聖地巡礼をしてみればわかります。 無数のロザリオの首飾り,はな飾りをされけばけばしい后の服を着せられ,宝石や金でできた重たい冠を載せた マリヤと称する偶像が、無数の祠に腐るほ祭られているのです。 みなそれを安産や商売繁盛のために拝んでいます。 明らかな偶像崇拝です。 カトリックのこのマリヤ偶像崇拝のやり方が異教の借り物であることは歴然とした事実です。 百聞は一見にしかず。行ってみて下さい。 ヨーロッパのプロテスタントはそれを目の当たりにして、本当に嫌な思いをさせられています。 ルターが改革を決意した理由が痛いほどわかりますよ。 そのような像を使って礼拝する習わしの起源をたずねるとイシスに結びつくのです。
602 :
マルタ2号 ◆e54OonTI :02/07/05 15:18
>>1 よ。お前みたいな奴をみると、あの日のことを思い出すよ。
2001年8月25日。2ちゃんが本格的に閉鎖になりかけた日だよ。
転送量が多すぎて、費用が月700万もかかってるって発表されて、「数日中に閉鎖」って予告されてさ、
その日のうちにあっちこっちの板が封鎖されてた日だよ。
あのときのUNIX板の住人、カッコよかったんだぜ。「総力を結集」ってのはまさにああいう状態だよ。
転送量を1/3に削減しないと閉鎖、ってもんだから、新しいプログラム組んでさ、
そしたらほんの何時間かで完成したんだよ。それが聞いてくれよ、目標は1/3だったのに
1/16まで圧縮に成功しやがったんだよ。職人技なんてもんじゃねえよ、神技だよ。
でもよ、そうやって頑張る人がいた一方で、誰にも相手にされなかった駄スレだったのに、
迷惑も考えず2chの外でまで立てたバカもいたわけだよ。
ちょうど、今のお前みたいにな。
だからよ、俺たちは総力を結集して、お前のバカ度を1/16に圧縮しようと思うよ。
ま、圧縮後でもお前のバカ度はこの世に生かしておくことのできないレベルだけどな。
要するに俺らの力を結集してもお前を助けることができないってことだ。
わかったら、まわりに迷惑をかけないようにひっそりと死んでくれよな
603 :
丸太2嬢の書き込みより :02/07/05 16:52
ヱビス・キリスト伝説 その壱 キリストの本当の由来は、大坂の今宮戎なの。 三位一体とは、福箕に飾る大黒、恵美須、お多福だったのよ。 お多福が後に聖霊になるのですが、マリアの化身ともなるわけ。 恵比寿は本来漁業の神。 後にキリストの姿を取って、ペトロを漁師としての一番番頭にするわけ。 そして、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言いましたが、 これは商人としての戒めで、お金ではなくお客様をつかむ「商い」を心得るべきだということです。 後に、船場の商人のメシアとして再臨したのが鴻池善右衛門なの。 「ヨハネ福 12:13 なつめやしの枝を持って迎えに出た。」と言うのは、福笹に由来するのは明らかね。 「戎橋」を十二人の番頭と他の丁稚を供にして渡ったヱビス・キリストを、 「商売繁盛で笹もって来い♪」と称えた伝承が、ナザレ地方にも伝わったわけ。 そして、戎橋から道頓堀に飛び込む習慣こそ、バプテスト・ヨハネによるヨルダン川の洗礼の由来なのよ。 十日戎に戎橋筋を宝恵駕(ほえかご)でねり歩く伝承があるのだけど、 ロバをヘブライ語でハモーレと言うの。 ヱビス・キリストは、宝恵(ほえ)をロバ(ハモーレ)と架けて模倣し、 ロバに乗ってエルサレムに入ったのよ。 それで、「十日戎」と「十戒」と似てるでしょ。 昔、わたしの祖母がセシル=B=デミル監督の「十戒」の映画を見て、 「これは、えべっさんの映画に違いおまへんな。」 って言ってたわよ。 二つの獣とは、昭和天皇と東条英機。ヱビス・キリストの教え、商売繁盛の敵とは正に「戦争」。 鴻池(鴻池善右衛門はメシアの再臨)の両替商を前身とする三和銀行(現在、UFJ)のロゴマークは、 正しく三位一体を表してるわ。 「また負けたか八聯隊」って知ってるかしら。 何故、大阪歩兵第八聯隊が弱かったのか。 彼らこそ、ヱビス・キリストの教え 「右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」 の愛を貫いた殉教者だったのよ。 どうして、豊臣秀吉がキリシタン弾圧をしたのか。 それは商人(あきんど)の町、大坂に棲むヱビス教信者を異端から守るためだったのよ。 これから、ヱビス・キリストについて掘り下げて議論するわ。 商人の町「大坂」こそ、新しいエルサレムよ。
604 :
丸太2嬢の書き込みより :02/07/05 16:53
ヱビス・キリスト伝説 その弐 「門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」 は何に由来すると思う? ヱビス神社で願掛けるとき賽銭を入れた後、 宮の裏に廻って賽銭箱またはドラを叩いて 「えべっさん!頼んまっせ〜!!」って叫んで、念押しする伝承に由来するのよ。 今宮戎の古い笹入れに、醤油樽を使うって知ってたかしら? 実は、水をぶどう酒に変える奇跡は、元々水を醤油に変える奇跡だったのよ。 あるうどん屋が醤油を切らしたのだけど、客が混んでて丁稚に醤油を買いに行かせる閑もなかったの。 そこで、おりしも客として近くにいたお多福マリアが、ヱビスに「醤油がなくなりました」って言ったのよ。 ヱビスは、「水壺に水を仰山入れなさい」と言われると、丁稚たちは水壺の縁まで水を満たしたわ。 ヱビスは、「ほなぁ、それ汲んで親だんさんとこへ持って行き」って言ったから、 丁稚たちは運んで行ったの。 親旦那は醤油に変わった水の味見をし「この醤油どっから持って来たんや」。 水をくんだ丁稚たちは知ってたけど、親旦那は知らなかったので番頭を呼んで言ったの。 「どこのうどん屋でも初めにええ醤油を使うて、醤油が足りんようになったら 安もんを混ぜるもんや。あんたはええ醤油を今まで置いとったんか。」 ヱビスは、この最初のしるしを大阪の船場で行って、 その栄光を現されたのよ。それで、奉公人たちはヱビスを信じたの。
605 :
名無しさん@1周年 :02/07/06 19:34
>>602 そんなん誰でも知ってるよ。
何でお前が自慢してんの??
まるで厨やな。
606 :
名無しさん@1周年 :02/07/06 19:35
>>602 >まわりに迷惑をかけないようにひっそりと死んでくれよな
おまえがなー
608 :
名無しさん@1周年 :02/07/06 22:25
>>596-600 ユダヤ・キリスト・イスラム教においての考え方は、
人間以外のものには生命は宿ってない。
と考えているということでいいのかな?
この地上では、神>>人間>その他と言うことかな?
日本においては神=自然>人間となるもんだからさ。
ひょっとすると、キリスト教の神に神と訳したのはおかしいかもね。
609 :
名無しさん@1周年 :02/07/06 22:32
>>608 >この地上では、神>>人間>その他と言うことかな?
それはその通りなんだけど、神と訳したのがおかしい、というのは
乱暴かもね。
「神」という文字は「示す」「申す」から成り立ち、
ことばにより啓示され、言葉により証しされるキリスト教の神そのまんま。
610 :
名無しさん@1周年 :02/07/07 01:36
>日本においては神=自然>人間となるもんだからさ それは、キリスト教ではあきらかにおかしいんですよ 神が自然を創ったんですから 神>自然 というよりも、そういうランク付けをする事自体おかしいかもしれません。 また、命と魂はちがいますよね そして、神という漢字は 天の神の意を表している漢字なんですよ。 ですから、間違いはないんですよ。漢和辞典を読んでみるといいと思います。
611 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 08:14
>>609 あと、「信」という感じは、「人」「言」でなりたつ。
これも面白くないか。
神が創り与えられた言語。
612 :
謎のイタリア :02/07/08 09:18
609さん611さん 言葉の意味を日本語から探し出すこと自体が間違ってるよ、 ヘブライ語とギリシャ語で調べたほうが良いよ そっちのほうが言葉の意味を探りやすいですよ。
613 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 15:36
>>609 ほう、なるほどね・・・。
そんなことは神道の神々も、他の神々はするんだよ。
しかし、キリスト教のような言葉によってはしないね。
「言霊」によって行うんだよ。
神という語は「天の神」を示すものでは必ずしもないんだ。
キリスト教の神の性格は日本でいうところの「神」ではないね。
神を用いるなら、最近の事例では天皇にも神を用いることができるんだ。
本当のことを言うなら、人間全てを神の御分霊と捉えているから、
全ての人を神の移し身として考えるのが普通だよ。
だから、神の語を使えば同位の中の一人者となってしまう。
ビッグバンを起こした、あるいはそのものだと言われている
「天之御中主神」程度の神となってしまうよ。
その神も全て(神々)を生み出した元の神と考えられているからね。
614 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 15:40
>>610 自然は全てを生み出せますから。
この世の初めから現在に至るまでそうだとも考えられます。
人間もその中のひとつに過ぎないとも考えます。
キリスト教ではどうやら神と天使と人間以外のものには
魂が宿っていないと考えているわけだね?
これは、日本の神々の世界ではありえないことだよ。
全ての存在に魂が宿っているから、命が存在すると考えるんだ。
魂が体から離れれば、その存在は死を迎えるんだよ。
>>611 キリスト者は言葉の意味をよく知らずに、
自分達の神に適応してしまったのが良く分かるよ。
カトリックには天主という言葉があるらしいが、
あれは正解に近いかもね。
天神とつけたとしたら、天津神の中の一柱を意味してしまうから。
神ではなくて「天の主」がより正しと感じるね。
それなら天神たちは天の主に従うという布教方法もとれる。
田舎の年寄り達に布教する時に役立つだろう。
日本では、天之御中主神ら人間に直接関わらない神は、
人間に直接アクセスすることは出来ないと考えられている。
しかし、ユダヤ人とキリスト教徒はその神が現れたと
主張できるわけで、これは老人向けには本当にいいね。
615 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 15:42
>>614 >自然は全てを生み出せますから。
その自然すら生み出すのが神だというので、
議論しても平行線なんじゃないの?
616 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 15:43
>>612 日本の神は、向こうから見れば
「精霊」程度になってしまうよね・・・。
逆に、キリスト教徒は日本人に向かって「お前達の神は精霊だ」
と言えるかも知れないが、その「カ・ミ」という語の意味を知れば、
自ずとキリスト教徒は自分達の神に「カ・ミ」と呼べなくなるよ。
617 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 15:45
>逆に、キリスト教徒は日本人に向かって「お前達の神は精霊だ」 >と言えるかも知れないが ↑???
618 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 15:46
619 :
謎のイタリア :02/07/08 16:16
え・・・・よく616の言ってることがわからんのですが? ギリシャ語 ヘブライ語自分で調べてください 原語では神をか・みなんていわないと思うんだけどね
620 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 17:35
>>615 だからどちらが本物という議論も、
証明不可能だから成り立たないわけだよ。
このように他の宗教からの反証は十分可能ってわけだしね。
科学的な分野の仮説をその中間に挟んで主張するなら、
春日大社の葉室宮司が言うように、
神道説の方がより科学の仮説に近いという点があるようだね。
話は戻るとして、カトリックとプロテスタントの
どちらが聖書的だという議論も同じことさ。
君達の天主しか知らないことさ。
キリスト教の歴史と発展と共に、
聖書が成立していったのもまた事実なわけでしょ?
また、そのどれを正典と定めたのは古代西方教会や東方教会の教父たち。
その流れの中からカトリック教会やオーソドックス教会が枝分かれし、
カトリックからプロテスタントが枝分かれして
存在しているということだからね。
>>618 聖書にはそういう表記は確かにないよ。
みんなエロヒムのようだね。
別の表記には日本語に訳すると「霊」をもちいる。
この「霊」の中には、英語の精霊を意味する言葉も入る。
英語圏の人たちの神道の神への表記は「精霊」になるらしい。
>>619 うん。だから、日本のクリスチャンは
神と言う言葉を訳に当てるのは良くないよというわけ。
神という語を用いるなら、それは多数の中の一柱の意味でしかない。
きちんとした訳語に当てる必要があると思うよ。
日本語の「カ・ミ」の意味するところを調べたら、
キリスト教の神にはこれを適応するのは難しいからね。
キリスト教の神というのは、日本でいう神というものとは異質だからね。
621 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 17:42
>>620 悪いが、もう少し勉強してから書いてくれ。
デタラメだ。
622 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 17:45
>>620 キリスト教の内部批判ていうのは、いいことなんだよ。
見苦しくさえならなければ、こういうスレは歓迎。
でもそこに神道なぞ持ち出して、
神の定義について語るというのは、わきまえなさすぎ。
精霊は聖霊のことか?
それが定義できるほどの知識が君にあるのか?
623 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 17:52
>>621 なんでもキリスト教的視野で他を見る癖がついてるからだよ。
だから「デタラメ」と断言できるのさ。
>>622 精霊=聖霊?とか考えているところで既にボツ。
だから互いに理解出来ないってわけ。
対比を相対化といって恐れる癖がこうさせるのかな?
ここでの議論は、聖書というものについて共通の見解が
存在していない以上、神道とキリスト教とをどちらが正しいか?
と議論しているのと同じってことだよ。
残念だけど、カトリックとプロテスタントの聖書に対する考え方は、
90度ぐらいちがうね。神道とキリスト教の180度よりは近いけど。
624 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:01
>>623 ご自分が一方的視野にどっぷりだと思うよ。
何のために登場されたかはわからないが。
>精霊=聖霊?とか考えているところで既にボツ。
聖書でいう例は主に聖霊か悪霊かになるわけで、
突如精霊とか言い出す人がいたから、聖霊の間違い?
と聞いただけさ。
精霊と呼ばれるたぐいは悪霊に近いものだという見解は
あるが。そこで全く話が違ってくるんじゃないか?
それと、「神道から見てのキリスト教の神の定義がおかしい」という
議論にまったく意味がないということは、
あなたも分かるよね?
神道が作り上げた世界から一生懸命キリスト教を納得しようと
しているようにしか見えないが。
聖霊の定義について説明がつくか?君には。
625 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:02
それから、残念ながらキリスト教内の内部批判と思いたいのは プロテスタントからカトリックへの一方通行な思いかも? または、その逆もそうだろうね。 プロテスタントの出発点は、まさにそうだったのだから。 しかし、カトリックにそんなこと言っても無駄ということを そろそろ理解しなければならない時期に来ているとも思うよ。 同じ西方教会のカトリックよりもっと大変なのがいることを忘れずにね。 オーソドックスという存在をね・・・。
>>625 >プロテスタントからカトリックへの一方通行な思いかも?
そうか。あなたの視点では自分がプロテスタントに見えるのか。
よかったな。
627 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:05
デタラメなキリスト教解説本が出回っている影響だと思われ。 にわか知識で議論しようとする人が出てくるんだな。
628 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:07
>>624 聖霊という言葉は、当初はキリスト教会独自のものであった。
また、君が言ってる話は全て知ってるよ。
となると、カ・ミという発音と神という訳語に当てることが
どういうことなのか?今一度考えてみたら?
これは実は補足だよ。
629 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:09
630 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:12
>>626 カトリック教義によれば、キリスト教内部といえば、
カトリック教会以外は指さないことになるけど?
正教でもそうなんだけど・・・。
631 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:13
>>629 聖霊は父(または子)より発出する存在。
神道には対比語はないね。
632 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:15
ニューエイジ系は放置です。
>>626 624さん、その書き方だったら相手にプロテスタントと思われても仕方ないよ。
キリスト教内部という言葉を使用する癖があるのはプロテスタントだもん。
普通はプロテスタントもキリスト教に含めるけど、キリスト教内部とは考えないのが一般的だよ。
離散した兄弟姉妹については外部だよ。
634 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:18
オーソも最近ニューエイジの影響受けつつあると聞くけど、 大丈夫なのかな。
>>632 ニューエイジだったらみんな一緒って言うよ。
この人はちょっと違うよ。キリスト教の三位一体の神=天主と神道の神々を一緒にするなっていってるからさ。
637 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:21
>>633 カトリックの内部批判には、
>離散した兄弟姉妹については外部だよ。
こういう偏屈さに対するものもありますね、最近。
いいんでないの?内部批判と呼んで。カトリックの偏屈さが
異端をつくりだしたのは事実でしょ。
638 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:24
>>636 すぐ「俺さん」扱いするのはいいかげんにやめた方が・・・
ちょっとみっともないし。俺さん狩り?
・・・歴史の反省がないね。
639 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:27
カトリックが内部外部分けたがるのは分かる気がする。 批判されると困ること多いから。 「外部批判」にしておけば、影響も少ないんだ。
640 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:28
カトリックのシュー童女って給料いくら?
641 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:29
>>637 でもさ、聖書に対する考え方のそういってあるじゃん。
その溝が埋まらない限り共通の見解は生まれないよ。
神道の話し持ち出してきたのってさそういう意味あるんじゃない?
批判するのはいいけど共通の土台がないんだよね。だから互いに批判じゃないと思うんだよね。
>>638 ううん。からかい半分。ゴメソ
642 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:31
カトリックは洗脳されています。 自分で考えません。ロボコンです。
>>631 まるでそれでは聖霊が子からだけ発出する教義がどっかにあるみたい;
父(または、父および子)から発出、と書いてちょんまげ。
俺さんはくそスレ立てで板に負荷たてまくりなので、それを反省したところを
見せなければ、歓迎されなかったとしても仕方が無いとおもはれ。
……兄弟と和解しろとあるが、相手に非があるとき相手が反省してないものまで
許せといっているわけじゃない。
644 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:33
>>642 もうそれでずーっとやってきましたので。
外部が今更口を出さないでください。
>>639 残念ながらそうでもないんだよね。それならプロテスタントが正教を批判する時も正教は内部批判とは受け取らないけど、それについてはどうおもう?
646 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:35
647 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:36
>>643 俺さんの話は別にしてないけど、
批判されるとすぐ「俺さん?」って聞くのやめてくれる?
ハタから見て痛いよ。
俺たちは封建社会でやってきました。
外部が口を出さないでください。
それでいいじゃん。周囲に納得してもらおうと頑張るから
おかしくなる。
648 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:37
カトリックは外面的行事中心で、卵の黄身の流出的発想思考停留所。
649 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:39
>>643 俺さん。一日中2ちゃんねるですか?
何時寝るの?
650 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:40
>>647 >周囲に納得してもらおうと頑張るから おかしくなる。
それはある。
にこやかに握手して、カルト宗教の宣伝に教皇が利用されたり。
「教皇が進化論認めた」とか書かれたり。
他宗教に寛容なのと、同調するのはまったく別だよ。
分をわきまえれ。
651 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:44
だが私は、このように全く違う見解からの批判は、 内部批判ではないと思う。 互いに違う視点から見て互いに相手を裁き合っているに過ぎない。 そこからは、何も生まれない。 カトリック教会の歴史、プロテスタント教会の歴史、 聖書の位置付けは各教派で異なるわけだ。 これはキリスト教と神道ほどの差がないわけではないが、 それと良く似たことには変わりない。 追加で神というものについて述べたが、 私達には関わりがないとあなた方が主張したとしても、 我々にはキリスト教の神は、神の一柱にしか過ぎないとしか見えない。 しかし、キリスト教の神と神道の神は意味が別である。 天主(カトリックのみであったが) といういい言葉をかつてに用いながら、 何故それを使用せずに我々の使う言葉「神(カ・ミ))を 使用するのかが分からない。 神とはキリスト教の神のみを指すように仕向けるために 意識的に用いているならば、また別だが・・・。
652 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:48
>しかし、キリスト教の神と神道の神は意味が別である。 うん、だからそうなんだって。 何がいいたいのか明確にしり。
653 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:52
>>652 であるから、神という訳語をキリスト教から
除いた方がいいということだよ。
神といえば、日本人の間では日本の神々でしかないからね。
神は精霊=悪霊なわけだから、その語を用いてはならない。
「カ・ミ」という意味を良く知ってからこれを用いてほしい。
654 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:52
>>651 >我々にはキリスト教の神は、神の一柱にしか過ぎないとしか見えない。
で、キリスト教から見ると、神道の神は被創造物にすぎないわけだ。
だーかーら、
神道とキリスト教の神を対比させても何も生まれないわけ。
その点には同意。
あなたの問題はね、あなたの「か・み」論だかをいいたいがために、
このスレのテーマ「カトリックとプロテスタント」の違いを、
神道とキリスト教の違いに無理やり比喩しようとしていること。
その比喩に無理があるから、筋も通らないし、説得力もないの。
わかりる?
「カ・ミ」論をやりたければ、別スレ建ててください。
655 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:56
>>654 キリスト教には天主という訳語があるのに、
どうして我々の「神」という語を用いるのか?
656 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:59
神とは、日本の神々に使う言葉。 しかし、キリスト教には天主という言葉があるのに、 どうしてそれを使おうとしないのか?ということだが理解出来るかね?
657 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 19:01
どっちもダメ、本当に聖書に忠実なのはイエス教です。
658 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 19:03
カトリックは崩壊していく。
659 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 19:06
残念ながらキリスト教も崩壊していく運命だよ。 それをしたくなければ、宇宙から地球を消し、 自分達のみが生き残ることだよ。 アメリカは国家挙げてそういうことに取り組んでいるよ。 君もこれに参加すべきだ。
660 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 19:07
人の話も聞けない神道厨房は逝ってください。 別スレ立ててやりなさい!!!! あなたは神云々の前にマナーが足りていないようです。
661 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 19:10
>>660 何故そんなに躍起になるのかね?
知らなければ知らないでよいのだよ。
そして、クリスマスや聖像などの前例があるだけに、
質問しているだけだよ。
662 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 19:11
663 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 19:14
キリスト教は、太陽神の祭りをクリスマスに変えて撲滅し、 偶像を壊してそこに聖像を立てた。 日本では像がないので、神という言葉を奪うことで、 日本の神々を撲滅するつもりなのか否か?ということだよ。
664 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 19:15
>>661 スレ違いを指摘されているだけでしょう。
まずあなたの「我々の神」という言葉も非常に狭い視点からの
ものなんですよ。しかしそれがあなたの前提論でしょう。
まずは努力してキリスト教徒をそれに同意させることから始めなくては
話もはじまらないし、主張も通らないでしょ。
「我々の神」といったら、キリスト教にとっても「我々の神」なんですから。
このスレのテーマとかけ離れてくるの、分かりますか?
665 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 19:48
>>645 というかどこをどうみても厳密にいえば内部じゃないんだが。
せいぜい他教派からの批判というだけで。
というのは正教=東方教会にとっては
1.プロテスタント=西方教会から離教した方々なので、ってか使徒承継教会じゃ
ない以上でプロはカトからみてもオーソからみても内部にはなりえない(聖公会の一部を除く)
2.ニケア・コンスタンチノープル信経を告白しないプロは、その点からみれば
カルケドンで離教したのと同じようなもの。教義を厳密にいえば偽教か異端。
と思われる。エキュメニズムに理解のある東方聖職者はそうは見ていないだろうけど
東方の保守派(ロシアとか)はその傾向があるんじゃないかな。特にいまはロシア国内への
福音派諸教派の宣教が激しいしね(アメリカからの豊富な資金が魅力)。
666 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 19:53
・
667 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 20:19
カトリックは偶像礼拝します。 キリスト教は偶像礼拝禁止です。 矛盾したことを平気でするようになったら人間は終わりです。
668 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 20:39
というかどこをどうみても厳密にいえば批判じゃなくケチつけてる だけの奴がいるから問題と思われ。
669 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 20:44
>>667 偶像崇拝などないけどね。
ちなみにあれが偶像崇拝なら、オーソのイコンなども偶像崇拝になっちゃうな。
君は665を読みなさい。
オーソとカトリックの中で、あえてカトリックだけを中傷するのはコンプレックスのあらわれ。
いいかげん止めたら?みっともない
プロテスタントでもヨーロッパに基盤を持つ伝統的な教会は、他教派批判なんかしない。
670 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 20:47
671 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 20:48
コピペとはしらなんだ。カコワルイ まあ間違ったこといってないからいいだろ
672 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 21:44
>>664 神という名称について、
キリスト教には天主という良い訳があるのにどうして
日本の精霊を示す「神」という語を使用するのか?
そのことについて答えられよ。といってるのだが、
どうして難しく考えるのかね?
難しく考えなければならない邪な理由でもあるのか?
と聞いているだけだが・・・。
673 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 21:51
神という言葉は、天地の創造主としてのものと、神話や伝承の中で語られる神や神々 についての両方に日本語として使われる。
674 :
謎のイタリア人 :02/07/08 21:54
ここでちょっとバプテスト連盟に加盟している教会の方針はこうです バプテストは、宗教改革運動の中で現れたプロテスタントの一教派 です。17世紀イギリスにおいて始まりました。現在は世界中にバプ テストの群れがあり、米国南部バプテスト連盟は最も大きなグルー プです。 また、ロシアやウクライナなど旧ソ連のプロテスタント教会として は一番大きなグループとして活動しています。米国のカーター元大 統領や、公民権運動で暗殺されたキング牧師などがバプテストの信 徒として有名です。 バプテストの名前は日本語で一般に「洗礼」といわれている教会の 儀式からきています。ギリシャ語の「バプティゾー(水に浸めると いう意味)」から生まれた言葉です。 バプテストの主張は、聖書を信仰と生活の唯一の基準とするところ にあります。イエス・キリストを主と信じ、バプテスマ(浸礼)を 受け、教会員になる。また、教会員の平等、会衆主義、各個教会の 自主独立、などです。 バプテストが国教制度に反対し、信教の自由、政教分離を主張し続 けてきたことも注目すべきことです。アメリカ合衆国憲法修正一条 、日本国憲法第20条、第89条などはバプテストの主張からきています よってバプテスト連盟は決して、カルト集団ではありません。 ご理解のほどよろしくお願いします。
675 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 21:58
「イエスキリストを信じ、主とする」のと「イエスキリストを主と信じる」 のとでは全然違うと思いますが、バプテストは後者の表現で信じるのでしょうか?
676 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 22:00
前者は反基督教的だな。教派以前だ。
677 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 22:07
プロの一部>カトリック、正教会、聖公会>>福音派>聖霊派>>リベラル
678 :
謎のイタリア人 :02/07/08 22:10
675さんものすごい屁理屈ですよそれ まー「イエスキリストを主と信じる」ですよ だけどね、求道者は洗礼を受けるとき、はイエスキリストを信じ主とする のでは?
679 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 22:10
>前者は反基督教的だな。教派以前だ。 反キリスト教的な理由や、聖書の記述に参考になる個所があったら、 教えてくださいな。
680 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 22:19
>675さんものすごい屁理屈ですよそれ >まー「イエスキリストを主と信じる」ですよ 素直じゃないのは、あなたの信仰のほうではないですか? 洗礼を受ける前と受けた後の信仰告白が変わるのは当然だとでも言いたげな あなたの発言にはこちらは、納得できませんね。
681 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 22:29
>>675 「私の主はイエスキリスト」って感じだと思うけど、
両者の違いがよくわからない・・・。元バプティスト
682 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 22:29
>>672 キリスト教には天主という良い訳があるのにどうして
>日本の精霊を示す「神」という語を使用するのか?
ローマカトのゼウス転じてデウスよりましだろう。
神=精霊とはとんでもないいがかりだな。
言霊学をかじってほしい。
カミの語は想像以上に深遠な意味を含む。
漢字では示し申さくで天の御告げだ。
683 :
謎のイタリア人 :02/07/08 22:30
あなたはどうなんですか? まず何か言う前に自分の素性をお教えなされ ちなみに、「イエスキリストを主と信じる」とは 求道者がとつぜんであった人を信じるということですよ? そうではなくて求道者って、まずイエスキリストを知りそして信じるのでは? それからイエスキリストがわれわれの主であると思うのでは?
684 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 22:31
キリスト教的には人間の思惑と無関係にイエスは主だな。
685 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 22:32
キュリオス イエスス(Jesus is Lord) 「イエスは主です」 と言うのが、聖霊を受けた者のイエスに対する信仰でしょう? なんで「イエスは主(です)と(いうことを)信じる」なんて 本質の部分を括弧で括ったような信仰表明をするのですかね−。 はっきりいって、そのプロテスタントは怪しくないですか??(言い過ぎなら、ゴメン)
686 :
謎のイタリア人 :02/07/08 22:40
私の振興はイエスは主救い主だよ。 じゃなくて! 私が言ってるのは、信仰を得るまでの心の動きですよ 684の人の言い分もわかります!(ものすごく) だけどね、実際に最初からそういう風に思って教会に来る人が どれだけいるかですよ!! わかってもらえます? 何度も言うけど 私の信仰は、イエスは主ですですよ!! それはわたしが もう洗礼を受けて17年位立って ある牧師に育ての親のように育てられたんですよ 奇跡までおきたことがあるんですよ イエスは主ですっていえますし本当に思ってますよ。
687 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 22:50
>>686 だからさ、キリスト教的には、と但し書きを入れたわけ。
今思い返せば、それまでも主であり続けていたことに、
アノ時気付いた、わけでしょ。
688 :
謎のイタリア人 :02/07/08 22:53
そうそう
689 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 23:04
>>686 それなら、いいじゃないですか。そういう「証し」こそキリスト教の信者に
ふさわしいと思いますよ。コリント1の12章3節にも次のように書いてありますしね。
《ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは
神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは
主である」とは言えないのです。》
ああ、少し安心しましたよ。では。
690 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 07:02
>>682 残念だがキリスト教徒から見れば、
日本の神という存在は精霊=悪霊を意味する語なのだよ。
しかし、勝手にこの語を使っているわけだよ。
そのローマカトリックは、天主という語を持っているにも関わらず
神と言う言葉を用いる。
これには、太陽神の祭りをクリスマスに変更したり、
現地の神像を倒した後に聖像を立て、神殿を壊した後に教会を立てた
かつてのやり方と同じであるのか否か、聞いているのだよ。
それから、漢字だけで解いてはならないよ。音にも意味がある。
691 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 07:44
ゼウスの話はどうした。ごまかすなよ、ヴォケ!
>>690
692 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 07:56
>>691 私にはそのような話は関係はない。
誤魔化さずにきちんと答えていただきたいものだ。
クリスマスや聖像の採用や神殿を塞ぐ目的で教会を立てたように、
日本の「神」と言う名称を使うことによって、神々を打ち砕くのか?と。
693 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 08:00
>>692 >日本の「神」と言う名称を使うことによって、神々を打ち砕くのか?と。
打ち砕きゃしないよ。その「神々」すら創造された「ほんとうの神」が
いるという事実を受け入れているだけ。
これを打ち砕かれると考えるかどうかは、人によるんじゃないか?
神、髪、紙、守、上、みなカミです。 かかみを短縮したのがカミです。 御神体です。 かがみはすべて映し出す。 ありのままの姿を映し出す。 ひとは神様の前でそうなるのです。 わかったですか?
695 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 08:18
わかったよん。日本の御神体は美しいね。偶像マリヤなんか比較にならないです。ホント、低レベル!
696 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 08:40
697 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 08:41
698 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 08:46
699 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 08:48
像を拝むのは偶像崇拝です。ヨーロッパではみな拝んでいます。ネエチャンが行ったもん。
700 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 08:59
>>696 神々を悪霊というのではないのよ。
「それ自体で汚れたものはなにひとつない」by聖書。
なぜなら、すべて神の創造物だからね。
最も重要なポイントは、『私たちが何に仕えるのか』にあって、
すべての創造主である神に目を向けず、他のものに目を向けようとする。
その私たちの「偶像を拝む心」に罪があり、そこに悪霊の惑わしがあると
考える・・・。わけです。
この世には本当は創造主の愛が注がれていて、この世は愛に
あふれていて、私たちはそれに気付かなくてはいけないということです。
701 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:01
そんなことをいったら、記念の像も写真もダメってなるよ。 例えば、死んだ人の遺影とか、記念の像もね。 キリスト教もタリバンの世界を求めてたの?
702 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:02
703 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:05
>>700 もう一つ。人間以外に命が宿っていないとはどういうことかね?
人間以外のものには、汚れない魂は宿っているが、
どうして一神教系統ではそれを無視しようとするのかな?
704 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:06
705 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:12
神社の神とは、キリスト教の世界では悪霊なのであるはずだ。 これはどの教派の聖職者も一様に口をそろえる。 悪霊に対する名称「神」を 一般にキリスト教の天主に対する呼称で呼ぶのは、おかしい。 キリスト教の神は天の主だからだ。 日本の神は英語ならSpiritsである。 キリスト教の神は大地に存在する「汚れた神」の一種なのか?
706 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:16
>>702 聖書に従うと
>>700 の通りです。
ただし、人に幻影として現れたり、何かわざを行うとき(つまり人には
通常できないことが現れるとき)、それを「悪霊のしわざ」と
考えます。「神々が」人を惑わすのではなく、「悪霊が」創造の主から
人の目をそらそうとする。
「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、
その牧場の羊である。 」
まことの主を主と呼び、主の愛を知り、永遠の救いに預かること、
悪霊はそれを妨げようとする実在のものです。
誰一人悪霊に連れていかれたいと望む人はいないと思うんですけどね。
悪霊はお構いナシです。クリスチャンでも、自分の思い込みで
悪霊に惑わされること多いです。主からはなれてはいけない。
707 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:20
プロテスタントでは、 個人の遺影を置く事、記念品を置く事、像を建てること、 その人生を思い返したり、遺影に向かって 日々の出来事を話し掛け、その故人ならどのように考えるのか 思い巡らせることも禁じられてるのかな? ユダヤ教でも禁じられてないよ。そんなことはね。
708 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:22
>>703 人間以外の生き物もすべて、創造の主である神に作られ、神に愛され
養われているものですよ。同じ被創造物です。
関心がないのではなく、むしろ神に管理を命じられたものとして、
人は生態系に関心を持つ必要が多いにありますよ。
しかし、それら「被創造物の命」を賛美するのではなく、
それらすべて、地のものも海のものも巨大な生き物もすべて
を作りたもうた主を賛美する。
709 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:29
>>706 残念ながら、それでは説明にならない。
日本の神々を悪霊といっておきながら、
悪霊ではないとも言えるのなら、どっちつかずだよ。
神々は確かに、時に神勅を与える。
しかし、それは自然界からの警告であるわけで、
自然の流れから逸脱する行動を人が取り始めると降りてくるもの。
また、キリスト教では人間以外のものには魂はないというが、
他のものも意思を持っているのは自然の成り行きから見て明らかだよ。
意思がない「物体」であるとはどうして分かったのかね?
710 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:32
>>707 遺影、像、記念品、それ自体には、本当は問題がないのです。
ただ、日本においては、少し事情が違い、米国のプロテスタントなどに比べて
厳しさを持つと思う。
なぜなら日本では、そこに「故人が宿る」という考え方があるでしょ?
故人はすでに神に委ねられているので、そんなところにいるわけがないのです。
クリスチャンはそれを知っているはずなのですが、こと肉親や恋人に関しては
理性を欠き、そのように錯覚してしまうことがある。
たとえば、「お母さんにまた会いたいな」とか、
『ありえないこと』を考えてしまう。そこに悪霊の惑わしが来ます。
遺影や像に故人が宿ると錯覚したとき、それは偶像崇拝になりますから、
そういう罪から人を守るために、教会が指導することも当然と言えば当然
という気がします。拝むべきは故人ではなく、主。
711 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:35
>>709 質問〜☆「神々」なんだけど、
それは人の心の中で作った神の事じゃないかなぁ。
悪霊が神々になっているのではなく
悪霊が人を惑わしてその人が自ら神を作るというものだろうか。
すべての神々に勝る神という賛歌があるよね。
もし神々が悪霊ならば、わざわざ神々より勝る神とは
わざわざ表現しないのでは??と思うのだけど
どう思いますか。はげしく疑問なんです。
712 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:35
>>708 人は管理を命じられたのなら、
残念ながら、人に自然は管理できないよ。
人も自然の恵みの中で生きている。
人は自然の恵みによって生かされているのだよ。
確かに、砂漠の中でなら、井戸を掘り、植物を植え、動物を育て、
自然を管理することは十分に可能だが・・・。
713 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:39
>>712 >残念ながら、人に自然は管理できないよ。
人が受けるべき部分の管理ということです。
自然や生き物は人をサポートしますよね。そこです。
野の草を育てるのもはやすのも、空飛ぶ鳥を生かすのも、
もちろん全て、神がなさることですよ。
714 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:42
>>711 はげどう。創造主である神以外の神を「演出」するのは悪霊です。
それ自体に汚れはないが、悪霊に惑わされるとき、
人が汚れます。これを聖書では「姦淫」という。
715 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:43
>>710 カトリックなら、そういう行為は何ら問題ないよ。
遺影に故人が宿るとは考えないよ。気味悪いじゃん。
仏教では魂が宿るって考えてるみたい。
また、天国で会えますようにとは祈る。
聖像に対してもそうだよ。
聖像にイエズス様やマリア様が宿るとは考えないもん。
天国にいるからね。
716 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:43
>>707 ブロといっても広いので、色々だけど、
厳しく禁じてるところもあれば
禁じないが傾倒しないようにと教えるブロもある。
私の方は、傾倒しないようにと言われた程度です。
人がなくなった時・・・悲しみのあまり故人の魂を追い求めて
神から離れてしまいやすいからというものでした。
717 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:47
>>714 ありがと。聖書のどこに書いているんだっけ。
アウトライン入れたくて。
ところで、カトを偶像礼拝だと強調したがる事も
きっと分裂を望む悪霊による惑わしかもしれないね。
ブロとカトが仲良しなんて悪霊は悔しがるからね。
718 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:48
>>713 砂漠の中の環境なら、とても理解出来る表現だね・・・。
実は、私は昔に砂漠の国にいたことがある。
自然は人をサポートしていると思っているだけで、
自然に人はサポートされていると考えるのが、
砂漠の中にいない我々の表現なんだよ。
719 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:51
>>716 >>707 その他を書いた私もプロです。
罪と悪霊のまどわしから身を守るのは教会の指導ですが、
そのとき、「あながたがたが良いとしていることによって
兄弟の心が痛むなら、それはすでに神から出たものではない」
というとおり、人を傷つけない、しかし同調しない、
そして信徒が、まことの創造の神に人の心が向かう助けとなるように、
教会ももう少し丁寧に指導する必要があるのではないか、と
私も思います。
イエスも愛は律法を成就する、とおっしゃっているのですよね。
「禁忌」は愛より律法へ人を向かわせます。
それでは本末店頭ですものね。
>>715 「そういう文化の中に私たちはいる」「惑わされないように」
と書いたのよ。
720 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:52
>残念ながら、人に自然は管理できないよ。 残念ながら。。。←この言葉に意味深だなぁと思ったけど笑 自然保護、動物愛護、自然改善などなどに燃える人たちが いるよね。でも、やり方を間違えたら自然を壊して しまいかねないような・・・ そうそう、うちの池なんだけど、特別掃除しないのに すごくきれいになるんだ。バクテリアの働きだと聞いた。
721 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:56
その国にいた時、私は人が何も手を施さなければ 自然が消されてしまうことを知った。 管理を怠れば、その自然は絶えてしまう。 過疎が進んだオアシスでは、自然がどんどん枯渇していった。 しかし、この国は砂漠ではないから、立場は逆になる。 自然に逆らえば、恵みは受け取れない。 管理しようとすれば失敗する・・・。
722 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 09:58
723 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:00
>>717 姦淫に関する記述は旧約に60箇所以上ありますが、エゼキエルの
23:30がより明確ですね。文化との迎合についても、考えされられる
箇所です。
「それ自体に汚れたものがない」これはローマ14章14節以降です。
724 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:04
>>720 どんなに計算し尽くしても、
人智の力で砂漠の地方以外の自然を制御するのは難しい。
砂漠の地方で感じたことは、
確かにキリスト教の言い分が正しいと思わざるをえない。
受身でいたら、人は滅びてしまうからね。
なるほど、流石は砂漠で生まれた宗教なのだなぁ・・・と思わされた。
725 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:09
>>721 砂漠にしろこの国にしろ、管理には「知恵」が必要ですね。
私はイエスを受け入れてから、大学の社会人講座で環境論など
学ぶようになりましたが、目から鱗が落ちることたくさんありました。
自然保護というのは、目の前にある自然の「手入れ」のことだと
思っていたのですが、そうではない。自然に関しては、医療と一緒で、
神が与えたもうた「自浄作用」があるのですよ。
>>720 さんが書いたとおり。
クリスチャンのお医者さんが作った詩でこういうのがありますが。
「我らは包帯をあてるだけ。病は主が癒される」
この国、あの国という問題ではなく、グローバルにとらえたところから
「知恵」が始まる・・・というのは、環境論ではじめて学んだことです。
「我らの国籍天にあり」という聖書の言葉が思い出されて、
授業中うるっときちゃいました。
環境管理のキーワードは、与えられた分に満足できない消費。まずこれです
よね。これが森林やあらゆる自然を破壊している。自浄作用を超えている。
日本が木材の多くを輸入している東南アジア諸国の子どもは、
紙不足で、絵本が20人に一冊というありさまです。「とりすぎ」ですよね。
そして食料問題。肉食の過剰が穀物の不足を招く。これも「過剰」です。
恵みに満ち足りる心、不足している人に目を向ける心、
ここからあらゆる環境政策の知恵が生まれるというのは、
その講座から学んだことです。宗教者であると同時に私たちは
企業人であり、家庭の人であるわけですよね。
726 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:10
カトの皆さんに質問☆ 私が一番分かりにくいのが「祈りの取り次ぎ」ですが イエスに直接祈りを捧げてとりなして頂くことは できないのでしょうか。
727 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:11
>>722 オアシスといっても、人工のものも結構多いのだよ。
ある地層に当たれば、水が出て来たりするんだ。
それを掘り出して井戸にする。深く掘るときが多いよ。
植物を植え、動物を育てるには、
塩化した砂から塩を流さなければならない。
井戸の管理は、非常に重要だよ。
水が枯れたら、他にもほらなくてはならないからね。
雑草が生えてきたら、それをきちんと取り除かねばならないよ。
色々手入れが大変なんだ。
728 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:15
>>727 それって、どんなものですか?砂漠の緑化?
729 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:15
>>723 さんきゅ。姦淫って広い意味があるのね。
聖書の世界は果てしなく広い・・・。本当に。
リアルに伝わってくる神のことば。
「聖書的」という言葉が何だか嘘っぽく見えてしまうような・・・。
730 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:17
>>725 グローバルに捉えようとするから失敗するのであって、
もうそろそろ、グローバルから
脱却しなければならない時代に近づきつつあるだろう。
砂漠地方の考えを我々の国に押し付けるなら、
この国は生態環境が乱れてしまう。
また、その逆に我々の考え方を砂漠の国に押し付けるなら、
砂漠の国は住めなくなってしまう。
そこに合ったものを導入すれば、よいのである。
グローバル主義者にはそれが出来ない。
そこの流れのままに行うことが出来ない。
731 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:18
>>729 はげどう。
心を潤してくれますね。主を受け入れる魂は、
これで養われるという。人はパンのみで生きるのではない・・・。
聖書は神のことばです、本当に。
733 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:22
>>725 >「我らの国籍天にあり」という聖書の言葉が思い出されて、
>授業中うるっときちゃいました
(*^^*)
ところで動物園なんだけど、外国の動物を輸入することで
生態の秩序が乱れてしまうということはないのかな。
734 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:23
>>727 それから、天然オアシスでも、
それを守り続けるために色々と行わなければならないのだよ。
思想の問題でも、宗教の問題でもそうだ。
自分達に都合の悪いものを廃除しようとする。
キリスト教とは、その典型的な宿命を背負っている宗教だね。
イスラム教もね。
735 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:24
>>730 >また、その逆に我々の考え方を砂漠の国に押し付けるなら、
>砂漠の国は住めなくなってしまう。
グローバルというは、そういう意味では決して無いよ。たとえば、
砂漠から離れた私たちも、私たちの「分」と「わきまえ」
の中に生きる。
>>725 に書いたのはそういうこと。
736 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:25
>>727 へえ・・・。そういえば、木々を川の側に植えるように
しているというのを勉強したような。。。それって何だっけ
「植木」じゃなくて。
737 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:26
>>726 イエスは神なんだから、「神へのとりなしの祈り」というのはありえない。
神へは直接祈る(父にも聖霊にも祈るよ。ちなみに)
聖人(マリヤ含む)へは「神へのとりなし」=「神に祈ってください」と祈る。
わかりにくいかな?
ハムスターなんかは元々砂漠に生息しているよね。 湿度の高い日本じゃしんどいのでは。ハムちゃんにとっては。 ハムスターを飼おうと思って調べたら 砂漠に生息していると知ってびっくり。
739 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:29
>>734 >自分達に都合の悪いものを廃除しようとする。
具体的には?
>>735 Think Groval Act Local という言葉がありますが、
Think God Act Local神の真理に従い、ローカルに行動する。
クリスチャン的に訳すとこんな感じか。
740 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:31
>>738 ペットに反対している牧師さんいるけどね・・・。
中々受け入れられないみたい。
聖書にペットのこと、書いてないし・・・。
「家畜」はヨシなんだけどね。
741 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:31
>>726 はぁーい!別に、どっちでもいいけど
聖人というのは、信仰生活の見本って考え方。
この人ならどうするかな?って考えながら信仰生活を実践するの。
だからさ、良い信仰生活をして悪い行いに
惑わされないようにするために、
イエズス様に祈っていてくださいって頼むわけ。
それが取次ぎだよ。
742 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:31
>>737 イエスの御名を通して祈る。という意味。
つまり私たちと神間のパイプ役みたいなもの。
と教えられているのだけど・・・。(9o9)?
どこから来ているのか該当する聖句を調べるね。
743 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:35
>>741 ありがと。
へえ〜。同じカトでも微妙に違うんだね。捉え方が。
プロと同じように色々な見方があるみたいだね。
ローマの信徒への手紙8:26-27 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けて下さいます。 私たちは、どのように祈ったらいいかわからないのですが、 御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって 私たちのためにとりなしてくださいます。 人間の心を探りきわめる方は、御霊の想いが 何かをよく知っておられます。 なぜなら、御霊は、神のみこころに従って 聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
745 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:41
>>735 しかし、考え方は砂漠の世界の中のままならば、そのままだよ。
自然は全て人の管理下になければならないと考えているわけだよ。
神という存在の元に、人は自然をコントロールするなら、
それは砂漠の考え方であって、我々の考え方とは違う。
我々は、自然にコントロールされている。
その自然のコントロールから離れれば、もはや滅びに向かうしかない。
そういう考え方は、いずれ破綻する。
我々は自然の中で生きている。
しかし、あなた方は砂漠から離れても、まだ砂漠の中にいる。
>>739 全ての他の教派・宗教・神仏をなくすこと、
無力化させることが、あなた方の目標であるから。
そういう目標に拘っているうちは、今後も何も生まれない。
746 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:42
>>744 その箇所ね、なかなか分かりにくくて
牧師に尋ねていろいろな人に尋ねて。。。
今のは私の解釈の間違いかもしれないし。
どう捉えますか。
747 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:43
748 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:44
>>745 >自然にコントロールされている。
自然は神にコントロールされてるよ。
>全ての他の教派・宗教・神仏をなくすこと、
>無力化させることが、あなた方の目標であるから。
そうなの?言いがかりだね。
749 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:46
>>745 しかし、これはこの国においてであって、砂漠の国に適応すれば、
砂漠の国は滅んでしまう。
750 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:46
>>745 >自然は全て人の管理下になければならないと考えているわけだよ。
全然違う。
自然も人も神の管理下だよ。神に与えられた分をわきまえない
人間の罪がそこにあるけど。
751 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:46
>>745 ちょっと待って下さい。あなた方の目標であると
いう判断は短絡的だと思います。
すべてのクリスチャンが無力化させるという目標を
持っている訳ではありません。
752 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:49
>>747 ・・・・・・^^;;どうしようって・・・同じであることが必要なの?
でもさ、同じカトでも祈りのスタイルが違う
カトの知り合いもいる。
753 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:51
>>748 自然をコントロールする神は、その自然自身と我々は考える。
天のもの、地のもの、これら全てのバランスによって行われていると。
あなた達は、この地上全ての人がキリスト教徒になることが、
あなた達の望みであり、天主が満足されることではないのかな?
言いがかりではなく、では他の宗教の神々も正統といえるのかな?
754 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:51
>>745 何かキリスト教を誤解しているような・・・。
自然も人も神に創造され、養われている。
>自然は全て人の管理下になければならないと考えているわけだよ。
これはキリスト教の考えと正反対だよ。
755 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:53
>>753 なるほど。あなたの言いたい事理解しました。
ところで質問です。あなたにとっての「魂の救い」とは
どんなものだと思っておられるのでしょうか。
756 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:53
>>752 というより、その人ひょっとしたらプロではないか?
聖人(として名を連ねられた人々は)信仰の先輩である、
といいたかったんじゃないのかな?違ってたらごめんね。
757 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 10:56
>>750 いや、旧約では人は管理する立場だよ。
自然の中に自然と共に住まう我々の価値観とは違うよ。
>>751 天主はお一人だけなら、他の神々は偽者だろ?
>>756 うんうん。聖人が信仰の先輩である・・・だよね。
私が知りたいのは"祈りの取り次ぎ"なのね。
イエスにとりなしをしてもらう事はできないのか。
って思っていて、尋ねたの。
で、同じカトがそれぞれ微妙に違う答えが返ってきたのね。
それぞれ見方があるんだなぁって。
違うのがダメなの??? ということ。
759 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:01
>>753 ごめん、私理解できないわ。
>あなた達は、この地上全ての人がキリスト教徒になることが、
>あなた達の望みであり、天主が満足されることではないのかな?
一人でも多く主にあって救いを得て欲しいと思っているが、
全ての人が救いの中に入るかどうかは、正直わからないし、
それは私たちが決めることではない。
>言いがかりではなく、では他の宗教の神々も正統といえるのかな?
他の宗教が何をさしているか分からないが、神は創造主である神おひとり
だと確信しているよ。私たちは他の宗教を弁護する義務はないです。
これも正い、あれも正しいなどという人がもしいれば、不誠実、単に人の
顔色をうかがってモノゴトを判断しているだけでしょう。
しかしあなたは大事なポイントを欠いていらっしゃる。
「正さ」って何?人間は他人のために正しさを判断してあげること
なんてできないのよ。「その人が正しいと確信したもの」が、
いわゆる正しさではないだろうか。確信はその人その人の中にしかない。
人間は限りなく自発的で自主的な存在なんだが。
760 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:03
>>755 魂の救いという概念は持ち合わせていないよ。
人は在りのままであること、自分の良心に沿って生きること。
なぜなら、いと高き天之御中主神からの御霊が自然に宿る全ての神から
先祖の神々に流れ、父母を通して御分霊が我々の内にあるから
そのままでいいんだよ。
こういってしまうと、進化論の霊的バージョンのようになってしまうがね。
761 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:03
>>757 そのような思いをさせるなら
私たちクリスチャンの方が自分を改めないと・・・。
本当は、無力化させるとか排他するとかと
いうものではないのですが、
クリスチャンであれ
罪(欲望、むさぼり、自己中心、自己愛など)
によって、神から与えられた恵みを人に与えようとしない
為にそう思われて当然かもしれません。
762 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:06
>>757 >旧約では人は管理する立場だよ。
キリスト教の今の考えは、旧約のそれと変わらないよ。
「管理」というのを過剰にとらえていないですか?
当初から人間も自然も被創造物。
人間は、自然は愚か、自分の体のことすら自由にできないのですよ。
「意のままにする」のが管理であると思うなら、それは違う。
763 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:07
>>760 面白い。神道とキリスト教は似ていますね。
>いと高き天之御中主神からの御霊が自然に宿る
キリスト教ではいと高き天地創造主からの御霊が信じる人に宿る
>父母を通して御分霊が我々の内
イエス・キリストを通して主の御霊が私たちに内在する
という所が似ているなぁと思いました。
764 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:12
>>759 そう。私達の世界は、あなた達には理解出来ないのだよ。
なぜなら、私たちはグローバルな価値観を持ち合わせていないからだよ。
ここにはこの価値観が必要で、向こうにはこの価値観が必要である。
よって、私達には、あれも正しい、これも正しいと言える価値観があるのだよ。
あなた達は、それを理解することが出来ない。
キリストに救いがあるから、私達を下位にしか見れないのだよ。
あなた方はそういう宿命の元にいる人たちだよ。
救いというものが理解出来ない、必要ではない人たちもいるのだよ。
765 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:16
>>764 あなたと同じ神道の人から聞いたのですが、
キリストの霊は低い地位にあるとの事。
本当はキリストの神は人を「地位づけ」しないのですが、
低く見ようとするのは、クリスチャンの中のエゴです。
そういう宿命の元にいるのではなく、その人の罪から出たものです。
766 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:20
プロがガツガツする原因の一つがまた分かって来たような。。。
767 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:21
>>764 確かに理解できない。「下位」「上位」という考え方、たとえば
文化のランク付けなどの考えが、
まずキリスト教にはない。「何かを知っている」と思い込むだけで、
結局は神に赦される子どもでしかない。どんな人でも。
同じ真理と恵みと赦しと愛の下にいる。
しかし、
>救いというものが理解出来ない、必要ではない人たちもいるのだよ。
私もかつてその一人だったのよ。クリスチャンの誰もが。
「あなたたちと私たちは違う」とおっしゃるのも自由だが、
それは知っていてください。
768 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:24
>>761 なら、どうして使徒の教会は互いに愛し合う道ではなく、
他を破壊する道を選んだのかね?それが天主の意思ではなかったのかね?
そうでなければ、他の神々を破壊したり、聖像を創ったり、
太陽神が復活できないように太陽神の祭りをクリスマスに変えてしまったり、
神殿を壊してそこに神々が降りてこないように、教会を立てたり、
何故そういうことをしたのだろうか?
>>762 いいや、なら何故に管理しようとするのかね?
769 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:26
仕事に戻るので、落ちます。
770 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:29
>>765 キリストは低い。そういう価値観も神道にはある。
しかし、その逆の価値観もある。
上位、下位というのは、親と子の関係だよ。
親と子の関係は、親が高く、子は低いと一概にいえるかな?
従って、キリストの霊は低いとはいえないよ。
ただ、神霊の一柱であると考える。
771 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:32
>>767 あなた達はキリスト教が高いといい、他は低いという。
しかし、私たちはキリスト教の天主も高い、
我々の神も高いと考えることでできる。
キリスト教を知ってしまったが故に、全ては平等であることも知り、
我々を低いものとみなすから、伝道を続けるわけではないのかな?
772 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:35
>>770 実は、元々神道ではどの神が高く元々低いと考えることは、
意味をなさないのだよ。どれも高いのだよ。
773 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:39
我々を偽者というときには、十分な注意を払わなければならない。 キリスト教の世界では、我々は偽者かも知れないが、 キリスト教の神のように書物の中で、 あるいはキリストのみによって示されたものではなく、 我々のものは、始まりから今までにあったものだよ。
774 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:39
>>771 私は767ではないけど、
「魂の救い」のために伝道します。
低いものとみなすからではなく、
すべての人がイエス・キリストを信じる事で
神の国に行き永遠の命(喜び)が
与えられるようにという神の啓示によるものです。
775 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:41
「聖書的」ってよくわからない。 その聖書を編纂したのはカトリックでしょうが。
776 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:43
>>768 聖書をお読みになると、理解が深められると思います。
文字をたどるに限らず、だんだんと聖書の世界がリアルに
伝わってくることでしょう。
777 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:44
>>767 このような考え方は、ある一派の来朝より始まった。
自らを高いといい、他を低いといった。
これは、あなた方と同じように唯一神を信仰する群れだった
と、とある伝承では語られるという。
「下位」「上位」という考え方、たとえば
文化のランク付けなどの考えが入ってきたのはこの頃からだとされる。
それゆえ、神道の中には二つの対立する概念が共存する。
778 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:45
>>775 聖書的とは、
聖書に書かれている事に忠実であるかどうか。
という姿勢を指しています。
779 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:47
>>774 他には救いが訪れていないと思うから、
伝道するのではないのかな?
780 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:48
781 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:49
自ら奢り高ぶる者は、他者の低いところしか見ようとしない。
782 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:50
>>776 砂漠の宗教観のものとして読めるよ。
ただ、この国に適応させれば、この国は砂漠となってしまうだろうね。
783 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:51
>>779 伝道とは、福音を伝えること。
福音とは、良い知らせのこと。
救いが訪れていないから。ではなく
「救いがもう訪れていますよ」という
良い知らせを伝えるものです。
784 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:52
>>780 正直言ってどういう宗教かは分からない。
ただ、天皇家ら天孫族なのは確かだよ。
785 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:53
>>776 砂漠はうえかわく。だから潤される。
砂漠でなければ潤されることはない。
砂漠でないから「水」を求めない。
砂漠だから「水」を求める。
命にあふれた水が美味しく感じるのはどっちだろうか。
786 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:54
>>783 救いを実感するためには、
キリスト教の天主を信じ、
キリスト教の教義を受け入れなければならない。
すなわち、その状態になるまでには
人はまだ救われていないということだよ。
787 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:55
>>785 だから、この世を、
人の心を砂漠に変えていこうとしているのかな?
788 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:56
>>786 確かに「救われない」と表現がありますが、
私の立場としては、もう既に私たちは救われている道が与えられている。
それを信じるか信じないか。といったシンプルなものだと思います。
789 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:59
>>788 信じなければ、それは意味をなさないと考える。
それがキリスト教であり、
我々は生きていることに、既にその意味があると考える。
そういう違いがあるのだよ。
気候や文化というものは、そういう違いを生んでしまうのだよ。
790 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 11:59
>>787 もう砂漠になっている。魂の飢え渇き。
何故、殺人が起こるのか。争いが起こるのか。
日本でも様々な戦争が多い。
そこからはい上がりたい。
このまままみれてもいい。
正義と戦う。といった様々な人の思いがある。
どれが人を救うのか。そこから始まるのではないだろうか。
791 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:01
>>789 文化の違い・・・。日本の心とはどんなものだろう。
792 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:02
>>790 一つのものが全てを救うとは限らないよ。
その鍵はたくさんあるものだよ。
793 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:03
私も、様々な宗教を追い求めた。 心を潤ってくれるものを・・・
794 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:04
795 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:04
>>791 日本人というものは、欧米人から見れば、
何を考えているのかさっぱり分からない民族なんだそうだ。
はっきりとした意見を持たない民族なんだそうだ。
そこに鍵がかくされていたりするもんだよ。
796 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:05
気候と文化の違い???? 世界中にキリスト教が広まっているのは何故なんだ??? なんかその論には無理を感じるぞ。 イエスは、ただ無償のギフトで、それをひょいっと受け取るか 受け取らないか。 赤ちゃんがママのおっぱいを飲むときにいろいろ理由を つけて断ったりしないのと同じくらい、自然なことだと思うが。。。 神の愛はこの世にあふれている・・・って上の方で 誰かが書いていたけど。
797 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:06
>>795 なるほどね。私は日本人だけど、
日本人じゃないタイプかもしれない。
とにかく日本の伝統というものが苦手だった。
ただお寺の静けさと畳が好きだけど。
798 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:06
>>794 その例えばというものを語り出すと、きりがないのさ。
何十億年かかろうが、書きつづけなければならないだろう・・・。
>>793 キリスト教で心が潤うなら、それはそれでいいことだ。
我々を攻撃しない限り、他の教派・宗教を攻撃しない限りはね。
799 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:07
救われないというのは、人間の「必ず死ぬ」「自己中心的な心」 の状態を指すんだよね。これも世界共通だし。 そこに具体的にどのような症状や問題が出るかというのは、 人生の環境ごとに違いはあるけど。現代人なら「愛に飢える」とかさ。
800 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:08
>赤ちゃんがママのおっぱいを飲むときにいろいろ理由を >つけて断ったりしないのと同じくらい、自然なことだと思うが。。。 >神の愛はこの世にあふれている・・・って上の方で >誰かが書いていたけど。 あはっ♪ステキなたとえだね〜☆
801 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:08
802 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:09
>>795 和の精神は自我を殺すのが美徳とされるからね。
803 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:09
804 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:11
>>797 そういう日本人の性質が生み出したものだから、
君には合わなかったのだよ。キリスト教に出会って良かったね。
日本には、捨てる神あれば拾う神ありという諺があるんだよ。
805 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:11
日本人の美・・・「わびさび」それは好きだなぁ☆
806 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:12
>>801 の原因として、自分が一番思いつくのは
>>802 だな。
私もイエスに出会う以前は自分を殺していたから。学校や職場で。
807 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:12
808 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:13
そそそ。宮本武蔵ってさ、どういう信念を持っていたのか 知っている? 知りたいんだけど。
809 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:14
>>806 もう少し考えてごらんよ。まだまだあるよ。
810 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:15
>>801 己の心の内をさらけ出すのは自分を汚すという概念のせい?
811 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:15
812 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:17
>>801 んとね。尊い先祖様以外のものを心のよりどころにするのは
申し訳ないという信念が根付いているから、根付かないのかな。
813 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:18
>>810 マイナス要因ばかりだね。やはり・・・。
我々の持っているプラスのものには、
目が行かなくなってしまったようだ。
814 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:18
>>806 和の精神の犠牲になる人は確かに多い。というか、
現代社会の問題って、そのアタリから噴出するものばっかし。
「唯我独尊」ていうことばが、なぜか悪い意味に用いられることが多い。
これキリスト教的には神の概念のぞけば、真理に結構違いとこに
あるんだけど。
815 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:20
>>812 そうだね、それもあるだろうね。
でも、そういうのはもう後継ぎ程度しかないよ。
816 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:20
>>813 それはちょっと言いがかりでないの?
あなたは日本のよきものが、本当に良いように用いられていると
思う?批判すると愛国心がないとでもいいたいのか?
817 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:21
>>813 マイナスのものではないのですが。。。
心の内をそのまま言ったら争いの元になりますよね。
そういう意味です。ごめんなさい。
818 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:22
>>814 あれは天孫族が国津神達を支配するために
編み出したものだよ。
819 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:22
820 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:23
>>814 つまり天皇制もそこから生まれているのですか?
821 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:24
>>816 ほら、ああいえばこういうだろう?
ちょっと考えて御覧。
>>817 いいや。それもまた本当のことだからいいんだよ。
822 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:25
あけっぴろげな英国の皇室などとは違い 日本ではスキャンダルがないというのも 「和」の精神から来ているのかなぁ。
823 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:25
「和」が、「慈愛」から「同調」へ、いつの間にか変化して しまったんじゃないかな?と思う。 本来の「和」は今のような、差別を生み出したり事実を 変えてしまったり、出る杭を打ったり、そういうものでは なかったと信じたい。
824 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:26
825 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:26
>>821 あなたは「キリスト教は反日」というフィルターが目から
はずせないようだね。
826 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:26
827 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:27
>>820 人は生まれてから死ぬまで孤独であるという意味だと、
仏教の人から聞いたんだが、違うのか。
828 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:28
日本は同調の天才か笑
829 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:29
韓国人の牧師から聞いたけど、 日本人は全体的にチームプレーが上手いって。
830 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:29
>>822 和と言うよりは、タブーが「作られている」からだろうね。
「天皇を賛美しないやつは非国民」的なイメージを植えつけようと
必死になっている人たちがいまだに影響力を持っている。その典型
が昭和天皇が病死する前後の異様な「自粛」。
831 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:29
>>625 キリスト教は日本気候が産んだ価値観には
反対しているだけだよ。砂漠で生まれた価値観だからね。
>>827 それは分かりません。。。仏教には詳しくないです。
833 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:30
和が同調に摩り替わった。 ・・・理論はおいといても、高校生なんかにとっては、現実に 自殺にもつながる問題だよね実際。
834 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:33
>>830 それとは違う問題から、
日本人はキリスト教を受け入れにくいんだよ。
ある欧米人たちは、それに気付きつつある。
835 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:33
>>831 またさっきからの繰り返しに戻ってるのね(笑)。
神の愛は全世界に共通する、と書いた人がいて、
あなたが「ではなぜ日本に根付かない」と聞いたわけ。
その理由をいくら書いても、あなたの「結論」に流そうと
しちゃうんだから、こりゃ話がすすまないわ(笑)。
836 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:33
>>831 砂漠で生まれた価値観とは面白い。
砂漠で生まれたハムスターなら可愛がるけど
キリスト教はいや。か・・・。
837 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:33
ふぁんだくんいるの?
838 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:34
>>834 ええ。伝道のスタイルも輸入品だから
日本人になじむわけないのも無理ないかもね。
839 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:35
孤独を経験しないと、キリスト教は理解しずらい。 それはあるかも知れない。 日本は孤独を「隠す」社会だと、今この毎日にも つくづく感じる。
840 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:36
841 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:36
>>835 残念ながらキリスト教は、それに対応する力を持ってない。
だから、日本人はキリスト教を受け入れられない。
砂漠の価値観では、日本人が理解出来ないのさ。
842 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:39
>>835 私はクリだけど、そのような言い方だと
かえって相手は心を固くすると思う・・・。
843 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:39
>>838 それもあるが、他にもあるよ。
その本質を突くキリスト教ができれば、可能性はあるが、
キリスト教の性格上、それをすることは出来ないのさ。
844 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:39
まあ、分かる気がするのは、 「日本はこれでいいんだ」と思っている人がいる。 「日本人はもっと自由になれる、幸せになれる」と思っている人がいる。 前者が後者を反日だと思うのは必然・・・かもしれないね。
845 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:40
>>843 キリスト教の本質を改善する必要があるかもしれない。
中には「脱キリスト教」というのがあるみたいだけど。
846 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:41
>>843 なんかさっきから思わせぶりだなあ。教えてよ。
847 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:41
>>835 もうひとつ言っておこう。
その神の愛はあなた達には同じにしか見えないが、
我々には、同じものにも別のものにも、見えてしまうということだよ。
848 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:42
849 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:42
>>847 うん。クリになる前の私はそうだったから、それはよく分かるのよ。
自分の中に受け取る前はね。
850 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:44
851 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:46
愛の内にとどまれば、その人は神の内にとどまり、神もその人の内に とどまる、とか。愛は全人類に共通するもの、というよりも個人的な 神とのつながりから見えてくるものだと思う。 その神の内で見出す愛の形は、それこそ人それぞれなのでは。
852 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:48
>>848 赤ちゃんにお茶しか与えず餓死させた25歳のホステス。
赤ちゃんはもちろん不幸だが、あのお母さんは本当に
「救われていなかった」と思うよ。
化粧や洋服を着ることができて、赤ちゃんにベビーフードを
買えないわけがない・・・。自我にとらわれて、
やるべきことができなかった。というのは、本人にとっても
苦しい毎日だと思うし、これから先、自分の生み出した結果に
もっと苦しむだろうと思う。
これは一つの事件だけど、夢を描いてもその通りにできない苦しさとか、
そんなことが日常茶飯事だった。以前の自分を思い出しても。
853 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:48
>>847 もしかしてクリスチャン一人一人の言動や個性をみて
神の愛が違うのだろうかというものかな。
残酷な神だったり、暖かい神だったり、
ブルース・りーみたいな激しい神だったり
そういうものなのでしょうか。
854 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:49
>>844 それは違う。残念ながらそうではないよ。
もしそうであるならば、わざわざここには出てこないよ。
>>845 福音で教えられることとは、一体何かね?
>>846 日本人に備わっているものは、ファジーさだよ。
この曖昧さが、良いようにも悪いようにもこの日本を作り上げてきた。
これをある欧米人達は、素晴らしいとも気付き始めたのさ。
しかし、キリスト教にはファジーさがない。
経典の中に神の世界がある。
仏教もそうだから、仏教は無尽蔵の広がりがそこにある。
一方神道は、経典はない。経典で語ることは不可能な世界だからね。
855 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:50
856 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:54
あのー、お願いがあるんですけど、オアシススレ上げてくれませんか?すみませーん。
857 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:54
>>854 >福音で教えられることとは、一体何かね?
隣人を愛する。の本質です。
イエス・キリストの十字架は
高い所からみるものではなく
虐げられている人たち人間とされないような人たちの
側に寄り添うようなもの。
そういう本質を土台にしていないキリスト教は
嫌われて当然だと思う。
それにもう一つ。日本人のプライド。
結局は両方が原因になっていると思います。
858 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:55
>>849 あなたのいっていることと
私の言っていることは意味合いが違うかもしれない・・・。
>>850 簡単にいえば、全てに陰陽があるということだよ。
859 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:58
>>858 陰陽道というものでしょうか。詳しくは分からないけど
神秘主義のものですか。
860 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 12:59
>>857 それだけなら、全ての宗教の中でも実践も可能だろう。
そして、キリストの福音を述べつたえることも可能だろう。
最高神をキリストに変えることもできただろう。
しかし、キリスト教にはそれをする力はない。
861 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:00
862 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:03
>>860 キリスト教に力がないのは、
むしろキリストの偉大な力がますます伝えられるためです。
人にとっては愚かな福音であり、人にとってはまことの福音である。
863 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:04
それぞれの神話の始まりは、ある部分良く似ている。 キリスト教徒は、ついついそれを見過ごしてしまいがちなんだ。 勝手にそれを悪いものが言わせていると決め付ける癖がある。 そして、何かといえば砂漠の理論で打ち負かそうとしてしまう。 日本人のファジーさは、そういうものを嫌う。
864 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:05
>>861 ファジーですね。
そういう気質を持つ日本人にとっては
ファジーさを持つものがしっくりと来るかもしれない・・・。
あなたは悩まれる時にはどのように解決されるのでしょうか。
865 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:06
>そして、何かといえば砂漠の理論で打ち負かそうとしてしまう。 >日本人のファジーさは、そういうものを嫌う。 それは一理ありますね。
866 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:08
>>862 異なった文化で生まれたものを殺そうとするからだよ。
また、殺さなければならない宿命を背負っているからだよ。
867 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:11
>>864 悩みかね・・・。なるようにしかならんものだよ。
そういうふうになっているもんだよ。
868 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:12
あなた方もそうだろう、 努力はするが最終的に神に全てを委ねたりしないかい?
869 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:13
>>866 それが人間の無知さ。です。全くの誤解です。
あなたが本当に神道の道を歩むならば、
神道の真理をまず伝えてみてはどうでしょうか。
870 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:13
悩むことは、良くないことでもあり、良いことでもある。 どっちもよいことだよ。
871 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:14
>>867 何だかあなたが「神」になっているみたいだなぁ笑。
872 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:15
>>870 本当の目的は神道にクリスチャンを改宗させる事では?
873 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:19
>>854 >経典の中に神の世界がある。
え、それ違うよ!!!!
聖書の中には神の世界は「ない」。
神の国は「イエスキリスト」という名の、真理をほかの誰でもなく、
自分の心に受け入れない限り、
神の国は決して存在しえない。
人は真理の宿る神殿であり、神の国も愛も赦しも新生も、
ただその人の中に来る。クリスチャンの歩みは、
自分の魂と主との歩みの一対一だ。
874 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:20
>>869 聖書はきちんと語っているよ。自分のほかには神はないと。
だから、聖書以外のものはことごとく否定されなければならない。
そこから出てはならない。
神道の真理というものは、天地を書であり、
日月がその証明であると解くよ。つまり、答えは無数にある。
875 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:21
>>873 ちょっと待って。ちとアブナイ。少し違うような。。。
あ。私もうまく説明できないけど、
876 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:25
福音というのは、誤解されやすいが 真理を伝えることではなくて、 「真理への道=イエスキリスト」を伝えることなんだよね。 イエスが生きて今おられること、その方は人の心の罪とともに 死なれ、ともに復活され、人の心の中心に 入ってこられ、人を真理の道へ呼び入れる方である、ということ。 真理は、イエスを受け入れた人の中にしか 実現しえない。←ここじゅーよー。 ところが福音を真理とごっちゃにして伝えようと するヤシがいる。真理を与える聖霊に自分がなったつもり?に なってる。 そんなところが問題かもね。これ自分の仮説ね。
877 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:26
>>872 あなた達キリスト教徒は、砂漠の神の元へ行った人達だよ。
我々とは既に別世界の人間だよ。
たまたま同じ世界にすんでいるだけだよ。
神道に改宗させたところで、何の利益もない。
しかし、砂漠の神は自分以外のものを認識しない。
>>873 キリストを受け入れるとは、教義や聖書を受け入れること。
我々のものは、そのようなものは既に必要はないから。
878 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:26
879 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:26
>>874 その聖書とはどんな訳のものでしょうか。
880 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:27
>>877 さっきからさー。クリスチャンを砂漠においやりたくて
しょうがないみたいだねえ。
881 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:29
>>877 あなたの仰せることは、
あまりにもキリストの教えから遠く離れすぎています。
イエス・キリストをご存じではないようですね?
ご存じの方は、そのようにはおっしゃいません。
882 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:29
>>877 >キリストを受け入れるとは、教義や聖書を受け入れること。
なんか間違ってるな・・・・。
883 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:30
>>876 うんうん。分かる気がする。
自分もそういう経験をしているけど
痛かったなぁ。つまずいたよ。
884 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:31
>>880 それはあなた方が自分を砂漠に追いやっているのさ。
そう思うということはね。
885 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:31
>>878 内とか外とかいう区別のない、「神の内」に自らがあることを感じた時、
そこが「神の国」。一度神の内で神の国を見つければ、自分の内にも外
にも神の国が広がっているのがわかるよ。
886 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:33
>>882 ならば、何故その教義と聖書を受け入れるのかな?
それを受け入れないキリスト教とは、キリスト教徒と言えるのかな?
887 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:33
>>878 神の国は神が造られた国。
聖書は、神の国を証明しているものだから、
聖書には神の国はない。と言うのは
ちょっとまずいじゃないかなあって。
888 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:34
>>884 つか、はっきりかいてるじゃん(笑)あなたが。
>あなた達キリスト教徒は、砂漠の神の元へ行った人達だよ。
>我々とは既に別世界の人間だよ。
砂漠砂漠と繰り返す割りに、
その根拠がどこにもないんだけど。
889 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:34
>>879 エホバの証人のものでは無いよ。
一般的に流通しているもののようだが・・・。
890 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:36
>>886 受け入れるとは
イエス・キリストの十字架のあがない。の事です。
聖書とはそれを証明している印。です。
891 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:36
>>888 砂漠の地域から発生したものは、我々は砂漠の神という。
しかし、それを追い返そうと考えることはないよ。
892 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:37
>>890 でも、そこに書かれていることを受け入れなければ、
キリスト教徒ではありえない。そうではないのかな?
893 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:38
>>891 やっぱり日本人としてのブライドが許せないのでは?
と感じるけど。。。
894 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:40
>>992 はっきり言ってあなたの勘違い丸出し。
キリスト教を中途半端に理解して
そのように判断してレスするから、
どんどん続くんです・・・^^;;;
895 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:41
>>893 いや、残念ながらそうではないのだよ。
これには非常に大きな意味があるのさ。
気候と文化の違いが、全く別のものを作り上げたということだよ。
その相違は、非常に素晴らしいのさ。
896 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:41
>>891 勝手な定義しないでね(笑)
>>892 信仰を得るのは「霊」によるので。これがなくては、
聖書を受け入れることはできない。
聖書を受け入れる=救い ではないよ。
897 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:42
>>894 ならば、聖書や教義のないキリスト教は
存在することが出来るかね?
898 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:43
>>895 仰せることは理解していますが
あなたの今までのレスを見ているけど、矛盾だらけです★
どう分析したらいいか困っている私です★
ああどうしましょう★ ちょっと紅茶入れてきます★
899 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:44
>>895 その相違すら作られたのが「神」なのだが。
神様はもっとダイナミックに感じたほうがいいよ。
天地も宇宙も存在した「神」に思いをめぐらすと、
神に国境なぞありえないとわかるだしょ。
900 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:44
>>896 日本からキリスト教が起こったという話は聞いたことがないが?
霊によるものであっても、
聖書や教義を受け入れなければ意味をなさないよ。
901 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:44
キリスト教は都市で発展してきたものだから、砂漠の神、と言うのと はちょっと違う気がするな。キリスト教は、旧約に描かれている神を そのまま神の姿として信仰しているわけではないからね。 キリスト教の神は、旧約の「砂漠の神」とは異質な部分もあるわけだし。
存在した→創造した
903 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:49
国境なんて、何十年かに一回のペースで いくらでも書き換わっちゃうからねえ・・・。 そういう流動的なものに依存する神様が 天地を創造されたとは考えられんぞよ。
904 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:50
>>898 そう。一つの軸をキリスト教は持つからね。
我々は無数の軸を持つから。
>>899 それはあなた達の天主であって、我々の神ではないよ。
神に国境はあるよ。地域が違えば、神に対する考え方も変わる。
人が変われば、神に対する感じ方も変わる。
同じものであって、同じものでは無い。
>>901 基本は砂漠の神だよ。
905 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:52
>>903 多神教なら、それに対応する神がいるから同じことさ。
906 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:52
国境を設けるのはただ人間じゃない? 海にも空気にも陸にも、食物連鎖にも、国境なんて 存在しないもの。
907 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:53
とりあえず神様を「我々の」「君たちの」とするのは なんだかなー。自分の生命の起源でもある方だから。
908 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:53
さて、私はこれにて失礼しよう。 カトリックとプロテスタント、同じ神を奉じながらも反発する両者。 これについて、あの砂漠の神はどう思っているのだろうか?
909 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:55
>>907 我々の神々と、あなた達の天主は対応しないからだよ。
また、対応させたら、君達は嫌だろ?
910 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:56
対応させることは簡単にできるが、 それをしたら君達が一層不愉快になるよ。
911 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:56
狭いのう・・・。
912 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:57
本当に狭いと思うなら、神道を知ってみればいいよ。 でも、それをするとあなた達の躓きの元になる。
913 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:58
「神は国境でわかれる」という意識は、 なかなか消えないものだと思うよ。
914 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 13:59
>>913 そのフィルターから見ると、○○の神 ○○の神って
なっちゃうんだろうかね。
915 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:01
あなた方の神は、カトリックとプロテスタントが 互いに責め合えといっているのかな? また、預言書には十分注意を払うように、言わなかっただろうか? 聖書というものに対する解釈について、 扱いに気をつけるようにいわなかっただろうか。 自分の思いのみで、それを人にぶつけてよいと考えただろうか?
916 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:02
>>915 教会改革はいいことなんだよ。
真理不変だが、人から離れ、また与えられる。その繰り返し。
これは聖霊の導きによるもの。
だからキリスト教は絶えないんだよ。
917 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:04
キリスト教のトンデモ解釈。 生半可なキリスト教の解説本の影響というのはある・・・。
918 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:04
>>914 太陽や月、天と地は同じだが、
民族集団によって呼び方が異なるんだよ。
考え方も変わる。それはそれでよい。
むしろ自然であり、それを知ることで他の面を知ることができる。
そういう歴史から、日本の神道は色んなものも加え、
当然キリスト教の要素も加え(これは失敗を招いたが)てきたのさ。
919 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:05
>>918 神様のバイキングメニューというわけだ。
920 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:06
>>918 さっき「キリスト教は砂漠の宗教」といっていた人とは、
まさか違う人だよね?
921 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:07
>>915 神道も何も同じ。神道の歩んでいる人が
人殺しをしている。姦淫をおかしている。
キリストを信じている人が人殺しをしている。
姦淫をおかしている。変わらない。
神が教えている事は、聖書を読んでいるなら
誰でも分かり切っている事。
それなのに、分かっているのに従わない。
どうして従わないのか。
そこから探るといいと思う。
922 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:07
>>916 人の思いからくるものもあるよ。
聖書か伝承かといえば、
聖書は伝承の一部だと考えるカトリックと
聖書のみのプロテスタント。さて、どちらがただしいか?
こういうところから考えていけばよい話だよ。
923 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:08
>>917 それは言える。過度なリベラリズムの悲しさかも。
924 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:09
>>922 正しさを証明できる人は誰もいない。と思った方がよい。
925 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:10
>>921 神道では、そういう行いも非難されない場合もある。
意味があって起こることだと考える場合があるから。
926 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:11
>>924 ほら、じゃあどちらが聖書的というのも無駄な議論だよ。
927 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:12
>>925 神の本質は赦し(ゆるし)だよ。義人はいない。ひとりもいない。
これは真理。
928 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:12
>>925 そこが危険。だからこそ争いが絶えず、
人は人を殺す。人の罪意識がマヒしている事の恐ろしさ。
929 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:13
930 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:14
>>926 このスレタイは、無意味だよ(笑)。まさしく。
君はここにキリスト教をみて飛び込んできたの?
931 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:14
>>924 ここのスレの事を言っているんですね。理解しました。
私の方は、聖書的と評価する余地はないと思っている立場です。
スレ主が今ここにいればいいけど。。。
932 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:14
>>928 旧約でも新約でも、殺人はOKですが・・・。
933 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:15
福音は赦しだもんね。あ、そうか。
934 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:16
>>928 残念ながら神道でも生きることが優先されるのさ。
戦争にも後に訪れる和があると考えてるよ。
935 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:16
>>928 そのように解釈するからめちゃくちゃになる。
それはクリスチャンも同じ事が言える。
936 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:17
937 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:18
罪の認識があってはじめて、赦しがあるからね。
938 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:18
>>935 そしたらいうけど、旧約の異教徒殺しは悪いこと?
新約でもそういうことをしたけど悪いこと?
違うでしょ、神の命令だからいいことじゃん。
939 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:20
オナニーがいいわるい、殺人がいいわるい、じゃなくて、 人間には汚さ、残酷さがどうしてもあって、 (会社や学校でも普通に感じられるように) だからこそ「主により頼め。主があなたの道をまっすぐにされる」 といわれる。
940 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:21
>>938 ヨシュア記のことね・・・。それはクリスチャンさえも
思い悩んでしまうんです。私も悩みました。
でも、現代における戦争が起こった時・・・
どう対応したらいいのだろう。。。と悩む時があります。
941 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:22
そうじゃなくて、オナニーは悪いし、 殺人は神の命令ならいいんだよ。今はそういうことがないだけ。
942 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:23
>>937 もう赦されているが、罪の意識によって
赦しを確認するという意味かな。
943 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:24
>>940 神の命令なら応じなきゃいけないよ!
神のために命を捨てることはいつでも出来なきゃ
クリスチャンじゃないよ。
944 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:25
>>941 その前に、神がどのような神であるか・・・を知ると
もっといいかもしれない。
あららら。このスレから反れてしまったね笑。
945 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:26
>>940 主が命令する戦争というのは、旧約以降はないでしょ。
国家や教会の命令を神の命令とカンチガイしないことだと思うよ。
日本で、海外で、迫害に非暴力で耐えた先輩クリたちは同じことを
考えたと思うよ。
946 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:26
神道なら自分の良心に従えばよいと考えるそうです。 でも、キリスト教ならやっぱり聖書や教義を調べるよね。 ちなみに私はカトです。
947 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:27
ヨシュア記は、神の命令だから良い、というより当時は神の言葉という 形で異教徒の殺戮や略奪を「正当化する必要」があった、ということ じゃないかな。聖書は人の手で書かれた人の歴史でもあるからね。 実際、当時のイスラエルは、カナンに侵攻して異教徒から土地や財産を 奪っていかなければ生きていけないような、ぎりぎりの状態だったかも しれないわけだし。そもそも、聖書に描かれているみたいに襲撃した町 の住民を次々に皆殺しにしていくような大虐殺が実際にあったかどうか は、かなり疑問なんだよね。
948 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:28
>>946 おおっ。ありがと(T.T)やっと理解できた。。。
949 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:29
>>945 それは色んな解釈が出来るよ。
読み方次第でどうにでもなるよ。
カトリックの中でも色んな意見があるよ。
超保守派は教皇が死刑に反対するのを嫌ってるよ。
950 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:30
>>947 うん。本当に分からないです。私も。。。
あんな残酷なことができるのか・・・。
それにノアの供水なんかも大勢の人が死んだ。
なんてこんな事になるのかって私にとっては謎のままです。
それでもその神を信じているのが不思議だ。。。
951 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:30
>>948 ちなみにうちのじいちゃん、神主の資格もってます。
952 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:31
>>946 信仰とそこから来る確信、そして祈りと御言葉でしょうね。
953 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:32
954 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:32
というわけでちょっと披露ね。 人間は神様の御分霊なんだそうです。 だから、良心に従えばいいそうです。 しかし、相手を責めることはよくないんだそうです。
955 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:33
956 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:34
でも、私の親がキリスト教に入ることには反対しなかったそうです。 「この世界でたくさんの氏子がいる神様なら悪いようにはせんだろう」 といったそうです。
957 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:36
>>950 えっとね、それはユダヤ教になる前の信仰の名残らしいです。
958 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:36
ピオ神父の保護を求める人は、 救われます。
959 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:36
>>957 へ?? あ、アブラハムのことでしょうか。
960 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:37
>>956 もしかしてその神が天地創造主の神かも・・・
961 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:38
聖ピオ神父って、今でも反対説が多いよ。超保守派が嫌ってたりする。 ピオ神父様の言動が、ちょっと神がかり的だったからなんだって。
962 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:39
963 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:39
>>959 自然現象を畏れる信仰で、その時代は多神教だったとも・・・。
964 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:40
アブラハムの前だったと思う・・・。
965 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:40
>>963 ・・・・・??? ごめん。ちんぶんかんぶん
966 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:40
>>961 ピオ神父を嫌っているのは、リベラル派でしょう。
967 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:41
一神教になったのはエジプトに来てからだともいわれています。
968 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:42
>>966 超保守派が最初にあの言動を疑いました。
その流れの人たちは今も疑ってます。
969 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:44
>>966 ビオ神父が神になっているならば誰でも
反対するのは当然なのでは?
970 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:45
>>965 最初は一人の人に一人の神の多神教で、
その後に氏族ごとに神が統一されました。
そのうちに、全ての民族の神が一人神とされました。
モーセが主に会ってこれを確信したと考えられます。
971 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:46
972 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:47
エジプトにも一時一神教信仰があり、 これの影響があった可能性も否定できないそうです・・・。
973 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:47
ピオ神父は、最強ですがな。
974 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:47
>>970 ありがと。ところで
「信仰の名残」という表現の
意味が分からないんですけど。
975 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:49
>>971 ビオ神父に保護を求めれば救われる。というのは
神と同じことをしているという事。
それは神父に限らず、牧師も誰でも。
976 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:50
>>974 ですから、昔は自然を畏怖する信仰だったのです。
今は自然を動かしているのは、主なる神とわかっていますが、
その時はまだ分からなかった可能性があるようです。
977 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:50
何と言ったらいいのかな・・・。神道に似た信仰だったとも・・・。
978 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:51
979 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:51
980 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:52
981 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:54
創世記も色んな氏族の信仰の持ち寄りの可能性も指摘されます。 でもこういうことって神様しか分かりませんよね・・・。
982 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:55
>>980 うーん、ごめん。
書くのめんどくさい。
983 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:55
>>976 ふうん。それはどういう所に書いてあったの?
聖書考古学から分析しているものでしょうか
984 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:56
>>982 だったら意味が違うって書かなければいいのに。
私の方が引っかかったまんまだYO!!
985 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:56
>>983 残念ながら、聖書と他の神話の比較研究からです。
旧約の登場人物たちがいた地域との・・・。
986 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:58
>>985 あららら。さんきゅ。他の神話は信じないたちでねごめん。
987 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:58
ごめんなさい・・・。変なこと書いてしまったよね。 ちょっと研究あるから落ちます・・・。
988 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 14:59
とにかく創世記は信じます★騙されても神はほんものです★
989 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 15:01
>>987 ごめん。最初はむかついた。
聖書をあれこれいじるの好まないんだ。
そのままストレートに神の愛を語る聖書の世界だと
信じているもので。。。
990 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 15:05
>>989 私は聖書の発祥を求めてるからね。
あなたとは違った視点から聖書を見てるから。
>>984 漏れも、昔、ピオ神父についての預言をきいたことある。
彼によりすがるものは、救われるみたいな事。
私(神のこと)は、修道院に1本の木(ピオ神父の事)を植える。
この木の枝と派は、やがて全世界を覆い信じるものは、難を逃れて
この木の下に集まるだろう。
その木は、誠に美しく、見事な果実をたわわに実らせているからだ。
そうして信じるものは、必ずや魂の救済を手に入れることだろう。
つまりピオ神父の祈り、苦行、功徳によって、罪人は、神と秘蹟に
導かれ、回心すると言う事さ。時には、奇跡の恩恵も受けられる。
992 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 15:09
993 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 15:11
994 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 15:11
何だか疲れたよ。。。。聖書のことを論じるのは。 それよりも聖書に書かれている事を そのまま語りたい・・・それはワガママだろうか。
995 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 15:13
イエス様 お願いです。 聖書に書かれてることは 納得できなくても 神様の愛を教えて下さる イエス様 知恵を与えて下さい
996 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 15:15
995
997 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 15:16
イエスのぶどうの木が、ピオの木になっちゃったのよ。。。
998 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 15:17
998
999 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 15:17
999
1000 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 15:17
カトリックの方が聖書的にきまってるでしょ? <結論
1001 :
1001 :
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