562 :
ろんぎぬす:
◎フィリポによる福音書◎
エピファニオス『薬籠(パナリオン)』]]Y,13,2−3
サラミス(キプロス)四世紀(300年代)。
§68 主はあらゆる技を秘儀の中で[行っ]た。
すなわち、洗礼と塗油と聖餐と「救済」と新婦の部屋(のことである)。
註:(1)・・・「救済」も葬送儀礼の一部となる。
§53エウカリスティア(=聖餐、パン裂き)とはイエスのことである。
なぜなら、シリア語では彼(イエス)は「パリサタ」と呼ばれているが、
これはすなわち「ひろげられたもの」のことだからである。
なぜなら、イエスは世界を十字架につけるために来たからである。
§32三人の者がいつも主と共に歩んでいた。
それは彼の母マリヤと彼女の姉(妹)と
彼の伴侶と呼ばれていたマグダレーネであった。
なぜなら、彼の姉(妹)と彼の母と彼の同伴者は
それぞれマリヤ(という名前)だからである。
§55a不妊の女と呼ばれるソフィアは[天]使たちの母である。
そして[キリスト]の同伴者はマ[グ]ダラの[マリ]ヤである。
§55b[主は]マ[リヤ]を[すべての]弟[子]たちよりも[愛して]いた。
[そして彼(主)は]彼女の[口にしばしば]接吻した。
他の[弟子たちは]彼が[マリ]ヤ[を愛しているのを見た。]
彼らに言った、「あなたはなぜ、私たちすべてよりも[彼女を愛]されるのですか」。
救い主は答えた。彼らは彼らに言った、
《彼は彼らに言った》「なぜ、私は君たちを彼女のように愛さないのだろうか」。
563 :
ろんぎぬす:02/07/04 04:47
◎フィリポによる福音書◎
§33「父」と「子」は単純な名前である。聖霊は二重の名前である。
なぜなら、それら(父と子)はあらゆる場所にあり、上方にあり、下方にあり、
隠されたものの中にあり、明らかなものの中にあるが、
聖霊は啓示の中にあり、下方にあり、
隠されたものの中にあり、上方にあるからである。
§125bそれ(寝室)が隠されている間は、悪が働かない。
しかし、それ(悪)は聖[霊]の種子の間から取り去られたわけではない。
彼らは邪悪の奴隷となっている。
だが、もしそれが明らかにされるとき、そのときには、
完全なる光が[あ]ら[ゆ]るものの上[に]流れ出るだろう。
そしてその中にいるすべての者は塗[油を受けるだろ]う。
そのときには、奴隷たちは自[由]となるだろう。
[また]縛られた者たちは解放されるだろう。
§92しかし、生命の木は楽園の中央にあった。また、オリーブの木も。
その(オリーブ)木から塗油の油が生じ、その塗油から復活が〈生じたのである〉。
§90a「人はまず死に、それから甦[るであ]ろう」と言う者たちは間違っている。
もし、人が初めに、生きている間に復活を受けなければ、
死んだときに何も受けないだろう。
§90b洗礼についても人々は全く同様に語って、次のように言っている、
「洗礼は大いなるものである。
なぜなら、もし人がそれを受けると、生きるであろうから」と。
564 :
ろんぎぬす:02/07/04 04:48
§95塗油は洗礼に優っている。
なぜなら、塗油によってわれわれはクリスチャン(油注がれた者の輩)
と呼ばれたのであって、洗礼のゆえにではないからである。
そしてキリスト(油注がれた者)も塗油のゆえにそう呼ばれたのである。
なぜなら、父が子を塗油したが、子は使徒たちを塗油し、
使徒たちはわれわれを塗油したのだから。塗油された者はすべてを持っている。
彼は復活を持ち、光、十字架、聖霊を持っている。
§59誰であれ水へと降りてゆき、何も受けないうちに上ってきて、
「私はクリスチャンである」と言うならば、彼は利子付で受け取ったのである。
だが、もし彼が聖霊を受けるならば、彼は御名の賜物を持っているのである。
賜物を受け取った者は、それを奪い取られることはない。
だが、(それを)利子付で受け取ったものは再び取り戻されてしまうものである。
ある人が秘儀の中に在る場合も[われわれにとって]それと同様である。
§67b(それは)ただ単に父と子と聖霊の名を受けているだけではなくて、
自らのためにそれら(の名)を手に入れた者たちにとってふさわしいことである。
誰であれ、もし自らのためにそれらを手に入れないならば、
別の名前も彼から奪い取られてしまうだろう。
誰であれ、それらを受け取るのは、十[字架]の力の充満の塗油によってである。
使徒たちはそれ(十字架の力)のことを「右のもの、左のもの」と呼んでいた。
なぜなら、その者(誰であれ、それらを受け取る者)は
もはやクリスチャンではなく、キリストだからである。
565 :
ろんぎぬす:02/07/04 05:02
>>505 のを参考に、>またーり東方正教会4 >125 のから疑問。
金口イオアン=ヨアンネス・クリュソストモス(347〜407)
の出身地のアンテオケアから言って、
日本の正教会は、金口イオアン聖体礼儀を礼拝に、
アンテオケア典礼を採用と言う事ですかねぇ?
566 :
ろんぎぬす:02/07/04 05:09
>>562-564から言って、
キリスト教徒の名の由来から言っても、
堅信の塗油や終油など、七つの秘蹟(機密)はやっぱり必要で、
プロテスタントの2つの聖礼典の洗礼と聖餐だけでは不足。
十字の切り方も使徒の頃から「右から左」という伝統だと分かる。
洗礼や堅信の塗油を受けずに勝手にクリスチャンを名乗るのは、
その人間がキリスト教の聖霊においてではないと分かる。