■わかる人(ボランティアさん)は、回答してあげてね!お願いしま〜す。
■回答してもらったら、確認のためにも、お礼をひとことお願いね。
■議論が本格的になりそうなときは、スレを立てて移動してね。
■レス番号が【950】を越えたら、新しいスレを立てて移動してね。
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【2ちゃんねるガイド】
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■付録
・
>>2 2chで分からないことがあるとき キリスト教@質問箱の過去ログ
・
>>3 削除依頼(と、旧スレを倉庫送りにする)方法
・
>>4 転送量問題について
∧_∧____
/(*゚ー゚) ./\
/| ̄∪∪ ̄|\/ みんなの質問箱を、これからも、よろしくお願いします!
|____|/
,,,,∪∪,,,,,
5 :
名無しさん@1周年:02/06/22 23:44
5ゲット☆
>1
乙カレ〜
8 :
名無しさん@1周年:02/06/23 00:22
わかた。
9 :
名無しさん@1周年:02/06/23 00:29
10 :
名無しさん@1周年:02/06/23 00:34
>>1 さん前スレの1です。さっきはURL間違えてごめんなさい。
おつかれさまでした。
>>9それです、どうもありがとう。
あ。ありがとう。でも報告の必要性が判らないのだけど、次からは
申し送り事項から削ってもよくない?
12 :
名無しさん@1周年:02/06/23 01:04
>>11 「自治スレ」への報告のことですよね?
うーん、私も必要性が正直わからない。質問箱立てるときの「伝承」に
よると、そうやるルールらしいんですが。
まあ、大きな手間ではないので、残してもいいかな、とも思いマスが
どうでしょう。
>>12 自治スレ読んできて思ったんだけど、それは、新カテゴリの質問箱を
新設するときの手順じゃない? 要望板の手順書みても、それなら
自治スレで揉んでから要望板に議論のあった自治スレのurl添えて申請、
ということで整合する。既存質問箱の引継ぎではどう考えても必要ない、
有害な遺物ではないかしら。
14 :
名無しさん@1周年:02/06/23 01:37
>>13 この質問箱は、自治スレから始まった質問箱で、
(自治スレに参加しているひとたちが2ちゃん運営側に交渉して、
トップからリンク貼ってもらったり、テンプレ作ったり)、
その上自治スレのみなさんは板が荒れないように、とか
いつも気を使ってくれているわけで。
やっぱり、そういう質問箱である以上、その都度報告した方がいいと思うよ。
他の宗教の質問箱(仏教とか)もそうしてない?
あとはお任せしますが。
15 :
名無しさん@1周年:02/06/23 02:30
旧スレがなぜか無意味にあがるのでAGE
age
17 :
名無しさん@1周年:02/06/23 15:46
対抗ageついで。
今日、ふと本屋に寄ったら
AERAMOOK「キリスト教がわかる。」 朝日新聞社 \1200
なんてのが平積になってた。またつまらない本が出てしまったか、と期待しないで
ぱらぱらめくってみたら、望外の掘り出し物だった。
「入信する気はさらさらないが一応教養として知っとくか」というイケスかない
態度の本には違いないのだが、編集部が各テーマついてかなり的確に最適任者に
執筆依頼を出している(特に教派別自己紹介)ため、この手の本としては驚異的な
情報信頼性といえる。これで1200円は安いぞ。
神は、全てのものを作りました、自分の思い通りに
生きるものではなく、作られたものが自由に考え
自由に行動するように、自由意思を与えました。
それなのに、なぜ、神は、ソドムとゴモラの街を
破壊し、ノアが住んでいる街の住民を皆殺しにしましたか?
そして、なぜ、ノアが神に従順であることに感動して、これから、
人々を殺さない、と決めたのですか? これは、改心をしたという
ことなのですか?
神は、何物にも、変化を加えてはいけないのではないですか?
だから、偉大なるキリスト教の信者の方々が、神に頼みごと
をする行為というのは、本当に頼んでいるのではなく、
自分の心を落ち着かせるために、言っているだけなのでしょうか?
神は、アベルを殺したカインを叱りましたが、これは、聖霊を通してですか?
神は、直接人々に話しをしないので、聖霊を通して話すそうですが、
神は、父、子、聖霊であるから、聖霊も神です。ということは、神が
直接カインに話し掛けたと言うことですか?
神は、偉大なる存在なのに、愚かな、人間に話し掛けるのは
なぜですか? そして、神が創ったものに、神が変化を加えな
いためにも、自由意思を尊重するためにも、話し掛けては
いけないのではないですか?
19 :
名無しさん@1周年:02/06/24 10:23
吉祥寺に行くと「手相見せてください!」って
明らかに裏に何かありそうな笑顔で話し掛けてくる
女の人に出くわすんですけど、どこかの
宗教関係者なんでしょうか?
22 :
名無しさん@1周年:02/06/24 11:51
>>19 ここでもいいけど。で、手相見なら十中八九、統一協会だね。
23 :
名無しさん@1周年:02/06/24 12:06
>>18 前にも見たな、それ。たしか
>神は、何物にも、変化を加えてはいけないのではないですか?
の根拠を示してくれるようにお願いしておいたはずだが。
なにしろそんなルールは聞いた事が無いから。
被造物は即ち神の所有物なので、どうされようと文句は云えない。
ただ、幸い、神は嘘がつけない体なので、「もうやんない」って
いったらほんとにやんない。また、たまにキレたとき以外は話が
わかるオヤジである。
これは、ユダヤ教から引き継いだキリスト教のお約束のひとつで、
「そんなコントロールが利かない神はヤだ」という事なら、無理に
信じろとは勧めないが、人がどう妄想しようと否定しようと、
それに合わせて神が変化したりはしなかろ、もし実在すれば、だが。
24 :
名無しさん@1周年:02/06/24 13:00
>>14 あくまでも推測。
質問箱側からすると必要ない(現在は)。
ただ自治スレやテンプレサイト(夜間は激重なのと、最近更新されていないので
あんまり意味はないかも)を主に利用している、というより運営している読者
で、なおかつ質問箱読者ではない「宗教板」住民にとっては、
自治スレへ報告があると、全質問箱をいちいちチェックしなくて便利なの
かもしれない。
ちなみに自由意志を認める場合でも、必ずしもアルミニウス主義だけが
選択肢ではないだろう。古代以来の正統信仰は基本的に自由意志論を支持
している。
25 :
名無しさん@1周年:02/06/24 16:24
>>18 >>23 さんに同じく、自分に回答できることあるかも知れないし、
あなたのような議論をもたれる方とお話したいと思うのですが、
何しろ
>神は、何物にも、変化を加えてはいけないのではないですか?
このご意見の出所がわからない・・・。
地上のものは破壊され、蘇り、その繰り返しです。
神のことばは永遠に立ち、しかし地上にはすべて時が与えられています。
教会ですら、そうです。時間とともに失われていく真理は、
再び神の御手により新たなものが与えられ蘇る、そのくりかえしでした。
人も同じで、地に属する魂を持ち生まれる人間は、
神のことば=イエス・キリスト
によって、聖書の喩えどおり、その「剣」によって、地からはがされ、
天に属するものとなります。
これは他の何者にも仕えず、イエスを真理として主として受け入れたもののことです。
天に属するものには聖霊が与えられ、祈りは聖霊に従うものであれば、
聞き届けられます。
「頼みごと」というのは、こういう祈りのうちにあるのなら、神に聞き入れられます。
皆さん、こんばんは。神様にやっつけられた、なんとか地下から這い上がってきました。
>>23 偉大なるラビよ、御質問します。
神は、自由意思を持った人間を作りました。
それは、人間を神の思い通りに操るのではなく、
人間に、神の存在を認識させ、神を愛し、良い人間、
信仰を持った素晴らしい人間として生活を送らせるが
目的でした。人々が、強制されることなく、自ら神を
祝うことを、神は求められ、人間を作られました。
それなら、悪いことをしていた、ソドムとゴモラの街の
人々を殺すのは、人間の自由意思の尊厳と踏みにじり
神が、人間を自分の思い通りにさせたい、神にとって
嫌な人間は殺したい、という感情が起り、殺したのではないですか?
そして、なぜ怒るのですか? 怒るという行為、自分の価値観
に合わない、自分にとって不愉快に感じたりするから怒るので
はないですか? 完全な神は、怒ったりしないのではないですか?
怒りも、笑いも、泣きも、喜びもしないのではないですか?
神が地を這う生き物を作ったとき、これを見てよしとされたのに
なぜ、ノアの方舟のときに、一部の動物を残し、殺しましたか?
そして、なぜノア以外の人間を殺しましたか?
ゴゴゴゴゴゴッ、バキバキバキ
「ち、地が裂けた! うわっ、落ちる、落ちるっ、落ちる〜、うわっ〜〜〜〜」
皆さん、こんばんは。神様にやっつけられたタダンです。
なんとか地下から這い上がってきました。
>>25 神の自由意志を与えられた人間を殺したりしては逝けないのではないですか?
地を這う生き物を殺しては逝けないのではないですか?
何物にも、変化を銜えてはいけないというのは、
もし、加えていいのなら、戦争とかないでしょう。
神が、自分の思い通りに全宇宙を時々いらうということは、
不完全な物を作ったと言うことではありませんか?
人間が殺人を犯したり、罪を犯したりするのは
神が不完全なものを作ったからではないと思うです。
自由意思があるので、人間が罪を犯しても、別に
良いと思うのです。ただ、神は、人間を神を愛し、神に
仕えて欲しいのだと思うのです。大雨でも、台風でも、
全ての物を完全に作ったのに、あとから変化を加えると
いうのは、失敗作を作っていたと言うことではないですか?
>地上のものは破壊され、蘇り、その繰り返しです。
これも神がそのように創られたのではないですか?
>教会ですら、そうです。時間とともに失われていく真理は、
>再び神の御手により新たなものが与えられ蘇る、そのくりかえしでした。
真理というのは、不変の物ではないですか? 時間と共に
変わるのは、真理ではないのではないですか?
しかし、真理というものはないのではないですか?
>その「剣」によって、地からはがされ、
>天に属するものとなります。
これは、信仰によって、天国に行くというkとですか?
>天に属するものには聖霊が与えられ、祈りは聖霊に従うものであれば、
>聞き届けられます
これは、まさに、神の一部である聖霊様に、願いをいい、良いことなら、
叶えてもらえるのなら、神に願いをかなえてもらうために、信仰を
持つ人が出てくると思うのです。神は願いをかなえるためにいる
わけではないと思うのです。神は、人間の願いをかなえる
道具ではないし、人間の子分でもないと思うのです。
ゴゴゴゴゴゴッ、バキバキバキ
「ち、地が裂けた! うわっ、落ちる、落ちるっ、落ちる〜、うわっ〜〜〜〜」
28 :
名無しさん@1周年:02/06/24 21:40
子供の頃にテレビやゲームに熱中しすぎると親に
「いい加減に勉強しなさい!」と怒られた。
当時は、「何だクソおやじ」とか「クソばばぁ!」
と思った。当時は、親が何を考えているのか理解
できなかった。
しかし、20歳を越えると、あるいは子供を持つと、
親の気持が理解できるようになる。
主なる神も同じ。ある時点で、主なる神が何を意図して、
私をこういう目に遭わせるのかわからず、「神様何がしたいのですか?」
と問い掛け、あるいは、「やっぱり神様なんていないんだ」と妙に
納得し、神様の意図が理解できない時もあるが、後で振り返れば
あの時の私にも主なる神は目を向けていてくれたのだ、あるいは
神様の意志を感じ取れると言う経験がある。
父なる神は永遠に我々の父であり、我々は永遠に出来の悪い子供
である。おろかな羊である。
しかし、そんなおろかな我々一人一人に主なる神は目を注がれ
我々一人一人を愛を持って見つめておられる。
ダタンさんちょーと、天と地や、魂と霊について、
意味取り違えていらっしゃらないかな〜?と思うんだけど。
たとえば、この世は人と同じく、地に属しているわけさ。
争いも、破壊されるものも、うつろうものも、何もかもさ。
人の魂が地に属すからこそ、争いも、悪もあるわけだ。
滅びさるべきものとして。
そういうわけで、
真理は不変だが、それは人から「離れて」いくものなんだよね。徐々に。
今地下にいらっしゃるそうだが、次に這い上がってきたら、
(一日二回くらいかな)、下のページでも読んでみてくださいな。
http://www.mars.dti.ne.jp/~at-grace/doutei.html めんどくさかったらそういってくれ。たぶん面倒だろう・・。ページ多いし。
>これは、まさに、神の一部である聖霊様に、願いをいい、良いことなら、
>叶えてもらえるのなら、
聖霊に「願いを言う」のではないのですよ、祈りって。
まず自分の魂がある。主イエスの赦しに預かったことを
受け入れるものは、その魂が地より離れ、天に属し、聖霊が与えられる、
魂は「かみのことば」を日々食物として取り入れる。これが、聖書にある
「人はパンによってのみ生きるのではありません」の意味ね、
そしてかみのことばに養われる魂は、聖霊とむすびつき、「聖霊と共に」
歩むわけです。
聖霊は神から出たもの、神と同一の方、
だから、人は聖霊の宿る神殿といわれるわけです。
>神に願いをかなえてもらうために、信仰を
>持つ人が出てくると思うのです。神は願いをかなえるためにいる
>わけではないと思うのです。
「願い」は、本来地に属す私たちの歩みの中で生まれるもので。
主イエスは、地に属す私たちを全く新しいものに作り変えてくださるわけですよね。
て、聖書に書いてあるんですけど、
>神は、人間の願いをかなえる
>道具ではないし、人間の子分でもないと思うのです。
聖なる方、不変の真理の方である神は、そのご意志を完全に遂行されます。
>>26 タダン 1
その呼びかけは個人的にはキモいが、君のスタイルということで
よしとしよう。
> 神は、自由意思を持った人間を作りました。
…
>祝うことを、神は求められ、人間を作られました。
祝う、という語のニュアンスがやや引っかかる以外は、
ここまでの文脈は聖書宗教の説くところとおおむね一致している。
(迂闊な者だと自己相対化を失念して「正しい」などというかも
しれないが、煩雑なのでここから先は私も失念する事にする)
>それなら、悪いことをしていた、ソドムとゴモラの街の
>人々を殺すのは、人間の自由意思の尊厳と踏みにじり
>神が、人間を自分の思い通りにさせたい、神にとって
>嫌な人間は殺したい、という感情が起り、殺したのではないですか?
君には忘れている事があるような気がする。一つは「神は審判者」
即ち「神自身が法であるという」ということ。
たとえば、俗世の法廷の死刑判決だって判事が被告に憎しみを抱いて
出すものではない。
>>26 タダン 2
>そして、なぜ怒るのですか? 怒るという行為、自分の価値観
>に合わない、自分にとって不愉快に感じたりするから怒るので
>はないですか? 完全な神は、怒ったりしないのではないですか?
>怒りも、笑いも、泣きも、喜びもしないのではないですか?
もう一つ、忘れているようなのは「神は義」であるゆえ
「悪を憎む」ということ。そして、「感情」が「ない」ほうが
「ある」より完全だ、という君の主張は理解に苦しむ。
「情」自体が不完全の産物と説く、東洋ではメジャーな
宗教が別にあることは知っているが、聖書宗教ではそうとは
しない。
>>26 タダン 3
>神が地を這う生き物を作ったとき、これを見てよしとされたのに
>なぜ、ノアの方舟のときに、一部の動物を残し、殺しましたか?
これは明らかに不義なる人の巻き添えを食っただけだと思う。
人間を神の似姿としてことさら重視したがる聖書宗教は、それ
以外の生命にそれほど敬意を払っていない節がある。
>そして、なぜノア以外の人間を殺しましたか?
時系列的にソドムやゴモラと逆だが、「不義」が蔓延したので
という理由は同じ。
それから演技指導。聖書の神のオシオキは「床が開いて落ちる」
ではなく「雷が落ちる」らしいというのが定説。次回に期待。
皆さんこんにちは、いろいろと新しい知識を教えてくれて
ありがとう。
>>27でタダンって書いたけど、ダタンの間違い。
モーセの敵で神にやっつけられたダタンです。
十戒という映画に出てきてて印象深かったから
使ってみた。
> 神は審判者、神は義
ということを忘れていました。
でも、なぜ神は戦争を止めないかというと、
それは放蕩息子の例えが答えですか?
神は、人間が神の元に返ってくるのを
ただじっと待っているのですか?
神は、審判者で、神が義がある人なら、
神が戦争してる人を全員殺せば良いのではないですか?
おっ、雲行きが怪しくなってきたな。
バリバリバリっー
「あっ」
というと同時に、雷は、私の体を一撃しました。
「うわっっっっーーーー」
今までしてきた悪行の数々の記憶が
走馬燈のように甦ってきた。
ダタンは見るも無惨な黒焦げになり死にました。
35 :
名無しさん@1周年:02/06/25 22:33
>>34 >神は、審判者で、神が義がある人なら、
>神が戦争してる人を全員殺せば良いのではないですか?
ん?よくわかんない。
あとから裁かれるのが問題ってこと?今裁いて欲しいってこと?
戦争虐殺みんな神の摂理。
え!、キリスト教の神の話をしているんじゃなかったの?
39 :
名無しさん@1周年:02/06/26 10:03
神さま、早く戦争してる奴等を殺せよ。
40 :
名無しさん@1周年:02/06/26 12:24
>>39 すでに殺しあってるじゃん。戦争している奴等が救われないと意味が
ないと思われ。
41 :
名無しさん@1周年:02/06/26 13:40
戦争には、悔い改めと慰め。が必要だと思う。
まず自分に出来るところから・・・。
42 :
名無しさん@1周年:02/06/26 14:22
神は、自分で殺すだけでなく信者にまで異教徒の皆殺しと異教徒からの
略奪や異教徒の土地の侵略を命じているけど(申命記・ヨシュア記)、
これも神から見て他の神をあがめる異教徒が「不義」だったから、という
ことなのかな。神の命令で異教徒を殺しまくり異教徒の土地や財産を奪い
まくった神の信者たちの行為は、「義」のためのものだった、と。
殺すな、盗むな、と言ったモーセも「カナンの異教徒は皆殺しにしろ」
「カナンの地を奪い取れ」と言っているしね。
43 :
名無しさん@1周年:02/06/26 16:11
出エジプトしてきて支配層に納まったのはレビ族だけで、残りの11部族は
同化したカナン現地人だ、という説がある。根拠はレビ族特有の習慣、特有の
人名にのみエジプト文化の影響がみられる、というもの。
その説によると、ユダヤ国家統一の為の共同幻想として、
皆でエジプトから来たんだ、なにしろ、ここにもともといた奴らは
そんとき神の命により皆殺しにしてしまったんだから、おまえらが
その子孫なはずないだろ
という神話をでっち上げた、と見ている。大体「神」の普通名詞と
説明されている「エル」ってのも、もともとカナンの主神名だという
ヤツもいるくらいだ。これらの説の、しかるべき学会における評価が
どんなもんだかは、知らないけど。
44 :
名無しさん@1周年:02/06/26 16:31
>>43 実は、聖書でもイスラエルはカナンの人たちを「皆殺し」にはしていない。
最初の頃は神に命じられたとおり襲った町の住民を皆殺しにしていったが、
後には住民を奴隷化するようになった(土師器)。
だから、イスラエルの征服地にはカナンの人たちもかなり残っていたんだよ。
45 :
名無しさん@1周年:02/06/26 18:59
>>42 ユダヤ人が自分らの侵略を正当化するための創作と思われ。
蛮行もデッチ上げもすべて神の摂理なり。
おい、おまえらマターリ汁!
47 :
名無しさん@1周年:02/06/28 20:31
age ついで2
新スレ立ったときの自治スレへの報告条項について自治スレに問い合わせた
結果は、
実行は任意だが条文そのものは以後も残すように
とのことでした。
48 :
名無しさん@1周年:02/06/29 16:39
どこで聞けばイイのかわかんなくて、ここにカキコしました。
ある人の口から、最近しきりに“ジーザス・ファミリー”という
キリスト教団体の名がでるようになったのです。
私自身初めて聞く団体なのですが、
「今度その団体の集まりがあるから、ぜひ来てよ!」と言われ
内心困っています。
気軽にいっちゃって大丈夫なのでしょうか・・・。
ムカーシ話題になってた“愛の家族”とは関係無いですよね?!
はじめまして。実は2チャンネル昨晩が始めてで質問を書き込みましたが、自分
が何処のスレッドに書き込んだか解らなくなってしまいました。従ってもう一度
同じ質問をさせて下さい、又、昨晩お答えして頂いた方がいらっしゃいましたら
大変失礼致しました。
最近読んだ書籍の中でキリスト教にはあまり触れて欲しくない話題があり、
それは大変残酷な出来事だったようです。新約聖書か旧約聖書でもそれに付いては
さらっと流す程度で詳細は記述されていないとの事です。それはどういう内容なの
でしょうか。又、一般的には何と称されている出来事なのでしょうか。ご存知の
方いらっしゃいましたら是非、お教え下さい。
52 :
名無しさん@1周年:02/06/29 19:49
聖絶トハなんデスカ?
53 :
名無しさん@1周年:02/06/29 19:50
>>50 思い当たる事がたくさんありすぎてどれだか分からない (w
寄付金を出し渋った信徒(アナニヤとサッピラ)を使徒パウロが叱りつけたら
心臓麻痺か何かで即死してしまった話かな。
諸君よ、説明しよう。聖絶とは、
「ほかの神々とその信奉者及びそれに属する物を主の憎むものとして完 全に滅ぼし尽して主にささげること」
ということである。
説明しよう。
>「ほかの神々とその信奉者及びそれに属する物を主の憎むものとして完 全に滅ぼし尽して主にささげること」
の他の神とは、ユダヤ教、キリスト教、イスラームが崇拝する
ヤーウェや、アッラーなどと呼ばれる神以外の神のことである。
主とは、ユダヤ教、キリスト教、イスラームが崇拝するヤーウェや、
アッラーと呼ばれる神のことである。
皆さん、聖書全部読みましたか?
聖書を買いましたが、とても長いですね。
眠たくなってきませんか?
聖書にはどんなことが書いてあるのか、ということを
載せてある本の方が読みやすいと思うのですが、
皆さん、聖書は好きですか?
57 :
名無しさん@1周年:02/06/29 20:28
マルオ君
ズバリ! 聖書が好きでしょう!
ハナワ君
「霊媒師くん、聖書は好きだよ。」
58 :
名無しさん@1周年:02/06/29 20:31
60 :
名無しさん@1周年:02/06/29 21:13
聖書、全部読んだこと無いです
読みたいとも思いません。
やたらと聖書読ませたい牧師もいるけどね。
61 :
名無しさん@1周年:02/06/29 22:57
マルコ 5:21〜34を解説して下さい。
63 :
:名無しさん@1周年 :02/06/30 19:17
今日、都内の日曜礼拝出た方で説教の内容と、聖書の場所、牧師さんのお名前
教会の名前を教えてくださる方いませんでしょうか?。
どなたかお返事くださいです。
ご回答ありがとうございました。もう少し勉強してから具体的に質問するように
致します。確かにその手の出来事は1つや2つではないみたいですね。
65 :
日本人2→日本人2002:02/07/01 03:03
なぜ聖書は言語のような不安定なものであらわされたのでしょうか?
例えば日本語でも2000年前の言葉など現在では使われていないものが
あります。また、なぜ特定の言語が選ばれたのでしょうか?
基本的なこととは思いますが、なにかご回答をお願いします。
66 :
名無しさん@1周年:02/07/01 03:33
福音書とは何ですか?それぞれの教団のテキストですか?それともただの活動録ですか?
68 :
名無しさん@1周年:02/07/01 03:54
じゃあ、マタイやマルコ・ルカ・ヨハネが伝導していた時のテキストではないのですね。
>>68 福音書は、彼ら自身が書いたものですよん。
70 :
名無しさん@1周年:02/07/01 04:03
ということは、偉人伝みたいなものですか?
ナザレのイエスとともに生きてますから、永遠の生命をもっていますが、
何か?
ゴーダマの弟子なので、46億年後に仏になることは 自動的に決まって
ますが何か?
神社にいったら お賽銭を5円いれますけど、何か ?
>>70 今度読んでみるといいよ。
福音書とは、「よい知らせ」と言う意味だよん。
73 :
名無しさん@1周年:02/07/01 10:51
>>53 そのころサウロは異端イエス派撲滅切込隊長として
活躍してたような気がする。
74 :
名無しさん@1周年:02/07/01 11:01
>>65 人間、それも平民に読めなきゃしょーがないから、
あるいは、所詮人が書いたものだから、です。
霊感云々というひとと喧嘩する気はないが、すくなくとも
天から降ってきたわけでも、天界リモコンなお筆先でもない
のだから。
75 :
名無しさん@1周年:02/07/01 11:09
>>68 その理解で正しいと思う。連中の教団がそれぞれ生み出した文書、
ということで。マタイとルカは先にあったマルコをパクってるけど。
そのほかにパクリ元になったナニカがあるんじゃないか、と想定され
てるのが、数年前に話題になったQと仮称される資料だが。
76 :
名無しさん@1周年:02/07/01 11:30
ラビ!お尋ねしたいことがあります。かつては神の名がエホバと呼ばれていたのに近年ヤハウェやヤーウェとよばれるようになったのは何故ですか?
77 :
名無しさん@1周年:02/07/01 11:46
>>74 私も「所詮人が書いたものだから云々」というひとと喧嘩する気はないが、
今実在するイエスを毎日の暮らしの中で感じている人に
とっては、神の筆先←(?)、神の霊感によって書かれたというのが
最もしっくり来てしまうのですよ。
そういう人たちが最もよく聖書を読んでいる人たちでもあるわけで、
「所詮」と括る人ほど、読んでいない人ではないかと思ってしまう。
78 :
名無しさん@1周年:02/07/01 11:55
79 :
名無しさん@1周年:02/07/01 12:02
ダタンじゃありません。ラビ、お答えくださってありがとうございます。
80 :
名無しさん@1周年:02/07/01 21:55
祈りの意味が良く分かりません。
神様のなさることは完璧です。祈る余地などあるのでしょうか?
不完全な者が、完全な者に向かって口を出したり、
することに注文を付けて良いのでしょうか?
自分が不完全と自覚している人間でさえ、不備を指摘されると
腹を立てます。祈り=冒涜、と言えなくも無いと思います。
81 :
名無しさん@1周年:02/07/01 22:11
>>80 >不完全な者が、完全な者に向かって口を出したり、
>することに注文を付けて良いのでしょうか?
イエスを受け入れたものは既に、神によって作りかえられているんだよね。
神の前に雪のように白く、とにかく祝福された人であると。
それをまず自覚することは、クリスチャンとしてとても大事だと思う。
神が、私はあなたを祝福する、私の目に義である、と言ってくれているのに、
「いえ、自分は祝福されていない、義ではない、汚れている」
というのは、イエスが自分の罪を洗い流してくださったことを
否定してしまいかねない。また、祈りが聞かれないというのも、
こういう「祝福を否定する自分の心」に起因することが多い。
ひとたびイエスを受け入れたら、私たちはもうイエスの中にあり、
イエスが神の中にあったように、私たちも神の中にある。そして私
たちの中にはイエスがおられ、神がおられる。それをまず自覚することだ。
「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの
内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえら
れる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによっ
て、わたしの父は栄光をお受けになる。」
大胆に御許に近づき、大胆に願うことができる。これはすべて、主の恵み。
祈りにはもう一つ、とても大事な役割がある。自分の魂と聖霊を絶えず
結び付けておくということ。
人間の心は、人間が体をもつ限り、聖霊から離れていくのも容易なわけだ。
だから祈り、御言葉を読み、主と交わる時間を持つこと
は本当に大切。御言葉を自分の内に取り入れ、聖霊とより結びつかなくては
ならないから。だから御言葉は聖書において「食べ物」と表現される。
この食べ物(=みことば)と祈りと共に、
私たちはクリスチャンとして成長していくし、実を結ぶことができるようになる。
クリスチャンは、主にあって大胆でなければ。
主の祝福を自覚してしまうと、聖書を読むのも祈るのも、
楽しくてしょうがなくなるよ。これがないと一日を始められないという
気持ちになるよ。
>>81-82 回答してくれるのはありがたいですが、
質問の意味を理解していますか?
祈りには
「神様、あなたのやりかたは間違っています」
「私の考えの方が正しいです」
「そんなやり方はよして、私の言う通りにしなさい」
という思いが伴います。
それは、完全に神様に逆らうことです。
故に祈りの意味が理解できないのです。
>>81 私は真剣に悩み、まじめに質問をしています。
このような矛盾した回答はやめて下さい。
>イエスを受け入れたものは既に、
>神によって作りかえられているんだよね。
イエスを受け入れる前の子供だって祈りますよ。
84 :
名無しさん@1周年:02/07/01 22:50
神って入れ物?
85 :
名無しさん@1周年:02/07/01 22:51
>>83 あなたはクリスチャンですか?「祈り」とひとことに
いっても、それによって回答の仕方は変わるかもしれないです。
86 :
名無しさん@1周年:02/07/01 22:52
クリスチャンには、神にストレートに祈る
「イエスキリストという特権」があると理解するものいいかも知れない。
87 :
名無しさん@1周年:02/07/01 22:54
>>83 >「神様、あなたのやりかたは間違っています」
>「私の考えの方が正しいです」
>「そんなやり方はよして、私の言う通りにしなさい」
>という思い
別にいいんじゃない?子供が親の意図を分からないというのは、
ごく自然なこと。自分の心を押し殺して親に従ってもADになるだけ。
クリスチャンの女性は、オナニーは禁止されているのですか?
>>86 83の最後の一行を読んでください。
>>85 あなたの書き込みは混乱をもたらしているだけです。
90 :
名無しさん@1周年:02/07/01 22:57
はい。でもManthulyなら大丈夫です。
91 :
名無しさん@1周年:02/07/01 22:59
>>88 禁止というのは聞いたことないけど、情欲に溺れないこと、心の中で
姦淫を犯さないこと、とあるので、オナニーする時点でそうなってる
可能性はある。そう考えるとやらない方がいいかもね。
我慢できなくてやっちゃう人もいるんじゃないですか。
しかし毎日主と交わる生活していると、本当に不思議なくらい、
性欲ってコントロールできます。自分もエロサイトすっかり行かなく
なりました。興味がなくなった。
92 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:00
祈りとは神との対話。
祈ることによって神が変わるのではなく、自分が変わる。
謙虚な心にこそ神からのものが流れ入って来る。
傲慢で溢れかえった心には神からのものは何も
入って来ない。
「砕かれた心」というのはそういうこと。
93 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:01
>>80さんは、何を聞きたいのだろう?
「祈りは冒涜」?そんなわけないでしょ。
95 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:05
>>94 つーか、あなた本当に何が聞きたいの?
真面目に応えている人にちょっと失礼じゃないか?
96 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:11
>>94 私は、「神は人の祈りを必要をしていない」と言うことを
前提にしなくてはいけないと思います。
では、なぜ「祈る」のでしょうか。
自己を啓蒙するためではないでしょうか。
自分を聖書、すなわち神が啓示する事柄に近づけるために
行う事柄が「祈り」だと思います。
自己啓発ですね。(極端かもしれませんが)
この方は「祈り」について疑問を感じておられるのです。
皆さんわかりますか?私もわかりにくいことだと思います。
少なくとも「呪文」の類ではないでしょう。
いっしょにかんがえてみてはどうなのでしょうか?
97 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:14
>>96 聖書に答えがあるからねー・・・。
祈ることを薦めているし、だいたいが、イエスを受け入れた人は
神の前に義なんだよね。
だから、いっしょに考えるのはいいが、もし考えるなら前提論である
「不完全なものが口を出していいのか?」というところから、考えなおさないと
いけないかもよ。
クリスチャンは、「なんでも願いなさい」と言われている立場なんだから。
>>85が「あなたはクリスチャンですか?」と聞いたのは、そういう立場の
違いがあるわけで。主が罪をあがなってくださり、私たちは
神の前にすでに完全なものである。これを抜かしては、クリスチャンの
祈りの話はできないわけですよね。
アブラハムは、神がソドムを滅ぼそうとしたとき
正しい者もいしょに滅ぼすのか?と問い、
五十人の正しい者がいても滅ぼすのか?
人数を徐々に減らし、45,40、30、20、10人なら
滅ぼすのか?と問い、祈りを中断しています。
本来ならば、祈りはもっと続いたはずです。
5人なら、3人なら、1人ならどうか?と問うつもり
だったと思います。
アブラハムは、祈りによって神様に逆らっていることに
気付き、祈れなくなったのだと思います。
80よ。
自分が正しいと思うなら、それをするがよい。そのために私は汝等に自由意志を与えたのであるから。
ただこのことはわきまえておきなさい。何かを正しいと考え、何かを間違っていると考えるのは汝等の主観であって、汝等の認識の中には正邪はないのだよ。
正しいのは私のみであると書いてなかったかな? そして、やがて汝等は真実に気付くであろう。
>>95 95以前に、まじめに答えた人などいません。
101 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:18
違う。
102 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:20
わがままな質問者だなー(笑)。
103 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:20
何時どこで聖人の偶像を造るようになったのか、教えてください。少なくとも最初のキリスト教徒はそのようなことはしませんでした
104 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:21
>>97 >主が罪をあがなってくださり、私たちは
>神の前にすでに完全なものである。
そんなことはないよ。完全ではない。
何か勘違いしている。
105 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:21
>>97 みな不完全なものです。完全なものは神様だけです。
クリスチャンであるかどうかはこのような問題の前において
問題になりません。真摯に各個の考えを述べるべきだと思います。
聖書に答えがあるから聖書を読みなさい、と、そういう考えですか?
私はそれぞれの考えを述べるべきと思います。
>>96 質問の意味を理解して下さって感謝します。
107 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:23
>>106 あなたの疑問は誇るべき疑問だと思っています。
108 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:24
>>104 完全なものになるよう云われているが、「完全なもの」ではないよね。
ただし、神の前に「義」とされている。
110 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:26
>>108 クリスチャンの祈りは、「イエスの贖いありき」なわけで、
そうでない状態で、自分中心に祈るなら、あるいは冒涜かもね。
111 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:28
>>96 >私は、「神は人の祈りを必要をしていない」と言うことを
>前提にしなくてはいけないと思います。
なんで?
>>108 いずれにしても、人が神より正しいはずはないのです。
祈りは、完全に正しい者のすることに口を出すことに
なり、理解出来ません。
114 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:33
祈るのは神との対話。
神は人が話し掛けてくれることを願っておられる。
決して神に口出ししているのではない。
115 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:33
107の祈りはいやみったらしい祈り?
116 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:35
主は主の祈りを教えてくださったではないか。
118 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:36
主が祈っていーよ。っていってくれてるから、祈るんではないか?
119 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:37
>>109 107です。ややこしくてすいません96を書き込んだものです。
いやみではなく、価値ある疑問だと思っています。
120 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:38
神を冒涜したかったらいくらでもすればいいじゃない。神を冒涜しても神はいっこうにかまわないよ。悔い改めれば許すってゆってるもん。
基地外キリシタンが多くて困ってますどうしてですか?
あほなキリシタンが増えて困ってます。どうしたら良いですか
>>118 神に逆らうことである祈りが、
どうして「いーよ」ってことになるのか?
というのが質問ですが。
124 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:44
例え冒涜になるような祈りであっても許してもらえるからね。
昔エズラが同じような祈りをしたけど余計知恵を増し加えられたよ。
まともな回答を誰かして下さい。
又、逆に、
回答の出来ない人が、
どうして祈れるのか理解に苦しみます。
127 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:51
>>126 96です。
あなたは祈りの意義を見出せないのですね。
なぜ、それ程他を貶めてまで(自己本位に)
祈りの意義を他から求めるのですか?
128 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:54
>>126 人が神の前に正直になる手段は祈りしかないと思うのだが・・・。
そうなってから、段々と完全なものへ成長させてくれるんだろう。
生活の中で神と交わらなければ、何もはじまらないし、
人間はもともと我侭だから、神のご意志と反対の祈りだってするだろう。
これは人間であるからしょうがない。
そんなことは良くわかっているから、病人も罪人も私のところに
来なさい、私が道です、祈りなさい、と言ってくださるのが
イエスで、クリスチャンとはその恵みに預かった人のことをいうのだが。
(ここキリ教質問箱だし)。
>>80さんはさっきから、イエスの罪の贖いに関する回答を
一切黙殺されて、その上で「まともな回答を誰かしてください」と
云っている。祈りが冒涜にならないのは、イエスの罪の贖いに
あずかったからだよ。この方抜きには語れないんだけど、
『イエスに結びついたからこそ罪人である我々も祈れる』
このことを思うの?これは否定?
>>126 あなたは質問の意味だけは理解したようです。
回答をよろしく。
最後の行の「このことを思うの?」は、「このことをどう思うの?」
の間違い。
131 :
名無しさん@1周年:02/07/01 23:57
祈りは願いです。願いを神様に伝えることが祈りです。したがって祈りは私のためであり、たまにあなたの為です。
しかし私の祈りは神様に後回しにされ日本は負けました。神様お願い、せめて阪神だけでもご加護を。
132 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:01
ところで神に祈るものって何ですか?自分の主張ですか?それとも求めるものがあってですか?
133 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:01
>>128 >イエスの罪の贖いに関する回答を 一切黙殺されて
黙殺してませんけど。
>『イエスに結びついたからこそ罪人である我々も祈れる』
イエスを受け入れる前の子供だって祈りますよ。
と言いましたけど。
あなたの教会では、イエスを受け入れる前の人に祈りを
させないわけではないと思いますけど。
135 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:12
>>134 イエスを受け入れる前の人の祈りが主の前に冒涜であるかどうかは、
誰もしらない。神にしかわからんし、あなたや私が冒涜だとか
冒涜でないとか決めることではない。神が決めることだ。
冒涜であると思うなら祈らない方がマシ。
神はその人の心の中を見られるだろうから、子供ならば、聞かれるかもね。
しかしそれすら、神にしかわからないよ。
何故あなたが子供にこだわるのか知らないけど。
クリスチャンは、自分は罪人であったがイエスを受け入れ、
イエスに結びついて堂々と祈っている人たちのことだよ。
誰が、どのような立場で祈るかによって違うと思うよ。祈りなんて。
当たり前じゃん。
基地外キリシタン横行
137 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:20
>>134 96です。少々指摘させてください。
冒涜かどうかを神が決定される前に
それを行った当人が既に知っていることですね。
おそらくそれを言いたかったとおもいますが。
非難するのではなく、考えを述べる立場にありたいと思います。
>>133 そうですね129は127=96へのレスです。
128のレスは、見た目だけは、すばらしいかもしれませんが
その程度のことは、質問する以前に考えました。
139 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:21
140 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:28
>>138 わかりました。
それでは
>>127の質問内容にお答えいただきたいと思います。
純粋に質問したいのではなくて、なにかしら、
他を攻撃するのが目的のように思えて来ましたが、そうですか?
141 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:31
>>140 キリスト教徒として回答できるのは、
>>128にあるように、
イエスに結びついたからこそ罪人である我々も祈れる
→ゆえに冒涜ではない。
だけだと思うよ。それ以上突っ込んだ質問を逆にする必要も
ないと思うんだけど。。。
@神様、あなたは正しく、祈る余地を見出せません。
A神様、あなたのすることは間違っています。
どちらの祈りが正しい?
143 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:37
>>141 96です。
あなたの言う通りだと思います。
主の祈りをし、寝ようと思います(笑
おやすみなさい。
144 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:40
>>142 どっちもあるんじゃないか?人生の上で。
順境のときは感謝と共に(1)、病気や事故や人生の理不尽にあったときは
(2)。常に自分の中にある、正直なこころで祈るならばね。
祈りに「正しさ」がもしあるとするなら、それは正しい人の祈りは
正しい。ということになるだろ。それも自分の正直な心で祈るなら。
しかし人間は正しくない。正しい祈りが出来る人なんか、本来いない。
いかなるキリスト教徒も、イエスの名によって、(2)の祈りを繰り返し、
神の正しさを知らされ、成長していくんだろ。
>>140 質問をしているのは私ですけど。
私はこのことで悩み、質問しても誰も教えてくれないから
ここに質問しただけですけど。
146 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:43
>>145 ところであなたは、イエスを受け入れたの?
ならば遠慮なく自分の心の
あるとおりに、祈れると思うんだけど。
イエスがそう赦してくださっているから。
イエスの赦しを受け入れられない理由というのが、
何か個人的にあるのかな?
>>143 混乱をさせるようなことばかり書かないで下さい。
>>141 未信者も祈ると言ってますけど。
148 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:48
>>145 96です。(まだ起きてたのか・・・・)
あなた、それは少しおかしい。
私は96で答えているし、128の答えも正しいと言った。
しかしあなたは非難するばかりだった。
あなたには既になんらかの考えがあるように思えたのですか、
どうなのでしょうか。
144も良い解決案を示していますよ。
たくさんの人がこれだけ色々な考えを示しているんです。
149 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:49
>>142 自分の心に嘘をついて1の祈りをするのは、2の祈りをするより
悪いことだと思うよ。
ちなみに祈りは1と2だけじゃない。
3私は罪を犯しました。罪人である私を憐れんでください
4あなたのご意志がわかりません、教えてください
5どうしてこんなヒドイことをあなたは許していらっしゃるのですか?
6こんなに遠慮なくいろいろ祈ってますけど、いいんですか?聞いてくださいます?
・・・・
心の中まで見通される神に対して嘘ついてもしょうがない。
まずありのままの心で主に向かうことが、そもそも「祈り」なんだからさ。
主にあって完全に正しく、完全な心をもつ人がもしいたら、
祈りは四六時中賛美ばっかりになるだろうけど、そうもいかない。それが
人間。
ちなみにイエスは「感謝の祈り」よりも3の祈りの方を良いとされている。
150 :
エッファタ:02/07/02 00:49
既出だったらすみません。
死海文書の本を読んだら、古代キリスト教はエッセネ派が起源ではないかという説が載っていました。キリスト教徒の人達は認めていらっしゃいますか?
151 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:50
そりゃ誰も教えてくれないわけだ(笑
だって質問のしかたが悪いんだから。
>>146 イエスを受け入れています。
質問をしているのは私ですけど。
153 :
名無しさん@1周年:02/07/02 00:55
神様、おながいします。80を悟らせて下さい。
>>148 回答が出来ないなら口も出すな。
混乱するだけだ。
157 :
名無しさん@1周年:02/07/02 01:14
さっきから傍観しててんけど、80お前うっといな!結局何がいいたいねん!誰かゆーとったけど、お前のいう1、2の祈りってなんやねん!
レスが付きすぎて、書き込みが遅れましたが、
これまでの考察によって、次のところまでは
わかっています。
神様は、人に問題を示し、それにどう対応するか
どう祈るかをご覧になる。(試す前から神様は、
それをご存知。どのように対応するか、どのように
祈るかによって、人が自分自身を知る)
しかし、物事に物理的対応をするのならともかく、
言葉で神様に逆らって良いわけがなく、どうしても
納得がいかない。
>>157 >さっきから傍観しててんけど、
うそ付くなよ。
1,2の祈りがわからないのは
傍観していなかった証拠だ。
161 :
名無しさん@1周年:02/07/02 02:04
162 :
名無しさん@1周年:02/07/02 02:06
>>150 キリスト教混乱させるために、ユダ公が書いたんじゃない?
163 :
名無しさん@1周年:02/07/02 02:10
164 :
日本人2→日本人2002:02/07/02 05:20
>>74 >>77 回答ありがとうございました。
ところで聖書が神の霊感によって書かれたものならば、その翻訳はどのように
考えればよいのでしょうか。少なくとも翻訳は神の霊感でなく人の手による
ものでしょう? なぜ神は翻訳などと言う不完全な伝達方法を許されたのでしょうか。
私は、聖書は原典のみが存在でき、それはその選ばれた言語を使えるもの(長年
日常的に使用している者)のみが読むべきものと思うのですがいかがでしょうか。
165 :
名無しさん@1周年:02/07/02 05:32
>>164 >なぜ神は翻訳などと言う不完全な伝達方法を許されたのでしょうか。
昔の人が、バベルの塔を作ったからです。
おかげで子供の頃、英語の時間は、死ぬほど苦労しました。
166 :
エッファタ:02/07/02 05:34
>162
ちゃんとした答えはいただけないようで残念です
167 :
日本人2→日本人2002:02/07/02 05:44
>>165 バベルの塔? 英語? よくわからないのですが、聖書はヘブライ語で
書かれてますよね。バベルの塔を作ったから翻訳を許されたと言うこと
でしょうか。
168 :
名無しさん@1周年:02/07/02 05:45
170 :
日本人2→日本人2002:02/07/02 10:24
>>168 それこそ神のご意思ではないでしょうか。
171 :
名無しさん@1周年:02/07/02 10:37
わからないことは、みんな神の意思ということにすれば良いのです....。
たとえ、それではまったく答えになっていなくても。
172 :
名無しさん@1周年:02/07/02 15:40
>>171 そんなわきゃない。
霊的賜物が備わったクリスチャンは、本当に見分けるよ。
目の前にある出来事ひとつひとつを。
互いに御言葉に養われて、クリスチャンとして成長しましょ。
173 :
名無しさん@1周年:02/07/02 19:24
すみません。明日までに近世封建時代の対キリシタン政策の変遷とキリスト教邪宗観と
ジャビエルの布教についての各三つをノート一枚分ぐらいに調べなきゃ
いけないんですが教えていただけないでしょうか
174 :
名無しさん@1周年:02/07/02 19:25
ミレニアム?イエスの復活?冗談じゃない、なんでわざわざ
腐った人間達を救うためにイエスが再び罰を受けにゃならんのだ。
神はもういっぺん世界中に大洪水を起こした方がいい。
こんな腐った近代西洋文明社会を洗い流し、元の小さな集落から
人間はやり直した方がいい。
人間、くだらない。みにくい。うつけ。
神は滅ぼすぞ、この汚い文明を、汚れきった人間の心と共に
キリスト教の神がいるならば。
175 :
名無しさん@1周年:02/07/02 19:29
>>173 そんな難しい事を2chで聞いても、分かりませ〜ん。
どっかくわしいサイトとかないですかね?
177 :
宿題の手伝いはしない主義なんで。:02/07/02 20:11
もう図書館も閉まる時間だしなあ。
ブリタニカ(英文)でも見ながらがんばって作文しり。
ああ、平凡社の百科事典もウェブから見られるんじゃなかったかな(有料)
まあ、173は今夜は徹夜けてーい、かな。身体壊さない程度にがんばり。
178 :
名無しさん@1周年:02/07/02 20:43
>178
2ちゃんねる地方
180 :
名無しさん@1周年:02/07/02 21:12
>>164 原典残ってない。それに霊感説をとるなら、霊感がひとたび言語に固定された
際の損失たるや翻訳誤差など物の数ではない筈なので、そんな五十歩百歩が気に
なるほうがなんか不思議。それに、霊感とは無関係に、翻訳誤差は訳側のデータ
量を膨らませてよければ(普通は注釈の形にする)いくらでも小さくできるものだ。
訳本と「原典」とやらの間にどうしても軽重をつけたいなら、訳本は
各言語で書かれた「解説書」だとでも思えばいい。これはムスリムが
「翻訳禁止」のクルアーンの「訳本」に施す解釈と同じ手口だが、
すくなくとも私は「解説書」の需要の方が圧倒的で、「原典」とやらを
ありがたがる者は少ないと予想。
181 :
名無しさん@1周年:02/07/02 21:23
聖書に翻訳が必要なこと自体、多いに意義のあることだと
思うんだけど。
キリスト教の歴史が大きくかわったのはルターの宗教改革の頃
でしたが、それ以前は、聖書ってほとんど訳されていなかったのよね。
学者と聖職者の読むものだった。
これが万人祭司というコンセプトを与えられたルターによって、
「世界のすべての人が読むもの」とされ、いちどきに多数の言語に
訳されて、世界に広まっていったわけでしょ。そのころから、
プロテスタントだけでなく、カトリックも、信徒ひとりひとりが
聖書を持つようになったわけ。
グーデンベルクの印刷機発明も、このころ。グーデンベルクが最初に
印刷した本が聖書だっていうんだから、この事実に
神のダイナミックなご計画を感じずにはいられない。
ここで、キリスト教の歴史は大きくふたつに分けられるのよね。
「御言葉に教会が導かれる時代」「御言葉に個人が導かれる時代」。
後半は異端やトンデモ解釈も飛び出して、ある意味パンドラの箱が
あいた時代ともいえるわけだけど。
神は、いかなるものにもふさわしい時機を与えられる方だから、
「翻訳が必要な」聖書をある時期まで世からかくしていられたのではないか、
なんかそこに、ミステリアスなものを感じちゃうんだけどね。
こんなこと考えたり研究している人、いないかなあ。
182 :
名無しさん@1周年:02/07/02 21:38
質問です。
聖書の中に「急がば回れ」とか「人生に近道は無い」とか
そんな感じの記述ってないですかね?
似たようなものでいいんですが、あったら箇所を教えて下さい。
183 :
名無しさん@1周年:02/07/02 22:18
>>182 ないと思うなあ。「道」という単語がおそらく一番たくさん出てくるのは
箴言だと思うんですが、根本から、「急がば回れ」「人生に近道はない」
と逆だからね。「真理はそこにある、それを最初に得て、そして
あなたの道をゆけ」というのが、旧約の教えだと思うし、
新約に至っては、イエスキリストというはっきりとした道があるので、
廻ったり探したりするものではないんだよね。
あえていうなら、「狭き門から入れ」とか。かなあ。
箴言 3:5 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
箴言 3:6 常に主を覚えてあなたの道を歩け。
そうすれば/主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
>>183 早速の回答ありがとうございます。
そうですか、ありませんか。残念です。
あるいは「楽しようとするな」とか「苦労しろ」などでも
いいのですが、それならばどうでしょうか?
お心当たりがあればお教え下さい。
それと「狭き門から入れ」というのどこにある記述なのかお教え願えますか?
185 :
名無しさん@1周年:02/07/02 22:45
>>184 マタイ7章の13節らへんです。
楽するな、というか、「誘惑に陥るな」という感じの言葉なら、
随所に出てきますよね。
・・・意味もなく苦労しても腐っちゃうんじゃない?
186 :
名無しさん@1周年:02/07/02 22:50
聖書はあえて苦労してその人が鍛えられたりすることを進めない。
これ、仏教とかと違う点かも知れない。
ただ主にあって主の道を歩け。
で、その中にある困難や試練に対して、「忍耐」することを薦めている。
>>184 これはどーですか?
「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」
…(マタイによる福音書22章14節)
「苦しみを受けて耐え忍ぶなら、神の御心にかないます」
…(ペトロ第一の手紙2章21節)
188 :
名無しさん@1周年:02/07/03 00:52
189 :
名無しさん@1周年:02/07/03 00:57
>>188 ・・・これって、キリストを信じていない人にも、
何か意味があるのかな?何か間違っていないか?と思う・・・。
お守りやんけ。
190 :
名無しさん@1周年:02/07/03 01:06
191 :
名無しさん@1周年:02/07/03 01:11
これは・・・?
「肉が霊の故に生じたならばそれはきせきである。しかし、霊の身体の故なら、それは奇蹟の奇蹟である。しかし、私は、いかにしてこの大いなる富が貧困の中に始まったかを不思議に思う」(トマスによる福音29節)
192 :
名無しさん@1周年:02/07/03 01:13
>>188 祝別した物を売ると罪なる。
それにしても説明がかなりアホ。
「聖水で洗礼を受けたペンダントヘッドです」
「聖水で洗礼を受けた十字架です」
って、どういう意味やねん。
内容からいって、未信者でしょう。
それにしても、たかだか数100円の不思議なメダイを
2000円とかで売るなよな!
それにメダイをロザリオとか言ってるし。
193 :
名無しさん@1周年:02/07/03 01:17
194 :
名無しさん@1周年:02/07/03 01:18
ギャンブル、賭け事についてキリスト教ではどのように
考えているのでしょうか?
聖書の中で明確にギャンブル、賭け事を禁止している
箇所はあるのでしょうか?
195 :
名無しさん@1周年:02/07/03 01:27
>>194 聖人たちは、罪だと言ってるよ。
決められた範囲内(お小遣い程度ならいいだろうけど)
生活費まで、ギャンブルにつぎ込んで、家庭を崩壊
させるなら、信者以前の問題だね。
いずれにせよ、やらない方がいい。
パチンコにしても競馬にしても、パチンコ屋さんとJRAが、
儲かるように出来ている。
でないと、とっくにパチンコ屋もJRAも破産してるよ。
彼らが破産しないと言う事は、多くの個人が破産している
と言う事だよ。
196 :
名無しさん@1周年:02/07/03 02:05
>>194 ヨブをネタに神様とサタンは賭けをしてますがなにか?
>>196 それはギャンブルはOKという意味ですか?
198 :
名無しさん@1周年:02/07/03 04:05
>>197 NO! 君がカト信者ならね。
例
聖ドンボスコは、賭け事をしている少年たちについて、
神から知らされ、彼らを厳しく戒めています。
神に反しない事であれば、神は、聖人にこんな事を
知らせは、しなかったでしょう。
聖ルイや聖フランシスコ・サレジオなども賭け事を戒めてる。
カトリック生活の手引きなんか見ても、賭け事は、禁じてるね。
199 :
日本人2→日本人2002:02/07/03 05:25
>>180 訳本が解説書だとすると、日本語に訳された聖書は、実は聖書に
あらずということでしょうか。
200 :
名無しさん@1周年:02/07/03 05:36
>>195 ギャンブルを禁止しても、酒、タバコ、女、溺れる対象はいくらでもあるからね。
自分をきちんとコントロールできる人間だったら何をしてもいいけど、
本来的な生を失っている人は、ギャンブルを禁止されても他のことにのめり込んでいくのが落ち。
よってギャンブル禁止は本質的な問題ではない。
201 :
名無しさん@1周年:02/07/03 08:12
>>194 ギャンブルは、イエス様信じてから自然にやめられたという人の話は結構聞くなあ。
証しなんかで。私は元々やらないからわからんけど。
聖書は、ストレートにかけごとを禁じてはいないけど、
信仰の中に楽しみを見出しなさい、という記述は随所にありますね。
世の中の「むなしい」楽しみではなく。
202 :
名無しさん@1周年:02/07/03 12:17
ギャンブルの禁止箇所は、ちょっと思い当たらない。
「籤」はしょっちゅう引いてるな < 聖書のキャラ
無理に時の思想や人の道徳なんか押し込んでまで「健全」を装う時点で
すでに「世に負けている」と思われる。「それはキリストの愛から出た
行為だと胸を張っていえますか」ぐらいで我慢しとけよ。
信仰は賭けである。
204 :
名無しさん@1周年:02/07/03 12:20
>>202 >無理に時の思想や人の道徳なんか押し込んでまで「健全」を装う時点で
>すでに「世に負けている」と思われる。
いーことゆうね。
>>199 それはあなたが言っていることです。ここでは俺を含めて誰も同意していない。
206 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 12:28
>>203 それ、訳が間違ってるよ。
パンセの原文を読むと、「信仰しない事は、賭けである」 である。
208 :
名無しさん@1周年:02/07/03 14:53
>>181 それは西方特有の事情で、というかキリル・メフォディ訳スラヴ語聖書が
出来たときにヴァティカン、というかローマ教皇はそれ使ってミサすることで
聖書の翻訳事業に強力な追認を与えている。東方は伝統的に現地語志向が
強いしね、というか翻訳を認めないつったらヒエロニムスがやったことは
なんだったんだろうというか。
また近代語訳の試みとしては、ルター以前にもティンダルの英訳、最近
発見されたものだけれどカタリ派による仏訳(ラングドイルかな。うろ
覚え)など、いろいろあるよ。ルターが革命的だったというよりは、
カトリックから離脱するという(ある意味歴史的偶然に助けられた)大胆な
企投と、グーテンベルクを同時代人に持ったという幸運に助けられたところが
大きいと思う。もちろんこのことはルター訳の価値をなんら損なうものでは
ないけれども。
安彦良和氏の書いた、イエスというマンガを読んだんですが、これってどのていど
聖書に忠実なんでしょうか
結局この物語の中では、イエスはテロを画策したただの人として死んでいきます
当時イスラエルは、ローマ支配下にあり、ユダヤ教の一派である、パリサイ派は、
それを快く思っていなかった、彼らは、イエスの人気を利用して、人々を煽動し、
ローマ帝国に反旗を翻そうとたくらんだ
反対に其の当時のローマ支配に組する考えをとったユダヤ教サドカイ派のもの達
は、イエスの内輪に密偵を送り込み、テロを未然に防止、イエスは処刑された、
というもの
ユダヤの民からあらわれた天子が、ユダヤの国を支配し、律法にのっとった支配
を行うというのが、彼らの主張する福音(良い知らせ)であり、われこそは、ユ
ダヤの王である、とイエスが主張したということらしい
このことに関してくわしいかた、この本を読めばいいよとか、ここに詳しい資料が
、とかいろいろと教えてください
210 :
名無しさん@1周年:02/07/03 15:23
イエスについては、福音書(新約聖書の前から4つ目まで)よりマシな資料は
まずないものと考えてください。ですから、ホントかよと思われましたら
まず新約聖書を読むべきです。
またJesusについては、作画した安彦氏はともかく(彼はギリシャ神話や
古事記も題材に大胆なフィクション描いていますので、全く責任なしとも
言い切れない気もしますがもが)、原作の人物に要注意です。彼に対しては
既成宗教側からは「反体制派札付きの牧師崩れ」と風評されている、という
ことも頭の片隅にだけおいて、あとはご自分で判断なさってください。
お答えありがとうございます
わたしはあくまで、面倒なさぎょうであっても、自分でしらべてから判断しようと
考えて、そのためのヒントをもらおうとここに書きました、とても参考になりまし
た、さっそく新約読んでみます
これとは別に、原作者がなぜ、このような説に思い至ったのか、其の根拠につながる
著作等ご存知でしたら、お教え願えませんか?
よろしくお知恵をお貸しください
原作者ってのは、あとがきを書いていた、イエスとは誰か?を書いた人の
ことですか?
213 :
名無しさん@1周年:02/07/03 15:49
>>208 この人が何を言いたいのかさっぱりわからないんだけど、
分かる人いる?
214 :
名無しさん@1周年:02/07/03 15:57
>>213 >>181 のいう、とても大雑把な
>キリスト教の歴史が大きくかわったのはルターの宗教改革の頃
>でしたが、それ以前は、聖書ってほとんど訳されていなかったのよね。
>学者と聖職者の読むものだった。
という意見に、もっと物識りな
>>208が修正的に異を唱えている、
と読めますが?
215 :
名無しさん@1周年:02/07/03 15:59
>結局この物語の中では、イエスはテロを画策したただの人として死んでいきます
この時点で、「まったく聖書的ではない」と断定していいと思います。
もっとも当時ユダヤにはローマからの独立を画策する政治集団があり
イエスの弟子のなかにもそれ関係の人はかなりにいたようです。
イエス個人がどのような政治的スタンスを取っていたかは明瞭では
ありません(「カエサルのものはカエサルに」からすると過激な
反ローマではなかった可能性はあるが、これは逆に反体制派でない
ことを主張するために後代作られたエピソードである可能性もある。
伝承から歴史を構成することは非常に難しいのです)。
ですので歴史家のなかには、イエスが積極的に政治活動を行った
と考える人がいても不思議はないでしょう。
WWWで検索するなら「史的イエス」をキーワードにしてみてください。
216 :
名無しさん@1周年:02/07/03 16:05
265 :マルタ ◆7MiQXQsw :02/07/03 15:17
マリヤの像は偶像です。いくら詭弁を尽くしても
ヨーロッパのカト聖地巡礼をしてみればわかります。
無数のロザリオの首飾り,はな飾りをされ
けばけばしい后の服を着せられ,宝石や金でできた重たい冠を載せた
マリヤと称する偶像が、無数の祠に腐るほ祭られているのです。
みなそれを安産や商売繁盛のために拝んでいます。
明らかな偶像崇拝です。
266 :マルタ ◆7MiQXQsw :02/07/03 15:19
264はあたしの名前を騙るのおやめください。
カトリックのこのマリヤ偶像崇拝のやり方が
異教の借り物であることは歴然とした事実です。
267 :マルタ ◆7MiQXQsw :02/07/03 15:49
百聞は一見にしかず。行ってみて下さい。
ヨーロッパのプロテスタントはそれを目の当たりにして、
本当に嫌な思いをさせられています。ルターが改革を決意した理由が痛いほどわかりますよ。
そのような像を使って礼拝する習わしの起源をたずねるとイシスに結びつくのです。
217 :
名無しさん@1周年:02/07/03 17:33
ちょーなやんでます!前に訪れた 教会はプロステタントです とてもいいところでした
ネットでしらべたらプロステタントは我々に洗礼名もついてなく 牧師さんで 教会が質素(そんなこと書いてありました)
カトリックは神父さんで洗礼名もあり 教会はきれいと書いてありました
そしてプロテスタントはカトリックからできたもの
昔の私のイメージはなんかちょっと怪しい?!でも 調べてみたら
プロテスタントの元はカトリック でもマリア様を崇拝する
でも本当はキリスト様の教えを学びますよね?!
でも・・・よくわかりません 私はキリスト様の教えに
見習い 人を助けたり 生きているのは髪がいるから
感謝したり
すごく初歩的ですが いったい私の考えに沿うのはどちらでしょうか?!
誰か教えて下さい!
218 :
名無しさん@1周年:02/07/03 17:38
219 :
名無しさん@1周年:02/07/03 18:22
>>217さん、
いろいろな教会をご自分で見て、神父さんや牧師さんに
直接ギモンなりをぶつけてみてはいかが?
その方が早いような気がするなぁ…。
>生きているのは髪がいるから。
=生きているのは神がいるから。
念のため。
220 :
名無しさん@1周年:02/07/03 18:51
>>217さん、僕もあなたのように、大いに悩みました。
でも、そのほうが後々良いと思いますよ。
質問にはみんな答えてくれると思うけど、
もう少し具体的な質問のほうが良いのでは?
あなたの質問だと、カトリックの人は「カトリックがいいよー」
プロテスタントの人は「プロテスタントがいいよー」
という答えになりますよ。
221 :
名無しさん@1周年:02/07/03 19:26
両方いってみて、気に入った方でいいと思います。今時お互いに異端呼ばわり
しているよーなのはカトリック側でもプロテスタント側でも一部の石頭だけ
ですから。
ついでに、候補には東方正教会も入れてあげないと気の毒ですよ。近所に
ないなら仕方ないけど。
222 :
名無しさん@1周年:02/07/03 19:35
「どっちがいいか」考えててもキリがないから、
「どうしてたくさんの派があるの?」とか考えてみると良い。
御手がそこに働いてる!って分かることもあるし、
人間の罪に気付くこともあるし。
まずはイエス様に祈ることね。「私に教会をお与えください」。
ギャンブル、賭け事について質問した194です。
皆様回答ありがとうございました。
224 :
名無しさん@1周年:02/07/03 20:10
おいおい、
>>217は新種の煽りじゃないだろーな?
225 :
名無しさん@1周年:02/07/03 20:15
>>224 いや、この人、「クリスチャン女性は処女?」スレにもカキコんでたんだけど、
多分天然・・・。同じ文体・・・。
226 :
名無しさん@1周年:02/07/03 20:28
すみません質問なんですが
他宗教との献血がNGで騒いだ宗教ってどこでしたっけ?
227 :
名無しさん@1周年:02/07/03 20:31
228 :
名無しさん@1周年:02/07/03 20:32
プロテスタントはピンきりだ。枝葉を払って行くと
結局、カトリックか正教会ということになる。
しかし、カトリックか正教会かとなると一概に決めがたい。
後は通うのに便利かどうか程度。
しかし、自作自演の感じがする。
自分の考えを書いたら?
229 :
名無しさん@1周年:02/07/03 20:42
>>228 >枝葉を払って行くと
>結局、カトリックか正教会ということになる
その前にその無茶苦茶な結論の出し方をなんとかしれ(笑)
230 :
名無しさん@1周年:02/07/03 20:52
カトリックや正教会だって高邁な学者先生から本物の偶像崇拝者まで
ひととおり取り揃ってるとおもうがな。
231 :
名無しさん@1周年:02/07/03 20:58
キリスト教といっても、結局人との出会いだからね。
自分が尊敬できる神父・牧師などがいる教会を探してみることだね。
カトかプロか、ということよりもそのほうが重要なんじゃない?
232 :
名無しさん@1周年:02/07/03 21:01
>>217さん、あんたは「今のところ」どっちが
いいって思ってんの?
途中経過でいいからさ(W
233 :
名無しさん@1周年:02/07/03 21:30
はい、次の質問どーぞ(W
234 :
名無しさん@1周年:02/07/03 21:58
>>227様
エホバでしたね!記事もつけてもらってすみません!どうも有難うございました
235 :
名無しさん@1周年:02/07/03 23:04
マジレスなんだが。
かつて、内村とか新渡戸などのように、クリスチャンでありながらも日本文化・思想に対して一家言を持っていた人がいた。
しかも、現在でも「ある程度の」評価を得ている。
なのに、どうして現代のクリスチャンは知的程度が低いの?
昔はクリスチャン=インテリ(か下層)のイメージだったわけだが、最近はインテリが消えて、知的貧民の巣窟となった観がある。
つまり、視野が急速に狭くなってしまったと・・・。
非クリ学者の知的レベルと比較しても、異常に程度が低いよね。
「人数の差」とやらを勘案しても、ちょっと全体の偏差が低すぎなのでは・・。
特に福音派と聖霊派。自称「勢いがある」教派のはずだけど、まさか、勢いだけなんですか?
以上、煽りではなく、マジに疑問です。
236 :
名無しさん@1周年:02/07/03 23:15
>>235 そりゃあキミ、普通のクリスチャンは隠れているからね。
福音派聖霊派は勢いだけ? まったくその通りだ。
237 :
名無しさん@1周年:02/07/03 23:15
知的=傲慢と思い込んでいるクリが多いからね。
まるで去勢された子羊みたいな。
238 :
名無しさん@1周年:02/07/03 23:15
>>235 マジにレスします。
知的と認識されることはクリスチャンにとって恥辱です。
239 :
名無しさん@1周年:02/07/03 23:17
>>235 50前後は壊滅状態だよ。あの紛争のせいでね。つまり、
インテリ度を論ずる以前に、いないのだ。そこから上は
インテリが多くて、40代以下は人生の敗残者の死体置場。
240 :
名無しさん@1周年:02/07/03 23:18
大丈夫。
知的と認識しようがない。
ソロモンは知的だったよね?
ルカとか、アウグスティヌスとかも恥辱なんですか?
241 :
名無しさん@1周年:02/07/03 23:19
神の前にあってはみな愚者
242 :
名無しさん@1周年:02/07/03 23:21
ソロモンとかルカとかアウグスティヌスとかあとトマスアキナスなんかも
恥辱というか、汚点です。楯にとって誇示するならば、ね
243 :
名無しさん@1周年:02/07/03 23:30
教会、教会って探してると、人につまずく。
人につまずいて、結局キリスト教が嫌いになる。
教会がキリスト教の本質的なものじゃないような気がするが。
244 :
名無しさん@1周年:02/07/03 23:31
みなさんありがとうございました!! 参考になりました!
245 :
名無しさん@1周年:02/07/03 23:32
神を見ず人をみるから人につまずくんです。
教会は方法であって本質ではありません。
246 :
名無しさん@1周年:02/07/03 23:33
>>242 じゃ、他人が勝手に「知的だな」と思うぶんには、クリ的にも構わないわけか。
別に誇示してるわけでないしな。
なるほどな。
客観的に見てもまったく知的な奴がいないキリスト教会は、やはり変質してるんだな。
よくわかった。
247 :
名無しさん@1周年:02/07/03 23:35
248 :
名無しさん@1周年:02/07/04 00:02
理解不能なものは全部馬鹿。
249 :
名無しさん@1周年:02/07/04 00:42
教会の外に救い無し
250 :
名無しさん@1周年:02/07/04 00:44
251 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:13
神は完全。
完全な者への口出である「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
252 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:14
>>251 祈ることも神の摂理に組み込まれている。内容がどうであれ。
253 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:16
254 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:19
255 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:21
257 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:28
>>252 回答出来ないからって、格好付けて
無意味なこと言わないほうが良いよ。
君は1分で答えてるが
これほどの難しい質問に、一分で答えられる
わけがない。
質問した人の悩みを増やすだけだよ。
258 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:29
259 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:31
252は最低だな。
ちゃんと回答してやれよ。
260 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:31
>>257 質問した人の悩みを増すというのは
その通りかもしれない。悩むかどうか
は知らんが。
261 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:34
252は、質問に回答できないのに
偉そうなこと言ってる。
究極の偽善者です。
262 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:37
>>258 251は思慮深いと思うが。
私なんか、何も考えずに祈ってただけだ。
263 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:56
>>251 祈るか、あるいは祈らないか、それすらも神の支配の下にある
のであれば、祈ることそれ自体は神に逆らうことにならないの
では? 口出し、と言えばそうかも知れませんが。
264 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:57
ヒトの話もきけねー様な奴が完全なわけねーじゃん、たとえそれが神であれ。
265 :
名無しさん@1周年:02/07/04 01:59
266 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:05
>>263 ちょっと待った。
251の質問は「完全な者に、口出しする必要があるのか?」
ということだと思うが。
267 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:07
268 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:08
神なんていないということだよ。
269 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:12
>>266 私はむしろ逆らう、という方に重きを置いて見ましたが。
そして口出しするもなにも、祈る気になって祈ったという
ことは、神がそれを望み決めたことなのではないでしょう
か。
270 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:16
>>264を読んで気付いた。
神は祈りを聞いたり、聞かなかったりする。
祈りの有無によって、神の計画は変わらないからだ。
未来に関する、神のシナリオは祈りに左右されるような
ものではない。
では、祈りは無意味では?
271 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:18
>>270 いやいや、誰かが祈るか祈らないか、ということと結果とが
setで予定されているのかも知れないよ。
272 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:20
>>269 人間(不完全)だって、口出しされたら怒るぞ。
それが、神(完全)ならば、もっと怒るかもよ。
273 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:24
>>272 神としては、自分で仕向けた、来るべき口出しが
来たってなものではないでしょうか。
274 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:26
プレスビテリアンはっけーん
275 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:28
>>271 では祈りに限らず、人間の行動全てが無意味?
276 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:34
>>275 すいません、「無意味」の意味するところが少し解り
かねるのですが。
何をやっても結果が変わらない、ではなくて、「何かを
する」こと自体が、所謂運命のようなものかも。
277 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:34
>>273 その考えでは、
神自ら仕向けたものは、祈りに限ったことではなく、
救いも、罪も、その他、全てが神が仕向けたということになる。
では、祈りの必要性は、ますます失われるのでは?
278 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:37
無意味が意味するもの?(藁)
279 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:37
無意味は無を意味してます。
280 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:41
口を出す イコール 逆らう イコール背く
となりますが。
281 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:44
祈っても良いこと
祈っては池ないこと
あるんじゃない?
282 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:44
>>277 {祈った/祈らなかった}からこう{なった/ならなかった}
というのは、人間には解りませんからね。両方同時に同じ事柄
について試すことはできませんし。
283 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:46
>>273 神が仕向けたからといって、
口出しが逆らいであることは
変わらないのでは。
284 :
名無しさん@1周年:02/07/04 02:59
「神様。どうしてこんなことするの?
まじめにやってよーもー」と祈るのは?
285 :
名無しさん@1周年:02/07/04 03:03
286 :
名無しさん@1周年:02/07/04 03:09
子供が「明日遠足です。雨が降らせないで下さい」と祈り。
お百姓さんが「明日、雨を降らせてくれないと、私も、家内も
子供も、犬も、金魚も、ハムスターも氏にます」と祈ったら、
どっちが聞かれますか?
287 :
名無しさん@1周年:02/07/04 03:32
口出す側出される側の思惑は一致していても「口出し」は成立するし、
一致しているかしていないかはわからないですよね。祈っている時点
では。
288 :
ろんぎぬす:02/07/04 05:26
289 :
名無しさん@1周年:02/07/04 05:50
>>287 外国の方にしては日本語が上手ですねえ。
290 :
名無しさん@1周年:02/07/04 06:01
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
291 :
名無しさん@1周年:02/07/04 06:48
祈りがいけないなら、ではなぜ主はこう祈りなさいと
「主の祈り」を教えられたのか?
292 :
名無しさん@1周年:02/07/04 06:50
主はしばしば祈られた。
唯一の師である主が自ら祈られ、またこう祈りなさい
と言われるのに、なぜ祈っていけないのか?
293 :
名無しさん@1周年:02/07/04 06:59
質問を読んだら?
あんたの手に負えるような
簡単な質問じゃないけど。
294 :
名無しさん@1周年:02/07/04 06:59
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
295 :
日本人2→日本人2002:02/07/04 07:19
180さんへ
キリスト教徒においての翻訳聖書の位置付けがよくわかりません。原典は失われて
いると言うことですと、写本または翻訳した書物に頼ることになると思うのですが、
私はどうしても原典=翻訳聖書になり得ないと思うのです。私の聖書に関する解釈が
間違っているのでしょうか。
296 :
名無しさん@1周年:02/07/04 08:00
口出し=逆らうこと
というのは、どうかな。
297 :
名無しさん@1周年:02/07/04 08:02
>>296 もう少しがんばれ。
質問が分かるから。
298 :
名無しさん@1周年:02/07/04 08:10
まずは質問の成立性を問いたいね。
299 :
名無しさん@1周年:02/07/04 08:20
300 :
名無しさん@1周年:02/07/04 08:22
質問の成立性って何だよ?
日本語話せ。
騒音の静寂性でも自問自答してろ。
301 :
名無しさん@1周年:02/07/04 08:25
>>298 答えられないからって
偉そうなこと言うな
302 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:05
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
303 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:22
ハーベストタイムを見て、教会行きたいと思うんですけど、誘いに来るキリスト教は危ないところと聞いてます。どの団体が一番正しいんですか?
304 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:27
学会です。
305 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:28
どの団体もその構成員にとっては正しいよ。それぞれが自らの正当性を主張してるから。愚問だね。クリスチャンに聞くのは。
306 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:30
キリスト教は、他の団体は間違っていると教えるんですか?
307 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:37
一番正しいキリスト教に行きたいんですけど、それはどれですか?
308 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:37
神は完全というよりは、「自然」なのかもしれない。
誰かだけを見ていたり誰かの願いをかなえる存在ではなく、ただ「ある」。
祈りとは、神にこうしてください、と要求するのではなく、いま自らと
神があることに、そして自らが神のうちにあって生きていることに感謝
するもの。
309 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:40
>祈りとは、神にこうしてください、と要求するのではなく、
なにも要求しないのなら、祈り自体が不要では?
310 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:41
祈り=口出し
という、どう考えても迷惑マルチポスト野郎の勝手な思い込みに
過ぎない定義に、みんなで縛られてみるのがゲームのルールなのか?
嘆願、挨拶、礼、などではなぜいけないのだろう?
311 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:42
宗教なんて全部同じだ。
312 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:43
313 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:45
314 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:46
キリスト教はどうしてSEX駄目なんですか?
315 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:51
どうして教会の屋根はとんがってんの?
316 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:53
クリスマスはSEXの祭りです。
317 :
名無しさん@1周年:02/07/04 09:54
>>315 屋根を尖がらせなさいと、聖書に書いてあるんです。
318 :
名無しさん@1周年:02/07/04 10:02
>>312 所詮それらは神の司る運命をヒトの思い通りにしようとする願望
から発するものだから、なんて皮相的な理由では、まさかないよな?(W
319 :
名無しさん@1周年:02/07/04 10:08
なにそれ?馬鹿でないの?
320 :
名無しさん@1周年:02/07/04 10:12
何かこのスレで論議盗さんがピリポの福音引用してたよ。どの教会がいいのか迷ってるんだったらみてみれば?
ホントの信仰は教会に属して洗礼を受けるとかそういうもんじゃないって分かるから。
教会は自分のトコ以外は異端として判断するから。あからさまに言わないのは無視してるだけ。
自分の眼で見て判断すること。
ちなみにピリポの福音は外典だから、一般的に有益性は認められてるものの異端の書とされてるよ。
321 :
名無しさん@1周年:02/07/04 10:16
>ピリポの福音
既知買いが出現しました。
本人が気付いていないのが怖い。
322 :
名無しさん@1周年:02/07/04 10:20
323 :
名無しさん@1周年:02/07/04 10:27
キリスト教は今でも火あぶりするんですか?
324 :
名無しさん@1周年:02/07/04 10:29
ヤッタ!サルだって。ほらこんなふうに互いに罵りあってるんだ。証明されたね。ちなみにイエスは、あなたがたはどうして自分で正しいことを判断しないのか、っていってるよ。
325 :
名無しさん@1周年:02/07/04 10:35
イヌと言うより良い
326 :
名無しさん@1周年:02/07/04 10:36
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
祈りについて。
聖書の中に、神のことを「アッバ父よ」と呼んでいいよ、とあります。
アッバ父よ、とは、おとうさま、とか、父上、などというカタ苦しい
ニュアンスではなく、おとーちやん、というニュアンスです。
このように、人間と神は親しい関係にあります。
親しい関係なのだから、コミュニケーションをとろうよ、
という発想が生まれます。つまり、祈りは神とのコミュニケーション
である、ということがひとつ成立します。
もうひとつは、常に神に心を向けようよ、ということ。
カトリックには「射祷」(しゃとう)という祈りがあります。
文字通り射るような短い祈り。
これは「主よ!」「神さま!」といった、ひと言だけの短い祈りです。
何かを願うわけではなく、主に心を向けるために
有効な祈りです。祈りは言葉ですから、主に心を向けるための、
道具、といってもいいくらいです。
328 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:04
329 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:07
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
考えて回答しろ
>>328 だからさー、327は神は「おとーちゃん」ってほどの間柄なんだから、
親しくコミュニケーションとろうぜ、といっておるのだよ、
「おとーちゃん」だけでもいいわけよ。
なっ、息子、娘たち(W
331 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:11
不完全な人間の父親でさえ、口出しされたら腹を立てるぞ
332 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:11
カトリックは邪教だ。
耳を貸すな。
333 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:13
無制限
334 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:17
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
335 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:30
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
336 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:40
>>335 なんか悩んでるみたいだねえ。この数日ずっと書いてる人でしょ?
詩篇とか読んで、どう感じますか?
それから、新約にも、「あなたが主につながっているなら
なんでも願いをきいてくださる」などありますが、このヘンはどうですか?
337 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:43
祈りは神との対話。
イエスもよく祈った。
338 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:45
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
誰かマトモナ回答してくれ
339 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:47
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
何も考えずに祈ってる者の気が知れん
340 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:47
341 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:48
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
聖書にもそこまでは書いてない。
342 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:49
>>341 >聖書にもそこまでは書いてない。
聖書にはあなたが言ってるようなトンデモ祈り定義なんか書いてないって
ことだよ。神は人の祈りを待っている。
どこに神は完全だから口だしするな、と書いてあるねん。
343 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:49
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
どうして、その事実を無視して祈る。
なに考えてる?
344 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:50
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
345 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:51
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
346 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:51
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
347 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:53
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
なぜ神に逆らわねばならないのか?
348 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:53
荒らすなよ。一度書けば十分だろ。
キリスト教質問箱に、聖書も完全無視して自分の意見をたらたら
投稿し続けるのは嫌がらせか?
349 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:54
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
>>342 どうして完全な者に口出しする必要がある?
350 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:55
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
>>348 マトモナ回答してくれないからだ。
351 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:55
>>341 聖書には祈りの意義も意味もはっきり書いてあるよ。
読みもしないで自分の悟りに頼るなよ。
352 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:56
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
>>348 マトモナ回答してくれよ
353 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:57
>>352 あなたの宗教ではそうかもしれないけど、
キリスト教では祈りは「口出し」ではないし、祈らなければ
真理に至ることができないのよ。
354 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:57
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
>>351 どこに、どう書いてある?
いい加減なこと言うなよ。
355 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:58
>>353 答えになってない。
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
356 :
名無しさん@1周年:02/07/04 11:59
意見を書くなら一回だけにしろ。ウザい。
357 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:00
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
>>356 余計なこと言わなくて良い。
回答してくれ。
358 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:01
>>356 マトモニ回答しない者の方が遥かにうざい
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
359 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:03
私物化しないように。
360 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:03
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
なぜ、祈りが必要なのか?
なぜ、そのような矛盾が必要か?
361 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:04
>>359 回答になっていない。
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
362 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:05
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
363 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:06
>>356 意見ではなく質問だ。
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
364 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:06
>>358 御言葉は聖霊の導きにより一人一人への悟りが与えられます。
聖霊に導かれない人が聖書を読んでどう理解するかは、私にはわかりません。
↓
エペソ
eph: 6:18
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。
そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを
尽くし、また祈りなさい。
eph- 6:19
また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知ら
せることができるように私のためにも祈ってください。
ピリピ
phil: 4: 6
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによっ
て、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
phil- 4: 7
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリ
スト・イエスにあって守ってくれます。
テモテ
1tim: 2: 1
そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべて
の高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるよう
にしなさい。
1tim- 2: 2
それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためで
す。
365 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:06
ほらみろ、最初から放置しないからこのざまだ。
366 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:08
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
>>364 回答とは程遠い。
367 :
inori:02/07/04 12:08
テモテ
1tim: 5: 5
ほんとうのやもめで、身寄りのない人は、望みを神に置いて、昼も夜も、
絶えず神に願いと祈りをささげていますが、
1tim- 5: 6
自堕落な生活をしているやもめは、生きてはいても、もう死んだ者なのです。
ヘブル
heb: 5: 7
キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に
向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。
heb- 5: 8
キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、
368 :
inori:02/07/04 12:09
>>366 聖書に書いてないから、っていうからさ。
369 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:10
>>364 全く回答になっていない。
マトモナ回答をしてくれ。
370 :
inori:02/07/04 12:10
人と神の間には大きな隔たりがある。
祈り神と交わることを覚えなえれば、滅びの道へ一直線だろうね。
371 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:12
あなたは神の本質が何ら分かっていない。
あなたが祈りとはなにかについて質問するのはまだほんとに神を見いだしてないからだ。
あなたは何故質問しつづけるのか?
あなたにそれが分からないというならば、私たちはもうこれ以上、何も答えないであろう。
372 :
inori:02/07/04 12:12
>>369 のように、祈らなくても自分が自堕落になることも、罪を犯すことも、
滅びることもないと誤解している人は、それでもいいんじゃない?
373 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:12
>>367 あなたは聖書から、祈りに関する記述を引用したに過ぎない。
全く回答にはなっていない。
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
374 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:14
>>372 再度問う
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
375 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:17
>>371 お前は思慮が浅すぎる。
それは、お前の足りない部分だ。
それを隠すために人を批難するな。
376 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:18
>>372 いつ そのようなことを言ったか?
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
377 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:22
378 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:23
>>371 答えられないのは、お前が未熟者だからだ。
自分の未熟さを隠すために、そのような態度をとるな!
答えることが出来ないなら最初から書き込むな!
偉そうなことを言って、結局そのざまだ。
380 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:25
奴隷の神は所詮奴隷あがり。苛められてきたから人を苛める。
この神の奴隷である人たちは奴隷になっていればいい。
奴隷の主人は、しばしば奴隷同士をわざと争わせる。
さて、何故だろう?
381 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:26
>>378 自分の意見に同意してくれる人が現れるまで
延々と書き込みを続けるつもり?
「祈りは神と交わり、滅びから身を逃れるため。
主の道を歩むために主の道を尋ねるため。」
この回答に対するあなたの意見は?それとも何も答えられないのかな?
382 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:27
383 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:28
384 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:28
>>381 回答になっていない。
余計なことを書き込むな!
385 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:30
>>384人は奴隷になっていれば良いということだね。
何も求めず、ただアドナイに仕えればよいと・・・。
386 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:30
>>384 自分の意見もいえない人が神を語るなかれ。
387 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:30
388 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:32
>>384 あなたは質問を装って自分の意見の押し売りをしたいだけなのよね。
389 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:33
>>386 質問をしただけだ。
あんたがマトモナ回答しないだけだろ。
回答する代わりに余計なことを言うんじゃない。
390 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:34
>>388 意見なんか言ってないだろう。
質問している。
余計なことを言うな。回答してくれ。
391 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:34
強い電波警報。
392 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:34
何故祈るのか?
神様に聞きなさい(笑)。
393 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:35
神は完全。
完全な者への口出しである「祈り」は神に逆らうこと。
どう考えても「祈るべきではない」という結論しか出ない。
神に逆らうことである「祈り」とは何か?
394 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:35
>>389 のぞんでいる解答が来るまで、ま〜、頑張れ。
この手の人っているよね。
もう答えは自分の中にあるくせにわざわざ聞いてさ。
で、自分好みの解答を相手の口からいわせようとする。
山本誠一とかもこの手だよな〜〜(笑)。
396 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:36
397 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:37
398 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:37
>>390 回答でてるんだよ。
主に主の道を尋ねるため、滅びに至る誘惑や自分の悟りから
身を逃れるため。
これに反論はないのでしょ?「回答になっていない」というのは
あなたが納得できないからそういうのであって、
回答は回答なのよ。
クリスチャンは人より先に祈り神に答えを求めるよ。
尋ねる祈りに神は必ず答えをくださるよ。反論の余地のない答えをね。
399 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:39
>>398 だからと言って、どうして神に逆らわなければならないのか?
と聞いているのだ。
>>397 いや〜、あるとも(笑)。
「自分の責任で」、自分の考えを述べましょう。
グダグダ言わずに。
他人にケツを持ちこまないように。
401 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:41
>>398 いい加減なことを言って、偉そうなことを言うなよ。偽善者さん。
402 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:41
かつてイエスが世にあったとき、あなたのような者が質問したことがあった。パリサイ人だった。彼らが質問したとき、イエスは何と答えか?私は答えないと言ったのではなかったか。彼らがいたずらに論争を持ちかけていたのを知っていたからである。
403 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:41
404 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:41
>>399 えーーーーびっくり。
神に逆らってるの?あなたが?やめなよそんなこと(笑)。
405 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:42
>>399祈ることが神に逆らう事であるといった根拠を
聖書から示してあげないとダメだと思うよ。
406 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:42
407 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:43
408 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:45
>>402神を試すというならね・・・。
でも、神に祈ることは神を試すことであるという根拠を証明しなきゃね。
409 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:45
香ばしい電波が在中しているスレはここですか?
410 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:46
祈りは大方これですが、
主よ、私に主の道を教えてください。
・・・なんでこれが逆らうことになるの?
411 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:47
412 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:48
413 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:48
>>410昔はね、奴隷となったなら、主人のされるがままで
いなければならないという決まりがあったよ。
キリスト教徒になるということは、主なる神の奴隷となることだから、
そういう意味かもしれないよ。
414 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:48
415 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:50
逆らう祈りて、例えばこういうのか?
「神様あいつむかつく。殺してください。なんであんな奴
生かしておくんですか?」
御心ならその通りになるだろうし、御心でないならそうでならない
だろうし。結果的に神の御心に私たちは決して逆らえないので。
逆に「逆らえる」と思ってる
>>407さんが不思議。
言葉で何をぐだぐだ言おうが、主の御心に私たちは
決して「逆らえない」のよ。逆らいたくても、逆らえないの。
どんな祈りでも祈った以上、何かが必ずその人の中に返ってくるよ。
ただし、イエスにあって祈るならね。
416 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:50
>>411イスラエルの民は、エジプトから脱出する前に、神に祈った。
神への祈りがなければ、神は彼らをエジプトから
脱出させはしなかったよ。
417 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:51
>>410 それでも神に不備を指摘することになる。
書き込む前に考えろ。悩みを増やさないでくれ。
418 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:52
419 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:53
420 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:53
>>417 違うよ、それ。神の不備じゃなくて、神の道がわからないのは
自分の不備なのさ。それキリスト教では原罪という。
421 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:54
>>417 人間の不備を神の不備に摩り替えるなよ。
422 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:55
>>416 それは違うんじゃないかい?
最初から脱出させる計画だったのでは?
423 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:56
424 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:56
>>419人間にはわからないことだらけだよ。
君は人間だし決め付けてはならないよ。
神しか知らないよ。この世の全てはね。
>>420そういうこと。
425 :
名無しさん@1周年:02/07/04 12:58
>>422しかし、聖書にはそう書いてあるわけだからね。
予定説では、それを否定する見解になってしまうよ。
426 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:00
結局はどちらも混在していて良く分からないものだよ。
計画があったとも言えるし、そうではないともいえるんだ。
人間にはわからないことだからね。
427 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:00
>>413 「あなたがたが私のうちにあるのなら、あなたがたはもはや僕ではなく友である。」
「神なる父はあなたの願いをなんでも聞いてくださる」
御心をともにすることができる、主の道を完全に歩むことができるならば、
奴隷ではないのよね。
『自由とは、するべきこととしたいことが一致した状態をいう』
428 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:01
>>420 なに言ってるんだよ。
これまでのやり取りをゼロにする気か?
祈りは、完全な者である神に向かって
不備を指摘することになる。
不完全な者という自覚を持った人でさえ
不備を指摘されれば立腹する。
今のあんたらが良い例だ。
ならば完全な者に不備を指摘することが
どうして良いと言えるのか?と聞いている。
429 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:01
御心を行うことができるように、御言葉に魂が養われるように、
祈りましょう。
430 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:05
>>428 その「不備」の大勘違いを指摘してもらっているわけ。
疑問や質問が解けない状態というのは、その前提論の間違いに
気付けばおのずから解決するのよ。これは仕事や勉強でもそうよ。
神に不備はない。それは大前提なのです。
「神の不備を指摘する」というなら、それは大きな勘違い。
人間に不備がある。これ大前提です。
神様私の何が不備なのか、分からせてください。
>>428 神が完全??
( ̄− ̄)フーン
ど こ で し っ た の そ ん な こ と ? ?
きみの妄想補完作戦は、きみの脳内だけでやりなさい。
======== 一連のやり取り、終了 ========
432 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:08
>>431 神は完全だよ。ていうか、ここはきリスト教質問箱なので、
邪神の定義持ち込まないでね。そのくらい、わきまえてください。
433 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:08
>>427残念ながら、そうでもないんだよね。
キリスト教を信じるということは、他の存在への否定も行うこと。
キリスト教以外は悪霊のもの、あるいは偶像と告白することなんだ。
洗礼の時に、何と宣誓する?
>>428だから、その根拠が全く聖書からも
カト・正教なら伝承からも無いわけだよ。
434 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:11
>>428人間に不備があると分かってるから、祈るし、信仰するのに、
どうしてそういうことが神の不備を指摘することになるのかな?
435 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:11
>>427 は、失礼だけどカトリックの人には理解できないと思うよ。
436 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:12
>>435 自由意志による信仰 の考え方の違いがあるからね。
完全に自主性のうちに主に従う状態を自由であると、
プロは考える。
437 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:12
もしかして、人間の不備=神の不備と考えているなら、
それは大間違いだよ。
アダムとエバが罪を犯したから、
人間はそれをずっと背負っているのに過ぎないんだよ。
438 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:13
>>430 結局、祈りは神に向かって不備を指摘するような
形態を取ることになり、
それが、神に逆らうことだと言ってるんですけど。
439 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:16
440 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:17
>>438 >祈りは神に向かって不備を指摘するような
>形態を取ることになり、
どのような形態を指していらっしゃるのか、わからないんですが、
キリスト教では「主イエスキリストの御名によって」祈るんです。
「これは、不備な自分を認め、主につながれた者として、完全なる
あなたを信頼して祈ります。」という告白を毎回しているわけです。
「イエスキリスト」を通さずに神に祈るのであれば、
あるいはあなたの言うとおり、神に逆らう祈りになるかもしれませんね。
441 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:23
>>440「イエスキリスト」を通す通さないに関わらず、
不備を指摘することになる。
442 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:24
443 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:25
もし人の不備が神の不備ならば、人が神を作ったことにもなるよ。
444 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:26
445 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:27
442は443が読むべき
446 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:27
人は神の奴隷。奴隷は主人に願うことは許される。
しかし、その通りにしろとは命令できない。
多分君は、そこのところを取り違えてるんだよ。
人には良くある話だよ。
447 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:30
448 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:32
>>446 奴隷が主人に何か言えば、主人は怒るんじゃないのかい。
自分を不完全と自覚している人間の主人でさえ。
ならば、完全な者に何か言う余地など無いという
ことになる。
449 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:32
>>444自分の言っていること全てが
他人に理解されて当然と君は思い込んでるようだから、
分かりやすく説明してほしいと望んでいるのさ。
分からないかい?
450 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:34
>>448人は不完全で理解出来ないから怒るんだよ。逆だよ。
451 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:35
452 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:35
神の怒りと人の怒りを混同しているようだけど、
それは良くないよ。
453 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:36
>>451君の言っていることが全く聖書からも、
伝承といわれるものからも理解しがたいからだよ。
454 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:37
>>450 ならば、完全で全てを知っている者に向かって
何を指摘しろと?
455 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:38
それに、君はどうやら人と神を同列に置いている節がある。
それ故に神に願うことはしてはならないという
結論に達するように見える。
神に不備があると考えているようだからね。
456 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:39
>>454祈りと指摘は別のものだよ。それを理解してきてごらん。
まずは、国語辞書で調べてごらん。
457 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:40
458 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:41
奴隷は主人に願う権利はあるが、主人に命令する権利は無い。
主人には願う権利も命令する権利もある。
この違いを良く知ることも必要だよ。
459 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:42
460 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:45
>>458 不完全である人間の主人ならば、奴隷からの指摘も
必要かもしれない。
完全な主人に、奴隷からの指摘は不要なのでは?
461 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:48
>>457また、君が言ったことが正論だとしたら、
聖書が神が人に与えた権利は、全て嘘だということになる。
ということは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神は
偽者という事になるね。
462 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:48
>>456 祈りは、神に向かって不備を指摘するような部分を含んでいる。
463 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:50
>>460奴隷は主人に指摘は出来ないよ。指摘は一種の命令だからね。
願うことしかできないよ。
464 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:52
>>462君がそう思うだけだよ。
聖書には祈ることを良しとしない部分はどこにも見当たらないよ。
465 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:53
>>461 イスラムの神は偽者だが、
ユダヤ、キリスト教の祈りは、神が完全であるという
事実に反していると言っているのだが。
466 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:53
また、君は神に不備があると思っているね。
神に不備があると思ってるから、
人間の奴隷の主人のように神を見ているんだよ
467 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:56
>>465何故イスラムの神は偽者と分かるの?
また、聖書は君のようなことを一つも言ってないけどね・・・。
そんなに人の主人のように怖がらなくてもいいよ。
468 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:57
469 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:57
悪いけど、用事あるから落ちるよ。またね
470 :
日本人2→日本人2002:02/07/04 13:59
>>437 アダムとエバが罪を犯したから
横槍ですが、罪を犯すような仕掛けをなぜ神は創られたのですか?
繰り返しになるけれど、この仕掛けがなければ人間は罪を犯さず、
したがって楽園を追われることもなかったと思うのです。その罪の
仕掛けについて神はどのように言っているのでしょうか。
また繰り返しになりますが、神がお造りになられた人間が、仏教徒に
なることをキリスト教の神はどのように言っているのでしょうか。
それも許していただけるのでしょうか。
471 :
名無しさん@1周年:02/07/04 13:59
>>468それは裏返しだよ。人には裏返しの心理があるものさ。
祈りを指摘だと捉えている所に、
既にその確信が揺らいでいるのが分かるよ。
472 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:00
>>467 イスラム教では、イエスをキリストと認めない。
単なる預言者としている。
ユダヤ教でもキリストと認めないし、預言者とも
認めない。
>>465のユダヤ教とは、旧約時代の
ユダヤ教のこと。
473 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:00
>>98 アブラハムの不備を、祈りのうちにアブラハムが知らされたんじゃないの。
何の矛盾も逆らいもそこにはないよ。
神の前に祈ったから、御心が理解できたんでしょ。
474 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:03
>>470それは人が自由意志を持っていたからです。
神が仕掛けを作ったわけではなく、人間の弱さが出ただけです。
神の技には間違えはありません。
仏教にも若干の真理はあると考えます。
ですからそれによって正く生きるのなら、神は罰しません。
475 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:06
>>470 前半のところは、それ以前に「自由意志」というもっと大きな
仕掛けがあったから。
後半のとこは、
生まれながらの人間はすべて地に属し、イエスにつながることで
天につながるとする。
仏教のことは特に書いていないけど、「自分の悟りに頼るな。
主により頼め」とは言ってる。
あと、神にあるものは、他の神々には仕えるな、と言っている。
476 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:06
>>472イスラム教が偽者という理由も聞かせてよ。
また、昔のユダヤ教が良くて今のユダヤ教が悪いという理由も聞かせてよ。
477 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:09
>>476 イスラム教に関しては、専門的に述べられる人は
あまりいないと思うが、
旧約聖書の写しなんだよね。内容が。そこに、アラーこそが
真の神と書き足してある、というような校正。
なので、偽といわれやすいのだと思うが、
自分はそれ以上は知らん。あと
>>472ではない。横レスごめん。
478 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:09
イエスを神と認めないという理由だけでは、
完全に偽者とは断言できないよ。
479 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:10
>>476 ユダヤ教に関しては、タルムード作ったころから、
カナリ人為的になってきたのよね。
キリスト教世界に対抗しようという戦略、意図をはらむから。
480 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:10
>>477確かな根拠を探すことは難しいもんだよね・・・。
481 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:11
>>479うん、それは良く知ってるよ。
だけど、そうだからといって完全に偽者ともいえない。
482 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:11
>>470 善悪を知る木が最初から無ければ、人はそれを食べなかったはず。
しかし、神はそれを植えた。その木がある以上、
何時か必ず食べてしまうはず。
いずれ食べてしまうということを、神が知らなかった筈はない。
では、何のために、それを植えたのか?
人間は愚かである。しかし、自分がどの程度に愚かであるかを
知らない。罪を犯すことによってのみ、自分の愚かさを知る。
神は人に、罪を犯す機会を与え。人はその機会に罪を犯す。
それを通じて神は人に、その愚かさを知らしめる。
>>469 ありがとう。こっちも時間だ。
483 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:13
484 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:13
485 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:14
>>480 内容がそっくし、というのはまあ旧約の写しであるとして
間違いないんだが、時代的にも。
良く言われる分かりやすい例としては、
「ウル」という地名、これ思い切り誤訳して「火」になってる。
「ウルから助け出された」を「火から助け出された」に話が
展開しちゃってるっていう。
「ウル」と「火」は、原語が良く似てるらしいんだけど、知ってる人いる?
486 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:15
>>482ユダヤ・キリスト教世界には、そのような伝承はないよ。
487 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:15
>>478 イエスを神と認めないという理由だけでは、
完全に偽者とは断言できないよ。
それを認めなければ悪魔崇拝と同じ。
488 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:16
>>484それだけじゃ、偽者という根拠にはならないよ。
実際に初期キリスト教では、イエスを神となんか思ってないから。
489 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:17
>>486 伝承ではない。
予定説を考慮に入れた聖書解釈だ。
490 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:17
>>482 >では、何のために、それを植えたのか?
食べたから悪いのではない。
そこに重要なのは「戒め」があったということだよ。
神の戒めを嘘だという蛇の誘惑にしたがった。そこ。
491 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:19
492 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:20
>>490 それら全てを通じて、神が人にその愚かさを知らしめた。
493 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:21
494 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:23
>>488 ?主であり、神と同位の方であるというのは認められていましたよ。
教義として三位一体という言葉が生まれたのはその後ですが、
内容的には変わっていませんよ?
495 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:29
496 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:33
>>488 宗教会議の結果、イエスが神と決まったから
どうのということではない。
イエスが神という事実は、宗教会議以前から存在した。
497 :
日本人2→日本人2002:02/07/04 14:38
>>474 ご回答ありがとうございました。
仏教については、ちょっと安心しました。が、まだ疑問が残ります。
神が自由意思をもつように人間を創られたということは、神の導きに
そむくこともあり得ることを承知で創られたということでしょうか。
私がまわりを見回すと、人間意外の生物は神の意志に忠実に生きている
ように見えます。そう言う生き物達は、地球を保全するようなベクトルを
持っているように見えるのですが、人間はそれと逆のベクトルを持っている
ように見えます。神が自由意思を持たせたと言うのが間違いのないことと
しますと、現在広がっている地球そのものの危機は神の意志であると
解釈してよいのでしょうか。
498 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:39
499 :
名無しさん@1周年:02/07/04 14:43
>>497 >現在広がっている地球そのものの危機は神の意志であると
>解釈してよいのでしょうか。
「神の意志」「人間の自由意志」そのふたつが実存するという教えを
前提にすると、創世記にある、神が人に管理責任を任せられた、
ここが重要かもね。
その命を正しく理解しなかったことによる
地球規模の環境破壊と考えることはできるよね。
しかし、天文学的にも、地球はいつか滅びるのは自明の理なわけで、
人が頑張ったから地球が滅びないとか、そういうものでは決してないよね。
500 :
日本人2→日本人2002:02/07/04 14:48
>>475 あと、神にあるものは、他の神々には仕えるな、と言っている。
え、仏教徒になるのは、だめなんですか。困りました。
501 :
日本人2→日本人2002:02/07/04 15:17
>499 人が頑張ったから地球が滅びないとか、そういうものでは決してないよね。
地球は太陽に飲み込まれてその一生を終えるようですが、どうせ滅びるのだから
と言って自らの寿命を縮めることはないだろうと思います。人間以外の生物は
滅ばない様に懸命に生きていますが、人間は自ら滅ぶようなことをしているように
見えます。神が愚かさを知りなさいと言っているのに、その愚かさを知る前に、
人間自らを滅ぼすような致命的な行為をしてしまったと言うことでしょうか。
温暖化については、温暖化ガスの排出をたとえ今ゼロにしたとしても今後100年は
この傾向が続くといわれいます。その結果、2050年には東京にハブ(蛇)が生息する
ようになると言われています。そして1万年間安定していた地球環境が、それ以前の
ように激動するようになり、哺乳類などは確実に絶滅すると言う予測が現実になりつつ
あります。これは単に悔い改めるだけでは解決しないと思うのですが、いかがでしょうか。
神はこの現状についてどのようなメッセージを送っているのでしょうか。
502 :
名無しさん@1周年:02/07/04 15:23
>>493そんな伝承や教義決定は無いからね。
あくまでも、君の頭の中で決定した話ね。
神が人間のようなものであると仮定すればそうなるね。
でも、本当のところは神しか分からんさ。
結局は分からんことをみんなここで論じ合っているということだよ。
>>494-496残念ながら、神と同位という説はずっと後みたいだよ。
新約聖書といっても、残念ながら民間伝承の総集編だからね・・・。
話がどんどん膨らんでいって当たり前ってもんだよ。
聖書を正典と決めたのは、古代カトリック教会だしね。
ひょっとしたらグノーシスが正しかったかも知れないよ。
503 :
名無しさん@1周年:02/07/04 15:31
>>502 >残念ながら、神と同位という説はずっと後みたいだよ。
>新約聖書といっても、残念ながら民間伝承の総集編だからね・・・。
>話がどんどん膨らんでいって当たり前ってもんだよ。
>聖書を正典と決めたのは、古代カトリック教会だしね。
>ひょっとしたらグノーシスが正しかったかも知れないよ。
聖書から得られる根拠というのに使徒の言動、などがありますが、
これらをのっけから否定するのではキリスト教ははじまりませんね。
むしろそこから「ひょっとしたらグノーシスが正しかったかも」
という結論につなげたがるあなたの立場に興味がありますが、
あなたが展開している議論は自説ですか?
504 :
名無しさん@1周年:02/07/04 15:42
>>501 >>499にあるように、
「自由意志」と「神の意志」神が与えられた管理責任というのが
まずあって、まずそこから考えたいよね。
まず「解決」にも、何をもって「解決」とみるのか。
人口が増えていく以上地球が汚れていくのは避けられないし、
地球にいちばん「やさしく」するためには人類が滅びるのが
一番いいという答えになると思うが、そうではないよね。
神のメッセージを読むとするなら、「正しい管理の仕方」
を求めるべきなんだが、
今世界的にある環境問題の解決の過程を見ても、
そこに神に反する人間本位なものがいくつもあるよね。それらが
「解決」への道を阻害していると言える。これは主の真理に
反すること。
たとえば、まずシェアするという考え方を受け入れない国がある。
自国の二酸化炭素排出量を他国より有利に持っていこうとしたり、
牛肉の消費量を5%減らせば解決すると言われている食料不足問題、
これを受け入れようとしない企業。
今ある環境論も、最後は「自分に出来るところから」になるんだが、
「人間本位」というより「自分本位」な考え方から、「知恵」のある
考え方にシフトする。できる人、理解できる人はそれをやるしか
ないよね。
結局のところ、人間の罪、自己中心性、そこから改めて
いかなければいけないということにならないか。
505 :
名無しさん@1周年:02/07/04 15:44
>>500 はあ?仏教信じちゃだめって、誰かがいったの?
あなたは誰かにそういわれる筋合いがあるの?
イエスを主とするものは他の神に仕えてはならない。
それだけだよ。
506 :
名無しさん@1周年:02/07/04 15:57
>>503なら聞くが、福音書は最初から全て揃っていたかい?
使徒たちの手紙が最初からあったという根拠は?
全て後から出てきたものだよ。でも信仰によってそれを信じてるわけさ。
それは、キリスト教会の「伝承」というものさ。
グノーシスが正しかったかも知れないというのは、
イエスの修行法からだよ。そういう要素がなかったとは言い切れない。
自説と言いたげだが・・・私は確信できないから説ではないね。
可能性へとして無きにしも非ずといったところだよ。
507 :
名無しさん@1周年:02/07/04 15:57
>>505 全くその通り、自由意志というのは究極に
自然なことだとつくづく思う。
508 :
名無しさん@1周年:02/07/04 15:58
ま、グノーシス的な考え方の方が、欲望の強い人間の感性にはしっくりいくわな。
510 :
名無しさん@1周年:02/07/04 16:01
>>508荒れ野での修行。神秘主義の世界によるあること。
511 :
名無しさん@1周年:02/07/04 16:04
神人合一を図るというところがグノーシスの基本なわけで、
それによって合一を果たしたと考えられなくもないからね。
512 :
名無しさん@1周年:02/07/04 16:05
>>510 ずいぶん簡単につながるな(笑)
じゃあイエスは魚食べたから仏教徒とか?
513 :
名無しさん@1周年:02/07/04 16:06
>>511 霊によって生まれたとなってるから違うんじゃない?
グノーシスよくしらないけど、処女懐妊を信じなかったんじゃない?
その人って。
514 :
名無しさん@1周年:02/07/04 16:07
>>509 それは同意。しっくりくるかもね。そこから話はふくらんでく。
515 :
名無しさん@1周年:02/07/04 16:08
おーい、ここは質問箱ですよー、議論は別スレたててやってね。
516 :
日本人2→日本人2002:02/07/04 16:08
>>505 早とちりでした。そうですよね、ダブルブッキングと言うが、2重帳簿というか
それは私も許せませんね。
517 :
自由意志論者なんだけど:02/07/04 16:09
宿命論というか予定調和論もそれはそれで理にかなってると思うのね。
というか究極には(神の視点からは)自由と必然性は矛盾しないから。
でも509が何をいいたいかはよくわかんね。
……グノーシス話、ちと専門的すぎるから「派生した議論」スレッドか
新スレッド立ててやったらどう?
518 :
名無しさん@1周年:02/07/04 16:12
>>506 最初って、いつさ?
旧約聖書だって3500年前からちょっとずつ書かれたものだよ。
聖書全体の著者約40人。書かれた時期がバラバラであることが重要ではなく、
書かれた時期がバラバラであるに関わらず、真理において一貫性を
もち、今日においても聖典として神の言葉として枯れることがない。
こっちの方が重要じゃない?
時期作者バラバラゆえに、聖書は信頼に値すると思うんだけど。
519 :
名無しさん@1周年:02/07/04 16:12
>>512普通のユダヤ教徒は、そんなことはしないよ。
神秘主義系列によくあった行為だよ。
洗礼者ヨハネの教団は、イエスを悪の教師と呼び、
イエスの兄弟あるいは従兄弟のヤコブを善の教師とも呼ぶ。
>>513そうだよ。むしろ普通に生まれたと考えてたみたいだよ。
>>514神しか全てを知るものはいないよ。
520 :
名無しさん@1周年:02/07/04 16:22
>>518イエス後のことだよ。
それから全ての福音書が一貫しているかい?
一貫しているように見せる工夫を、きちんとなされているじゃない。
言ってる事は全く違う。福音書間の記述は全ては一緒かい?
また、旧約聖書の中もどう?復活信仰なんて当初はなかったよ。
でも後になったら出て来るんだよ。全然一致してないよ。
世界の経典は全てそうだけど、時代とともに全て変化している。
「異教」の経典とユダヤ・キリスト教の経典は、実は変わらないのさ。
521 :
名無しさん@1周年:02/07/04 16:28
なんだか質問箱から遠のいてきた・・・議論はここまで。
後は各自スレッドを立てるなり、他でお話ししてください。
522 :
名無しさん@1周年:02/07/04 16:30
>>520 >言ってる事は全く違う。
一致してるし、
>復活信仰なんて当初はなかったよ。
復活の信仰ではなくメシアを待ったし、具体的に知らされず、
むしろ「ユダヤは受け入れないだろう」といわれていたわけだし、
>世界の経典は全てそうだけど、時代とともに全て変化している。
「変化」って?旧約の中身が途中で書き換わったとか?
だとしたら大問題だと思うけど。
詳細議論していくとキリがなさそうなので、別スレたてるか、
その前に、教会に言ってるなら、詳しい人に疑問ぶつけてご覧よ。
時代背景とか、具体的箇所さして教えてくれると思うよ。
523 :
名無しさん@1周年:02/07/04 16:44
>>522残念だけど、信仰者の側にしか理解出来ない概念なんだよね。
どこの宗教もみんなそうだよ。
一致はしてないし、常に周辺地域の信仰からの借り物である
可能性も否定できないよ。
変化についてもそうだよ。変化はある。
全く異質なものが、受け入れられていく過程がそこにあるよ。
常にヤハウェは他の神々より上でなければならないからね・・・。
ないものがそこにあるなら、その要素も加えて行くことは
極自然な動作であり、当然のことだよ。
残念ながら、教会へ行っても誰も答えられる人はいなかったよ。
宗教は心の世界だからね。
心を肯定する世界であって、否定する世界じゃない。
どんな付け加えがあったとしても、矛盾のない範囲内に加工すれば良い。
そういう世界だよ。
524 :
名無しさん@1周年:02/07/04 16:46
でも、警告があるからここのところでやめておくよ。さよなら
525 :
日本人2→日本人2002:02/07/04 17:43
>>504 ご回答ありがとうございました。
> 人類が滅びるのが一番いいという....
結局その方向へ向かっていると言うのは冗談としても、足るを知るというのは
野生の動物の方が一枚上手ですよね。アフリカのオアシスでは、タイムシェア
で飲み水を分け合っていますし、もしかち合ってしまったら先客が終わるのを
遠くで待つゆとりも持ってます。これは神の意志そのものが具現化された生き
ざまのような気がします。振りかえって見回すと人間はいかに卑しいかばかりが
目についてしまいます。その究極が温暖化ではないかと思えてしまうのです。
そしてその温暖化が後戻りできないほどの状況になってしまったことで、人間は
与えられた「管理責任」が果たせないほど愚かな動物であったと言うことが証明
されてしまったように思えます。
> 結局のところ、人間の罪、自己中心性、そこから改めて
> いかなければいけないということにならないか。
これは、温暖化と同じで、今から全人類がそのようにあらためたとしても
滅亡の切符は切られていることから、むしろどのような気持ちで滅亡を
迎えるかということになるのではないかと思います。
温暖化は南極に顕著で、昭和基地のあるオングル島が万年雪がとけて大陸から
離れたり、昭和基地の周りにコケが生えて春は一面緑色になっていたり、学者の
予想を越えて進行しています。私は非常に憂鬱です。
>>525 >アフリカのオアシスでは、タイムシェア
>で飲み水を分け合っていますし
経済至上の中で、人間の目はますます曇ってきたのでしょうね。
で。んっとさあ。
愚かさが証明されたり、鬱になるのは確かに必然という気がするんだけど・・・
さて、どうしようね?その先。
>むしろどのような気持ちで滅亡を
>迎えるかということになるのではないかと思います。
死ぬ覚悟ならいつでもすればいいと思うんだけど、
最初にあるタイムシェアのような「知恵」がありうるならば、
そこを選択するべきだと思うわけよ。
527 :
名無しさん@1周年:02/07/04 18:04
前スレ(パート8)上げないでーおねまい。
528 :
名無しさん@1周年:02/07/04 18:34
あげあらしだから、放置するしかしょうがないと思へり。
対抗あげ。
529 :
名無しさん@1周年:02/07/04 21:56
どうして、ふぁんだ君は真性厨房なんですか。
どうしても、脳内アボーンしか手が無いのですか。
530 :
名無しさん@1周年:02/07/05 09:12
>>526 地球がいつかなくなるなんていうのは必然なんだけど、
環境問題は人権問題であり、むしろそこに目をとめて、そこに解決のメス入れようと
するのがキリスト教だと思う。実際にキリスト教系のNGOとかのポリシー見ても、
そっちよりだよね。
531 :
名無しさん@1周年:02/07/05 09:15
>>530 環境破壊の原因が人間であり、被害を被るのも人間だから。
532 :
名無しさん@1周年:02/07/05 14:11
「うめよ、ふえよ、地にみちよ。」と神はノアを祝福したけど、
チョト満ちすぎやったのではとオモワレ。
こんなにたくさん満ちるのも、神様のご計画だったのですか?
533 :
名無しさん@1周年:02/07/05 14:48
>>532 >こんなにたくさん満ちるのも、神様のご計画だったのですか?
今こうある以上、そうなんでしょうね。
しかし、憂うよりも思考の一新。その時代時代に、その中に私たちには
一人一人どう生きるかの命題が与えられていると考えるのがキリスト教で。
状況証拠から神様の意図を汲もうとすると、どんどん真理から
離れていくものだと思うのよ。そこには鬱しか残らない。
「あなたの恵みはあなたに十分である」「明日のことを思い煩うな、神は
あなたに必要なものを知っておられる 野の花も鳥も神が生かしておられる」
環境破壊の原因を読み解く鍵は、みことばの中にたくさんあって、
どうするべきかも、示されていると思うよ。
×「あなたの恵みはあなたに十分である」
↓
○「わたしの恵みはあなたに十分である」
聖書の暗記ってアテになんないわ。ちゃんと確かめて書こ・・・。
535 :
名無しさん@1周年:02/07/05 15:21
≫532
地球に増えすぎた人類ではなく、富の一極集中が問題と思われ。
我々人類の欲望は粋をつくしてるからな。
一方で、何万トンもの食料を廃棄しながら、一方で何億人もの人間が貧困状態に喘ぎ、餓死しているものも多い。
それというのも、私たちはそれを知りながら無視してきたからだ。あえて見ないようにしてきた。見ると自分達の裕福な生活が脅かされるからだ。もっと人間達は賢くなるべきだな。全ては自分に帰ってくる。
536 :
名無しさん@1周年:02/07/05 16:27
>>535 >一方で、何万トンもの食料を廃棄しながら、一方で何億人もの人間が貧困状態に
>喘ぎ、餓死しているものも多い。
>それというのも、私たちはそれを知りながら無視してきたからだ。あえて見ない
>ようにしてきた。見ると自分達の裕福な生活が脅かされるからだ。
ごもっとも・・・。
自然を大切にしたり、愛することにハードルは無いんですよね。
人間は自然な心でそれが出来るし、今までも結構頑張ってやってていたんです。
課題として受け止め越えなければいけない壁は、むしろ人権問題としての、
環境問題。
あなたが書かれたように、それを引き起こした人間の心の洞察も含みますね。
そういう点で考えると、いままで巨大なキリスト教世界は何をやっていたんだろ・・?
と思ってしまう。キリスト教自身、人間中心主義を長く傾いた時代があり、
そこでは、世界が身ごもるべき真理というのが
そっちのけにされていたと思います。資本主義の中心にキリスト教があるという
のは否めない事実だと思うのですが、その「キリスト教」が、
キリストの真理にたったものであったかどうか。TPOにあわせて
都合よくチョイスしてこなかったか。
環境問題というのは、神がクリスチャンに対する信仰の悔い改めの機会をあたえている
もの、そう考えることもできるように思います。
537 :
名無しさん@1周年:02/07/05 16:31
>>536 ちょっと語弊が
×資本主義の中心にキリスト教→○資本主義各国の中心にキリスト教
538 :
名無しさん@1周年:02/07/05 17:36
>>536 >キリストの真理にたったものであったかどうか。TPOにあわせて
>都合よくチョイスしてこなかったか。
人間の集団に対して、いきなり何かをフィードバックすることは
できないのですよね。「あなたがたは地の塩です」というみことばに
あるとおり。
自分の信仰には、過去から受け継いできたものの影響が
多く含まれている。追体験的部分です。
その中には当然、「人間中心主義」的な文化も含まれている
と思う。それを吟味して、自分の信仰にフィードバックさせること、
(自分の理解の中に、資本主義的に都合よくチョイスされた理論がないか)、
こういうチャレンジが、キリスト教の真理を蘇らせていくと思うんですよね。
539 :
名無しさん@1周年:02/07/05 21:34
すみません。「自由主義神学」って何ですか?
ネットで調べてみたけどよくわかりません。
なんか自由=のびやかなイメージ(?)があるんですけど。
また、具体的な教団・教派も教えてください。お願いします。
540 :
名無しさん@1周年:02/07/05 23:38
>>539 全体的には把握していませんが、たとえば、
「聖書の記述は比喩であ、事実ではない。」
「キリストは象徴であり、実在しなかった。」
などと主張するのは「自由主義神学」です。
541 :
名無しさん@1周年:02/07/06 00:20
>>540さん、ありがとうございました。
そういう教会もあるんですね!!!
ちょっとビックリ。礼拝とか、成り立つんですかね?
542 :
名無しさん@1周年:02/07/06 00:25
説教の中身は人権軍縮、という場合も多いらしい。
<>結局この物語の中では、イエスはテロを画策したただの人として死んでいきます
<この時点で、「まったく聖書的ではない」と断定していいと思います。
<もっとも当時ユダヤにはローマからの独立を画策する政治集団があり
<イエスの弟子のなかにもそれ関係の人はかなりにいたようです。
<イエス個人がどのような政治的スタンスを取っていたかは明瞭では
<ありません(「カエサルのものはカエサルに」からすると過激な
<反ローマではなかった可能性はあるが、これは逆に反体制派でない
<ことを主張するために後代作られたエピソードである可能性もある。
<伝承から歴史を構成することは非常に難しいのです)。
<ですので歴史家のなかには、イエスが積極的に政治活動を行った
<と考える人がいても不思議はないでしょう。
<WWWで検索するなら「史的イエス」をキーワードにしてみてください。
ご返事ありがとうございました
あくまで私見ですが、やはりイエスは反ローマだったんではないかと思います
ソロモンの即位の故事をまねるなど、自分がユダヤの王に相応しいのだと明らか
主張したがっているように見えます。
御国の到来の良い知らせ(御国の福音)とは力を合わせてイスラエルをとりも
どそうっていう呼びかけだったのではないでしょうかね
544 :
名無しさん@1周年:02/07/06 01:34
>>543 ごめん、ちょっと漫画の読み過ぎかも・・・・
聖書読むと、そういう解釈にはならないと思うよ。
545 :
名無しさん@1周年:02/07/06 02:03
どの教派が最も正しい?
546 :
名無しさん@1周年:02/07/06 02:14
>>545 全員自分の教派を正しいと答えるので、回答不能。
あと、オレは○○だけど、□□は正しいと思うよ、
という奴は実は□□の人間だという罠。
三位一体を告白して聖書に矛盾がなければ、だいたい正しい。
ヤバイのはごく一部です。そこが強調されちゃうけどね。
547 :
名無しさん@1周年:02/07/06 02:16
>>546 自分の教派が正しいと言うのは異端だけですけど。
548 :
名無しさん@1周年:02/07/06 02:20
549 :
名無しさん@1周年:02/07/06 02:51
神以外を礼拝するのは異端
>>546 正しいキリスト教はどこにも無いことになってしまう
( 三位一体を告白しただけでも聖書と矛盾するんだけど )
>>547 の宗派は(本人によると)正しくないようです
>>549 まあ、この人の意見が穏当ではないかな
551 :
名無しさん@1周年:02/07/06 03:03
自分のトコよりも他の教派が正しい、などと思い
ながら現在の教会に留まる奴はあまりいないと思う。
552 :
名無しさん@1周年:02/07/06 07:55
>>540 >聖書の記述は比喩であ、事実ではない
これは自由主義神学に限らずどの神学・教派でも、多少は認めている要素
だと思うよ。キリスト教を自称する勢力で聖書がすべて「事実」だなんて
言っているところは、ほとんどないはず。特に大きな宗派はね。
553 :
540です:02/07/06 08:57
>>552 自由主義神学によれば、
聖書の記述は<全て>比喩である、となるようです。
554 :
名無しさん@1周年:02/07/06 08:57
>>550 ○三位一体論と聖書の矛盾なぞ言い出すのはエホ証その他、ごく小数のみ。
>>552 ○処女懐妊や復活を事実として信じることができないと、霊的な「贖い」が成立しなくなる。
>聖書がすべて「事実」だなんて
>言っているところは、ほとんどないはず。特に大きな宗派はね。
ならば、具体的な宗派名をあげてみなさい。
555 :
540です:02/07/06 09:18
>>554 (
>>552ではありませんが)たとえば、創世記の冒頭にある記述など
については、神のわざ(真実)を象徴しているが、事実ではない、
と考えても問題無いのではないかと思います。
もちろん、「全て事実」と考えることもできると思いますが。
556 :
名無しさん@1周年:02/07/06 09:25
>>555 「問題無いのではないか」というのは、あなたの意見で、それは自由なんですが、
>聖書がすべて「事実」だなんて
>言っているところは、ほとんどないはず。特に大きな宗派はね。
実際にそういう信仰をもっているのはどこの教派ですか?
という話の流れをちゃんと読んでね。
557 :
名無しさん@1周年:02/07/06 09:33
私はキリスト教って文化としてしか認識していません。
558 :
540です:02/07/06 09:38
>>556 多分あなたの意に適う答えではありませんよ、ということで
(
>>552ではありませんが)とことわりがきをしたのです。
それでも、あなたの言うように、私の意見を私の自由で
申し上げたわけです。
何ら参考にはなりませんでしたでしょうか?
ならなかってんでしょうね。
559 :
名無しさん@1周年:02/07/06 10:51
>>557 キリスト教世界は、まさに文化だと思いますよ。
それをまとめる教団というのも、社会や文化の一部とみなしてよいでしょうね。
いかなる文化にも源はあり、キリスト教文化においては
主イエスと聖霊に導かれる教会と「信仰」がそこにあるわけです。
もとは宗教なんですからそうですよね。
そこから派生したものはたくさんあります。
ここまで巨大なのだから、派生するものが無いほうがおかしい。
自由主義神学もその一つであり、キリスト教文化と呼ばれるべきものでしょう。
これはなんら否定されるものでもないし、現代においては、必然といえるものかも
しれません。また、それを支持することも、個人の完全な自由です。
ただ、
>聖書がすべて「事実」だなんて
>言っているところは、ほとんどないはず。特に大きな宗派はね。
このような形で、本来の聖霊に導かれた信仰と取って変わるというもの
ではありません。
また、具体的な宗派も述べず「ほとんどない」と言い切るのは、
やはりおかしなことなんです。
560 :
名無しさん@1周年:02/07/06 11:05
一つ聞きたいんだけど、たとえばカトリックは聖書に書かれている内容
(創世や神の子と人の混血種族の存在、数百歳以上の長寿人間の存在、
全世界を覆い尽くすような大洪水、神の命を受けたモーセ・ヨシュアに
よるカナンでの異教徒大虐殺や略奪・侵略など)が「すべて」事実だと
しているわけ?
561 :
名無しさん@1周年:02/07/06 11:06
>>552 大きな、というよりも、比較的古い、だろ。
562 :
名無しさん@1周年:02/07/06 11:34
「事実」「虚実」この2面のどちらかにつかなければ
ならないという立場にたつのが自由主義神学だと思うよ。
科学にも、ノアの洪水や創世論が「虚実」と言い切ることは
できないわけで。
563 :
名無しさん@1周年:02/07/06 11:57
これは事実です。これは虚実です。
・・・人から聞くだけで結論を出すのは、ちょっと寂しくないか。
まず自分の中で「謎」を謎として認め、真実を信仰において探す。
それが神を求める姿勢でもあり、結局のところ教会はその姿勢を守るところ。
信仰の中では、その人の中で真実であるという論が完結するのが今までの
キリスト教で、同じ信仰を保つ限り、それは続くと思うよ。
「虚実です」といいはる人も、「真実です」といいはる人も、
『じゃあ君はそれを見たのかい』と言われれば、誰一人答えることはできない
わけでしょ。
564 :
名無しさん@1周年:02/07/06 12:30
>>554 さらば聖書は・・・・信仰と生活との誤りなき規範なり(日本基督教団告白抜粋)
これでわかるように、教団は聖書は特定領域の規範としては無謬である事を告
白しているが、事実について無誤無謬だとは一言もいっていない
565 :
540です:02/07/06 12:34
私はカトリックではありません。
卑怯なようですが、異端ではないキリスト教徒個人としての私考え、
というか理解ですが・・・
○創世記について
>>555で申しましたように、
神のわざ(真実)を象徴しているが、事実ではない部分があると思います。
○神の子と人の混血種族の存在
不勉強で申し訳ありません、というかびっくりしていますが、
聖書にそのような記述があるのでしょうか。知りませんでした。
○数百歳以上の長寿人間の存在、
どうも、当地における当時では一年の数え方が現在と異なっていた、
という話を聞いた覚えがあります。
○全世界を覆い尽くすような大洪水
ノアの箱舟の記述については「事実」であったと認識しています。
○神の命を受けたモーセ・ヨシュアによるカナンでの異教徒大虐殺や略奪・侵略など)
この話も「事実」であったと認識しています。
ただ、本当にそうなのかどうか証明することはできません。
「信仰」という抽象的な事柄を通しての考えになってしまいます。
また、概ね
>>563 さんの考えに同意します。
566 :
540です:02/07/06 12:38
↑
失礼しました
>>560 さんへの私の回答です。
>>565 混血種族については創世記6.4を参照してみてください。また、この前には
主は言われた。
「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎ
ないのだから。」
こうして、人の一生は120年となった(新共同訳聖書・創世記6.3)
とあるんですが、この後も数百年生きる人間がいるんですよね(^^;。
なお、カナン侵略の際に聖書では
ヨシュアはアイの住民をことごとく滅ぼし尽くすまで投げ槍を差し
伸べた手を引っ込めなかった。ただし、この町の家畜と分捕り品は、
主がヨシュアに命じた言葉どおり、イスラエルが自分たちのために奪
い取った。
ヨシュアはこうしてアイを焼き払い、とこしえの廃墟の丘として
打ち捨てた。それは今日まで残っている(ヨシュア記8.26-28)
とあるように徹底的な破壊と殺戮・略奪を繰り返しつつ侵攻していった、
とされていますが、このようなことを示す「今日まで残っている」もの
ってほとんどないですよね? ごく一部で焼けた城壁の跡が見つかった
程度で。ヨシュア記の記述は、かなり誇張されているような気がします。
大洪水も同様。
私は、聖書はあえて言えば「伝承・神話を基にした寓意小説」だと思って
います。聖書は、事実というよりも宗教的世界観を描き出しているもので
あって、その記述は現実世界で「現実に起こった出来事」と必ずしも一致
しているわけではない、と。
イエスのあがないについて疑問
・イエスはアダムが犯した罪をあがなうために人間となり完全な命を
神に差し出しました。
それによってイエスの犠牲に信仰を持つ人たちはアダムの罪から解放される。
ということですが。
イエスは死にましたが3日後に生き返りました。
これはおかしくないですか?あがないを身代金と例えれば、
イエスは身代金を払ったが、あとから取り返したことになります。
死んでた間は3日間だけでした。人間の完全な命と引き替えのはずなんですが、
どう解釈すればいいのでしょうか?
569 :
540です:02/07/06 13:23
>>567さん、ありがとうございました。
この記述を指して「神と人との混血」となってしまっていたんですね。
ここで表現される「神の子」とは「義人」のことでセトの子孫を指して
いる、と理解しています。したがって「神と人との混血」ということには
ならない、という風に私は考えます。
現代の日本人にとって、聖書の表現はことに難解な場合が多いですね。
特に、「これは事実かどうか」とやっていくと混乱する場合が多いと
思います。「自由主義神学」のようなものが発生するのもある意味理解
できるような気がしますね。
570 :
名無しさん@1周年:02/07/06 13:51
>あくまで私見ですが、やはりイエスは反ローマだったんではないかと思います
たしかに当時のガリラヤは反ローマ的雰囲気が強かったらしいからね。
ヨセフスの『ユダヤ古代誌』や『ユダヤ戦記』を読むとよくわかる。
ただイエスが反ローマだったかどうか難しいところだね。ガリラヤの反ローマ活動が
盛んになるのがいつ頃からかということについても説が分かれるし、それによって
福音書解釈も違って来るからね。たしかに福音書には明かな反ローマ的なイエスの言動は
伝えられてはいないけれど、反ローマともとれる記述も福音書にはいくつかあるし。
とにかく古典としては、イエスがゼロタイとして反ローマ活動家であったと紹介するのが
カーマイケル『キリストはなぜ殺されたのか』(読売新聞社)。ただ批判が多いが。
イエスについて書かれてある本には必ずといって良いほど、この点について触れられているが、
深く研究しはじめると多分、原始キリスト教や当時のパレスチナの情況に関する総合的な知識が
必要になってくるだろうね。
571 :
名無しさん@1周年:02/07/06 13:53
>聖書の記述は比喩であ、事実ではない
聖書の記述を比喩的に解釈するというより合理的に解釈するのが、自由主義神学では。
自由主義神学といっても多様だから、一概に説明するのは難しいけれど、
人間の内面を重視する近代思想の影響を強く受けているため、
キリスト教の真理を説明する場合には、人間の歴史や倫理を重視し、
伝統的な神学のように教会の教義や信条といった外的な権威を重視しようとしないのが特徴か。
だからイエスの生涯を描く場合でも、奇跡といった超自然的現象に関する記述については
はじめからナンセンスであるとして排除したり、あるいは合理的な説明を加えようとする
(例えば奇跡なんかではなくて、暗示にかかっただけだとか)。つまり奇跡の記述を比喩的に解釈して、
信仰にとってのなんらかの意味を見出そうなんかはなっからしようとしないのが自由主義神学。
イエスが神である証拠について
ローマ皇帝コンスタンティヌスは司教をニケアに召集し、
『父と同一の実体に関する』信経の中で神とキリストとの関係を表わした事柄
(神とキリストは同一である)を個人的に提唱しました。
なぜ、コンスタンティヌスはイエスが神であるという考えを
押し進めたのでしょうか?
(当時コンスタンティヌスはキリスト教の信者ではなかったし、
キリスト教に関する知識もあまり無かったと思われる。)
ニケア公会議以前はイエスが神であるという考えは発展途上の状態でした。
しかし、公会議以降は反対に遭いながらも、ローマ皇帝の支持などにより
「イエスは神である」という概念は定着してゆき、後に聖霊も加わり
三位一体とういう考えが広まったようです。
イエスが神であるという聖書的な根拠はありますか?
573 :
ときどき軍事板にも逝きます:02/07/06 14:09
処女懐胎も創造ももちろん復活も信じて、ついでに使徒継承も信じちゃう者ですが
>○神の命を受けたモーセ・ヨシュアによるカナンでの異教徒大虐殺や略奪・侵略など)
>この話も「事実」であったと認識しています。
これねえ考古資料からすると、かなり「そうだったことにしたいっぽ」な記述
なのです。
・そういう大規模な破壊の後はあの地域にその時期にはなさげ
・都市国家の大きさがどれもちょっと誇張入りげ
など、いろいろ。むしろ士師記にあるような(ヨシュア記にもあるけど)、
他の宗教を信じる先住者との混血を繰り返しながらゆっくりあの地域に定住して
いった(当然ときどき戦争もある)というほうが、まだ史実に則していそう。
ただしイェリコの描写などは発掘される都市国家の城砦の様子とわりと照応
しているので、細部のリアリティはあるんだな。日が暮れると追撃戦できませんとか、
そういう古代古代した戦闘描写がいい感じで萌えです>ヨシュア記
574 :
名無しさん@1周年:02/07/06 14:15
キリスト教の一番正しいのは
どの団体?
575 :
名無しさん@1周年:02/07/06 14:58
神とサタンの戦いを解説してください。この二人はどのように戦っているのでしょうか?サタンはどのように私たちに影響を与えているのですか?分かる人教えてください。
576 :
名無しさん@1周年:02/07/06 15:03
祈りの意味が良く分かりません。
神様のなさることは完璧です。祈る余地などないわけです。
不完全な者が、完全な者に向かって口を出したり、することに注文を付けて良いのでしょうか?
自分が不完全と自覚している人間でさえ、不備を指摘されると腹を立てます。祈り=冒涜、と言えなくも無いと思います。
アブラハムは、神がソドムを滅ぼそうとしたとき、正しい者もいしょに滅ぼすのか?と問い、
五十人の正しい者がいても滅ぼすのか?人数を徐々に減らし、45,40、30、20、10人なら滅ぼすのか?と問い、祈りを中断しています。
本来ならば、祈りはもっと続いたはずです。5人なら、3人なら、1人ならどうか?と問うつもりだったと思います。
アブラハムは、祈りによって神様に逆らっていることに気付き、祈れなくなったのだと思います。
祈りには
「神様、あなたのやりかたは間違っています」
「私の考えの方が正しいです」
「そんなやり方はよして、私の言う通りにしなさい」
という思いが伴います。
それは、完全に神様に逆らうことです。
故に祈りの意味が理解できないのです。
フロンガスを発見させてみたり、神に対する猜疑心を植え付けてみたり、
後は、いい気にならせて、神をも恐れぬ諸行をする様にさせたり、
あまつさえ、神だって支配下におけると勘違いさせたり、
ま、色々だよ。<サタンさんたちの活動
人間がとろくさいのもいかんのだけどな。
でも、連中につい帰依してしまう人たちをひっくるめて、サタンさん、曰く、
む し け ら ど も
だ、そうだ。
虫けらはダメだよな、やっぱ。
578 :
名無しさん@1周年:02/07/06 15:10
かみはかんぺきだよ。でも、それはすべてをちょうえつしてるからなんだ。かみはいかりをちょうえつしてるし、かなしみをちょうえつしてるんだよ。だから、かみにさからうようなことをいのってもおこらないんだ。
579 :
名無しさん@1周年:02/07/06 15:17
>>578 それでは、どうして逆らう必要があるのか?
580 :
名無しさん@1周年:02/07/06 15:26
あなたたちがじりつしてかみをしるようになるように。かみはじゅうぞくをもとめてるんじゃなくって、みんながあいによってじぶんをあがめてほしいんだよ。
そのためには、ときにはかみにさからってかんがえてみるのもひつようなんだ。
かみはあなたたちにんげんがさいしゅうてきにじぶんをしるようになるってことをごぞんじなんだよ。じっかいのだいいちかにかいてあることがじょうじゅするんだ。
581 :
名無しさん@1周年:02/07/06 15:30
ひらがなは読みにくいから逝ってよし。
582 :
540です:02/07/06 15:44
>>571 補足および修正、感謝いたします。
よく知らないことを知ったように説明するものではありませんね。
反省します。
583 :
540です:02/07/06 15:51
>>573 こちらも補足をありがとうございます。
考古学的な立証は困難だ、ということですね。
ふむ・・・どうしようかな。
とりあえず、事実だったと考えることにしときます(笑
584 :
540です:02/07/06 16:04
>>574 ひとつだけではありません。
ニケヤの信仰告白を採用している教会はいずれも正しいキリストの教会です。
ローマカトリック教会、ギリシャ正教会、聖公会、ルター派やその他の新教会
など多数あります。
585 :
名無しさん@1周年:02/07/06 16:20
586 :
名無しさん@1周年:02/07/06 16:30
587 :
名無しさん@1周年:02/07/06 16:56
588 :
名無しさん@1周年:02/07/06 17:01
祈りの意味が良く分かりません。
神様のなさることは完璧です。祈る余地などないわけです。
不完全な者が、完全な者に向かって口を出したり、することに注文を付けて良いのでしょうか?
自分が不完全と自覚している人間でさえ、不備を指摘されると腹を立てます。祈り=冒涜、と言えなくも無いと思います。
アブラハムは、神がソドムを滅ぼそうとしたとき、正しい者もいしょに滅ぼすのか?と問い、
五十人の正しい者がいても滅ぼすのか?人数を徐々に減らし、45,40、30、20、10人なら滅ぼすのか?と問い、祈りを中断しています。
本来ならば、祈りはもっと続いたはずです。5人なら、3人なら、1人ならどうか?と問うつもりだったと思います。
アブラハムは、祈りによって神様に逆らっていることに気付き、祈れなくなったのだと思います。
祈りには
「神様、あなたのやりかたは間違っています」
「私の考えの方が正しいです」
「そんなやり方はよして、私の言う通りにしなさい」
という思いが伴います。
それは、完全に神様に逆らうことです。
故に祈りの意味が理解できないのです。
589 :
540です:02/07/06 17:09
>>588 実は私にもよくわかりません。
キリストの弟子も「父に祈るときはどうするのですか」
と質問していますね。
でも、私は、神様に逆らうことだとは思わないのですが。
590 :
名無しさん@1周年:02/07/06 17:20
591 :
名無しさん@1周年:02/07/06 17:20
>>588 マタイ6章にイエスが「このように祈りなさい」と示されています。この言葉の
一字一句の深遠なる意味を理解することができますように。
祈りとは、「感謝」「隣人愛」「神とのデボーション」「へりくだり」に
つながる「主の求められる」「主の喜ばれる」ことでもあるわけです。
592 :
名無しさん@1周年:02/07/06 17:22
593 :
名無しさん@1周年:02/07/06 17:24
594 :
540です:02/07/06 17:37
>>590は
>>588の発言でしょうか?
だとしたらちょっとびっくりですが(笑
他の回答を見て私の答えが変わるわけではありません。
それとも以前に類似した回答があったから重複しているので
不要だということでしょうか。統計になって好いと思いますが。
どういう目的で質問されたのですか?
悪意がありませんか?
595 :
名無しさん@1周年:02/07/06 17:42
紅茶を注文したら、ウエウトレスがコーヒーを持って来たとします。
「注文したのは紅茶です」と言うのが普通です。(中には、
遠慮して黙ってる人もいるかも)
ウエイトレスは人間だから時々間違うでしょう。
しかし、間違うことのない完璧な方に向かって、
指摘することなど無いと思うのです。
596 :
名無しさん@1周年:02/07/06 17:43
>>594 昨日この板で何があったか知っておかれても損は
ないと思い。とりあえずみてきてください。
つまりまー、祈らせたくない奴が、自分の了見で神をはかって、それに基づいてイチャモンつけてる。
と、いうことだ。
放置が一番です。
599 :
名無しさん@1周年:02/07/06 17:50
600 :
540です:02/07/06 17:51
>>597 みてきました。ありがとうございます。そういうことだったんですね。
とってもビクーリしました(笑
この件については沈黙いたします。悪しからず。
原理主義って英語でなんていうんだっけ?
602 :
名無しさん@1周年:02/07/06 17:56
祈りの意味が良く分かりません。
神様のなさることは完璧です。祈る余地などないわけです。
不完全な者が、完全な者に向かって口を出したり、することに注文を付けて良いのでしょうか?
自分が不完全と自覚している人間でさえ、不備を指摘されると腹を立てます。祈り=冒涜、と言えなくも無いと思います。
アブラハムは、神がソドムを滅ぼそうとしたとき、正しい者もいしょに滅ぼすのか?と問い、
五十人の正しい者がいても滅ぼすのか?人数を徐々に減らし、45,40、30、20、10人なら滅ぼすのか?と問い、祈りを中断しています。
本来ならば、祈りはもっと続いたはずです。5人なら、3人なら、1人ならどうか?と問うつもりだったと思います。
アブラハムは、祈りによって神様に逆らっていることに気付き、祈れなくなったのだと思います。
祈りには
「神様、あなたのやりかたは間違っています」
「私の考えの方が正しいです」
「そんなやり方はよして、私の言う通りにしなさい」
という思いが伴います。
それは、完全に神様に逆らうことです。
故に祈りの意味が理解できないのです。
603 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:06
普通は、お見合い結婚や恋愛結婚ですが、岡山では、夜這い結婚が最多だそうです。
岡山のクリスチャンは夜這い結婚ですか?
岡山では、病気になると医者に行かず、祈とう師に行くのはホントですか?
岡山のクリスチャンも行くんですか?
604 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/06 18:11
>>602 僕が答えていいのかな。(ドキドキ
アブラハムが祈りを中断したのは、
‘あれだけ大きな町なのだから、10人くらいいるだろう‘
という推測のもとでしょう。貴方なら、
‘東京にクリスチャンがいないと滅ぼす‘とかいったら、
(例えば、だよ)何人まで聞きますか?
一人まで聞く人はおそらくいないでしょう。
そういうことです。
それに、アブラハムはロトがいることは知っているでしょうし、
ロトと奥さんと子供たち(今みたいに少子化のご時世ではない
でしょう)、使用人だけで、10人近くにはなるだろうという
算段もあったと思います。
神様に祈る祈り方って言うのは一つだけではありません。
キリストが祈られたっていうのは、神に逆らうためだったでしょうか。
もし、そうなら、キリストは自分の罪のために死ななければ
ならず、私たちには関係のないものとなります。
神に祈る、というのは神に御心を問うことなのです。
日々、主と歩む道を確認するためなのです。
神様は紳士ですから、自分に聞こうとしない人に
無理やり御心をお知らせするようなことは
なかなかありません。
605 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:12
秋田ではマリア様の像が涙を流しました。
秋田のプロテスタントは、それをどう受け止めていますか?
606 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/06 18:13
>>603 岡山の友達がいるので、今度聞いています。
>>605 状況によりますが、それがどうかしたの?という
感じです。で、それがどうかしたの??
607 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:16
なんかローカルテーマが多いね。
神奈川ないの?
608 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:17
>>604 マタイ26・39で
イエスは、祈りはしたものの、その祈りが神の計画に反しているのを悟り、その祈りを撤回するような言葉を付け加えています。
撤回するなら、最初から祈る必要があるのか疑問です。
609 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:18
>>605 プロテスタントの場合、マリアが涙を流しても、雪印が潰れても、
ビルに飛行機が突っ込んでも、「いかなる時も御言葉と祈りから
離れないように」だけだと思います・・・。
610 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:21
>>604 ソドムに正しい者が居ても居なくても、
それを滅ぼすという神様の決定は正しいのです。
アブラハムといえども、口を出すようなことではないのです。
アブラハム自身も、それに気付き、祈りを途中でやめたのです。
611 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:24
アブラハム、祈ってよかったね。
神様に逆らわなくて済んだのね。祈りって大切よね。
612 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:25
>>608 あなたは他者の意見に真摯に耳を傾け、咀嚼しようとされていますか?
604の返答に608…。あなたは意味不明な者となっていますね。
あずみさんですか?
613 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/06 18:25
>>608 ここの聖句は最初に‘できますならば‘と祈っているでしょう。
‘神様、貴方に従いますが、他に方法はないのでしょうか‘
と祈っているのです。別に反逆しているのではなく、
神様に自分の忠誠を誓っているのです。祈ることそのものが
反逆なら、最初の方だけで祈りは終わり、最後の方はどちらに
せよ祈らなかったでしょう。そうでしょ。
では、飯食いにいってきます☆
614 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:26
>>609 秋田のプロテスタントに
マリア像が奇跡を起こした
プロテスタントはマリア様を崇敬しない
矛盾してると言ってます。
615 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:28
616 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:29
>>614 奇跡は神でなくても起こせるからじゃないですか?
617 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:32
>>613 もう少し、考えて回答して頂けませんか?
あなたは私の疑問を殆ど理解していません。
618 :
540です:02/07/06 18:33
>>614 秋田県に限っておられるようですが、随分ローカルな奇跡なんですね。
マリア像が涙を流すと、なぜ奇跡なのですか?
奇跡にはそれぞれ意味があると思うのですが、秋田のマリア像の場合
どんな意味なんですか?
そもそも聖母崇敬を行わないプロテスタントが秋田のマリアが涙を流した
(ような事象があった)からといって関心を高めるはずが無いと思われますが、
なぜ矛盾していることになるのでしょうか?
619 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:36
>>616 マリア様が奇跡を起こしたのです。
それを秋田のプロテスタントはどう思っているんですか?
マリア様が奇跡を起こしたのに、プロテスタントは
マリア様を崇敬しません。矛盾してませんか?
620 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/06 18:38
>>617 それは、貴方の読解力不足です。
アブラハムに関する意見とイエス様に対する意見の中で
貴方自身が自己矛盾を起こしています。
祈るのが悪いんでしょう?
それに、‘神様、貴方の御心を教えてください‘
という祈りも貴方の言われる反逆の祈りなのですか?
もう少し、人の意見を聞く態度を身につけてくださいね☆
それでは、また☆ 今から、バイトなので急いでご飯
食べなきゃ・・・(イソイソ
621 :
540です:02/07/06 18:39
ふぁんだ君バイトがんばってね
622 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:40
マリア様が涙を流したことは
マリア様を崇敬するべきことを意味しています。
秋田のプロテスタントが、マリア様の奇跡を
どう思っているのか知りたいんです。
623 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:42
>>619 奇跡(?)を起こすと崇敬しなくちゃいけないの!?
サイババとか麻原とか清田君(古いねー)とか
キリがないじゃないですか。
624 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:42
>>620 人を非難ばかりしないで、ちゃんと回答して下さい。
625 :
540です:02/07/06 18:44
>>622 なぜプロテスタントの考えを求めるのですか?必要ないでしょう。
カトリック内部で了解があって信仰の糧になるのであれば
それで十分だと思いますが。
それにこのスレッドは質問箱ですから、宗派対立に関する議論は
しかるべきスレッドで行ったほうがふさわしいと思います。
626 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:45
秋田の聖母に祈り、癒された病人もいますよ。
627 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:47
秋田のプロテスタントは、奇跡と、プロテスタントの教義との間に矛盾を感じないのですか?
628 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:48
629 :
540です:02/07/06 18:50
>>626 それは正直にすばらしいことだと思います。
しかし、失礼ながら、そういったことを最前面に押し出して
主張したり宣伝したりするのであれば、
壷や印鑑を売りつける新興宗教の類になってしまいませんか?
630 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:52
631 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:53
>>628 の質問に
飽きた プロテスタントならここにいるよ!
(´Д`;)ヾ (;´Д`) (´Д`;)ヾ (;´Д`)
∨) ( 八) ∨) ( 八)
(( 〉 〉 (( 〉 〉
ごめんねごめんねごめんねごめんね
632 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:53
奇跡はマリア像によるものではありませんが。コリント第一前書にある通り、一つの霊から来るものです。つまり、全てが神によるものなのです。
633 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:54
>それは正直にすばらしいことだと思います。
>壷や印鑑を売りつける新興宗教の類になってしまいませんか?
すばらしいと思うのですか?
ならば新興宗教とは違いますね。
634 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:55
>>632 えーーーーーーーーっつ。
どこの聖書読んでるの?そんなこと書いてないよ。
どこさどこさ。
635 :
540です:02/07/06 18:56
>>630 私は秋田のプロテスタントではありません。あなたの意にはそぐわないようなので
これ以上意見をいうつもりはありませんが、ひとつだけ、教えてください。
奇跡、というからには世界的な事柄であるべきだと思うのですが、
それが、たまたま秋田で起こったからといってなぜ、そのように秋田のプロテスタント
だけを対象に発言されるのでしょうか?不思議です。
636 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:56
秋田の奇跡を知りながら、マリア様を敬わないのは変じゃないですか?
637 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:58
>>635 プロテスタントといえども、地元ならば知っているからです。
638 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:58
>>636 じゃあなんであなたはサイババ崇敬しないの?
639 :
名無しさん@1周年:02/07/06 18:59
640 :
540です:02/07/06 18:59
>>637 なるほど。よくわかりました。確かに私は知りませんでした。
納得できる回答が秋田のプロテスタントから寄せられますように。
それでは。
641 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:00
書いてあるのは、12章ですよ。
642 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:01
>>638 それはキリスト教ではありませんねえ。
しかも、トリックということが知られています。
643 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:03
>>638 サイババのはトリックです。
しかも、キリスト教とは無関係ですよ。
644 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:05
632ですが、このことについて一度も質問したけとがありませんが、なにか?
645 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:06
秋田でプロテスタントをやってる人がいるなんて信じられません。
646 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:10
647 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:17
648 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/06 19:21
>>624 よく読んでよ・・・(−−;
それでは、バイトにいってきます☆
カトリックさんも仲良くしましょうね☆
649 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:23
>>647 あなたはあなたの感性から判断できるもの以外は拒否してるわけ。
だから、あなたの好みの答えが返ってくるまで、どんな難癖でもつけるのは、
すでにここの過去ログを見た人たちは知ってるの。
651 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:28
650は気の毒な人ですねえ
652 :
540です:02/07/06 19:28
>>647 >逃げる気ですか?
とってもビクーリです(笑
逃げるつもりはありませんが、私は秋田のプロテスタントじゃないので
あなたに満足できる回答ができないと思うのですが、
なにか私にできることがあるのでしょうか(^^;
これ以上続けるのなら、いい加減議論スレへ逝け!
偏執狂にこのスレはみこまれてしまったようだなw
655 :
540です:02/07/06 19:31
>>653 まったくその通り。ROM諸氏や質問待機中諸氏がビクーリと思われ。
656 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:31
657 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:32
秋田の人はビクーリしたでしょうねえ
658 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:34
1973年日本の秋田でも、聖母の御出現がありました。秋田の聖体奉仕会において、シスタ−笹川にマリア様からメッセ−ジがありました。シスタ−笹川は、大変美しいマリア様の声を聞きました。
659 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:36
プロテスタントのカキコは変です。
奇跡を前に、何を言っても無意味です。
660 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:39
「秋田の奇跡は火星人が起こした」とでも言うんですかねえ。
プロテスタントは神を信じず、火星人を信じるんでしょうねえ。
661 :
540です:02/07/06 19:41
>>659 (煽られて書いちゃう私も私ですが)
奇跡なんてサプリメントなんです。わかります?
プロテスタントも奇跡を丸々信じないわけではありませんが、
カトリックには奇跡(サプリメント)が必要で、プロテスタントには
不必要なんですよ。だからあなたの仰るように、「無意味」そのもの。
わかったらもう止めてね。
662 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:41
帰納的考察によると、祈りの質問とマリア像の奇跡についての質問は同一人物によるものと思われ。
みなさんあらしです。
663 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:44
>>661 プロテスタントは、プロテスタントの奇跡以外は奇跡と認定しないんですか?
マリア様の奇跡が起こると困るんでしょうねえ。
俺の事かな?
665 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:46
666 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:46
>>664 キタ--------【・∀・】--------!
667 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:48
秋田の聖母像が流した涙は、B型の人間のものと鑑定されています。
668 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:48
>>663 何が困るってアンタの荒らしにこまってるだに。昨日からに。
669 :
540です:02/07/06 19:48
>>662 そういえば論法が同じ・・・・うかつだった
670 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:49
671 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:50
そうですか。B型は変人が多いですからねえ。
672 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:51
>>669 ロンパオ?
何いってるだに。ここまで人の話きかない人はめったにいないだに。
すぐ分かって欲しかったよ。
673 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:52
イエスの母マリアの血液型がBと
聖書に書いてあったっけ?
674 :
540です:02/07/06 19:53
675 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:54
偶像礼拝はいけないんじゃなかった?
>>664は、ホンモノの俺さんじゃない。ついやっちまったんだ。
しかし、論法が似てるもので(w
つい連想したのは、俺だけではあるまい。
677 :
540です:02/07/06 19:56
>>661では煽られてカトリックに失礼なことを書いてしまいました。
未熟でした。お許しください。
678 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:56
奇跡を見て信じないなんて、プロテスタントはおかしいんじゃない?
679 :
名無しさん@1周年:02/07/06 19:58
680 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:00
>>676マリア崇拝のことにクビ突っ込むなんて
俺さんの可能性が高いなあ。本当はホンモノと思う。
681 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:02
>>680 なんで俺さんが「マリア様を崇敬しないなんておかしい」とか
言うのさ。
682 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:03
カトリックでもマリア崇拝は禁じています。
マリア様を崇敬しているんです。
683 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:04
676=540=俺
684 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:06
はいはい
685 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:06
秋田のプロに限ったことか?日本中のプロが秋田の奇跡を知ってると思うよ。
686 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:08
奇跡は止んでいますけど。
687 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:10
そのろんきょは?
688 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:13
>>687 使徒時代のような奇跡は、現代にはありません。
689 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:15
なぜ?
690 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:16
>>658 シスターなんとかさんは聖霊のバプテスマを受けたのですか?
それなしには奇跡は起こりません。
691 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:18
692 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:24
ふーん。明確な根拠はないんですね。迷信か。
693 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:29
≫690
聖霊のバプテスマとはどうすれば受けられるのですか?儀式があるのですか?ノンクリですが神を信じています。
694 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:30
695 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:31
696 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:33
異言はたいしたことありませんし、むしろどうでもいいと思います。
697 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:33
>>692 まともな教会では、そんなもの強調しません。
698 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:33
>>693 聖霊のバプテスマを受けたから奇跡が起こるのではなく、
まずイエスを主として信じ、受け入れるのが大前提となります。
聖霊のバプテスマは聖霊派という派で活発です。
癒しや奇跡の話も、ここからは多く耳にします。
ただし、これを受けたクリスチャンには
サタンの惑わしにも遭いやすいというので、確たる決心と、
御言葉に基づいた歩みが求められます。
ただ、???なところも多いので、ふぁんだ君が帰ってきてから
聞いてみるといいと思う。
699 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:34
ペンテコステの人は
異言を言った=救われた
危ない考えです。
700 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:34
ディスペンセーションって何ですか?教えてください。
701 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:35
>>696 それは聖書も言ってるね。人の徳を高めるものではない。しかし、
聖霊のバプテスマ=異言ではナイデス。
702 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:36
>>693 危ない教会に行けば、
受けられるかどうか不明だけど
異言を聞けるかも。
703 :
540です:02/07/06 20:36
なんでか他派攻撃スレに陥っていくのはなぜなんでしょうか?
だれか教えてください。
不毛です・・・・
704 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:37
>>699 そゆ危険もある。
ペンテコに危険なクリスチャンの話が多く聞かれるのは、
ペンテコそのものが怪しいのではなく、聖霊に目の開いた
クリスチャンにサタンが積極的に働くからという説もある。
聖霊派の中にまっとうなクリスチャンを見つけるにつけ、
自分もこの説を支持。
705 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:37
はい、それはわかってます。
706 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:39
707 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:41
>聖霊派の中にまっとうなクリスチャンを見つけるにつけ、
>自分もこの説を支持。
まとうなクリスチャンと思っていた人が
気が狂ったと聞きましたが。
708 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:42
705は701に対する答えです。すみません。
709 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:43
異言を言う人は、行動が変です。
710 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:44
噂だけで邪知しないよーに。
信じられない人は近寄らずにいればよい。
711 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:45
先程聞きましたけど、ディスペンセーションっなんですか?お願いします。教えてください。
712 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:46
某サイトで、自殺衝動に悩んでいたペンテさんが
「私、先日自殺しました」と言ってたよ。
713 :
540です:02/07/06 20:50
>>711 カトリックでは免罪符のことだけど、プロテスタント的には「神の摂理」
ってとこでしょうか
714 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:51
体に悪いから、自殺は一週間に一回程度にしてね。
715 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:52
716 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:54
ありがとうございます。ディスペンセーションと奇跡が無いのはどう関係しているのでせうか?
717 :
540です:02/07/06 20:57
真意は「信仰のみ」ですから、奇跡は不必要ということでしょう。
ただ、私は、現在生きており、神への信仰を表すことができる、
そのようなことは「奇跡」と言っていいのではないかと思います。
718 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:58
>>716 ディスペンセーションではこう考えます。
異言や預言など、超自然的な聖霊の賜物は、まだ聖書の正典が完成されない使徒時代において必要であったが、正典が完成された今、そのような賜物は必要なくなった。
719 :
名無しさん@1周年:02/07/06 20:59
720 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:02
720
721 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:03
ペンテコが異言を言っても
ディスペンセーションでは
説明が付かないの
722 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:05
異言を言えない人はクリスチャンとして失格
723 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:06
やはりそうなのですか。使徒達の時代は奇跡が無ければ誰も信じようとしなかったんですね。いまはそれが無くても誰でも信じると。
私は、神に対する信仰もありますが、奇跡もあると信じています。イエスの奇跡を信じていますし、現代においても中には聖霊による奇跡もあるのではないかと思っているんです。
724 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:08
ディスペンセーションは
異言が実在するのと矛盾
>>624 「祈り」は主が求められている行為であり、我々の応答でもある。
また、「とりなしの祈り」は愛に通じる。神は「とりなしの祈り」
ゆえに忍耐深く対処されることもある。
キリストが、畢竟、「父のみこころが示されんことを、すべてを
御手に委ねたてまつる」と祈られた背景を解せるよう、あなたも
主の求めに応じて、心から祈ってみよう。
すべてはそこからはじまる。
726 :
540です:02/07/06 21:13
聖霊降臨は歴史上ただ一回だけあったことだと思います。
現在そのようなことが行われているとすれば神がかりを
装って法悦を楽しんでること、つまりトンデルだけ?
信仰は理性です。
727 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:14
というのも、ヨハネの福音書の最後の部分にも書いてありますし、1コリにもそれを肯定するようなことを書いていたからです。
728 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:16
異言で祈るんですか
729 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:19
いいえ、日本語で祈ってますよ。
730 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:22
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↑
これってどういうことなのですか。 どなたか教えてください。
731 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:25
解き明かせる者はおるか?
732 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:27
>>726 信仰は理性?????
聖書から「聖霊の導き」ということばを飛ばして読んでますか?
あなたはさっき他教派批判に意見した人?
ならば、批判のためにキリスト教の教義まで曲げるのは
やめましょう。
733 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:29
過渡にしては上出来
734 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:30
ERR - 593 60 sec たたないと書けません。(23 sec しかたってない) 1 このサーバはhtml化作業中。。。(倉庫番)
↑
これもどういうことなのかわかりません。 どなた教えてください。
735 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:33
使徒19章1節からが、聖霊のバプテスマの根拠とされているようです。
今ホットな(?)他教派批判については、以下の御言葉が非常に
参考になると思います。間違っている、と指摘することも
重要ですが、それがそしりになってはいけない。
この節において食べ物とはみことば、飲み物とは霊、と解釈される事が
おおいですね。
「rom-14:14
主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れ
ているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める
人にとっては、それは汚れたものなのです。
rom-14:15
もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはも
はや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んで
くださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。
rom-14:16
ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないよう
にしなさい。
rom:14:17
なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだ
からです。
rom-14:18
このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるの
です。
rom-14:19
そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長
に役立つこととを追い求めましょう。
rom-14:20
食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいの
です。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人のばあいは、
悪いのです。 」
736 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:35
>>726 ちょっと聖霊に対する理解が間違っていらっしゃるかも・・・。
聖書データベースとかで、「聖霊」で引いて読んでみると
いいと思うよ。
737 :
540です:02/07/06 21:42
738 :
名無しさん@1周年:02/07/06 21:56
「キリストが代わりに死んで
くださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。」
・・・この御言葉、めちゃめちゃ耳に痛い。
739 :
名無しさん@1周年:02/07/06 23:54
>>753 この聖句でいう「食べ物」って、
プロテスタントでは御言葉、カトリックでは聖体またはサクラメントにあたるもの
だよね。
聖書の、そのほかのあらゆる箇所を根拠にして、その解釈が成り立つわけ
なんだけど。
ずばり言い表さず、喩えに徹し、そして、
「あなたがたが良いとしている事がらによって」
と表現している。。。。
今カトリックとプロテスタントが存在するのも、神のご計画であることが、
裏づけられる気がする。聖書てやっぱ凄いと思わないか。
740 :
名無しさん@1周年:02/07/07 00:14
>>739 聖画よろしく白人の顔(髪・目の色)をした堕天使を降臨されしマリア様などと
「アヤカリ崇拝」するのも仕方がないのかもね。マリヤはスファラディ・ユダヤ
人で当然セム系なんだけど。。
741 :
名無しさん@1周年:02/07/07 00:41
>>739 まるでプロとカトしか教会がないみたいにいうところがすごい。
……プロの人なんだろうな。カトなら絶対こうはいわないから。
742 :
名無しさん@1周年:02/07/07 01:05
>>741 明らかに対立してるように見えるからじゃない?その両者が。
東方なんかは独自路線でマターリしてるから。
743 :
名無しさん@1周年:02/07/07 10:09
>>742 というか歴史的経緯。プロはそもそもカトへの抵抗として始まっているからさ。
だからカトとの対比で自分をアピールせざるをえない。
744 :
名無しさん@1周年:02/07/07 10:33
>>743 「プロテスタント」という命名はプロテスタントが自ら
なしたものではないのですよ。カトリックにとっての「異端」という意味でした。
再洗礼派を「アナバプテスト派」と命名したのも、カトリックです。
745 :
名無しさん@1周年:02/07/07 10:35
>>743 プロテスタントがカトリックにいちゃもんつけるときは、
プロとカトの「対比」ではなく、聖書とカトの「対比」で
やっていると思うが。公正に見るとね。
746 :
名無しさん@1周年:02/07/07 12:03
その聖書自身の捉えがプロテスタントの言うとおりなのか、
はたまたそうではないのかも、調べてみる価値有りだね。
747 :
名無しさん@1周年:02/07/07 20:16
新潟県出身者が意地悪な理由をキリスト教で説明したらどうなりますか?
748 :
名無しさん@1周年:02/07/07 20:33
まず、新潟県出身者が意地悪であることを立証してくらハイ。
新潟県における意地悪の類型も厳密に語りなさい。
749 :
名無しさん@1周年:02/07/07 20:37
江戸時代に犯罪者は佐渡に流された。
彼らは被流刑者の子孫なのだから、
犯罪に走ってしまうのよ。
750 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/07 20:53
>>749 オーストラリアもそうなの??
よう知らんけど。。
751 :
名無しさん@1周年:02/07/07 20:55
今日のファンダ君は良性のファンダ君ですか?
それとも悪性のファンダ君ですか?
752 :
名無しさん@1周年:02/07/07 20:56
↑ロンブローゾ『生来性犯罪人説』?
753 :
名無しさん@1周年:02/07/07 20:57
りょうせいだよ☆
754 :
名無しさん@1周年:02/07/07 20:57
>>748 そのような立証がなされると新潟県民の名誉を傷付ける。
755 :
名無しさん@1周年:02/07/07 20:59
ファンダ君はふぁんだ君が正しいのですね。失礼しました。
ふぁんだ、ってどういう意味なんですか?
756 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/07 21:00
>>751 え。。色んなふぁんだ君シリーズがあるんですか?
知らなかったよぉ・・・(^^;
>>753 さんきゆ☆
新潟県の話ですかぁ。。
鹿児島県出身の僕たんにはちとサパーリです。。
少し立ち寄りに来たんですが・・・。。
という訳で、またね〜♪
757 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:01
あ、ふぁんだ君もういっちゃうんですかぁ・・・
なんかさみしい
758 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:02
であるからして故に、
立証なしに、新潟県民は性格が悪いということで
話をして行こう。
759 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:04
単なる雪国根性でしょうか?
他の雪国出身者は実に大人しいです。
760 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:09
新潟人は隣室ストーカーになる危険が大きいの。
アパートに入ると最悪です。一晩中、ほうきで天井を突付きます。
嫌がらせに生きがいを感じているとしか思えないよ。
761 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:21
>>747 「祈るのはなぜ」とか「秋田の落涙マリア像」
とかの類じゃないでしょうねえ。
もう秋田・・・なんちて・・・・
762 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:21
物見の塔と他のキリスト教の違いが良く分からないのですが。
763 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:23
半田君どこですか?
764 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:24
ふぁんだ君はたしかに良性だね。
悪性の代表は山本誠一。ふぁんだ君も山本誠一は大嫌いらしい。
765 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:25
十億年前のギャグを・・・
766 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:25
>>764 なんかねー、にせもののふぁんだ君がいるらしいよ。
だから聞いたの。
767 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:27
768 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:28
半田君は自作パソコンのふぁんだ付けに失敗、2ちゃんでけません。
769 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:30
770 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:31
ふぁんだ君の発言って確かに良性だよねー。
ふぁんだ君のふぁんだ・・・なんちて・・・・
ひー(スマソ
771 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:32
ふぁんだ君は何処の教会?
772 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:37
古いギャグでも厨房には新鮮なんだな
773 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:37
>>771 ペンテコの教会です。
聖霊派ってやつです。
異言バリバリの教会。
774 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:41
一行目の最初の4文字
二行目の最初の3
三行目の最初の2
せつめいキボーン
775 :
名無しさん@1周年:02/07/07 21:53
>>772 うー
ラフマニノフ聞いてた。凄い顔で弾いてたよ。こわかた(笑
厨房じゃなくて台某だす(^^;
お風呂炒ってマターリしてくるすー
何かうれしいよぉ。。(シクシク
みんな、有難う☆
777 :
名無しさん@1周年:02/07/07 22:27
あ
ふぁんだ君だ。
778 :
名無しさん@1周年:02/07/07 22:56
ギャグはいまいちな感じの僕ですが、(スマソ
バッハの勉強をしたかったので大学では古楽の勉強をしています。
古鍵盤が専門です。(ハープシコードやオルガンやクラビコードです)
でも、実は、そうそうバッハばかりでもなくて
「スタバト・マーテル」やら「アベ・ベルーム・コルプス」やら
ミサ曲やらの勉強もあります。
僕はやっぱり優柔不断なのでしょうか(ふ
マタイのパッションのコラールが大好きです。泣いちゃうぐらい好きなんです。
779 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:01
あっ、それあたしもすきだよ。やすらぐよね。あとまたいのさいしょのきょくっていいね。とりはだたったよ。
780 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:04
「娘らよ、汝ら来たれ。ともに嘆かん」ですね
781 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:07
うん。
782 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:08
全部ひらがなですね
783 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:09
娘がキリスト教に行って迷惑してます。
784 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:10
荒れ模様の予想でしょうか?
もうよそうか・・・なんちて・・・
785 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:11
うん、そうだよ。いつもはおあしすにいるんだ。よかったらあそびにきてね(はぁと
786 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:11
>>774 一行目 ペンテコ→ペンテコステ(意味分らなかったら検索してちょ)
二行目 聖霊のバプテスマを受けて聖霊を感じる〜〜ぅ
三行目 レオレロぽっぽsdpbてぃえrへrうぇんmkqklqw:;q・・・・・
もっと詳しく知りたいときはふぁんだ君に直接聞いてね。
787 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:14
おあしすってスレッドの名前ですか?
今日が2日目の僕ですが・・・
ふぁんだ君もいるんですか?
788 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:18
ふぁんだくんもいるよ。いろんなふぁんだくんがいる。だれがほんものかじぶんでみつけてね。
789 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:19
外人から教会に誘われました。
末日なんとかとはベンテコステですか?
790 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:20
>>774 マジレスです、そんな言葉知らなくても良い。
それに係わらない方が身のためです。
キリスト教ではなくオカルトです。
そもそもマトモな教会に聖霊のバプテスマなどありません。
791 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:21
やっぱりにせもののふぁんだ君がいるんですね。
>>776は本物のふぁんだ君なんでしょうか?
世の中って怖い(笑
792 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:25
793 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:25
ほんものだよ。
794 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:27
>>790 あれ〜
聖霊派の人って知ってる人いますけど、そんなに変とは思いませんよ〜
それより秋田の落涙が変ですよねー
795 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:30
せーれーのバプテスマ?
796 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:30
聖霊派の自作自演。
797 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:32
バプテスマは水でしょう?
聖霊のバプテスマって何ですか?
798 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:34
799 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:38
>>789 末日聖徒=モルモン教
バリバリの異端です。
近づかないように。
モルモンはイエス様は大天使ミカエルだとほざいています。
800 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:43
何が異端で何が異端じゃないの?
異端臭い教会ばかりで教会行く気がしないんですが。
801 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:44
>>799 >モルモンはイエス様は大天使ミカエルだとほざいています。
なに!そりゃ異端だ。異端中の異端だ!!
すちーぶ@蒸気機関車がいたら、さぞ憤慨していたことだろう。
803 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:48
804 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:49
モルモン無茶苦茶だ。
>>804 そうですえん。
もし、ここにカツラがいたら、モルモンは警告を受けていたと思います。
806 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:52
>>801 イエスさまがヨハネの洗礼を完成させた、という
パウロの考えで、やはり水による洗礼には違いない
と読み取れますが・・・・
807 :
名無しさん@1周年:02/07/07 23:58
モルモン教はエホバ教のことです。
808 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/07 23:59
809 :
名無しさん@1周年:02/07/08 00:00
日付が変わりそうだ・・・
明日はスカラッティのテストがあるのでそろそろ寝ます。
スカラッティもきっと旧教徒ですね(笑
皆さんおやすみなさい。
>>806 自分は別に聖霊派ではないし、教会としてはムゲに否定する立場でも肯定する
立場でもないですが。。。
マルコ1: 8
私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、
その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。
こうあることからも、水のバプテスマが救いのすべてではない。
という解釈はあってもいいと思いまする。
信仰の伴わない形だけの儀式であるなら、いずれにしろ無意味というか、
それどころか危険なわけですが。
811 :
名無しさん@1周年:02/07/08 00:02
あ
ふぁんだ君だ。
えと・・・えとえと・・・
おー・・・
「その方は聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けになる・・・」
なるほど。
812 :
名無しさん@1周年:02/07/08 00:03
キリスト教でも氏ねば、仏教の世話になるんでしょう。
813 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/08 00:03
>>810 形だけのものなら、こんなに恐ろしいことはないと
思う。。
聖霊のバプテスマは神様に明け渡すのが目的だから
明け渡した心で違う霊が入ったら、前よりもひどくなるからね。
814 :
名無しさん@1周年:02/07/08 00:05
815 :
名無しさん@1周年:02/07/08 00:05
あ
でも僕は
>>794でも書きましたけど
聖霊派の人って普通のクリスチャンだと思ってましたよ。
(弁解するなって・・・)
幼少時はEK館育ちですぅ
それではお休みなさい。
816 :
名無しさん@1周年:02/07/08 00:07
実際に行ってみて感じた。キリスト教の葬儀は偉大だよ。ダラダラしないし。
817 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/08 00:08
>>811 貴方は素直な方ですね☆ 貴方の幼子のような
心が豊かに神たまに祝福されますように☆
818 :
名無しさん@1周年:02/07/08 00:09
>>813 >明け渡した心で違う霊が入ったら、前よりもひどくなるからね。
生半可にやると大変恐ろしいものであること、なんとなく分かります。
となると、聖霊のバプテスマ=献身のようなものでしょうか?
819 :
名無しさん@1周年:02/07/08 00:12
>>817 ありがとう。感激です。
ふぁんだ君にあるイエスさまの恵みが
僕にもありますようにお祈りください。
主の祈りを忘れずにやすみます。それでは!
820 :
日本人2→日本人2002:02/07/08 03:00
環境破壊の件ではいろいろありがとうございました。環境破壊について調べると
何をしても、人類滅亡は避けられないことを知り、増々憂鬱になる毎日です。
ところで、人が亡くなる時、それを神の意志による、と解釈すると思うのですが、
最近の遺伝子研究から、人の寿命は遺伝子に書いてあるのではないかといわれています。
そうだとすると、神の意志はすでに遺伝子に書き込まれていると言うことになります。
この解釈は間違っているのでしょうか。
遺伝子に関しては研究途上のため、寿命についての結論は出ていませんが、例えば糖尿病
に掛かり易い遺伝子のパターンなどいくつかの病気の因子が見つかっています。米国の
保険会社などは以前、人の遺伝子を解析し病気のリスクに対して保険料に差をつけるような
動きがありましたが、人道に反するとして、これは実行されていないようです。
821 :
名無しさん@1周年:02/07/08 03:18
啓示に付いて教えてたもれ!
啓示って特☆、自☆、の2種類あるみたいだけど詳しく教えて!!
>>820 実際、チンパンジーと人間の遺伝子の差は僅かなのものらしい…。繋がりやパターンも
含めて、実はこの分野もまだまだ未知のオンパレードだそうです。遺伝子に寿命が書い
てある、というのは、あまりよくわかりませんが、細胞は、寿命が近づくと自らの命を
断つ、らしいですね。神秘的です。
823 :
名無しさん@1周年:02/07/08 07:45
824 :
名無しさん@1周年:02/07/08 07:49
>>820 >人類滅亡は避けられないことを知り、増々憂鬱になる毎日です。
いよいよ危機という今が、他者に目を向けるきっかけになってる。
必ずしも憂鬱になる必要はないと思うんだけどな。
若い人たちや子どもたちはそういうミッションを預かっているわけで、
エコノミックアニマルと呼ばれた世代より、はるかに幸せな
気もしてしまう。
825 :
名無しさん@1周年:02/07/08 18:07
プロテスタントの人は神が創りました。
カトリックはの人は猿が進化しました。
826 :
名無しさん@1周年:02/07/08 18:33
猿の集団
827 :
名無しさん@1周年:02/07/08 18:37
そういえばプロテストだと、進化論を否定してるんですよね。
アメリカの州によっては、学校で進化論を教えた教師が裁判でボコボコにされた
ことがほんの数年前にもありました。
その点、日本のプロテスタントのみなさんはどのようにお考えでしょうか?
828 :
名無しさん@1周年:02/07/08 18:41
創造論と有神進化論と進化論
829 :
名無しさん@1周年:02/07/08 18:46
>>827 >学校で進化論を教えた教師が裁判でボコボコにされた
プロテスタントに限らず、科学者の間でも
議論が噴出するきっかけになったと聞いたが。
いいんでないの?
実際ダーウィニズムは過去のものになりつつあるし。
ちなみに「進化論を否定」と簡単に言うが、
科学者が否定するのと宗教者が否定するのでは意味が
まったく違うでしょ。
同じ土俵で 科学者VS宗教者 が争ってるんじゃないのよ。
>829
いや、アメリカのいくつかのプロテスタントの州では州法で「学校では進化論を
教えてはいけない」とある。
「人は神の被造物と授業せよ」と。
それをおして進化論について授業で述べた理科教師が敗訴したのだが、知らないの?
831 :
名無しさん@1周年:02/07/08 18:58
>>830 教育現場におけるダーウィニズムの考察は、
宗教論争だけではくくれないものがあって。もうちょっと複雑なのよ。
唯物論的、しかも実証すらされていないダーウィニズムで
子どもに生命論理を教え、さらに同じ現場で命の大切さや
人間の尊重を教えることには無理がある、という意見ね。
私は日本しか知らないが、宗教に関係なく、教育現場に
そういう声は実際あるのよ。東大の高等教育フォーラムなど覗いてみて。
米国の例は、プロテスタントの力が強い州では
それがやりやすかったということに過ぎないわけで。
教育論理の視点からスタートしても、同じ結論につくことも
ありえるわけです。
832 :
名無しさん@1周年:02/07/08 18:59
833 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:07
オーストラリアの炭鉱の石炭層から、靴だったか、人工物が発見されたとか
トンデモ本に書いてあったっけ。
創造論者は、宇宙人の話しととか好きそうだね(ワラ
834 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:15
ミニスカートで教会行ったら叱られますか?
835 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:16
>829-831
お願いだから、思いこみだけでレスするのをやめて下さい。
まともに質問に答えてくれる人はここにはいないの?
837 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:19
日本でもあるんじゃない?
教育現場のダーウィニズム批判。
838 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:19
839 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:20
>>834 ミニスカート穿いて行くと
叱ってくれる教会に行きなさい。
840 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:21
>>836 ここの連中はろくに考えずに偉そうなことを言うんです。
841 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:21
どのようにお考えですか?と来て、意にそぐわない書き込みがあると
突然「質問に答えてくれる人」を募集しはじめる827・・・。
君のは質問なのか?何を聞きたかったの?
842 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:22
843 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:23
ミニスカで教会に来て男を挑発しないように。
844 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:23
>>841 あ、本当だ。何が聞きたいのかわかんないや。
845 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:24
期待はずれだったから逆切れしちゃったんかもね。。。
846 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:26
847 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:27
なんだ、そうか。
私は「アメリカではこうです」「日本のプロテスタントはどのように考えますか?」
と質問しました。
しかし
>>829>>831はその両者を混同してますよね。
849 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:31
>>848 何を質問したいんだよ。
進化論の是非か?
教師ボコボコの話しか?
850 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:33
>>848 ○アメリカの裁判は科学者の間にも進化論議論を再燃させた
○科学視点ではなく、教育視点(生命倫理視点)で、(科学的実証のない)
ダーウィニズム批判があり、それは米国でも日本でもある
○米国の場合、プロテスタントが強い州の教育現場では、ダーウィニズムの
批判がやりやすいんじゃないの?
米国の事例を日本のプロテスタントに聞いた答えは
こんなとこです。何かへんかな?
>>849 日本のプロテスタントでも「人は神が創った。進化論を学校で教えるのは
間違っている」という姿勢でしょうか?
それと私は「進化論」としています。ダーウィニズムに限定した描き込みは
してませんが。
852 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:38
>>851 あんた知らないの?
日本のプロテスタントの子供は、
教会では「創造論」
学校では「進化論」
というように使い分けろ。
と教えられているんだ。
853 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:40
>>851 学校教育に口出すまでの権限はないし、裏づけのない「キリスト教論理」
の押し付けは日本では通用しない。実際やらないでしょう。
ただ、教育現場からそういう声があがれば、支持するでしょうね。
宗教抜きにしても、生命倫理教えるときに、
「人間は○○から進化した」と教えるのがベストとは思わないから。
「聖書が言ってるから学校もこうしなさい」なんて
プロテスタントは考えていないのよ。
854 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:42
日本のプロテスタントは学校に「創造論を教えろ」と言う根性はない。
学校の先生やってる信徒がいるから、言えないのだ。
>>850 ありがとうございます。わかりやすくなりました。
しかし重ねて質問致します。
どうしてこのスレの方たちは進化論をダーウィニズムに限定しているのでしょうか?
確かにアメリカの裁判の例はダーウィニズムについてだったので、わたしの書き込みが誤解をうんだかもしれませんね。そうしたらすみません。
現代日本では進化論=ダーウィニズムでは決してありません。J・グールドはなくなりましたが。
どうかもしわかったら、進化論一般について教えていただけませんか?
856 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:44
>>852 うちでは子どもに、「謎は自分で解きなさい」と教えてるよ。
両方の意見があるけど、どう思う?って感じ。
教会学校にいってイエス様を信じてるからといって、いわれるままに
創造論を信じる必要はない。信仰が育てば、いつか自分の存在に
ついて思いをめぐらすとき、神に作られた自分というのを自ら
認識できると思うんだけど。
857 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:47
>>856 理科の先生に抗議しろと教えるべきでは?
858 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:48
進化論が証明されるとキリスト教的に大打撃なんですか?
859 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:51
>>856 そういう姿勢、いい人間性と信仰が育つと思うよ。
>>857 受け売りの知識で何を抗議できるんだか。プロテスタントを
なんだと思ってる(w
860 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:55
861 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:57
>>855 >どうしてこのスレの方たちは進化論をダーウィニズムに限定しているの
>でしょうか?
その理由は、ご自分で書かれているとおり、
>確かにアメリカの裁判の例はダーウィニズムについてだったので、
↑これです。
>どうかもしわかったら、進化論一般について教えていただけませんか?
旧約VS進化論スレにいかれるとよいのでは?
ちなみに小進化なら・・・とか、無理に科学に迎合する必要も
ないと考えています。科学はその時々の「モノサシ」だから。
科学が聖書の記述と同じものを立証したら、素直に喜びますよ。
「科学も進歩したんだね」。
事実の立証なんてそんなもんでしょ。私たちは
科学者ではありませんから。
862 :
名無しさん@1周年:02/07/08 19:59
東大の教授だって進化論の崩壊を認めそうだよ。
>>852 知らないからここに来て質問しました。
>>853>>854 なるほど。ありがとうございます。
>>861 ありがとうございます。
そんなスレがあるなら、早速行ってみます。
この板ですよね。
>ALL
ながながとすみません。
ありがとうございました。
864 :
名無しさん@1周年:02/07/08 20:16
芸能人がいる教会ありますか?
865 :
名無しさん@1周年:02/07/08 21:11
866 :
名無しさん@1周年:02/07/09 22:43
867 :
名無しさん@1周年:02/07/09 22:55
理科のテストで
人間は何から進化したのか?
という問題に。
人間は神が創造した。
と書いて落第した人居ますか?
868 :
名無しさん@1周年:02/07/09 22:59
>>867 そういうテスト実際ないと思うけど、
もしその場に出くわしたら困るな。自分ならどうすっかな。。。
添削する気も失せるような長文回答しちゃうかも。
869 :
名無しさん@1周年:02/07/09 22:59
>>864 馬■キリスト教会へ逝けば知念里奈に会えます。
870 :
名無しさん@1周年:02/07/09 23:17
与那国の海底遺跡に関する私の見解に
意見はあるだろうか?
与那国島の海底には、石造建造物が沈んでいる。
考古学者は
「陸だった所が陥没した」「氷河が溶けて海面が上昇した」
などと言っているが、いずれも聖書的でない。
私の見解はこうだ。
その遺跡はノアの洪水以前のもの。
大洪水以前には、海面が今よりも少し低かった。
そのため、海中に遺跡が存在する。
871 :
名無しさん@1周年:02/07/09 23:18
872 :
名無しさん@1周年:02/07/10 22:44
聖書において酒を薦めてるような箇所ってないですかね?
禁止してる箇所はいくらもあるんですが。
“多少の酒なら良い”程度の台詞でよいので、
もしご存知でしたらどなたか教えて下さい。
>>872 「葡萄酒を少し用いなさい」(1テモテ5:23)
874 :
名無しさん@1周年:02/07/10 23:14
例えば、コヘレト(伝道の書)9:7とか。
さあ、喜んであなたのパンを食べ、
気持ちよくあなたの酒を飲むがよい。
875 :
名無しさん@1周年:02/07/11 10:14
自分は神経症を患っています。
何かにスガリツキタイ思い、依存心が強いです。
キリスト教に興味はあるんですが、それ以上にそこにいる人達と結びつきたい思いが
強いです。 こういう考えは邪道ですか?
神様にも絶対的にスガリツキタイです。
あまり宗派には興味ありません。入る前は皆そうだと思うんですがそういうのは面倒くさいし。
怪しかったり、変に金を取ったりしない近くの所がいいと思ってます。
>>875様
カトリックの場合、信徒は収入の3%程度を自発的に維持費として納入することを目安としています。
求道者としてミサや勉強会に参加するだけならタダで可能です。
人間関係はプロより希薄な傾向が強いと思いますが、勉強会・青年会・交流会などに参加したり、自分から周囲の人に話しかけていかれれば問題はないと思います。
877 :
求道者じゃないけど興味あるので質問します:02/07/11 10:35
カトリック教会の最初の法王は、聖書の登場人物でもある使徒ペトロだった。
という意見を時おり聞きますが、2代目とか3代目は話題に上ることが少ないの
でしょうか、今まで聞いた事がありません。
2代目法王、3代目法王のことを教えてください
878 :
名無しさん@1周年:02/07/11 11:11
870 ha DQN?
879 :
名無しさん@1周年:02/07/11 11:17
>>877 カトリック教会の初代教皇はペトロですが、おれは2代目3代目は本で読んだくらいしか知りませんね。
その本は図書館で借りたので、今どんな人かも思い出せません(^^;)
2代目はけっこう有名な人のようだった気がします。
カトリックの人に質問するなら、「法王」(仏教の言葉)ではなく「教皇」とすると、答えてくれる人が多くなるかもしれません。
880 :
名無しさん@1周年:02/07/11 11:40
>>874 コヘレトの言葉は、「勧め」ではないよ。その書全体が「地に生きる虚しさ」
を語っています。地の暮らし、地の知恵、地の悟り。最後に
「あなたの若き日にあなたの創造主を覚えよ・・・全てが虚しいという日が
来る前に」・・・と締めくくられてます。
>>875 孤独感から解放されたいとか、
仲間を得たいという誰でも持つ欲求は、人の中にある「神を求める気持ち」
から来ていると私は思います。とても自然なもの。
教会の戸を叩くというのは、何かとの「出会い」を求めて・・・ですよね。
イエスを心の中に迎え入れたあとは、自分の心の構造がまったく変わりますよ。
神にすがりつく、というより、神に新しく生まれ変わらせていただくことに
期待し、それを求めて教会の門を叩かれるといいと思います。
人間関係は、プロテスタントの場合は、いろいろです。
自分の行ったところは、どこも面倒見のよい暖かい方がおおかった。
仲間のために常に祈る、仲間を支える、そういう傾向は多いにあります。
献金ですが、求道中は0円〜1000円くらいの範囲で出してました。
洗礼を受けたあとは、収入の10分の1を入れていますが、これはあくまで、
『自分の生活のすべてが主に与えられたもの』と確信する、信仰がそこまで
高められた人です。
聖書に正しく従う教会ならば、献金はあくまで自由で自主的な方法を
通しています。これ、教会を見分ける大きなポイントかもしれません。
881 :
名無しさん@1周年:02/07/11 11:42
水を飲むならぶどう酒を飲め、ってパウロはどっかで言ってませんでしたっけ。
お酒飲んで悪いことなんてないと思いますよ。
暴飲はイエス様が悲しまれるかもしれませんが。
医学上も、少量のお酒は健康に良いとされますし。
882 :
名無しさん@1周年:02/07/11 11:43
883 :
名無しさん@1周年:02/07/11 11:46
>>875 カトリックなら月500円でも大丈夫だったりして
まあおれが学生で、親のすねかじってる状態だし、勉強しても給料はいるわけじゃないからだけど
884 :
名無しさん@1周年:02/07/11 11:49
>>881 お酒は悪いものでは決して無いし、美味と思って楽しむ分には
まったく問題ないと自分も思います。
ただ、お酒を飲む理由に、ストレス発散とか、ウサ晴らしとか、
そういうものが入るのは、ちょっと違うかもしれないですね。
ストレス発散もウサ晴らしも、全部主が引き受けてくださるものです。
でも、主にまだそこまで委ねられない人に禁酒を強制することは
やっぱり間違いですね。禁忌は律法主義のはじまり。
885 :
名無しさん@1周年:02/07/11 12:48
酒を飲むのは別にかまわないけど、酒=血=人間性っていうことも忘れないでね。
886 :
名無しさん@1周年:02/07/11 14:12
お分かりになる方、教えてください。
クリスチャンであった母が亡くなり、わずかな遺産が残りました。
アイバンクに登録していて、眼球を誰かに寄付して欲しい、
という意志を持っていた人なんですが、慌しさの中で、それができませんでした。
その分というか、眼の見えない人の伝道に力を入れている教会に、
お墓の代わりに寄付をしたいと思っています。
そういうグループなり教会なりをご存知の方、教えてください。
こういう特定の情報って、見つかりにくいですね・・。
俺アメリカいったときキリストの教会にはいって一応祈りみたいに
きちんとしたらさその直後
親とその知人が車内の中でケンカしたり俺もその知人とケンカしたり
したのだがこれがいわゆる洗礼なのか?
その車内でのケンカは何時間かしたらすぐにみんな仲良くなったのだが
888 :
名無しさん@1周年:02/07/11 14:41
888
889 :
名無しさん@1周年:02/07/11 14:53
国民性の違いではないでしょうか
アメリカ人の「スキンシップ」が、わたしたちにはドツキあいに見えたり。
アメリカ人の「ギャグの応酬」が、わたしたちには面罵に聞こえたり。
890 :
名無しさん@1周年:02/07/11 14:58
イエス様を真ん中に認めているときは絶対喧嘩しませんが、
そうでないときの保障は教会もしてくれないと思いまふ・・・。
891 :
名無しさん@1周年:02/07/11 15:53
>>890 その通りでございまふ・・・。人間中心のキリスト教は枯れちゃいます。
枯れないようにイエス様に寄り頼みませふ。
892 :
名無しさん@1周年:02/07/11 16:27
>891
しかし、「人間中心」という言葉は、他人や他宗派をさばく文脈でよく使われるので注意。
「人間中心」と批判する人が、実は人間中心なんじゃ?と思う場合も多し。
893 :
名無しさん@1周年:02/07/11 16:34
>>892 あ、そうですか。ありがとうございます。
それは自分への言葉でも
あるんですが、誤解を招きやすいんですね。
894 :
名無しさん@1周年:02/07/11 16:56
「人間中心主義」というのは、長くキリスト教世界全体が
傾いてきたものですよね。ヒューマニズムが逆に
主の恵みを隠す結果になってしまった、というような。
今否定的に使われている以上、確かに気をつけて使いたい言葉だと
思う。でも
>>891さんの意見に賛成です。イエス様が心のど真ん中に
いてほしいね。いつも。
895 :
名無しさん@1周年:02/07/11 17:02
>>894 そうですね。
確かに人の素晴らしさをたたえる事は大切ですが、
キリストの恵みを小さくして、人の偉業が評価されて
しまいやすいというか。。。
そうそう「人間中心」ではなく、
「ヒューマニズム」の事でした。言葉に気をつけます。
896 :
名無しさん@1周年:02/07/11 22:05
??
897 :
名無しさん@1周年:02/07/11 23:54
898 :
名無しさん@1周年:02/07/12 02:43
イスラエルとパレスチナはなぜ戦いをやめないのですか。
899 :
名無しさん@1周年:02/07/12 05:16
>>895 人の偉業を褒め称えることも悪くないかと。
褒め称えたからといって、キリストの恵みが一片でもかすむものではないから。
人を貶めることの方が、イエスさまは嫌がることなのです。
どっちかといえば誉めないよりは誉めた方がいいと思いました
900 :
名無しさん@1周年:02/07/12 06:48
>>898両者の神(同じ神ですが)は精神分裂病だからです。
皆さんありがとうございました。
又かきこむかも。。。
902 :
名無しさん@1周年:02/07/12 15:02
キリスト教を信じる者がチェスをしてもいいのでしょうか?
聖職者がチェスをするのは禁じられている、と何かの本で読んだ記憶が
あるのですが・・・。
903 :
名無しさん@1周年:02/07/12 15:06
>>902 教会生活長いけど、チェスの話は初めて聞きました。
・・・ていうか、クリ仲間とチェスしたことあるよ。
聖書的には、「信仰に基づかないものはみな罪である」で、
何をやるかやらないかは、個人の信仰による確信と判断に
委ねられているものです。
カトリックだと、聖職者への禁止項目があるので、その中に
該当しているものかもしれませんね。理由はわからないですが、
何か根拠があるのでしょうね。
904 :
名無しさん@1周年:02/07/12 15:13
>>901 (880です。)
あなたの心にどうか、素晴らしい主との出会いがありますように。
教会は是非、気軽にね。
礼拝/ミサの朝、玄関に一歩入って「始めてきました」といえば、
誰かしら親切に対応してくれるはずだと思います。
回答なかったですが、プライベートで答えがありました。
視覚障害をお持ちのご夫婦が牧会する教会というのを
紹介していただきました。
もしお調べくださった方がいましたら、ありがとうございました。
906 :
名無しさん@1周年:02/07/12 16:41
907 :
名無しさん@1周年:02/07/12 18:25
チェスや将棋が禁止されてる?
んなわけないだろ(笑)
908 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/12 18:49
この前はある人に‘キリスト教徒ってお肉食べちゃいけないんでしょう‘
って聞かれたよ。‘パン食べちゃいけないんでしょう‘とかいう
変わった質問もあった。どうやら、勝手にキリスト教のイメージを
持っている人も多いみたいだね。
そうそう‘日本料理はいけないんでしょう‘みたいなのも
あった気がする・・・
909 :
名無しさん@1周年:02/07/12 19:02
910 :
名無しさん@1周年:02/07/12 19:03
>>908旧約の規定からそう勘違いされる人も多いかと思います。
911 :
名無しさん@1周年:02/07/12 19:12
カトリックの神父もチェスぐらいやるよ。
テレビゲームやってる人もいるし、2chも・・・・
一体、どこだ?そんな禁止項目があるのは?
>>902 カトリックの場合、聖ルイが臣下にチェスを禁じた故事はありますが、教会法上の規制は存在しません。
聖ルイの禁止の趣旨は、もちろんこの遊技が激情を誘発するケースがあるからで、そのような危険がない人がやる分にはさしつかえありません。
913 :
名無しさん@1周年:02/07/13 00:17
教会関係者の知り合いがいないので、ここで質問させてもらいますが
常住礼拝って、実際に行われているのですか?
どうも自分の住む町とか県とかで行われているようなイメージが浮かばない・・・。
なんか翻訳ミスか造語か創作みたいなので、真剣に考えなくてよいです。
19世紀のフランス人が書いた本に出てきたから、
そういうものが本当にあるのかと思って質問してしまいました。
sageときます。
915 :
名無しさん@1周年:02/07/13 01:08
>>914 その言葉をみて、何を指しているかわかるクリスチャンは
いないようです。具体的に、どんなもの?
どんな形態?どのような特徴のある礼拝ですか?
なんか24時間礼拝し続けるとか厳しい形式の礼拝
・・・みたいなことを書いています、この人道主義的な作家は。
917 :
名無しさん@1周年:02/07/13 01:53
age
918 :
名無しさん@1周年:02/07/13 02:00
>>895 そういう教会ってどこのことですか??
初心者ですのでどうかお手柔らかに・・・
919 :
名無しさん@1周年:02/07/13 02:10
>>916 ながーい礼拝といえば、オーソドックスチャーチだと思う。
礼拝とはいわないのかな?
4時間とかそれ以上、半日やるようなのもあるらしいけど。
プロでは、ないですねえ。
うんと気合の入った24時間祈祷会ってイベントをやるところも
ごくまれにありますが、これも、ごくまれです。
920 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/13 19:02
あげていま〜す♪
そろそろバイトにいかなくては・・・
921 :
名無しさん@1周年:02/07/13 19:16
ちょっとお聞きしたいのですが、クリスチャンの方は霊魂の存在についてどうお考えですか?輪廻転生とか、不滅の魂といったものです。いろいろな諸派の公式見解をお教え頂きたいのですが・・・。
私は論争するためにきたのではありません。宜しくお願いします。
922 :
名無しさん@1周年:02/07/13 20:21
コヘレトってなんですか?
923 :
ストレイシープ:02/07/13 23:38
えっと、品位の下がる質問で申し訳ないんですけど、
キリスト教では、その、自慰行為は禁じられているのでしょうか?
私はいちおうカトリックの信徒なんですが、誰にも聞けません。
女だって男だって、そういう欲はなかなか根絶ってできないですよね。
私も一抹の罪悪感を覚えながらも、ついつい、ってことがあって。
でも、これって罪なんでしょうか?聖書には載ってないと思うんですが。
お馬鹿な質問でごめんなさい。
924 :
名無しさん@1周年:02/07/14 06:39
>>923してしまった場合は告解へ行かねばならないことになっています。
避妊や堕胎と同じ位に重い罪だと考えられています。
ただ、勝手に出て来る分には良いそうです。夢精はダメなですが・・・。
誤謬告発スレのシルさんは絶対にしないし、人にもするな!といってました。
体外射精の禁止は旧約にあったよね。っていうけど、どうよ?って感じだよね。
925 :
名無しさん@1周年:02/07/14 08:07
>>924 オナンの話は、体外射精禁止というのではなく、
ヨナと同じように、神の命に背く罪(見られていないだろう、
ばれていないだろう)という解釈をしている。プロの大方の牧師では。
旧約のエピソードからそのまま禁止事項を導いていたら、
律法だらけになってしまいそう。
926 :
名無しさん@1周年:02/07/14 08:59
>>925カトリックでは、オナニーは堕胎と同じ罪=殺人罪と考えます。
927 :
名無しさん@1周年:02/07/14 09:04
>>921人は神の息を吹きかけられて、人に命が宿り生きています。
霊魂は神の息だと考えられていますので、
それに反すれば地獄へ落ちます。
その他の霊は一旦煉獄で清められます。
928 :
名無しさん@1周年:02/07/14 09:06
えっとー、結論としては輪廻転生は認めません。人生は一度きりです。
929 :
名無しさん@1周年:02/07/14 09:36
神の霊が人の内にとどまっている間、その人は生きる(創世記6章)。
霊魂というのは、人の内にとどまっている神の霊(の一部?)で人が
死ねば神に還るんじゃないかな。
ただ、人の内の神の霊が神とあまりに異質になると神に還ってもその
霊は神から孤立する(神の中にあって、神の国から離れた地獄を自ら
創り出してしまう)のかもしれない。
930 :
名無しさん@1周年:02/07/14 09:55
自慰を大罪だと考えるよりは、告解をせずに聖体拝領を授かってはいけない!!
と考えるのが良いと思います。自慰は罪ですが、自分は自慰やそれに類する行為
をしていながら、平気で聖体拝領の列に並ぶことを避ける方が大事だと思います。
自慰の罪については「公教会祈祷文」の告白前の祈りの中で列挙されている
『究明の箇条』が参考になると思いますので、書き込みしておきます。
[第六戒、第九戒の部]P88−89
○おのれひとりあるいは他人と共に貞潔を損う事(その人、縁付きたる者なるかまたは
ちかき親族なる時はこれを言い現さねばならぬ)
○わが身あるいは他人の身に触れて貞潔を損う事
○貞潔を損う話しをなし、歌をうたい、あるいはこれらを甘んじて聴く事
931 :
名無しさん@1周年:02/07/14 10:03
○貞潔を損う書画、その他見苦しきものを見る事
○貞潔を損う危険のある場所に近づく事
○他人にじゃいんを教うる事
○じゃいんのなかだちとなる事
○父母もしくは主人たる者、その子女または召使いにじゃいんの行いあるを
見てただちにこれを禁ぜざる事
○慎みを欠きて他人の心を乱す事
○これらの事をなさんと望み、あるいはなすを欲するにあらざるもその思いを
楽しむこと
○避妊の行為をなす事 etc.
932 :
名無しさん@1周年:02/07/14 15:55
>>929 あなたはクリスチャンではないですよね?
どういった信仰をお持ちの方ですか?
933 :
名無しさん@1周年:02/07/14 16:07
>>927 >>929 霊と魂とごっちゃにしているんじゃないかな?霊魂というのではなくて、
人は魂の生き物であり、そこに宿るのが神の霊です。
創世の頃と今の人は違っています。人は霊を持たずに生まれてきます。
神の霊の一部というのは、聖霊と呼ばれるもので、
聖霊がどのように人に送られるかは、新約に詳しく書いてありますよ。
イエスは信じるものに聖霊を送られます。
イエスにつながれた人はその聖霊に導かれ、この世でも生き、
永遠に死ぬことがありません。
934 :
名無しさん@1周年:02/07/14 16:26
>>933 >創世の頃と今の人は違っています。
そんなこと書いてありましたっけ? どの時代から違うようになったのでしょう?
というか、創世記で人の中にとどまっているとされる「わたし(神)の霊」と
新約の「聖霊」って別物だと思うのだが。
935 :
名無しさん@1周年:02/07/14 16:40
>>934 >どの時代から違うようになったのでしょう?
失楽園のときからじゃないのか。
>「わたし(神)の霊」と
>新約の「聖霊」って別物だと思うのだが。
神の霊はひとつだと新約にかいてあるから同じじゃないのか。
936 :
名無しさん@1周年:02/07/14 16:42
人に神の霊が宿る状態というのは、
人が神の調和の中にある状態だしょ。ほぼ。
エデンとこの世では当然違いはあるでしょうね。
937 :
名無しさん@1周年:02/07/14 16:48
>>935 創世記で人の中に神の霊がとどまるとされているのは、失楽園の後、地上に
人が増え神の子らが人の娘たちのところに入ってネフィリムを産ませた、と
される時代だよ。
楽園を追放されてからも、人の中には神の霊がとどまっていた(そして、神
の霊がとどまらなくなると、その人は死ぬ)ことになるね。
938 :
名無しさん@1周年:02/07/14 17:14
魂と霊の説明詳細きぼーん
人が死ぬとは肉体が朽ちることですか?
魂が死ぬことですか?
939 :
名無しさん@1周年:02/07/14 17:32
940 :
名無しさん@1周年:02/07/14 17:35
すいません。。。
携帯からなのでつながりません。
お手数ですがおとしてもらえませんか?
申し訳ないですぅ。。。
941 :
名無しさん@1周年:02/07/14 17:38
>>940 えーと、めたくそ長いんだよね・・・コピペしたら荒らしになっちゃうかも。
どうしようか。
PC環境ゼロ?
942 :
名無しさん@1周年:02/07/14 17:39
950踏んだ人はパート10立ててね!よろしくう。
943 :
名無しさん@1周年:02/07/14 17:49
はい。PC環境ゼロです。何とか教えて頂きたいのですが。。。
このスレの皆さん、了承お願いしますぅ。
944 :
名無しさん@1周年:02/07/14 17:52
>>943 そしたら、こうしましょ。新スレが立ってから。
このスレ(パート9)の消費をかねて、sageでコピペします。
これなら誰にも迷惑かからずひっそり読めるでしょ?
20レス分くらいスペースあれば、コピペしきれると思う。了解?
945 :
名無しさん@1周年:02/07/14 17:56
ありがとうございます。助かります。是非そうしてください。本当にごめんなさい。。。
946 :
名無しさん@1周年:02/07/14 17:57
947 :
名無しさん@1周年:02/07/14 22:05
喉や内臓に「魂」を見るのが旧約聖書の発想だと思います。
「渇く」ことや人間にとって「最も重い」という感覚が魂を理解するのに大切な
発想で、それは肉体を生かす根幹でありますが、見えるものではありません。
「肉体」と「霊」は、魂の「器」と魂を生かす「命」のようなものでしょう、
強引に言いかえちゃってみれば。
人が「死ぬ」とは肉体から魂を失うことですが、その結果肉体は朽ちて行きますね。
霊が神の下から降っている人は新しい命に目覚めるのかもしれない。
神に向かって魂を生かす人は、きっと神の霊に活かされている素敵な人。
それ以外の霊に魂をゆだねている人は、どうなんだろう?よくわかんない。
948 :
名無しさん@1周年:02/07/14 22:18
いろいろ解釈あるが
1.魂が抜ける=肉体と霊魂が分離し、霊魂だけの世界にいくことが死です。
2.体と魂が一緒にある状態、が生で、その逆、つまり生命活動のありか
でなくなっている肉体だけがある状態が死です(この場合、「霊」が
「体」を離れても存在すると考える必要は必ずしもない。「生命活動を行う何か」
が「霊」と呼ばれている、と考えるわけです。たとえば動物が霊と呼ばれる
個所などはそうも読むことが可能でしょう)。
キリスト教教理史においては1.の解釈が主流ですが、
上に述べたように聖書には2.と読むほうが通りがよさそうな場所もあり
またキリスト教に立脚している思想家のなかにも2.の解釈を支持する人は
数多くいます。
とくに近世(ルネサンス以降)にはそうした人が多いし、18世紀の終わり
くらいからはそういう人のほうが多いくらい。
949 :
名無しさん@1周年:02/07/15 10:50
使徒(1コリ)って何?どういうことをするひとたちなの?
教えてたも!
初めまして。
藤袴ともうします。
質問ありマス。
友人(仏教徒)がキリスト教(カトリック)の家の娘さんに恋したらしいのですが、宗教の違いが恋の成就の妨げになっているらしいのです。
そこで質問ですが、キリスト教(カトリック)というのは異宗教者との結婚に対する規制というのは厳しいのですか?
なにかと相談されるのですが、どうアドバイスしていいのかいまいち分からなくて困ってます。ちょっとした情報でもいただければ大変ありがたいです。
951 :
名無しさん@1周年:02/07/15 15:53
>>950 >キリスト教(カトリック)というのは異宗教者との結婚に対する規制というのは厳しいのですか?
カトリックに関して言えば厳しくないよ。
まぁ、本人の考え方とかもあるから一概には言えないけど。
952 :
名無しさん@1周年:02/07/15 15:57
わかりましたありがとう御座います。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html 【 魂 と 霊 】
Soul and Spirit
A Glimpse into Bible Psychology
ジェシー・ペン-ルイス著
by Jessie Penn-Lewis
【霊・魂・体の三部分からなる人】
本文中の聖書の御言葉は、原文に記されてい
る御言葉から翻訳したものです。
R. V.という表記がある御言葉は英語の聖書
のRevised Versionからの翻訳、
C. H.はConybeare & Howsonの訳からの翻訳
です。
----------------------------------------
----------------------------------------
第1章 魂と霊
----------------------------------------
----------------------------------------
(ヘブル人への手紙4:12)
大多数のクリスチャンは、「魂」と「霊」の区
別について、何も知りません。
そして、この知識の欠如が原因で、多くの献
身的で熱心なクリスチャンたちは、霊的生活
において成熟することができないでいます。
G. H. ペンバーは、この知識の欠如は「魂と
体」(soul and body)という一般的な英語
表現のせいであると指摘しています。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html 「魂と体」(soul and body)という表現が
原因で英語に欠陥が生じたというのです*。
ペンバーは言います。
「英語には、霊(spirit)と魂(soul)とい
う名詞はあるものの、この二つの名詞はほと
んどの場合、同義語とみなされてしまってい
る。
また、英語には霊(spirit)の形容詞形
(spiritual)はあるが、魂(soul)の形容
詞形は無い。
そのため、英訳聖書においては、『魂に属す
ること』を意味するギリシャ語が、『生まれ
ながらの(natural)』とか、『感覚的な
(sensual)』というように訳されている。
この結果、人の三部分性という真理が、英訳
聖書では覆い隠されているのである。」
(参照、1コリント2:14、ヤコブ3:15、ユダ19)。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html *日本語の場合、「霊魂」という表現のせい
で、「霊」と「魂」が同義語とみなされてお
り、両者の区別が見失われています。(訳者
注)
もちろん、ギリシャ語学者たちは、霊、
魂、体の区別をよく知っています。
ギリシャ語原文において、霊はプネウマ
(pneuma)、魂はプシュケ(psuche)、体は
サルクス(sarx)です。
しかし、大多数のクリスチャンにとって、こ
の区別は覆い隠されています。
その結果、彼らは魂と霊という異なる事柄を
経験上識別することができません。
しかし、魂と霊を識別することは、クリス
チャンが平安を得るのに決定的に重要です。
魂と霊の区別を知ることは、学問上重要なだ
けでなく、堕落した大天使(悪魔)の策略を
見抜くためにも重要なのです。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html 悪魔は超人的な知恵を持っており、人の成り
立ちを知り尽くしています。
今日、悪魔は全知力を傾けて、聖霊の御業を
模倣しつつあります。
神の霊は信者の霊の中に住んで、純粋ないの
ちを信者に供給しておられますが、悪魔はこ
の神聖ないのちの真っ赤な偽物を魂の領域の
中で建て上げつつあります。
そのため、最も熱心なクリスチャンですら、
しばしば欺かれてしまうのです。
ですから、魂と霊の区別に関する聖書の教え
を、救われたばかりの信者にも理解できるよ
う提示する必要がありますし、神の御言葉か
らできるだけ明確にする必要があります。
私は、ギリシャ語原文に直接あたることが
できる人々の必要に応じようとしているので
はありません。
私は、ギリシャ語原文に直接あたることがで
きない人々の手助けがしたいのです。
いのちと敬虔において成長するには、真理を
把握し、聖書の中に示されている霊的な事実
を霊的に理解する必要があります。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html 今日、真理と霊的理解力を求めて、神の霊に
熱心に助けを求めている人々がいます。
私はそのような真摯な人々のお手伝いがした
いのです。
どうか、信仰をもって、次の聖書の御言葉の
約束を受け取って下さい。
「聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え
て下さいます」(ヨハネによる福音書14章26
節)。
「真理の霊は、あなたがたをすべての真理に
導き入れます」(ヨハネによる福音書16章13
節)。
神の霊はこれらの約束を必ず果たして下さい
ます。
ただし、あなたは従順に聖霊に学ぶ必要があ
ります。
たとえ、信者が「魂と霊」の区別を頭で理解
することができなくても、聖霊は両者の違い
を信者に経験させて下さいます。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html 逆に、学者はギリシャ語原文における「魂と
霊」の違いによく通じていたとしても、経験
に欠けているかもしれません。
学者は、真理を単なる知識として知っている
だけで、その霊的な力を経験していないかも
しれません。
この場合、御言葉は霊の伴わない文字にすぎ
ません*。
「魂と霊」を分けることを聖霊から経験的に
教わった信者の方が(たとえまだ両者の区別
を頭で理解していなかったとしても)、神か
ら教わっていないギリシャ語読者よりも、真
理の言葉を正しく理解し、解き明かすことが
できます。
なぜなら、聖書の御言葉の背後には、霊的な
実際があるからです。
生まれながらの人、すなわち「魂に属する
人」(コリント人への第一の手紙2章14節)は、霊
的な実際を決して理解することができませ
ん。
霊的な実際は、啓示によってのみ知り得ま
す。
(参照、コリント人への第一の手紙2章10-12節、C.H.)
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html *コリント人への第二の手紙3章6節「文字
は殺し、霊は生かします」(訳者注)
しかし、ともかく、欠落している形容詞の
問題*をまず解決する必要があります!G. H.
ペンバーによると、soulの形容詞形として、
ギリシャ語の"psychic"を用いようという試
みがなされているそうです。
しかし、この言葉はギリシャ語丸出しで、一
般的な使用には不向きです。
ペンバーは、ヤコブの手紙3章15節と関連
して、"soulish"という単語を用いていま
す。
この単語の方が、原語の意味により近いよう
に思われます。
ストックマイヤーも、「魂に属すること」を
意味する単語として、これと同じ"soul-ish"
を用いています。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html 彼は、コリント人への第一の手紙2章14節
に言及して、このように述べています、「ギ
リシャ語のテキストには、『魂の人
(soulman)』とか、『魂的な人
(soulish-man)』という単語が現れる。
"spiritual"が"spirit"の形容詞形であるよ
うに、"soulish"は"soul"の形容詞形であ
る」。
ですから、"soulish"という単語を、これま
で欠如していた"soul"の形容詞形として用い
ても、差し支えないでしょう。
これにより私たちは、「霊的な
(spiritual)」クリスチャンや、「肉的な
(carnal or fleshy)」クリスチャンだけで
なく、「魂的な(soulish)」クリスチャン
についても、言及することができます。
この論文では、この目的のために"soulish"
という単語を用いることにします。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html *「英語に存在しない、soul(魂)の形容詞
形をどうするのか?」という問題。(訳者
注)
ガールによると、英語だけでなく、ヘブル
語以降のすべての古典言語においても、魂と
霊は区別されているそうです。
英語の新約聖書において、魂と霊を明確に区
別している箇所は、ヘブル人への手紙4章1
2節「魂と霊を分けて」と、テサロニケ人へ
の第一の手紙5章23節「あなたがたの霊、
魂、体が完全に守られますように」の二箇所
だけです。
しかし、英語読者が「人は霊・魂・体の三部
分からなるのであって、魂と体の二部分だけ
からなるのではない」ということを理解する
には、この二箇所あれば十分でしょう。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html ----------------------------------------
「魂」(psuche)とその機能
次に考慮すべきことは、「魂と霊の違いは
何か?魂の機能はどのようなものか?」とい
う問題です。
使徒は「魂と霊を分ける」ことについて語っ
た時、何を言おうとしていたのでしょうか?
また、どのように「霊と魂と体」は聖なるも
のとされて、主の来臨の時に責められるとこ
ろのないように守られるのでしょうか?
これらのことをより明確に理解するために、
聖書に行く前に他の著者の書物から引用する
ことにします。
教父の一人であるテルトゥリアヌスは、
「肉」(または物質的存在)を「魂のから
だ」と呼び、魂を「霊の入れ物」と呼びまし
た。
魂は霊と体の中間に位置します。
「霊と体が直接交流することは不可能であ
る。
魂が仲介することによって、両者ははじめて
交流することができる。」*
*ペンバーの「地球の幼年期」からの引用。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html アンドリュー・マーレーも、「魂は体と霊
が出会うところであり、魂において体と霊は
結合される」と書きました。
「生ける魂である人は、体を通して物質的な
世界と接触し、霊を通して霊的な世界と接触
する。」*
*アンドリュー・マーレーの「キリストの
霊」からの引用。
ペンバーは各部の機能を非常に明確に説明
しています。
「体は感覚を知覚し、魂は自己を知覚し、霊
は神を知覚する」。
「体には五感があり、魂には知性と感情があ
る。
霊は直接神に由来する最も高度な部分であ
り、霊によってのみ人は神を理解し、神を礼
拝することができる」。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html アンドリュー・マーレーは言いました、
「人が『生ける魂』になった時、魂に、意
識、自己決定、知性、意志といった賜物が賦
与された。
しかし、これらのものは器の外形にすぎな
い。
この器は、霊のいのちを中に入れるためのも
のである」。
「霊は神意識の座であり、魂は自己意識の座
であり、体は世界意識の座である。
霊の中には神が宿っており、魂の中には自己
が宿っており、体の中には感覚が宿ってい
る」*。
マーレーのこの見解は、ペンバーの見解と同
じです。
*アンドリュー・マーレーの「キリストの
霊」からの引用。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html ペンバーは、人の創造に言及して、どのよ
うに三部分(霊・魂・体)が形成されたのか
を説明しています。
「神は、まず最初に意識のない体を形造り、
次にその中に『いのち(複数)の息』を息吹
き込まれた。
これは、神の息吹が二重のいのち――感覚的
ないのちと霊的ないのち――を生み出したこ
とを示している」。
ペンバーは脚注の中でさらにこう述べていま
す、「『いのち(複数)の息』というように
複数形が使われているのは、おそらく、神の
息吹が人の霊になり、同時にそれが体に作用
して魂を生み出したためであろう」。
これらの著者たちは、魂の定義に関して一
致しています。
その定義によると、魂は、意志と知性(思
い)からなる、人格の座です。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html 魂は人格の実体であり、霊的な世界に接触す
る「霊」と、物質的な世界に接触する「体」
の間に位置します。
魂には選択する力があります。
もし、魂が物質的な世界を選ぶなら、物質的
な世界が人全体を治めるようになります。
もし、魂が霊的な世界を選ぶなら、霊的な世
界が人全体を治めるようになります。
たとえば、アダムがエデンの園の中を歩い
ていた時のことを考えましょう。
当時、神によって彼の中に息吹き込まれた霊
が、彼の「魂」(知性、思い、意志)を治め
ていました。
そして、霊は「魂」の器である体を通して
(地上の土の幕屋である体を通して)輝き出
ました。
体は光で輝き、暑さにも寒さにも平気で、神
の御旨を完全に行うことができました。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html ----------------------------------------
人の堕落
ああ、しかし、残念なことに、人は堕落し
ました!しばらくして、堕落の結果が明らか
になりました。
主は言われました、「人が心に思い浮かべる
想像はすべて、常に邪悪だからである」(創
世記6章5節、R. V.)。
明らかに、「堕落」は魂の知性の領域から始
まりました。
聖書は告げます、「エバがその木を見たとこ
ろ、賢くするというその木は、いかにも好ま
しかった」(創世記3章6節、R. V.)。
蛇は、土の器(外なる人)につけ込んで、人
を誘惑したのではありません。
当時、人の体は霊によって完全に治められて
いたので、蛇は体につけ込むことができませ
んでした。
そこで蛇は、人の知性と理解力につけこん
で、人を誘惑しました。
蛇の誘惑は、「知識と、別世界の不可視の領
域にある力を得たい」という、人のもっとも
な願望に基づいていました。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html 蛇は、「あなたがたは、神によって創造され
た獣のようになるでしょう」と言ったのでは
なく、「あなたがたは、神のようになるで
しょう」と言って人を誘惑したのです!誘惑
は知識でした。
おそらく、神はその知識を適切な時に人にお
与えになるつもりだったのでしょう。
しかし、その時が来る前に、しかも神の御旨
に反して、人はその知識を取ってしまいまし
た。
コリント人への第一の手紙1章19節の使
徒パウロの言葉は、堕落のこの面との関連に
おいて非常に意義深いです。
パウロは言いました、「十字架の言葉は神の
力であって、賢い者の賢さを滅ぼします」。
罪は知性を通して入ってきました。
ですから、救いは堕落した「知恵」を滅ぼす
十字架によってもたらされます。
人が十字架の言葉を受け入れる時、堕落した
「知恵」は滅ぼされます。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html なぜなら、「十字架につけられたキリスト」
の宣べ伝えは、人の知恵にとって「愚か」だ
からです(コリント人への第一の手紙1章18〜25
節)。
堕落の原因を対処するよう、神はこのように
知恵をもって救いを用意されました!ですか
ら、パウロは言います、「もしあなたがたの
中で、自分は賢いと思う者がいたら、賢くな
るために愚かになりなさい。なぜなら、この
世の知恵は、神にとって愚かだからです。」
(コリント人への第一の手紙3章18、19節、R. V.)。
サタンは「いと高き方のようになろう」(イ
ザヤ書14章13、14節)として堕落しましたが、
エバも同じ誘惑に屈して堕落してしまいまし
た。
誘惑する者は、どのようにエバを誘えばよい
か知っていました。
誘惑者は、彼女が所持していたものよりも高
度なものを示すことによって、エバを誘惑し
ました。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html なぜなら、エバはちりからできた体の制約を
受けていましたが、彼女の魂(体よりも高度
な部分)は知識と成長を高く評価することが
できたからです。
後年、堕落が及ぼした影響の全貌が明らか
になりました。
人類の状態の記録から、人類が急速に下降線
を辿ったことがわかります。
「知恵」はエデンの園で人に善悪の知識を与
えましたが、やがてその頂点に達しました。
人は完全に「肉」の中に落ち込み、人の三部
分のうちで獣と共通の部分が主導権を握りま
した。
神は堕落した人類をご覧になって言われまし
た、「私の霊は人のうちにとどまらないであ
ろう。なぜなら、人は道に迷い、肉にすぎな
いから。」(創世記6章3節、R. V.)。
こういうわけで、堕落したアダムの種族を
「死が支配した」だけでなく、最初のアダム
と同じ形に生まれた人はみな「地」に属し、
霊ではなく肉によって支配されています。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html 人の人格である魂(参照、ルカによる福音書9章
23節)は、霊の召使いではなく、肉と地的な
いのちの奴隷です。
今や、再生されていない人の状態は次の通
りです。
(1)彼(彼女)の人の霊は神から分離され、
堕落し、神のいのちから遠く離れ(エペソ人へ
の手紙4章18節)、キリストから離れ(エペソ人
への手紙2章12節)、主と交わることができま
せん。
(2)魂(知性、思い、意志、自己意識)が体
を治めるか、あるいは、
(3)体が欲望によって魂を奴隷にし、支配す
るかのいずれかです。
人の霊はこのように神に対して「死に」まし
たが、暗闇の中で知性や体と同じくらい活発
に活動しています。
再生されていない人の中には、暗闇の中にあ
るにもかかわらず、霊の部分の容量が大きく
て、霊が魂と体を支配している人々もいま
す。
彼らは、魂的な人々や肉的な人々よりも強い
「霊」を持っているという意味で、「霊的」
であると言えるでしょう。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html これらの人々は、神の聖霊から離れて霊の世
界と交流しようとする人々であり、悪魔的な
方法で力を受けて、透視などの「オカルトの
力」を使うことができる「霊媒」になりま
す。
人の霊は、再生されて神の聖霊がその内に宿
らない限り、堕落したサタンの霊と一つであ
り、空中の権を持つ支配者(今も不従順の子
らの中に働いている霊)によって支配されて
います。
(エペソ人への手紙2章2、3節)
ですから、堕落した人の霊――堕落した時
に神から分離された――は、器である「魂」
の中に落ち込み、「魂」もまた、使徒パウロ
が「肉の力」と呼んでいるものの下で、肉の
体の中に落ち込んでしまいました。
「回心していない人を支配しているのは、明
らかに魂である。
魂は、知性という形で現れる場合もあれば、
感情という形で現れる場合もある。時には、
魂は知性と感情の両方を伴って現れる。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html これが19節でユダが述べたかったことであ
る。ユダ書19節は、次のように訳されるべ
きである。『この人たちは、霊を持たず、分
裂を起こし、魂によって支配されている人間
です』」*。
*ペンバーによる。
フォウセットは、ユダ書19節の注解の中
で、このことを非常に明快に述べています。
「人間存在の三区分において、『霊』が第一
となって、魂(体と霊の間に位置する)を治
むべきことを、神は定められた。
しかるに、生まれながらの人の霊は、動物的
な魂の中に落ち込んで、それに隷属している
のである。
動物的な魂は、その動機と目的において地的
である。」
「堕落して暗くなった『人の霊』は、再生
により再び生かされ、新しくされる」*。
これが、「イスラエルの教師」であったニコ
デモに主が語られた言葉の意味です。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html ニコデモは宗教的知識をたくさん持っていま
したが、主は彼に言われました、「あなたが
たは上から生まれなければなりません」(ヨハネ
による福音書3章3節、7節の欄外も参照)。
また、主は後に弟子たちに言われました、
「人を生かすのは霊**であって、肉は何の役
にも立ちません」(ヨハネによる福音書6章63
節)。
*アンドリュー・マーレーの「キリストの
霊」からの引用。
**本文では"Spirit"と表記されています。
したがって、この「霊」は人の霊のことでは
なく、神の霊のことを指します。(訳者注)
上からの新しいいのちが人の堕落した霊に
届く方法を主の御言葉は示しています。
「霊*は欲するままに吹き、…………霊*から
生まれる者もみな、その通りです」(ヨハネによ
る福音書3章6節)。
ヨハネによる福音書3章14節によると、神
の霊が人の霊を新しいいのちによみがえらさ
れるのは、十字架上における神・人の贖いの
死によります。
イエス・キリストの贖いの死のおかげで、
「御子の中へと信じる者は、ひとりとして滅
びることなく、永遠のいのちを持ちます」
**。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/sei/rei-0.html *本文では"Spirit"と表記されています。し
たがって、この「霊」は人の霊のことではな
く、神の霊のことを指します。(訳者注)
**ヨハネによる福音書3章16節(訳者注)
十字架と堕落は、完全な対応関係にありま
す。
一方は他方の救済手段です。
第一に、救い主が十字架上で死なれることに
より、罪が取り除かれなければなりませんで
した。
これにより、聖霊は罪人を赦すことができる
ようになりました。
第二に、罪人は魂と体の束縛から逃れる道を
与えられなければなりませんでした。
こうして、人の三部分は再調整され、霊が再
び支配します。
そして、体は外側の物質的な器として機能す
るだけになり、魂を通して霊に服従します。
この逃れの道は、罪人が救い主と共に死ん
だことを示す聖書の多くの箇所において、明
らかにされています。
後で十字架の完全な意義を考える際に、どの
ように御言葉を適用すればよいのかを見るこ
とにしましょう。
・・・霊、肉、魂の違いの説明はこのあたりまでです。
まだまだ続くんですが、
全部はやっぱり、コピペしきれないみたい・・・。ごめんね。