1 :
ターラー@責任とってスレたてました:
■各種@質問箱は初心者向けのスレッドです。
■ある程度の同意や異議、あるいはつっこみはクロスレファレンスと
有効だし、レスがついてageれば板に来たばかりの人の目にも
つきやすいので(ローカルルールに目を通さない人はたくさん
います)推奨。
■しかしあまりヒートしてしまうと荒れる原因にもなるし、
何より初心者が質問しやすい環境とはいえません。
■@質問箱から派生した各種議論はこちらでお願いします。
その都度、当該スレッドに誘導しつつ、速やかに移動して下さい。
マターリと議論しましょう。
☆新スレおめでとう☆
3 :
名無しさん@1周年:02/06/11 19:37
だいたい同意ですが
仏教@質問箱とかカテゴリーを限定しないと
収拾つかなくなりませんか?
>3
@質問箱が荒れないように立てたので、このスレが収拾つかなくなる分には
あまり気にしません。
でもまあ、あまり紛糾するようでしたら、スレの分離を考えましょう。
5 :
名無しさん@1周年:02/06/11 19:44
たんに隔離スレッドですか
わかりました
髑髏さん よかったですね
>>1 1よ、もうわかっていると思うが、この板にはスレ関係なく
ageたり、荒らしたりする輩がいる。
その輩が居る以上、何してもムダになると思う。
7 :
名無しさん@1周年:02/06/11 21:08
ヒートしてる奴らをわざわざ一箇所に集めてどうする。
>7
初心者向けの@質問箱×4種類が荒れなくなるといいですね
つーことでやってきました。よろしくです。
スレ立て乙です。
いかんかったか?
牽制のつもりで書いたのだが。
>NBさん
NBさんって質問箱では新参でしたっけ?
ずいぶん以前から見てるような …。
わたしは、以前から名無しです。
仏教学者さんにたたかれないように名無しさんです(w
今日は現れてくださって、ずいぶん楽になりました。
ありがとうございます。
それにしても、他にもいるだろ、僧侶は、ええ。
ったく めんどくさいときは潜行するんだから。
雑談にしてスイマセソ > ターラーさん
おお、パラレルワールド。
まあ、いいっすよ。
ただ、「☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート3 」
の>457の話題についてのみ言ってみたつもりだったんだけど。
楽しいぜ!ちくしょうめ!って感じ(w
13 :
名無しさん@1周年:02/06/11 22:21
仏教学者というものは一般に、学べば学ぶほど他の人に対して、「白痴」とか
「あふぉ」とか言う攻撃的な言葉が多くなるのでしょうか。
スレッドを見ていて不思議に思うのですが、言葉の業というのは、彼自身のの表現や生き方にとって、
あまり関係ないという見解なのでしょうか。
専門家の仏教学では、八正道というのはまともに考えるほどのものではないのですか。
>>11 いやあの、たぶん、最近がはじめてじゃないかと思うんですけど、
だいぶ前には何か書きこんだ記憶もないこともないんですけど…。
まあ、とにかくよろしくおながいいたします。
#絶対いるよね。お坊さんイパーイ。
>>12 >「☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート3 」
>の>457の話題についてのみ言ってみたつもりだったんだけど。
承知してます。
ひそかに私もヒートした質問箱に荷担したことあります。
でも、そんなときって別スレ移るかなあ?
ちょっと、効果は疑問。(失礼、正直な気持ち
>>14 >#絶対いるよね。お坊さんイパーイ。
はげしく同意
>>15 なんか、こういう雑談系もまたーりしてていいっすね。
って、ターラーさんにしかられそう(w
あらためてよろしくおねがいします。
>13
仏教学者が必ずしも仏の教えを実践しているとは限らない。
ちなみに>12は
>>10に対してのレスです。
>>11さん「承知してますよ」って、レスしてくださって
ありがたいです。もうしわけないです。
>13
たぶん言ってる某人物は
ネット上のキャラクターだからね。
あれを、真面目にとらない方がよいかと
>18 NBさん
いえいえ こちらこそ よろしくです 名無しで恐縮ですが
おとといsatの話題出したのも私です。
>>19 おおおおおおお、なああんだ。そうだったんですか。
ありがとうございます。
仏教学者はともかく、仏教学徒と僧侶は矛盾しないですよね。
元仏教学徒としてはヘタレですけどよろしくです。
>20
>仏教学者はともかく、仏教学徒と僧侶は矛盾しないですよね。
まったく同意します。
ただし、わたしは仏教学でも宗学でもないところにいましたが。
わたしも寺の跡取りでしたが、学生時代はそれが嫌で史学科にいました。
でも、気づいたら曼荼羅の研究を専門とする教授のゼミで
密教美術についての卒論書いてました。
ただし、そのときは教義には触れていませんでした。
仏教に本当に関心をもったのは、恥ずかしながらずいぶん後になってからです。
こちらこそへタレですのでよろしく。
いきなり雑談スレにしてしまった。
ごめんなさい ターラーさん
そろそろ落ちます。
じゃあ、私も落ちます。良スレとなりますように。
HWYです。移行して来てくださった方、感謝します。では、聞かせてください。
身勝手な質問に付き合ってわざわざ移って着ていただいて感謝します。
私の本意は仏教の本質を知りたいだけで、他意はまったくありません。
では、お願いします。
わるいですけど、ぼくは、これ以上は付き合えません。スマソ。
つーか。1から10までここで質問するのが「仏教の本質を知る」ための
よい方法じゃないと思います。
っと、思いましたが、向こうの
>>466をよくよく考えてみると、WHYさんは
いろんな立場のいろんな見方を全部一度に飲み込もうとして、かなり混乱されて
いるように思います。
ものすごく真面目で真摯な方ですね。
いちど、入門書を一冊読み通されてみてはいかがですか。
水野弘元『仏教の基礎知識』や同『仏教用語の基礎知識』をお勧めします。
>>24 貴方の質問は極当然の、誰でも疑問に思うことです。
よーは、「疑」を持つことこそ肝要なのです。疑なくば真を得ず。
輪廻するのか?しないのか?。是即ち「迷い」です。これは頭で考えてもどーにもなりません。
その「迷う心」とは何ぞや?その「疑」を深くもち自らへの「内省」。
つまりは輪廻の答えは、自らの心とは何ぞや?→これの答えで全てが納得できるはずです。
仏教は、人間中心どころではありません。
このことを納得する為にも「空性」とは何ぞや?これが肝要となります。
森羅万象における、人間とは何ぞや?それの答えとして・・・
いわゆる人間だけ迷います。
ここで初めて貴方の疑問が解決されるはずです。
>>24 私の立場を明確にしませんとレスを理解できないですね。
一応プロフィール。
禅宗に傾倒。
「疑」を自らに向け、自ら答えを導き出す。自灯明。
「空性」こそ仏教に於ける本義と位置付けております。
29 :
名無しさん@1周年:02/06/12 08:07
よかったですね、どくろさん。
ここなら誰も邪魔者扱いしませんよ、きっと。
30 :
名無しさん@1周年:02/06/12 11:20
28 名前:髑髏仮面 :02/06/12 07:43
>>24 私の立場を明確にしませんとレスを理解できないですね。
一応プロフィール。
禅宗に傾倒。
「疑」を自らに向け、自ら答えを導き出す。自灯明。
「空性」こそ仏教に於ける本義と位置付けております。
こりゃ傑作だわい。
ガハハハハハハハ。
30レスは、私のストーカーです。
>>30 よっ。元気にしとるか?
もちっと、おもろいレスたのむよ。
少しあっさりし過ぎとる。
ユーモアのあるやつたのむよ。
32 :
名無しさん@1周年:02/06/12 15:42
髑髏仮面さん、スレどうも。
しかし、私たちの外側にある実情を論じた仏性と
個々の内省とは根本的に次元が違うんじゃないかと思うんですが・・・
それから、仏法が人間のためだけにあるという考え方は
禅宗独自のものなんでしょうか?
34 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/13 02:58
>>33 森羅万象、草木、動物すべて悟っております。そうであるならもはや仏法は必要ないかと思います。
そもそも迷いの原因は何ぞや?
私は、二元価値観がそもそもの根源かと思います。つまりは思考のもとである言語ですね。
動物は言語を有しませんから「迷い」という概念はありえないかと思います。
>仏法が人間のためだけにあるという考え方は
>禅宗独自のものなんでしょうか?
ナザール・ジュナ(龍樹)の論法ですと、やはり相対概念が「迷い」ということになりますから、
仏法は人間のためにあるという事になるかと思います。
他宗においては私はあまり詳しくは知りません。
35 :
名無しさん@1周年:02/06/13 03:18
なんか変人時代の方が日本語がまともだね。
>11>16
質問箱を守るための隔離スレですからどうぞくつろいで下さい。
>15
>でも、そんなときって別スレ移るかなあ?
>ちょっと、効果は疑問。(失礼、正直な気持ち
まあね。でも牽制にはなるし、誘導しても移動しない輩は
スルーすれば平和かと思われ。
>26
>『仏教用語の基礎知識』では別人のまったく異なる本になります。
正しくは「仏教要語の基礎知識」ですね。
テクストとして最適と言ってみるテスト。
>>33 飛び込みですが、御免します。
そもそもWHYさんが言う「外側にある実情を論じた仏性」というのは何ですか?
そいういものをどこかの仏教徒か仏教学者が説いているんですか?
万象万物は、仏の当体・…。何て言うのは目撃したこともある気がしますけど、そう
なってくると、仏性っていうのは仏の性質で、仏っていうのは仏陀の略で、仏陀と言
うのは、真理を悟った最上の「人」ッスよね。
となると、万象万物は、真理を悟った「人」の身体と言う事になるじゃないですか。
これはオカシイと思いますか?それともそういうものだと思いますか?
多分「そんなこと私にわかるはずないじゃないか!」ということになるんじゃないか
と思うんですが、でもみんなそうだと思いますよ。僧侶達も、学者達も…。
例えば、クルマを運転していて突発的なアクシデントに見舞われ、どうにかして回避
しようとする時「どうしたらいいか?」の絶対的な答えが誰にも分からないのと同じ
ですね。もう、思惟の枠を超えている事です。ここで知識は殆ど役に立ちません。
如来の教えは「私は自ずから見、自ずから知って道を説いている」です。自ずから見
自ずから知る真理って何でしょうね?自分はおそらく「経験者のカン」のようなもの
だと思っています。自分の中にある「何か」が答えに導く羅針盤のようなんですね。
当然、経験が異なれば違う答えを出す。我々の出す答えとはそういうものなんだと思
いますよ。それで喧嘩しちゃうんですね。その答えを導き出す根源の「何か」を如来
は如実に見るのでしょう。
草レーサーさん、誤解が二つあるようです。
ひとつは、私は喧嘩しているつもりはありません。あくまで教えてもらっている身です。現に幾つもの事を学びました。
もうひとつは、言葉足らずでしたが、「外側にある実情を論じた仏性」とは単純に『私以外の』という意味です。
髑髏仮面さんに対する意見を、併せて草レーサーさんに対するものにもなるように、書きます。
確かに内省するのは人間だけです。しかし、言葉によって悟りに導くのが仏教なら、同じく言葉によって森羅万象に
体系的に仏性を与えてしまったのも、また仏教なのです。ここに私は言葉が生み出した仏法内の対立、または髑髏さん流
に言えば、仏教が内包する二元価値観を見てしまうのです。
私は便宜上、真実という言葉を持ち出しましたが、仏教が真実または真理であるかどうかはここでは問題ではありません。
それこそ稚拙でナンセンスな議論と言えるでしょう。私が問いたいのは平たく言えば、仏教は信じるに値する思想であるか
と言うことです。
失礼とは思うんですけど、仏教が人間の有様を詳らかに内観するものでありながら、実は一番仏教が欠けているものは
人間味ではないかと素人ながらに、ふと思ったりもします。悪しからず。
39 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/14 06:31
>>38 >実は一番仏教が欠けているものは
>人間味ではないかと素人ながらに、ふと思ったりもします。悪しからず。
自覚せずに自然と培われる「選民意識」。是、魔性と思います。
良寛の「大愚」は、これを乗り越えた見事な「人間味」を現出している。
見事なまでに・・・。
うん、あなたの質問の意図がわかりました。
どうやらフライングしてしまったようです。(^^
>>38さん
「自分以外」の「外側」にある仏性…。ということになるとお手上げですね。自分には
阿弥陀如来も西方浄土も、ホドケの教えだとは思えないんですよ。今のところは…。
仏教と一言でいっても、そこには様々な思想や教えがあって非常に複雑になっている面
があるのは、あなたの言う通りだと思います。
自分は、質問箱の方にも書きましたが、釈尊の教えこそ仏教だとおもっているんですよ。
だから、仏教は教学を信じると言うより、自分自身で実践して習得するものだと思って
います。つまり、信じる必要はない宗教だと言うことです。むしろ、分からないものは
「信じるな」という教えだと思う。
さて、仏教に欠けているのは人間味ではないかと思うということですが、実は自分もそ
う思っているんですよ。そういう疑問があるんです。それを臭わせる節は幾らでも挙げ
られる。髑髏さんは良寛さんを引き合いに出しているが、良寛さんが仏教を集約してい
る人とも思えない。仏教の原点である釈尊が、家を捨てて、国を捨てて人間生活をある
意味で捨ててしまった人だからね。
自分もかつてキリスト教に縁があった頃、迫力と情熱の人、イエスに比べて御釈迦様は
コンピューターの様に縁起を計っていて、感情などない人のように感じていたものです。
今、自分の心に映る釈尊はそうではないのですが…。
実は違うスレで少し前、髑髏さんとレスを交換していて、そういう面での疑問を具体化
して問いかけてみようと思っていたんですよ。
何かこのスレ、思いっきり笑えますね。
いやマジでよんでて面白い。
他のスレが常識的範囲で終わって、つまらなくなるかも。
43 :
名無しさん@1周年:02/06/14 23:50
そうですか。変に過大評価してくれる人って、世の中にはいるんですね。
本人たちが勘違いしないように一言書いておきます。
>>43
>>42は呆れていってるんですよ。付き合ってくれている髑髏さんや草レーサーさん
に恥を掻かせてしまって申し訳なく思います。
>>41
私もキリスト教にも興味があります。仏教とキリスト教のそれぞれの功罪の比較は
とても有意義なことだと思います。
さて、髑髏さん。>>38の前半部分についてどう考えますか?
もっと具体的に言いますと、髑髏さんの信仰している禅宗も殺生は禁じられているでしょう。
つまり、言葉のない衆生の苦を人間側の迷いの問題とするように、自意識だけで世界を認識する教えの一方で
明らかにそれらの苦のゆるぎない存在を認めそれを絶対条件として教えに採り得ている。
私はこれを禅宗の基本にある自己矛盾だと思うのですがどうでしょう?
これは非難でなく質問として理解してください。
ついでに皆さんに聞きますが、肉を食べますか?正直なところを聞かせてください。できたら理由も。
>>42さん、くだらない話をしてると思うかも知れませんが、こういうところから仏教の本質だけでなく
仏教の現代における位置確認や可能性、意義が見えてくるもんなんですよ。
45 :
名無しさん@1周年:02/06/15 03:46
仏教って肉食っちゃいけないの?しらなカターYO!
46 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/15 08:19
>>38 >体系的に仏性を与えてしまったのも、また仏教なのです
仏性の概念ですが・・・
釈尊本来の意味は、私達が考える「仏」とは違うかとおもいますよね。
もともと原始仏教は「仏性」という概念はなかったらしい。つまりは・・・
「即心即仏」も「非心非仏」も同じ事、形而上的な意味合いでは無いかと思います。
密教における「如来蔵」ほそれなりの意味があるんでしょうが、私としては・・・
如来⇔仏性⇔森羅万象。さほどの差異を意味するものに非ず。つまりは「空」という事です。
47 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/15 08:31
>>44 >明らかにそれらの苦のゆるぎない存在を認めそれを絶対条件として教えに採り得ている。
>私はこれを禅宗の基本にある自己矛盾だと思うのですがどうでしょう?
既成概念とは、その時点では「ゆるぎない」と思いがちでしょうけど、そうではありませんね。
変化はします。
つまりは、禅の本義はこの既成概念の破壊が最も重要かとおもいます。
無明は、まさにこの既成概念かと思いますよ。
そういう事で、貴殿の考えはその通りかと思います。
肉は食べます。たしか釈尊も肉は食べたかとおもいますね。
豚のモモ肉が良いですね。私は好きです。モツも食べます。粗食でして(w
安いもんしか食べません(w
48 :
名無しさん@1周年:02/06/15 08:49
>44 :WHY
ネタのネタをまじめにとらないでくらはい
49 :
名無しさん@1周年:02/06/15 08:55
釈尊は肉は食べなかったんじゃないの?
それくらいの食欲おさえられないで
あんな厳しい修行乗り越えられないでしょうに。
>47 いい加減すぎない?
>>49 私の記憶が確かなら、釈尊は
「自分のために作られた料理を食べなかった」
だと思います。つまり、”乞食”です。
その中に肉が入っていたとしても、
わざわざそれを除けて食べるとは考えられないのですが。
>>50 そういう意味ならわかります
いただいた食べ物を粗末するようなことは
しなかったでしょう。感謝の気持ちでいただいたのでしょう。
しかし、少なくとも嗜好や栄養面などの理由で生き物の
命をいただかなかたのでは?(現代的にいうと)
>51
嗜好の意味ではいただかなかったと思いますが、
栄養面でいただかなかったとは考えられません。
「食べる」意味が無くなってしまいます。
WHYさん
自分は肉を食います。食卓に上がるし、付合いもある。自分から進んで食う事もある。
理由は、第一に「食いたいから…」があげられる。第二、第三の理由は関係性の問題
ですね。
自分は、伝統宗派の「殺生戒」については、その前に「無用な」を付けて自戒にして
います。「絶対にやるな」と言われても無理ですから…。厳格にすれば、自身の体内
での細菌類の事情がそれを許さないでしょ。では、自分が死ねばと言っても、それも
殺生ですし、嫌でも応でも生物の仕組みですからね。
仏教でも罪業というものは言われている。でも、殺生しなきゃ生きていけない世で殺生
するなと言われても、そんな殺生な…って言い返すしかないですよ。つまりそれはオカ
シイと。しかし、モーゼの十戒にも「汝殺すなかれ」というものがある。ここに宗教の
教えと現実の矛盾が認められますね。でも「やめろ」と言われて、素直にできるような
ら、人間にとって宗教などがこんなにもてはやされる事もないでしょうが…。
この矛盾は根本的な面から見直して行かないと解決できないでしょう。「アーガマ」の
根本法門経というのにこんなものがある。
凡夫は「水」を「水」と思って「水」を考え、「水」から考え、「私の水である」と貪
り思う。それは何故か?彼らは知悉していないからである。と、様々な事柄に付いて続
いていくのですが、これは「殺生」にも当てはまると思いますね。
自分が思うに、キリスト教で言うところの「原罪」、仏教でいう「無明」、全ての人が
等しく背負う制約なんだと思う。そこにどっぷりと浸かりながら何をしようと、もぐら
叩きと同じで、限がない。イエスの言葉から抜粋すると「まず自分の目から塵を取って
見えるようにしろ」であり、釈尊の教えの四諦、八正道がそれを可能にするものだと自分
は思います。そういう意味での仏教は、多いに人に勧めたいのですが・・…
訂正。
もしも、栄養面を考えて「選んで」命をいただく
という意味ならば、それはあり得ないと思います。
だって乞食ですし・・・。
生かされている命を繋ぐための最低限の食ではないですか?
そこに自分の体に対する栄養面にまで配慮する
余裕は果たしてあるものなのでしょうか.
>55
むさぼらない、ということですね。
厳しい修行の苦しみも「想い」が決めることが多い。客観的な事象以上に。
苦行を生き甲斐にするような人にとって、世の快楽に浸るのは最高の苦行
になるかもなあ。
58 :
名無しさん@1周年:02/06/15 10:44
世の快楽に浸るのは自堕落であり苦行といえるのですか?
あまーい誘惑にも惑わされない強さを培うという意味では苦行だけど。
今日はひとつの区切りになればと思いながらレスします。
それこそ釈迦に説法ですが、一連の総括のつもりですので、半ば素人の戯言だと思って聞いてください。
草レーサーさんの言う通り、本当に生きるというのは矛盾を孕んでいるものです。
世の中が平和になれば成る程それは避けがたい。
しかし矛盾が人間の法則を拡張した現代の本質として寛容されたとしても、宗教における矛盾は認められるべきではないのです。
現実社会のように矛盾する宗教は現実に対してただの後追いに成り果て、存在理由を失い、果てしなく形骸化していくだけでしょう。
それは本当の意味での宗教の死であり、大衆から取り残されていくだけです。
では、宗教における説得力とは何か?世界宗教のいずれを問わず、それは『厳格さ』の中に私は潜んでいると思っています。
ただ「苦行」と一言で言っても、その行いも動機も様々ですよね。「生きる」という
事を極めるとしたら、世の快楽に浸ってみるのもまた己を知る事になると思う。人に
は勧められませんがね。失うものが多いのデ・・・。
世の快楽に浸るのは宗教的な意味でいう「苦行」にはならないと思います「苦しい行
い」には十分になりますが…。
独身の若い男が凄い美女に妖しく誘われて「断じて断わる」のは、宗教的な意味での
苦行になると思うが、自分はそれにはあまり意味を感じない。
でも妻のある男が、夫のある女に妖しく誘われて「断じて断わる」のは宗教的な意味
はないが、自分はそれに多くの意味を感じる。
今、世界はW杯でひとつになっていますねえ。日本人と韓国人が一緒になって
はしゃいでいますよ。まあ、スポーツなどは一時の涼静剤にしかならないにし
ても、宗教ですよ、大衆から見向きもされない。常套手段の衆生を導く方便で
獅子咆を咆哮して欲しいものです。
僧侶達は街へ出て「辻説法」でもしたらどうなのでしょう?少なくても大乗仏
教を名乗ってる国なのだから。情けなくないのだろうか?自分は仏教とでなく
ても情けなく思う。観念の辻褄合わせじゃなく、現実に挑戦して欲しい。やって
いる僧侶達もいるのだろうけれど・・…。
59さん、これから明日まで忙しくなります。レスは遅くなるかもしれません。
63 :
名無しさん@1周年:02/06/16 02:30
相も変わらず田舎者同士で頑迷な議論してますな。
いや、隔離政策成功でなによりです。愉快、愉快。
64 :
名無しさん@1周年:02/06/16 02:49
煩悩即菩提
65 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/16 07:02
私は、あえてド田舎に住んでる。
広大な土地を自分で買ってボロ屋に住んでいる。
10寸柱に、欄間は龍の彫りもんがある。マニアにはたまらんぞ(w
一度私のところに来なされ。金はいらぬし土産もいらぬ。タダで泊めてやるよ。
清貧な生活なれどチンケな事はモノ申さん。
66 :
名無しさん@1周年:02/06/16 13:51
>65 :髑髏仮面
わーッ、素敵。 住所と電話番号と本名教えて。
>61
なるほど。私の言う「厳格さ」とは「行」というより「姿勢」に近い問題だと思います。
私も忙しくなりましたので、しばしのインターバルに入ります。
とりあえず、髑髏仮面さんと草レーサーさんには、感謝、感謝。
はいはい。みなさまこっちでどーぞ。向こうじゃ知らんふりしますんで。
ただし、あんまり夜遅くなると、落ちますんでそのへんよろしゅう。
浄土真宗の素人って、どーゆー意味?
70 :
名無しさん@1周年:02/06/16 23:10
浄土真宗の素人って、どーゆー意味?
単なるギルドだろ。
釈迦はどこ行ったのよ、釈迦は。
法然さん以来、やむおえず「選択」しているだけでしょう。伝統ギルドにあぐらをかいて、
妻帯や私有財産をなんとなく認めているだけではないの。親鸞ほどの葛藤もなく。
浄土真宗などという仏法が、仏の前で独立して存在するのですか?
あと酒飲んで、それをむどうどうとこんなとこで書いてるし。
不飲酒戒をやぶった上で、妄語、綺語は当たり前。
NBは釈尊の前では僧とはまったく認められないよ。
日本人は甘いから、そんなのでも僧として認めているんだな。
葬式にいくら捕ってるのかね。戒名にいくらとっているのかね。
詐欺だね、ほとんど。
>>69 浄土真宗の教義に関しての素人という意味です。
べつにそれがスティグマ(汚名)になるわけじゃーないです。
浄土真宗、勉強してね、ってどういう意味?
教えてくれないの?
805 名前:NB ◆Zut9KezY 投稿日:02/06/15 23:16
うう、無戒にして名ばかりの比丘ですんで。
破戒どころの騒ぎじゃない。っと。
---------------------
これはどういう意味ですか?
戒律を守らないのですか?
あ、なーるほど。
出家といいながら、遺産を相続して妻帯しているという生活の構造そのものが、
妄語であり、両舌という大破戒だな
浄土真宗そのものも、釈尊を裏切る非仏教。
77 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/16 23:16
>>70 「やむを得ず」とは何ですか?
>>71 ですから、私は無戒名字の比丘の一人ですね。
>>72 真宗では「法名」といいます。「法名」にお金を取ったことは、
少なくとも私のお寺では今までないです。
78 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/16 23:19
>>74 どこからなにを、お教えすればよいのやら。です。
なにか入門書から出発されることをお勧めします。
>>75 戒律って、そもそもなんですか?っと。
>>76 >>77でがいしゅつ。
かいりつ【戒律】
仏語。仏が自発的なものとして与えた戒めと、僧に対する他律的な規律の意。戒と律は別であるが、一般には混用される。かいりち。「戒律を破る」
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988
ふうむ。思ったより盛り上がりませんでしたね。
じゃあ。とりあえず風呂落ちしますんで、
また来ます。
81 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/16 23:27
>>66 客人が、座敷に座ると対の龍がニッコリ笑うんだよ。
誰でもあれを観たら圧倒されちまう。
江戸時代の成金が、道楽で彫師に作らさせたらしい。
一説によると、東照宮の作り職人の手によるんじゃ〜ないかと伝えられている。
よもや甚五郎か?あはは、そうなったら重文級だろうけど・・。
83 :
浄土真宗の素人:02/06/16 23:29
親鸞上人は、教団は作るなといったのではなかったのですか?
NBはもう来るな。
85 :
浄土真宗の素人:02/06/16 23:32
>75 :名無しさん@1周年 :02/06/16 23:15
805 名前:NB ◆Zut9KezY 投稿日:02/06/15 23:16
うう、無戒にして名ばかりの比丘ですんで。
破戒どころの騒ぎじゃない。っと。
---------------------
これはどういう意味ですか?
戒律を守らないのですか?
具体的に聞きましょう。
実際にあなたは、戒名ではどのくらいの金をとっているのですか?
戒律も守らない、釈尊的基準ではサンガではないあなたが、
金を取れる理由はなんなのですか?
NBめ、我々を馬鹿にしよって。
87 :
名無しさん@1周年:02/06/16 23:38
NBさん、なぜあなたは無戒名字の比丘なのですか?
マジレス
戒は守ろうとして守れるものではない、ということになるかと思います。
住職「カーッ!! 心がけががたらーん!! 」
90 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/17 00:20
>>83 親鸞聖人は「それがし閉眼せば」さかなの餌とせよ。とおっしゃられました。
それと親鸞聖人が残してくださったお念仏のみ教えを受け伝えることは全く別のことですね。
教団を作るな。とはどこにもおっしゃられていません。
>>85 >>77でがいしゅつ。
>>86 「我々」とは、具体的に何を指してらっしゃるんですか?
91 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/17 00:21
>>87 今の時のごときは、これ像法最末の時なり。かの時の行事
すでに末法に同ぜり。しかればすなはち末法のなかにおいては、ただ言教のみ
ありて行証なけん。もし戒法あらば破戒あるべし。すでに戒法なし、いづれ
の戒を破せんによりてか破戒あらんや。破戒なほなし、いかにいはんや持戒を
や。ゆゑに『大集』にいはく、〈仏涅槃ののち無戒州に満たん〉と、云々。
乃至。
92 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/17 00:21
問ふ。諸経律のなかに、広く破戒を制して衆に入ることを聴さず。破戒なほ
しかなり、いかにいはんや無戒をや。しかるにいま重ねて末法を論ずるに、戒
なし。あに瘡なくして、みづからもつて傷まんや。
答ふ。この理しからず。正・像・末法の所有の行事、広く諸経に載せたり。
内外の道俗たれか披諷せざらん。あに自身の邪活を貪求して、持国の正法を隠
蔽せんや。ただし、いま論ずるところの末法には、ただ名字の比丘のみあら
ん。この名字を世の真宝とせん。福田なからんや。たとひ末法のなかに持戒あ
らば、すでにこれ怪異なり、市に虎あらんがごとし。これたれか信ずべきや。
問ふ。正・像・末の事、すでに衆経に見えたり。末法の名字を世の真宝とせ
んことは、聖典に出でたりや。
答ふ。『大集』の第九にいはく、〈たとへば真金を無価の宝とするがごとし。
もし真金なくは銀を無価の宝とす。もし銀なくは、鍮石・偽宝を無価とす。
もし偽宝なくは、赤白銅・鉄・白錫・鉛を無価とす。かくのごとき一切世間
の宝なれども仏法無価なり。もし仏宝ましまさずは、縁覚無上なり。もし縁覚
なくは、羅漢無上なり。もし羅漢なくは、余の賢聖衆もつて無上なり。もし余
の賢聖衆なくは、得定の凡夫もつて無上とす。もし得定の凡夫なくは、浄持戒
をもつて無上とす。もし浄持戒なくは、漏戒の比丘をもつて無上とす。もし漏
戒なくは、剃除鬚髪して身に袈裟を着たる名字の比丘を無上の宝とす。余の九
十五種の異道に比するに、もつとも第一とす。世の供を受くべし、物のため
の初めの福田なり。なにをもつてのゆゑに、よく身を破る衆生、怖畏するとこ
ろなるがゆゑに。護持養育して、この人を安置することあらんは、久しからず
して忍地を得ん〉と。{以上経文}この文のなかに八重の無価あり。いはゆる如来、
縁覚・声聞および前三果、得定の凡夫、持戒・破戒・無戒名字、それ次いでの
ごとし、名づけて正・像・末の時の無価の宝とするなり。初めの四つは正法
時、次の三つは像法時、後の一つは末法時なり。これによりてあきらかに知ん
ぬ、破戒・無戒ことごとくこれ真宝なり。
(伝、伝教大師御製作『末法灯明記』より)
NB ◆Zut9KezYへ
こんなレスしても誰も読まないです。
94 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/17 00:36
まあ、自身の問いを持つ人はお読みになるでしょうね。それでいいです。
本当に叩きたいなら、そういうもんじゃないですか?
95 :
お毛け、フサフサ :02/06/17 00:39
お東さん紛争 お東さん紛争 お東さん紛争 お東さん紛争 お東さん紛争
96 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/17 00:41
>>95 意味不明。つーか無視。なにぶん「お西」なもんで。
97 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/17 00:52
ふうむ。今日はもう寝ますけど、(まあ、あと5分くらいはROMしときます)
いつでも叩きOKっすよ。どうぞ。なんなりと。
東西も南北から見りゃ・・・
99 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/17 01:03
>南北から見りゃ・・・
その心は!
100 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/17 01:11
ふううむ。
もうマジで寝ます。ほんと眠いです。酔っ払いだし。朝も早いし。
またね。いつでもね。じゃあ。
101 :
まさか、ナンマイダーじゃ?:02/06/17 01:19
子だくさんの親鸞上人の中出しシツレイ種付けの雄叫びは、どんな雄叫びだったんでしょうか。
「自業自得・許せよ、こどもたちーっ」だったんでしょうか。 毎度、毎度・・・。
102 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/17 07:30
>>101 どなたか別の人物とごっちゃになってる可能性が読み取れちゃいますけど、
マジレスすると、ちょっと分かりません。
まあ、あなたの雄たけびとそんなに違ってないでしょうね。
って、もしかしてあなたは
>「自業自得・許せよ、こどもたちーっ」
ってほう?
103 :
まさか、ナンマイダーじゃ?:02/06/17 12:21
>>102 お答え、アリガトウございます。
わたくしは、一切皆苦を「ああ、正にその通りだなぁ。」と信奉しておりますので、この世との
縁をわたくし限りで断ち切りたい!と思ってますので、妻帯いわんや“子作り”なんぞ毛頭、
する気は、ござらぬのでありますっ!
104 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/17 15:17
ほほう、さようでございましたか。
まあ、一切皆苦よかは涅槃寂静のほうを
「ああ、正にその通りだなぁ。」と信奉されたほうがよろしいかと。
おせっかいやき屋さんのNBとしては、そんなふうに思っちゃいます。
105 :
草レーサー:02/06/17 21:18
経験がないと頑迷な議論にしか見えないのかもしれないけど、レーシングドライバー
してると結構いろいろな誘惑が多く、まだまだ心の中では迷いが断てない。
ついつい「やっちゃおうかなー」なんて考えてしまう。実際に「やること」ははない
にしても、時にあまーい誘惑があるとやはり心はよく動いてしまう・…。
でも「不動心」などと言われるように、一人前の仏教徒、禅者ともなると「誘惑」に
心を動かされることもないのだろうか?自分には、そんな人間がいるとは思えないの
だが…。勿論「誘惑」にもいろいろあると言う条件でですね。それぞれ弱みって違う
ものがあるから。
106 :
1995.1.17:02/06/17 21:27
結局、お釈迦さんというおっちゃんは、ハッキリ言って、ちょっと、いんや、だいぶん
変わったお人ってことれす!
でも、わたくしは、その一風変わった“人生のたのしみ方”にキョーカンを
覚えちゃったのです。。。
107 :
名無しさん@1周年:02/06/18 06:12
このスレ見たら坊主たちの現況が良く分かる。
出来るのは 茶化し 黙秘。
結局頭ん中 からっぽ。
ぼんくら なまくら 増上慢。
貴様ら 俗人以下。
108 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/18 07:27
>>105 一休禅師は女が好きだったようですね。
よってアプローチはするんでしょう。
「振られても」「振られなくても」そこのところは不動心なんだろうと推測します。
不動心といえど、やはり人間ですから女から寄ってこられれば嬉しいんじゃないでしょうか?
ただ、一休禅師は「即今即所」は徹底していたかと思います。
女にチョッカイはだしても、それに執着することは一切なかったものと思います。
そこが禅師の禅師たる所以なんでしょうね。
だからこそ、女と遊べたんかと思います。
凡夫では執着が残りますから、やはりヤバイ事になる「可能性」がありますからね。
一休禅師の素晴らしさは、凡夫に「女の扱い方」まで伝授してるんですよ。
私も、禅師にあやかりとう存じます(w
109 :
草レーサー:02/06/18 07:34
>>59 WHYさん
遅レスですが…
自分自身としては「宗教」というものを、非常に個人的なものだと思っているんですよ。
組織とか集団、団体としての「宗教」には、全く興味がないもので、あなたの指摘する
「宗教」の矛盾に答えられるだけのものが自分にはないのですが…。まあ、その辺は
自分も素人だということですね。
自分が思うのは、何故「宗教」はすぐに集団化、組織化して、挙句の果てに内実の少な
い「権威」に失墜してしまうのか?と言う事ですね。まあこれは宗教に限らず組織体の
宿命のようですが。人間の心をまず救わなきゃならん宗教が、組織の維持や継続、集団
の統制に重心を奪われ、挙句の果て訳の分からぬ「権威」に縋ってそれが「権力」にな
って行く。人間の心を救う為に人間の心に近付いて行く内に、それに負けてしまうとい
う事だと思いますよ。俗に言う「ミイラ取りがミイラになる」ですね。でも、ミイラは
何処にいるのでしょうね?
110 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/18 08:07
>>109 成る程。
組織に流されてしまうのも、また人間の弱い部分なんでしょう。
仏・法・僧とはいえど「私にとって仏教とは?」。
この私がないがしろになっては本末転倒。
いわば仏教とは自立への道すじ。
私はそう認識しております。
世の中に、「すがりたい、すがりたい」と思ってるヤツがいるかぎり、わがショーベイは不滅どぅわ〜!
NBはコテハンをやめたら?
コテハンもままだと、余計にたたかれるよ。
113 :
草レーサー:02/06/18 19:06
>>110 髑髏さん
集団の長になるのが人間にとっては非常に手応えがあることだと言う事かも知
れませんね。「我が意のままに」という自由を与えてくれるものだから。
何事も刺激的な手応えのあるものは、それを受ける時は甘く、誰でも簡単にそ
の果報を味わえる。しかし、それを捨て離れる時は生皮を剥がれるような苦し
みが訪れるものですよね。この時、誰でも耳元でミイラが囁くのを聞くのだと
思います。簡単に言うと、非常に巧みな自己正当化なのかもしれません。
人間は心がとても不自由だから、この状態で「誘惑」→「迷い」が生じてくる。
生じてくれば、続いて「老」、「病」、「死」が待っているというのに・・…。
さて、集団に現れてくるものというものは、個人の中にその雛型があるからだと
思うのですが、人間のやることは全て老、病、死の定めを免れる事はできない。
しかし、人間は何かをしなきゃ生きていけないし「何かをしたい」んだと思う。
でも、やれば老、病、死を免れない。創めれば老、病、死を免れない。
老、病、死が何を意味しているかというと「苦」なんだと思います。つまり人間
「生きる事」が「苦」。まさに一切皆苦は、必定の老、病、死の鉄則でしょう。
で、仏教では、もはやこの様な生存の状態に戻らないように、老、病、死に到ら
ないように「生まれてこないようにする」と言う事の様ですが、そういう態度は
非常に生きる事に消極的になりはしないか?と思うのですよ。つまり、出家する
にしても、世俗を捨てるにしても、苦(生きる事)からの逃避ともとれる。仏教
が目指しているのは「活動の停止」で、それは「死」ともとれる。端的に言うと
仏教は「苦しみ」から逃げる事、「生きる」事から逃げる事を教えているのでは
ないか?人間生活の否定、それが智慧なのか?という疑念が無きにしもあらず。
自分の中には、苦しくても敢えて生きていく事、これだって智慧であると思う処
がありますね。ここは自分自身、まだ葛藤する処でもあるんですが…
114 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/18 19:50
>>113 >仏教は「苦しみ」から逃げる事、「生きる」事から逃げる事を教えているのでは
人間は「無明」ですからね、「初めに苦りき」でアクションとらねば取りようが無い。
で、これをバネに「青い鳥」を探す旅にはせ参じるんかと思います。
御存知のとうり、「青い鳥」は自分の心の中に住んでいた。
これと似たような話が、いわゆる十牛図ですよね。
四苦八苦の概念は八図で一気に変わるというのが私の自論です。
ですから、四苦八苦は「苦」なんだと・・。この認識はいわば「問題提起」。そう認識しております。
この難問を切り抜ける為にはどーすれば良いか?
この命題に挑むことこそが肝要。これが修行と思うております。
四苦八苦は「苦」であるけど、じゃ〜「楽」とは何ぞや?
突き詰めて逝ったのが「空」かと思うんです。
慧能の「本来無一物」は、これを超越した「心のあり方」→「心も既に否定」。この境地と察する。
子供の頃に「悪い事をすると鬼にさらわれちゃうぞ!」という方便も、その時はそうなんでしょう。
いつかは、「鬼が居なかった」と気づくまでは方便のままで宜しいかと思います。
>>113 ニヒリズムで終わるのは、まだ折り返し点ですぞ。
116 :
草レーサー:02/06/19 07:30
>>114 髑髏さん
>この命題に挑むことこそが肝要。これが修行と思うております。
それも明らかに智慧だとおもうんですよ。苦しみに負けて目指す
ものを放棄すれば、そこで「ジ・エンド」しかないから。
「ジ・エンド」が来た時は執着を捨てるしかないが、それまでは
努力したいんですよ。「それは執着ですよ」などともし仏教徒に
悟り顔で言われたとしたら、ぶっ飛ばしたくなるかも知れない。
よく引き合いに出される十牛図ですか、実は名前くらいしか知
らないんですよ。今度、書店で購入し勉強してみます。(汗
>>115 インド人のおっちゃん
ありがとう。無理矢理執着を捨てて終わりにしちゃ遺憾と言う事
ですね。「この世のもの」が虚しいものと気付いて「あーあ」と
思っても「ホレホレ、まだ残っとるぞ」ということですね。
117 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/19 08:27
>>116 >それまでは努力したいんですよ。「それは執着ですよ」などともし仏教徒に
>悟り顔で言われたとしたら、ぶっ飛ばしたくなるかも知れない。
そうそう「執着」ではないかと思います。
人生とは虚しいんじゃないか?虚無なのではないか?
それを、どんどん突き詰める。
般若心経の最後のところ・・・
<羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦>ソレ逝ケドンドン、ソレ逝ケドンドン。
そこで「自分」というのが見えてくるんかと思うのです。
虚無でしたら、虚無の暗闇を突き進む。
これ以上の「暗闇」はもはやあるまい・・・。と。思うた時に灯りが観えるかと思います。
私の考えが、たまたま「禅」に共感するということでして、
「初めに仏教ありき」ではないもんですから、自論の範疇で申し訳ありません。
118 :
草レーサー:02/06/20 07:34
>117 髑髏さん
いえいえ、仏教の教えと自分達の思っている事には、違いがあって当然だと思います。
その違いを「捨てて」仏教の教えだからといって信じてしまうのは、実は釈尊の教え
ではなかったと自分は思っていますから。「私が言ったからとて、鵜呑みにするな」と
か「来て自分で確かめよ」という仏陀の言葉が自分は好きですね。外から受け入れる
ものは、良くも悪くもフィルターを通リます。この「フィルター」こそ、人間らしさ
でしょうし、これを無くした仏教に衆生が何の興味を持つでしょうか。時代や文化に
応じて方便を使った僧侶達は素晴らしいし、それを慕うのは人間として当然。でも反面
「無常」に対する「執着」として明らかに弊害が出てしまうのもまた現実でしょう。
自分も仏教の教えを非常に高く評価しているわけですが、関わり方の部分でやはり自分
らしい難所や不明な点がある。その中の一つに「無常」と「執着」の葛藤があるんです
ね。かなり長い間、動かせなかった問題です。だから、とても有り難く思っています。
お陰で楔を打ち込むことが出来そうですよ。
119 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/20 09:06
>>118 八図で、悟りたいとか、解脱したいとか、幸福になりたいとか、そういった全て(執着)を捨てるんかと思いますよ。
そして改めて「自分とは何ぞや?」を内省するんかと思いますね。
勿論そこで「一切苦」も捨てるんかと思います。
いわば仏教の出発点は八図にあると思うてます。
後は・・・・
>来て自分で確かめよ」という仏陀の言葉が自分は好きですね。
これなんでしょう。
仏教は、あまりお節介な事はしないですね。
江戸調に言えば「粋」と言うんでしょうか?
禅師が「風雅」に傾倒していくのも、根底は釈尊の「自由思想」かと思うております。
バラモン教から自由な思想へと・・・・それが釈尊だと思うております。
マターリしたところだね
121 :
草レーサー:02/06/20 21:28
>>114 髑髏さん
「青い鳥」を探す旅に馳せ参じるんかと思います。
人の数だけ「青い鳥」がいる。そこに色々な意味や価値を見出す。一言で「理想」と
もいえるでしょう。人が満足できる状態にいれば「あれがあれば」とか「これさえあ
れば」など思いやしないだろう。自覚的ではないにしろ、心に欠乏感があるのですね。
「あれ」とか「これ」を努力して手に入れたとしても、手に入れた時からそれは色褪
せていってしまうと思う。そして手を変え品を変え同じ事を繰り返している自分が見
えてくる。努力して手に入れた「輝き」も、すぐ「無常」にさらわれていく。
さらに「自分は満足できない」という思いが増徴していき、ここで「自分は何があれ
ば満足なのか?」という本質的な問いも、まだ雲を掴むよう…。
満足できる状態は確かにある。ただ「無常」である事、これが禍。どんなに頑張って
手に入れた満足もそれは束の間の刹那で終ってしまう。この世界でこの禍を抜くこと
は出来ない。
そこで自分が満足している時のことを、よーく考えてみる。そこで満足は必ず不満を
呼ぶ構造になっている事が徐々にではあるが感覚的に分かってくる。でもまだ、それ
ぞれ別のものだという思いも執拗にこびり付いたまま。
で、今度は方向を変え、不満を取り払おうとする。「これさえなければ」と思うもの
を必死で排除する。しかし、払えば払うほど心に絡みつき不満な思いは増大する。
自分は満足を求めても不満になり、不満を排除しても結局不満になってしまう。衆生
はここで、万策尽きるでしょうね。突き詰めればノイローゼになりかねない問題です
から、それ以上の追求はしないでしょう。自分もそこで万策尽きましてね、ここが人
生の限界かと思って何年も何年もそこに留まっていたということです。
ここが先の折り帰し地点なのだと思います。或いは、ここから仏教が真価を発揮する
処なのでしょうね。自分の求めるものが結局、苦しみを呼び込んでいるにせよ、その
苦しみが導きになっていることも否めない。自分の状態からするとまだ苦しみを卒業
できる性格ではないと思うが、今までとは違うなにかが開けてきそうな予感が確かに
ありますね。まだ、ぼんやりとしていますが。
122 :
草レーサー:02/06/21 07:38
修行、修行というけれど、一体何が修行なのか?座禅をするのが修行か?経典を読む
のが修行か?自分は人生の命題を追求するのが修行だと思います。
自分は座禅は僅かしか行わないし、経典も時々目を通す程度。でも、クルマの運転は
とても良い修行になると思う。(w
ほとんど毎日クルマを運転する生活をしているが、何気なく街を走っていても実に様々
なことが起こる。公道では色々な人が様々な目的でクルマを運転し、本当に人間が出る。
よく「ハンドルを握ると人が変わる」などというように、クルマを運転する事は人の本
能に訴えてくるものがあると思う。横を見れば一人室内で歌を歌い気分良くなっている
人、何事かぶつぶつ呟いている人。強引に割り込んでくる人。事故る人。でも、一番面
白いのは自分の心がめまぐるしく変化することですね。都心の渋滞は、何度経験しても
イライラする。渋滞中は運転に注意を注がなくて済むから。このイライラも、一体どこ
から生まれてくるのかを観察していると無明に近付くことも出来ると思う。しかし、そ
んなことをしているドライバーなど少ないだろうけど・・…。
実は人は向き不向きで色々な修行法を取っているのかもしれませんね。これが修行とい
うように、型にはめてしまうのではなく、それぞれの生活スタイルを活かした実践方法
があるのだとおもいうし、そのほうが好ましいと思う。
仏教____死んでからでは遅すぎる。生き方を教えとうねん! とワタシは、叫びたい。
124 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/21 13:05
>>122 そうそう、坐禅だけが修行では無いと思っています。
ようは「自分とは何ぞや?」の内省ですよね。
無修行の修行というのもありますしね。
ラッシュアワーに揉まれて、性根尽き果て「さあこれから仕事」というのも立派な修行でしょうね。
やがて仕事が終わり・・・
最終列車で、一人孤独に椅子に座る。
そのホットした瞬間に瞑想に耽るのも良いかもしれませんね。
「いったい私の人生とはなんだろーか?」。これを深く考えるのも良いかと思います。
そんな時間に、家では女房・子供が深い眠りについている・・。
「ああ、私の人生とは・・・いったい?」。
そういう時間を大切にしたいもんです。
125 :
草レーサー:02/06/21 21:17
やっぱり、自分の生活に仏教の教えを密着させることが望ましいですよね。でも、時々
思う事はある。静かな自然の中で、まあ、自分が生活している地域にも少しは緑がある
のですが「あのような樹の下で瞑想でもしてみたいものだ」なんてね。
しかし、髑髏さんの住んでいる環境と違って、こちらでは人目と言うものがある。どう
いう訳か、自分の好きな場所というのがあるのですが、下手をすると通報されてしまう
し、人里離れた所に行けば行ったで慣れないせいか、夜分森林の中で一人ポツネンと瞑想
していると、ゾッとするような恐怖に襲われることもあった。
近くには曹洞宗のお寺があるし、家の墓もあるのだが、僧侶曰く「一般の人に我々の修行
は無理だ」とにべもなく言われてしまった。う〜む、確かに専門の僧侶と同じ修行は無理
だが、全く門戸を開けないというのも何だなあ・・…。
話しは変わりますが「一切衆生悉有仏性」と言うのですか?前にWHYさんと言う方が質
問していましたが、自分は「生きていること」が既にそれを明かしているんじゃないかと
思う。虫けら一匹にしたって「生きている」わけですよね。生きていると言う事は生物に
とって当然の事ですが、驚異的なことですよ。物質のミクロの活動も、星星のマクロの
活動も驚異的です。
全てのもの事は、本質的に自分達の思惟を超えていると思う。ホンのうわっぺらが自分達
の活動領域で、そこで概念や価値を計って人生劇場を演じているのですね…。(涙
私を含め、一切のものが人間の思惟を超えて活動している。仏性と言う言葉に眩惑されて
分からなくなるのかもしれないが、そういうことを言っているのだと自分は思ってる。
126 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/22 06:16
>>125 >下手をすると通報されてしまう
最近は「野外露出」というのがブームでしてね、ところ構わず脱いでいますよ。
私のところにも出没します。
そういう時は、変に驚かさない方が良いみたいですね。
女性の「性」は今まで拘束されてましたからね、それの反動なんでしょう。
>全てのもの事は、本質的に自分達の思惟を超えていると思う。
そうそう「思推を越えている」というのを先ず認識すべきで、「無理に考えて分かろう」とするところに問題があるんかと思います。
「分からなければ」→「分からないように」そのままでジッと内省する。
「分からなくてもいい」→ということが「解った」。この「解った」が大事かと思います。
>そこで概念や価値を計って人生劇場を演じているのですね
そうそう、演じているんですよね。
都会でOLを演じていて、週末になると「露出」をする。
ああ、人生とは何ぞや?
諸行諸遊楽。あたかも菩薩が涅槃寂静で遊び戯れる。
フッと観音様を思い浮かべます。いやマジで・・・。
>>都会でOLを演じていて、週末になると「露出」をする。
そちらは、天国ですか? 地獄ですか? スマソ、多感なお子なもんで。。。
128 :
草レーサー:02/06/22 12:41
126 髑髏さん
全ての物事に分けられないものがある事を了解する。こういう姿勢が重要なんですね。
かつて私は、ただ「生きている」と言うことがどうしても許せなくて?何とか合理化
できないだろうかと悶々としていた時期がありましてね、生きることに付随する不安
からの逃避だったのですが、悪戦苦闘の結果、苦汁を呑むように「ただ生きている」
という事を認める以外どうすることもできませんでしたよ。
「性」の問題もそうですが、人為的抑圧というのは自我を基としているので、どちら
に転んでも根本的な問題の解決には至れないのでしょうね。人間は紛れもなく自我を
自分と見なしているので、それも当然の帰結かもしれない。ここで様々な矛盾、葛藤
に疲れ果ててしまうと、たどり着くのが虚無思想なのかもしれない。
確かに、自分でないものを自分と思えば、虚しくなるのも納得できる。ここで仏教の
非我の教えは素晴らしい明智だと思う。無我、というのは究極的に確認できない事柄
にしても、非我という教えは生活の中で悟っていける。自我を自分と見なさなければ
一つ一つの惑わしから自分を解放していけるのですから。そういう意味での地道な精
進は必要ですが、一つ一つ開放されていく喜びを実感できる。それを実感した時には
「生きる」ということが死に向かっている苦渋から、純粋な喜びに変わってくるかも
しれませんね。
しかし、いつも長レスになる自分に付合ってもらって有り難いです。このスレも独占
状態になってしまっている様で少し心苦しいのですが、自分としてはとても有意義な
ものになっています。スレを立てた人、又、他の人も許してちょ。
129 :
草レーサー:02/06/22 13:35
本質的な事が分けられないのにそれを分けて考え、それを「私」と固定して
しまうから眩惑されてしまうんですね。自戒。
「女」を「女」と思って考え、「女」から考え、「私の女である」と貪りお
もったりして…。(w でも自戒。
「私の女である」と貪り思えば、気に入った状態を見れば、刹那の天国かも。
気に入らない状態を見れば、刹那の地獄かもね。一瞬の心の変化で変わりま。
いや、自戒です。自戒。。。でも、若い男だったら自分でなくても…
130 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/22 13:54
>>127 >そちらは、天国ですか? 地獄ですか?
そうですね、あれは自分の存在の「確認」なんでしょうかね?
と逝っても、あれはSM性嗜好の延長線にあるみたいなんで、私には理解するまでには至っておりません。
その筋(愛好家)の間では、私のところが安心と・・・情報が逝き渡っている見たいです。
OLに限らず、幼稚園の先生とかの教育関係、公務員もおりますね。
いろいろ話はします。
この世界は、一度踏み込んじゃうとエスカレートのしっぱなし(w
女性は、男性より度胸が良い。私は恥ずかしい限りなり。
しかし「見て」「見て」の連発ですと、見ない訳にまいらぬ。
恥ずかしながら「見てあげます」。おお、恥ずかしい。恥ずかしい。
こちらが恥ずかしいがると余計に感じるらしく、もう手におえません(w
あの顔で、週明けには幼児達の面倒をみるんでしょうか?信じられません。
二つの顔を持つ女。女性はカク強いなりけり。
あのー、OLのおねえさんとか幼稚園のセンセイとかにレッスンして欲ちいのですが。
あー、やっぱり、ボクは凡夫だ〜・・・(鬱うつ鬱ぅっ
132 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/22 14:19
>>128 >ただ「生きている」と言うことがどうしても許せなくて?何とか合理化
>できないだろうかと悶々としていた時期がありましてね
無期懲役囚は、なんの目的もなく惰性みたいんで生きているらしいです。
死刑確定囚は、もう選択の自由がありませんからね、全て吹っ切れるらしいです。
そして、悟りみたいな境地になるらしいですよ。
まあ、死ぬ事だけを考えていれば「生きるとは何ぞや?」というのは極自然に考えますからね。
こういった「生きる」とか「死ぬ」とかを超越することにより、人間は穏やかになるらしいですね。
ある女性死刑囚で、刑の執行前に丹念に化粧したらしいです。
刑務官「随分キレイになったね」。
死刑囚「ありがとう」。と逝ってニッコリ笑ったらしいですよ。
大久保清は、腰抜かして失禁したそうですが、えらい違いですね。
ようは、どんな状況においても受け入れるか?否か?なんでしょう。
つまり「生きる」とは、どうしても「死」というのを前提に考えませんと観えてこないかと思います。
133 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/22 14:31
>>131 女性には、ちゃんとSの男は居ますよ。
そのS男君の「命令」で、こちらにオコボレがくる「場合もある」。ということでして、
いわば私は、彼等、彼女達の「道具」なんですよ。
私が「遊ぶ」訳ではありません。
私は、気の良い「お兄さん」ですから、彼等・彼女達にplayの場を提供しているに過ぎません。
>OLのおねえさんとか幼稚園のセンセイとかにレッスンして欲ちいのですが。
レッスンしてもらうんっじゃ〜なくて・・・。
女を「仕込む」んですよ。奴隷なんですから。相手は。
貴方はM男君ですか?(ワラ
ちゅみまちぇん。
まだ、18禁なもんで。 でも、お話伺ってると同年代のコギャルより興味が
沸くのは、ボクにも素質?があるということでしょうか。またしても、鬱うつ鬱ぅっ・・・
>>134 そうだね、20歳未満の女性じゃ〜ものたりないかもしれんね。
S男君とはよく話はするけど、やはりSの素質がないとかえってプレッシャーになるかと思う。
「ご主人様」と寄ってこられて、最初のうちはそれに答えているんだけど、段々飽きてくる。
そういう女性が「何を求めているのか?」というのは分かるんだけど、やはりSの素質がないと飽きる事は確かかと思う。
つまりは、M女でも「恥ずかしい」んだよね。それを引き出さんことには満足しないんだよ。
まあ、ソフトSくらいだと大変なプレッシャーだと思うね。私の経験。
愛奴を持つには、それだけの器というもんがないとね。
まあ、Sに興味があるんならそういう道を精進するのも良いかと思う。
3人のMを抱えているSもいるからね。互いに競わせるんだよ。
それで、またMが萌えちゃうんだね。あの萌え方は普通じゃ〜ないよ(w
M 同士で屈辱な事をさせる。まあ、そんで萌えちゃうんだからM女は分からんね〜。
この世界は、一度ハマッタラ抜けられないようだね。
そこのところは私も理解できる。ヨッポド好きでないとね。好きなら申し分ない世界かと思う。
>>129 私の家(旧家)には天上が無くて、ブットイ梁(はり)が剥き出しになってる。
そこへ麻紐をくぐらせて〇〇をぶら下げたら、これは自分の女でなくても実に美しい。
それ以上に〇〇は恍惚状態間違いなし。
そこで茶会をするのです。
髑髏のハンドルでも、私は真言立川流では無いので煽り類はご遠慮ください。>ALL
137 :
草レーサー:02/06/23 11:31
いやはや、宗教(仏教)を語る聖なる場?で性なることを話題にするとは思わなかった。
でも、人間にとって性の問題も避けては通れない事だと思うし、宗教は性から顔を背
けない方が善いとも思うな。自分の場合は「女」をコロコロと変えてしまう癖があるの
で、双方ともに修羅場を経験する事が多かったですね。これは、まさに地獄ですよ。
女性の美しさや甘美さは、自分にとっては束の間の華にしかならない。恒久的な愛情よ
り、刹那の華を求めてしまうんですね。束の間の華の為に少なくても二人の人間が地獄
に墜ちてしまう。現実にこの地獄を何度味わっても束の間の華を求めてしまう自分の愚
かさに嫌気が差すものの、華の吸引力には敵わなかったんですねえ。
でもね、仏教を学び出してその「華」が何処にあるのか?がわかった時、色々と変化が
起こりましたよ。
しかし、身体で覚えた快苦の感覚には後で最終的に一人で悩まされると思う。自分の場
合はセックス以上にスピードの快感、レースの興奮を覚えたのだけど、これも一度はま
ってしまったら、なかなか抜けらませんね。大怪我をしても舞い戻って行くのですよ。
ある「感覚」に吸い寄せられる様に・・…。自分はその根本には仏教で言う「渇愛」があ
るのだと思う。しかしその渇愛から求めて行くものは、全て束の間の華。束の間の華を
束の間の華と楽しめればまだよいにしても、人間の習性上「あの感覚をもう一度…」と
いう執着の問題も絡んでくる。
しかし、レーサーの心理として、ランナーズハイとでも言うのか?頭の中が真っ白に
なっている時、ふと「このまま何もしなければ…」というような誘惑に駆られることが
あるというし、これは私にも経験がある。勿論、一瞬のことだし、本能的にすぐ「ヤバイ」
と察知して通常は事無きを得るのですが…。
レースの場合は、失敗がそのまま死に直結する事があるので、恍惚の中に自らを見失う事
はないと思うが、性やその他の恍惚感は危険が伴うことが直接的でない分、違う意味で危険
でもあると自分は思う。陶酔、恍惚にも人生を破壊するものと、人生を充実させるものとが
あり、そこにはやはり、注意と分別が必要なところだろうと自分は思いますね。
138 :
127のものです:02/06/23 12:15
大人のみなさん、ちょ、ちょっとボクには刺激が強すぎます。
でも、そのキチョーな授業つづけていただけるなら、ボクは
喜んでお勉強させてもらいまーす。 あっ、ハナヂが・・・
139 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/23 12:16
>>137 >性やその他の恍惚感は危険が伴うことが直接的でない分、違う意味で危険
>でもあると自分は思う。陶酔、恍惚にも人生を破壊するものと、人生を充実させるものとが
真言立川流は、髑髏をモチーフにしていますね。髑髏は本尊という設定ですが・・。
「悦楽」と「死」が密着してますね。これはエロ事師顔負けかと思いますよ。
つまり「死」という極限まで「悦楽」というのを高めている。
悦楽という方便を使った「悟り」への道すじなのかもしれませんね。
女性でも、頚動脈を圧迫しますと一瞬「死」を想起するらしい。「芯でも良い」と思うらしい。
その時は、えも知れぬ極楽の境地になるらしいですよ。
「死」と「極楽」は一緒という気分になるらしいですね。これは一瞬なんでしょけど。
髑髏(本尊)には、そういったエロチシズムが内在してるんかと思います。
だからこそ髑髏を何週間も抱いて寝るんでしょうね。私はそう解釈しています。
エロチシズムを通して、人間の内面の奥深いところまで内省していくんかと思います。
これは麻薬と同じようなもんでしょう。
時の権力が、やはり警戒はするでしょうね。
>自分の場合は「女」をコロコロと変えてしまう癖があるの
私も実はそうなんですよ。ですからS男君にはなれません(w
そのくらいが丁度良いんでしょう。
140 :
名無しさん@1周年:02/06/23 19:27
>>107
hagedou
ふと開けた。
開けて、固まった。
女にゃ、きつい。
逝きます。
おやすみなさい。
142 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/24 08:26
>>141 登山家が山を征服した時にフット、マスターベーションを掻くらしいですよ。
この話を聞いた時、他の登山愛好者にも同じような質問をしたのですが、やはり殆どの人がそういう気分になりやすいみたいです。
自然はある意味、抑圧された「性」という事に関して解放してくれるんかとおもいますね。
一つの、パターン化した経済機構の中に私達はどうしても関わらなくては生きていけない。
それはそれ受容したとしても、また観えていない「自分」というのもあるはずです。
それを自分が意識せずとも、見えないストレスとなって蓄積されていく。
そういった負の部分を内在しているのが現代社会というのかもしれません。
「自分発見の旅」とは、こういった見えない自分を探すんでしょうね。
144 :
名無しさん@1周年:02/06/24 12:56
髑髏さん。
レスを読んでいて、だいたい貴方の事が分かってしまいました。
いちど私はお逢いしてます。
今度、仏教の事や茶道の事お勉強したいなぁ〜ナンテ・・・
私のことが分かるかな?
ああ、チョッとほてってきた。チョウヤバ(ワラ
145 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/24 14:30
>>144 利休が、秀吉の怒りをかって自刃する前に最後の一服、茶をたてるんですね。
その席に椿の花が生けてあった。これを生けたのが下男の侘助。
利休はえらく気に入り、この椿を侘助と命名するようになる。
侘助や 障子の内の 話し声 (高浜虚子)
元来、利休は花びらが好きでして、して色にはさほどの拘りはないらしい。
私は「真紅」の花びらが好きでして、花びらが畳に落ちたあの瞬間の感動は記憶に新しい。
一切静けさの中で茶をたてておりました。
また一つ花びらが落ちてきました。時間が静かに流れて逝きます。
あの空間がなんともいえません。
まあ、そのうち茶会でもしましょうよ。楽しみにしております(^^)
146 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/24 14:32
ああ、そうそう・・・・
花びらと言うても、これは本来の「花びら」ではありません(ワラ
147 :
草レーサー:02/06/24 18:45
>>139 髑髏さん
真言立川流ですか?自分は全く知らない宗派です。そういう宗派もあるんですねえ。
知らないものをどうこう言うことは控えたいが、類型になるかな?自分も少年時代
にセックスして二人同時にカミングしながらゴーイングできたら、凄い幸せなんじゃ
なかろうかな〜?、なんて妄想を膨らませていたことがありましたなあ。(w
恍惚感には不思議なものがありますね。恍惚感の中に抱く死の誘惑がとても不思議だ。
昔、何かの本で読んだのだと思うが、赤ん坊が生まれて来る時、皆泣きながら生ま
れて来るのは誕生が苦痛だからだと言う意見だけど、通常自意識が確りしている時
は、死はこの上ない苦痛と信じているが、恍惚感の中では死に近付いていこうとす
る傾向もあるのは自分でもわかる。臨死報告などでも、このままいかせて欲しいと
思う人の事例を数多く揚げられているのを見たこともあるしなあ…。是も類型にな
るかどうかわからんが、釈尊も悟りを開いた時にまず「このまま死にたい」と思た
らしいですね…。
これだけの事で結論を出すのは無理だけど、如実のところ生と死は凡夫の思うとこ
ろとは多いに違い、また逆転ということもありうるわけですね。
だが、ここまで来ると流石に私には手が出せない。まだまだ下界で苦しんでいた方
がマシだと思っちゃっている凡夫だから。(w
しかも、もうここからの探求では、実験台は自分しかいない。生と死の狭間を体験
できるのは誰にとっても自分しかいないもんね。私は生の苦しみをゆっくりと味わ
い、生きながらの「涅槃」?を自らの中で確認するまでは、恍惚感の中で自我執着
を捨てても、また芽生えて来ると思うな。自分がそうだから…ですけどね。(w
しかし、例えば一週間の瞑想会で僅かに感じた「涅槃」?も一度体験してしまえば
後に下界に行って凡夫に戻っても、既に自らの感覚に刻まれたものとして、先の道
行きの灯明になることも間違いないと思う。
148 :
名無しさん@1周年:02/06/24 18:46
>>145 なかなか刺激的レスですね(笑)
想像力が膨らんでしまいました。
ハマッテしまいそー(笑)
149 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/24 20:32
>>147 >私は生の苦しみをゆっくりと味わ
>い、生きながらの「涅槃」?を自らの中で確認するまでは、恍惚感の中で自我執着
>を捨てても、
そうなんですね。「生の苦しみをじっくり味わう」。
煩悩即菩提。
通常、人間はサラリーマンを演じたり、父親を演じたり、そういう生活も一つの生き方。
それから開放された「自分とは?」。これについては深く考えませんね。
もう一人の自分を発見するというのも大事な事かと思います。
本来は、この「もう一人の自分」というのが「本当の自分」なんでしょうけどね。
布袋(ほてい)さんは、悟りを拓いた人物のモデルらしいですね。
胸をはだけて、裸足で、徳利ぶら下げて、まあ一言で言えば「だらしない風貌」ですね。
そういった「こだわりの無い心境」を表現したんでしょうね。
>>148 「花びら」の意味が分かりましたか・・・。
一瞬、張り詰めた空気になります。
その緊張感がまた良いのかもしれません(w
私は、真言立川は、初めは「乱交」のイメージがありましたがその時考えが変わりました。
茶室で着物姿の彼に、いきなり私のあそこに茶せんを突っ込まれ、かき回された
ことを思い出してしまいました。
151 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/25 06:21
>>150 >いきなり私のあそこに茶せんを突っ込まれ
「いきなり」とはもったいない(w
私でしたら言葉でせめます。セクハラでしょうか?
その爆発の刹那に開眼?します。女性は「言葉」に弱い(w
爆発前にセクハラで訴えられたら、まあ私の負けでしょう。ジョークデスガ・・
これは勝負なんでしょう。えてして、こういった緊張感もあります。
152 :
草レーサー:02/06/25 07:32
そういえば最近、やたらとクマの「プーさん」をよく見かけるが、何時の間にか
「ミッキー」を抜いてディズニ―キャラの人気トップになっているそうですね。
なんでも「プーさん」は好きな時に好きな事しかしないところや、優柔不断なと
ころが日本だけでなく、アメリカでも受けているという新聞の記事でありました。
アメリカ国民も、やはり少々「お疲れ」気味ということでしょうね。
自分も若い頃「自分とは?」という命題は唯一の個性を求める事から「人々から
抜きん出た実力」だと思って色々と四苦八苦してきたけど、何時の頃からか「自
分とは」が「人間とは」になってきましたね。超人になることじゃなかったんだ
と…・・。
153 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/25 08:34
>>152 デイズニィ−ランドは良いですね。私は大のファンです。
ファンテリュ−ジョンの、お姉さん達のダンスはとても良い(w
昼間のパレードのお姉さん達とは同一人物なんでしょうけど、
やっぱり「夜の妖精」のほーが良いです。
「夜」という状況と、あのコスチューム。あのライトの美しさ。なんともいえません。
私は、童心に返って姉さん達に拍手をして、その舞の優雅さを讃えます。
とても良い。また逝きたくなります(w 姉さん達に逢いに(w
姉さん達も、また私生活はジェンジェン違うんでしょうけど、そんなことはどーでも良い。
幼稚園の先生のよーに・・・・・まあ、そんな事はどーでも良いんです。
そういう事を忘れさせてくれる。それがディズニーランドなんでしょうね。
髑髏さん。
分かりました。したがいます。
その時期になりましたら必ず伺います。
155 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/25 11:16
>>154 ファンテリュージョンの、あのコスチュームも良いけど、
昼間の姉さんの、あのミニスカもお気に入り。
それに私は首輪が好き。
あれは素晴らしいファッションかと思う。
色は勿論「赤」。
家元は、まだご自分のを入れる前に大事な大事な茶せんを入れてみたかった・・・と
事の後で、スマソ、スマソと言いながら心情を吐露しておりました。
操をまもってきたワタクシの初体験が、まさか“茶せん”になろうとは、全く夢にも
思いませんでしたことが昨日のようによみがえってまいりました。
157 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/25 13:42
>>156 茶人は、大切な茶道具を不浄の部分に接触させませんからね、きっと乱心なされたんでしょうね。
その原因とやらは貴方の魅力ですか?
して、ご夫人でありながら「初体験とは?」。
そこのところを詮索するよーな野暮なことはしません。
して・・・・・・
初体験とは・・・・
これは貴殿の心の中にしまっておいてくだされ。
他言はしませぬゆえ。野暮の事は申さん。
髑髏さん。
>>155 分かりました。したがいます。
おい、おまえらタントリズムや立川流をはげしく誤解しております!
本当に立川流を調べた事があるのかと小1時間問い詰めたい。
私は、どちらかと言いますと禅宗系に傾倒しております。
よって密教系とは少々考え方が違うやに思っております。
男女和合水にしても、これは推測ですが男は分かります・・・して女は?
まあ、私はある程度は察しがついています。
しかしながら、立川流を信仰している訳ではありませんから、これは推測の域をでません。
161 :
草レーサー:02/06/25 19:54
>>153 髑髏さん
禅者には面白い人が多いですね。まさかディズニーランドへ行って楽しんでいる大
人だとは思いませんでしたよ。いや、決して悪い意味じゃなく。
自分も一年くらい前に家族で行ってきたけど、子供が、白雪姫と写真を取らせても
らいましてね、つい、「私もっ…」と心の中では思っちゃいますよ。(w
横にいた妻は自分のそのようなホノカな心理を知る由もない。だろうと思う。。。
自分は姉さん方のミニスカの舞いもイイけど、静かな白雪姫も好きだなあ。あまり
近付いて見てしまうとただの外人の女性になってしまうので注意が必要だが。(w
でも、「夜」あのコスチューム、あのライト・・…なんともいえません。
これとその後の行為には、まさに禿銅でございます。(w
チミらねー、PINK板行ってはなしてくれない・・・
163 :
名無しさん@1周年:02/06/26 00:06
まー、おまいらお互いに尊敬しあってらええよ。平和な光景だ。
164 :
プレゼント:02/06/26 01:12
165 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/26 05:44
>>162 >チミらねー、PINK板行ってはなしてくれない・・・
カンジチョーは、セイジの事を常に考えているよーで少し勘違いをなさっているよーです(w
最近、某伝統宗教教団の僧侶が痴漢をしたそうで・・・
つまりは、その素因となるのが「抑圧」された性欲かとおもいますよ。
ようするに、女性に対しても不動心というのは大切かと思います。
166 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/26 05:53
>>158 プライベートな時間におおいても、首輪は付けていたほーが良いかと思います。
きっと素敵なコスチュームになるかとおもいますね。
感想分を日記に付けておくのも一考されたし。
私がその日記を拝見しますから。
>分かりました。したがいます。
このレスは、もう良いかと思います。
167 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/26 06:48
>161草レーサーさん
優柔不断なプーさんとか・・・
天才バカボンのパパとか・・・
布袋(ほてい)さんとか・・・
なにやら共通するところを感じます。
「ありもまま」「なりきり」とは、こういったキャラがモデルなのかもしれませんね。
168 :
名無しさん@1周年:02/06/26 07:37
>>165 >ようするに、女性に対しても不動心というのは大切かと思います。
不動心には思えないののですが、何を言いたいのでしょうか?
169 :
草レーサー:02/06/26 07:41
平和な光景か…。いいですね、平和。。。
自分は平和が好きです。涅槃も平和でしょうから。
自分は平和を求めます。涅槃も平和でしょうから。
平和な光景が見えるなら、涅槃も見えるんでしょうね。
でも、その涅槃からは語っていないでしょう。
同じミニスカ女を見ていても、同じものが見えて
いるとは限らないのですね。
貪り、嫌悪、無関心から語っているなら、最初から
ピンク板にいきますよ。
そもそも質問箱から追い出されて、ここに来てい
るのだから、ここで自由に議論セイと了解してる。
170 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/26 08:44
>>168 >不動心には思えないののですが、何を言いたいのでしょうか?
孫子の兵法・・・
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
先ずは「自分を知る」。これはとりもなおさず「他人を知る」。自他不二。
女性の尻を触る痴漢僧侶がおるそうで、これは「敵」を知らず我欲のまんまなんでしょうね。
「触ってもらいたい女性」もおることはおりますが、これは稀です。
まあ、手出しは遠慮したほーが一番得策やに思います。
こういった無鉄砲僧侶こそが、いわゆる執念から離れていない人間の業なんでしょうね。
いわゆる執念とは・・・
異性がおりましても→苦しむ(恋の悩みというんでしょうか?)
異性がいなくても→苦しむ(寂しさというんでしょうか?)
どっちみちあまり良いもんでもないでしょう。
つまりは、執着から離れる事が大事なんでしょうね。即今即所。
仏法は、いわゆるこういった無用の執着より離れる法門やに思います。
髑髏様。
首輪は、〇〇〇ショップで買ってきました。
ラメ調の素敵なのを(ウフッ
気に入ってくれるかな?ちょっと不安です。
あと日記ですが、ノートに書きます。ご査収くださいませ。
ここじゃの!
表向きは、別の話と見せかけて、ワタシ好みの話をやっているのは!
これで、誰かがフイに訪れてきても、大丈夫っと。
髑髏様。
今日、〇〇を付けてお買い物に逝きました。
髑髏様の仰っている「不動心」には到底なりえません。お詫びしとう存じます。
家に帰ってきも顔がほてっております。
やはり「修行が足りない」と、お叱りを頂戴する事になりそうです。
全部、日記に書き込みました。
「不動心」へのお導き、宜しくお願いします。
>>173 っあ、貴方はなんてことを・・・絶句。
でも、しょうがないか?
女だからね。
私も、本当は観てもらいたい。
女だからね。
少しは気持ちがわかるかな〜。
ガムバッテネ(笑
175 :
名無しさん@1周年:02/06/26 15:43
こいつらぜんぶ野郎なんだろー、ばからし
176 :
名無しさん@1周年:02/06/26 15:47
177 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/26 16:33
眼横鼻直
人みな、眼は横、鼻は縦違いはありません。
しかしながら、色はその因縁・縁起により人それぞれです。
生老病死は、万人ひとえに避けてはとおれません。
「生きながら死人となりて、なり果てて、
思いのままにするわざぞよき」
つまりは「生きとし生けるもの」避けて通れないものがございますが、
またその中で「如何に生くべきや?」が肝要かと思います。
こればかりは人ソレゾレやに思います。
智慧にて導きだされるのでしょう。
S M は、高等動物の証!
179 :
草レーサー:02/06/26 19:26
>>167 髑髏さん
結局、人間は無自覚なだけで知っているということでしょうね。悟りも、涅槃も
人間に無縁のものじゃなく、もともと衆生にあり、動物にあり、植物にあり、鉱
物にあるものなのかもしれません。というか多分そうだと自分は思う。
あるにも関らず、無いと思って探しまわるもどかしさもきっと誰もが経験してい
る。ないと思えば欠乏感も募り、あると思っても満足はない。あるかないか分か
らなければ無気力にも陥る。通常人間は忙しくこの間を動き回って、それを止め
てみる事など思いも依らない。
止める事が出来れば欠乏感が何なのか見えてくるのだけど、止めることが恐ろし
いし苦しい。なんという逆説でしょう。純粋に個の生物として生きる苦しみ以上
に、この止めることの恐ろしさ、苦しさに悩まされてしまう。始めるより、止め
る方が大変なのですね。宗教を始めるに当っても「止められなくなったらどうし
よう・・・」と心配して始められない人も多い様に見うけられる。禍の根がわかって
いるのですね。俗に言う「わかっちゃいるけど止められない」状態ですか…。
そこから先は観念の世界ではどうにもならないでしょうね。心まで踏み込んでい
かないと。でも、心はみんな自分を通してしか体験できないようになっているし
他人の心をいくら正確に分析しても、他人のお金を勘定しているようなもので少
しも楽しくない。余計に不満や怒りが募るんでしょうね。自分の金庫に泥棒を招
き入れているようなものなのに、そこのところは全くみえていないのかもも知れ
ない。結構いるようですね、自分に金庫があるなんてことすら思わない人達も..。
それはとても残念なことだと思う…。
私は自分の金庫を黙々と策っているほうが楽しいし、好きですがね。いや誰でも
それは同じでしょうが。
髑髏様。
>>177 >「生きながら死人となりて、なり果てて、
思いのままにするわざぞよき」
何度も、何度も読み返しました。
涙がとまりません。
自分の事しか考えておりませんでした。
恥じております。
日記に心情を書きました。
181 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/26 20:55
>>180 日記を見ずとも、ある程度の察しはついております。
たぶん、子供かなんかに笑われたんでしょう。
大人はこういう場合は「見ぬ振り」しますからね。
貴方はドッキっとして、そして〇〇が全身にはしる。こういう事かと思います。
そして、家に帰って〇〇をする。
全部お見通しです。
今日はグッスリおやすみなしませ。
182 :
名無しさん@1周年:02/06/26 22:39
こいつらぜんぶ野郎なんだろー、ばからし
183 :
名無しさん@1周年:02/06/26 22:47
まあまあ>182
髑髏の仮住まいも出来た事だし、いいじゃんか。
184 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/27 05:38
>>179 >あるにも関らず、無いと思って探しまわるもどかしさもきっと誰もが経験してい
>る。ないと思えば欠乏感も募り、あると思っても満足はない。あるかないか分か
>らなければ無気力にも陥る。通常人間は忙しくこの間を動き回って、それを止め
>てみる事など思いも依らない
一切皆苦というのは、こういう事なんでしょうね。
これはきりがありません。
つまりは頭で理解したとしても、なかなかこの無明からはなれるのは至難。これが人間なんでしょうね。
「どちらが良いか?」と、対立してしまう概念。この概念こそがナザール・ジュナの中観論なんでしょうね。
144さん
今日は雨が降ってますね。
こういう日はミニスカが良いでしょうね。しかもT印のヤシ。
そういうのをチラホラ見かけます。あれは良いもんですね(w
185 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/27 05:51
>>182 >こいつらぜんぶ野郎なんだろー、ばからし
女性が茶会に華をそえる。
これは彼女にとったら至上の歓びなんですよ。
そのうち分かりますよ。女性のデリケートなところが・・・。
144さんのレスを読んでいて、私も少し刺激されちゃいました(笑
ミニスカしてみよ〜かな。
T〇〇〇は無理にしても、少しおしゃれがしたくなっちゃいました(笑
と、思ったのですが、以前ストーカーに追いかけ廻され酷い目にあいました。
144さん大丈夫なのかな?
ストーカー防止はどうなんでしょうね?
>>186 髑髏様がお答えすべきか?私がすべきか?迷いましたが私がレスします。
人の視線は感じますが、遠巻きであまり寄ってきません。
また、状況によってはトイレで着替えをします。
そのままサッと出れば大体大丈夫かと思います。
もうそろそろ外出します。
ミニスカでTは初めてです。
家を出る時は、薄いコートを着ています。
髑髏様
>>181 >そして、家に帰って〇〇をする。
申し訳ありません。自分で勝手に逝ってしまいました。詳細は日記に書きました。
私は何も分かりません。
指導がありましたら、そのようにします。
今日のことは日記に書き込みました。
後ほどご査収くださいませ。
189 :
草レーサー:02/06/27 20:40
>>184 髑髏さん
>この概念こそがナザール・ジュナの中観論なんでしょうね。
いや、自分はその中観論もよくは知りません。しかし、ホントによく仏教を勉強して
いますね。自分は仏教に興味を持ち出したのはたまたま図書館で手にした「法句経」
でして、それが自分にも理解できる初めての仏教の経典だったのですね。
髑髏さんが好きな般若経も自分には理解できない。それにしても、よくあの様な漢文
の難しい経典の意味が理解できると思う。
法事の時なども、僧侶が唱えているお経が全く何を言っているのかわかりません。宗
派によってどんなお経を唱えているのだろうくらいはわかりますが…。
レースでも女性が華を添えてくれますよ。でも、自分には彼女達がデリケートには見
えないけど。。。時に厚顔無恥にさえ思えてくる。
190 :
名無しさん@1周年:02/06/27 20:55
睾丸と鞭、陰華と淫竜・・・
髑髏様。
私が勝手に逝ってしまった事をレスしてしまいました。
お仕〇きの事を想像してしまいます。
いつか、髑髏様の足元に・・・そんな事ばかりを考えております。
お許しください。
SM こそ、最大の経典だ! なっ! ここには、ハナシのわかる御仁が、たくさんいて
わしゃ、しあわせだ。日本国民の民意も、一日も早くこうなってほしいものだ!
193 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/28 06:44
>>189 般若心経の最後のほうなんですが・・・
「羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦」。いわゆる真言のところです。
サンスクリット語の音訳を中国で漢字に直したとこなんでしょうが、日本でしたらかたカタカナで充分なんでしょうね。
<往きて、往きて、彼岸に到達せよ、悟りあれ、幸あれ>
意味とすればこんなところなんでしょうが、宗派によっては「ソレ逝けドンドン」というのもあります。
般若心経は、いろいろな解釈がありますから一概には言えませんが・・・
私は、この真言の部分が非常に気に入っております。
自分への励ましになりますね。
般若心経は奥が深い。ギャティー、ギャティは飾り言葉かと思っていましたが、実は重要だったんですね。
先達の覚者に敬意をはらっております。
144さん
犬は縄張りを明確にするため、お気に入りの樹に決まって一日一回おしっこをするそうですよ。
きっと、ご主人様の事を思い浮かべながらするんでしょうね。
髑髏様。
Tは、初めてなもんですから違和感があります。
これから暑い季節になりますかから、そのうち段々馴れると思います。
日常生活では、Tではなくてノーマルで宜しいでしょうか?
教えていただきたく存じます。
今日は、散歩がてら素敵な樹を探したく存じます。
195 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/28 10:31
>>194 ノーマルで白または淡色系。
素材はコットン。通気性・吸湿性を考慮に入れるべし。
特に夏は、汗かきやすいので清潔には気を付けるべし。
つまりは、そういったテーマはTPOが大切です。
その状況において、私が一番素敵なものを考えて差し上げます。
196 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/28 12:38
主婦さん
ところで昨日は、何回くらい逝っちゃたですか?
私は、貴方の本性は見えております。
ご主人様に何をされたいのか?想像を膨らませていますね(ワラ
どうゆうコスチュームが良いのか?決めてもらいたい(ワラ
私の近所の捨て犬は、ご主人様を探して尻尾ふりふり近づいてきます(ワラ
>>196 >ところで昨日は、何回くらい逝っちゃたですか?
4回です。亭主とは違います。自分で・・・
>私は、貴方の本性は見えております。
恥ずかしいですけど、すごくうれしい。
>ご主人様に何をされたいのか?想像を膨らませていますね(ワラ
ええ、こういうスレには弱いです。
>どうゆうコスチュームが良いのか?決めてもらいたい(ワラ
お願いします。
>私の近所の捨て犬は、ご主人様を探して尻尾ふりふり近づいてきます(ワラ
そのとおりです。
自分でも、変わっているとは思っています。
198 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/28 16:01
>>197 4回とは逝き過ぎです。本来ならば尻への百叩きです。水ぶくれに確実です(w
まあ、2ちゃんですから良いとしても。ス〇べ過ぎます。
ス〇べ女は、それなりのコスチュームがあります。
白はいけません。これは清純なイメージですから、貴方には似合わないです。
暖色系に限ります。原色に近いものはお止めなさい。私の好みではありません。
この範囲でしたら貴方の自由にして宜しいでしょう。素材は
>>185参照。
間違ってもシルクはお止めなさい。あれは高貴のシンボルですからね、貴方には似合わない。
ちなみに、私のシンボル・カラーは「エンジ色上下揃い」です。よく覚えておいて下さい。
私に逢うチャンスがあれば・・・の話ですが。
それ以外は「質素」を旨とすべし。
199 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/28 16:11
ああ、そうそう大事な事を書き忘れました。
コットン100%でなくて宜しいんですよ。
化繊との混紡が良いでしょう。
髑髏様。
家を出る前は、足を上げてすることばかりを考えておりましたが、どうしてもそれだけは恥ずかしくて出来ませんでした。
髑髏様の怒っている顔を思い浮かべながら〇〇〇〇をしました。
まだまだ私は未熟者で御座います。
明日は必ず意向にそえるように頑張りたいと思います。
コスチュームの件、どうもありがとう御座います。
>>198 早速、髑髏様のシンボル・カラーになている素敵なのを買ってきました。チナミニ、ワコール
>ス〇べ女は、それなりのコスチュームがあります。
はい、そのとおりで御座います。
とてもうれしくおもいます。
202 :
草レーサー:02/06/28 21:15
>>193 髑髏さん
「ギャーテーギャーテーハラギャテイハラソウギャテイ」ですか?漢字が出なもので。(汗
しかし、漢文でさえ小難しいのに、サンスクリットとなるとお手上げです。
自分はお経に付いて疑問があるのですが「アーガマ」は、取り敢えず釈尊が弟子達に
説法したのもを伝承しようとして生まれて来たものだろうなあと思うのですが、唯摩
経とか般若経、華厳経、涅槃経、法華経のような仏典群は、誰がどのようにして書い
たんでしょうか?所謂、著者ですか?それと目的ですね。
仏典の決まり文句として「私はこのように聞いた…」で始りますが「アーガマ」に付
いては釈尊の語ったことを聞いていた弟子達が記憶を頼りに文字化したと言うことで
理解できるのですが、唯摩経などは、完全に創作だと思うし、般若経にしても、その
出所がイマイチわからないのですよ。
誰かが、何かの目的で書き記したことは間違いないのでしょうが。
>先達の覚者に敬意をはらっております。
この覚者には固有名詞があるのですか?それともそれぞれの体験を基に
集団で検証しながら書き残したのでしょうか?
205 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/29 06:47
>>203 ダウンロードするヤシですね。
「鑑定」のほうに廻しておきました(w
>>202 仏典の一番古いものでも、滅後100年経過してますからね。
この100年というのは釈尊の「書きしるさず」を忠実に守った貴重な年代かと思います。
比丘たちが結集して文献として残したのは、いわば「造反有理」。センセーショナルな事だったんだと思います。
>この覚者には固有名詞があるのですか?それともそれぞれの体験を基に
>集団で検証しながら書き残したのでしょうか?
般若心経は、いわば大般若経のエッセンスなのでしょう。
そういう意味では、心経はシンプルな内容ですが中身は濃いかと思います。
おそらくは、比丘たちが相当な時間をかけて編纂したものと推測してます。
釈尊の「書きしるさず」の源流を鑑みまして。
般若心経のようなシンプルな経典が良いのではないか?そう思っております。あとは「内省」がメーンかと思います。
心経もそういう訳で、あくまでも「書き記した場合」という前提がありますから。
そういう事を加味したうえで解釈しております。
206 :
草レーサー:02/06/29 08:40
>>205 髑髏さん
般若心経は、法華経とならんで人気のあるお経ですよね。「アーガマ」にした
ところで、釈尊涅槃後100年くらい経過しているんですよねえ。
この期間というのは、学者達も仏教の外側からアプローチするしか推察する方
法がないらしいですね。しかし、この期間というのは非常に興味があります。
釈尊を失った仏教、サンガが試練の中でその智慧を試された期間だと思うので
すよ。「お経」もその智慧の一つなんだと思います。でも、口伝時代から記録へ
と移行する時も、サンガに相当な混乱があったものと推測するのは難しくない。
初めて「お経」がこの世に記される時も比丘達にも賛否両論で分かれてしまった
事だろうと思われますよね。
これらの問題は、釈尊一人がいれば生まれてこなかった問題だったのでしょう
が、釈尊も人間、いつまでもサンガを守っていけるとは思ってもいなかったで
しょうし、自分の寿命も分かっていたと思うのですよ。
サンガというのも一種の組織なのでしょうが、この場合後継者を置くのが常套
手段だろうけど、そこに付いて仏典からは釈尊の明確な意思決定が覗えない。
一説によると、サーリープッタが実質的にサンガの長になったというのも頷け
るが、ここのところ明確な釈尊の意思が残っていないのが面白いといえば面白
い。釈尊が本当に望んでいた事は、組織としてのまとまりなどより、一人一人
の自律的な涅槃の実感だったのかもしれませんね。組織をどうこうしようとい
うのは二の次だったのかもしれない。その辺りの釈尊の智慧がどういうもので
あったのか非常に興味があるのですよ。組織的なしがらみの中で右往左往する
現代人は組織を優先せよ、集団を尊重せよ、と仕込まれ過ぎて大分参っている
ところですから。(w
207 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/29 09:15
>>206 >組織としてのまとまりなどより、一人一人
>の自律的な涅槃の実感だったのかもしれませんね。
仏・法・僧であっても、最終的には自律・自由への導きが仏教のベースかとおもいますよ。
>組織的なしがらみの中で右往左往する
>現代人は組織を優先せよ、集団を尊重せよ、と仕込まれ過ぎて大分参っている
経済機構の中に喰いこまなければ生きていけないのが人間でしょうからね。
話は変わりますが・・・・
「とおりゃんせ とおりゃんせ」の童謡は、あれは天神様の境内に我が子を捨てに逝く親の心境を謡ったものらしいですね。
「かごめ かごめ」の「うしろの正面だぁれ」は、死産の子の背後霊の意味らしい。
童謡においても、こういった人間の哀しさみたいのが継承されているんですね。
その時代にあっては、飛ぶ鳥をなんとウラメシク思ったことでしょう。
「一切皆苦」は、そういった時代・歴史から考えていかねばならんでしょうね。
208 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/29 09:22
コピペ
昔、貧困から子供を捨て、その子供が道で餓死していたり病死していたり、
という光景が日常茶飯事だったらしい。
そんな時、天神様を奉っている神社の神主さんが、捨て子を拾って育ててくれている、
という噂が母親たちの間で流れ始め、神社に子供を捨てる母親が続出。
根も葉もない噂と、境内に捨てられていく子供に困り果てた神主は、
神社に続く細道に見張りを置き、母親が子供を捨てに来ないようにした。
「御用の無い者通しゃせぬ」といわれ、
「この子の七つのお祝いにお札を納めに参ります」と嘘を付き、通る母親。
行きはこのような理由付けで通るから良いが、帰りは母親1人なので、
みんなに「子供を捨てた」と後ろ指差されるのが怖い。
209 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/29 09:24
コピペ
「かごめ、かごめ」=籠女、籠女。妊娠してる女の人のこと。
「かごの中のとりは」=かごの中は母親の胎内。つまり、「とり」は赤ちゃん。
「いついつでやる」=そのまんま。何時生まれるのか。
「夜明けの晩に」=夜明けの晩。そんなものはない。あの世のこと。
「鶴と亀が滑った」=良い物の象徴が滑った…妊婦は流産してしまった。
「後ろの正面だ〜れ?」=後ろを振り向くと、水子の霊が…
210 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/29 09:36
>>203の鑑定結果が出ました。
>修正有りエロ動画 縄で縛ったりしてます PC的には無害
だ、そうです。
安心して観てくらさい。
このプレイを楽しむ人に一言。
これから夏になります。縄アトはそう簡単には取れません。
「その後」がありますから、それを考えないと非常にヤバイかとおもいます。
211 :
草レーサー:02/06/29 10:47
>>207 髑髏さん
例えてみれば、釈尊は仏教の親ですね。人の子の親でもあった。仏教では
簡単に「捨てよ」というけど、そう簡単に捨てられるようなものじゃない
ですよね。人間の心情として、そこには語り尽くせない「想い」があるも
のです。
釈尊は自分の子供も妻も国も捨てたし、仏教も捨てた。しかし「捨てた」と
一言で片付けられるようなサッパリしたものではなかったと思いますよ。
語るか語られないかの違いでしょうね。この語られない部分と言うのが実
は膨大なものであり、内実というものであろうと思います。
「はなし」にしてしまえば、それだけですが、それだけで済ますような事
は人間の「情」が許さないのでしょうね。
>「一切皆苦」は、そういった時代・歴史から・…。
現代は、人間の死を隠そうとしますよね。現実に人間は死んでいるのです
が、それを覆い隠そうとする。現代の若い日本人にとって「死」と言われ
ても実感というより、概念的なものでしかないでしょうね。でも、それさ
えも否定し様としているようです。「氏ぬ」とか「氏んだ」とかは、よく語
られていますが、実際の言葉の意味からは逸脱したものになっていて、死と
か死別の概念さえも空虚なものに成り果てているように思いますね。
実際に様々な経緯で直接「親しい人」を奪われてみたり、自がそこまで追い
込まれでもしない限り分かれといっても無理でしょうがねえ…。
かつて、日本の幽霊といえば陰質なドロドロした情念として形象化されてい
ましたが、それすらも変わってきているのかもしれませんね。しかし、それ
はどうなってしまうのでしょうね…。
「情」はある意味恐ろしいものだとおもうんですよ。問題が起きるのは多く
の場合、人間の「情」からですからね。だから、手っ取り早く「情」を抑圧
するのかもしれませんね。でも、そうするとお化けになって復讐される??
インテリがDQNに悩まされるのは、まさにこの構図でしょうか。DQNは
殺しても殺しても生まれて来る。ゾンビのように。。。インテリもDQNも
特定の誰かではありませんが。。。
仏教でいう「捨てる」というのは生半可なものから生まれて来た言葉だとは
思えませんね。苦肉の策、それさえもこえて最後の手段なのかもしれない。
212 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/29 13:27
>>201主婦さん
>>ス〇べ女は、それなりのコスチュームがあります。
>はい、そのとおりで御座います。
>とてもうれしくおもいます。
これはとても優良レスかと思いきや、そうではありませんよ。
つまり、それで認めてしまったんじゃ〜自己慢とかになってしみますからね。
「利き手」は、いわゆる「奉仕」なんですよ。尽くさねばなりません。
「利き手」を自分の為だけに使ってはなりません。
「利き手」が右でしたら、左手で逝ってくらさい。お願いしましたよ。ショウガナイデスネ(w
今日中に実行してみなさい。まあ、何か発見があるかもしれません。
髑髏様。
今日、昨日の場所でお〇っこをしてきました。
片足を上げて、〇になったつぬもりで、髑髏様を思い浮かべながらしてきました。
しおわった後、全身に走る〇〇。忘れることができません。
スカートを濡らしちゃいました。
そそのまま家に帰ってきました(笑)
215 :
名無しさん@1周年:02/06/29 18:24
いつの日か髑髏様に、首輪の紐を持って頂いて、今日みたいな事をしてみたい。
イ〇のように連れ回されたい。
本当は、自分が恐い。これ以上エスカレートして大丈夫なんでしょうか?
髑髏様をア〇しております。
217 :
名無しさん@1周年:02/06/29 20:27
>>212 >「利き手」が右でしたら、左手で逝ってくらさい。
これって、すごいです。
以下・・・・・・
144さん、一度、永田町のじ0ん党・カンジチョー室へいらしてください。ご招待します。
よかったら、「主婦」サンも、ご興味ありましたら、いらしてくだされば。
カンジチョーも、お喜ばれるかと思います!
>>219 >・カンジチョー室へいらしてください。ご招待します。
そうね・・・
優しくされるのは苦手なのよ。レスありがとう。考えておきます。
髑髏様。
私の女の印は7月の第1週週末頃です。
その頃に予定しておりました〇〇は、縄痕が気になります。夏ですから・・・
お尻の〇〇でしたら何時でもOKです。
あと、首輪もOKです。
7月の、夏休み頃が良いかな・・・
学生じゃないんですけど、いろいろ余裕ができるんで。
221 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/30 19:21
144さん
貴方は、これから段々調教していきますからね。
私のぺ〇トとして可愛がってあげます(ワラ
主婦さん
メンソレ−タムとか、メンソール主体の軟膏を「女」のところに塗り込みなさい。
222 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/30 19:55
>>211草レーサーさん
>仏教でいう「捨てる」というのは生半可なものから生まれて来た言葉だとは
>思えませんね。苦肉の策、それさえもこえて最後の手段なのかもしれない。
貴方も家庭をお持ちなら分かるかと思うのですが・・
自分の命であっても、自分勝手には「生死」を決められないですね。責任というのがありますからね。
これが「自他不二」。この延長として地域社会→郷土→世界へと繋がる。まあ自然なことなんでしょうね。
>仏教でいう「捨てる」
もともとが「すてるものは無い」。
太平洋戦争中は「無かった」んでしょうから、生を受けて「我というのを認識しだした」。
それだけかと思うのです。
「我というのを認識」して「ある」と思うようになった。
そういうふうに思うのです。
「ある」か「ない」か?ここのところを一如というふうに言うんでしょうね。
生死一如。「ある」とか「ない」が一如というのはこれなんかと思いますよ。
釈尊の十無記は、いわゆるこういう事だと解釈してます。
ここのところを突っ込んでも、いわゆる「迷うばかりなり」と道元なんかは逝っております。
223 :
某政治家の元愛人:02/06/30 23:19
わたしは、いろんなプレイをやらされました。しかし、しかし、5年にわたる関係の中で
とうとう一度も、いわゆる本番と言われるわたしのあそこに彼のいちもつを入れる行為を
彼は彼は、しなかったのです!
ここにおられるお詳し〜い先生方、どなたか彼の心理状態を解説していただけないでしょうか?
224 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/30 23:55
>>223 SMは、100人いれば100人全部違うと思ったほーが良さそうです。
私の経験(というか見聞もありますが)ではM女は必ずしもセク−スが「好き」というのは微妙です。
それはSでも同じですね。
20代のM女で、65歳以上の男性が好み。というのもありますからね。
まあ、大体はどういうプレイが好きなのか?は分かります。
まあいわゆるセクースだけの関係ではないでしょうね。
まあ男性は一回抜いて、2度・3度くらいは挑戦できるんでしょうけど、
それだけじゃ〜なんとなく侘しいもんがあるんでしょう。
そこのところが、いわゆる「知性のセク−ス」と言われるSMの世界なんでしょうね。
225 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/30 23:57
これにて落ちます。
226 :
名無しさん@1周年:02/07/01 00:04
往ってヨシ!
227 :
名無しさん@1周年:02/07/01 08:45
私は(女)中学時代に、イジメで数人の前でパンツをぬがされました。
最初の頃は泣きたい気分だったのですが、段々馴れてくると平気になってきて
やがて、それを楽しむようになりました。
男子生徒がそこに居なかったのも気をゆるせたのかと思います。
私のそういった性癖?を見抜かれたようで、イジメッ子は段々私から離れていきました。
それ以来イジメが無くなりました。
社会人になってから、普通の生活です。
このスレは良い(笑
228 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/01 09:34
>>227 そういった類の話は付きものですね。
で、これがキッカケでエスカレートしていく。
Mは、なれないうちはドンドン言う事をきいていきますから、それに乗じてSがエスカレートそますとヤバイです。
例えば首を絞めるんでも、間違って気管を絞めちゃうと大変な事になります。
Sは、ある程度セーブが効きませんとリスクがあるかと思います。
229 :
名無しさん@1周年:02/07/01 09:42
長らくご愛顧いただきましたが只今を持って、
このスレを閉鎖いたします
今後、このスレッドは大耳モナーが嫌々管理しますので、
コレ以降の書き込みを禁じます。
やる気はありませんが、なんら問題はありません。
タリー
タリー タリー
(\_/) タリー
( ´Д) タリー タリー
/ つ (\_/) (\_/)ノ⌒ヽ、
(_(__つ⊂(´Д`⊂⌒`つ(´Д` )_人__) ))
髑髏様。
昨日の場所でオ〇シ〇コしちゃいました。
その後、同じ場所でしゃがんでオ〇ニ〇しちゃいました。
しているところを監視してもらいたい。
これで良いんかなぁ〜?
もし駄目だったら調教してね・・・。
× オ〇シ〇コしちゃいました
○ おしっこしちゃいました
どーでもいいがどーゆー議論なんだ、ここは。
>>232 カンジチョーを交えセイジの話ですが、何か?
234 :
草レーサー:02/07/01 18:35
>>222 髑髏さん
日常の、なにげない時に、ふと黄昏てしまうのは誰にでもあることだと思う。自分の
場合も、人の情けやあたたかみですかねえ、そういうものが全て流れていく光景がと
ても心を滅入らせる事がある。人が何かに注ぐ愛情が、全て見当違いなのもなら、人
間が流す涙も心の苦悩も、見当違いなものかも知れないと思ったりしましてね。
世では色々な喜悲劇が繰り返される。まさに人生劇場なのでしょう。しかし、劇や芝
居はつまるところ現実ではないわけですよ。芝居の中では泣こうが苦しもうが、全て
作りもです。しかし、この世で大切な人を失って流す涙も、心の絶望も、決して作り
ものだなどと誰も言えないでしょうし、自分も言えない。
まあ、誰にでも一つや二つはあるかもしれませんが、自分にも心の中にどうにもなら
ない絶望のまま、止まってしまっている時間というものがあります。
それに付いては誰が何と言おうと自分が納得しない限り動かす事はできない。だから
だれでも自分なりの納得する答えを懸命に探しているのでしょう。
207レスの「とうりゃんせ」で、その辺の感情が動き出したわけです。人間には生
も死も、どうすることもできない時がありますね。本当に、どうする事も…
さっきまで居た人が、いなくなってしまう。家族の絆で結ばれていたのに、血を分け
あった兄弟なのに、同じ時間を共有して感情までを共有した親友なのに、今はいない。
世界の何処を探しても、もう彼らと話す事さえもできない。子供のようですが自分に
はそれが信じられない部分があるのですね。どうしても、受け付けない部分があるん
です。自分は少し多く、大切な人を失ってきたのかも知れません。
222レスは興味深く読ませてもらいました。自分も、答えは分かっているような気
もしています。しかし、まだ迷いは尽きない。何か「申し訳ない」ような気がしてき
ましてね…。その辺は少し複雑です。
235 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/01 19:44
草レーサーさん。
>222レスは興味深く読ませてもらいました
実は222レスは、私の一番アピールしたい部分なんですね。
ところが私の意見というんのはアウトロー的に見られちゃう。そこのところが非常に残念なんですね。
つまり、釈迦が「無記」と言うたら「無記」で良いんですね。
それ以上探求せんでも良いと思っているんだすよ。
探求するんであれば「造反有理」なんかと思うのです。
師匠(釈尊)が「分からん」と言うておるんですから、それ以上仏教を勉強しても「分からん」のです。
まあ、こういう事を私が言うもんですから、キティ扱いにされちゃってる部分もあるんでしょうが・・・。
現時点においての仏教の捉え方というのはこういったところです。
私がそもそも仏教に傾倒していったのは「生死一如」という熟語に非常に惹かれたというのがあります。
仏教のベースというのは、やはり「一如の法門」かと思います。
これなくして何を語らんや?
つまりは非常にシンプルな世界観かと思います。
236 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/01 19:51
235レスは、
草レーサーさんが、私の意見に興味をもって頂いて有りがたい。
という意思表示ですね。
微妙な内容ですので了承ください。
237 :
このスレの見所:02/07/01 23:19
モンダイは、いつ髑髏仮面師が草レーサー氏に「真言立川流」ばりの ドクロ・ワールド に
入会さそうとするかです!
茶道夫人 は、もうここへは訪れないほうがいいと思いますが・・・ ついまた、こちらにカキコ
したくなって禁断の門を開いてしまうのか? 運命や、いかに!!!
カンジチョー、あんたその書き方やめてくれねえか。わざわざ、カタカナで書くな! この変態幹事長めが!
238 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/02 06:47
>>237 >モンダイは、いつ髑髏仮面師が草レーサー氏に「真言立川流」ばりの ドクロ・ワールド に
>入会さそうとするかです!
あーーーーーーっはっはっはっは。
私は、そーいう気は一切ないのだよ。貴殿は少々勘違いをなさっているよーだね(w
私の生活環境がSM愛好家の溜まり場になっているだけの話。私がホスト役になっている訳ではない。
つまり私は、いうに茶道においては師範級。よって席料は頂くがそれだけの話。
旅館業ではないので宿泊はタダ・・・・
そういった恵まれた環境に目をつけたのが、いわゆる「その道のマニア」とう事になっただけの話。
野菜は豊富。肉・魚などを持ち込めば気兼ねなく遊べるということでしょう。
SM愛好家の悩みは、ラブホテルでも専門のホテルはすくないし、ましては料金が高い。
当然、私みたいなところを活動拠点にしたがる。
ヌードになって、バーベキュー・パーティーを気兼ねなく出来るところはそうないだろう。
しかも食材は持ち込み。時間制限なし。料金は無料。野菜はただ。
こんな上手い話はない。ということなんでしょう。
よって、私は「草レーサー」さんを誘う気はありませんよ。
週末になれば、そういった連中が自然に私の家に集まるのですから・・・
そういった連中が勝手にpiayしているだけの話です。
239 :
草レーサー:02/07/02 07:30
>>237 御心配は無用ですよ。自分は髑髏さんを高く評価していますが、だからといって無比
判というわけではないし、彼ら以外にも自分が目を見張るレスが時に目に入ります。
かつて、自分にとって大切な人を失った時、大枚をはたいて俗に言う「霊能者」と言
われるような人々の中を歩き回って色々と衝撃を受けた時も、自分の中にある疑問を
手放しませんでしたから。その辺はお伊達も脅しも受け流して、自分にとって貴重と
思える情報を頂戴するに留まる姿勢でしたね。勿論、こちらは礼儀を尊守します。
240 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/02 09:19
>>230144さん
>これで良いんかなぁ〜?
>もし駄目だったら調教してね・・・。
自分で勝手にオ〇ニ〇して駄目なんですよ。
客人のいる場合は、皆さんに公開しなければ勿体無い。質素を旨としてますから。
皆様に歓んでもらうのが・・・・自他不二。自分だけ逝っちゃたんでは駄目ですね。
良い場合もありますが、それは私が判断します。
今回の件では、私がその場におりませんでしたから、状況とすればそんなもんで宜しいかと思います。
さんざん、貴方のマ〇コを可愛がってあげて下さい(ワラ
241 :
名無しさん@1周年:02/07/02 12:30
ところで、このスレ立てた「ターラー」さん。まさか、ここが
こんなスレになるとは・・・・・夢にも思わなかったのでありましょうか。
ぜんぜん、お見かけしないのですが。 あまりのショックに・・・・・・
髑髏様
>>240 >客人のいる場合は、皆さんに公開しなければ勿体無い。
皆様の前で「する」のは、かなり心が動揺するかと思います。
もし、あがってしまって髑髏様に恥をかかせたらどうしましょう?
その事ばかりを案じております。
その時は、髑髏様がカバーして下さい。
いかようにも、おまかせします。
243 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/02 18:27
茶の湯について
梁(はり)に〇〇をぶら下げるのは、なにもエロティシズムを強調している訳ではありませんよ。
ぶら下がっている場所でたまたま茶会をしている。ということでして・・・
ぶら下がっているか?ぶら下がっていないか?それも一期一会。おんなじことです。
つまり、風景そのものが無限なる「わび」の世界です。
〇〇そのものが無限に溶け合った「わび」そのものです。
よってこれらに感動するのは、いたって女性が多いですね。感性が豊かなんでしょうか?
女性の方から「縛ってホスイ」等と言われてしまう事たびたび。
いうなれば「花電車」。そんなにグロでもない。
見るだけで乗せない→花電車。昔、浅草あたりに走っていたそうです。花電車(ワラ
髑髏様
>>243 私は、茶道の方の理解がたりませんでした。
私の考え過ぎです。
お許しください。
>193
>「羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦」。いわゆる真言のところです。
>サンスクリット語の音訳を中国で漢字に直したとこなんでしょうが、日本でしたらかたカタカナで充分なんでしょうね。
><往きて、往きて、彼岸に到達せよ、悟りあれ、幸あれ>
この解釈は古いのではありませんか?
かつてはgateは「彼岸にわたれ」との訳語があてられておりましたが、現代では「悟れ」が一般的かと思います。
ちなみに私の訳は
「悟れ、悟れ、より悟れ。より完全なる悟りを得よ。悟るって素晴らしいなあ」
それで般若心経の大意を一言であらわすと「悟れ」
>202
あれ?
アーガマはルートガムに否定を意味するアーがついて「やってきたもの」
遥か遠い地から来た経典という意味だったはず。
>203
>般若心経は、いわば大般若経のエッセンスなのでしょう。
「いわば」ではなく、大般若経のエッセンスそのものですが、何か。
>241
このスレの本来の目的を果たせて本望です。
おかげで少なくとも仏教@質問箱は荒れずにマターリ進行中。
246 :
名無しさん@1周年:02/07/02 20:34
無明を縁とし此の世に生を受け
無明を解き明かして彼の世に逝く
般若心経の精髄は、ずばり無明の秘密のベールに触れること
それは
太古の宇宙創生より鳴り響く、血沸き肉踊るシヴァのダンス
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
>246
>無明の秘密
煩悩の秘密ってなんですか
教えてください
あと最後のボーディスバハーを忘れてはいかん。
やっぱりエンディングにはマンセー! と叫ばないとね。
248 :
草レーサー:02/07/02 21:29
そもそも自分は宗教などは集団や団体で考えるのは善くないだろうと思うのです。
そこは武道のようでもあり、どこまでも個人的で、また内面的なものだと…。
自分の原点を集団や団体、或いは教祖様のような訳の分からない象徴に預けてし
まうようなものだと思うのですよ。そうすれば結果的に自分自身に対する誠実さ
も薄れて誰かの一部に成り下がってしまうと思うし、依存心も増幅していくだろ
うと思うのですね。
ただでさえ自分達文明人は集団や組織、或いは権威などに弱くて環境的にもその
ようになっていて自分と言うものを表現するのが非常に困難な状態ですから。
人それぞれ宗教に関る動機も様々でしょうから、一概にはいえないですが、宗教
団体や教祖様などに自分を奉仕するくらいなら、レースをやっていた方がずっと
マシだろうと自分は信じています。自分をギリギリの処まで試せる環境がレース
にはあるのですよ。極限状態に追い込まれ、真っ白になって動いている時の充実
感は世の全てのものを凌駕していると思います。
もし、誰かこれから宗教団体に入信しようと考えている人がいるなら、スポーツ
などで汗を流した方がいいのでは?とアドバイスしますね。自分の周りにはそう
いうものに頼ってしまう人がいないのですが。
自分が「霊能者」巡りをした時も、同じアドバイスを友人から受けていたっけな。
ただ自分としてはどうしてもその問題に決着を付けなければならなかったので静
止を振り切って行動しましたが…。でも、自分なりの決着をつけて、それで終り
でしたね。本物と出会ってもそれはそれでケリをつけてしまった。後は自分の人
生の中で答えを出す以外にありませんからね。
249 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/02 21:32
>>245 >この解釈は古いのではありませんか?
あいすいません(w
>「悟れ、悟れ、より悟れ。より完全なる悟りを得よ。悟るって素晴らしいなあ」
う〜ん。これも素晴らしい。
>「いわば」ではなく、大般若経のエッセンスそのものですが、何か。
おそれいります。
>このスレの本来の目的を果たせて本望です。
光栄です(w
>おかげで少なくとも仏教@質問箱は荒れずにマターリ進行中。
機が熟したら、参加しとう存じます。
250 :
草レーサー:02/07/02 21:46
>>245 「遥か遠い地から来た経典」と言うのは具体的にどういう意味なんですか?
アーガマというのは伝承という意味だとこちらは記憶しています。
つまりは釈尊の説法を弟子達が記憶を頼りに文字化して後世に伝えるもの
という認識なのですが。
>250
アーガマの成立由来について語っているか、アーガマという単語の文法的解釈かの違いという罠
>249
あれ?
仏教@質問箱と同一人物ですか?
レスのかんじがまるで違う。
252 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/02 21:59
>>251 @質問箱よりコピペ
42 :髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/25 13:18
>>39 >顔に裏なし。
あーーーーっはっはっはっは
あーーーーっはっはっはっは
髑髏仮面は、二つの顔を持つ男。
253 :
名無しさん@1周年:02/07/02 23:11
>>247 >無明の秘密
お釈迦様のためらいのことです
梵天様は偉い!!
どう、シンプルですてきでしょ。(*^o^*)
追伸:菩提薩婆訶 般若心経
254 :
ビデ倫、リン♪:02/07/03 00:47
エスエム話あり、仏道あり
成人向きスレッド指定にして、いいですか?
255 :
草レーサー:02/07/03 07:40
>>245.251
分かっているなら245で「あれ?」などととレスして来た意味がないでしょ。
まあ、こっちとしてはそういう問題にはあまり関心がないと言っておきましょ。
髑髏様
>>243 >見るだけで乗せない→花電車。
髑髏様の、お心のままに・・・・その方が嬉しいです(ニッコリ
そのうち、〇〇のお印である首輪を付けて、髑髏様の足元に近づきたくおもいます。
257 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/03 09:55
>>256 週末には大抵パーティーがあります。
露出する人、しない人いろいろです。
それは全く自由です。
是非お越し下さい。食材・席料は花代で棒引きです。
いわゆるスペシャル・ゲスト。善男善女がお待ちしております。
258 :
公然わいせつチン列罪:02/07/03 12:12
いいか、もちょっと泳がしておくんだ! そうすりゃ、もっと一網打尽に検挙できる!
おれも、お前も昇進、昇進。冬の賞与、期待しとけよ。
259 :
ハイ、けーぶ!:02/07/03 17:05
淋・病・棟・遮・開(陳)・陳・(陳)列・罪・漸?
髑髏様
>>257 >いわゆるスペシャル・ゲスト。
うわぁ〜、うれpi。
お誘い受けるなんて・・・嬉しいですぅーーーー。
あっ、そうそう髑髏様が望むなら「吊るし」もOKよ。
長袖のブラウスでなんとか誤魔化します。
今度の土曜日逝きますね。→カナラズ
261 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/03 19:21
>>248草レーサーさん
>真っ白になって動いている時の充実
>感は世の全てのものを凌駕していると思います。
茶道においても同じ事が言えるかと思いますね。
利休が、自刃してまでも守ろうとしたものは何か?
秀吉に、何故謝らなかったのか?まあ、謝る理由などもともとありませんが・・・。
利休は後世に何を伝えようとしたのか?
私の「茶道」というのは、いわば利休に教えを乞うているんですね。
自らが利休を模倣して、利休の心に触れたい。こんなところでしょうか?
これは武道でも同じ、瞬時(ここが禅における無我に通じるやに思う)の勝負です。
禅における「即今即所」⇔「武道」⇔「茶道」⇔「一期一会」。
その時に、自らが会得せにゃならんのでしょう。
これは瞬時。
貴方も同じかと思います。
262 :
草レーサー:02/07/03 22:01
>>261 髑髏さん
いや、レスが飛んでしまいましたが、そうなんですよ。234で「答えはわかっている
とも思う」と書いたのはその辺ですね。自分がどうしても躓いてしまう問題。「無常」と
「執着」の間の葛藤…。
聞いた話なのですが、弓道の達人の下へ射撃の名手が弟子入りしてきたということなの
ですが、射撃の名手は物凄い意思の集中で的に命中させているのに対し、弓道の達人は
真っ暗闇の中でも的に命中させる。これは彼の想像を絶する世界だったのですね。
自分も、マシンを走らせている時、全てがオートメーションのようになる時がありまし
てね、そう言う時は非常に巧みなドライビングをしているんです。最初の内は無が夢中
でそんな事に気付きませんが、それが自意識で確認できるようになると、かなり面くら
います。「あれはなんなんだ!」というように。
これは自分だけの特技でもなく、レーシングドライバーになり、ある程度経験を積んで
くると誰でもそういうものを経験するみたいですね。ここで下手に考え込んでしまうと
もう出来なくなってしまうのですよ。ツキに見放された様に。レーシングドライバーと
してあるところまでいくと、この関門を突破しなければ勝つこと以前に、満足にマシン
を走らせる事すら間々ならない状態に逆戻りしてしまう。
髑髏さんにはもう自分が何をいいたいのか分かっているでしょう。自分も分かっている。
ただ、自分の場合、分かっているのに態々迷いの道に入って行く愚かさがある。
「それ以上の追求はただただ迷うばかり」まさに然りだと思います。無常のままで、そ
の中で生きればいいだけなのにね。「捕える」という愚に向かっては迷っている。
263 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/03 22:31
>>262 >弓道の達人は真っ暗闇の中でも的に命中させる。
合戦は馬上において敵を射る場合もあるんでしょうから・・・ましては暗闇でも・・・。
しかしながら、この世界は驚嘆しますね。弓道。想像してたより奥が深いんですね。
>ここで下手に考え込んでしまうともう出来なくなってしまうのですよ
これは経験的に分かります。
>髑髏さんにはもう自分が何をいいたいのか分かっているでしょう
ええ、だいたい分かります。
>無常のままで、その中で生きればいいだけなのにね。「捕える」という愚に向かっては迷っている。
そうなんですね・・・
つまり、もし輪廻があるなら、輪廻からの解脱を「拒否」して「あえて」この世に「生まれたい」という選択肢もあるんで、
なにも一つの価値観に固執することも無いんではないか・・・というのが私の考えです。
蓮の葉っぱの上でただ座っているのが良い事なのか?
「苦」なのであれば、又その中にあって楽しからずや。蓮よりはましだろう・・。なんて事も言える訳です。
>。「捕える」という愚に向かっては迷っている。
これはそういう意味かと思います。
264 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/04 06:21
>>260 私は質素を旨として、食べるんだったら豚肉なんですよ。小間肉は安いんですがあえて贅沢してモモ肉。
豚は好きなんです。雌〇も従順なんだったら飼っても良いかな・・・・。
牛は、尋牛と申してあまり食べることは考えないですね。あえて出されれば食べますけど。
人間が、虚飾を剥いで裸で食事をしているところを観たことありますか?
あれはエロチシズムというのとは又違います。
「生きる」ことの基本である「喰う」こと。このありのままの姿です。
私がコメントするまでもなく、そこには崇高な人間のありのままの姿。感慨深いものを感じ取れば宜しいかと思う。
これは人それぞれ、自分の心のままで受け止めれば良いんです。
265 :
草レーサー:02/07/04 07:44
>>253 髑髏さん
>何も一つの価値観に固執することもないんではないか・・・
>葉っぱの上でただ座っているのが良い事なのか?
う〜ん、やっぱりそういうことなんですねえ。輪廻からの解脱など、人間が「これ
さえあれば」とか「これさえなければ」という、ただ一つの概念にとっ捕まってい
るのは明らかに不自由。何かを求める、或いは捨てる。そこから更なる自由へ向か
っていくには、全く違う原理の中に見出せるんでしょうね。「ただ…」の世界なの
かもしれない。
>「苦」なのであれば、又その中にあって楽しからずや。
これは矛盾のように見えるが、生きている智慧そのものだと思いますね。
自分自身でありながら「捕えること」ができないもの…。
ただ、そのままに受けて感じていればいい。あーだ、こーだ、言う遥か
以前にここのところが既に答えているのかもしれないな。
266 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/04 09:19
144さん
パーティのコスチュームをカキコしときましょう。
Tタイプのショーツ。色は白。
ブラジャーは、同じく白。これはアンダーウエアですから、間違っても水着ではありませんよ。
「場」がしらけてしまいますからね。
剃毛処理は私がやって差し上げます。
この時に、ピアスをはめ込みますますから。
この時点で大抵は「洪水」状態。大体が顔を赤らめます(ワラ
雌〇になった瞬間の境地と察せられます。
他の方に、この歓びをわかちあうため数人の立会人を配置します。
女性の方もおります。
267 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/04 09:28
真言立川は、この溢れた愛液を髑髏にかけるらしい。
う〜ん。奥が深い。
268 :
山崎 拓さま、御用達:02/07/04 09:59
わがほうにも、ご参加あれ!
7月は、「アフリカとくしゅうーーーーーーー」
なんと、なんと、なんと映画「ブッシュマン」出演のニカウさんをスペーシャルゲスト
女性の方は、ノーブラにてお越し下さいませ。
ドクロ様も、よろしければ。まだまだ、至らぬ点が多々ありますので、お気付きの点が
ございましたら、ビシッビシッとアドビャーイスしていただければ、嬉しい次第であります。
髑髏様
>>264 >豚は好きなんです。雌〇も従順なんだったら飼っても良いかな・・・・。
うれしいです。愛〇にしてください。
髑髏様に改造してもらいたい。
髑髏様
>>266 >剃毛処理は私がやって差し上げます。
髑髏様にして頂けるなんて、とてもうれしいです。
あんまし刺激的なレスなんで「濡らしちゃいました」。ゴメンナサイ
270 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/04 11:59
>>268 >女性の方は、ノーブラにてお越し下さいませ。
ブラしてないと、ブランブランしちゃって結構大変らしいですよ。
特に走るときなんか。ブランブラン揺れ動くらしいです(w
乳首のところにピアスを付けて、糸で重しを付ければ女性は歓ぶかもしれませんね。引っ張られて・・・。
一度試してはどうですか?金がかからんし。
>>269 >髑髏様に改造してもらいたい。
包皮切除する人もいますね。あれは結構いいらしいですよ。
髑髏様
>>270 >包皮切除する人もいますね。あれは結構いいらしいですよ。
私は敏感過ぎるんですよ。ジカに触ると強すぎちゃって。これも困りもんです(笑
髑髏様にそこのところはお任せします。
たぶん感じ過ぎちゃうというのは、私があまり男性経験が無いからかと思うのです。
親が某宗教の敬虔な信者でしたから貞節を守ってきました。
オ〇ニ〇も、ある種罪悪感がありましてショーツの上からしていました。
そんな訳で、いたって男性には不慣れです。
というか男性経験が無いんです。恥ずかしいんですけど。
レズの経験はあります。学校が「それ系」でしたから。
これって議論なんですか?
こ う か い ち ょ ー き ょ ー と ち が い ま す か ? ?
でも、面白いな(爆)。
とりあえず続けて。
ただ、他スレに波及させないでね。<関係者さん達
髑髏様
レズの相手と砂遊びをしていて、砂がショーツの中に入ってしまったんですよ。
その時からなんとなくMの感覚が芽生えたと思っています。
レズといっても学生ですから、そんなハードな事はしていません。
その子とは卒業と同時に別れたんですが、やはりMの傾向が強いみたいです。
274 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/04 16:53
>>272 >これって議論なんですか?
ドキュメンタリーかな?
>でも、面白いな(爆)。
そうですか・・・。
>とりあえず続けて。
あい。
>ただ、他スレに波及させないでね。<関係者さん達
心のおもむくままに、その心にて・・・。
>>271144さん
>というか男性経験が無いんです。恥ずかしいんですけど。
恥ずかしいことは無いです。
ただ、初めてのセク−スは時間がかかります。
いわゆるこれは公開するような「しろもん」ではありません。
醜態を晒しますから・・・。その状況において私が考えます。
髑髏様
>>274 >いわゆるこれは公開するような「しろもん」ではありません。
うれしいです。
やはり、私初めてですもの髑髏様と2人きりになりたい・・・。
ゴメンナサイ 気を使って頂いて・・・。
276 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/04 20:44
>>265草レーサーさん
>ただ一つの概念にとっ捕まっているのは明らかに不自由。
ええ・・・
つまり、円相(八図)→九図→十図の、最後の「十図」の事です。
「悟る」「悟らない」の概念を超越したもの。
「幸福になる」「幸福にならない」という概念を超越したもの。
「輪廻がある」「輪廻がない」という概念を超越したもの。
「ある」「ない」を超越したもの。
いわゆる、釈迦仏教というのは「無記」の法門かと思うんですね。
最終的には「無記」で良いんじゃないかと・・・。
釈迦が「無記」と言うておるんですから。いわゆる十無記です。
十の項目が「解らん」という事ではなくて、そこに深い意味があると思うのです。
これがいわゆる、八図から十図にいたる「気づき」かと思うのです。
ですから私は、法華経には進む気がないんです。
法華経に進んだ白隠には非常に興味がありますが・・・。
254 :ビデ倫、リン♪ :02/07/03 00:47
エスエム話あり、仏道あり
成人向きスレッド指定にして、いいですか?
>>277 >成人向きスレッド指定にして、いいですか?
あら、ごめんなさいね。
青少年の性教育の一環とゆう事でどうでしょうか?
同時に仏教の事も学べるし、髑髏様の茶道の事も学べる。
草レーサーさんも、かなり良レスをカキコしているみたいですしね。
良い感じかと思いますよ。オホホ
279 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/04 22:46
>>277 >成人向きスレッド指定にして、いいですか?
つまり、このスレは殆ど荒らしというのが無いんだよ。不思議だね。
よーするに、スレを気に入っちゃってズーっとROMしている連中は多いと見ている。
宗教とは何ぞや?性とは何ぞや?生きるとは何ぞや?
ジーっとROMってて考えているんかと思うよ。
まあ貴方も野暮な事言わないで、私と一緒に人類永遠のテーマを考えてみましょうよ。
280 :
某TV局プロデューサー:02/07/05 00:24
高視聴率、うらやますぃです・・・
281 :
草レーサー:02/07/05 07:47
144さん
ありゃ?自分一人だけ「ウイテシマッテイル」と思っていたのだけど。(w
とにかく、髑髏さん達と一緒に楽しい週末をエンジョイしてきてくださいね。
髑髏さん
昨日から、清々しい朝を迎えたような落ちついた充実感が心の中でひたひたと
湧いてきています。レスを遣り取りする中で自分の中に、ある感覚が確かなも
のになりつつあるようです。子供の時に感じていた世界との一体感でしょうか。
イロイロなものから分断されて、様々な人達の思惑や期待などのプレッシャー
に押し潰されながら、どうやっても本来の自分の感覚に返ることが困難な状態
ですから。でも、これは多分みんな同じ事だと思いますが…。
282 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/05 08:20
>>281 仏教における「一切皆苦」は、自由思想への道標のような一つの道すじかと思うんですね。
これを突き詰めていって、いつか吹っ切る。
方便(方法)という手法を取りながら突き詰めていく。これが仏教かと思うんです。
>ある感覚が確かなものになりつつあるようです。
自分で会得しなければならないところでしょうから、
即ち全てが自己責任、自灯明、法灯明かと思います。仏教の核のところです。
最終的に釈尊は、自由思想を打ち立てた仏陀かと思います。
「本来自由であった」→これを説いたのが仏教かと思います。
髑髏様
「女のお印」が来てしまいました。
私、Tタイプの事が気に掛かります。実はタ〇ポ〇使ったことないのです。恐くて。
男性経験がないと、こういう時は困ってしまいますね(ハズカシー
一応、タ〇ポ〇は持っていきます。なんか情けないですね(笑
イヤ〜もう恥ずかしい・・・・。
あの〜
タ〇ポ〇だけで、ナ〇キ〇はいらないのでしょうか?
どなたか御存知ですか?>>ALL
285 :
多感なお子、ふたたび:02/07/05 12:06
せんせーーーー。せ、せんせーーー。タnポnとナpキn、寝るときは併用でないと
漏れちゃって汚れちゃうんでしょうかー???
286 :
髑髏タ〇ポ〇研究所 ◆1PfzdK1. :02/07/05 13:25
144さん
タ〇ポ〇は発展途上製品です。パーフェクトではありません。よって原則的に併用。
使用法、メンテナンスにおいては私が伝授します。
思案なさるな。そのままで宜し。
287 :
職業・保母:02/07/05 14:32
♪♪ かあさん、お肩をたたきましょう〜 タnポn タnポn タン タン ポン
288 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/05 18:09
144さん
ナ〇キ〇に、Tタイプでは場がしらけます。よって違うように変更します。
オッパイを晒しなさい。
下の方は、貴方のセンスにまかせます。
女学生時代の制服があるのでしたら、コスプレでもいいです。→古い奴でいいよ。
私は基本的に「炉」は興味がないが、そうゆのが好きな御仁もいるので、まあたまにはいいかと思う。
髑髏様
>女学生時代の制服があるのでしたら、コスプレでもいいです
それならあります。
髑髏様の着物(結城紬でしたっけ?)と、私の制服。
紐に繋がれてお庭散歩したいな・・・。
オ〇コ〇の仕方うまくなりました。髑髏様に見てもらいたいな。
もし、下手だったら「お仕置き」いいyo(ゥフ
290 :
名無しさん@1周年:02/07/05 20:59
ビクッ. ∧ ∧ ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) < うお!なんかすごいところに迷い込んじまったぞゴルァ!
./ つ つ \______________________
〜(_⌒ヽ ドキドキ
)ノ `Jззз
291 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/05 21:29
144さん
>髑髏様の着物(結城紬でしたっけ?)
20年以上前に買った古物です。
それでも、二世代着れると言われていますからマダマダ着れますね。
お蚕(かいこ)さんの繭(まゆ)から手作業で糸を解いていくのが工程の始まり。
そこからまた工程があって、織娘が機織で気の遠くなるような作業を続けていく。
そういう工程がって、初めて無形文化財として認められるんだけど、現在、後継者がいるんだろう
どうもそのほうが気がかりです。
大島紬とならんで、結城紬は女性の憧れです。
こういった伝統工芸は、いつまでも継承してもらいたい。というのが念願です。
292 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/05 21:31
× 後継者がいるんだろう
○ 後継者がいるんだろうか?
293 :
公然わいせつチン列罪:02/07/05 22:05
警部補、もうさんざん内偵もしたことですし、そろそろ踏み込む時期だと思うんですが!
まだ、泳がしておくんですか?
294 :
草レーサー:02/07/05 22:06
>>282 髑髏さん
髑髏さんは利休が好きということですが、自分はセナですね。故アイルトンセナ
選手です。
彼が唐突にこの世を去っていってしまった時は、茫然自失状態でしてね「彼にだ
けはそういうことが起こらない」と、故もなく信じていた人多かったみたいです。
彼も「神を見た」などと発言してマスコミや周りの関係者からは変な人と思われ
ていたし、「鈴鹿の上空にイエスキリストが現れて微笑んでいた」と、ここまで
発言してしまった人でしたから…。これですったもんだあって、その種の話しは
慎重に、或いは堅く口を閉ざす様になりましたが。
彼が友人と個人的で深い対話をしていた時の録音テープを入手したのですが、こ
れを聞いてまたビックリ、多分あの人は仏教を学んではいないのに「空」を言葉
を選びながら慎重に友人に説明し、語っているんですよ。勿論、仏教用語などは
一切使っていないし、アプローチ的にもブラジル人だからキリスト教的になって
「神」をいいますが、語っている内容は「空」なんですね。感銘を受けましたよ。
残念な事は、彼が存命中は「凄いドライバー」と思うくらいで、別にファンでも
なかったことかな。それなのに彼がこの世を去って、その衝撃が想像以上に強か
ったために、あの人が自分の中でとても大きな存在だったのだなと気が付いた訳
です。それからですね、あの人の後を追いかけてみたのは。だから残念なんです。
295 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/06 02:19
>>294 セナの事故死のニュースは覚えています。それまではセナという人物は知りませんでしたけど。
「いい男」でしたね。ハンサムと言う意味ですが・・・。女性ファンが多かったのでしょうか?
一瞬のハンドル操作でヤバクなる世界でしょうから、なんとなく「男」みたいなものを感じました。
私はホモではないですが(笑 ああゆう世界というのは憧れみたいのはありますよ。
草レーサーさんは随分以前のスレッドに、レースの極限の状態において「スローモーション感覚」云々を言ってましたね。
あのレスは非常に私の印象に残っています。
私も過去スレにおいては何度か「スローモーション」の事はカキコした事があるんです。
わたしの言いたい意味と、貴方の仰りたい事とは違うのかもしれませんがとても印象には残っています。
セナは、たしか一回事故って奇跡的に助かった人でしたね。
そういう事を体験した人ですから、レースは精神的にも肉体的にも相当極限状態だったんでしょう。
ある種、神秘体験というのもその延長線にあるんでしょうね。
私はこう逝ったところは共鳴するところがあります。
>多分あの人は仏教を学んではいないのに「空」を言葉を選びながら慎重に友人に説明し
宇宙飛行士なんかも、ある種こういった心境になるらしいですね。
飛行船から降りて、キリスト教の道に進んだとか・・・伝道師みたいなもんでしょうか?
296 :
テレシコワ:02/07/06 02:52
私は、カモメ。
297 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/06 16:24
144さんは、どちらかというと「お嬢さんタイプ」ですね。
こういった世界に殆ど縁のない・・・。そういった感じの人が割と多いのでしょうか?
足のスラットした制服の似合う娘です。
日記を拝見しました。
とてもリアルに心境が描写されている。
本人には了承を得ているので、個人情報が漏れない範囲でカキコしていきましょう。
これから、本日のメイン・イベントがはじまります。
「18禁」に触れない範囲で報告しましょう。
では・・・・
298 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/06 18:41
これからパーティーです。
おでんとか、鍋ものとか、サラダとか質素なものです。
今どき、芸者の玉代は時間にして8000円くらいだろうか?
私みたいのは到底遊べる金額ではありません(w
まあ、芸者はいないけど女性はいるから、芸者遊びと似たようなもんです(w
こういうのもなかなか良いね。
女性にはある程度サービスはします。まあネチケットでしょうから・・・。
さすがに最初はアンダーウエアですが、もしかしたら・・・・。この微妙なところが良いんです(w
人間が仮面を外し、虚飾を捨て、持ち寄りの食材をごった煮する。それを皆で食べる。
縄文文化を想起させるこの方法は「わび」のこころから考え出されたものです。
不思議なことに、カップルとかご夫婦は非常に愛情を深めます。
何かを感じとるんでしょう。
これにて私は床につきます。
何方か300ゲットしますと良いことがあるかもしれません・・・ウソデス
300 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/07 19:39
茶のことばに「和敬静寂」というのがありますね。
たとえ合戦相手であっても、茶室の中では何の拘りも無く。「無」→平等。
湯の湧くチンチンという音を静かに聞きいる。静粛のなかの「和」。
大局する相手に一瞬の隙もなく、それは格闘である。また平和なひと時である「陰陽思想」。
非常の禅に近いですね。一期一会。即今即所。一如。
陰陽思想というのは禅と違うかもしれませんが、捉え方とするとピッタシくる。
つまり、これを超越して「無」となるんで、「無」というのは茶道においては最も重要。
とりあえず私は、その時その時は真剣でありまして、道を極めるというのはその連続です。
髑髏様
お仕置きの傷が痛うございます。
「お印」を残して頂いたおかげで、髑髏様を身近に感じることが出来ます。
とても嬉しく思います。
この傷が癒される頃、再び「お印」が欲しくなると思います。
それまで、ずっと髑髏様をお慕い続けたく存じます。
ワタシも、ひじょーーーーーーーーーーーーーーーに興味があるんだが、討論会でTV出演
しないといけないんで、万が一、ムチ・縄の痕なんぞが残ってしまうとと思って、加われ
ないのじゃ。ワタシが、首相になった暁には是非とも、SM法案を成立させてみせるからな!
その前に、週刊誌のヤツらに潰されんよう、注意、注意と・・・
303 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/08 05:09
>>302 Mは、身体の一部に傷を残したがる。私はお尻に鞭をいれました。
これはたぶんクセになると思う。→Mの方が・・・
あと、マ〇コにリングをハメました。
「これは絶対取ってはならぬ」。と命令を下しました。
この「命令」の抑圧感がなんともいえないんでしょう。Mというのは。
今ごろは悦楽に浸っているかと思います。痛いケツを撫でながら・・・。
鞭を入れた瞬間のMの表情が何ともいえぬ。
私は、マ〇コよりあの表情の方がずっと良い。と思う。
144さん、私信。
どうにか休暇が取れるというのは、来月の盆明けころです。3日位が限度です。
それまで休日はありません。
茶道教室とか、食事会(パーティー)は定刻どうりの場所です。そこはOK。
私は、豆腐料理と煮物料理が得意。刺身でしたら事前の連絡で新潟より宅急便でとりよせます。
これは前々から約束してたら、そのような料理を作ります。
ペースとすると、月に一回位なもんでしょう。気まぐれですから・・・。
紙を貼り出し平日にやる事が多い。週末に来れない人のサービスも兼ねて・・・。
結構、人は集まる(w
私の料理が食べたくなったら、この日を狙えばグーです。とても美味しい(w
しかし髑髏はこのスレを私物化しているな・・・
まあいいけど。
髑髏様
今日は、あの日の事ばかり考えてしまってボンヤリ過ごしてしまいました。
走馬灯のように、次から次へとあの日の事が蘇ります。
考えては急に恥ずかしくなったり、その繰り返しです。
少しインパクトが強すぎたのでしょうか?想像してたのとは違ってましたから・・・。
それでも、髑髏様が
>鞭を入れた瞬間のMの表情が何ともいえぬ。
と、仰ってくれたのでとても嬉しく思います。
今度、日本海のお魚を食べてみたいね(笑
307 :
草レーサー:02/07/08 21:31
>>295髑髏さん
セナは一時「セナ様ブーム」のようなものがありましたが、男女の区別を超えて人の
心を引きつける何かを持っていたようです。特にホンダとの関係を築く中で、男同士
の関係でもそれがでていたと関係者がよく語っていたようです。F1ともなれば様々
な意味で戦場のような不安定さがあるでしょうし、特にエンジニア達とドライバーと
の信頼関係はとても重要なものになってくると思うんですよ。女性と深い関係を結ぶ
のももちろん素晴らしいけど、男同士の深い信頼ってのもなかなかいいものではない
でしょうか?自分の場合も、友人が徹夜で仕上げてくれたエンジンをすぐにぶっ壊し
てしまったり、こちらが巧くレースを運んでいても作業者の凡ミスでエンジンが止ま
ってしまたりなどで暫くはお互いに口も聞かなかったりするけど、色々と夢や想いを
共有できる友人が未だにいるのはレースをやって来たからだと思う。
レースをやっていると、誰でも「マジでヤバイ事」の一度や二度は経験すると思う。
最近も瀕死の重傷で病院に担ぎ込まれた選手がその体験をまとめて出版し、その中
にやはり神秘体験について語られている部分がありますね。
まあ、危うく事無きを得ていることも非常に多い。だから、レーシングドライバー
とかは神秘的なことを体験している人も結構多いのではないかと思うんですよ。
ただ、殆どの人は、それを錯覚とか大して意味のないこととして片付けてしまうん
でしょうね。重要な事が他にあるから。セナの場合はそれを等閑にしないで自分で
深めていったのだと思うんです。彼がそう言う生き方をして自分が思ったまま、感
じたままの世界を公表してくれたお陰で、自分も勇気付けられましたよ。怪しげな
宗教家の話ではなかったので。
308 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/09 10:58
>>307 茶道でも、言葉では上手く表現できないところが殆どです。
つまり、ここのところを「茶法」でなくて「茶道」とする所以です。
ですから「茶道」を理解するためには実際やってみなけりゃ解らんのでしょう。
貴方のレスで、私はレーシング・ドライバーではないので解らないところがありますが。
「何を言わんとしているか?」は掴めます。
私は、そういった「自分で会得」したものを大事にしたい。
ここのところは貴方と共通するかとおもいますね。
以下、他スレにカキコした私のレスを貼り付けておきます。
309 :
髑髏仮面のコピペ:02/07/09 11:01
26 :髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/08 19:24
スレのタイトルである・・・
「全ての宗教は一人の神、一つの真理の表現か? 」
これですね・・・
「茶禅一致」というのが、「茶のことば」として後世に残ってます。
茶道の奥義と禅は一致するという考え方です。
たとえば、剣法は→剣道。これを「剣禅一味」または「剣禅一致」と言います。→山岡鉄舟。
古来、剣と禅は一致すると考えるものです。
つまり、「○○道」というのは究極的には仏教に通じるという考え方ですね。
いかにも日本的です。
中国は、剣法はあっても剣道という概念はないらしいです。
310 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/09 11:14
>>307 私の考えは大体この線です。
草レーサーさんの言っているエンジニア(ハード)とレーサー(ソフト)のタイアップですが・・・
これは仏教でいえば、行学両道なんでしょう。
ハードとソフトの絶妙なバランスなんかとおもいます。
茶道においては「和敬静寂」とゆうことになるんでしょうか・・・。
あらゆる「道」に通じるかと思います。
日本刀において「名刀」といわれるものは「柔」と「剛」の絶妙なバランスですよね。
「匠」といわれる「その道」の人は、それなりの境地を得ていると思います。
ここのところを日本人は「道」と表現したんかと思いますね。
ここでは、エロスと仏道がなざなえる縄のごとく展開していますが
今まさに「仏の道」談義、真っ最中なので書き込ませていただきます。
草レーサー氏も、レーサーという職業柄つねに死と隣り合わせ・向かい合わせ
で、このような境地に至られているのだと思いますが、また、茶の道にご造詣
の深い髑髏仮面氏も同様のことと推察されますが、千利休の「わび・さび」の
境地___これは、まさにあらゆるモノを削ぎ落として至った境地。なぜ、
そこに至ったか? やはり、底流には仏教の説く「無常観」を持っていれば
こそ、いや、「無常観」のなせる業のなにものでもないということは疑う余地
のないところでしょう。
312 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/09 15:52
>>311 私は、若い頃は視力が両眼1・5だったんですね。
ですからその頃、「新聞が霞んで見える」という世界が想像できなかったんです。
現在、眼も悪くなりまして「どういう世界なのか?」分かるようになりました(w
アフリカの原住民は、相当先(数百メートル)まで見えるというから視力(識)なんてあてにはならんでしょうね。
そこのところを五蘊(無我)というんでしょうけど。
草レーサーさんは「死と隣り合わせ」という状況を「経験」して「どういうもんか?」というのを
自分なりに会得しているんかと思います。
哲学的に言うならば経験論というのでしょうか・・・。
「生死一如」というのは「生」と「死」を超越せねばならんでしょうから、こういった経験というのは高く評価してます。
「どういうもんか?」というのは説明できなくても、おそらくはそれなりの会得はあるかと思います。
これは本人、またはそういった経験のある人間しか分からんのでしょう。
髑髏様
あれ以来、髑髏様の「お声」を待つ毎日でございます。
髑髏様もお忙しい事と、そこのところは察しております。
ピアスも、馴れないせいかツイツイお手てがマ〇〇に逝ってしまいます。
その度に、髑髏様がマ〇〇に〇〇〇くれた事を思い出し、余計に濡れてしまいます。
このような毎日でございます。
314 :
草レーサー:02/07/09 21:34
>>308 髑髏さん
自分が思うに「死と隣り合わせ」というのは、何もレーサーや冒険家達だけが経験
している訳じゃないとも思うんですよ。
実に怪しげな確率とか可能性は確かに高いのかもしれませんが。安全と危険と言う
ものも、実は人間にはよく分からないものじゃないこと思います。安全と言われて
いるのに、何かの因果であっけなく人が死んでしまったり、客観的に考えると猛烈
に危険な状況でも、鼻歌を歌いながら何事もなかったように返ってくる人もいる。
何が安全で、何が危険なのか?大体のところは判断できるのですが、厳密な判断と
なると難しくなってきますね。「運」というものが本当に現実を左右しているとし
か思えない事が結構あるものですから。
だから、多分冒険家などが実感じているのは、物凄い興奮や緊張なんだと思うんで
すよ。様々な現象をリアルな感覚や感情として経験しているのだと思う。
「死と隣合わせ」という状況があるとしたら、それは多分実のところはみんな同じ
なのではないかと思う。簡単な思考実験としても、誰かが誤認の第一級殺人で逮捕
され、死刑を命じられたとしたら、彼の危険はどうなのでしょうか?
ここで考えていても答えはでませんよね。人間に考えられる安全とか危険の判断と
いうのはそういうものなのでしょう。
これはある意味、釈尊が城内で苦悩した生老病死と同じものだと思うのですが…。
>>311 水琴さん
自分は職業レーサーではないんですよ。ただ自分にとって人生の意味を多く学び
易いのが自動車レースだったり、クルマを走らせる事なんですね。今ではもう草
レースにしか出場できない。(w
315 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/09 22:14
>>313 最初は珍しいもんだから「心が浮き足立つ」。これは本物ではない。
しかしながら、これは大切なこと。決して時間は無駄にはならぬ。
セ〇リの終わる頃にいくらか落ち着くでしょう。
今はブルーな時期。これが明ける頃に茶室に来たらいいでしょう。
で、これが一期一会。そこで何かを掴めたら良いかと思う。→これは希望ということ。
これは「真剣」ですから。そのつもりで朝から準備を進めます。
私は、これにて寝ます。
>>314 草レーサーさんのレスは拝見しました。後ほど・・・。
316 :
名無しさん@1周年:02/07/09 22:35
わしは、体にピアスじゃなんじゃのと言って傷つけるヤツは、認めん!!!
317 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/10 05:43
>>316 >わしは、体にピアスじゃなんじゃのと言って傷つけるヤツは、認めん!!!
「性」は、こんな良いもんはないし、また人間を苦しめる(煩悩)素因でもある。
つまりは「厄介なもの」。
究極的には、相手または第三者を殺すことだってあるんだから、こんな恐ろしいことはない。
つまり「痴情のもつれ」。→よくある事件だね。
執着を離れるというのは、なにも「性」を抑え付ける事に非ず。
どんな良い女だって、つまりは九相、空。「美」もなければ「醜」も非ず。
その実体は、死んでしまえば髑髏で男も女もない、髑髏そのものが「空」なんだね。
つまりはそこには、男と女の出会い(因果)それだけであること。→これを汁。
つまりは、これも「道」であり、凡人は極めることも肝要かとおもう。
318 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/10 07:04
>>314 >これはある意味、釈尊が城内で苦悩した生老病死と同じものだと思うのですが…。
釈尊は、幼少の頃から「取り巻き」に囲まれて、相当なフラストレーションになってかと推測してます。
釈尊の女性観というのは、そういった環境で培われたもんなんでしょう。
最初は「人間釈迦」。これを原点に据えております。
「天上天下唯我独尊」は、後世の創作だと思います。
そうでないと、釈尊の「苦悩」というのは見えてこない。
そういった「人間」の部分というのを大事にしたいと思っています。
死生観においてはその通りかとおもいますね。
これが、リアルに感じるか?感じないか?という違いはあるんでしょうけど。
これを感じるときに「今」の意味が分かってくるんかと思います。
319 :
草レーサー:02/07/10 07:36
>>318髑髏さん
>これが、リアルに感じるか、感じないか?という違いはあるんでしょうけど。
自分もまったくそのことを言いたかったのですよ。
「感じる」「感じない」は本人の感性の問題で、ここがまず人間に重要なとこ
ろだと思うんですね。客観的な状態と同等に主観的な状態も、とても大切だと
思うのですよ。本人や、その人生にとっては、後者の方が直接的にに影響する
だろうと思うから。「今」への接近は、とても深いものだと思う。
まあ、クサイ台詞ですが「今を生きる」というのは、人生や命の、ダイナミズ
ムそのものなんでしょうね。自分も感じている時は「生きている」という実感
が湧いてきます。これはある意味、どんな人生の苦難も乗り越える力があるの
ではないかと自分は考えます。単純なプラス思考より遥かに深く、尊い。
320 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/10 09:32
>>319 「今を生きる」というのは、ダイナミズムそのものかと思いますね。
「即今即所」については、一休禅師が面白い逸話を残している。
女を背負って橋を渡る。その後、女を降ろしたところ・・・
これを見ていた弟子が、禅師を冷やかす。
一休「今は女を背負っていないんだから、冷やかすのはオカシイんではないか?」というもの。
この話は、禅師が見事に執着から離れていることを窺わせる。
つまり、大乗における「菩薩道」というのは、人に「〇〇をする」とかゆう意味よりも、
「生き方そのものが菩薩道」かと思いました。ここが自他不二というんかと思います。
この延長線からすると・・・・
良寛は、見事な「菩薩道」というのを後世に残したのかな〜。なんて思いを巡らします。
これは私自身の受け止め方ですけどね。
>>317 >これも「道」であり、凡人は極めることも肝要かとおもう。
よくぞ、言ってくれた! ここだけだよ、ワタシのことを理解してくれる人がいるのは。
週間文春に投書してくれ!!!
久しぶりに2ちゃんに来たが
髑髏仮面
あんたまだやってんだなー
いなきゃいないで、ちょっと寂しいかなて思ったけど
323 :
草レーサー:02/07/10 20:35
>>320 髑髏さん
一休さんというと、昔のアニメのイメージになってしまうのですが、実際はそれとは
大分違う様ですね。あのイメージは優等生タイプでしたから。
禅師達については自分はホントによく知らず、仏教史の中でも御釈迦様くらいの事し
か実は勉強していないんですね。(w あとは常識程度の知識だけ。(w
でも、いつの日か髑髏さんがよく引き合いに出す禅師達の辿った道を、自ずから探っ
てみようとするような気がしますよ。その時にはまた、現在の髑髏さんのレスが記憶
となって色々と思う処があるのではないかと楽しみですね。
その時は「ふ〜ん」などと思って、かなり後で「どうしてこんな大切な事に気付かな
かったんだろう?」等ということが結構あるもので。(w
有意義なレスをいつもありがとう。今はもう、2ch?と言う状況になってきている
なあ。(w
一つ自分の方からも、お話を…。
これまた自分を含めたレーシングドライバーの経験からなのですが、速く走る事、勝
つことに集中している真っ最中に、コースの隅に咲いた「一輪の花」を踏み潰さない
ように走行ラインを外してしてしまう事がある。勿論、咄嗟にやってしまう事ですが。
まあ、自分だけだろうと思っていたら、他に同じ様な事をしたと語るドライバーもい
たんですね。さらにレーサーが著した本の中にも同じことが記されていました。
う〜ん、人間って何処までも不思議ないきもの。やっぱりどこかで大切なものは何な
のか、実は知っているのではないかと思う…。つくずく。
324 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/10 21:18
>>323 >勝つことに集中している真っ最中に、コースの隅に咲いた「一輪の花」を踏み潰さない
>ように走行ラインを外してしてしまう事がある。勿論、咄嗟にやってしまう事ですが。
これは殆ど無意識のうちにハンドルを微妙に操作してしまうんでしょうね?
頭の中が「障害物を避ける」というのがプログラムされていて、それが状況を判断して咄嗟の行動に出るんでしょうね?
通常ですと、リスクがあるのか?リスクがないのか?そこを判断→行動のパターンをとるんでしょうけど
つまりは、判断する余裕が無い。というのを最初のプログラムにインプットしてしまうんでしょうね。
人間は、こういった事を「からだ」で覚えていくんでしょうね。
仏教でいうなら、行学両道の「行」のところかと思います。
十牛図最後で「即今即所」の境地ですと、生きていて「今」、死んでいて「今」。
生きているなら「それが全て」。死んでいるなら「それが全て」。
この境地で「生死」を超克するんかと思います。つまり「生死一如」。
是で殆ど「輪廻」の概念が相殺されてしまうんかと思います。
「解脱してよし」「解脱せずともよし」
「幸福になってよし」「幸福にならずともよし」。
つまりは、相対概念から離れたのが最後の完成。十牛図最後の境地と察せられます。
前レスでカキコしたのが↑に通じるやに思います。
325 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/10 21:28
>>323 >やっぱりどこかで大切なものは何な
>のか、実は知っているのではないかと思う…。つくずく。
そうですね。
瞬時にこれを判断しているのかもしれませんね。
いずれにせよ、人間というのは相当な能力を秘めているんでしょう。
これを日本人は「道」という「空文化」を育てていったんかと思います。
つまり仏教は、日本人の血肉となり受け継いでいるんでしょう。
日本文化の底流が仏教といわれる所以なんでしょうね。
髑髏様
台風が接近してますね。
台風ということで、小説「白ばんば」を思い出し急に読書がしたくなりました。
図書館で本を借りてきました。
「茶道」の本も借りてきましたよ。
そのうち伺いたく存じます。
327 :
名無しさん@1周年:02/07/10 23:22
ドクロちゃんは、みなから叩かれるよりSMで叩かれるほうが・・・(以下、省略
328 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/11 08:28
>>323 >禅師達の辿った道を、自ずから探ってみようとするような気がしますよ。
私は、原始仏教がどうだこうだ、大乗がどうだこうだと言うのも大切ですが、
仏教に携わった先達に学ぶべきもの多い気がします。
一休さんというのは女も好きでしたし、どちらかというと禅師特有の「禅臭さ」というのがない。
「禅臭さは禅にあらず」。というのは先達の格言。
一見、凡人に近いような言動のなかに「深いもの」を感じます。
つまりは「禅」という枠組みさえも超越した「拓かれた境地」。
禅師各様それぞれに魅力は感じます。また私の「師」ともしております。
329 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/11 08:45
>>326 >台風ということで、小説「白ばんば」を思い出し急に読書がしたくなりました。
あれはたしか、台風が来るということで子供達が胸をワクワクするんでしたでしょうか?
私も子供の頃は同じような心境になりましたね(笑
髑髏様
ピアスも段々馴れてきました。
きれいな身体になりましたら、一度見て頂きたいと存じます。
今のところ少々痛みを感じます。「重り」を付けるのは早計かと存じます。
「お声」を下されば、そのようにいたします。
髑髏様も御本がお好きなようで嬉しく思います。
>台風が来るということで子供達が胸をワクワクするんでしたでしょうか?
その通りでございます。
以前は太宰が好きでした。あれは少女の頃の一つの通過点らしいです(w
331 :
名無しさん@1周年 :02/07/11 17:54
童貞捨てたいので仏教はじめますた
332 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/11 18:45
144
何事も段階とゆうものがありますから、今は馴れることに精進したら良いであろう。
最終的には、年代ものの肥後随喜を差し込みます。
おそらくは幾多?の女性がこれにて昇天し、愛液の沁み込んだものかと想像できる代物です。
因果が巡って、私がその代物を手に入れることが出来ました。
こう言ってしまえば、「電動式が良かろうに」と思うやもしれませんが、さに非ず。比べものになりませぬ。
この恩恵に浴するも境地の問題。その時期がくればそのようにいたします。
「道」を極め、「女」を完成させたら良かろうに思う。
そなたの心次第。いかようにも会得は可能であろう。
髑髏様
>>332 >そなたの心次第。いかようにも会得は可能であろう。
会得などと勿体なく存じます。
髑髏様におつかいするのもみで充分でございます。そのような気持ちでおります。
そう思っていましたところ、髑髏様のお宝である「肥後」のものを私にアテガウなどと嬉しい気持ちでいっぱいです。
どういうものかは分かりませんが、レスの感じで大よそは見当つきます。
私は正直言いまして、髑髏様への御奉仕のことばかりを考えておりました。
いかようにも応えられる女でありたいと。そんな事ばかりを考えておりました。
なんなく言い付けてくださいませ。
334 :
草レーサー:02/07/11 21:17
>>324 髑髏さん
頭の中の「障害物を避ける」というプログラムだけじゃないのでは?と思う
んですよ。多分、タンポポか何かなのでしょうが(高速移動中にそんな前方
の小さな花が目に入るというのも不思議ですが)自分が思うにレース中は相
手を弾き飛ばしてでも「前に出るてやる」という闘志に燃えているので「ち
ょっとやそっと相手とぶつかろうが障害物を踏み潰そうがどうってことない」
と大抵のドライバーは思っているものです。増してやどこにでもある花など
通常は何とも思わない…。勝負に萌えているわけですから。
自分としては不意に事故や災害などに遭遇して被害にあっている人を、つい
救出したくなってしまう心理に似ているのじゃないかと思っています。
この時は確かに自他の分別はないですから。ただ「あぶない」という思いに
駆られているだけですから。これなどはちょっと特殊な状態でしょうが、普
通の人々の心理なのだと思うのですね。
ただ、どうして人参を前に吊るされた馬のようになっている状態で、ハット
一輪の花のためをおもってしまうのかが我ながら不思議ですが。これもまた
人間の一面ということなのでしょうね。そしてその同じ人間の一面として野
性があって、攻撃性もあり、果ては残酷さまで内包しているものです。
こ言って性善説、性悪説に分れていくとしたら残念ですが。仏教では「それ
は自分なのではない。それが自分の本質でもない」と言いますよね。
335 :
名無しさん@1周年:02/07/11 23:02
縛りAGE
336 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/12 05:26
>>334 禅において大事なのは、先ず自分で認識している知覚というのを「疑う」「疑を向ける」という事かとおもいます。
徹底して、作為的にこれを破壊しようとするのが「公案」ですよね。禅問答です。
いわゆる、既成概念の破壊という事になるかと思います。
人間が如何にこういった概念によって無明の世界をさ迷っているか?
これを「気づく」のが、いわゆる「見性」悟りというもんなんでしょう。
いわゆる「道」というのは、こういった禅の目指す方向に向いているのでしょう。
草レーサーさんは、そういった事を極自然に「身体で会得」しているんかと思いますよ。
前レスにありました「セナ」においても、そういった事は充分考えられますよね。
禅はいわゆる「内省」ですから。つまりは「自分をしる」。これに尽きる訳です。
体験・経験を通して「自分を知る」ことになるかと思います。→これが公案と同じ。
「禅定」というのは、方法論の一つでしょうから、なにもこれに拘ることもないかと思います。
盤珪の「無修行の修行」。こういった進歩的な禅の捉え方もありますからね。
いずれにせよ、禅というのを広義に考える事も肝要かと思います。
337 :
草レーサー:02/07/12 07:34
>>328 髑髏さん
釈尊といえど人間だったし、禅師達といえど人間だったわけですよね。思うに、禅
師達も、人間として背負わされる「苦」を突き詰めて自問自答したのだと推察しま
す。自分を知ることは、人間を知ることに繋がるし、自分人間というのも未知なる
領域が多いですからね。
そう言えばセナも、最初は日本人の考え方と言うのは全く理解できない。と言って
いたけど、やがて「自分の中に日本人と同じ様なものがあった」と発言していたな。
>つまりは「禅」という枠組みさえも超越した「拓かれた境地」
私も、全ての人間がここへ向かっていきたいと願っているんじゃないかと思います。
338 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/12 10:07
144さん
>私は正直言いまして、髑髏様への御奉仕のことばかりを考えておりました。
うむ、うむ、そなたがタダのシャンソン人形でないことは見抜いておるよ。
私は炉利趣味はもともとないからね。
ん〜でも、昔はそういう気もあったかな?それはビギナーの頃だね。
私のイメージする女人像を披露しようね・・。
仁王像の足元にニシキヘビがトグロを巻いている。
やがて蛇は静かに仁王像にまとわりついてくる。時は静止。ワビの無限。
「生死の刹那」「男女一如」「当体の具現」。
これをイメージしておる。なかなか難しくなってきたね(w
チベットあたりには、これを「男女和合」としての像があるらしいから、私と同じことを考えていたのかな?
そこのところは定かではないけど、間違っていたら誰かがレス付けてくれるだろう・・・。
339 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/12 20:09
>>337 釈尊は、シャカ族の王子ですから何不自由なく暮らせた訳ですよね。
女をはべらかせて、女房・子供がいたんですから、傍目には羨ましい生活なんでしょう。
しかしながら、こういった生活というのは相当フラストレーションがたまりやすいんでしょう。
中国最後の皇帝「溥儀」も相当参ってたみたいですね。
私はこういった身分には到底なれませんけど(w。その心境は分かる気がしますね。
つまりは贅沢の限りを尽くしても、人間なかなか満たされないということなのでしょう。
釈尊は、城外の民衆が苦しんでいるのを相当心を痛めていたようですね。
そういった釈尊を偲ぶと、「人間釈尊」の苦悩を垣間見えてきます。
そういった釈尊の一面を考えることも大切かと思っています。
髑髏様は、妖艶な女性が好みのようですね(笑
骨董趣味の髑髏様らしいです。
私はどちらかとゆうとネンネのほうですから(汗
そこのところは髑髏様が上手く調教してくださいまし(笑
341 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/12 20:57
144さん
歌磨呂(変換文字がない)の「俗に云うばくれん}というタイトルの浮世絵がある。
今でいう、「思春期の不良ギャル」のことだけど、それなりの妖艶さというのはあるよ。
あまり歳は関係ないかとおもうよ。
そこのところは、徐々に序々に・・・・。
342 :
草レーサー:02/07/13 08:08
>>339 髑髏さん
>つまりは贅沢の限りを尽くしても、人間はなかなか満たされないということなのでしょう。
面白いことに、人間は自分が苦しまないと満たされませんよね。それは水を飲んだり食事を
摂ったりすること、睡眠もセックスも「渇く」ことがなければ満たされないものですからね。
これらのものは、渇かなければ欲しくないし、欲しくないのに与えられれば、もう、苦しい
事になってしまいますからね。
非常に社会福祉が発達している国では、老人の自殺も比例的に増えるそうですよ。少し前の
人間が描いていた理想の社会(機械が労働をして、全てがオートメーションの様な)は人間
に地獄の苦しみを与えてくれるのかも知れませんね。(w
自分を含め、現代の先進国などで生活している人間の心に蔓延するニヒリズムもそこに通じ
ているということだと思う。非常に便利で快適だし、生活上の必需品などは簡単に手に入る。
私は少し、女性にモテル方だと思うのですが(w、これも言い寄られて関係を結んだ人達で
は満足できず、自分が熱烈に惚れ、必死に口説いた女性と最終的に結婚したし、今もそれで
満足しているなあ。(w
まあ「初めに苦ありき」「苦なくして楽なし」ですね。多分、人間にとっては苦しみが生き
る原動力なのだと思います。この世は苦しんだ分、何かを得られる処なのじゃないかとも思
う。その得られるものが、無常に流されてしまう刹那的なものか、時間を超えた根源的な安
らぎかの違いはあるにしても。
苦しみにも色々ありますが、自分が伝えようとする意味での苦しみの実感がリアルでなくな
ると、逆に精神的に不安になると思う。その辺りの感覚が麻痺してくると「眠」に陥り、二
ヒリズムが蔓延してくるのだろうと…。これが進行していくと生命に対する憎悪にまで至る
のだと思う。
343 :
草レーサー:02/07/13 09:13
うっ!342が読みにくい状態になってしまった・・…。
>釈尊は城外の民衆が苦しんでいるのを相当心を痛めていたようですね。
人間の心理から洞察すると、他人の苦しみというのは感じないですよね。何者
かの喜怒哀楽の様子を目撃したりすると、自分の心まで影響を受けてしまう仕
組みはありますが。ここのところは、人間の「情」の作用なのでしょうね。
考えてみれば、現代はあまり「情」のふれあいが少ない様です。(情の触れ合
いの究極的な部分に男女のセックスがあるのだと思うけど)殆どが事務的で機
械的な反応ばかりで、コミュニケーションが少ない…。
しかし、まず人間、苦しみを共有すると友情が芽生えますよね。釈尊の場合も
誰かの悲哀、苦悩を「誰かのもの」としてのみ、受け取っていたのではなかっ
たのだと思います。自分の心の中に、同じものを発見してしまったのだと思う
んですよ。(これは髑髏さん曰くの一如観ベースの菩薩道としての生き方に繋
がるとも思えます。自分もこれには多いに感じるものがある)
でも、誰かの喜びや、幸福を素直に一緒に喜ぶのは苦しみの共有より難しい。
ここまで来れば、友情は不壊のものになるのでしょうけれどもね。自分は友情
という言葉が好きですね。以前は愛情の方が好きでしたが…。
愛情は、どこか、依存的な趣があって自由な感じではない。感情的には陰影豊
かでドラマチックですが。友情はそれに比べて地味で、感情的にもフラットで
すが、自由の趣がある。愛情は裏切りに出会うと反転するが、友情は裏切りを
も包もうとする、約束を超えた信頼と絆がある。 草野郎の格言てか〜?(w
344 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/13 12:45
>>342 >自分を含め、現代の先進国などで生活している人間の心に蔓延するニヒリズム
禅は、いわゆる「無の哲学」というのでしたら、それを「有」の文化として表わしたのが禅文化なのでしょう。
そもそも「茶の湯」の創始とされる珠光は、「禅の教えを心とする茶」を目指していましたから。
これを利休が「茶道」として大成したのでしょう。
茶室を「一心得道の道場」と言いまして、まさにそこは修行そのものなんですね。
だいたい畳二畳、または畳一畳半。心の至るところを突き詰めるだけ突き詰め、空間の極限にまでした。
このことにより「無限の空間」というのを顕現するんですが、これを「わびの世界」と申します。
セナも、こういった日本文化に共鳴するところがあるんじゃないでしょうか?
よく、仏教をニヒリズム云々と勘違いする輩がおりますが、全くそうじゃないんですね。
私は禅というのを、こういった「文化」の面で考察するのも面白いかと思います。
345 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/13 12:58
>>343 >(情の触れ合
>いの究極的な部分に男女のセックスがあるのだと思うけど)殆どが事務的で機
>械的な反応ばかりで、コミュニケーションが少ない…。
まあそうですね。
簡単に足を開いちゃうんでしたら、やはりセク−スもアッケナイかと思います。
私はやはり「恥じらい」がないとコウザメするところがあります。
しかしながら、女性も社会進出にともない「恥じらい」がなくなってきた感じがします。
そこが非常に残念。
これは一方的な「私の好み」ですから、今の若者はどう思っているかは計り知れませんが。
346 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/13 13:02
>>343 ああ、「情」と「恥じらい」は違いますね。
しかしながら「情」というのも無くなってきた感じがします。
これも非常に寂しいですね。
347 :
カネ・カネ・カネ・カネ:02/07/13 13:39
おカネ教の国・ニッポン
348 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/13 18:41
★最近の性風俗、野外露出についての考察★
1970年代の、丁度ウーマンリブ運動はなやかりし頃、一女子大生が本を執筆した。
彼女の名前は「高野悦子」。本のタイトルは「20歳の原点」。
同棲している彼との私生活が面々と書き連ねてある。
当時にしては、「同棲」というのも世間は何かと眉をひそめた時代である。
悦子は、彼に自分のパンティーを洗わせるんですが、それには彼女のウンチが付いているんですね。
私はここまで読み続けていまして、「女性の社会への自立」というのを深く感じました。
ウーマンリブ運動は、その後停滞していきましたが、女性はあの運動を契機にして飛躍的に自立をとげました。
「野外露出」は、こういった女性達の「自立へのステータス」と見ています。
自分の殻を打ち破った、あの誇らしげな笑顔こそ三十数年前の「高野悦子」なのではないか?
そんな気持ちで彼女達を応援?しております。
349 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/14 10:37
>>340144さん
>髑髏様は、妖艶な女性が好みのようですね(笑
随分前のスレで「病人の色気」をカキコしましてね、電波先生にえらくしかられました(w
実は、これは非常に誤解をされやすいテーマでして、この道を極めませんと・・ナカナカですね?
この道は、この道の感性というのがありますから、自分なりに会得されたら良かろうに思う。
100人いれば、それぞれに感性は違います。それだからこそ妙味でして、奥は深いやに思います。
いずれにせよ門は開いたばかり。既に後戻りはできませぬ。
道を極めたら良かろうに思う。
>>340144さん
>髑髏様は、妖艶な女性が好みのようですね(笑
随分前のスレで「病人の色気」をカキコしましてね、電波先生にえらくしかられました(w
実は、これは非常に誤解をされやすいテーマでして、この道を極めませんと・・ナカナカですね?
この道は、この道の感性というのがありますから、自分なりに会得されたら良かろうに思う。
100人いれば、それぞれに感性は違います。それだからこそ妙味でして、奥は深いやに思います。
いずれにせよ門は開いたばかり。既に後戻りはできませぬ。
道を極めたら良かろうに思う。
髑髏様
>「病人の色気」をカキコしましてね
幽霊の図などは、なんとなく妖艶な不思議な魅力を感じます。
幽霊の掛け軸というのは、結構人気があるらしいですね。
なんとなく引き付けるのは感じます。
それに似たようなことかしら?
お尻の傷も、かなり良くなってきています(笑
351 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/14 19:11
144さん
「わびの美」というのは、豪華絢爛と対象の「美」だね。
庭先で積んできた花を竹の花差しに生ける。
この花の美しさというのは、いわば本質の美しさ、素材の美しさというのを表現する。
つまりこれだと陶器の花差しでは表現は出来ない。
よって竹の花差しを使うのだが、これは切ったばかりのものでなくてはならない。
茶会のある朝に切り出すんだね。
これは茶会が終了すれば直ぐ捨てる。
いわゆる「同じ茶席は二度と無い」。一期一会。
>幽霊の図などは、なんとなく妖艶な不思議な魅力を感じます。
そういうことだね。
つまりは芸術品も、感性がなければ何の感動もないという事になる。
352 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/14 19:32
嫁入り道具の一つとして「茶道を習う」というのは、また人生を学ぶ事でもある。
私はそれほどの器でもないが(w・・・。それでもそういった意味合いがある。
最近はそういった子女も少なくはなってきているが、居る事は居る。
有閑マダム連中もいるし(w。いたって女に人気があるね。茶道は。
最近は不景気だから、私みたいな商売?は人気も下降ぎみだが・・・。
それでも「心の豊かさ」みたいのに飢えてる若者は多い気がする。
そういった連中と話をすると、「キレル」という意味が分かるような気がするなぁ。
思ったよりは「渇ききってるね」今の青少年は・・・。
353 :
草レーサー:02/07/15 23:03
>>344 髑髏さん
>それを「有」の文化としれ現したのが禅文化なのでしょう。
文化というと、同じ文化の下で生きているとその文化の色に染まるのが人間でもあり
ますね。同じ人間でも国や地域によって文化も違う。同じ国籍でも違う国での生活が
長くなれば、顔立ちまでどこか外国人のようになってしまう。文化が人間に影響する
力は有形無形にしろ、非常に大きなものだということでしょう。
性に対しても開放的な文化と閉鎖的な文化の中では、同じ本能を持っていても意識も
行為も全然違ったものになってきますからね。
そういう柵から自由になるというのは、人間にはかなり困難なことだと思います。
大抵の場合は、それに反発するか、同化するかのどちらかに捕われてしまうのでしょう。
現在の日本などは開放的な環境だから、誰でも気楽に性を語って性行為を行うことが
当然だと考えるのが一般的な風潮ですよね。
自分にはどこかストイックなところがあり、自分の性エネルギーをコントロールする事
の方に魅力を感じてきましたね。自分がレースに魅力を感じるのも、膨大なエネルギー
をコントロールする術を学べると思うからだし、膨大なエネルギーに自分が牛耳られて
いると思っていたからだとも思う。多分、この辺のセンスが私を仏教の教えに導いたの
ではないかともおもいますね。
最近は、レースに出場してくる女性というのも多い。でも、自分が思うにレースは「男
の世界」だと思うし、そうであるべきだと思うな。
354 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/16 19:56
>>353 >自分の性エネルギーをコントロールする事をコントロールする術を学べると思うからだし
なんとなく分かる気がしますね。私も仕事において相当学ぶところがありますから。
仕事も波がありますからね、そういう時には「日本刀」を眺めるんですよ。
あれは不思議と「緊張」と「平安」が同時にありますね。
「日本刀」愛好家というのは、私は詳しくはないのですが、たぶんそんな気持ちに魅了されるんかな?とは思います。
相撲の「たて行司」は刀を差してますね。万が一の「指し違い」に「自らが責任を取る」。という意味らしい。
まあ。逝ってしまえば江戸時代の身分制度の象徴なんでしょうけど、ああいう文化は好きですね。
「責任を取る」というのを「自らに課す」。という文化ですね。
私も、仕事の前に刀を眺めながら「失敗したらこれにてハテル」みたいな暗示を」かける事があります。
そういう緊張状態というのは、一種独特の爽やかな気分になりますよ。
つまり、こういった「智慧」というんでしょうか?
たぶん「その道の職人」とか「芸人」みたいな職種は人は極自然に身に付けて逝ったんかと思います。
こう逝った「覚悟」みたいな心境ですね。それだからこそ「良い仕事」ができたんかと思います。
こういった文化というのも継承する人材というのも減ってきてますからね、そこのところは寂しい気がします。
>最近は、レースに出場してくる女性というのも多い
たしかに、女性というのは「感性」のところが違いますね。
あれは、生理的に「子供を生み育てる」というのを内在しているからなんでしょうかね?
そういった「生きるたくましさ」みたいのはあるんでしょうけど、「勝負の世界」というには向いてないきがしますね。
355 :
女性を国会に送る会:02/07/16 23:20
女性差別、反対!
それから、拓! 幹事長と漢字で書け! カンジチョー カンジチョーって
わざとカタカナで書いて、カンチョーPLAYを思い起こさそうっていう魂胆みえみえなんだよっ。
この、変態ジジイめが! ああー、やだやだ。こんなのが国会にいるなんて!
356 :
草レーサー:02/07/17 00:09
>>354 髑髏さん
「匂い」とでもいうのですかね、感じるところがあるんですよ。以前、名刀と妖刀を
題材にしてレスした時もそうだったのですが。
>あれは不思議と「緊張」と「平安」が同時にありますね。
私も剣類は好きですね。語れるほどの知識はありませんが、刀からは確かに不思議な
魅力を感じます。勿論磨ぎは入っていませんが、私も大きな剣をもっています。以前
中国を訪れた時、どうしても欲しくなって買ってしまったんです。
>「責任を取る」ということを「自らに果たす」という文化。
非常に厳しいものですが、私もそこを目指しているのだと思います。「大切なものを
大切にする潔さ」とでもいうのでしょうか…。
またセナを引き合いにさしますが、彼も最後のレースの前夜「自分は出場したくない」
とハッキリ語っていたそうです。体長不良でも何でも欠場する言い訳はあったはずな
のに、彼は出場した。いつもの彼はレース出場の表情は誰も寄せつけない厳しいものな
のですが、その日のコックピットに納まった表情は、とても穏かなもののように感じ
られます。
本気で出場したくないと語っていた夜から、その日の朝にかけて、彼の心の中でなにが
あったのかは彼だけにしかわからないのかもしれませんが、彼からはレースというカテ
ゴリ−を越えて生きる姿勢や人生の哲学を学んだ人は非常に多い。
本当に強い人間、智慧のある人間と言うのは何をやっていても、周りの人に「何が大切
なのか?」を無言の内にも教えるものがあるのではないかと思うのですよ。その大切な
ものが彼の場合、普遍的なものにまでとどいていたのだと思います。だからレース以外
の世界の人達まで彼の存在が気になってしまったのでしょう。
357 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/17 07:12
女性差別反対論者さん
私の愛奴はア〇スを触っただけでも恥ずかしがるからね、いわば「人類未踏の地」と逝ったところ。
こういうところは序々に開発せんともったいないんだよ。
あの部分は、いわゆるシボンデイテ「羞恥のシンボル」なるところ。ここは一気に開発はしない。
最初は、空気をポンプで送り込んでオ〇ラをさせようかと思っている。
恥ずかしがる顔を拝んでみたいね。
私は、そういった「顔」を見るのが好きなんだね。
最近の女は「羞恥心」がなくなっているから、妙味とすると余り無いけどそこのところが残念だね。
カンチョウ−は、クセになると自然ハ〇べ〇が困難になる可能性があるから、そういうところは考慮してます。
段々に調教していきますけど、現在のところは先延ばしというところです。
本当は、貴方自身が「やってもらいたい」んでしょう?
私には分かっております。その妄想で「逝っちゃう」んでしょう?
分かっております。分かっております。
私に調教受けてみたいんでしょう?
分かっております。分かっております。恥ずかしがらずにカキコしたら宜しいかと思います。
358 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/17 09:24
>>356 >彼も最後のレースの前夜「自分は出場したくない」とハッキリ語っていたそうです。
利休と重なるところを感じますね・・・。他スレの私の発言。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1026521623/l50 利休は、おそらくは自刃するのは予想してたんじゃないかと・・・閃いたところがあります。
セナについても、なんとなくそんな感じですね。
>その日のコックピットに納まった表情は、とても穏かなもののように感じ
>られます。
「覚悟」みたいなもんなんでしょうか?吹っ切れた「爽やかさ」みたいなもんなんでしょうか?
人間というのは、究極な「苦境」みたいなのに遭遇すると、体内モルヒネみたいのが作用して麻痺の感覚になるらしい。
よく火災なんかでビルから飛び降りるのは、あれは地面が「近く」に見える錯覚を起こすらしい。
飛び降りる本人は、よもや死ぬ事は想定してないらしいですね。
パニック状態における人間の錯覚みたいなもんなんでしょう。
セナにおいては、葉隠れの「武士とは死ぬことと見たり」に通じるところを感じます。
いわゆる、禅文化の「無我」を自然会得していったんじゃ〜ないかと・・・。
359 :
草レーサー:02/07/17 19:13
>>538 髑髏さん
自分もそう思ってたんですよ。利休とセナ。多分ソクラテスやイエスも同じ様な心境
だったのではないかと思います。まあ、こういう偉人達だけでなく普通の人だって死
とか絶望を受容してさらに生きる姿には、一種の清々しさを見ることができますよね。
そこまで切羽詰っていない日常生活の中でも「何かが吹っ切れた時」というのは、不
思議な身軽さを感じます。これは「キレル」のとは明かに違う。
そう言えば、自分はイエスとセナがだぶって見えることがありましてね、フォーマル
なパーティー会場にジーンズで、しかも一人で現れたり、FIAの不法な権力者達に
険しい表情で立ち向う激しい気性、子供達と遊び戯れる時の子供のような表情。時折
見せるどうにもならないような悲しみを湛えた眼、孤独な横顔。そして35才での皆
が見守る中での衝撃的な死。
面白いことに私以外にもセナにイエスの姿が重なって見えると語る人が結構いるので
すが、私は別に不思議だとは思わなかった。何となくイメージも似ているしね。
私はどうも宗教を語る人、その専門家などに疑念を持ってしまう。何か、理屈ばっか
先走りしているようで。私は理屈は後からついてくるものだと思う。身命を賭して一
途に求道する姿は、たとえ瞬間でも誰であっても神々しく見えてくるのですが。そう
言う自然に感じさせてくれる何かが、あまり感じられないのですね、専門家のような
人達からは…。私の偏見かもしれないが、それだけでもないと思う。
360 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/17 22:03
>>359 そうですね。
イエスなんかも、相当権力者には逆らっていたみたいですね。
そういった行動が反感を招いて、最終的には磔みたいな事になった経緯というのがありますからね。
>見せるどうにもならないような悲しみを湛えた眼、孤独な横顔。
イエス自身も、相当な孤独状態だったんでしょうか?
えてしてトップに立つ人というのは孤独らしいですね。
人間の「憂い」みたいのは、なんとなく魅了されてしまいますね。
こういうのをハードボイルドというんでしょうかね。私も古いですね(w
>私はどうも宗教を語る人、その専門家などに疑念を持ってしまう
いわば、魅力のある人間というのは少なくなりました。私も含めてですが。
仮面を被ってしまうんでしょうね(生きる智慧として)。素顔が見えてこない。
そういった殺伐とした空気というのもニヒリズムにつながるんでしょう。
361 :
ニルマル ヒルダイ:02/07/17 23:59
イエスに惚れた女_________其の名は、マザー・テレサ
362 :
草レーサー:02/07/18 07:43
>>360 髑髏さん
私も古いですよ(w
ハードボイルドのイメージってどっかで憧れちゃう部分あるんじゃないのかな。男
が男に惚れるのも、そう言う意地や根性などの見えない部分だと思いますしね。
>仮面を被ってしまうんでしょうね(生きる智慧として)素顔が見えてこない。
素顔のままで生活していたら疲れちゃいますからね。でも、人間には素顔に戻れる
時間というのが必要だと思います。
多分これは、野性とか本能に直接訴えてくるものがいいと思うのです。宗教などで
はそういうものはタブー視されるものでしょうが。私はどうも、宗教の抹香くささ
が頂けません。釈尊を初め、禅師達にしろ伝説の中に削ぎ落されてしまった部分を
語り伝えるのが困難な部分を、語らずとも放射しているような人物だったのだろう
と思うものですから。多分理屈抜きに「カッコイイ」とか「スゲェ」と感じさせて
しまうものがあるのだと思うのですよ。
363 :
オウム(現アレフ信者):02/07/18 23:18
アサハラお焼香に英雄を見出しちまった哀れな人々
364 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/18 23:31
今日は、PC調子が悪いんで調整にひまとれた。
明日ころには復旧の見込み。
365 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/19 06:54
>>362 >語り伝えるのが困難な部分を、語らずとも放射しているような人物だったのだろう
そうですね。
私はセナの事は詳しくは知らなかったんですが、これは「菩薩道」そのもののイメージですよ。
いわゆる大乗における菩薩道というのは、人に施しをするとか・・・そんな意味でなくて、
「放射」するような、そんな人物というのじゃないかと思います。
布袋(ほてい)さんは、菩薩道のシンボル的イメージで考え出されたものらしいです。
禅における「大愚」というのは、つまりは麻原将校さんとは全くイメージが違うんでしょうね。
全く相反している。そんな感じです。
貴方が抹香くさいというのは、いかにも宗教臭のある人間なんでしょうね。
えてして人間というのは、そういうところに騙されちゃうというのはあるかとおもいます。
「禅臭きは禅にあらず」。
私は、人間が生きるというのは「飯を食う」ことが基本。そういったシンプルなところから考えて逝きたい。
あれは何処の国だったか?インドあたりかな?
金持ちが宴をひらき、その残飯を捨てる。それをかき集めて市場で売るらしいです。
これが結構「安い」というんで貧乏人には人気があるらしい。
国情の違い。文化の違いなんでしょうけど、考えさせられます。
366 :
草レーサー:02/07/19 07:51
>>363 一般人にその顔が知れたのが選挙に立候補した時でしたっけ?
正直言って「カッコ良く」は見えなかった。周りでも結構な人
が、そういうような否定的な意見だったんですよ…。
これは容姿という意味でだけじゃなく。
セナは普通の人なら「誰が見てもカッコ良く」見えると思う。
この普通の人の意見というのが結構的を得ていたりするもの
ですよ。
ある種の世界だけで、他に通用しないというのは…・・
釈尊も衆生に愛されていたのではないかな?
イエスも大衆から愛されていたんじゃないかな?
龍猛や龍樹がナーガールジュナいがいであるとはいまだかつて聞いたことがない。
というか、元がナーガールジュナだし。
人名をあえて「ナーガ・アルジュナ」と分解して表記するのも知らないなあ。
打ち間違いや記憶違いするんでも「ナガール・ジュナ」とかならまだ理解できるのだが
>中論は、ナザール・ジュナ(龍樹)の論法です。
ではちょっと遠いよね。
どこからそんな表記を拾ってきたのでしょうか。
277さん
して、静寂と清寂の違いとは・・・。
髑髏の間違っているところは・・・。
髑髏は「和敬静寂」と吹聴してますが。
検索とおりの答えでなく、貴方ご自身の考えはどうなんでしょうか?
日本仏教に疎い私は「清寂」とか「般若思想」というタームを見たことがありません。
「清寂」とは寂静と同じものですか?
またプラジュニャーの思想とは何を指して言うのか、詳しい人がいたら教えて下さい。
>>368 そうですね。そうだとおもいます。
空思想や、中観の考えはどうでしょうか?
>>370 >「清寂」とは寂静と同じものですか?
静寂かと思います。
このスレの>365の>菩薩道
もはじめて目にしたのだが、日本仏教のタームには本当に疎いので
実際にあるタームなのか、彼の造語なのかはたまたどこぞのカルトで
流行っているのかわからない。
>372
涅槃寂静のの寂静とは別のタームでしょうか?
>371
>空思想
彼の空思想は大般若経や般若心経に関連があると推測しました。
しかし私の知りうる大般若経や般若心経とはあまりにも遠く、よってコメント不可。
>371
>中観
詳しくないのでこれっぽっちも解説もつっこみもできません。
関連ワードとして「ユガ行唯識派は中観派と並び称される〜」というフレーズを記憶の片隅からサルベージするのがやっとです。
>>374 >涅槃寂静のの寂静とは別のタームでしょうか?
私には分かりません。あしからず。
さらに仏教@質問箱の>283において
>一般的には、ナガールジュナが多いみたいですけど。
>別スレの620さんは「ナーガールジュナ」と表記してますね。
>貴方は同一人物なのか?はたまた755さんなのか?コテハンか?全くヒックルメテ一緒か?
>例のスレは、自作自演のオンパレード。
>私なりの相関図というのはある程度把握はしとります(w
>別にそれに拘りもせず・・・無心にて(笑
「ナガールジュナ」ですか。始めて目にしましたが(打ち間違いや誤字は別)一体どこで流通しているのでしょうか。
てゆーか、髑髏を名乗ってレスしているのって同一人物ですか?
いえ、こちらこそ。
正直いろいろ突っ込みたくて仕方がなかったのだが、質問スレであれこれ書くと
荒れるので耐えておりました。
306のおかげでちょっとすっきりしました。
>>379 >306のおかげでちょっとすっきりしました。
そでしたか(笑
して、277さんの突っ込みがまだ足りないようでですが・・・。
そうですね。
二人でしょんぼりと待ちましょう。
待っている間、しりとりスレであつい戦いに参加してこよっと。
382 :
草レーサー:02/07/19 21:26
>>365 髑髏さん
>そういうところに騙されちゃうというのはあるとおもいます。
人間が勘違いするのは、もう、この世がそういう仕組みになっているのだからどうに
もなりませんね。(w
ここが人生劇場で喜悲劇を繰り返す一つの原因なのでしょう。私もしょっちゅう勘違
いして、あーでもない、こーでもない、とやっていますよ。
ただ、私の信念として人間は素直になれば何が大切なのか誰にでもわかると思うので
すね。その大切なものの極みに釈尊が説いた法、涅槃があるのではないかと…。
頭脳明晰な方や偉人にしかわからないというものではないとでしょうね。誰にでもそ
ういうものを嗅ぎ分ける感覚があると思うのです。「これこれこうだからこう思う」
というような理屈はずっと後で理解するもので、本質は直ちにわかってしまうもので
はないかと…。わかっていても気付けない事も多いのですが…。
まあ、またセナ語りになりますが、彼がこの世に存命中は彼の恵まれた環境や秀でた
才能に嫉妬さえ感じていましたね。別にファンではありませんでしたし。だた凄いド
ライバ−だと思っていた程度です。
それが、彼がこの世を去った後に猛烈な喪失感に襲われてしまいましてね、そこから
彼に対する思いが素直になっていった訳ですよ。セナ様ブームの時などは「フンッ」
なんて思っていたものですから。(w
383 :
草レーサー:02/07/19 21:44
>人間が生きることは「飯を食う事」が基本。
食文化、というのもありますね。私は日本の「食」にも疑問がある。寂しい食事だと
思いますね。食べているものはイイものかもしれないが。どこか楽しげな家族団欒と
いうのは今では当たり前ではないようです。忙し過ぎて詰め込み。忙し過ぎて一人と
いうのが普通になってきている様でもある。せっかく家族が揃っても妙に白けてしま
ったり「同じ釜の飯を食った仲」と言うのも今では死語になっているのか?
人間には「楽しげな家族団欒の食事」も「同じ釜の飯を食った仲」も必要なものだと
思います。この辺のものが人間をニヒリズムから救ってくれるのでしょう。
釈尊が言う「善友を得る事は道の全てである」これには中々深いものを感じますね。
良き師を得ることではないところなど…。ましてや尊師などは…。
師面する人間は何処か胡散臭いと思った方がいいのかも知れませんね。神経質な学者
などは別にしても。器の大きな人と言うのはワリとフレンドリーな感じなんじゃない
かなあ。懐に飛び込むのは勇気が要るし、こちらもそれなりのものを引出さないとい
けないので付合うのも大変ですが。
384 :
草レーサー:02/07/20 09:58
行け〜 荒野を・・…
オイラ〜 ボクサ−ァ。
若い頃は、レースとボクシングの両方をやった。
事故を起こしてライセンスを剥奪されている間は
怒りからボクシングジムに通いつめたっけなあ…。
プロにならんか?と勧められたが、プロテスト止
まりで試合には出ませんでしたね。プロボクサー
は自分には勤まらないとハッキリ分かったから。
一度、減量の苦しみを味わってみたかったのです。
四六時中微熱があって夜もよく眠れない日が続く。
猛運動しても、もう汗は滴り落ちるほどかかない。
100度のサウナに入っても汗は僅かに滲む程度。
水の匂いには猛烈に敏感になる。
喉の渇きから来る衝動は、空腹感の比ではないと
言うのは本当でしたよ。
385 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/20 10:22
>>382 >それが、彼がこの世を去った後に猛烈な喪失感に襲われてしまいましてね、
セナが亡くなって、改めて「自分に置き換える」んではないですか?
「自分だったらどうしただろうか?」
「自分だったら調子が悪い時レースに出場するだろうか?」。
いわば、そういった視点(問題提起)が急速に親近感というのがでてくるんかと思います。
これは利休を考える時でも同じですね。
私だったら秀吉に謝ってしまうだろうか?命乞いをするだろうか?
おそらくは秀吉にしても「謝ってもらいたかった」というのが本音でしょうから。
もう双方あとには引けない状態だったんでしょう。
こういう葛藤というのか、そういう状態というのを自分に置き換えると親近感が出てきます。
先達の、こういった生き方というのは「自分」というのを考える上で非常に示唆を与えてくれます。
そういうことで一気に好きになっちゃうんかと思います。
亡くなって、初めてその人の心に触れるみたいな、そんな感じなんでしょう。
386 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/20 10:42
>>384 私は、若い頃はトヨタのセリカ2000GTに乗ってました。
結構その車が気にいっちゃって、床に穴が開いて地面が見える状態のアブナイ車でしたね。
そこまで乗り潰すというの人はいないんでしょうけど・・・。昔のことですから。
プラグなんかも、ワイヤーブラシでショッチュウ掃除してましたけど、今の車は構造が複雑でメカには弱くなりました(w
ボクサーですか?
私なんかも憧れるほうですね。私はスポーツマンタイプでは無いので、ただ憧れるだけですが(w
当時、中核派とか、革マルとかの残党がいたんですね。
ある縁がありまして、彼等との接触が多かったです。
ああいった、アングラ的人間に興味?がありました。
女性でも、高橋一巳なんかの本を手にしている人が好きだったですね。
どことなく憂いのあるのが好みでした。アウトロー的女というんでしょうか?
387 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/20 10:50
× 高橋一巳
○ 高橋和巳
388 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/20 13:40
高橋和巳で、思い出したことがある。
和巳没後(39歳)活躍した、彼の女房。
高橋たか子は、クリスチャンの洗礼を受けながら、神を信じなかった人だ。
「悪魔は存在し神は存在しない」。「悪魔のアンチティーゼとして神は存在する」。というのが彼女のテーゼ。
つまりは、常に悪魔との向き合いということなんかと思う。
仏教における「一切皆苦」を想起させる。
晩年、それでも「神」が見えてきたと逝ったのは非常に印象的だ。
私が彼女に興味をもったのは「誘惑者」という本の出会いからだ。
昭和8年、二人の女子大生が三原山に登る、下山したのは一人だけ。
つまり「自殺幇助」という行為らしい。これは実話で、これをモチーフに彼女は執筆している。
女性作家らしい、実に繊細な心理描写が読者を引き付ける。
あと別な作家で、二人連れの登山家が遭難する→綱を切断して自分だけ助かる。という実話をモチーフにした本もあったなぁ。
これは有名なタイトルの本なんだけど、どうも名前はドワスレ。かなり面白い内容かと思う。
私は、こういったドキュメンタリー・タッチが結構好きです(w
赤木圭一郎から、ウエハラケンに一言 「長生きは、せんこっちゃなー」
390 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/21 12:18
霧(きり)の波止場に〜帰ってきぃたぁが〜♪
俺を待つのは〜哀しい噂〜♪
男の「生き方」がカッコとよかったね。
あの頃の学生は、あえて就職せず経済的には困難なアルバイトをしながら・・・
あえて自分の信念に身を捧げていた。
この板にある「高卒で生きていて恥ずかしくないですか?」というスレを見るたび、
随分「弱くなったな〜」というのが実感である。
このー、ニッポン経済はー、おいちゃん・おばちゃんたちが支えてきたんだぞーーー。
>306さん・ターラーさん:
どうもお待たせしてしまっていたようですので、
御挨拶しておきます。
質問箱で髑髏さんが 233 に
>「和敬静寂」というのがある。平等、格闘、平和。
などと書いていて、「?」な感じだったものですし、
別スレでも禅をかじったようなことを書いておられますが、
禅の知識ということでは禅禅のようでしたので、
少しテストツッコミを入れてみただけなんです。(^^;
髑髏さんって、茶人なんですかね。そのわりには、
「和敬清寂」の字も意味も知らないのに驚き。
これへの回答は、312 で申し上げたとおりですので、
ご参照ください。和・敬・清・寂は各一字ずつが
独立したもので、寂静ということではないんです。
この点は髑髏さんも誤解されているようです。
393 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/22 07:33
>>392 >この点は髑髏さんも誤解されているようです。
>>「和敬静寂」というのがある。平等、格闘、平和。
答えはこれでカキコしてある。
「和敬清寂」については一言も言うおらんよ(w
394 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/22 07:36
チンプン、カンプンなんでとりあえずはカキコしておくが・・・
私がカキコしたのは「和敬静寂」。
議論が混乱しているよ。
395 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/22 07:49
>>391 >このー、ニッポン経済はー、おいちゃん・おばちゃんたちが支えてきたんだぞーーー。
本州・四国連絡橋。
あの技術陣というのは「高卒」が大半。
バイタリティというのは、確かにあったかと思う。
当時、大学というのはレジャー・ワールド゙化しちゃってて、今の大学とは赴きが違うのかも・・・。
その頃からかな?大学の表看板を外したのは・・・。
>392
なるほど、ありがとうございます。
私は禅については無知なもので、どの道何もいえませんが。
あまり変なことばかり書いてあると、スレの性質上放置するわけにも
まいりませんし。
かといってあのスレで議論するのもどうかなあ。
難しいところですね。
397 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/22 18:06
>>396 何も語らんで・・・
っさ、っさ、お茶でも・・・。これで良いんですよ。
随分、暑くなりましたなぁ。
失礼しました。
わけわかんないので、
しばらくROMることにします。
>398
あわわ、誤解をさせたなら申し訳ない。
>あまり変なことばかり書いてあると
↑はあなたのレスではなく髑髏仮面のことです。
277のような人には@質問箱のメンテナスのために得がたい存在と思っております。
どうぞこれからもよろしく。
400 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/22 18:57
>>399 400get
> あまり変なことばかり書いてあると、スレの性質上放置するわけにも
>まいりませんし。
文脈からすれば当然「私」というのは分かりますよ・・。
まあ、2ちゃんなんですから、あまり気を使わずに。
人間というのは、御飯を食べて排便もします。
子供も作りますから。
そうやって生命を継承してきました(w
401 :
草レーサー:02/07/22 19:11
>>386 髑髏さん
トヨタのセリカ2000GTに乗っていたんですか?今でも持っていれば値打ちモン
なんですけどね…。
と、言うことは髑髏さんは大体自分と同年代くらいということでしょうか!?
私は幼少の頃に大怪我をしましてね、その劣等感から相当に無茶な生き方をしてきま
したね。小学2年の頃は、もう先生の手に負えないくらいの児童だったんですよ。
まあ、色々と問題を起こしていたので近くのキリスト教会に強制的に通うように親に
命令されてしまった。百円の献金が惜しくて結構サボっていましたが…。(w
それが私の宗教初体験だったのですが、不思議なところでしたね、身体障害者の児童
とかも来ていましてね、みんな表面的にしろ優しくしているのですよ。大の大人が神
を信じているなんて、その方が自分には信じられませんでしたけどね。何か下心があ
るに違いないと思っていましたから。(w
自分の学校の児童がいなかったので、自分の正体はバレなかった。まあ牧師さん達に
は献金をくすねたり、教会のものを頂いていたりしたので、バレていたのですが、そ
れでも優しく扱ってもらえましたね。周りの人達には内緒にしてくれていた…。
そういう意味では自分はキリスト教に救われていたのかもしれないですね。悪戯を働
くと、ただ厳ししい仕打ちだけで報いを受けてきた自分にとっては、安らげる場だった
のだと思う。命令とは言え一応通い続けたのですからね。あれがなかったら、遥かに
荒んだ人生になていたかもしれませんからねえ。ホント…。
自分の経験からすると、人を救うのに神の名も教義もいらないのではないかと思うん
ですよ。返って邪魔にさえなるかもしれない。勿論、運命に左右されることは否めな
いし、その運命がどうなっているのかも分からない。しかし、限られた知覚の中で最
善を模索するのが人間の愚かさ高貴さだろうし求道の本質でもあると思うのですよ。
>400
叩いた相手にフォローされた!
ヽ(`Д´)ノ ウワァァァァーーーーーーン!!!
403 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/22 20:18
>>401 私は、キリスト教との出会いは「統一協会」ですね。
丁度、協会の草創期の頃が私は思春期でした。
別に宗教に関心があったというのではなく、イデオロギーに固執する人間というのに興味がありました。
何となく純心な感じでね、そういうところは魅力的です。
今の「統一協会」とはイメージ的には相当ズレがあるかと思います。
私も、家出するまでには至らず段々と縁が遠くなりましたけど、勉強にはなりました。
その点は感謝しています。私の「清貧の思想」というのは、あの時点で培われたんだと思います。
生活そのものが質素でしたから。それでも自分の信念を貫こうとする人間というのは魅力的でした。
>小学2年の頃は、もう先生の手に負えないくらいの児童だったんですよ。
私は、どちらかというと「内向的」な方でしたから、どうしてもセクトに近づいちゃうんかもしれませんね。
いろいろな人と接触するうちに「自分」というのが出来上がっていったんかと思います。
今はどこの組織にも入ってないんですが、やはり若い頃の彼等・彼女等の交流は大切な財産となっています。
>>402 あらあら、これはどーーーもスマソ
404 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/22 22:41
>>401 >と、言うことは髑髏さんは大体自分と同年代くらいということでしょうか!?
そうかも知れませんね。
私の青春時代は、新宿西口は未だ開発されてませんで殆ど空き地でしたね。
新宿東口は、ヒッピーの全盛期です。
口にビニール袋を膨らませたりたりして随分ラリッテいる人間がいましたね。
「接着ボンド」が正規の値段の3〜5倍で売れました(w
私は、遊ぶのは東口専門なんですが、やはり記憶として鮮明なのは「西口地下街」ですね。
政治思想の色々なセクトが集まって、議論を交わしました。結構充実した青春だったかと思います。
ソ連は、潰れた。中国は、社会主義資本経済かぁ。 ワケワカンネェ。
406 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/23 05:25
新宿東口。
「ニューヨーク」「カンタベリーハウス」「アップル」「ムゲン」「トレビ」。
御存知の方はいらっしゃいますか?
今はもう店はないと思うんですけど、遊んでいた方はレスくれると有り難いです。
>>405 中国は、上手い具合に路線を切り替えましたね。
今考えると、トショウヘイの政治手腕というのは見事ですね。
407 :
名無しさん@1周年:02/07/23 06:12
「和敬清寂」を「和敬静寂」なんて書くこと有るんですか?
造語ですか?
408 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/23 06:41
>>407 利休は、お亡くなりになりましたからね。
造語かどうかは分かりません。
利休に代わって私がコメントしてもいいのですが・・・・
私はそれ程の器ではありません。
先達の言葉をそのままに受け止める以外にありません。
茶道に興味があるのでしたら、夏休みの研究テーマにしても宜しいかと思います。
409 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/23 06:45
>>407 「和敬静寂」も「和敬清寂」も言葉とすれば両方あります。
ようは、言葉で解釈するよりも実際に「茶の湯」に親しむのが一番です。
後はご自分で研究なさってはいかがでしょう?
410 :
名無しさん@1周年:02/07/23 07:16
和敬静寂って利休のことば???
411 :
草レーサー:02/07/23 07:38
髑髏さん
新宿界隈と言うか、盛り場というのは自分で言うのもなんですが、ヤバイと
思っていたのか、足を運びませんでしたね。
思想とか、たむろすということにもあまり魅力を感じなかった。最もこっち
は高卒のDQNでしたから、理解できなかったかのかも知れない。(w
17,8の頃にはもう「バイク」と「クルマ」に明け暮れていましたよ。暴走
族には興味はなかったが、飛ばす事からスリルと自由を感じて満足していました。
これぞ「生きている」という感じですか…。「スリル」からはクスリなど必要
としないで猛烈な覚醒感を得られましたね。違った意味での危険性がありますが。
412 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/23 08:11
>>410 新宿はキャッチが多かったですね。いわゆる「逆ナンパ」で女が近づき・・・
あげくの果てには「如何わしい酒場」に連れていかれる。という奴です。
私は元来酒はあまり飲めない方だったもんですから、危うくそういう難には巡りあいませんでしたけど。
私が逝くのは大体、ゴーゴー喫茶みたいな貧乏人がタムロするような場所だったです。(w
>17,8の頃にはもう「バイク」と「クルマ」に明け暮れていましたよ。
あの頃は、車を持っていない人もいましたからね、
車を路上駐車なんかすると、たちまち「ヒガミ」で車に傷を付けられたもんです。
そういうことで、何となく車から遠ざかったというのがありました。
でも、車は好きでしたけどね。
車に乗った瞬間の、あのガソリン臭さが好きでしたね(w
>飛ばす事からスリルと自由を感じて満足していました。
私は「軟弱」だったんでしょうか?
そういう「男っ気」というのは無かったですね。憧れみたいのはありましたけど。
だからハードボイルドの世界というのが魅力に感じたんでしょう。
>>410 「茶道」について新スレ立ち上げてくれれば参加しますよ。
話は長くなりますので・・・・
413 :
草レーサー:02/07/23 20:19
髑髏さん
>私が逝くのは大体、ゴーゴー喫茶にたいな…
そういうところには行かなかったなあ。いま思えばそういう意味での青春みたいなもの
は縁がありませんでしたよ。若い頃は何をしていても一人だけ浮いてしまうという感覚
があったので、一人でできるものが私の世界だったような気がします。親友と恋人くら
いしか交友関係も結べない少年でしたねえ。(w
私もそんなに「男っ気」のある人間だとは思えないですね。顔立ちなど、若い頃はよく
化粧をしてみたくなる顔だなんて女性から言われていたし、性格も温厚な方でしょう。
ただ、瞳の奥にある何かを不良少年達には見抜かれてしまうようでしたが。よく絡まれ
て喧嘩沙汰になって困りましたから。キリスト教のお陰で善人の振りをして生きる知恵
を身に付けましたが、不良少年の地は隠せなかったということでしょうか…。
私はDQNでしたから高級文学などには縁がありませんでしたが「明日のジョー」は好
きでしたし、今見てもあの物語は感じちゃいますね。「真っ白になるまでやらせてくれ
よ…」と言う最後のセリフや不二のライバルを死なせてしまった後の地獄の苦しみから
立ち直ってくる辺りは特に好きですね。
マンガのことを引き合いに出すのは少し照れますが、まあその程度の人間ですよ。(w
414 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/23 20:38
コピペです・・・
以前、母がデジカメを買って嬉しそうに色々撮ってたけど、そのうちメモリが
いっぱいになったらしくてメカ音痴な母は「ねえ、これ写らなくなっちゃっ
たんだけど…」と遠慮気味に相談してきたけど、漏れは面倒くさかったから
「なんだよ、そんなの説明書読めばわかるよ! 忙しいからくだらないこと
で話しかけるなよな!」と罵倒してしまった。
その母が先日亡くなった。
遺品を整理してたら件のデジカメを見つけたので、なんとはなしに撮ったもの
を見てみた。
漏れの寝顔が写っていた。
涙が出た。。。
...・゚・(ノД`)・゚・
415 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/23 21:04
>>413 >若い頃は何をしていても一人だけ浮いてしまうという感覚
>があったので、一人でできるものが私の世界だったような気がします
私もそういうところがありましたね。
大勢の中にいても、何となく孤独感というのはありました。
ああいったディスコ系というのは以外に寂しがり屋さんが多いかと思いますよ。
あいった場所で、一時的にそういった孤独感みたいなのを忘れられるような・・・そんなところでしょうか?
>親友と恋人くら
>いしか交友関係も結べない少年でしたねえ。(w
私は親友というのはいたんですが、恋人というのは居ませんでした。
本当は、そういった恋人というのが欲しかったんですけど、やはりああいった場所に出入りする女は一回こっきりですからね。
女に関してあまり縁がなかったですね(w
私は一重瞼でしてね、自分では結構気にしてました。
エリザベス・アイリッドという、去勢化粧品を愛用してましたよ(w
その夜だけ違う自分になるような、そんな虚構の世界でフラフラしてたんですね。
>「明日のジョー」は好きでしたし
私は、「フランダースの犬」みたいな「泣かせもの」が好みでしたよ。
死後のシーンは、なかなか泣かせてくれます(w
まあ、つまりは「女っぽかった」んでしょうかね?
ホモではないんですけど・・・。そんな青春時代です(w
416 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/23 21:19
× 死後のシーンは、なかなか泣かせてくれます(w
○ 最後のシーンは、なかなか泣かせてくれます(w
あれは、教会のマリア像か?キリスト像?の前のシーンですね。
犬と少年が天国に召されて逝くんですよ。
その少年が純心なお子さんでしてね、余計に泣けちゃうんですよ。
>>414レスも結構泣けますか?
私にも、そういった一面があります。
泣けると言いましても、涙がこぼれちゃう訳ではありませんが・・・。
心情的という事で・・・。
417 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/23 21:26
>>416 >× 死後のシーンは、なかなか泣かせてくれます(w
そうそう、今思い出しました。
死んだ後、天使が舞い降りてきて少年を「天に召します」。
なかなかこのシーンが良く出来てますね(w
419 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/24 06:21
>>418 これは、オカルト板から拾ったもんですね。
あそこはネタも多いんで、それなりにアッサリ読むんですが、これはリアリティーがあるから・・
ネタでもなさそうだし・・・・
親の心情も伝わっていて、なかなか良レスと私が判断しました。
小班板で一つの事件を追っているんですが、あれはノメリコミますと鬱になるんで細菌はロムってません。
未解決事件板では面白そうなスレもあります。カキコはしませんけど。
結構レベルの高い探偵?がいますね(w
420 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/24 06:25
× 細菌
○ 最近
毎度のことで変換間違いです。
421 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/24 06:55
あらあらスマソ。
【新板要望スレ】より・・・
683 :心得をよく読みましょう :02/06/01 18:04 ID:Lxom21A6
未解決事件板に続くのは・・・いま真剣に議論している板って少ないのー。
児童文学板すら過去ログ行き。みんな続かないのかな。
現在「未解決事件板」は消失してます。
理由は分かりません。
422 :
別スレの277:02/07/24 13:04
髑髏さん:
>>409 >「和敬静寂」も「和敬清寂」も言葉とすれば両方あります。
>ようは、言葉で解釈するよりも実際に「茶の湯」に親しむのが一番です。
>後はご自分で研究なさってはいかがでしょう?
こだわるようで申し訳ないですが、或いは私の知識不足かも知れぬと思い、
「和敬静寂」なる語句が有るのか否かを調べてみました。
「和敬<静>寂」は、やはり造語です。
私は禅坊主で、禅学を研究している者ですが、
茶道に使われている禅語も渉猟したことがあります。
たしかに、かつて、近年の茶道の家元の軸に、
「楽」と大書した下に著語のようにして「和敬<静>寂」と
「静」の字を用いたものを拝見したことが有ります。
しかし、ですね。家元はたとえ禅に造詣が深くても、禅僧でも
なければ、禅学の研究者でもないのです。書道家もそうです。
間違えるときもあれば、そのときの心境や主張したい内容によって、
または独自性を醸し出すために、わざと書き換えることが有ります。
「和敬<清>寂」が本来の言葉で、茶人では知っておかねばならない
語句であります。茶道の世界では「四規」といって、とても重んじます。
少なくとも、貴殿のおっしゃる「和敬<静>寂」は、一般に知られた
タームではありませんので、使用されるときは注意されることをお勧めします。
ちなみに、別スレで私が述べました「和敬清寂」の解釈を上げておきます。
なお、これは私自身の解釈で、他人の文章のコピペではありません。不悪。
茶道の祖である村田珠光の創唱とされ、利休の茶の精神をあらわす
四つの規範《四規》。茶道と禅の真髄、茶禅一味の理想的境地を簡潔に
表現したもの。
「和」は根源的一に帰した平等一如の世界、
「敬」は平等一如でありつつ互いの存在やその尊厳を認める差別の世界。
この二つは相即しあい、二にして一、一にして二という不二の境涯を
示している。また、
「清」は一点の塵や穢れも無く清浄であること。
「寂」は清浄であることによって煩悩を空じ尽くした閑寂な境涯。
清と寂との関係も和と敬の関係と同じく相即している。
423 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/24 14:12
>>422 「和敬<静>寂」については、ほんの触り程度ですね。
2ちゃんの掲示板ですから、それなりのレスです。
これが授業料を「取る」という立場でしたら、そうも逝ってられないんでしょうけどね。
実際は「金」を取ってますから、それはそれなりに「自分の考え」というのを伝えます。
情報が氾濫してますからね、それんなりのテクニック?→オリジナリティーというのがあるんですよ。
そういうところが「商売」なんかと思いますよ。
相手は「お客様」ですから、それ相応の事を学んで頂かないと「金」は取れませんでしょう?
そういう「部分」というか?いわゆるノウハウがりませんとやってはいけないんですよ。
そういう訳で、掲示板でしたら大体あの程度で充分かと思います。
本格的に「茶道」を学ぶというのでれば、それ相応の金は掛かります。
私は、それ相応の仕事は致します。
424 :
別スレの277:02/07/24 15:04
御返事どうも。
なるほど、私は無償でこんな仕事をしてしまったということか。。。
まっ、知的刺激を受けられればそれでいいです。
425 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/24 15:48
>>424 ある、お客様を茶席に招待(無料)して、ビジターになるか?メンバーになるか?は勝負?です。
この時は、和敬清寂も、和敬静寂も、わびも、さびもありません。
ただ坐って頂くだけですから。
それで相手に「何か?」を伝えられなけりゃ・・・これはどうしょうもないかと思います。
これが「わび」か? これが「さび」か? はあまり最初は関係ないかと思います。
で、帰る時のお客様の背中を見る。
それで大体分かるんじゃないかと思います。
女を、早朝にホテルの玄関先で別れることがあるでしょう?
あの寂しそうな後姿では駄目、駄目なんですよ。
メンバーになりたい人は、ああいった寂しい姿ではないですね。
426 :
名無しさん@1周年:02/07/24 19:14
うそつきはきらいだよ
427 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/24 19:51
>>426 >うそつきはきらいだよ
そういう煽りの方が、私には性分があっているよ。
大体私のキャラも出来上がっているんで、それ以上のレスは付けない。
私はDQNだから「それ以上のレス」というのも無いか?(w
DQNっていうか変質者なんだけどね
429 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/24 20:08
>>428 いよいよ、2ちゃんらしくなってきたね(ワラ
まあ、オマエモナ〜
つか、オマエモナ〜
ええ感じや・・・・・
つか、オマエモナ〜(ワラ
430 :
別スレの277:02/07/24 22:22
なるほど、髑髏が女に満足させていないということだけは、わかった。
こんな感じで宜しいか?
431 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/24 22:52
>>430 あまり情緒が無いな(w
それじゃ〜女にもてんぞ・・・。
「中島みゆき」が、そんな歌を唄っていたな。
あの「吉野家の牛丼」のヤシ
あの心情が分からんと・・・・まだまだですな(w
432 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/24 22:58
>>430 私はこれから寝ますけど、朝起きたらもっとインパクトのあるレス頼むよ。
じゃ〜、期待しているからね♪
433 :
別スレの277:02/07/24 23:02
>まあ、オマエモナ〜
>つか、オマエモナ〜
↑これは情緒が有るってことか。
どちらがワビで、どちらがサビなんだ?
君に茶を御馳走になったら、たぶん肩を落して帰るだろうよ。
こんな感じで宜しいか?
434 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/24 23:08
>>433 まあ、そんなとこで合格としましょう。
禅の坊さんに、女性観というのもチト酷すぎますからね。
435 :
名無しさん@1周年:02/07/24 23:11
別スレの277さんに質問ですが、これは誤読ではないのですか?
http://mentai.2ch.net/philo/kako/1010/10107/1010788424.html/ >478 名前: 電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss 投稿日: 02/02/17 19:10
>「三法印」と「形而上学に対する無記」で十分なのですが、一度、原始仏教の範囲で探っ
>てみましょう。まず第一弾として雜阿含經卷第七に「生まれ変わり」に言及せず、死後に
>は完全になくなってしまうことに対して、「地は地に帰り・・・・・」と説くものがあり
>ます。地とは四大の一であり、物質としての構成要素をさします。四大和合士夫とは「四
>つの物質的構成要素が集まった人間は」と言う意味です。「生まれ変わり」を示さずに別
>の事を述べているわけです。機会があれば、また別の経典をご紹介して徐々にご説明しま
>しょう。
>
>如是我聞。
>一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。何所有故。
>何所起。何所繋著。何所見我。
>令諸衆生作如是見如是説。諸衆生此世活。死後斷壞無所有。
>四大和合士夫。身命終時。地歸地。水歸水。
>火歸火。風歸風。根隨空轉。輿床第五。
>四人持死人。往&M005344;間。乃至未燒可知。
>燒然已骨。白鴿色立。高慢者知施。黠慧者知受。
>若説有者。彼一切虚誑妄説。若愚若智。
>死後他世。倶斷壞無所有。諸比丘白佛。
>世尊是法根法眼法依。如是廣説。次第如上三經
>(大正蔵経2.44.a)
436 :
別スレの277:02/07/24 23:13
髑髏どの:
やはり、423の書き込みの意味がさっぱりわからないのだが、
明日起床してからでもいいから、注釈を書いてくれたまえ。
とくに金が云々というのが、やはりわからんのです。それと、
>「和敬<静>寂」については、ほんの触り程度ですね。
の下りは、ひょっとして、私の422における私の書き込みに
対してですか?もし、そうなら「間違い」に対して解釈を加える
ことこそ愚かではなかろうか?
どのみち、もう少し解りやすく言い直してくれたまえ。
あと、中観や空性についても、できれば貴殿のスタンスを示して
くれると有り難い。
(ちょっと、情緒が無かったな)
437 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/24 23:30
>>439 >>「和敬<静>寂」については、ほんの触り程度ですね。
>の下りは、ひょっとして、私の422における私の書き込みに対してですか?
これは「私の書き込み」についてですね。
平等・格闘・平和。どうゆうふうな説明が良いのか?
「これが良くて」「これが悪い」というもんじゃ〜ないでしょう。
その人の境涯を「言葉」で言い表わすに過ぎませんからね。
ここのところは、貴殿の十八番の不立文字と同じことです。
いずれにせよ、詳細は後ほどに除除に・・・・。
438 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/24 23:59
>>439 >とくに金が云々というのが、やはりわからんのです
これは「師弟関係」のことです。
互いにコンセンサスがあれば何でも喋れるけど、公共掲示板ではそうもいかんでしょう?
もう寝ますんで最後にカキコ入れました。
439 :
別スレの277:02/07/25 00:23
>「これが良くて」「これが悪い」というもんじゃ〜ないでしょう。
各々の境界やその深度に応じて解釈が異なって然り。
故に、「平等・格闘・平和」では、貴殿の境界がわかるというもの。
いずれにしても、もう少し「情緒」を以て解釈してはどうかね?
「平等と非平等、そしてこの両者を超絶する絶対平等としての平和」
とでも無理矢理解釈するのかな?これでは、ずいぶんと安直ですよね。
本来の語句を敢えて書き換える場合、それ相当の理由が無ければ格好も
つかんのではないでしょうか。苟も「四規」をもじるのであれば、
本来の句を超えたものでなければ、村田珠光も千利休も泣きますよ。
ほかの句ならまだしも、祖に対する冒涜にもなりかねないのでは?
神秀を超えた慧能の偈のようなものであれば好いのですが……。
あとは解釈に期待しましょう。見事な解釈を望む。
440 :
別スレの277:02/07/25 01:01
>>435 何故私に白羽の矢が中ったのか「?」ですが、
引用された箇所の解釈のみを拝見する限り、
誤読ではなさそうに見受けられます。
私のPCでは、どういうわけか指定リンク先が
開かないので、議論の流れが見えません。
よろしければ、何故誤読ではないかと思われたのかを
お願いします。
441 :
NETTAIYA:02/07/25 01:50
トイレに起きてくるのかー? トイレに起きてくるのかー? 季節が、冬だったら毎晩、起きるにちげえねえだろに。
442 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/25 03:17
>>439 >本来の語句を敢えて書き換える場合
貴方の発想そのものが禅的ではないのでは?→禅僧というならば・・・の話ですが。
だから私は、437で不立文字とカキコしたんですよ。
「茶法」というのであればマニュアルとおりにやれば良いんで、何も高い授業料を払わなくても良いんですよ。
最初に全部マニュアルがあって、そのとおりにやれば満点になるんですから。
どこの禅僧か知らんけど、公案も模範回答とおりにすれば良いだけの話ですから。
>村田珠光も千利休も泣きますよ。
ここのところも「あなたの理解」で捉えたら良いんじゃないでしょうか?
自分がそう思うのであればそれで良いのであって。
私と貴方が「師弟関係」でしたら、私は最初から「語句」というのは持ってこないですね。
貴方の好きな?道元と同じように「黙って坐れ」ですよ。
おそらく、プロ(茶道)でしたらそういう手法を取るかと思います。たぶんね。
443 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/25 03:58
>>439 チョッと気になった部分。
>「平等と非平等、そしてこの両者を超絶する絶対平等としての平和」
普通、禅僧でしたら「発想」だとしても、こういう「発想」はしないですよね。
意識的にしようとすれば、こういうレスもつけられますが・・・・
444 :
別スレの277:02/07/25 04:27
×境界→○境涯
でした。
髑髏どの:
おはよう。お主、律義に応対してくれて、なかなか面白い御仁ですな。
>>442 >自分がそう思うのであればそれで良いのであって。
コレ、厨房がよくいうセリフ。
「それは貴方の考え方でしょ、私には私の考え方があるだっつーの、
押しつけないでくれねーかぁ」みたいな。。。
境涯の在り方によって語句の捉え方は異なるもの。
一輪の花を見てキレイと思うか、ウザイと思うかは勝手だが、
禅では、後念を次がず只だ無心に花に対することが肝要です。
だが、ここではそういう議論じゃないでしょう。
お主が間違えたのは「四規」でしょ。
茶道をかじったんなら知ってて欲しいな。
譬えば「正伝の仏法」も、
お主の言うように「恣意的に捉えれば良い」とすれば、
真風地に墜つるよ。
お主は黙って坐って、寝ていると違うか?
只管打坐の意味も理解していないと違うか?
はやいとこ、字を間違えたと言えば、見逃してやるぞ・・・。
文字でしか相手が見えないココに於いて、
不立文字で勝負をかけるか。(ワラ
な〜んて、喰いついてみるのも、面白いですね。
2chの仁義って、こんな感じで宜しいか。
445 :
別スレの277:02/07/25 04:36
>>443 >普通、禅僧でしたら「発想」だとしても、こういう「発想」はしないですよね。
「平等・格闘・平和」という、お主のトンデモ解釈に合わせて、
お主の言いたいであろう通り一遍の表面的理解を慮った揶揄ですよ。
どうせ、こんなもんだろうってこと。
「こういう「発想」はしないですよね」と言うのなら、その前に
お主の誤った造語「和敬<静>寂」に著語してみれ。
446 :
別スレの277:02/07/25 04:41
ところで、髑髏は坐禅の経験有るのかい?
どっちでもいいや。
ちょっと、野暮になってきたな。
わしは、朝課してくる。
447 :
草レーサー:02/07/25 07:54
髑髏さん
そう言えば最近、144さんのレスがみえなくなりましたね。その後楽しんでいる
のかなあ。
414のコピペは、人間の悲しみそのものですね。私にも同じ様な経験があります
ので、ズキ−ンと来てしまう。「フランダースの犬」はうら覚えなのですが、あの
少年の純心さと生きていく上での苦労が凄いコントラストになっていたと思うなあ。
少年時代に見た時は、あまり感慨をうけなかったのですが、再放送でいつだか見た
時の方がグット来ましたね。私は少年の頃は情緒が麻痺していたのかも知れない。
私の場合は成人してからの方が、ずっと多感になってしまいましたよ。(w
明日のジョーにしても、見方がかなり違う。あの主人公は生粋の拳闘野朗ですから
戦って相手に勝つことを目指すわけです。しかし、勝つたびにライバル達を壊して
しまう。不二のライバルに至っては死なせてしまう。死んでしまった後から見難い
「アン畜生」が二人といない大切な人であったと気付くんですね…。相手を倒す戦
いで「勝」を得るわけですから「負」の影が迫ってくるのですね。
414のコピペと通じていると思う。もっと激しく壮絶なかたちですが、分かり易い。
現実の人生でも要となるのは、その「負」の影を背負って生きていく智慧や力でしょう。
相
448 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/25 08:03
>>445 >「平等・格闘・平和」という、お主のトンデモ解釈に合わせて、
これに付いては企業秘密だから詳しくはカキコできない。
「陰陽思想」というのが入りこんでいるんで、これをごっちゃにすると非常に誤解されやすい。
裏とか、表とかは、そういった考え方の違いからくるもんだろう。
>>>「平等と非平等、そしてこの両者を超絶する絶対平等としての平和」
これのことだが・・・・
【平等(無分別)】⇔【格闘(分別)】⇔【平和(調和)】。くらいには解釈して頂きたかった。
つまり貴方の考えというのは「悟りとはこんなもんですよ」。と最初に答えを用意するやり方だ!
説明しる、と言われれば「即心即仏」。これで満足するんでしょうけど、
実は「非心非仏」。言語の解釈というのはこういったものかと思いますよ。
449 :
別スレの277:02/07/25 13:16
>【平等(無分別)】⇔【格闘(分別)】⇔【平和(調和)】。くらいには解釈して頂きたかった。
もちろん、そのつもりで論じてきたつもりだ。
450 :
別スレの277:02/07/25 13:18
即心即佛や非心非仏では言葉で説明したことになってないぞ。
451 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/25 13:53
>>450 貴方が、研究熱心なんで一応カキコするが・・・
例えば「宇宙とは何ぞや?」と質問するようなもんで、言い方とすると色々ある。
その答えを・・・・
私が弟子に「無限の空間」と仮にいったなら、弟子はその概念に凝り固まってしまう。
これは適切な事じゃ〜ないんですよ。
大学か何かで、学生に教えるのとは訳が違いますからね。
大学では通用するもんでも、一般社会(茶道)では通用せんのですよ。
とうり一辺倒のマニュウアルを、ただ教えるだけで金になるんなら、こんな楽な商売はない。
>即心即佛や非心非仏では言葉で説明したことになってないぞ。
どこそこの学校の先生なら、「説明するだけ」で金になるんですよ。
私はそういう商売では無いですから。
はっきり逝って、非常に厳しい世界です。
弟子をある程度育てて、段々クリアしていく・・・そういうプロセスというのがありますから。
簡単では決して無い世界ですね。それ相当の高額な報酬というのはあるにしてもです。
452 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/25 14:08
>>447草レーサーさん
>戦って相手に勝つことを目指すわけです。しかし、勝つたびにライバル達を壊して
>しまう。不二のライバルに至っては死なせてしまう。
段々記憶が蘇ってきましたよ。
たしかライバルというのは「力石」じゃ〜なかったでしょうか?
あの面長でチョッといい男の。顔まで思い出しました。
なんか髭面のマネージャーみたいのもいましたね。
最後?のシーンは、たしか力石がスローモーション状態でリングに倒れるヤシですか?
たぶんそうじゃないかと。インパクトがあったんで記憶として残っているんじゃないでしょうか?
ああいったアニメというのは、やはり人間を成長させてくれますね。
あれは友情なんでしょうかね。心に熱いものを感じます。
453 :
別スレの277:02/07/25 14:14
>髑髏
449で、
>>【平等(無分別)】⇔【格闘(分別)】⇔【平和(調和)】。くらいには解釈して頂きたかった。
>もちろん、そのつもりで論じてきたつもりだ。
と言ったのは、誤解が無いように付言しておくが、
これは、どうせお主はこんなふうに考えているんだろ、
そんな安直な解釈では納得されんぞ、と先手を打ったんですよ。
ちゃんと、読んでいれば、わかるはずだが・・・。
目が曇ってるんとちゃうんかい。
それにしても、ずいぶんと、金とか報酬に拘る方ですなぁ。
それはいいが、お主はすっかり魔禅に侵されているようだ。
それに、説明できるものを説明できないのは、ちょっとどっかが
悪いんとちゃうか?
「和敬清寂」は茶道の規範であって禅語じゃないぜ。
それとも、お主はこれを「和敬静寂」と言い換えて、
これを禅語であると定義してしまったのか。
それが茶祖に対する冒涜じゃと言っとるのですよ。
454 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/25 14:41
>>450 >即心即佛や非心非仏では言葉で説明したことになってないぞ。
説明せずとも実践でこれをやっているでしょう?
最初の客人を一生懸命もてなすのは、どんな人間であっても平等ですし、
一期一会、先の事は分からんけど、リピーターになって頂きたい。というのは格闘。
それを上手く調和して「茶の湯」。簡単に逝ってしまえば説明はいらんのです。
そういうふうに「実践」するのが「道」ですから。
455 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/25 14:49
>>453 2ちゃんで議論できるのは、これが限界ですね。
これ以上は自分の手の内を明かさんでしょう?
こちらは趣味でやっているわけではないんでね。
自分のキャラの範囲で答えています。
そこのところはあしからず・・・・。スマソ
家族もいるんで、人間食べていかねばならんでね。
遊びで仕事をしているわけではないんで・・・・・
あーーっはっはっはっは。
456 :
別スレの277:02/07/25 14:51
どこの企業秘密だか知らんが、ずいぶんと勝手なことを言っているんだな。
髑髏の正体はわかった。もう相手にしません。勝手にやってくれたまえ。
457 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/25 15:09
458 :
草レーサー:02/07/25 17:52
>>452 髑髏さん
そう、力石ですね。続編では力石の亡き後から物語が初まるのですが、ライバルがいな
くなったのと死なせてしまった事の重みに押し潰されて、抜け殻のようなホームレス生
活。吹っ切りを付けて復帰するも、潜在意識の「罪の意識」から顔を殴れないボクサー
としての出発と絶望。そして自分とうりふたつの野性的なボクサーに、目の覚めるよう
な「一発」を食らって目覚めるも、そのボクサーも試合の結果廃人になってしまう。
そして自分の身体も壊れている事に気付くが、それでも周りの人間を欺いて最強のチャ
ンプに挑戦していくのですね。そして自分だけでなく、自分が負かした選手達の燃え
残っているファイティングスピリットまで燃やし尽くして「燃えたよ…燃え尽きた…」
と呟いて息絶えるのです。その試合は判定で負けるのですが、そこで物語は完結。
主人公の矢吹丈は勝ち逃げをせずに、燃え尽きるまで闘って最後に負けた。まるで結果
などどうでもいい、或いは知っていると云わんばかりに息絶えていった。これは一つの
「男の美学」としてもイイ物語だと思いますね。
釈尊は、善友を得ることは道の全てである。と仰っていますが、善友とはライバルとも
言えると思う。師には弟子が多いので無理でも、ライバルには全力でぶつかっていける。
「こんのやろーっ」と闘志を掻き立てられるように、一人では難しい気力の維持を可能
にしてくれるものだと思う。ライバルというのは得難い善友なのですね。
ライバルは普段は気になる「あんちくしょう」ですが、イザとなると助けてくれたりも
する。(w
また嫌われてやがんの(W>髑髏
460 :
草レーサー:02/07/25 18:51
「負ける」というのは、何度経験しても嫌なものですね。誰でも一つ二つは、
惨めで情けない「負け」を記憶していると思う。恥ずかしいことながらね…。
特に、意地を賭けての勝負に負けるというのは、かなり自尊心を傷つける。
しかし、力があれば負けるのは相手であり、他の誰かに味わってもらえます。
だから皆、必死になって「知力」「体力」「権力」等を身に付けるのだろう。
力があれば、この世のどんな勝利の美酒にも酔う事ができますからね。
動物の世界には弱肉強食の掟があり、これもその延長線上にあるのだと思う。
力の弱いものは食われるのですから。「力が弱ければやられる」という恐怖
心は生命保存の第一原理から出てくる動物の本能でしょう。
でも動物本来の食べるということは、命をつなくこととイコールで、自分よ
り弱い生き物を食うのは、そのまま生きるため。生き物には強いものが生き
残るという鉄則があるが、人間以外の生き物達は、その命を全うしているの
ではないかと思う。ありのままと言うことで。人間だけがありのままからは
み出してしまう性を内在させているような気もする。
人間が、その命を全うするというのは、どんな人生、生き方なのだろう…
461 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/25 18:52
>>458 >「男の美学」としてもイイ物語だと思いますね。
「男の美学」というのは、久しぶりに眼にしました。
最近は死語?になっているんでしょうかね?ダンディーズムとか、逝ってた時代がありましたね。
私は、野球とかサッカーはあまり興味がないんですよ。
しかしながらボクシングは見るのは好きですね。そうそう「美学」みたいのを感じますよね。
孤独の闘いというのでしょうか?勝敗の格差が非常に大きい。
男のロマンといのを感じます。
ここで思い出すのが、赤穂浪士ですね。
一度、高輪泉岳寺に逝った事があります。
浪士の近くに、「武具を無償提供した」名前は忘れたんですが、その人の墓もありました。
「商人(あきんど)の鑑」として祀られているいるそうですよ。
これが「男の美学」というんでしょうかね?
つまりは、「武具無償提供」と「バレタラ自分の命もヤバクなる可能性」もるんですから。
映画かなんかで見たんですが、浪士が「〇〇殿こんなことして宜しいのか?」
そうするとその商人は答えるんですよ・・・
「拙者は男でござる」。このセリフは良かったですね。
私が商人でしたら、ああいう商人になりたいみたいなのはありました。
果たして自分だったらどうか?結構迷うかと思う。
それだけに憧れというのはあります。
462 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/25 19:30
>>460 >人間だけがありのままからはみ出してしまう性を内在させているような気もする。
一言で逝ってしまえば、そういう事かと思います。
>人間が、その命を全うするというのは、どんな人生、生き方なのだろう…
人類永遠のテーマですよね。
それを考えつつ、やがて歯が抜け落ち。少しづつ老いが忍び寄ってくる。
「荒野の七人」という映画がある。
子供「おじちゃん強いね、僕のお父ちゃんは弱虫だね、だって逃げちゃったよ・・」。
ガンマン「いんや、そんな事逝っては駄目だよ、お父さんは強いんだよ」
「何故って?お父さんが死んじゃったら君は困るだろう」
「お父さんはね勇気があるんだよ、だからジッと闘いたいのを我慢してるんだよ」。
このセリフを思い出しましたよ。
「荒野の七人」というのは、邦画の「七人の侍」のパクリらしいが、
やはり、ハリウッドは違うね。
随分泣かせるセりフでしたね。
パクリなわけねえだろう
原作黒澤明ってクレジットされてんだから
パクリはイーストウッドのほうだ
464 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/25 19:40
>>453 ああ、これはどーもです。
>原作黒澤明ってクレジットされてんだから
随分、映画に詳しいですね(^^)
465 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/25 19:41
466 :
チッチョリーナ:02/07/25 23:25
マカロニ・ウェスタンあげ
467 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/26 06:47
(462のつづき)
「シェ−ン」も良かったですね。
奥さんとの不倫。子供との関わり。この双方が上手い具合に絡まってストーリーは展開します。
で、やはりインパクトのあるのは「子供に対するシェ−ンの優しさ」かと思います。
こういう事に感動するというのは、人間共通の本能的なものが有るんじゃないかと思いますね。
>>人間が、その命を全うするというのは、どんな人生、生き方なのだろう…
自分みずからが「縁」によって生を受け、「縁」によって女性と巡り会い、「縁」によって子供が生まれ、
「縁」によって子供を育て、「縁」によって自分がこの世を去る。この繰り返しかとおもうんですよ。
これが極自然な「ありのまま」なんかと思いますね。
「荒野の七人」や「シェ−ン」がカッコよく感じるのは、大人の子供に対する「優しさ」かと思います。
極自然な人間の感情というのをモット大切にしたい。それだけで良いんじゃないかと思います。
生き方とは・・・・
森羅万象、そうやって生命を継承してきたのではないでしょうか?
「あたりまえ」のことを「あたりまえ」に受け止めれは、それで良いんじゃないかと思います。
468 :
草レーサー:02/07/26 07:47
髑髏さん
「シェ−ン」か…。従兄弟が大好きでしたね。子供の頃連れられてよく一緒
に見ました。やはり少年の頃は情緒が麻痺していたのだと思う…。
それはともかく、人間自分が変われば、同じ物語でも違うものが見えてくる
ものですよね。子供の自分と大人の自分でも微妙に、或いは大いに見えるも
のが違う。いつか、一人で「シェ−ン」でも見てみよう…。
>「あたりまえ」のことを「あたりまえ」に受け止めれば、それで良いん…
やっぱりそうなのかな。「あたりまえ」のことを「あたりまえ」として…
これは理論、理屈でどうにかなる問題でもないですよね。客観的な事実を重
んじる風習の中では、特に困難な「表現」の問題もあると思う。
自分で掴んだものを自分自身で検証するにも、迷いの森に入っていきけねな
い。ここでは第三者や、全く違う分野の名人や達人の言動の中から、何かの
共通的なものを擦り合せていくしかないかもしれない。
これも孤独な道のりですね。人それぞれ「自分の世界」というものがあるか
ら、そこから擦り合せていかないと意味がない。
まず、あたりまえのことを、あたりまえとして「受け止める」感覚の部分が
要だと思う。これは仏教の「中道」を嗅ぎ分けるセンサーでもあると思うの
ですよ。これを取得するのが,所謂「道の修行」なのかも知れませんね。
ここのところに機軸を据えられれば、あとは「自分の世界」との擦り合せで
何をやろうが、語ろうが、形も徐々に整ってくるのかも知れないですね。
色々なことが自ずとわかってくる「自ずと」「自然に」という領域が確かに
あるように私にも思えます。
469 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/26 09:00
草レーサーさん
>これは仏教の「中道」を嗅ぎ分けるセンサーでもあると思うのですよ。
ジョーと、力石には「格闘」があったんでしょうけど、また同時に「友情」もあった。
その事のジョーは「気づいた」んかと思います。
ものごとには二面性があるんで、状況において捉え方もマチマチなんでしょうけど、結局は中道・合一かと思います。
「和敬静寂」も、つまりは中道を言い表わしているんかと思います。
ガンマンの「強さ」と「優しさ」。
日本刀の、鋼(はがね)の「硬・柔」の絶妙なバランス。
つまりは、こういった中道のなかに人間というのは魅了されるんかと思います。
本質的なものが見えてくるかと思います。
470 :
名無しさん@1周年:02/07/26 12:24
勝手な解釈 〜トンデモ造語「和敬静寂」の安直な構造〜
二面性 中道・合一
「格闘」←→「友情」──「気づいた」
「強さ」←→「優しさ」─┬─バランス。
「 硬 」←→ 「柔」 ─┘
相対と統合(調和)、
分別×無分別──調和、
A×B→非A非B(=中道)
!!!???
思ったとおり安直じゃのぅ。(w
思ったとおり低能じゃのぅ。(Wara wara
定義化・構造化で凝り固まっとる。(ゲロ
こういう頭で金をとるつもりとは…(トホホ
468(草レーサー)のほうが言い得てるぞ。
勝手にやってくれ、勝手にやってくれ、アホは相手にせん。
471 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/26 12:34
>>470 そう熱くなるな(笑
随分私に興味があるようだが・・・
私は「男色」の気は無いぞ!逝っておくけど(w
なんだったら、144さんのようなレスが好みだ(w
ちなみに144さんは私と友達になったよ・・・・
あーーーーーーっはっはっはっは。
472 :
名無しさん@1周年:02/07/26 13:55
わしは、友達にはなりたくないな。
ひょっとすると、お主と直に会っていたら、
違う印象だったかも知れないが。たぶん。
しかし、144さんって男だったのーっ!?
473 :
名無しさん@1周年:02/07/26 14:06
471は、図星にたじろいでいるってことか?
それも情け無いな。前から指摘してやってることなのに……。
ふぉもと友達やってろ。
あーーーーーーっはっはっはっは。
アホくさっ
474 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/26 14:17
>>472 >しかし、144さんって男だったのーっ!?
男は、生理といのは無いと思うぞ。
144さんは「生理がある」とカキコしても、男女の判断が出来ませんか?
よく考えれば分かるとおもいます。
475 :
名無しさん@1周年:02/07/26 14:27
そうだったか。あまりジックリ読み返してなかったからな。
しかし、女をあんなんにしてしまう髑髏の調教方法って、いったい……。
相対を無くしましょう、統合と調和を私といっしょに体験しましょう、
とかやってるわけか?
アホくさっ
476 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/26 14:32
>>473 >ふぉもと友達やってろ。
これは「役得」ってもんでね、分かりますか?
狭い部屋で男女が「対」で授業を受ける。
極自然に「感情」は芽生える。これは当たり前。その気になればの話です。
そこでイチイチ女に溺れていたんでは身の破滅。
チャンスはいくらでもある。しかしながら・・・・
これは仕事だからね、その後→ムニャムニャ。
ようするに、好き好んでホモになることもないんですよ・・・。
あーーーーーっはっはっはっは。
477 :
名無しさん@1周年:02/07/26 14:53
おまえ、そんなことやってんのか。
訴えられるぞ。
478 :
名無しさん@1周年:02/07/26 14:55
一休さんの本でも読んで感化されたんじゃないですか
すぐ影響受けるから
479 :
名無しさん@1周年:02/07/26 14:57
一休禅師が何か関係あるの?
480 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/26 15:59
>>477 >おまえ、そんなことやってんのか。
>訴えられるぞ。
あのね・・・・
女性が、5・6人位でお茶の席を用意します。
何回かそういう席を持ちますと、女性の何人かは「女性の方」から擦り寄って来ますよ。
これは女性特有の心理なんでしょうね。
麻原が、数人の女性を近辺にはべらかしていましたね。
ああいった状況でしたら、極自然に女性の方から擦り寄って来ると思いますよ。
女性というのは環境によって相当思考が変わりますからね。
ジェラシーとか、種の保存本能みたいなもんなんでしょうかね。
私の場合は、そういった女性特有の心理状態というのを加味しつつ善処してます。
これは大事なことでしてね。
理性的に対処できなければ茶人は勤まりません。
481 :
名無しさん@1周年:02/07/26 17:43
>理性的に対処できなければ茶人は勤まりません。
じゃあ、お主は勤まっていないわけだな。(w
ところで、たしかにそういうことはあるね。
特に狭い空間に於いてだと一層だろーな。
○○の先生とかだと、「あぁ〜、私の先生ぃーっ」
て感じになってきて、習い事の競争意識から発展して
先生に対する独占欲が湧いてくる。ほかの女性への
ジェラシーも湧いてきて、会の雰囲気が壊れることがある。
それで、結局みんな一緒に止めたり、ときには
先生が逆恨みをうけたり。
こういうのは私も困っている。そういうのを撥除ける雰囲気、
厳格さが要求されるよな。
髑髏はそういうのを利用して楽しんでるんだろー。
そのうちシッペ返しを喰らうぞ。
アホくさっ
482 :
名無しさん@1周年:02/07/26 18:03
いえ、ネタというか妄想です
483 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/26 19:07
>>481 >髑髏はそういうのを利用して楽しんでるんだろー。
世の中それほど甘くはないかとおもいますよ。
女は大変恐い存在でもります。
時には「鬼」にもなり、時には「蛇」にもなりますからね。
だがしかし・・・・
ほら、サーカスの調教師がおりますね。いわば「手なずけ三寸」。
ド〇イにもなるんですよ。
摩訶不思議な存在でもあります。
女の性(サガ)は海より深し。
総体的に、貴殿は私の苦労を大体理解しているよーですね(^^)
484 :
草レーサー:02/07/26 19:19
最近の先進国等で、結婚できない人が増えているそうですね。恋人すら見つからない人
も多いとか。まあ、お金を払えば簡単にセックスもできるし、簡単に股を開く女性も多
いのだから、精神的に煩わしい部分を男が避けてしまおうとする気持ちは私にも分かり
ますね。
私も擦り寄ってくる女性や何となく関係ができた女性とは結婚にまでは至れませんでし
た。決心が付かないんですよ。自分で「これはっ!」と思った女性を四苦八苦して何と
か口説いて結婚したのですが、この時は結婚について迷いはなかったな。
あれもこれもという状況になると、やはり人間迷いますよね。これは男女関係でも同じ
こと。私は何となく、雄の本能として「自分でものにする」ことに理屈抜きに満足して
してしまうところがあるのだと思う。女性主導型の恋愛や結婚は、実は男性は避けたい
と思っている部分もあると思う。すぐに飽きてしまうし…。
何人もの女性に擦り寄られるのは「いいなあ…」という想いも男にはあるが、実際にそ
の立場に立ってみるとかなり辛いですね。特に一夫一婦制の中で夫婦生活をしている人
にとっては…。その中で夫婦生活を維持していくには、それなりの工夫が要ります。
幾ら妻が寛大な心を示しても、そこは雌の性、恐ろしいものがあるだろうと思いますね。
自分で言うのもなんですが、私の妻は一度捕まえたら、手放すのは惜しいタイプの人だ
と思う。運の上がる人というのか、一目見て本能か直感ですぐにピーンと来ましたよ。
こんな人は後にも先にも初めてでしたね。こんな人が二人といたら変になってしまう。
性の仕組みを考えても、まず雄が雌に尽くして果報を頂くのが自然の姿なのではないだ
ろうか。果報をくれない女は子供を生めない女等とも言われるけど、もっと見えない部
分で与えてくれるものもあるのだと思う。これも非常に重要なものでしょう。まあ、ど
ちらにしろ、男女が結ばれるというのは「あたりまえのこと」ですが、人間社会などで
は「あたりまえのこと」がとても難しい。好き嫌いのエネルギーは理屈などふっ飛ばし
てしまいますし、お互いに馬が合うのは稀有なことなのかもしれませんね。
485 :
名無しさん@1周年:02/07/26 19:52
>総体的に、貴殿は私の苦労を大体理解しているよーですね(^^)
女性相手だと、大抵そうなるからな。
しかし、そういうのはオバちゃんなんだよ。
「きゃーっ、和尚さまぁーッ」
って身をくねらせて走ってくると、
「ゲゲっ、また来た──────っ!」
と冷や汗が流れる。しかし、走って逃げるわけにもいかない。
若い娘ならいいのだが・・・。
ニコニコ笑って、「ようお参り」とやらねばならん。
あと30−50歳ほど若けりゃなって、ふと思うことがある。(笑
失礼。しっしっ慕ってくれるのは嬉しいんですよ。(^^;
486 :
草レーサー:02/07/26 20:09
>>469 髑髏さん
>ジョーと力石には「格闘」があったんでしょうが、また同時に「友情」もあった。
これが正にライバルがライバルである由縁なのでしょうね。私がこの物語を面白く
思うのは、大切なライバルを死なせてしまった悲劇と、死んでしまった後のライバ
ルが主人公の中で次第に大きくなっていくところでもあるんですよ。
つまりライバルが自分の中に入ってきて一つになってしまうんですね。主人公はボ
クシングの世界に復帰しますが、本当に闘っているのは心の中にいる自分と一つに
なってしまった力石なんですね。つまり私にとってのあの物語は主人公の壮絶な克
己の物語なんですよ。「こういう男がかつていた」と言う事が大きな壁にもなり又
誇りにもなるんですね。自分と闘う為に命を削って地獄の減量を乗り越え、いのち
ギリギリのところまで裸の自分を受け止めて闘ってくれた男なんですね。主人公に
とっては。あの物語が好きな人は、みんなこういうところに憧れているのだと思う。
我々人間には稀有ではあるのでしょうが、そういう出会いも不可能というわけでは
ないと思う。本当に稀なことなのでしょうが。みんな自分のいのちを燃え上がらせ
てくれるような縁との出会いを心の底で願っている部分があるのだと思うのです。
「今生きている」ということを実感したいから。実は「生きている」ということも
稀有なことだと思いますね。今生きているという事を本当に実感している時は自然
に湧き出てくる智慧があるのだと思う。生きているという実感、これも中々他人に
伝達する手段はありませんね。普段も勿論自分は生きていると思っていても、或い
は思っていなくても、やはり、その実感はどこまでも深いものだとおもうのですよ。
487 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/26 20:10
>>484 >お互いに馬が合うのは稀有なことなのかもしれませんね。
つまりは「因果の妙」なんでしょうね。
「袖擦り合った」だけの「縁」で夫婦になり一生を遂げる人もいれば・・・
大恋愛の末結ばれ、やがて別れてしまうカップルも居るんでしょうからね。
女というのは、やばそうな男に近づこうとしますね。
あれは、胸の高鳴り(リスクのシグナル)を「恋のシグナル」と勘違いするらしい。
えらい勘違いですね。深層心理の妙というヤシなんでしょうか?
そこを上手く利用するゴト師というのも居るらしいですよ。
こういう男に眼をつけられた女というのは、どうなんでしょうか?
これが男と女というもんなんでしょうか。→これは特殊ですが・・・。
>最近の先進国等で、結婚できない人が増えているそうですね。
ノーマルな恋愛関係というのは、確かになくなりつつあるかと思います。
ネットの普及で簡単に出会えてしまいますからね。
いわゆるセク−スに至る「恋愛のプロセス」というのは、なかなかスリリングで私は好きまんですが、
そんな悠長なご時世でもなさそうです。しかしながら・・・
女性のスタイルは急激に良くなりましたね。見事なプロポーションをしてますよ。最近の娘は。
488 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/26 20:26
>>485 >しかし、そういうのはオバちゃんなんだよ。
貴殿は、おばちゃんを寄せ付けない秘法を行使してないんだろうな?
やはりそういう連中は封印せねばなるまい?
つまり女は会話で、濡れることもあれば全く閉じ放しの状態も出来る。
おばちゃんには「それらしき会話」は避ければ安泰やに思う。
489 :
名無しさん@1周年:02/07/26 21:38
>髑髏
お主はヤバそうな男なんだろーなぁ。
正攻法で逝けよ。
490 :
草レーサー:02/07/26 21:41
あと30〜50歳ほど若けりゃなって、ふと思うことがある。(笑
失礼。しっしっ慕ってくれるのは嬉しいんですよ。(^^
お坊さんも人間なのですね。(w レーサーも人間です。(w
でもお坊さんとレーサーなんて通常、同じ世界でも全く違う世界がみ
えているのでしょうね…。
織田無道はカウンタックに乗っているし、少しはレーサーの見る世界
もわかってくれるかも知れないけど。(w
以前「このクルマに乗っていると全然違う世界が見えてくる」と云う
様な事を言っていました。
あのクルマも全開にすればただならぬ世界が見えてくる。危険なので
技術が必要ですが。さらにレーシングマシーンでは世界の限界を超え
たもの?が見えてくる事もある…。 いや、戯言です。
491 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/26 22:02
>>486 >生きているという実感
>伝達する手段はありませんね
私の知人で、80歳くらいの爺さんがおりましてね、この方は現役の頃は教師をやっていたらしい。
で、この爺さんは幼少の頃から心臓が悪かったらしい。
いつ死んでもオカシクない状態だったらしいですよ。
毎日、朝起きるたびに「今日は生きていて良かった」。と思うらしいです。
つまり爺さんは、「生きる」とはどういうもんなのか?というのを自然会得していったかと思います。
「死」と「生」。これですと殆ど「無の境地」ですよ。
非常にシンプルなんですが、実に深い。私はそう思いました。
私は、理屈はどうであれこういった体験というのは非常に評価しております。
>「今生きている」ということを実感したいから。実は「生きている」ということも
人間本来の姿というのは↑これなんじゃないかと思います。
桜が咲いて、つかの間の絢爛、その後に散り逝く。
日本人は、こういった死生観というのを継承してきたんだと思います。
これも一つの禅文化かと思います。
そこで初めて「今」というのが見えてくるんかと思います。
「無」というのは、なかなか奥が深いかとおもいます。
492 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/26 22:23
>>489 >正攻法で逝けよ。
基本的には、女は「邪」を好むぞ!
まあ、一種の魔者(セクハラでないよ)と思ったほうが良いと思う。
性のプログラムがそうなっているんだよ。
だからド〇イにでもなんでもなる。
だからこそハマッチャウんか思う。訳の分からん生き者でしょう。
そこが魅力なんでしょうけど。
493 :
草レーサー:02/07/26 23:10
>やはり、そういう連中は封印せねばなるまい?
お腹が痛いほど、笑えましたよ。(w
>女性のスタイルは急激に良くなりましたね。見事なプロポーションをして
>ますよ。最近の娘は。
う〜む、ここは趣向の分かれるところ。私はポッチャリ肉付きの良いグラマー
なのが好みだから。最近流行ませんでしょう、そういう体型。中南米の女性の
体型などはイイが、皮膚は東洋人の木目細かさがいいですね。
サーキットに華を添えてくれる彼女達も、私の好みの体型は非常に少ないので
すよ。そう言えば、ブラジル人と日本人のハーフの娘は素晴らしかったですね。
最も、手は出していないので、そっちの方の中身まではわかりませんが。(w
性格も女らしいコでしたね。私は今の日本の一般的な娘の性格というのはあま
り女らしいとは思えないし好きではありませんねえ。諸外国の女性のほうが一
般的に内面の魅力に富んでいると感じています。私が日本人だから同類同士で
固まろうとする質の窮屈さを拒んでいるのかも知れませんが。
日本人の男性は、諸外国の女性からの人気は一般的にはイマイチの様ですね。
494 :
名無しさん@1周年:02/07/27 00:25
日本人男性は、みんなスケベだと思われているね。
とくにアジアでは、そういうキャラになっちゃってるみたいだ。
バブルの時期に海外でハメはずしすぎたせいだな。
まぁ、オレもスケベだから、否定はしないが、
しかし、周辺国の男もふたを開ければ同じオスだ。
否、知ってる限りでは日本人よりえげつないぞ。
表立ってやらないだけだ。
レートの違いで日本人は周辺アジア諸国では王様気分が味わえるが、
逆に日本に来た人たちは金が無いから派手に遊べない。この違いで
周辺アジア諸国の男達は、大人しく見られるてるんだろう。
犯罪は多いよね。
でも、これは、ほんのほんの一部の悪い奴です。
決して誤解してはならない。どこにも悪い奴はいるんだから。
でも、最もエロくて一番えげつないのは、アメリカ人だね。
今日も、トイレに起きてくるのかー? 今日も、トイレに起きてくるのかー? おれが、トイレに起きちまったぜ。。。
496 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/27 06:53
>>493 >中南米の女性の体型などはイイが
私は、あの体型はセク−スアピールが強すぎちゃって駄目ですね。
リオのカーニバルなんかの、あの格好でニッコリ笑った女性というのは「威圧感」を感じてしまう。
たぶんそれは私の「性嗜好」の問題まで言及せねばいかんでしょう・・・
私は、基本的に「恥じらい」に萌え〜となるんです。
中南米系は、この「恥じらい」が感じられない。ここのところが文化の違いなんでしょう。
しかしながら日本女性も「恥じらい」が無くなってきましたね。非常に残念。
つまり・・・・
少し前までは「変態系」のするような性テクニックを、あたかも当たり前のようにしちゃいますkらね。
情報が氾濫すると、女性主体でテクニックを会得しちゃうんですね。
私は、ウブな女を自らが調教したい。そのプロセスを楽しむ方です。
これは人それぞれでしょうけどね、しかし「女性嗜好」の問題もかなり勉強になりますよ。
なかなかこういう事はネットじゃないと情報交換はできませんからね(^^)
497 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/27 07:07
>>494 >でも、最もエロくて一番えげつないのは、アメリカ人だね。
アメリカサイトもチョッと見たことがある。
たしかに文化の違いを感じるね。
日本は、独特の「性文化」というのを育ててきたんかと思うよ。
チラリズムは、あれは男女間の「微妙な性コミュニケーション」なんだろうね。
そういうデリケートなところに「美」を見出していった。
男女双方に、こういった文化を創っていく土壌というのがあったんかと思う。
そういう文化を大事にしたいね。
498 :
草レーサー:02/07/27 08:50
>>491 髑髏さん
>私の知人で、80くらいの爺さんが…
いのちというのは不思議ですね。そんなか細いように見えるいのちでも、つな
がるものはつながるし、屈強な格闘家でも、とぎれるものはとぎれてしまう。
人間、ある意味「苦しみに導かれて…」というのもあると思います。或いは死
に導かれて生を実感するというのも…ね。
釈尊も「自分がやがて死ぬ」という拭い難い思いから、道を求め、精進し、悟
りに至ったと言われていますよね。このプロセスは、苦しみに人生を立ち塞が
れた人が活路を求める場合、みな同様に辿るものではないかと思う。
私も「苦集滅道」という文字に出くわした時は、権威に満ちた「威圧感」を受
けましたが、理解した時は「なぁ〜んだ、これかっ」と思ったものですよ。
実はこの道の擦り合せからが本当の自分の道の初まりになったのですが…。
私は思うのですが、人間の潜在意識かなんかの中に、四諦、八正道の雛型、原
形のようなものがあるのではないかと。この自分の世界との擦り合せが困難な
ほど凝り固まっている状態を「縁なき衆生は…」という言葉にしたのかも知れ
ませんね。この擦り合わせがある程度進んでくると、自力自修の意味が自ずと
理解されてくるのだと思います。
(続)
499 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/27 08:59
つまり。425私のレスより抜粋。
>女を、早朝にホテルの玄関先で別れることがあるでしょう?
>あの寂しそうな後姿では駄目、駄目なんですよ。
この公案に対して、某禅僧は・・・・
女の執着を引きずっておる。これでは駄目かと思います。
つまりは「即今即所」。これがありませんと凡人の戯言になってしまいますね。
一休禅師に学ぶところ多し。
500 :
草レーサー:02/07/27 09:19
先の老人も、文化として環境に染み込んだ仏教を有形無形に身に受けていて
自分の状態との擦り合わせを行い、その病との「間合いの取り方」を習得し
ていったのではないでしょうか?
そういう意味では、ダメだダメだと云われている日本の仏教も、環境や文化
に染み込んで、そういう薄れた形にしろ人々の心の中で生きているのではな
いでしょうか?これは真に先達方の努力の結晶なのかも知れませんね。
先ほどの「力石」ではありませんが、釈尊を初め、その先達方が仏教を志す
人の誇りにもなり壁にもなっているのだと思います。
同じこの世にいた人間として、その誇りを共有できなければ、壁を超えよう
とする意欲は、私は湧いてきませんね。壁に挑戦しなければ、誇りは肥大し
て自分の心にも、誰の心にも結果的に正法は染み込んでこないでしょう。
釈尊は人間を生、老、病、死の問題から解き放つ法をいのちを賭けて求めて
苦行し、悟り、衆生に説いた。多くの先達方もいのちを削り落して人々に何
かを残そう、伝えようとしたのだと思うのです。これは物語ではなくて現実
の歴史ですよね。重みが違います…。
501 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/27 09:49
>>500 そうですね。
仏教文化というは、誰にでも潜在的に染み付いているんかと思います。
ここのところを「内省」という手法により少しずつ解いていく。これが禅なんでしょうね。
手段としてはいろいろあるんでしょうけど、禅定であったり公案であったり、それに限らずエトセトラ。
私は、仏教という一つのジャンルに拘らなくても良いかと思っています。
仏縁というのは、あらゆるところに転がっていますし、感じ取るセンサーみたいのが大事なんでしょう。
ようは、文献を読んで先達の軌跡を追うのも大事ですが、それに凝り固まってしむのもナンセンスかと思います。
セナの話や、ジョーの話もこれ仏縁かと思いますよね。
庭先の植物ひとつを、よーく観察しただけでも無限なる宇宙を感じ取ることが出来ます。
つまりは、自らが眼を塞いではなんにもならんという事なんでしょう。
これを仏法では「無明」というんでしょうね。
502 :
愛(真の菩薩界):02/07/27 10:03
503 :
草レーサー:02/07/27 10:44
>>496 髑髏さん
>私は基本的に「恥じらい」に、萌え〜となるんです。
う〜む、私は「恥じらい」タイプには保護本能が発動して「性」の対象と
しては捉えられなくなってしまうんですよ〜。
艶やかでセクシーな、如何にも「これ女」という感じに萌え〜です(w
クルマに例えると、やはりレーシングカーのような社会では使いモノに
ならないようなタイプですか。まあ、一般社会でレーシングカーは無理
ですから、スポーツカーですね。やはりカウンタックでしょうか。
私の場合ですと女性より、やはりレーシングカーの運転に萌えです(w
クルマなら幾ら乗り換えても誰も傷付きませんしね。しかし、クルマの
場合でも、好きなクルマに長く乗るのが好きですね。人生を共に過ごす
クルマを一台選べといわれたら、やはりカウンタックでしょうか。
今の私にはとても買えるような代物ではないのがつらいとこですがね。
私は、憧れと怖れを同時に持つような猛烈な不良女を手懐けてみたい
願望はありますね。(w 奈落に叩き落されるかもしれないが(w
ロデオドライブ…。暴れ馬や猛牛に乗ってたずなを引き裁く。
504 :
名無しさん@1周年:02/07/27 11:08
>>499 >つまりは「即今即所」。これがありませんと凡人の戯言になってしまいますね
こいつ、こう言い出すぜ。
「酒に会ぅては酒を呑み、バクチに会ぅてはバクチを打ち、女に会ぅては女を抱く……、」
アホくさっ
505 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/27 12:44
>>502 なかなか面白いページですね。
トップページに飛んだら「忍」さんのホームグラウンドのようです。
じっくり拝見いたしましょう。
>これは発祥の地、インドの神々をみればわかるのですが
神々は、車のステッカーにもなってますね。
ヒンドゥー教というのは、いわゆる寛大な宗教なんでしょうね。
その中の一つとして釈迦も入っているらしいから・・・。
506 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/27 12:56
>>503 私が今乗っているのは、三菱デリカ・スペースギア2800です。
図体が大きいんで、やはり私には向かないようです。
2000くらいが丁度良いですね。
ワンボックスカーというのは長距離に向いているのか疲れませんね。そこのところは気に入ってます。
>う〜む、私は「恥じらい」タイプには保護本能が発動して「性」の対象と
>しては捉えられなくなってしまうんですよ〜。
女性に優しいんですね(^^)
100人いれば、100人の性癖があるんでしょうから。
元来私にはS気があるんでしょうかね?
507 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/27 13:00
>>504 そこまでは極端でないにしても、
一つの捉え方として、そういう言い方もありますね。
比喩的表現なんでしょうけど。
508 :
草レーサー:02/07/27 18:35
506 髑髏さん
最近はワゴン車に人気が集まっているようですね。荷物も沢山積めるし人も沢山乗れる。
一般的なクルマとしての利用価値は高いですよね。長距離とかにも結構使うのですか?
そう言えば、この前昔のギャランGTOに乗る機会があったのですが、ガソリン臭さが
ありましたね。あの頃の車の独特の匂い、忘れていましたよ。萌え〜でした。(w
今思うと、あの頃のクルマの方が、何となくロマンを感じてしまいますね。
私は女性に対しても、精神的なものを大切にしたいのですね。肉体関係だけを楽しめる
という性格ではないのですよ。
例えば、18才くらいの少女と二人きりになる機会ができて、その少女は性に対しても
オープンであったとします。譬え酒に酔っていても自分は頂かないと思いますね。
私は性に対しては保守的で、相手にもそれを要求しますね。一夫一婦性の結婚が気に入
っている人間です。結婚による性生活も標準的なものではないかと思う。
私には髑髏さんにSの気があるかどうか判断はつきませんが、まあ、その気があっても
家族や仕事などの人間関係に破綻的なものがなければ、個人的な趣向ということで済む
のではないかなあ。
自力自修の自覚のもとなら、その範囲で後は何をしようとも本人達の自由というのを私
は重んじたいですね。私も資源を大量消費するレースなどを面白がっていて、家族など
に心配をかけたりしている身分ですからねえ。(w
509 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/27 19:33
>>508 >長距離とかにも結構使うのですか?
年に数回ってとこです。
田舎なもんですから日常に車は欠かせない。それで持っているようなもんです。
>今思うと、あの頃のクルマの方が、何となくロマンを感じてしまいますね。
私が友達に乗せてもらったのは、たしか日野コンテッサでしたね。エンジンが後ろに付いていヤシ。
あの頃の車はロマンがありますね。そうそうガソリン臭くて・・・。
>私は女性に対しても、精神的なものを大切にしたいのですね。肉体関係だけを楽しめる
>という性格ではないのですよ。
どことなく私と共通したところを感じますよ。
やはり女というのは、ベットインするまでのプロセスが楽しいですよね。
そういう私の性癖というのは、どことなく女性というのは分かるみたいですね。
特定の彼女というのはナカナカできませんでしたね。
>譬え酒に酔っていても自分は頂かないと思いますね。
そうですね。
ある程度の「設定」ができてしまうと、コウザメしちゃうことがありますよね。
特に二十歳前の女性は好奇心が大セイですから、あまり良いムードはつくれませんね。
>家族や仕事などの人間関係に破綻的なものがなければ、個人的な趣向ということで済む
>のではないかなあ。
そうですね。
家族には責任がありますからね。これが一番大事なことかと思います。
で、仕事となりますと生活臭を持ち込んではなりませんから、そういったところは気遣います。
こういう世界というのは独特ですね。
書道とか絵画とかは「かたち」があるんでしょうけど、なにしろそういったものが無いですからね。
510 :
名無しさん@1周年:02/07/27 21:25
>>507 >一つの捉え方として、そういう言い方もありますね。
んなわけねぇだろ。『臨済録』を冒涜するでない。
511 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/27 22:01
>>510 >「酒に会ぅては酒を呑み、バクチに会ぅてはバクチを打ち、女に会ぅては女を抱く……、」
女に合ぅて「抱くか?」「抱かないか?」これが智慧でしょう。
抱くんだったら・・・「成りきりましょう」という事ではないでしょうか。
抱き終わったら・・・さっさとその執着から離れましょう。という事ではないでしょうか。
つまりは、ホテルから出た時点で「抱いている自分は無い」という事です。
まったくそこに「連続性」が『無い』という事です。
文脈を、そういうふうに読まんことには主旨が分からなくなるでしょう。
ある分の、一部分を抽出しても意味が殆ど変わってしまいますからね。
512 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/28 07:14
>>470 >勝手な解釈 〜トンデモ造語「和敬静寂」の安直な構造〜
二面性 中道・合一
> 「強さ」←→「優しさ」─┬─バランス。
> 「 硬 」←→ 「柔」 ─┘
「茶道」に興味のある方がおりましょうから、誤解があってはマズイだろう。
茶道は「陰陽思想」が入っています。
ここのところを、イデオロギーで考えてしまうと混乱します。
また・・・
禅とは、坐る、作務、いろいろありますが・・・・
80歳の心臓病の爺さん。この方も「禅」ですね。内省したんでしょうから。
513 :
草レーサー:02/07/28 11:33
私は何かに拘ってしまう時、知恵を使いますね。権威ある伝統仏教などで「執着
はいけない」「拘りはいけない」等と聞かされていると、全くそういうものはい
けないものだと、つい人間は思ってしまうものですから…。
でも、拘らなければ、執着しなければ切り開けないものがある。乗り越えられな
い壁がある。ここのところで愛情を捨ててしまえば人生の意味など何もなくなって
しまう。何が執着で何が執着でないか?ここのところが無明に覆われている状態
で、全てを捨ててしまうとしたら、修行放棄の現実逃避というものでしょう。
「禅」などでも、そうでしょうね。何が禅で、何が禅でないか?この「何」の部分
は認識、表現等の様々な制約を受けて、その本質的なものを表す手立ては無い。
アーガマの根本法門経というのに「比丘達は理解しなかった」とされるお経がある。
多分、思考や認識さえも超えていることを伝えようとするお経だと思うのですね。
曰く、凡夫は「水」を「水」と思って「水」を捉え、「水」から「水」を考え、私
の「水」であると貪り思う。それは何故か?知悉されていないからである…。
禅もその通りでしょう。「禅」を「禅」と思って「禅」を捉え、「禅」から「禅」
を考え、私の「禅」であると貪り思う…。まあ、何事もこれが当てはまりますね。
ここで、頭脳は混乱しますよね。頭脳が頼りとする既存のデータが殆ど役に立たな
くなるのですから。ここを突破する知恵を編み出した時、智慧が湧出してくるので
はないだろうか?この智慧を抱きながら、何事もないような自然な姿で日常生活を
送るなら、それも立派な禅なのだと思う。この智慧は、何事もないような自然な姿
がとても似合うような気がする。奇抜なもの、意表をつくものは人間の知恵。誰が
義人で誰が罪人か?こんなのは殆ど、浅墓な知恵ですよね。ただ、人間がいるだけ…。
「何々がである」から「ただ…」への移行に私は先の根本法門経を唱える。かなり
効果が期待できますよ。私の場合は…。まあ、ここのところは知恵ですね。
514 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/28 12:35
>>513 >「禅」などでも、そうでしょうね。何が禅で、何が禅でないか?この「何」の部分
>は認識、表現等の様々な制約を受けて、その本質的なものを表す手立ては無い。
盤珪は、弟子が禅定に入ろうとしたところを「止めさせた」事があるんですね。
「止めさせる」事も「禅」ですよね。
まじめに禅定している僧を「罵倒」するのも禅でしょうし・・・
私が、2ちゃんねらーに「叩かれる」のも禅でしょうし。
>何が執着で何が執着でないか?
御飯食べている時は、それに執着するんでしょうね。
成りきっちゃうわけでしょうからね。女の事を考えながら飯を食べる事もないんでしょうね。
>頭脳は混乱しますよね。頭脳が頼りとする既存のデータが殆ど役に立たな
>くなるのですから。ここを突破する知恵を編み出した時、智慧が湧出してくるのではないだろうか?
そうですよね。
既存の概念というのは、あんまり役に立たないのではないでしょうか?
つか、その概念こそが無明かと思います。
>何事もないような自然な姿で日常生活を送るなら、それも立派な禅なのだと思う。
そうですね。
涅槃寂静。→これの事かとおもいます。仏教においても核になるところかと思います。
515 :
草レーサー:02/07/28 12:57
>>509 髑髏さん
>田舎なもんですから、日常にクルマは欠かせない。
それでは、毎日のようにクルマを運転するんですよね。
自分達のようにレースまでやらかすような人間は、クルマを運転すると、物凄
く、五感が鋭くなるんですよ。ハンドルを右に切れば、クルマは右に曲がる。
ここの間に、色々なことが感覚の中に入ってくるのですね。これがブレーキに
も、アクセルにもそれぞれあり、その全てを車体で統括して捉えているのです。
クルマを運転していると、即座に世界から返ってくるもの、それを感じ取って
反応しているわけです。だから、とてもダイレクトで、正直なものなんですよ。
どこまで感じ取り、どこまで反応するか?これはそのレーシングドライバー能
力如何にかかっているのですが…。
ここに概念や思考が入ってくる余地はあまりない。考えてみると、子供達が遊
んでいるのと似ている。子供達は世界を感じ捉えながら遊んでいますよね。最
近はそういう遊びができる場所がこの辺りでも少なくなってきてしまったが…。
髑髏さんも、今度一人でハンドルを握る時に、運転に対して興味を持ってみた
ら如何でしょうか?スピードなど10キロも出ていれば十分ですし、いつもの
自分のスタイルでいいのです。きっと何か新しい発見があると思いますよ。(^^
>庭先の植物から、無限の宇宙を観る・・…。
それと同じ様に、走っているクルマを操ることで世界を感じる…。非常に正直
に返ってきますから。自分の取った行動に対して。自分と世界とのコミュニケー
ション。自分と環境との一体感。これを感じますよ。理屈抜きにダイレクトで。
よく、サーキットでは何キロくらい出すのですか?と聞かれますが、実は競争
でもない限りそれにはあまり意味はないのですよ。5キロで動いていても世界
を感じられる。タイヤの状態、地面の状態、グリップ状態等、ハンドルの感触
から。別に神経を研ぎ澄ます必要はありません。そんなことをしたら疲れます
からね。ただ、動いているものや変化しているものを素直に、どこまでも素直
に感じようとすればいいだけです。無理に感じようとすると運転が疎かになり
ますけど、その辺の静と動のバランスは茶道で培ったものを応用して見ると面
白いかも知れませんね.(^^
516 :
草レーサー:02/07/28 13:29
アイルトン,セナは天候まで読んでいた。私には計り知る術はありませんが、恐らくは
空気の湿度や、風の状態等を生で感じていたんだと思う。後は空を見上げて未知数の
何かを捉えていたのかもしれませんが…。
エンジニア達もコンピューターの予測を無視して、セナのカンに頼ることが結構あった
らしいですね。天候を読むことでも、セナのカンはとても精度が高かったようです。
517 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/28 15:50
>>515 >クルマを運転すると、物凄く、五感が鋭くなるんですよ。
コクピットというのは一種特殊状況かとおもいますね。
日常生活というのは一応は「リスク」というのは縁遠い。しかしながら・・・
「運転する」というのは、ある最悪の事も想定しませんといけませんから、非日常性と逝っても良いかと思う。
本来、生活とリスクというのは付きものなんでしょうけど、こう科学が発展しますと「リスク」を考えなくなりますね。
縄文時代の狩猟生活というのは、ある意味「生死」の狭間の生活だったんでしょう。
そういう状況でしたら、それなりに五感というのは鋭かったと思いますね。
獲物を追い込むのに、情報伝達としてはテレパシーに近いものはあったんではないか?
これは「生きる」ために必要なものとして会得はしていたものと推測はできますよね。あくまでも推測ですが。
>アイルトン,セナは天候まで読んでいた。
私が推測するに、「生死」のギリギリの状況を何度も繰り返すうち、縄文時代か?それ以上の能力を引き出していたんでしょうね。
これを仏教では、六神通とかなんとか称していますが、私はそういう神秘的なもんでは無いと思います。
人間本来「あるべき姿」なんかと思いますね。
いわゆる、五感も状況によってはドンドン退化しちまうでしょうね。必要が無いんだったら。
現代社会は、そういったリスクというのは殆ど生活に影響しませんからね。
しかしながら森羅万象、競争原理はありますから、これも一つの世界の見方ですよね。
いわば「生死」のリスクのあまり感じられない?というのは一つの特殊状況なんでしょう。
歴史観からの見方ですが・・・。
518 :
名無しさん@1周年:02/07/28 23:41
511の一部分を抽出してみました。
>抱き終わったら・・・さっさとその執着から離れましょう。という事ではないでしょうか。
髑髏は、たぶん女とセクースし終わった後、
後ろを向いてタバコを一幅するタイプだな。
519 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/29 05:57
>>518 「即今即所」とはそういった事でしょうね。
釈尊が、死んだ子を嘆いている女性に「死人の出ていない家を探しなさい」と言うて諭した話は有名ですが、
この執着という事に関してチョッと胸打つレスをハケーンしました。
以下、育児板よりのコピペです。
520 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/29 06:00
72 :名無しの心子知らず :02/07/22 02:01 ID:qsAk26LW
私は一人娘を病気で亡くしました。
どんなに手を尽くしても助からない病気で死んだとしても、
親は自分を責めます。
できるだけのことをし尽くしたとしても、
もっとああしてやれば良かったのではないか。
こうしてやれば良かったのではないか、と。
そして、健康に生んでやれなかった自分を責めるのです。
明石の歩道橋事故でお子様を亡くされた親御さんは、
何よりも自分を責めておられると思います。
責めて責めて、狂いそうなほどに責めておられるはずです。
狂ってしまえれば楽なのですが、狂えないから苦しむのです。
一人の親御さんは、
批判は(雑踏の中に子供を連れて行ったことに対しての)
甘んじて受ける。それでも、市や警察や警備会社の責任を
追求していく、とおっしゃられていました。
いっそ狂いたいと願うような悲しみ苦しみを、
経験されたことがありますか?
何かをせずにはおれないのです。
死んでも子供がかわいいのです。
なりふりかまっていられないのです。
子供を亡くした経験のない方は、
想像できる最大の悲しみ苦しみを思い浮かべてみてください。
実際には、その百倍もの悲しみ苦しみです。
交通事故や病気で子供を亡くされた方も、
たくさん手記を書いたり、ホームページを作ったりしています。
それは、何かをせずには、生きていけないからなのです。
521 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/29 06:05
上記コピペはネタとも思えない、子を無くした母の心情が良く表わされている。
つまり・・・・
「執着を断つ」とうのがそう簡単なものでもないし、これは人間として当然なことですね。
一つの考えるキッカケになりました。
522 :
草レーサー:02/07/29 07:54
>>520 コピペ
私も、たった一人の兄を失った。朝、普通に出勤して行って、翌朝には警察からの
訃報が届くと言う唐突なものだった。私も勿論気が狂いそうになったが、両親の嗚
咽は半端なものではなかった。その泣き声が私には地獄の底から聞こえてくるよう
に感じた。私はその悲しみも絶望も背負って生きていこうと思った。両親にはもう
私一人しかいない。レースなど続けていていいものか…?止めましたよ。致し方な
かった。今では、草レースに復帰してしまっているが。
523 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/29 08:25
>>522 私には男兄弟が、私の他に2人いたらしいのですが戦争中の栄養失調とかで一人亡くしたそうです。
もう一人の男兄弟は、河で溺れて死んだらしい。
他に姉が2人いるのですが、一人は心臓かなんかの急死。
もう一人の姉は、結構苦労させられました(w
その姉とも縁を切って、どうにか「足かせ」が取れたような心境です。
父が死に、母は糖尿のため特別擁護施設。
私の人生も結構波乱含みです(w
524 :
草レーサー:02/07/29 19:20
>>523 髑髏さん
>私の人生も結構波乱含みです(w
多分、そうだろうと思っていましたよ…。理由は定かではありませんが、生死という
ことに付いて等、以前から独特の凄みのようなものをレスから感じていましたから。
しかし、分からないものですね。地味で実直な生き方の兄が亡くなって、派手で危険
な生き方をしてきた自分がピンピンしているなんて。
>縄文時代の狩猟生活というのは…それなりに五感と言うのは鋭かったと思いますね。
この前、TVで放映された「エボリュ−ションチャイルド」という映画を見ましたが
三千年くらい前のシャーマンの遺体が氷の中から見つかって、その精子を人工受精さ
せて生まれてくる、子供の話だったのですが、最後は流感に罹ってあっけなく死んで
しまうのですが、心に残る映画でしたね。シャーマンというところも含まれているの
でしょうが、子供ながら人生を眺める視点が現代人とはかなり違うように描かれてい
ました。
>これを仏教では六神通とかなんとか称していますが、私はそういう神秘的なもので
はないと思います。
六神通…。神秘…。神秘というのを髑髏さんがどのような意味で使っているのか分か
りませんが「生きている」ということが既に私は神秘?だと思うのですよ。
私は、超能力とかオカルトマニア的なものに神秘という言葉を使いたくないですね。
私も兄が亡くなる前後には理解できないような事を経験をしましたが、その意味は今
の自分の理解を超えているものだと思うし、それでもいいと思っていますよ。
525 :
草レーサー:02/07/29 19:42
例のコピペに対して、セナの言葉を抜粋しましょう。
なぜ人生には不幸なことが起こるのか、それを理解するのが
最も難しいことなんだ。
愛する友人や家族を亡くせば、なぜ、自分が、こんな辛い目
にあうのかと思うだろう。
でも、それは僕ら人間には分からない。
それを理解するには、人間の心はあまりにも小さ過ぎるんだ。
だから、僕達は、ただその苦しみに耐え、悲しみを乗り越え
るために、より強くならなければならない。
しかし、数年後、数十年後になって、その悲しみの意味がわ
かることもある。
526 :
草レーサー:02/07/29 20:02
も一つおまけに…
僕達人間の次元では、この世界の全てを理解したり、明らかにすることはできない。
例えば、これは赤、これは白、これは黒、これは茶色と言っているのも、単に僕達
人間が、そう決めたからに過ぎない。
だけど、この世界には、僕達の眼には見えないものがたくさんある。
そして、それも確かにこの世界の一部なんだ。
僕達は眼に見えなければ気付かない。匂いを嗅ぐことができたり、手で触れること
ができなければ信じられない。
でも、ここには、それとは違う次元で存在している世界がある。
ただ、僕達人間には、それを感じ、それを理解する力が足りないだけなんだよ。
私もそういうことなんだと思いますね。このような人間の現状で神通力など語
てもろくなことにはならんでしょうね。まあ、信頼できる人間と個人的に語る
のならその限りではないのでしょうが。
527 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/29 20:09
>>524 >私も兄が亡くなる前後には理解できないような事を経験をしましたが、その意味は今
>の自分の理解を超えているものだと思うし、それでもいいと思っていますよ。
私の最も近い側近?(詳細は書けません)が、朝起きた瞬間に「今日は嫌な事が起きそう」。と逝って
その数時間後に「訃報」がりましてね・・・・いわゆる「虫の知らせ」というヤシです。
以来私は、ユングの集合意識やフロイトの深層意識、阿頼耶識等の世界に傾倒していきました。
時たまこの板において唯識論者と論陣をはるんですが、やはりあの時(虫の知らせ)はインパクトがありましたね。
私は、こういった事を間接体験しているもんですから、唯識派とか中観派とかに拘るのは本位でないのです。
ですから今でも「虫の知らせ」とか「胸騒ぎ」とかは信じています。
>「生きている」ということが既に私は神秘?だと思うのですよ。
ごもっともな事と思います。
ただ、ユングとかフロイトを「神秘主義者」として一律に括り付ける人もいるので・・・
そういった狭義における「神秘」の意味ですね。
この「神秘」もなかなか言葉を使うのも難しい(汗
そういう訳で、私がそもそもは唯識論者であった。という理由というのは上記の件です。
それ以降私もテーゼというのを変えていますが、じつはハッキリ逝って微妙です。
文献とおり、論理的に明確に区分できるのか?ここのところも摩訶不思議です。
528 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/29 20:26
>>525 >しかし、数年後、数十年後になって、その悲しみの意味がわ
>かることもある。
とある病院で看護婦さんとお話しました。その方の話から・・・
生来、障害を持ったお子さんを産んでしまった母親は随分悩むらしい。
ところが、何かのキッカケでそこを乗り越えるらしいですね。
それ以降というのは、まったく人生観というのが変わるらしいです。
その看護婦さんというのは優しい人ですね(w
私に、その話を聞かせてくれて私を一生懸命励ましてくれました。
529 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/29 20:33
>>526 >僕達人間の次元では、この世界の全てを理解したり、明らかにすることはできない。
そうですね。
私も、仏教の魅力というのは「無記」というところですよね。
分からなければ分からないで・・それで良いじゃ〜ないか?
「解る」ことがそんなに大事なのか?
こんなところでしょうか?
530 :
ジョン・オノ・レノン:02/07/30 00:08
1980年12月8日 22:52(N.Y.時間) F.B.I陰謀説も囁かれる
狂信的ファンによって撃たれ、出血多量のため死亡 享年40才 世界に一大
センセーショナルを巻き起こした元ビートルズのメンバー 妻は、小野洋子氏
531 :
草レーサー:02/07/30 18:58
>>529 髑髏さん
>「解る」ことがそんなに大事なのか?
「解る」には「解らない」が潜んでいますよね。私は「解らない」事は「解らない」
ままに、受け止めることが重要だと思います。勿論、この「解らない」に至るまで
には自分なりの努力や試行錯誤を経てのことですが。それでも、精一杯努力しても、
解らない事があります。その解らない事は、まるで真珠貝が石ころを自分の懐の中
に受け止めているように、自分の懐の中で受け止めておく事が大事だと思うんです。
私は何も「そうすべきだ」と思わなくても、自然にそうせざるを得なくなると思う。
人間の心の中には四諦論の雛型のようなものが染み込んでいるのだと思うのですよ。
鍵は、自分自身に誠実になることでしょうね。世間知から、そういう姿勢を悉く悪い
ことのように隠してしまう事が習い性になっている状態では「誠実」の意味がまるで
違ったことになる場合もあると思うけれど…。
だから、いきなり「頭を取れ」等というのは良くない。最初は「あれ」と「これ」の
どちらが良いか?ここから入っていくのが本道でしょう。そうすれば次第にハッキリ
とした「あれ」と「これ」の輪郭が薄れてくる。専門家でも、たたみ込むように質問
していくと、やがて「それは分からない」ということになりますからね。
四の五の垂れるかもしれませんが、ハッキリとしたことはいえなくなるわけですよ。
ソクラテスなどは、これをそこらじゅうの人々にやっていたのだと思います。だから
嫌がられるのは当然ですね。(w ・・…社会生活の基盤を崩しかねかせんから。
しかし、苦しみもとことん味わい尽くし、快楽もとことん味わい尽くしてみなければ
自分自身の人生の味わいをフイにしてしまうのと同じかもしれん。これには勇気と覚悟
が必要ですから、言うのと違って実践するのは困難ですし、逃げてしまう事や、取り組
めない諸事情もでてきますが…。でも、何れは突破するのが人間だと思います。
「解らない」ということを、とことん味わい尽くすなら、何かが解ってくる。そう言
う自然の仕組みなんではないでしょうか。だから「解らない」というプレッシャーに
負けて、安易な答えに縋り付くのではなく「解らないままに過ごしてみよう」という
開き直りや、気概も大事なことだと思うんですね。
532 :
草レーサー:02/07/30 19:36
>>527 髑髏さん
>以前私は、ユングの集合無意識や、フロイトの無意識に…・・
私もフロイトやユングの功績は大きいと思います。私のような少学な人間
でも知っていますし、図書館にいけばそれらの著書も簡単に得られる。
いや、直接知らなくても、今や映画やTV、マスコミ等の威力によって誰
でも「そういうもの」を覚ろげながらも知っている時代だと思う。
もしかしたら、近い将来人間も脱皮するかもしれない。いや、ホントに…。
大勢の衆生が「明知」を手に入れる時代がくる様な気がする。いや、最近の
子供って、何か凄い子が多いような気がするんですよ。
「これが子供なのかよ」って思うような。シニカルな意味だけじゃなくね。
子供達は未来そのものですからね。最近、子供達に触れることに何か責任の
ようなものを感じますよ。やっと私にも解ってきたのかもしれない…。(w
533 :
名無しさん@1周年:02/07/30 19:44
Mind Games
一緒に「心のやりとり」をしよう 己の殻を破り 新たなる心の種をまこう
534 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/30 19:46
>>531 >だから「解らない」というプレッシャーに
>負けて、安易な答えに縋り付くのではなく「解らないままに過ごしてみよう」という
>開き直りや、気概も大事なことだと思うんですね。
「解ろう」とする自分は何ぞや?
「悟ろう」とする自分は何ぞや?
それを「気づく」んでしょうね。じつはそうじゃ〜ないんだと・・・。
公案でも、答えはどーでも良くて・・・
自分とは何ぞや?これを「気づく」んかとおもいまます。
>最初は「あれ」と「これ」のどちらが良いか?ここから入っていくのが本道でしょう。
>そうすれば次第にハッキリとした「あれ」と「これ」の輪郭が薄れてくる
そうですね。
えてして「重要」である。と思うことでも、よくよく考えてみますと「重要でない」。
「つまらん」と思っているものが「重要」である。
つまり、飛び越えるのがギャーティー、ギャーティーなんでしょうね。
535 :
しびれるぜ〜〜〜:02/07/30 19:50
俺も、ジョン・レノン好きだ!
じゃ、俺も一曲。GOD 神とは、われわれの苦しみを計る尺度だ
536 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/30 20:01
>>532 >子供って、何か凄い子が多いような気がするんですよ。
脳のある部分が異常に発達する子供が増えているそうですね。
生命の歴史的流れという観点であれば、人間も順応するのは当然かと思います。
自分の生命というのも・・・・そういった流れの「一単位」と見れば、これ即今即所。
そこに生死はなかりけれ。
ドクロよー、あんたは、ビートルズ世代じゃないのかい?
538 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/30 20:28
>>537 2・26事件の青年将校では無いぞ!
東条英機の顔も知らんし。
>ドクロよー、あんたは、ビートルズ世代じゃないのかい?
まあ、そんなところかな・・・。
ビートルズが来日した頃は幼かったけど。
539 :
草レーサー:02/07/30 21:44
そう言えば、文学者や芸術家には自殺者も多いですね。多分、神経を研ぎ澄まし感受性
を高めて、同化と異化の葛藤や、緊張感の中から優れた作品が生まれてくるからだろう。
その精神の緊張や葛藤により、悲しいかな神経を病んでいってしまうのかもしれない。
しかし、同じ緊張や葛藤の中に置かれているスポーツマンは、前者に比べて自殺者は少
ない。レーシングドライバーにも緊張や葛藤は同じ様にあるし。瞬間的には神経を病ん
でいる人と同じ様な幻覚などが見えることもある…。
しかし、瞬間ですね。その世界に取り込まれてしまうことはまずない。それは即、事故
に繋がってしまうからね。本能的にすぐ、危険だと察知して運転に返って来る。
ここは重要なポイントだと思いますね。精神が危険に晒されている時は、肉体も危険に
晒す。精神を酷使する時は、肉体も酷使する。スポーツマンなどは、このバランスを知
らずとも取っているのでしょう。文学者、芸術家の場合は、肉体は安全な机の前ですか
ら、そのバランスが崩れる限界というのは、弁えるのは難しいと思いますが。
行け、行けどんどん、で精神だけ逝ってしまうのでしょう…。せめて行くのなら、肉体
も一緒に連れて行ってあげましょう。(w
精神が苦しんでいる時には肉体の方にも腕立て伏せをもう一度、要求するのです。(w
そうすれば、否応なく止めるところはわかるはず。肉体を置いて精神だけ、どんどん行
てしまうのは、中道の精神に悖ると思います。
540 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/30 22:22
>>539 文学に魅了されるのは、人間の「負」の部分を抉り出しますね。
ああ、そこまでやらんでも・・・。と思いつつやはり人間というのはそういう部分に魅了されてしまう。
つまり人間というのは、そういった部分というのは隠しておきたい。触ってもらいたくない。
文学というのは、そういったデリケートな部分に抵触するものズバリなんでしょうね。
そういったドロドロしたところがモチーフとなっているんでしょうから、それは相当ヤラレルでしょうね。
まあ、文学すべてがそうだとも言いきれんでしょうが。
>精神が苦しんでいる時には肉体の方にも腕立て伏せをもう一度、要求するのです。(w
禅では「身心一如」と言いますからね、やはりそこのバランスというのも大切なんでしょうね。
>疲労して運転してますと幽霊?のよーな幻覚に遭遇しますね。殆ど夜ですけど。
ハッキリ幻覚と分かってますから、別に幽霊とも思わないですけどね。
あれは必ず「人」に見えますね(w
541 :
草レーサー:02/07/31 07:42
>>540 髑髏さん
>人間と言うのはそういう部分に魅了されてしまう。
>人間と言うのはそういった部分を隠しておきたい。
ここのところは、人間の心理にアンビバレンツがありますよね。恐いもの見たさの
様なものが。オカルトものの映画や、夏の幽霊物語なども、そういう心理が人気を
維持させている理由かもしれませんね。
オカルトものなど、その殆どが悪魔や悪霊などが描かれるのに、天使や菩薩が人間
を救うというのは少ない様な気がしますね。この辺の心理は面白いものを感じます。
ホラー映画など、どうして見たいのか?質問しても核心を突くような返答をする人
は少ないですよね。やはり、吸い込まれてしまうのだと思います。
オカルトものなどを見て、恐くて眠れなくなってしまうのは、そう言うことだと思
いますよ。私も時々、TVなどでついつい見入ってしまう時もある。後で妄想を払
うのに苦労することもありますね。
そう言う時は、やはり肉体を運動させると、面白い様に神経の高ぶりを鎮めて眠れ
るようになりますよ。
入るのは刺激的で面白いが、出るのが困難な心理というのが人間にはありますよね。
カルト宗教なども、その辺は同じ様なもので結界を張っているのでしょう…。
ここは、幾ら頭脳が明晰で、知識が豊富な人でもやられてしまうのではないだろうか。
この辺の妄想を打ち破るには、仏教、禅でも相当な熟練が必要なのだと思いますね。
私はカルト教団などは、そんなに恐れませんが、髑髏さんのように夜中に人気のない
所で、幽霊のようなものを見てしまったら、かなり恐がるとおもいますよ。(w
勿論、一目散に逃げ出すでしょう。(w
私の見る幻覚はレース中に限られるし、そんな恐ろしげなものじゃないッスよ。(w
542 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/31 09:59
>>541 >幽霊のようなものを見てしまったら、かなり恐がるとおもいますよ。(w
これはそんなに恐ろしいもんでも無いですよ。
私に限らず、こういた体験というのは一般的にあるみたいですよ。
実際わたしは人にいろいろ聞いても、「体験したことがある」という方が半々くらいです。
その体験状況というのは・・・・
非常に眠い状態で運転していて、左前方に「黒い影」みたいのが眼に飛び込むんですよ。
「道路際に立っている」という感じでしょうか?
それは必ず「人」という認識で捕らえますね。しかしながら頭の半分では「幻覚」という認識も同時している訳です。
たぶん、脳のある部分は睡眠状態なんでしょうね。
まあ、無理に運転している訳なんでしょうから、こういう事も有り得るかと思います。
貴方はショッチュウ運転していて、もはやこういう事は体験済みなんかと思うてました。
そこはレーサー、こういう居眠り運転などやらないでしょうから、これも素人の体験んんでしょう(w
>その殆どが悪魔や悪霊などが描かれるのに
ディズニィーランドでも、カリブの海賊とか魔法使いの婆さんとか、一つの残酷性というのを売りにしてますね。
子供でも、ああいった世界というのは魅力的なんでしょうね。
543 :
草レーサー:02/07/31 19:01
>>542 髑髏さん
いえ、恥ずかしながら私も居眠り運転します。(w
特にレースの帰りが、もうヘトヘトなので、車載のトラックを運転しながら、つい
ウトウトと居眠りしてしまうんですね。だから、大抵は高速道路なのですが、だか
らでしょうか、そう言う幻覚がないのは。そう言う時見るのは、運転している夢な
んですね。面白いですね。運転しながら運転している夢をみているんですよ。(w
やはり、頭の半分ではこれは夢だと思っているようですね。危なくなると眼が覚め
ますから…。保障はありませんからコワイですけどね。(w
レース中に見る幻覚の方は、明かに事実と違うクルマの動きとか、コースの変化な
んですよ。私の場合は…。だから、違った意味でコワイのですが…。
後で考えて、もし、あのまま行ってしまったら…。と思うとゾッとするような事も
ありますね。(w
例えば、よく錯覚を起こし易い道路があるらしいですよね。本当は曲がっているの
に真直ぐに見えるとか、それに似ているのではないかと思う。
自分達の場合は同じ所をグルグル周っているだけですから、道が違うなんてことは
ありえないのですが、そう見えてしまう時があるんです。オカシイですね。
クルマの動きの方も似ていますね。事実とは違う他車の動きが、本当にそう動いた
ように見えてしまう時があるんですよ。時々レース中に現実と、そう言う幻覚の
狭間で何が何だか分からなくなる事が一瞬あるのです。そう言う時レーサーは非常
に危ない。これはクラッシュする原因の一つですからね。
一般公道でも、事故原因の一つに「相手が止まるだろうと思った」等というのがあ
りますよね。それがリミットの状態で非常にリアルに「見える」事があるんですよ。(w
544 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/07/31 21:41
545 :
名無しさん@1周年:02/08/01 07:29
今日から8月ですね。月日が経つのは早いものだなあ。
そう言えば、好きな事や楽しい事をしている時は、アッという間に時間が過ぎてしま
うような気がする。
反対に、嫌いな事や退屈な事をしている時は、何時まで経っても時間が進まないよう
な気がしますよね。
同じ嫌な事でも、強制的にやらされるのと、自主的にやってしまうのとは、心が受け
る苦しみが違いますね。
好きな事や楽しい事でも、もう一度同じ事をしても、妙にシラケてしまったりします
よね。
こう言う時、法句経の1番、2番が心を過ぎる時がある…。
意は全てを結び、全ては意に縁って成る。
人、もし穢れたる心でかつ語り、かつ行えば
轢く物の後を追うかの車輪の如く苦しみ彼に従わん。
意は全てを結び、全ては意に縁って成る。
人、もし穢れなき心でかつ語り、かつ行えば
光に影の添う如く喜び彼に従わん。
こんな感じでしたよね?
喜んで生きるのと、嫌々生きるのでは、五年後、十年後の人生ははなり違うでしょうね。
546 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/01 10:06
>>545 2001年7月、明石夏祭り(花火大会)において「歩道橋なだれ事故」がありました。
あれは、朝霞駅より大蔵海岸への道のりの途中、朝霞歩道橋にての人身圧死事故」です。
花火は始まった一瞬に「立ち止まった」ことによりパニック状態になってしまったんでしょうけど・・・
実は、人の流れというのは「あった」らしい。一列だけは流れていたらしいんだね。
これに乗りさえすれば、ほとんど事故というのは考えられない。
乗るか?乗らないか?これも自分では選択は殆ど不可能。つまりはその場の「運」「縁」でしょうね。
「生死」というのは微妙。縁によって大きく変わるからね。
>喜んで生きるのと、嫌々生きるのでは、五年後、十年後の人生ははなり違うでしょうね。
縁というのは「今」が大切なんでしょうから、ここに喜びがありませんとなんにもならないですよね。
547 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/01 10:25
>>543 明治時代にアメリカ人が日本を旅したらしい。
その印象というのは、とにかく日本人というのは「ゆっくり」歩くらしい。
そして日本人というのはニコニコして愛想がとても良かったらしい。
こういった文化というのを継承しつつ・・・・
新幹線は走ったころから一気に日本人の価値観というのが変わったらしい。
「早く走る事は良いことだ」。「早い事は良いことだ」。これをスローガンにガムバッタんだね。
経済発展の原動力にもなった。
スピードの世界というのは、いわば人類未踏のジャンルでしょうから、これから色々研究が進むんでしょうね。
ある飛行士で「マッハ」に挑戦した人がいましたよね。名前は忘れたんですが有名な人。
「あれはヤバイ」という人達が大勢のなかで「決死の覚悟」だったらしい。
結果的には大丈夫だったですけど。
アメリカ、マンハッタン計画というのも、もしかしたら地球がぶっ飛ぶんではないか?
という科学者もいたそうです。
広島、長崎が近づいてきます。黙祷。
548 :
おカネ教の国・ニャポン:02/08/01 13:24
ヒロシマ ナガサキ
早いもので今年も、もう八月。戦後五十七年。
中学生や高校生などの若い人たちに、しっかりと戦争のことを学んでほしい!
549 :
草レーサー:02/08/01 18:51
>>547 髑髏さん
レースも早く走る事が求められる競技です。早い事、便利な事、快適な事。向かって
いるのはここへの「より…」ですよね。
私は仏教の修行の一環で、できるだけゆっくり動く事を教えられた。実際にやってみ
ると、これが結構大変でした。(w
そういえば、速度などは光速に近付くにつれ、時間も変化するそうですね。私は変だ
なあと思うけど、特殊相対性理論ではそうなんですね。速度には「早い」と「遅い」
があるのに、早い方だけ特別なんでしょうか?何処までも加速すると、光速の壁にぶ
つかると言うのに、何処までも減速しても、何かの壁にぶつからないのか?
どんなに遅くても、停止と運動の間には超えられない壁がありますよねえ?高速だけ
違うのでしょうか?物凄く遅いというのは、あまり興味を持たれないのですかね…。
私は、物凄く遅く動く修行をして、面白いものを発見しましたから、仏教に感謝です。
加速などは、どこまでも試すことは無理ですが、減速なら、誰でも試すことができま
すね。何処までも何処までも減速していくと、やがて自分が動いているのか止まって
いるのかよく分からなくなりますよね。(w
人間の五感などは、タカが知れているからこの壁を超えられないのだとしても、ある
意味、人間がこれを超えるのは良くないのかも知れないとも思いますね。自然が教え
るものもありますよね。我々人間の感覚で何処までも「停止」と「運動」等の分別を
突き詰めていくと、分別できなくなる。或いは矛盾に悩む。これは人間が愚だからか
それとも自然の法、無分別を垣間見ているのか…。
私などは、こう思う。「運動」を「運動」と思って「運動」を捉え、「運動」を「運動」
と考え、私の「運動」であると貪り思う。又、「停止」を「停止」と思って…。
自分なりに何処までも突き詰めて「あるもの」を捉えようとした時は、時に後でこれを
唱えるんですよ。(w
550 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/01 20:02
>>549 >人間がこれを超えるのは良くないのかも知れないとも思いますね。
人間が意識しないまでも「リズム」というのがやはり「ある」かとおもいます。
素粒子の世界でも一定のリズムがあるでしょうし、マクロにおいても然り。
三拍子があって、三・三・七拍子。3・3.6では駄目で、3・3・8でも駄目。
3・3・7は心地よい。理由はないんでしょうけど、それを心地良く感じる。
極自然にこれを会得したんでしょうね。
三拍子ですと「南無妙法蓮華経」。これは単調ですが極自然にトランス状態になります。
極一般的に波動というのは二拍子ですし、分別もリズムとすると二拍子?になるかとおもいます。
>我々人間の感覚で何処までも「停止」と「運動」等の分別を
>突き詰めていくと、分別できなくなる。或いは矛盾に悩む。これは人間が愚だからか
>それとも自然の法、無分別を垣間見ているのか…。
主観で全て捉えますと、対象というのが付きまとうんでしょうけど、
この主観というのも「あやふや」ですよね。特殊相対生理論がここのところを突いているんでしょうけど。
この主観というのを「突き放した」ときに、一つの「気付き」があるんかと思います。
主観とは何ぞや?つまりは自分とは何ぞや?ということなんでしょうね。
主観というのは付きまとうんでしょうけど、何かのインパクトでこれを放しちゃうことがあるかもしれません。
主観も客観も無い。それが無我なんかと思います。
551 :
草レーサー:02/08/01 20:21
やってみなければわからない事もある。やればやったで迷う事は避けられない
事もある。では、どうすればいいのか?何が正しいのか?「ああすればこれが
ダメで、こうすればあれがダメだ」こういうところで人間はよく迷いますよね。
差し迫った選択の問題等の前では、誰でも迷うと思う。
しかし「ああすれば」とか「こうすれば」も「OK」も「ダメ」も、その前提
になっている認識を問うことは、なかなか難しい事ですよね。
何かを成そうとすれば、前提として、その認識や仮定に縋り付かなければ進歩
することはできないし、成そうとすればするほどその仮定に縋り付く傾向が誰
にでも現れてくると思う。悟りなどもかんばって精進すれば修行も進むだろう
が、最後の修行で悟りを前にして、今まで使っていた方便が、逆に刃となって
しまうということも聞く。人間のやる事…。煩悩の根源…。
煩悩の根源は、渇愛だと聞いた記憶があるが、渇愛とは、私は結果に対する執
着だと思う。「あれ」や「これ」、「OK」も「ダメ」も、人間はその仮定を
結果と見なしてしまう傾向がある。しかし当然そうでなければ活動していく事
もまた、できないわけです。煩悩即菩提という教えもありますね。
人間が活動するということは、神でも仏でもない。罪でも煩悩でもない。
どんな事でも、結論結果としてのそういうものではなはずですよね。
我々人間は、ただそういうものに近付いていくだけ。自ずから近付いて行く事
で、それが「何なのか」身を持って知っていく。これこそ、我が身を救う智慧
になるのでしょう。しかし神や仏に至るには、罪や煩悩の事も知らねばならん
でしょう。人間、人生は「旅」とも言われますね。ただ、究極に近付いていく
だけ…。
これは迷宮でも、矛盾でもないと私は思うのですよ。仮定する答えに縋り付く
渇望があるから「あっち」「こっち」の迷宮、矛盾になるのだと思う。
仮定した答えに縋り付いて、何かを成すのが人間。何かを成す上では、経験に
優る確かさはないと言う…。俗に言う経験者、熟練者の「カン」ですね。学者
の知識では人生は救えない。ここから人生の意味が学べると思う。
552 :
草レーサー:02/08/01 20:53
>>550 髑髏さん
>3,3,7は心地よい。理由はないんでしょうけど、心地よく感じる。
そうですね。ここが教えるところが機軸になる。これが中道なのかも知
れませんね。
>この主観というのを「手放した」時に、一つの「気付き」が…。
ここは、禿銅するところですが、不思議ですねえ〜。不思議ですよ。
そう言えば、虹の七色も、人間が直感で編み出した「レ、ミ、ファ、ソ
ラ、シ、ド」の音階に繋がっているらしいですね。聞いた話なので詳細
は覚えていないけど、確かそれぞれの色が変化しているところを起点に
して、弦を張り、虹の直径に比例して結ぶと、その音が出るんだったか
な。スマン、詳細は正しくないかも、しかし、そういうことらしいですよ。
553 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/01 21:54
>>551 >煩悩の根源は、渇愛だと聞いた記憶があるが、渇愛とは、私は結果に対する執着だと思う。
愛というのは、自分なりの理想像というのを持ちますから、これに納得できるようになるのは至難ですね。
納得しようとするんだったら、これはキリがないですね。
つまりは、女性と何度かお付き合いして「愛」とは如何なものなのか?
これを実践で「分かる」のが一番手っ取り早いんでしょうね。
煩悩は、考え込んでしまうことなんでしょう。考えてもなかなか分かるもんじゃないんでしょうけど。
経験すれば何れどんなもんか分かってくる。そういう事なんでしょう。
>渇望があるから「あっち」「こっち」の迷宮、矛盾になるのだと思う。
これもキリがありませんよね。
しかしながら、この渇望が強いというのも成長へのバネになりますからね。
一概には悪いとは言い切れんでしょうが・・・
あまり強すぎるんでも、一つの不幸の種ですね。
554 :
草レーサー:02/08/01 22:20
うん。巧く運転したいと願わなければ、巧くなれるはずもなく、巧く運転
したいと願い過ぎれば、すぐ頭打ちになってしまう。と言う事なんですね。
「丁度良い」というのがありましたよね。これは矛盾ではない。
「過ぎたるは及ばざるが如し」とは良く言ったものだ。これ中道を表す格
言ですね。釈尊悟りに近付いたという弦の譬えと同じッスよねえ。
「丁度良い」というのは「こっち」でも「あっち」でもなく、経験の中で
会得して行くもの。これこそ、当に万人に開かれた人生の学びですね。
555 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/02 14:29
>>554 私は、自動車教習所といのは逝ったことが無いんですね。
川原で自己流で運転して、自動車試験場に20回くらい通ったでしょうか?一発取得というヤシですね。
早朝から試験場のコースを歩き、コースを頭の中に叩き込む(日によってコースが違いますから)。
そんなふうにして20回くらいにして、80点ギリギリで仮免取得。
その後、一週間位経ってやっと本試験合格。ということになりました。
この時は嬉しかったですね。やっぱし「成し遂げた歓び」というヤシなんでしょう。
今でも、その免許に対する思い入れみたいのはあります。
>「丁度良い」というのがありましたよね。これは矛盾ではない。
風呂でいえば、38〜40度位な「良いあんばい」。ということなんでしょうね。
熱い風呂が好きな人もいれば、温めの風呂が好きな人も居る。
そこのところが、個性とかコダワリみたいなもんで、ベースが中道という事なんでしょうね。
万人に共通していて一番グッドな状態ということなんでしょう。
556 :
草レーサー:02/08/02 19:01
>>555 髑髏さん
>川原で自己流で運転して…。
運転免許は、そうして取るのがベターですね。私もソウなんですよ。最も、私の場合
は、一回免許取り消しの行政処分を受けてからの話ですが。(w
18才で免許を取り、19才ですぐ取り消されてしまった。昔は、公道でブッ飛ばし
ていたものですから。
2回目の免許では、殆どキズは付きませんね。勿論、運もあるのでしょうが、実は捕
まらない「コツ」みたいなものがあるんですね。私はこれを経験から会得した。(w
話は変わりますが「茶道」からは、どういう歓びが得られるのですか?髑髏さんにとって
「茶道」とは、どういうものなんでしょう?私にはその辺全然経験も知識もないんです。
勿論、日本人だし、毎日の様にお茶は飲みますが…。
557 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/02 19:37
>>556 >話は変わりますが「茶道」からは、どういう歓びが得られるのですか?
利休の自害というのは、薄く腹を裂いてその後刃を上にして心臓を一突きしたらしいです。
これは「見事」と言うほかありませんね。
実は腹切りというのは、武士でも実際に人を切った経験がないと、かなり難しいらしい。
介錯という介助を受けてようやく成し得るんでしょうからね。一般的には。
つまりは武道の実践が無いにしても、それに通じるものは会得してたんかと思います。
そういう訳で「茶道」というのは、あらゆるもんに通じるかと思います。
例えば「わび」というのは「無限なる空間」という世界を表わすんですが・・・
「それが何なんだ?」と問われても、別に説明する必要はない。
その人、その人それぞれが考えれば良いことです。
定義する必要もなければ、人に押し付ける訳でもない。
そういった漠然とした世界によって、一つの明確なものが観えてくるという事でしょうか?
「感じるもの」。それが歓びなんじゃ〜ないでしょうか?
>実は捕まらない「コツ」みたいなものがあるんですね
交通量の少ない朝とか夜がヤバイとか、いつもより流れが変だとか、対向車の流れとか。
一つの「勘」みたいんもあるんでしょうね?
558 :
草レーサー:02/08/03 00:45
>>557 髑髏さん
私にはどうも漠然としていて、よくわからないです。(w
以前、何かで見たのだと思うのですが、何か、無音の世界という印象を受けました。
>そういうわけで「茶道」というのは、あらゆるものに通じるかと思います。
多分「茶道」の中で様々なものを凝縮して感得することができるのでしょうね。
私にとっても、クルマの運転が人生にも仏教にも通じている。つまり理屈に頼ら
ずに納得があるんですよ。運転というのは理屈じゃありませんからね。
その辺の広場で、何となく覚えてしまえるものですが、机に向かっていて覚えら
れるものじゃない。理屈で理解している「必要」はないわけです。
勿論、理屈で理解している運転には、それないりの強みがありますが。DQNで
運転を巧く語れない奴でも、巧く運転している奴もいる。私はこちらをより高く
評価するのですね。
以前、ホンダチームの技術者が、セナに質問した。彼の神業のような運転をコン
ピュ−ターでモニターしていて、ブッ魂消げたわけです。俗に言う「セナ足」。
セナは出来るだけ答えようとしているのですが、執拗な技術者の質問に、やがて
「それは多分、自分にしかわからないことなんだ」と、はんばサジを投げていた。
※ セナ足:アクセルコントロールで車体を制御する技術(ハンドルに依らず
にクルマの姿勢を変える)で、ミリ単位の制御を任意的に行っていること
をパソコンのモニターから覗えた。最初技術者達は偶然だろうと思ってい
たらしいのですが、そうではなかった事にブッ魂消た。今までのレーサー
の誰も、そんなことが出来るドライバーは皆無だったわけですから。
ということで、セナのアクセルをコントロールする足は凄い。で、セナ足。
559 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/03 05:59
>>558 >「それは多分、自分にしかわからないことなんだ」
お釈迦さんも、悟りを拓いた後数日間は「自分にしかわからない」という心境だったらしい。
天魔との誘惑なんかがあって、自分の心の中に押し留めておこうか?なんて気持ちもあったんでしょうね。
「わび」の世界なんかもそうですね・・・
「こういうもんなんだ」。と説明してしまえば、その概念で固執してしまう。
言葉(言語)というのは、一つの世界のイメージをもってしまいますからね、そこから離れるんでしょうね。
>運転というのは理屈じゃありませんからね。
つまりは、こういう事かと思います。
「わび」も「さび」も理屈はいらないかとおもいます。
つまり「茶の道」でこれを感得するんでしょうね。言葉も無く心で通じ合うんでしょうね。
ですから師弟とは「通じ合える間柄」という事にもなるかと思います。
ここで恋愛感情が湧くようですと、まだまだ初心者の段階かと思います。
これを超越して、これが修行なんでしょうね。
「セナ足」というのを興味深く読ませて頂きました。
私が以前、カリーナ1200を乗ってたことがあったんですが、時たまレーサー?と称する人が運転する事になって、
私は一緒に同乗しました。
当時はマニュアル車で、印象とするとアクセルをメイッパイに踏みっぱなしという感じで、
ギアをしょちゅういじくっていたような感じだったですね。
あれはどういうテクニックかわかりませんが、兎に角スポーツカーに乗ってる感じでしたね。
車がイカレルんではないかと冷や冷やしましたが・・・。
560 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/03 06:35
狭い空間。1・5畳とか2畳の部屋で「無限」を感得するのが利休の時代。
ここで余りにも狭いので「正座」するほか無い。
正座というのは、そんなに一般的ではなかったらしい。
武家社会でも、公家社会でも女は通常は立て肘だったらしいです。
これは隣国の韓国とおなじですね。
公式の場において、つまりは正座するような文化が育ったんでしょう。
日本人が背が低いのは正座の為だ、という学者がいますが、そこのところはトンでもかと思います。
561 :
草レーサー:02/08/03 10:36
>>559 髑髏さん
人間には「自分にしかわからない」感覚的なものと、他と分かち合える客観的なもの
とがありますよね。世間では誰にでも同じ様な結果が出るので、後者の方が重要視さ
れているようですが、人生のウェイトを考えると、前者の方が業的に人生を左右して
いると思いますね。
釈尊の説法として伝えられるお経の中に、後者の方法論で何処までも問いかけてくる
質問者に、釈尊が「あなたは問う事に限りがあることを知りなさい」というのがある。
実際のところは釈尊と言えど、結構厳しい追及に合っていたのではないかと思う…。
道を問われて教えはしたが、本人が違う道に入っていってしまうのを私にどうする事
ができようか…。と、いうのもありますね…。
偉人や天才達の残していった言葉。世間の追求に対して、最後は口を閉ざすしかなく
なる。あー語ろうが、こー語ろうがどうにでも解釈できる。この解釈の基準になって
いるのが「自分にしかわからない」世界ですよね。ある意味、人生はここに光を当て
ていくものでもあるのだと思う。所謂、無明。
あれとか、これに縋り付くのではなく「あーそうか」とただ納得するもの、これこそ
人生を救うものだと思いますね。簡単なようで難しい。これを矛盾を捉えている内は
なかなか見えてこないものがあると思います。
一つの笑い話として、こんなのがある。ある優秀な精神科医がノイローゼに罹ってし
まった。彼は今ま積み上げてきた医者としての知識も技術も自分の為には何の役にも
立たないと思い知らされた。自我の捕われを如実に表している笑い話だと思う。
562 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/03 11:57
>>561 >「自分にしかわからない」世界ですよね。ある意味、人生はここに光を当て
>ていくものでもあるのだと思う。所謂、無明。
人間、生きていくには一つや二つの「心の傷」というのはあるもんで・・・
これがあるからこそ、また「自分」というのがあり、全て過去が綺麗サッパリ無くなる訳ではないですからね。
こういった重みというのを抱えて人間は成長するもんでしょうし。
こればかりは「人に話しても分からんだろう?」というのは多少は誰でも持っているかと思いますね。
>釈尊が「あなたは問う事に限りがあることを知りなさい」というのがある。
全て言葉によって分かるもんでもないし・・・
そもそも釈尊在世当時の「口伝」というのを深く考察せねばならんのでしょうね。
もともと釈尊というのは「説法」というのを断念した時期もあったんですからね。
>彼は今ま積み上げてきた医者としての知識も技術も自分の為には何の役にも立たないと思い知らされた
客観的判断というのは出来るにしても、なかなか自分というのは「分からない」。
「我」も結局は無自生。縁が無ければ「我」もない。縁があって「我」がある。
つまりは無自生。この法門というのは良い。
仏教は、なかなか深い。
563 :
名無しさん@1周年:02/08/04 02:19
×無自生
○無自性
564 :
草レーサー:02/08/04 10:31
今朝、用事があって少し早く起きて思い出した事がある。今だと、早朝の4:30分頃
から、4:45分くらいにかけての、夜明け、明け方頃の雰囲気がとてもイイこと。
ほんの束の間にしても、世界が青紫になってね、夕方はこうはなりません。世界の輪郭
が青紫に浮かび上がってくる。
公道で走り屋だった頃、よく明け方を山中で迎えて感動していたんですよ。面白い事に
明け方を縁に、あの頃の記憶がドバーッと湧いてきた。
他にも、音や匂いなど似通った感覚から、いっせいに記憶が蘇えってくることがありま
すね。
明け方の野鳥の囀りは「嬉しくてしょうがない」と言うのを謳っているような気がする。
私も明け方と言うのは、新鮮でパワフルな感じがしますよ。疲れていてもそれは感じま
すね。逆に夕方と言うのは、やはり衰退していく感じですね。この辺の「感覚」は人間も
動物も似通っているのかもしれませんね。近くで飼っている老犬が、時々遠咆えするので
すが、あれを聞いていると「寂しくてしょうがない」と言うのは見え見えです。こちら
まで寂しさを思い出したりしてしまう。犬くらいになると、明らかに喜怒哀楽を表現し
ますよね。ペットなどは、この辺の根源的な感情を満たしてくれるのだと思う。人間社会
では、こういうものは抑圧されがちですからね。寂しそうな表情で、寂しそうな声で、
寂しいと泣く人というのは、幼い子供くらいなものでしょうね。大人でも怒りだけは我慢
ならず、つい表に出てしまうようですね。
565 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/04 16:45
>>564 レスを読んでいて、ヘレン・ケラーを思い出しました。
あの方は、光と音の世界が無いですね。「我」というのをどこで認識したんでしょうか?
サリバンが「水」を手に流し続けますね。その時の気付いた「歓喜」とは?
「水」には名前があるんだ。という以外に「自分」という認識に気付いた一瞬なのかな?なんて想像してしまいます。
あれは「覚り」なんでしょね。
>よく明け方を山中で迎えて感動していたんですよ。
近くに小高い山があって、大晦日になりますと深夜に登山するんですね。
この頃、子供も冬休みですから小学生なんかも30分くらいかけて登ります。
見晴らしの良い場所で、日の出を待つのですが・・・
あれはなかなか感動しますね。別に理屈の問題じゃないんですけど。
>明け方を縁に、あの頃の記憶がドバーッと湧いてきた。
大体こういう記憶というのは「女」が絡みますね。
ついつい遊びすぎて、朝まで・・・。よくある傾向です。分かりますyo
566 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/05 13:06
568 :
草レーサー:02/08/06 19:25
>>565 髑髏さん
>レスを読んでいてヘレンケラーを思い出しました。
ヘレンのことは詳しくは知りませんが、彼女にとって世界は無秩序で混沌としている
ものだったのでしょう。悪い意味での無分別の世界ですね。そこでず−っと暮らして
きた彼女が、初めて出会った世界の秩序が「water…水」だったんだと思います。秩序
には、質的に大きいも小さいもありませんから、それはやはり「覚り」なのだと私も思
います。
我々普通人から見ると、ヘレンは特別で偉人のように思えますが、仏教の教えを実践し
ている人にとっては、自分も同じように不自由だと思うでしょうね。ヘレンの場合は遥
かに過酷な運命を背負ったのでしょうが…。
無分別は無秩序ではないのでしょう。人工的な社会的秩序とは違うものでしょうが…。
彼女の場合「水」から「水」を考えず、「水」を「水」と思って考えず「水」に触れた
んだと思います…。
しかし、我々健康人とて、見て見ず、聞いて聞かずの状態でほとんど過ごしているので
しょうね…。私はそうですね。生活に乱雑さが浮かび出ているし。(w
まあ、だからこそ、自分が向かうべき方向も浮かび出てくるのですが…。
569 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/06 19:58
>>568 >世界は無秩序で混沌としているものだったのでしょう。
改めて考えれば、そうゆう事ですね。
>悪い意味での無分別の世界ですね
確かにそうゆう事ですね。
>初めて出会った世界の秩序が「water…水」だったんだと思います。
その「歓喜」なんでしょうね。
>我々健康人とて、見て見ず、聞いて聞かずの状態でほとんど過ごしているのでしょうね…。
そうなんですよね。
自分とは何ぞや?→自分に疑問を向ける。というのが大事なんでしょうね。
貴方のレスを読んでいて、改めてヘレンケラーについて考える事ができました。
彼女は、そうとう健常者に伝えたい事があったんでしょうね。
しかしながら、彼女の深い部分まではなかなか・・・。計り知れません。
が・・・その一端は垣間見えた気がします。
570 :
草レーサー:02/08/06 20:00
>>565 髑髏さん
「我」というのをどこで認識したんでしょうか?
う〜ん、五感の全てを認識せずとも、部分的にしろ感覚がある以上、認識せず
とも痛みや苦しみ、快や歓び等を感じてしまう自分がありますよね。
逆に五感の全てに感受がなければ、生きていることができませんよね。呼吸も
ままならないでしょうから。
>近くに小高い山があって…。
いいですね、髑髏さんの住んでいる環境…。多くの人と、歓びや感動を分かち
合えるのも、素晴らしい事だと思いますよ。
私も、レースをやっていて良かったなぁと思う事の一つに、みんなで称えられ
る「勝利」というのがありますね。表彰台に立てようが立てまいが、あるドラ
イバーの勝利をシャンパンを開けて子供の様にはしゃいで称えるんですよ。
この一時だけは、自分の勝利も他人の勝利もない。負けた者も「勝利」を称え
られるんですね。この時だけは、次ぎは自分も…とはあまり思わない。
こういう「勝利」の捉え方はレースがなかったら、私には理屈としては理解で
きても、自分の感覚として味わうことはできなかったと思いますね。
571 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/06 20:15
572 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/06 20:35
>>570 >認識せずとも痛みや苦しみ、快や歓び等を感じてしまう自分がありますよね。
ああ、そうでしたね。
触覚、嗅覚、味覚がありましたね(w
その事にすっかり忘れておりましたよ・・・・。
植物人間ではありませんからね。ヘレンは。
>自分の勝利も他人の勝利もない
これは、一つの事を成し遂げた歓びなんでしょうね。
相当な脳内アドレナリンが分泌されるらしいから、これは当事者しか分からんのでしょうね。
私には推測の範疇にてある程度理解できます。
573 :
草レーサー:02/08/06 22:21
レースから学んだ事、その二。
面白いもので、クローズドサーキットの環境では全て自己責任。可愛い愛車を
誰かにぶつけられても、自分で直す。勿論自分のミスでぶつけても自分で直す。
直すには当然お金がかかる。だから、できるだけ壊すまいとするのだけどレース
にクラッシュもトラブルも避けられない。誰かにぶつかって来られても自分で
修理代を払うのが常識になっているクルマ社会はレースの世界だけでしょうね。
これも二律背反の問題がある。ぶっ壊れて修理代がかかるのは、誰でも嫌なも
のだし、丹精込めて仕上げたマシンでもある。じゃあレースなどやらなきゃい
いという竹を割ったような答えもあるが、自己責任を承諾してもみんな出場し
てくる。何故か?答えは気持ちの中にある「走りたい」がレーサーの命だから。
二律背反の問題というのは、大体思考の中から生まれて来る。現実の行動の中
では、それなりの生きざまは出るものの、そこで止まってしまう事はない。
愛情もお金も込めてあるマシンでも、走っている時は、走るしかありませんか
らね。レース前後は色々と思考を巡らして苦しい状態になる事も多いけど、時
間が来れば走り出すしかない。まあ、逃げる事もできるが、大抵は走る。(w
走り出してしまえば、後はもう現実と格闘している自分がいるだけ。走ってい
る事でわかってくることもあるのですね…。これがレーサーの宝。
人生の現実にはどんな事でも、初めと終りがある。初めが来なければ、何時ま
でも二律背反の前で葛藤しているだろうし、終りが来なければ努力になど意味
もなくなると思うのですよ。
574 :
草レーサー:02/08/06 22:43
>>571 髑髏さん
これは何なのでしょう?私のパソコンのモニターには、黒一色に塗りつぶされた
画面しか出ませんよ。何かの間違いでしょうかね…。これが心境だとすると私の
理解の及ぶものではなさそうです。(w
575 :
名無しさん@1周年:02/08/06 22:46
理解を超越する男・髑髏仮面
>黒一色に塗りつぶされた画面しか出ませんよ。
たぶんマイクロメディアのフラッシュがインストールされていないんでせう。
577 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/07 06:46
>>574 >私のパソコンのモニターには、黒一色に塗りつぶされた画面しか出ませんよ。
あらあら、これはスマソ
私のパソコンは反応ます。ということは・・・・・
他の方は情報が入ってないんですかね?アボーンされているんでしょうかね?
詳細は分かりません。
win98は文字化けするらしいけど・・・。そんなんじゃないでしょうし。
どーも分かりません。
パソコン初心者なもんで。
ちなみにフラッシュの内容は、ルパン三世バージョンで私のメッセージが入力されてます。
578 :
草レーサー:02/08/07 07:23
>>576 そういうことかもしれませんね。早速やってみま。御親切にどうもッス!
>>577 私も髑髏仮面さんの心境を楽しみに拝見させてもらおうと思っていた
ので、ビックリしましたよ。(w
多分何かの間違いだろうと思うものの、私の理解の及ばない禅や茶道
の何かを表してしているのかも知れないなあ等と、黒一色の画面から
何かを掴み取ろうと虚しい努力をしていたんですよ。(w
いや、決して責めているとかじゃなく、ホントに笑っちゃっているん
ですよ。「これが私の心境です」と言われたら、どーレスを打とうか
なあと…。笑えるでしょ?
579 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/07 08:00
580 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/07 18:21
>>573 >可愛い愛車を誰かにぶつけられても、自分で直す。
そうですか。結構お金がかかるもんですね。
私の知り合いにもこういったレースが好きな人がいますよ。
なんでも、アフリカのラリーに出るそうですが、あそこは非常にヤバイらしいですね。
とにかく草原みたいなところだから、途中で故障でもするという事を想定するとヤバイらしいですね。
当人は単車が好きな人だから、おそらくは二輪車かと思いますよね。
アフリカまで二輪車を運ぶんですかね?詳しくは聞きませんでしたけど・・・。
それだけ魅力があるんでしょうね。こう逝った世界というのは。
>これも二律背反の問題がある。
茶道もいわば二律背反みたいなもんですよね。陰陽思想が入ってますからね。
でも一番大事なのは・・・・
前レスにありました、弓道の「暗闇で射る」。あの世界かとおもいます。
ああいった世界に魅了されるんかと思いますね。
こういった世界の話になりますと、なかなか言語では伝えきれない・・・。
茶道においても、弓道においても、レースの世界においても同じなんでしょうけど。
レースの世界は奥が深いですね。
私が知らないだけで、なんの世界においても言えるんでしょうけど。
581 :
草レーサー:02/08/07 21:18
>>580 髑髏さん
>弓道の「暗闇で射る」あの世界かと思います。
これは究極ですよね…。
この究極に限りなく近付いた男の言葉として、再びセナの言葉を抜粋しましょう。
セナが鬼神のような走りをしている時の状態に、第三者が質問して答えていたものです。
「その時僕の精神力は肉体やマシンの力を超えている。僕と言う人間を構成している
要素の全てが、肉体も精神も含めて何もかもが100%自動的に動く。95%でも99
%でもない。100%なんだ」…と、言うことです。
私もレース中には、心が真っ白になって自動運転している感覚はわかるのですが、それ
にしても100%というのは俄かに信じ難い思いがしますね。う〜ん、確かに奥が深い。
>私が知らないだけで、なんの世界においても言えるんでしょうけど。
私はかつて、自分がレーシングドライバーだと言う事を自慢していた時期があるのです
が、色々な人と出会ったり、人生経験を積んでいく内に、恥ずかしくなって来ましたね。
何か、特別にカテゴライズされた世界で優越感を意識していると、どうしても劣等意識
が触発されやすくなる仕組みがあるようです。(w
ただ、私がクルマが好きで走る事が好きで、レースが好き。これが自然で気に入ってい
ますよ。考えてみると「好き」という感情も面白いですね。あるものに特別なものを感
じてしまうセンス。「好きこそものの上手なり」と言いますからね。
釈尊も、人生が好きだったのだと思います。一度は人生を厭い離れ、捨てた男でしょう
が、どこかで人生が好きだったことに気付いたんだと思います。
582 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/07 22:12
>>581 セナも釈尊も、つまりはトップの粋に達した人ですよね。
こうゆう方というのは、同じ土俵でコミュニケーションを取るというのは難しいですよね。
自分で言いたい事があるんでしょうけど・・・
だけどナカナカ分かってもらえないというのは実際あったかと思います。
俗な言いかたですと、こういうのは一種孤独なところがあるかとおもいます。
>肉体も精神も含めて何もかもが100%自動的に動く
人間というのは、意識では覚醒しているとおもっていても、使う能力というのは僅かなんでしょうからね、
こういうところでこう言い切れるのは、人間の概念を遥か越えた世界なんでしょう。
禅は、つまりはこういった概念の破壊ですからね。通じるところがあるかと思います。
茶道でも、つまりは目指すところはこれかと思います。
弓道でも「暗闇で射る」必要性はないとしても・・・そこで「得るもの」。是かと思います。
それが魅力なんでしょうね。
583 :
草レーサー:02/08/08 07:37
>>582 髑髏さん
>「的を射る」必要性はないとしても…そこで「得るもの」。是かと思います。
それが魅力なんでしょう。
私もそうだと思う。その必要性…の問題を徹底的に追及すると、ホントに必要なものが
見えなくなってしまう。レースでも、勝つ事以上に「走ること」が何よりの原点ですか
らね。人生の何事も、まず「生きること」が原点でしょうね。
しかし、スポーツなどの場合、動いているから色々な事が分かり易いけど「生きること」
を原点として日常生活を営むのは難しいと思いますよ。
私などはレースを窓口として、その大切さに気付いたに過ぎないですね。レースを通し
て、「ホントに生きる道」に入ったのだから、これも法門なのかもね。
>こう言う方というのは、同じ土俵でコミュニケーションを取るというのは難しいですよね。
う〜ん、同じ土俵で…というのは難しいと思う。セナの場合だと、色々な世界の専門家
達との交流は刺激的だということですが。
ここはやはり、交流、コミュニケーションなんだと思う。たとえセナのような人間でも
一人きりの世界に篭り切ってしまったら、色々な意味で不発になってしまうと思う。
専門家とまではいかなくても、一心に生きてきた人の言葉には耳を傾けるものがあるよ
うに感じています。
584 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/08 15:58
>>583 >私などはレースを窓口として、その大切さに気付いたに過ぎないですね。
レースというのはクラッシュが付きもんでしょうから、当然「死」とうのも身近に感じられますね。
そういう時に「生」というのが、ググッグと鎌首をもたげてくるんじゃないでしょうか?
つまりは「死」がボヤケテいたんでは「生」も又ボヤケテしまいますからね。
レースというのは、一つの極限状態をもたらすんでしょうから、そういうところで「気付き」みたいのはあるんでしょう。
これは何の「道」でも同じですね。一生に一度あるか?ないか?なんでしょうけど・・・
レースは、この頻度が非常に高い。
仏教というのは、苦行というのを否定してますが・・・
一つの極限みたいな状況というのはやはり必要かとおもいます。
そうでないと「観えてこない」という部分がるような気がします。
「四諦」の苦も、こういう事も含まれているよーな気もします。
文言でけでしたら単なる「苦」なんでしょうけど。
585 :
草レーサー:02/08/08 19:52
>>584 髑髏さん
>仏教というのは、苦行というものを否定してますが…
私もここには意見を持っています。詳しい事実は知りませんが、そもそも苦行をする
のは、肉体の束縛を脱するため、肉体の苦しみに負けない強靭な精神力を養うためな
のだろうと思うのですが、やはりそこは人間のすること、執着が生じるんだと思いま
すね。そうなると、苦行のための苦行になってしまう。人生の苦しみから脱する為の
修行が、苦しみに無感覚になることを目指してしまうような気がします。印度の苦行
というのは、肉体を痛めつける意味で想像を絶するほど過酷なものらしいですからね。
釈尊苦行を放棄した時の、六人の修行者達の反応から察すれば、修行者にとってどれ
だけの苦行に耐えたかが、一つのステイタスになっていたのかも知れませんね。男の
意地の世界には、いつでもそういうものがありますから。(w
髑髏さんがよくいわれる「自分とはなんぞや?」ここの処の洞察には、やはり厳しい
ものが必要でしょうね。生物の性として、苦しくなければ必死になれないというのが
ありますし、釈尊も生存か死かのギリギリの苦行時代にかなりのヒントが掴めたのだ
と思います。だからやはり、六年の苦行生活がなければ、釈尊も大悟には至らなかった
のじゃないかとも私は思うのです。否定したのは先に書いたような苦行への態度や
執着なのでしょうね。やはり人生全ての事に、中道と言う尺度を用いる。私としては、
そこが釈尊仏教のいのちだと思っています。自分自身の内的な感覚として中道のセンス
が掴めなければ、中道など絵に書いた餅だろうと…。
それを目覚めさせ養うためには、時には極端なこともやってみて、自分で納得するの
も道でしょう。実は人間は気付かずとも、極端な事をしていると思う。それに気付く
ためにわざと極端なこともしてみるのでしょうか…。
サーキットなどでも、とにかく全開で…という走法から、失敗に失敗を積んで徐々に
走りが成熟していくものです。スピンやコースアウトから失敗を失敗と学んでいくも
のですよ。この辺は人生がそういうものなのだと思います。
586 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/08 20:32
>>585 >執着が生じるんだと思いますね
なるほど、たしかに執着が生じる。
>苦行のための苦行になってしまう。
そうそう、目標達成みたいな方向性ができますね。
>苦しみに無感覚になることを目指してしまうような気がします
順応してきますね。一種快楽的感覚に陥る場合もある。自虐的というんでしょうか?
釈尊は、苦行の後「琴弾き」に出会って「中道」を気付いた。
いわゆるそこにはプロセスがありますからね。
トータルで考えてしまうと、少々捉えずらくなりますよね。
>六年の苦行生活がなければ、釈尊も大悟には至らなかった
そうでしょうね。
>それに気付くためにわざと極端なこともしてみるのでしょうか…。
人類の長い歴史において、ある程度は学習しているかと思います。
発動の度合いが人によりマチマチでしょうけど・・・。
無意識的にせよ、こういった嗜好というのはあるかと思います。
587 :
草レーサー:02/08/10 07:58
>>586 髑髏さん
遅くなりましたが、571のフラッシュは拝見してみましたよ。(w
ヘレンもそうですが、一見宗教と関わりがないような人達でも、宗教的なセンスが
磨かれているような人達もいますよね。
反対に宗教の専門家が、そういう部分があまり発動していないような人もいるよう
です。
仏教的ないいかたをすると、何を因、何を縁としてそういう結果が出てくると髑髏
さんはお考えですか?
私は宗教の何が嫌いって、閉鎖性が堪らなくイヤですね。(w
宗教の分裂はいくらでも見られるけど、融合は殆ど御目にかかることがありません
しね。異なる宗教観でのコミュニケーションというのは難しいにしても、ここには
宗教の未来があるように私にはおもえる。
キリスト教なり、仏教なりにしても、その世界観だけでどこまでも追求していくよ
り、雑教的な教えの中で、何か根本的な秩序を求めることも私は価値があると思う。
暫く少しレスが遅くなるかもしれません。
588 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/10 18:15
>>587 >仏教的ないいかたをすると、何を因、何を縁としてそういう結果が出てくると
つまり宗教が「飯の種」になる人間ですね。
文献学者はその世界のスペシャリストなんでしょうし、極自然にその世界が視野になるでしょうし・・・
僧侶は如何に葬儀、法事を手際よくする事に専念せにゃ〜ならんし。
それがいわゆる「道」になっちまうんでしょうね。
これが「因」となれば・・・これを証券取引に例えると・・・
文献学者は、株価チャートを見ながら今後の対策を練るよーになるでしょうし・・・
僧侶は、株売買約定日と決済日が気になるよーになるでしょうし・・・
同じ「株」でも考えている事は違うんでしょうね。
>雑教的な教えの中で、何か根本的な秩序を求めることも私は価値があると思う。
セクトに凝り固まってしまうと、やはり閉鎖的になるかと思います。
今後「脱セクト」というのも、一つの価値観としてコンセンサスが得られるようになるかと思います。
「ニヒリズム」が、一つの生き方として定着したよーに・・・
589 :
草レーサー:02/08/12 06:48
>>588 髑髏さん
う〜ん、確かにそういう側面が強く現れていると思うんですが、世俗の価値とは正反対
に進んで「これ以外には認められない」という風になってしまう向きもありますよね。
純粋さ、の禍なのかも知れませんが。一般的には、純粋なことは善い事だと思われてい
るようですが、やはりこれも過ぎたるは及ばざるが如し。なんでしょね。
>今後「脱セクト」というものも、一つの価値観としてコンセンサスが得られるように
なるかと思います。
「ニヒリズム」の場合は、世間の価値観が執拗に金品等を得ることに走った事で起こって
来たと思うのですが「脱セクト」の場合は環境問題等が、やっぱり入り口になるのかな?
宗教と言うのは、そこでも世俗に一歩遅れるのかもね。異教徒間でも、エコ情報の遣り取
りくらいなら、恙無くできそうですね。
590 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/12 20:36
>>589 >「これ以外には認められない」という風になってしまう向きもありますよね。
特に日蓮系に前衛的なのが多い気がします。
そういう意味でも私は、経典(法華経)一本に絞り込んでしまう教義というのはドーモ肌に合わないんですね。
かつて活路を見出せないまま自然淘汰の憂き目にあっていた反代々木系は、その中でも前衛的色彩の強い京浜安保と赤軍がドッキング。
その連合赤軍の末裔は承知の如し。
つまりは、誰も予想もしなかったセクト崩壊というのは、全くアッケないものである。
仏教的に言うならば、まさに諸行無常。
いうかはこういった自体というのも伝統宗派にもおとずれるんだろうとは思う。
理由としては「少子化」が継続すれば、家督を相続するという伝統も至難になるだろうし・・・
こういう崩壊というのは、いたってアッケなく成されてしまうのが世の常だろう。
現在のサヨク運動を見ても分かるとおり、非常にソフト路線でる。
かつてのルネッサンスのように・・・
新しい秩序が生まれる気がします。
その原動力というのが、いわゆる民衆のコンセンサスとネットの情報網かと思う。
144さん
柏崎の茶道美術館はどうでしたか?
来年になったら、また逝ってみようかと思います。
今度は5日くらい休暇をとって、金沢の方へ行こうと思ってます。
本当は、冬の日本海が好きなんですが・・・
4日市の「雪まつり」を今度予定してます。
あれは一回しか見たことがない。
結構寒いですよ(w
近くに栃尾又があります。ここがまたイイ(w
592 :
草レーサー:02/08/21 19:47
>>590 髑髏さん
レスが大変遅れてしまいました。済みません。
そうですね、宗教で飯を食っていかなきゃならんのが、所謂、その専門家ですよね。
生身の人間がやることだから、綺麗ごとばかり言っているわけにはいかない事情も
多々ある事でしょう。
仏教史に付いてはあまり知識がありませんが、比叡山に入るも幻滅して下りてきて
しまった僧侶も多いそうですね。人間のやることは何処へ行っても同じようなこと
だと言う事かもしれませんね。虚栄と知って虚栄を求めてしまうことが結構あるん
だと思うのですよ。これは時代や地域の違いを超えて「人間」がいつの時代でも何処
にいても、ついつい求めてしまうもので、時には必要なものとも私は思います。
これもあるところで止めれば別にそれほどの禍もないものだろうし、人間として生活
するのなら、これも一つの楽しみでもあると思うのです。
ただ、この「あるところで止める」というのも非常に難しいことですよね。よく言う
「わかっちゃいるけどやめられない」というやつです。(w
これは、知能指数や社会的地位の高低に関わりなく、みんなが悩まされる問題なんで
しょうね。
ここは、実にみんなが難儀するところでもあると思います。髑髏さんは、この事に付
いて、どんな見解をお持ちでしょうか?
593 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/22 20:19
>>592 プロゴルファーの青木だった記憶しておるんですが、こんな事を逝ってました・・・
「仕事を離れて今度あそびでゴルフをしてみたい」。
とても印象に残っています。
私も、茶道で授業料を貰っている内はどことなく窮屈さみたいのはありますから・・。
坊主も同じなんでしょうね。袈裟掛けで「坊主の顔になる」。
アドルフ・ヒトラーが「我が闘争」の中で逝ってましたね。「軍人は軍服によって作られる」。
>人間として生活するのなら、これも一つの楽しみでもあると思うのです。
そうですね、私も自身の好きなジャンルには金をかけますね。
着物ですと、丹精込めて織り上げた商品ですから、それだけに愛着とゆうのはあります。
こういった「作り手の心」みたいのが通じる商品は魅力があります。
商品というのは大体がそうなんでしょうけど、ここは私自身の独断という事で・・・
気にいったのが一つあれば充分です。
どんなもんでも使わなければ意味がありませんから、充分に使いきります。
これが収集癖まで発展すると、本末転倒なんでしょうね。
>ただ、この「あるところで止める」
これが境界線なんでしょうね。
本当に必要なんか?そうじゃないのか?
使い切るのが大事なんでしょうね。
自分が死んだ後は何も残したくはないです。→これが基準になっています。
594 :
文ちゃんボロボロ:02/08/22 20:23
副島さん襲撃事件
以下、元統一教会員カインの末裔氏の投稿より (1部編集あり)
八四年六月二日に、世界日報の編集局長だった777双の副島さん
世田谷代田駅から帰宅途中だった午後八時四十分頃に「韓国の空手を使った」男から
左側頭部、左上腕部、左首筋、背中と次々にメッタ刺しに合いました。
「背中から左胸部に達した刺し傷は、深さ十五センチ心臓を2センチ外れていたが
肺が破れ血が溜まっていたため、一時は、重態に陥ったほどだった。
左上腕筋は、四十センチに渡って切り裂かれた。
三度の手術が、成功し、二日後に意識が戻った。」(警察発表を報じた記事より)
この事件は、翌日の朝日新聞が、3段56行、毎日が、1段26行
読売新聞が、1段15行という扱いでした。
それで、当時の統一教会員は、もとより、その後に入教した教会員は、この事件のことを知らないのです。
副島さんが、刺されてから一週間後の六月十日
文藝春秋七月号が発売され、刺された副島さんが書いた
「これが、統一教会の秘部だ」というレポート形式の論文が、大きく載っていたのです。
霊感商法のこと、天皇陛下との関係、統一教会が、韓国語で、世界統一を目指していることなど
これまで、共産党の批判、報道しかなかった中で、副島論文は、重要な意味を持つ内容だった。
統一教会サイドが、副島さんの論文が、文藝春秋に載ると知ったのは
遅くとも事件が、起きる前の八四年五月二十六日、大手広告代理店の営業マンからであった。
そして、この掲載を阻止しようと、当時の国際勝共連合と統一教会の責任者が
様々な方面から圧力をかけたが、掲載を止めることが、できなかった。
そして、六月二日の夜、副島さんは、何物かによる襲撃を受けたのでした。
この事件前までは、文藝春秋社は、朝日批判、反共とい
595 :
求む!ハナシアイテ:02/08/24 01:57
2ちゃんねる心と宗教板・変態住人・レーティング(8/20)
@あずみ(あほのあだ花)
A髑髏仮面
Bキリスト教の神父は大馬鹿 (DQNただそれだけ)
C渡海難
以下、省略
596 :
名無しさん@1周年:02/08/24 21:55
こっちだよ。。。
597 :
名無しさん@1周年:02/08/26 00:51
誰か
598 :
草レーサー:02/08/27 22:40
>>593 髑髏さん
ここのところ、亀レス続きで済みません。
う〜ん、私としては心を扱う宗教の専門家にはやはりクリーンでいて欲しいですね。
現実としては宗教などほど余計に人間の暗部が浮き彫りになってしまうようですが。
まあ、私にしたところで立派な袈裟を纏っている僧侶らしき人物の方に内面的なも
の以上に、まず目がいってしまいますが…。
仏教の僧侶達にも、立派な袈裟を纏って教学を学び日夜修行に勤しんでいても仏教
界内部の問題を、仏教の僧侶でいるためにどうすることもできずに悩んでいる人も
いるのでしょうね。檀家の人や一般人に法を説けても、現実自分達の問題には手も
足も出ないのかも知れないのですね…。
「あるところで止める」というのは、自分に甘く、他人に厳しくなってしまうのが
人間ですから、なかなか難しい事だと思います。
私の場合などは、まるでモグラ叩きの様にこっちを整えれば、あっちが。あっちを
整えれば、こっちが。と、どうもグッドバランスという具合にはいきませんですね。
現在奮闘中というところでしょうか…。
>これが境界線なんでしょうね。
>本当に必要なんか?そうじゃないのか?
ただこれだけを突き詰めるのも、相当の精神力がいると思うのですよ。
599 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/28 09:59
>>598 >仏教の僧侶でいるためにどうすることもできずに悩んでいる人もいるのでしょうね。
日本の現状でしたら、妙好人的生き方とゆうのが私にはイイかと思う。
妙好人の中の妙好人といわれる浅原才市。この方は宗派には拘らなかったそうです。
阿弥陀様に帰依はしているんですけど、自力・他力には拘らず。
つまりは在家なんで、そのところは自由な捉え方とゆうのが出来たんでしょうし・・・
一説には「大哲学者」とゆう評価もあります。
これからの仏教とゆうのは、才市的人物に関心が向くんじゃないでしょうか?
真宗は、だいたい私は才市に考えが近い。
在家が仏教を学ぶんでしたら、やはり妙好人の逝きかたとゆうのは参考になります。
>ただこれだけを突き詰めるのも、相当の精神力がいると思うのですよ。
玩具類のコレクターが居まして・・・・
彼のコレクションは、天上を壊して収集品を積み上げておりました。
やはりそうなると「死んだ後」の事が気になるみたいです。
そして彼が死んだ後、奥さんはどっかの民族資料館に寄付したそうです。
コレクターとゆうのは、死ぬ時未練が残るらしいですね。
600 :
草レーサー:02/08/30 07:43
>599 髑髏さん
>在家が仏教を学ぶんでしたら、やはり妙好人の逝きかたというのは参考になります。
確か唯摩経というのは、在家仏教徒を題材にしたお経だったと思うのですが、あの居士
の自由無碍な境地というのには、インパクトを受けましたよ。あれは不二の教えを説い
たお経なんですよね。
あのお経も仏教の上座部と大衆部の葛藤から生まれてきたものなのだろうと読んでいて
思ったのですが、私も大乗や小乗、自力や他力などの思想に片寄り過ぎてしまう主張に
は納得できないものがあるような気がします。最も、徹底的にある宗派の思想を吟味し
た訳ではなく、感覚的なものに過ぎませんが。ただ、中道というのは思想的な素晴らし
さ以上に納得できるものがあるのですよ。実践となると非常に困難もあるのですが「こ
こに向かっていく」という機軸は他にはないと思う。ここは、仏教と言う枠も超えてい
る人間の道標にもなっているのじゃないかとも思うんですよ。
>コレクターというのは、死ぬ時未練が残るらしいですね。
そうなんですか?その「物」自体に執着してしまうからでしょうか?私もクルマ好きな
ので、できればコレクションしたいのですが、金がないからなあ(w
乗用車とボロのレースカー、この2台、これが限界ですね(w
勿論、これらは大切に扱いますが、私はどちらかと言うと「物」にはあまり執着しない
方だと思います。その代わり、精神的な意味での頑固さを持ち合わせていますが(w
若い頃は、レーシングドライバー以外の人生には、全く価値を見出せなかったのですよ。
今では、色々と人生経験を一応積んできたので、柔らかくなってきましたが…。
私は精神的な頑固さも死ぬ時未練を残すと思う。私の場合ですと「レーサーとしてもっと
完成させたいよ〜!」などかなあ(w
601 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/31 18:17
>>600 仏教の「悟り」とは、捕まえようとすると逃げちゃう「青い鳥」みたいなもんなんでしょうね。
あのお話を良く思い出します。
捕まえるんじゃんくて、「仲良く」すれば良いんじゃないかと・・・
そんなふうに考えています。
仏教の原点とゆうのは「人間とは何ぞや?」とゆうことなんでしょうから、
非常にシンプルですね。勿論、奥が深いんでしょうけど。
>仏教と言う枠も超えている人間の道標にもなっているのじゃないかとも思うんですよ。
そですよね、私も「仏教」とゆう枠に拘らなくて良いんじゃないかと思います。
人間の「生き方」なんでしょうね。仏教とゆうのは。
こうゆうところからの「意識改革」とゆうもんから考えていかなければならんでしょうね。
禅はいわゆる「思い違い」のハケーンですよね、非常にシンプルなところが原点かと思います。
>>601 髑髏さん
>仏教の「悟り」とは、捕えようとすると逃げちゃう「青い鳥」みたいなもんなんで
しょうね。
そうかもしれませんね。スポーツ選手なども似たような経験がある人が多いですよね。
高度なパフォーマンスを自然に行っていても、イザその状態を求めてみようとすると
逆にわからなくなってスランプにハマッテしまうんですよね。天才的な人ほど、その
傾向が強く現れてくるみたいですね。ひどくなると、そのまま再起不能ということも
あり得るくらいの。
レーサーの場合は、大きなクラッシュをした後などに再びレースに復帰する時、どう
してもビビリが出て、前の様に走れなくなる時期があります。
十分に練習して確実に習得したハズのテクニックも精神状態如何に依って輝いたりも
くすんだりもするから、面白い。だから、今時のスポーツ選手等は、メンタルトレー
ニングも常識になっていますよね。ただ、スポーツなどの場合は、優劣を競う訳だか
ら、メンタルトレーニングが少し歪になっている部分もあるような気がするけど。
603 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/09/02 20:06
>>602 私のpcがウイルスにやられちゃいまして、今デスクトップで打ち込んでいます。
キーボードが慣れないんで打ちづらいです(w
ああやしいメールは見ないで削除するんですが、それでもやられますね。
やっぱりソフトをインストールせんと駄目みたいですね。
そーユー訳で、今修理にだしてます。
>イザその状態を求めてみようとすると逆にわからなくなってスランプにハマッテしまうんですよね
禅でも、八図で「全部捨てる」んですね。
ここで捨てきれないと、その後が精神的に不安定になるらしいですよ。
で、これがどうゆう意味なのか?とゆうのは、やはりその時は分からないんかと思います。
そこを少しずつ分かってくるのが大事なんかと思います。
>メンタルトレーニングも常識になっていますよね。
これは、イメージトレーニングみたいなもんなんでしょうかね?
おっと、8時に約束があるんで失礼します。
605 :
名無しさん@1周年:02/09/10 00:05
こんばんは 初めてです。よろしくお願いします。
606 :
ぷろふぃ〜る:02/09/10 00:10
136 :髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/22 18:13
>>129 私の家(旧家)には天上が無くて、ブットイ梁(はり)が剥き出しになってる。
そこへ麻紐をくぐらせて〇〇をぶら下げたら、これは自分の女でなくても実に美しい。
それ以上に〇〇は恍惚状態間違いなし。
そこで茶会をするのです。
607 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/09/10 07:06
>>604 どうもありがとうございます。
とりあえず、PCを掃除して「ウイルスバスター」をインストールしました。
>>606 私のレスを保存しているのか?
はたまた過去ログを探したのか?
いずれにせよ私のファンと見た。ありがたや・・・。
>>605 よろしくお願いします。
私は全共闘世代後期です。ちなみに男子です。
息子がいうには、2ちゃんねるは 10〜20代のたまり場とのこと。
でも宗教はある、というのでおそるおそる来てみました。
昨日はお誘いいただいて、ありがとうございます。
私は団塊の世代後期です。ちなみに女子です。上記のようなわけで
私はそうとうな年寄り扱いされるかな〜と思っておりました が
どくろさんがいてくださって、安心してしばらくはロムさせていただきます。
どくろさんが、大変な女好きということは
すぐ理解しました。まだ全文は読んでないのですが。
610 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/09/10 23:36
>>608 >私はそうとうな年寄り扱いされるかな〜と思っておりました
そうでもないですよ。
私よりグッと年配の60歳代はマダマダ若いですからね。
70歳代で「歳とったかな?」とゆう感じです。
80歳代でようやく「熟年の世代」とゆう感じですからね。
ところで・・・
子供のころは「缶けり」とか「めんこ」とかやりましたね。
振り返ったら「良い時代」だったんですね。
人生とはそんなもんかとおもいます。
つまりは「今ここ」を大切に・・・・とゆう事なんですね。
611 :
拓・ヒショ:02/09/10 23:37
>>607 某変態カンジチョーさまは、ずーーーーっと、あなたさまのフア〜ンで
いらっしゃいますです。
612 :
名無しさん@1周年:02/09/11 21:59
そうそう しました。缶蹴り メンコ かくれんぼ インド人の○ロ○ボ
等々。
三世”過古世 現世 来世”人の一生の中にこれだけのもの有り。
そして現世は無し。この瞬間を大切に。。。あなたはいい人ですね。
613 :
草レーサー:02/09/14 08:02
>>603 髑髏さん
最近、亀レス続きで済みません。しかも、ハンドルまで間違えてしまいましたし。
滅茶苦茶忙しい日々が続いていまして、もう、目がまわっちゃう毎日なモノで…。
意識が現実の出来事に引っ張りまわされている状態なので、ろくなレスも打てない。
それにしても、こういう状態での生活が続くのは疲れます。一段落したら、またレス
させてください。
614 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :
>>612 今日あたりは、さすがには半そでのシャツでは寒いですね。
段々、冬の気配を感じます。
諸行無常。この無常観とゆうのが、日本の四季に良く馴染みますね。
>>613 お忙しいのは結構なことですね。
私のところは、ミョウガがこの時期大量に芽を出すんですよ。
あの植物は日陰でも良く育つ、手入れのいらない便利なヤシです。
そうゆうのでも、有り難がる人もいるもんで結構人気がある。
まあ、そんな生活をしとります(w