101 :
名無しさん@1周年:
( ´・ω・) 100get オメ > カゴチァン
102 :
brown:02/05/12 20:23
@煩悩をよく判別し,一つ一つ断っていくと,心の迷いは分析的に解消させる
ことができるようになる。Aさらに心をよく浄化していくと,心の迷いは分析的
手立てを経ることなく,生じてきた迷いに注意を向けるだけで,「ピタッ」と
止まるようになる。Bさらに,心に生じてくる煩悩に注意を向けることに常に
注意深くあるならば,全ての心の動きに注意力が働きかけて,その絶え間ない
注意力によって心の全てが生じた瞬間に停止するようになる。Cさらに,この
絶え間ない気付きを持続していくと,徐々に,心に迷いが生じることが少なく
なっていく。そして,やはりたまに生じる迷いに対して注意力を向けると
すぐさまそれが停止するようになる。Dさらに心に迷いが生じる根源をよく
観察していくと,それ以上何も起きない。Eさらに何も起きないところを何も
起きないままにしておくと,あるとき,注意力を向けないでも心自ら迷いを
解消している事実に気付くようになる。F一度それ(心の本性)に気付くと,
注意力を捨て去るようになる。そのとき,あらゆる迷いは勝手に心に生じてくる
が,迷い自らが勝手に消滅していくようになる。心自らが勝手に迷いを寂滅
させてしまうので,我は何もすることがなく,ただ,何も起きないところで
安らぐ。Gその大いなる自由をよく観察していくと,その絶対的境地の中に,
エモイワレヌ快感が生じてくる。それが空性大楽と呼ばれるものなのです。
103 :
名無しさん@1周年:02/05/12 20:26
天下の2CHで、コレでは少しさびしい。
104 :
brown:02/05/12 20:38
上記修行プロセスには,「煩悩」とありますが,それは感情も思考も判断も
同じことです。それらが何ゆえに,幻であり,虚構であり,空寂なるものなのか。
実際に,幻であるからです。虚構であると判断するのではありません。それらは,
ただどこからともなく生じては勝手に消えうせる,本来的に不生のものなので
あります。心とは,思考や感情がそのように戯れている何か得たいの知れない
場でしかないのです。しかし,見方によればそれは,そのような戯れを貫いて,
絶対的安楽な自由と,何物にも依存することのない大歓喜を,無制限に,勝手に
生み出し続ける,生きている我々にとって大変ありがたい存在でもあるのです。
つまり,人生の価値です。このようにして仏教のニヒリズムは,自然に生じる
大楽という秘められた心の機能によって,乗り越えられていくのです。
105 :
brown:02/05/12 20:56
もし,「空」がどこかの宗教で尊ばれているからといって,その「より正しい解釈」
によってより生き方が善くなると考えるのなら,概念化の迷妄に陥ったのでしょう。
もし,空が,「ある」でもなく,「ない」でもなく,「あってかつない」でも
なく,「あるでもなく,ないでもない」でもないなどというのであれば,それは
四句分別の迷妄に陥ったのです。もしそのような迷妄に陥ってはならないと
考えたとしたら,その種類の迷妄に陥ったのです。いかなる迷妄にも陥っては
ならないと考えてもならないと考えたら,その種類の迷妄に陥っています。
また,では何も思考がないことが善いことだとして,何も思考しない実践(禅)
をしたとしたら,無分別の迷妄に陥ったということです。これもまた甚だしい
誤解です。
空性寂滅・寂滅為楽とは,そのような判断や解釈,無分別の愚にかかわることなく,
ただ自らの心の解放,至高体験が自らの中に実際に現れてくるまで,自己をよく
制すること,心の御者になることにより体得するものなのです。
52 名前:名無しさん@1周年 投稿日:02/05/10 03:30
>そうでなくて君は知らんかも知らんが,直接知ることが出来るんだよ。実際に。判断をさしはさむことなくね。
まずおさらいをしましょう♪。
仏教における「認識」とは2種類の手段しか認めていないの♪。
その1 感覚知覚→五官と五根の接触により生じる「五識」
その2 上記により得られた認識・情報より「推論」された判断。
(これには正しい推論であるか否かは論証法(仏教論理学)に基ずかなければならない。)
だから
>言葉や推論機能を介さずに知るから,言語では説明できないんですね。
バラモンの行者が「ブラフマンと合一して一切智を得る」ようにはいかないのね♪。
107 :
名無しさん@1周年:02/05/12 21:20
トラトラジオンジオンチトフルモ トオチャソウトチャソウホンミアン
ジオンプラトアミアミ ミトラホンホントラツ トオライタチプララソト
チタチトアミホン
108 :
名無しさん@1周年:02/05/12 21:24
109 :
名無しさん@1周年:02/05/13 01:24
brownはもう来ないんじゃなかったの?
110 :
名無しさん@1周年:02/05/13 02:01
>>52 横レスになるけど、
>バラモンの行者が「ブラフマンと合一して一切智を得る」
というのは「認識としての知」を言っていないので、
なんかあさっての方向向いた論証なんすけど・・・
111 :
名無しさん@1周年:02/05/13 07:32
>>110 ごめんなさいダ−リン♪。
あなたのように印哲専攻したわけじゃないのしってるくせに☆。
「空を語ればオカルトになるから爆撃しろ」と言ったのはダ−リンじゃなかったの?♪。
>>106 >上記により得られた認識・情報より「推論」された判断。
推論ではどーにもなりません。
114 :
brown:02/05/13 21:00
>52,106
あなた方の考えていくことは全く間違っています。
しかし,言っていることは半分あたっています。
つまり,あなた方はご自分が言っていることの意味がわかっていないのです。
言葉 and/or を知らないからそのような迷妄に陥ったのです。
115 :
brown:02/05/13 21:07
>52,106
>その1 感覚知覚→五官と五根の接触により生じる「五識」
>その2 上記により得られた認識・情報より「推論」された判断。
これは仏教(私はそんなもんどうでもよいが)学的に正しい分類です。
また現実に正しい分類です。
しかるに何が間違っているのか。
あなた方は意味を取り違えているのです。
それ故に(あなた方の頭が)空っぽだと仏陀は言い,経典に記すのです。
つまり,理解力が空っぽなのです。判断力が空っぽなのです。実のある価値が
空っぽなのです。畢竟,人生の価値が空っぽなのです。
しかし,私はここに大いに宣言します。
人生には光り輝く価値がここにこうやってあるのだと。
あなた方の認識にはそのような価値が空っぽなので,一切は空だと言われるのです。
116 :
brown:02/05/13 21:08
ジーザス曰く,「神よ,お許しください。彼らは自分たちが何をやっているのか
わからないのです。」
117 :
brown:02/05/13 21:12
孔子曰く,「礼失すれば,仁失す。」
学問、哲学は、いわゆる帰納法的推論の域を出ない。
そこのところを、一応brown氏は演繹的手法をとっている。
そういうとこで、内容はさて置き、私は評価しています。
つまり、推論しても何の意味も無い。ハッキリ逝ってしまえば。
119 :
ミニミニYES:02/05/13 21:42
私もあなたがたが何を言っているのかわかんない
120 :
名無しさん@1周年:02/05/13 21:45
>>52、115
基本的にあっているぞ。分かっていない人のためにageしておく。
そこのところをbrown氏は、言葉では説明し難いと逝っているんでしょうね。
つまり、情報は言葉では入ってこない訳ですから。
その事を逝っているんかと思います。brown氏は。
そうカキコしてあるはずかと思います。
122 :
名無しさん@1周年:02/05/13 21:57
>121
この人、ほかのスレでも見たことある。
>つまり、情報は言葉では入ってこない訳ですから。
意味不明。他のスレでも、仏教の理解もそうだったけど、日本語の使い方が特に
滅茶苦茶だった。
>その事を逝っているんかと思います。
言い回しも同じ。
123 :
名無しさん@1周年:02/05/13 22:00
>つまり、推論しても何の意味も無い。ハッキリ逝ってしまえば。
これでも理解できなかったら留年してもらいますからね♪
直接知覚(現量)→ 個別相を認識すること。
推理(比量) → 一般相を認識すること。
>>122 >この人、ほかのスレでも見たことある。
そうですか?
どうぞお見知りおき宜しく。
>>123 う〜む。
つまり、brown氏は「認識」ではありませんよね。レスの様子では。
認識を逸脱していますよ。レスの感じだとすると。
認識を飛び越した、そこのところを逝っているんかと思います。
私の説明よりbrown氏自身が答えるかと思います。
125 :
名無しさん@1周年:02/05/13 22:16
>
>>122 >>この人、ほかのスレでも見たことある。
>そうですか?
>どうぞお見知りおき宜しく。
ひええ〜 見たくない。気持ち悪い。
もうこのスレには来ません。逝きます。
サヨ〜ナラ
つまり、自作自演で上手く逃げられた(ワラ
127 :
名無しさん@1周年:02/05/14 03:37
お前ら得意げに語れば語るほど
空と離れてくように見えるのは
俺の気のせいですか?
128 :
名無しさん@1周年:02/05/14 03:40
>>127 腹が痛くなるほど笑わせてもらいました・・・。
129 :
名無しさん@1周年:02/05/14 03:49
126 :髑髏仮面 :02/05/13 22:55
つまり、自作自演で上手く逃げられた(ワラ
126 :髑髏仮面 :02/05/13 22:55
つまり、自作自演で上手く逃げられた(ワラ
126 :髑髏仮面 :02/05/13 22:55
つまり、自作自演で上手く逃げられた(ワラ
126 :髑髏仮面 :02/05/13 22:55
つまり、自作自演で上手く逃げられた(ワラ
126 :髑髏仮面 :02/05/13 22:55
つまり、自作自演で上手く逃げられた(ワラ
131 :
brown:02/05/14 23:29
>124
これは私に対する公案ですか?
この公案に対する答えは次のようになります。
言葉は完全です。ピタッと一つをあらわしている。
「空」
これで全て表現されているのです。ここに全てがあります。
132 :
名無しさん@1周年:02/05/14 23:31
仏教スレってどうして知ったかして偉そうな人が多いんだろうね
133 :
brown:02/05/14 23:35
>131
っという公案。いかが?
答えはちゃんとあるんだよ。
なるほど、仏陀になると超能力が使えるようになるのですね。
私も早くブッダになって、宙に浮いたり、瞬間移動したり、人の心を読んだりしてみたいです。
www.aleph.to/life_hint/mysterious/0102.html
135 :
名無しさん@1周年:02/05/15 08:25
悟っても超能力つかないってbrownさんが言ってたよ
136 :
名無しさん@1周年:02/05/15 09:04
>>133 答えのある公案なんてはじめて聞いた!ビックリ!
すごいねbrownは。
基地害癌細胞男からストーカーされるくらいだからな(藁
138 :
ほれみたことか:02/05/16 21:03
>131
ほら、めんどくさいので空になった。私のいったとおりだろ。
139 :
brown:02/05/16 21:30
>137さん
お久しぶりです。
>131さん
そうか,予言していたのか。
実際は別に「空」の字でなくても「基」でも「地」でも「害」でも
いいんですよ。何でもいいんですよ。一字の中に全がある。
なぜなら言葉は完全だから。
>>139 「十牛の図」を1から10まで解説してください
141 :
brown:02/05/16 21:44
>140
また牛か。
それ,「実践瞑想スレ」でやらされた。旧スレッドの方。
今は卒業してもう「書き込まないよ」と連休前にやめましたが。
それともあの解釈に文句があるのだろうか?
あれは単なる私の解釈(経験に基づいた)ですけど。
そもそも私は十牛図なるものを知りません。だから適当に10段階にしただけの
解説でした。
>>141 いやいや、深い意味は無いですよ。
観念での理解者ではなく、見性されている方なのかと思いまして。
「十牛の図」を知らないのですか?
まぁ、今現在見性をさせている道場を私は一箇所しかしりませんし
多くの禅宗でも見性を否定されていますしね
144 :
brown:02/05/16 21:51
>142さん
そのスレで書いたのはね,以下です。
@最初,凡夫は愚かで,真理(牛)を求めようとも思わない。下劣で,迷っており,
かつ自分が迷っていることも知らないし,想像だにしない。遊びほうけておる。
Aいつか,人生の無常を感じ,真理を探し求める。真理とは何か,どこを探せば
よいか,知りもしないけれど,居ても立ってもいられずに探し始める。
B様々な誤った道,知識,師,体験に出会う。また自らをごまかしたり,慢心した
りする。ここには長い期間を要する。(三アソウギマハーカルパってやつ)
C探し求めているものは一体何なのか,という核心的な問いが始まる。それは,
自らが実感している苦ではないか,人生に疑問を引き起こす心そのものではないか
と推察し,それを乗り越えない限り,問題は解決しないことを知る。
Dやがて,全て他を諦めて正しい修行をする。外に道を求めるのをやめ,自己に
立ち向かう。自我と闘うとき,悪魔と闘う。
145 :
brown:02/05/16 21:52
Eついに真理・涅槃に直面する。知的確信や想像力によるのではなく,直接体験により,
自己を制した清らかさを知る。最勝であり,至福なる寂静は,大いなる歓喜である。
F涅槃の意味を,そこに具わった鋭い洞察力により観察し,いかなる迷いもなく,
比較を絶した無上の完成であることを知る。つまり,もはや真理を求める必要も
それ以上の探求も起きないことを知る。全ての迷いからの大いなる自由である。
G日常生活を続けていくうちに,徐々に,完全な完成された認識が,日常的迷いの
認識の中に陥っていく。しかし,たとえ迷いの認識の中に入り込んでも,そこに,
もはやいかなる苦悩も迷いも本質的・固定的には顕れないことを経験する。
Hその間,迷いの生存と目覚めた生存の間の差異についての深い洞察が続けられる。
しかし,涅槃は,いかなる言葉にも,行為にも,感情にも清らかさにも人格にも
能力にも本質的に差異を及ぼすものなのではないことを知る。それは,個人の体験
領域に輝くが,外から知られるものではなく,いかなる形も持たず,いかなる固定的
価値,恒常の基盤も見られないことをはっきりと知る。
I未だ迷いの中にある人々を見る。また,未だ迷いの中にあった自分を振り返る。
そして,彼我の間にある本質的な違いとは,実は,真理を求める探究心が完成に
よって消滅したか,初めから探究心がないかの違いに過ぎないことを知る。
ずいぶん回り道をして「そのままでよい」凡夫の迷いの状態に還ってきたものだと
感慨を覚える。初めから何も求めなくてよかったんだな,と知る。
これが私が歩んだ道です。
146 :
brown:02/05/16 21:59
>143
え?見性の現実性を否定されているのですか?
幽霊を見たとか,超能力を獲得したとかUFOが飛んできたというのと,
見性と同等の扱いか。困ったもんだな。
で,逆に,見性をちゃんとしている「道場」?もあると?
それは結構なことです。
でも大乗仏教なるものはそもそも解脱をめざしていませんね。
仏になるというお題目だけになっておる。
それで何らかの意味で昔の人は救われたのであろうからそれはそれでいいん
ですが。
147 :
名無しさん@1周年:02/05/16 23:59
実から木を知るともいう。結果が大事です。
本当に解脱しているなら、もっと低い能力である超能力など
容易に使えるはず。「出家の功徳」を読めば明らかです。
>しかし,涅槃は,いかなる言葉にも,行為にも,感情にも清らかさにも人格にも
>能力にも本質的に差異を及ぼすものなのではないことを知る。それは,個人の体験
こんなことを言ってる時点で、この人が口だけの人で、勝手な思い込みの
「涅槃」に過ぎないことがわかる。
148 :
名無しさん@1周年:02/05/17 03:13
>147
たしかにbrownさんは、変なことを言っている。
しかし超能力どうこうに引っかかった時点で、147は、brownさんと同列。
コテハンを名乗るだけの誠意も責任感も無い人が、
ドキュソとは言え、身を削ってレスしてるbrownさんに、
意見するのはいかがなものですか?
149 :
名無しさん@1周年:02/05/17 03:29
>>148 あなたは根本的に2chを誤解しています。
こういう環境が嫌なら、みんなコテ犯またはメール必須あるいは
実名の板にいけば良い。
「意見するのはいかが」って、あんたいくつ?
>本当に解脱しているなら、もっと低い能力である超能力など
>容易に使えるはず。「出家の功徳」を読めば明らかです。
超能力は解脱とは関係ないですよ。
#無知は怖い
burawn氏は、自分なりのオリジナリティーを持ってますよね。
そういうところが非常に興味がありますね。
「俺の考えと違うから駄目」。式の論法ですと議論はかみあわないでしょう。
私の考えとは少々違います。
でも、ある程度の許容範囲というのがありませんとスレは続きません。
152 :
名無しさん@1周年:02/05/17 09:57
>>151 >burawn氏は、・・・・・
悲しいほど恥ずかしいのでもうそろそろ引退されてはいかがか。
153 :
名無しさん@1周年:02/05/17 10:05
174のレスを読んで苦い思いをしている人間は少なくないぞ、小僧。
「超能力がつかない修行は間違っている」
これは麻原が繰返し使っていたコピーなんだ。
当時、宗教に関った人間なら誰でも聞き覚えがあるだろう。
インチキの部分はあるにせよ
奴らは多少は超能力を使えたと思うよ。
で、奴らは何をやったか 人殺し、監禁、リンチ。
そんな物が、悟りか?
「超能力が付いたからといって、その人の悟性が高いとは言えない」
その事の証明にならないか?
小僧、おまえはあの事件から何を学んだんだ。
154 :
名無しさん@1周年:02/05/17 10:25
誤爆か?!
言葉は違えど、「空」とはなにか?
上記の回答を明確に「絶対の自信」を持って言えるかどうか
これが大切。。。
156 :
名無しさん@1周年:02/05/17 10:44
157 :
名無しさん@1周年:02/05/17 15:10
お釈迦様の時代の超能力はいまの超能力なんて比較にならないほど
すごかったんだよ。知ってる?
超能力って言ってもレベルがいろいろあるし。
超能力がついたからといって、悟りを開いたとは言えないけど、
悟りを開いたといえる人がなんの超能力も使えないと言うのは絶対に
おかしいよ。
つまり、超能力は十分条件ではないが必要条件。
本当に悟りを開いた人は一瞬で重い病気を治したり、死んだ人を生き返したり
存在しないものを生じさせたり、物理的にも空を飛んだり水の上を
歩いたり出来るもの。ちょうど、イエスが5000人分のパンを生じさせたり
湖の上を歩いたりしたのと同じ。そういうのを実際に見てもまだ信じない人達が
いた。人間の「疑い」とか不信というのが一番悪いものだと思う。
↑どっかの新興宗教のかたですか?
159 :
名無しさん@1周年:02/05/17 15:32
解脱したという人は、空間や時間の次元を超えた境地にいて
あらゆる物理的な制約を超えてるんですよ。
凡夫にとって超能力なことでも、解脱した人にとっては普通のこと。
その意味で、簡単に高度な超能力を使えるようになる。
正気の沙汰ではないな
>>157、
>>159.
ネタだと思うが、本気なら洗脳されているとしか言いようが無い。
基礎から勉強しなしなさい。
161 :
名無しさん@1周年:02/05/17 16:19
>>160 あなたこそ基礎をちゃんと勉強したのですか。
「出家の功徳」をちゃんと読みましたか?
スッタニパータすら読んでいないのではないですか?
162 :
名無しさん@1周年:02/05/17 17:05
またオウムか・・・
163 :
いつ出所で〜きる〜か〜なぁ〜 :02/05/17 17:45
マツモトのちづちゃん、復活できるとあらぬ夢を抱くAGE
164 :
名無しさん@1周年:02/05/17 17:59
>>149 禿同。しょせんコテハンだっていくらでも騙れるし、
トリップだって力押しで解析も再構成もできるし、
キャップつきだって時には名無しで書いている。
コテハンと名無しを使いわけてるコテハンだっていくらでもいる。
むしろコテハンしかつかわないほうが、野暮なくらい。
かく言う俺もコテハン持ちだ。わかんねーだろうけど(w
責任なんか関係ない。たんなる趣味で使いわけてるだけだよ(w
2chは便所の落書だ。何期待してるんだ?無花果の木に林檎は成らんよ。
実名原則のコミなんていくらでもよそにある。
責任(responsibility: 応答可能性)うんぬんしたいなら、そゆとこに
いけばいい。暖かく迎えてもらえるかどうかは知んねーけど(藁
165 :
名無しさん@1周年:02/05/17 18:33
>あなたこそ基礎をちゃんと勉強したのですか。
>「出家の功徳」をちゃんと読みましたか?
まずおさらいをしましょう♪
阿含経の中での長・中部経典に対する評価の問題。
沙門果経も大パリニッパ−ナ経と同様古層の断片的テキストを寄せ集めで構成・創作された文学作品です。
だから・・・☆
寄せ集めが悪いというわけではないけど、文学作品なんだからオカルトじみた三明・六通の記述はネグって読みましょう♪。
仏教徒なら、まじでそんなの信じちゃだめですよん♪。
166 :
brown:02/05/17 23:31
>153
あなたはかなりいいところまで行っていますね。
あと一歩です。
要はかれはオウム狂徒ですよ。
数行の文章を読めばわかる。
それくらいの「超能力」は私でも使えますよ。
要するに推論。相手の心なんていくらでも読めるんですよ。
それは推論機能。相手の心の現実と我(要はあなたのこと)の推論機能の
間に確実な因果関係はないということ。
167 :
brown:02/05/17 23:33
あたかも同じ道具を使って賢者は優れた仕事をなすように,
愚者は同じ道具を使ってみすぼらしい成果しか得られないものを,
成し遂げることができる。これを悟りというのである。
168 :
brown:02/05/17 23:36
推論機能がなくなるのではない。言葉がなくなるのではない。
思考がなくなるのではない。感情がなくなるのではない。
煩悩がなくなるのではない。自我がなくなるのではない。
超能力が付け加わるのではない。新たなアイデアが湧いてくるのではない。
人格が変わるのではない。体力や体つき,健康状態が変わるのではない。
能力が上がるのではない。感覚が6感以上に増えるのではない。
そのように何も増えず何も減ることはない。それを空性というのであります。
169 :
brown:02/05/17 23:41
愚者と同じように,推論機能と言葉と思考と感情と煩悩と自我を使って
生きる。それが悟りです。
愚者と同じように,超能力を使わず,新たなアイデアを使わず,
別人格を使わず,病める身でありながら,
人間的な能力で,6感の中で生きる。それが悟りです。
170 :
名無しさん@1周年:02/05/18 01:43
>>160 禿同
157.159には、オカルト板がむいているYO。
161には、TVジョッキーに出て修行の成果を見せて欲しいYO。
171 :
名無しさん@1周年:02/05/18 03:22
173 :
名無しさん@1周年:02/05/18 04:12
>>168 そんな魅力のないものを誰も苦労して目指さないよ。
地位とか権威だけあって、まともな超能力も使えない理屈だけの学者が
言い訳のためによく使う屁理屈だね、君のは。
事実君はぼくの心も読めない。ぼくがオウム信徒などではないことを
みぬけない。
こんなことをいって君を怒らせると、低級な素人向きの呪術に手を出して
僕を呪おうとするのが関の山だろう。しかし、ぼくはそのくらいでは
へこたれないよ。
174 :
名無しさん@1周年:02/05/18 04:23
>>168 君が本当にその悟りを得たとしても、それは小乗の悟りに
過ぎないことは良く自覚すべきだよ。
小乗の悟りであって、空性の悟りではない。
大乗の悟りはそんなものではない。ましてや金剛乗は。
君がその言葉通りのリアリティを持っているなら、それなりの
水準に達していることは評価しよう。
しかし男なら大乗・金剛乗の悟りを目指すべきではないか。
そのためにはいまある小さな悟りを手放し、いったん迷いに戻る
決意が必要だが、君はいまある小さな悟りに執着してるようだね。
176 :
名無しさん@1周年:02/05/18 05:45
177 :
名無しさん@1周年:02/05/18 07:30
小乗仏教徒には小乗の悟りで十分なんだ。君が大乗の道を歩めばいいじゃないか。
それぞれ自分で選んだ道だろう?君もこんなところで油売っている暇があったら
精進すればいいんじゃないか?
小乗の悟りにさえ、達していない輩が「君達衆生を救いたい」などと言って菩薩
道を実践しているつもりになられても、ハッキリ言って御節介、迷惑千万なんで
すよね。多くの場合は…
貴方が大乗、金剛乗の悟りを大いに目指してくださいね。いや、下心がなければ
ご立派、大したもんです。いや、下心がなければですがね…。
178 :
名無しさん@1周年:02/05/18 09:09
>177
オーム以来、さとりには小乗・大乗の別がある、というのを往々耳にするけど
仏典に本当にこんなのアルの?
変易生死とかはあるけどネ。。。どうも勝手に作っているとしか思えない。
180 :
brown:02/05/18 14:31
>173
>そんな魅力のないものを誰も苦労して目指さないよ。
いいこと言いますね。見直しました。
さて,それを空性大楽といってるわけですよ。私は。
私は要するに強欲なんです。本当に自我が強い。欲が強い。罪びとです。
あなた方が想像できないくらい。 →なぜか?
私はいつのころからか何事にも満足できなくなってきたのですよ。
何か,生きていることがしっくりこない。意味がわからない。
私は感性が鋭い方ですので,音楽をきいていたく感動するんですよ。
でもね,心いっぱいに感動しながら,どこかそれを評価している自分がある。
それを醒めた目で客観視している自分が別にいる。音楽を評価しているのでは
ないですよ。そのとき音楽自体に関しては100点満点。それを超えて想像でき
ないくらいすごい感動を生み出して聞かせてくれる人がいるのだなあ。と
感激しているのですよ。でも,そう感激している自分の外にそれを客観視
している自分がいる。評価しているのですね。
どんなことをしていてもこの構造は同じですよ。
(゜ ∀ ゜)アヒャヒャヒャ
182 :
加護チャンです☆ ◆7CBCg2Oo :02/05/18 14:38
183 :
brown:02/05/18 14:38
悟りというのは子供の純粋な意識に戻るのだと言う人がいる。それは全く違う。
逆です。子供を捨て去るんですね。
旅に出る。計画します。計画しているとき楽しいんですよ。ああしよう,こう
しよう。ホントに楽しい。前日なんかうきうきして眠れませんね。
でも,実際行くと,新鮮な経験をします。しますが,何か日常的な想いが
顔を出しているのですね。何かね,新鮮な経験をしながらそれに日常が
覆い被さっている。要するに,何かつまらないのですよ。満足しない。
どこかね,常に満たされない。旅や音楽だけじゃないですよ。
私がロジカルに考えるのは私の頭の構造がそうなっているからでしょう。理系
ですからね。大学のころは理論物理に夢中になりましたよ。それはそれは。
理論物理というのは神様の方程式ですね。全てがそれで記述され,思いがけ
ない現象も方程式をこねくりまわしていくと説明されてしまう。
どんな現象でも数行の方程式系で記述されつくすのですよ。
184 :
brown:02/05/18 14:51
もちろん科学的に考えていくと,私の肉体を構成する要素を完全に(理論的
には完全と想定するけどもちろん現実には不完全です。)記述できたとして,
私の人生も生活も心も思考も,感情も感動も恋愛も仕事もね,その理論を
解いている思考自体,これが方程式系で記述されるという。
でもそれで?何なの?ということになるわ。
学問の背景には不安があります。無知は不安なんですね。これは先輩にその
ころ聞いたことなんですが。「あなたどうして科学をやるの?」と聞くと
よく考えてから「不安だからだろうな」と。私はその当時よくわからなかった
ですよ。私に言わせれば「知ることが楽しいから」とでも言ってもらうと
理解したのかもしれません。でも「不安」だって。その後その意味がわかりました
けど。
生きていること,周りのこと,それらを「説明」する。これで不安を解消しよう
というわけなんです。私が理論に没頭したのも実に面白いと思ったのも
不安が一部解消されたからなんでしょう。でもね,違うんですよ。
185 :
brown:02/05/18 14:56
説明で人は幸せになれない。人はもっと違うものを求めているんです。
説明も求めているよ。でも,それでも足りない何か別のものを求めているん
ですよ。感動も求めている。でも,それでも足りない何か特別のものを
求めています。新鮮な経験,刺激を求めています。でも,それら全てとは
違う,それだけで満たされない何かを求めています。
「このように苦しみが生じているのです」と説明を受けても問題解決にならない
んですよ。「このようにすればそれを解決できます」といえばかなり解決
に近づきます。でもまだそれは説明ですね。それでは解決にならない。
そういう問題を抱えているんですよ。
(今回はこれくらいにしましょう。「そんな魅力のないものを誰も苦労して
目指さないよ」に真面目にお答えしようとしているんですけど。)
186 :
1995.1.17:02/05/19 00:12
そちは、何を目指しているのじゃ? どこへ行こうとしているのじゃ?
187 :
名無しさん@1周年:02/05/19 09:44
>178
>オーム以来、悟りに「大乗」「小乗」の区別がある・・・
オームは別にしても仏教は、そのはるか昔に根本分裂してしまっている
のではないですか?仰る様に、仏教の根本は一つに集約されるでしょう。
でも、仏陀なきあと仏教を持続させているのに人間の業が表面化して
くるのはやむを得ないことだと私は思いますね。
仏教に限らず、人が道を精進するには、まず、己を整える事が先決で
しょう。それを仏教で言えば「声聞」と「独覚(縁覚)」がそれに該
当するのだと私は思う。これは自己完成への道なんです。これを小乗
と称する向きは大乗一片道の仏教にはあると思うが・・・
とにかく、これら全ては外在の世界と捉える以前に、己の内部の問題
として取り組んでいくべきでしょうね。仏陀の教えに帰依するならば。
188 :
名無しさん@1周年:02/05/19 10:10
悟りを目指す人はまず超能力を身につけることが大切だ。
できるだけ高度で強力な超能力を身につけ自由自在に操る必要がある。
やりたいことはなんでもやり尽くすべきである。
その上で、超能力の危険性や空しさを、真に自覚し、自分の意思でそれ
を棄てたとき、ようやくかなたに真の涅槃が見えてくるのだ。
超能力さえ開拓できないほどの生半可な定力で、悟りにいたろうとする
などおこがましい。居眠りや無気力、無感動を悟りと勘違いしてるだけ。
189 :
名無しさん@1周年:02/05/19 10:22
>>187 声聞はまさにエネルギーワークだよ。
小乗に声聞などない。小乗はあらゆるエネルギーワークを
否定し、音楽さえも禁止する。
声聞は、大乗に固有のもの。
190 :
名無し仔猫@1周年:02/05/19 11:38
>>1 「空」ってのは意識の超越場でないかい?
「こころ」ってのは、原義は「ここの、ところ」だと思ふ。
191 :
名無し仔猫@1周年:02/05/19 13:32
よっこいしょっと。
192 :
brown:02/05/19 15:53
悟りというのは,「超能力」だの「供養を受けるに値する(阿羅漢)」だのという
執着を超えていくということだよ。
そんな欲望に「実体はありませんよ(空)」と。
つまり,超常的な現象は起きますが,それは理解力の問題なんですよ。理解が
足りないから超常的だと思ってしまう。はっきりと理解すれば因果で結ばれて
います。だから,如実知見,はっきり見ろよ,といっとるんだな,仏陀は。
超能力が欲しい人は世俗から超越したいのでしょうが,それは無理です。
理にかなっていません。自分(たち)だけ何かを乗り越えて常人が及ばない理解力が
あるなどということはあり得ないのです。誰にでもわかる法則,言葉,心の動き
で示されるから真実性が理解される。知られていない法則もあり得ますが,知られ
ていないからといってこの世の制約を越えた力が発揮できるのではなくて,
単に知られていない制約で生きているだけなのです。もしあなたがそれを知って,
超能力を披露するというのであれば,是非,科学者として生きてください。つまり,
それを宗教だなどといって他人をたぶらかすのではなく,事実と理論を明らか
にしてください。本当に世の中の役に立ちますよ。あなたのライフワークになる。
科学者や技術者というのはそういう連中なのですよ。未だ知られざる力,現在の
知識からすると超越的な力を日々発見しているんです。
世界でどれくらいそのような進歩があるかというと,日々数万件くらいの新発見
がある。そうやって我々のこの豊かな暮らしは支えられているんですよ。
宗教とは,むしろそのような新しい発見を目指すのではなく,今知っていること
から初めて,その制約の中で真理を見つけていくことなのであります。
因果を超えた真理があるのではなく,その時代の真理と世俗で認識されていること
(世俗諦)からはずれて超越した力などあり得ないのです。
世間から敬いを受けたいというのも同じことです。
193 :
名無しさん@1周年:02/05/19 16:06
>brownさん
brownさんがまともな事を言うのは、久しぶりだね。
もう少し文章を、短くした方がレス付きやすいと思うよ。
>>188 空について語れよ。
嫌なら、別スレ立てろよ。>超能力と仏教スレとかさ
スレ立てるなら、オカ板に逝って遣れな。
194 :
brown:02/05/19 16:09
しかし,実は,世俗から超越した認識というのは実在します。あらゆる相対性から
はなれた絶対,比較のない絶対,この世の多様性とは矛盾した統一性は実在して
いるのです。それは,私のような覚者のみが知っています。それを言葉で表現
することはできないのです。それを能力で表現することはできないのです。
それを感情で表現することはできないのです。それを思考で表現することは
できないのです。それは,それらのものと常に伴にあって,なおかつそれらから
離れているのです。そのような矛盾したあり方が実在しているのですよ。
でもそれは矛盾したあり方ですが,実在しており,なおかつ,むしろ心の本性なの
ですよ。なぜなら,それは人が全ての作為を捨て去ったとき,全ての思考や
欲望を捨て去ったときに,自然に顕れてくるものだから。向こう側からね,
顔を出しにやって来るんですよ。「こんにちは」ってね。
そのとき,全てのこれまでの認識(転倒夢想)は逆転します。矛盾が真であり,
説明が偽であるということ,これを般若ハラミツというのである。
そのような超越したところにある認識,これを勝義諦というのです。
195 :
brown:02/05/19 16:12
>193
どなたか知りませんが,とりあえずこんにちは。
このスレの初めの方では無茶苦茶言ってましたからな。
まだ子供なんで許してください。
196 :
brown:02/05/19 16:30
>192,194
となると,覚醒を目指すことの一つの目的・意義は勝義諦の獲得になります。
しかし,これは世俗諦から超越している。(つまり超能力はない,つまり,
勝義諦を知っているからといって世俗から敬われることはない)→もっとすごい
ことを得たいYO!,となる。
でも安心してください。勝義諦に現前すれば,そのような迷いはなくなるから
です。そのような執着は全て跡形もなく消え去ります。根元からね。
六悪趣を生み出す六種根本煩悩の全てを根元から根こそぎ取り去ることができる。
だから,たとえ阿羅漢を目指して修行したとしても,到達すれば,彼ら小乗の徒の
限定された菩提心はそこで浄化されてしまうのです。つまり,初めから求める
べき超越・尊敬などなかったのだな,と。(→十牛図の説明はこういうこと。)
これが(説明が一面的ですが)輪廻と涅槃への双入なのです。このようにして,
輪廻の迷いは輪廻のただ中で,静かに全体性(空性)の中に消え去っていく
のであります。
197 :
名無しさん@1周年:02/05/19 17:19
>189
>小乗に声聞などない。
>声聞はまさにエネルギーワークだよ。
君にとっての小乗には無いと言う事だよね。
エネルギーワークって、全ての事象はエネルギーワークでしょう。
198 :
名無しさん@1周年:02/05/19 17:20
オウムがいるのはここですか?
199 :
名無し仔猫@1周年:02/05/19 17:29
ま、いーか。じゃね〜。
200 :
名無しさん@1周年:02/05/20 01:21
>>197 「エネルギーワーク」っていうのは普通、「気」の鍛錬とかプラーナコントロールの
ことだよ。
小乗には、ナーマとルーパしかない。
微細身とかプラーナ、アパーナなどはそもそも問題にしない。
201 :
名無しさん@1周年:02/05/20 06:17
>>197 >微細身とかプラーナ、アパ−ナなどはそもそも問題にしない。
そんなもの、問題にしなくても何も問題はないからではないですか?
そう言う事が好きな人は、それに向かえばいいだけじゃないのかな。
別に、ナーマとル―パさえ私は無くても構わないと思っていますし。
202 :
名無しさん@1周年:02/05/20 15:31
>>201 大乗仏教じゃ 微細身(みさいしん)は問題にするのが普通だろう。
ナーマとルーパの二元論が小乗仏教(上座部)の特徴だ。
君が何を好むかじゃなくて、小乗と大乗の違いの話をしてるんだろ。
203 :
名無しさん@1周年:02/05/20 16:32
>>193 空論と超能力肯定論との深い因縁がわからないやつは去れ。
因縁といえば、因縁(物事の因果関係)が見極められない段階で、俺は
悟っているなんて思い込んでるやつはお笑いだね。カルトといってもいい。
だから、解脱してるといえるほどの人間なら、当然自己の過去生ぐらい
容易にリーディングできなければならない。それに執着はしないが。
204 :
名無しさん@1周年:02/05/20 18:39
>>203 あなたも解脱してはるか。
いや、解脱者がイパーイ(w
205 :
名無しさん@1周年:02/05/20 18:59
brownが根本的に誤っているのは、禅定と知恵とを混同している所だ。
彼の境地は、ありふれた定にすぎない。
悟りというのは覚醒だ。深い智慧をうることだ。
智慧は普通、汲めども尽きぬ歓喜を伴い、光のイメージと共に
わきあがるもの。
光の体験のないもの、それをオカルトのように言うものに、本当の
智慧などあるわけがない。
(あげあしとりをされる前に言っておくと、光の体験があれば悟って
いるといっているのではない。光の体験にもいろんなレベルがある。
深い歓喜を伴う覚醒、本当にわかってしまう体験、見ようとすれば
なんでも見えてしまうゆとり―ただしがつがつ見たいとは思わない―
があることが必要条件である。悟りの境地そのものについては言葉
で説明することはできない。brownのように、書けば書くほどウソになり
ぼろを出すことになる。)
206 :
名無しさん@1周年:02/05/20 19:36
「超能力」といわれているものは、普通の人間にもともと備わっている
能力の開花にすぎない。特別な能力でも、選ばれた人間の能力でもない。
多くの人間はこれを眠らせたままにしている。
覚醒のプロセスにおいてこの能力も次第に開花していくのが普通だ。
もっとも小乗のように、「無常、無我、苦」の真理の悟りに限定し
て修行したばあい、この人間的能力(いわゆる超能力)がほとんど開花
されない段階で、輪廻から解脱することもありうる。
小乗は、ルーパは無常ではあるが「変わりにくいもの」、人の心によって
コントロールできないものという前提で修行する。
このナーマとルーパの二元論を揚棄し、よりダイナミックで全き統合
を得た智慧を目指すのが大乗の不二一元論であり、「輪廻する世界」
と「涅槃の境地」との二元性をも克服・揚棄しつくそうとする。
「輪廻と涅槃の双入」といえるようなダイナミックな悟りを得たものが、
なんら「超能力」を得ていないということはありえない。
207 :
名無しさん@1周年:02/05/20 20:48
>202
君が大乗仏教が好きなことは、良く分かった。
私は小乗仏教が好きなんだ。それがいけないのか?
私はあまり、理屈には興味がないんだよ。オーライ?
特に「超能力」を語るなんてどーでも宜しい。
208 :
brown:02/05/20 22:33
>「そんな魅力のないものを誰も苦労して
>目指さないよ」の続き。
そういうわけで「私はいつのころからか何事にも満足できなくなってきたのですよ」
ということを説明したわけですが,あるときね,決意しましてね,もうこの迷い
をやめようと。要するにその不満を生み出している私の心が駄目なんだと思った
わけです。ある時期ね,社会活動もほとんど停止して目的に達するまでは他の
何事にも気をそらすまい,と決意して自己観察に取り掛かったのです。
そのプロセスは省略しますが,その結果,不満という問題が解決するどころか
より苦しくなってきましてね,本当に苦しかった。「自分である」ことが苦しい
んだよ。「ここにいる」ことが苦しいんだよ。でもね,どうあっても自分は
自分なんですね。どうあっても自分は「ここ」にいる。幾晩も幾晩も,幾週間も
本当に悩み苦しんだよ。転げまわって。泣き崩れて。地獄だね。真っ暗闇。
心の底にはあんな真っ暗闇があるんだな。
209 :
brown:02/05/20 22:47
私はそのとき死を決意していた。とにかく気が狂うまででも,病気になるまででも
満足するまで自己が求める道を求め尽くして死のうと。私にはそれしかなかった。
本当にそのまま生きていたくなかったから。「何事にも満足できなくなった」と
軽く書いてますけどね,苦しいんですよ。生きていることが。空虚感。何か
意味のない,価値のない,生きている実感なんてない。でも,どういうわけか
周りの人はそうでもないみたい。具体的なことには悩んだり苦しんだりしている
けど哲学的な苦しみというか,宗教的な苦しみというか,そういう苦の中に
自分だけ取り残されているような気がしましてね。毎日毎日が苦しかったですよ。
十数年もの間。激しい苦痛ではないが,常に悩まされる苦しみなんですね。
全てを台無しにしてしまう苦しみなんですわ。というのは,どんな瞬間にも
顔を出すから,先に書いたように喜ぶべきことにも喜べないんですね。楽しめない。
210 :
名無しさん@1周年:02/05/20 22:50
>>209 あんた、ただの鬱だったんだよ。
分裂病かもしれない。
いまは寛解(っていうのかな)してるみたいだけど。
再発するかもしれないから、注意したほうが良い。
メンヘル板いってみたら、君みたいなのいっぱいいるよ。
211 :
brown:02/05/20 23:00
私は,要するに自己欺瞞がとにかく嫌なんですな。心の中にかすかでも浮かんで
いることをごまかして,まあこんなもんだ,というのが許せなかったんです。
要するにそれだけなんですけどね,迷いの原因というのは。普通の人はそこを
「まあ,まあ」で終わるんでしょう。それはそれでいいと思う。でもね,世の中には
解脱しなければ生きていけない人がいるんですよ。ごまかしがきかない人。
しっくりこないことをしっくりこないままにして置けない人。意味がわからないこと
を意味がわからないままにして置けない人。価値がないものを価値がないままに
して置けない人。彼には,解脱しなければ収まらない苦悩が付きまとう。
彼は,問題をこの世の完全な理解に置いてしまったので,解脱するまで解決しない。
彼はこの世の問題のうちで最も本質的な問題に自らを没入させてしまったので,
悟りを開くまでは解決しない。彼には,そのような人生の意味への問い,存在の
意味への問い,しかもそれが言葉で説明されるようなものではなくてね,
実感を伴って理解されるような解決が必要になってしまう。悲劇だね。
212 :
名無しさん@1周年:02/05/20 23:04
自分以外の人は自己欺瞞しながら生きている。
自分はそれが許せなかった。
そして「解脱」した(w
ということですね。
オウムの麻原尊師の心境もそんなものだったのでしょう。
はやくその妄想から「解脱」したほうが良いですよ。
本当に悟りを開いた人は、その経緯を「悲劇だね」なんて
語りません。
213 :
名無しさん@1周年:02/05/20 23:08
(212続き)
覚醒は、汲めども尽きぬ歓喜でもあるからです。
>>211 あなたがそのように「本質的な問題」と「そうでない問題」の2元論に
たっているかぎり、悟りなど程遠いでしょう。
214 :
名無しの心子知らず:02/05/21 19:13
からあげ
215 :
名無しの心子知らず:02/05/21 19:15
走る からあげ
216 :
名無しさん@1周年:02/05/21 19:19
217 :
ケムール人:02/05/21 21:24
>216
あらら。
「苦」と「空」はおおいに関係があるのとちゃうの?
「苦」の根っこや執着を分解して解放するからこそ、
「空」が世俗や実存との関係を持つわけで。
そういった意味では、brownさんはえらく仏教的よ。
鈍くさいくらい、仏教してますよ。
その体験内容はともかく(笑)。
218 :
名無しさん@1周年:02/05/21 21:35
216です。
>217
>そういった意味では、brownさんはえらく仏教的よ。
>鈍くさいくらい、仏教してますよ。
禿同 。
ざっと レスを チェックした限り
brownさんの話を聞かずに、
レスを返している人が多いように見えたので、、、、。
横レスすいません。
219 :
名無しさん@1周年:02/05/21 21:50
216です。
>217
>「苦」と「空」はおおいに関係があるのとちゃうの?
>「苦」の根っこや執着を分解して解放するからこそ、
>「空」が世俗や実存との関係を持つわけで。
すいません 細かいようですが、
「苦」に対応した結果が「空」と捉えられるのは判りますが、
「空」を実在や世俗と関連付けるとは、
実際にはどのようにするのでしょうか。
ご教授の方よろしくお願いします。
220 :
ケムール人:02/05/21 21:57
>218
brownさんの話は、「ざっとレスをチェックした」んだけど、
「名無しさん@1周年」だと、意見の流れがみえませんです。
特定されてはまずいですか。
たとえば212、213と同じ人?
221 :
名無しさん@1周年:02/05/21 21:59
>>219 「苦」に(対応した)(結果)・・・
っていうの違う気がするぞ。
222 :
名無しさん@1周年:02/05/21 22:05
216です。
>220
212、213を書いたのは自分ではありません。
223 :
名無しさん@1周年:02/05/21 22:14
妙法は少(わか)い女の乱れ髪結う(言う)に結われず梳く(説く)に梳かれず
「妙」とは、「空」の別訳の漢語。
妙という字を「わかいおんな」と読むところが心にくいね。
もうひとつ。
引き寄せて結べば柴の庵(いおり)にて解くればもとの野原なりけり
日本に間接輸入されて以来、仏教の空が問われつづけてきたね。
インド仏教当時、「我」が実在するのか、元々無なのか、さまざまな
議論が取りざたされてきたんだよね。
釈迦がなくなってからの出家者たちのアビダルマ仏教では、説一切有部と
呼ばれるように、「有」を説いていたんでしょ?
「実在」するものが変化してゆくという諸法無常。
大乗が台頭するようになってから、「空」がでてきた。
「実在」ではなく、元来、一切が空性のものであるという諸法無常。
その後、「唯識」も出てきたりした。
実在というものはなく、唯だ、識のみがあり、世の一切は識に映った幻影であると。
で、よく分からないのはね。
釈迦自身は、どう説いていたんだろう?
釈迦の説いた四諦の理解の仕方で、2500年も費やされているんだからなあ。
224 :
ケムール人:02/05/21 22:23
>219
わー、忙しいですね。
219とか、216とか、
数字だとわかりにくいんですけど。
それはともかく。
「空」を実在や世俗と関連付けるとは、
実際にはどのようにするのでしょうか。
「する」というよりは、この場合は思考ではないでしょうか。
[空」の認識論的な側面がありますよね。
「中論」とか「縁起」の思考ですね。
つまり、世俗や生活の中では、
われわれの煩悩がある対象物に執着し、
「苦」が生じると仏教では説きますよね。
お金とか地位とか生まれとかを実体化して、
そこに価値の焦点のようなものが結ばれていると無意識に信じ込んでしまう。
それが意識の奥底に構造化してしまうわけですね。
その対象物を価値として認識してしまう心と認識の癖そのものが、
われわれを苦しめるファクターになってしまうので、
その実体化する思考パターンそのものを分解するための
もうひとつの解放のための思考法そのものが、
「縁起]であり[空」なのではないでしょうか。
ただし、この[空」はナーガルジュナの「中論」で説く[空」であり、
「大日経」なんかで説いている「空」
(こっちは多分にヨーガや梵我一如が入っている)とは違うかも知れません。
なにしろこちらの「空」は識別知を越えてますので、言語化不可能です。
あるいは、その認識論としての空と、
意識の境地としての「空」は、
最終的には同じひとつの「空」になってしまい、
その世界に達してはじめて、
阿羅漢といえるのかも知れませんけど。
うーん。これで説明になってるかどうかわかりませんが。
「「空」が世俗や実存との関係を持つわけで」
と書いてしまった私の表記がまずかったかも。
225 :
名無しさん@1周年:02/05/21 22:29
216です。
>221
えーと判りにくい文の書いてすいません
217さんのレスをお借りすると、
△「苦」に対応した結果
○「苦」の根っこや執着を分解して解放して対応した結果
駄目ですか? オイラと217さんを一刀両断ですか?
>ケムール人さん
このスレでは、
79.83.89.91.93.96.97.99.101がオイラです。
226 :
ケムール人:02/05/21 22:34
224 の追加です。
要するに、世俗の「苦」というものと離れた「空」は、
言葉として実体化されてしまう危険性があって、
「空」という目標やスローガン
になってしまう危険性を持つということですね。
だから日々の「苦」を「縁起と空」の思考で解析しつつ、
心を自由にする働きそのものも、
[空」のすべてではないにしろ、まあ一要素だと思います。
>>225 >根っこや執着を分解して開放した結果
分解して開放したらそこに「対応」した「結果」
を求めることができるでしょうか?
そうしたら「苦」を構成している「要素」にぶち当たる
のかも知れないけど「苦」を包含する(と僕は考える)
「空」の存在をそこに想定するというのはどういうことなのか
もう少し詳しく聞かせてもらえますか?
228 :
ケムール人:02/05/21 22:46
>225 さん
ありがとうです。
こんど文章をじっくり連続して読ませていただきます。
でもみんな、なんでもいいから名前つけてー。
クラスの名前がわかんない転校生の心境。
229 :
名無しさん@1周年:02/05/21 22:48
>>224 仏教では「思考法」によって悟りが開けるとは説いていないと思うが。
執着=無常が見えないこと、はそんな分り易いことばかりではないとおもう。
もっと繊細で、この一瞬一瞬が問われるようなことなのでは?
釈迦の教えは、世界を理論的に認識することを目的にしたものではなく、
彼は、そもそも世界観には関心がなかったんだと思う。
この娑婆に生きることの本質は(生きとし生けるものにとって)「苦」で
あるという発見。
その「苦」には「原因」がある。その原因とは、われわれが「無常」ということを
頭では理解しても、一瞬一瞬のこの制の現実の中ではっきりと捉えることが
できていないから(=「無明」)であるという発見。
われわれは永久に「苦」から逃れないのか?そうではない。苦の消滅という
現実もあるという発見(体験)。
自分は「苦の消滅」に至る方法を見つけた、という発見。
すべて、実践的な智慧であり、何よりも苦の消滅を目的とするものです。
学術的な辻褄あわせは、大部分は学者の必要から生じたものだと思います。
230 :
名無しさん@1周年:02/05/21 22:51
216です。
>ケムール人さん
224のレス、ありがとうございます。
>その対象物を価値として認識してしまう心と認識の癖そのものが、
>われわれを苦しめるファクターになってしまうので、
>その実体化する思考パターンそのものを分解するための
>もうひとつの解放のための思考法そのものが、
>「縁起]であり[空」なのではないでしょうか。
思考法、認識論としての「空」と
>「大日経」なんかで説いている「空」
>(こっちは多分にヨーガや梵我一如が入っている)とは違うかも知れません。
>なにしろこちらの「空」は識別知を越えてますので、言語化不可能です。
>あるいは、その認識論としての空と、
>意識の境地としての「空」は、
境地としての「空」
があるのですね。
とても難しいです。
時間をかけてじっくり、味わいながら、
理解を深めたいと思います。
長文の レス どうもありがとうございます。
231 :
名無しさん@1周年:02/05/21 23:00
216です。
>ケムール人さん
オイラはただの、雑魚キャラです。
コテハンさんは、
1)話術
2)人徳
3)深い知識
3点揃ってないと不幸になります。
婆ちゃんの遺言です。
許してください。m(_ _)m
232 :
名無しさん@1周年:02/05/21 23:05
蛇足だが、
>>229 悟った人にも、苦痛はある。
ただ、悩み 迷い が無いだけだ。
地獄に落ちろ 229 逝ってよし 。
233 :
名無しさん@1周年:02/05/21 23:15
>>232 仏教の「苦」という概念を知らないようだね。
君はたぶん入門書一冊読んだことがないんだろう。
仏教を普通に勉強すれば真っ先に出てくる話だからね。
しかし229のレスのどこがそんなに気に障るのか。
それに興味があるね。
234 :
名無しさん@1周年:02/05/21 23:27
235 :
ケムール人:02/05/21 23:34
>229さん
おっしゃっていることわかります。
ただ、仏教そのものエッセンスが何かという問題が出てきますね。[本当の釈迦の教え」というものが仮定でしかないとすると、
どうわれわれはそれを理解したらいいのか、という「選択・せんちゃく(法然)」の問題が出て来ると思うのですよ。
「阿含経」に根拠を求めるのか。
「スッタニパータ」を釈迦の本当の教えとするのか。南伝を根拠にするのか。
それとも天台や日蓮宗のように「法華経」をベースとするのか。
親鸞さんみたいに生きるのか。あるいは、もう、それぞれの「私の見性」[私の神秘体験」を根拠にするのか。
だから竜樹、ナーガルジュナさんは、非思考の世界を徹底的に思考化した(言葉化)人ですね。
「般若経」の神秘の世界を、強引に哲学書[中論」にしてしまった。それが[空と縁起」の分析思考ですね。
(もちろん仏教はこれだけではないので、後に唯識が出てきたり、般若と唯識を合成したり、ヒンズー的要素を加えたり、
禅で言葉の世界を否定したり、色々創意工夫を凝らします)
じゃなんで、論師(ロジックの先生)の世界を追究するのか。
それやらないと、みんな「私の見性」[私の神秘体験」派になってしまいますから。
>229さんの「すべて、実践的な智慧であり、何よりも苦の消滅を目的とするものです。
学術的な辻褄あわせは、大部分は学者の必要から生じたものだと思います。
というのは正しいと思いますが、
あの論理を究極まで追い詰めたナーガルジュナは、学者であると同時に、それを超えた存在でした。
(ほんとは仏教学者は、みんなそのはずなんだけどねえ)
「もっと繊細で、この一瞬一瞬が問われる」という229さんの仏教は、
まさにビパッサナですね。
ところで、そろそろケムール人、退出。おしごと、あるよ。でも、ここ、スリルあるね。
また来るあるよ。おやすみーっ。
>>229 >すべて、実践的な智慧であり、何よりも苦の消滅を目的とするものです。
>学術的な辻褄あわせは、大部分は学者の必要から生じたものだと思います。
非常に私の考えに近い。
つまり「空」は、それに到達すれば既に仏教でなくなる?まあ極論ですが。
まあ、これ以上カキコしますとスレが荒れますので遠慮しときますが。
決して仏教を否定している訳ではありません。
仏教とは、本来そういうものじゃないか?
そういうふうに思います。
貴殿の考えは、229レスだけではわかりませんが・・・。
237 :
縁を断ち切るのじゃぁ:02/05/23 00:24
仏の教えは、宗教というより哲学 という感、あらためて。。。
238 :
brown:02/05/23 00:47
>「そんな魅力のないものを誰も苦労して
>目指さないよ」の続き。
本当に苦しかった。息をするのも苦しい。生きていることを本当にうらんだ。
むしろ「私は生きている」ということも不確かなことに思えた。
何かね,「私」が「生きている」という構造に対する思考を介さない疑いが
始まったんだろうね。もはや確かに私は激苦のただ中にあったが,苦しみすら
わからなくなるくらい苦しかった。苦そのものになり切ったんだよ。だからね,
「私」が「苦しんでいる」んじゃなかったんだ。何かね,それより大きい
ことだった。「生きている」とか「私が」とか「生・死」とか「分別・無分別」
とかそれ以前の苦しみを苦しんでいた。全ての瞬間が最大の苦痛だった。
私の存在する全ての場所が地獄だった。ここが地獄だった。自分がそのまま
そっくり苦だった。
>>229 >仏教では「思考法」によって悟りが開けるとは説いていないと思うが。
想像に反して、こんなようなことを説いていたみたですよ、仏陀は。
>実践的な智慧であり、何よりも苦の消滅を目的とするものです。
勘違いじゃないの? だいたい#実践的な#智慧って、何ですか?
苦は「苦諦」というように、それ自体が一つの真実のはずですよ。
240 :
brown:02/05/23 00:53
だいぶ前の書き込みを読んでくれた人はわかると思うけど,
そのとき私は初めて,「そのものになりきる」ということを体験したのだ
と思う。二十年くらい生きてきて初めて。いつもどんな楽しいときも
喜びも,もちろん苦しみでも,平静でも,常にね,「第二の意識」なるもの
があったんだ。何かを意識している意識とは別にそれを評価している意識
がある。でも自分にとって最も本質的であった「人生の苦」を探求して,
それそのものになり切って,それ以外の何者でもない,それ以外の何物も
そこにない。それそのものになりきっている。つまり,私がそれを認識
しているのではなくて,実にそれそのもの,直接知っているということを
そのとき初めて経験したのだと思う。
241 :
名無しさん@1周年:02/05/23 00:54
それは#なりきりの仏教#と評価されている。
242 :
brown:02/05/23 01:00
そのとき,何か出口が見えていたわけではないんだ。私の人生に出口なんて
なかった。何か真理なるものがあって,それが知り得るもので,それを
他でもない自分が獲得できるなんて思わないからね。そんな探求をしながら
も,それに終わりがあるなどと,誰も教えてはくれない。でもなぜそんな
探求をするのか,なぜ続けるのか。それは,私にはそれしかなかった
からなんです。つまり,畢竟この世で興味の対象となったのは,実に
苦だけだったんですね。苦あるのみ。ちょうどいい具合にすぐ上の239に
苦諦が出ているけど,実に「苦が真実」なんでね。そうなんだよ。
何か他に思考によって知るべき智慧があるのではなく,「苦」の実感,
これが真実なんですよ。それ以外に探求すべきものはない。この世には
ただ「苦」,これがあるんだ。それがね,真実なんですよ。
243 :
名無しさん@1周年:02/05/23 01:05
>>239 あなたは仏教を知らないみたいですね。
「苦諦」は四諦のひとつです。
苦という真理、
苦の原因という真理、
苦の消滅という真理、
苦の消滅に至る道という真理。
これらが四諦です。
輪廻の「苦」という真理に気づかなければ、苦の消滅
に至る道を求めることすら出来ない、ということ。
仏教の最終目的は、個々人の解脱、究極的な苦の消滅という
実践的なもの。
244 :
名無しさん@1周年:02/05/23 01:10
上に「入門書程度」云々という記述があったが、あなたもその口ですか?
245 :
名無しさん@1周年:02/05/23 01:13
なんか陰湿な仏教オタがいるみたいだな。
246 :
名無しさん@1周年:02/05/23 01:16
いや、あまりにも内容がひどいもんでつい。
気に障ったらスマソ。
あまりこの世界(2ch)のこと知らないもんで、そろそろ去ります。
247 :
ケムール人:02/05/23 03:03
ちわっ。
昨日いいわすれたこと。
お釈迦さんと、大乗の「空」の関係。
要するに、原始仏典の「五蘊無我」説そのものが、「一切皆空」の人体版。
「一切皆空」は、「五蘊無我」の宇宙版。
(これで「般若心経」読み解くとわかる)
だから、お釈迦さんは、「空」を潜在的には説いていたんだげと、
竜樹のようにはあらわに統一原理としては説かなかったのねー。
これ、危険思想だから。
調合法あやまると、破壊的ニヒリズムになるから。
だから中観派には自滅していく奴等がいっぱいいた。
「一切空やったら、戒律も空やんけー、如来も空やんけー、
みんな実体がないやんけー。悪いことしよ。レイプしにいこ」
ちゅってね。キチガイに刃物になっちゃった。
つまり、釈迦さんは、人類の教師で、竜樹は天才思想家、その違いね。
…ほな。
あーなんだ
「空」=「ニヒリズム」。この発想がどうも分からん?
250 :
名無しさん@1周年:02/05/23 05:36
みなさん おはようございます。
>>245 俺の事かも知れんのであやまっておきます。
すいません。
2CHだし、専門スレなので、
溜めずにビシバシ悪いところを指摘して下さい。
>247
ケムール人さん 藁たよ。
上のレスで言ってる人がいたけど、
空 のスレッドを立てるのは善くないのかもしれませんね。
251 :
名無しさん@1周年:02/05/23 05:43
>>249 >「空」=「ニヒリズム」。この発想がわからん?
多々ある凡夫の発想ですよ。
「枯れ葉」一葉にしても、そこに因縁の理法をもってして「影」となす。
そこには、全く一寸の狂いも無し。それがいわゆる「空」。
しからずんば、相対無しの「有無」無し。「有無」有り。それを全て包含す。
ニヒリズムは、全くもって次元が違う。
253 :
名無しさん@1周年:02/05/23 08:10
髑髏さん、ニヒリズムってどんなの?
>>253 >真理・価値・超越的なものの実在やその既成の様態を否定する思想的立場。
「空」についての見解。
「空」とは何ぞや?という想念(識)も、いわゆる「空」でして、そこは主客未分化。
よってこれはキリがないですよね。
つまりはこれは、感覚(直覚のが正解)で掴むほかないんじゃないかと思います。
ここまで言えば、「苦」についても「空」の未分化ですからありようがない。
ありようがないけど、あえて言えば「苦楽一如」という事なんでしょうけど。
256 :
インド人のおっちゃん :02/05/23 11:01
ニヒリズムで終わっちまう人ってのは、まぁ、折り返し地点ぐらいまでしか
理解してないということですわなぁ。
257 :
ケムール人:02/05/23 12:27
>250 空 のスレッドを立てるのは善くないのかもしれませんね。
そのよくなさの過程が、だんだん構造的に、縁起的に、
あらわになってくるのも、典型的な「空」だったりして(笑)。
>255 「空」とは何ぞや?という想念(識)も、いわゆる「空」でして、そこは主客未分化。
よってこれはキリがないですよね。
つまりはこれは、感覚(直覚のが正解)で掴むほかないんじゃないかと思います。
これ、スレの最初の方で言ってしまうと、そこでこの板ストップよねー。
あとね、髑髏仮面さん、
ケムール人、「空=ニヒリズム」いうてないよ。>224 とくに後半ね。
……ま、どうせ誰かがいったん「空」のスレ立てちゃったんだから、大真面目に「中観の空」をぶちかます奴と、「空性大楽」系の奴と、
「空とニヒリズム」の違いを云々する奴(仏教学者にも、空とニヒリズムをいっしょくたにしてるのは何人かいるよ。)
「梵我一如」系の奴と、「あほかいな」と笑う奴と、役者がひととおり揃わないと、
お祭りちゅうかさ、「空」騒ぎにならないのよ。
だから、
>256 インド人のおっちゃん
ニヒリズムで終わっちまう人ってのは、まぁ、折り返し地点ぐらいまでしか
理解してないということですわなぁ。
の言う「折り返し地点」の手前と向こう側がある程度明らかになると、このスレのシナリオの可能性が、
ぼやーぁっと、空漠たる風景として見えてくる、ちゅうことなんじゃないかなあ。
……というわけでさ、以上の定番アイテムを全部無視して、「空」を語る人いたら、
その人こそ、ほんとに、ほんとに、エライ!!! (ゆいまのちんもく、持ち出しちゃ、あかんよ。禁じ手)
因縁の理法はキリが無いという事ですね。
つまり、「結果」が「因」となし、また「結果」が出たとしても「因」となす。
「空」とは何ぞや?是そのものが「縁起」の理法ですから、一切が「空」。
相対ならずんば、これ説明のしようもありましょうぞ。
しかしながら、そのものが既に空ならば、言うに言われず苦悶するばかりなり。
259 :
名無しさん@1周年:02/05/23 14:55
やっぱり髑髏仮面が口をつっかんでから荒れたね。
その文体だけでも何とかしろ。
>>259 私はなにも、デムパ発言をしている訳ではないよ・・。
分かりやすく言えば、森羅万象一切如来の当体。全くの矛盾は無い。
矛盾?といえば、人間の「迷い」そのものだと思うね。
そこのところにポイントを絞ってレスつけている。前レスを読んで頂ければ分かると思う。
255レスの・・・
>、「苦」についても「空」の未分化ですからありようがない。
四諦の「苦」は、つまり「ありようがない」。ということになる。
どーしてあるように思うのか?これは相対概念でしょう。ここのとこは徐々に・・・・。
261 :
ケムール人:02/05/23 18:56
>260
分かりやすく言えば、森羅万象一切如来の当体。全くの矛盾は無い。
要するに、髑髏仮面さんの場合は、
法界一元論や如来蔵思想の側面から「空」を語っているわけよね。
その場合、竜樹や中観派の「空」はまったく理解されていない。
最初から「絶対」(髑髏仮面さんの言う森羅万象一切如来の当体)を語ることが簡単にできるなら、
なんで中観派があんなに苦労しなきゃならないか。中観帰謬論証派なんて妙なものが出てこなければならないか。
だから、彼の発言では、これまでの流れの中で「ニヒリズム」云々が出てくることになってしまう。
「縁起の法」が、彼にはニヒリズム(のように)に見えてしまうんだな。
ところで、私は髑髏仮面さんが「デムパ発言」されているとは、全然思ってないけどね(笑)。
262 :
名無しさん@1周年:02/05/23 19:02
空については
密教やってる人に聞くのが一番早いけど、
なにしろ密教だから掲示板にカキコするなんて論外だよな〜。
チベット(ラマ教)と中国(禅)の学者間で、
空あるいは観想法(止観)について、
論争の記録があったとオモタけど。
ソースは、中沢センセの本(ハズカシ。>ケムール人さんご存知ないですか。
加護ちゃんに聞いてもいいかも。
一番肝心な
>256 インド人のおっちゃん
>>ニヒリズムで終わっちまう人ってのは、
>>まぁ、折り返し地点ぐらいまでしか
>>理解してないということですわなぁ。
>の言う「折り返し地点」の手前と向こう側がある程度明らかになると、
>このスレのシナリオの可能性が、
>ぼやーぁっと、空漠たる風景として見えてくる、
>ちゅうことなんじゃないかなあ。
これがぜんぜん判らないんですよね〜
あまりにも 苦 から離れた所に在るので、
仏教と言えるかどうかも怪しくなってくるし。
実際の話として、自分がやるには、
年齢制限に引っかかるかもしれないし(藁
☆おまけ 空性大楽系の善用について☆
在家の禅者が年取って定に入れなくなる。
↓
補助的に気功(or大楽系)やる。
↓
ウマー。
と、聞いた事があります。
263 :
名無しさん@1周年:02/05/23 19:22
有(論)→空(論)→唯識
という理論の流れがあるんじゃないか思うんですが、
有と空とのちがいはわかるような気がするんだけど。
空と唯識の違いがいまいちよくわかりません。
北海一元論や如来象思想の人(これはわかりやすい気がする)が
中論の「空」を理解できないというのも、わかるような気がする。
先にヘーゲルにつかまってしまうと、カントがぜんぜん理解できなくなる
というのにちょっと似てるような気がするのですが。
264 :
名無しさん@1周年:02/05/23 19:35
262です。
まぁ 師匠に仕込んで貰った事をぼちぼち繰返すしかない、
自分が言ってもセンもないことですけど。
凄く残念ですけど、
仕事がありますんで、今日はこれで失礼します>ALL
>>261 >法界一元論や如来蔵思想の側面から「空」を語っているわけよね。
「不一不二」はベースだが、如来像思想に拘っている訳ではない。
言いようが無いんで「如来」と言うたが、別称でもさして問題にならず。
>その場合、竜樹や中観派の「空」はまったく理解されていない。
中観派の文献を、そのまま持ってきた訳ではないので「たまたま中観派」に近いという事でしょう。
唯識派と違って、全部ひっくるめないと「空」は理解し難いということです。
先ず最初に「空」ありき。で・・・
中観派云々は後からついてくるかと思います。
>なんで中観派があんなに苦労しなきゃならないか。
貴殿の、お考えは如何なもんでしょうか?
266 :
ケムール人:02/05/23 20:25
>262
チベット(ラマ教)と中国(禅)の学者間で、
空あるいは観想法(止観)について、
論争の記録があったとオモタけど。
ソースは、中沢センセの本(ハズカシ。>ケムール人さんご存知ないですか。
ありましたね、そんなの。中国禅が負けちゃったやつ。でも、いまの話はそこまで高度な話じゃないシィ(笑)
>256 インド人のおっちゃん
>>ニヒリズムで終わっちまう人ってのは
>>まぁ、折り返し地点ぐらいまでしか
>>理解してないということですわなぁ。(何度も引用してスマソ)
@「空」思想そのものの持つ共同幻想分解力の部分と、
それこそA「森羅万象が如来の法身」ということです。
前者は、ニヒリズムのようでニヒリズムではない。
あ、もっとも「インド人のおっちゃん」の言うもともとの意味は、本人に聞かないと(笑)
話はどんどん抽象的になっていきますが、それでも発想のベースはあくまでも「苦」を超えることです。
要するに、根本分裂以降は、みんな理論武装しないと仏教各派といえどもやっていけない状況になってきたんじゃないでしょーか。
>263 空と唯識の違いがいまいちよくわかりません。
「空」だけだと、認識論、存在論で終わってしまって、「業」や深層心理の世界(サンスカーラとか、潜在的な行為の種の世界)
をどう説明するかという問題が当然出てきますよね。
だから、すかさず「空」思想を補佐するように出現してきたのが、アサンガとか、ヴァスバンドゥの唯識説のように思います。
で、あとでこの二つの思想潮流、接近戦を演じてしまうんですよね、後期中観、後期唯識で。
でも、この唯識論って、限りなく「マーヤー論」に似てますよね。要するに唯識喩臥行派(ユガの字がでてこないよー。馬鹿パソめ!これで当て字)
ということですね。
なーるほど、ヘーゲルとカントかあ。なんとなく、ノリはわかる…。(笑)
>>266 >それでも発想のベースはあくまでも「苦」を超えることです。
四法印かな?一切皆苦?
>「空」だけだと、認識論、存在論で終わってしまって、「業」や深層心理の世界(サンスカーラとか、潜在的な行為の種の世界)
>をどう説明するかという問題が当然出てきますよね。
ああそうですか?
私としますと、空では唯識論は合わないような気がするのですが・・・。
う〜ん。
268 :
ケムール人:02/05/23 20:42
>265 先ず最初に「空」ありき。で・・・
中観派云々は後からついてくるかと思います。
でしょうね。日本の仏教学者の場合(具体的に名前がすぐあがりませんが)、
中観や縁起にに固執するあまり、理屈以外のすべてを排除する傾向があったりします。
で、輪廻も否定しちゃう。私は「空」思想には、コインの表裏があると思います。
中観の論理そのものの背後に、唯識と同様メディテーションがあったのではないかと疑っております。
もともと「禅定」があるんだから、当たり前な気がするけど。でも神秘的要素を排除する説って多いですよね。
そういった意味では、「先ず最初に「空」ありき。で・・・中観派云々は後からついてくる」と、私も思いますね。
ここで、ケムール人、お仕事に、戻るあるよ。ほなら、皆様、よろしゅう。
269 :
brown:02/05/23 23:03
>「そんな魅力のないものを誰も苦労して
>目指さないよ」の続き。
苦を見つめ,自己を見つめ,心の深淵を見つめるとき,心の暗闇の中で地獄に
落ちる。なにごとも起こるままに見つめたとき,果てしない闇がそこにはある。
心の底の底には,漆黒よりも黒い闇と激苦がある。
でもね,私は何か諦めたんだな。一瞬気が緩んだというか,その漆黒と付き合う
のをやめたんだな。するとね,顕れたんだよ。それが。
270 :
brown:02/05/23 23:18
心の中は洗濯機のように荒れ狂っていたが,嘘のように晴れ渡って透き通って,
すとん,と心が下に抜けてしまった。身体感覚は通常よりはっきりとしていたが
心が世界全体に広がってそこらじゅうがこれまで「私の心」と呼ばれていたもの
だった。あらゆる感覚が心を介さずに生じてきた。むしろ「私」は感覚だった。
「心」は世界だった。その心にはさざなみのような揺らぎがあったが,それは
それまで「苦」と呼ばれていたものだった。世界はそれまで苦そのものだったが,
今は「世界は苦だ(った)」というあり方をただしているだけで,「私」に
苦が「生じて」はいなかった。そのとき「私?」は,その全てを「知っていた」
つまり,部分部分でなにやらが独立して?起こっていたが,そのすべてと
「相通じていた」。それら全てが明確な存在であった。全て明確で「存在」
していた。そのとき,「私」が「〜する」という機構はなかった。そこにあるのは
「調和」だった。調和が起こっていた。それをただ知っていた。そのとき私は
いなかった。「いない」「存在」に「なっていた」。
271 :
brown:02/05/23 23:25
存在は矛盾していた。心は矛盾を全て包摂していた。心には感情や思考があった。
しかしそれはただ「知られていた」が,「私に生じてくる」ことはなかった。
そのとき私はどこにもいなかったのかもしれない。でも私は全てをより明確に
知っていた。世界は極めて新鮮で貴重で美しかった。その透き通るような清浄さ
はきらきらと光り輝いていた。見るもの全ては新しかった。最上のあり方をして
いた。完全だった。聞くもの全てはそのようだった。身体感覚もよかった。
すべてよかった。世界はよかったのだ。そうか,よかったのか。問題なかったん
だな。そうか。何もなかったんだ。心なんて「なかった」んだ。
272 :
brown:02/05/23 23:34
生まれて初めて安らいだ。全ての迷いから自由だった。過去や現在はもちろん,
「未来の」迷いからも自由だった。何も生じないし,生じ得なかった。そのように
知っていた。何か「よりよい」ということも何か「より悪い」ということもなか
った。何かと「同じで」もなかった。言葉も思考も表現も解釈も感情も煩悩も
苦悩も,全て世界という心で起こっていた。しかし,それはここではなかった。
私に生じてこなかった。私はそのすべてから解放されていた。まったき自由に
存在していた。問題は解決した。過去も現在も未来も。ここもあそこも解決
した。すべてよかった。あるがままで完璧だった。
273 :
名無しさん@1周年:02/05/24 02:34
>>brown
「質問に答える」と称して自己宣伝か?
そもそも「苦労して目指さないよ」というのは質問じゃないと思うが。
半分オナニーのようだが、スレ違いだし、誰も興味ない。
君のやってることは荒らしだよ。
274 :
名無しさん@1周年:02/05/24 02:55
んで、解脱してなんかいいことあったか?
会社で昇進したとか、自治会の会長に推薦されたとか、金持ちになったとか。
実生活に反映してこないんだったらオナニーとかわらないぞ、ほんと。
275 :
「「「「「「「「「「「「「「「:02/05/24 04:09
あいかわらずやってるな。
魂の帰り場所なくなるぞ。
有人探査機ボインジャー
きついね。なんやね。ええね。
およびでない。か・・・
眉間の骨隆起するぞ。
両方成功するといいな。
達磨に目いれたり、いれられたり。
276 :
「「「「「「「「「「「「「「「:02/05/24 04:17
なっ>>>>>>>>>>>(デクレッシェンド)
何度か目のがきの使いやあれへんで。
あんまり単発でオナニーとか言うなよ。
唯識派が拘るには「識」のところですよね。
五蘊皆空。これも「空」と逝ってしまえば簡単なんですが、まあそれより・・・
縁起の理法で全部説明できるかとおもいますよ。「心」の部分を分断してしまいますと「空」のほうがかえって説明できなくなる。
例えば、空の縁起で「観える」。これが色でしょうから、これがまた「因」となる。これの連続でしょうから。
これをプロセスとして「空」→「縁起」→「色」で考えてしまいがちなのが、いわゆる学者筋かと思います。
龍樹の論は、一応説明するとこういう事にんるんでしょうけど、根底は「空」も「色」も分けて考えると認識として捉えづらい。
「有」も否定。「無」も否定。この一元観が中観派を理解するには一番大事な事かと思います。
ここのところで躓きますと、どうしても龍樹はいきづまるかと思います。
278 :
ケムール人:02/05/24 07:40
>277 ひゃー、忙しかった。(でもまだ仕事おわってない、どーすんべー)
それにしても、朝早く、オタクもがんばるねえ、髑髏仮面さん(笑)。
>五蘊皆空。これも「空」と逝ってしまえば簡単なんですが
「五蘊皆空」といきなりいくのではなくて、釈迦の直説としての「五蘊無我」が、「空」思想の発端では…という見解なんですが。
つまり色受想行色の「非実体性/無我」を強調してますんで、おしゃかさんは。
>例えば、空の縁起で「観える」。これが色でしょうから、これがまた「因」となる。これの連続でしょうから。
これをプロセスとして「空」→「縁起」→「色」で考えてしまいがち
髑髏仮面さん、ここもうちょっと説明してちょーらい。いわゆる「十二縁起」の文脈でいっているのか、「空と縁起」文脈でいっているのか。
これだけだと判別しがたいんで。
あと、やっぱり竜樹はいきづまりますよ、どっかで。
ウィットゲンシュタインのように「語りえぬものの前での沈黙」が出てしまう。
特に、時間とか、意識とかいった領域に近づくと、
だんだんわけがわからなくなってしまうのではないでしょうか。
「非実体!、非実体! 縁起だー、空だー」ってやっていけるのは、
形ある世界や、イデオロギーにに対してだけで。
「空」「中観」は、鋭い批評性を発揮して、対象の無根拠性や、価値の捏造性を暴露してくれるけど、
生身の人間が生きていく方向性は与えてくれませんね。
ただ、ブッシュの主張の根拠のなさ、あるいは「戒名」なんかの意味のなさ(話がとぶねえ。笑)、
などを突くには、{空と縁起」はとてもいいんですね。
そういう意味では、今日において「空」思想は社会性すら持っている。
根拠を自壊させるという意味で、ある意味で空谷行人的(あ、わざとまちがえた)。
279 :
ケムール人:02/05/24 07:43
>278
あ、みっともねー。「色受想行色」だって。これじゃ肉体ふたつあって意識のない化け物やんけ。
これじゃ悟れんわなあ。「色受想行識」でしたー。
>>273 >五蘊無我」が、「空」思想の発端では…という見解なんですが。
これは同じ事かとおもいますよ。
つまり三法印の「無我」にしても、是も全て「空」の一つの側面(解釈)。
五蘊→実体がない→無我→空。
無我においても、「我」が「無い」ということではなくて、龍樹の正信ゲ(検索掛からず)による、
「有の見」「無の見」。これを誤りとしている。
つまり形而上は「有」「無」どちらも否定している。
ようするに「無記」でして。これは釈尊の「無記」と同じように捉えています。
つまりこれが「空」でして、寸分違わず。全く矛盾しないということですから不一不二、識も縁起により成立つのも
これ説明せずとも分かるはず。
つまり、なにかの縁起がありませんと「観たり」「聞いたり」出来ない訳ですから。
ただそれだけかと思いますよね。
>あと、やっぱり竜樹はいきづまりますよ、どっかで。
そうですか?貴殿の見解は如何に?
>>278 >特に、時間とか、意識とかいった領域に近づくと、
既成概念による「時空」「意識」の捉え方はどうかと思う。というのが正直なところ。
えてしてこれは、学者筋がトンデモ解釈するかとおもいますよね。
「空」は普遍性であっても、時空、意識はこの範疇から除外されますよ。
つまり人間の意識自体が「空」ですから、そこから導きだされた時空は絶対基準にはなりえない。
また、違った角度からでもこれは検証できます。
人間の認識とは、だいたいそんなあやふやなものだと思います。
282 :
ケムール人:02/05/24 17:39
仕事の方、いいかげんにごまかして、帰宅。(冷汗)
>281既成概念による「時空」「意識」の捉え方はどうかと思う。というのが正直なところ。
えてしてこれは、学者筋がトンデモ解釈するかとおもいますよね。
「空」は普遍性であっても、時空、意識はこの範疇から除外されますよ。
つまり人間の意識自体が「空」ですから、そこから導きだされた時空は絶対基準にはなりえない。
そーですねー。この辺になると、かなりカントっぽくなってきますね。「先見的感性論」でしたっけ。
人間意識と時間、空間、因果律の関係性の問題。
カントの思想的縄張りというのは、大乗仏教哲学の認識論の部分とかなり近いですね。
で、仏教に話を戻すと、ある主体の意識の周辺で、何らかの「動き」「変化」、
いいかえれば「無常」を指摘できる要素が生じてはじめて、
「時空」というものが成立するわけですね。
ということは、動きを伴なう「時空」の展開は、微細な「苦」の始まりでもあるわけで。
まあ、そこの「空間」「時間」に、に露ほども執着していなければ、「苦」ではないかもしれないけど。
しかし考えてみれば、知覚そのものが、何らかの「差異」の認識であるわけだから、
対象が動いたり、変化したりするとか、こちらが知覚器官を変化(たとえば視線を動かす。指を動かすなど)させないと、
知覚である「識」が生じないわけですね。
ここでまた、「主体そのものの非形象意識としての空」と、「接触、認識体験としての識」の問題が出てきましたね。
現象学でいうノエシスとノエマですか。
無相の意識としての「空」と、接触し知覚した(縁起の解析が可能な)「空」、
二つの「空」の原型ということになるのでしょうか。
この二つを、髑髏仮面さんの言葉でいえば、
>つまり人間の意識自体が「空」
というのと、
>識も縁起により成立つ
ということになるのかなあ。
、
283 :
ケムール人:02/05/24 17:40
(続き)
しかし同時に、後者が唯識のいう「識」体験のような気もしますね。
まあ、なかなか、中観と唯識とのからまりあいは、入り組んでいますな。
唯識の「二空」説というのもありますし。これは「主体が空」で、「客体が空」、
生じているのは「識の表象」のみというのだから、ややこしいです。
主体が「空」といっても、その主体に「現象世界」として立ち現れている
表象の根源を投影しているアーラヤ識は
いわば潜在主体ではないかと思うのですがねえ。
中観と唯識、やはりこの二つの潮流は、対立して出現したように見えますが、
思想史的には補い合っていると思います。
えてして中観の研究者は、唯識を馬鹿にしたりしているようですが(そんなことありませんか?)
いやあ、なんだかこのレス、だらだらと長いですね、自分でいうのもなんやけど。
この辺になってくると、さすがに「空論」「戯論」といった感じがしてきて、
地上を離れること数千フィート、酸素が薄くなってきますな。
まあこのスレ自体が、最初からそっちの方向に向けられているようなもんですが。
――ところで。
「あのなー、おまえらなー、そうやって二人で、酔っ払ってやってろよなー」
なんて罵倒が入らないうちに、
誰か、風通しのいい馬鹿話入れてえー。
あ、そうそう。brown ちゃんの楽しい私小説でもいいよう。
我が家では毎回、家族みんなで楽しみにしてるの!
今回は、どんなことが起こるのかなっ。ドキドキ。
284 :
名無しさん@1周年:02/05/24 18:22
こんにちは ただ今帰りました。
>ケムール人さん
>266
>前者は、ニヒリズムのようでニヒリズムではない。
ここを確り抑えないと、慈悲 の出番がない。
調律されていながら爆発的な力を持った 空 も出てこなくなる。
で、よろしいでしょうか?
285 :
名無しさん@1周年:02/05/24 18:56
むー 馬鹿話ではなく 馬鹿登場になってしまいましたね。
すいません 逝ってきます
brown さん 待ち 挙げ 。
286 :
名無しさん@1周年:02/05/24 18:57
>>283 唯識派の考える「空」というのが興味がありますたが、成る程。
阿頼耶識が主体となる訳ですね。すこしややこしくなります。
>唯識の「二空」説というのもありますし。これは「主体が空」で、「客体が空」、
これじゃないと説明つかんでしょうからね。主客未分化でシンプルに考える訳にはいかんでしょうから。
>思想史的には補い合っていると思います。
ああ、そうですか。
こういった考えも非常に参考にはなります。「空」の捉え方ですね・・・。
>えてして中観の研究者は、唯識を馬鹿にしたりしているようですが(そんなことありませんか?)
ここのところを明確に一線を引いている訳でもありません。
潜在意識(阿頼耶識)より→集合意識。「虫の知らせ」「胸騒ぎ」なんかも、一応は「現象」としてあるんでしょうから、
一括して否定している訳ではありません。
ただ「空」の解釈が複雑になるのはいがめません。
288 :
名無しさん@1周年:02/05/24 19:12
>そーですねー。この辺になると、かなりカントっぽくなってきますね。「先見的感性論」でしたっけ。
用語は正しくつかいましょう♪。
誤) 先見的
正) 先験的 (transcendental)
>>286 丸写しだから、わざわざ>←これを付けているんだよ。
理解もなにも・・・。ニヒリスト、ヒヨリズムの単語はイヤというほどツカッタヨ
これは、社会思想の分野で主に使われる。
290 :
名無しさん@1周年:02/05/24 19:17
>主客未分化でシンプルに考える訳にはいかんでしょうから。
オカルトさん♪
ノエマとノエシスが相依的であり時差無く成立するとき☆☆
それ以前に存在する状態→主客未分の状態はどのように知ることがかのうなの?♪。
>>286 ニヒリズムというのは、革命思想におけるリンチの手段(言い訳)にも使われる。
リンチする側は、こんな便利な武器はない。ということなんだよ。
最近はあまり使われなくなった。
>>290 ここのところは学校の試験には出ないから、オカルトということで○がもらえるかと思う。
下手に説明すると×になるから気を付けるべし。
293 :
名無しさん@1周年:02/05/24 20:28
♪のネーさんのカキコもある意味、爆撃と言える。
いや、この場合、双方にとって暇つぶしだ。
294 :
名無しさん@1周年:02/05/24 21:00
.
>下手に説明すると×になるから気を付けるべし。
いじけちゃだめ♪
怪しげな知識はすべてすてるの!。
男でしょ♪
295 :
ケムール人:02/05/24 21:00
>288 あはっ。そうでしたー! あんがとさん。
誤記でも「如来像思想」ほど、クリエイティブじゃないしなー。
(如来像だと、金ぴかの仏像みたいで、いいよねえ)
>284
あと、「空」思想のニヒリズム(みたいな)側面というのは、「空」の前では、
人間の捏造した価値そのものの構築性、人工性、お約束性があらわになってしまうから、
条件つき(相対的)でしかその価値が成り立たなくなってしまうことを暴露されてしまう、という意味ですの。
そのお約束性というのは、人間が、欲や煩悩を背景として作った経済とか、政治とか、習俗とか、国家とか、
そういう世俗的なものが、最終的な根拠を「縁起」の論理で自壊させてしまう、という意味ですの。
でも、人間の意識の広がりそのものとしての「空」は、いろんな価値をそこから生むかもしれないけど、
相対的な価値を超えているから、それ自体はニヒルではないのよね。
形象がないという意味では、ネイティー、ネイティー
(「ヴェーダ」ではアートマンを説明するとき、「般若経」では空を説明するときこの否定の言葉が出てくる)
なんだけど。だから、名詞化できないんでしょうね。「空」としか。
でさらに、ひょっとしたら、この無相、無限定の意識のひろがりであるところの「空」は、
慈悲によってその質を内部変容させていくかもしれないのよねー。
ここからは、宗教ですね、やっぱり。哲学じゃなくて。
ということは、「空」は、人間が欲望や社会活動によって生み出した
もろもろの価値の根拠をあらわにして自壊させてしまうかもしれないけど、
それ自体の質そのものは、叡智と慈悲に満ちたバイブレーションをマテリアルとしている、
つーことになるのかもしれないのよー。(←ま、オカルトちゅえばオカルトかな、これ)
でも、要するに個体(個我)を実体がないとする仏教は、
個人の我を溶かしてしまったとき、何が出てくるか、ということになって、
超個人的な意識の原質とはなんだろかい、ということで万物を生かす宇宙的慈悲が出てくる。
それはあるいはまた、プラジュニアー(般若の知恵)だったり、するんで、
あるんで、あろうなー、と思うのです。(なんか、マイク持って離さない状態やね、わし)
296 :
ケムール人:02/05/24 21:02
(おまけ)
一般的に使われる「ニヒリズム」は、まあ西洋的文脈ではキリスト教的「神」の否定でしょうね。
ニーチェとか、ドストエフスキーの登場人物に典型的な思想。
あるいはロシアあたりのアナーキスト起源。権威の破壊ですね。
でも、アナーキストなんかの場合は、背景に自我とか、反社会的憎悪とか、政治意志とか、
自己破壊衝動とか、復讐とか、そういうはっきりとした暗い対立抗争の情念がありますわな。
だから、あらゆる生命が一元に向かっていく「空」とは、大違いですね。
ああ、でもちょっと、社会の風が吹いてきた〜。
よかった、よかった。
>>284 横レス。
>ここを確り抑えないと、慈悲 の出番がない。
これ見て分かったのだが・・・
どーも、ニヒリズム云々を吹聴する人間が多いとオモータら
涅槃寂静の意味が分かっておらんのだな?
そういえば、これを論ずる御仁はあまりいませんね。一般的に軽く見られているのでしょうか?
ここのところが肝心なのですが、ボチボチ話していきましょう。
これを考えないから、成る程ニヒリズムねぇ?
298 :
名無しさん@1周年:02/05/24 21:14
>(おまけ)
2ちゃん らしい キャラ作りにも今後は挑戦していきませう♪。
299 :
ケムール人:02/05/24 21:28
>297
ぼちぼちといわず、どぞ。どぞ。
>>294 >怪しげな知識はすべてすてるの!。
知識でもなんでもなくて、人間が常に「主体」であるとは限らないという事ですよ。
禅定していても、こころは動き廻ります。
座っている自分もありますし、またそれを眺めている自分もあります。
主体か客体か?それはまた認識がそう判断するだけのはなしです。
認識は、そう、ファジーなところがりまして、なかなかその正体は分かりません。
つまりは、その実体というのは無いことになります。
実体がないとなれば、どこぞが主体とならしめるのか?そのならしめる主体もありませぬ。
どーも摩訶不思議な世界であると言わざるをえません。
よく耳にするのは「空」は虚無の世界なんではないか?
あれは大間違いかとおもいますよね。
森羅万象、全て不一不二の世界で諸行諸遊楽そのままの世界でしょう。それを知るという事(涅槃寂静)かと思いますね。
十牛図の八図です。ようやく光明を見つけた瞬間です。
いわゆる主客未分化というのはこの状態。即心即仏、円相の位相。無我の顕現。
禅スレで懲りずまだやってんのかいな。
いい加減にしたら、髑髏さん。
>>286 自分の言葉でも言えていないのね。
303 :
ケムール人:02/05/24 22:41
>301
よく耳にするのは「空」は虚無の世界なんではないか?
あれは大間違いかとおもいますよね。
いま思ったんだけど、「仏教は虚無思想」、「空はニヒリズム」というのは、
あるいはキリスト教の陰謀かもね。
とくに、イエズス会宣教師あたりの情報操作が入っているかも(笑)。
>>303 >いま思ったんだけど、「仏教は虚無思想」、「空はニヒリズム」というのは、
で、ここでものたりなくなって形而上の問題に言及すると、大事なところが見えにくくなるかと思います。
涅槃寂静というのは、やはり大事な仏教観だと思います。
龍樹は、人間の迷いの根本原因は「言語を使うから」と言うております。
即ち、言語をつかうのは人間だけ。他は迷いという概念もありませんから。
つまり二元価値観は人間だけ?というのが常識的に考えられるのでしょう。
>>302 >いい加減にしたら、髑髏さん。
私のレスを見て、何ぞの気づきでも起きましたか?
さてさて・・・
私も朝が早うございます。これにて失礼いたします。
良い夢でも観てくだされ。
306 :
名無しさん@1周年:02/05/24 23:24
如来象思想ってのはさ、悟りを開いて如来になった象さんが
救いにくるってやつだろ。如来が象の姿で衆生を救いにくる。
インドによくあるやつだね。
307 :
brown:02/05/25 00:42
>273
おっしゃる通りですね。申し訳ありません。止めます。いや,未だ半分くらいしか
言ってませんけど。
(最後にもう一つ)
>んで、解脱してなんかいいことあったか?
>会社で昇進したとか、自治会の会長に推薦されたとか、金持ちになったとか。
>実生活に反映してこないんだったらオナニーとかわらないぞ、ほんと。
そういう意味での「いいこと」は皆無です。
しかも,そういうことを「いいこと」とも思いませんし。
まあ,オナニーそのものですな。
308 :
名無しさん@1周年:02/05/25 05:15
おはようございます。
>brownさん
>実生活に反映してこないんだったらオナニーとかわらないぞ、ほんと。
これは、煽りでしょう。
brownさんさんのレスはスレッド違いかも知れんけど、
俺はすきょ。
309 :
名無しさん@1周年:02/05/25 05:33
>まあ,オナニーそのものですな。
それを阻止しようとする意思を微塵も感じさせないレスですなあ。
他人に意味のない悟りは本当の悟りではない、と言った人を知っていますよ。
310 :
ケムール人:02/05/25 09:54
>306
あ、如来「像」じゃなくて、如来「象」の誤記だったか。
……ってことは、ヒンズー教徒の陰謀が入っているな。
きっと如来やブッダを、ガネーシャの化身にしようってんだろ。
311 :
ケムール人:02/05/25 10:09
>307 :brown
いやあ、だから、やめるというより、体験の要点をもっと簡潔に書けば?
brown ちゃんにとって、あれは切実なことだったんだろうし、
どっかで吐き出したいことなんだろ。
確かに自己宣伝臭はあるかも知れないけど、
まんざら嘘を書いてるとも思わないし。
とくに「自分があるから苦」といったポイントは、あの中で仏教的に重要だと思うよ。
brownちゃんが、 「覚者」かどうかは別として(笑)。
少なくとも、四諦の「苦・集・滅・道」の前半ふたつではあるよ。
312 :
ケムール人:02/05/25 10:33
>304 :髑髏仮面
で、ここでものたりなくなって形而上の問題に言及すると、大事なところが見えにくくなるかと思います。
涅槃寂静というのは、やはり大事な仏教観だと思います。
あのなー。
303 が精一杯のフォローだっちゅうのが、わかんないのかなあ。
それに303は、形而下の世界の話でしょ、形而上じゃなくて。
だったら、本格的に涅槃寂静そのものを語ってよ、髑髏仮面さん。
>301 森羅万象、全て不一不二の世界で諸行諸遊楽そのままの世界でしょう。
それを知るという事(涅槃寂静)かと思いますね。
こんなんで「涅槃寂静」を語っているつもりなの? こういうのどかな浪曲は、年寄りの馬鹿坊主がいくらでも語るやんけ。
自分たちの仏教ビジネスの矛盾や本質を突かれないために、いいかげんな「仏説」で煙幕張られているのが、日本の仏教風土じゃないの。
それで檀家は、お布施や戒名料とられてんだよ、何百万も。
それに、だいたい「光明を見つけた瞬間」が「涅槃寂静」になるのかね?
「いわゆる主客未分化というのはこの状態。即心即仏、円相の位相。無我の顕現」
こんなのも、奈良や京都の観光仏教のガイド坊主たちに、散々聞かされる長唄でしょうが。
>髑髏仮面さん、
語るといったんだから、ちゃんと「涅槃寂静」を語ってよね。
「涅槃寂静というのは、やはり大事な仏教観だと思います。」はもうわかったから。
313 :
名無しさん@1周年:02/05/25 10:47
髑髏さんは相手にしてはいけません。
Followも厳禁です。
最近みんなに叩かれて、ようやく少しおとなしくなってきたのに
あなたがかまうから、また煩悩が首をもたげてきている。
>>312 >それに303は、形而下の世界の話でしょ、形而上じゃなくて。
これは誤解があったようですね。
いわゆる、貴方に対してのレスというよりも「一般論」でカキコしました。スマソ
>語るといったんだから、ちゃんと「涅槃寂静」を語ってよね。
>「涅槃寂静というのは、やはり大事な仏教観だと思います。」はもうわかったから。
う〜ん、弱りましたなぁ。
これ全部言語で説明できる人がおりますでしょうか?こういうところが不立文字というんでしょうけど・・。
例えば、ニヒリズムというのは対立概念であって、本来は全く必要としない概念ですね。
俗な言いかたですと、こういった余計な捉え方を全部削ぎ落とした心境というんでしょうね。
哲学用語を使うとすれば「直覚」というのでしょうか。
それで「知る」ということなんでしょうけど、ここの捉え方は「紙一重」。伝えるのは難しい。
貴殿が唯識論の立場をとるなら、私としてもそこのところは理解を示していますよ。
ですからここのところは噛みあわなくて当然かと思います。
まあ、逆に私が質問しても良いんですが・・・
どなたか十牛図、八図を説明できますか?
316 :
ケムール人:02/05/25 11:36
>314
伝えるのは難しい。
というからには、「涅槃寂静」を体験したというわけだな。
317 :
ケムール人:02/05/25 11:46
しつこいようですが、、
>297 涅槃寂静の意味が分かっておらんのだな?
そういえば、これを論ずる御仁はあまりいませんね。一般的に軽く見られているのでしょうか?
ここのところが肝心なのですが、ボチボチ話していきましょう。
これを考えないから、成る程ニヒリズムねぇ?
と書いたのは、誰かね。
>314 う〜ん、弱りましたなぁ。これ全部言語で説明できる人がおりますでしょうか?こういうところが不立文字というんでしょうけど・・。
例えば、ニヒリズムというのは対立概念であって、本来は全く必要としない概念ですね。
俗な言いかたですと、こういった余計な捉え方を全部削ぎ落とした心境というんでしょうね。
哲学用語を使うとすれば「直覚」というのでしょうか。
それで「知る」ということなんでしょうけど、ここの捉え方は「紙一重」。伝えるのは難しい。
と書いたのは、誰かね?
>>317 だから私が説明したでしょう。
>例えば、ニヒリズムというのは対立概念であって、本来は全く必要としない概念ですね。
>俗な言いかたですと、こういった余計な捉え方を全部削ぎ落とした心境というんでしょうね。
これが説明になってないですか?
あなたが考える八図はどんなもんでしょう?
説明できますか?
私とすれば、精一杯のレスです。
319 :
ケムール人:02/05/25 12:02
>318
>例えば、ニヒリズムというのは対立概念であって、本来は全く必要としない概念ですね。
>俗な言いかたですと、こういった余計な捉え方を全部削ぎ落とした心境というんでしょうね。
必要としようがしまいが一切皆苦で、「苦」が生起するんじゃないの。対立が起こり、対立概念が起るんじゃないの。
そして人はときとして、ニヒリズムに陥るんじゃないの。
……しかし今の話は、ニヒリズムの話ではないよ。
あなたが、「みんな涅槃寂静を理解してない。これは大切な境地だ。ぼちぼち語ろう」
といったから、語りなさいといったわけ。
牛の話なんか持ち出さんでいいよ。
牛連れてこないと、涅槃寂静は語れないの?
中間総括
>>317 公共掲示板というのは、まあここまでが限界でしょう。
これ以上突っ込んだ話にするとすれば、私の問いに答えてくれたら私も真剣になる。
一応のタタキ台がありませんと話になりません。
どうですか?
貴方もコテハンだし、私もコテハンで、タタキ台を提示しませんか?
321 :
ケムール人:02/05/25 12:08
>320
勝手に総括したり、勝手に「限界」を決めなさんな。
「私の問い」というのは、やはり牛の話かね?
>>319 >必要としようがしまいが一切皆苦で
ここのところは八図までですよね。
その後のこと。つまりは涅槃寂静は「その後」の話しですよ。
つまり、プロセスというのがありますから「苦」といっても、どこにおいての「苦」の認識なのか?
これがごっちゃになっているんです。「苦」の認識も超越するでしょう・・。
これを超越した段階がいわゆる涅槃寂静じゃ〜ないんでしょうか?
323 :
ケムール人:02/05/25 12:25
>322
涅槃が「苦」の超越だなんてのは、当たり前でしょ。
それと、あなたが
「涅槃寂静の意味が分かっておらんのだな。そういえば、これを論ずる御仁はあまりいませんね。一般的に軽く見られているのでしょうか?
ここのところが肝心なのですが、ボチボチ話していきましょう。」
といったのは、
十牛図のプロセスの中での「涅槃寂静」の図面的な位置のことだったの。
「これを論ずる御仁」というのは、単に位置付けだけする御仁なのかね?
>313 さん、ご忠告ありがとうです。
>>323 >十牛図のプロセスの中での「涅槃寂静」の図面的な位置のことだったの。
あまり十牛図は持ち出したくはなかったのですが、話のポイントを掴むためには手っ取り早いでしょう。
>「これを論ずる御仁」というのは、単に位置付けだけする御仁なのかね?
単に位置付けする・・。と言ってしまえばソレキシ。意味がチト分かりません。
私は、話の流れを掴むために十牛図を持ってきたまでのこと。
>ここのところが肝心なのですが、ボチボチ話していきましょう。」
これは、最初のところが噛みあいませんと後のところは無意味。
タタキ台が必要と逝ってるんです。
貴方が傾倒している「唯識論」で、私は到底ついていけないでしょう?
つまりは、最初がかみ合わないと論議しても相対立するという事です。
325 :
ケムール人:02/05/25 12:53
>324 なんで「貴方が傾倒している「唯識論」」ということになるのかな?
私は、唯識論の人に決められちゃったわけね。
それと、さっきからあなたがいう「タタキ台」ってどんな意味よ。
あとね、日本の坊さんにシロートが質問すると、必ずこれに似たことをいうのよ。
>貴方が傾倒している「○○論」で、私は到底ついていけないでしょう?
つまりは、最初がかみ合わないと論議しても相対立するという事です。
髑髏仮面さんの曖昧化の手法が、その典型的パターンかなと思って、いましつこくやっているんですけど。
まあ、髑髏仮面さん個人には、別に何の感情も持ってないしねえ(笑)
とりあえず、牛の好きな人なんだなあとは、思うけど。
>>325 >それと、さっきからあなたがいう「タタキ台」ってどんな意味よ。
一応テーマを絞って、この部分なら意見の疎通が可能かな?という出発点。
>髑髏仮面さんの曖昧化の手法が
明確に「如来の当体を知る」と逝ってるんですから、曖昧とも違いますよ。
八図の私見です、ですから異論があるのならどうぞ。と言うております。
>とりあえず、牛の好きな人なんだなあとは、思うけど。
というよりも、話の段階を把握するためには十段階に分けた方が分かりやすい。
涅槃寂静は、その段階によって捉え方が違ってきますから。
「即心即仏」も、これは段階によって「非心非仏」。全く意味は同じですから。
327 :
ケムール人:02/05/25 13:47
>明確に「如来の当体を知る」と逝ってるんですから、曖昧とも違いますよ。
だからこれは、単なるスローガンだって。交通標語だって。
まあいいや、これ以上何も出てこないのが明らかになれば、こちらはそれでいいです。
要するに、髑髏仮面さんは、
>297「涅槃寂静の意味が分かっておらんのだな?そういえば、これを論ずる御仁はあまりいませんね。一般的に軽く見られているのでしょうか?
ここのところが肝心なのですが、ボチボチ話していきましょう。」
の責任が取れなかったということね。
それを不立文字や、意見の噛みあわなさに逃げたってことね。
いっとくけど、「涅槃寂静をボチボチ話す」のに、ケムール人との意見の噛み合いなんか関係ないからね。
聞く人は聞くでしょう。
――話、かえ。
ところで皆さんは、評論家の宮崎哲弥氏をどう思いますか?
よく仏教について云々している茶髪の人です。
たとえば、こんなのあるんだけど。
http://homepage1.nifty.com/boddo/ajia/topic/intro.html
>>327 如来とは、即ち「空」。
これをスローガンと言うてしまったら、このスレッドの意味が無い。
まあ、良いけど。
「空」を語るというのであれば、先ず八図を語る事が出発点。
まあ、良いけど。
>の責任が取れなかったということね。
わざわざ私がタタキ台を作ったんですけど・・・。
まあ、良いけど。
八図について異論のある方は、いつでも論議に応ずる用意はあります。
どなたでもかまいません。
今日は少し忙しいんで直ぐは無理にしても、今日中には返事を書きます。
>いっとくけど、「涅槃寂静をボチボチ話す」のに、
>ケムール人との意見の噛み合いなんか関係ないからね。
>聞く人は聞くでしょう。
さすがにそれは違うと思うよ。壁に向かって話せ、と言いいたいのかな?
私にはあなたが髑髏さんのお話についていけていないだけにしか見えないよ。
331 :
ケムール人:02/05/25 15:29
>330 具体的に。
330
>>331 具体的には書かない(笑)。
とりあえずあなたの態度が何かを知ろうとする人のものには見えなかった。
333 :
名無しさん@1周年:02/05/25 16:06
ケムールさんはべつに知ろうとしてるわけじゃないだろ。すくなくとも
髑髏から何かを教えてもらう立場じゃない。おレだって髑髏やbrown
から何かを学ぼうなんて思わない。自己顕示とオナニーに過ぎないんだから。
涅槃寂静とか如来の当体というような言葉の響きにじぶんで酔ってるだけ。
こういうのが仏教ヲタには非常に多い。要するにたちの悪い言葉あそび
だけの人達。
ケムールさんには、髑髏の煙播きに付き合いすぎて板を無内容なものにして
しまった罪がある。
334 :
ケムール人:02/05/25 16:16
>332 それ、ずるい、あるよ。
要するに、態度の問題ね。
>333 ケムールさんには、髑髏の煙播きに付き合いすぎて板を無内容なものにして
しまった罪がある。
だったら、ごめんね(笑)。
335 :
ケムール人:02/05/25 16:30
ああ、それとね、
>333さんのいう、
涅槃寂静とか如来の当体というような言葉の響きにじぶんで酔ってるだけ。
こういうのが仏教ヲタには非常に多い。要するにたちの悪い言葉あそび
だけの人達。
というのが、だよ。「仏教ヲタには非常に多い」だけだったら、別にいいんですよ。
実は、職業的坊さんにも、実は多いのではないかと疑ってるんです。
だったら別に、髑髏仮面相手にやらんでいいだろ、本職相手にやれ――
っていう理屈もあるけどさ。
336 :
名無しさん@1周年:02/05/25 17:43
ケムール人さんへ
名無しさんの意見は、内容が無ければ無視した方がいい。
限が無いし、明らかに悪意を持ってレスしてくる奴がいる。
まずは、落ち着いて。
煽ってくる奴をネタに遊べる余裕が無いときは、一反接続を切ると。
このレスには、レス不要。
337 :
ケムール人:02/05/25 18:09
とにかく八図は、観念的お遊びを遥か超えてますから是は非常に難しい。
「色即是空」→「空」です。いわゆる全てが無差別相になるところです。
十図においても相当インパクトのあるところです。
涅槃寂静は、ここで叩きあいをする程の議論がありませんとナカナカ難しい。
まあ、とりあえずとしては、私を先ず叩くところから議論が展開するとおもいますが、
まだまだ叩きが足りませぬ・・。無念(^^)
339 :
名無しさん@1周年:02/05/25 18:49
「かまってよ〜〜〜こころのよわいぼく〜〜〜」
とまとわりついてくる邪鬼を、
信じられないほどの平静さで、なんの屈託も怒りもなく、説教もせず、
みごとに無視しきったとき、否、
無視という行為さえない、しかし気づいていないのではない、
ただただ通りすぎる、そのように通りすぎたとき、
その邪鬼は存在の基盤を失って、なくこともわめくこともなく消滅した。
もともと邪鬼などいなかったのだ。
340 :
名無しさん@1周年:02/05/25 18:50
「叩くことから展開するような議論は妄想に過ぎません。
真剣に道を求める人は、そういう言葉遊びにかかわり
合うのはやめましょう」
と教わりました。合掌
341 :
ケムール人:02/05/25 19:06
>338 :髑髏仮面
あ、髑髏ちゃん生きてたんだあ。
でも、もーいいーょ。
だあって、いつも、おんなじ音しかしないんだもーん。
髑髏型のもくぎょ叩いてもさー。
ポクポク、ポクポク、単調な音。
>>340 >「叩くことから展開するような議論は妄想に過ぎません。
公案は、いわゆる「叩き」だよね。
既成概念をとことん壊す。我の破壊。
決して「妄想」ではありませんね。
343 :
ケムール人:02/05/25 19:34
>342 :髑髏仮面
あんたの髑髏木魚は、そんなかっこいいもんじゃないでしょうにいー。
ポク、ポク、ポク、ポク……。
ねーはんじゃくじょー、うーしにひかれてー、ぜんこーじまいりー
ポク、ポク、ポク、ポク……。
344 :
名無しさん@1周年:02/05/25 19:44
>>342 公案は誰が誰に出すんだよ。
自分の立場をわきまえな。
屁理屈で人を煙に巻き、自己顕示することにしか関心のない
不誠実な人間に、公案なんか誰も出してやらないんだよ。
自我の肥大しすぎた妄想家に、公案なんか出してもますます狂うだけ。
>>343 六祖慧能は、東禅院入門の時に相当痛い公案を受けている。
それが元か知らんけど「本来無一物」の境地に至っている。
御歳26。入門わずか8ヶ月。
弘仁の一番弟子、神秀を遥か?抜いた境地とされる。いわゆる公案。
我の破壊。もちっと・・・。
346 :
339=340=344:02/05/25 19:46
修行の足りない私は、たまらず邪気を養ってしまいました。
スマソ>ケムール人
× 弘仁
○ 弘忍
348 :
ケムール人:02/05/25 20:18
ところで、brown ちゃん、どーしたんだろなー。
トイレで泣いてんのかなあ。
あ、余計なこというなって?
いまの発言、なしなし。
お題は「涅槃寂静」。
疾風のよーに現れて、疾風のよーに去って逝く。
髑髏仮面のおじちゃんは、もうそろそろ寝んねの時間です。
色即是空→空即是色。これは仏教の核となるところです。
こころの赴くままに、また再び皆様の前に現れます。おやすみなさい。
350 :
名無しさん@1周年:02/05/25 23:34
こころが赴かないことを願っています。
351 :
名無しさん@1周年:02/05/25 23:55
こんばんは みんな元気?
寂滅 でいいじゃないですか?
みられる者として 五蘊から離れた時、
出現するのは、正しく 寂滅 ですよ。
絶えず生起しているから、絶えず滅している。
そして 本当に 本当に 本当に 寂しい 。
寂しいと思う心まで、涼しく 透明に 静かに 澄み渡っている。
寂滅のどこがいけないのですか?
きちんと小乗をやり終えて、大乗に進んだ人は、
決して 小乗や 自分の愚かさに還る事を を馬鹿にしないですよ。
涅槃とは、どのような実感を伴うものか、
ぜひ、お聞きしたい。
もしも、話せるなら。
352 :
名無しさん@1周年:02/05/26 00:03
>>351 上座部は必ずしも寂滅を、偏重してません。
むしろ、アンナパンナより歩行瞑想を重視してるくらいです。
>涅槃とは、どのような実感を伴うものか、
光の体験です。
すごい光、そして音。
大いなる喜悦。
そしてなにもかもが違って見える。
いろんな事がわかるようになる。
いろんな存在と自由に意思疎通が出来て、
教えを請うことが出来るようになる。
353 :
名無しさん@1周年:02/05/26 00:05
>光の体験です。
これは大衆部のみに見られる特徴、と言われます。
354 :
ケムール人:02/05/26 00:46
おっ、またはじまっとるな。
以前から思っていたのですが、「光」と「知恵」との関係って、
どうなっているのでしょう。どなたか?
355 :
名無しさん@1周年:02/05/26 00:47
>むしろ、アンパンマンより歩行瞑想を重視してるくらいです。
意味不明です。
356 :
名無しさん@1周年:02/05/26 01:02
351です。
>>352 涅槃=凄いですね。
寂滅の状態でも、
当然 意識の質的な変性は起こり、
光の闇と言えるような状態に埋没してゆきます。
352さんからみて
五蘊からの厭離を基本として成立する寂滅 の
死角になりやすい所、欠点等ありましたら
ご指摘頂けないでしょうか?
こどもだってうまいんだもーん
のーんだらこーいっちゃうよー
くぅー
358 :
名無しさん@1周年:02/05/26 01:15
351です。
>352さん
352のレスどうもありがとうございます。
つい欲張ってしまいました。
ネット上で、寂滅、涅槃等の情報を流すと、
カルト集団に利用される可能性があります。
上座部仏教の集まりについては、
自分にも1.2心当たりがあります。
実際に足を運んで確かめます。
安易に質問をして申し訳ありませんでした。
また、351へのレス付けの方 どうもありがとうございました。
かさねて、御礼を申し上げます。
359 :
名無しさん@1周年:02/05/26 03:24
光の体験ってなに?
寂静ってことは覚醒体験ということなの。
352さんは悟ってるの。
もしそうなら、大衆部の悟りはなにか特別なの。
360 :
名無しさん@1周年:02/05/26 03:24
明日、池袋に行く日本人は、自衛のために武器を携行してください。
明日、池袋に行く日本人は、自衛のために武器を携行してください。
361 :
名無しさん@1周年:02/05/26 03:27
>>358 >ネット上で、寂滅、涅槃等の情報を流すと、
>カルト集団に利用される可能性があります。
ワロタ。
なーに時代錯誤なこと言ってるのだ。
デーラワーダ仏教協会があんな大がかりなホームページ作って布教してる
ってのに。
横レス。スマソ
涅槃寂静。つまり、今居る世界そのものが寂光浄土そのもの。ということですね。
これは、1〜7図においては観念的にしか捉えることしかできませんが、7図でそれが観念の域から脱するという事です。
お気づきの方も居ると思いますが、既に私は答えをカキコしています。
この答えに関して、「異論」もなければ「同意」も無いという事です。
なんかのアクションでもあれば、直ぐ対応するつもりでおります。
一応、念のためカキコしておきます。
× 7図でそれが観念の域から脱するという事です。
○ 8図でそれが観念の域から脱するという事です。
364 :
名無しさん@1周年:02/05/26 07:38
>>40 >語るんじゃねえ
>
>
> 感じろ
>
>
> リー
ここまで読んできて一番心にしみたレスです。
ここのつわものの皆さんに質問です。
心の所作はどこですか。おねがいします。
>>365 >心の所作はどこですか。
「どこ」と、特定しようとする「心」もまた縁起でゆり動きます。
つまりは、心も縁起そのもの「空」です。
「どこ」。是即ち分別で、「どこ」があるのか?「どこ」がないのか?
分別で考えるところを→無分別。空にて解釈されたし。
つまり、「どこ」と特定しようとする心そのものが相対概念。という事になるかと思います。
如何なもんでしょうか?
367 :
ケムール人:02/05/26 10:32
ははーん、なるほどねえ。
これが歴史のパターンか(笑)
368 :
名無しさん@1周年:02/05/26 14:39
>光の体験です。
>すごい光、そして音。
>大いなる喜悦。
もう一歩というとこね。悟りのゴ−ルは目の前よ★
バラモン教徒に光あれ♪。
>光の体験です。
>すごい光、そして音。
>大いなる喜悦
せいぜい六欲天。音があるから欲界か。。。
370 :
ケムール人:02/05/26 16:15
>光の体験です。
>すごい光、そして音。
>大いなる喜悦。
でも、まあ、自性清浄心というのも、あるからねえ。
ちょっとこれ、鳴り物入りだけど
371 :
ケムール人:02/05/26 16:18
>353 :名無しさん@1周年 :02/05/26 00:05
>光の体験です。
これは大衆部のみに見られる特徴、と言われます。
原始仏教にも、あるよなあ
372 :
ケムール人:02/05/26 16:23
352 :名無しさん@1周年 :02/05/26 00:03
>>351 上座部は必ずしも寂滅を、偏重してません。
むしろ、アンナパンナより歩行瞑想を重視してるくらいです。
ここで言う上座部とは、日本の某協会のことだろうか。
それとも、外国のテーラバーダ仏教のことだろうか。
373 :
ケムール人:02/05/26 17:01
>>351 上座部は必ずしも寂滅を、偏重してません。
むしろ、アンナパンナより歩行瞑想を重視してるくらいです。
や、やっぱり、わからーん。この文章。
アヌーパーナ・サティをしながら、”意識を入れて”歩行して、
「歩行禅」にしてるんやないの?
374 :
名無しさん@1周年:02/05/26 17:10
.
☆校内放送☆
妄想と知識の区別がつかない生徒は至急「哲板」に移動して講義を受けて来てください♪。
375 :
ケムール人:02/05/26 17:14
>374 ちゃうの。技法の問題よ、これ
376 :
名無しさん@1周年:02/05/26 17:29
ダ−リン♥
妄想とは骸骨を抱いて、「せく-す」しているようなもんだから♪
はずかしさを超えて滑稽なわけね♪
くおりあ を妄想で変形させてね、有りもしないものを観ちゃいけないの♪。
煩悩が無眼大に増えちゃうでせう☆☆。
スレの流れからすると、牛に牽かれて善光寺あたりでウロウロしている段階かな?
378 :
ケムール人:02/05/26 17:38
>377 お、来たな髑髏仮面(笑)。
珍しく、気の利いたレスじゃないの。回春剤でも飲んだかな?
>376
☆校内放送☆
パロディの動脈硬化して図式化しまった生徒は、至急「保健室」に移動して新しいパターンを考えましょう♪。
379 :
ケムール人:02/05/26 17:41
>378
図式化しまった(×)
図式化してしまった(○)
先に、直しとこっと!
380 :
名無しさん@1周年:02/05/26 18:08
けむちゃんたら・・♪
コテハンはお客を飽きさせちゃだめなの♪
「落研」で、すきるを磨いてきましょう♪
381 :
ケムール人:02/05/26 18:14
>380 ぶふふっ(笑)。
誰か、作曲の才能ある?
☆校内放送☆
ダーリン?
いつも、いつも、いつだって、♪。
恥ずかしさや、滑稽さにとらわれて、
パロディしかできないだめな私 ♪
お馬鹿さーん お馬鹿さーん
素直になれない優等生
でも、淋しいの、淋しいの
ダーリン?
ほんとはもっと思い切ったことがしたいのに
いつも乙にすました優等生
こころの中に、小さないじわるな女の子が隠れているのよ
お馬鹿さーん、お馬鹿さーん♪
ちょっぴりかわいいところもあるのに、
素直になれない、臆病な私ね♪
382 :
名無しさん@1周年:02/05/26 18:41
>>372 上座部の歩行瞑想では、普通、足の動きにサティを入れます。
心の働きを停止させることが目的ではなく、動きのあるものの
一瞬一瞬を確知することが目的の場合、歩行瞑想のほうがやりやすい
ということだと思います。
座って瞑想する場合は、心が寂滅したような気持ちになっても
たんに居眠りに近い状態になってる場合が多いので。
383 :
ケムール人:02/05/26 18:43
>382 要は、座っての冥想との比較ってことですね。サンクス。
>>352 >光の体験です。
>すごい光、そして音。
>大いなる喜悦。
ヨーガナンダ>サンタナの歌詞
いい加減なこと書くな。
385 :
名無しさん@1周年:02/05/27 05:58
回り経行は歩行瞑想ということだったのか、なるほど
牛に逃げられないよーに、しっかり手綱を握り締めることが肝心なんだろうな?
そのうち、牛の正体も分かってくる。
まあ、今のところは自分に引き寄せる事だけ考えていれば良いんだろうけど。
そこのところも、一応スレの空気を読みまして、それに合ったよーなコメントをしてまいります(^^)
387 :
ケムール人:02/05/27 08:31
>386 あ、凄い。
髑髏仮面に、なにかが起りつつある。
牛の正体→内省→気づき→全部捨てる→涅槃寂静の意味を汁。
いうなれば、こういうプロセスと考えれば間違はない。
しかし、ここのところを一気に話がトンドルではレスが噛みあわないのも頷けます。
道は遠きなれども、一応はレスの流れとすればこういう事になるかと思います。
花は散れども、機が訪れれば又花は開きます。
その時に、黙ってそこを通り過ぎるか?立ち止まるか?いたって単純なことかと思います。
しかしながら、そこが無明というのでしょう。人間。されど人間なり。
>>387 >髑髏仮面に、なにかが起りつつある。
ようやく「気づき」が起こりましたね。
もうそろそろ牛の正体をばらしても良いんじゃありませんか?(ワラ
390 :
石の上にも三年、六年、九年、、、、:02/05/27 12:52
「そうだーー、そうだったのかーー!」と言わしてやる、言わしてやる、言わしてやるぅぅぅぅぅ
391 :
ケムール人:02/05/27 13:33
>389 仏教的な慈悲の実践による「励ましの言葉」だってば。
髑髏ちゃん、すぐ大げさにとるんだから、もう。(ワラ
392 :
名無しさん@1周年:02/05/27 13:49
「気づき」だってさ。w
髑髏チャンのは仏教じゃないみたいだね。
仏教には「牛の正体」を秘匿するような習慣はない。
仏教に秘密なし。
公案ごっこがやりたかったら、まずその相手をしてくれる人を
現実の空間に見つけることだね。
393 :
名無しさん@1周年:02/05/27 13:52
ところで髑髏チャン、どういう身体してる?
牛の正体より自分の身体が大事だよ。
お題は「涅槃寂静」。
この登竜門というのが
>>389ですね。
これは自らが答えを導きださねばならんのですけど・・。
う〜ん、弱りました。私の一存では先に進む事にはまいらぬ。
まあとりあえずは、こういった事を鑑みまして、お題になるべく答えていくよーにしましょう。
そうでなければ先に進み事ができますまい。
>>392 >髑髏チャンのは仏教じゃないみたいだね。
仏教のイロハのところです。
>>393 ねぎらいの言葉。しかと賜りました。
395 :
名無しさん@1周年:02/05/27 14:20
このスレのお題は「空」なんだけど。
中論をめぐる話に戻してほしい。
誰もここで善問答をして悟りを開こうと思ってない。
取っ掛かりになるような知識を拾いたいだけ。
>>394 >
>>393 > ねぎらいの言葉。しかと賜りました。
本当に通じない人ですね。あなたには公案ごっこも無理でしょう。
>
>>392 > >髑髏チャンのは仏教じゃないみたいだね。
> 仏教のイロハのところです。
なにが「イロハ」なのか、みんなにわかるように言葉で説明してください。
>>395 >このスレのお題は「空」なんだけど。
>中論をめぐる話に戻してほしい。
そうでしたね。そういう事を中心にスレを展開したほーが宜しいと思います。
「涅槃寂静」も、話の流れで参加するようにしましょう。
では「中論」お願いします。
「空」とは何ぞや?
私であることもない。
私でないこともない。
その両方であることもない。
その両方でないこともない。
そう言うことじゃなくて、少し理論史に沿ってやってほしいんだな。
400get
>>399 なかなか注文が難しい(w
貴殿がタタキ台を提示しては如何でしょうか?
401 :
ケムール人:02/05/27 15:55
>400
あ、髑髏のおやじ「400get」
く、くやしーっ! (←馬鹿。数字の実体化の典型。ありもしないものに価値を見出している)
おれのこだわり
403 :
名無しさん@1周年:02/05/27 18:28
>ケムール人
ナーガルジュナは「空を」説いたんですかね。
「空とは」などという設問を許したでしょうか。
いろいろなことをあげて「実態がない」ことを証明していっただけでは?
「〜は空だ」というかたちで。
「空とは」という問自体ケロンじゃないかと思うんですが。
「実体がない」ということと、「相互関係で成り立っている」ということ
との論理的な関係を教えてください。
実体がないのに因果関係があるって、本当は良くわからないんですが。
A子という容姿端麗な娘がおりまして、一方・・・
B子という不細工な娘がおりまして・・・
まあ私とすれば、どちらかたいうとB子のほーが好きかなぁ。こんなところでしょうか?
これが私の「空」に関する答えです。
果たして、ケムール人さんはどういう答えをするんでしょうか?
もし議論が噛み合うようだったらレスを展開します。
駄目でしたらこれ以上はしませんが(w
406 :
名無しさん@1周年:02/05/27 22:01
>「空とは」という問自体ケロンじゃないかと思うんですが。
『廻諍論』を先によみましょう♪
「論争の超越」というタイトルで「世界の名著2」に日本語で収録されてる。
さらにチャンドラギルティ-とバヴィヤの論書もおまけとして付いてます。♪
オカルトさん♪みたいに「知識論」が理解できないコマッタちゃんは読んでも無駄☆
407 :
名無しさん@1周年:02/05/27 22:11
>>406 >チャンドラギルティ-
チャンドラキールティだろう。
基本的なことはクリアしましょう。
408 :
ケムール人:02/05/27 22:15
>403 うわー、どうすんべ!!!
これ、無茶苦茶長くなっちゃうよ。
まあいいや、えーい、やっちえ。
なんか来たら、やり返すから(笑)
● ナーガルジュナは「空を」説いたんですかね。
「空とは」などという設問を許したでしょうか。
いろいろなことをあげて「実態がない」ことを証明していっただけでは?
「〜は空だ」というかたちで。
「空とは」という問自体ケロンじゃないかと思うんですが。
えーと、これは基本的には、あなたが言う通りだと思いますよ。
いま、ちゃんと「中論」(本棚の奥に押し込まれて、最近読み返しとらん)
を開いて答えた方がいいんでしょうけど。
●簡単にいうと、ナーガルジュナは「中論」では、「非実体性」と「縁起」を
説いたんだと思います。その世界像(といえない世界像)が「空」ということになるのかな。
だから、最初から「空」というものを実体化して、それを絵解きしたのではないと思います。
ただそれを、一般的に「竜樹が説いた大乗の空」と習慣的に言ってしまうわけですね。
(これもうろ覚えで、すまんです)当時すでに「般若経典」群というのが一方にあって、
その中で、「空」「空」「空」「空」いってるんですよ。
言葉の連なりだけ見ると、それこそ「空」の実体化(笑)。
当然、天才的な思索力を持つ龍樹は、宗教書である「般若経典群」
(これ、いっぱい種類がある。当時の仏教的神秘家が、過去の仏典の人物に託して、
自らの体験を物語化したようなテキストだと思います)の中心的キーワードの明確な定義化、
ということを、仏教の思索家としてもくろんだのではないでしょうか。
要するに右脳的な「般若経典群」の内容を、左脳的な表現に、変えた(笑)。
そういった意味では、「般若経でいう空とはなんだろう?」という設問をし、
その言語的明確化という作業の目論見があったかも知れないと思います。
というより、最初から竜樹は、難解な般若経典の作者たちが、
一体何を言いたいのか、直感的に体験的によくわかっていたわけです。
「空」はケロンではないけど、公共掲示板ですから竜樹の文献でも引っ張り出して
カキコしたほーが無難かもしれませんね。
私とすれば、自分の肉声でレスを付けたいんですが、機が熟すればそういう方向が望ましい。
スレの流れで、コンセンサスを得られるようでしたら深いところまで語りたい。
とりあえずは「無難」なところが宜しいでしょう・・・。
「知識論」の詳しい方。その方法で宜しくお願いします。
410 :
ケムール人:02/05/27 22:21
>403(他の人には悪いけど、続き)
また般若経典でも、金剛般若経だったか、
「空は空であって、空ではない。だから空と呼ばれるのである」
「菩薩は菩薩であって、菩薩ではない。だから菩薩と呼ばれるのである」
というような、わけわからん記述があったかと思うのです。
これは、やはり同様の思考で、実体化を分解するわけですね。
名詞としての「空」とか「菩薩」の実体視を一回崩壊させた上で、
はじめて「空」なり「菩薩」なりが裸形でわかる、ということではないでしょうか。
●「実体がない」ということと、「相互関係で成り立っている」ということ
との論理的な関係を教えてください。
実体がないのに因果関係があるって、本当は良くわからないんですが。
まず、なぜ仏教で「実体化」を否定するかというと、やはり「煩悩」「執着」のエネルギーの集中的投影として、
われわれがある対象(ベンツとか、高級マンションとか、社会的ステイタスとか)を
「価値」化してしまう無意識の習慣があるわけですよね。
ベンツが高級車で、これに乗ったあなたは幸福な一流の社会人なんてのも、
メルセデスやヤナセのマインドコントロールですね。
これが、環境や条件の変化で(たとえば倒産して財産を失うなど)われわれの首をしめることになり、
猛烈な「苦」が生じるわけです。要するに価値観を背景とした葛藤が起るわけです。
しかし、すべては無常であるから、変化するのは当たり前。
その無常の視線の下で見れれば、財産が絶対的価値ではないわけです。
すべてが「相互関係の影響により変化していく」というのが仏教の世界イメージですから。
「実体がない」というのは、もちろん「存在していない」というのではなく、
条件を変えてしまうとすべてが変化する相にある―ということを表現しているわけですね。
モノそのものの中心的コアなんて、本当はどこにもないわけです。
あるように見えても、環境や条件を変えれば、それは存在物の中心的なコアではない。
(つまり、知性のフィクション。名詞がそもそも、ある意図的選択にすぎませんね)
411 :
ケムール人:02/05/27 22:28
>403 (非常識だが、また続き )
また、幾つかの相互依存関係によって、林檎なら林檎が成立している。
そもそも、われわれという主体の知覚力との相互依存関係によって、
林檎の「知覚像」すら、立ち現れているわけですから。
これが、見る側の主体が巨大すぎたり、小さすぎたりしたら、
林檎の林檎たるゆえんはなくなってしまいますね。
知覚現象そのものも、主体との共作による「縁起」です。
「ある条件下でそれがXとし存在して、同時に知覚されている」
という様式のことを言っているわけですね。Xそのものは、わからない。
客観なんて、ない。
「有」でもなく「無」でもない「空」である――というのはそのことですね。
人間は「ダイヤモンド」というものの”本質”を「透明な美しさ」としたり
「硬さ」としたりしている。つまり「本質」という言葉そのものが、
一種の主観的な「文学」なわけですね。つまり、知性のフィクション。
背景に、こちら側の欲求があり、それが対象の中心部で意味や価値などの像を
結んでいるのが、「本質」ということになる。
それ以外に、本質とか実体なんて、ない。
われわれにとって、ベンツの「本質」というのは
「高級車としてのステイタス」であったり、
「乗り心地のよさ」であったりします。
それも一種の主観的な「文学」、虚構、ブランド
というフィクションなわけです。
つまり、知性と感性によるフィクション。
だから、「知覚する」→「大切に思いつつ知覚を反復する」
→「主観的に対象物(ベンツ)の濃度が増してしまう」→
「世にも大切なものとなってしまう」→
「私は、ベンツに乗ってる人物だ!(笑)」
↑
煩悩を背景とした「価値」{意味」を崩壊させて、
「対象と自分」との関係を、内部崩壊させてしまうわけです。
*
412 :
ケムール人:02/05/27 22:32
>403
●「実体がないのに因果関係があるって、本当は良くわからないんですが」
これは覚者でも阿羅漢でもない、単なるケムール人の私はよくわかりませーん(笑)。
また、因果というのも、結局はひとつの視点からの「幻想」だと思いますので。
因果関係といっても、どこにスタート地点を設けて、
どこにゴールを設けるのかにもよるし、それ自体が、
あるテーマによって現象を見ているわけですから。
物理学というテーマに即した因果関係と、
生物学とか社会学とか心理学とかに即した因果関係と
、また違ってきますよね。そんなものの膨大な多次元的因果関係を
総合しながら、現象世界が時間軸に沿って(この時間という考えも
相当あやしい)展開しているとしたなら、これはもう「因果」といっても、
どこまでリアルなものやら。
「A」から「A´」への変化といっても、ある知覚しやすい特徴に
人間が注視して、意識ですでに「編集」して変化といってるわけですよね。
コウモリやイルカは、彼等の知覚によって、人間とはまったく別の自然界の
変化や因果関係を見出している可能性は、十分にありえる。
だからねえ〜。
結局、仏教のポイントとしては、現象における「因果関係」の発見にあるのではなく、
どんなに素晴らしいものでも、「因果関係によって今現在成立しているにすぎないのだから、そこに最終的な価値や意味を見出したり、依存したりしてはいけないよ」というところにあるのだと思います。
結論としては、「実体」概念も人間が化作した虚構であるのみならず、
「因果」概念も、現在の五官を背景として「化作」したものかもしれない。
(←この辺は相当あやしい)
*
413 :
ケムール人:02/05/27 22:35
>403 (終わります。ご迷惑でした>ALL)
――それはともかく、ポイントは、こうした認識論、存在論をレーザーメスとして、
人間の認識の固執病を取り除くことで、執着からはなれ、主体としてのひろがりの
ある無色相への「空」へと至るということが、最大のポイントではないのでしょうか。
(どっちにしろ、「因果」そのものに対する思考は、時代のサイエンスととともに、
より高度で精緻になってしまいますから)
あと……これは余談ですが、「刹那滅」っていう仏教によく出てくる概念と、「因果」の関係も、よくわからないんですよ、私。それを明確に語っている学者の本も、残念ながらみたことがない。
*
だから、すべては覚醒に至るための地ならしであり、「苦」からの治療法としての
思考習慣作りなんですね、仏教の思考法は。
その解放への思考とか、ライフスタイル作りが、「法/ダルマ・ダンマ」ということです
その後でやっと、無思考、非識別知へと至る「禅定」→「知恵」へと入っていくわけです
あと、細かいことだけど「実態」でなくて、「実体」ね(笑)。
*
ケムール人にわかるのは、ここまで、あるよ。
あとは、このスレに棲みつく「覚者」や、「涅槃寂静」体現者、
もろもろの賢者に、聞いてちょーだい(笑)。
>ケムール人さん
大変勉強になります。
日頃いちばんわからないと思っていたのが、最後の質問(実体がないのに
因果関係があるって…??)だったのですが、凡夫としてはわからなくても
おかしくないと言うことのようで、少し安心しました。
因果関係の認識と言うのは、無常ということを真に明確に知るプロセスで
出てくる現象ぐらいの意味なのでしょうか。
一刹那一刹那、生じては滅するリアリティというものを明確に知ることが
出切るほどの人にとっては、因果関係と言うのはもう意味がないということ
でしょうか。「薫習」なんてことももうないでしょうし。
無常と言うことを前提とした上で、因果的に生起すると言われる現象世界には
客観的な実在性はあるのでしょうか。それは意識とは独立に生起するもの
なのか、つまり、早い話が物質性はあるのか、それともあくまで意識の世界の
なかの出来事なのでしょうか。
林檎は人間にとっては林檎で、バクテリアにとっては糖だとかアミノ酸以上の
ものではなく、巨人にとっては砂粒でしかないとして、また、昨日泥だった
ものが今日林檎になり、明日また別の泥になるとして、それらに共通する
いくつかの元素が、つねに組み合わせを変え現れ方を変えながらも、客観的に
存在しているといえるのでしょうか。
お暇があったら、ぼちぼち教えてください。
415 :
ジョン・オノ・レノン:02/05/27 23:27
Living is easy with eyes closed misunderstanding all you see...
う〜ん、成る程。さすれば「一如の法門」は認識(色)で全てが説明できるのですね。
なかなか貴重な御意見です。
私とはかなり考えが違いますが、せっかくケムール人さんがレス付けてくれましたから、
この流れで考えて逝きたいと思います。
私の考えは、今のところ差し控えておきます。
随分、今日は夜更かししてしまいました(w
418 :
名無しさん@1周年:02/05/28 00:07
419 :
名無しさん@1周年:02/05/28 00:12
>>418 違うけど、もう放っておきなよ。めんどくさいし。
>>418 認識する→見る(形のあるものが色というよりも確認した「識」が「色」ですね。
同じように、聞く、味わう、触る、嗅ぐもそうです。
まあ、そこんとこはどーでも良いよメンドイ。はっきり逝ってメンドイよ(笑
421 :
名無しさん@1周年:02/05/28 07:45
またトイレか?
縁起の理法にのとって、現象となったものを「見たり」「触ったり」して確認している。ということなんだろう。
あたかもスクリーンに映った映像のように。これが縁起の妙というやつなんだろう。
ここが唯物論と大きく違うところだと思う。
たぶん
>>419さんの発想は、マルクスエンゲルスに近いのではないか?
唯物論と、ごっちゃになって混沌としている。
唯物弁証法は、相対するものをその都度選択していく。その繰り返し。
際限なく続けられる。
この考えは、ある種合理性を持って受け入れられた。
既成概念がそれを受け入れるベースになっていたからだと思う。
424 :
名無しさん@1周年:02/05/28 09:08
>>410 龍樹はハッキリ「空」を思想として説いております。
『金剛般若』は「空」(s'u~nya)という言葉を用いない経典です。
念のため。
425 :
ケムール人:02/05/28 10:12
>424
はー、そうでしたっけ。
不正確ですんませーんー(w)。
426 :
名無しさん@1周年:02/05/28 10:23
空とは、有るもの無いものを全て受け入れた姿。
だと思う。
427 :
ケムール人:02/05/28 10:32
>414 :403
かーなり、難しいところに入り込んできてしまいましたねえ(笑)。
「2ちゃんねる」で、こんなことやっていいのかなあ、という感じ。
やっぱり、「2ちゃんねる」の掲示板は、不朽の名作スレ「集え!/あつまえ!」のような神々しさがないといけないのかなー。と
しかし、これはそもそも最初の「空」スレの設定者が、悪い!(笑)
…と、責任転嫁しておいて、ちょっと、思考の筋道を整理してみましょうか。
403さんは、
@無常の世界における現象や、自我の「空=無我」は納得する。
A「現象=無我」だから、拠り所にできるような不変の価値がなく、
実体を持たないわけであるから、その生命世界の全体構造が「苦」であると
了解し、厭離して「法」へ向かうというプロセスも納得する。
「苦・集→滅・道」
Bしかし、それはそれとして、外的物的存在は「客観的に」存在しているや、否や。
その外的存在を支配している「因果関係」は存在するや、否や。
そもそも、仏教ではどう説くのか。といったようなあたりの疑問でしょうか。
ご質問のポイントは、以下の部分ですね。
●「因果的に生起すると言われる現象世界には(ア)客観的な実在性はあるのでしょうか。それは意識とは独立に生起するものなのか、つまり、早い話が物質性はあるのか、
(イ)それともあくまで意識の世界のなかの出来事なのでしょうか。」
428 :
ケムール人:02/05/28 10:37
仏教の「認識論/存在論」としては以下の二つの典型的な考え方があるのではないでしょうか。
■a「喝ーっ!」コース → それは修行を妨げる戯論である
客観的存在「X」などというものは、あろうがなかろうが、どうでもよろしい。
問題は、「苦」を超えることである。すべてが「縁起」によって成立していることは
間違いない。世俗のもろもろの価値は、われわれの煩悩と知性が野合して捏造したも
のであるから、そこに喜びを見出したり、意味を見出すべきではない。
「存在or非存在」の思考は、戯論である。そんなことより、「四諦・八正道・十二縁起」
「六波羅密」を理解し実践し、禅定に努めよ! 喝ーっ!
■b「夢幻」コース → 欲六界に、客観的な実在性などない
客観的存在「X」は、そもそも存在などしていないのである。唯識哲学の「二空」で
説くように、われわれの自我も「空」であるならば、対象物も「空」である。
この場合の「空」とは、中観派でいうように「縁起」「無我」として実体性がない
という意味で理論上「空」であるのみならず、もともとほんとうに、存在など
していないのである。つまり「識」(一瞬一瞬の知覚体験)としてしか、
知覚されないのである。まさに「唯心」であり「唯識」である。
そして何者かの「知覚」を超える「存在」など、断じてない!
現象世界とは、どれほどリアルにもっともらしく見ようが、
われわれの「業」の描く魔法のような世界である。
映画のスクリーンの映像である。欲六界そのものが、
なんと、このような構造を持っているのである。
429 :
ケムール人:02/05/28 10:38
(続き)
しかし科学者がしているように、個々の因果関係を綿密に調べ上げ
分析していけばいくほど、それに対応した微細な因果関係世界の曼荼羅が、
いくらでもあらわれてくるので、われわれは説得されてしまうのだ。
しかしこれもまた、われわれの知性の自作自演のトリックである。
この世界は、すべてアーラヤ識の描き出す「夢」の世界である。
マーヤーの織物である。中有や夢の構造と、なんら変わりはないのだ。
例えこれをオカルトといおうが、そもそも現代物理学は、
ますますわれわれの主張を補佐していく方向にあるではないか。
物質とは、空間の歪みだという。波動だという。
その空間の変態作用を、われわれの知覚は「モノ」として認識しているのだ。
しかるに欲六界とは、映画「マトリックス」の世界である。情報の投影である。
さあ、この「夢」から覚醒しよう!
・南伝のテーラヴァーダ仏教、禅系、チベット仏教ゲールク派などは、
どちからというと、a「喝ーっ!」コースっぽいですね。
・ヒンズー教、チベット仏教カギュ派、ニンマ派などは、b「夢幻」コースっぽいです。
まあこれは便宜上で、実際には「待機説法」で、ときと場合にあわせて適当に合成していると思います。仏教では、唯物論はとりません。
*
(ひとりごと)
しっかし、たまっている仕事をほおっておいて、
こんなことやってるわしって、なんやろ?
2ちゃんが身を滅ぼすって、ようやくわかってきたような……。
しゅうーにゃあーたあ〜〜あ〜あ、……脱力(w)
文献派が、同じよーなコースで悩み苦しみますね。
哲学では越えられない一線というのは、こういうことなんかと思います。
私としても、たぶんスレの流れはこういうふうになるかと想像しておりました。
まさに的中しております(w
この論法を延々続ける訳です。弁証法みたいに。
私としても、何らかの答えを見出せれば宜しいかとはおもうのですが、いかんせん難しい。
とどのつまりは、八図に帰結するのかなぁ?なんて事を考えてしまいます。
431 :
ケムール人:02/05/28 11:02
>430
あーのーなあ〜。
あんたは、ほおーんと、楽でえーえわなあ〜。
……脱力。
認識論、存在論は八図で大きく変わるかと思います。
色即是空、空即是色。この認識も大きく変わるかと思います。
いわゆる「プロセス」として思推しがちな「空」「色」の捉え方が一気に八図で変わるかと思います。
この流れとして「涅槃寂静」があるかと思います。
「存在」という認識自体が淘汰されるのではないでしょうか?
433 :
名無しさん@1周年:02/05/28 11:13
「存在」という認識自体が淘汰されることすら受け入れる許容。
これではないかと。
>>433 そうかとおもいますね。つまり・・・
世界は常住であるかどうか。
世界は無常であるかどうか。
世界は有限であるかどうか。
世界は無限であるかどうか。
これは全て「無記」でして、相対立するゆえ結論でるまじ迷うばかりなり。ということでしょう。
これを超越したのが円相そのものかと思います。
435 :
名無しさん@1周年:02/05/28 11:30
髑髏注意報発令!
>432-434
すべて髑髏。
436 :
ケムール人:02/05/28 11:36
>435
だろーね。
かわいーとこ、あんのよ。w
437 :
名無しさん@1周年:02/05/28 11:37
>>434 すばらしい。
覚るとは全てを受け入れ、全てを認めることだと考えております。
無も有るのうちであり、空を受け入れ、空を認める。
これこそ空の姿かと。
438 :
名無しさん@1周年:02/05/28 11:37
はい
>>433さんは、私ではないよ。
逝っておくけど・・・・。
440 :
名無しさん@1周年:02/05/28 11:45
髑髏注意報発令!
>437-438
髑髏の自作自演。ただし別人格だそうである。
441 :
名無しさん@1周年:02/05/28 11:48
442 :
ケムール人:02/05/28 11:51
>437 :名無しさん@1周年
>438 :名無しさん@1周年
どうせこの辺も髑髏ちゃんの自作自演なんだろーけど。
これさあ、このまま認めちゃうと、悪しき意味での「本覚思想」になるんじゃないか?
お釈迦さんなんか、もともと存在しなくていいような世界。
要するに、日本の仏教に、なーんとなく漂っている゜
「これで、いいのだ!」のバカボンパパ仏教。
それに大体、
438 :名無しさん@1周年 :02/05/28 11:37
はい
って、なんだよ。
誰が誰にいってんの?
>>437 涅槃寂静というのは、やはりこのことかと思いますよね。
観念的思推ではどーにもならないかとおもいますよ。
444 :
名無しさん@1周年:02/05/28 11:56
>>442 分かってておっしゃっているのだろうけれど、念のため。
438の部分は
髑髏がハンドルネームを換えるのを忘れたために、誰が誰がに言っているのか
分からなくなっている。
髑髏にはハンドルネームの換え忘れは多い。
445 :
名無しさん@1周年:02/05/28 11:57
446 :
名無しさん@1周年:02/05/28 11:58
447 :
ケムール人:02/05/28 12:00
>445 そういう芸当、しない、あるよ
448 :
名無しさん@1周年:02/05/28 12:01
>>444 >誰が誰がに言っているのか分からなくなっている。
「誰が誰に」の間違い、スマソ。
449 :
名無しさん@1周年:02/05/28 12:06
なんだかなー
自作自演とわかって煽るから面白いのに
酸欠キミになったカレー
>>442 >これさあ、このまま認めちゃうと、悪しき意味での「本覚思想」になるんじゃないか?
ケムール人さんの自論をドンドン展開してもらって、スレを盛り上げて下さい。
まだ結論が出た訳ではないでしょうから、そのうち私も議論を展開します。
「現象するものには実体がない」(カントの「物自体」があろうとなかろうと)、
ということを「空」といっているのだとすれば、
「空とは」(これこれである)とか、
>>437「空を」受け入れ、「空を」認める。これこそ「空の姿」
なんてことは、不用意に言えなくなるはずじゃないか、というのが
私
>>403の問題意識だったんですが・・・
議論の流れを、(オナニー大会から)、言葉の限界をわきまえた上で限界いっぱい
言葉によって表現する方向に、変えたいということも、願っていたけど、
難しいようですね。
ケムールさんは以前、「思考法」によって悟ることが出来るはずとも言われた。
私ははじめ懐疑的でしたが、「思考習慣作り」という意味ならそうかもしれない
という気がしてきました。
>>413 > だから、すべては覚醒に至るための地ならしであり、「苦」からの治療法としての
>思考習慣作りなんですね、仏教の思考法は。
という意味で。
もとより、「最後の詰め」は言葉を超えたものでしょうが、大事な
ことは場所をわきまえることなのでしょう。
言葉だけの場所で没論理にふけってはいけないと思います。
絶対的な空間と言うのは存在しないわけだし。
イエスが喩えをもちいて語る理由を述べていますが、ああいうのは
濃密な師弟関係の空間でのみ有効だと思います。
452 :
名無しさん@1周年:02/05/28 15:09
髑髏仮面さんにはさ、悪しき本覚思想よりもこっちのほうを、もちょっと
深ーく展開してほしいですね。このスレ一の傑作レスかと。
>>405 :髑髏仮面 :02/05/27 21:37
> A子という容姿端麗な娘がおりまして、一方・・・
> B子という不細工な娘がおりまして・・・
> まあ私とすれば、どちらかたいうとB子のほーが好きかなぁ。こんなところでしょうか?
>
> これが私の「空」に関する答えです。
> 果たして、ケムール人さんはどういう答えをするんでしょうか?
>>452 縁起により、容姿端麗の娘もいれば不細工な娘もおります。
「どちらが好きか?」。これも縁起です。
縁起によって結ばれることもあります。
そこに実体があってもなくとも、それが「空」ですね。
つまり「空」といのは、「色」と離れた関係でなくて殆ど一体?是を「空」かと思います。
ですから・・・・
> A子という容姿端麗な娘がおりまして、一方・・・
> B子という不細工な娘がおりまして・・・
> まあ私とすれば、どちらかたいうとB子のほーが好きかなぁ。こんなところでしょうか?
このものズバリが「空」でしょう。
現象面は「色」であっても、これが「空」なんでしょう。ですから難しいのかもしれません。解釈が・・・。
>>451 私の考えの意味が不明とか、全然違うよとか、認められないなど
全て空であると私は言いたい。
議論し、受け入れることも空であり、受け入られないことも空であると。
議論しても答えがでないのは、議論そのものが空であると。
また、生きるも死ぬも空であり、善しも悪しも空であると。
物凄く都合の良い考えだが、私は納得している。
455 :
名無しさん@1周年:02/05/28 16:03
>>454 それでも批判されると反論したいと言う押さえがたい欲求が
生じますね。
空だと言うのは簡単だが、空をつかむような話。
議論そのものが空だといいながら、議論をやめようとはしない。
だからこそ、「空」という言葉のイメージで分かったつもりに
なってはいけないと思う。
「空である」ということの構造を理解する努力が必要のはず。
456 :
名無しさん@1周年:02/05/28 16:08
>>453 「容姿端麗」と「不細工」には実体があるんだ。
難しいね。
どうしてA子をえらばずB子のほうを好むということが
「空」になるのかさっぱりわからないんですけど。
そういうのは空じゃなくて「趣味」というんじゃないんですか。
457 :
名無しさん@1周年:02/05/28 16:12
>>453 >そこに実体があってもなくとも、それが「空」ですね。
実体がないことが空じゃなかったんですか?
>つまり「空」といのは、「色」と離れた関係でなくて殆ど一体?是を「空」かと思います。
あなたのいう「色」の意味(定義)を説明してください。
>>455 言いたいことは良くわかります。
しかし、どうでしょう、構造を理解は哲学や思想家に任せては。
悟るとは、心の問題だと考えてますが、あくまで私なりにですが。
>「空」という言葉のイメージで分かったつもりに なってはいけないと思う。
私はそんなもので良いと思ってます。
わかって理解しても、人の役に立たなければ意味がありません。
若く体の自由があるうちに、行動したほうが良いと思います。
おそらく「空」の答えが見つかるのは一切の自由が奪われた時ではないでしょうか。
459 :
名無しさん@1周年:02/05/28 16:21
.
>一刹那一刹那、生じては滅するリアリティというものを明確に知る
刹那滅は有部・経量部・唯識瑜伽行派は肯定する立場です☆。
一方、中観派はこれには否定♪
中観派のように「刹那滅」を否定し、且つ 「無自性・無実体」を主張するするとどういうことになる?♪。
現象が成立しない。
一切が変化しない。
因果も時間のない氷った世界。
どう? オカルトな世界でしょ♪
コピペデスカ
>>456 >「容姿端麗」と「不細工」には実体があるんだ。
実体というより、眼球に映された「像」でしょう。実際は分からん像(しゃれ)。
>どうしてA子をえらばずB子のほうを好むということが
>「空」になるのかさっぱりわからないんですけど。
相対概念による選択で「色」ですね。それで選びます。
つまり「選ぶ」というのは、なんらかの縁起がある訳ですよ。
昔の彼女に似てるとか?もともと狐顔が好みとか?
選択する手法の段階には、それ相応のプロセス(因果縁起)がある訳ですから、
それを全部ひっくるめてその「果」として選択するわけです。
ですからそれも縁起、「空」です。
>そういうのは空じゃなくて「趣味」というんじゃないんですか
趣味も結果の所産ですよね。これも縁起「空」ですよ。
462 :
名無しさん@1周年:02/05/28 16:28
>「現象するものには実体がない」(カントの「物自体」があろうとなかろうと)、
ということを「空」といっているのだとすれば、
ど〜みても♪
これは中観派の認識ではなく経量部の認識に近いです♪
>>457 >実体がないことが空じゃなかったんですか?
「有る」「無い」の未分化。
つまり、有るでもないし、無いでもないし、両方有るでもないし、両方無いでもない。
>あなたのいう「色」の意味(定義)を説明してください。
知覚できるもの全て。
眼球に映る像とか、音楽、発音、触覚、味覚とかそんなもんでしょう。
>>26 今日、ここに初めてきました。
最初の方しか読んでいませんので、誰か答えておられるかも。
ゼロ=絶対0
空は何もない状態ではあるが、その中に、何か生まれる要素を含む。
識は空、識は色を生む。
識と業。
コピペデスカ
466 :
ホーキング博士:02/05/28 17:01
ブラックホール
ブラックホール
ブラックホール
467 :
ケムール人:02/05/28 17:08
>459 ♪ 子先生!
☆ここ面白そうだから、もう少し展開してください。♪
>>458 >おそらく「空」の答えが見つかるのは一切の自由が奪われた時ではないでしょうか。
一行の文脈からだと判断しかねるが、何らかのアクシデントとよる「気づき」というのは肯定的に捉えております。
つまりは、既成概念を瞬時破壊した瞬間ですね。
哲学用語の「直覚」というやつですね。
つまり、認識をはるか超えた「覚」ですね。
認識というのは、やはり限界というのはあるでしょう。
469 :
名無しさん@1周年:02/05/28 17:24
>>461 >
>>456 > >「容姿端麗」と「不細工」には実体があるんだ。
> 実体というより、眼球に映された「像」でしょう。実際は分からん像(しゃれ)。
で、その「像」には「容姿端麗」や「不細工」が固有なものとしてあるわけ
ですね。「容姿端麗な像」や「不細工な像」が客観的に存在しているというわけで
すね。
「眼球」が実在するかまでは問いませんが、
あなたによれば、人が「縁起により」容姿端麗に生まれたり、不細工に生まれたり
するそうですが、「容姿端麗に」見えることや「不細工」に見えることは
縁起の外にあるわけですか。
>>468 人のことですので、絶対はありません。
やれる事からやるというのが私の考えです。
数字に限界があるか、という問題で、ある訳がないとも言えるし、数字の
概念その物が間違っているとも言えます。
なにが正しいかは、その時の判断で決めるしかないと思います。
認識の限界が神や仏なのかも知れません。
>>469 >容姿端麗に」見えることや「不細工」に見えることは
>縁起の外にあるわけですか。
「縁起の外」とか「縁起の内」とか、そういう分別はありませんでしょう。
また、そういう発想自体の意味が分かりませんが・・。
「像」というのは「結果」かとおもいますよ。またそれが「因」にもなるんでしょうけど。
つまり女性は、眼球に良く映像?が映るように化粧をほどこすんでしょう。
もともとは狸顔かもしれませんよ。しかし化粧したそのものが映るんですから、
よもやその中身が「狸」とはおもわんでしょう。それが人間というんじゃないでしょうか?
「狸」であることを「知る」のは、化粧した女性自身でしょうから、
まあ、女性というのはそのてん騙す智慧というのは内在していると言わざるをえません。
どうでしょうか?
472 :
名無しさん@1周年:02/05/28 17:44
> 「縁起の外」とか「縁起の内」とか、そういう分別はありませんでしょう。
> また、そういう発想自体の意味が分かりませんが・・。
そのとおりです。わからないのはこっちのほうですよ。
だから聞いているのです。
分別してるのはあなたのほうだと言うことにも気づきませんか?
あなたの理屈だと、縁起の外にあることになってしまうと言っているのです。
あなたは自分で言っていることの意味も全くわかっていないようですね。
「容姿端麗」「不細工」ということを無前提的に扱っているのはあなたで
しょう。
473 :
ケムール人:02/05/28 17:46
>471
もともとは狸顔かもしれませんよ。しかし化粧したそのものが映るんですから、
よもやその中身が「狸」とはおもわんでしょう。それが人間というんじゃないでしょうか?
「狸」であることを「知る」のは、化粧した女性自身でしょうから、
まあ、女性というのはそのてん騙す智慧というのは内在していると言わざるをえません。
どうでしょうか?
髑髏和尚の禅問答も、佳境に入ってきてどうやら怪談じみてきたなあ。w
しかしこれは「空」とか「縁起」とかいうより、
「業」というテーマやねえ。
474 :
名無しさん@1周年:02/05/28 17:47
酔っ払いオヤジに禅問答を禁止する法律を作ってほしい。
>>470 >数字に限界があるか、という問題で、ある訳がないとも言えるし、数字の
>概念その物が間違っているとも言えます。
大事なことは、既成概念というのを一端壊してみる。ということなんでしょう。
最も合理性があると思われる「数字」においても、やはり概念自体に柔軟性というのを持つことが肝要かと思います。
そこのところが、やさしいようで非常に難しいのかと思います。
476 :
ケムール人:02/05/28 17:52
>474 いやあ、それを言うと「メディア規制法」になっちゃうから。w
477 :
名無しさん@1周年:02/05/28 18:01
>もう少し展開してください。♪
中観派の「刹那滅は無眼遡及になる」という、つっこみが入って☆
それ以来世界は、生じることもなく滅することないままになちゃたみたいね♪。
>>474 >分別してるのはあなたのほうだと言うことにも気づきませんか?
説明するには全部分別しますよ。
「良い女」「悪い女」。これも分別ですし。
それを選ぶのも分別です。
ですから、私がわざわざ「分別」を設定して「容姿端麗」「不細工」をマナ板の上に乗せたのです。
これを選択(分別)するのも、わざわざそういう設定をしくんだんですよ。
「化粧する」「化粧しない」これも分別です。すべて「分別」のオンパレードですよ。
しかしながら、この分別もいわゆる「空」。無分別というのを説明しているのです。
>>475 普通はそこまで考えなくても、主要先進国である日本では
充分幸せに暮らせるはずなんですが・・・
数字を壊して得るものが大きければ壊すべきでしょう。
数字も人が創ったものですし、絶対とは言い切れませんから。
480 :
名無しさん@1周年:02/05/28 18:04
>>458 > しかし、どうでしょう、構造を理解は哲学や思想家に任せては。
前に出た「思考習慣」をつけていくためには必要だと思います。
>わかって理解しても、人の役に立たなければ意味がありません。
なぜ人の役に立たなければ意味がないのでしょう。
当たり前のことだといわれるかもしれませんが、そこまで考えて
おかないと、本当に人の役に立つことも出来ないだろうと思います。
481 :
ケムール人:02/05/28 18:08
>477 ♪
あれさー、仏教の「刹那滅」の概念て、
どの辺から入ってきてんの?
「無常」概念の微分化?
それとも、もともとインド的思考にあったわけ?
☆★☆★☆★☆
(刹那滅)
482 :
名無しさん@1周年:02/05/28 18:12
>>477 刹那滅は最近の物理学で証明されたと聞きましたが。
>>480 なるほど。
「思考習慣」をつけていくためには、けして無駄ではないですし、
それぞれの考えで行えば良いと思います。
結果がでないと人の役に立てない訳でもないはずですし、今何か
できることは無いか、それも考える必要があると思います。
人の役に立たなければ自己満足だけで、議論する必要も無いのでは
ないでしょうか。
484 :
名無しさん@1周年:02/05/28 18:15
上座部の人はヴィパッサナを徹底的にすれば、
刹那滅は手にとるように見えてくると言ってました。
485 :
ケムール人:02/05/28 18:19
>484
ということは、
釈迦生存か、その直後あたりの上座部の
体験的知恵から、「刹那滅」はすでに出てきている――ということですか?
486 :
名無しさん@1周年:02/05/28 18:23
>>483 仏教はもともと、自分が苦から救われることが目的だったのでは?
人の役に立つことがどうしてそんなに必須なのかわかりません。
自己満足でも、本当の本当に満足できていれば、人に害を及ぼすこと
もなくなるでしょう。むしろ、それだけでもまわりにいい影響を
及ぼすはずです。
この世の害悪のほとんどは、みんなが自己満足できないことから
生じています。
自分が本当に自由でなければ、他者を幸せにすることなど出来ない
のでは?
487 :
名無しさん@1周年:02/05/28 18:23
刹那滅(の理論)→非仏説☆
部派アビダルマの捏造(と思う)☆
刹那滅の論証→うまくいったとは思えない♪。→中観派の勝ち→戯論寂滅→オカルトの誕生♪
>>486 このように、考え方の違いは何処にでもあります。
この違いを解決することを優先するか、それより
人のために何かできないのか、それぞれ自分の思う道を
歩むべきでしょう。
私ができなくても、貴方にならできるかも知れません。
人を思う気持ちは同じだと信じます。
489 :
名無しさん@1周年:02/05/28 18:48
>>488 たしかに、勝ち負けのようなことにこだわって議論するならそうかもしれ
ませんが、ここでの議論もいろんな点で役に立ちます。
違いを解決する必要はないですが、議論することは無意味ではないと思います。
あなたは人のために何かをすることに関心があるかもしれません。
一方私は、自分自身のために何かすることに関心があります。
自分の心が安定しておらず、怒りっぽく、嫉妬ぶかく、欲張りで、ひとの
幸せを心から喜べないような状態であるならば、
それをごまかして、「人のため」と称して何かしたとしても、その場限りの
ことで、偽善に終わるだけでなく、相手のためにもならないと私は思います。
490 :
ケムール人:02/05/28 18:52
>487
有部アビダルマとか「倶舎論」てのはさあ、
なんでそんなに「刹那滅」にこだわったわけ?
たとえば「無常」概念だったら凄く日常的に体験できて、
「無常」が「苦」を生じるというのはわかるし、必要な思想だと思うけど。
そういうおざっぱでマクロなレベルでなくて、
生活にはほとんど必要のない「刹那」という概念での「滅」の論証というのは、
なぜそんなに必要だったんだろーか?
やはり、上座部的な修行体験内容の言語化ということ?。
491 :
名無しさん@1周年:02/05/28 18:54
素粒子論でしたっけ、私はオカルト本でちょっと
みただけだけど、素粒子が一瞬一瞬生じては消えしている
とかいてありました。
しかも、観察されるとその影響を受けるそうです。
ただ、観察している(他に働きかけはしない)だけで、その
影響を受けるそうな。
あくまでトンデモ本の知識ですが。
自分自身の心の安定が必要と思い、そのために悩み努力し
前へ進もうとすることは大切です。
自分が安定し、人助けにその教訓が活かせれば尚良いと思います。
正直、偽善すらできない人も入る中で、自分には何ができるか私は
考えてます。
相手の気持ちは解りません。ただ、必要としている物を送るだけです。
494 :
ケムール人:02/05/28 19:05
>491
かなり唯識論的になってきますよねえ。
要するに「識」そのもの、
あるいは「アーラ意識」そのものが、”刹那滅”している。
*
「アラヤ識の刹那滅を否定すれば、アラヤ識はもはやアートマンに等しくなる」
↑
これあるサイトのコピペなんだけど、ちょっとギョッとしますねえ。
495 :
名無しさん@1周年:02/05/28 19:10
.
刹那滅オタクは有部より経量部の方が重症☆。
刹那滅の捏造は無我の論証・理論化のための要請☆
無我VS有我 の仏教外部(バラモン系哲学諸派)論争の発生☆
つきなみだけど♪
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497 :
名無しさん@1周年:02/05/28 19:13
.
>「アラヤ識の刹那滅を否定すれば、アラヤ識はもはやアートマンに等しくなる」
必死で「刹那滅の論証」がはじまっちゃうわけね・・・・♪。
498 :
ケムール人:02/05/28 19:18
>495 >484
なーるほど。ここで、
@刹那滅の捏造は無我の論証・理論化のための要請☆
という ♪ 子説と、
A上座部の人はヴィパッサナを徹底的にすれば、
刹那滅は手にとるように見えてくる
という「484 :名無しさん@1周年」説が、
並んだわけだな(笑)
499 :
名無しさん@1周年:02/05/28 19:21
>>494 トンデモ本によれば、熟読した訳ではないですが、
物質と意識の共通の元素に当たるのが、刹那滅を繰り返す「素粒子」で、
人間の意識による観察が物質世界に影響を及ぼすのもそれゆえ。
この明滅と観察者と対象の相互干渉関係が、無常ということの本質だそうな。
この理屈を前提とすると、深い瞑想によって心の働きが寂滅すれば、
心の元素たる「素粒子」の刹那滅だけが見えるということになるかも。
500 :
ケムール人:02/05/28 19:28
>499
ということは、(この説をそのままとるならば)
上座部の冥想家は、禅定で、
「深い瞑想によって心の働きが寂滅し、
心の元素たる「素粒子」の刹那滅だけが見えてきた」
にもかかわらず、
その言語的論証に失敗して、論争に負けた――
ということになるんでしょうかねえ?
501 :
ケムール人:02/05/28 19:32
>500 :ケムール人 :02/05/28 19:28
あ、500ゲット〜ッ!!! ← 数字の実体化のバカの典型。
502 :
名無しさん@1周年:02/05/28 20:00
500と501のどっちが尊いか?
まず、零というものの空性をよりよく現しているのはどちらか。
500は5百にすぎず、0は無に過ぎない。
501は、0が無であるとすれば51になってしまうから、
0は無ではない。かといって有でもない。
よって500より501が偉い。
503 :
名無しさん@1周年:02/05/28 20:04
>>491 >>499 横レスです(^^;
>しかも、観察されるとその影響を受けるそうです。
>ただ、観察している(他に働きかけはしない)だけで、その
>影響を受けるそうな。
正確な話は、●ハイゼンベルクの不確定性原理
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity3055.html です。
観察する「だけ」という表現がトンでものネタにされる問題で、素粒子
レベルの微細なものを「観察する」には「観察するためには必ず対象物に
働きかける(エネルギーを与える)必要があり」
(モノを見るという場合は明かりで照らす等から類推してください)
そのエネルギーが「だけ」どころか素粒子の状態に無視できないほどの
影響を与える。というものです。
より具体的には、素粒子の「位置」と「運動量」を互いに影響を与えずに
観測できない。 「時間」と「エネルギー」を互いに影響を与えずに観測
できない。等々
また、この「影響を与える度合い」はきちんと定量化されてて、
むちゃくちゃ極微量 プランク定数(6.626×10-34ジュール・秒)以下です。
顕微鏡程度で見える通常の固体・気体・液体、という多数の素粒子
(100μm角の固体なら10の18乗程度の原子×含まれる数百の素粒子)
の集まりである、「モノ」への影響は、それこそ観察が困難な領域でしょう。
504 :
ケムール人:02/05/28 20:54
>487
中観派の勝ち→戯論寂滅→オカルトの誕生♪
あのさ、さっき読み飛ばしちゃったんだけど、
♪ 子解釈だと、中観派は「オカルト」になっちゃうわけ?
>>495 >>484 前にどっかのスレでも書きましたが、どっかの偉い学者さん達が、刹那滅の成立背景を
語っております。
上記二者とは全く違う内容であります。
自分たちなりの結論を求めたいと言われればそれまでですが。
506 :
名無しさん@1周年:02/05/29 01:49
>>503 素粒子がつねに生滅しているというのは、事実なんですか?
507 :
名無しさん@1周年:02/05/29 02:11
刹那滅は、意識が連続しないという意味じゃないんですか?
意識の断絶は、今を実感する系統の、
瞑想を精密に行っていくと体験できます。
思考が、次々に浮かび上がってくる事を言っているのではなく、
それを観察する意識に断絶というか空白があります。
↑ これ、真我を信じてる人たちはすごく嫌がりますよね。
イメージ対象、記憶対象の瞑想では途切れは判別できないでしょう。
寂滅の状態では、想 行 識を
「わたしはこれではない、これはわたしではない」
と滅している意識が最後まで残ります。
私を構成している物は五蘊ですが、
五蘊それぞれは、私そのものではありません。
どうしても、否定する意識、見る者が残ります。
えっと,学問的にどうすか?
508 :
名無しさん@1周年:02/05/29 02:53
♪の、ネーさんに
叩かれると思いますけど、
五蘊厭離の際
「わたしはこれではない、これはわたしではない」
↓
「これはわたしではない」
↓
「 ない(≒NO) 」
↓
人によって、違う。わからん
定が深くなるに従って、
複雑な意思ができなくなります。
ない までは誰がやっても同じだと思います。
最後は、自分の時は、戻ってきました。
わるいことはせずに、よいことをしなさいよ。
このラインに沿うので まっいいや と思っているんですけど。
見るもの を使う際は、また別の方法を使います。
我ながらオカルト爆発ですね。
仕事大変で寂滅どころじゃないのに、こんな夜更けまで。
おやすみなさい。
さあ、これから禅定をするぞ!!と意気込みますと、それでも心は動きます。
座っている自分と、それを見つめる自分。本来ですとあまりよくない。
あまり良くないけど、それに拘るのも、もっと良くない。
私は、そういった経験側測から自然に禅定に入る事に心がけています。
茶の湯の延長で、心の静まった時とか、ある程度のスタンバイ状態というのは大切なんでしょう。
基本的には「如来の姿そのまま」。主体もなければ、客体も非ず。心が有っても良いし、心が無くても宜し。
× 経験側測
○ 経験測
511 :
名無しさん@1周年:02/05/29 06:33
>>506 モノによります。 & 見方によります
陽子・中性子(原子核の質量の大半)
電子、、 、寿命は○○億年といった単位
光子、、、単独寿命は上と同じぐらい(だったような?)
ただし色々な素粒子の相互作用、エネルギーのやりとり
(主として電気力)に際して素粒子の間で互いに交換
される。この意味ではつねに生滅しているとも言える。
他、省略、、寿命が10−○○秒 という素粒子は珍しくない。
見方による、場合
実は寿命と言った場合、寿命の確率しかわからない。
ここで普通の意味の確率と違うのは、○○村の平均寿命は△△歳という
統計的な数字だけではない。ということ。
10の○○○乗個の素粒子の寿命の確率(平均寿命)と、
たった一個の素粒子の寿命の確率は同じ。これは時間とエネルギーを
同時に別々に測定できない(不確定性原理)ことにもよる。
乱暴な言い方をすれば、寿命が○○億年の陽子が、本当に生きてるか
死んでるかは、殺す(観測する)してみないと判らない。観測した時点で
生存確率が収束し、寿命が決定する。 その意味では「生滅」の中間状態
と考えても良い。(陽子の寿命は長いので大抵生きているが)
もっと、判りやすい例は「シュレディンガーの猫」というのを検索かけて
調べてください。
遅レススマソ。
髑髏さんレス有難う御座います。
あれから数日後、昨日やっと空が理解できました。
そのレス聞いた時は、うーん?まあ理性をからっぽにするには
そのアドバイスでもいいかな・・程度だったのですが、
今は納得です。
>>366の上の2行がそのまんま答えでした。
下の4行は余計に迷わされてしまってました。
自分の・・に自分が意味付けることが迷いで執着と知りました。意味がぷうでした。
それ自体には意味がないのですね・・縁起でゆり動くと言う事がやっとわかりました。
空を言葉で語っても無意味ではないでしょうか。
空を理解すると無意味それ自体が無意味と言うわけではないですが。
これからも髑髏さん、他の皆さんの理性をぶち切れ逆切れさせ続けてください。←方便
結局このスレの皆さんは髑髏さんの単なる暇つぶしの相手ではないですか・・・
>509禿げ同です。
自分それが上手くいかない原因でした。
>>507 横レスです(^^;
> 思考が、次々に浮かび上がってくる事を言っているのではなく、
>それを観察する意識に断絶というか空白があります。
> ↑ これ、真我を信じてる人たちはすごく嫌がりますよね。
真我を信じてる瞑想者(TM)ですが、ちっともイヤじゃないですよ(笑)
学問的(哲学的?)にどうかは知らないけど(^^;
515 :
ケムール人:02/05/29 07:13
>507
>意識の断絶は、今を実感する系統の、
瞑想を精密に行っていくと体験できます
>私を構成している物は五蘊ですが、
五蘊それぞれは、私そのものではありません。
どうしても、否定する意識、見る者が残ります。
面白いですねえ。これは、あれですか、
ヴィパッサナでの体験ですか?
>>512 >「どこ」。是即ち分別で、「どこ」があるのか?「どこ」がないのか?
>分別で考えるところを→無分別。空にて解釈されたし。
>つまり、「どこ」と特定しようとする心そのものが相対概念。という事になるかと思います。
>如何なもんでしょうか?
狸女は、そのまま狸女。本来はそのまんまありのままなんですが、
「美人なのか?」「美人であらざるのか?」余計な概念で分別してしまいます。
その分別こそが「迷い」なんでしょう。
美人→見慣れてくると段々飽きてくる。
非美人→そのうち段々慣れてくる。
まあ、そう考えることも「智慧」なのかもしれません。
つまり人間は、勝手な価値基準(概念)があるゆえ、その価値基準にて「迷う」という事んんでしょう。
八図、円相は本来無分別、本来無差別、無風の水面の如し、その境地を顕現します。
517 :
名無しさん@1周年:02/05/29 07:33
おれもそろそろいろいろと専門知識いれていくで
色即是空→空即是色
分別→無分別→分別
仏教の「核」ところは、やはり「無分別」かと思います。
無分別より、分別(智慧)にて解釈するのが本来の「般若の智慧」かと思います。
519 :
ケムール人:02/05/29 08:26
>518 だんだんわかってきたけど、髑髏ちゃんの世界はさ、
中国禅、中国老荘思想、日本禅、日本天台本覚思想
といったフィールドに近いんとちがう?
だから、「インド→チベット」系仏教の
アビダルマ、経量部・中観・唯識思想の流れに見られる
言語化の世界に対する拒絶感がなんとなくある。
520 :
名無しさん@1周年:02/05/29 08:58
>>519 そうですよ。
ですから「座禅」「禅」スレではもっとひどくて、虚無思想をふりかざして、
ケムさんみたいな意見は、学者まがい、僧侶まがいの仏教を実践していない
ものと罵声を浴びせ、自分のみが覚っていると言い続けてきました。
それ故、みんなから叩かれまくって...
でも、最近はその甲斐あってか、少しはケムさんみたいな意見を、聞くよう
になったみたいですから、今度はケムさんがさとしてやってください。
因みに2年間、こんなことを繰り返してきたそうです。
521 :
ケムール人:02/05/29 09:07
>520
ありっ。
……これ、誰のレス。髑髏ちゃんの?
それとも、髑髏ちゃんの過去を知る別の人の?
狸おやじの髑髏和尚も、ときどきヘンなハンドル操作するからなあ……。
522 :
名無しさん@1周年:02/05/29 09:10
わからんです。
「座禅」「禅」は髑髏みたいです。それ故みな言われるままに出ていき
ました。
また年単位で24時間2chする、暇もありませんしね。
523 :
名無しさん@1周年:02/05/29 09:17
>>503 その論法で「意識が対象に働きかける」ことを説明するのはおかしいのではないか?
意識とは決して観測手段のことではない。
あらゆる観測が観測対象を変化させてしまう世界は厳然として存在するが
意識が、すなわち対象を認識する心の働きそのものが、観測結果に反映する
ことは原則として無い。
(あるあるといっているグループもいるが、証明はされていない。もしくは
科学的に認知されていない。)
たとえそれが素粒子の世界だろうがないものは無い。あったら面白いけど。
言葉の不足は似非の発生につながるので注意すべし。
524 :
名無しさん@1周年:02/05/29 09:33
アインシュタインとボーアの論争って、このことと関連しませんで
したっけ。
シュレディンガーのおネコ様とか。
>>523 御指摘ありがとうございます。そうです。コトバ不足のようですね。
この論法と言うより、不確定性原理の説明は、出来れば
>>503の
参照URLを見てお考え頂きたいのですが、
どちらかと言うと
「意識が対象に働きかける」と言う説明は「不確定性原理」を拠り所
には出来ませんよ。 だから素粒子うんぬんを使う(or 説明に使われた)
ときは形而上学的なものと自然科学の理論の境界に気をつけてね。
という意図でした。
更に、不確定性原理の使い方を間違えたらこうなる。という
トンでもの結論を頭の体操的に例示した有名なパラドックスが
>>511のあとでも名前だけ触れた
「シュレディンガーの猫」です。
他には「マックスウェルの悪魔」も有名ですね。
これらも意識が対象に働きかけるように見えます。
>>521 レスを問うたのね。
私は髑髏のではありません。
老荘思想、本覺思想、Dhatu-Vadaに呆れているものです。
これで仏教や禅を名乗らなければ、あまりカンにも障らないんですが。
527 :
ケムール人:02/05/29 09:46
>525
よく気功の「気」とか、ヨーガの「プラーナ」ってあるじゃないですか。
純粋意識そのものではなくて。
ああいうのは、いま科学的にはどうなんですか?
まったくのトンデモなのか、ある程度物理量として測定できるのか……
>>520 >虚無思想をふりかざして、
こういう捉えかたというのも、どーかと思いますよ?
>今度はケムさんがさとしてやってください。
基本的には、自灯明、法灯明ですから「さとす」「さとられる」という捉え方はどーかと思いますよ?
ただ一番問題なのは、「虚無思想」という枠組みに入れちゃう事を懸念しているのです。
多数の人がROMしていますからね、やはり影響というのも考えます。
それだけですよ。
529 :
ケムール人:02/05/29 09:59
>528
「さとす」「さとられる」って、なんじゃ?
深〜すぎて、わかんないぞ、髑髏仮面!
>>526 貴方は、おそらく日本仏教界における重鎮の方と察します。
どーもおそれいりました。
とりあえず私も色々と勉強したく存じます。
531 :
名無しさん@1周年:02/05/29 10:03
中間評価
>>528 >基本的には、自灯明、法灯明ですから
「法灯明」は釈尊の教えに従いなさい、の意味。
自灯明だけだと独善的なるから、対に法灯明がある訳。
髑髏さん、少し前までは、
経典引けば → それはいけない、
いざとなれば → 空だから成立しない
これじゃあね。
最近は少しまともになってきたかな。でもまだまだですな。
>>529 >深〜すぎて、わかんないぞ、髑髏仮面!
これは、分別がないということでして。
まあ、早い話がどーでも良いという事ですね。
わかっても、わからんでもどーでも良い。わからんでも良い。
ああ、メンドイ(笑
>>531 >経典引けば → それはいけない、
> いざとなれば → 空だから成立しない
私はそんなこと逝ってませんよ(w
「経典に依らざるべし」。は言いました。
空だから成立しないじゃなくて・・・
「無記」は「無記」そのまんまで受け止めるべし。という事です。
空は一寸の狂いも無い。という事は言いました。その反面ファジーなところもありますが・・・。
534 :
ケムール人:02/05/29 10:17
>532 :髑髏仮面
祝
如是我聞。
こうして髑髏大僧正は、
もろもろの比丘、比丘尼の見守る中、
涅槃寂静の世界へと入滅なされました。
535 :
名無しさん@1周年:02/05/29 10:23
>>533 いいえあなたは自説を強調するために、
経典を引けば嘲笑し、空の理論を利用しました。
よって自分の比喩こそが悟りの言葉との印象を与えながら。
中間総括
私を誤解している人達の理由が大体分かりました。
つまりは、私の真意というのが伝わっていないということでしょう。
まあ、これはいたし方にないことでして、大体掴めればそれで良いんですよ。
そんなもんです。こういった精神世界というのは・・・。
537 :
名無しさん@1周年:02/05/29 10:32
>私は髑髏のではありません。
>老荘思想、本覺思想、Dhatu-Vadaに呆れているものです。
ということは、あんさんは仏教が全く理解できていないと言うことだな。
松本氏の影響受けてない?ありゃあトンデモだぞ。
>>538 >ということは、あんさんは仏教が全く理解できていないと言うことだな。
どうしてそうなるんだろうね?
本覚思想は、天台でも「中古天台の邪法」と呼ぶし、Dhatu-Vadaは、道元さんの
思想を現代風に言い換えた部分が半分、あと半分はプラーサンギカがソースだ。
本覚法門を取り扱っていた硲ジコウさんが、道元研究者に呼びかけたのが発端。
道元さんのは、ほかに江戸末から昭和のはじめにかけて、眼蔵家と言われる人たちが
同じことを主張したわけだし。
>松本氏の影響受けてない?ありゃあトンデモだぞ。
史朗ちゃんがトンデモ発憤、また来て四角なのは誰でも知っている。
まあ私は道元さんが好きだから。。。
>>526というような発言になる、とでもして
おこうかな。
>仏教が理解できていない
といきなり断定するんだったら、チョットおぬしも見解を披露したまえ。史朗ちゃんのど
こがトンデモで、お前さんがいう仏教とやらを。
>>私は髑髏のではありません。
「私は髑髏ではありません」だな。意味不明で申し訳ない。スマソ。
540 :
名無しさん@1周年:02/05/29 17:53
「私はこう聞いた」というだけのことを 如是我聞
というと、なんかとてもありがたいもののように聞こえてくる・・・
というのが日本仏教の本質でしょう。
仏教というのはお釈迦さんの教えのことだと思っていましたが、
「さまざまなブッダ」の教えという考えの人もいるんですね。
私は覚者だと自称する人がこんな板にも結構いて、その人が思いつきで
なんかいうと、「信者」たちはそれを仏教だと思い込んでしまう。
なんかこわいですね。
541 :
名無しさん@1周年:02/05/29 17:58
>>511-512 素粒子にも質量はあるんですね。
物の質量は素粒子の質量の単純な和ということでいいんでしょうか。
陽子や中性子はそれ以上分解されることはないんですか。
542 :
名無しさん@1周年:02/05/29 18:05
ところで基礎的な質問になってしまいますが、
ここでもよく出てきた「色」という言葉の意味についてです。
・五蘊の一つの「色」
・ナーマとルーパ(名称と形態)の「ルーパ」(名色分離智の色)
・色即是空の「色」
・髑髏大僧正の「色」
これらはそれぞれ意味が違うのでしょうか。
>>540 >「さまざまなブッダ」の教えという考えの人もいるんですね。
そうですね。
私は今まで、何でひつように私を煽るのか?不思議にオモ−テタのですが、
やっとその謎が解けました。
仏教にも色々考えがある。う〜ん。成る程。納得いたしました。
これも一つの契機でしょう。
そういうところがまた2ちゃんの、2ちゃんなる、2ちゃんの所以なんでしょうね?
544 :
名無しさん@1周年:02/05/29 18:32
経験則
執拗(しつよう)
日本語は正しく使いましょう。
髑髏さんは自分がお釈迦さんの教えにしたがってるつもりなんだ。
お釈迦なんてどうでもいいと思ってる人なのかと思ってた。
しかし髑髏も馬鹿じゃないね。
婉曲的な自分への批判には妙に敏感に反応するね。
すなおに理論の勉強すればいいのに。
545 :
名無しさん@1周年:02/05/29 18:36
率直に言うと、
髑髏さんが嫌われるのは、他の人が理論的な話をして
盛り上がってる所へ、ピントはずれなことをいって割り込んで
くるからですよ。過去レスみればわかることだけど。
理論が嫌いならそれでもいいけど、人の話に割り込むことはない。
ネタが尽きてスレが低調になることはいくらでもあるんだから、
そういうときに自説を展開すればいいわけ。
自分が理解できない話題には口を出さないことです。
むしろよく読んで自分なりに勉強すればいい。
そういう謙虚さがないから嫌われるんだと思いますよ。髑髏さんは。
546 :
ケムール人:02/05/29 19:01
>540
>仏教というのはお釈迦さんの教えのことだと思っていましたが、
「さまざまなブッダ」の教えという考えの人もいるんですね。
私は覚者だと自称する人がこんな板にも結構いて、その人が思いつきで
なんかいうと、「信者」たちはそれを仏教だと思い込んでしまう。
なんかこわいですね。
―恐くないですよ、全然(笑)
それに、「さまざまなブッダ」の教えというより、
「ブッダへのさまざまな解釈」なんだと思います。あくまでも中心は釈迦の悟りの内容。
この板も、アナーキーに、お下品に(←おめーだろ)展開しているようで、
案外「五蘊無我と空」みたいなベースがライトモチーフになっているような気もします。
私は、この板では「空」が明らかになるというよりも、
「空をめぐるディスクールの多視点からの粗雑なマップ」が可能になるかも知れない、と思います。
どっちにしろ、専門家の仏教学の内容と、葬式仏教の現実の乖離が激しい日本で、
こんなふうな仏教雑学オタクの「隙間埋め」は、それなりに必然性と意味があるのではないでしょうか。
……万が一、悟れなくても(爆)。
>私は覚者だと自称する人がこんな板にも結構いて、
いないですよー、そんなに(笑)。
以前は1名いましたが、最近見かけません。
(おーい、brownチャン、元気かあー? 機嫌なおせー。泣くんじゃないの。ブッタだろ)
涅槃寂静体現者は、1名います(笑)
>>545 >自分が理解できない話題には口を出さないことです。
>むしろよく読んで自分なりに勉強すればいい。
いやいや、これは大変な驚きですね。
ではそういった勉強の成果を披露して頂きたいと思います。
私としては仏教の捉え方がそもそも違いますので、貴方達の「仏教観」には非常に興味があります。
そういう訳で私としましても、貴方達の考えが分かっただけでも非常に有りがたいとは思っています。
不立文字 教外別伝
>>545 >自分が理解できない話題には口を出さないことです。
一言だけ逝っておきますが、私としては阿頼耶識云々は理解はできません。
一生懸命勉強したとしても、おそらくは私の頭ではどーにもなりません。
まあ、そこのところをスレの基軸にもっていったら宜しいんじゃないでしょうか?
かくいう私は、以前でしたら唯識論は抵抗無く受け入れていましたが・・・。
550 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:34
>>547 勉強するかどうかは貴方の勝手です。
人の議論のこしをおるような口だしをするなといっているだけです。
「貴方達の仏教観」と言いますが、それこそ一人一人違うでしょう。
あなたはその中のひとりに過ぎません。
ここの主役ではないのです。そのことをよく自覚すべきです。
547のような反応をするから、謙虚さがないといわれるのです。
551 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:37
>>550 なんだ、ここは役者の集まりだったのか(W
552 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:38
553 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:39
554 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:41
>>553 主役がいないんじゃ、何言ったってかまわないジャン(W
555 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:42
荒れる悪寒
>>550 >人の議論のこしをおるような口だしをするなといっているだけです。
自分の意見を主張するだけです。
私などは、しょっちゅう腰をおられていますよ(w
>ここの主役ではないのです。そのことをよく自覚すべきです。
そういうつもりはないですよ(w
>547のような反応をするから、謙虚さがないといわれるのです。
あい、すいません(w
557 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:47
>>554 何を言ってもいいって、荒らしは排除されるだろ。
それと同じだよ。
558 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:48
>>556 君の議論に腰があったとははじめて知った。
559 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:51
>>557 人の議論のこしをおるぐらいの話でも荒し扱いかい。
これじゃ、反論できないね。
君の話に禿同とか言わないといけない訳だ。W
560 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:52
561 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:54
議論になる反論と、いきなり全く別のことで議論につっかかってくるの
とは全く違うと思うがね。
平行して別の議論をするならかまわないが、髑髏の場合、わざと撹乱しよう
とする。
まあ、知能の低い髑髏の取り巻きに何を言っても仕方がないが。
562 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:55
では、腰のある議論を期待します。
これでどーでしょうか?
564 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:56
撹乱して議論を潰しておいてから、
いきなり「お題は涅槃寂静」なんて決めてかかってくるのが
髑髏の手管。
>>561 >まあ、知能の低い髑髏の取り巻きに何を言っても仕方がないが。
では、優秀な方達の御意見を拝見したいと存じます。
これでどーでしょうか?
566 :
名無しさん@1周年:02/05/29 19:59
>>564 釣られて楽しんでいる役者なんだから、文句言うほうがオカスィ
567 :
名無しさん@1周年:02/05/29 20:01
髑髏先生にはこの公案の解き明かしを、もう少ししてほしいですね。
>>405 :髑髏仮面 :02/05/27 21:37
> A子という容姿端麗な娘がおりまして、一方・・・
> B子という不細工な娘がおりまして・・・
> まあ私とすれば、どちらかたいうとB子のほーが好きかなぁ。こんなところでしょうか?
>
> これが私の「空」に関する答えです。
どうして美人でなく不細工を選ぶのが「空」にかんする答なのか、
というところです。
568 :
名無しさん@1周年:02/05/29 20:02
マジレスしてる人に申し訳ないよ>553
>>567 A子、B子の分別、それを選択する分別。分別であるけど、そもそもは無分別を言いたかったのですね。
髑髏チャンは下の「実践瞑想スレッド2」でも
自作自演やっているのね。
言い回しが独特だからすぐ分かっちゃうよ。
>>567 >どうして美人でなく不細工を選ぶのが「空」にかんする答なのか、
これは理由はないですね。
いわば「縁起」の解説としての手法ということです。
選ぶのも→縁起ということが言いたかったのです。
572 :
名無しさん@1周年:02/05/29 20:08
>>570 またこれだよ
意見につまると自作自演
ゲイがないねW
>>570 実践瞑想スレは、ジサクジエンするほどカキコはしていないよ。
ほとんどがTM関係者だからね。
574 :
名無しさん@1周年:02/05/29 20:17
でも一つは見つけたよ。
あまり感心しないね。
>>574 私は、TMにはジサクジエンするほど肩入れしてないでしょう?
する理由もにしね・・。
>>575 瞑想実践サークルですね。
私は、ノンセクトです。
>>577 なんとなく想像しやすいサークルですね。
>>576 >TM(超越瞑想)これですか?
TMは唯識論がベースですね。
私のテーゼとは少し違います。
>>578 ここの住人は、おそらくTM関係者なんでしょう。
TMの話をもってくる理由もないのに、わざわざ持ってくる。
白状しちゃったよーなもんでしょうね。
>>580 あんたが火に油を注いでいるの!
それならTMのスレいかなきゃいいでしょ!
>>580 余り理論に捉われるのもどうかと思うが、知ってて損はないでしょう。
空に関しての説明につながるもんですか?
583 :
ケムール人:02/05/29 20:36
>579
>TMは唯識論がベースですね。
これは本当なの? 髑髏和尚。
584 :
名無しさん@1周年:02/05/29 20:36
>>524 はい、関係してますね。 もろ意思こそが、物質を存在させるとか
いう少数派も出て、でも大勢は、
>>523 さんの主張の通り。
後の超弦理論とかではパラドックス回避の方法も一部主張されてる
ようです。(よく知りませんが)
>>541 普通の物質の質量は、陽子、中性子、電子、中間子の質量の総和と
して扱ってそれほどの誤差は出ない。原子核の中で陽子・中性子を
結びつける中間子が、核分裂や融合の時に一部失われ、質量が減少する。
こういった、高校物理・化学レベル? の素粒子をさらに分割すると
クウォーク、レプトン、グルーオン、W,Z粒子等がある。
もっとも細かく分割したレベルは、超弦(スーパーストリング)という
ただ一種のものになり、色々な素粒子等は、この超弦の振動のさまざまな
モードに対応する。 というのが、今のところ最も成功している
統一場理論(仮説)である超弦理論。
ただし、クオークも理論から予想される全てが見つかっているわけでは
なく、超弦もしかり。 というかここしばらくの技術では見つけようが
ないことも予想されている(確か、地球の軌道ぐらいの大きさの巨大
なリング状、粒子加速器が必要)
つまりクォークの半分程度までしか証明はされていない。
>>581 ちょっと話の腰を折らないで、となってしまう。怖い。
586 :
名無しさん@1周年:02/05/29 20:37
おまけ
ちなみに、私たちが普通に観測できる「力」は、星の重力を除き
すべて電気力(=媒体は光子)に由来する。
(後の強い力・弱い力は、核反応とか特殊な場合にしか
目に見える形では現れない)
電磁波とかは直接的なので判りやすいでしょう。
その他、押すとか引くとかの「普通の力」も実は電気力由来
普通の物質:結晶とか分子とかを形作る化学結合や反発は
すべて電子と陽子の電荷に由来する。
バットでボールを打つ。という現象も、バットやボールを
構成する結晶や分子が歪み、つまり電気力の結合が変化を受け
る。その歪を元に戻すのも結晶・分子を形作る電気力の働き。
だから超能力とかが目に見えるスプーン曲げとかなら、どっかに
電気力が働いているはず。
ところで 前のレスも含め、そろそろ完全に「板ちがい」
ですし、これ以上は止めましょう(笑)
はっはっはっ、わんぱくボーヤめ!ヤリおったな!
引き上げだ! さらば!!!
>>581 私は、あのスレでは一貫して「アンチ」を表明しております。
だがしかし、同じ2ちゃんねらーとしての「人間としての敬意」はしております。
>>582 私は、基本的にはどんな宗派、セクトでも学ぶ姿勢はもっております。
念仏でも然り。アレフでも然り。だからといって、そのセクトに順応している訳ではありません。
589 :
ケムール人:02/05/29 20:45
>586
ところで 前のレスも含め、そろそろ完全に「板ちがい」
ですし、これ以上は止めましょう(笑)
いやあ、仏教的に見れば「識」と「色」との関係が
どうなっているのかということですから、
ほちぼちやっててくださいよ(笑)
いろんな情報が集まった方がよろしいかと…。
>>583 >>TMは唯識論がベースですね。
深層意識、集合意識。これですと唯識論かとおもいますよ。
>>590 吉川英冶の座右の銘。「私以外は全ての人が師」。これは、気に入っています。
>>592 吉川英冶の座右の銘。「私以外は全ての人が師」。いいですね。
私は、兵法孫子、戦わずして勝つ、これです。
>>592 全然、銘とここでのカキコの態度が一致していないダローガ。
>>593 >私は、兵法孫子、戦わずして勝つ、これです。
ああ、これも良いですね。
私なんかは、しょちゅう煽られてますからね、少し謙虚にならねばいけんでしょうね(w
>>594 このスレでは多くを学びましたよ。
知識だけとは限らないですからね。
「その他」の部分で学んでいますよ(w
ところで「空」ですが、
>>594はどうお考えか。
私はあるようでない世界、ないようである世界、こんな感じです。
>>595 彼を知り 己を知れば 百戦して危うからず
やっぱ彼を知るのも大事だと思います。
>>597 >彼を知り 己を知れば 百戦して危うからず
これは、私の座右の銘に通じますね。
ベースはこれですね。
>>598 余り戦略を語って見せるのは、罠かと思われる罠。
ところで、「空」とは何かしらの定義に当てはまりますか?
600get
>>599 「空」という世界がある・・・というよりも。
サングラスをかけて色が変わる。そのまんまかと思いますよ。喩えですが・・・
色と空は離れている訳じゃなくて、現象が色ですからそのままの世界かと思います。
縁起で変化しますが、ベースが一如かとおもいます。それを「空」というんでしょう。
>>599 一如といいましても、不一不二。一つに非ず。二つに非ず。でしょうけど。
>>600 なるほど
目に見えないものを語るとき、プリズムの話をします。
太陽の光は無色ですが、プリズムを通すと七色になる。
心というプリズムを通すことで、見えないものも見えるのではと。
空と人の心には大きな関係があると思われますがいかがでしょう。
>>602 プリズムは良い喩えかと思います。
縁起による変化を、あたかもスクリーンに映したようなもんでしょう。
ですから私は「実体が有る」とか「実体が無い」という議論は「無記」という立場をとっています。
ここがいわゆる「有無」の疑念に非ず。ということになるかと思います。
いわゆる「空」を知る。というのは、即ち「無記」を知る。ということかと思うのです。
ここで迷いますと、あとは全く観えてこないかと思います。
604 :
名無しさん@1周年:02/05/29 22:10
>>580 :髑髏仮面 :02/05/29 20:28
>
>>578 > ここの住人は、おそらくTM関係者なんでしょう。
> TMの話をもってくる理由もないのに、わざわざ持ってくる。
> 白状しちゃったよーなもんでしょうね。
いいかげんなレッテルはるなよ。
たちが悪い奴だな。
俺はこのスレで髑髏をいちばん叩いてきたが、
TMなんかとは無関係だ。
仏教は上座部系の人から学んだ。某協会でなく
ヴィパッサナセンターのほうの人。いまは外国にいるが。
ここで上座仏教をちょっと勉強し始めたとこだ。
>>603 んー、同じ所を目指しているかもしれません。
一切の執着を捨て 無垢になる
これはどうですか。
>>604 >俺はこのスレで髑髏をいちばん叩いてきたが、
ちっとも叩いてないよ(w
叩かれたおぼえはない。
煽いだんじゃないかなぁ?
607 :
名無しさん@1周年:02/05/29 22:18
>>603 無記という「立場」を取るんですね。
そうすると、そういう立場はあるわけだ。
そうして、あなたはその立場に固執している。
>>605 >一切の執着を捨て 無垢になる
執着を捨てても良いし、捨てなくても良いし。どっちでも良い。
いわば、さほど気にならないかと思います。
無垢になっても良いし・・・・以下同文。
609 :
名無しさん@1周年:02/05/29 22:21
>>606 君は自分の言葉にぜんぜん忠実じゃないね。
そのために「普段から」「空」を振りまわしているんだろうが。
現実の空間ではいちばん近づきたくない人種だね。
しょっちゅう腰を折られているといって泣き言いってたのはだれ
だっけ。まあいいや
>>607 >あなたはその立場に固執している。
そういう立場はとりますが・・・・
固執しても良いし、固執しなくても良いし。どっちでも良い。
基本的には執着せず。
611 :
名無し仔猫@1周年:02/05/29 22:25
『菩提達磨無心論』より抜粋
「あなたは子細に追求すべきである。心はどんな外見をしているか。
それは見付かるものか。それは心であるのか、別のものなのか、内に
あるのか、外にあるのか、その中間にあるのか。このようにして心の
姿形を探し求めると、心はどこにも見付からない。否、心などという
ものは、そもそも最初から存在してはいないのだ。そのことを自覚す
ることが、無心への道である」。
>>609 つまりね、あまり弦を張り過ぎないという事なんですよ。
あまり緩めるのも駄目。
>>608 なるほど、これは私が思う「在りて有る」の世界。
そこにあるからあるのだ、そこにないからないのだ、
ただそれだけのこと。
悩むも良し、悩まないのも良し、どちらも良し。
614 :
名無しさん@1周年:02/05/29 22:37
>>612 勝手なレッテル貼りをしておいて、指摘されてもひとことも謝らず
わけのわからない禅問答ですか。
>>613 >悩むも良し、悩まないのも良し、どちらも良し。
基本的には、これが一番安定しているかと思います。いわゆる○(まる)。円相、
円(えん)の形そのまま。非心非仏。無我。
>>611 心を人に語る時点でもはや見つからない。
人知の入った言葉では決して現せない。
これは無心になる為の引っ掛けである。
617 :
名無しさん@1周年:02/05/29 22:39
完全に髑髏の一人芝居スレになりました。削除依頼しかないか。。。
618 :
名無しさん@1周年:02/05/29 22:42
>>614 >指摘されてもひとことも謝らず
これはどーもすいません。
>>617 削除するんでしたら遠慮しないでしても良いですよ。
私のカキコを、なにも記録に残す必要もありませんし。
622 :
名無し仔猫@1周年:02/05/29 22:48
>>622 無心になれたのですか?
無心と空とは、私としてはやはり深い関係があると思われますが
いかがでしょう。
無心と空では大いに関係ありますね。
そこのところが分かっていない連中が「虚無思想」を吹聴するのです。
>>624 まーそれも良しです。
今日はギャップ漏れがあり、お祭り騒ぎで凄かったです。
ココの話とは、ぜんぜん関係ないですけど。
626 :
名無し仔猫@1周年:02/05/29 23:07
>>622 両頭を切断して一剣天にあって寒し。俺もそう思う。
627 :
名無しさん@1周年:02/05/29 23:12
>>624 誰だっけ、髑髏先生を虚無思想などと非難したのは、ケムール人だっけ。
けしからんやつですね。
かけあい漫才、きょうも一日、お疲れさまでった。。。
629 :
名無しさん@1周年:02/05/29 23:17
>>624 ケムール人ってのは本当に空も無心もわかっていないですね。
髑髏先生についていけないくせに、先生を中傷する。
>>627 ケムール人さんは同じ2ちゃんねらーですからね、それなりの敬意ははらいます。
変人の頭が空(から)
632 :
名無しさん@1周年:02/05/29 23:25
しかし、境地は髑髏先生のほうがはるかに上ですね。
これはロムしている人はみんな認めるでしょう。
そろそろ就寝の時間が参りましたので失礼いたします。
皆様も、良い夢でも見て下さい。
おやすみ・・(^^)
634 :
名無しさん@1周年:02/05/29 23:33
誰か別スレで
「竜樹と空の思想」というの立ててくれないかな。
「刹那滅」というのも。
私は立てられないので。
子供だって。美味いんだも〜ん♪飲んだら。こう言っちゃうよ♪
くぅぅ〜〜
636 :
名無しさん@1周年:02/05/30 01:28
ざっと読んでみて髑髏仮面は18時から23時半までずっと書き込んでいる。
ご本人は「自由自在の境涯」(自称)から「これもありです」と言うのだろうが、あまりにもあんまりじゃないのか。
空がわかればちょこっと仕事してあとは糞レス書き続けている人生も「あり」なのだろうか。
空がわかれば禅機のかけらも無い、道元の真似っこのような発言しか出来なくても「あり」なのだろうか。
「禅者っぽい」発言をしようと無理しているのがみえみえすぎて、滑稽を通り越してあわれだ。
勿論私は髑髏仮面が「空」を会得したなどと思っていない。
「般若心経」をちょっと勉強しただけで「すっかりわかってしまった!」と勝手に思っている人なり。
自分が一番経論臭い事言っているのに早く「気づき」なよ。ああ臭い臭いsage
盤珪ふぁん だ!
638 :
名無しさん@1周年:02/05/30 02:19
>>636 彼は般若心経を読んでるかどうかあやしい。
たぶんほとんど活字を読まない人だと思う。
変換ミスじゃない、小学的な誤字も多いし。
悪い友達にそそのかされたか、孤独に打ちひしがれているときに
NHKの仏教入門みたいなの見て、はまったかでしょう。
カルチャーセンターの仏教講座や座禅会とかにも、たまに
ああいう感じの人がいます。
髑髏仮面にも取り巻きが2、3人いるようだから(自作自演でなければ
ですが)まんざら孤立しているわけでもないのかもしれない。
(彼らの禅問答がスレのテーマに沿ってるかどうかは怪しいが。)
これも日本仏教の水準を表しているんでしょうね。
口語訳の岩波文庫とかで仏典を読めば、すこしは変わるかも。(無理か)
漢訳の仏教語には、意味がわからないのに素人を陶酔させる
マジック的効果があると思う。
507です。このスレ限定でHNつけました。煽らないでください。
>>505 >どっかの偉い学者さん達が、刹那滅の成立背景を語っております。
暫く来なかったでレス見落としました。
仏教系過去スレを漁ってみます。
>514さん
>真我を信じてる瞑想者(TM)ですが、ちっともイヤじゃないですよ(笑)
そうですか。自分はしていませんが、知人にTMを受講した人がいます。
比較すること自体、失礼かもしれませんが、新興宗教、能力開発系の人と比べて
TMの人はガツガツした感じの人が少なく感じます。
よろしくお願いします。
>ケムール人さん
>ヴィパッサナでの体験ですか?
どうなんでしょう?見る者が残る時点で「外道決定!」のような気がします。
>>542 自分も知りたいです。
>ALL
禅スレみたいですね。
640 :
名無しさん@1周年:02/05/30 03:27
なんで、氷ってごろんと音たてて沈むんやろうね。
きゅるきゅるいってアルコールにとけていきよる。
酒に勝つには宇宙線しかないのか。
世間でちやほやされとった宇宙飛行士が得体の知れない
光にであって、阿呆に成るか。実に勇ましい。
641 :
名無しさん@1周年:02/05/30 03:33
642 :
名無しさん@1周年:02/05/30 04:54
禅的テクニックとは?
思索。意識の途切れない探求。
力まず、歪んだ解釈をせず、ありのままのことをありのままとして解釈する。
波打った荒れ狂うその心は、いつ穏やかになるの?
形式の限定は意味をなさなくなる。あらゆる条件付けは必要なくなる。
禅マニアの人は心の純度を高める科学の実験のようですね。
心がflatになったとき、覚醒しているとき、何が起こるの?何を感じるの?
643 :
名無しさん@1周年:02/05/30 05:20
>思索。意識の途切れない探求。
???
>禅マニアの人は心の純度を高める科学の実験のようですね。
これも疑問です。客観性がないから。
心がフラットになったかどうかも主観的なもの。
自分でも気づかずフラット居眠りしてることもあるだろうしね。
禅マニアの人の日常の言動を見ているのがいちばんでしょうね。
644 :
名無しさん@1周年:02/05/30 05:26
六師外道のうちの一人で「うなぎをつかむようなものだ」と言って釈迦が相手に
しなかったひとは誰でしたっけ?
>>636 >ざっと読んでみて髑髏仮面は18時から23時半までずっと書き込んでいる。
そんなにカキコしておりましたか?自分では気づかないもんです。
ところで・・・
私のウオッチャ−ですね?
随分、研究していらっしゃる(笑
646 :
名無し仔猫@1周年:02/05/30 07:07
>>644 こういう人です↓
644 名前:名無しさん@1周年 :02/05/30 05:26
六師外道のうちの一人で「うなぎをつかむようなものだ」と言って釈迦が相手に
しなかったひとは誰でしたっけ?
647 :
名無しさん@1周年:02/05/30 07:32
>>645 これだけ書き込んでれば読みたくなくても読まざるをえないだろ。
>>643も言っている通り日常生活が見てみたいな。
だらだら自分本位に日々過ごしているんだろうな、きっと。「修行の無修行」だもんね。
本当に十二因縁をマスターしている人なら意識せずして六波羅蜜から離れない言動をとるはずなのにね。
なんでも「あり」だし。
困った時の「あり」だし。
おまえマイクハマーか。
648 :
名無しさん@1周年:02/05/30 07:47
>>639 かえるさん
>>真我を信じてる瞑想者(TM)ですが、ちっともイヤじゃないですよ(笑)
>そうですか。
どうもありがとうございます。ちゅうか
> 思考が、次々に浮かび上がってくる事を言っているのではなく、
>それを観察する意識に断絶というか空白があります。
瞑想中にはこういうことよくありますからね。
(って瞑想体験を語るとホントは怒られるんですが、、笑)
TMの分家?みたいな瞑想
http://d-lodge.com/では、この空白が
純粋意識で、これイコール「空」だと言ってる人もいます。
>>589 ケムール人さん
私が、物理学語ってた者なんですが、そろそろ簡単なアンチョコ話は
ネタ切れだし、TMなんで髑髏さんにいじめられる(笑)みたいなのが
「止めよう」の本音だったりします(笑)
>>647 >だらだら自分本位に日々過ごしているんだろうな
短時間で相当神経をすり減らします。そういう仕事です。
1時間仕事をして2時間遊んでいても、仕事量からするとビッシリ3時間労働と同じかと思います。
仙人は、雲を食べて生きているらしい?
こんなことはありえません。
そこのところは私としてもいたってノーマル。その環境で順応しています。
>>648 私は物理学は好きです。下手の横好きですが・・。
最近は「ゆらぎ」も解明?しつつあるようですね。
そういった研究をなさっている方に対しては敬意をはらっていますよ。マジで。
651 :
ケムール人:02/05/30 08:33
>648 ケムール人さん
私が、物理学語ってた者なんですが、そろそろ簡単なアンチョコ話は
ネタ切れだし、TMなんで髑髏さんにいじめられる(笑)みたいなのが
「止めよう」の本音だったりします(笑)
いやあ、話の流れでは、ぜひ「物理学語」のレスが欲しいときがあると思いますよ。
そのときは情報を入れていただければ、ありがたいです。2チャンの円卓の上で、「空」というパイの情報のいろんな断片が持ち寄られれば、
「空」そのもののについてはついに語れなくても、「空についてのディスクール」の模型程度はできそうですから。
私みたいな仏教雑学オタクの聞きかじった「物理学」だと、不正確なトンデモだったり、
せいぜいが、講談社ブルーバックス(笑)レベルですから。
あと、マハリシ・マッへシ・ヨーギの「方法」が、
髑髏和尚の「無方法」にいじめられるってことは、ないでしょう(笑)。
>639 :かえる >ケムール人さん
>ヴィパッサナでの体験ですか?
どうなんでしょう?見る者が残る時点で「外道決定!」のような気がします。
でも、「ブッダ」(目ざめた人)ですからねえ(笑)
十二縁起を「見る」までは、見ている主体(を超えた主体?)はあるんじゃないでしょうか。
有処無処とか、非想非非想処なんてのは、その主体すらないのかもしれんけど。
「かえる」さんのレスは、「五蘊無我」そのものの冥想体験みたいな感じもあって、
なるほどなあと思ったです。
652 :
ケムール人:02/05/30 08:35
>627 :名無しさん@1周年
髑髏先生を虚無思想などと非難したのは、ケムール人だっけ。
……ええと、これは、どこのレスで書いたかな?
>629 :名無しさん@1周年
ケムール人ってのは本当に空も無心もわかっていないですね。
もろちん、「本当に」などわかってないよ。わかってたら、少なくとも阿羅漢だろ。
私が書いてるのは「雑学」だよ。
……さて、それではここで提案だが、
「629 :名無しさん@1周年」さんが理解、あるいは会得している
「空・無心」を語ってよ。
拝聴するから。
シーッ。
―みなさん、ご静粛に。
どーぞ。
653 :
名無しさん@1周年:02/05/30 09:06
>>538 は
>539の解答をして欲しいな。煽り逃げかよ。
654 :
名無しさん@1周年:02/05/30 09:28
>>649 > 短時間で相当神経をすり減らします。そういう仕事です。
> 1時間仕事をして2時間遊んでいても、仕事量からするとビッシリ3時間労働と同じかと思います。
どんなにしんどい仕事でもそんなに遊ぶ奴いないぞ。都合いいこと言ってるな、相変わらず。
>>654 拝聴するから。
シーッ。
―みなさん、ご静粛に。
>>654 >どんなにしんどい仕事でもそんなに遊ぶ奴いないぞ。都合いいこと言ってるな、相変わらず。
是が即ち「執着」だとおもいますよ。いやマジで・・・。
私を心配してくれるのは有り難いのですが、心配し過ぎかと思います。
汝自身を知れ→内省。これっきゃにかと思います。自分に全てを向ける→「疑」を自分に向ける。
657 :
名無しさん@1周年:02/05/30 13:47
>>656 どうせ無職だろ。
白状したら。
社会に適応できないのはここ見ても明らかじゃん。
それとも不定期の土方か。
ほとんど本読まないみたいだし、人のカキコを
ちゃんと読んで反論することもないし。
>>657 >それとも不定期の土方か。
これを私が肯定したら、そなたは救われるのでしょうか?安泰の日々を送れるのでしょうか?
つまり私と相対するのではなく、ここのところを「自他不二」にて捉えれば、おのずと答えが導き出されます。
仏教は、是日々の実践です。
659 :
名無しさん@1周年:02/05/30 15:19
>>658 >これを私が肯定したら、そなたは救われるのでしょうか?安泰の日々を送れるのでしょうか?
どうしてそういうふうに論理が飛躍するのかわからないが、
やっぱり図星だったわけね。
仏教はまず「教え」です。
勉強してからでないと実践のしようがないと思いますがね。
>>659 >やっぱり図星だったわけね。
あらら。私の職業を特定されてしまいましたニガワラヒ
>仏教はまず「教え」です。
そうでしたか・・・
>勉強してからでないと実践のしようがないと思いますがね。
そうでしたか。いろいろ肝に命じときます。
はいはいはいはい
662 :
名無し仔猫@1周年:02/05/30 19:03
>>659 人生、日々是修行って道元が言ってなかったっけ?
663 :
名無しさん@1周年:02/05/30 19:06
>>662 その修行の目的と方法がわかってなかったら、
修行のしようがないでしょう。
少なくとも仏教の修行とは言えなくなるのでは。
道元だけが仏教じゃないしね、ぜんぜん。
>>662 > 人生、日々是修行って道元が言ってなかったっけ?
「日々是好日」というのは聞いたことがありますね。
髑髏が、土方をしようが宝くじ当てようが、そんなことに拘らず
ありのままで、自由な心で、清らかに水が流れる如し生きる事を意味します。
659さんの、座右の銘にしたら如何でしょうか?
日々是好日(にちにちこれこうじつ)
665 :
ケムール人:02/05/30 21:09
>664
あー、だんだん見えてきたなあ、髑髏ちゃんのいう「仏教」が。
要するに「日常生活における感情」の問題だねえ。
こだわりを超えて、貪・瞋・癡を超えるという課題。
日常の行住坐臥という意味では、曖昧だけど、これも禅的ではあるのかなあ。
しかし、意識とか、覚醒とか、空とか、アーラヤ識とか、
かといって見性とか、シンジントツラク(笑)というのでもないし、
あるいは五蘊無我とかでもないし、ヴィパッサナでもない…。
……つまり、普段の心の、とくに感情面ね。意識そのものというより。
だから中観・唯識はどうでもいいわけだ。ヴッパッサナも、刹那滅もどうでもいいわけだ。
潜在意識、超潜在意識も「どーでもよい」。いわゆる大乗仏教の「空」や「般若」の話ではない。
ひたすらあなたの目指したいのは、日常における「まーるいココロ」ね。
「涅槃寂静」といきなり来られると、釈尊の体験のことかと思って色めき立つけど、
髑髏ちゃんのいうのは、普段の「まーるいココロ」ね。
だから、貴方の言ってるのは理論的に「どーでもいい」のではなくて、
感情面で、「どーでもいい」ということね。
中観・唯識の大乗仏教の「空」、あるい「法」ではなくて、
日常の軋轢の中で練られていくところの「まるいココロ」を
「空」とか「円相」とか「涅槃寂静」「無心」と、とりあえず髑髏語でいっているわけだ。
ところが曖昧な言葉で、ついつい議論する。そうすると叩かれる。
でも、これは半分、髑髏和尚のアーラヤ識が、あるいはカルマが、自ら意図的に求めてることかもね(笑)。
「ココロ」の問題を、「法」の言葉で語ろうとするから、自他ともによくわからなくなってしまう。
……まあ、ぶつけられて丸くなってく、河原の石みたいなもんさ。
そのうち、野仏みたいな味がでてくるかもね(笑)。
>>665 >髑髏和尚のアーラヤ識が、あるいはカルマが、自ら意図的に求めてることかもね(笑)。
だからね。そもそもこういう発想が「どこから出てくるのか?」という根本の話しなんですよ。
私も以前は、阿頼耶識肯定派でした。ですから貴方の考えている事は多少は理解できる。
実は、虚無思想においてもやはりあるプロセスの途中では「虚無」ではないか?と思う時期もあります。
カルマ、輪廻についても明確に答えが出せない時期もあるんですよ。
そういう苦悶の時期というのは確かにあるんですよ。それを越えないと又明確な答えも出せないということです。
そこのところを簡単に解釈すれば、それなりのことかと思います。
667 :
名無し仔猫@1周年:02/05/30 21:27
>>663 名前:名無しさん@1周年 :02/05/30 19:06
>>662 その修行の目的と方法がわかってなかったら、
修行のしようがないでしょう。
少なくとも仏教の修行とは言えなくなるのでは。
道元だけが仏教じゃないしね、ぜんぜん。
まま、名無し殿。お茶でも一杯、飲んで行きなされ。
668 :
名無し仔猫@1周年:02/05/30 21:42
>>664 そーそー、日々これ良い日!
「それ、修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の
見なり。仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆ
えに、初心の辧道すなはち本証の全体なり。かるがゆえに、修
業の用心をさづくるにも、修のほかに証をまつおもひなかれと
をしふ、直指の本証なるがゆえなるべし」。
「正法眼蔵」・辧道話
669 :
ケムール人:02/05/30 21:46
>だからね。そもそもこういう発想が「どこから出てくるのか?」という根本の話しなんですよ。
というより、こういうことは髑髏和尚は興味がないんではないの。
>実は、虚無思想においてもやはりあるプロセスの途中では「虚無」ではないか?と思う時期もあります。
ここの文脈がわかりませんなあ。
670 :
名無しさん@1周年:02/05/30 21:59
ケムさんやっぱり人格者だね
ぼかあ安心して逝けるよ!
髑髏チャンをよろしく!
671 :
ケムール人:02/05/30 22:02
>670 :名無しさん@1周年
お、おーい、逝くなよーお!
こんな骸骨オヤジかかえて、どーしろってんだよお。
>>669 >ここの文脈がわかりませんなあ。
諸行無常ですからね。ある時期は慢心な気持ちになったり、考えてしまう事もあるんですよ。
その後、すべてを吹っ切ってすべてを捨てて、その時初めて分かることもあるんです。
「空」はこういうもんじゃないか?というのは分かったとしても、それを消化するのは大変かと思います。
「虚無」というのは、そういった時期における捉え方ですね。真意ではないですが・・。
> というより、こういうことは髑髏和尚は興味がないんではないの。
人間というのは、初めから分かっている訳ではありませんからね。
興味のあった時期というのもありました。
今は興味が無い。という事です。
673 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:16
>>671 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,__ | ご武運をお祈り申し上げます
/ ./\ \_____
/ ./( ・ ).\ o〇 ヾ!;;;::iii|//"
/_____/ .(´ー`) ,\ ∧∧ |;;;;::iii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄ (,, ) ナムナム |;;;;::iii|
|| || || ||./,,, |ゝ iii~ ⊂ ヾwwwjjrjww!;;;;::iii|jwjjrjww〃
| ̄ ̄ ̄|~~凸( ̄)凸 .( ,,)〜 wjwjjrj从jwwjwjjrj从jr
そろそろ寝ましょう。
675 :
ケムール人:02/05/30 22:20
>673
あーのなあー。
お釈迦様にいって、10万年ぐらい石の中に閉じ込めてもらえんかあー。
676 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:24
>>675 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,__ | ご愁傷様でした.....
/ ./\ \_____
/ ./( ・ ).\ o〇 ヾ!;;;::iii|//"
/_____/ .(´ー`) ,\ ∧∧ |;;;;::iii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄ (,, ) ナムナム |;;;;::iii|
|| || || ||./,,, |ゝ iii~ ⊂ ヾwwwjjrjww!;;;;::iii|jwjjrjww〃
| ̄ ̄ ̄|~~凸( ̄)凸 .( ,,)〜 wjwjjrj从jwwjwjjrj从jr
677 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:28
649 :髑髏仮面 :02/05/30 07:59
短時間で相当神経をすり減らします。そういう仕事です。
1時間仕事をして2時間遊んでいても、仕事量からするとビッシリ3時間労働と同じかと思います。
仙人は、雲を食べて生きているらしい?
こんなことはありえません。
そこのところは私としてもいたってノーマル。その環境で順応しています。
↑こいつ自分のこと仙人だと思ってたのかよ。キモイ仙人だな(藁
678 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:32
672 :髑髏仮面 :02/05/30 22:12
>669
>ここの文脈がわかりませんなあ。
諸行無常ですからね。ある時期は慢心な気持ちになったり、考えてしまう事もあるんですよ。
その後、すべてを吹っ切ってすべてを捨てて、その時初めて分かることもあるんです。
「空」はこういうもんじゃないか?というのは分かったとしても、それを消化するのは大変かと思います。
「虚無」というのは、そういった時期における捉え方ですね。真意ではないですが・・。
↑この馬鹿、毎回毎回よくこんな恥ずかしいこと書けるな。
仏教用語を都合よく私物化してるだけ。
お話になりませんな ( ´,_ゝ`)プッ
>>677 おまえアホやなぁ。
文が読めないのか?
680 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:36
>>679 文が読めないのはお前。
アホもお前。
死ねや。
681 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:36
早く寝なさい!
>>678便所の書き込みだと思えば良いかと思うよ。
683 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:38
早く寝ろ!
684 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:38
※注意
基地害髑髏は本物のキチガイなので
自分が書いてることの意味がわかりません。
685 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:39
髑髏て、寝るといってからもジーと観察してるんだね。
どういう煩悩が彼をそうさせてるんだろう。
>>680 煽りも良いけど、少しは自分の意見も逝った方が良いとおもうよ。
まあ、程度の具合は分かりけど・・・。
687 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:40
髑髏仮面 =2ちゃん最強のアホ
脳髄まで癌がワサワサ増殖中・・・・・・・・
おまえら、スレッド荒らしてもかまわん。
やれ!!
689 :
名無し仔猫@1周年:02/05/30 22:42
聖徳太子、曰く、「世間虚仮、唯仏是真」。流行廃りの
早い浮き世のあれこれを追い掛け回している世間のコゾー
さん方には虚無思想と映るかも知れませんな。
690 :
名無し化け猫@1周年:02/05/30 22:45
おひと方でんな
691 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:45
↓髑髏仮面
/::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
/::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
/::::::::::/|:::::::::/ノ::::::::/ヽ人:::::::::::ヽ
/::::::::::/ |::://∧::::ノ ヽ、:::::::ヽ
|:::::::::::/ι |/ |ノ |/ ∪ ヽ:::::::::|
|::::::::::/ ━━━━ ━━━━ |:::::::|
|:::::::/ == == |:::::|
|:::::/ l ̄ ̄ ̄ ̄|====| ̄ ̄ ̄ ̄ l |::::|
| =ロ| -=・=- / ヽ| -=・=- |ロ=|::|
|/ l / `ヽ l |
/ ー── (●_●)─── \
| l l |
| ∪ |-- ̄`´ ̄--|__ ∪ . | 諸行無常ですからね。
| |二二二二-| | ある時期は慢心な気持ちになったり、
\ 丿 ヽ / 考えてしまう事もあるんですよ。
\_ _- ̄ ̄ ̄-_ _/
 ̄ ̄ ̄\__/ ̄ ̄ ̄
692 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:47
,,,,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,,,,,,
,,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;---、;:;:;:;:;:,,,
/;;;;;;;;;;,-'''" ゙'''ヽ;;;;;;ヽ
/;;;;;;;;;''' ゚ ヽ;;;;l
/;;;;;;;;;'" ゚ ゚ ゙ ゙ ゚ ゚゙ _ヽ、
r‐、'" ) i';;;;;;;;;;; ゚ ゙ ゚ ,,;;;;;;-=ヽ、
/ / / |;;;;;;;;;;| ,,,,,;゚;;;;;;;;-゚、 ‐'"゙_,,,,,,,_\
r‐、' ヽ/ヽ/゙l |;;;;;;;;/ /-─'''''''"ヽ "‐ ◎ ̄ヽ、 ←髑髏仮面
/ ノ / /、ノ |;;;;;;| '",,,-==‐ ヽ " 、\─=≡ ヽ
/ヽ、/ヽ/ヽ/ / ,┴、;| / ◎ , ゚ ゚ ヽ、 ゚ ゚ ゚ ゙i
/ヽ、/ / /、_/ |l |ヽl \─-─‐'/l ゙ ゚ ゙ .)\゙ ゚ ゚゚ i
/ /--/、/_ / \|lノl ゚ ゚ ゚ /└-‡‡ヽ-‐' ヽ゚ ゚i
/ ─'''" ''、/ l、 ゙| \ ゚ / ゚ ‡‡,,-'ニ=メ i .|
/ / ヽ-i \ ゚ i' ゚ /-l「ヽ┼+// ;; /
./ ─-、__,,-- / ヽ、゚ ゚ ) ヽ=ヽ─++-''ノ /、
/ / ̄ヽ ,,,,\ 彡 ヽ ゙‐ ''''''"∪~ / ヾヽ、
/ / ゙\____,,-''''" \ヽ ││ / )
./ / l'" ヽ、 \ヽ、 ヽ ∪ / /
l l __,,,,ノ \ヾ''ヽ 、,,,__,,;-'"'/
l ,,,-─''" ヽ、゙',─----─,,‐"
人 ,,,,,,─''" ゙゙゙'''''''''''''''"~
-‐''''"/
693 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:51
_____
/ _ ヽ
/. }十{. |
|________|_
ノ | - - |
//;'(6 > |
(((((( ┏━┓| ∫
(((((ツ ┃─┃| / ̄ ̄ ̄ ̄\
ヾ(ソ \ ┃ ┃/ / / \ 。 /\ ←髑髏仮面(変人)
/⌒ ⌒\(゚) (゚) っ | |
/ 人 人 ノ゙\ \⌒◯----6) |<バイオレット先生、一発お願いします。
\ \| l // /|||||||_ J ∨|
\⊇ ノ ⊆/\ \_J \ / _/⌒v⌒\
( Y ) \__U__/⌒\ ノ )
| _人_, | / | | |
694 :
名無しさん@1周年:02/05/30 22:52
ここもおしまいだな
695 :
名無し化猫@1周年:02/05/30 22:57
図星なわけだね〜。
696 :
名無しさん@1周年:02/05/30 23:05
------------------------本スレッドは終了しました------------------
みなさん。仕事に戻りましょう。
697 :
名無しさん@1周年:02/05/30 23:06
------------------------本スレッドは終了しました------------------
698 :
名無し化猫@1周年:02/05/30 23:23
縁なき衆生は渡し難し、か?
699 :
名無しさん@1周年:02/05/30 23:44
縁なき衆生は、髑髏とその飼い猫のような気がして
仕方がないんですが。先生。
700 :
名無しさん@1周年:02/05/30 23:47
700
get
701 :
名無しさん@1周年:02/05/30 23:51
>>689 こういう選民意識には、貪、瞋、痴、慢心、嫉妬、
のすべてが強烈に含まれていますね。
とても仏教徒の発言とは言えません。
だから、この人達が振りまわす、空やら無心やらは、
外道の言葉なんでしょうね。
しっかし みんなが既に重々わかっていることを
こんなに嬉々として得意げに説明する人間ってある意味可愛らしいな。
学校の先生に「先生!九九教えてあげるよ」と言っているようなもんだもんな。
「空」とは全然関係ないレスだな。スレ違いというかなんというかスマソ
703 :
名無しさん@1周年:02/05/30 23:56
負け惜しみっぽい。
705 :
へっへっへっ:02/05/31 00:04
今日も、ザーメンぶっかけてやたぞー。
706 :
名無しさん@1周年:02/05/31 00:06
689の猫は髑髏の茶坊主でしょ。689は髑髏擁護発言。
勘違い
>>704
708 :
名無しさん@1周年:02/05/31 01:09
変人(髑髏仮面)の仕事って施設内でやってるやつだろ?
リハビリ兼ねてるんだろうけどさ(プ
709 :
名無しさん@1周年:02/05/31 01:13
伝道 1:2 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
食う?
/■\ /■\ /■\
( ´∀`) ( ´∀`) ( ´∀`)
⊂ つ⊂ つ⊂ つ
.人 Y 人 Y 人 Y
し'(_) し'(_) し'(_)
「トゥートゥー」
/■\ /■\ /■\
(´∀` ) (´∀` ) (´∀` )
⊂、 つ⊂、 つ⊂、 つ
Y 人 Y 人 Y 人
(_)'J (_)'J (_)'J
「トゥマシェリー」
/■\ /■\ /■\
( ´∀` ) ( ´∀` ) ( ´∀` )
( つ⊂ ) ( つ⊂ ) ( つ⊂ )
ヽ ( ノ ヽ ( ノ ヽ ( ノ
(_)し' (_)し' (_)し'
「マーシェーリー」
/■\ /■\ /■\
∩ ´∀`)∩∩ ´∀`)∩∩ ´∀`)∩
〉 _ノ 〉 _ノ 〉 _ノ
ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ
し´(_) し´(_) し´(_)
713 :
名無しさん@1周年:02/05/31 06:13
古代インド人は〇を発見し、その仏教の空の思想が中国に入って無になり
その無が日本に伝わって「ありのまま」となったと本で読んだ事があるん
ですがその「ありのまま」というのが今一つよくわからないのですが・・・
>>711 >スレが 荒れているのか、繁盛しているのか 判断に苦しむところですね。
>>673 >>676 あたりのAAは話の流れからして笑えたけど、どっかで見たこと
あるような紋切り型の髑髏悪口や、意味不明なAA荒らしも多くなったね。
>>713 >ですがその「ありのまま」というのが今一つよくわからないのですが・・・
今の若者は「ありのまま」に魅力を感じないんでしょう。
だから、超能力とか阿頼耶識の覚醒とかに心が向くんでしょう。
その「極」のところが松本智津夫の台頭につながるんでしょうね。
716 :
草レーサー:02/05/31 07:26
いや、若者でなくても「ありのまま」には魅力を感じないと思う。
「ありのまま」では人間やってる意味がないからね。
仏教的に言えば、人間のやっている事の方が概ね意味がないと言
うことになるらしいけど、自分はそれが正しいとは思っていない。
717 :
名無しさん@1周年:02/05/31 07:28
どのような正論をもってしても、本当に理解するのは難しい。
理解するために悩むよりも、実生活に悩むことが多いいからだ。
自分が悟ったとしても、自己満足で終わらせた方が争いは起きない。
悟れない人には、より悟るまでの時間が延びてしまう。
極めれば道、総て同じ処へ行き付くはず。
718 :
名無しさん@1周年:02/05/31 07:30
>>715 「阿頼耶識の覚醒」って何?
わかる言葉で説明して。
>>716 >「ありのまま」では人間やってる意味がないからね。
四諦を突き詰めれば到達するところが「ありのまま」。
では、仏教とは何ぞや?
仏教の衰退は、まさにここにあり!
>>717 >極めれば道、総て同じ処へ行き付くはず。
それは分かるような気がします。
>>718 眠っている潜在意識を何らかの刺激により覚醒させ、隠された能力を導き出そうとするというもの。
721 :
名無しさん@1周年:02/05/31 07:38
キタッーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
722 :
名無しさん@1周年:02/05/31 07:40
>>719 四諦をどう「突き詰める」と「ありのまま」になるんですかね。
さっぱりわからないんですが。
あなたのいう四諦とは?
723 :
名無しさん@1周年:02/05/31 07:42
>>720 >眠っている潜在意識を何らかの刺激により覚醒させ、隠された能力を導き出そうとするというもの。
そのどこがまずいの?
>>722 >さっぱりわからないんですが。
わからないのが当然。
自らに問うべし!
725 :
名無しさん@1周年:02/05/31 07:46
>>720 口惜しいかも知れないが、悟ったものは言葉で語らないもの。
語った所で理解できないもの。
先はまだ長い、焦らぬがよろし。
>>723 >そのどこがまずいの?
「まずい」とは逝ってない。
ただ、その枠組みには「私は当てはまらない」。ということ。
>>725 >先はまだ長い、焦らぬがよろし。
うむ。納得。
728 :
名無しさん@1周年:02/05/31 07:52
>>724 あなたの論理がわからないといってるんですよ。
いいかげんな思いつきでしゃべらないでください。
といっても無駄でしょうが。
あなたは四諦の意味を説明できますか。
>>726 あなたの「境地」にはみんなあんまり関心はないと思うんですが。
というかうんざりしてるんじゃないかと思うんだけど。
それでも敢えて自らを語りつづけますか?
729 :
名無しさん@1周年:02/05/31 07:52
>>727 お茶でも飲んで、少しずつ話しましょう。
>>715 > だから、超能力とか阿頼耶識の覚醒とかに心が向くんでしょう。
超能力はともかくとして阿頼耶識は覚醒した上で転じ去る事が重要なのでは?
731 :
名無しさん@1周年:02/05/31 08:00
>>723 阿頼耶識は現代でいう潜在意識に該当しますが、人間の日常の習慣性
とか経験を語る上でたてられた架空のものです。
その性質も上記の範囲で厳密に規定されています。
そこで阿頼耶識が「覚醒する」という性格のものでもないこと、
または「覚醒する」といった人は、経典等を読んでいないこと、
阿頼耶識が分かっていないことが露呈します。
単なるオカルティズム的な発想でしかないことを、問題としているのです。
>>728 >それでも敢えて自らを語りつづけますか?
無常。
>>730 >超能力はともかくとして阿頼耶識は覚醒した上で転じ去る事が重要なのでは?
そこまでは私は詳しくありません。
733 :
名無しさん@1周年:02/05/31 08:06
「自在自由 誤まり見たり放縦の 世は過ぎ順序限定のみの世」
自らが求める論以外は、誤りと考えてしまう人たちへの戒めの句
先人たちが何を求めていたのか、改めて考え直す為の句
735 :
名無しさん@1周年:02/05/31 08:09
>>731 ヴィパッサナなど今を観察する系統の瞑想で、無意識に行為する部分を
できるだけ排除して、すべての感覚や意思を意識化していくような修行を
しますが、
これは、無意識を排除して意識化する事で、潜在意識の部分を覚醒させて
いるといえませんか。
736 :
名無しさん@1周年:02/05/31 08:10
>>732 あなたは物を盗んでも、人を殺しても「無常」のひとこと
で開き直る人なんでしょうね。
麻原と同じようなものですね。
>>731 > 阿頼耶識は現代でいう潜在意識に該当しますが、人間の日常の習慣性
> とか経験を語る上でたてられた架空のものです。
「覚醒」は分別の無意味化を悟る という意味で使った。俺の場合は。
>>732 おい!詳しくないのになんでわかったような事言っているんだ!
738 :
名無しさん@1周年:02/05/31 08:16
>>735 テーラワーダの伝統では、潜在意識というのはないはずですが。
最近は情報化社会で北伝仏教のあらゆることを取り入れて、アナウンスしてい
るようですが。
#ゴエンカなどは護法唯識の四分説を、堂々とやっている#
>ヴィパッサナなど今を観察する系統の瞑想で、
これはシャマタ(サマタ)の部分です。
>これは、無意識を排除して意識化する事で、潜在意識の部分を覚醒さ
>せているといえませんか。
無意識=潜在意識とするならば、説明する以前に、上記の文には矛盾を感じます。
739 :
名無しさん@1周年:02/05/31 08:19
サマタというのは「止」じゃないですか。
観察するのはヴィパッサナでしょう。
たしかに潜在意識そのものが覚醒するわけじゃないですね。
>>736 分析手法そのものが「迷い」。
先ず、自らを問うことが肝要。
それにて答えが出るであろう。
>>737 >おい!詳しくないのになんでわかったような事言っているんだ!
そもそも阿頼耶識という概念そのものが私にありません。
>>741 以前は肯定していたんだろ?いつのまに無くなっちゃったんだ?
743 :
名無しさん@1周年:02/05/31 08:27
>>740-741 概念がないのに、言葉だけは振りまわすわけか。
分析手法が迷いなのに、
自分が分かってもいない言葉をぺらぺらと振りまわす
のは迷いではないの?
君こそ自らを問うてみたら?
>>742 >以前は肯定していたんだろ?いつのまに無くなっちゃったんだ?
だからぁ〜、阿頼耶識は八図で全部捨てたのよ。捨てんことには「観えない」。
いわば「余計な概念」。ということになる。
これは私自身の捉え方だから、別に貴方達がどう考えようと関知せず。
745 :
名無しさん@1周年:02/05/31 08:44
>>739 おっしゃるとおりですが、シャマタで感覚器官統御し、対象を観察し、
認識し、ヴィパシャナでそれを仮構するので、正確に言うとシャマタ
の結果が、観察なのではないでしょうか。
ヴィパシャナは分別知で直接知ではありません。
今のテーラワーダ系がどういうように説明しているかは知りませんが。
746 :
名無しさん@1周年:02/05/31 08:52
今のテーラワーダ系は、スリランカ系もゴエンカも
ヴィパッサナを観察そのもの、直接知のように言ってると
思います。
サマタは「心を落ち着けること」で観察の要素はないといってた
と思います。
747 :
名無しさん@1周年:02/05/31 08:55
>>744 >これは私自身の捉え方だから、別に貴方達がどう考えようと関知せず。
だったら他の人に難癖つけるなよ。
(してないとは言わせないよ)
>>747 貴方は誤解してませんか?
難癖つけられているのは私の方だよ!
そんなこたぁ構わんけどね。
749 :
名無しさん@1周年:02/05/31 09:16
>>746 直接知、分別知というもの自体が、大乗仏教が創出してきた概念で、
元来テーラワーダにはありません。
シャマタ・ヴィパシャナも西洋の学者が、仏教だけに見られる修行方法
といったのを、彼らはいつのまにか仏陀が修行した瞑想方法にすり替え
てしまいました。
これについては、中村元さんとかが警鐘の意味もあったのでしょう、
論文を書いておりまして、シャマタ・ヴィパシャナが、釈尊には認められ
ないことを論じられました。
私はこの論文を妥当なものと思います。
また現在のテーラワーダ系の瞑想は、自己暗示法というべきもので、私が
経典を読む範囲では、あんな変なことはしておりませんし、むしろ原始経
典ではそれに近いことを取り上げて否定しております。
個人的には、経典論書で説かれる禅定・ヨーガ・サマーディ等とは、次元
が異にしていると思っています。
>次元が異にしていると思っています。
次元を
ですね。すまそ
751 :
名無しさん@1周年:02/05/31 09:29
>>748 自分のしたことも覚えてないなら、過去レス読んでみろよ。
ハッキリするから。
752 :
名無しさん@1周年:02/05/31 09:37
>>749 釈尊が実際に修行した瞑想法って実際どんなものだったのでしょう。
素人として口語訳の原始仏典を読んだ感じでは、ラージャヨガみたいなもの
に思えますが。
753 :
ケムール人:02/05/31 09:43
>749 :名無しさん@1周年
>また現在のテーラワーダ系の瞑想は、自己暗示法というべきもので、私が
経典を読む範囲では、あんな変なことはしておりませんし、むしろ原始経
典ではそれに近いことを取り上げて否定しております。
この情報は本当ですか。ちょっと驚いたのですが。
「あんな変なこと」というのは、具体的にはアナパーナ・サティ(安般守意)のことですか。
あるいは日常の行動をひとつひとつ微分化して意識する(サティを入れる)ことですか。
それ、原始経典のどこで否定しているのでしょう。よろしければ。
>>751 >自分のしたことも覚えてないなら、過去レス読んでみろよ。
>ハッキリするから。
おまえなぁ。2ちゃんでそんな事わざわざするかぁ?
気持ちを寛大に持てよ。
とにかく気が小せえよ!
755 :
名無しさん@1周年:02/05/31 10:04
>>753 749じゃないけど、ゴエンカさんのヴィパッサナセンターの瞑想では呼吸を鼻に
空気が出入りする触覚で観察してた。それを3日ぐらいやった後、全身の皮膚の
感覚を中心に観察する。まるで気功みたい。というか、気功とかやったことの
ある人間だと、小周天なんかとあまり変わらないことになってしまう。
いっぽう、テーラワーダ協会のでは、「ラベリング」というのをうるさく言う。
呼吸そのものでなくお腹が膨れたり縮んだりするのを、「ふくらむ」「へこむ」
と心で唱えながら観察?する。確かに暗示に近い。
そしてそのラベリングをどんどん細かくしていけといわれる。
なれてくると、ふくらむ、とまる、へこむの他に、息を吸おうとするとか
そういう心の動きにもラベリングできるようになるのだとか。
「ラベリング」なんてことは確かに、仏典には載ってないような気が・・・
756 :
名無しさん@1周年:02/05/31 10:05
757 :
ケムール人:02/05/31 10:09
>711 :かえるさん
>スレが 荒れているのか、繁盛しているのか 判断に苦しむところですね。
仏教講座「空を語る」だけではなくて、バラエティ番組やアニメも加わってきたということではないでしょうか。(笑)
758 :
名無しさん@1周年:02/05/31 10:10
>>756 >そう人に難癖つけるなよな。
はい、承知しました。
しかしなんだなぁ。貴方の執着は素晴らしいものがあるよ。
おそらくは仏教関係者で、貴方の右に出るもんは居ないであろー。
まあ。とにかく「一番」というのは良いんかもしれんなぁ?
一番かもしれんぞ・・・。執着が。
760 :
ケムール人:02/05/31 10:36
761 :
名無しさん@1周年:02/05/31 10:42
>>759 しかしなんだなあ。あなたの妄想には素晴らしいものがあるよ。
私は仏教関係者なんかじゃないしね。
あんたどうしてそうこのスレに執着する?
762 :
名無しさん@1周年:02/05/31 10:55
>>760 たしかに、ここにある「大念住経」のコピーをテーラワーダ協会
のヴィパッサナで読まされました。
沙門果経にも似たようなところがありましたよね。
私の感じに過ぎませんが、あそこがラベリングを重視してるのは
まず「名色分離智」を得なければならないという、理論上の要請
のような気がするのですが。つまり、あくまでナーマとルーパは
別なんだという考えと関係があるような気がします。
ゴエンカ氏のセンターのほうは、ラベリングということをいっさい
言わないだけでなく、むしろ排除してる感じでした。言葉をつか
えば言葉だけになってしまうということで。ラベリングできない
感覚(触角や皮膚感覚)を中心にやってました。
763 :
ケムール人:02/05/31 11:08
>762 :名無しさん@1周年
あー、なるほろ。
途中まで「ナーマ」使ってラベルはるけど、そのうち「ナーマ・ラベル」いらなくなっちゃうんだ。
それで、「ナーマ」と「ルーパ」の裂け目がはっきりしてきて、「名色分離智」か。
そこで何らかの気づきがある、と。
一方、「ゴエンカ氏のセンター」では、その方法はとらずに、最初から直覚的にいく…と。
――てことは、いずれにせよ原始経典(「大念住経」「沙門果経」)では、否定していないし、
というよりそのものがテーマだし、
釈尊前後の時代でも、ヴィパッサナ的な冥想は実際行われていた
と、結論づけて、いーのだろーか?
し〜ん。
異議あり? 異議なし?
764 :
名無し化猫@1周年:02/05/31 11:16
旧約聖書の伝道之書(「空の空、空の空、一切は空なるかな」
ってヤツ)って、仏教の影響を受けてないかな。内容的にも、
ブッダの成道物語に似たとこがあってさ。
>>761 >あんたどうしてそうこのスレに執着する?
貴方のよーなトップクラスもいれば、中にはDQNも混じっているんだよ。
そういうDQNによって「我の破壊」が出来る場合もある。
唯識が駄目だというよりも、ある時期までは有効かもしれん。その後は自分で答えを導く以外に無い。
最後まで唯識論を引ぱって逝っても良いのか?悪いのか?それは自身が決めることだろう。
つまりは壁に突き当たって、それから悩んで考えて、導きだされたもんじゃないと本物ではない。
先ずは自身が苦しむことが一番良いだろー。
(つづき)
つまり、煩悩あって良し、なくて良し、どーでも良し。は全部捨てきれんと意味が分からない。
分別→無分別→分別。
私は、こう仏教というのを考えているということで、それはそれ自分の気に入った方法で選択すれば良いんでしょう。
つまり・・・
>煩悩あって良し、なくて良し、どーでも良し
これは「無分別」がなけりゃ〜全く意味が通じない。という事になる。
それについては、掲示板では既に限界という事になるかと思う。
767 :
名無しさん@1周年 :02/05/31 15:42
今日も、オナニぐぁんばるどーーーーーーーーー
768 :
名無しさん@1周年:02/05/31 15:50
>>765 どうして急に唯識の話になるんだ?
自分をいじめてるのが唯識派だと思い込んでる?
769 :
名無しさん@1周年:02/05/31 15:59
TM=唯識瑜伽行派 という偏見がある
770 :
名無しさん@1周年:02/05/31 16:07
自分をいじめてるのがTMだけだというのも偏見だよ。
あいつらはTMだから自分を叩くんだと思ったほうが楽だろうが。
771 :
名無しさん@1周年:02/05/31 16:09
>765
貴方のよーなトップクラスもいれば、中にはDQNも混じっているんだよ。
そういうDQNによって「我の破壊」が出来る場合もある。
DQN→髑髏
DQN→他の者
どちらの意味か?
772 :
名無しさん@1周年:02/05/31 16:35
確かこの板で唯識や中観について複数回語られたことあったが・・・
思い起すに・・・・
唯識派を自称しながら
実際はニューエイジ的な曖昧な唯心論でしかなかったり
批判している相手と同じ中観の見解だったりしてたケース何回も目にした。
その逆のケースもあった。
(決してニューエイジや曖昧な唯心論を一概に否定してるのではなく、語られている内容の深度とのアンバランスさ故に議論もちぐはぐになるということ)
空の話以前にそういうとこに気を付けないと駄目じゃないかな。
他人と意見を交換する際の大前提がいい加減過ぎる。
要するに、実践においても、概念把握においても、勉強が足らないんだと思う。
せっかく潜在的な機根は十分でも、どこか、大事なポイント外してるが為に、
そんなことになってしまうのだと思う。
真理を概念で完璧に表現することは無理だとしても、それはそれとして、
他人のスムーズなやり取りのためのタシナミとしても
広く一般に通用する概念把握をしておくことも大事ではないかな。
その上で、一般に通用する概念把握で表現しきれない自分なりの解釈の部分を
自分の言葉で表現すると混乱が少なくなる。
こうした細かい配慮も、他人に対する思いやりだと思うのだが、いかがだろうか。
もっとも、2chで気軽に遊んでるだけだからほっといてくれということなら、余計なお世話かもしれんが。
773 :
名無しさん@1周年:02/05/31 16:39
八正道の最初の3つ
1.正見
自己中心的な見方や、偏見をせず、仏の法をよく理解し、中道の見方をすること。
2.正思
自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)
・瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)・愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)という「意の三悪」を捨て去り物事を考えること。
3.正語
恒に真理に合った言葉使いをする事。社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)・両舌(都合や立場で使う二枚舌)
・悪口(破壊的な悪口)・綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ。
774 :
名無しさん@1周年:02/05/31 16:43
>772 :名無しさん@1周年
批評は簡単。まず、自らが、お手本とたたき台を
775 :
名無しさん@1周年:02/05/31 16:49
昔から高僧と言われている人で、
普段は「文字などチゲの原因じゃわい」と弟子にキツク言うような人でも、
何らかの事情で文書を書いたり、他宗派の知人と意見交換したり、他人に説法するときには、
恐ろしいまでに仏教の概念を忠実に使いながらも
同時に示唆に溢れる文章や言葉を難なく表現できたそうだ。
真理は概念で表現しきれないだろうが、達人はそれを踏まえながらも、決してそれに甘えたりはしないのだと思う。
「禅の達人ほど、世間一般に通用する言葉の達人である」
という言葉を高僧から耳にしたことがある。
776 :
名無しさん@1周年:02/05/31 16:49
>772さん
「唯識論」と「唯心論」の違いがわかりません。
「唯識論」は、華厳経の「三界唯心」から出たと聞いたのですが。
777 :
名無しさん@1周年:02/05/31 16:52
772=775?
778 :
名無しさん@1周年:02/05/31 17:18
>>775 そんな達人のレベルをここで要求するのもどうかな。
それに、日本の仏教にそんなすごい人いるの。
779 :
名無しさん@1周年:02/05/31 17:21
泥の中(2ちゃん)から蓮華を咲かせる「空」しい試み、てかー。
780 :
名無しさん@1周年:02/05/31 17:25
>775 色紙もとめられると、
自分でもわけわかんない「○」書いてみせる「高僧」もいるしな。
781 :
名無しさん@1周年:02/05/31 17:30
>>775 参加者それぞれが延々と自分語のみで話しても誤解が広がるだけでしょってこと。
せめて、大事な概念は、自分語使わないようにすればいいのではと思うが。
782 :
名無しさん@1周年:02/05/31 17:30
髑髏仮面と大して変わらない坊主も実際多い。
あそこまでひつこくないけどね。
783 :
名無しさん@1周年:02/05/31 17:33
言葉の定義をしてくれと言ってもなかなかこたえてくれないんだよね。
「一如の法門」「如来の当体」「涅槃寂静」・・・
でおわっちゃう。
784 :
名無しさん@1周年:02/05/31 17:34
>782 禿同!!!!
髑髏より、そっちが問題だ。
785 :
名無しさん@1周年:02/05/31 17:35
>>780 その人のことわからんけど、本当にすごい人で、
あなたの姿観て、それが最適だと思ったのかもよ。
そう思ったほうが、あなた幸せになれる。
786 :
名無しさん@1周年:02/05/31 17:37
本当にすごい人がそんな奇を衒うようなことするか?
787 :
名無しさん@1周年:02/05/31 17:37
>783
「一如の法門」「如来の当体」「涅槃寂静」
みんな、単なる「いやし系の言葉」、なのさっ。
>785
とゆーか、神秘めかして、「不立文字」をかざして、自分を大きくみせて、
商売やってる坊主の類型的なパターン(複数)があるんじゃないかってこと。
そのミニチュアが、髑髏。
789 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:06
>781
しかし日本の仏教諸派の「大事な概念」そのものが、
統一されてないしにゃー。「空」も「無我」も、坊さんによって違う。
790 :
名無し仔猫@1周年:02/05/31 18:15
腐れ外道がたかって来たね〜。
791 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:16
>>788 まぁまぁ、ぱあぱあ、じいじい、ばあばあ。
>>782 >>784 まあね。
でも、当てになる坊さん見つければいいことだし。
じゃなきゃ、自分が坊さんになって日本仏教を立て直すとか。
>>783 基本的にさ、どの言葉に置き換えるにしても、シンプルな2、3語で終わりじゃないかな。
概念の面では、それ以上語ることはないと思うよ。
修行との絡みで言えば、たとえば、自分なりの理解を頼りになる坊さんに聞いてもらって、
誤った点を指摘してもらいながら、修正していく方法が坊さんとの問答の場合の王道。
そうやって、誤った見解を無くして行く方向で修行して、
最後には御釈迦さんみたいに見解を持たないようになると。
凡夫どうしの議論も基本的には同じでしょ。
とりあえず、空性という何かが実体的なものとして存在する訳ではないことに注意して修行すればいいんだと思うけど。
それ以上、語りようがないと思う。
空について、禅定と離れて純学問的に語っても意味ないしさ。
悪いね、身もふたもないこと言ってしまって。
792 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:20
>>790 こういう発言をするのが外道。
>>791 ここは言葉で語る場です。
場をわきまえることが何より大切だと思うけどね。
793 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:26
>791
>とりあえず、空性という何かが実体的なものとして存在する訳ではないことに注意して修行すればいいんだと思うけど。
それ以上、語りようがないと思う。
空について、禅定と離れて純学問的に語っても意味ないしさ。
悪いね、身もふたもないこと言ってしまって。
「悪いね、身もふたもないこと言って」というより、
最初からこの辺のことは、みんなわかってて、やりあってんでしょ。
それをいまさらいわれてーも(w
794 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:29
>>791 そう。私もここは言葉で語る場だと思う。
ただね、基本的に、「空を完璧に悟った仏には見解がない。その空について、言葉の限界を十分理解した上で議論しよう」
ということはちゃんと踏まえないといけない。
その上で言葉を手立てに議論するなら、行き違いの頻度も回数も格段に減る。
十分わかってる人もいると思うけど、それでも、まだまだ、安易な議論が多いと思う。
795 :
名無し仔猫@1周年:02/05/31 18:29
>>792 君の発言から察するに、荒らしをしてるのはチミ
の方ではないかねえ? この外道。
796 :
名無し仔猫@1周年:02/05/31 18:33
禅的な立場からすると、発言は一つの行為だからね。
もちろん、思弁的な議論も時には大事だが。
797 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:38
>795
「外道」というのは、釈迦の教え以外の求道者たちの総称であって、
とくに差別語ではありませぬ。
なぜ「この外道」、「腐れ外道」という感情表現になるのかね。
798 :
名無し仔猫@1周年:02/05/31 18:44
人の言葉じりを捕らえて偉そうな顔をする
ヤツがむかつくから! 例えば↓
797 名前:名無しさん@1周年 :02/05/31 18:38
>795
「外道」というのは、釈迦の教え以外の求道者たちの総称であって、
とくに差別語ではありませぬ。
なぜ「この外道」、「腐れ外道」という感情表現になるのかね。
799 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:44
3.正語
恒に真理に合った言葉使いをする事。社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)・両舌(都合や立場で使う二枚舌)
・悪口(破壊的な悪口)・綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ。
>>>
>>790 :名無し仔猫@1周年「腐れ外道がたかって来たね〜。」
800 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:46
>>794 ここは1を読めばわかるように、必ずしも仏教の立場を
前提とするスレでもない。ましてや禅に限らない。
>>795 何を持って荒らしという。
少しでも内容のあることは何一つ語らず、
ただひたすらひとを罵倒しているだけの
君こそ荒らしに見えるがね。
801 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:47
2.正思
自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)
・瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)・愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)という
「意の三悪」を捨て去り物事を考えること。
>>>
>>798 :名無し仔猫@1周年 :02/05/31 18:44
人の言葉じりを捕らえて偉そうな顔をするヤツがむかつくから!
802 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:48
>>798 お前のいう「外道」の意味をはっきりさせろ。
803 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:49
804 :
名無し仔猫@1周年:02/05/31 18:53
道端で「外道」って言われて、「あー、
これは仏教語でなんたらかんたら」って
思う?
805 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:54
2.正思
自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)
・瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)・愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)という「意の三悪」を捨て去り物事を考える
こと。
>>>>>>>>>>>>
>>798 :名無し仔猫@1周年 :02/05/31 18:44
人の言葉じりを捕らえて偉そうな顔をする
ヤツがむかつくから!
ハイ。今日のポイントは、「瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)」ですね。
がんばりませう!
806 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:56
807 :
名無しさん@1周年:02/05/31 18:59
>>800 だからこそ、逆に自分の立場が重要になるってことはないか?
「空」って、「お空」のことかいな?
808 :
名無しさん@1周年:02/05/31 19:01
809 :
草レーサー:02/05/31 19:02
髑髏さん
四諦を突き詰めればと言うけれど、そんなに突き詰めたら生活できない
でしょう。本当に突き詰めて行うのと、突き詰めたつもりになって考え
るのでは、答えは似て非なるものになるのはお分かりになると思う。
何事にしろ、突き詰めて行う場合、想像以上の苦闘を強いられるのです
から。この「苦闘」をパスして語る法など、何の意味も自分は感じない。
例えば、重い病を患い、うまく回復したとすると「健康」の感覚が以前
の感覚とは違ってくるように。どちらにしても「ありのまま」でいる事
は人間の「性」ではないと思う。ありのままが無いとは言わないけどね。
善し悪しを分かってそこから出てくるのがにんげんでしょ。それが人間
味というものでしょ。
レースがこの世からなくなるのは自分は困るが、仏教がこの世からなく
なっても別に自分はいいですよ。二千五百年前に仏陀も涅槃した。
それこそ、無常のままに衰退させておけばいいんじゃないですか?何々
教の印がなくても人間は悟れるでしょう。それを釈尊が示している。
それにしても、どうしてそんなに「仏教」にしがみ付くのです?
810 :
名無しさん@1周年:02/05/31 19:03
>804 :名無し仔猫@1周年
ある日、「道端」で
♪
無明の無明の子猫ちゃんー
あなたのお家はどこですかー
真理をきいても、 わからないー
名前をきいても、 わからないー
にゃんにゃんにゃにゃん
にゃんにゃんにゃにゃん ♪
…あー、めんどくせ。やめよ
811 :
名無しさん@1周年:02/05/31 19:05
>>800 >>必ずしも仏教の立場を 前提とするスレでもない。ましてや禅に限らない。
そうだね。
でも、だからこそだと思うけど。この辺は、見解の相違かも。
あなたの考えも一理あるとは思う。
812 :
名無しさん@1周年:02/05/31 19:05
>>806 極道さんは、有り難いもんもんをいっぱい
しょってるやんけ? 今度、銭湯にでも行っ
て観察して見な。
813 :
名無しさん@1周年:02/05/31 19:10
>811 :名無しさん@1周年
本職(坊さん)すか?
そろそろコテハン名乗ってくれた方が、
議論の筋道がわかりやすくなると思いますよ。
>>809 >それにしても、どうしてそんなに「仏教」にしがみ付くのです?
しがみ付くのではなく、求める自分というのが「見えてくる」ということでしょう。
「何故自分は求めるのか?」。この永遠のテーマに終止符がなされるものと思われます。
「求めずして既にそこにあり」。こういうことなんでしょう。
ですから。これを底辺におかなければ「無分別」→「分別」の意味が全く通じないのです。
観念的解釈ではすでに限界かと思われます。
815 :
名無し仔猫@1周年:02/05/31 19:31
イカン! 気づかない内にステハンに
なっておったわい。さて、どれが仔猫ち
ゃんの鳴き声でしょう?
816 :
名無しさん@1周年:02/05/31 19:35
>815 :名無し仔猫@1周年
>さて、どれが仔猫ちゃんの鳴き声でしょう?
「むみょ〜う。むみょ〜ううう」
817 :
名無しさん@1周年:02/05/31 19:58
umaage
818 :
名無し仔猫@1周年:02/05/31 20:07
819 :
名無しさん@1周年:02/05/31 20:29
黒山鬼窟も、智慧の光に照らされてしまえば、雲散霧消。
名無し仔猫も消える。
820 :
名無しさん@1周年:02/05/31 20:52
>813
>本職(坊さん)すか?
無反応。
当たったか?
821 :
名無しさん@1周年:02/05/31 21:02
>>753 大分レスが...カメレスになってしまう。
>「あんな変なこと」というのは、具体的にはアナパーナ・サティ(安般守意)のこ>とですか。
アナパーナサティはそれほど変だとは思っておりません。伝統的なものだし。
ただ「楽を感じながら出息入息..」というような部分は、今日見る自己暗示瞑想の起源
だと再認識はしました。
ヴィスディマッガやティーカもこの部分は、文章の読みかえを主張しています。
>むしろ原始経典ではそれに近いことを取り上げて否定しております。
否定の個所は、直接的なものではないので、あえてあげませんがケムさんがお引きになった
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/3155/keisei/tokubetukougi.html の ◎サマディスッタ(定経)で代用できます。
ブッダは、禅定を成就した結果、そこに苦の生滅とかが感得されるとするのであって、
苦の生滅を自分に刷り込んで、それでのぼせ上がって滅苦の禅定が満たされる、というものでは
ありません。こうした予定調和的なことはしない、との説が、どこかにあったと思います。
先ほどのヴィスディマッガ等の説明もこれと同様「出息入息で禅定が満たされた結果、楽が感
得された」の理解にすべきことを言っております。パーリ文の都合で、この経のような表現にな
っているとも。
アナパーナサティのこの具体的解説部分は、他の経典にも再利用されています。ニカーヤでは珍
しくないことですが、こうしたあちこちで再利用される句は、1つには三蔵として成立する前の
古いものであり、2にはこの個所が経典としてまとめ上げられる時点で、これに後世の意味が付与
された可能性も考えなくてはならない個所でもあります。
これがニカーヤ内ならまだしも、例えばダンマ・パダの七仏通誡偈は、ジャイナ教経典にも引か
れるので、こうしたパラレルに存在する場合は、原文から離れてある程度それへの評価が定まり
認知された可能性から、ダンマ・パダの成立自体新しいのではないか、という人もいるくらいです。
822 :
名無し仔猫@1周年:02/05/31 21:08
823 :
ケムール人:02/05/31 21:37
>821 :名無しさん@1周年
おっとー。これは仏典を本格的に読み込まれてる方のレスですな。(笑)
要するに、瞑想における「刷り込み」「予定調和」に大変疑問があると。
ということは、「ラベリング」の部分も含めてでしょうかねえ。
これは誰か、他の人も質問していたかと思うのですが、
釈尊その人の瞑想法、あるいは直弟子にさせていた瞑想で非常に可能性が高い、
文献学的に見ても、批判に耐えうる「瞑想の実践」とは、一体何だったのでしょうか?
749のレスの
「個人的には、経典論書で説かれる禅定・ヨーガ・サマーディ等とは、次元が異にしていると思っています。」
というのは、現在のテーラヴァーダ系団体と、原始仏典での瞑想の違いを
指摘されているわけですか?
……しかし、「ダンマ・パダの成立自体新しい」
うーん。こうなってしまうと、お手上げですねえ。
とりあえず長文のレスありがとうございました。
>>809 「重い患い」はあくまで受け身形。修行ちゃう。
825 :
名無しさん@1周年:02/05/31 21:49
おお、ケムさんだ!
いつも独露のお相手ご苦労様です<(_ _)>
一応、釈尊その人の瞑想というのはよく分からないというのが、通説で、
例えば、四禅から四無色定へというのは、釈尊が修行された経緯をそのまま
トレースしたもので、「舎利弗○○」というような論書の系統で体系化され
ていくので、もとは舎利弗系の修行観であるとされている。
お釈迦さんはこれら(...有所無所@アーラーラカーラマ→非相非非想定@ウ
ドゥラカラーマープトラ)を捨てて仏教を開いたのだから、この体系の外に求
めるべきであるといったのは、増永霊鳳さんだったか、誰だったか...
そんなところです。
826 :
名無しさん@1周年:02/05/31 21:57
>>・・・・非相非非想定
この辺は仏教を無難に学んでれば、禅定においても、
その状態にひっかかるような問題にはならないはずよん。
基礎教学の時点でひっかからないから、
禅定において、そのような外道の境地にはなる危険性は少ない。
禅定とは何かというより、成仏とは何かの問題となるから。
827 :
ケムール人:02/05/31 22:12
>825
どもども。
ということは、「語句」レベルの問題は別として(これは花粉とか種みたいに、テキスト間を飛び回って、
あちこち付着したりしているらしいですね、どうやら)瞑想法レベルでは、「阿含経典」の内容は信憑性がある
……と考えても、よろしいのでしょうか?
あと、「アーラーラカーラマ→非相非非想定」、
これヨーガの仙人ですよねえ。アラカマさんは。
てことは、少なくとも「アーラーラカーラーマ氏」に関する限りは、アートマンの人ですよねえ。
つまり梵我一如の体得者。
いいかえれば、主体を「実体化」していると、しばしば仏教学者にいわれてしまうバラモン教系の修行者。
ということは、釈尊の悟りというのは、「この体系の外」なのか、
あるいは「この体系のさらに上/or奥」なのか……。
まあ、書いていて、だんだんわが身が恥ずかしくなってくるような高い境地ではあるんですが〜。
828 :
名無しさん@1周年:02/05/31 22:18
この分だと1000いっちまうよ、2chでニルヴァーナ体験した奴
他にいねーんかなあ、なんか言ってやってよ。
829 :
ケムール人:02/05/31 22:22
>828
笑
こーれさー、1000入っちゃうと、どうなんの? 実際の話。
倉庫入って、そこでストップ?
>>827 >瞑想法レベルでは、「阿含経典」の内容は信憑性がある
逆でしょう、疑わしい。
>あるいは「この体系のさらに上/or奥」なのか……。
上でしょう。
『禅定思想史』という古い本で、まともに仏教の禅定全体を正面切って
まとめたのはこれ位しかない。
内容がそうとう古いのは否めない。
831 :
名無しさん@1周年:02/05/31 23:16
>828
呼んだ?
私が「2chでニルヴァーナ体験した奴」である。
なーにか。
832 :
べりーあほかも:02/05/31 23:22
うんうん。よしよし
833 :
ケムール人:02/05/31 23:43
>830 となると、四念処もあかんですか?
あるいは、たとえば「五蘊無我」として、五蘊をひとつひとつ「実体がない」とか
「非我」「無我」とか意識で規定していく、という瞑想は、
「ペケ」ですか?
――ああそれと、文献学的にやっている人に聞きたかったのは、やっぱり「輪廻」の問題ですね。
まあ、定番といえば定番なんだろうけど。
釈尊は、輪廻を認めていたのか、それとも「方便」として説いていたのか?
これはチベット仏教の話になってしまうのですが、例の評論家の宮崎哲弥氏の論争。
彼は自称「中観派(?)仏教徒」なんだけど「輪廻」は認めないわけですね。
当然、宗教組織としてのゲールク派とは、対立する見解になる。
学界の一部が反発したという、論争のあらましですね。
東洋文庫の福田洋一さんが、怒ってる(笑)
http://homepage1.nifty.com/boddo/ajia/topic/special.html かなり以前、貼り付けておいたんだけど、誰も、うんとも、すんともいってこなくて…(笑)。
その『禅定思想史』という本は、日本の本ですか?
834 :
名無しさん@1周年:02/05/31 23:47
>>827 釈尊が古典ヨーガを棄てたのは、それが誤った道であると判断して棄てたのか、
それとも、その頂点を極めたから、それが必要なくなって、むしろその境地が
障害になり、上を目指すために棄てたのか。
後者の場合だとすると、そこまでヨガ行を極めてはじめて、それを棄てられる
ほどの境地に達することができたとも考えられるのでは?
原始仏典のどこかで釈尊が弟子たちに「動物のまね(身振り)をするな」
といってるとこがあったと思うけど、あれは、ハタヨガのアーサナをするな
って意味かも。(アーサナもインダス文明の頃から行なわれていたらしいから。)
空は縁起のことなので、因縁生起の理法を解すればよろしいでしょう。
縁生の事法は有に非ずと雖も、縁起の理法は実有です。
仏教は古代的思惟様式の一形態です。
836 :
名無し仔猫@1周年:02/06/01 00:42
>>834 >>828 ニルヴァーナって言っていいか知らないが、照明体験ならしたよ。
ヘドロの塊みたいな経験自我がブッディから剥離して目の前に現れ
てさ。ま、どーでもいい話ってことにするのが、良識なんだろうけ
どね。
ヘルマン・ベックという人が、書いた仏教の概説書が岩波文庫に
あるんだが、ヨーガとの関係から仏教を論じてるね。「古典ヨーガ」
ってのは、仏教における大乗的な要素が希薄なんでないの?
837 :
名無しさん@1周年:02/06/01 01:09
>>836 で、そのヘドロの塊また食ったのか。なるほろ。
古典ヨガには当然大乗的要素はないでしょ。
お釈迦さんにもあんまりないでしょ。最初の伝道を迷ったくらいだし。
838 :
名無しさん@1周年:02/06/01 01:14
お釈迦さん、最初は「あいつらに、どーせいってもわかんないよ。やる気ないよ」
ってノリだったんだよな。
梵天が無理やり説法させた。
839 :
名無しさん@1周年:02/06/01 01:15
照明体験みたいなのは、ハタヨガを丁寧にやってるとほぼ自動的に
たぶん誰でも体験できます。
照明体験というのにもピンからキリまであるんだろうけど、いわゆる
光の体験。
固かった身体が一晩で急に柔らかくなったり、奇妙なことも起きる。
840 :
名無しさん@1周年:02/06/01 01:21
光の体験とか、光明体験と、ニルヴァーナは一緒にならないよ。
詰まってた気(プラーナ)の通りがよくなっただけ。
しかし、仏教学者で「光明」なんて存在しないといいはる奴もいる。
これもおかしい。
841 :
名無しさん@1周年:02/06/01 02:31
>>841 >三諦説「空・仮・中」...八正道とは、実に苦の滅尽の方法であって、修行すると当然そこに行き着くはずであり
「空」であっても「仮」。それに捉われず「中」。非常に曖昧。されど明解。
非常に誤解されやすい。しかしながらこれぞ「真を得たり」。
十牛図最後は、幸福を求めることも無く又それを否定するものでもない。ということでして、
これはまさしく「中道」そのものですね。自由な心そのものかと思います。
「日々是好日」。禅では有名ですが座右の銘にしたらどーでしょうか?
、
843 :
名無しさん@1周年:02/06/01 03:26
>ケムール人
イットリウムさんは元気なのでしょうか?
844 :
名無し仔猫@1周年 :02/06/01 03:34
>>837 ヨーガ教典では「自分の吐いた反吐を舐める犬」と言うね。
ただ、意識化した分、流され難くなったのは確か。俺は特殊
な修行を積んで経験したのではないよ。哲学的な考察だった
ら、一人でウンザリするほどやったけど。
お釈迦様における大乗的な要素だけど、成道は人間存在の
普遍的な苦悩との関わりにおいて為されたんだから、当然、
お釈迦様は他人の苦しみにも無関心ではないと思われ。
怒りをもって語る事は避けるべきである。
846 :
名無し仔猫@1周年:02/06/01 03:47
>>845 呵々大笑! そういう点は、俺はキリスト教的かな?
キリストは、もっと人間臭いからね。不動明王だって、
怒ってるんでない?
847 :
名無しさん@1周年:02/06/01 06:04
538
>>539 ずいぶん亀レスになってしまった。
>どうしてそうなるんだろうね?
>本覚思想は、天台でも「中古天台の邪法」と呼ぶし、Dhatu-Vadaは、道元さんの
>思想を現代風に言い換えた部分が半分、あと半分はプラーサンギカがソースだ。
>本覚法門を取り扱っていた硲ジコウさんが、道元研究者に呼びかけたのが発端。
いよいよはっきりと、あなたが何をカン違いしているかが
見えてきた気がする・・・要するに本覚思想の本来の意味がわかっていないんだね。
アートマン-ブラーフマン説も実は仏教と矛盾しない。
もっとも、印哲を相当やっているような人でも、
分かったつもりで全く誤解しているらいしいので、
ここら辺があなたに限らず一番誤解されているところだろうな。
>まあ私は道元さんが好きだから。。。
>>526というような発言になる、とでもして
>おこうかな。
悪いね。私は道元より白隠が好きだし、どちらかというと唯識派に近いかな。
というより道元禅師の境地は本来無一物まで突き抜けていない印象があるんだが・・・。
848 :
名無しさん@1周年:02/06/01 06:04
>>仏教が理解できていない
>といきなり断定するんだったら、チョットおぬしも見解を披露したまえ。
一つはっきりしてるのは、人が何を語れるか、ということは、
その話を受け止める側の人間の理解に依存してる、ということ。
こういうことは決して一方通行ではありえない。
壁に向かって話しかけているようでは、その話はあまり実り多いものにはならない。
また、「言葉」というのは、どんなに厳密に定義してみても、人によって使い方が違ってくる。
J.クリシュナムルティーという人がいて、彼が「選択なき目覚め」の重要性を強調していたが、
これなどは、別のスレでチラッと話題にでた仏教的文脈における「無分別」のことを
彼なりの言葉で表現したもの。全く違う言い回しで同じことを意味している。
逆に言葉の使い方や定義が厳密にできていて、
伝統的かつ学問的にも定着しているはずなのに、使う人によって全く通じないこともある。
わかったつもりで誤解している、その誤解が(広範囲で)定着している場合ですね。
アートマン説などはその典型例ですよ。禅の世界で言う無位の真人とアートマンは、
説明の仕方以外は同じだしね(と書くと怒られかな)。
・・・まあ、いろいろメンドイのでこれ以上は語りませんが、
皆さんがんばって研究してください。
では。
>>848 >禅の世界で言う無位の真人とアートマンは、説明の仕方以外は同じだしね
これは、説明なしでも言わんとしているところは分かる気がします。
私見の、「無我」の捉え方が変わる。その事かもしれんね。
とにかく、2ちゃんにおける「良レス」として高く評価しております。
禿銅。です。
851 :
草レーサー:02/06/01 08:23
>>814 髑髏さん
>しがみ付くのではなく、求める自分というものが「見えてくる」という…。
ズバリ来ましたね。例えば求道のエンジニアが仕上げた入魂の内燃機のよう
なビビットなレスポンス。市販の牙を抜かれた内燃機しか知らない人々が気
の毒だ…。 いや、これは独り言…
「何故自分は求めるのか?」オレに言わせれば「何故自分は走るのか?」で
すね。ここのところは「走りたいから…」これ以上語っても、確かにあまり
意味がないと思うな…止められない「衝動」だから。
この自分にとっての「走りたい」は「ありのまま」か?と問われれば、否と
答える。登山家が、山に登るのと同じ。人間の「衝動」は「ありのまま」で
はないと思う。
自分を知りたい、世界を知りたい、というのも衝動です。「ありのまま」は
根底に潜んでいるだろうが、人間はそこから出てきて何かを「したい」。た
だ、出てきたのはいいが、返り方が分からなくなっているんだと思う。
沙門ゴータマが大悟してそのまま涅槃せず、梵天に頼まれて法を説いたのも
自ら説きたいと心が傾いたからでしょう。髑髏さんが2chで書き込むのも
書きたいからでしょう? つまり、能動性、主体性のことなんです。これは
「ありのまま」ではありませんよね。人間は「ありのまま」ではいられませ
んよね? だから「中道」というのが活路になるんですよね?求めずしてそ
こにあり、ありのまま。しかし、求めずして活かせず、ありのまま。
「無分別」→「分別」と言っても、その活用の仕方に違いがあると思うんで
すよ。ここのところは如何ですか?
852 :
名無しさん@1周年:02/06/01 08:42
>>851 一言
「ありのまま」「無分別」を求めたり、考えたりする時点で
もはや、答えは見つからない。
考えるより、受け入れる立場を取る方が、見つかりやすい。
853 :
名無しさん@1周年:02/06/01 08:44
>>847 >アートマン-ブラーフマン説も実は仏教と矛盾しない。
説明しれ。
わかってないわかってないって言ってたらドクロと変わらないだろうが(w
854 :
名無しさん@1周年:02/06/01 08:50
>>852 そういう表現とか、武道のマンガなんかに出てくる妙な坊さんの
「執着を捨てようと努力することも、また執着ナリ」
「無、無、、、」
「とにかくまず、捨てることじゃ」
とかのワケカカンナイ コトバに似てて、
「要するに開き直って、あきらめて、何にもしないことか」
と誤解されやすい。
ボソ)髑髏さんの表現も、多少そういう傾向があるようだ。
855 :
草レーサー:02/06/01 08:51
>>824 例えばの話しですよ。でも人間は受身の時、沈黙しているので何もしていない
ように見えるが、そんなことはないよね。
「重い患い」は受身でも、そこから何か気付いて今までしなかった「修行」を
する人だっていると思う。簡単な事ではないだろうが…。
ところで、あなたは「修行」「修行」と申されるが「修行」って何で、何をす
る事だと思います?
856 :
名無しさん@1周年:02/06/01 08:55
>>854 ある意味、「要するに開き直って、あきらめて、何にもしないことか」
に、つながる場合もある。
「考えるより、受け入れる立場を取る方が、見つかりやすい。」
これの方が 良いと思う。
857 :
名無しさん@1周年:02/06/01 08:59
>>847 まあ、あのレスでどれくらいのもんだがよく分かるよ。
髑髏と仲良くやっていなさい。
858 :
名無しさん@1周年:02/06/01 09:05
>アートマン説などはその典型例ですよ。禅の世界で言う無位の真人とアートマンは、
>説明の仕方以外は同じだしね(と書くと怒られかな)。
これこそ松本説だしね。
人の意見を考えているうちに、自分の意見と勘違いしちゃう人って多いよね。
>>851 答えは、
>>852さんが的確かとおもいますよね。
主体(自分)が「ありのまま」になるんじゃ〜なくて、もはや「ありのまま」を「知る」ということでしょう。
森羅万象が「ありのまま」。これを知る。
そこに主体(自分)の「ありのまま」は非ず。
主客未分化の「ありのまま」です。これを「知る」という事かと思います。
八図で全く考え方が変化します。ここのところを伝統宗派は、以心伝心とか不立文字とかを手法とするのでしょう。
つまりですね「ありのまま」でしたら、ここで一端答えがでますね。
1+1=2。と明確に導き出される訳です。→これが無分別。
それから応用していくのが→これが分別。仏智
まあ喩えは悪いですが、いうならば無分別で、分別の意味が明解になるという事でしょう。
860 :
草レーサー:02/06/01 09:32
>>852 >「無分別」「ありのまま」を求めたり、考えたりする時点で答えは出ない。
求めたり、考えたりするのが人間の証明だよ。迷う事が悪い事だとでも思って
いるのですか?命題の前で迷えば当然苦しいけどね、それも人間の営みでしょ。
あなたも、迷い苦しんで来てそこにいるわけでしょう?ズバリ答えを出す事が
「修行」というわけじゃないと思う。あなたも「修行」しているならズバリ答
えを出せない事や出さない事があるのでしょう?それが人生の現実だと思う。
これも人間の受動性と能動性の問題です。能動性を支えるのが受動性なんです
から。能動性、受動性を活かすのが中道だろうと思う。自分も能動性だけでは
瞬きすらできないだろう。能動性・「考える事、求める事」などなど。。。
861 :
名無しさん@1周年:02/06/01 09:42
自分の理念・思想・価値観が正しいのか、常に考えなくてはならない。
絶対的に悪と思われる戦争・殺人。
しかし、未だに無くならない。
殺人が悪いと思っても、本当は悪くなく、自分の誤りなのかも知れない。
戦争は悪だと答えを出しても、無くなるかは疑問である。
自分の考えが本当に正しいかは、なかなか解らないものである。
其々の中にある、「空」の形は全て正しいとも言えるし、正しくないとも言える。
答えが無いのが「空」かもしれない。
>>860 そこのところが「気づき」なんでしょう。
スーパーモデルは良いなぁ〜なんて、尻をおいかけて・・・・
ふと、隣に座っている狸女に眼が逝く。
ああ、なんだ?スーパーモデルよりこっちのほーが良いや。
「気づき」とはそんなもんかと思います。
863 :
名無しさん@1周年:02/06/01 09:56
>>856 それなら
「考えるより、受け入れる立場を取る方が、見つかりやすい。」
に、「感じる」を付け加えた方が良いような? ダメ?
>ある意味、「要するに開き直って、あきらめて、何にもしないことか」
>に、つながる場合もある。
これはその人の状態によりけりでしょう。
昔〜昔に結構重い鬱病で、色々投薬された結果として
思考力・欲望 ≒ ゼロ に追い込まれた状態の経験と
瞑想なんかで得られる無念無想みたいなものの経験 とは
似てるようでいて、殆ど180度に近い開きがありますからね。
864 :
名無しさん@1周年:02/06/01 09:59
>>833 >830 となると、四念処もあかんですか?
> あるいは、たとえば「五蘊無我」として、五蘊をひとつ...略...
いやあ、経典にはそれらしい記述も混在するのし、場合によってはあるんだろうけど、
具体的にいうと「ビルマの瞑想法」(「ミャンマーの...」だったかな)の、あんなような
ことをテーラワーダ系は、よく指導していて、ああなっちゃったら、「おかしいよ、違う
よ」といいたい訳。
>――ああそれと、文献学的にやっている人に聞きたかったのは、やっぱり「輪廻」
仏教まともに勉強しているなら、輪廻説ですよ。まえにどっかに書いたけど、輪廻を認めな
かったというのは、圧倒的に日本人に多い。近代に入り、それまでの宗学から西洋の仏教研究
の移入に努めた際、比較思想の前駆として近代合理主義に合わないものは後世の創作として否
定・もしくは合理的解釈を施し、宗学との決別を図っていったのの名残でしょう(廃仏毀釈な
どもありましたしね)。当の西洋は、輪廻説は要件として扱っている。
>輪廻
チベットが輪廻を認めなくてどうすんじゃい、って感じだよね。ゲルク派のダライラマ制だ
って、サキャ派かなんかからとりいれた転生制でしょ。輪廻認めなかったら、ダライラマが成
立しない。ゲルク派でさえそうなんだから余所は推して知るべし。
中観派なんか生かじりすると、全て空無と勘違いするんだよね。
>その『禅定思想史』という本は、日本の本ですか?
増永霊鳳『禅定思想史』(東洋思想叢書、日本評論社版、昭和19年)
結構大学の先生なんか、たたき台で使っている(これくらいしかないのと、ざっと見渡せて便利
なのと)。
>>834 釈尊は古典ヨーガですよ。というよりハタヨーガはまた別の方向に進展してしまったから、
古典ヨーガが残っているのは仏教くらいしかない。
釈尊の禅定が知りたかったら、まだヨーガスートラとか参考にした方が近いんじゃない。
ヨーガスートラは仏教の影響を受けて成立とか、あるいは仏教も行っていたインド一般の瞑想方法
ともどちらともいわれている。要はそれほど密接な関係。
865 :
名無しさん@1周年:02/06/01 10:00
866 :
ケムール人:02/06/01 10:02
>847 アートマン-ブラーフマン説も実は仏教と矛盾しない。
もっとも、印哲を相当やっているような人でも、
分かったつもりで全く誤解しているらいしいので、
ここですねえ。問題は。
一般的に、大乗仏教の教理の主流は「空と縁起」の考え方で、中観派がその中心として位置付けられている。
唯識は中観と対立するものとして、しかし「方便」として中観の下にセットされた形となっている。
で、唯識は如来蔵やヨーガや梵我一如(アートマン=ブラフマン説)との親密度が高く、中観はそれを「実体化」の思考としてしばしば退ける。
しかし、仏教側のいう「アートマン=実体/自性を認める説」のアートマンと、ヨーガの「アートマン」イメージには、かなり大きなズレがあるのではないか。
ヴエーダだったかウパニシャッドだったか、アートマンは「**ではない。**ではない。ネイティー、ネイティー」という描写が続く。
これ、どこかでみたなあと思うと、般若心経の「空」の描写に近かったりする。
「アラヤ識の刹那滅を否定すれば、アラヤ識はもはやアートマンに等しくなる」なんていう説もあったりして。
(これはアーラヤ識というより、浄化・変換後のアマラ識ではないかという気もするけど)
一方、ツォンカパその人が、如来蔵と空と中観は矛盾しないなんてことを、どっかでいってたりする。
(これコピペできる資料があったんだけど、URLひかえてない。見つけ次第貼り付けます)
ということは、中観帰謬論証派といっても、その内部に補う形で、唯識や、如来蔵や、ヨーガ・梵我一如を包含してんのかいなー、という疑いすら湧いてきたりする。
以上は、「妄説・邪説」かもしれないけど、日本の仏教学者が一刀両断的にいう、「アートマンは、実体化してますね。自性があるということですね。
それを縁起で否定したのが釈尊の仏教です。アートマンは、仏教ではありません。梵我一如は仏教ではありません」という機械的な断定が、
あまりにもハンで押したように感じるのは、「私だけであろーか」or「いかがなものか」
867 :
名無しさん@1周年:02/06/01 10:07
あと
>>762-763 の名色云々読んでて感じたことをチョット。。。
前にアヌルッダ(スリランカの11.12c位の比丘。今のスリランカ仏教の大立て者と言われる)
のアビダンマッタサンガッハというのと、やその周辺の注釈書を読んだ時、ケムさん達がおっし
ゃったようなことが延々と書かれていました。
当時は何じゃこりゃと思って、内容はよく覚えておりませんが、今その話を聞くと、その流れ
だったのかも知れません。
要らないやと思い、パーリ専攻している人に、周辺資料一切合切あげちゃいました。
間違ってたら、ごめんなさい。
868 :
名無しさん@1周年:02/06/01 10:13
あ、そろそろ 次のスレッド立てる準備して
欲しかったりして
>>1さん
1さんが今もし離れてたら、ケムール人さんとかも適任かも?
あ、髑髏さんが立てると始めに妙な荒らしが入りそうなので
とりあえず遠慮してもらえることをキボンヌ
869 :
ケムール人:02/06/01 10:14
>864
あー、納得しました。納得しました♪
「中観派なんか生かじりすると、全て空無と勘違いするんだよね。」ということですなー。
「近代に入り、それまでの宗学から西洋の仏教研究の移入に努めた際、比較思想の前駆として近代合理主義に合わないものは後世の創作として否
定・もしくは合理的解釈を施し、宗学との決別を図っていったのの名残でしょう」ということですなー。
これ、和辻哲郎がからんでいるとか、聞きかじったことがありますね。
これで今夜はスッキリ寝られる。(←朝ッパラから、なに言ってんだ? 笑)
ありがとうございました。
>>866 >それを縁起で否定したのが釈尊の仏教です。アートマンは、仏教ではありません。
>梵我一如は仏教ではありません」という機械的な断定が、あまりにもハンで押した
>ように感じるのは、「私だけであろーか」or「いかがなものか」
この部分は基本的に同意。
特に袴や・松本シンパがそう。
でもこれ認める人も、認めながら別の視点をもっている人も多いよね。
松本袴やの欠陥は、これを構造的問題と勘違いし、この構造を有するもの
すべてをおおなたでぶった切ってしまうところ。
871 :
名無しさん@1周年:02/06/01 10:19
「重要」
第2部 立てますた
872 :
名無しさん@1周年:02/06/01 10:25
873 :
ケムール人:02/06/01 10:30
>872
5月6月は、引越しが多いなー。
874 :
草レーサー:02/06/01 10:53
>>859 髑髏さん
そうね、自分が「ありのまま」になるんじゃなくて…「知る」。わかります。
では、如何いう人を仏陀と呼びますか?
仏教の起源は沙門ゴータマが仏陀になったことから始まっている。仏教は創
造神を認めずとも仏陀・如来(正等覚者)なる人物を明らかに認めています。
仏陀の教えだから、仏教と言うのですよね。
真理は一つであって第二のものはありえない。それ故諸々の聖者は異なる真
理を語っても互いに称え合う。仏典中のこんな言葉を覚えている。
875 :
ケムール人:02/06/01 11:51
……どうも、あれだなあ。
オウム ⇔ 宮崎哲弥 & 彼に影響を与えた学者
(チベット仏教とノストラダムスと陰謀論をなぜか混ぜてしまったカルト (中観”ニヒリズム帰謬”論証派)
というふたつの仏教解釈の両極端を封じて、
「中道」としての大乗仏教哲学が、
一般レベルで定着する必要があるなー。
第二部「空(くう)その2」を前にして、そんな印象がありますなー。
(とにかく、戒名はインチキだーあ。あれは、言葉の実体化、曖昧化、神秘化だあー!! 縁起説に真っ向から反するぞ)
>>874 >仏陀の教えだから、仏教と言うのですよね。
法(ダルマ)は、釈尊がいてもいなくても「ある」わけですから・・・
たまたま釈尊が「真理を悟った」ということなんでしょう。
「真理を悟った人」→「仏陀」で宜しいかとおもいます。
>真理は一つであって第二のものはありえない。それ故諸々の聖者は異なる真
>理を語っても互いに称え合う。仏典中のこんな言葉を覚えている。
基本的に、仏教は答えが用意されている訳ではないとおもいます。
「自ら答えを導き出す」。これ以外にないかと思います。
そういう意味で、先ず仏教は「寛大な宗教」というのが基本になるかと思います。
自灯明、法灯明、自己責任。
いわば釈尊は、バラモン教より「自由思想」を打ち立てた「変革者」のイメージがあります。
877 :
名無しさん@1周年:02/06/01 12:55
>876 基本的に、仏教は答えが用意されている訳ではないとおもいます。
「自ら答えを導き出す」。これ以外にないかと思います。
髑髏サンは経典の何を読んでいるのですか?
「法灯明」というのは、初めから「答えが用意されている」こと。
つまり、その答えが「釈尊の悟った真理」であり、
「法」ということではではないのですか?
878 :
名無しさん@1周年:02/06/01 13:02
879 :
名無しさん@1周年:02/06/01 13:03
真理そのものは、もうここにあるんですよねー。
本や、お経はヒントに過ぎない。
当たり前なのに、その当たり前のことが見えなかったり、気づかなかったり
>876
もし髑髏さんが言うように「法(ダルマ)は、釈尊がいてもいなくても「ある」」ほど絶対的なものであるなら、
なおさらのこと「法」を理解し、それに従って生きるべきでしょう。
どうもあなたの考えを辿ってくと、「法灯明」の必要性は全く感じていないのに、
雰囲気的に書き連ねているだけという気がいたします。
髑髏仮面さんは、禅の中の言葉否定、教え否定の側面をさらに通俗化させ、
自分なりに土俗化させ、それをより高度な「法」であるかのように見せかけているだけでしょう。
髑髏さんの言葉の中から、
少なくとも「法灯明」は撤回すべし! 削除すべし!
>>877 哲学的思推において法が理解できるのでしたら、何も禅定する必要はないかと思います。
経典はあくまでも参考書。答えがそこに書いてある訳ではないかと思います。
いわば、自分自身が答えを導き出すための「擦り合わせ」程度が宜しいかと思います。
行学両道。このバランスが肝要かと思います。
>髑髏サンは経典の何を読んでいるのですか?
般若心経です。あれに答えは書いてはありません。
説明すれば、各々である。云々。これだけです。答えにはなっていないかと思います。
>>880 >髑髏仮面さんは、禅の中の言葉否定、教え否定の側面をさらに通俗化させ、
>自分なりに土俗化させ、それをより高度な「法」であるかのように見せかけているだけでしょう。
これは非常に痛い誤解というもんです。
つまり法は、言語にて説明するには「遥かに及ばない」。ということでして。
言語概念を超越したものが「法」と考えるべきかと思います。
ですから般若心経は、法の全てではないかと思います。こんな簡単なものではないでしょう。
884 :
名無しさん@1周年:02/06/01 13:21
>882
「経典はあくまでも参考書。答えがそこに書いてある訳ではないかと思います。」
それは当然のことでしょう。
料理の本そのものが、食べられるわけがないのはいまさら指摘されるまでもありません。
しかし、禅定(正定)にいたるために、四諦八正道も教学もあるのではないかと理解しております。
この「法灯明」を前提としないと、野狐禅になり、魔境になり、曖昧な仏教語を語り始めます。
これは八正道の第三、「正語」に反します。
>>883 > これは非常に痛い誤解というもんです。
> つまり法は、言語にて説明するには「遥かに及ばない」。ということでして。
> 言語概念を超越したものが「法」と考えるべきかと思います。
> ですから般若心経は、法の全てではないかと思います。こんな簡単なものではないでしょう。
↑
この「ですから」が今ひとつわからないんだけど。大般若経じゃ駄目なの?他の経を読んだ上で言っている発言?
>>885 >四諦八正道も教学もあるのではないかと理解しております。
これは勿論大事なことです・
これを極めるためには、やはり「行」が肝要かとおもいます。
つまり、四諦八正道は「行」ありて理解できるものかと思います。
>882
髑髏サンは経典の何を読んでいるのですか?
>般若心経です。あれに答えは書いてはありません。
説明すれば、各々である。云々。これだけです。答えにはなっていないかと思います。
「般若心経」は弘法大師ですら、小乗・大乗・金剛乗の三通りの読み方があると指摘した深遠な経典です。
「答えがない」のではなく、あまりにも深いために、「自分自身の似姿」しか鏡に映ってこないのです。
それと「法」という言葉ですが、これは釈迦の教えや戒律という意味と、
最終的な真理そのもの、
そして森羅万象(現象)という意味があります。
髑髏仮面さんには、この区別を明確に使っていただきたいのですが。
889 :
名無しさん@1周年:02/06/01 13:44
>>887 「行」しろよ。糞レスばっかりつけていないで。
>>886 大般若経のエッセンスが心経ですから、大般若経でも同じ事かとおもいます。
経典、経書の捉え方は何ら変わりはないかと思います。
道元の「経書に依らざるべき」。は、何も経書を否定している訳ではないでしょう。
経書を第一義にするところが問題なんでしょう。
891 :
名無しさん@1周年:02/06/01 13:50
>889
また猫だな。
>>888 >答えがない」のではなく、あまりにも深いために、「自分自身の似姿」しか鏡に映ってこないのです
私と、逝っていることは同一です。
>髑髏仮面さんには、この区別を明確に使っていただきたいのですが。
普遍性を逝っております。
真理であるし、森羅万象の事です。釈迦の教えや戒律は入っていません。
>892
法灯明といいながら、「釈迦の教えや戒律は入って」いないのが、髑髏さんの仏教ではないでしょうか。
要するに自らが主観的に思い込んだ「法」を、普遍的な「法」とされている。
しかし法灯明というのは、無明を照らし出す灯明の意味ですから、
普遍性としての「法」そのものに出会う以前の
導きとしての「法」、つまり戒や教学を含めた「法」です。
したがって、「釈迦の教えや戒律」という「法」がない場合、
よくある勝手な神秘体験を、高い悟りと勘違いするトラブルが出てきます。
894 :
名無しさん@1周年:02/06/01 14:15
>>893 877、貴方が一番。ものしり博士だ。すごいすごい。
2ちゃんねらーの鏡だね(W
895 :
2チャンです☆:02/06/01 14:17
飲んだらァ、こぉお言っちゃうよぉ〜
Coo〜
896 :
名無しさん@1周年:02/06/01 14:20
897 :
名無しさん@1周年:02/06/01 14:23
>>896 ネタか?(W
これがヨイショか?(WW
>895
飲んだらァ、こぉお言っちゃうよぉ〜
Coo〜
おまい、それ好きやなー。
ずっとこれ、カキコしてる奴だろー。これで3回目かー。
>>893 釈尊以前から「法」はあった。というスレの流れですから、当然「釈迦の教え戒律」は含まれておりません。
そこをごっちゃにして→法灯明に結びつけちゃうのは非常に痛い(w
>したがって、「釈迦の教えや戒律」という「法」がない場合、
ここの分別は非常に微妙。
釈迦が「酒を飲む無かれ}と言うたら、その戒律を果たして間違いなく守れるのか?
つまり、釈迦の説いたそのものが普遍性を説いている訳で、それが「教え」。
戒律というのは、また次元性が違うのではないでしょうか?
えらい人が、いぱーい
髑髏は、髑髏で、髑髏でアール。ほっときゃいいのだー。
902 :
しょうもなっ:02/06/01 14:39
なんか、だれてきたなあ。暑っ。
903 :
名無し仔猫@1周年:02/06/01 14:46
>>850 他人を嘲るのも避けるべきである。あー、良く寝た。
904 :
名無し仔猫@1周年:02/06/01 14:58
ブッディだとかアートマンだとか無位の真人だとか、それに類する
諸々の概念についての解釈は、文献ごとにずれがあるよね。自分のと
こが一番エライんじゃって主張したくて、頭の上に頭を据えるの愚を
犯してるところがある。
シャンカラの「ウパデーシャ・サーハスリー」(岩文)も、途中ま
では面白かったのに、そういう教派的論争に出くわして放り出しちゃ
った。
905 :
名無しさん@1周年:02/06/01 15:02
>904 >頭の上に頭を据えるの愚
お前、そのヘドロの頭が剥がれて、ニルヴァーナはいったんだろ?
906 :
名無しさん@1周年:02/06/01 18:33
>904
あれこそ仏教とヒンズーとの混合だな
907 :
名無し仔猫@1周年:02/06/01 20:02
>>905 インドの諸教、諸宗派の中にもそういう党派心理みたいなのが
働いてて、それが理論を無意味に複雑化してる側面があるのは否
めない。
>>906 そんなこと言って、それがどうしたってんだよ。
印哲関係の経典で一番、ためになったのは、月並みながら
バガヴァット・ギーターだったよ。
908 :
名無しさん@1周年:02/06/01 20:38
>906
これだけじゃ判断がわからない。
”隠れ仏教徒”といわれていたシャンカラの「ウパデーシャ・サーハスリー」そのものは、
仏教と「梵我一如」思想との関連を、逆の立場から明らかにしてくれているよい本です。
>>875 >というふたつの仏教解釈の両極端を封じて、
>「中道」としての大乗仏教哲学が、
>一般レベルで定着する必要があるなー。
学者さんも、プロ宗教家も
社会の一部としての責務に耐えてるとは思いますけど、
飯の種の部分があるから牽制しあってますよね。
(逆に、オウムが金集めに奔り始めて安心した人達が確実にいると思う。)
>>821 最初に止滅-捨断して、還って来たところを練るのではなくて、
識別⇔仮溝して最後に「滅尽の法を観つづけて住み」するのですね。
問答無用に根こそぎ捨てまくって → 蛙並みの知性(泣‐笑
にならずに済みますね。
喰う。
911 :
2チャンです☆:02/06/03 00:35
>>897 あ、やっぱ先人がいた?オレは初めてだよ。
912 :
名無し仔猫@1周年:02/06/03 12:15
>名無し仔猫さん
ギコさんが、自由になったそうです。めでたい。
914 :
名無し仔猫@1周年:02/06/03 20:38
ギコさんって? HN違いだったかな?
失礼!
916 :
名無し仔猫@1周年:02/06/03 21:13
>>915 分かったような、分からんような・・・。
昨日は、スレが板ごとに立って プチ祭りでした。
とりあえずは、めでたし めでたし。
918 :
名無しさん@1周年:02/06/03 21:38
詰まるところお釈迦さんは何を大悟されたんでしょうか。禅宗の高僧に問えば間髪
入れずに拳骨が飛んできそうな気もしますけど・・・
919 :
草レーサー:02/06/03 21:45
>>876 髑髏さん
仏典の何処かで「如来が世に出ようと出まいと『法』として既に定まっているのである。
如来はそれを自ずから見、悟った」等と言うようなものを記憶している。
「仏陀」真理を悟った人。言うのは簡単。でも「仏陀」とは、つまり釈尊に限らず真理
を悟った人。釈尊の教えは当然、仏教。でも釈尊以外の「仏陀」の教えも、広義で仏教
だと、自分は思うわけですよ。まあ、釈尊以外の仏陀は認め難いけど、その割に釈尊仏
陀はあまりにも遠過ぎる・・…。
で、果たして「仏陀」とはどんな人物なのか?ということなんですよ。勿論、学術的な
意味ではなくても。自分も釈尊仏陀は、変革者であったと思う。でもそれなら、ソクラ
テスやイエスも、同じ様な「変革者」であったと思うんですね。しかし、自分の中では
ソクラテスやイエスは「仏陀」とは少し重ならない・・…。
髑髏さんの中では、釈尊は「仏陀」なんですか?伝説に伝えられている様な「苦行」の
果てに「悟った」のだし、人間がたまたま「仏陀」になるわけじゃないと思う。
それとも、釈尊以外の人物でも「仏陀」がいると思うんですか?沢山いたりして???
>918さん
やさしい高僧に、聞かれたらいかがですか?
>>919 釈尊という人物(仏陀)を、どー捉えるか?
私は基本的に「崇高な哲学者」かと思っていますね。
まあ、ここのところは、宗教家、思想家、哲学者、そのジャンル分けも愚の骨頂なのですが・・・。
哲学者と言うても、そこのところが深遠なるがゆえ、どーしてもこれを自分以外の人間に伝える手立てが無し。
こういったところが、ソクラテスやキリストとは差異があるかと思うのです。
いうなれば、崇高な哲学ゆえ、哲学を越えられない。こんな感じでしょうか?
そこのところは、現在インドにおりますクリュシュナムルティーという方がおりますが、
あの方は、明確に哲学者という事になるかと思います。
果たして、釈尊のように哲学的思推えを越えられる人物が現れるか?
>釈尊以外の人物でも「仏陀」がいると思うんですか?沢山いたりして???
「悟った人間はガンジス河の砂の数だけいる」。というのも一つの考え方かと思います。
つまりは、人間とは何ぞや?生きるとは何ぞや?これが釈尊の問いかけかと思います。
ジッドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)
1895年、南インドのマドラスに生まれる。
1986年2月17日、カリフォルニアで死去、享年90歳。
>>922 クリシュナムルティーは亡くなっていましたか・・・。
そーでしたか。
非常に偉大な方を亡くしてしまいました。
私は、クリシュにさほど詳しくないもんですから知りませんでした。
つつしんでご冥福を申し上げます。
寝ます。
ブッダの教え→新約聖書、執筆→天国→浄土宗・真宗
>>918 >詰まるところお釈迦さんは何を大悟されたんでしょうか。禅宗の高僧に問えば間髪
>入れずに拳骨が飛んできそうな気もしますけど・・・
それを伝える為に莫大な経典、文献が現存している。
考えようによってはこんなラッキーな事はないし、逆に言えば資料が多すぎる。
つまりは自身で答えを探さねばならんのでしょう。
四諦も、とどのつまりは「自分とは何者なのか?」「存在とはどー言うことなのか?」。これに尽きるかと思います。
湯船に浸かって「風呂というのはどういうもんなんだろーね?」。これを考える如し。
つまりは、答えが用意されていても「導き出さねば」答えは得られず
>詰まるところお釈迦さんは何を大悟されたんでしょうか。
これを考えている貴方自身は、すでに答えを持っているはず。
それに「気づかない」だけ。自身に「疑」を向ければおのずと答えが導きだされるんでしょう。
927 :
名無しさん@1周年:02/06/04 11:52
age
928 :
偽・髑髏仮面:02/06/04 12:21
>クリシュナムルティーは亡くなっていましたか・・・。
そーでしたか。
非常に偉大な方を亡くしてしまいました。
アレッ、髑髏さん。生も死も一如で答えるかと思ったら、ちがうんだ。「ここのところがわからないと、色即是空はまだたまかと思います」とかいって。
しかし、「髑髏仮面に冥福を祈られてしまうクリシュナムルティー」、というのもすごい。w
>>928 >アレッ、髑髏さん。生も死も一如で答えるかと思ったら、ちがうんだ
あーーーーっはっは。
芯でしまった人間は、もう既に生は返って来ない。
ここのところを仏教では「九相」というて、五蘊「色」の崩れる様子を詳しく説明している。
「生死一如」はそーいう意味ではないでしょう。
水の中の氷の如し。無分別であってもこれ分別。
931 :
草レーサー:02/06/04 15:40
>>921 髑髏さん
>つまりは人間とはなんぞや?生きるとはなんぞや?これが釈尊の問いかけかと思います。
そして釈尊は仏陀になってその問いの決定的な答えを得た。つまりこれが正覚。
しかし、菩提樹の下で得たと言われる「正覚」を、釈尊一人自ずから「正覚」であると
認めることが出来たのはどうしてだと、髑髏さんは思いますか?
それとも、六人の修行者達に初めて説法した時に、彼らと友に検証をして「これは間違
いなく正覚である」と言う結論に達したのだろうか?仏典に依ればこの時、彼らと何日
も語り合ったとも記されているし…。髑髏さんはどう思います?
932 :
名無しさん@1周年:02/06/04 15:40
お釈迦様の末法というのは、真理だな
>>931 >しかし、菩提樹の下で得たと言われる「正覚」を、釈尊一人自ずから「正覚」であると
>認めることが出来たのはどうしてだと、髑髏さんは思いますか?
ここのところは、帰納法的に考えて逝く他ないと思いますね。
つまり「生きるとは何ぞや?」と問うたれば、是即ち「死」をもってしてその答えが出よう。
あらゆる事に相対、選別する事にどーいった意味があるのか?
それを突き詰めていけば、おのずと「中道」に集約されるかと思いますね。
しかしですね、この真ん中「中道」というのは釈尊だからこそ導き出したんかと思いますよ。
中道は「いい加減」とか「怠慢」とかの意味に受け止められやすい。
なかなか「中道」が真理とは誰も思わなかったでしょう。
六人の修行者にとっては相当インパクトがあったかと思います。
こういった経緯を踏まえ、やはり「それしか考えられない」。という悟りの境地を認めざる訳にはいかなかったんでしょう。
これは何方でも経験的に、とどのつまりは「中道」に落ち着きますよ。
真理とは、そういうもんかと思いますよ。最終的には帰結するところです。
934 :
草レーサー:02/06/04 21:32
>>933 髑髏さん
釈尊出家の最大の理由は「生老病死」の苦しみから逃れる為であったと、まあ思う。
「いつ、何が起こるか分からない」という不安は、相当な精神的負担になり、王子
としての華やかな生活の空虚さも尚更際立たせたのだと思う。現代風に言えば釈尊
かなり重いノイローゼとでも、診断されているのかも知れない。
確かに、生まれてきても、老いたり、病んだり、死んだりするという事がなければ
苦しまずに済むけど、それはこの世のどんな権力を持ってしても無理、不可能。
「生」の結果が「死」である。これは誰でも知っている事だと思う。しかし、多く
の人は知らずして知っていると思っているのかもしれない。
三界の狂人は、生まれて生まれて生まれて「生」を知らず、死んで死んで死んでも
「死」にくらい…。というのは弘法大師空海の言葉でしたっけ!?
>「生きるとは何ぞや?」と問うたれば、是即ち「死」をもってしてその答えが出よう。
ズバリ、あなたにとって「生」とは何であり、「死」とは何であるのですか?
分別の無分別を説く髑髏って
分別ないよなー、これって見境ないとも言わないか?
髑髏は、「分別」に該当することを、無分別と言い放ったり、「無分別」について表そ
うとしている点を分別といったり、
「分別」と「無分別」について区別が付いていないこと
が混乱の第2因にあると思われ。
>>934 >かなり重いノイローゼとでも、診断されているのかも知れない。
精神的には相当不安定だったと思います。
釈迦の女房は、かなり苦労したのかと思います。推測ですが・・・。
>ズバリ、あなたにとって「生」とは何であり、「死」とは何であるのですか?
「生」は、その事を知らずして生まれいずるなり。盤珪の「不生禅」そのままかと思います。
ここのところは、近代宇宙物理学の宇宙誕生(ビッグバン)に合い通じるところを感じます。
まあ、ここのところを言うならば「生まれてきたのだからそのように生きれば良い」。という事になりましょう。
「死ぬのであればそのように死ねば良い」。という事でしょうか?
で、ここでそれに納得しない連中がアーダ、コーダ言うわけでしょう?
例えば、貴殿はレースをなさっていて、貴方自身しか「分からない」世界があると思うのです。
「身体で感じる」というのでしょうか?直覚的な受け止め方ですね。
そういう時に、「人間とは何ぞや?」という命題が深く自身に圧し掛かってくるんかと思います。
四諦を考える「自分自身」も、これ全て「考える」事は「派生的?」なものですね。
派生?の根源こそが大事かと思います。その事に「気づく」のではないでしょうか?
「生」を考えたり「死」を考えたり・・・。そう考える自身が問題なのではないか?
まあ私は自分としては、自分としてはその根源的なものを逝っているつもりですが。
どーしても、深いところに議論が到達しない。という観強し。
938 :
草レーサー:02/06/06 00:15
>>934 髑髏さん
うーん、自分自身にしか分からない世界か、確かにある。でも誰にでもあると思いますよ。
それに対する、何ぞや?と言う「問い」は、何処までも続いているとも思う。だから、ある
ところで「問い」を手放すしかない。その後は、その時、その場に「賭け」ないと取り残さ
れてしまう。
自分にとっては、それが「生きている」という事です。つまり「生(なま)」。ダイレクト
でダイナミック。そう言う状態を発見したのが自分にとってはレースだったと言うこと。
まあ、スタート直前と言うのは幾ら経験を積んでも怖いですね。「やってみなければ分から
ない」事に付いて色々と思惑を巡らしてしまうから。つまり是が先ほどの問いの凝縮された
状態なんだと思う。ここでは「生」と「死」が「勝」と「敗」も含んでいるけど、基本的に
「快」と「苦」を励起した状態で感受する事は変わりはない。ここで思考の弊害がでる。思
考と言うのは、体験の世界ではないから、一つじゃない。一つの事を集中して考えていても
それを支えている「影」がある。だから、その「考え」が切実であればあるほど、葛藤を起
こすのは免れないんだと思う。だからレース前は誰でも精神が不安定になる…。
「考えを巡らす」ということは、条件を想定したシュミレーションですよね。「経験」は生
で刻一刻と風向きも変わる。「経験」はそれと同時で、それを「知る」のも同時だと思う。
「思考」に情緒的に依存してしまう傾向がネックですよね。誰でも、自分にとって単なる
「考え」に過ぎないものに足を掬われたりしないでしょうからね。
ζ
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \
/||| ⌒ ⌒ ||||
,,,,,,..;;,||||| (・) (・) ||||| ←髑髏仮面(変人)
r' `-,---◯⌒○----|9
! カエル i#_|||||||_# l,---.,.--,,
l ,..,,..ソ,,ノ \_/ / `.、
.!,!./ _,.. _,..l' \____/( 草レーサ- |
/`、 ゝ/,.-'"┌. .∨ `--y,,..,,...,,,...,,..,ノ
/ l `ー-'ヽ. l。 i -' `- ..ソ あっ、いっい〜、もっと〜
/ l \l' y l。 / lヽ. '__ ./ `ヽ
r'─-、 ̄`ー` i .l。 / | \-' , ,,\
/ `l `l / l l。 .l ヽ i .ヽ お、おかしくなりそうじゃ
:==;i i/、 ∧. l。 i`, `i ,, /; `、
:三;_,,..-''"i_,,,/ i-=========-∧,..~`-' /_, `..、
.l i l _,,.-'" ,.-,', , / , i や、やめないで〜
.L____`、-' ∩ ,.///ノ.く / \ ヽ `l
l:::::::::,.-'" ω `'`'`' .\/ ヾヽ / l
l::::r'" ,. /. \ ヽ /
l::::l ,..--'"~ヽ、 ./ヽ /\__,,...-,"
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>>938 >何ぞや?と言う「問い」は、何処までも続いているとも思う。
例えば、の話ですが・・。
赤穂浪士が討ちうる前は、生も死も同様に受け入れてたんかもしれませんね。
「覚悟」というのは、覚る(さとる)、悟る(さとる)を、ある意味いい表わしているんかと思います。
つまり、全部を受け入れる。
>ここでは「生」と「死」が「勝」と「敗」も含んでいるけど
その時は、あまり考え込むよりは「なりきる」「ありのまま」これがベストなんでしょう。
>ここで思考の弊害がでる
経験則として御存知なんでしょうね。
赤穂浪士が、討ち入りを果たして泉岳寺に逝く途中、「落ちた」浪士と顔を合わす場面がある。
「落ちた」浪士に言うセリフ・・・
「生きる事の方がもっとつらいことじゃ、そなたも達者でな」。
あの場面は、私は非常にインパクトがありました。
とても深いセリフかと思います。脚本家が、それを知ってか?知らずか?
まあ、「まぐれ」でセリフを思いついたんかもしれませんが(w
942 :
草レーサー:02/06/06 18:46
>>941 髑髏さん
>その時は、あまり考え込むよりは「なりきる」「ありのまま」これがベストなんでしょう。
それも、わかるような気はする。無心になって走っている時の「経験」を省みるとね…。
でも「いつでもどこでもそうなれる」というようなものでもないんですよ。(汗
例えば、仏道を修する人も、深く「定」に入れる時と、なかなか入れない時があると思う。
それさえも認めて「全て受け入れる」と言うのは至難、困難ここに極まれりでしょう?
ここに「渇愛」があるのは自分でも認められる。違うスレで「『魔物』が飛び出してくる」
と書いたけど、「魔物」の正体は「渇愛」ですからね。
これが、感官の中枢に巣食っているんだと思う。自分だけじゃなく、人間存在として潜んで
いるものだと思う。ご存知のように「渇愛」には対象がなければ発動しない。縁起の法とし
ての「これなければ、これもない」で。しかし、人間存在として「求めるもの」が渇愛を基
にしているというのは衝撃的です。そこまで本人の命題が下ってくれば、もはや手放す以外
に道はないという事でしょう。手放した時に「無明」が見えてくるのかも知れない。
しかし、人間存在求めるも苦、捨てるも苦。ここに来て一切皆苦というものが自ずと理解さ
れて来るのでしょう。でも、それでも苦しくても求めるべきものはいつもあり、欲しくても
手放すべきものいもいつもあるりますよね?それが生きているという事だと思う。
「生きる事の方がもっとつらいことじゃ、そなたも達者でな」この言葉に深い共感を覚えて
素直になれるなら、諸々の人間関係もこれほど歪なものにならないでしょうね。髑髏さんも
分かると思うが、病気の後もそうだけど、誰かと喧嘩をした後で、仲直りした時の清々しさ
感動はなんなのでしょうね?再び、前に戻っても、前とは違う。
>>942 >誰かと喧嘩をした後で、仲直りした時の清々しさ
>感動はなんなのでしょうね?再び、前に戻っても、前とは違う。
私はね、人間というのは「一切皆苦」の手綱みたいのを握っているんかと思いますよ。
それを引っ張ったり緩めたり、まあ喜怒哀楽というのでしょうか?
そういった経緯をいうのを経て、ある一瞬「手綱を離す瞬間」というのがあると思うのです。
それを「吹っ切る」というのでしょうか?
その束縛?から離れた一瞬ですね。いうなれば「主体から離れた」という事になりますか。
人間は、生理的に「苦」を拒否しますね。しかしながら「苦」が頂点になれば、もはや生きていくためには「受容」しなければならない。
そういった極限の状態において、受容した刹那「苦」というのが分かるんかと思いますよね。
しかしながら、なかなか「受容」というのは至難ですね。
「渇愛」というのでしょうか?
しかしながら、貴殿はおそらくは仏教徒ではない拝するが、考えていることは仏教徒以上?かと思います。
訳の分からん「自称仏教徒オタ」が2ちゃんにタムロしてますからね。
仏教徒とは何ぞや?と、たまに考えることシバシバ。
944 :
名無しさん@1周年:02/06/06 22:13
不器用徒でしょ
945 :
Vidyut:02/06/06 23:07
「スニャーター」と読んで、許していただけますか?・
コーゲキ的な 変人 すゎーん、たくまちいわ〜〜〜。
947 :
名無しさん@1周年:02/06/07 05:03
赤穂浪士が、討ち入りを果たして泉岳寺に逝く途中、「落ちた」浪士と顔を合わす場面がある。
「落ちた」浪士に言うセリフ・・・
「生きる事の方がもっとつらいことじゃ、そなたも達者でな」。
あの場面は、私は非常にインパクトがありました。
とても深いセリフかと思います。脚本家が、それを知ってか?知らずか?
まあ、「まぐれ」でセリフを思いついたんかもしれませんが(w
( ´,_ゝ`)プッ
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::↓髑髏仮面(変人)::::::::
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::::::/ニヽ::::::\ヾ ┤ヘ_/ \ /ヽ::::::::::::::::::::::::::::::::::
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↑草レーサー
>>947 943レス・・・
>訳の分からん「自称仏教徒オタ」が2ちゃんにタムロしてますからね。
↑
これは貴殿のことだぞ!!まだ分からんか?まあ、良いけど。
950 :
名無しさん@1周年:02/06/07 07:44
949 名前:髑髏仮面 :02/06/07 07:42
>>947 943レス・・・
>訳の分からん「自称仏教徒オタ」が2ちゃんにタムロしてますからね。
↑
これは貴殿のことだぞ!!まだ分からんか?まあ、良いけど。
( ´,_ゝ`)プッ
951 :
名無しさん@1周年:02/06/07 07:46
>( ´,_ゝ`)プッ
激同
まあ、2ちゃんだから仏教オタであろーが、
仏教界の重鎮であろーが・・・
学者であろーが。
なんでも良いであろー。
あーっはっは。
953 :
名無しさん@1周年:02/06/07 10:29
ほほー、そろそろレースが始まりますな。
さりげになんだかんだいいながら、そわそわと、
各馬ゲート入り、ですかな。
954 :
草レーサー:02/06/07 22:16
私はそんなに若くないな。駆出しで草レースに出てるんじゃないし。
955 :
名無しさん@1周年:02/06/07 22:23
1000ゲト祭りの会場はこちらですか?
縁取リィ方法を教えて下さい。
とレスをセコク稼ぐテスト。
956 :
名無しさん@1周年:02/06/07 22:26
「空」スレの1000とったら、解脱できます?
957 :
桐山菅長睨下:02/06/07 23:20
>956
それは、私が保証しよう。
まず、護摩木を5万円購入しなさい。
そして、すぐにでも、解脱供養に申し込むことである。
その準備をした上で、1000をゲットすれば、
白銀のバイブレーションに包まれて、
あなたは即身浄仏、アジプトとなるのである。
これは、初めて記す、門外不出の秘法である。
958 :
名無しさん@1周年:02/06/07 23:22
1本
959 :
名無しさん@1周年:02/06/07 23:27
2本
960 :
名無しさん@1周年:02/06/07 23:29
3本
961 :
名無しさん@1周年:02/06/07 23:31
4本
962 :
トロイのヨコハマ:02/06/07 23:35
皆さん、おやめください!
また菅長に騙されます。
私たちは、これ以上、被害者をふやしたくはありません。
963 :
名無しさん@1周年:02/06/07 23:37
菅→管
964 :
名無しさん@1周年:02/06/07 23:41
ハッ!
私は何をしていたんだろう。手元に護摩木が4本も...
965 :
名無しさん@1周年:02/06/07 23:45
5本+解脱供養
966 :
桐山管長睨下 :02/06/07 23:54
どうであろう。
お気づきであろうか。
この「空スレッド1」はすでに、
絢爛たる金剛界曼荼羅と化しているのである。
しかしそれは、「第三の眼」アジナーチャクラが開けていなくては、
決して見えないのである。
私には、それが断言できる。
いや、あえて言えば、私だけであろう。
それがハッキリと見えているのは――。
オンアボキャベイロシャノウ……
この千載一遇のチャンスを、
あなたは、逃してはならない。
967 :
名無しさん@1周年:02/06/07 23:59
マカボダラマニハンドマジンバラハヤバリタヤウン
968 :
名無しさん@1周年:02/06/08 00:04
こ、これが、あぼーん宗れすか?
ボ、僕、頭良くなりたいんで、愚問時法、おせえてくらさい。
愚問時飴も、なめちゃおーかなー。
あと、護摩木10本ね。
ボーナスで、因縁解脱も、申しこんじぉーかなー。
969 :
名無しさん@1周年:02/06/08 00:07
とりあえず、あと41本分しかないみたいですよ。
管長!
護摩壇の中に龍が出現した模様です。
今、本院の方で、写真の分析にとりかかっています。
971 :
名無しさん@1周年:02/06/08 00:09
縄の見間違いだったりして。
遍計所執性。。。
ビールはいりませんかー、偽ビールに健康食品。
管長特製ビールは、いりませんか〜。
973 :
まつもとちづおひこく:02/06/08 00:23
しぇんしぇーい、ワタシをコーチショから助け出す、じゅ、じゅ、じゅもんをーーーー!
974 :
桐山管長睨下:02/06/08 00:31
おい、担当者、なにをしておる!!!
このせっかくのかき入れ時に、セキュリティチェックが甘いぞ。
うむ。この龍は、法華経の守護を担当している龍神である。
まちがいない。
写真を、そーだな、20万円で売っときなさい。
いや、50万円に訂正する。
975 :
受験生の母:02/06/08 00:33
護摩木3本お願いします。
976 :
名無しさん@1周年:02/06/08 00:42
皆さん、目を覚ましてください!
以下は、あぼんスレからのコピペです。
「桐山さんはどうかというと、
監禁などしないし、財産を丸ごと取るということもしていない。
教義は矛盾だらけだが、信じるか信じないか、
金を出すか出さないかは個人の勝手です。
金額は、解脱供養10万円は戒名代とみれば高いものではありません。
墓は相場よりは高いが、滅茶苦茶高いわけではありません。
これだけでは桐山さんが逮捕されることはないでしょう。
可能性としては、1987年の密教食とか、脱税問題のように、
何か、法律にひっかかるような桐山さんの盲点を探すしかありません」
977 :
リストラされた男:02/06/08 10:41
護摩木5本お願いします
978 :
名無しさん@1周年:02/06/08 10:49
最後に1000本目をgetして、最終解脱を果たすのは誰だ!
(´・ω・`) さあみんなでお布施を積もう!! (´・ω・`)
979 :
桐山管長睨下:02/06/08 11:08
見よ!
この空スレ金剛界曼陀羅のバイブレーションは、
ますます高まりつつある。
はっきりいおう。
私は、いま、羨ましくてならないのである。
この素晴らしいチャンスを我が物にするであろう、
1000本目ゲットの福徳ある人物を。
密教成立以来、決して高野山の奥院から出ることのなかった秘法が、
いまこうして明かされるのである。
大小さまざまな龍神が、
渦をなして取り巻いているのである。
あなたは、それが、見えるか?
あなたは、それが、聞こえるか?
私は、予言しよう。
ここに集まるあなた方は、
私についで、
もう一人のアジプトの誕生を、
もうまもなく、
目の当たりにするであろう。
980 :
名無しさん@1周年:02/06/08 11:13
まだとどかない、はるかな極み。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ ∧,,∧
ミ゚Д゚,,∩
⊂;゙ ,ミ ←
 ̄  ̄ ミ゙゙_ ミ〜 ト  ̄  ̄  ̄
∪゙ヽ ミ オ
/ ∪ \
/ : オ
/ || . ォ \
/ | : ォ \
/ .
| . ォ
あ、あ、うぎゃー!
な、なんか、額のところが、盛り上がってきたぞ。
なんだこりゃ。
982 :
草レーサー:02/06/08 11:50
>>943 髑髏さん
「一切皆苦」の手綱のようなものを握って喜怒哀楽している人間が、それを手放す瞬間
がある。所謂「吹っ切る、主体から離れた時…」
自分は、それに類する状態を、精神の「真空状態」と呼んでいます。色々な思惑がピタ
リと止まるから。しかし運転は続行している。面白いもので、心臓はバクバク状態なの
に心は台風の目にいるような感じなものだから。台風を見渡せる意味も含めて。
これは余談だけど「正覚」と言うのは台風の目のような感じがする。中心に近付けば
つくほど、暴風雨(煩悩)は荒れる。つまり苦しいわけです。しかし中心には信じられ
ないような静寂がある。暴風雨と一緒になって荒れている(苦楽に同化)内は「覚」に
は至らないと思う。台風に近付かなければ、やはり「眠」で「覚」には至れないと思う。
勿論、台風にはスケールの違いがあり、構造(縁起)としての話ですが…
髑髏さんからは「覚悟」を(覚とる)(悟る)と教えてもらったが、自分は「自覚」
を言います。つまり「おのれ」が「覚とる」。絶対に外せない自灯明でしょう。教祖様
や経典に依存している内は「自覚」は難しいと思う。たとえ開祖であっても…
よく、髑髏さんが経典は参考書程度、と言って何だかんだ言われているようだけど自分
も全くその通りだと思いますよ。
まあ、是は例えですが、レーサーは殆どドライビングは自己流です。ドライビング教本
を隈なく研究している人なんて聞かない。そんなことをしているんだったら「走り込む」
んですよ。走れば当然疑問も出てくる。後は運と実力次第でフィードバック、フィ―ド
フォワードで進んで行くだけ。まあ、レースには「タイム」という絶対唯一の目安がある
ので分かり易いですが。
さて、髑髏さんは誰にでも分かるような仏道修養の「目安」のようなものが何かあると
考えますか?自分としては、それぞれの「苦しみ」の受容と「内心の安らぎ」だと思う。
ただ、誰にでも分かるが「タイム」のように客観的に判断できないのが合理的検証にと
っては玉に傷となるところかも知れませんが。
983 :
名無しさん@1周年:02/06/08 12:58
おっ、秒読みですな W
何らかの利益を求めちゃー、いけねえぜっ。