1 :
名無しさん@1周年 :
02/03/24 12:32 新しいスレッド立てたど。 参加者はこちらに移動のこと。 以上。
>>1 :名無しさん@1周年 (866さん)
すみません。有り難うございます。
どうなるのか、自分でも分かりませんが、行けるところまでまいります。
主よ、聖母よ、守りたまえ・・・。
昨日の「千鳥が淵」は桜が満開で、人も大勢出ていました。初めて行ったのですが、 実に素晴らしい桜でした。私はここ最近、毎年春の桜を見ると、「新しいエルサレム が花嫁のように着飾って天から降ってくるのを見た」(黙示録21章)という聖句を 思います。あの、ピンクの桜はまるで天から降ってきた花嫁のようです。 ところで、私も昨日「知ってるつもり」のイエス・キリストを見ました。細かい所は 別として、そんなに悪くなく、それよりも、主がテレビのゴールデンアワーに取り上 げられるということに、感慨深いものがありました。先週の釈迦といい、今週の主と いい、最悪の時が終わり、いよいよ新しい時代が来ていることを感じました。今年の 桜の異様な早さはそれを物語っているようにも思いました。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
8 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 19:46
>>4 あなたが作り上げたイエスはあなただけの主なのであって、
他の人の話はどうでもいいのであって、関係ないのじゃないの?
他の話は駄言にしかあなたには聞こえていないのだから。
そういう方針ということでスレ続行すれば?
私がスウェーデンボルグを既存のものに比べて変わりないとか
神道から見たらそれほどのものでもないって言ったら、
どこを読んだのですか?っていうけども、
どこをどう読んでもそれ程度と感じる読者もいるわけよ。
猛反発していたけど、それはあなたの勝手だよ。
キリスト教徒の人間や神道の人間からすれば
全くそれ程度のものになってしまうわけだよ。
イエスという人間自身を至上神にしてしまうあたりはおかしい。
神をイエスという人間の中に閉じ込めている理論なのであって、
三位一体説のような「私から父を見る」という理解はそこにはない。
これなら「私自身が父である」と彼は言わねばならなかったのだから。
イエスは天主じゃない。
11 :
小さなヨハネ :02/03/25 21:45
聖母との出会い・第二部 さて、前のスレッドで、個人的な必要に基づく私と聖母との出会いに ついて述べました。(>その2、425-428,451-452,522-523) いよいよその第二部である、一般的な必要からの私と聖母との出会いに ついて述べたいと思います。 私の父は86歳で3年前に死にました。長寿の方だったと思います。しかし、 本人は神も仏も信じておらず、人間は死ねば終わりと思っておりましたので、 結局死ぬのが恐いか、あるいは死ぬのが嫌だったようです。ですから、長寿 とは言え、私は父が可哀相でした。私はすでにスウェーデンボルグを通じて、 神がおられることも、あの世があることも信じておりましたので、父にその ことを言うのですが、本人は全く信じませんでした。 父以外にも、いえ、私の周囲の殆どの者は、死ねば終わりと思っています。 そのため、恐らく本当の「魂の平安」というのは得られていないのではない かと思いました。
12 :
小さなヨハネ :02/03/25 21:47
私はスウェーデンボルグを読んで、神や天界や地獄について、真理を知り、 嬉しくなって皆にスウェーデンボルグ奨めました。 「天界と地獄」を推薦いただきましたが(その2−865番さん)、これ など確かに来世を知るには最適かと思います。私もまず最初に読んだスウェ ーデンボルグは「天界と地獄」でした。(その前に今村光一氏の抄訳版の新 書を読んでからでしたが) しかし、スウェーデンボルグだけでは私自身も人間的には全く改善できませ んでしたし、人もスウェーデンボルグは受け付けてくれませんでした。 私はその後、サンダー・シングを通じてトマス・ア・ケンピスの「キリスト にならいて」を知って、自分のなまぬるいことに気づき、何とか努力すること によって、かろうじて改善が始まりました。 そして、この組み合わせこそ、人に奨められるものだろうかと考えました。 しかし、思ったのですが、この組み合わせではしんどく、喜びも無いので、 人も到底これを受け入れることは出来ないだろうなと思いました。 (続く)
13 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 22:01
>>11 宗教も神も信じていない人の方が、平安の場合も多いですよ。
一定の神観に惑わされることがないからです。
宗教人の多くはそれを馬鹿にしたり、不幸だと言ったりもします。
しかし、それはその人の「神の道」であり、
それを否定することは出来ないのです。
特にユダヤ系宗教に足を突っ込むと理解出来なくなるもの。
神道ではこれを受け入れることは出来るが、
スウェーデンボルグはまだそこには達しない。
あら、新しいスレッドが立ったのね。まぁ、探求して御覧なさい。 今は、いくら探求しても、自分の目を絶対視してしまうもの。 イエズスは、人の視点にも立つように望まれているわけで、 それが出来ないなら、そこまでの理解しかあなたは得ることは出来ない。 あなたが古い伝承を裁くように、あたしはあなたの伝承を裁くから。 あたしは古い伝承によって生きるけど、そこからも真理を知るわ。 あなたはあなたの創った伝承に沿って、その真理の一部を知ることが出来る。 本当は、両者は真理のある側面を見ているわけだけど、 互いにそれを正しく知ることは出来ない。 何故なら、あなたがあなたの作り出した伝承によって古い伝承を裁き、 あたし達は古い伝承によって、その裁きを否定するからね。 両者を一致させることは、神しか出来ない技。 それを待ち、両者が互いに裁かないことね。 しかし、今のあなたはそれを待つ事は出来ない。 裁かずにはいられないからね。 そうしなければ、あなたの新しい伝承が破綻してしまうからね。 来世の事なんて、知ってしまえばどうでもいいことになるわ。 人それぞれに行くべき世界へ行くのだから。 無理して背伸びをすればするほど、迷宮に嵌っていく。 理解出来ないことは、むやみに理解しようとしないこと。 分かる時が来れば、神が教えてくれるから。 あの世の世界は、ある人の視点から見れば、別の人の世界は低く見え、 他の人から見るなら、その別の人の世界が高く見えるもの。 ある人には地獄に見え、ある人には天国に見え、 ある人には、天国へ向かう修行中の世界に見えるでしょうね。 どれも本当だし、どれも嘘。しかし、どれも本当なのよね。
15 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 12:38
>>877 これまでのキリスト教の歴史を辿ってみてください。
イェーススが神にされて行った時の流れを考察して下さい。
普通のキリスト教の域を出ませんよ。
カトリックの考え方を少し神道寄りに
アレンジしたものでしかありませんしね。
彼のことは分かってます。自分さえ良ければどうでもいいのですから。
私が小さなヨハネさんに文句があるのは歴史事実の歪曲です。
時の流れこそ最大の普遍です。
どんなものも過去から目を逸らすなら現在と未来は必要ない。
どのようなことからイェーススが神となって行ったかを知れば
全てが理解出来ます。
16 :
dendo. :02/03/26 12:52
ユダヤ>キリスト教と、神道。 見た目も考え方も全く違うけど、つながっている部分もまた多い。 本当に、不思議なものね。
あぼーん
のんきなことはいいことよね。ありがとう。
20 :
dendo. :02/03/26 15:38
>>17 どこが?人間が聖性を理解する仕方には、文化や歴史の制約を別としても
人間理性そのもののもつ制約(つか限界)がかかっている、というだけのことでは。
だからこそ異端といわれる宗派は世に数あれど、そう独創的なものはなかなか
出てこない。
ところでマリアさんはオットーの『聖なるもの』は読んだことあります?
22 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 17:13
いいかげん異端スレッド続けるの止めろよ。 お望みなら、スウェーデンボルグの告発サイト作ってあげても良いんだよ。
23 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 17:56
>>20 だから似ているといえるのです。
ユダヤ・キリスト教・イスラム教の方には理解が出来ないと思います。
しかし神道の視点から見ればそういう理解になります。
>>22 するだけ糞スレが増えるだけです。やめましょう。
>>20 ええ。その通りよ。しかし、それも不思議の技となる。
どこからそれがきているのか考える時、
聖なるものを意識できるのよ。神道人としてはね。
あたしは、宗教本を読んでも良く分からないのよ。
だから、あんまり本を読むと言うことがなかったのよ。
そんな癖して、高校の時は日曜学校で教えていたりしたのだけど・・・。
ブリタニカの国際大百科事典は、読むのは好きだったんだけどね・・・。
26 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/03/26 22:42
あ、クリスチャンさんは ‘聖書の世界の2ちゃんねる‘にも顔を出してくださいね。 ‘ネットのクリスチャンリスト‘後継すれとして みんなでおしゃべりしたいので♪よろしく☆
27 :
小さなヨハネ :02/03/27 00:33
(12の続き) 聖母との出会い・第二部(2)妙好人 ところで「信仰」と一口に言っても、いろいろな種類、内容、段階がある と思います。しかし、霊魂の救済がなされた状態の信仰、すなわち人が救 われて、魂が「平安」を得た状態の本当の「信仰」に到達するのは、いか なる宗教、いかなる宗派にかかわらず、古来より大変なことだったろうと 思います。例えば、浄土宗・浄土真宗では、魂の遍歴を経て、苦心惨澹の 結果、そういう境地にまで至った信仰者を「妙好人」(みょうこうにん) と呼んで称えられているようです。 話は逸れますが、そういう本物の信仰者の実例について二三お話ししたいと思い ます。
28 :
小さなヨハネ :02/03/27 00:35
六連島おかる(1801〜1856) おかるは下関の沖合いにある六連島(むつれじま)という小島に生まれ ました。19才で幸七という村の男性と結婚、夫婦仲もよく、子どもも生 まれ、幸せに暮らしておりました。しかし幸七に女性が出来、島へ帰らな くなったのです。嫉妬に狂ったおかるは身投げをしようとしたこともあり ました。おかるはお寺の聞法に通うようになります。しかし仏法を聞いて もなかなか救われず、えらいお坊さんの法座が下関であると聞けば一人で しけた海を漕ぎ渡って聴聞に通いました。その姿を見た人々はおかるは気 が狂ったとうわさをしました。 そのおかるも35〜6の歳にようやく救われた境地に至ったようです。 幸七もいつしかおかるのもとに帰り、おかるの勧めで二人は共にお寺の 聞法に通うようになりました。自分が弥陀のお慈悲に出会えたのは夫の お蔭とおかるが住職に語ると、夫の幸七も自分もおかるのお蔭でこうし て救われましたと語ったそうです。住職のすすめで歌ったおかるの歌が 残っています。
29 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/03/27 00:35
あ、クリスチャンさんは ‘聖書の世界の2ちゃんねる‘にも顔を出してくださいね。 ‘ネットのクリスチャンリスト‘後継すれとして みんなでおしゃべりしたいので♪
30 :
小さなヨハネ :02/03/27 00:36
「なにごとも昔になりて今ははや 南無阿弥陀仏をとなうばかりに」 「おのがふんべつさっぱりやめて 弥陀の思案にまかしゃんせ」 「気狂いばばじゃといわれしわれも やがて浄土の花嫁に」 「重荷せおうて 山坂すれど ご恩おもえば 苦にならず」 「ああうれしみのりの風に身をまかせ いつもやよいのここちこそすれ」 「鮎は瀬に住む 小鳥は森に わたしゃ六字の うちにすむ」 おかるが亡くなる3ヶ月前にこう歌っています。 「亡きあとにかるをたずぬる人あらば 弥陀の浄土に行たと答えよ」 俳画で有名な博多の仙涯和尚がおかるの歌に感動してこう読んだそうです。 「信を得し人のよろこぶ言の葉は 仮名にあらわす経陀羅尼(讃歎文)なり」 (『妙好人の言葉』梯實圓著、法蔵館より)
31 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 01:40
おかるは良いねえ。七段目で、 「勿体ないがとゝ様は非業の死でもお年の上、 勘平殿は三十に成るやならずに死ぬるのはさぞ悲しかろ口惜しかろ」 ・・・ってところなんかグッとくるねえ。 あ。別人か。
>>25 あなたのスレで勝手にやる分には、いいけれどね・・・。
さて、どうなるかしら?
ゞゞノ ∴ゞヾソ (ヾヾゞノ 、 ;;ヾヾゞゞノ ヾゞヾゞ) ´ ´ 、 ゞゞヾノ ゞヾゞヾ;;ゞゞヾ) ` ` 、 |;i:;.|:;| 〃 ゞゞ ゞソ` ` ´ ´ |:;i;.|i;|〃 、 ´ 、 ` ` 、 ` |::.;.|.;| 、∧ ∧ ´ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |;;i;:|::| ( ゚Д゚) < シルビウス 君は厨房 僕も春厨・・・字余り。(爆 |::,.i|;i| |σ[] ∬ \________________ |;:;.:|.:| ι⊃⊃旦 ` 、 ´ """'"""""'""""i""'""""''"i"""'""" i
34 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 10:18
ヨハネさんがご自分の入信のお証しをしてくださっているのですが、 日本神道の方、その他の宗教の皆さんも、 ここらでご自分の入信のきっかけ大会など、いかがなもんでしょうか。 個人的には聞いてみたいんですが マリアさんは、いつごろからいつごろまでカトリックに行っておられたのですか? もし差し支えなければ。
>>343 あたしは産まれてから、ずっとカトリックだったからね。
今のような変な体質だったけど、18までは教会へ行っていたわ。
東京で騙されて置屋に入れられて、その後極道の亭主に買われて、
数年たって亭主が抗争で死んだから、東京から離れて
各地で老人ホームとか、病院とかで働いていたの。
神道はね、入信なんか誰もしてないわよ。
生活が既に神との交わりだから。
キリスト教会から移ったとしても、それは改宗とは言わないわね。
36 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 14:37
>>35 マリアさん
お家は神道ではないんですか? 幼児洗礼とか、受けられたんですか?
て、こんな立ち入ったこと、こんなところで聞いていいのかな。
ご苦労なさったんですね。
今のような霊能者ぶりが明らかになられたのはいつごろなんですか?
37 :
前スレ875@あほ :02/03/27 16:28
16 :dendo. さん >でないと本当の馬鹿だと思われます。 dendo.さん、ひょっとして、フシアナちゃいます? 「だと思われる」って、今まで私のことナンだと思ってた? こういうこと言われると、消したはずの芸人根性に火がついてしまうやん。
38 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 16:34
というわけでこれでやめよう。
39 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 16:37
>>12 >私はスウェーデンボルグを読んで、神や天界や地獄について、真理を知り、
>嬉しくなって皆にスウェーデンボルグ奨めました。
なぜ、スウェーデンボルグの言ったことが真理だとわかるのですか?
彼は自分が、これまでとはまったく違った本当の真理を見たといって
既成のキリスト教を批判して回っている一人の霊能者に過ぎないでしょう。
そういう方は他にも沢山いるのですよ。文鮮明とかジョセフ・スミスとか・・
貴方の御持説、彼の著作=真理、を裏付ける論拠を示して下さい。
40 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 16:54
よく飽きずに論争するよな。読むのつかれるよ。
41 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 17:55
マリアさん、いつも小さなヨハネにお言葉をありがとうございます。わたくしは 身近にいるものですが、傍観者としていつもはらはら、どきどきで開いております。 皆様からご助言、ご忠告をたくさん戴きながら、なかなか頑固で、対応が悪く離れていかれる方 もいらっしゃる中、ずっとお付き合い下さって愛がある方だとおもっておりました。 マリアさんの福音は?と聞かれて、人を愛しなさい。人を許しなさい。寛容でありなさい。 とお答えになっていました。わたくしには難しいことはわかりませんが、これが全てなの ではと思います。マリアさんはたくさんご苦労なさったから人格まで傷つけること はしないのだと。 >33、(18も?)ほのぼのとした絵を入れてくださって有り難うございます。和まそうと 気を使って下さって。小さなヨハネも喜んでいます。早く皆様にお礼を申し上げて終わりに してくれるといいのですが・・・・・
>>41 確かに頑固だな〜〜<小さなヨハネ
イエスが主でなくても、偉大な存在だというのは動かん、と言うとろうが・・・(苦笑)。
贔屓の引き倒しにならないか、とそれを懸念している次第。
43 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 18:56
>>41 :名無しさん@1周年
あ、あ、あ、・・・!!
44 :
小さなヨハネ :02/03/27 19:33
>>39 :名無しさん@1周年
>なぜ、スウェーデンボルグの言ったことが真理だとわかるのですか?
>彼は自分が、これまでとはまったく違った本当の真理を見たといって
>既成のキリスト教を批判して回っている一人の霊能者に過ぎないでしょう。
>そういう方は他にも沢山いるのですよ。文鮮明とかジョセフ・スミスとか・・
>貴方の御持説、彼の著作=真理、を裏付ける論拠を示して下さい。
・・・うーん、それは直観としか言いようがありません。
あえて、言えば、「実によって木を知る」(マタイ7・16)と言いますが、
そう思います。スウェーデンボルグは読んだだけで、この人は嘘を付くよう
な人間ではないと感じました。それと、彼の言っていることが、また非常に
素晴らしかったことです。人間の知恵ではとても書けないと思いました。
45 :
小さなヨハネ :02/03/27 20:09
(30の続き) 浅原才市(1850〜1932) 浅原才市(あさはらさいち)は石見の国、小浜の人。若い頃は船大工をし、 後に下駄作りの職人として暮らしました。下駄を作りながら心に浮かんだ 歌を「かんなくず」に書き留めておいて、夜になるとノートに清書しまし た。彼の作品はすべては残っていませんが、全部で6千首とも8千首とも あったと言われています。 「さいちよい。」「へ。」(返事) 「このあじかくには、どうしてかくか。」 「このあじかくこたできません、このあじかくこた、ひた(舌)であじ やう(味わう)。ごをんうれしや、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。」 「仏のこころは 不思議なものよ めにはめえねど 話ができる 仏と話をするときは 称名念仏 これがはなしよ」
46 :
小さなヨハネ :02/03/27 20:11
「わしのお礼は あなたと話し 話しすること なむあみだぶつ」 「わしのお礼は 慙愧と歓喜 させて頂くなむあみだぶつ」 「いつみても み手に救われ 招かれて わたしゃ あなたに 摂い取られて なむあみだぶつ なむあみだぶつ」 「わたしやつみでもろくじのざんぎ(慙愧) わたしやつみでもろくじのくわんぎ(歓喜) なむわ、ざんぎで、あみだわ、くわんぎ、 ざんぎ、くわんぎの、なむあみだぶつ」 ―主:「わたしは二通りの方法でわたしの選み出した者を訪うのを常とする。 それは試みと慰めとである。またわたしは毎日かれらに二通りの教え方をす る。一つはかれらの悪いところをとがめること、一つはかれらの善徳の進歩 をはげますこと、これである。」(トマス・ア・ケンピス/キリストになら いて/3・3・5)―
47 :
小さなヨハネ :02/03/27 20:13
「有難や 年令をますほど よろこび 増すよ ご恩うれしや なむあみだぶつ」 「死ぬるは 浮世のきまりなり 死なんは 浄土のきまりなり これが楽しみなむあみだぶつ」 「わしらちや 如来さんとおるが いっちええ お寺いまいるときには つれてまいてもろをて もどるときには わしについて もどりなさるし しごとをするときにも はなしをして しごとするし ありがたいよ」 「あさましや さいち こころの火の中に 大悲のおやは 寝ずのばん もえる機を ひきとりなさる おやのお慈悲で」 「をやこふたりで、はなしをすれど、みゑぬをかをが、なむあみだぶつ」 「をやにだかれて子はここに、をやにだかれて。なむあみだぶつ。」
48 :
小さなヨハネ :02/03/27 20:14
風邪を引いたときの歌 「ねておれば、なむあみだぶの声がする。 をやにだかれて、をやにをびかれ(あやされ)、 なむあみだぶの乳をのませて、をやのかを見て、 をやこのなさけ、ありがたや。」 「よろこびわ、とこのなか、とこのなかこそみだのなか、 みだのなかこそ、なむあみだぶつ。」 かぜひきのよろこび。 「こころも、じゃけん、みもじゃけん。つのをはやすが、これが、わたくし。 あさまし、あさましや。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。」 「ゆくたびも、むねをいためた、いまは六字にこころとられて。」 「さいちや、ありがたいのが、どをして知れた。」 「わしがつまらんで知れたのよ、をやのおかげよ。」
49 :
小さなヨハネ :02/03/27 20:17
「うれしや、浄土恋しや、なむあみだぶつ、 浄土の乳わ、なむあみだぶつ、さいちや此の乳のんでをる、 わたしやをやさまこゑしい、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。」 「まよいかさねたわたくしが、いまわ、あなたの、いまわ、あなたの、 いまわ、あなたの、をてに(御手に)あげられ、ああ、うれしや。 わたしや、ろくじのなかに、とられてをること。」 ご参考:『妙好人の言葉』梯實圓著、法蔵館/『妙好人の世界』楠恭、 金光寿郎著、法蔵館/『才市同行』高木雪雄著、永田文昌堂/『日本 的霊性』鈴木大拙著、岩波文庫/『妙好人』鈴木大拙著、法蔵館/ 『妙好人 源左さん』上・下藤木てるみ 探求社
>>36 それはね、父親の実家が神社で母親がカトリックだったからよ。
あたしは、産まれてすぐに洗礼を受けたのよ。
霊的な現象と本格的に関わりがあったのは、5歳くらいからよ。
本家へ行ったら先祖の神々が現れて、空席の巫女の座に座らされたのよ。
祖母に言ったら、祖母は「誰にも言わないように」と言ったわ。
その前からも、周囲の多くの人には分からない存在がいたけど、
みんな分かってると思っていたから、自分が変だとは知らなかったのよ。
生まれる前のことや、この世に来る前のことも覚えてて、
2歳の時に良く親に話したから、親を困らせたと思うわ。
>>41 「人を愛しなさい」「人を許しなさい」「寛容でありなさい」
人がこの言と共に生活するなら、そこは既に神の国でしょうね。
スウェーデンボルグの語る理念はキリスト教精神に適ってるとおもうが・・・ 基本的に、人が客観をもって、神を理解出来るとは思えない。そもそも、客観が 存在しうるだろうか。人の(個人のではない)主観が、どのように認識するかと いう問題しか存在しえない。 これは、過去の神学者達の過ちだと思う。 私にとって、イエスのみが”主”たるものです。 が故に、”他”に対する「寛容」が重要であり、また、日々、自分との戦いです。 (独り言)
因みに、御子(人の子・・この表現がより良い)イエスと主イエスは、 ”認識において”区別すべし、との結論に達しました。<報告> ”イエス”は”父”です。
54 :
名無しさん@元ボーダー住民 :02/03/28 08:45
>>52 >スウェーデンボルグの語る理念はキリスト教精神に適ってるとおもうが・・・
全くその通りです。スウェーデンボルグに、何か奇抜な目新しい宗教を期待しようとするなら
そういうものは発見できないと思います。ただし、全部の異端思想に通じているわけではないので、
大きなことは言えませんが。単に視点の問題です。
キリスト者でも、キリスト教を見る人の視点によっては、問題なく受け入れられるものです。
事実、そのような賛同者が多くいます。
日本神道のような視点から見れば(よく知りませんが部外者として見れば)、
スウェーデンボルグはただのキリスト教であると見えるはずです。
でなければ「真のキリスト教」などという本を書く訳ないでしょう。
彼は、元ルター派の信者であり、ルター派にかなう信仰告白で基礎を固めた後、
ほぼその直後から、あのような信仰生涯に入ったのです。
ですから、
>>15 >普通のキリスト教の域を出ません
というのは、申し訳ないが、批判にはなっていません。その通りですから。
>>53 できれば結果報告だけではく、プロセスも御紹介願いたい。
55 :
名無しさん@1周年 :02/03/28 22:14
>>50 マリアさん
>生まれる前のことや、この世に来る前のことも覚えてて、
今でも覚えてます? えーと・・・、もし差し支えなければ・・・どんなんですか?
それでカトリックに行って、違和感とかはなかったんですか?
すみません。興味津々ですが、テキトーにあしらってやってください。
56 :
小さなヨハネ :02/03/28 22:38
>>52 : ◆rs2OUULQ さん
>基本的に、人が客観をもって、神を理解出来るとは思えない。そもそも、客観が
>存在しうるだろうか。人の(個人のではない)主観が、どのように認識するかと
>いう問題しか存在しえない。
認識に関する難しい話は分かりませんが、よく、神は把握できないから云々という
議論を聞きます。だから神を追求することは無駄である、とか、神について語ろう
とすると「冒涜」だとか。なにかそこには人を神から遠ざけようとする不遜な意図
があるように私は感じます。自分が神を求めない弁解だけならまだしも、人をつま
ずかせる元となり得ると思います。
「自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない」(マタイ23・13)
あなたはそのような意味で神についての認識を話されているのではないと思います。
57 :
小さなヨハネ :02/03/28 22:55
神について充分把握出来ないからといって、神を無視してよいという議論は 欺瞞だと私は思います。あるいは、神が存在しないと言わんばかりの・・・。 サンダー・シングも言っていたかも知れませんが、太陽は肉眼で直視すらで きないことは確かですが、だからといって太陽が存在しないということには なりません。私たちは太陽を説明できなくても、その温かく明るい日差しを 感ずることはできるでしょう。そして、人が太陽の日差しを求めて太陽の方 へ行くからといってそれを妨げるようなことはよくないと思います。太陽の 日差しの元へ行くことは生命に(健康に)関わることなのですから。
58 :
小さなヨハネ :02/03/28 23:08
>>52 名前: ◆rs2OUULQ さん
>私にとって、イエスのみが”主”たるものです。
>が故に、”他”に対する「寛容」が重要であり、また、日々、自分との
>戦いです。
・・・主に寄り頼めば主は必ず答えてくださるでしょう。
59 :
小さなヨハネ :02/03/29 22:47
昨日から「石井藤吉ざんげ録」を読み直していますが、彼はイエスを神と理解して います。これこそが「救う信仰」です。亀谷凌雲氏も「仏教からキリストへ」の中 でキリストは神に相違ないと言っていました。自分でそれが分かる人はすごいもの です。
神の、意思や思い、愛を知れば十分と思うだけです。
おおっ!御業を忘れてた。
62 :
小さなヨハネ :02/03/30 17:24
ところで先日申し忘れましたが、ヘブライ人の手紙を書いたのが熱心ものの シモンではないかと推測する(その2・481)根拠を二、三申し述べます。 (1).ヘブライ人への手紙の中に 「実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。」(12・29) とありますが、これと似た表現がマリア・ワルトルタに二ヶ所あります。 「主:『(前略)そして、その愛をあなたたちの心が受け止める事ができます ように、観想の渦巻きの中に入りなさい。自分が人間である事も忘れるよ うに努め、セラフィムに変われるように努めよ。観想の炎の中に飛び込み なさい。神の観想は、火打ち金をぶつけて、飛び散る火花で火と光を起こ すのに似ている。不透明な物質を常に消耗し、それを清い輝きの炎に変え る火は清めである。けれどもあなたたちが愛を持っていなければ、あなた たちの中に神の国を持てないであろう。なぜならば神の国は愛であり、そ して愛と共に現れ、愛によってあなたたちの心に住むからである。』」 (あかし書房/マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P216より)
63 :
小さなヨハネ :02/03/30 17:27
そして、さらに熱心もののシモンは主と二人だけのとき主から直接こう言わ れているからです。 「熱心者のシモン:『(前略)私は知らない土地を一歩一歩進んでいく人のよ うに、私たちを“子”と呼びたい偉大なかの完全さの認識を深めていって、 空翔ける鷲のようにまた深海を泳ぐ魚のように自由にかけめぐったのに、 その境に触れることがありません。神とは、何なのでしょうか』 主:『神とは、決して届かない完全、完璧な美、限りない力、理解を超え るもの!神とは、決して超えられない善、壊せないあわれみ、はかり知れ ない上智。神は神となった愛、神は愛、愛そのもの。神の完全を知れば知 るほど曇りない空を翔け上り、限りない深淵に身を投じたようと言うが・ ・・。神となった愛とは何かを知れば、おまえは空や海でなく、炎の渦巻 に巻き込まれ、死と命とからなる幸福に吸い寄せられます。神を全く所有す るとは、自分の意志で理解するに値する恵みを与えられるということです。 その時に、神の完全さで全き一致をすることができます』 『主よ!』シモンは完全に圧倒されて沈黙が続く。」 (あかし書房/マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P67より)
>>55 ええ。あたしは修行をしにきたのよ。
この世は修行の場。神の世界から来て、神の世界に帰る。
最初に望んだものを、神は与えてくれる。
親や性別や、その他必要とするものを。後は、あたし達次第。
65 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 13:16
>>64 マリアさん、ありがとうございます。根掘り葉掘りですみません。
1)マリアさん個人が、神の世界から来られたのですか?
それとも、神の世界から来たというのは、人間に全般的なことですか?
2)マリアさんは、今の御両親や性別を、最初にご自分で望まれたということですか?
それは、記憶なさっているのですか?
66 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 13:18
宇宙人がこの宇宙をつくりました。
>>65 ええ。人間はみな神の世界から来て、神の世界へ帰るのよ。
それから、最初に神は何を望むかを問う。
何といっても、神が産み出したものだから、
神の望みとも取れるわけだけどね。
また、死ぬ瞬間は、人は生涯のことを見るわ。
これが、最後の告解の時よ。神は、その人を迎えに来る。
しかし、それが出来ないなら、その人は地に留まる。
それが地獄。神から離れた状態。時に悪霊となって、地を彷徨う。
これは、悪しき心を消化する期間ともいえるのだけどね。
68 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 14:16
宇宙人のほうが優れた頭脳をもっているんだ。
69 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 14:39
70 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 14:44
>また宇宙人かよ そんないいかたしなくてもいいじゃん。 神を信じて思考停止するよりもはるかに先鋭していると思わないか。
ううん、ちがうもん・・・。 爬虫類人だもんっ・・・。 爬虫類人がちきゅーをせーふくしてるんだもんっ♪
72 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 15:16
>>70 神を信じて思考停止するよりもはるかに先鋭していると思わないか。
こんなスレで盛り上がるのは時間の無駄だと思うが、
い か が な も の か?
73 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 15:16
>>64 マリアさん、時間のあるときお相手してください。
1)小学校とか、中学校の時、友達は霊能力のことを知っていたんですか?
人間関係で霊能力は、役に立つとか、不利だとか、そういうのはありました?
2)御両親などには、そういう能力はないんですか?
家系的に、霊能力のある人は、やはり多いのですか?
3)巫女さんになろうと思われたのはいつごろですか?
小さい頃、大きくなったらなりたい職業とか、ありました?
4)高校卒業後、御苦労なさったとき、そういう危険を察知して避ける
といったことには、その能力を使われなかったのですか?
すみません、知らないもので、ずけずけと聞いています。
74 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/03/31 15:23
intelはいってる??
75 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 15:26
だ か ら 宇宙人のほうがすごい頭脳をもっているんだぞ
76 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/03/31 15:29
俺、ノートのPenV1Ghz。この二月14万で買った。 今Pen4まで出てる・・・欲しいよぉ。 ちなみに前のパソは一年で買い換えました☆ 宇宙人はいってる??
77 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 15:31
78 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 15:32
宇宙人はこの宇宙のどこかにいるはずです。
だ か ら はちゅーるいじん(トカゲ野郎)のほうがすごい頭脳をもっているんだぞ
ところでニャントロ星人や宇宙狸ポリタに詳しいKONYさんはどこにいったのであろうか? 宇宙狸ポリタってのが、なんともいえず微妙な響きでよかったのだがな。 どっかの掲示板で見た人いる?
81 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 15:39
神とか主イエスがいたかどうかよりも はるかに宇宙人がいる確率が高いということです。 本当に神がいるとまだ信じているんですか。 >77おかしいのはあなたでしょう。
>>81 いるよ。つーか、俺だよ、俺。一応この地の創造主だが、それがなにか?
83 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 15:47
>>67 ますますおもしろくなって、しばらく止められません。
1)最初に、と言われる、魂の最初とはいつなのですか?
人の魂は地上に来る以前のある時点で造られるのですか?
かなり古くから、もしくは永遠の昔からあったものが地上に来るのですか?
どの時点で体内に宿るのですか?
2)最初に何を望むかについて、両親の望みとかは考慮されないのですか?
障害のある人についてはどうですか?
そういうものも、その魂の望みなのですか?
3)「悪しき心を消化する期間」とはなんのことですか?
その期間にどういうことが起こるのですか?
それが終わるとどうなるのですか?
84 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/03/31 15:49
>>81 イエスという人物は実際いたようですよ・・・
おかしいのは貴方もでしょ。
85 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:00
>>84 イエスなんか、「いたといわれた」「いたようだった」
というふうに言葉を濁しただけであっていまだ謎ですよね。
伝説上の人物といったほうが現実では?
この広大な宇宙のどこかのほしに宇宙人がいてもおかしくありません。
そのうち宇宙飛行しが発見するかもしれませんよ。
おかしいほうはあなたです。
86 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/03/31 16:03
>>85 はるかに・・・というのはおかしいのでは??
いたようだった>いておかしくない
と思うのですが。。。
87 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:04
>>50 1)この世に来る前のことを、どのように覚えておられますか?
視覚的にですか? それとも会話ですか? それとも思想的? イメージですか?
2)自分の前世はどこの誰それだったという話をする人のことを、
どのように解釈されますか?
(自分は、マリアさんの前世観のほうがしっくりきますが)
88 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:05
>>81 宇宙人がいる確率が高いとあなたが
何故思われたのかを教えてください。
89 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:08
>>86 イエスがいたようだった>宇宙人がいておかしくない
そうですか。
では
神はいておかしくない、と宇宙人がいておかしくない
ではどうですか。
90 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:09
>>85 今の時代に、イエスがどのような存在だったかはともかくとして
無知以外で、イエスという人物その者の実在を否定する人は皆無です。
91 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:12
>>88 アメリカで仕事をしていたとき、ある人からの影響が大きく
ショックを受けました。それからです。
本当に神よりも宇宙人のほうがいる確率が高いと実感しました。
なんと言うか…言葉では説明できません。
92 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/03/31 16:16
>>89 別にどっちでもいいじゃん。
>>の関係を否定するのが俺の役目なんだし。
宇宙人がいないことを証明しようとしてんじゃないよ。
俺はintel。intelはいってる??
93 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:16
マリアさんの前世観、来世観は、他の日本神道の霊能力を持つ方と 一致するのですか? 例えば、先ごろまで代理をされていた方などはどうなのでしょうか?
94 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:16
告白すると私はクリスチャンでしたが この宇宙人がいるかもしれない、というおもいを得てからは クリスチャンであるほうが恥ずかしく感じたのです。
95 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:20
明日からまた出張でテキサスへ行きます。 宇宙人がほんとうにいるかもしれない、という話にまたなりそうなんです。 とっても楽しみですよ。
96 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:25
>>94 スウェーデンボルグは、宇宙人を肯定しているよ。
と思う。人に聞いた話だけど。
聖書には、「宇宙人はいない」と書いていないのだから、
別にかまわんのじゃない? うちの連れ合いも、一応クリスチャンだけど、
宇宙人好きだよ。この間、コレマジで、ミステリーサークルの解明するまで
宇宙人の仕業と信じきっていたし。
聖書は、宇宙のすべての成り立ちを説明してるわけないじゃん。
そんな教会に行かなくてもクリスチャンやれます。
97 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/03/31 16:27
うちーじん、いい!!
本当のお父さんが誰だが分からないのに、 父なる神、とは涙がでるくらい笑えますな。
99 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:30
知ってますよ。スウェーデンボルグ。 ミステリーサークルはあれは人間がいとも簡単につくったんですよね。 それも知ってます。 私の友達でそのテに関して詳しい人がいて、私は驚きましたが。 聖書はただの書物だと思います。聖書に原理的思想をおくのは かなり危険なことですね。
100 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/03/31 16:31
100GET!!
101 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:36
>>98 現代人で「父なる神」という人のほうが
かなりヤバイと思うよ。
102 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:44
この題名「主イエスキリストは父なる神」 かなり笑えます。
103 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/03/31 16:47
>>102 ほんとだね、三位一体に関して議論したかったのかな??
104 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:51
私はその三位一体説もどうかと思う。 というか、キリスト教じたいいかがわしい宗教にさえ思える。 やっぱり現代は宇宙への関心をもったほうが みんなのためじゃないかなぁ
105 :
名無しさん@元ボーダー住民 :02/03/31 16:53
>>70 >神を信じて思考停止するよりもはるかに先鋭していると思わないか。
「神を信じて思考停止する」
これですねぇ。あなた、いいこと言いました。
スウェーデンボルグのキリスト教は、これを突いています。
「信仰義認」「予定説」などは、信仰の入り口では大変助かるが、
信仰が進むにつれて「思考停止」を強要される
という問題点を彼は語っています。
そして、神が、自由意志を与えた生き物に思考停止するような導きをするわけなく、
それでは如何に、ということが語られています。
スウェーデンボルグでは、人間の自由意志が選択決定する将来の可能性は、非常に広いです。
106 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/03/31 16:53
三位一体はおれ何となくわかる気がする・・・ 何となくだけど。。。
107 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 16:58
だから私もスウェーデンボルグに関してはある程度の知識はあります。 でも日本の多くの信者はまったく違うというのです。アメリカでの教会と 日本の教会では事実まったく違うし。 でもそのスウェーデンボルグに走りすぎるとやっぱり聖書原理主義者と 変わらなくなることに気がつかないかなぁ。 マジで宇宙人がいつか発見されると思う人間をあざ笑うヤツって かなりヤバイと思う。それだけ日本の常識ってものがおくれているんだよ。
108 :
名無しさん@元ボーダー住民 :02/03/31 19:38
>>107 どういうふうに違っているんですか? 例えば?
違いをいえばきりがありません。 それぐらい天と地との差があります。 はっきりと申します。私が所属していた日本キリスト教団は最低です。
>>73 1については、人にあまり話さなかった。
曾祖母や祖母から、あまり人に話さないように言われていたから。
2については、親達は全く普通の人。
母は、伝承に基づいて生きてはいるけれど、
それは伝承に従って歩むということだから。
父は、神々を信じてはいるけれど、
普通に生活することを求める人。それが神道の姿勢だしね。
家系的に、巫女を務めた後に尼になって、
孫を指導するのが務めだったから、そんな感じよ。
曾祖母で巫女は絶えて、祖母は他家から来た人だけど、
霊感があったわね。でも、彼女は巫女にはならなかったわ。
母の先祖も、職業預言者だったらしいという言い伝えがあるわね。
ただ、カトリック信仰を受け入れていたから、
預言を頂こうとは思わなかったから、言い伝えとして伝えた程度。
3巫女になるのは、あたしの表面的な望みではないのよ。
ただ、これは修行なのよ。
小さい頃は、司祭になりたかったわね。
ただ、この願いは叶わないことも、知っていたけどね。
4危険は先祖の巫女から、知らされていたわ。
でも、あたしはそれを、なぜか振り切ったのよ。
またそれも、あたしの生き方だったのでしょうね。
良い修行よ。極道の亭主は、いい人だったわよ。
よく喧嘩したけどね。喧嘩できる人だったからね。
>>83 1そのことは、人の時の流れとは別の世界だから、
何とも言えないわね・・・。
地球の内と外で時間が違うように、あらゆるものの時間は、
場所によって違うことも多いから。
魂が創られる時はね、いつというのは無いのよ。
そこに在るものだからね。
体内に魂が宿る時期については、ちょっと記憶が無いわ。
神が「ここに行きなさい」と言った時には、胎内にいるからね。
2障害のある人については、それもその人の望みだからね。
でも、そのことを覚えているようでは、修行にならないもの。
両親のことについては、またそれも親にとっては修行なのでしょうね。
3それが終わると、帰るべきところへ帰っていくわ。
これが俗にいう、成仏というやつよ。
その期間の間は、悪いことをする霊もあるわよ。
自分の欲とかが関わっているからね。
それから抜けられるきっかけが無いと、抜けられない。
112 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 22:08
寝言ばかりいうな。>マリア
113 :
名無しさん@元ボーダー住民 :02/03/31 22:11
>>109 アメリカでは、教会生活したのですか?
アメリカではアメリカ人の教会に行った? 日本人の教会に行った?
先日聞いたところでは、アメリカで日本人教会に行っていたらしい人が、
かなり非難していたね。
日本キリスト教団は、ピンからキリまでありますよね。
というか、私はまた、スウェーデンボルグや宇宙人に関する理解が不足していると
おっしゃってるのかと思ったんですが、言っておられるところによると
信仰姿勢そのものが気に入らないということみたいですね。ま、いいけど。
>>87 1視覚的イメージもあれば、話したこともあるわ。
まぁ、光の中にいたから、それ以上のイメージは無いけどね。
2それもまたそうよ。あたしもそうだし。
だけど、一回限りの人も多いと思うわね。
あたしは、こういう運命だからね。
行かねばならない世界へ行くのが、仕事だからね。
でも、あまり鵜呑みにしないほうがいいものよ。
>>93 神道でも色んな人がいるからね・・・。
でも、基本的に一回限りと教えていく方が、いいとも思うわ。
前世に拘り過ぎるのは良くないもの。
前世と現世は別のものだから、前世の事を気にせずに、
現世は現世のことに打ち込めば良いのだから。
前世や来世を信じることもいいけど、
いい加減で止めておかないと、しんどくなるだけよ。
115 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 22:18
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響き有り 紗ら双樹の花の色 盛者必衰の理を表す 奢れる人も久しからず 只春の夜の如し。 日本人の心を忘れちゃ駄目だよ。 日本人の琴線に触れる平家物語の 冒頭を君に送ってあげるよ!!
116 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 22:18
>113 せっかく書きこんでくれたのに申し訳ありません。 明日の飛行機でテキサスへ行きます。話をすると長くなりますので 向こうについて落ち着いてからまた来ます。 アメリカのとてつもなく大きい教会で、国籍は様々でした。 アメリカでは有名な教会です。
117 :
名無しさん@元ボーダー住民 :02/03/31 22:59
118 :
小さなヨハネ :02/03/31 23:17
(63の続き) (2). ヘブライ人への手紙は「非常に洗練されたギリシャ語」で書かれている そうですが(いのちのことば社/カラー聖書ガイドブックP626)、熱心者 のシモンは「家族は大きな勢力があって」(マリア・ワルトルタ/イエズスに 出会った人々1・P84)、「知識人」(同P85)であったと書かれています。
119 :
小さなヨハネ :02/03/31 23:55
(3). 「このことについては、話すことがたくさんあるのですが、あなたがたの 耳が鈍くなっているので、容易に説明できません。実際、あなたがたは今 ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教 えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末 だからです。」(ヘブライ人への手紙5・11,12) 等、著者はかなり強いリーダーシップを持っていたかのような口調にも受 け取れます。 使徒たちは主が捕まったとき、皆逃げ出してしまいました。ペテロはもち ろん、ゴルゴタの丘にまで付いて行く使徒ヨハネも一旦は逃げたのでした。 しかし、マリア・ワルトルタを読むと、実は一人だけ逃げなかった使徒が います。それは、熱心者のシモンで、彼は主が捕まる直前に、主からベタ ニアのラザロの家に戻るように命じられます。ちりじりになる使徒や弟子 たちを集め、励ますために主はあらかじめシモンにそのことを命じられた のでした。
120 :
小さなヨハネ :02/03/31 23:56
彼は最後の晩餐の時、主が弟子達の足を洗われますが、主が彼の足を洗い 終わると、主の足に接吻し、「裁きの時に私が辱められないように!」と 願います。すると主は「シモン、恐れるな。おまえは天の国に山の雪のよう に白くなって来ることでしょう。」とお答えになります。 (イエズスの受難P186) シモンも主の捕まる場面に居合わせていたら逃げていたかもしれません。 しかし、それまでの印象からは、彼は踏みとどまったような気もします。 そのくらい彼は腹の座った剛毅な人間の印象を与えます。主の命令によ って恥を免れることができたのかもしれませんが、いずれにしろ彼は使 徒たちの中でもはっきりと物を言える人であったように思えます。その ような訳で彼はヘブライ人の手紙を書くにふさわしい人物ではなかった かと思った次第です。
121 :
小さなヨハネ :02/04/01 00:10
>前スレッド857 :T氏の落書き ◆RSrQg8hk :02/03/24 00:57 さん >スウェーデンボルクは、聖絶についてどう考えているのだろうか? あなたの質問の意味が分かりました。結局、愛である神がなぜ他の民族を 殺すような、愛に反することをイスラエルの民に命じられたのかという ことですね? それは恐らくスウェーデンボルグの言う『外観の法則』だと思います。 つまり、愛の神である主はそんなことは決して命じられたりはなさらない のですが、彼らがそれを欲したために聖言ではあえてそう書かれているの です。
122 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 16:40
ふーん、君はくだらないことばかり考えているんだよ。>小さなヨハネ。 宇宙人のほうがおもしろそうだよ。
123 :
ブルネルス :02/04/01 23:24
小さなヨハネさん、 あなたはここのところ「マリア・ワルトルタ」とか「イエズズの受難」 といった書物を引用しながら、シモンがかくかくの振る舞いをした、 と主張しているようですが、それらの書物に書かれているのは想像に 過ぎないことなのではないですか? いや、新約聖書に書かれているとしても想像に過ぎないという人も いるでしょうが、それらの書物は聖書に書かれてあるということと はまったくレベルの違うことなのではないでしょうか?お話をうか がっていると、それらの書物もまた啓示であると思っているように 聞こえちゃうんですが、・・・
124 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 00:01
>>123 :ブルネルス さん
>お話をうかがっていると、それらの書物もまた啓示であると思っているように
>聞こえちゃうんですが、・・・
そうです!そうです!その通りです!
まさに「新しい啓示」であると信じています。
マリア・ワルトルタなどは実に素晴らしい「啓示」です。固いことをおっしゃらず、
一度お読みください。そして感想などお聞かせくだされば幸いです。
125 :
小さなヨハネ :02/04/02 00:05
ごめんなさい。名前が抜けてしまいました。↑124 (・・・私が名無しでどこかに書いたわけではありません。)
126 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 00:10
宇宙人の存在を肯定する私はいまテキサスに来てやっとPCにさわれました。 主イエスキリストは父なる神と信じるよりも 宇宙人がいると信じるのと どっちが現実味がありますか。私は宇宙人です。
127 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 00:12
>126 私の代弁してくれてありがとう。
128 :
小さなヨハネ :02/04/02 00:18
「聖絶」について、『外観の法則』を説明しなければならないのですが、 なかなか難しい・・・。 しかし、スウェーデンボルグは明らかにそれは、ユダヤ人の主観に基づいて 記述されており、主御自身、すなわち神御自身がそう思っておられたわけで はないことを色々なところで、説明しています。 もっとも端的な例は離縁についてです(マタイ19・7,8)。律法に神から 命じられたと書かれていることも決してそうではない場合があるのだそうです。
宇宙人は、我々の他にも、恐らく、存在するでしょう。少なくとも、生命 は、地球外にも、高い確率で存在し得ます。 と、考えていても、私はキリスト教徒であることに誇りをもちます。
ヘブル人への手紙は、ユダヤ人教会によるエジプトのものです。(ほぼ確実に)
131 :
ブルネルス :02/04/02 13:24
>>124 マリア・ワルなんだかが啓示だと信じるのは小さなヨハネ氏のかってだけど、
それは、末日聖徒なんだらがモルモン経を啓示だと言い張るのとどれほどの
違いがあるのでしょうかね。
シモンがどうしたこうしたというお話しが書いてあるようですが、それが実際
に起こったことを伝えていると、どうして思えるのでしょうか。歴史的には事
が生起した現場とそのお話しの間に、何のつながりもないのに。
132 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 13:31
アメリカの大きい教会ではいろんなサークルがある。 運動や学問など。 私はそこで「宇宙サークル」に入った経験があって、そこで友達が たくさんできました。 この広大な宇宙に宇宙人がいておかしくありません。 宇宙飛行士が何年もかけていろんなところへ旅をする時代ですから。 私が生きているうちに宇宙人が発見されないか関心が深まるばかりなのです。 どうですか。神がいる。と言う人。 宇宙人>神 だと本当に思えませんか。
カトリック教会でも、宇宙人のいる確率については、 在り得るかも知れないとの見解があるわね。 非公式だろうけど、これは不可謬権の及ぶところではないからね。
134 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 14:35
マリアさん、もう少し平易な言葉で書いてもらえますか。 「不可…」の意味がわかりません。
135 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 15:14
>小さなヨハネさんへ ヨハネさんは恐らく例のHPの管理人さんだと思うのですが あなたのHPを読んで、本棚に眠っていた「天国と地獄」を読み始めています。 あと、今まで興味なかったのですが、そのうち、マリア・ワルトルタの本も読んでみようかと思っています。 私はカトリックですが、スウェーデンボルグに関しては悪いイメージを持っていません。 ヘレンケラーの「わたしの生涯」という本を読んで 彼女はスウェーデンボルグの思想によって幸福だったということを知ってからかな。 私も天の父がイエスだったらいいのに、とよく思います。
136 :
りさです。 :02/04/02 16:25
>136さん、実はリサも、マリア・ワルトルタを小さなヨハネさんの影響というか その他若干1名のありがたーいお方のご好意で、読む羽目になったものです。 あのね。ミョウな奇跡物語とかは書いてないよ。実に納得できるところが多い。 しかし、リサの読んでいるのは、小さなヨハネさんの読んだのの抄訳版なので、 かなり端折って書かれており、登場人物の前後関係がわからなかったりするんですが。 それを、この前まで、読者がいたので、私版メルマガふうにして、 お友だちに送って読んでもらっていました。でも、その大事な友達のうちの一人が、 あろうことか、何かの都合で連絡取れなくなってしまってから、りさもがっかりして、 なんだかそれきりになってしまっているんです。他の二人は単なる付き合いで読ん でくれていただけみたいだったので。
137 :
りさです。 :02/04/02 16:27
>136ではなくて、>135でした。
138 :
小さなヨハネ :02/04/02 22:10
>>135 :名無しさん@1周年
>私も天の父がイエスだったらいいのに、とよく思います。
おお、そうです!実はそうだったのです!
とにかく、神である主は我々の想像を絶する素晴らしい方です。
あなたのその願いを主は叶えてくださる方なのです。
スウェーデンボルグは霊的な真理の数々を私たちに教えてくれ、さらにマリア・
ワルトルタは主御自身を私たちに与えてくれます。譬えようの無い喜び・・・!
139 :
dendo. :02/04/02 22:19
剃刀をつかうほどのこともないといわんばかりの素敵なレスですな、先生
(これで外していたら大笑い)。
>>131 問題の人物(以下某)はカトリック教徒である/なろうとしており(自己申告)
マリア・ワルトルタの一連の著作はカトリック教会からは私的啓示として認可されておらず
むしろ教会は上掲書を読書しないことを推奨している
(カト的にはたんなる妄想扱い、といったらいいすぎかな)
一方、モルモン教徒にとってはモルモン書は聖典のうちのはず。
……というわけで某が神からの啓示として上掲書を扱うのとは
微妙な差があると考えられます。つか hiatus があると思うんだぞ、個人的には……
まあ、某氏が新しい宗教作っちゃえばこの差異は消えるんだけどね。
140 :
小さなヨハネ :02/04/02 22:21
スウェーデンボルグは、主イエスこそこの世に来られた父なる神であるとあ らかじめ皆に言い広めた洗者ヨハネのようで、それからいよいよ主御自身が マリア・ワルトルタの描写によって登場されます。 さらにすごいことには、ヴァッスーラでは直接主は私たちに話し掛けられます!
141 :
小さなヨハネ :02/04/02 22:42
・・・ああ、マリア・ワルトルタの素晴らしさを感じられない方々は実に お気の毒だと思います。 ペトロの手紙2・2・12 「この者たちは、捕らえられ、殺されるために生まれてきた理性のない 動物と同じで、知りもしないことをそしるのです。そういった動物が滅 びるように、彼らも滅んでしまうのです。」 ユダの手紙10 「この夢想家たちは、知らないことをののしり、分別のない動物のように、 本能的に知っている事柄によって自滅します。」
142 :
りさです。 :02/04/02 22:53
>>123 ブルネルスさんは、
四福音書の真作性については
(というのだと思いますけど、つまり著者本人が書いたかどうかについて)
どういう判断を持っておられるのですか?
143 :
ブルネルス :02/04/03 00:45
>>139 dendo.さん、剃刀を使うとは、ぐさっときました。きびしい突っ込みです
、あはは(あ、いやこれは大笑いではなく、陽気な苦笑の表現です)。
モルモン経を信じるのとの違いは了解。
しかし、某もはじめのうちはスエばかりだったのが、いつのまにか、スエ
は枕で、本命はマリア・ワルなんだらだということになってきてますねえ。
今後、マリア・ワルも序の口で実はこれが本当の本命ですなんてえことにな
らないかな。本当の本命の名はヨハネス・ミノールだったりして。
>>142 りさですさん、
四福音書は著者本人が書いたかどうか、と言われれば、そりゃあ著者が書いたんで
しょうねえ、と意地悪い返事を一応したうえで、
でも、著者が誰かについては、いろいろあるでしょう。たとえばヨハネ福音書は、
イエスの直弟子の一人であった使徒ヨハネが著者だとは思わないです、・・・と
フォローしておきます。
ただ、ヨハネ伝の記述には、それなりに歴史的イエスとの間に歴史的つながりにつ
いて検討する余地があるわけですが、マリア・ワルなんだらが何をいおうが、それ
は実在のイエスについての何の資料にもならない、単なる空想でしかない、という
違いを言いたかったわけです。
144 :
小さなヨハネ :02/04/03 06:53
・・・・。
>>134 あら、不可謬のことね。
不可謬というのは、誤謬は有り得ない=間違うことは無いということ。
カトリックのローマの教皇は、こういうものを保持していると、
19世紀の公会議で決定されて、聖母マリアの無原罪の教義と共に、
新しく付け加えられたのよ。
全司教の賛成があり、なおかつ教皇が不可謬であると
宣言したものについては、教義上不可謬であるとなるの。
マリア・ワルトルタの世界は、 正教やプロテスタントには、関係の無い話しね。 カトリックの中にしか通じない常識によって書かれていて、 なおかつ、カトリックの中でも評価は分かれるもの。 むしろ他教派の人の心を頑なにさせる、トンデモ偽書。 「カトリックの捏造」と憎しみを生じさせる書。 小さなヨハネさん、あなたのしていることは カトリックとスウェーデンボルグ以外の否定でしかない。 そんなことも考えられないようでは、 まだまだイエズスを証するには、まだまだ早い。 書物の紹介なら、キリスト教徒には聖書を持っているから要らない。 カトリック側から見れば、こういう書を受け入れない人は異端で、 正教側から見れば、こういう偽書を捏造させるカトリックは異端。 プロテスタント側から見れば、公会議が聖霊の賜物ではないと 考えることから、その一部について(聖母マリアなどの聖人崇敬・ 位階制・聖書と洗礼と叙階の一部以外の聖伝承)については否定する。 これらについて、誰にでも読んで欲しいと思うのなら、 このような書ではなく、イエズスが述べ伝えた福音について 良く書いてある書を探して紹介して欲しいと思うわ。 ただ、母の先祖がまたこの世に現れたら、 イエズスが神にされていることについては、 大衆の面前で、きっと怒り出すでしょうね。 「我が主イエズスは、我がユダヤ人のキリストにして、 我らユダヤ人の預言者である。 その主を他の民の神にも持ち上げるとは、ローマの皇帝崇拝の真似か? 我らの神は、我らのアドナイのみである。 他の民には他の神がいる。他の民は他の民の神に従えば良い」 こう言うでしょうね・・・。
147 :
dendo. :02/04/03 14:20
>カトリック側から見れば、こういう書を受け入れない人は異端で、 いや、カトも受けいれてないよ。現地司教から私的啓示として認可されてないもの。
148 :
りさです。 :02/04/03 14:49
>>143 すみません。大学の先生には、あまり意味のない質問をしてしまいました。
教会の中で発言したら、また一味違った反応があるかもしれませんが。
リサは、真作性など元来問題にしていませんでした。聖書をそのまま信じるんだから
各福音書をそれぞれのタイトルの著者が書いたと言われれば、あーそーですか、
ってなもんで、別にどっちでも良かったんで、今もどっちでもいいと思ってはいます。
けど、マリア・ワルトルタを読んで、どっちでもいいはいいなりに、いろいろ
考えた中に、真作性のことがあったんです。
マリア・ワルトルタにマタイの召命の記事が出てきます。すごく詳しいです。
福音書を見ると、よく見て半ページというところです。マルコを元にマタイが
書かれたと仮定して、ほとんどが、より詳しく説明されるのに、どうしてマタイは
自分の召命という、よりによって、他の誰よりも詳しく分かっている個所について、
こんなに簡単に済ませたんだろう。とね。
取税人が選ばれて主に従ったという、奇跡のような感動的な物語について、
自分が一番良く知っている、そして、主のご人格を証しするにはとても相応しい
物語を、どうして3行半にまとめるのかしら? マタイが謙遜だったから?
149 :
名無しさん@1周年 :02/04/03 15:12
dendo.の言うことが正しい。
>>146 あら、誤解を受けてしまったようね・・・。
一応、実は教会内にもあの啓示を肯定する声もあるのよ。
カトリック関係で良い本という時に、
あの本を勧める人もいるからね。
あたしも、認められてないことは知っているのよ。
福音書については、 本人が書いたか書いてないかは、実はどうでもいい問題なの。 その題名の人の言った言葉を入れてみたり、 ひどい話しと思われるかも知れないけど、 信仰観を反映していれば、それで良かったりもしたらしいのよ・・・。 旧約の色んな預言書もそうだけど、他人のものも結構あるらしいのよ。
152 :
名無しさん@1周年 :02/04/03 16:35
>現地司教から私的啓示として認可されてないもの。 認可されてない本をどうして売ってるのかな。 メジュゴリエとかもそうだけど。
153 :
名無しさん@1周年 :02/04/03 17:58
禁書制度がないから売るのは自由。 150で指摘されてるように、教会関係者で一定の共感を持つ人間もいるからね。 需要があれば供給もされる。
ここより下に書いた者には、不幸が訪れる。
俺はもう不幸だから関係ない(爆)。
156 :
小さなヨハネ :02/04/03 23:01
ヴァッスーラも素晴らしいです・・・。
157 :
小さなヨハネ :02/04/03 23:02
デボラも・・・。
158 :
dendo. :02/04/03 23:17
>>143 受けが取れたようで光栄です。
清水の舞台から飛びおりるつもりでレス付けた甲斐があったというものです(^_^)
だとするとたぶん御尊顔を拝見したことがあるなあ、わたし。
もう10年以上前になるはずだけど。
159 :
ブルネルス :02/04/03 23:40
>>158 インディアン・ポーカーよりも不利な状況だなあ。相手の素性を割り出すより先に、
自分の素性を知られてしまうとはね。調子にのってデータを出しすぎたようだ。
10年以上前ね。たとえば四谷の駅近くの大学のどこかの教室に偶々いたとか?
160 :
名無しさん@1周年 :02/04/03 23:44
ブルネルス>墓穴、掘り掘り。。。。
161 :
dendo. :02/04/04 00:51
西洋古典学会の控え室お茶汲みアルバイトをやったことがあるから:)
162 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 01:01
>dendo. そうそう、最近では・t・・・・・・・・・・ブシッ 名無しさん@1周年 はブルネルスの手のモノによって暗殺されました。
163 :
dendo. :02/04/04 01:24
……たぶん正しい答えに辿りついているんだな、この反応からすると ええとね、種明かしをすると、実は最初からそうだろうと思ってました。 で、どこってのは(推測通りだとするとですが) 先生が学位を受けられたとき、私はそこの大学に在籍しておりました。 ……指導教官に「××大教員にとっては一生忘れられない人物」と評された 問題児ですので、T先生とかいま助手をしてるNくんとかは、たぶん私のこと 覚えて(つか忘れてない……)のではないかしらん :-)
>>144 ヨハネさんにはヨハネさんの為の導きがあったんじゃないですか?
少なくとも入り口として。がんがん進めばいいと思う。
いずれにせよ、私は良い資料を紹介してもらったと思う。
166 :
ブルネルス :02/04/04 12:49
>>163 dendo.さん
誰に見られているのかわからん、という不安な状況をお察しいただき、塩を送っ
ていただきまして、ありがとうございます。この問題児については、話しを聞い
たような覚えがないわけでもない、です。
>>162 名無しさん@1周年
誰であるかは、大体想像がつきますぞ。
167 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 12:54
>>166 ブルネルス
井戸端会議化してるな。。。
最近は「名無しさん@」だからヨロシク。
168 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 13:05
>>165 その導きを至上視している内は何も見えてこんよ。
神の世界とはそういう世界だ。
地にしっかり足をつけていないと。
浮き足だっていてはコケてしまうのだよ。
169 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 13:06
小さなヨハネはそこのところの区別が分かっていない。 自分の得たものだけが至上で他のものはその従属物なのだよ。
170 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 13:08
常に自己のなかに複数の視点を持つ事だな。 自己に対し批判的な視点と、肯定的な視点をもって 観察する。 さすれば素材はなんであれ、生きてくる。
171 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 13:08
一神教へ心を通じ合わせてしまったための副産物だよ。 キリスト教はユダヤ教と違って愛と許しを教えるが、 彼が染まっているものはユダヤと同じ裁きと迫害の神だよ。
172 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 13:13
173 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 13:13
>>170 イエスという賢者が説いたのはいかにもそのこと。
だが後世の信者達にはなかなか伝わらなかった。
その弊害が今問題視されておるが信者達には理解出来ない。
スウェーデンボリを含むキリスト教界全体に危機に来ておるようじゃな。
174 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 13:19
>>172 硬直化した一神教には既に限界が来たということじゃよ。
キリスト教では両者を同一視するが
残念なことにユダヤとキリスト教の神は違うのだよ。
ユダヤの神は妬む神、裁く神、迫害の神。
キリスト教の神はイエスを遣わした神。
この両者を見てご覧。全く違うのだよ。
そのためにユダヤから放り出されて異邦人の宗教になったのじゃ。
175 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 13:27
>>174 小さなヨハネの思考を、全体論に持ってこられてもなぁ。
なんか変だよ。君。
176 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 13:29
小さなヨハネは単にここでは三位一体理解などについて 議論してるだけで、君が批判する事象はまた別になると思うんだが。 スレの流れを全部読んだ?
>この問題児については、話しを聞いたような覚えがないわけでもない、です。 うひー。ブルネルスさんにまで話が伝わっているとは、 こりゃそうとうネタにされまくってるんだな…… (それとも貴校倫理学前助手某%親友……といっていいと思う、経由ですか?) ……お礼といえば、私のほうこそ、いつかお礼申しあげたいと思っていた ことがありました(だからこそ、察しがついたのですけど)。 いま論狸学の巣と化している某所に御投稿されたことがございましたでしょ? 経緯ははぶきますけど、まともな人が読んでいることがわかって とても嬉しうございました。 さて、じゃ、世間話@裃モォドは脱ぎすてて、お互い2ちゃんねららしく いきましょか :-)
178 :
ブルネルス :02/04/04 14:40
>>177 では、当方も井戸端会議の最後の発言を:
「貴校倫理学前助手某%親友……といっていいと思う」だって?
前助手といえば、某だよねえ、ああ、シェ=ドイツだ。
その「親友」だって! うーーん、ノーコメント (^^;)
すいません、「いま論狸学の巣と化している某所」というのは見当つきません。
宗教板ですか?それとも哲・・・?とにかくdendo.さんにこの名でレスしたの
なら、私です。ただし、「まともな人が読んでいる」という結論がでるか、「
だから、ブ・・・もまともではないのだ」という結論がでるかは、わからんと
思いますが。
いいええ、fj.sci.ph...なにもかも懐しい。 私への follow-up ではありませんでしたよ。剃刀ネタ。
180 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 16:10
>>175 一神教を信じる人間の心理はみんなこんなもんだよ。
相対化はしてはならん掟なのじゃからのう。
>>176 彼は理解出来ないものを裁いているだけなんじゃよ。
一神教徒特有のものじゃ。
その根幹は理解出来ないものを裁く。ただそれだけなのじゃよ。
181 :
Mr.名無しさん :02/04/04 16:17
>>145 自分に都合がいいように勝手に、付け加えていいものなの?
182 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 16:29
>>181 カトリック教徒としての見解ですが、
新しく付け加えられたとは認識していません。
マリアさんの考え方はカトリック教会では認識されません。
183 :
Mr.名無しさん :02/04/04 16:32
このスレッドに出てくるdendo.さんは、「エホバの証人ふざけるな!16」 に出ているdendo.さんと同じ人ですか?
184 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 16:35
多分同じ人だと思われ・・・
185 :
ブルネルス :02/04/04 16:49
>>179 ああ、あれねえ。思い出しました。unixマシンにtelnetで入って、ニュース
グループを選んで・・・・という時代でしたなあ。
で、いよいよほんとに井戸端から離れます。
186 :
りさです。 :02/04/04 18:23
>>146 マリアさん
>カトリックの中にしか通じない常識によって書かれていて
って、どういうところがなんですか?
リサ、あまりたくさん読んでいないのですが、
リサの読んだ限りではどういうところがなのかは分からないんですが。
さて本題に戻って、 私もマリアワルものは読んでないのでそれもサベリウス主義者なのかは 知りませんけど、ヨハンネス・ミノルがさべ者(ものって読んでね)なのは間違いのないところ。 また自作自演でないとすれば、他にもそういう人がいる様子(本スレ過去ログ参照) ……スエもある種のサベリウス者だとすると、これで少なくとも歴史上 三回サベリウス主義を観測したことになりますな。 スエちゃんが直接サベリウスを知ってたかどうかはわからないので つっこんだ議論はできないんですが、 サベリウス主義のどこが人をここまで引きつけるんでしょう? ……たんに、ひとつの実体に複数の位格、という概念が受けいれられないから? あとブルネルス氏は前に「個体」に言及してたけど、位格を個体の概念に回収して いいのかしらん、とボイムラーを読みながらつぶやいてみるテスト。
188 :
ブルネルス :02/04/04 22:57
>>187 「位格を個体の概念に回収していいか」どうかについて。
私はこれについては、西方の線ではなく、東方というかギリシア教父というか、
はっきりいえば、ニュッサのグレゴリオスの説明が気に入っているので、それ
にしたがっているだけです。つまり、彼はヒュポスタシスを説明するときには、
パウロやテモテやテトス、と人間個体を例に挙げて、それらは別々だとまず言
い、次にだからといって「三人の人間」がいるのではなく、「一つの人間」と
いうべきだ、とそれこそ普遍に関する明確な実在論の立場でウーシアないし
ピュシスについて語るわけでした。――以上の限りでも三位一体なのですが、
この限りではなんか変、と思ってみるような
―この限りでは、人間だって、猫だって、三位一体どころか、一億位一体と
いうことになってしまう。そんなことでいいんだろうか、と思いつつ、
かのギリシア教父を読み続けると、神の場合、3位がみな無限なので、互い
に排除するような個体の存在の仕方ではなく、互いに浸透しあうあり方をし
ているのだ(と私は解釈したのだが)といいます。そういう仕方で一体なの
だということになるでしょう。こういうしだいで、まず3個体になぞらえる
ところからはじめて、どういう仕方で一体なのかにいたるわけでした。
東方は唯一性の強調があるので、サベチャン的になりやすいんでしょうね。
普通の信徒だって、説明させてみると、サベちゃん的なのが多いもんね。
と、以上、なんかえらそうにテストに応じて説明なるものをしてみるテスト。
189 :
dendo. :02/04/04 23:22
「ひとつの人間」は「ぼくらはみんな唯名論者なのさ〜」(Scritti Politti)じゃだめか、 まだ「唯名論」って概念もないころだし。>ニュッサのひと ああ、そういえばブルネルスさんのお膝元には主きょんがごが。 普通の信徒に説明させる、ってのはたしかに偉げですな :-p しかし正教会啓蒙者としてはショックぅ。それはちいとまずいと思われ…… 教理教育の弱さがこういうところに露呈してるのかしら。>隠れサベ正教徒 # Cupid & Psykhe '95 が聴きたくてしょうがないけど大斎中なので我慢中。 用語として「個体」というのはいろいろ(西方的に)手垢がついているので まずいんでは(そもそもは「これがここにある性」でしたっけ、明日朝早いので 資料掘る手間を惜しんでみたりする)、と思ったのでし。 とテストの答案もってお伺いをたてにいってみるテスト。
190 :
dendo. :02/04/04 23:28
……しかし、「神の子イイスス・ハリストス、神の言や云々」って祝文を 朝な夕な唱えていて、どうしてサベ的になれるのか不思議だ。 ……まだ神子と神聖神なら、相互浸透が強調されるのでわからなくも ないんだが、実際にそういう人にあったことはないです。 …………ってか、日本の正教会に限っては教理理解はそんなに深く ないんじゃないかなあ。別に教理に精通しなくてもまったり幸せに 生きていければ、それで十分だと思うし(つか、人間知の限界を 知りたいというのはそれ自体が病だと思うです。治りそうにないから 一生つきあっていくしかないんだけど)。 ……司祭のいない教会が多くなっちゃってるのは、また別として。 ああ、なんかすげえ偉そうな嫌なレス。
191 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/04 23:32
>>188 ブルネルスさん。
その説明方法の流れで、西方のもお願いします。
192 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 23:35
193 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 23:35
188,189 のお二人は、知識はあるが 実践は、苦手と言うタイプですか。
194 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/04 23:37
実践て?例えば具体的になんですか?
195 :
小さなヨハネ :02/04/04 23:37
私がサベリウス主義というのなら、ブルネルスさんはアリウス主義ですか?
196 :
小さなヨハネ :02/04/04 23:55
それから、私は何と言われようと仕方ありませんが、お二人は学者でいらっし ゃるなら、社会的に地位も高ければ、責任もおありな筈で、御自分だけなら まだしも、人をつまずかせることにもなります。言葉づかいにもう少し気を 付けられたらいかがでしょうか・・・?
197 :
dendo. :02/04/05 00:01
何も飲んでないときでよかった。 今日、楽しすぎ。 いや、いろんな意味で名スレの予感。
198 :
名無しさん@1周年 :02/04/05 00:04
私、飲んでる。
199 :
りさです。 :02/04/05 00:44
リサはですね、やっぱり、マリア・ワルトルタの中では、いろいろよかったけど、 ガマリエルと主イエスのところは良かったです。(別に空想かどうかは問いません) ガマリエルは、主に会って主と会話して、その姿勢には、明らかにイエスを普通のものとは 全然違う存在として、愛している様子がありありと描かれています。まさに、そこに答えが あるのが分かっているかのように、イエスを取り囲んで議論している中にいて、 もっとも重鎮であるガマリエルは、もはや多くを語らず、親しみと尊敬のまなざしで イエスを見つめるのでした。 しかし、ガマリエルはある一つの答えを待っていたんですね。(ワルトルタの中ではですよ) その答えが目の前にいるイエスかどうか、イエスのその場の答えではもう一つはっきりしない。 それでね、ガマリエルは、待つことにするんです。その答えが出るまで、イエスがメシアか どうか判断するのをね。そのね、真理に対するなんとも言えない気持ちがですね。 リサは、泣けました。 その答えに飛びつけば、すべての苦労が報われるのに、それをあえて、真理へ純粋な愛のために 保留して待つ。なんて言うか、この意地がね。 待たせるんですよね。 ガマリエルって科学者だなあ。 それはやっぱり、あの使徒行伝の5章の言葉の持ち主にふさわしい。 「もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。 しかし、もし神から出たものならば、あなた方には彼らを滅ぼすことはできないでしょう。 もしかすれば、あなた方は神に敵対する者になってしまいます。」 思えば、このお言葉に、リサは何度助けられたことでしょう。 ワルトルタはね、やっぱり名著だと思います。 トンデモだと思ってもいいけど、読まれるといいと思いますよ。
200 :
dendo. :02/04/05 07:12
小説ならまだ詰ん読のがいろいろあるしなあ。 ろばみみ話。 某はなぜか(って経緯はいちおう知ってるけど)院生時代から某学会入ってましてね、 なので木庭さん研究で有名になったM大先生と仲がよかった。 よく研究室にも遊びにいっていた模様(M先生、当初あんまり弟子がいなくて退屈していたのも大きいかも)。 ところでMさんは某所へお引越しする前は東京にいて、その間、 非常勤でずっと某大学へ来てたんだな。なのである意味、私はM先生の弟子であるともいえる。 # つかそう思っていただけているようで、ありがたいことであります。 某オープンソースコミュニティで 「世の中には三種類の人がいる。知りあいと、知り合いの知り合いと、 知らない人」というのを聞いたけど、これなんか典型的な話かな。 で、なんでサベ者は周期的にあらわれるんでしょうね?
201 :
ブルネルス :02/04/05 12:00
>>189 ,
>>190 dendo.さん
わるい、わるい、大変な書き間違いをしてしまった。
>>188 の
|東方は唯一性の強調があるので、サベチャン的になりやすいんでしょうね。
は「西方は唯一性のほうが強調されるので・・・」と言いたかったのでした。
そうでないと、その上に書いたニュッサのグレちゃんの言っていることと齟
齬をきたしてしまう。東方はむしろ3つのヒュポスタシスの方が印象深いの
ではないか?例えば、だれの絵だったかわからんけど、アブラハムのところ
を訪ねた3人の客人の絵があるでしょ。見たことない?あれって、三位一体
をテーマとするものでしょ。図像学ではいろいろ解説を加えるようで。
西方こそ一性が強調されるので、まず一人の人に目を向けて、言葉と愛の発
出というところに、三性の似姿をみるというような説明をしますよね(あ、
これ
>>191 へのレスにもなっているです)。そういう場合、個人と一性が
対応する説明になるので、サベ君的になる傾向があるのではないだろか。
スエは西方教会の落とし子なのだ。
#そういえば、ヘーゲルの体系でも、弁証法的に次々と進むわけで、「父が
子になる」的考えに親和的ですねえ。
202 :
ブルネルス :02/04/05 12:02
>>196 小さなヨハネさん
すいません、「言葉使いに気をつけて」とのリクエストですが、どこか
気に障るところがあったでしょうか?社会的責任に差し障るような点が
あったのでしたら、ご指摘いただけませんか?
203 :
ブルネルス :02/04/05 12:10
>>195 私がアリウス主義者かどうかお尋ねですが、
私は、アリウスのような信仰深い人間ではありません。
なお、アリウスの主張だけを取り出してみた限りでは、イエスの身分に
ついてのアリウスの考えは、パウロに近いと思います。ただし、アリウ
スは「父は永遠、子も永遠」という信念に、あからさまに反対したので
すが、もしその場にパウロが居合わせたとしたら、一緒になって反対し
たかどうかは、疑わしいという気がしています。
204 :
dendo. :02/04/05 12:14
>>201 りょーかい。
私(ら)の三一性理解は Freiheitsschrift あたりが基盤になるので
(あれもまさに言葉が愛によって出てくるし)
どしても西方的宿痾から逃れられない節があるんですが、シェの人は
(直接には知らなかったとしても)東方的理解と親和性があるんじゃないかな、
とくに同一期は、ってのが最近の課題だったりします。
……弁証法的展開については、ちょっと未整理なので、ノーコメント(ぉぃ
とはいえ、ヘーゲルの Aufhebung はむしろ、「父と子より発出し」に
より親和性が高いのじゃないだろか。いや、屁の人はよく知らない(まじで)
のでなんとなくですけど。
というか、だからこそシェの同一期前期は有限性導出の問題が顕在化してこないん
じゃないかと。東方だと有限なものをあるがままに認めてしまえる視点が
獲得されているので、「あれかこれか」にならない限り有限なものの存在の
基盤が永遠なものであることがするっと了解されてしまう。……某がこの
前教えてくれたところによると、ベルジャーエフだけじゃなくてパステルナーク
とか一部の人にはかなり熱心に読まれてたらしいので、ロシアにおける
シェ受容ってのはこれから先おいしい、と思うのですが、誰かやってるひと
いないかなあ(特にドイツで)。あ、私はキリル字母読めないので論外。
ブルネルスさんとこに正教徒いたら、適当におだててやらせてくれると
嬉しいなあとかつぶやいてみるテスト(ぉ
御指摘のイコンはルブリョーフの『旧約の三位一体のイコン』ですね。
手がさりげなく三位一体を表しつつ十字を切るときの指になってたり
いろいろ仕掛が豊富なのですが、それはおいといて、あのイコン実は
前世紀初めに一度修復しております。で、その修復家はイコン作家でも
あって、その修復家の作品が、ニコライ皇太子来日時のおみやげとして
日本にもあったりします。というのは岡山大の鐸木先生情報(イコン論の人)。
昼飯あっためる間の備忘録でした(ぉ
205 :
ブルネルス :02/04/05 12:18
>>200 木庭研究で有名になったかどうかは知らないが、それをしている
には違いないM先生というのは、思い当たります。また東京に戻ったん
じゃない?微額の人?
206 :
dendo. :02/04/05 12:21
てか誰もやってないからやれば名前売れちゃうよね。 そですよ、いまは動物園の脇に通ってはる。
207 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/05 12:33
ブルネルスさん、ありがとうございます。 東方の三位一体の絵は、アンドレイ・ルブリョフですね。 三位一体の日にはわたしの教会(カトリック)でもこの絵が飾られます。 詳しいことはしりませんでしたが。(でも、アブラハムは居ませんね) >一人の人に目を向けて、言葉と愛の発出というところに、 >三性の似姿をみるというような説明をしますよね 「ペルソナ」という言葉を用いることとなにか関係があるのでしょうか? 何故?西方ではペルソナという言葉を採択したのでしょう?
208 :
ブルネルス :02/04/05 12:36
>>200 「なんでサベ者は周期的にあらわれる」?
むしろ、相当多くの信徒が現にサベ的理解をしているわけで、その中で
「声の大きい」人が時々でてくる、ということなのでは?(「声の大き
い人」などと、昨今話題のキーワードを使ってみるテスト――これ「な
になにをしてみるテスト」というdendo.さんお好みの用語を試してみる
テスト、でもある――使い方はこれでいいんだろうか。)
たとえば、平気で、水と氷と水蒸気なんていう喩えをだして説明する牧
師だって沢山いるようで・・・
まあ、このスレの前だったか前の前だったかで言ったような覚えがある
けど、要は神学者だの指導者だのにとっては、どういう説明をするかは
大問題だろうが、一般信徒は、この辺、どう信じなければ救われない、
という話しじゃあないんだねえ。信じる内容ではなく、信じる姿勢が肝
心なのだ、と妙に真面目なモードにしてみるテスト。
このスレッドのタイトルは、信じる内容についての小さなヨハネの挑戦
を表現しているけど、ほんとはスエ的にも、教義レベルの争いみたいな
紹介をされては、贔屓の引き倒しなんじゃあないのかな、と単なる推測
だけど言ってみる。
209 :
dendo. :02/04/05 12:36
アブラハムうんぬんというのは、 あの絵がマムレの木の下(アブラハムが三人の客をもてなした)を 描いたものだから。 たしかあの箇所は、旧約で唯一三一性にそれとして言及してる 箇所とみなされてなかったかな。
210 :
dendo. :02/04/05 12:38
>むしろ、相当多くの信徒が現にサベ的理解をしているわけで、 ううーむ。 理解できないものについては沈黙する(とりあえず公には)ほうが しあわせになれるのにな、とつぶやいてみるテスト。 水と氷と水蒸気はひどいなあ。うちはそんな変な神父さまじゃなくて よかった。
211 :
名無しさん@1周年 :02/04/05 13:35
うどげんしゅたいんはいい事を言った。 だがそれでは、物事は進まないわけで。 引き続き観察してるYO。
212 :
ブルネルス :02/04/05 14:37
理解できなくても、信徒に分かりやすく説明しなくちゃ、と頑張っちゃう人は なかなかしあわせになれない。 ただ示すのみなのに、なんて!
>>181 カトリック教会の見解としては、付け加えたとは考えてないわ。
カトリックの聖伝承に基づいて、そう考えるべきだということを、
再確認として、行ったに過ぎないわけよ。
ただ、一般論から見れば、付け加えたということね。
>>186 今のあなたには、分からないかも知れない。
カトリックの聖人伝などを公認しない教会や、正教側から見れば、
異端者のものでしかない。ということなのよ。
それを読んでください、と言うのは不快感しかもたらさない。
異端との相対論は、キリスト教会では、どこでも否定される。
あなた達の派は、特殊だから、何でも受け入れられる素地はあるけど、
他の派は、そういったことは受け入れることは良しとはされないからね。
あれは、カトリックの聖伝承の範囲内のものだからね。
214 :
dendo. :02/04/05 18:54
(Inputmethode ist leider kaputt hier.)
>>212 Vielleicht glauben Solche, es gibt in der Welt das, was man erklaeren
kann, eben wenn sie das versuchen, was ausser der zeitlichen u. unseren
erkannten Welt steht, kurz das Goettliche.
215 :
dendo. :02/04/05 18:56
Na ja, das versuchen -> das zu disktieren versuchen, ne.
216 :
小さなヨハネ :02/04/05 22:52
>>202 :ブルネルス さん
>>196 小さなヨハネさん
>すいません、「言葉使いに気をつけて」とのリクエストですが、どこか
>気に障るところがあったでしょうか?社会的責任に差し障るような点が
>あったのでしたら、ご指摘いただけませんか?
スウェーデンボルグを「スエ」とか、マリア・ワルトルタを「マリア・
ワル」と呼ぶのは私に対しても、周りの人に対しても、またスウェーデン
ボルグやマリア・ワルトルタ本人に対しても、とても失礼な呼び方だと思
います。彼らは主から啓示されたものを伝えていると告白しています。私
もそれを信じます。ですから、ブルネルスさんが神を信じるかどうかは別
にしてもあえてそのような呼び方をなさるのは神に対しても不敬であると
私には感じられます。しかも社会的にも地位のある方がそのように振舞わ
れるのは人に不敬を教えるようなもので、良いこととは思えません。
サベリウスを「サベ」とか「サベちゃん」と呼ぶのもいくら異端とされて
いるとしても、どうかと思います。それは学者の皆さんの良識ですか?
217 :
小さなヨハネ :02/04/05 22:53
>>143 :ブルネルス さん
>しかし、某もはじめのうちはスエばかりだったのが、いつのまにか、スエ
>は枕で、本命はマリア・ワルなんだらだということになってきてますねえ。
>今後、マリア・ワルも序の口で実はこれが本当の本命ですなんてえことに
>ならないかな。本当の本命の名はヨハネス・ミノールだったりして。
「某」というもの上記と同様です。
「本当の本命の名はヨハネス・ミノールだったりして。」
私は2チャンネルのルールをよく知りません。しかし、
そういう風に呼んでも良いのですか?
私がブルネルスさんを同様に呼ぶのを歓迎しますか?
dendoさんにも同様の意見です。
218 :
舞 ◆lGxdO3dw :02/04/05 22:55
三位一体とはどういうことか真相を知りたいのですが。
219 :
小さなヨハネ :02/04/05 22:55
それから、dendoさん
内輪の世間話もどうかと思います。そんなことより、あなたの信仰を
教えてください。また先日の質問に対するご回答はいかがですか?
>876 :小さなヨハネ :02/03/26 07:09
>>875 :dendo. さん
>神であり人であるのであって、神そのもの(聖三者)が人になっているわけ
>じゃないのだ。
いいえ、違います。神そのものが人になられたのです。では、dendoさん、
下記の高橋司祭の文章に反論してください。
>478 :小さなヨハネ :02/03/06 00:37
>しかし、このことはギリシャ正教でも言われるようです。『ギリシャ正教』
>/高橋保行司祭著/講談社学術文庫を読んだ限りですが、例えばキリスト
>のことを「唯一の神が、天より降り人となった」(/P215)、「知ること
>のできぬ神が人となり、イエスと呼ばれてこの世に住み」、「アブラハム、
>イサク、ヤコブの神、あってある者、生ける者の神が、人との交わりの
>ために、あえて人となり、みずからを人に知ることのできる神とした」
>(同P242)と言います。
>さらに、「神父(かみちち)の右手に座したというこの条項は、キリスト
>が神の『利き手』であることを意味している/右手は器用さを表すから、
>神の右手に座すという表現はキリストが神の力をもつ者であることを明ら
>かにする」(同P34)とも言っています。
220 :
舞 ◆lGxdO3dw :02/04/05 23:01
はぁ、みなさんよく話題についていけますね。羨望のまなざし。
>>170 そうですね。しかし、ヨハネさんも既に、複数の視点をもっていると
思います。私としては、”自然(被造物)”を見てほしいとは思いま
すが・・・
222 :
小さなヨハネ :02/04/05 23:53
>>218 :舞 ◆lGxdO3dw さん
>三位一体とはどういうことか真相を知りたいのですが。
神は「父なる神」お一人で、その方がこの世に来られて人のお姿になられたのが
「子」と呼ばれる主イエス・キリストです。ですから、主イエス・キリストは
父「御本人」ですと私はこのスレッドで申し上げているのです。
聖霊とは父(神御自身)と子(そのお姿)が一つとなって、そこから働く作用と
いうか、力というか、悟らせる光、というかそういうものです。
人間に譬えれば、命が本質(父)であり、わたし達の「姿」が子であり、「動作
・作用」が聖霊に当ります。私たちはその3つが1つとなって始めて一人の人間
であるということと同じです。
太陽に譬えると、燃える火が本質「父」であり、目に見える輝く太陽の姿が「子」
であり、そこから発する熱と光が「聖霊」です。それらが1つとなってはじめて
太陽なのです。
それを三人の「私」、3つの「太陽」と考えるのが従来の「三位一体説」です。
つまり神が三人おられると考えてしまうのです。
223 :
名無しさん@1周年 :02/04/05 23:58
>>222 >太陽に譬えると、燃える火が本質「父」であり、目に見える輝く太陽の姿が「子」
であり、そこから発する熱と光が「聖霊」です。それらが1つとなってはじめて
太陽なのです。
ああ、この譬は、私の意にもかなう。エイメン。
その光を太陽と見るんです。光とは何かを理解出来なくとも、その 輝きが太陽だと。>222は私です。
>223でした。
226 :
dendo. :02/04/06 00:07
まあ、端的にいったら、わかんないんだけどね。究極には。 なにもかも類比なんだし。 デュオニシオス萌〜
227 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/06 00:07
小さなヨハネさん> >太陽に譬えると、燃える火が本質「父」であり、目に見える輝く太陽の姿が「子」 >であり、そこから発する熱と光が「聖霊」です。それらが1つとなってはじめて >太陽なのです。 >それを三人の「私」、3つの「太陽」と考えるのが従来の「三位一体説」です。 >つまり神が三人おられると考えてしまうのです。 あの。従来の三位一体でも、小さなヨハネさんが御説明なさった 三位一体になると思うんですが、小さなヨハネさんはどういう教会で 説明を受けたのですか? 舞さん> 三位一体はむつかしいですね。
228 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 00:21
私の考えも上記の譬で簡単に説明できます。 (その2)からのことですが、即ち、光ではなく、輝きに着目 する、という立場です。
重ねてすみません。>228は私です。
230 :
舞 ◆lGxdO3dw :02/04/06 00:24
私がかよう教会の牧師の説明とはかなりちがいますね。 聖書とは捉え方によってはこんなにも違うということはわかりました。 ちょっとがっかりでしたが。
231 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/06 00:24
小さなヨハネさんは、 どうして、従来の三位一体が神様が三人いるとかんがえると思ったのでしょう? そういうふうにはおそわりませんでした。
232 :
舞 ◆lGxdO3dw :02/04/06 00:28
スターさん、ここでお会いできるなんて。 私もほかのスレッドも読んだのですが結局三位一体は謎のままです。
233 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 00:31
だから、ここじゃなくて質問箱とかで聞けって
234 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 00:31
舞さん、このスレッドの住人の言うことを信じてはいけません。 この人たちは間違った信仰を持っているのです。
235 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/06 00:32
舞さん> 私も三位一体がよくわからないです。 舞さんの教会の牧師さんはどのように教えてくださいましたか?
過去ログにあるじゃん。 神道でも三柱とかいうしな。
237 :
舞 ◆lGxdO3dw :02/04/06 00:34
そうですか。半分きいて、半分は消去しますね。 質問箱で訊くことにします。(それでも不安…)
238 :
ブルネルス :02/04/06 00:36
>>222 小さなヨハネさん
|それを三人の「私」、3つの「太陽」と考えるのが従来の「三位一体説」です。
|つまり神が三人おられると考えてしまうのです。
あなたはまさに「聞く耳を持たない人」です。三位一体説を奉じる人たちが
このスレッドで、三位一体とはそういうことではないと、何度言ってきたこ
とでしょうか。それなのにあなたはそれを無視して、聴こうとしないで、
三つの太陽だとか、神が三人おられると考えてしまうとか、虚偽を語り続け
るのです。あなたが空想で作り出した、空想世界の三位一体論者について
語ることに何の意味があるのでしょうか?現に三位一体の神を信じている
方たちに対して、それこそ失礼で、侮辱的な言辞だとは思われませんか?
=============
私はスエもマリワルも単なる省略として使ってます。イエスはもともと3字
ですから省略しないで使ってきましたが、「イエ」でも「J」でも「イ」で
も、相手に分かればいいと思ってます。私が高く評価するニュッサのグレゴ
リオスのことも「ニュッサのグレちゃん」と書いたではありませんか。
私について第三者として言及なさるときに、名前を書くのがめんどうだった
らどうぞ「ブル」でやってください。「ブ」でもそれで相手に誰のことか
通じるようでしたら、それでいいですよ。
239 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/06 00:40
ここは緊張しますね。 現実世界のことでしたら、色々考えやすいのですが。
>それを三人の「私」、3つの「太陽」と考えるのが従来の「三位一体説」です。 >つまり神が三人おられると考えてしまうのです。 これは、確かにちがう。
241 :
ブルネルス :02/04/06 00:50
>>222 少なくともヨハネ福音書によれば、イエス・キリストはこの世に来る前から、つまり
世の初めから、父なる神と「共にあった」のです。
少なくともパウロによれば、イエ・キリはこの世に生まれる前から、神の像として存
在していました。
あなたの主張はキリスト教徒が典拠とする新約聖書によって否定されます。
伝統的なキリスト教は、聖霊を神として認めてきました。聖霊を神の力とか働きと
考えるのは、現在ではエホ証くらいのものですが、小さなヨハネさんもそうなので
したか。
ただし、聖霊を一つのペルソナと見るというのも新約聖書に含まれる諸文書のすべ
てが認める理解ではありませんから、私は小さなヨハネさんが間違っているなどと
いうのではありません。キリスト教のもっとも基本的な思想から相当ずれるね、と
評価しているだけです。
>>238 自分が理解出来なければ、それは正しくない、
というのが彼のスタンスだから、何度言っても同じ事。
人がそれで理解出来るといっても、自分は理解出来ないから嫌なのよ。
自分の理解出来ないものは、理解しないし、したくないという感じ。
排斥する方が理に適ってると、思い込んでいるのよ。
243 :
舞 ◆lGxdO3dw :02/04/06 00:54
>>245 父なる神、御子イエスキリスト、御霊キリストを信仰する人の魂
と教わりました。
244 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 00:55
ハァ?>信仰する人の魂
245 :
舞 ◆lGxdO3dw :02/04/06 00:56
ここは難しいし、緊張します。 頭が疲れませんか。
246 :
舞 ◆lGxdO3dw :02/04/06 00:57
247 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 00:58
聖霊=キリストを信仰する人の魂 なの? いったいどこの教会でそんな…
248 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/06 00:59
緊張します。 私の理解は 父なる神=(御言葉であり受肉した神である)子なるイエス=聖霊 で、聖霊は「働き」とかそういうもの。 ・・・・と習いました。ですが、聖霊についてはほんとうは良くわかりません。
249 :
舞 ◆lGxdO3dw :02/04/06 01:00
聖霊って何?知らない。
小さなヨハネさんは、聖書から自説の正しさを上げないことよ。 旧約聖書はユダヤ教のものだし、 また創世記を遡れば、どこかの多神教の神話なんかも入ってるし、 例えば、最初のほうなんて、神は「我々」と言うわ。 これは、あたしの母の先祖達は神からのものと示すために 書き手が複数形にしたというし、 キリスト教なら、神と天使と言うし、 どれが本当かは分かりはしない。 新約聖書というものは、 特にカトリックやオーソドックスの伝承の産物だから、 スウェーデンボルグ主義にとっては、大変に不利なもの。 あなた達は聖書によってではなく、 あなたが信奉する人の啓示によって読めばいいのよ。
聖霊か。わたしも解らん。だから、その2では、聖霊の働きとしました。
>>243 あら、特殊な概念ね。初めて知ったわ。
どこの教会かしら?
聖霊は東方では父から発出するもの、 西方では父と子から発出するものとされているわ。
254 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/06 01:11
舞さんが仰る「御霊」と同じです。 カトリックでは「聖霊」といいます。 父、御子の技に関わる存在である。とか、教会に働く霊であるとか 私達聖徒の交わりに働く霊であるとか説明されました。 「信仰する人の魂」という説明もそういう意味からなのでしょうか?
聖霊は神の霊的な働きを指すのだけどね・・・。
256 :
dendo. :02/04/06 01:17
>>238 省略しないときにはスヴェドボリにしましょうよ〜原音尊重主義促進月間。
ちなみに正教訳では旧約のヨシュアはイイスス・ナビン。あと省略なら
伝統的なXPのほうがより短くてよろしいかと。
あとブルだと怖いお犬様みたいなので、いっそのことAAキャラを別号にするのは
だめですか。しぃちゃんとか↓
|| ∧_∧ ..||
|| (*゚ー゚) .|| < アイタカタヨ…アエタヨ…マタアエルヨ…
||c c)/) ||
# 某スレより拝借。しぃちゃんはいつ見てもなごむなあ。
# ……で、ふらんちぇは「かつてふらんちぇと呼ばれた名無しさん@1周年」
# ……おおこれで、エホ証ネタともつながったぞ(ぉ
>>241 エネルゲイアと理解する限りでは「力」でも伝統的理解から外れないですよね、
といってみるテスト。個人的には永遠なる生成として理解してますが(時間性の
中に入ってくる限りでは無限性)、さて採点はと挑発してみるテスト。
>>242 それ以前の問題だと思うな。字面しか読めないから、複雑な事象に対応でき
ないし、さらに悲劇的なことには自分でそれがわからないの。
>>243 それちょっと省略しすぎ。
信者を、というよりは教会を満たしてるのが
聖霊だというのはいいとして(教会はまたキリストの身体でもあるので、
ここでも子と聖霊は一体である)、じゃあ
キリスト(=メシア)到来以前はどうなるんだとか、
人間が創造される前の聖霊はどーなんだとか、それだと説明できないでしょ?
あと、スレタイトルから分かるとおり、ここで展開されてる説には
普通の教会ではまず受けいれられない説が沢山でてくるから、
あなたが書いたものをことごとくうのみにする傾向がもしあるなら、
いっそのことこのスレは読まないほうがいい。これはマジレス。
>>256 なるほどね。
あたしがそう思ったのは、友達が務めてる病院の患者に
良く似た事例が過去にあってね、結構悩んでてね、
それと良く似ているなと思っていたのよ。
258 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/06 01:27
>聖霊だというのはいいとして(教会はまたキリストの身体でもあるので、 >ここでも子と聖霊は一体である)、 教会はキリストの神秘体である。という説明を受けました。 聖霊によって満たされ、聖霊が常に働いているとも。 三位のなかで聖霊が一番忙しいんですね。と、神父に言ったら笑われましたが。
>>258 聖霊が働いているということは、
父と子も働いているということでもあるのよね。
260 :
(-_-) :02/04/06 01:30
261 :
dendo. :02/04/06 01:30
まあでも、敵は永遠なんだから、ある意味で向こうがわでは一瞬の出来事だよね。 # って時間ないんだけどさ。 神の目には千年も一日のごとし。
262 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/06 01:31
>>262 悪いけど、その言い方がただおかしかったのかも知れないわ。
なんか想像ができるわ。その様子がね。
265 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/06 01:35
神の時間は気が遠くなります。 ところで、小さなヨハネさん、舞さんはもう寝てしまわれたんでしょうか?
266 :
dendo. :02/04/06 01:35
いやでも、「聖霊が忙しい」って素朴に微笑ましい表現だと思うけど。
そんなことより聞いてくれよ
>>1 よ。
子が戻ってきたんですよ。
そしたら、父が、ペンテコステだぞ、聖神注ぐぞー。っていったんです。
そしたら聖神が
「あっ、火の舌配り忘れちゃった」っていうんですよ。
もう、アホかと、バカかと。
>>260 ごめんね、いま肉食節制中なので、オフにはいけないけど協賛企画ということで。
267 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/06 01:40
小さなヨハネさんが、誤解したのがなんとなく理解出来てきた気もします。 どうしても擬人化して考えてしまいますね。 一番忙しいと考えるのも、一体として理解してないことでもありますから。
268 :
☆ ◆r/Js8Pj. :02/04/06 01:41
dendo.さん> 神の吉牛完成させてください。おもしろいです。
269 :
dendo. :02/04/06 01:46
いや、文才ないので、かんべんしてください。 涜神すれすれだし(つか人によってはこれでも涜神だと見るだろう)。
一番苦労してるのは、父だぜ・・・。 そりゃ〜、もう・・・。
271 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 02:47
ん? 今日は跡地だな?
272 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 04:06
「かつてふらんちぇ・・・・」は長いなあ。。。>dendo. ところで聞いてくれよ。スレと関係あるからさ。 こないだ、子が受肉したんです受肉。 で、ユダヤさんちで伝道なんかしてましてね。あれこれ歩きまわっては 屁理屈こいたラビなんかを凹ませてるんです。 そしたら、なんかあっちゅうまに殺されて帰ってきちゃいましたよ。 もうね。あほかと、馬鹿かと。 そしたら聖霊がかってに弟子たちをあつめて何やらやってるんです。 異言なんか語らせて、「よーし教会を立てちゃうぞー」とか言ってるの もう見てらんない。 おまえらな、もういっかい人間に十戒の板やるから、おとなしくしててっつうの。 神ってのはもっと殺伐として孤独な存在であるべきなんだよ。 人間がどんなに嘆願しようが、滅ぼす時は滅ぼす。 えこひいきした民が路頭に迷ってようが、迫害されていようが、信仰失えば、あっという間にリセット。 その責任をすべて一人で負う、そんな立場がいいんじゃねーか。 で、子ももどってきたと思ったら、今度は「三位一体」ですよ。 「神は一にして三」とか言ってるんです。 そこでまた、ぶちきれですよ。 あのな「三一論」なんてきょうび流行んねーんだよ。 得意げな顔してなにが「聖霊は父と子から発出する」だ。 ほんとうにをれが子と一緒に聖霊を発出することが出来るのかと、問いたい。 問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。 ほんとうはコムズなこと言いたいだけちゃうんかと。 神であるをれから言わせてもらえば、今をれのマイブームでは やっぱり「非神話化」これだね。 「史的イエス」で子を歴史事実の存在と規定し、福音書の事実をさぐり、 奇跡を象徴的物語として捉える。そんかわり、聖霊は無視。 秘蹟論などは歯牙にもかけない。天国も存在しないし、地獄もない。これ最強。 しかしこれ突き詰めると、をれみずからの存在が疑われる両刃の剣。 素人にはお勧め出来ない。 まぁ、民どもは「聖霊は父から発出する」か「父と子から発出するか」悩んでいなさいってこった。 ・・・・・・・・神が3人居るとすると、こういう物語が出来る。
273 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 04:13
そういや、小さなヨハネは神のこと「エホバ」と言ってたな。 珍しい物言いすると思っていたが。
まぁ、スウェーデンボリの本に「エホバ」と書いてあるんだろう。
275 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 08:01
>>274 彼は昔の人だったからヤハウェを知らなかったのかも知れない。
そのころの主流はソラマ読みだったせいじゃない?
276 :
ひとことだけ :02/04/06 08:55
このようにして、主は今日に至るまで、 愛するものとして選んだ多くの子どもと、愛する弟子から 多くの傷をお受けになっているのです。 そして、今日もまた、それでも愛しておられるのです。 すべて啓示のとおりです。 しかし、すべてのことは、善に向かうに益なればこそ、 そのみ許しの内にあります。
277 :
dendo. :02/04/06 10:23
>272 うむ。長いので実際には「元ふらんちぇ」だな。 神の吉牛、最高です。わらかしてもらった。 もち、至聖三者は、神父と独一子と同無限の神聖神からなる「一体にして わかれざる」ものだと伝統的には介されるので、 「もーみてらんない」ということにはならんわけだが。 そいえば今まで気にしたことなかったんだが、アリウス派は聖霊については どういう教説をもってたんだろ。
278 :
ブルネルス :02/04/06 11:06
元ふらは元気だねえ。なんか一皮剥けてより自由になったようなモードだ
279 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 13:20
はは。
もう1個、普通の三位一体的「吉牛」でも書こうかと思ったんだけど。
疲れたからやめた。
>>278 名がないという事は自由。いわば自分の位格から自由であるということだろうね。
名辞するという行為はその対象の自由さを奪うことになるのかもね。
「父」「子」「聖霊」と名付けることにより、その神の範囲を
われわれは狭めて認識してしまう傾向にあるのかも。
。。。。と、手土産に考察してみた。
280 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 13:22
それにしても、小さなヨハネは持久力があるね。 毎度毎度感心する。
281 :
小さなヨハネ :02/04/06 21:36
>元ふらんちぇすこさん ・・・名前がないのは自由でしょうか?天網恢恢疎にして洩らさずで、かえって 危ないことをしてしまうような気がします。神の目の中にしっかり見張って いただいていた方が、わたしなどは良いと思っています。 「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、 公にならないものはない。」(マルコ4・22)
282 :
小さなヨハネ :02/04/06 21:36
少し意味がちがいました。すみません。
283 :
dendo. :02/04/06 21:46
>名辞するという行為はその対象の自由さを奪うことになるのかもね。 しかし我々は無制約なものを認識の対象とすることができるのか? それが問題だ。
284 :
dendo. :02/04/06 21:54
位格(personae)だけども、 演劇用語としては仮面だよね。ええと、盛期だと三人役者がいるんだっけか。 ……khoros にまじるというのもまたそれはそれで面白いんだけど、 khorosが唱うこともまた、テキストとの連関で人格付け されるんだよな。「特定の」人に attribute されてないだけで。 テキストとの、といったけれども、もう少し精確にいえば persona を付けた役者たちの会話が khoros が何者なのかを規定してしまう。 一見自由でない名無しさんも、ペルソナによる名付けのあとでは 端的に名無しさんになることはできないのではないかしらん。 元ふらが、たとえふらんちぇじゃないとしても、やはり元ふらであるのと ……似てねーけど :-p
285 :
小さなヨハネ :02/04/06 22:01
さっき、昼寝したとき枕もとのパソコンの本体を眺めていて思ったので すが、三位一体とはこういうことではないでしょうか。 パソコンの本体がパソコンの心臓部で、実は本体そのものです。しかし、 それはディスプレイの画面でパソコンの働きを表わしますし、私たちも 認識します。両方が一体となって始めてパソコンなのです。本体が父 (本質)であり、ディスプレイが子(姿)です。聖霊とは画面から発す る文字であり、映像であり、音声です。それらは一体となって、はじめて パソコンであり、分離することは出来ません。分離したらパソコンでは なくなってしまうからです。 主をパソコンに譬えたら畏れ多いのですが、主はいわばセパレートタイプ のパソコンというより、ノート型パソコンのように、画面に本体も(?) 組み込まれていて、父と言おうと、子と言おうと、まさに一体、ご本人と いう感じに私には受け取れます。
286 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 22:03
>>282 小さなヨハネ
訂正が入ってるけど、命題として利用させてもらうね。
>名前がないのは自由でしょうか?天網恢恢疎にして洩らさずで、
そうだね。
神が「名辞」した、つまり被造物たる我々は、すでに「名前はある」状態だと思うね。
べつに「小さなヨハネ」とか「dendo.」とか「ブルネルス」という「言葉」による
名前ではなく、時間、空間といった事象に自由ではないのが我々の存在でもあるね。
肉体という物理的な事物である「名前」を既に持っている。
純粋知だけが自由ではあるが、我々は神の純粋知は持ち得ないわけだし。
我々の知は限界付きだ。可能性があるだけで。
>>283 dendo.
>我々は無制約なものを認識の対象とすることができるのか?
認識出来ないから、制約するんだろうね。
神という認識できえないもの、語り得ないもの。
それを認識するために、父、子、聖霊というものがあり、
またそれだからこそ、受肉という神秘が存在しなければならなかった。
287 :
小さなヨハネ :02/04/06 22:12
さて、聖霊ですが、聖霊そのものは神ではありません。それは、太陽光 が太陽そのものではなく、光源が太陽であるように・・・。 もちろん太陽が無ければ太陽光は発しません。聖霊も神である主がおら れなければ発しません。ですから聖霊は光と同様「発する」と言うのです。 しかし、聖霊そのものは神ではないのです。なぜなら、部屋に太陽の光が 降り注いでいるからと言って、太陽そのものが部屋の中にあるのではない のと同様のことだからです。
288 :
小さなヨハネ :02/04/06 22:30
>>286 ・・・うーん。そうですね。
「言」とは語るもの、であり、それがつまり神を語る、すなわち現す
ものという意味なのでしょうね。その神の機能が肉をまとわれてこの
世にご出現されたということではないでしょうか。やはり聖書の表現は
機能が「擬人化」されていると思います。そして、ここで機能は本体と
は分離不可能であり、ですから私は「ご本人」ですと申し上げているの
でしょう。
サンダー・シングは把握不可能な神がこの世に来られたことを、空気は
把握不可能だが、革袋に入れて閉じ込めると、「浮き袋」となる、そして
はじめて私たちを水から救ってくれるのだという譬えを使って説明して
いたかと思います。
289 :
小さなヨハネ :02/04/06 22:59
(続き) >それを認識するために、父、子、聖霊というものがあり、 >またそれだからこそ、受肉という神秘が存在しなければならなかった。 スウェーデンボルグは興味深いことを説明しています。 それは、神は我々の把握に合わせて語られると。聖書の文字上の意義はそのため 「真理の外観」であり、それ自身は真理そのものではない、従って、文字上の意義 だけに拘泥して判断すると、たくさんの誤謬が生じると。 「真理の外観」で語る、人間の把握に合わせて語るとは、例えば、「天動説」のよう なものです。太陽が昇り、沈むと言う表現が我々の感覚に合っているのであり、それ を、地球が回っているといっても把握できないということです。 しかし、それは「真理の外観」であって、「天動説」が正しいわけではないという ことです。 ・・・横レスですみません。
290 :
dendo. :02/04/06 23:09
> 純粋知だけが自由ではあるが、 「そして純粋知は同時に絶対的な必然性をももつ」?
291 :
名無しさん@て、これ、前にも似たようなことを言ったような :02/04/06 23:17
悪いけど、やっぱり学問には限界があるよね。 聖書の一言一句に拘泥して解釈するのもいいけど、 拘泥してこれだけ解釈がいろいろあるということ自体、 すでに学問では限界があることを証明しているんだよね。 でも、学問そのものが、答えを出さないことを認めるから、 学問にとってはそれでいいんだけど、答えのほしい人には役に立たない。 永年にわたり、聖霊と実際に付き合う生活をさせていただいていると、 聖書で言っていることと、スウェーデンボルグが言っていることと、矛盾しない。 聖霊がどうして力であり、働きでありながら、 神自身の人格を持って振舞いうる存在であるかということは、 まったく無理なく理解できる。ぜんぜん、普通。 スウェーデンボルグによる解釈を聞いて 「なーんだ、やっぱりそうだったのか!」って不思議と符合する。 聖霊と共なる生活というのは、楽しいよ。 聖書だけではやはり説明不足なんだよね。 一人の人間であるパウロの感受性をどこまで信用して解釈するかも それなりに問題のあるところなんだけど、それは難しいので省略。 わからん人は祈りなさい。そして従いなさい。 人に聞くより神に聞く。本当に知りたいのならね。議論はレジャーです。
292 :
dendo. :02/04/06 23:22
>聖書で言っていることと、スウェーデンボルグが言っていることと、矛盾しない。 そう思う人がいてもいいんだけどさ、 正統教会(特に分裂前までの)とか、ルター派とかの、歴史的に固まってる 教義体系とも矛盾しないってのは、ブルちゃんもいってるけど、 ひいきのひきたおしなの。 ……っいってもわかんないんだろうな。 ブルちゃんみたいに真面目な人はそれを放っておけないから、 「もうやめ」といいつつ出てきちゃうんだろうけど、 聖書には「聞かねー奴にいうやつが馬鹿」(超訳)ともあるんだよねん。 私も非常勤先の学生が同じこといってきたら責任感じて付きあうかしらんけど しょせんここは便所の落書と達観している私は、やはり便所の落書しか しないのであつた。
293 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 23:33
小さなヨハネ >やはり聖書の表現は機能が「擬人化」されていると思います。そして、ここで機能は >本体とは分離不可能であり、ですから私は「ご本人」ですと申し上げているの >でしょう。 大雑把には言わんとするとこわかるYO 「ご本人」というより「同一」と言うほうがをれ的にはすっきりするが。 言葉自体の扱いがね難しいね。同じ言葉に対し、お互い認識してるモノが違ってたり する場合もあるしね。 だからスウェーデンボリの言う・・・・ >それは、神は我々の把握に合わせて語られると。聖書の文字上の意義はそのため >「真理の外観」であり、それ自身は真理そのものではない、従って、文字上の意義 >だけに拘泥して判断すると、たくさんの誤謬が生じると。 ・・・・・・というのは判るなぁ。 彼は科学者で、探求することに真面目だったからね。 「言葉」そのものの曖昧さにいらだつこともあっただろうね。 科学的「理」は証明出来得るものが対象だから、明解な場合が多い。 (最近のコムズな科学では違うのもあるみたいだが。。。。良く知らん)
294 :
小さなヨハネ :02/04/06 23:37
>>291 >聖霊と共なる生活というのは、楽しいよ。
>わからん人は祈りなさい。そして従いなさい。
>人に聞くより神に聞く。本当に知りたいのならね。議論はレジャーです。
それは大いに結構です。しかし、ではどう神に聞くかというと、神は啓示を
通じて我々に語るとスウェーデンボルグは言います。ですから、そういう意味
ではスウェーデンボルグやその他の啓示(と思われるもの)も読むことをお
薦めします。人によって読むものは違うと思います。議論はそのヒントを知っ
ていただく一助となれば幸いです。
>>294 そうなると、公会議の決定も神の啓示なのよね・・・。
296 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 23:42
>> 純粋知だけが自由ではあるが、 >「そして純粋知は同時に絶対的な必然性をももつ」? 〜〜〜〜〜〜あ〜〜そっちへ話を持っていかないでくれ。。
297 :
小さなヨハネ :02/04/06 23:53
>>292 名前:dendo. さん
>しょせんここは便所の落書と達観している私は、やはり便所の落書しか
>しないのであつた。
・・・ハハハ。dendoさん、
dendoさんは、御自分の顔に落書きしているようで、
とても可笑しいです。
298 :
dendo. :02/04/07 00:01
>>296 えー。嫌だよぉ。じゃあそれ以外のなにだというんだよぉ。
といちようごねてみる。
299 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 00:01
>>297 みんなそう。それを了解で書いてるんだよ。
必死なのはあんただけ。
300 :
小さなヨハネ :02/04/07 00:04
>ブルネルスさん これは、実は今日、思いついた「仮説」なのですが、「マリアさん」という のはブルネルスさんではありませんか? 前に「偽マリアさん」という人が登場したことになっていましたが、そもそ もマリアさんに偽も本物もなく、どちらもブルネルスさんなのではないかと 今日、ふと思った次第です。
301 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 00:05
>>300 御本人ならあんなバカなことは書きません。
302 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 00:07
何故なら、マリアはよく言えば独自の伝承とで書いているのに対し、 ブルさんはきちんとした知識によってかいてます。
ちなみに俺はただのデンパだ。
304 :
dendo. :02/04/07 00:12
というか「最後に出てくる真打ちはヨハンネス・ミノール」というのが 「拷問用ぷーぷークッション」だったんだな。 もちろんブの人は異端審問官の役回りをやるつもりはなかったんだろうが、 あまりに図星だったので、小イオアンには殺人ウサギの噛みつきのように致命的な打撃 だったんだな。 ネット上のスヴェドボリ者は、なんでだか最後になるとみんなこうやって 「わけわからん♪」 な暴れ者となり、唾をだらだら流しながらみなに憐まれつつおヴァカを 書きなぐることになるんだよね。 ……まあ、啓示筆者ヨハネのほうが、おそらくはそういう読者をより沢山抱える 不幸ってことでは上だろうから、末ちゃんにとくに同情してやんなくてもいいか。
305 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 00:16
>>304 なんか300見てると唖然。
マリアは先祖の言い伝えとかいう不確定要素ばかりの
いい加減なものから言ってるだけ。
ブルネルスさんとは訳が違うということも分からんとはね・・・。
306 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 00:20
あああ。dendo.おこっちゃった? >小さなヨハネ dendo.とブルちゃんは、この板の中で一番君に対して誠実なんだよ。 まぁ、時々二人とも電池が切れてるな。と思ったりするがね。 縮めて読んでたりするのも、リラックスしてるから。 ある程度尊重してなきゃ、普通は無視するよ。 ずっと付き合ってる辺り、小さなヨハネは好かれてるんだなあ。と、 思ってたけどね。 あと、マリアとブルちゃんは、同一じゃないよ。 それ、二人ともビクーリしちゃうと思うが。 …かように名辞されているということは、想像の限界を産むのである。
307 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 00:22
ブルネルス=マリア ペルソナでは2であるが、本性にして1だったら怖いぞ。。。
308 :
dendo. :02/04/07 00:23
ふっ、未亡人属性で萌え度300%強化年間中の煽りキャラで 幾度となくデムパと闘ってきた私にいわせれば、君はキャラ立てが まだまだ足りないね。 あ、母校には現在寡婦だということ以前に、そもそも結婚したことも 報告してないので(こんど抜き刷り送るんでそのとき報告の予定)、 ブルネルスさん、ネタにしてもいいけどそこんとこよろしこ。
わしからみてるととてもコミカルなスレだ。 色んな視点があると思って感心する。
310 :
dendo. :02/04/07 00:25
>>307 ああ、飲んでなくてよかった。
座布団三枚!
我信ず、電波ブルネルスとマリアより出で、共にまとわりつかれ噛みつかれ
名無しさんを以ってかつて言いしを、とかいってみるテスト♪
なんだか、面白い話になってるわね。 そんなわけないでしょ!って否定したら面白くないから、 続けておきましょう。 あたしがブルネルスさん。・・・ハハハ。 ご本人が知ったら怒るかもね。かわいそうに。
酔っぱらってるだろ>dendo.
313 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 00:37
小さなヨハネには小さなヨハネなりの「美学」があるからね。 そういうのは良く判った。 ブルネルスとdendo.はそこに触れちゃったんだな。 でも、小さなヨハネももっと視野を広げた方がいいと思うんだけどね。 視点を色々持つ。これ重要。(流石神は言うことが違う>父なる神)
314 :
dendo. :02/04/07 00:42
いや。
はははと、苦笑しつつ陽気な笑いをお見せになるのではないだろか。
>>312 いや、もう醒めてますよ。いやあ、このスレすばらしすぎるよ。楽しい。
亡夫に見せてやりたいなあ。いかにもあいつが好きそうな展開だ。
小さなヨハネは電波としては小物だと思ってたんだが、
「師ブルネルスはオカマなる巫女」
って発言は超弩級どころかニミッツ級の威力だよ。いや、見直した。
人間、第一印象だけでやはり判断してはいけないんだと痛感したよ。
>>314 先祖の話しの一部にブルネルス説を思わせる
部分があったのかしらね?
316 :
ブルネルス :02/04/07 00:47
ちいヨハさん、
私は巫女マリアと一体であるばかりでなく、実はdendo.や元ふらとも一体なのです。
あるいは、一体化してみたいと希望しないわけではない、と萌えてたりして。
>>308 旅の恥はかき捨て、2chの発言もまた・・・
一つのペルソナの内に、2ch本性と娑婆本性とが共に同時に存在しており、
両者を混同してはいけない、ということでよろしく
317 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 00:48
>dendo.、マリア さて、この2のペルソナ「ブルネルス」「マリア」はわかりやすいとして 同一なる1はどのように理解するか?
318 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 00:50
ところで、ちょっと自慢させていただきたいけど、 普段歩いてても、みんな女だと思い込んでるわ。 ブルネルスさんが、女にしか見えないとしたら面白いけど、 そこんとこはどうなの?
あら、名前が消えたわ。恐ろしい・・・。
320 :
ブルネルス :02/04/07 00:51
321 :
dendo. :02/04/07 00:52
ん、私はデムパはデムパとしてあるがままに見るようにしているの。 というか、どう行動するかは経験則でわかるし、 どういう過程でそういうデムパが出てくるのかはある程度理解したいと思ってるけど ここで問題になっているデムパの見ている世界まで理解したいとは思わないの 乳香の薫りくゆる聖堂で一体にして分かれざる至聖三者に跪拝することに 満足しておりますので。
322 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 00:54
>>316 ブルネルス
贅沢だな。それじゃ4位になるから、3に絞れ。
323 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 00:56
ブルネルスも飲んでいるな。
324 :
dendo. :02/04/07 00:56
>>316 でも、哲学板とかいくと、スレによっては実名でまくりだから気をつけてくださいね。
……わたしは今さらなのでよいけど、そういうスタンスならもうすこし
個人情報を出さないようにお気をつけあそばせ。
あんがいどこかに「ブルネルスをまたーり観測するスレ」とか
すでに立ってるかもしれないですよ。
>>316 ハハハ。実はそうよ!
みんなあたしであり、ブルネルスであり、dendoよ。
しかし、本質は同じ。なぁーんてね。
あらら・・・、何かと同じね。
>>317 本質によって同じ。
326 :
ブルネルス :02/04/07 00:56
ふふふ、なんかわかんないけどさあ、 いつのまにか私のことがばれてるみたいね。 どうして私が女にしかみえないっていうことが 分かってしまったのかしらね。 なんか、学者風の言葉使いに疲れてきたところ だったから、丁度よかった、ってこともあるのよね。 これからはもう、ブルマリとか(うーんこれだと コーヒーみたいね)、マリネルスとかいう名前に 変えようかしら。ね、どう思う?
327 :
dendo. :02/04/07 00:58
>>318 おお、名無しさんを通じて発出した電波が語っているのですね!
なんという素晴しい瞬間!!
……いや、そろそろ寝よう。あした聖体礼儀だし。
328 :
dendo. :02/04/07 00:59
>>322 どれかを母にして無原罪・共贖罪にすればいいんでない?(ぉ
329 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 01:00
>マリネルス やめとけ。パソの前で映像を想像して、茶、吹いちゃったぞ。
330 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 01:02
>>328 あら、カトリックを超えて4位一体ね。
あー、いい感じね。
332 :
ブルネルス :02/04/07 01:22
我信ず 電波マリア(=実はブル)より出で、dendo.を眠りにつかせ、 元ふらの口より茶を吹かす
333 :
小さなヨハネ :02/04/07 01:26
・・・ああ、おもしろかったです。大笑いしてしまいました。 笑いすぎて鼻水が出てしてしまいました。
本気にしてたらもっと面白いのだけどね!
335 :
dendo. :02/04/07 08:25
いや、我々がふざけてもおり本気だということが、彼にはわからないらしいぞ。 「理解しているものが五人いなければ、このスレを滅ぼす」 そして彼らは去っていった。
336 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 12:51
>>335 おや、その後書き込みがないところを見ると、
皆滅びたか、塩の柱になっちゃったのかしらねえ。
それとも聖日はおふざけはお休みってころかしら
(おいおい、一日たってもまだ続けるつもりかよ)
そうね、昨日あれから寝たんだけど、変なことが
気になってしまったのよね。私、マリネルスって
いって、元ふらが吹いたらしいんだけど、あれ
まずかったのよ。だって、女性名詞にしなきゃあ、
ねえ。だからマリネラだって思ったら、なんかこ
れって、聞いたことある名前じゃない?
私たちのお仲間のパタちゃんの国の名だったん
じゃないかしら。そう思ったら、もう少しマリア
=ブルネルス説で行きたくなっちゃったのよね。
338 :
dendo. :02/04/07 23:20
マリネッラ姉おこんばんは(はぁと) そういえばあの島、地中海だったわね。 西方では明日がお告げの祝日なんですって(受難週と重なるとずらすらしい) 私たちは今日お祝いしてきましたけど。十字架叩拝と重なったからトロパリがいっぱい〜 おかげでお昼ごはんはばくばく食べちゃいました(ぉ 元ふらはおミサの前だから早しまいかな? ところでさ、「啓示」とやらを示すらしい末だのまりわる者だのを尊重せよ というわりには、聖にして義なる我らが聖師父(西方でいう教父、だが東方では 古代に限定しない)が定めた信経を勝手きままにいじることには抗議がないのね。 いや、いいのよ別に。 でも、それってカトリックの洗礼を受けようという人間が取る態度なのかしらん。 どちらも黙認するか、どちらにも抗議するか、抗議する内容が逆になるか、 そのどれかじゃない? その点で、スレ2の段階で「こいつには直レスする価値なし」と見切った 私の判断はきわめて妥当だと思うんだけど、どう? 誠実でない相手と議論はできないもの(つか、誠実じゃないから人の話を あれだけ聞かないといわれても平気でいられるんだろうな)。
339 :
名無しさん@1周年 :02/04/07 23:47
マリアさん、今度身長と体重と、スリーサイズ教えてください。 どのような美貌なのか、是非一度見たいです。 化粧してるんですか? いくつのときから女装なんですか? 写真の載ったHPあったら、リンクしてください。 機会があったらお参りに行きたいです。(どこに住んでいるか知らないのですが) ちなみに自分は、オカマそのものには興味はありません。
>>338 dendo.ちゃん、レスのお付き合いありがとね。
そうね。カトリックの洗礼を受けようという人がとる態度かどうか、
ってのは、信仰ふかい denndo.ちゃんからみれば、許せないことか
もしれないわね。私の立場からは、まあ、よく分からんで、なんで
もいいから信じますなんてのよりは、自覚があって、いいかもしれ
ないとも思えるのよね。ただ、信じる姿勢に私ってこだわるから、
そういう目で見ても、なんか頭でっかちで、主観的霊感の感覚に頼
っているらしいとこって、危うい感じがするわね。
信じるってのはもっと足が地についたものなんじゃあないかしらね。
直レスしないってのは、dendo.ちゃんの姿勢なんだから、それで
立派だと思うわよ。私って、人が悪くて自分も結構誠実じゃないか
ら、直に話しちゃうんだけどね。でもそうなら一貫して、怒ったり
しなきゃいいのに、つい時々かあっとしてしまったりするわけね。
まだまだ、オネエの修行が足りないのよ。
341 :
小さなヨハネ :02/04/07 23:57
ブルネルスさん
昨日は本当に愉快でした。
>>319 でマリアさんが、「あら、名前が消え
たわ、恐ろしい・・・」と言うのを思い出しては笑ってしまいました。
なぜなら、マリアさんが慌てる必要はありませんものね・・・。
おかげで、このスレッドのシリーズを立てて以来、疑問に思っていた
点が氷解しました。
342 :
小さなヨハネ :02/04/07 23:58
>>338 :dendo. さん
>その点で、スレ2の段階で「こいつには直レスする価値なし」と見切った
>私の判断はきわめて妥当だと思うんだけど、どう?
>誠実でない相手と議論はできないもの(つか、誠実じゃないから人の話を
>あれだけ聞かないといわれても平気でいられるんだろうな)。
・・・「こいつ」って誰のことなのですか?
connotationを読む能力が皆無なヨハネ
343 :
小さなヨハネ :02/04/07 23:59
さて、少し中断していましたが、信仰によって魂の救いを得た人々の の紹介の続きです。(49の続き) 石井藤吉(1871〜1918) 我が国の戦前の「冤罪事件」で有名なものとして「鈴ヶ森おはる殺し事件」と いうのがあるそうです。 石井藤吉は複数の人を殺した強盗殺人犯でした。別件で拘置中に自分の犯し た「鈴ヶ森おはる殺し」で無実の人間が罪に問われていることを聞きます。 彼はそれを不憫に思い、藤吉は自首します。最初は認められずに一審で無罪 となりましたが、再度自分が犯人であることを弁護士を替えてまで主張し、 二審で有罪となり、死刑が確定します。そして監獄にいる間に訪ねてきた ウェストとマクドナルドという外国人婦人宣教師2名の伝道によって彼は イエス・キリストを知るのです。 その後の彼はわずか2年という期間であったにもかかわらず、信仰は進み、 その顔は耀きを増して、周囲の人をして感動せしめるほどになります。そし て藤吉は次の辞世の句を残し、喜びのうちに刑に着いたのです。 「名は汚し この身は獄に果てるとも 心は清め きょうは都へ」 (『天国への死刑囚』石井藤吉ざんげ録/真菜書房より)
344 :
小さなヨハネ :02/04/07 23:59
私は石井藤吉のことをサンダー・シングの伝記の中で知りました。サンダー・ シングがチベットに消息を絶つ前に読んでいたのが、藤吉のことを紹介した マクドナルド著 A Gentleman in a prisonという 本だったそうです。(『サンダー・シングの生涯と思想』金井為一郎著より) 藤吉のことはウィリアム・バークレーという人の「聖書注解」(マルコ福音書) の中にも紹介されているそうです。(『天国への死刑囚』P208) なお、婦人宣教師ミス・マクドナルドとは、カナダ人キャロライン・マク ドナルド(1874〜1931)のことで、日本YWCAの創設者であり受刑 者の救済活動、刑務所の改善、女性教育、労働運動など多方面に渡り日本の 社会改革に尽くした人だそうです。彼女については『東京の白い天使』 M・プラング著、鳥海百合子訳、教文館という本が出ています(当方未読)。
345 :
dendo. :02/04/08 00:14
>信仰ふかい denndo.ちゃんからみれば、許せないことかもしれないわね。 信仰はたぶん深くないですよ。趣味だもん。 もちろん趣味こそ私が全人生を投企するものなのだが、それはおいておいて。 # 趣味判断が出来るのは人間だけ、と誰かも主張してたね、そいえば。 矛盾しててもいいのよ。つか矛盾好き。 でも生産的じゃない矛盾は嫌いなの。まして馬鹿ならばなおさら。 「dendo.は遊び仲間は選ぶの。遊び相手は選べないけれど」
346 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/08 00:15
347 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 00:53
>>292 >正統教会(特に分裂前までの)とか、ルター派とかの、歴史的に固まってる
>教義体系とも矛盾しないってのは、ブルちゃんもいってるけど、
>ひいきのひきたおしなの。
>……っいってもわかんないんだろうな。
わかってるよそんなこと。スウェーデンボルグにおいては、
>統教会(特に分裂前までの)とか、ルター派とかの、歴史的に固まってる
>教義体系
なんか、あって無きが如し。
それを引用してもいいんだけど、今はしないほうがいいと思う。
いや、学者に対してはしてもいいと思うんだけど、他の人のために。
だから読んでみなって。ホントにギョーテンものなんだって。
今日は更に新しく読んだところで、更に更にギョーテンした。目が点だった。
スウェーデンボルグは、新約以前についても、通常の歴史理解をほぼ完全に
否定しているといっていい。いやー、パンクだねー。それでなぜだか辻褄が通っているんだ。
でも、ホント言うと、読まないでよ。
多分、誰も読まないだろーなーと思って言ってるんだ。
だって、読むわけないじゃん。今は読まれない時代。と思ってます。
>>341 これってどういう意味なのかしらね。
なんか、氷解とかちいヨハは言ってるけど、
とーんでもなーい誤解をしちゃったという
ことなんじゃないかなーって、気がして
るのよね。
名前が消えたっていう私の片割れのことば
を、普通じゃなく思っちゃったようじゃない?
でも、誤解は誤解のままにしておいたほうが
面白いわよね。 >ALL
349 :
dendo. :02/04/08 01:28
そうね、お姉さま(はぁと)
350 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 02:11
父と子と聖霊の関係は3パターンある。 △=三位一体 一神だが、父と子と聖霊の三つの位格を持ち、それぞれ同格に存在している。 もっとも一般的な説。 III=三位三体 父と子と聖霊はそれぞれ独立した神。 例えばモルモン教の場合、父(エロヒム)と子(イエス=ヤハウェ)と聖霊。 イエスはヤハウェが受肉した姿。 ((○))=唯一神(同心円) これがスウェーデンボルグ説。 中央が父(ヤハウェ)、その周りが子(イエス)、一番外側が聖霊。 父(ヤハウェ)が神の本質であり、受肉した姿がイエスで、その働きが聖霊。
351 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 05:34
ふむ。なるほど。スヱ氏は各位階の本質の重なりに差違があるようだな。 中核を為す、マリアにマリネラ、dendo.が周りをかこむように重なる??? 通常の三位一体では、マリアとマリネラとdendo.はまったく 一致することとなる。
352 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 12:59
世界は、神が創ったロールプレイングゲームである。 戦争、貧困、病気 などに対して、人間たちがどのようにするかを見るために。 だから、神に祈ったってダメで、人間は自分で解決しなくちゃ。 逆に、神に祈っている人間や、神にごまをする人間には、 神は、情けないと眉をひそめているだろうね。
353 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 13:07
>>352 ”世界は、神が創った”
"神に祈ったってダメで、人間は自分で解決"
神は必要なく、無責任って事?
354 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 13:24
>>353 神は、人間が、自らどう乗り越え、どう助け合っていくかを
見ているのです。
何だ、面白くないと思えばこのゲームを
壊してしまうでしょうね。 また別のを創るかも。
355 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 13:33
>>354 ゲームで言うとリセットボタンを
押すといったところでしょうか?
神が面白くないと思うのは、どのような状態でしょうか?
356 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 13:34
例えば、競技に参加している子供がいて、 自分が困った時に、周りで見ている親に「お母さん、何とかして」 と言っているのと同じ事だと、神は思うのです。 ただ、この世界は、神が創ったゲームですからね。 終わりにするのも、神です。 神を当てにせず、自分で何とかしようとする人間を気に入るか、 神を頼る人間を気に入るか は、神のみぞ知る ですね。
357 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 13:40
>>355 人間が自分を頼りにする事が、うれしいと思う神かもしれないし、
ドラマや映画のように、工夫して困難に立ち向かってる人間を
見るのが楽しいと思う神かもしれない。
358 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 13:41
唯物論者には机上の空論や空想にしか思えないが・・・
359 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 13:43
どっちの神かな?
360 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 13:46
>>358 唯物論者には、神は存在しないわけですからね。
361 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 14:00
>>358 ただ、神が、357 の後の神である場合、
神と人間との間には、まったく働きかけが無いので、
人間にとっては、神は、存在しないのと同じ事なので、
結果は、唯物論者と同じになると思います。
神がゲームを終わらせたとしても、人間には、
なぜか分からないでしょうね。
362 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 14:04
>>361 神がゲームを終わらせていなくても、
人間には分からないのでは?
>>341 アハハ!本当に面白いわ。あなた、漫才師にでもなったらいいわ。
もちろん、ボケ役でね。結構人気出るかもしれないわよ。
宗教漫才とか、マニアックなネタで売ればいいのよ。
>>348 片割れさん、誤解が解けない方がまとまりそうな感じね。
あたし達の三位一体説は、結構正統三位一体論に近いから、余計に面白い。
あたし達は三位一体の体現者?
あんまり言うと「無礼者」と爆笑しながら怒られそうだけど・・・。
あー、・・・恐ろしいやら、面白いやら。結構いい感じよね。
>>351 あひゃひゃ、そんなところよね。
本当に天主には悪いと思うけど、あー、面白い。
誤解を招かないように言っておくけど、 私は純粋な唯物論者とはいえないかもしれない。 神、霊、魂、など、物質や物体として存在はしないと考えるが、 それでも、ご先祖様の供養などは欠かさないという矛盾がある。 神や霊魂は、自分の心の中での概念としては存在している。
365 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 14:12
>>362 ええ、分かりませんよね。
ただ、「こんな世界は、神が創ったとしか考えられないよ」
という事で、人間は、神を感じたんでしょうね。
366 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 14:22
>>364 神という究極の善?正義?をすべての人が、心に持ったら、
いい世の中になるでしょうね。
(神がどんなものかという定義は分からない。よく言われるのは、
創造主であるということですかね。その性格は、人間が、希望で
考えたんじゃないのですかね。意地悪じゃない、思いやりのある
神だといいと思うんですけど。)
余は子供が好きじゃ。
368 :
dendo. :02/04/08 14:28
>>363 ううん、たぶん逆。転倒した三一性。女性性の三一性といってもいいかな。
三一性は非時間的なものが時間的過程に入っていく様をも表現するけど、
転倒した三一性においてはむしろ時間は遡航し、おそらくそのことによって消え、
時間的なものにおける非時間的を表すのね。
# カルペンティエール、まんせー。
そうすると元ふらはむしろ母じゃなくて父がよいと思はれ。
そうねえ、本家と混同されたらあちらも御迷惑だから、我々は至穢三者とでも名乗りましょうか?
……怒られないうちに、私も消えよっと:-)
369 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 14:36
それより イスラム教と一神教の対立でも一生しとけ
370 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 15:28
>>364 それって、良心から来たものでしょ?
その方が安全でいいと、あたしは思うわ。
って言っても、あたしみたいな電波な巫女が言っても
全く説得力ないだろうけどね・・・。
>>368 そりゃそうよ。あたしのようなのが入ってるのだから。
ただ、逆の向きから正の向きを見て理解することも出来る。
と、あたしはカトリックから神道へ移って、思うことはあるわね。
母方の先祖の言い伝えというのは、
ユダヤやカトリックの聖伝承を正しいと言いながらも、
そうでもないような事も伝えるし、一貫性が無いようであるような・・・。
人の心の表と裏を、物語っているようで面白いわね。
聖書も、そこに登場する人物達の話しは、そうではあるけれどね。
人の心には、何事にも表と裏がある。そう言われているような気がしていたわ。
>……怒られないうちに、私も消えよっと:-)
大丈夫よ。自分の民が分裂させられて、さっきまで泣いていたのだから、
ここら辺で面白いものを見せて欲しいと、望んでおられたのだから。
ただ、やり過ぎないようには、した方がいいかも知れないわね・・・。ホホホ。
>>369 そうね。宗教戦争って、
人の心の表と裏が、みんなぎっしり詰まってるものね。
>>370 分からないから感じたとも、考えることも出来るわよ。
373 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 16:36
>>372 "分からないから感じたとも、考えることも出来るわよ。"
感じたとして、分からないものなのに何故神なの?
374 :
dendo.%たまにはマジレス :02/04/08 17:24
神とは絶対的な肯定だから。
375 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 17:27
宇宙人を信じなさい。
はじめまして。この板の内容、全部読んでいないので、前に書いている人がいたら、 ごめんなさい。 三位一体論の発生したプロセスを考察(想像?)してみました。。。 ・古代神話からの影響。−地場宗教との融合を図る時、信徒に説明し易いから。 ・「イエス=神」にすると、「マリア=主の母・神の母」、 「イエス(子であり、父である)とマリアとの関係=近親相姦」 となり、非常に非道徳的である。 だから、三位一体にして、神の尊厳を守った。 旧約の中に、「子が母と関係を持つ」話があるそうです。 色々読んでて、思い付きました。変でしょうか?
377 :
dendo. :02/04/08 17:29
>>376 変です。それだと聖霊がなぜ神の位格だか説明できません。
ところで「子が母と関係する」のは旧約のどこの話ですか?
父が娘と関係するくだりはこのスレでも最前話題になっておりましたが。
>>376 変よ。(377 dendo.ちゃんの言うとおりよ)
もっと自然に、普通のことを考えたらいいんじゃない。
・まず、ユダヤ教の伝統を受け継いで、キリスト教は「神は唯一だ」って頑張っ
てきたわけね。ギリシア・ローマの多神教を批判したのよ。
・他方で、イエスがキリストだってことは相当初期から主張してきたわけね。
だけど時間がたつにつれて、イエスは「ただ者じゃない」っていう考えがエス
カレートしたのよ。
それもはじめはイエス=キリストだと主張するグループもユダヤ教内のグルー
プだったんだけど、それがローマにエルサレムが破壊されたあとに、ユダヤ教
の体制建て直し運動があって、純粋ユダヤ教を再興させようという動きの中で
イエス=キリストと主張するグループは追い出されたのね。
そうなると、このグループは独立していかなけりゃならないし、ユダヤ教と自
己の差異化もしないとやっていけなくなってくるの。
そのプロセスと、イエスが「ただ者じゃない」という主張のエスカレートが
絡まると、エスカレートはついに、「イエスは神だった」というとこまでいくの
ね。
・あとは簡単。「神は唯一」ってのと「イエスは神だ」ってのをどう両立させる
かという問題への解答を考えなきゃね、っていうわけ。(以上は新約聖書の範囲
内での経過よ)
・聖霊のことは書かなかったけど、イエスの話に少し遅れて、聖霊の身分につい
ても似たようなプロセスがあったんじゃない?
379 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 19:59
>>378 マリアさんと一体のつもりかもしれないですが、
明らかに言い回しが違うのでとても気持ち悪いです。
早くもとに戻ってください。
マリネラさんはマリアさんよりもかなり若いです。
毎日相手にしている年齢層のせいではないかと思いますが。
やはりあの代理の方はマリアさんの雰囲気をよく研究してましたね。感心、感心。
380 :
名無しさん@1周年 :02/04/08 22:56
小さなヨハネさん もしブルネルスさんとマリアさんが同一人物で、 状況によって、人物像と文体と内容をことごとく書き分けてきたとすれば、 これは相当なシナリオライターです。天才どころじゃ納まらないよ。 そういうドラマ書けたらすごいだろうね。一辺書いてみたいねー、そういうの。
381 :
小さなヨハネ :02/04/08 23:01
ああ、ブルネルスさん・・・・・・。
382 :
小さなヨハネ :02/04/08 23:18
ブルネルスさん 私に、あなたの立派な学者としての誇りを見せてください・・・。 あなたの女言葉など聞きたくもありません。 議論するならしましょう。私は議論において自分の方から逃げたことも 降りたこともありません。もちろん、分からないことの方が多いです。 しかし分からなければ分からないと申し上げます。 それはあなたが最もよくご存じの筈です。
>>382 それには、無理があるわね。
あなたには、それが理解出来ないでしょうけどね。
384 :
小さなヨハネ :02/04/08 23:32
そして、ここに出て来られる時は、名前を「ブルネルス」一本に絞られることを 望みます。
385 :
小さなヨハネ :02/04/08 23:37
「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を 失う者は、それを得る。」(マタイ16・25) ・・・・あなたは何を救いたいのですか?
それからもうひとつ。 あなたの主張は聖書によって、ことごとく破綻しているのね。 それを無理やりこじつけている内は、何も見えやしない。 それはそれ、これはこれ。という形で理解しなければ。 ユダヤ教の主張と、スウェーデンボルグの主張は、全く違うわけ。 キリスト教の伝承の根幹は、ユダヤ教の伝承に基づいているけど、 スウェーデンボルグの伝承は、キリスト教としては中途半端となる。 もちろん、ユダヤ教であれば、 全く受け入れられない理論の上に成り立っているわけ。 そういうことを理解した上での話しで無ければならないわけ。 でも、あなたにはそれは出来ないわけ。 出来ないのであれば、あなたには用はないわけ。
それから、スウェーデンボルグやワルトルタは、 歴史の事実とは全く関係ないわけよ。福音書の多くもそうだけどね。 ブルネルスさんは、歴史に基づいた事実の話しをしているわけ。 その事実は正しくないと言うのが、あなたの主張であって、 これはもう、全く話しにならないわけ。
>>385 その聖句も、あなたにとっては自分のためのもの。
人のためのものではない。よって、それは神への侮辱。
となる可能性もあるから、気をつけなさい。
389 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 00:04
パレスチナの問題出少しだけ復活している。元ふら。名無しさん@…。 な、ふらんちぇすこだ。 小さなヨハネ> 「マリネラはなんだか、トテーモ気持ち悪い。」と素直にいいたまえ。をれも同意だ。 だが。ここで考察だが、 「マリネラの女言葉」は形相だ。だが「学者としてのブルネルス」も形相だ。 もし、時系列が逆で彼等が登場していたら君はどう考える? 「マリネラは、なんだかトテーモ気持ち悪い」と考えはしないだろう。 コテハン、現れる性質以外の、書かれた事柄(ブル/マリネラの論考)のみに着目 すれば、その形相は、附帯要素であるに過ぎなくなる。書かれた事柄には本質、 つまり「本性」が存在する。 マリネラ=女性言葉=論考(本性)は一致し。 ブルネルス=学者=論考(本性)は一致するよな。
390 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 00:06
>>385 ブルネルスは楽しんでいるだけなんだと思うが。
いつも喜んでいなさい。とはパウロ。
392 :
dendo. :02/04/09 00:09
なんつーか、マリネラ姉に個人教授してもらえるなんて、 普通の人なら感激で涙にむせび、その涙で足を洗って香油を塗る # いま、すっごい嫌な顔したでしょう。ふふふのふ。 ところだろうけど それが「あれをせよ、これをせよ」だもんねえ。 やっぱりデムパの思考回路って謎よねえ。 あ、わたし? 私は「ここのお勘定、お姉さまがしてくださるのよねっ」(はぁと) っていう役回りかしらん。で好きなだけ飲んで食べる。
393 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 00:12
>>392 dendo.
その価値は、dendo.にとっての価値であって、小さなヨハネの価値ではない。
共有し得ない者には、無意味な事柄もある。
むしろ無意味となるからこそ、面白いのではないか?
この空間が。
・・・・・・いや。をれも現実空間ではよ。そりゃぁ感・・・・以下略
394 :
dendo. :02/04/09 00:16
>>393 たださあ、三次元空間での書き手が誰かっていう以前に、
このスレで一番鋭い書き手が彼/女だってことは、1スレで明白じゃない。
講壇ほげ学者であることを別スレで匂わせていたことをおいても、
レスもらえるだけはっぴー、ってのが自然な感じ方だと思うけどねん。
395 :
小さなヨハネ :02/04/09 00:17
ああ、ブルネルスさん ご自分の口で語ってください・・・。
396 :
dendo. :02/04/09 00:19
>「マリネラはなんだか、トテーモ気持ち悪い。」と素直にいいたまえ。をれも同意だ。 あたしは好きだなあ。だってすごく楽しそうなのが伝わってくるんだもの。 ただ、マリネラだと後ろにタマネギ部隊が沢山並んでる感じがしてちょっと いやん。マリネッラのほうがいいやすいし。(r はもちろん巻き舌よん)
でもさ、ここってやっぱり面白いわよ。 色んなのが集まってくるからね。 あたしみたいなのから、まともなのまで、 いろんなのが集まって来てるじゃない。 本当に、いい感じよ。
ちなみに一番わけわからん書き手が余、その人だ。 が、余は嘘はついてはおらぬ。 あ・・。 ちなみに父なる神だからな、天主じゃないぞ。
>>395 ちゃんと語ってらっしゃるわよ。
でも、あなたがそれを認識できないだけよ。
色んな電波に影響されてね。
まぁ、、、目が覚めたらちゃんと見えるようになるから、
心配することはないわよ。
401 :
dendo. :02/04/09 00:23
正直にいうけど、まともな人ならこんなとここないわよ。
402 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 00:26
>>389 の続きだ。
借りにブルネルス/マリネラの本性を パウロ としよう。
パウロは論理的論考を書く。小さなヨハネ的には、そのような論考をするパウロは
「ブルネルス@学者」のイメージでなくては落ち付かない。小さなヨハネ的には、論考をする本性パウロはブルネルス学者のイメージで固定されてしまっている。
お姐言葉を語るパウロにはどうにも我慢がならない。
。。。。。ここに君の固定概念の壁が存在する。
しかし、論考のみ着目すれば、パウロの形相は「ブルネルス@学者」でも「マリネラ@お姐」
でもどちらでも構わないはずである。
さて、三位一体への理解にも同様の現象を感じるのはをれだけだろうか?
403 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 00:28
父なる神> 一にして多数の位階を持っているな。
404 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 00:29
>>401 dendo.
禿同。それで3まで逝っちゃってるからな。
まだまだ楽しめそうだね。
406 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 00:30
>>403 位階>位格。
間違えたよ。突っ込み入れられる前に訂正。
407 :
dendo. :02/04/09 00:31
>>402 だけど形相ってそういうときにもつかうもんかな。
eidos=energeiaでしょ基本は。
トマスだって「第一質料を神だと思うやつ逝ってよし」っていってたし
形相のほうが本質的なんでわ。
むしろ「表現」とかなんかもっといいことばないかなあ。
408 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 00:31
ここは「主イエス・キリストは父なる神」を議論するスレじゃないの?
>>401 分かってるから、あたしだって来てるんじゃない。
面白くなければ来やしないわよ。
>>408 さあね?
それはキリスト教の神観の発展と良く似たものじゃないかしら?
411 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 00:33
>>405 マリア
しかし、君も付き合いいい人だね。。。。
小さなヨハネも宗教板@知の重量級のコテハン、マリア、dendo.、ブルネルス
相手に粘るとは、なかなか凄いと思うぞ。
>>411 あたしも地元じゃ神扱い。とても疲れるのよ。
馬鹿なこと一つも言えやしない。結構大変なのよ。
ここに出てきたら、馬鹿がまたなんか言ってる扱いでしょ?
生き返った気分になれるのよ。
413 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 00:40
「主イエス・キリストは父なる神」っつうことは、自分で自分を産んだってことか?
414 :
dendo. :02/04/09 00:44
スレタイトルはほとんど「と」なので気にしないでください。 ニカイア=コンスタンチノポリスでは「造らずして生まれ」ですので 父から子(原語では息子、つか欧文では息子といふ)生まれてますね。
余はその点幸せだ。 誰も本気にはせぬ故(笑)。
>>413 詳しく言えば、神の言が人となって産まれてきたって感じよ。
417 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 00:47
>>407 dendo.
むう。類比的に適用しとる。。。。でかんべんな。
(「本性」を、「質料」とすべきだったかに?)
厳密な言葉を定義し始めると泥沼に陥る。。
>>415 さぁね?それだけは分からないわよ。
色んなのが世の中にいるからね・・・。
419 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 00:48
父なる神> イイ!(・∀・)キャラだな。
420 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/09 00:49
このスレも続いているねぇ・・・ たまに顔出すのもいいかもね♪
>>417 それが人間の不完全さ。
そして、それがまたとても面白いものね。
>>420 あら、いらっしゃい。良かったら、持論をどうぞ。
423 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/09 00:52
>>422 え、イエスキリストは父なる神か?について??
424 :
dendo. :02/04/09 00:55
むしろ、すなおに naturae:persona seconda=ブル/マリ:誰だかわかんないけどとりあえず剃刀ぢぢいと命名してみるテスト のほうがよかったのでは?
425 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 00:56
>>423 何でもいいのよ。できたらだけどね。
スウェーデンボルグとあなたの教派との相違についてでも、
あなたの教派の神観について書いてみてもいいのよ。
色んな「心」が見れて面白いからね。
427 :
マリネラ(これで最後) :02/04/09 00:58
うん、もっと楽しみたかったのにねえ。元ふら、じゃなくて名跡復活のふらにまで、気持ち
わりいって言われちゃったら、マリネラつまんない。一緒に楽しんでくれてるdendo.ちゃん
(はぁと)には悪いけど、やめることにしようかしら、ね(あれ、途中で文体が乱れて、
女子学生風になってるわね)。
で、ここから一応ブルネルスになります。小さなヨハネさんは結構外見で人をみるんです
ね。がっかりしました。トルストイだったか、誰だったかの小説を思い出しました。立派
な外見で訪問すると歓迎され、みすぼらしい姿で訪問すると厭われるとかいうね。
ブルネルスもまた一つの外見であることをお忘れなきように、お願いしておきましょう。
>>389 復活ふらはさすがにまさにそれを衝いている。
しかし、残念なのは、マリネラでいる限りは、dendo.ちゃん(さん)の「(はぁと)」
ってのが付いてきて、これを見るたびに、萌えられたのに、それともお別れというこ
とでして。
>>392 涙は使わんでいいから、dendo.ちゃんに足を洗ってもらえたら、感激なんだ
けどなあ(おっと、学者モードになってしまった今となっては、このような口もきい
てはいけないのだろうなあ、小さなヨハネ氏の道徳観からすると)。
で、本題は何だっけ。
428 :
小さなヨハネ :02/04/09 00:58
>>411 名前:ふらんちぇすこ さん
・・・どこが重量級か分かりません。
>ブルネルスさん
・・・スレッドその1で中断した議論について、いつでも再開致しますよ。
>dendoさん
・・・先だっての質問(高橋司祭の本について)の回答はいただいたので
したっけ?
429 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 00:59
>>423 いやまあの命名には実はブル/マリのある論考に敬意を表してだな。。
まあ、いいじゃないか。ハハハ。
>>426 「心」というより「神の心」といったほうがよいかしら?
>>428 とうの昔に回答済みだけど、
あなたがそれを認められていないだけよ。
まぁ、時が来たら何を言ってたか分かるようになるから、
そんなに慌てないことよ。
432 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/09 01:02
キリストと父なる神は別物だと思います。 しかし、キリストと父なる神は一つだと思います。 ちょうど、火の中に鉄を入れたごとく。 鉄の中に火があるし、火の中に鉄があるでしょう。 しかし、鉄と火は全くの別物です。 そんな感じの関係だと思っています。 教派の考えでなく、私の考え・・かな。
434 :
dendo. :02/04/09 01:04
おさげめがねっ娘モードで「○○先輩〜」(←任意の文字列を代入せよ) でもいいんですけど、それはたぶん墓穴なので私からはおすすめいたしません。 でもご希望とあれば。
あたしは、化けるのは、日々の生活を思い出すし、 余計に疲れそうだからやめておくわ。
436 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 01:10
>>428 小さなヨハネ
むー。ある意味、見えるものを突き抜けて認識している小さなヨハネは凄い。
ここが皆の人気となるゆえんだろう。
言論を読めばその凄さが判るんだが、それは君にとっての価値では
「どうでもいいこと」に分類できることなんだろう。
それはそれでいいと思う。
引き続き頑張れよ。
437 :
dendo. :02/04/09 01:11
>トルストイだったか、誰だったかの小説を思い出しました。立派 >な外見で訪問すると歓迎され、みすぼらしい姿で訪問すると厭われるとかいうね。 聖人伝によくありますな、その手の話。で、そのみすぼらしい姿の人は 主その人であったり、天使であったり、その人が涙枯れるまで探して みいだすことが出来なかった失なわれた息子であったりする。 ねえ、ブルさん、いっそのこと名無しさんになってみたら? ブルさんの文体、結構特徴があるから(たぶん普段の癖を消そうとしてるので、逆に 浄水器を通した水のような透明さが出てくる。そういえばT先生%文責は 研究室の水道に浄水器つけてたっけ)、分かる人には分かると思いますよん。 レスの特定なら、たんにレス番があれば十分だし。 私はコテハン推奨系他スレによく書く都合上、 コテハンのはいったままにしてますけども。
438 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 01:12
>>427 充分楽しんだ。今度は違う形相を考えるのも吉。
色々あるぞ。下品なアベラールとかな。
439 :
ブルネルス :02/04/09 01:13
「これこそ新しい啓示だ」って思ってしまう心理が気になります。 読んでみて感動して、そうだ、って思ってしまう。それは結局、 啓示だから真理なんだとか、啓示だから受け入れよ、というので はなく、読んだ自分が「これは良い」と思ったということが理由 になっていて、啓示だと思ってしまっているようですね。 これは自分の感性というか美的判断力が基準になっているわけで、 決して啓示を信じているというようなことではない。 いわゆるリベラルが聖書を読んで、ここは間違いだとか、ここは 真実を語っているとかいう時には、言葉を評価する自分の理性が 基準になっているということになるのではないでしょうか。伝統 的教説について、ここは古い、ここは今なお活かせるなんていう 時もね。 だから両者の姿勢は結構似ていることになる。では福音派は、と いうことについては、またいつか。
440 :
dendo. :02/04/09 01:22
>>439 そんな薄汚ないものを美的判断力と呼ばれるとは心外です。
だいたい満足ともなってんじゃん、ちいヨハの判断。全然美的じゃないよ。
……というより、あえていうなら、むしろ目的論的じゃないの?
「かくかくの仕方で神が御自身を啓示し、かつその時に限り、神は啓示される」
つー強固な独断論的恣意(ってのも汚ない手で触ってほしくはないが)があって、
この系列にあてはまらない命題はことごとく無視される。
だいいち、美的なものの表現はもっと実在的ですよ。つねにね。
441 :
dendo. :02/04/09 01:25
>>438 春画みたいに巨大な男根をもった、いか六アベラルドゥス?(去勢前)
そして去勢されたあべちゃんはだんたんとお姐に……(次回へ続く)
442 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 01:25
>>440 dendo.
dendo.もある概念に固定されているな。
それはdendoの「美」の概念世界。
443 :
dendo. :02/04/09 01:26
あ、怒りながら書くとロクなことないな。
>>440 満足ともなってる→関心ともなってる
えらい違いなので速攻で訂正。…………リガまで逝ってきます……
444 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 01:27
>>441 あああああ。。。。。アベラルドウスのイメージががらがらと。。
ま、責任取らない男の典型だからな。
445 :
dendo. :02/04/09 01:29
視点をもたないと世界は見えない。 一方、眼は眼をみない、つうか見えない。 でも前半はむしろ Terminologie の問題です。私は普段は使わない けどね。つうか、非常に特殊な用語でしょ、美的判断力って。(他でみませんし)
446 :
ふらんちぇすこ :02/04/09 01:31
>>439 ブルネルス
剃刀で切ってしまいますか。
「信仰」を持つものにとってそこを切られては辛いかも知れぬ。
しかし、信仰を持ち、なお且つ理性を働かせる。ムズいですな。
447 :
dendo. :02/04/09 01:33
>>446 だいじょーぶ。だって信仰は理性の実在的側面の主観的行使だから。
つうか、私なら 439 の問題の一節では「理性」とはかかず悟性とか
人間理性とか書くところですが、まあ、この辺は立ち位置違うから
最後には折り合いのつかない可能性があるところでもある。
そいえば、ライプニッツだと理性<悟性らしいねえ。悟性のほうが直接知に近い、
つか文脈によってはそのものにも読めるとか。用語法って難しい。
448 :
dendo. :02/04/09 03:18
寝る前カキコ。 ブルネルス氏がお姐で遊ぶことが「学者の権威を損ねる」っていう発想は なんつか、不動産屋とかの「大学の先生ですか。それなら大丈夫ですね」 と似たものがあるな。 ブル/マリのカキコをきちんと読んでいれば 彼/女が剃刀のように切れる一方、結構うかぽんで愛すべき人物であり ブルネルスを演じるのと同じくらい嬉嬉としてマリネラを演じていることは 明瞭なのだが。 ……うかぽんの例は 1スレ797 には反応せず、 この時点で完全に個体識別されていた可能性があることを看過して 本スレでもう少しつっこんだ当て擦りをされて、初めてあわてちゃうとこなんかに典型ね(はぁと)
449 :
dendo. :02/04/09 03:45
で、この「うかぽん」例を探しにいったところで、見切りをつけた箇所は 2スレではなく、1スレ672であることをハケーン。 しかし小イオアンは最近全然父子同一論については語らないね。 と 1スレをちらちら見ていて思うなり。
「イエスは父なる神である。」と主張するのに対して、その是非は問えない でしょうが、「イエスを父なる神とする。」と云う主張は認められる事では ないでしょうか? 我々の、”その対象”が故の、理解能力(知性、精神、理性、どの表現が適 切か判らないので・・)の(可能性に於いても)限定性がその理由です。 つまり、(書きたくなかったんですが・・)実存認識です。 私は、その2の194と196に於いて書いたんですけど、それは、マルセ ルの”見えないものの明証性は、その信仰にある”と云う言葉にヒントを得 ました。 また、同時に、「人の子に父をみる」と云うのが、私にとって(恐らく)暫 定的な立場である可能性を秘めている事は、自覚しています。と云うのは、 私は自然科学から神に出くわしたものですから、基本的にそこでの整合性を 保ちたいと考えるのです。そこで問題として、いわゆる統一理論が未だ導き 出されていない事があるからです。 もし、それが一応の道筋でも立てば、それが形而上学的に投影され、新たな 展開をみるかもしれないと云う事です。
しかし、勿論、そして何としても、イエスを信仰します。再帰的、且つ逆説的
でありましょうが、イエスの受難、そして復活されたが故です。また、ここに
私の”不寛容性”が起因します。イエスを信仰しない事が許せないと云う”肉
の想い”があるんです。そして、聖書を啓典として読んでいる自分と、文献と
して読んでる自分がいるのにも”罪”を感じます。
だから、
>>439 を読んで今一度、聖書について考えてみます。
それで、ヨハネさんの神との関係は「義」である、とは評価すべきと思うん ですけど・・・ここで書かれている印象からして”行い”のある人物と想像 されますし、リサさんも人柄について触れていましたし。 (つまり、その範囲について)
453 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 07:50
>>387 マリアさん
確かにスウェーデンボルグの事実認識は普通と違うんだけど、
歴史的事実についての認識というよりは、聖書観の違いで、ああなんだよね。
私は、マリアさんだけには、あれは読んでもらいたいと思うね。
他の人は読まないでいいです。
実は、あのユダヤ人観を読んで、私は一番にマリアさんの言っていることを思い出したんだよ。
454 :
名無しさん :02/04/09 08:14
> ◆rs2OUULQ ブルもまあまあなんだけど、私はあんたに一票入れるね。いつもそう思う。
◆rs2OUULQさん 名前覚えていてくれてありがとう。最近来ないなあ、と思ってました。 a.聖書を啓典として読んでいることと、b.文献として読んでること この二つの間には、越えようとしても越えられない深い淵が出来上がる。 私が、その道に進学するのを潔しとしなかったのも同じ理由からです。 ヨハネさんが、ここで語っている目的は明らかにaのためです。 そして、それはもはや多くの人にとって意味のないことになっているのです。 いや、最初はそうではないんだけど、やっているとだんだんそうなっていくんです。 その現実が、また、スウェーデンボルグの新しい教会形成の理論を裏書してまして。 つくづく、スウェーデンボルグの言うことは、ことキリスト教会に関しては、 裏の裏まで見て言っていると思います。と、今のところ理解しています。
456 :
dendo. :02/04/09 09:15
昔わたしが某山の中大学に通っていたころ: その頃四年生は研究室の歴史に空前絶後なんじゃねーか、っつくらい 一杯沢山いて、でM1と一部四年生は同じ歳だったせいもあって、 なんとなく自然にその辺が始終群れていることになった。 # 議論主導してたのは、そいえばN.%商用学派fernだったな。 その日は神把握に話が流れていって わたし「私の神はアブラハム・イサク・ヤコブの神であるかもしれないけど、 哲学者の神じゃない」%当時、エホ証のしっぽが洗えない不可知論者でした。 N「えーそうかな。僕はそのふたつ、同じだと思うんですけど」 ……西洋哲学%近世まで、においては、たとえ人格性を否定されていても、 哲学者の神は畢竟前者であるか、または前者に発しているということが わかるのに、結局そのあと 5年はかかったでしょうか。まあこんなだから なかなか就職できんのねん(亀の歩み)
457 :
dendo. :02/04/09 09:26
>「イエスは父なる神である。」と主張するのに対して、その是非は問えない > でしょうが、「イエスを父なる神とする。」と云う主張は認められる事では > ないでしょうか? そこにある意味論点は最初からなくて、 # だからこそ、1スレ初期では「平安に出づべし。新協会へ赴け」という # 指摘が複数あった むしろむしかえされている論点は ・小イオアンの伝統的三一論についての誤解(これブの人が気にするところ) ・それに基づいた、ある種「いわれのない」既成教会への非難(ブの人と巫女マリアが指摘) ・いろいろな性格の資料を区別せずに使う粗雑さ、 とりわけ史的事象と信仰に基づく(時によっては非合理ですらある)叙述の混同(ブの人が指摘) ・他人のレスを読まない恣意的な引用垂れながし ・そこから出てくる「御前ら、自分が分からないからキリスト教が間違ってると思ってるんじゃないかと」etc であって、「父=子」を末や小よはが信じる分には誰も問題にしてないのよ。 ただ、正統信仰が告白する「神」がそうであるといった主張や、文脈を全然捉えられない 聖書の引用とか(なぜああ外せるのかね。才能だね)には、そりゃあまじめな 人は異義申し立てしたくなるでしょうよ。 おまけにそこでちぃヨハが非難している「教会」ってせいぜいが カトとルター派をあわせたくらいのもんなのが、滑稽。
458 :
dendo. :02/04/09 09:39
>ここで書かれている印象からして”行い”のある人物と想像 > されますし、リサさんも人柄について触れていましたし。 ちいヨハがですか? 1スレより 593 :dendo. :02/01/08 03:07 あたし、死亡者の確定申告書の空欄を埋めるのに忙しいの。 ※これは四箇月以内に近親者の死亡があったことを含意する。所得税法参照。 643 [snip] >639dendoさん 確定申告書の記入は終わられたのですか?よろしかったら、あなたの考え ておられる「主の来られた理由」を教えて下さい。 これが末主義者の考える「行い」とか「義」だとしたら、 そりゃあ既知世界のキリスト教とは共存できないよなあ。と思います。 # 別に怒っているわけではありません。 # デムパ観察者はデムパに人間性やまして応答可能性を求めたりはしないのです。
459 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 09:53
ブルさんって、好きなんだけど、時々逆上するのよね。 で、その名状し難い、中間管理職のような、うっすらとした押さえた逆上の様子が なんとも言えないのよね。うちのパパとなんとなく似てる。 で、ブルさんの余裕ってのは、実は、知識の余裕から来るものだということが察せられる。 だけど、読んでて、ブルさんって、信仰あるのよね、あんなこと言ってても。 本人はどう表明してるか知らないけど、ホントはね。 懐に涙のある人なのよ。自由主義者って、真面目な人はそうなのかしらね。 私の知ってるしげちゃんも、そういう人だった。あんなやつと思ってたけど。 つきあってみて、本当に愛のある人だというのがわかった。 それが、実は、聖書の自然科学的解釈から来ている、人類全体の苦しみだと思う。 って、なんだかブルちゃんの論評会やってるみたいで申し訳無いけど、 スターの立場って、そんなもんよ。
460 :
dendo. :02/04/09 11:02
>本人はどう表明してるか知らないけど、ホントはね。 ブルさん自分で詳しくスレ1に書いてはるけど……
461 :
dendo. :02/04/09 11:10
あ、あと、これは書こうか書くまいか迷ったんだけど >聖書の自然科学的解釈から来ている うーん。。数学はともかく論理学や言語学をそこに入れるかどうかは、 って昨今では工学系のほうがばりばりやってる人多いなあ>論理学 それはともかく、ブルさんをそこに入れちゃっていいのかどうかは 疑問だ。あの人の読みはこのスレに限ってももっとテキスト内在的だと 思うし、後出しじゃんけんみたいだからこれをいうのはまずいんだろうけど それでいて、経験世界での(言語)経験に対しても誠実だと思う。 # そうありたいけど、なかなかそうできない自分にとっては憧れの人でし。 スレ読んで得られる以上のカードを使うのはジョーカー複数枚 混ぜてババ抜きするようなもんだから、これ以上はいわんけど。
462 :
ブルネルス :02/04/09 11:14
>>439 を書き込んでから寝た。起きて、来てみると話がだいぶ進んでいて・・・
「美的判断力」が、dendo.さんを刺激したらしく、オーネ・インテレッセじゃない
じゃないか、というご指摘はごもっとも。目的なき合目的性というところは通じる
んじゃないか、などと応じると、またまた刺激になるかも。
当方、美的判断力っての、結構好きなんですね。ルターの自由な行為ってのは、決
して「義務なるがゆえに為す」なんてえのではない。ではどうかというと、「気に
入る」からやるとかなんとか、忘れたけど、美的判断の構造に似ているんだよね。
そんなことを思い返すと、
確かに、目下の、なぜマリワルの言を啓示だと思ってしまうのか、というとこに使う
のは、もったいなかったかもね。
美的判断のほうじゃなくて、感覚的快感に結びつけるべきだったかな。
#たしかに、ratio は理屈であり、論理的に追求する際の根拠といったものですが、
intellectus の方は、そんな理屈とか推論といった媒介を必要とせず、直接、す
ぱっと分かっちゃうような、分かりだ、という使い方の違いがあるようです。
だから、神の認識は後者的であっても、前者的ではないわけで(以上、相当いい加
減な区別で、そのいい加減さは、最近出たなんだらの木というのに出てたのを、
援用して書いたことからも分かります)。
>>459 いやいやいや、お見通しですねえ。自分を鏡に写して見てしまったような。
背中がむずむずしてます。
463 :
dendo. :02/04/09 11:29
>美的判断のほうじゃなくて、感覚的快感に結びつけるべきだったかな。 でも胡椒をじゃかじゃか使う人には「健康に悪いかも……」というアパテイアが ある場合もあるんですよね。ちいヨハの場合 ・感官刺激だけでは説明できない ・普遍妥当性を要求する 点では確かに直感的判断力と類似点がありますが、 その場合でもむしろ崇高論をベースにしたアンティノミーとして捉えたほうが よいように寝て起きたら捉えられました。……本人には快かもしれんけど、 ここには「ほげとほげの戯れ」ではなく、むしろその挫折しか認められないので…… そいえばアーレントでいいんでしたっけ、政治的共同体の前提としての センスス・コミヌスの指摘って。
464 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 12:39
前に別スレで話したと思うが、 かつて「美」は神と共に在った。「真」と「善」とともにね。 「美」はもっとも神秘に近く、感覚的判断によって認識されるものだからね。 オッカムの剃刀はこの「美」をも切り捨ててしまったんと違うだろうか? 彼の後の時代に普遍であった「神の美」は緩慢に死にいき、「美」は人の手に渡り、 個人の感覚的判断世界に委ねられた。 (ただし、その目指す目的は未だ神の側にはあるとは思う。) 個人の世界における「美」はしかしその「美」の性格から言って普遍を要求する。 しかし、その個人に客観性がなければその個人が考える「美」の概念は共有出来ない =普遍たり得ないんだがね。 例えば、現代美術はその「美」の感覚で構築されて居るが作家に共感できなきゃ ただの屑だ。だからその「美」を知るには多元的視点を要求される。 想像力を必要とする。 「美」は「信」に最も近いものかもな。 東方のキリスト教概念は「美」と「信」がそれこそ「美しく」一致している。
>東方のキリスト教概念は「美」と「信」がそれこそ「美しく」一致している。 だから philokalia なんだよね。神を美善なるものとしてとらえるのが 東方。 >>えば、現代美術はその「美」の感覚で構築されて居るが作家に共感できなきゃ 粗雑すぎます。大抵の作家は美的であることを探究し、芸術的なものを 具体化しようとする。でも美はその問題圏にはない(ことが多い)。 むしろニューマン%友人Kによると「なんちゃってユダヤ教徒」 やロスコのように積極的に美を拒否する作家のほうが多いくらい。 中世と近代を分かつものが美と美的なるものの分離だとすれば 近代と現代を分かつものは美と芸術的なものの分離なのだ。 ……私も実は美自体にはさほど関心はない。ただ美的なものを 正しく(つか、快適に--まさに関心を伴いつつ)求めるとすれば、 それはおのづと美そのものを射程にいれることになるだろう、ってのが そしてそれは、感性的で個体的なものを肯定することによって成りたつ 共同体、おそらくはそれのみを基盤として成立することになるだろう 私個人の立ち位置です。 ……おっと、なんか神に酔ってるね。おちます。
>>453 昔は、誰も何も言わなかったんだろうけど、
今はある程度の事実は、つかめる時代なのよ。
その歴史を受け入れた上での信仰というのをしていかないと、
神を侮辱していることにも、なりかねないからよ。
事実を歪曲すれば、何だって通るのが信仰というなら、
それは昔は「真理の為」といって良い事だったらしいわ。
だけど、昔からそんなことは良くないことだということも、
みんな知っていたわよ。
昔は、不利な証拠が出てきたら、みんな捨てたのよ。
また、悪いことをしても、それを色んなもので正当化する癖があったわけ。
ユダヤ人もそう。民の統一を図るために、様々なことをしてきた。
各氏族の神々の統一を図った。そこで生まれたのが、ヤハウェという神。
一人に一人の神がいるという信仰も訂正したと、伝わっている。
これで、私の神=イスラエルの主なる神=創造の神となったわけ。
でも、これは別の変なこともないのだけどね。
また、初期の教会では、イエズスをみんな神なんて思ってない。これは本当。 あくまで、メシアか、あるいは、愛の神を示した人物。 イエズス本人を神と信じることは、 ユダヤ人にとっては偶像崇拝の罪に相当するわ。 神というのは、ユダヤから切り離された後に発生したものよ。 マルコの福音書と他の福音書の相違点にも、 充分に気をつけなければならない。 何故、一番古いマルコの福音書を、二番目にしたか。 そういったことも考えないといけない。 あたしがスウェーデンボルグを読まないのはね、 ど田舎に住んでるせいもあるけど、別に興味が起きないからよ。 全ての本質がイエズスという信仰は、 あたしには認められない価値観だからね。 それが良いという人は、それで理解出来るというなら、 それを信じれば良いことであって、 あたしには、そこから何も得るものを見出せそうにないからね。
468 :
舞 ◆lGxdO3dw :02/04/09 14:20
>>467 >それが良いという人は、それで理解できるというなら、
それを信じれば良いことであって、
あたしには、そこから何も得るものを見出せそうにないからね。
同感ですね。
私はキリスト教によって人それぞれの「自由」(freedom)
を得ました。小さなヨハネさんのような考えがあってもいいし、
マリアさんの考えがあってもいいと思います。
469 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 16:51
>>465 dendo.
>でも美はその問題圏にはない(ことが多い)。
>むしろニューマン%友人Kによると「なんちゃってユダヤ教徒」
>やロスコのように積極的に美を拒否する作家のほうが多いくらい。
うまく伝わらなかったな。
デュシャン以降、「美」は以前考えられていた「美」からは自由になったんだよ。
ロスコは「美を積極的に否定する 美 」なんだよ。美の概念は神・普遍の側に無く
なってしまえば、ロスコも美を探求し、表現していることとなる。
・・・・たぶん、まぁ、をれは芸術=美として考え、dendo.は芸術と美は別ものとして
捉えてるだけの違いかな。をれ的には現代美術の道行きすら、神の普遍のうちに存在
し得るのではないか?などと考えちゃうから。
470 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 19:32
>をれ的には現代美術の道行きすら、神の普遍のうちに存在
> し得るのではないか?などと考えちゃうから。
基本的にはどうーい。すべては神の示現だから。
でも作家の意図と作品の効果の切りわけ、美的カテゴリの切り分け(美/醜)
美と美的なものの切りわけ、そういうことをしないと基本的には議論として
有効じゃないだろうし、それをあえてごっちゃにするなら
その視点を有効にしうる問題設定と用語の体系をきちんと用意してくれなくっちゃ
議論にのっかれない。
>>427 あくまでも名無しさん:
足は洗ってさしあげられないな。でも足拭き用の紙なら送ってさしあげ
ますけど。
おしまいといっているのになんですけれど、brumalis なら男女同形では
ございませんのこと(そそのかしてどうする)。
はじめて抜刷もらって嬉しい(シェの人協会は抜刷くれないんですぅ。超不評)
今日この夕べ。
471 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 19:42
たまたま出先で「妥当でない美的(直感的)判断力をなんと呼べばいいのか」 という話。はやってるのかな。 ところで、想像力に誰かが言及したね。 普遍妥当性要求の根底には 「ある特定の対象についての妥当な表現が規定できない」(=たくさんあっていい) ことがあると思うんだ。 たとえば、剃刀教授がブルネルス@教授であってもマリネラ@お姐であっても よい(でもお姐はたしかにもう少し研鑽をつんでもいいね)…… でもちぃヨハにはそれが受けいれられない。 それはちょうど、神の表現≒外化が複数ある可能性を受けいれらないのと 一緒。だから最初に出会ったものに固着する。 ……だから、やっぱり直感的判断力ともっとも遠いところにいるのが ちぃヨハなんじゃない?端的にいえば構想力の欠如。ゆえに彼には 三つを「ひとつにする」(In-eins-bildungs-kraft)が信経のなかに 働く可能性も認めることができない。自分のなかにそれをもたないから。
472 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 19:43
あ、typo。……まあいいや、しょせん落書だし。
473 :
dendo. :02/04/09 22:14
>>411 >隠れふら
こんなこと書いてたのか。気がつかなかったyo。
これってどういうソーティング順序なのかよくわかんないけど
なんか誤解されてるっぽいので。
(1スレに書いたことを二度書くのは気が進まないんだが)
私が書いてることは、大学院入試直前対策くらいの内容を出てませんよ
(さすがにドイツ古典哲学がらみ・存在論の一部は除いて)。
基本的に M1 くらいなら誰でも書けるようなことしか書いてないと思っていい。
やはり名を付けるということは魔術的な綜合作用なのかな。
474 :
dendo. :02/04/09 22:15
ぐげ。 ドイツ古典主義哲学、な。 かんちゃんを観念論の人とは認めないので。
475 :
dendo. :02/04/09 22:30
>美の概念は神・普遍の側に無くなってしまえば、ロスコも美を探求し、表現していることとなる。 むー。 ほんとにロスコ見たことある?(とかなり失礼な質問)。 私も例の「チャペル」とかは未見ですけど、 ロスコの企てはむしろ表現をできるかぎりミニマムにすることによって 本来十全には表現しえないあずの神性を表現しようというものだと思うんだが。 バーネット・ニューマンの「夜の女王・I」をなぜか東京で見て、 亡夫が説明を求めたのに「青の画面が左1/ほげ分のところで、黄色の ハンドライティング・ラインで分割されている」と丁寧に説明してやったら 途方に暮れられてしまってかわゆかった(ぉ のを思いだした。……ヤコブの梯子なんだけどな、たぶん。でも安易に そのアナロジーを持ち出したら、ニューマンを見たことにはならない。 あいつは今、何を観てるんだろか。永遠の記憶。
476 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 22:31
>>473 御謙遜を。
>……だから、やっぱり直感的判断力ともっとも遠いところにいるのが
彼・小さなヨハネには悪いが、同意。
その辺りをきずいてくれると世界が広がる。
そのうえで、彼の大切なスヱ、ワトタルタを再認識し、語れるようになれば
良いんだけどね。
美学の話は
>その視点を有効にしうる問題設定と用語の体系をきちんと用意してくれなくっちゃ
>議論にのっかれない。
…と、まさにその通り。
「美」こそ言語化する事に空しい世界であるから、余計にそうなんだが。
実際、近代哲学者の「美学」など読んでいると、ほんとにそうかぁ?
などと思う事しきり。作家本人の意図を大きく外れた認識が、産み出されて
いくのもありの。クーンツの馬鹿げた作品を前にどう対応して良いやら。
しかしそれが「美」であると断定するスタンス。(クーンツは従来の醜により
近しいが)それが作品化=昇華してゆく過程において「美」があるか?
(描き出された像は醜であるが、展示されるという状況において美と変容する)
・・・・・・・などと、頭がもにゅるな。
あと「神的美」については今、探り中。。。
まあスレ違いだな。ごめんよ。
477 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 22:43
>>475 dendo.
ロスコはNYとパリで見た。
否定だな。形態、表現し得るものの否定。
彼個人は、その作品の中に含有される宗教的なものは否定している。
神秘主義的なものではなく、情緒的なものである。と言ってるよ。
しかし見るものは逆説的にそれを見出すかもしれない。dendo.のように。
まぁサンプルとして出すなら、マーク・ロスコなどよりもっとあとの時代の
まさに現代の作家たるクーンツや森万里子(現代のキッチュなる「醜」)、
ルイス・ブルジョア(自己の痛みの探求)なんかを挙げるね。
これを「美」と認めるか?
478 :
dendo. :02/04/09 23:29
キッチュはむしろIronieに回収したほうがいいと思うな。転倒したフモール。 質問には答えずに、ではフランシス・ベーコンは?と質問し返してみるテスト。
479 :
dendo. :02/04/09 23:32
>そのうえで、彼の大切なスヱ、ワトタルタを再認識し、語れるようになれば > 良いんだけどね。 たとえば、ボルヘスの扱い方(動物扱いだよね、あの配列わ)にどう反応するか、ってのは 興味深いな。そうね、フモールがないんだね。だからこそ「人気が出る」んだけど。 でもリアルでは会いたくないな。元ふらやマリアさんとは酒のんでみたくもあるけど。
480 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 23:52
ベーコンね。 彼の興味は「動的なもの」だろ。2次元に於ける時間再現。形態移動の軌跡。 結果、醜悪な形状にはなるが、何に「美」を見たかは判るな。 美其のものを否定してるんではない。「動き」に彼なりの美を見出したんじゃ?
481 :
dendo. :02/04/09 23:58
……あのさ。 ひょっとして。 今年の10月、広島に行きますか? (y/n) ちなみに、br/ml が edge だというのは名無しさんは「いつ」気がついたの? なんか知りあいっぽいやりとりが 2スレであったので、リアルで知りあい なのかなあと思ってたけど。 元ふらが黒木先生とかいう展開だとそれはそれで嫌だなあなどと 思っていましたが、上の可能性とどっちが嫌かってのは難問だ……
482 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 00:11
>>480 ・・・・と、かいたが、更に考察。スレ違いだが赦せ。。。
ベーコンにしてもフューチャリズモの幾つかの作家にしても
動的な、つまり時間を、硬直した2次元に採り入れる。という
ことに意味を持っていたと思へり。その「時間>2次元」への変換
に、「普遍性」を見出して居たんだなあ。と、思うってこと。
ただ、ベーコン自身は自らを画家ではなく「偶然の霊媒」として
認識している。直感によって創造している。
絵の具を投げたりね。そういゥ姿勢も「動く」停滞しない
なにをもかを求めつづけて居たんじゃないかと。
483 :
dendo. :02/04/10 00:17
永遠な時間の像である可算無限な時間を有限な平面にさらに落とすのね。 さてこれは三段おとる劣化なのか創造なのか。 「霊媒」つか詩人霊感論をつきつめていけば芸術家はみな入神してることに なっちゃうからねい。その辺を Genie 概念はうまくごまかしていたわけだが。 さて、そうした作家の製作過程やあるいは作品自体がもつ構造を 父と子と聖神の関係に投影して考えるとどうなるか、 ……てのが、ぶる〜PdK by しぇの人なんじゃないかなと思う今日このごろ。
484 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 00:18
dendo.> 「表象」に混乱されてどうするねん。 まあマターリやろうぜ。 ちなみに、をれは君たちの世界においては部外者である。と、のみ言っておこう。 bl/marについては、スレ1辺りの頃…。(世界は実は狭いんだよ。。。)
485 :
小さなヨハネ :02/04/10 00:24
>>458 dendoさん
私が無神経なのはお詫びします。「死亡者の」とあったのは気が付いたのですが、
親御さんかどなたかのものだろうと思い、しかもつい最近のこととは存じませんで
した。そもそも私は、その頃言葉づかいからあなたを男性とばかり思っていました。
そして、私の質問したことに対して、そういう理由で回答できないということでし
たが、また出て来られたのでもういいのかと思い、質問したのです。
最初に質問した時に回答いただけず、3,4日後に出てくるなり、私は一発いただ
いたので、そんなに攻めて来れるなら、こちらの質問に答えていただいてもいいの
ではという皮肉が入っていたことは事実です・・・。
486 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 00:30
>>483 dendo.
うむ。そのあたりブの字の展開が見たいと言ってみるテスト。
>>485 小さなヨハネ。
親御さんでも悲しいものは悲しい。。。
通常なら一声かけるってのが人情ってもんだ。
君は人の心の痛みに感応する想像力がないのか?と言いたくもなるよ。
その切り返し読むと。質問がいつも優先になるんだね。
487 :
小さなヨハネ :02/04/10 00:30
私には皆さんが何のことをしゃべっているのか全く分かりません。 しかし、それらが私にとって、また人の霊魂の救いにとって、あまり 関係ないのではないかという気がします。
488 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 00:44
>>487 小さなヨハネ
まぁああ言ってみたものの、論 の世界では、情は酌量されるモンでもない
から、君の質問への要求も妥当かもしれない。
で、
>>487 の疑念だが、関連があるんだよ。
「普遍」と個の価値、直感的判断、について論じてる。三位一体という
神概念からの発展だ。芸術は創造世界であり、神の創造の似姿をとる。
そして芸術が表象する「美」はかつて神の領域にあったからね。
とはいえかなり遠回りな論考となるから、スレ違いかもな。
とは思ってるよ。スマソ。
ただ「なにが人の救いとなるか?」は君が決める事ではない。
小さなヨハネにとって「わからなく」「興味がない」だけだろ?
489 :
dendo. :02/04/10 00:53
>>486 つか、どんな関係にあっても親が死んだら悲しくないか?
それ以前に自分が知ってる人が死んだら悲しくないか?
人が死んだ話を聞いたら、自分とは一度も空間と時間を同時には共有しなかった
人だろうと、悲しくなんないのか?
って思うわけよ。神にとってはすべてがそのようにあり、
アブラハムがそうであるようにその人も生ける者なのだということを
確信していたって、この有限な世界にその個体がいないことが悲しく寂しい
ってのが人間じゃないのか?
こいつを信用できないって最初に直感したわけがよーやくわかったよ。
ブルネルス師、やはり彼の立言と直感的判断力を結びつける御説には
無理があります。同時に、なぜ子=父なのか、なぜいわゆる正統教義
や、あるいはファティマやラサレットのような公認された私的啓示で
はなく、裔だのマルワリものだのヴァなんちゃらだの気がします。
彼には個体性というものが理解できない。他というものが理解できない。
個体を他として定立できない。それは彼が健全な経験認識をもっていない
ということとほぼ同義です。他がないということは私がない、ということと
同じです。だから自分がいっていることも、他がいっていることも、わからない。
自らにおける共通感覚への要請なく、ただ普遍妥当性だけを要求する
醜悪な恣意、直感的で生きいきとした経験的世界から身を隠し方法論を
欠いたまま理念へと向かうゆがんだ悟性使用だけがある。間違った形而上学、
シェリングが raisonieren と呼んだ空回りする悟性。
フィヒテが(あの人も煽らーだったなあ)ニコライについて書いていますね。
ニコライの著書が問題になるとすれば、それは
「消化の時間になって、自分が無価値なものであることに気づき始める
陳腐で無価値なものが、妙にくねくねと向きを変えるのを楽しむために
なされているのである」
元ふらのいってる「人気」って、結局のところこう↑いうものだと思うのよ。
どう?
490 :
ブルネルス :02/04/10 00:53
美的・・・などと口走って、元ふらとdendo.を刺激しちゃったな。
ブの字の展開など期待できません。もっと二人で勝手に盛り上がってください。
>>481 知り合いどころか、実は同一人なのです、なんていう展開をもう一度
やっても、二番煎じだし、元ふらの口調をまねするのもめんどいのでパス。
>>487 「私に関係ない」というのはそのとおりだと思う。
「人の霊魂の救いにとってあまり関係ない」という点でも、ちいヨハの言っている
ことと50歩100歩でしょう。
それとも、イエス・キリストは父なる神だと分からなければ、救われないんですか?
#ああ、今日は調子が乗らないから、ここで退散です。
491 :
小さなヨハネ :02/04/10 00:54
>>488 なるほど、私が決めることではありません。それらの過程も各人各様な主の導きの
もとにあるだろうと思います。しかし、いつまでもそれらに囚われているより、
それらと違う「何か」の方が良いと直観することもあります。
私はそれを追及しているのです。
492 :
dendo. :02/04/10 00:58
>>484 世界が狭いのは知ってる。同窓会祭があった直後だし:-)
とはいえ、匿名掲示板で、コテハンの書きこみのほうが多いつー
そもそも転倒した状態で、実はたぐっていくとコテハン同士
知りあいか知りあいの知りあい……
だったら、なんかそれはそれですげえ嫌だなと思ったわけよ。
開放系のように見えているけど実は閉鎖系。つーその状態が。
>>487 まず、ミサで唱える信仰宣言を理解して御覧なさい。
そして、福音によって生きるとは、どういうことなのか。
福音とは何か?もういちど聖書を読んで、理解するところからお始めなさい。
キリスト教徒になるということは、福音によって新しく生きるということ。
それが、キリスト教徒の救いの道に通じる唯一の道なの。
公会議の決定を含む他の啓示は、基本である福音によって生きるための
補完するものであって、基本はあくまでも福音によって生きること。
啓示を主にして、福音はどこかへ置いておくなら、もうそこまで。
三位一体などの公会議の決定事項が、どのようないきさつで決定されたか、
そこのところの事実に基づく考察も必要なわけ。
ある啓示で否定されているから、否定します。
というのなら、それは偽りに荷担していることにもなるからね。
宗教も所詮は、この世では人が動かしているものだから、常に裏と表がある。
その裏と表をしっかり見定めて、本物を知る。これが大切なのよ。
494 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 01:04
をれにとっては重要なんだよ。「神の普遍的美」 それを求める事によってをれの「救い」を探求してるんだが、 そこにをれにとっての「何かよいもの」があると直感してるんだが、 万民に共有出来るものではない。 だからはじめからスレ違いだねぇといいつつやって居たんだな。。。 かように価値はすれ違うものだよ。
それから、あなたは理解出来ないものは、 全て真理と関係ないと位置付ける癖がある。 だから、余計に人が何を言っているのか理解出来ない。 そしてそれを裁きにかかる。そして、それを否定される。 といった悪循環を繰り返しているわけ。
496 :
dendo. :02/04/10 01:07
>>490 それは違うな。
悲劇論やってなかったら、夫が自死した後、たぶん私は自分を支え切れなかったよ。
逆に悲劇論やってたから、あらためて神に向かうことができた。んだと思う。
同一期しぇの人の悲劇論は、彼のキリスト理解を通じて体系全体と接続してる。
だからそこで悲劇を考えることは神を考えることになる。……前助手某はその辺
はぶいて書いてるから、あの本はあそこの章だけ妙にページ数少ないんだよね。
# ってか、あそこに限っては、あれ某所に書いたのとそんなに内容的に発展してないだろ。某よ。
# まあ、私に取っておいてくれたんだと好意的に解釈してあ・げ・る(見てないよな、まさか……)
497 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 01:09
>>492 dendo.
世界が閉じて行く。ってのは怖いよな。
ここは偶然ではなく、場の性質によって生じた必然的帰結。
偶然による場の閉塞が一番怖いなあ。
まぁをれは、風来坊な世界にいるから、現実世界で出会う事はないだろう。
>>491 違っていれば何でも良いというのなら、伝承なんていらない。
イエズスも必要なければ、誰も必要はない。神もいらないわ。
499 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 01:13
そうだなあ。ここでコテハン使う義理はないわけだし。 しばらくはずそっと。 別スレでカキコしたあとなので、惰性で入れてたけど。 明日先備聖体礼儀だし、ブルさんもねちゃったし、おちます。
500 :
小さなヨハネ :02/04/10 01:22
>>489 dendoさん
私の冷たいのは事実です。ですが、あなたもおかしいと思います。
当時の会話の直前であなたは私に結構な突っ込みをされました。
ですから私はその突っ込みに対して、質問で応戦しました。
あなたは突っ込みはするが、こちらの質問には急に答えなくなる。
そしてまた突っ込みを再開する。
悲しかったのは事実でしょう。しかし、悲しいならなぜ此処に出て来た
のですか?
ここに出て来て自分から突っ込む以上応酬があるのは当たり前ではない
ですか。今更同情心がないなどとおっしゃるのはおかしい・・・。
501 :
小さなヨハネ :02/04/10 01:32
>ブルネルスさん ここで「巫女マリア」の名で書かれるのはやめていただきたいのです。 以前は私は分からなかった。巫女マリアは実在の人物で、同情にも値 する人かと思っていたので、何も申し上げませんでした。 しかし、もうそれは架空の人物であることに気が付いてしまいまいました。 ですから、そういう存在は主の前に不敬だと思うのです。 ブルネルスさんのお名前で書かれるのはもちろん結構ですが・・・。
>>500 あなたがその突っ込みの意味も、全く理解していないからよ。
また、きちんと応えていたとしても、
あなたにはそれを認識する能力が欠けているわけ。
あなたは、霊に左右されやすい人。自分だけで生きている人。
>>501 ほら、そういう妄想に取り憑かれているでしょ?
あなたは、自分の理解出来ることが絶対なの。
あたしと彼が別人だと分からないということは、そこまでの人。
それから、あたしにどういう同情をしていたのか、書いて御覧なさい。
504 :
小さなヨハネ :02/04/10 01:43
もし、マリアさんが別人だと主張されるなら、男の言葉で書いてください。 本当は名前を変えて書かれるのは歓迎しませんが・・・。
>>504 それはまたずいぶんと人を否定する勝手な話しね。
また、それはどういう要件でかしら?
506 :
小さなヨハネ :02/04/10 01:48
・・・そもそも私がブルネルスさんに言うと、 なぜ「マリア」がすぐに答えるのですか?
小さなヨハネさん、あなたは良いと思った説について、 論証なく信じ込む癖がある。 あたしとブルネルスさんのことについても、そう。 何でも信じ込む悪い癖がある。
508 :
小さなヨハネ :02/04/10 01:56
「女性を装う男性」が聖母の名を使うのは聖母を汚しており、 不敬だからです。
>>506 はい?それは、そのことがあってからでしょ?
>>508 この名は、聖母マリアのものであると?
残念だけど、知り合いのフィリピン人の名よ。
それなら、世にいるマリアという名の囚人は
全員改名しなければならないわね。
511 :
小さなヨハネ :02/04/10 02:00
ブルネルスさん あなたの学者としての良心にお願いします。
>>511 ほら、あなたはそういう人。
自分が一度信じたことは、破綻が証明されても信じる人。
だから、歴史的事実なんかどうでも言いと、開き直れるわけ。
自分の考えがこの世でもっとも優れていると、
心の底では思わなければ生きていけない人。
自分に都合の悪いことは、
そうやってみんな一緒にして煙に巻こうとする。
そうやって自分を偽り続けることは、もうお辞めなさい。
自分を傷つけるだけのことよ。
513 :
ブルネルス :02/04/10 02:06
>>496 dendo.さん相手に言うとしたら、ああは言わなかったよ、確かに。
ちいヨハの発言への応対なんだからさ、文脈からして、ああ返すのが美しい(?)
と、目的なき合目的性を覚えたので、ああ言ったまで、ということで了解願えない
でしょうか。
いや、寝ようと思って、風呂入って出てきたら、またまたちいヨハさんから、マリ
ネラだけじゃなくて、マリアの名による発言もだめと、この私に要求がきているの
を見つけて、目が醒めちゃったんだよね。
>>506 ちいヨハがブに語りかけると、マリア氏がすぐ答えることが不審らしい。
同一人物であると思っている場合、どちらか一方にせよと言うならまだしも、ブに
統一せよというのはなぜかな。
学者的なほうが仮の姿で、マリアの方が実体だとは思わんのかしら。
イエスは父なる神です ―― 父なる神はイエスです
で、なぜ前者であって後者でないかというと、多分ちいヨハ的には、イエスのほうが
一時的姿だからだろう。
してみると、ブよりもマリアのほうがはるかに長く、定着した地位をこの板でもって
いるわけだから、ブをやめて、マリアに立ち返れといったほうがいいんじゃないかな。
ちいヨハがこれに同意してくれるなら、次の発言からは、マリアに統一してもいいよ。
ちいヨハ以外の人たち向けの区別のために「マリア.」なんてのはどうかしら。
>>513 すっかり、あなたとあたしが同一人物だと自己洗脳しているからね。
でも、これは彼の作戦でもあるのよ。
あたしは看護助手だったけど、一応は元病棟勤務よ。
年寄りはね、色んな事を教えてくれたものよ。
まったく困ったもんだな(苦笑)。
>>515 まぁ、その内何を自分が言ってきたか、分かるでしょう。
分からなければ、彼はそれまでの人。
あ、ちなみにな、 この地上で最も優れた考えを持っているのはな、 俺だ・・・。 壁||∇≦)))ノ彡☆ キャハハ!!バンバンッ!!
遠い遠い昔、十字軍というものが地球上に存在した。 聖地を奪回すると称し、神の名のもとに他国を侵略し、 都市を破壊し、財宝をうばい、住民を虐殺して、 その非道を恥じるどころか、異教徒を迫害した功績を誇示すらしたのだ。 無知と狂信と自己陶酔と非寛容によって生み出された、歴史上の汚点。 神と正義を信じてうたがわない者こそが、もっとも惨忍に、 狂暴になりえるという事実の、それはにがい証明だったはずである。
学者としての良心にお願いされると、やはりこうなっちゃうのよね。 学者というのは、そんなに特別な人なわけ? それってキリスト教精神からそうとう遠いんじゃない? むしろ、マリアさんに「・・・としての良心にお願いします。男に 戻るのはやめてください」と言うのが、イエス的だと思うけど。 まあ、ちいヨハの価値観を変えようとは思わないから、どうでも いいことだわね。 そもそもインターネットの匿名掲示板てのはねえ、仮装舞踏会みたいな ものね。誰がマスクをかぶっているかかぶっていないのか、分からない ってことは、すべてマスクを、おっとペルソナをなんていっちゃおうか しら、かぶっていると思って話さなけりゃね。 だから、誰が言ったことだからというので重みがつくんじゃなくて、発言 内容がよければそれで評価されるし、悪ければくさされる、それだけよ。 実世界でのマリアさんは、まったくの男らしい男かもしれないし、しんか らの女性かもしれない。dendo.ちゃんが男で、元ふらが女なんてことだって あるかもよ。マリア.は学者という偽の姿をかなぐり捨てて、いまやっと本性 をあらわしたわけ。だから、こっちのほうがほんとの私、かもしれないって わけ。
全能の神とやらは、自分の言うことをきかない女を造ることができるのかい? 造れないなら全能じゃないし、言うことをきかせることができないなら、 やはり全能ではないじゃないか。
宗教一般についていえば、貧乏人が神の公正さを信じるなんて、 ひどい矛盾だと思います。 神が不公正だから貧乏人がいるんでしょうに。 神なんてしろものを考え出した人間は、歴史上最大のペテン師ですよ。 その構想力と商才だけは見上げたものです。 古代から近代に至るまで、どこの国でも金持ちといえば 貴族と地主と寺院だったじゃありませんか。
>>520 イエスーさんよ。矛盾の話ね。
こういうのは昔からいくらでも解答がだされているんだけど、
今日はほんとに眠くなったから、また明日にしましょ。
キリスト教は、最高権力者を宗教的に洗脳することで、 古代ローマ帝国を乗っ取るのに成功したのだ。 それ以降、キリスト教がどれほど悪辣に他の宗教を弾圧し、絶滅させたか。 そしてその結果、ひとつの帝国どころか文明そのものを支配するに至った。 これほど効率的な侵略は類をみない。
>>494 我が身にも染みる言葉だ。
>>455 最近、マジで仕事が忙しくて・・ 景気の底は打ったかなと、勝手に妄想
して慰めているんですが、時期的なものじゃないと思いたいです。
(とは云っても、何故に”次の日”まで働かなくてはならんのだ?)
>>457 ああ、なるほど。
で、あたしは神社の巫女であるマリア。 あたしはさる山奥の集落の神社の巫女。 生まれた後にカトリックの洗礼を受けて、 5歳の時に巫女を先祖から命じられ、 高校を卒業して、東京で働いて、男に騙されて裏街道を歩き、 極道の亭主に助けられたけど、極道の亭主は抗争で死んで、 東京から逃げ出したのよ。 その後に、知り合いのつてで老人ホームで働きながら資格をとって、 各地を転々とした後に、地元へ帰って病院で働いて、 その後は、先祖のお告げで従妹の名を借りて神社の巫女をやってるの。
さて、ヨタデンパも今日はそろそろ寝る。 が、人の話は聞くもんだ、と思うね。 んじゃ、おやすみ<みなさん
>>521 うちの神社は、いつの時代も自給自足だったけどね・・・。
528 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 03:28
>小さなヨハネ ひと仕事終えてみたら、混乱してたんだね。マリアがまたイパーイいて混乱しそうだが。 ここで「論」の世界を脇に置き、宗教の目的の一つたる「救い」というスタンスで ものをいう。 dendo.について怒ってるが、その怒りは客観的に打倒だとは確かに思う。 dendo.も怒ってるみたいだが、彼女の場合、通常、書かれた事に対し、怒る事はあって も、こういうかたちで、持続してるのは珍しいからね。ただ君にとってその感情が なぜ自分にぶつけられるのか不審だろうな。 おそらく、我々の知らない、過去のなにか引っかかるものがその原動力なのではと 推察する。また、今彼女自身が語っている彼女の状況は、体験した者にしかわからない 過酷なストレスを伴う状況下にあると思うよ。をれはある種の渇きをそこに見るね。 小さなヨハネに何故かかわろうとするか不思議だったんだが、なにかあるんだよ。 関わりたくないのに関わりたい。なにかがね。きっとね。 でもその領域は他者が侵してはならない場なんだよ。だから探求もしない。 小さなヨハネにも同様にある渇きを感じる。この年にもなれば色々な重荷を背負ってるだろうし。 だから真剣に「普遍なる神」を求めてるんだろうな。と思ってるよ。 それで良いと思うし、君のやり方を貫くのはいい。大切にするといい。 ただ、この場は同時に他者が居る。対話する他者がね。 たとえ、相手の見えない、誰かわからない、名無しさん集合体であっても 架空ではないんだよ。だから想像力を働かせ、そこにいる人間の息遣いを 思うことは大切だと思う。
529 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 03:35
ただ、お互い、探りながらも、匿名掲示板という場の暗黙の礼儀ってモンがある。 それはその人個人ではなく「論」に注目し、純粋な「論」でもって 対話していくというルールがね。だから誰が現実のどういう立場で言ったかとか なんて、どうでもいい事になるんだよ。これは「マリア」が言ってる事に同意。 をれはもしかしたらこの世に存在してない人かもしれないし。 キーボードをいじる、サルかもしれないよ。 …ああ。でも、サルの立場でパソコンを打ったら':*』+2-WんKぁEDGVd[yh13qtf尾jns,m/asmfwo; ////・・・・・・とかなっちゃうなあ。まぁ会話がなり立たんな。これじゃ。
530 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 03:43
で、dendo.も名無しさんになってるわけで、 元ふらと区別つかなくなっているのは、どうよ?と思ってみるテスト。
531 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 08:57
私は、スウェーデンボルグを認める者です。 で、もう少しわかる形で説明させていただくべきなのかもしれないのに、 あまり本気で内容をご紹介したくないのは、スウェーデンボルグ自身の 時代性に関する論及などを思うからです。その他、冒涜ということについての 深い意味を考えると、ここでこのような形でスウェーデンボルグが語られることは、 果たして正しいのかどうかと考えるのです。 というか、このような形で語られてはならないのではないかと思うのです。 というか、私が立て板に水のごとく流してはいけないのではないか???(爆) 無学な羊飼いがクリスマスの夜、羊を放り出して赤ん坊を礼拝しに出かけたことを思います。 新しい宗教の始まりには、そんな人々の礼拝がありました。 いつも思うのですが、納豆を初めて食べた人は、どうして納豆を食べられると信じたのだろうか? 食べた後も、食べ続ける気になったのはなぜなのか。 (病気治療のため、毎日しぶしぶ納豆100グラム食べてます。) 小さなヨハネさんと一脈通じるところがあると思います。 客観的な理論が成立するためには、いろいろな個別の事実が存在するでしょう。 小さなヨハネさんの論及は、見るに耐えないものがあるのではありますが、 時代性、冒涜、その他の状況を考えてみて、小さなヨハネさんのような人が このスレッドを維持しているのは、それなりに意義のあることなのだという気がします。 関係ないけどdendoさん、もしよかったら、旦那さんってどういう人だったの? どんなかんじの人で、何が専門だったのかなとか、子どもさんいないのかなとか。 前からすごく興味があったの。でも、聞いちゃいけないかなって思ってたんです。 うちの旦那も、よくこのタデを食ったと思ったけど、あなたのとこもね。あら、ごめんなさい。 この質問に答える義務はないですよ。でも、もししゃべってもいいと思うところがあったらね。
532 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 19:16
>>513 >了解願えないでしょうか。
Verst\"{a}ndlich, mein lieber Herr Professor.
>ちいヨハ以外の人たち向けの区別のために「マリア.」なんてのはどうかしら。
Es ist sehr sch\"{o}ne Idee.
だが先生、カントは哲学者は学者ではないともいってますぜ。:-)
>>528 なぜ答えなかったか?
それは簡単。正教スレFAQでレスがついている。
他にも同時期他スレで同じような応答があった(まあ FAQだからね)。
その状況下でなぜそういう怠惰な質問に応えなきゃなんないの?
しかも正教スレでの回答は明らかに神品からだった。
……啓蒙者dendo.が出てくる状況かしら?
あとだな、私が怒りを覚えたのは、1スレのやりとり自体じゃなくて
美的経験と共感の能力を欠いた者が
神を美善なるものとして語り、共感を求めるというその倒錯ぶりだよ。
ちなみにちぃヨハはどうでもいい。
ただ私も 1スレからマリア.が誰だかは99%の確信もってたからね、
元ふらもマリアさんもいい書き手だし
遊び仲間としては好適。
だから出来れば別スレにでも移りたいところだが、しかし怒れる元ぶの人ってのは
たしかに萌えがあるんだよねえ。ちぃヨハがでないとそれ見る機会が減るので残念。
533 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 19:20
>でも、聞いちゃいけないかなって思ってたんです そうですね。
534 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 19:38
もうちょっとまじレスすると、最初はたんなる異端&デムパ観察だった。 そのうち、すげえ切れ味のよいカキコがぽつぽつ出てくるんで もうちょっとまじめに読むようになった。 ……ある感蝕をもった。(あの業界に詳しくないから、おなじよーーーーーーーーな ことをやっているもっと若い人、の可能性を否定できない。だから確信とはいえん) そして創世記祭。もうやめられません。 というわけで祭待機状態。祭のないときには雑談。 ところで元ふらは誤解しているようだが、私がいってるのは ルネサンス期に一度 creatio ex nihil の analogon として理解された 活動をもとにして、しぇの人は存在/生成の無差別同一性を理解ようとしてるんじゃ ないかということだ。一段さらにずれてるのよ。ぽてんつあがってるつーか。 でも、ここでの対立の解消は作品を生み、世界の統一性を与えるけど、 さべ的子の解消は何を生むんだろうね。よほどまだスピノザの神のほうに 人肌のあたたかさを感じるのは私だけ?
では、元dendo.ちゃん、このスレで勝手に、したい話を続けましょう。 宇都宮芳明氏の『カントと神』というのの中に(第10章注14)こういう話がでて いるのよ、知ってた? 量氏は『批判哲学の形成と展開』のなかで、「キリスト教神学における三位一 体論においてもっともすぐれた教説は「父・子・聖霊という三位格が相互相入も しくは相互内在によって一体である」とする「相互相入説Perich\^{o}r\^{e}sis」 であるとし」ている。 どういう文脈で量の人がこう言っているのか、追ってないけれど、カの人研究 の中でいっているわけよねえ。だから、独のその辺のところに、シェの人につな がるような考えがあったのかも、なんて思ってたのよね。 ところで、dendo.の"."は何か意味あるの?マリア.の場合は、この名は家のネコ の名をもたったのよね。ヒマラヤンで長毛種だから、ときどきお尻の毛に固くて 小さなうんちをぶら下げて歩いているの。マリア.の"."は、そのうんちの記号な の。
>>535 一字訂正願います。
下から三行目:「の名をもたった」 --> 「の名をもらった」
537 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 20:43
∧_∧ 〔^^〕
_,( ´Д`)⌒ i |
(⌒ ー 一 r.、! 〉
ヽ弋 。 人 。 イ(` ー'
〔勿\ ヽ
) r⌒丶 ) ドカ
ドカ ドカ / ! |'´
ドカ / /| |‖ ドカ
( く ! ||‖ ドカ
ドカ \ i | ‖|‖|
,__> ヽヽ从/∧∧
⊂⌒ヽ从/ つ ゚д゚) ←
>>1
538 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 20:56
う。未読です。スマソ(発注メモにいれとこ) # ほら、だから君の目はふしあななんだって>元ふら 興味深い御指摘をありがとうございます。 量先生がどしてそうおっしゃったのかははかりがたいですが、 なんかそこだけ見せられると唐突な感じがしますねえ。 この板におけるこのスレもはたからみるとそうなのかしらん。 シェの人はむしろ父:(子:霊)=A±: (A+ : A-[= a:b])なんだと 思います。なので御指摘の可能性は薄いように現段階では 思いますが、すこし考えてみます。宿題にしてもよい?(はぁと) てか某とも話したんだけど、しぇの人若いときは(いや同一期でも 私より年下なのね。いやんなっちゃう)「神は非人格的!」って 激しく主張してたんだけど、ころっとかわっちゃうのよね。 1802(書いてたのは1801)には明らかに三一性を念頭に置いてるし。 どこで屈曲点があるのか、ってのは興味深いんだけど、 そゆことは哲学プロパーの人におまかせ、ってかたぶん悲劇論だけで おなかいぱーい。 dendo.はね、むかし「名無し電動車」だったのでし。 なので .は「省略だお」のぷんくとなのでし。 なぜ省略したかというと、九月騒動でバイトけちったのがひとつと、 NN4.7 for Linux だと jis-2022-jp のハンドルをちゃんとくきーが 覚えないので一々書かないといけなくって、めんどくさかったので こちらのほうが便利。 でもさいきんだと dendo. としか呼ばれないですねえ。
539 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 23:19
dendo.> スマソ。誤解してるかも。 「もともとは門外漢」というたろうが。だから「哲学」の素養は無いに等しい。 全然違う道から辿り付いて、まだ途上中だ。 しばらく二人の成り行きを見る。 ただ、件の「相互相入、相互内在によって一体である」は気になるねぇ。 >ルネサンス期に一度 creatio ex nihil の analogon として理解された >活動をもとにして、しぇの人は存在/生成の無差別同一性を理解ようとしてるんじゃ 無からの創造についてはマリア.が詳しいんだが、この辺りは実は気になってて 保留の概念なんだな。「神的美」と共に理解すべき事柄だが、 をれは勉強途上中なんで、観察してるよ。 >あとだな、私が怒りを覚えたのは、1スレのやりとり自体じゃなくて >美的経験と共感の能力を欠いた者が >神を美善なるものとして語り、共感を求めるというその倒錯ぶりだよ。 ここね。これ引っかかるdendo.の思考に興味あるね。 東方霊性に行ってしまった根底もこれだな。などと思うわけよ。 (ある意味、をれと相互内在によって一体な思考) その「美学の琴線に触れる」根源がね、何かね?と考える。 #Mar/プントについては、向こうに気付かれたのが早いんだよ。 #チョト青くなったね。をれも他スレのカキコで、薄薄気付いて居たんだが、 #そ知らぬ顔を決め込むつもりだったからな。参った。意地悪め。。
540 :
小さなヨハネ :02/04/10 23:42
>>528 >小さなヨハネにも同様にある渇きを感じる。この年にもなれば色々な重荷を
>背負ってるだろうし。
・・・おっしゃるとおりです。
>たとえ、相手の見えない、誰かわからない、名無しさん集合体であっても
>架空ではないんだよ。
・・・おお、もちろんです。私は全部架空だなどと言ってはいません。
そうではなく、むしろ「オネスティー(正直)」を望むと言っているのです。
虚偽は嫌ですと申し上げているのです。おもしろければ何でもいいとは思い
ません。虚偽自体が神の前では不敬だと申し上げているのです。善意の人の
同情をさそうような架空な設定なら、それは欺瞞でしかありません。
541 :
小さなヨハネ :02/04/10 23:44
>>529 >ただ、お互い、探りながらも、匿名掲示板という場の暗黙の礼儀ってモンが
>ある。
・・・全くその通りです。
>それはその人個人ではなく「論」に注目し、純粋な「論」でもって
>対話していくというルールがね。だから誰が現実のどういう立場で言ったか
>とかなんて、どうでもいい事になるんだよ。
異論はありません。ですから「おかまことば」はどうぞ止めていただき
たいと「お願い」しているのです。置屋に売られ、抗争で死に(・・・!!)
など絵空ごとのよけいな状況説明を繰り返すのもどうぞやめていただきたい。
「論」で言っていただきたい。「論」で返しましょう。そして「論」で
逃げたり、名を変えて感情的な批判を繰り返すのも止めていただきたい。
それも「暗黙の礼儀」と思います。
ふらんちぇすこさんはどう思われますか?
542 :
名無しさん@1周年 :02/04/10 23:48
>この辺りは実は気になってて すまんな、誰かが止めてるので、しぇの人選集の翻訳こんにゃくが ハングアップしていてってのは噂で、噂は反逆です。 「……としてるんじゃ」ってのは誰もまだ指摘してないはず (こんなところに書くのは危険なんだが、まあ水の上にパンを投げよともいう) もうちょっと考えて、そのうちどこかに書くから、まっそれを読んでよ。 (つうか、煮つめ方が足りない。資料がない。このままでは論理に飛躍が ありすぎる。だからいまは、まだ、これ以上の説明を求められると 名無しさん@一周年こまっちゃう) ただ、唯一岩波に入っている例の本に書いてなくて重要なことが PdK にはある。 同一性と無差別はただちに同じではないってことだ(ガイシュツだが)。 外面的には東方にいってみたのは聖母の無原罪と聖座の無謬性が受けいれられなかった (公会議主義者なの)から、 キタ───!とおもたのは典礼がごーじゃすだったから (教会はそれ自体端的に芸術作品だ、としぇの人はいう。ここでいう教会は 典礼もなんもかんもひっくるめた「教会はキリストの身体だ」というときの 教会ね)なんだが、 ……つきつめればたしかに、教会の典礼と自分の存在把握がすとんと接続したって ことなんだろうな。端的にね。クセジュの例の本もあとで読んでみたし。 こんなこと匿名じゃないと書けないけど、私は「新しい神話」はある意味 東方において実現してるんじゃないか、という線も考えている。それを 決して表ではいわんけど(もうひとつの、もっと穏当な、でもそれでもまだ ことによっては人をたじろがせる線もありましてね。表にするのはそちら 側の予定)。 #じゃあ、やっぱり知りあいの知りあい……なんじゃん。……ぅぅむ #ちなみに作家なんだとしたら、東近美には手のものがいますのことよ。 #あんがいそんなとこでもつながってたりして。
これからは「ビバ、空想力」よね。
545 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 00:05
>小さなヨハネ ううううむうう。そこだよ。そこを君は打破したほうがいい。 まだ、マリアとブルネルスが同一だと思ってるな? まず、マリア.の言葉をブルネルスの言葉に置き換えて読んでみ。 マリアと全然異なる論展開があるの気付かないかな? ここで、 マリア. と マリア のハンドルに既に区別記号が ついている事も気づいてないんだろうな・・・・。 言葉遣いなどに囚われるな。ここは本来匿名掲示板だ。 皆、「名無しさん@1周年」だったらどうするよ?どう区別付ける? ここは本来は虚偽が前提なんだよ。 だからデフォルトとして「名無しさん@1周年」という名が用意されている。 しかし人間には自由意志がある。それを尊重して、コテハン使用も自由なんだ。 その使い分けすら自由。なりすましも自由。 だから「名」など空しい。 ここで必要なリテラシーは、発言内容に関する読解能力、ただそれのみ。
546 :
dendo. :02/04/11 00:06
>ですから「おかまことば」はどうぞ止めていただきたいと「お願い」しているのです。 じゃ対抗呪文を唱えよう。 来たれ、マリア@山奥 来たれ、マリア.@……どこだろ。 土曜日に受けとりにいく予定>例の便所紙 ふらんちぇ、いつかはお祈りしてくれてありがとう。 例の創世記祭のとき、直してた論文、ようやく出来てきたんだ。 ……ほんとは全面改稿したかったんだが、さすがに査読つきのところで それをやるのはやう゛ぁすぎるので(印刷屋も怒るし)、できなかった。 だから今考えていることとは違うけど、 そゆことなら、んこつき猫経由で送りませうか?(勝手に決めるなよ→自分) 元まりねっら姉には、案にいらないといわれているみたいだけど:) %まあ、現実世界のペルソナとは別だけど、読む人が読めば某スレとの %微妙な対応とかあっておもしろいかな、とか思ったり。 %しかし、PCに向かって祈祷するってのは今思いかえしても間抜けな光景だ……
547 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 00:09
暗に。だな。
>>545 つか、それができないのを社交性がないというんだよ。
愚者を諭すなと聖書に書いてあるが、まあ兄弟を議せざるを給へという
祝文もあるしな。これまで同様、
西方の尊敬すべき兄弟姉妹の論争(って猫マリがそうなのかはしらんけど)を
生暖かく見守ってるよ。
548 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 00:14
>その「美学の琴線に触れる」根源がね、何かね?と考える。 自覚している範囲内では 「有限性の肯定」 「生成」 がキーワード。 私は生成を理解したいのだ。端的な生成。これやあれの作成や生産では ない、それを貫く原理的な力としての生成一般…… と一時期は思ってたんだが、結局有限なものにおける生成が問題なんだ と最近は思ってる。
549 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 00:24
小さなヨハネは人には好きなことを要求するのに 「同情ってなに?」 ってマリアさんの質問は黙殺するつもりらしい。 同情ってなんですか?どこに同情されるようなところがあるのですか?
>>539 相互相入・・・は、私に言わせれば、相互浸透よね。人間同士もある程度は
相互浸透しあっているわけで、そこに個人主義的生き方を乗り越える道があると、
思っているんだけど、キリスト教が構想した三一は、全き相互浸透、一体化だった、
ということね。こういうきれいな理論は、魅力的だと思う。
>dendo. しぇの人の筋とは違うということは、わかったわ。ヤコブ・ベーメなん
かには関心あるの?
creatio ex nihilo については、元ふらに水を向けられたけど、今度にするわ。
これの本来の意味が、いったんどこかで見えなくなって、nihil を存在を越えた無
としての神的なものと理解する線がどこからか入ってくるんだけど、近世ではどう
なのかしらね。
>ちいヨハ 文体がどうであるかということと、言っていることが虚偽であるかど
うかということとは、全く別のことだと思うのよ。私はどんな文体を使っても、虚
偽の発言をした覚えは全くないわよ。また、私は「マリア.」であって、「マリア」
ではないの。別人であることを公に言っていることを含めて、真実を語っているの
よ。もし、あなたがまだそれを認めずに、虚偽だ虚偽だと言い続けるのなら、あな
たはまさに「讒言する者、謗る者」になってしまうことよ。気をつけなさいね。
>>540-541 ハハハ。悪いけど、その手には乗らないわよ。
あなたは自分の思い込みの中に、逃げようとしてるだけよ。
そうすれば、あなたの思うような展開を作る事が出来る。
・・・寂しい話しね。
>>546 はい、御出現よ。良くぞ呼んでくれました。
>>546 いらないなんて思ってないわよ。送ってちょうだいな。そしたら、お返し
に、いくつか送るわよ。それこそいらないかもしれないけど。
554 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 00:34
靴屋さん: ……ベーメとシェリングは某先生@山口大があつうく語ってくださったのを 聞いて、興味は持ちましたが、わたしにはとても手がだせないとも思いました。 また今やってる時期はベーム受容の前なので。 むしろティマイオス草稿とか世界世代とかをもう一度きちんと読むほうが 先かなと。 ……うん、でもバーダーよりはずっとおもしろいと思います。 だから興味がないわけではない。……そうだ「詩篇のように」スレに書きこんどこう。 カントだとそういうものないでしょうけど、しぇの人には「底なし」があり ますから……(Natur im Gott)、しぇの人の頃なのか、それよりはやいのか (あ、となるとベーメじゅーよー?) ちなみに思想だか哲学だかのしぇの人特集で「無庭」(しかも表紙)とか やられちゃって、そのあと「庭なし」っていうのがしばらくはやりました。 で、それ書いてた先生、ほんとに庭のないうちだったので、御自分で 自己紹介につかってはりました。ああなつかしき青春の日々。
555 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 00:38
>マリア. おことば幸甚に堪えません。 ではつつしんで御硯下へお届け申しあげます。 先生のお目にいれるような内容ではございませんが、 枯れ木も山の賑わいと申します。 御書庫の隅においてくださればさいわいです。
556 :
小さなヨハネ :02/04/11 00:40
黙示録2・20,21 「しかし、あなたに対して言うべきことがある。あなたは、あのイゼベル という女のすることを大目に見ている。この女は、自ら預言者と称して、 わたしの僕たちを教え、また惑わして、みだらなことをさせ、偶像に捧げ た肉を食べさせている。わたしは悔い改める機会を与えたが、この女はみ だらな行いを悔い改めようとしない。見よ、わたしはこの女を床に伏させ よう。この女と共にみだらなことをする者たちも、その行いを悔い改めな いなら、ひどい苦しみに遭わせよう。」 では、ブルネルスさん、この意味を教えてください。
557 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 00:42
おおっと。色々来てるな。
まぁ、件の論考「存在/生成の無差別同一性」「私は「新しい神話」はある意味
東方において実現してるんじゃないか、という線も考えている」についてはいずれ聞きたいね。
ということで。
>>542 東方の霊性と美学について。
>聖母の無原罪と聖座の無謬性が受けいれられなかった
無原罪はスコトウス辺りなんだが、をれもよー判らん相変わらず。
無謬性は方便。この辺り西方は純粋性という点では突っ込み入れられて当然。
ゆえに帰結としての東方は理解出来る。まさに…シェもいうところの
>教会はそれ自体端的に芸術作品だ、としぇの人はいう。ここでいう教会は
>典礼もなんもかんもひっくるめた「教会はキリストの身体だ」というときの
>教会
は東方において完成させられてると思うね。ここに神学をそれ自体信仰の営みと
し、神秘の側においておくスタンスが視覚化されて展開されているわけで。
「教会の典礼と自分の存在把握がすとんと接続したって」いうことに禿同。
だから、をれも心情的には東方に引かれるが、概していいかげんな西方が何故イイかというと、
聖フランシスコのキリスト中心主義と、人間のあらゆる本性の肯定に留まりたいと思う
がゆえだ。(西方ラテン教会のここが、なによりも魅力なのだよ。)
>私は生成を理解したいのだ。端的な生成。これやあれの作成や生産では
>ない、それを貫く原理的な力としての生成一般……
>と一時期は思ってたんだが、結局有限なものにおける生成が問題なんだ
>と最近は思ってる。
ピントズレてるかも知れないけど、「普遍」についてをれは考えてる。
教会論的普遍。流転する物事に貫く「普遍」それはなんだろうね。
そこに、「今いる場」を信じる根底があるんだな。をれ的には。
#ま、現実の事については、たいしたモンじゃないよ。
558 :
小さなヨハネ :02/04/11 00:43
黙示録12・7−9 「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑ん だのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もは や天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とか サタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投 げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。」
559 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 00:47
神話は共同体と詩人がひとつになるとき可能になる。 逆にいうと、神話をもつことによって、ある人間集団は共同体として 成立する。……しかし(西欧)近代社会はまだそれを欠いている。 ゆえに来たれ、新しい神話。 ってのがしぇの人なわけだけど、で、直接の連関はないだろうけど、 東方の根幹にある神把握とこれは通底する、と考えております。 ただ、史的東方教会がそのまま「来たるべき教会」(しぇの人は カトにもプロ(=主にルター派)にも満足してなかった。たぶん終世) にはならんだろうから、その辺は慎重でありたいと思ったり。 個人的にはマリアさんにとても興味があるな。 どうしてカトから多神教にいったのかってのをもっとじっくり 語っていただけるとうれしいです。
あ〜あ、だねぇ・・・。
561 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 00:49
東方では典礼(公祈祷)で黙示録を一切読みません。 霊において幼いものにはつまづきの石となることが多いからです。
562 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 00:50
>>550 マリア.
>相互相入・・・は、私に言わせれば、相互浸透よね。人間同士もある程度は
>相互浸透しあっているわけで、そこに個人主義的生き方を乗り越える道があると、
>思っているんだけど、キリスト教が構想した三一は、全き相互浸透、一体化だった、
>ということね。こういうきれいな理論は、魅力的だと思う。
この理論。まったく同一では無いが、
近しい事柄を「某学者」の論考で読んだ記憶が。
人間のつながりという事でね。哲学が現実に如何に応用されるか。
といった成り行きの中でね、聞いた記憶があるんだが。。。
をれはその時、えうれかーとおもちゃったよ。なにがえうれかなんだか
忘れちゃったけど。 ま、感想。
その相互浸透っつか、そういうのが継承されて旅する普遍の教会を産み出した
などと考えてみたり。目に見える継承じゃないもっと深い何事かがね、継承
されていくんだなと。
>>556 テュアティラの教会あての部分ね。教会に黙示録の著者側からみて、混乱を
もたらす、女預言者がいたようね。イゼベルは実名かもしれないし、象徴的名称な
のかもしれないわね。つまり、物の本によると、北イスラエルにバアル崇拝を持ち
込んだという旧約の故事にもとづいた名かもね。
淫行は、偶像崇拝を意味すると解する人が多いんじゃない。だから、この教会で、
女預言者が黙示録の著者から見れば、異端的な偶像崇拝と見える教えをもちこみ、
多くの人がそれになびいていたわけね。
で、どうして突然、この箇所について説明せよ、なんて言い出したの?まさか、
こういう文体で書くことが、淫行だ、なんておばかさんを言うつもりなんじゃな
いでしょうね。いえ、言ってもいいのよ。その方が観客が喜ぶから。
>>559 あのね、それはどうしてかしらね?
あたしも良く分からないのよ。実は。
でもね、神道って一見は多神教に見えるけど、
実はそうとも限らないのよね。とても不思議な世界よ。
565 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 00:55
カトでもあまり持ち出さんよ。 小さなヨハネオリジナル。の手法。 聖句を持ち出して読めというのは、愛がないと思うんだが、相手が マリア. だからいいか。「聖句」ではなく「資料」として読んでるから。
どの宗教も、結局トップは天主と決まってる。
567 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 00:59
視覚だけじゃないよ:) 五感のすべてにおいて。 イコノスタシスはある時期、完全に覆われることもあったし。 イコノスタシスの聖像、神品の纏う時々での祭服、蝋燭のゆれる炎の色、 独特の抑揚をもった聖書の朗唱は静寂のうちにヴォールトにこだまし 会衆はあるときは喜ばしく、あるときはもの悲しく響く聖歌によって それに和し、 炉儀のたびにたちのぼる乳香の薫り、 あるいは十字を切り、あるいは機密なる聖体に伏拝する自らの身体は 触覚性を覚知させ 五感のすべてが生き生きと呼びさまされたそのとき 機密の宴、下級認識能力とされてきた味覚がもっとも感覚的なものから 遠いといわれる超越への直接の連関を与える ………… まだ信者じゃないから御聖体いただけないけど、二時間歌い、祈り、 十字を切り、乳香の薫りにつつまれてすごした後のアンティドルの味、 ぽそぽそした味のないパンだけど、全身を満たすような幸せがあるでし。 視覚性だけじゃないんだ。「ことごとくのものは主を賛栄す」。 全感覚、ことごとくの生命をもって主に向かう、それが東方典礼。 ここじゅーよー。 # だから乳香けちるなっつー平生の主張は痛く同情しつつ読んでおりました。はい。
568 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 01:01
>「某学者」の論考で読んだ記憶が。 ISBNきぼん。
あたしの知る限りの母の家の言い伝えやカトリックや神道の伝承は、 その本質にあって、完全に一致しているのよね。 あたしの中ではね。訳の分からない話だろうけども・・・。
570 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 01:10
>あたしの中ではね。訳の分からない話だろうけども・・・。 いいえ。だからこそ興味があるの。 私は多神教もまた、それが機能している社会においては神を表現していたと 考えているから。今の日本社会がどうかということとはまた別に。
>>570 神道は、多神教であって多神教ではないからね。
そこのところは、なかなか難しくてね。
まずは、その解説からしないといけないからね。
これは、アブラハムの神とイサクの神とヤコブの神が
同じ神だというのと、本来はある意味良く似ているのよ。
また、日本の神々というのは、色んな氏族の神であったり、 自然現象であったりするわけだけど、 それらがどこから来たかと言えば、 皆出て来たところに一つのルーツがあるわけで、 最終的に、宇宙の誕生と結び付けているのよ。 神道の神を分析したら、この世が始まってからの現象を 述べているだけの話しで、そこにも意思の力があるという捉えを しているわけ。始まりからある種の意思の力があったとね。 これを、医師であった奈良の春日大社の宮司の葉室さんなんかは、 ビッグバンという概念がなかった、昔の人の発想というふうに 捉えていて、あたしにも霊的なものが昔から降りて来ているのよね。
この地はな〜、余の意志から生まれたのだが・・・。 生み出した連中から、お前なんかいらん、とこういわれたのじゃ。 (ノ_・、)シクシク 他の二人もお空の上で槍投げに興じておる。
>>573 あら、それで辺境の地へ引きこもって、
自分の民の前に出てこなくなったのね。
>>574 いやいや、旅行しておった。見分を広げる為に下界へな。
頭を空っぽにして、耳栓してたから、イエスが呼んでたらしいが聞こえなかったな。
おっと失敗(苦笑)。まあ、いいがな。 ヾ(^▽^*おわはははっ!!
577 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 02:20
>全感覚、ことごとくの生命をもって主に向かう、それが東方典礼。 これ、ラテン西方も同様。 それ理解しない司祭が増えてげんざい典礼むっちゃくちゃ。 巫女マリアもその辺り憂慮してたね。 ISBN(具体的にズバリぢゃないけど。そういうこと考えさせられたっつうか。。。たぶん知ってる書。)
578 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 02:24
なあるほど。 神道の神はつながってるのね。だが相互に完全な一致はとらない? 部分的? 父なる神> パレスチナとイスラエルの子らをなんとかしてください。 頼みますよ。
>>578 今は無理だ(苦笑)。が、いずれは・・・。
なんとかなるかもしれんし、ならんかもしれん。
当たるも八卦当たらぬも八卦。
と、思ってて。
真に受けたりする奴いないだろうな・・・。
580 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 02:36
神は沈黙して久しいからな。 父なる神が自由意志を人に与え、イエスという存在を送った時点で、 あとは、沈黙だな。 その理由が耳栓してたから。というのははじめて知ったよ。
581 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 02:41
父なる神が来るとなんだかホッとするよ。 祝福されているようだ。 しかしずっといるねここに。
だから、みんなが要らん、といったのだというのに。 が、最近世界が荒れたので召喚したいらしいな。 召喚獣じゃないっちゅうに・・・。 言っとくがこれはデンパ情報。 らしき者の言霊(?)が降ってくるのは一応はホント。 しかし、真偽は知らんぞ。 が、俺にはちっとも利益にならない事ばかり教えてくれるので悩ましい所だ。
583 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 02:45
バハムートより強いのは円卓の騎士。 8と9のは忘れた。
まあ、寝てる間にずいぶんと進んだのね。父なる神さままで、天下って
くるとはね。今度は私「子なる神.」になっちゃおうかしら。そしたら、誰か
さんは、父なる神と子なる神まで「同一人だ、複数のHNを使うな」って言い
出すかもね――冗談よ!、本気になってレス付けないでね。
>>558 なーに、これ。どういう意図で黙示録の抜き書きを貼り付けてるの?
また、意味を説明せよ、とかいうこと?そんならそうといいなさいよ。
説明せよというのなら、説明させる意図を教えてね。なにしろ
>>563 で、
最初の質問には答えたんだから、今度はちいヨハが563の答えでOKなのか
どうか、コメントする番よ。ミカエルが竜と戦う話はその後でね。
585 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 12:27
父なる神は黙示録で召還されたのか。
586 :
おさかなさん@このスレにテキストはありますか? :02/04/11 12:31
読むのは読者。 きっとこれを素材にして 「三一性吉牛」を超えるコピペを作れという挑発なんだよ。
587 :
おさかなぁ?@ない。 :02/04/11 12:36
あれで?自分で作れぇぇぇぇぇぇぇぇ。
588 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 12:56
589 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 13:08
それともさあ、いっそのこと 「ブの人」とか「んこつき猫」とか好きなように呼んでるけど 相手は戦前でいったら勅任官、 社会的地位でも学識でもてめえがどうこう挙げつらえるような御方では ないのだぞ。 「小さい」ヨハネというなら己の卑小さを認めて、 お願いといいつつ要求をつきつけるような無礼を働くな、下郎 とでもいわないと、彼の表象世界には適合しないのか? # ごめんね、マリ.ちゃん。私もこういうの大嫌いなんだけど # ネタの一部ってことで平にご勘弁。
590 :
bento. :02/04/11 14:21
Sex・・・
591 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 15:05
そそ。Sex Crime(1984)が一番好きなのに、カラオケに入ってないのよね。 しょうがないから There must be an angel 歌ってるけど。 同じく Two Tribes のほうが好きなんだけど、カラオケに入ってないから Relax 歌ってるの。 どこか入ってるとこ、ないかなあ。スレ違いスマソ。
592 :
Mr.名無しさん :02/04/11 15:28
いや、セックスピストルズでしょう。
593 :
猫むすめ。 :02/04/11 17:42
ピストルズは、好きだにゃあ。 あたいは、髪の毛をローズ色にしているにゃ。 あのにゃ、 カトリックって本来は、1人で聖書を読んではいけなかったと神父様に聞いたにゃ。 カトリック要理に則った教えをする為だそうにゃ。 だからミサでの説教をとても大切にしていたそうにゃ。 未だにフランシスコ会の聖書に注釈がついているのは、 要理に則った解釈ができるように導く為ということにゃ。 だから元々カトリックであった人や現在カトリックの人に対して 個人的な見解を聞くのは、間違っているにゃ。 マリアさんだって答え様がないかもしれないよにゃ? カトリックとしての回答が欲しいなら教会なりバチカンなりに メールして問い合わせればいいにゃ。
>>578 表面上は、全く別のものだし、働きも違うし、人格も別。
太陽の神と海の神は別なわけだしね・・・。
でも、その本質となった時には、
天之御中主神ら造化三神へとたどり着くの。
発生源は、天之御中主神なわけで、
違うとも考えられるし、違わないと考えることも、また可能なの。
また、天之御中主の意思は、直接は分からない。
けれど、色んな神によってその意思の欠片は知ることは出来るわけ。
その神は、現れてからすぐに姿を隠して、他の二柱の神が現れたから。
その神も、すぐに姿を隠して、そこから色んな神が産まれて行った。
神が神を生み、その延長線上に我々人を含む、
全てのありとあらゆるものもが在ると考えるのよ。
天之御中主神は、全ての意志の源ね。
全てを理解出来れば、その意思がどういうものかを知ることが出来る。
ただ、人間の頭では、そういうことを理解するのは、大変なことね。
595 :
Mr.名無しさん :02/04/11 18:10
神を創ったのは、誰?
597 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 19:37
>だから元々カトリックであった人や現在カトリックの人に対して >個人的な見解を聞くのは、間違っているにゃ。 何時の時代の話だ?さては汁だな?
それから、あたしは一神教の伝承と神道の伝承の両者の中で生きてきたから、 考察できるのかも知れないけど、 イスラエルが一神教なのは、砂漠の中で生きるという、 厳しい生活環境が関わっていると思うの。 民の結束がなければ、民は分裂してしまうわけで、 その結束に唯一の神という概念が必要だったと思うわけ。 全ては一つの神から来るということをしておかなければ、 民が分裂してしまうなら、そのうちの誰かが出て行かねばならない。 水を得ることが出来なくなれば、人は死んでしまうから。 しかし、水か豊富にある場所では、そういったことは起こらないわけ。 民の共存が可能であるわけで、 それぞれの生活に適した場所に、行けば良いだけのことだからね。 色んなものがあっても、対立せずに融合していくからね。 天皇家の先祖達は、どちらかというと一神教に近い概念だったけど、 あたし達の先祖達は、様々な神によって生きてきたわけで、 これを見事に融合させたのが、今の神道の姿らしいから。
↑ この話題はここではパスじゃ(苦笑)。 とか、思ってたりするらしいよ。
600 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 20:56
600ゲット!! ブルネルスたん萌え〜
601 :
小さなヨハネ :02/04/11 21:40
>>550 :マリア. :02/04/11 00:24
>ちいヨハ 文体がどうであるかということと、言っていることが虚偽で
>あるかどうかということとは、全く別のことだと思うのよ。私はどんな
>文体を使っても、虚偽の発言をした覚えは全くないわよ。また、私は
>「マリア.」であって、「マリア」ではないの。別人であることを公に
>言っていることを含めて、真実を語っているのよ。もし、あなたがまだ
>それを認めずに、虚偽だ虚偽だと言い続けるのなら、あなたはまさに
>「讒言する者、謗る者」になってしまうことよ。気をつけなさいね。
・・・別人と言い、かつ虚偽の発言をした覚えがないと言いながらこう
言うのはおかしい。
>>513 :ブルネルス :02/04/10 02:06
>ちいヨハがこれに同意してくれるなら、次の発言からは、マリアに統一
>してもいいよ。ちいヨハ以外の人たち向けの区別のために「マリア.」な
>んてのはどうかしら
なぜブルネルスさんが「マリア」に統一できるのですか?
602 :
小さなヨハネ :02/04/11 21:41
>>326 :ブルネルス :02/04/07 00:56
>ふふふ、なんかわかんないけどさあ、
>いつのまにか私のことがばれてるみたいね。
>どうして私が女にしかみえないっていうことが
>分かってしまったのかしらね。
>なんか、学者風の言葉使いに疲れてきたところ
>だったから、丁度よかった、ってこともあるのよね。
>これからはもう、ブルマリとか(うーんこれだと
>コーヒーみたいね)、マリネルスとかいう名前に
>変えようかしら。ね、どう思う?
虚偽の発言をした覚えは全く無いなら、何をばれたと言ったのですか?
女にしか見えないとはどういうことですか?巫女マリアを語っていた
と言う意味ではないのですか?冗談で虚偽は平気で言うが、本気では
虚偽は言わないということですか?
603 :
小さなヨハネ :02/04/11 21:42
>>535 :マリア. :02/04/10 19:43
>ところで、dendo.の"."は何か意味あるの?マリア.の場合は、この名は家の
>ネコの名をもらったのよね。ヒマラヤンで長毛種だから、ときどきお尻の
>毛に固くて小さなうんちをぶら下げて歩いているの。マリア.の"."は、そ
>のうんちの記号なの。
・・・どこまで聖母の名を侮辱するのか?
604 :
小さなヨハネ :02/04/11 21:43
>>563 :マリア. :02/04/11 00:52
>>556 テュアティラの教会あての部分ね。教会に黙示録の著者側からみて、
>混乱をもたらす、女預言者がいたようね。イゼベルは実名かもしれないし、
>象徴的名称なのかもしれないわね。つまり、物の本によると、北イスラエル
>にバアル崇拝を持ち込んだという旧約の故事にもとづいた名かもね。
>淫行は、偶像崇拝を意味すると解する人が多いんじゃない。だから、この
>教会で、女預言者が黙示録の著者から見れば、異端的な偶像崇拝と見える
>教えをもちこみ、多くの人がそれになびいていたわけね。
>で、どうして突然、この箇所について説明せよ、なんて言い出したの?
>まさか、こういう文体で書くことが、淫行だ、なんておばかさんを言うつ
>もりなんじゃないでしょうね。いえ、言ってもいいのよ。その方が観客が
>喜ぶから。
その通り。女預言者とは、聖書の言葉を神からのものとせず、ただの人間が
書いた言葉として扱い、そして教える者、淫行とは聖書の真理を枉げること。
偶像の生け贄を食べさせるとは礼拝を汚し、神を冒涜すること。つまりあな
たのこと。あなたがオカマ言葉を使うのはまさにその象徴。
605 :
小さなヨハネ :02/04/11 21:44
「しかし、私を信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな 石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。世は人をつま ずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす 者は不幸である。」(マタイ18・6,7) ・・・自分が主を信じないのは構わない。しかし主は神でないと教えて人を つまずかせる者は不幸だ。
606 :
小さなヨハネ :02/04/11 21:45
>>584 :マリア. :02/04/11 12:01
>>558 なーに、これ。どういう意図で黙示録の抜き書きを貼り付けてるの?
>また、意味を説明せよ、とかいうこと?そんならそうといいなさいよ。
>説明せよというのなら、説明させる意図を教えてね。なにしろ
>>563 で、
>最初の質問には答えたんだから、今度はちいヨハが563の答えでOKなのか
>どうか、コメントする番よ。ミカエルが竜と戦う話はその後でね。
黙示録12・7−9
「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑ん
だのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もは
や天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とか
サタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投
げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。」
竜とは主の神性を汚す者、ミカエルとは主を神と認める者たちのこと。
戦うとは論戦をすること。つまり主を神と信ずる者たちが、あなたのよう
に主を汚す者たちに挑戦し、あなたがたは打ち負かされると言う意味です。
黙示録からの転載は、私からあなたへの言葉です。
607 :
小さなヨハネ :02/04/11 21:47
勝手ながら、本スレッドにおけるル―ルを決めさせていただきました。 1.ブルネルス氏のマリア名による発言を禁ずる。(.があろうと無かろ うと。ブルマリ、マリネラ等、聖母を想起させる名を含む。) 2.ブルネルス氏のおかま言葉を禁ずる。 3.巫女マリア名の使用ならびにおかま言葉による発言を禁ずる。 4.それ以外の方のおかま言葉による発言もご遠慮ください。 ブルネルスさん、「論」なら「論」を、男の言葉でどうぞ。 dendo氏 >「小さい」ヨハネというなら己の卑小さを認めて、 >お願いといいつつ要求をつきつけるような無礼を働くな、下郎 おっしゃるとおり私は「下郎」ですが、あまりに下品な物言いは、それ 自体が「公序良俗」に反します。もし、言葉づかいを改めないなら、 本スレッドからの退去を命じます。
608 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 22:44
>これ、ラテン西方も同様。 なりゃこそ姉妹教会。……まあ、いつかは分裂もどーにかなるでしょー。 つか私は東方諸教会ともいつかは一致できるのではないかと「信じてる」。 「公にして一なる」という教会の理念がそれを要求するからだ。 じゃなきゃコプティアンとお茶飲んでまたーりとかできません。 ……それを「帰正」というかどうかはまた別の問題として。 >607 ひろゆきじゃあるまいし、あんた何様のつもりだい。
609 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 22:48
>その神は、現れてからすぐに姿を隠して、他の二柱の神が現れたから。 なるほど、記紀の名前の羅列をそう解釈してるのね。 ギリシャ神話のウラノス→クロノス→ゼウスを思いださせるな。 # 前二者への祭祀は行われていなかったと考えられている、らしい。 実をいうと神道はあんまりよく知らない。両部と吉田の違いもしらないくらいなので これからもいろいろよろしくでし。
610 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 22:55
>>600 おお!そうだ。うちのサークルが受かったら
こっそり「ブル×元ふら」本とか作って売ろうかな。
ブルさんは顔写真入手済だもんねぇ。ふふふふ。
「マリ×マリ.」も萌だけど(逆じゃだめ!)、女性かぷって売上少ないからなあ。
もちろんこのときはマリ.はルブリョーフが描く聖母みたいに美しい女性よん。
# でも、んこがついてるの。スカトロかあ……売上めっちゃ少なそう……
だめでしか? サドみたいで素敵だと思うんだけど。
あるいは「元ふら・マリア・ブル/マリア.・dendo.」でソドムの百二十日
パロってのもいいわねえ。もちろん凌辱系で、元ふら総受け。
これなら男性系で売り上げ狙えるわね。
スタッフがいたらシナリオノベルにしてCD-Rに焼いて売りたいけど
使えそうなプログラマがいまいないのよね。残念だわ。
……受かればの話だけど>夏コミ
611 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 22:59
あ、元ふら総攻めでもいいわよ。っていうか聖人 じゃなくて成人男性で自然なのは男総攻めよねえ。 でもマリア-/.って両方攻めキャラだから、おさまりが悪いのよね。 でも元ふらがどうしても攻めがいいなら、そこんころは譲るわよ。 どう?受かってたらサークルチケットあげるから考えてくれない?
>>607 悪いけど、あたしは別人だからこのまま出てくるわよ。
退去を命じられても、あたしは動かないわよ。
あなたの言っていることは、単にあたしに対する濡れ衣だからね。
逆に、あたしに対して侮辱していることになるのだから。
本当に名誉毀損よ!
と言いたいとこだけど、悪いけどおかしくて笑えてくるわ。
ごめんなさい。
きっと、村の年寄りたちはこの笑い声を聞いて
あたしが神様との対話をしているとか、
変な勘違いをまたして、変な神格化を進めて行くのでしょうね・・・。
何も言えんのが辛いわ。ハァ・・・。
>>609 あたしも、他のことは良く分からないのよ。
うちのことしか、よく知らないもので・・・。
でも、神道やってる人は、よくそう考えるわ。
造化三神については、あまり祭っている神社はないわ。
何しろ、現れてすぐに消えてしまったもんだから・・・。
人間には、その意思を確認することが出来ないからね・・・。
613 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 23:06
おまえらあほか?
614 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 23:07
たかむすびさんはどですか? あの人(?)、記と紀でずいぶん扱い違うでしょ? 政治的妥協?
>>614 まぁ、そういうところよ。
何しろ、氏族によって神の名も違えば、順序も違うしね。
なにしろ、スサノオとアマテラスでは、
スサノオを上位に持ってくる地方もあるし。
大国主なんて、どこにでも相当する神がいるとか、
何しろ、色んなものを天皇家や有力氏族の価値観で、
ミックスしただけだから。
616 :
小さなヨハネ :02/04/11 23:19
>>612 名前:マリア
巫女マリア名の使用ならびにおかま言葉による発言を禁じます。
もし使いたければ他のスレッドでどうぞ。聖母マリアの名によって
命じます。
617 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 23:20
うーん、まあ、そろそろですな。 ブルさん、お付き合いいただいたのに、ほんとうにすみませんでした。(♪蛍の光) dendo.さんもね。マリアさんもね。ふらんちぇさんもね。本日までの長きにわたり 本スレッドをご愛顧いただきまして、ほんとうにありがとうございました。 (もう10日ほどはもつって話だったんだがなぁ、まあ、いいでしょ)
>>616 あなたは、聖母マリアなのね。ほう、偉いご身分ね。
619 :
小さなヨハネ :02/04/11 23:29
>>618 名前:マリア :02/04/11 23:20
>616あなたは、聖母マリアなのね。ほう、偉いご身分ね。
私は「卑小な下郎」です。しかし、聖母を汚す「おかま巫女マリア」
の名の使用は禁じます。このスレッド以外で使いなさい。
>>617 小さなヨハネさんのこういう人格も想定していたけど、
ま、一種の疲れ、渇きがあって、癒しを求めるところから、
禁じ手に嵌ってしまった・・・。
良くあるパターンだけど、福音を何だか分かってないから、
それが分かるうちは何を言ってもダメのようね。
621 :
ふらんちぇすこ :02/04/11 23:31
>小さなヨハネ。 真面目な発言として、コテハンを記して話す。 2chという掲示板は公共物だ。誰がいつ何をかいてもいい。 それが掟だ。 たとえスレを立ち上げたとしても、それは個人の所有にならん。 ルールを決めるなら民主性でなければ有効とならない。 だから、ここでローカルルールを提唱しても、多数決で却下されれば終り。 ここは君の所有物ではないんだよ。 巫女マリアのマリアというハンドルは君がここに来る前からずっと彼女が 使用して来たものだ。それを禁じるのはネット上における一人格に対する 処刑だな。そういう権利が君にあるのか? 彼女が実際の世界でマリアという霊名を持って、名乗っているなら それも冒涜というのかな?男でもマリアという霊名はあるしね。 却って、「名乗るな」というのは、失礼じゃないか?
>>619 なら、この世にいるマリアという罪人は、
全てマリアという名を使わないようにすべきね。
はい、行ってらっしゃい。
623 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 23:34
しかしどうするかね、ここはもう遊び場には向かないみたいだし。 次スレをこの名で立てると誰かがまた半狂乱になるだろうし。 とはいえせっかくの社交の場が失われるのはおしいなあ。 また、「神」とか「キリスト教」とかつくと、荒らしにくる 奴多いしな(春厨の季節は終わったといっても、 「これで終わったとは思えない。第二、第三の厨房が……」 だし) ……神概念がらみのことをあれこれ語りあう雑談スレってことで 「マムレの樹の下でまた〜り語りあうスレッド」ってのはどう? # 誰にいってるだか。
624 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 23:35
ヤフーのカツラみたいなまねすんなよ。アホにみえるぞ>小ヨハネ
625 :
小さなヨハネ :02/04/11 23:35
>>620 名前:マリア :02/04/11 23:30
聖母を汚すことはやめなさい。退去を命じます。
626 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 23:37
だいたいマリア・マッダレーナは売春婦だったんだぞ。 エジプトのマリアだって売春婦だ。それもただ性欲のために 男と寝て、生活費は別に稼いでいた。 まだある、ミリアム(これのラテン化したのがマリアだな)は 神と弟に逆らってらい病によって打たれた。 罪人ばっかじゃねーか。 マリア.が「垂れくそ猫」であることが冒涜かはどうかとして マリアなら聖母ばかりってのは物を知らなさすぎ。
627 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 23:38
>>621 禁じ手を使うことも、また人だからね。
まぁ、いいんじゃない?人が良くやらかしてしまうことよ。
イエズスも、聖母マリアも、
他の罪人のためにもいることを、彼は知らないのだから。
629 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 23:40
小さなヨハネさん、青眼化してしまうのか・・・
630 :
ふらんちぇすこ :02/04/11 23:41
「巫女マリア」が「マリア」のなを汚すという理由が妥当ではない。 「巫女マリア」は発言内容、対話相手への視点や態度において充分 マリアの霊性を受け継いでいると思うが。 では、逆に問う。 君は福音使徒であり、イエスに最も愛された弟子の名を冠する自信がある ということか?
631 :
ふらんちぇすこ :02/04/11 23:47
「名」など空しいんだよ。2chでは。 「ルール」も「掟」もね。 小さなヨハネは怒っているんだろうけど、ピントがズレてる。 怒って当然な気もする場面もある。だから同情もする。 いささか言いすぎ、或いはやりすぎかもな。と思う事もあったからね。 (ま、それすらここは自己責任の場だからね。覚悟しなきゃ逝けないんだが) ただ、悪いが、自由を奪うような発言、 ネット人格への処刑に等しい行為だけは、ゆるせないな。 熟慮、願う。
>>625 あなたは、自分が何をしているか分からないだけ。
そういうなら「あなたもヨハネという名を使うのはやめなさい」
とカトリック教徒から見れば、いうことになるわよ。
でも、誰もいわないわね。それはどうしてかしら?
また、異端説を広めて回るために、カトリックの洗礼を受け、
カトリック教会を潰そうとしているわけだからね。
それは本来自動破門だれど、誰もそのことをいわないわね。
さて、どうしてなのかしら?
カトリックの伝承では、
神の名をむやみに使ってはならないと考える。
しかし、あなたは聖母の名をそれに使った。
カトリックの伝承では、そのようなことはしてはならない。
でも、スウェーデンボルグは、そのようにしても良い。
もしくは、神の名でなければ、聖母の名でならしても良い。
そのような発言をしているのかしら?
633 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 23:51
「信用できない相手」「応答可能性がない相手」に語る君達は偉いよ。 これが「兄弟を議せざる」こと、愛することなのかな。 ひとことでいえば、霊性。 ……このへんがキリスト者となんちゃって典礼ふぇちとの差なんだろうな。 彼を憐れだとは思うけど、それでも何かを語ろうという気にはなれんのよ。 むしろ箴言の「愚か者には語るな」ってほうが浮かんできちゃう。 ……ちいヨハも私をも含めて、 我等罪人を、真の神、光よりの光、 慈憐にして人を愛する主の憐みたまふことを祈る。
634 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 23:54
>いささか言いすぎ、或いはやりすぎかもな。と思う事もあったからね。 ラブレー的カーニヴァル、垂直な秩序を転倒させる場で やりすぎなどない。 というわけで聖母就寝教会の塔から垂れ小便をして 十四万四千五十二人を溺死させてみるテスト。
>>629 彼の信じてる内容も、福音ではなく啓示とか預言。
人間一般に起こりうることよ。
あたしも、昔はそういう演技を良く行ったものよ。
あんた達の信じてることって、これとあまり変わらないわよ。ってね。
何ならここでもやったら面白かったかしら?
636 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 23:55
#あ、そのままノートルダムでいいじゃん。馬鹿。
637 :
ふらんちぇすこ :02/04/11 23:56
人には人によって様々な人との関わり方がある。
>>633 だからいいんだよ。
それぞれの道があるんだから。
いままで通り、普通にやるよ。をれは。
638 :
名無しさん@1周年 :02/04/11 23:57
>>635 青眼祭があったばかりだからな。マジもんの負の魅力には勝てないでしょう。
それに祭ならすでにこのスレだけでもこれで三回でしょ?
まあ、時が来れば異端祭もあるのかもね。
で、「父なる神」本はだめでしか?哲学対話しながらすすむ凌辱系って
萌えがあると思うんだけどなあ。
>>630 聖母マリアは優しいお母さんよ。
どんな時でも、どんな人にでも、笑顔で人と接する優しいお母さん。
普段は非常に寡黙な人ね。何かあっても、黙って祈る人。
・・・らしいっていう、言い伝えを聞いた事があるわ。
>>638 いやいや、前はあたしも強烈だったわよ。
我ながら、あたしはこの世で最強の害基地を演じているわ!
と自画自賛したものよ。
何しろ、霊能者KONYと電波合戦までしたのだからね。ホホホ。
641 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 00:07
小さなヨハネは疎外されたと思ったんだろうな。 寂しくなる必要はない。堂々と自説を展開していけばイイだけの事。 三位一体の、応用、実践的展開という実験をやっていたんだがな。 理解してもらえなかったようだ。まあ、それも仕方ない。 ま、をれはいままで通り、やるよ。 名無しさん@にまた戻るよ。
でも、おかげでちょっとある人を巻き込んでしまったからね・・・。 まぁ、罰が当たったって事よ。 それからは、徐々に路線変更ということで、現在に至る。 神様、どうもありがとう。ってな感じよ。
643 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:09
「父なる神」本って。やおいかよ。 勘弁してくれ。。。 ・・・・・・で、内容だが、大まかにどんな展開よ?コソーリ教えれ。
644 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:13
>>639 マリア
霊名を持つというのはその人がそのままイコールそういう人間になるのではなく、
そういう霊性に預かりたい。と願うからなんだよな。
まあ電波な時期は観察させてもらってたよ。
眉唾な経歴も凄いし。とんでもないのが居るなと思ってたがね。
面白かったよ。最近は強烈なキャラが少なくなって来たな。
>>641 そうかしら?
案外、自分と天主と聖母マリアが勝利したと思っているかもよ?
この手のタイプの方にはね、良くある話しらしいわよ。
某精神科N.Sよりのアドバイス
646 :
小さなヨハネ :02/04/12 00:16
>>621 名前:ふらんちぇすこ さん
>2chという掲示板は公共物だ。誰がいつ何をかいてもいい。
>それが掟だ。
>たとえスレを立ち上げたとしても、それは個人の所有にならん。
もちろん個人の所有ではありません。そして何を書くのも自由でしょう。
しかし、あなたのおっしゃる「暗黙の礼儀」もあると思います。
人の大切に思う聖母を汚すのは遠慮していただきたいとお願いしているのです。
人の嫌がることをそれほどまでしてなさりたいのでしょうか?
人が明らかに嫌がることを遠慮されるのも「礼儀」ではないでしょうか?
>巫女マリアのマリアというハンドルは君がここに来る前からずっと彼女が
>使用して来たものだ。
知っています。ですから他でお使いになることについてまで申し上げません。
ただ、ここでは遠慮していただきたいのです。「論」も結構、私の個人名を
ほのめかすことも結構、しかし、どうか聖母の名を汚すことは遠慮願いたい。
それは「卑小な下郎」の私からのたってのお願いです。
647 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:18
>>645 マリア
まあ、あまり追い詰めなさんな。
そう思いたければ、それもいいし。
648 :
小さなヨハネ :02/04/12 00:18
(続き) >彼女が実際の世界でマリアという霊名を持って、名乗っているなら >それも冒涜というのかな? そこまでは言いません。ここでのお願いです。 >男でもマリアという霊名はあるしね。 あります。私もヨハネ・マリアです。 >却って、「名乗るな」というのは、失礼じゃないか? マリアを名乗るのは良い、しかし、あえて「おかま」を公言し、 それを聖母の何にくつけるのは、「糞のついた猫」の名というのと同様 遠慮願いたいのです。おかまであることをだまっていてもいいではない ですか?聖母の名を大切に思っている者に、あえて「糞のついた猫」の 名だと言って人の嫌がることをしなくてもいいではないですか?他の名前も あるでしょう。なぜ人の嫌がることをするのですか?ふらんちぇすこさん は「人の痛み」について何かおっしゃいませんでしたか? 主イエスを信ずる者がその母を慕う。もし、皆さんもご自分の母親の名に そういうことをされたら嫌ではないでしょうか?
649 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:19
だったら、マリアが言っているように、異端説を垂れ流すあなたが ヨハネを名乗るのも、不快千万ってことになるぞ。
やれやれ(苦笑)。 どうコメントしていいかわからん。
651 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:24
ブル×元ふら本なら、基本的にはジョゼフィーヌベースだな。 ブルの人がいろいろ遍歴するんだな。まあ RaTe "Any Question?"文系版 だと思えばよい。……とするとブルが最後にどっかの教授になって、 元ふらはブルから逃げようとするけど罠にはまってよーやくどっかの 助手になったところにブル着任。恐怖。 クライマックスは研究室のソファでやおって、 興奮した(……まだ考えてない)が脱糞して(……経緯からするとブの人かな) それを手近にあった……なにがいいですかね、まあしぇの人かな、の全集、 …………いやいや、ここは伝統に経緯を表してプラトンのプロタゴラス篇 をやぶって、尻を拭いて、捨てるんだね。 当然、話の過程では剃刀で犠牲者を切り刻んだりとかもするんだな。うん。 ……こういうこと公の場に書くから「一生忘れがたい」とかいわれちゃうのかね。 いやいやいや、気のせい気のせい。
652 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 00:24
いっておくが巫女「マリア」さんは汚してないだろ? 「おかま」が悪いのか? 男性が女性性の要素を持つ性の不一致という事があるのを知らないな。 それを否定するのは、彼女のアイディンテティを否定行為だぞ。 イエスだったらそんなことは言わないだろうよ。 あるがままの存在をそのまま受けとめるのが、キリストに倣う者の行いと思うが。どうよ?
653 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:25
経緯→敬意
654 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:27
>>651 ひいいい。
ジョセフィーヌって、どの本だったっけ?
読んでみたいねぇ。。。
転生じゃ、 男性 → 女性 → 男性 → 女性 ・・・。 と、繋がる事は良くあるらしいよ。 俺については、男だけらしいんだがな。 滅多にいないらしいんだが。
656 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:29
>>649 ヨハネ伝は異端説ぎりぎりの読み方を為される事も多いからな。
>>644 そうよ。それが大切なことね。
そういえば、日曜学校でも、そんなことを教えた記憶があるわね。
電波の時は、自分なりには面白かったのだけど、
やっぱり、限界があるというのかしらね?
互いに電波になっていくだけでしょ?
ここではね、それは少し勿体無いわ。と思ってね。
658 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:31
>>655 神の位格を持つからね。
父なる神は特別なんだな。
男性形で表されるが、女性性を同時に持っているんでは?
659 :
dendo. :02/04/12 00:35
とりあえず今回はいれておく。
ところでマリアさんがいう「おかま」ってTS/TG一般のことなの?
なんしか、極道の女房だったこともあるそうだから、
FfMTSなのかな、それもおかまっていうのかしら、と不思議だったの。
>>652 聖書ではTS/TG/TV全部否定されちゃうからね。それはけっこう難しいよね。
"Disorder"なのが"Disorder"じゃなくなるのが
「浄められる」ことなのかなあ、まあ神様の考えることは図りがたい。
友達でSID(MfWTS)の子がいて、性的パートナーが女性だから、埼玉大ルートが
つかえないのね(あれってまず社会訓練最低二年だから、それが障害になってる
人多いの)。だから非合法で手術して、でもおもしろいのね、
性転換しましたっていったら家裁のほうは簡単に戸籍書きかえを通してくれるの。
男性のままだったら彼女と合法的に結婚できるから、戸籍変更は
かなりなやんだみたい。でも女性であると社会的に認められるほうを
彼(女)は取ったのね。
アイデンティティって、はたからは分からなくても、本人には重いもの。
自分を認めろというなら他人のそれをも認めないと。
あたし?そりゃあ「一生忘れられない」問題児ですもの〜
「じーゆう。じーゆう。あははん」(年がバレる)
>>658 いや〜・・・。(-_-;ウーン
話を聞いた限りでは、魂が完全に男なんだそうだ。
が・・・、本当かどうか。
また、絵に描いたような男らしさにも俺自身は縁が無いんだよね。
あ、デンパ話でスマソ。
ほっといて話し続けてくれ<みなさん
661 :
小さなヨハネ :02/04/12 00:37
・・・では、マリア氏の霊名は何ですか?
662 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:37
『ジョゼフィーヌあるいは悪徳の栄え』
663 :
小さなヨハネ :02/04/12 00:39
・・・今日はブルネルス氏はマリア氏を名乗っていませんか?
>>648 あのね、それはあなたの思い込みでしょ?
そして聖母マリアは、あなただけのものでは無いでしょ?
また、あたしにそう言いたいなら、
あなたはカトリック教義に立ち返るべきよ。
そして、聖母の名をむやみに使ったことを、きちんと告解すべきよ。
あたしのこのマリアという名は、フィリピン人の女の友達のものなのよ。
その子が、あたしにくれた名なのよ。
それを使ってはならないというのは、その友達に非常に失礼な話しよ。
あたしの友達に、謝って欲しいわね。
最初から言っているように、
この名と聖母マリアとは何の関係もないのだから。いい加減理解なさいよ。
665 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 00:42
をれもちょっと、またいれとくか。
>>633 小さなヨハネ
ブルネルス氏は今のとこ来てない。
ブルネルスが名のってる時は マリアのあとに「 . 」をつけてるんだけど
気がつかなかった?何度も言及したつもりなんだが。
見づらいからね。をれも識別に苦労する時もある。
666 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:43
>>664 ファラオの心はかたくなにされた。神の光栄が現われるためである
……いや、まぢで。
667 :
小さなヨハネ :02/04/12 00:43
668 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:44
>>665 内容によって明瞭だと思うが。。
しまった、初666ゲットだったのに、コテハンいれとけばよかった。
669 :
dendo. :02/04/12 00:44
だから、彼は(やべえ、名前口走りそうになっちゃった)、 今日は、書きこんでいないんだってば。
670 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 00:48
前はキツイ言い方をしたから。ちょっと言いなおすけど。 性の不一致はカトリック教会でも認めつつあるんだよ。傾向としてネ。 うちの神父は「あるがままのその人であることが大切である。 だからゲイであるとか、そういうことで悩む必要はない。 それがその人に与えられた神からの賜物である。と受けとめればイイ。」 と言っていたな。 後天的な「性」はその人個人が生きる生き様なんだよ。
671 :
小さなヨハネ :02/04/12 00:49
>>665 名前:ふらんちぇすこ さん
>ブルネルスが名のってる時は マリアのあとに「 . 」をつけてるん
>だけど 気がつかなかった?何度も言及したつもりなんだが。
>見づらいからね。をれも識別に苦労する時もある。
もちろん知っています。しかし、ここは「虚偽の世界」だそうですから
念のためと思って・・・。
672 :
dendo. :02/04/12 00:50
あのね、誰かを侮辱したいならせめてあたしにしときなさい。 でもブルネルスさんをこれ以上侮辱するなら、 私も本気を出すことになりますよ。それでもよいのですね。 あんたの信仰に敬意を払ってこっちはそうしなかったんだからね。 よく考えなさいよ>小さなヨハネ
673 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 00:51
>>667 小さなヨハネ
公開裁判のつもりか?
・・・・ま、あのおふざけに関しては、彼自身で始末つけることだな。
をれは面白かったんだがなぁ。。。。
あんまり真面目一本じゃつまらんよ。人生。
同性愛者が生まれた事が悪なのならね。 それをなした天主が、あるいはこの地の神々が悪いと言ってるようなもんだ。 それに、イエスが非難したその手の行為はいわゆる同性愛と微妙に違うと思うぞ。 なんかもうちょっとおぞましいもんだ、たぶん。
675 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:53
>>658 いや、そういう区別がそもそもないんだと考えたほうがいい。
ただ、古代社会においてはつねに女性はマイノリティだった。
男性の対概念だったといってもよい。その意味で神は徹底的に男性的なのだ。
676 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 00:54
>>672 dendo.
ん〜。気持ちはわかるが、ここは2ch。
ブルネルスは自分の不始末は自分で付けなさいってこった。
その点はをれは容赦しない。
が、向こうも容赦してくれない。。。。んだな。涙)
677 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:56
>>673 まことにまことにあなたにいう。
ここで撤回するようなら、わたしはあなたを姉と呼んだことを恥じる。
……んで、たぶんこれには侮辱とかなんとかいうことはつかないんだよなあ。
こういうところがデムパなんだよ。
678 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:58
問題児で「もっとも小さな者」ですけど私は母校を愛しているし、 母校とかかわりのある人をも愛するのです。 たとえぶの人が制止しても、これは私の気持の問題ですから。
679 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 00:59
>>676 「不始末」だなんて。
あなたも楽しんだのではなくって?
680 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 01:01
正直、ブルネルスはカトリックじゃないからイイと思われ。>侮辱
681 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 01:02
>>679 ちいヨハを怒らせた「不始末」
開き直るもよし。
謝るもよし。
お好きなように。
おやおや、少し見てない間に、話がまたややこしくなっとるね(やや、ちいヨハに
遠慮して文体を変えてある――変えなくてもいいんだが、変えるという反応も自由
かな、とおもって)。なんか、今の名前による発言は禁止されているようだね。
このスレではちいヨハが神授の権限を持っているのか、はたまた預言者的発話の権威
によって効力が発揮されるのか。ま、ここで留意してほしいのは、このスレの
>>1 は誰かということだよ。
私の場合、マリアと言えばうちの猫であるのは事実で、仕方ない。マリア.という名
でねらったのは、実は「んこ付き猫」ではなく、「猫のお尻に付いたんこ」をこそ、
我が名とすることだったのだが――それもまた、ちいヨハにとっては怪しからんこ
とであろう。
今、ちいヨハはどのような躓き方をしているのだろうか。弱い者の躓きか、それと もファリサイ人の躓きか。自分を神なり聖母マリアなりの権威を代行して、人に発 言を禁止する立場に置いていることは、彼の躓きがファリサイ人の躓きであること を示している。ファリサイ人が躓いた時、イエスはどう反応したか。日曜日に人を 癒すことをやめたか――否。ユダヤ人信徒のある者がパウロに躓き、異邦人には割 礼をまず受けさせよ、と非難したとき、パウロは彼らに配慮して、受けなくてもい い割礼を受けさせたか――否。 弱い者が躓くともっともらしい口実で、実は自らを義とし、自らの信念のみが正し いと、その義しさを誇るファリサイ人の躓きをしているちいヨハに対して、そして 以上のような理由による限りは、私は目下の名前を捨てることはしない。 私マリア.は通常はブルネルスというハンドルで書いてきた者であり、巫女マリアと は赤の他人である――ということは、ちいヨハ以外の誰もが知っていることだ。だ から、この名前を続けることに、いかなる道義的問題もない。 私はイエスの母マリアに親愛の気持ちをもち、一人の人として尊敬しているが、崇 拝などしない。私はマリア.と名乗ることによってイエスの母マリアを汚している などというカルトちっくな、魔女狩りのような言いがかりをみとめない。 ――どう、分かった、こういうことなのよ。だからちいヨハには悪いけど、あたしは 自分でやりたい時には、こういう文体で話すし、気が向けば、また元にもどるの。 あなたは私を、地に落とされる竜だの、イゼベルだのに喩えたから、お返しに、あな たをファイサイ人にしてあげたわよ。も一度よおく、考え直すことね。
684 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 01:04
>>680 ちがうよ、聖書を「いじる」ことにちぃヨハはたぶん抗議しないだろうな。
ってこと。
685 :
小さなヨハネ :02/04/12 01:05
>>670 名前:ふらんちぇすこ さん
>性の不一致はカトリック教会でも認めつつあるんだよ。傾向としてネ。
>うちの神父は「あるがままのその人であることが大切である。
>だからゲイであるとか、そういうことで悩む必要はない。
>それがその人に与えられた神からの賜物である。と受けとめればイイ。」
>と言っていたな。
>後天的な「性」はその人個人が生きる生き様なんだよ。
私もマリア氏が「性同一性障害」もありうると思っていましたので前は
何も言いませんでした。しかし、「マリア氏」はそんなにヤワではないと
確信しました。
ふらんちぇすこさんは、人はいいけれど、見方に少々甘いところがあります。
たとえば、「真理」をおっしゃるが「適用」面が甘いとか・・・。
つまり、何かの「真理」を適用する時に、それを適用するのがふさわしいか
どうかということです。その真理を適用してよいかどうかはこれはまたこれ
で沢山のケースが在ります。
>>675 いんや〜、普通は魂自体は半陰陽らしいよ。
男でも女でもあるらしいね、魂自体は。
↑ 急遽、某氏に聞いた(爆)。
687 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 01:06
崇敬じゃないのは、わざとですか、ねこうんこ姉さま。
688 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 01:14
>>685 「デムパは説得できない」の例がまたひとつ……
689 :
小さなヨハネ :02/04/12 01:17
>>672 :dendo. 氏
>あのね、誰かを侮辱したいならせめてあたしにしときなさい。
>でもブルネルスさんをこれ以上侮辱するなら、
>私も本気を出すことになりますよ。それでもよいのですね。
>あんたの信仰に敬意を払ってこっちはそうしなかったんだからね。
>よく考えなさいよ>小さなヨハネ
・・・・ウェルカム。あなたにきずがつかないように・・・。
690 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 01:17
ふーん。「適用」ね。 をれはフランシスコの霊性に生きているからね。 「人間本性を否定しない」 それに倣ってるだけ。 真理を的確に適用出来るのは神だけ。をれ達人間ではない。 安息日に麦を食べたことをファリサイ人に咎められたイエスはなんと言ったか? 愛は律法にまさる。 また、行いはなによりもその人個人の価値を表す。それにおいて敬意のありかたを 理解出来る。巫女マリアは、その言質において、マリアの霊性を目指そうとしている事が わかる。それが彼女の聖母「マリア」への敬意だ。(友人の名前でもあるというから その友人への敬意でもあるわけだな。) また、ブルネルス氏は、様々に言葉を変えながらも「三位一体」の原理を伝えよ うとしている。これも誠意ゆえのことだ。知への誠実だ。過去多くの学者が 探求して来た「三位一体」への敬意でもある。 それをみずして、何を見ろというのだ? あと、別に相手がヤワだから、とかヤワでないか関わらず、その人個人が 自己に命名した名には敬意を払いたいよ。
>>647 いや、別に追い詰めてなんかいないわよ。
逆に、勝利と思うなら、それで良しよ。
最近の宗教論争って、良くそういうところがあるもの。
>>659 あたしはね、脳は女性の脳らしいわよ。
ひげは生えないし、声変わりもあまりしなかったし、
年のせいでかなり低くなったから、
ホイットニー・ヒューストンなんて歌わせたら、
彼女の叔母さんのディオンヌなんとかの声と、良く似ているらしいわ。
昔は、ソプラノ歌手とか良く言われたわよ。
なんで、自分の脳を知っているのは、
病院時代に、何かと実験台に利用されたからね。
学会に、発表するわけでもないのにさ。
変な先生達だったわ。全く・・・。
で、体はどこも触ってないし、ホルモン注射もしてないわ。
当然、聖書的には、はっきりと罪を犯したわけよ。
でも、亭主も死んで、それ以後はさっぱりね。
その日、旦那が出掛けて行く時、はっきり死相が出てたからね。
それを思い出したら、もう他の人なんてダメね。
各地を彷徨っていた時に、ちょっと、その後に付き合えば?
ということはあったけど、やっぱり嫌でね。
おかげで、誰かが横にいて欲しいとか、そういう欲求も失せてしまったわ。
>>661 それより前に、あたしの名の由来について、
きちんと理解して欲しい。あたしの名は友達がくれたもの。
その友達の名を汚す言いがかりは、本当に失礼な話しよ。
>>687 「崇敬」と「崇拝」を区別して話せっていうなら、たしかに「崇敬」のほうよね。
サポートありがと。
ついでに補っておくと「尊敬する」と言ったのは、とくにマリアだからじゃなくて、
dendo.ちゃんや元ふらを尊敬するのと同様に、イエスの母をも尊敬するということね。
>>651 アベラールとエロイーズ風なのはどう?あたし、うまく書けないけど、切り取っ
ちゃうという筋が妙に合ってるとおもわない?
じゃあね。眠いから今日はここまで。ちいヨハのお怒りの言葉は明日読むわ。 じっくり考えて、できるだけきつーいのを書き込んでね。
694 :
小さなヨハネ :02/04/12 01:23
おお、ブルネルスさん、 それなら、こちらも対策を考えましょう。
695 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 01:24
区別して話せ、というより、戦略的に教会用語としての崇敬を使わなかったのかどうか、 (あれが崇拝行為一般であることに私も異論はない)、それともまたうかぽん:-) なのか、知りたかったのでし。 とにもかくにもイェホシュアさんを育てた人で初代教会にいたと信じられていた からには教団成立期に重要な役割を演じたはずで、信仰を抜きにしても素敵な 人だったんだろうなあと思います。正教にいったのも、生神女崇敬があるかどうか ってのが最初の選択肢だったからでして。 アベラールとエロイーズはね、マリ^2本用にとってあるの。
696 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 01:24
>>692 マリア.
>アベラールとエロイーズ風なのはどう?あたし、うまく書けないけど、切り取っ
>ちゃうという筋が妙に合ってるとおもわない?
ププ。それキボーン。で、誰が、誰だ?
アベラールがブルネルスでdendo.がエロイーズ。
をれはエロイサのおぢでもやるか?
マリアさんは・・・・。役どころがムズいな。
「悪徳の栄え」も充分魅力的だが。
をれ的には「眼球譚」なども…。
>>666 分かってるわよ。
あたしも一応、言い伝えでも色んな話は聞いているわ。
けれど、やっぱりこっちとしても立場はきちんとしておかねば、
それは小さなヨハネさんにも不親切よ。
あたしの友達の名誉にも、かかっているわけだしね。
698 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 01:26
うーん。自分を出すならソドム篇か、亡夫を加えて3Pinブル/ふら本がいいなあ。
699 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 01:30
>>691 個人的なことを訊いたのに、答えてくれてありがとうね。
>その日、旦那が出掛けて行く時、はっきり死相が出てたからね。
いいなあ。こちとらその日、蒲団かぶって会話したのが最後だから
その日最初に顔を見たのは警察にいってからだったの。
死亡してからそれがわかる前に数時間あって、一瞬何ごともなく
お仕事にいったのかと誤解させるようなことがあったので、
支度してくれていた朝ご飯をひとりでたべました。
その数十分後、職場から「どこにいるかわからない、探してる」って
電話があって……
>>696 どうしてもその線でいくなら、マリアさんはエロイーズが入った
修道院の先輩修道女はどうかしら。
途中で長い「マリアの遍歴物語」が挿入されるの。
700 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 01:30
>マリア. をれのパソじゃ、 . が見辛いんだよな。 いっそ.comとかつけれ。。。。。という解決方法もあるが。 面白くないか。
701 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 01:31
>いっそ.comとかつけれ。。。。。という解決方法もあるが。 面白くない。
702 :
小さなヨハネ :02/04/12 01:31
ふらんちぇすこさん、 ・・うーん。まだ相当甘い。 もし、ふらんちぇすこさんに人間心理追求の二ーズがおありなら、 スウェーデンボルグの「自己愛」に関する記述などを読まれると、 その精緻な観察に驚くでしょう。驚嘆します。
703 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 01:31
を〜700ゲットぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!
704 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 01:34
いいもん、獣の数字げとできたからいいもん(涙)
705 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 01:34
>>701 をれもそう思う。
>>702 小さなヨハネ
ありがとう。
でも、いまは遠慮しとく。フランシスコの霊性探求で手一杯なんだ。スマソ。
スウェーデンボリの霊性を知る前にまだやらねばならない事が沢山あるんだな。
>>699 あら、修道女ね。
マグラダのマリア修道女てな感じかしら。ホホホ。
707 :
ふらんちぇすこ :02/04/12 01:40
ひとつ気になることがあった。 三位一体で「太陽のたとえ」を出していたが、あれはスェーデンボリの 書から? 4cにサラミスのエピファニオスがサベリオス主義の説明で語ってたことなんだな。 のちに「様態論」として呼ばれるんだが。 ・・・・・・・・と話を戻してみるテスト。
708 :
dendo. :02/04/12 01:42
>>692 たまにはコテハンをいれてみるテスト。
今読み返してみると、崇敬ではやはりまずいような気がします。
ある教派的立場を前提としたいい方になりますから
(もちろんちぃヨハに対して語っているからそれでいいのだ、という
見方もありますが、それだと直後の「など」と齟齬をきたす)
……そですね、礼拝(らいはい、だお)くらいが中立でよいのかなあ。
709 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 01:44
『結婚愛』とかで出てくる>太陽・月・星 スヴェドボリ掌愛のイマジャリーなのだ。
710 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 01:45
ををっと。もう名は無くそう。
言うべきことは言ったし。あとはいままで通り、マターリ逝くよ。
>>706 マリア
いいねえ。絵になるねぇ。
をれも、去勢されたアベラールに付き従う出来の悪い弟子あたりでもイイな。
711 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 01:46
>>707 ああ、問題になってる箇所は太陽しか使ってないか。
箇所をあげられないが、確かにその喩えを使ってる箇所はあったと思う。
全体に霊的存在を天体に喩えるのが好きですね、末ちゃんは。
ところで末の人は、存在論からはずれるけど売春肯定論とか
女性蔑視的記述とか結構あるんだけど、そういうことも肯定しちゃうの
かしら、ちぃヨハは。
712 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 01:53
エピファニオスの引用。(出典は不明。孫引き) 「・・・・その教理は、父と子と聖霊がひとつの実体に三つの名前がつけられたという意味で まったく同一の存在であるというものである。ちょうど人間における体と魂と霊のような ものである。あるいは太陽のようであって、ひとつの実体でありながら、3つの現れ、 つまり、光と熱と球体そのものを持っているのである。熱は・・・・霊の譬となる。 光は子の譬である。一方父自身はそれぞれの実体の本質によって表される。 子は光線のようにあるとき発せられた。・・・・以下略」 クリソツである。それとも、これを引用したの?
713 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 01:57
>>699 そうね・・・。あなたのほうが、大変よね。
あたしはその点、楽だったと思うわ。死にに行くのは、分かっていたし。
でもね、それでも死が決定的になった時、
しばらくは放心状態だったわね。
東京から離れて、しばらく友達の家に落ち着いたけど、
どうやって生きていくか、何も考えられなかったわ。
>>710 そうね。あたしは出来の悪い巫女だし。
まったくもって、ぴったりよね。
716 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 02:08
体と魂と霊は存在様態がじぇんじぇん違うんだけど、まあいいや、人のいうこったし。 ……直接かどうかはともかく、知ってた可能性はあるんだろうねえ。 サベリウス主義の説明(つか反駁)って相対的には少ないので。 ちなみに、今まで気にしたことがなかったんだが、宗教板でも時々話題に なる「ウィットニス・ニー」は一時期さべ者だったらしい。さべ者呼ばわり されるのが嫌で、教義を変更したけど、そんでも本質的には位格の独立性を 認めてない。で、この教派は、それなりに流行ってる、らしい。 ……ぶの人がおっしゃるように、一般教徒の理解ってさべ的になりやすいのかしらん。
717 :
あうぐすちの :02/04/12 02:10
質問: スエーデンボルグの件で。 ぼくも20代の頃に読みましたけれども、 いくつか大事な点で疑問を感じて以来、よめなくなりました。とりあえず、 気づいた4点だけ挙げます。 1、キリストの再臨とは彼へのキリストの啓示であり 2、最後の審判は18世紀に始まり終了している 3、聖パウロは地獄にいる 4、三位一体を否定 これらのことをしったときに、「おかしいのではないか」と思い、 実際、危険性まで感じまして、読まなくなりました。 皆様はいかが思われますか。僕はサンダー・シングの本も読みましたが、 サンダー・シングとスエデンボルグとでは言ってることが 似ているようでずいぶん違います。 上の1から4まではサンダー・シングとスエデンボルグとでは正反対です。 友人ともずいぶんこのことを話し合って今にいたっています。 サンダー・シングは受け入れられても、スエデンボルグはどうしても受け入れられません。
718 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 02:16
>>714 事件性がなかった分、ある意味ではあたしのほうが楽。
放心はしなかったな。すぐ職場と親に電話して、病院へ行こうとしたけど、
ちょうど通り道だった職場に寄って、そのままけいさつちょこー。
といいつつ、それほどしっかりしていたわけでなくやぱーり放心して
いたのは、「希死念慮が出ている病院行かなくちゃ、でもお休みだから、
どうしよ」……休日診療で精神科もあいてることに、気づいてない:)
……どこで死んだのか知ったのは、結局週が明けて、五日目だった
なあ。ちょうどイヴの日でした。友達に連れられて、日基の礼拝に
いった。いい感じの牧師さんで、学科の先生もいて、要するにとても
あたたかな雰囲気だった。だったけど、説教を聴いて「この人の
教理理解と私のは決定的に違う」って思った。
……いろんなことあったけど、ある意味自分が正教を信じるつー
ことが、それ以外にありえないような選択なんだな、ということを知る
一週間でもありました。夫の実家で正月を迎えたから、聖体礼儀に
いったのは、ずいぶん後になったけどね。
本家は檀家総代やってる家なんだが、葬儀ほか一切好きにやらせて
もらって、義理親には、ほんとに、感謝してる。スレ違いスマソ。
あ、違う。クリスマス。イヴの日に礼拝いったけど、その次の日だな。 職場に改めてあいさつにいったのは。
720 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 02:21
>>717 あうぐすちの
をれ。門外漢でスマソなんだが。
サンダー・シングの方も紹介してくれないか?
721 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 02:21
>>2 、最後の審判は18世紀に始まり終了している
うーでも自分たちが歴史の極点にいる、つーの、ある意味彼だけの
思想じゃないからねえ。
まあ週末論(きにいったのでこのまま)がからむとちとやっかいだけど。
722 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 02:22
あ、そうなっちゃうのか。私も説明きぼん。 ちぃヨハのはnoisyなので、末さんみたいに箇条書にしてくれると ありがたし。
723 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 02:23
>>718 そういう体験を経て、今に至るは、をれも同じ。
人ごとじゃないだよね。dendo.の体験は。
724 :
あうぐすちの :02/04/12 02:27
サンダー・シングさんはインドの聖人です。 イギリス教会で洗礼を受けました。貴族階級の御曹司でしたが、十三歳でキリストに出会ってから、全てを捨てて世界伝道に出て、地球を二度回って宣教し、日本にも来ています。 40歳で、ヒマラヤに消えました。 天国、地獄、中間世界の多くの幻を見ています。>720
>>718 あなたの神は、正教に導いたのよ。
良かったと思うわ。縁がなくて行った事はないけど、
友達が正教の信者でね、まぁ、モスクワ一辺倒だけど、
聖体礼儀はいいらしいわね。良く聞かせてくれたわよ。
歌が上手な子だったから、良かったわ。
葬式のことは、あたしは何も手をつけてないのよ。
子分達の勧めもあって、旦那の遺言通りに、
旦那の遺産の一部を持って東京から離れたのだから。
726 :
あうぐすちの :02/04/12 02:43
自分が疑問を感じて読むのを止めた大事な点を追加します。 5、キリストの贖罪を否定しています。 6、黙示録の二人の証人(カトリックでいうエノクとエリヤ)は スエデンボルグの教理の二本柱である。二本柱とは 1)三位一体は嘘である 2)キリストの贖罪の教理は嘘である の二点を意味します。 なお、サンダー・シングは上記の点については、スエデンボルグとは正反対で 正統路線を行っています。 サンダー・シングさんは20世紀前半に生きたヒマラヤのキリスト者。
>>717 と
>>726 について、ヨハネさんにレクチャーをお願いしたいのですが、私には
その知識がないので。
けど、同氏に於いては、それどころではないみたい・・・
728 :
猫むすめ。 :02/04/12 05:17
>706 あ、知ってるシスターの名前がそれにゃ。 にゃんだかマリアさんも苦労したみたいだにゃあ。 でもにゃ、マリアさんを大切にしてくれている人が どこかにいたら静かに一緒に時を過す事も悪くないにゃ。 お亡くなりになった亭主さんだっていつまでも泣いている マリアさんのことを見ているのが辛いと思うにゃ。 神の思し召しってなんとなくどっかにあるかもにゃ。 傷ついた愛し子を放っておく訳ないにゃん。 もう少し素直になったらどうにゃ?
>>728 いいえ。あたしはこのままよ。泣くこともないわよ。
これが、あたしの生き方だからね。もう一人がいいわよ。
自由気ままに生きれるのだから。
730 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 08:23
寝るっつって寝てないのかよっ! ちゃんと寝ろよ。 しかし操立てしているのかもしれないけど 自分のことは、からきし臆病でちっとも神に救われて無いじゃん。
731 :
Mr.名無しさん :02/04/12 10:28
だって、キリストという、みんながよく知ってる 十字架に架けられているあれ。絵や像があるけど、 実際のイエスは、チビのブ男だったっていうじゃない。 教祖という人たちは、だいたいコンプレックスを持っていたんだよね。 だから、人に優しい世の中になる事を求めるんだよね。 納得。 まっ、始めがどうであれ、言ってることは、いい事だからね。
732 :
Mr.名無しさん :02/04/12 10:44
>>731 うん、うん。
マリアだって、男に相手にされない、ひどいブスだった
という話じゃない。だから、処女だったって。
当時は、女は、みんな早く経験してたんだから。
とにかく、後の人たちは、美化するからね。
733 :
あうぐすちの :02/04/12 11:21
>>727 おはよう!ぼくもそう思っています。
ヨハネさんも、かトリックの方で、両方ともお読みのようなので、
どうして両方とも真実の啓示として受け止められるのだろうと思いました。
教えてくださると幸いです。
追加点
7、スエデンボルグは、パウロがそもそもの誤謬の始まりだったので、
パウロ書簡は読む価値がないと教えています。
このため彼の教会(ニューチャーチ)ではパウロ書簡を無視しています。
8、パウロが創始したキリスト教を憎むべきものの巣窟と呼び、
特にカトリックを非難の槍玉にあげています。
9、キリスト以後初めて、自分において真のキリストの啓示がおこったといい、
それをキリストの再臨であると言っています。
10、天国と地獄の真相が自分を通して世界に伝えられたことをもって、
最後の審判は終了したといっています。
11、天から降下する「新エルサレム」は、彼が創始した教会だそうです。
真相を知るにつれて、ついてゆけなくなり、私は友人とともに
スエデンボルグの著作を読まなくなりました。サンダー・シングは後で知りました。
ヨハネさんにお聞きしたいのですが、
これはあなたの奉じておられるカトリック信仰と調和しているのですか?
それとも、有益なところだけ採用しているということでしょうか?
>>733 ありがとうございます。(今日は午後から仕事♪)
7、が興味深いですね。
いわゆる、”ヘレニスト”の文書はスローガンを高らかにうたっているだけ
に読めて、理が欠けている様に思えます。エルサレム教会系の文書は建物の
様な荘厳な趣があり、好きなんですけど(恐らく、散逸したものも多いでし
ょう。残念です。)
けど、例えば「ヤコブの手紙」とかで”行い”を強調していますが、パウロ
は”信仰”のみをもって”義”としています。(啓典としては、一つの文書
ですから矛盾はしません。)これらを書いている状況を想像してみると、(
あくまでも、想像です。)実際に、”行い”の実があったのは、パウロ達で、
エルサレム教会の方ではなかったように、私は、読みます。
スウェーデンボルグはパウロを疑ってるんですかね?
735 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 12:25
>あうぐすちの 読む限り、スヴェーデンボリも時代性から離れる事は出来なかった。 という感じを受けるがね。 彼の個人的な信仰の世界の域を抜け出ていない。 彼が受けた啓示が普遍化するには弱そうにも思えるんだが、 当然、影響を受ける人間が居るという事は、 君が読んだ印象からの結論で無い結論もあるだろう。 小さなヨハネの反論が欲しいところだ。
>ALL はーい、今、一仕事終わって昼休み、ってとこよ。
寝てる間にまたまた進展ね。
元den..―マリアの対話に続いて、
スエドボリの公平な解説者登場で、場の雰囲気が大部変わったわね。
こうなると、この雰囲気に同化するのか、元ふら―元den..の演劇公演企画
モードを続けるか、選ばなきゃね。
>>700 ちょっと、私(の記号)=んこを大きくしといたわよ。
で、モードを暫時変えて:
>>734 etc. スエドボリが反パウロだというのはおもしろいですね。
伝統的キリスト教はパウロの神学を柱にしているという前提があって、それを
くずそうとしているんでしょうね。
ただ、私から見れば、パウロには三位一体説を支える思想もないし、贖罪説も
希薄なので、6の二本柱との連関が?なんですけどね。
推測してみると、ヨハネ伝だと、イエスを子なる神だとしてますので、かえっ
て、このスレのように、同じ神だというのだから、「子なる神は父なる神だ」
と同一視してしまうという道があるけれど、パウロのように、イエス・キリス
トは神だとまでは思ってない場合には、父との区別がはっきりしてしまうので、
不都合なのかな。
737 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 13:08
>彼の個人的な信仰の世界の域を抜け出ていない。 禿同。というより、彼の第一の敵はスウェーデンのルター派なんでしょう (そして18-19C前半までのルター派神学は、というかそれを代表するのがテュービンゲン神学といわれて いることから察するに「すげえつまんない」ものだったろうことは確か。 ドイツ観念論の主要プレイヤーはみな神学生くずれだということをお忘れなく)。 それを分かっていて読むなら、詩的で面白いテクストですよ。講壇哲学者の ラテン語なんかよりずっと流麗だし(知性界感性界、卒論のために仕方なく 読んだけど、内容はともかく文体の無味乾燥さにげんなりさせられたぃ)。 でも今はファウスト第二部読んでるから、スヴェドボリさんはとうぶんいいや。
738 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 13:21
>>538 一部訂正。
というか、ある部分では三一性の相互浸透をしぇの人の同一期の絶対者
規定に見ても間違いではないように思います(たぶん私が漠然と東方と
しぇの人の並行性を見ている根幹にはそれがあるんだろう)。
ただしそれがいえるのは、無限なもの(=観念)と有限なもの(=実在)の
量的差異が同時に、かつ同等な資格でおかれるとき、おそらくはそのときに
限ってだと思います。(ここで同一性からいかにその二つを、とりわけ
有限性を導出するのかという、例の有名な問いがつきつけられる。
結局のとこ、自由論は「freiwillig な有限性の自己定立」と
あっさり中期がかたづけていた問題を主題的に展開することだろうと思うので
ある意味この問いは意味深くもあり、また無意味でもある)。
でも、一度差異が立てられたときには、その同等性が強調される箇所に
おいてすら、観念の優越が前提とされているようにも見えますし、一方
無限性という概念は、ある意味、端的に有限性の対立としてのみ体系内
で意味を持ちます(しぇの人が主題的に無限について語ることより、自然や
芸術といった有限な物[とその定立/構成]について語ることのほうが多いのは
これをおそらくは反映している)
なので、御指摘はひとつの読みの可能性としては、というより
シェリングに現代性を与える上で極めて有効な読みである可能性を
私は否定しませんが、体系全体との連関など考えると
相当テキストを読みこんだ上でないと論として立てるのは難しい。
なのでいま御返答はできません。宿題にして持ちかえりますので
いましばらくお待ちいただければ幸いです。
739 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 13:27
>こうなると、この雰囲気に同化するのか、元ふら―元den..の演劇公演企画 > モードを続けるか、選ばなきゃね。 どっちも神を語る形式であるという意味では本質的に差はないんだしぃ、 気分で両方を往還すればいいんじゃないかしら。とつぶやいてみるテスト。
740 :
Mr.名無しさん :02/04/12 13:38
イエスは、聖霊が存在するなんて言ってたの?
741 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 13:58
史的イエスが何をいったかなんて知らん。 でも福音書には聖霊についての言及がある(ex. マタイ 8:32)。 740は聖書よんだことないの?ここかなり有名な箇所なんだけど。
742 :
Mr.名無しさん :02/04/12 14:14
史的イエスではなく、イエス本人が言ったのかどうか。
743 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 14:17
(……史的イエスでないイエス本人って、どういう概念なんだろ)
744 :
Mr.名無しさん :02/04/12 14:26
イエスと福音書はどういう関係なの?
745 :
Mr.名無しさん :02/04/12 14:45
なんだ、知らないのか。帰ろ。
746 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 15:26
イエス本人がなんと言ったか?・・・・と言う事を探求するのが「史的イエス」 なんだがなぁ。。まぁ「本人が書いたものでは無い>福音書」 流れで気になることといえば三位一体の相互浸透、ぺリコレーシスと、 そこから発展する教会論について(EXレオナルド・ボフ)の展開。 スレタイトルの、父=子における聖霊の立場や、そこから導き出される疑問、 「父と子が位格に置いてもまったく同一である場合、神は死ぬか?」とかね。 ・・・つうのが、課題としてでてきたよ。 ・・・・・・・・・・・をを。これからちょいと勉強しに行かねば。 神父に聞いてみよう。
747 :
Mr.名無しさん :02/04/12 15:42
だいじょうぶ? 昔、数学者で、ハミルトンだったかな? 非常に頭のいい人なんだけど、 4元数とかいうものが存在するとかっていう考えにはまっちゃって 一生の大半をその研究に費やしてしまった という実話がある。 今では、それは、数学的に否定されているんだけど、 そんなのにはまる前は、数学界でとっても期待された人だったんだって。 ハミルトンって今でも本に載ってる人なのにね。 あなたは、無駄に時間を使わないようにね。
748 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 15:52
今、キリスト教神学史を勉強中なんだな。トテーモ為になるんだな。
無駄ではないんだな。目的あってやってるから。
>>747
749 :
Mr.名無しさん :02/04/12 15:55
なんだ、客観的に学んでんだ。
>>738 「ご指摘」というのは私に対しておっしゃっているのでしたら、
(外しているかもしれないけど、スレの流れに追いつけないんだもん)
「はいはい、了解。でも、当方もいい加減なことを思いつきで言っているので
あまり、真面目におとりにならないでね」と応じておきます。
>>741 「(ex. マタイ 8:32)」は??書き間違えてない?
イエス本人=史的イエスがどう思ってたかは、当方も知らんけど、
ヨハネ伝の聖霊理解の背景には、やはりモーセ五書理解があると思う。
前にヤハウェとヤハウェ顕現体=ヤハウェのみ使いについて有益な共同検討?
をしたことがあったが、
ヨハネは、これと並んで、「神の霊」についての解釈を下敷きにして、聖霊に
ついて語っていると思われ。今、別スレで言及したBible Works で、70人訳、
ヘブル語テキスト、ラテン語訳、と並べて、検索して、結果を書き始めたのだ
が、どうも今日は持続力がないので、中止。またの機会に。
751 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 15:59
ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage
752 :
Mr.名無しさん :02/04/12 16:01
歴史+αを勉強して、その真実性も確かめてください。 だって、宗教は、信じる信じないは、その人の勝手ではなくて、 人の生死をも左右するものですからね。 真実性がわからなくても、少なくとも、心のよりどころになるような 宗教だといいですね。人を惑わさないのがね。
ageageage・・・って何よ。 宗教板中で次々しょうもないことするから、順番が超整理法的合理性から外れ ちゃったじゃないよ。 合理性を取り戻すために、age 今回の発言はそれだけよ。また夜ね。
あら age られないわね。もう一回 age
age
あうぐすちのさん 小さなヨハネさんが、多分いろいろ言ってくださると思いますので、それを待ち いと思っています。 スウェーデンボルグを理解されるのに、どのようなものを読まれましたか? よくまとめられましたね。 あなたの論点はよくまとまっていると思いますが、7は、かなり誇張された表現で、 真実からは遠いです。それも、ヨハネさんが言ってくれるでしょう。 私は、スウェーデンボルグを読んで、あなたと同じようにとても面白くない思い をしました。 あなたが読むのを止めたのは、本当は正解だと思います。 私も、これを読もうとするとき、かなり反対されました。 一般に、正常に信仰を持っているキリスト教徒がスウェーデンボルグを受け入れ るのは危険すぎます。 私の知っているプロテスタントの某牧師も、長くスウェーデンボルグを研究し、 それを認めながらも、贖罪論等、主要教理では、プロテスタンティズムを通してい ます。 小さなヨハネさんは、プロテスタントもカトリックも知らないので、そういう懸 念を理解していません。 しかし、また、スウェーデンボルグを認めている人々の中に、賀川豊彦、晩年の内村鑑三 などの重鎮があるのも否めないことです。 すべてを切り捨てるのではなく、よいところは真摯に受け止められることもよろしいかと。 と、思うのですが…、やはり正当主義の理論体系の中にいると…、それは無理なんですよ…ね。
>>756 まぁ、小さなヨハネさんは、
キリスト教について一番大切なのは、啓示や預言だと思っている人だから、
福音によって生きるという理解は難しい。
よって、福音によって生きるということの大切さは、理解出来ない。
イエズスの福音より、啓示や預言から、
生き方を学ぼうとしているからね。
758 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 21:39
>>741 Thank you for your remark. It was a typo.
X Mt. 8:32
O Mt. 12:32
759 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 22:18
>>750 ……先生、便所の落書に何を期待しておいでです?
>>746 西方なら熱的死するのかもね:-)
生まれないし、filioque とあるからには聖霊も発出できなさげ。
じゃ東方ではどうなるか……ってことを考えると、発出はできても
聖神はほぼ子との関係で現れている(予言者を以ってかつて言いし、
ってのがあるけど、言われるものが「神の言」である以上、やはり
ここにも子との関係を設定することは可能だろう)、ってことを
念頭におくと、父と子の二位格はやはり本性的に聖神に先立つように
思われる。
まあ、そうだねえ、自分しか見てないような神なら、父子同一論とも
接続できるのかもね。他との関係がないなら人格性を設定しなくてもいいし。
ってそれじゃアヴェロエス主義で異端扱いされるじゃん。といちおう自己つっこみしとく。
760 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 22:20
>>757 ぽん。
なんで福音史家ヨハネと啓示筆者ヨハネが伝承では使徒ヨハネに
attributeされ「なければならなかった」のか、うっすらわかる
ような気が。
主とともにある生活があって、啓示があって、さらにその解きあかし
としてふたたび福音がくるのだね(某教会の聖伝では、啓示を書いた
あと、福音を書いたということになってゐる)。
深いのお。聖伝。
761 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 22:22
>>756 よいところがあるのは認めてる。
それでもなお「正当教義のほうが、やっぱり面白いじゃん」
て立場もある。
762 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 22:23
む。正統、な。
正統教義は、歴史と共に成立してきた背景があるからね・・・。
764 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 22:45
そういえば、しぇの人は「教会はキリスト教を秘教化しようとする動きにつねに反対してきた」 (=「神秘主義逝ってよし」)っていってますです。 キリスト教自体が秘教だから、これをさらに秘教化すると reality がなくなっちゃう、と考えている模様。宗教は信じるという行為を 通じてリアルな人の生にかかわってくるから、リアリティ(実在性)の ない宗教というのは、彼にとっては意味がないのだ。たぶん。
>>760 深いわね、本当に。色んな背景があったのよね。
全ての聖伝承の成立の背景には・・・。
766 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 23:00
>>全ての聖伝承の成立の背景には・・・。 そう、だからこそキリスト教の歴史のなかで成立してきた伝承は 史的事実と違っていても(あるいは違っている場合にこそ) 一定の尊重をもって取りあつかわれなければならない。 それは確実に、ある時代の信徒集団が共有した聖性の表現だからだ。 末ちゃんのは個人的なんだよね。まあ、啓蒙と私的啓示を両立させるのは 難しいってこった。 「理性的でない神話を哲学者は恥じるだろう」(so-called『ドイツ観念論最古の体系構想草稿』)
>>757 そ…れもちょぉっと、うーん難しいなあ。
私は、マリア・ワルトルタは、福音書に忠実だと感じました。
ヨハネさんという人は、他の良さを理解していない面はあるのだけれど、
彼自身の受けとめているものは、福音から外れてないと思います。
むしろ過剰に良いと思う。
>>761 あんまり書きたくないんだけど、スウェーデンボルグからするとね、
正統主義は、「おもしろい」というより、「おめでたい」ことになるのよね。
ごめんね。ま、いいでしょ。ホントにめでたい話なんだから。
私の知っているスウェーデンボルグ主義者ってのは、たくさんはいないけど、
実際には本当に厳しく自分を磨く人々なのね。
隣にいるのがしんどくなる人たちもいる。ノーテンキに暮らしてきた私にはね。
と、そういうものを求めさせるものが、スウェーデンボルグにはあって、
かえって、それは、どんな人にでもは無理だからこそ、
「読むな」としつこく言われているわけでしょ。ホントは、レベル高いのよ。
>>763 歴史ですか。スウェーデンボルグには、超独特の歴史観があります。
うーん、その話はいずれまた。
768 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 23:33
769 :
通りすがり :02/04/12 23:43
信仰ってなんでんねん?理解すること?信じること?体験すること? 小ヨハは信じる、マリア.は理解する、マリアは体験した。? 知に走れば角が立ち,情に竿せばながされる、腹をくくれば窮屈だ。 とかくこの世のスレは面白い.我輩はうんこである。3位一体。 やせがえる、負けるな小ヨハここにあり。
>>767 だからこそ、逆に言えば彼は福音から外れているのよ。
マリア・ワルトルタはね、聖伝承の流れから言えば、
検証のしようがないものなのよ。
そういう啓示は、ちょっとカトリック的には非常に厄介。
それから、あたしのような視点から感じるものは、
スウェーデンボルグは、それほど魅力は感じないわ。
時の流れを否定しているような、そういうものが散見されるようだから。
特に得るものはないと感じるわね。
歴史については、後から見るなら、どのようにでも解釈されるからね。
そういう意味で、ちょっと普遍的なものになるのには、
ちょっと難ありかもね・・・。と感じた。
正統教義の成立の過程には、色々在るからね。
771 :
小さなヨハネ :02/04/13 00:01
主の平和。 ご質問にも、お答えしなければならないのですが、さすがに二人のマリア氏のお相手 をするのと、皆さんのたくさんの書き込みを拝見するのに、いささか今日は疲れて しまいました。ご質問には明日お答えしたいと思います。 それで、感想をひとこと。 実は、今朝、昨夜からの皆様の書き込みをプリントアウトして、会社の行きかえり、 仕事で外出の際などに拝見して、レスを走り書きしていました。(ほとんどそれは いつも書けないで終わってしまうのですが・・・。) 最初は、あ、そう、それならやろうではないですか、とファイティング・スピリット 満々だったのですが、終わりの方になって、なんだか急に悲しくなってきてしまい ました。それは、何と言うのか、あまりの認識のギャップに暗澹たる気持ちになった というか、人をやっつけるのが気が進まなくなってしまったというのか、気の毒に なってきたというのか・・・。 それは何か、聖母に、そうではなく、愛しなさいと諭されたような妙な気持ちでした。 (私には霊感は全くありませんけれど・・・。) 「小便娘」に、あまりここで小便やら、んこするなら「東方教会すれっど」に、 お前のコピーを張って言いつけちゃうぞと、おどかす妙案もせっかく考えたのですが・・ ・。聖母は小便娘やおかまのおばさんたちをも、深く愛しておられるのだと、思っ たのです。 言いたいことは山ほどあるのですが、今夜はこのへんで・・・。
イエスが天主ならこの地はこうじゃないさ。 天主はもっと厳しい。 この地は何事につけ甘いのよ。
773 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 00:33
>小さなヨハネ くじけるなよ。。。 あうぐすちぬすに対する反駁が読みたい。 君自身の得た認識とのギャップこそ、語らなければならないことだと思うが?どうよ。 >小便やら、んこするなら「東方教会すれっど」に、 >お前のコピーを張って言いつけちゃうぞと、おどかす妙案 ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。あんまり妙案じゃないな。。
774 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 00:37
>キリスト教自体が秘教だから、これをさらに秘教化すると reality >がなくなっちゃう、と考えている模様。宗教は信じるという行為を >通じてリアルな人の生にかかわってくるから、リアリティ(実在性)の >ない宗教というのは、彼にとっては意味がないのだ。 ええっと。神秘主義というのはだな、リアルに戻って来るんだよなぁ。 霊性とはそういうものでなくては意味がない。「観想」をすごく浅い理解 で捉えてるのではないか?>スヱ
775 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 00:42
明日は早いからもうねるよ。
>>770 スウェーデンボルグ読んでてね、魅力なんてないよ。
はっきり言って、夢を叩き壊される。
正統主義には、魅力があるね。人の心をひきつける。感動的。
>>776 どうしてかしらね?霊的に、読む気がしないのよ。
スウェーデンボルグだけの世界。そういう感じがするからね。
神道の方は、もっと何にもないわよ。
そのままの世界しかないからね。空想の世界は無いからね。
イエスは魅力的な人格を持っていたはずだが(苦笑)。
もっとひどいのは、うちの母の家の言い伝え。 裏事情と表事情がそのままって感じ。 宗教なんて偽者と言われたら、それもそうかしら?となる。 もう一言言えば、スウェーデンボルグは、魅力があるのよ。 でもね、それは歴史の事実との関係が薄いからよ。 スウェーデンボルグという人以外の、 人のしがらみからは自由であるから、 人によっては良いように感じるのよ。 正統主義の成立は、人のしがらみとの関係も結構あるのよ。 そういう意味で、面白いわけよ。
>>778 少なくとも、底辺の人にはね・・・。
でも、その土地の常識から考えると、とてもトンデモらしいわよ。
>>747 4元数は19世紀、ケイリーによって、更に4つの要素を加えられ、
8元数となり、これらの概念は、現在、量子力学の主要な武器とな
っています。
782 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 01:55
>>744 違うのよ。これはしぇの人。
岩波から出てる文庫本か、中公の『世界の名著』に載ってる対話篇
(これも昔は岩波文庫に入ってたなあ)をみてちょ。
逆に、キリスト教は本来的に秘教だから、それを開示=Offenbarungすることが
必要になる。キリスト教とは「隠れていた」神が自らを時間過程のうちに
表わす、そういう宗教。
783 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 01:56
>>773 てかさあ、それが「おどし」になりうると考えている時点で
げんなりする。
私がDQNだってことは、尊敬すべき兄弟姉妹は先刻ご承知だし。
784 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 01:59
>>770 歴史については、後から見るなら、どのようにでも解釈されるからね。
たんなる行為の総体ではなく、それをある視点から構成したものが歴史。
歴史が解釈をともなうのは自明。
……ということがわかってはじめて歴史を客観的に見ることが可能になると思はれ。
>>767 私にとっては「救いとは関係なしに服従と忍耐をもって喜んで行え」っていう、
ものなんですが。
おめでたい教団もありかな。色々あるんで。
787 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 02:39
>>52 超遅レスですまんが、中世には主観とか客観とかゆー概念は事実上
なかったんだよ。
もちろん中世哲学(つか神学)史をこれらの概念をつかって語ることも
可能だろうが、それには一定の手続き(というよりはギミック)が必要になる。
あなたの書きこみにはそれがないように見えて、なんか「……でんぱだ」
っていう感じしか受けないのよね。
>>787 でんぱですよ。私はスウェーデンボルグはよんでないし、その論の結果
に表れたのが、別に不健全なものではないなあと感じただけ。
2段目の発言は、人には、神に関しての形而上学的理解は無理で、認識
論に於いてまでが限界じゃないだろうか、と言いたかった所以のもので
スェーデンボルグとは関係ない、私の想いをかいたものです。
>>780 大丈夫♪俺もトンデモだ。
ヾ(^▽^*おわはははっ!!
ややっ!ver3.05 ◆ver3llyMさん! 今日は1時まで仕事だったよ。私はもう寝ます。おやすみなさい。
>>790 うん、俺も寝る。
||寝室||Ю o(▽` o) =3 =3 =3 オヤスミー♪
792 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 03:20
>>788 もうちょっと自分の用語法に自覚的であってくださると助かる。
52はとてもそういうことをいいたいようには読めなかった。
>>621 これも遅レスだが、禿同。
欲をいえば、現実社会(とブル/マリはいっていたが、2ch.netだって現実だ、
だが今は彼/女の用語法にのっとろう。便利だから)のペルソナを
匿名掲示板 2ch.net内に持ちこむことも時機に適っていない、そのことにも
触れてほしかったな。
# もちろんあれは、if--then な文なので、実際にはその移入はなされていない。
個人的には思っていたとーーーりの、
弱者のルサンチマンの見本みたいな反応が返ってきたので、
かっくり来ましたです。
この視点から見る限りで、あのくだりのちぃヨハのふるまいは極めて「キリスト教」的ですね。
……そして、たぶん、今日のも。
白い墓、とこっそりつぶやいてみるテスト。
793 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 03:36
「娑婆本性」か。もともとの用語は。
794 :
あうぐすちの :02/04/13 04:19
>756りささんへ >スウェーデンボルグを理解されるのに、どのようなものを読まれましたか? >よくまとめられましたね。 はい。柳瀬先生の一連のシリーズを読みました.柳瀬先生ご自身、パウロ が地獄にいるというスエデンボルグの主張には手を焼いておられました。 で、ぼくに、『躓くと思いますよ』とおっしゃいました.そのとおりになり ました.昔のことです(w >7は、かなり誇張された表現で、真実からは遠いです。 そうですか?でも、そのとおりなんですけど… >あなたが読むのを止めたのは、本当は正解だと思います。 ありがとう。 >しかし、また、スウェーデンボルグを認めている人々の中に、賀川豊彦、 >晩年の内村鑑三などの重鎮があるのも否めないことです。 ウェスレーも最初はスエデンボルグを支持しましたが、後年に否定しました. ウェスレー派の教会も今はスエデンボルグの教理を否定しています.やはり、 著書を読み進めるにつれて、おかしいと誰もが思うようです。「天界と地獄」な ど2,3の名著を読んだ程度では、教理の程はわかりませんから.賀川さんや 内村さんもそうだと思います。 >すべてを切り捨てるのではなく、よいところは真摯に受け止められることも よろしいかと。 同意します.いいところも多いでしょう。沢山の真理もとかれているでしょう. ですから引かれる人が多いのでしょう.でも間違いも沢山あるでしょう. 問題は、やはり、教団を創始してしまったところにあると。 これをやると、護教しなければならなくなり、スエデンボルグを神格化する 必要に迫られます。結果、スエデンボルグは唯一正しいキリストの啓示である と宣伝されるようになります。困っちゃいます.
795 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 05:16
>問題は、やはり、教団を創始してしまったところにあると。 立ちあげにはそんなに末さんは関与していなかったとどこかで聞いたのですが…… そらみみ? おっしゃることはその通りだと同意。スヴェドボリがベーメより際物扱いされ がちなのは「霊界」の主題化だではなくて、新教会周辺の末無謬化の負の方向に 関与しているのではないかと思いまし。
796 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 05:18
あーてにをはが変だ。 郵政省メイルまつり(personal)の後なのでちょっとぷよぷよしていまし。 ……今すごぉくほそろしい可能性に思いあたったんだが ブルネルス氏はそこまで人が悪くないだろう、と「学者の両親」に 期待してみるテスト。。
797 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 09:25
>>773 >反駁
案外、小さなヨハネさんでは、無理かもね。
というか、ここの人たちに納得いくようには、無理でしょ。
彼は、別にこの10個に反論しなくても彼の信仰を持っていけるんだし。
彼には、彼の信仰がある、という事実がそこに存在するだけ。
>>777 マリアさん
>どうしてかしらね?霊的に、読む気がしないのよ。
いいんじゃない? 私、つくづく、
ああ、マリアさんって、もうキリスト教の人じゃないんだなぁ、って感じています。
なんか、ちょっと寂しい気もするけど、霊が導かないなら、それに逆らうことないんでしょ。
>スウェーデンボルグだけの世界。そういう感じがするからね。
だけど、この前dendoさんが教えてくださったけど、
大本教の経典にたくさん引用されてるんでしょ?
その他にも、彼の体験を自己流に転用して自分とこの教理を固めようとしている
妙な宗教はいろいろあるみたいよね。
>神道の方は、もっと何にもないわよ。
>そのままの世界しかないからね。空想の世界は無いからね。
壮大な伝承の世界があるじゃない。それから、あなたにしか見えない世界。
他の人は見たくったって見られないものよね。(別に見たくはないけど)
神道の系列の人って、そういう見えないものを見る人、他の宗教の人よりも多いみたい。??
>>784 >歴史については、後から見るなら、どのようにでも解釈されるからね。
>たんなる行為の総体ではなく、それをある視点から構成したものが歴史。
>歴史が解釈をともなうのは自明。
そう、それは、私も実はずっと書くかなあ、って思ってたことなのね。
だけど、だからこそ
>……ということがわかってはじめて歴史を客観的に見ることが可能になると思はれ。
これ、誰がどう客観的に見ていることを言っているんだろうと思っていたんだけど、
私は、別に一般論と信奉されている歴史を絶対視することもないのにね、って思ってたの。
どういう事件にどういう意義があるかなんて、本当に主観的なもの。
そして、本当の意義は、スウェーデンボルグでも、神道でも、神学でもなく、
神お一人しか知らない、というのが、私の歴史観です。
785 ◆rs2OUULQ さん >私にとっては「救いとは関係なしに服従と忍耐をもって喜んで行え」っていう、 >ものなんですが。 ちょっと真意がはかりかねますが、人間、救いと関係なしに服従と忍耐を喜んで行えるものなの? って、意地悪?
>>786 >おめでたい教団もありかな。色々あるんで。
これはですね、あうぐすちのさんのにあるとおりなんですが、
「救済観」決定的なの違いに由来するものであって、教団とはあまり関係ないの。
つまり、「贖い」の語義の違い。もしくは適用範囲の違い。
あうぐすちのさんのでパウロが地獄にいるって言っているでしょ。
それだけでも、あれだけがんばった人が地獄に行けるって言えるの、一体どういう神経?
って思わない? 「信じてりゃ天国に行けるって感覚がそもそもおめでたい」って雰囲気なのね。
でも、ある意味では、分からないわけでもないでしょ?
そこいらへんに、いろいろな難しい判断とかがあるわけ。ぜんぜん単純じゃなくて、
説明しようとするだけで、あっさり挫折しそうになるの、本当に複雑。
今までのらりくらりと説明を避けてきた理由の一つなの。
匿名のでかなり書かせていただきました。でも、もう匿名にも飽きちゃった。
私のほかに若干一名の方が、それらしいことをおっしゃっておられるのですが。
あれはどなたさんでしょう。>41さん
スウェーデンボルグは、ある種の解読法則を自分で立てて、それに従って聖書を
読んでいるのではなくて、彼の見て体験した世界に関して、後から理由を考えて、
あるいは、天使から聞いたことをもとに理論をくっつけたみたいなものだから、
筋が通ってるのか通ってないのか分からないような書き方もいろいろあるそうです。
て、この最後の行は、聞いた話。
あー、いっぱい書いちゃいましたね。このスレッド多分1000までもたないよ。
>>794 あうぐすちのさん
柳瀬先生というのは、いつ頃亡くなったんですか? そんなに最近の方だったんですね。
どういう宗教生活をしておられたんでしょうね、見てみたかったです。
ウェスレーも、スウェーデンボルグにとっては「カス」ですからね。
ウェスレーそのものについては、理論的には問題あると思ってますけど、
彼自身はそれなりに良くがんばったのに。
ていうか、あたしはもうモラビア兄弟団がカスにされているので、もう、分かりません。
そんなに問題あったの? はっきり言って、人を悪く言いすぎよ。
>問題は、やはり、教団を創始してしまったところにあると。
>立ちあげにはそんなに末さんは関与していなかったとどこかで聞いたのですが……
具体的にはしてないけれど、本の中でははっきりとそういう方向性が語られてますよね。
ていうか、あれ読んだら、もう教団立てるしかなくなりますよね。
>追加点 >7、スエデンボルグは、パウロがそもそもの誤謬の始まりだったので、 パウロ書簡は読む価値がないと教えています。 このため彼の教会(ニューチャーチ)ではパウロ書簡を無視しています。 さて、本スレッドも終わりに近づきましたので、細かいことは小さなヨハネさんに お任せするとして、リサがこれについて把握していることが、間違っているのかどうか、 リサなりの理解を書きます。リサは、あうぐすちのさんのように全冊読んでいないので、 リサのほうが違っている可能性も大ですので、違っていたら教えてください。 パウロそのものが誤謬の始まり? パウロ書簡は読む価値がない? と教えてる? ニューチャーチでは無視してる? あー。やっぱりこれは小さなヨハネさんにやってもらお。 ヨハネさん、いかがですか? お疲れが取れてからで結構です。
>>784 まぁ、そうともいえるのでしょう。
一つのものに対して、人間の評価は様々よ。
その様々な価値観は、人間によっても違う、時間によっても違うわ。
>>798 あたしの価値観は、もう既にキリスト教の価値観ではないわね。
昔にやってたから、分かってはいるけれどね。
一神教成立以前の姿に、逆戻りしてしまったわけだから。
神道は、この世は、色んなものや色んな人によって構成されているわけで、
それをそのまま書いているだけの話し。
神がまずあってではなくて、神は一杯いるからね。
だから、氏族によって全然違う。そんなところ。結構現実主義よ。
そんなものが、共存しているが神道の現実。
それから、伝承と言っても、その見た人の視線で色んなことがありました。
ってそのままを伝えているだけの話し。
それが共存しているような、そんな世界なのよ。
どれが正しいか?とかは一神教に比べると、あまり問題にしないわ。
そういう意味で、あたしにしか見えないものはあるけど、
それは、みんなそうよ。だって、ここでもそうでしょ?
「私がこう思うから、みんながこうでなくっちゃいけない」
というようなものの考え方になった時、もうそこで終わってしまうのよ。
それから、神道は一種の器だから、何でも盛り付けが可能なの。
そういう意味で、大本がスウェーデンボルグの一部を盛り付けたの。
明治政府は、国家神道をキリスト教やユダヤ教を参考にして創ったのね。
欧米との対抗策に。そんなものよ。
母の家の方のは、正統の正当化はあっても、
それに対する批判的な態度も考察していてるから、そのまま。
私は神の意志ではないと思ったけど、
これも神の意志なのでしょうという結論ばかりよ・・・。
805 :
dendo. :02/04/13 12:49
>だけど、この前dendoさんが教えてくださったけど、 > 大本教の経典にたくさん引用されてるんでしょ? 私はそんなことをいっていません。 仮に私の名で書かれていたとしても、いまこのレスを書いているdendo.と その人は別の個体でしょう。あちこちに私の名で書いている人はいますから。 違うというなら、URLを示してください。
806 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 12:51
>明治政府は、国家神道をキリスト教やユダヤ教を参考にして創ったのね。 その前に、よくも悪くも仏教思想の枠組の影響を受けた体系化があり また国学の影響があると思うがどうでし。
807 :
あうぐすちの :02/04/13 14:47
>>795 >スヴェドボリがベーメより際物扱いされがちなのは
>「霊界」の主題化だではなくて、新教会周辺の末無謬化の負の方向に
>関与しているのではないかと思いまし。
スエデンボルグだけ無謬ておかしいですね。
でもキリストからの啓示だということになれば、無謬ですか…
わからない!
808 :
あうぐすちの :02/04/13 14:48
>801りささん>「贖い」の語義の違い。もしくは適用範囲の違い。 >あうぐすちのさんのでパウロが地獄にいるって言っているでしょ。 >それだけでも、あれだけがんばった人が地獄に行けるって言えるの、 >一体どういう神経?って思わない? おもいまふ。でも、パウロは行動の人だったんだけど. 贖罪を説いたからバッテンなわけでしょうか? 「接木」は人を見て法をとけの、とても分かりやすい贖罪説だと思いますが. ニューチャーチでは福音書と黙示録しか認めていません. >「信じてりゃ天国に行けるって感覚がそもそもおめでたい」って雰囲気なのね。 十字架上のいい盗賊はどうなるのでしょう? あの人もキリストの「あなたは今日わたしとともにパラダイスにいる」 の言葉を信じたばっかりに、地獄に行ったんでしょうか? キリストの救いはどうしようもない罪人のためにあるというのは嘘なんでしょうか? >柳瀬先生というのは、いつ頃亡くなったんですか? >そんなに最近の方だったんですね。 ぼくがお会いしたのは25年前です.なくなった年はしりません。
809 :
あうぐすちの :02/04/13 14:49
いままでの疑問が重複しているのと、新しいのが出てきたので、まとめ直します. 1、聖パウロは地獄にいる 2、三位一体を否定 3、キリストの贖罪を否定しています。 4、黙示録の二人の証人(カトリックでいうエノクとエリヤ)は スエデンボルグの教理の二本柱である。二本柱とは 1)三位一体は嘘 2)キリストの贖罪の教理は嘘、の二点。 5、スエデンボルグは、パウロがそもそもの誤謬の始まりだったので、 パウロ書簡は読む価値がないと教えています。 このため彼の教会(ニューチャーチ)ではパウロ書簡を無視しています。 6、パウロが創始したキリスト教を憎むべきものの巣窟と呼び、 特にカトリックを非難の槍玉にあげています。 7、キリスト以後初めて、自分において真のキリストの啓示がおこったといい、 それをキリストの再臨であると言っています。 8、天国と地獄の真相が自分を通して世界に伝えられたことをもって、 最後の審判は終了したといっています。 9、天から降下する「新エルサレム」は、彼が創始した教会だそうです。 10、人間は死後天使になり、天使同士は結婚すると言ってます. キリストは天使は結婚しないと言われているのですが、 2000年前のキリストは間違っていたということに?
810 :
小さなヨハネ :02/04/13 17:04
>>808 :あうぐすちの さん
>ぼくがお会いしたのは25年前です.なくなった年はしりません。
柳瀬牧師は2001年1月8日逝去されたそうです。享年92歳。
811 :
小さなヨハネ :02/04/13 17:14
>>809 名前:あうぐすちの さん
>1、聖パウロは地獄にいる
確かにスウェーデンボルグはそう言っています。
(霊界日記4412、4413、4561小、4562小、4631小)
812 :
小さなヨハネ :02/04/13 17:18
角川文庫ソフィア/高橋和夫訳/『霊界日記』にその内の4412が載って います。
813 :
小さなヨハネ :02/04/13 17:39
スウェーデンボルグは彼が霊界で見たもの、聞いたことを書いていると 思われます。それが本当かどうかは、結局わたし達の判断に委ねられて います。 サンダー・シングの本にキリストの言葉として、パウロに言及している個所 が在ります。その文脈からは彼は永遠の生命を得たかのようにも受け取れる 表現となっています。(徳間書店/聖なる導きインド永遠の書P216)。 どちらが本当かわたしも分かりませんが、どちらも、見たとおりに、また そう言われた通りに記述したのだろうと私は思っています。
814 :
あうぐすちの :02/04/13 17:45
こんにちは 地獄についてみなさんはどのようにお思いですか. 聖書でヘル・地獄と訳されている原語ハデスは火の池とは違います. 火の池地獄はキリスト再臨・公審判後に実現するもので(黙示20・14) 永遠に続くと書かれています(黙示14・11) ここで、永遠のいのちに入る霊魂と永遠の滅びに入る霊魂とが別れます. そこで、スエデンボルグによれば、聖パウロ、聖アントニオ、 その他もろもろの聖人たちは、永遠に呪われた存在で,救いはありません. スエデンボルグ自身、地獄はおわりなく永遠に続くと言っています. 一方、ヨハネさんが度々スエデンボルグと並べて言及なさるサンダー・シングは 神さまはどんなに長い時代がかかろうとも、いつか地獄から霊魂が救われるよう にしてくださるので、地獄は終わりなき永遠の呪いではないと言っています。 この点もスエデンボルグと正反対です. ぼくは長年これらの食い違いを調べてきて、一つの結論に至りました. スエデンボルグは1757年に最後の審判は済んでいるという説に立っているため、 彼のいう地獄とは、聖書でいう永遠の火の池です。 一方、サンダー・シングのいう地獄は聖書でいうハデスに含まれます. ハデスは公審判のときに火の池に投じられる(黙示20・14)と書かれていますから、 そこには終わりがあります. ここから、サンダー・シングが、キリストの再臨を今後起こる事件 として捉えている理由が飲み込めてきます. 一方、スエデンボルグは、キリストの再臨は、1743年彼が55歳のときに経験した キリストの訪問において終了していると書いています。
815 :
あうぐすちの :02/04/13 17:45
なぜ、このようなことをかいたかといいますと、スエデンボルグの教団は サンダー・シングをボロクソにけなして、悪魔に憑かれた偽啓示者と 結論しているのです。それでいて、サンダー・シングがスエデンボルグの 『天界と地獄』を読んだ直後に書いた賛辞の言葉を、 今も宣伝文句のひとつに使っているのです. ひどいと思いませんか、ヨハネさん。
816 :
小さなヨハネ :02/04/13 17:57
では、なぜ食い違いがあるのかというと、私の推測では、それは スウェーデンボルグの言う「外観の法則」なのではないかと思います。 聖書の中にも矛盾した記述はたくさんあると思います。例えば、今 正確に出典個所を記せませんが、「神は怒る」「妬む」に対し、「神は 愛の神である」等。それらは「外観の法則」だとスウェーデンボルグは 言います。我々人間の見る主観に合わせて記述されているのであって、 そうでないと、まったく我々は受け付けないからだ、と言います。 ですから、色々な人のために、主は配慮されたのかもしれません。 スウェーデンボルグの中にも矛盾した記述はあるのではないかと思います。 最近気が付いたところでは、カルビンが天界の社会にいたという記述 (続最後の審判54/静思社/「最後の審判とバビロンの滅亡」に併録) と、洞窟に去ったという記述です(真の基督教798)。 両者は時間的な差があるのか、よく分かりませんが、おそらくスウェー デンボルグは見たままを書いたのではないかと思います。
817 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 18:00
>>805 そうだったんですか、ごめんなさい。では、dendoさんではない別の固体さん、
其の節はお教えいただいてありがとうございました。
>>808 本当はね、私はパウロが地獄にいるって聞いたとき、信じられないは信じられないなりに
考えてみて、ちょっと納得したことはあるんです。でも、それは、個人的な反応だから内緒。
818 :
小さなヨハネ :02/04/13 18:04
>>815 名前:あうぐすちの さん
>スエデンボルグの教団は サンダー・シングをボロクソにけなして、
>悪魔に憑かれた偽啓示者と 結論しているのです。
それは知りません。スウェーデンボルグと「スウェーデンボルグの教団」
とは何の関係もないのではないでしょうか?
後で、言及しようと思いましたが、スウェーデンボルグは教団を作って
いません。
819 :
小さなヨハネ :02/04/13 18:12
>>814 名前:あうぐすちの さん
>サンダー・シングは 神さまはどんなに長い時代がかかろうとも、いつか
>地獄から霊魂が救われるようにしてくださるので、地獄は終わりなき永遠
>の呪いではないと言っています。
すみません。出典個所を教えてください。
サンダー・シングの場合は微妙で、たしかにそう書いてあったようにも思い
ますが、逆に他のところで、その件を質問されて、もしそうなら私がこんな
思いをしてまで伝道しないと言ったような記憶もあります。
820 :
小さなヨハネ :02/04/13 18:16
>>814 名前:あうぐすちの さん
>スエデンボルグによれば、聖パウロ、聖アントニオ、
>その他もろもろの聖人たちは、永遠に呪われた存在で,救いはありません.
聖アントニオの出典個所を教えていただけませんか?
821 :
817は、りさでした :02/04/13 18:17
時々名前が消えるようになってしまっているんです。 あうぐすちのさん、霊界日記読まれたのですか? >一方、ヨハネさんが度々スエデンボルグと並べて言及なさるサンダー・シングは >神さまはどんなに長い時代がかかろうとも、いつか地獄から霊魂が救われるよう >にしてくださるので、地獄は終わりなき永遠の呪いではないと言っています。 >この点もスエデンボルグと正反対です. ところが、これも、別のところでは地獄にいる魂にも救いがあるかのように 書いているところもあるんだそうです。これは、別の友達から聞いた話です。
822 :
小さなヨハネ :02/04/13 18:27
>>809 名前:あうぐすちの さん
>2、三位一体を否定
これについては今までに書いてきましたが、確かにスウェーデンボルグは
従来の並列的な「三位一体」説を否定しました。
しかし、重層的な「三位一体」であると説いています。
三位一体の「解釈」の違いであって、三位一体「そのもの」を否定している
のではないと思います。
>>808 >でも、パウロは行動の人だったんだけど.
>贖罪を説いたからバッテンなわけでしょうか?
ではないでしょう。自己愛、彼のスフィアでしょう?
あうぐすちのさん、「スウェーデンボルグが言っている」のと、
「スウェーデンボルグ主義者が尾ひれをつけた理解」とちょっと混同しているような。
ヨハネさんが書いてくださると思うけれど
>1、スエデンボルグは、パウロがそもそもの誤謬の始まりだったので、
>2、パウロ書簡は読む価値がないと教えています。
>3、このため彼の教会(ニューチャーチ)ではパウロ書簡を無視しています。
の
3は、おそらくほとんどそうだし、特に神の権威をもつ言葉としては完全に無視し
ていると思いますが、実際には、読んで説教に引用している人もあるようだし。
スウェーデンボルグ主義の教会は1、2の態度かもしれないけれど、
スウェーデンボルグ本人はその逆で、パウロの書簡は立派で信仰にとって有益なも
のであるが、パウロ本人は、書くだけは立派なことを書いても、本人の魂は駄目
だった、と書いているんではないですか?
>>811 >>812 で書いてくださった個所を読んでみれば、そう理解したほうが正しいと思えるのですが。
「パウロが誤謬の始まり」というのも、教会独特の解釈ではないのかしらと思いますが。
824 :
小さなヨハネ :02/04/13 18:46
>>809 :あうぐすちの さん
>3、キリストの贖罪を否定しています。
確かに「刑罰代償説」を否定しています。主の死は天界と地上の秩序を回復するため
であって、そのまま主の義を人間に転嫁することは出来ないと言います(真のキリス
ト教640)。
それは聖書の中のたくさんの記述と矛盾しません。
「父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。人はそれ
ぞれ自分の罪のゆえに死に定められる。」(申命記24・16)。
「わたしは悪人を正しいとすることはない」(出エジプト23・7)。
「わたしはそれぞれの行いに応じて報いるのである」(マタイ16・27)。
「主は人の業に従って報い」(イザヤ59・18)
「わたしは、あなたがたが行ったことに応じて、一人一人に報いよう。」
(黙示録2・23)
「その行いが報われるからである。」(黙示録14・13)
「彼らはそれぞれの行いに応じて裁かれた。」(黙示録20・13)
私にはそれは当たり前のことであって、そうでない方がおかしいと思います。
825 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 19:08
>従来の並列的な「三位一体」説を否定しました。 スヴェドボリとちぃヨハの観念だけにある三位一体論な。 ……今回、具体的言及がないので、異端として非難するのはとりあえず おいておく。サベリウス反駁はすでに世の中にあるので、ここでする必要 ないし。 本日身内な学会があったのですが、 発表者D氏(大河ドラマのネタになったことのある某有名大名の子孫)を ネタにしているうちにD氏の家系の話になり、 或人%某研究室助手「へー。ほんとにDが先祖なんですかぁ」 D「いやまあ、分家だから」 或人「で、D家てどこでしたっけ。京都?」 all-1「…………」 これに比べたら、ちぃヨハの見当外れはなでふことないような気がしてきた。 # その後D氏出身地話で盛りあがりましたとさ。はい。
826 :
あうぐすちの :02/04/13 19:24
>818 :小さなヨハネさん>それは知りません。 ぼくは友人と共に世界各地に手紙を出して資料集めをしました。サンダー・ シングがスエデンボルグの著書の送り主ゴッダード牧師に出した13通の書簡 で、スエデンボルグ霊からのメッセージを幾つか書いています。その内容が、 スエデンボルグ自身の著作に書かれているものと矛盾するというので、ヘン リー・ドールという新教会牧師が怒り出し、サンダー・シングはスエデンボル グの霊を装う悪魔に惑わされのであると結論、その見解を教会の雑誌に載せて います.認めればスエデンボルグ自身の無謬性が崩れるというのが理由です。 >スウェーデンボルグは教団を作っていません。 存じ上げています.死後、5人のメソジスト牧師によって創設されました. >819>すみません。出典個所を教えてください。 徳間書店の「イエス・キリスト封印の聖書・甦る原初の教え」236‐8頁です.この本絶版だそうですが. >他のところで、その件を質問されて、もしそうなら私がこんな >思いをしてまで伝道しないと言ったような記憶もあります。 それについては238頁に出ていますが、『悪魔まで救われると思っているのか』 との問いへの答ですね. >820聖アントニオの出典個所を教えていただけませんか? 厚い本類は倉庫にあるので、手元の今村光一さんの本から: スエデンボルグの霊界からの手記(続編)経済界P227以降。 マホメッド、パウロ、ダビデ、パドアの聖アンソニー、ルーテル、 ベネディクト14世は地獄にいると書かれています.
827 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 19:28
アントニオっててっきり誘惑されるほうのアントニオスかと思たよ。 「パドアの聖アンソニー」ってどんな人なんですか?
828 :
あうぐすちの :02/04/13 19:44
824ヨハネさん>3、キリストの贖罪を否定しています。 >確かに「刑罰代償説」を否定しています。主の死は天界と地上の秩 >序を回復するためであって、 >そのまま主の義を人間に転嫁することは出来ないと言います といいますか、血によるあがないそのものを否定しています. ですから、イエス様の血によるあがないを基本的に福音伝道していた サンダー・シングさんと正反対だと申し上げたのです.間違っていますか? 無論、行為も大事なことは当然です. しかし、まずもって信仰によって主を受け入れ、 聖霊という主の御血の注ぎかけを受けないことには、 何が正しい行為で誤った行為であるかの判断基準が内に生まれないでしょう. ですから、行為以前に信仰がなければなりません. 行為の善悪は宗教によっても、国によっても、文化によっても異なります。 でも、キリストを信じる信仰は一つです。 それによって人は救われると教えたパウロは間違っていますか? ぼくはパウロ書簡によって信仰に導かれて今にいたっています. 地獄行きかな.やだなあ(笑
829 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 19:44
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
830 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 19:45
伺ってよろしければ、パウロ書簡のとくにどの箇所でしょうか?
831 :
小さなヨハネ :02/04/13 20:45
>>809 :あうぐすちの さん
>4、黙示録の二人の証人(カトリックでいうエノクとエリヤ)は
>スエデンボルグの教理の二本柱である。二本柱とは
>1)三位一体は嘘
>2)キリストの贖罪の教理は嘘、の二点。
出典個所を教えてください。
静思社/『啓示による黙示録解説』490、491では、この「二人の証人」
とは「主が天と地との神であられ、その人間的なものが神的なものであること
を心から告白し、承認し、十戒の戒めに従った生活により主に連結している者
たち」のことだとあります。
そしてこの二つのもの、[主を承認すること]と[十戒の戒めに従った生命・生活]が、
新しい教会の主要なものであり、それらの内にいる者たちが古い教会の終わりと
新しい教会の初めに至るまでも、そのことを教えるだろうという意味だそうです。
静思社/『黙示録講解』635、636では、その二人の証人とは「愛と仁慈と
の善」と「教義と信仰の真理」という表現になっていますが、実質的には同じ意
味だと思います。
832 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 23:32
スウェーデンボルグは、月、水星、金星、火星、木星、土星にも 人間が住んでいるって言ってるので、胡散臭い。
833 :
小さなヨハネ :02/04/13 23:35
あうぐすちのさん 途中までで、すみません。続きはまた明日。 書いていただいたレスも拝見していないので、読ませていただきます。
834 :
小さなヨハネ :02/04/13 23:39
>>832 名前:名無しさん@1周年 :02/04/13 23:32
>スウェーデンボルグは、月、水星、金星、火星、木星、土星にも
>人間が住んでいるって言ってるので、胡散臭い。
分からないことはほっておいて、よいところだけ取り入れられたらいかが
でしょう。良いこともたくさんあります。それだけの理由で捨ててしまう
のはもったいない・・・。
835 :
小さなヨハネ :02/04/13 23:41
・・・・・まぁ、その人の趣味によります。
>>827 さん
フランシスコ会士で、幼きイエズス様をだっこしたひとだよ。
スレ違いなのでsage
(-_-;ウーン・・・。っていうかね? イエスが主で無くても一向にかまわんのではないの? こういうとなんだけどね、人間の目には発現した時の神性は殆ど変わらないように見えるはず。 (また、デンパがかった発言になるが・・・。) だから、そのー、イエスが主自身だと思ってもね、無理も無い所があるはずなんだよ。 でもねぇ・・。 神霊を現して地上に降り、人間の罪障を背負って十字架に掛けられた人。 それ以上は言えない筈だし、またイエス自身が主に呼びかけてる部分は聖書にも多い。 既にみなさんが何度も言ってるが。 ここだけイエスが勘違いしてたというのは、ちょっとなぁ、と思うぞ。 イエスよりも自分の方が真実に近い、と主張してるに等しいでしょ、それじゃ。 何故、イエス=主で無いと駄目、と自分が思うのか考えてみたらどうだろう?
838 :
あうぐすちの :02/04/13 23:55
>831 ですから、それを噛み砕いたのですよ. ワシントン新教会のレヴェレンド・ジェームズ・クーパーを 引用しましょう. スエデンボルグの本のどこにあるかは、 倉庫に本があるので、今は時間が取れません. From Rev.James Cooper, the Second Coming and the Last Jadgement, part3 再臨と最後の審判第3部より、 ワシントン新教会ジェームズ・クーパー牧師 A true church has two essential qualities, represented by the two witnesses of the book of Revelation (Rev. 11). 真の教会は、黙示録(11章)の2証人の象徴する, 2つの必須の性質をもっている. They are the knowledge and acknowledgment of the Lord Jesus Christ as the one God of heaven and earth, and a life of good according to the commandments set forth in the Word. それは主イエス・キリストが天地の唯一の神であるという知識認識、 そしてみことばにある戒めにしたがう善い生活をするの二つである.
839 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 23:56
>>832 まあでも、当時はいろんな人がそういうふうにいってたので、
それほどうさんくさくはなかったんだよ。というか西洋世界では
あそこに人が住んでいるという考え方は根強くあったし……
ダンテだってそれに近いことをいっている。
ただダンテのときはそこは天国の一部なんだよね。まだ。
地動説に対してカトリックが示した拒絶反応は今では理解しがたいけど、
天国だと思ってたものがそうじゃないという強烈なつっこみに
うろたえてしまったんだね。
地動説は
「じゃあ(少なくとも一部の)惑星は天国の一部じゃないじゃん」
↓
「惑星に住んでる人は、ぼくらと同じ人間なんだね」(←勝手に住民を入れないでください)
↓
「じゃあ、その人たち、キリストの贖いで救われるの?!」(←だから勝手に住民を……)
ってのが西ヨーロッパじゃひそかに盛りあがった。
カトリックは地動説をしぶしぶ認めたあと(これについてはイエスズ会大貢献)
「でも、そゆことならあそこに人はいないよねっ」といいはじめた。
そこで「いや、地球以外にも人の住む世界はあるっ」と主張する奴が出てきて
(根拠レスだが、まあ可能性としてはつねに否定できんわな)
そんでもめる。
……生活圏だけ考えたらあんまり関わらずにすんだ筈のカトリックに
スウェーデンボルグが執拗な非難を加えるのは、その辺の事情も絡んで
いるかと思う。いや、思うだけだが。
840 :
あうぐすちの :02/04/13 23:56
The Christian Church fell and required a "last" judgment as predicted in the New Testament when it fell away from these two essentials. キリスト教会はこの2つの必須条件から離反したときに、 新約聖書に預言された最後の審判を受けた. This happened when the doctrine of the Trinity was invented to settle a doctrinal argument between church factions, a doctrine which breaks the One God into three mysterious persons. それは教派間論争を決着させるために、唯一なる神を3つの神秘的人格に 分割する三位一体説が発明されたときに起こった.(ニケーアのことですね) The second essential of the church was lost when the doctrine of salvation by faith alone was revived in the 15th century, made a cornerstone of the Christian faith, and subsequently received by many Christians. 教会の第2の必須条件が失われたのは、 信仰義認説が15世紀に復活して、キリスト信仰の礎にされ、 多くのクリスチャンに受け入れられたときである。
841 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 00:03
>>836 レスをありがとうございます。
……って、あ、パドヴァのアントニウスって、あのでっかい聖堂に
名前が残ってる人のこと?!
だったら聖堂行きました。聖遺物も見ました。信者さんがいっぱい来てました。
次の日いったスクロヴェンニ礼拝堂並に混んでました。
なぜ忘れるんだろう>自分
なつかしい思い出がいっぱい浮かんできました。
ほんとにレスありがとうございます。>Sylviusさん
……でも、どうしてスウェーデンボリに攻撃されなければいけないのか
わかりません。他の人は思想的対立なんでしょうけど、なんだか浮いている
感が……
842 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 00:04
パドアの聖アントニオ?なんで? 無くしものばかり見つけてるからかな? コンビニエンスな守護範囲が批判されたのか?
843 :
あうぐすちの :02/04/14 00:21
840続 つまり、カトリックとプロテスタントというキリスト教は、 黙示録の2証人を殺した側ということなのですね。 このようなキリスト教が荒らす憎むべきものであると言っています. これに対して、サンダー・シングは、 キリスト教とはキリストご自身であると言っています. 私はこの表現が大好きです. 私はスエデンボルグはある意味で面白いと思っています。 よくこんな正反対な解釈ができるもんだなと、驚かされます。 学問的に非常に面白い研究材料にはなりますが、 それによって信仰生活を営む気にはとてもなれません.
844 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 00:27
パドアのアントニオは「聖人信仰」と呼ぶ域にまで達している、現世御利益的 信仰の対象として民衆に好かれてる辺りで「聖人」という存在が持つ、批判されやすい 側面の代表なんだろうなあ。 本人は説教の上手な、控えめな学者に過ぎなかったんだが。気の毒なり。
Sylviusさんありがとう。
紹介ペイジみつけてきました。
ttp://plaza24.mbn.or.jp/~dfchurch/magazin/sant_d/s06.html パドヴァにいったとき、亡夫と
わたし「……失せ物探しの守護聖人、なんだって」
夫「すばらしい。君のためにいるような聖人様だね!」
わたし「…………」#どうせ、わたしゃ目の前にある物を探す奴だよ。すん。
という会話をしました。なつかしい。
……
……
聖アントニオ崇敬、かなりさかんだったからそれでなのか、
スヴェドボリさんは「婚姻」に特別な意義を見ていたから
# って教父時代どころかキリスト教以前より、聖書のなかでは
# 婚姻は重要な象徴ですけども
なのか……なぜこの人が非難されているのか、記憶にありません。
あうぐすちのさんがやってる本線から見ると、非本質的な話になるのかなあ。
おっとsage。
846 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 00:35
>>845 いえいえどういたしまして。
では旦那様の霊魂のためにお祈りいたします。
おやすみなさい。
>>847 あうっ
書いてから気づく。正教的には煉獄はないことになっているのでした。
ともかく他意はないでし
ごめんなさいっ
>>800 意地悪じゃないです。鋭い。
つまり、救われるかどうかについて、究極的には判らんけど、正しい行いをして
れば救われるだろうと云う”希望”をもって生きろ、と云う事。
おめでたいかもしれん。確かに、今思うと。
850 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 01:24
神学者グレゴリイ(= St. Gregory of Nazianzos)強化月間。
超遅レスですが。。
ちぃよは発言 in
>>287 >もちろん太陽が無ければ太陽光は発しません。聖霊も神である主がおら
>れなければ発しません。ですから聖霊は光と同様「発する」と言うのです。
>
>しかし、聖霊そのものは神ではないのです。なぜなら、部屋に太陽の光が
> 降り注いでいるからと言って、太陽そのものが部屋の中にあるのではない
> のと同様のことだからです。
末の三一論を正確に覚えてないので、末はとりあえずおいといて、
ちぃヨハに関する限りでは……これをサベリウス主義に回収してよいものでしょうか?
ナジアンゾスのグレはんによれば、少なくともサベは「父と子と聖霊」が神の「位格」である
ことは認めていたようです(Or.30,9;P.G.36,col.14114)。
というわけで、ちぃヨハ(&もしかして末)にはサベリウスその人の
教説との独自性を評価して、「極端なサベリウス主義者」(ab.極さ者)
の名称を与えることを提案。手元にテキストのない方はこちらをどうぞ。
http://nazianzos.fltr.ucl.ac.be/
>>848 なので一層お祈りが必要なのでし。
ある聖人が偶然道に出会った人骨を記憶したところ、それは異教の司祭で
「私は地獄にいます。ただ炎につつまれる苦痛があるばかりですが、
あなたが祈祷してくれると、その間苦痛がやわらいで他の死者の顔が見られるようになる、
それがとてもうれしい」と夢に礼を云いに出てきた
……と東方の聖伝にはありますでし。
正教会信徒以外の死者のための記憶文というのもございますでし。
余談なのでsage。
852 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 02:10
>>何故、イエス=主で無いと駄目、と自分が思うのか考えてみたらどうだろう? 新約聖書には「主イエス・キリスト」またはそう縮約できる表現が随所に見られるから。 すでに福音書や行伝で弟子はイエスにたびたび「主」と呼びかけ(e.g. Mt.17:4, Acts 7:59)、 「主イエス」という表現もみられる。 この観点がやや遅れて成立したことはマルコと他の共観福音書との差異から 読みとれるが、すでにパウロの頃には確立していたと思われる(Philem. 3)し、 ここからは主といった場合にまず信徒が思うのは見えざる神としての父ではなく、 子イエス・キリストだったのではないかという推測もあるいは可能だろう。 小さなヨハネ氏が好む黙示録でも、「主」は子に対して父なる神を指す場合と (vgl. Rv. 12:10)、直接イエスへの呼びかけに用いられる場合(Rv.22:21)とがある。 黙示録でさえ、テキストの表面的な読みだけでは子を神とする根拠はない。 「主」が神とキリスト両方に用いられることで、だんだんにキリスト概念が 神に包摂させていったというブルネルス氏の指摘は当を得ているのだ。 なので、問いがなぜ「イエス=神」と思うのかならまだしも、 「イエス=主」はキリスト教の中核にある概念であり、あなたの問いは 無意味であるように小生には思われる。いかがは。
853 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 02:12
ああ、圧縮しすぎた。 第一段落の最後の二行を次のように訂正します。 (新版) 「主」が神とキリスト両方に用いられることが、おそらくは後者の 神格化を進める契機となった。だんだんにイエス=キリスト概念が 神そのものに包摂されていったというブルネルス氏の指摘は(以下同じ)。 お詫びして訂正します。では議論をお続けください。
854 :
あうぐすちの :02/04/14 10:32
>845さん パドアの聖アントニオ 1195年リスボン生まれ.1231年パドアで帰天.翌年列聖.祝日6月13日. アントニオは説教の才に優れ、まる9年間、伝道して歩きました。 聖書の知識に秀でていました。死後に、アントニオへの祈りから 多くの奇跡が起こりました。 宗教職の偽善に敢然と戦いを挑み、「異端者の槌」と呼ばれました. スエデンボルグの非難はこの言葉に関係するのではないかな・・・ カトリックの優れた護教精神を発揮したから。 ルターが地獄にいるというスエデンボルグの主張の根拠は, パウロの信仰義認説を復活させたことにあるのでは。
855 :
あうぐすちの :02/04/14 10:32
聖パウロについて、サンダー・シングはこう書いています. 「聖パウロは、実践を重んじる人で、自らしようとしないことを人に勧める 人ではなかった。彼は祈りの生活を送った。長くつらい旅の中でも、けっして 祈りを絶やさなかった。彼は祈りの価値を経験から知っていた。 それがいかに大切で、欠くことのできないものであるかを知っていた」 (アッサムでの説教) 「ほどなくして、青年パウロが私を知り、彼の心の願いは完全に満たされた。 悲しみの中で立ち去る代わりに、彼は全てを捨てて私に従った。 そのように、自分自身の義を信頼するのをやめ、私に従う者は、 私から真の平和と永遠のいのちを得る」(神との対話2‐2:10) 「聖パウロは、福音を説くことを恥とは見ませんでした。彼は、生きている あいだに、活けるキリストの力を体験したからです。人は罪を犯すことを 恥と思わないのに、なぜ救いを恥と見るのでしょう。この世は逆になっている。 人は神の御心に逆らって行うことを恥と見るが、主の御心に逆らって行うことを 恥とは思わない。福音を批判し攻撃することには何の呵責も覚えないのに、 福音を説くことには呵責を覚える。彼らは、キリストについての知識はあっても、 救いに導く主の力を知らずにいます。最後の日に、主はこのような人に言われます。 『わたしは、あなた方を知らない。あなた方は、わたしを知らず、 わたしと福音を恥と見たからである』」(イギリスでの説教)
856 :
あうぐすちの :02/04/14 10:33
「三位一体の教えに頭を悩ましていた時期があった。3つの別々な人が 3つの座についているのだろうかと考えたこともあったが、ある幻の中 ですべてが理解できた。エクスタシーの中で、私は第3天に入った。そ こは聖パウロが上げられた場所であると説明された。 キリストが神々しい霊体をもって座につかれているのを見た. どこに行こうと同じである.キリストは言語に絶するみ姿で、常に中央におられる。 主のみ顔は太陽のように照り輝いているが、目が眩むようなことはまったくない。 あまりに麗しいため、私は何の苦もなく、お顔を仰ぎ見ることができた。 主は常に優しく、かがやく笑みを浮かべておられる. 最初に主を拝したとき、あなたはこの私を通して創造されたと主が言われ たかのような、遠い昔の、忘れていたつながりが2人の間にあるかのよう な思いにとらわれた. それは長い年月の後で父と再開したときの感じに似ているが、それよりはるかに 強いものであった。遠い昔の愛がよみがえり、自分がかつて主のものであったことを 私は知った。 初めて天に入ったとき、私は周囲を見まわして、 『神はどこにおいでですか』ときき、このように言われた. 『神は無限であられるため、地上と同じく、ここでも見ることはできない. だが、キリストがおられる。主は神であられ、見えざる神の御姿であられる。 主を通してのみ、われわれは天におけるように、地においても神を見る』 そして、光り輝き、平和を与える波のようなものがキリストから流れ出て、 天の御使いと聖徒たちの間を貫き、ちょうど、暑い気候の中で水が木々を 瑞々しくするように、あらゆる場所を瑞々しくするのを見た. それが聖霊だった.」(イエス・キリスト封印の聖書183、4p)
857 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 11:02
>>854 あうぐすちの
>宗教職の偽善に敢然と戦いを挑み、「異端者の槌」と呼ばれました.
>スエデンボルグの非難はこの言葉に関係するのではないかな・・・
では何故、もっと代表的な聖ドミニコ、あるいはサン・ベルナール辺りが
非難されないのか?という疑問が起きるね。
858 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 11:09
>>852 >「イエス=主」はキリスト教の中核にある概念であり、あなたの問いは
>無意味であるように小生には思われる。いかがは。
ver3.05 ◆ver3llyM 氏は、三位一体の位格においての話をしているのであるから、
無意味ではない。
859 :
あうぐすちの :02/04/14 11:46
857 いや、沢山のいわゆる聖人と称される人々が本当は地獄にいると書かれているから,その人も入っているはず.
心理学的にゆーと、 すえちゃんのビリーフ・システムから濾過された情報にすぎなかったのね。 幻はまま信じちゃダメ。 受け手のビリーフシステムのレベルをままあらわしてるだけなの。 分析すると、すえちゃんは結構批判的なタイプでもって、自己批判は不得手だった。 霊能者はみなそうなの。
ていうか、
ていうか、あうぐすちのさん、いつ頃からここ読んでるんですか?
12月から読んでて今まで黙ってたとか?
>>860 霊能者って、たとえばどんな人のこと? いや、そういう話、詳しくないもんだから。
862 :
小さなヨハネ :02/04/14 16:30
>>808 :あうぐすちの さん
>ニューチャーチでは福音書と黙示録しか認めていません.
それは知りません。本当ですか?しかし恐らくそんなことはないだろうと
思います。なぜなら、ご存知のように、スウェーデンボルグ自身は聖書の
中で、神の啓示によって書かれた、内なる霊的な意義(内意)を持ったも
のを「聖言」と呼んで、人の書いたものとは区別しています。
そして、彼は次のものを「聖言」であると言っているからです。福音書
と黙示録以外を排除する理由が考えられません。
(静思社/スウェーデンボルグ/『新しいエルサレムの教義』2669)
「聖言の書は何であるか」
「聖言の書は内なる意義をもったものすべてであるが、しかし内なる意義を
もたないものは聖言ではない。聖言の書は、旧約聖書では、モーセの五書、
ヨシュア記、士師記、サムエル記前後書、列王記略上下、ダビデの詩篇、
予言者イザヤ、エレミア、哀歌、エゼキエル、ダニエル、ホゼア、ヨエル、
アモス、オバデヤ、ヨナ、ミカ、ナオム、ハバクク、ゼパ二ア、ハガイ、
ゼカリア、マラキであり、新約聖書では、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ
の四福音書と黙示録である。他は内なる意義をもっていない
(天界の秘義10325参照)。」
863 :
小さなヨハネ :02/04/14 16:33
>>809 :あうぐすちのさん
>5、
>スエデンボルグは、パウロがそもそもの誤謬の始まりだったので、
>パウロ書簡は読む価値がないと教えています。
>このため彼の教会(ニューチャーチ)ではパウロ書簡を無視しています。
これも、出典個所を教えてください。
>>823 :りさ氏のご指摘の通り、スウェーデンボルグ自身はパウロ書簡を
有意義な文章と言っていたのではないかと思います(すみません、出典
個所失念。)また次のように使徒たちやパウロの書簡を引用しています。
「使徒たちの信仰は主イエス・キリストに対する信仰であったことは、
かれらの書簡の多くの記事によって明白である。」
(静思社/『真の基督教』338)」
864 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 16:33
まったく。
865 :
小さなヨハネ :02/04/14 16:35
(863の続き) 「使徒的教会は主イエス・キリストとその中にいます父なる神とを礼拝 した。それ故、それは神の園に、アリウスは地獄から遣わされた蛇に、 ニカヤ会議は夫に果実を差し出し、夫を説きつけてこれを食わせた妻に譬 えることが出来よう。彼らはこれを食った後、己が裸かを見、これを無花果 の葉で蔽った、その裸かは彼らの以前の無垢を意味し、無花果の葉は、徐々 に虚偽化された自然的な人の諸々の真理を意味する。原始教会はまた暁に、 早朝に譬えることが出来よう。しかし、十時に厚い雲が起こり、全地を暗 くし、遂に夜が来た。その時月が昇り、その光は或る者に聖言に関する部 分的な理解を与えたが、他の者は絶えず深まって行く暗黒に昏み、遂に 「イエス・キリストの中には神性の完全性は尽く身体をなして宿れり」 (コロサイ2・9)とのパウロの宣言と「世に遣わされ給ひし神の子は真 の神にして永遠の生命なり」(第一書5・20、21)とのヨハネの宣言 にも拘らず、主の人間性の中に、神性を何ら認めることは出来なくなった のである。使徒的教会は、心に三人の神を礼拝し唇を以って一人の神を拝 し、仁慈を信仰から切り離し、罪の赦しを悔い改めと新しい生活の追求 から切り離し、霊的な事柄に於ける全的な無力を主張する教会を些かも 予見することは出来なかった。彼らはアリウスのような者が起こり、死 んだ時すらも、秘かにその感化を揮いつづけるであろうことを、些かも 予見しなかったのである。」(同/『真の基督教』638)
866 :
小さなヨハネ :02/04/14 16:49
>>862 『新しいエルサレムの教義』2669
266に訂正。
>>861 例えば、あたしを見てご覧。それに当てはまっているはずよ。
そして、残念ながらスウェーデンボルグもそうなの。
残念だけど、本当に中立的に物事を見るなら、そうなのよ。
また、例えば神道世界の在りのままに生きることと、
キリスト教世界の在りのままに生きること
(罪を認め、ただ神の名によって生きる)
とは、全く違う定義だからね。
しかし、それもまた「在りのまま」なのよね。
それを、スウェーデンボルグ説によって
全てを一緒にしてしまおうとするところが想定されると、
あたしの知り合いの宗教マニアが言うのよね。
そして、やはりここで出てきている話しからでは、そのようだしね。
神道世界では、また、うちの母の家の言い伝えでも、
正であり、否であり、正であると考える。
ちょっと捉えは違うけれど、良く似ているのね。
要約すれば、全ては表裏一体で成り立っていると考えているわけ。
だから、表だけの視点で見るのではなく、裏の視点も見なければならない。
自分の思う裏表だけではなく、他人の思う裏表でも見なければならない。
この世のありとあらゆる視点で、一つのものを見なければならない。
スウェーデンボルグ説では、それに似たことを言いながら、
それを本人がしていないわけ。あたしと一緒。
聖書も実は、この法則によって書かれていると、母の家では考えているの。
世の中の色んなことは、神勅・預言も含めて全てこれに当てはまると
考えるという概念が在るけど、そんなものよ。
868 :
小さなヨハネ :02/04/14 17:30
>>868 残念ながら、同じよ。
何と言おうがその人の心を解き明かせば、同じ事。
そこのところを、理解していないから。
870 :
小さなヨハネ :02/04/14 17:40
・・・小便娘、失礼。モニカ嬢はブル氏のようだ。
>>870 さて、それはあなたの決め付けだったらどうするの?
あたしとブルネルスさんが同一人物と決め付ける、
あなたの理解でしかないわけ。
イエズスを理解したいなら、自分の弱さをもっと知るべきよ。
また、それを言うなら、心理学者はみんなブルネルス。 それでいいかしら?
父なる神としてはだな。こうなるのを心配していたわけだ。 が、まあ、案の定である(苦笑)。
>>874 今更隠す事も無いからこっちでいくぞ。
そう(笑)。これも過程でしょうね。
それからうさぎ姉さんの兼はほぼケリがついたよ。
>>875 そうでしょうね。知っているわ。
スレッド違いネタだから、この辺にしておきましょうね。
877 :
小さなヨハネ :02/04/14 18:08
>>872 :マリア 殿
>また、それを言うなら、心理学者はみんなブルネルス。
>それでいいかしら?
・・・・・どうして、あなたが答えるの?
あたしは、dendoさんや他の人の言ったことにでも、 こうやって口を出しているはずよ。 IP調べて貰いなさいよ。すぐに他人と分かるわよ。
879 :
小さなヨハネ :02/04/14 18:26
>>878 :マリア 殿
>IP調べて貰いなさいよ。すぐに他人と分かるわよ。
・・・・IPなんて、知らないもん。
それに、モニカ嬢が答えたら?
>>879 そうなると、あたしがあなたに対する意見を出したら、
あなたにとって、なんか都合が悪いの?
ということになるけど、それでいい?
信者に売られた、哀れな教祖、キリスト。 生まれたところが、放火、略奪されてるぞ。
やれやれ、今日は一日ガーデニングをしてたのよ。 きてみると、またまた、またまたでしょ。 モニカちゃんとやらが私だとか、妄想が続いているわね。 いーい、私はだまって他人のふりをしての発言など、しないし、する気もないのよ。 「マリア.」がブルネルスがちいヨハの邪推に反撥して名乗った名前であることは、 はじめから公表しているの。 私はマリアでも、モニカでもないのよ。 ひとつだけついでに指摘しておくと、ちいヨハは、自らの引用によって、スエが、 新約では、福音書と黙示録しか認めてないことを、確認しているのに、しかも、 そんなことないと言えるのは、なぜなのか、不思議でしょうがないのね。
883 :
小さなヨハネ :02/04/14 19:30
(ヨハネのひとりごと) ・・・あらら、今度はブル氏が来ちゃった。モニカ嬢は来ませんね・・・。
884 :
小さなヨハネ :02/04/14 19:32
>>882 名前:マリア. 氏
>ひとつだけついでに指摘しておくと、ちいヨハは、自らの引用によって、
>スエが、新約では、福音書と黙示録しか認めてないことを、確認している
>のに、しかも、そんなことないと言えるのは、なぜなのか、不思議でしょ
>うがないのね。
・・・・・・??
アメリカの強姦した司教は、開き直ったそうだ。 青眼も復活してるし(名前変えて)、キリシタンって、懲りないね。 また、やらせとインチキを繰り返すんですか。
886 :
マグダレナ :02/04/14 19:51
青眼さんは、最近元気なのかしら? いいじゃないの。誰が誰だって。 あたしは、バイセクシャルだからすべての人が愛の対象よ。 男だろうと女だろうとオカマだろうと関係ないわ。 その人を愛したら関係ないのよ。 どのハンドルを名乗ってどのキャラクターになろうと別にいいじゃない。 ここは、そんな遊び心の持てる場所なんだし。
887 :
小さなヨハネ :02/04/14 19:55
>あうぐすちのさん 『天界の秘義』は読まれましたか?
そんなわけの分からんもん読むより、新聞読んだほうがいいよ。
小さなヨハネさん、あたしの考察を認めたということかしら? そんなにあたしが出て来たら、あなたにとって都合が悪いの? 自分で分かっている弱い部分を、指摘され続けたから? それならそれで、他を正確に理解すれば済む事じゃないの? 正確に理解しているなら、誰もあなたを非難しないでしょう。 まともな議論の相手として、認識するわよ。 何故、頑なになることがあるの?分かっているはずよ。 「分かっているのに止められない」となるなら、 それは、日頃のストレスと欲求不満から出たものだから、 そこから出ているものと、神を重ね合わせていることになるわ。 神を証しにやって来ているのなら、それはまずいわ。 神は、人の思うように操れるものではないわ。 中国人は、操れると考えているらしいと、 昔に中国人に聞いたことがあるけど、 少なくともキリスト教では、そういったことは禁物ね・・・。 あなたにとっての、イエズスや聖母マリアが そのような対象というなら、ちょっと認識を変えなくては。 敵対する者への攻撃の口実に、神や聖人の名を使うことは、 やはり避けるのが賢明な判断のはずよ。
それから、キリスト教の歴史というのは、 いかにキリスト教が、神のものと証するかにも力点が置かれているの。 異教や異端やユダヤより、常に神の正統であることを求めているの。 聖伝承、公会議の決定に関係のある、 新約聖書や使徒書簡及びヨハネの黙示録が生まれたのも、 イエズスが神とされたのも、全てがそう。 遡れば、ユダヤ教のものも良く似ているわ。 ユダヤの神が、いかに他に神に増して力のある神か、 というところに力点をおいているわけ。 宗教の全ては、表は神の都合、裏は人の都合、 こういうものが表裏一体となって、一つになっているもの。 悪いけど、あたしの考察ではスウェーデンボルグも、 そこから抜けられていないわけ。 この人もまた、新たなパウロであると思うわね。 また、自分の一部から神を見出し投影する。 そういうところがあるわけ。 ただ惜しいのは、パウロ同様にこれが初期教会の時代なら、 一部が受け入れられていた可能性があるわね。 また、違った可能性があったかもしれないけど、 ヤハウェはそう望まなかったのよね。
父親が誰だか分からないのに、父なる神ですか、笑い。 HNにも「父なる神」とか書いてますが、恥ずかしくないですか?藁
マリアさん
>>860 霊能者は自己批判は不得手なの? で、あなたは、結構批判的なタイプ?
893 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 22:38
観想(深い祈り)とは最終的に神との一致を目指すものだが、 その行程には諸段階あり、自己への批判的視点も伴うものである。 とはいえ、一致によってもたらされた啓示は神から個人に与えられるものであって、 すべての人に当てはまるものとなる為には、それもまた批判に晒されなくてはならない。 ただ、霊能者の多くは確かに批判的視点に欠けてるかもしれないな。
余は別に恥かしくは無いなぁ。
895 :
小さなヨハネ :02/04/14 23:39
>>850 >小便娘
「或る者らは神は凡ゆる所におられると言っているが、発出している
神的なものが、太陽から発している光と熱のように、凡ゆる所におら
れることを示されたのであるが、依然太陽がその本体の方面で凡ゆる
所に存在している、と言うことは愚劣なことである。」
(静思社/スウェーデンボルグ/『アタナシウス信条について』P40)
「我々の救い主なる主について正当な観念を抱いている教職者達が先ず
霊界に入ると、―それは概して彼らの死後第三日目に当るのであるが
―神的三一性について、特に聖霊について教えられる。彼らは聖霊は
それ自身に於いては神ではなく、聖言に記されている時は、一人の全能
なる神から発する神的活動を意味することを教えられる。」
(静思社/スウェーデンボルグ/『真の基督教』138)
ただし、霊、聖霊には他にも色々な意味がある・・・。
896 :
小さなヨハネ :02/04/14 23:54
>>891 名前: :02/04/14 20:49
>父親が誰だか分からないのに、父なる神ですか、笑い。
>HNにも「父なる神」とか書いてますが、恥ずかしくないですか?藁
・・・・・あなたのHNもね。
897 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 23:57
>>896 小さなヨハネ。よく言った!!!!
彼: :はキリスト教全般が嫌いな人。
無視するのがイイよ。
あと「小便娘」はチョト酷いよ。
俺は小さなヨハネのは悪くてもオーバーランだと思ってるからね。 イエスを慕い、崇める心自体は本物だろうからね。 どっちにしてもイエスは怒りやしないよ。 ああ、そうか、こうも慕われておったか。そんな感じだろうな。 意外とこのスレ覗いてるかもよ、本人が。
899 :
小さなヨハネ :02/04/15 00:13
>>897 :名無しさん@1周年 :02/04/14 23:57
>あと「小便娘」はチョト酷いよ。
・・・・・ごめんなさい。
>>884 ちいヨハは、
??
と書いたけど、なぜ ?? なんて言えるのかしら。
いーい、
>>862 をよく読み返してごらん。
>>ニューチャーチでは福音書と黙示録しか認めていません.
>
>それは知りません。本当ですか?しかし恐らくそんなことはないだろうと
>思います。なぜなら、ご存知のように、スウェーデンボルグ自身は聖書の
>中で、神の啓示によって書かれた、内なる霊的な意義(内意)を持ったも
>のを「聖言」と呼んで、人の書いたものとは区別しています。
以上が前半。ここでは「神の啓示によって書かれた、内意を持ったもの」
と、人の書いたものとを区別しているのよ。 つづく。
>>900 あら、900番ゲット! と一応決まりだから、喜んどくわ。
で、それの続き。ちいヨハは、「内意を持ったもの」を啓示として認めるという
スエの立場を確認しているところまでね。で、その続きは次よ。
>そして、彼は次のものを「聖言」であると言っているからです。福音書
>と黙示録以外を排除する理由が考えられません。
これが変なのね。「次のもの」というリストがまさに、新約では「福音書
と黙示録以外を排除」しているじゃないのさ。
>「聖言の書は内なる意義をもったものすべてであるが、しかし内なる意義を
>もたないものは聖言ではない。聖言の書は、旧約聖書では、モーセの五書、
>ヨシュア記、士師記、サムエル記前後書、列王記略上下、ダビデの詩篇、
>予言者イザヤ、エレミア、哀歌、エゼキエル、ダニエル、ホゼア、ヨエル、
>アモス、オバデヤ、ヨナ、ミカ、ナオム、ハバクク、ゼパ二ア、ハガイ、
>ゼカリア、マラキであり、新約聖書では、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ
>の四福音書と黙示録である。他は内なる意義をもっていない
「??」なのはこっちなのよ。わかった?
902 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 00:25
パウロ書簡の話をしていたのだが、いつのまにか ちょと頭のなかで混乱したんだろうね。 「旧約だって認めてる!」と。
903 :
小さなヨハネ :02/04/15 00:30
・・・・・??
あら、今度は「・・・・・??」。
では、
>>862 の
「福音書と黙示録以外を排除する理由が考えられません」
という発言はなんだったの?
「福音書と黙示録以外」ってたとえば、どういう書物のことを思って書いた
の?
>>902 が言うように、この「以外」ってのは旧約のこと?
それなら、スエがパウロ書簡を啓示から排除していることは、認めるのね?
>>892 ええ。あたしも、ここではその人種に属するわ。
そして、確かにあたしは様々なところで批判者を演じるわね。
あたしの言う批判が当たっているなら、それに対して反発する人を選ぶ。
神を信じながら、神を使いたがる人を選ぶ。
>>891 さて、それはどうかしら?いいんじゃない?
本人は案外、分かってやっていたりだったりするわよ。
>>904 そんなことを言っても無理。
彼は、自分では気付いてないだろうけど、
自分が感じたイエズスの裁きの代行屋として、
ここに来たわけなんだから。
旧約と新約の解説なんかしたって、理解するつもりなんて無いわ。
神が人に与えた、人と共に歩んだ時間なんかは、
彼には興味は全く無いのだから。
スウェーデンボルグから始まった時間が、彼にとっては新約。
それ以前のものは、みんな旧約なんでしょうよ。
>>906 了解&同意
.がついた分、ご本家の悟り方にはおよばないで、
ついめくじらたてちゃうのね。それで、元ふらや
元den..に、からかわれてしまうわけね。
908 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 02:52
チョト想像してみたが、 小さなヨハネの持ってる聖書には、ロマ書とか、使徒行伝とか、 コリント人への手紙とか 入ってなかったりして。。。
>>893 に賛成。
それと、ちょっと関係ないけど、私に、ここのマリアさんを遣わした神に
感謝します。我々、イエスに総てを委ねイエス・キリストのもとに生き様
と決心した者は福音によって生きるべきですね。忘れていたかもしれない。
>>792 あの説明はあれでいいんですよ。書いた行為の説明として。
行間の想いも色々あったし。
そして、現代に生きる私としては現代の視点で見るしかない
という前提があり、その、永遠には機能しないある種の装置
(本人の意思とは関係なく概念と定義づけしたり、意味をも
たせたりとかする行為、でしょうか?)も排除しきれないだ
ろう、と云う事も、その前提に含まれてます。
それと、聖書を通してスェーデンボルグを理解するんじゃなくて、その 逆なら哲学板でやった方が、むしろ、意に添う道が見つかるかもよ。 いずれにせよ、スェーデンボルグをとりあえず忘れ(た事にし)て聖書 を理解してから読めばいいんじゃない? あくまでも地上にいるべきカルヴィニストとしては、論の結果は評価出 来ますよ。「神を信頼し、善を行いなさい」とか「各人が従事する務め や仕事や職業において、正当かつ忠実に行動することである。なぜなら こうした人の行うすべてのことは社会に役立ち、その役立ちこそが善だ からである」とか「心の思いの清さ、良心の清さということの重視」と かなど。きりがないのでやめますが。
まあ、私もブルネルスさんとかdendoさんとかマリアさんとかの話 聞いてやりなおそうかなとか思ってますけど。
訂正
>>910 >>757 とかを書いてるマリアさん。
今、居ないから特定しずらい。
”俺”氏と遊んでるマリアさんの事。
915 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 08:39
892に同感。 マリアさん。 あなたは、大変聡明だが、かなり偏っている。 あなただってヒトです。 誤った判断だってするし自分のことは見えてないでしょう。 こういう批判を出すと怒るんだろうけど。 高飛車な気がする。
あうぐすちのさん たしか、途中で読むのを止めたと言われました。 途中って、どのへんの途中なんですか? 確かに全冊読んでいなければ、リサでさえも途中です(笑。ま、レベルが違うと思うけど) 思うに、あうぐすちのさんの理解は、 「スウェーデンボルグ本文+教会の解釈」ということですよね。 で、このあいだちょっと教えていただいていたんですが、教会の教義では、 正確にスウェーデンボルグの本文を表現できていないところや、 ある意味では、ぜんぜん違った解釈の仕方をしている説教もあるとかいう話でした。 リサは、他の宗教がどれだけ受け入れても キリスト教会だけはスウェーデンボルグは受け入れないと思います。 でも、スウェーデンボルグを否定する論拠は、 キリスト教会の独自のアイディアによるものも多いように思われます。 マリアさんが、宗教は、表は神の都合、裏は人間の都合で作られたと言われたのは、 あたっていて、本当には、それを見抜くことができないままに信仰している面も ありますでしょう。でも、神様は、人間が平安をもって神を愛することができる ように、ご自身の事情を隠しておられるのではないか、とも思います。 ブルネルスさんも、懐に涙を隠しておられるかもしれないけど、 神様は、もっとたくさんの涙を隠して人を愛しているのではないかと思うのです。 リサは、現行の教理から見れば矛盾だらけのスウェーデンボルグキリスト教でも それだけで、彼を偽者だとは思っていないのです。 平安をもって神を愛してお過ごしになられれば、それが一番ですよね。 スウェーデンボルグの教会が、分かりにくいところまで、無理に解釈して 教義を決定し、それによって他を裁いているとしたら、それは神のみ心ではないですよね。
917 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 10:35
>>916 「〜と思います。」というのが多い。
「これは、こうである」と書いて欲しい。
あやふやに信じているんじゃ説得できない。
まぁ、そういう話し方で、信じちゃう純朴な人が多いんだろうけど。
「どう考えたって、神様がいるとしか考えられないでしょ。とか、
こんなにたくさんの人が信じてるんだから、正しいのよ。とか、
こんなに長い間信じられているのは、本物だからよ。とかね。」
918 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 13:37
>>915 あたしが聡明?それはないわ。
後で打ち消したいなら、それは言わないほうがいいわよ。あたしには。
偏っている。誤りもある。高飛車でもある。
それは、あなたの書いている通りよ。
でも、一つあなたが分かってないのは、
あたしはそれを全て知っていて、それを逆に利用しているところよ。
それが、あたしがこの板で演じている目的なのだから。
自己流でナントカなる、って思ってる内は大抵の人は我が道を行くな。 自分のやり方では駄目だ、って思わない内に、 他人の考えを真面目に考える人って何時だって少ないもんだ。 本物のイエスがひょっこり出てきてさ、 「これはこうであり、ここが間違いだ」 な〜んて、クリスチャンに言ったとしてもね、ま、殆どの場合、 「なにをいう、あなたが勘違いしてるのです」 っていうよ。本人と渋々認めても(苦笑)。 だから、まぁ、袋小路でも行くとこまで行くのもいいかもね。 少なくとも「これは間違いだった」ってわかるからね〜(笑)。。
>>920 彼は、自分の民から受け入れられることは無いかもね。
それは、過去に自分が宣言している通りよ。
いつの時代も、そうなのだから。
空でも飛んで見せるか、山でも動かして見せるか、海でも割って見せるか、 はたまた、第七艦隊でも撃破して見せるか、ICBM群を単独で迎撃するとか・・・。 何れも一人で。 こんなことでもして見せねば認めなかったりしてな〜(笑)。 そんでも受け入れないと思うがね。 が、教えとはあんまり関係がないな、これは。 (ノ´▽`)ノオオオオッ♪、って驚いてそれだけ(笑)。 だから、イエスもやらんかったんだろうな、特に意味無いし。
>>922 そんなことをして見せても、悪霊の技と言うわよ。
教義を否定する発言を行うならば・・・。
>>923 そう、わかりきってるからね。人間って主観が全てだし。
と、いうことで、
「袋小路でも行くとこまで行くのもいい」
という最初の結びに終わるんだよね。
が、確かに天国の門は狭いかもね。
色々持ってたらつっかえて入れないよ(苦笑)。
ごめんなさい、昨日はしゃぶしゃぶパーティーやってて、かきこめなかったの。 お掃除もすんだし、ちょっと書き込むね。 もにかはもにかです。マリアさんでもブルネルすさんでもありません。 幻は同じカトリックの聖者でも、同じ物を見てても表現が違うの。 プロテスタントになったりするともっともっと違うの。 だから、その人が信じているものが色眼鏡のフィルターになって、インフォメーションが出てくるのではないかしら。 すえちゃんは晩年でしょう。幻に目が開かれたのは。 それより前に何10年もの間ビリーフシステム(信念回路)をつくってきたわけ。 だから、幻から出てくるインフォメーションはすえちゃんのビリーフシステムに大きく影響されてるの。 誰と誰は地獄にいるに違いないと前々から信じていたのがまま幻に現れたとか。 科学者や哲学者が最高の天国にいるという当たりもそう。 受取るインフォメーションを直訳して伝えるのと意訳して伝えるのでは違って来るの。 幻は象徴。ママ信じちゃダメ。 象徴されているのが何かを知るようにしてネ。
>>925 そのビリーフシステムのことだけど、
表層心理と深層心理で思ってたことが、
変わっていくこととかは無いの?
927 :
ブルネルス :02/04/15 16:51
HNを戻します。で、
>>850 情報ありがと
>>895 |「或る者らは神は凡ゆる所におられると言っているが、発出している
| 神的なものが、太陽から発している光と熱のように、凡ゆる所におら
| れることを示されたのであるが、依然太陽がその本体の方面で凡ゆる
| 所に存在している、と言うことは愚劣なことである。」
こういう考え方が、三でありかつ一であるという存在のあり方を否定する論と
同じく、考える自分が把握できるレベルに対象を貶める仕方になっているんで
すね。
確かに、太陽とそこから出る光や熱との関係では、上の引用のようなことがい
えるが、それと神的存在の仕方とをアナロジカルに語れる、語っていい、と思
うのはなぜなんだろう。
こういう点では、例えば11世紀のアンセルムスのほうが、対象が自分たちの認
識能力をはるかに超えていることを認めつつ、そういう存在をできる限り語ろ
うという、謙虚さを伴った知的活動をしていると、思う。
神の場合は、それこそ本体が同時に全ての場所に存在し、かつそれぞれの場所
に本体の一部がではなく、全体が存在するというように存在する――それが遍
在ということだ、という。そして、そこから、場所的存在を超えたあり方をし
ている、と進むわけね。
928 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 17:02
マリアよ。 演じているなら過去の泣き言は言うな。ご丁寧すぎる。 同情が欲しいのか?激動の人生を語り、尊敬を一身に受けたいのか? 悲惨な運命を嘆くことも演技か?ならばガラスの仮面も真っ青だな。
929 :
ブルネルス :02/04/15 17:07
>>895 続き
|彼らは聖霊は
|それ自身に於いては神ではなく、聖言に記されている時は、一人の全能
|なる神から発する神的活動を意味することを教えられる
前に、dendo.さんが、エネルゲイアと言ってたけど、まさに神のエネルゲイア
と見ていますね。この場合は、太陽から出る光と熱という喩が、古来使われて
きたわけだけど、例えばヨハネ伝が、慰める者として語る時に、そこに人格的
な性格を付しているのではないだろうか。
イエス・キリストは現れた神として、人と対話する相手、向き合う相手として
描かれるのは、旧約のヤハウェ(の使い)が人に語りかける者であったことと
対応している。これに対して、モーセ五書中の神の霊は人に向き合うというか
たちで現れるのではなく、いわば人の中にやってきて、人をハイな状態にする
わけで、そこには人との対話的関係というようなものは見えない。そういうあ
り方は新約中の聖霊の働き方に呼応しているわけだけど、そういう働き方を、
神のエネルゲイアのことと見るかどうかですなあ。
まあ、エネルゲイアの話としてよく引き合いに出されるのは、シナイ山上で神
と向き合った後に降りてきたモーセの額から光が出ていたという箇所の、それ
こそ「内意」にあたるような説明で、つまり、モーセは神のエネルゲイアに満
たされた結果、自らも充満したエネルゲイアを発する者となった、という、
人間神化(テオーシス)の筋ですが。
(ノ´▽`)ノオオオオッ♪ どうも尊敬して欲しいのが一人おるようじゃ(苦笑)。
931 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 18:16
それは、ほかならぬ父なる神。 世間でも父親の権威が失墜しているからねー
はっはっはっ。 ま、『父権の復権』等と駄洒落みたいな事を言うとる親父達の権威は失墜するが筋だな。 で、どうだ? どうやらわしは尊敬されたいらしいんだが、尊敬する?<みなさん (o_д_)ゴロン(_Д_o)ゴロン(o_д_)ゴロン(_Д_o)ゴロン ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ
933 :
親父狩り@渋谷 :02/04/15 18:28
親父(・∀・)カネヲオイテカエレ
>>928 あら、それとこれとは別の話しだけど。
何?あなたの気に触ったのね。
尊敬を横取りされたくないから?ご苦労様。
935 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 18:38
尊敬ですか。アンタは、欲しいんでしょ? こっちはそんなものはいらない。 ナヨナヨしたかと思えば開き直って高飛車か。 やってることが随分電波じゃないか?
>>935 みんな知っているけど?あなたは知らなかったの。
937 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 18:47
食傷ですね。ゲフ
まあ、しかし、今までの支配者というのは本当に支配者だったな。 支配ってのは、もぐら叩きみたいなもんでさ。抑えつけてないと氾濫起こすんだよな。 だから、支店をいろんなトコに配置する必要がある。 それでも叩きつづけなきゃいけないんだけど。箍が緩むと壊れるから。 統治って言うのとは違うんだよな。統べて治めるって書くんだよな。 つまり、人の意を集め、そして治める。これが統治ね。 で、ここで重要なのは、殊更頼んだり、謀略巡らしたりしないのね。その本人が。 みんな勝手に「これがいいや」って神輿に担ぐの。 と、いうことで、選挙運動って事をしなきゃいけないってとこである意味間違ってるんだよ。 無理矢理でも当選したいわけだし。 で、ここで戻るんだけどさ。 尊敬ってみんなが勝手にするものなんだよね。 当の本人は、σ(・・?) me? ってなもんだ。 つまり、頑張って獲得するものではない、と。尊敬ってもんは。 また、された方は多分嬉しくないんだよな。一々気を使うしさ。 もっと無い奴は欲しいって言うんだけどさ。 持ちきれないから持たない方がいいんだよね。 邪神達も、そろそろ無駄な頑張り止めたらどうかな〜、って思うな。 素顔で皆の前に立てない奴がトップにいても治まらんのだよね。 はっはっはっ。
神道はおおらか。 スエなんてセコイ宗教をいつまでも議論してないで神道に帰依しなさい。 日本はこのままでは滅亡よ。 終戦で運命は決まったのよ。 教育はますます日本人を痴呆化させます。 少子化はますます進み、中国人と韓国人と欧米人に企業は乗っ取られます。 神道に帰依して、起死回生の奥義を実行しないと、この国は滅亡よ。
940 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 19:36
>>939 すみません(^^;;;脅しにしか見えませんけど。優しい言葉でお願いします
尊敬の話しが出てきたけど、本当に神のように拝まれるって嫌なのよ。 ここでは電波と呼ばれて、あたしは幸せよ。
>>939 神道ね・・・。神道の範囲ならイエズスを神として
認識することもまた良しだけど、その位置をどこに置くかよね。
943 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 19:43
>>939 起死回生の奥義とは? 小学生でも分かる言葉で説明してちょうだい。
944 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 19:44
>940 datte,本当じゃない!文句ある? ≫942 わけわからんこというなよ。
944ぜんぶすばらしいわよ。説明なんかできるか!体験よ、体験!体験なさいって!禊でも何でも。
943 頭悪い子には教えません。
解ったら、神道に全員帰依して。日本を思うのなら、今すぐ。マリアさんも口だけじゃなくて、本当に神道に生きてよね。
まず、神道と言っても、戦前の国家神道から、 天孫族の神道から、国津神達の神道など、 様々な流れがあるけど、どれのことかしら? それから、キリスト教徒にとっては、 イエズスをどの位置に置けばいいか? ということはやっぱり思うでしょうよ。
神道に生きるとは、在りのままに生きると解く。 ここのあたしは、まぁ、日常のあたしではないけど、 ここにいる電波のあたしも、またあたし。そんなものよ。
ちなみに余は天津神。あ、天孫族とはまた違うのだぞ。 あんなのは、○○○○○からやってきた連中。
おお、そういえば。国津神でもあるな(笑)。
>>951 天孫族は違うのね。まぁ、おそろしかこと・・・。
日本人として、違和感があるかどうか。 この一言に尽きる。 欧米の教会はたしかに立派で、豪華だ。 しかし、あれが日本的であろうか。
確かに恐ろしいかもしれん(笑)。 が、恐ろしい事をすれば恐ろしい事になるだろうよ。 した奴とその周辺部から上位者へ、更には最高指導者にと、どんどん遡って恐ろしい事に。 神界のルールは知ってのとおり実に厳しい。 天に唾すればなんとやら・・、だ(苦笑)。
>949 :マリア :02/04/15 19:48 >まず、神道と言っても、戦前の国家神道から、 >天孫族の神道から、国津神達の神道など、 >様々な流れがあるけど、どれのことかしら? できれば奈良朝以前に帰って!禊を体験しているのでしたらおわかりでしょ。 >それから、キリスト教徒にとっては、 >イエズスをどの位置に置けばいいか? >ということはやっぱり思うでしょうよ。 キリスト教徒関係なし!そういう考えすること自体、 戦後の欧米の霊的圧力に屈して卑屈になってる証拠でしょうが! 目を覚ましな!いちいちキリスト教と較べない! 復活など日本では大昔から常識。起死回生といったでしょ。 キリスト教徒は復活というと天国にいくことしか考えない。 皇国の教える起死回生は、そんなちんけなものじゃないよ! 禊によって神の御霊をいただき内に甦る。 いただいたその御神力で世界を変える。 イザナギノミコトの神話がそれを教えてくれるわ。 それが創造に協力するということよ! この美しい世界を荒らしまくって天国に逃げることが復活じゃない! 目を覚ましな! 自称キリスト教徒がこの美しい世界を荒らしたのよ!
957 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 21:30
新たな電波登場。
日本人なら、神道ぐらい体験しなさい。≫957
959 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 21:53
あっそー。 体験って?
960 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 21:54
神道にもこういう押し付けがましいのがいるとは。 驚きだぜ!
キリスト教がやらせばっかりで、驚きだぜ。
962 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 21:58
なんだ。マリコはやらせか。つまらん。
963 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 22:11
>モニカちゃんとやらが私だとか、妄想が続いているわね。 っていうか、どうせ妄想するなら「もにか」=「あうぐすちぬ」 またはその周辺の人物ってほうがまだ筋が通ってるのじゃなくて。 夫実家からかえってきました。たけのこうまー。 さて、某教授へ出した愚筆は「御放念」の対象になったのか。 だれかの手のこんだプラクティカルジョークだったらいやだよなあ …… やっぱり e-mail で事前にコンタクトとったほうがよかったのかしら。 心臓がばくばくしていまし。
>>956 うちの伝承は、天皇家以前のものだけどね・・・。
皇国ね・・・。あたし達には関係ない価値観ね。
何でも良いものを探り、それを受け入れるからね。
>>959 みんな知らず知らずの内に、体験させられてるから、
それについてはご心配なく。
>>960 まぁ、色んな世界が共存している世界だからね・・・。
>>961 ある意味みんな、ヤラセが半分よ。
伝承・・・・ 教祖を殺しといて、伝承はつながってるのか? ローマ帝国の遷都でキリスト教の正統はコンスタンティノープルに移ったのでは。 ローマ教会は、ゲルマンの布教のため、偶像崇拝を始めた異端では?????
966 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 22:23
電波の語る宗教観ってかなり怖い。
967 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 22:26
>>862 ……学習障害か?
>>850 あとで考えなおしたんだが、さべ本人が聖霊を主題的に論じていたのか
ここの箇所からではわからない。第一ニカイアでも聖霊を積極的に問題にしている
わけじゃないし……
なので
・原さべ(御父受難論: 父=子)
・新さべ(三位同一論、とでもいいませうか: 父=子=聖霊)←なじあんず云うところの「サベリウス」?
・極さべ(父=子、聖霊は神に由来するが[=非人格?]、神性ではない
の可能性もありかと。
なおエホ証は聖霊の人格性も神性もともに認めないが、アリウス派なので
(創設者C.T.ラッセルは自分をアリウスの後継者として位置づけている)
まあ当然と思はれ。
968 :
dendo. :02/04/15 22:41
元ふらの前の書きこみで、やっぱりひっかかったので書いておく。 たしかに私は某大学哲学科を卒業しているが……でもって別のことを 某大学院で専攻したわけだが……それゆえにこそ、系統だった仕方で 哲学史を人から教えられたことが「ない」。 大学院受験の前に哲学史の本を何冊か通読して試験勉強したのが 古代から現代までの哲学を網羅的に勉強した最初で最後の機会だ。 あとは拾い読み。 だってね、某K(若いほうの)先生の「古代中世哲学史」(断わっておくが 学部生対象だ)の一年目は、いきなり DK もってきて流麗な字でアナクシマンドロスの 断片1を原文で書いて、若干の(ってか内容がないよぅ)伝記的事実を枕にしたあと それだけで二週間。Vorsokratiker だけでまるまる一年。 ……でも年とった方のK先生は同じ授業を初期プラトンだけで一年つっぱったから ある意味上に挙げた例のほうが扱ってる範囲は広範囲なんだよな :-p ……リーゼンフーバーが授業の配布資料で日本語訳くばってくれたとき 学生が「なんて優しい配慮!」って感動するのはそーゆー背景があるわけよ。 # でもあの人も通史なんかやらない人だったな。filioque 問題なんて # 触れもせんかったし。 でも授業は通史的なことがガイシュツてなかんじで進むから、さすがに つらくなって先輩%とある文責のひと、にぐちったら 「おまえは大学に何を期待してるのか。そんなことは自分で本を読んで勉強しろ」 とえらい怒られました。 ……この状態がやっぱり異状(すくなくとも珍しい)というのは だいぶん後になって、新M1がふぃたりともよそから来た六年生のときのことでしたはい。 だから私の哲学史の知識はほんとに「試験対策」の範囲を出てないの。 謙遜でもなんでもなく、これは事実だからしょうがない。 というわけで、ぶの人にはともかく、私にあまり期待しないでおくれ。 そもそも私いわゆる哲学者じゃないんだし。
969 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 22:42
ΝΗΧΔΤΦΩζξθιαΛΙΗΤβμΧΦΔΕΖΥΩ
>>965 あらっ、あなたの言っているのは母親の家のものね。
あたしの言っているのは、うちの神社のものよ。
母の家のは、イエズスの福音に感化されたユダヤ人のものよ。
えっとね、キリスト教はかつてはローマ・コンスタンチノープル・
アレキサンドリア・エルサレム・アンティオキアに総大司教がいたの。
それぞれ使徒の後継者達。ローマとアンティオキアはペトロの後継者。
特に、ローマとアレキサンドリアの総大司教は、
教皇タイトルの保持者だったわね。
ローマは首位の宝座、コンスタンチノープルは、
(それと同等であり)それに次ぐ宝座ね。
971 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 22:46
マリアへ 君は真実を知らない。
キリシタンって、ただのバカだったのか、藁 騙されてるのに、気が付いてないだけ。藁。
974 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 22:53
>>973 君は真の生き方を見分ける目を持っているかい?
975 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 22:55
>>897 jis-2022-jp未定義領域かそもそも違う文字コードなのかよめん。
……我がために人爾等をののしり禁逐するとき爾等福なり。
だから彼女は気にしないのではないかな。
>>974 さて、それはどうかしら?
色んな生き方があるものだからね。
それには、色々調べてみないと分からないわね。
977 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 23:03
>>976 君は刹那主義的な生き方をしているようだね。
>>977 さて、それはどうかしら?フフフ。
色んなことがある人生も良し、平穏な人生もまた良し、
そんなものよ。色んな時代があるものよ。
それを面白いと思えば、面白くなるものよ。
979 :
小さなヨハネ :02/04/15 23:17
本スレッドはおかげさまをもちまして終了させていただきます。 長い間のご愛顧有り難うございました。
980 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/15 23:18
クリスチャンさんは‘キリスト教のオアシス‘スレにも 遊びに来てくださいね☆
>>972 騙されていると捉えると、騙されているのだろうし、
騙されていないと捉えるならば、騙されていない。
それは、非常に難しいものよ。
983 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 23:32
刹那も何も本人の思い込みやらネタやらなんでしょ? こんだけのことを本当に経験していたら正真正銘の超ダメ人間だし ネタとして作ったのなら病院に連れて行かなきゃならん電波だろう。 なのにあがめるってのも狂信的カルトを見ているようで怖くないか? しかも都合よくカトと神道と男と女を行き来するコウモリ。 ちぃヨハが聖人を名乗るなと腹立てるのもわかるぞ。
984 :
dendo.(1/2) :02/04/15 23:38
>907 あら、からかったことなんてなくてよお姉さま(はぁと) さて、私は小さなヨハネに他の方を侮辱するくらいなら 「せめてあたしにしときなさい」 といったが、誰か違う人の発言を私に(というのは小便娘とは 私のaliasらしいから)帰属させることは、本来の発言者への 侮辱であることを理解していないらしい。 また、ブルネルスとマリア両氏への侮辱について、それとして あやまったわけでもないらしい。どころかまた「……は……さんでは?」 を繰り返しているね。 よろしい、では闘おう。
985 :
dendo.(2/2) :02/04/15 23:38
彼に対して私がした発言について、私は基本的に怒ったことはない。 なぜなら彼の誠意に私は期待していないから。 だが、次のことについては――彼にというより彼の行動に―― 怒りを感じてきた。つねにだ。 それを私が表さなかったのは、ひとつには彼にもまた一人の人間として 己の信じる何物かに帰依する権利があるだろうため、 またもうひとつは、正教会では信徒ですらなく、また在俗神学者でもない 私が、西方教会の内部の異端について、 尊敬すべき某教授(実際、彼の説明は―ある特定の人物にとっては 残念ながらそうではなかったようだが―極めて簡潔にして要領を得たものだった。 ある意味、彼こそがこの一連のスレッドのもうひとつのモメントだったといっても よいだろう)と、 尊敬すべき西方の兄弟姉妹をさしおいて声をあげるということは 僭越極まりないことでもあり、また私の能力の限界を超えているように 思われたからであり、 かつまた、何を書いても理解しないかたくななこの異端者には、 私の駁論や批判もまたいいように利用されるだけではないかという危惧が あったからだ。 しかし、2スレにおいて 洗礼と痛悔と聖体の少なくとも三つの機密に際して神の前に偽証していることを 公言し、 かつまた霊と知識において固められていない(失礼)他の人に 聖なる全地公会が定めたニカイア=コンスタンチノポリス信経が 明らかにする三位一体の教えについて誤った知識を与え、 かつまた西方教会に身を起きつつサベリウス主義を広めようとする この異端者が、 再び誰かを迷わせるようなことがあれば、 かつまた主が我当たらざる者に net reachability と日本語入力環境を備え給うならば 私は躊躇せず彼とその謬説を告発し弾劾するだろう。 光栄は父と子と聖神に帰す、今もいつも世々に。アミン。
984
俺はそう思ってないけど。
>>983 正真正銘の超ダメ人間ね。
それは、ある意味当たっているかも知れないわね。
カトリックと神道を行き来するね・・・。
かつてカトリックにいたけれど、今はそうではないわね。
男と女を行き来するっていうのも、そうではないわね。
989 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 23:55
途中で信仰を捨てておいてデカイ顔しないでくださいよ。
990 :
ブルネルス :02/04/15 23:57
dendo.さん、抜き刷りはまだ届いてないよ。研究室にだしたのなら、 手元に届くまでに、1日、2日かかるかも。自宅だと、二年ほど前に転居しているの で、その前のとこに出した?となると返送されていく。 どうする。
>>989 それが、キリスト教独特の発想ね。
捨てたのは、別のものも得るために行うことであるのだけど、
キリスト教的価値観では、それが認識できないだけよ。
992 :
名無しさん@1周年 :02/04/15 23:59
>989 まぁまぁ。抑えて。 本人の選択の自由もあるんだから。 知識に偏った心無い信仰を続けるぐらいなら スッパリやめてもらった方がいいじゃないか。 やめたのに口をはさみすぎたかもしれない所は確かにあるが。
993 :
ブルネルス :02/04/16 00:02
>>979 ちいさなヨハネ殿
本スレ終了ということは、どういう意味でしょう?
(4)は自分からは立てない、立てられても参加しない、ということでしょうか?
それとも、単に、1000に近くなったから、(その3)は終わりですという案内な
のでしょうか?
>>992 あたしは、知識はあんまり無いけどね。
みんな何かを勘違いしてない?
995 :
名無しさん@1周年 :02/04/16 01:08
もとスレに用語集が出ている間こっちで休憩。
996 :
名無しさん@1周年 :02/04/16 01:08
ったって、あとちょいとで1000.
997 :
名無しさん@1周年 :02/04/16 01:09
よくぞまぁ続いたもんだ。
998 :
名無しさん@1周年 :02/04/16 01:09
暇つぶしにもう一度読み返すか。
999 :
名無しさん@1周年 :02/04/16 01:11
キリ番君は来ないかな?
1000 :
名無しさん@1周年 :02/04/16 01:11
逝ったな。
1001 :
1001 :
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