因果応報について

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1
対して深い考えを持たずに行動して、結果として
人を傷つけてしまったことが、時間を置いて
自分の身に降りかかると、個人的には、因果応報はあると思ってしまう。
2あぼーん:あぼーん
あぼーん
3名無しさん@1周年:02/03/22 06:41
1じゃないけど
終了荒しはやめてくれ、最近多くてうざい。
4名無しさん@1周年:02/03/22 07:01
>>3 おれもそうおもう 「2ゲット、ズザー」のほうがよっぽどかわいげがある
5名無しさん@1周年:02/03/22 07:09
>1
本当はすべて気付いてるのかもって。
だから、自分で自分を罰しているような。
デジャビュみたいな感覚を持つことがあります。
6:02/03/22 07:33
>>5
ちょっとうまく理解できないので、もう少し説明を
つけてもらえますか?

昔、叔母に”周囲というものはその人の行為を
うつす鏡のようなものだ”といわれたことがあって、
ふとした拍子に思い出します。
75:02/03/22 08:04
>1
心が曇った状態だと、自分を傷つけるのが怖くて、
悪いと思っても故意に気付かないフリをしてしまったり、
自分の都合のいいように理由付けをして忘れたつもりになったり・・

暗黙知といえばよいのでしょうか。
本当は自分が何をやっているのか、何をやろうとしているのか、
そしてそのことの善悪も全て分かっているというのでしょうか。

わたしの場合、だから既視感に襲われるのかなと。
ああ、これは過去にわたしがしてきたことなんだって。
運命とかではなくて、自分で自分にケリをつけているんだなと。
8:02/03/22 08:18

>>7
罪悪感ということでしょうか?
たしかに、因果応報は、個人で感じる罪悪感に
通じるところがありますね。
9名無しさん@1周年:02/03/22 08:29
キリスト的に言えば「蒔いた種が刈り取らねばならない」かな。
10名無しさん@1周年:02/03/22 09:06
いいスレですね。こころが洗われます。

>>8
1さん、罪悪感を感じたら謝って、
二度と繰り返さないと思えばいいと思うんですけど。

あなたのように罪悪感を感じられるセンスは素敵だと思います。

あやまってスッキリしたら、罪悪感を引きずらないことも重要では
ないでしょうか。

ただ、その罪が重ければ重いほど、時間が経てばたつほど、
謝るには勇気がいるんですよね。自分の経験ですけど。
11名無しさん@1周年:02/03/25 23:00
「人は過去のカルマを変更することは出来ない。
しかし未来を変えることは出来る。」

            ホワイトイーグル
12名無しさん@1周年:02/03/28 19:41
一時の快楽を求めて中田氏すれば、

苦労の種となって帰ってくる。
13名無しさん@1周年:02/03/28 20:01
>>12
最近オナニー症候群が見受けられます。
こういった場合、これらに付いてはどうなんでしょう?
自分に降りかかってくるのでしょうか?
14名無しさん@1周年:02/03/28 20:19
オナニーのし過ぎは
早漏に繋がります。
15名無しさん@1周年:02/03/28 20:21
早漏じゃなくて、遅くなるんだと思うけど。
16名無しさん@1周年:02/03/28 20:26
>>15
>早漏じゃなくて、遅くなるんだと思うけど。

いろいろ参考になります。
して、出典は何でしょう?
よもやとは思いますが、推測の範疇ではないんでしょうね?
経験でしょうか?
17名無しさん@1周年:02/03/28 20:59
早漏とか、遅漏とかはたいして問題じゃないと思うよ。
ようは、出れば良いんだからね、あまり悩むのは良くないと思う。

とにかくお前らは女がいないんだから、どっちにしたって同じ(ワラ
余計な心配すんじゃねーよ(激ワラ
18名無しさん@1周年:02/04/07 08:02
doui
19名無しさん@1周年:02/04/10 13:00
あなたはこのスレッドを立てた時、 どれだけのレスがつくと思っていましたか?
500?それとも1000?
今現在、モニターの前でどきどきしながらリロードを繰り返していることと思います。
でも残念ながらこのままのペースでは、自作自演でもしない限り レス100も突破することなく、
数々の駄スレと同じ運命をたどって 奥深く埋もれていくことは確実でしょう。
「自分の立てたスレは他の奴らが立てた”駄スレ”とは一味違う!」
きっとあなたはそんなふうに思っているのでしょう。ですが、
客観的に見てあなたのスレッドは、残念ながら「低レベル」と言わざるを得ません。
あなたが立てた「一味違うスレッド」というものは、
普段あなたが一笑に付し軽蔑している「駄スレ」の正にそれなのです。
ちょっとした勘違いから生まれたスレッドによって、深く傷つくあなた。
そんなあなたが気の毒でなりません。 人は誰しも幸せになれるはずなのに・・・。
だからあなたにこのレスを書きました。sageも入れないでおきました。
私のこのレスが「レス100突破」に微力ながら貢献できるのならば、
そして私のこのレスによるageが、スレッド再燃に微力ながら貢献できるのならば、
こんなにうれしいことはありません。2ちゃんねるという場所ですら、周りと噛み合うことができなかった
不器用なあなたに、両手いっぱいの幸せが訪れますように・・・。
20名無しさん@1周年:02/04/10 13:09
>>1 それは真理だと思うのだけど、ルートがわからない。
どう言う作用で、因縁因果の法則が働くのだろう?
21名無しさん@1周年:02/04/12 17:53
ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage
ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage
ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage
22名無しさん@1周年:02/04/14 19:54
>>17

オマエモナー
23名無しさん@1周年:02/04/18 16:05
mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm
24名無しさん@1周年:02/04/19 21:38
age age age age age age age age age age age age age age age age age age age
25名無しさん@1周年:02/04/26 13:06

    ∧_∧ ∝  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´曲`)‖< 悪こそ美学
    /~~~〉 〈/つ   \__________
   ノ  ノ|  |...‖
 ´〜 (__),__)‖ゝ
26名無しさん@1周年:02/04/28 21:02
age
27名無しさん@1周年:02/05/01 06:48
因があって縁によって果がおこる。
28名無しさん@1周年:02/05/01 21:33
赤い糸ってあるのかな? 伝説?
29名無しさん@1周年:02/05/02 09:29
>>28
因果応報って言うよりも、どっちかっていうと運命論っぽいね。
「赤い糸」伝説についてはテレビで解説をみたが、結構興味深い話だったとオモタ。
しかし内容が思い出せない。
30むもん:02/05/03 10:43
>>20
>>>>1 それは真理だと思うのだけど、ルートがわからない。
>>どう言う作用で、因縁因果の法則が働くのだろう?

世間にはこの地上世界がどのようにできているかについて二つの考えがあります。
一つは一般常識的な考え方で、人間は物質でできており、心(意志、記憶、知識)は
人間の脳の中の作用に過ぎないという考え方です。これを唯物論といいます。

それで、もう一つの考え方は、毎夜見る『夢』のように、思考によって造られていると
いうものです。この考えはこの夢である地上世界以外の世界に眠っている自分が
いなければなりません。これを仮に真我(神)と呼ぶのです。これが唯心論です。

そこで、この唯心論に立てば、人間の運命は『縁起の法則』が働きます。
なぜなら、『夢』は想念によって組み立てられるからです。すなわち、運命は心によ
って変化するのです。これが1さんのおっしゃる『因縁因果の法則』です。

仏教、聖書は勿論、カント、ソクラテス、プラトン、ショウペンハウアーなどの哲学者も
この唯心論に立って論じています。

聖書にあるように
『裁いてはいけません。あなたも裁かれるからです。あなたが量るようにあなたも量
られます』というのは、因縁因果の法則のことなのです。
31名無しさん@1周年:02/05/10 21:27
age
32名無しさん@1周年:02/05/10 21:32
ねえねえ 最初の因ってなあに? そりはどうやって生じたの?
33むもん:02/05/11 07:49
>>32
>>ねえねえ 最初の因ってなあに? そりはどうやって生じたの?

旧約聖書においては次のように述べられている。

『善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。』

『善悪の知識の木』とはなにか。
これは地上世界を現実と見て発生した知識である。すなわち、『唯物論』である。
経験の知識により外界を考える。するとそこにますます善悪が起こってくる。

ではそれがなぜ死を招くのか。
人に善悪が起きれば『寿命』というものが生まれる。永遠の命が限定されるのである。
善悪の思考は多くなればなるほど寿命が短くなる。
人の寿命はついに80歳前後まで短くなってしまった。
34名無しさん@1周年:02/05/13 17:36
あぽーん、や、あぽーん
チャ右仮名。
35名無しさん@1周年:02/05/14 00:42
tano
36名無しさん@1周年:02/05/14 15:27
>>30
>聖書にあるように
>『裁いてはいけません。あなたも裁かれるからです。あなたが量るようにあなたも量
>られます』というのは、因縁因果の法則のことなのです。
こういうのは「因縁」とはいっても、「因果」とはいわないんじゃな〜い?
37名無しさん@1周年:02/05/15 19:25
>>33 あたまがあぼーんしちゃった人?
38名無しさん@1周年:02/05/18 16:51
age
39名無しさん@1周年:02/05/18 16:56
>>30
唯物論にたっても縁起の法則は成り立ちます。
だいたい、仏教が唯心論だという時点でちょっと・・
40むもん:02/05/19 17:46
>>39
−−−−−−−−−−−−−−−−
仏善現に告げたまわく『善現、色(物質・肉体)と幻と異なり有りや否や、受想行識
と幻と異なり有りや否や』と。
善現答えていわく『不なり世尊。色幻に異ならず、色は即ちこれ幻、幻は即ちこれ
色、受想行識もこの如し』と。(大般若経)
−−−−−−−−−−−−−−−−−
これは大般若経の一部ですが、このように仏教が『唯心論(幻覚論)』
であることがはっきりと述べられています。
故に『空』であり『非我』であり『縁起の法(因縁の法則)』が成り
立つのです。
41名無しさん@1周年:02/05/19 17:56
>>36 逆
42むもん:02/05/20 08:37
>>36
『因縁因果の法則』は法則であるので、仏教徒だけに働くのではなく、キリ
スト教徒にも無神論者にも唯物論者にも誰にでも働いているのです。

たとえば部下をいじめる上司がいて、その上司の子供が学校でいじめられて
いる場合はよくあることです。
しかし、法則を知らない彼はなぜうちの子だけがいじめられるかを不思議に
思っているのです。これが『因縁因果の法則』です。
43名無しさん@1周年:02/05/20 12:09
>>32
仏教では始まりのない時から縁起して、輪廻してると考えます。
44名無しさん@1周年:02/05/20 14:13
>>32
「最初」というのは、無い。
45名無しさん@1周年:02/05/21 10:08
むもんさん、唯識できたのいつだか知ってる?
縁起は釈尊の悟りの内容だと言うけどね。
ところで>>42はちょっと偏ってるな。
そう教えるところもあるだろうけど。
あなたどこの新興宗派だったっけ?
46名無しさん@1周年:02/05/22 21:51
某所のレスを部分的に引用。
むもんさん、戦ってみる?

古代仏教では、この世の中は「因果応報」と説いています。
これは素直に解釈すれば、古典物理学世界観での「決定論」のこと
を言っているのだと考えられます。つまり、原因があり、結果が
あるということです。しかも、原因と結果が入り混じっている
状態だとも述べています。この概念は古典物理学的世界観そのもの
と言っていいでしょう。

このように古典仏教は、非常に正確で、科学的とも言っていい
のです。
47名無しさん@1周年:02/05/22 22:03
>>46
半村良の小説にもそんなようなこと書いてあった。釈迦は思いっきり現実的な
ことを言ったに過ぎないが周りに理解できる人がいなかったため輪廻のような
思想が出来たのだろう。みたいなことが書いてあった。
48名無しさん@1周年:02/05/22 22:10
輪廻の考え方はゾロアスター教からあったんじゃないの
49名無しさん@1周年:02/05/23 23:52
むもんさんオワタ
50加護チャンです☆ ◆DhJkQxJw :02/05/23 23:55
輪廻思想はヴェーダ聖典にその萌芽が見られます☆
>>47さんは、というか、半村氏は間違ってるかと(引用が正確ならば)☆
51名無しさん@1周年:02/05/24 02:20
じゃあ釈迦は非現実的なことを言ったんだね。
52名無しさん@1周年:02/05/24 03:25
人に酷いことをして罪悪感を感じる人には因果応報ありそうだけど、何とも思わない人にはなさそうだな。
53名無しさん@1周年:02/05/25 05:35
>>50
どう間違ってるのか教えてね。
54むもん:02/05/25 08:57
『衆生は無始生死以來、長夜に輪転して苦の本際を知らず』と。
佛、諸比丘に告げたまはく『意に於て云何、恒河の流水乃至四天海も其の
水多しと為すや、汝等長夜に輪転生死を為して流せし涙を多しと為すや』と。
諸比丘、佛に白さく『我れ世尊の所説の義を解するが如くんば、我等長夜に
輪転生死して流せし涙甚だ多く、恒水及び四大海に過ぐ』と。(雑阿含)

これは雑阿含経からの抜粋です。
大意は『人は輪廻して生死を繰り返し、その間に流した涙は海の水の量より
も多い』という意味です。

このように経文において、仏が直接説いているのに、それを信用されず、
皆さんは何処から仏教を学んでおられるのかが私は不思議でなりません。
55名無しさん@1周年:02/05/26 01:01
雑阿含経にも唯識が?
56名無しさん@1周年:02/05/26 01:29
>>54
その一文は後世の付加だと思われます。
57名無しさん@1周年:02/05/26 01:38
とにかく、むもんさんは成長の家信者ですので、その仏教解釈は滅茶苦茶です。
仏教の経典はあまりに膨大であり、しかも付加編纂がなされているので見方によって、
どのようにでも解釈出来てしまうのです。
彼が独自の仏教解釈を展開するのは、言論の自由ですから勝手ですが、
それをそのまま仏教だとは思わないで下さい。
仏教徒の迷惑ですから。
58名無しさん@1周年:02/05/26 03:31
【生長の家】 宗教団体、また、その機関誌の名。昭和四年谷口雅春が開く。
絶対真理の実相を観想して、それを礼拝対象とし、宇宙を久遠の生命のあり方
としてとらえ、万教帰一を提唱。

そう、むもんさんって万教帰一だったの。気が付かなかったよ。
仏教とバラモンをどう帰一するのか教えてくれ。マジで聞いている。
59名無しさん@1周年:02/05/26 03:44
めっけた。
生長の家ってのは仏教系なんだろ。なんじゃいな、これは。
http://www.sni.or.jp/honbu/html/fremhtm/newpage3.htm

万教帰一
 また「タテの真理」「ヨコの真理」とともに重要なのは、「万教帰一」
の真理です。すべての正しい宗教は本来、唯一の神(創造神)から発した
ものであり、時代や地域によってさまざまな宗教として真理が説かれましたが、
それらはすべて本源の神の救いの光線であり、すべての正しい宗教は、
その根本において一つです。これを理論的に明らかにするだけでなく、
それぞれの宗教が、その始まりにおいて持っていたみずみずしい力を復活させ、
現代に生きた真理として蘇生させています。
60名無しさん@1周年:02/05/26 07:56
「人生とは死ぬまでの暇つぶしである。
或いは死ぬための暇つぶしである。」

            ホワイトイーグル
61名無しさん@1周年:02/05/26 10:02
「人は過去のカルマを変更することは出来ない。
しかし未来を変えることは出来る。」

            ホワイトイーグル
62むもん:02/05/26 13:25
>>仏教の経典はあまりに膨大であり、しかも付加編纂がなされているので見方に
>>よって、どのようにでも解釈出来てしまうのです。
−−−−−−−−−−−−
『衆生は無始生死以來、長夜に輪転して苦の本際を知らず』と。
佛、諸比丘に告げたまはく『意に於て云何、恒河の流水乃至四天海も其の
水多しと為すや、汝等長夜に輪転生死を為して流せし涙を多しと為すや』と。
諸比丘、佛に白さく『我れ世尊の所説の義を解するが如くんば、我等長夜に
輪転生死して流せし涙甚だ多く、恒水及び四大海に過ぐ』と。(雑阿含)
−−−−−−−−−−−−−−−
ではあなたはこれをどのように解釈されるので?
63むもん:02/05/26 13:28
>>57さんはこれをどのように癇癪されるのですか?
−−−−−−−−−−−−−−−−
仏善現に告げたまわく『善現、色(物質・肉体)と幻と異なり有りや否や、受想行識
と幻と異なり有りや否や』と。
善現答えていわく『不なり世尊。色幻に異ならず、色は即ちこれ幻、幻は即ちこれ
色、受想行識もこの如し』と。(大般若経)
−−−−−−−−−−−−−−−−−
64むもん:02/05/26 13:30
打ち間違いです。
癇癪→解釈
65名無しさん@1周年:02/05/26 14:02
むもんさんは、
仏典にこのように書いてある事を、どのように解釈するのですか?

「釈尊はマーヤー妃のわき腹からから生れた。その時マーヤー妃は一切の苦痛を感じる事はなかった。
その姿は光り輝いていた。そして釈尊は七歩歩んで「天上天下唯我独尊」と言った…」
66むもん:02/05/26 16:57
>>65
どこにかいてあるのですか?
67名無しさん@1周年:02/05/26 19:14
ラリタヴィスタラです。
68むもん:02/05/27 09:48
>>65
−−−−−−−−−−−−−−−
佛、比丘に諸仏の常法を告げたまはく「毘婆尸菩薩は其の生時に當り、右脇
より出で専念して乱れず。右脇より出でて地に堕ち行くこと、七歩、人の扶
侍する無きも遍く四方を観手を挙げて言はく『天上天下唯我のみを尊しと為
す。要は衆生の生老病死を度するにあり。』此が是の常法なり。」
−−−−−−−−−−−−−−−
こういう文章なら阿含経にありますが、これは毘婆尸佛といって相当昔の佛
様のようです。
−−−−−−−−−−−−−−−−
時有りてこの世還た復成ずる時、若し衆生有りて晃c天に生じ、壽盡き業盡
き福盡き命終りてここに生じて人と為る。この間に生じ巳りて妙色意生じ、
一初の支節諸根具足し、喜を以て食と為し、自身光明ありて虚空に昇り浄色
久しく住す。婆私托、その時世中曰月有ること無く亦星宿無く、晝夜有るこ
と無く、月半月無く、時無く歳無し。
−−−−−−−−−−−−−−−−
この世が出来たとき人は晃c天からやってきた。その当時は太陽も月も星々
もなく自分自身が光っていた。人は空中に浮いており、喜びを食べていた。

これも阿含経の一部ですが、皆さんは信じられますか?
私は信じます。
69名無しさん@1周年:02/05/28 07:45
文脈から判断して、むもんさんはお釈迦様が腋の下から生まれたことを
信じてらっしゃるんですね。
私は逝っちゃってる人に仏教の講義を受けるのはいやなので、あまり基本的な
内容の独自の解釈を書き込まないでくれると私も迷わないで済むのですが。

それから万教帰一ってどういう意味ですか?
70むもん:02/05/28 19:54
>>文脈から判断して、むもんさんはお釈迦様が腋の下から生まれたことを
>>信じてらっしゃるんですね。

お釈迦様が脇の下から生まれたという経文を知りませんので何とも言えま
せん。

>>私は逝っちゃってる人に仏教の講義を受けるのはいやなので、あまり
>>基本的な内容の独自の解釈を書き込まないでくれると私も迷わないで
>>済むのですが。

私が解釈しているのではなく、お経をそのまま抜粋しているのですよ。

『この世が出来たとき人は晃c天からやってきた。その当時は太陽も月も
星々もなく自分自身が光っていた。人は空中に浮いており、喜びを食べて
いた。』

こんな信じられない内容は阿含経の中には山ほどありますよ。
皆さんの読まれる仏教の解説書は不思議でないところだけを抜粋している
のですよ。

もし、お釈迦様の説くこれらの不思議なことを省くならもはやそれは仏教
とは言えないのではないでしょうか。
何と言っても仏教とは仏の教えということですからね。
71名無しさん@1周年:02/05/28 21:58
だからさー 一番最初の因ってなんだよ?それはどうやって生じたのよ?
72名無しさん@1周年:02/05/28 22:20
>>71
最初なんてねーんだよ!
7357:02/05/28 22:21
>>62-63
話すと長くなるので、ヒマな時に。

>>70
阿含経にも古い所と新しい所があるのですね。
特に古い所では『この世が出来たとき人は晃c天からやってきた・・・なんて書いてない。
お経は古い部分になるほど現実的実践的内容が多く、新しい部分になるほど物語的な内容が多い。
これはそのまんまに解釈すると、「お釈迦様の語った教えは現実に即した実践的教えであったのだが、
後世の仏弟子によって装飾されてしまった。」と考えるのが妥当です。
74名無しさん@1周年:02/05/28 22:27
無始無終
75むもん:02/05/29 00:46
>>73
阿含経の全体を読んでいただくとはっきりわかりますが、「不思議な話」
は阿含経全体にちりばって説かれていますよ。
その中で学者が不思議でないところだけを取り出して、これは古い話で
現実的実践的内容だと言っているだけではないのですか?

私の見たところ阿含経全体がまとまった全宇宙の成り立ちが説かれている
ように思います。地獄も餓鬼界も龍の世界も頻繁に出てきますよ。
ただ、現代の仏教は現実的実践的内容といって取り出してはいますが、
それはただの「道徳」のように思えてなりません。

あなたは天界も地獄界もないと思っておられるのですか?
76むもん:02/05/29 01:23
>>73
雑阿含経は阿含経の最初の方に説かれていますが、こんな話はぞろぞろありますよ。
−−−−−−−−−−−−−−−−
12174(猟師経)是の如く我れ聞きぬ。一時、佛、王舎城に住まりたまへり。
尊者大目ノ連路中に於て、一大身の衆生の遍ねく身に毛を生じ、其の毛箭に
似、皆悉く火然え、還って其の身を焼くに痛み骨髄に徹せるを見たり。

佛、諸の比丘に告げたまはく『此の衆生は、過去世の時此の王舎城に於て曾
て猟師と為りて諸の禽獣を射たり。斯の罪に縁るが故に巳に百千歳、地獄の
中に堕ちて無量の苦を受け、地獄の余罪にて今此の身を得るも続いて其の苦
を受くるなり。

諸の比丘、大目ノ連の所見の如きは、眞実にして異らす、當に之れを受持す
べし』と。佛此の経を説き己りたまひしに、諸の比丘、佛の説かせたまふ所
を聞きて、歓喜し奉行しき。
−−−−−−−−−−−−−−−−−

77名無しさん@1周年:02/05/29 01:28
>>71
の答えが知りたいよー。
78名無しさん@1周年:02/05/29 01:47
>>77
はじめもなければ終わりもないんです。
何しろ、空なんだから。大乗仏教では。
小乗でもそうだと思うけど。
79名無しさん@1周年:02/05/29 04:06
漢訳は編纂が多いから、原典(パーリ語)を持って来いってば。
80むもん:02/05/29 07:14
>>79
>>漢訳は編纂が多いから、原典(パーリ語)を持って来いってば。

やはりそうきまはたか。
原典(パーリ語)の和訳を時々読みますが、その中で今まで、漢訳に無かった
ものは一つもありませんでしたよ。

或る学者がどこかで原典の一部が発見されたと言って大騒ぎしていましたよ。
この内容は驚異的な内容だと言ってね。もちろん「不思議な内容」の文です。
私は笑ってしまいましたね。
そんなものはとっくの昔に、漢訳されて阿含経に載っているのですからね。
その学者は漢訳さえ読んでおらなかったのですね。
81名無しさん@1周年:02/05/29 08:02
>>79
横から失礼します。
別にむもんさんのみかたする訳ではないですが、原始経典では輪廻を説きま
す。これを明確に無記の流れで問題視しないというのは、私の見た範囲では
沙門果経くらいでしょう。
輪廻を認めないとなると、仏教は成立しなくなる、というのは最近結構識者
の発言できかれます。

>漢訳は編纂が多いから、原典(パーリ語)を持って来いってば。
これは少しおかしいですね。ニカーヤではなくて漢訳から知れることも多い
はずです。
パーリのニカーヤは、論書がスッタに入っているので、有部など他派から批
判されたのはよく知られていますし、ヴィナヤなどはストゥーパなどが説か
れる部分、他の漢訳諸律とは異なりごっそりない。スリランカではインド本
土のように大きなストゥーパはあまり建てられないという地理的条件から、
編纂時に抜いたと言われてもいます。
改刪は同程度行われていると見るべきでしょう。

>原典(パーリ語)を持って来いってば。
パーリ語は決して原典ではありませんし、みなさんこれを重んじるのは
一番原初形態に近いインドの言葉で記されているところに資料価値を見
るからです。ほかには分からないところは分別説部(伝統的保守仏教@
南方上座部)で確認できますし。
その上でやはり漢訳との対比は必要かくべからざる作業だと思います。

上記のいいようでは、ただ単に相手を黙らすこけおどしの言い方です。
論争はもっと、客観的に実証的に行わなくては実りはありません。
82名無しさん@1周年:02/05/29 09:17
>>81
輪廻を前提にしないと仏教が成り立たないとの説があるそうですが、
具体的に説明願えるでしょうか。
あなたの言う輪廻とは転生を含むものなのですか?
83名無しさん@1周年:02/05/29 09:31
それこそ経典を見れば分かります。パーリでも漢訳でも。
これを「後世の付加」というようになった、一端については

http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1012922974/l50

の114で書きました。
84名無しさん@1周年:02/05/30 07:53
漢訳になくてニカーヤにある話もあれば、漢訳にあってニカーヤにない話もあるぞ。
通信手段のなかった当時、内容が一字一句正確に伝わるわけないじゃん。
85むもん:02/05/30 09:14
>>77
>>71
>>の答えが知りたいよー。

時間というのは記憶によって造られており、本来は無いのです。
もし、過去の記憶を完全になくせば、未来のことを考えることも出来な
くなります。その時、その人にとっては時間はなくなるのです。
86名無しさん@1周年:02/05/30 09:16
>>84
>内容が一字一句正確に伝わるわけないじゃん。
インドの伝承法って、現代日本人が想像する範囲超えて、正確らしいよ。
問題は部派(パーリで経典書き換えたのは分別説部・有部はサンスクリット、
ほか)が、教理の都合で故意に書き換えているらしい点である。

もしくは>>79さん周辺がその辺の事情に疎そうで、なおかつ個人攻撃に
出ていること。

「生長の家」も悪いとは言わないが、いい加減な宗教だな、と思うことも
しばしばである。個人的にはやめた方がいいと思うに一票。
87むもん:02/05/30 09:24
>>84
>>通信手段のなかった当時、内容が一字一句正確に伝わるわけないじゃん。

私は不思議に思うことがあるのです。阿含経は口伝によって伝えられたと
云われていますが、阿含経の中には「筆を造る職人」も出てくるし、
「書記官」まで出てくるのです。
それより何より、増一阿含では阿難が「このお経を文書に残して人に伝えよ」
と書いてあるのです。
口伝だというのは何処に書いてあったのでしょうかね?
88名無しさん@1周年:02/05/30 09:56
>>87
現在のスリランカの比丘は実際に口承で伝承しています。
89名無しさん@1周年:02/05/30 12:30
仏教は、他の宗教などと比べても、早い時代の文献が存在します。かなり早くから経典を
テキスト化していたのは事実です。

インドは歴史を持たない国として、記憶・伝承のための音韻法を確立してきました。インド
一般がそうだからそうなのでしょう、ってな感じですよね。
実は私もよく分かっていません。

アーガマなどは文字どおり伝承の意味で、仏教と双子の宗教ジャイナ教では、長い間この
習慣を守り、紀元100年頃から徐々にテキスト化していったようです。この頃仏教ではすで
に興起していた大乗仏教がさらに展開発展をしております。また、アーガマという名称も、
ジャイナ教が使用していた名称を採択した可能性を考える方もいます。

問題はインドは暑い国で、筆録のための木の葉っぱ(ターラ)などに移しても、すぐに朽
ちてしまうから、文字に残す習慣がなかったのだと、いう点です。
これはこれで正しいでしょうが、西洋のジャイナ教研究者によれば、
  1.無所得を標榜していて経典も所有物になるのでテキスト化せず、
  2.記憶による保存された勝者の思想は、自己の智慧とみなした、
というジャイナ教の伝承をあげております。
これは仏教においてもむしろそうだったのではないか、と思います。
90名無しさん@1周年:02/05/30 12:30
つづき

さてアショーカ王碑文は、パーリ三蔵に見られる以前のマガダ語の経を上げておりますが、
ここに見られるものは、現在見られる経典に含まれるある一節のみを指示していると考え
られています。アショーカ王時代の経典というのは、極短いフレーズだったようです。
 #経とか阿含と言わず、パリヤーヤ(法門)と表現しています#
これならば、布薩の時も読み上げるのは簡単ですし、パーリ三蔵を全て暗記するというよ
りも、現実的です。
こうした過程を経て、部派ごとにそれぞれの地域の言葉に翻訳し、内容を「いつ・どこで・
誰に、どんな風に」と増広し整理して体裁を整えたのが、現今のアーガマ/ニカーヤのよ
うです。

また遺跡に刻されているもの、あるいは碑文が注目されているようです。経典にはない情報
を伝えているのは勿論ですが、私なんかはこうした石に刻まれたものも、結構あったんじゃ
ないかと思います。古代アッシリアの書記官なんかは粘土板に文字を刻んだんでしょ?
そんな感じで、石工に指示を出して(浄語を用いてね)。

現在のスリランカ仏教は19世紀に一度滅びの危機にあり、極端に言ってしまえばビルマ(ミャ
ンマー)から逆輸入したものですが、ビルマ第六結集版のパーリ三蔵は現在最も信頼しうるもの
で、巨大な岩盤に掘られています。私は写真でしか見たことはありませんが、見られた方はそれ
はそれは素晴らしい、とおっしゃっていました。

パーリ三蔵はPTS版が世界中に流布していますが、当時の編集者などが、編集上の杜撰さもさる
ことながら、スリランカいくと、当地の比丘は経典と認識していないようで(パリッタなんか
を経と思っていたんでしょうかね)、砂の中に埋もれたような状態であったことなどを報告し
ています。

以上、浅薄な見解も交えてお話ししましたが、こうした情報は市販の書籍でも結構出ておりますの
探してみてください。
91名無しさん@1周年:02/05/30 12:30
つづき
>>88
そうですか。私の知っているスリランカの比丘たちからはそうした姿勢は見受けられなかったの
ですが。覚えらている部分は限られた、ほんのわずかな部分です。
でも、そうした伝統が残っているのは喜ばしい限りです。

ビルマでしたか、三蔵暗誦試験があって、すべて暗誦できる方は片手で数える位ですよね。
92名無しさん@1周年:02/05/30 22:18
ねえねえ、「最初」はなくて「因」はあるっていうのはインチキ臭くない?
93名無しさん@1周年:02/05/30 22:22
だから無始無窮なんじゃない?
キリスト教でも無限遡及になるから、そこら辺を限界点と定めて「言わず」ってな
ことにしたんだと思うぞ。
94名無しさん@1周年:02/05/30 22:24
じゃあ「因果」っていうのも成り立たないじゃない。
95名無しさん@1周年:02/05/30 22:26
因果だからこそ無始無窮。
96名無しさん@1周年:02/05/30 22:28
無窮はともかく、無始といった時点で「因」というものを度外視してるんだから、
「因果だからこそ無始無窮」というのは不誠実な態度でしかないと思うが。
97名無しさん@1周年:02/05/30 22:32
>>96
「空」スレで議論されてます。
空スレ参照。
98名無しさん@1周年:02/05/30 22:33
平たく言えば、卵がさきか、にわとりがさきか、と言う問題だろ?
最終的には無明に落ち着くでしょう。
99名無しさん@1周年:02/05/30 22:35
いや、「始まり」が成立するにもその因が必要となるので、結局
因果論は無始無窮のディレンマに陥る。
100名無しさん@1周年:02/05/30 22:36
>>96
何かに着目しそれを取り上げた場合にはじめて、因果関係が
問題になる。
客観的に因果関係というものが存在しているわけではない。

たとえば、「美人」と「不細工」がいるとすれば、
それぞれになる原因があると考える事はできるかもしれないが、
「美人」や「不細工」もそれを見る人との関係における
相対的なものに過ぎない。
101名無しさん@1周年:02/05/30 22:45
>>100
そうすると、「因果」というのはこじつけにすぎないということになっちゃうと思うが。
102名無しさん@1周年:02/05/30 22:46
>>99 そう、まさにそのことをいったんだが。「無始」といったときにすでに最初の「因」をネグっちゃってるんだよね。
103名無しさん@1周年:02/05/30 22:47
>>100
は因果関係が成立しない対象を持ってきてしまっているので、この話
とはまた別な話だろうね。
104名無しさん@1周年:02/05/30 22:48
>>102
だから、逆に「始まり」がないというのを、逆説的に導けるんではない?
105名無しさん@1周年:02/05/30 22:53
>>104
というか、最初の「因」をネグっておいて「因果」を説くのはどういうものか?
むしろディレンマに陥る理論は再検討されるべきだと思うが?
106名無しさん@1周年:02/05/30 23:06
>>105
#ネグって#というのはどういう意味か?
107名無しさん@1周年:02/05/30 23:10
ネグリジェ
108名無しさん@1周年:02/05/30 23:12
(英neglect)無視すること。ないがしろにすること。ですた。
109名無しさん@1周年:02/05/30 23:28
>>101
こじつけではないけど、「因果関係」というのにも実体はない。
ということ。
あくまで実体のない現象に内在するものだから。
因も果にも実体はない。
ただ特定のの事物(これにも実体はない)を捉えた場合、それには
因と果がつねに考えられる。
だから、第一原因というものはない(つねに、因と果を考えること
ができるから)。
110名無しさん@1周年:02/05/31 07:50
たとえば論理式にもなりませんが
何かの事物事象とであって

  これには始めがあろう(仮定・前提)

そこで
  「始まり」があるには、それが成り立つ原因があるはずだ

そして
  原因があるから、それは「始め」ではない(結果)

という流れがあるとして、最初に「始め」がたてられるのは
一般的常識に従ってであり、因果はそれを検証するために用
いられたロジックです。
性質が基本的に違うものです。

>>109
を、言葉を換えていうとこんなところかな?
111むもん:02/05/31 07:57

霊の世界では記憶を持たないので時間がないそうです。
1000年も生きているのに今のことしか知らないらしい。
だから悩みというものがないらしいですよ。
112名無しさん@1周年:02/05/31 07:59
そうですね。
第一原因がある(始めがある)、というのは一種の思い込み。
第一原因がなければならないという観念が、先にあります。

どんなものにもその原因を考える事はできます。
無限に遡及するという事態に、人間の頭脳が耐えられないだけだと思う

どんな個物でも他と無関係に、絶対的に存立しているものはない。
絶対的な第一原因もありえない。
113名無しさん@1周年:02/05/31 09:24
>>111
だから、悩み苦しみ、分かり合おうとする

人間というのは素晴らしいものだな、と仏教はいう。
霊や神(を信仰する人々)にはそんなものはないから、可哀想と。
114むもん:02/05/31 10:47
>>109
>>こじつけではないけど、「因果関係」というのにも実体はない。
>>ということ。
>>あくまで実体のない現象に内在するものだから。
>>因も果にも実体はない。

『無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽』
これですね。
115名無しさん@1周年:02/05/31 17:36
>>112 それは「因果」という観念そのものの否定だよね?なんか破綻してるように思えるが。
116名無しさん@1周年:02/05/31 17:40
>>111 うるさい!阿呆はだまってろ!
117名無しさん@1周年:02/05/31 18:26
>>115
第一原因がなくても因果関係を考えることはできるから、破綻はしていない。
無限遡及に耐えられるかどうかだけ。

ただ、仏教は本来、こういうスコラ的な議論はしてはいけないと言うのが
大原則だった。
時間や空間が有限か無限かという議論が、釈迦時代にも盛んになされたが
こういう問題は必ずアンチノミーに陥る。原理的に答えの出ない問題。
そこでこれら「十難」に対して、釈迦は「無記」という立場を貫いている。
118名無しさん@1周年:02/05/31 18:49
>>117
「ある一定条件のもとで」という前提をつけて、
その条件をあれこれすれば「因果」という考え方も成り立つ。というのが正しい表現ではあるまいか?
119名無しさん@1周年:02/05/31 18:54
「因果」の根本で「因果」を否定せざるを得ないというのは、
やはり再検討を要する破綻した理論というべきではないのだろうか?
120名無しさん@1周年:02/05/31 19:06
「因果」は理論じゃないよ
121名無しさん@1周年:02/05/31 19:08
なんなの?
122名無しさん@1周年:02/05/31 19:16
真理・法則
123名無しさん@1周年:02/05/31 19:46
>>122 自滅したな。
124名無し仔猫@1周年:02/05/31 19:48
 禅では、「大修行底の人、因果に落ちず」と言うと
野ギツネにされて「因果を眩まさず」と言うと成仏で
きるけどね。鈴木大拙、「仏教の大意」を参照。
125名無しさん@1周年:02/05/31 19:49
>>124
いや、だからさ、その「因果」ってなんだっていうことをいってるんだが・・・
126名無しさん@1周年:02/05/31 19:51
それにしても、もうすこし面白い話かとおもったら・・・
「真理・法則」ときたもんだ・・
127名無しさん@1周年:02/05/31 19:58
仏教の観点から。

上で誰か言ってたと思うけど
仮に「因」と称するものもまた「果」だし
仮に「果」と称するものもまた「因」だから
そう考えれば、あまり強く時間の前後関係に目は向きにくくなる。
だから、俗的に「因果」を称させるものは非常に時間的に限定的なイメージをもたらしやすいから、
「縁起」という言葉で考えたほうが便利だと思う。
そうすれば、「空性」との絡みにおいても、何ら矛盾はなくて済むし、
世俗と勝義をいらずらに混乱させることにもならない。
128名無しさん@1周年:02/05/31 20:00
>>127 要約すると「因果」という観念の否定ですね?
129名無しさん@1周年:02/05/31 20:01
>>俗的に「因果」を称させるものは

俗的に「因果」と称される

読み直したのに間違ってた。ごめん。
130名無し仔猫@1周年:02/05/31 20:01
>>125

 124が言う。125が聞く。
131名無しさん@1周年:02/05/31 20:05
>>130 教えていただいて有難いが、そういうことを話題にしているのではないんだが・・・・
132名無しさん@1周年:02/05/31 20:09
>>123
>>126
おまえらあほか

>>120
>「因果」は理論じゃないよ

書いたら、

>>121
>なんなの?

ときかれたから、

>>122

理論じゃくて
>真理・法則

と答えたんだ。

133名無しさん@1周年:02/05/31 20:11
すみません。テスト
134名無し仔猫@1周年:02/05/31 20:15
>>131

 理屈こねるだけじゃ、限界あるかもね。終わりなきことに
始まりなし。
135名無しさん@1周年:02/05/31 20:16
>>127

俗的に「因果」と称されるものも、本質的には空性であることを常に念頭に入れておくと、
世俗の時間や空間の縁起的な存在と、
勝義におけるそれらの空性との間に矛盾があると「勘違いせずに済む」から。

以下、内的現象も外的現象も空性と存在においては等価扱いの前提で書きます。
となると、縁起するものとして「一般的に悪業善業」として作用する現象やその原因も、
諸法の空性をとりあえず観念であれ納得した上で、懺悔すれば、
本来無記である何らかの行為の作用にさらに悪業を上塗りして本当に悪業として発現する可能性は低くなるし、
さらに、仮に空性の智恵と称されるものを本物のしていけば、
ますますその後に悪業と称される行為を積み重ねることもなくなるだろうということで。

ここに輪廻と入れると、もっと面白いのだけど、話しややこしいので、この辺で。
136名無しさん@1周年:02/05/31 20:17
どうやら「因果」ってのは>>132にとっての教条らしいな?
137名無しさん@1周年:02/05/31 20:21
>>136
因果な話だよね。
座布団もらえるかな?駄目?エア クッションでもいいよ?
138名無しさん@1周年:02/05/31 20:24
諸君の世界観は妙な譬話だけで成り立っているのか?
139名無しさん@1周年:02/05/31 20:24
140名無しさん@1周年:02/05/31 20:26
>>138 あと変な警句な
141名無しさん@1周年:02/05/31 20:29
仏教論理学の難しいところは、一般の論理学で突き詰めると仏教の見解とは異なってきちゃうところ。
というか、下手すれば、仏教自体が否定される結論が出てしまう。
だからと言って、仏教論理学が、いい加減な論理性なのではなく、
仏教独自の論理展開で考えなければ、不毛な悪循環になってしまうということ。

その体系にはその体系のルールがあるってことで。
142名無し仔猫@1周年:02/05/31 20:38
>>138

 抽象観念だけで成り立ってる世界は味気ないよ。
パーリ語仏典の「毒矢の譬え」、読んだ?
143名無しさん@1周年:02/05/31 20:57
>>141
仏教論理学はともかく、仏教物理学とかあったら怖いね。
独自の物理法則がはたらいてたりして・・・・
144名無し仔猫@1周年:02/05/31 21:03
 「世界は永遠であるとか、世界は永遠でないとか、世界は有限である
とか、世界は無限であるとか、生命と身体とは同一なものであるとか、
生命と身体とは別個のものであるとか、人は死後存在するとか、人は
死後存在しないとか、人は死後存在しながらしかも存在しないのであ
るとか、人は死後存在するのでもなく存在しないのでもないとかいう、
これらのさまざまな考え方を世尊はわたしに説かれなかった」(原始仏
典『毒矢のたとえ』、中公「世界の名著」)。
 なぜなら、世界は永遠であるとか、世界は永遠でないとか、世界は
有限であるとか、世界は無限であるとか、生命と身体とは同一なもの
であるとか、生命と身体とは別個のものであるとか、人は死後存在す
るとか、人は死後存在しないとか、人は死後存在しながらしかも存在
しないのであるとか、人は死後存在するのでもなく存在しないのでも
ないとかを知ったところで、「まさに、生まれることはあり、老いる
ことはあり、死ぬことはあり、悲しみ・嘆き・苦しみ・憂い・悩みは
ある」ことに変わりはないからである。
145名無しさん@1周年:02/05/31 21:03
>>142
もちろん読んでいない。
抽象観念だけで成り立ってる世界なんてありえないだろ?
世界は物質を基礎として成立しているんじゃないのか?
146名無し仔猫@1周年:02/05/31 21:13
>>145

 この世界が物質だけで成り立ってるとして、
では物質とは何だ? 定義不可能じゃないか?
147名無し化け猫@1周年:02/05/31 21:17
髑髏の手先か...

>では物質とは何だ? 定義不可能じゃないか?
莫迦モン、ドラえもん!

すでに仏教では定義してある。

喫茶去!
148名無しさん@1周年:02/05/31 21:26
>>145
別に定義不可能ではないと思うが?
「物理的・時間的・空間的現象のもとにある持続的基体、
空間的客体の変化を持続的にになっているもの」という簡単な定義もあるよな。
149名無しさん@1周年:02/05/31 21:27
148ですが・・・・>>146のまちがいですた  ごめなさい
150名無しさん@1周年:02/05/31 22:31
>>144
子不語怪力乱神とかの類だな。それとも一種の実存主義?
当面の話題とはあまり関連しないようだが・・・
151名無しさん@1周年:02/05/31 22:38
経典を読むときは、その内容が
どの程度世俗のレベルを考慮しているか、
どの程度勝義のレベルを考慮しているかを考えないと。
そうしないと、極端な唯心論に走ったり、極端な実体視論に走ったりして危険。
何派の見解に立つにしても同じこと。
152名無し仔猫@1周年:02/05/31 23:39
 落ちを付けてしまえば、あらゆる定義は別の抽象観念への
すり替えに過ぎない。「全てのものの中にあって、全て知ら
れたもののもとに隠されている不知」、それが「空」と言っ
て良いかも知れない。引用は、偽ディオニシオスの「神秘神
学」ね。アリストテレスも類似のことを言ってる。クザーヌ
スが「学識ある無知」の中で引用してる。ソクラテスの「無
知の知」も、同じことだと思う。後、何だっけ。えーと、そ
う、カントの「物自体」!
153名無し仔猫@1周年:02/05/31 23:42
 あ、ここ「空」スレじゃなかったっけ!
似たようものだから、いいか・・・。
154名無しさん@1周年:02/06/01 00:18
>>150
釈尊の「無記」を説明してる部分だよ。
155名無しさん@1周年:02/06/01 00:32
>>154 内容は>>150でいってるようなことだろな。
156名無しさん@1周年:02/06/01 17:16
渡海氏のスレがぐちゃぐちゃに荒らされる理由
157名無しさん@1周年:02/06/01 17:23
で?独自の物理法則に基づく「仏教物理学」ってあるの?
158名無しさん@1周年:02/06/01 20:48
っていうか、現代物理学に違反した仏教教理ってあるの?
159名無しさん@1周年:02/06/02 00:01
意味もなく「現代仏理学」と言ってみるテスト。
160名無しさん@1周年:02/06/03 00:21
「仏教論理学」とかいってるから「仏教物理学」とかもあるのかな?と思ったんだが。
161名無しさん@1周年:02/06/05 22:55
因果age 藁
162名無しさん@1周年:02/06/05 23:27
仏教はそれほどケンカしないしぃ

今の西洋流の物理学の方は、仏教圏に入ってきたときは
 キリスト教とのケンカに懲りて、宗教との住み分け方法を
 かなりしっかり決めちゃったから、

 ケンカも、融合も上手く避けるしぃ

163名無しさん@1周年:02/06/07 21:47
age
164名無しさん@1周年:02/06/10 20:59
東洋流の物理学って?
165名無しさん@1周年:02/06/12 08:34
物理学は全世界共通です。
166名無しさん@1周年:02/06/12 22:04
いや。。。漏れもそう思うんだけど。。。
>>162が西洋流の物理学とか言ってるから東洋流の物理学もあるのかと思って。。。
167162:02/06/14 11:48
いやあ、西洋流の物理学って言っても、そんな厳密なこと言ってるのじゃなくてぇ(^^;

歴史的な流れというか 西洋で、
 ガリレオ〜ニュートンあたりで一応まとめられた形が、今、世界中で
「自然科学」と呼ばれる学問や技術の「方法論や約束事」の原型というか
ひながたでしょう と言うことです。(これも厳密な話じゃないよ)

言い換えると物理学が世界共通なのはそうです。で、それを共通のコトバで
話せるようなデファクトスタンダードの現在形は西洋で生まれたという意味
です(これまた厳密なはなしじゃないよ)

余談
 東洋流の「物理学」というのじゃないけど、数学なら日本に和算というのが
ありましたよね(微積分ぐらいまで含む体系)。それほど有名じゃないけど
今の体系に統合される前の、東洋発 科学(自然科学)だってきっと色々
あったのじゃないかなあ? と思ったわけ。
168寿能町の隣は盆栽町:02/06/18 15:15
不幸の原因は、過去に犯した罪障によるものです。
169名無しさん@1周年:02/06/18 17:43
>>168 うるさい!馬鹿は黙ってろ!
170名無しさん@1周年:02/06/24 22:14
age
171名無しさん@1周年:02/06/26 23:11
172名無しさん@1周年:02/06/27 23:01
173名無しさん@1周年:02/06/30 16:36
age
174名無しさん@1周年  :02/06/30 17:25
>>148
基体、客体って何?
175名無しさん@1周年  :02/06/30 17:28
>>168
それは、明らかに出来るの?
誰かが、そう言ってるから そのまま言ってるんじゃないですか?
176名無しさん@1周年:02/07/05 05:42
age
177名無しさん@1周年:02/07/12 21:20
age
178名無しさん@1周年:02/07/16 22:47
因果応報
179名無しさん@1周年:02/07/23 22:16
あげ
180名無しさん@1周年
age