1 :
名無しさん@1周年 :
01/12/19 21:53 要するにどういうことなのでしょう、何で神とイエスと聖霊がひとつなのか???
2 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 21:55
聖霊によらなければ理解はできないです。 そう聖書にかいてあるよ。
3 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 22:00
何で神であるイエスが誘惑を受けたりするのですか?大体何で息子と”一体”なの
4 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 22:15
>>3 神とイエスは別人です 三位一体を教えているのは カ ル ト
だけです。 信じてはいけません。
5 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 22:21
ほんとに知りたいのなら聖書を読んでみてね
霊、魂、体 三身一体なのが人間であり 神、聖霊、キリスト これらが三身一体でゴットです。 霊魂体三つそろって自分であるが、霊魂体それぞれも自分である 神も同じようなこと・・・
7 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 22:38
霊と魂はどう違うの?
本能、自我、肉体。これらが三位一体なのが人間です。 「人形に魂が入る」とは、 まるで人形が自我を持つように見える事 「霊がさまよっています」とは、 死ぬ瞬間に本能的欲求だけがさまよっている事 「どざえもんだ」とは、 肉体だけ残されている様子
9 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 22:52
伝統的には 霊とは理性魂ともいい、永遠で理性的な、神を認識できる精神 魂とは動物魂ともいい、精神諸活動のうち感覚的な部分 だとおもたーよ。
10 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 22:54
まず、理解できないに至った経緯がまったくわからないので、 1さんは、どんな本を読んだのか、誰の話を聞いたのか、などを 書きましょう。「三位一体の中身についてこの本を読んでも、あの 人に聞いてもわかりませんでした」という書き方が的確な答えを 受けるために必要だと思います。年齢も性別も学力も信仰の有無すら このネット会話ではつかめませんから、自分から情報を発して 答えやすくしないと適当な人からの適当なレスをいつまでたっても もらえないと思います。
一体という日本語が悪い
神(本能)、聖霊(自我)、キリスト(肉体) これらが三身一体でゴットです 神(本能)に逆らうことは、死を招きます。 聖霊(自我)は、結構自分勝手にいたずらをします キリスト(肉体)は、全て(心技体)を成長させるために必要です
13 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 22:56
ビッグバンの時、宇宙は一点に収縮していた。 手のひらで、全宇宙が握れる。そんな瞬間を鑑みるに、 全位一体を主張するよ。 ちなみに三位一体は教会が作り出した、こじつけにすぎない。 「新約聖書」にはそんな記述はないんだからね。
15 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 23:03
聖書には、人の内に神の霊がとどまっている、としている 箇所もある(創世記)から、霊としての神はすべての人の内 に顕れているんだと思う。神という根源的な「霊」が個々の 人間の魂という形で顕れている、という感じなのかな。イエ スだけでなく人は皆、神の内に顕れている「神の子」であり その本質において神自身なのかもしれない。
お祈りして聖霊に教えてもらいなよ。
三位一体? そんな教理は虚構です。
三位一体は、宇宙の真理 しかし、他の宗教を許さない教会は、弾圧のため 絶対神は一人しかいないと言う事で、他の神を受け入れません。 しかし、時折現れる聖霊や、 自分達を救ってくれる救世主が神とは別に現れると言う事で それらを全て神と言う三位一体説を唱え始めたのでは無いでしょうか 日本は古来より三位一体です。
宗教なんていうものは洗脳されないと理解できない物です。それは キリスト教もオウム真理教も同じことですが。キリスト教を信仰し ている人には失礼ですが。
20 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 23:18
>15 いいこと云いますね 同意
>>19 要するに自分だけは洗脳されてないということを言いたいわけね。
22 :
フランチェスカB :01/12/19 23:23
大半は三位一体が分からないのに、教会がそう教えるので分かったつ もりになっているか、もしくは「分かりません」と言えないのでしょ う。王様の服が見えないのに「見えません」と言えない大臣のような ものじゃないでしょうか。 それに私自身も、納得のいく説明を聞いたことがありません。 はなはだしきは、わけ分からないけどそれを信じるのが信仰だ、とい う人もいます。そういう人は「権威」ある教会の言うことなら何でも 信じるのでしょう(その教会がカルトでないことを祈るばかりです)。 天動説や進化論を持ち出すまでもなく、宗教というか教会に妙なドグ マは付き物です。まず、分からないものは分からない、と言わないと その信仰はまやかしになってしまうと思います。
本能(霊)があるからこそ、 生き物は知らず知らずのうちに生かされています。 (食う、寝る、子作り) それこそが、神の思惑通りと言うことであれば 我々は、神と繋がっていると言う事です。
24 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 23:30
ああああああああああああああああああああああああ ああああああああああああああああああああああああ ああああああ ああああああああああああああああああああああああ ああああああああああああああああああああああ
人の脳味噌の中を図解します。 自我 (考え) | ↓ | |_____| | | | 本能 ⇔神と繋がってる |フィルター| |__ __| | | ↓ 肉体へ
27 :
ふらんちぇすこ :01/12/19 23:37
判らない事がわかっていながら考えるという営みもあるんだよな。 わからなければならないというのは確かにおかしいが、 わからないから考えることをやめるという選択も、 わからないけど、まだまだ考えるという選択も個人の自由。 しかし、自分が判らないからと言って、人の思考の営みまで否定する のは、単なる余計なお世話ということだな。
28 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 23:39
「神にあって」個々は全体に向けて結び合っていく。 「神」を愛し、その愛で個々が結び合っていくということが最重要。 どうしてもイエスス・キリストを避けて真の愛に辿り着くことは 困難。人は神の子だという感覚は、明らかに異端。救いを願うのは 自分を愛してくれる者、死後の裁きも救いも永遠からすべてを見て おられる神ご自身の判断による。「俺は神の子で救われるんだ」と 自分で言っている人に限って「愛」に通じるなんの根拠もなかったりし勝ち。
ずれた・・・ しかし先へ進みます・ 自我「死にたい」 ↓ 本能「だめ」←神の声 ↓ 肉体「筋肉硬直」 ↓ 自殺失敗 ってな感じであなたたちは生きています
つまり、分からんことをわかったつもりにならなきゃ宗教は、できんということか? それは、所属しなければ、免罪符がもらえないという、教会の策略にまんまと 嵌まっているだけだ。 分からんでも、そういう考えがあり、それを利用するのが、キリスト者 としてあるべき姿でないかな。 ちなみに、キリスト教徒と名乗るのは、恥知らず者。 キリスト教徒とは、キリストの規範にそって生きるもののことだ。 臆面もなく誰でも名乗っていいものではない。冗談ヌキにして 「キリスト教徒になりたいもの」といって欲しいよ。イエスを舐めるのも 大概にして欲しい。
31 :
ふらんちぇすこ :01/12/19 23:44
「洗脳」かあ。 洗礼式の時には頭に水かけられるんだな。
宗教は事前に本能的に良い事を教え 自我「聖書の教え的の事をしよう」 ↓ 本能「すごくいい、ぜひやれ」←神の声 ↓ 肉体「脳内麻薬放出」 ↓ 自我「気持ちいい」 つまり、宗教はオナニーの一種です
33 :
ふらんちぇすこ :01/12/19 23:50
三位一体を通じ「神」の存在、あり方、神そのものの姿を観想すること。 イエスに倣って生きること。 そういう営みが様々にあるんだよ。 「祈り、そして働け。」という言葉には、そういう意味も込められているんだろう。 行いという、実践の伴なわない宗教は空疎。 しかし「霊性」はその行いの原動力になる。 修道士なんかはそういう世界で生きてる。
34 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 23:58
洗礼を受けた人は、キリストを必要としている罪人。 だから、キリスト教徒と名乗ってもいいんじゃないの? キリストご自身の清さをキリスト教徒に求めていない? キリストを信じても罪人でなくなるわけでなし、イエスは 医者が病人に必要なように罪人の改心を促すために来たんじゃない?
35 :
ふらんちぇすこ :01/12/20 00:00
36 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 00:00
>洗礼式の時には頭に水かけられるんだな。 水に沈められるんだな。というのが適当なんじゃない? 水かけられるというのは洗礼の意味合いには関係ない。 儀式としての所作がたまたま「頭に水かけられる」だけでしょ。
37 :
ふらんちぇすこ :01/12/20 00:03
>>36 所作は、教派によって色々だからな。
冗句にマジになるな。
38 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 00:04
キリスト教の教義の中だけで理解しようとしても不可能。 教義の成立初期に隠蔽された知識だし、実際の内容は全然違うから。
39 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 00:11
40 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 01:04
神が絶対ならなぜ、三位一体なのですか?父と子と精霊がが一体であるというのはおかしい。そもそも同じセム系一神教<ユダヤ、キリストイスラム>のイスラムは三位一体じゃないでしょ。矛盾してるじゃんかよ。
41 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 01:09
言葉では説明できないよ>40 信じなければ矛盾そのもの 信じている人に説明不要
三位一体で全能であるというのはおかしい。絶対神がこの世界を創造したというのはおかしい。 そもそも三位一体であって絶対なる神がこの世界を創造し、世界は神の意図によって動いているならなぜこの世界は苦しみが多く、救われない人が多いのか? このようなことをいうと、予定説というのが出てきそうだが、予定説だと救われない人間は初めから決まっていることになる。 キリスト教が教える神とはそんなものか?すべての人間が救われるわけでもないのに絶対?なのか。
>信じなければ矛盾そのもの 信じている人に説明不要 これも重大な問題だと思うな。この科学が発展した時代に人の姿をとって現れたキリストが神と一体であるとどうやって信じろというのだ? それでもキリスト教は三位一体などという非科学的なことを信じろという。 そりゃあ、どうしようもなく追い詰められてしまえばカルトにはまるか、それとも神とやらを信じるかになると思う。 しかし、しかし大部分の人間はそこまで追い詰められないで、苦しんでいる。 俺はニーチェの超人思想が嫌いだけど、彼の問題提起したことは大切だと思うな。
44 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 01:23
これからキリストブームの予感(w 2chはキリスト教徒につっかかってくる人が多いけど キリストなんて無視して生きようよ。
誰か説明してください。お願いします。 私が基本的に興味があるのは仏教で、真宗の檀家なのですが、阿弥陀はしんじられん。 むしろ、禅や密教に興味があります。
父+子+聖霊=神? だから宇宙の意思とか言っちゃう人が生えてくんじゃない?
47 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 01:45
>>40 日本人全体が直面するであろう、産みの苦しみだよ。
禅はニヒリズムに陥るか実生活との整合性がうまくいかない。
密教も伝統系ではそう。密教を在家でやるとアゴンとかシンニョエン
とかになる。
法華経は在家的で世界観もキマってるし、
神秘への投企性があって仏教ではホケ系しかないと思う。
キリストはユダヤ的リアリズムが面白いよ。
キリストを知るのに三位一体が邪魔になるなら
とりあえず脇に置いておけばどう?実際、三位一体が
「分かってくる」のは論理を積みあげたずっと後ではないかなあ
私の基本的な疑問 1.ショーペンハウアーやニーチェはこの世はある種の意志によって動かされているという。 そして、それはわからんでもない。ニーチェは生命のちからは常に拡大しようとしているという。 動物は他の種類の動物との関係で生き残るために進化をするが、(これも何らかの意図によっているかのごとくの巧妙な戦略がある。) これも何らかの意図が働いているとしか思えん。しかし、互いに争いつつ、その力が拡大するなら、生命は神ではなく、悪魔のごときものの意図によって動かされているようである。 2.人間は知というほかの動物にはない物を手に入れて、今まさに、神の領域に侵入しているかのようである。 そういう意味で、s・キューブリック監督の2001年が暗示しているかのように、超人に近づきつつあるようである。しかし、その結末はかの映画の結末が示したかのごとき美しいものにはなりそうもない。 超人とはまるで悪魔のごとき存在のようである。
49 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 01:45
>46 父+子+聖霊 じゃないのよ プラスではない 上手く言えないけど そのように考えると絶対信じられない 別に信じたくなければいいけどね
50 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 01:47
真宗は救いだけしか問題にしてなくて、 社会との関わり方で思考が混乱する。
51 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 01:50
うほっ、いい感じじゃないですか<<40 さういふ疑問って、とても大事な気がする。 私もそう思うよ。 人間ってなんてマガマガしい、恐ろしい、 不気味な存在だろう・・・って。 神はどうしてそんな悪魔的な人間を作ったのかね? だが人間の知性は不完全なので、 神のことを全て識ることは出来ないらしい。。
3.生命が何らかの意図で生まれ、また消えていくとしたらなぜわれわれは生まれたのか?神じゃあ説明がつかん。 >法華経は在家的で世界観もキマってるし、 神秘への投企性があって仏教ではホケ系しかないと思う うーん、日蓮よりは親鸞のほうが好きなのですが・・・。法華はどのように教えているんですか?
53 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 01:52
>>48-2 人間の先祖は「知恵の実」を食ったらしいからねえ。
どちらにしても、キリスト教は信じられませんね。
55 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 01:54
あそうなの?じゃ気にしないで。 日蓮と親鸞、好き嫌いで性格が出るから。 おれも親鸞派だし(笑)親鸞派じゃキリストを無視するわけには いかんな。脳内論破しなくてはね。 阿弥陀さんは・・・あんまりリアルじゃないんだよね。。
56 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 01:56
まあ信じなくてもいいと思うね、キリストは。 困った人だよ。心の戸口に立っているからね、あの人は。
んじゃ 実体+内面+現世 って感じでどうかなぁ。 言い方が変わっただけ?
2001年宇宙の旅で、ボーマン船長がHAL(人工知能)を殺して、スターチャイルドになるけどさあ、 あれって意味深だよね、つまり、スターチャイルド(超人)になるためにはAI(人工知能)さえも殺さなければ、そのステップには進めなかったんだよね。 しかし、そのステップを越えることに果たして意味はあったのだろうか・・・
>47日本人全体が直面するであろう、産みの苦しみだよ。 日本人全体というより、人類全体のですね。宗教も哲学も、そして生命観さえも・・・ 既存の価値観のすべてが再定義を迫られている気がします。ひょっとしたら近代という時代の本質とはそこにあるのかもしれません。ポストモダンも21世紀も恐ろしい・・ そんな気がします。
>57実体+内面+現世 って感じでどうかなぁ。 よくわかりませんね・・詳しく説明してください。お願いします。 前レスに付け加えると、かくのごとき理由から歴史の(特に近代史)を勉強している途中です。 皆さんの考え方を教えてください。この時代にいかにして人は生きるべきか・・
三位一体はキリスト教以前からあったのだけれど このスレはキリスト教においての三位一体のみを 問題にしているのですか?
62 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 02:23
近代資本主義をささえたエトスも崩壊してるね。 若者を中心に。 究極の救いは信仰からしかやってこないとは思うけど。 その点、ヤパーリ一神教文化の国は精神的に優位だよ
タイトルからしてキリスト教限定ですね。 なぜキリスト教が三位一体論をパクったのか わからないです。
64 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 02:25
1には赤い字でそう書いてある。 レスはまちまち。
65 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 02:30
61さんの知っている元々の三位一体論を是非説明して! 何の話?
66 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 02:40
三位一体は神の奥義だ、 人間の小さい頭で理解できないんだよ、 神の全てを理解できると思うのは傲慢だ、 神がそう示されたから受け入れるのだ。
67 :
べんきーマン :01/12/20 02:44
要するに阿修羅マンやろ?
66さん。それじゃ、議論が堂堂巡りになるだけだと思いますが。 61さん。僕ももともとの三位一体知りたいです。そもそもなぜ彼らの頭からは3という発想が生まれるのでしょうかね?
今日はそろそろ終わりにします。 また来ます。
70 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 03:05
>>62 日本は近代資本主義を相対化する視点を持たない。
欧州は近代資本主義を相対化できる。産出地だから。
アメリカは近代資本主義を相対化できない。
アメリカは近代資本主義そのもの、だから。
昔の人は宇宙空間が三次元であることを絶対真理として神格化していたのです。 それを知らないと建物も建てられないからね。 ものを理解するには、その高さ、長さ、幅を見なければならない。
72 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 18:09
>>71 それって、何の知識?キリスト教の三位一体の意味とはかけ離れているように
思いますが・・・
そういう法則性の是非についてはね、キリストと対立する思想として聖書の
中で戒められていることなんです。
参考:コロサイ2章8節
「むなしいだましごとにすぎない知恵の操作によって、だれかがあなたを虜に
することがないように注意していなさい。それは人間の言い伝えに基づくもの、
宇宙の構成にたずさわる諸霊に基づくものであって、キリストに基づくものでは
ありません。」(フランシスコ会訳注新約聖書より)
73 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 19:30
>>40 >そもそも同じセム系一神教<ユダヤ、キリストイスラム>のイスラムは三位一体じ
>ゃないでしょ。矛盾してるじゃんかよ。
矛盾してるよ、もちろん!
だから、ユダヤ教とイスラム教はあやまり!ってクリスチャンは言うのだよ
この世界はなぜ存在するのか? 絶対的な神(?)がいたから・・・ 世界の始まりだけは、神を介入させないと考えが破綻します。
三位一体とは オシリス・イシス・ホルス のことですよ 男と女そして子供 つまり愛だ
76 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 20:05
うん?早い話、キリスト教はローマ人の宗教だってことだよ。
77 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 20:20
神と聖霊はすべての人を満たしています。愛によって 神の内にとどまる時、人は同じく自らの内にとどまって いる神を通して自らが神と聖霊と一つであることを実感 するでしょう。
78 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 21:04
>>72 んじゃ、だんまり牡牛の神学も「むなしいはかりごとにすぎない知恵」なんだね。
フランシスコ会訳使いながら。
あっ!だから「フランシスコ会訳」なのか。
でも、ラッキーさんの神学も「むなしいはかりごと」にすぎないんじゃないかね。
それとも、フランシスコ・ファンダメンタリスト(スピリトゥアーリ)かい?君は
79 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 23:34
しようがないな。取っ掛かりだけな。 三位一体は、本来、不可分な太陽ロゴスの3様を判り易く分解して示したもの。 第1ロゴス(神性・人類)、第2ロゴス(生命・形態)、第3ロゴス(力・質料)の それぞれを象徴的に父と子と聖霊に例えた。 第3ロゴスは、コイロンを含む七階層およびその亜層の形成に関わる側面であり、 それを通して、第2ロゴスの働きである七を七倍する連鎖期を貫く進化系が顕現され、 やがて、第1ロゴス(神性もしくはその過程である神の子)の目的に到達する。 第2ロゴスから第1ロゴスに至る過程は、昇るためにはまず下がらなければならないとか 死して埋められた存在とか、コブラの形態とかで表現されることもある。 また、この一連の流れをサポートする存在として七柱の惑星ロゴス(ヒンズー教では 被造物の主、ゾロアスターでは不滅の聖なるもの、ユダヤおよびキリスト教では 神の王座の前の七御霊と称される)が、上にあるごとく下にも存在する。 あとは調べろ。必要な情報はかつてより存在し公開されている。求めよ、さらば与えられん。
三位一体について、 東方教会は、父・子・霊の3つのヒュポスタシス(思い切って「個体」といってし まってもいいかもしれない)をまず立てて、それらが1つであることを示そうとす る―― 西方教会はまず、唯一の神を立てて、それが3つであることを示そうとする、 ・・・と言われます。 個体のあり方についての人間をモデルにした狭い理解を固持したままで、理解しよ うとすると、壁にぶつかります。存在のあり方、個体のあり方にはいろいろある ということを理解すると、相当程度まで、三位一体についてつきつめて考えること が可能となります。もっとも、だからといって私はこれを支持するわけではなく、 歴史的に形成された伝統的キリスト教の教義に過ぎないと思ってるんですがね。
81 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 00:37
そういう瑣末なことはどうでもいいんじゃないの? 藁
83 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 00:48
時々聖霊が出るってかあ? オカルトだねい。 キリスト教って。
84 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 00:56
キリスト教に限らず、一般に宗教はオカルトの側面を持つ。 オカルトの定義によるがね。
85 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 18:39
79 なんにもわかってないな。
86 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 18:57
三位一体が原始キリスト教以来の事実なら、新約聖書にそうはっきり書くはずである なのに、記載されていない。 それを真理だと解く現代のキリスト教は正統3教派(正教、カト、プロ)であっても カルト的勝手な解釈といえよう。 正統と主張しようと、どんなキリスト教派も、ものみの塔、モルモン、統一を勝手な 解釈と異端扱いは出来ないぞ。 正統も異端も結局同じく勝手な解釈。 原始からすれば現行キリスト教全部が異端と言われるかもしれない。 さらにいうと新約聖書をイエスが読んだら嘆くかも知れない。
最後の3行は断定ではなく、可能性と捉えて欲しい
88 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 19:02
>79 >86 なんにもわかってないな。 (因みに漏れは85ではない)
90 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 19:10
88は論破出来ないので分かってるフリだけして そのまま逃亡しました どうやら宗教に洗脳されてグローバルな視点を持てない真性厨房のようです
>90 はい、その通りです。わたくしは真性厨房です。 ・・・これでいいのかな? (本心;論破なんてとんでもない。それほどのレベルでもない。ばかばかしい。)
>>88 &91
私はナゼなんにも分かっていないのか理由を聞きたいだけです。
論破なんて求めてはいませんが、理由だけ教えていただければと思います。
ちなみに、
>>90 は私ではないので。
93 :
SAKIKO :01/12/21 19:40
三位一体を知らないなら知らないほうがいい。
94 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 19:44
>>94 いや、無宗教です。
が、無神論者ではありません。
かといって、神の存在を肯定もしません。
要するに、既存宗教について何が言いたいのか興味があるだけです
歴史とかね。
神の存在については、既存の宗教とはとりあえず無関係に考えています
実際、科学的に言っても、存在は否定できないので、否定はしません。
ただ、いないと言い切れないから否定しないだけで、いると思っている
わけではありません。
>>92 三位一体論の確立は、381年に開催された、ニケア・コンスタンティノポリス公会議においてです。
(ニケア・コンスタンティノポリス信条)。
つまり、新約聖書だけでなく、基本信条のいくつかを参照しながら、
キリスト教の三位一体論は語られなくてはならない、と言うことです。
このスレに限らず、あちこちで訳の分からない三位一体論が展開されていますが、
困ったものだと思っています。
>>96 なるほど、ご解答感謝します。
ただ、私はそれをわきまえた上で
>>86 で発言したのですよね…。
原始キリスト教ではニケア・コンスタンティノポリス信条もないことですし。
その公会議で決めている事が勝手な解釈では?と投げかけたわけなんですね。
それが正統なのだとすると、ものみの塔のいわゆる「光が増し加わった」と
同レベルなのではないかな?と思うわけです。
とはいっても無宗教者が外から言っても仕方ありませんけどね。
98 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 20:04
>>97 >>96 みたいな答えしか出来ない知性の墓場はほっとけ
洗脳されてるんだからさ
真実を教えてあげよう!イエスは敬虔なユダヤ教徒だ!
>>97 あくまでも、確立したのがニケア・コンスタンティノポリス信条なのであって、
それ以前にはまったく存在しなかったかというと、そういうわけでもなかった、と言うところでしょうか。
例えば、325年の「原ニケア信条」など。
また、2世紀のモナルキア論争のような出来事を通して、
教会の教理は少しずつ形を整えていった、と考えられます。
それから、4世紀末のカルタゴ公会議で、
聖書が正式に聖典として成立するよりも前に、
基本信条は確立しました。
そのことも忘れてはならないと思います。
100 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 21:23
神は、三位であり、二人にもなれるし、一人でもあれる。 四つにはなれん。 だから、三位一体じゃ。
101 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 21:34
>>96 >三位一体論の確立は、381年に開催された、ニケア・コンスタンティ
>ノポリス公会議においてです。
おひおひ、381年のはコンスタンティノポリス公会議だよ。
先立つ(第一回)ニカェア公会議で採択されたニカェア信条に一部修正
加筆を加えたのでニカェア・コンスタンティノポリス信条とよばれてい
るのであって、ニカェア・コンスタンティノポリス公会議というものが
あったわけではにゃい。
102 :
ぷちとまと :01/12/21 21:42
>>86 >それを真理だと解く現代のキリスト教は正統3教派(正教、カト、プロ)であって
>もカルト的勝手な解釈といえよう。
カルトか否かと,聖典の解釈がかってかどうかかとは,全く別物ですよ。
仮に主流派諸教会の教理がイエスの奉じたものと違っているとしてもなお,社会=政
治史的にそれらが「正統」(≒勝ち組み)であり,非三位一体論派が異端的・反主流
派であることは否めません。
103 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 21:51
>102 イエスの奉じたものと違っているとしてもなお、あなたは 政治・社会的「勝ち組」につくということですね。 まあまあ、そこまではっきりおっしゃるとは…。
104 :
ぷちとまと :01/12/21 23:13
>>103 政治的勝ち組みだからくっついた、というわけではなくて
くっついたところがたまたま勝ち組みだったとゆーか
(負け組み、日本にほとんど来ていないでしょ!?)
105 :
ぷちとまと :01/12/21 23:16
あと,イエスにせよ初代教会の使徒たちにせよ,三位一体論など<奉じ て>いないどころか知りもしなかったのは間違いないでしょ. せいぜい問題にできるのは,明確に否定する信仰をもっていなかったか どうかくらい・・・・
106 :
∴フォーチュンの弟子 :01/12/22 08:30
ローマを東と西に分けた重要なフィリオクエ論争まで突入すると思ってたが。 話止まっちゃたな。突き詰めるとあらゆる宗教教理とロゴス=論理そのもの の本質に迫ることになるんだが・・・。 まあ、とりたてて一般信徒に関係ある話しでも無いしな。
107 :
SAKIKO :01/12/22 08:34
>>101 ヲヲ、さうさう。さうでありました。
自分でも書きながら「なんかへんだけど、まっ、いっか」ってんで、
書き込んでしまひました。
ご指摘ありがたふ。
109 :
∴フォーチュンの弟子 :01/12/22 09:33
381年のコンスタンティノポリス公会議において勝利 したのは、カッパドキアの三教父をはじめとする。 「三一論」であり、これに精霊は父からも(子からも) 出発しうる、の文言である、ラテン語のフィリオクェ を加えたものが「三位一体論」だった。 と、聞き知った覚えがあるが?
110 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 09:42
111 :
∴フォーチュンの弟子 :01/12/22 09:51
出発だ!!
かう言ふのを「出発信仰」と言ふ。
113 :
フランチェスカB :01/12/22 18:02
出発でなく「発出」と思われ。 まあどっちでもいいが。
イエス3兄弟♪
115 :
名無しさん@1周年 :01/12/24 03:00
116 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 20:50
三位一体がキリスト教本来の教義でないとしたら、 どうしてこれは出てきたのでしょう。 どうしてこれが必須の信仰箇条として定められ維持されているか 説明できる人がいますか? それとぷちとまと、自分が言われた「勝ち組・負け組」を自慢げに 使うんじゃねぇ。おまえは負け組じゃないか。
117 :
kak ◆GA9BCNoI :01/12/25 21:26
旧約聖書に書かれている神があまりに?恐ろしいから・・・・ 何かというと皆殺し・・・・ 悪いことを総てかぶっているとも言えるが・・・ ま 神がイエスであって欲しいと言う願いがこめられているんでしょ・・
イエスがいなかったら 旧約読むやついないんじゃない?
119 :
kak ◆GA9BCNoI :01/12/25 21:34
世界で一番信者が多い宗教はイスラム教だそーだ そうなると クラーンには旧約と重なる記述が圧倒的に多いので 詳しく知ろうとすれば避けてはとおれないでしょう
イスラム教徒は、詩篇とモーセの五書ばっかり 読んでるのかと思った
121 :
kak ◆GA9BCNoI :01/12/25 21:42
それはある程度事実でしょう 預言書に関してははっきりそれとわかる重なる記述はないような・・・ しかし 内容においては明らかにイザヤあたりには重なる気がするな 預言書は ムハンマド言うところの ユダヤ人が隠している経典かも 今も造っているんだよ・・預言書・・・
ムハンマドは、“キリスト教徒が 「父とイエスと聖母マリア」との三位一体を信じてる” とどっかで書いてる。何か誤解してたんだろうな。
そういう考え方があったみたい 父と母と子の三位一体
124 :
kak ◆GA9BCNoI :01/12/25 22:00
でもさ〜 キリ協だって イエスの言葉として 「聖書(旧約?)は 私について書かれている」 と新約にでてくるからね〜 一緒になっているのは これが最大の理由でしょう・・・・
125 :
kak ◆GA9BCNoI :01/12/26 01:02
父と母と子の三位一体? そのほうがわかりやすいような・・・・・???
126 :
突然ですが... :01/12/26 01:08
「あなたは神です」というスレッドに以下のような見解を載せてくれた人がいました。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1009013142/l50 130 :1 :01/12/25 23:27
>>125 このスレの122-124は、人間から神までレベルアップするのに、通っていくべき各段階について、
聖書の言葉とともに、簡単に説明したものです。
《ただの人》⇒《神の使い》⇒《神の子》⇒《完全な神》
「私は神を信じています」とか、
自分と“天に着座している神”を、別々に解釈している段階は、
サンタクロースを信じている小学生と同様で、まだ、幼稚なレベルであると見なせます。
といっても、重要な中間ポイントではありますが。
ちなみに、東洋哲学でこれらの各段階を説明すれば、
《二元論》⇒《条件付不ニ一元論》⇒《一元論》
などという風になります。
「三位一体」との関係ですが、もちろん密接な関係があります。
聖書は、外面的な事物を象徴として用いた、内面的な知識の教科書です。
ですから、意識の内部の知識を合わせて聖書を理解するべきです。
「三位一体」との関連を説明する前に、まず、人間の三つの意識の状態を知る必要があります。
@覚醒状態(普通の目覚めている状態)
A夢中状態(眠っていて夢を見ている状態)
B熟眠状態(眠っていて夢を見ていない状態)
私たちはこれらの意識のいずれかの状態にあります。
これらの意識は、聖書では、
@イエス個人 A聖霊 B神
と表現されていると考えてください。
そして、これら三つの状態が一体になって、第四の超越意識に達することが、
「人の子」が「聖霊に満たされ」、「父なる神と一つ」になった、キリスト意識なのです。
三位一体の状態になることと、神を顕現することとは、同じことを言っています。
127 :
突然ですが... :01/12/26 01:11
上の続きです。 「三位一体」との関係ですが、もちろん密接な関係があります。 聖書は、外面的な事物を象徴として用いた、内面的な知識の教科書です。 ですから、意識の内部の知識を合わせて聖書を理解するべきです。 「三位一体」との関連を説明する前に、まず、人間の三つの意識の状態を知る必要があります。 @覚醒状態(普通の目覚めている状態) A夢中状態(眠っていて夢を見ている状態) B熟眠状態(眠っていて夢を見ていない状態) 私たちはこれらの意識のいずれかの状態にあります。 これらの意識は、聖書では、 @イエス個人 A聖霊 B神 と表現されていると考えてください。 そして、これら三つの状態が一体になって、第四の超越意識に達することが、 「人の子」が「聖霊に満たされ」、「父なる神と一つ」になった、キリスト意識なのです。 三位一体の状態になることと、神を顕現することとは、同じことを言っています。
128 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 01:13
何言ってんの?
129 :
kak ◆GA9BCNoI :01/12/26 01:15
そうかい? ま ハズレだね・・ 糞が神のようだ と思っても決して神ではない・・・・
三位一体なんて理解しようとしなくていいです。 歴史好きな知合いがいつもそればっかり質問してくるのでウンザリです。
131 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 01:44
そうだな 俺様にもとても理解はできそうにないよ・・・ 繰り返しだが イエスが神であって欲しい という願いは伝わるね 残念なことだが・・・・
132 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 02:11
133 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 02:16
俺の勝手な解釈だけど、人としてイエスが生まれ、覚醒し教えを広めた。 それを神は良しとされ、生存中、自らの子とした。 死後、イエスを子として神は哀れみ、復活させた。そして人間の罪をきる重要な 者として定め、自らの子としたイエスを天に置きたいと思い、聖霊によって彼を 天に上げ、結果イエスを愛する神はイエスを自らと同化させ、一体となった。 つまり、結果的に現在においては完全なるただ唯一の神は、元は ・創造神たる大元からある神(YHWH、エホバ、ヤハウェ) ・人として生まれたイエス ・彼を神とつないだ聖霊 の別個の存在が一つの意志を持つ一人の神となった。 ユダヤ教時代の破壊、怒りの特性が無くなったのはイエスと同化したため。 と、考えればつじつまが合うような合わないような…。 この説からすれば元3現1であって3つで一つの三位一体とはニュアンスが違う かもしれないが。 まぁ勝手に思いついたことだから異端だと思ったり妄想だと思うなりしてください
134 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 02:23
多くのキリスト教徒はそういう理解をしませんが その説はあなたの中にあるものなので それはそれでよいと思います。
まぁ、キリスト教徒ではないですし(^^;;
136 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 02:28
おいおい ユダヤ教に怒られるぞ・・・殺害数では遠く及ばない・・ とかいわれるぞ・・・
>>136 いやいや、聖書に書いてある神の正確という意味ですよ。
その後の信者や団体の行った事には触れてないんで
正確→性格 スマソ
139 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 02:33
直接の殺害行為などは書かれていないが・・・??? もし あるなら書いてあるところを教えて欲しいな・・・
いや、殺害行為なんていってないでしょ 破壊性、怒りと言ったまでで。 ノアの洪水、ソドムとゴモラ、その他諸々…。 まぁ新約にもある程度書いてあるけど、基本は愛することってのが 多いでしょ。 っていうか論点ずれてます
141 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 02:44
???イエスが滅びの宣告した町の数はいくつだっけ??? 愛の数より多いと思うよ・・・ まず 誰が何を語ったのか? 分けないとね・・・
142 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 02:47
>>141 ここは三位一体スレだろ揚げ足取りみっともないからやめれ
>>141 知識が浅くて申し訳ありませんが、俺は三位一体についての持論を
語ってるだけなんで、許してくださいよ。
確かにそれはそうなんですけどね〜、旧約の神の方が感覚的には怖い
じゃないですか。
144 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 02:51
真理の問題にかかわるからね・・・ 愛か死か・・・同じかな・・・??? ま もう寝るよ・・・
145 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 06:23
>>139 「神の命令」によって信者が行ったとされる「殺害」や略奪行為なら、
大量にあるけどね(^^;。ヨシュアによるカナン襲撃時の住民に対する
皆殺し作戦(神の命を受けて襲撃した街の住民を皆殺しにして家畜な
どを略奪したあとで、街を完全に破壊したとされている)とか。
146 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 06:54
聖書(特に旧約)の神って、自分の思い通りにならないもの、 他の神を信じる者に対してはどこまでも残虐になったり、信者 にやたら「殺せ」「奪え」「壊せ」なんて命じるんだよね....。
147 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 06:56
当たり前じゃん。(ワラ
148 :
vek ◆GA9BCNoI :01/12/26 09:53
だから〜 新約のイエスの言葉もそれほど変わらないと思うんだけど・・・ パウロの言葉に影響され過ぎだよな・・・
149 :
SAKIKO :01/12/26 09:57
三位一体がわからないならわからないでいいですよ。 知らないほうがいいということもありますから。。
150 :
vek ◆GA9BCNoI :01/12/26 10:00
? 現在の中東あたりの紛争の原因になっている それはそれは 危ない言葉なんだが・・・・・ ま ハズレかもトリニティーは・・・
151 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 19:42
やっぱり2ちゃんねらーは、 キリスト教というか、西洋思想をまったく理解してない、 その本質を予想だにしてないみたいだね。 文字とおり、三位一体は西洋の鍵だよ。
153 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 20:23
いや ハズレではないよ
>>151 は・・・
一種のクーデターかな・・・・???
154 :
名無しさん@1周年 :01/12/28 12:16
カバラでは666なんてのがあります。これも三位一体です。
155 :
名無しさん@1周年 :01/12/28 18:58
世の中のすべてのものが三つにまとめられるということを、 理解しなければ、三位一体は理解できないでしょう。 まずは、多を三にまとめて考えることです。
156 :
beck ◆GA9BCNoI :01/12/28 19:50
だから 終わりの日には 三分の二が死に 三分の一が残るんだな・・・・
157 :
名無しさん@1周年 :01/12/29 03:37
昔の人はフレミングの法則をどのように理解していたのでしょうか。
158 :
cav ◆GA9BCNoI :01/12/29 17:59
もちろん あのイヤラシイ・・・サインだよ・・・
159 :
dendo. :01/12/29 22:41
我らが冬厨の荒らしを許すがごとく 我らの煽りをも許したまへ
160 :
名無しさん@1周年 :01/12/29 22:50
東洋人がこの概念の正体を理解するには、相当勉強しないと無理。 ちょっとした翻訳本をかじってる程度では、想像すらできんだろう。 なぜ、異端とされる教団にこれを否定してるものが多いか、考えて ごらん。それだけ、西欧キリスト教には本質的な概念なんだよ。
161 :
名無しさん@1周年 :01/12/29 22:53
なにいってんだ。古代道教にも三一思想はあるやん。 神道にも影響してる。ローマから影響受けたのかな。
162 :
名無しさん@1周年 :01/12/29 22:56
163 :
名無しさん@1周年 :01/12/29 23:48
西洋人にとって、公理のごとく存在する弁証法、 へーゲルが初めて明確に言語化したが、ルーツは古代ギリシャか・・・ 弁証法の前提として、まづ、「分割ありき」がある、 分割されたものを、融合させようという思惟、渇望にとって、3は自明の理。 東洋人には頭で理解できても、肌に合わない、 また理解できても失うものも多い。 もっとも、「空・仮・中」の言語化はされたが、肌に合わないと忘れられた。
164 :
名無しさん@1周年 :01/12/29 23:50
古代のデイアレクティケーは「如何に自らを真理へと開くか」という 技術(テクネー)である。
165 :
名無しさん@1周年 :01/12/29 23:55
イエスの御霊に行け
166 :
名無しさん@1周年 :01/12/30 03:08
三位一体の定義は、三つの位格(ペルソナ:persona)、一つの神性と言う命題の 以上でも以下でもない。 神性とは、神としての本性(ナトゥラ:natura)を意味する。 位格は、自己を成り立たせる実存と言う意味。 本性は、実存の実体や本質と言う意味。 例えば、光は「粒子(フォトン)」と言う本性と、「波(電磁波)」という本性を持つていういみかな?!(ここら辺は、ちょっと自信が無い) 御子の位格には人性と神性という二つの本性を持つ。 意思は本性に従属するので、御子には人性の意思と神性の意思の二つがあり、 人性の意思は神性の意思に完全に従順で、合い混じることなく一致している。 また、神性は一なので、父と子と聖霊の意思は一つとなる。 これ以上、命題をほじくり返しても意味無い。
167 :
名無しさん@1周年 :01/12/30 03:29
やれやれ。クリスチャンの神学理解はこの程度なのかい。 ヤバくないか。
神学の理解などよりも 神との交流を! 祈りましょう!!
169 :
名無しさん@1周年 :01/12/30 03:38
あんたに言われてもね
三位一体は宇宙の真理を扱い、二位一体は生命の真理を扱う 傾向があるね。
171 :
名無しさん@1周年 :01/12/30 04:32
これ以上変に論わないの。
そんなことしても誤謬が生じるだけ。
>>166 は公会議など決まっていることで、旧教、正教、新教の共通の教義。
ただし、
>>166 の更なる解釈は、教父等の著書である伝承に頼るしかないですね。
しかし、旧教と正教では、その教父等の著書が違うんです。
旧教はアウグスチヌス、正教ではグレゴリウスともう一人誰かなんですね。
それで、正教ではアウグスチヌスは聖人ではなく福者(全教会ではなく、教区内で崇敬をが認められている人)なんです。
公会議でもそうとうもめたらしいよね。 そもそもイエスなどが三位一体について直接説明していないし。
>>172 もめたから、公会議を開いて不明な命題を決めたんですね。
三位一体という語彙は、カルケドン公会議で既に用いられています。
(
http://www.piar.hu/councils/ecum04.htm カルケドン公会議の全文です。英文ですがご参照ください。)
また、ラテン語のペルソナとナトゥラは、それぞれギリシャ語のヒポスタシスとウーシアと言う風に、
ローマ・カトリックとギリシャ・オーソドックスとで語彙の定義の統一はされています。
お疑いなら、カトリック司祭と正教司祭の両方に訊ねてみるといいと思います。
174 :
gav ◆GA9BCNoI :02/01/01 02:19
俺様の プリンが成立しなければキリは救われない・・・ということさ
175 :
gav ◆GA9BCNoI :02/01/01 02:51
ムハンマドもいいこと言うよな〜 俺様と あのヲンナと 結果排泄されたガキ の三位一体 これなら 俺様のプリン願望が成就するよな〜 ・・・ま 俺様が唯一絶対は変わらないが・・・・ これって 糞にとっては救いでもあるしね
176 :
gab ◆GA9BCNoI :02/01/02 18:30
あ〜 早くプリンしたい・・・
177 :
ロン・ハバード :02/01/02 18:33
178 :
gab ◆GA9BCNoI :02/01/02 18:45
キリストって役職名だろ〜
179 :
ロン・ハバード :02/01/02 19:10
サイエントロジ―マンセーなんスか?
181 :
gab ◆GA9BCNoI :02/01/02 19:19
ない 役職の名詞があるとはいかに??? 俺様としては いてもいなくても・・・ しかし のヲンナとプリンは楽しみたい・・・
182 :
名無しさん@1周年 :02/01/02 21:03
SMAPの中居もテンションがあがらない奴らしいぞ 気にするなよ
>>182 人生板へのレスだろ?なんで間違うかな。
184 :
名無しさん@1周年 :02/01/03 00:53
二位一体までなら聖書を使って証明できないこともないが、三位一体はかなり無理。 あまりのデタラメさに、ユダヤ教もイスラム教もこんなの教えてない。キリスト教だけ。
185 :
すとろべりー :02/01/03 00:56
父なる神様とイエスキリストと聖霊様 聖書を読んでもいないやつがいいかげんに解釈しようとしても 到底無理っしょ。よくよんでから質問して。
186 :
名無しさん@1周年 :02/01/03 02:22
聖書をよく読んだ研究者で、「グノーシスって実は結構いいんじゃない?」 と言い出した人もいますなあ。
>>185 聖書には父なる神様とイエスキリストと聖霊様が一つであると書いてあるところは一つもないんだけど。
ニケア信条って聖書だったのか・・・
不合理なればこそわれ信ず
189 :
名無しさん@1周年 :02/01/03 16:56
聖書の釈義は、基本信条(つまり、使徒たちが伝えた信仰)によって規定される。 聖書そのものが、この信条によって取捨選択され、成立したと思われ。(新約聖書、特に使徒書) だから、聖書だけをから手で読んでも、文学作品以上のものにはならない。 使徒たちが伝えた信仰に立って聖書を読む時、これが生きた神の言葉となり、 教会の教理の源泉ともなる。
191 :
gav ◆GA9BCNoI :02/01/04 20:10
いや 人文科学で判別すれば絶対に一人で語っている部分が はっきりわかると思うよ・・・人文じゃなくCIAとか情報機関かも・・・
>190 全然似てないと思うけど。。。
神=ヤーベ=キリスト ってこと?じゃあなんで神は悪魔に誘惑されたの?
194 :
dendo. :02/01/05 01:41
>>192 むしろ逆だよね。
まあ冬だからいろいろ変なのがいるんだお。耐えませう。
195 :
名無しさん@1周年 :02/01/05 02:00
冬だからサムイ事言う奴がいるんだって?
196 :
名無しさん@1周年 :02/01/05 02:48
人だからだよ。イエスの人性は神性に従属する存在だから。
197 :
名無しさん@1周年 :02/01/05 03:04
うまくやられたな。
198 :
名無しさん@1周年 :02/01/05 03:56
父なる神を現さなければ、神に対するおそれがない。 子なる神を現さなければ、罪から来る神に対する恐れを拭えない。 聖霊なる神を現さなければ、聖書の意味を理解することが出来ない。 全て人間を愛する神様からのプレゼントだから どうやって作ったの?とか、幾らするの?とか聞かずにもらっておこうw
199 :
名無しさん@1周年 :02/01/05 04:00
200 :
名無しさん@1周年 :02/01/05 08:58
200とったぜ
201 :
名無しさん@1周年 :02/01/05 11:41
>>1 三位一体論を納得しようとしても無理です。
というか本来論理的には成り立たない命題を宗教的権威で断定する
屁理屈なんだから。古代のキリスト教の内部の派閥間論争(それで
殺し合いまで起きるほど激しくやった)の結果できたキテレツな教義。
キリスト教徒は、フクザツな言葉であーたらこーたらキリスト教徒は、
そのイミを解説したりますが(ここでも読めるでしょ)、それは言
葉遊びか目くらまし。要するに、キリスト教みんなで「これ以上聞くな。
ただ信じると言え」といってるわけ。
202 :
ななしです :02/01/05 12:31
3Pやりまんということです。
203 :
名無しさん@1周年 :02/01/05 17:32
↑ そりゃ関係無いだろう。いくら何でも。
ようするに神が天国いる時は神の人格で 地上にいる時はイエスの人格で それ以外は精霊の人格になるということですか?
205 :
名無しさん@1周年 :02/01/05 18:19
>>196 >イエスの人性は神性に従属する存在だから。
その表現も、カルケドン信条の観点からは異端の匂いが少しする(藁
>>204 それも違います。
でも理性的に思考して納得できる答など用意されていません。
201がいい事書いてます。
>>204 > ようするに神が天国いる時は神の人格で
> 地上にいる時はイエスの人格で
> それ以外は精霊の人格になるということですか?
全然違います。
キリストはただの神格です。キリストが神格と人格という2つの位格を持つという考えは、
431年のエフェゾ公会議で異端となっています。
207 :
kaz ◆GA9BCNoI :02/01/06 03:58
ここに異端? 探したよ・・・
208 :
名無しさん@1周年 :02/01/07 00:40
三位一体を認めないと言う人はそれで結構だが、 三位一体の定義を変えて貰いたくないね。
基督な大学にでも聴講に行きなさい。 おれ、行ってたけれども、なんにもワカラン。
210 :
caz ◆GA9BCNoI :02/01/08 02:01
いいや ムハンマド説を知ったからには・・・ キリが改ざんした可能性さえでてくるんだよ・・・
211 :
名無しさん@1周年 :02/01/08 17:14
210それって父・母・子説かね?それはキリスト教はやったことないはず。
三位一体は虚妄です。 はっきり言えば、でっち上げ、うそっぱち。
213 :
kad ◆GA9BCNoI :02/01/09 19:57
>>211 そうだよ・・・詳しい歴史は知らないが・・・プロが登場するまでは
専制的色彩が濃厚だったんだろ・・・
自由主義者の俺様としてはこう感じるんだよ・・・
「切り捨てられ、闇に葬られたことが・・・」とね
葬られないまでも忘れられることは大有りだな・・・
たとえば アインシュテーヌの「時間は不変」 まず間違え・・その筋でもね
100年間時間に関する研究がとまり・・忘れられたような研究もあるわけだ
その中に正解があることも可能性大・・・
父、母、子説? もそれかもな・・・
ムハンマドも 他宗派にも関わっていただろ・・・
クルァァァ〜〜〜ン にも嫌がらせただの愚痴みたいな記述は多い・・・
ま わかんないだろうが・・・自由主義的俺様は・・少数意見の可能性を
完全に否定することはないということ・・・公式見解などは糞食らえ!
214 :
kad ◆GA9BCNoI :02/01/09 20:02
げ 書き間違え・・・嫌がらせた・・ではなく 嫌がらせされた
215 :
名無しさん@1周年 :02/01/14 16:12
216 :
名無しさん@1周年 :02/01/14 19:11
3みいったいは、わからなくてもいいんだってしんぷさまがいってたよ
217 :
kaz ◆GA9BCNoI :02/01/14 19:27
他糞に左右されんじゃね〜よ!!!
218 :
名無しさん@1周年 :02/01/14 19:28
三つの位格(Greek:υπόστασις, Latin:persona, English:personality)、 一つの本性(Greek:ουσία, Latin:natura, English:nature)。
219 :
名無しさん@1周年 :02/01/14 20:37
220 :
kaz ◆GA9BCNoI :02/01/14 20:48
>>218 みたいなの・・・しりとり用語を難しくしてるやつとか・・
ハハハ ちょっと前まではペルソナなんて文字は見かけなかったのにな
「心と宗教板しりとり」スレ見てきたけどさー お前のしりとりの難度はホントゆるゆるだね あずみのゆるまんよりゆるゆる
222 :
gad ◆GA9BCNoI :02/01/17 03:54
そうか221は矮小なんだ なんでもゆるいだろ 治療法を教えよう 矮小?短小対策だ! しりとりなら・・・こんなのは? 「専門書にさえ載ってない用語しりとり」 「調べられない言葉しりとり」 「意味は本人にも解らないしりとり」 「自身をもて!矮小、短小用語をひけらかせ!しりとり」 ・・・う〜ん これといって決め手にならないな・・・ まず 本人が病識を持たないとな・・・
そういうお前の脳味噌は、全部魚の白子かなんかで出来てるんじゃねえか?
224 :
kab ◆GA9BCNoI :02/01/19 01:53
完全な粘着気質を露呈し出したな・・・ 2chも患者への対策が整ってきて病的な症状を示した場合 直ちに対策が講じられるようだ・・・隔離? 俺様に絡んだ粘着は何人隔離されたかな〜〜〜結構イルヨ!!!
225 :
(*^。^*)/ :02/01/19 04:02
三位一体についての私の考え 神様はこの世を超えた目には見えない存在です。 だから、人間は神様の愛を感じることができない。 しかし、神様がイエス・キリストとして、この世でその性質をあらわされました。 イエス・キリストは十字架の上で人のために自らを犠牲にされるという、この世でこれ以上ない愛を示されました。 その十字架の死が自分の身代わりであったのだということを信じるとき、人はイエス・キリストの愛を知ります。 このように、実体である神の愛と、この世でイエス・キリストが証した神の愛と、イエス・キリストによって人間の心に注がれる神の愛はどれも同じものです。
226 :
(*^。^*)/ :02/01/19 04:05
聖霊は人の心の中に注がれる神の愛です
227 :
名無しさん@一周年 :02/01/19 04:06
3Pで一体になる方法は?
228 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 19:19
229 :
cab ◆GA9BCNoI :02/01/20 03:21
ヲンナ・ヲンナ・ヲトコよりもヲトコ・ヲトコ・ヲンナのほうが・・・ わかりやすい・・・???
230 :
fok ◆GA9BCNoI :02/01/21 06:03
磯野さん一家でわかりやすいヴィジュアルにして・・・最近診ないな・・・
232 :
名無しさん@1周年 :02/01/24 00:17
わかんなくったっていいよ。 感じ取ればいいんだ。 聖霊様の愛を。
233 :
名無しさん@1周年 :02/01/24 00:19
三位一体教徒 逝ってよし
234 :
voc ◆GA9BCNoI :02/01/24 00:24
231は何処が痛いのかな? スマタ? ソリャ痛そう サザエノ中身はつるつる グチョグチョ ヌメヌメ ドロドロ etc・・・少し臭かったりして・・・
235 :
kak ◆GA9BCNoI :02/01/25 05:59
イソノさん一家はいずこへ・・・
236 :
名無しさん@1周年 :02/01/25 09:58
かつて、三位一体を理解できずに洗礼を受けなかった私。 未だに理解できず。理解したいので、誰か納得させて下され。
237 :
名無しさん@1周年 :02/01/25 10:20
「三位一体」を知的に理解することなど不可能だ。
頭で理解しようとせず、体で感じるのだ。そう、体で!
体験だ。体験こそがすべてなのだあ!!
すべてを聖霊さまなる神に委ねるのだ。
そして、異言で祈るのだ!
教会の床の上に倒れこみ、大声で泣け。喚け。叫べ。
もうここしかない!! 来たれ、飢え乾く迷える子羊たちよ!
↓
http://www.jade.dti.ne.jp/~gljkefaw/
238 :
名無しさん@1周年 :02/01/25 11:28
>>236 三位一体を主張しない教会へ逝けばよいと思われ。
いずれにせよ236さんは聖書に従いたいと願っているなら
このまま何もしないでいるのは勿体無い。
>>238 三位一体を主張しない教会なんてあるんですか?
以前、そうした教えの教会を探したところ、
エホバの証人に当たってしまいました。
エホバに証人は自分としては勘弁です。
聖書に従って善く生きたいとは思っています。
240 :
名無しさん@1周年 :02/01/25 17:32
>>239 ユニテリアンがそうです。
他に無信条主義も積極的に三位一体論を押し付けません(フレンド派)。
>>240 レスありがとう。そんな派があるとは知りませんでした。
良い機会なので、ちょっと調べてみようかと思います。
243 :
kov ◆GA9BCNoI :02/01/27 21:43
イソノ カオリ? マチコ亡き後・・・ニュー・キャラ登場? たらチャンの妹? それとも・・・お父さんかマスオの隠し子???
244 :
名無しさん@1周年 :02/01/28 09:39
ユニテリアンは、ちょっとキリスト教とはみなされないぞ。
245 :
名無しさん@1周年 :02/01/28 11:28
アイザック・アシモフの神々自身を読みたまえ。 そこによーく書いてある。理性子、感性子、親性子の3つが交わって云々・・・と
246 :
名無しさん@1周年 :02/01/28 11:32
>>245 俺はアイザック・ニュートンが好きなのだが、
アイザック・ニュートンはユニテリアン的信仰を持っていたらしい。
247 :
名無しさん@1周年 :02/01/28 14:44
>>244 ソース希望 そしてあなたがユニテリアンをキリスト教とみ
なせない理由を説明してください。
248 :
cof ◆GA9BCNoI :02/01/31 07:02
ニュートン? フ・フ・フ・フックの出自のほうが・・・神が買ってるな
249 :
244ではないが :02/01/31 16:31
>>247 伝統派キリスト教会(カト、正教、プロ諸派)は、キリスト教と呼ぶ宗教の定義として
昔教会(諸派分裂以前)で決定した信条を持つ宗教という決定をしているため。
ニケア信条、使徒信条、アタナシウス信条等。
その信条の中で三位一体の神を信じる事、とされているので、伝統派キリスト教会から
すれば、どんなにイエスを師としようがキリスト教と自称しようと、キリスト教と似て
非なるもの(異端)という扱いになる。
以上の信条の否定の為にコプト教会、アルメニア教会などの東方諸教会は一般的にはキ
リスト教としてみられているし、自分達でもキリスト教だと言っているが、信条からす
ればキリスト教ではなく異端とされる。
参照 使徒信条 天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。 そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。 主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみに下り、三日目に死人の中から復活し、天に昇られました。 そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。 聖霊を、私は信じます。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。
ニケア信条 天と地、すべての見えるものと見えないものの造り主、全能の父である唯一の神を、私は信じます。 唯一の主、イエス・キリストを、私は信じます。主は神のひとり子であって、すべての世に先立って 父から生まれ、神の神、光の光、真の神の真の神、造られたのではなく、生まれ、父と同質であって、 すべてのものは主によって造られました。主は私たち人間のため、また私たちの救いのために天から 下り、聖霊により、おとめマリヤから肉体を受けて人となり、ボンテオ・ピラトのもとで私たちのた めに十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書のとおり三目目に復活し、天に昇られました。 そして父の右に座し、栄光のうちにふたたび来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。その 支配は終わることがありません。主であって、いのちを与える聖霊を、私は信じます。聖霊は父と子 から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられます。また、預言者をとおして語られました。唯一 の、聖なる、合同の、使徒的な教会を、私は信じます。罪のゆるしの唯一の洗礼を私は受けいれます。 死人の復活ときたるべき世のいのちとを待ち望みます。アーメン。
アタナシウス信条 (1)救われたいと願う者はみな、すべてのことに先立って、公同の信仰を保つことが必要である。 (2)この信仰を完全に、汚すことなく守るのでなければ、疑いもなく、永遠に滅びる。 (3)公同の信仰とは、唯一の神を三位において三位を一体においてあがめ (4)位格を混同せず、本質を分離しない信仰である。 (5)父の位格、子の位格、聖霊の位格はそれぞれ異なる。 (6)しかし、父と子と聖霊の神性は一、栄光は等しく、尊厳は永遠。 (7)子と聖霊は父と同じである。 (8)父は造られたれたものでtく、子も造られたものでなく、聖霊も造られたものではない。 (9)父は測り知れず、子も測り知れず、聖霊も測り知れない。 (10)父は永遠、子も永遠、聖霊も永遠。 (11)しかも永遠なものは、三ではなく一。 (12)造られないものが三あるのではないように、造られないもの、測り知れないものはただ一。 (13)父は全能、子も全能、聖霊も全能。 (14)しかも全能のものは三ではなく一。 (15)このように、父は神、子も神、聖霊も神。 (16)しかも、神は三ではなく一。 (17)このように、父は主、子も主、聖霊も主。 (18)しかも主は三ではなく一。 (19)キリスト教の真理によって、それぞれの位格を、個別に神であり、主であると告白することが求められており、三神三主について語ることを、公同の信仰にょって禁じられているからである。
アタナシウス信条続き (20)父はなにものから成ったのでも、造られたのでも、生まれたのでもない。 (21)子は父からのみ生まれたのであって、成ったのでも、造られたのでもない。 (22)聖霊は父と子から出るものであって、成ったのでも、造られたのでも、生まれたのでもない。 (23)だから父は一であって三ではなく、子も一であって三ではなく、聖霊も一であって三ではない。 (24)また、この三位一体においては、どれが先でどれが後、どれが大でどれが小ということはない。 (25)むしろこの三位格はみな、ともに永遠で、同等である。さきに述べたとおり、すべてをとおして、三位が一体において、一体が三位においてあがめられるのである。 (26)それゆえ、救われたいと願う者はみな、三位一体について、そのように信じなければならない。 (27)さらに、われわれの主イエス・キリストの受肉についても、正しく信じることが、永遠の救いのために必要で (28)正しい信仰とは、われわれの主イエス・キリストが神の子であって、神であり人であることを、われわれが信じ告白することである。 (29)神であるというのは、すべての世に先立って父の本質から生まれたことであり、人であるというのは、この世に母の本質から生まれたことである。 (30)キリストは完全な神であり、完全な人であって、理性的な魂と人間の肉をとっていて、 (31)神性にしたがえば父と等しく、人性にしたがえば父より小さい。 (32)神であり人であっても、ふたりのキリストではなく、ひとりのキリスト。 (33)神性が肉に変わったからではなく、神のうちに人性をとったから、ひとりのキリスト。 (34)本質の混同によってではなく、位格が一であるから、ひとりのキリスト。 (35)理性的な魂と肉とがひとりの人となるように、神と人とがひとりのキリストになっている。 (36)キリストは、われわれの救いのために苦しみを受け、よみに下り、死人の中から復活し、 (37)天に昇り、父の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばく。 (38)主が来ると、すべての人はからだをもって復活し、おのおの自分の行ないについて申し開きをするのである。 (39)善を行なった人は永遠のいのちに入り、悪を行なった人は永遠の火に入る。 (40)これが公同の信仰である。これを忠実に、また確実に信じる者でなければ、救われることはできない。
254 :
名無しさん@1周年 :02/01/31 18:20
信条なんてどうでもいい・・・聖書に三位一体の考えは絶対だと書いてあるの?
聖書に三位一体なんて書いてないよ。 ただイエスが神の独り子であるとは書いてあるけど。 個人的には旧新両聖書のみを聖典として、イエスを救世主として信仰すれば キリスト教と名乗っていいとおもうんだけどな。 信条って正統教会の傲慢でしかないと思うし。 異端とされてる教派もやっぱりキリスト教だと思うし。ものみの塔とかもやっぱり プロがどんなにキリスト教ではないと言い張ってもキリスト教でしょ。 さすがに聖書でない独自の聖典を聖書以上に使用するモルモンと統一は違う気がするけど
256 :
名無しさん@1周年 :02/01/31 22:17
>>249 オーソは使徒信条やアタナシオス信条を告白しないし、日基教団はニケア・コンス
タンチノープルもアタナシオスも告白しない。
全部やるのは聖公会
あと、異端はキリスト教の中、
キリスト教でないなら異教
257 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 00:13
聖書に三位一体と書いてないのに、 なぜキリスト教世界ではその考えが常識とされているのでしょうか?
258 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 00:29
>>257 同じ疑問を私も感じます。イエスを基準にすれ
ばキリスト教徒全体が異端のように思えるのですが。
(三位一体がキリスト教の要諦であるならイエスが弟
子たちに懇切丁寧に教えたはずだし、弟子たちも聖書
に三位一体のことを詳しく書き残したはずだと思うか
らです)私の感じ方ってやはり素人考えなのでしょうか。
259 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 00:31
>>258 それが常識というものです。
だから、史的イエスはキリスト教徒にあらず、イエスの史的事実で信仰に値
いするのは、十字架に死したことのみという主張になるんです
260 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 00:38
だいたい、イエスはユダヤ教徒です。 多分新しい宗教を開いたつもりなどないと思われ。 ただ腐敗したユダヤ教をキレイにしたかっただけでは?
>>295 はあ?
言っていることがイマイチわからない。
「史的イエスはキリスト教徒にあらず」って、史的イエスはキリストであって、
パウロ神学における「キリスト教徒」ではないとか言いたいの???
「イエスの史的事実で信仰に値するのは、十字架に死したことのみ」という主張が
どこからくるのか教えて下さい。それを語らずには、君の文章になんの意味もない。
三位一体は別にそんなに否定すべきものではないんじゃない。
私はそう考えると聖書理解がスムーズになります。
「イエスを基準にすれば、キリスト教徒全体が異端になる」ってのも、どのレベルの
問題なんだろうか?
たとえば、原罪により人間理性が不完全なものとして誤謬しか生み出さない
と言えば、それも場合によっては正しい見解になるとは思いますし、キリスト教徒と
キリスト者は異なるという意味で、キリスト教徒からキリスト者になることのすすめ
を目的として、「キリスト教徒全体が異端」といっているのか?
さああああっぱりわからない。
あらら、間違い 295だって259へだった。
264 :
あずみ ◆V.9uSetc :02/02/01 01:29
コプト教会やシリア正教会は使徒信条やニケヤ信条を告白 しているんですか? していないと思うけど....
265 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 08:40
三位一体の考えを受け入れている人は、聖書にも書かれていないのに なぜ受け入れられるのでしょうか? 自分で聖書や教えを吟味し、深く理解をしようとすれば、 単純には受け入れられないと思うのですが? 無条件に受け入れられるその理由をお伺いしたいです。 これは、私が信仰を持てるか持てないかに関わる 重要なことなので、マジレスお願いしたいです。
267 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 09:00
>266 聖書に書かれているのであれば受け入れられます。 但し、曖昧な表現や、解釈の仕方次第で・・・などという 記述であれば、それを理解、納得することは不可能かと思います。
268 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 09:08
>>267 それならば・・・
三位一体を後回しにして聖書の他のすべてを受け入れてみよう。
それから三位一体について考える。
結論はそれからだ。
269 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 09:22
>268 以前に書き込みをしましたが、三位一体について理解、 納得ができさえすれば、私は洗礼を受けられたんです。 その部分が自分の中でひっかかっているので、 未だに強い信仰を持てずにいます。
270 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 09:48
>>269 「信じるためには理解しなければならない」
のだろうか。
「本当に三位一体だけが踏み切ることの足かせ」
となっているのだろうか。
271 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 09:59
論点がずれているような気がします。 私にとっては、三位一体の問題は非常に重要なのです。 「理解、納得できないものを信じられる」方が 私にとっては非常に不可思議です。 今までもそうでしたが、結局のところ最終的には、 「信仰とは頭でするものではない」という解答しかないのでしょうか? それならば、知識は不要、聖書に書かれている様々な教えについて 深く理解することも無用となるのではないでしょうか? それにしても・・・三位一体について、なぜ誰も答えられないのだろう???
272 :
名無しさん@一周忌 :02/02/01 10:02
>>270 「信じるためには理解しなければならない」
のだろうか。
部外者の立場で言わせてもらいますが、理解せ
ずに信じるのは、「盲信、狂信」の類でしょう。
273 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 10:07
>272 同意です。
274 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 13:05
>三位一体について、なぜ誰も答えられないのだろう??? 三位一体の説明なんて、ネットだけでもいっぱいころがってるぞ 自分の信仰に深く関わる問題なのに 2chにソースを求めるのかよ(w
275 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 13:12
「信仰とは頭でするものではない」といっているも同然の解答ならネッ トにいっぱいころがってる。 自分の信仰に深く関わる問題なのは三位一体信者の皆さんたちの方では。
>>271 たしかに聖書では三位一体論は展開されていませんが、
旧約聖書から通して読むと、世界の救済には神ヤハウェと
イエス・キリストと霊の働きが不可欠であるということが理解できます。
だから三位一体論といった本質論から考えていくより、
歴史を通して世界の救済を図る神という、神の働きの面(機能論)から
三位一体の神を理解してゆくのがわかりやすいのではないでしょうか。
機能論からの追究のほうが、本質論よりははるかに聖書的ですから。
277 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 01:48
どうして皆認めないのだろう。気がつかないのだろうか。 「理解せずに信じていること」がどれほど多いかということを。
278 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 02:23
再掲 「本当に三位一体だけが踏み切ることの足かせ」 となっているのだろうか。
279 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 07:57
280 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 09:40
>>270 >>278 (すべての教会員の人も聞いて下さい)
キリスト教徒の大半は「理解せずに信じている人」でしょう。
しかし、それが教勢拡大の足枷になっていることに気付いてください。
281 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 09:42
大体三位一体なんて、教会政治の妥協の産物でしょう。 本当に神が三位一体かどうかなんて、人間にはわからないことだよ。 神の領域に踏み込んで、勝手にそうだと考えていいのかな? クローンみたいだ。
三位一体を否定する必要ないでしょうに。 なーに、調子扱いてテキトウなこと抜かしているんだか・・・ 分からないならば、だまっていろっの。 知りたいなら、知りたいだけの努力をしなさい。
283 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 12:03
ですから、何度も申し上げているように、 聖書に書かれていないことなのに、 さもそれが常識のように言われている三位一体について、 私は理解も納得もできないので、どなたかにご説明いただければ 有り難いのです。 否定するしないということではなく、 理解できないから教えて下さいと申し上げているわけです。
284 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 12:13
イエスはただの人 神は法則、人格はなし。 聖霊? 気のこと?
285 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 13:03
一神教の信者はこんな本音を持っています。
>>283 あなたの意見は正しい
>>282 三位一体論信奉者・・・・・部分的に逝ってヨシ
>>284 不信心な奴・・・・・全面的に逝ってヨシ
286 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 13:29
>>264 >コプト教会やシリア正教会は使徒信条やニケヤ信条を告白しているんですか?
>していないと思うけど....
使徒信条はしていないだろうけど、ニケア・コンスタンティノープル信条はしている
と思ってた。していないのは、カルケドン以降だろうと。違うのかな?
287 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 14:25
誰か救ってやるために三位一体についてちゃんと解説してやれよ
288 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 16:55
ひとつのからだと、みっつのいかく 父なる神 キリストは父なる神が受肉した姿 聖霊は父なる神の意志 神はひとつだけど、三つの顔をもってるんだよ。 多重人格みたいな。
289 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 16:58
>>288 だから
>>283 はどうして聖書根拠なしにそれが正しいと言えるのかと問うてるんでしょうが
そんな内容はもう何度も見てるから分かるって
>>289 それは〜〜、聖書が〜〜、全てでは〜〜、ないから〜〜、ですぅ〜〜。
聖書に〜〜、書いて〜〜、無いことも〜〜、イパーイ、あるっす!!
ってこと。
291 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 17:02
イエスが洗礼を受ける物語があるだろう。 イエスの上に、聖霊が鳩のように降りてきて、父なる神が、これは私の子、 私のこころに適うものってな。 あとはアウグスティヌスに聞けよ。
292 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 17:02
>>290 んじゃ聖書のみ信じると言っているプロテスタント諸教派はウソついてるのね?
聖書以外の教理を持つ教派は異端と言い張ってるからにはほとんどの教派は異端
ってことね?
それでいい?
>>292 かもね〜〜、と、いうよりは〜〜。
もともとの信仰が〜〜、残っている教派は〜〜、
残っていないようなものです〜〜。
が、異端とも言いかねる。主は色んな風に見えるんです。
だから、間違いとも言えないんどす。
福音に従って生きるべしって教派は、ある意味どれも正統です。
わたくしこれにて去る♪
バイバイ。
294 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 17:09
プロテスタントは聖書のみではなく、 聖書のみ、恵みのみ、信仰のみです。
295 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 21:43
>>292 同意!
聖書に書いていないことを平気で信じてしまう(
>>290 は事実上そのように言っ
ている)主流各派は、他教派(例えばモルモン教徒)を「聖書以外の聖典を持って
いる」と言って批判する資格はないことになるがよろしいか。
296 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 05:47
「聖書の根拠は?」というのがやたらでてくるので、とりあえず聖書から。 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 新共同訳ヨハネによる福音書1章1〜3節 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。 同14章7節 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。 同14章11節 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。 彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 マタイによる福音書28章18〜20節 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。 コリントの使徒への手紙二13章13節
297 :
あずみ ◆V.9uSetc :02/02/03 09:38
ヨハネとマタイとパウロ... 信仰理解の違う、宣教対象も異なる三者をごっちゃにされても 困ります。 それで、あなた何を言いたいわけ? >296
298 :
あずみ ◆V.9uSetc :02/02/03 09:40
まお、マタイ14:11が後世の付加であることは、用語や 内容から容易に推測できます。
299 :
あずみ ◆V.9uSetc :02/02/03 09:42
マタイ14:11 はマタイ28:18-20 の間違い。
300 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 09:54
>>297 ごっちゃにされて困るといわれても
別にごっちゃにするとかしないとかじゃなく
「聖書に書かれているのであれば受け入れられます」という人がいたんで
聖書を引用したまで。
301 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 10:16
「聖書に書かれているのであれば受け入れられます」と言った本人ですが、
>>296 で教えていただいた聖書の箇所は、
曖昧な表現であり、解釈の仕方次第で・・・と言った記述だと思います。
ここで、もう少し基本的なことをお伺いしたいのですがよろしいでしょうか?
【三位一体】とは、つまりどういうことなのか、
改めて認識をさせていただければ幸いです。
303 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 20:25
age
1. もし神が現在三位一体であり、過去においても常に三位一体で あったのであれば、ユダヤ人はヘブライ語聖書(「旧約聖書」)の 中にこの教えを見いだしていたでしょうか。 2. ヘブライ語聖書は神について何と述べていますか。 ―申命記 6:4。詩編 145編。ゼカリヤ 14:9。 3. ヘブライ語聖書は聖霊に言及していますか。―裁き人 15:14。 ゼカリヤ 4:6。 4. ヘブライ語聖書では聖霊は人格的存在として述べられています か。それとも、 神の活動力として述べられていますか。 ―裁き人 14:6。イザヤ 44:3。 5. ヘブライ語聖書は約束のメシア、すなわち油そそがれた者のこ とを述べていますか。―ダニエル 9:25、26。 6. ヘブライ語聖書の中に、メシアが神と同等であるとする聖句が ありますか。―詩編 2:2、4-8。イザヤ 45:18; 61:1。 7. ヘブライ語聖書の聖句で、エホバは唯一の神における三つの 位格であると信じる確かな根拠となるものがありますか。 ―イザヤ 44:6; 46:9、10。
8. イエスを地に遣わしたのはだれでしたか。では、上位にある のはだれですか。―ヨハネ 5:19、23、30; 8:42; 14:28; 17:3。 9. イエスが、わたしは神である、と言われたことがありますか。 ―ヨハネ 7:28、29; 14:6。 10. イエスを見た人は大勢います。しかし、神を見たことのある人 がいるでしょうか。―ヨハネ 1:18; 6:46。 11. イエスは、自分は「神の子だ」と言われましたか。それとも、 『子なる神だ』と言われましたか。―ヨハネ 10:36。ヨハネ第一 4:15; 5:5、13。 12. イエスはご自分がみ父と同等であると言われたことがあります か。―ヨハネ 14:28; 20:17。 13.「わたしと父とは一つです」という言葉は三位一体を証明する ものですか。―ヨハネ 10:30; 17:21。マタイ 24:36。 14. 初期の弟子たちはイエスをどのようにみなしていましたか。 ―ヨハネ 1:29、34、41、49; 6:69。コリント第一 11:3。
306 :
三位一体に関する質問(3) :02/02/03 20:32
15. 神はイエスをどのように見ておられましたか。―マルコ 9:7。 ルカ 2:9-11。 16. 聖霊は神の活動する力であるということに関して、ギリシャ語 聖書(「新約聖書」)はヘブライ語聖書と矛盾していますか。 ―マタイ 3:11。ルカ 1:41。ヨハネ 14:26。使徒 1:8; 4:31; 10:38。 17. イエスがバプテスマを受けたとき、父と子と聖霊はどこにいま したか。それら三者は一つでしたか。―マタイ 3:16、17。 18. 復活させられたイエスは天でどんな地位を占めておられますか。 ―使徒 7:55、56。ローマ 8:34。コロサイ 3:1。ヘブライ 12:2。 19. その高い地位をイエスに与えたのはだれですか。―フィリピ 2:9-11。 20. その地位に就いたイエスは神になりましたか、それとも宇宙で 神に次ぐ者となりましたか。―コリント第一 11:3。フィリピ 2:9-11。 21. 宇宙の至上の主権者はだれですか。―申命記 3:24。 使徒 4:24-27。コリント第一 15:28。
307 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 20:42
308 :
304-306 :02/02/03 20:59
後日、これらの質問に対する聖書からの答えを提出します。
309 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 21:47
>>304-306 確実にコイツエホ証だね。
旧約新約をヘブライ語ギリシャ語と言ってる上に士師記を裁き人と言っている
310 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 22:25
嫌だなぁ・・・結局、行き着くところエホバの証人になっちゃうんだから・・・
311 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 22:27
>>310 そうだね・・・結局、エホバの証人こそが真理だということなんだよね・・・
312 :
名無しさん :02/02/03 22:28
あんたら何を馬鹿みたいなことばかり本気で考えているの。 それでも日本人かい?
313 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 23:00
以下の聖句は、
>>304-306 の質問の答えになる聖句の一部です。
1.「今日の神学者は、ヘブライ語聖書の中に三位一体の教理は含
まれていないという点で意見が一致している」ことを宗教百科事典
は認めています。また、新カトリック百科事典も、「聖三位一体の
教理は旧約[聖書]では教えられていない」と述べています。
2.「イスラエルよ、聴きなさい。わたしたちの神エホバはただひと
りのエホバである」。(申命記 6:4)「エホバは全地の王となるの
である。その日、エホバはひとり、そのみ名も一つであることが明
らかになるであろう」―ゼカリヤ 14:9。
3.「エホバの霊が[サムソン]に働きはじめ、その両腕にあった縄
は火で焼け焦げた亜麻糸のようになって、かせは手から溶け去っ
た」。(裁き人 15:14)「これはゼルバベルに対するエホバの言葉
である。こう言われた。『「軍勢によらず、力にもよらず、ただわ
たしの霊による」と、万軍のエホバは言った』」―ゼカリヤ 4:6。
4.「エホバの霊が[サムソン]に働きはじめた。そのため彼は、人
が雄の子やぎを二つに裂くかのようにしてそれを二つに引き裂い
た。しかもその手には何も持っていなかった」。(裁き人 14:6)
「わたしはあなたの胤にわたしの霊を、あなたの末孫にわたしの祝
福を注ぎ出す」―イザヤ 44:3。
5.「あなたが知り、また洞察するべきことであるが、エルサレム
を修復して建て直せという言葉が発せられてから指導者であるメシ
アまでに、七週、そしてさらに六十二週があるであろう。……そし
て、その六十二週の後にメシアは断たれる。自らのためには何も持
たないであろう」―ダニエル 9:25、26。
6.「天の創造者、まことの神、地を形造られた方、それを造られ
た方、それを堅く立て、それをいたずらに創造せず、人が住むため
に形造られた方、エホバはこのように言われたからである。『わた
しはエホバであり、ほかにはだれもいない』」―イザヤ 45:18。
7.「昔の最初のことを思い出せ。わたしは神たる者であり、ほか
に神もわたしのような者もいないことを」―イザヤ 46:9。
8.「わたしは、自分からは何一つ行なえません。自分が聞くとお りに裁くのです。そして、わたしが行なう裁きは義にかなっていま す。わたしは、自分の意志ではなく、わたしを遣わした方のご意志 を求めるからです」。(ヨハネ 5:30)「もしわたしを愛するなら、 わたしが父のもとに行こうとしていることを歓ぶはずです。父はわ たしより偉大な方だからです」―ヨハネ 14:28。 9.「わたしは自分の考えで来たのではありません。わたしを遣わ した方が実在しておられるのですが、あなた方はその方を知りませ ん。わたしはその方を知っています。わたしはその方の代理者であ り、その方がわたしを遣わされたからです」―ヨハネ 7:28、29。 10.「いまだ神を見た人はいない。父に対してその懐の位置にいる 独り子の神こそ、彼について説明したのである」。(ヨハネ 1:18) 「神から出た者のほかに、だれかが父を見たというのではありま せん。神から出た者は父を見ました」―ヨハネ 6:46。 11.「あなた方は、父が神聖なものとして世に派遣されたわたしが、 自分は神の子だと言ったからといって、『神を冒とくしている』 とわたしに言うのですか」―ヨハネ 10:36。 12.「もしわたしを愛するなら、わたしが父のもとに行こうとして いることを歓ぶはずです。父はわたしより偉大な方だからです」 ―ヨハネ 14:28。 13.「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたち も子も知らず、ただ父だけが知っておられます」。(マタイ 24:36) 「それは、彼ら[イエスの追随者たち]がみな一つになり、父よ、あ なたがわたしと結びついておられ、わたしがあなたと結びついてい るように、彼ら[イエスの追随者たち]もまたわたしたちと結びつい ていて、あなたがわたしをお遣わしになったことを世が信じるため です」―ヨハネ 17:21。 14.「見なさい、世の罪を取り去る、神の子羊です!」(ヨハネ 1:29)「わたしたちは、あなたが神の聖なる方であることを信じ、 また知るようになったのです」―ヨハネ 6:69。
316 :
三位一体に関する質問 聖書の答え(3) :02/02/03 23:11
15.「その雲の中から声が出て、『これはわたしの子、わたしの愛 する者である。この者に聴き従いなさい』と言った」―マルコ 9:7。 16.「聖霊があなた方の上に到来するときにあなた方は力を受け (るでしょう)」。(使徒 1:8)「神(は)聖霊と力をもって[イ エス]に油そそがれた」―使徒 10:38。 17. 「バプテスマを受けたのち、イエスはすぐに水から上がられた。 すると、見よ、天が開け、イエスは、神の霊がはとのように下って 自分の上に来るのをご覧になった。見よ、さらに天からの声があっ て、こう言った。『これはわたしの子、わたしの愛する者である。 この者をわたしは是認した』」―マタイ 3:16、17。 18.「わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスを 一心に見つめながら。この方は、自分の前に置かれた喜びのため に、恥を物とも思わず苦しみの杭に耐え、神のみ座の右に座られた のです」―ヘブライ 12:2。 19.「まさにこのゆえにも、神は彼をさらに上の地位に高め、他の あらゆる名に勝る名を進んでお与えになったのです」―フィリピ 2:9。 20.「すべての男の頭はキリストであり、女の頭は男であり、キリ ストの頭は神です」―コリント第一 11:3。 21.「主権者なる主エホバよ、……あなたが行なわれたような事 (を)行なうどんな神が天や地にいるでしょうか」。(申命記 3:24)「すべてのものが彼[イエス]に服させられたその時には、 み子自身も、すべてのものを自分に服させた方に自ら服し、こう して、神がだれに対してもすべてのものとなるようにするのです」 ―コリント第一 15:28。
317 :
304-306 :02/02/03 23:17
ご自分の信条が聖書に基づいているものかどうかを 誠実に確かめたいと思われるなら、ぜひこれらの 質問と聖書からの答えを真剣に考慮なさることを お勧めします。
318 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 23:49
何かしつこく三一論を批判しているね。 順番に考えていけば、それほど難しい教えじゃないよ。 時間がないので、あまりお付き合いできないけど、次のポイントは踏まえて欲しいな。 三一論のないキリスト教を考えれば判るはずだけど、イエスが神でなければ、 その信仰がユダヤ教になってしまう。エホバの証人は、良くても悪くても ユダヤ教と信仰構造が同じなので、キリスト教ではありません。 イエスの神性を否定するから、信仰による義認がなくなり、結果的に 輸血をしてはいけないとか、その他の律法的発想で救いを作り上げよ うとするわけだ。 キリスト教がそういう律法主義に陥らない理由は、信仰義認論があるからで、 イエスこそ信仰の対象であり、感謝の対象となる。 つまりはキリスト教の信仰構造に於いてイエスは神の位置に 置かれていることは判っていただけるかな。神の立場にある人を神と呼ぶのは キリスト教にとっては当然のことで、そうでないほうが異端になるのは、 論理的に一種の必然である。 なにもユダヤ教や異端が悪いと言っているのではなく、信仰構造がそうなっている ということ。だから、その構造が良いとか悪いと言ったってしょうがないので、 あとは信じるかどうかだけなのだ。
319 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 08:49
このスレで、ずっと三位一体についてお教えいただきたいと申し上げている者です。 私は、かつてエホバの証人による聖書研究(勉強会?)にも参加しておりましたので、 これらの知識も持ち合わせているつもりです。 私はエホバの証人の教えを受け入れることはできませんでしたので、 そうではないクリスチャンの方に、明確な三位一体に関する解答をと思っております。 三位一体を肯定する、否定するといった論点ではなく、 どの派、どの教えが異端であるか否かではなく、 純粋に三位一体の教えについて、理解・納得の行く答えが欲しいだけなのです。 どうぞよろしくお願いいたします。
>>319 いろんなひとが親切にもレスしてくれてるが
それらは無視なのね・・・
説明だけ知りたいなら百科辞典でもひけば?
321 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 10:07
第三者が口挟んで悪いけどさ〜319が求めてる答えに該当するレスはどれよ? 漠然とした答えとか見当違いな答えはあっても、はっきりした答えはないじゃん? 答えられないなら答えられないって言ってやった方が親切だと思うが〜
322 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 10:37
はっきりした答えってどういう答えだよ? 三位一体という教義の説明なのか? 三位一体は教えを体系的に説明しようとしたものなので 「信仰」はできなくても概念として「理解」はできるだろ? それとも「自分が信じられるように納得させてください」ということか? それだったら自分の信仰がどのあたりにあるかを細かく語ってもらわないと答えようがないぞ。
323 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 11:06
今までの代表的な説明は以下の通り 41 :名無しさん@1周年 :01/12/20 01:09 言葉では説明できないよ>40 信じなければ矛盾そのもの 信じている人に説明不要 66 :名無しさん@1周年 :01/12/20 02:40 三位一体は神の奥義だ、 人間の小さい頭で理解できないんだよ、 神の全てを理解できると思うのは傲慢だ、 神がそう示されたから受け入れるのだ。
324 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 11:11
>1 1は質問者と言うより、信仰の裁判官という雰囲気で発言者を評価している 雰囲気がするな。 真面目に考えてるのか? 普通は、質問に対して初めから完全な答えなど返ってくることはないので あって、その答に対して再度質問する形、つまりボールの投げ合いで議論 が深まるわけだが、1はボールを投げるだけで受け取ろうとしない。 それで言う言葉が「はやくボールを投げてくださいよ。」 おまえどこ見てるんだ。 真面目に議論する気があるのか。 ま、ためにする議論を展開する奴はそういう姿をさらすわけだが、 百歩譲って、善意で議論しているとするなら、かなり頭が悪い。それに、 要領も悪い。神学事典の三位一体論の項目くらいは読んだらどうなんだ。 何にもしないで、寝そべっているだけで真理が判ると思ったら大間違いだ。
325 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 11:48
( ゚Д゚)ゴルァ!<少しはまともな返事をせんかい!
326 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 11:59
>>325 待つしかない。
レス番号304あたりから場の雰囲気が激しく悪化している。
三位一体論の誠実なサポーターさんたちは嵐が過ぎ去る
のを息を殺してひそみながら待っているのだと思う。
三位一体論を理解したくない人には理解できないでしょな
328 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 12:18
もとがまちがいなのだから、それをいくら説明されても どうしても納得できない人もいるわな。 そんな1にキリスト教は合わない。
329 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 15:09
1ではありませんが、ちょっと確認のために質問します。 318さんに質問ですが、 > イエスこそ信仰の対象であり、感謝の対象となる とのことですが、神ではなくイエスが信仰の対象となるのはどうしてなのですか? その際、神への信仰はどこに行ってしまうのでしょうか? 聖書では、神が信仰の対象とされているような気がしますが、イエスが信仰の 対象とされているとは聖書のどこに教えられているのでしょうか?
330 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 16:23
>>329 だから、イエスを信仰したいんだってばキリスト教は。
ユダヤ教派生の唯一神教であるキリスト教は神一人しか信仰できない。
でもイエスも聖霊も信仰しないとキリスト教じゃない。
とすると、イエスも聖霊も信仰したい。
となったらイエスと聖霊にも神になってもらえば良い。そうすれば信仰できる。
でも唯一神教であるためには神が複数存在してはまずい。
だったら三位一体で三者いるが実は三者は一人であるとすればつじつまが合うでしょ。
そうやってこじつけたんだよ。
唯一の神が一人三役やってるってこと。
ってことはコレが事実だったらキリスト教は神の一人芝居か。くだらねー
331 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 16:59
結局、きちんと説明できる人なんていないってことだわな。 ま、盲信者をあまり虐めちゃかわいそうだよ。
教えて下さいと言っている人に対して、
>>324 のような言いぐさはないと思う。
>>324 がクリスチャンじゃないと良いのだけれど。。。
【三位一体】 (1)〔doctrine of Trinity〕キリスト教の根本教義の一つで、三位はすべて本質(ウーシア)において同一であり、唯一神はこの三つをもつ実体であるという考え方。三位一体論。三一論。 (2)三つのものが、一つの物の三つの側面であること。また、三者が心を合わせること。「親と学校と地域が―となって子供を守る」
335 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 18:00
三位一体
キリスト教の根本的な教義で、他の宗教と違ったキリスト教信仰の特徴をなす、神と人とのかかわりの構造を言う。
すなわち、イエス・キリストを子として愛する神は、聖霊においてイエスと結ばれている者たちを同じ愛をもって愛すること。
また人が聖霊において時間と空間を越えてイエスと結ばれ、イエスとともに神を父と仰ぐことを言う。
新約聖書に見られる根本的な信仰内容だが、古代教会ではギリシア哲学の概念をもって、父と子と聖霊の三位格が唯一の神的本性を共有していると定義された。
http://pweb.sophia.ac.jp/~f-momose/terminol.html#tr
336 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 18:13
もし私たちが、イエスこそ神ご自身を絶対的なしかたで仲介する者だと信じるとすれば、実は、そこにすでに三位一体の信仰が含蓄されている、と言うことができます。
この信仰は、イエスをただ単に多くの預言者たちの一人、もしくは歴史の中に現れた多くのすぐれた宗教的な指導者の一人とみなすのではありません。
そうではなく、このイエスにおいて、神が歴史の中でただ一回、絶対的なしかたでご自身を与えられた、と信じるのです。
イエスこそ神のことばであり、神ご自身を仲介する者であるという信仰を、聖書と教会の伝統は、イエスこそ「神の子」である、と表現しました。
それだけなら神と神の子との二者しか言われていない、と思われるかもしれません。しかし、そこには上に述べた聖霊への信仰が暗黙裡に含蓄されています。
聖霊において私たちがイエス・キリストと結ばれ、イエス・キリストとともに父なる神に向かって賛美を捧げること、
逆にひとり子イエス・キリストに注がれる父なる神の愛と祝福は、聖霊においてイエスと結ばれている私たちにも注がれること、これがキリスト教の信仰の根本的な体験です。
キリスト教の歴史の中で、さまざまな神学が発展していったときに、この信仰の体験は、「三位一体」という教義で体系化されました。
難しい哲学の用語を用いて、神の存在を説明しようとするものですが、根本的には私たちの原初の信仰体験に基づいています。
http://pweb.sophia.ac.jp/~f-momose/qa07.html#q026 (要約)
>>319 >このスレで、ずっと三位一体についてお教えいただきたいと申し上げている者です。
>私は、かつてエホバの証人による聖書研究(勉強会?)にも参加しておりましたので、
>これらの知識も持ち合わせているつもりです。
エホバはキリスト教ではない。その知識もエホバの知識であってキリスト教のものでは無い。
338 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 18:47
チョト質問!神はキリストなの?キリストのパパなの?
341 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 22:11
>329 横スレになるかもしれませんが、以下の聖書の箇所はどうでしょうか。 ヨハネ14:1「あなた方は、心を騒がせないがよい。神を信じ、また私を 信じなさい。」 ここでは、イエスご自身が自らを信じなさいと薦めています。 エホバの方々は、父なる神とイエスの区別を強調しますが、それは三位一体論 としても認めているところです。父と子なる神の区別は必要です。しかし、その 一方で父と子の一体性も信じるのがキリスト教です。父と子の区別を教える聖書の 箇所をいくら挙げても無意味だと思います。
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 〜′  ̄ ̄( ゚Д゚)< 信じたくない奴は信じなくてよろしい UU ̄ ̄ U U \_________________
343 :
(*^。^*)/ :02/02/04 23:11
神がイエス・キリストとしてその性質をこの世に現した。
それを見て、神を信じた人の心には、心の中に神(聖霊)がいる。
目には見えない、この世に属することのない父なる神
この世と神の国の媒介者としてこの世に現われたイエス・キリストとしての神
以上のことを信じた人間の心の中に宿る聖霊としての神
こんな解釈をしてます。今のところ。個人的には。
http://page.freett.com/wubf/top.htm
344 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 23:13
人間の子どもは人間、父親が人間なら子どもも人間、 虎の子どもは虎、父親が虎なら子どもも虎、 神の子どもは神、父親が神なら子どもも神、 こうして説明してくれた牧師がいたんだけど、 これって自分にとってすごく分かりやすかった。
345 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 23:27
>341 「イエスを信じる」と書いてあると言うことは、イエスを信じることと神を信じ ることは同列と言うことになりますね。 エホバの証人の方々は、「イエスを信じる」とは言わないのでしょうか?
346 :
dendo. :02/02/05 01:24
>>319 はっきりいおう。あなたにとって明解な回答を示せるものはいない。
それは「私は神について余すところなく知っている」というのと同じこと
義人ヨブが陥ったのと同じ誤った考えに帰着する道でしかない。
「わたしには三位一体はこう解釈可能だ」というのをいってあげることは
できるよ。でもそれがあなたにとって了解可能だったり、まして同意可能
だったりするかどうかは別の問題。で、ある程度は他のスレで書いてるのと
今日はこれから夜なべ仕事なので今夜はおやすみなさいでし。
347 :
名無しさん@1周年 :02/02/05 10:18
三位一体をこじつけだとの発言がありましたが、それは間違いですよ。 聖書に書いてあるかどうかという次元の問題ではありません。三位一体論が ないとキリスト教が成り立たないのです。もちろん、聖書に書いてない はずはありません。 たしかに「三位一体」という単語は聖書にはありませんが、その前提とな る考え方は書かれているわけで、それを読みとれないのは、結論が先にある からではないでしょうか。 少し考えていただきたいのは、三位一体論が突然教理として生まれると言う ことはあり得ないと言うことです。この教理の確立は451年のカルケドン 公会議ですが、原始キリスト教会が証言している教理を発展させた必然とし て生まれたものです。新約聖書を纏めた教会が、一方で三位一体論も作って いった歴史を忘れないでいただきたい。もし、三位一体論が間違いな ら、その教会が作り上げた新約聖書も間違いになってしまいます。 そもそも、どう神を信じるかは、その宗教の根幹に関わることであって、 「どの神を信じても同じ」などということはありません。 ユダヤ教のような神を信じればユダヤ教になりますし、キリスト教の神 を信じるとキリスト教になるのです。つまり、神論と救済論は根底に於いて 繋がっているのであって、神観の違いが世界観の相違、人間観の相違を 生み出しているとも言えます。 キリスト教がユダヤ教の単純な一神教的神観を捨てて、三位一体論を確立する 過程には、キリスト教からのユダヤ教批判があるのであって、三位一体論は、 ユダヤ教への決別宣言でもあるのです。 ユダヤ教を始め、三位一体論を否定する宗教はたくさんありますが、それは当 たり前のことで、三位一体を認めるとキリスト教になってしまうからです。 キリスト教が三位一体を肯定するのは、当たり前のことで、それはキリスト教 だからです。三位一体がキリスト教にとってそれほど根本的教理であることを ご理解いただければ、それで充分です。それを受け入れるかどうかは、別の テーマであって、信仰の問題なのです。
348 :
名無しさん@1周年 :02/02/05 11:01
「神とイエスがひとつ」と1さんは表現していますが、「イエスは私の神 である。」と理解すると判りやすくなるのではないでしょうか。 別のスレで「イエスは父なる神である」などとおかしな事を言って いる人がいますが、(藁 三位一体論のひとつの柱は、3つの存在を区別することです。父なる神と イエスを混同する異端はすでに過去に存在していまして、正統教会が それを異端として退けている歴史があります。キリスト教会は正統にも 父とイエスの区別を確立しながら、しかし、このイエスを神として捉える 教理として三位一体論を告白しているのです。 父とイエスの関係を説明する際に、ロゴスとか、子なる神とか、いろいろ な用語が登場します。それらは説明のための表現ですから、理解しにく かったら、別の用語で考えればいいことです。「父親と子供がどうして 一体なのだ?」との質問は、つまりは用語問題なのです。別の言葉で 考えればよいだけのことです。 しかし、「イエスは神であるかどうか?」という問いは本質に関わり ますので、しっかりと説明し、また理解してもらわなければなりません。 「イエスが私の神である」とは、「私がイエスによって救われた」という 事実を認識していると言うことです。この罪深い私のために、イエスが 十字架において命を捨ててくださった事実を受け入れることが、イエス を信じることであり、また、イエスを神とすることでもあるのです。 この十字架の救いの上に三位一体論が成り立っているということです。 この点が判れば、三位一体論がつまらない言葉遊びだとは思わなくな るのではないでしょうか。 とき、
349 :
名無しさん@1周年 :02/02/05 19:00
>329,341 「イエスを信じる」ではないですが、マタイによる福音書では 「イエスを拝する」と言う表現が何度か使われています。14:33とか 15:25などです。これは、イエスが神であるから可能になる表現で はないでしょうか。
350 :
三位一体の根 :02/02/06 21:58
さっき、キリスト教の質問箱にも書いたんだけど、レス 来そうもないので、横ヤリ入るね 三位一体派さんへのお尋ね... 神様、キリスト様はよく聞くけど聖霊様と言うのは 聞いたことがありません、新約聖書にはちょっとだけ 登場しますが、いずれも神様のメッセージを伝えるだけの 役割です。 神様と同質のものであればあまりにも役不足ではないで しょうか、神様の世界ではすごい仕事をしてるのでしょうか??
351 :
イエスはナザレの大工の息子 :02/02/06 22:12
こんにちは、三位一体論はもしかしたら、YHWHを放棄 する為の暫定処置ではなかったかと思ってるんですよ..?? 本当はキリスト教もイエス・キリスト一本で行きたいん だけど、ユダヤ人にはあまりにもYHWHへの思いが強くて 簡単にイエス・キリストへの選手交代は出来ない為に パウロの時点では神の子であり、100年ほどして三位一体で あり、その後はイエス・キリスト一本に絞るのがシナリオ だったんだろうけど、実際はそこで止まってしまった...
352 :
名無しさん@アーメン :02/02/06 22:19
クリスチャンはイエス・キリストのゆえに直に神様に祈ることが許されてる のだから、そういう難しい問題は直接神様にお聞きしたほうが良いのでは・・・。
353 :
名無しさん@1周年 :02/02/06 22:32
>>352 わたしたちが神に祈るときにはイエスを通さなければなりません。
「わたしを通してでなければ、だれひとり父のもとに来ることはあ
りません」―ヨハネ 14:6。
354 :
名無しさん@1周年 :02/02/06 22:34
聖霊といえば古代教会においても、その神性の議論は一番遅くに行われる ようになったね。ニカイア信条でも明白に神とは呼ばれておらず、 5世紀に至ってようやく神性告白が行われている。 もちろん新約聖書には聖霊についての言及は多いが、やはり神性についての 明瞭な言及がない。
355 :
名無しさん@アーメン :02/02/06 22:38
356 :
名無しさん@アーメン :02/02/06 22:40
だから神様に聞けばきっと教えてくれるよ。
357 :
名無しさん@1周年 :02/02/06 22:45
え?聖霊って人の内に宿るものじゃないの?
358 :
名無しさん@アーメン :02/02/06 23:20
あのぉ、神様に教えてくださいって真剣にお願いしてみた? 本当に神様信じてるなら直接聞けばいいよ。
>343 聖霊が働いてから信じるんじゃなくて 信じなくちゃ聖霊は働かないということ?
361 :
イエスはナザレの大工の息子 :02/02/09 19:34
ほかのスレで論議してて何か見えてきたことですが、三位一体論 の元は、ヨハネ福音書に言うロゴスらしい... 聖霊はどっちかと言うと付け足しでしょうが、問題は神と イエス・キリストの関係だと思うけど 神のロゴス(言葉)の体現がイエス・キリストであり、その意味 で神とイエス・キリストは同質のものであると言うのが、キリスト教 の見解と理解しましたが、間違ってるでしょうか? ニケア公布の時代にも、イエスはあくまで人間で、肉体の中の 一番輝かしい光であるとするアリウスのようなグノーシス的見解 を持つ人達がいたのだけど、異端扱いを受けて抹殺されただけで この論議が消えたわけではないでしょうね ロゴスの概念はユダヤ教のあるグループにもあったらしく それがヨハネ福音書に反映された様です。 パウロや共感福音書の編者が、この概念(イエスは神のロゴスの 体現である)を持っていたかどうか、定かではではないのですが 共感福音書やパウロ書簡をその様な事を意識して書いてはいないと 思いますし、神とイエス・キリストは同質のものであるか どうか論議するのも虚しい物(どちらにでも取れそうな言葉が多い) があるのでは... 要するにそう思うかどうかだけの様で...
362 :
名無しさん@1周年 :02/02/09 19:37
三位一体という日本語がよくない キングキドラのようだ^^;
363 :
名無しさん@1周年 :02/02/12 05:17
>>319 あなたの書き込み読んでいるとブッダが弟子に言ったこと思い出した。
背中に矢が刺さって死にそうなのに、「この矢の色は何色? この矢は角度何度で刺さってるの?
この矢は木製?それとも・・・・・この矢はどれくらいの深さに刺さってるの?」バカみたい。
そんなこと聞いてどうするの? 背中の矢を抜いて、止血して、手当てすればいいんでしょ。
あなたは「恵みの救い」よりも自分の「理解・納得」が大切=自分が神の位置に座りたいだけ。
「私を納得させる説明をしてみろ!!」と言い続けてる。出エジプトの民が荒野をさまよったのも
民が理解・納得できないとつぶやいたからだよ。それを偶像崇拝と言って、神が忌み嫌うことなんだよ。
あなたが納得しなくても、神はとうの昔に納得してるよ。
364 :
名無しさん@1周年 :02/02/12 08:08
>>330 >唯一の神が一人三役やってるってこと。
いいね。
この言い方の方が分かりやすいわな。
365 :
名無しさん@1周年 :02/02/12 08:40
>>363 仏教は、「まず人生とは苦なり」が先に来るし、苦界でお互いに傷つけあって
生きる愚かしさに辟易した人が仏教思想の門を叩くので、あなたの理が自然に
受け入れられるだろうけど、キリスト教徒には無理だよ。
キリスト教で説くのはあくまで「原罪」で、内心は自分が罪人なんて意識など
持ってしない。矢がささっているとしたら、教会から強制的に受けた「原罪」の
矢で、誰もが受けるワクチンみたいなものだから、罪意識なんて希薄。その説法
は豚に真珠だと思うが。
>>330 >唯一の神が一人三役やってるってこと。
それってサベリウス異端だよ。
367 :
イエスはナザレの大工の息子 :02/02/12 20:10
だけど、やはり三位一体は、どうしても一神教でなければ ならないと言う教義から捻りだした理屈だろ... 神ではなくてナザレの大工さんであっても、「貧しき者は 幸いなるかな...」の意味が変わる分けじゃないし、パウロ の原罪論の意味が変わるわけでもない、形骸化したファリサイ学者 との押し問答が変わる分けでもない、不倫女を許した事の価値が 変わるわけでもない、むしろ人間イエスの方が我々人間の先人 として訴えるものが多いとすら感じるんだよなぁ... 教会もそれが解ってるんだろうけど、伝統やら何やらで 教義をかえることができないだけの様な...
368 :
名無しさん@1周年 :02/02/12 20:14
ガリレオ・ガリレイを復権させたのと同じように。 「三位一体論は間違いでした」と発表してしまえば それだけですべて丸く収まるはずなんだけど。
369 :
名無しさん@1周年 :02/02/13 21:10
感想 :きみたちには三位一体論なんてわからないよ。永遠に。 だいたいわかろうという気もないじゃん。
370 :
イエスはナザレの大工の息子 :02/02/13 23:38
>369 >きみたちには三位一体論なんてわからないよ。永遠に。 >だいたいわかろうという気もないじゃん 気持ちがなければ分からないと言うのは、結局三位一体論が 理屈の通った万人が認める理論じゃないと言うことを示して いるねぇ...1+1が2だと言うのは多くの人が認めてい て、いや1+1は1だと言って、それは気持ちがないと理解 出来ませんと言うのと同じだよ...もちろん1+1は2だと 思ってたら、1+1が1だと言われても認めようとはしませんよ それなら、こうこうこういう理由で1なんだと説明できなきゃ あかんでしょ、なんとなく1なんだと思えばこの理屈は理解で きますよじゃ、全く説得力はありません... 僕は何とか理解しようと、三位一体論が成立した背景を調べて エリゲネスの三位一体論とそれに対立したアリウスのそれぞれ 主張を比較してみたましたけし、ロゴス:イエス・キリスト論 は理屈としては理解できたけど、結局最後はそう信じるかどう かしかないのだろうと言うことです。 それならば、聖書に現れるイエスは神イエス・キリストとして 読むよりも、ナザレの大工の発言なり所業として読んだ方が 遙かに僕に訴える物があると言うのが、僕の考えです...
371 :
名無しさん@1周年 :02/02/14 02:55
すごいね。三位一体論でこれだけ長くスレが続くだけでもすごいよ。 一応、真面目に議論してる人もいるし。 2チャンネルにしては上出来だ。
>>370 なんかいろいろごっちゃにしてるよ・・・この人。
1+1=2というのはそう「決めた」から。
1、+、=、2をそれぞれ人間がはっきりと定めて「決めた」から1+1=2といえるの。
>>370 「三位一体」の「三位」は、あくまで三つです。
御父と御子と聖霊という三つの「位格」が合わさって、一つの「位格」になるというのではありません。
「一体」の一という数字は、神の「本性」が一つであるということです。
つまり、三つの「位格」が一つの「本性」を共有しているということです。
ですから、1+1+1=3なんてことを言うのではありません。
訂正 誤:ですから、1+1+1=3なんてことを言うのではありません。 正:ですから、1+1+1=1なんてことを言うのではありません。
375 :
名無しさん@1周年 :02/02/14 21:53
日本の自称クリスチャンは、宗教は神道、仏教で、 ファッションがキリスト教という感じだからな。 三位一体がどうこうなんて、百科事典的知識以上には無理だよ。 本を読んでもこれはだめだよ。普通書かないから。 でも、キリスト教社会に暮らせば、誰だってわかる。
三位一体を信じるかどうかは、そう思うかどうかだけの様な 気がするので、どうでもいいけど... 聖書に登場するイエスは神とすると、不都合な聖句がいっぱ い見つかってしまうんだなぁ... それに、犯罪に近い所業やアンモラルと思われる発言... そもそも十字架刑を受けるほど、当時の社会を揺るがした 事情も解らなくなるし、十字架に「ユダヤの王と言った」 と書かれた意味も理解できないし それに、なぜ歴史上のあの時期にあの地域に人間として存在 したのかの説明が付かなくなりますねぇ... ローマ統治の中の多くの貧者や弱者と一部の富める者の社会 まもなく崩壊しそうな社会、形骸化したユダヤ教会 ゲリラやテロが横行している社会、部族間抗争...その中 でのイエスの言葉や所業の記録が聖書(福音書)なのでは...
>聖書に登場するイエスは神とすると、不都合な聖句がいっぱ >い見つかってしまうんだなぁ... 当たり前じゃん。キリストはただの神じゃないよ。 キリストは神格でありながら、人性と神性の2つの本性を持っているんだから。 キリストの人性が人間と同本性で、神性が御父と聖霊と同本性で一つなんだよ。
378 :
名無しさん@1周年 :02/02/15 08:25
外人の宣教師が言ってた三位一体とは、卵のようなものである。 殻と黄身と白身の関係だってさ。 ようけ分からんようになった。
379 :
( ´∀`)さん :02/02/15 08:34
物事を単純化する見方しかできない人にはわからないでしょうが、 一つのものが三つの側面を持っているとお考えください。例えば、 人間は、生物的存在であると同時に、文化的存在でもあり、物理的 存在でもあり、また神経生理学的システムを持った、多次元的な 存在です。それと同様に、神も父と子と聖霊という三つの次元が あるとお考えください。三つを切り離すのではなく、区別する のです。 1=3と数字だけを見るから、混乱するのです。
380 :
名無しさん@1周年 :02/02/15 19:39
仏教で言う仏法僧の三位一体とはかなり異なる教えなのですか? 「人間は、魂と心と体の三位一体だ」とか、いろいろ3つのものを繋げて 三位一体という場合がありますが、そういう理解でも良いのでしょうか。 たとえば、「H2Oは、零度以下では氷で、常温で水、100度以上で蒸気である。 この3つは三位一体である。」などと説明します。 こういう説明は、キリスト教の三位一体理解には有害でしょうか? それとも、何らかの参考になるのでしょうか。
381 :
名無しさん@1周年 :02/02/15 19:46
昆布とかつおとしいたけが出汁の三位一体ですが
382 :
名無しさん@1周年 :02/02/15 20:02
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (−з−) < なんちゅぅても、 ∪ つ \ コーヒー、ミルク、砂糖の ∪ ∪ \ 酸味一体でちゅょ。 \_____
>>382 クダランな。
しっかり知恵絞らんかい!!!
384 :
名無しさん@1周年 :02/02/15 20:22
わらた
385 :
( ´∀`)さん :02/02/15 21:19
>380 前半の仏教の教えは有益だと思います。後半の水は、状態変化ですから、 三位一体の理解にはちょっと不向きではないかと思います。つまり、 気体と液体は同時に存在できませんから、三位一体を理解できないと 考えているのです。三位一体は、それぞれの側面が同時に存在している のですから。
387 :
( ´∀`)さん :02/02/15 22:48
>386 どこがジサクジエン?
388 :
名無しさん@1周年 :02/02/16 09:27
>:( ´∀`)さん >神も父と子と聖霊という三つの次元があるとお考えください。 四次元は、四位一体。 一霊四魂
古代ユダヤ神話では、ヤーヴェも神々の至高神エルの子供でカナン の地方神バアルと兄弟だって、アブラハムの神・イサクの神・ヤコブの神 と言うのが全部別々の名前で、キリスト教ではあまりにも都合悪すぎるので 聖書を書き換えて、何とかヤーヴエにまとめてるのが旧約聖書で... 三位一体のおかげで、聖書ってボロボロボロにされちゃったんですね 申命記の32/8なんか、それぞれの教団の訳本で全然内容が違ってるし 一神教にする為に大変な努力をしてるんですね、その努力には敬意を払い ましょう... 僕には人間以外を全部一つの客体にするのと、日本の神話のような多神教 の違いがよくわからない...何か言葉の遊びだけの様にも思えるし 一神と言う言葉だけにこだわっている様な気がするけど
390 :
( ´∀`)さん :02/02/16 14:45
>388 何を言っているのでせうか?
391 :
イエスはナザレの大工の息子 :02/02/16 20:22
>物事を単純化する見方しかできない人にはわからないでしょうが、 >一つのものが三つの側面を持っているとお考えください。 すみません、根が単純な人間ですので... イエスさんはご自分が神であることをご存じだったのでしょうか? ご存じであれば、なぜヨハネから悔い改めの洗礼を受けたのでしょうか? なぜ十字架の上で「神よなぜおみ捨てになられた」と言う発言を されたのでしょうか? 何も知らずにこの世に生を受けたのであれば、それは普通の人と 同じでしょうねぇ、昇天してから神と同質の物になったと言うので あれば、あの世の事はどうにでもご自由にお考え下さい... ですが、オリゲネスのロゴス:キリスト論は、神の言葉の体現 としているので、この世に生を受ける時にご自分が神であることを ご存じなはずなんですがねぇ
392 :
こんにちは :02/02/16 21:45
此の世にない愛の実体が父なる神で、 その愛が此の世で形をなしたのがイエス・キリストで、 人間の心のなかに注がれる愛が聖霊 どこに現われるかによって呼び方が異なるんじゃないでしょうか
393 :
名無しさん@1周年 :02/02/16 21:57
>389 意味がよく判りません。 > ・・・キリスト教ではあまりにも都合悪すぎるので聖書を書き換えて、 > 何とかヤーヴエにまとめてるのが旧約聖書で... 旧約聖書(ヘブル語)を写本してきたのはユダヤ教なんですけど・・・。 ユダヤ教は三位一体を否定しているのですけど・・・。 > 三位一体のおかげで、聖書ってボロボロボロにされちゃったんですね 何言ってるか、さっぱり判りません。ボロボロって、何か書き換えられたと言うのですか? それとも、訳が間違っていると言うことですか。もう少し具体的に説明してください。 あぁぁ、それにしても、お付き合いも疲れるな。(−−;;
インターフェイスの違いと思う。イエスも聖霊も、霊は同じ。 我々が、虫に語っても理解してもらえない。虫に意思を伝える ためには、その虫になって、その虫の方法で伝えるしかない。 神は、人の為に、イエスという<人>を遣わした。
395 :
名無しさん@1周年 :02/02/19 03:28
>391 > イエスさんはご自分が神であることをご存じだったのでしょうか? > ご存じであれば、なぜヨハネから悔い改めの洗礼を受けたのでしょうか? > なぜ十字架の上で「神よなぜおみ捨てになられた」と言う発言を > されたのでしょうか? 三位一体論を厳密に適用すると、イエスに神としての意識はなかったことになります。 もし、神であると思っていたら、父とイエスとの区別が消滅してしまいますから。 ヨハネからのバプテスマや、エリエリレバサバクタニも三位一体論的神学から 聖書物語に付け加えられたのではないでしょうか。 多くの人は三位一体を一位一体と誤解していますが、それはサベリウスの異端であり、 3つのペルソナ(人格)は厳密に区別されなければならないのです。
この意見が 三位三体 論のように聞こえてしまうのは気のせいか
397 :
( ´∀`)さん :02/02/19 12:05
区別と分離を混同してはいけない。三位一体というのは、区別はしても ある一つの側面が残りの二つを何らかの仕方で含むようなあり方を いうのではないだろうか?イエスと神と聖霊が別々のものだと思うから 3=1と考え、誤っていると考えてしまうのではないだろうか?
398 :
ギリシャの伽ス :02/02/20 00:29
イエス「いくぞ、聖霊、神!ジェットストリームアタックだ!」
399 :
基主義 ◆183r1z9U :02/02/20 02:14
このスレ、わかってる人が多いのであまりつけたしカキコする気になれない(笑)
400 :
dendo. :02/02/20 02:18
ペルソナに「人格」と併記する時点で395がDQNなのがバレバレです。 まともな人は無視するけど私は煽り屋なのでつっこんでみます。
401 :
名無しさん@一周年 :02/02/20 02:19
>>1 そう、401さんの言うとおり。その理解、を必要とはしていない。
>>395 違います。キリストの神性の意志においては、御父と聖霊と一つです。
何故なら、神性(神の本性)は唯一だからです。
ただし、意志は一つでも自己は三つ成り立ちます。
一方、キリストには人性における意志が別にあります。
キリストには、人性の意志と神性の意志との二つあり、
人性の意志は神性の意志に従順であり、
合い混じることなく一致するというのが正統だったと思います。
例えば、
ヨハネ福 5:30 わたしは自分では何もできない。
ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。
わたしは自分の意志ではなく、
わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」
ここで言う「自分の意志」とは、人性の意志と思われ。
404 :
( ´∀`)さん :02/02/20 22:35
>403 >意志は一つでも自己は三つ成り立ちます。 このような表現だから誤解されたり、意味不明だと思われたりするんだよ。 あと、意志が二つあるというと二重人格のような感じがするね。
405 :
名無しさん@1周年 :02/02/20 22:35
キリスト教と同じセム系のイスラム教では コーランで一神教であるはずの「アラー」は自分の事を「我等」と呼んでいる。 三位一体と関係があるのだろうか?
>>404 >>意志は一つでも自己は三つ成り立ちます。
> このような表現だから誤解されたり、意味不明だと思われたりするんだよ。
誤解されても仕方がありません。これが正統な教理ですから。
ここで位格(ペルソナ)とは、自己を成り立たせる実存と考えてください。
> あと、意志が二つあるというと二重人格のような感じがするね。
キリストの意志は二つでも神格(神の位格。人の位格を指す場合は人格)は一つです。
407 :
( ´∀`)さん :02/02/21 00:54
>406 いやね、中身ではなく、表現が誤解を招きやすいと言っているのです。 誤解を招かないような表現を使わない人にも責任をあるのでは?誤解を 招いてしまうのは、ひとえに文章の鍛錬の足らないというその人の 怠惰もあると思うのですが。 それと二重人格ではなく、二重人格に似ていると言っているのだが。 同じと似ているは違うんだよ。
408 :
名無しさん@1周年 :02/02/21 01:03
>>407 誤解を招かないような好例を書きましょう。
409 :
名無しさん@1周年 :02/02/21 01:33
>>408 (三位一体をあらわすための)好例、んなモンあるわけ無いだろゴルァ !
( ´∀`)さん。 好例が無さそうなので、まあ我慢してください。
411 :
dendo. :02/02/21 02:22
聖パトリキウスはシロツメクサの三つ葉の葉を示したというが。
412 :
( ´∀`)さん :02/02/21 16:23
三位一体の好例はないが、一にして多の好例ならあるよ。これは、 一つのものが複数の側面ないし多次元的な要素を持っているという意味。 で、例は、人間。
413 :
イエスはナザレの大工の息子 :02/02/26 23:06
>405 >コーランで一神教であるはずの「アラー」は自分の >事を「我等」と呼んでいる。三位一体と関係があるのだろうか? クルアーンにアッラーフご自身の言葉は記憶がないのですが クルアーンの何章何節でしょうか >395 >三位一体論を厳密に適用すると、イエスに神としての意識は >なかったことになります。もし、神であると思っていたら、父と >イエスとの区別が消滅してしまいますから。ヨハネからの >バプテスマや、エリエリレバサバクタニも三位一体論的神学から >聖書物語に付け加えられたのではないでしょうか。 聖書の成立過程から言えば全く逆です、ヨハネの洗練もサバクタニ も三位一体論の前からあった、マルコ福音書の段階ですでに ある物語です、むしろ三位一体論派にとってはなはだ不都合な 文章で、神楽屋はどう扱っているか存じませんが、人間イエスを 研究している者にとっては、重要なナザレの大工の息子さんの メッセージです。
414 :
イエスはナザレの大工の息子 :02/02/26 23:31
だけど、部外者は神イエス・キリストより、歴史上のナザレの大工 の息子のイエスの方が人気があるのだ... 東照大権現様より三河の地方武士の松平元康(徳川家康)がもっと 下層階級から出た天才猿(豊臣秀吉)達との人的つばぜり合いの中 で将軍になった話の方が人気があるのだよ... ナザレのイエス/イエスの弟のヤコブ/洗礼者ヨハネ/時の権力者 達/そしてパウロ/バルナバの立場/ゼロテ党の様な地下政治組織 /ヨゼフスのような立場の人の外証/福音書の編者としてのマタイ 教会/ルカ学派/そして三位一体のもとになったヨハネ教会/グノ ーシス/マニ教....この程度の事が素人でも知ってる中で、三位 一体の教会で何の違和感もアリマシェーン...それはエホバの証人 が協会内で安息の場を持ってるのと対して変わらないような..
>>414 >だけど、部外者は神イエス・キリストより、歴史上のナザレの大工
>の息子のイエスの方が人気があるのだ...
じゃあ、そういう人気の需要に合わせた、自己開発セミナーなり宗教なり興せばいい。
>413 >クルアーンにアッラーフご自身の言葉は記憶がないのですが >クルアーンの何章何節でしょうか レスありがとうございます。 岩波文庫 コーラン(上) 井筒俊彦訳 *カッコ内もそのまま引用しました。 二 牝牛 2[3]節 (その人々とは)すなわち不可知なるもの(人間の知力の近付くことのできぬ暗く深遠な神の神秘)を信じ、 礼拝の勤めを守り、我ら(アッラーの自称。神はその威厳を示すために自らを指して複数で「我ら」という) の授け与えた(よき)ものを惜しみなく頒ちほどこす人々。 二 牝牛 32[34]節 かくて我ら(アッラーの自称)天使らの向かって、「ひざまずいてアーダムを拝せよ」と言えば、 彼等はすべて跪拝した、ただひとりイブリース(聖書のサタンに当たる)だけは 岩波文庫のコーラン(上、中、下)井筒俊彦訳では、 上にあげた以外にも、頻繁にアッラーは「我ら」と自称しています。
417 :
あずみ ●V.9uSetc :02/02/27 02:01
話題が神の自称代名詞の事のようですけど、 エロヒムって複数形ですよね。 創世記には神が「われわれ」と複数形でご自分を言ってる箇所あり。
>417 >創世記には神が「われわれ」と複数形でご自分を言ってる箇所あり。 創世記 : 1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。 そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、 地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。 創世記 : 3:22 神である主は仰せられた。 「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。 今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」
419 :
イエスはナザレの大工の息子 :02/02/27 22:42
>405・413 うっかりしてたか、我らをムハンマド達と勘違いして読んだ のかも知れませんが、確実に神自身が我らと言っている様です... 創世記と同じように複数形(2/3はそんな感じ)かもしれません し、天使を含んで我らと言ったのかもしれません、クルアーンには モーセ5書と同じ様に数々の天使が登場します(例えばガブリエル とかインマニエルなど)が、多くはキリスト教からの影響でしょう から、旧約聖書と同じように時期的な物がだんだん一神教化を強めて いったのではないでしょうか... し、
416の訂正です。 誤:かくて我ら(アッラーの自称)天使らの向かって 正:かくて我ら(アッラーの自称)天使らに向かって
>419 >天使を含んで我らと言ったのかもしれません まあ、「全ては神に属す」という論理を持ち出せば別ですが、 416にあげた「コーラン 2牝牛 32[34]節」では、 この場合「我ら=神」が「天使ら」に向かって語っていますので、 文章的には「我ら=神」の中に「天使ら」は含まれていないものと思われます。
>416 >二 牝牛 32[34]節 引用が尻切れでしたので、誤解が生じないように一応32[34]節の全文を記しておきます。 かくて我ら(アッラーの自称)天使らに向かって、「ひざまずいてアーダムを拝せよ」と言えば、 彼等はすべて跪拝した、ただひとりイブリース(聖書のサタンに当たる)だけは 倣岸不遜にもそれを拒み、かくして背信の徒となった。 (この話は『旧約聖書』にはないが、ユダヤ教の「タルムード」の中に見出される)。 p17 岩波文庫 コーラン(上) 井筒俊彦訳
以下の節は三位一体を人体に喩えて説明しているのでしょうか? 私も勉強不足で自信ありません。ですから明確な答えは出せません。 ただ参考になれば幸いです。 コリントの信徒への手紙1 一つの体、多くの部分 12:12 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、 その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。 12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、 一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。 12:14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。 12:15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、 そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。 12:16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、 そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。 12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。 もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。 12:18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。 12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。 12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。 12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、 頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。 12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
大乗仏教ではふつう仏は、法身、報身、応身という三種に変化すると考えるそうです。 法身仏・・・仏教の真理そのもの 報身仏・・・他の仏の姿になる 応身仏・・・人間の姿で教えを説く キリスト教の三位一体と似てるような・・・ 異宗教ながら、互いに似たような思想が存在することに興味があります。 蛇足ながら参考までに。
425 :
イエスはナザレの大工の息子 :02/02/28 19:45
>423 パウロはここで先に結論を言ってるのですが 12/11 これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は 望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。 三位については 12/4 賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。 12/5 務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。 12/6 働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさ るのは同じ神です。 で、三位一体論的な考えからの言葉とは考えにくいので すが...(個人的な意見) むしろ、霊肉二元派(生まれながらにして人に宿っている)との 論争の中での説明なので、個々に霊があるのではなく、唯一の霊が あって、それがあらゆる人に影響していると言う事を言いたいのでは ないかと思いますが...
この様にも考えられないでしょうか。 >三位については >12/4 >賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。 「賜物にはいろいろあります」つまりこれが「三位」の部分。 「それをお与えになるのは同じ霊です」つまりこれが「一体」の部分。 >12/5 >務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。 「務めにはいろいろあります」つまりこれが「三位」の部分。 「それをお与えになるのは同じ主」つまりこれが「一体」の部分。 >12/6 >働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさ >るのは同じ神です。 「働きにはいろいろあります」つまりこれが「三位」の部分。 「すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です」つまりこれが「一体」の部分。 これは「三位一体」の説明にも繋がるのではないでしょうか。 まあ、どこまでも私の意見にすぎませんが。
427 :
イエスはナザレの大工の息子 :02/02/28 20:56
僕が「パウロには三位一体の概念がなかっただろう」と言うのは 神楽屋がよくやるように、聖書の一次一句を追っかけて、語感から どうのこうのと言ってるのではありません... パウロはコリントと言う町で、霊が個々に宿りイエスはナザレの ラビの一人であると言う人達や、多神教徒だったり、偶像崇拝を したり、買春をする人がいたりする中で、コリントの帰依者に 対しイエス・キリストを信じ、唯一の神を信じ、偶像を拝まず、買春 をしないように呼びかけているのが、このコリント書簡であって 1/1からはそれを綿々と訴えているものだからです。そこで この12章の文章は、唯一の霊・唯一の神・イエスキリスト を、コリントの帰依者に説明しているのですから、その段階で この三位が同質のものであると言う意識がすでにあったとは考えに くいと考えています....あくまで個人的な考えですが
>427 >僕が「パウロには三位一体の概念がなかっただろう」と言うのは コリントの信徒への手紙2では 13:13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。 と、「神、キリスト、聖霊」と並んででてきますが、これって三位一体ではないのですか? それともパウロは「神、キリスト、聖霊」の「三位」は認めても、それらが「一体」であるとの概念はなかった・・・ という事を427さんはおっしゃりたいのでしょうか? トンチンカンな質問でしたら許してください。
429 :
名無しさん@1周年 :02/03/01 23:56
しかし、こういうのもあるよ。 マタイ 28:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
430 :
名無しさん@1周年 :02/03/02 00:04
思考を捨てよ。
>427 :イエスはナザレの大工の息子さん >個々に霊があるのではなく、唯一の霊が >あって、それがあらゆる人に影響していると言う事を言いたいのでは >ないかと思いますが... もう一度「コリントの信徒への手紙12章」を読みかえしました。 ようするに「個々の霊は一つの霊に属す」というのが言いたい事の中心だったわけですね。 確かに426の私の考えは少し強引であったのかもしれません。
>430 >思考を捨てよ。 「法の華」の教祖も「考えるな、頭を取ってしまえ」と 信者を思考停止状態にしてマインドコントロールしていました。 他のカルト教団もほとんどこの手法で信者を操っています。 もちろん、あなたのおっしゃりたい事も分かります。 私も「信仰」は「思考や議論」を超えたものであると思っています。 しかし「盲信」は「思考や議論」にも劣るものではないでしょうか・・・ 「信仰」は「思考や議論」を超えたものでしょう。それはわかります。 コリント1 1:21 事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。 しかし、だからといって「思考や議論」なくしてしまってよいのでしょうか? コリント1 1:21 それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。 ここでは「神は、たとえ愚かな行為であれ、それによって救おうと定められた」と書かれています。 「宣教のことばの愚かさ」も「思考の愚かさ」が先立たなければ成立しません。 私のような愚か者にとっては「ことばの愚かさ」や「思考の愚かさ」が必要なのだと思います。