>>194 この自分の人格が言葉にすると嘘になりそうで・・・
内面に注意深くいることしか今のところは・・・
>>194 「神との対話」ではよく”雪の結晶”のお話が出てきます。
この雪の結晶はそれ一つ一つが完璧に美しくまた驚くべきことに
どのひとつをとっても同じ形がないということです。
この事実が示すメッセージを超える言葉が私には見つからない
馬鹿かもしれませんが、WEBで雪の結晶の写真を見たときに
感動の涙が止まりませんでした。
198 :
名無しさん@1周年:01/12/28 02:34
そのような多様な雪の結晶であっても、それを構成している水分子は、
すべてに共通するものですよね。
世界中にある宗教は、この美しい雪の結晶のようなものです。
一つ一つが完璧に美しく、また驚くべきことに
どの一つをとっても同じ形がない。
そしてそれを構成している愛こそは、
すべての宗教に共通するものなのだ。
199 :
ポンピドゥーセンター:01/12/31 06:12
198
いうとおもった。あなたのは言葉のられつだ。
なーーんにもつたわらない。
なんか伝えたいのはわかるけど
きみもポンピドゥセンターにこいよ
きみもポンピドゥーセンターにこいよ
200 :
名無しさん@1周年:01/12/31 14:14
>>199 宗教の中にある至高の真理の言葉そのものは、
レベルの低い大衆には直接に伝わらないかもしれない。
しかし、わかる人にはわかるだろう。
その言葉の価値を大切にする者は絶対にいる。
とりあえず、情報がなければ、信じるも信じないも、実践するも捨て去るも、
選択することさえないではないか。
ある者は、その真理を芸術の分野で表現するかもしれない。
ある者は、学問や科学の分野で追求するかもしれない。
宗教は、文化の中心的役割をはたすのであって、
その価値は、他の何十倍もあるということに変わりは無い。
201 :
名無しさん@1周年:02/01/02 13:48
>>200 結局抽象的にしか語れないんですね。
他の分野より何十倍もあるという宗教の価値を。
202 :
名無しさん@1周年:02/01/03 00:33
>>201 神の持つ目がくらむような至福を体験したことがなく、
信仰心を養おうという真剣な努力をしていないのならば、
具体的に宗教に何の価値があるのかを、知ることはない。
信仰心が重要なのです。
信仰心を持った者でなければ、宗教の価値は認識できません。
信仰心とは、それ自体魅力のある霊的な輝きに満ちていますが、
それと同時に、この世においても個人の魅力を引き出すものです。
信仰心を養い才能を開花させた人物こそが、
世界に計り知れない恩恵をもたらしているのです。
世の中で活躍している人物をよく観察してみれば、
彼らの輝きに信仰心が大きな役割を果たしていることは明白です。
203 :
名無しさん@1周年:02/01/03 00:35
ふーん
204 :
名無しさん@1周年:02/01/03 02:29
心の支えには、なりえるわな。
時に視界を狭めるけどね。
>>202 >信仰心を持った者でなければ、宗教の価値は認識できません。
価値を認識できるかどうかの問題ではないです。
「どんな価値なのか?」の具体的な説明が一切無いのは相変わらず。
206 :
名無しさん@1周年:02/01/03 04:26
心の支えじゃない?
要は、あるイデオロギー体系(と言ってしまおう)を
人生の基盤、指針として確定してしまえば、
後の人生はその基盤に照らして考えていけばいいわけだから、
生きていくうえでは気が楽になりますわな。
座標系をガッチリ固定させるようなもので、確たる座標系を
持たずに「何が正しいんだろう」と迷い続けるのに比べたら、
価値観がしっかり確立される分だけ「輝いて」見えることも
あると思いますよ。
他の座標系、自分以外のイデオロギー体系を確立している人も
世の中にはたくさんいるということを忘れずに、それを
尊重することが出来るなら、信仰心というのはさして有害なものでは
ないでしょう。
……往々にしてそれが忘れ去られるのが現実ではありますが。
宮城人に関西弁は無理だろ?
>>205 宗教にどんな価値があるのか?と、
あなたは問いますが、むしろ、
追求するべき価値がどこにあるのかを教えるのが宗教です。
どんなに美味しい料理が目の前に出されたとしても、
あなた自身がそれを食べなかったのならば、
その料理は生ゴミと同じです。
具体的に宗教にどんな価値があるのか?
その価値を証明して見せるのは、あなた自身の役目です。
その価値を存分に味わいつくす権利が、あなた自身にはあります。
そのための肉体なのです。
宗教自体には、どんな価値もありません。
価値があるのはあなたなのです。
あなたは実に神です。
>>206 信仰心が心の支えになるというのは、
それが、心を浄化し、消滅させる力を持つからです。
心とは欲望の巣窟のようなものですが、
その欲望に打ち克つのが、信仰心です。
もしあなたが正しく信仰心を抱いたのであれば、
意識は拡大します。狭量さや偏見という欠点は失われ、
空想力、寛容さなどが発展します。
信仰心によって、視野が拡大するのです。
>>210 あなたは 200=202? 違うなら、あなたには聞いてないので。
213 :
名無しさん@1周年:02/01/03 18:04
>>211 一つのイデオロギーに縛られるのだから、視野は狭まらないですか?
広がると言うのなら具体的(実証的)に言ってください。
私は、1=200=202=210です。
215 :
名無しさん@1周年:02/01/03 18:33
>>210 同一人物でいいんですか。へぇ。
>>200で以下のような発言があったので、その価値とは何かを知りたくて
>>201を書いたのですが。
>宗教は、文化の中心的役割をはたすのであって、
>その価値は、他の何十倍もあるということに変わりは無い。
>>210で、こんな事言われては会話になりません。
>宗教自体には、どんな価値もありません。
さらしあげ〜
>>213 一つのイデオロギーに縛られるのではなく、
一つのイデオロギーにまとめることが信仰です。
具体的には、色々な人の経験を聞くことが一番だと思います。
ただし、世の中にこれだけ無知が広がっているので、
真の信仰を経験する人は少ないかもしれません。
よく注意して識別することです。
218 :
名無しさん@1周年:02/01/03 19:05
>>217 あんた、「イデオロギー」の意味わかってんの?
一つのイデオロギーにまとめる? 何を?
無知はあんたかも知れない。
私は永遠のいのちを手に入れました。
派手なものではなく、
ふつふつと静かなひそかな、地味な喜びです。
私は死んでも生きます。
いのちに終わりはありません。
死に勝ったのですから!
まず沈着と瞑想によって
自分の内部にひとりだけでいられる
静かな空間を作りなさい。
そして、そこであなたの全身全霊をもって
あなたがこの世で体験した
最も素晴らしい喜びの感覚を、
あなたの頭上に向かって
注ぎ出しなさい。
>>215 大きく取り上げるべき重要なパラドックスを、指摘しましたね。
これは主体と客体における価値観の問題です。
あなたはこの世の中に、様々なものを見ますよね。
美しいものも醜いもの・・・それらは客体です。
これら客体の本性は一体何でしょうか?
3ヶ月くらいやっていれば、
そこにはある色が見えてくるはずです。
その色の光る石を大切に持ち歩いて、
あなたの信仰の要石としなさい。
あなたの生涯を、そして死後までも、
守ってくれるでしょう。
客体の本性は一(いつ)なるものです。
主客が分離したのち、ふたたび、
主客は出会い、抱擁し合い、一つになります。
そこに永遠の断片が見えてきます。
すべての「良いもの」、すべて、
全くすべてのあらゆる捜し物、宝物は、
みな自分の心の部屋に内蔵されています。
宝は、よいもので満たされています。
宝は無尽蔵なので、
すべての人、特に身の回りの人たちと
分かち合うことでますます輝かせることが
できるでしょう。
225 :
名無しさん@1周年:02/01/03 19:30
>>221 はぁ…。主体・客体などの、知ったかぶり発言はやめてください。恥ずかしいですよ。
だったら、
>>202の「信仰心を持った者でなければ、宗教の価値は認識できません。」
でいう、「信仰心を持った者」にとっての「宗教の価値」を説明すれば良いでしょうに。
>>218 とにかく、信仰はイデオロギーではないということです。
信仰は逆に、イデオロギーを作り出し、イデオロギーに活力を与え、
イデオロギーを支配します。
そして、真の信仰は役に立たなくなったイデオロギーを破壊します。
信仰は形のあるどんなものにも制約されないものです。
そして、この宇宙は、存在の根源的レベルにおいて、
信仰によって支えられています。
228 :
名無しさん@1周年:02/01/03 20:29
信仰によって支えられてるの?
神によって支えられてるのではないのかい。
信仰は神であり、神は信仰です。
230 :
名無しさん@1周年:02/01/03 20:50
信仰=神 と定義するのか。。
信仰の主体は誰ですか。人か神か。
231 :
名無しさん@1周年:02/01/03 20:52
言葉遊びだな。
なに言っても無駄だよ。
信仰の主体はあなたの魂です。
そして、信仰の客体は苦行です。
信仰が苦行であるとして、苦行を実践するものは、魂を知ります。
その逆に信仰を快楽であるとして、快楽におぼれる輩は、魂を忘れます。
233 :
名無しさん@1周年:02/01/03 21:26
信仰の客体は苦行?
コトバの定義がよくわからんよ。
もっとある程度、哲学やなんかでこなれた
概念を使って説明しないと誰もわからないよ
信仰=信じたっとぶこと
主体=認識し、行為し、評価する我
客体=特に主体に対応する存在。また、主体の作用の及ぶ存在。
苦行=神仏に奉仕するために肉体的欲望と物質的生活とを抑制する修行
例えば、あなたが映画館で映画を見ているとします。
その時、スクリーンに映っている映像は客体です。
映画を見ているあなたは、主体です。
>>225 223 が先に結論を言ってしまいました。
私が主張したい到達点も、ここにあるのですが、
その前にもっとよく、主体と客体について知らなければ、
理解されないと思いますね。
一度に逝ってしまうと、混乱しますから、まず、客体の本性の話をしましょう。
客体の本性は、科学で言うところの、究極の微粒子にあたるものです。
外界において、様々なパターンを見て、これはこうだ、あれはああだ、
というように言葉で表現しますが、それらの言葉は、
主体であるあなたが、原子の集合体に付加したものです。
236 :
永遠の御父のメッセージ:02/01/03 22:33
>>236 言いたいことが良くわかりません。あなた混乱していませんか?
紹介されたスレを読みました。
なかなか良い文章が掲載されていると見受けられます。
17-19に批判的態度が見られますが、他人のあら探しをする人間はどこにでもいるから、
気にすることはありません。
悪は善を鍛え、善の力を強めるために、創造主が作ったものです。
善人は悪の試練を乗り越える必要があります。これは宿命です。
人はいばらの道を歩んで、経験を積むべきです。
苦痛・損失・悲観を経なければ、人が堅固な信仰を手に入れることはないのです。
238 :
名無しさん@1周年:02/01/07 00:10
はにゃ
239 :
名無しさん@1周年:02/01/09 03:17
私 は た だ
真 実 か ら 目 を 背 け よ う と す る 貴 方 に
本 当 の こ と を 教 え て あ げ た に す ぎ ま せ ん
真 実 は い つ も そ こ に あ り
け し て 揺 る が な い
そ れ が 見 え な い の は
見 る 勇 気 を 持 た な い か ら で す よ
真 実 は 人 を 傷 つ け る
真 実 か ら 遠 ざ か る こ と で し か
人 は 生 き 続 け る こ と が で き な い
命 限 り あ る 者 …
そ の 何 と 愚 か な こ と か
240 :
名無しさん@1周年:02/01/09 03:20
241 :
名無しさん@1周年:02/01/15 17:53
私流の信条は「人は神ではない」です。
人の本性とか、普遍な魂とか言っているものは、
自然が造った「カオス」のままであって、そのままを「神」と思い込むことに
疑問を抱いています。
そして、もう一つ、この世で殺すものと殺されるものがあるごとく、
霊の世界にも、「裁き」の主がいる…ということ。
そのものは、私たちがいくら、「私も神」であると言っても、私に第2の死をもたらすかも
知れない。
霊体もしくは、霊魂の存在を許さないかもしれない。
霊界における「聖戦」…それは、聖書の世界のことだけではなく、
仏教説話の中にも出ています。
>人の本性とか、普遍な魂とか言っているものは、
>自然が造った「カオス」のままであって、
ん?一面的にすぎないか?
散在的、流動的な「カオス」のみならず、
絶えず秩序的、統合的な働きもあるはずだけど?
>霊体もしくは、霊魂の存在を許さないかもしれない。
>霊界における「聖戦」…
裁定者は、どこに居て、どうやって現れるのかな?
さらにその「働き」を司るものが・・・
>仏教説話の中にも出ています。
例えば?
引用キボンヌ
>絶えず秩序的、統合的な働きもあるはずだけど?
242さんは、何見て、そんなことをいってるのかな??
まさか、「瞑想」のなかとか?(笑)
>裁定者は、どこに居て、どうやって現れるのかな?
さらにその「働き」を司るものが・・・
そんなことは知らん!
でもね、間違っても、「裁定者」は、自分の中にあったなんていわないで欲しいね。
>例えば?
引用キボンヌ
あんまし重要視していなかったからね、忘れた…
悪いが、自分で見つけて。
>>243 ふーん。その程度か。
邪魔して悪かったね。バイバイ。
245 :
名無しさん@1周年:
さまざまな装置を流れ、さまざまな働きをする電流に神をたとえればよい。
電流に相異はなく、いずれも同じである。
それを異なるものであるかのように語るのは、その人の無知のゆえである。
賢者はそこに同一の電流しか見ない。
無知な者は異なる働きの電気をすべて別々のものと思う。