仏教における世界の見方・考え方+

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1名無しさん@1周年
1 名前:変人 01/11/19 07:25
人間とは何ぞや?生きるとは何ぞや?
こういった根源的テーマは
仏教における世界観に答えがあると思うのです。
さあ、マタ〜リお話いたしましょう。

前スレ
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1006122333/l50
2名無しさん@1周年:01/12/18 10:59
>997
>互いの言い分はだいたいわかったよ。
>仏教徒さんは態度がやや厳し過ぎる気もするけど、伝燈(誤字じゃない)を守る責任があるからかな。
>非仏教徒さんは自分なりもいいけどもう少し先人の残した注意書きを大事にしたほうがいいと思うよ。
結局は、仏教の体系的「理解?」の問題に落ち着きそうですね。
解脱には数劫かかること、カルマ・輪廻転生の直覚がポイントになってるかと。
体系なくして考え抜いても仕方がないのは、他のことと同じことのようで。
俺も仕事に専念します。


>999
>>見下すとか、見下さないとか、ちっちゃな問題ではないと思うよ。
>>949の質問に答えないのは、彼が人を見下してるからじゃなかなぁ。
引用レスは俺のだけど、
もっと大きな問題があるっつー意味でして、
その大きな問題が、今、話題になってるところかと。


>996
>それは耳をふさいでいるだけとしかいいようがない。
しっかりと耳は通じてるよ。
恥ずかしいのが、ありありと「分かる」からね。
これは人に説明してはいけない部分だと思う。
3名無しさん@1周年:01/12/18 11:26
>結局は、仏教の体系的「理解?」の問題に落ち着きそうですね。

その通りです。
そのためには「関係性」の理解と、
「表現の意味」の理解が欠かせない。
そのための突破口で、戒律の意味も重要性も分かっている。
ただ、ここを理解するのは確かにネットではこれ以上はむり。

>>それは耳をふさいでいるだけとしかいいようがない。
>しっかりと耳は通じてるよ。

それで十分です(笑)。
4名無しさん@1周年:01/12/18 13:12
>>2
>結局は、仏教の体系的「理解?」の問題に落ち着きそうですね。
>解脱には数劫かかること、カルマ・輪廻転生の直覚がポイントになってるかと。

これは、どこかの宗派の単独的見解ではないんじゃないのでしょうか?
そもそも、「輪廻転生」「解脱」が方便として捉えている宗派もありますよね。
仏教は、そもそも「解脱」だけが目的なのでは無いのではないでしょうか?
5名無しさん@1周年:01/12/18 14:31
>970 :01/12/18 10:40
>ちと言い過ぎたかもしれないと気になって戻ってきた。
>ただ重要性は理解して欲しい。

私も気になって戻って来ました(笑)。
正直、あなたが気にしてくれるのはうれしいし、
その重要性を理解していないわけではない。
というより、その重要性を一貫して話してきたつもりです。

私にも理解してほしい事はあったのですが、
まあそれはそれ、またもしも何か機会があったらということで。
(^-^)/。
6名無しさん@1周年:01/12/18 14:33
>>3
付け足すなら、「邪な心」になるのですが、
これはもういいですよね? お互いに、、
(^ー^;


>>4
体系的な理解の問題かと。
7通りがかり:01/12/18 15:55
あまりにペースが早すぎて、浦島太郎状態になってしまいました(^^;

>>2
>解脱には数劫かかること

ここが気になりましてね。本当に数劫かかって解脱した人の証言とは思えないし、
どうせブッダが没後数百年経ってから、勝手な想像で作り上げた体系をさもブッダ
直説かのように粉飾したものでしょう?

本当に数劫かかるのなら、仏教など何の価値もないと思う。今、腹が痛い人がいて、
隣の住んでいる婆さんが民間療法を勧めてくれるのを、白衣に身を固めた医学博士が
それを制止し、遺伝子治療をやれば腹痛など完治するから、そんな下等な療法に頼らず、
最新療法を受けるべきです。ただし、遺伝子治療で腹痛が治るにはあと数十年はかかる
から、それまで我慢しなさい、と言っているようなものです。私なら、その博士をぶん
なぐりますね(^^)。

仮に解脱に数劫かかろうとも、人間は今世で許された歩幅しか進めることはできないの
だから、一歩一歩足元を見つめて歩くしかない。いたずらにゴールのことをあれこれ想像
してもしようがない。まずは、自分とまわりの人との人間関係において、煩悩の弊害を
取り除くことが大切だと思います。ウサギとカメの競争なんだから、地道に努力している
人の方が先にゴールに着く可能性もある。いや、むしろいろいろな小細工などせずに、カメ
に徹してマイペースでしっかり歩め、という方が釈尊の教えに近いような気がします。
8変人:01/12/18 16:18
う〜む。まだその話をしているよーだね。
そのことは、私がズバリ解答している。
つまり、ある目標に向かって一生懸命精進していれば、最初に考えていた事の意味が解ってくる。
諸行無常。人の心はその時の縁にふれつつ変化しているということだね。
「ああ、ここいう事だったのか?」その瞬間を、すなわち「気付き」。
これを第一義とするならば、なんら迷う事なし。その意味は、すでに明白。
9通りがかり:01/12/18 16:36
>8

率直にお尋ねしますが、変人さんは解脱には数劫かかると考えられておられ
ますか?

>ある目標に向かって一生懸命精進していれば、最初に考えていた事の意味が解ってくる。

というのは、とりあえず今世での精進に集中させるための一種の方便ですか?

>「ああ、ここいう事だったのか?」その瞬間を、すなわち「気付き」。

その「気付き」と解脱とは同じものですか、それとも別のものですか?違うと
仮定して、「気付き」だけでは仏教の「抜苦与楽」という目標達成には不十分
と考えておられますか?これは、言葉を変えれば、盤珪禅師の「不生」の自分を
意識しつつ日常生活を正すという方法は、仏教の本流なのか、それとも今世を乗り
切るための方便なのか、とも言い換えられるのですが。
10名無しさん@1周年:01/12/18 16:37
>付け足すなら、「邪な心」になるのですが、
>これはもういいですよね? お互いに、、
>(^ー^;

あはは、うひょ(笑)。

まあ、邪の心はおいといて、ちょっとまじめに話をすると、
体系って絶対に「関係性」が俯瞰して見えるようにならないと分からないと思います。
体系とは要するに「物事のつながり」ですから。
あとこの関係性が分からないと「自覚の本質」も見えない。
「表現の意味」のほうは説明し出すとそれだけで本が書けてしまいますが、
結局は「空」と直結してます。

>ウサギとカメの競争なんだから、地道に努力している
>人の方が先にゴールに着く可能性もある。いや、むしろいろいろな小細工などせずに、カメ
>に徹してマイペースでしっかり歩め、という方が釈尊の教えに近いような気がします。

つまりは、その解釈を「誰に」言うと有効で、「誰に」言うと害になるか?
というのが体系で、私の言い方なら関係性です。

実はもっと違う方法論をもった体系も存在しますがここは仏教スレですので・・・
ただそれぞれの立場に「結論」が最初からあるなら、それは絶対に「対話」に発展しない。
何度も何度も同じ結論にくるのはそのため。
さらに付け加えると地図(体系=関係性)の理解が無いときの学びかたと、
地図が手に入ってからの学び方とでも違います。

>う〜む。まだその話をしているよーだね。
>そのことは、私がズバリ解答している。

あはは(笑)
貴方の深さは知っています。
それで良いでしょう。
11通りがかり:01/12/18 16:48
>>10
>ただそれぞれの立場に「結論」が最初からあるなら、それは絶対に「対話」に発展しない。

ここで議論している人の多くは、(私も含めて)自分流のやり方に疑問を持っていないから、
それは仕方がないでしょう。自分が道に迷うまで、地図を出して見ようなどとは思わない
でしょう。「誰に」言うと有効、無効というより、欲しい人だけが拾うのですよ。本屋へ行って、
片っ端から読もうという人はいません。自分が探している何かを与えてくれそうな本だけに投資
するのです。議論を重ねることで「真理」に近づけるというのは、希望的観測として本当であって
欲しいと思いますが、必ずしもそうではないでしょう。「正反合」の歯車が逆回転する場合もある。
ナチスもスターリンも弁証法的に歴史に登場したが....あんなものは「世界意識」なんて大それた
ものじゃないと個人的に思っていますよ。人間の頭が生み出すものは、所詮は誤謬にしかすぎない、
という人間不信と言いますか。そういうものに対する癒しとして宗教に活路を求めているという面も
あります。
12名無しさん@1周年:01/12/18 16:57
>ここで議論している人の多くは、(私も含めて)自分流のやり方に疑問を持っていないから

それがすなわち発心があるかないかという問題。。

>「誰に」言うと有効、無効というより、欲しい人だけが拾うのですよ。

同上。
13変人:01/12/18 17:25
>>9
私は不思議なのですが、「不生」をご存知ならば、すでにそこに「集約されているんじゃないんですか?
100回禅師の説法を聞くより、はるか「不生」の方が理解しやすいと思う。
>というのは、とりあえず今世での精進に集中させるための一種の方便ですか?

方便というよりも、そもそも誰がこげなことをいいだしたのか?
方便だとしても、すでに「不生」に集約されていると思いますね。
方便でなくても、すでに「不生」に集約されていると思いますね。

・「気付き」と解脱は全く違うと思います。
・「抜苦与楽」は、そもそも目標達成という概念で捉えるのはチト疑問。
 そういう発想が、不思議です。
・「不生」は、方便だと思わないですね。
 全部、ここに集約されるじゃないですか?
 他に何を学ぶのですか? どうも私は不思議でなりません。
14名無しさん@1周年:01/12/18 17:56
>>7
「輪廻転生」は直覚できるけど、証言するようなものではないと思います。
ないとするなら「ない」で良いし、「ある」としても証言するようなものではない。
(ただ、新興宗教のように、釈迦の生まれ変わりはあり得ないと思うけど)
そもそも「輪廻転生」から解脱するのが、釈迦仏教の基本発想だったかと。
それなら、「数劫かかる」のは当たり前かもしれませんね。
後は、仏教を宗教と見るか、伝統文化として見るか。

>>10
それでは私も少し真面目に。
俺の「善」の考え方は、西田幾太郎の「善の研究」がベースにあります。
関係性の話も含めて、同意できるところはあるのですが、、というところです。

>>13
体系的に理解すれば、明らかに間違いだと分かるところが含まれてますね。
後は、>>8の通り。
15前スレの970:01/12/18 18:28
新スレに移行したそうで。
前スレでの説明通り、戒律の関係で私はこのスレには参加できない。
このスレで発言することはこの発言以外ないので、ご了承願いたい。
16変人:01/12/18 18:29
>>9
>率直にお尋ねしますが、変人さんは解脱には数劫かかると考えられておられ
>ますか?

これは、ネットですと言いづらいですね。
というのは、「解脱」は時期がくれば、その意味が解りますので、
私は、あえて触れてはいけないものだと思っています。
数劫かかると思って、一生懸命精進するのが良いかもしれません。
それ以上の事は言えません。
17びん:01/12/18 18:35
先日あったテロについてどのような見解をお持ちですか?
18名無しさん@1周年:01/12/18 18:45
10>>14
>それでは私も少し真面目に。
>俺の「善」の考え方は、西田幾太郎の「善の研究」がベースにあります。
>関係性の話も含めて、同意できるところはあるのですが、、というところです。

体系を学ぶときの注意として、貴方が参考にするかしないかは別として、
知のレベルで把握する体系と情のレベルで把握する体系とかいろいろあります。
まあ一度に全部を実習はできないでしょうけど、
最初は知のレベルで把握しても、知のレベルの把握は必ず間違えますから「戒律」があるんです。
何が何でも最初から最後まで戒律ではかえって間違えますし小乗と一緒です。
情より深いレベルは、そこになにがしかの天意が含まれるから間違えません。
戒律の代わりに天意が働きますから。
戒律にこだわる方は、逆にいうと、知のレベルでしか体系が把握できていません。
こういう人が教団の指導者だとあまり深く学べないでしょうね。

また、考え方、見方というのは人それぞれ、100人いれば100人違いますから、
自分の考え方に妄執すれば、それを離れる時に痛みを伴います。
その痛みがいやだからますます自分の考えにしがみつきますね。
しかし真実に近づくときには、
その「考え」を離れなければならないし、それには痛みが伴う。
しかしその痛みは陣痛で、その陣痛は理解の生みの親なんです。
それがなければ「気づき」はない。
だから真剣な対話には痛みが伴う。
この痛みを抜こうとすると議論の勝ち負けはあっても「気づき」は生まれません。
19名無しさん@1周年:01/12/18 18:55
>>15
朝に言ってた戒律が拡張解釈されてませんか?
20変人:01/12/18 19:07
>>17
人間の認識できる世界というものが、いかに狭いか。
この事件を考えただけでも容易に解りますよね。
人間サイドで物事を観ても、実は遥かに観えない部分の方が多いのです。
21通りがかり:01/12/18 19:24
>>13

では、ここにカキコしている変人さんは、「かりそめの自分」ですか、それとも
「不生の自分」ですか?
22名無しさん@1周年:01/12/18 19:24
>>20
テロ、容認?
戦争だって、宇宙的な意識から見れば小さいけど、、
どうよ?
23名無しさん@1周年:01/12/18 19:29
>>18
もう心の奥底で沈静化してますよ。
24970:01/12/18 19:29
>>19
前スレで指摘した過ちを意図的に犯す(非仏教徒の)修行者とは
仏教談義をしてはいけないという戒律や禁戒とその理由がある(3つばかり該当)。
私がその戒律を守る重要性を再認識して守ることで、
彼と私のみならず、ここに参加するほかの方々のためにもなる。

私は15とこのレスしか書いていない。あとは本当に沈黙する。
今までありがとう。では。本当にこれまで。
25名無しさん@1周年:01/12/18 19:47
昨夜、途中で寝てしまったんですが・・・。

934 :名無しさん@1周年 :01/12/18 01:07
大乗経典を作った人々ーつまりお釈迦さまより,
後の時代の人達には、そうなるように仏縁が働いてたと・・・
こう考えることも可能なのかな?


935 :名無しさん@1周年 :01/12/18 01:09
>>934
仏の視点で見るか、衆生の視点で見るかで見方は最低2つある。
ちなみに、仏の慈悲は常にあるが。


このお返事すごく気になるんです。2つってどう言う事だろう?

ひょっとして行ってしまわれた>270さんのお返事だったのだろうか。
今日、お聞きできればと思っていたんですが・・。
26名無しさん@1周年:01/12/18 19:55
>>24
了解です。
俺もそろそろ降りようと思います。
27宗教関係者:01/12/18 20:16
様々な想いには、囚われずに流がしたいものですね。「これこれの想いは我が想いである」
とか「正しい想いである」と言うように、思想にしろ、観念にしろ、捉えるのはいいが、囚人
のようにそれらから身動きが取れない状態になってしまうのが人の常というものだろうから。
28変人:01/12/18 20:18
970さん
私は、レスのやり取りは直接参加はしていませんでしたけど・・・
あえていうなら、人間にレッテルを貼るのは、あまり好きな方ではないので
仏教徒、非仏教徒。これは明確に分けられないと思いますね。
まあ、私も「仏教徒」は失格らしいですけど・・

仮に、何の教義も理解できない人でも、八正道を一生かかって成し遂げれば、立派な仏教徒ですよ。
盤珪禅師などは、ほとんどアウトローですよ。
私などは、そういったアウトロー的人間というのが大好きでしてね。
そういうところに「真」の学ぶべきものがあるんじゃないかと思いますね。
優等生の、白隠さんが好きな人もいて、それでバランスが取れているんじゃないでしょうか?
29名無しさん@1周年:01/12/18 20:19
賢者は小道を行かず。
30名無しさん@1周年:01/12/18 20:22
なんで白隠は優等生なの??????

妙なレッテル貼りだな。
31名無しさん@1周年:01/12/18 20:25
>>29
姑息なものは王道を歩けず。
32名無しさん@1周年:01/12/18 20:35
正しい発心が生じたときはじめてすべては菩提の善縁となり得るが、
正しい発心が生じるかどうかは努力量と必ずしも直結しない。
だから、たいがいの人間は謙虚に安全な方法で学ぶほうがいいと思う。
33名無しさん@1周年:01/12/18 20:38
>謙虚に安全な方法

例えば?
34通りがかり:01/12/18 20:39
>>27

ハゲ同です。21でも、変人さんに同じことを問いたかったのです。「この思いは
虚仮の自分の思いである」、「この思いは不生の自分の思いである」、と分離して
いるうちは「不生の自分」を掴んでいない。気が付いたら、100%が「不生の自分」
になっていた、という成り方しか考えられません。夢が醒めるまでは、これは夢か
現実か、などといろいろ気にして、夢の中でほっぺたをつねってみたり(笑)。
しかし、これは夢か、と考えた時点で夢にどっぷりなんですね。目が覚めてからほっぺ
をつねる人は居りますまい。

前レスでしたか、「私はなぜ見性できないのでしょう」と口にして追い出された修行者の
話がありましたが、私の愚考ではその辺に鍵がありそうです。強迫観念の患者が「この考え
は強迫観念によるものだろうか」と気にした時点で、強迫観念に縛られてしまいます。これ
を繰り返している限り、いつまでも病気は治りますまい。
35名無しさん@1周年:01/12/18 20:44
>これを繰り返している限り、いつまでも病気は治りますまい。
他人に依存して治療中。。。>>27=>>28
36変人:01/12/18 20:44
>30
日本においては、やはり白隠禅が主流のような気がしますね。
まあ、私は優等生だとは思っていないのですが、
空気が、そういう流れになっていますよ。
37名無しさん@1周年:01/12/18 20:46
>空気が、そういう流れになっていますよ。
はぁ?
>>27参照。
38名無しさん@1周年:01/12/18 20:48
思ってないことを言うな。
39名無しさん@1周年:01/12/18 20:55
あはは
40変人:01/12/18 21:05
>>34
まあ私も、あまり人の評価は苦手な方でして、詳細な分析ありがとうございます。
いろいろ参考になりました。
私が、夢うつつなのかは、どうも解りませんが、そのへんは返事に困りますね。
41名無しさん@1周年:01/12/18 21:05
「戒律」の話の同日に最低だな。。。
42名無しさん@1周年:01/12/18 21:10
一つのことに気付くと、その気付きに捕らわれてしまい、
他のことには気付かなくなってしまうようだ。
43名無しさん@1周年:01/12/18 21:16
どうしたんだね。
住人同士の罵りあいだね。
仏教を語るには良いのだが、これじゃ仏教を誹謗、中傷しているのと同じ。
これで楽しいのかい?
お笑いだね。
44名無しさん@1周年:01/12/18 21:18
いや、あまりにもオカシイことの連続だから・・

正直、仏教の話をする気にならんのだ・・
45名無しさん@1周年:01/12/18 21:25
>>43
禿道。
仏教の話は止めて、世間話でもしたらどうyo(ワラ
46名無しさん@1周年:01/12/18 21:28
このスレで仏教の話なんかあるか?
47名無しさん@1周年:01/12/18 21:28
ここは変人を語るスレです。仏教の話はよそでやって下さい。
48∴フォーチュンの弟子:01/12/18 21:29
そうだ、織れは変人を観察しに来たのだった。
49名無しさん@1周年:01/12/18 21:31
つーか、変人の間違った認識で、
話の腰が全部折れてないか?
50名無しさん@1周年:01/12/18 21:33
最低だな。。
51名無しさん@1周年:01/12/18 21:34

挙句の果てに>>45=変人だろ?

どうしようもないだろう。
52名無しさん@1周年:01/12/18 21:42
どうなるんよ。

・「変人」の体裁を整えたレス・内容は不正確で、偏見が多い。
・「宗教関係者」=「変人」
・頭の煮えた名無しさん
・「思ってないこと」を意図的にレスしている。

たった50のレスの中で、これだけ揃ってたら、もうダメだろう。
「ウソツキ」で、かつ「空」を語るわけで・・
53名無しさん@1周年:01/12/18 21:46
こうするしかないな。



−−−−−−−−−−−−−−−終了−−−−−ー−−−−ー−−−−
         
         
                
54宗教関係者:01/12/18 21:59
43
どうしても、他人の書き込みに拘って、わざわざ反発してくる人がいるの
でね。それが楽しい人には、楽しい事を止めろといっても止めんでしょう。
嫌よ、嫌よも好きの内ってなもんなんでしょうからね。ホントに嫌なら自分
から進んで板を覗くようなことはしないだろうし、ましてやレスを打つなど
しないからね。
55名無しさん@1周年:01/12/18 22:12
はいはい、もうエエって。
56宗教関係者:01/12/18 22:16
52
これもキミか? >>27>>28

ホント、頭の中を整理してから

書き込んでくれ給えよ。

私と、変人さんを同一人物と見なす

など、迷惑千万。

間違いは許すが、憶測で訳の解らん

ことを言うものではないぞ。

今後は、私と変人さんの混同など

謹んで頂きたいな。
57名無しさん@1周年:01/12/18 22:18

自作自演もいい加減にしろよな。>>56 仏教の恥
58宗教関係者:01/12/18 22:23
55
>はいはい、もうエエって。

少しも良かあないよ。

名無しでやっているのなら

混同されても致し方ないが、

こっちはわざわざ、分かるように

HNにしてるんだからね。

通常なら、詫びのヒトツでも

あって然るべきだろう。
59名無しさん@1周年:01/12/18 22:24
終わりか?

対立はバカバカしいんだろ?

「ノー再度」君
60名無しさん@1周年:01/12/18 22:27
終わりか?

プライドだけか?

自作自演君
61宗教関係者:01/12/18 22:29
57
キミの「自作自演」だと言う根拠は何なの?

そこまで言い切るからにはね。
62名無しさん@1周年:01/12/18 22:32
根拠なんか提示してもらえると思ってるの?
真剣が好きなんだろ?

虚妄の真剣か?

自作自演君
63名無しさん@1周年:01/12/18 22:36
侮辱を無視できないのはプライドから。
64宗教関係者:01/12/18 22:39
62
もはや、何を言っても始まるまい。

私は、止める。

キミの好きにするがいい。

思いたいように思えばいい。

この人は勘違いしてるけど、

変人さんもまあ、許してあげて

ください。
65マジ今見たとこ:01/12/18 22:44
へんなスレだね〜
どうでもいいけど何で同一人物の口調がころころかわるの?
自作で混乱してたりして(藁
66名無しさん@1周年:01/12/18 22:47
あんたは真剣を握らせてもらえないよ。

>>64の逃げレス、生きる姿勢で斬られてるだろうな。
俺なら迷わず切る。

あんまり生半可に真剣、真剣を語るなよ。
真剣に憧れてるヘタレみたいだから。

自作自演君(意味は自分で思い出せ)
67変人:01/12/18 22:47
チョッと、スレを覗きに来ました。
宗教関係者さんと、私「変人」は別人です。
まあ、そういう訳で一応カキコしておきます。

ROMしている方に一言。
私は、自分の世界観をそのまんまにカキコしてますもんで、どう受け止められるかは
その人が、自由に解釈すれば良いと思いますね。
あえて、刺激的なレスを付けようなんて思っていませんから。
もし、そういうふうに受け止めてしまうんだったらしょうがないですね。
まあそんな訳で、これからは少し考えてレス付けようかな・・とか思っています。
そうしますと、「真意」はなかなか伝わりませんけど、思案中です。
68名無しさん@1周年:01/12/18 22:49
ということで、


ーーーーーーーーーーーー終了ーーーーーーーーーーーーーーーーー
69名無しさん@1周年:01/12/18 22:49
>>67
あなたの世界観を語るのは自由だが、変人の世界観=仏教の世界観と
主張するから話がおかしくなるんだよ。
70名無しさん@1周年:01/12/18 22:55
>>34
>夢が醒めるまでは、これは夢か現実か、などといろいろ気にして、
>夢の中でほっぺたをつねってみたり(笑)。しかし、これは夢か、
>と考えた時点で夢にどっぷりなんですね。
そう?夢の中でこれは夢だと気付いたときってもうその夢には捕われていない
んなんじゃないの?

>目が覚めてからほっぺをつねる人は居りますまい。
僕はいまこの世界が夢であってもおかしくないと思ってるが。
71宗教関係者:01/12/18 23:04
69
私もそう思う。せめて、「仏教的な」とか「仏教らしい」の方がいい。
そこのところ、変人さんはどう思っているのかな?
72変人:01/12/18 23:05
>>69>>70
貴方たちは賢明だと思いますよ。
「批判する眼」というのは大事なことだと思いますね。
私はどうであれ、自分の「世界観」を持つ事こそ第一義ですから、
73名無しさん@1周年:01/12/18 23:07
>>71
チョロチョロするな。>自作自演君
74名無しさん@1周年:01/12/18 23:09
>自分の「世界観」を持つ事こそ第一義ですから
んなわきゃあない。
75変人:01/12/18 23:11
>71
私は、自分の世界観を人に押し付ける気は毛頭ありませんから
自分自身の世界観は、自ら構築すべきでしょう。
そうでないと「借り物」になってしまいますからね。
ここのところは大事ですよ。
自分にとって「仏教」とは何ぞや?ここが原点ですよね。
人はどうであれ、主体的な生き方をすべきでしょう。
76名無しさん@1周年:01/12/18 23:13
自分の世界観を構築することが仏教じゃないんじゃない?
77名無しさん@1周年:01/12/18 23:13
 
何、畜生みたいにヒィヒィ焦ってんの?>変人君
78変人:01/12/18 23:15
>>71
正直言いまして、あまりジャンルに拘らない方です。
受け止める方がそうであれば、そのように解釈して良いんではないでしょうか?
79名無しさん@1周年:01/12/18 23:17
自己正当化に必死だね。(ワラ
80名無しさん@1周年:01/12/18 23:18
>>75
言いたいことはわかるが、実際問題仏教の世界観は、凡夫が
独学で作り上げた世界観より圧倒的に優れていると思うけどね。
81名無しさん@1周年:01/12/18 23:18
>>78
じゃあなんでこんなスレ立てたの?
82名無しさん@1周年:01/12/18 23:18
(・∀・) なるほど、これが変人の真剣か!
83変人:01/12/18 23:21
>>76
それも自分で考える事でして、人はどうであれ自分の正しいと思う「道」
を歩めば良い訳ですよね。
8476:01/12/18 23:23
>>83
なんかメチャクチャなこといってない?
85名無しさん@1周年:01/12/18 23:24
>>83
だから、そういう考え方が仏教でないのさ。
86名無しさん@1周年:01/12/18 23:24
>>75自分で世界観を構築してたら、仏教の世界観ではなく
変人サンの一種の創作活動ではないですか

コテハン叩きを基本的に反則なんですが、あまりに無茶苦茶で・・・。

「仏教雑談スレッド」とかにした方がまだ、良い気がします。
87変人:01/12/18 23:26
>80
秋刀魚の開きで満足な人。
キャビアでなければ駄目な人。
考えはいろいろですよ。
自分の、正しいと思った「道」を歩めば良いのではないでしょうか?
88名無しさん@1周年:01/12/18 23:26
>>75
こういうことか?(ワラ

   22 :変人 :01/12/17 20:19
   >18
   「学問派」と「実践派」ほ、当然見解、解釈は違ってきますからね。
   「禅」を、学問的立場から観たってど〜にもなりゃせん。
   頭で考えても、どーしょもないのは素人的に考えてもわかりますからねー。
8976:01/12/18 23:27
>>85
同意

>>83
僕はまったくその逆だと思うんだけど。
そういうもんを全部捨てろと言うのが仏教では?
90変人:01/12/18 23:27
まあ、そういう訳で・・・
そろそろ私は寝ます(^^)
91名無しさん@1周年:01/12/18 23:27
>>87
例えが意味不明なんですが、
92名無しさん@1周年:01/12/18 23:28
>>90
真剣に寝ろよ。(ワラ
93名無しさん@1周年:01/12/18 23:31
>>87 じゃ仏教じゃなくてもいいじゃねぇかよ(w
94名無しさん@1周年:01/12/18 23:33
メチャメチャですね。
95名無しさん@1周年:01/12/18 23:46
はぁ〜、これで明日のカトスレ、真宗スレは変人ナンセンス煽りが入るな。>今までのパターン
ストレス解消かな?!
96名無しさん@1周年:01/12/18 23:48
もう今、煽ってた・・悔しかったのねー(ワラ
97名無しさん@1周年:01/12/19 00:43
おいおい、マリアスレもかよ。煽りかけて、諭されてどないすんの?(ワラ
98名無しさん@1周年:01/12/19 02:56
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99名無しさん@1周年:01/12/19 05:06
そういえば最後に一言書き忘れていました。

人を助ける最良の手法は助けないこと。
対話の相手の最良の相手は沈黙。

合掌。
100名無しさん@1周年:01/12/19 05:20
もう長いこと宗教板を眺めていただけの者なんだけど
全体的な傾向として、誤解の激しい人や、独学で典型的な
陥穽にはまりこんだ人、語る以前に宗教的なセンスそのものに
問題のある人ほど多弁である傾向があるように思う。
101 :01/12/19 05:39
おれもそう思った
102名無しさん@1周年:01/12/19 06:46
人間の、考え方の狭さが良く分かりました。
スレを、ずっとROMしてましたが、生き方が変わりました。

アリガトウ。
103名無しさん@1周年:01/12/19 06:53
名無しと使い分け?、山師さん(摩耶山)
104名無しさん@1周年:01/12/19 07:31
変人さんの「気づき」も、やっと変人さん御自身が「気づき」ましたね(笑

人に伝えることの難しさを、ようやく分かったようですね。
一つのことを理解してもらうには、それはそれは大変なことです。
10回に区切って、20回に区切って、それが通常のやり方です。
それが分かっただけでも、大変な成長です。

変人さんの、今後のなおいっそうの活躍を期待しています。
105通りがかり:01/12/19 08:56
ここは本当にレスの流れが速いですね!遅レスですが...

>>70
>そう?夢の中でこれは夢だと気付いたときってもうその夢には捕われていない
>んなんじゃないの?

私はよく夢の中で「こんな美しい所が現実にあるはずがない、夢だったら困るから今の内に
場所を確認しておこう」と一生懸命地図を読み取ろうとしつつ、目覚めるという経験をよく
します。夢だという「気付き」があるものの、やはり夢には執着しています。夢が醒めて欲しく
ない、このまま夢の中に安住したいという気持ちです。

もし、これが悪夢だったとしたら、夢から逃れたい、という逆方向になるのですが、やはり
「逃れたい」と望んだ瞬間に夢に縛られているのだと思います。夢に執着するのも、逃避しよう
とするのもともに夢に縛られることにはかわりなく、「これは夢だ、そうに違いない」と自分に
言い聞かせてもこの「従属関係」は変わりません。

本当に夢から脱した人なら、夢で善事が起ころうと、悪事が起ころうと、所詮は夢の中だからと、
余裕を持って高見の見物をすることでしょう。「これは夢だ」と気付いても、なかなかそういう
余裕は出てこないのではないでしょうか。この余裕=仏教で言う「安心」なんじゃないかと私は
思っています。
106宗教関係者:01/12/19 10:34
通リがかりさん
夢にも色々ありますよね。睡眠中に見る夢。瞑想中に見る夢。思い込みや
妄想なども、夢の部類に入るのではないでしょうか。
「虚相と実相」とも言えると思います。人間は、「想いの中」で活動する
生きものである上、全体との関係性と言う枠の中で個の想いは無限に広が
ります。「夢」は概ね、個人の心の産物なのでしょうが、その夢の中でさ
え、何某かの関係性から、善夢、悪夢に弁別されて見えてくるのではない
でしょうか。これは全く何も無い夢を見たとすれば、善夢、悪夢として認
めることすらでいないだろうという推測からも、明らかだと思うのです。
で、ここで夢から脱した人が、「夢だから、どうでもいい」という態度で
「安心」を得て止まる人なのか?宇宙や、生命の叡智から、観自在という
ような境地に立って安心があるのか?という事に二分してくると思います。
10770:01/12/19 10:35
>>105
で、結局何が言いたいの?
108名無しさん@1周年:01/12/19 10:53
仏教以前です。変人氏とそのシンパ(いたとして)は
出発点に立つことを最終目的にしているように見えてなりません。
109通りがかり:01/12/19 12:41
>>106

そうですね。仏教思想を「この世は夢のようなもので実体はない」と説明するとわかり
やすいようで、誤解を招いてしまう。あくまで夢であるにも関わらず、それに執着した
り、怖がったりする本体を変えるのが目的で、要は「善夢だ、悪夢だ」とぬか喜びした
り、怖がったりしなくなればいいと思うのです。

ちょっと暴論になるかもしれませんが、カルマから脱するというのも一種の執着では
ないでしょうか。カルマ?受けるべきなら大人しく受け取るさ、とカルマから逃げなく
なった時に本当にカルマの束縛を離れることができると私は思います。

>ここで夢から脱した人が、「夢だから、どうでもいい」という態度で
>「安心」を得て止まる人なのか?宇宙や、生命の叡智から、観自在という
>ような境地に立って安心があるのか?という事に二分してくると思います。

まさに、これこそが仏教と外道の分かれ目だと私は考えています。現実(カルマを
含めて)を「空」として観念的に打ち消すのではなく、それを現実のまま受け入れ、
自分をそこへ溶け込ませるというイメージです。少なくとも、禅で説く仏教は「眼横
鼻直」、あるがままに現実を受け入れるという立場を貫いています。
110通りがかり:01/12/19 12:49
『夢中問答集』の中に、自分の好物であるビワが食べやすくなるように、
種を無くしてください、と本尊に願をかける尼僧の話が出てきます。仏教とは、
この世を変えるのではなくて、この世はこのままで、それを受け取る側の心を
変える教えです。尼僧が「種は嫌だ」という自分の心を変えることをせず、種を
変えてもらおうとした時点で仏教を離れています。

これは、カルマによる因果応報についても同じではないでしょうか。たとえ自分の
心を瞑想などによって操作することで、結果的にカルマの束縛から離れるとしても、
結果的には自分の外を変えてもらおうという発想にすぎず、尼僧の行為を笑えない
と思うのです。
111通りがかり:01/12/19 13:04
>>107

たとえ、夢の中で「これは夢なんだ」とわかっていたとしても、いい夢だから
醒めないで欲しいとか、悪い夢だから早く醒めて欲しい、と感じる限り、夢の
束縛から離れたことにはならない、ということを言いたかったのです。

イソップ童話に、「きつねとブドウ」というのがありまして、きつねはどうして
もおいしそうに実るブドウに手が届かず、最後に「あのブドウは酸っぱいに違い
ない」と捨て台詞を残して立ち去るのです。下手すると、仏教思想もこういう「負け
惜しみ」に利用されてしまうのです。現世で自分の思う欲望が充足されないが故に、
現世の存在そのものを「空」と決めつけて、自分の観念の中で抹殺する。仏教的な解決
とは、ブドウがある、しかし、自分はそれを食べることができない、という事実だけを
受け入れて、それに対して一切の言い訳や弁解、取り繕いをしないことだと私は思います。
112107:01/12/19 17:10
>>111
そうかなあ・・・。
僕はよく子供の頃(今は何故か全然ない)よく夢の中で「な〜んだこれ夢じゃん」
て気付く事がよくあって、とたんにホッとして、悪夢でも面白くってしかた
ない状態になってたんで、悟りってあれに(まあ全然違うんだろうけど)少し
似た感じなのかも、って思ってた。前に誰か書いてたみたいに安心しちゃうん
だよね。巻き込まれなくなるというか。客観が目覚める感じ。そうなったあとは
何故か好きな時に目覚めて起きる事もできたんだ。あれも修行者が死期を自分で
決める(悟る?)感じに似てるかなって思うし。
でもまあ、ここも夢と同じ質で出来てる気がしない?仏教でも唯識なんてまんまそんな
かんじじゃん。まあこれは人それぞれ違うんじゃない?
113通りがかり:01/12/19 17:57
>112

私の場合は、悪夢の時には「これは夢だ」なんて考える余裕がないから(^^;)
いい夢の時はひたすら、「これは夢であって欲しくない」とひたすら執着しています。

>まあこれは人それぞれ違うんじゃない?

そういう結論になりそうですね。
114名無しさん@1周年:01/12/19 18:58
>出発点に立つことを最終目的にしているように見えてなりません。
>そういう結論になりそうですね。

信なきところ疑なしの典型例。
夢と自分が一致したところから「全く別のもの」が現れる。
115名無しさん@1周年:01/12/19 19:45
もう呆れましたよ。

「変人」だけど、最初っから仏典をろくに読んでない事バレてたと思う。
これは、すごーく恥ずかしいですね
俺でさえ、解った。
何10年も読んでる人いっぱいいるわけだから
116名無しさん@1周年:01/12/19 20:09
仏典を、一生懸命勉強して、正真正銘の仏教徒になると良いよ。

それよっか、もっと大事な事を教えてくれた。

何を伝えたかったのか?分かってないんだね・・・
117名無しさん@1周年:01/12/19 20:16
>>116
115じゃないけど、「見性」て、どういうことだと思ってるのかな?
118宗教関係者:01/12/19 21:09
分かる者には分かる。分からない者には分からない。それはよく分かったよ。
それが結論。それを踏み越えて、他人に突っかかる者は、まさに「外道」と
いうこと。これも結論。これに納得のいかない者は、たった一人、地団太を
踏んで喚き散らす。
119名無しさん@1周年:01/12/19 21:23
時々特定の人間の文体をまねして煽っている輩がいるようだ。
ほとんどの方はわかっておられるだろうが。
120名無しさん@1周年:01/12/19 21:25
>>118
全くわかってないかと。

>分かる者には分かる。分からない者には分からない。それはよく分かったよ。
誰の責任かな?

普通、「見性」しても、直ちに「大悟」と認められないよね?
なんでかな?
121名無しさん@1周年:01/12/19 21:29
>>119
気づいたか?(笑)
何度、あやつの煽りを俺のせいにされたか・・
原因は、俺も煽りをやること。
何とも言えんわな。
122名無しさん@1周年:01/12/19 21:49
自分の意見によってならまだしも
他人の文体をまねて煽っておられる輩には注意して欲しい。
誰のまねをする場合でも
文の最後に微妙に他人を刺激する表現を使うパターンが多いようだ。
そうした輩には関わらないことをお勧めする。
123名無しさん@1周年:01/12/19 21:58
>>119=>>121=>>122
もうやめようよ
カッコワル・・・
124名無しさん@1周年:01/12/19 22:00
>>122
分かってないね。あやつの内容は相当なもんだよ。
やってることは、まさしくロシアンルーレットだけど。

>自分の意見によってならまだしも
ここに交換価値が見極められるんだよ。
それを持ってない奴が、厨房。
あんたは持ってるか?
聞けば、しっかりと噛み合う内容で議論してもらえると思ってないか?
なぜ「教えて君」が毛嫌いされるのか?てところだね。
厨房だな。

そろそろ、慈悲の深い「悟後の行」が何か分かったかな?

# いつまで女を担ぐように、煽られ続けてるの?
   煽られるのは、自分に原因があるからだろが。
125名無しさん@1周年:01/12/19 22:03
なんのこっちゃ
126名無しさん@1周年:01/12/19 22:06
>>123
ん?>>121は俺だよ。
(同じレスがどこかにdだみたいだ・・)
127名無しさん@1周年:01/12/19 22:10
確かに野暮だが、被害者は複数人。
どのポイントでも偽の煽りから荒れはじめている。
単なる楽しみのためであっても、
偽の煽りに律儀に返事を書かれておられる方が気の毒だ。
そのせいで、偽者を本人だと思い込んでおられるのだから。
ただの娯楽としてもこのような場所で仏教は語らぬことをお勧めする。
128名無しさん@1周年:01/12/19 22:23
>>127
ここは2ちゃんねるなんだ。
1年前から半年ぐらい前まで、「煽りと喧嘩は2ちゃんの華」とか言われたもの。
喧騒としてるのが命だ。
それを>>127のような厨房の考えが蔓延して、2ちゃんねるでなくなった。
(俺も厨房だったから)
宗教板とて例外ではない。
今なんて全く荒れてないないよ。
宗教板が荒れるときは、もっともっと酷い。そんな中でも仏教の話はされてたよ。
良スレも多々ある。

この夏、2ch存続危機のときにできた「兄ちゃんねる」てのがある。
そこの「ルール」を読んでみて。
2chが良さを無くしたアンチテーゼが盛り込まれてるから。
http://www.i-love-you.gr.jp/info.htm
129名無しさん@1周年:01/12/19 22:27
>>127
といいつつ、自分も Give up 気味。
「動中の静」は不可能みたいだ。。
130名無しさん@1周年:01/12/19 22:40
2chだから、どの場所だから、あの場所だから、
そういうのは、ある行動の動機にはなっても、行動を正当化する理由にはならない。
戒律の問題で非難された人を含め、2chだろうが、どこだろうが、そのようなやり方をするのは、ただの愚か者。
そのようなやり方を好む存在については、昔の仏教では、「他化自在天」と呼んでいた。

だから、正式な仏教では、いかに境地が深まっていっても、そのような間違いに絶対に陥らないように、入門時に弟子に必ず注意されてきたのである。
もう、これで十分だろう。
正しい仏教徒として仏の悟りを完成させたいのなら、正しく菩提の善縁を見付けることをお勧めする。
131名無しさん@1周年:01/12/19 23:02
誤った道は、たとえ一時的に悟りのような幻想をもたらすことはあっても、
必ずその幻想すら保てない状況に陥らせ、
やがて、空について考えたり修めたりする土台すらも失わせてしまうことになる。
完全に悟らないうちは、どんなに境地が深まっても、誤った道によって容易に崩壊してしまうのである。
まだ、人間として形態を保っていられる間はそれでもまだよかろう。
しかし、誤った道は、必ず、人間以外の衆生への転生へと向かわせてしまうのだ。
そうなれば、空やら修行どころではないだろう。
だからこそ、何が大切かは正しい仏教徒にとっては自明なのだ。
賢い修行者は、犯罪集団と同じ過ちに陥ってはいけない。
132名無しさん@1周年:01/12/19 23:24
>>130-131
「戒律」の話は考えさせられました。本気でもうそろそろ落ちることを考えています。

しかし、こういう場所以外でしか打ち明けられない苦悩を持ってる人もいる。
こういう場所でしか、自分の切実な問題に仏教が関わっていると知る機会がない人もいる。
俺は、自分がそんな悩みを持っていたとき、やはり匿名掲示板2chがあって欲しかったと思います。
だから、(人生の)壺と呼ばれるこの場所で、絶えず本物の仏教の話が継続されてることを願います。
それこそが、犯罪集団に巻きこまれない方法だと思っています。
場所を選ぶのは、やはり仏教的ではないかもしれません。
ただ、2chももうダメかもしれませんね。
http://www.zenkokuren.org/internet.htm

もう1つ。待機説法のようなマネをしましたが、あれはやりたがったわけではありません。
(そう思われた方もいるでしょう)俺は、大部分、仏教を文化として理解しています(せざるを得ない)。
「生きる意味」に対して、大人に対して、それも仏教スレで切実に聞いてるのに、
誰も正面から答えなかった。そういう場合は、自分がやる。反してでもやる。殺す覚悟でやる。
大人・社会の人々の「生きてる意味・価値」すら否定することだと考えていますので。
当然、自分で考えなければ「分からない」ものということは重々承知しています。
(仏教徒ではありませんので、前行段階の稚拙な答えを用意することになりますが。)
「生きる意味」に対してそれなりの答えが聞けないのは、
「この国(土)に生まれたことが恥ずかしい」という苦悩にすら繋がってしまいます。
リスカをご存知でしょうか?今の思春期の子は、簡単にそういう状態になってしまうのです。
「手首を切るときに、初めて自分が生きてることが分かる」
俺はやってないけど、やる子の感覚は完全に理解できます。

>正しい仏教徒として仏の悟りを完成させたいのなら、正しく菩提の善縁を見付けることをお勧めする。
宗教というのは凄まじく人の死生に影響するものです。これができるなら、たったとやってます。
良い縁もなきにしもあらずです。しかし、そこには「宿命」とでも言うべきものがあります。
133名無しさん@1周年:01/12/20 06:42
>>132
>>正しい仏教徒として仏の悟りを完成させたいのなら、正しく菩提の善縁を見付けることをお勧めする

そもそも、この話の流れがおかしい。
変人さんは、スレの途中で「この意味するところのヒント」を与えた。
それに「気づく」人。
それに「気づかない」人。
そこに、大きな差ができたのではないでしょうか?
>仏教を文化として理解しています(せざるを得ない)。
その象徴的なもんでしょう。
134名無しさん@1周年:01/12/20 11:53
>>133
もう、うんざりだ。
135名無しさん@1周年:01/12/20 15:14
みなさん、いま、やっと目が覚めました。
頭の中を整理するのに時間がかかりました。
私は自分の未熟さを他人に投影していただけで、
私が他人のことを指摘してばかりいたのは自分を見ることから目を背けていたからでした。
ウソをついてはいけないといいつつ、自分にウソをついていることに気がつけなかった。
単純なことでした。

改めてこのスレのみなさまに心からお詫び申し上げます。
特に変人様には心から感謝いたします。
あまりにも無自覚でした。
申し訳ございませんでした。
136名無しさん@1周年:01/12/20 15:21
>>135
懺悔することは素晴らしい姿勢だと思います。
随喜申し上げます。その勇気が、道を歩むほかの方々に善い影響を及ぼすことでしょう。
ただ・・・・あなたは誰なのでしょうか?
137名無しさん@1周年:01/12/20 15:26
>ただ・・・・あなたは誰なのでしょうか?

ウソをついていたことを自覚している自分です。
138名無しさん@1周年:01/12/20 15:29
>>137
あなたがこの新旧スレでどのようなレスをお書きになった方なのか知りたいのです。
139名無しさん@1周年:01/12/20 15:39
>>138さま。
このスレですと、>>3>>5>>10>>12>>18>>99>>114>>135>>137です。
140名無しさん@1周年:01/12/20 15:43
139>>138
前スレは今探してみましたがありませんでした。
141名無しさん@1周年:01/12/20 15:48
>>139
何はともあれ、よかったですね。
仏さんも喜んでいると思います。
あなたにますます仏の御加護がありますように。
142名無しさん@1周年:01/12/20 15:51
140>>141
>あなたにますます仏の御加護がありますように。

ありがとうございます。
143宗教関係者:01/12/20 16:21
私は基本的に人間はみな、同じだと思う。それぞれこの「我が身」を持って、何処かで
ウソをついて、何処かで他人を困らせているものだと思うからです。
そんな中で、自ら過ちを告発し、懺悔する者をさらに責めるようなことを修行者ならし
ますまい。それどころか、そういう姿勢から、自分自身も我が身を引き締めようとする
でしょう。修行の姿勢は、それぞれが自らと向い合うのが基本だと思いますから。

かく言う私自身も、この中での私の書き込みが、誰に何の影響を与えていたか?を
考えていたところ、私にも懺悔が必要だろうと思っていたところです。私も自分の
未塾さを痛感しているところです・・…。
144名無しさん@1周年:01/12/20 16:33
菩提心がすべての瞬間に常に維持されるようになることが凡夫にとって一番の課題。
だから懺悔はすべての瞬間にすべきこと。
それ以前に、悟ってない限り、我々凡夫の言葉も体験も境地も間違いだらけなのは明らか。
同じように私も一介の修行者に過ぎない。
145変人:01/12/20 16:40
>>135
ROMしておりました。
私以外は全て教師。そういう気持ちでおります。
私こそ勉強させて頂いております。有難うございます。
146名無しさん@1周年:01/12/20 16:42
顕教においては、概念把握以前に基本的な姿勢が整うまでは問答は許されないことが多い。
特に、伝統的に伝えられてきた基本事項の理由をないがしろにする傾向のある我々現代の修行者は
そうした素地を整えることにすら苦労する。
webでもできる議論もあろうが、基本的にはPCの電源を切って対面で議論するほうが好ましいと思う。
147名無しさん@1周年:01/12/20 17:08
135>>145
>ROMしておりました。
>私以外は全て教師。そういう気持ちでおります。
>私こそ勉強させて頂いております。有難うございます。

変人様、>>99を書いた前後から頭がパニックで
まだ、ちょっとくらくらしています。
いつもの多弁さが無くてすみません。
本当に涙がでて止まりません。

ありがとうございました。
148名無しさん@1周年:01/12/20 18:54
>>135さん、お疲れ様です。(敬意)
俺的には、これ以上言えません。


>>133
>>正しい仏教徒として仏の悟りを完成させたいのなら、正しく菩提の善縁を見付けることをお勧めする
>そもそも、この話の流れがおかしい。
>変人さんは、スレの途中で「この意味するところのヒント」を与えた。
前スレの874以降ぐらいでいいんですかいな?
http://www.raiji.net/bbs/kaku.cgi/http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1006122333/
当たり前のことを言ったか、俺には分からないものを言ったか、になります。
ただ、他スレも合わせて、変人さんのレス内容を見るに、
ヒントとして表面上の附合を見たにすぎない可能性が高いですね。(w
「戒律」が大事なら、なおさらです。(w
>その象徴的なもんでしょう。
まったくの見当違いです。
書いてしまって申し訳無いのですが、貴方に触れられるような内容ではありません。


>>143
悦に浸ってるところ、申し訳ないのですが、
生半可な内容で、流す気はないですよ。
149名無しさん@1周年:01/12/20 20:32
147>>148

文意をみてまた頭がパニックになり真っ白にもどりました。
自分にウソをつくくせは抜けない。

また沈黙と対話します。
150名無しさん@1周年:01/12/21 03:33
149のつづき、

戒律の話で思い出しました。
先ほど>>140で探して無かったといったスレですが、
>>148で提示されていました。
その中の私の発言は下記の通りです。
申し訳ありませんでした。

>839、>840、>886、>901、>902、>904、>926、>929、>932、
>936、>938、>941、>943、>948、>951、>956、>957、>960、
>961、>963、>965、>968、>975、>978、>986、>987、>989、
>990、>994、>996、>999
151名無しさん@1周年:01/12/21 03:40
みんなに幸せを。
152名無しさん@1周年:01/12/21 05:22
オン マニ ペメ フーム
153宗教関係者:01/12/21 13:37
144
私は、「仏教」と言えば、南方の上座部としか、直接の縁を持っていませんが
日本の仏教で言うところの、「菩提心」とはいったい何の事なのですか?よく
発、菩提心などという言葉を目にするたびに考えていたのですが。
私なりの解釈ですと、菩提とは叡智、智慧の心ではないかと察するのですが、
そうなると、あなたのレスから察すると懺悔と菩提は不二一如という関係に
なるということですよね。
146
「正しい仏教」という言葉の前では、どうしても躓いてしまうのですが、その
正しい仏教と言うのは、私には概念的には掴めません。ここに来て既存の仏教
の立場から、「正しい仏教」と言う言葉を持ち出してきたのはあなたではない
かと察するのですが、スレを見ていて、概ね「禅」関係の方だろうとも察して
いるのですが、(違っていたら済みません)。どうでしょう、部派も含め、大乗系
の宗派も正しい仏教と言えるのでしょうか?史実から辿れば、現在の上座部から全ての
宗派が分派していった事からも、「釈尊と伝統」という見地に立てば、部派仏教
以前の根本仏教に帰るしかないと私は思っているのですが。
だから、正しい仏教=縁起の法に依る世界観。三法印、四諦、八正道(中道)以外
にはあり得ないと思っています。これをさらに尋ねるなら、身を整えて三宝に帰依
する道を選択する、つまり正式な仏教徒になる以外、確かに道はないでしょう。

言うまでもなく、八正道は、自助自力の道。極言すれば、仏教的には小乗の道になり
ます。そこで、正式な仏教徒という枠に収まれば、立場的にも思想的にも「大乗」と
「小乗」という大別、さらに宗派別にならざるを得ません。こうなれば、正しい仏教と
言っても、それぞれの仏教ということになる。この中にいる限り、誰が他人に向かって
正しい仏教を言えるのでしょう。私の接した限りの上座部の僧侶も、大乗思想を受け付
けてはいないようです。日本の大乗の僧侶との遣り取りの中では、お互いにそういうこと
を言ってるのは見えませんが。こうなると他との関りに消極的な小乗的な修行が最も賢い
道だろうということが、今の私の結論になっています。

あなたにとっての正しい仏教とは如何なるものか、良かったらレスしてください。
154名無しさん@1周年:01/12/21 16:39
>>146
>webでもできる議論もあろうが、基本的にはPCの電源を切って対面で議論するほうが好ましいと思う

市井の者が、仕事をやりつつ思うのは・・・
現代の伝統宗教界において、それが本当に出来る状況にあると思っているのか?
それとも、出来ないと知りつつレスしているのか?
「美辞麗句」を並べても、そんなに世の中甘くはないと思うよ。
155名無しさん@1周年:01/12/22 11:09
>>153
>菩提とは叡智、智慧の心ではないかと察するのですが、
>そうなると、あなたのレスから察すると懺悔と菩提は不二一如という関係に
>なるということですよね。

菩提心とは何か?何故に完全な悟りに達したいかという問いと同じ。
単に苦しむ存在に対する素朴な憐れみの心との関連のみならず、
一切衆生への報恩の部分も関係してくると言われている。
まだ成仏してない存在が、菩提心を正しく維持しようと強く自覚して、努力する限り、
結果として懺悔することは多いことになる、という行為どうしの関係性に過ぎないので、
不ニではない。

(私は禅宗とは直接関係はない。)
仏教のすべての宗派は、小乗、大乗、密教のいずれでも、発想の原点はすべて同じ。
仰せのとおり、三法印、四法印、四諦、八正道、慈悲、戒律(理由の理解が大事)に集約される(ただ、八正道を自助自力の道と言い切ってしまうのも、問題があるかもしれない)だ。
そして、仏の教えを学ぶために必要な姿勢というのも同じだ。
自身の生活に応じて、自身の行為について小乗的な誠実さを保ちながら、大乗的な姿勢で他人に接すればいいだけのこと。
ただし、厳密に言えば、「俗な意味での」小乗の姿勢のみではまずいし、「俗な意味での」大乗の姿勢のみでもまずい。
在家の方の場合は、生活上の制限で、現実的にそうならざるを得ないこともあるし、それはいたし方なかろう。
だが、現実としてそうなりやすいということと、
できれば正しい姿勢を維持したいものだという認識がある上でのこととでは、大きく結果が異なってくる。
ここは特に在家の方が誤解しやすい点である。
156名無しさん@1周年:01/12/22 11:16
>>154
>現代の伝統宗教界において、それが本当に出来る状況にあると思っているのか?

確かに腐敗はある。しかし、現実に我々現代人は、僧侶も信者もそういう時代に生まれてしまったのだ。
その出発点、つまり、自らの現実をしっかり受け入れなければ何もはじまらない。
それだけ、我々現代人には、福徳の資料(←誤字だが正字見付からず)が欠けているのだ。人のせいにしてもはじまらないだろう。
しかし、何かができないといじけて何になる?それで何が生まれるのだろう。
現実の難しさを克服して、在家信者のためにまじめな講習会などを開催している寺院は、
今でもたくさん存在するのだよ。
要は、言い訳をせずに、やるかやらないか。言い訳せずに、求める行動をするかしないか。
甘えないことだ。その心を直接起こすことができるのは、本人だけである。それも修行なのだ。
157名無しさん@1周年:01/12/22 11:26
追伸
掲示板で境地や体験についてほのめかす内容を書く方がたくさんおられるが、
仏教の修行者ならばそのようなことをすることはないので、注意していただきたい。
何故なら、重大な戒律を破ることになるからだ。
持戒というのは、それぞれに正しい理由が存在し、そもそも自他を思いやるためにあるのだ。
そのことを理解できないと、こうした場で境地や体験を話すという初歩的な過ちを犯すのである。
注意されたい。
158名無しさん@1周年:01/12/22 11:50
そんな戒律があるんだ。
どんな意味があんの?
みんなで自由に話し合ってもいいと思うんだけど。
159名無しさん@1周年:01/12/22 12:12
>>158
基礎的な仏教を学ぶための姿勢が欠けている者が多い場で、議論しても意味はなかろう。
各自がPCの電源を切って、各自の縁に応じて正しい寺や修行者を探して、その姿勢を学ぶべき。
まじめな議論をしたいなら、
そういう基本的な姿勢が身についている者どうしが対面してやることだ。
それ以上、言いようがない。
160名無しさん@1周年:01/12/22 12:22
その戒律は、どの経典のどこに書いてありますか?
161名無しさん@1周年:01/12/22 12:23
坊主丸儲け。
クソ坊主。
162名無しさん@1周年:01/12/22 12:35
>>159
在家信者は十善戒。
小乗ならば具足(比丘)戒
大乗ならば菩薩戒
密教ならば三まや戒 にそれぞれ、複数項目にわたって記されている。
あとは、PCの電源を切って、ご自分でお調べになって、正しい寺で学ぶことだ。

だが、実際は、正しく修行していれば理解できる、戒律以前のことだろうという部分でもある。
どの宗派でも境地や体験をこのような場で口にする僧侶など存在しない。
修行してて当たり前。何かの正しい成果があって当たり前。
しかも、境地や体験は何の根拠にもならないことも当たり前。
それを前提に皆修行に励んでいるのだ。

以上。
163160:01/12/22 12:47
>>162
どの経典のどこに書いてありますか?と聴いたのですが。

十善戒。 具足(比丘)戒 。菩薩戒 。三まや戒。という経典が、あるのでしょうか?
164名無しさん@1周年:01/12/22 13:10
>>163
人に質問をする前に、その質問自体の性質をあなた自身で考える癖をつけることをお勧めする。
これは、154さん宛に156にも記した態度と本質は同じだ。

すべての戒はお釈迦さまの言葉と経典からのものだ。
また、経典の中には「律経」と分類されるものも存在し、
そのような内容しか書かれていないものもある。
すべての戒律について、その項目の根拠となる教典を記した書物もたくさんある。

しかし、あなたがそのような問いをこのような場所でしている時点で、
基本的な姿勢が整っていないことがわかる。
だが、この戒律を知らない時点で、あなたが仏教徒ではないことは自明だし、そうであるならば、仕方のないことだとも思う。
だからこそ、あとはご自分で調べて、正しい寺と縁を持ってから考えなさいと言っているのだよ。
正しい姿勢が整わないままに戒律だけを考えても、無意味だから。

以上。同じ答えの繰り返しになるから、これ以上は何も言わない。
あとは、各自が選択すべきことだ。その部分は、現代社会のいい点ではある。
165名無しさん@1周年:01/12/22 13:28
>>162
宗派の温存(根源的なもの)以外なにものでもない。
大乗の本懐を自ら封鎖しているようなもの。
このレスを見て、どれだけの人に影響与えるか、想像してみたら分かる。
腐敗の根源とは、まさにこの事ではないでしょうか?

今の坊主を見れば、いかに葬儀、法事に奔走しているか分かるだろう。
それが実際、寺院の役割になっている、民衆を救うどころの話ではない。残念しごく。
166名無しさん@1周年:01/12/22 13:43
>>165
だからこそ、各自が自らの足で「色々な」寺を回って、正しい寺と僧侶を探しなさいと言っているのだ。
(どの寺でもいいから適当に行きなさいとは一言も言ってはいない)
現実に、本来の役割を果たしている寺はたくさん存在するのだよ。
現実に存在している以上、見付からないはずはないのだ。
腐敗した寺の多い中から、正しいお寺にめぐり合う過程も、修行の1つなのだ。

最後に、あなたがこの問題に関して持っておられる不満こそ、
三宝帰依を正しく考えることで克服される。
では、正しい三宝帰依とは何か?それを寺で学んでほしい。
現代では、どんなに苦難があっても正しい寺を見付けるという意志が必要だ。
167名無しさん@1周年:01/12/22 13:58
私は宗派には、あまり関わりたくは無い。というのが本当の気持ちだ。
それは、文化としてそれなりに民衆と関わってきたからだ。
ですから、その範疇の中で文化を継承していけばよろしいのではないでしょうか?
伝統宗派とはそういうものだと思っている。

これからはネット社会。
長く続いた「檀家制度」から、今や民衆の手に仏教が戻ろうとしているのではなかろうか?
168名無しさん@1周年:01/12/22 14:10
>>166
>各自が自らの足で「色々な」寺を回って、正しい寺と僧侶を探しなさいと言っているのだ

これが、そもそも腐敗の根源なのではないか?
民衆への「甘え」が払拭されない限り、なにも解決されない。
169名無しさん@1周年:01/12/22 14:29
衆生の側の相に準じてしか、入口としての仏教も現れない。
だが、核においては、仏教そのものが変わることはない。
その認識を誤らなければ、時代に応じることは最も必要ではある。

すべての衆生が今日のすべての現状を作り上げてきたという自覚を持つこと必要。
民主主義と同じようなものだ。
170名無しさん@1周年:01/12/22 14:37
この世の中のすべての出来事は、我々一切衆生が作り上げてきたものに過ぎない。
我々一切衆生のそれぞれがその自覚を持つことによって、はじめて解決できること。
171名無しさん@1周年:01/12/22 14:46
各自が選択するための情報はすべて提示されている。
あとは、各自が仏の道を正しく求めるために、どんな苦難も乗り越えるという意志の強さ次第。
それは、周りの援助があっても、
直接的、そして、最終的には、各自にしか解決できないこと。

それでは。
172宗教関係者:01/12/22 16:30
155
あなたの言っている事の意味は大体分かりました。それ以上のことは、私のこれからの
修行の課題として、胸の中にしまっておくことにします。(大乗思想は難しいですね)
ただ、ひとつ基本的なことなので確かめておきたいのですが、「四法印」というのは何
ですか?三法印だけですよ。無常、苦、無我。これだけのはずですが・……。
四法印になってしまうと、四諦の滅諦が必要なくなってしまうのではないですか?
釈尊の説法の体系として、五蘊は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは
無我である(三法印)と言う共通認識から入って、「人生は苦である」という出発点に導く。
そこに来て「これは苦である」という説明から始まって、それぞれ同じ説明を滅諦まで
行って、道諦の八正道の実践で終っています。これが釈尊の教えの雛型であり、全てだ
ということです。釈尊は菩薩道を、特別に修行の項目として揚げてはおられません。
この釈尊の心を真摯に尋ねていけば、特別に菩薩道を作って行じる事は通常なら必要
ないと私も思っています。
最後になりましたが、レスをどうも有難うございました。
173名無しさん@1周年:01/12/22 16:30
日本仏教はすっかりダメになってしまいました。
174ソウシキ仏教、ビァンジャイ!:01/12/22 16:43
生きていくには、喰っていかなければならない。喰っていくには、稼がなければならない。

あわれ、フサフサのお坊さんたち。あなたたちは立派なワタシの反面教師だーーーー!
175名無しさん@1周年:01/12/22 17:23
>>172
四法印で説く方もおられ、その説き方でも矛盾にはならないので一応記した。
あなたが三法印のほうで理解されているのなら、それでいいと思う。

それでは。あなたにいっそうの仏の加護がありますように。
176名無しさん@1周年:01/12/22 22:13


葬式仏教に栄光あれ
177ばんこ:01/12/23 00:27
あなたはだれでしょうかぁああ?なんてきくもんじゃない。
あ、あなたがいてわたしがいる。by bee
178ばんこ:01/12/23 00:29
あなたはわたしをテンパーというのでしょうか?
179名無しさん@1周年:01/12/23 02:12
>あなたはだれでしょうかぁああ?なんてきくもんじゃない。
>あ、あなたがいてわたしがいる。by bee

ナイス!
もうナイスとしか言えない。
180変人:01/12/23 06:40
仏教の中核たるや「中道」をもって、ここは判断されるが宜しかろうに思う。
是即ち八正道かと思う。
181変人:01/12/23 08:33
若年層の「虚無感」「虚脱感」は深刻なものと推察される。
今日、明日にも沈没しそうな精神状態。これが本当だと思う。
「生きるキッカケ」。とりあえず、それが大事かと思うのです。
まあ、そういう訳で・・
私のレスは、まさにそこに基軸をおいているのであります。
こういった事で、皆様とともに考えておるのです。
いたって現状は深刻。かように思う。
182名無しさん@1周年:01/12/23 10:21
>>181
オメー前は逆のこと言ってたじゃねーかよ!
どっちなんだよ!
183名無しさん@1周年:01/12/23 11:44
>>181
>「生きるキッカケ」。とりあえず、それが大事かと思うのです。

納得。ヒントがありました。
「物事に囚われない」とはどういうことか?
いろいろ勉強になります。
184名無しさん@1周年:01/12/23 14:27
 まさに、中道の心に依らざる限り
 「あっち」と「こっち」で繰り返す
 輪廻の呪縛を解脱する事は難し
185変人:01/12/23 14:38
>>182
現代ニヒリズムの底流とは、そんなに楽観的なものだとは思っていませんよ。
一見、明るそうな表情ですが、それは「はしゃいでいる」明るさだと思いますね。
心の奥底からのものには到底感じられません。まあ、一般論ですが。
これは、私の青年期でもそうでしたけど、独特の「暗さ」は内在しているものです。
これが最近顕著なのではないか?そんな印象です。
186名無しさん@1周年:01/12/23 20:27
自然の法則としても、栄えたものは、衰退する運命があり、歴史としても繁栄と
衰退を繰り返している。ある意味では現在の日本のような国は衰退するのが定め
というものだとは、お考えになりませんか?これに逆らいますか?
現在の日本のような生活様式を維持、発展させていくのは如何なものでありましょう?
187名無しさん@1周年:01/12/23 21:11
日本社会とその宗教界のあり方というのは、ある意味、そのまま一般家庭での親子のあり方が反映されているように思います。
昔から日本では、子は神からの授かり物とか、宝として大切にされてきました。出来の悪い子ほどかわいいと言ったものです。
しかし、最近では新聞やテレビなどで、児童虐待などのニュースが毎日のように流れている有様です。
なんでも、出来が悪い子供はかわいくないから、自覚を促すためにわざと放って置くのだそうで、これはネグレクトという立派な児童虐待でしょう。
一般家庭内で行われていることがそのまま宗教界でも起こっているかのように思えてなりません。
私は衰退していくのを黙って見ていることが良いことだとは思いません。
188変人:01/12/23 21:21
>186
>現在の日本のような生活様式を維持、発展させていくのは如何なものでありましょう

あるジャンルにおいて、自然発生的「美学」のようなものが生じ、
それが、多数のコンセンサスとなれば、一気に改革は進むと思うが、
果たして、それだけのエネルギーを温存しているかはチト疑問。
衰退の中で、新しき価値創造の芽を育てるのが得策かと思う。
そこに、現代若年層の憂慮する部分があると思う。
189(((@))):01/12/23 22:01
187
確かに。この日本で生まれ育って来たのだし、黙って見ているだけ、というのは得策
ではありませんね。しかし、あなたの仰る通リ、親子関係を基に、様々な人間関係が
ままならないのは、私も非常に憂慮しています。そこにいる隣人を人間とは思えなく
なってしまっているような事は、日常茶飯事になってしまっている。
188
>あるジャンルにおいて、自然発生的「美学」のようなもの、
それはやはり、「精神的な美しさ」とでも言うようなものでしょうか?
190変人:01/12/23 22:25
>>189
「美学」とは、もはや死語になっているのではないでしょうか?
「美学」の概念がありましょうや?
「美学」とは、なんといいましょうや?アイデンティティーというのでしょうか?
そのジャンル、そのジャンルにあるものですよ。
自分に対する「こだわり」ですよね。
自分は「こう思うから、これだけは大事にしたい」。
だから「貴方の大事なものは尊敬する」。こういった「互いの尊重でしょうか?」。
いわば、村社会から脱皮した、新しい個人主義というのでしょうか?
これが一気に進めば、日本の宗教界は大異変になるかと思います。
191(((@))):01/12/23 22:59
190
それは、成熟した精神の持ち主でないと難しいですね。人間の、異質なものを
排除したいという衝動は、根強いものがあります。特に、わが国などは村社会
といわれると事に代表されるような情緒面における有形無形の柵がある。
まあ、ダイナミックに変化するにしても、カオスは避けられそうもありません
ね。カオスを乗り切る生命力も、ブロイラー化されたような若年層の多くはこ
のままでは対処できるとは思えません。南無さん、生命力を引出すには……
192変人:01/12/23 23:29
>191
まあ、その通りですね。
村社会にも良いところがありまして、例えば指導者があまり能力がなくとも
民衆の協力でそこのとこをカバーするということがありますから、
日本においては、全て悪いというわけでもありません。

こういった事を引きずりつつ、一種のフラストレーションに陥っている状態になっているかな?
などの、中途半端な結論しか出ませんけど・・。
>ブロイラー化されたような・・
といえば、「禅」でも手法はマニュアル化されていますからね
詰め込み教育=ブロイラー=禅。ここにも問題はあるかと思いますね。
まあ、私はそこまで口を挟みませんが、違和感は感じます。
193仏教って冷たいネ。:01/12/24 01:08
坊主は金儲けばかり、自分の為に修行して、誰も救わない。
194名無しさん@1周年:01/12/24 02:23
>191
>人間の、異質なものを
>排除したいという衝動は、根強いものがあります。

これが自分の宗派を守るための言い逃れになってしまいますと最悪ですね。
結果としてこういう場所でその言い逃れを読む人は>>193さんみたいな印象をもち、仏教界のためにならない。
195某707:01/12/24 03:41
>>185(変人さん)
それは僕にも当てはまるのでしょう、おそらく。。。
196名無しさん@1周年:01/12/24 05:11
うふ
197変人:01/12/24 08:43
>>195
四法印の、諸行無常、一切皆苦、諸法無我、涅槃寂静。
この中の、一切皆苦をトコトン突き詰めていくと、ここの重要性が分かる気がするのですよ。
えてして、こういう部分というのは内心拒否したい心境ですが、一番大事なところかと思いますね。
四法印→四諦→八正道。仏教の基本ですが・・・
「悟り」云々の前に、こういったところを掘り下げていきますと、もっと重要なものが観えてきます。
どうも、簡単に通り過ぎてしまいがちですが、ある示唆が内在されていると思います。
仏教のポイント部分でも上手く把握すれば、それだけでも救われる気がしますね。
198名無しさん@1周年:01/12/24 10:04
>仏教の中核たるや「中道」をもって、ここは判断されるが宜しかろうに思う。
>是即ち八正道かと思う。

中道というのは、その中に深く埋没すれば「空」でしょう。であってみれば「正」=「中道」=「空」で、
「正しき仏教」とは「空」以外のなにものでもないかも知れない。
199(((@))) :01/12/24 10:16
194・ALL
それは、色々な立場の人が集う中、微妙なものがあるものです。まあ、変人さんも
言っているように、仏教云々より、人間としての基本に帰って、そこで自分を省み
る姿勢がなにより必要でしょう。根本的にこの姿勢がない限り、根無し草のように
あっちこっちの混乱に呑まれて行ってしまうものですから、人間は。
無常、という言葉の語源には、不完全なもの、と言うような意味合いも含まれてい
るようです。さらに仏教では、「苦るしみ」なるものを3種類に分けて説かれます。
さらにこの中で、仏教に依って解決できる苦しみは、一つだけです。
この一つの苦しみさえ、御すことを知らず振り回されている事実を、まず「知る」
ことが、重要です。
「およそこの世に謗りを受けざるは無し」という法句経の句を御存知でしょうか?
どのような環境でも、反対意見、さらには悪意もあるものです。煎じ詰めればそ
れぞれの心の中に。だからこそ、自己矛盾、葛藤というものは誰でも経験する事
です。でも「この」苦しみから解脱するのには仏教は非常に有効でしょう。
200名無しさん@1周年:01/12/24 10:29
194>>199
>煎じ詰めればそれぞれの心の中に

人間は自分の心の中にあるものを外側の世界に見ているだけですから同意です。
そしてそれが分かった人間は他者の批判などしないでしょう。
なぜならそれはそのまま自分の心の中にある悪意でしょうから。
そうであれば、ますます「空」に徹する以外にないでしょう。
201(((@))) :01/12/24 10:36
その「空」からのプロセスが仏教の教えの中枢。決して難解じゃない。だからこそ
四諦のプロセスも、苦、集、道、滅。ではなくて、苦、集、滅、道。なんですよね。
だからこそ、道を「生きる」のは至難なんですよね。
202名無しさん@1周年:01/12/24 10:39
>だからこそ、道を「生きる」のは至難なんですよね。

そうですね。至難です。ましてやそれを指導原理として人を導くのに使うとなれば、自分が歩んだ道とは別の配慮が必要になるのかも知れません。
203変人:01/12/24 11:03
>>198
>「正しき仏教」とは「空」以外のなにものでもないかも知れない。

同意。とどの詰まりは、やはりあるところに集約されるかとおもうんですね。
「空」はベースの部分で、重要かと存じます。
ここのところを軽くみてしまうと、いくら経典を勉強しても、あまり意味がないかと思います。
204(((@))):01/12/24 11:19
人を導くには、導く人と、導かれる人の基本的合意が最重要課題ではないでしょうか?
つまり、約束。目に見える形で確かめられるような。この約束が疎かになった時、その
関係も疎かになしましょう。非常にデリケートな問題であるが故に、この約束は大切。
だから、基本的には自分自身で何かを行う時も決まり事で誓い、成就させる。それは全
てにおいて有効な方法でしょう。何しろ、そこでは言い訳が通リませんからね。
205変人:01/12/24 11:24
>>201
四諦の「苦」の認識が大事な気がしますね。
そこから「苦楽一如」「抜苦与楽」「煩悩即菩提」を繋げたいかと思いますね。
206名無しさん@1周年:01/12/24 11:43
約束事が大事なので、つまりはそこから戒律の問題がでてくるのでしょう。
207(((@))):01/12/24 11:50
203
人々が集まるところにおいては、その「空」にさえ基本的な事柄で確かめ合える
ようにするのが重要です。実は「空」は誰にでも分かるものだから。
「正しい仏教」は「空」そのものと言うより、「空」からの顕現ではないでしょうか?
だからこそ、「苦」を三法印で確認し、「集」を六根、六境で確認し、「滅」(空)を
待機説法で思い出し、「あっ、そうだった」と気付いて、実践である道(八正道)で修
正するのが仏教の教えなんです。気付いて修正する。これの繰り返しなんですね。
だからこそ、最終目的地である梵我一如のような境地に行くのが仏教ではなく(これな
ら、苦、集、道、滅となる)現実的な実践こそが仏教なので、苦集滅道。という具合に
最後に「道」が来るのではないでしょうか。解脱の感覚は誰にでも分かるものです。し
かし、現実、五蘊、六根があるのが生身の人間ですから、これを卒業するまで、道は続
くのが仏教ではないでしょうか。
208名無しさん@1周年:01/12/24 12:01
206>>207
>「正しい仏教」は「空」そのものと言うより、「空」からの顕現ではないでしょうか?

自分が歩いた道筋を後から記するとそうなるでしょう。しかしベースが無ければ無意味です。
209(((@))):01/12/24 12:26
206
そうですね。その通リです。だから、約束のできない状態では「導く」も「導かれる」
も成り立ちませんよね。だから「導く人」も「導かれる人」もここにはいないでしょう。
いるべきでもありません。そういう動機であれば、行くべき処は自ずと分かります。
ここでは、壇上檀家というような関係もありません。お坊さんもありません。お寺もあ
りません。その変わり混沌があるのです。
210名無しさん@1周年:01/12/24 12:35
208>>209

そうですね。全く同意です。
そして、その混沌(現実社会でもある)のなかに、
生きるきっかけを見つける人がいてくれることを願います。
211(((@))):01/12/24 12:43
ベースがなければ、無意味ですね。無意味な失敗を繰り返して、初めて分かる事
もあるのでしょう。それがベースなのかもしれませんね。

>自分が歩いた道筋を後から記すとそうなるでしょう。
四諦は私の作ったものではありません。
212(((@))):01/12/24 12:47
用事があるので、少し外れます。
213名無しさん@1周年:01/12/24 12:48
>四諦は私の作ったものではありません。

そうでしたね。
仏教徒ならみなさんご存じでしょう。
214変人:01/12/24 16:57
>>209
>ここでは、壇上檀家というような関係もありません。お坊さんもありません。お寺もあ
>りません。その変わり混沌があるのです。

禿銅ですね。この部分の「混沌」が非常に大事ですね。これがあって、後はボーダレス。納得。
215名無しさん@1周年:01/12/24 17:45
>>203
 >>「空」はベースの部分で、重要かと存じます。
ここのところを軽くみてしまうと、いくら経典を勉強しても、あまり意味がないかと思います

おいおい
言ってて恥ずかしくないのかよ(笑)
216名無しさん@1周年:01/12/24 18:41
>>215
おいおい、お前解説してやれよ。
まー、無理とおもうけど(w
「空」を知ってんのか?やって味噌?
217名無しさん@1周年:01/12/24 18:47
無理だヨ
「空」の概念の正確な把握なんて
仏教学者でも難しいじゃないだろうか。
218名無しさん@1周年:01/12/24 19:07
空=0

これが、基本。
219名無しさん@1周年:01/12/24 19:09
>>218
「空」は、「何もない」って意味じゃないよ。
220名無しさん@1周年:01/12/24 19:11

今日は、楽しいクリスマス♪
キリスト万歳!
キリスト以外に救いなし!
221名無しさん@1周年:01/12/24 19:15
>>219
空とはサンスクリット語でSUNYA(シューニヤ)という。
これはインド数学の0(ゼロ)を表す。
すなわち空とは0のことである。
これ、常識。
222名無しさん@1周年:01/12/24 19:18
>>221その仏教辞典なら、僕も待ってますんで・・(笑)
223名無しさん@1周年:01/12/24 19:19
>>222
どの仏教辞典にものっとるんちゃうの?だから常識。
224名無しさん@1周年:01/12/24 19:23
経典によって用例の違いがあるみたいですが。
225変人:01/12/24 19:24
>>215さんのおかげで、議論が面白くなってきましたね。
では、215さんはどうお考えですか?
「空」について・・。
226名無しさん@1周年:01/12/24 19:28
私は正直良くわからない。わからないて威張って言う事じゃないんですけどね。

いくつかの仏教辞典の重要部分を
そっくり丸暗記してるだけですましてます。
キリがないので
227名無しさん@1周年:01/12/24 19:30
>>224
空と言えば普通は般若経のそれを指す。
228変人:01/12/24 19:43
再度レス付けますが・・・。
> >>「空」はベースの部分で、重要かと存じます。
>>ここのところを軽くみてしまうと、いくら経典を勉強しても、あまり意味がないかと思います

ここのところは重要かとおもいます。異論がありましたらドウゾ
229名無しさん@1周年:01/12/24 19:55
>>228
きちんと経典を勉強すれば、空の重要性は自ずとわかる。

ここのところを軽く見てしまうのは、まったく経典を勉強していないからでは。
230名無しさん@1周年:01/12/24 20:02
「空」と言う概念自体を把握することが,
そもそも凡人には大変難解なわけですよね。これは難しいと言われている。

なんとなくこうではないかとか考えていても、それが正確かどうか解らない。

なのに経典を勉強する事が無意味であるだなんて・・。
それはさんざん経典を読んだ、よっぽどの達人の言う事じゃないかね。

なんだ?ツー感じだね





変人さんの発言に疑問を感じざるを得ない。
奇妙です。
231変人:01/12/24 20:09
>>229
そういうことも言えますね。
大事なところは、それなりに認識しませんといけません。
232変人:01/12/24 20:18
>>230
>なのに経典を勉強する事が無意味であるだなんて・・。

こんなことチットモ言ってませんよ。
233名無しさん@1周年:01/12/24 21:22
2ちゃんでマタ―リ行こうとしても、大概荒れますな
234変人:01/12/25 07:55
どうして「空」が大事なのか?
「不生」「輪廻」「解脱」。これらは「空」が底流にありませんと論じられません。
よって、空理空論にならない為にも、やはり重要かと思いますけどねー。どうでしょう?
235名無しさん@1周年:01/12/25 09:14
空の認識が無いと書物を読んでも意味がないし、書物を読んでも空の認識が得られる訳でもない。
まさにクリシュナムルティーの教えは実践できるか?ですな。
236変人:01/12/25 12:19
>235
まあ、そういう事だと思います。

例えば、レスの流れで感じたのですが・・
AとBを分別して論じている方が何人かいます。
これは「空」からすると同一なのですが、本人は気が付かない。
それが、誰それとはあえて指摘はしませんが、相当勉強している方だとは推察できる。
基本がありませんと、こういう結果になってしまうという、良い示唆を頂きました。
その方は「道すじ」だけ読んで、最後の部分を「空」で締め切らなかったんですね。残念でした。
237変人:01/12/25 20:43
>>230
>なんとなくこうではないかとか考えていても、それが正確かどうか解らない。

例えば私が「執着しない」とレス付ければ、それの意味は、否定でも肯定でもないんですよ。
いわば、全くその概念の範疇にないのですが、受け取る方は「否定」と受け止める。
ここがそもそもベースのところの見解が違ってくるのです。

例えばですが、私は「西田ひかる」と「山田花子」は同一と見てるんですよ。
しかし、えてして先入観のある方は同一と見ないで、差があるんじゃないか?と錯覚します。
ここのところは、仏教では九相をもって死後の変化を詳細に記して、執着の何たるか?を説いている。
喩えの例は悪いですが、2女性の実体は同一で異論はありませんか?
238名無しさん@1周年:01/12/25 21:12
変人さんへ
昨日,ずいぶん攻撃しましたが,お元気ですね。良かったです

上の書きこみですが、何を言ってるか意味がもうひとつ
よくわかりません。わたしの頭が悪いせいかもしれないけど。

「空」という概念をあなたは会得してるんですか?どういう方法によって
人によって手段は番うとして。
でも、仏典を繰り返し読むっていうのは、
最初に勉強を始める時に、誰しもが行う事なのにって疑問に
思っただけですよ。無理な事言ってないか?みたいな。
結局、何度も読んだり考えたりするしかないように思ったので。


思い出したましたが、ひろさちやさんの本に「空」とは、一言で言うと
「とらわれない事・・ただそれだけです」と書いてあった(と思う。)
ゆうめいな学者さんの言う事だから、それでいいのかもしれない。

よく考えたら、こんなトコで怒って、会話の邪魔する事もなかったです
すいませんね
じゃ、また
239変人:01/12/25 22:02
>>238
>思い出したましたが、ひろさちやさんの本に「空」とは、一言で言うと
>「とらわれない事・・ただそれだけです」と書いてあった(と思う。)

確かに、そういう言い方が適当かもしれません。
いうなれば洗面器に水をひき(世界)。そこに一滴(自分)を垂らした感じかもしれません。
拘りもなく、囚われもなく、一様に平均化され拡散した感じでしょう。
いたってシンプル。故にかえって複雑に解釈してしまう傾向があるのではないかと思う。
240名無しさん@1周年:01/12/26 00:39
混沌とした現世=苦
苦の全肯定=空ですか?
241変人:01/12/26 02:20
>>240
>苦の全肯定=空ですか?

空は「一如」相対する概念はありません。
感覚とすれば、239レスの如く世界と自分が一体になったような感じです。
ですから、本来ですと「苦」というのは無くていいのですが、そういう概念を持ってしまう。
それが二元的判断をしてしまう、現実世界の「無明」ではないですか?
それがそもそも「苦」と全面的に肯定しちゃう訳ですよ。
それを、「苦楽一如」と捉えていけば、「苦」の概念も更に変わってきます。
そういう捉えかたを、いわゆる空観と言ってますよね。
242通りがかり:01/12/26 10:00
「空」の議論にお役に立つかもしれないので。出典は忘れましたが、ある公案の焼きなおしから。
車の部品をひとつずつ外していくと、最後に「車」は消えうせます。さあ、「車」はどこへ行ったのか?

そもそも、「車」という概念は人間が作り出したものです。その実体は、車輪とか、エンジン
とか、ハンドルとか、機能を持たされた「材料」の働きがうまくシステムとして組み合わさって、
「車」としての機能を果たす。「車」はあるんだけど、個々の部品の中には「車」はない。だから、
部品の形にバラバラにすると「車」は消えます。これを称して「車」は「空」だ、と言うのだと
思います。

この世のすべての物体(動植物を含む)は、それを構成する材料と、それに与えられた機能によって
組み合わされたシステムになっています。私という人間が死んだら、私というシステムは消えますが、
部品は火葬場の煙となって他の動植物の材料に再利用されます。

「色」は、原則として材料(「空」)に機能を与える側の「もくろみ」があるので、どうしても「部品としての
良し悪し」などが問題にされます。人間が絶滅してしまえば、タイヤはただのゴムの塊で、車の部品と
して使おうという人間のもくろみに支えられて存在しているにすぎないのです。また、タイヤである限り
「良し悪し」はついて回りますが、ただのゴムに戻れば「良し悪し」から解放されます。
243変人:01/12/26 12:59
>>242
まあ、分かりやすく説明すればそういう事になるんでしょうか。
これを学問的に解釈して・・
一元論の世界か?不二元論の世界か?五蘊は?虚仮の自我は?無我とは?大悲大慈は?
というのを、こと細かく説明する事になりますが、言語の概念自体にそれぞれ差異はあって然るべき、
よって、それはなかなか互いに通じるのは困難を極めるのはある程度いたしかたなかろう。
ですからそれは、言語の範疇以外のところで、確固たる「信」を会得できる自分自身の精神世界を持つ事になる。
これだけは何としても、意思疎通は計れない範疇ということで、「侵すべからず」という事になると思う。
244名無しさん@1周年:01/12/27 02:23
真に侵すべからざるは「空」。
そして「空」の中にあっては自己という思いはない。
「自分の」精神世界が侵された、と感じているようでは「空」が分かっていない。
245名無しさん@1周年:01/12/27 02:44
空が伝達不可能なのは、自身が空になることはできても、空を言語化できないから。

まさに「問われたとき私は知らない」もの、それが「空」だから。

他の言葉は、ヴィトゲンシュタインが言うように、
約束事(ルール)を決めることで伝達可能。そしてそのための対話は有効。
246変人:01/12/27 06:31
>>244
>そして「空」の中にあっては自己という思いはない。

これは前のスレで私が言っています。即ち、学問的にはそう解釈も出来るが、想像だけでは「空」は語れない。
例えば「無」という概念が、全く「無い」のか?認識が「無い」のか?固有の存在が「無い」のか?
先入観だけで考えてしまうと、かえって魔境に陥ってしまいがち。
直覚?を「信」の中枢にすえ、そこから言語を選択し、その言語の意味するところが必ずしも各人共通とはなり得ない。
このところが最も重要です。ここを外すと空理空論に陥ります。

>「自分の」精神世界が侵された、と感じているようでは「空」が分かっていない。

ここのところは、「他人」の精神世界を「侵すべからず」という、自分への戒めとしてカキコしてある。

いずれにせよ「空」がファジーのものであるが故、それを解説する言語自体もファジーにならざるを得ないのは当然。
よってそこのところは、自分で顕現する以外に方法はないのではないか?と思う。
そうでないなら、言語による「定義」はもはや不可能である事を記したい。
247名無しさん@1周年:01/12/27 12:57
「問われた時、私は知らない」これは、まさに「空」の至言ですね。
時に、計らずとも伝わるものが「空」であり、緻密な計算の上でも
伝えることが叶わないもの。人間の思惟を超えるもの。
その次元にあるものを、それぞれの思惟で否定し合うというのも考
えてみれば、真珠を足蹴にしているようなことかもしれない。
248(((@))):01/12/27 14:35
現代ニヒリズムの根底にあるのは、結局のところ近代合理主義といったところでしょうか。
何でも、価値化、定量化、数量化、文字化、つまり、他人に分かるようにしないと気が済
まない。そういう処に重心を置いて、「空」を文字化しようというのも、ナンセンスなの
かも知れないな。

自分が居ようが居まいが、「世界」はどうってことない。影響はない。この辺の観念の
「世界」の重心がどこにあるのか?ということがニヒリズムに対し問われてくるのだろう。
言うまでもないだろうが、仏教ではその重心を「自分」とする。客観的な思考は、自分を
修正する時に用いるくらいではなかろうか。
例えば、植物などは面白いもので、一生懸命成長して、その果実を他にあげてしまう。人
間の合理主義で客観的にに考えれば、働いた給料をくれてやっているようにも見える。
だが、他に変える事の出来ない歓びがその命の中にあるのだろう・……
ここら辺がそうなのでしょう。動物も雌雄同体になれば、一生懸命子供を産み育て、それ
を惜しげもなく(人間の場合は惜しむが結局は)世界に放ってしまう。
学問的アプローチも重要であるけれど、それぞれが自然から学ぶもの。価値の客観化は困
難だし、他人への観念としての伝達も困難だが、そこには、もう一つの重要が確かにある。
249変人:01/12/27 18:42
>>247
>時に、計らずとも伝わるものが「空」であり、緻密な計算の上でも
>伝えることが叶わないもの。人間の思惟を超えるもの。

そうですね、ある程度の概念というのは各人共通にあると思います。

>>248
>何でも、価値化、定量化、数量化、文字化、つまり、他人に分かるようにしないと気が済
>まない。そういう処に重心を置いて、「空」を文字化しようというのも、ナンセンスなの

そうですね。こういった先入観が、かえって良い結果が生じないという事があるかもしれません。
いわば、こういった概念が当てはまらないですからね。
250変人:01/12/27 20:45
>>248
>他人への観念としての伝達も困難だが、そこには、もう一つの重要が確かにある。

私の中核をなすものが、ズバリここの部分かと思いますね。
「悟り」とか「解脱」とか、問題が飛躍する以前の最もベースのところですよ。
えてして、ここのところを飛び越して、「悟り」「解脱」云々しても空論になってしまうと思うのです。
私は、こう思っているのです。
各人各様、捉えかたは千差万別ですから、そこのところは何とも言えませんが・・。
251(((@))):01/12/27 21:41
250
そこの処が削られてしまうと、やはり人間、人生、どうしても醍醐味がなくなってしまう
と思いますね。客観的な世界や観念の正誤に押しやられて、抑圧された生命力は盲目の暴
走を始める事で、活路を見出すのかもしれない。この混沌をどう乗り切るか?表層の生命
である自我にとってはまさに死活問題。しかし、盲目的な暴走に同乗しても、その方向性
には自縄自縛の憂き目が当然の如く予想される。このことは、「空」や「解脱」を語り合
うのと同等に差し迫った問題だろうと思う。さて、如何に立ち向かい、迎え撃つか。
252(((@))):01/12/27 22:49
一つはやはり、経済社会に依存しなくては生きていけないシステムの中で生活
せざるを得ないのが、人間にとって一つのジレンマになっているのではないか。
釈尊の言葉を借りれば、托鉢生活は社会の最も下端の生き方だと言っている。
釈尊でさえ、空の器を持って祇園精舎に帰らなければならない時があったと言
う。釈尊なら、一度や二度食事を抜いたところでどうと言う事はないだろうが
空の器を持って帰るには、それなりの想いも動いたことだろう。仏典ではここ
で魔が釈尊に語りかけているが。
人間には健康な身体を維持していく為の食糧を得るのは欠かせない事だ。でも
食料を得る事は、概ね経済に依存している。しかし、生きる実感は三百円で魚
を買う事より、我が手で捕まえる事の方がリアルであろう。(取れない時もある)
人間、生活が楽な方がいいと言う思想には落とし穴もある。一度覚えた楽な生
活は中々捨て難い。分かっていながら出来ないと言うのもこの辺に理由がある
に違いない。イエスの言葉を引用すると「人はパンのみで生きるにあらず。神
の口から出る言葉による」とあるが、まあ、神の口から出る言葉の定義は別に
して、やはり、物理的な食料以外に精神的な満足が必要だと言う事だろう。
ただ、この種の満足が、いたい何であるのか?自然の道理から考えてみるのも
一つの道だろうし、伝統宗教の骨格から絞り出すのも道じゃなかろうか。
253変人:01/12/27 23:33
>>252
人間が「生きる」というのは、基本的には「食う」という事ですから、
「食う」ことが当たり前ですと、即ち「生きる」も当たり前になるのは必然。
この感覚が蔓延しますと、「生きる」こともさほど有りがたみは無くなりますね。
そうしますと、「生きる」ことは当然で、そこに付加価値を探そうと専念する。
こういう捉えかたをしますね。
私の考えは、最も基本的な「生きる」という事に焦点としたいのです。
「深く生きる」とは、こういった意味ですね。
ここを基軸としますと「悟り」「解脱」も違った概念になってきます。
この概念を大事にしたいと思っています。
254:01/12/28 02:39
よっぱらいながら、初めて訪問します。失礼があれば、お詫びします。
かなり、荒っぽくなりますが・・ごめんなさい。

>私の考えは、最も基本的な「生きる」という事に焦点としたいのです。
「深く生きる」とは、こういった意味ですね。

深く生きると、浅く生きるってどう違います?

>ここを基軸としますと「悟り」「解脱」も違った概念になってきます。

基軸があるんでしょうか? 悟りとか解脱とかいわれるものは
概念でしょうか?基軸に依存するものでしょうか?

すいません。失礼しました・・
255変人:01/12/28 07:38
>254
>深く生きると、浅く生きるってどう違います?

人間が「今日を生きる」というのは、ある程度の確実性がありますが、明日以降は確実性も徐々に希薄になります。
「生きている」こと自体、大いに意義あるものと思っています。
「生」がありませんと、感覚的には何もなくなってしまう訳ですから当然といえば当然なのですが。
当然であるが故に、いつのまにか忘却の彼方に逝ってしまうのではないでしょうか?

>基軸があるんでしょうか? 悟りとか解脱とかいわれるものは
>概念でしょうか?基軸に依存するものでしょうか?

ここのところは、先入観でああだこうだ考えてもドウショウモないと思うんですね。
それよりも「今」を深く洞察していけば、おのずと「感じる」ものが有るやに思います。
そういった考え方が一番理にかなっているかと思います。
初めからマニュアル化されているものではなく、それは自分で会得するもんじゃないかと思う。
「初めに答えありき」ではなくて、何もないところが出発点かと思いますね。
自分なりの答えを探し出すのが良いのかとおもいます。それでなければ「借り物」だと思いますね。
256(((@))):01/12/28 08:52
253
>私の考えは、最も基本的な「生きる」ということに焦点としたいのです。

私も、ここを外しては全てがズレてしまうとおもいますね。確かにここの
ところは理屈ではどうにもならない。己が身で、感じる以外ない。まあ、
この豊かな物資溢れる環境内では、それを日々実感して生きるのは至難か
もしれないが。一番簡単な入り口としては、暑い夏の日に、ちょっと身体
を動かして、水分を補給しないでいると、やがて水がなによりも欲しくな
り、そこまで我慢して飲んでいる時の感覚は、それに通じる感覚だと思う。
この意味で、苦楽ということを考えますと、自ずと「中道」に従うのが最
上の生き方だと、誰でも自然の道理で分かってくるのではなかろうか。
ただ、猛烈に喉が渇いた時には、思わず「がぶ飲み」してしまうものだが。
まあ、是は例えですが、がぶ飲みしては渇き、がぶ飲みしては渇きを繰り
返していると、分かってくるものがありますよね。

深く生きる。浅く生きる。というのは、単純にある問題に対するコミット
メントの質と量ではなかろうか?通常は特定の質で突き詰め、普遍的な量
を垣間見るのが常套なのだと思う。
257変人:01/12/28 11:49
>256
>この意味で、苦楽ということを考えますと、自ずと「中道」に従うのが最
>上の生き方だと、誰でも自然の道理で分かってくるのではなかろうか。

そうですね。基本的スタンスは「中道」ですよ。
「悟り」も「解脱」も、この中道をもって考えれば良いんで、さすればおのずと答えは出ると思いますね。
「悟りが有って良し」。「悟りが無くて良し」。なんだとおもうんですよ。
「解脱が有って良し」。「解脱が無くて良し」。なんだとおもうんですよ。
これがいわゆる「不生」かと思うんですね。
ですから「不生」がどうの、こうの言われても、すでに全てを包含してしまい、
それを超越しちゃったのが「不生」かと思うんですね。
「不生」は一見ニヒリズムに思えちゃうんですけど、全く違いますよね。
ここのところのコミュニケーションは非常に難しく感じます。
258名無しさん@1周年:01/12/28 14:53
257
>ここのところのコミュニケーションは非常に難しく感じます。
結局、ここのところは「何かに依って立っている」ような類の
ものではないが故に、伝達の手段がないのではなかろうか?
コミュニケーションというのは当然、「他」が有ると言う前提
で成り立つものですし、自他一如と言う如く「空」は皆同じで
あり、他は存在しないわけですから、ここのところを思案して
道理で考えるならば、ここではコミュニケーションは存在しな
いことになります。
コミュニケーションとは、自他分別の状態で行うものではない
でしょうか?
或いは、禅定瞑想中に無我の如き状態になった時も自我の状態
ではないので、この時何者とのコミュニケーションが可能でしょう
か?多分、無いと思うのですが。だから、内的な矛盾や葛藤もあり
ませんよね。只ただ、OOOの如きがあるのではないでしょうか。

思うに、物事にはやはり順序と状態があり、自他未分から自他分別、
自他一如に向かうのだと思います。目指すは、違いを分かっても拘りはない状態。
違い(差別)に痛み苦しみを感じても、それは「我がもの」ではないんだと。
つまり、苦にしろ楽にしろ何でもかんでも我がものとして飲み込んでしまうのは
心が貪欲の状態に捕まっているとまず、自分が知る事だと。
だから、コミュニケーションを考えるには、状態の違いと順序を弁えて
向かうのが智慧の使い処でしょう。コミュニケーションは、全く違うも
のとは叶いませんし、全く同じものとも叶わないはずです。だとすれば
最後は道理を尽くして話す。ここがコンセンサスになるのではないでし
ょうか。特に、この混沌とした場では、ものの道理以外、否定が待って
いるだけかもしれませんからね。
259(((@))):01/12/28 15:09
258は(((@)))です。
付け加えれば私の方は変人さんとコンセンサスは得られていると思っています。
ネット上なのでその制約を受けた上でですが。あの時は途中で離れちゃって済
みませんでした。
260変人:01/12/28 16:08
>259
「生」は無常ですが、瞬間々々は確実性をもって実感できますからね。
ですからそこを基軸とする。即ち「深く生きる」と称している訳なんですよ。
「無常」とは、本来そういう意味かと思うんですよ。
「生」へのリスクがあまりありませんからね、そこのところはなかなか実感としては湧かないとは思いますけど。
人類史においては、むしろ現代のような「安全」な時代は稀な方だと思いますね。
「安全」であるが故に、なかなか「生」への歓喜というのは湧いてきませんよ。
こういった事を、底流から掘り下げて深く洞察してみる・・。こういった事が「深く生きる」なのかもしれません。
えてして人間というのは、こういった事は改めて考えませんからね。
たまに考えると、また違った「ものの見方考え方」が構築されると思うのです。
基軸をどこに据え、どういう具合に「見る」か?ここのところが重要かと思うのです。
261名無しさん@1周年:01/12/28 18:37
>思うに、物事にはやはり順序と状態があり、自他未分から自他分別、
>自他一如に向かうのだと思います。目指すは、違いを分かっても拘りはない状態。

そうですね。自他未分化の状態と自他一如の状態は、似ているので間違えられます。
犬猫の無我(愚)と覚者の無我(愚)は天と地ほどの違いがあるでしょう。
その中間の自他分別の状態では、コミュニケーションが重要かと思います。
これを「ふれあい」と言い直してみてもいいかも知れません。
なぜか?
それはヴィトゲンシュタインが言うように、
言葉の伝達には約束事(ルール)が必要で、
そのルールは文化ごと、国ごと、地域ごと、世代ごと、サークルごとに違うからです。
日本では親の世代のルールでは、敬語を使って話すのが相手に対する礼儀であるのに対して、
子供の世代では、ため口を叩くのが、相手に対して違和感を持たせないための
礼儀なのかもしれません。
当然、たまに親子が会話をすれば、親は息子のぞんざいな口振りに礼儀を知らない、
という印象を持つでしょうし、子供は逆に親に対して、
うちの親父は頑固で俺のことを分かってくれない、と思うかも知れません。
しかし人間の本質がそう簡単に変わるはずが無いので、両者の言葉の使い方のルールが違うのだ、
と気がつけば和解できるはずです。
その意味で逆に頻繁なコミュニケーション(ふれあい)が必要なんでしょう。
また、空は伝達不可能ではありますが、同じ空観を味わった者同士なら理解は可能でしょう。
262名無しさん@1周年:01/12/28 18:59
>特に、この混沌とした場では、ものの道理以外、否定が待って
>いるだけかもしれませんからね。

言葉のルールが無いことによる混沌と、
機軸が無いことによる混沌とは別のことかと思います。
263変人:01/12/28 19:33
>262
>機軸が無いことによる混沌とは別のことかと思います。

酒鬼薔薇君の、いわゆる「透明な存在」。これがどうも引っ掛かるんですよ。
まさに「基軸が無い」とおもうんですね。
若年層に、こういった考え方が蔓延していますね。
「自分探しの旅」とか言っていますね。心がポッカリ空洞になった感じなのでしょうか?
根の深いものを感じますよ。
そういったことにおいて「深く生きる」は意義深いものがあると思うんですね。
264(((@))):01/12/28 19:50
260
>「安全」であるが故に、
国情と言うような、大きな枠、権力による外圧。こういう観点に立てば、確かに現代の安全
と自由は稀に見る時代です。でも、裏を返せば実はボディーブローを食らってるような危険
のある時代だとも思う。ある意味、気が付いたときにはデットポイントに立たされるような。
それぞれの人生の経験の中で、そのデットポイントに立ち、そこから何かを掴んで来たよう
な経験を持つなら、変人さんの言う「深く生きる」の意味は洞察できると私は思いますよ。
自我の行動原理が進退極まってそこから「何かが」出てくる。俗っぽく言えば火事場のバカ
力的なものでしょうか。大慌てで一度二度経験した位では気付く余裕はありませんが、何度
か繰り返す内に、真空地帯のような精神状態が見えてくる。
まあ、私の独断ですが解脱に努力は要らないという意見はこの辺から洞察しています。仏教
用語の解脱とは違いますが、善い方向性でキレた時が、私の言う解脱ですから。
誰でも咄嗟に人命救助などを行っている時は、善い方向性でキレた時なのだと思いますよ。
後で自分でも何故あのような行動を行れたのか、よく分からない訳ですよ。生死の迷いさえ
その時はない。ただ、やるべき事をやるだけ。ただ、このように必然に導かれたとは言え精神
の真空状態を自覚した人は、その後が大変なケースがある。禅病などもこの一種かと思われま
す。精神的な深みを探求する場合は、伝統仏教に依る確りとした指導を受けることが重要であ
るのは、この辺の理由でしょう。伝統の行法が伊達ではなく、そこが何なのか?どうすればい
いのか?が分かれば躓かずに済むのは確かなのです。
265変人:01/12/28 20:47
>264
>真空状態を自覚した人は、その後が大変なケースがある。禅病などもこの一種かと思われま

これはたぶん、空観にハマッチャッテそこから脱しきれないのかと思う。
いわば「空」への執着ではないのでしょうか?
これが長く続くと、たしかに頭が神経衰弱かなんかになるかもしれませんね。
これはなんとなくですが解る気がします。
自分なりのアイデンティティーというのでしょうか?そういうのも重要かと思います。
そして最も重要なのは中道かと思いますね。
中道とは即ち「良いあんばい」ということだと思いますね。
「良いあんばい」に始まり「良いあんばい」を貫く・・。これが大事かと思います。
266名無しさん@1周年:01/12/28 21:25
>ただ、このように必然に導かれたとは言え精神
>の真空状態を自覚した人は、

これは非常に難しいところですが・・・
座禅や偶然?などによって一時的にもたらされる空と、
ある種の見性体験によって自我のあり方が突破された後の空とでは違いますね。
空とは中道そのものですから。
267変人:01/12/29 08:35
「自死」「非行」「犯罪」の底流にあるのは、263レスだと思うんですね。
自分としては、こういった問題には関わり合いはないのですが、やはり大人の責任として
こういった事は考えていかなければならないんじゃないかと思っています。

「苦しみ」に喘いでいる方は、今直ぐにでも癒されたい訳ですね。そういう方は対処療法でも良いから
キッカケが欲しいわけですね。私のレスで何かのヒントになれば幸いです。
私にはなんでもないことが、ある方には「大問題」という事がありますからね。
そういう方は「深く生きる」どころではないんですね。「生きる」こと自体苦しいんですよ。
そういう方がおりましたら、私と一緒に考えてみませんか?気持ちは良く理解できます。
268衆生壱番:01/12/29 09:22
>267
「生まれて来たのは何―故さっ!教えて僕らは誰さっ!」そろそろホントのところを
教えてくださいよ、変人さん。
269変人:01/12/29 10:46
>268
>[生まれて来たのは何―故さっ!教えて僕らは誰さっ!」

「何故に生まれてきたのか?」「人生の目的はなにか?」。えてして新興宗教のキャッチフレーズに
良く使われますよ。私なんも思春期には、このフレーズに随分引き付けられましたね。
思春期特有の、ある普遍性をもったテーマであるとおもうのですよ。

私の考えをズバリ言うなら、回答は何も無いかと思いますね。
今生きていることを素直の受け止めて、どういう訳だか「生きている」。
「生きている」ということを「自覚する」。これで良いとおもうんですね。
ただそれだけで、こころの奧底から「感じるもの」があるとおもうんですよ。
この「感じるもの」は自分にしか解りませんから、説明のしようがないですけど、
確かに感じるものを洞察していくわけですよ。それで充分だと思いますね。

貴方だけが生きているのではなくて、周りの全てが生きている訳でして、
その一端を貴方が担っている。ということだと思うんですよ。ただそれだけだと思うんですが、
でも、よくよく考えてみますと甚深たる感慨はありますよ。
「空」が摩訶不思議でして、貴方も摩訶不思議。それで良いかと思いますね。
それを会得できれば、それが全てかと思いますよ。
270名無しさん@1周年:01/12/29 18:10
>>269
自分の感じた事を言葉にするのは可能だけどね。
271変人:01/12/29 19:02
私の289レスの答えをカキコしましょう。
>>[生まれて来たのは何―故さっ!教えて僕らは誰さっ!」

そもそもこの発想は「不死不滅」の概念がその発端とおもわれます。
この概念を超越しているのが「世界」かとおもいます。
人間の存在がどんな意味が有ろうと、無かろうとさして問題に非ず。
これを全て超越しているのかと思いますね。
これを「感じる時」。初めて「眼が覚める」状態になるかと思います。
これを、いわゆる「気付き」かと思う。
272名無しさん@1周年:01/12/29 20:51
271
>そもそもこの発想は「不死不滅」の概念がその発端と思われます。

昔の青春ドラマの主題歌にあったぞ。「生まれてきたのは・・・・」
でも、「不死不滅」と般若心経の「不生不滅」って同じ意味でない?
273変人:01/12/29 21:36
272
>「不死不滅」と般若心経の「不生不滅」って同じ意味でない?

「不死不滅」→「不生不滅」。やはりプロセスはあると思います。
「不生不滅」が肝要だと思いますよ。
これが全てを包含せしめるなら、すでに案ずる事非ずだと思いますね。
ここに全部集約されると思いますね。
悩みぬいて、そしてここに到達するのが一番ベターだと思います。
274名無しさん@1周年:01/12/29 21:47
あほくさ
275変人:01/12/29 21:56
274
全く悩まないんでしたら、それで良いかと思いますよ。
276変人:01/12/30 06:09
年の瀬になってきました。
今日あたりは、神棚を掃除し心新たにするのが良いかもしれません。
仏教の中道とは、中庸、寛容に通ずるのかと思います。
執着もまた中道、拘りもまた中道。中道に始まり中道に締めくくる。これが道なり。
さりとて、中道に徹するのもこれまた「拘り」。
一年の総括としまして、こういった事を考えてみるのも良いのかもしれません。

除夜の鐘が、どういった心象で聞こえてくるのか?
すべて己の心次第。こればかりは正直であります。
277名無しさん@1周年:01/12/30 09:33
「中道」、「中道」と言うのは分かるけど、中道とはなんですか?
何故そんなに中道がいいのですか?

>中道に始まり、中道に締めくくる。
中道は何に始まり、何に終りますか?
278変人:01/12/30 11:03
>277
>中道は何に始まり、何に終りますか?

道を極めんと欲せば、また即ち是執着になりて、そのとき気付き。
極めんとは何ぞや?を解すなり。
その道を、また再び歩きそうらえば、是また執着となり。それを解すなり。
えてして、それも即ち執着なり。
この心非ずところが、是宜しかろに思う。
是即ち、中道が道なれど、これ全て無きところが中道の本髄かと思う。
ようするに、中道の心無きをもって「中道」とす。
279変人:01/12/30 11:11
277
>何故そんなに中道がいいのですか?

中道が良いという訳じゃなくて、やはり最終的に到達してしまうのですよ。
「理」にかなったものは、意識せずともそこに帰結点があるのではないでしょうか?
さように思っております。
280菩提樹のこかげ:01/12/30 11:37
過激な修行も無用 とお釈迦さん、気ぃ付いた〜。 なんでも「過ぎたるは、及ばざるが如し」ってね。   
281名無しさん@1周年:01/12/30 12:05
煩悩即菩提について私の体験を一言…
私は今まで自分の中の様々な欲望や感情にさいなまされていましたが、
ある時、「煩悩を排斥して悟りを得ようと思わず、煩悩と共にあれ。煩悩
を煩悩と思わず、自分の中の外的・内的進歩に至るための必要な変化の過程
と思え。そして悩みと共に、感情欲望と共にあれ。」という声なき声が聞こえ
ました。そしてその声に従って瞑想を続けていましたら、欲望や感情に今まで
以上にさいなまされなくなりました。むしろこれらは私にとって必要な意味の
あるものなんだ、と自然とそれらを受け入れられるようになりました。
私は、煩悩即菩提の意味は、自分の心の中の好ましくないものに対して
「これが煩悩だ。」と決めつけてそれらを排斥しようとするのではなく、自分の
中の大事な一部分として、それに敵対し排斥しようとする思いを捨てた時、感情や
欲望が必要以上に私を悩ます事が無くなる事だと思いました。お釈迦様が菩提樹の
ほとりで最後の瞑想に入られた時、天魔外道が煩悩の矢を放ったけれども、全てが
お釈迦様の近くで花びらに変わってしまった、という話を聞いた事があるのですが、
その真意をどなたかにお聞かせ頂ければ幸いに存じます。
282(((@))):01/12/30 14:50
>281
>その真意をどなたか・……
ずいぶんと難しい質問です。誠実に答えれば「分からない」にならざるを
得ない。まあ、私なりの意見で受けてください。
一言でいえば、水と油の関係でしょう。いくら油が水になりたくても油は
水に成りませんよね。つまり道理として受け付けない。
この道理を前提として話しましょう。例えば、愛情と憎しみは表裏一体の
関係ですよね。でも、同じものではありません。明らかに幸不幸を分ける
ものです。人は愛の行為と憎しみの行為を見分ける事が出来ます。何故な
ら、違う結果を導くものだからです。さらに、愛情の中に心がいる時と
憎しみの中に心がいる時では、見えるものも薔薇色と灰色に変わりますよね。
心が、愛情で満たされている時などは、灰色も薔薇色に見えるものですよね。
あなたが非常に慈愛深く、波風の立たない非常に安らいだ心の時、煩悩は一体
何に見えるでしょうか?怨念沸き立つ仇敵に見えるでしょうか?
283(((@))):01/12/30 15:21
279
禿同。
278
変人さんは時々口調が面白くなりますね。ああいう文面で書く時は
何か気分的に特別なものがあるのですか?
変人さんの中道は、私の解脱と同じみたいな感慨がありました。
変人さんの解脱とは如何に?
284変人:01/12/30 16:58
283
>何か気分的に特別なものがあるのですか?
その時の気分によって、色々口調が変わります。あまり意識はしないのですが・・。

>変人さんの解脱とは如何に?
「解脱が有って良し、無くて良し」。更に進みまして、その概念さえも「そこに無し」。
まあ、こういった感じでしょうか?
285名無しさん@1周年:01/12/31 02:43
>>281

なかなか興味深いですね。
私の見解では、煩悩と菩提は全く同じものです。
正式な仏教でこれをどう説明するのか私は知りませんが、
私なりに日頃感じているところを説明してみましょう。

煩悩と菩提はもともと同じものなのですが、
煩悩においては、そのあり方が外に求める形で表現されています。
ただし、一口で「外に求める」と言っても、
その求める方向性(ベクトル)は2種類あり、
それが肯定的な方向性(ベクトル)を持つとき、
それは愛憎の「愛」であったり、好き嫌いの「好き」であるように観ぜられます。
対してその求める方向性(ベクトル)が否定的なものであるとき、
それは「憎」や「嫌い」という感情として感じられるでしょう。
286名無しさん@1周年:01/12/31 02:44
つまり、煩悩が「求心的な求め」となる場合は愛で、
「排他的な求め」となるときは憎、という感じですね。
まとめると、煩悩自体は、何というか一つの「エネルギー」で、
それが外側に何かを求める形で出ていくときに初めて煩悩と呼ばれるものになる、
という訳です。
ではなぜ、そのエネルギーに、何かを求める力が働くのか?
ここがいわゆる「執着」のなせるわざのように観ぜられます。
だから仏教では執着を絶て、と教えるのでしょうね。
ただし、エネルギーが低い状態、いわゆるやる気のない状態では、
煩悩もない代わりに菩提もありません。
そこで伝統宗教のほとんどが、宗派などにもよりますが、
そのエネルギー状態を意図的に高めるために禁欲を説くのでしょう。
もちろん色欲が悪いことだからではありません。
そしてそのエネルギーが執着によって外に漏れないときに、
深く自己の核心を貫く洞察が訪れるでしょう。
そしてその見地から見ると、
愛も憎しみも同じものの2つの側面にしか過ぎないことが分かるのです。
これが苦楽一如の意味でもあります。
これが分かって初めて、
愛でも憎しみでもない「大悲」のなんたるかを実感できます
苦でも楽でもない「安らぎ」のなんたるかが分かります。
そしてこの見地がしっかりと自分のものとなった人は、
煩悩にも菩提にもこだわらず、の心境になっていきますが、
初学の修行者は、まずしっかりとその見地が身に付くように、
執着を絶つ努力はすべきだと思いますよ。

#一瞑想者の戯れ言でした。
287名無しさん@1周年:01/12/31 03:02
変人は、にちゃんに対する執着を絶つために、一ヶ月くらい禁にちゃんしたらいいかもな。
執着心があるから無理だろうけど。
288ポンピドゥーセンター:01/12/31 03:38
いやーーおれなんか今日3時間くらいさいころの目を
ひとりであててたよ。なにがおもしろないって
おもしろのうておもしろのうて
明日宝くじみるけどな。
289ポンピドゥーセンター:01/12/31 03:57
田代におけるパンツの見えかたと
林家ぺーにおけるパンツの見えかた
その功罪も考えてみたい。
290変人:01/12/31 04:32
>>286
>愛でも憎しみでもない「大悲」のなんたるかを実感できます
>苦でも楽でもない「安らぎ」のなんたるかが分かります。

充分納得できます。「一如」は超越したものだとは思います。
291名無しさん@1周年:02/01/03 16:17
>>290
昨年は、充分眼が覚めましたよ。
今年は、より一層の活躍を期待しております。

私は、今年から少し仏教を勉強してみようかと思います。
宗派に属せず単独で・・・。
292変人:02/01/03 19:32
>291
謹賀新年
貴方は、今年ラッキーな年かもしれませんよ。なんとなく予感がします。

「一切皆苦」というのがあります。
「いやーそんな事は無い!」と、我見を持ってしまいがちです。が、しかし・・
ここのところは、全て全面的に受け入れる事が肝要かと思います。
そうでないと、本当の意味は解りません。
ダルマは、そうであってこそ深いところに到達できるかと思います。
真剣になって洞察して下さい。それでこそ読み取れるかと思います。
293ROMな人:02/01/04 00:18
足跡sage
294変人:02/01/04 01:12
>291
ダルマとの出逢いというのでしょうか?仏教的に言うならば「仏縁」。これは歓びであります。
私は「生死一如」という熟語がとても嬉しかったですね。
うまく言葉では説明できないものが、この熟語で全て表現できますからね。感動でしたよ。
そういう魅力というのはありますよ。
人間はですね、一つの熟語であっても救われるのですよ。そういうものです。
ダルマとはそういうものだと思いますね。

まあ、そういうことですから今年は素敵なダルマと出逢って下さい。
ダルマは、貴方の心を見通しております。
それが解った時、初めて貴方は純真な気持ちで「帰依」できるのです。
「帰依」とは、そういうもんだと思いますよ。それでなきゃ〜本物ではありません。
295変人:02/01/04 18:57
「悲しい」とか、
「寂しい」とかのスレが最近目立ちますね。

感動する事があまりないのでしょう。
そういうことがあると、没頭できるのですが・・
唄を忘れたカナリヤ。そんな感じなのでしょうか?
私は憂慮しております。
いずれ、こういった事を真剣に考えてみたいと思います。
296名無しさん@1周年:02/01/07 11:18
>>295
自分なりに、仏教を生活の中に取り入れ、それだけでも随分ライフスタイルが変わりました。
私は、裏山に庵を造りましてね、そこに引き篭もっております。
2ch的に言うなら、ヒッキ−というのでしょうか?
そこで、しばらく内観して見たいと思います。
どーでもいいけど、いくらかハマリますよ。あはははは。
297変人:02/01/07 16:39
>>296
「方丈記」を思い出してしまいましたよ。
時間に追われる生活からすると、随分リッチな生き方だと思いますよ。
清貧生活において「心の豊かさ」を追求する。こんな文面がありましたね。
「心の豊かさ」を、もう一度考え直す良い機会になって下さい。
陰ながら応援していますよ。
298変人:02/01/09 11:15
寒山の「貧道人」。

    身貧未是貧    神貧始是貧
    身貧能守道    名為貧道人
    神貧無智慧    果受餓鬼身
    餓鬼比貧道    不如貧道人

    身体が貧しいからといって それではまだ貧乏ということにはならない
    精神までも貧しくなったら 初めて本物の貧乏と言える
    身が貧しくとも道を守り切れる者を 貧道人と呼ぶのだ
    精神が貧しく智恵もないということになれば 餓鬼に生まれ変わるぞ
    餓鬼と貧道を比較してみよ 貧道人ほど立派なものはない

   
299変人:02/01/09 11:49
茶道における「わび}とは、
満たされない不自由な状態において、反対の自由な拓かれた境地を目指すのですね。
「禅」における「一期一会」。
葉隠れの「武士は死ぬこととみたり」の無我。
これにも通ずるかと思います。
風流の中にも「奥深さ」を感じます。
300名無しさん@1周年:02/01/11 22:47
無我を否定し「近代的自我」を礼賛したのが日本の戦後民主主義。
お陰様で仏の教えは廃れ、武士道は死に絶え、その代わりにアメリカという神が
降臨し、グローバリズムやら人権思想やらといった説法を日本人は毎日有り難く
拝聴して、その教えに従わぬものはいつの間にか外道扱いされることとなった。
教えの甲斐あってか、女子供は荒れ狂い母親はわが子を殴り殺し、茶髪汚ギャル
の跋扈する世の中で、男は惨めな虫けらとなって智慧もなく無力に働き続け、
最後は痴漢で捕まり日陰者として生涯を終える人後を絶たず・・・ 南無三法。
301名無しさん@1周年:02/01/11 22:51
仏教徒はその間、何をしてたんです?
結局立ち向かえなかったって事か?
302変人:02/01/11 23:07
日本における「恥の文化」は、道徳の礎でしたね。
「世間に後ろ指を指される」。この言葉は死語になってるんじゃないでしょうか?
今思えば・・・。その頃から日本は変わって来ましたね。
303神仏:02/01/11 23:18
誰からもいい人と思われる人が、何か災難に巻き込まれたり、不治の病に犯されたりしたとき、キリスト教徒は「これも神の御心なのか」と思うのでしょうか。
仏教では、前世の因縁と思うことでしょう。
だから、仏教ではいつも慎み深く自暴自棄になりにくい。
キリスト教徒は、神の御心と受け入れることはよっぽどの人でないかぎり難しく、自暴自棄になる人が多い。
304名無しさん@1周年:02/01/11 23:20
何の話してるんだ?仏教が葬式仏教と言われるまで
堕落しちゃったのは、仏教徒にも責任があるんじゃないかと言ってるだけだ
305300:02/01/12 03:39
>301
立ち向かった人、立ち向かわなかった人、いろいろいるだろうが
何の因果かこうなった。
そう認識した。私がした。私が認識した以上私が堕落せしめ破壊したのである。
それとも彼らのしたことと私のそれに何か異があるのだろうか?

また異あることなし。しかも諸々の愚夫は顛倒して覚するに由りて、
諸々の影像において、如実に唯だ是れ識なりと知ること能わず、顛倒の解を作す
                               「解深密教」
306変人:02/01/12 08:11
>>303
同意
>>305
う〜ん。良い事書いてありますね。
伝統宗派については、少し認識を変えないといけないかもしれない。
つまり・・・。市井の方々相互のコンセンサスという一面もあるからね。
一概には論じられないかもしれんね。

歴史からしても、体制に順応しつつどうにか生き延びてきた・・
それに「甘え」がでてきたのが「堕落」の要因だね。
自ら厳しくしないと、まあこういうことになってしまうんかもしれないね。
いまの官僚と同一なものだと思う。
やはり人間、弱い部分はあると思うよね。
307名無しさん@1周年:02/01/16 02:13
age
308名無しさん@1周年:02/01/18 03:24
age
309名無しさん@1周年:02/01/22 05:35
afe
310名無しさん@1周年:02/01/22 05:37
ase
311田舎味噌:02/01/27 17:22
今後はメイ牛山と仏教を語っていきたいと思う今日この頃。
312名無しさん@1周年
このスレも落ちそうだったが、いいのかい?