どうなのさ?
3 :
名無しさん@1周年 :01/10/07 22:25
聖書や新宗教の批判が特徴のようだけど、 これといって思想的に見るべきものはないかと。
4 :
名無しさん@1周年 :01/10/07 23:24
>>3 >これといって思想的に見るべきものはない
そうかな?
なかなか鋭い指摘が多いと思うけど。
既成宗教信者からの反論の方が明らかに負けている。
それに、聖書や新宗教への「批判」というよりも、単に
「矛盾」を指摘しているに過ぎないと思う。
どの文章を見ても冷静に各教義を吟味しているのが
覗われ、反論をしている側の感情的な文章とは好対照を
なしている。
結論として、彼は宗教に反対しているのではなく、
真理とはなにかを、彼なりの仕方で追求しているような
印象を持った。
いじめられっ子の自殺についての考察はいただけません。
>>5 さっそく、いじめ問題に関するページを見た。
確かに、やや首を傾げざるを得ない部分もある。
佐倉氏の書いた文章の割には、言葉足らずな処が
その原因の一つだろう。
マスコミの報道の仕方が、自殺の再生産を促す
側面もあるとの箇所は、当たっている面もある。
そもそも、テレビなどのマスメディアの制作者は、
視聴率とか部数の増加を優先するあまり、子供への
影響に目を瞑っているように見うけられる。
ただ、それだけが原因ではないのは勿論。
俺(40代)の小中学生時代にもいじめはあったのは
確かだが、現在ほど陰湿ではなかった。
今では、企業内、すなわち大人社会でも、いじめは
あると言う。
まったくいやな世の中になったものだ。
もっとも、この日本には、昔から「村八分」という
集団無視が存在していたという。
佐倉氏には、その辺も含めて、この件に関する考察を
深めて欲しいところだ。
7 :
名無しさん@1周年 :01/10/08 00:43
>>4 鋭いと思っているだけで、宗教に対する無知丸出しの恥知らずな人間だという印象を持った。
8 :
名無しさん@1周年 :01/10/08 01:23
>マスコミの報道の仕方が、自殺の再生産を促す >側面もあるとの箇所は、 って、幸福の科学が昔言ってたことと同じような視点だけど、何なんだろう。
批判が多く中身がないという左翼主義者にありがちな人
10 :
名無しさん@1周年 :01/10/08 01:42
ここで佐倉氏批判してるのは幸福の科学の信者ですか??
11 :
名無しさん@1周年 :01/10/08 01:56
昔は、「切腹」というのがあったけど、 あれも自殺のようなものかな。。
>>7 確かに宗教には入った事がない為、詳しい訳ではない。
でも、佐倉氏の論文と反論を読み比べた結果、冷静な分析
と一見感情を押さえているように見え、その実、痛いところ
をつかれ感情丸出しで狼狽している様が見え、あのような
感想を書いた次第。
人間、「ずぼし」を突かれると、客観的な思考ができなくなる
ものだ。
特に、「聖書の間違い」は秀逸な論文と考える。
その反論の中に、「聖書の間違い」とのタイトルを「聖書は間違い」
と読み違えているものがあった。
この場合、「の」と「は」では全然違う。
前者は、聖書の一部に含まれる誤りを指すのに対し、後者は
聖書前半の論理性を否定している。
まあ、そんな事は、通常だったら誰でも判ること。でも、
何かに引っ掛かったんだろうね。熱くなっている人は。
おそらくは、自分自身の潜在意識の中でも疑問に思っていた
事ではないだろうか。でも「信仰」ゆえ、それを抑圧して
いたため、佐倉氏の指摘により、それが顕わになりそうに
なったため、強く反応したのでは。
とはいえ、今回色々読み直してみると、素直にうなずけない
論文も幾つかあるな。
例えば、米国テロに関するものなど。
13 :
名無しさん@1周年 :01/10/09 17:20
>>12 >とはいえ、今回色々読み直してみると、素直にうなずけない
>論文も幾つかあるな。例えば、米国テロに関するものなど。
たしかに理論は切れているようだけどね。
それ以降のことに考えが及んでいるんでしょうか、と思う。
14 :
名無しさん@1周年 :01/10/14 05:28
ここのBBSで渡海難がデビューした。
15 :
名無しさん@1周年 :01/10/14 23:23
佐倉さんは凄いぞ あんな人はなかなかいないよ
16 :
名無しさん@1周年 :01/10/14 23:25
たしかにいないわな・・・
>1それやったらぽむちょきんなんとちゃうんかい? こたえてみろや それに佐倉さんはあ天地目歩王修行をおさめたんやぞ
18 :
佐倉哲って、どんな人さ? :01/10/15 01:05
虐め自殺に関しては、自殺者に対してひどく冷酷だ。 本人は冷酷なつもりもないだろうけど。 えてして自分の得意分野ではすばらしいこといえる人でも、 ひとたび得意分野ではないが、なにかしら関心持った場合の発言には、 とんちんかんなこという者は多い。
論理が破綻して完全に逝っちゃってる、真性のキチガイにまで、 まともにレスを返すことはなかろうに。 よくそんなのにまで付き合うものだと感心することがある。>佐倉哲
20 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 02:04
佐倉哲って、世間では認められてないけどね。 最近のカルト診断してる学者やジャーナリストと同レベルじゃないかな。 思想を著せば受けるかもしれないけど。
佐倉徹ってポンドボール文化賞を受賞したんだよね ねまきをあおって、たばこをすって、瞑想にふけって パラメイラスちっく
22 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 02:13
ポンドボール? ボーリングでもやってるのかね。
23 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 02:16
なかなか勉強しているなあと思う。 90%はあっているけど、10%で間違っている。 正しい事をいっている90%が10%の間違いを正当化させている
24 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 02:18
>おそらくは、自分自身の潜在意識の中でも疑問に思っていた >事ではないだろうか。でも「信仰」ゆえ、それを抑圧して >いたため、佐倉氏の指摘により、それが顕わになりそうに >なったため、強く反応したのでは。 これは幸福の科学の信者の反応にもあてはまるね。
25 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 02:19
>>23 つまり佐倉氏がほとんど正しいことは認めざるを得ないが
教義の否定については認める訳がいかないという訳だね。
26 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 02:28
正しいというか、、「普通の人が思いつきそうな事を言っている」 という意味で正しいのかもしれんけど、ただそれだけ。
ニーチェかぶれはいかがなものかと思うときもある。
28 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 02:53
>>27 そうそう、いじめ自殺は、ニーチェのキリスト教ルサンチマンのパクリ。
キリスト教のような強者じゃなく弱者に適用した時点で間違いであるし
日本の村八分など固有の問題も考察しないなど、オリジナリティもなし。
29 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 02:53
ニーチェ、ヴィトゲンシュタイン、カント(というより新カント派) じゃー視野が狭くなりそうだよね。
30 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 03:46
ネットで 佐倉教徒をたまに見かけるから恐ろしい。
31 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 06:22
>>30 佐倉教徒?
そんな人、見た事ないね。
具体的にどこで見掛けたの?
佐倉さんのいじめについての論評を読んでみましたが、マスコミでは取り上げられ ない内容でした。死者を美化する日本の風土には合わないですね。しかし、 だからこそ、哲学者には相応しい内容ではないでしょうか。 耳を傾ける価値はあると思います。 私は宗教者として、彼の宗教批判には共感しません。彼は教理の論理的矛盾をつ くだけで、人間精神における宗教の肯定的役割については触れようとしません。 全体的視野が掛けているのではないでしょうか。 しかし、佐倉さんのような視点があることも知っておくことは大切です。 宗教も批判されなくなったらお終いです。批判があるからこそ、信仰も熱心 になるのであって、批判することを批判するつもりはありません。 読んでみる価値はあるでしょう。
33 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 09:53
>>32 >人間精神における宗教の肯定的役割については触れようとしません。
いや実益欲求という名で十分触れられていると思うが、、、
つまり「信仰という名の幸福」を得ることで「真実を見極める目」を失うが
信仰者が「事実を知っている」のではなく「宗教の教義をただ信じているに
過ぎない」ということを理解し、それを「絶対的事実」として世間一般に押し付け
ない限り、信仰の存在は許容しているように思われる。
つまりオウムや統一などで明らかとなった「盲信や軽信に対する警鐘」が
彼の主張の根本なのではないか。
正直「真実」に対して非常に謙虚に正面から向き合う態度には頭が下がるし
大変勉強になった。
>23,25 その10%を佐倉氏に提言してみて、偏見なく議論に応じてくれるなら、佐倉氏は 本物ということでしょう?私の持っているイメージは、そういう謙虚さを持たれた 方だと思うけど。 医者に「あなたは不治の病にかかっている」と言われて、その根拠を碌に確かめも せずに、「あの医者は○○医大の出身だからヤブだ」と即決するような態度はいかが なものだろうか。その人が嫌悪しているのは「不治の病にかかっている」という事実 の方で、そのルサンチマンから医者を「いじめよう」としているのではないかい?
35 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 11:00
>34 あんた、佐倉とちゃうか?
36 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 11:34
自殺者を英雄視するな、というのは幸福の科学の説ですね。
>35 ほらほら、そういう態度がルサンチマン。あなたの気に食わない意見を書く人間は みんな「佐倉」に見えるんだろ?コントロールしやすい、ビンラディンが好みそう な性格だ。
38 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 15:09
佐倉氏の前では幸福の科学はすでにこっぱみじんですね。
39 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 15:14
>>38 それでも幸福の科学に対して魅力を感じている人達の信仰を止める事は
出来ないだろうと思う。
信仰してもいいと思う。何でも。「自分は神様(もしくは仏様)を信じている
けれども、実は神様(仏様)について『何も知らないんだ。』」という事さえ
自覚出来ていれば。あと、そのような信仰を人に強制さえしなければいいんじゃ
ないだろうか、とも思う。
40 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 15:25
他人に強制するな、と宣言するということは、とりもなおさず 自分が誰かや何かを全否定できないし、しないという制約を受け入れる ことでなければならない。でなければ、自分だけが特権者であろう。
41 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 16:24
>>40 そうそう、その辺りなんだよね。
佐倉氏の言動で矛盾を感じるのは。
>>41 彼は自分の土俵の上でしか戦わないだけだろう。
43 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 16:40
>>40 でも、佐倉氏は神とか霊とか目に見えない、実証出来ない存在に関しては
「いるかいないか、わからない」とは言ってるけれども、完全に「いない」
とは言ってないし、聖書や幸福の科学についても、懐疑を持たずにはなから
聖書や幸福の科学の説が「正しい」と盲信してしまう事は危険なんじゃないの、
と説いているように思いましたが。イエスやモーゼに語り掛けた「存在」の
全否定は彼はしていないから、別に良いんじゃないかな、と思います。
44 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 17:01
要は自分で考えようってことで。分かりやすいたたき台としては 一般向きでいいかもね。
45 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 21:51
さくらたんはぁはぁ
43さんに賛成。佐倉氏のもの言いに「目くじら」立てる人は、佐倉氏に自分の「盲信の構造」 の図星を突かれている点に、無意識な反感を買っているだけさ。それこそがルサンチ マンなんだがな〜。既存の宗教に「思い入れ」がない私とか、43さんが冷静な判断を くだせるというのが、その証拠だよ。佐倉氏のルサンチマン批判(しかも正当ではない、 感情的なもの)そのものが自分のルサンチマンから出ていることに早く気づくべし。 そもそも、2chでのカキコを通じて、自分の先入観に囚われない客観的な真理を追究 するというための議論じゃないの?価値観が異なる人から叩かれて初めて意味があると 思うんだが。少なくとも私は叩かれる(あるいは他の価値観の叩く)ことを目的に書い ているつもりだよ。ネット上で批判を封じ込み、自分の盲信を酷くしてどうすんだよ〜。
47 :
名無しさん@1周年 :01/10/16 11:19
>46 自画自賛か佐倉。
佐倉教徒って低能
49 :
名無しさん@1周年 :01/10/16 21:51
47=48=1 おそらく議論で滅茶苦茶に論破された幸福の科学信者
50 :
名無しさん@1周年 :01/10/16 21:56
>49 外れー 人間は誤るものだと再認識した。
>>50 即座に反応するところがますますあやしい。
幸福の科学信者でなければおもしろいことになったと
放置するからね。
52 :
名無しさん@1周年 :01/10/16 22:12
キリスト教批判してるし、あまり良く思ってない人は多いでしょう
53 :
名無しさん@1周年 :01/10/16 22:16
49=佐倉教徒 ぷ
54 :
名無しさん@1周年 :01/10/16 22:19
佐倉氏のルサンチマン批判って、結局、 佐倉氏はニーチェの言説を真似てるだけなのか。
55 :
名無しさん@1周年 :01/10/16 22:24
「ルサンチマン批判」って言っても、 結局、そういうことも言えるけど、 それだけではないってことに尽きるな。 そんな感じです。
56 :
名無しさん@1周年 :01/10/16 22:39
57 :
名無しさん@1周年 :01/10/16 22:43
降伏の価額の信者はいつも自作自演ばかりだしね。 ほんと鼻つまみものだよ。
58 :
名無しさん@1周年 :01/10/16 22:43
59 :
名無しさん@1周年 :01/10/16 22:51
やっぱ宗教やってるやつらの考えは単純だ。 推論を放棄して論点先取かよ。もちろん、推論規則さえ 知らぬのだろう。だから基礎教養開陳されるだけでくらくらしちまう、と。
個人的にはエホバの証人との関係が聞きたいのだが、この件に関しては 口がかたいようだ。ただ、全く接点がないであろう幸福の科学について もクソ真面目に考察しているので、エホバとも大した関係はないのかも 知れないが。
61 :
名無しさん@1周年 :01/10/16 22:57
別に嫌いではないけど、なんとなく否定的に突いてることばかりで、 肯定的な主張がないような。 佐倉氏から見れば、ヘーゲルとかは駄目なんでしょうね。
62 :
名無しさん@1周年 :01/10/16 22:58
ヘーゲル知らんと思う。
63 :
名無しさん@1周年 :01/10/17 07:53
佐倉哲って、だれさ?
64 :
名無しさん@1周年 :01/10/17 20:55
>>61 投稿する相手があまりにトンデモ主張だからそうならざるを得ないのでは?
65 :
名無しさん@1周年 :01/10/17 21:34
プラトン、アリストテレス、デカルト、ヘーゲル、ハイデガー辺りを 勉強してくれれば、ちょっとは変わるかも。
66 :
名無しさん@1周年 :01/10/17 23:07
私は、佐倉さんが、神学校で教師をしているある牧師先生と対話している時の応答を見て、 佐倉さんの稚拙さを感じました。その先生がこのようなことを言いました。佐倉さんがいうようなことは、 すでにキリスト者側が遙か以前に気付いていて、キリスト教の神学は、その問題を回避するどころか、 真っ正面から取り組うけとめ、それによって神学を再構築しようとしている。バルトは「神学とは教会を破壊する学問だ」 とまで言っている。 (これは私の補足ですが、神学には、批判者や異端者の応答に徹底的に真面目に返答する「弁証学」というのもあります。) これに対する佐倉さんの解答は、重箱をつつくような返答で、(私のサイトはただ間違いを指摘するだけのサイトで、 それ以上のことを追求しないでもらいたい、ということなど)人間としての誠意があまり感じられませんでした。 どなたかのレスポンスの言うとおり、佐倉さんのおっしゃることなどは、すでに牧師の間でも「常識」になっており、 熱心な伝道志向でない、冷静な牧師なら誰でも知っていることです。
佐倉氏ってすごいナー。こんなとこのスレッドネタにまでなってるとは。 あの人は自分の見解をホームページに垂れ流してるだけの、 悪く言えば、オナニー野郎です。 正しいか正しくないかなんてのは、読んだ人が勝手に判断すればいいこと。 そのオナニーの仕方は間違ってるって恥ずかしくて俺には言えない。
68 :
名無しさん@1周年 :01/10/17 23:35
69 :
名無しさん@1周年 :01/10/17 23:41
佐倉氏にそれだけ欺瞞暴かれて宗教の信者が必死なんだろうね。 欺瞞と関係ない哲学者の名前とか出している信者を見ると 思わず笑ってしまう。
70 :
名無しさん@1周年 :01/10/17 23:46
ごらんのとおり佐倉信者は皆無教養です、はい。
71 :
名無しさん@1周年 :01/10/18 00:17
>>70 佐倉氏の信者なんていないだろう。その主張からいって。
個々の主張において共感できる部分はあるけどな。
72 :
名無しさん@1周年 :01/10/18 01:46
日本の「和の思想」の理論化には期待する。 映画「男はつらいよ」を引いて、キリスト教のように善悪が鋭く対立しない 日本的な宗教感の魅力について簡単に述べているが、同じようなことを考えている人って結構いますよね。 無宗教、無思想、無節操って馬鹿にされている日本の精神風土の再評価につながればと思う。 とは言うものの、いじめ自殺をルサンチマン的と見なす佐倉氏に 日本の精神文化の再評価などできるのだろうかとも思う。
73 :
名無しさん@1周年 :01/10/19 00:00
佐倉氏の主張は哲学ではなく、 どちらかというとジャーナリズム的な思考と思われる。 よく言えば、学者っぽい。 哲学者とは言えないでしょう。
74 :
難度海 沈降 :01/10/19 03:57
感情的には重なる部分もあるけれど、論理性がないからあまり好きじゃない。 なんせ彼は議論が出来ない。主張ばかりです。相手とコトバのキャッチボールができてない。 何かを積み上げて現実を変えよう、という意志を持ってないまま、 テキトーに刺激的なコトバを組み立てて怒ってる振りをしてるだけに見えます。 まあ、論理力の弱い人は信じちゃうんだろうなあ、 語り口が全盛期の本多勝一ばりに断言に次ぐ断言で格好良いから。 ‥‥よしりんみたいな人だと思うよ。論理が中途半端で非常に感情的な。 ま、「どうなのさ?」と言うだけじゃなく、読んでみれば?
75 :
名無しさん@1周年 :01/10/21 22:12
>>32 > 彼は教理の論理的矛盾をつくだけで、人間精神における宗教の
> 肯定的役割については触れようとしません。
「人間精神における宗教の肯定的役割」とは具体的にどのような
ものなのでしょうか。お教え下さい。
> 宗教も批判されなくなったらお終いです。批判があるからこそ、
> 信仰も熱心になるのであって、批判することを批判するつもりは
> ありません。
その宗教が本当に正しいものだったら、誰からも批判される事は
ないように思えます。
「批判があるからこそ、信仰も熱心になる」というのは、オウムや
統一協会、創価学会などといった破壊的カルト集団と同じ姿勢では
ないでしょうか。
批判されたら、自らの行いを振り返り、反省すべき点を反省し、原因
となった行動を改めるのが、真の宗教者ではないでしょうか。
76 :
名無しさん@1周年 :01/10/26 20:08
>75 >「人間精神における宗教の肯定的役割」とは具体的にどのような >ものなのでしょうか。お教え下さい。 苦しみの中で精神的に落ち込んでいた人が信仰によって立ち直った例を沢山知っています。 そういう次元での宗教の役割を否定することは出来ないでしょう。 その他にも、いろいろあります。 >その宗教が本当に正しいものだったら、誰からも批判される事は >ないように思えます。 ヨブ記を読んでみたらどうでしょう。 >批判されたら、自らの行いを振り返り、反省すべき点を反省し、原因 >となった行動を改めるのが、真の宗教者ではないでしょうか。 それで良いのではないですか。 オウムなどと比較する意図がよく分かりません。宗教に熱心になることがいけないと言うことで しょうか。熱心であることは悪いことではありません。
>>77 > 苦しみの中で精神的に落ち込んでいた人が信仰によって立ち直った例を沢山知っています。
> そういう次元での宗教の役割を否定することは出来ないでしょう。
> その他にも、いろいろあります。
たしかに、宗教にはそう言ったメリットはあるのでしょうね。
ただし、それら「救い」の定義は余りにも主観的なものであり、到底
一般化はできません。従って、その本人にとっては天国かもしれない
けれども、他人には地獄、という事もままあるでしょう。
だから、宗教の勧誘は絶対にして欲しくありません。
> オウムなどと比較する意図がよく分かりません。宗教に熱心になることがいけないと言うことで
> しょうか。熱心であることは悪いことではありません。
75番さんの「批判があるからこそ、信仰も熱心になる」という考えが、オウム
などの狂信的カルト団体にも見られるため、あのように書きました。
自分を解放してくれたと信じる宗教に、その人個人が熱心になる事は、特に
悪いこととは思いません。
しかし、熱心になる余り、他人に勧誘し始めるとなると、迷惑極まりない状況
と言えます。
これらの事から、他社への勧誘を信者に対して強いる宗教は、それだけで、
カルトであると断ぜざるを得ません。
なお、出版物により自分達の主義主張を広めようとする行為は何の問題も
ない正当なものと考えます。非信者が書店においてそれを見るか見ないかは
自由に選択できるからです。
しかし、信者達にそれを買い取らせ、周囲の人に配らせるなどは、明らかに
勧誘行為だと思います。
79 :
名無しさん@1周年 :01/10/27 07:35
>>74 > 本多勝一ばり
そう。誰かに似てると思っていたのだが 本多勝一ですわ。
高校生なんかにはウケそう。
>>78 に追加
勧誘を推奨や強制する(多くの場合、我々の仲間を増やせば、世界は
平和になる等のレトリックを使うので要注意)教団は論外ですが、
そうでなくとも、自分自身が救われたと感じる人は、その素晴らしい
経験を周囲の人と分ち合いたいと願うものです。
しかし、前にも書きました通り、普遍的な救いなど有り得ない訳です
から、他者への勧誘は、決して行ってはなりません。
もし、貴方がいつでも輝いていたら、人生につまづきを感じた人や
道を求める人が、向こうからアプローチしてくるはずです。
そのとき、始めて、貴方の経験を話せば良いと思いませんか?
81 :
名無しさん@1周年 :01/10/28 19:52
で、77番さんの回答はどうよ。
82 :
名無しさん@1周年 :01/10/31 20:39
佐倉哲の論文は、宗教から離れるにも、 信仰心を鍛えるにも、必須だと思う。 というのも、氏の論文へのまともな反論は 見た事がないからだ。
82 佐倉哲はなかなかのもん。彼の前では、いくら博士号を取ったものでも、 かなわないかもしれない。特にキリスト教徒はあれを学んで、その上で、信仰を気付くべき だと思う。それは、絶対的な神に対する帰依であり。余分な邪念をそいだものであるべきだ。
84 :
名無しさん@1周年 :01/10/31 22:52
あそこは反論しても、自分に都合よい仕組みになってるからね。
>>83 さっそくのレスポンスどうも。
> 佐倉哲はなかなかのもん。… 以下略
俺もそう思う。
> それは、絶対的な神に対する帰依であり。余分な邪念をそいだものであるべきだ。
この最後の部分が意味不明。ひょっとすると、信仰を持った人にしか分からない
文章なのかも知れない。
一般人向けに、噛み砕いた表現で意味を説明願えないだろうか?
86 :
名無しさん@1周年 :01/10/31 22:55
佐倉氏は形而上学を否定している。 宗教の否定と言ってもよい。
87 :
名無しさん@1周年 :01/10/31 23:03
「知らないことは知らないと言うがよい」と言うけれど、 そんなこと言ったら、人間は皆何も知らないじゃないか。 佐倉氏は「知ってるつもり」にでもなってるのか。 それとも佐倉氏が知らないだけじゃないのん?
88 :
名無しさん@1周年 :01/10/31 23:05
佐倉たんはいじめっ子 ハァハァ
85 あれは、キリスト教徒に向けて言ったものであり、宗教に興味を持たないもの には意味がない。佐倉氏の言いたいことは、盲信こそ忌むべきであり、 信仰は否定していないように見える。 宗教とは、私にとって、物事をシンプルにしていく哲学であるべきだと思う。 で、それを複雑にするのは、それを利用して儲けよう。地位を得ようとする聖職者にある。 それこそが、悪の元凶であり、宗教上で殺しあう原因でしかない。 佐倉氏は、そのシンプル化(一見複雑だが)を目指して、既存の価値観を破壊 しているのだろう。その最たるものは「聖書の真偽」問題であり。 大乗仏教へのアンチテーゼとしての原始仏教のような気がしてならない。
91 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 07:01
哲学は唯物論ではない。
92 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 07:05
結局のところ、佐倉氏は何が言いたいの??
93 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 07:13
佐倉氏談 >わたしの信仰の定義はつぎのようなものです。 >信仰とは、何らかの恩恵を得るために、 >人間の認識の及ばぬ事柄についてのドグマを、 >本当は知らないのに、まるで知っているかのごとく、 >真実であると思い込むことである。 「信仰を否定せず盲信を否定しているんだ」とか、 佐倉教信者は言うけれど、 佐倉氏によれば「信仰=盲信」なわけで、 「信仰、宗教」を否定しているわけです。 そこを見逃してはいけないよ。
94 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 17:09
信仰者からみたら、信仰を知らない部外者の戯言ではあるかもね。
95 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 17:35
>>94 でも、普遍的な真理だったら「信仰を知らない部外者」をも
納得させられるんじゃないの?
それができないなら、せいぜい「自分達の教えこそが真理だ」と
いう幻想に浸り続けてくれ。
ときには「あ〜あ。分かっちゃいないな、部外者は」などと
憐憫の情を抱きながらね。
96 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 18:00
>>95 それはあるでしょうね。
佐倉氏は知らないんだから仕方が無い、と。
97 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 21:14
カワイソウに…というところでしょう。
>>94 >信仰者からみたら、信仰を知らない部外者の戯言ではあるかもね。
信仰とは「知る必要のある事」、すなわち知識の結果とはね…
あー、驚いた。
99 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 21:52
100 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 21:59
百GET
101 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 22:47
102 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 22:50
103 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 22:51
>>102 そうかな?
本質を突いてると思うけど。
104 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 22:55
知る必要がないから信仰する 、、、というわけでもないだろ。
105 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 22:58
でも、知識ある人の方が宗教的かと言うと疑問だな。 どちらかと言うと、宗教は直感のみで勝負と行きたい! よって、知識による「信仰」なんか ま・や・か・し
106 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 23:05
>>75 >その宗教が本当に正しいものだったら、誰からも批判される事は
>ないように思えます。
何でそんなことを確信もって言える?
知識は実行することで知恵となる。宗教には、その知恵が必要で、 そのためには、高度な知識が必要となる。 逆にいうと実行できない知恵は、その者にとって、消化されていないものだから、 あってもなくても意味ナシというわけだ。その点でいえば、知識だけを吸収した だけで、宗教の信者を名乗るのが多すぎる。恥知らずと言うか・・・・。 実行を問われない宗教知識。をかざす信者が多すぎる。
108 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 23:09
>>106 だって、完全無欠なんでしょ。
それならば、誰から見ても素晴らしいものと分かるはず。
もちろん、これは「信仰」なるものを持っていない人間に
よる理論的推察に過ぎないのかもしれないが。
109 :
名無しさん@1周年 :01/11/02 00:07
>>108 >だって、完全無欠なんでしょ。
>それならば、誰から見ても素晴らしいものと分かるはず。
>もちろん、これは「信仰」なるものを持っていない人間に
>よる理論的推察に過ぎないのかもしれないが。
完璧なもんなんてある訳ないじゃん。
「どの宗教にも真理がある
だが、伝えてきた人間が不完全だから宗教には間違いがある」
by ガンジー
あと、正しいから批判されるものもあるわけだ。
もちろん、間違っているから批判されるものもある。
正しいなら批判されないってのはおかしい。
甘すぎるね。
109のつづき。 先のガンジーの言葉の延長で考えれば、聖書に誤りが含まれているのは当たり前。 それでキリスト教の本質に傷が付くことはない。 (ファンダメンタルな人にはここをわかってほしいんだよな。) だから、もし、単に「聖書は間違っている!」って鬼の首でも 取ったかのように喜んでいるんなら死ぬほどくだらない。 「聖書には誤りは一つも含まれていないんです!」って強硬に 主張するのと同じくらいくだらない。 佐倉氏のサイトはあんまりちゃんと読んでないのだけれど、 ちょっと見た限りではそれほど安易にやっているわけでもないように思える。 あまり本質的でないところをわざわざねちねちとつついているところを見ると、 要するにファンダメンタルな考え方へのアンチテーゼとしての意義が もっとも強いということだろうか。
111 :
名無しさん@1周年 :01/11/02 20:53
>>107 ピエールさん
>知識は実行することで知恵となる。宗教には、その知恵が必要で、
>そのためには、高度な知識が必要となる。
これは、命がけでないとだめなんだよね。命がけなだけでも、間違う可能性が
あるね。駅に誰でも必要な時に使える小銭を入れる献金箱を置く運動をした、
あるプロテスタントの人がいた。でも、彼は70才を待たずに自殺をして果ててしまう。
心の通う隣人への働きかけという視点は大事だね。真心から「隣人」になる
そのこと自体のほうが、献金や募金よりもずっとずっと大切なんだね、きっと。
112 :
名無しさん@1周年 :01/11/02 20:57
知識が信仰を否定するものだと捉えがちなのは信仰者一般の 陥りやすい陥穽ではないかとおもうのですが、いかがか。
113 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 00:23
知識は愛を前提とするときに活かされていくもので、信仰のはじめは 文字通り信じることなんでしょう、きっと。知識がなければ過ちを犯しやすい かもしれませんが、知識だけだと、体制・秩序・権威のみに価値観が偏重し かつての共産主義社会のようになるのではないでしょうか?愛と人間への 理解がお互いになければ人間は死ぬものです。怠け、うそをつき、盗み、殺し 個々人の内面から人間性が崩壊してゆき、ついには腐り、最後に社会が 瞬く間に崩れるという図式で人類は崩壊するのではないでしょうか?
114 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 08:24
そうですね。 知識、知識って言っていても、よくよく見てみると、 「あなたはそれを知っているのではなくて信じているのではないか」と思う 人は多いですね。 佐倉氏は哲学の初歩ができていない。
私はまず知識の蓄積を推奨します。 そして、同時並行として行い行動からその知識と かねそない合いながらも、知恵は生まれる物だとも 考えます。知識はパーツです。それをどういう風に 使い、利用するのかにも知恵が必要とされるでしょう。 根底的な意味での「気ずき」という知恵と 知識を操ると言うと言う意味での知恵。タイプは違う物なのかもしれませんが どちらも必要で素晴らしい物だと思うのです。
116 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 09:45
そうですね。 知ることとと信じることは、相反するものではないのでしょう。 知識を得るためには信じることも必要。 確信にいたるためには、知識や経験からくる知恵も必要ですね。
よかった。いろんな意見がうかがえて安心しました。 皆さん中正を心得ておいでだ。
118 :
堕靡泥の星 :01/11/04 10:54
119 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 14:05
自分に神を捉えきることができるという傲慢がチシキ優先の考えの人には 信仰との兼ね合いで障害になると思います。 信仰とはまずもって、自分を超える相手として「神」を信じることから始まる でしょう。神が自分を心に留めて愛してくださる、そのことへの確信を求める姿勢 がもっとも重要でしょう。 自分を超えていて、祈りを捧げ、信じる対象が、自分や人類の理性でいつか理解 しきれる対象であると前提として目標を据えることは理性を超えた相手に理性を当てはめて 理解し尽くそうとする人間個人の傲慢や高慢に依拠する理屈で、そもそも矛盾のある考えです。
120 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 14:17
佐倉先生は最高です。
121 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 14:19
そうした意味で、佐倉さんは、ご自身で自分は「神についてまったく 知らない」というご自身の立場を明らかにした上で、文字である聖書の 表記上の矛盾点を事細かに明らかにしている。それは、正直な姿勢で ご苦労様なことだと感心しています。イエスス・キリストが荒野の40日の 断食の後に、悪魔に試みられるところでも聖書の記述はそれぞれに都合の 良いように引用され、使われています。文字自体を詮索することは、 ただそれだけのことであり、毒にも薬にもなりません。もっと根本的な 「世の友となるか天の国を望むか」や「自分を愛するか神を愛するか」 などの信仰の姿勢がキリスト者には問われるのです。極言すれば、聖書は 信仰や愛を表現し人に伝えるための道具に過ぎず、文字に過ぎません。 文字自体に真理が宿っているのではなく、霊は聖書によって真理を表現 するということです。聖書は霊によって書かれたと信じられているのも 霊によって読まれ、宣言されることを必要としているのです。 字面だけを追って、これは矛盾だとか真理ではないといったところで 本来、信仰には何の毒にも薬にもならないのです。
122 :
119.121誤解を与えませんよう :01/11/04 14:21
2つの発言は続いて記入しました。 120の発言は他の方です。
123 :
堕靡泥の星 :01/11/04 14:38
>>119 自分に神を捉えきることができるという傲慢さは、
むしろ信仰者の方にあるのではないのかね?
124 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 14:56
いや、少なくとも信仰者は「理性で神を捉えきれる」とは考えない。 信仰によって神は自分と共に居られるとか、共にいるように願う(祈る) ということはある。しかし、前者と後者は180度志向するものが違う。 神への愛や信頼を軸とする信仰と、神を知り理解するための理性を 信仰するのとでは一見似ているが、まったくそれぞれは違うものだ。
125 :
堕靡泥の星 :01/11/04 17:33
>>124 100か0かの議論ではない。神の全体像は無理にしても、その一部でも捉えられればいい。
しかし、理性ではその一部すら捉えることが出来ない。形而上学に関して理性は役
に立たないからだ。
126 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 19:13
そんな、極端な話はこれっぽっちもしちゃいない。 すくなくとも、「理解できないものは信じる必要がない」という輩がいると したらそれは間違いだ、程度のことを話しているだけだ。 カトリックの聖人 聖ベルナルドなどは好奇心と学問について次のような 教訓めいたことを言う。 「ある人は、ただ知るためにだけ勉強する。これは感心しない好奇心である。 ある人は学者と思われたいために学ぶ。これはおかしな虚栄である。学問を ただ金もうけの手段として学ぶ者がいる。このような取り引きはあまり感心 されたものではない。ではどんな場合に知ることが善となり利益となるか。 それは善をなすために知識を活用する場合である。善いことを知り、これを しない者は、咎むべき者である。・・・・・ 愛のない学は高慢におちいる、学のない愛はあやまりやすい」
127 :
堕靡泥の星 :01/11/04 19:45
>>126 理解できないものを理解できたという奴は嘘つきだということだろう。
128 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 20:01
宗教は感性や悟性も大事にするので、そこに対立があるかな。
129 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 20:30
理性は神を否定するものではないよね。 「知らない」というよりは、 「理性では全体像を把握できない」というくらいのものでしょう。 「理性は信仰や神を否定する」と勘違いしてる人はいるかも。
130 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 20:33
理性が聖書信仰を揺さぶるのは間違いないけどね。
131 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 20:37
その通り、「理解するために信じる」ことが大切で、 「信じるために理解する」という姿勢は、なにかまじめに信仰を追及 しているようでいて、実は最後まで神から離れていようとする者の 「信仰」拒否のための体のいい詭弁ではないか。 信仰者が、愛を基本に信仰を捉えているか、それとも理知的に信仰を 捉えているかは本人に聞くより仕方がない。信仰よりも好きな人はだれか とか尊敬している人はだれかとかそういうことの方がその人の信仰の 姿勢を知る上で実際的な問題点かもしれないな。もしかすると・・・
132 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 20:43
感性が聖書信仰を揺さぶることもあるかもしれない。 理性のように、客観性はないけどね。
133 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 20:53
>>131 「何々のために信じる」というのは、なんか違う気がする。
信じるときって、心の奥に何か触れたような感動があったり、
驚きがあったりするものじゃないかな。
134 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 20:57
>>133 心身共に弱っているとき優しくされるとグラッと来る。恋愛も宗教も同じ。
135 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 21:02
>>134 たしかに、その通りかも。
人間は弱いもので(キリスト教)、人生は苦しみ(仏教)だからね。
それはそれでひとつの真理を突いているわけですね。
136 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 21:54
佐倉氏って、べつに哲学じゃないよね。 何なんだろう、、、 2ちゃんでスレ立てれば、そこらの人と変わらないでしょう。
137 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 21:56
強烈な荒らしになりそう。。。
138 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 21:59
あの人は議論が出来ない人だから、、、掲示板に来れない。
139 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 22:32
オレ、氏のHPブックマークしてっけど2ちゃんにスレが立ってる とは思わなかったよ。
140 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 23:45
141 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 23:50
>>138 議論はできてるよ。ただ、議論する議題は選んでる。脱線は嫌いな人。
142 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 23:57
そう? かなり自己主張が強く、破壊志向だよね。
>信じるときって、心の奥に何か触れたような感動があったり、 >驚きがあったりするものじゃないかな。 言う通りだと思う。完全に知り尽くしたから信仰するのではなく もっと知りたくなったから信仰するのだ、という感じが信仰のあり方 だと思う。ハートが大切なんですよね、きっと。
144 :
名無しさん@1周年 :01/11/05 00:52
>>142 それは君の 盲信とやら を破壊されているからそう感じるのでは?
普通の人間はそうは思わないよ。(笑
145 :
名無しさん@1周年 :01/11/05 01:41
しっかし、あのレベルのHPが2CHで話題になり、あまつさえスレが立つとは「ネット世間」とは思いのほか狭い世界であることよ・・・
146 :
名無しさん@1周年 :01/11/05 01:49
>>145 あのレベルって、、、、
必死に貶めようとしてる馬鹿がいるな、、、、
自分のレベルはどうみてもかなり低そうだが
147 :
名無しさん@1周年 :01/11/05 02:58
>>146 を「佐倉教信者発見!」とか囃し立てる気はないけれど
たしかに「あのレベル」と言われても甘受せざるを得ないと思う。
例えば
・「わら一本の革命」を巡る論争での「貴方は感情的だ」という
相手に対する決めつけ。
・「純粋理性批判」やテルトゥリアヌスを引用した反論
『信仰の外側に立って信仰の内側を理解できる、とするのは
おかしい』に対する再反論の稚拙さ。
(これは「宗教否定のスタンスで宗教学は可能か?」という
命題に発展すると思って期待していただけに、悔やまれた)
・いじめ論に於ける投稿者とのやりとりの中で浮かびあがった解釈
の違い(佐倉氏のジンメル的解釈と相手のドゥルーズ的解釈)を
途中で意識しているのにも関わらず、わざとそこを素通りして我
田引水を仕掛けたずるさ。
・「中村元著作を読んだ」レベルで仏教全般を云々する不遜さ、
中村元の言説が仏教全てに普遍化されるという前提を平気で
広げる厚顔さ。
ああゆう言動が気持良く感じる、という皮膚感覚はわからんでもないけれど、そんなにカリスマ扱いするもんでもない。読書家で博識、かつ議論と討論の区別がついている人物らしいのは分かるけど
それなら「渡海 難」だって同じだ。
まぁ
「ケンカする相手を上手に選ぶ」
という処世術の見本としてはいい教材、学生さんは必見だろう。
だってソレ、今日びのサラリーマンには必須の技術だからね。
148 :
名無しさん@1周年 :01/11/05 19:32
>>147 >(これは「宗教否定のスタンスで宗教学は可能か?」という
> 命題に発展すると思って期待していただけに、悔やまれた)
同感、非常にせまっ苦しい言説になってるよね。
ある意味、狭いので強いってのはあるかもしれない。
でも、それなら原理主義も同じだ。
149 :
名無しさん@1周年 :01/11/05 22:08
>>147 佐倉氏と渡海 難では読んでいる本のレベルが決定的に違うよ。
150 :
名無しさん@1周年 :01/11/06 18:40
151 :
名無しさん@1周年 :01/11/06 22:00
読んでる本も、ニーチェとかヴィトゲンシュタインに彩られるので そう変わらんと思うよ。
152 :
名無しさん@1周年 :01/11/06 22:05
少ない読書で足りない教養と思考力を無理して補おうとするから ボロが出るのだ。
153 :
名無しさん@1周年 :01/11/06 22:11
そんなこんなで仏教の解釈も非常に狭い。 あんな解釈で世界宗教になったというつもりなのかな。
154 :
名無しさん@1周年 :01/11/06 22:19
>>151 トンデモ本を真に受けるかそうでないかの差じゃない?
155 :
名無しさん@1周年 :01/11/06 22:21
>>153 そら中村元の影響をもろに受けているんだから仕方がない。
でもただの受け売りではなく、ちゃんと原本読もうって姿勢が
ある点は評価。
156 :
名無しさん@1周年 :01/11/06 22:24
まあねー、 考えてることが読めてしまうところは同じかな。
157 :
名無しさん@1周年 :01/11/06 22:27
理性がすぐ麻痺するところが同じか。
158 :
名無しさん@1周年 :01/11/08 08:23
159 :
名無しさん@1周年 :01/11/08 21:59
つまるところ、佐倉氏の言いたいのは何だろう。 知らない事は知らないと言うこと? 勝手に言ってくださいって気がしないでもない。
160 :
名無しさん@1周年 :01/11/08 22:40
161 :
名無しさん@1周年 :01/11/08 22:43
>>160 うーん、佐倉氏は観念論を否定するのでは?
あの人の言うのはソクラテスの無知の知とは遠いものです。
162 :
名無しさん@1周年 :01/11/08 23:01
むしろ、ソクラテスの無知の知の正反対と言ったほうが近いだろう。
佐倉氏の収入源はなんだろう? お金にもならないのに。HP作成に凄い労力 をつかっているが。
164 :
名無しさん@1周年 :01/11/08 23:28
著述業をもし狙っているなら諦めた方がいい、とは思う。 プロをなめちゃあいかん。
165 :
名無しさん@1周年 :01/11/08 23:33
>>161 >>162 彼は魂の不死は信じていないが、魂の存在は信じているよ。
でなければニーチェを、あるいは内村鑑三を信奉したりはしない。
167 :
名無しさん@1周年 :01/11/08 23:35
>>163 コンピュータ関連の仕事。
>>164 個人的な趣味でやってるんだろう。
自ら素人と名乗っているわけだし。
ワシは佐倉氏の以下の文に感動したぞ!!!!! ↓ >どんな目茶苦茶に思える妄想でも、そこにはれっきとした理由 があると考えられます。何の理由もないのに、偶然に妄想を駆け 巡らすことはちょっと考えられません。それぞれの妄想には、そ れぞれの理由があるのだと思われます。 >「一人で2億以上の光の天使を動かせる権限を預っています」と いうような単純な妄想の場合は、その理由がかなり明らかなように 思えます。ようするに、「わたしはものすごい力を持っているんだ」 と思い込んでいる、あるいは、思いたがっているのでしょう。 そのことは、もちろん、裏を返せば、<自分は無能である>という 恐怖心を内に秘めているということでもあります。およそ、<自分は 無能である>というつらい現実に向き合う勇気がないからこそ、この ような妄想が必要となったわけで、仕事や学問や人間関係などの現実 の世界で成功していれば、このような妄想など一切必要としないはず だからです。
現実に向き合う勇気がないから、宗教に逃げる。 それは、ここに参加している人たちが、心の奥底に隠している真実かもしれない。
矢沢栄吉は変わった。自然体になった。 以前に比べれば、弱くなったように見えるかもしれない。だが、 彼は恐ろしいほど強くなった。強さとは、謙虚さ、弱さとして現れる。 面白い現象だ。自信があれば、強がらなくてもいいといいという安心が生まれる。 カルト宗教に入ると、信者は一見強くなる。これは、自信を消滅した、姿なのだろう。
171 :
名無しさん@1周年 :01/11/09 00:43
>>168 確かに鋭いな。
宗教にはまる人間の心理の本質を突いている。
172 :
名無しさん@1周年 :01/11/09 00:48
コンプレックスの裏返し。 釈尊にはどんなコンプレックスがあったのだろう。
173 :
名無しさん@1周年 :01/11/09 02:32
>168 この部分↓にはちと引っかかるのだが。(特に三行目) > およそ、<自分は無能である>というつらい現実に向き合う勇気がないからこそ、 > このような妄想が必要となったわけで、 > 仕事や学問や人間関係などの現実の世界で成功していれば、 > このような妄想など一切必要としないはずだからです。 現実の世界で成功できる人間がどれほどいるのか? 勝者はいつも必ずごく一握りの人間であり、残りは全て敗者だ。 成功者がいる限り、どうしても「負け」の人間は出てくるし、 なにをやっても駄目な人間もいる。 では、救いが得られるのはごく一部の「勝ち組」の人間だけであり、 残りの人間はどうでも良いのか? そういう人間への視点が欠けていないか?そういう弱い、負けの人間はどうなっても良いのか? この路線で考えていくと、駄目な人間はどうしたって駄目だから生きてる価値なし、 ということにならないか? カルトはともかく、本物の宗教は「自分は無能である」ことに対する救いを与える。 「無能でも全然かまわない」という救いを与える。 現実の世界で成功する人間はしばしば傲慢でいやらしい態度をとりがちである。 もちろん、成功していても恐ろしいくらいに謙虚な人もいるが、 そういう人はきっとどこかで一度ある種の挫折のようなものや無能感を 経験したことのある人なんじゃなかろうか。 つまり、自分が無能であることの痛さをかみしめたことのある人間だけが、 真の愛や慈悲を持つことができるのだろう。 自分が無能である人は、他人の弱さ・無能さを理解できるという、 有能な人間には持てない能力がある。 こういった、現実社会に対する逆転的な視点こそ宗教の本質であり、 弱者にこそ救いを与えるのが宗教の本質なのだ。 だから、現実世界に無理矢理身内でしか通じないような価値観を持ち込んで、 強引に勝者になりたがるカルト宗教は本質を外している、というのが本当のところではないのか。 脱線長文スマソ。
174 :
名無しさん@1周年 :01/11/09 02:48
175 :
名無しさん@1周年 :01/11/09 03:08
>>173 佐倉氏が依って立つニーチェの本を斜め読みや飛ばし読みすると、そういう結論がでるよ。で、それらが100%トンデモだとは言い切れないところがタチが悪い。読んだ部分の解釈としてはアタリだから
50%トンデモぐらいになる。
そういう
>>173 みたいな感想に基づいた言説が広く流布されると
「皮膚感覚でニーチェが嫌い」というヒトが大量生産される。
永井均や竹田青嗣だののニーチェ本は
「
>>173 みたいな皮膚感覚のニーチェ観をいかにして払拭するか」
みたいなところに主眼がおかれてる。
ところで佐倉氏は「聖書の間違い探し」はもうやめて、HP上での活動は「皆様の質問に答える」だけらしい。
すでに教祖さまモードに入ったか。
ひょっとしたら「侍魂」のパターンを踏襲して著述家上がりを狙うのか?
>>1 もそこらへん見越した佐倉氏本人の自作自演かもよ。
本の宣伝オビにこんな文字が躍るのか……
「2CHで話題騒然!気鋭の在野評論家佐倉 哲!!」
>174 来ると思った(笑) そう、この手の信仰はしばしばルサンチマンに陥ると思う。 そこが難しいところなのだ。 「善人もて往生をとぐ。いわんや悪人をや」の親鸞も、「本願ぼこり」とか呼んで、 そういうことを警告していたような気がする。 はっきり言って不遜ともいうべきクリスチャンを時々見かけるけど、 ひょっとしたらこれにはまっているのかもしれない。 実は、キリスト教には「謙遜」を強調する面もある。 それを徹底的に追及した人が聖フランチェスコのような人で、 ひたすら自分を低く低くしていった。 彼の視点を「大地をはうような低い視点」と言った人もいる。 彼は「私は蛆虫以下です」というようなことをよく言っている。 それも喜びに満ちて言うのである。 聖フランチェスコのようになれれば一番良いのだけれどね。
177 :
名無しさん@1周年 :01/11/09 06:25
>彼は「私は蛆虫以下です」というようなことをよく言っている。 蛆虫とて自然界で相応の役目があるんだけど。 「低い視点」の人でも、別のものを蔑視することからはそう容易く 逃げられないか。
>177 > 蛆虫とて自然界で相応の役目があるんだけど。 その通り。聖フランチェスコは、そのことを誰よりも良く理解していた。 そのことをふまえた上でそういったのだ。 彼は全てのものに神の働きが宿ると考えていた。 灯、ランプ、蝋燭などにも、永遠の光のシンボルを見付け、 自分の手で消そうとしなかったくらいだ。 そして、彼はあらゆる被造物を「兄弟」と呼んだ。 だから、彼自身は蛆虫を憐れんだのでもなく、軽蔑していたのでもない。 彼には蛆虫に同情する気など毛頭無く、逆に蛆虫を兄弟だと思っていた。 深読みすれば、世の人々の軽蔑を逆手にとって、蛆虫の働きを示し、 神の働きを示そうとしたと言えるかもしれない。 >175の言っていることは図星で、実際にニーチェはとばし読み程度。 なので、むちゃくちゃかもしれないことを承知であえて書いてしまうと、 全てのものには神の働きが宿る、というような中世的な感覚を捨てたくせに、 近代的な感覚で、それを単なる「同情」「憐れみ」ととって、表面的な感情だけを継承して、 皮相的にしか理解できなかった人間たちが、いわゆるキリスト教的な道徳観を構築していき、 それがニーチェの批判するところとなったと思うのだが、完全に外してる? ニーチェはやっぱり深読みせねばならないのか? ゴミレス失礼。
179 :
名無しさん@1周年 :01/11/10 08:12
>>173 の文章は、本当にその通りだ。特に
>現実の世界で成功する人間はしばしば傲慢でいやらしい態度をとりがちである。
の部分は、個人ではなく国家にも当てはまっている。
唯一の超大国アメリカ合衆国がそれだ。今、そのツケが回ってきている。
>>176 へのコメント
>>177 に対する回答
>>178 もその通りだと思うが、
残念ながら、ニーチェは学生時代読んでいて、途中で意味が分からなく
なり挫折した経験がある。
あれを理解できる人は大したものだ。
180 :
名無しさん@1周年 :01/11/10 10:26
>>178 ニーチェのキリスト教批判の根本はパウロ神学に対してのものだろう。
181 :
名無しさん@1周年 :01/11/10 20:28
ニーチェは最期に狂死して、ヒトラーを触発することになった。 参考程度にするだけで、理解できないほうがいいかもね。
182 :
名無しさん@1周年 :01/11/10 20:31
183 :
名無しさん@1周年 :01/11/10 20:37
>>182 ニーチェは、反面教師として参考にするかな
184 :
名無しさん@1周年 :01/11/10 20:40
185 :
名無しさん@1周年 :01/11/10 20:41
186 :
名無しさん@1周年 :01/11/11 12:02
信仰について、ちゃんと考えている宗教信者さんはしっかりとした 意見を述べている。 盲信者に限って、口惜しさ丸出しの論法で佐倉氏に噛み付いている ようだ。 誰のため、何のための信仰か、よ〜く考えろよ。
187 :
名無しさん@1周年 :01/11/11 12:24
宗教者でも人によるだろう。 聖フランチェスコはそういう姿勢を貫いたかもしれない。 しかし、誰もが出来る事ではないし、 みんなが自分のことを蛆虫と言ってる世界があったとしたら気持ち悪いものだ。 自虐的精神、自信のなさの正当化に至り、 手足がちじこまってジャンプすることが出来なくなる。 あまり賛同はできない。
188 :
名無しさん@1周年 :01/11/15 16:25
189 :
名無しさん@1周年 :01/11/21 22:50
190 :
名無しさん@1周年 :01/11/21 22:56
というか、素直に「アホ」かな。
191 :
名無しさん@1周年 :01/11/23 09:23
192 :
名無しさん@1周年 :01/11/23 10:35
はあ?
193 :
名無しさん@1周年 :01/11/24 15:48
194 :
名無しさん@1周年 :01/11/24 18:27
流れが妙だよう。本人なら名乗れや。
195 :
名無しさん@1周年 :01/11/24 19:16
>>194 本人が、こんな処に書込みする訳無いって。
もし書込んだとしても、匿名でするとは思えないね。
196 :
名無しさん@1周年 :01/11/24 19:19
「本人ならしない」と確言できるのは本人だけだが
>>195 どうか。
197 :
名無しさん@1周年 :01/11/24 21:05
>>196 佐倉氏は基本的に自分のフィールドからは出ない人だと思うよ。
198 :
名無しさん@1周年 :01/11/24 21:15
でしょうね。類型に誠実って感じ。
199 :
名無しさん@1周年 :01/11/24 21:46
自分の牙城を作ってる感じ? 頑固一徹なので、何を言っても無駄でしょう。 こういう人が居てもいいかなとは思うけど。
200 :
名無しさん@1周年 :01/11/25 10:21
佐倉哲かー 哲学的知性にとっては、物足りなさを感じる。 自分の枠から出られない人だよね。
201 :
名無しさん@1周年 :01/11/26 18:04
>>200 そうかな?
今回いろいろと読み返してみたけど
やっぱり大した思想家だと思うよ。
どの辺が物足りなさを感じるの?
よかったら具体的に教えて。
202 :
名無しさん@1周年 :01/11/26 18:51
>>200 じゃないけど、
>>200 の言わんとしていることはなんとなくわかる。
何かが足りないんだよねー。
書いてる物は確かに面白いし、それなりに凄いと思えるものもあるんだけど、
いまいち大物っぽさが足りないと言うか、なんかこぢんまりとまとまっちゃってる感じ。
例えば、分野的にあんまり比べてもしょうがないとは思うけど、
永井均とかに感じるような凄みが感じられないというか。
203 :
名無しさん@1周年 :01/11/26 19:25
>>202 仕事の片手間であそこまで出来るのはすごいと思うけどな。
204 :
名無しさん@1周年 :01/11/26 19:26
佐倉さん。好きだ。ページ更新してくれー。
205 :
名無しさん@1周年 :01/11/26 19:34
>>201 思想家ではないと思うけど。
何なんだろう、理念が感じられない。
>>202 ふーむ。
佐倉氏のサイトをみると「大物」になりたいといった「野心」は
感じないな。
それに、自ら特定の思想・信条を有していて、その視点から他の
イデオロギーを攻撃している感じも、同様にしない。
かといって、それぞれのテーマに対して、遊び半分に吟味を加えて
いる訳でもなさそうだし、それどころか相当本気に取り組んでいる
事が覗える。
ただし、深刻さはみじんも感じられないので、おそらく氏は、一種の
知的ゲームを楽しんでいるのではと思う。ただし、真剣にだが。
その意味では「こぢんまりとまとまっちゃってる」との印象は理解
できなくもない。
そこが、思想家にさえある種の「カリスマ」を求めたがる人々には
物足りなく感ずるのであろう。
ところで、永井均氏という思想家は、不勉強ながら始めて知った。
これから、検索エンジン等で調べてみようと思う。
208 :
名無しさん@1周年 :01/11/26 19:45
そう感じる理由は、 ニーチェ好きだし、ある意味、虚無主義だからじゃないかな。
209 :
名無しさん@1周年 :01/11/26 20:00
厳密には、思想・信条が無いってことはないと思うけど、 どちらかというと思想・信条を持つことを否定する心境にあるのだろう。
210 :
名無しさん@1周年 :01/11/26 20:02
つうか、解釈があるだけで、自分の思想は語らない人だよね。
211 :
名無しさん@1周年 :01/11/26 22:30
213 :
名無しさん@1周年 :01/11/27 08:28
佐倉哲氏の思想はともかく、その信条は、 わからないことはわからないと言う、知らないことは知らないと言う。 人間の認識外のことについて語るのは妄想である。 知的権威を論理以外に認めない。 というものだと思う。
214 :
名無しさん@1周年 :01/11/27 14:24
>>213 その通りだよね。
佐倉氏のような人が世の中にもっと増えれば、
宗教関連の悲劇を世界から放逐する事ができるのに・・・
215 :
名無しさん@1周年 :01/11/27 22:09
>>213 人間ではなく理性で認識できないものは認めないってとこだろう。
もはや古臭い思想だけれど。
216 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 08:31
217 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 11:45
>>213 はっきり言えば、
形而上学的なものを認めない。
神や霊は妄想だっていうことだろう。
218 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 12:15
>>217 少し違うと思う。
神や霊が妄想だというのではなく、
神や霊について語ることのその内容が妄想だということでしょう。
つまり、神や霊が妄想だと主張することも、妄想になる。
219 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 12:17
私は神を信じている→OK 私は神を知っている→NG
220 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 12:44
佐倉論では、信じることも妄想、それを語るものは詐欺師。 つまり、よく言えば、権威を認めないんだろう。
221 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 13:04
よくそのへんにいる、物知りおじさんが 「宗教を制度として教養の延長に見直して見ました」ってことで ありがちです。そんなに語ることあるかな。
222 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 13:12
佐倉哲。 なんか語り口調がウザくない? ネチネチとしてるというか。
223 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 13:22
単なる印象批評は誹謗とおんなじ。 内容を批判せい、どあほう。<222
224 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 13:50
どうなんだろう。 人生論みたいものは無いからね。 思考ゲームしてるようなものではないかと。
225 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 14:34
>>221 自己演出のやり方は新しい。
論証するとき、対象を永井均くせえ「私性」強調型ニーチェで
いじっておいて、核心の否定結論を出すのは教条色の強い唯物観
を使う。自らの体を機械に置き換えるが如くに演繹的論理を徹底
させて宗教否定をする、ってのは手法としては昔からあるけど、
導入部での「この私」性全開のはなしをカマす鼻薬が利いて、ちょっと見もう一方の軸足がヒューマニスティックなところに有
るように感じる。
これが
「おとぎ話信じてんじゃねぇぞぉゴルア」の唯物観の反証になり
「血い抜いて代わりに重油流すぞぉゴルア」の唯心観の反証になる
ちょうど「ソフトマシーン」「バイオメカ」的モダニズムを纏っ
ているように見えるので、カッコ良さと暖かさを同時に演出
できる。
要はロバート・ロンゴみたいな西海岸サイバーカルチャーチック
な手法なんだけども、それで宗教批判をやるのは新しい。
氏の経歴には理系的教養を感じさせるものがないのに現業はプロ
グラマー。
このへんもサブパーシブを捻出する素地になったかもしれない。
226 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 15:12
>>225 が正しければ。
御立派な俗物で、もはや「宗教については何も知りません」と自白して
いるおっさんが見識も資質もないのに、知りもしない領域に向かって
腕振り回してるだけってことになる。そうなのか、全部空振りでちっとも
的に当たってないわけ。じゃなんで一部で有名でらっさるの。
227 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 17:41
228 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 22:21
>>226 たしかに、佐倉氏は部外者なのにしつこく「ガーガー」言ってる感はあるね。
229 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 22:27
>>228 逆じゃない。部外者ではなく、内部者。自分の信仰に決着をつける
ために聖書の矛盾シリーズをやってた(過去形)わけで。
230 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 22:29
自分の信仰に決着つけるなら、 男らしく無言で立ち去れ。
231 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 22:42
232 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 22:46
>229 >逆じゃない。部外者ではなく、内部者。自分の信仰に決着をつける >ために聖書の矛盾シリーズをやってた(過去形)わけで。 へ?そうだったの? つーか聖書の矛盾を見つけるだけで決着をつけられてしまう信仰なんて、 所詮表面的な浅いところの信仰だったんじゃない? (ぢつは佐倉氏はファンダメンタリストだったのか??) 同じ信仰を持っている人でも、わかっている人なら聖書に矛盾があっても何とも思わないよ。 人間の書いたものだから間違ってるのは当たり前、ってね。 本質的な物をとらえることができていれば、聖書が変とか教会が変とかいうことはどうでも良くなるよ。
233 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 22:55
234 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 23:12
で、総括すると「現代の未熟な知識人教養幻想っていうおバケが佐倉現象を産みだした」 ってことでいいすね?
235 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 23:14
>235 求道中ですが、既存のキリスト教会からは心が離れ始めています。 ただ単にイエスの教えに従いたいと思っているだけです。 そのためには既存の教会は必要ないのではないか、 聖書ですらイエスの教えを歪めて書かれているのではないか、という思いすらあります。 親がクリスチャンだったので、キリスト教には殆ど物心ついたときから触れていたのだけどね。 これ以上続けるとスレ違いなので迷惑になってしまうけど、>235はクリスチャン?
237 :
名無しさん@1周年 :01/11/30 23:12
結局、どうなんだろう?
238 :
名無しさん@1周年 :01/11/30 23:19
精神構造がよくわからん。 いや、わかり過ぎるところが不可思議だってところか。
239 :
名無しさん@1周年 :01/11/30 23:42
まだやってんのかこのスレ!? ああいうのに信者がつくのって、2ちゃんらしいといえばらしいけどね。
240 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 06:48
>>239 >ああいうのに信者がつく
佐倉哲の信者なんていないんじゃない。
例えば、どの書き込みが信者だと思う?
一方、氏の論法にクレームをつけるのは
それで自らの「信仰」がぐらつくのを恐れる
宗教信者が多いのではと推察される。
241 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 14:32
>>241 素人の割にはたいした思想家だと思うけど、
別に信じちゃいないよ。
なぜ、信者だと思ったの?
243 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 15:25
世界の半分だけを捉えて全世界だと思っているようだ。 吉本なにがしの本を読んだときと同じ感覚を受ける。 0点。
244 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 15:33
確かに「現象としての宗教」の視点がすっかり欠落している。
245 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 18:00
佐倉氏は思想家というよりは批評家だろ、どっちかつーたら。 それに佐倉氏の信者などいないと思うぞ。 おかしなメールをよこす宗教信者を面白がってるのはいるかもしれないが。
246 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 18:34
>>245 つーか、相手がどんな電波でもくそ真面目に同じスタンスで
相手してるところが、見てておもしれーのでないの?
247 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 18:39
まあ仏教辞典一冊を延々クリ返しているだけの人ですから、 たぶんネットの外では通用しない人でしょう。 パソヲタのKK信者を煙に巻くのが精一杯。 まともに勉強している人にはかなわないでしょうなあ。 だいぶ論破されてるし。
248 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 18:40
サクラ信者というのはたしかにいるね。
249 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 18:46
>>247 ぶっちゃけ文献は結構持ってるから論破するのは難しいと思われ。
なんせ、専門家が書いたあんちょこ相手に戦うようなものだから。
250 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 19:19
論破? おもしろい。その論破されたやつを教えてくれ。
251 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 21:11
宗教信者でも詳しいのはいるからね。 文献レベルではそう対したこともないだろう。 単に宗教信者と無宗教者で、どっちかに分かれてるだけ。
252 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 21:37
信仰者が持っている文献はやっぱり偏ってるよ。神学が内輪でしか通用しない 学であるという自覚のない人も多いようだし、それを盾に議論するのは無謀。 よっぽどリベラルな人でないと、文献レベルですでに差がついてしまう。
253 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 21:55
>>252 そりゃー神学は神学独自の視点があるだろ。
それで無宗教は無宗教独自の視点があるだろう。
254 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 22:00
>>253 つうか普遍的な視点ってものがあるでしょう。例えば科学がそうだし、
数学や論理学がそう。宗教者だろうが無宗教者だろうが、これらは共
通だよ。
255 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 22:18
256 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 22:32
じゃ、詩を詩学の言語で語るのを批判して物理学の言語で語るのは 正しいのかって話だ。ナンセンス。
257 :
名無しさん@1周年 :01/12/01 23:34
そう、宗教者は宗教者が批判すべし。
258 :
名無しさん@1周年 :01/12/02 00:14
259 :
名無しさん@1周年 :01/12/02 00:16
それでも宗教が宗教を批判するのが道理。
260 :
名無しさん@1周年 :01/12/02 00:18
結局内在的批判が欠如してるってことですな。
261 :
名無しさん@1周年 :01/12/02 00:21
無宗教は無宗教が批判したりして。
262 :
名無しさん@1周年 :01/12/02 00:23
事実関係に限った話をすればいい。
263 :
名無しさん@1周年 :01/12/02 00:26
宗教ジャーナリズムじゃん
264 :
名無しさん@1周年 :01/12/02 00:38
そうなんだよね。 ジャーナリズム的性向に陥ってるところあり。 思想家ってもんじゃないよ。
265 :
名無しさん@1周年 :01/12/02 18:15
266 :
名無しさん@1周年 :01/12/03 17:16
>>247 どうした、早くその論破されたってヤツを教えろ。
267 :
名無しさん@1周年 :01/12/03 17:21
「幸福の科学」スレといつもセットでアガるのな このスレ。
268 :
名無しさん@1周年 :01/12/03 20:47
あの構造上では、論破できるのかな? いつも最後に佐倉哲のレスが付くからね。
269 :
名無しさん@1周年 :01/12/03 20:57
>>268 自説を訂正あるいは修正する時もあるから、あれはあれで公平な方だろう。
もっとも、ネットでの議論は最後に発言した奴の勝ち、というのも一つの真
実ではあるがね(フッ
270 :
名無しさん@1周年 :01/12/03 21:21
>>247 はそれでも論破されてると書いてるぞ。
一体どれなんだ?
早く教えろ。
268 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/12/03 20:47
あの構造上では、論破できるのかな?
いつも最後に佐倉哲のレスが付くからね。
269 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/12/03 20:57
>>268 自説を訂正あるいは修正する時もあるから、あれはあれで公平な方だろう。
もっとも、ネットでの議論は最後に発言した奴の勝ち、というのも一つの真
実ではあるがね(フッ
272 :
名無しさん@1周年 :01/12/04 18:26
>>247 なぜだ、なぜ教えてくれないんだぁぁぁぁぁ。
272は自分の考えが変わらないと論駁されてないと思っている人。 これでOK?
氏の論に欺瞞なり誤謬なりが存在すると思うなら 此処でウダウダ言う前に、本人に面と向かって言っては如何? 本人は反論大歓迎って言ってるんだからさ。 それとも出来ない理由でもあるの?
275 :
名無しさん@1周年 :01/12/05 10:00
>>247 は佐倉哲氏がだいぶ論破されてると書いた。
しかしなぜかその論破されたというのを教えてくれない。
OK?
276 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 00:35
投稿したのが全部載るわけじゃないらしいよ。
277 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 00:40
やっつけやすいやつから載るのかな。投稿が換骨奪胎されたり 編集されたりしてたら やだな
278 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 01:55
>>250 =265=266=270=272=274=275
そんなにろんぱろんぱっていうなら、ロンパールームでも見てなさい。
>>277 基本的には
「メール全文の提示」が先にあるから、換骨奪胎があったかどうかは見れば
分かる、とりあえずそれはそんなに多くはない。「わら1本の革命」を巡るや
りとりではそれが見られる。途中から論証対象を「農業生産全体の総論」か
ら「都会人の休日農業」に切り替えたあたりの所作とか。あとは「論点がズ
レてる」のを承知していながら、歩み寄ろうとしないで攻撃するのはある。「いじめ」
の問題を巡るやりとりでニーチェフェチの投稿者とのやりとりを見てるとそ
れは顕著、「いじめらているというルサンチマン」から引っぱり出された永
遠回帰の解釈を巡って投稿者は個人内心の規範を形成するそれを規定してい
るのに佐倉氏は新しい世界観を形成するそれと規定している、
いわばニーチェアンチョコ本の右端と左端で怒鳴り有ってる状態だった。投
稿者はハイデガーの非本来性とかを援用して歩み寄ろうとしていたのに対
して、佐倉市は自分のスタンスから動かなかった。
要するに
「自分が負けを認めなければ10回KOされても負けじゃない
KOの事実もなかったことにできる」
ってひとだ、そもあのサイトに勝ち負けをジャッジする第三者やそれに準じ
る機能はない、「佐倉氏敗北の証拠を示せ!」って迫り方もナンセンス。
そういいう発言をしつこく書くと「佐倉教信者」と呼ばれるだけ。
279 :
幸福の科学信者 晒し :01/12/06 02:58
276 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/12/06 00:35
投稿したのが全部載るわけじゃないらしいよ。
277 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/12/06 00:40
やっつけやすいやつから載るのかな。投稿が換骨奪胎されたり
編集されたりしてたら やだな
278 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/12/06 01:55
>>250 =265=266=270=272=274=275
そんなにろんぱろんぱっていうなら、ロンパールームでも見てなさい。
280 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 14:04
なるほどね。
281 :
279は佐倉哲信者ってことか… :01/12/06 18:12
反佐倉哲的立場のカキコ=幸福の科学信者のカキコ こういう決めつけなのね、「幸福の科学信者 晒し」というHNの真意は。 病院で脳波測定しもらったら?
282 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 18:15
なんか印象批判が多いね。もう少し具体的な話してくれない?
>>250 =265=266=270=272=274=275の佐倉教信者です。
自分の頭で考えることをしないので、とても、幸福です。
今日はちょっとだけ考えてみました。
私は
>>247 に、論破されたのを教えてくれ、と言っただけなのに、
>>278 は、
>「佐倉氏敗北の証拠を示せ!」って迫り方もナンセンス。
と言いました。
ハァ?
と思いました。
>>247 は、ただそのページを示すだけでいいのに、
>>278 は、佐倉氏敗北の証拠を示さなければいけないと思ったようです。
なぜそんなふうに思ったのでしょうか?
う〜ん、わかりません。
なにせ自分の頭で考えることをしないものですから。
でも、とても、幸福です。
こういう状態を、思想の奴隷とか言うそうですが、全然かまいません。
私は資産家ですし。
まあなにはともあれ、「霊言集」は「科学」であると、応援しています。
284 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 18:58
>>283 >私は資産家ですし。
この一言で全て台無し。
285 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 20:22
286 :
幸福の科学信者 晒し :01/12/06 21:57
>>281 KKスレとあがる時間と文体がいつも同じなんだけど
バレバレだよ(藁
287 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 22:09
>>286 そもそもこのスレ立てた人間自体が対立してる幸福の科学の信者っぽい。
288 :
佐倉哲信者ならぬ池田信者 晒し :01/12/06 22:14
>>286 ごくろうさ〜ん、ぼうや。あ、そうかぼうやは創価なんだね。
がんばってね学会員さ〜ん。
289 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 22:18
対立って、信者全体でたったひとりと対立してるんすか。 信者ひとりあたりの力、(思考/発言)力っていったい・・・ それはいいとして、政治的な理由で佐倉氏のスタンスを中途半端な 近代主義者たちが利用しなければいいなと思う。時々引用されること 見たことあるし、影響力あるのは事実だから。
290 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 22:18
>>288 過剰反応、即レスが幸福の科学信者(常駐職員?)の証し。
池田大作は大川隆法よりスケールの大きい大悪人だな。
291 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 22:21
292 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 00:26
キリスト教も宗教関連で対立してるんだろうね
293 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 00:53
ていうか宗教批判で人気があるだけでは? この板見ればわかるけど。
294 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 01:03
佐倉は安全地帯から発言しているからな。ある意味、大槻教授かい?と突っ込みをいれたくなるよ。 まぁ彼は正論だからいい。不確かなものを絶対として、肯定せねば、宗教はなりたたない。 そんな不条理など、突き詰めれば、うそになる。で、20パーセントの真理の為に 8割ほどの嘘を信仰しているのが現実なら、不条理でその宗教全てを非難してもかまわんと 思う。 2割の真理をかぎつける能力のあるものは、8割の嘘を見分けられるものだと思うよ。 信仰を完全に肯定してしまえば、2割の真理も嘘となってしまう。信仰とは、 嘘を排除する行為といえる。その点では佐倉氏は立派な信仰者だ。キリスト教徒以上に それだよ。
296 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 01:28
「宗教知らずの宗教嫌い」に嫌う理由を与えないかい。
297 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 01:31
>>296 つうか、宗教やってる奴は自分の宗教すらろくすっぽ知らないって
ことがよくわかるHPだよ。
298 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 01:40
アンチョコ、ハンドブックに反論されてしおしおになっちまう宗教者って何。
299 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 01:46
>>295 彼はたしかにある意味宗教的な人間だと思うよ。
それは彼が敬愛するニーチェや内村鑑三が(異端ではあったものの)
宗教的な人間であったことからもわかる。
氏のHPで一番印象深かったのは「神が殺せと命じるとき」に関するやりと
りだった。沢山のメールが届いたようだが、氏がもっとも評価したのは、
神の命令ならあるいは殺すかも知れないと告白したクリスチャンだった。
300 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 07:29
>>293 >ていうか宗教批判で人気があるだけでは?
彼は宗教を批判している訳ではないと思うよ。
それどころか、その真摯に吟味する姿勢からは
敬意さえも感ずる。
ただ、自分の経験から「盲信」からの目覚めを
提案しているに過ぎないと考える。
301 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 22:01
佐倉さん近頃更新してないなー。つまんないよ・・・
302 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 22:13
>>300 同感。
ついでに「盲信」の恐さも提言しているよ。
303 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 23:30
そうかな 言っていることは、あの世や霊界なぞ信じられないと いうことだけと思う。 証明はできないが霊を経験してしまうと霊界が無いと いう考え方は何の意味も持たない。
304 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 23:35
>>303 でも「霊の経験」というものが余りにも主観的過ぎると思う。
もちろん本人にとってはリアルな経験に思えたのだろうけど。
305 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 23:39
>>303 霊を信じていないし経験もしていない人には、霊界があるという
考えは何の意味持たないけどね。
306 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 23:41
どちらにしても、佐倉氏には部分的にしか賛同できないね。
307 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 23:48
308 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 00:13
それでいいんだけど、逆に言えば拒否したい部分がどうしてあるということね。
309 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 00:29
>>300 ていうか、佐倉氏は霊や神の概念を否定してるよ。
霊を信じたら盲信と言うくらいだから
大槻教授にとっては頼もしい仲間になるだろう。
310 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 00:31
>>309 否定してないよ。ただ、不可知の問題だと言っているだけで。
311 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 00:48
>>310 佐倉氏は不可知なものを信じるのは否定するようです。
その点、カントとは異なる。
312 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 01:03
何が魅力なん
313 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 01:07
>>311 じゃあその個所をリンクするなり引用するなりして。書き逃げはやめてね。
314 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 01:10
315 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 01:19
>>314 レッテル張りはカルトがよくやる手口だよね。
316 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 01:30
一応、批判的に読むってことと、敵対する/味方になるってことは 違う二つのことですからね。具体的に論じて位置づけして欲しい。
317 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 07:07
>>315 同感。
論理的にかなわなくなると、そうやって逃避モードに入る。
はやく妄想から醒めてね。
318 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 08:35
え、思いっきり否定してるよな?信仰自体を。
319 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 08:41
320 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 08:47
>>319 ブー。
残念でした。
俺317だけど315とは別人だよ〜ん。
多分に思想的傾向は近いと思うがな。
321 :
320【追加】 :01/12/08 08:59
佐倉教信者のロンパーです。 自分の頭で考えることをしないので、とても、幸福です。 ちなみにこれは、「科学」です。 ところで、がんばってとエールを送ってもらいましたが、 がんばる必要は、ないのです。 なにせ自分の頭で考えることがないのですから。 まあそんなこんなで、 イエスさまの誕生日には、白い雪が降っていたと、 応援しています。
323 :
名無しさん@1周年 :01/12/09 00:19
地獄の責め苦って主観の判断に対して生じるものだろう。 客観的に証明されていることに対して責められる姿は思い付かない。
324 :
名無しさん@1周年 :01/12/10 22:52
>>323 ん?
何番の書き込みに対するレスなの?
意味不明だな。
325 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 09:23
>>322 「ロンパー」って名前ですか?
昔、ロンパー・ルームというのが有りましたが。
326 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 19:20
327 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 19:25
キリスト教の神は世界を作る前にはなにしてたんだろう?
>>326 いやー、
>>278 って頭いいねー。
書いてある事が難しくて理解できない。
あのように難解な文章は、とても俺には書けないな。
329 :
名無しさん@1周年 :01/12/13 02:19
>>278 ってGAIAでしょ
やっぱり工作員だったのね、、
330 :
幸福の価額 晒し :01/12/15 03:02
Age
331 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 00:17
佐倉哲ってなんかヤバイことやってるの?
332 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 17:05
>>331 ただ単に幸福の信者が盲信ぶりさらけだして
メッタクソ論破されまくってるって話。
そもそも、解脱した仏陀が生まれ変わるなんて、信じている者が パーリー語の経典を読んでいる佐倉氏にかなうわけがない。 大川はイタコ。しかも、精神指導者たちにチャネリングするペテンだと、 気付けないものたちを相手にするのは、佐倉氏もさぞつかれるだろう。そういえば、 大川は、三島由紀夫の霊とも交信したんじゃなかったっけ。
334 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 23:36
工作員って(w オウムじゃないんだから。。
335 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 23:37
>>大川はイタコ。しかも、精神指導者たちにチャネリングするペテンだと、 つーか、大川の「著作」はゴーストライターの手によるものである事は常識。 ちなみに、月刊誌「噂の真相」最新号(2002年1月号)P.88で詳しく暴露されている。
336 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 23:40
霊言だから、ゴーストが書いてるってオチじゃ
337 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 23:42
338 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 23:43
ん?講義で話したことを本にしてたと思うけど。
>>336 わっはっはっは!
笑った、笑った
傑作だね!!!
340 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 23:51
>>339 つうか、霊言集の内容が例え差別的であろうと、事実誤認があろうと、
「あれは私が言ったわけじゃない。霊がいったんだ。だから責任はとらん」
と言い訳できるわけです。
341 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 23:55
>>338 講義の話を誰かがまとめているってことかな。
内容知らないけど。
342 :
名無しさん@1周年 :01/12/18 00:04
すっかり業腹乃下顎スレに
343 :
名無しさん@1周年 :01/12/18 00:08
佐倉哲の思想がよくわからんしー
344 :
名無しさん@1周年 :01/12/18 00:11
345 :
名無しさん@1周年 :01/12/18 00:18
>>344 まあ「幅広い広大な思想」っていうのと全然ちゃうからね。
>>338 講義の原稿そのものをゴースト・ライターが書くのですよ。
まあ、裏を知ったら、馬鹿馬鹿しくて宗教なんかやってられなくなるでしょうね。
>ちなみに、月刊誌「噂の真相」最新号(2002年1月号)P.88で詳しく暴露されている。
今、内部では犯人捜しが行われてます。
347 :
名無しさん@1周年 :01/12/18 11:16
出版局のKだ。 知らんだろうな。
そりゃ知らんよ
350 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 07:08
>>346 立ち読みしたけど、あなた嘘つきだったのね。
嘘だと思うかい? ふっふっふっふ。 せっかく裏を書いたのに 信じようとしないなら まあ、しょうがない。 そうやって騙され続けてくれ。
353 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 21:53
なんじゃそれ?
354 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 10:40
しっかし、カルトの教義なんか、どれも馬鹿馬鹿しいものばかりだけど、 幸福の科学のレベルの低さにはあきれる。 あんなの、2、3ページ読んでポイだよ。 その意味で、真面目に検証している佐倉氏は大したもんだ。 幸福の科学の信者達も、その姿勢に答えて、まともな反論を加えたら?
それにしても佐倉氏は批判中毒だね。 あそこから広がればいいけど。 無理っぽいかな。
356 :
負け犬幸福の科学信者晒し上げ :01/12/23 02:38
355 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/12/23 01:53 それにしても佐倉氏は批判中毒だね。 あそこから広がればいいけど。 無理っぽいかな。
357 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 18:54
佐倉氏とか大槻教授のような人が増えれば 多くの宗教は存続の危機に立たされるのは 間違いない。 特に、カルトのほとんどは消滅するだろう。
358 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 19:02
359 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 19:28
>>357 その意味では、この板で両氏を非難する人の多くは
宗教の信者だろうね。
所属団体の危機を感じるとともに、自分の心に疑い
が生じるのが恐いのだろう。
しかし、そこまでして守る価値があるの?宗教って。
自分の人生は誰のものなの?
それをよく考えて欲しい。
どうしても、組織に忠誠を誓いたいというなら、
止めはしまい。
しかし、人生を棒に振るのは間違いないし、
非合法活動に携われば、この世からそれ相応の
制裁を受けるのを覚悟しておいて。
360 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 19:31
>>359 佐倉氏はともかく、大槻教授は同業者(というか理系専攻者)からの
批判も多いよ。
361 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 19:33
362 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 19:34
363 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 19:48
>>362 何ていう本に出てるの?
大槻教授の事。
364 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 20:03
>>363 と学会の昔の本に載ってるよ。今手元に「トンデモ本の逆襲」
しかないけど、これには載ってる。他の本にも大槻教授の名前
は出ていた記憶があるけど、あとは立ち読みでもして確かめてね。
365 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 20:57
>>364 返答ありがとう!
さっそく本屋で読んでみるよ。
366 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 22:29
>>360 に同意。
理系として大槻教授を見ていると恥ずかしい。
科学者なら、相手がどんなにアホだったとしても、もっと理論だった批判をしないと。
だから「TVタックル」とかで遊ばれてしまう。
>>357 が大槻教授を引き合いに出してしまったのは失敗。
367 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 22:42
>>366 大槻教授と韮沢さんのはやらせだよ。
放送作家がシナリオ書いてそれに沿って丁丁発止やっている。
そんなこと常識だと思っていたが・・・・・・。
韮沢氏と実際に合ったことあるが、非常に真面目な編集者という印象だった。 放送作家の書いた原稿を読むというのはおそらく正しい。 チゅーやんなんか、完全に原稿を読んでいるだけだから、 楽なもんだ。
>367 まともな科学者ならそんな恥ずかしいヤラセは受けない。 科学者ってこんなに感情的で短絡的で馬鹿なんですって言っているようなもの。 だから理系として恥ずかしい。粘着かと思われるほど隅々まで論破してこそ科学者。 大槻教授のやっていることは結果として反科学になってしまっている。 分かってやっているのなら大槻教授こそ反科学の急先鋒。
370 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 23:01
>粘着かと思われるほど隅々まで論破してこそ科学者。 だからそれでは視聴率は取れないんだよ。 少なくとも視聴者にノストラダムスや超能力や霊能力のトンデモさに 目を向けさせた功績は大。 彼は大変頭のいい人だからその辺のバランスを割り切ってやっているらしい。
371 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 23:04
>大槻教授のやっていることは結果として反科学になってしまっている。 TVのやっていることを真に受けるこんな純粋なひとがいまどき いたのか(´Д`;) こんなひとがオウムや幸福の科学にはまるんだろうな(´Д`;)
372 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 23:15
脱線しまくり
>彼は大変頭のいい人だからその辺のバランスを割り切ってやっているらしい。 でも結局キャラクターとして破綻してるじゃん。 どう見ても頭悪そうにしか見えないし。 そういう点でも恥ずかしいのだよ。 そこまで計算しているとしたら凄いが。 (´Д`;) は何かが変だ。(´Д`;)じゃないのか?ドーデモイイケド。
374 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 23:29
>どう見ても頭悪そうにしか見えないし。 ここらへんが恥ずかしい。 TVの虚像と実像の差を見抜けない学生臭満載なところが(´Д`;)
375 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 23:31
あのう。佐倉さんはもーどーでもいいってことでOKっすか。
>>374 だから
>>373 読んでてわかんないの?
演じているとしても恥ずかしいって逝ってんじゃん!
377 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 23:39
>>376 そこまで計算しているとしたら凄いが。
って基本的に演じているとは思ってないってことだろ(´Д`;)
378 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 23:41
>>376 大人の世界はいろいろあるんだよ。(´Д`;)
学生よ、頑張れよ。
379 :
名無しさん@1周年 :01/12/27 00:37
一般には科学はお笑いとしてしか受け入れられないってことか
>379 問題は、大槻教授がそれをわかってやっているのか否か、 と言うことなのだが、もうどうでも良いや。 お笑い芸人大槻マンセー!!! 彼は「科学お笑い」という新領域を開拓した先駆者だ!
381 :
名無しさん@1周年 :01/12/27 16:36
ピエールて、まさかピエール大瀧じゃないだろうな・・・・
382 :
名無しさん@1周年 :01/12/27 19:54
ピエール瀧なら知ってるけど?電気グルーブマンセー!
ますます謎だ・・・ 電気グループとは?
>>385 教えてくれてどうも。
サイト見たけど、電気グループとはバンドで
某ピエールとはミュージシャンのようだね。
大槻教授とどう関係あるの?
もしかして、佐倉哲氏と関係あり?
さらに謎は深まった・・・
387 :
名無しさん@1周年 :01/12/28 05:38
ぴえーる瀧?電気グルーブは名前だけしか知らない。 ピエール大瀧(たしか大瀧だったと思うんだが・・・) カミセンだか、トニセンだかのジャニーズのTV番組にでてる プロデューサーだと思う。ジャニーズの男の子一人と ちびっこ女の子4人の歌のグループのプロデュース。 何か、カレーの歌だと思う。意味無しだ。
瀧も大瀧も佐倉や大槻とは関係ないやん!
389 :
名無しさん@1周年 :01/12/29 07:29
佐倉さん、このスレに目を通しているのかなぁ? もし、見てたら感想を聞かせて下さい。
390 :
名無しさん@1周年 :01/12/31 10:13
年末・年始、時間はいくらでもあります。 じっくりと佐倉氏について語り合いましょう。
391 :
名無しさん@1周年 :01/12/31 16:06
佐倉氏ネタあんまり盛り上がらないな〜。
佐倉氏にTVタックルに出演させよう!で、幸福の科学信者と対決させる。 もちろん、最後に幸福の科学信者が怒ってスタジオを出ていくところまで台本通り。 また新たなお笑い分野を開拓だ! でも今時「幸福の科学」じゃ視聴率取れんな。。。。
393 :
名無しさん@1周年 :02/01/01 07:17
>>392 >でも今時「幸福の科学」じゃ視聴率取れんな。。。。
言えてる。
まだ活動してんのって感じ。
まあ、書店の宗教コーナーには
幸福の科学の本が並んでるから
生き延びてはいるのかな。
でも、この頃とんと聞かないね。
394 :
名無しさん@1周年 :02/01/01 17:02
>>392 現実問題、、
両者とも出演を強く拒否だろ
395 :
名無しさん@1周年 :02/01/01 18:06
>>394 確かに。
幸福の科学なんか相手にする訳がないか。
ところで、いかにもうさんくさいこの名前、なんとかならんの。
「幸福」と「科学」、この二つの間には全く直接的因果関係は見出す事はできない。
頭が少々足りないけど、プライドだけは一人前の世間知らずだけが引っかかるのだろうね。
396 :
名無しさん@1周年 :02/01/01 20:03
思いっきり相手にはしてるけどね。 佐倉氏もマスコミも。
397 :
名無しさん@1周年 :02/01/01 21:46
>>396 昔は相手にしていたね。
半分揶揄すべき存在として。
今は見る影も無い。
つまり記事として取り上げる
価値がなくなったと見ている
訳だ。
その点、佐倉氏は今でも
真面目に取り組んでいるのかな?
398 :
名無しさん@1周年 :02/01/02 02:05
最近は事件がないからね。 ただそれだけ。
>>394 いや、少なくとも幸福の科学信者は芸能人でも沢山いるから意外といけるのでは?
佐倉氏はどうか知らんが。
400 :
名無しさん@1周年 :02/01/02 07:43
>>399 ぬぁに。
幸福の科学信者の芸能人がいるとな。
昔、タレント作家とB級女性アナウンサー、キーボード奏者などが
いたのは知っておるぞ。
芸能界で、いまだに誰かいるのかのう。
401 :
名無しさん@1周年 :02/01/04 18:19
>>400 >昔、タレント作家とB級女性アナウンサー、キーボード奏者などが
ヘア・ヌード反〜対、なんてデモに参加してたね彼女。
でも、それ以降は仕事を干されたらしく見ないね。
キーボードの方は頭がボサボサの奴だろ。
何とかシンジとかいう名前だったな。
これまた幸福の科学に係わったとたんにテレビに出なくなった。
やっぱ、芸能界から追放されたんだろうね。
402 :
名無しさん@1周年 :02/01/04 18:25
>キーボードの方は頭がボサボサの奴だろ。 >何とかシンジとかいう名前だったな。 原田真二のこと? 大晦日、紅白で松田聖子のゲスト役でピアノ弾いてたジャン。
403 :
名無しさん@1周年 :02/01/04 18:28
ていうか何故このトピで?
404 :
名無しさん@1周年 :02/01/04 18:33
まあ、創価学会も芸能人たくさんいるのにイケテナイので、 あんま関係ないかも。 学会より話題性はあるだろうけど。
>>402 あ、本当?
まだ芸能活動してたんだ。
ここ数年紅白なんて見てなくてね。。。
406 :
名無しさん@1周年 :02/01/07 20:40
>>403 >ていうか何故このトピで?
言えてる。
誰じゃ?幸福の科学の話を持ち出したのは。
このスレは佐倉哲の話題限定。
407 :
名無しさん@1周年 :02/01/07 22:13
では、佐倉氏の話題に戻してあげよう(笑)。 僕は神学部の大学院にいる者ですが、佐倉さんの 「聖書の間違い」は、けっこう話題ですよ。 それこそ、トンデモ本として、ですけどね。 素人にしては聖書批評学を少しかじったかな、って ところですかね。でも、参考文献が古すぎて、神学界 では とっくの昔に解決済みの個所を問題視していたり する。 あと、この人はギリシャ語・ヘブル語の原文を全く読めない みたいですね。日本語や英語の聖書だけで論じるから、原典には 全く無い語について、一生懸命書いてたりする(笑)。 でも、勉強不足の怠惰な神学生を啓発するという功績があるので とても貴重な人だと思います、マジで。
>>407 ふーむ。
彼の業績内容は評価しないが真摯な姿勢は
一定の評価はしているって感じかな。
ところで、神学というのは人間が知恵を寄せ
合って聖書の解釈を決めて行くものなの?
今一つ、神学という「学問」の存在意義が不明。
また、佐倉氏から話題がそれて申し訳ないが、
常日頃思っていた疑問なんで教えて!
409 :
名無しさん@1周年 :02/01/07 22:35
神学って「キリスト教えらい!」が前提の文献学とか考証学みたいなもんだろ? 科学的思考とは両立するのかな?
レス付くの早いね。さすが2ちゃん。 神学が何かというのを、このスレで説明するのは至難の業ですが、 聖書を体系的に理解しうとする試み、と定義する方がいいですね。 体系化に関するアプローチ方法は、神学体系によって違います。 むろん、体系化するのは神様ではなくて人間です(笑)。 でも、多くの学者は佐倉氏と同様、いや それ以上に真摯に 研究しているので、学ぶ価値はあると思います。 聖書というのは、我々が 教会での説教や日常の実践について 用いやすいように、順序だてて書かれてはいません(もちろん、 それなりの順序はあるのですが)。ですから、実際の教育の場で 「聖書は、このテーマについて、どう教えているか」といった テーマ別に括るのが組織神学ですね(う〜ん、荒っぽい定義だ)。 だから、神学は聖書そのものではなく、「聖書を、どう他人に 説明するか」というものなのです。説明の仕方(教理のまとめ方) ですので、より良いまとめ方が発表されれば、その説明の仕方が 主流になります。その点では、確かに学問ですね。 ‥‥さて、一席論じた(ってほどでもないけど)ところで、 明日のギリシャ語の試験勉強に戻ろう‥‥。ではでは。
>現代の「学者」たるものにとっては、おそらくとてもはずかしくて出来ないよう >な作業です。聖書には間違いがある、というような学術的論文を書いたら、学会 >で笑われてしまうでしょう。学者という立場ならとても恥ずかしくて出来ない低 >俗な「聖書のあら探し」を、マジでやっているところが、この「聖書の間違い」 >シリーズの存在価値といえるかもしれません。 >わたしが、「聖書は神の言葉であり、いかなる誤謬も含まない」という主張にこ >だわっているのは、「はじめに」でも説明しているように、この主張が「聖書に >書かれているから真理である」という主張に他ならず、それはとりもなおさず、 >真理の主張が、知識を根拠にしてではなく、権威を根拠になされていることを意 >味しているからです。真理の主張が、知識ではなく、権威と信仰に依存してなさ >れるとき、たとえば、殺人命令さえも簡単に正義となることが、林郁夫の手記「オ >ウムと私」(『文芸春秋』七月号)によくうかがえます。ですから、真理の主張 >が権威に依存してなされるとき、たとえ、ばかばかしい主張と思っても、それを >オープンな場所で吟味のまな板に載せることは、それほど意味のないことでもあ >るまいと思われるのです。 と答えている。だったらはじめからそれをもっと強調してくれよ、という気がするのだが。 佐倉氏はなんかこういうところがぶっきらぼうというか、舌っ足らずなところがある。 それで誤解を受けているところも大いにあると思うのだが。 ここのやりとりの最後では、佐倉氏も現代神学を取り入れていくことに少し関心 があるようなことをにおわせているようだ。なぜやってこなかったかは読めば分かる。 いずれにしろ上記の渡辺氏と佐倉氏のやりとりはとても面白い。 神学部の院生さん是非読んでみて。長文すまん。
413 :
名無しさん@1周年 :02/01/14 08:40
>>412 >わたしが、「聖書は神の言葉であり、いかなる誤謬も含まない」という主張にこ
>だわっているのは、「はじめに」でも説明しているように、この主張が「聖書に
>書かれているから真理である」という主張に他ならず、それはとりもなおさず、
>真理の主張が、知識を根拠にしてではなく、権威を根拠になされていることを意
>味しているからです。真理の主張が、知識ではなく、権威と信仰に依存してなさ
>れるとき、たとえば、殺人命令さえも簡単に正義となる
本当にその通りだと思う。
だからキリスト教は神学なんていう学問もどきは廃止して
純粋に信仰のみに生きるべきである。
414 :
名無しさん@1周年 :02/01/14 11:31
上の書き込みは、佐倉氏の主張を本当に理解しているのか? 彼はキリスト教の信仰を批判し、聖書は間違ってると言ってる 人なんだよ。
>>414 ファンダメンタルな信仰の批判とか
聖書の間違いは指摘しているが、
キリスト教信仰の否定や
聖書は間違ってるなどとはいっていないと思う。
416 :
名無しさん@1周年 :02/01/14 16:46
じゃ、HPにデカデカと載ってる「聖書の間違い」って コーナーは、なによ!?
417 :
名無しさん@1周年 :02/01/14 16:51
>>415 さんは「聖書は間違ってるなどとはいっていない…」
>>416 さんは「聖書の間違い」と、それぞれ書いている。
佐倉氏は「聖書の一部は間違い」と言っているのでは?
いや、
>>412 を読んで貰えば分かると思うが、もっと正確に言えば、要するに佐倉氏は
「聖書は神の言葉であり、いかなる誤謬も含まない」という主張が間違っている、
ということを言いたいだけのだ。
そのために、聖書の中に見られる矛盾をわざわざ細かいところまで示しているのだ。
>>418 なるほど納得。とても分かりやすい要約だ。
聖書の無誤謬性を否定してみせただけで
以降の価値判断は読者に任せている訳である。
それなのに、なぜクリスチャン達は悔しがって
氏に反論するのだろう?
やっぱり、日頃から心の奥底で渦巻いている
疑問が表出しそうになるのを未然に防ごうと
しているのではないだろうか?
痛いところを突かれたら、真摯に内省して
みるべきではないだろうか?
それが、真の求道ではないだろうか?
420 :
名無しさん@1周年 :02/01/14 21:29
>>419 真理なんて無価値。
幸福こそ価値がある。
421 :
名無しさん@1周年 :02/01/14 21:31
>>420 真の幸福って何なんだろう?
真理が無価値だというのは同意。
真理なんて抽象的なものはいらないね。
>それなのに、なぜクリスチャン達は悔しがって
>氏に反論するのだろう?
反論しているのは基本的に「聖書に書いてあることは『一字一句』そのまま正しい」と本気で信じている、
ファンダメンタリストと呼ばれる超保守派の人たちが殆どだと思われる。
「原理主義者」と呼ぶと嫌がる人が多いのだが、まあ、そう呼んでも差し支えないだろう。
そうじゃない人はやっきになって反論したりはしていないと思う。
一口にクリスチャンといってもリベラル派から超保守派までいろいろいるからね。
くりかえしになるが、結局、「聖書は神の言葉であり、いかなる誤謬も含まない」と主張している人が
反論しているだけ、ということだろう。
(「来訪者の声」を全部読んだ訳じゃないから断言できないが。)
>痛いところを突かれたら、真摯に内省して
>みるべきではないだろうか?
>それが、真の求道ではないだろうか?
そういった内省は既に多くの先人達によってなされており、これからも続いていくだろう。
(神学でやっていることにもそういうことは含まれると思う)
ただ、佐倉氏は自分の思想をあえて持たないと言うか、思想を持つことをそもそも
否定しようとしているふしすらあるような気がするので、佐倉氏はあまり関心がないだろう。
ここら辺のことはこのスレの
>>200-230 あたりを読めばよく分かると思う。
佐倉氏は聖書どころか、信仰、宗教そのものを否定してるよ。
>423 だから、究極的には、佐倉氏は、信仰・宗教どころか、思想・信条を持つことすら否定したいのでは?
そうだね。そして、彼のHPでの主張を見ると、 結局のところ、宗教の持つ問題点を指摘しようと して、それらの宗教よりも ずっとひどい結果に なってしまっている。だから批判している人は キリスト教に限らず、思想・信条を重視して生きて いる人すべてになると思うよ。
426 :
名無しさん@1周年 :02/01/15 07:17
>>425 そうかな?
>ずっとひどい結果
とは具体的にどの箇所の事を指してるの?
>思想・信条を重視して生きている人
俺も思想・信条を重視して生きているけれども
佐倉氏の文章にはうなずけるものが多いよ。
427 :
名無しさん@1周年 :02/01/15 07:34
めでてーな
428 :
名無しさん@1周年 :02/01/15 07:45
愛のみ実在、真理のみ実在。あーめん
429 :
名無しさん@1周年 :02/01/15 09:36
佐倉氏の文章にうなずいてること自体が、自分が思ってるほど 思想・信条を重視していないことの表れである(爆)。
430 :
名無しさん@1周年 :02/01/15 10:28
431 :
幸福の科学信者 晒し :02/01/15 14:46
425 名前:168 投稿日:02/01/15 01:25 そうだね。そして、彼のHPでの主張を見ると、 結局のところ、宗教の持つ問題点を指摘しようと して、それらの宗教よりも ずっとひどい結果に なってしまっている。だから批判している人は キリスト教に限らず、思想・信条を重視して生きて いる人すべてになると思うよ。 429 名前:名無しさん@1周年 投稿日:02/01/15 09:36 佐倉氏の文章にうなずいてること自体が、自分が思ってるほど 思想・信条を重視していないことの表れである(爆)。
432 :
名無しさん@1周年 :02/01/15 15:10
佐倉の文は内容がうすっぺらい。ひとつひとつ例をあげればきりがないが
精神的な洞察は拙稚だ。だから
>>429 の意見は正鵠をついている。
もっと脳味噌を使って考えろ。
>>430 と
>>426 の頭でっかち尻軽い厨房よ。
433 :
名無しさん@1周年 :02/01/15 15:26
>>432 精神的な洞察ってなんだよ。
彼の本意は現代社会に蔓延る"盲信”に対する警鐘だろ。
434 :
名無しさん@1周年 :02/01/15 16:17
その佐倉氏は、いまや時代遅れのリベラリズムを盲信している
435 :
名無しさん@1周年 :02/01/15 16:20
436 :
名無しさん@1周年 :02/01/15 16:24
「リベラリズムを盲信」っていったいどういう意味だよ。(´Д`;)
437 :
名無しさん@1周年 :02/01/15 18:17
たしかに佐倉氏は古いよね。
438 :
名無しさん@1周年 :02/01/15 18:21
佐倉信者は議論できませーん。
439 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 00:44
「リベラリズムを盲信」ってのは、佐倉氏が聖書の無誤性に反対する 際のアプローチが、19世紀末から20世紀初頭にリベラル派の学者たちが 唱えた主張を焼きなおしてるに過ぎないからでしょう。 これは現在、保守派・根本主義の神学会はもちろん、当のリベラル派の 学者ですら間違いだと認識しているアプローチなのだが‥‥。佐倉氏は いまだに同じ主張を繰り返している。参考文献が古いのは、結局、彼の 主張を裏付けようとすれば、そういう古い文献しかないからで、本人が 不勉強なためではないと思われ。
>>439 >当のリベラル派の学者ですら間違いだと認識しているアプローチ
あの…、リベラリズムの誤りって何ですか?
手短で結構ですので、教えて下さい。
441 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 07:04
>>440 Everything is mistake in leberalism. (HAHAHA)
442 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 08:06
リベラル派の誤りってのは彼らがクリスチャンだからであって、 クリスチャンじゃない佐倉氏はまた別の話だと思うけど。
443 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 08:11
>>442 クリスチャンはキリスト教の原理が全ての人に適用される
と思っているのでは?
444 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 08:30
>>440 すごく乱暴に言えば、
「進化論が正しい」
「海が割れるはずがない」
「処女懐妊なんてあるわけない」
「死人が生き返るって(w」
っていう解釈のもとに聖書を読んでいったら、残るものなんて
パウロのクソつまらねえ手紙とかだけになっちゃうでしょ?
それをクリスチャンがやっちゃったってこと。
==H====================================================== 2ちゃんねるのお勧めな話題と ネットでの面白い出来事を配送したいと思ってます。。。 ===============================読者数:84480人 発行日:2001/12/21 どもども、ひろゆきですー。 こないだのメルマガでお知らせしましたが、警察を相手にしたおいらの勇姿見てくれましたかー? 警察を相手にしても一歩も引かなかったですよー。 いやあ、5月に珍走団に土下座させられて以来、「ひろゆきってヘタレ?」なんて言う奴等が いるので頑張ってみたですよー。 「得意気に武勇伝を披露する中学生みたいで馬鹿みたい」なんて声も聞きますが大きなお世話ですー。 実を言うと、おいらは企業や警察を相手に勇姿を見せるのは結構得意なんですー。 この連中はいきなりパーンチやキーック飛ばしてくることはないですからねー。 苦手なのはやっぱり珍走の連中ですー。 あいつらときたら、おいらの屁理屈に全く耳を貸しませんからねー。 まったく困った連中ですー。えぇえぇ、、、 ところで今回発売した本の中で珍走団との一件をいかにもクールに乗りきったように嘘を吐いて しまいましたが、これって奴等の世界じゃ背信行為に当たるんですよねー? 本当は丁重に詫びて許してもらったわけですからー。 もし珍走団がそれを読んで再び乗り込んできたらどうしたらいいんすかねー? もちろん言い分けは用意してありますけど、言葉遊びに付き合ってくれるかなあ、、、 なんだかちょっぴり不安な今日この頃ですー。。。 それはさておき、最近みんなおいらに冷たくない?なーんか信者だって激減してきたしー、、、 以前はネット王子とかwebヒーローなんて言ってもて囃してくれてたじゃん、、、 それが最近じゃ、ワキガ王子に歯糞オトコなんて、、、ちょっとひどいよー(泣 明日からは頼んだじょ! んじゃ!
>>444 なるほど分かりやすい。
ご教授ありがとうございます。
それなら
>>442 さんの言うように
クリスチャンじゃない人がそう思ったって
何の問題もないように思えます。
違うよ。最大の問題とされているのは、むしろギリシャ語や ヘブル語などの、聖書言語の研究の成果によるものだからね。 つまり、20世紀初頭までの批評学に欠如していた聖書以外の 古代イスラエルの文献が、聖書考古学の進歩により、ここ 数十年で数多く発見された。それで、当時の人が聖書に使用 されている語を、どのように用いていたのかが明らかになって きたわけ。 たとえば、ヘブル語における数詞の読み方。ローマ式のような 十進法ではないヘブル語の数は、正直言って専門家でも確定させ にくかった。でも、現在は当時の人の表記の法則は、かなり解明 されている。これによって、列王記と歴代誌の数の違いの多くは 間違いでも何でもない、ということが明らかになった。だから 現在は佐倉氏が問題視してる個所の多くは、保守・リベラルに関係 なく、間違いではないと結論するのに、佐倉氏は依然として勘違い した主張を繰り返しているってわけ。
448 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 14:30
よくわかった
449 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 14:36
>>444 全然違う。佐倉氏がつっついているのは聖書の矛盾。
奇跡物語についてはほとんど言及していない。
450 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 14:45
>>447 そのいいわけはあまりにも苦しい。
矛盾ではないと主張するための無理矢理の解釈。
451 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 15:04
でも、佐倉氏は原語の話を切り出されると、急に取り乱すでしょ? 彼のHPに投稿のあった記事で、近年の批評学の成果である 「グランビル・シャープの法則」(いまや神学部の学生なら 誰でも知ってる常識)について指摘され、何の言語的根拠も無しに 「保守神学に毒された、あわれな見解」とだけ切り捨てていた。 その態度、よく考えれば、450と共通するな(笑)。 ひょっとして、本人ですか?
452 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 15:12
原理主義者たちよりある意味本人の方が頭カタかったりするし
453 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 15:30
>>451 グランビル・シャープの法則を勉強すると、列王記と歴代誌の
数の違いの多くは間違いでも何でもないと理解できるようにな
るんですか?(失笑)
454 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 15:36
453はアホだな!? 「グランビル・シャープの法則」はギリシャ語の法則で 新約聖書を論じる際に問題になるのだよ(おもに、三位一体に 関して)。 旧約聖書である列王記と歴代誌は、ヘブル語で書かれているって のは、いくらアホな君でも知ってるだろ(失笑×2)? また別の話なんだよ! ああ、アホを相手にマジレスしてしまった自分が鬱だ‥‥。
455 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 15:40
>>454 だから失笑したんだよ。
>>447 で例にあげているのはなんだ。
もう一度読んで見ろ、アホ。
>>449 そりゃそうだ。だって444は佐倉氏について書いたんじゃないもの。
ってまあどうでもいいか……
457 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 15:51
447上段へのレスなんだろ、451は。
458 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 15:53
なんだか、誰への書き込みなのか 分かりづらくなってきたな、このスレ。
459 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 16:29
名無しに同一人格を仮定して難癖つけてもはじまらんと思うが
460 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 20:04
ところで、ここのスレには最近、キリスト教関連の人の 書き込みばかり目立つけど、佐倉さんのHPには仏教に ついての記事もあるよね。その内容は、仏教徒の人たちに どう映ってるのかな?
461 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 20:21
>>460 中村元に影響されすぎ。
西洋哲学的な解釈に偏りすぎ。
原始仏教?
なんで小乗をそんな評価するのかわからない。
もちろん輪廻はある。
やっぱり大乗だよね。
そもそも仏教は頭でやるもんじゃない。
文献しこしこ読んでもそれだけじゃ仏教の神髄はわからない。
実践してなんぼなんだよ!
それがわかってない!!
てな感じかと。
462 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 20:53
>>460 佐倉氏はキリスト教の二元論に見切りをつけ、
仏教なかんずく世俗と妥協しやすい大乗ではなく
小乗に好感を持っているような印象があるが・・・
463 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 20:58
形而上学的な質問には答えないという釈尊の立場に共感したんだろう。
464 :
名無しさん@1周年 :02/01/16 21:42
>>463 済みません。
形而上学的とはどのような意味なんですか?
日常的には使わない言葉なのでよく分かりません。
噛み砕いてご説明下さい。
よろしくお願いします。
けいじじょう‐がく【形而上学】‥ジヤウ‥ (metaphysics) (1)元来「自然学の後に置かれた書」(ta meta ta physika ギリシア)という意味の語で、 アリストテレスの死後、著書編集の際に、存在の根本原理を論じた書をロドスのアンド ロニコスが自然学書の後に配列したことに由来。アリストテレスはこれを第一哲学と呼び、 それは、哲学史・定義集・存在論・自然神学の四部に分けてある。 (2)現象を超越し、またはその背後に在るものの真の本質、存在の根本原理、絶対存在を 純粋思惟により或いは直観によって探究しようとする学問。神・世界・霊魂などがその主要問題。 完結でわかりやすい説明だと思う。正確かどうかは知らんが。(2)がここでの意味かと。
完結→簡潔
>>465 わざわざ辞書まで引用してくれて、どうもありがとうございます。
当スレが下がっていて、今まで気が付きませんでした。
お蔭様で
>>463 の文章の意味が理解できました。
釈尊が「形而上学」と言う言葉は使っていた訳ではないでしょうが、
神・世界・霊魂などの質問に答えなかったのは初耳です。
まあ、仏教徒だったら常識なのでしょうけど・・・
それにしても、なぜ釈尊は形而上学的質問に答えなかったのでしょう。
悟りを開いたから、もうそのような問題はどうでもよくなったかな?
468 :
名無しさん@1周年 :02/01/18 11:07
このスレよく続くなぁ、感心するよ。これもひとえに反佐倉レスを一律
「幸福の科学信者」と決めつける
>>435 の狂信ぶりの賜だ、がんばれよ・・
あ、
>>435 もしかして名無しの他に「ロンパー」のコテハンも使ってるか?
考えることをやめた云々ってのを何度もカキコしてたけど、あれはニーチェ
の「子供の時代」のパロディかぁ?だとしたら永井均あたりの本でにわか仕
込みしたのが丸見えだぞ。『生成の目的に対する幻滅』の解釈をするとき、
ヤツは決まって「考えることをやめる」ってフレーズを持ち出すからな。
釈尊が形而上学的な質問には答えないという訳ではない。そのような命題
を思索したりすることは凡夫である我々にとってあまり意味がないから、
そのほかのことにエネルギーをつかいなさいな、というスタンスだったと
いうこと。
「不可視不可知な何かはあるかもしれないよぉ、われわれの世界はその何か
に強い影響をうけているかもしれないねぇ、だがたとえそうだとしても『見
えない・分からない』のだからそれを云々するのはとってもムダなこと
でしょ。よしんばその何かが恣意的に我々を導いているとしたなら、その瞬
間に『不可視・不可知』ではなくなっちゃうよ。なぜなら『恣意性』という
概念は充分理解できるものだからねぇ…だから、僕たちパンピーは自分の分
かること、出来ることをしっかりやればいいんだよ。そうやってひとつづつ
すこしずつ分かること、出来ることを増やしていけば、最後には分からない
こと、出来ないことは何一つなくなってしまうでしょ?即ちそういう状態
になったら形而上学的な問題はのこらず存在論認識論に変わってしまう
もんね、そうなりゃ楽勝だよ〜ん。
と、釈迦が言ったかどうかは別にして仏教(釈尊段階の)に於ける神・霊魂
といった概念へのスタンスはこんな感じだ。但し大乗仏教段階ではもう
ちょっと違う要素も入ってくる。
469 :
名無しさん@1周年 :02/01/18 11:09
>>468 それって釈尊か?微妙にヘーゲルっぽいが。
470 :
名無しさん@1周年 :02/01/18 13:02
なぜかキリスト教絡みの話題の時の方が 盛り上がってたな。2チャンには、仏教系 読者は少ないのか?
471 :
名無しさん@1周年 :02/01/18 13:29
>>468 >「幸福の科学信者」と決めつける
>>435 の狂信ぶりの賜だ、がんばれよ・・
>>470 >なぜかキリスト教絡みの話題の時の方が盛り上がってたな。
このスレには、聖書の誤りを指摘されて悔しがっているクリスチャンが
たくさん棲息しているぞ。
472 :
名無しさん@1周年 :02/01/18 14:13
普通の仏教徒は教義の話しあまりしないからね。
473 :
名無しさん@1周年 :02/01/18 23:06
>>469 無問題!スピノザなんて大日経だしね(藁
橋爪大三郎あたりの哲学アンチョコ本なんて未だに
「ショーペンハウエルと仏教哲学の関連」なんて書いてる(激藁
ま、たしかに「一切皆苦」ってとこは共通ですけどねぇ
474 :
名無しさん@1周年 :02/01/18 23:23
>>468 どこが釈迦なんだか・・・ うさんくさいなぁ
475 :
名無しさん@1周年 :02/01/18 23:37
>471 聖書の正しさを指摘されて悔しがってる アンチ・クリスチャンも、それ以上いるぞ(藁
476 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 00:36
>>439 言ってることに一貫性がないから453みたいに勘違いする人が出るんだよ。
それにしても451の要約なんて悪意丸出しだな……
477 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 01:38
>>474 岸本英夫とかの本で知識仕入れると大体こんな結論になる。
いま中観派とか研究してるひと(東大の山口教授とか)も基本的には同じ。
仏教学的には中村系(学界内の権力一番)・岸本系(大乗中心)・渡辺系
(不可知論をフィーチャー)みたいな色分けが「何となく」できるけど、
釈尊自身のメタ議論忌避って解釈は共通項だよ、それを根幹思想視するか
しないかでは別れるけどね。
佐倉氏は中村元しか読んでないらしい、八正道とか縁起とかだけを執拗に
繰り返すのは中村系書物に傾倒する自称「仏教主義者」の特徴。
>>451 の言い分は正しいんだけど「グランビル・シャープ」なんかを引き合い
に出した時点ですでに佐倉氏の術中にはまっている。
>>435 とか
>>471 とか
>>476 みたいな佐倉教信者は納得しない。佐倉氏の巧妙なところは近代以降の
神学的業績を一律に「狂信」扱いして頭から否定し、その裏でスコ哲の都合
のいいところだけ援用して「神学に詳しい自分が神学を懐疑している」と
装う点。倫社(ふるぅ〜)の教科書に載ってて何となく「えらそうだなあ」
とパンピーが皮膚感覚で感じる人の言葉を上手く使って、専門書の片隅に
名前が載るような研究を攻撃する。
ありていにいえばヘーゲル主義者を自称するものがフォイエルバッハを
こきおろすさまを見て「思想の勝利だ」と喝采するようなもの。
あるいはスモールマウスバス排除を声高に主張するブラックバスヲタを
エコロジストと持ち上げるようなもの、だといえよう。
むしろ佐倉氏には「テルトゥリアヌス問題」でもぶつけた方が面白い。
478 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 01:41
それを言うなら、佐倉氏のHPの内容は もっと悪意に彩られているぞ(w
476へのレスね。 読みにくくなってスマン。 477の指摘も面白いな。 佐倉氏の仏教関係のソースは 相当貧弱だと指摘する人、多いね。
480 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 01:49
佐倉氏のHPで「グランビル・シャープの法則」に触れている所ってどこ?リンクすれ。
おおっ佐倉信者にされてる…… なんでかね…… 477さんは451の引用元の文章読んだ上で「451の言い分は正しい」って書いてんの? そんな部分ないと思うんだけど?
482 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 02:04
483 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 02:08
>480 「来訪者の声」の「キリスト教・聖書に関する」のを 選び、98年1月10日の鈴木登氏の投稿と、佐倉氏の 返答をみれ。「グランビル・シャープの法則」を 「小さな保守神学者の内輪だけに出回っている偏った」もの であると書いてある(実際は、保守陣営のみならず 自由主義神学者・カトリック神学者を含め、現代神学の 常識)。この鈴木登という投稿者は、かなりの聖書原語の 知識を持っているようで、毎回かなり学究的な内容の投稿を 寄せていたが、追い詰められるにつれ佐倉氏が逆上していく のが面白かった(笑)。
484 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 02:13
>>483 おいおい。読んでみたけど、佐倉氏は「グランビル・シャープの法則」
を否定していないじゃないか。あほくさ。
485 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 02:23
もっともらしい用語に騙されるとこだったYO!! ソースにあたるのは重要だと思い知ったなり。
486 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 02:25
おいおい、484は日本語が読めてないぞ。 まさか、鈴木氏の投稿の方を読んでんじゃ ないだろうな(藁
487 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 02:32
佐倉氏の返信の方に、「グランビル・シャープ」って 言葉が出て来ないから、見つけにくいんだろ。 佐倉氏の返信のなかで、テサロニケの聖句ふたつを 並べて三位一体を否定してる部分は、鈴木氏が グランビル・シャープの原則を用いた部分への反論に なってるんだよ、484さん。
まじっすか…… 佐倉氏の発言を、 「小さな保守神学者の内輪だけに出回っている偏った」 って、どうして途中で引用を切っちゃうの? 「小さな保守的神学者の内輪だけに出回っている偏った訳出ではないですか」 って最後まで引用しなよ。 ここで佐倉氏が否定してるのは「グランビル・シャープの法則」という文法上の規則ではなくて、 鈴木氏の翻訳の方でしょう?
489 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 02:44
佐倉氏の主張を要約すると、グランビル・シャープの法則を適用したとしても、 「イエスは神である」という積極的な主張を聖書の中に見つけることは出来な いってことでしょう。グランビル・シャープの法則自体を否定しているわけじ ゃないよ。
490 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 03:02
>488、489 違うんじゃない? 鈴木氏はグランビル・シャープの 法則を用いて そう訳すべきだと主張してるんだから。 それに対し、反論できるだけの原語の知識を持たない 佐倉氏は、他の如何なる聖書も、そんな翻訳(三位一体を 支持するような翻訳)はしていないというのを根拠に 鈴木氏の意見を否定しているわけ。でも、引用されてる 聖書は、いずれも この法則が認知される前に訳出された ものなんだけどね(笑)。 これは余談だけど、問題のテサロニケの個所での この訳し方に否定的なのは(佐倉氏が評価する) エホバの証人も そうで、そこでは何と この 法則が発見(?)される百年以上前に活躍してた 言語学者のコメントが採用されている(笑)。 これって、ライト兄弟以前の科学者が、「人が 空を飛べるような機械を発明するのは、むずかしい だろう。」と発言してるコメントを引用して 飛行機を否定するようなもんだね(爆)。
491 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 03:06
鈴木氏の翻訳は「グランビル・シャープの法則」
に依って成っている。
↓
佐倉氏は「鈴木氏の翻訳は誤っている」と指摘する
↓
即ち佐倉氏は
「グランビル・シャープの法則に依る鈴木氏の翻訳は誤っている」
と指摘している。
↓
とりもなおさず佐倉氏は
「グランビル・シャープに依ることが誤っている」
と指摘しているのと同じ。
>>488 の指摘は
『鈴木氏の翻訳は「グランビル・シャープの法則」
という文法上の規則すら無視した勝手な恣意訳だ』
という前提でないと成り立たない。
ところで手元に
Harper Collins Publishersの「ENGLISH-GREEK DICTIONARY」と
白水社「現代ギリシャ語の入門」があるけど、そのどっちにも
「グランビル・シャープの法則という文法上の規則」載ってない。
したがって
「グランビル・シャープの法則」
は、ギリシャ語文法の法則ではなく、聖書解釈における神学上の学説を指すと思われる。
佐倉氏が「そんな訳をしてる聖書はどこにもない」と反駁するのは当然。だって
「グランビル・シャープの法則が発表される以前の訳出」
と比較して
「そんな訳をしてる聖書はどこにもない」
といってるんだから。
>>477 の指摘のとおりだな。
492 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 03:10
493 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 03:16
>>491 グランビル・シャープの法則が発表されたのっていつ?
494 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 03:18
>>492 に対して
もう寝ろよ、佐倉教信者くん、ってカキコしたら
オマエモナーコウフクノカガクシンジャってカキコが帰ってくるわけで(激爆
495 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 03:19
496 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 03:28
>>491 >佐倉氏は「鈴木氏の翻訳は誤っている」と指摘する
2テサロニケ1:12 それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、
2テサロニケ2:16 どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、
佐倉氏が指摘しているのは、上記の鈴木氏の訳から「イエスは神である」という
積極的な主張を導き出すことは出来ないということ。よって、「グランビル・シ
ャープに依ることが誤っていると指摘しているのと同じ。」という
>>491 の主張は
的外れ。
>496 いや、それは違うんじゃないかな。 ギリシャ語の原文から496に引用されているような訳になるのは、 鈴木氏の思い込みなんじゃ?っていうのが佐倉氏の意見だと思うよ。 491の四段論法はいくらなんでも無理あると思うけど。
498 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 03:45
>497 そうだね。グランビル・シャープの法則を拒否せずに 他の理由で鈴木氏の訳し方を否定したのなら、その 理由は他の聖書(その法則が普及する以前のもの)が そう訳してないからということになる。どっちにしろ 佐倉氏の言い分は苦しいな。
499 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 03:49
訳し方が問題なのではなく、その訳の解釈の仕方が問題だといっとるんでしょう?
500 :
名無しさん@一周年 :02/01/19 03:49
佐倉哲が500人!
501 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 03:56
>>499 そのほうが悪質。
>私たちの神「であり」主であるイエス・キリストの恵みによって、
>私たちの主イエス・キリスト「であり」、私たちの父なる神である方
「であり」をandとかtooとか訳せない、っていってるのと同じ。
中一のリーダーからやりなおしなさいってこった。
502 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 03:59
>>501 私の質問には誰も答えないな。
グランビル・シャープの法則が発表されたのっていつ?
>498 そこがよくわからないんだよね。 「グランビル・シャープの法則」を適用すると鈴木氏のような翻訳になるものなの? 鈴木氏自身の説明を読んでもそうは思えないんだけど…… あと誰かグランビル・シャープの法則の発表時期とそれに対する各種聖書発行協会の 対応状況なんぞを一つこの門外漢に教えて頂戴。
504 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 04:02
>>501 結局問題なのは「イエスは神である」という主張を聖書から導き出す
ことができるのかどうかって所。あなたはどう思う?
505 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 04:17
鈴木氏の訳。 2テサロニケ1:12 それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、 2テサロニケ2:16 どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、 口語訳 それは、わたしたちの神と主イエス・キリストとの恵みによって どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、(略)わたしたちの父なる神とが 新改訳 それは、私たちの神であり主であるイエスキリストの恵みによって、 どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、 新共同訳 それは、わたしたちの神と主イエス・キリストの恵みによって、 わたしたちの主イエスキリスト御自身、ならびに、(略)わたしたちの父である神が うわははははは。鈴木氏の訳とはすなわち新改訳のこと。新改訳の訳に問題がある のは常識ってことで。
確かに、新改訳の訳は問題ありすぎという話は常識だが、だからといって隅から隅まで問題だらけというわけでも無かろう。 これだけでは証拠不十分かと。
507 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 04:26
新改訳を元に佐倉批判か。まったくおめでたい連中だよ。
508 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 04:28
>>506 そうだね。不十分だね。じゃあ、他の聖書の訳と比べてみようか?(ワラ
509 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 06:28
佐倉信者なんているんだ。
以前書き込みした、神学部の院生です。 しばらく来ないうちに、えらく専門的な書き込みが続いてたんですね。 その方が、僕的には面白いのですが。で、きょうは493,502,503 などの皆さんが疑問に思っている「グランビル・シャープの法則」に ついて、簡単に(?)書いてみたいと思います。修士課程でかなり詳しく やったので、いちおう覚えてるはずなんですが‥‥。 まず最初に、新約聖書が書かれた当時のギリシャ語は、正確には コイネー・ギリシャ語といって、現代のギリシャ語とは別物です。 ですから、491さんが持っておられるような現代ギリシャ語の 文法書にこの法則が載っていないのは、当然といえましょう。 したがって、神学解釈上の法則ではなく、純然たる文法事項です。
続きです。 グランビル・シャープの法則とは、その名の示すとおり グランビル・シャープという人が発表した、コイネー・ギリシャ語に おける定冠詞についての法則です。1798年に発表されました。 その時、彼が発表した定冠詞に関する法則は、実は全部で6つあり、 こんにち我々が「グランビル・シャープの法則」と呼んでいるものは そのうちのひとつに過ぎません。そして、これが その後150年 近くに渡って この法則が事実上忘れ去られた存在になった理由でも あるのですが、他の5つは 学問的にはたいしたことのないもの だったのです。しかし、ひとつだけ、鈴木登氏が引用したものだけが その後の神学界に残る、記念碑的な発見となったのです。 しかし、この法則の発見は、上記の他の5つがレベルの低いものだった こと意外にも、いくつかの理由で忘れ去られていきます。 まず第一に、グランビル・シャープ氏の当初の論証が、学問的には 不十分だったことが挙げられます。彼は、この法則を、人称名詞が 単数で使用されているケースにのみ論証し、物質名詞につくケースや 複数形の名詞につくケースなどには、いっさい触れませんでした。 当然の如く、学会では反発の声があがりました。 第二に、当時の神学界では、いまからすれば信じ難いことですが コイネー・ギリシャ語の定冠詞の用法が比較的英語の それに近い のを いいことに、英文法の観点から論じられていたのです(笑)。 実際、シャープ氏を痛烈に批判した、グレゴリー・ブラント氏の 著作(1809年出版)は、すべて英文法の定冠詞の用法からの 反論になっています。
続きです。 著作が学会に受け入れられなかったシャープ氏は、1813年 失意のうちに死去します。 しかし、1822年、カルカッタの修道士であったトーマス・ ミドルトンが、その新約ギリシャ語の文法書(現在でも高い評価を 得ている歴史的名著です)において、シャープ氏の法則を再評価 したのです。シャープ氏の名は、この時に知られるようになったと いっていいでしょう。 ところが、シャープ氏にとって不幸なことに、このミドルトン氏が 当時のベネディクト会におけるギリシャ語学者の重鎮、ゲオルグ・ ウイナーの論敵であったことが、事態を悪いものにしました。 ウイナーは、ほとんど学問的な手続きを踏むことなく、ミドルトン氏の 著書を攻撃しました。その際、シャープ氏の法則を、欄外の脚注ひとつ で罵倒してみせたのです。こうして、ウイナーの政治的権力の前に シャープ氏の法則は学会の主流から外れたのです。それでも、 ミドルトン氏の文法書は、著者自身の高名さもあって、読み継がれて いったので、「知る人ぞ知る」といった存在ではあったのですが。
続きです。 1930年代になって、南部バプテストの高名なギリシャ語学者で あったA.T.ロバートソン博士がシャープ氏の法則を再評価したりも したのですが、結局本格的な評価を受け出したのは、1970年代 後半になってからのことでした。 高度な発掘機械の導入によって、聖書考古学は まさに日進月歩の 進歩を遂げ、多くのコイネー・ギリシャ語の文献の発見があったのも 既出の通りです。聖書の写本以外にも、当時の人の日記・役所関連の 公文書・一般的に流通していた書籍などが発掘され、膨大な数の資料 が、研究されるようになった結果、われわれは聖書当時の人々が 聖書に使用されている語を、日常的にどのように記していたのかを 知ることができるようになりました。その結果、シャープ氏の法則が 彼自身が想像していたよりも遥かに重要かつ明快な法則であったこと が、学問的に確認されたのです。
長くなってすいません。最後です。 再評価がされるようになった、もうひとつの理由は、新約ギリシャ語 の研究に、コンピューターが使用されるようになったことです。 手作業では不可能に近かった文法上の統計が、楽に集計できるように なったのです。たとえば、1990年代半ばにアメリカの学会で 報告された研究では、5700万ヶ所(!)以上のサンプル例の なかで、この「グランビル・シャープの法則」の例外は、全体の わずか4パーセント以下に過ぎませんでした。 これらの研究結果を踏まえ、現代の神学界では保守・リベラル・ カトリックのいずれにおいても、否定し難い文法上の法則として 確立しております。 佐倉氏のHPの問題の個所を、僕も拝見しましたが、どう贔屓めに みても苦しいと思います(笑)。たとえば、New English Ttaslation のように、もっとも最近訳出されている 英語の聖書は、ちゃんと問題のテサロニケの個所も、グランビル・ シャープの法則に忠実に訳されています。‥‥ちなみに、悪名高い 新改訳が、ここでは やたらと正確な訳になっている理由は不明 です(笑)。 いつ頃から、この法則が知られるようになったのか、はっきりした ことは言い難いのですが、アメリカでは1980年代の始め、 日本では1990年前後には、既に神学部・院の大部分で教えられて いたことは確かだと思います。 以上、ながながと失礼いたしました。
おつかれさま。ありがとう!
516 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 17:41
>>510-514 なるほど〜。ところで肝心の部分、「イエスは神である」という主張
を聖書から導き出すことができるのか、についてはどうなんでしょうか?
>516 僕自身は、少なくともパウロは そう信じていたと考えています。 彼は、ダマスコへ向かう道程で、なんらかの感動的な経験をして 回心したわけですから、自分がみたイエスの幻を、信じたのだと 思います。それでなければ、彼の人生の歩みについて説明できません からね。ヨハネも、そう信じていた形跡が強いですね。 ですから、それらの証言を どう捉えるかということ(聖書観と 言ってもいい)に、聖書を信仰の対象としてみるかどうかが 左右されることになると思います。換言すれば、「パウロやヨハネが 何と言おうと、わたしは信じない。」として、その証言を拒むのが 現在のリベラルの実態なんですよ。
518 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 23:31
>>517 パウロがイエスを見たことと、イエスを神であると認識していたかどうかは、
また別の事柄かと。少なくともイエスが十字架に架けられ復活するまでは、
イエスを神であるとは弟子すらも考えてはいなかったし、福音書の著者やパ
ウロにしてもそのことについては明言していない。また、旧約聖書(とくに
エレミヤ書)の預言からも、イエスは神であるという根拠は見いだせないで
いたわけで。結局、原始キリスト教においては、イエスの位置づけははっき
りとはせず、はなはだ曖昧なものであったと結論付けるしかないのでは?
>518 最近の神学界(特に欧米)では、その考え方は もはや古いとされています。 むろん、新約聖書は それ自体、イエスの没後60年近くもかかって書かれた わけで、さまざまな教理的成長は、段階を踏んでいく必要があったでしょうが 特に「使徒行伝」の綿密な研究は、保守派だけでなくリベラルをも巻き込んで 使徒たちは今日一般の信者が持っている信仰と大差無い信仰を、イエスに対して 抱いていたのではないか、という研究が各方面から発表されています。むろん、 常に欧米に十年前後遅れてついていく(笑)我が国の神学界も、そろそろ追随を はじめています。 最近のリベラル神学は、現在のキリスト教を原始キリスト教と区別するという アプローチに決別を始めています。遠くは19世紀末の古典的自由主義から 90年代末のジーザス・セミナーまで、そのアプローチを試みた神学者たちが そろって方向転換を始めたからです。 これからの主流を占める意見は恐らく2通り。 第一は、上に書いたように、使徒(=聖書)が説いているメッセージを認識 しながらも、それを信仰の対象として受け入れることを敢然と拒否して 教養の対象としてだけ研究していくアプローチ。つまり、聖書を万葉集や 古事記を研究するような、古文書の一つとして研究しようとするものです。 第二は、使徒(=聖書)のメッセージを原則として そのまま受け取るという 点では第一の立場と共通ながらも、それを哲学上の一意見に過ぎないものとして 自分の意見を それと対等の立場で闘わせようというアプローチです。たとえば 「聖書は全ての人は罪人であると説くが、わたしは こう思う。」といった ようにです。そこでは、使徒たちの教え(意見)は、ヘーゲルやマルクスと同じく 過去の偉大な哲人の域を出ないものと捉えられます。 したがって、両者とも信仰の対象として聖書を読むことを拒否し、前者は古代の 歴史物語(伝承)として、後者は世界最古の哲学書のひとつとして、聖書を評価 していくことになるでしょう。これが、僕をはじめ現在の学説を研究する者が 佐倉氏の論法を古いものと感じる根拠なのです。なんとなれば、それは保守派 のみならず、リベラルも結局なしえなかった主張に、いまだ拘泥しているから なのです。 またまた長文、失礼しました。
>最近のリベラル神学は、現在のキリスト教を原始キリスト教と区別するという >アプローチに決別を始めています。 >したがって、両者とも信仰の対象として聖書を読むことを拒否し、前者は古代の >歴史物語(伝承)として、後者は世界最古の哲学書のひとつとして、聖書を評価 >していくことになるでしょう。 へえー、なるほどねえ。最近の神学はそういうことになってきているのかぁ。 勉強になるなあ。
521 :
名無しさん@1周年 :02/01/20 06:05
へー!!神学に対する思い込みが覆された! 今までのような信仰と神学は両立しないってこと? ところで佐倉氏が信仰の対象としての聖書に拘るのは その目的から言えば当然な面もあるんじゃないかと思うんだけど。
522 :
名無しさん@1周年 :02/01/20 07:18
>>519 >それは保守派のみならず、リベラルも結局なしえなかった主張に、いまだ拘泥している
言い換えれば、佐倉氏は誰もなしえなかった事にチャレンジしている訳だ。
過去において、すでに誰がなしてしまった事を蒸し返しているなら「古い」と
言えるかもしれないが、結果的に、「新しい」と言えるのではないか。
523 :
名無しさん@1周年 :02/01/20 20:34
407のカキコはなかなか興味深い内容だが、腑に落ちないところも多々あるな(w
>腑に落ちないところも多々あるな(w どこがどう腑に落ちないのだね?(wを打つくらいならちゃんと順序だてて説明しなきゃ駄目だよ。 ここは佐倉派にしろ、アンチ佐倉派にしろ悪意に満ちた連中が多いからね。 すぐに「負け惜しみ?(プ」とかいって突っ込まれるよ。分かってると思うけど、念のため。
525 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 07:07
>>514 にある「New English Ttaslation」
ってNew English Translationのスペリングミスだと思うんだけど、
ネット上で手に入る最新のは↓ね。(2テサロニケ 1-12)
「according to the grace of our God and the Lord Jesus Christ.」
この文章って鈴木氏の言うような翻訳(God=Jesus Christ)になるか?
それともこれより新しい翻訳があるの?
英語力ゼロの漏れに救いの手を!
526 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 17:17
>525 普通に読んだら「私達の神と主イエス・キリストの恵みによって」だと思う。 「A and B」を「A且つB」と読むか「AとB」と読むかによって変わると思うが。
>525
>ネット上で手に入る最新のは↓ね。(2テサロニケ 1-12)
これってどこにあったなんて名称のやつ?英語訳はやたらたくさん種類があるから分からん。
ちなみに俺はここ↓でさがしたが、"New English Translation"という名前のものは見つけられなかった。
ttp://bible.gospelcom.net/
528 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 18:47
529 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 18:58
>522 字面しか読めんのかね、君。
530 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 19:51
>>524 それじゃ、一つだけ。
>使徒たちは今日一般の信者が持っている信仰と大差無い信仰を、イエスに対
>して抱いていたのではないか、という研究が各方面から発表されています。
例えばこれなど、特に解説もなしに結論だけ述べられているが、マルキオンや
モンタノス、グノーシスなどはこの「使徒たち」の中にはいっているのか、い
ないのかという問題がある。おそらくはいっていないのだと思うが、ならば彼
らを「使徒たち」と認めない理由は何か。
531 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 21:14
あのう、横からすみませんが、みなさん「サクラテツ対話編」 は、読まれてますか?
532 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 21:21
533 :
名無しさん@1周年 :02/01/24 08:56
534 :
名無しさん@1周年 :02/01/24 22:56
>>526 >「A and B」を「A且つB」と読むか「AとB」と読むかによって変わると思うが。
「且つ」と「と」て字面は違うが結果は同じだよ。
ところで、あなたコンピュータ技術者じゃない?
なんか、論理的というか思考回路がそれっぽい。
535 :
名無しさん@1周年 :02/01/27 08:15
if a = b and c = d then e = f else g = h endif ってか?
536 :
名無しさん@1周年 :02/01/30 09:10
佐倉って名前からしてサクラだな。
>536 寒っ。ブルブルガタガタ.
538 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 07:09
以前書き込みした、神学部の院生です しばらく見ないうちに、レスをつけてくれてた方たちがいたんですね。 いちおう院生となると、相当多忙なので(涙)マメにチェックできず、 申し訳ありませんでした。遅レスですが、回答させていただきます。 >530さん 使徒という存在については、神学の世界では通常「十二使徒」を指すので 僕もその意味で用いています。聖書でも、いちおう十二人という数と キリストの復活の証人という位置付けがありますので(使徒行伝1:22 4:33)、僕もその定義の仕方がいいかと。 530さんが挙げておられる様な人たちは、通常は「教父」と呼ばれ、 使徒とは呼ばれないと思うのですが。僕の知る限り、リベラルおよび プロテスタント神学者は、「使徒」は聖書中の登場人物たち、「教父」は それ以降の重要な学者・教師を指すと理解します。唯一カトリックのみは 使徒職のローマ法王による継承を信じますが、それも権威の継承を主張は しますが、法王を「使徒」と呼ぶのは、ほとんど聞いたことはありません。 僕が書いた最近の神学界の傾向は、聖書考古学により従来よりもキリスト教と ユダヤ教に密接な関連性を見出すようになった、近年の主流とみなされる意見に もとづいています。イエス在世当時、既に現在の保守派のような信仰は根づいて いたとする近年の立場は、膨大な量の考古学的発見により、リベラルの側でも 動かし難い立場となりつつあります。したがって、1世紀当初から現代に到るまで 保守的な信仰者たちが抱いてきた信仰を受け止めつつ、自己は伝承の研究者として それと一線を画そう、というのが最近のリベラルな神学者なのです。したがって、 佐倉氏のように、妙に保守派に攻撃的でなく、最初から住み分けを図る人たちが 増えてきたわけです。僕自身、修士号は比較的保守派が多い神学院から取得し、 博士号を目指す現在は、リベラルが比較的多い大学院に属していますが、両者から それぞれ学ぶものはあったと自負しています。
続きです >528さん 引用してらっしゃる文章は、確かに僕が持っている1996年発行の いわゆる「新英訳聖書」とは若干の違いがあるようです。ネットのは 俗に「NET BIBLE」と呼ばれる保守派翻訳の聖書ではないかと 思うのですが、すいません、まだ そのアドレスのHPを見に行って ないんです。そのうちに見て、報告しますね。 ただ、もしもネットバイブルだったとしても、翻訳のリーダーシップを とっていらっしゃるのは、保守派ではあるもののリベラルからも学識を 尊敬されている、アメリカ新約ギリシャ語学会の重鎮・ダニエル・ワレイス博士 だと存じますので、グランビル・シャープの法則を彼が見落とすことは、 あり得ないことだと思うのですが‥‥。 いずれにせよ、遅レス申し訳ありませんでした。
541 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 15:18
さるべーじage
542 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 16:56
>>539 >イエス在世当時、既に現在の保守派のような信仰は根づいていた
復活無くしてキリスト教信仰はないと思いますが。
543 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 21:40
>542 キリスト論そのものに関してじゃなく、信徒の信仰姿勢についてでしょう。 従来のリベラルは、ユダヤ教の信仰を評価する割りに、メシアの到来を期待して いた人たちに関しては、かなり扱い方が冷淡でしたからね。「メシア待望論は 本来はユダヤ教の主流ではなく、その内容は後世に付け足されたものが多い」とか 言っちゃって。
544 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 00:25
>>539 パウロがいなくても、現在の保守派のような信仰はあり得たということですか?
そもそも「現在の保守派のような信仰」が具体的に何を指しているのか今一つ
不明なのですが。
545 :
名無しさん@1周年 :02/02/08 09:31
さるべーじ
>407さん
>>510-514 きれいなサーベイですね。
どうせここまで言われるなら、
|*2テサロニケ1:12 それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの
|恵みによって、
はOKだが、
|2テサロニケ2:16 どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父
なる神である方、
のほうは、「神」の前に冠詞があるかどうか、ネストレ−アラント27版では、
本文に入れた上で、疑問を付しているので、新改訳のようになるか、他の訳の
ようになるか、一概にはいえない、
なんてことも書いていただけると、もっと丁寧だったのですが。
その上で、
>>517 で、パウロはイエスを神だと認識していたと考えておられますが、
テサロニケ第2はパウロのものではない、ということ、他の同様の表現も
真正パウロ書簡のものではないこと、を考慮していただけるといいのですが。
パウロ自身は、イエスを「神の子」「神のエイコーン(像)」とは言っても、
「神」とは言ってないと思います。
>ALL
佐倉氏も佐倉氏だが、鈴木氏も逆の先入見が勝ちすぎてますなあ。
ニカイア会議において
|「イエスが神」は議論の前提でした
などということはありません。まさにそれが問題だったわけです。
547 :
名無しさん@1周年 :02/02/14 00:36
407さんに質問します。 >507 >イエス在世当時、既に現在の保守派のような信仰は根づいて >いたとする近年の立場は、膨大な量の考古学的発見により、 >リベラルの側でも動かし難い立場となりつつあります。 「膨大な量の考古学的発見」とは具体的に何を指すのでしょうか? イエス〜使徒時代の信仰内容がそこからわかるとなると、文書史料、 それも新約各書と歴史的には同等の価値をもつ文書史料ということに なりますね。そんな文書が大量に発見されたなら、 「死海文書」などと比べ物にならない大ニュースになっていると思うのですが。
>>410 遅レス御免。
神学という「学問」の存在意義について教えてくれてどうもありがとう。
なるほど、つまるところ神学は「説得学」のようなものなのかな。
だとすると、なにゆえ、全能な神様が書かせたはずの聖書にそのようなものが
必要になるのだろう、といった疑問が湧いてくる。
誰が見ても、すぐに理解できるように書けば、話が早いような気がする
のだ。
そうすれば、歴史的に繰り返された神学論争や宗教間の争いなど起きず、
世界はもっと平和だったと思うのに・・・
やっぱり、聖書なんて人間の頭ででっち上げた代物ではないだろうか?
410さんが、まだ、このスレを見ていたら、今のところ神の存在に対して
懐疑的な求道者の素朴な疑問に答えてくれ。
おそらく、よくありがちな疑問だとは思うのだが。
549 :
名無しさん@1周年 :02/02/21 18:39
>>539 >530さんが挙げておられる様な人たちは、通常は「教父」と呼ばれ、
>使徒とは呼ばれないと思うのですが。
その通り。ついでに言うと、福音書の著者であるマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネも
使徒ではないし、当然パウロも使徒ではない。では我々はイエス在世当時の使徒達
の信仰をいかにして知りうるのか。
>>547 と被るが、「膨大な量の考古学的発見」
とは具体的に何を指すのか私も知りたい。それは新約聖書よりも史料として上のも
のなのだろうか?
550 :
dendo. :02/02/21 18:44
>誰が見ても、すぐに理解できるように書けば、話が早いような気がする > のだ。 つまんないじゃんそんなの。 つうか、人間の頭ですらっとわかるようなつまんねー神なら 礼拝したくない。(暴言) でもパウロは使徒でしょ。史的イエスによって使徒とされていない という意味ならそのとおりだけど、それはパウロ自身が認めてるとこ だし。
>>550 >つまんないじゃんそんなの。
>つうか、人間の頭ですらっとわかるようなつまんねー神なら
>礼拝したくない。(暴言)
ふーむ。
ってことは、頭の良い人のみが信じることができ、救われるのだろうか?
頭の悪い人には、信じることができず救われないか、又は、中身を吟味せず
に鵜呑みにすることによって初めて救われるのだろうか?
神が存在するのなら、なにゆえ、そのような不平等な状況をつくり出した
のだろうか?
疑問は尽きない。。。
552 :
名無しさん@1周年 :02/02/23 13:59
佐倉哲って、いかにも思想家らしい名前だよな。 本名なんだろうか。 それともペンネーム?
553 :
名無しさん@1周年 :02/02/23 16:57
554 :
名無しさん@1周年 :02/02/23 17:08
>>552 >佐倉哲
ソクラテスをもじったものと思われ。
555 :
名無しさん@1周年 :02/02/23 17:19
>>553 こういった疑問を解消するためにふさわしい勉強方法を教えて!
>>554 私もはじめて気がつきました。哲学の哲も入っているし、絶妙だ。
おひさしぶりです。以前カキコしてた、神学部の院生です。 約20日間の聖地旅行から帰ってまいりました。 いちおう、博士課程の単位の一環としての研修ではあるのですが。 ・・・なんて書くと、所属大学院がバレバレかも(笑)。 それにしても皆さん、現在イスラエルに行くというのは、なかなか チャレンジャーでしょ(笑)? まあ、ヨルダン・エジプトにも 行ってたので、イスラエル自体は1週間くらいだったのですが・・・ 4回目の聖地旅行でしたが、今回は怖い雰囲気でした(泣)。 さて、けっこう多くの方々にレスを返していただいていたのに、 留守にして申し訳ありませんでした。徐々に回答いたしますので、 お許しくださいね。とりあえず、木曜日までに聖地旅行のレポート を提出しなければならないので(涙)、それ以降になるかと思いますが。 >406さん 懐疑論者と自称してらっしゃいますが、なかなかどうして、熱心な探求者で いらっしゃるじゃないですか。尊敬いたします。指摘してくださった疑問は、 僕も、特に修士課程にいた時分に、よく考えました。単純なだけに難しい問題 ですが、僕なりの意見を書いてみたいと思います。 >547さん、549さん 考古学については、今回も発掘調査などに参加いたしましたので、かなり 新しい情報も、お知らせできると思います・・・でも、新しすぎると まだ学会で検証不十分になっちゃいますが(苦笑)。 なにはともあれ、近況報告まで。時間がみつかり次第、少しずつ書いてみますね。
>557 発掘調査、お疲れ様でした。お時間があればよろしく。 マターリといきましょう。
559 :
名無しさん@1周年 :02/02/25 22:17
560 :
名無しさん@1周年 :02/02/25 23:07
神学のスレッド立てたほうがよくないか? 著しくスレ違いのような気がする・・
>>560 確かに神学専用スレッドがあるみたいだけど、ノン・クリスチャンの俺としては、
少々敷居が高い。
ついては、このスレッドをお借りして、素朴な疑問を解消させて貰おうというわけだ。
それに、神学の存在意義といったテーマは、このスレッドにふさわしいとは言わない
までも、そんなに無関係とも言えないのではと思う。
そんなわけで、
>>407 さんには、聖地旅行のレポートを提出してすっきりしたところで、
是非とも俺の尽きない疑問を解消していただけると嬉しい。
562 :
名無しさん@1周年 :02/02/28 07:51
>>561 だからこのスレに集まる人は佐倉哲氏の思想に興味があるんだよ。
佐倉氏の神の存在意義に関する文章への神学的立場からの
論考ならともかく、そんなもの他いってやってくれ。
神学軽い話題スレッドでも新たに立てればいいだろ。
563 :
名無しさん@1周年 :02/02/28 21:31
564 :
名無しさん@1周年 :02/02/28 21:40
>562-3 ま、407氏降臨の際に話が長引きそうだったら新スレも考える、 ってことで。
こんばんは、神学部の院生です。 レポートをやっと出したので、カキコしようかなと思って来たのですが・・・。 スレ違いと言われれば、その通りですね。ここは、おとなしく退散いたします。 でも、少しだけ。 >406さん 神学を学ぶ意義については、保守派の文献ではありますが、キリスト教学会の様々な 教派の取り組み方をまとめた、John.D.Woodbridge 編、Doing Theology (Zondervan) が、お勧めです。若干リベラルの学者も含まれておりますし、なによりも多くの学者が 406さんと同じような疑問をどう解決してきたかが分かって、興味深い読み物です。 >547さん、549さん 聖書考古学の現況を示す書物は、なぜか日本語のものが極端に少ないのですが、 それでも教文館から出てるシリーズは、80年代半ばくらいまでの発掘調査の 概観を含んだものがあります。英語では、Randall Price という考古学者の 著書が、たぶんアマゾンなんかのネット書販で注文できると思います。この学者は 近年もっとも精力的に執筆活動をしており、今回の聖地旅行の際も、お会いしました。 著書には、90年代終わりくらいまでの発掘調査の概観と、死海文書などの研究の 最新の学説なども、ふんだんに取り入れられています。
ところで、本題の佐倉氏のHPなのですが、最近みていますと 「胎児は人間か」と題する小論をみつけました。で、氏の論を要約すると 「胎児には、犬の胎児も猫の胎児もいる。だから、人間の胎児とは 限らない。」という、なんだか訳のわからない結論になっているようです。 どうも、中絶反対派の聖書ファンダメンタリストあたりを皮肉ろうとして 書いているようですが・・・。でも、これって、「人間の胎児は、人間か?」 という正確な問いに直せば、済むことだと思うのですが・・・。佐倉氏の 回答文が短く、また例によって(?)悪文なので、僕の勘違いなのでしょうか? よかったら、皆さんもチェックしてみてください。
567 :
名無しさん@1周年 :02/03/02 00:47
佐倉=DQNで、なんか問題ある?
568 :
名無しさん@1周年 :02/03/02 06:13
>>567 理由を書かなきゃ問題あります。とりあえず書いてみたら?
そしたらそれをネタにいろいろ書き込み出来るし。
569 :
名無しさん@1周年 :02/03/02 11:47
>>566 んん?その前のやりとりも併せて読みましたか?
「人間の胎児は人間だし、人間の受精卵も人間だし、人間の精子も卵子も人間」
「犬の胎児は犬だし、犬の受精卵も犬だし、犬の精子も卵子も犬」(以上、勝手に要約)
というような佐倉氏の生命観が先ずあって、その上で、
「胎児は人間(や犬)か?」のような、生物の発生段階で線引きをするのは無意味だ、
ということがその主張だと思います。
>569さん もしも線引きが無意味なら、胎児にも人権がある可能性があり、 佐倉氏が蛇蠍の如く忌み嫌う聖書根本主義派と、同じ結論になって しまいます。ファンダメンタリストは、「どこから人間か線引き できない以上、胎児を保護すべきだ」として、中絶反対の立場を 堅持するからです。本当に、それが言いたいのでしょうか?
571 :
名無しさん@1周年 :02/03/02 18:34
>570 佐倉氏が嫌ってるのは、聖書根本主義者の「胎児を保護すべき」という主張そのものではなく、 中絶クリニックを襲ったりするような、他の「悪」を容認しないその態度ではないでしょうか。 来訪者の声の、思索のカテゴリ内の一番下、「妊娠中絶について」で主張がなされています。
>571さん ありがとうございました。 そのHPの個所を見てみましたが、佐倉氏らしい意見といえますね。 それにしても、彼は現代には珍しい不可知論者なのですが、19世紀末に 滅びてしまった思想を、未だに引きずっているというのは、ある意味では 貴重ですね。そういえば、彼のキリスト教理解も、19世紀末の古典的リベラル に酷似していますから、氏にとっては19世紀末こそ思想的に理想の時代だった のかもしれませんね(笑)。
573 :
名無しさん@1周年 :02/03/03 19:41
現代は不可知論者だらけだと思うが。
ここでいう「不可知論者」とは、哲学の用法で「真理は決して知ることは できないし、そもそも善悪の基準を絶対的に定めることはできない。」という 意味です。佐倉氏が、多様な悪を容認すべきと言いながら、結局は中絶を しないで欲しいと妊婦さんに呼びかけていることを見ても分かるように、 道徳は法律上の多数決でしか決められないと極言する哲学的不可知論は、 結局は提唱者みずからが、それを放棄することによって、近代の思想から 消え去っていったというわけです。
575 :
名無しさん@1周年 :02/03/04 00:45
>572 佐倉氏の聖書の読み方は、「世の中の人が信仰している聖書」をそのまま読む、 というやり方だから、聖書の歴史的な成立背景や当時の状況なんかはほとんど 無視していると思う。そういうところが407さんには不満なんだと思う。 でも、望んでもないのに根本主義者に攻め込まれて、読まざるを得ないような 人間には非常に示唆的なんだけど、どうでしょう。 ま、その他の思索の部分とかはほとんど未見なので何とも言えませんが。
576 :
名無しさん@1周年 :02/03/04 11:37
善悪の基準を絶対的に定めることが出来ないなんて、当たり前のことだと思うが。
577 :
名無しさん@1周年 :02/03/04 14:07
>>574 「真理を知りえた人間」「善悪の基準を絶対的に定めた人間」は
未だかつて存在するの?
宗教的信条を盲目的に受け入れた人間は抜きで。
「不可知論者」なんてレッテル張りをするまでもなく
極当たり前のことだと思うけど。
578 :
名無しさん@1周年 :02/03/04 14:19
>>574 中絶をしないで欲しいと妊婦さんに呼びかけてることと
多様な悪を容認すべきとの主張は矛盾しないよね。
全ての悪を容認すべきとの主張ではないのだから。
つまり合理的思考に基づく(宗教的妄信的)悪からの開放を呼びかけている
のではないかな。宗教的思考と合理的思考が一致する場合も当然あるわけで、
それを以って論の敗北と取るのはちと短絡的でない?
それと道徳は法律上の多数決でしか決められないからこそ
言論による啓蒙が重要となってくるのではないかな。
私自身は、真理を知りえる人間、善悪の知識を完全に定められる人間に なろうと努力することが人間を磨き、かつ社会を進歩させると考えているので (不遜かもしれませんが)、佐倉氏とは正反対の思想を有していることに なるかもしれません。私だけでなく、多くの研究者(宗教者・思想者・哲学者)が (哲学的な意味での)不可知論に否定的なのは、それが ある種の「諦め」に 過ぎないからです。「合理的思考に基づく悪からの開放」は、道徳は法律上の 多数決で決めるという主張に過ぎないだけでなく、本来は言論による啓蒙の否定も 根強く主張するものなのです。19世紀末には、この哲学的「不可知論」は、 新ソクラテス理論と呼ばれ、それなりに人気を誇ったものでした。 このHP上の議論だけで見ると短絡的で偏よった批判に見えるかもしれませんが、 日頃 専門的な議論をしている者からすれば、今頃ダーウィンの進化論から 聖書批判をしている人と同じくらいアナクロなんですよ。宗教・哲学者のうち では(別にキリスト教徒でなくても)「解決済み」だったもので(笑)。 例のグランビル・シャープの件でもそうでしたが、佐倉氏は「解決済み」の 古い話題を引っ張り出してくるのが、お好きなんですよ。無知なのか確信犯 なのかは、よく分かりませんが・・・。 私からすれば、「不可知論」的な思想を好む人たちは現代にも多くいます。 でも、その人たちは別に専門的な思想研究をして そういう立場を取って いるわけではないでしょう? 私には、その方が遥かに健全で好ましく思え ます。中途半端な哲学や宗教の知識を振り回したりせず、「理由は上手く 言えないけど、中絶は嫌いだ」と言う方が、遥かに明快で、耳を傾ける価値が あるように思えます。これが、私が「不可知論者」は嫌いじゃないけど「哲学的 不可知論者」は嫌いな理由なんですよ。不可知論者なら、いっそのこと思い切って 哲学的・宗教的思考そのものに背を向けて歩む方が、いさぎよいと思うのですが。
580 :
名無しさん@1周年 :02/03/05 11:04
たしかに、佐倉氏のエッセイ読んでると 「僕には難しくて、よくわかりません!」って 言えばいいのにと思うな(w
581 :
ジェノヴァの商人 :02/03/05 17:00
はて、そうでしょうか? 佐倉氏の「聖書の間違い」を読ませて頂きましたが、 この方自身、あまり聖書をよく勉強されていないで聖書の間違い探しをやっている のではないでしょうか? 私も聖書を10年以上学んでおる者の一人ですが、同氏 の論文「聖書の間違い」の内容のおかしさや詭弁を見抜く事ができました。 佐倉氏にはもう一度、聖書を基礎から学びなおして、その上で改めて「聖書の間違い」 を論じて頂きたいと存じます。 もうひとつ、この方は健全な聖書の教理を学ばれたのではなく「エホバの証人」から 聖書を学ばれていた様子です。「エホバの証人」とは、かなり極端な聖書理解をする アメリカ生まれの新興宗教として知られています。 佐倉氏にはもう一度、正統信仰に立つ健全な立場から聖書を学びなおして、その上で 改めて「聖書の間違い」を論じて頂きたいと存じます。
582 :
名無しさん@1周年 :02/03/05 21:00
>>581 どう勉強しようが聖書に間違いがあるのは間違いないわけで(w
それともあれですか?間違いはないと仰る?
581さんの言う「正統信仰」が、どういうものなのかは分かりませんが、 佐倉氏がエホバの証人の影響を受けていることは、確かだと思います。 確か、聖書翻訳を巡って、「エホバの証人の聖書翻訳は貴重な資料」だとか HPに書いてた記憶が・・・。実際には、カトリック・リベラル・保守いずれの 聖書翻訳者からも、新世界訳聖書は物笑いの種なのですが(笑)。 しかし、三位一体などの教理を「人間の幻想」と位置付けたい佐倉氏には、 格好の資料ではあるのでしょう。この辺りも、聖書原語が全く読めない佐倉氏の 限界かと思うのですが。
584 :
名無しさん@1周年 :02/03/08 11:56
>>583 407さんは三位一体などの教理を「人間の幻想」と位置付けて
いないの? こりゃまたビックリ。
そりゃ佐倉氏の解釈が気に入らないはずだわ・・・
まっ今のご時世、神学なんて学んでいるのだから当然か・・・
585 :
名無しさん@1周年 :02/03/08 12:04
学問の世界に身を置く者の客観性ある批判のみと思っていたけど 根底には信仰(妄想)を持つ者の信仰(妄想)を無碍に否定された 怨恨攻撃が混じっていたのかな・・・
586 :
名無しさん@1周年 :02/03/08 12:28
>>583 聖書に間違いはあると思ってるの? ないと思ってるの?
聖書は神が書いた言葉だと信じてるの? 信じてないの?
何度か書きましたが、現代の神学のトレンド通り、 初代教会は今日の保守派に似た信仰を持っていたのではないか、と 考えています。したがって、新約聖書の著者たちは、三位一体も 信じていたと考えています。 したがって、昔のリベラルのように、原始キリスト教は現代の保守派の ようなものではなかった、というような姑息な辻褄あわせをするよりも パウロやペテロは、三位一体なども大真面目に信じていたとする方が 遥かに自然な解釈だと思います。 そこで、前にも書いたように、そのパウロやペテロの信仰と、どの程度 距離を置くのかが、現代の神学者のスタイルではないでしょうか? と、いうわけで、私が「人間の幻想」と書いたのは、佐倉氏のように 「三位一体は聖書のオリジナルな教えではなく、異教の影響を受けた後付けの 教理だ」とするアプローチに異を唱えただけです。
>586さん ここの限られたスペースで説明するのは難しいのですが、私自身が 信じていることを説明するのに最も適当なのは、 「聖書は、人間を生まれ変わらせる力を持っている。」 というものです。極端なファンダメンタリストの十全逐語霊感説などは さすがに受け入れられません。そのように理解するよりも、パウロが テモテ第二3:16で述べている「霊感」は、パウロ自身が日常使用していた 聖書(七十人訳)であったことを、もっと考えるべきでしょう。 上記のように、パウロ自身は保守派の十全逐語霊感に近い考え方をしていた のかもしれませんが、一方で「間違いだらけ」の七十人訳を「霊感」されて いると述べている以上、「まことの人生の指針として、信頼に足るもの」と いう程度の認識だったかもしれず、そうだとするなら、私の信条ともかなり 近いということになるかもしれません。なぜなら、私の信条は、「聖書は 人生に関する知恵の書として、信頼に足るもの」だからです。聖書の知恵は 現代の我々の人生に必要不可欠な教えを含んでいる、と信じております。
589 :
名無しさん@1周年 :02/03/08 13:09
生まれ変わったことを鼻にかけている鼻持ちならない奴を知っているが、何か?
590 :
名無しさん@1周年 :02/03/08 19:06
591 :
名無しさん@1周年 :02/03/08 19:09
三位一体は幻想というより辻褄合わせでしょう?一神教なんだから、神とイエスと 聖霊の関係をそう説明せざるを得ないでしょう。理屈にあっていなくても、神は1人 であること、イエスが神であること、この2点は譲れないのだから。 それからイエスが神である根拠は旧約聖書にはないよね。メシア登場の預言はあっ ても、そのメシアが神であるとはどこにも書かれていない。これ一番肝心な所なの に、クリスチャンが避けて通りたい話題。
592 :
名無しさん@1周年 :02/03/08 22:33
>591 それは単に、旧約で神といえば、父なる神であるエホバになってしまうから だろう。三位一体が人間の側で認識される前から、霊感された聖書は両者の区別を 認識していた、とか言ってファンダメンタリストが大喜びするだけだよ(w
>>587 407さん、
「現代の神学のトレンド」って、本当ですか?
一体どのあたりを念頭に、言っておられるのでしょう?
史的イエスをめぐる「第三の波」なんてえのはトレンド
じゃないわけ?(もっともこれは「神学」ではないという
ことかもしれないけど)
594 :
名無しさん@1周年 :02/03/11 01:27
>>588 >聖書の知恵は現代の我々の人生に必要不可欠な教えを含んでいる、と信じております。
含んでいるということは、不必要な教えの方が多いというわけね?
これは聖書には間違いがあるという佐倉氏の主張を認めるわけね?
どうも。お馴染み(?)になりました、神学部の院生です。 なんだか、多くの人からの質問を招いてしまい、少々レスが大変に なってきましたが(苦笑)。 >593さん 史的イエスをどう捉えているかは、学者によってかなりバラつきがありますので 一概には言いにくいのですが、過去スレにも書きましたように、リベラルも保守も 「現代のキリスト教が抱いている信仰の多くは、原始キリスト教とは違う、後代の 人々が創造したもの」というアプローチに決別を始めていることは、共通しています。 古くは遠藤周作が説明に苦慮していたように、初代教会の狂気とも映りかねない 伝道や宣教を、純粋な信仰という観点抜きに説明するのは、こじつけにしか なりえない ということを、学者たちがイヤというほど味わわされてきた結果とも言えるのですが。 ただ、リベラルの多くは、初代教会から現代の保守派に到るまでの、信仰書としての 聖書を受け入れることを、ハナから拒否するようになってきました。つまり、聖書の 著者たちが訴えようとしているのは、イエスを信じる信仰による救いだと認めたうえで それを近代合理主義に反する神話として位置付けるのみに留めようというものです。 結果として、前にも書きましたように、リベラルにとっての聖書は、国文学者にとっての 古事記や万葉集と、同様の位置を占めることになりつつあります。
>590さん、594さん 「聖書に間違いがあるか?」というのは、質問としては あまり適切な問いでは ないように思えるのですが・・・。でも、えらく気にしてらっしゃるようなので あえて強引に答えれば、 「聖書に、細かい数字や表記上の誤りはある」という意味でなら、聖書に間違いは ある、ということになると思います。 一方で、「聖書の知恵は信頼できる」という意味では、聖書に間違いはない、と 言いたいような気がします。 こう言えば明らかでしょうが、私は佐倉氏の論法には承服しかねる点があると 思っています。それは、佐倉氏の論法が @聖書に書かれているような全能の神がいるなら、決して間違うことはないはずだ Aしかし、聖書には細かい数字上の差異や表記のミスがある Bだから、聖書の他の個所も、信頼するに値しない という展開になっているからです。 しかし、これは私だけでなく、周囲の研究者が皆、指摘していることなの ですが、AとBの間に、やや論理の飛躍があるのではないか、と思うのです。 保守派の研究者なら、もっと強く反駁するでしょうが、私としては論理の飛躍 を解決するには、結局はイエスの存在が大きくなるという程度に留めておきたい と思います。
597 :
ブルネルス :02/03/11 14:13
>>595 407さん
| リベラルも保守も「現代のキリスト教が抱いている信仰の多くは、原始キリ
| スト教とは違う、後代の人々が創造したもの」というアプローチに決別を始
| めていることは、共通しています。
多分「原始キリスト教」と「後代の人々」ということで、どのような範囲のこと
をお考えかによっても違うと思いますが、イエス自身が考えていたことと、パウ
ロ、あるいはヨハネ福音書の著者が考えていたこととは、相当違うということは
(福音派は認めないでしょうが)、現代でも「多くの研究者」によって認められ
ている、ということには同意なさるでしょうか?
あるいは、崩壊以前のエルサレム神殿周辺にあったイエスをキリストと信じるグ
ループ(主の兄弟ヤコブが代表するような)と、後代の伝統的キリスト教の間に
は、相当のギャップがあることは?
| 聖書の著者たちが訴えようとしているのは、イエスを信じる信仰による救い
| だと認めたうえで
新約聖書に含まれる諸文書群の中には、こういうことを訴えようとするものも
ありますが、「イエスを信じる信仰による救い」ではない考えを持っていたも
のもあると私は考えます。これは現代のトレンドではない、のですか?
598 :
名無しさん@1周年 :02/03/12 19:16
>>596 要するに、聖書に間違いがあるという佐倉氏の主張は認められているのですね。
>@聖書に書かれているような全能の神がいるなら、決して間違うことはないはずだ
>Aしかし、聖書には細かい数字上の差異や表記のミスがある
>Bだから、聖書の他の個所も、信頼するに値しない
間違いが無いとされている書物に1個所でも間違いが見つかれば、
他にも間違いがあるかもしれない、と考えるのは、
至極普通のことですよ。
>Bだから、聖書の他の個所も、信頼するに値しない
あなた方はここの「信頼」を、「聖書の知恵は信頼できる」という意味で使っておられませんか。
もしそうなら、飛躍しているのは佐倉氏ではなくてあなた方ですよ。
>597さん イエスとパウロおよびヨハネのメッセージに、特色の相違があるということなら 福音派まで含めて、ほぼ全ての研究者が同意していると思います。ちなみに、 福音派を除けば、最近はパウロの主張だけが突出して他と異なる、という見解を 発表する学者が増えています(特にオランダの新約学者)。 エルサレム周辺にあった教会は、まさに神学のデパートとも言うべき何でもありの 状態(笑)だったという印象がありますね。なお、これは「イエスを信じる信仰に よる救いとは異なる考え」に関する質問とも結果的にリンクするので、まとめて 答えますが、使徒15章にある、いわゆる「エルサレム会議」で、当時「イエスを 信じる信仰による救いとは異なる考え」に反対したのは、その頃まだエルサレム付近 を活動の拠点にしていた「使徒たち」でした。ところが、ヤコブの手紙に見られる 神学は、明らかに その時弁明した使徒たちの意見と対立することが、宗教改革以来 さまざまな推測を招いてきました。 近年この問題を解決すべく唱えられている主要な説は、ヤコブの手紙は従来考えられて きたような神学的な論証ではなく、むしろ実践的な勧めに力点を置いたものであると いうことに注目した解釈です。このアプローチでは、ヤコブの手紙の強調点が「兄弟愛」で あること、また新約聖書中この手紙が最も早い年代に書かれていることとに着眼したことに 特色があります。すなわち、まだ新約聖書の書物が全く書かれていないとき、教理的基盤が 整うまで、論争や仲たがいをせずに一致するようにという勧めをなしたものとして この手紙を理解すると、多くの問題を解決できるのではないかという提案です。 そして、この提案をして一致団結を呼びかけるのに、主の兄弟ヤコブ以上の適任者は 無いといってよいでしょう。
>598さん そうですか。見解の相違と言えば それまでですが、「聖書の知恵は信頼できる」 という意味での理解で構わない、というのが(極端な福音派を除く)研究者一般の 意見なのです。 これは聖書のなかのキリストや使徒たちを見れば分かりますが、「細かい表記上の 相違や、ミスなどに拘泥せず、そこに説かれている宗教上の信条だけを評価すべき」 というのが、そもそも宗教書というものなのです(この点では、聖書だけではなく 他の宗教書も同様だと思います。 具体的に述べましょう。たとえば、新約聖書のなかでキリストや使徒たちが、 何度も旧約聖書を引用していますが、そもそも引用が正確ではないことに、すぐに 気づかれることでしょう。自分流に要約したり、場合によっては変更を加えたりすら しています。にもかかわらず、旧約聖書が人生の指針として信頼できる書物であると いうのが、彼らの主張でした(むろん、そこには現代の我々よりも多くの「信仰」が ついてまわるわけですが)。つまり、彼らは聖書の教理や教訓を「正しい」とは言っても 細部の表記に拘る現代の論理学的「正しさ」には、ハナから無関心なのです(彼らも やろうと思えば旧約の正確な引用くらいは、いつでも出来たのに、やっていない点を 考えてみてください)。 そう考えてくると、宗教書の「正しさ」というのは、むしろ他の宗教や哲学と闘わせた場合 などにこそ、有効なものではないでしょうか? つまり、われわれ宗教研究者の世界では (一般とは違って)聖書は、仏典やコーラン、あるいはフェミニズムや共産主義思想と比べて 「正しい」のかどうか、の方がよっぽど意味のある議論なのです。
>>600 見解の相違というより、信仰の有無でしょう。
>「聖書の知恵は信頼できる」という意味での理解で構わない、というのが(極端な福音派を除く)研究者一般の意見なのです。
あなた方の仲間内でのことならそれでけっこうですよ。
しかし佐倉氏のサイトはそういう高尚な話題を問題にしているんじゃないんです。
>細かい表記上の相違や、ミスなどに拘泥
しているのが佐倉氏の問題としているレベルです。
それ以上のことをお話になりたいのなら、
今までも指摘されているように、
スレ違いですから余所でやってください。
>(彼らもやろうと思えば旧約の正確な引用くらいは、いつでも出来たのに、やっていない点を考えてみてください)
考えました。
それは単純にできなかったからでしょう。彼らには旧約に関する正確な知識もなく知識を正しく伝えようという意識もなかった。それだけでしょうね。
ああすれ違いsage
>601さん 以前のカキコのように、佐倉氏のことが全く出て来ない場合は、「スレ違い」と 言われても仕方ないと思いますが、佐倉氏が問題にしてるレベルに異を唱えるのが 「スレ違い」とは思えませんが・・・。 「新約の著者たちが、正確な旧約の正確な知識を持っていなかった」というのは、 完全に誤まった認識だと思います。たとえば、パウロのユダヤ教修辞学の背景は 相当な深みに達している(おそらくは、アレキサンドリアの教理問答学校レベル) ことは、明らかだと思います。 新約で弟子たちが無知に見えるのは、キリストの十字架が理解できなかった時期に 限られます。そこを理解した後は、彼らはイエスの教えと旧約のメシア預言の本質を 理解していると思います。ただ、正確な引用よりもメッセージを重視する傾向は、 (聖書だけでなく)宗教書に共通であることは、確かでしょうが。 なぜか、「あなたがた」という呼び方をなさいますね。なぜでしょう? いちおう、ここのスレでは、信仰の有無に関わらず学問的に賛否が論じられる項目を カキコするよう、努めてるつもりなのですが・・・。しかし、19世紀頃の古い文献 とはいえ、そういった学問書を持ち出して論じるのは、佐倉氏のスタイルでもありますよ。
603 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 23:19
佐倉氏は聖書の間違いシリーズが低俗な作業であることを認めているが、 低俗であるが故にそれは誰の目にも明かなんだよ。
604 :
ブルネルス :02/03/15 00:57
>>599 407さん
ヤコブ書は「新約中もっとも早い時期に書かれた」また「主の兄弟」によって実際に
書かれた、というのは、トレンドなんですか?
私は不幸にして、福音派の書物以外では、そのような結論を出しているものにお目に
かかったことがありません。
なお、私が、「イエス・キリストを信じる信仰によって救われる」ということを言っ
てはいないと考える新約中の文書には、真正パウロ書簡も含まれます。パウロはイエ
スを神だと思ってもいませんでした。そういう理解を背景に発言しています。
ですから、パウロが主張したことと、伝統的キリスト教が後になって主張したことと
の間にも、相当のギャップがあるということになります。
605 :
名無しさん@1周年 :02/03/15 01:17
ヤコブの手紙を書いたのが使徒ヤコブでないことは新約聖書学の常識。
606 :
ブルネルス :02/03/15 14:59
>605
|ヤコブの手紙を書いたのが使徒ヤコブでないことは新約聖書学の常識。
そうそう、と言いたいとこだけど(いや、一応はそう言っておいた上で言うん
だけど)、この発言も妙にずれているんだなあ。
だって、407氏は、ヤコブの手紙は、主の兄弟ヤコブが書いたという立場で発言
しており、
>>604 は「おいおい、ほんとかよ」と念を押しているわけだが、
(つまり、407氏のこれまでの発言は「リベラルも保守派も・・・」という
スタンスで、「現在のトレンドはねえ」という姿勢で書かれているのに、
こういう発言になる点が、どうも解せないための念押しですな)
ここで、605は、「使徒ヤコブ」を持ち出しているんだな。あるいはカトリック
の人で、「主の兄弟」と呼ばれるヤコブを12使徒のヤコブのどれかと同定する
立場なのかも知れないけど。
607 :
名無しさん@1周年 :02/03/15 18:39
>>566 くらいからこの神学部の院生のひと、支離滅裂になってきてるね。
おひさしぶりです。神学部の院生です。 「おひさしぶり」というのは、最近ここを見ていなかったら 「おもしろいことになってるよ。」と院生仲間の友人が教えてくれたから。 いつのまにか、僕の代理人が登場してたとは、知りませんでした(笑)。 でも、面白そうだから、このまま続けてみてくださいな。 ちなみに、僕は聖地旅行から帰って来てからは、1回しかカキコして いません。暇な人は、どれだか推理してみてください。 それにしても、そんなに頻繁にカキコできるほど、院生には時間ありませんよ(苦笑)。
>>602 佐倉氏の主張は認める。しかし佐倉氏が問題としてるレベルには異を唱える。
いちゃもんとしか思えませんが、要するに佐倉氏は頭が悪いと言いたいのですか?
ならスレ違いとも言えませんね。存分にどうぞ。
>「新約の著者たちが、正確な旧約の正確な知識を持っていなかった」というのは、完全に誤まった認識だと思います。
正確な知識がありながら正確な引用を怠ったのなら、それは悪質な行為です。読者を騙そうとしているとしか思えません。
>正確な引用よりもメッセージを重視する傾向は、(聖書だけでなく)宗教書に共通であることは、確かでしょうが。
「確かでしょうが」と言われても困ります。信者を誑かそうとするような宗教などお辞めなさいとしか言えません。
>なぜか、「あなたがた」という呼び方をなさいますね。なぜでしょう?
>>608 をお読みください。
私には信仰が無いので、聖書には間違いがある、という低レベルな話で終っています。聖書の知恵が信頼できようができまいが私には関心がありません。佐倉氏にもないでしょう。だからスレ違いだと申し上げるのですよ。
まあスレ違いに関してはもう言いません。好きにしてください。
610 :
名無しさん@1周年 :02/03/15 22:01
>608 ハア?
611 :
名無しさん@1周年 :02/03/15 22:24
神学部院生おもしろすぎ。
612 :
名無しさん@1周年 :02/03/15 22:29
自意識過剰の神学院生君(ワラ たしかにおもしろすぎ。
613 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 01:56
407神学院生氏、でてこなくなっちゃったねえ。 本人でも、なりすましでも、なりすましになりすました本人でも いいから、でてこないかなあ
614 :
はい、陰性です。 :02/03/22 03:15
サクラちるちる チルチルミチル ヒノキ スギの木 春うらら パウロ ヤコブの ケリュグマうけて ブルトマンこそ アメンと言いけれ
615 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 03:23
福音派はやっぱり福音派。 だんだんとボロが出てきたって、ことかな。
616 :
はい、陰性です。 :02/03/22 03:38
ボロは着てても 心は福音 どんな音より キレイだぜ 若いときゃ 二度とない ドンとやれ 名無しなら 人に聞かずに 神に聞け
617 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 12:33
すげえ幕引き……
618 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 12:41
まあ「院生に時間がない」なんて一般論は真逆だけどな。 文系の院生なら一生のうちでいちばん閑なはず。
619 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 12:11
参考スレ
福音派はカルトだよね?
1 名前:名無しさん@1周年 投稿日:02/03/19 13:39
エホ証とか統一、モルを敵視してるけど、外野のわたしから見ると、その粘着性と独善性では福音派も立派なカルトでしょ。
福音派の論点で他の宗教を悪魔よばわりして裁きまくる彼らは、本当のクリスチャンなんでしょうか。
はっきり言って怖い。どうしようもなく自己中ですよね?
思想が一色に統制されていて、排他的攻撃的な福音派はハッキリ、カルトです。
彼らみたいな「正しいクリスチャン」で満ち溢れた天国に、みなさん行きたいと思いますか?
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1016512755/
620 :
名無しさん@1周年 :02/04/05 20:21
age
621 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 13:20
ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage ageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageageage age
622 :
名無しさん@1周年 :02/04/13 23:37
age
623 :
名無しさん@1周年 :02/04/16 12:12
407神学院生晒し上げ
624 :
名無しさん@1周年 :02/04/19 16:26
age age age age age age age age
625 :
名無しさん@1周年 :02/04/23 11:56
407ワラタヨ
626 :
名無しさん@1周年 :02/04/23 12:26
間抜けな幕引きは過去の発言まで一気に台無しにしちゃったよね… グランビル・シャープの書き込みとか参考になったのになー いくら煽ってももう出てこないのかな、本物も偽物も(w そろそろ佐倉さんサイトを更新しないですかね。
今でも時々カルト福音派系スレに書き込んでいるみたいだ。匿名で。 頭隠して尻隠さず、って感じだから、身元バレバレだけど。
628 :
名無しさん@1周年 :02/04/27 18:34
age
629 :
名無しさん@1周年 :02/05/02 21:50
age
630 :
名無しさん@1周年 :02/05/04 06:20
聖書の間違いシリーズは自虐としか思えないよな
631 :
名無しさん@1周年 :02/05/04 07:01
岡野なおみ さんより 実はわたしは日本基督教教団系プレスビテリアンの両親の家に育ち‥‥‥ ……それにしても佐倉さんには、ある意味では感心しています。少ないデータ(資料)と、 稚拙なロジックで聖書を批判するとは、なんと勇気のあることでしょう。わたしにはとても できない蛮勇です。 わたしでさえ、簡単にあなたのロジックを看破できるのに、専門家にかかったらあなたの 論説など、こてんぱんにのされてしまっていることでしょうねぇ。あなたにとって幸い なのは、日本人には聖書やキリスト教に無知な人が多く、あなたの「正しさ」とやらが まかりとおるという現実でしょう。これが西洋だったらと思うと、ひとごとながらなんと なく寒気すら感じます。 あなたは、しょせん聖書という書物の手のひらで踊っている孫悟空です。雲にのって、 「おしゃかさま」ならぬ「聖書」から飛び出そうとしても、聖書という「呪縛」から 逃れることができないわけです。批判すればするほど、そうなるでしょう。まあ、 がんばって批判してください……。 ----------------------------------------------------------------------- 作者より岡野さんへ クリスチャンの方からの直接のご意見は、本当にキリスト教そのものについての勉強に なります。 どうもありがとうございました。 ワラタ
632 :
名無しさん@1周年 :02/05/06 20:18
↑というように、キリスト教が実はどういうものなのか、勉強になる。 とおれも思う。 これマジ。
633 :
名無しさん@1周年 :02/05/06 20:30
>初代教会の狂気とも映りかねない > 伝道や宣教を、純粋な信仰という観点抜きに説明するのは、こじつけにしか なりえない あのー。狂気が神的なものだ、少なくとも狂気のうちには神から来るものが ある、というのは、私はユダヤ思想には通じていませんので存じませんが、 キリスト教が浸透していった地域の少なくとも一部にあった思想で、 (具体的にはギリシアを念頭においています) 信仰と狂気が同じものを名指すような事態があったとしても 一向に構わないのではないかと思います。 このように考えることには、なにか問題があるのでしょうか。
634 :
名無しさん@1周年 :02/05/11 00:34
神学部院生の負け。 聖地旅行・・・は〜あ・・・。 そんな時間があったら、それこそ佐倉氏のサイトを 真摯に勉強してほしい。
635 :
名無しさん@1周年 :02/05/13 17:15
逆と思はれ。
>>634 反シャロンデモマンセーage。
636 :
名無しさん@1周年 :02/05/14 00:17
age
637 :
dendo. ◆Dpy6mDYE :02/05/15 21:57
>>618 いや、貧血起こしてぶったおれるほど忙しかったすけど。。>MC時代
# 学部時代勉強してなかったつけが回ってきただけじゃ、というのは置いといて。
>>560 確かに神学専用スレッドがあるみたいだけど、ノン・クリスチャンの俺としては、
少々敷居が高い。
Gimmi information, please.
639 :
名無しさん@1周年 :02/05/17 12:58
お、遅すぎ(w 佐倉サイトは神学的な見方をしたら面白くないと思うんだよね。 鰯の頭を「鰯じゃんか!」って言ってるサイトだから。僕はそれで面白いけど。 神学って「鰯の頭も信心」の“信心”についての学問でしょう? 違ってたらごぬん。
640 :
Ohmigod. It's a shame for me to have arrived too late. :02/05/17 13:20
>鰯の頭を「鰯じゃんか!」って言ってるサイトだから。僕はそれで面白いけど。 野暮と思はれ。 > 神学って「鰯の頭も信心」の“信心”についての学問でしょう? いや、むしろ「鰯萌え」同人業界なんだと思うよ。 異端論争が異教相手の論争よりへたすると盛りあがるのは、 同人ジャンル間同士の争いより、同ジャンル内の●×○カプと○×●カプ派閥 争いのほうが深くて暗い溝がどろどろ……になりやすいのと似てると思はれ。 まあ、しょせん人文業界なんて神学に限らず巨大同人誌市場なんだし、 それでいいでない?本屋に並ぶっちゃ並ぶけど、同人誌だって有明まで いかずとも、だらけや虎の穴で買えるし、通販もしてる。構造的には一緒 だと思はれ。
641 :
名無しさん@1周年 :02/05/17 13:25
身も蓋もない
642 :
名無しさん@1周年 :02/05/17 15:56
神学から社会学へ(藁 取り敢えず社会的行為に関しては両者は一緒かな。価値合理的行為ですか、やっぱり。 この分類だと4種類しかないけどね。……ヒー、ハゲシクツッコマレソウ。
キユウデアッタヨウダ
644 :
名無しさん@1周年 :02/05/17 17:15
>取り敢えず社会的行為に関しては両者は一緒かな。価値合理的行為ですか、やっぱり。 > この分類だと4種類しかないけどね。……ヒー、ハゲシクツッコマレソウ。 社会学知らないので、その分類を教えてくり。
いや、それもいいんだけど、その「神学スレッド」のURLきぼん。 ……もう dat 逝き?
646 :
名無しさん@1周年 :02/05/18 07:08
>>644 目的合理的行為、価値合理的行為、感情的行為、伝統的行為、以上社会的行為の四類型byヴェーバー
ここでの行為は、他人との相互関係があるような行為です。
ちなみにこの類型は周りからどう思われてるかよりも、本人がどう思ってるかを重視した分け方。
周りからどう思われてるかを重視した分け方はまた別にあります。
価値合理的行為は、「行為自体の持つ固有の価値に意識的に準拠した行為」って感じかなあ。
価値に従ってるのでその意味で(行為者にとっては)合理的なんですね。
で、宗教とかはもろにこれ。宗教を信じている人にとってはめちゃくちゃ合理的だけど、
信じてない人から見ればっていうのとか。……イチオウ ジショモ ヒイタケド ジブンデ カクニンシテネ。
>>645 知らないっす。噂じゃ神学スレは荒れるらしいですよ。
やっぱりキリスト教質問箱で聞くのが手っ取り早いのでは。645見て誰か教えてくれるかも……
と期待しつつ早朝age
>>647 具体的などこかを指したわけではなく、以前にそういう書き込みを
目にしただけなんですよ。すみません。
リンク先を読んできたけど、面白いですね。用語さえなんとかなればもっと楽しめそう。
神学用語集スレを立てるべきかどうか質問箱でお伺いたててみるとか。
…辞書買えって一喝されるか……
でも、645のリンク先って638さんの要望には添えないの?
いちおう父スレは読んでますが、 あそこのコテハンは実はいわゆるクリスチャンでない人がほとんどで、 まして神学プロパーの人はいないはず。 なので、まっとうに稼働している神学スレッドがあるなら そこもブクマしときたいなと思ったのです。
あ、そうなのですか。なるほどねー 今思うと早い段階でスレ立て誘導しちゃうべきでしたね。結果論なんでどうしようもないですけど。 ところでこの板にコテハンの神学プロパーっているのですか?(煽りじゃないですよ)
いないと思います。……あー、ある意味ではいますね。うちの教派は 教役者の人も書かれてますし、別のところでもそれらしい人はいる。 でも教派スレからはめったに出てきませんね。 あと、神学部の学生(院生)さんが何人かいるのは事実。それをプロパーと いうかですね。。DCか学振もらってる人はいるようですが、いささか 書きこみのレヴェルにばらつきがあるような気はします。って私も資料を きちんと見ながら書きこんだりはしないので、人の事は言えん(笑) それとは別に中世哲学を専門にしている人が書きこんでいることは ありますね。しかし、みな福岡にいってるのかな。今日は微妙に 静かですね。
652 :
名無しさん@1周年 :02/05/18 19:25
>651 「神学部院生」407氏の意見についてはどう思われますか? よければきかせてください。 407氏の話って、面白いんだけども、どうも腑に落ちないところがあって。 たとえば「神学のトレンド」という言い方をよくされたけど、 話の内容としては「新約学」の方が適切じゃないかと……。 「大量の考古学的発見によって、初代教会の信仰が 現代の保守派に近いことが実証された」と言われるけど、 考古学的発見とはどのようなものだったのか。 「現代の保守派に近い」という表現も曖昧で専門家らしくありません。 聖地旅行後は「専門家」として近代思想史についても語られる。 なんか無闇に専攻範囲が広くて、そこらへんが何とも妙でした。 (もっとも「聖地旅行後」については偽物の仕業とのことですが) 私自身は神学部生ではありませんが、近い分野を専攻したことから、 神学部生(日本基督教団認可神学校)との交流は経験しています。 福音派の研究者に接したことはありませんが、 407氏みたいな感じなんでしょうか。 ご本人に語ってもらうのがベストなんでしょうが、 今となっては無理な願いなんでしょうね。
そう、神学プロパーの方だったらまず「神学」とはいわないんじゃ ないかな、とか「保守派」ってのはどの辺を指しているんだろうとか、 なんかわかったようなわからないような…… ただし、思想史研究をやってて、別にアクチュアルなテーマを取りあげる、 ということはあるんですよね。また、とくに院生のときならテーマを かえて……ということはありえる。 修士でやったテーマが新約学で、現在取りくんでおられるのが近代、 という可能性は十分にありえる。もちろん、巧妙な自作自演あるいは 騙りだというほうが明解ではあります(だとすると文体の模写が 精緻なので、かなりの手練れですね)。 ともあれ、わたくしこのスレッドはまじめに読んでおりませんので 論評は避けとうございます。 「福音派の研究者」ですけれど…… 私も神学が専門というわけではございませんで、近くもなく遠くもない 分野を研究しております。ですので存在論などされている方とは多少お付きあいもあるのですけど、 教義神学やまして新約学旧約学の方とは面識をもたないのです。その方々も他教派の方ですし、というより 福音派の方には 2ch 以外でその言説を目にしたことがないくらいでして :-) ……652さんのお役にたてませず申しわけありません。 それよりもブルネルス氏のいってた「第三の波」ってのがどういう 話なのかに興味あるな。652さんは御存知ですか?
>653 レスありがとうございます。 「第三の波」は私も知りません(苦笑)。 近い分野を専攻していたのも昔の話です(遠い目)。 ブルネルスさんは哲学畑の人のようですが、 新約学についてもかなりの理解を持っておられることがうかがえますね。 407氏も(ひょっとすると)冷や汗ものだったかもしれません。
なんだか 652 さんとチャット状態ですね :)
>>654 >407氏も(ひょっとすると)冷や汗ものだったかもしれません。
そういえば、ほんとに出てこられないようですね。その方。ちと
つまりませんね。……実は引用箇所を探すために過去ログを読んでいたら
>>604 のブルネルス氏の疑問が放置プレイで、「聖地旅行帰還」後の
「407氏」(=
>>608 )も「騙り407」氏も、返答された形跡はないようですね。
「ヤコブ書簡」が新約最初というのはなかなか大胆な意見で、
(ログを参照する限りでは福音派では一般的な意見だそうですが……)
騙りかどうかはともかく、そう書きこまれた方には
自説をぜひとも開陳していただきたかったのですけど。
まあ、おふたり?ともネットワーク接続がままならない環境に
いらっしゃるのかもしれませんし。
気長にお待ち申しあげることにしましょう。
……でもブルネルス氏はあちこちをほっつき歩いているみたいだから、
うまくいえば召喚できるかもしれませんね。他のスレッドで拝察するに、
氏は佐倉氏をまったく評価しておられないようなので、このスレッドには
すでに関心をお持ちではないのかもしれませんが、試みてみないよりは
ましでしょうから :-) まーらーたーなー、じゃなくって
来たれ、ブルネルス!
>>593 第二段落の説明していただけますか?
# いや、今晩でなくてもよいのですけど。つか哲学畑の人はいまごろ
# みんなで仲良くへべれけさんだろう。。
しかし真贋論争けっこうあちこちにあるのですね。
地下スレを再利用して宗教板全体を観察するスレッドを作ったら
需要はあるのかしらん。わはは。
あと
>>546 も放置プレイですね。二回も放置プレイされてるのね。
ちょっとかわいそうかも。
それでいぢけて来なくなったのかな、ブルネルス氏(笑)
あう。656は私です。ほんとうの561さん、ごめんなさい。
「第三の波」って、北米のポストモダン神学のことでしょ、普通。 史的イエス研究についていえば、自由主義神学のブルトマンが イエスの史的(客観的)事実の解明に懐疑的であったのに対して、 史的(客観的)事実の解明に懐疑的でなく、関心も強い「イエス・セミナー」とかが有名。 史的イエスの研究方法も、神学的アプローチに限定せず、社会学的アプローチや 人類学的アプローチなど、学際的研究方法が採られているのが特徴かな。 まあ、正統主義からはブルトマンでさえ目の上のたんこぶだけど、 その上をゆく彼等は、蛇蝎の如く嫌われているね。
659 :
名無しさん@1周年 :02/05/21 08:47
クリスチャンの皆さんに。 佐倉さんのために一言お祈り下さい。 私は、ブライダルの司祭をしております。 佐倉さんほどの知性もありません。 でも、分かるのは、佐倉さんは知性を無駄に使っている、ということです。 私が欲しいのは 佐倉さんの言う大きな見返りどころではなく恵み、救い、天国、愛です。 幸福の中味は、愛、喜び、平安、感謝、賛美です。 勿論佐倉さんは私など知らないわけですし、 ましてや愛しておられないことは、良く、承知しております。 私のために命をかける愛など、佐倉さんに求めません。 すなわち、佐倉さんは、私に、愛も、天国も約束できるお方では無いのです。 でもイエス様は、頭のてっぺんから、足のつま先まで、愛の塊です。 私の欲しいものが全てあるのです。 愛が世界を救うのです。 佐倉さんが地上天国、聖霊の臨在ある礼拝、 また、心暖められる聖徒の交わりを経験することができますように 勝手ながら祈らせていただきます。 神様の祝福が豊かにありますように。
660 :
通りがかりの求道者 :02/05/21 09:04
>>659 >でもイエス様は、頭のてっぺんから、足のつま先まで、愛の塊です。
何でそんなこと断言できるんですか?
素朴な疑問です。
是非お答えください。
よろしくお願いします。
661 :
名無しさん@1周年 :02/05/21 09:20
662 :
名無しさん@1周年 :02/05/21 09:27
663 :
名無しさん@1周年 :02/05/21 10:18
>>662 >「頭じゃないよ、御霊だよ」というペンテコのかけ声も好きです。
父の独生の子イイスス・ハリストスは言(logos)なんだけど……
やっぱ、異端だわペンテコ。うん。どっちが欠けても、教会じゃないもん。
664 :
名無しさん@1周年 :02/05/22 04:59
>>659 >佐倉さんほどの知性もありません。
>でも、分かるのは、佐倉さんは知性を無駄に使っている、ということです。
佐倉氏ほどの知性が無いなら、そんなことわかるわけないわな。
いったんは謙虚そうなそぶりを見せて、実は傲慢だというクリスチャンの姿が現れていますね。
そもそも佐倉氏とイエス様とを比べていること自体、かなり怪しい。
ネタにマジレスしちゃったかな。
>>651 呼んだ?
佐倉哲氏をテーマにはじまったこのスレですが、これはテーマとしてはほとん
どおもしろくなく、きっかけとしての役割はすでに果たして終わってしまって
いるので、本スレの本来のテーマとしては、
「聖書に間違いがある」とか「ない」とかいう言説を一歩退いたところから、
眺めて(ウォッチね)評価するといったものが相応しいかと。
たとえば、逐語霊感を主張したい人が始めたスレがありますが、それをリアル
タイムで評論するといったことが望ましいような。もっとも、リアルタイムで
評論するに価する発言があちらであるかどうか、怪しいけれど。
で、そもそも「間違ってるぞー」ということのおかしさ(もちろん「間違って
ないぞー」ということとほとんど同じおかしさなのですが)が、まずは語られ
てしかるべきでしょうね。
666 :
名無しさん@1周年 :02/05/24 22:39
>>665 > で、そもそも「間違ってるぞー」ということのおかしさ(もちろん「間違って
> ないぞー」ということとほとんど同じおかしさなのですが)が、まずは語られ
> てしかるべきでしょうね。
でも、佐倉氏が指摘している「聖書が含む矛盾点」を論破できるクリスチャンて
見たことないけど。
氏の指摘は余りにも明白であり、反駁している人の論理は余りにも稚拙だと思う。
>呼んだ? へい。お呼びたてしてすみません。 確かにここ議論止まってますし 御提案のように某ファンダメンタリスト(?)観察スレッドとして 再利用するのは悪くないですね。みなさまsageでよろしく。 >たとえば、逐語霊感を主張したい人が始めたスレがありますが、それをリアル > タイムで評論するといったことが望ましいような。もっとも、リアルタイムで > 評論するに価する発言があちらであるかどうか、怪しいけれど。 そんなこともないでしょう。 「なんかこの書きかただと、フィロンがクリスチャンみたいにきこえるよな。 うん、たしかにおっしゃるとおり、書き急いでおられるなあ。 ……ま、教科書じゃないんだし、いっか(はぁと)」 と、ひとりでにやにやしながらチェシャ猫のように消えていくテスト。
上記書きこみおよび「正典性」スレ106 メイル欄ご参照の上レス付けられたくそろ、 と懇願して、額をこすりつけてみるテスト。
自己言及のパラドクスの例を作ったわけ? 発言Aをみてレス付けろ : 召喚文 発言A「これは召喚文ではありません」: レスつけるな 自分に対して言ってるな、と思った人はレスをつけないでしょうね。 以上、横レスでした。
α動詞っていうのもあるんだ。ギリシャ語って奥が深い、と初学者なので途方にくれてみる。
>で、そもそも「間違ってるぞー」ということのおかしさ(もちろん「間違って
> ないぞー」ということとほとんど同じおかしさなのですが)が、まずは語られ
> てしかるべきでしょうね。
このスレッドが沈んでいるためか、佐倉ファンの方々はあたらしいすくつを
かしこに見出したようであります。
聖書をなぜ信じないの?
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1022224151/l50 とりあえず旧友・原健@品川バプ師がどこまで佐倉教徒に根負けしないか
見物させてもらうことにしよう。
しかしあなたもたいがいおちゃめですね。>ブルネルスさん
はい、私はおちゃめです。
(脱力)
675 :
名無しさん@1周年 :02/05/29 20:55
age
>たとえば、逐語霊感を主張したい人が始めたスレがありますが 全然逐語霊感と関係ない展開しているいま、逆に良スレの予感。 ……あほくさいテンプレで埋まってなければ、せいぜい 500番台くらい なのになあ。。と自分で100レスくらい荒らしたことは棚に上げてつぶ やいてみるテスト。
トリップテスト兼ねて書いています(おかしいなあ) ……で新約のほう昼間がんばって書いてはったな〜いろいろつっこまれてるし レスしなくちゃ、と思って見にいったら、のえのえぷーになりました。 削除申請だけだして、寝ます。。(ほとんど日記状態だ)
idで統一するより伝統的記法のほうがやっぱり落ちつく、ってのはおいといて。 ……なんかどこででも誰かさんはおちゃめを通りこして おちょくりに走ってるような気がするが気のせいなんだろうか。 なんか締切まじかの原稿でも抱えているのかなあ、とトリップテストの ついでに呟いてみるテスト。
しかし ……そうやってレスしなかったら削除申請にさっくり出せるんだよぉぉぉ と穴に向かって叫んでみるテスト(512KB制限がすぐくるぞ、あの調子だと)。
あのう、512KB制限て、なんですかあ? Hはあったほうがいいですねえ。当方もトリップテストをやってみよう?
おちょくるなんて、とんでもない、あと488しかないわけだし
なるほどねえ。
あたしはエロイーズ。むっつ。街の子よ。プラザに住んでるの。 ……ってこのネタ、受け線狭そうだが、まあいい。翻訳あり。 あーまた哲板厨、まあ住民様と呼んでさしあげるか、ご到来だなあ。 学振が取れなかったのか嫌なことがしらんけどけど、周期的に立つなあ。 最近、福音派あたりの脳内あぼーん能力さがってるからなあ、荒れると 飛ひ火するから嫌だなあ。WMとGLAでネオカテ裁判でただでさえ祭 なんだからさあ、かんべんほしいなあ。 ……つか誰もレスしなければあんな駄スレ一日で沈むんだから放っといてよ。 レスするなレス。哲板厨は適当にオナニーさせとけば飽きてすぐいなくなる んからだ。だれだよマジレスしてる奴(しかもつまんない。マイトレーヤ がらみかな?) ……哲板住民ってなんか宗教板住民を「論破」してみたいらしくて 周期的にあの手のスレ立てるのよね。哲板にも同じスレあるんだから そっち使い切ってからやればいいのに。ところでこれって、 佐倉信者が「聖書の間違い」スレを立てるのと、ある意味同じ心性 なんじゃない?佐倉信者より、もうすこし同族嫌悪が強いかもしれないけど。 いちおう宗教がらみっぽい(vsなんてたんに哲板住民さまのルサンチマン 日記にしか見えないけど)っぽいスレタイトルなのでスレ削除申請にも出せず、 エロイーズ、ゆううつなの。 佐倉×ファンダメンタリストといい、この手のスレといい、どうして ……とキャラ立てがくずれてきたこの辺で、みんな、ばいばいっ。
少しわかってきた。いずれ8文字なんだね。
お転婆さん、登場か
Win85以上なら、ご自分で生成できますよ。Brunellusはむりだけど(8char limit)
ass* なんていいのなら、一時間もあれば幾つか手頃なのができるでしょう。
または自分にとって意味のある言葉を使う(こちらのほうが覚えやすくはある)
生成プログラムは
http://isweb34.infoseek.co.jp/computer/tripsage/ 2ちゃんねる トリップ検索プログラム 見知らぬ国のトリッパー(w
よりダウンロード化。フリーウェア。
なお、トリップキーに2Byte文字をいれておくと逆解析はほぼ不可能と
いわれております。トリップキーとして与えられる文字長は最大10文字。
……なんか本題と関係ないけど、動きがないから、このくらいいいや。
Hがあるヴァージョンのほうがよい?じゃつりあうハンドルをかんがえなきゃな。 いくらなんでも、これじゃべたべたすぎない?
=686
>>680 1スレッドのサイズは512KBなので、書きこみ要求を出したときに新規
書きこみ分との合算が512KB超だと自動的に書きこみを受けつけなく
なるのです。(父スレ2がその状態)。
1000レス制限と違って、シリーズものスレでこれをくらうと、移行や
誘導に失敗するのがちと難儀。逐語霊感の良スレの部分は、かなり字数が
多いので、その意味でも中間のわけのわかんない部分を取りのぞけると
スレッドがぎりぎりまで使えるのではないかな。と期待しております。
……もっとも、宗教板って、削除人から忘失された板とまでいわれてるんだけど。
正典スレ160: べつだん複数文書の集合としての正典を前提にしなくても ヨハネ伝1:1-5(まあ、いかにもオルペウス教かなんかに出てきそうな文ではあるが)とか 旧約(モーセ五書)にみる形像忌避とか、一つの特定のテキストの中だけで自己規定的な/ 無規定な神の存在様態を導出することは可能なのじゃないでしょか。 とたまにはマジレスしてみるテスト。
そりゃそうだね。
↑ふつうはこういうことはメイル欄に書くのだが、読まない人がいるみたいなので。 そりゃそうと 正典スレ184: 大爆笑。父スレ3の誰かさんじゃないけど、茶を吹きそうになりました。 あんまり笑ったんでレスの付けようがないよ〜 だれでもいいからおちゃめなレスを禿しくきぼん。マジレスなんかしたら 184のおもしろみが飛んじゃうからつまんないっす〜と、驢馬の口にくつこを かけてみるテスト。
>>692 ご親切に分かりやすいレスにしていただき、ありがとうございやした。
おかげさまで、メイル欄をチェックすることを思い起こすことができました。
正典184にはおちゃめなレスでないと、残485回になりそうなわけですね。
おちゃめ、おちゃめと・・・(考えている)
いや、マジレスしたいなら、とめませんけど。てか、マジレスしたいの? ブルネのマジレス読めるんなら、184はどうでもいいや(はぁと) といってみるテスト。
いま見てきました。 最高です! # というのが最近2chで流行っているらしいが、宗教板では見たことない。 # 初心者@質問箱に2典の人が質問しにきて、それで流行っているというのを知る。 Bravissimio! つかありがとうございます。禿シク藁タ。 そういえば、りささはなんかよくわかんないこと気にしてたなあ。 ちぃヨハ、もしかして禿なのか?(禿しくスレ違い)
正典スレ189: これひとつで止めておけば、御愛嬌ですむのになあ (また見事に186が読めてないことを露呈してるし、 あんたそれ以上書かんでよろし。もののあはれとはこのことか)。 ……破滅願望でもあるのかしらん。
……何を問題にしたいんだか、ぜんぜんわからない。 識者の解説を切にきぼんぬ(……あんた、いつの人?)
本人に聞いてみました。循環してるんじゃない?って。
ヨンダヨ。 ……通じてないみたいだね(しょぼーん)。 # 遅ればせの自己言及パラドクス実践、でもなければ解釈学的循環の例示 # (読むものがないよー)でもないだろし……とはいえ本人はあれで楽しい # みたいだから、「小動物の生の歓喜」に共感するほうが望ましい態度な # のかしら。……それともあれが噂に聞く「グロッソラリア」なのだろう # か。それにしては日本語の文法規則に妙に適合してはいるのだが。 楽しい相の手もいいけど、某所にマジレス返すのもよろしくです(スレ違い)。
なんか、怪しげな舞い上がり方のレスがつきました。 ほんとに教えを請うていると理解したのでしょうかねえ。
そうなんじゃないですか、というかスピットボール以外の変化球が あの方に投げられるようには見えませんから。意識の下ではともかく表層では そうお思いなのでは? しかし小ヨハといいあの方といい、みなさま勝ち負けを語るのがお好きなようで。 余談ですが「ご教示」がそういう使われ方をするということは、 「ご教示ありがと」=「かわいいこと言ってんじゃねぇよゴラァ」 でもありうることなのかしら:) 誤読?
正典214: いまさっき気づきました。 ほんとに親切ですね……&でも、やっぱり伝わらないほうに1ムナ。
704 :
名無しさん@1周年 :02/06/06 18:12
age
……思いかえせばJWも逐語霊感説ということになるんだろうか。 …………かなり痛いことを教えこまれていた記憶が甦ってきたぞ。鬱だ。 王国会館スレ(通称折原スレ)にやる気まんまんの現役様出現。 「ハナコ」とかいうコテハン。 # どうして、2ch素人のくせにすぐコテハンいれるんだろ。痛すぎ。 # てかJWだから痛いのはしょうがないのだが…… 「ふざけるな」へ誘導図ったけどしぱーい。なんつか久々の 擁護やる気まんまん型現役様です。(いじって確かめたのでまあ外してないと思う) いじりたいならおとめしません。なんなら折原スレでいじっても「私は」気にしませんよ。 # あそこネタスレだからなんでもあり。 でもあの感じだと、教理問答というよりは出版物暗記自動応答なので、ちぃと つまらないかも。あと「いい人ばかりなんだからいい宗教に決まっている」的 なんだかなな御発言もあり。……おなかいぱーい。つかそのパターンは、もう あきたよ(「ふざけるな」もたいがい長いんで)。 以上業務連絡でした。ってここまだ巡回コースにいれておられるかどうか、 知らないけど。
まったく見てませんでした。あしからず。
いや、実質、age荒らし後の保全カキコだから、気にしないでいいっすよ。 そういや佐倉教徒がまたぞろスレ立ててましたね。どーでもいいけど。
おのれはパラクレートスをなんだと思ってるのか、小一時間問いつめたい。 てか哲学板ヘ帰レ!(絶叫)
……そうかよ。山本名義で戻ってくるのかよ。いつもそうだもんな。 消えると期待した私が禿げるほどヴァカでした。つかDQS同士濃縮 しあいはじめてるし。……ぱらくれ話書きに逝てきます。。 # PNの違う書きこみの筆者同一性を人に指摘されて、否定してたことありましたっけ?(汗)
710 :
名無しさん@1周年 :02/06/10 05:30
どうし佐倉哲氏と関係ない話で盛り上がっているの? まあ、これも、一種の上げ荒らしか。。。
>>710 放置されたスレッドの再利用ですが、何か?
というか佐倉信者あちこちのスレッドに棲息してるけど、ここには来ないので
使うつもりないとみた。
ところでいまさらだけど、どなたかがおっしゃる場合の「福音派」って何?
外形的には「福音派」=日本福音同盟(とやら)に加入している教会
内容的には根本主義
で、よいの?どうも人によって使いかたまちまちなんで。あらためて確認。
しかしそもそもの再利用趣旨に基づくと、佐倉教徒観察が主目的のはずなので
たしかに話はかなりに逸脱してるんだよね。……じゃあその話にもどそうかな。
個人的観察だと科学者はそれこそ神を(必ずしも特定宗教ではない)信じる人
多いし、どこら辺の人がフォロワーになるんだろ。
あ、科学者というより工学系で、宗教全般が嫌い……という人というのは見たことがある。
科哲勉強して熱心なのはいいけど、ドイツ観念論とかましてその前に言及すると
「現代哲学ではそんなこと問題にしない」とかいいだすしさ。あの手の人て
分析哲学(のそれも一部)だけが現代哲学だと思ってんだよな。どうも。つっこむ気力もないから
「目を噛んで死ね、くそぼけ」とPCに向ってつぶやくだけにしてます(ぉ
712 :
名無しさん@1周年 :02/06/11 11:45
佐倉信者とか佐倉教徒って、何?
>>712 「反佐倉」教徒が必死にでっちあげようとしている架空の存在。
あ、なるほど。
715 :
名無しさん@1周年 :02/06/13 22:34
>>713 本当、彼等は必死だよね。
よっぽど、佐倉氏に痛いところを突かれているとみえる。
口惜しいんだろうな〜
ところで、「反佐倉」教徒の実態は、幸福の科学の信者と
ファンダメンタル・クリスチャンではないかと推測しているがどうよ?
716 :
名無しさん@1周年 :02/06/13 23:00
717 :
名無しさん@1周年 :02/06/16 08:42
>>716 見たけど、すごいね〜
特に「聖書の間違い」とか「その他の宗教について」のなかの
「統一教会の霊能者」『世の終わり』思想の源流」「大川隆法の霊示」
「エドガー・ケイシーのデタラメな予言」「ブッダと大川隆法」
「殺せ!と神が命じるとき」「「世の終わり」は1914年に始まったか」
などは、宗教を信じる全ての人が見るべき論文だ。
様々な意味で、目を覚まさせられるWebサイトだと言えるだろう。
しかし、ここまで真摯に、そして丹念に各宗教を研究している人は
本当に少ないのではないかと思う。
これらの論文を見て反論したくなった人がいたら、それは逆に
その人がカルトにはまっているということを証明していると思う。
718 :
名無しさん@1周年 :02/06/16 16:37
>>716 来訪者の声。
佐倉氏が真面目なだけに、ヨケイニワロタ
719 :
日本負けちゃったっす。。 :02/06/18 17:55
ゼミか日本戦か懊悩した上でゼミに来た。おわったらロスタイム。ぐがー。 質問ゼミのあとにしとけばよかったなあ。しくしく(自業自得なのでなお悲しい)/ お題はデュフレンヌ話。「美的経験」を「信仰経験」、「美的対象」を「神」 に換えてもそのまま通りそうな話だなーと思へり。まあ現象学はなんでも出来ます 話に回収したいんだからあながち変な話でもあるまい。と、誰かが喜びそうな 話なのでメモがわりに書いておく(ぉぃ)。 その最中唐突に気が付いたんだが、つまり反佐倉教徒も佐倉教徒も同じように 阿呆に見えるのは、というか「なんであんなにつまらないことに夢中になれる んだろう。変なの」としか思えないのは、彼らが事実の明証性を信じて疑わない ことの裏返しなんだろうね。 ……素朴唯物論? まあ。サベリウス主義者が観測できるくらいなんだから何をみっけても おかしくないんだけど、21世紀にもなってねえ。激しく感動したよ。 そういえば、とある哲学者が根本主義・福音派のことを「伝統的な教義を 奉じる」とかなんとか書いてたことに昨日気がついたんだけど、 そこに線を引いた上で欄外に「んなわけねえ。目を噛んで死ね」とまでは さすがに書かずに「まあ。…てばおちゃめさん(はぁと)」と書いておいた、と書き込んでみるテスト。
普通におもしろくない
721 :
名無しさん@1周年 :02/06/18 18:09
「佐倉はつまらん」に二種類あるということだな。
722 :
名無しさん@1周年 :02/06/18 18:49
佐倉氏に対する反論メールは面白いよ。
723 :
名無しさん@1周年 :02/06/19 18:47
>>718 佐倉さんはまじめに反論してるようで
おちゃめなところあるよね。
そこがオモロイ。
福音派は伝統的な教義を奉じるのです。ただしプロの。ね。 それでもそう思ったら、死ぬまで目を噛まんといけんのでしょうか。
そんな1/5総主教座という狭い世界のなかの、それもごく最近の異端の教説をもちだして キリスト教全体を代表したような言説を提示されても困ります。(爆) それならそうと、断ってくださらなくちゃ。というか今だって信徒数からも 地域的広がりからも、まだまだ少数派なのじゃないですか?>プロ #最近の東欧宣教はものすごい勢いのようだが。 というか、「プロの伝統的な教義」ってなんです? 「聖書のみ」(というがあれだってそもそもはかなりが口承伝承なのだが……) 以外になにか共通項がありましたっけ? と嘘ぶいてみる。
726 :
名無しさん@1周年 :02/06/24 00:15
勇気があるな、彼の命が心配だ。まだ生きてますよね?
なかなか目を噛むのは難しいもんだ。鼻すら噛めないのに。 それとも 719がやさしく噛んでくれるっちゅうんだろうか。
お風邪でも召したんですの? 愛のおのづから起こるまで呼び覚ますことなかれ。 とスレとも他レスともまったく関係ないことを書いてみるテスト。
で、呼び覚まされちゃったら、どうしたらいいっ中年。
つまり、おのづから起きちゃったら、どうするんだい?
さあねえ。昔の人は麦打ち場で男の衣の裾をまくって、一晩その足下に 伏したりもしたそうだけど、ソロモンの栄華だに野の百合花に及ばずと も、その畏ろしきこと軍旅の上の旗のごとしともいうわね。だからご心配 には及ばないのではないでしょうか。 以上ひとりごと。 なお「眼を噛んで死ね」という指令自体はなされていないのだから、 727はなぜそれを問題にするのでしょうね。謎ですね。
「まあ。…てばおちゃめさん(はぁと)」 という表現の下で、 「眼を噛んで死ね」 と相手に語りかけている、 という意味に解しました。
『ヒッピアス(小)』では、オデュッセウスは思っていることとは違うことを語る 嘘つきだと、ヒッピアスに評価されます。実は対話相手のソクラテスも、思って いることと違うことを言っている「嘘つき」なわけで・・・それを polytropos というオデュの肩書きにことよせて描いているわけなんですねえ。 しかし佐倉哲はソクラテスのもじりだという説がありましたが、こちらのほうは 思っている通り書いているという単純な人ですね。
うちの猫も長毛の尻尾をふりたてて歩きます。これを称して風林火山。 「軍旅の上の旗」というわけでしょうかね。 そういえば真冬の寒いときには、私の裾をまくって、足元に寝ている こともありました。でも、猫じゃあねえ。
今時この歌知らない人のほうが多いんだろうなあ。 いまみちともたか、実は今道先生の息子さん、なので宗教板とまったく 関係ない話題ではない、ってのは詭弁だよな。
736 :
名無しさん@1周年 :02/06/26 22:11
なんか知らんが、おめでてーな。
737 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 01:36
同感。 佐倉氏の論文に無理な反論をして いい気になっている信者達って、 本当、おめでたい。
>>737 そういう信者たちは、最近はこのスレにはいません。
信者たちもおめでたいが、佐倉氏のめでたさも大差ない、
というスタンスの人たちならきてますが。
739 :
名無しさん@1周年 :02/06/28 19:28
そうです。わたしはめでたいのです。少なくともあなたよりはね。
741 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 06:03
>>740 自分で自分を貶めてどうする。酔ってるのか?
だからおめでたいって言うのさ。
742 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 06:12
漫才ヤメレ
743 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 14:48
いずれにしろイタイ信徒にとって佐倉氏は悪魔にしか見えないんだろう。 昔のヨーロッパなら佐倉氏みたいな人は火炙りにされてたな。
マリア.なんだっけ、カトリックの訳だと。 「めでたし」が Ave の訳語として適切かどうかはともかく ……まあ、めでたいことはよいことだ。うむ。 しかしより興味深いのは佐倉信徒はなぜこうも「佐倉全面まんせー」なのかと いうことだ。普通まともな論者のまともな著述につく好意的な評というものは 「いやあ、あいかわらずの〇〇節ですな。こうでなくっちゃ。うむうむ。 ここは激しく同意。よくぞ言った! だがここは保留、ここは賛成できない。とくにここんとこ(鉛筆を取って、「ご冗談を。」と書き込む)。 というわけで全体としてはいいたいことは分かった、だが納得はしてませんよ。ええ決して。 次の機会とやら、楽しみにお待ちしましょう。 ……え、これを読むべきかどうか?それをいまさら私に訊くんですか?(にや)」 という類のものだと思うのだが。およその支持者がみな熱狂的な支持者に見える という点では、批判する側もされる側も対して変わらないようにみえる。なりゃ こそ「信徒」と呼びたくなるんだよね。こちとらとしては(ああなんて親切な私)。
745 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 01:21
>>743 同感。
佐倉氏は、痛いところ、図星を突くからね。
幻想に浸って、気持ちよがっている人は、
目を覚ませる存在が、邪魔でしょうがない。
746 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 01:32
>744 納得してねえと言うのなら、オノレが受け入れることの出来ない箇所を 具体的に列挙しろや。 そんなんじゃ、ただの負け惜しみだ。
>>741 まことに不適切なレスです。ちゃんと突っ込んで、相手の上をいく
レスを考えてから書いてください。
ちっともおもしろくないじゃあないですか。
「自分で自分を貶める」?
どういう読み方をしているのでしょう。
748 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 10:47
いいえ。
>>746 いや、そもそも佐倉氏自体のサイトは見たことない。
ここでいってるのは「佐倉支持者の支持演説は失敗している」
もう少しかいつまんでいえば、「佐倉信徒の発言を読むだに、
逆佐倉サイトというのは世にも稀なる糞サイトであるかのように
思われる」ということにとどまっているのですよ。お分かりか。
「佐倉擁護たんの語りを見ている限りでは
佐倉たんはあんまり面白そうには見えないなあ、
ってか佐倉信者って身も心も佐倉たんに捧げてるって感じで、
きもいよ」ということ。まだ「さくら教」のほうが愛を感じるなあ。
#さくら教スレそういえばどこいっちゃったんだろう。
なるほど。この程度のことも読み取れないのが褒めそやすからそそらない
んだな。と、もちろん上に書いたことが744の真正な読み方だという保証は
どこにもないんだよ。といわないとわからないだろうから書いておく
(ああ、いつもにまして親切だなあ、わし)。
751 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 17:13
>>750 いや、よくわかったよ。
つまり、具体的に挙げられないわけだ。
ついに佐倉スレ本来のテーマに戻ったということだね。 佐倉的ものいいは、とんでも系に対する大槻教授のものいいと あなろじかるだと思うね。 とんでも系を批判するのはもっともだが、その批判の仕方がいつの まにかとんでも系になってしまっている、というような、ね。 「聖書には間違いがある」と一生懸命主張するという、その言い方 が、聖書無謬を信じる主張と、いつのまにか似てきてしまうんだ。
753 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 09:50
聖書に間違いあるやん、はっきりと。 ひょっとして君、施設の人?
754 :
熱烈な恋人も謹厳な学者も/円熟の季節に達すれば共に愛す、/…… :02/07/02 18:30
そもそも「間違い」ってなあに? それ、おいしいの?
755 :
名無しさん@1周年 :02/07/02 18:41
ああ、君はどっか逝っていいよ。
756 :
むしろ虚構されたもののうちにのみ真実の座は用意されうる :02/07/02 23:25
それを可能にするのは、我々にはその起源が知られない秘密の能力、 あらゆる認識の根(4巻がめてる奴がいるので参照指示はなし、あしからず)。 そういえば誰だっけあれ。「想像力」って書くのにすげえ拘ってた人が昔 (といっても五年は経ってないような気がする。誰だか忘れたがとにかく英米系の人) 「いまどき構想力なんていってるから、ドイツやってる人はいつまでたっても駄目なんです!」 って質疑で吠えてて、いやあ、英米系の人っていつまでも若いねえ(ぉ そのあと友人と「そうか、我々は駄目なのか」「ううむ、そうらしいね」 と確認しあったことはいうまでもなし。というわけでいまさら755に云って もらわなくても自分が駄目だめなことはよく分かっているのであります。 と話が飛びましたが、佐倉氏とその信徒は福音派ともどもギリシア人のようにいつまでも 若い、ということを示すために、とあるギリシア人にちなんだPN、ってのは どうでしょ。と一応話を軌道に戻す努力をしているふりをしてみるテスト。
佐倉方式を批判すると、無謬説主張者だとすぐ思う。それが佐倉教徒の 思考回路らしい。 間違いがあるとかないとかいうレベルで争うこと自体が笑われているの にね。
758 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 03:39
744は幸福の科学 しょうもな
759 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 10:04
757って・・・ カワイソ
>佐倉方式を批判すると、無謬説主張者だとすぐ思う。 それは、無謬説主張者と言ってることに差がないからじゃないの? レス読んでもその手の人達と区別が付かないというか。
761 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 10:24
>>759 本当。
757って痛々しい。
頭の固さが、文章ににじみ出ている感じ。
質的に差がないのは、佐倉教徒と無謬説主張者との間なのだよ。 どうも佐倉教徒は、文章の読解力に問題があるようだね。 無謬説主張者を「佐倉より右」と表現すれば、それと「佐倉よりずうっと左」 の発言との「区別が付かない」と告白しているんだからね。
763 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 12:59
750ではありません。私は佐倉HPを数年前からちゃんと見ています。 見た上で、批判の視点が低いと評価しているのです。 大槻教授のとんでも批判みたいだと言っているのです。 ということは、無謬説をとんでも系になぞらえてもいる、という 点を、ちゃんと読解してくださいね。
そもそも763のように、
>>750 =
>>762 だなどと思ってしまうとは、一体どう発言を読んでいる
んでしょうね。
どれとどれが750系の発言であり、どれとどれが762系の発言であるかは、
明らかに見分けられるじゃないですか。両者の立場の違いもね。
766 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 13:37
死んでいたスレッドに突然書きこみが増えていたのでどうしたんだろうと思い
過去ログ読んでみたらこういうことだったのか。
715 名前:名無しさん@1周年 投稿日:02/06/13 22:34
>>713 本当、彼等は必死だよね。
よっぽど、佐倉氏に痛いところを突かれているとみえる。
口惜しいんだろうな〜
ところで、「反佐倉」教徒の実態は、幸福の科学の信者と
ファンダメンタル・クリスチャンではないかと推測しているがどうよ?
767 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 13:40
しかしあの神学部院生の落ちは凄かった。
768 :
507あるいは学問と快楽の友 :02/07/03 14:12
>どれとどれが750系の発言であり、どれとどれが762系の発言であるかは、 >明らかに見分けられるじゃないですか。両者の立場の違いもね。 明証性を要求するってのはなかなかに難しいのでノーコメント。 まあ、素朴には「なんでわからんかな」と思うんだが、2chには 自作自演説という強力な縮約型読解戦略があるしな。……矛盾が増す だけのような気がするが、そうか、サベリオス主義者が自作自演説に こだわるのはそれなりに一貫性があるのか、とこれはスレ違い。 明証性といえば、ある読書会での会話。ヘーゲリアンと。 「『知は真理を知る。このことは証明を要さない。真理でないものは知られることができないから。』 ……なんかこれ、すごいね」 「そうですか?いや、もう慣れちゃったからあまりそうは思わないんだけど、 ……いわれてみれば特徴的ですね。ここでの『知』理解を叙実に現してる箇所かも」 ということで、見慣れたものの異様さは見慣れている人達にはわからないの ではないでしょうか。しかし必死ねえ……(p
769 :
もうだめぽ。 :02/07/03 14:39
570でした。しかも507って佐倉信者だし…… ま、いいか。というわけで寝る。
>>嘘タソ >質的に差がないのは、佐倉教徒と無謬説主張者との間なのだよ。 「わたしと佐倉教徒と無謬説主張者との間」じゃなくて? っていうか、ちょっと反対したらもう佐倉教徒扱いか(笑) すげー読解力だ。 >無謬説主張者を「佐倉より右」と表現すれば、それと「佐倉よりずうっと左」 >の発言との「区別が付かない」と告白しているんだからね。 と系(極右)と大槻教授(極左)は似てくるというのはあなたが言ってること。 なんであなたと無謬説主張者が似てるという話になるとダメなのか。
とはいえ(って、どこからつながるのかはともかく)、佐倉氏本人のほうが 佐倉教徒よりもまだレベルが高いことは認めたい。 一番の問題は、「聖書には間違いがある」という主張をするために、元来、 ばらばらの起源にあった諸文書をピックアップして一つにまとめて正典とし た、というだけの「新約聖書」について、いつのまにか佐倉氏自身が、全体 として一つの文書であるかのような把握の仕方をしてしまう、という点にあ ると思う(批判の相手がそういう考えなので、それにあわせているのだ、と いうだろうが、それにいつのまにかひきずられるんだね)。 例の神学生が説明をはじめた第2テサロニケの表現にしても、佐倉氏は「新 約聖書には、イエスを神と明言する思想はまだない」という結論にこだわっ てしまって、新約の諸文書中に、そういう思想を持った文書もあれば、持っ てない文書もある、という対応をしてないところなど、「新約聖書」という 括りに振り回されている現れといえよう。 また、現行の邦訳が、「神にして主なるイエス・キリスト」という方向の訳 をなぜしてないのかについて、佐倉氏は表面的に自説に都合がいいので、批 判的吟味をせずに、援用している。だが、実は、第2テサロニケの表現は、 後の分類にあてはめれば三位一体論というよりサベリオス主義的になるおそ れがあるので、伝統的キリスト教の都合で、神学生のいうグランビルなんだ らの法則に反する訳になっていると推定されるのだ。 こうした所など、佐倉氏は柔軟性に欠けており、結論にこだわって、かえっ て議論を弱いものとしているところがみられると思う。
>>770 |ちょっと反対したらもう佐倉教徒扱いか(笑)
この点に限って、あなたの批判は正しい。
「聖書には間違いがない」と主張する立場と、「聖書に間違いがあるとかない
とか議論するのはナンセンスだ」と主張する立場との区別がつかないような
ので、佐倉教徒だと一応みなして書いたけど、違っていたら訂正します。
と系と大槻教授を極右と極左にたとえるなら(こういうたとえ方は私のと
は、少しずれるけれど)、両者は同じ次元にあって・・・ということになり、
「間違いがあるかどうかと議論すること」について批判的な立場は、その
平面上には位置づけられないことになりますね。これはどうたとえるかの
選択に相対的な話でしょう。
773 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 19:32
>「聖書には間違いがない」と主張する立場 はナンセンスだと思う。聖書に間違いはあるから。 >「聖書に間違いがあるとかないとか議論するのはナンセンスだ」と主張する立場 もナンセンスだと思う。 聖書に間違いはあるとわかってない人がいるから。 迷惑だし。可哀相だし。
レスどうも。 756の煽りに従って、蝙蝠とでもつけようかな、HN。 >「聖書には間違いがない」と主張する立場と、「聖書に間違いがあるとかない >とか議論するのはナンセンスだ」と主張する立場との区別 はつきますよさすがに。区別が付かないと書いたのはその部分での区別じゃないです。 「聖書に間違いがあるとかないとか議論するのはナンセンスだ」て主張する無謬説主張者 が一杯いるでしょう? 佐倉サイト読んだんなら知ってると思うけど。 それと、と系と教授を右左にたとえるというのも、相対的なものだと思ったんですけどね。 771みたいな書き込みをされたら素人の私は黙って読むのみですよ。 他の、佐倉教徒と罵られている人もちゃんと読むと思う。 件の院生の時だって、グランビル・シャープの説明をしてるときは大人しく聞いてたし。 あ、「後の分類」ってなんですか。
775 :
名無しさん@1周年 :02/07/03 22:47
762の主張はあの福音派馬鹿院生の主張と一緒だ(ワラ
>>774 おっしゃることはよく分かりました。以後、私も相手の立場について
もっといろいろな可能性を考慮したうえで、書くことにします。どうも
ありがとうございました。
#「後の分類」といったのは、「新約に含まれる諸文書が書かれた時代にはまだ
なかった分類だから、それをあてはめてレッテルを貼るのは正確にはまずいの
だけど、後世になってできた分類を参考にして、あてはめてみると」という意味
でした。
話のついでなので、かつ佐倉氏が最近は読者の声への応対をしておられない
ようなので、ここに書いておく。
>>771 に書いたグランビル云々の法則が出てくるのは、佐倉氏と鈴木某氏の
やりとりが掲載されている次のところである。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/bible/bible66.html これを読んだことを前提に以下書く。
ニカイア会議で何が問題になったかについての理解は、佐倉氏のほうがベ
ターであって、鈴木某のような理解だったらアリウスがどうして排斥され
なきゃならなかったかが分からない。少なくともニカイア信条を根拠にす
る限り、勝った側はアリウスを、子なる神は生まれる前は存在しなかった、
存在しなかった時があると主張したとみなしている。また、そもそもの論
争のきっかけは「父は永遠、子も永遠」という告白をアリウスが拒んだこ
とにある。アリウスが子を神だと言っていたとしても、その内容がどうで
あったかが問題とされて、だからこそ父とホモウーシオス(ウーシア=存
在・本質・実体=を同じくする)であることが強調されたのである。鈴木某のここの認識不足に佐倉氏は突っ込みを入れてないが、某の発言全
体中、もっとも明らかな間違いがここにあるといえる。
>>774 煽っていませんが……765の誤記?
では私は何と名乗ろうか。猫か、あるいはスフィンクスか。
そういえば生理が来ちゃいました。わはは(恋をすると時計のように正確に
私は排卵するのです。って誰もきいてないよね、そんなこと)
……猫を名乗るのには、学者の謹厳さにいささか欠ける発言かも。という
わけで、コテハンをどうするかはしばらく保留。
遅ればせながら佐倉サイトみてきました。予想通り退屈なサイトだったっす。
>>773 「間違い」だと主張する人には、なにをもって「間違い」だとしている
のか、これはしごくまじめに説明していただきたい。本当に何がいいた
いのか理解不能なので。
百歩譲って聖書の全章句が事実の陳述なのだとしても(もちろんすでに
このスレで最近言及された個所、たとえば
>>728 が示すようにそんなことないのだが)、
そのなかのある命題というか陳述に錯誤があるからといって全体が偽である
ということにはならないのだし(と少なくとも私は考える)、
ましてやこれがひとつの「全体」だという立場は解釈入りまくりなわけで、
#これはすでに指摘されていることだけど、重要なので繰り返す。
うんと好意的に解釈してそのような立場を批判しているのだとしても、
それを「聖書は間違っている」と表現するのはなんだか変な感じ。
また仮に聖書を「ひとつのテキスト」だとして扱う立場に立つとしても その各部分が矛盾なく照応しあう、というのは(福音派はそうなんだろうな) ……まあ、全体と部分という概念が有機体の概念と密接に関係している ことは否定せんけどね。その見方に立つ場合でも、個々のテキストにおいて そのような理想的な有機的結合が成立していると評価していいのかどうか ってのは別の問題だ。 そこまで要求した上で聖書は間違いだと主張するならそれもよし、だけど 結局のところテキストをひとつの全体として立ち上がらせるのはテキスト 本体なのか、読者なのか。そこんとこどうよ。それを抜きにして間違いと いわれましても……(退屈な書物だ、というならそういう立場なんだね、 としていろいろ語って欲しい気はするが) ……という問いがね、なんか綺麗さっぱり抜けているなあ、というのが 佐倉サイトを傍観した第一印象です。趣味サイトには、ときたま 些末なところにひたすらこだわることで精緻な宇宙を作り上げる、と いう(冗談だからこそ徹底的にこだわる、ってやつね)タイプのがありますが それにしちゃあ総花的だし。……まあ、この辺にくると感受性と趣味の問題 だから、これは批判ではなくたんなる感想。 どのみち、趣味については争われない、んだし。
(
>>777 の続き)次に、「新約聖書」中でイエスが神とされているかど
うかの検討になるが、ここでの両者の応対をみてみると、全面肯定と
全面否定とのぶつかり合いになっている。が、新約に含まれる諸文書
は、この点について意見はばらばらなのである。たとえば
*パウロ(真正書簡)は、イエスを神の子とは言っても、神だとは思っ
てない。
*ヨハネは、イエスをヤハウェと同一視している(つまり神としている)
*第二テサロニケ等は、イエス・キリストについて「神にして私たちの
主」という(異本の読みを採れば「父なる神にして私たちの主」とまで
している可能性が高い)というような差がある。
つまりすでに新約に含まれる諸文書が書かれつつある時期に、この点で
の、すくなくとも信徒の一部におけるイエスの神格化は進んでいたので
あって、佐倉氏が想像する神格化の歴史より、動きはずっと早い。
目安としては、エルサレム陥落以前の、イエスをキリストと信じるグル
ープがユダヤ教内にいたときには、神とまではいわなかったのが、陥落
以後ユダヤ教から同グループが排斥され、独立したあたり以降に急速に
こういう線が強まったとみることができよう。
テルトゥリアヌスを鈴木某が援用したために、佐倉氏はそれに引きずら
れた感があるが、ラテン教父は三位一体の理論形成には役立ってない。
ギリシア教父側の理論家たちこそが、三位一体論形成の主役であり、
そもそもはじめはラテン語では三位一体論をきちんと表現できなかった
くらいなのだ。
782 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 16:55
論理的に間違ってると言う事実、それだけで十分。 信者にしてみれば、気に入らないだろうけど。
>>778 すると756さんは、生理が終わると恋の季節も終わるのでしょうか?
または、排卵しまくり?
猫をコテハンにする根拠がこの辺にもありそうな・・・・
784 :
Scoene Wochenende, Alle! :02/07/04 17:05
>>782 >論理的に間違ってると言う事実、それだけで十分。
上で名前が出ているテルトゥリアヌスなんかむしろ小躍りして
喜びそうな意見だと思うが……というのはさておき、
その論証に成功しているようにも思えない。
「聖書が(全体として)間違っている」というなら、むしろ間違いと
いうのは「『ほげ』と『ふげ』を関連づけて読む、その読み方は間違って
いる」といわれるべきだろうし、といって佐倉サイトの読み方はそちら
に向かっているようにはとても見えなかった。ま、斜め読みだから
誤読してる可能性は認める。支持者の人の反論を待つ。
(
>>781 の続き)佐倉氏としても、「新約聖書にはイエス=神とい
う考えはない」と硬くなるよりも、「諸文書によってばらばらです
なあ、多様性があったのですなあ」と応じたほうが「らしい」ので
はなかろうか。
まあ、以上の説が採用されると、「文書によってイエスの身分に
ついて食い違いがあります。つまり、新約聖書には間違いがあるの
です」とまとめられちゃうんだろうけど。
「間違い」ってのが気に食わない点で、756が
>>780 で何やら
小難しく言っていることに同意(これって「禿同」っていうのか
な)。
>>783 のいささか品位を欠いた発言について、ことに756さんに
お詫び申し上げます。
ひとつ引いておきますね。面と向かっていたら平手打ち食らわして あげてもいいんだけど、まあ許してさしあげましょう。 ううん、最初の一回だけよ(はぁと)。そして次のは実に periodical に狂ってないときの周期で来るのよね。 人間も獣の一種であるという判断力批判の一節をそのたびに 想起させられます。 毎回不正出血かどうか確認とらなきゃいけないのが手間なんで、 指標としての便利さを越えて、実はそんなに嬉しくなかったり ……まあ可感的存在者であることの対価だと思って諦めてます(w って哲学板じゃないからこの辺にしとこっと。じゃ今度こそ本当に よい週末を。>みなさま
788 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 17:17
たとえ佐倉さんに間違えがあってもショウガナイ。 気にしない、気にしない。
そうか。もう週末か! いい週末になるだろかね。 756さんの「素敵な週末」はエッチぬきのようだ。 (あ、これもしわざとそうしたのだったら、突っ込みにならない ので、品位をふたたび欠いたことを謝ります。でもどうしても ジョーク(と認められないかもしれないが)を書き込みたかっ たのだ。)
↑これは
>>784 へのレスです(通じないといけないので、念のため)。
>>790 それはあまりに読者を見くびりすぎてはいませんか?
スレッドと直接関係ないのでsage。
>756 あら、煽ってなかったのですか。 じゃあ漏れの煽り心が出会うレス出会うレスを煽りに見せるわけですね。 聖書の間違いは、 「あるキリスト教派の聖書として読む限り、聖書には間違いがある」 って個人的には理解してましたけど。 だからまあ福音派なんかにはそれが目立つわけで。
793 :
名無しさん@1周年 :02/07/04 20:35
「聖書に間違いがある」というのと、 「聖書は間違いである」というのと、 混同している人がいらっしゃるようで。 さらにいうなら、 歴史的事実と、宗教的事実とを混同しているのが、 話がかみ合わない原因でないかなと、思ったり思わなかったり。
794 :
名無しさん@1周年 :02/07/05 00:11
ふつうの人間がみれば クリスチャンや幸福の科学信者のいうことはきちがいじみてるな、 わらえるな、佐倉さんくそまじめによく相手にしているな でおわるサイト。 しつこくなんくせつけてる信者はメールでもだせば?
佐倉さんは客観的によく調べてると思う。 洗脳されている信者と意見が合わないのは当たり前。 にもかかわらず、いちいち親切に対応しているのがすばらしい。
>>791 すいません。見くびり過ぎてますか、やはり。
いや、789をアップしたあとで、787でも「よい週末を」と
言っているのに気づいたもので、これへのレスではなく、784の
ほうなんだよ、と言ったわけで。
ただ、私としてはこう書いてもなお、本人が書き間違いに気づい
てくれるだろうか、という不安が残ったりしていて。
読者にはドイツ語をやらない人もいるだろうし・・・
もし通じないと、まったく下品な筋だけでからかう文句を書いた
と思われるだろうし・・・、と不安になったせいの発言でした。
すんません。
797 :
名無しさん@1周年 :02/07/05 22:44
>>795 全面同意。
本当、よく相手にしてるよな、凝り固まった思考の輩を。
おそらく、客観的なデータを提示することによって、
目覚めさせてやろうと考えているのではないだろうか?
>>797 佐倉さん、あのサイトは「自分のため」って明言してるでしょ。
799 :
名無しさん@1周年 :02/07/06 11:35
「聖書の間違い」に関してはもう結論が出た、 みたいなことが書いてあった。
800 :
名無しさん@1周年 :02/07/06 19:50
800age!
801 :
名無しさん@1周年 :02/07/06 20:32
盲信者たちの醜態が楽しめるサイトと化していたな。 佐倉氏のトコ。
802 :
名無しさん@1周年 :02/07/06 21:54
HP上で議論を煽っているのは佐倉さんであり、 「喧喧諤諤としたディベートが好きなんだな」といった印象です。 まあ、お互い完結しちゃってる状態なんで、 あんまり議論しても…???な感じですね。
803 :
名無しさん@1周年 :02/07/06 22:54
>HP上で議論を煽っているのは佐倉さんであり、 >「喧喧諤諤としたディベートが好きなんだな」といった印象です。 つーか一部のクリスチャンが勝手に暴走しているだけのような気がするぞ。 頭に血が上って疾風怒濤の攻撃! しかし見事なほど外しているため、佐倉氏に適当にあしらわれている感じ。
804 :
名無しさん@1周年 :02/07/07 00:01
おい、 まさか、このスレ PART2に突入なんてこと無いよな? まさか・・・ね。
805 :
名無しさん@1周年 :02/07/07 06:46
消化してるだけだよ。
806 :
名無しさん@1周年 :02/07/07 07:29
日曜読書程度の教養で揺らがされる信仰って何?
807 :
名無しさん@1周年 :02/07/07 09:14
さあ?
場所:どこか、黄金の火花が星と降り注ぐ事象の地平線の近く 登場人物:誰だかわからない二人、地平線へと向かって歩きながら 「あの人の生命観って、……主義のもつ magisch なそれと非常に近いじゃない?」 でもあの人はそれをたぶん認めたがらない」 「うん、いえてる」 「というか magisch なもの全般が苦手」 「たーしかに」 「でも、思うのよ。あの人が取り上げてる人って、みんなどっかに magisch な部分が あるじゃないですか」 「わははは。いえてる。あの人もたいがいアンヴィバレントだからね(藁」 しばらく去年出た……の話が続く 「で。思うわけ。ああやって一生懸命論理でその magisch な部分を取り除こうと するわけですが(そして本人はそうやって再構成した部分が自分を惹きつけてやま ないのだと思っている節があるのだが)、その magisch な部分にこそ、実は惹き つけられているんじゃない?(藁」 「(大爆笑)」 「『む。んふふ。まあ、君達にはそう見えるんだろうけどね』」 「ぶははは。やめてよ。あの人がここにいるみたいじゃないよ そぉれはわたしもそう思います……でもまあ、迂遠な方法だよねえ(藁」 「ま、出てくるものが面白いうちは、いいんでない(藁 立ち止まって振り返り 「私達はここでゆっくり、いつあの人がそのことに気がつくか待ってるってことで(微笑」 ……さてそれはさておき、我が親友が、あの声色が私の構想力の所産で、 決して聴取によって得られたものではないことに気がつくのはいつの日であろうか。
809 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 13:33
君、病院に行った方がいいんじゃないか?
こらこら、何をしゃべっとるのかね? 余計なことを話題にせず、TPOにあったお勉強をなさい、お勉強を!
だってその日ちょうど自然哲学ネタだったんだもん(はぁと)
正確にいうとだ、「……主義の自然観は現代科学史からは疫病のように書かれて、 そこまでいわなくてもいいのに」発言が某先生の講演であって、で、あの裏には 物理学まんせー主義(とはいわんが)があるだろう、という話があって、最近の 生命倫理とかの動向話してて、その流れだもん。外れていないもん。 あ、私もいちおう修論のメインのお題は有機体論、ということになってますので(はぁと)
813 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 14:56
まぁ、なんのかんの言っても2チャンに来るヴァカより 佐倉氏のほうが賢いのは、明白だな・・・・(w
あ、その日のクロス討論のお題、結局メインは「フランスにおけるヴァーグナー受容」 って会合だし、親友他四人といった二次会のメインのお題は日本戦後文学史をどう評価するか 話だから、こんなの全然逸脱のうちに入らないですー(藁 てか連関つけようとおもえば、いくらでも原典に即して語れますが何か? まあここで世界霊について語るのがスレ違いだというのはそのとおりだが。
815 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 18:04
AGE
816 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 20:14
はぁ〜、なんのことやら。
えっ、論点出尽くして1000げっと争いに入ってるんじゃなかったの?
818 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 23:52
1000!
819 :
名無しさん@1周年 :02/07/12 01:20
知らん
820 :
名無しさん@1周年 :02/07/16 19:11
golden touch
821 :
名無しさん@1周年 :02/07/21 22:45
で、どうなったの?
822 :
名無しさん@1周年 :02/07/21 22:48
ああいう評論家は、結局役に立たない
823 :
名無しさん@1周年 :02/07/21 22:59
なんか、マスコミ受けしそうな感じではある。
824 :
名無しさん@1周年 :02/07/25 08:27
>>823 何が? 佐倉氏のページがマスコミ受けするとは思えんな。
825 :
名無しさん@1周年 :02/07/25 18:17
なんかここも終わりだな。脈絡無くはしゃぎだす小僧も出てくるしで。
826 :
名無しさん@1周年 :02/07/25 18:53
ちょっとマニアック入ってる人しか受けないかな。
827 :
名無しさん@1周年 :02/07/25 21:41
クリスチャン 議論に勝てず 荒らすかな
828 :
名無しさん@1周年 :02/07/31 09:31
>>827 ここで荒らしてんの、クリスチャンじゃないと思うよ。
まあ、中途半端に聖書をかじった奴はいるかもしれないけど。
本当に信仰があるなら、佐倉氏の文章に反感を覚えるのではなく、
謙虚に受け止めるはずだ。
だって、佐倉氏の文章は、聖書に対して言いがかりをつけている
訳じゃないでしょ。
彼なりに真剣に聖書を研究した結果を書いているだけだもん。
求道者の一形態といっても良いんじゃない?
829 :
名無しさん@1周年 :02/07/31 09:42
>>828 それ同意。クリスチャンにはむしろ、あのサイト読んで欲しいという
気もする。注意深く聖書を読むようになるでしょ。
環境によって表面だけ整えられた、エセクリスチャンを
叩きなおすチャンスかも知れんしね。
佐倉氏のスタンスは、「聖書を否定しているのではなく、ファンダメンタ
リズムを否定する」というところなんだけど(そう感じるんだけど)、
本当のファンダメンタリストというのは、佐倉氏が意気揚揚指摘している
部分、それらも『含めて』ファンダ読みしているわけなんだけど、
その点も信仰によって読まないと、たぶん分からないと思う。
あとは、日本語的に、または聖書の読み方として、
佐倉氏の指摘の方が、オカシナ理解に基づいて展開されている箇所も確かに
あって。そーゆう部分が確かに妙に引っかかって、佐倉氏を意地悪く感じることが
あるんだが。
そういう所をクリスチャンが面と向かって指摘するのもいいが、
そのアタリは佐倉氏自身が修正されていくだろうと、気長に見守った方が、
醜態さらさなくていいかもよ。
830 :
名無しさん@1周年 :02/07/31 10:45
age
831 :
名無しさん@1周年 :02/07/31 22:46
828です。 829さん、レスありがとうございます。 そもそも、私の書き込みにレスがあるとは意外でした。 しかも、同意していただいたようです。 実は、私はクリスチャンではないですが、キリスト教から 生まれた文化、とくに音楽とかには大変好意をもっています。 そこで、最近聖書を読み始めたところでした。 でも、一人で読むと、どこが素晴らしいのか分りませんね。 だからと言って、教会とかへゆくと偏った読み方しか教えて もらえないような気がして・・・ ところで、 >あとは、日本語的に、または聖書の読み方として、 >佐倉氏の指摘の方が、オカシナ理解に基づいて展開されている箇所も確かに >あって。そーゆう部分が確かに妙に引っかかって、佐倉氏を意地悪く感じることが >あるんだが。 とは、どこの箇所を指しているのでしょうか? 聖書を理解する上で参考にしたいので、よろしくご教授ください。
832 :
名無しさん@1周年 :02/07/31 23:05
>>831 >とは、どこの箇所を指しているのでしょうか?
>聖書を理解する上で参考にしたいので、よろしくご教授ください。
解説始めると長くなるので、どっかのスレにちょうど、そんな話題があったな。
過去ログから探してくるからちょっとまっててね。
833 :
名無しさん@1周年 :02/07/31 23:14
828です。 > 過去ログから探してくるからちょっとまっててね。 よろしくお願いします。
834 :
名無しさん@1周年 :02/07/31 23:59
聖書は自らの神への信仰と、他者への「愛」の表現としての役割を一体として 担う「言葉」です。聖書自体は「文字」に過ぎませんが、聖書を通して「愛」に よって他者と付き合うことを体験し始めると、聖書の聖書たる意味がわかって いきます。聖書の現実は、神への愛、神への意識の集中にあるのです。聖書を 理性で読み込むだけでは、理性は対象を展開し、分析し、現実が成り立っている 集中化を消滅させるためのものとして機能するだけです。現実には信仰や愛への 求めを欠いた聖書の活用は無意味です。生きるとは何か?愛とは何か?そういう 「愛」または「神」への集中こそがリアルに聖書を用いるための唯一の前提です。 乱文、失礼!
835 :
名無しさん@1周年 :02/08/01 00:02
科学であっても、宗教であっても、とりわけ「聖書」であっても、 その用い方が悪かった場合には、何事も誤る可能性はあるのです。
836 :
名無しさん@1周年 :02/08/01 00:53
>>833 ごめんなさい、探したけど、スレどっかいっちゃった。記憶しているのは
ペテロの鶏が3回鳴くとこ、イエスの最後の言葉など。
複数の、記述の仕方が違う福音書を巧みに引用して「矛盾している」と言ったり、
イエスが最後に「大声をあげた」としている福音書と、「成し遂げられた」と
いっている福音書を比較して矛盾がある、としてみたり、そういうとこを
指してた。各福音書、見ていた人の立場所も違うだろうしね、
大声をあげたというその台詞が「成し遂げられた」なんじゃないの?
と思った。
創造論を批判するのは構わないにしても、キリスト教は日本人には 向かないとか下らないこと言ってたぞ
838 :
名無しさん@1周年 :02/08/01 01:32
>>837 それは確かにくだらないなあ。日本男児にしてはキモタマ小さい。
839 :
名無しさん@1周年 :02/08/01 04:28
佐倉は神 以上
840 :
名無しさん@1周年 :02/08/01 05:40
この際だから佐倉の思い込みや甘さを具体的に列挙して みたらどうですかみなさん。互いに勉強になるかも。 ただし、信に関わる解釈は保留ということで。
841 :
名無しさん@1周年 :02/08/01 09:12
聖書の間違いを見つけるとうれしいのでしょうか。 確かに権威を笠に誤りを押しつけるのに反対したいということなのでしょうが。 たらいの水と一緒に赤ちゃんを流しているのでは? それは、自分で気を付けろといっても、赤ちゃんが分からない 何が聖書で大切なのか分からない人には 無理な注文では。 聖書はわたしを証するもの、というキリストの言葉こそが 赤ちゃんなのだし。 一体佐倉さん、うーん。言いようが無い。 間違いがある ↓ 信用できない ↓ 真理が無い とは言えないのに、間違い捜しの旅に出るのは 犬が何も善いものが見えない土の下の骨を嗅覚他を使って見つけるのと同じなのが 聖書の研究と教えられたわたしとしては、 祝福の道を歩いていない、としか言えない。 何も好きこのんで呪いの道、滅びの道を選ぶことないのに。
842 :
名無しさん@1周年 :02/08/01 09:12
>ここで荒らしてんの、クリスチャンじゃないと思うよ。 いや、荒らしてんのは、クリスチャンが多いと思うよ。ファンダメンタリストね。 でも佐倉さんが指摘する「聖書の矛盾」は別に目新しい視点でも何でもなく、 現代聖書学では当たり前の話し。 ファンダメンタリストというのは、現代聖書学を受け容れない連中のことね。 だから、現代聖書学と似た問題意識を持つ佐倉さんを目の敵にするわけ。 現代聖書学者はファンダメンタリストとの論争なんかに関心はまったくないから、 あえて佐倉さんのようなこだわりを持ってHPをたてる人なんかいないだけの話しね。
844 :
名無しさん@1周年 :02/08/01 16:27
とりあえずお前ら論理学を勉強しろよ 話はそれからだ ティンポ
845 :
名無しさん@1周年 :02/08/01 16:34
>>843 その拘ってる理由が、クリ嫌いだからだったりすて
846 :
名無しさん@1周年 :02/08/01 16:38
クリトリスは大好きだ
847 :
名無しさん@1周年 :02/08/02 02:21
佐倉の方法って社会学でも宗教学でも哲学でも人類学でもないようだが。 何だろう。漠然とした市民良識か?方法と目的を自覚しないで論を立てる なら何とでも言えちゃう。別に俺はクリスチャンじゃないけどね。
848 :
名無しさん@1周年 :02/08/02 02:38
日本教だったりすて。
849 :
名無しさん@1周年 :02/08/02 05:20
>>848 日本教ってどんな教義?
塾通い→良い学校入学→一流企業就職→天下り・退職金がっぽりってやつか?
それとも、天皇崇拝のこと?
850 :
名無しさん@1周年 :02/08/02 14:51
佐倉さんて、クリスチャンだったんですか?
これって、ガイシュツ(この字だったかな、2ch初心者なもので)?
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/bible/b428.html 2.「キリストを知って生まれ変わった」
わたしは、長いクリスチャン生活をとおして、
「キリストを知って生まれ変わった」などということは
あり得ないことを知りました。ひとは、そんなに変わるものではありません。
変わったとしても、別にキリスト教でなくてもあり得るものばかりです。
「キリストを知って生まれ変わった」などというものは、
単なる主観的な思い込みや信仰の正当化にすぎず、
客観的に見れば、クリスチャンもそうでないものも
たいして変わるものではありません。
かれらは、クリスチャンになった後も、そうでない人と同じように、
相変わらず、不完全な罪人です。
おたより、ありがとうございました。
佐倉 哲
851 :
名無しさん@1周年 :02/08/05 00:41
>>850 > わたしは、長いクリスチャン生活をとおして、
> 「キリストを知って生まれ変わった」などということは>
> あり得ないことを知りました。ひとは、そんなに変わるものではありません。
> 変わったとしても、別にキリスト教でなくてもあり得るものばかりです。
> 「キリストを知って生まれ変わった」などというものは、
> 単なる主観的な思い込みや信仰の正当化にすぎず、
> 客観的に見れば、クリスチャンもそうでないものも
> たいして変わるものではありません。
要するに佐倉氏は目覚めたんだよ。
何かをきっかけに共同幻想から抜け出ることができた、というべきか。
だから、いまだに夢の世界と現実世界とを逝ったり来たりしている人にとって
氏の指摘は小癪【こしゃく】に感じ、ついついケチをつけたくなるわけだ。
白昼夢にまどろむ、昼下がりの転寝【うたたね】は本当に気持ち良い。
だからじゃまする奴は容赦しない。
色々理屈はこねるけど、ただそれだけの話だ。
853 :
名無しさん@1周年 :02/08/05 09:01
>>851 >要するに佐倉氏は目覚めたんだよ。
>何かをきっかけに共同幻想から抜け出ることができた、というべきか。
>だから、いまだに夢の世界と現実世界とを逝ったり来たりしている人にとって
>氏の指摘は小癪【こしゃく】に感じ、ついついケチをつけたくなるわけだ。
>白昼夢にまどろむ、昼下がりの転寝【うたたね】は本当に気持ち良い。
>だからじゃまする奴は容赦しない。
>色々理屈はこねるけど、ただそれだけの話だ。
結論は出たね。
よって、このスレ終了!!!
854 :
名無しさん@1周年 :02/08/05 09:12
>>850 佐倉氏に同情するクリスチャンも出てくるだろうな。
>>851 >>だから、いまだに夢の世界と現実世界とを逝ったり来たりしている人にとって
こういう信仰の有り方は不幸だよ。彼は結局、キリストに自分を
預けることが出来なかったということだとおもう。
855 :
名無しさん@1周年 :02/08/05 11:11
結局、クリスチャンてのは、クリスチャン以外はみな不幸だと思ってるんだな。
856 :
名無しさん@1周年 :02/08/05 11:12
857 :
名無しさん@1周年 :02/08/05 12:06
>>855 この板のキリスト教批判スレって、最後はこーゆうひがみっぽいレスで
終わるのよね。どうして?
858 :
名無しさん@1周年 :02/08/05 12:10
単に呆れられてるだけってことに気づけよ。
859 :
名無しさん@1周年 :02/08/05 22:16
>>858 どちらが呆れられているの?
キリスト教側?
それとも批判側?
860 :
名無しさん@1周年 :02/08/06 03:30
861 :
あずみ ◆V.9uSetc :02/08/06 09:41
このスレおもしろそう... 最初から読んでみよう。
862 :
名無しさん@1周年 :02/08/06 09:45
デターーーー。
863 :
名無しさん@1周年 :02/08/07 06:54
佐倉氏はほとんど無駄なことしてる気がするね
864 :
名無しさん@1周年 :02/08/07 07:29
>>863 そう思う?
まあ、そのような感想を抱く人もいるだろうけど、
何か君の文章には「悔しさ」が滲み出ているような印象を受ける。
むしろ、佐倉氏の論文を読むことによって、多くの人が目覚めたり、
逆に信仰を深めたりしたのではと思うけど。
865 :
名無しさん@1周年 :02/08/07 07:39
>>861-862 「デターーーー。」ってことは、このあずみという人物は
この板では有名人なの?
そう言えば、どこかで見たことがあるような気がする。
そういうプロフィールの人物なのだろう?
佐倉氏とは関係ないけど、誰か教えて!!!
866 :
名無しさん@1周年 :02/08/07 07:40
867 :
名無しさん@1周年 :02/08/08 00:10
佐倉さんのHP、前は月に1〜2回は必ず更新していたのに なんで今年になってから放置状態になっているんでしょうか。 もしかしてなんらかの報復があったとか。 それとも彼はついに神に遭遇してしまったのか。 気になってます。
自分の好きな時に更新する・・・ってことを最初から言ってるので 今は仕事が忙しいとか、他の事に熱中してるとか・・じゃないの? まぁ、質問者との問答とか見ると、もしかしたら信仰者の洗脳ぶりに 呆れて、もう嫌になったのかも・・(笑)
869 :
名無しさん@1周年 :02/08/08 00:43
聖書の間違いに結論が出たからじゃないの?
870 :
名無しさん@1周年 :02/08/09 10:54
お仕事が忙しくなったのかもしれませんね。
871 :
名無しさん@1周年 :02/08/09 23:16
>>868 > まぁ、質問者との問答とか見ると、もしかしたら信仰者の洗脳ぶりに
> 呆れて、もう嫌になったのかも・・(笑)
俺もそう思う!
872 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 07:59
ま、そんなところかも。こんな事も書いてある。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/bible/b431.html わたしは長い間クリスチャンでしたので、もちろん、いつも祈っていました。
いまはクリスチャンではありませんので、祈ることはありません。
しかし、神の存在や導きを否定しているわけでもありません。
>信じるということは証明されたものを理論的に納得するのではなくて、
>心から信じるということだと思う・・・。
>それは証明されて納得するものではなく、心で正しいとわかることです。
おっしゃる通りです。信仰とは根拠もないのに真実だと思い込むことです。
>論証できないものを論証できないからといってあざけるのなら、
>そうしたものの存在を現実の可能性として見込んだ、
>詩編のあざける者の座に座した幸いでない人の一群に当てはまるのではないでしょうか?
わたしは「論証できないものを論証できないからといってあざける」ことはありません。
知らないことを知らないと素直に認めず、
本当は何も知らないくせに
まるで知っているかのごとく語り振る舞うやり方 -- 信仰 -- を捨てただけです。
おたより、ありがとうございました。
佐倉 哲
873 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 08:07
飽きてしまったのか、 それとも何か考えが変わることがあったのか。
874 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 08:10
佐倉さんのために祈ります。
875 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 08:14
「科学的実証や客観的事実のみを信じている。」と ハッキリ言えばいいのにね。佐倉氏。
876 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 08:15
>>874 佐倉さんがどのような状態になるように祈るのですか?
もう一度、
根拠もないのに真実だと思い込むこんだり、
知らないことを知らないと素直に認めず、
本当は何も知らないくせに
まるで知っているかのごとく語り振る舞う
ようにですか?
877 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 08:18
>>876 あなたが力説される(?)根拠ってなんですか?
878 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 08:23
879 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 08:36
>>878 信仰と、
>「科学的実証や客観的事実」
を整合させようというのは、個々人の努力(?)かも知れないですね。
でもそれは、信仰の「目的」とはまったく別のところにあるのでは、
と思います。逆に、こういった努力がつまずきの材料となる人も
いるのでしょうね。
キリスト教と関係のない人に対しても、クリスチャンはいくらでも
祈ることができますよ。佐倉さんに対して「祈ります」というのも、
こういった「努力」のために祈ります、というのでは決してないです。
880 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 08:48
ヌルい話すんなよ。
881 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 09:34
>>880 寂しいこと言ってないで、会話に入っといで。
882 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 09:41
>信仰の「目的」とはまったく別のところにあるのでは、 >と思います。逆に、こういった努力がつまずきの材料となる人も >いるのでしょうね。 いや、そうではないでしょう。 聖書の信仰とは歴史を通して働きかける神を信じることですから、 歴史事実の解明は信仰にとって無意味ではないはずですよ。 歴史の重みを欠いた信仰では、神話とかわりありません。
883 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 10:16
>>882 >歴史事実の解明
というのは、例えばなんでしょう、キリストの教えが形作ってきた
歴史であるとか、いかに多くの人が聖書を通じて信仰に導かれたか、
とか。それは信仰を強くする確固たる材料でしょうね。あなたが
おっしゃるのは多分それらのこと。
しかしこれと、先に話題になっている
>「科学的実証や客観的事実」
というのは、同一に語られるものでしょうかね?
なんとなく曖昧になってきましたが・・・
聖書の語りかける歴史的事実というのは、今信仰をもつ人たちの
中では、ゆるぎのないものですが、その中には
「客観的に検証しえるもの」と、「検証しえないもの」が
ありますよね。佐倉氏がいう「客観的事実」というのは、
この「検証しえないもの」を指していると思います。
検証しえないもの、謎にどう向かうか。ここに、
「信仰の目的」を明確にする意義があると思うのですけどね。
884 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 11:18
いや〜マジでどうなってんのか知りたい。 拉致されたか?
885 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 11:27
佐倉氏の仏教観を精読されることをお奨めします。
475は他スレ番号でした。失礼
888 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 11:54
>885 幸福の化学の連中が連れ去ったぜ 今や手足が無いらしい
889 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 12:44
>>888 はあ?この人幸福の科学関係ないでしょ?
>>883 >あなたがおっしゃるのは多分それらのこと。
ちょっと違います。
わたしが言った歴史とは、聖書の歴史です。
旧約聖書を読めばわかるとおり、イスラエルの民にとって歴史とは、
単なる民族の歴史ではなく、神との出会いのすべてです。
単なる「信仰を強くする確固たる材料」なんかではありません。
神の語りかけがすなわち歴史であるというのが、聖書の信仰だと思います。
歴史的事実の解明というのは、そのような神の語りかけをよりリアルに
再現させる努力のことです。
もちろん数千年前の歴史的事実を再構築するには、多くの仮説が
入り込まざるを得ません。しかしそれは、別に聖書の歴史についてばかりの
話しではなく、いかなる時代の歴史を解明する場合にも、仮説はつきものです。
ただ佐倉さんがどういう意味で「客観的」事実と言っているのかわかりませんが、
あまり適切な言葉ではないとは思います。
891 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 16:44
客観的事実というのは、人間が知覚認識できる事実のことじゃないかな。 わからないことはわからないと言っておけばいいのに、さもわかったふうに言うからボロが出るんだよ。 で、佐倉氏のような人から指摘されると、慌てふためいて醜態をさらすことになる。 知らん振りしとけばいいのに、よほど気になるんだろうね。
892 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 20:43
>>891 >人間が知覚認識できる事実のことじゃないかな
だから具体的になんだよ、その近く認識できる事実っつーのは。
もっと勉強してから入って来い、厨房。
893 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 20:45
>>891 知覚認識できるものしか信じないんだったら信仰にならないっつーの(笑)。
「死後永遠のいのち」なんて、知覚認識できないから私は信じません。
とかか?
894 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 20:48
895 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 20:51
希望も愛も天国も正義も善も、知覚認識できません。喰えません。
896 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 20:52
897 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 20:54
898 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 20:55
ふっかけといて、返答に詰まると逃げる奴=佐倉シンパ
899 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 21:17
レスの数を見れば、どれだけ慌ててるかわかるよ。 >知覚認識 これがわからんの? 小学生?
900 :
chebjcro :02/08/10 21:19
900 よっしゃ!
901 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 21:19
>>899 聖書の知覚認識できる事実って、だから何だよ・・・。
902 :
名無しさん@1周年 :02/08/10 21:31
だから小学生かって聞いてるだろ? 幼稚園児か?
903 :
名無しさん@1周年 :02/08/11 01:02
日本人に聖書は不要
904 :
名無しさん@1周年 :02/08/11 01:04
>889 幸福科学と言い争ってたよ いろんな人と
905 :
名無しさん@1周年 :02/08/11 01:46
佐倉氏はスランプに入ってると見た。
906 :
名無しさん@1周年 :02/08/11 23:29
907 :
名無しさん@1周年 :02/08/13 15:06
書くことがなくなった。スランプ。
908 :
名無しさん@1周年 :02/08/13 15:28
半分の世界を全てと思っていたら、行きづまる。
909 :
名無しさん@1周年 :02/08/13 15:31
いつも同じ事ばかり言ってるので飽きてしまったとか。
910 :
名無しさん@1周年 :02/08/13 16:49
911 :
名無しさん@1周年 :02/08/16 01:12
幸福を科学と割り切っている連中は 彼の言い分が納得できないのであろう。 大槻教授のように。
914 :
名無しさん@1周年 :02/08/16 01:50
もともと言ってることは同じなんで、 そんなもんでしょ。
915 :
名無しさん@1周年 :02/08/16 08:15
佐倉氏はいつかキリストの道に戻ってくるよ。 あそこまで徹底的に分析しているんだから。 例えば、ベン・ハーって映画の原作者だったと思うけど、 最初、神の存在を完全に否定するための作品を書いていたそうだ。 それも徹底的に無神論の立場で。 でも、ある日突然神の存在を感じたそうだ。 佐倉氏も、そういう道をたどる。 このところ、更新が止まっているのも、その前兆かもしれない。
916 :
名無しさん@1周年 :02/08/16 09:10
>>915 キリストの道に戻るかどうかは別として、
なんか考えが変わることあるかもね。
917 :
名無しさん@1周年 :02/08/16 22:16
>>916 そうかも知れんね。
もう少しであのHP閉鎖されるかも。
今のうちにHPごとダウンロードしとこっと。
>>915 カリスマ説教師大久保みどりさんそうだったって。
熱烈仏教徒で、キリスト教の福音が嘘であることを証明しようと
大学でいろいろ勉強してたそうな。そん中でなんか不思議な体験して
信じたとか、なんとか。
919 :
名無しさん@1周年 :02/08/18 23:59
>>918 ふーん、そうなんだ。
どこの教会に行けば、そのカリスマ説教師大久保みどりさんに会えるの?
直接お会いして、その不思議な体験とやらを聞いてみたい。
920 :
名無しさん@1周年 :02/08/19 00:28
姦淫の(悪い)時代は、しるしを求めるが、ヨナのしるしの他は与えられない(マタイ16章、 ルカ11章29節以降)。不思議な体験を求めるよりはイエス・キリストを知ることが大切。
921 :
名無しさん@1周年 :02/08/19 03:36
>>920 > 不思議な体験を求めるよりはイエス・キリストを知ることが大切。
そう言われても、聖書なんて読んでも退屈だし、
人から不思議な体験とやらを聞く方が面白そう♪
922 :
名無しさん@1周年 :02/08/19 04:05
信仰の不合理さを否定しようとして、否定に成功したと思ってる 連中の方は掃いて棄てるほどいると思うぞ。 で、そういうのに限って、自分は非凡だとか思っちゃってんの。
923 :
名無しさん@1周年 :02/08/19 05:39
逆に言えば不思議な体験でしか無神論者を改心させることができんのか。 あほらし。 禅宗などでは魔境とされ、それに囚われるなと言われる状態だろう。
924 :
名無しさん@1周年 :02/08/19 06:58
>>923 そうしたら、神秘体験を売り物にしたオウムなんか魔境の極致だね。
ところで、何でいまだにアレフ信者っているんだろう。
不思議だ。
あ、話が佐倉氏とは関係なくなってきたけど、このスレ放置されてる
みたいだから、良いよね?
925 :
名無しさん@1周年 :02/08/19 11:16
イエス様の奇跡を見て信じた弟子たちを「魔境」とするニューエイジ系も最近多いよね。 イエス様自身「見ずに信じるものは幸いである」とおっしゃってるが、 だからといって、奇跡を求める人間の弱さを、魔境と呼ぶような考え方 はキリスト教にはないっす。イエスに立ち返る方法は様々で、 御子が肉としてこの世に来られたことを告白する霊ならば、どのような 導きがきっかけで「信じた」としても、それは神の一つの霊の中にあるもの。 人間というのは「しるし」を求める弱い存在であるということは 忘れちゃいかんと思う。
926 :
名無しさん@1周年 :02/08/19 17:46
>だからといって、奇跡を求める人間の弱さを、魔境と呼ぶような考え方 >はキリスト教にはないっす。 それゆえ教会あたりに操られ侵略、虐殺なんかが起こったのだね。
927 :
名無しさん@1周年 :02/08/19 17:49
奇跡なら出口王仁三郎も凄かったというが。 イエスと出口、どっちが偉大なのだろう?
928 :
名無しさん@1周年 :02/08/19 18:45
神はどんな悪人の上にも雨を降らして下さいます。 皆さん、感謝の祈りを。
929 :
名無しさん@1周年 :02/08/19 21:07
930 :
名無しさん@1周年 :02/08/19 21:11
>>929 クリスチャンは、誰が地獄に落ちるとか天国行くとか、
言っちゃいけないそうなんで、
ご自分のことはご自分で。イエス様に直接聞いてみてください。
931 :
名無しさん@1周年 :02/08/19 21:21
もちょっとで終わりですね。よう続いた。 褒めてつかわす。
932 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 02:44
>佐倉氏はいつかキリストの道に戻ってくるよ。 >あそこまで徹底的に分析しているんだから。 そうかな? 分析の結果、キリスト教の矛盾、残虐性を容赦なく指摘してるから そう簡単にキリストの道に戻ることはないのではなかろうか? 第一、あのクリスチャンの狂気ともいえる抗議、反論などを経験 すれば、キリスト教に愛想を尽かすのが普通だろう?
933 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 03:38
佐倉氏はキリスト教に限らず「宗教」そのものを批判している。氏の 仏教論を読むとその辺がよく理解できるよ。
934 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 04:14
佐倉氏が批判してるのは、信仰に従属される態度じゃないかな。 信仰に従属している人にとっては、それが宗教批判に聞えて、自分の宗教が否定されているように聞えてしまう。 ほんとはその人の信仰が否定されているんじゃないかな。宗教そのものじゃなく。 まあおかしな宗教もあるにはあるわけですが。
935 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 04:21
イヤ、イエス自身がキリスト教の歴史などをみれば佐倉氏以上に厳しい 批判をキリスト教に行うんじゃないか? 下手すれば「俺の教えは引っ込める。キリスト教なんて消えてなくなれ」 と宣言するかもね。
936 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 04:42
宗教そのものというか、形而上学の居場所をなくす思索をやってるな 佐倉氏・・・
937 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 07:32
信仰否定されたら宗教も否定されるし、 無宗教者の信仰も否定されてしまうよ。
938 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 10:13
佐倉氏は宗教も唯物論も同じく人間の知識の届かない領域を 論ずる形而上学として批判してるよ。
939 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 16:39
すみません、 この中にはやっぱり、 岡野なおみさんはいらっしゃるんでしょうか いなかったらごめんなさい。
940 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 17:21
ま、存在論に思い至らない道具主義者ってことで。
941 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 17:27
根拠のないものを盲信しているのは佐倉氏自身だと思った。 「江戸時代にキリスト教を追い出していなければ、日本のすばらしい 文化は育たなかったことは明確である。」 なんの根拠もないで、それ。 キリシタン大名巡る話とか、千利休の人生とか、野口英世や夏目漱石や、 あらゆるものを、彼はどう説明するつもりなんだろう??? あれは例外とかいうんだろうか。
942 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 17:33
用語の使い方もなってないしな。 なんか巷間の主知主義の悪い見本の典型だと思った。 早い話、未熟者。
たといわたしが、人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても、もし愛が なければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい「にょう鉢」と同じである。 たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識 とに通じていても、また、山を動かすほどの強い信仰があっても、もし愛 がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を 人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛が なければ、いっさいは無益である。 愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶら ない、誇らない、無作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、 恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、 すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。 愛はいつまでも絶えることがない。 コリント人への第一の手紙13:1−8(新約聖書)
944 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 17:56
>あらゆるものを、彼はどう説明するつもりなんだろう??? >あれは例外とかいうんだろうか。 「縁起説」と「空」で説明するんじゃないかな。
945 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 17:58
>用語の使い方もなってないしな。 >なんか巷間の主知主義の悪い見本の典型だと思った。 >早い話、未熟者。 そんな彼に翻弄されるクリスチャン。
946 :
名無しさん@1周年 :02/08/22 22:25
>>942 >用語の使い方もなってないしな。
>早い話、未熟者。
用語の使い方に堪能な人が、一人前の信仰者なのだろうか?
947 :
名無しさん@1周年 :02/08/25 02:01
>>946 結局、宗教は哲学の一形態に過ぎないのか?
948 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 04:47
佐倉哲の論文はカルト予防に最適。 でも、正統的宗教信者の信仰まで揺るがしかねない点が危険。 その辺をうまく調整してくれれば、お薦めのサイトになるのだが・・・
949 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 04:56
>>946 何言ってるんですか?術語が使えてない=「知的に」未熟者って
ことじゃないですか、普通。2ちゃんってこんなんばっかりか。
950 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 05:03
すんません。946です。 話の流れを掴まないうちに書いてしまいました。 だから勘違いしたんです。 ところで、主知主義ってどういう意味なんですか? 初めて聞く言葉です。 やっぱ、哲学用語なんでしょうね。 宗教用語って感じじゃないですもんね。
951 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 05:08
>>950 主知主義っていうのは、扱う事象の範囲をひとつの体系の「項」に
限定してしまって、それ以外の現象や実在、制度など、現にある
対象を経験的に反芻しようと「しない」ような態度のことを言います。
主知主義の中には数理的主知主義や形而上学的主知主義なんかがあります。
952 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 05:11
さすが佐倉さん!
953 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 05:18
>>951 946です。
即レスありがとうございます。
しかし、幾ら読んでも意味が分りません。
最初の行の「項」で、既にお手上げ状態です。
「扱う事象の範囲をひとつの体系の」までは
何とか分るのですが。
この「項」の意味さえ分れば、何とかなりそうです。
どういう意味なのでしょう?
954 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 05:27
>>953 項っていうのは概念のひとつの側面であって、それが運用されるときに
はじめて全体として意味を持つような文の構成単位です。便利なXです。
主知主義の場合だと、それで「説明されちゃう」っていうこと、そのこと
自体が重要な目的なんで、説明自体が正しいかどうか、現実に即している
かどうかなんてのは問題外にされがちなのです。それが主知主義の弊害。
で、大抵の俗流主知主義者たちは、説明できちゃう=自我の征服感、と
同一視してナルシスティクにうっとりするものなんです。
955 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 05:42
まあ、本気でカルト研究やってるんなら、なぜカルトが発生したか なぜカルトが現代社会で一つの勢力または社会悪として存在しているか っていう内在的要因についての認識や考察があってしかるべきなのに そのへんが見当らないわけで。単にカルトの自己矛盾を指摘したりして 満足してればいいじゃん、って話。
956 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 06:21
カルトの発生過程に興味はない。 キリスト教などがその教義に多くの矛盾を抱えていることを示してくれれば いいよ。
957 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 07:04
>>954 詳しい説明どうも。
しかし、せっかく教えてもらったのですが、やはり意味が分りません。
「項っていうのは概念のひとつの側面であって、それが運用されるときに
はじめて全体として意味を持つような文の構成単位」とは具体的にどのような
ものがあるのでしょう?
また、「便利なXです」とか「主知主義の場合だと、それで「説明されちゃう」
っていうこと、そのこと自体が重要な目的」というのも、具体的にどのような
ものがあるのでしょう?
こういう言葉が理解できるようになるためのお勧めの本とかって有りますか?
958 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 08:40
佐倉のホームページは人をおちょくって遊んでいるような所がある。 返答に窮すると「お便りありがとうございました」でおわる。 無責任と言ってしまえばそれまでで、真面目さが感じられない。
「郵便ポストが黒ければ、明日は雪が降る」 これは真な命題だが(説明はめんどうくさいのでパス)、 なにももうかっていない(情報量が0)。でも真な命題。 「真な命題だよ。はぴー」というのが「説明、そのことが目的」になっている 自家中毒状態(体系外で、というか他公理系でどうという視点がないし)。 勝手にやっててください、つまらんのう というのは縮約しすぎか?
960 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 10:24
>>948 あれで揺らぐような信仰ならない方がましとも思う。
いやむしろ揺らいだ方が健全なのでは。
>>958 おれは笑ったが。
961 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 21:59
962 :
名無しさん@1周年 :02/08/26 22:17
>>958 > 返答に窮すると「お便りありがとうございました」でおわる。
そうかな?
一応全てに目を通したけれども、返答に窮している箇所なんて無かった
ような気がするけど。
真摯に回答したあげく、お礼の言葉を述べている感じだ。
しかし、人によっては、その辺が「おちょくられている」ように
思えるのかもね。
963 :
名無しさん@1周年 :02/08/31 08:53
>>962 >しかし、人によっては、その辺が「おちょくられている」ように 思えるのかもね。 自分の考えに信念がない奴は冷静な対応をされると腹を立てる。
964 :
名無しさん@1周年 :02/08/31 09:08
佐倉哲←この人の言葉には、とげとげしさがあり過ぎる。
965 :
名無しさん@1周年 :02/08/31 09:10
宗教に裏切られニヒリズムに陥ってしまった人なのかも?
966 :
名無しさん@1周年 :02/08/31 09:31
このネットの世界で、佐倉氏ほど親切な人はいないんじゃないか。 そう思ったな。
967 :
名無しさん@1周年 :02/08/31 09:33
確かに驚くほどまめだよね。 あと、絶対に他人を無視しない人だ。 無責任な発言が横行するネットの世界では稀有な存在。
968 :
名無しさん@1周年 :02/08/31 10:40
>>964 > 佐倉哲←この人の言葉には、とげとげしさがあり過ぎる。
例えば、具体的にどの言葉が禿しくとげとげしく感じたの?
969 :
名無しさん@1周年 :02/08/31 11:36
ノンクリから見れば反論を寄せるクリのほうにとげとげしい奴が多いと 感じる。
970 :
名無しさん@1周年 :02/08/31 12:53
>>965 宗教に裏切られたというよりも、自称クリスチャンに裏切られたんじゃないの?
971 :
名無しさん@1周年 :02/08/31 13:22
佐倉氏のキリスト教に対する論文はまったく正しい。 クリスチャンは論議に追い詰められると科学万能主義だなんだとよく知りもしない 自然科学批判を始めるのだが、真理=客観的事実は 論理的に構築されなくてはならず、論理的に矛盾をきたしているキリスト教は完敗 といえる。 さらに論理学の完全性定理にあるように、基礎論理学は最強でこの枠内で矛盾 が指摘されればもう勝ち目は無い。 主観的な信仰心がいかに馬鹿らしいか、うそものであるか。 真理を認知する場合において、主観的な信仰は基礎論理学に負けるのだ。
972 :
名無しさん@1周年 :02/08/31 19:54
973 :
名無しさん@1周年 :02/08/31 19:57
メール送っても全部に返事してるわけじゃないらしいね
974 :
名無しさん@1周年 :02/08/31 20:01
佐倉氏か、、、。 はじめから論理学と信仰は違うわけで、今更そんなこと言ってもね。 キリスト教と論理学をなんとか融合させようとした歴史でも あったわけで。
とげとげしさがある・・? 洗脳されたバカどもを少しでも諭すには、少々きついぐらいの方がいいのでは? それに、佐倉氏は極めて論理的に話を進めてるのに対し、 クリたちは感情的。 しかも上から教えられたとおりの主観的教理を繰り返すだけ。 自分で考えようとはしない。
976 :
名無しさん@1周年 :02/08/31 21:32
>974 真理を知る為の手立ては基礎論理以外には無い。 信仰は主観的であり、客観性が無い。 信仰で真理に近づけるとすると、例えば私が神として佐倉氏を信仰した場合、 それを外部から否定することができなくなる。 つまり、真理とは必ず客観的でなくてはならず、信仰では真理には近づけない。 真理に近づけるのは客観的な論理だけだ。 これで終了。 キリスト教は完敗した。 もう活動しないでください。
977 :
名無しさん@1周年 :02/09/02 00:36
>>976 >キリスト教は完敗した。
>もう活動しないでください。
理論上は完敗したのかもしれないけれども、
現実的には、世界で最も力を持った宗教となった。
例えば、政治家のみならず、池田大作とか文鮮明などの
カルト・リーダーでさえ、ローマ法王の謁見にあずかり
その権威を高めようとしている。
やはり、宗教とは理論だけでは捉えられないものなので
はないだろうか?
978 :
名無しさん@1周年 :02/09/02 02:26
979 :
名無しさん@1周年 :02/09/02 06:26
>>969 > ノンクリから見れば反論を寄せるクリのほうにとげとげしい奴が多いと
> 感じる。
禿同。
それに反論しているクリの方が頭でっかちで余裕がない感じ。
ようするに、うっとうしいってこと。
980 :
名無しさん@1周年 :02/09/02 07:32
でも、一度でもちゃんと論理学やったら、あんな粗末な立論しないんだけどね。
981 :
名無しさん@1周年 :02/09/02 07:35
例えば、佐倉氏の論文のどの部分が粗末なんですか?
982 :
名無しさん@1周年 :02/09/02 07:37
>でも、一度でもちゃんと論理学やったら、あんな粗末な立論しないんだけどね。 ウザイ。そんなら向こうでギャラリーを唸らせる論戦を挑んでこい。
983 :
名無しさん@1周年 :02/09/02 07:42
>980 ちゃんとしたところで バカにはどうせわかんないんだから、あの程度でいいんだよ。
>>982 禿同。
980は結局なんにも言ってないのと同じことだね。
986 :
名無しさん@1周年 :02/09/02 23:44
>977 >理論上は完敗したのかもしれないけれども、 >現実的には、世界で最も力を持った宗教となった。 みんなだまされてるだけ。 >例えば、政治家のみならず、池田大作とか文鮮明などの >カルト・リーダーでさえ、ローマ法王の謁見にあずかり >その権威を高めようとしている。 >やはり、宗教とは理論だけでは捉えられないものなので >はないだろうか? カルトリーダーが権威を高めるためにローマ法王に謁見 したがることが宗教が論理で捉えらえられない理由なのか? カルトはただ便乗したいだけだろ。
"It is impossible for those who has once learned to do philosophy to scorn other person." --- from an ancient author.
988 :
名無しさん@1周年 :02/09/03 08:18
989 :
名無しさん@1周年 :02/09/03 09:11
>>986 > カルトリーダーが権威を高めるためにローマ法王に謁見
> したがることが宗教が論理で捉えらえられない理由なのか?
> カルトはただ便乗したいだけだろ。
いや、それはそうなんだけれども、俺が言いたかったのは、
宗教の魅力は論理を超えたものだということ。
一種の麻薬みたいなもんだな。
まあ、麻薬は化学物質と脳との関係性で説明がつくが、
宗教は科学や論理だけでは完全に説明がつかない。
あ、あと勘違いされてはこまるけど、俺別に何も信じて
いないよ。
どちらかというと、アンチ宗教に近いかな。
990 :
名無しさん@1周年 :02/09/03 20:17
>>989 >いや、それはそうなんだけれども、俺が言いたかったのは、
>宗教の魅力は論理を超えたものだということ。
>一種の麻薬みたいなもんだな。
そのとうり。
宗教の魅力をロジカルに説明するのはきわめて困難だ。
現在の脳科学ではまだまだ無理。
>まあ、麻薬は化学物質と脳との関係性で説明がつくが、
>宗教は科学や論理だけでは完全に説明がつかない。
宗教の魅力は科学や論理で説明できない。(あくまで今のところ、いずれはできる)
宗教の教義は説明可能。
なぜなら真理は客観的である必要があるからだ。
お前は、魅力がある=真理である、と考えてるのか。
それこそが盲信だ。
991 :
名無しさん@1周年 :02/09/03 20:18
佐倉は天才
992 :
名無しさん@1周年 :02/09/03 20:18
うだうだ文句言うな
993 :
名無しさん@1周年 :02/09/03 20:19
スレ2部を立てねえよ
994 :
名無しさん@1周年 :02/09/03 22:19
995
996
997
998 :
ふぁんだ君 ◆rWqKQ/1. :02/09/04 15:07
998
999 :
ふぁんだ君 ◆rWqKQ/1. :02/09/04 15:08
1000 :
ふぁんだ君 ◆rWqKQ/1. :02/09/04 15:09
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