観察者なき観察。四六時中の間断無き、全的な観察。
あらゆる権威付け、比較、計測の否定。観念、信念の否定。
マントラ、ヨーガ、オカルト、宗教的伝統、道徳の否定。
組織や他人の考えに頼ることの否定。方式、方法の否定。
言語的理解の否定。世間・社会の否定(現代社会は腐った卵)
激しい否定と懐疑の後になお残ったものが真理とする。
頭では理解できていると思いますが、実践となるとまったく
ダメです。クリシュナムルティの指摘することは全くもって
正しいのですが、実践するとなると、職を失い、生活ができ
なくなる可能性大です。ホームレス、のたれ死に覚悟で実践する
根性が自分にはないのでしょう。
彼は、生来的な素質の上に、子供の頃の条件付けられて
いない時代に霊的修行を受けることができた幸運があると
思います。大いなる悟りもその基盤の上に花開いたのでは。
私と同じように「こんなんできねえよ。」って思って
らっしゃる方いますか。
最近はやっているヴィパシャナー瞑想と、とても近いものを感じますね。
ということで、毎日時間が許す範囲で実践するのが良いのではないでしょうか?
「観察者なき観察。四六時中の間断無き、全的な観察。」これを意識した時点で、
クリシュナムルティの言っていることから離れてしまいますよね。
体の一部、心のしこりなどを静かに感じながら、あとはただ待つだけですね。
つづけていれば、瞑想以外の時間にも「それ」が突然やってくる時がありますね。
ちょっと答えにはなりませんでしたね。
>2 ヴィパシャナー瞑想
ヴィパッサナー瞑想ですね。あれは思考の根っこからの動きを追いま
せんのでクリシュナムルティの呈示するものとは違います。
逐一、体の動きに合わせてレッテルを貼りながら追っていくものもありますが、
クリシュナムルティは凝視に言葉を貼りつける事を否定しているので、
これも違います。毎日一定の時間に瞑想するのも、習慣を形成することも
否定しています。
これから瞑想に入ろうと意図することも自己陥穽としてやはり否定して
います。
和尚はクリシュナムルティの教えは、いわば、大学生レベルであなたがたは
小学生レベルだと言いましたが、
私のような凡夫にはあまりにも深遠でついていけません。
それにしても人気のないスレですね。人気がなければないほど、
ここでは本物志向と思ってしまいます。人気があるのはカルト
ばっかりですから。
皆さんどのように発音なさっているのかわかりませんので、とりあえず
パーリ語に従って「ヴィパシャナー瞑想」と書いたのですが。
ヴィパシャナー瞑想も深そうですよ。
最終的には思考の根っこを追うのでは?
表面的に他の道を否定するようでは、進みようがありませんよ。
まず思考の根っこが見えなければ話は始まりませんね。
観たことはございますか?
観たことが無ければ追いようも無いでしょう。
思考の根っこはどのようにして見れば良いのでしょう?
まずはここからスタートでは?
それに非正覚者さんのレスを読むと、クリシュナムルティをただの権威
として扱っているように思えますが。ご自分で体験なさっての言葉では
ありませんよね。
「あなたが瞑想というものをほんとうに見出したいのなら
どんな権威者もすべて完全に脇におしやらなくてはなりません」
クリシュナムルティの言葉です。非正覚者さんがクリシュナムルティ
の言葉に拘って瞑想を考えている限り、クリシュナムルティのいう瞑想は
得られないのかもしれませんよ。
ということで、どうしてもクリシュナムルティの場合スタートに戻って
しまうので、ついには罵り合いで終わってしまったりするのです。
そういうことに疲れてしまった方がこの板には多いと思いますよ。
それでは失礼します。
>>2 それに非正覚者さんのレスを読むと、クリシュナムルティをただの権威
として扱っているように思えますが。ご自分で体験なさっての言葉では
ありませんよね。
これはあなたの私見でしょうか、それとも事実なのでしょうか。
判定を意味する言葉が含まれていますが、その判定は誰の物差しなのでしょう。
>表面的に他の道を否定するようでは、進みようがありませんよ
それでもってヴィパッサナーをおすすめになるのはそれが権威だから
でしょうか?
私はやったことがありますよ。しかし、識別したのです。
これは違うものだと。
クリシュナムルティの呈示するものと似ているかもしれないが
似ているからと言って同じというわけではありませんしね。
なぜ似ているものでもって、あるものの代用品をつくるのですか。
鍵を開けるときに、似ている代用品の鍵でもって開けたりはしません。
同じもので開けます。
言葉で理解するのは確かによくないのですが、伝達手段としては
言葉しかないのも事実です。グルジェフのいう「眠りこんだ機械」
を目覚めさすのは、自力では無理ではないでしょうか。指摘者が
必要です。
難しいですね。まったく。自分には
たしかに、立派な人ですが・・・
あれだけ問いてまわって、数人にわかってもらえばもう充分です。
といってられたのが気になります。
>非正覚者さん
「呼吸による癒し」(春秋社)という本はご存知でしょうか?
非正覚者さんが考えていらっしゃる、ラベリングにつぐラベリングを行う
ヴィパッサナーとはちょっと趣が異なるヴィパッサナーが中心となっています。
わたしのヴィパッサナーに対しての見解は、上記の本によるものです。
8 :
名無しさん@1周年:01/09/30 21:15
指導者が必要ですね、確かに。
伝導瞑想がいいんではないでしょうか。
そもそも「何百年にひとりしか出ない人」とご自身で言っておられたし、
やっぱり、生来的な部分が大きいのでしょうか。条件付けが進んでない
子供に可能性を見いだしてフシも見られます。
大人になってしまうと「ほとんど手遅れ」、60歳になると
「神を見いだすことはできず」「ほとんどの人は疲れ果ててもう
終わっている」と書いてたのも気になります。
自分の場合、生活や実際的な面に追われて、クリシュナムルティの
教えは受け入れ難い面があります。巷の宗教のように現世利益は
ないからです。
でも食べて生活していくにはそれではちょっと困るという感じが
あります。これはコリン・ウィルソンも指摘していたことですが
Kは具体的なことは何も言ってくれませんでした。
>>5 >これはあなたの私見でしょうか、それとも事実なのでしょうか。
>判定を意味する言葉が含まれていますが、その判定は誰の物差しなのでしょう。
非正覚者さん自身がおっしゃっていますよね。
>「クリシュナムルティの呈示するものとは違います」
>「クリシュナムルティは凝視に言葉を貼りつける事を否定しているので、これも違います」
>「毎日一定の時間に瞑想するのも、習慣を形成することも否定しています。」
これではご自身の判断とは言えないでしょう。
11 :
名無しさん@1周年:01/09/30 21:29
クリシュナムティに伝道瞑想はおよびでないだろう
>7 知ってますよ。釈尊がやっていたと宣伝してるものですよね。
一方はラベリングを使わず、呼吸の観察から入り、肉体に起こる
反応を観察するものですが・・私の言っているのはこれを含めて
違うということです。
もう瞑想の話はやめようぜ
>非正覚者さん
わたしはクリシュナムルティについては、水掛け論に終わるのが目に見えているので、
いつもは書きこむことは無いのですが、非正覚者さんのまじめな取り組みに感じ入り、
なんらかの参考になればと思い、レスを付けさせていただきました。
でもやはりうまくいきませんね。
>非正覚者さん自身がおっしゃっていますよね
BMさんのいう「非正覚者さん」とはあなたのことです。
そしてここに書いている「あなた」は私です。
「あなたは世界だ」
>これではご自身の判断とは言えないでしょう。
自分の判断なんてありません。自分とは他人の寄せ集め
です。問題はクリアーな判断ができるか・・・・
できなければ一切の判断を放棄するということです。
中学のときそういうもんに興味もってさあ、もう29だよ。
ほんとばか。おれ。社会にも適応できないしね。
まあそれが原因だか疑問だけどね。
>14
そうですね・・・
そろそろ下げましょうか。言葉はそれの持つ幻想に
至ります。
私もクリシュナムルティの本を読んだ事はありますが、
一番感動したのは「星の教団解散宣言」ですね。
あの内容は形を変えて、私の信念の土台になっております。
ぶしつけで悪いけど、瞑想とかに興味持ったきっかけって
日常生活の延長線上にあったんじゃないの。そもそも
そうじゃないひとがいたら、まじで教えてほしいよ
>>15 >非正覚者さん
私とあなたは違いますよ。
自分の言葉には責任を持ちましょうよ。
でもさあ実践できるはずだよ。フォークソングの歌詞みたいでわるいけど、
日常生活しっかり、意識を持っていきろってことじゃないんだろうか?
何が問題となっているのか自ずからわかるように。
俺のテーマだけどね。鬱々とくらしてるおれにとっては、救いの言葉なんだ。
クリシュナムルティもちだしてわるいけど。混乱しちゃってるからねおれ。
君のクリシュナムルティきかせてよ。だれか
23 :
名無しさん@1周年:01/09/30 22:24
宗教に騙されるな!
って事なんじゃあ?
24 :
名無しさん@1周年:01/09/30 22:31
苦難があっても、自分のやりたいことを仕事にしろ
という意見には賛成できた。
私にとってのクリシュナムルティとは・・・
それは、「真理とは、団体や組織や教義を越えたものである」の一言
でしょうか。
この事は、私がある教団の教義にがんじがらめになっている時に、
大きな勇気を与えていただいた気がします。
もう一つクリシュナムルティの言葉で好きで忘れられない言葉と言えば、
「愛は自由の子である」ですね。
「観察者なしの観察」分からん。クリシュナムルティの本を十何冊も読んだが、はっきりした自覚がありません
ホンダのCMの宣伝じゃないけど、物事をする上で「イメージ」してはいけないんですよね。
自分の目の前で起こっている状態が分からなくなる、イメージすると。
28 :
名無しさん@1周年:01/09/30 23:07
>>26 偏見を持つなということの延長みたいですよ。
世の中、真実を突かれると「恐怖」を感じて攻撃してくる人間が多い。なんとかせねば
30 :
名無しさん@1周年 :01/09/30 23:13
「真理とは、団体や組織や教義を越えたものである」っていう団体が
あればいいのでは。
28番さん、ありがと
青山の勉強会は、新しい展開はないでしょうか? ここ一年ほど行ってません
29
ななしさんの意見に賛同しまーす。自分もそうおもう。
34 :
名無しさん@1周年:01/10/01 01:35
たしかに実践となると難しそう。
35 :
名無しさん@1周年:01/10/02 23:59
階段がないと二階に上がれないよう、クリちゃん
「瞑想がおこっているかどうかは
頭が完全に静かになっているかどうかでわかります」
と言ったあとで(ちょっと中略)
「思考のあらゆる動き---
つまりそれがどのように条件づけられ、なにを追いもとめ、なにを恐れ、なにを楽しみにしているか
ということを、たんねんに調べ観察し、それらに耳を傾けるようになり、頭がどのように働いているかを
みまもるようになると、頭がおどろくほど静かになってゆくことに気づくでしょう」(「瞑想」より)
クリシュナムルティで、二階に上がる取っ掛かりといったら、かろうじてこんなところでしょうか?
37 :
名無しさん@1周年:01/10/03 00:46
僕はある人に話したら、「理解以前に原典(英語の)に直接触れる事が
大切だと思います」と言われました。
というわけで英語を勉強しようかと思っています。
細かなニュアンスとかも違うだろし、一回訳者の頭の中に入ってから
出てくるからやっぱり違うんだろうなぁ。
一生懸命生きる事は難しいですね。がんばります
>>37 いまは翻訳されたものの原書も、随分手に入りやすくなってると思います。
そういうところから入っていく、という手もあると思いますよ。
是非がんばってくださいね。
最近欲求不満なんですが〜
クリシュナムルティは恋愛やセックスについて何か語っているのでしょうか?
正しく瞑想などができると、そういった欲求は変わるものなんでしょうか?
セクシャルな部分も語られて然るべきと思うんですが、どうなんでしょう?
語っていますよ。
何冊か読んでみれば出てきます。
>栗さん
ありがとう。そうですか、語ってますか。
「自我の終焉」と「子供達との対話」は所々読んでますが、、、もっと読まなくては出てこないのかあ。
クリシュナムルティの日記なんかに、その辺の個人的なコトがでてたら面白いんだけどなぁ〜。(笑
42 :
名無しさん@1周年:01/10/05 02:39
>>37 クリシュナムルティの翻訳については、あまり名訳がないのは事実ですが、
訳がひどくてもエッセンスは伝わってきますよ。英語が読めなければ大事な
部分は伝わらないというわけではないと思います。
英語がどんなにできても、わからない人にはわからないわけだし。
クリシュナムルティもオナニはしてたよ。
さすがにセックスはしてなかっただろう。
クリシュナムルティのコメントを聞いても仕方ないよ。
肉食についても「肉は食べたことがないので味が分からない、食べたいと
思ったこともない、、、」なんてことをのらりくらり。
性欲も食欲も凡人と同じに考えちゃいけない。
ほどほどにってことだよ。
44 :
名無しさん@1周年:01/10/06 06:10
ということはあなた
>>43のコメントを聞いても仕方ないね。
非正覚者さんへ。
「実践となるとまったくダメです。クリシュナムルティの指摘することは全くもって
正しいのですが、実践するとなると、職を失い、生活ができなくなる可能性大です。」
私も同じような印象をうけます。
とはいえ私の場合「頭では理解できている」とは言い切れないんですが。
「自我」などという普段は分ったつもりになってる言葉にさえ引っかかってしまいます。
ところで、ちょっと教えてほしいことがあるんですけど・・・、
9で書かれた、
「大人になってしまうと「ほとんど手遅れ」、60歳になると「神を見いだすことはできず」「ほとんどの人は疲れ果ててもう
終わっている」と書いてたのも気になります。
これってどの本に書かれているのでしょう?
それともう一つ、
「〜でも食べて生活していくにはそれではちょっと困るという感じがあります。これはコリン・ウィルソンも指摘していたことですが
Kは具体的なことは何も言ってくれませんでした。」
これはコリン・ウィルソンのどの本に言われているのでしょうか?
検索してみましたが見つかりませんでした。
よろしくお願いします。
46 :
名無しさん@1周年:01/10/07 00:46
クリシュナムルティーの対極に位置するのがおそらくは和尚ですよね。
和尚はセックスを肯定的に捕らえ奨励していますが、クリシュナジは「逃避」と捕らえて非常に否定的な見解を持っているように思います。しかし男女がなぜ引き合うかも分からず性について結論を下してしまうのは抵抗があります。
クリシュナムルティーの教えは内的意味を考えず、表面のみを取り入れてしまうと
危険だと思います。彼が語る結論のみを自分の思考過程に導入し実践したりすれば社
会的に見れば単なる痛い人です。
彼の語る言葉や結論(例えば娯楽=逃避、人間的愛=搾取、etc)は彼の
悟った真理から見れば明白なことなのかもしれませんが、大抵の人が自分と
彼の内面的運動の違いを考慮に入れず彼の語った結論を語るので、彼の教えを実
践しようとする人は、傍から見れば大変エキセントリックに見えます。
数学の得意な人は細かい計算、方程式を、省略して簡単に答えを導出してしまいま
す。それを真似て、数学を全く出来ない人が同じ問題を同じ解法で答えまで暗記して
解いてみせたからといってその人は数学が得意だと言えないでしょう。
それと同じで、彼の教えを実践しようとするなら彼の語った結論を一度、細かく
引き裂いて自分なりに理解していかないと、やはり無意味な代物になると思います。
私に関して言えば、彼の言葉に全く関心がなくなって数年が経過してから何故か
彼の言葉がよく分かるようになりました。しかし、問題がひとつあります。
それは、彼の言っていることが本当に理解できているか、そうでないか判別する手
段がないという事です。(笑)
>>国家権力さんへ。
>彼の教えを実践しようとするなら彼の語った結論を1度、細かく
引き裂いて自分なりに理解していかないと、やはり無意味な代物になると思います。
この言葉には賛同します。
私がクリシュナムルティから学んだ事の一つは、「たとえクリシュナムルティの言葉
と言えども、それが自分にとって真実なのか、そうではないのか、そこに懐疑を持ち
ながら自分なりに検証してみたり、時には受容してみたりして、様々なアプローチをクリシュ
ナムルティの説に対して試みた方がいいのではなかろうか?」という事でした。
この事をまとめると、「自分なりに理解する。」の一言に尽きると思います。
彼の言っている事が本当に理解出来ているか、そうでないかを判別する事は難しい
と思いますが、このようなスレッドで、自分なりの見解を述べ合い、批判し合ったり
賛同し合ったり、意見を述べ合う事、すなわち対話が一つの大きな手段になるような
気がします。その中で新しい「気づき」が感じられるかもしれないし、ある意見に
対して感情的になったり、敵愾心を持ったりしたら、「どうして私はこのような反応を
したのか?」と自分を見つめる事が出来ます。そして新たな自分の姿を発見する事が
出来るかもしれません。「判別」という事から外れるかもしれませんが、クリシュナムル
ティの言う所の「自己凝視」の過程を皆さんとの「対話」によって行う事が出来るのでは
ないかな、と考えています。その自己凝視の過程としてのここでの「対話」や日常生活
での様々な自己の反応を「自分なりに」いかに行っていくかどうか、だと思いますが、
いかがでしょうか?
>48さん
そうですね。やはり、他者との対話が一番だという気がします。彼の言葉を、
振りかざしたり、権威にしたりするのではなく様々な方の意見を聞いて自分の理解を
相対化したり、差異を見出して行くのが一番ですね。
あるお寺のwebでは、クリシュナムルティの名前を出し
「云うことは間違ってはいない、でもこれを聞いて大悟徹底する人はいない。」
と言ってみたり、彼の言葉の断片を切り取って批判してみたりしています。
その批判の内容はまるで建設的なものではなく、Kがグル相手に行った批判に比べ
れば大変に稚拙なものです。なにより、その批判の運動が全く価値を持たないのは
『批判者本人が大悟徹底していないのに、Kの言葉では大悟徹底できないと断じて
みる』という点にあります。これは滑稽です。もしかしたら、そのお寺の方は
「私は大悟徹底している」と仰るかもしれません。しかし、どんな基準をもって
『大悟徹底』とするのでしょう。最初からある種の『真理概念』の基準をもって
真理を探究すれば当然、見出すでしょう。それは、子供がよくやる『ごっこ遊び』
みたいなものです。「私は悟っている」と称する人間の言葉に盲目的に従う事ほど
危険なものはありません。このお寺の方のK批判は全く稚拙で無意味なぶんだけ
かえって参考になります。「非建設的な批判の参考」として...。
まずは、「我々は何も知らない」という事実から始めて、Kの言葉を上記したお寺
の方のような稚拙な形でではなく批判的に摂取したり、議論したりするのが好ましい
ですね。
50 :
吾輩は名無しである:01/10/07 21:19
星の教団解散宣言、私も感動したし、それが全てでしょう。
私はベジタリアンで、セックスも殆どしなかったし、全てを自分に
引き寄せて考えていましたが、あるとき気づいたんです。
クリシュナムルティは人間の関係を拒絶しているんだって。
一見馬鹿げて見える人間間の日常の中にこそ真理があると思います。
私は今でも彼の本を読むし、美しいと思う。
確か彼には恋人がいましたよね。
ベートーベンが好きで
推理小説が好きだった。
ワクワクするものにもっと開放的でも良かったのに。
私たちは魂だけじゃないんだから。
彼は私の理想ではあるけど、現実的な悟りではないと思う。
エロスが必要ですよ。
>>43さん そうですか。クリシュナムルティはそのへんの経験がないのか〜。
あれからまた「自我の終焉」を読み進めていたら、性や愛についての記述がありました。
「あなたがセックスを問題にするのは愛がないためなのです。」だそうで、、、(;-_-)
そんなこと言われたら本末転倒だゼ・・・逆ギレ!みたいな。(笑
このへんは、
>>48さんと同じように抵抗感を感じます。
彼の教えは、どうにかすると逆に絶対不自由になりそうっすが、、、惹かれます。(異性も)
キサマら、能書き垂れてないで実践しろ!実践だ!実践だ!実践だ!
実践しろーーーーーーーっ!
53 :
名無しさん@1周年:01/10/07 22:16
クリシュナムルティの言葉を使って、現実の自分から逃避してるんだよ、情けない。
たたかえ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
54 :
名無しさん@1周年:01/10/07 22:18
いろいろな生き方は、大いなる実験
彼の教えは抽象的ですが、言葉をよせ集めて「体系」らしきものは作ろうと思えば
可能で、かなり実践的なものにできると思います。しかし、彼本人がそれを一切禁じ
ましたね。「体系」を作る事でそれを指導する権威ができるだろうという危惧感が
「体系」を禁じた理由の中には含まれるんでしょうね。事実、日本には彼の教えを
システマティクにして洗脳体系を作りあげた方がいますし...。
私はクリシュナムルティが、人間関係を拒絶したようには感じません。彼は関係の
中においてこそ自己認識がある事を説いたように思います。彼の教えを(特に彼
の様々な見解、sex=逃避、道徳=実は不道徳、などなど)断片的に摂取すれば恐らく
あまり知能程度の高くないニ―チェのような人物になってしまうと思います。
とりあえず、生活の基盤を確立して彼の出した結論を全部噛み砕いた後に、自己の
受動的凝視をやるしかないのではないでしょうか?彼の見解を全て脇に押しやって。
彼もこう言ってるじゃないですか。
『私達はどんなグルも、どんな指導者も、とりわけ話し手をも受け入れることを拒否
できないのでしょうか?ほかの人との関係、話し方、声の調子、用いる言葉などで
自分の内面を観察した事以外、心理的に受け入れてはいけません。(後略)』
私は彼の上記のような発言に最も、賛同します。様々な宗教団体が跋扈して集金
体系をつくりあげているのを見るにつけ。
(補足)ニ―チェを馬鹿にしているわけではありません。
>あまり知能程度の高くないニ―チェのような人物
これはたまにお目にかかるKの言葉をふりかざす人に対する例えで
ニ―チェ自体をけなしているのではありません。誤解のないように。
でも、本当にそんな感じがするんですよ。Kの教えを振りかざす人っ
て...。やたらとニヒリスティクで。
Kの本は小説と違うので、順序よく読まずに飛ばし読みをしたりします。
さっき、またKの本を適当に探っていたら、
「なぜなら神は愛だからなのです。」と、あります。
これは、前に読んだ小説「もどってきたアミ」の中の一節とリンクしています。
せっかくですから、ここにそれを引用させてもらいます。
>>
愛は意識の繊細な成分である。それは唯一の合法的な“麻薬”である。
間違って愛が生み出すものを酒や麻薬に求める人もいる。
愛は人生で最も必要なものである。
賢者はその秘密を知っていて、愛だけを探した。
それを知らない人は外部ばかりを探した。
どうやったら愛が手に入るかって?
愛は物質ではないから、どんな技術も役に立たない。
思考や理性の法則には支配されない。
それらが愛に従っている。
愛を手に入れるには、まず愛が感情ではなく、一つの存在だということを知ることだ。
愛とは何者かである存在だということを知ることだ。
実在し、生きている精神であり、我々の中で目覚めると幸福をもたらしてくれる。
どうやったら来てもらえるか?
まず、それが存在していることを信じることだ。
(なぜなら目には見えない、感じるだけだから――人によってはそれを神と呼んでいる)
その後で奥底にある住まい――ハートに探すことだ。
もう、我々の中にいるから呼ぶことはない。
来てもらうように願うのではなく、出るように自由にさせてやる。与えることだ。
愛は求めるものではなく。与えてやるものだ。
どうしたら愛が手に入るか?
愛を与えることによって。愛することによって。
じゃあ、あなたも私を愛して下さい
59 :
名無しさん@1周年:01/10/08 03:14
たぶん、彼の教えはかなり真剣な人以外はあまり意味がないと
思います。
60 :
名無しさん@1周年:01/10/08 10:54
>愛を与えることによって。愛することによって。
・・・そりゃあ、僕だって好き嫌いがあるわさ。(笑
でも「出るように自由にさせてやる。」というのは、Kの方式かなと思います。
実践しろー―――――――――――――――――――――――――――――――――
実践しろ――――――――――――――――――――――――――――――――――
60
実践しろ――――――――――――――――――――――――――――――――――
実践しろ――――――――――――――――――――――――――――――――――
55、エッシャー
実践しろ――――――――――――――――――――――――――――――――――
実践しろ――――――――――――――――――――――――――――――――――
57、もしもし
実践しろー―――――――――――――――――――――――――――――――――
実践しろ――――――――――――――――――――――――――――――――――
とにかく
実践しろ――――――――――――――――――――――――――――――――――
実践しろ――――――――――――――――――――――――――――――――――
63 :
名無しさん@1周年:01/10/08 14:49
仏に逢うては仏を殺し父母に逢うては父母を殺しクリシュナムルティに逢うてはクリシュナムルティを殺せ!
64 :
名無しさん@1周年:01/10/08 15:03
仏も両親もたまったもんじゃないな
>45 ゴメン。Kの本も、コリンの本も沢山読んでるからよくわからないや。
自分の無意識に沈んでいた言葉なもので。
「クリシュナムルティのいうように」非選択の凝視を始めようとした
その瞬間に、模倣の罠に足をからめとられたのである。
何の為に実践するのか?悟りを得たいから、幸福を得たいからか?
クリシュナムルティの教えは「動機のない実践」である。
これが難しい。
彼の教えは抽象的というよりも、悟りの内容、思考を超越したものを
言葉で表現するのに無理があることを示している。
要するに本読んだくらいでわかったつもりになるのはよくない。
本読んだらちょっと頭が良くなるかな。変わったとしたらそれだけ。
66 :
名無しさん@1周年:01/10/08 16:24
本読んで、実際にどんな利点があるんだよ。単純なことを、まわりくどく、くどくど、と。
67 :
名無しさん@1周年:01/10/08 16:36
ここで議論するほどわかりにくい内容でもないと
思うけど。10代に理解できるように書かれてる。
彼の本を読んで、神経症を直した人ってよく聞きますよ。立派な利点じゃないです
か。
それと、10代に理解できるように書かれてるわけないでしょ。誰もが理解できた
と思って、実際はひとりも理解できなかったから誰も根本的に変わらなかったんでし
ょ。
かといって既成仏教やグルが人を変えたかっていえば、そうではないし。既成仏教
やグルに頼るぐらいなら彼の本を読んだほうが絶対いい。
加えるならコリン・ウィルソンの言う事は全くあてにならない。いい加減な調査、
分析を主観的にだらだらと書いているだけ。彼がもてはやされたのはニュ―エ―ジ
ブ―ムの流れに乗ったから。
欧米文化圏に目新しい、物を持ち込んだだけ。バイアグラを始めて持ち込んだ人間程
度の存在だと思うな。彼が評論の対象を、あえて人がやらない分野に絞るのはほかに
やる人がいないので比較されず自分のいい加減さをごまかせるから。だって、あのお
っさん、ろくに物を調べず書いんだぜ。結論を導く思考過程をよくみれば、もう論拠
の乏しさにうんざり。
『アウトサイダ―』書いたころは若くて、エネルギ―があったからまだ良かった
けど、殆ど進歩してないじゃん。極稀に結構いい分析するけど、あんまり権威にして
引用するようなたいしょうじゃない。>コリンのおやじ
いいから実践しろー!
実践しろ――――――――――――――――――――――――――――
実践しろ――――――――――――――――――――――――――――
実践しろ――――――――――――――――――――――――――――
読書感想はいらん
実践報告せよ
だから実践しろ―――――――――――――――――――――――――
実践しろ――――――――――――――――――――――――――――
70 :
名無しさん@1周年 :01/10/08 19:15
>69
だから教えの実践の、現実性について議論してるんだって。
なんならあんたがクリシュナムルティの教えの実践が日常生活で
可能か不可能か論証してくれ。
>実践しろ――――――――――――――――――――――――――――
なんていう前に。
72 :
ファシズム反対!:01/10/08 19:18
>>69 そういう態度は反対!
まず、あなたが引っ込むべし!
目立ちたがりやのファシストさん!
73 :
名無しさん@1周年:01/10/08 19:18
ただ、実践まっしぐらだとDQNになりますぞ!
みんなが引っ込めというんだから引っ込もう。
ごめんね。ちょっとおイタが過ぎたようですね。
悪気があってやったんじゃないんだけど。
こうなったら、
自分で実践しま―――――――――――――――――――――――――す!
退場しま――――――――――――――――――――――――――――す!
でも、ファシストじゃないぞ――――――――――――――――――――――――!
>>74さん
退場する前に、どうしてあなたはそのような書き込みをされたのか、深く自分を
見つめられて、考えられたら良いのではないでしょうか。
そしてご自身がどうしてそういう書き込みをしたのか、その理由を探り当てたら
是非、この場で発表して頂きたいと思うのです。もちろん、それはあなたの自由
ですから強制するものではありません。
どうしてあなたは「おイタが過ぎた、と自分で思うような」書き込みをしたのか、その根底に
ある想いとは一体何なのか?
これは私達の日常生活にも充分密接している問題であると思われます。
そこを深く突き詰め、見つめる時、そして対話し合う時、自ずから「自己凝視」のプロセスになっている
ような気が致しますが、どうでしょうか?
76 :
名無しさん@1周年:01/10/09 02:02
心に葛藤なく、情報処理出来るようになれば、言うことないんだけどね。
生活してると、俺のペースが気に入らなくて、絡んでくる奴がいて、心乱される。困った、困った
>>76さん
それは私も同じです。葛藤を葛藤のまま見つめる事、葛藤の根底にある
自分の想いを見つめる事が出来ればいいな、と思っています。
そして葛藤の正体を見極め、共に対話し合う事が出来れば、さらに良い、
と思います。
くりちゃんはくりちやんで。改行。山月記
でいうところの、トラにならんようにしてくれよ。
光明さんは、優しい人ですね。
でも、自分のペースが乱されて、困った時こそ実力の試験ができると思いますね。
さて、実践ってなんでしょうか?
実践しろ―――――――――――――――――――――――――――――――!
と書き込まれて心乱れるのは、どうしてなのでしょう?
実践にも様々なレベルがあると思います。例えレベルがどうであっても、自分が
前向きにポジティブなものに向かって生活していれば、何者にも侵されない自信
というものが有る筈だと私は思います。
それは、思想とか宗教の枠を超える普遍的な人間の精神がそう言うものだと思う
からです。
逆にいえば、前向きに生きている人には生活そのものが宿している、可能性を実践
したくてしょうがないはず。
チマチマとしたことを、あーでもないこーでもないと言い合っているより、もっと
剛毅に豪快に素晴らしい生の力を感じて欲しい。
心に葛藤があっても、正しい答えなど探して澄ましているより、葛藤そのものを
ふん捕まえてたった切るぐらいの生命力が欲しい。ただのイイ人では、現実を変化
させる醍醐味を味わう、折角の機会をふいにして、ひたすらに内側へ、内側へと自分
だけの天国に入って行ってしまう。みんなの天国を作りたいのが本心ではないのか?
それを現実するまでのいばら道を恐れるな!飛び込め!
それが現実に生きるということ。実践するということ。頭の中のパズルや精神の迷宮
にばかり夢中になってくれるな。
うふん
こころみだされることが、つぎつぎやってきますね。ほんとに。自分は世界であり
世界は自分である証拠なんでしょう。それが。それを根拠にいきることが、
本当の正直さだし、現実を生きることではないでしょうか?よろしく。
82 :
名無しさん@1周年:01/10/09 23:27
>実践しろ―――――――――――――――――――――――――――――――!
>と書き込まれて心乱れるのは、どうしてなのでしょう?
これは単なる問題のすり替えでしょう。心乱れるもなにもそんなに貴方の発言をまと
もに受けていない。単に、あらしに普通に対処しただけでしょう。
>チマチマとしたことを、あーでもないこーでもないと言い合っているより
いや、大切ですよ。基本的な部分をきちんと抑えて消化しておくのは、戯言を仰る
のは、お止めなさい。人が語った事を当然のように受容するのは大変な問題ですよ。
そうやって、人は隷属的になるんですから。
>角の機会をふいにして、ひたすらに内側へ、内側へと自分だけの天国に入って行
>ってしまう。みんなの天国を作りたいのが本心ではないのか?
それは、貴方のことでしょ。ご自分の内面を他人に当てはめて、レッテルを貼り
理解したと勘違いするのは止めなさい。皆が貴方と同じレベルで生きていると考える
のは子供です。
>それが現実に生きるということ。実践するということ。頭の中のパズルや精神の迷
>宮にばかり夢中になってくれるな。
これは明らかに論点をずらして自分の書き込みの正当性を主張したいだけですね。
きちんと、お読みになりましたか?全くこのスレ自体の流れをよんでいない。自分
勝手に読解し解釈し、結論を与えて適当な書き込みをし、叩かれて最後には問題を
他人に転嫁するのは子供です。
もう少し、現実味のある書き込みをして下さい。こんなの、なんの参考にもならな
い。加えるならこういう誠意があるふりをして実はなにも考えていない書き込みを
きちんと否定して退けておくのも大切なことです。誠実ぶった書き込みにはありも
しない正当性をあるように感じさせる要素があるからです。きちんといい加減さ
を見破り、排除しておくのは大切なことです。
以上.
>>82 いつも、ごくろうさまです。(嫌味じゃないよ)
今回は少々、(あいかわらずかな・・?)手厳しいですな。
>83
む、ちょっと行き過ぎだったかもしれない。もう少し表現に柔らかさがあっても
良かったと思う。悪意があったのではないようだし...。もう少し表現に気をつけ
ますね。
こどものけんかやな。これは。論じることにちからいれすぎ。
論じてもなんもきづかへんで。
85=あほ
すうしきかい
もう栗の季節やなあ。明日買いにいこっと
食欲は同デーすか亜ーー
>88
最高で―す!
90 :
名無しさん京都へ:01/10/10 20:59
>82
自信ないなら、語るなよ,みっともない
>>90 さん
そうじゃなくて、82さんは語り方について言ってるんですよ。
92 :
名無しさん@1周年:01/10/11 03:05
俺はガキの頃から教師どもが嫌いだった。
「世界教師」なんて最高にむかつくぜ!
所詮、出来の悪い毛唐どもに持ち上げられてたインド人じゃねえか。
こいつも、こいつの信奉者もアホかと思うぜ!
93 :
名無しさん@1周年:01/10/11 04:12
ただの茶番だね。
94 :
すごい人だけど:01/10/11 04:44
常人には本当に理解はできるのかな?
95 :
名無しさん@1周年:01/10/11 04:49
タカオカだかタピオカだか言う基地外が自分だけは理解できるっつってたな(w
96 :
名無しさん@1周年:01/10/11 06:48
高岡さんそんな事言ってないよ。
言ってたとしても、たぶんあなた
>>95が言葉の意味を
よく理解してないんでしょう。
97 :
名無しさん@1周年:01/10/11 09:10
>>96 オメエはタピオカの奴に会ったのか?
奴の「研究会」の信者か?
98 :
名無しさん@1周年:01/10/11 12:06
>>97 俺は信者でもないし、特別に何かを信じてるわけじゃない。
高岡さんの出版物を読む機会があって、それで高岡さんを知ったんだけど、
それらを読む限りでは高岡さんが「私はクリシュナムルティの教えを理解
している」とは絶対言わないだろうな、と思ったからよ。
99 :
名無しさん@1周年:01/10/11 18:58
>>98 出版物?「推奨の書くめえか」か?
えらく偉そうに書いてるよね
でも本人はけっこういい奴だよな、タピオカ
「運転すると人が変わる」って奴がけっこういるけど
彼の場合文章を書くと人が変わるんだろうね
100 :
名無しさん@1周年:01/10/11 19:58
救済の論点から外れてるぞ!!!!!!!!!!!!
気を引き締めて語れ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
101 :
名無しさん@1周年:01/10/11 20:14
教えってよりは指摘指摘の連続じゃないかと読んでてそう思った。
それに実践と言ってもなに実践していいのかサッパリ分からんし、
実践しよう思ったら実践じゃなくなるんでしょ?手詰まりですよ。
俺的には「ただ生きてりゃいいのさ」って感じで受け止めてるけど。
Kのような高い精神的境地に達すれば自然と発せられる言葉なので
あり、それはその境地に達した彼にとって真実以外のなにものでもない。
しかし、我々凡夫が、アタマで、思考で理解しようとすれば、
ついてゆけないやら矛盾になるのではないだろうか?
103 :
名無しさん@1周年:01/10/12 00:09
クリシュナムルティの教えは実践できるか?
クリシュナムルティは何を教えた?書いてみよ。
104 :
名無しさん@1周年:01/10/12 00:43
問うこと
105 :
もしもし?:01/10/12 01:41
他者凝視!<ウソ(笑
英知とはなにか
107 :
notoriaous:01/10/12 03:57
>92
「世界教師」とか「マイトレ―ヤ」、「救世主」などの言葉とクリシュナムルティ
を結びつけないほうがいい。
彼の出現した背景には神智学協会という組織があったのは事実だけど、その視点か
ら彼を見たらグレ―ゾ―ンに入るよ。
先入観を捨てて、権威としてではなく、彼の言葉を聞いたほうがいいような気が
するな...。
単純にいい事いってるよ>クリシュナムルティ
わかったようなことを言うこういう奴は自分に疑問をもたないのだろうか?
わかったようなことを言うこういう奴も自分に疑問をもたないのだろうか?
そして、わかったようなことを言うこういう奴も自分に疑問をもた
ないのだろうか?
私のお勧めクリシュナムルティ関連本best3.
1.『自我の終焉』(篠崎書林)
2.『生の全体性』(平河出版)
3.『ザ―ネンのクリシュナムルティ』(めるくま―る)
皆さんも、良かったらお勧め本を教えてください。『キッチン日記』
(コスモスライブラリ―)も面白いと思います。
今日のようないいお天気の日には、おもて出てあったかい陽射しの下で
思いっきり運動して汗かいて(・∀・)スカッとしたいね
113 :
名無しさん@1周年:01/10/12 13:53
生の全体性いいね。
114 :
名無しさん@1周年:01/10/12 22:34
矛盾→混沌→聖の段階を踏みます
116 :
名無しさん@1周年:01/10/12 23:12
人間と光とではどちらが大切ですか?
>>116 光?タピオカのことか?
あんなもん大切なわけねえじゃん
118 :
名無しさん@1周年:01/10/13 01:25
どうも、クリの言葉は、人のプライドをくすぐる媚薬があるらしい。
本から離れたあんたに、どんなトランスフォーメーションがあるんだい?
119 :
もしもし?:01/10/13 02:37
スレに関係なくゴメンなさいだけど、
「マーク・トゥエイン150の言葉」は笑えました。
以下、ちょっと転載。
偽善者どもが全員集合したら、
天国も地獄沙汰だろう。
>
その気になれば、
人はやすやすと逆境に耐えられるようになる。
他人の、ですがね。
>
わが国にはたとえようもなく貴重なものが3つある。
言論の自由、良心の自由、
そしてこの2つを決して行使しない用心深さ。
>
もしキリストが今ここにおられたなら、
決してなりたくないものがひとつある
――キリスト教徒。
>
人類は危険なまでに異常な人々と、
それほどではないが異常な人々とから構成されている。
>
石のように硬直した思想に対して忠誠を尽くす人々が、
この世の中の鎖を断ち切ったり人間の心を解放したりしたことはかつてなかった。
これからも決してないだろう。
神様はね世間話を聞きたくておりてくるんだってさ。
ぼくたちきみたち結構救済されてないかい?
おほほほほ。
げっ
121 :
にらいかないうちの家内:01/10/13 04:33
クリシュナムルティいうと、自分は山登りをいつもイメージ
するね。「山頂を谷に移し替えることはできない」という
彼のことばからなんだけど。俺は山に登るときはいつも開放され
たい一心でのぼってるとおもう。でもおりたいと思ったときは
少し世間が恋しいわけ。教えを持っておりるのもいいし、無言で
おりようと人の勝手。(自然な意味で)おりてしまえば何を
いおうと大河の一滴。本当に登りたかったら登ればいいじゃんって
いってんじゃないの。クリシュナムルティって
122 :
にらいかないうちの家内:01/10/13 04:37
ただ、山頂の景色についてかたってるんだよ。
げぇっ
>118
>どうも、クリの言葉は、人のプライドをくすぐる媚薬があるらしい。
>本から離れたあんたに、どんなトランスフォーメーションがあるんだ
い?
プライドをくすぐるというより、心かき乱されるよ。俺が満足して
浸っている現実から梯子降ろすような指摘ばかりだもん。
論破する為に読んでるけど、いつもつまんねえ反抗で終わっちまう。
『このインド人め!』とか、すげえ下んねえ反抗でね。やっぱあのイン
ドの人はなんだかんだいっても偉いよ。
別の本を読んでるほうがプライドをくすぐられるよ。クリシュナムル
ティに壊されたプライドを西原理恵子の漫画で癒すって感じだな(w
125 :
名無しさん@1周年:01/10/13 10:12
悟りなぞ憧れにするバカヤロー
一生騒いでハイそれまでよ
126 :
名無しさん@1周年:01/10/13 10:42
クリシュナムルティーはヨーガ行者のわりにマントラ、僧院に篭っての瞑想、グルという権威に対して否定的ですよね。
127 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/10/13 11:11
聖人願望とか、悟りへの憧れとか・・・
信仰するとか、神に帰依するとか・・・
そんなものは、内なる魂の欲求なんかじゃないよ。
ただ生きる、ひたすら生きぬいてればいいんだよ。
128 :
名無しさん@1周年:01/10/13 20:05
↑はぁっ?
あんた、一体なにがあったんだ。
129 :
名無しさん@1周年:01/10/14 00:30
オカルトと聞くと、まああまり良い印象はもたないが
たまに、やはりドキッとする言葉なんかはある。
全体の体系や、思想となると、いろいろありすぎて良く分からないが、
断片的な言葉などは 昔、自分が思っていた事なんかを端的なことばに
置き換えて表現されてると、なかなか うむーーーーと
唸ったりした。
「変容の器」とか。私はお恥ずかしながらクリシュナムルティの本など読んだ
ことがない。でも皆さんの会話の中で断片的に漏れ聞く言葉は
心の何処かでなるほどなと思っている。
「私は何も信じない」でしたっけ?「私は誰も信じない」?
どちらにしても汲み取れる物がある。誰かを信じればその信じた人間の
間違いまで引き継ぐからだ。
何も信じないならば、既存の「もの」に心理・内面を固定化させずに
ばらばらの中からまったく新しい「何か」を構築させる事ができるからだ
私はそういう 意 を彼が伝えあるいは思っていたような気がする。
しかし・厳密な言葉だけでその意をとらえようとすると(活字上での理論で)
そこには不可能が横たわるようなきがする。
彼の人となり、意としているものを 受けてもまた人として
汲み取り、思いを馳せなければ・・・
うるせーーーーーーー!!!!
こらおまえらおーー
131 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/10/14 08:19
クリちゃん信奉者になるには、まず自分が絶対正しいという大前提が必要です。
だからクリちゃんは二の次なのです。可哀想なクリちゃん・・
132 :
名無しさん@1周年:01/10/14 20:18
>124
偉いと思った時点でもう媚薬にはまってるんですよ。
彼の本をあと何冊読んでも同じですよ。
彼は詳しく説明しているように見えて、実は表現力の乏しい人ととらえることができるかもしれません。
本当に影響力があれば、こんなマイナーではないでしょう
意識のレベルというのが存在する。
そのレベルになければKの説くところは
しょせんわからないと思う。
ビンラディンがテロをやったり、その部下が
命を捨ててまで自爆するのが、我々にはわからないように。
釈迦もキリストもしょせん同じレベルに達しなければ
われわれにはわからない。
わかったようなことを言う、宣教師の類、瀬戸内寂○、
ひろさ○やなどは糞ということだ。
134 :
名無しさん@1周年:01/10/14 20:32
↑へ
宣教師の類、瀬戸内寂○、 ひろさ○ たちは世間に叩かれながらも前向きに世間に対して活動してると思う
>133さんはそういう発言をしますが、あなたは世間に対してなにをしてるのでしょうか?
135 :
名無しさん@1周年:01/10/14 20:37
影響力がなければ、本なんて出さないでほしいわ。相手に対して自覚させる能力がなければ、読者に対して無駄な時間を費やさせてしまったことになる
136 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/10/14 20:46
クリちゃんに求めたり、2chに求めたりすると、いつか必ず
失望したり傷ついたりするのは当たり前なことなんだヨ。
>宣教師の類、瀬戸内寂○、 ひろさ○ たちは世間に叩かれながらも前向きに
世間に対して活動してると思う
プッ・・前向きに?その前向きってのは誰の判断?
自分が良いと思ったある教義への同化を促進してるだけでしょ。
別にあいつら世間に叩かれてないでしょ。ブンガクで儲けてるでしょ。
あの俗物どもは・・・
Kのファンは世間に対して何もしないよ。
世間を変える前に自分を変えよ、だからね。
138 :
名無しさん@1周年:01/10/14 20:54
何故、その様な事をするのか、心悲しき人よ。
139 :
名無しさん@1周年:01/10/14 20:54
<137
あんた冷たい人だね。世間の人を「俗物」世間を「俗世」と言うけど、
その言葉を使うってことは、あんた他人や世間を見下してるんだよ。
失礼な奴だ
140 :
名無しさん@1周年:01/10/14 20:56
<137
あんたみたいな人を世間じゃヒッキーって言うんだよ
141 :
名無しさん@1周年:01/10/14 21:05
罵りあいは、もう沢山だ。
わたしは、そんな話がしたいわけではない。
そんな書き込みを見たいわけでもない。
142 :
名無しさん@1周年:01/10/14 21:12
>>133 >意識のレベルというのが存在する。
そのレベルになければKの説くところは
しょせんわからないと思う。
わかったようなことを言う、宣教師の類、瀬戸内寂○、 ひろさ○やなど
と同じレベルに達しなければわれわれにはわからない。
彼らのレベルが上とか下ってのは誰の判断?
罵り合いが不充分だ。実にいいかげんだ。
殺しあうようなレスを付け合ってくれ
そんな書き込みが見たい。
144 :
名無しさん@1周年:01/10/14 21:14
これからも、争いやテロはなくならないだろう。142の発言を読むと
145 :
名無しさん@1周年:01/10/14 21:16
<143
いいね、笑えたよ
146 :
名無しさん@1周年:01/10/14 21:23
倒錯している。倒錯しているよ、かあさん!
147 :
名無しさん@1周年:01/10/14 21:32
クリシュナムルティスレってなぜか荒れるね
それはね,多分みんな背伸びしてるからさ、、、
148 :
名無しさん@1周年:01/10/14 21:40
子供過ぎるのもなんかね。
本当の年齢別に話できればなんとかなるのにな
あほども死ねや
さいなら!
この食堂では15分ずつ4グループにわかれてやってくるんだ。
それぞれじぶんのおきにいりの食器をもってせりふサービスするんだ。
よくたべ、よくはたらいてね。5つの動作をスムーズに行っていることを
きづきましたか?ブレードの位置の切り替えもうまいし、腹筋運動のナンバー1
はこれです。腕の位置を変えるだけで運動位置や運動量をかえることができるんだ!
これに下半身の運動を加えるとかろりーの消費量が数段アップするんだ。
ロザリーーー二人の動きをよく見てるとカロリーをいかに消費しているか
よくわかるよ。たくさんの筋肉が目をさましているのがよくわかる。
思うような結果が出ないときはワークアウトをかえてみて!!!!
152 :
名無しさん@1周年:01/10/15 01:01
153 :
名無しさん@1周年:01/10/15 01:07
ヴィパッサナー瞑想の話がでたので、面白い小ネタを1つ。
MSNで一度「自己観察」で検索かけてみてください。
自己想起のヒントがつかめるかもしれません。
京都は四方八方か困れた盆地だから。この秋お勧めの音楽情報は
立命館大学で学生生活をおこなっているくらきまいちゃん。
きがつくとほとんどの慣習がかのじょのナンバーをうたっていました。
155 :
覚悟せよ!!:01/10/15 01:46
>>1 >>実践するとなると、職を失い、生活ができ
>>なくなる可能性大です。ホームレス、のたれ死に覚悟で実践する
>>根性が自分にはないのでしょう。
職を失い、生活ができなくなり、ホームレス、のたれ死に覚悟で実践すべし。
もし、貴方に「天の恵み」、通称、運が良ければそうならないだろう。
その時の感覚は、まさに、
「有難や、天の恵みじゃ」「神が導いてくれる」
という確たる印象が残るだろう。
もし、ホームレスになったとしたら、感覚は、
「有難や、天の恵みじゃ」「神が導いてくれる」
という確たる信念が残るだろう。
どちらにしても「自己放棄」の感覚であろう。
もともと自己などどこにある。成るように成るさ。
久利ちゃんあっ俺の初恋の名前や
が拾われたとき乱抗歯やたらししねぇ
歯矯正されたり、変なもん習わされたり、陰謀のためうそだらけの
偽善の中育たれたわけだ。呪。戦う必要があたわけね。
うらんでるのかなぁ寿
157 :
クリシュナムルティ:01/10/15 03:13
ふう。
せっかく俺が何十年も繰り返し繰り返し自分を内省するようにと
みんなに言い続けたのに、結局誰も変わらなかったよ。
とほほ。
いや、荒れてますな。クリシュナムルティの教えから見返りを期待すればする程
「何も得られないと感じる」ことから来る反動で、彼の発言を無価値とみなしがちに
なるのではないの?無価値とみなすなら、そんなに彼の教えの否定に躍起になら
なくていいと思うな。成功や報酬を求めるのなら精神世界以外の所で求めたらいいの
に何故、そんなに俗に言う利益を彼から得ようとするの?既成宗教に報酬がつきもの
なのは単に、それが大切な搾取の手段だからだよ。日本でクリシュナムルティがマイ
ナーなのは、基本的に日本人が宗教には報酬がつきものだと思っているからでしょ。
神社で拍手を打って、自分の願い事を適えてもらうというメンタリティが彼の発言を
無価値とみなす主因となっていることはこのスレを見れば明白ですわ。それに彼の本
を読む人間は、「なんの特にもならんのに何故、読むのか?」と言われたら、単純に
「読書それ自体が楽しいから」って言えばいいじゃん。「楽しいから」充分な動機だ
と思うなあ。「俺はクリシュナムルティが好きだ―!!」でいいじゃん。何も背景に
高尚な理由なんかいらんし、なくて文句言われる筋合いはないんだぜ。全てのことを
いちいち利益があるから1、利益がないから0、で生きてる奴は死ぬしか手残され取ら
よ。人生そのものが利益、不利益で測定できるほど単純には出来ていないんだから。
俺はクリシュナムルティファンじゃねえけど、否定の仕方がどうも子供っぽいよ。
ここで荒らしてる奴って本当は誰よりもクリシュナムルティに期待して絶望した人間
なんじゃねえの。最初の方はまあマトモな感じがあったのに、途中から異様になった
ね。このスレ。
>最初の方はまあマトモな感じがあったのに、途中から異様になった
ね。このスレ。
あなたも何かを期待してますな(笑)
161 :
名無しさん@1周年:01/10/15 19:58
まあ、いろいろあるけど、生臭マヘーシュや
ロールスOSHOや、ふぇらサイババよりも
はるかにマシってことは確かだな。
本人の意思って意味で。
実践できても誤った道なら論外だしね。
異様とはまだまだこんなものではない、と思う。
安直な荒らしと、安易な弁護の繰り返しに異様さは感じない。
駄スレだ。
栗臭ナムルTの、「マスター」たちについて語れ!
栗臭ナムルTの、側近のかみさんとの不倫について語れ!
栗臭ナムルTの、霊能力について語れ!
もっと下らなくてまともなサイトでは見ないことを、思い切り語れ!
163 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/10/15 21:00
最高に傲慢は、最高に謙虚に通じるのか!?
最低に傲慢は、最低に傲慢でしかないのか!?
トホホ・・
164 :
(0_0)ノ:01/10/15 21:57
クリシュナの音楽が聴けるサイトがありましたらおしえてください
165 :
名無しさん@1周年:01/10/15 21:57
あんたの価値観が異様なんだよ。宗教は異様な人間を培養する
おはよう
168 :
クリシュナムルティ:01/10/16 04:38
やあ、君たち。
おはよう。
おれいま屁こいだぜ!!!!!
屁こいだぜ!!!!!!!
奇跡だあ
171 :
名無しさん@1周年:01/10/16 05:12
>>162 いいこというなぁ。
だれか、「Kの大学入試失敗」も語ってほしいなぁ。
172 :
名無しさん@1周年:01/10/16 05:15
あ、あと「Kとホモ・少年愛」も、おねがい。
いやん。
そんなにKを食いたいのか
よろし。これは自然があなたがたにおわされたことでしょう。
174 :
名無しさん@1周年:01/10/16 05:34
砂浜で遊んでた美少年Kは、イギリス人先生にくわれてしまったのです。
175 :
名無しさん@1周年:01/10/16 05:41
Kの初体験は男のほうが先。
きゃぁ。
やっぱ清原は阪神で燃えてほしい
誰か俺と初体験せえへんか?
178 :
クリシュナムルティ:01/10/16 05:52
君たちにはとても実践できそうにないね。
もうおまえらええわ。もうしゃべらへん。
水浴びしてくるわ
よっ。
ベイベイおれをしんじてくれ。
唇から爪先までしあわせにしてやるぜぇーーーーー
いあえぃーーーーーーーーーー
ファンタスチック。おーーーめれめーーーおーーーめんめーーー
あふれるーーーこのめねめ。太股あらわに!!
さあここで重大発表。クリシュナムルティのヌード写真があるらしい。
おんなはみただけで、いくらしい。
182 :
名無しさん@1周年:01/10/16 08:06
このスレを見て、自己の反応を見つめるのも、また「自己凝視」なのかも
知れない・・・・・・
>160
>あなたも何かを期待してますな(笑)
誰が、こんなスレに期待するんだ。スレって1次第で名スレにも駄スレにもなるん
だ。このスレはお前の内面の反映みたいなものだ。お前の力量がこの程度であるから
このスレもこの程度なんだ。1がマトモならそれなりの意見も出せるからマトモな
奴が集まるんだ。お前が中途半端だから、それなりの匂いを嗅ぎ取って普通の奴まで
典型的2ちゃんねら―に変化してこのスレを煽る。このスレを煽っている奴が他のス
レでもこうだと俺は思わない。きっと他のスレや板では丁寧なレスしたり、ちゃんと
議論したりしているはずだ。そうだろ?>煽ってる諸君!全然興味はなかったが、こ
のスレに別の意味で興味が出てきた。また来る。
まちがいなくkのレスは1番のビルでしょう。
185 :
名無しさん@1周年:01/10/16 11:39
>183 おもろい。「他者は鏡」とな。
ふだんはおれは炭疽菌スレッドを追いかけてるよー。
>>1 あんなんできねえよ、は正しい。Kの教えはエリート的過ぎるとの意見を聞いた
ことがある。いきなり実践から何かを見出すなんてできない相談。
ただし、だからと言って彼がすごいことを言っていることは否定できない。
自分が生きていく中で、Kの触れた真実(?)を少しでも味わえたら奇跡だと
思う。無理だとわかっていても、そういう高み(?)があると思えばつらい
人生も乗り切れるかも。ははは、これ冗談。
187 :
名無しさん@1周年:01/10/16 13:58
>>186
クソ亀レスやめろ。
しかもクソつまらない。
場の雰囲気が読めない典型的な病人だな。
>>187 亀レス失礼。楽しく盛り上げるのは苦手なんで。ROMっていよう。
うかつなことは言わないでおくよ。
>>1 否定ばっかりしてたら、ひきこもりになるばかりだ
>>46 クリシュナムルティも断片に過ぎないからですよ
>>57 愛は求めるものではなく。与えてやるものだ
いいですね、この言葉
>>61 「出るように自由にさせてやる。」
しかし、自由にさせてやるには、恐怖を伴う。そこで自分の殻をぶち破るか。それとも引き返してしまうか。
その人の意志にかかっている
>>78 トラって何のことですか。説明してもらえれば有り難いです
パズルや精神の迷宮
にばかり夢中になってくれるな。
>>81じんきちさんへ
自分は世界であり
世界は自分である
↑この言葉をもっと詳しく説明してもらえないでしょうか。
199 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/10/16 22:05
神秘とは共有できないものなんだよ〜〜(笑)
揚げ足、ひやかしは当たり前!
>>82 「全くこのスレ自体の流れをよんでいない」
↑
このスレに流れもクソも無いと思いますが。
それが、クリシュナムルティ
196さん。山月記っていう小説です。内容はある高官が高潔であろうとあまりにしつづけた
ために、気が触れて人を襲う虎になりその虎とかつての友人がばったり遭遇し
もろもろの会話が交わされるという物語です。(いいかげんな説明ですが)
198さん。ものを解釈するときにすべて自分の見たこと聴いたこと感じたこと
など経験したときの記憶や習慣から物事を思ったり解釈しているということです。自分という概念
だって教えられたものでしょ。そういうことで世界は自分であって自分は世界で
あると・・・おもったわけです。
>>201 ごんぶとさん、返答どうも、ありがとうございます
199
共有できる!確実に共有できる!できないのはその神秘のレベルが浅いからに他ならない。
205 :
名無しさん@1周年:01/10/18 11:58
206 :
名無しさん@1周年:01/10/18 12:03
童貞のジャックが結婚した。
初夜を迎えたが、何をどうすればいいのかわからない。
母親は心配になって、ホテルの二人の隣の部屋でじっと聞き耳を立てていた。
事を始める前にシャワーを浴びることにした。まずはジャックが先に。
その間に花嫁はもよおしてきたが、シャワールームにはジャックがいる。
仕方が無いので彼女は帽子の箱に大きい方をした。
ジャックがシャワールームから出てきて、今度は花嫁がシャワーを浴び始めた。
落ち着かなくて部屋をうろついたジャックは何だか臭いことに気付く。
あちこち探し回って見ると、なんと花嫁の帽子の箱に糞が入っているではないか。
思わずジャックは叫んでしまった。
「うわ!糞だ!ここは糞だらけだ!」
同じ頃、ジャックの母親も隣の部屋で叫んでいた。
「ジャック!そこじゃないよ!そこじゃないんだよ!」
205
確認する方法。それはコミュニケーションだよ。ある種のコミュニケ―ションを図る事で
しっかりと確認できるんだ。このレベルでの付合いになれば、深い部分からの信頼で支えられる。
208 :
名無しさん@1周年:01/10/18 15:31
209 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/10/18 19:35
自分の言葉、自分の動き、自分の感覚、自分の風、自分の空気、自分のいろいろ・・
「自分の」でありながら、絶対に所有できないあるもの。
そういえばクリちゃんは天真爛漫さを説いていたっけ。
210 :
名無しさん@1周年:01/10/18 20:26
「独り言をぶつぶつ言うスレ」に認定。
格好つけるな!
分からないことは分からないと認めろ。
素直に質問することだ
そこから、真の理解が生まれる
212 :
名無しさん@1周年:01/10/20 05:06
>>207 抽象的過ぎ。
「ある種のコミュニケーション」って何?
「このレベル」ってどんなレベル?
「深い部分」ってどの部分?
君の実体験とその相手かたの証言を希望。
まじで。
213 :
名無しさん@1周年:01/10/20 05:10
つーか、
>>207がこれ出来たら宗教開けますYO!
214 :
名無しさん@1周年:01/10/20 05:41
Kの人生の前半について語りたいんだけどなー。
それは、過去の経験に依る。同じ夢や、目標を目指し、その為に一緒に闘ってきた
者とは、言語や表層に依らない信頼をベースにしたコミュニケーションが成り立つ。
勿論、誰とでもと言う訳にはいかないが。
しかし、こういうコミュニケーションがなければ、人生の意味など半分閉じられた
ままだろう。個人的には特別な関係でも、人間のコミュニケーションとしてはごく
当たり前のものだろう。抽象的でも、これだけ書けばわかるだろう。
宗教など関係なく、誰にだってある友人や仲間というのはこういうものに依って支
えられているはずだからね。
216 :
名無しさん@1周年:01/10/20 07:50
あれ?Kの言ってたことってこんなことだっけ?
>それは、過去の経験に依る。同じ夢や、目標を目指し、その為に一緒に闘ってきた
>者とは、言語や表層に依らない信頼をベースにしたコミュニケーションが成り立つ
どんなに愛を確認しようが、どんなに同じような経験をしようが他者の心はわから
い。一瞬、一瞬人間は、変化、修正をしながら生きているので、こちらが作り上げた
他者のイメ―ジは必然的に常に過去のものとなる。他者のイメ―ジと他者自体の乖離
を見たとき人は「裏切られた」と感じる。ここで注意しなければならないのは他者の
イメ―ジと他者自体で、特に前者に執着していた場合に「裏切られる哀しみ」は深い
ものとなるということである。他者への執着そのものが根本的に知覚を歪める作用が
あるのである。「愛着感情」という非常に断片的な視座でしか他者と関係を持てない
からである。「他者のイメ―ジ」を持ってコミュニケーションに望むのは、実に危険
であるし十全たる意味においてはコミュニケーションとは言いがたい。それは言うな
れば「自分の知覚した他者イメ―ジの確認作業」である。このような、基本認識を
踏まえると「信頼を信頼をベースにしたコミュニケーションという言葉を適切に表現
し直し「信仰を信頼をベースにしたコミュニケーション」とするべきである。他者は
あくまで他者だ。心は見えない。心は量的に計算できない。このことをきちんと認識
し、それでもあえて「理解しあえない」と言わないのが作法であって、その作法を無
視し「理解しあえている」事を無理やり前提としてしまうのは野卑な振る舞いであり
そのような行いは必ず悲嘆へと行き着く。イメ―ジは事実ではない。経験は断片的な
事実である。言葉は定義するものが各自異なる。人生に意味を求めることは意味の否
定である。さ、クラブに踊りに行ってナンパでもすっか。
>「信仰を信頼をベースにしたコミュニケーション」
↓
「信仰をベースにしたコミュニケーション」
ごめん間違えた。
おんな探しに行ってくる!
219 :
クリシュナムルティ:01/10/21 06:10
やあ、おはよう。
220 :
名無しさん@1周年:01/10/21 07:23
>どんなに愛を確認しようが、どんなに同じような経験をしようが他者の心はわから
い。
そう、「他者」の心は永遠に分からないでしょう。
しかし私たちはお互いに「他者」ではありません。
同じ意識を共有しているのです。
Kはそう言っていませんでしたか?
221 :
名無しさん@1周年:01/10/21 08:30
半々くらいでしょう。
サイババ
サイババは神だからなあ。完全なるコミュニケーションや、完全なる相互理解が可能で
あるという前提のもとに発言しているとしか思えないよ。
そんなことを人間が考えても、自分自身さえ100パーセント理解するのがままならな
いのが現状なのに、そういう非常に現実的な視点に立って少し考察すればサイババの言
うような100パーセントの相互理解やコミュニケーションなど、最初から期待しない
はずだと思う。
人間は、常に自分自身にさえ失望し、裏切られる可能性は有る訳だから、そのことに拘り
過ぎれば、イザという時に自分を支えてくれる自分自身に対する信頼すら疑問になって来
てしまうのではないか?
人生には、厄介事や、問題がいつ噴出してくるかもしれないというリスクは常に有る。そ
れに対し、夢や希望、理想などは現実化するのが難しい。これが現実的な視点。
そういうことを踏まえて、自分が何処に向かっていきたいのか?これを自分自身で確認す
るのが重要だよ。
私自身の経験からすると、自分自身との関係がスムーズな時は、他者との関係もスムーズ
になりやすく、反対の状態では、他者との関係もギクシャクしてくる。
私の物言いは、他者に対して言い放っているのじゃない。私自身さえ、自分自身の人生に
から、謎謎をかけられた人間だからね。
223 :
名無しさん@1周年:01/10/21 19:14
過去に引きずられてしがみつく
性格のだらしなさ。
過去の経験に過剰に意味をつける
あまりしつこく原因を調べることがかえって何か意味付けをしてしがみつく原因になる恐れあり
ただそれだけのことだと気づくこと
224 :
名無しさん@1周年:01/10/21 19:15
そうか?
225 :
名無しさん@1周年:01/10/21 19:37
>さ、クラブに踊りに行ってナンパでもすっか。
>おんな探しに行ってくる!
わざわざ余裕みせんでもええのに
>220
>「Kはそう言っていませんでしたか?」
なんて言われても困るよ。あいつ神の化身じゃないじゃん!化身はインドで俺だけだ
よ。(神の化身>人間)だよ。俺のほうが論理云々より正しい。だって≪神≫なんだ
から。有無を言わず私の言う事を鵜呑みにしなさることじゃ。
>サイババの言うような100パーセントの相互理解やコミュニケーションなど、最
>初から期待しないはずだと思う。
そんなこと言ってないじゃん!あなた真面目だね。ナンパの醍醐味はね普段話す機
会のない女と話すことで、現実の不条理さ、不透明さ、個々間の現実認識の差異に気
がつくところかな。ナンパ男の仮面をかぶる事で女が世間体の仮面を取る。そして虚
飾なき本音を語る。そこで出会った女の社会的側面は俺は知らん。でもお互いの下司
な本音は知っている。それでね、日常的にふと真面目な顔をして街を歩くお互いに出
会うわけ。そいつが教師だったり、保母だったりするわけじゃん。そうするとね、以
外と真面目な話を一緒にしたりすんの。俺が「子供の心はどうなの?」なんて聞いた
りしてさ。なんかさ、人間の認識で、カント君の言ったことば「対象が我々の認識に
作用するのでなく、我々の認識が対象に作用する」がよく分かるよ。204君。今度
聖灰プレゼントするから、ダルシャンにおいで。ちょっと真面目すぎるよ君。
>225
>わざわざ余裕みせんでもええのに
昨日、全くナンパしなかったよ―ん。
男二人でAVかりて、相方は彼女の元へ帰り俺はひと
りでエロ本を見てたよ。
ところでナンパは余裕の誇示になるのかね?知らんかった。俺恥ずかしいから
知り合いのおらんとこでやるのに。
228 :
名無しさん@1周年:01/10/21 20:19
>>226-227 >ちょっと真面目すぎるよ君。
って他者の心はわからないんじゃなかったの?
まあ僕にもあなたのことはわからんけど。
あなたが本当のサイババだったならすいません。
>228
真実のサイババだよ。サナザナダルマ!
物質化現象!空中浮遊!愛!真理!
230 :
名無しさん@1周年:01/10/21 23:58
天地!真理!
231 :
名無しさん@1周年:01/10/22 00:41
ぼくにもビブーティーください。
232 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/10/22 21:07
内観はいいぞ。
たとえ健常者であっても。
とりあえずこれだけ・・
kの教えに卒業はありませんよ。書庫に並んでるなかの何冊かの
本にすぎませんが・・何何すべきだといえるのは
注意力をもつこと→だけだとたしかいってましたね。その結果として
おのずから判断がうまれるのであって、それが英知だと
だれでもやってることやけどね。雲の流れをみつめるのも顔を
洗うのも受験勉強するのも等しく瞑想だそうです。パソコン覚えたり
するときには論理的手法はもちろんひつようですが、だそうです。
このスレも下火になってきましたね。
234 :
クリシュナムルティ:01/10/23 06:27
おはよう、みなさん。
235 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」 :01/10/23 07:30
あるがままに見るには「コツがある」と語っていたクリちゃん。
時間をかけないというのもそのひとつです。説明無用。
236 :
名無しさん@1周年:01/10/23 07:58
なんかおもろないな、このスレ。
ちょっと前のクリシュナムルティスレほど
盛り上がらんのはどうしてかな?
237 :
名無しさん@1周年:01/10/23 08:48
マジメに語ると面白くないのさ、クリシュナムルティは。
自分の醜い部分を批判的に見つめろってことだもんな。
こんなつまらねえ作業はほかにねえよ。
238 :
名無しさん@1周年:01/10/23 09:54
あるがままに観るコツは、何回も読み返してると
ちょろちょろ出てきます。だからって理解はできませんがね。
草木や雲を見つめるのもその流れの一つでしょう。
239 :
名無しさん@1周年:01/10/23 12:07
Kのことばかり語っても堂々巡りではないか。彼は世界をあるがままに観るよう
説いたんではないの? 不満に苛まれる心、自分を認められないあせり、未知の
物事への恐怖、それらもすべて静かに受け入れてみようじゃないか。ねえ。
240 :
クリシュナムルティ:01/10/24 08:02
おはようございます。
今日はなんの話をしましょうか。
おにいちゃん。おはよう。
242 :
メアリールティエンス:01/10/24 08:07
くりさん。おはよう
おはようございます。先生!
固いお豆腐!ってなんですか?
245 :
名無しさん@1周年:01/10/24 14:04
娯楽としてクリを読むのと、実生活に役立てようとしてクリを読むのとでは大違い
サイババ
やはり神は言う事が違う。真面目過ぎるのはいけないかい?オレは聖灰は遠慮する。
自ら真実のサイババだなんて言っても、オレはウソでもホントでもサイババなんてどう
でもいいんだ。
モットもらしいこと言ったり手品をやったりしているがイカサマ師だろう?オレはそう
思うんだ。騙されたい奴だけ騙されればいい。オレは自分の力で生きる。聖灰は欲しい
奴にやってくれ。
247 :
名無しさん@1周年:01/10/24 20:02
248 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/10/24 21:15
ドフトエフスキーがシベリアの氷原でキンタマ火鉢しながら強制労働させられててさ、
ほかの奴らは疲労困憊しながら絶望の淵の苦しみに喘いでいたのにだ、彼だけ心身が
急速に充実してきたというのは、いったい何を理解したからですかぁ?
「・・・煉瓦を運べば運ぶほど、生きていることが何だか面白くなってきた。それから
次第に、私は生の賛美者になってしまった・・・」
249 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/10/24 21:17
ヘレン・ケラーが「水」を知ったときのように、不意の実感があったときしか分から
ないってことなのか?その他はみんなクソデスヨ!?
250 :
名無しさん@1周年:01/10/24 22:40
251 :
名無しさん@1周年:01/10/24 22:45
>>248 肉体労働はね、頭の中をデフラグしてくれるんだよ。
252 :
名無しさん@1周年:01/10/24 23:01
ドストエフスキー並みにひねくれたやつがいるね。
どうせならもっとひねくれて一回転して
ドストエフスキーの境地に達観したらどうかね。
中途半端な皮肉屋はイタイだけだよ。
253 :
名無しさん@1周年:01/10/24 23:06
ドストエフスキーがマゾだったからでしょ。
254 :
名無しさん@1周年:01/10/24 23:29
>204
>自ら真実のサイババだなんて言っても、オレはウソでもホントでもサイババなんて
>どうでもいいんだ。
嘘ではないよ。ただサティア・サイババではないだけだ。神といってもモ―ニング
娘の加護を≪神≫という奴がいるだろ?そのレベルで俺は神なんだ。ちなみに半角
板ではナイスなエロ画像をupした奴を神という。実は俺は半角板に舞い降りる≪神≫
なんだ。俺の言う聖灰はその実、単なるエロ画像に過ぎない。
>モットもらしいこと言ったり手品をやったりしているがイカサマ師だろう?
その通り!教えも何もかも全部、嘘だ。サティア・サイババはね。俺はいかさま
ではなくいかしたエロ画像を送る。だから俺をサティアと同じにしてもらっては困
るよ。俺は人を騙したりしない。きちんとエロ画像をupするしね。
256 :
名無しさん@1周年:01/10/25 02:20
>>255 神よ!我に厨額聖の神秘なる雅象を与えたまえ!!
諸刃目胴我を与えたまえ!
キーボン!!
やあ。おはよう。寒さに耐えてがんばろう。
258 :
名無しさん@1周年:01/10/25 09:43
真の知識とは言葉を知ることより
どう行動するかを知ることである。
断固として行動すべきである。
「言葉を知る」ことより
「どのように行動するかを知る」
ことである。
259 :
名無しさん@1周年:01/10/25 10:30
高校の時に、自転車から転げ落ちて、右手骨折、左手ひび割れという、かなりの
悲惨的状態になり一ヵ月半ほど入院しました。左手は、右手に比べれば、程度は
軽いのですが、事実上両手が使えない状態でした。下半身は全然健康体であったのに
両手が使えないため、トイレには最初から看護婦さんがついてきました。もちろん
ズボンも自分で脱げないため、看護婦さんに脱がせてもらい、あそこをつままれて、
小便して、終わると、また入れてもらうという事を半月ほどしてもらいました。
下半身は元気なため、最初の日から、びんびんに反応してしまいました。しかし、
最初の看護婦はまじめなのか、平然と仕事のように作業する人でした。結局この
看護婦には最後まで、期待したことはしてくれませんでした。ところが、二人目の
看護婦とトイレに行った時の事です。もちろん勃起しましたが、最初の看護婦の
こともあり、仕事的に対処されると思っていました。ところが、びんびんになった
ところで、無言でしごいてきました。こっちもどう反応してよいかわからず、
そのままの状態で、最終的に発射しました。便座やその周りに飛び散り、かなり
の量が出ました。すると、看護婦がいきなり怒り出して、「誰が出していいって
言ったの?これ、誰が拭くの?」と言ってきました。ずっと黙ってまま、その場は
終りました。さらに、3日後の夜、その怖い看護婦が夜勤で僕のベッドの所にきて
体を拭きはじめました。あそこも拭いてきて、勃起していると、また無言でしごいて
きて、いきそうになったので、「出してもいいですか?もう、いきそうなんで
す。」と言いましたが、返事をせずしごきつづけたので、とうとう爆射してしまい
ました。するとまた、「誰がいっていいって言った?」と怒ってきて顔を叩かれ
ました。こんな暴力看護婦がいるとは思いませんでした。ちなみに、この暴力
看護婦は、強烈なブスでした。でも、いかされてしまうこの悲しさを思い出した
今日この頃です。
サイババ
聖灰ってエロ画像のことだったのかい?
だったら最初からそう言ってくれよ。頼むからさ。
でも、どちらにしてもオレはいらない。
欲しい奴にやってくれ。
ついでにレスもいらない。
欲しい奴にやってくれ。
かき乱されることは理解に不可欠であり、
そして安全を発見するためのどんな試みも、理解への障害物です。
かき乱している何かから免れたいとき、それは確かに障害物です。
私たちが感情を、それに名づけることなしに、
直接に経験することができるなら、
その中にたくさんのものを見出すことができる、と私は思います
経験者が感情、経験を言語化するかぎり、
自分自身をそれから分離し、それに作用するのです。
そのような行為は、みせかけの、まやかしの行為です。
しかし、何の言語化もないなら、
そのとき経験者と経験されたものは一つです。
その統合は必要であり、徹底的に直面されるべきです。
263 :
名無しさん@1周年:01/10/25 18:38
264 :
名無しさん@1周年:01/10/25 19:11
263
アー――ッと驚く!
265 :
名無しさん@1周年:01/10/25 22:02
貧乳です。
266 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/10/25 22:30
ヒクソン・グレイシーが来日の折に、まだ雪が残ってる春先の安曇野の渓流で季節外れ
の水遊びしててさ、次第に皮膚の感覚がなくなって、なんと死ぬ直前まで川に浸かって
いたらしい。しかもご本人はちーとも寒くなかったというじゃないか。
川から上がって程なく感覚が蘇ってくるや一言、「腕が生まれかわった!ガオーッ!」
熱汗熱血ほとばしる所の自然の欲求であろう。門外漢の窺い知れぬココロに、感動した!
いわゆる「暑さ」「寒さ」とはいったい何なのであろう!?
267 :
名無しさん@1周年:01/10/25 22:33
暑さ寒さってのは人生のいいスパイスになってんとちがうやろうか。
おれは水浴びが好きなんだけど、冬になるほど気持ちいい。とりあえず頭
まっしろになるし。ヒクソンだってさあ寒いからくそーーーーって水につかってるん
じゃないの。寒さがきえるまで。
269 :
名無しさん@1周年:01/10/26 00:26
スパイス程度の熱さ寒さの体験、それがぬるま湯人生。
たしかに釈迦は暑さと寒さと飢えと渇きに耐えてただひたすらまっすぐあゆめと
いってるね。
271 :
名無しさん@1周年:01/10/26 02:26
言うだけなら糞にでも言えるぜ
暑かったらへたばり、寒かったら凍えて、飢えと乾きに苦しみ
人を恨み神を呪い己を憎んでよろよろ歩け!
ってゆうか倒れて這いずれ!!
なにいってんだよ。克服しようとするのが自然でしょ。這いずってもしかたない。
っていうか、自己欺瞞。おおうそつき。あんたは自分にも人にも攻撃的すぎる。
悪循環をすすめてどうすんの?上みてるから攻撃的な感情が湧いてくるのとちゃうか?
↑にしてもさ。おれはこの釈迦の言葉すきだよ。
273 :
名無しさん@1周年:01/10/26 11:05
>克服しようとするのが自然でしょ
あるがままに受け入れよ、というのがクリシュナムルティの教えでは?
>>271の方が彼の言っていることを理解しているようだ。
274 :
ベーシック:01/10/26 11:48
ばんこは私の立てたスレで「死ねええええええ」とか言うのは何故?
わざわざ来て「死ねえええええええ栄」はないでしょう。
おまえらほんとばかじゃねえか
死ね
>274おまえ自意識過剰
じゃあおまえら暑さ寒さきえるまでやろうじゃねえの
ばかどもともども
278 :
名無しさん@1周年:01/10/27 07:39
心がどんな方向であれ安全を求めているかぎり、
それが名前、家族、地位、徳を通じてであれ、
あなたが望む何かを通じてであれ、
苦痛は続くに違いありません。
それが蓄積してきたすべてに対して、日々、瞬時瞬時、死ぬ心だけが、
真実が何であるかを知ることができるのです。
279 :
名無しさん@1周年:01/10/27 07:43
280 :
名無しさん@1周年 :01/10/27 13:02
204って結局、論証せずに逃げただけじゃないか。結局、自ら神秘は共有できな
いって認めてしまった。反論者の言っている事に有効なレスをせずに最後は結局
逃げただけ。なんの論証もできないくせに神秘について
>共有できる!確実に共有できる!<
なんて言い張るんじゃない。そういうのを電波って言うんだよ。こんな人間がいるか
らカルト宗教が栄えるんだよ。自分の意見に反証が出たら論点を微妙にずらした反論
をする。そして最後には逃げる。不真面目もいいとこだよ。204みたいな奴がいる
限りカルト宗教は無くならないよ。文句あるんなら神秘の共有の可能な事の証明につ
いての論証をやってみろよ。根拠も証明も出来ない事をさも真実であるかのように語
るのは典型的なカルトの手口じゃないか。
281 :
名無しさん@1周年:01/10/27 17:04
その通り---------------------------
282 :
名無しさん@1周年:01/10/30 19:48
┏━━━━━━━━━┓
┃┌──────┐□┃ ザーーーーーーー
┃│=-_~-=-__=~ 2 | ◎┃
┃│~~_-==~-==~_ | ○┃
┃│_~_=~_=--~_=~__ | ┃
┃└──────┘■┃
┗━━━━━━━━━┛
// \\
// \\
// \\
 ̄  ̄
∧ ∧
( ) ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ | ( ) < 終了か?
〜(___ノ (____) \________
283 :
クリシュナムルティ:01/10/31 06:50
おはようございます。
クリシュナムルティは、インチキくさい
285 :
クリシュナムルティ:01/11/01 06:58
おはよう、みなさん。
もう朝は寒いですね。
286 :
ベーシック:01/11/01 08:12
ばんこ
キミはパラノイアか?まあいい。元気でな!
287 :
名無しさん@1周年:01/11/01 21:08
荒れてるな。ここ。
だれかクリシュナムルティの生涯を簡潔にまとめてくれないかなぁ。
もうすこしくわしいことを知りたいので。
ありがとう。
失言失礼しました。ほんとに。
なげやりなんです。最近ね。>ベーシックも元気でがんばってくらさい。
289 :
名無しさん@1周年:01/11/02 10:57
思考は、時間の産物ですが、決して初めも終わりもないものを見出すことができませんし、
時間を越えたものをけっして知ることができません。
私たちの考えることの性質そのものが矛盾なのです。
なぜなら、私たちは過去の、
あるいは未来の観点から、つねに考えているからです。
したがって、私たちは現在をけっして十分に知らないし、
十分に気づいていないのです。
290 :
名無しさん@1周年:01/11/02 11:00
自己は私たちの日常の話し方の中で、
私たちが考え感じる仕方の中で、
私たちが他の人を見る見方の中で理解されるべきなのです。
私たちがことごとくの思考、
ことごとくの感情に、瞬時瞬時気づいていることができるなら、
そのとき私たちは関係の中で自己が理解されるということがわかるでしょう。
そのときのみ、その中にだけ根本的な実在が生まれ出ることのできる
心のあの静穏の可能性があるのです。
わけのわからんことかくな?だれもしつもんしてません。
しばきあげたいだけです。あなた。
292 :
名無しさん@1周年:01/11/03 05:02
293 :
クリシュナムルティ:01/11/03 09:04
おはようございます。
まだまだ書くよ
295 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/11/04 20:23
クリちゃんのどこがインチキかって、本の表紙とかに書かれてるコピーがまずインチキ臭い。
「瞑想は言葉の終わったところからはじまる」って、こんな感じで”出来上がっちゃった”
ものはまずインチキと見て間違いない。きっとそうだ。
そうだ、そうだ
297 :
かわりばんこ:01/11/05 03:33
写真で見た彼の澄みきった目は・・・・・・・
298 :
クリシュナムルティ:01/11/05 05:14
おはよう。
299 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/11/05 21:12
お天気キャスターが「今日は肌寒い一日になりましたネ」なんて、でっち上げられた
感覚をお茶の間のみなさまと共有しようと企んでるのを見るにつけ、なんとなく溜め
息が出てしまう今日この頃。できることなら専有してみたかった・・・なんてね。
300 :
名無しさん@1周年:01/11/05 23:14
>>297 そうか?夢想に潤んでいる目だと思うが。
我はブラフマンの化身なり
BMとはブラフマンからなずけました
私は瞑想中によく神霊をみます
すべてのエゴと欲望を捨てた修行者です
>301
インターネットに接続して、こんなことを書き込む動機は十分欲望的だと
思うがな。ギャグ?
303 :
かわりばんこ:01/11/06 02:00
たしかに蝶でもとんでるのか?っていう目してるね。
304 :
クリシュナムルティ:01/11/06 05:31
おっはー
どー―――――――――――――――――――――――――――――――――――しても分からん。
欲望は一旦捨てても、また拾えるということですかねえ。
クリちゃんがクリちゃんという名で呼ばれ、クリちゃんとして出来上がってしまった瞬間から
クリちゃんの堕落は始まる。クリちゃんはクリちゃんを捨てて一からやり直すべきである。
それが不可なら、みんなのクリちゃんとして演じ切っていくほか道はない。演じるだけなら、
出来上がってることが却って都合がいい。
ちなみに、クリちゃんが実際どうであったかは定かではない。
308 :
名無しさん@1周年:01/11/07 21:16
欲を捨てるという考え方をもってくるあたなの欲はどこから来るのか?
それになんの意味があるのか。
それは、あなたの単なる性癖なのか。
309 :
クリシュナムルティ:01/11/08 03:02
こんばんわ。
310 :
名無しさん@1周年:01/11/09 00:38
この2、3日、やけに冷え込むなぁ〜
世の中不景気で、おかげで仕事は減るし・・・Butsu Butsu・・・。
きっと今年のクリスマスや忘年会は、滅入ってしまうほど地味だろな。
しかし今回のクリシュナムルティスレは盛り上がってないな。地味だな。
クリシュナムルティのスレには前々から参加してるから、淋しいな。
クリシュナムルティは、理屈抜きで好きだな。
あーだの、こーだの抜かす奴は、わかってねぇんだと思うんだな。
じゃお前はわかってるのか?って反問されるだろけどな・・・。
そこを指摘されちゃミもフタもねえよ、
面目ねぇが、俺が好きなものを好きといって、どこが悪い?
何か文句あっか?ってことになっちゃうんだよね。
指摘ばかりしてるとか、同じこと繰り返しているだけとか、
否定ばかりしているニヒリズムだと思っている奴は、
まだまだ読みが浅いな。彼はその否定さえも否定しているじゃん。
否定の否定は、肯定になるから・・・結局はあたりまえに戻っている。
結局あたりまえに生きることって難しいってことだろ?
君たちは、あたりまえに生きてねぇって云われてるんだろな?
それが分かるだけでもすげぇいいのだ。超俗的だよな。
つまらん拝金宗教やるよりマシ、ウヨだのサヨだのって
イデオロやイズムに腐心するよりマシ、
いまさらプロパガンダもなかろうが・・・、
一切宣伝しなくても、ここまで求心的な存在になるのも希有だよな。
誰にも押しつけないし、傷つけないし、その点でもご立派だよ。
類い希な生き方を実践しただけでも学ぶべき点は多いな。
現代を生きた人間で、他に類例があるなら、誰か教えてくれないか?
俺はこれまでクリシュナムルティしか知らないから、
俺の勉強不足だろうが、この点、よろしくということで・・・
バグワンとかサイババとかはお願いだから抜いてね。
312 :
名無しさん@1周年:01/11/09 14:12
!そうか!欲望は捨てながら拾えるんだな!!!
313 :
名無しさん@1周年:01/11/09 14:13
右手で捨て、左手で拾う。それが欲望だー!
314 :
名無しさん@1周年:01/11/09 17:41
>否定の否定は、肯定になるから・
全然解っていない。その肯定も否定する。
ニヒリズムの自慢大会かい?
これがクリの功罪だよ。
さて、クリをどうやって応用していこうか。
316 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/11/09 23:08
たとえクリちゃんは絶対だと信じきってしまっても、○○に比べれば危な気がないと
いう点ではいくらかマシってのは確かだろう。しかし、危な気がないただそれだけ、
と言えばそれだけのような気もする。
クリシュナムルティズムってゆーか、姿かたちを変えただけで、人間の本質はイズム
であるかのような矛盾に陥ってしまうのも確かってわけだ。
で、その確かで思ったんだが、例えばそのイズムっていうのは自己の内にあるものな
のか?外にあるものなのか?
イズムというのは確かなものなのか?不確かなものなのか?
確かなもの(=絶対)というのは自己の内に求めるものなのか?外に求めるものなのか?
絶対というのは「自」において見出されるべきものなのか?
「他」にかかずらっている限り絶対なんてものは見出せないのか?
その限りではクリシュナムルティは永遠に「他(=あなた)」であり続けるのか?
といった疑問とも向き合わなけりゃならん気がした。
少なくともクリちゃんに対して多少の拘りを持つクリシュナムルティストなら、その
疑問に対してある程度は察しも付くはずだろうけど、その察しはいわゆる出来上がっ
たものだから所詮インチキにすぎないとも言える。
そこで、「もうそろそろクリちゃん読むのやめませんか。」という話に突然なったり
する。知る前に知ってしまったり、答えを知ろうとするのはストレス溜める一方でや
っぱり体にもよくないと思うんです。
で、ここで言い方を変えてみる。
いつ確かなものが飛び出すやもしれないそんな不確かな自分を抱えながら、人知れず
それに向かって思い切って踏み出す最初の一歩。その一歩が「宗教」のような気もす
るんですよね。
>>316 をいをいオレの大師匠のことを「クリちゃん」だなんて気安く呼ぶのは
やめとくれゃ・・・コチとら気が短けーんだぉ・・・怒怒怒。
で、自慢じゃねぇが、オヌシと同じで、オレも頭少し足んねぇから、
そんな難しいこと聞かれても、さっぱりなんだぉー。
> イズムっていうのは自己の内にあるものなのか?外にあるものなのか?
コレハ、その両方であり、どちらでもない、ノデハナイデショウカ?
> 絶対なるのは自己の内に求めるものなのか?外に求めるものなのか?
そもそもその自己なるものが存在していればの話しだな・・・コレハ
これは所詮インチキ答弁だから、マジで反問してくるに及ばんYO。
> いつ確かなものが飛び出すやもしれないそんな不確かな自分を抱えながら、
> 人知れず、それに向かって思い切って踏み出す最初の一歩。
うぅーーー泣かせるぜ、特に「人知れず」ってトコ。
意地らしくて・・・浪漫さえ感じさせるな。オレの名言集にいれとこ。
318 :
クリシュナムルティ:01/11/10 07:07
オハヨウ。
319 :
そうでしょう:01/11/10 17:49
クリシュナムルティの教えは、物心両面で満たされた人生を送ってる人が更に
精神的探求に向かうのにはいいんじゃないでしょうか?
320 :
名無しさん@1周年:01/11/10 18:06
そうですね、人には精神的にも物質的にも段階があるようですし
人それぞれに合った精神の精神の模索というのは確かに有るのに。
でも、その人それぞれの段階があるということを
認めるには苦痛や反感がある人もいるのかもしれない。
デモ それを見つめ直す事から自分の精神の成長も始まるのかも
しれないのにね、(しかし無理は禁物なのだ)
一歩、一歩ですね
深夜になると、どんどん冷え込むなぁ〜
ウチんところの会社、暮れまでモツかなぁ〜?
年明け早々、失業なんてシャレにならん
いまさらジタバタしてもはじまらんが・・・
この際、転職するかな、転職、
そうだ!印度へ行こう!
印度へ行ってクリシュナムルティに会いに行こう!
え? もう死んでる?
おぉーーそうだったな、また一つ巨星墜つ・・・合掌!
勧誘された。もちろん宗教にである。
「あなたの為を思って・・・」とその人はいう。よけいなお世話である。
まがりなりにもこっちは「クリちゃん歴10年」のベテランである(笑)
勧誘する相手を間違えてるとしか言いようがない。
思いがけず口をついて出てしまった。
「間に合ってます。」
323 :
名無しさん@1周年:01/11/13 02:50
今日久々AV借りにいきました!!ヤター!と思ったのもつかの間
棚の前で品定めの至福の時間を楽しんでいた俺のすぐ横にカップル出現。
女の方は少し居づらそうにあたりをキョロキョロ。
来るんじゃねーと心の中で叫んでいると、
突然女の方が、びくん、と体を震わせたので、なんだ? と思っていたら、
ヴイイイィィン……ヴイイイィィン……と女自身から怪しい音が……
その後その女、小走りでAVコーナーから去っていった。
俺、不覚にも勃起完了。
で、後になってよく考えてみたら、携帯電話のバイブに決まってるじゃん。
独り者の哀しい妄想。
324 :
クリシュナムルティ:01/11/13 05:16
おやすみ
326 :
名無しさん@1周年:01/11/14 05:09
私たちが最初に望むことは一歩歩むことのその並外れた始まりなのです
政府はあなたが考えることを望みません
時間を通じては、始めも終わりもないものを決して見出すことができません。
「言葉にメロディーがつけば非日常になる」と、作詞家の阿久悠がテレビで語って
たもんだから、この世のありとあらゆるものが実はコトバの塊であるとするならば
だ、日常の何気ない営みにも必ず非日常を見出すことができるじゃないかとふと思
ってしまった。
つまり「メシ食うのもクソするのも神秘でありリズムであり、この上ない並外れた
日常なのであり、アナタに足りないのは実はメロディーである。」
・・・とこういうことになるわけかぁ???
いやさすが、巨匠は言うことが違うねぇ・・
326さん。無視しようと思ったが一言いいたい。
「おまえはどう思うのかと」
蜂蜜も採れないからって、自分のための甘いなにかをこんなところで
得ようと思うな。題材に甘えるな。利用するな。
332 :
名無しさん@1周年:01/11/15 02:07
>>331 無視できずに、それに構っている君の中に
325さんと同質のものがあるからだろう
だから不快なんだろうな
まだ自分を見られない証拠なのさ
↑ そうだな言い当ててる
人は相手の中に自分の嫌いな部分を投影して
その腹立たしさを発散するために
自分ではなくその相手に攻撃を加える
すべて自虐か他虐でしか解決できないらしい
>>330 そういうことを言い出したら生活できなくなるんじゃない?ってのがこのスレの
趣旨だと思ったが。
335 :
名無しさん@1周年:01/11/15 03:25
>>333 禿しく同意!
それを言い出したら生活できなくなる
> 蜂蜜も採れないからって、自分のための甘いなにかをこんなところで
> 得ようと思うな。題材に甘えるな。利用するな。
人に厳しく自分に甘い奴は必ずこの論法を利用する
なぜ皆んな同じように同じこと繰り返すかが素朴な疑問
336 :
名無しさん@1周年:01/11/15 04:38
>>335 あんたは繰り返さないのか?
素朴な疑問の答えは自分の中に見つからないか?
クリちゃんスレにいる人達は、何が欲しく集まってくるのかね?
338 :
名無しさん@1周年:01/11/15 12:14
>>336 議論になってない。
それを言い出したら、あんたこそ、どうなのよ?でオシマイ
何が望みなんですかね?
340 :
名無しさん@1周年:01/11/15 16:27
愛でしょ、愛!
見出すためには、
かき乱され{なければならない}のではないでしょうか?
見出すためには、途方もない大変動、動揺、
心配を経なければならないのではないでしょうか?
私がかき乱されていないなら、眠ったままでいるでしょう。
そしてたぶん、それは私たちがたいてい望んでいることなのです
私たちが(私が経験したこと)それを言語化しないなら、
そのとき、直接に理解される 経験があり、
そしてこの理解が その経験することの中で 変容をもたらすのです。
よくなろうとして自分自身を訓練します。
しかし、結局、何か{である}ための意志の行使は、
なお、より大きな円の中での卑しさの一部なのです。
それで、私たちがこれらのことの何もせず、
それに言葉を与えることなしに、
単に卑しさの含意に気づいているだけなら、
そのとき私たちは根本的な変化が起こっているのがわかるでしょう。
私たちはかき乱されること、
内面的に不安全であること、
依存していないこと
の重要性を見ません。
あなたが発見するのは、
あなたが見るのは、
あなたが理解するのは、
不安全の中においてのみなのではないでしょうか
かき乱されることは理解に不可欠であり、
そして安全を発見するためのどんな試みも、理解への障害物です。
かき乱している何かから免れたいとき、それは確かに障害物です。
私たちが感情を、それに名づけることなしに、
直接に経験することができるなら、
その中にたくさんのものを見出すことができる、と私は思います。
そのとき、もはやそれとの戦いはありません。
なぜなら、経験者と経験されたものは一つであり、
そしてそれが本質的だからです。
経験者が感情、経験を言語化するかぎり、自分自身をそれから分離し、
それに作用するのです。
そのような行為は、みせかけの、まやかしの行為です。
しかし、何の言語化もないなら、
そのとき経験者と経験されたものは一つです。
その統合は必要であり、
徹底的に直面されるべきです。
実践できるのか
休み休み、やる
>341 >347
おぉーーいいね、いいね、クリシュナムルティ節♪
この精緻さ、大胆さ、澄み渡る音調〜♪
ありがとよ
350 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/11/15 20:09
そうかそうか、あるがままとは驚天動地の世界でもあるってわけか。
たとえそれが暴力、嫉妬、恐怖、憎悪、憤怒でまみれていてもだ。
天地がヒックリ返るぞこりゃ!!
Kのいってることはわかる。
で、根本的な変化がおこったあと、どーするのさ。
って、ところが問題なんじゃないの?
これに修行がたりない、根本的な変化が起こってないと反論するのは容易
だけどさーーー、そんなツッコミはやめてねー
どう??
352 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/11/15 21:28
生活できなくなるというのもひとつの混乱なのであった。
そろそろクリシュナムルティ節というのもやめたらどうだと思うのだが。
一見純に探っているように見えて、攻撃や隠れみのの道具だったりするからね。
読むのはいいが使うのはよくないと思うね。いい悪いいわずに、自分から出る言葉を
みたらどうだろう。ある程度の礼儀は気をつけるべきだが・・・
誰の語ったかわからない言葉を素直に聞くほど自分は真摯ではないので。
論文だって引用を銘記するだろ。
351に同意
ばんこ、たまにいいこと言う。冴えてる。だが甘い。
> 攻撃や隠れみのの道具だったりするからね。
確かに、これは実にはびこってる
自分から出る言葉もわかる、いいたい意味はわかる
だがな誰が語ろうと事実であれば俺は構わない。
Kだろうと、ばんこだろうと、俺には同じ。
相手がKの言葉の付け焼き刃なら、それはじきにわかる。
甘いつーのはカッコづけの冗談だぞい、気に障ったらペコちゃん、
>>351 俺はな変化が起こった先のこと考えてもみなかったことだ。
言われてはじめて知ったつー訳よ。面目ねえー(藁
だがよ俺が思うによ、変化って意識されないと思うのよ。
意識できるものは変化ではないと思うのよ。
変化って時間領域で捉えられるものだからなぁー。
思考では無理なんじゃねぇーかと思ってる訳よ。
あっ!これが変化だぁーーなんて自覚できる変化なんて、
インチキだと思う訳よ。
この図式で自分を見ると俺には何の変化ないから、
俺には変化ないものともめっきりお諦めているいるけどな。
だからあまり変化に関心なくなっちゃった訳よ。
で、周りの人からすごい俺が変わってしまったと言われて、
あーーこれが変化なのかぁーーってあとで分かるっての、
これ変化かいな?どうかいな?
>351の答えにはなってないけどな、勘弁しろよな。
357 :
非僧非俗 :01/11/16 04:36
で、>351の問題なんだっけ? 笑
俺に変化が起こったら、どぉーすっかな?笑
なんか急に目が潤んでる俺
遠くを見つめるまなざし
そうだ!印度に行こう!
つーうか君たち全員弟子にしてやるよ・・・藁
期待して待っとれ!!
驚天動地の男、非僧非俗
>351
変化で思い出したけどよもよ、アレ?どもってしまった。
クリシュナムルティは根本的な変化は皆んなには起きない
って言ってるよな。全人口の中のせいぜいたったの7人だってさ。
でも7人が変化したら世界は変わるって言ってるな。
で、根拠知りたくていろいろ調べてたら、興味深いこと発見
とたつー訳よ。
九州の島に住むニホンザル100匹の中一匹がジャガイモを海で
洗って食べるとすると、それを群のサルたちが真似するように
なる。学習するってことだな。文化だよな。で、100匹目のサル
が文化を身につけた時点で、佐渡島に住むサルたちが突然
ジャガイモを洗って食べるようになったという学術報告に
俺は驚いたね。
テレポテーションつーの?なんかさ、そーゆーのあるみたいで、
つまりクリシュナムルティが言うのは、それのことかも
知れないって思っている訳だが、これってどうよ?
まぁ俺流に言えば、誰かが変化起こせば、それは人類進化を
引き起こすってことだ。
だから変化したって個人的には得することはないだろうよ。
もちろん変化してえと野心バリバリの奴は変化しないだろうがな。
しかし野心ないのになんで俺は変化しないんだろうね。
だから変化したあとのことなんて考えてみたこともなかったつー訳。
101匹目の非サル非俗
ageついでに・・・キリバンもらい!!
げっ、5時だよ・・・おやすみ
>>359 ライアル・ワトソンでしょ。その話は有名なでっちageだよ。
あたまわるい・・・
ライアル・ワトソンのとは別に日本の研究もあるんだよ。
し、しまった。資料として保管しておけばよかった。
どこかのHPにあるんだよ。
まぁいずれにせよ、そんなこともあるのかなつー話し。
変化の話題のおつまみ程度の話題提供でござるよ。
どーせ俺あたま悪いし・・・
>359,興味深く読みました。人間は文明をつくることによって進化したと
いうけれども、生物的にどう進化したのか疑問です。「101匹目の猿現象」の
意義はどうであれ、生物としての進化(それが肉体的なものか精神的なものか
なんなのかまったくわかりませんが)をおこたってきたのは文明の裏返しとして
当たっていると思います。やはり飛行機で空を飛ぶのと鳥が飛ぶのと進化の
意味合いがちがうとおもいます。なぜか語り口がかわってしまいました。
最近自分は池澤夏樹をよんでいて、興味をもった次第です。
意図的にやれば、水平線から地球の極点を目視でみつけろといわれているようで
途方もないですね。じゃあ。面白い展開を期待します。
365 :
名無しさん@1周年:01/11/17 00:40
>>358 もし「根源的な変化」が起きたら、非僧非俗さんの「インテリジェンス」が
覚醒して、自ずと道が開けるんじゃないですか?
>>359 典型的なニューエイジだなぁ。いまはもう1980'sじゃないんですよ。
イモ洗いがそんなに伝播するなら、とっくの昔に世界中のおサルはみんな芋洗うようになって
んじゃないの?そうじゃないってことは、イモ洗いは非常に短期間しかその集団内で保存されず
かつ頻発する現象なので、かけ離れた集団でも同時発生に見えることがある。というのが
リーズナブルな説明だと思うが。あと、自然界でなんで100という数字が出てくるのさ?
256の猿とか81の猿でもいいんでねーの?
>>365 Kの本をよむと、そのとき美しく道は開けるようにかいてあるんだけどさー。
じゃあ、その道ってなんなのさ、ってことはKはぜんぜん言ってないんだよねー。
どっかに書いてあったら教えて。
368 :
名無しさん@1周年:01/11/17 01:35
>>362 その、日本の研究こそが、丁稚ageだと聞いたが。
そもそも自然科学ってなんなんだ。表面張力なんてだれだって経験上しっているし、
インド人が0を(発見)しなければ、近代数学はなりたたなかったとか、引力なんて
だれでもしってたし、自然現象を数値におきかえて、広義性をもたしてる
だけなんじゃないかと自分は思う。そりゃ太陽を観察して分析して利用する手法
を開発したならば、核融合くらいおこせるでしょ。ただの超超小型の太陽にすぎないし、
自然にないものなんて誰も作れないし、科学科学なんて権威づけてさあ羊のドリー
くんなんてつくったって、金魚のほうがよっぽど洗練されている。火薬なんてさあ
昔の中国の思想でつくれたんだし、核爆弾くらい時間が経てばできるでしょ。
いらんもんつくってばかなんだよ。
ソーカル。もーかる。数字からはなれられないばか。
それにE=MCの2乗なんていったって、太陽の全貌とは無関係に
等しいくらい虚無的にひとしい。あーーすっきりした。
未知のものを探ろうとした場合、手法はいくらでもある。証明の
仕方もいくらでもある。物理科学なんてその中の権威ある手法に
過ぎない。その権威ある手法なんて時代で変わってく。右翼左翼
なんていうけど、ソーカルなんて現時代の右翼。でも手法や仕方が
かわっても人間かわらないだろうな。あほなこといってたらすいません。
373 :
クリシュナムルティ:01/11/17 03:14
?
「象を冷蔵庫に入れる3つの条件」
「その一、冷蔵庫のドアを開ける」
「その二、象を中に入れる」
「その三、冷蔵庫のドアをしめる」
キリンを冷蔵庫に入れる4つの条件
その一、まず冷蔵庫のドアを開ける
その二、中の象をとりだす
その五。なぜか触発されているおれ。
マラリアを運ぶハマダラ蚊、ノミ、南京虫、ダニ、虱、ニクバエ
ツェツェバエ。予防接種はもちろんいいが、蚊取り線香効果大
チンチョーリキッド効果大、念仏も効果あり。「この辺いややし
どっかいこ。」も効果大。
「むこうからねぇちっちゃな鳥がいっぱいきたよ」
「あれはねぇ鳥と違う。ぽぽ」
「ぽぽ?」
「こうもりですよ」
「蚊はねぇぶーーーんっていうからムブっていいます。ぽぽはそれを
たべにくる。私、おもうねんけどぽぽはなんでかにさされへんのかなぁ
これ研究したらマラリアこの世からなくなりまっせ。ノーベル賞もらえる。」
らも著
ガダラの豚より。373つぼにはいりましたでちゅ。笑)
ぼくのつぼをなんでしってるのですか?おおなぞ。これも英知か?
そろそろ寝ます。あたま冷やしてからねます。失礼しました。
380 :
名無しさん@1周年:01/11/17 03:56
日本語訳なら「暴力を超えて」が読みやすくて実践的な感じがして好き
です。
あとは「生の全体性」「真理の種子」にショックを受けました。
本から写真をとって部屋の壁に貼り付けました。グルジェフもいっしょ
に
1日一章くらいずつ毎日読んでます。
内と外を見つづけます。
体操はやりますが菜食のみは無理ですね。
死ぬまでは決着つけようとあらゆることをします。
381 :
クリシュナムルティ:01/11/17 04:06
…
382 :
名無しさん@1周年:01/11/17 04:07
・
>>365 俺のインテリジェンスは常に全開じゃ〜♪
それでその程度なんて言うとったらアカン。
まだオヌシには開かせないヒミツがある。
さうかな道が開けるんか?
俺は常に前人未踏の地を驀進する開拓者だぜ。
そして俺の歩いた跡はけして何も残らん。
そう俺は見聞き、そして試行する者。
>>366 うぅーーーー痛い!!
す、すまんワシは、そのニューエイジとやらのハシリでござる。
1940年代生まれだから、全共闘世代、ヒッピーの時代、
だから80年のニューエイジなんて革新的な新思想に感じたその残滓が
いまも俺の明晰さを曇らせているようだ。
つまりだな古い革袋に新しい酒を盛ることだろう。
ありがとよ、忘れていた大切なこと、よく気づかせてくれたな。
オヌシが現れて、このスレがちょっとレベル高くなったぞ。
もう少しいろや、何か話してけや
>>379 ばんこちゃーーん。
ど、どしたん? 急に頭良くなっちゃって?
ちょっと迷走してるようだけど、
この俺を唸らせるよーなこと発言しとる。
うぅーーこいつも俺より頭脳はいいのか・・・涙
それに気づかず俺はお前をあなどっておった不覚!
やっぱ俺はここにいちゃ道は開けそうもねぇな・・・嗚咽
でもクリシュナムルティは学業がダメで大学にも入れなかった
ようだから、やっぱり俺にも望みはあるつーことだな。
俺が悟りの人になったら君たちに愛をあげよう、惜しみなくな。
・・・・・・・・・・・遠い目
なんかウキウキしてきたから、このまま寝よ、6時だし。
>>380 俺は菜食だけでなく、酒も女も無理やねん。
物欲や金はほとんど喝破したが、これも単に貧乏だから。
出世欲も去ったが、これも単に能力ないからだ。
だが俺はみっともない言い訳はせん!
それは菜食の罪だけのオヌシと、酒や女の罪まで犯している俺と
なんら変わらないからだ。それ故、君のが正覚者に一歩近づいた
ことにはならん。
つまりだな、俺は「全か無」かの問題提起をしてるんだわさ。
↑ トイレの落書きと化してるな
388 :
名無しさん@1周年:01/11/17 18:52
おいおい一体どうしたんだ?何があったんだ?
こんにゃく問答のオンパレードじゃないか(プッ
389 :
クリシュナムルティ:01/11/17 19:25
私にも謎ですな。
そかそか、ちょっとモリsageちゃった訳ね、
ごめんね、、、またサルとする。
たまに顔出そう・・・
391 :
名無しさん@1周年:01/11/17 20:20
>>367 本には書いてないかなー・・・
多分、個別の運命に殉じることになるんじゃないんですか。
ある人は教師、ある人はタクシーの運転手、それは千差万別だけど
その時「何をなすべきか」ということは自ずと明らかになるんじゃないかと・・・
>>383 そうでしたか(w
非礼なレス深くお詫びします。ファンですので頑張ってください!
>391
なるほど。自明ってわけですな。
「生の全体性」P.26には当人が明晰な精神の持ち主であれば、
無一文になるような事態には陥らないと書いてある。しかり。
よって
<<<< 終 了 >>>>
thx.さっそく読んでみます。
おはよう
おはよ
ついでに >389
クリシュナムルティに謎なんてない。
いやクリシュナムルティ自体が謎
396 :
名無しさん@1周年:01/11/19 19:40
経験者が感情、経験を言語化するかぎり、自分自身をそれから分離し、
それに作用するのです。
そのような行為は、みせかけの、まやかしの行為です。
397 :
名無しさん@1周年:01/11/19 19:52
これらみなクリシュナムルティの発した言葉?
誰かオリジナリティーを盛り込んで新しい的確な表現の仕方ないのか?
398 :
名無しさん@1周年:01/11/19 20:28
「お前らなーーーーー! 腹ん中ためてんじゃねえぞ、コラァ 吐き出せーー!」
「他人にこんな風に見られてるんじゃないかとか、そんなの考えるな。」
「自分の感情をストレートに吐き出せ! まずそこからだ。」
こんなもんでいかがでしょうか。
399 :
クリちゃんの「どこ読んでるの」:01/11/19 21:09
身近な自然に接してなんとなく癒される気分になるってのも、それはそれで結構な
話だと思うが、そういうものばっかり(とは限らないが・・)目線が逝ってしまい、
自分のあるがままに、ちーとも気がつかんかったというのもチト寂しい話のような
気がする。きっとこういうのを孤立って言うんだろうな。
しかしだ、小雨のように降りしきる流れ星の大群に思わず、「わぁ、きれいだなぁ!!」
と感嘆するのと同じように、「わぁ、孤立だなぁ!!」って感じにならなきゃ意味が
ないとも云う。
無条件に接するのが体感をもたらす唯一の条件なんだろうと思ってみたところで、
じゃあその体感ってなんなのさ???
暑さ寒さの体感。幸せ不幸せの体感。美しさ醜さの体感。
俺は今、幸せなのか、不幸せなのか、いったいどっちなんだ!?
少なくとも寒いのだけはゆうべ体感したけどな・・・
たのしみにしてんだけど。だれも書き込みないね。人間として全的な見方ができる
うに気をつけないとね。二階とか進むとかあほなこというとったらあかんよ
>BM,あまちゃづるちゃの啜り方と二階への進み方はなんのかんけいもないし。
402 :
名無しさん@1周年:01/11/22 23:17
この板の全般に出てくるBMって名乗ってるやつは元オウムの石川だったんだ。
他の板で分かったよ。
他の板での発言を読んでると、まだまだ、懲りてないな、てことが分かった。
あいつ、世間に対して、ひどいことしたのに、自分のホームページ発表して
恥ずかしいという感覚がどうもないらしい。
人間って、奴は、バランス感覚が大切だ、ということを今、思いました。
403 :
名無しさん@1周年:01/11/22 23:25
↑ 失礼 ×全般
○前半
404 :
クリシュナムルティ:01/11/23 04:11
勤労感謝。
失礼、間違えました。石川ではなく、BMは荒木でした。
まあ、どちらもオウムなんで、似たようなもんですが。
>>405 石川とやらはどこで見つけた?あいまいは困るぞ。
荒木の無知な顔と石川の顔が交錯してました。
失礼しました。
でも、覚えておいてください。石川はまだ、
オウムの落とし前をつけていない悪党だということを。
昨日、仮面クリシュナムルティよろしく一隅を照らそうということで比叡山いってきました。
なかなかよかったです。人間と自然、国家と個人の相克が繰り返されながら
あれだけのものを築きあげたのは素朴にいいなあと思えます。
真宗のだれか、忘れたんだけど修行していた部屋が今もそのまま残っています。
とてもいい空気でした。南無阿弥陀仏。
409 :
名無しさん@1周年:01/11/24 00:27
>>402 荒木て、荒木広報?TVとかでよく話してた人?
>>402 オウム叩きをこのスレでやらなくていいだろ。それから405,407で出てくる名前、
漏れと同姓なんだ、ウザイ、迷惑。個人情報はやたらに出すなよ。
もとオウム信者はKをどう捕らえてるかに興味age。
Kを読んだらオウムなんてまっさきに否定だと思うけど。
413 :
名無しさん@1周年:01/11/24 19:40
BM=荒木
の証拠を希望
オウム信者はKに一目置いてたよ。しかし、Kが言っていることは
もの凄く高い境地であり、そこへ辿り着くまでの過程の話が抜けて
いるという認識だ。だから、その境地へ行くための過程として、
オウムは徳を積み、グルを信仰し、そのことが悟り解脱のはしごに
なるという考え方だ。もちろん、そんなことしてもKのいう境地には
辿り着かないわけだが。
>>414 なるほどね。オウムもKの利用法をよく考えてるね。
しかし、アサハラとKじゃ品格が違いすぎるなぁ。
ここで一句
「クリちゃんの清きに魚も住みかねて、もとの濁りのオウム恋しき」
おそまつ
>>414 俗人が考えそうなことだな。
利用できものは何でも構わないってことだ。
ダライラマは、金の色気につられて鸚鵡の宣伝の利用された阿呆だよな。
クリシュナムルティは、すべての誘惑に一切動じないよな。
かっこいいよな・・・。
欲があるからサギにあうんだから、罠には墜ちないってことだ。
俺の場合、あと残すは色欲だけだな。
よし!解脱を急ごう!これ以上、罪を増やさないためにも・・・
ごめんな、礼子。俺、やっぱし本道を往くことにするよ。
他の男、探してくれたまへ、うんうん、君の幸せ祈ってるから・・・
はぁ〜、こればっか・・・
情報元を確かめてから発言
でないと、デマになってしまう
>>419 これ、どの発言に対するものかわからん?
もし俺のだとすれば、これし当時なら誰でも知ってるぞ。
鸚鵡の淺腹と会見、にこやかに握手してる写真も、
宣伝されているじゃないか・・・
それを実現するに至る前段階で、尾宇無は、
中国のチベット侵略から一人だけ逃れて、亡命中、
いろいろ取り沙汰されて、中国を非難したい国々から英雄扱いされて、
ノーベル平和賞までもらってる。これは明らかに政治的な動機だよね。
ダライラマは、政治・主義に利用されている訳、
ダライラマも、それを利用している訳、どっちもどっだろうな。
酔っているから話がトンチンカンだったな・・・反省
で、尾宇無はダライラマと接触するために、
亡命中のダライラマにいろいろ物的支援をしている。
これは当然の話で、証拠の問題じゃないよ。
それでなきゃダライラマは、CIAもマークしてない
尾宇無なんかと会わない。相互利用なんだよ、つまりは。
で、クリシュナムルティはそうしたすべて、政治的思惑とか
利用されないという生き方がスゴイと云ってるんだよ。
酔っていから、、滅裂文で、ごめんな
422 :
名無しさん@1周年:01/11/26 03:14
チベット仏教について、本だけでなく実際に少しでも触れたことがあればそのような理屈は言わないだろう。
423 :
名無しさん@1周年:01/11/26 03:17
ダライラマはなんでも受け取る。
オウムからだろうと、阿含宗からだろうと。
そして気にしない。
クリシュナムルティも、気にしないだろう。
>422
本だけでは何もわからんだろうな・・・
バグワンも本とはぜんぜん違ったよ、実際に会ったらさ。
前に、チベットの国民の救援ボランティアの調査で、
インド経由でダライラマに現状報告書を届けに行った奴がいたけどね、
ダライラマは、とうとう会わずじまい。
でも尾宇無とは会うんだよね?おかしいよな。
この事実にも、また実際見てないのにこってとで否定されるだろうな?
なんか尾宇無の手先のような否定の仕方だよ、それってさ。
実際に触れたことがあるなら、説明してからにしてよ・・・頼むな。
組織宗教はどこでも同じこと・・・これ真理だな。
俺は、そのことを指摘しているまで。
425 :
名無しさん@1周年:01/11/26 06:56
414で書かれてあるオウム信者の主張はある意味正しい。
クリシュナムルティは退けたが、彼自身もかなりの
無駄を通してそういう境地になったことを考えるとね。
そのオウム信者が本当にクリシュナムルティの境地を
求めてるかどうかは疑わしいが、言ってることはそう
間違いでもないよ。
逆にクリシュナムルティの言ってる事を間に受けすぎて
まったく開き直ってるよりよっぽどマシな態度と言える。
なにもしなければ、ますます悪くなることもある。
もちろん間違ったことをやるとますますひどいことになる
が、間違いを認識しやすい。
こういうことは自分を反省すると当たり前のように感じる
ことだ。
426 :
名無しさん@1周年:01/11/26 07:06
いずれにしてもオウムごときに騙される大人が日本にたくさんいることは
まったくもって情けないの一言に尽きる。
日本では教育と洗脳、しつけと虐待の区別が曖昧なものになってしまうほど
ありとあらゆる価値が威厳を失って久しい。
少しでも宗教や哲学や歴史に造詣があればことさらオウムに頼ろうなんて
発想はつゆも起こらないはずであるのだが。。。
427 :
名無しさん@1周年:01/11/26 08:43
>>426 >少しでも宗教や哲学や歴史に造詣があれば
そういう知識が真実を見えなくさせるとKは言っていたような
きがするが、どうか?
オウムの幹部で知り合いがいたが、そういう意味ではスペシャリスト
だよ、あの集団は。中にはかなり造詣の深い人もいた。Kのことは
もちろん精神世界、心理学、科学その他の学問についてもそうだった。
だから、問題はそんなところにあるんじゃない。
彼らが麻原を崇拝したのは理屈じゃないだろう。もちろん俺自身は
崇拝する気にもなれないが、俺の知り合いも公平に見るならかなり
知性のあるやつだったし、Kの言説も理解してたと思う。
オウムを弁護する気はさらさらないが、勉強すればいいというものでは
ないのではないか?
まぁ、もうオウムに関する話題は止めよう。スレ違いになる。
428 :
嫌いだけど心配>1:01/11/26 09:13
みんな、そろそろこっちの世界に返って来いよ。
そうすれば、そんな事どうでもよくなる。
人生を、時を現実的に消化しなきゃ。
>>427 つまりは本当の意味での造詣はなかったのだよ、あの連中には。
Kも知識が邪魔になると言ってはいるが、だからと言って知識を全部捨てろとも言っていない。
あの連中は恐らく知識だけは平均以上はあったのだろう。
しかし、そういうのは造詣とは言わんよ。
ま、Kでも読んでそこら辺りを見極めることだ。
430 :
名無しさん@1周年:01/11/26 14:02
>>429 427じゃないけど、じゃあ造詣って何?
Kを読む限り、「宗教や哲学や歴史に造詣」と
Kの言う「あるがままのもの」とは何の関係も
ないと思うけど・・。
いずれにしてもそういうものは精神に蓄積された
過去のものでしょう?
「オウムごとき」とか「日本人に」とか言ってる
あたり、かなりあなたも不自由な物の見方を
してると私には見うけられるけど。
大人になるにつれてといっていいのか、最近の風潮といっていいのか
妙に言霊が説教化しているような気がしてならない。
そういったものが増えるにつれて、生きてる実感が乏しくなってくる。
精神的な意味でネットの可能性ってなんだろ。便利になるほどカテゴリー化
されたもののなかをあっちいったりこっちいったり、歌わされるのは
讃美歌くらいでいいよ。本当は他人ってうのは謎なんじゃないか?
だから知りたい。興味をもって当然。付と自分との共通をみつけて
笑うこともある。たとえば、他の誰かがクリシュナムルティに何故ひかれたのか。
正直、このことに興味をもってこのスレにやってきた人はたくさんいるはずだ。
海のように覗いても実態の見えないこの人について語ることは尽きないはずだが。
これを阻害しているものは何ナノか?
普段自分は自閉のごとくしゃべらない。
決して外行きの容貌でもないが、馴れ合いは嫌いなのだ。
ここにいる多くも馴れ合いが嫌いなんだろう。まとまりつかなくて悪いが
言いたいのはそれだけ。 オウム =馴れ合いを想像した。生活苦しいなら
経済共同体にすればいい。世間の目が有るならそれを問題とした集いにすればいい。少なくとも心が馴れ合うとろくなことないね。
考えだってみんな違うんでしょ。これの方がが現実でしょう。
428多分アレフでしょ。ちがったらおしえてね。
ついでに居心地がいいのか教えてほしい。
ウツダシノウ・・ウツダシノウ・・
\\ ウツダシノウ・・ウツダシノウ・・ //
鬱 鬱 \\ ウツダシノウ・・ウツダシノウ・・/鬱
鬱
鬱 /■\ /■\ /■\ 鬱
( -_-∩(-_-∩)( -_-)
鬱 (( (つ ノ(つ 丿(つ つ )) 鬱
ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) )
(_)し' し(_) (_)_)
>> 425
実践できなくても正しきものが見えていればそれでよし。
実践できても間違っているのでは何の意味もなし。
正しきことを知るまでのそれが過程だとするのは甘え。
極論すれば、正しきことを知るまでにはサリンも作れるのか。
サリンが害悪であるかどうか、Kを学ばずとも理解できる。
それが何かおかしいことを人は本源的に知ってるはず。
実践に囚われた者は、自分の中のその危機意識を見ぬ振りしているだけ。
その自分に対する違和感が暴力であり、
人は潜在的には自分を傷つけていることを知っている。
つまりこれが狂気。アラシ・アオリもこれと同じ心理構造。
まぁ病んでいると思えば、諦めもつくが・・・。
>> 427
> 知識が真実を見えなくさせるとKは言っていた
↑ これもKを誤解している奴の典型的な例。
Kは知識を否定してない。学校建設に力を注いだのも、その証。
ただ知識にはしかるべき場所があればよい、
知識の及ばないことについて知識を用いることの愚かしさを指摘してる。
ただそれだけだろ? 人が歴史や科学を学ぶことはとても大切だと云ってる。
これは偏ってない、まったく公平なことである、それ故、妥当性がある。
造詣という言葉がふさわしいかどうかは別にして、
> 本当の意味での造詣はなかった
とする426の意見に同意する。知識なく文盲であればK本も読めん・・・
よって知識は否定されない。
>> 430
オウムごときに騙される 日本 ←これ何の問題もなし。
(つまらんカルト集団にのめる阿呆な奴)とズバリ訳せばよし。
事実は事実なんだから仕方ない。単なる言葉尻を批判しても無意味。
歴史に造詣があるから、それは精神に蓄積された過去のものだから、
ただちにあるがままのものとは関係ないとするものでもなかろう。
要するに、それらの批判は、単にKの言葉の上を
ただ指でなぞっただけのもの。
造詣がないと云われても仕方ないのではあるまいか?
そして、ただ指でなぞっているだけだから、実践できない。
実践できないから、実践に囚われ、実践を問題にしてしまった。
そういうことではあるまいか?
これは本質的な問題から自分を逸らすことのような気がする。
この場合、俺が実践できているかどうかは別問題。
人のことに興味の対象を移すのも、問題からの逃避。
自分がどうであるかに各々が的を絞っていればよし。
そうすれば、こんなことにはならない。
オウムも不要になる。あえて反対や非難することもない。
ただ、それだけだろう?
「私は無上の正等覚から何も得なかった。
それゆえに無上の正等覚なのだ・・・!」
仏陀は、確かこう云ってた。
クリシュナムルティもまた同じことを感じてたと思う。
440 :
名無しさん@1周年:01/11/27 06:36
解説不用なのにあーだこーだ言うのでうざい
441 :
名無しさん@1周年:01/11/27 07:45
そういう解説をする君が一番ウザぃ
442 :
名無しさん@1周年:01/11/27 07:46
443 :
名無しさん@1周年:01/11/27 09:40
>非僧非俗
あんたの言説、すべて自分に当てはめてみろ。
ほ〜ら、何か見えてきただろ?
444 :
名無しさん@1周年:01/11/27 10:08
>>436 う〜ん、なんか違うよなぁ。
自分の理解をKの理解とすりかえて言ってる感じだな。
Kの理解は明らかに学問にたいする造詣とは無縁。
ことあるごとに、「私は何も知りません。」
「勉強したことはありません。」といっていた
ではないか。
Kが学校を造ったのは教育に関心があったから。
今までの知識偏重型の教育に疑問があったからだろう。
知識を全く否定していないということには賛成。
だが、知識を尊重して学校を作ったわけではない。
445 :
名無しさん@1周年:01/11/27 12:36
>>444 知識を否定してないというは、肯定していることじゃないよ、
まったく別のこと。
Kは英国で教育を受けているし、アニーベサントら神智学からも、
前半期のKは世界教師として教育は受けているよ誰よりもね
Kはそれらを一切廃して自分で考えろと云ってるだけ、
だから>436の言説は間違ってない
知識には知識の領域があるってことを云ってるだけ
いまどき知識偏重の教育への批判は何もKの学校だけに限らないし、
Kが教育に関心があることを知識否定と捉えることのほうが
危険なことだ。
446 :
名無しさん@1周年:01/11/27 12:42
だいたい相手を論評するのに
>自分の理解をKの理解とすりかえて言ってる
とか・・・こういう非難のしかたが間違え
447 :
名無しさん@1周年:01/11/27 17:37
>>443 ウゼェーー
まともに反論できないので、つぶし合って楽しむだけ
ホントつまらんよ
「造詣」という言葉が悪かったかな。
「常識」とか「良識」とかに読み替えてくれ。
もうアゲアシ取りはするなよ。
>>430 >「オウムごとき」
オウムは「ごとき」呼ばわりされるほど軽い存在じゃない、
>「日本人に」とか言ってるあたり、
日本人だけじゃなく、ロシア人その他の支持も得ている、
>かなりあなたも不自由な物の見方をしてると私には見うけられるけど。
そんなオウムの偉大さをわからないオマエはバカだ・・・
とでもおっしゃりたいのかな?
宗教がやりたきゃ、山奥にでも篭もって坐禅だけしてろ。
おかしな化学プラントなんか作らずに。
オウムみたいなやつらが世の中を変えようと働きかけるなんて
1000年早いんだよ。
自分たちにK並みに世の中を変える能力があるなんて考えてるとしたら、
思い上がりも甚だしい。
オウムの連中にはそんな度量はないよ。
仏教やキリスト教のおいしいとこ取り、威を借っているだけ。
まだ、タリバンの方がマシ。
>Kが教育に関心があることを知識否定と捉えることのほうが
>危険なことだ。
444のどこをどう読んだらこのように読めるんだ?
そんなこと書いてないよ。
ネタが尽きている気がするんだが・・・。
451 :
名無しさん@1周年:01/11/28 00:26
ピエールさん
この議論をまとめてよ。
452 :
名無しさん@1周年:01/11/28 00:27
>オウムは「ごとき」呼ばわりされるほど軽い存在じゃない、
サリンまかなかったら10年で忘れられたと思うが。
453 :
名無しさん@1周年:01/11/28 00:29
今変に盛り上がってるのはKに対する理解の食い違いだけ
なのか、オウムに対する過剰反応なのか・・。
みんな必要以上に攻撃的な気がする。
マタ−リいこうや。
454 :
名無しさん@1周年:01/11/28 02:11
(´Д`;)ヾ
∨)
((
オウム批判をしても次々と、似たような宗教団体は出ますよ。日本社会において
共通の理解の基盤が戦後、喪失されたので疎外者の受け皿となる宗教団体が盛況とな
るのは必然と言わざるをえないでしょう。どれだけ教義が社会的尺度から逸脱してい
ようが、どれだけ伝統宗教から教義が乖離していようがカルトの信者が求めているの
は教えの正しさ、健全さなどではなく錯乱状態の自我を忘却させてくれる麻薬です。
Kの教えが好きな人間は、Kの教えを以ってカルトの信者を説き伏せようとしますが
マインドコントロ―ルされている人間にありのままの事実を指摘して間違いを正そう
とする働きは返って対象の信念を強めてしまう働きがあります。これは私の意見では
なく事実です。オウム問題を論じたり批判するのはこれらの視座を踏まえますと全く
建設的な議論とは思えません。Kの教えは確かに素晴らしい面がありますが有効範囲
というのはやはり限定されていると思います。現実的観点から考えるなら教育や制度
、社会構成の面から改革していく方がカルト問題に対応する策としては有効なはずで
す。論理的に思考すればするほど、知的になればなる程、見えてくる生存の不条理を
肌で感じ取ってしまった人間がカルト団体には多いと思います。オウムに高学歴の人
間が多かったのが示唆的です。私はKの教えの観点から彼らを批判したりするのは適
切だとは思えません。
>>455 几帳面な奴だなぁー(藁
前半=○ 後半=×
>Kの教えの観点から彼らを批判したりするのは適切ではない。
この結論は論外。Kの教えはメンタルケアとして実用性なし、効果なし。
俺個人は、Kの教えをもって彼らを批判する気はない。
Kの教えを宗教論争のネタにするつもりもない。
彼らも理解しようとはしない。よって徒労。
で、結論はKの教えの観点から彼らを批判してもダメ・・・
あれ君の結論と同じゃんすか・・・(藁
>455
けっこう正論ですね。おおすじ納得。
でも、Kの教えでだれかのマインドコントロールを解こう!!
なんてアツイ人いるのかな?むしろカルトの冷静な観察に
徹するように思えるが。
書き込み、かぶった。珍しい。
理解で得るものといったら理解だけ。これに尽きると思うけど。
まず真剣でないと納得するだけ。だれでも年を重ねれば、諸問題で理解と納得の狭間を
行き来している。話がずれてるので、当たり前のことを殊更すんませんが。
とにかく不徳をあやまるよ。
461 :
非僧非俗 :01/11/29 04:57
前述の諸々の大人げない発言
に関して、「死ねぇええ栄」とかね。影響力はすくないけど、
自由にものを言っていいということに関して履き違えていたようだ。
不徳の致すところです。しっけい
460みたいに突然変なことを言い出すこともああ
引いても引かれてもやなもんだ。俺の要らんものをこんなところに
もちだしているようで。ここんとこ随分人付き合いを避けてきたから
焦点があわないんだよね。会話に関しても。社会は疲れる・・・
おきになさらずに
>了解、ばんこ
465 :
クリシュナムルティ:01/12/01 02:32
師走でごわす。
元気だせよ
www2.inforyoma.or.jp/~phaman/nazo/bord/img/img-box/img20011201045236.jpg
467 :
名無しさん@1周年:01/12/01 22:44
コテハンの人は何故コテハン?
468 :
クリシュナムルティ:01/12/02 08:12
本人です。
いろいろなスレをROMしていて「ばんこ」さんは、どんな人かと思っていたのですが、
了解しました。
age
471 :
名無しさん@1周年:01/12/02 11:59
ag
472 :
名無しさん@1周年:01/12/02 21:45
神智学協会の保護が若き日のクリシュナムルティーになければどうなってたんでしょ
う?霊的準備が必要なのでしょうか?
神智学の最大の功績はやはりクリシュナムルティーですか。聖白色同胞団の働きが
あったのかな?本人否定ですがマイトレーヤなのか?
1はクリシュナムルティーにはなれそうもありませんね。
プロセスと呼ばれる神秘体験が伴うようなことが本を読んで検討している人に起こる
のか?
肉体の準備として菜食は必要なのか?
実際、クリシュナムルティーの教えとは何であり実践できるのか?
肉体の準備として菜食等は必要なのか?
謎ですね。
>472 もっとまとめてから書けよ。「謎ですね」はないだろ。オマエの考えは何だ。
クリシュナムルティは、宗教というより、哲学だ。
そこを間違えると、信仰なんて変なものを彼に要求しだす。
つまり、人生の参考書のようなもので、利用したければすればいい。
しなけりゃしないでかまわんということ。
聖白色同胞団=デマだと思うよ。
シュタイナーのバルカン星人論のようなもので、幻想か、
集合無意識の原型が深い意識状態で、日常意識に上ってきただけだろう。
476 :
名無しさん@1周年:01/12/02 23:27
477 :
クリシュナムルティ:01/12/02 23:54
わんばんこ。
478 :
もしもし?:01/12/04 01:49
>ピエールさん
そのうちシュタイナーも読んでみようかと思ってたんですが、
いけてない話なんでしょうか?
479 :
クリシュナムルティ:01/12/04 03:10
私はイケメン。
480 :
名無しさん@1周年:01/12/04 03:11
私は、たいしたことないと思った。
481 :
名無しさん@1周年:01/12/04 23:54
とてつもない、始めの一歩。
その一歩を、君は踏めるか!!!
そこから、真の変容がはじまる
482 :
名無しさん@1周年:01/12/05 04:04
我々には残されたものがありますが「クリシュナムルティ」として実践できないと
いうことだと思います。
方法としてやっていくことの欺瞞、条件づけをこえて知覚していくには真剣であり
情熱が必要だと思う。
483 :
名無しさん@1周年:01/12/05 05:37
自分の場合、財産や理想的職業に恵まれたわけでなく、ホームレスも
嫌なので普通の安月給の会社員ですが職場で人々の条件づけられた反応
を見ていくわけです。本音はお金があったら会社を速攻やめます。
484 :
名無しさん@1周年:01/12/05 06:04
ボケ老人は実践してますよ
485 :
名無しさん@1周年:01/12/05 10:47
age
486 :
名無しさん@1周年:01/12/05 19:07
487 :
名無しさん@1周年:01/12/05 19:20
ボケ(明晰にかんがえないやつ)の悪意にはイライラするものです。
>そのうちシュタイナーも読んでみようかと思ってたんですが、
>いけてない話なんでしょうか?
シュタイナーなら、MSNで検索かければ?
彼は、幻視能力者です。それ以上でも、以下でもない。哲学者としては、
ああいうのもいてもいいと思う。
489 :
もしもし?:01/12/06 03:18
>>ピエール ありがとう。
今度そのMSNというのから検索してみます。
>>480 感想どうも〜
>>481 {{(´д`)}}ブルブル
あと、ニール・ドナルドウォルシュ著「神との対話」ってどう?
僕は結構信じてるんだけど。
490 :
名無しさん@1周年:01/12/06 04:10
( ´,_ゝ`) プッ
491 :
名無しさん@1周年:01/12/06 04:19
今日も虚勢の日々よ
492 :
名無しさん@1周年:01/12/06 04:23
快楽の構造ってところかな
「神との対話」は「紙との対話」といってよい。
チャネリングが、何処でも似たようなことを言っているのと同じ。
流行のようなもん・
494 :
わんばんこ:01/12/07 05:43
昌吉っさああーーーーーん
495 :
わんばんこ:01/12/07 06:52
496 :
わんばんこ:01/12/07 07:02
497 :
もしもし?:01/12/08 01:20
う〜ん「紙との対話」。
つまりあれはインチキか精神の病?それとも何かの霊?
それと、ミステリー・サークルは宇宙人の仕業だ!と、
密かに僕は思ってるんだけど、あれは何?
498 :
クリシュナムルティ:01/12/08 02:49
私が、ミステリー
499 :
クリシュナムルティ:01/12/09 03:07
2日がかりの連続カキコ
なぜ会話上、関係性のない書き込みをするのか?
ここに問題が提起されていて、それは自分自身の問題に他ならない
はずなのだが。問題に反発、逃避、容認することなしに書き込みすることが
できるだろうか?こういった関係の中で思考を見守る自分を見つけることが
できるだろうか?それは思考の働き自身であったりする。
さてこの書き込みはクリシュナムルティという名前に根差していて
なんらかの快を得ようとする心のはたらきである。ところで快,不快と
いうのは知覚ではないだろうか?快、不快というのはその知覚から
離れたときまさに認識され得るのではないだろうか?
以上私と同類?一人よがり派?の問題検討
501 :
名無しさん@1周年:01/12/09 10:43
>>500 キリ番おめでとござんす。
わたしゃ心よどんでるんでまともなこと書けるか知りませんけど。
クリシュナムルティという名前に反応して書き込むのは私も同じ。その名から連想される
あの世の如き未知の世界への憧れ。同じ人間でありながらとんでもない能力を発揮
できることを示唆してくることからの誘惑。まあはかない期待も充分「快」である。
快・不快は知覚、それを頭で分類し言葉にすると心はそこから離れることもできる。
でも相変わらずとらわれっぱなしでいることもある。知覚は別の知覚によって忘れ去られる。
今泣いた悲しみも次の喜びでかき消される。あの悲しみはいったい何だったのか。
わかったようなことたらたらと御免なさいな。
502 :
名無しさん@1周年:01/12/09 10:59
ピエールさん。ひとつ教えて欲しい。
どうしてHNの色が以前と異なるの
ですか?
いやいや、みなさま、私信失礼。
503 :
もしもし?:01/12/09 13:05
ばんこさん、どうしてそう強いられるような必要性があるの?
504 :
名無しさん@1周年:01/12/09 13:57
>>503 このスレの内容がもっと濃いものになって欲しいという願望があるからでないかい?
どうありたい、(かっこいいクルマを設計したいとかは違う)何者かに成りたいとか(映画監督になりたいとかはちがう)のあたまのなかの目論みすべてが空しいから
要は変わりたい思いだけが頭の中に浮いているから。for me
ああはじさらしにちかいな。
さてと。そろそろ逝くわ
507 :
:名無しさん@1周年 :01/12/10 02:51
>banko
kimi ha kimi de iijanaika
508 :
クリシュナムルティ:01/12/10 02:54
ジングルベー♪
ジングルベー♪
509 :
名無しさん@1周年:01/12/10 17:12
二律背反
人生、甘くない。
これだけは、言える
510 :
もしもし?:01/12/12 01:31
>ばんこ
落ち込ませちゃったみたいで、ごめん〜。
511 :
クリシュナムルティ:01/12/14 03:08
ゆ〜きやこんこん♪
あられやこんこん♪
512 :
名無しさん@1周年:01/12/14 08:40
>ばんこ
影ながら、応援してはいるんだぞ!
影ながら、で、悪いが。
少し心が広がったよ。
おれはおれでいいんだ。カタログには載ってなかった。へへへ
気づかせてもらった。ありがとう。
お主の健闘も祈る。こころより
お主の健闘も祈る。こころより。
クソつまらんレスが続いているなぁ〜。
多神教は過去のものであるというけれど、新多神教がいい。
クリスマスにはキリスト教、正月は神道になり、盆には仏教になる。
文化の日には儒教になり、エコロジーの問題を語るときには道教になる。
結婚に関してはイスラム教になりたい(笑)
これを大いなる多゛教(妥協)と呼ぶ・・・オソマツ!!
スレのタイトルにしたがって生きていけば、いわば「変人」的に見られるね。
まあ、私なんかは、大体「変人」で通っているから、随分納得する部分はあるよね。
変人というのは、実践しようと思っていなくても、根が変人だから実践しちゃうんじゃないかな?
いろいろ変人が集まってくれば、変人について考えてみたいね。
そういう方はいないでしょうか? 変人とは何ぞや?ここに答えが有ると思う。
516 :
名無しさん@1周年:01/12/17 01:26
↑
プププッ
517 :
名無しさん@1周年:01/12/17 01:37
思い上がりが甚だしいのがいるな
変人か。うーーむ
かんがえとくよ。またねん
519 :
名無しさん@1周年:01/12/17 02:14
520 :
名無しさん@1周年:01/12/17 02:15
>>515 こいつ仏教スレたててるやつだな。
やたらと仏教用語ならべてチンプンカンなこといってるYO
言ってる内容が分かんないのにみょーにムカつくYO
521 :
名無しさん@1周年:01/12/17 02:16
変人のぼやきは、芸の一種なんでへらへら嗤いながらみてやってください
522 :
名無しさん@1周年:01/12/17 02:25
変人は頭がおかしいのだと思う。
いわゆる基地外ね。
でも本人は、自分の境地が高いから、
凡人には理解されないだけだと思い込んでる。
クリシュナムルティと自分を同一視する程にまでに。
いい加減にしてもらいたい。
クリシュナムルティと変人は天と地以上の無限の開きがある。
523 :
名無しさん@1周年:01/12/17 02:35
そんなに言って欲しいならいくらでも言ってやるよ。
この変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!
変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!
変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!
変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!
変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!変人!
変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!
変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!
変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!
変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!
変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!
変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!変態!
524 :
もしもし?:01/12/17 02:58
ばんこさん、無事でよがった〜 (; ̄△ ̄)
525 :
名無しさん@1周年:01/12/17 03:04
仏教だけにしときなよ>変人
526 :
名無しさん@1周年:01/12/17 03:07
変人は困った障害者みたいな奴だな
527 :
名無しさん@1周年:01/12/17 03:17
変人さんと禅スレのソクラテスの人がきてくれないかな。
おおいに目を覚まさせてもらってます。 感謝
528 :
クリシュナムルティ:01/12/17 03:52
私は変人でも変態でもございません。
当然のことですが。
私は、クリシュナムルティーの教えを実践しようとしている者なのですが、何か?
まあ、それはさておき・・・・
クリの、いたって深い思想は、そのまま真っ向から受け入れようとしても無理かもしんないね。
先ずは、余分な「思想」「思索」を排除する事に専念したいと思っています。
頭で理解しようとするよりも、
捨てて、捨てて、再度捨てませんと解りません。かように思います。
そこに「得る」ものが有るのではないか?
クリちゃんが言いたかった事は、まさにそれなんじゃないかと思いますね。
これについては、私は「禿銅」ですね。勿論皆様も「はげどう」でヨカトデスカ?
530 :
名無しさん@1周年:01/12/17 07:58
頭か頭でないかなんてどこで判断するんだ、「頭」でか(嘲
531 :
名無しさん@1周年:01/12/17 08:13
ぷっ
532 :
名無しさん@1周年:01/12/17 08:23
結局、頭とやらを否定するのはいっつも「頭でっかち」の野郎なんだよね。
偽モノ、駄モノは多くても本物は一つ。
その論法でいけば、最終的に到達するのが、シンプルなのは理の当然。
人間の思索が、その疎外要件になる場合がえてして有りえる。
529レスは、そのことを云っているのてあります。
534 :
名無しさん@1周年:01/12/17 08:48
このスレは、「アンチ・E・Gクリシュナムルティ−派」が多いようだね。
まあそのうち、「クリちゃん大好き」という人も現れるであろう・・。
536 :
名無しさん@1周年:01/12/18 00:57
↑知ったかぶんなバカ
537 :
名無しさん@1周年:01/12/18 00:58
まあまあ、バカはみんなが自分と同じバカだとはなから信じて
いるから馬鹿なんですよ。
538 :
名無しさん@1周年:01/12/19 00:46
age
539 :
kurikuri:01/12/19 13:53
age
誘導尋問
>>527 こちらこそ。歴代のクリシュナムリティ・スレでは
何度も、眼を覚まさせてもらってます。
541 :
名無しさん@1周年:01/12/23 22:12
絶望的で、悲観的に「何か」を求めてる人にとってはク氏の教えは
いたってつまらないだろうね。
捨ててこそ得る!浄土三部経の教え。
いや、得てこそ捨てられる。か?
基地外坊主
ワハハハハ!引っ掛りおって、バーカ!
546 :
名無しさん@1周年:01/12/23 22:23
ウハハハ派
クソつまらん!
クリクリクリスマス〜もいいけど、年々、年の瀬も地味になるな。
来年、年明け早々、
大型倒産が相次いで、日本発の世界同時不況に突入か?
つまらんニュースばかりで気が滅入るな、
世も末じゃ
そろそろクリシュナムルティに復活してもらわんと
548 :
クリシュナムルティ:01/12/24 08:23
きっと君は来ない♪
独りきりのクリスマスイブ♪
549 :
メリクリウス 3.16:01/12/24 23:54
>>540 はぁ?
重要なのは仏教の小さな講習会で戒律をさずかるってことじゃないんですか。
550 :
メリクリウス 3.16:01/12/25 00:14
私の独り言
ある事象をトータル的に把握しようとしても、なかなかその実体は掴めない。
されば、ある一点を深く洞察をする。そこから派生するものこそが
「真を得たり」。かように思います。
えてして、先入観はこれを阻害する。その感強し。
>>549 貴方があまりこの手の事に深い理解がないことは容易に想像できます。
クリシュナムルティーの道は「対話」の道で、それは貴方が歩んでいる道とは根本的に違うのです。
553 :
ビンス・マクマホン:01/12/26 17:15
>>552 確かに、クリシュナムルティと同じ道を歩いているわけではありません。
対話などしたつもりもないですから。
むしろ、全く逆のやり口でしょう。
どうしますか?
なるほど・・・
帰結点は用意されているものではありませんね。
これは自分で掴み取るものだと思いますね。
ここのところが、先達と同じか?否か?さして重要に非ず。
同着でも良し。そうでなくても又良し。そこのところが重要かと思いますね。
自分の世界観はどこまで行っても「自分の」世界観。
それにこだわっている間は真実相を見ることはないでしょう。
私の世界観に拘っている方がおりますね。
一番大事なのは「自分にとっての世界観」。
これを第一義とするのが、クリシュナムルの教えかと思いますね。
>>553 >確かに、クリシュナムルティと同じ道を歩いているわけではありません。
>対話などしたつもりもないですから。
>むしろ、全く逆のやり口でしょう。
>どうしますか?
人がまず最初に真に問うべきことは、
「自分は真実を知りたいのか?」
それとも、
「自分の考えを真実であると証明したいのか?」
ということ。
もしも自分の考えを真実だと証明したいのなら、
それは自分の夢を真実としたい、すなわち、
自分の夢を安らかに見るために、より深い眠りにつきたい
と告白しているようなものだ。
そして、そのように自分で目を閉じている人が、
「どうやったら自分は目を開けることができるか?」
と問いかけるのは、ただただ馬鹿げている。
なぜなら、その人は自分で勝手に目を閉じているだけだから。
そうではなく、そのような人が問いかけるべき質問は、
「なぜ自分は目を閉じているのか?」
だろう。そして、その理由が分かれば、本当には目を開けるのに努力などいらない。
真実を見たい人などいない。自分の考えを真実だと思いたいだけ。
甘美な夢を見ていたいだけ。自分で必死に夢にしがみついている。
自分で必死に目を閉じている。
そして夢の中で真実が知りたいと言う。
しかし、そういう人たちは、例外なしに、起こそうとして揺さぶりをかけると怒るのだ。
なぜ私の大事な夢をぶちこわすのか?こんなのは対話とは言えない。とね。
しかし、本当の対話においては、対話が進むほどに
私は知らない、と言わざるを得なくなる地点に近づく。
そして貴方が、全く何にも私は知らないと言えるとき、真実はそこにあるでしょう。
559 :
クリシュナムルティ:01/12/27 21:57
も〜い〜くつね〜る〜と〜♪
お〜しょ〜が〜つ〜♪
良いお年を!
見つけました。
明確に話す人が出てきてしまいましたから。
状況は一変しました。
こういう機会はめったにないことです。
私としても態度を変えざるをえません。
>>557>>558 人に何か教えようなどとは思っていません。
探求しています。
夢の中ではあり、寝言やうわごとをいいます。
自由でないことは知っています。
基盤がないので、これをしなさい、あれをしなさいと言う人の正しさが判断できま
せん。よって指導者に従うことはしません。
対話が成り立つには目覚めた人が必要です。手段がありますか?
かれはグルという制度自体否定していたのでは?
仏教でいうところの面受っていうのはいいなあとおもうのですが。
目の前にして語り合うのはわれわれも想像のつかない(情報)
がいきかいしますから。同時代に生きていればおれは万難を
排しあいにいったのでしょうが。・・・
とりつきにはなってもしょうがないが対話がひつようであったのは
たしかでしょうね。
>対話が成り立つには目覚めた人が必要です。手段がありますか?
いいえ、私は「対話」は、自分が自分に誠実なら、誰とでも成り立つと思います。
自分が自分に誠実でありさえすれば、あらゆる事象から学べるでしょう。
私は基本的に対話に必要なのは真剣さ、誠実さだと思います。
私が「誠実さ」という言葉で言うのは、たとえばコップに水が半分入っているのを見て、
それを「コップに水が半分入っている」
と、あるがままに余計な判断を挟まずに見ることです。
これを「まだ半分残っている」とポジティブに解釈したり、
あるいは「もう半分しか残っていない」などと
ネガティブに解釈したりしない態度のことですね。
それだけでかなり多くを学べると思います。
「真剣さ」は、そのあるがままの観察の深さのことです。
お役に立ちそうですか(笑)?
今年もあっというまに過ぎてしまった。
ばんこも、クリシュナムルティも、よいお年を・・・
真剣さは自分がないときにあって、
それは自由に見ることを促してくれる。
試行錯誤しながら、自分の仏性に気づいていくしかないな。
ありがとうございました。非聖非俗さん。
ひそかに尊敬しております。
>>563 たいへん勉強になりました。(マジ)
クリシュナムルティを普通にとらえていけばいいのですね。
あなたはクリシュナムルティに直接会いませんでしたか?
>あなたはクリシュナムルティに直接会いませんでしたか?
直接は会っていません。
ではあなたもよいお年を!
サンキューでした。
よいお年を!!
570 :
名無しさん@1周年:01/12/31 22:29
>>564非僧非俗さん
真剣さも、自分がないことも、自由ということもご存知なんですね。
それはすごいことだと思いましたが、
何をきっかけにそれらを体験なされたか是非お聞かせいただけませんでしょうか?
571 :
クリシュナムルティ:02/01/01 01:07
新年明けましておめでとうございます。
ガショーーーーーー!!
屠蘇飲み過ぎ、すでに正月ボケでござる。
>>570 オレの体験談なんてあまり意味ないよ。
正直なところ、それがすごいかどうかもわからん。
人はそれぞれに真剣だ。自己実現しようとするという意味で・・・。
ひとかどの者になろうとする試み・・・野心と言い換えてもいい。
そういう真剣さ、精神の集中は、単なる忘我にすぎない。
これは洞察、自己認識の問題。
気づいてることは、結局、それって真剣さじゃないってこと。
つまり怠惰、>558の云うところの「眠っている人」なのだ。
で、そうした動機を持たないものってあるだろうか?
忘我とは異なる「無我」があるとするなら、
自分が本当に好きなことをしている時なんだと思う。
その瞬間、それは在った。確かにそれは云える。妄想ではなく・・・。
というか、それは貴君も体験しているはずだよ。
見ること、聞くこと、>563の「観察」と云ってもいい。
真剣さがあるとき、愛してるとき、そこに自分はいなかった。
わかってるだろ?
だから、きっかけと云うことではないな。
明けましておめでとうございます
>>572非僧非俗さん。レスありがとうございます。
気づくというのはひとつの戦慄を伴う事件に等しい出来事じゃないか
と思っていましたが、「無我夢中」ということなら確かに私も
いくつも経験しています。
ですが、「自分はいなかった」という経験は、それぞれその場限りの1回きりの
「清々しい体験」で終了ということなら、そういう経験はいくら重ねても
自分が変わることはないのではないか?というのが私の感想です。
(表面的にというなら有り得ると思いますけど)
いまの私の疑問は「一体何に気づくのか?」ということです。
自分が思ってもみなかった意外な自分の姿・経験・出来事、
そういった思いがけない意外なものにリアリティさがある
ように思えてなりません。
人はそういったものに意表を突かれて圧倒されるものではないでしょうか。
それを目の当たりにして、体験して初めて人は変われると思うのです。
こういう捉え方というのも充分に野心的かもしれませんが…
私は本当は真剣さというものがどういうものか知りません。
自由というのがどういうものか知りません。
もちろん自分がないというのがどういうものかも知りません。
こういったことは私の中ではおそらく全て相対的に捉えられているに過ぎません。
例えば幸せひとつとっても他人の按配と比較して漠然と判断しているのです。
日々の生活に追われるしかない人生を送っているという意味では不幸であり、
アフガンの難民キャンプで飢えと寒さに苦しんでいる人々に比べれば幸せとも言えます。
ですがクリシュナムルティの言葉を素直に聞けば、
「私は生まれてこの方ずっと不幸だった」ということもいえるのです。
しかしこの「仮の事実」は私にとっては未だ意外なものではありません。
知的に比較検討されて初めてそうかもしれないと言える事実に過ぎないのです。
そういう事実認識の仕方に自己を変容させる力があるのか甚だ疑問に思います。
ナマ言ってすみません。
彼の教えにしたがって生きるっていうのは
相当デンジャラスだと思いますよ。(笑)
知らぬが仏と言うか、人に勧める事が出きる思想(?)だと思えない
575 :
名無しさん@1周年:02/01/01 17:34
人に勧める必要は無い
あけましておめでとうございます。
>>573 う〜む。深いところを突いてますね(^^)
今後の展開に期待。
577 :
非僧非俗 :02/01/02 05:39
>>570 まさに貴君の云うとおり、それ以下でも、それ以上でもない。
事実、オレの云う経験は、それぞれその場限りの1回きりの「清々しい体験」で
終了しているし、そういう経験はいくら重ねても自分が変わることはないのでは
ないのかも知れない。そして、オレもまた、日々の生活に追われるしかない人生
を送っているという意味では不幸であり、アフガンの難民キャンプで飢えと寒さ
に苦しんでいる人々に比べれば幸せだ。
確かに、そういうものの見方をすれば、相対的に見れば、そりゃそうだとしか云
いようがない。
そして我々は平凡この上ない日常に埋もれ、そこから一歩たりとも脱することも
ない。しかも、その挙げ句に、我々はこの自分をして「私は生まれてこの方ずっ
と不幸だった」と云わしめている。そうした自分が、何か劇的な、圧倒的な出来
事がもたらされることによって、変われると云うことだろうか? そして、それは
永続性のあるものと云うのだろうか? 逆に質問させてよ。
確かに云えることは、そうした渇望、野心、貪欲さは自己変容の力、きっかけに
はならないだろうと云うこと。オレ自身はそれに気づいてると云うことだけ。
そして貴君が「仮の事実」と呼ぶ世界こそが、オレにとっては唯一のリアリティ
であり、それ以外の世界について、オレは語ることが出来ない。
クリシュナムルティの神秘体験なるもの、
彼が云うところの「プロセス」は、オレ個人に限って云えば起こらないだろうな。
で、ナマ云ってるなんて思ってないし、互いに誠実で真剣であるのは当然。
>>574 クリシュナムルティ的に生きることの危険性より、
いまの世の中に生きることのほうが明らかに危険だよ。
相当デンジャラスだと云うのは貴君のつまらん考え。
そういう体制的なものの見方を身につけるのは貴君の勝手だが、
それを、さも訳知り顔で言表するのは、評論家がやることじゃん。
579 :
名無しさん@1周年:02/01/02 06:29
横レスになりますが・・・。
>ですが、「自分はいなかった」という経験は、それぞれその場限りの1回きりの
>「清々しい体験」で終了ということなら、そういう経験はいくら重ねても
>自分が変わることはないのではないか?というのが私の感想です。
>(表面的にというなら有り得ると思いますけど)
そうではないでしょう。
より深く没入するなら、実際には一回で十分です。
>いまの私の疑問は「一体何に気づくのか?」ということです。
>自分が思ってもみなかった意外な自分の姿・経験・出来事、
>そういった思いがけない意外なものにリアリティさがある
>ように思えてなりません。
気づきは最初のうちは、気がつく「対象」を必要とします。
対象と、それを見ている主体との一致が気づきですから。
しかし、最終的には、その気づきは、気づいている本人とピターっと一致します(笑)。
つまりKの言葉で言うなら
「見るものは、見られるものだ」
の境地ですね。
580 :
名無しさん@1周年:02/01/02 06:30
>人はそういったものに意表を突かれて圧倒されるものではないでしょうか。
>それを目の当たりにして、体験して初めて人は変われると思うのです。
>こういう捉え方というのも充分に野心的かもしれませんが…
実際に圧倒的です。
しかし、貴方が考えているようなものとは全く違っているでしょう。
>しかしこの「仮の事実」は私にとっては未だ意外なものではありません。
仮の事実ではなく、真実はどうか、ですね。
仮の事実からの延長線上に真実(変容)はないでしょう。
そういう「仮の事実」をいくら突っつき回しても意味はありません。
というのも、それが「仮の事実」なのは、
物事を比較して見ようとする貴方の心のあり方が真実ではないだけだから。
>>577 >確かに云えることは、そうした渇望、野心、貪欲さは自己変容の力、きっかけに
>はならないだろうと云うこと。
禿同です。
>>577非僧非俗さん
戦慄するような出来事によって人は変わるでしょう。永続性があるかどうかは分かりません。
ですが、これは私が実際に見聞して「客観的に」分析してそう判断しているだけの
いわば思い込みのようなものです。ですからこのように言うことにはなんの価値
もありません。それはお気づきのとおりです。
例えばヘレン=ケラーが水を被ったときの衝撃を我々がいくら分析しても、我々には
変容はもたらされないのと同じことだと思います。
「渇望、野心、貪欲さは自己変容の力、きっかけにはならない」は私も同感です。
ただ「気づく」という言葉についての貴方と違う認識があるとしたら、私はまだその
ことには「気づいて」いないのかもしれません。
はっきり言えることは、同感ではあるが、それでもなお私は渇望・野心・貪欲さを
持っているということです。しかし。更に言えば、そのことさえも気づいているのか
どうか疑問に思えてくるのです。堂々巡りですよね。
>>579さん
はじめまして。横レス大歓迎ですよ。
とりあえず「気づく」というテーマでお願いします。
より深く没入するために気づきがその原動力になるようなことをクリシュナジーは
言っていたと思います。
探究するにはまず気づきがないと始まらない。その気づきが探究力を
生む源になるとしたら、私はまだスタート地点にも立っていないことになる。
「自分はいなかった」という経験は記憶を辿って客観的に認識されるだけの
もので、それはそのまま気づきとはならず、探究すらしていないと言えそうです。
ですがクリシュナジーはこうも言っていました。
「それは不意にやってこなければならない」
しかしだからと言って棚ぼた的に構えることは馬鹿げているとしか思えません。
もう、どうすればいいのかさえ分かりません。
>>582 >ですがクリシュナジーはこうも言っていました。
>「それは不意にやってこなければならない」
まさに論点はこの部分ですね。
私のアンチテーゼでもあります。
今後の展開に期待しております。
>>578 今の世の中を生きていくほうが明かに危険だとなぜ言えるのでしょう?
何が危険なんですか。
組織に頼らない生き方ってどんな人間の事ですか?
具体的に教えてくださいませんか。
そんな奴が日本のどこにいるのですか。
ホームレスだって残飯が無ければ、食べて行けません。
585 :
つらつらとつとつ:02/01/03 01:00
自己が見る存在であったり、見られる存在(無我夢中)
であったりしているしていると自己は思っているが、
それは思考のトリックで見る存在としての自己しか
本当は記憶にない。いつのまにか思考=過去のなかに
生き始める。(言い換えてみたよ。)
見られる存在としての自己は論理性がないだろうから
ここに証明しようがないね。こういった書き込みを
している中にもこちらがわとあちらがわを往復して
いるんだけど。(思考は迅速に現れる。)
見られる存在として自己に没頭したいだけかな。今は。
自己を取り戻すため。
586 :
つらつらとつとつ:02/01/03 01:02
きょうは風がきついです。
>>584 え? なぜ危険と云えるかって?
いまの世の中が如何に危険であるのか、貴君は
それに気づかないのかい? よほど鈍感なんだろうな。
というか、慢性化しているのかも知れないぞ。
我々の目の前には競争があり、対立があり、戦争がある。
これで十分。くどくど具体的に説明することもなかろう。
それを貴君だって見てない訳じゃなかろう。
これを危険と云わずして・・・何が危険なんだい? 教えて欲しい。
組織に頼ること・・・物理的に頼るのは当然だろう。
それに何か疑問あるって云うんだい?
問題は心理的な依存だろ。
クリシュナムルティ的に生きることを、単にホームレスになるという
貴君の根拠はいったいどこから出てくるんだい?
クリシュナムルティ的に生きなくてもホームレスになる時にはなる。
クリシュナムルティ的に生きても生活に困らないこともあるだろ。
いったい何を根拠にそんなこと決定していくんだい?
なぜ貴君がそう主張するのか、
反対に具体的に説明してもらいたいんだが・・・
588 :
名無しさん@1周年:02/01/03 02:23
確かに、条件付けしてしまっている人がいるね、ここの参加者の中には。
クリの言っていることを実践しようとすると、ホームレスになる。
カチカチにそう思っている人がいる。
社会人になれば、自由な時間は限られてくるけど、
でも自由な時間はいくらかはあるはずだ。そんなときに、ふと立ち止まって、
考えてみる。
さて、そのとき、どのように考えたらいいのか。
そこが問題だ。
クリは、ただ、「見ろ」とだけ言っている。
それもなんか拍子抜けするんだよな。
やはり、人生甘くない。
>>570 戦慄するような出来事によって人は変わる。
また喉元すぎれば人は熱さも忘れる。
>私はまだそのことには「気づいて」いないのかもしれません。
いや、オレはそうは思わない。貴君は気づいてるんだよ。
オレにはわかる。と云うのも、貴君が誠実で真剣であるからだ。
誠実で真剣ある問いは、それ自身のなかに答えがある。
オレはそう思うわけよ。
>それでもなお私は渇望・野心・貪欲さを持っているということです。
まさか野心・貪欲が悪いことだとか、そういう接し方しているんじゃ
ないだろう? それを解釈も言葉もなく見ている・・・そういう状態を
貴君は体験したことないのかい?
>更に言えば、そのことさえも気づいているのかどうか疑問・・・
うーん、意図的に「私は中心がありません」と云う人って
よくそういう客観的な云い方するよね。中心的な云い方を避ける、
確信的な云い方に尻ごみする。ある意味での謙虚さ、あるいは優柔不断さ・・・
オレはシンプルに生きてることを実感している。
喜びがあり、悲しみがあり、怒りや苦しみがある。貴君は、
自分の中に野心や優越や劣等があることにも気づけないとでも云うのかい?
自分の中に真に愛があることにも気づけないとでも云うのかい?
>>570 >「それは不意にやってこなければならない」
まったくだ。作為でもなければ意図的でもないことは確かだ。
人を好きになるのは不意だ、愛そうとして愛するのはウソ。
>しかしだからと言って棚ぼた的に構えることは馬鹿げているとしか思えません。
クリシュナムルティは「消極的な気づき」の重要性について語ってる。
>もう、どうすればいいのかさえ分かりません。
どうしたらいいのか・・・? それは破壊的だよ。
これ以上、問題を増やしてどうするねん?
592 :
非僧非俗 :02/01/03 03:36
>>588 >クリは、ただ、「見ろ」とだけ言っている。
>それもなんか拍子抜けするんだよな。
オレはそう思わない。
見ること、ただ見ること、そして聞くこと、それが可能なら
オレたちの生は計り知れないほどダイナミックなものとなる。
毎日が新鮮で、いきいきしたものとなるはずだ。
この惰性にまみれた生に活力を与えるのは、刺激じゃない。
ただ見切って、そして死ぬ・・・それっきゃないと考える。
拍子抜けするなんて、とんでもねぇ勿体ないこと云うでねえよ。
いよいよ論点が明確になってきましたね(^^)
中核部分にメスが入るのでしょうか?
皆様の、高度な論戦に期待しております。
クリシュナムルティの教えを実践したら
「すべからくホームレスになる」なんて勝手に発言趣旨を捏造しないでください
私は(たとえとしてね)「ホームレスでさえ
社会の組織に依存してるじゃないか」と言っただけです。
クリシュナムルティの教えを、実践しよがしまいが
社会の危険性は別になくなりもしないと思うんですけど。
世捨て人でもないかぎり、かかわらずにいることも出来ないように思えますが。
>>589非僧非俗さん
仰るとおり私は気づいています。ですがそれは過去のものとしてです。
たとえ1秒前の出来事であってもそれは過去のものです。
私が問題としているのは「なぜそうした過去と決別できないのか?」という
ことなのです。
貪欲になる瞬間がある。愛する瞬間がある。怒り狂う瞬間がある。喜びに
満ち溢れる瞬間がある。それぞれの瞬間には確かに無私の状態があって、
そこには「それ」しかない。確かに仰るとおり私も気づいています。
しかし依然として前と変わらない自分にもハタと気づくのです。
すべてがバラバラです。断片的で、つぎはぎだらけなのです。
気づくとは一体どういうことなのか。なぜ私は変わらないのか。
変わろうとしない何かが働いているのか。気づいていると私が思っている
ものの正体は私そのものとしての「それ」ではないのではないか。
「気づかせる」のはこの「私」なのであり、それは決して「不意」では
なく「ふっと」「気づかされる」だけであり、そのように「される」ことは
たぶん、自己を変容させるものではない贋物に過ぎないのではないか。
だからといって無私の状態まで否定するわけではありません。それは
確かに「あった」ものだし、これからも度々あるでしょう。
ですがあいもかわらぬ私もあり続けるでしょう。
続きです
熱意が足りないのかもしれません。しかし熱意があるためには理解がなければ
ならない。気づきがなければならない。空元気ならいくらでも演じること
はできる。知的に理解することを徹底的にこなしてゆけば自分は悟ったの
ではないかと思い込ませるような状態までもっていくことは可能でしょう。
ですがそのような偏執病患者のような真似を演じてみたところで、本心
には決して逆らえないでしょう。私も実際そういう方に出会って話した
ことがありますが、どうしても「わざとらしさ」というものがちらほら
見え隠れしてしまう。私はそうはなりたくない。
ですが、ほんとうに魂消るような気づきを伴った人は何かが違う。
気取らず飾らず、押し付けがましくなく、説得調でも説明調でもなく、
その思いはどこまでも謙虚で、その熱意は止むところがない。クリシュナジー並み
かどうかは分かりません。しかしそういう変容を遂げたひとは確実に何人かいる。
私は敢えて極論してしまえば、気づいているかあるいは何も気づいていないかの
どちらかであると「考えて」います。
何に気づくのであれ、その気づきが探求と理解へつながるというのはその通り
だと思うからです(思うこと自体にはなんの意味もありませんが)
>どうしたらいいのか・・・? それは破壊的だよ。
>これ以上、問題を増やしてどうするねん?
これは思わず口が滑ってしまいました(笑)
頭で分かっていても、やってることが矛盾してますね。
597 :
名無しさん@1周年:02/01/03 14:43
580
>>582 >もう、どうすればいいのかさえ分かりません。
それはいい!
グッドです。
>>596 う〜む。なかなか深いですね。
今後の展開に期待。
599 :
名無しさん@1周年:02/01/03 21:21
クリシュナムルティは、本当にシンプルなことを言ってるんじゃないのかな。
シンプルすぎて、今の複雑化してる現実の中存在し思考や感性までも
それらの影響を受け複雑化してる人間の精神・内面に対しての警鐘を
打ち鳴らしてるのかもしれない。
まず、上も下も、善も悪も、主観も客観も、感情も理性も無く、
あるがままを観る、観察する。
それはまるで、この世の摂理法則を追い求めようとする科学者の目
それはまるで、この世の真実・不可思議を見極めたいという、子供の目(心の)
にも似ている。
それは、この世に生まれ出でた者のこの世を、確かめたい・知りたい
という、始めの一歩。
ここに(この世に)何があるのか、どんな現象を起こすのか
まず、それを見なさい、知りなさい、と言ってるような気がする。
考えたり、手を加えたりするのは、それを見てからのこと
まずは、あるがままに自分よりもずっとずっと前から存在していた
既存の法則に気が付くべきだ、と。
>>599 >クリシュナムルティは、本当にシンプルなことを言ってるんじゃないのかな。
そうだと思います。
>あるがままを観る、観察する。
この部分は「眼を凝らしてよ〜く観る」。とは少しニュアンスが違うのではないかと思う。
日本語として適当な言葉が無い。よって、こういう表現になったと思う。
601 :
クリシュナムルティ:02/01/04 01:57
シンプル イズ ベスト
>>563 申し訳ありませんが続けさせてください。戻りますが。、
真実なるものに未知なる者が見出すために出発点として
外的な感覚としての事物と内にあるもの(思考、連想、感情、身体感覚などの意識
の中身)の観察、みることからはじめる。
このことには同意していただけますか?
>>597,580さん
>それはいい!
自分で書いてて鬱気味になるほどなのに、どこがいいのでしょうか。
何もしなくていいということですか?
ですがそう「する」ためには余りにも酷い癖に悩まされてるのではないでしょうか。
とてもじゃないですが、本当にどうすればいいのか分からないのです。
ただひたすら見、聞き、感じる。残るものは残り、消え去るものは消え去る。
他に何もしないとき「それ」は必ず向こうからやってきます。
シンプルイズベスト。確かにそうです。シンプルになったとき人は最も多くの
ものを学べる。それは幾度も経験したことなのです。
ですが、なぜ、私は今ここでこうして書き込んでいるのでしょう?
そこに自己憐憫の深い流れがあるのはおぼろげに感じていますが、
それに言及するにはまだちょっと早いように思います。
604 :
名無しさん@1周年:02/01/04 02:58
この世の中に存在する膨大な、内・外ともに存在する事象。
それを、一時シンプルになったからと言って
一体どれだけのものを認識し垣間見れたんでしょうか。
それは、広大な砂漠の中の一粒の砂にすぎないのではないでしょうか。
ひとつ理解し二粒めに返ります。
そして三つ、四つと繰り返す。それは広さかもしれない、深さかもしれない
思考は無尽にその方向性があると思います。
と同時に、ただ見るだけから(クシュリナムルティの思考、思想)からの
脱却さえおも含んでいるのではないでしょうか。
彼がもし、あるがまま、なすがままの状態をそのままに
傍観者の立場を保つのならば、それは彼の生き方考え方であり
それに賛同するもよし、しかし彼の視点を保ちそこから
何かを行動する決心・確信が、何者かに生まれたなら、それは
その人間の新しい考えではないのでしょうか
いわゆる、弁証法というべきか?
いよいよ核心に迫ってきましたね。
606 :
名無しさん@1周年:02/01/04 04:47
弁証法も言葉も無我も不要。
今ここの自分に戻るだけ。
離れれば戻るだけ。
さらに離れればまた戻るだけ。
戻れなければ、戻れないことに気づくだけ。
危険も安全もない。
ただその生きる方法だけ。
う〜む。深い。
すでに言語の範疇を超えている。
608 :
つらつらとつとつ:02/01/04 08:36
言葉 思いを伝えるため投げかける。
論理 思いを達するための方法。
対話 共通点をさぐるために。たった一つの
捏造 ?そんなことば使わないほうがいいかと思う。
609 :
つらつらとつとつ:02/01/04 08:39
いよいよ難しくなってきました。
言葉は要らない。それは分かるような気がします。
例えば、速読法。
目にした文章を言語化していては、言語化した範囲内の分量でしか
内容は理解できません。
ですが、そのとき言語化しなければ、その何十倍もの情報を同じ
時間内に読み込むことができる。
速読中は音読中に使っていた脳の言語を司る部位は使われなくなる。
脳は(一部)不要というわけです。
これと似た共通点があるとしたら、単純さをもって気づきそして理解する
ためには、脳がでしゃばるわけにはいかないということでしょう。
速読は訓練で可能です。ある時突然出来るようになる。
ここではどうでしょう?訓練は必要ですか?
つまらん妄想でした。
597
>>603 >>それはいい!
>自分で書いてて鬱気味になるほどなのに、どこがいいのでしょうか。
>何もしなくていいということですか?
鬱になるくらいならなおのことよし!
極論すれば「何もしなくていい」としかいいようがないですね。
しかし、何もしないというのは、動きがない、ということを意味しません。
自然界を見れば、そこにはエゴ(自我)として、
何かが何かをコントロールしようとしているわけでもないにも関わらず、
自然の摂理によるバランスがあることが分かるでしょう。
何もしなければ、あなたはその一部なのではないでしょうか?
深い。深すぎる〜ぅぅぅ。
>>612 >何もしなければ、あなたはその一部なのではないでしょうか?
こころに染みる言葉ですね。
すっかり忘れていましたが、なんだか感傷的になってきました。
実はそのことは知っていました。知っていたにも関わらず、
なぜこんなに染み入るのでしょう?
言葉にすがるつもりはないのですが、いつでも私は慈悲を求めていました。
いや、慈悲と呼ばれるであろうものを求めているつもりでした。
「あなたはその一部」まったく心地よい響きを感じます。
私はそれを知っていました。それが私を慰めてくれるひとつの刺激なのです。
ですがこれは孤立といえる状態ではないでしょうか?
「あなたはその一部」、その一部であることに気づくその前に、
その孤立に気づくべきではないかと今、私は考えています。
孤立であることが理解できれば、私が即、孤立なのであれば、それは消え、
「その一部」であることが現前するのではないでしょうか?
しかしこのように書いてもなお、そのように考えること自体が非常な罪に
感じてしまうのです。葛藤がそこにはあります。
必要なのは、関係の自覚と発見なのでしょうか?それとも罪の自覚と発見
なのでしょうか?
615 :
名無しさん@1周年:02/01/04 22:45
>>612 >何もしなければ、あなたはその一部なのではないでしょうか?
何かをしても、その一部なのかもしれないですよ。
私達、人間を自然の摂理の範囲から特別視しなければ。
私たちは今、あたかも自然の摂理VS人間の作り得たもの、の視点で
捉えていますが、人間自身は自然の摂理からの産物で
その産物が、なぜか自らを生み出したもの、かつ自らを支えてくれているものを
追い詰める行為もしてる(それだけではなくプラスの行為もしてるが)
その矛盾に視点を重く置けば612さんのようにも思えるが
私たちも含めての自然の摂理とするならば、私たちがどちらを
選ぼうとそれは、自然の摂理の範疇に、入ってしまうのではあるまいか?
616 :
つらつらとつとつ:02/01/05 00:04
クリシュナムルティに答えを見出した人はそこから
はじめればいいかとおもう。実践云々いいだすと、
答えから外れていく。かれは何の規制もしていないのだしね。
正直、どんな質問もkの著作を開けばどこにも答えが
書いてある。不思議な著作。今、ちと読んで気づいたんだけど、
608>>言葉って記憶の運動、もしくは思考を発現させる
なんらかの出来事に対する思い出なんだよね。ハハハ
612>>瞑想には連続性が有るとkがいってたの思い出したよ。
まあおれは普通にやってければ十分かとおもってる。
617 :
名無しさん@1周年:02/01/05 01:15
>言葉にすがるつもりはないのですが、いつでも私は慈悲を求めていました。
>いや、慈悲と呼ばれるであろうものを求めているつもりでした。
よく分かる気がします。
その気持ちを、あるがままに見つめ、そのようなあり方がいけない、
と非難することもやめて、その気持ちの中に深く没入してみてはいかがでしょうか?
その気持ちがどこから来るのか?
私の経験では、慈悲を外に求める気持ちが強ければ強いほど、
本当には、その「慈悲のこころ」は自分自身の内にある、
ということに気がつきました。
人は自分の内側にあるものを外側に投影するので、つい慈悲のこころを外に求めますが、
実はそれは、自分の内側にある自分自身の心の叫びだったのです。
>孤立であることが理解できれば、私が即、孤立なのであれば、それは消え、
>「その一部」であることが現前するのではないでしょうか?
逆説的ですが、自分しかいない、というのは孤立ではありません。
自他の別を見ることが孤立です。
>しかしこのように書いてもなお、そのように考えること自体が非常な罪に
>感じてしまうのです。葛藤がそこにはあります。
>必要なのは、関係の自覚と発見なのでしょうか?それとも罪の自覚と発見
>なのでしょうか?
葛藤や罪の意識はどんな時でも持つ必要がない事です。
ただし、罪の意識があることに腹を立てて葛藤を感じるなら、
しばらくそのまま放っておいたほうがいいのかも知れませんね。
では(^-^)/。
>>570 >問題は「なぜそうした過去と決別できないのか?」ということなのです。
記憶喪失にでもならない限り、それは無理かも知れない。
過去と決別することが問題なのかい? それとも今を生きているという事実が
過去ではないもの、未来ではないものであるかも知れない。
しかも今を生きるという言葉自体も、主体も存在しない・・・
オレはそれを思考で捉えているだけなのだろうか?
オレは言葉を弄んでるだけだろうか?
しかし真に愛しているならば、そこに何の執着もないという事実を見た。
過去はそこにはなかった。
>すべてがバラバラで、断片的で、つぎはぎだらけなのです。
だが、次の瞬間、オレはその至福に、快楽に、満足に酔い、執着したかも知れない。
そうした状態に固執したかも知れない。
そうして、オレは、つぎはぎだらけの、断片化された自分に気づいている。
それを咎めることもしないし、ただ自分の心の動きに鋭敏に気づいている。
そこには、もはや過去に決別しようとするオレはいなかった。
野心という言葉を使ったけど、オレは貴君が野心的だって云ってないよ。
見出すための熱意や真剣さ、その性質と野心的であることは別物。
燃えているなら、真っ白な灰となって、残滓(過去)がないという表現は臭すぎかい?
>>570 >「不意」では、たぶん、自己を変容させるものではない贋物に過ぎないのではないか。
>棚ぼた的に構えることは馬鹿げている。
不意に起こることが偽りだと? 貴君の云い方には、積極的な探求、熱意を意味してる。
それと同時に、意図されたもの、意志されたものも含んでいるように感じる。
到達されるべきもの、達成、成就・・・言葉は何でもいいけど・・・
貴君は変容の足がかりを求めているのだろうか?
貴君の云う「意表を突く圧倒的なもの」って、
つぎはぎだらけの自分でも変容をなし遂げ、自分が自分の支配者となった感動・・・
まさか、そういう意味ではないのだろうが・・・そのように聞こえてくる。
オレの云う「意表を突く圧倒的なもの」は、不意にやってくるものなんだよ。
>知的に理解することを徹底的にこなしてゆけば自分は悟ったのではないかと
>思い込ませるような状態までもっていくことは可能でしょう。
>真似を演じてみたところで、本心には決して逆らえないでしょう。
予知、予測されたものは、あらかじめオレはどう喜ぶべきかも知っている。
ある意味では、そこに演技を感じさせもする。
だからオレは常にシラけているし、一歩も自分から離れてはいない。
幽霊を見た瞬間、たぶんオレは「意表を突く圧倒的なもの」なんだ。
しかし次の瞬間、オレは「恐かった」と叫ぶだろう。
でも幽霊を見た瞬間のオレはそこにはいない・・・そう思うのだが・・・
--------------
>例えばヘレン=ケラーが水を被ったときの衝撃を我々がいくら分析しても、
>我々には変容はもたらされないのと同じことだと思います。
--------------
>人はそういったものに意表を突かれて圧倒されるものではないでしょうか。
>それを目の当たりにして、体験して初めて人は変われると思うのです。
>こういう捉え方というのも充分に野心的かもしれませんが…
--------------
>自分が思ってもみなかった意外な自分の姿・経験・出来事、
>そういった思いがけない意外なものにリアリティさがある
>ように思えてなりません。
--------------
貴君の云わんとすること、把握できてないようで・・・ごめんな
>>570 >探究するにはまず気づきがないと始まらない。
探究するには、そこに「大いなる不満」がなければならない。
またオレたちは考えるための、学ぶための「自由」がなければならない。
だから、まずもって自由であらねばならない。
>「自分はいなかった」という経験は記憶を辿って客観的に認識されるだけの
>もので、それはそのまま気づきとはならず、探究すらしていないと言えそうです。
>何に気づくのであれ、その気づきが探求と理解へつながるというのはその通り
>だと思うからです(思うこと自体にはなんの意味もありませんが)
その経験をこれから出会うであろう物事、明日の自分に役立てようとするので
あれば、適用させるのであれば、そこに探求はないと言える。
だが、ここで語られた自分はいなかった」という言説は、
対話するにあたって用いられる範囲だよ。よって、このツッコミは逸脱。
>私は敢えて極論してしまえば、気づいているかあるいは何も気づいていないかの
>どちらかであると「考えて」います。
全か無か・・・実にその通りなのではあるが・・・
>孤立といえる状態ではないでしょうか?
>孤立であることが理解できれば、私が即、孤立なのであれば、それは消え、
>「その一部」であることが現前するのではないでしょうか?
孤立ってことは、貴君は何からも壁絶されている、無関係である状態ということ?
>しかしこのように書いてもなお、そのように考えること自体が非常な罪に
>感じてしまうのです。
しかるに無関係であり続ける自分に罪の意識がある?そういうことなの?
云いたいこと理解できなくて、悪いな、オレ頭悪いから、勘弁してな。
>必要なのは、関係の自覚と発見なのでしょうか?それとも罪の自覚と発見
>なのでしょうか?
>余りにも酷い癖に悩まされてる・・・
なんか話がゴチャゴチャしてきたな、いっぺん単純にしたいのだが、
罪の自覚が関係の自覚を促す・・・それが必要ということかい?
関係が自覚されてくると、自分の罪深さに気づかされるということ?
どっちが必要かと云うこと? ちょっと意味がよくわからないでいる。
これって掲示板の会話の限界なんだろうか・・・?
貴君はいったい何を話したいんだい?
>>612 >極論すれば「何もしなくていい」としかいいようがないですね。
>何かが何かをコントロールしようとしているわけでもないにも関わらず、
>自然の摂理によるバランスがあることが分かるでしょう。
>何もしなければ、あなたはその一部なのではないでしょうか?
無為自然・・・むしろ意識的にオレは無為自然であろうとしているかも・・・
それくらい大切なことだと認識しているからね・・・
でも意図しているから無為自然とは言えないかもな・・・藁
それくらい困難なこと、オレはすぐに挙動蒙昧しがちだからね。
それって逃避的だ。浅薄、軽薄・・・だ!
よかれと思ってすることでさえ、オレの言動が人を傷つけることもある。
つきつめて・・・だから敢えて無為であろうとする。
無為ということであれば、2chで発言するのは矛盾してるかい?
>>594 >クリシュナムルティの教えを実践したら
>「すべからくホームレスになる」なんて勝手に発言趣旨を捏造しないでください
はい、すいません、オレにはそう聞こえたもので、ついつい・・・、怒らないでね。
>私は(たとえとしてね)「ホームレスでさえ
>社会の組織に依存してるじゃないか」と言っただけです。
ホームレスだろうと大金持ちだろうと等しく、この社会に依存しているぜ。
だから再度、組織に頼ること・・・物理的に頼るのは当然だろう。
それに何か疑問あるって云うんだい? 問題は心理的な依存だよね。
>クリシュナムルティの教えを、実践しよがしまいが
>社会の危険性は別になくなりもしないと思うんですけど。
否、オレ個人としては、少なくても住みやすい世界になると思うのだが・・・
一人でも多くの人間が「覚醒」すれば、パラダイムシフトするかも・・・
クリシュナムルティが90歳まで語り続けてきた情熱、本質は、これだよ。
彼は我々がこの世の中で生きていけないような教えを述べているのか?
そんなことはないだろう。
>世捨て人でもないかぎり、かかわらずにいることも出来ないように思えますが。
世捨て人のことは、この際、問題からはずしておこう。
俗中にあって俗中に立つ人たちのことを話し合おう。
>彼の教えにしたがって生きるっていうのは
>相当デンジャラスだと思いますよ。(笑)
>知らぬが仏と言うか、人に勧める事が出きる思想(?)だと思えない。
でも、本当は貴君が何を云いたいのか、よくわかってるんだ。
でも無知であることが幸せと云う貴君に、ちょっと逆らってみたくなっただけ。
ごめんな。
別にまわりの人に勧めてはないけど、やっぱりオレの言動が望むと望まざるとに
かかわらず影響を与えることだってあるのさ。
クリシュナムルティを知らない人とも、分かち合いたいと思う気持ちはあるよ。
623 :
非僧非俗 :02/01/05 02:47
変人、もしオレたちの対話が核心部分を通り越してしまったら、
教えてくれ・・・実況中継、ご苦労さん・・・藁
つらつらとつとつ
>言葉 思いを伝えるため投げかける。
>論理 思いを達するための方法。
>対話 共通点をさぐるために。たった一つの・・・
↑ これパクっていいかな? 今度、好きな女の前で語りたいセリフだぜ・・・藁
>実践云々いいだすと、答えから外れていく。
>正直、どんな質問もkの著作を開けばどこにも答えが書いてある。不思議な著作。
>まあおれは普通にやってければ十分かとおもってる。
オレも無理せず淡々とやっていこうと思ってるよ。
どうせやりはじめたことだから、なるべく、遠くまで行ってみたいし・・・な。
>>604 >この世の中に存在する膨大な、内・外ともに存在する事象。
>それを、一時シンプルになったからと言って
>一体どれだけのものを認識し垣間見れたんでしょうか。
>それは、広大な砂漠の中の一粒の砂にすぎないのではないでしょうか。
>ひとつ理解し二粒めに返ります。
>そして三つ、四つと繰り返す。それは広さかもしれない、深さかもしれない
>思考は無尽にその方向性があると思います。
思考は確かに方向性であるが、しかしそれは無尽ではなかろう。
思考の持つ限界を見たことはないのかい?
それにオレは一人の人間の中に、そして自分の中に、深く入っていくと、
そこに世界を見る。あらゆるものが、そこに在ると気づいてるよ。
100人の人と社交するよりもオレには意義深いことだった。
一粒の砂、一粒の米、一輪の花、一枚の葉、その中に世界を見れずに、
必要を無視して100粒の砂を知ったところで、知ったことになるかい?
それこそが知的満足だと思うのだが・・・
>と同時に、ただ見るだけから(クシュリナムルティの思考、思想)からの
>脱却さえおも含んでいるのではないでしょうか。
>彼がもし、あるがまま、なすがままの状態をそのままに
>傍観者の立場を保つのならば、それは彼の生き方考え方であり
>それに賛同するもよし、しかし彼の視点を保ちそこから
>何かを行動する決心・確信が、何者かに生まれたなら、それは
>その人間の新しい考えではないのでしょうか
クリシュナムルティは傍観者の立場とするのはオソマツな見方だよ。
それにクリシュナムルティに賛同するとか、そういう問題でもないし・・・
オレはそういう取り組み方したことないなぁー。
オレはいまだにクリシュナムルティに到達できないでいる自分の不甲斐なさ
を恥じてはいる。よって脱却するまでも至ってないのよ。
クリシュナムルティに行動しようとも考えてないし・・・弱ったな。
行動と行為の違い、、、わかる?
ばんこ、どこにいるんだい?
まだ正月休暇中か?
早く戻ってこいよ〜
新しい「ものの見方考え方」の潮流を感じます。
互いの「考え方」の共通項を探すのではなく、相手のレスにより「自分を発見する」。
まあ、こういった共通認識が見られます。
新鮮な気持ちでROMさせて頂きました。
続けてROMしながら、勉強していきたいと思っております。
628 :
名無しさん@1周年:02/01/05 14:52
>>625 確かに、一人の人間の思考の限界は存在すると思います。
ただ、私とあなたの意見が噛み合わなかったのは、あなたは「個人の思考」を
念頭に置いての考えで、私は「複数の人間の集合体としての思考」あるいは
無尽蔵にある思考の方向性の組み合わせシステムについて、客観的に
語ったのです。一個人の人間の思考の許容量や限界のことは
念頭に置いていなかったのです。また、それについての言葉でもないのです。
ある意味では、あなたの視点は自己の内面に分け入って行くミクロな視点で
私が語ったのは 人間個人では把握・内包できないマクロ的なことだったので
その方向性の違いから、あなたが違和感を感じたのかもしれません。
しかしこれは一見正反対の方向性をとりながらも、大きな視点で考えれば
同じものなのかもしれません。
>>617さん
少し訂正です。私が求めていた慈悲と呼ばれるものは、べつに外に求めていた
わけではありませんでした。
私は慈しみを自分自身に求めています。愛するこころを見つけ出したいのです。
一般的に使われる「愛する」という意味のことではありません。
人を愛する。自然を愛する。仕事を愛する。そういうのとはまた違った別の意味です。
いつでも私は、気がつけば愛していたことも度々あった。ですがその一方で
冷静になれる自分も存在していました。その偽りの姿に途方に暮れたこともしばしばでした。
その愛と慈しみは全く偽物なのです。
慈悲や愛ということばで飾られているけれども、私はそれらを利用していました。
謙虚にそして自然体になったときでさえ、それらの心地よさと情熱に酔いしれていました。
たとえそれが一瞬のできごとであろうとも、「あれは本物であった。確かにそういう瞬間
があるのだ」と言わしめるのです。しかしそれは自己を憐れむこころから端を発して
いるのではないでしょうか。
そしてこういった諸々のことを知るというのも、それは自己憐憫から生じた運動・行為
ではないでしょうか。そこには自己にしかかかずらっていられない、孤立した姿が
見えてくるのではないでしょうか。それなのにどうして関係について語ることができる
でしょう?
関係かしからずば無関係か。関係ならば慈悲に至る道は拓けるでしょう。ですが、
無関係は自身の孤立を意味するのではないでしょうか?私はこの世のありとあらゆるも
のと関係しているか?甚だ疑わしい。
クリシュナジーがそう指摘していたから相槌打っているわけではありません。
ほぼ確定的にそうなのではないかと疑っています。なのに気づけないでいるのです。
必要最低限、理解しようとする意志が必要なのであれば、単純に意志力が足りないだけ
なのかもしれません。
非僧非俗さん。
かなり厳しくてしんどい作業ですね。自分がどうしたいのかは、かなり明確になっている
はずなんですが、自分を調べるということになると、どうも見ていると思われるものと、
本心と思われるものがごちゃごちゃになってしまうように思えます。言葉はそのつど違っても
堂々巡りのような気もするんですが、非僧非俗さんのご提案通り単純にしてみましたが、
ちょっと怪しいかもしれません。
なにやらお悩み相談コーナーみたいですね(苦笑)
本当に自身で発見していないものについて、憶測によって断定しようとする行為に
探求を阻害する危ういものを感じたのも事実でして、それを指して「罪」と表現
しました。同じ過ちを繰り返しているに過ぎないという意味で。
罪という言葉に殊更に思い入れしているわけではないですが、思わず使ってしまいました。
関係については、関係しているかもしれないが、私は自分自身にしかかかずらっていない
という自覚が明らかになれば、いくら人と関わっているフリをしていようと、互いに
無関係であることが明らかになるでしょう。ですがこのように言うことには何の意味
もないことも明らかです。これも同じ過ちです。
以前から考えていたことは、知っていることが却って探求を阻害しているのではないか
という疑問でした。
クリシュナジーの著作のどこにも答えは書かれていません。ですが肝心なのは、
読み手である私がどう捉えるかではないでしょうか。
そこに書かれたものを「答えとして利用する」ということであれば、それは探求にとって
大きな障害となり得るのではないでしょうか。
クリシュナジーはこうも言っていました。「私の言うことも疑いなさい」
はたして私にはそれができるか?
一度知的に知ってしまったものを一回リセットして「気づく」ことなどできるのか?
書かれたものを鵜呑みにしたわけではない。相槌打ってお追従しているわけでもない。
読み砕きながら自分自身の感情や記憶や思いと照らし合わせながら、「確かにその通り
だ」と我が意を得た結果、クリシュナジーにひとかどの想いを寄せているのでは
ないでしょうか?
続きです。
そして問題は「そうした過去と決別して」見出すことが果たして可能なのでしょうか?
ということが言いたかったのです。
「気づいた」と思わせる、そうした諸々の体験にはもはや意味などない、と言いますか、
意味を付すことは馬鹿げているように思えます。その時はふっと訪れたいい経験では
あったけれども、それがどうした、と言われればそれまでの経験なのです。経験は
どこまで行っても経験ですし、それは私の体が経験したのではなく(そうだったかも
しれませんが)、私の脳が経験した事実にとって変わられる、過去に変貌してしまう
のです。
気づくということは一体どういうことなのでしょうか?
少なくとも「気づかされる」ではないと思います。気づくは分かりませんが、気づかされる
なら分かります。
「瞑想とは、新たなるものの不断の開示である」ならば、私はその「新たなるものを不断に」
見出しているでしょうか?
例えば、毎朝見るたびに違う色彩と空気を匂わせる外の風景。その風景を発見した瞬間、
私などどこにもなく、道行く人も野に立つ木にも距離感がまったくないことに気づくでしょう。
そしてこういった現象が起こったことに気づかされるでしょう。
あるいは生も死もないことにハタと気づくこともあるでしょう。そしてそう気づかされたこと
に気づくでしょう。
気づいたか気づかされたか、どちらでしょうか?
自分がどれだけ熱意を持っているか、社会に対してどれだけ危険なものとなっているか、
それを判定基準とするなら、そして何も変わっていないのなら、私は決して何も気づいては
いなかったということになるのです。すべてが断片的なのです。そして残念ながらこういった
こと全てに対しても私は何一つ気づいていない公算が大きいのです。
もう「大いなる不満」をバネにするだけが頼みの綱です。
632 :
名無しさん@1周年:02/01/05 16:05
どうせヒッピー集団だろ。
化石集団
>570
「気づき」は常に受動的なものだというのがオレのこの場での結論。
どこかで消極的と書いたけど、あれは受動的の間違い。ここで訂正する。
で、気づいたか、気づかされたか・・・それを受動的、能動的とに置き換えれば、
気づいたと云うのは、能動的なニュアンスがある。よって、その気づきは疑問。
で、気づかされたと云うのは、受動的だから妥当性があるように思える、が、
貴君が云うように、依然として、すべてがバラバラで、つぎはぎだらけならば、
それが気づきと云えるかどうか疑問だ。
だから「気づいた」か「気づかされた」か、それを直接問題として論じるのは
無意味なような気がしないでもない。
「私」が気づいたもの、それが私を出てないのなら、それも偽物臭いだろう。
何故なら、私が過去であり、既知そのものであるからだ。
私が気づいたものは、私の範囲を越えてはいないと云うのがオレの前提になってる。
それは決して未知なるものに出会うことはないだろう。
だから未知なるものが在るためには、そこに私があってはならないのだと思う。
そうなると、どうしても表現としては「気づかされた」と受動的な、あるいは謙虚な
云い方をしておくほうが無難だなってこと、そのへんで折り合いを付けるしかないよ。
「気づいた」か「気づかされた」については、こんなものでいいんじゃないの?
中心的な問題は、すべてがバラバラで、つぎはぎだらけの自分・・・の変容だから、
で、話を戻すと「圧倒的な刺激が変容につながる」のかい?
貴君は自分ではない何者かに変わりたいのかい?
634 :
クリシュナムルティ:02/01/05 23:04
未知との遭遇
635 :
名無しさん@1周年:02/01/06 01:25
617
>>629 >そしてこういった諸々のことを知るというのも、それは自己憐憫から生じた運動・行為
>ではないでしょうか。そこには自己にしかかかずらっていられない、孤立した姿が
>見えてくるのではないでしょうか。それなのにどうして関係について語ることができる
>でしょう?
自己憐憫という感情は、独りでは決して起こり得ません。
誰か他の人がいて、その人に情けをかけてほしいときに生じる心の動きでしょう。
そこには心理学でいうところの投射機制が働いています。
もっともそのような形で自己対他者の分別を見るときに、
人は孤独を感じるわけなので、それを孤立と表現する意味はわかります。
私には貴方の使っている用語に少し混乱があるように思います。
>関係かしからずば無関係か。関係ならば慈悲に至る道は拓けるでしょう。ですが、
>無関係は自身の孤立を意味するのではないでしょうか?私はこの世のありとあらゆるも
>のと関係しているか?甚だ疑わしい。
自己対他者の関係性は孤独と孤立の道でしょう。
貴方が、自分は独りである、ということが分からない限り、
本当には「愛」の意味も分からないでしょう。
635
>>633 >「気づき」は常に受動的なものだというのがオレのこの場での結論。
禿同です。
私は行動ではない無修行と呼んでいます(笑)。
637 :
名無しさん@1周年:02/01/06 01:37
よくわからない。でも言わせて。自分がどう思ったって、自他を構成する素粒子は
互いに干渉を続けているし、結局のところ人間の意識がそこまで認識できない
だけなんじゃない?もっと簡単に言えば死んだら自然に還るとかさ。この指の
たんぱく質は私ですか?そんなの判断しても仕方ない。感覚を研ぎ澄ませて
いくことしか手がないような・・・ま、知った様なことはここまでにしましょ。
636
>>637 >いくことしか手がないような・・・ま、知った様なことはここまでにしましょ。
Kの本でどこにどういうことが書いてあるか、
という「知識」のお話だと思っていましたか?
貴方が分からないのを正直に告白するのはいいですが、
私は自分の知ったことを元に話をしているだけです。
>>633非僧非俗さん
気づかされたという言葉には謙りの気持ちが込められていると思うし、私も実際そう
いう感じで使っていますが、気づいた時にはそのように謙る必要なんてどこにも
ないと思うんですよね。私自身の今の言葉では気づかされたが一番馴染む感じです。
その場その時になって果たしてどっちの言葉が飛び出すか、さほど問題にする
ほどの違いでもないといわれればそうかなあという気もします。
>で、話を戻すと「圧倒的な刺激が変容につながる」のかい?
>貴君は自分ではない何者かに変わりたいのかい?
おそらく私はどこまで行っても永久に私だと思います。だから何者かに変わりたい
わけではないし、たとえ変わったとしても、「変わった」と言わしめる私は
依然として私のままではないでしょうか。
確かに私は変わりたい、というか何かを理解したいという望みは持っていますが、
自己探求というのは変わるためにやるものか?といえば、決してそうじゃない。
本来、目的がないのは自明だと私も思います。
それと
>>581でも書きましたが、「圧倒的な刺激が変容につながる」というのは
私の思い込みですからあんまり気にしないでください。
思い込みといえば、書いてることほとんど思い込みという気がしないでもないですが…
>>617さん
なにか言葉の認識の違いというか、お話の内容になにか強烈な違和感を感じます。
これは私の文章力の拙さによって一部誤解が生じたためと思いますが、
一旦ここで対話は打ち切りたいと思います。
一方的でまことに申し訳ありません。
いろいろありがとうございました。
635
>>640 >一方的でまことに申し訳ありません。
別に気にしなくていいですよ。
>>570 >さほど問題にするほどの違いでもないといわれれば
>そうかなあという気もします。
ありがとよ、それについては、また関連の中で必然的に取り上げられる
ことだろうから、いずれ決着つくことだと思ってるんだ。
>私は敢えて極論してしまえば、気づいているかあるいは
>何も気づいていないかのどちらかであると「考えて」います。
>関係か無関係か・・・、
こうした峻厳さ、明快さはオレも必要だと感じてるよ。
そうした視点から自分を見れば、オレは「気づいてない」と
云うしかないだろうな。無念ではあるが、それは事実だ。
しかしクリシュナムルティは云う。
「バカな奴は、利口ぶる。利口ぶるのはバカの証拠だ。
でも自分がバカであることを知ってる奴は利口だ」。と
バカな奴と利口な人間との違いは、たぶん、これだけだろうな。
断片である自分、それに気づいているなら、それでいいじゃん?
またクリシュナムルティは、覚醒は垂直的だと云う。
段階的なものは思考によるものであり、それは覚醒じゃないらしい。
オレには垂直的な覚醒は起こってないし、決定的な変容もないかも
知れないが、それはそれで素直に受け入れて生きていこうと思ってるよ。
で、オレに出来ることは、いまのところ、段階的な思考による覚醒とか、
妄想とか、そういう偽物は一切否定することだけだな。
苦しいなぁーと感じることもあるけど、仕方ない、自分が歩く道だからな。
いつか「最愛の方」に会えるように、熱意と真剣さをもってラブコール
するっきゃないだろうよ。
誰かが「知らぬが仏」とか「危険」だとか、ホームレスになるよって、
親切そうに忠告してくれるけど、ラクな道を選べない自分も認識している。
それでいいと思ってる。云っとくが、これは自己憐憫じゃないぜ。
腹をくくっているのさ。自分を大切にしたいんだよ。
自分が自分でいられないような不自由な生き方は、まっぴらご免ってことだ。
そう思わないか? なぁ兄弟! 共にがんばろうぜ!
>>628 そかそか「個人の思考」を念頭に入れておかなかったんだ。
で、話が噛み合わなかったということだな。了解。
オレは「自己の内面に分け入って行くミクロな視点」
貴君は「個人では把握・内包できないマクロ的なこと」
で、一見正反対の方向性をとりながらも、大きな視点で考えれば
同じものだと云うのが貴君の考えだ。なるほど・・・、
何か、うまくまとめられてしまったような気もするが、まぁいいか。
で、わからない点は、「複数の人間の集合体としての思考」のことだ。
これは群集心理のこと? あるいは何かもっとスピリチュアルなこと?
科学的なDNAとか、何かそんな話をしているのかい?
さらには「無尽蔵にある思考の方向性の組み合わせシステム」というのも、
オレには難しくてよくわからん。マクロな視点に立つと、
思考は無尽蔵に方向があるってこと? 思考が無尽蔵ってこと?
ごめんな、よく理解できなくて・・・、
でも貴君が大きな視点ではオレたちは同じだと云うからには、
そうなんだろうなぁーって思うことにするよ。
638の続き。
ずっとロムしている人の中には、637さんのような印象を持つ人も多いと思うので・・・・。
物理学者が物理の法則について、これは事実だ、という話をするとき、
別に当たり前のことを言っているだけなのでそこに疑問を持つ必要はない。
もちろん人によっては相対性理論がわかんないとか、
地球が丸いとどうして言えるんだ?本当は平べったいはずだ、と疑う人もいるだろう。
しかし、そういうことは結局は程度の問題で、
1+1は2である、ということを疑うのとたいして変わらない。
そういうのは信じる対象ではないし、同時に疑う対象でもない。
したがって、ただ見ればよろしい。
人の心のありようも同じで、そこには一定の法則がある。
私が635で言っていることも、その手の一般論で、
分かる人には、はっきりと分かるという事実に過ぎない。
もちろん、知識として一応知ってはいる、という人もいれば、
身をもって体験した、という人の違いはあるだろう。
私は身をもって知っているのでそのように話をしている。
まだ知識としてしか知らないのなら、自分の内側を深く覗いてみれば分かること。
私は別に、私を信じなさい、とは言っていない。
第一、ここで議論したところで、それが正しいかどうかの結論など出るはずもない。
さらに、否定の本質は否定を肯定する事にはない。
これもはっきりとした動かしがたい単なる事実。異論の余地は全くない。
これが分からないで対話に入るのはただただ時間の無駄。
何を言ってもその反対(否定)を言うだけで、
問題の周りをぐるぐる回るだけ。これでは問題の核心である、
「自分はどうか」
というところにけっしてたどり着かないからだ。
「否定により事実を見ていくこと」と「事実を否定すること」とがごっちゃになっていれば、
自分がどうか、という事実を否定して、ごまかすだけに終始する可能性もある。
結局、人の心の中身は本人にしか分からないので本人が自分に誠実であるしかない。
そして本人が自分に誠実なら、あらゆる事が教えの源になるし、
自分の本当の心のありようから目を背ければ、孤立を感じるだけだろう。
>>642非僧非俗さん
>ラクな道を選べない自分も認識している。
日々同じことの繰り返し、人間関係でのウソはったり、でっちあげられた
共有感覚、そういった中で演じ続けていかなければならないこともまたラクな
道ではありません。束の間の楽しみを見つけながら生きていくしか術がない
現実にうんざりし始めています。
クリシュナジーは一条の光です。その光はまた自分自身の中にも見出さなければ
なりません。それも確かにラクな道ではありません。ですが、「これが現実なのさ」
としたり顔して、抜け目のない世間知を駆使して世渡りしたところで何が自分
にとっていいことなのか、その欺瞞と嘘に気づき始めてしまった以上は、それに
服従して生きることは私にとっては妥協以上の敗北に等しいことです。
同じラクな道でないなら、密かに気づき始めた自分自身の光を信じて生きつづけ
たいです。それを見失わずにいけるかどうか、先のことはわかりません。
でもがんばるしかないですね。私も自分でいられなくなる不自由な生き方は
ご免です。
この1週間はみなさんのおかげでとても充実できました。
いろいろありがとうございました。
またちょくちょく顔出すかもしれませんが、そのときはまたヨロシクです。
647 :
困難である:02/01/07 19:39
もはもはもは困難である
やあ。
やあ。
どうやら自分は自然から搾取することしかしらないようだ。
殺すことに無関心に成った今、自然は何も答えてクレナイ。
たばこ吸いながら雲の流れを見ているとテレビ画像と変わらない。
ちと思ったよ。洞察は脳細胞を変えるそうだね。
つきすすみたいね。なんせ言葉は当のものと違うからね笑)
651 :
クリシュナムルティ:02/01/14 01:00
なぜに14日が成人の日?
651すべてに「できるだろうか?」を付属させていただきやす。
そんなことできるだろうか?
どうだい?ちょっとくらい気づいたかい?なんてね
ああそうかい。そんなことくらいしっていたのかい?
思考は問い掛け以外なにものでもない。
ちと俺が気づいたこと。よろしく。
また再開することを期待しております。
ばんこ、一人で吠えてる・・・藁
自分が愛するものを破壊することは何とたやすいことか!
絶え間ない摩擦と失望、そして挫折を通じて、我々は身も心もすり減らし、
明るく輝いていたものが、やがては曇り、重苦しいものになる。
愛の関係は複雑で、そこから傷つかずに出てこられる人はごくわずかである。
我々は愛の関係が永続することを望むが、
しかし愛について深く理解しようとはしない。
これこそが愛の関係における最大の問題である。
人は何故、愛について深く理解することを拒むのだろうか?
愛が「自我の動き」を暴露するからである。
「自己暴露」は「浄化の過程」なのだが、
多くの人は、この「自己暴露」を望まない。
何故なら、それは不安と恐怖をもたらすからである。
しかし、この暴露がなければ関係はほとんど意味を持たない。
困難は、我々のいわゆる愛にある。
我々は愛してなどいない。
愛は寛容であり また情け深い
忍耐強く また嫉妬深い。
我々は、愛すことにより傷つき、また満たされる。
愛の成就は成される事なく その全てが結実するのである。 変人
適切な言葉ありがとう。お二方のおっしゃることは人間が幾千年にもわたって
繰り返してきた事実。解釈は不要かとおもうのだが・・とりあえず礼を申し上げます。
自分は一般的に言うところの愛をさぼることができないかという発想でしばらく
やってきたんだがどうもこうもないね。
愛の成就は成されることなく その全てが結実するのである。か。
ふと、真実の道を聞けば夕べに死んでもええいってた、孔子の言葉をおもいだしたよ。
まあ、またよろしく。礼。
さぼりはいい気分だあね。(^^)
そうだな。救いを求めて読む本じゃないな。
自己○○にきづくだけ。正気を望むなら逃げられはしないが。
どちらにしても
クリシュナムルティを扱ってるワシのHPにも遊びに来てくれんかの?
はい。よせてもらいます。^^
またよかったらリンクはってください。
ああ、いってることわかったよ。>662
だいたい察しはついてたんだけど。hp読んだことなかったんで。
おもしろそうですな。ハハ
あと全か無かもね ??????
ばかども最後にいっておく。はらのむしがおさまらんからな。
それにしてもアザーネスのなぞは残るがしかしkは見たのであり、
それは近いものであったろう。「何者にも触れられない近いもの」
どう思う?それはあなたなんだよ。
あんたらそんな近くのものばっかりすきなのか?
あなたはあなた(遠く)の道をいけばいいじゃないか。
方向がわからなくなったらあなたにきけ。
近いものに飽きたらあなたにきけ。
あなたに飽きたら愛にきけ。
これでおれもおりるよ。
いつかであえるといいな。藁
669 :
名無しさん@1周年:02/01/18 00:48
違う言い方をすると、ハイアーセルフのことかな?
670 :
名無しさん@1周年:02/01/18 00:56
ばんこさん、皆があなたにお返事しないのは
あなたが、みなの意見に対しての意見や絡みが無いからなのではないでしょうか?
あるいは、ばんこさんなりの解釈や感覚を書き込んでくれないと
お話するにも、何を言えばいいのか、きっかけが無く
困ってしまいます。
ひたすら真に受けてきたおれはどうなるんだ。そんなかんたんにはゆるさない。
てめーら。とりあえずねるがな。つまらん指摘はよしてくれ。手につけられない
怒りをこんなところでせおってもらってわるいな。
672 :
名無しさん@1周年:02/01/18 02:18
だってあなたは、お正月の会話の中に参加していなかったし
私はあの時期に4・5回だけレスしてた者なのですが、
あの時期のやり取りも二本立ての会話になっていたようですし。
きちんと質問なり、反論なり、自分論なりを書かなきゃ
だめですよ。それが小さなことでも、。
全部を真にうけちゃだめですよ、「本当なのだろうか?」という
疑いの目を、あなた自身が持たなくては、クリシュナムルティもそんなこと書いてたんでしょ?
そしてあなた自身が、その意見・内容をジャッジするところも(見抜くことも)
人が生きる上では必要になってくるでしょう?
その場で解らなければ、一時保留しておいて
判断できる知識。力があなたにつくまでそのままにしておく
という手もある。
柔軟な思考を自分のものにしてね。
673 :
名無しさん@1周年:02/01/18 02:21
おせっかいな奴だな。
674 :
名無しさん@1周年:02/01/18 02:27
別にいいじゃんかよ
おまえはジャッジが好きなのか。
洗練名人よ。
676 :
名無しさん@1周年:02/01/18 02:48
ま、ばんこって奴も改名したほうがいいけど
あーだのこーだの人のこと想像して
あたりさわりのないことをいって
すーーーとしてんじゃねぇよ
678 :
名無しさん@1周年:02/01/18 02:54
ジャッジ好きだよ。というか生きる上に不可欠だ
あっ、それと言っときますが
>>676さんは
私と違いますから
栗衆名無るてぃなんてやめとけ。もう
ヘモグロビンエキスでものんどけ
こーーーのーーーやろまったく。
この糞女。糞塗り女。
名乗ってません。見習うところもあるな、賛成できることもあるな、
自分と似てる(一致部分)とこもあるな、
こういう考え方も時には有効かなと、見てるだけなんですが。
彼は彼ですよ
683 :
名無しさん@1周年:02/01/18 03:05
わんばんこ。鶴光でおま。
やりこめ野郎
ばんこさんが、なにを言いたい・主張したいのか
よくわかりません・・・
ケンカをしたい訳ではないのですが・・
どうして、そんなに起こるのですか?
何か悪いことを言ったでしょうか?
おれはもう29なんだ。
洗練された凶器にかみついてなにがわるい
689 :
名無しさん@1周年:02/01/18 03:14
29?肉か。
共通認識はあるかい
ここは馬鹿度もの集まる掲示板
おれはおまえらとちがって
ここで吐いてんだよ。
692 :
名無しさん@1周年:02/01/18 03:20
カスだな。
693 :
名無しさん@1周年:02/01/18 03:21
ふ〜ん
ここでつくりたいもんなんかないな
689さん、あんまり茶々入れないで・・・・
スンマソ。ばんこさん・・・ワシ、その・・あんたより上なんです・・
上つーのは、あなたより年くってるつーことです・・・鬱
世間でもつくりたいもんなんかないな
無駄に年だけ喰ったってわけか
でも、できるだけのことは自分でやりたいと思うので
投げたくない、と言う気持ちはありますね
699 :
名無しさん@1周年:02/01/18 03:26
ばんこ氏ね。キエロ
頭の線しずかにぶちぶちきらして、
体がくがく。なかなか社会にはついてけんな。
んーどうなんでしょうねー・・
三時半ですしもう寝ましょう。
ばんこさん、お話相手ありがとう。
またね。あなたも良い夢を。
かっこつけるな。ネカマおやじが。
いっぺんしんだよ。おとついね。
おまえらしねしねいうから、坐ってたとき
まじでしんでええかとおもってね。
なんにもなかったけどね。笑
おまえもこころから死んでみろや
704 :
名無しさん@1周年:02/01/18 03:37
ねまーーーす。
若いうちは(若いに限らないかもしれないが)
心が死んだ・壊れた(これらも厳密に言えばその一部分なのですが)
ように感じる体験が、あるものなのですよ。
全ての人とは言えませんが、私はそれを昔「絶望」と思いました
もう何もかもが終わりだと。
しかし肉体は生きている、そのとき私は生きている自分に気ずいて
「それでも私は生きている」と思いました。
そんなこともあるものです。では・・
706 :
名無しさん@1周年:02/01/18 04:09
思考が終わらない。
全否定などできない。
707 :
名無しさん@1周年:02/01/18 05:48
ばーーかてめえは空間なんだよ。色即是空、空即是色
いみづけするな。内も外もないんだよ。おまえはまだ思考も見ていないのか。
むだだったな。ええもん写せよ。それがあんたやからな。
706のほうがよっぽどわかっとるやん。
708 :
名無しさん@1周年:02/01/18 05:55
思考はおわらない。
思考をみているがただしいな。
709 :
名無しさん@1周年:02/01/18 06:02
さて、なぜ思考者はさまざまな思考の間で選択し、
ひとつの特別な思考に浸ろうとするのか理解できるでしょうか?
それを理解できるなら、それは選択の過程を理解することですが、
そのとき、私たちは葛藤のない集中に自然に到達するでしょう。
それゆえ、選択の問題、なぜ思考はひとつの思考を選択し、
他を退けるかを理解しなければなりません。
思考者が特別な思考を選択するとき、種々のほかの思考は常に衝突し、
そして思考者は常にそれらを押しのけています。
それゆえ選択は集中に導くでしょうか?
心はそれが絶え間なく選択し、除外し、拒絶しているとき、
集中されるでしょうか?
集中は心が完全に特定の思考と同一化され得るように心を狭める過程でしょうか?
だがそれが私たちが一般に集中と言っていることではないでしょうか?
私たちは心が非常に完全に特定の観念、選ばれた思考に熱中し、
そのため他の思考がそれを妨げない、他の反応が入ってこない状態を言います。
それなのに、いつも進行している選択の葛藤があるのです
710 :
名無しさん@1周年:02/01/18 06:02
それゆえ、集中を理解するためには、
私たちは最初に選択の問題を理解しなければならないのではないでしょうか?
私たちが一つの特定の思考を選択してそれにひたろうとする限り、
他の思考との葛藤は不可避ではないでしょうか?
私たちは、ひとつを選び他を除外するより、むしろあらゆる思考を調べ、
気づいていなければならないのではないでしょうか?
あなたは「私はそうする時間がない」と言うかもしれません。
しかしあなたは衝突する思考の大群に対して苦闘する時間を持っていますか?
そしてそれは時間の浪費ではないですか?
711 :
名無しさん@1周年:02/01/18 06:03
あらゆる思考が起こるとき、それを見てください。選択しないで下さい。
「これはよい、それは悪い。私はよいものを保持し、悪いものを除外しよう」
と言わないで下さい。
非難なしに、それぞれの思考にそれが起こるとき気づいていてください。
すると排除的でない、選択の結果でない、
心を狭めることでない集中が生じるのがわかるでしょう。
そのような集中は広大であり、そしてそのときのみ心が静かであることが、
心が静寂であることができるのです。
静寂は集中の結果ではありません。
それは選択の結果ではありません。
静寂は種々の活動、苦闘を伴う選択の過程全体を私たちが理解するとき、
自発的に起こります。
そしてその静寂の中に認識できないものが、
過去に属するものではない経験があります。
チャレンジする勇気が必要だ
712 :
名無しさん@1周年:02/01/18 06:47
怒りを見ることはできなかったね。(自分の今の感想)
あるがままと葛藤しているのが今の世の中だとおもうからね。
あるがままをみることができなくなるのが腹立たしかった。
クリシュナムルティスレッドでね。
「また仕事さがさなあかんなぁ」とおもったとき、条件付けが対人関係
の問題と共にこの場で葛藤が起こった。
それ以上の問題はとりあえず避けるね。許してちょ
ここでは主に心理的問題の取り扱いが多いので・・・・
まったく持って失礼しました。
^^;;;;
許してちょ? ばんこ。←もうつかいたくもない。
朝からなにをつまんないうわごとを言ってるんだ?
病気か?
714 :
名無しさん@1周年:02/01/18 07:17
715 :
◆ChaoLe2M :02/01/18 10:33
age
716 :
名無しさん@1周年 :02/01/18 23:39
俺は誰がなんと言おうが、ばんこ君が好きだから何を言われてもその姿勢を変えない
で欲しい。というよりこのスレを稀に見る目的はばんこ君のレスを見る以外にない。
だって下らないんだもん。他のクリシュナムルティを好む奴は往々にして。基礎教養
もない奴があのインド人の言った事を反復し唱えては、ありがたがる。あのインド人
が真理を知る上で知識を否定したとしてもあのインド人の言った事を知識として代替
するんじゃ同じじゃないか。それならばいっその事、ばんこ君みたいに言いたい事言
って素で語ろうとする方が魅力的に見えるよ。それがどんなに汚い言葉、表現であろ
うともね。彼は彼なりにあのインド人の言葉に魅力を感じ、彼なりに語ろうとする。
あのインド人を権威として崇拝する馬鹿が多い中でね。あのインド人の取り巻きって
第一、ろくな奴がいなかった。デビッド・ボ―ムなんて自分の物理学者としての研究
が行き詰まっていてそれを東洋の神秘とやらに突破口を求めた時点でもう科学者とし
て堕落した人間以外の何者でもない。単なる現実逃避だからね。あのインド人を有名
人が肯定してるからって、権威にするのはなんの意味もない。だってその有名人にろ
くな奴がいないんだもん。あのインド人の本を翻訳している大野純一のあとがきも諸
に電波でアホだし。あの翻訳家は文章読めばわかるけど単なる別種の権威主義者だからね。
最近は、ケン・ウィルバ―に手出しちゃって目も当てられない。そんなアホの権威崇拝
的にあのインド人を好んでいる奴よりゃ、感性で彼の言葉を咀嚼しようと奮闘するば
んこ君の方が随分、好感が持てる。このスレには「神との対話」の価値を自分で判断で
きない馬鹿もいることだし。それをあのいい加減なピエ―ルにお伺いをたてているの
を見た時には頭が痛くなっちゃた。もう俺は書き込まないけど頑張ってね。ばんこ君
君のレスは楽しみにしてるよ。
肴かこのやろー。いつかな
718 :
もしもし?:02/01/19 01:52
>>716人に意見を求めたからと言って、価値判断を誰かに委ねているわけではないよ。
馬鹿は確かだけど。
昨日は 見て 学んでたよ。
スゲーと思って朝まで起きてた。
クリシュナムルティで行ける
720 :
名無しさん@1周年:02/01/19 10:57
俺もばんこ好きだ。
721 :
名無しさん@1周年:02/01/19 14:19
716は毒が行き過ぎているが、ばんこがいかしていることには同意だ。
722 :
名無しさん@1周年:02/01/19 19:57
ばんこ君に好感をもつのはいいが、そのことと
>>716のような他の人への中傷とは
いっさい関係ないことではないかな。なぜデビッド・ボ―ムやら大野純一やら出さ
なきゃいかんのか、基礎教養が聞いてあきれるが、そんな発言がまかり通るようで
は真剣なカキコは減る一方だろうな。
>>716にとっては下らなくとも当事者にとって
は切実であることも忘れるな。>716。読んでて不愉快だ。貴様は傷つけるのが
目的か?かみつくのとはえらい違いだ。
言っておくがキミに魅力は全くない。ばんこ君が書いてくれたから出てこれたよう
なもんだろうに、なにが権威主義者だ。そういう好感を表明するふりしておひゃら
かすのが目的なら、そういうのが一番権威を欲しがっている証拠であることぐらい
気づけよ。カラッポの馬鹿野郎呼ばわりされたくないんだったらな。
こう言われてどうだ、感じは。
723 :
クリシュナムルティ:02/01/19 21:14
私の心の中もカラッポです。
>>716いちおうワシもこのスレの住人なわけで・・・
>他のクリシュナムルティを好む奴は往々にして基礎教養もない奴
と云うことは、このワシも含まれているということで・・・一言
>あのインド人・・・
ってクリシュナムルティのことかや?
あの朝鮮人とか、あの日本人とか、いちいち国名あげることでもなかろうに・・・
それに別に、ありがたがってもないし、権威も崇拝してもいないし・・・
いろいろ自分仕立てに勝手に決めつけんで欲しいんだよね
で、大野純一氏とは20年来の友人で仕事も一緒にやってたから、
個人的にワシは非常に不愉快な思いしとる訳だ。
馬鹿とか、ろくな奴とか、電波でアホだとか・・・よくいろいろ出てくるなぁ〜
結局、中傷しているだけでないかい?
よくワシのカアチャンが云ってたけど、人のこと馬鹿という人が馬鹿なんだって
その意味では、ワシのカアチャンはクリシュナムルティよりもエライ!
725 :
名無しさん@1周年:02/01/20 00:42
2,3日前インターネットテレビ見てたらクリシュナムルティが映っていた。
動く彼を見たのは初体験でとてもラッキーでした♪
彼の英語すごく聞きにくかったけど。
726 :
名無しさん@1周年:02/01/20 03:30
>724に禿同
2chのルールには芸能人・公人、以外の個人名での中傷はアラシだと書いてある
ので、
>>716はもう一度よく読んでおいてね。
2chだから何書いてもいいという発想こそ基礎教養を疑ってしまう。
自分が正しいと思ってると何でも言えるんだね、恥ずかしくない?
なんか権威否定しているようで一番権威にこだわってるように思われ
727 :
デビット大野:02/01/20 03:58
>>716 自分が裁定者、審判者のつもりなんだろうか?
すごい権威的だけど、それにしてはやや感情論にすぎるし、
ばんこ支援はそれとして受け止めてるけど、
お前はいい子だ、他の子は馬鹿だみたいな比較は
教育ママのやり方に同じ。
ただ、ばんこは素敵でいいと思うけどな、
つまり他人を誹謗したいので別の他人を利用してるだけなんだよね。
それって、デビット大野だけでなく、ばんこにも失礼なことだよ。
思慮深くない人のやることだろう。
ずっとROMしてるなら、それはそれで一つのスタイルだけど
突然発言して内容がそれではお粗末というか未熟だった。
発言せずにROMして他の人達からもっと学んだほうがいいかも
と、こう言って煽ればまた出てきて発言するかな?
権威主義でもカラッポの馬鹿野郎でもいいんじゃないか?指摘と価値判断は別個だ
ろ。なぜ、それがいけないの?とりあえず認めたらいいんじゃないの?中身がいっぱ
い詰まってたら偉いの?権威は悪いの?自分の中で何を優位にしようが人間が自我
の領域で活動する限り権威主義的なんじゃないの?716の書き込みのどこに「俺
は権威主義じゃない」って書いてあるの?規制の権威になじめなかったら人間は別の
権威を求めるんじゃないの?それがどのような形であれね。それをだよ、自分にはそ
の権威崇拝的な態度が自己の内部に全くないように、問題が常に外部にあるように錯
覚して安全なところで危害の及ばないように他人の言葉を使ってだよ、権威に反発す
るような文章を図々しく書いてしまう人間はおかしいよ。本当に自分の内部に権威が
ないってどういう事か考えた事があるかい?自分の中になんの不平等、他人に対する
愛憎が全くない、自分の中になんの優位概念もないってことだよ。第一、なんで「あ
のインド人が悟った」という前提が無条件に成立するわけ?なぜか誰もが「あの人は
高い境地にいた。」云々の「なんであんたが知ってるの?」と言いたくなるような台
詞を言えてしまうわけ?それが全然、わからん。真の実在、光明、悟り、真理、愛、
そんなものは存在するのかね?自我を空虚にしたらそれらが到来するってのは飽くま
で仮定なんだよ。
素敵なプラダの鞄を彼女にあげるのとだよ、悟りを求める自分の心を比較して後者
を「高尚な欲望」だと思うかい?俺にとっては前者が高尚とまでもいかなくとも大切
な欲望だ。当然、人間の心理的分野の思考は欲望なんだよ。しかし、悟り、愛、真の
実在、それら「高尚な欲望」を満たす幻影に囚われた人間はそれらが実在するのを当然
の前提にしてしまうわけ。それは滑稽なことなんだよ他人から見ればね。それでね
その実は信念である「Kの説いた悟り」というのが実在するかどうか実は皆、薄々不安
なわけ。それでね、だんだん「そんなもんないんじゃないか?」って思えてくるわけ。
それで自分の欲望に確実性を与える為に「禅の高僧の教えとの類似性」や「ヴェ―ダンタ
哲学との類似性」を必死こいて探すわけ。それで似たような箇所を見つけて喜ぶの。
「やっぱKの説いたことは真実なんだ!」ってね。自分の内部の権威=Kの説いた教えの
正当性、確からしさを探る作業は。HPを検索してごらんみんな同じような事をしてるから。
それでねやっぱりね人間は何を『高尚』としようが『低俗』としようがね、自我の
領域で活動する時は権威主義的なんじゃないかと思うの。団塊の世代は『反権力の戦う
戦士』っていう自己イメ―ジを持っている場合があるけどねそれで俺が「なぜ貴方が
体制になれば不平等がなくなると思ってらっしゃるんですか?」と聞いたら大抵いい加減
な解答しか得られないの。あの世代のやったことって本当に『権威に対する反発』だった
とは俺はそうは思えない。だって、もうその権威が行き絶え絶えで「ない」
も同然だったわけだから。彼らが「闘う戦士」だったと俺には思えない。(ほんとうに真面
目にやった人間も極めて一部にはいるんだろうけど。)戦後の日本に本当に権威が存在したと
思うかい?アメリカの学生運動もあんまり賛同できないけれど彼らにはまだ反発すべき権威が
あった。アメリカ人のベトナム反戦運動は本気だった。彼らは自分の家族をこれ以上殺したくな
かった。彼らの公民権運動は命がけだった。彼らは権利に飢えていた。それだけの『必然性』の基
に行動をとっていたわけだからね。それでなんでわざわざ「反権力主義の日本の団塊の世代」を例え
に出すかって言えばねやっぱ自分のやっていることに気が付いていないぶん、たちが悪いからなんだ。
『反権力幻想に囚われた権威主義者は絶対にありのままの権威主義者よりたちが悪い』と俺は思うんだ。
自分のやっていることに誇大妄想的なイメ―ジを持って美学的思考で動機に覆いをして『善意』で諸々の
『欲望の正当化』を行ってしまう人間が多いからだ。それで行為がどのような帰結を生み出そうがだよ、
『俺たちは正義だった!』『善意だった!』云々の言葉で反省を行わないの。俺は人間が自我の領域で活
動するならそれは全て『自分のため』で『利己的』で『欲望』であり『権威主義的』であるが故に決して盲
目的に自己行動を正当化すべきではないと思っているし、人間の考える正義は往々にして迷妄だと思っている。
人間に『善』は可能だろうか?自我の領域で活動するならだよ、人間は自分でもどう
しようもないような『欲望』に規定されていているが故に全ての行動は『自分のため』
のものである。動機のない行動は俺たちには考えられないはずだ。故に人間にその言葉
の十全たる意味において『善』は可能ではない。人間に『悪』は可能か?人が人を傷つけた
時に諸々の動機、社会的背景、等に支配されているという文脈から考えたらだよ、
彼は『被害者』であると言えると思うかい?巷でよく聞く『人間に責任を取りうる主体
など存在するか?』という問いだ。「彼は加害者にならざるを得ない文脈で人生を送った
。」「その行動は全て彼にはどうしようもない動機に拘束されていた 。」とするならだよ
人間には『悪』も可能ではないんだよな。その言葉の十全たる意味においては。そんな
悪も善も可能ではない人間、お間抜けな人間。それでいいじゃないか。 カラッポの馬鹿
野郎だ?そうじゃない人間がいるのかい?何遍も言うが人間が自我の領域で活動するなら
いかなる形をとれども人間は権威主義的だ。それでいいじゃないか。人生は無意味
で空虚で愚かで浅薄でいいじゃねえか。大義なんか死んでしまえ!悟りなんか存在しない
かもしれなくてもいい。否定の上に否定を積んで悟りなんか求めなくていい。そうである事
を喜びとすべきだ。立派さ、高尚さ、美辞麗句、美学、そんなもん生ゴミだ。お前はお前であ
り続けろ。それ以外の何かになる必要なんかない。それでいいんだ。人間という存在のみっと
もなさを全面的に知り完全に受容しろ。それで充分じゃねえか。受容することと正当化する事
は別個だ。往々にして人がしているのは後者だ。
それに俺は『反権威』も『権威主義』も掲げる気はない。権威があるところに権威
はあり、権威のないところに権威があり権威があるところには権威がやっぱりあ
るんだからそんな対立図式に囚われず生きて行く。『反権力幻想』にも『権威主義幻
想』にも拘束される必要はないんであって、『権威主義者』と言われたら喜んでそれ
を引き受ける。だって、どっちでもいいんだから。そんな下んねえ幻想なんか捨てち
まえ。それと思わず笑っちゃったのが「君には魅力がない」って台詞。いいじゃんそ
れで。俺は別にお前の基準に合わせて生きる必要はないんであってのんべんだらりと
他人にどう思われようが、『臭い』と言われようが『氏ね』と言われようが生きて行
く。なんで他人指向型になる必要があるの?自分のこの『腐った自我』を通す為に膨
大な馬鹿らしい努力をしてんだからそれでいいんじゃないか?お前、考えて見ろ。他
人に照準なんか合わせて生きていたらどんだけ生きても、もたねえよ。この『腐った
自我』を押し通す為、ありとあらゆる暴力、衝突を繰り返しているんだから。そして
それが最高に苦しくてそして楽しい!俺はお前らと多分世代が違うんだよ。俺は俺の
好きな『ばんこ君』よりかなり年下だからね。
なんだか言葉少なく批判してしまったから716の書き込みは単なる悪口になって
しまったね。それはかなり反省してるけどね、なんで俺が『ばんこ君』をここまで
押すかっていったらあのインド人の教えに(意識的かどうか知らないけど)一番、
忠実に見えるからなんだ。俺は特にあのインド人の言葉を存在の基盤として生きて
いない。でも、なんか俺から見たらだね決して彼はあのインド人の言葉を観念論と
して扱っていないわけなんだよ。要するに「〜であるべき」云々にしてしまってい
ないわけなんだ。でもね他のお歴々はね結局、別種のイデオロギ―として「あるべ
き人の姿」としてあのインド人の言葉を使用してるんだね。観念論を破壊しようと
したあのインド人は結局、別種の観念体系を構築してしまったと思うんだ。何故、
そうなったかって言えば彼の文章で「なんと彼の笑顔は澄んでいた事か!」「なん
と人は利己的なことか!」云々の選択的価値判断をしてしまっているからなんだ。
あのインド人は『選択を差し挟まない受動的凝視』、『ありのままの裸性の自己』
、『集中ではない留意』、等を散々説いていながらだよ、他方では『放棄の努力』
『獲得の否定をする努力』を意識せずに求めてしまったんだ。別の価値判断を提示
してしまったんだ。哀しいかな。それでね、やっぱり彼の信者(これは適切な表現
です!)は混乱しているように見えるわけ。なんだか別種の葛藤を獲得してしまっ
たように見えるわけ。それであのインド人の教えを徹底的に突き詰めていけばだよ
、『あのインド人の本を捨てて全部彼の判断を捨てて徹底して自分でいながらそれ
を変えようとしない。』ところまで行くのが本道なんじゃないかなと思うわけ。
735 :
名無しさん@1周年:02/01/20 04:43
しかし同じことを繰り返すね。
それは俺のインド人本読解が正しいものとするならの話で、決して俺の読解が正し
いと言い張るつもりはないんだけれどね、それが出来ているのはやっぱりばんこ君
だけのような気がするんだよ。なんだか妙な話だけれどねやっぱり『言葉』っての
は使用者がその台詞通りに生きている時に始めて『価値』を持つと思うわけ。その
素養がにじみ出ると思うわけ。だからね『カラッポ』でも『空虚』でも俺はいいん
と思うんだけど、決してそれ以上になる必要はないと思うんだ。『カラッポ』がど
れだけ装飾しようが本質は『カラッポ』だからね。だから俺は『カラッポ』である
事を恥じない。変えようとしない。それでいいと思っている。馬鹿でいいじゃねえ
か。馬鹿でも俺はやたらとモテル。『カラッポ』の俺のために身体はる奴ァたくさ
んいるぜ。どんだけ自分が自分以外の何者でもあろうとしないことに本当は膨大な
エネルギ―が必要か気が対いる奴は稀だぜ。そんでテメエがテメエでいる為にする
事を努力と言った時点でアウトなわけ。医者がさあ、「俺は医者としてこんなに患
者のことを考える努力をしている」といった時点でそいつの素養はないに等しいわ
け。それは当然のことなんだからな。まあ、俺の行った事の含意を深読みせず皆
さん頑張っておくれ。馬鹿でいいじゃねえか。チンケでいいじゃねえか。下らない
のは最高じゃねえか。それが人生であってそれを超える必要は一切なしなんだから
。でも皆さん怒ってらっしゃるようなので誤ってきます、「言葉が過ぎました。す
いません。あとで書きすぎたと思って自作自演でひとつ自分のレスを否定する書き
込みをしてしまったぐらいです。」
誤って→謝って
ごめんなさい。間違ってた。
みんな同じ穴のムジナ・・・・
739 :
名無しさん@1周年:02/01/20 05:09
>>736正しくないというより読んでない。
このスレもばんこのレスも含めて
そういうこと
741 :
名無しさん@1周年:02/01/20 05:41
オレには自信に満ちているように見えるけど
まあ、そんなことは関係ないな
742 :
名無しさん@1周年:02/01/20 05:55
「権威主義」の捉え方が曖昧のような、気がする。
というか、双方で意味の隔たりがあるように思う。
だいたい、自我の領域の人間の内面的な動きのことを
表現してるんだと思うが、自我の中で「権威主義」という
言葉は相当しないんじゃないかなあ・・・
まだ、自己保存欲の方が相当すると思う。
自我の捉え方で人それぞれまた相違も出てくるだろうし
743 :
名無しさん@1周年:02/01/20 07:31
>>716長文でめんどうくせー
オレから見るといっぱい誤解があるね。
それだけ
744 :
名無しさん@1周年:02/01/20 09:34
他を非難するなど自己正当化は覚醒とは全く逆の道であると思われ。
やはり、人はそれを望んでないのか?
覚醒を望むなら苦は避けられないようです。
745 :
名無しさん@1周年:02/01/20 11:42
716はおおいに覚醒を望んでおられます。
>馬鹿でも俺はやたらとモテル。『カラッポ』の俺のために身体はる奴ァたくさ
>んいるぜ。
この一言で、せっかくそれまで書いてきたことがすべて吹っ飛んだね。本心垣間見た
気がしてなんだかシラけてしまったよ。いくら情熱溢れた心情を述べ立てても、本心
は隠し通せないものなんだあね。
結局認めてもらいたいだけだろ?そのためにクリシュナムルティを利用してるってこ
とだろ?気持ちがいいし、かっこいいもんな。ヒッピーのまねごとって。
まあおれにもそういうとこあるし殊更に非難するつもりはないが、そういうのは否定
の精神というよか反社会的脱社会的な(これも社会の一部だが)傾向に奔っているだ
けのような気がするんだが…。彼の本を真剣に読めばそういうことを奨励するような
ことは一切書かれてないことに気づくはずだが、どうも認めてもらいたいという衝動
から離れられないようだ。
747 :
もしもし?:02/01/21 01:29
>716
小細工をするような小心者の一時的な考えとして参考になるぐらいだ。
Kの本を読んだからといって、誰しもそれを鵜呑みにし、
真理に触れたいと思っているとしたら間違いだよ。
748 :
クリシュナムルティ:02/01/21 02:22
誰も私を超えられまい。
>>716全文読んだ。内容はおおむね同意。
しかし、言葉と内実に乖離があると認められる部分もあった。
それはオヌシがまだ若いからだろうと推察する。
また、どこかで読んだ箇所もあるが思い出せないでいる。
>でも皆さん怒ってらっしゃるようなので誤っておきます、
>「言葉が過ぎました。すいません」
ワシ個人は素直に受け止め、少しのわだかまりもない。
で、いろいろ云いたいことはあるが、やめとくことにする。
だが、気になる点だけ質問?
>馬鹿でも俺はやたらとモテル。
これは男に? それとも女か? もし女なら紹介せぃ!藁)
>『カラッポ』の俺のために身体はる奴ァたくさんいるぜ。
貴君よりも、貴君のために身体はる奴の顔が見てみたい。これはマジで(藁
あのインド人を崇拝してる奴と、貴君のために身体はる奴
(それもたくさんいるらしい)の違いをワシに説明せぃ!
あとピェールってナニ? ワシにはよくわからん。
>>748クリシュナムルティ、ワシはすでにオヌシを越えておる!
>ばんこ、職見つかったかい?
750 :
名無しさん@1周年:02/01/21 04:14
ピエールというのは、この板にいるコテハン。
なかなか博学で知識も深いのでは?と
私は感じた。ここ2・3ヶ月あまり姿を見ない。
751 :
名無しさん@1周年:02/01/21 04:27
ピエールか。覚えてるよ。
俺が煽ってやったら消えやがった。
おおかた名無しで書いてやがるんだろ。
752 :
名無しさん@1周年:02/01/21 04:40
ピエールか。
博学だが理解は浅い。
なぜか好んでデタラメな理解を採用している。
バッタもん精神世界もの収集が得意。
753 :
名無しさん@1周年:02/01/21 04:48
一瞬、ピエール=716かと思ったが違うようだね。
ピエールのことをいいかげんだと言ってるしね。
しかし、ピエールのクリシュナムルティに対する見解に716は似てないか?
754 :
名無しさん@1周年:02/01/21 05:12
716が年をとればピエールみたいになるんだよ。
きっと、そのころにはピエールみたいに周囲を笑わせる知恵も身につけてるさ(w
ひさしぶりにみたら、荒れてるんじゃん。
なにやってんだか。
341 :名無しさん@1周年 :01/11/15 16:46
見出すためには、
かき乱され{なければならない}のではないでしょうか?
見出すためには、途方もない大変動、動揺、
心配を経なければならないのではないでしょうか?
342 :名無しさん@1周年 :01/11/15 16:47
私がかき乱されていないなら、眠ったままでいるでしょう。
そしてたぶん、それは私たちがたいてい望んでいることなのです
343 :名無しさん@1周年 :01/11/15 16:54
私たちが(私が経験したこと)それを言語化しないなら、
そのとき、直接に理解される 経験があり、
そしてこの理解が その経験することの中で 変容をもたらすのです。
344 :名無しさん@1周年 :01/11/15 17:04
よくなろうとして自分自身を訓練します。
しかし、結局、何か{である}ための意志の行使は、
なお、より大きな円の中での卑しさの一部なのです。
それで、私たちがこれらのことの何もせず、
それに言葉を与えることなしに、
単に卑しさの含意に気づいているだけなら、
そのとき私たちは根本的な変化が起こっているのがわかるでしょう。
345 :名無しさん@1周年 :01/11/15 17:08
私たちはかき乱されること、
内面的に不安全であること、
依存していないこと
の重要性を見ません。
346 :名無しさん@1周年 :01/11/15 17:11
あなたが発見するのは、
あなたが見るのは、
あなたが理解するのは、
不安全の中においてのみなのではないでしょうか
347 :名無しさん@1周年 :01/11/15 17:14
かき乱されることは理解に不可欠であり、
そして安全を発見するためのどんな試みも、理解への障害物です。
かき乱している何かから免れたいとき、それは確かに障害物です。
私たちが感情を、それに名づけることなしに、
直接に経験することができるなら、
その中にたくさんのものを見出すことができる、と私は思います。
そのとき、もはやそれとの戦いはありません。
なぜなら、経験者と経験されたものは一つであり、
そしてそれが本質的だからです。
経験者が感情、経験を言語化するかぎり、自分自身をそれから分離し、
それに作用するのです。
そのような行為は、みせかけの、まやかしの行為です。
しかし、何の言語化もないなら、
そのとき経験者と経験されたものは一つです。
その統合は必要であり、
徹底的に直面されるべきです。
758 :
名無しさん@1周年:02/01/21 16:18
>徹底的に直面されるべきです。
いやじゃ。
759 :
名無しさん@1周年:02/01/21 16:41
わしもいやじゃ そんなことばかりしておれんからの
人の時間には限りがあるのじゃ。
まあ、あせりも禁物なのだが。
760 :
名無しさん@1周年:02/01/21 16:50
おいおい、師のコピペで対処かよ。
そりゃないよ。
語るに落ちたばんこ教の信者さん。お叱りを受けようが書かずにはおれなくなったよ。
親衛隊とやらの取り巻きの中で築き上げた自分の運命共同体のなかでそこが居場所に
なってるわけだが、そこって何かいいことでもあるのか?
まあ親衛隊とかいいことっていうのは言葉のアヤだけどね、居心地がいいのは確かだ
ろうさ。そういう中で「徹底して自分でいながらそれを変えようとしない。」って言
うんだから、もう既に完成されてしまっているんだろうな。きっと。
はっきり言っておくけど、そこから貴君の堕落と衰退は始まるな。本心には抗えない
もんだからね。余計なお世話かもしれんが…。しかしそこから更にそういう状況に置
かれてなお、自己の矛盾と向き合って苦しみ悶えてのた打ち回る姿っていうのは変な
言い方だが美しいものを感じるのは確かだよ。だからと言ってヒッピーよろしく、か
っこよさに酔いしれて孤独なヒーロー気取りをさらしちゃったりするのはお馬鹿なこ
とだあね。片意地張っているようにも見えるし、殊更でどこか可笑しいし、単に自己
礼賛の域に達しているだけのようにも見える。
このお馬鹿って言葉はね、716で貴君が使ったのと同じニュアンスを含ませてある
から、意味の挿げ替えはしないように頼みますよ。別に大愚のこと言ってるんじゃな
いんだから。ついでにカラッポもね。それから728以降で貴君が弁明に励んだ馬鹿
とカラッポだがね、そういうこと表明すること自体、俺は馬鹿じゃないんだって言っ
てるのと同じじゃないかと想像してしまうのは極めて容易なことなんだけどな。言葉
をもてあそんでいるだけじゃないかと思うぞ。むしろ「そうか!俺は馬鹿なんだ!」
「馬鹿になったんだ!!」って感動してる気持ちを込めたほうがよっぽど言霊感じる
がな。そしたら北野たけしに一歩近づいたっていうようなもんだよ。まあこれは冗談
だがね。べつに北野たけしを崇拝してるわけじゃないよ。
それと権威だがね、おれは権威に反発などしていないよ。「権威に反発するような文
章を図々しく書いてしまう人間はおかしいよ。」これそっくり貴君にお返しします。
716読んで受けた印象そのまんま。もう支離滅裂。他人の権威主義を指摘し電波な
どと中傷しておきながらいざ自らの権威主義を突かれると、「権威主義でもいいんじ
ゃないか?」などと居直る。こういうのってどうかね?汚くないかね。ずるくないか
ね。貴君が指弾して止まないところの人々と比してどうかね?まるで自分勝手じゃな
いか。それでも自分勝手で何が悪いって言うか?居直りの巧い奴だな。将来が楽しみだ。
なぜばんこ教のご信者さんと揶揄するか分かるか?一片の侠気にほれたはれたという
だけならこんな表現はしない。だがな、ばんこを賞賛する傍ら調子づいて二番煎じよ
ろしく真似事みたいに汚い表現で批判してくってかかるところなんざ、カルト信者と
どこが違うって言うんだ?まあカルトに限らず色々あるがね。世間じゃそういう手合
いのことを虎の威を借るおキツネ連と言うんだよ。自分じゃいっぱしに世間を批判し
たつもりになっていい気になっているだろうがどこまで理解しているやら怪しいもん
だ。酸いも甘いも、幸も不幸も分かるか?貴君に。
なにが「下らないが最高」だ。幽霊見たり枯れ尾花じゃあるまいに、ひとりで酔いつ
ぶれてんじゃないよ。かなり反省してると言ってるが、反省するとかしないとかそう
いう問題ではないな。弁解など通用すると思ったのか?失言問題で謝罪などという範
疇で収まるはずがないんだよ。なぜならそこに本音とありのままの姿が現れているか
らだ。それを反省することでそのあと一体どうなるというのだ?変わらんのだろう?
変わらんのだからな。まったく真剣なふりして表向きの姿とは裏腹に人を陰で馬鹿に
しながら生きてんじゃないのかと勘繰りたくなるほどだ。ほんとに下らない奴かもし
れん。
あーそれから言っとくけどおれはクリシュナムルティ信者じゃないからね。読まなく
なってもう何年にもなるしな。いいかげん紋切り型で人を斬るようなマネはよしてお
くれ。ついでに貴君が受ける自身の情念からの刺激が慢性化してこれ以上荒っぽくな
らないように養生しておくれ。
じゃ。
764 :
名無しさん@1周年:02/01/21 20:47
おまえ、長すぎ。
どうせ誰にも読まれないんだから、リソースの無駄使いはやめれ。
765 :
名無しさん@1周年:02/01/21 21:06
766 :
名無しさん@1周年:02/01/21 21:08
ばんこは、何かコメントないのか?
>語るに落ちたばんこ教の信者さん。お叱りを受けようが書かずにはおれなくなったよ。
これって716さんのこと?
まあ、716もイタイやつだが・・・以下略
( ´,_ゝ`)
768 :
名無しさん@1周年:02/01/21 21:18
716=722。 ( ´,_ゝ`)プッ
769 :
名無しさん@1周年:02/01/21 21:20
>>764 わかった。わかった。長文はもうやめにするよ。
文才ないし、お目汚しで悪かったな。
おい768。
いい加減なこと吹くな
772 :
名無しさん@1周年:02/01/21 21:32
ピエールに出てきてほしい。
773 :
名無しさん@1周年:02/01/21 21:33
774 :
名無しさん@1周年:02/01/21 21:47
ばんこってそんなにすごいの?
>>774 ああ、すごいよ。すごすぎる。
・・・何がすごいのかよくわからんが・・・
とりあえず彼を崇拝しとけ。
776 :
名無しさん@1周年:02/01/21 21:54
そうなのかあ?
777げと
778 :
名無しさん@1周年:02/01/21 22:01
779 :
名無しさん@1周年:02/01/21 22:04
716と、722と 長文のかける新人求む
780 :
名無しさん@1周年:02/01/21 22:40
おもらしバンコ!出て来い!
ちょっと煮詰まっているようなので・・・
>>722の言ってることはちょっと?な部分もあるが基本的に間違っていない。
>>716さんは自分に酔っているだけなんじゃないのか。
ばんこが一番Kの言葉に忠実に見えるということだが、
なんで忠実である必要があるんだろう?
これでは「私はKの信者じゃない」と告白する事が、
一番の信仰告白、すなわち「Kを崇拝している」というのと同じことになる。
そして実際にそうなんだよ。
>>716が
「私はKを信じない」
と言うとき、それはKがそのように言ったからであり、
すなわちKの忠実な信者だから、
だから信じないでいようとしているだけなのではないか?
そのような形で信じないでいようとすることはごまかしでしかない。
もしも本当に、Kが言うような意味での「信じないでいること」の中に居続けるなら、
それは絶えざる運動の中にいることと等しい。
したがってそこには「Kを信じる」という結論も、
またその逆に、私は「Kを信じない」という結論も
両方ともに存在しない。
782 :
名無しさん@1周年:02/01/21 23:44
平たくいえば、Kの言葉やKを中心にして考えるんじゃなく
あくまでも、その言葉を「自分」でふるいにかけ
感覚的にも判断しろよつーことだろ?
もっとも、そんなことKの言葉とか思想だけに限らなく
そういう場面は生活の中にも、ままあることなんだろうけど。
すみませんでした。
kは最後まで一個人として最後まで対話してまわったのだし
自らも問い続けたいとおもいます。
反省しています。また気が向いたらきます。
よろしく。
>>722 そこまでムキにならなくても・・・頭から湯気が立ってるぜぃ・・・藁。
青少年相手に熱い!!ワシはそこまで長文の気迫なし。年だでなぁ〜
でも確かに頭の回転はいいみたいだし、弁も立つし、知識もあると思うし、
ピェールのようにユーモアはないが、言葉によってある種の人たちを退かせ
ることくらいは可能なはずだ。
才能が人を殺すのかも知れん・・・な。
優柔不断とその狡猾さにおいて、才気走ったその凡庸さにおいて・・・、
隠された独善と企まれた野心において、確信されたその自惚において、
それより、ばんこ発言ないので、いまごろ何を考えているのやら・・・
おぉーーーーい、ばんこ、職あったかい?なんなら紹介してやろうか?
ばんこ、ちょっと対人苦手な奴だからな、この立場はキツかろうに・・・
それまでガォガォ吠えまくっておったのに・・・
↑ ありゃ〜いた!!ばんこ
787 :
名無しさん@1周年:02/01/22 08:52
( ´,_ゝ`)プッ
788 :
名無しさん@1周年:02/01/22 11:04
>卑僧匪賊
∧ ∧
ヽ(´∀`)ノ バーカ
へノ /
ε ノ
>
愛や思いやりが欠落してるのに難しいこといっぱいゆうてなんになる!
クリじーは人をけなしあうことを奨励しとるんかい!!
他人を罵倒することなく自分の考え言えんのかい!!
人をバカにしとるのは自分をバカにするのと同じっちゅうこと忘れたんかい
それとも知らんのかい! 幼稚園で習わんかったんかい!
790 :
名無しさん@1周年:02/01/22 15:23
おまえら、馴れ合いが愛や思いやりなのですか。
>>790 >789は、愛や思いやりが馴れ合いだとは云ってないぞ、
他者を非難し、傷つけることについて発言しとるだけ、
それが結局は自分をも傷つけるということを指摘してるまで、
792 :
名無しさん@1周年:02/01/22 18:25
>>789 その口調でそういう頭ごなしの言い方・・・716さんや722さんにソックシだし・・・
ああ、同じ穴のムジナ・・・
やっぱりそうなってしまうかぁ・・・
ごめんなさい・・・言葉が頭ごなしで確かに偉そうで感じ悪かったです・・
不愉快な気分にさせてごめんさい・・・
非僧非俗さんありがとうございました・・・それを言いたかったんだけど
もっと穏やかにゆうべきでしたね・・・
この掲示板来るのこれで3回目の私です・・・クリシュナムルティの本まだ1冊
しか読んでないし、難しくて言ってることまだ少ししかわからないです・・・
でもその少し解かったところ、とっても強く惹かれたんで友達に聞いてここを拝見
させてもらいました・・・そしたら・・・バカとかおまえらとかけなしあってる
やりとり見てショックでした・・・難しい話をよく理解しててとても頭のいい人達
だなと感心するけど・・・そこに優しさがあったらもっとすごいのに・・・
意見が違ってても・・・愛情のこもった論議はできないかしらって思ったんです
そうゆう光景が見られたら・・・こちらまで幸せな穏やかな気持ちになれると思うんです
話はちんぷんかんぷんでも・・・いたわりや愛情は伝わってきます・・
綺麗ごとですか? 美しい真実が好きです・・・優しい心が好きです
だから、先に述べたような・・・
高圧的な態度で書き込みしてほんとに申し訳ありませんでした・・・
ここは2ちゃんだ、まったり、まったり
795 :
名無しさん@1周年:02/01/22 20:24
赤ん坊を見てみなさい。
赤ん坊はなんて切り替えがはやいのだろう。
激しく泣いていたかと思うと、牛乳を激しく飲み干し、
そして、何事もなかったかのごとく、また眠りにつく。
この瞬間瞬間の切り替えし、みごとだ!
このように生きてみたい
796 :
名無しさん@1周年:02/01/22 21:13
>>444さん
そんなにあなたが、かしこまらなくてもいいんじゃないかなあ。
私もむか〜し素晴らしい言葉や、会話を想像してスレ覗いて
「こりゃなんじゃ・・・・!?」と思った時もあった。
もしあなたが、何か心情的な意味をもってこういうスレに
関わりをもったのなら、気持ち的にも悲しみや怒りを持ったとしても
それは、あたりまえだと思う。
Kの本や言葉のとうりのスレがここに展開してたなら、あなたも
お気を荒らすことも無かったのかもしれません。
それはそれとして、残念なことなのかもしれないです。
でもここに書かれてる言葉ややり取りを、あなた自身で今ダイレクトに
受け止める必要もないと思います。
あのてのいざこざは、ある種の人間にとっては、リクリェーション的な
コミュニケーションなのかもしれない。人それぞれその置かれた状況や
心情、感情、思想、個性で表現の仕方なんかも違うのかもしれない。
何かが変わればまた、その人間の表現の仕方も変わるかもしれない。
あまり、お気持ちにやまずに「ほうほう、こんなやりとりも有るのね。
これもまた、人間ね。」とあまり重すぎなく受けとってみたら
いかがかな?
797 :
名無しさん@1周年:02/01/22 21:35
尻。
798 :
名無しさん@1周年:02/01/22 21:36
胸
799 :
名無しさん@1周年:02/01/22 22:07
乳。
800 :
名無しさん@1周年:02/01/22 22:10
脚。
801 :
名無しさん@1周年:02/01/22 22:12
爪、耳たぶ。
802 :
名無しさん@1周年:02/01/22 22:14
腰。(一文字以外は不可)
わかった! わかりました・・・ありがとうございました796さん!
あなたのようなまともな方がいらっしゃると私も嬉しいです・・しかし
残念ですがここにくることはもうありません・・・
797、8みたいなんがいてるんではね
797、798のコメントもひとつのレクリエーションなんだ〜
ははは・・・あいもかわらず アホやのう〜・・じゃあな
804 :
名無しさん@1周年:02/01/22 23:03
>>803 自分はまともで他の言葉使いの悪い人はまともじゃないと言っているの?
言葉使いがいくら丁寧でも、言っている内容は
>>797ー802以下だな・・・
・・・ちがう穴のムジナだったか・・・・
>>444 よく言うでしょう、はりきった糸の話とか・・・
あまりにも根をつめすぎて考えるのは良くないような気がするから
みんな、たまにコントロールしてるんじゃないのかな?
意図的かどうかはわからないけど。
時として、凄く煮詰めるのが必要な人も居る(444さんはそれを
必要としてる人なのかな?心理的に優しい心に触れた関係を欲していたのかな?)
ある意味で、喧嘩?をしてた人たちは真剣でもあるんじゃないかな?
真剣だからこそ言い合いもする。何に対して真剣なのかは置いといても・・
間違ったことに対してそれぞれが、思うことを言っている。
798はちなみに私です。
797にちょっと、カチンときたから買ってやった。やらし〜意味で書いたのでは
ないのです。
世の中にはジョークや遊び心も必要でしょう。
だけども、まだ444さんがそれを受けれる心情でなく、がっかりさせて
しまったのなら、とてもすまない気持ちです。ごめんね。
と、言うことで思いが通じない、それは共有する言葉がせまいからだ。
言葉は当のものになりえないけど、広くすることができる。
不況だって西洋の合理主義をそのまま輸入してるところにあるんだよ。多分
リンクはらしてもらう。
勉強したい人はしてくれ。才気あふれるひとよ
この人先人です。
http://www.isis.ne.jp/top.html ここでは共有した方がいいでしょ。多分。よろしく
808 :
名無しさん@1周年:02/01/23 00:44
>>807 そんな前世紀の遺物の宣伝はやめてくれ。
もう終わってる奴だ。
809 :
名無しさん@1周年:02/01/23 00:59
だからここももう終わってるよ!
終わろうよ。
>>807 松岡さんね。
あんまり好きじゃないなあ。個人的に彼の言っていることには感銘しない。
哲学として見てもなんかなぁ・・・
811 :
名無しさん@1周年:02/01/23 01:43
>>809 おまえは勘違いしている。
ここは終わってはいない。
始まってさえいないんだからな。
>>811意味の勘違いだ!
始まってないのはおまえだけだ!
ってカッコワリー繰り返し。
おもちゃを取られるのが嫌なのかい?
いつまでも言ってろ!!
ねーよお。
813 :
非僧非俗 :02/01/23 02:30
>>796 >798はちなみに私です。・・・藁
クリシュナムルティのスレに「ケツとか尻」なんて書いちゃダミダヨ!
しかも
>>806で自供しているし・・・藁・・・796は御陀仏しろ!
尻とは書きましたがケツとまでは・・・
816 :
名無しさん@1周年:02/01/23 02:35
ここ、クリシュナムルティとは関係ないみたいだね
817 :
名無しさん@1周年:02/01/23 02:47
チッ、チッ、チッ、チッ、
あなた達は、お解りになってない。
私は、胸、脚、腰とは書きましたが、下品な表現は書いてない。
いきなり、御陀仏しろとはいささか短絡的な。
818 :
名無しさん@1周年:02/01/23 02:56
>>817 全く同感です。尻という言葉を下品であると捉える心のありようが下品なだけでしょう。
819 :
名無しさん@1周年:02/01/23 02:59
>>817 私はその言葉を書いてはいません。
あなたが書いたのですか?
云っておくが、ワシはケツがお下品とは一言も書いてないぞ・・・
チッ、チッ、チッ、チッ、坊やたち、よくお読み、
それを下品と非難されたと性急に捉える心のありようが下品なだけでしょう。
それにしても、チッ、チッ、チッ、チッ、って唾飛ばすのはお下品?
821 :
796(817):02/01/23 03:11
そういう、心理的トリックを考えてるとは思いましたが
あえて、言わせて頂きました
822 :
名無しさん@1周年:02/01/23 03:12
819
>>820 やっぱりね。そういうと思ったよーん(笑)。
( ´,_ゝ`)プッ
824 :
うすらハゲ ◆HAGE.N6. :02/01/23 03:14
尻、俺。
というか私は一般論を言っただけですよーん。
特定の誰かに対して「おまえは非難しているだろう」とまで決め付けていませんので念のため。
826 :
うすらハゲ ◆HAGE.N6. :02/01/23 03:16
ピエールの件も、俺。
以前の話だが、スマン?
825と822は818の間違いでした。
828 :
796(817):02/01/23 03:17
>>824 なんだか、笑っちゃいます。あなたの今この時期にその書き込み
面白いです。
829 :
うすらハゲ ◆HAGE.N6. :02/01/23 03:18
前々スレくらいで名無しで煽ってたのも、俺。
悪かった!な?
830 :
うすらハゲ ◆HAGE.N6. :02/01/23 03:19
惜しみなく俺を許せ。
831 :
796(817):02/01/23 03:22
819さん819を 書いたのは私なのですが(ニッコリ)
832 :
796(817):02/01/23 03:24
ピエールさんのことは可愛そうですよ。
あの人の書き込みはおもしろかったですよ
834 :
796(817):02/01/23 03:34
835 :
うすらハゲ ◆HAGE.N6. :02/01/23 03:52
ピエールは馴れ合うには良い奴だが、弱すぎる。
836 :
名無しさん@1周年:02/01/23 04:52
いつまで騙されれば気が済むの?
貴方ホントに良い人ね・・・。
∧_∧
( ´∀`)
/, つ
(_(_, )
しし'
ところで、ちょっとマジな話だが、
>>789 で>444が云うてたことだけど、つまり
>愛や思いやりが欠落してるのに難しいこといっぱいゆうてなんになる!
>クリじーは人をけなしあうことを奨励しとるんかい!!
>他人を罵倒することなく自分の考え言えんのかい!!
奴が云わんとすること、オレは結構いい感じだと思っているんだよ。
・馴れ合いが愛や思いやり・かどうかは別にして、オレが思うに、
例えば、身障者だけど、ひと昔前は「メクラ」だとか「イザリ」「セムシ」とか
いろいろ侮蔑されてただろ?いまでは差別用語だけどな。いや用語のことじゃなくて、
身体的な、表面的なことで人を差別するのはやっぱりマズイよな。
本人だって、なりたくてなった訳じゃないし、それを蔑視するのは不幸なことに違いない。
それって、まるでちっぽけなことじゃんと思うんだよ。
で、メンタルなこと、内面的なことで人を非難し、罵倒するのも同じように差別では
ないのか?と、いまフッと思ったんだよ。忘れないうちに、このことを書いておく。
いずれにせよ、結局、自分が優越であろうとする意味では同じだろうが、
肉体を大切にするのと同じように、いや、それ以上にハートを大切にしている奴は、
けっして相手の内面を、決して、けなしたり、下品に罵倒したりはしないと思う。
粗野・乱雑であることが、自分に正直であるとか、自分に素直である証拠だと
いうのは、どうかなぁー?自分は嘘つきじゃないというパーフォマンスして、
故意に意図的に粗野・乱雑している奴も見かけるし、それってゴマカシだろう?
粗野・乱雑ではない言葉で、相手とコミュニケートするのって骨が折れるが、
ワシは今後、2chでも、お上品な言動を心がけることにする・・・かな
>>796 そこで、オヌシに質問だが、
>何かが変わればまた、その人間の表現の仕方も変わるかもしれない。
これについて、もう少し具体的に説明せよ!
思考の中心は怒りだった。
怒りと笑いを繰り返しているだけだった。
ご報告もうしあげます。藁=怒り
実につまらないものでした。
みな十分気づけるでしょう。
笑ってるとき笑ってたいな。
起こってるふりはできるから、心配なさらず。藁
先輩かたがたへ
キャチアンドリリースで
そこんとこよろしく恥
ほんと藁だな。
↑ またヘンな奴が出てきたな・・・さかな・・・藁
オヌシ、ケツとかオッパイとか書いてる一味だな?
思うんですけど、人間の性別が2種類しかないってところに
難があるんじゃないでしょうか?
5種類くらいあったら もっと面白い性生活が送れるんじゃないでしょうか!
それぞれ 同性とは妊娠も結婚も出来ないが、その他の種類の人とは何でもOKって感じで、
もちろん性器はそれぞれ形が違います。あ〜そんなんだったらKとか相手にしている場合じゃないですよ、マジで。
842 :
名無しさん@1周年:02/01/23 20:03
>>841ヽ(´Д`;)ノ
844 :
名無しさん@1周年:02/01/23 20:41
観察者は観察されるものがずっとわからなかったけど
それを思考者は思考とデビットボームが言い表してくれて
ようやくピンと来た。
本人の本もいいが解ってる者同士の対談の方ががわたしにはより解り易い。
クリシュナムルジーの言葉もボームの前の方が本音が伝わってきて
対談は個人的におすすめしたい。
誰かわかってる者がいないと共鳴も難しいのか?
違う二人が向かい合って話をしている時、共感共鳴がホントにそこにあるかが
日常でもいつも疑問だ。
だからよりわかりたい。『わかるもの』に憧れてしまう・・・。
845 :
名無しさん@1周年:02/01/23 21:41
↑何言ってるのか分からないよ。その三倍ぐらいの文字使って語ってくれ
846 :
796(817):02/01/23 22:39
>>837 あなたは随分素直な感覚も持ってる人なんですね。
私にわざわざ聞いてきたり、444さんの意見を顧みたり。
私も見習います。
しかし、折角のご要望ですがあなたの満足の行く答えが
できる物なのかは疑問です。それは私が答えることは実に一般的な
答えだと思うからです。
表現と言うのも色々あり、ここでは書くことですが書くことにしても
その人間のバックボーンが現れていたり、知識、心情、信念、思想、感情、
などが、垣間見られるかもしれない。
「何かが変われば・・・・」単純なことなのですが
悩みがある人はその悩みの原因に対しアプローチをする。
そしてそこからの脱却をはかる。
環境を変えてみて、新しい視点・物の見方を経験してみる。
そんな生活レベルのところから、徐々に変化はできるんだと思います。
自分でそれが自分に合っているかどうかも点検しながら
だって、ただ変わればいいと言うものでもないでしょうから。
しかし、ただ漫然と変化を待つだけでは変化しないかもしれない。
そこに、少しなりともその人間の意志による方向性の移動のようなものが
必要に思う。たいそうな力は要らないのではなかろうか。
しかし私は、その変化と共に、その変化の方向が間違っていたあるいは
外れた時の、軌道修正の重要性を心がけたいと思っている。
847 :
クリシュナムルティ:02/01/24 00:02
是非もない。
神=あんた
は驚愕いがいありえない。
ジェットコースターのってるひまあったら、さっさと飛び降りろ。
問い詰めてとびおるるという方法も有るわけだ。
まあどうでもよくなった。kはうそつきではなかったよ。
これで縁がきれた。さらば
849 :
名無しさん@1周年:02/01/24 10:24
↑分かりもしないくせにかっこつけんなよ
人権君は自分で自分を騙している愚か者
850 :
名無しさん@1周年:02/01/24 10:25
書けるかな
>>796 実に一般的ではあった、が、しかし、そこにヒントがあると思った。
つまりだな、オヌシの言説はおおむね時間的な、空間的な変化の範囲だ。
いやいや、それが悪いとかの問題ではなくて、
クリジーは、それらは変化ではなく、マイナーチェンジかも知れないと云う。
あるいは成長という言葉に置き換えてもいい。
成長を意味するなら、遅かれ早かれ、誰もがそれぞれのスタイルで成長するだろ?
成長しない奴もいるけどな・・・藁
とにかくだ、またそれを成長と呼ぶか、成熟、衰退って捉えるかの問題はあるが、
きっぱり分断しちまえば、それらはクリジーが云う、変化じゃないことは確かだ。
で、クリジーが云う、全面的に、垂直的な変化ってあるのだうか?と思うわけよ。
それが、このスレのテーマであるところの「実践できるの?」に結びつくわけよ。
ここらへんについて、皆んな、どう考えてるのか、知りたいってわけよ。
さかな・・・悪党一味ってのは冗談だから・・・勘弁しておくれ
852 :
名無しさん@1周年:02/01/24 21:30
できるかどうか自分で追試やってみたら?
人に意見求めてないでさ。
で思ったんだけど、「できない」って言われたらあきらめがつくの?
どうなのよ!?
853 :
名無しさん@1周年:02/01/24 21:46
↑ これは論外、非僧非俗さんレスしなくていいんじゃない
854 :
クリシュナムルティ:02/01/24 22:27
夢のまた夢。
855 :
名無しさん@1周年:02/01/24 23:44
断片化した生活
溜まる欲求
競争化社会
進化するもよし、
退化するもよし、
中道
資源
欲望
快適
苦痛
努力
何がいいのか、
何が悪いのか
クリは死ぬ前に言った「私はあなた達に何も求めない」
実践するもよし、
実践しないのもよし
こういうことだろう
856 :
名無しさん@1周年:02/01/25 00:00
あささ
857 :
796(817):02/01/25 00:43
私も一つ、皆さんに疑問をぶつけたいのですが
皆さんは、それぞれKの言葉。思想から何を見つけ出したい、
あるいは個人的に何を目指し、探し出そうとしているのでしょうか?
どんな理想を想い描き、それを行う、現実化するにはと・・
と、考えあぐねてるのですか?
>>845.796
Kが言うように大概において『関係』が無いのなら空しい。
指摘されても反論できない。その『関係』についてはそうかと思う。
わたしは周りのものとは多分『無関係』だ。
だが、こり固められた条件付けを消せるなら真摯に見つめ剥がせられるんだったら。
そして最後に残ったものについて解ったときに人、自然、他との『関係』が、
また自分とも『関係』ができる気がする。
それを知らないものは真剣にならないといけないんじゃないか。
そこからがさらに本番のような。
最近はなりたい自分より自分はどんな者なのだろうということを
はっきりさせたいと思っているところです。
今はただそれだけ知りたい。
無い頭で考えてみてもあまり進まない。
自分は思考なんだと解っただけで舞い上がってる私です。
解ってないから共鳴できない、なんにでも誰とでも、自分にも。
だから
>>845の反応に当然だなと確認も相まって笑ってしまった。
違うかもしれないが、今はこれだけしか言えない。
答えなんて無いってわかってるんだろ、みんな。
自分のできるとこまででいいんじゃないか。
まずはそこからじゃないのか。
どちらにしてもそれしかできないんだから。
ってわかってるか。
正しく見ることができれば変容が起こると言うが
それが洞察というものなのか?
ただ思考が精神に無いときに洞察が起こるのか。
洞察が起こらないと何も変わらないのか?
まとめてから書いたんじゃいつになるか解らないから
>>845もう三倍書けって言うなよ。
知ってるだろうけど一応参考:
http://www.at-m.or.jp/~khoshino/j.k.htm
859 :
名無しさん@1周年:02/01/25 02:28
860 :
名無しさん@1周年:02/01/25 02:31
861 :
名無しさん@1周年:02/01/25 07:05
私は誰ですか?と自問自答して、地球人とか日本人とか男とか2ちゃんねらーとか
いろいろ答え出していってさ、でもそんなことしたって小1時間ももちゃしない。
答えに詰まっちゃうんだけど、そこから何が分かるって言うんだい?分かったつもり
になっているだけなんじゃないだろか?
真剣ってのは大変なことだよ。所詮ことばもてあそんでるだけなんじゃないのか?
862 :
名無しさん@1周年:02/01/25 07:18
863 :
名無しさん@1周年:02/01/25 18:52
誰かクリシュナムルティの実際のフィルムをここに貼り付けてくれないかな、
実際の彼の間、ってやつを確かめたいな。講演とかじゃなくて、
人と人との会話形式のやつを貼り付けてもらいたいな。
日常会話の彼の姿を見てみたい
ある人が言った。
「ある日、私は世界そのものであることを知った。同時に世界は私自身でもあるわけで、
そのことを楽しいと感じた瞬間、私はただ生きているだけでいいと思った」
あなたは世界だということを知ったというだけで、それはもう大変なことだと思って、
実際に会いに行ったけど、なんかどことなくわざとらしくて、話しなんかも通じないところが
あったりして…、う〜〜ん、どうなのかなぁ…と半ばガッカリしたことあります。
もっともそういう期待感をもってその人を見てしまったこと自体が残酷というか失礼に
あたったのかも。
例えばの話しだけど、きのうはあっちのとなり町で1000人、きょうはこっちの
となり町で2000人殺されたぞ!!なんて事態に見舞われたら、くりじぃどころ
の話しではなくなっちゃうんじゃないだろか。
こういうのって結局どうでもいいってことなのかなぁ…。
難しすぎるんだよなぁ
くりじぃの言葉を噛みしめるのも、このスレに来るのも、ただひたすらに満たされたい
とか幸せになりたいって気持ちがあるからでしょうか。自分の不完全さを目の当たりにして
やりきれなくなる思いをどうにかしたいっていうか…。
早い話しが自己愛に翻弄されてるだけですが。それは認めますよ。
う〜ん、でも認めるとか認めないとかいう問題でもなさそうな…
やっぱり難しすぎます。
自己愛、自己愛っていうけれど、そりゃ確かに仰せの通りでございます。でも
どこか違うような気がする。いや確かに自己愛には違いないんだろうけど、
なんかこう今ひとつ <<<実感>>> というものが沸かない。その実感は未だ
空想の域を出ていない。
くりじぃの本を読むのも、その自己愛という言葉に渦巻く虚偽や幻影をあるがままに
見ようとする自分の意志があっての上なんだろうけど、その虚偽や幻影を明らかにすることで
却って呼び起こしてしまった虚偽や幻影や空想はどんなふうに影響するのかなって思った。
客観的にためつすがめつ眺めるっていうのは、とどのつまり想像ってことなんでしょ?
それで、そういう想像というか空想っていうものを逞しくしていくと、何でもかんでも
十把一絡げに、やれ自己愛だ自己憐憫だ悲しみだ幻影だってなっちゃうと思う。
そういう荒っぽさってやっぱり望ましからざる方向だよね…
とどのつまり、あれも違う、これも違うってスタンスでOKということ???
それで最後に残るものっていったい何だろ?
869 :
796(817):02/01/25 23:38
Kは色々なことを語っているが、何について語り示唆しているかが重要だ。
彼が語っていることが、その答えだと仮定した場合、その問題は
どんな内容だったのか、そしてK自身がどのような方向性を
思い描いていたのかも気になるところだ。
「本当の自分」とかを見つけ出したい、ありのままの自分と対峙したい
と言っても、どこからどこまでをその範囲と捉えるかさえも
個人により価値観がそれぞれ出来上がってる、あるいはその過程の人間も
いるので、自分をサーチする機構でさえ個人個人で誤差が生じる。
Kの言葉が金以上の価値を持つ人間もいれば
何の糸口にもならないと言う人間もいるのだろう。
あるいは、心のツボではないがベストタイミングでその言葉がストンと
理解できる時もあるのだと思う。それはその人間が誰にも語らずに
いたとしても長い時間がかかり、ずっと熟考したその結実の証なのかもしれない。
870 :
ルシファー:02/01/26 01:43
うーーーむ、なかなか深遠なる議論が続いている。。。。。。。ブッ
ケッコウケッコウ、コケコッコ
そこで次なるテーマは「コク」について論じてみたい。
コクとは何か?
船をコク、これをクリシュナムルティは、寝てると指摘した。
屁をコクというものもある、
そうそう、オマエラが一番好きな、、、
せんずりをコク、、、というものある。
おいオマエラ、したこないなんて云わせないからな。
そんな者たちが、ここで、さも高尚な言葉を並べ立て得意になってる
どうだオマエラのその分裂した生き方、見覚えないとは言わさない
だからオマエラはカスだ。カスだと言え
魔は重力である。すべてを引きずり落とす重力だ。
何人たりともそれを抗うことはできん。。。。。。
さあ凡夫たちよ、愚か者たちよ、エロサイトに行くべし
クリシュナムルティ的発言に満足したら、また罵倒されて不愉快になったら
オマエラはそのような愚行を今夜も繰り返しているだけ。。。
871 :
名無しさん@1周年:02/01/26 01:46
家の外を歩いていたら、車がぶつかってくる。通り魔に刺し殺される。
ストーカーなる者につきまとわれ、警察に保護を求めても
「事件を起こしたわけではない」と全くとりあってもらえない。
そのうちに殺されてしまう。
872 :
名無しさん@1周年:02/01/26 01:46
家の中に寝ていても一家六人も刺され三人も死亡、しかも、
犯人は未成年の高校生。私が寝ていて百足(むかで)に頭のてっぺんを
かまれたのとは、わけがちがう。
873 :
名無しさん@1周年:02/01/26 01:51
若者に限らずチャパツの大流行、現在では、高校生、中学生までもが・・・・。
茶髪を批判したら今度は青髪、どうみても日本人は黒髪のほうが健康的で
美人に見えるのだが。しかし、これは大人が先にはじめたものだ。
それを中・高校生がまねたものだ。さすがに学校の先生の中にはチャパツは
見たことがないが・・・・。(これは半分ヒニクだよーーん)
874 :
名無しさん@1周年:02/01/26 01:52
それにガングロ、あんなことをして年取ったら皮膚癌になる可能性は
ないのだろうか。
マスコミはこんな中高校生を盛んにPRするが如く放映する。
また、それをかっこよいとでも思うのかまねをする者がいる。
こんなのを、みんな表現の自由と言うが、己の髪の毛や皮膚の
健康は保たれるのだろうか。
中学校の体育の先生で、水泳指導の熱心な先生が背中を連日
日光にさらしていたため皮膚癌になって、とうとう死亡した例も
あるのに。
875 :
名無しさん@1周年:02/01/26 01:53
教員は教員で、児童・生徒に対する暴力事件、いたずらの名のもとの
性犯罪事件。それもなななんと校長たる者が校長室でこの種の事件を
起こし懲戒免職、新聞では穏やかなような表現になっているが本当は
どうなのか。懲戒免職になるくらいなら、それ相当なことをしたに
違いないと思うのは私だけだろうか。日頃教職員に対してどんな顔を
して指導していたのだろうか。まさか「いたずらを恐れず指導しなさ
い。」とは言わなかっただろうが。
この種の事件は表面に現れるのは、氷山の一角ではなかろうか。
876 :
名無しさん@1周年:02/01/26 01:54
若者??の結婚したがらない症候群の増加。そのくせ性感染症による
クラミジアなる性病の増加。20歳の女性でなんと100人もの男性を
相手にしたと堂々とテレビカメラの前でしゃべっている。それを、
また放映するテレビ局。
結婚したらしたで、子供が出来たら今度は虐待による我が子殺し。
それも一時的にカッーーーとなったのではなく、長期間食事を与えな
かったり、連日の暴力行為による骨折、頭部損傷。「なんでーぇ
こんなにかわいいのかよーーー」と歌われている反面何たる非人間的、
いや動物的なこと、いや動物以下のことが人間に、こう日常茶飯事に
なったのか。こんな仕打ちを受けて成長すれば、すえ恐ろしい人間に
なることは明らかである。
877 :
名無しさん@1周年:02/01/26 01:56
警察官は我々一般人に対しては、交通違反をすれば遠慮なく違反
キップなるものを切って、罰金を払わせているようで、大変よい
ことである。しかし、N県に限らず身内に対してはスピード違反な
んかみーーーんなみも消していると言うではないか。「スピードが
出したかったら警察官になれ」とはよくいったものだ。交通安全
講習会に来た警察の車が署に帰る後をついて行ったら○○Km/h
出していた。という話はよく聞くなあ。まあ、私は車の運転を
はじめて40年くらいになるが、運良く一円の違反金も払っていない
がね。もっとも警察官ほどスピードは出していない。なぜなら、
警察官より命がおしいからね。これは警察官の質の問題だ。
警察官を増員して解決する問題ではない。
しかし、現在の犯罪の検挙率はどうなっているのか。未解決事件が
多すぎはしないか。せっかく犯人がつかまったと思えば誤認逮捕、
一年近く身柄を拘束せれてはたまったものではない。そのくせ、
ちょっと社会的地位の高そうなものなら、保釈金を積んで釈放して
もらえる。挙句の果ては、犯人に逃げられたこともあったなあ。
ああ、おそまつ、オソマツ。
878 :
名無しさん@1周年:02/01/26 02:01
救急車で病院に運んでもらう途中に運転手の不注意で事故を起こし、
運んでもらっていたいた人が死亡する。
運良く病院に運ばれたら、今度は医師や看護婦の医療ミスで
患者が死亡する。医師や看護婦はなかなかミスとわかっていても
認めない。これでは患者は殺されるために病院に行くようなものだ。
昔は病院は病気を治すところだったが、現在では患者を殺す
ところになってしまっているのだろうか。いやいや、
昔から医療ミスはあったのだろう。それが、ただ表面に出ない、
いや出さないだけであったのかも知れない。
現在は医者が正直に医療ミスを認めるようになったのだろうか。
それとも、患者や家族が告発すようになっただけのことだろうか。
それにしても、単純なミスが多すぎるのは一体何が原因か。
思うに大病院ほどミスが多いような気がする。となれば、大病院は、
医師・看護婦の人数に対して患者数が多すぎるのではなかろうか。
昔から大病院では三時間待ちの三分診療と言われてきたが、
現在では少しは改善されているのだろうか。三分診療なら単純計算で
一時間に20人の診察、半日4時間診察すれば80人にもなる。これでは、
100人に一人くらいは医療ミスが起こるのも無理ないかなとも思われる。
医者は100人の患者の中の一人として診るいや見るのだろうが、
患者や家族にとってはたった一人のかけがえのない自分や肉親なので
ある。 ここは、患者の方でしっかりと確認しなくてはミスは防げないかも
わからない。でも、元気な患者ならそれもできるかもわからないが、
元気な患者はいるはずがない。
こうなると、大病院は医師や看護婦の人数をもっともっと増やして、
医師一人あたりの患者数をへらすべきではなかろうか。
きっとクリシュナムルティは私と同じことを言うにきまってる。
現在の世の中は一体どうなっているのだ。
879 :
クリシュナムルティ:02/01/26 02:10
さもありなん
880 :
796(817):02/01/26 02:14
神降臨
ところで誰なの?
882 :
うすらハゲ ◇HAGE.N6. :02/01/26 02:16
人権かもしれないな
独白だろ?
ぼくじゃありません
生まれて初めて社会に出て「こんなにつまんねーもんなのかぁ、子供のころのイメージ
と全然ちゃうなぁ」って思って初めて勤めた会社2週間で辞めて、そのあとしばらく経って
くりじぃの本「クリの瞑想録」に出会ってツボにはまったとこういうわけよ。
「人は全的にアウトサイダーでなければならない」…実にかっこいい科白じゃないか。
でも結局、慰めの道具にしてたんかなぁ、コクもやるしな>俺
でもやっぱり最後に残るものってあるような気がするんだよ。確たる根拠はないけど。
コクじゃあ虚しさしか残らないもんなぁ。
うそつくな、おまえだろ?
バレちゃったの? 折れは覚えないですが
ちがーう。俺じゃない
実はわたしです
890 :
クリシュナムルティ:02/01/26 02:47
議論も、過ぎたるは及ばざるがごとし、ですよ。
891 :
796(817):02/01/26 03:12
「人は全体にアウトサイダーでなければならない」なんて私は思わない。
物事を分析的に見たり、思考・思想上では偏りや偏見で目が歪まないように
フラットにするという意味なら少しは、理解できる。
しかし、アウトサイダーなら、インサイダーの気持ちや心情を考える時
何を頼りとするのだろうか?
インサイダーもまたしかり。
はぐれるべきではない、大事な心と。その時その時で人の言葉は変化する、
それに一喜一憂して、安易に流されて、大事な心とはぐれるべきではない。
いつも自分に確かめるこれで自分は良いのかと。無理をしていないかと。
嘘をついていないかと。
それが確認できたなら、次は強さが必要だ。人に惑わされない強さ、
人に引きずられない強さ、自分に協力する強さ、あなた自身、私自身の心を
立ち上げる。
892 :
もの2(独白):02/01/26 11:21
「非社会的自己の探究」って、そのある人が言ってた言葉だけど、これだけは
「あ、なるほどな」って思ったことがあった。
本読んでてくりじぃの言葉に引き込まれるというか魅力を感じることが時々あったりする。
理解不能なところもあるけど、どうしてそうなるのかなって思って、それまでの
人とか社会とか自然とかのふれあいの経験のなかで肌に残った忘れかけた記憶、大事な心、
あるいは染みついた記憶みたいなのと共鳴するって言うんだろか、それを呼び覚ましてくれる
そんな感じがする。
そういう感じ方するっていうのはやっぱり人間が全的に社会的な生き物だけの存在じゃないって
ことの証なんだろか?少なくともくりじぃは社会的な視点でものを言っているわけではない
ように思う。
本来の自分とかありのままの自分って言われて、何だろう?って考え込んじゃうけど、
案外、すでに肌身で知っていたことなのかもしれない。
893 :
もの2(独白):02/01/26 11:23
だからかもしれないけど、アウトサイダーの一言に力強さと、懸命に理解しようと燃えさかる
炎のようなエネルギーを感じた気がした。
でもそれは社会の人々と関わりをもたないってことではないと思う。
むしろ関係を見出したいということなんじゃなかろうか。関係を作りたいってことじゃなく。
砂を噛むような日常しか与えてくれない社会の構造に失望し反発を覚えて、なにか新しい
ものを構築しようとしても、それは結局社会の構造の一部として取り込まれてしまうだけ
なんじゃなかろうか。いくら懸命にあがいても結果は目に見えているような気がした。
だから、そういう社会にむやみに反発しようとしないで、何をやりたいのかわからなくなって
しまった自分をとりあえずそのまんまでもいいから大事にして、自分っていったい何だろうっ
て問いたいと思ったけど、すごく難しいこともわかった。
894 :
名無しさん@1周年:02/01/26 17:22
895 :
名無しさん@1周年:02/01/26 21:22
896 :
私はだれ?:02/01/26 21:54
ずいぶん前、何の番組だったか、ある初老の男が、テレビカメラに向かって、
「若い頃は勉強してなんでも覚えた。それが今じゃ全部忘れてしまって、何にも
残っていない!やっぱし知識だけじゃだめなんだねぇ」と言う場面を憶えている。
ドラマではない。男はその言葉を、どこかぼけの兆しの感じられる寒々とした
表情で、心底打ちひしがれたように言っていたのだ。そのシーンを何年もたった
今でも憶えている。我々の知識は一体どこにいくのだろう。無意識の領域に蓄積
されている事は多くあるにしても、それらに関連した多くの細部イメージは
すっかり消え去ってしまっているのではないだろうか?年齢を重ねれば、更に
多くの事を忘れていく。何でも憶えようとしてきた老いた我々の心象風景と、
打ちひしがれた男のイメージに重なる部分が少しある。
突然ですがこのスレももうすぐ終わりですね。
これまでのクリシュナムルティのスレッドではあまり原典については語られなかったようです。
そこで次のスレからは輪講のようなことをやりたいと思います。
ついこの間から私は、クリシュナムルティの英語原文を読み始めました。
そんなに難解な英語ではないので多くの人が読めると思います。
私が読み始めたのは「The Krishnamurti Reader edited by Mary Lutyens−ARKANA」です。
邦訳だと「自我の終焉−絶対自由への道・・・篠崎書林」です。
それでは次スレで会いましょう。
死ぬのも怖いけど、人生の終盤に差しかかって何ひとつ見出すことのなかった人生
を振り返って慄然たる気持ちに襲われるのも怖い。
思い出作りや自己啓発に勤しんだりするのもいいかもしれないけど、我が人生悔いなし
なんて取り立てて言う必要がないほどさっぱりしていたい。少年時代のように何にでも
興味を持って、死ぬ間際でさえ死ぬことに好奇心を示せたらいいなと思う。
なにもかも徒労だったなんて死ぬほどいやです。
偽らざる気持ち。
899 :
アヒャヒャ!:02/01/26 23:56
>死ぬのも怖いけど
アヒャヒャ!
>人生の終盤に差しかかって何ひとつ見出すことのなかった人生
を振り返って慄然たる気持ちに襲われるのも怖い
アヒャヒャヒャ!!
>なにもかも徒労だったなんて死ぬほどいやです。
アーーーーーヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!!
900 :
796(817):02/01/27 01:18
アヒャヒャさん
あまり、人の心を荒らすようなことはおやめなさいな。ジョークは良いけど
嘲笑もどきは、ちょっと・・・・。話し掛けてください。
>>898 そう思うのなら(本当は全ての人間が、そう思ってるのではないでしょうか?)
納得できる人生を自分で歩むしかないのではないでしょうか?
まだ起きていない出来事を想定しすぎて、そこに心やエネルギーを
奪われるよりも、まず自分の身近なことを変化し変えてゆき、選択し
広げてゆく、あなたの納得の行く方法で、納得の行く方向に。
自分の欲求も、暴走させずに適度に満たしてやる、
なおかつ心を置き去りにしないで、その兼ね合いをも見計らいながら。
その繰り返しを、きちんとしていけば、満更捨てたもんじゃない人生が
出来てるんじゃないですか?
901 :
名無しさん@1周年:02/01/27 04:17
>>897 お、めずらしく建設的な意見が。いいね。
皮相卑俗やばんこに飽きてたんだよ。オレ。
>>899 そうだよな。そうやって笑い飛ばせたらどんなにいいか…
人生達観してらっしゃる、そこのあなたいったい誰?
>>900 すみません。なんかご迷惑おかけしてしまったようで。
普段はこんなこと口にしたりしないけど、せめてこういう場でならと思ってました。
時々思うんですよね。生きてくのってなんでこんなに大変なのかなぁって。
でもそんな不満いっぱいに抱えながら生きててもしょうがない、自分に納得いく方向で
手がとどく範囲で頑張って少しずつ強くなっていくしかないないなって思うし、心の
バランスも大切。それはおっしゃる通りです。
でも表現は適切じゃないかもしれないけど、それはひとつの諦めの姿勢じゃないかとも思う。
「何でこんなに大変なの?」って疑問は消しようがないんです。力の問題か?愛のなさすぎか?
その答えはわかっているつもりです。あまりにも多くのものを求めすぎているし、社会も俺に
対して多くを求めているし、現実を突きつけようとしている。でも反発しようとする心は
抑えたいというか、そういう心は逆にますます自分自身の傷となって跳ね返ってくる。
答えはわかっているはず。なのに、わからない。
903 :
名無しさん@1周年:02/01/27 23:27
>提案者と >901 は自作自演
904 :
名無しさん@1周年:02/01/27 23:34
>>897 Kのスレはこれで5代目。
原典だの自我の終焉だの輪講だの、もう終わってる。
過去の倉庫に行って自分で読んでこい。
発言もせずに突然に提案など持ち込んで一人で仕切るな。
905 :
名無しさん@1周年:02/01/28 02:03
>>901 建設的って、どういうことだい? 何を建設するつもりだい?
小学校の教科書じゃあるまいし、政治屋じゃあるまいし、
自分が正しいと思うと何でも言えちゃうんだね、恥ずかしくない?
そんなに建設したけりゃ土建屋スレにでも逝ってくれ
906 :
おれが、おれが:02/01/28 03:27
誰か 逆に ていうか 要するに
とりあえず ぶっちゃけ エッ! 兎に角 まちがいない
違うのっ 結局 単純に 基本的に
やってるねー
907 :
名無しさん@1周年:02/01/28 03:33
普通のスレと輪読スレ、2つスレッドを立てればすむことじゃん。
>905 サムイヨ ・・・
910 :
名無しさん@1周年:02/01/28 18:26
908と909 自作自演
普通のスレと輪読スレ、提案なんかしてないで
自分でスレ立てろ、でも統一スレにするから
オタクのスレは削除依頼を出すことになるけど
911 :
名無しさん@1周年:02/01/28 18:28
>910 に禿同
つまらない無駄な発言やめたほうがいい
つまらない無駄なスレ立てないほうがいい
912 :
名無しさん@1周年:02/01/28 20:33
age
897の提案者です。
別に仕切るつもりはなかったのですが気を悪くされた方はすみません。
いま、私は英語の勉強に熱中しておりまして、せっかくだから
クリシュナムルティの原典を読んで勉強をしてみようと思い立ちました。
輪講というのは少しおおげさな言い方でした。
私が原典の解釈で疑問に思った事をここに書き込みたいので
気が向いた方だけ反応していただければ結構です。
幸いにも、クリシュナムルティリーダーは日本でも手に入りやすく、また1、2巻
とありますがクリシュナムルティのいちばん有名な著作が収められています。
書きこむ時は原典が手元に無い人にもわかるように配慮したいと思います。
現在、邦訳と比較しながらニュアンスや訳し方に少し疑問のある所もあるので
多少、英文読解教室のような感じの書き込みになるかもしれません。
そこらへんはご容赦してほしいところです。
ただ、私の手元にある邦訳は非常に優れたもので誤訳など皆無だという印象です。
もちろん、いや恐らく、邦訳だけ読んでもわかる人にはわかるのでしょう。
しかし、せっかく私達のほとんどは高校まで英語を学習し、またクリシュナムルティ
という現代の世界的霊的指導者の肉声がそのままの英語で残っているのです。
ヒンドゥー語ならお手上げだったでしょう。
邦訳で十分と思っている方でも読んで損はないでしょう。
別スレにするかどうかはしばらく様子を見たいと思います。
914 :
名無しさん@1周年:02/01/28 23:22
↑
もちろん提案者がスレを立てるのは自由
そうことはさ、自分でHP作って、そこでやればいいのでは?
2chで勉強会もいいけど、アドリブで自由な流れにしたほうが
いいのでは?
>908 >909 クサイyo
そんなに、もめることでもなかろう・・・?
ワシは提案者の積極性を評価したい。どんな風になるのか興味もある。
人に仕切るなと云いつつ、自分が仕切ることが出来ない場合、
それは単なるヤッカミと捉えられても仕方ないだろうな。
よって意義のある反対意見とはならない。
それに仕切ることが別に悪いことでもないし、
学ぶこと、いい提案ならば、どんどん押し進めていくべきだ。
提案者は >950 までの間に、新しいスレ立てて、インフォメして欲しい。
次のスレにも参加させていただくので、よろしく。
楽しみにしている。
916 :
名無しさん@1周年:02/01/29 01:29
>>914 オマエ、ケチつけてばっかりだな。
実はKが何を言ってるのかサパーリわかんねんだろ。
917 :
非僧非俗 :02/01/29 01:37
追加
人の提案を非難したり、拒否するのは簡単だよ。
しかし自分からは何も提案しない・・・?
安易すぎるな。
気に入らなければ参加しなければいいのである。
そういう自由もあるぞ。それで問題なし!!
>>901 ワシのこと飽きてたのか? 飽きっぽい性格なのか? 無情なこと云うなよ。
>>914 Kが何を云ってるか? オヌシもわからない一人だろ?
わかってるならワシに聞かせろ。
だから、その反論は、藪蛇になるし無意味。
それでもKは医者ふやせとは決して言わなかったと思う。それだけはわかる。
920 :
名無しさん@1周年:02/01/29 23:31
このスレッド読んでると、笑いがでてくるのはなぜだろう・・
真面目な話してるのにね。
921 :
名無しさん@1周年:02/01/30 03:39
どかーん!
(⌒⌒⌒)
||
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| ・ U |
| |ι |つ
U||  ̄ ̄ ||
 ̄  ̄
もうおこったぞう!
922 :
名無しさん@1周年:02/01/30 09:22
ごめん、ごめん
わたくしを惜しみなくお許しください!
どことなくユーモアがあるってことでございましょう・・・
悪気はございません・・・
923 :
名無しさん@1周年:02/01/30 09:23
924 :
名無しさん@1周年:02/01/30 09:27
クリシュナムルティを乳泳児だという奴は認識不足のアホ
関連項目として参考にしてください。
乳泳児ってニルバーナみたい。
926 :
名無しさん@1周年:02/01/30 09:47
クリシュナムルティを知らない方は参考になるというより変な先入観がつく
可能性があるから、先に著作を読むことをお勧めします。
927 :
名無しさん@1周年:02/01/30 16:09
928 :
名無しさん@1周年:02/01/30 16:53
参考になりません。荒らしはやめてください。
Kを一言で説明するのってむずかしいよなぁ。
すばらしさを伝えようとしたらなおさらだよ。
俺なんか「バ・ラ・モ・ン!!」のひとことで、一蹴されたもん・・
あきらめるしかないよ。
931 :
名無しさん@1周年:02/01/30 19:14
932 :
名無しさん@1周年:02/01/30 21:58
仏教の中道、
クリシュナムルティーのありのまま、
これは奥深いよ、君〜
933 :
名無しさん@1周年:02/01/30 22:41
なすがままと、どう違うのじゃ?
なすがまま
934 :
名無しさん@1周年:02/01/30 23:08
>930
みの2 激しく同意!!
星屑のシーツに素肌あわせて眠りに就くまで
そっと愛の中でだけ生きる短さをわすれてゆくんだろう。
オリジナルラブの田島さんからだ。謎
輪講きたいしてます。おれも真面目にやります。
一時名前かえましたが、ちょっと反響うけたので、ばんこで参加さしてもらいます。
^k^輪講は名前つけんと成立しないぞ。
kがその風のような友になるまでkとつきあおうじゃぁあないか。やはりkとは縁がきれんな。
まあおれはきしょい系かもしれんが。まあ酒のんでるからゆるして。
夜でさえお月さんが照らしてるね。ふふふ
937 :
非僧非俗 :02/01/31 03:14
おーー、ばんこ、ひさしぶり。
ところで、このスレ、もう終わるというのに、
スレ主である、非正覚者はぜんぜん姿を見せたことがない?
提案者も、それっきり発言しないから、意向が掴めない。
どうするんだろか? 意志表示がなく、950すぎたら、
とりあえず、こちらで新しいスレを立てる用意をするから、
その前に知らせてもらいたい。
938 :
名無しさん@1周年:02/01/31 04:16
939 :
名無しさん@1周年:02/01/31 05:32
おっと移転ですか、では新スレで発言しますね
きぼ〜ん
941 :
名無しさん@1周年:02/01/31 06:09
輪講スレは提案者がスレたててください。
輪講スレって何?
とりあえず、このスレでの発言はそろそろ終了しましょう
943 :
名無しさん@1周年:02/01/31 12:24
944 :
名無しさん@1周年:02/01/31 13:31
提案者さん、輪講スレ立ててください。
とりあえずやろう
あら、もう新しいスレが立ってるのか、
とりあえず移動
片側を無視するという症状は、自分の病気を否定しようとする脳の働きと関係している。
だから、実際に見ている物に限らず、左側という概念そのものがなくなっているのです。
脳には、自分の思い通りにならない現実を認めたくない、
受け入れたくないという無意識の癖があります。
そこで、左半身が動かなくなったとき、脳がそのこと事態を否定しようとします。
その結果、左側という概念そのものを無くして、辻褄を合わせるのです
自己同一性(identity)
学校ってとこは、下らない概念を教えるところだ。
「信じない」ということは、「結論を出さない」ということとほとんど同義語です。
反応は既に刺激の観察の結果
仏教は、心は正しく、ありのままに、物を知ることをしないという立場をとっています。
目耳鼻舌身意という6つの窓口で色声香味触法という
六種類の情報を知るということになっていますが、
われわれはありのままをみないで、『意』(こころ)のなかで解釈して幻想をつくっているのです。
私たちが『知った』というのはこの幻想のことです。
人それぞれ好き勝手に幻想をつくるので、二人で同じものを見たり聞いたりしても、
それぞれの理解、感覚などは違ってきます。
ですから私にとってきれいな絵も、他人には面白くも何ともない絵になるでしょう。
私にとって美味しいものは他人には美味しくないでしょう。
このような働きの結果として、すべての生命には『個』という概念が成り立って、
孤独になるのです
『恐れる』のではなく、ものごとを『理解する』ために適切に調べることが必要です
人の役に立つ仕事を選び、自然や社会、生命の破壊につながらないように
仕事をすることです。仕事の種類はたくさんありますので、具体的な職業を禁ずる
ことはしていません。
ただし、毒、酒、武器、などを作ったり売ったりするすることは禁じてあります。
仏教は
戒律仏教徒さん
ここは仏教スレではございません。
終わった後で書き込んでいくところから、あなたの性質が見えます。
よく見えます。
954 :
名無しさん@1周年:02/02/09 10:15
おまえら高岡ピカルについて語ってくださいおながいします。
すべては、無常だ
いずれ、無くなる
いま、考えている感情が、思考が、
そのあとに、得するか、損するか、考えてみよう
すべての苦しみが、「無知」から生じるのです
よい行いの場合は、スタートだけは苦しいのですが、そのあとずっと幸福感が続くのです
「見つめる」物質的対象と、「確認する」心理的行為は、
常に対になって生起することに気づくようになる
そこには個人や人格といったものはなく、
ただこの物質的対象と心理的行為とが対になって生起しているだけなのです
現在の瞬間に気づいていくことである。
思考がまとめあげていく概念の世界がスタートする前に、
一瞬一瞬経験する事象を、直接知覚の状態であるがままに認知していくのだ。
しかし、実情はどうだろうか。
心の反応というものは、電光石火の光速度である。
「見た」「聞いた」「匂った」と気づこうと思っているのだが
気づいたときには心の反応もその命令を受けた体の反応までもが
とっくの昔に終わっていて、真っ青になっていたり。
汗が吹き出ていたりする。
そこで慌てて「恐怖」「恐怖」「焦っている」「焦っている」などと気づこうとする。
遅ればせでもそれができれは゛立派なもので、
そのまま現象の展開に巻き込まれ反応に反応を重ねてしまうことが多い。
心の反応が速すぎて、気づかない。あるいは追いつかないのだ。
反応パターンが汚染されている人たち
まちがった心の反応パターンを正しいものに修正する方法とは?
人はだれでも物事の真実が見えないがゆえに、諸々の過ちを犯してしまう。
己の非を認め、心から謝ることのできる人は、『慢』の煩悩を壊しながら謙虚さを学んでいる。
過去の経験を捨て、とりあえず見ることだ。
・・・・比較することなしに。
比較することがなければ、焦ることもない。
そして、現実が見えてくる。
現実が見えれば、・・・・・・その次は、何をすれば良いのか分かる
生命は皆、生命として平等だよ
>遅ればせでもそれができれは゛立派なもので、
↑
この「は゛」は何ですの。
もの2君へ
反応パターンが汚染されている人たちは、自分が物事に接して、
それに対して、どのように判断したか、ということに気づかない人たちなんだ。
「見た」「聞いた」「匂った」と気づこうと思っているのだが
気づいたときには
心の反応も
その命令を受けた体の反応までもが
とっくの昔に終わっていて、
真っ青になっていたり、汗が吹き出ていたりする。
そこで慌てて「恐怖」「恐怖」「焦っている」「焦っている」などと気づこうとする。
遅ればせでもそれができれは゛立派なもので、
そのまま現象の展開に巻き込まれ反応に反応を重ねてしまうことが多い。
心の反応が速すぎて、気づかない。あるいは追いつかないのだ。
心の反応が速すぎて、自分で決断して決めつけたことを自分で分かっていないんだ。
その瞬間に気づかないで、後になって分かっただけでも大したものだ、と言っているんだよ。
>>965 悪運の流転に似てますね。
>そのまま現象の展開に巻き込まれ反応に反応を重ねてしまうことが多い。
雪だまの玉の様に転がり落ちながら、反応に反応を巻き込みながら
転がり落ちるように大きくなってゆく。まま言われる引用なのですが。
自分が本体に対しての気ずきではなく、反応に対しての反応だったのだ!
というミスに対しての気ずきですか・・
しかし、後悔や無念の口惜しい念が拭い切れないのはどうしたらよいでしょうね?
けしてこの思いを知らなかった時には帰れない。
この思いを内包しつつ、それでも気ずきをもてるのでしょうか。
それとも消去すべきですか
その感情的な思いはどう消去すべきなのでしょうね。
よくわかりました。ありがとう。
それで、「ば」と「は゛」を使い分けたわけは何ですの?
>>965でも同じになってるけど。
私は求道心から965に聞いたんですよ。
まあ、平たく言うと教えてちゃんですね。
968さんへ
過去の傷や失敗は、今となってはどうにもならない。
フラッシュバックが起こって、過去を思い出したとしても、過去の感情を無視することだ
過去に意味付けをしても、かえって、過去の感情を増幅するだけだ。
それよりも、今できることをすればいい。
自分の部屋を掃除するもよし、外出したら、道路に落ちているゴミを拾うのもよし。
まあ、自分の引っかかる感情を作り出した対象に対して、
思いっきり自分の感情をぶつけるのもいいだろう。
恐れずになんでも試してみることだ。
なんだか答えを催促したようで、すいませんでした、
お答えくださり ありがとう。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
終了します
統一スレに移動して下さい。書き込むならsage進行でよろしく。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
972 :
small-k:02/02/14 23:30
私は、クリシュナムルティの翻訳本はほとんど全て読んでいます。簡単な言葉ですが、
非常に難解です。究極は、人間(個人)の全存在が完全に統合された状態なのでしょう。
だから、葛藤もなく相反する思考が存在しない…。そして努力もその中に相反する
ものを含んでいるため、Kは否定したのでしょう。でも実践するのは非常に難しいです。
でも、確かに言えることは、思考の生み出すあらゆる活動が葛藤を生み出す…。
葛藤を作らないように勤めることも葛藤を生み出すもとである。だから見ること(意思を
持たずに)のみが、条件づけから逃れる唯一の方法である(方法も実際は否定していますが)。
ということでしょうね。でも私はできない。
974 :
名無しさん@1周年:02/02/15 00:51
憎まれ口をコキながら、やさしいんだから。
すべてが移り変わるのですから、実体として何もありません。
それぞれの生命が自分自身の主観の世界を作る。これが問題です。
人間である限り、考えたり、判断したりすることは避けられない。それはそれで結構です。
しかし考えたのだからといって、『事実』にはなりません。自分が判断したのだからといって、
判断が正しいということにもなりません。主観の世界で生きている我々にとって、
誰の主観が正しいのかと考えること自体が、矛盾です。
皆、自分の主観を述べているだけです。
ですから、主観にとらわれず、主観は真実だと思わず、主観は自分の頭が作った解釈だ
と思って生活するならば、何の罪も犯さず、清らかに生きていられると思います。
ちょっとした出来事も忘れがたく、それにしがみついて延々と悩んだり、
くよくよしたり、
あるいは憎しみを持ったりする性格のだらしなさが、PTSDの原因です。
原因は、過去に引きずられるということです。
「過去は過去だ」「今は違うのだ」
と明晰に理解しないことです。過去の経験に過剰に意味をつけることです。
ものごとに意味をつけることをやめる方向へ訓練しなくてはならないのです。
たとえば幼児虐待の経験がある場合は、「そのときは親も若く、バカでした。
私もうるさくて手に負えなかった」
ただそれだけのことだと思うことです。
あまりしつこく原因を調べることがかえって、
何か意味付けをしてしがみつく原因になる恐れがあります。
どんな出来事でもそのときの条件によるもので、
それを感情的にひきずってはならない。
ひきずる人は、過去の思い出の中に閉じ込められているだけで現在も将来も見えない。
一般の人は、今の瞬間だけを明るく、
しっかりと生きていれば、十分だと思えばよいのです。
人生というものはないのです。
それは、頭の中で、瞬間瞬間の出来事をつないでいるだけです。
今の瞬間さえ成功すれば、すべてOKです。
瞑想とは、起こってくるどのような現象をも確認するという行為を、
絶え間なく、継続的に行うことが大切です。
苦しみがある場合、苦しみの感覚を取り除くすべてのプロセスを、
きちんと確認するのです。
動きをひとつひとつ確認する
動きのひとつひとつを厳密に確認する
ゆっくり、穏やかに動く、確認する。
ゆっくり穏やかに行うと、気づきと集中力、それに洞察力は、より強くなります。
対象に意味付けすることなく、単に『見た』という自らの行為だけを注意深く
確認します。
まず、子供のような私の疑問に誰かに教えて欲しいのです。
事実とは何ですか?現実とは何ですか?そして真実とは?
この似ているようで違う事柄の意差が私はよく理解できていないのです。
混乱していて、私がつまずいた原因の一つのような気がするからです。
彼方はどう思うのですか?
自分のエゴを消そうと努力するのは失敗に終わるんじゃないかな。
むしろ自分のエゴを原動力にして、生きていけば、うまく行くと私は思う。
>>979 その事に関しては私もそう思います。エゴが自然な流れとして
出来事の流れの中で出てきた時、それはやはり自然な自分なのだと思うからです。
それを無理な形で、押しとどめようとしたり、借り物の思いや思想で
代用したりしても、葛藤の中に迷い込んでしまうか、恨みに身を焦がすか
諦めの虚脱の中で憔悴するしかないのではないでしょうか?
そしていずれは本当の自分からのの反撃にあい、嘘の偽りを身につけた自分は
敗北するような気がします。
どんなに美しいあるいは理想論がそこにあったとしても
その人間の道程として心からの理解と、同一心がそこになければ
所詮虚飾は何処まで行っても虚飾出しかなく、嘘なのだと。
それよりはエゴを抱えながらも自分に正直な道を歩み行き、そのエゴから
導き出される出来事から自分を見出し理解していく方が、まだ真実がそこに
在るように思えるからです、
「悟り」という言葉をここの板でよく聞きますが、人によってはまるで
エゴを無くするのが良い事のような言い方を書いています。
私はそのような人間には、なにか作為的なような物を感じます。
肥大しすぎたエゴは身を滅ぼしかねませんが(肥大しすぎたエゴは
私は本当のエゴだとは思いません、余計な物がくっつきすぎた結果だと思います。)
エゴをなくした人間は、とてつもなく危険な(その人間自身が)気がするからです。
そうなれば、本当に「神のようだ」という看板だけを持たされて
人身御供のような物なのではないでしょうか?