1 :
下川 :
02/03/29 20:55 ID:hulPGtJc 詩の雑誌の編集をやっていました過去があります。 詩板の大人の皆さん、どうぞよろしくです。
2げと
30代以上はいないかもしれません
4 :
名前はいらない :02/03/29 22:35 ID:sm+YYLIC
「ルート」 8つ先に見える 青信号には 母の名前が付いている 今日3度目の夕日を 帽子に浴びる 私は 入り口で ひとり 現状維持の未来形を 暗記している 視界へと続く 道路のはじまり
このスレにコテハンで書き込む勇気がありません。
6 :
wildcat :02/03/30 21:05 ID:tkrsJH3t
7 :
名前はいらない :02/03/30 22:53 ID:vKkY9vvI
Don't trust under thirty !
8 :
wildcat :02/03/30 23:57 ID:tkrsJH3t
9 :
Canopus :02/03/31 01:09 ID:C5pGfW5i
>>1 さんはじめまして。よろしくお願いします。
嵯峨さんがまだお元気だった頃は『詩学』を買っていましたが、そうい
えば最近はここ7,8年ほど雑誌は読んでいないですね…。
ウザイ
11 :
豹 :02/04/04 22:16 ID:???
下川さんは、投げてしまわれたのかな? さて、どう運用したらいいだろう。中学生専用というスレッドも あるようだが、年齢によって目に見える風物は変わるわけだし、 このスレッドが不要なものとは思わない。しかし、三十歳以下は 立ち入り禁止ということではなくして、あくまで「落ち着いた雰 囲気が楽しめるスレッド」になればいいと思う。 三十過ぎたらきっと、「もういい大人なんだから」という声(特 に自分の)には、クソでもくらえと思うだろう。悪い大人になっ ちまったもんな。(笑) いや、そうではなくて、いくら年を食っても、練れていない所は 若いままだということ。知らないことは知らないまま。 詩は芸術かもしれないが、趣味・娯楽でもあるので、大人の技巧 というよりは、むしろ共感を望みたい。場所性を考えると、その 方向がいいんじゃないかと思う。詩でも読んでみたいなあ、とい う人が、ふらっときて楽しめるスレッドがいいと思う。
12 :
豹 :02/04/06 23:03 ID:???
>4 想念の街角に配置された現実の女性。 キレのあるいい詩だと思いました。
13 :
豹 :02/04/06 23:14 ID:???
さて、リルケについて書こう。 お題は墓碑銘の三行詩。 Rose, oh reiner Widerspruch, Lust Niemandes Schlaf zu sein unter soviel Lidern. バラ、ああ純然たる矛盾、希求 人の眠りを抜け出て宿す無数の 瞼。 ぼくは全くドイツ語ができないので、上記は辞書を引いた限りでの薄っぺら な訳だ。インターネットで英訳を探してみたところ、各人が思い思いに翻訳 しているらしく一定しない。そのためコピー&ペーストできなかったので、 逐語訳を目的として以下を作ってみた。 Rose, oh pure contradiction, desire no one's sleep to be under so many eyelids. 一行目のバラ(あるいは人生像)が、二行目の(脱個人的感覚の)死のイメージ に流入し、最終行の瞼の一語で締めくくられる。その理解のもとに、誰のもの でもなくなった眠り、そのとき瞼の下に映じているバラ、リルケが人生で求めた もの、というイメージをぼくは鑑賞する。
14 :
4です。どうも :02/04/09 20:01 ID:thwRyeeY
坂道が 遊んでいる 昔の家は 燃え散った もう なにも重ならない 私は 水で在りたかった 水の裏面に なりたかった 通過点が えぐられた跡で 未来は 勝手に揺れていた 豹さん、はじめまして。 詩の感想ありがとうございます。 リルケの詩。はじめて読みました。 鮮やかな色と色のない色。 無数の瞼は、意識の塊のようでもあり 瞼を突き抜ける、自然(バラ)の強さ。 そんな印象を持ちました。 古今の有名な詩を読解するのも楽しそうですね。
私の矛盾をやさしく指摘してくれるような この恋の守り方が好きだった たとえばこれがスベテと 思いの強さを投げつけたとしても 私の心は けれど ひややかに見えたでしょう 彼らが君をバカにしたって? 泣かなくていい 狂っているのは彼らのほうだ。 ともすれば幸福そうにみえるかも いいえ 貴方がです 今思えば あの時でもあの時でも けして遅くはなかったのに もう少し理不尽な言い訳がないものかと あなたの甘さを責めてみる しあわせといえばしあわせ 不幸といえば不幸 もっとずっと一緒にいたかった まだ聞いてない事が沢山ある気がする そして貴方に逢うまでは孤独だったと
とりあえず、記念カキコ。 やはり30才以上は、圧倒的にminorityなんでしょうかね。 それとも、ROMには結構いるのかしら。
証拠が残らない恋なら ひとりの胸のうちに そっとしまっておける恋なら いくつだってしたいけど 相手も心の中には証拠を残さないには なかなかむずかしい
貝殻を拾った 貝殻がきれいだったから それを持って帰って机に飾った 貝殻はずっとそこにあって やがて私に忘れられた そのように人を拾ってきても 人はずっとそこにはいないから なかなか忘れられない 時には覆いに被害をこうむったりする 泣かされない恋なら覚悟もできない 覚悟のない恋はガラスのない窓だ
どこかの詩サイトのチャットで言ってたけどさ
ここ2チャンの詩版って結構詩壇のおじさま達も
時々だけど見に来てるらしいよ
>>16 つまり正津とか谷川とかでしょ
ああ、人よ、三万日の生よ、 五十億年目に初めて現れたのは俺であり、仲間であり、 過去と現在のたくさんの人だ。 一万日を掛けて次の一万日生きる術を学んだよ。 次の一万日は新しい三万日の生をを育てたよ。 残りの一万日はあまりに早くきてしまった。 ああ、俺は二度と現れないというのに、もうこんな時間になってしまった。 一万日後、俺が一滴もいない世界が永劫につづくというのに。
ここ(2ch詩板)って、幼稚な作品や議論に辟易することも多いけれど、 妙な誘引力があって、つい時々覗いてしまいますね。 なぜでしょうね。
22 :
豹 :02/04/10 00:14 ID:???
おおっ! 一挙に書き込みがきているな。 スレ立ての下川さんは、余分な条件を付さなかったので、このスレッドは かなり自由な運用ができると思います。それだけに、形にする努力も要求 されますが。 ぼくは豹=評です。詩というのはどうやって書いたらいいのかを勉強しよう としている者です。今後も詩論は書いていきたいと思っています。また、 投げられた詩に評を書くこともあるでしょう。けれども、評などいらないと いう方も多いでしょう。そのあたりの呼吸は悩みます。今後、どう展開する か、ぼくは知りません。が、マイナーなスレッドとして、なにかの価値が あればいいなと思います。 とりあえず、4のかた。切り詰めた表現で、定型で修練したことがあるよう に感じます。No.14もいいです。読者の権利で、神戸のことを思いました。 他。バラを自然と見ましたか。おもしろいです、とても。瞼から突き出す 新芽のイメージ、脱帽です。リルケの首根っこ掴んで一緒に頭下げたいですよ。
亀レスですが。
>>13 のリルケ、
リルケ自身の仏訳では、Lidern(瞼)を同音のLiedern(歌)と読み替えて
いるそうです(引用中のアクサンは省略)。
Rose, oh pure contradiction, Desir,
De n'etre le sommeil de personne parmi tant
de Cantes.
薔薇、おお純粋な矛盾、欲望
誰かの眠りではないことへの かくも多くの
歌のなかで。
あえて直訳すると、
薔薇、その純粋な矛盾と悦びは
誰でもない者の眠りであること かくも多くの
瞼のもとで。
眠り=死=詩において絶対者=神のなかに没入する詩人という
イメージも浮かぶかと思います。ヘラクレイトスと反対ですが。
ついでに、誰のだか忘れましたが、
Eso es la rosa.
No la toques.
(それが薔薇だ。触れるな。)
という二行詩を思い出しました。
ところで、ワーズワースの
My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky:
So was it when my life began,
So is it now I am a man,
So be it when I shall grow old
Or let me die!
が理解できるようになったのは、歳をとった証拠でしょうか。
高校で習ったときは全然ピンと来なかったのですけどねえ。
訂正。 仏語: 薔薇、おお 純粋な矛盾、欲望 人の眠りにあらざることへの かくも多くの 歌のなかで。 独語: 薔薇、おお 純粋な矛盾、悦び 誰でもない者の眠りであることの かくも多くの 瞼のもとで。 ある瞼の下/ある歌のなかに咲く、誰のものでもない薔薇。
>>23 >が理解できるようになったのは、歳をとった証拠でしょうか。
たぶん、そうでしょう。
そして…
そういう感覚を理解できる自分もまた、
歳をとったなぁと実感しています。(w
26 :
豹 :02/04/10 01:41 ID:???
>23 亀でもウサギでもいいよ。リルケが、仏語の墓碑銘バージョン書いてたの? ぼくがサーチしたときには、デンマーク・アドレスでかかるものが多かった。 そのなかには、おっしゃるとおりに瞼ではなく、songと訳しているものが あったよ。 あらためてシャンテといわれると、それも納得できると思う。 ワズワース、いけいけどんどん。ごめん、ぼくはもう寝る。
≫15さんは銀色さんの愛読家でいらっしゃいますか? 「あの空は夏の中」という詩集などお読みになった事ありますでしょうか?
あ、引用がバレてしまいましたか。(w 「あの空は夏の中」ありますよ。写真つきで美しい本ですよね。 他に短編集で「夕方螺旋」等も好きです。
30 :
豹 :02/04/13 23:20 ID:???
またひとつ失敗したな。 としをくうと恥を恐れるようになっていかん。困ったことに、ぼくの 場合恥をかくやりかたで学んできた。それは残酷な教師だが、有能だ。 こちらに気力さえあれば。 ひとつの事がらは、併せ含む矛盾を持っている。たとえば歴史的 な革命者の破壊と再生が同居している精神。破壊の心を持たないと 革命はできないが、再生の感覚がなければ単なる暴徒だ。 アナーキーという概念に引っかかっていたとき、そう考えた。 あるいは矛盾をもっと単純に形象化して、「美しいバラには棘」とし てもいいし、またそれを女性の比喩として考えてもいい。あるいは 美という概念に還元してもいい。 矛盾しているものが、ほとんど統一されるまでに心象のなかで凝集 されること。それに、「純然たる矛盾」となまえをつけてもらった。 感動した。ある普遍的な概念に、表現を与えていること。詩の技術。 ぼくが詩でもっとも美しいと感じるのは、アナロジーだ。相反するもの の統一とは違い、別なものをある仕方で結合させるやりかた。それには 眠るような普遍的感情を利用しなければならない。難易度が高いが、 決まれば必殺だ。たとえば雀は老いて海辺に刺さり貝になるという民話。 そこらへんの漁村にも、大変な詩人がいた。こういうアナロジーを詩の なかに取り込むにも、それなりの力が必要だが、それよりも自分で思い ついてみたいものだと思う。その一生にひとつあるかないかの幸運の ために、技と力を集めたい。さて、しかしぼくは千のうちの七つしか 発表しない詩人ほどには、志操堅固である自信はないのだけれど。
31 :
豹 :02/04/14 00:09 ID:???
おお、銀色夏生のはなしが出てますね! ぼくは大沢よしゆき(って漢字忘れちゃったな)のファン でした。うーん。昔は・・・。
>>30 わたしは何かを学ぶ時には恥も外聞もないと思ってますから。
つまらん維持なんてさっさと捨ててしまえば良かったんだよ。
フィクションから学ぶ事が多いかもしれないが無駄が多いと、
批判する者も中にはいるかもしれませんが私はその無駄こそ
趣深いと思って、詩(詞)を嗜(たしな)んでいるのですが。
>32 ありがとう。
−迷路のねずみ− 砂浜の無駄な照明、場違いな椰子の木々、暗い海鳴り。 借金の肩を抱いた用なしと斜陽の、酔いどれの仕上がり。 むかしここは夏だった こんな夜に目的もなく歩くのはやめようぜ 用なしが信じず、路地裏の店跡を確認してまわる。 浦ひマ太郎かよ ラーメン 保険金じゃうまりもしないが、あいつはおれに死ねと言う あんたの金でアラブの富豪が空飛ぶ絨毯買ってるさ アメリカの商人ならカスピ海からパイプライン引くし 缶コーヒーで、いいな? もう おいおまえカネのいいなりになるのはやめろ 自販機にあたるな。金入れてモノが出なかったらどうする それが貧乏人の投資法ってやつよ なぜおれたちにゃ爆弾抱いて体当たりするマトがないのかね 巻きぞえにするなよ。死ぬべき戦場はみんな違う しょんべんしてえな 明日にしろ。帰ろうぜ いい夜だな 次はおれがおごる それ、信じよう 灯下に三つの影。月のない晩だった。
春の雨が 庭草に落とす蛙の声 樋を走る 遠き感情に眠るうた もう一年 生きる命をかなえて 繰り返す 屋根に玉散る壊れ物 時の間に 中空より雲のうなり 永劫見ゆ 人の世の波のうねり 人の知る 流浪の岸辺湖上水心 古い記憶 あえかに沈む水晶柱
青い羊水の中の追憶 自閉症児 浜辺を滑る海のあわ まわる夢 時は刻まぬ時計の砂 さざめく 星の奇声舞い落ちた 並列時間 はじまりの都市から 縦に挟む 閉じた貝殻つぶやく 人格析出 風去りし蜘蛛の巣の 名前の罠 破れた銀糸の斜めに 引く夏の 老いた革命達の午睡 醒めて後 花の赤に泣けもせず 奥歯噛む
マーここで頑張って何か得られるまでやろうという目標を立てたのだが、 フォームを得たとはいえるだろう。自分では川式と命名した。律詩の 手法の換骨奪胎を目指したのだが、主眼は両岸の独立にある。もしか したら、こんなフォームは既に誰かがやっているのかもしれない。いや、 まさか、な。こんなばかなこと、誰が考えつく? しかしどうあれ、 フォームを最もうまく使えたものの勝ちだ。律詩とか、ソネットでも いいけど、発案者の名前なんて多分ないだろう。 形式の主眼が両岸独立にある以上は、左右の岸が明確に別のことを うたっていて、しかも岸を渡った全体の要素となっているものが、 最もこの形式を巧みに使った作といえる。交響する詩になっていなければ いけないのだ。 ところが、4・9と9・4という字数で作ってみたものの、意味は 4字の岸に偏ってしまい、九字の岸はぼんやりと従い、日本語として つながってくれればいいや、というくらいのものになっている。 それだけでも私にとっては、難儀な細工だったんだけどね。 でも、形式が私により多くのことを要求しているというのは、 素晴らしいことだ。詩を作っていて、うまくやれたかどうかなんて、 自分ではなかなかわからないものだからね。 川の流れる都市のようなものを、このフォームで書きたい。私の都市の 地図のジオラマみたいな展開図。ノバーリスの暗さと、明るさは誰に たとえようか・・・。明るい詩人って、なかなかいないものだな。 ええっ? ほんとにねえ。リストにないな。
38 :
:
02/05/17 01:34 ID:???