>>290の言うように音楽と言語には共通するものがある(一番似ているのが重層構造)
だいたい人類の表現方法なのだから、言葉−歌−器楽は同根
(根本から全く違うものを発明するのは難しい、大概は応用でしかない)
>>441に問われて、いかにいい加減に言葉を使っているか自覚した
>>445の質問には
>>290が答えてくれているので気が引けるが、自分の理解のために、
そして思い違いがないかを確認するために一度まとめてみるので、訂正してほしい
先のとは逆に、小→大の方向で
「今日も一日がんばりましょう」は「きょう・も・い・ち・に・ち…」という音でなりたっている(一つ一つの音符)
次に「今日・も・一日・がんばり・ましょう」とまとめられる
(これがスラーととってもよいかもしれない(作曲家が明確に指示しているとは限らないが))
まだ文法情報だけしかもたない部分もあり、それだけでは意味不明
しかし、普通は「今日も・一日・がんばりましょう」をまとまりとして理解する
この最初の意味のあるまとまりが、音楽で言えば狭い意味でのフレーズ
では、「今日はいい天気だ/遠くの山が見える」この2文の関係をどう捉えるか
独立した2文とするなら「。」で切り、順接関係で捉えるなら、「、」で結んで音読してみる
すると、後者では「天気だ」で終わらず、何か続く気配を感じられる
日本語ではあまり差を感じられないかもしれないが、
>>290の言うように、英独仏伊などの言語では
イントネーションがはっきり変わる(フレージングによって演奏が変わる例)
「おはようございます/今日も一日頑張りましょう/明日が本番なのです」をどう分けるか、或いは繋げるか(更に大きなフレーズ)、
その中でもどこを強調するか?人によって違いが出てくるだろう(しかし前後の文脈から「それはない」という不自然なものもあるので、
選択肢は限られる)
それからそのフレーズがそれぞれ関連して、形式を作ったり、定形外の構成を作ったりすることも、
文章の段落や章と比較できる
もちろん似ているだけで同じではないが、理解の助けにはなる
>>445は実のところは「フレージングの意味」を正しく理解しているに違いないと思う
ただ、「フレーズ」「フレージング」にどこまで含めるかが講評を書いた人によって
違うことが
>>445を戸惑わせているのではないだろうか
>>290の説明にある狭い意味で使う人もいれば、「ひとつひとつのフレーズを美しく収めながらも、
そこで終わりではなく、それがもっと大きなフレーズを形作っていることを感じさせる」まで含めて
使う人もいる(文脈によっては極端な場合、形式感すら入る)
「上手にフレージングしなさい」「よくフレージングを考えなさい」では指すものが違うのでは
自分の所(その指導者のうち、現在3人に師事)ではフレージング(広義)をよく注意されるし、
他者の演奏の評価の際にもその良し悪しが取り上げられるので、これが普通だと思っていたのだが…
ひょっとすると特殊なのか
(アーティキュレーションやデュナーミクを上げたのは、広義の”フレージング”の手段としてだったのだが、
>>290は分けて考えるべきという意見?フレーズを示すのは、ブレスや音量(時にはテンポ)を落とすだけではなく、
次のフレーズの入り方を工夫したりアーティキュレーションや音色を変えることでもできる、そういった意味で)
ところで
>>290の指摘で納得したのが、フレーズの長さ
原書を読んでいると、1ページ半も一文が続いて辟易とすることがあるが、この芸当は日本語ではできない
それでフレージングが短くなりすぎるきらいがあるのか!
一時流行った、「〇〇〇〇?××××××?△△△△↓」や「「〇〇〇ってゆうかぁ〜、××××××だしぃ〜、
△△△△↓」のような話し方は歓迎すべきものだったのかw
自分の理解をまとめるのは難しい
説明も小から大にまとめていくのか、大から小へと分解していくのか
専門語を使わずに分かりやすく書くのは、よっぽど分かっていないとできないというがその通り
書いていて何度か音を上げそうになったが、なかなか考え違いを正す機会はないので、あえて投下、
訂正を請いたい
それからパルス、
>>451と同じく自分もよく聞くが、イマイチつかみ切れない
わかったようなわからないような…解説希望
フレージングに関連してひとこと
バッハで狭い意味でのフレージングで驚くことが
「そう切るか?!」というか(勉強が足りないから)え?ない?