ゲーテルの不完全性定理★★

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55ななし
>>52
思考に忠実にしたがう限り「究極の根拠」を求める態度からは避けられないよ。
それは「論理」による必然的な要請なのだから。
しかし、そのとき「神」といった結論に逃げ込んでしまうならば、それは問題である。
だから、「根拠」を求める態度と、実際に「根拠」にすがりついてしまうことの間
には決定的な隔だりがあり、また、それらは峻別すべきである。

おそらくあなたが想定してるであろうニーチェ的なニヒリズム(世界を意味づけることの否定)
においても、自分がそこに属している意味体系(キリスト教文化)との知的格闘があったから
こそ、価値をもったのであって、はじめから意味や根拠などないというのならばそこには
何ももたらされない。
「根拠がない」ということが、もう一つの根拠として働いてしまうことに注意すべきである。
それは、きわめて低次の安定したレベルでの思考が戯れるに終始してしまうから。

ただ思考を享受するだけの人間ではなく、自ら思考する人間にとっては、
「根拠」を求める態度は不可避である。
だが、そのとき、論理的な段階を踏まずに、無媒介的に「結論」に飛びついて
しまうならば批判されるべきである。