時間論

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778682
>>777
>771の言うとおりだと思う。
この同意には「時間は、人間の構成的な理解(意識)である。すなわち
その意識は人間の便宜に従って規定されるような性質のものである」と
いうことを認めることまで含めての、同意でしょうか?
含めないなら、おそらく物理屋さんは、>>771の表現言わんとする
趣旨に、同意しているわけではないように思います。
含められるならば、時間を論じる場合には、定量的に語ると言う主張の方が、
スムーズです。

たとえば、私たちは、別の場所で起きた因果関係A→A’と、B→B’を認め、
これらを因果関係1、2と捉えたりします。そして、1、2が近い過去に
起きた場合、私たちは「最近それらが起きた」と「ひとくくりにする言い方」を
します。この用法は「かなり頻繁に」現れますよね(すなわち、便宜性を満たす
には、この条件を認める事が必要といえる)。
ところで、この用法は、定性的に理解できるか、と考えてみますと、
どう考えても、時間軸みたいなものを観念して、そこに配置するので無ければ、
理解不可能です(定量的に理解しなくてはムリである)。
なぜなら、因果関係1と2の流れの関連を、時間軸以外で結びつけるのは、
不可能だからです。