時間論

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739682
お久しぶりです。1つのレスが長いので、追うのが大変です。

>>687
>686
> ところで、時間は、ある認識を形成している段階で認識されるというより、
> むしろ、ある認識を形成後、その認識が「変化」しつづけていることを、
> 「記憶」をもとに「構成」でき「た」(人がいた)、そして、それを伝える手段を
> 私たちが共有した(言語、安定した変化を示してくれる、時計)ことから
> 認識できている観念だと、とりあえず、私は考えてます。
>
>なんか良そうな感じもします。ただ、「その認識が『変化』し」たことを
>「構成」するには、時間の概念が必要にならないでしょうか?
ならないですよ。単に変化した過程を記述することしか、その段階では
できない、というだけです。別に問題はありません。その段階で、時間を
使うことを知らなかった、のです。

686をより正確に言うと、
最初から、人間は、認識し、記憶できた。おそらく、変化も意識できた。
その段階では、時間は「発明されていなかった」。
ところで、ある人は、きまったパターンで、変化するものを見出した
(例えば、朝と夜)。その段階で、あいまいではあるが、時間のような観念が芽生えた。
しかし、正確ではなかった。ところで、季節の移り変わりや、日光があたって棒の影の
長さが変化したりすることが、周期的におきていることが、何世代かを経て、意識される
ようになった。そのような段階を経て、時間をある変化量を基準にしてはかる試みが
発明された。この発明により、時間が意識されるようになった。

ある変化した過程を記述するときに、基準となる変化の長さに従って、
ある変化した過程における「時間的な長さ」を決定する、というようになった。

 □−−−−−−−−−→□−−−−−−−−−→□←基準となる変化(ex.秒)
   ○→ ○  →   ○  →  ○    ←観察された変化
   ↑  ↑      ↑     ↑
   それぞれ変化の過程を、記憶をもとに、記述→構成可能。
   ※→は、因果関係

こんな感じです。