時間論

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7221
>>all
どうもです。ちょっとカキコがおそくなりました。(笑
すずめさんの議論は、非常に面白いのですが、時間そのものに
戻るべきという意見がありましたので、一旦戻ってみましょう。
>>711
非常に鋭いところをついてますね。実は「もの」の認識(ものとは物理的対象
でいいのですか?)には、(認識主体の意識に関わらず)時間が必要なのです。
前の方で、私は現在(正確には一次過去ですが)を認識するには、
視覚対象注視(OR認識)の継続性が伴うといったようなことを言いました。
これは言い換えれば、現在という意識をもつ(「今」という時間の認識)と
視覚対象の認識は、表裏一体の認識であると考えているからです。
私は、実在のこれを見ている→ゆえにこの「瞬間」は現在である
この「瞬間」は現在である→ゆえに私はこれは、対象として実在する。
(実際は、触覚等その他もとわれなければなりません。そしてこれは夢でも
その夢の中だけは、主体にとって実在と現在の相関性が換わることはありません。)
もちろん、これは視覚対象の話であり、また実在論が前提です。
>>719さんの問いは、私とまったく同じです。
私は、もう保存された過去の世界というものを否定しています。
我々が見ることのできるもの、それは実際のところ一次過去である「現在」と、
一次過去の残像である「2次過去」、あとは表象の合成や概念に対応する
形象です。このことから、客観時間に照らした、現在と過去を、我々は永遠に
正確に捉えることはできないと思います。すなわち、時間軸は、我々の認識対象
としてその実在が否定できるのではないでしょうか。
とりあえず、ここまでで、皆さんの意見をどうぞ。