時間論

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>>545
そうですね。
僕の問題意識として、時間と存在の関係を考えなおし、
客観時間と認知時間のずれを捉え直す。また我々の時間
に対する態度を明らかにし、人間の内在時間というものから
存在をみつめるのはどうかということです。
(まあ、大口たたくなよって感じで見てください。笑
で、物理屋さんの存在が私の議論の進行によい意味で影響を
与え、科学的見地からくる限界を哲学で考えるという方針?
を目論んで?います。ここまでをまとめますと実在論から
客観時間の存在を相対論で一時了解し、認知時間をこんどは考え
記憶の時間性を見てきました。
記憶に関しては、主体が必ずしも時系列にならべられないこと、
悟性が時間を規定することなどに合意を得ました。(他、過去レス参照
私としては、保存された過去世界そのものも否定したいところですが、
まだ詰めて議論していません。で、今度は「現在とはなにか?」となり
現在とは、対象を継続的に捉えるような感じで合意を得たと思います。
この時重要なのは、客観時間に照らして我々が捉える対象は、すでに過
去(一時過去)であるということです。ここで私は、主体が上の状態を
現在とする主体の態度を問題にしました。で、今度はじゃあ、対象を認識
するとはなにかという話になり、その形式は、注視→判断→認識という
経過とし、注視については、過去レスを参照してほしいと思います。
で、判断とはなにかということでカントのカテゴリーがでてきたわかです。
すこし時間論と離れているかなと私も思いますが、時間も認識対象である
かぎり、さけられないかなあと。ざっとこんなとこです。(笑
いずれ戻れれば、人間の過去、現在、未来の包括的態度を問題にしたいです。