時間論

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436すずめ
>>317 (1さん)
最近の主テーマ(認知的時間?)から、ゼノン問題は外れているようで、
ご迷惑をかけております。私としては、幼いころロボット3原則で育てられたので、
なるべく邪魔にならないようにしているつもりなのですが。

ゼノンの問題には、「時間」を考えるときにきっと出てくる問題が
あると思っています。
これは認知的時間(で良いのでしょうか)についてもだと思っています。
例えば、現在ということを考える場合、それはある瞬間をとらえてのこと
でしょうから、何時何分何秒(物理的時間?で)表現できます。
本当に?
20時00分03.1415…秒というように、特定できないこともあります。
同様のことが、物の長さを測るときにも起こります。
ものすごく精度の高いモノサシ(以下略して「ものサシ」)であっても
事情は変わりません。
だけども、いいやり方があります。ものサシを捨てて、それまで測られていた物を
新しいモノサシにして、1としてやります。これで表現し切れました。

「現在」という言葉も、この「1」に似ています。
とても任意性のある言葉だと思います。(または、機能的な)
「時間には流れ(数値的なスケール、ものさし、目盛)が実在していて(人間の勝手な
変更や恣意性は許さない)、そのどれかに現在は属する」
と考えるのはうまくないと私は思います。
乱暴かもしれませんが、時間を「使って」考えることができても、
時間の量的な値を表現しているものは実在しない、ということにでもなるのでしょうか。
(ここまで書いて、後で思いっきりヤキが入りそうな予感に襲われました)