時間論

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383悲しみ
>>379
「過去の先人たちの思索を学びつつ、
自分の哲学をうちたてるもの」
そう定義してしまえば非常に楽だと思います。
またそう定義して「学問化」するならばそれは
それでいいでしょう。
まっすぐとどんどん高見にのぼっていけるなら。

しかし哲学とはもっと違うものではないですか?
私は「そうやってどんどん高見にのぼっていく」
ことに関してまず疑いたくなります。
「高尚な議論」の「高尚」とは何ですか?
こう考えることが「哲学」ではないでしょうか?
つまり「時間とは何か」と直球な疑問ではなく、
“怪しむ”心。
私はそう考えます。