人は何故生きるのか 生きる目的はなんなのか?

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388考えない名無しさん
>>381
人生に目的論的な価値を与えることによって、人はとりあえず
自らの生に全体性を設定できる。始まりから終わりまでの「私
の生」を、目的へ向かうはっきりした直線として描きだせる。そ
うすることで、私は人生で迷う必要が無くなる。そして、この「
人生への目的の付与」は誰もが欲するところのものだ。人生に
迷いたい、などと思う人間は誰もいない。
ところが、ここには欠陥がある。それは、もともと人間そのもの
には「目的がない」ということだ。これはちょっと考えれば推測
できる。石ころは人間を躓かせるためにでも、投石に使われる
ためにあるのでもない。「石ころは何のためにあるのか?」とい
う問いに、答えがでることはない。この世界の中に「目的」とい
うものが生まれたのは、人間の誕生以降の話だ。つまり世界に
はもともと目的はない。人間が生まれて、初めて「〜するための
〜」というような目的付与すなわち意味付けが行われるようにな
ったわけだ。目的を与えるのは常に人間なのだから。
人生も同じで、目的は無い。楽しむためでも苦しむためでもない。
まして子孫を残すためでもない(生殖能力を失った後も人生は
続くのだ、生殖能力のない人間の生を指して、我々は「今のこ
の人の人生に意味はない」と断言できるだろうか?)。人生は
何のためでもなく、ただ「〜は生きている」ということしか問うこ
とができない。
人生とはもっと放逸で、散漫で、自由だ。
しかしそれにも関わらず、人生に迷う不安から、我々は我々自
身の人生にまで目的を与えようとする。