純愛って何?

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2チンポ太郎
純愛はチンポ同士の愛を差します。男女間、つまりチンポとマンコとの
間には成立しません。もし成立するとしても、それは性本能が背後から
操っている愛であり、本当の愛、つまり純愛ではないのです。

しかしだからと言って、マンコ同士で純愛が成立するのではありません。
純愛はチンポの特権であり、チンポの本質であります。
マンコは所詮、性の対象としてのみこの世に発生したものであり、
けがらわしいものであり、臭いものでさえあります。
それに対して、チンポは高貴な香りをたたえ、優雅な形態で
人々の目を魅了します。こんなチンポだからこそ、純愛が可能なのです。

これはチンポ太郎のチンポ哲学からの必然的な帰結であり、
恋愛の本質を的確についたものであるのです。チンポ。
3考える名無しさん:01/09/24 00:08
>>1
女がジュンと来るとき
4チンポ太郎:01/09/24 00:20
純愛というのは哲学的に言えば普通の愛を愛たらしめている愛そのものを
言うのだ。だからそのような抽象的なものは現実的には存在しない。
「女がジュンと来る」とは女の欲望を誘起した瞬間に過ぎず、これは結局
欲望の満足に至り終息する態の、動物並の性本能を指示するに過ぎないのだ。

チンポ太郎のチンポ哲学に従えば、女という性を有する者は悉く奇形なので
あって、フッサールの用語を借りれば「志向的変様」であり、それは
起源の忘却に由来する我々の怠慢を表しているのである。
原初にはまずチンポが存したのであり、このチンポが万物の形相因なので
ある。

チンポ太郎は女性差別論だ。