1 :
考える名無しさん:
『純粋理性批判』『精神現象学』『存在と時間』
それに『存在論的、郵便的』も、寝っころがって読めた。
んで、ゲーデルをちゃんと理解しようと思って
前原昭二の『数学基礎論入門』とスマリヤンの『ゲーデルの不完全性定理』を読んだが
うーん、むずいむずい。
結局、半分ほど読んで挫折してしまった。
以前にも量子力学を勉強しようと、朝永振一郎の『量子力学1・2』を読んだが
このときも、中途で挫折。
ま、大数の学コンで挫折して文転したくらいだし、数学コンプレックスあるけど
それにしても、哲学と数学・物理学とは難易度にかなり差があると感じる。
哲学は語学さえちゃんと勉強しとけば、まず読んで分からないってことはないだろう。
いや、後期ラカンや後期ハイデッガーなんかは、ちょっと引くけど・・
秘教的教説や詩的言語に流れちゃってるのは除くとして
明晰判明な論理で書かれてる哲学書は、まず読んで分からんところはない。
しかーし!
同じ明晰判明な論理で書かれている数学や物理学の教科書は、難しくてついてゆけん。
個人的に数学が得意でないってのを差し引いても
明らかに哲学よりも数学・物理学の方が論理が難しいように思える。
というわけで、哲学って、実はあまりたいした学問ではないのかなあ?
2 :
考える名無しさん:01/09/07 02:51
現代には、「なんかこいつすげー」と思わせる哲学者が、いないと思
う。なぜなんだろうか、考えるに、実際、俺にしてからが、誰のどんな
言葉にもなびくことはないと思う。もちろん、何も感じないというわけ
ではない。
科学というものが、人間世界に台頭する以前、具体的には、100年前
までだ。哲学というものが、生きてうごめいていたと感じられるのは。
近代には、文学らしきものはあれど、哲学は闇に沈みきってしまって
いると感じる。
俺にとって、哲学・文学・宗教の境はどうでもいいのだが、とにかく、
面白そうな言葉を探していると、自然と古典に興味が移っていく。
分かりやすく言えば、「現代の哲学は弱体化したのか?」ということ
なのだが、これがまた、はっきり言えるようなものでもない。
科学の台頭により、神秘的なものが廃れたからか?
情報量が増えて、人の知識が増したからか?
理由は誰にもわからず、声を大にして言えもしないが、すっかり先細
っていると思う。しかし、有名な哲学者の年代も、絶えず重なっている
わけでもないから、こんなものなのかとも感じてしまう。俺は今、たま
たま哲学の後退の時代を生きているのかと。
哲学の道筋は、いずこに……。
3 :
考える名無しさん:01/09/07 02:53
哲学が扱っている問題と数学などでのそれとは異なる。
だから、比較できない。
数学は1冊や2冊での理解が難しいし、そうしない方が良いよ。
4 :
考える名無しさん:01/09/07 02:58
>>1 数学板や物理板の人間に「純粋理性批判」読んでもらえば?
多少の比較サンプルが得られるでしょ?
協力してくれない可能性のほうが高いけど・・。
5 :
考える名無しさん:01/09/07 03:02
「f分の1の揺らぎ」が「素晴らしい音楽」という感覚に繋がる…
といった類の議論は、俺はどうにもうさんくさく思える。
それは、音楽の意味作用を、聴覚における生理量に還元しうる、
とする観念が背後にあるわけだけど、
それは例えてみれば、「良い画布を用いた絵」「良い絵の具を用いた絵」=「素晴らしい絵」とする短絡と同値なんじゃなかろうか。
もちろん、「f分の1の揺らぎ」という観念=イデオロギー自体が、
音楽聴取における意味作用に及ぼす影響もあるだろう。
「この音楽は f分の1の揺らぎですよー。癒しますよー」てな
暗示効果、というか。
であるから、音楽聴取における「耳に与えられた感覚」を絶対視する哲学は、どうも信用できない。というかうさんくさい。
観念論的音楽美学の90%はその類だ。ヘーゲルとか(まああれはあれで当時の芸術イデオロギーのドキュメントとして一級品だと思うけど)。
同様に、俺が「ジミヘンはやはり神だ」と強弁するなら、それは哲学として「おかしい」のだ。
哲学が扱うのは感覚の背後に隠された意味や思想、価値ではなく、感覚それ自体が構成される構造を一般的に示す作業ではないか。
6 :
心脳問題(13):01/09/07 03:04
それは生の音を聴かずに、CDばーっか聴いてるヒトに良く見受けられる
発言です。
おまえら
島村抱月の音楽美についての論文でも読んでなさい
音楽は音と音の間にあるのではないか.
音と音の関係が音楽であって,音自体に魅力は無いでしょう.
音楽を音の集合体であるかのように考え,音自体に魅力を求める
というのは,それ自体が間違っているように思う.
>>6 ようするに、音楽は観念的か物質的かという問題に還元できると思うけど、
その考えだと、観念論のほうに傾きすぎているきらいがあるかな。
「音色」という言葉もあるくらいだし、音そのものの響きを味わうというのも
音楽の要素の一つだし、「テクノ」なんてもはや音楽というより「音響」と
呼んだようがふさわしいような世界に踏み入っている。
言葉と同様、「音楽」も物質であるか観念であるかは容易に決め付けられるもの
ではないし、同時にその両方でもあるような在り方をしている。
音を楽しむ聞き手、作り手が居れば立派な音楽です。
テクノは音楽です。
9 :
考える名無しさん:01/09/07 05:09
数学も物理も哲学なんぢゃないの?
大学以降の本格的な学問において、
物理は数学に近づき、数学は哲学に近づく。
11 :
考える名無しさん:01/09/07 15:44
カントは哲学によって数学と物理学を基礎付けようとした。
しかし、カント自身はといえば
「活力測定考」で、デカルト派とライプニッツ派を調停しようとして
大失態をしでかした前歴があるドキュソ。
ニュートン力学を信奉しながら、ちゃんと理解できていなかった。
ヘーゲルなんかも、微積分を理解していないにもかかわらず
批判しようとしたのは有名。
数学がまともに出来る有名な哲学者といえば
ラッセルやヴィトゲンシュタインくらいかな。
失敗した事でもうドキュソまで決め付けているのはちょっとどうよ。
13 :
考える名無しさん:01/09/07 19:59
量子力学の授業受けてた時、
「こんなの理解できるの火星人くらいだよ」
といっていた人がいた。
ライプニッツは?
15 :
考える名無しさん:01/09/07 20:21
>>14 デカルトも微分積分を考えてるよね。
数理論理学畑にも数学できる哲学者がいる。
16 :
考える名無しさん:01/09/07 21:37
>数理論理学畑にも数学できる哲学者
いまでもいるの?そういう人って
数学で禁やつが勉強する学問だから、そりゃ数学に比べりゃ簡単だよ。
1が典型だ。今更こんなことが議論の対象になってるとは・・・だからお前ら
いつまでたってもヴァかなんだよ。とっとと己のヴァかを認めて逝けっ!
18 :
考える名無しさん:01/09/07 21:46
>>16 今はごく少数派らしいね。
>>1 哲学は数学より手軽な感じがする。
数学より哲学のほうが年齢低くてもできるし。
問うだけならだれでもできる。
その意味ではだれでも哲学できる。
>>8 聞き手と作り手の存在がすなわち音楽を成り立たせる十分条件とは思えないけど。
またそれとは別に、今日のテクノの状況をみると、そこには明確に「作り手」と呼べる
ような存在はなく、もはや「第一番目の」「聞き手」としての存在しかいないのでは。
かつての「作り手」の役割は、「機械と音源とによる化学反応」にその地位を
譲り渡してしまったように思える。
われわれがテクノのCDを手にとり、そのクレジットされた名前を見るとき、
それは「作り手」として意識されるより、音の「聞き手」ないしは「選択者」
として意識されるほうが強いのではないか。
20 :
考える名無しさん:01/09/07 22:50
哲学が数学より手軽なわけではなくって、
言葉が誰でも使えるものだから出入り口が広いだけでしょう。
入ってからは、どっちも大変な学問だよ。
それにしてもやっぱり言葉ってすごい。
21 :
考える名無しさん:01/09/07 23:16
数学も哲学もメシが食えないことは一致しているね.
まあ最近では物理も食えなくなってきるが.
22 :
考える名無しさん:01/09/08 00:08
哲学のODって、珍しくないけど
数学のODはどれだけいるのかな。
まあ、数学とかだったら、コンピューターとか金融工学とかつぶしがききそうだけど。
それにくらべりゃ、哲学は・・・
うっ、さぶー、明日は我が身。
23 :
考える名無しさん:01/09/08 00:18
>数学より哲学のほうが年齢低くてもできるし。
程度問題だろこんなの・・・それらの言葉で観念するレベルは、
どうやって対応関係をみるのさ?
レベルは→レベルについて、に訂正します。
25 :
nanasi:01/09/08 00:21
わたしも凍った。さぶさぶや。
数学のODはたくさんいるだろうけど、哲学に比べて比率は低そう。
数学は理系というだけでつぶしはきくよね。バブルはじけたとはいえIT関連だったら
職の数あるし。
ちくしょー。やってることはかわらんのに社会的認知度が低すぎや!
26 :
考える名無しさん:01/09/08 00:56
分析哲学方面はよう知らんけど
たしか、クリプキは様相論理のモデル理論を考案したりして
論理学では大きな仕事をしたんでしょ。
分析哲学系は、数学が得意な人は多いんじゃないかな。
日本でも、科学哲学の内井惣七なんかは、数学は得意そうだね。
分析哲学系やってる人って、どうやって数学を勉強してんのかなあ。
27 :
nanasi:01/09/08 00:58
まじめな話、高校の教科書読み直しからはじめました。
28 :
考える名無しさん:01/09/08 01:40
1に純理と精神減少額と存在と時間を解説してほしい。
俺は簡単には読めないぞ!
29 :
考える名無しさん:01/09/08 01:42
激しく同意。
30 :
嘲笑の的になっている哲学:01/09/08 02:28
やってることは変わらないというのは大嘘です。
31 :
考える名無しさん:01/09/08 02:43
>>1 哲学が簡単に見えるのは君が哲学的な才能を持ってるからじゃないの?
そういう人は宗教にこだわりがあったり理系でも才能を発揮したりするけど。
いやー、実を言うと
カントは、高峯一愚の『カント純粋理性批判入門』(ちょっと古いけど良書)や
カウルバッハ、ヘンリッヒ、ヘッフェの翻訳書など
ヘーゲルは、有斐閣選書の『ヘーゲル「精神現象学」入門』(手ごろな入門書)や
加藤尚武のヘーゲル本やイポリットの翻訳書など
ハイデッガーは、有斐閣選書の『ハイデガー「存在と時間」入門』(もう絶版か)や
かの大著『ハイデッガーの実存思想』や木田元のハイデッガー本など
これらの入門書・概説書をあらかじめ読んでいたからこそ
寝っころがっても読めたってわけ。
たしかに、何の知識も持ち合わせずに『純粋理性批判』なんかを読むと
素人が複素解析の専門書を読むのに匹敵するくらい難解に感じるだろうなあ。
東の『存在論的、郵便的』も、柄谷やゲーデルやデリダやジジェックなどについて
ある程度、知識がないと難しいかもね。
哲学書を読むときは、背景に哲学的概念や哲学史の知識を持ち合わせて読むからこそ
分かるのであって、単独で読んでもちょっと分からんだろうね。
どうなんかなあ、数学や物理学の教科書についても、同じことが言えるのだろうか。
ということは、それなりにたくさん量をこなして知識が溜まれば
数学や物理学の本でも、そんなに難解に感じなくなるのかなあ。
33 :
考える名無しさん:01/09/08 03:59
>>32 そうだね、勉強するのにも順序が大切。
そしてそのような積み重ねの感覚が学問の
堅固さを作っているのではないか。
諸学諸説に正当な評価が為されるべき。
34 :
考える名無しさん:01/09/08 05:52
論理的検証の文章が凄く長くて複雑。
だから素人には分かりにくい。
数式や絵で簡潔に表現する方法を誰か考えて欲しい。
35 :
考える名無しさん:01/09/08 16:10
簡単かどうかというのはなんとも言いようが無いが・・・
オレ自身は数学屋で数学板と哲学板と将棋板をたまに除いてるんだけど、
ノリが全然違うんだよね。オレの個人的感想というか、偏見かもしれないが、を言うと、
(1)数学は技術的な部分が大きくて結果がはっきりでるが、哲学はそうでもない。
数学:哲学=作曲:音楽評論 みたいなところがあるような気がする。
(2)数学は問題を抽象化して先に進むが、哲学はどんどん後ろへ戻っていく。
悪く言ってるつもりはなくて、時々紛れ込む哲学板住人の意見にハッとさせられることもあるよ。
方法論については納得いかなくても。
(3)数学は具体的な対象があるが、哲学はなんか漠然としている。
問題意識の差なんだろうけど。
結局、数学は抽象的な形式を扱ってて、哲学は現実世界を扱ってるんだから、
もう関係ない学問だと思ったほうがいいと思うね。
哲学者、アリストテレスやデカルトやライプニッツ、が撒いた問題意識は
科学として結晶してしまって、のこった部分、認識論とか? 哲学的論理学?
そういうものだけが哲学に残されたという風に見えるんだ。
人生論とかそういうのは、哲学っていうより思想という方が適当だろうしね。
そういうわけで、哲学って実体が薄れてきているような気がする今日この頃、だな。
まあ、人間誰しも時々自分のやりかたを反省するというような意味でなら、
誰にとっても哲学は必要なんだろうな。そういうことを議論するという活動を、
無意味だというつもりは全く無い。
36 :
考える名無しさん:01/09/08 19:50
皆真面目にお勉強してるんだ?
で、結局それであなた方は
何を手に入れましたか?
よろしかったら答えて下さい
37 :
考える名無しさん:01/09/08 19:51
数学や物理学は専門分化がすすんで、もはや全体を見渡せる者など誰もいない
ってなことを佐々木力なんかが言ってたな。
それに比べりゃ、哲学は全体を見渡すのは、それほど困難じゃないかな。
まあ分析系は結構専門分化がすすんでいそうだけど。
数学・物理学はここ100年あまりで急速に専門化が進展したのに対して
哲学は、悪く言えば旧態依然なままなんだろうな。
ま、専門化がいいというわけじゃないけど。
でも、経済活動だって、分業と協業で発展したんだし
専門化することで、能率的に知的生産がなされるってのはあると思うんだけどね。
38 :
考える名無しさん:01/09/08 21:02
>数学:哲学=作曲:音楽評論
ううむ。
39 :
考える名無しさん:01/09/08 22:34
すると、物理学=演奏って感じ?
40 :
考える名無しさん:01/09/08 23:05
数学者の作った理論を哲学者が語ってるわけでもないし。
41 :
考える名無しさん:01/09/09 00:42
いや、フランス現代思想なんかでは
数学や現代物理学のタームを、やたらと使いまくって
ソーカルらに『知の欺瞞』でボロクソに批判されたし。
カントの「活力測定考」以来、歴史は繰り返すってこと。
まあ、思い上がってよく分かりもしない分野に手をだすのは、やめたほうがよいかな。
それからすると、ラカンはどれだけトポロジーとかに通じてたんだろうか。
あと、「言語・数・貨幣」の頃の柄谷もゲーデルどれだけ分かってたんかな。
42 :
考える名無しさん :01/09/09 02:20
>>35
は、いいレスだな。
こういうやつを頭がいいというのだろう。
たまに来る、あおるだけの理系とは
一味ちがうな。
哲学屋の認識論も認知科学によって
その特権意識を将来的にはうばわれるかもしれない。
今の時代、哲学とは種をまいているうちに
自分自身は弱っていったものという感じだな。
↑ トポロジーなんかかなり難しい分野だよ。
代数の基礎とカテゴリー論、位相空間、解析のいろいろ、がわかってないと
ダメだし、コホモロジーとかホモトピーの専門書はその方面の人でないと
絶対読みこなせない、とおもうね。
まあ、別にコホモロジーを知らなくても哲学はできるんだろうけど。
44 :
考える名無しさん:01/09/09 02:32
何となく分かる。俺の同僚でもいた。仕事は結構できる方だと思うが、
口のきつさは半端じゃない。仕事中以外だと結構いいやつなんだけど・・・。
部下がちょっとしたへまでもしようものなら、そいつが反省してよう
がしてまいが、オナニーをさせたり、汗臭いオマンコを顔に押し付けたり、
汗でぬれたタオルや下着を口の中に押し込まれたり。しかも社内メー
リングリスト。そいつもどうでもいいようなことでも自分の手順にあ
わないと下の人間に結構口うるさく言ってたなあ。
45 :
考える名無しさん:01/09/09 02:54
まあ、カントまで読んでながら「どっちが簡単?」なんて問題に腐心するな、といいたい。
46 :
考える名無しさん:01/09/09 03:13
ラッセルは最も頭が冴えた時、数学を考え、次に哲学、もっと頭が
鈍ったら文学、衰えたら社会、政治のことを考えたとか言ってたね。
言語哲学や純粋な認識論哲学は、はたして今後も続いていくのかは、ちょっと疑問。
それに比べて、私とは何か、世界とは何か、そもそも思考とは何か
っていう一般的問題は、今後も残るんじゃないかな。
(カントの三つの理性推理に対応しつつ、三番目の理性推理のかわりに
思考そのものの可能性を問う方が現代的なんちゃうかな)
あと、個人的には
数学はヴィトゲンシュタインが考えるような規則の発明の束って見解に賛成だし
数学って、基本的にはゲームなんだと思うんだけどねえ。
だから、ゲームを楽しんで、いろんな戦術(定理)を編み出せば、十分ってね。
それに比べて、哲学は自己言及的に自らを問うことを強制されてる
宿命的な強迫神経症みたいなものなんじゃないかな。
その重務に耐えられなくてすぐに他人につっかかるガキには
うんざりです。
考えたって教えて君がどれほど考えたというのか。
49 :
考える名無しさん:01/09/09 12:20
成る程、筋金入りだ・・・
じゃました、な
ただ、一つだけ言うならば
君達は
手に入れた物よりは、失った時間の方が
多かったのではないのか?
と、少し心配になっただけだ
まぁ、このまま仲良くやっててよ
もう絡まないからさ
>>47 数学屋からみると穏やかじゃない意見だな。ゲームかよ・・・
数学が自立して抽象概念を展開してるのは事実としても、
物理とか科学全般のスキームを提供してるんだから、哲学者としては、
せめて合理的思考の純粋な研究だ、くらい言ってくれよ、と思う今日この頃。
51 :
考える名無しさん:01/09/09 13:35
キリスト信者にとっては、イスラム信者は、人ではなく悪魔(異教徒)なのだよ。
同様に逆もいえる。信者なんて思想のない哲学者みたいなものだからな。
アクィナスが啓示やキリストの権威を否定してないゆえにしょせんキリスト教の枠の中にあり、それゆえしょせん哲学の名に値しない、というのは誤りか?
それと同じで、朱子はしょせん孔孟の権威を否定せず、その権威から出発してるゆえ、哲学の名に値しないと類推するのが、そんなに責められることであろうか?
フランス現代思想なんかでは東の『存在論的、郵便的』も、柄谷やゲーデルやデリダやジジェックなどについて
数学や現代物理学のタームを、やたらと使いまくって
ソーカルらに『知の欺瞞』でボロクソに批判されたし。
有名な話だが彼は教え子の女の子を強姦しようとしてその子を
退学に追い込んだ。
そのことは教授会でも話になったが彼が相当額の慰謝料払うことで
事をうやむやにした前科がある。
よくエレベータで遭遇します。学食でも。
氏はドローリとした食べ物がお好きなようです。
カレーとかシチューとか八宝菜とか。
テレビの前の席で旨そうに食しています。
つまり現代は金が神様になってて
それ以外は信じない人が多いんでしょ?
でもそれもいい加減まやかしだと気がついてきて
哲学者、アリストテレスやデカルトやライプニッツ、が撒いた問題意識は
カントの「活力測定考」以来、歴史は繰り返すってこと。
人の思いの集大成が神になると考えてます。だからキリストさんもあっらーさんも僕が見ているのとは違う形で同じものだと思ってますから他の人が何信じてても気になりません。
あと、「言語・数・貨幣」の頃の柄谷もゲーデルどれだけ分かってたんかな。
何度も同じ事を言いたくないが、俺はそれゆえに包茎公に、もしその箇所を示してもらえば、俺の判断を変える用意はある、ってことを言ってるわけだ。
ただ、如来蔵は仏となる可能性の保障、唯識は縁起する
ものの主体と仕組みの解釈と考えれば、あながち中観の
思想と相反するものとはいえないと思うんですがね〜。
後世になってサンスクリット語の大乗経典として記された」
空の議論や中観派の否定論法にあきたらなくなく思ったひとの
なかには、唯識派もいた。かれらは自性論証派と同じように、先輩の
論法から否定的色彩を抜きさろうとした。認識に関する概念を
実体化して(かれら自身は実体化したとは思っていない)、世界を
不変の実在である」と明記されているのである。従って、如来蔵思想の
「我の思想」、「有の思想」が仏教の縁起説・無我説と全く逆の立場で
あることは明らかであり、この意味で筆者は、“如来蔵思想は仏教
すべては何らかの類に属いているのよね
それは識別できないものという類に識別されてる
彼の哲学に従えばある意味宗教無しの社会も可能?
なんか、現代の常識に縛られた眼から見ると覇気のない社会になるのかな。
(縁起説)ではない”と論じるのである。
52 :
考える名無しさん:01/09/09 20:48
哲学を簡単だと思うのは、
本を読んで理解したと誤解しているからであって
本当に理解しているからではない。
一方数学や物理学では、
わかったつもりになることが難しい。
その違い。
53 :
考える名無しさん:01/09/09 21:33
>>52 物理や数学でも分かってない奴はいるから。
あんたこそ実際に数学板や物理学板にいったことないんだろ?
まあそういうこった。
54 :
考える名無しさん:01/09/09 21:36
ピアニストが試しにギター弾いてみてうまくいかず、
「いやぁ、ギターはピアノより難しいんだよ!」なんていってたら、
――なんてバカな奴なんだろう
と思う。
>32
そうなの?オレなんの予備知識も無く無謀にも純粋理性批判に兆戦してみたが
やはりサッパリ分からんかった。その手の解説書みたいなの買おうかと思ったけど
高い上にどうせ理解できんだろうと思ってやめてもうた。もっかいチャレンジしてみようかな。
56 :
考える名無しさん:01/09/09 22:06
>>53 反論になってないです。
>>52は「哲学は「専門的な表現法を用いなければ、分かっていないことが
明らかに示される数学・物理学と違って、自然言語を用いて表現を
行うため、とりあえず表現を「読む」ことができる人の数は多くなる。
「読む」ことさえできれば、とりあえず理解できた気分になるには、
十分である。そのため「理解した」人が多くなる=哲学は簡単だという
人が多くなるのである。ところで、当然だが「理解した」人が理解して
いることは、極めてまれである」と述べているのですから、
「分かっていない人間がいる」のは、全然関係ないでしょう。
どちらにも分かっていない人間がいるは、
>>52の話と全く矛盾してません。
>あんたこそ実際に数学板や物理学板にいったことないんだろ?
>まあそういうこった。
これは全然関係ないでしょう? 52が言ったことがあると、議論の
結論が変わるのでしょうか?
57 :
考える名無しさん:01/09/09 22:06
>>50
心配しなくても、そういう哲学者
も存在します。哲学者の統一的見解じゃない。
「基本的には」、その論理が明晰かつ判明であるかぎり
あらゆる立場を認めうるのが哲学。
58 :
考える名無しさん:01/09/09 22:06
訂正 最後から2行目
52が行ったことがあると
59 :
考える名無しさん:01/09/09 22:13
あんたのいってる数学や数学は古典だろ?
61 :
考える名無しさん:01/09/09 22:39
あ? 数学や物理学だって最新の理論は哲学と同じだろ。
俺がいいたいのはあんたの主張に対する例があまりよろしくない
事をいいたかっただけで、別に他の意見をいいたかったわけではない。
>>61 まず、あ? とか言う言い方はやめてください。
あと、
>>61の意図を「
>>53,
>>59でわかれ」というのは、
無理ありすぎだと思いますが。
それに哲学の方が数学や物理学のような立場以外の立場を
包含している面がある(別に広いから良いとか言っているのではない)
ので、同じというのは乱暴すぎますよ。
あと、私は
>>52ではないですよ。
ふと思ったんだけどね、「どっちが難しいか?」というんだったら、
いろんな観点から「難しさ」を定義して、それでどうこう・・
っていうべきじゃないかな?
難しさ、という基準はいろいろあるほうが、当然議論は深まるだろうしね。
さて、寝るか。
64 :
考える名無しさん:01/09/10 00:06
「f分の1の揺らぎ」が「素晴らしい音楽」という感覚に繋がる…
といった類の議論は、俺はどうにもうさんくさく思える。
それは、音楽の意味作用を、聴覚における生理量に還元しうる、
とする観念が背後にあるわけだけど、
それは例えてみれば、「良い画布を用いた絵」「良い絵の具を用いた絵」=「素晴らしい絵」とする短絡と同値なんじゃなかろうか。
もちろん、「f分の1の揺らぎ」という観念=イデオロギー自体が、
音楽聴取における意味作用に及ぼす影響もあるだろう。
「この音楽は f分の1の揺らぎですよー。癒しますよー」てな
暗示効果、というか。
であるから、音楽聴取における「耳に与えられた感覚」を絶対視する哲学は、どうも信用できない。というかうさんくさい。
観念論的音楽美学の90%はその類だ。ヘーゲルとか(まああれはあれで当時の芸術イデオロギーのドキュメントとして一級品だと思うけど)。
同様に、俺が「ジミヘンはやはり神だ」と強弁するなら、それは哲学として「おかしい」のだ。
哲学が扱うのは感覚の背後に隠された意味や思想、価値ではなく、感覚それ自体が構成される構造を一般的に示す作業ではないか。
65 :
元算 ◆57HqPLcw :01/09/10 00:16
理数が難しく感じられるのは、色々手続きがあるからだと思います。
理数の人は、手続きの部分を重視するだけなんです。
私の場合、物理は殆ど解らないので、なんとも・・・ですが
定義や公理や既知の定理から、次の新たな定理を導いて・・・な数学。
根底の「定義・公理」の部分は、有る意味で「答えを出す上での契約」の部分ですから
数学を解く上で、契約の部分を否定するのはナンセンスとも言えますし
現在の定義・公理自体はそれ自身でCloseされている物だと思います。
今の公理系を全否定できないなら、これでOKではないか?と思いますし
仮に否定できたとしても、それは一つの公理系での事象にすぎないですし。
あと、数学は、それをできない人、知らない人を多かれ少なかれ小馬鹿にしますね。
得てして既知の事象であることが多いですから。
手続きを無視した「新しい発見」は基本的には受け入れられないという態度です。
そうした「知らないなら物を言うな」的な風潮が、数学板にはありますね。
哲学の場合は、それをできない人を馬鹿にすることはできないと思って居ます。
否定はする事が出来るだろうけど・・・と。
個人の知識に無知な者であっても「考える」事はできるし
そして、もしかしたらそういう無知の者の意見にも
実はものすごい発見があるかもしれないし・・・。
どんな・・・?と言われると、私にも解らないですが・・・。
哲学板の場合は「相容れられない意見は否定する」的な風潮が強いですね。
でも、1行目を逆に言うと、ただそれだけな気もするけど・・・。
「理(=手続き)に適っている」というのは文理問わず、だとは思っています。
でも、私のような愚者にも愚者なりの哲学ってある・・・と勝手に思ってる私は
やっぱり勉強不足なんでしょうか(汗)
長い独り言に付き合って貰ってありがとうございました。
66 :
考える名無しさん:01/09/10 01:14
哲学≒論理学≒数学でどう?
論理学はメタ学問、他の学問とは基盤が異なる。
哲学と数学は共に論理学の応用で、ただ方法論が異なるだけ。
実社会を対象とすると哲学、その抽象化が数学。
抽象化しているぶん、数学の方が難しく見える。漏れには・・・
もう終わった話かもしれないが、初心者のために一応言っておくね。
カントの「活力測定考」は彼が22才の時の大学卒業論文で文字通りの若書き。
だが彼は大器晩成型の典型で、純粋理性批判を書いて成熟期に入ったのは
なんと57才の時なの(批判を書くのに10年かかっているが)。
つまり彼の成熟期は50代後半から70代にかけてといっていい。
だから「活力測定考」がドキュソだからといって彼がずっと
そうだったわけじゃない。
現代哲学(ただしまともな奴)と現代論理学の関係について言えば、
もう人脈から言っても、現実にやっていることから言っても、
分野によっては両者の区別が付けにくくなっているというのが実情。
ただ、哲学者が(逆から言うと哲学者「と」)つき合っているのは
純粋数学の研究者というよりはコンピューターサイエンスの
それも極めて基礎的な領域の人たちなので、意外と知られていないのだろう。
例えばSpringer社の、Lecture Notes in Computer Science/AIなんかでも
20〜30冊に一冊は半ば哲学領域の本と言っても過言ではない(執筆者も)。
分野としては「時間論理」「非単調推論と信念の変更]「Agent論」といった領域ね。
68 :
考える名無しさん:01/09/10 01:27
67最高
単純に哲学科の者と数学科・物理学科の者とでは、どちらが頭がよいかという点では
残念ながら、後者の方が能力的にはすぐれていると認めざるを得ないところは
悲しい事実だなあ。
文系で頭のよい奴は、たいてい法学部にいって
そのまんま官僚や弁護士あたりになってしまうからなあ。
たまに文Tから東浩紀のような奴が流れてくるけど
たいていは、ちょっと変わった哲学好きな偏屈者が溜まってるって感じ。
(いや、皆いい奴なんだけどね・・)
そういう自分も、もし数学が出来てたら
たぶん理学部目指してただろうし。
東の本読むと、たしかにすごい奴だと思う。
でも、逆にいえば、それだけ哲学では若手の人材が枯渇してるってことなんじゃないかな。
だいたいなあ、模試でトップとる奴が皆そろいもそろって理Vや文Tにばかり流れるのは
ちょっといびつなんだよなあ。
頭のよい奴が哲学にも興味をもって、哲学研究に流れてくると
日本の哲学界もだいぶ変わってくるんじゃないかと思うんだけどねえ。
以上、頭の悪い哲学学徒の愚痴でした。
70 :
考える名無しさん:01/09/10 03:18
それは違うんじゃない。
合理的かどうかを考えずに進むってことでしょ。
必ず合理的でない方向に進むのなら、合理的とはなにかということを
理解していることになる。
71 :
考える名無しさん:01/09/10 03:18
合理的でない方向に向かおうとするのが信仰だと思うケド。
思わせる、なんて構造で神が産み出されたとは思えんなぁ。
72 :
考える名無しさん:01/09/10 03:18
神は啓示だから、理屈じゃないですよ、もともとは。
73 :
考える名無しさん:01/09/10 03:19
訳のわからん事柄を見かけたら神という存在で扱われたんじゃない?
で、スレタイに絡めて見ると、やっぱ宗教って政治にあると便利なものなんだろうか。
総空学会で議席確保してるけどさ、あれが第一党になれば国教を目指すのだろうか・・・
74 :
考える名無しさん:01/09/10 08:24
思うに、物理も数学もその他も一切合財集めた知識の総体が哲学ではないでしょうか?
とすると、哲学だけを取り出して優劣を決めても意味がないような気がします。
最先端の物理はますます哲学みたいなわけのわからないものに近づいているのではないですか?
75 :
考える名無しさん:01/09/10 13:21
高校の時、学年で一番成績が良かった彼はもちろん東大行った。
彼は小説といえば赤川次郎しか読んだことなく、文学部なんて行くはずもない。
文学部に行ったような僕の友人達は、そのことで彼をバカ扱いしていた。
ここで、さあ勝者はどっち?
といっても何も始まらない。
が、テストで良い成績をとり、いい大学進学実績をだすことが至上命題とないっている進学校では、
僕も友人達も落伍者。ただそれだけのことだ。
しかし、文学部に行く連中はなんでも相対化して、それをいつでも自分にたいするエクスキューズにしてきた。
ダメじゃん。文学部。
76 :
考える名無しさん:01/09/10 14:38
>>76 とりあえず、論理的推論能力ってな感じだけど。
でも、75さんも言ってるとおり、頭のよい奴が趣味がよいとは限らない。
数学がむちゃくちゃできる奴でフェリーニや古井由吉を楽しむってのは
あんまし聞いたことない。
ノイマンなんて、シェークスピアを一字一句すべて暗記して自慢したりする
悪趣味な奴だったらしいし。
それからしたら、浅田彰みたいに
頭のよさも趣味のよさも、両方、格段に高い人って
まあ突然変異みたいなもんかな。
78 :
考える名無しさん:01/09/10 15:59
「趣味のよさ」なんて誰が決定するのさ。
浅田のクラヲタぶりがただあなたにとって格好よく見えるだけでしょ。
オレはあたまのよさって、
本質を把握するというか、物事の価値を正しく判断する直観力と
柔軟に問題に対応する、想像力っていうのかね、
それと、忍耐強くものを考え抜く力、
そういうものの結合だと思う。
まあ、学校の成績と(オレの定義する)頭のよしあしっていうのが、あんまり関係ないような気がする
今日この頃、だけどな。
カントは哲学によって数学と物理学を基礎付けようとした。
量子力学の授業受けてた時、
「活力測定考」で、デカルト派とライプニッツ派を調停しようとして
大失態をしでかした前歴があるドキュソ。
ニュートン力学を信奉しながら、ちゃんと理解できていなかった。
ヘーゲルなんかも、微積分を理解していないにもかかわらず
批判しようとしたのは有名。
数学を解く上で、契約の部分を否定するのはナンセンスとも言えますし
得てして既知の事象であることが多いですから
ラッセルやヴィトゲンシュタインくらいかな。
↑
おや、誰か勝手にコピペしてるぞ。
>>79 頭のよさってのは、そうだなあ、カントの規定的判断力みたいな感じで言ってるからね。
(規定的判断力:あらかじめ普遍が与えられていて、そのもとに経験から得た特殊を包摂する判断力)
それに対して、35さんの頭のよさってのは、反省的判断力に相当するんじゃないかな。
(反省的判断力:経験から得た特殊を包摂する普遍を創造的に見出す判断力)
たしかに反省的判断力の方が、総合的(?)な頭の良さってことになるだろうけど
文系の人間って、規定的判断力に相当する頭の回転の早さを軽視する傾向があると思うからね。
だから、論理的推論能力って、侮っちゃいかんってことが言いたかったわけ。
直観や想像力って、結局、複雑な推論を無意識的におこなっているのに
そのことを意識しない状態だろうし。
スポーツでの反射神経みたいなもので、ニューロンが勝手に作動してるって感じかな。
ただ、そのような反射神経的な頭の良さは、数学とかでは才能を発揮できても
やっぱし、哲学では不十分なんだろうなあ。
カントも10年の沈黙を経た後に大著を出版したんだし。
デリダなんかも、ひたすら書くことを通じて考えてるって感じだしね。
82 :
考える名無しさん:01/09/10 22:49
力で区分けしてますけど、判断ってそういう風に
きれいにわかれるものですか?
>>81 オレはまあ単純な人間なんで、哲学的なタームを駆使されても、正直言って
意味が分からないんだが、まあいいか。
文系の人間って、頭の回転遅い?
オレは法学部の政治ゴロ?と靖国問題議論したことがあるんだけど、
こっちが考えてる間にマシンガン口撃を受けて立ち往生したことがあるけどな(w
そりゃ、数学的なパズルは理系の人間の方が得意だと思うけどね。
そういうのが好きでもあるしね。
パターンをつかんで問題をエレガントに解くっていうのは、
数学屋の資質証明みたいなところはたしかにある。
でも、それは表面的な問題と思うんだけどなあ。
オレは心理学者じゃなから、わからないけどね。
まあ、こういう議論はもともとのスレの趣旨と反するけど、オレは家庭教師やってんだよね。
で、教え子はいわゆる「文系のコ」なわけなんだ。
その子に数学を叩き込むのが仕事で、これが難行なんだけど、いつも言うのは、
最初は分からなくても辛抱強く考えなさい
問題は解けるまで一生懸命考えなさい
計算力をおろそかにせず、キチンとテクニックを身につけなさい
でも、なかなか期待するほど辛抱強くやってくれない。数学以外のことは口が達者なのに(w
この辺に、オレは「いわゆる文系」の問題があるんだと思うんだけどな。
煽ってるわけじゃないんで、「いわゆる」に注意して読んでくらさい。
84 :
考える名無しさん:01/09/11 00:01
>>83 ちょっと、おもしろそうな話題なんで
レスするけど
例えば、具体的言うとどんな「いわゆる文系」の問題
だと考えている?
つうか哲学を学問として把握してる時点で
終わってると思うんだけど。
86 :
考える名無しさん:01/09/11 00:29
オレがここで見かけた問題
(1)コピペ荒らし対策のところで、「言論の自由」みたいな問題がでてくる。
そこでは本質と関係ない。なんでも一緒くたにするなと思った。
(2)はっきり明瞭なことを言葉でごまかす。
「人前でオナニーするのは悪いことですか」という命題にマジレすがついてた(w
(3)わかりやすく明瞭にあらわす努力にかける。
理系の人間は伝えようとする意思があるんだよ。哲学板での発言の不明瞭さ、
これは知ってるだろ。
他のもあるかも知れないけど、思いつくのはこれくらいかな。
数学っていうのは、(1)(2)(3)と正反対の学問なんだな。
「いわゆる理系」に問題があったら、指摘してください。
88 :
考える名無しさん :01/09/11 00:41
>>87 それは、いわゆる文系じゃないね。(笑
哲学系の人の問題だ。
(1)はしょうがない。
あらゆる可能性は考慮されるべき。
でも俺もあのスレでレスしたけど、
その問題の彼は、論破されたよ。
その意見に納得できる論理性が見出さなければ、
それでおしまい。
(2)
それは、君の間違い。
ネタスレとわかってマジレスする人もいるし、
はっきり明瞭なことはないという思考上のスタート
地点から論理展開するのはここでは、至極まっとう。
(3)
それは、哲学の用語上の問題だね。
言語の定義に関しては、基本的には
質問すれば答えるのが筋なのは確か。
ただある程度共有される哲学史上で使われた
専門用語を前置き無しで使うことはある。
それは、文系、理系に関わらず専門性の問題だと
思うが。
それと、言語の使用方法自体が問われることが
あるのも知ってほしい。
>>86 「生きていくための道具」って実感があるんだよね。
数学とかって実生活から遠くないか?
35の言う”いわゆる文系”ってのは屁理屈のことでないの?
>>88 そういう風に返されるとは思ってた(w
まあ、理系の人間から見た「問題」だからね。
逆に、あっさり割り切って次に行こうとする数学屋は
哲学の人から見て軽薄に見えるのかな?
だから、理系の人間と文系の人間は問題意識が違うんだろうと思うよ。
プラモデルをつくるときに、「なぜこんなことをするのか」と
考えない、っていう感じかな。
もとのテーマにもどると、そういうわけで、理系の人間が立派な哲学者に
なれるわけではないので、どっちが簡単とはいいようがないのだろうな。
オレは露出狂を論理的にいさめるような真似はできないからね(w
92 :
考える名無しさん:01/09/11 01:16
>>87 問題として抽出する要素が、自分がすでに持っている
イメージに即したものであるような気が・・・。
>>91 これは文系理系両方に当てはまること
なんだけど、文系のこと誤解してる人多いよね、
理系の人は。というかぶっちゃけた話
よく実態がわかってないでしょ?
理系が使う文系の定義って
(ただの理系以外の人)
しかないんだよね。
なんとなく前提している
言語の使用があいまいな人達とか
っていうのは、比率の問題じゃないの?
別に分野じゃなくて。
ただあいまいに使う人が
文系の人に多いだけで話をすすめられてもね。
そりゃ、理系の方が論理性(&実証性)を重視
しているということは、
文系科目と総合的に比較したら事実だけどね。
それから、理系の人だって
哲学をしない理由はないと思うけど。
哲学研究をしないだけで。
そのへんも誤解してる気がするよ。
>露出狂を論理的にいさめるような真似
つうか、それは半分冗談でしょ?
それはそれでいい話じゃないの?(笑
ほかでも言った気がするけど、
社会的倫理の正当性も問題にできるからね、
哲学は。考えないようにする対象はないといいって
いいね哲学は。
>>92 オレだって「理系の島」に住んでるわけじゃないんでね。
今まで生きてて、いろいろ思うところもあったよ。
今改めて、なにが問題か、と問われて自然に浮かんだ答えなんだ。
一般論にしちまうと偏見に見えるだろうな。
オレは別にそういうイメージで人に接するわけじゃないよ。
しばらくしゃべって、ああやっぱり、と思うことも(w
立派なやつだな、と思うことも両方、ある。
繰り返し言うけど、一般化して、だから文系はくだらないとか決め付けるつもりは、
もう全く無い。誤解しないで下さいね、と思う今日この頃、だな。
95 :
元算 ◆57HqPLcw :01/09/11 01:39
でもまぁ、数学にしても哲学にしても
それを食い扶持にしていくのは難しいですね・・・
大抵は、只のサラリーマンですよ(汗)
リーマンって言うと、なんとなく数学科の人に面白いツッコミ貰えそう(違)
まぁ、それは理系板か数学板でやるとして(汗)
35さんの91の中でのレス
>プラモデルをつくるときに、「なぜこんなことをするのか」と
>考えない、っていう感じかな。
は、なんか言い得て妙って感じでした
81では、規定的判断力を論理的推論能力、反省的判断力を総合的な頭のよさ
ってな感じで考えてたんだけど
カントは数学を綜合的判断としているからねえ
数学を操る能力は、反省的判断力になるよね。
ま、それはいいとして・・
>プラモデルをつくるときに、「なぜこんなことをするのか」と
>考えない、っていう感じかな。
というのは、たしかに言い得て妙かな。
数学者って、実はものすごく素朴なプラトニストなんでしょ。
数学的対象が存在するのはあたりまえであり、定理なんかはあくまで「発見」するものだって。
20世紀初頭での論理主義・直観主義・形式主義の論争なんて、よその世界の出来事みたいな。
物理学者も、すごく素朴な実在論者ってことになるかな。
それに比べると、哲学はつねに自らの根拠を問うという点が異なるかな。
しかも、およそ学なるものすべての根拠を一挙に問題にするんだから
まあ、怖いもの知らずだよね(笑
ヘーゲルあたりがその誇大妄想の一方の極で、その反動がキルケゴールあたりの実存主義かな。
>>83 「いわゆる文系」の問題ってのは、知的誠実さの問題のような気がするけど。
理系の人間って、その点からすれば、性格的な誠実さはともかく
知らない事は知らないといい、また論理的に破綻してたらそれを認める
ということはあるようには思えるな。
それは、論理的に筋道立てて考える習慣がついてるからじゃないかな。
しかし、逆にいうと論理的に明晰判明に説明できないものは
一切認めない、っていうか軽蔑的に切り捨てる傾向があり
その点が、文系の人間から見たら、軽薄に思えてしまうんだろうね。
ん、レスがついてるな・・・
いま読み返してみたら、かなり乱暴なこといってるね、オレは。
ちょっと酒が入ってたからかな。哲学板のみなさんに、陳謝!
今改めて考えるとね、結局オレがいいたかったのは、「いわゆる」文系の学問では
技術的な要素が少ないから、そういう面で1さんのような考えにいたったのではないかと
いうことなんだよな。
数学でもテクニックがいるし(学部で覚えるのは、講義で概念、演習でテクニック)
物理は実験技術が要るし、工学はいわずもがな。
ところが、文系ってそういうもんじゃないでしょ?
オレは野次馬根性丸出しでいろんなところに行っちまうんだが(本は読まんけど)
なんか個人的に決め付けてる「学説」が多いような気がするんだよね。
証明が無いというか、合理的な根拠がオレからみて、欠けてるような気がすんだけど。
もちろん、そうじゃない場合もあるよ。歴史や経済の話を聴いてなるほどと思ったり、
あと哲学系で様相論理の話をしてくれた人は、数学屋的な波長を感じた。でも、
そうじゃなくてもやってけるのが、文系ではなかろうか。
だから、具体的に存在するものでないものを議論してるから、
(1)(2)(3)で列挙したような問題が生じてるんじゃないかと。
数学ではなにが問題でどうすればゴールか、っていう共通理解があるから、
議論がスムーズなんだよね。「定義より・・・以上、証明終わり」ってね。
そういうわけで、結局哲学者は自分の撒いた科学のたねを、数学者や科学者に
ゆだねることになったんじゃないかと、思うんだね。
証明しなくても言葉で議論するだけだったら、数学や物理より簡単に見えるのも
当然ではないかと。
「文系の問題」なんて煽情的な言い方はよくなかったけど、1さんの知的誠実さ
云々は正直言って、経験的には納得できるんだよね。理系の人間には、哲学って
屁理屈に聞こえることがあるのは、まあ、事実なんだな。
ただ、歴史的には、哲学者は非常に大きい知的業績を挙げてると思うし、オレは
アリストテレスやライプニッツを、グロタンディークと同じくらい尊敬してるんで、
哲学を軽視するつもりはないっていうことを、繰り返し言っておきます。
数学者は素朴なプラトニスト。たしかにそうかも。物理学者と同じくらいは
プラトニストだろうなぁ。形式主義って建前だからね。
散々考えて、やっと答えが見えたら、なんとつじつまが合って綺麗なんだ!
そういうことを重ねたら、プラトン主義者にもなるよ。
で、結局、分かる人にしかわからないって言うのは、数学も哲学も似たような
もんじゃないかな。重なり合う部分はあると思うけど。
1さんT大でしょ? ということは、入試数学はよくできたわけだし、
数学コンプレックスなんておっしゃってるけど、理系の人間で博学、弁の立つ文系に
コンプレックス抱いてる人間もいるよ。かくいうオレがそうなんで。
K大理学部は入試に国語があって、模試で痛い点もらってキレたこともあったね(w
98 :
考える名無しさん:01/09/11 20:11
>しかし、逆にいうと論理的に明晰判明に説明できないものは
>一切認めない、っていうか軽蔑的に切り捨てる傾向があり
>その点が、文系の人間から見たら、軽薄に思えてしまうんだろうね。
ゲーデルはアメリカ市民権を得るために、憲法の試験を受けたのだが、その際
「アメリカ憲法は無矛盾でないからこまる」と
ノイマンに愚痴をこぼしたそうな(w
99 :
考える名無しさん:01/09/11 20:14
>>98 その話知ってますけど、それ法学を少しでも理解している人間から
みたら、間違いなく噴飯ものですよ。あなたが笑ったのと違う意味で。
>>97 哲学の議論が合理的な根拠を欠いているというのは、たしかに一方ではあるだろうな。
とくに、生きる意味やら宇宙の起源やら人間の本質やら
そんな話を哲学と称して議論をしても
自分の心情を吐露して、自己満足を感じておしまい
ってな場合が多いよね。
単に日常的な言葉の意味の地平の上でグルグル回っているだけで
ぜんぜん思考をおこなっていないのに
何事かについて考えているつもりでいるから性質が悪い。
そんなゲロを吐き出すようなのを哲学だって勘違いしてる人は多いと思う。
まあ、こんなこと書くとイヤミな奴と思われかねないが。
哲学は、そうだなあ、結構冷たい、っていうか
人に対して何か救いや意味を与えてくれるんじゃなくって
逆に日常的に何気なく思い込んでいた考え方や意味を壊してしまう
という力を持っていると思う。
ハイデガーやデリダのデコンにも繋がるかな。
それからすると、先人の思考の跡を単にたどるだけなら(哲学書を読むだけなら)
数学や物理学よりも簡単なのかもしれないが
単に思考の後をたどるというのではなく、自らを思考の場に晒すっていうのならば
これは難しいことだし、まさに暗闇での跳躍と言えるだろうね。
そういうわけで
>数学ではなにが問題でどうすればゴールか、っていう共通理解があるから、
>議論がスムーズなんだよね。「定義より・・・以上、証明終わり」ってね。
というのは、一種の計算にすぎないともいえるんじゃないかな。
昔の数学の論文には長い序文がついていて、その序文を読むことで
論文の本題である証明の意味を理解できていたが
現代の数学の論文は、エレガントさを追求して
よけいな文章を一切削ってしまっているために、証明の意味を理解するのが困難になっている
という話を聞いたことがあるよ。
証明のような計算的な思考だけでは汲みつくせないところに、数学の自由さがあると
かってに想像しているけどね。
カントールが最初に集合で無限論を展開したときは、強力な反対にあっていたし
虚数なんかも、昔はいかがわしいって思われてたんだし
共通理解のもとに、皆でゴールに向かってひた走るってだけじゃ
数学の発展はなかったんじゃないかな。
いやまあ、数学素人の思い込みにすぎないから35さん、悪く思わないでね。
>>100 オレも肌で知ってるのは現代の数学社会だけなんで、カントール時代の苦労は
分からないんだけどね(w
もちろん、証明に疑義がはさまれることは時にはあるし、斬新な発想が理解されない
ということもあって、いつでも「以上証明終わり」ということはないかも
しれないけど、でも、最終的にはやっぱり結果を出したほうに軍配が上がってる
と思うけどね。
頭の中で考えてることと、紙に書いた証明が全然違うというのは日常経験することで、
どんなむちゃくちゃなこと考えてても、証明という基準は一定でしょ?
虚数に限らず、「本当は間違ってるかもしれない方法で結果をだして、あとから証明する」
のは日常茶飯事だからね。
それに、オレの念頭にあったのは日常的なレベルだからね。
哲学の議論にはいつでも「あれはこういう意味でした・・・これはこういう意味でして・・・」
という注釈を延々つけないといけないことがよくあって、
散々議論して、結局全然結論がでないことも、まあ、よくある。(w
数学者は途中経過をレンマにしとけばそこは終了、で結論がでないということは
実際無い。「わかった」「まちがってた」「証明を書き直してくるよ」この三つだけ。
昔は知らないけどね。
たしかに、図書館で昔の数学者の全集なんか読むと、結構哲学的なことが
書いてあるし、現代から見てノリが妙だと感じるけど、いまは研究者の数が多いから、
多分余計なこと書かなくなったのは、紙の節約のためだろうと思うね(w
オレは哲学のセンスに自信ないんで、数学と哲学の思考がどういう関係にあるのか
人に言えるような見解は持ってないけど(一般に数学者ってあんまり哲学的じゃないよ)
新しいものを生み出す難しさは同じだと思う。
オレは理解できた範囲の哲学では「哲学とは問題をだすこと」と素朴に思うんだけど、
斬新な問題を出すことがイカに難しいか、ということは理解できるよ。
しかも、それが世界初の発見で、証明は不可能というという事柄だったら、
まさに「暗闇での跳躍」だろうと思うね。
で、何回も言うけど、オレは哲学なんてどうでもいいとは、本当に思ってないんだ。
本当に新しい数学の原理を打ち出すというのは、ほとんど「哲学的な行為」だと
常々思ってるんでね。ただ、オレから見て胡散臭い「哲学者」をまま見かけるんで、
オレの偏見を言ってみたというわけで。
反論の意味がよく分からないことも多いんだよ(w
前原昭二の『数学基礎論』読み返したら、割とすんなり読める。
数学なんかも、語学と同じで反復練習あるのみなのか。
ただ、形式的に定理の証明を追っていくだけで、意味が十分に分かってるわけではないけど。
そこで、35さんに質問だけど
ゲーデルの対角化定理って、どういうことなの?
できれば、分かりやすく教えてくだはい。
カントールの対角線論法と関係があるようなんだけど、よく分からん。
ところで、ツインタワーに旅客機が突っ込む映像はすごかったなあ。
湾岸戦争のときの誘導ミサイルからの映像よりも衝撃的。
テロの真の目的は、破壊そのものよりも
全世界に衝撃の映像が流されたことで達成された感じなのでは。
映像を通じて、攻撃の効果を何倍にも高めたということか。
映像でもって湾岸戦争が作られたのだと、ボードリヤールが言ってたけど
まさに、意識せずして逆に映像を利用してやったわけだな。
103 :
考える名無しさん:01/09/13 20:38
ゲーデルは思いっきり哲学的な人間だと思うが。しかも最期は狂った。普通の人は狂いたくないんだと思う、すなわち文系。理系でも優れた人ならばそれは、肌で感じる身体言語だと思われる。数学言語が合ってる人だと思う。
104 :
考える名無しさん:01/09/13 21:07
>>97 >ところが、文系ってそういうもんじゃないでしょ?
>オレは野次馬根性丸出しでいろんなところに行っちまうんだが(本は読まんけど)
>なんか個人的に決め付けてる「学説」が多いような気がするんだよね。
こんな馬鹿な文章を書いてるようじゃ数学でも大したことないだろうねえ、
こういう中途半端な阿呆が一番たち悪いんだ、これが。
>>101 申し訳ない。
基礎論やってないんで(高校時代にマグロウヒルの『記号論理学』をフォローした程度で)
前原昭二のその本も読んだことないから、オレはよく知らん。
そういうわけで、数学板の「わからない問題はここに書いてね」に質問しといたから、
たまに覗いといて。
基礎論やってそうな人も見かけたんで、誰か答えてくれるかも。
ところで、オレとしては誤解がないように書いたつもりなんだが、怒ってる人がいるな。
理系板でもやってたけど、理系が文系を、文系が理系に批判がましいことを
書くと、決め付けに見えて腹が立つんだろうな。
たしかに「文系」「理系」なんて漠然とした領域で議論するのはよくないな。
自分はそうじゃないと思った人がいれば、その人はそうじゃないわけなんんで。
極端な場合とか個人的な論難と思わないでほしいんだが。
106 :
考える名無しさん:01/09/13 22:59
>>105 理系とか文系とか言う問題ではない。
証明がないとリアリティを感じないという脳の粗雑さは
理系であるかどうかということは全然関係ないのである。
だいたい文系の学問の議論が漠然としているなどと
言えてしまう野蛮人に何を言っても無駄だろうが、
自由や責任といった当たり前の理念を定位することにさえ、
跳躍が必要だと言うことを哲学は繰り返し「証明」してきている。
それにリアリティを感じない人間は数学も駄目だろね。
107 :
名無しさん:01/09/14 00:24
AGE
>>106 106みたいの、よくいるんだよね(w。相手にしたくなかったんだが・・・
合理的根拠がなければそこを疑問に思うのが当然だろう?
キミの言ってること自体、全然合理的根拠がないです。
キミみたいなのをしばしば見かけるから、オレはいまの結論に至ったわけだよ。
一言一句難癖をつけるつもりはないけどね、
オレはキミみたいな、言葉をもてあそんでるだけでなんにもできずにしゃべってるだけの癖に
自分は利口だと思い込んでる「いわゆる文系」を見た経験があるんだよ。
人を野蛮人呼ばわりする「自称インテリ」君には見えてないんだろうが。
>>数学も駄目だろね。
・・・典型的な根拠のない評論家の口調ですな。
数学のなにが何が分かってんだか(w
ゲーデルとか不完全性定理で数学がわかったつもりになってんだろうが・・・
キミの見えなさにあきれるけど。
まあ、あんたみたいなタイプは口だけ達者なんだよな。
というわけで、オレが上で言ってきたことの証明ができてるわけだ。
「文系には合理性も客観性も知的誠実さもない人間がままいる」
ってね(w。
というか、アンタは合理性の意味もよく分かってないと思うけど。
というわけで1さん、せっかく議論ができてた「二つの文化論」だけど、
馬鹿が乱入してきたので、終了、だね。
109 :
考える名無しさん:01/09/14 00:44
不完全性定理は不完全です
>108
文系全部を中傷するのはやめていただきたい。
論点がおかしいことは議論でもって打破すればよい。
自分の意見と食い違う(自分が正しいにしても。おそらくこの場合あなたに分がある)
からと言って・・・うーん・・・・
>>109 誤解しないでほしいんだけど、オレは繰り返し「文系がつまらないといってない」
って言ってんだけど。このスレの趣旨に照らして、オレの考えを述べただけ。
「まま見かける」っていうのに注意してほしい。
全員って言ってんじゃないんだよ。
大変だけど、前の方のレスも読みかえしてほしい。
オレは野蛮人らしいので(w、そんなに面倒な書き方はしてないと思うよ。
>>108 あおりにのらないように。マタ−リいこうよ。
ただ正直な感想とはいえ、97の「個人的に決め付けてる学説」
発言はまずかったね。これは、君のいう文系学問の全否定だよ。
撤回すべきだと思う。まず歴史学があてはまらないよね。
このスレの命題としては、哲学と数学&物理学ぐらいに
比較対照を絞った方がいいんじゃない?
自覚していると思うけど、文系学問って一般化しちゃうのは、
あまり生産的な議論だとは思えないな。
それから哲学もきめつけてるわけじゃない。
それなりの(君から見たら屁理屈かもしれないけど)論理構築を
して初めて学説となるわけで。そして過去の哲学者の作品が
残っているのは、その論理構築なり思考が正誤以前に
賞賛できるからでしょう。じゃなかったら、例えばイデア論なんて、
「ハイ、電波。」で終わり。(笑 読む必要もない。
一旦認めた上で、また新たに構築なり(脱構築でもいいけど。笑)
していく。実証性を示すときの方法ですら疑いにかけられるのは、
君からみたらわらっちゃうかもしれないね。
で、
>>106へのレスを見て少し疑問に思うのは、数学の専門の人間が
なぜ直感を大事にしないのかということ。俺も塾で教えているけど、
頭のいい子は、文系、理系に限らず、直感に優れている子が多い。
俺は、数学で生き残る人間というのは、最終的に論理的思考能力より
直感に優れてるやつじゃないかなと思うんだけどね。(もちろん
両方人並み以上に持っているのは大前提。)
それから
>プラモデルをつくるときに、「なぜこんなことをするのか」と
>考えない、っていう感じかな。
何故考えないのかを、この際このスレで考えてみるのも
おもしろいんじゃない?
>>112 一回目はやり過ごしたが、二回目はちょっとキレた(w
「決め付け」発言まずかったですか。撤回します。
「直感を大事にしないか」79のレスを読んでほしい。直観、という言葉はオレがさきに使ってる(w
オレは国語とか苦手だったんで(小説の読解、とか)文学的な直観は自信ないけど、
数学の直観はそういうものと全然違うと感じてるんだけど。
むしろ、「合理的な根拠」がなにかという判断の基準とか、ある問の科学的価値
を知るとか、そういうのが直観だろうとおもう(科学的、ね)
誰かが言ってたけど、数学者の言う直観は
概念をイメージして、ある数学的局面の状況を正しく把握する能力だと思うよ。
文学的な感性とか、哲学的直観(どういうものか分からんが)とは違うと思うね。
まあ、これはオレの意見なんだけど、
数学系の知り合いにも「国語は駄目だった」って男が非常に多いけどね。
直観にもいろいろあるんだと思うよ。
114 :
考える名無しさん:01/09/14 01:42
複雑系の数学的処理って結構興味があるうんだけど
それらが哲学に与えてる影響ってどうなんでしょう。
115 :
考える名無しさん:01/09/14 02:14
自我が強い場合、自と他の不連続性も強まり、
認識には思考による補足が必要になる。
自我が薄い?場合、自と他の不連続性も薄まり、
認識には思考による補足があまり必要ではなくなる。
無我?の場合、自と他は連続性もしくは一体性の状態なので、
認識には思考による補足が不必要になる。
>>113 君は、誠実だよね。好感もてるよ。
>「直感を大事にしないか」79のレスを読んでほしい。
>直観、という言葉はオレがさきに使ってる(w
そうだね。(笑
国語もね、教えてるんだけど、
論理性と関係あるのかどうか。(問題がね。) 特に中高のは。
直観的に答えられない子には特に
論理的推理力によって説く方法を薦めたりしてるけど。
でもやはり、限界はあるよ。論理的に解ける問題
なのか疑わしいこともしょっちゅうある。
例えば、詩の鑑賞とかの問題は、ほんと教える方も
問題もある意味適当だよ。(笑)
求められる答えが恣意的すぎるんだよね。
両方必要なのが、英語(というか外国語)だね。
感覚(暗記もふくめて)と文法規則からの推察が
両方ないとだめだし。
文学的感性と哲学的直観は全然違うんじゃない?
前から言ってるけど、哲学は論理にものすごい
重きを置いている。哲学書も論理的把握能力がないと読めないよ。
カントなんてまさにそう。哲学的な直観というのは、
ひとまとめには説明しにくいな。
直観とは知覚形態の一つで必要とか言うよりも
哲学的考察の対象になりうる。
カントの場合だとむしろ、むしろ君のいってるのに近いんじゃない?
(1さんに聞いたほうがはやいね。力量不足でスマソ。)
ただ、数学とは違うといわれればそうかもしれない。
この辺は興味深いテーマかも。
>114&115
スレ違いではないですか?
↑ なんでオレが謝ってんだろ?
>>116 ここで見かける「哲学」が学問的哲学かどうか分かんないんだけど、読んでると
国語に悩んだ受験時代を思い出したもんで、文学的、って連想してしまった。
直観とはなにか? オレは判断だと思うんだけど、「哲学的的直感」は、ちょっと分からん。
ただ、よくショーモナイ「定理」を証明する人がいたり、
偉い数学者の仕事を見ると、なんか問題の設定にセンスを感じるときがあるんでね、
そういうのが直観、と思ってんだけど。ポアンカレ(だっけ)の言葉を流用してね。
むかし、「Anshaung](だっけ?ドイツ語の直観)という語源は
「眺めること」とドイツ語の先生に聞いて、
「自分のイメージと似てるな」とは思ったんだけどね。
「プラモデル云々」何回も引用されて、名文句だったか(?)
この問題について、オレが思うのは、「仮説は結果で判断される」ということなんだ。
なにか問題がでたら、うまくいきそうな解決法を考えて試してみる、でうまくいったら
次に行く、というのが普通(といううか理系?)のやり方と思うんだけど。
たとえば、「数学の連続は物理の連続と同じか」というと、違うかもしれない。
そういうことは、物理や数学で少し議論されてて、「トポス」なんて概念も出てきてる。
詳しく知らないけど。
でも、今までの理論はうまくいったわけだよ。
全部間違ってるかもしれないけど、やってみる、と。そういう意味で、科学者は一般に
過去のしごとをあんまり信用してない(信仰してないというべきか)、と思う。
で、哲学方面で科学批判がなされるとき(オレは教養で「科学論、科学史基礎論」という
講義をとったんで、それがネタ元だけど)、「科学はこれこれの理由で不確かだ」
とかいう議論があるよね?
あれは、少なくともオレから見て「だから何?」と思うんだよ。
偏見だとか、相対主義(理解できなかったが)、で、科学は不確実とされるけど、
そんなことは当たり前なんだよ。綺麗な模型を作ったら、うまくいったというだけだからね。
それで、「理論を組み立てるときに、なぜそうするのか、と考えない。勘ですよ」
という意味をこめて、「プラモデル云々」といったわけ。(この勘も、直観の発露の一つ。)
古代ギリシャの哲学者はそういう雰囲気で哲学してたんじゃないかな、と
ラッセルの西洋哲学史Tなんかを読んで(眺めて?)思うんだけどね。
まあ、科学批判の哲学者ってのはむしろ論理学とか認識論を念頭においてて、
科学をネタにしてるだけかとも思うんだけどね。
長文で悪いね。今日ぴるねして眠れないんだよ(w
すでに散々数学やったしね。秋の夜長やね。
120 :
考える名無しさん:01/09/14 04:27
>>119 Anschauungsformってやつがまさにカントの直観形式の訳だよ。笑
anschauenっていうのは、見る眺めるって意味だけど、
君のいってるのは、おそらくEinbildungskraftじゃないかな。
構想力ってやつ。つまり感覚的に理解するという意味だけではなく、
判断の媒介となりうる表象を用いる力。それは必ずしも
言語的還元を可能にしないにもかかわらず、認識における重要な要素に
成りうるものでもあるような。
>で、哲学方面で科学批判がなされるとき(オレは教養で「科学論、
>科学史基礎論」という講義をとったんで、それがネタ元だけど)、
>「科学はこれこれの理由で不確かだ」とかいう議論があるよね?
>あれは、少なくともオレから見て「だから何?」と思うんだよ。
>偏見だとか、相対主義(理解できなかったが)、
>で、科学は不確実とされるけど、そんなことは当たり前なんだよ。
>綺麗な模型を作ったら、うまくいったというだけだからね。
すごくいい思考だと思うよ。そこまでいってんだったら
もう哲学がなぜあるのかわかるんじゃない?
哲学は、綺麗な(じゃなくてもいい)模型を
探しつづけてきたんだって。それで綺麗な模型(科学)が
できた後も、それに満足できずにずっとさがしてるんだよ。
相対化によってでも偏見によってでもいいけど
「理由(理屈)や納得できる論理もなく何かがそうである」
ことにたえられなくて、納得がえられる理屈や理論を
さがして、そのためにすべてを一度白紙にして
厳密に問いをたてていくことだとおもうんだけどな。
だからあることにたいして
科学者は、一次対処的に解決しようとする
(解決しない場合に、ようやく全般的に理論を組みなおす)
哲学者は、解決に向けて最初から全般的に物事を問い直すが
必ずしも解決しなくてもよいと思っている。
っていえるかもしれない。それで哲学側では、
科学という立場のみに立脚できないんだと思う。
いきなり全般的だから。
(まあ、ただの1意見なんで流して聞いてよ。)
大学の物理学科に入り直して一から
物理勉強しろ。話はそれからだ。
>>120 いやじつは、オレもそう思うんだ(w
最初の方で(35のレスかな)、「自分のやりかたを反省するという
意味で哲学は価値があるんじゃないかな」みたいなことを
最後の方でちょっと言ったような気がすんだけど、多分同じ考えだと思うよ。
なんかオレは反哲学の闘士みたいな不本意な役割を果してるかに
思えるんだが、もともとは1さんの「哲学ってやさしいのかなあ」
という気持ちを斟酌して、「こういうことが理由じゃない?」って
言ったはずが、いつの間にやら「理系馬鹿」(と罵倒されたこと数知れず)
役にになっちまったんだよな。なんでかな?
まあいいか。
まあ、いままでばか者(オレの偏見だよ)と交わした数多くの議論が頭をよぎって
しまった、というのもあるかも。
表現法とかも問題があったのかね。「文系の問題」とかね(w
>>108 >>113>>119>>122 ヘッポコ数学者が恥ずかしいレスを返したね。
要するに、こういう現代国語を馬鹿してしまう野蛮な
連中は数学をやっても何をやってもヘッポコになるわけだ。
こういう「文系の学問」なる言葉で、貴重な知識を
ひとくくりで馬鹿にできてしまう「本も殆ど読まない」
キモい男が数学をやっている事実がマジでキモすぎ。
悪いけどゲーデルの定理なんて興味ないなあ。記号論理学で習ったぐらいだねえ。
微分トポロジーには興味あるけどなあ(笑)。3次元のサリバンの辞書とか言うのを
勉強して、やっと現代思想の水準に匹敵する数学の結果を見た気がしたんだけどねえ。
>>105 サンクス
数学板に質問カキコしたけど、まあ、すぐには答えは返ってこなさそう。
基礎論やってる人じゃないと、やっぱ難しいのかな。
あと、まったくの想像だけど
ゲーデルの対角化定理ってブラウアーの不動点定理と繋がりがありそう。
だって、見た目はほとんどおんなじだもん。
基礎論の定理とトポロジーの定理が関係してるってなると、こりゃすごいわ。
やっぱ、数学って面白いよね。
>>123 35さんに対して、なぜそんなに腹を立ててるのか、よく分からないけど・・
ちょっと辛辣な意見を言われたらすぐにキレてしまう方が
大人げないと思うよ。
そもそもオレ自身が哲学に対して自嘲気味にこのスレ立てたわけで
哲学などに対する批判を受けるつもりでいたんだしね。
まあ、自分のやってることにシニカルに距離をとって眺めることができないと
専門バカになってしまうと、常々思ってるからね。
ところで、直観の話がでたけど
直観には大きく二種類あるんじゃないかな。
反省的判断力は構想力・悟性・理性の諸能力の自由で無規定な一致によってなされると
ドゥルーズが言っているけど、この考え方は結構面白い。
120さんも書いてるように、構想力が数学的直観と言えるとして
反省的判断力は、批判的直観(?)とでも言うべきものか。
柄谷流に言うと、ある判断をするさいに、別の種類の判断を括弧に括るときの
その「括弧に括る」働きが、判断に対するメタ判断としての批判的直観と言えるのかな。
数学的直観は、ある特定の能力ないし脳の特定のモジュールが働いてると思う。
(だからこそ、数学の才能がある人とない人の差が大きくでるんだろう)
一方、批判的直観では、複数の能力の間の関係ないし脳の複数のモジュール間の関係が
たまたまうまく調整がとれている状態、ってなことになるんじゃないかな。
そのような批判的直観って、柄谷が強調してるような「批評」ってことになるかな。
ま、長くなりそうなんで、今日はこの辺で。
数学のほうが哲学よりよっぽど理解しやすいと思います。
哲学は結論が明晰でないきらいがないでしょうか。
>>124 オレも質問スレを見たけど、動いてないね。たしかに基礎論やってる人って少なくて、
アルゴリズム論に興味のある人は、いまは計算機やるからね。
「ゲーデルを語ろう!」なんてスレ立てて基礎論屋に撒餌をした方がいいかも。
獲物があつまってきてから質問した方が早いだろうが、迷惑スレになるかな(w
質問スレであんまり返事がないようだと、定期的に書き換えた方がいいだろうね。
さて、直観に関してでてきたテクニカルタームはたぶん、純粋理性批判、かなにかに
でてくるんだろうと想像するけど、カントは、なんというか、「頭の働き」?を分類しようと
したのかな? オレはどういうものかはっきり分からないんで、ここで必要とされる分類結果と、
その特徴と、その能力にもっとも秀でていると思われる人物名を挙げてくれるとたすかる。
たとえば、「赤色筋−短距離走−カール・ルイス」とかね(w
分野を限らず、たとえば、政治とか芸術、実務的な分野、などからも複数名の
代表者を選んでくれると、分かりやすいと思われます。
できれば、現代人(たとえばブッシュとか安藤忠雄とか)で話し振りを知ることが
できるような人だと分かりやすそう。
そういうことをつきとつめていくと、哲学と数学のどこが違うのかもはっきりすると思う。
88さんの120レスの意見にオレは賛成なんだけど、それでも依然哲学者と数学者はかなり
違う人種に見えるわけで、これは学問の本質の違いでなくて、
やってる人間の違いとしか思えないんだな。
まあ、微分トポロジーに興味がある人がいるらしいんだけどね(爆藁
ところで、「括弧に括る」ということは、数学と哲学を区別するおおきなポイント
のような気がして、なるほどと思った。
ちょっと風邪気味だな。寝よう。
127 :
考える名無しさん:01/09/15 02:46
カントは哲学によって数学と物理学を基礎付けようとした。
量子力学の授業受けてた時、
ダイアモンドの価値をわかってもらえないのは、多分それが磨かれていない
(わかってもらえるように理由を述べない)からだよ。
評価されてプレッシャーや非難受けるより、評価されないほうが
楽じゃん。なにか評価されないと問題あるのか。
ただホントにすごいと思う人が、世間で詐欺や吉外扱いされてたら
少し悲しいけど、たいがい、そういう人にも少数にせよ理解者はいる。
数学を解く上で、契約の部分を否定するのはナンセンスとも言えますし
得てして既知の事象であることが多いですから
ラッセルやヴィトゲンシュタインくらいかな。
ついでに、Aがレッテルを貼っていない・Bがレッテルを貼られていないと
言えるにせよ、Aが根拠なくAの人格について発言したこと自体は、まずいと
言いうるよ(Bがある固定的な悪い評価を、すでに受けており、そのことに
ついて、話し尽くされた人たちの間では、まずいと言われることは少ない)。
し、ちゃっかり恩恵だけ受けてるひともいるから、いずれ評価される。
で、なにがすごいのか、なにをなしたのか?ききたいと思います。
磨いてもいない(理由を述べてない)ダイアモンド(真理・真理を知る者)が
すごいすごい言ったって、ただの石ころにしか見えないよ。
数学者って、実はものすごく素朴なプラトニストなんでしょ。
数学的対象が存在するのはあたりまえであり、定理なんかはあくまで「発見」するものだって。
20世紀初頭での論理主義・直観主義・形式主義の論争なんて、よその世界の出来事みたいな。
物理学者も、すごく素朴な実在論者ってことになるかな。
磨いてみないとダイアモンドかどうかも確認できないから、ダイアモンドだと
思ってた原石は、実はただの石ころにすぎないかもしれないし。
論理に論理を重ねていくより、感情の方が、総合的、瞬時的かつ、
正確である。悪感情の背後には、不当性を受けている事が多々ある。
まあ、こういう議論はもともとのスレの趣旨と反するけど、オレは家庭教師やってんだよね。
で、教え子はいわゆる「文系のコ」なわけなんだ。
但し、物事を正しく観る感性は、いろんな体験をし、感情を豊かにし、
かといって、石ころだって無用というわけじゃないんだけどね。
>>126 そうだね、カントは頭の働きをいくつかに分類して考えるわけ。
普通は「感性」「悟性」「理性」の三つに分類して
「感性」→「悟性」→「理性」の順に、知識が統合化されていくんだね。
んでもって、「感性」は感覚を受容する能力で
「悟性」は受容された感覚=直観にカテゴリーをあてはめて、知識とする能力で
「理性」は個別の知識を推論によって体系化する能力
ってなところかな。
あと、「構想力」ってのは、「感性」と「悟性」の橋渡しをする能力のこと。
カントはこの「構想力」の考えを撤回してしまうわけで、後の時代にいろいろ言われてる。
ともかく、「感性」は受動的な能力だから
残りの積極的な能力どうしの関係をドゥルーズは考えてるんだね。
それでと、
おのおのの能力に最も秀でている人物はというと、どうなるんかなあ・・
「構想力」って、なんか発想の斬新さって感じかな。
ニュートン力学のパラダイムを変えてしまったアインシュタインが当てはまるかな。
「悟性」というと、これはもう頭の回転の早さといえるんじゃないかな。
悪魔的な頭脳の持ち主と言われてたノイマンが当てはまるな。
「理性」はちょっと難しい。
単に推論というだけじゃなくて、倫理的に自己を規定することなんかも含まれるからね。
どうだろう、ガンジーとかが当てはまりそうかなあ。
>ところで、「括弧に括る」ということは、数学と哲学を区別するおおきなポイント
>のような気がして、なるほどと思った。
いや、「括弧に括る」というのは哲学じゃなくて
批判(kritik)的態度(柄谷の言う超越論的態度)とでもいうようなものだと思ってるんだ。
哲学的思考というのは、どうかなあ、数学的思考とそれほど本質的には違わないと思う。
一見すると哲学の王道にいるように見えるカントやハイデガーは
実は哲学からはずれた位置にいるのではないか。
むしろ、デカルトやライプニッツのように数学もできる者の方が
典型的な哲学者なのではないか。
哲学も結局は、明晰な論理でもって体系を構築することが目的なんだからね。
ただ、自らのおこなっている事にどれほど自覚的であるかが、数学と違うだけなのでは。
>>125 哲学では使われている言葉や概念が独自のものだから
それらを使い慣れていないと不明確になってしまうけど
本来は、哲学はすごく明晰なものだよ。
ただ、何か「結論」を出すってものではないからね。
結論ってよりも、全体として一つの完結した体系を目指すってところかな。
>>128 「構想力」はアインシュタインで「悟性」はフォン・ノイマンか。
うん、それはなんか分かりやすい話だ(w
なるほど。だったら、オレが直観って言ってた時にイメージしたのは、88さんの
言うとおり、たしかに「構想力」があてはまってそうだな。
「理性」には「倫理的に自己を規定することが含まれる」か。
うん、それは分かりにくい話だ(w
オレの個人的な感じでは、倫理には、なんというか実用的な面と、心のなかに自然に生まれる感情
という面があると思うんだけど。
実用というのは、たとえば「腹が立ったとき我慢をする」とか
「友人がくだらない問題を研究してても、それは指摘しない」とか(w。
大人の振る舞い、というのかな。
心の中に自然に生まれる、というのは、いじめを見ると不愉快になるとか、殺伐とした
生き方に嫌悪感を感じるとか、殺人には反対だとか、美意識っていうのかな。感動する、という
ことの正反対の「反感動的なもの」を避けるというかね。
覚えたての哲学用語を駆使?すると、理性というのは、構想力と悟性(芸術的な理解力も悟性に入れていいかな?)
の組み合わせなんじゃないかと思ったりするんだけど?
でも、そういう風に還元されたらカントは「理性」を持ち出さないわけで、オレが理解してないんだろうな。
ところで、なんかオレは「括弧に括る」云々を誤解してたらしいね。申し訳ない。
数学と哲学は本質的に同じ、か。オレは正直言ってよくわからん。
ある意味で似てるようだし、全然似てないようでもあるんだな。
哲学ド素人の独断に満ちた意見だけど(オレはチューリングを哲学者と思ってんだけど、プロパーはどう思うんだろ)、
(似ていると思う根拠) 数学も哲学も構想力を駆使して組み立てられている。(my意見ね)
(似ていない根拠) 数学は存在しているものを研究するが、哲学はそういう風に見えない(オレの非才故か)
それから、宗教と哲学って関係ないのかな?オレは変なはなし、神を信じてるかもしれないんだけど
(宗教には入ってないぜ)、それについて思うところをある女性(哲学ヲタ?)と話したところ
哲学的、だといわれたが、こりゃお世辞か(w
オレの感じでは、学問的な哲学というより、なんだろ、心の問題というかね、
たとえば、なぜ音楽に感動するのか、というような心で感じるものを書く哲学、
なんかそういうのないかな?
オレはモーツァルトヲタなんだけど、バルト(だっけ?)とかいう神学者がモーツァルトの
ことを書いてたのを、読んだだことがあるよ。
そういうのがあるとすれば、それは数学とは似ていないと思うんだけど、どうも
1さんや88さんの念頭にある哲学ってそういうもんじゃないみたいだけどね。
130 :
考える名無しさん:01/09/16 02:24
>>129 ヘッポコ数学者が、またしても「業界代表」という顔をして書いてるね。
そういう顔ができる人間は哲学とは無縁だと言うのはわかり切った話だが、
うんこ状の脳味噌した人間が「カント」などと書くのを見るのは、非常にキモい。
カントは「判断力批判」を書いてるんだけどねえ、何なのかねえ、これは↓
>たとえば、なぜ音楽に感動するのか、というような心で感じるものを書く哲学、
>なんかそういうのないかな?
こういううんこみたいな自爆発言だらけなんだが、
このぺっぽこ君みたいに自分の専門分野に安住して
他領域を馬鹿に仕切った昆虫型人間は、
最近話題のタリバンと同型の構造してるわな。
PS> 頼まなくても、またま自爆してみせてくれるよねえ??
酔っ払ってるんで支離滅裂になることはご勘弁を。
>>130 >カントは「判断力批判」を書いてるんだけどねえ、何なのかねえ、これは↓
>>たとえば、なぜ音楽に感動するのか、というような心で感じるものを書く哲学、
>>なんかそういうのないかな?
>こういううんこみたいな自爆発言だらけなんだが、
たしかに「判断力批判」で美学的判断として趣味判断について考察してるけど
別にこのことを知らなくても、自爆発言とはならないと思うけど。
そんなことをすれば、逆に哲学に興味を持っている人に門戸を閉ざしてしまうことになるよ。
カントについて知らない人がいれば、カントを分かりやすく説明するというのが
哲学にたずさわる者の義務なんじゃないかな。
まあ、そんなに攻撃的にならなくて、もっとマターリしようよ。
>>129 「理性」についての説明が足りなかったのはすまないね。
カントは『純粋理性批判』(第一批判)においては、「理性」をすべての知識を総括する能力として
その「理性」がおのれの限界を超えてしまうことを諌めてるわけだ。
だから、「純粋理性」に対する「批判」としているわけだ。
ここでの「理性」は「思弁的理性」とも言われる。
それから『実践理性批判』(第二批判)を書いていて
第一批判が認識の可能性を根拠付ける書だとすれば
この第二批判は、自由と倫理性の可能性を基礎付ける書になっているんだ。
んで、ここでは「理性」は「実践理性」として感性の影響を拭い去り
自ら立てた立法に自ら従うことで、自由を得ると考えるわけ。
「感性」の影響下にある「理性」を批判することで、「理性」を純化することが目的で
「(不純な)実践理性」にたいする「批判」になっているわけ。
このように、カントの「理性」には認識的側面と、倫理的側面の両面があるから
ちょっとややこしいわけね。
あと、自分の書いたレス読み返すと、言ってることが矛盾してるところがあるな(汗
いや、まあ、後でいいわけ書くよ。
132 :
考える名無しさん:01/09/16 04:43
>数学や物理学にくらべて哲学は簡単か?
いわゆる学問として見れば、どちらも上を見たらきりがないでしょう。
比べる尺度がないし、あったとしても個人によって違うでしょ。
ひとつ言えばいかに生きるべきかを問う哲学が、現実的に難しい。
生きていくのは、実感としてやっぱ大変だしね。
>>130 まず一言いっておくけど、オレは哲学を馬鹿になんかしてないぞ。素直に読めば分かるはず。
キミは相当ひどい数学コンプなんだね。
それからね、キミ、いいかげんにしなさい。
品の悪い言葉で、微分トポロジーだのサリバンの辞書だの聞きかじりの数学用語で
ミエミエの嘘八百ならべてる自分のカキコを読み返して、匿名でも恥ずかしくないか?
知らないことを知らないというのは悪くないんだよ。自爆発言というのはキミのアホなカキコだよ。
語彙の選択や文面から察するに、キミは非常に性格の悪いひきこもりタイプの人間だが、
悔い改めないと、公園の便所みたいな存在になるよ。
>>131 「実践理性を純化する」というのはつまり「意思で理性的に自分を制御する」ということ?
具体的には、「定言命法」とかいうやつかな?
「みんなが同じ行動をとったらまずい、という行動はしてはいけない」という説。
(選挙に行きなさい、という理屈で現代でも使われるね)まあいいか。
もとの話題に戻るとね、はっきりしてるのはギリシャ哲学からも明らかなように、
学問としての哲学・数学に難易の差はない。学問に終りはないからね。
やってる人間をみると、やっぱりトップで活躍している人間はいろいろいて、
優劣がつくもんじゃない。
ただ、哲学的と称する人間のなかに、
>>130みたいな病的なのがいてコマーシャルを流すから、
たいへん哲学の評判をおとしている。1さんとか88さんとか、あと京大哲学属出身の
人で話したことのある人は非常に立派な人が多かったから、べつに最低レベルの人間をみて
どうこう思わないけど、でも、分からなくても分かった振りができる、という点で、
哲学にたいして偏見がうまれるんだろうな。
偏見というのは、もし哲学を勉強したという人と数学をやったという人が就職に面接に来たとき、
ほかの事を知らなければ、数学をとるだろう、という意味でね。
問題があるのは学問でも研究者でもない、
>>130タイプの哲学ゴロだよ、
ということを結論にしていいんじゃないかな。
それでは。
134 :
考える名無しさん:01/09/16 16:17
>>133 後で取り繕おうったって、お前の発言のどこに文学や哲学など「文系の学問」への敬意が
あるのかねえ?? お前の矮小の価値観の開陳は、馬鹿にできて面白いんで、まあ今後も『ヘッポコ数学代表』の顔して
ネットで活動してください 例の東北大学のくろき助手と組むという手もあるし(爆)。
135 :
スペードのエース:01/09/16 17:09
>>133のレス強烈だな。論理性でも言語能力でも35の圧勝だな。
136 :
考える名無しさん:01/09/16 17:26
>>135 激同
こんなんが居るから例の『悲しみ』に対して
「結局大学で勉強しているのは哲学史でしょ」と言われても
「そんなことはない」と断言できる人間が少ないんだよ
こんなドキュソも居るとは恥ずいね、実際
137 :
ぬぬぬっっ:01/09/16 17:30
哲学っていったい何なんですか?
授業中やヨースタインゴルデル(?)の本とか読んでる時とかは、なんとなく
こういうのについて考えるのが哲学なんかなあ、と感じるけど、それ以外
の時はなにをどう考えると哲学になるのかさっぱりです。
今度レポート提出しなきゃいけないんだけど、どうも私が書くとただの感想文
みたいになってしまうんで、どうしたらそれらしくなるか誰か教えてください。
138 :
考える名無しさん:01/09/16 19:55
>>135 >>136 お前ら、数学コンプレックス持ってるんじゃねえの?
数学の専門家という前提を外して35の書き込みを
読んでみぃ。うぬぼれて自閉した数学オタクが「文系の学問」を
馬鹿にしたくてうずうずしているのが、よおく分かるだろが。
あとで取り繕おうっていうのは、不様だよなあ。
悪いけど、こっちは数学コンプクレックスなるものと
無縁なところで活動してるんだよね。
今や「ミネルヴァの梟」の喩えは数学者の数学にこそ最もよく当てはまってるんでね。
まあ、この板から哲学研究者たちが消えたのもわかるねえ、
こういうたちが悪い虫たちがつくもんな(藁
139 :
考える名無しさん:01/09/16 21:04
>>138 まあ、彼は多少偏見もってるかもしれないけど、指摘されたら撤回してるじゃん。
それに、彼はいつも理由つきで意見のべて真剣に議論してるわけだし、
やっぱあんたの数学コンプレックスだよ。あんたウザイよ。
お願いだから、哲学がバカにされるような恥ずかしいカキコしないで。
140 :
考える名無しさん:01/09/17 00:03
141 :
考える名無しさん:01/09/17 01:11
>>138 そもそも解釈する際に様々な主観が入れられる学問は
理系風に言うと「トンデモが多い学問」って事だろうね
論理的でない解釈が多かれ少なかれ入る、不安定な物だと思う
人が考えるんだから、主観を入れる事が悪い事という訳じゃないと思うけどね
数学については、主観を入れる事が少ないから
あと、基本的に否定の立場から、矛盾が無いことを検証していく学問だから
「ミネルヴァの梟」の喩えというものが当てはまるのかもしれないけど
それは有る意味においては良い意味でもあるよね
ある一定の能力がある人だったら等しく検証でき
また、正しい解答を導き出せる、という学問だから
「主観」という言葉が嫌だったら、適当な所を
「解釈の違い」なり、理解しやすいように読み替えてください
意図に大きなずれが生じる事はないはずだから
ところで残念ながら、あなたのしている会話の手法が
私にも「数学コンプレックスの固まり」もしくは「煽り」としてしか映らない
相手の意見を汲み取る人のような話ぶりだったら
多少は同意を得たんだろうけどね
142 :
考える名無しさん:01/09/17 01:52
>>141 横レスですが、冒頭の文章からすると、主観的な解釈=当然に論理的でない
解釈ということになりますが・・・。そんなことはないでしょう。
論理的かどうかは、主観か客観かできまるわけではなくて、
理由と結論がつながっているかどうかで決まるんでしょう?
主観のところに、別の語を代入しても、意味は通らないですよ。
143 :
考える名無しさん:01/09/17 02:28
いや、十分に論理的であればいいと思うんですよ、主観だろうと、客観だろうと
中には、それはあなただけの意見ではないか?と思われるような解釈をつける
学者というより評論家と呼ぶべき人もいるから
理系の学問に、評論家という存在が育たないのは
解(この場合は解答の意味)に違いが生まれにくい学問だから、という事です
社会に問題を投げかけ、またそれが一般的に裏付けされたもので
さらに必要な知識を常に身につけようとする優秀な評論家も中にはいるけど
概ね取るに足らない自説を、限られた知識の中で展開し、批判するだけ
評論本のような物など残さない方がまし、な評論家も中にはいるわけで
そういう人間が育ちにくい土壌だ、と言いたかっただけです
主観という言葉を選んだ理由は、様々な解(この場合は解釈の意味)が
得られる学問という意味です。
本人が別の立場に立てば、そして論理的な紐付けが出来れば、逆も得られると思うんですよ
それが間違いとは言わない、そもそも、求めている方向性が違うんだから
例えば、経済学者に、今年中に株が1万円台に戻る可能性を訊いたとしましょう
100人いれば、100通りの解釈で、それなりの回答をするでしょう
これからの読みというものもあるでしょうし
あるいは実は裏の情報持っているかもしれないでしょうし
でも、その全ても、結果から見たら誤りだったとしても
解釈として誤りが有るとは思いません、現時点では解らないんだから
仮に結果が違ったとしても、それはその学者の予測したイベントが発生しなかったからとか
様々な要素があると思います
で、本当に言いたいのは、『「ミネルヴァの梟」の喩え』に繋がる2節目の文章
そもそも、学問に対する態度が違うのだから、特徴は捉えていても
決してけなす意味を達成しえないと思ったからなんです
主観とか、解釈の違いとかは、あまり重視してなかったけど
食ってかかられる可能性あるな、と思って注釈入れたのがまずかったのか・・・
いやー、不規則な生活ばっかししてるから
風邪ひいちまったよー。
というわけで、あんましまとまったレスできまへーん。
>>133 >「実践理性を純化する」というのはつまり「意思で理性的に自分を制御する」ということ?
>具体的には、「定言命法」とかいうやつかな?
>「みんなが同じ行動をとったらまずい、という行動はしてはいけない」という説。
>(選挙に行きなさい、という理屈で現代でも使われるね)まあいいか。
うーん、ちょっと誤解してるみたいだね。
カントの「定言命法」は
「君の意思の格率が常に同時に普遍的立法の原理として認められるように行為せよ」
というもの。
(格率とは自分が決めた自分の意志が従う主観的法則のこと)
(定言命法は仮言命法に対するもので
後者はなんらかの条件のもとでのみ妥当し、結局は主観の欲求を満たすのに対して
前者は無条件に妥当し、純粋実践理性の法則のみに従って意思を規定する)
この「定言命法」は、まあ噛み砕いて言うと
素敵なバーを見つけたら皆に教えよう、というのを自分のモットーにしてるとして
そのモットーが誰もが実践すべきモットーであることが認められるように
とっておきのバーを自分だけの秘密にしたり、いやなヤツには教えない、なんてことしたらダメだよ
っていうようなことかな。
この「定言命法」=普遍的道徳法則に従うことが自律であり
自律によってのみ、自然法則の必然性とは別の次元で、自由の可能性を得られるとするわけだね。
ま、そういうわけだから
「みんなが同じ行動をとったらまずい、という行動はしてはいけない」
というのはカントではなくて、マーカス・シンガーという人が「一般化論法」として言ってることだよ。
>>137 「哲学っていったい何なんだ?」ていう問題は
実は哲学でも一番答えるのが難しい問題なんじゃないかな(笑
オレが書いたレスの中でも
>>96 >それに比べると、哲学はつねに自らの根拠を問うという点が異なるかな。
>>100 >哲学は、そうだなあ、結構冷たい、っていうか
>人に対して何か救いや意味を与えてくれるんじゃなくって
>逆に日常的に何気なく思い込んでいた考え方や意味を壊してしまう
>という力を持っていると思う。
>>128 >哲学も結局は、明晰な論理でもって体系を構築することが目的なんだからね。
と、お互いに異なることを書いてしまってるし(汗
んで、今また新しく、哲学とは何かについて書けといわれたら
たぶんまた違うことを書くだろうね(自爆
というわけで、
たとえ感想文みたいにしかならなくても、自分でウンウン唸って
あれこれ悩みぬいた挙句に書くことが、一番哲学してるって感じじゃないかな。
145 :
考える名無しさん:01/09/17 03:07
146 :
考える名無しさん:01/09/17 04:53
age
147 :
考える名無しさん:01/09/17 05:29
アオリの人に一票
なんでもいいけど、マターリ行きたいもんだな。
煽りの人、もう許してくれ。
>>144 懇切丁寧な解説有難う。でも、白状すると、さっぱり分からないんだわ・・・
いやね、高校だったと思うけど、先生が「純粋理性批判」薦めてくれて、夏休みに
読み出したんだけど、もう一巻の半分読んだところで目玉が飛び出しそうになってね・・・
ノートにいろんなありそうな解釈をメモして読んでみたんだが、はっきり意味が分からん箇所が
指数的に増えてきてね。「・・・大学に入ったらもう一回読みます」って先生に返した(w
多分倫理のなんたるかが「実践理性」の概念から演繹されるのかな?
多分、「日常生活のいかなる場面でも通用するような倫理をもちなさい」という意味かと思うんだけど、
そんなのあるのかいな、と思ってしまった・・・。
せっかく挙げてくれた具体例にけちつけるようで申し訳ないんだけど、オレだったら
「困った」人には行きつけの店教えないよ。不愉快な酒席は迷惑だし、殺伐としたら
ヤだもん。倫理ってケースバイケースの判断だと思うんだけどね・・・結局理性と
構想力の違いもなんだか分からんし・・・
やっぱり哲学には向かんないわ(w 。第一、なにがわかったら哲学が分かったといえるのか、
それすらね。だから、オレは哲学をバカにしてるどころか、恐れてるんだよ(w
それにしても、オレは高校のときから哲学の才能が伸びなかったみたいだね。「純理」もね、
読めば読むほど疑問がわいてきてね、同じころ読んでた永田先生の「可換体論」よりよほどわからなかった。
>>148 カントはあまりに厳格すぎるって、同時代の人たちからも批判されてるくらいだからね。
例えば、カントは嘘をついてはいけないって言うんだけど
殺人鬼から逃げてきてた人をかくまって、後から殺人鬼が追いかけてきて
逃げた人が来なかったか聞いたら、そのときも、いや来なかったと言ってはダメで
本当の事を言わなくちゃいけないんだよね。
あと犯罪に対する刑罰も、同害報復的なもので、あまりに厳しいしね。
そういうわけで、オレ自身もカントの倫理観には、まあ半分しか賛同できないな。
ただ、カントの倫理観で独特なのは
物理法則を全面的に認めた上で、そこに自由な行為をどう設定することができるか
ということを考えている点だね。
あと、カントの構想力Einbildungskraftは本来の意味は想像力だからね。
それに対して理性Vernunftはラテン語のratio(論証知)を訳したもの。
想像力によって概念を感覚化する働きと、概念を用いて論証的に推理する働きってとこかな。
構想力と理性の違いよりも、悟性と理性の違いの方が、微妙なところがあると思うんだけどね。
いつのまにか、カントの話ばかりになっちまったなあ・・
ちょっと話題を変えて、文系の者からすると、数学の学習においていくつか壁があるんだな。
第一の壁は、2次方程式や2次関数といったあたりか。
これ以前に壁にぶつかる人は、教え方が悪いんじゃないかな。
ほんとに数学が苦手な人は、このあたりで数学に挫折してしまってるよね。
第二の壁は、ベクトルや複素数といったあたりか。
私立文系にすすむ者の多くは、このあたりで壁にぶつかってるんだろうな。
実際に家庭教師の教え子でベクトルがどうしてもわからんくて、苦労したことがある。
第三の壁は、微積分あたりか。
ここで進路が文系と理系に大きく分かれる山だね。
第四の壁は、ε-δ論法あたりかな。
理系の人でも、大学1年の最初の授業で、数学の厳密さにショックを受ける人も多いらしいし。
計算力だけでゴリ押ししてた人は、このあたりで躓くか。
第五の壁は、微分方程式やベクトル解析といったあたりか。
経済学部の人は微分方程式なんかで苦労してるらしい。
第六の壁は、群論や集合論・基礎論といったところか。
かくいう自分がここで壁にぶつかったんだよなあ。
ここまでくると、抽象度が指数的にあがるし、分かるには特殊な才能がいるんじゃないか。
あと聞くところによれば、この後にも多様体の壁や数論の壁なんかがあるらしいが
それらがいかなる壁になってるのか知る由もない・・(笑
>>149 やっぱりカントの倫理説はちょっと奇矯なところがあるんだ?安心したよ。
さっぱり分からないオレはちょっとおかしいのかと思ってたよ(w
構想力=想像力で理性=論証能力、か。なんか分かったような気がする。
将棋用語で言うと、読みと大局観、数学用語でいうと、発見する能力と証明する能力、
みたいなものか? だとすれば、カントは内省によってそれに気づいたんだろうな。
たいしたもんだね、現代の右脳左脳の話を先取りしたような発想だね。
数学教えるのって大変だよね。教えてると思うのは、高校で急に難しくなるんだよね。
ちょっと一ひねりしたら既知の方法で解けるのに、苦手な子はひねりが足りないんだよな。
だから、いろんなパターンの問題を出したり、創作問題をつくって理解を補強するしかないね。
ε−δは有名だよね、工学部なんかじゃ先生によっては結構いいかげんにするらしい。
数学で躓いた思い出だと、高木貞治著『初頭整数論講義』っていうのを
読んだのがはじめて本格的数学書に触れたときなんだけど、最初は難しく思った。
「平方剰余の相互法則」の証明を理解するために学校休んだよ(w。
そのときに数学書っていうのは、どんな些細なことでもあとで響いてくるから
ちゃんと理解しないといけないということと、矛盾するようだけど、難しくて困ったら、
とりあえずノートにまとめながらどんどん進んで、あるところでとまって読み返せば、
頭にすっと入ってくることが分かった。
いちばんいいのは書いてある定理を全部自力で証明することなんだけど、これは疲れる(w
やっぱり数学は使えるということと、全体像をつかむという両方が要るんだとおもう。
ここで、理性と構想力の話に戻ってくるのかな。
151 :
考える名無しさん:01/09/18 03:17
高木貞治『解析概論』をだいぶ前に買ったけれど、いまだ3分の1くらいしか読んでない。
全部読み通す気力はないよ。
理系の者は、これをどれだけかかって読むのだろうか。
どうも。23で1さんに「純理や精神減少額や存在と時間を解説してくれ。
俺は簡単には読めないぞ。」と因縁をつけた人間です。
久しぶりに来たら1さんと35さんの間で良い感じの
やり取りが続いているので仲間に加えて下さい。
まずは過去レスで気になったものにレスしようと思います。
>26
内井惣七氏は「数学なんか論理学に毛が生えたようなものだ」と
言っていました。「論理学を学べば数学なんかお茶の子さいさいで分かる」
とも。科学哲学での論理学演習の際直接聞いたのでうそじゃないよ。
ちなみに、授業はよくわからんかった。単位くれたから良いけど。
>46
俺もそれ聞いたことあるけどなめてるよねえ。大体ラッセルは哲学者としては
良い仕事したとは言えないんじゃないの?
彼は「われわれイギリス人は形而上学を必要とせず、
自然科学のみで事足れりと考えるが、なぜそれは正しいのか」
を考えた人だと(個人的に)思う。彼の西洋哲学史を読んで思うんだけど、
大陸の伝統に対してあまりに敬意が無さ過ぎるよ。
俺はこれを教科書に使ったおかげで形而上学の魅力に気づくのが数年遅れた。
>46
>>数学はヴィトゲンシュタインが考えるような規則の発明の束
これはどうだろう。「なぜ論理は正しいか」というスレが他にもたってるけど、
論理ならびに数学の妥当性の本性を解明できたら、
それこそ大哲学者の仲間入りじゃないのかなあ。
>50
>>数学は合理的思考の純粋な研究
合理的思考の本質とその機能の研究だったら論理学がまさにそれです。
>52
>>哲学を簡単だと思うのは、本を読んで理解したと誤解したからであって、
本当に理解しているからではない。
文章の意味が取りにくいが、
「個々の概念の定義と用法を知り論証を追うことは難しくないが、
書物全体の論旨をつかむのはとても難しい」ということなら同意。
>>108 >>まあ、アンタは合理性の意味もよくわかってないと思うけどね。
これは結構重要な指摘です。日本語で言う「合理的」は、
例えば英語ではrationalとreasonableに分かれる。
日本人は両者の区別を明確にしないので、合理性の概念は
議論を紛糾させることが多い。
参考までに、35さんの合理性の定義はどんなものですか?
>>127 >>カントは哲学によって数学と物理学を基礎付けようとした。
結果としてそうなった(あるいはそう解釈される仕事をした)
ことは事実だけど、それが純理の本義かというと疑わしい、
と思うがどうか。
寝ぼけレスです・・・
>>151 オレはたぶん中3―高1の春に読んだ。期間は忘れたけど。あれは味のあるいい本ですね。
ただ、いくらなんでもいろんな意味で『概論』古くなりました。江戸時代の本といって過言でありません。
『概論』を読むなら東大出版の杉浦光夫著『解析入門』がお勧め。現代的素養として配慮されてます。
>>152-153
関係がある話題をまとめてレスしますね。
論理的というのは、証明をε−δで書くような形式的なものじゃないかな?
たんに論理的ということにあんまり意味はない気がするんだけど。
合理的な基準ってうまくいえないけど、たとえばナゾナゾを例にとりましょう。
「スランプにならない生き物は?」「答え、海鳥」「カイチョウだから」(くだらなくてゴメン)
これ、一応答えがあるけど、曖昧な問題だからいくらでも反論できるでしょう?
「怠けてるだけのナマケモノ」だって答えになるし、「意識のない生物にスランプの概念はない」
とかいう答えをされたら、「・・・・」黙りこくるしかない(w
それでね、なんというか、建設的で、目の前の現実に対応してる「ストンと腑に落ちるもの」を合理的と思ってんだけど。
例の煽りの方は、そのまえの「決め付け」発言に腹を立てられたんだと思うんだけど、
(あれはたしかにまずかった)、なんか正当な理由をのべてくれたらね。彼は妙な言いがかりで
中傷してただけでしょ。ああいうのは合理的な態度じゃないなと思った。
オレはこういう意味で「数学は合理性の純粋な研究」っていったつもりなんです。
役に立ってるし、時間と共に想像されなかった未知の事柄がどんどん発見されてるからね。
今更こんなことを言うのは気後れするけど……。
哲学って、もともとは全ての学問の総称だったわけでしょ?
知識の探求、知恵を愛するって意味なんだから。
そこから、数学、医学、法律学なんかは、
高度の専門的知識を必要とする学問だから、
独自のカテゴリーを形成したけど、
それ以外の学問は長い歴史の中で
哲学、という呼ばれ方をされたわけで。
他の学問と違って、始める際に専門的知識の詰め込みとかを必要としないから、
哲学は理数系学問よりもとっつきやすく、簡単に感じるかもしれないけど
(何もない部屋で、「俺ってなんのために生きてるんだベな」
ってぼんやり考えるだけでもそれは立派に哲学してるってことになるから)
カントの本をさらりと読めたから「哲学は簡単なんだ」って思うのはちょっと違うと思う。
そのカントの認識論を武器に、これからあんたがどうやって世界を捉えて行くか
ってとこから、やっと哲学は始まるんだから。
少なくとも、本だけ読んで「はい、わかりました」で終わらせちゃあ、
それは単なる読書であって、哲学してるとは言わない。
読むだけなら、どんな本だって読めるよ。
哲学書を読むことと、哲学することは全く違うからね。
>>152 いやまあ、簡単に読んだってわけじゃないんだよね、本当は。
前にレスで書いたけど、入門書や概説書・研究書のたぐいをしこたま読みあさってたからこそ
寝っころがって読めたってわけ。
あと、「寝っころがって読む」というのは浅田彰が「資本論は寝っころがって読むものだ」
なんて、むかし言ってたのを真似したもの(笑
>内井惣七氏は「数学なんか論理学に毛が生えたようなものだ」と
>言っていました。「論理学を学べば数学なんかお茶の子さいさいで分かる」
>とも。
内井惣七って、たしか理学部出身だったよね。
もともと数学は得意なんだろうけど
論理学ができても数学ができるわけじゃないと思うんだけどねえ。
そもそも論理学と数学の間には断絶があるんじゃないかな。
述語論理は完全性が示される一方で
もっとも単純な数学である自然数論を付け加えると、不完全性が示されるわけやから
論理学に対して、数学は爆発的(?)に複雑なんじゃないかね。
>>154 杉浦光夫著『解析入門』は持ってるよ。
数学コンプレックスを決定的にした書(笑
解析学の教科書としては難しい方らしいけど、結構くわしく書いてるから辞書がわりにはなるかもな。
もっと易しい教科書でいいのがあれば教えてくだはい。
佐武一郎著『線形代数学』は分かりやすかったな。
>>155 「哲学は簡単なんだ」と断定したわけじゃないんで(汗
自嘲的に哲学って数学・物理学と比べて、「お勉強」するだけなら簡単かもなってこと。
>読むだけなら、どんな本だって読めるよ。
>哲学書を読むことと、哲学することは全く違うからね。
たしかに正論だと思うんだけど、その「読むだけ」すらまともにしないで
哲学を語る人が多い現状に、批判的なわけ。
それに、大学での哲学の学習は哲学書を「読むだけ」に終始して
知の諸領域を横断的に踏査するってのはないからね。
「哲学書を読むこと」+「諸領域の横断」を前提として始めて哲学することができるんじゃないかな。
だから
>(何もない部屋で、「俺ってなんのために生きてるんだベな」
>ってぼんやり考えるだけでもそれは立派に哲学してるってことになるから)
というわけではないと思うんだけど、どうかな。
157 :
考える名無しさん:01/09/19 03:44
>>156 一応どちらの分野とも付き合いがあるけど
論理学(特に哲学的論理学)と数学では
わかりたいこともその方法も違うと思う.
例えば,数学では概念について数学的直感が働くためには,
ある程度までそれが自明と思えるようにならなければならない.
ぶっちゃけて言えばその世界にどっぷり浸る事が必要.
でも哲学では絶えず概念に対する批判が要求される.
つまりその世界から離れよう離れようとする.
内井さんは数学者の活動をあまり知らないかリップサービスじゃないかな.
解析の教科書は杉浦を頭から読むのは無謀(w
佐武が読めるのならかなりいけるはずだから
小平邦彦「解析入門」はどう?
なんか生活のリズムが狂って、分けのわからん時間に目が覚める。鬱だ・・・
>>156 杉浦本あきまへんか? じゃあ、岩波講座『現代数学への入門』シリーズはどう?
じつはオレは読んだことないんで、薦めるのも無責任だけど(w、同じシリーズに『力学と微分方程式』
とか物理に応用できる本があって、ああいうのとあわせて読むと、分かりやすいかも。
杉浦本は学部1年の教科書で買ったんだけど、多様体、位相空間、積分論、複素解析が意識されてて、
理論的にもすっきりしてんだけどね。まあ確かに、あれをいきなり読んだらどう思ったかは、定かじゃないな(w
>>155 ちょっと質問していいですか?あなたの中で「哲学」というのが何を意味してるか分かんないんで。
>>112-122の88さんとの議論の中で、哲学というのは
「既知の事柄を留保して、一歩退いて改めて広い視野で理解や認識を純粋に洗いなおすもの」
ではないか、という結論にオレは達したわけなんだけど
(問題領域を漠然と見据えただけで、具体的な問題はオレには見えてないんだけど、認識論が
今日、人工知能に関連して具体化された問題になってることを見ても、ナンセンスな発想ではないよね)
あなたの意見は、哲学は客観的な知識を求めるものではない、といってるように見えるんだ。
具体的に問題を絞って、哲学と文学を比べてみましょう。文学というのは、
(1)誌的な美しさ(ガルシア=マルケスの小説とか、リルケの作品みたいな)
(2)ある種の思考実験(現実には起こりそうもないイベントを設定することで、先入観を壊す)
という二つの役割があるようにオレには見える(センスないのにエラそうにしてゴメンね)
で、いわゆる「哲学的」問題(倫理とはなにか、なぜ生きるのか、とかもっと政治的なものでも)
は、すでに文学作品のなかで、衝撃的に描かれていると思うんだ。
そこで、聞きたいことは、哲学が主観的な(自分の存在とモロにかかわってくるような)問題を
扱うとするなら、哲学と文学の違いは何なんですか、ということなんだ。
前のレスを見てもらえば分かるように、オレは哲学の才能も文学的センスにも欠けてるんで、
そこのところがね、どうもはっきりしないんだよ。
(モーツァルトヲタぶりを全開にしていろいろ書くだけなら、オレにも言いたいことがある(笑)からね)
盛り上がってるようなので安心しました。
>157
内井さんマジっぽかった。結構というかかなり偏屈な人でした。
論理学演習でも定理を分かりやすく解説しようとして逆に意味不明になってた。
「A⊃Bならば〜B⊃〜A」は成立するが、「A⊃Bならば〜A⊃〜B」は成立しない
ということを無理やり具体例で説明しようとして、
「”雨が降らなければピクニックに行く”としてぇ、
”ピクニックに行かなければ雨が降る”は正しいけどもぉ―いや、正しくないか
―いや、正しいのか。そうやな。ピクニックにいかへん、ちゅうことは
雨が降ってるときだけやからな。いや、雨が降ってなくてもそらピクニックに
行けないことはありますよ、そりゃア。―ま、それはいいなっ。えー、今度は
逆にイ、”雨が降ったらピクニックに―あら?逆か。そうやな。
”雨が降らなければピクニックに行く”いうのんが真やとしてもぉ、
”雨が降ればピクニックに行かない”ちゅうのが真やとは限らないっ、
ちゅうこっちゃあ―あれ?それは正しいんか。あれぇ?」
とかいって一人で混乱していた。俺はもちろん、
論理学なんか全く役に立たないのではないかと思った。
160 :
考える名無しさん:01/09/19 05:32
>>1 だからさぁ上記の本を全て理解してる、
というか理解しないと逝けないのが
哲学者なんだって。。。。。
161 :
考える名無しさん:01/09/19 13:23
「知の欺瞞」ってのは、
結局絶対価値を復権させる目論見に他ならないわけですよ。
単系発展は共倒れを招くわけ。
156の質問に関して。
舌足らずだったのは自分でも感じてる。素直に謝る。ごめん。
歴史的に言うと、哲学ってのは専門的分野に細分化されてない諸学問。
思想って言うとわかりやすいかも。
俺の中での哲学ってのは、自分自身と向き合い、世界を見つめること。
「俺はどうあるべきか」ってことを考えること。
哲学書を読んだりするのは、あくまでその過程とか判断材料の一つに過ぎないと思う。
カントやヘーゲルやキルケゴールも、もちろんこれからもいっぱい勉強しなくちゃ、とは思うけど、
俺が生きてるのは今、この時代なんだから、今の自分、今の世界をじっくり見つめることも
古典の哲学書を読むことと同じくらい重要、と俺は思います。
163 :
考える名無しさん:01/09/19 18:38
>スマリヤンの『ゲーデルの不完全性定理』を読んだが、うーん、むずいむずい。
スマリヤンの「哲学ファンタジー」は面白く読めるが、
じゃあ、簡単かと言われると違う気がする。
164 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/09/19 18:42
この問題についても私の考えから簡単に結論が
でます。
数学や物理学は訓練が必要です。
だけど、哲学は「すべて」だから
難しい、簡単なんて枠組みにすらはめることはできないから。
論理の枠を超えたものを論理以外でどうやってはかるのか教えてくれ。
166 :
考える名無しさん:01/09/19 20:05
>>158 お前さあ、自分で数学以外の本を殆ど読んだことがないだけじゃなく
「読めない」という無能力宣言を再三してるよね?
何を比較なんかしてんだよ。
自分でそういうことが不能な片輪の人間だって宣言してたのと矛盾してるじゃない?
数学を「合理性の探求」と定義した合理性信奉者だったよな?
嘘くせえ数学オタクだなあ。
167 :
考える名無しさん:01/09/19 20:09
あ、前の書きこみ156じゃなくて158の間違い。
関係者各位にお詫び申し上げる。
あれ、悲しみさん、こんなところにもいるよ?
156の返しに答えなおすけど、
「自分はどうあるべきか」とか「世界ってなんなんだろう」とか、
そういう思索や知的探求こそが哲学の本質だと思うし、
その答えを探すときに、哲学者の書いた書物はたまたま「手引き書」
として適当である、というだけでしょ。
人生や世の中に対する小さな疑問でも、充分哲学になりうるよ。
そういう疑問を持って、極端な話、
哲学書なんか全然読まなくても、人間を観察して、
世界を考察して、何か自分なりの手応えを感じることができたら、
その人は立派な哲学者だよ。
第一、孔子がソクラテスの弁明を読んだか? 読むわきゃない。
歴史を学んで、詩を学んで、政治を学んで、人々に接していく中で、
「人間はどうあるべきか」という問いに対する答えを探していったんじゃないか。
169 :
考える名無しさん:01/09/19 21:04
>>168 しつこい煽りだね。よほど悔しかったんだろうな(笑)
というか、お前もっとなんか意味のある発言する脳みそないの?
170 :
考える名無しさん:01/09/19 21:05
171 :
考える名無しさん:01/09/19 21:05
172 :
考える名無しさん:01/09/19 21:35
>>168 そもそも世界とか自分とかの存在は証明すべきものであろうか?
思うに、世界とは?とか自分とか?という問いは、
台風の目のようなものである。
目がなければ台風になり得ないが、目そのものは無風である。
173 :
考える名無しさん:01/09/19 21:38
>>172 実は世界や自分に対する問題は、ゲーデルと大いに関わりをもつと
考えている。とはいえ、算術化のメカニズムや対角線論法への習熟
とかいう「身体的訓練」は、哲学的思索とは関わりがないだろう。
基本的に数学者はスポーツ選手と同じであり、数学者の思考は、
単に脳を筋肉として使うようなものである。
174 :
サーヴィス残業:01/09/19 22:43
インターネットにおいて他分野や他の学問を馬鹿にしたり見下す
発言をしている輩が、大抵の場合は数学者であるという事実が観測できる。
これは数学者という一般人から遠く離れた人達の生態を知る上で、
貴重な資料を提供している。
どうやら数学者は数学を最も基本的で根源的な知識だと
見なしており、自らがそれを専門とすることで諸科学に
対する侮蔑を持つ権利を持ったと感じているらしい。
だがこれは他の分野の科学者から見ても傲慢な姿勢に映る。
少なくともここ20年間、数学者が営む専門数学なるものが
諸科学の先端において、いつもその脆弱さを露にしてきたのではなかったか?
結局のところ19世紀の経験のみに基づいて演繹された数学体系が
諸科学の発展について来れていないというのが現状である。
諸科学は各分野ごとに独自に新しい技法を案出せざる得なかった。
数学者は大抵の場合問題が解決された後に整理回収にやって来たに
過ぎなかった。
純粋数学の極みのはずだった整数論でさえ、もはやその”純粋性”を
保持してはいない。あたかも「サリバンの辞書」が数学者の所有物
であるかのように考えている水頭症数学者が観測されたが、
複素力学系は画像処理という工学的課題でさえ必須とされており、
そのクライン群との対応は実際的な応用が考えられているのである。
こういう事情に精通している者にとっては数学者の傲慢は全く
馬鹿げたものに見える。グロタンディクという数学者の本を立ち読み
したことがあるが、彼によれば数学社会は極端な頭脳偏重主義、
重量挙げのような知能誇示の欲望で支配されており、彼はそれに
辟易して数学界を去ったという。
そうした重量上げの世界に住む連中がインターネットで
他者の軽蔑して楽しんでいるのである。文学や哲学に
対する侮蔑さえ口にし、数学的水頭症の醜い瘤を愉悦感に
浸らせているらしい。何らかの本を読めないが自分は「可換体論」を
読めるということで何らかの本を価値を貶めようとするといった具合に。
こういう連中を見かける度に、やはりグロタンディクなる
人が書いていたことは真実であったと実感できるのであった。
175 :
考える名無しさん:01/09/19 22:54
>>173 ゲーデルと関わりがある,っていうのはちょっとね.
たぶん不完全性定理の事が言いたいのだろうけど
不完全性定理の証明はいくつかの部分に分かれているので
どこがどう関係があるかまできちんと言わないと単なる思い付きでしかないよ.
それに,単に脳を筋肉として使うようなものである,っていうのもわかってないね.
そういうトレーニングは哲学者もやってるんだよ.逆もまた然り.
数学の思考と哲学の思考は重点の置き方が違うけど決して排反事象ではない.
176 :
Wittgenstein:01/09/19 22:59
>>172 存在を照明する「べき」かそうじゃないかはともかく、
俺という一個の人格の存在は(少なくとも俺の中において)
逃げることのできない厳然たる事実だし、
どうせ逃げられない現実なら、楽しんで受け入れようと思うだけ。
自分を楽しむためには自分を知る必要があるし、
自分を知るためには自分を探して、見つけなきゃ行けない。
その一連の過程の中に、哲学が含まれるのだと俺は思ってるよ。
ただ、台風と台風の目の話については、なるほどって思ったりもした。
存在とか自己とか世界とか、いくらこだわってみても、
俺個人は善でも悪でもプラスでもマイナスでもない、
ただ「そこにあるもの」でしかないし。
>>157,158
サンクス
小平邦彦著『解析入門』は良く知られているよね。
しかーし、岩波のHPで見たら、品切重版未定になってた・・
うーん、古本屋で探すしかないか。
>>168 まず、オレ自身は哲学に対してはすごくアンビヴァレントな気持ちで接してるんだ。
哲学って言うときは、いわゆる西洋哲学のことをいっているんだけど
その哲学に惹かれる一方で、哲学そのものに限界も感じているんだ。
それを前提とした上で
>「自分はどうあるべきか」とか「世界ってなんなんだろう」とか、
>そういう思索や知的探求こそが哲学の本質だと思うし、
>その答えを探すときに、哲学者の書いた書物はたまたま「手引き書」
>として適当である、というだけでしょ。
生活教徒さんの考えは、それはそれで正当だと思う。
しかし、そう問うことで、いったい何が得られるのだろうか。
恐らく、新興宗教の教理的なもの以上のものはでてこないと思う。
それか、ビジネス書によくある人生哲学的なものあたりに行き着くだけだろう。
我々は言葉の日常的な意味の上に乗っかって考えているのであり
そこからは、あらかじめ与えられた射程の範囲内に用意されている答えに行き着いて
それを自ら考えたと錯覚するだけだろう。
日常的な意味が我々の内で問いと答えを用意して、そこに我々を閉ざしてしまうものなんじゃないかな。
哲学するとは、そのような閉じた地平から抜け出ることにあると思うな。
「哲学者の書いた書物」というのは、その抜け出るための格闘の記録といったところか。
だから、たんに「手引き書」というだけでなく
それを橋頭堡としてそこから新たに格闘を始めるしかないんじゃないだろうか。
だから
>何か自分なりの手応えを感じることができたら、その人は立派な哲学者だよ。
というわけにはいかないと思うんだ。
手応えを感じることは誰にでもできる、いや自ら手応えを感じるように差し向ける
というのが日常的な意味、正確に言うなら、アルチュセール的なイデオロギーだろうね。
そのような我々を俄仕立ての自称哲学者に仕立て上げようとするイデオロギーに対して
闘争することが必要なんじゃないかな。
と、ここまで書くと、いわゆる伝統的な意味での哲学とはちょっと違ってくるよな。
そういうわけで、哲学に対しては複雑な心境なんだよねえ・・
それはともかく、生活教徒さん、あまり悪く思わないでね。
マターリと議論していきましょ。
いや、まあね。
自分の書いてる意見が、他の人の意見に比べて生っちょろくて安易だってのは
自分でも感じてるんだけどさ、
哲学は「誰でも簡単にできて、誰もが絶対に極められないもの」
であって欲しいっていう個人的な希望が大きいんだよね。
まあ、どんな学問でも大なり小なりそうなんだけど、
哲学って、どうも胡散臭いって感じてる、哲学嫌いの人や
専門的技術学問じゃないから、哲学はぬるいんだろ、って馬鹿にする人も
多かれ少なかれ存在する、そんな状況が哀しかっただけ。
数学や法律が自分たちの生活に密着している様に、
哲学ももっと生活のいたるところに存在しても良いんじゃないかな、
って思うわけさ。
特別な学問でもなければ、馬鹿にされるような生易しいもんでもないんだ、と。
マターリとレスしてみました。
ここは哲学板の中でも、わりと平和な方かもしれないな。
>>175 もちろん、かの有名な不完全性定理である。
この場合は、対角線に、x(x)をとっているところがミソ。
xが片方は関数、もう片方はその引数となっているが、
これは、それぞれ、主語と目的語と見ることができる。
すなわち意識は、「私」と「世界」を同じくするところから
生まれるのであって、その不条理に終わりはない。
ところで君は哲学者も「脳の筋力トレーニング」をするというが
それはどのようなことを意図していっているのかな?私が筋力
トレーニングと言う言葉について具体的に何も述べていないにも
かかわらず、それは違うと反論する君の態度はおおいに興味がある。
もしかしてテレパシーの術でもあるのかね(笑)
181 :
考える名無しさん:01/09/20 22:45
>少なくともここ20年間、数学者が営む専門数学なるものが
>諸科学の先端において、いつもその脆弱さを露にしてきた
>のではなかったか?
「ここ20年」といっているのは、もしかしてカオスとか
フラクタルの話を指すのかね?
ところで、今の数学体系では説明できない事象の発見は
数学者にとってはむしろ喜ぶべきことである。これでまた
考えるネタが増えたわけであるから(笑)
ところで、
>複素力学系は画像処理という工学的課題でさえ必須とされており、
>そのクライン群との対応は実際的な応用が考えられているのである。
この文章は、君が脆弱だという数学が、実は下世話な世間で
実に有効に活用されていることを如実に示しているのではないかね?
182 :
考える名無しさん:01/09/20 23:49
>181
考えるといったって、後で整理してるだけで、本質的な
関わりをしていると言えるかどうか。まあ個人的には評価していない。
マンテルブロというのは数学をドロップアウトしてIBMで計算機をいじってたはずだが。
純粋数学をやってる連中の傲慢がしばしば鼻に付くんだが、
フランスは特にひどいのではなかったか。
183 :
考える名無しさん:01/09/20 23:54
昔から数学や物理学、数理論理のできる神童とか天才少年とかはよく聞くが、
哲学や法学、思想のできる天才少年というのは聞いたことがない。
↑もしいたとしても、単なる「耳年増なガキ」としてしか扱われないからだろう、きっと。
185 :
考える名無しさん:01/09/21 04:49
↑成熟のひつような学門だからです
186 :
考える名無しさん:01/09/21 04:53
世の中は矛盾だらけで必ずしも天才や
理性的な人間ばかりではないからね。
そういうのを理解する、世間一般まで落ちて、汚れてみて分る
学問だからじゃないか?
そういう汚れているとか汚れていないとか(186のことではない)
に脳味噌が半分支配されている人間がウジャウジャいる世界だからね。
>哲学の世界
物理学や数学には『理解しない方がいい』というものは存在しないが、
哲学や思想には『理解しない方がいい(と思われる)』ものが
少なからず存在すると思うし。
188 :
考える名無しさん:01/09/21 08:09
>>182 >純粋数学をやってる連中の傲慢がしばしば鼻に付くんだが
ああ、それは何もしていないくせに自分は偉いと思う君が傲慢なのだ(笑)
>マンテルブロというのは数学をドロップアウトしてIBMで計算機をいじってたはずだが。
数学どころか知的活動全体からドロップアウトさせられてしまった君が
そのようなエピソードで「心慰められる」のは随意だが、君以外の人には
単なるグチだな。オナニーは自分一人でやってくれ(笑)
190 :
考える名無しさん:01/09/21 10:15
昔から言われてきたことだが、教育、訓練とは洗脳だよね。
ある一定の思考方法を繰り返し学ぶことで、その思考方法に基づく
問題解決能力は高められるが、ほかの考え方や、思考方法の
基盤を揺るがすような疑問に対して鈍感になったり、馬鹿にしたりする。
数学的訓練によって問題解決能力を高め、哲学でその思考基盤を
疑い、掘り下げて考えることができれば、理想の知性ができると思うんだけど。
>>190 たしかに、数学的な訓練ができていて、しかも哲学的思考もできるとなると、理想的だね。
あと、映画・文学・音楽・アートなどに対する感性も身に付けば、言うことなし。
・・・しかし、これって、プチ浅田彰になることなんじゃないか。
浅田の老成したガキって感じは好きだけど、なんか目の上のタンコブみたいな感じもする。
いくら知識を詰め込んで、知的訓練をしたところで、奴にはかなわないってね。
東が浅田に反発してるのは、まあ分かるよね。
柄谷だって、浅田がデビューした時は、頭のよさに嫉妬したらしいしね。
というわけで、数学も哲学もできる「理想の知性」というのは
どうなんだろう、目指すべき目標なんだろうか、よく分からん。
>>191 >なんか目の上のタンコブみたいな感じもする。
これだけが否定的な要因であるのに、
>どうなんだろう、目指すべき目標なんだろうか、よく分からん。
こういう結論が導けるという時点で、
絶望的。
193 :
考える名無しさん:01/09/21 14:11
このスレからわかること:
1は浅田に心酔している。
これだけ。
194 :
考える名無しさん:01/09/21 14:58
>東が浅田に反発してるのは、まあ分かるよね。
>柄谷だって、浅田がデビューした時は、
>頭のよさに嫉妬したらしいしね。
メクソハナクソだな。
他人をバカにして生きる自称賢者どもが
互いに侮り合うのは理の当然
>東が浅田に反発してるのは、まあ分かるよね。
>柄谷だって、浅田がデビューした時は、
>頭のよさに嫉妬したらしいしね
そういう話が出ること自体たかが知れてる
190さんに軽くレスしただけなのに、なんだか、いろいろ書かれてるなあ。
ふー、怖い怖い・・
>>192 数学や哲学が理解できていてアートなどにも通じているという
いわば理想的な頭のよさと知識量を持っている一方で
なんら積極的な思想を提示できないというのは
数学や哲学が理解できるという「理想の知性」が
それ自体、内在的な限界をもっているんじゃないかってこと。
だから、そのような「理想の知性」ではなくて
別の知性のあり方を目指すべきではないか
とまあ、そういうことを省略していたわけ。
>>193 いや、別に心酔はしてないよ。
ただ、気になる存在ではあるけど。
刺激的で面白いことを言う人だという感じで。
気になる存在なら、哲学研究者だけでも黒崎政男や細川亮一などたくさんいるよ。
197 :
考える名無しさん:01/09/21 21:31
目的が違うからカテゴリを分けているものを、
別のカテゴリの目的に合致しないと指摘しても無意味だよ。
198 :
考える名無しさん:01/09/21 22:31
哲学者=庶民的に哲学する人
物理学者・数学者=専門的に哲学する人
で、どう?
199 :
考える名無しさん:01/09/21 22:38
>>198 「庶民的に」に変な感情こもってそうだから、
そこを何とかしてほしい。
でないと煽ラーがまた来るかも。
200 :
考える名無しさん:01/09/21 22:42
一般向けに、
だな。
201 :
考える名無しさん:01/09/21 23:24
哲学なんてかんたんかんたん。
哲学言葉(うまいぐあいに、一般になじみのない言語で出来てる)使って
"死"とか"権力"とかそれっぽいテーマ語ってりゃいいんだからねっ(その
ような言説をこそ、ここの住人の多くは"哲学的言説"と言う)。
哲学やったところで、「教養がある俺」「人間の苦悩を知ってしまった俺」
「ライフスタイリッシュな俺」、要は不当な自己陶酔しか得られないヲタに
なる可能性大だけんどもね。
202 :
考える名無しさん:01/09/21 23:37
>>201 >哲学言葉(うまいぐあいに、一般になじみのない言語で出来てる)使って
>"死"とか"権力"とかそれっぽいテーマ語ってりゃいいんだからねっ(その
>ような言説をこそ、ここの住人の多くは"哲学的言説"と言う)。
そういった発想で立てられたスレに、
この板の住人がどのように罵倒するか、君はみていないのかね?
君が哲学をそのようなものだと考えるのは勝ってだが、
その発想で議論をふっかけて真面目に相手にしてもらえるとは思わないことだね。
203 :
考える名無しさん:01/09/22 00:27
ゲーテのようなバランスのいい天才が理想的だと思う。
204 :
考える名無しさん:01/09/22 00:47
なんで哲学って虚学とか言われてよく
たたかれるんですか?
205 :
考える名無しさん:01/09/22 00:53
206 :
考える名無しさん:01/09/22 01:21
>>183 >昔から数学や物理学、数理論理のできる神童とか天才少年とかはよく聞くが、
>哲学や法学、思想のできる天才少年というのは聞いたことがない。
これと似たような話だけど、コンピュータに数学はできるけど
哲学はできないですよね。だから簡単か、複雑かという話だったら
哲学の方が複雑だといえると思います。
207 :
考える名無しさん:01/09/22 01:23
こども向けの哲学の絵本ってあるよ。
>>206 >コンピュータに数学はできるけど
無理ですっ。計算はできるけど「数学」はできません。
209 :
考える名無しさん:01/09/22 01:33
206は数学をしらないと思われ。
え!数学って計算することじゃなかったの?
>>210 コンピュータは、数値化したものを扱うことはできるけど、
直観をもつことができないし、帰納的な思考もできないよ。
212 :
考える名無しさん:01/09/22 01:51
>>210 じゃあ、幾何や群論は数学じゃないのだろうか。
213 :
考える名無しさん:01/09/22 03:47
>205
なんで哲学は金儲けに繋がらないんですか?
214 :
考える名無しさん:01/09/22 03:50
ユダヤ思想、哲学は世界を動かす程金儲けしてるぞ。
215 :
考える名無しさん:01/09/22 04:01
ということは哲学で金儲けできない人は
哲学の才能がいまいち無いってこと?
216 :
考える名無しさん:01/09/22 04:27
>>215 ある体系に哲学という名がついてると、その体系が
唯一の哲学的体系だということになりますか?
217 :
なななななし:01/09/22 04:50
>>216 もちろんならない。
哲学と称されるものにもいろいろあるが、世界を理解しようとするタイプ
のもの、要するに社会科学的なアプローチをとる哲学は、経済の構造も
またつかむのだから、金儲けに転化することものぞむならば可能である。
218 :
考える名無しさん:01/09/22 05:38
219 :
考える名無しさん:01/09/22 09:13
>え!数学って計算することじゃなかったの?
数学に限らず、アタマを使うことはみな計算だ。
君ら、万能チューリング機械を知らんのか?
220 :
考える名無しさん:01/09/22 09:41
万能チューリング機械には解けない問題があり、
人間は、そうした問題を本当に解決しているかは別にして、
日常的には解決しているかのように活動しています。
221 :
考える名無しさん:01/09/22 16:54
>>214 世界一のユダヤ人投資家ジョージ・ソロスは、たしかポパーの弟子だったよね。
222 :
考える名無しさん:01/09/22 17:04
>>213 私にはわからない。
哲学に金儲けを求めていないから。
哲学を虚学などといって非難している人たちの
言っていることを見ると、
金儲けにつながらないことを根拠にしているように読める。
何故儲からないかは彼等に聞くべきだろう。
>>220 >万能チューリング機械には解けない問題があり、
だからといって人間が日常考えるような問題が
そのようなものだということは出来ないだろう。
とはいえ、心身問題のようなものは、ある意味
万能チューリング機械の停止問題と同様なのでは
ないかと思う。もちろん、これは解決はしていない。
ところで、哲学者が「食うこと」を考えないからバカだという
主張は甘んじて受け入れたいが、それなら、食うため以上に
金を稼ぐ行為も、同様にバカバカしいといわざるを得ない。
自分一人餓死しても困るのは当人だけだが、もし、金を
稼ぎまくったために、食い物が満ち溢れているにも
かかわらず、他の人間が食うに困って餓死するなら、
世の中は狂っているといわざるを得ない。
と、いいつつインターネットなるものには金がかかり、
自分の知的活動のためだからいいんだ、と言い訳してもいいんだが
まあプロバイダ料とか接続料という無駄『かもしれない』
金をを払って224は一体何をいいたいのか?
226 :
考える名無しさん:01/09/23 01:15
ここに来る奴は馬鹿か?数学も物理も元は哲学に含まれる。
哲学とはフィロソフィー。フィロは愛すること、ソフィーは知。すなわち知を愛すること何だ。
古代の哲学者の書を見れば明らか。
ニュートンだってライプニッツだって哲学をかたる中で数学、物理をちょいと語っているんだ。ガリレオだって、デカルトだって、パスカルだってみんなそうだぞ。
いまある量子力学のハイゼンベルグだってプラトンを尊敬しているんだ。低俗な浅田だの何だの言ってるのはお子様向けのおはなし。
この中でも本格的に哲学をやる奴などいねーだろーな。こんなとこ来る奴、哲学にむかないろくでなしばっかりだろう。
227 :
考える名無しさん:01/09/23 01:33
追伸
数学の限界も物理の限界も分からず、哲学やろうなって思うな!!能力がないんだ!!
一生寝言言っているような無駄な人生を送ってしまうぞ。
早くまともに働いて、幸せとおもえる生活をしろ!!!
228 :
考える名無しさん:01/09/23 01:44
もうええだろこのスレ。
>>226 >ここに来る奴は馬鹿か?
>こんなとこ来る奴、哲学にむかないろくでなしばっかりだろう。
オマ(以下略)
230 :
考える名無しさん:01/09/23 02:20
ヽ(´ー`)ノ
(___) ミンナ!喧嘩シナイデ〜!
| |〜〜 同ジクびんぼーなんだから
◎ ̄ ̄◎ コロコロコロ〜
231 :
考える名無しさん:01/09/23 04:44
んじゃぁバートランドラッセルで決まるやね。
浅田ってスーガク分るんですか???
>哲学とはフィロソフィー。
>フィロは愛すること、ソフィーは知。
>すなわち知を愛することなんだ。
あ、額面どうり受け取ってる奴がいるとは(笑)
上の言葉はソクラテスがソフィストへの当てつけに
いったらしい。曰く、自分はメシのタネに知を振りまわす
のではなく、純粋に知を愛する「フィロソフィスト」だと
いいたいわけ。
その点でいけば、今の学者はメシのタネに学問している点で
みな哲学者失格(笑)
あ〜、哲学系のヒトが勘違いして数学とか物理やんない方がいいね。
そういう連中はみんな電波系扱いずら。
234 :
考える名無しさん:01/09/23 10:31
数学は目標が在るのがいいね。目の前に大きな知の海が在るのがわかる。
235 :
考える名無しさん:01/09/23 11:53
数学をやめないぞって、
236 :
-モロ、無修正画像サイト発見!:01/09/23 12:13
237 :
考える名無しさん:01/09/23 12:31
即物的な価値感を基軸に語る理系VS
観念的な価値感を基軸に語る哲学系ですか。
おいらは庶民なので前者がすき。
人生の勝者っぽいし。
238 :
考える名無しさん:01/09/23 12:35
239 :
考える名無しさん:01/09/23 13:22
238は人生の歯医者
240 :
考える名無しさん:01/09/24 01:28
>哲学とはフィロソフィー。
>フィロは愛すること、ソフィーは知。
>すなわち知を愛することなんだ。
あ、額面どうり受け取ってる奴がいるとは(笑)
と、あるなよ。
現在の哲学の貧困は、素直に、純真な魂を失った小利口なお馬鹿な連中が、自分の寝言を哲学などと大袈裟に語っているから惑わされるんだ。
とにかく原書を読め!読めない奴がBU−BU−いうな。ハイデッガーだって、あんなのね寝言だぜ。ドイツ語でよんでみろ。こんな奴等、自分が馬鹿っていうこと死ぬ頃気がつくんだからな。
ま、心をきれいにして、古典の原典から、一つ一つ丁寧に読むんだな。
241 :
hyougo:01/09/24 02:25
不条理な存在に対して、いかに癒しや救いを見出していくかってことだと思う。どちらが簡単化というよりは、方法の違いだとおもいます。「わかる」「わからない」でことで、高低を判断するよりは、どちらが私にしっくりくるかで眺めた方が楽しいと思うのです。
242 :
考える名無しさん:01/09/24 02:32
不条理な存在を否定し負かすのが楽しいのも、
誰にでもある人間の一部分かと。
>241実存なんて、小利口なこと考えるな。
実存哲学?実存主義?実存的に考えて?こんなとこですか??
日本の知識人にこんなの好きな奴たくさんいるからね。
俺は宗教は知らない。
しかしまず、哲学は愛(エロース)、恋なんだ。恋人を恋焦がれるのと同じさ。
これがなきゃ哲学なんてやっちゃ駄目だよ。
知的なものは何でも興味を持つような、旺盛知的好奇心がないと駄目だね。
流行に乗らず、古典からじっくり勉強する事だ。
244 :
考える名無しさん:01/09/24 04:02
数学でもなんでも恋なんだが・・
ほんと俺が俺がやなー・・・
245 :
考える名無しさん:01/09/24 04:05
>243
いよっ!酔っ払い!
246 :
通りすがり。:01/09/24 21:43
>244
同感!!俺は数学から哲学へいったんだ。どうしてもその根本をたどると哲学が必要だからな。
現代の数学だって、先端いくとバラバラだろ。高校のとき数学ってとっても美人におもえて、あこがれたんだけど、
いざ実際やってみるといろんなところであばたも見えてきちゃってってとこ。そこでちょっと哲学の世界覗いてみたら、もっと美人がいたんだよ。
数学屋さんには悪いけど、俺は哲学の方が美人が多いと思うよ。それも古典に!
いま楽しく恋人を追いかけています。
たまたま、暇でここ覗いてみたら、変な事言ってる奴ばっかりだったんで、ちょっと。
247 :
考える名無しさん:01/09/25 00:26
だって須藤さん、壁にぶつかって死んでしまうよって。
レーサーみたいなもんなんだ、周りを気にしてられない。
ぼくは数学のことしか考えられない。
248 :
考える名無しさん:01/09/25 00:40
>>246 あばたが見えたんじゃあなくて、高嶺の花って気づいたんだろ
249 :
考える名無しさん:01/09/25 01:10
算術と数学は別だろうけど、哲学と数学は別とは言えないのでは?
相互に要因をやり取りしてきたから、今の世界があるのでは?
考えようによっては、人間社会というシステムは人間たちの妄想の産物とも
言えるだろうし。
250 :
通りすがり。:01/09/25 04:34
>248
あなた数学屋さんですか?すみません。
でも、数学にはいろいろな弱点があって、卑近な例ですが皆さん御存じの微積分が有りますよね。
しかしこの微積分はライプニッツによればある微少単位(モナード)を設定してそこからすべてを築き上げているわけですよね。
御存じですよね!しかしこれは「アキレスと亀」「飛ぶ矢は飛ばず」などで有名な古代ギリシャからのゼノンパラドックスですが、
古代からの難命題のテーマそのまま残し、見切り発車したようなのが現在の微積分なのですよ。今現在もこの命題の克服は数学の世界では現れていません。
こんど調べてみたら。身近なところの一例を話しましたが、数学ぞっこんの数学屋さんからは嫌われるかもしれませんが。
251 :
考える名無しさん:01/09/25 05:53
>250
数学がどういうものかもっといろいろ考えてください。
嫌われる以前にあきれられるんじゃないかと・・。
若いのかな?
252 :
通りすがり。:01/09/25 09:07
>251
申し訳御座いません。ご指摘十分に拝聴いたします。
若者達でしょうからと思い、(自分もまだ若い人間ですが)あまりにもふざけ過ぎました。
やはり思慮が足りません。第一ひどい文です。御恥ずかしいです。
哲学の根本には思い上がりを戒めるところに有ります。
心します。
しかし一点申し上げれば、現代の数学があまりにも細密化細分化され、その根底に流れるものを何か皆見失っているのではないでしょうか。
これとて、細密かされた数学もいずれ新たな展望も持てる事にもなるかもしれません。
もちろんこの掲示板で語ることでは有りません。
哲学が誤解され、安易な学問とされる事はとても残念な事です。
一見無用と思われる単純な問いを繰り返しているのが古代の哲学者かも知れません。
小利口ぶったり、自分の都合の悪い事を、ふっとばして議論する現代の風潮はこの掲示板飲みではなく、いたるところに有ります。
問い直すという事は哲学の重要な役割です。
(解析数学において、ライプニッツあたりの問い直しはいつか来るものと思います。)
現代の若者の数学離れは困ったもので、むしろここでは数学の楽しさを教えるべきですが、
これは251さんに御任せいたします。
お願いいたします。
一つ一つの原理を問い直すと言うことが今でこそ必要なのでしょう。
253 :
考える名無しさん:01/09/25 09:42
愛だ!すべては!
人が考えるということは愛であり哲学だとおもう。
パッケージ化された知識は「考えるふりをする人間」への第一歩だ
あらゆる公式、常識、事実なんかを疑おう
「考えるふりをする人間」は効率だけをもとめる
その権力はおそろしい。
学問とは遊びの一種だ遊びはたいした事などない、簡単だ。
「考えるふりをする人間」が効率だけをもとめなければ・・・
254 :
考える名無しさん:01/09/25 13:57
なんで数学にあきるねん
255 :
考える名無しさん:01/09/25 17:17
数学者は哲学者の最先端の人達でしょう。
みんなで応援してやってくれ。
257 :
通りすがり。:01/09/25 18:24
>1
>哲学は語学さえちゃんと勉強しとけば、まず読んで分からないってことはないだろう。
こんな馬鹿がいるからいけないのだ。
論語読みの論語知らず。
坊主、経文を知らず、って奴たくさんいるぞ。
絵画の鑑賞能力ない奴が絵を見たところで単なるキャンバスに色があるだけにしか見えない。
戦後の教育でみんな平等の能力があるなどと、うそを教えられたところに問題がある。
みんな自分は馬鹿だと思っていない。平等の能力があると勘違いしている。実は自分は馬鹿だったりして。
>1さんよ。こんな寝言言ってるようじゃ、まじめじゃじゃないね。
やっぱりあんたはもともと何も理解できない馬鹿だった。
こんなこと言ってるようじゃ、同情しないね。
早くまともな仕事ついた方がいいぞ。
難しい難しいを
>>256 誰だきみはー
>>257 哲学やってる人間って、いつも馬鹿呼ばわりされたり、社会のゴクツブシ呼ばわりされてるんで
この手の煽りには、なれてます、はい。
あなたに指摘されなくても、自分のことを馬鹿だと思ってますよ。
だからこそ、こんな自虐的なスレ立てるんじゃないですか。
ところで、サイモン・シン著『フェルマーの最終定理』は面白かった。
数学の世界って、スリリングやなあ。
それに比べて、哲学って、68年前後のフランスでの大爆発(?)以降
あんまし、パッとせーへんよね。
哲学はもはや、新たな思想を切り開いていくことは、できへんのか。
259 :
考える名無しさん:01/09/26 00:24
>258 哲学はもはや、新たな思想を切り開いていくことは、できへんのか
物理や数学の新しい発見を待つしかない。
今までどうりに。
新しい発見か。
いつになるだろう。粒子という暗闇でカギを探し始めるのは。
262 :
考える名無しさん:01/09/26 01:11
哲学ってはじめの頃は目からウロコが
ペリポロペリポロで苦しんだり高揚したり
美だの愛だの選民意識だので
まさにドラマチックなんだけど、
なんかあっというまに収穫逓減の法則に
囚われちゃって・・・(5年もつか?)
そんなわけでやっぱりマンガのほうが
面白くなってしまった昨今。
263 :
通りすがり。:01/09/26 02:33
>258言葉悪くて、すまんよ。
でも、君自分を本当に馬鹿と思っているか?
もし自分が本当に馬鹿と思ったら、いても立ってもいられないはず。
自分を馬鹿といって自分の逃げ道作っているんだ。まじめなところ見せろ。
今の時代虚弱な子多いんだよな。厳しくされた事ないからかな。
>哲学はもはや、新たな思想を切り開いていくことは、できへんのか。
じゃ、君は今までの思想といわれるものをきちんとどれだけ勉強しているのか?聞きたいよ。
懸命に取り組んでいたら、こんな発言出るはずない。
地道に勉強する事も覚えなくては!!
今の日本の教育は緊張感のない甘やかしのゆとりの教育そうだから、何でも許され、いいたい放題なのだろう。
それをよしとする教育界は間違っていると思う。君達その犠牲者かも知れないな。
だから、一見何でも許されそうな、いごこちのよさそうにみえる哲学へ来るんだろ?
それも小利口ぶりたくて。でも、ほんとの哲学はとっても厳しいものだと思う。
哲学はとても厳しいものだと知ることも大切だ。
厳しさに絶えられそうになかったら、別の道を考えるんだな。
でも哲学って本当はとても厳しいものだと僕は思っている
哲学を志すならいささかの厳しさを持ってほしい。
(これは君だけにいえる事ではないんだけど。)
では失礼!
264 :
考える名無しさん:01/09/26 02:48
結局、数学という海の広さを知って、とても泳ぎきれないと考えて哲学
という山に登ることにしたんだろ。これなら頂上までいけると。
でも、山の高さを知れば今度は哲学をやめるかどうか考えることになる
だろうね。
265 :
考える名無しさん:01/09/26 03:18
誤謬にまどろんでいるなあ
266 :
考える名無しさん:01/09/26 04:03
30歳以上の人に聞きたいのだが、
哲学の山って高いか・・・?いやマジで。
ある程度までいくともう暗記モノに
ならんか・・?
267 :
考える名無しさん:01/09/26 05:37
暗記物だという人は数学でも同じ感想を持つと思う
268 :
考える名無しさん:01/09/26 06:24
性格だけの問題だというのですね?
>>240 >とにかく原書を読め!読めない奴がBU−BU−いうな。
ああ、語学の「才能」だけはあるという小利口な奴が、
訳もわからず横のものを縦にして、講釈たれるというのが
発展途上国日本の哲学の現状だわな。
要するに、小利口ってオマエじゃん(笑)
270 :
考える名無しさん:01/09/26 08:04
>>258 >哲学やってる人間って、いつも馬鹿呼ばわりされたり、
>社会のゴクツブシ呼ばわりされてるんで
うむ、馬鹿は社会には必要な存在だ。
ゴクツブシもいないと息苦しくて困る(笑)
まあ、みんなスバラシイとはいってくれないだろうけど
それを逆説的な感謝と考えて、自分のやってることに、
意義を見出して頑張ってほしいね(マジ)
>哲学はとても厳しいものだと知ることも大切だ。
君、マゾだろ。マゾヒストは自己犠牲で陶酔する。
こういう連中の考える哲学はあたかもザーメンのごときである(笑)
で、そんな話を聞く奴はさしずめ風俗嬢かそれともティッシュペーパーか(笑)
271 :
考える名無しさん:01/09/26 08:23
270こそホントの成熟した哲学者だと思うのは
俺だけか?デタラメな雑言の中に美が・・・(w
273 :
考える名無しさん:01/09/26 21:17
馬鹿みたいなのばっかりになってる。
物理も数学も、哲学もみんなろくに知ってる分け出もないくせに。
多分、単なる馬鹿以下のひでー奴等だ。
濃い面のなめに2ちゃんねるってあるんだな。ま、うわごと言ってるところあってよかったな。
275 :
考える名無しさん:01/09/26 21:35
数学を学ぶ人間は「数とは何なのか」、物理を学ぶ人間は「物とは何なのか」
ずーっと先を行けばどうしても、その問いに行きあたる。
彼らの中には、逃げずにこの問いに答えようとする。
しかしもうその時にはその人達は哲学者に変貌している。
これほんと。
276 :
通りすがり。:01/09/26 22:33
>264
お応えします。もうほとんどのひとは死語になっているでしょうが、「真理探究」ってありますね。何とか本当のこと、真理はは何だ、って。
僕の根底にはそれが、やはりあるんですよ。それは数なり数学の世界にはない。
現代で自然科学の多くは、数という一種の言語というか表記形態で、説明私用とします。しかしその数その物、またその表記形態が正しいのか。そして統一的原理をどうもとめるか、考えなければならないと思うのです。
そこはもう数学の範疇を簡単に超えてるんです。そこで微力ながら、自分自身を振返りながら、また、見落としていた遠い過去からもいろいろなことを教えてもらおうと思っています。
わかりやすく説明したつもりですが、分かっていただけないと思いますね。
>1
ここでの一連の発言すべてみずに、悪く言ってすまん。
何かを求めているんだろう。根気よく続けているととんでもない拾い物をするかも知れないから、がんばれ。
本当に退室します。
みんながんばれよ
277 :
考える名無しさん:01/09/27 09:55
数学だけが真理だ。数学できないのは敗北。
278 :
考える名無しさん:01/09/27 09:56
現代数学の成果を勉強もせず数学について語るなかれ。どう。
279 :
考える名無しさん:01/09/27 10:05
結局、数学という海の広さを知って、とても泳ぎきれないと考えて哲学
という山に登ることにしたんだろ。再録。
哲学これもと数学コンプレックスの申し訳。
まるで哲学が数学に較べて簡単であるような言い草だな。
281 :
考える名無しさん:01/09/27 18:25
マジな質問なんですがどうして皆さんそんなに数学できないんですか?
高校程度の数学ができない人ってのが全く理解できません。やっぱ頭が悪いンでしょうか?
それで哲学するんなら上の人の言ってることも間違いではない気がする。
数学ができない=即頭が悪い
という281は頭がいいんでしょうか、悪いんでしょうか。
俺は数学は偏差値良かったが文系はてんで駄目だった。特に現国と古文が駄目だった。
国立は無理だったし、数学できる=頭イイ!てのは関係ないと思う。
285 :
考える名無しさん:01/09/28 05:54
>284
俺もそうだったが、それを頭がいいというらしいよ。
286 :
考える名無しさん:01/09/28 11:08
>278
>現代数学の成果を勉強もせず数学について語るなかれ?
現代数学の成果?こいつ本当に現代数学って知ってるのか???
世界的偉い数学の先生も、ほんの少し自分の専門がずれると、他はもう分からないんだから。
こういう何にも知らないくせに、べらべら喋る馬鹿がいる。
287 :
考える名無しさん:01/09/28 11:28
>278
現代数学一生懸命勉強しろよ!そしてそれから数学かたれ!!!
288 :
通りすがり。:01/09/28 11:46
追伸。
しかし数学はといぇも大切な学問ですよ。
下手に哲学なんて聞きかじって生悟りするより、まず、数学を確実に学んで下さい。
この点気になりましたので、付け加えます。
289 :
考える名無しさん:01/09/28 12:01
そもそも数学と哲学を同次元で語るところが間違っている。
もしセンター試験で哲学なるものができたら・・・いや、
できるはずないか。
数学は全ての科学に必要な大切なものだが
哲学は暇人がわかったような顔をして自己満足するための道具。
291 :
通りすがり。:01/09/28 13:56
>哲学は暇人がわかったような顔をして自己満足するための道具。
これは大変な誤解です。
一般の人は本当の哲学はあまりないと思います。
しかし実際の科学の先端的研究にはそのモデルケースとして、重要で真剣な問いかけとして大切なものと思います。
日本では哲学を何か人生論的にとらえている人がたくさんいますし、また一般向けの哲学書はいいかげんなものが有り過ぎます。
西欧の哲学の歴史を見るとやはり真理探究何ですね。その中にアリステレスを始め自然研究が始まり、これは自然学も哲学の範疇なんです。
物理だって博士号の事をPHDと言いますね。これは哲学博士という意味です。
近年になって実存などという言葉が流行したりして、哲学が誤解される事にもなるわけですが、哲学の大もとは真理探究何です。
(実存という言葉がどういう背景で出てきたかも日本でははっきり知らず使っている人が多いので、こまります。)
もちろんSchoolの語源は暇から来ていますが。。。
292 :
通りすがり。:01/09/28 14:22
>289
ついでにちょっと。
ちょっとまえですがヨーロッパのフランスなどの入試には哲学はありましたよ。
今のフランスの入試がどうなってるか知りませんが。
もちろん今の、日本のセンター入試のようなものではできないとおもいますが。。。
293 :
通りすがり。:01/09/28 14:47
さらに、ついでに。
今の日本の「哲学」なる言葉の使い方が間違っているからです。
「これは俺の哲学だ」などと良く聞きます。
しかしこれは、自分のひとりよがりの場合が殆どです。
大学の先生までこんな使い方をしているんですからね。
日本の大学のレベルも低いのでしょうね。
可哀相なのはそんな先生に学ぶ学生でしょう。ほんとに御気の毒です。
哲学は真理探究なんですよ。
294 :
考える名無しさん:01/09/28 15:26
哲学は真理探究(だけ)というのは同意できかねるが、
他は同意する。
哲学がたいしたことない=自分がたいしたことない
と同意である
296 :
考える名無しさん:01/09/28 16:13
>
現代数学の成果?こいつ本当に現代数学って知ってるのか???
世界的偉い数学の先生も、ほんの少し自分の専門がずれると、他はもう分からないんだから。
バカやロウなにもそこまで勉強しろと言う訳ないだろ
こういうことがわからんのをバカという
297 :
キリスト教徒:01/09/28 17:22
>>289 禿げ同。
過去の遺物ですね>哲学
もうそろそろ下火。来世紀くらいには哲学もなくなってるでしょう。
>もうそろそろ下火。来世紀くらいには哲学もなくなってるでしょう。
本気でいってるのかネタかの区別がつきましぇん。
299 :
キリスト教徒:01/09/28 18:41
三位一体などというタワケを信じているアホどもには
哲学の意味などわからんだろう。
>>299 ハハハ君のような暗愚は久しぶりに見たよ。
302 :
考える名無しさん:01/09/28 18:58
>>301 はっはっは!哲学板にははじめてきましたが
ここにいる奴のほとんどは世間からみとめられず
オナニーの場所を探していたんでしょ?
ひしひしと感じますよ。
>ひしひしと感じますよ。
電波発見。この時間はやけに受信度が強いようだ。
304 :
考える名無しさん:01/09/28 19:32
>301
暗愚はあんただよ。今は暗愚だからわからんだろうが、
あと10年ぐらいすりゃわかるよ。もしその時わからんかったら
社会の底辺のゴクツブシになってるだけ。
305 :
考える名無しさん:01/09/28 19:35
そう、今までは景気もよかった。しかし・・・
これからの時代、哲学などでジコマンやってるやつは・・・
語るまでもない結末を迎えるであろう。
>>305 そういう連中を馬鹿にすることにしか人生の楽しみが見出せないキミも
悲惨な余生が待っていることだろう。
それでも哲学はなくならない
まぁまぁ余生などどうでもいいではないですか
309 :
考える名無しさん:01/09/28 20:44
310 :
gu_min:01/09/28 20:52
哲学は簡単?
ていうか好き好きでしょ、哲学も数学も。
>>304 簡単に決め付ける辺りやっぱり暗愚じゃねえか(笑
何カタカナで強調してんの(笑
今ごくつぶしのあんたにいわれたくないね。
>311
>311
俺ごくつぶしじゃないんだけど・・・
マジで・・。決め付けってあんた・・・。
>>313 サルに対話を試みようとするのは、興味深くはありませんね
ほーちですよほーち、バカはほーち
315 :
考える名無しさん:01/09/29 13:05
どうでもいいけどなんでこんなちゅー某の「すくつ」になってるわけ?
人間いねーじゃん
人は死んだ
317 :
考える名無しさん:01/09/29 13:48
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\ /
― ○ ―
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|
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\/ (,) ―
≡゚ ゚≡ ‖ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
≡ Д ≡.. /< 人間はおらんのかー
||||| . / \___________
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>>317 それはじめて見た!
貴方が作ったのですか?
いい!
319 :
考える名無しさん:01/09/29 14:11
>>318 どうも。
私が作って出したのは今が初めてです。
作ったのいいが、ネタが通じそうなシュチエーションがなくて出しあぐねていたのですよ。
わかってくださったようなのでよかったです。
>>319 頑張ってください、なんだか哲学板がとてもすさんでいるみたいなので
たまにはこういうのも和んでいいですねぇ・・・では
工房発見
322 :
考える名無しさん:01/09/29 17:32
数学コンプレックス
数学できないこと恥
でした。おれ数学やるくま。
ぜったいおれ死なないくま。
がんばるくま。神に会うくま。数学はいいくま。
だって須津うさん数学やめたら死ぬよって。
数学だけが学問だ。
言語とは人生における小さな悩みである。by尾崎豊
323 :
考える名無しさん:01/09/29 19:17
324 :
考える名無しさん:01/09/29 19:18
哲学者って、無能同士でうちわでこちゃこちゃ
言い合ってる分には全然かまわないんだが、
たまに生産的であろうと悪あがきして
真面目に物事追求してる人間に余計なチャチャ
いれて迷惑かけることがあるから、
それだけはやめてってかんじ。
325 :
通りすがり。:01/09/30 03:22
みなさん、ピタゴラスの定理は学校で習っていて、分かりますよね。
この定理の真実は千年たとうが、一億年たとうが、人間の歴史とは関係なく存在し続けます。
もし学校で習わなければ、この真実は生涯知らずに人生を終わるのでしょう。
しかし、その日との前にこれが突然現れたら何だそんなものは?とわけ分からず笑う人間もいる事になるかもしれません。
哲学ですが、日本の場合、哲学の入ってきて間もないという事もあると思います。
だから、わけが分からず、何だそんなものは! ぐらいにとらえるのでしょう。
確かに哲学という言葉も西周という人が明治のころ訳語として造ったものです。
西欧の長い哲学の歴史からすれば、日本に現れたのはごく最近なのです。
ですから、学校の先生からして、わけ分からず哲学というものを考えているのでしょう。
日本の高校の哲学に関する教科書からして、フランスの高校(リセ)の哲学の教科書とは比べ物になりません。
もし西欧の哲学を知りたければ哲学の歴史をしっかり勉強するとよいのでしょう。
残念なことに明治に入ってきたのがドイツ哲学が多かったため、日本の哲学の先生の多くがかなりドイツに偏っているにも見えます。
いずれにしても日本ではまだ哲学その物に誤解があるのでしょう。
数学は比較的理解しやすいので、例としてピタゴラスの定理を話しましたが、
同様に哲学の其の物はまったく知られてないのに、各自が勝手に哲学というそれぞれの思い込みの中で、
話しているというのが今の日本の現状のようにみえます。
もっと哲学の歴史をしっかり勉強されてないのがとても残念です。
本当の哲学は別のとことにちゃんとあるのに、気がついていないのでしょう。
ですから、
だから、みんな哲学の正当な理解が学校の先生からして理解されていないように思います。
また、哲学も明治期にドイツからの輸入が殆どで、それが今の日本の哲学の先生達に大きく影響している事も確かなようです。
しかしドイツ哲学は西欧の哲学の一部に過ぎず、
326 :
通りすがり。:01/09/30 03:35
>325は私が始めに書こうと思ったものが、眠けのためか消しわすれて残っていました。
以下が消し忘れを覗いたものです。
みなさん、ピタゴラスの定理は学校で習っていて、分かりますよね。
この定理の真実は千年たとうが、一億年たとうが、人間の歴史とは関係なく存在し続けます。
もし学校で習わなければ、この真実は生涯知らずに人生を終わるのでしょう。
しかし、その日との前にこれが突然現れたら何だそんなものは?とわけ分からず笑う人間もいる事になるかもしれません。
哲学ですが、日本の場合、哲学の入ってきて間もないという事もあると思います。
だから、わけが分からず、何だそんなものは! ぐらいにとらえるのでしょう。
確かに哲学という言葉も西周という人が明治のころ訳語として造ったものです。
西欧の長い哲学の歴史からすれば、日本に現れたのはごく最近なのです。
ですから、学校の先生からして、わけ分からず哲学というものを考えているのでしょう。
日本の高校の哲学に関する教科書からして、フランスの高校(リセ)の哲学の教科書とは比べ物になりません。
もし西欧の哲学を知りたければ哲学の歴史をしっかり勉強するとよいのでしょう。
残念なことに明治に入ってきたのがドイツ哲学が多かったため、日本の哲学の先生の多くがかなりドイツに偏っているにも見えま
す。
いずれにしても日本ではまだ哲学その物に誤解があるのでしょう。
数学は比較的理解しやすいので、例としてピタゴラスの定理を話しましたが、
同様に哲学の其の物はまったく知られてないのに、各自が勝手に哲学というそれぞれの思い込みの中で、
話しているというのが今の日本の現状のようにみえます。
もっと哲学の歴史をしっかり勉強されてないのがとても残念です。
本当の哲学は別のとことにちゃんとあるのに、気がついていないのでしょう。
327 :
考える名無しさん:01/09/30 07:17
たしかに哲学が病気であることくだらんことは
哲学をやった後にしかわからん。
だkらわかいひとにいう。迷うな、数学をせよ。
328 :
考える名無しさん:01/09/30 07:20
数学はエリートの所管事項
哲学は悩める愚衆の所管事項
329 :
考える名無しさん:01/09/30 09:03
大森荘蔵は物理学をマスターした後に見限って
哲学を始めた。
330 :
考える名無しさん:01/09/30 09:07
>>329 物理学をマスターってどれぐらいマスターしたの?
あ、どれぐらいって聞いても答えられないね。マスターしたんだから。
マスター、コーラちょうだい
331 :
通りすがり。:01/09/30 10:31
>327
哲学を裏切られたんですか?どんな哲学なさったのでしょう。
日本の哲学の歴史はほんとに浅いものです。
ですから、いいかげんな哲学が横行してきた事実は確かだと思います。
いいかげんな哲学の犠牲者、恨みを持つ人が出るのは十分分かります。
しかし、本物のわきには常にニセモノが近寄ってくるわけで、ニセモノにだまされるなということには大賛成です。
多分あなたもニセモノをつかまされたお一人なのでしょう。
(もちろん、もともと哲学そのものを理解する力のない、お気の毒な方かもしれませんが。。。
誰もが哲学を理解できるなんてことはありませんから。。。)
ピタゴラスも不思議なひとのようですし、現在の無理数の論拠は古代の優れた哲学書の中にあるのですよ。
哲学と数学の関係は古い縁となっているわけです。
ですから、始めに下手に哲学を勉強するより、まずしっかり数学を勉強する方をお勧めする事には大賛成です。
たのしく勉強しましょう。
332 :
考える名無しさん:01/09/30 12:09
334 :
考える名無しさん:01/09/30 12:49
>日本の高校の哲学に関する教科書からして、フランスの高校(リセ)の哲学の教科書とは比べ物になりません。
フランスでも数学の得意な学生は哲学を馬鹿にしているひとが多いですよ。
335 :
考える名無しさん:01/09/30 13:11
数学は哲学者のなかでもエリートしか携わっていく
ことができません。
336 :
考える名無しさん:01/09/30 18:04
>>334 アンドレ・ヴェイユが自伝のなかで言ってるよね。自分はリセの教師から
哲学専攻でエコール・ノルマル文科を受験するように進められたが、断った、
言葉遊びをするだけの学問なんか一顧だに値しないと思ったからだ、とか。
このスレを見ても、結局哲学とはなにかをクリアーにできてる哲学者は一人もいないね。
曖昧なことばっかり言って。
本気で「現代思想」が数学や物理に比肩する学問だなんて思ってんのかな?
哲学者って、ホント情けない連中。
「現代思想」が思想同士を較べるものだと知らないヴァカにはうんざりです。
338 :
考える名無しさん:01/09/30 18:38
「哲学」がもはや思想同士を較べるものだと知らないアホには
うんざりです。
339 :
通りすがり。:01/09/30 22:18
>336、
現代の日本の思想家などと言われる人達などは、ちょっと前は、カミユであったり、サルトルであったりシモンヌヴェイユであったり忙しいわけですが、
これはフランスの時々の流行を受け売りするだけ傾向が実に多く、それを追いかけるだけで、言ってみれば思想的ミーハーなんですね。
皆さん!進歩的知識人などといってる、思想的ミーハーにだまされちゃいけませんよ。
サルトルにしたって、カミユにしたってこれらの人は西欧の哲学の伝統にハ食って掛かってるような人ですから、哲学の本流をけなすのは当然なんです。
悲しい事に言ってみればこういう思想的チンピラばかり紹介されて、本来正統な哲学の本流(ギリシャローマの古典からの系譜)への関心はいたってないという現状なんですな。
こういう思想的チンピラ(思想的ひとりよがり)を日本などではありがたく敬ってしまうのですよな。
こんなところも日本は哲学的後進国のあらわれなんでしょう。
日本の大学などではこんなチンピラ思想家をえらそうに敬う愚かな先生が実に多いのです。困ったもんです。
336さん、あんまり気取らず、地道に楽しくおべんきょうしましょ。
>>336 >アンドレ・ヴェイユ
>「言葉遊びをするだけの学問なんか一顧だに値しない」
彼にとってはゲーデルの不完全性定理もお遊びか。
数学基礎論というのは一種の言葉遊びだからな。
これが後々計算機とかいうホンマモンの言葉遊びに
発展していく。遊びってスバラシイ(笑)
341 :
考える名無しさん:01/09/30 22:59
↑
哲学の人ってこのような発言を連発して笑わせてくれるのがイイ!!
342 :
通りすがり。:01/09/30 23:05
>334
>フランスでも数学の得意な学生は哲学を馬鹿にしているひとが多いですよ。
ほんと?どんな学生調べたの?
フランスにもいろいろな人がいる当然ですが、数学のテクニカルな部分、言ってみれば計算や電算的事務処理が得意の人は哲学など関心がなく、一般にこの傾向にあります。
しかし数学の本質を問う、かなり抽象的部分を専門とする人はまず哲学的基礎知識は多くの数学者は持っていることは確かです。
とくにフランスはデカルトなど近代数学の基礎を築いた人が生まれた国ですからね。
343 :
考える名無しさん:01/10/01 00:10
>>341 いや、まったく(笑)
典型的な哲学ヲタの自己満足発言だぁなぁ(ププッ
344 :
考える名無しさん:01/10/01 00:15
345 :
考える名無しさん:01/10/01 00:42
>計算や電算的事務処理が得意の人は哲学など関心がなく、
>一般にこの傾向にあります。
>しかし数学の本質を問う、かなり抽象的部分を専門とする人
イメージだけで語る馬鹿。
346 :
考える名無しさん:01/10/01 00:46
哲学的基礎知識をもっていることと、哲学研究を馬鹿にすることは当然ながら違いますが。
347 :
考える名無しさん:01/10/01 01:24
348 :
考える名無しさん:01/10/01 04:00
>340
遊びにもいろいろ、ね。
349 :
考える名無しさん:01/10/01 04:16
哲学系の人達って、自分たちがどうして数学者や物理学者から
バカにされるのか分かってんのかな?
350 :
考える名無しさん:01/10/01 04:21
351 :
考える名無しさん:01/10/01 04:25
>350
自分で考えろ。哲学者だろう。
352 :
考える名無しさん:01/10/01 04:31
>>351 自分で答えられないときに、ひとはしばしば「自分で考えろ」といいますね。
353 :
考える名無しさん:01/10/01 04:34
まあ、哲学にもわかりにくいという原因があるとはいえ、
ここで煽っているやつらは
哲学書を一冊でもよんだことあるのかなあ。
「たわごと、理解不能、言葉遊び」
って言う批判ばっかりめにつくんだけど。
一度くらい、1にあがってる本を読んで、
その中のここら辺がたわごと
って具体的に指摘できないの?
一応ここは哲学板なんだけど。
くだらない煽りなら、
自分のホームグラウンドで
このスレの痛いレスなりなんなりをさらして
楽しんでくれよ。
ここの1さんは真面目にやってんだし。(つづいていればね。
しかし、物理屋はともかく
数学屋がなんで哲学みくだしてんの?
歴史すら学ばないのか最近の数学専攻
の人間は。
354 :
考える名無しさん:01/10/01 04:44
>352
そんなこと言って思考停止しちゃいかん。
考えるんだ。自分で至るしかないのだから。
355 :
考える名無しさん:01/10/01 04:48
>>354 言いたいことがあるなら言えばいいのにねえ。
あたかも語らないことに真理があるようにみせかけるというのは
それこそ軽蔑している対象と同じことをしているんだと思うんですけどね。
356 :
考える名無しさん:01/10/01 06:17
>355
みせかけがどうとか、ケチくさい解釈すんなよ。
349に戻って自分で考えろよ。
357 :
考える名無しさん:01/10/01 06:24
>>356 だから、そうやって答えを持っていないにもかかわらず
持っているようなふりをすることで、同じことをしているんじゃないの?
と言っているんですけれどねえ。
もういいですよ。あなたが答なんか持っていないのに、
持っているそぶりをしているだけなのは良く分かりましたから。
358 :
考える名無しさん:01/10/01 06:24
355は自分でだいたい分かってると
思うんだが・・・
>357
もういいのはいいけど、このことについて
思考停止はすんなよ。そんじゃな。
360 :
考える名無しさん:01/10/01 06:31
>>359 はいはい、偉そうですね。
きっと何でも分かっていらっしゃるんでしょう。
…ところで、本当に356氏は、自分がまさに軽蔑している対象と
同じ身振りをしていることに、本当に気付いていないの?
だとしたら、その自覚のなさもそうとうにまずいと思うけどね。
361 :
考える名無しさん:01/10/01 07:59
数学者・物理学者には哲学研究者の「数学も元は哲学だ」というしつこい主張
に嫌悪感を抱いている人も多くいます。
そして、嫌っている人もそのような歴史的経緯が嫌いな訳ではありません。
さて、ここで問題です。
彼らはいったい何に嫌悪感を示しているのでしょうか?
別にいわなくてもいいよ。
363 :
通りすがり。:01/10/01 12:43
ほんとに不思議です。
僕の知っている数学やってる人達は、ここに来る人みたいに哲学を嫌悪したりする人はいませんよ。
むしろ楽しく話せますよ。
ここの人達、なんでこんなに哲学を嫌がっているのかわかりません。
余裕のない人達ばかりなのかな。
(またブーブー言ってくるだろうな。)
364 :
考える名無しさん:01/10/01 13:37
く¥くそ^クソスレになりました。
>>361 それはお前しかわからんから言ってくれんとわからん。
365 :
考える名無しさん:01/10/01 13:52
物理学者は大体哲学がきらい。
数学者はもう少し柔軟で、文学に興味を持つ人もいる。
ほとんどが哲学になんの興味もないが、歴史を知っているから、
ライプニッツやデカルトに敬意を払っている。それで、ナイーブに哲学にも
一応の敬意を払っている。
しかし、たまに哲学者が極限や無限や論理について価値の無い考察をして、
議論を吹っかけてくると、あまりのバカさ加減にキレるか、微笑して黙殺する。
物理学者の殆どと、哲学的傾向のある一部の数学者は、自分たちがむしろ本当の哲学者と思っている。
ぶっちゃけた話:物理学者も数学者も、哲学者を一人前の議論のパートナーと考えていない。
366 :
通りすがり。:01/10/01 13:54
ついでに。。。
僕の知っている、現在、数学の研究をしている人の何人かのことを率直に話せば、やはり孤独ですね。
いろいろの話しを聞きたがっていますが、自分の研究領域になると一般に話しをそらします。哲学もそうかもしれません。
自分の大切な事は他人に話したくないのはよく分かりまし、みんなギリギリのところででやってるわけです。
やはりこのように努力する人達にエールを送りたくなります。
僕もふざけていたようです。ここに嫌悪をもたれたとしたら、申し訳有りませんでした。
底の浅い、言い合いなど無意味ですよね。
かって
ここで僕も大部ふざけたところがありました。
367 :
通りすがり。:01/10/01 14:14
>365
>しかし、たまに哲学者が極限や無限や論理について価値の無い考察をして、
>議論を吹っかけてくると、あまりのバカさ加減にキレるか、微笑して黙殺する。
ここに価値のない考察とどうしていえるのかだ。むしろ現代の数学、物理の永遠の弱点じゃないか。
あまりのバカさ加減にキレる?こたえられないからきれるのか???
これに答えてこそ、数学物理のやるものの責務だ。
まずあなたからはっきり答えてくれ。
この問いに「無意味だ」の一言で逃げないように。
この問いに答えないで微笑など出来ないはずだ。
368 :
考える名無しさん:01/10/01 14:18
>>367 面白い事に、「答えない人しかいない」んですよね。
369 :
考える名無しさん:01/10/01 16:06
>>367 物理学者の立場:
物理学者は理論をつねに実験とつき合わせて考え、それを
表現するために数学を用いている。したがって、極限概念に先験的な議論で
「論理的にいちゃもん」をつけることに興味が無い。
「分かったような口を利くなら、自分たちが代わりの役に立つ理論を組み立てて、使えるようにしてもってこい!」
数学者の立場:
数学では公理をおいて議論する。それは日常的な直観がいかに
謝りやすいかを知っているから。デリケートなテーマについては厳密な議論を要求する。
したがって、哲学者の日常的な言語による直感的に批判を受け付けない。
また、哲学者の疑問に対して一生懸命説明しても、修練も知識も足りない哲学者は
理解せず、ついに数学者は切れる。そして、二回目以降は黙殺する。
総評:
数学や物理をキチンと学習しましょう。物理畑、数学畑の人間が
問題を掘り出し、いろんなアイデアを出して建設的な議論をしているのに、
多くの場合哲学者は無知なので、それを理解しない。そこが問題。
質が悪い哲学者が多いことは事実だが、
逆に、自然科学者にも質が悪い人間は少なくないことは事実。
質が悪い哲学者は、自然科学が要求する手続き的な厳密さが
知的成果の共有と蓄積を可能にしていることに配慮を示さず、
そこに安易に自分達がかかわっているのと「同型の問題」とやらを
見出して、ろくに知りもしないのに、「深い」結論とやらを
でっちあげる。
彼らがきちんと追いかけない手間のかかる手続きにこそ
自然科学の重要な部分があるのに。
他方、質が悪い自然科学者は、自分達が教育を受けた方式だけが
厳密な学の方法であると考え、自然言語を使用しているというだけで
哲学は簡単なものであると思い込む。
これは質の悪い哲学者のネガである。
というのは、やはりこの視線も、単に相手が自分達の用いる数学的に
描かれた、検証可能な手続きを用いておらず
自然言語を用いて作業しているというだけで、そこには厳密さがないと見て、
相手が用いている作業の仕方をすっとばして、端的な判断を下すからだ。
まさか、このスレッドで哲学を批判しているひとたちの間に、
この哲学板で行われているようなことが哲学だと思っているひとは
いないだろうと思われるが、この板の大部分で行われている
独り善がりな妄想のでっちあげは、哲学ではない。
あるいは少なくとも、哲学としても極めて質の悪いものだ。
>数学や物理をキチンと学習しましょう。物理畑、数学畑の人間が
>問題を掘り出し、いろんなアイデアを出して建設的な議論をしているのに、
>多くの場合哲学者は無知なので、それを理解しない。そこが問題。
安易に自然科学の成果を批判しえたと思い込む質の悪い哲学者に
対しては、この言葉に同意したい。
だが、他方で、自然科学者たちが、一歩踏み込んで、
自分達が日常用いている探究形式に対して、少しでもメタレベルの議論を
はじめたとたんに、残念ながら非常に素朴な哲学的な議論に回帰してしまうのも
事実なのだ。
つまり、彼らは、数学的なモデル化を通した議論については
訓練を受けているのだが、それに対してどのように反省を行うかについては
トレーニングを受けていない。
それゆえに、質の悪い哲学者が、単なる手続きに過ぎない数学的モデル化の
一部に深遠な意味を見出したり、安易に廃止できるかのような批判を行うように、
彼らは、普段行っている作業をはずれ、一般に哲学が行ってきたとされる
領域に足を踏み入れたとたんに、非常に単純な議論に回帰してしまう。
自然科学者には、逆にこのことに留意して欲しい。
そうした際に、それまでトレーニングを受け、実践してきているのとは
別の領域に足を踏み入れているということを。
今日の自然科学的な方法に無頓着な哲学者と同様に、
そうした自然科学者は、哲学で行われてきた方法にあまりに
「無知なので、それを理解しない。そこが問題」なのだ。
371 :
考える名無しさん:01/10/01 16:39
まあとにかくなんで2ちゃんねるに未来技術板があるのかを考えればおのずから分かる事だ。
というかそういう駄目哲学者は、分からないなら分からないで俺にも分かるように数学物理学を
説明しろっていうから駄目っぽい。
そんな素人に説明して分かってもらえるほど(大体数学やらの法則、定理ってのは
繋がってるんだから極限なら極限の事だけを教えても聞きかじりにしか
絶対ならないっての、論理学をやってるやつだったらすぐわかるだろうが)
数学物理学が簡単だったら数学者物理学者はいないしね。
まとめれば、
哲学者も、自然科学者も相手の議論領域で行われている手続きの仕方に無頓着でありすぎるときに
生産性の低い議論に陥るということである。
そして、数学的モデル化を通した理論構築のトレーニングをうけた
自然科学者にとっては、哲学の議論は、それが自然言語によるというだけで
あたかも単純なものであり、手続きなど存在しないものであるかのように見えてしまう。
逆に、哲学者は、数学的モデル化を通した、一見煩雑な方法論によってこそ、
哲学者(あるいはむしろ神学者)が頭を悩ませてきた「無限」すらも
操作的に処理可能になる、ということの意味を理解しようとしない。
おまけ。
自然科学者よりも哲学者に手の負えないのが多いのは、
論理学などをきちんと学んでいる一部を除いて、
学問的探究の方法論が、きちんと形式化されていないので、
「とりあえずそのやりかたにのっとていれば成果が出る」という
手続きを用いることが困難であるし、
日常的な使用に使われるのと同じ自然言語をもちいていることに
安易に依存し、自分のやっていることをきちんと対象化できないためだ。
おまけ:その2
>>367のような議論に関しては、あまりに一度に「意味」を求めすぎていると考える。
例えば極限や、無限少の概念が、
「手続きを通して機能するものとして組み立てられている」
ということの重要性を、あまりに軽く見すぎている。
それは例えば、哲学史において「存在」という概念が、
他の様々な概念との関係においてのみ意味を持ってきたということを
忘れている。
自然科学における、極限や、無限少といった概念は、
立派に機能している、というそれ自体で、
その真理性を保っているということを理解していない。
つまり、それはすでに十分に、その概念の内実を持っているのである。
たとえ、分かりやすい自然言語に翻訳されなくとも。
375 :
考える名無しさん:01/10/01 16:58
376 :
考える名無しさん:01/10/01 17:34
369同意。
特に通りすがりさんは心して聞いてください。
あなたの言う「矛盾」にはハナから重きを置いてないんです。
有用(しかも途方も無い精度で実験結果を予測できる)、
ここに重きがあるんです。
377 :
通りすがり。:01/10/01 18:07
>369
まず、あまり簡単におキレにならず!!情けないですよ。いまいたるところで問題児多いですからね!!!
まず私の問いにしっかり答えていません。高校生程度の頭ですかね。
ここで書かれている事で哲学を非難できる根拠はまったくみあたりません。
なんで非難するんでしょうね。まず哲学への不勉強の故の誤解なのでしょう。
物理学者の立場?ですか。
理論物理とは別に実験物理をされている観点から苦労されているとのお話されているのでしょうか。
もちろん物理そのものに、観測の問題や誤差の問題もありますね。
ですから極限概念(古代ギリシャ哲学に発祥を持つ)を無条件につかい
先験的(これも哲学概念)に議論するわけですね。
もちろん実際の場面ではその有効性から理論を導き出すことは良く分かります。
しかしこの”有効性”が問題なのでしょう。
物体の運動からすれば、アリストテレスからの考え方では、物は絶えず押し続けなければ止まるものと理解していました。
これは今でもある部分では当てはまりますよね。しかし、ニュートンさんから摩擦がなければ物は等速直進運動することに
理解が変わるんですね。しかし、アインシュタインさん以後は観測の問題など厄介な事になるんですね。
このようにものの見方によって理論が変化していくのが物理など自然科学の宿命です。
ですから今ある理論に固執してはならないのです。今ある原子理論はそのアイデアを遠く古代ギリシャのデモクリトスに求めた事実は在るのですね。
これとて今後どうなるかも分かりません。このようなアイデアも謙虚に学ぶ姿勢から生まれるものです。
ニュートンを含めガリレオやコペルニクス等々の活躍したルネッサンス期にしたって、私たちはネオプラトニズムという哲学運動が背景にあった事を知らなければなりません。
「使えるようにしてもってこい!」などと怠けたことはいわず、哲学への関心も持たれる事が新たな発見があるのかもしれません。
数学者の立場(?)
「数学では公理をおいて議論する。」しかしこの公理が問題なんですね。この公理を動かさず疑わないんでしょう?しかしこの公理がいかがわしかったら、
その論理そのものが崩れてしまう事など数学者の立場の方ならおわかりですよね。「デリケートなテーマについては厳密な議論を要求する」とあなた自身がおしゃられているわけですから、
先ほどの極限や無限や論理についての厳密な議論をお願いしたいといいたいのです。さあ、おお答え下さい。
これこそ解析の重要な問題です。
ま、あまりいじめたくありませんので無理はいいませんが。
おっしゃる通り建設的な議論という事は大賛成です。
数学も物理も実はしっかりした足場の上にあるわけじゃないのです。
「哲学者は無知なの」でとおっしゃりますが、数学者、物理学者も、ご自分の無知を棚上げしているのではないでしょうか。
時には哲学の書も紐とかれてはいかがでしょう。
>>369 物理はともかく、数学の立場はそんなに磐石じゃないぜ。
結局のところ、自然数論や実数論や集合論は、
「いままで矛盾が見つかってないし、
これからも多分見つからないだろ。
そうだ、そうだ、そうに決まった(笑)」
というものでしかない。
そしてもし運良く無矛盾だったとしても、
永遠に「もしかしたら」と悩まなくては
いけないというわけだ。
で、そんな不確かな数学を用いている物理学も
畢竟運命共同体というわけさ。
ゲーデルが最後に「神」を持ち出したのは賢明だ。
いつでも結局は信仰に回帰する。
物理屋や数学屋が、哲学屋を嫌うのは、
実は自分達のやっていることが、単なる
信念でしか支えられていないということを
知りたくないからだ。
とはいえ、哲学屋だって結局はホントウに
世界は存在しないなどと思ってるわけじゃない
懐疑は実は信頼の上に行われているんだからな。
同じ穴のムジナ。目糞鼻糞さ(笑)
>この公理を動かさず疑わないんでしょう?
あのな、2ちゃんねるのたかが哲学ゴロが強調しなくても
369とかは分かってるわけ。
378、お前もだよ。
>数学も物理も実はしっかりした足場の上にあるわけじゃないのです。
だから分かってるんだって。
なんで自分が反論したいからってそういう事無視するかな?
つーか377と378は懐疑論すれすれの事を元に喋ってるから
誰もが反論しにくいんだよ。
>>377と
>>378はそこらへん分かっていってるのかな(笑
382 :
考える名無しさん:01/10/01 18:19
物理屋や数学屋が、哲学屋を嫌うのは、
>実は自分達のやっていることが、単なる
>信念でしか支えられていないということを
>知りたくないからだ。
なるほどね。思わず笑ってしまった。
「有用性を軸にした信念にすぎない」
と、哲学屋が言えば
物理屋は、
「有用性以外に何がある?宗教か?」
と答え、
数学屋は
「そうだ。そうだ。」
と実は、根源的には哲学と物理の境界
フィールドにいるのに(現実への還元性という意味で)、
物理に肩入れしてしまう。
しかし悲しいかな、
今の哲学屋にできることは疑うのみ。
モデルを提示しても相手にされないだけ。(笑
せつないね〜。
>>380 >>377や
>>378の方がよっぽど横柄だよ(笑
だって反論する人間すべてを
「公理(などを)を信じて疑いもしない駄目数学者、物理学者」に仕立て上げて
反論してるんだもんね。
っていうか聞いてみたら?
「貴方は公理を疑いもせずに信じているんですか?」って。
聞きもしないのに数学者や物理学者のここが駄目だよって
えんえんと説いてどうすんだ(笑
385 :
通りすがり。:01/10/01 18:35
思わぬところから、いろいろな議論が現れ堅実な話しになることは喜ばしい事です。
>372
哲学者も、自然科学者も相手の議論領域で行われている手続きの仕方に無頓着でありすぎるときに
生産性の低い議論に陥るということである。
まったく同感です。おっしゃられること確かです。
基本的に方法論が異なるわけですから、議論が噛み合わなくなるのは当然です。
しかし哲学への一方的非難とも取れる内容が多かったため、発言をしたという経緯ですがあったわけですが。。。
386 :
考える名無しさん:01/10/01 18:41
>377
あいかわらずですね・・・
要するにあなたの言ってることは
何の役にも立たないっていってるんですよ。
理論に固執するしないはどっちでもいい。
今後またパラダイムが移行するかもしれないし、
しないかもしれない・・んなことはどっちでもいい。
(ほとんど)役にたたないって言ってるんです。
原子論だって観測のあとからついてきたもの。
387 :
考える名無しさん:01/10/01 18:50
哲学って、
息子(物理、数学)に見放された
親みたいだな。今は。
完全に見下されている。
それに対して、
親はこう答える。
親
「誰が、生んだと思ってのよ〜」
息子達
「うるせ〜。頼んだ覚えはねえよ。
俺達はもう一人で生きていけんだよ。
もうごちゃごちゃ俺達にくちだすんじゃねえよ!」
親
「まったく、親に対する礼儀もわきまえないんだから。」
(ウルウル。。泣)
−十年後−
親
「世界は、主観的観念論であり、私しか存在しない!!」
息子達
「どうもすみません。うちの親ボケ始めまして。」
俺はちなみに哲学サイドの人間だし、
哲学がだめともおもっていないが、
ここでのやりとりを戯画化すると
こんな感じ?
388 :
考える名無しさん:01/10/01 19:16
物理学者は理論を追求し、実験結果とつき合わせて、矛盾があれば
新しいアイデアを提案している(例 超弦理論)
数学者は様々な公理を提案し、具体的な理論を組み立てている。
( 例 Non−standard−anarisys ,Topos,Schem)
科学者は公理を疑って、その上で代替案を提案する。
現代の哲学者は、全然知識がない領分で、単に批判する(しているつもり)だけ。
要するに最後まで仕事してない。
それで、分かったような顔して、非生産的ないちゃもんだけつけてくるからバカにされる。
大昔の科学的業績をあげた哲学者は、今日の「哲学者」とは別の人種なのです。
哲学が数学や物理で役に立つという妄想に囚われないようにしましょう。
本当に新しい学問的的創造ができる現代の人間は、結局数学や物理その他の科学を専攻します。
389 :
考える名無しさん:01/10/01 19:23
>通りすがり
あんたは典型的なダメ哲学ヲタだね。
理解力と謙虚さにかけるのはあんた。あんたみたいのがバカにされるわけ。
>>385 (
>>377)
これは19世紀以降の哲学に典型的に見られるものだと思うけれど、
やはり操作的に有効であるということの重要さは軽減できないものだと思うよ。
哲学だって、どれかの概念がそれ自体で「根源的」で「絶対的」なわけではない。
それじゃ宗教になってしまう。
たしかに、特に19世紀のドイツ系の哲学(の流布された形)では、
そうした第一の根底を置いてそこから出発すれば堅固な建物が建つはずだという
方法論を考えていた部分もなかったとはいわないけれど、
本当は、基礎付けといっても、そこから理論全体がどのように展開されるか、
という点にその理論の妥当性がでてくるので、哲学だって、別に「絶対的な基礎」を
たてることをその存立根拠としているわけじゃない。
公理主義的なアプローチというのは、別に公理が真であるかどうかという点を
無視しようということではなく、結果的にそこから展開される系において、
最初の公理の設置が適切なものであったかが判断されるという回り道をとるということでしょう?
そこで、展開された系の有用性を見ないで、公理自体をどうこう言っても
あまり意味はないと思うけれど。
それは例えばヘーゲルの有を、それだけを取り出してどうこう言うようなものであるわけで。
確かに、アリストテレスなんかの古典的な学問では、出発点、公理というのは明証的なものであり、
感覚的にもとらえうるようなものというステータスを要求されていたけれど、
それと今日の公理主義的な方法での公理の地位は、単純に同一視しない方が良いよね。
391 :
390(355):01/10/01 20:34
失礼
>これは19世紀以降の哲学に典型的に見られるものだと思うけれど、
ここでの「これは」というのは
操作的に有効であるということを嫌悪する、ということです。
>>382 有用性なんて結果論だろ。
成功した理論の裏には、数多くの失敗の試みがある。
ま、トーシロは自分じゃなにも考えずに、結果だけを
礼賛してりゃいいから、気楽なもんだ(笑)
ところで、いまや計算機の時代だが、これを基礎付けたのは
ゲーデルであり、チューリングだ。彼等を「数学者」という
のは勝手だが、純粋数学者の天然なプラトニズム感覚から
いえば、彼等の仕事は境界ギリギリのヤバイものばかりだ。
プログラミングに関する問題意識は、古典的な物理や数学の
それと比べたら、はるかに哲学に近い。そういうことを
分かりもしないで、いまだに19世紀的な天然ブリで大口
たたかれちゃ迷惑だね。前世紀どころか二世紀前じゃねえか(笑)
393 :
考える名無しさん:01/10/01 21:30
>392古典的な物理や数学のそれと比べたら、はるかに哲学に近い
創造的な仕事は何でも哲学の手柄にしそうだな、あんた。
ここって、哲学毛と物理・数学系のひとたちが、
ストレス発散に、適当なこと言って発散するスレッドだったんですね。
>>393 >創造的な仕事は何でも哲学の手柄にしそうだな、あんた。
そういう安直な意味でいったわけではないよ。
例えば、対象と関数を分けるという発想は、
物理屋や数学屋の発想からは自然だろうが、
言語の意味論やプログラミングの世界では
不自然だ。
397 :
考える名無しさん:01/10/01 21:51
還暦祝いパーティーの招待客に哲学者を含めましょうかと訊かれて,
ゲーデル:「今までの哲学者は全然ダメだから、よばなくていい」
ウィトゲンシュタインの業績について訊かれて、
クライゼル:「かれは数学基礎論にかんして、何も知らないようだ」
フォン・ノイマンにどうしてチューリング機械を思いついたか、と訊かれて、
チューリング:「僕が数学者だからです」
と、本人たちは思ってたわけ。ほとんどの数学者の本音がこれ。
>>392
398 :
考える名無しさん:01/10/01 21:51
>対象と関数を分けるという発想は、
>(…)
>プログラミングの世界では
>不自然だ。
LispやOOPならそうかもしれませんがね。
プログラミング一般についていっているならどうかと思いますけどね。
チューリングマシーンでも考えているなら別ですけど。
最近いろいろ忙しくて、ネットできる時間もなかったけど
なんだか、議論がもりあがってるみたいだね。
せっかく面白くなってるところで、残念だけど
しばらく日本を離れるから、後はヨロシクね。
401 :
通りすがり。:01/10/02 00:28
皆さんにいろいろ話題のもとを提供していたようです。
しかし、思わぬインパクトがあるようですが、それだけ、お気に止めていただいて有り難う御座いました。
個々の議論の発展にいささかでも貢献出来た事は楽しい思い出となりました。
いろいろ非難がましい声が聞こえますが、基本的には私の発した問いに正確にお答えいただいたものは有りませんよね。
すなわち、古代から発しられている問いに対しここでも正確にお答えできる方は今もっていないようです。
「本当に新しい学問的的創造ができる現代の人間」などといかにも現代人を強調、己を鼓舞しなければならない状況なのかもしれません。しかし、基本的には遠い昔からの問いに何一つまじめに答えていませんし、
単に目をつむって居るだけなのでしょう。
すぐに役に立つ創造など、本当はは無に等しいものかもしれません。
今の自分達現代人が一番優れた人間だと思いたがる現代人の特徴なのでしょう。
はたして、そうなのか、そこには何の保証も証明もありません。
つまらぬ虚心に自分を振返り、虚心に未来を眺めるような、遠い目とでも言うのでしょうか、このようないま必要なのだと思います。
皆さん頑張ってください。
402 :
考える名無しさん:01/10/02 00:34
>>401 あなたはどうしてそんなにアホなのですか?
>皆さん頑張ってください
あなたは病院にいきなさい。
403 :
考える名無しさん:01/10/02 00:43
>402
アホというなら、ちゃんと問いに答えてからにしなさい。
結論。
ネタスレ。
405 :
考える名無しさん:01/10/02 00:50
>>403 問に対する答えはもう書いてあるだろう?
それが分からないからアホだっていうんだよ。
人の意見を理解しようとせず、いちもんつけるためだけに
「答えてくれ」「教えてくれ」だから、哲学者はバカにされるわけ。
もっと「メタ的思考」をしてみろよ。
406 :
考える名無しさん:01/10/02 00:51
>402
すぐアホと言うのは今の流行何ですか。
まずきちんと答えなさい。
そして、ご自分の弱点をお探しになった方が自分のためです。
自分が病院に行かなければならないのかも。
407 :
考える名無しさん:01/10/02 00:54
...不毛だ。
.
409 :
考える名無しさん:01/10/02 02:42
数学は数字や記号、物理は時間や空間や物質、
といった特質的な前提があって成り立つが、
哲学は前提そのものにも目を向ける。
>>409 いまだに、基礎付けこそが哲学の役目だという基礎付け主義でやっているの?
411 :
考える名無しさん:01/10/02 03:40
>通りすがりさん
あなたの指摘する「矛盾」、ごもっともです。
しかし、矛盾を含んでいても実用的に機能すれば
特に物理はOKなんです。計算通りの結果が毎回得られる
のならたとえ矛盾を内包していようが直観に反してようが
OKなの。有用であることが大事なの。分かりますか?
矛盾、たしかにその通りです。それが何か・・?
412 :
考える名無しさん:01/10/02 03:46
哲学も数学も今はまだ大きな海を目の前にして砂遊びをしているという状態
であり、我々はどちらが難しいかということは語れない
413 :
考える名無しさん:01/10/02 03:52
そうか?
414 :
考える名無しさん:01/10/02 04:06
まあ、とりあえずはっきりしたのは、
ここでごちゃごちゃいってるやつは、
両サイドとも「逝ってよし」ということだな。(ワラ
それぞれ専門分野でさえ極めてないのに、
他分野に口出すのはアホって事で。
415 :
考える名無しさん:01/10/02 04:08
最後に出てくるだけで議論に決着をつけれたと思う
>>414みたいなのが一番たちが悪い。
416 :
考える名無しさん:01/10/02 08:47
数学は人間精神の栄光そのもの
哲学は真理を直視できない病人のもの
数学はエリートの所轄事項
哲学は愚衆の所轄事項
数学は神
417 :
考える名無しさん:01/10/02 08:57
そもそも哲学している奴などほとんどいない。
天然記念物並であろう。
なぜほろびようとしているか?
それは価値がないからである。
418 :
考える名無しさん:01/10/02 09:00
けっきょくさああ、やっぱ哲学の勉強するためにはあさあ
ものすごくのエネルギーをかけてきたわけ。それでさあ、もう
それで飯を食ってきてさああやっと哲学は寝言だってさああ気付いてもさあ
今頃そんあこと言えない訳。いまごろ哲学はくだらないとか言えない訳。
だってそれは自分の今までを否定することになるし、これから飯もくっていかなあかんし。
わかってよ。いまさら否定できんのよ。わかって。
419 :
考える名無しさん:01/10/02 09:12
哲学者が哲学わかれって言ってるのは
病人が病気をわかれって言ってるのと同じ
たしかに病気にならなわからんだろ。
病人は嫉妬する。
自分ひとりで哲学せよ。哲学書はゴミ、害。哲学科も。
420 :
考える名無しさん:01/10/02 09:26
数学は美しい。数学は栄光。
恋人達が愛を囁きあっているところへ
“愛って何? その愛はうそかもしれないよ。”
って。
君なら恋人達のひとりになりたい?それともそこで問いを発っしたい?
なぜ彼はそんな問いを発するか。嫉妬してるだけ。
数学の美を、栄光を見ているんです。嫉妬しないで。
哲学研究者君。病人達よ。
人生エンジョイできない?
421 :
考える名無しさん:01/10/02 10:54
全体が「オレってサイコー」的なつくりになってます。エッセイで哲学もものにしたと語ってます。
http://www.sho.ac/0.html 自分のよさを一生懸命書いている。
ここのポイントは「経験と実績」とエッセイ。
はっきり言って友人、部下、上司にはしたくない!
422 :
考える名無しさん:01/10/02 12:20
まあ、哲学が数学屋物理に比肩しうると思ってるんなら、
数学者の考えた論理学とか、不完全性定理とか、
物理学者の考えた理論とかを使いまわすのをやめて、
数学者物理学者も認めるような仕事をしてみなさいってこった。
423 :
考える名無しさん:01/10/02 13:06
424 :
考える名無しさん:01/10/02 13:46
...あんたら、よっぽど暇なのね。
哲学否定派はなぜ哲学を無視できないのだろう?
426 :
考える名無しさん:01/10/02 14:40
>>425 ダメ哲学ヲタをからかって楽しんでるんだろ。
427 :
考える名無しさん:01/10/02 14:47
数学、物理の賛美されている方々。
何か負け犬の遠吠えのように見えるんだけど。
もっと論理的に話さなければならないんじゃないの?
変だよ、あんたたち。病気かな。
428 :
考える名無しさん:01/10/02 14:56
↑ 通りすがり発見(藁
429 :
考える名無しさん:01/10/02 15:06
430 :
負け犬の遠吠など聞きたくない!:01/10/02 15:13
数学屋さん、物理屋さん!しっかりしてください。
数学でも、物理での、その不完全さは自覚しないと!
そこから再考しするのが健全な精神。
勝手な明晰判断を連発せず、地道に研究するんだな。
これが君らの選んだ道だ。
それからひとこと
>数学者の考えた論理学とか、不完全性定理とか、
>物理学者の考えた理論とかを使いまわすのをやめて、
この不勉強者!しっかり勉強しろ!
古代の哲学からずーっと論理や考えかた借りてきたのは数学や物理だろ。
不完全性に関するものだって、良くみりゃ古代にあるぞ。
さあ、もう一度お勉強しろ!!(哲学より)
431 :
考える名無しさん:01/10/02 15:35
>>430 誰が見てもお前が負け犬>通りすがり
哲学サイドから見ても情けないよ。
>数学者の考えた論理学とか
お前論理学知らないだろ(ワラ
ライプニッツまんせ〜
434 :
考える名無しさん:01/10/02 16:15
大体数学者物理学者が現代哲学なんてくだらないもの、勉強するわけないよ。
老大家が手遊びで哲学的なことやってる場合はあるけど。
歴史的にも、哲学が扱ってた問題を科学者が取り上げて研究した結果として、
哲学なんかよりはるかに精密で、知識としても実用としても、
はるかに意味のある精密な科学になったんだから。
いまはもう哲学なんて必要なくなったの。
真の哲学者というのは他の分野で活躍してる視野の広いひとのことなわけ。
そこが要点。
哲学者は懐疑とか借り物思想の比較とか好きなようにやってればいいけど、
大概の分野の研究者は、もう相手にしてないわけ。
なのに「哲学は森羅万象を扱う」とか自分を買いかぶってるから、
痛いんですわ。
436 :
考える名無しさん:01/10/02 16:50
>>434 わら人形に向かってしゃべってどうすんの?
438 :
考える名無しさん:01/10/02 17:45
>435
434にかなり同意なんですが・・・
哲学をただの学問の一分野としてではなく、「知」にかかわるあらゆる
領域に関する、粋の総結集だとしてとらえればいい。
すなわち理系、文系問わず、すべてのジャンルの「知」がクロスオーバー
する「場」として哲学はある。
というより、哲学は本来そういうものだったのではないか。
哲学を狭い意味で定義づけしてしまうならば、あまりにもそれは勿体ない
ことで、その有り得べき可能性を多く奪ってしまうだろう。
また、そのような反動的な行為自体、「哲学」によって拒まれるだろう
(2ちゃん哲学板をみよ)。
そう考えると、哲学と数学や物理学の対立は不毛だし、そのあいだで妙な
敵対心をもつのは誤りだと分かる。
ただし、各分野からの「知」がひとつの「場」にあつまる以上、そこには
ある特定のルールが自然と必要とされる。
それはすなわち、自分の意見を他分野にいる他者にも理解できるよう説明
しなければならないというルールである。
それは論理的であれ、実践的(倫理的)であれ、哲学という場に必要と
されるただ一つの倫理である。
440 :
数学・計算機側:01/10/02 18:48
>哲学をただの学問の一分野としてではなく、「知」にかかわるあらゆる
>領域に関する、粋の総結集だとしてとらえればいい。
>すなわち理系、文系問わず、すべてのジャンルの「知」がクロスオーバー
>する「場」として哲学はある。
>というより、哲学は本来そういうものだったのではないか。
最後に必ず出て来るこのまとめには超同意なんだけど…
>>377 >通りすがり。
あなた、こないだから哲学板や数学板で、無限小がどうとか野矢茂樹がどうとか言ってる人?
>「数学では公理をおいて議論する。」しかしこの公理が問題なんですね。この公理を動かさず疑わないんでしょう?
公理をガリガリ動かして、どんな体系が出来上がるのか、それはどんなモデルになるのかってことを調べるのは、
数学の研究分野の一つとして50年前から行われています。認識が甘すぎ。
441 :
考える名無しさん:01/10/02 19:29
>>440 だとしたら、誰が哲学者になれるのか、また哲学自体にどういう価値があるのか、
ということが問題になってくるでしょう?
まず、すべての知をクロスオーバーするったって、この世ですべての学問分野で
皮相的な知識以上のものを習得できる人間なんていません。
哲学書を読んだだけで、他の分野に口を出したら、絶対相手にされませんよ。
つぎに、どの分野でも指導的な学者は広い視野で学問を捕らえてる。
古臭い例では、ヒルベルト、最近でも数学者のスメイルやグロタンディーク、
物理学者ではプリコジンなんかは自分の専門領域を越えた思索をしてるわけでしょう。
なにも哲学を学ぶ必要はまったく無いわけです。
大概の学問分野で、「哲学を勉強するというのは、なにも勉強しないに等しい」
と内心では思ってる人がおおいです。
哲学者は知識を疑う、懐疑する、というけれど、現実にはいちばん柔軟性にかけた
人種ですね。論理的に議論しろというけれど、哲学以外の分野の人間同士は
ちゃんと意思の疎通ができるんですよ。数学と歴史でもね。
それがわかってなくて、したり顔で分かりもしないことにしゃしゃり出る
「哲学者」がいるから、相手にされなくなるんです。
哲学者ほど傲慢な人種は他にないです。
442 :
考える名無しさん:01/10/02 19:31
443 :
考える名無しさん:01/10/02 19:56
>>441 プリコジンは出身哲学者です。
実証的に証明しようとして、実際にやったところがすごいんだけれど。
444 :
考える名無しさん:01/10/02 20:09
>ゲーデル:「今までの哲学者は全然ダメだから、よばなくていい」
正確には「今の哲学者は・・・」
彼はその頃ライプニッツの哲学に傾倒していて、
エルデス(数学者)から
「貴方はそんなことをする人ではない」
といわれたらしい。余計なお世話だ(笑)
>クライゼル:「かれ(ヴィトゲンシュタイン)は
> 数学基礎論にかんして、何も知らないようだ」
クライゼルはもともとヴィトゲンシュタインに傾倒していたが、
彼の数学に対する態度に幻滅したらしい。
とはいえ、それが単にヴィトゲンシュタインの側の問題だというなら
数学基礎論屋もまったく自分自身が見えていない。
実際、ゲーデルの不完全性定理の後では、基礎論は死んだといわざるを得ない。
集合論のモデルに関する研究などは、空疎な知的遊戯である。
>フォン・ノイマンにどうしてチューリング機械を思いついたか、と訊かれて、
>チューリング:「僕が数学者だからです」
しかし、チューリング賞はアメリカ数学会ではなくてACMの賞だがね(笑)
445 :
基礎論スレは沈んでた:01/10/02 20:31
>実際、ゲーデルの不完全性定理の後では、基礎論は死んだといわざるを得ない。
>集合論のモデルに関する研究などは、空疎な知的遊戯である。
ヴ、Wit先生?
>>444
446 :
考える名無しさん:01/10/03 00:24
哲学の賛美されている方々。
何か負け犬の遠吠えのように見えるんだけど。
もっと論理的に話さなければならないんじゃないの?
変だよ、あんたたち。病気かな。
447 :
考える名無しさん:01/10/03 00:27
哲学は真理の追究ではないのに、たぶらかして
まだ若く才能のある人をダメにする。
それが数学者が哲学科や哲学研究を無視できない理由(わけ)。
448 :
考える名無しさん:01/10/03 00:31
>>447 だから、わら人形を批判してどうすんの?
批判の相手の哲学の勉強をしていないのに、また、そうした認識が
どのような形で認識されるかをろくに問題にしてもいないのに、
なんで批判できるの? ずいぶん尊大な態度だね。
449 :
考える名無しさん:01/10/03 00:32
数学を知らなくても人間は生きていけるだろう。
しかし哲学がなければ人間は生きていけないだろう。
人類60億、おそらく5割はこの板でいう数学を知らないだろう。
しかし60億、哲学を持たずして生きている人間はいないと思うよ。
宗教という言葉で呼ばれていてもね。ここでいう哲学は生き方ね。無意識も含め。
450 :
考える名無しさん:01/10/03 00:39
>>448 中身を見なくても、叩いてみれば、なにが入ってるか当てられるんだよ。
大体、いまの時代、あらゆる個別領域に専門科学があって、
お互い協力して研究を進めてるわけ。哲学の出る幕は無いの。
もちろん、学問じゃないと自覚して哲学的な茶飲み話をするのは自由。
ただ、数学物理その他すべての科学と対等であるとか、それらの分野で
役に立つとか、そういう妄想は抱かないように、ということ。
哲学なんて、たとえば
>>449の書いてるような漠然としたおしゃべりに過ぎんわけ。
451 :
考える名無しさん:01/10/03 00:44
哲学はそもそも学問じゃないよ。
そおいう側面も持ってると思うけど、
あまり本質的なことじゃない。
452 :
考える名無しさん:01/10/03 00:47
>漠然としたおしゃべり
違うだろう。現実であり事実だろう。
この辺の認識があまりに抽象化された学問の持つ甘さ。
数学や物理で戦争を止めることは不可能だと思うが、
哲学にはその可能性を若干認めざるを得ない。これが現実。
453 :
考える名無しさん:01/10/03 00:50
何で哲学が戦争とめなきゃいけないんだよっ!
関係ないって。
454 :
考える名無しさん:01/10/03 00:50
>>452 そういう風に思ってるから仕事ができんわけ。
戦争がおこるのはイデオロギー(449に言わせりゃ哲学)に煽られる
人がいるからでもあるわけよ。解決できるのは技術としての政治。
哲学に戦争を止める力なんて、ありません(藁。
455 :
考える名無しさん:01/10/03 00:54
哲学派の人は
「哲学はとりあえず全部だから」
と言って数学を中に含みたがる。なぜなら、負けそうだから
456 :
考える名無しさん:01/10/03 00:58
>解決できるのは技術としての政治。
とても解決できるとは思えないのだが?報復はできるとしても。
>哲学に戦争を止める力なんて、ありません。
そう思う。しかし抵抗勢力にはなりうる。何も出来ない数学よりはまし。
457 :
考える名無しさん:01/10/03 01:10
>>456 数学が役に立たんて、遠くにいる人間と話し合える通信技術は符号化理論の
上に成り立ってるんだよ。数学が無ければ科学は存在しないわけ。
それからなあ、厚生経済学だとか薬学や医学の因子解析は統計使ってんだよ。
繰り返すけど、哲学は「なんにも」できないの。(なんかができれば、それは個別分野の科学)
458 :
考える名無しさん:01/10/03 01:16
>>457
>繰り返すけど、哲学は「なんにも」できないの。(なんかができれば、それは個別分野の科学)
うんうん。俺もそう思う。
大体、哲学が何か世界にとって有益なことする必要はまったく
無い。
何でそんなことしなくちゃいけないんだよ!
459 :
考える名無しさん:01/10/03 01:17
457の言ってるのは数学、物理は道具だってことだろ。認める。
人をたくさん殺す道具もたくさん生かす道具も数学、物理は作れる。 認める。
それをどのように使うか。?それが哲学だろう。
科学ではここの答えは出ない。
460 :
考える名無しさん:01/10/03 01:25
>>459 ちょっと違う。
使い方を考えるのが哲学というんだったら、哲学を勉強してない人間は
科学の使い方がさっぱりわからん、例えば政治はまったくできない、
ということでなくてはならん、わけ。
そうだろ? 哲学やらんでもキチンと判断が下せるんなら、哲学はいらんよね?
そこで質問、哲学を専門的に勉強しないと(哲学科にいくとか)政治はできないのか?
それは事実と違うわけ。問題なのは、哲学という「学問」にどれだけの自立した内容があるか、
ということ。
哲学者でなくてもものを考えるんですよ。それを「哲学」に含めたら、
哲学書を読む必要もないし、学問として存続する価値は無いわけ。
461 :
考える名無しさん:01/10/03 01:29
>それをどのように使うか。?それが哲学だろう
何もたいそうに「哲学」なんていわなくても・・
ばかばかしい。
強いて、強いて言うならマスコミの仕事。
462 :
考える名無しさん:01/10/03 01:43
>キチンと判断が下せるんなら
それが哲学でしょ。深い浅い高尚低俗はともかくとして。
有史以来ずっと人間は考えてきた。深い浅い高尚低俗はともかくとして。
それらの繰り返しの集積、時間という最も過酷なフィルターを通して
残ってきたもの。それが460のいう哲学書だろ。
十分に自立し、知識は集約されている。
0+1=1が数学の基本であり、基礎であるように、
日常で考えること、それが哲学の基本であり基礎。
当然上記のように洗練、普遍的な自立した「哲学」がある。
洗練、普遍的な自立した「数学」があるように。
463 :
考える名無しさん:01/10/03 02:04
>>それをどのように使うか。?それが哲学だろう
>何もたいそうに「哲学」なんていわなくても・・
大甘。例えば原爆を使うか否か?哲学がなければ何もできないよ。
464 :
考える名無しさん:01/10/03 02:05
>0+1=1が数学の基本であり、基礎であるように、
あちゃー。
哲学が数学や物理学といった他ジャンルに言及をするのが
それら分野を専門でやってる人たちにしたら心外だというのでしょうか。
それに対しては、哲学自体にそういう性質があると言いたい。
哲学をやってる人間でも、彼がかりに歴史をやってる人間だとしたら
数学や物理学には口を出したりしない。だから哲学をやる人間が傲慢
なのではなく、それは哲学本来の性質とみるべきである。
それとも端に哲学自体を無意味だとして批難している?
だとしたら、数学や物理学の人たちがこの板にくるのはどうしてだろう?
やはり、何かしら気になるからここに来るわけだろう?
つまり自分の考えに参考になるヒントを求めて。
それともただの冷やかしというか?
それならば端にほっといてくれと言いたい。
466 :
考える名無しさん:01/10/03 02:24
哲学を哲学という名の下に批判しても、批判者が哲学の名のもとに
認識している言説の範囲を批判した事にしかならないんだけど、こういう構造に
批判者が自覚的であれないことについての反省は、科学的に検討できる問題じゃないよね。
哲学を支持している人たちについて言えば、哲学という名の元に、哲学的な思考が
なされている様を語る必然性はないでしょう(ひどい話では、あるけれども)。
論理的には、哲学者が、哲学的思考として分類しているような思考のあり方のうちに、
科学的な思考方法として認知されている以外の有用な方法論(例 現象学的還元)があり、
それらは、明らかに社会に対する方法論として必要だということを言えばOKでしょう。
なお、ごねてきたら、じゃあ科学的な思考は、一般人の生活部面にまで浸透しているかと問う。
おそらく浸透してないことについては合意に至れるだろうから、
そこで、科学的思考が浸透していないこと自体については、科学的方法論自体で解決は
与えられるの? そうした部分の解決も、議論でなすべきだとすれば(それは科学の前提でも
あるはずだ)、そうした部面は別の思考法・説得法により解決されるべき問題としてあるかもと
考えることは、それほど不自然じゃないだろと言えばいいでしょう。
上のような試みを、哲学という名で呼ぶかは、お好みで。どうせ、後世においては、
哲学という名以外の名をふって、哲学としてなされていたという経緯は、きれいさっぱり
忘れ去られるのが、通例なのだから。過去にもそういうことあったしね。
ベーコンは、哲学者でしょ。 ・・・とか言っとけばいいんじゃない?
467 :
考える名無しさん:01/10/03 02:26
>>462 もっとクリアーに説明できないの? 曖昧で返事のしようもないわ。
>>463 それを哲学といいたければ御勝手に。でもね、そんなことは哲学の訓練受けてない
普通の人間でも考えられるわけ。
「哲学がなければ何もできない」という意味は、現実に人間が生きてる以上
「誰にでも哲学できる」ってこと。つまり、哲学は特別な知識でも学問でもないということ。
前のレスでも何度も説明されてるじゃん(あぁ、面倒くさ・・・)
468 :
考える名無しさん:01/10/03 02:31
>>467 考えられるのと、考えられたことについて、批判的に検討する
力を身に付けられるかどうかは、全く別の話でしょうが。
ど厨房ですね。
469 :
考える名無しさん:01/10/03 02:31
>>465 哲学者に哲学の無意味さについて指摘したら、どういう反応を示すか
知りたかった。予想通りの実験結果が得られた(藁
だから、自分の中では哲学がなにか、もう確信できたよ。
そういうわけで、もうほっといてあげよう。面倒くさくなってきたし。
でも、とりあえず、学問と茶飲み話の区別はつけるようにしたほうがいいよ。
これは衷心からの忠告。じゃあね。
ひとは「科学的態度」をとるときだけ「科学的」である。
これは誰のことばだったか。
471 :
考える名無しさん:01/10/03 02:38
↑
僕!
472 :
考える名無しさん:01/10/03 02:42
太古、完全、砂漠に孤独 空気、原子、銀河律星 そう、土地の子 受胎 哲学の胎児
卵、果然、入れ子に起源 雄蘂 雌蘂 一粒の種子
そう、土地の子 成長 哲学の子供
※そして 月天 水星天 金星天
太陽天 火星天 木星天 土星天 恒星天 原動天
さらなる円環無限に果てなき 一つの有機的な機関 一つの永久運動装置
アー空動なり そは、空動なり
(※ 繰り返し)
なり
ふと思ったのだが、俺にとっては哲学も数学も難しい。
ということは、哲学が得意で数学が苦手な人、数学が苦手で哲学が得意な人。
とか、いろいろいるはず。畑違いとまでとは言わないが、もしかして…
ここのスレはそれに携わるもの個人の能力差を考慮しないで立てられたもの
なのだろうか?
そうすると、ここはレトリックの勝負になっているのか?
そーいやー、少年時代「ウルト○マンとミラ○マンどっちが強いか?」
って、議論したなぁ。
俺、レベルが低くてスイマセン。
475 :
考える名無しさん:01/10/03 02:52
466にレスをつけないで去ったあたりが笑えるなあ。
476 :
考える名無しさん:01/10/03 02:53
なんかざっと見たけど
数学、物理を知らなくても生きていける。
でも哲学がなければ生きていけない。
この言葉で集約、結果出ちゃったんじゃないかな。
歴史の長さも違いすぎるし。
哲学が無いと、何物(者ではない)かに「生かされる」という弊害がある。
かといって、自己の哲学があると「生き方」を選ばなくてはいけない。
あとは度胸か?
478 :
考える名無しさん:01/10/03 03:20
>476
自分じゃわかってないだろうけど、
あんたってホントばか。
479 :
考える名無しさん:01/10/03 03:22
若いんでしょう。浅慮だ。
480 :
476(偽):01/10/03 03:38
なんかざっと見たけど
哲学(昔の偉い人が考えたこと)を知らなくても生きていける。
でも数学・物理(昔の偉い人が考えたこと)がなければ生きていけない。
この言葉で集約、結果出ちゃったんじゃないかな。
歴史の長さも違いすぎるし。
481 :
名無しさん:01/10/03 03:48
またぶり返しちゃったよ。ヨヨヨ。
482 :
考える名無しさん:01/10/03 03:56
466 :考える名無しさん :01/10/03 02:24
哲学を哲学という名の下に批判しても、批判者が哲学の名のもとに
認識している言説の範囲を批判した事にしかならないんだけど、こういう構造に
批判者が自覚的であれないことについての反省は、科学的に検討できる問題じゃないよね。
哲学を支持している人たちについて言えば、哲学という名の元に、哲学的な思考が
なされている様を語る必然性はないでしょう(ひどい話では、あるけれども)。
論理的には、哲学者が、哲学的思考として分類しているような思考のあり方のうちに、
科学的な思考方法として認知されている以外の有用な方法論(例 現象学的還元)があり、
それらは、明らかに社会に対する方法論として必要だということを言えばOKでしょう。
なお、ごねてきたら、じゃあ科学的な思考は、一般人の生活部面にまで浸透しているかと問う。
おそらく浸透してないことについては合意に至れるだろうから、
そこで、科学的思考が浸透していないこと自体については、科学的方法論自体で解決は
与えられるの? そうした部分の解決も、議論でなすべきだとすれば(それは科学の前提でも
あるはずだ)、そうした部面は別の思考法・説得法により解決されるべき問題としてあるかもと
考えることは、それほど不自然じゃないだろと言えばいいでしょう。
上のような試みを、哲学という名で呼ぶかは、お好みで。どうせ、後世においては、
哲学という名以外の名をふって、哲学としてなされていたという経緯は、きれいさっぱり
忘れ去られるのが、通例なのだから。過去にもそういうことあったしね。
ベーコンは、哲学者でしょ。 ・・・とか言っとけばいいんじゃない?
483 :
考える名無しさん:01/10/03 08:17
>当然上記のように洗練、普遍的な自立した「哲学」がある。
当然って…、ないですそんなの。
哲学科、現代思想で“生き方”なんか考えてる人だれもいませんよ。
ここではアカデミックな哲学の話しをしてください。
484 :
考える名無しさん:01/10/03 08:20
数学者が考えるべき第一級の哲学的問い
にはどんなのがありますか?たとえば。
485 :
考える名無しさん:01/10/03 08:25
アカデミックな哲学知らなくても、というより知らないからこそ
正直な人生がおくれるんです。ほんとに。
数学がなければ私は生きていけない。それは道具としての数学ではなく。
考えるということがなければ、人間としては生きていけない。
人間理性には数学が必要。
数学なくても生きてける、それは敗北者。
486 :
考える名無しさん:01/10/03 08:29
哲学科 、現代思想 、そこらへんに流布してる言説は
すべて罪です。焼却しませう。それは精神をダメにする。
487 :
考える名無しさん:01/10/03 08:33
1に戻ろう。哲学は簡単か?
哲学は難しい、なぜなら誰かのたわごとだから。
488 :
考える名無しさん:01/10/03 10:37
>>482 現象学的還元が「科学的な思考方法として認知されている以外の有用な方法論」
や「明らかに社会に対する方法論として必要」とは、一体どのような思考過程
でそのような結論がでてしまうんでしょうね?
そもそも、科学的思考以外を哲学的思考に分類しようとするのはいくらなんでも強引すぎ。
科学者だってそのように分類すれば哲学的思考はしているでしょうし、科学的思考とそれ
以外を二分法でわけられるということはどう実証されているのでしょうか。
それに、あなたが分類しようとする哲学的思考と哲学には大きな開きがでてきてしまいますね。
489 :
考える名無しさん:01/10/03 10:39
誤:哲学
正:哲学研究
ライプニッツ、スピノザをすこしく読んでいたんだけど、
ほんとくだらない。信じられないたわごと。
本気でこんなの相手にしてるのか?そこんとこ小一時間問いつめたい。
491 :
考える名無しさん:01/10/03 11:49
>>487 >>490に同意
お前らたわごとに時間かけすぎ。
でも今更引き返せないって言い分もわからんでもない。合掌。
492 :
考える名無しさん:01/10/03 12:06
このスレには哲学の不誠実さと無能さがはっきり刻み込まれている。
最初の方で、上の方(300台)で、
「哲学とはすべての知識を懐疑し、問い直すこと」
なんていって、
「どの分野でも基礎を検討している専門家がいます。哲学なんて相手にされてない」
と反論されると、今度は
「生き方や倫理的判断をするのが哲学。哲学なしには生きられない」
とかいうヤツが登場して、話を変えてる。
話がムチャクチャじゃねぇか。まったく非論理的だな。
哲学者の癖に、哲学とはなにか、ということも分からんのか?
(大体、自分の生き方を考えるのは学問じゃない。誰でもやってること。
それを哲学とか名づけるかぁ?・・・アホくさ・・・)
493 :
考える名無しさん:01/10/03 12:32
ヘーゲルなりフッサールなりは学問としての哲学を
確立しようとしたのですが、それは所詮虚しい試み
であったのかもしれません。大學という制度に組み
込まれていることで辛うじてそれが学問であるかの
ような仮象に人びとは騙されてしまっている。
それが学問であるという仮象を棄てて娯楽として
哲学の延命をはかることが哲学に残された生きのこ
りのための戦術かもしれません。
哲学板の可能性の中心はそこにある様な気がしま
す。
495 :
考える名無しさん:01/10/03 16:24
では、敗北宣言が出たところで、
―――――――――終了―――――――――
496 :
考える名無しさん:01/10/03 16:28
さあ電波まつりの始まりだ!
497 :
考える名無しさん:01/10/03 16:28
>>488 >>466の文章の細部にきちんと批判加えるべきだよ。
そもそも466は、哲学というのをラベルだと考えているのだから、
分類についてどうこうという話をしたところで、批判にはならないよ。
一体どのような思考過程か分からないのは、現象学の本読んでから言えに
なるでしょう。科学だって同じやり方をして、批判をしろと言うのに、
なんで哲学と呼ばれる学問領域でなされているというだけで、
頭ごなしにおかしいと決め付けられるのでしょうか?
498 :
考える名無しさん:01/10/03 20:37
なんか数学、物理派の文章と
哲学派の文章比べると「品性」という面で哲学派が勝ってるね。
説得力も。
数学、物理派の人はまだ幼いみたいね。成熟して。
499 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 20:40
こんな議論も私のスレッドですべて包括されてます。
哲学と物理、数学が比較できるはずもないってことも
分からない虚栄心の人たちの、虚栄心からの口げんか
に見えます。
500 :
考える名無しさん:01/10/03 20:45
「どの分野でも基礎を検討している専門家がいます。哲学なんて相手にされてない」
と反論されると、今度は
「生き方や倫理的判断をするのが哲学。哲学なしには生きられない」
とかいうヤツが登場して、話を変えてる。
話がムチャクチャじゃねぇか。まったく非論理的だな。
哲学者の癖に、哲学とはなにか、ということも分からんのか?
(大体、自分の生き方を考えるのは学問じゃない。誰でもやってること。
それを哲学とか名づけるかぁ?・・・アホくさ・・・)
名すれの為再録。
501 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 20:45
哲学はみんな平等だよ。
でも答えがないよ。
物理、数学は訓練が必要です。
だから答えがあるよ。
難しいの意味を「訓練」「努力」「勉強」ととらえるなら、
数学や物理の方が難しいのは当たり前です。
というよりも、その点に関しては哲学(こういう枠もほんとは
いらないけど)はゼロです。
だけど、哲学は真理を対象にしています。
どちらが「優れているか」なんて虚栄心からの争いは不毛だと
思います。
比較をするには同じ尺度が必要です。
でもその「尺度」があるのは物理や数学の世界。
哲学は「尺度そのもの」を疑うんです。
502 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 20:49
私にはなんでみんなが議論してるかも、どこで間違ってるかも
全部明瞭に見えます。
そして1の話にどこも面白みがないことも分かります。
というのは当たり前のことだから。
503 :
考える名無しさん:01/10/03 20:49
だけど、哲学は真理を対象にしていません。
なんか哲学研究派の文章と
数学派の文章比べると「品性」という面で数学派が勝ってるね。
説得力も。
哲学研究の人はまだ幼いみたいね。成熟して。
504 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 20:50
>>503 ちょっと私の言ってることを勘違いしないでよ。
そんな馬鹿な子供みたいなことはやめて下さい。
私は哲学を「すごい」なんて言ったことありません。
こういうスレッドはまさにこの板が「虚栄心板」だからだと思う。
505 :
考える名無しさん:01/10/03 20:51
哲学研究を数学と比べてる訳ではないの。
端的に哲学研究は真理からの逃避なの。
数学は真理の追求なの。
506 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 20:55
>>1 >『純粋理性批判』『精神現象学』『存在と時間』
>それに『存在論的、郵便的』も、寝っころがって読めた。
あなたは「読めた」と言って、そこで「発展した」と思ってるのかも
しれないけど、そういう考えが間違っています。
その場合その本を読まなくてもよかったんです。
哲学の場合は本を読んだか読まないかなんて無意味なんです。
>前原昭二の『数学基礎論入門』とスマリヤンの『ゲーデルの不完全性定理』を読んだが
>うーん、むずいむずい。
当たり前です。
訓練が必要だから。
>というわけで、哲学って、実はあまりたいした学問ではないのかなあ?
つまりあなたは「哲学とは何か」「真理とは何か」が分かっていないんです。
哲学は「学問」じゃないと思う。
哲学が求める真理は「すべてか無か」なんです。
だから「本を読んで理解できた」なんてものはありません。
哲学は本には書いてありません。
訓練でもありません。
哲学はゼロか完全です。
数学や物理学は1から積み上げていくもの。
比較の対象が全然違うと思います。
507 :
考える名無しさん:01/10/03 20:57
数学は宇宙の法則を数式になおそうとするので数学の方が難しいです。
508 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 20:58
>>505 違うよ。
私は「哲学研究」なんて嫌いだけど。
数学を「真理の追究」なんて言うのはもっと間違いだと思います。
数学はあくまで分業として存在するものに過ぎないと思います。
でも真理が「すべてか無か」という立場である以上、
「数学以上のことは誰もいえないじゃないか」という立場の人が
いるも無理はないと思います。
けれど、それでも、それは真理ではありません。
数学も結局、「勉強しなければ分からない」からです。
そんな「勉強しなければ分からない」なんてものが真理であるはずが
ありません。
それは偏向です。
509 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:01
>>507 哲学は難しさという尺度から見たらゼロです。
だからあなたは全然見当ちがいの憎悪を燃やしています。
それは安易なメタ批判です。
でもあなたのその憎悪は実は「哲学」なんです。
「哲学より数学の方が全然すごい!数学こそ真理を追究している!」
という主張、憎悪が実は「哲学」であるという皮肉な自体に気がついて
下さい。
私にはここまで全部見えてしまっています。
510 :
考える名無しさん:01/10/03 21:01
これは言い子と言う>哲学の場合は本を読んだか読まないかなんて無意味なんです。
511 :
通りすがり:01/10/03 21:03
本当にまったくの偶然からこの掲示板を発見、正直いって、ふざけ半分で参加。
今、見ますと、人を怒らせたり、不快に思わせたり、反応はそれなりにあったようです。
削除すべき言葉も一緒に適当な気分があり、気が付かず送信してしまいました。
物理屋さんも数学屋さんも、それぞれの自負をお持ちでいらっしゃるのでしょう。
その方々がわけも分からず正当な根拠もなく、哲学を非難なさってましたので、
再度申し上げますが、それだけの事です。
もちろんこの掲示板に来る哲学屋さん、数学屋さん、物理屋さん、
ま、正直いって、その能力レベルがあるのでしょう。
しかし、悲しいかな>1さんの記載に有ります
朝永振一郎博士の師匠的存在の理論物理学者ハイゼンベルク
クラスの物理学者にならないと古典の哲学などにはなかなか
興味を示さないでしょう。
ここに来る物理屋さん、数学屋さんにはただ怒らせるだけの結果なのでしょう。
反省しきりです。
しかし、私の心境にとても近い発言もありましたので、その発言者
ご本人の了解もなくまったく申し訳有りませんが、再度そのまま転載
拝借させて頂きます。。
==================
物理屋や数学屋が、哲学屋を嫌うのは、
>実は自分達のやっていることが、単なる
>信念でしか支えられていないということを
>知りたくないからだ。
なるほどね。思わず笑ってしまった。
有用性を軸にした信念にすぎない」
と、哲学屋が言えば
物理屋は、
有用性以外に何がある?宗教か?」
と答え、
数学屋は
そうだ。そうだ。」
と実は、根源的には哲学と物理の境界
フィールドにいるのに(現実への還元性という意味で)、
物理に肩入れしてしまう。
しかし悲しいかな、
今の哲学屋にできることは疑うのみ。
モデルを提示しても相手にされないだけ。(笑
せつないね〜。
===================
512 :
考える名無しさん:01/10/03 21:03
>「哲学より数学の方が全然すごい!数学こそ真理を追究している!」
という主張、憎悪が実は「哲学」である
それって単に言葉づかいの問題だし。こんなの哲学じゃないし。
513 :
考える名無しさん:01/10/03 21:04
なんだ祭りか?
514 :
考える名無しさん:01/10/03 21:05
ぼくは哲学者より愛をささやく恋人達のひとりになりたい。
515 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:07
>>512 違うよ。
哲学だよ。
あなたは哲学を勘違いしてるよ。
哲学は「生きること」「すべて」だよ。
だから哲学を否定できる人はいません。
「数学は価値がある!」とあなたに信じ込ませてる物が
「哲学」です。
>それって単に言葉づかいの問題だし。こんなの哲学じゃないし。
「言葉の問題に過ぎない」という意見は立派な哲学です。
516 :
考える名無しさん:01/10/03 21:08
すばらしいな!悲しみは。
数学の方が手続きが一つ多いので哲学よりも難しいと言ったんだが
>哲学が求める真理は「すべてか無か」なんです。
>でも真理が「すべてか無か」という立場である以上、
「すべてか無か」の意味をきちんと説明してくれないと、
勝手な空想を展開し続けているようにしか読めないっす。
518 :
考える名無しさん:01/10/03 21:10
物理屋や数学屋が、哲学屋を嫌うのは、
>実は自分達のやっていることが、単なる
>信念でしか支えられていないということを
>知りたくないからだ。
常に誤謬の可能性は存在する。だが今ここにある数学が
栄光であり美しいのは事実なのだ。それは否定できない。
現在の哲学は数学を否定できるようなナニモのも提出できていない。
私は哲学を知りたくないのではない。
ちまたの哲学研究があまりにも汚れた精神だから排除しようとしているのだ。
519 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:10
だけどそういう哲学はすべてゼロです。
というのは不純物が混ざっているから。
「“自分の意見だから”主張する!」
「他人に頭がいいと思われたい」
「自分より価値のある人間がいるはずない!」
こういう憎悪はすべてゼロの哲学です。
こういう不純物を取り除こうと、自己批判をはじめたときに
はじめてそれは哲学の営みが動き出すんだと思う。
だけど、哲学がもとめる真理は「すべてか無か」だから、
相変わらずゼロのままです。
真理を知ってる人なんて私は見たことないから。
520 :
考える名無しさん:01/10/03 21:11
455 :考える名無しさん :01/10/03 00:54
哲学派の人は
「哲学はとりあえず全部だから」
と言って数学を中に含みたがる。なぜなら、負けそうだから
521 :
考える名無しさん:01/10/03 21:13
悲しみさんの本当の哲学に対する姿勢は尊重する。
私が排除したいのはあなたの言う哲学ではなく
哲学科の哲学研究である。
522 :
考える名無しさん:01/10/03 21:14
私は真理を知っているけど。
523 :
考える名無しさん:01/10/03 21:15
悲しみさんの無か全てかの哲学の意味がわからないけど。
524 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:16
>>517 真理のことです。
真理はちょっとでも「疑わしい」ものがはいったら、
それは真理ではありません。
結局人間がもとめる「知」はこういう「知」のことで
それが「真理」だと思う。
「数学の方がすごい!」というのも哲学です。
だけど、これはただの憎悪と虚栄心。
数学や物理と哲学が対立になるはずもありません。
なぜなら哲学とは「あなた」のことだから。
「“数学や物理”と“自分”はどちらがすごいか?」
これがこの問題の馬鹿げた正体。
「“数学や物理”と“数学の方がすごいと言う私の意見”はどちらが“すごい”か?」
ここまではっきりさせると、「すごい」という尺度自体がこの場合無意味だって
すぐ気付くはずです。
525 :
考える名無しさん:01/10/03 21:16
では何か数学者の考えるべき哲学の問いを
教えてください。
526 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:18
>>521 私も同じです!
私も哲学に対する安易な態度というスレッドで
そういう話をしていました。
だけど、そのために「数学や物理」を持ち込んだら、
それは越権だし、今度は「数学や物理が真理」という
安易な哲学が蔓延してしまうと思う。
527 :
考える名無しさん:01/10/03 21:18
だから哲学と数学をくらべてるんでないって。
ただ端的に哲学研究はたわごとだと。真理からの逃避だと、
ゆがみきった精神だと。
528 :
考える名無しさん:01/10/03 21:20
数学だけが真理のすべてではない。
しかし真理に役立つ。つまり精神の純化の為に数学が要る。
529 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:22
>>525 数学も哲学も両方人間の営みです。
対立構図で見ている人の心の中には憎悪があります。
虚栄心。
「私も数学は勉強したいと思っています。
でもそう思わせるのは私の哲学です。」
上の2行の言葉で哲学と数学の関係はすべてはっきりしてると
思います。
ここに「優劣」なんて概念を持ち込んでる人がすべて私は間違いだと
思います。
哲学派の人も数学派の人も。
私は
「数学と哲学のどちらがすごいかという話に意味があると思っている人」
と
「そんな話は無意味だと知っている私」
とを比べた場合、
「絶対に私の方がすごい」と主張します。
数学とか哲学なんて「派閥ごっこ」は必要ありません。
530 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:23
>>528 真理をもとめる素材は「すべて」です。
数学だけに特権を与えるのは間違いです。
531 :
考える名無しさん:01/10/03 21:25
悲しみが言うような人間見たことない。
どこにでも理由つけて安心しようとする人はいるよ。
532 :
考える名無しさん:01/10/03 21:26
ぼくは哲学と数学をくらべてないよ。
そうそう数学をするには哲学がいる。
ただ哲学研究がイヤなの。
これってほんと哲学だね>本で哲学学べない
533 :
考える名無しさん:01/10/03 21:26
哲学と数学を比べることが無意味なのには同意。でも、
哲学擁護派の「思考=哲学、思考⊂哲学」という意味の無い主張には
いい加減飽きちゃいました。
534 :
考える名無しさん:01/10/03 21:27
ぼくは長年の熟慮の結果数学が真理に寄与するものであることを
悟りました。
535 :
考える名無しさん:01/10/03 21:29
哲学を真摯に求める態度は尊敬に値する。
536 :
考える名無しさん:01/10/03 21:31
>それは越権だし、今度は「数学や物理が真理」という
>安易な哲学が蔓延してしまうと思う。
悲しみはどこまで数学がわかってるんだ?訓練が嫌だとか言ってたから
高校数学までか?
537 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:32
>>533 >いい加減飽きちゃいました。
どうしても「数学と哲学を対立した構図でみることに意味がある」
というあなたの哲学を貫くなら、その理由をきちんと示してください。
でもその場合、あなたきっと「滔々と話をする」ことは免れません。
あなたはただの憎悪から無意味なことを言っています。
538 :
考える名無しさん:01/10/03 21:34
哲学は孤独から絶望からくる。ひとりでするもの。
539 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:34
「数学と哲学は対立した構図になっている」
という意見は、間違いです。
私は数学派でも哲学派でもないよ。
そんな「派閥ごっこ」の方が馬鹿みたい。
私は反「派閥ごっこ」です。
そういう人たちよりは、「私」の方が「すごい」と主張します。
540 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:36
「哲学」なんて枠があるから、偽者の哲学があるから、
ダメなんだと思う。
だけど、「哲学に対する安易な態度、ただの言論おたく」も
「数学がすべてで、哲学は無意味」という人も
両方とも私が言っていた、哲学に対する安易な態度の
1番、2番に当てはまっています。
541 :
考える名無しさん:01/10/03 21:37
誰ももう対立させて考えてないって。
542 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:37
だから私はこう主張します。
「このスレッドは私のスレッドに包括されています。」
>>539 私は「私」よりも「悲しみさん」のほうが凄いと主張します。
皆さんはどうですか?
544 :
考える名無しさん:01/10/03 21:38
でも哲学に価値はあるか?と問うことはできる。
んで結局価値なかったと気付いたの。
んで数学に価値があるって。
545 :
考える名無しさん:01/10/03 21:40
つまりひとりでつむぐ本物の哲学と哲学科の哲学研究を
はっきりと峻別して、
偽哲学を排除してしまおう。
546 :
517=533:01/10/03 21:41
>>537 >どうしても「数学と哲学を対立した構図でみることに意味がある」
>というあなたの哲学を貫くなら、
い、いや、だからそうは思ってないですってば…(517=533なんだが…「全部見えてた」
んじゃねえのか?)
「〜と思うとき、そう思わせるのは哲学です。」っていう主張に意味はあるの?
547 :
考える名無しさん:01/10/03 21:44
悲しみの哲学を語ってよ
548 :
考える名無しさん:01/10/03 21:48
なぜ文系は数学コンプレックスがあるのか?これは偉大な問いだ。
549 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:48
>>546 >「〜と思うとき、そう思わせるのは哲学です。」っていう主張に意味はあるの?
という言葉を聞いたとき、あなたは哲学を「数学と対立する哲学」と考えているから
ただ怒っているだけです。
だからあなたは意固地に
「数学と哲学を対立した構図で見ることに意味がある」という主張を
繰り返してるだけです。
私はそんな奇妙な構図はどこにも見えません。
あなたの考える「哲学」のイメージが憎悪の裏返しなんだと思います。
私は哲学は「勉強するもの」でも「勉強したから発展するもの」でも
ないと思います。
哲学は「生きること」だと思います。
前の言葉を私の言葉で言い換えると、
「〜と思うとき、そう思わせるのは生きているあなたです。」
私は「哲学(これにあなたがどんなイメージを持ってるのか知らないけど)と数学が
対立する構図にある!」なんて話は全然無意味だと思います。
550 :
考える名無しさん:01/10/03 21:50
>それは越権だし、今度は「数学や物理が真理」という
>安易な哲学が蔓延してしまうと思う。
悲しみはどこまで数学がわかってるんだ?訓練が嫌だとか言ってたから
高校数学までか?
551 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:52
>>550 答えません。
そんな虚栄心に満ちた馴れ合いは嫌です。
552 :
考える名無しさん:01/10/03 21:52
>>538 哲学と数学の派閥ごっこなんて誰もしてないんだよ・・・
哲学なんて、学問でもなんでもない茶飲み話、っていうことなんですよ。
それが今までのレスで説明されてきたんです。
だから、数学や物理と比べるな、っていうこと。
哲学なんて、あなたのいうように個人的に勝手なこと言ってるだけなんだから。
そこのところは、すでにいままでの議論で証明ずみなんですよ。
>>「〜と思うとき、そう思わせるのは哲学です。」っていう主張に意味はあるの?
>という言葉を聞いたとき、あなたは哲学を「数学と対立する哲学」と考えているから
>ただ怒っているだけです。
>だからあなたは意固地に
>「数学と哲学を対立した構図で見ることに意味がある」という主張を
>繰り返してるだけです。
え?え?なんで?だから俺は数学に絡めた話なんかしてないヨ〜(泣)
哲学の話だってばさー
554 :
考える名無しさん:01/10/03 21:57
関係ないけど今歯がとれた。哲学が要る。
>哲学と数学の派閥ごっこ
がこのスレで行われている
という構図に執着なさる方が
約一名いらっしゃいます。
556 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 21:57
>>552 違います。
それも安易なメタ批判です。
真理の前には平等です。
だから哲学は学問ではないし、茶飲み話も数学の話も、物理も
スポーツも、生きることすべてが真理に関係があると思います。
「茶飲み話にすぎない」という不当なさげすみは、虚栄心から
来ます。
私は「派閥」入ってる人はすべて間違っていると思います。
結局哲学派の人も数学派の人も同じです。
557 :
考える名無しさん:01/10/03 21:59
だから悲しみの哲学を語れ。
それで価値が決まる。
558 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 22:02
数学は勉強すればいいと思う。
哲学は生きればいいと思う。
それしか言えません。
ここに対立の構図を見出した人こそ、
「自分は頭がいい!」という虚栄心の人間です。
これがこのスレッドの真相です。
559 :
考える名無しさん:01/10/03 22:04
>>558 悲しみサンは虚栄心の人間ではないのですか?
560 :
考える名無しさん:01/10/03 22:04
では真理とは何か?
561 :
考える名無しさん:01/10/03 22:04
>>556 正直言ってあなたが言ってることさっぱり理解できないんだけど?
哲学者以外の人間からみて、哲学は学問といえない、という事実を指摘することと、
「派閥」(?)に何の関係があるの? 前のレス見た?
虚栄心で発言してるっていうのは誤解ですよ。
ただ、哲学者の不誠実さ、知的欺瞞を指摘してるだけです。
批判を非難として受け取られるのは心外。
562 :
考える名無しさん :01/10/03 22:04
噂の真相!!
563 :
考える名無しさん:01/10/03 22:05
>哲学と数学の派閥ごっこ
がこのスレで行われている
という構図に執着なさる方が
約一名いらっしゃいます。
再録。
564 :
考える名無しさん:01/10/03 22:06
>哲学は生きればいいと思う。
そうかぁ?って聞くたびに
「あなたは数学と哲学を対比させている。それは間違っている。」
って返されてモナー。
564==533です。スマソ
566 :
考える名無しさん:01/10/03 22:08
けっきょくこういう話し合いがくだらないって
ことが哲学は迷える愚衆のおしゃべりってことかな
567 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 22:09
>>561 あなたの言いたいことは分かります。
今の日本の哲学科で行われてることは
哲学精神からは程遠いと思います。
そういう状況の中では、数学科で勉強する方が私も
意味があると思います。
でもここでは日本の大学の状況の話なんかしてません。
私は数学科でも哲学科でもないし。
だけど、「数学のみが真理」というのも不誠実だし、知的欺瞞です。
568 :
考える名無しさん:01/10/03 22:09
さあって数学でもしよ。
569 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 22:10
>>566 そういう相対化はあなたの傲慢さを表してるだけです。
570 :
考える名無しさん:01/10/03 22:11
数学のみとは言わないよ。でも
数学は人間理性の栄光そのものであり、名誉であり、勝利である。
数学はカッコイイ。哲学研究はダサい。
571 :
考える名無しさん:01/10/03 22:13
哲学は本から学べない。だから結局大学では数学をするんだ。
だって数学をやめたら死んでまうよ、須藤さんって。
572 :
考える名無しさん:01/10/03 22:13
具体的に哲学語れ。悲しみよ。
573 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 22:14
>>570 それがあなたの真理の追究の仕方なんだと思う。
だけど自己批判精神を忘れないでください。
ただ反発してるだけだともったいないから。
「哲学研究」がそんなに気になるのは何かあると思います。
あなたの中に。
574 :
考える名無しさん:01/10/03 22:14
>>567 数学のみが真理っていってる人なんかいないでしょ?
哲学以外のあらゆる学問はそれぞれ研究者が生産的な活動を続けてるよ。
それを否定する人は過去レスにもなかったよ?(多分)
繰り返すけど、他の「あらゆる学問からみて」哲学は学問とはいえない、というのが
指摘してる点なんだけど。数学を贔屓したことは、すくなくとも、自分はないよ。
もちろん、個人的にもっとも好きな「学問」だけど、人に押し付けてないよ。
あなたの言ってる哲学批判そのものには、賛成だけどね。
575 :
考える名無しさん:01/10/03 22:16
もう死も遠くないのかもしれない…
576 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/03 22:17
>>571 私もそれには賛成です。
>>574 ごめんなさい。
誤解してたみたいです。
あなたの意見に賛成です。
私も哲学は「学問」には成り得ないと思う。
577 :
考える名無しさん:01/10/03 22:19
>数学は勉強すればいいと思う。
>哲学は生きればいいと思う。
>それしか言えません。
悲しみの言う事には「理由」が無いね。それしかいえない理由を言って欲しいが
どうか?
578 :
考える名無しさん:01/10/03 22:20
孔子曰く、怪力乱神を語るなかれ。
哲学も語られるものではない。よって哲学本、哲学科は焼却。
579 :
考える名無しさん:01/10/03 22:21
ホントに歯が抜けたよ!
580 :
考える名無しさん:01/10/03 22:23
ぼくは長い間ひとりで考えてた。
そして今自分の中から数学への切実なる欲求が。
そしていままでぼくはただ悩んでいただけなんだと。
581 :
考える名無しさん:01/10/03 22:24
HELP ME
ぼく死んでしまうよ
582 :
考える名無しさん:01/10/03 22:26
真の形而上学は数学
583 :
考える名無しさん:01/10/03 22:28
>数学は勉強すればいいと思う。
>哲学は生きればいいと思う。
>それしか言えません。
理由は?
584 :
考える名無しさん:01/10/03 22:31
数学は唯一の希望だった。
生を肯定しようとしている。
生の肯定感にすがりつこうとしている。
光を見ようとしている、おれは数学をやめないぞって。
585 :
考える名無しさん:01/10/03 22:32
だって須津うさんレーサーみたいなものなんだ。
周りを見ていたら壁にぶつかってしまうよ。
586 :
考える名無しさん:01/10/03 22:36
おれ死んでしまうかもしれない。
587 :
考える名無しさん:01/10/03 22:37
哲学は敗北した。
588 :
考える名無しさん:01/10/03 22:40
>>587 哲学者もそれを認めてるんで、いまこのスレは「電波祭り」会場。
589 :
考える名無しさん:01/10/03 22:46
>>578 子不語怪力乱神
(子は怪力乱神を語らず)
でしょ。
「語るなかれ」なんて押し付けがましい言い方は孔子はしないよ。
哲学のどこが怪力乱神なんだ?
590 :
考える名無しさん:01/10/03 22:47
もう何度も既出だと思うけど、哲学は数学とも物理学とも
切っても切れない存在ですよね。
だからシュレーディンガーとか凄く面白い。
591 :
考える名無しさん:01/10/03 22:48
ホントに敗北した
592 :
考える名無しさん:01/10/03 22:49
だから哲学と哲学研究の区別を…
593 :
考える名無しさん:01/10/03 22:52
>>590 過去レス(特に350以降から―終了―のところまで)を読め。
>>593 いま読む気しなかったから
もう何度も既出だと思うけどと書いたんだが、
貴方に指摘されて見てみたら
なかなか面白いことになってたみたいね。
595 :
考える名無しさん:01/10/03 23:10
「悲しみ」さんは574のレスに納得して去っていったんでしょうか・・・
596 :
考える名無しさん:01/10/03 23:12
哲学、霧散しちゃいましたね。
597 :
考える名無しさん:01/10/03 23:16
哲学、萌えちゃいましたね。
598 :
考える名無しさん:01/10/03 23:20
理由もなしに自分の直感を正しいと
信じ込むような傾向のある人はマジで数学やった方がいいよ。
ばかばかしい議論だな
600 :
考える名無しさん:01/10/03 23:24
>>598 数学やるのも哲学やるのも大して変わらない気がするが
まじめにやればどっちも一筋縄ではいかないよ。当然。
602 :
考える名無しさん:01/10/03 23:26
茶飲み話にひと筋もふた筋もあるか。
↑ま、そうね。
604 :
考える名無しさん:01/10/03 23:29
605 :
考える名無しさん:01/10/03 23:33
どうも悲しみは自分に不利な質問をされると寝るようである
「哲学とは何か」にいる者ですが・・・、悲しみさん寝たのかなあ・・・。
607 :
考える名無しさん:01/10/03 23:46
>>606 彼の哲学観を否定しないでいつつも興味深いレスをつけていれば
近日中に起きてくるでしょう。
彼の言う事の理由、根拠を問いただすと寝てしまいます。
なぜなら、彼は本質をつく質問は相手の憎悪から来ると考えている
からです。
これらの点をふまえて大いにがんばってください。
608 :
メガネ(編集者には交渉力が必要!):01/10/03 23:50
↑なるほど、がんばってみます。もっとも今日はもうそろそろ寝ますが。
今日もう1レス欲しいところだ。
609 :
考える名無しさん:01/10/03 23:59
610 :
考える名無しさん:01/10/04 08:54
語られる哲学はすべてくだらない
611 :
考える名無しさん:01/10/04 08:56
不語でしたね。ぼくの気持からかってに
語るなかれと書いてしまいました>孔子
612 :
考える名無しさん:01/10/04 09:06
哲学や現代思想ひろく文系一般は科学と名乗らないで欲しい。
613 :
考える名無しさん:01/10/04 09:10
で、数学者が考えるに値する問いを哲学科は提出できないということか。
614 :
考える名無しさん:01/10/04 11:22
>>613 ThomやSmaleが哲学的な問題を提起してたよ。
意味のある問題は哲学者なんかが騒ぐ前に数学者が気づいてるだろう。
やつらの特徴は、本当の問題と無意味なたわごとの区別がつかないこと。
かりに「問い」を持ってきても、漠然とした哲学独特の曖昧な命題で、
自明か、どうでもいいか、どっちかだよ。期待すんな。
615 :
須藤(通りすがり):01/10/04 14:06
須藤より一言。
>585
数学やめなくていいぞ。数学一直線も絶対にいいぞ!
いつか必ず余裕が出るときあるさ。今は数学、がんばれ!!
応援してるぞ!!!
616 :
考える名無しさん:01/10/04 14:41
617 :
考える名無しさん:01/10/04 14:48
618 :
考える名無しさん:01/10/04 14:53
619 :
考える名無しさん:01/10/04 14:57
620 :
考える名無しさん:01/10/04 15:28
622 :
考える名無しさん:01/10/04 16:02
>今は数学、がんばれ!!
ありがとう!!がんばる!!おれ絶対数学やめない!!
おお数学よ
哲学は諸学のメタに立つ。他の学問とはねじれの位置にある。
(したがって、ある意味では最も役に立たない。)
624 :
考える名無しさん:01/10/04 16:17
大哲学者って言われてるような人はさすがに何か意味あること
言ってるだろうってどうしても考えてしまうヨね。
でもヘーゲルだって金の為に無理に原稿数増やしたり。
私も長年哲学研究しててやっとこれが無意味であることがわかったんです。
どんな偉大と言われる哲学者も同じ、彼らは冗長と言う彼らの体質で
あそこまで見事に意味ない事を長々と述べれるのです。
まあ初めて見た人はそこに意味があるように思ってしまうのはしょうがないですな。
まあ罠みたいなもんですな。私はその罠にかかってしまったってことです。
罠だと思える君に乾杯。
626 :
考える名無しさん:01/10/04 16:50
>>623 それが大きな間違い。
どこの分野でも、優れた専門的研究者は「メタ」的観点を持ってるから
革新的業績をものにするんですよ。
哲学を勉強したって「諸学」の専門知識のイロハも分からない人間に
「メタ」もなにもないです。
役に立たないのは「メタ」だからではなく、中身がないからです。
627 :
考える名無しさん:01/10/04 16:56
いいこというねえまさにそのとおり>626
628 :
考える名無しさん:01/10/04 17:08
まずはっきりさせないといけないのは
現代哲学は真理の追究ではない ということ。
>どこの分野でも、優れた専門的研究者は「メタ」的観点を持ってるから
>革新的業績をものにするんですよ。
という事は哲学者もそれに当てはまるじゃありませんか。
それとも哲学者だけはあてはまらないのかなー?
哲学ってここ100年の間に進歩したの?
>>628 そうだったのか・・・。
じゃあ、現代哲学の「哲学」の部分も変えたほうがよくないか?
理性によって真理を探究するのが哲学だから。
>>630 100年ではなく2000年間進歩してません。
633 :
考える名無しさん:01/10/04 19:24
>>629 哲学者だけには当てはまらないんですよ。
なぜかというと、哲学は個別専門分野の科学じゃないからです。
だから、メタも何もないんです。批判すべき具体的対象自体ないんだから。
他分野の批判をしてるだけで、しかも、その批判も専門家に言わせりゃまるで的外れ、
ということ。要するに、哲学なんて「学問」じゃないんです。茶飲み話に過ぎない。
>他分野の批判をしてるだけで
あんた本当に哲学を知ってるのか?
>理性によって真理を探究するのが哲学だから。
何時の時代の人間か? ああ、本来の哲学はそうなんだ、と喚かなくても結構。
635 :
考える名無しさん:01/10/04 19:40
人間自体がたいして進化してないのに、哲学が進歩するのはおかしい。
人間を超えて進歩するならば、それは悪しき意味での形而上学でしかない。
というのも、哲学は人間の認識についての考察、認識についての認識だから。
この線はどう転んでも動かないよ。
哲学はキリスト教みたいなもの
聖書を拠り所にするみたいなところが似ている
違うところは、学の無い人にやさしくないところか
というか
>批判すべき具体的対象自体ないんだから。
で、ただの煽りだって事が分かるけど。
本を読む事=本のいいなり
と考えているバータレが一匹紛れ込んでいるようです。
639 :
考える名無しさん:01/10/04 20:16
哲学が「学問」だったら、すくなくとも「哲学とはなにか」ということに関して
一致した見解が得られるはず(訳もわからんのに研究なんかできるか)。
ところが、哲学とはなにか、ということに関してすら色んな意見があってまとまらない
ことが、このスレを読めばわかる。
そういうものは学問じゃないんです。数学や物理は勿論、
どんな学問とも比べられるようなものではないんです。
哲学にとって哲学とはこういうものだ!、と一致した見解を
決める事ができない
(誰かの見解は常に誰かにとって狭すぎるし広すぎる)から
哲学だ、というのは無視ですか。
641 :
考える名無しさん:01/10/04 20:23
>>640 哲学がそういうものだっていうのは結構。
でもね、他の「学問」はそういうもんじゃないんですよ。
そこまで一般化したら、もうすでに明確な知識をもたらすものではなくなる
わけですよ。つまり、学問ではない
なるほど、つまり論理学は学問ではないと。
643 :
考える名無しさん:01/10/04 20:27
「知識」とは何かね?
644 :
考える名無しさん:01/10/04 20:34
>>642 論理学は学問でしょう。
つまり、アルゴリズム論なわけだから。数学的な部分は学問ですよ。
ただし、蛇足だけど、それを「人間の思考の様式」と結びつけたら、
なにか科学的な根拠がない限り(例えば、そのアルゴリズムで人工知能を建設するとか)
学問ではないでしょう。
645 :
考える名無しさん:01/10/04 20:51
哲学は「学問」じゃなくていい。「教養」でいい。
だとしても、大学に「一般教養」課程があるくらいだから、
大学の授業としてあってもいいし、学んだり研究する対象に
なってもいい。
のぞむならば、「現象学」とか「論理哲学」というふうに区切って
学問化することもできる。
646 :
考える名無しさん:01/10/04 20:57
>>645 学問であってもいいということだね。
「教養」と「学問」はどう違うの?
647 :
考える名無しさん:01/10/04 21:00
まあひとまず哲学は価値があるかどうかはおいとくとして。
“現在の大学の哲学科はいかないほうがいい。”
”哲学者大哲学者と言われてる人の著作は読む価値がない。”
これははっきりさせとこう。まあ御喋りのネタあるいは病気の研究
としてはいいが。
648 :
考える名無しさん:01/10/04 21:03
悲しみ君の負けっぷりは見事
象徴してる
649 :
考える名無しさん:01/10/04 21:06
>>646 おれのレス(
>>645)は、
>>639>>641に対してのものです。
学問の定義もそれに従っています。
つまり、かんたんにいって、「一般化」ないしは「体系化」
できるかどうか、ということ。
650 :
考える名無しさん:01/10/04 21:08
>>647 すると、あなたは、哲学科を卒業し、
哲学者大哲学者と言われてる人の著作の主だったものは
全て読破しているのだね。
651 :
考える名無しさん:01/10/04 21:10
俺はいままで美という言葉に劣等感を持ってきた。
今そのわけがわかった。おれは今、美を見ようとしている。
はじめて。
美とは数学のことだったのだ。
652 :
考える名無しさん:01/10/04 21:16
とにかく考えるなら哲学書とかでごまかすなって、
おしゃべりすんなって、自分で考えてみろって。>哲学研究者
それにしても哲学書のあの見事な
んで結局なにが言いたかったの?
の作文技術は驚愕に値する。彼らはなにから逃げているのか?
そこでは
知ることが真理を見えなくさせてる。
彼らはなにから逃げているのか?
自分から、自分の醜さから。救済は数学にあり。
653 :
考える名無しさん:01/10/04 21:18
>>651 数学者のほうが哲学者よりも空疎だということを見せつけるだけ。
やめときなさい。
西洋には一神教が大きな基盤としてあったから
ことさら合理的に考える「哲学」が発達したのではないでしょうか?
655 :
悲しみ ◆7P44pfbg :01/10/04 21:20
私は女です。
それに負けてなんかいません。
そんな虚栄心じゃないから。
656 :
考える名無しさん:01/10/04 21:23
悲しみさんはよっぽどコンプレックス持ってるみたい
657 :
考える名無しさん:01/10/04 21:24
ぼくはいかに生きるべきかを知っている
658 :
考える名無しさん:01/10/04 21:26
救済を望みますか?
>>655 ここでは女だからとかゆ〜理屈は止めた方がいい。意味無いから
660 :
考える名無しさん:01/10/04 21:49
>>652 それは、お前がパーだから、そう感じるだけ。
どの著作のどの部分でそう思ったのか、いえるのか?
理解できないものに対して単純にそう言い切るのは
自分はアホですってわざわざ周りに言ってるようなもんだ。
>>数学教信者ども
具体的に哲学者の本のなかの、
意味不明だと思われる文章をあげて
何故意味不明なのか論理的に説明してみろよ。
印象批判は聞き飽きた。
科学者のくせに
「救済は数学にあり。」
とかいっちゃって(ププ
おまえら反論にならずに
自分達のやってることが信仰だって自分で
暴露してんじゃねーか。(ワラ
俺が言いたいのは数学がだめなんじゃなくて、
ここで哲学の無意味性を暴露して、
自分がやっている数学のよさの再確認を通し、
あたかも自分が崇高な科学者であるように錯覚する
幼稚なメンタリティーを批判してるんだがな。
ま、現代の哲学といわれるものが
だめだという点だけには、反論しないけどな。
661 :
考える名無しさん:01/10/04 21:57
662 :
考える名無しさん:01/10/04 22:07
>>661 お前、現代哲学の何を語れんのよ?
バカはお前。
663 :
考える名無しさん:01/10/04 22:19
物理、数学教信者は頭の中がスポンジ状態。
視野は狭く、固定観念も強い。
スポンジなんだからもっとやわらかくしたら?
664 :
考える名無しさん:01/10/04 22:21
哲学者はやわらかすぎてスープ状態ってホントですか?
665 :
考える名無しさん:01/10/04 22:25
てゆーか、もう哲学に役割も意味も無いのよ。
学問の専門家達がまたなにか新しい発見を
したら、また新しく茶飲み話のネタができる。
その繰り返し。それだけのことだよ。
666 :
考える名無しさん:01/10/04 22:29
哲学派は緻密で知識に裏づけられた論理で哲学の有用性、必要性
を論理的に立証してくからさ。
物理、数学派の人は公式や数字で哲学の無用性を立証してよ。
668 :
考える名無しさん:01/10/04 22:30
633のように哲学者には
「俺は自由に考えられる」とか
言うしかプライドの行き場がない無能が多い。
669 :
考える名無しさん:01/10/04 22:31
633じゃない、
663だ。すまそ。
670 :
考える名無しさん:01/10/04 22:32
>>644 あのさぁ、「論理学は数学的」っていうのがどれほど馬鹿げたを事いってるか
分かっている会
ためしに数学という学問を
「数を論理的に扱う学問」以外で説明してみろよ。
671 :
考える名無しさん:01/10/04 22:34
>667
お前が知らないんだと思うが。
>>671 じゃあアンタは知ってるのかい?
あ、お前よりは知ってるってのはナシね。
673 :
考える名無しさん:01/10/04 22:38
>>667 哲学の中身について具体的に知る必要はないんですよ。
なぜかというと、消去法が使えるから。
自然を研究するもののなかで、実証可能なものは自然科学。
社会現象では社会科学。意識や思考については心理学。
つまり、どういうテーマについても、実証的なものは数学にもとづいた
科学。しかも、この場面では数学が有効なのは明らか。
そういうわけで、哲学というのは科学の範疇外にあるというだけで、
曖昧模糊なものと分かるわけ。
665を読んで。どだ?
675 :
考える名無しさん:01/10/04 22:40
>>670 だから、数学的な部分だけが学問ってことだろ。
お前に数学説明しても、ワカラナイだろ。
だから哲学やってるわけで(ププ
676 :
考える名無しさん:01/10/04 22:42
>>673 科学における「実証」ってどういうことだか説明できる?
677 :
考える名無しさん:01/10/04 22:45
>676
有用ならそれでよし。
678 :
考える名無しさん:01/10/04 22:45
>>673 俺は
>>667じゃないが、
あんたね、
「哲学の中身について具体的に知る必要はないんですよ。」
あほですか?
あんたの脳内哲学を批判されても困るんですけど。
「社会現象については社会科学。意識や思考については心理学。」
区分けされりゃ満足なのね。
じゃあ、認識哲学、社会哲学、自然哲学
に哲学をわけりゃいいのね。(ワラ
679 :
考える名無しさん:01/10/04 22:47
物理、数学派の人は自慢の公式や数字で哲学の無用性を立証せよ。
>意識や思考については心理学。
哲学だけでなく心理学まで知らないじゃないか。
ところで
数学⊂論理学
の意味がわかるかい?
これは673だけでなくね。
681 :
考える名無しさん:01/10/04 22:49
>>676 だから、そういう議論が無駄なんだよ。
科学って言うのはクリエイティブなものだから、ここで言葉の定義を
論じてもなんにもならないわけ。
実証というのは、科学者同士だとケースバイケースではっきり分かるわけ。
なぜかというと、具体的に存在してるものを扱ってるから。
それも、ちゃんと将来の予測や技術や問題解決に応用できるものなんだよ。
それが分からないから、「実証とは」「証明とは」って無意味な議論を
繰り返して、全然結果が出ない。
飛行機の作り方も分からない、コンピュータも作れない、統計も使えない、
とこうなるの。だから哲学は茶飲み話だっていうことになるんだよ。
682 :
考える名無しさん:01/10/04 22:50
>>677 有用であることはどうやって証明するのだ?
683 :
考える名無しさん:01/10/04 22:50
どうも物理、数学派の頭の中はプリオンじゃなくて
プッチンプリンが入っていたのか。
684 :
考える名無しさん:01/10/04 22:50
>679
あんた立証してよ。
数ある学問の中でなんで哲学だけこんなに
バカにされてるのか?
686 :
考える名無しさん:01/10/04 22:51
>>680 もっと全体の論旨を理解する力を身に付けること。
あと、心理学をしらないのはお宅。
官能検査や数理心理学ってしってる?
687 :
考える名無しさん:01/10/04 22:52
688 :
考える名無しさん:01/10/04 22:52
>>681 >実証というのは、科学者同士だとケースバイケースではっきり分かるわけ。
つまり、あなたにはわからないわけだね。
689 :
考える名無しさん :01/10/04 22:52
哲学なんてなくなっちまえばいいのさ。そしたらみんなわかるだろ。
ムリだけど。
>>687 じゃあ歴史学が無意味なじゃないって事ですか?
691 :
考える名無しさん:01/10/04 22:53
>>681 お前、数学屋だったら
マジでくるくるパーなんだけど。
物理屋だったらそう主張するのはわかるが。
数学屋だったら
「具体的に存在してるものを扱ってるから」
百回読んでみな。(ワラワラ
692 :
考える名無しさん:01/10/04 22:53
>682
実験結果と繰り返し繰り返し照合することで
だんだん信用が固まってくの。
693 :
考える名無しさん:01/10/04 22:53
博物学のように哲学もはきだせるだけはきだして消滅するのか?
694 :
考える名無しさん:01/10/04 22:53
>>688 あなたは私の話を理解できた?
どっからそういう結論がでてくるの?
695 :
考える名無しさん:01/10/04 22:54
684は論点をずらし逃げたな。だから「スポンジ君」って
言われちゃうんだよ。
696 :
考える名無しさん:01/10/04 22:55
>>691 言葉遊びだけどな、数学は具体的に存在するんだよ、いろんな意味で。
それが分からないから数学やらないんだろうけど。
697 :
考える名無しさん:01/10/04 22:56
いやだから、このスレにまとまな物理屋も、数学屋も、哲学家もいまはいないでしょ。ほとんど。
698 :
考える名無しさん:01/10/04 22:56
>>692 信用が固まることと、役に立つとことはどう関係するの?
699 :
考える名無しさん:01/10/04 22:57
なら日本史も世界史も民族神話学も古文も漢文も無駄なんだが
哲学だけだね、こういう議論がされるのって、なんで?
700 :
考える名無しさん:01/10/04 22:58
>>697 科学者は、このスレみたら、おそらく全員納得すると思うよ。
みんな内心思ってることだから。
ヴェイユやファインマンの自伝を読んでごらん。
701 :
考える名無しさん:01/10/04 22:59
>>696 そりゃ、哲学だって「いろんな意味で」だったら
具体的に存在するよ。
ばっかじゃネーの。(ワラ
702 :
考える名無しさん:01/10/04 22:59
やりたいかーらやってるのさー。
703 :
考える名無しさん:01/10/04 22:59
>民族神話学
何コレ?蓋然的な解釈を延々と垂れ流すだけの学問っぽいね。
古文、漢文もクズ。
日本史もクズだし
世界史もほとんどクズ。
704 :
考える名無しさん:01/10/04 23:00
>>701 お前なあ、哲学がなぜ無用とされるか、散々過去レスで説明されてるの、
読んだ?
705 :
考える名無しさん:01/10/04 23:00
>>696 それをいうなら哲学も存在するんだけどね。
それが分からないから哲学やらないんだろうけど。
706 :
考える名無しさん:01/10/04 23:00
>682
その技術でパソコンとかテレビとか出来る。
707 :
考える名無しさん:01/10/04 23:00
ああ、それから芸術もだ。
708 :
考える名無しさん:01/10/04 23:02
学問じゃない哲学は芸術を支えてる?
文学が学問じゃないのと同様、哲学も学問じゃないのかしら。
709 :
考える名無しさん:01/10/04 23:02
710 :
考える名無しさん:01/10/04 23:03
哲学者って、全体を把握する能力にも欠けてるし、非常に頭の固い議論をするね。
数学がどれほど価値があるかなんて、はっきりしてるじゃん。
哲学と数学が対等以上のの「学問的」価値をもってるなんて
本気で信じてるんだったら、それこそ真理からの逃避以外の何者でもない。
711 :
考える名無しさん:01/10/04 23:04
物理や数学の教授も哲学研究などを馬鹿にしている人は多いですよ。
苦笑しながら喋ったり単純に馬鹿にしてたり態度は一様ではないですが、
そのような傾向はあると思います。
712 :
考える名無しさん:01/10/04 23:04
>>709 この場合、よくわかってる人の意見を訊くのが妥当ですよ。
かれらはその能力を証明してるんだから。
713 :
考える名無しさん:01/10/04 23:05
>>700 どうみても、論証というより例示でしょ。アホなのか?
>全体を把握する能力にも欠けてるし、非常に頭の固い議論をするね。
まさか日本の大学の奴等を見てそういってるわけじゃないだろうな。
まさかな。
715 :
考える名無しさん:01/10/04 23:05
>>706 パソコンやテレビが何の役に立つの?
というか、「役に立つ」という判断の基準は何?
716 :
考える名無しさん:01/10/04 23:06
717 :
考える名無しさん:01/10/04 23:06
>>704 読んでますが、何か?
お前は無用と言えるまでになった
歴史的経緯と哲学者の思考の積み重ねを
学んでから言え。
718 :
考える名無しさん:01/10/04 23:07
>>710 「そうにきまってる」以上のことが言えないあなたに、
そんなこと言われる筋合いはないね。
あんたのは議論でさえないだろ。
719 :
考える名無しさん:01/10/04 23:07
>>715 そのまま受け取りパソコンやテレビしか思いつかないバカ発見。
720 :
考える名無しさん:01/10/04 23:08
哲学はよくやった! 感動(以下略)
721 :
考える名無しさん:01/10/04 23:09
>>715 科学的知識はこれまでも様々な問題を解決してきたし
今後も様々な問題を解決できるだろう。
医学も薬学も科学。
君も電気使って車に乗って、病気になったら医者にいって薬をもらうだろ。
そういうことを無視するのは、誠実ではないね。
>>719 そういう揚げ足を取るしかなかったんだろ
723 :
考える名無しさん:01/10/04 23:09
何が皆をここまで熱くさせるのか・・・。
724 :
考える名無しさん:01/10/04 23:09
役に立つ方がいいというなら
役に立つ事以外の学問はすべて無駄という事になる。
という事は初期の物理学で星を見ているのは「無駄」ではないかね?
726 :
考える名無しさん:01/10/04 23:10
人間には「無駄なことをする」本能が備わっている。
727 :
考える名無しさん:01/10/04 23:10
>>718 議論するまでもないだろ。現実にそうなんだから(w
728 :
考える名無しさん:01/10/04 23:11
>>724 人の生活に直接、役に立つこと以外のことも当然のようにやっていますが。
哲学者にはその程度の知識もないんでしょうか。
729 :
考える名無しさん:01/10/04 23:13
>715
ついにここまできたか・・・。
価値の濃淡が比較的濃いだろう。
基準と言われれば、自然界とどれくらい有縁か、
としか言いようがない。
730 :
考える名無しさん:01/10/04 23:14
>>724 科学者は知的好奇心に駆られて研究するの。本気で「理解したい」と思うんだよ。
そして、理解できた暁には、他の学者が応用を考える。
そういう風になっているのは、まさに科学が真の意味で具体的なものを扱ってるから。
茶飲み話と学問の境目がここ。数学だって同じだよ。
731 :
考える名無しさん:01/10/04 23:14
つうか、気が付かんうちに
祭りになってるね。(ワラ
みんあひまなんだなあ。(俺含む
732 :
考える名無しさん:01/10/04 23:14
>>728 ? 「直接」役に立つなど一言もいってないが?
どこかから電波が届いたのかね?
で、「直接ではなくても役に立つ事」をどうやって決めるのかね?
733 :
考える名無しさん:01/10/04 23:15
>>721 無視してもいないことを、勝手に無視していると決め付けるのは誠実でないね。
科学は問題を解決する道具だね。
大変便利で有難いものだ。
では、問題の本質は何で、
どのようになれば本当に解決したことになるかということは、
どうやって判断するのだね。
734 :
考える名無しさん:01/10/04 23:15
>知的好奇心に駆られて研究するの。本気で「理解したい」と思うんだよ。
哲学もそうなんですけど。
だいたい数学者も役に立つからって研究しないだろ
736 :
考える名無しさん:01/10/04 23:18
「役に立つ」こと以外もやっています。
というか、役に立つなどそれほど考えていない。
後から応用されるだけでね。
哲学の役に立たないというのは、言葉遊びにすぎず中身がない、問題設定がおかしい、
仮説の立て方が変、論理の飛躍に気づかない、事実を見ないで思考する、実証不可能、など
科学の役に立たないとは全然違う。
だからさー、ここにいるのは「知的肉体労働者」なんだって。
蜂のようにサイセンターンの人達が考えた定理とかの細かな穴をシコシコ
発見したりして物理学や数学に貢献してるわけだ。
そうでしょ?
738 :
考える名無しさん:01/10/04 23:20
>734
哲学に(今時)何を理解することがあるんだ?
他の学問のおこぼれじゃん。
>言葉遊びにすぎず中身がない、問題設定がおかしい、
>仮説の立て方が変、論理の飛躍に気づかない、
>事実を見ないで思考する、実証不可能
爆笑。全部哲学からの見地じゃないか!
740 :
考える名無しさん:01/10/04 23:21
>739
だから哲学者なんていらないのよ。
専門家にまかせときゃいい。
741 :
考える名無しさん:01/10/04 23:21
>>736 >哲学の役に立たないというのは、
>言葉遊びにすぎず中身がない、問題設定がおかしい、
>仮説の立て方が変、論理の飛躍に気づかない、
>事実を見ないで思考する、実証不可能、など
だからさ、具体例をもってこいよ。
そしたら、もうちょっとその批判を
真摯に受け止めてやるよ。
>>738 だから確かに日雇い労働者が哲学を理解することなんてないでしょ。
743 :
考える名無しさん:01/10/04 23:23
>>740 >言葉遊びにすぎず中身がない、問題設定がおかしい、
>仮説の立て方が変、論理の飛躍に気づかない、
>事実を見ないで思考する、実証不可能
これを解決するのは言語哲学なんですが?
もしかして専門家って心理学者じゃないよね(笑
744 :
考える名無しさん:01/10/04 23:23
岡潔、湯川秀樹、ポランニー、ニールス・ボーア、アインシュタイン、ラッセル
20世紀の物理、数学の巨匠達も晩年には宗教、哲学のより深い領域に踏み込んだ。
所詮物理、数学は見方であり思考の道具。最後には哲学的領域に踏み込まざるを得ない。
745 :
高等学問 下等学問:01/10/04 23:24
理学部 (宇宙の真理。学問の頂点)
工学部 (日本経済を支えた大黒柱、メーカーあらずにその他の産業無し)
法学部 (現代法治国家において必要不可欠の学部、司法試験)
経済学部(社会全体を論理的に捉える)
ここまでが学問。以下はカス。
文学部 (何の意味もない語学と歴史等を毎日出席してお勉強w)
教育学部(どうしようもないオタクとロリコンの集まり バカ丸出しw)
芸術系学部(芸術で飯が食える奴は上位1%。後は社会の犬w)
http://natto.2ch.net/joke/kako/979/979976479.html
>>744 しかし蜂どもにはそこまで踏み込む必要はないし踏み込めない。
よって逆説的に哲学は不要。
よかったね物理学者さん数学者さん達、結論が出ましたよ。
747 :
考える名無しさん:01/10/04 23:26
>理学部 (宇宙の真理。学問の頂点)
>工学部 (日本経済を支えた大黒柱、メーカーあらずにその他の産業無し)
>法学部 (現代法治国家において必要不可欠の学部、司法試験)
>経済学部(社会全体を論理的に捉える)
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
748 :
考える名無しさん:01/10/04 23:26
>>733 それが分かればあなたも科学者になれたんだけど・・・
これは、音楽の美しさと同じで、わかる人しか分からないの。
大体の場合、本質が分かる、というのは現象の数学的構造が見えたときなんだけどね。
それにね、そんな懐疑論みたいなこといっても事の本質に影響がないんだよ。
なぜかというと、そんなことはやってみないとわからないし、やってみれば分かる、
という類の問題で、議論すること自体が非学問的だから。
科学は現実にやってみてるんだよ。そして結果をだしている。
学問というのは、そういう、(究極では)不確実でもいいから、新しいことに
チャレンジすること、失敗すればやり直せばいい。
哲学というのは、科学としては、何もしないんだから、何もしない人が何かする人に、
「成功するか失敗するかわからない」なんていってる時点でもうだめなわけ。
749 :
考える名無しさん:01/10/04 23:26
つまりさ、
----------
頭で考えただけでは人は切れない、
刀は実際に人を切れる、
だから何も考えずに刀を振り回せ。
-----------
ってことが言いたいわけ?
しかし蜂どもにはそこまで踏み込む必要はないし踏み込めない。
よって逆説的に哲学は不要。
よかったね物理学者さん数学者さん達、結論が出ましたよ。
哲学は不要です。
751 :
考える名無しさん:01/10/04 23:27
>743
物理学者、数学者だよ。
752 :
考える名無しさん:01/10/04 23:27
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
753 :
考える名無しさん:01/10/04 23:27
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
なぜなら上記のいずれも哲学から派生したのだからな。
754 :
考える名無しさん:01/10/04 23:28
>>745 こいつ真性だ。(ワラ
かわいそうに、理学部のやつらも
こんなアホに持ち上げられても
うれしくもなんともないだろうな。
755 :
考える名無しさん:01/10/04 23:28
>>739 だから、科学者は哲学なんて自明だから相手にせんのよ(藁
哲学が不要だって事で我等哲学者達が負けたのになんで荒れるのかが
分からない(笑
757 :
考える名無しさん:01/10/04 23:29
758 :
考える名無しさん:01/10/04 23:29
>747
だから?哲学がもはや洋梨なのと
なんの関係もない。
759 :
考える名無しさん:01/10/04 23:33
二度目の敗北宣言がでたところで、
――――――――ホントに終了――――――――
760 :
考える名無しさん:01/10/04 23:33
いやあ、祭りももう終わりか。
今日の収穫
「哲学は不要」
あほらしいねえ。(笑
まあ数学屋がそれで満足なら
いいか。
761 :
考える名無しさん:01/10/04 23:35
762 :
考える名無しさん:01/10/04 23:36
>>760 訂正しる
「(時代の最先端をゆく科学者達には必要だが
日本の2ちゃんねるに来ている下っ端科学者達には)
哲学は不要」
──────────────終了────────────────
763 :
考える名無しさん:01/10/04 23:36
なぜ文系は数学コンプレックスが?
なぜ哲学はバカにされるか? 真剣に考えてみろよ。
764 :
考える名無しさん:01/10/04 23:37
数学バカのやんちゃキッズは自分の持ち場にかえれ。
祭りは終わった。下っ端科学者達は今すぐ退散せよ。
766 :
考える名無しさん:01/10/04 23:39
>(時代の最先端をゆく科学者達
排他的すぎると思われるほどに哲学研究を馬鹿にしている人も多いです。
767 :
考える名無しさん:01/10/04 23:41
このスレ1000まで行くかなあ(笑)
えらい繁盛ぶり。
でも、結構まじめな議論と思われ。
768 :
考える名無しさん:01/10/04 23:41
>>766 それはそれでよし。
哲学者にもそういうのはいるし。どっちもどっち。
しかし
「(時代の最先端をゆく科学者達には必要だが
日本の2ちゃんねるに来ている下っ端科学者達には)
哲学は不要」
──────────────終了────────────────
769 :
考える名無しさん:01/10/04 23:41
>>763 おいおい、お前らが哲学板に来といて
何をいってんだよ。(笑
哲学板住民が数学板におしかけてるわけ
じゃないんだぜ。
逆にお前らが、ここでアホな煽りしてると、
まともな数学板住民の品位を下げることになるんだぜ。(ワラ
770 :
考える名無しさん:01/10/04 23:42
必要でない人にとって不要であることは確か。
必要としている人もいることは確か。
不要にしたくてしょうがない人たちがいることも確か。
なぜ不要にしたいかは不明。
771 :
考える名無しさん:01/10/04 23:44
いまさらこの哲学にかけた私の人生を否定したくないのです。
みんなわかってるのです。本当は哲学研究なんて戯言だと。
しかし今さらどうしろっていうのですか。どうかほっといてください。
もうみんなわかっているのです。どうかそっとしておいてください。
772 :
考える名無しさん:01/10/04 23:44
哲学者なんて下っ端どころか科学者にすらなれない連中だろ(笑)
それに、本当の意味での「専門家のメタ的思考」と哲学者の茶飲み話は
次元が違うし。まあ、科学者は一日中茶飲み話はしないというのが、ミソだね。
773 :
考える名無しさん:01/10/04 23:44
哲学vs数学
ではなく
哲学vs哲学以外
だと思われ
775 :
考える名無しさん:01/10/04 23:46
776 :
考える名無しさん:01/10/04 23:47
>>771 なにか他のことにチャレンジされてはいかがですか?
なにかの免許をとるとか、社会活動に参加するとか。
そのほうが真に「哲学的」と思われますが。
777 :
考える名無しさん:01/10/04 23:47
さっきから茶飲み話という単語に固執している奴は
ちゃんとした科学者なわけ?
どうも2ちゃんでダラダラしているのを見てると研究も
なんにもしてない奴っぽい。で、干されている恨みをここではらしている、と。
779 :
考える名無しさん:01/10/04 23:48
768の頭があわれだ・・・
780 :
考える名無しさん:01/10/04 23:48
>>773 激しく同意。まったくその通りだよ。それが哲学屋はわかってない。
なんにも分かってない(笑)
その一行レスの応酬は、もはや哲学者と科学者の名を被った
煽り屋ども同士だという事が明らかにするものであった。
783 :
考える名無しさん:01/10/04 23:52
今日一日でまた随分のびましたね・・・
784 :
考える名無しさん:01/10/04 23:53
哲学研究を名乗るのに数学を無視してるその感性が信じられない。
もう小一時間問い詰めたい。
785 :
考える名無しさん:01/10/04 23:55
論理学が数学の範疇に入るのではなくて
数学が論理学の範疇に入るんだよ。
ドゥーユーアンダスタン?
786 :
考える名無しさん:01/10/04 23:56
>777
サラリーマンでも学生でも何でもいい。
哲学にうつつぬかすよりは有意義。
787 :
考える名無しさん:01/10/04 23:57
『くやしかったら数学勉強せよ。』 決まったな。
終〜了。
788 :
考える名無しさん:01/10/04 23:59
>>780 お前ら同意だけは、一人前だね。(ワラ
哲学VS哲学以外
ほんとアホだね。
いいから「哲学は不要」という収穫
に満足できたんだろ?
早くおうちに帰れや。
帰りたくなかったら、もっと哲学屋を
困らせる批判をしてみろよ。
実は、俺(多分他の人も)
科学サイドに周れば、もっと有効な
哲学批判できるんだけど、哲学サイドだから
いわない。(笑
数学屋の哲学批判が低能すぎて笑っちゃうよ。
君達は、はやく物理屋に助けてもらいなさい。
やつらは、それがわかってるから。
789 :
考える名無しさん:01/10/04 23:59
>>787 つうか、まずキミがちゃんと数学を勉強しなさい。
790 :
考える名無しさん:01/10/05 00:01
>>777 フふっ、いやあ、誰だかわかると困るんであれだけど、
ここ最近考えてた問題が解けちゃってね、論文(多分書き直すかも)書きつつ、
疲れたらここで遊んでるってわけ。結構白熱してしまうなあ(笑)。
でも、レスはまじめに書いたつもりだよ。
気に食わないこと書いてるのは承知だけど。
791 :
考える名無しさん:01/10/05 00:02
788がいながらなんで
哲学は不要、になったのか・・
792 :
考える名無しさん:01/10/05 00:06
794 :
考える名無しさん:01/10/05 00:09
だから、不要だと思ってる人にとって不要なのは当たり前だって。
795 :
考える名無しさん:01/10/05 00:10
有用だと思ってたのに理性で考えていくと有用ではないという結論がでたらどうするの?
どうもしない。
797 :
考える名無しさん:01/10/05 00:16
>>791 いいじゃないか。
「哲学は不要」
で納得してくれるんだから。(笑
低能な煽りも見てて面白かったし。
しかもやつらは、見事に
具体的な批判できないしね。
数学屋のくせに口を開けば、
有用性。
しかし
「数学は具体的に存在するんだよ。」
には笑った。
>「数学は具体的に存在するんだよ。」
はネタとして有用です。
799 :
考える名無しさん:01/10/05 00:17
>>797 数学者はみんなそう思ってますが、何か?
800 :
考える名無しさん:01/10/05 00:18
つうか、本当に数学屋なのか?
数学ができるような知性は感じられなかったけどなぁ。
ただの厨房じゃないの?
801 :
考える名無しさん:01/10/05 00:24
騙騙り
802 :
考える名無しさん:01/10/05 00:25
数学者は業界の外に出るとあからさまなプラトニストになる。
ということでよろしいでしょうか?
803 :
考える名無しさん:01/10/05 00:30
プラトニストって何?
804 :
考える名無しさん:01/10/05 00:31
ぼくはなぜ数学こんぷれっくスをもっとるのでせうか?
805 :
考える名無しさん:01/10/05 00:32
プラトンとかそーいう権威と関係づけないと思考できないのは
不純です。
806 :
考える名無しさん:01/10/05 00:36
哲学と(先端)物理学や数学との違いは、
その考えられ得る仕事の残りにある。
物理学や数学には現在も多くの仕事が残っている。
しかし哲学に於けるアイディアはほぼ出尽くしていると
考えられ、現在ある仕事も多くはない。
言ってみればほぼ完成してしまっているのである。
しかし本当にアイディアが出尽くしてしまったのかは
哲学の性質上分からない。ここに(学問としての)哲学が
存続する理由がある。またその仕事の進展の無さに
周りの人々が無用視するのである。
しかし、これらの哲学の成果は、その思考・判断方法としての
重要性・利便性があるにもかかわらず、多くの民衆の物とは
なっていない様に思える。もっと形式化した哲学の
記述法を作り出し、一般教養として民に広めてはどうだろうか?
807 :
考える名無しさん:01/10/05 00:39
>>806 >哲学に於けるアイディアはほぼ出尽くしていると
>考えられ、・・
あ〜言っちゃったね。(笑
数学屋はよろこぶだろうな。
808 :
考える名無しさん:01/10/05 00:39
虚栄心を満たせないので禁止。
809 :
考える名無しさん:01/10/05 00:40
たしかに数学やらずに哲学思想を語るのは無神経だな
810 :
考える名無しさん:01/10/05 00:41
数学というより基礎的な科学的素養がなさ過ぎ
811 :
考える名無しさん:01/10/05 00:41
尾崎豊よお前はいまどこにいる。
>>803 数学者は数学こそが実在であると思ってるってこと。
ってあれ?これじゃピタゴラスか?適当でごめん。
>>805 仰る通り。矢鱈と固有名詞を持ち出すのは知識自慢が
入ってて不純。経験に依存しない数学は「カント」
のいう意味で(不純してま〜す)「純粋」で
やっぱいい!
813 :
考える名無しさん:01/10/05 00:44
814 :
考える名無しさん:01/10/05 00:49
数学は精神の純化のために。
やっぱり他人の批判って気分悪くなるな。帰ります。数学へと。さようなら。
すいませんでした。
815 :
考える名無しさん:01/10/05 00:51
>>805 プラトン自体の考えが、
「論理的に正しければ、いかなる批判も歓迎する。」
というものなのだが、これも権威づけによる思考停止なの?
816 :
考える名無しさん:01/10/05 00:51
数学だけが源氏だ。この意味わかる?
817 :
考える名無しさん:01/10/05 00:53
平家だけが人間だ。この意味わかる?
818 :
考える名無しさん:01/10/05 00:54
>>814 まじにいうけど、
論理的に哲学を批判するなら
いつでも大歓迎だよ。
ただ、茶飲み話とかの批判はやめてくれ。
簡単かどうかに答えてなかった。
哲学は通用言語で記述されるために入門が容易である。
また、その後も段階を追って哲学用語に慣れてゆけるように
なっているので、簡単と感じられるだろう。
それに対して、数学においては不慣れな記号や先人が
試行錯誤して設けた概念を天下り式に突如習う事になる。
このことに戸惑いを覚え難しいものと考えるのだろう。
実際には、数学も順を追えば難しくは無い。
いずれの学問も良いステップを踏めるかどうかで
その難易度が決まる。
であるから、どの学問も難しい事は何もない、と考えるのが
妥当ではないだろうか?
また新しいアイディアを生み出す難しさはどの学問においても
同じ様なものではないだろうか?
それは一握りの天才によってなされる。私は残念ながら・・・
821 :
考える名無しさん:01/10/05 01:08
あー、書くこと忘れちゃたよ。いーあるー数学。
I LOVE 数学。悪いか!だって数学以外なにをすることがあるってんだ。
もう長年悩み、やっと悟ったんです。
数学だけが表向き人生だ。下には地獄が。この意味わかる?
822 :
考える名無しさん:01/10/05 01:09
なんか具体的に真理を語る哲学言ってよ。
ないでしょ
尾崎よいまどこに。私はただ純粋なものに憧れた。
たたかひは始まった?
824 :
考える名無しさん:01/10/05 01:17
825 :
考える名無しさん:01/10/05 01:17
哲学のいう真理ってなあに?
826 :
考える名無しさん:01/10/05 01:22
>>825 いろいろあるし、人によって違うが
事象に対する認識、判断、命題の特質、
絶対的に正しいと認められるものなど。
真理の存在を否定する立場もある。
>825
誤謬のこと。
828 :
考える名無しさん:01/10/05 01:57
>>826 まあ、たしかに、他人を批判するのも気持ち悪いし、数学は精神を純化するものだと
思うので、立ち去るが(調子にのってゴメンね)、
最後に純粋な好奇心から、二つ聞きたい。(多少建設的な議論?)
まず、哲学者って哲学的概念を本当に脳裏にイメージできるのか?
端的に言うと、(ちょっと乱暴だが)
幾何=図形 代数=数と代数系 解析=物理数学
というような分野があって、やってることもはっきりしてるだろ?
哲学には、どういう分野があって、なにを頭に描いてるんだい?
主観的な、個人的な意見を聞かせてくれません?
(哲学以外は分かるが、哲学だけはなにを研究してるのかわからない
正直、門外漢にはなにもやってないんじゃないかと、思えてしまう。だから、哲学ってなに、スレが立ち続けるんだろうよ
上に関係してるが、真理を否定するという(どうもつまらない思想と思うが)
というのは、発展の可能性を放棄してないかね?
なぜ、他の可能性を探り続けないのか?
訊きたいことは、「どうして哲学者はすぐに結論を出そうとするのか?」
上のほうで数学が不完全と絡んでいる人がいたが、そんなこと普通の数学者は
気にしていない。哲学者はなぜ大問題に簡単に決着をつけようとするのか、
わからない。
以上、哲学の中身自体と、哲学者の考え方についての質問に、あなた自信はどう思う?
>>828 おれの個人的意見。まず一つ目の質問にたいして。
あなたの問題の枠組みにしたがって言うなら、
哲学は、代数に近いかもしれない。
数と代数のかわりに、言葉と論理をつかう。
2つめ。
真理はない、というのがもう一つの真理であるならば、
それにしたがうまで。
哲学は、人間の認識論を検証するものであるゆえ、
「発展的」ではなく「遡行的」といってよく、
可能性をもとめるよりは錯誤をただすことに意義をもとめる。
また、「哲学者はすぐ結論を出そうとする」はあなたの誤解。
哲学は、思考の対象を分析し、その過程の記述を重ねていくのが王道。
だから哲学にとって「結論」とは、その分析・記述過程の中間点でしかなく、
つまり、「結論」とはつねに「仮構」でしかないことを意味する。
830 :
考える名無しさん:01/10/05 02:27
>>828 「分野」
正直すべてかもしれない。
だから数学屋に分野があいまいとか言われるんだろう。
主なやつを上げると(西洋哲学)
論理学(だいたい三段論法関係だと思ってくれれば)
倫理学(道徳関連
現象学(意識の本質的探求
分析哲学(言語分析など、
科学哲学(これはスレがあるから参照してね。興味深いかも。
ほかにまだまだ、
認識論(わかるとはなにか?またはその様式や方法など
存在論(存在とはなにか?
などもういっぱいあるよ。
まあ基本的に、
欧米では大陸系と英米系にわかれ
東洋では、インド、中国、日本(思想)
という感じです。
真理を否定するというのは
真理の存在を否定ということで
例えば解釈を真理と呼んでいるに過ぎない
とかね。
これだけ読むと非常に誤解を生みそうだ。(笑
やはり一度哲学書をよんでほしい。
アリストテレスはどうだろうか?
あるいは、疑うというスタンスを
築きあげたデカルトとかか。
831 :
考える名無しさん:01/10/05 02:35
>>829 いまいち納得いかないので、ちょこっと追加(よろしいでしょうか・・・?)
数や代数式は機能として定義されているよね?
一方、言葉は意味(つまり、経験的なものが背景にある)を担うものだよね?
非常に不思議なのは、多義性のある言葉を厳密な思考の対象にできるのが謎?
「数学は具体的に存在する」というと哲学者は「ハァ?」と思うらしいが、
厳密な規則にのっとって操作できるものを扱う数学は
自然科学と同類だと思う。ところが、哲学は抽象ではないんだよね?
ということは、言葉を意味もこめて使うことになるね。じゃ、操作的な対象では
なくなるよね?
どうして言葉の意味がはっきり定まってると思えるのか?
いくら言葉で論証しても、誤解されたら終りじゃないの?
操作的なものは誤解のしようもないけど
それと、言葉をなぜそれほど特権的に扱うのか?という気もする。
言葉でなんでも表せるわけでないし(音楽の美しさをどうやって表現できないでしょ?)
この世には言葉以外の対象がたくさんあるのに、なぜ「認識を扱う」
哲学が言葉しか扱わないのか?
(たとえば、絵の美しさを如何に認識するか、というのは、言葉を研究して
理解できるのか? それより、脳波の測定をした方がよくないかね?)
832 :
考える名無しさん:01/10/05 02:50
>>830 どうもありがとう。
自分なりにこういうことであろうと思う。
論理=要するにアルゴリズム論と思っていいですね? なら、分かる。
倫理=政治とか法学の基礎の議論と思って言いのか?
現象学=人工知能をつくる基礎の議論と思ってよろしいのか?
分析哲学=日常言語をもちいて厳密に操作できる体系をつくってると思ってよろしいのか
認識論、存在論=これも人工知能をつくる基礎の議論?
ちなみに、「人工知能」を持ち出したのは、人間にわかりきったことを明確にする
必要がある分野だから。
哲学書、普段は結構忙しいもんでね・・・(笑)
まあ、歴史学とはなにか、程度に雰囲気が分かればいいんだけど。
>>828 横レスします。
真理を否定する人は、真理とは、ある命題がある人間達の間で、確信的に承認されあってるだけだろ、
だから、原理的に真理性を肯定することはできない(ある範囲の人間たちによる主張である、という
枠を超えた正しさを主張することが、不可能である)という風に考えている。
そういう人は、「〜は真理である」という権威主義的な言明を、常に建設的な議論にさらすのを、
簡単にするために、そう述べたんです。だから極めて発展的な思考ですよ。
哲学的イメージは、わたしの場合は、「物それ自体と命名」、「範囲」
「人は物を脳裏に描いて物を捉えているので、物それ自体が認識されているわけではない」
「ある概念を承認しあう人間たちの間では、概念が実体化させられやすい」
「実体化させられた概念に従う人間が出てくることで、実体化が強まる際の、人同士における影響力」
「人間が常に認識している」、「概念は常に分析されうるため、説明である(実体概念の否定)」
「地理的境界は、内部から承認する人間と、外部から承認する人間によってひかれている」などです。
言語に多義性があるのは、言語に内在した問題ではなくて、言語を扱う人間同士の関係によるものです。
厳密な規則にのっとって行えることは、哲学にない数学のメリットだと一見見えますが、
単純に規則が難しくて、理解する人が少なく、結果破る人が多ければ、その言い分は成立しません。
概念を、ある人間が操作的に扱うこと自体も、いつも同じ意味で使えるようにする方法も、
研究の対象です。
言葉で何でもあらわせるとは、誰も考えていません。言葉を研究する人は、言葉の働きを
研究しているだけです。
834 :
考える名無しさん:01/10/05 03:08
>>832 現象学、分析哲学と、存在論
に関してはちょっと誤解はあるかも。
それぞれ代表的な人を順に(強引に)挙げると
フッサール、ウィトゲンシュタイン、ハイデガー(有名だから挙げた)
などの解説本がおすすめ。
認識論にかんしては20世紀後半から
人工知能がもろ関わってきたと思う。
哲学に対する理解においては、自分なりの
理解を築いていったほうがいいかも。
暇ができたらでいいから
なにか読んでみてよ。
パスカルの「パンセ」とかもいいかもかね。
835 :
考える名無しさん:01/10/05 03:13
なんか建設的な、いい雰囲気になってきたぞ。みんな頑張って〜
836 :
考える名無しさん:01/10/05 03:26
>>833 ちょっとおかしいような気がするんですけど・・・?
数学が最終的には、厳密に操作的でないというようなことを言われているようですが、
数学が「理解できるか」ということに関係なく操作的であることは
たとえば次のような思考実験で分かる。
まず、ある規則でしか動かせないブロックパズルを想像しましょう。
ブロックを動かすという操作全体が群をなすとする。
さて、数学がさっぱりできない子供がこれで遊ぶとしましょう。
子供は青いブロックと赤いブロックの位置を交換したい(適当な話だが、本質には関係ないね)とする。
子供は群論なんか知らないからムチャクチャ動かすだけかもしれないが、
目的を達成するためには群の規則に従わなければならない。
あるいは、スーパーマリオで遊ぶとき、マリオの跳躍は放物線で、微分方程式に
したがってます(ホントに)。微分方程式なんかさっぱり分からない子供でも、
すぐにジャンプのコツを覚える。数式操作をマリオの操作に置き換えたって問題ないんです。
これが操作的ということでしょ?
一方、意味を担う言語では操作的な扱いはできないでしょう。
なぜかというと、たとえば12個ぐらいの言葉を選んで、あとのをその組み合わせで
定義しても、意味を考える以上、最初の12個の意味はは決定的ですよ。
どこまでいっても同じことでしょ?
837 :
考える名無しさん:01/10/05 03:43
それぞれの分野の成果を専門用語をなるべく使わずわかりやすく説明してみて。
838 :
考える名無しさん:01/10/05 03:44
>>837 数学の、哲学の?
どちらにそんな大変なことできません。(笑
839 :
考える名無しさん:01/10/05 03:46
哲学のです。
ラッセルやボーア達が話していたように。
あなたの質問は難問である。
少なくともおれにとっては荷が重い。
したがって、答えられるところまで。
結局、あなたの論の焦点は、ひとことで言えば、
「対象との対応の仕方」の問題に絞られると思う。
すなわち、数学は純粋に操作的なものに依拠するとしたら、
哲学は多義的な意味をはらまざるを得ない言葉を用いる、と。
哲学にとっての言葉とは、言葉についての言葉、つまり
自己言及的な性質をもつ言葉であるが、
もちろんそのことで言葉の多義性が一元的に決定されるわけではない。
それゆえ、場合に応じて、言葉を定義づけるところから始めることで、
共通理解の土台をつくるという方法がとられる。
それでもやはり誤解の可能性は残される。
だが、哲学が抽象ではない、というのは、まったく正しいわけでもない。
おれの言い方が悪かったかもしれないが、言葉が思考の対象なのではなく、
言葉が示唆する概念が対象である。
あと、反論させてもらえれば、数学がその規則性によって対応できるのは
おなじように規則性をもつ対象に限られる。
また、それは誤解の可能性がないぶん、それが表せる範囲もまた自ずと
せまいものになると思う。
おれは哲学は人間の認識をあつかうものだといったが、
その意味でいえば、あなたの意見が示唆するように、
もしかすると哲学は、言語による思考、論理的思考にもとづいた認識に、
その対象を限るべきなのかもしれない。
しかし、たとえそうだしても、人間が言語というものから離れられない
限りは、哲学がその意義を失うことはないと思う。
いくら脳波を測定しようと絵の「美しさ」そのものは割り出せない。
大体「美しさ」という概念(言葉)自体がなければ、そのような問題さえ
ありえないだろう。
だから、言葉をことさら特権的に扱うという目的があるわけではなく、
人間が言語を扱う生き物である限りは、それをめぐって思考するのは
必然的なことだと思う。
ちょっとまとまりのない論考で申し訳ないけれど。
数学者や自然科学者は哲学を利用しなさい。
信じたりすれば、身を堕とす。
世界は科学技術の革新とそれに伴う言説により熱くなる。
843 :
考える名無しさん:01/10/05 06:11
>842
哲学者だけが盲信してないと思ってるバカ。
>>843 もっと、等身大の発言をしなさい。
此処が何処だか理解して発言しているのか。
ぼくは哲学の道を選んだ事を後悔してる。
846 :
考える名無しさん:01/10/05 07:25
>>836 >一方、意味を担う言語では操作的な扱いはできないでしょう。
>なぜかというと、たとえば12個ぐらいの言葉を選んで、
>あとのをその組み合わせで定義しても、意味を考える以上、
>最初の12個の意味はは決定的ですよ。
>どこまでいっても同じことでしょ?
OgdenのBasic Englishは、まさに上のようなものだ。
(ただし用いる言葉は12ではなく800程度だが)
そして実は数学も計算機も同じだ。規則はつまるところ、
「変化」であり、それは言葉ではどうしても表し切れない。
数学してる時だけああ頭使ってるなあって感じます。
御喋りしてる時はああ数学してないなあって感じます。
”宇宙は生命のあらわれだ!!”
みたいなこと言われても困るんですけど。
849 :
考える名無しさん:01/10/05 07:58
ぼくはただ純粋になりたいだけなんです。
850 :
考える名無しさん:01/10/05 08:31
>>840 虚栄心か議論を回避しようとしてそのような非日常的な言葉を使うのか
もしれませんが、もう少し他人に説明することを心がけてはどうなの?
また、結論のみを述べる部分が多いので、根拠を書きましょう。
>大体「美しさ」という概念(言葉)自体がなければ、そのような問題さえ
>ありえないだろう。
これはどのように実証されたのですか?
>反論させてもらえれば、数学がその規則性によって対応できるのは
>おなじように規則性をもつ対象に限られる。
>また、それは誤解の可能性がないぶん、それが表せる範囲もまた自ずと
>せまいものになると思う。
これもそうだけど、全体的に分かりにくいので書き直すように。
>結局、あなたの論の焦点は、ひとことで言えば、
>「対象との対応の仕方」の問題に絞られると思う。
>すなわち、数学は純粋に操作的なものに依拠するとしたら、
>哲学は多義的な意味をはらまざるを得ない言葉を用いる、と。
これもそうだが。この仮説が正しいか検討しようともしないで
話しを進めるのはなぜ?
851 :
考える名無しさん:01/10/05 09:41
とにかく俺の数学の邪魔をしないでくれぅつぅ
>>840 論点を整理しますが、数学や自然科学は操作的な概念で組み立てられています
(だから物理法則をつかって機械が組み立てられ、物質が化学合成できる
法則があってるか間違ってるかはここでは関係ないです。学問の性格が問題なので)
したがって、それらを厳密に操作できて、論理的思考の対象になる。
一方、哲学は言語(それが指示する概念)を扱うというのですが、それは不可避的に
意味が一つに定まらない多義的なものになるわけですね?(
>>836)
すると、「○だから△」というとき、○、△が操作的概念(たとえば、○=位数pの群 △=単純群)
なら意味がはっきりしますが、言葉の意味という多義的なものを扱うと、「解釈次第」
ということになりますね? 解釈次第では曖昧でしょ? 多義的に解釈される日常言語の意味を扱って、
なぜ論理的に思考できるのかが分からないのです。だから哲学はイメージできない。
以上の疑問に誰が答えて下さっても結構ですが、クリアーにお願いします。
846氏も、もう少し明確に議論してくれないと、意味が分からないです。
それから、納得できない部分について指摘しておきます。
>人間が言語から離れられない どういう意味?また、なぜ?
>数学が表せる範囲もまた自ずとせまいものになる 操作的な概念は何でも数学化できるし
数学が表せるのは科学的範疇だから、これからもどんどん増えていきますよ。
>いくら脳波を測定しようと絵の美しさそのものは割り出せない。美しさという
言葉がなければ、そのような問題さえありえないだろう。
誤解だと思いますよ。絵の美しさの「脳波」が分かれば、絵を見たときにそういう脳波が出るように
(なんらかの方法で)訓練できるようになるかもしれない。すると、その人は絵の美しさを
主観的に「理解」するわけだから、言葉で議論するより理解したといえるでしょ?
それから、言葉を覚えてない赤ん坊も美人に反応すること、自然界で「性淘汰による美の進化」
が行われてきたことを考えても、美が「言語」でなくて、もっと科学的根拠のあるものだと思う。
853 :
考える名無しさん:01/10/05 12:07
>>852 >846氏も、もう少し明確に議論してくれないと、意味が分からないです。
ではズバリ尋ねるが、君は操作をどう定義するね?
言語の問題は多義性や曖昧性ではない。
むしろ、数学と同じく、還元し切ることのできない
「核」を有さざるを得ないことにある。問題は同じだ。
854 :
考える名無しさん:01/10/05 12:44
>>853 操作性について836で説明しました。
言語の多義性は非常に重要だと思います。理解が一義的でありえないものを
あつかってどうやって明確な結論に達するのか、科学者は誰も理解できないと思います。
純粋な好奇心です。哲学をやってる人が実際どうやってるのか、聴きたいんです。
意味が分からない人は、答えてくれなくてもいいです。
855 :
考える名無しさん:01/10/05 14:26
>>854 >操作性について836で説明しました。
あれが説明か?説明なしに「規則」「交換」といっているではないか。
そんなことは常識?それは思いこみというものだ。
なぜ、なにも語らずして一義的だと勝手に信じるか?
まったく不明確極まりない。
856 :
考える名無しさん:01/10/05 15:28
理解が一義的でありえないものを
あつかってどうやって明確な結論に達するのか?
再録。
857 :
考える名無しさん:01/10/05 15:30
It will be clear by now that I am interested in
mathematics only as a creative art.
by Hardy
858 :
考える名無しさん:01/10/05 15:41
>理解が一義的でありえないものを
>あつかってどうやって明確な結論に達するのか?
哲学からすればこの設問は駄目じゃないか?
なぜなら「理解が一義的でありえない事」が前提になってる。
逆に聞くけどなんでこういう設問なのさ?
ちょっと不適切だけどある例を用いると
兎はキツネに見つかれば捕まって食べられてしまうだろう。
さて、ある兎がキツネに見つかってしまった。
どうすればキツネに食べられないで済むか?
答えは見つからないようにする、だ。
859 :
考える名無しさん:01/10/05 15:45
意味不明↑
じゃあおれが偉大な問いを、
なぜロシア系は女数学者が多いのか?なぜおれはそんなロシアっ子に魅力を感じてしまうのか?
860 :
考える名無しさん:01/10/05 15:46
それからね、理解が一義的でないというが
じゃあ言語の理解は一義的でない、とは
「すべての言語は一義的一義的でない」という事かな?
もう一つ、日本語を使わずに1や2や+-などの記号だけで
数学の問題を作れるかな?
>>859 どこが意味不明か書いてくれないと分かりませんがね。
全部だとしたら、全部と書かなければ分からない。もうちょっと論理的に。
858の例については忘れてください。
いまのところ明快なレスがないようですが・・・
>>852の質問は真摯な質問です。説明は、必要とされる明晰さをもっている思います。
哲学と論理学双方に素養があるかたなら、言わんとすることは分かると思います。
829、830の両氏は個人的意見としてどう思われますか? 「言葉」を扱ってどうやって
明瞭な結論を導き出すのですか?
他の方でも、自分ははっきりした意見があるという方は、自分の意見をレスしてください。
真摯な回答を期待しています。
864 :
考える名無しさん:01/10/05 16:24
数学や物理学にくらべて哲学は簡単かだと?
難しすぎるからガッコーじゃやんないんだよ!!
865 :
考える名無しさん:01/10/05 16:34
数学がイメージできる奴なんかいるのか?
4次元とか10次元とか
>>863 知っておいて欲しいが、
哲学板は本来一時間に一レスがつく板なんだよ。
867 :
考える名無しさん:01/10/05 16:54
>>867 だからお前は675の煽りだろ?
バーカ、シネヨ
869 :
考える名無しさん:01/10/05 18:58
>>854 定理
Lを述語F1,F2,…,Fk(単項述語である必要は無い)を持つ言語としよう。
Iを、Lのあらゆる述語への内包の割り当てという意味での解釈であるとしよう。
それから、Iがとるに足りない解釈ではない、すなわち[Iでは]少なくとも一つの述語が
少なくとも一つの可能世界で空集合でも全体集合でもない外延を持つ、と仮定しよう。
その時、Iとは一致しないけれども、あらゆる可能世界でIが真とするのと同じ文を真とする
第二の解釈Jが存在する。
870 :
考える名無しさん:01/10/05 18:58
証明
W1,W2…をある仕方で整列されたすべての可能世界であるとしよう。
また、Uiを世界Wiに存在する可能的個体の集合であるとしよう。
RijをIによる、可能世界Wjでの、述語Fiの外延である集合としよう
(Fiが単項で無いなら、Rijは、niがFiの独立変更の座の数である場合、順序ni組の集合となる)。
構造<Ui;Rij(i=1,2,…k)>は、Iに相対的な、世界WjでのLの
「意図されたモデル」である(すなわち、Ujは世界WjでのLの論議領域であり
(i=1,2,…kであるとき)RijはWjでの述語Fiの外延である)。
もし少なくとも一つの述語、例えばFuが、空でもUjの全体でもない外延Rijを持つなら
Pj(Rij)≠RijであるようなUjの入れ換え関数Pjを選択せよ。
そうでない場合は、Pjを恒等写像とせよ。
Pjは入れ換え関数であるから、構造<Uj;Pj(Rij)(i=1,2,…k)>は
<Uj;Rij(i=1,2,…k)>と同型であり、したがってLの同じ文
(すなわち、WjにおいてIのもとで真となるLの文)に対するモデルとなる。
Jを述語Fi(i=1,2,…k)に次の内包を、すなわち
その値が任意の可能世界WjでPj(Rij)となる関数fi(W)を割り当てるLの解釈とせよ。
言い換えれば、解釈Jのもとで各世界WjでのFiの外延は、Pj(Rij)であると定義される。
<Uj;Pj(Rij)(i=1,2,…k)>は、(同型性により)<Uj;Rij(i=1,2,…k)>と
同じ文集合に対するモデルであるから、JのもとでとIのもとでとは、各可能世界で
同じ文が真となり、かつ、取るに足らないものではない外延を、少なくとも一つの述語が持つ
あらゆる世界において、JとIは異なっている。証明終わり。
871 :
考える名無しさん:01/10/05 19:05
Q.E.D.
872 :
考える名無しさん:01/10/05 23:32
>>862
いわゆる言語の
「対象、概念、認識」の問題で、
言語の多義性からくる学問としての不確かさを問うているのかな。
解釈にすぎないというのは、真実を突いている。
意味と形式の一対一の対応というのは、
たとえば、プログラム言語を創造すればわかると思う。
数学も数、数式、像というのが、それぞれ
一対一で言語に対応可能としている。
つまり、解釈にゆれはないとしている。
では、哲学はどうかというと、目の前になにかがある。
ルールも知らない状態で立ち尽くしている。
そして私がどのようなものなのか、どのように機能するかも
わからないとしよう。言語は手に入れた。
まず諸現象(目の前のなにかと私や私の機能)
に高度に抽象化された言葉を当てはめる。
何故はっきり当てはめないの?って思うかも。
でも、しらないことにはっきりと一対一の対応をさせることはできない。
したがってある現象Pに言葉Wをあてがう時、抽象化させなくてはならない。
なぜ抽象化しなくてはならないのか?
現象Pに具体的な言葉Wcをあてはめるということは、
意味の限定すなわちただの規定に過ぎなくなってしまう。
わからないものであるXにAという単語を当てはめた時
それが抽象化をへて、可能な理解へ向かうようにしないと
ただの記号に過ぎなくなる。だからこそ言語は抽象化→具体化
という経路をたどるのです。君達が哲学の本の、
どの時代のどの分野をみて哲学の文章をイメージしてるか
わからないが、おそらく君達は言語による現象の抽象化の作業
を見ているのでそう思うのではないのかな?
その抽象化とは、解釈と言い換えてもいいでしょう。
じゃあ、その現象の解釈を実証するための何か別の言語体系を
生み出せばいいと思うでしょう。じゃあ何にしようかな。
あれ、その解釈の正しさを別の言語体系で実証するのは
いいけれどその別の言語体系の正しさは、何によって
保証されるかな?これを可能にするのは、別の言語体系が正しい
と規定するかその別の言語大系そのもので正しさを証明するしかない。
結局のところ別の言語大系を用いても
最初の言語体系の確かさはやはり最初の言語大系でしか示せない。
では、その言語自体で確かさがわからないのにどうやって確かめるのか?
言葉による現象の抽象化→具体化→抽象化を通して意味の練成と明確化
を行うしかない。そしてできるだけ抽象化された概念の意味が明確化に
むかうような方向付けと確かな言葉の流れとしての論理性を用いるのです。
(あーつかれたよ。またね。)
言葉のもつ意味を一体
874 :
考える名無しさん:01/10/06 01:31
>872
邪魔して悪いが、プログラム言語で真理が分かるのかい?
娯楽としては楽しいね。。
ただ、パスカルの言う「気晴らし」のようにも思えるよ。
このプログラム言語で人間の死の意味を解き明かして下さい。
それも他人の死ではなく、いつか訪れるあなた自身の死の意味を.
もちろん建設的でないと判断したら答えないでいいよ。
楽しい時間を邪魔しちゃいけないからね。
>>874 ??
俺に聞いてるの?
もしそうだったら、
ちゃんと最後まで読んだ?
876 :
考える名無しさん:01/10/06 01:41
>>874 >邪魔して悪いが、プログラム言語で真理が分かるのかい?
>娯楽としては楽しいね。。
はぁ?
>>872 は、プログラム言語で真理がわかるなんていってないよ。
意味がわからないなら、恥かくだけだからレスしないほうがいいと思うよ。
>>876 君もちゃんとレス全部読んだか?
どこにプログラム言語で真理が解かると書いてあんの?
だからその低能な煽りやめろっての。
>>877 >どこにプログラム言語で真理が解かると書いてあんの?
?
だからこそ、
>
>>872 >は、プログラム言語で真理がわかるなんていってないよ。
と書いたのだが、どこかおかしい?
ごめん、
>>876は弁護してくてたんだね。
はやと地理申し訳ないっす。
恥ずかしいのでもう逝きます。
>>880 いや、誤解でよかった。イッシュンビビッターヨ
よくあることなので、私は気にしてないよ、気が向いたら続けてね。
882 :
考える名無しさん:01/10/06 02:35
>880
すまん。880
でも哲学を志すなら、このテーマははずせない。
これだけは分かってくれ。
しっかり勉強してください。
いろいろな哲学の古典も読まなくちゃ。
883 :
考える名無しさん:01/10/06 03:00
>邪魔して悪いが、プログラム言語で真理が分かるのかい?
哲学ってマユツバな学問だよね。
真理とか普通に使っちゃってるし。
もっともらしい言葉並べてるだけで、けっきょく言葉遊びか主観のぶつけ合い。
884 :
考える名無しさん:01/10/06 03:04
>>883 そしてまた振り出しに戻る
とそういうわけですね。
なんだろ、あれですか?
祭りの発生原理の再検証?
なんか心理学の論文書いてる?(ワラ
885 :
考える名無しさん:01/10/06 03:08
>その抽象化とは、解釈と言い換えてもいいでしょう。
>言葉による現象の抽象化→具体化→抽象化を通して意味の練成と明確化
>を行うしかない。そしてできるだけ抽象化された概念の意味が明確化に
>むかうような方向付けと確かな言葉の流れとしての論理性を用いるのです。
解釈→具体化→解釈を繰り返せといって?
こうしているうちに概念の明確化がにむかう。
確かな言葉の流れとしての論理性を用いる?
たとえば難しい本があって何度も読み返せって言ってんの?
886 :
考える名無しさん:01/10/06 03:09
>884
書いてるぞ。
てか、哲学というのは主観とどう違うのだ?
マジレス希望。
887 :
考える名無しさん:01/10/06 03:15
>>886 俺は872じゃないんで、あんな
ながったらしい説明をするつもりはない。
そんな厨房質問は、質問スレでやってくれ。
お前の言うのは、主観的観念論だろ。
たまには、自分でしらべろや。
888 :
考える名無しさん:01/10/06 03:17
>>886 ちなみに心理学やってんだったら、
哲学史ぐらい読んどけ。
889 :
考える名無しさん:01/10/06 03:18
結論ありきの思考停止厨房に何をいってもムダと思われ。
883、886だが。
分かりにくいからハンドルを固定した。
>887
主観的観念論とは哲学用語なのか?
けっきょくはそれも主観なのですか?
>888
それは違うだろ。
哲学と心理学はつながってないのだから。
>889
おいおい哲学には結論がないのかよ(汗)
そんなんだからいつまでたっても役に立たない学問NO.1なんだよ。
892 :
考える名無しさん:01/10/06 03:27
>883
しかし、数学だって、物理だって、一見もっともらしいが
弱点いっぱいだって、”哲学”がすでに指摘してるぜ。
893 :
考える名無しさん:01/10/06 03:29
>>891 結論がある学問なんてないでしょ
そんなの宗教だけだよ
894 :
考える名無しさん:01/10/06 03:30
>>890 おめなー
認識論がどれだけ心理学に貢献したか、
わかってんの?んでもともとは
形而上学だったの知ってる?
また有用性ですか?
まったく次は心理学か。
哲学ってのは敵多すぎ。(ワラ
仲いいのは、歴史学くらいだろうな。
895 :
考える名無しさん:01/10/06 03:31
>>891 貴方の持っているような、
反論の論理性、妥当性の如何にかかわらず、
絶対に変更・修正されない結論というのはないね。
筋の通った反論なら受け入れるのが哲学だと思う。
>892
そうだったのか。
たとえばどんな弱点?
沢山あるならいくつか書いてみ。
>893
おいおい、結論を導くために実験などをするのが自然科学だろうが(汗)
>894
心理の他にも敵がいるのか。それは知らんかった。
私はどうも「哲学的に言うと」ってのが引っかかってな。
きみはヴント以後の心理学がそれ以前の哲学っぽいやつと全然違うことを知っているのか?
>895
ある環境下においてあることを行えば必ずある結果が得られるぞ。
修正が加わるのは環境が変わってしまったということであり、因果関係の不完全性が示唆されたことにはならない。
898 :
考える名無しさん:01/10/06 03:49
>>897 少しはな。
ところで
意識の構造とは何か説明できるの?
因果関係とか言っちゃってるけど、
ある環境下の刺激をいつ心理学は
データ化できたのかな?
899 :
考える名無しさん:01/10/06 03:55
おいおい心理学徒。
心理学なんてもっといいかげんだとお見うぞ。
みんなが役立てないだけなんじゃないの?
死の意味を真剣に考えているのに、これは単なる心理の一形態とでも言うのか?
心理学じゃ、まったくの役立たずじゃないか?
目先の利益ばかり考えるのが現代人だから、雑念が有り過ぎて、
もう本当の真理がわからなくなっている可哀相な人達かも?
たとえば日常で、現代では己の死などあまり考えないよな。
昔はおばあちゃんなんか、毎日当たり前のように仏壇に手をあわせてたよな。
それで結構幸せみたいだったよ。
もちろん宗教を宣伝しているわけじゃないけど、昔の人達と現代精神風土が変わって来ているので、
昔の人が幸せのようにも思える。
みんな利口そうなことを言い合っているけど、大学の哲学で幸福とは何か、でやってたぞ。いま忘れたけど。
本当に僕らの幸福とはなんだろ。
900 :
考える名無しさん:01/10/06 03:55
>>897 あなたのここで主張していることの結論というのは、
そういうタイプのものなの?
実験や観測で証明できるの?
901 :
考える名無しさん:01/10/06 07:29
言語とは空間を切り取るもの。日本語、英語、中国語、
それぞれ違った切り取り方があって(同じ日本人同士でも)、
それらを使って語る以上、なんらかの偏った宗教(?)
を前提にして語ることになるのは避けられない。
哲学は真理を探究するのに大味すぎて役に立たない。
902 :
考える名無しさん:01/10/06 07:40
>>872 解釈→具体化→解釈を繰り返せというのは、結局どこまで言っても日常言語の意味は
一義的には定まらないということのハッキリした結果でしょう
数学は言語の問題ではないです。それは、数学の操作性について議論したレス836で
明らかであると思います。
依然として十分に明快な説明があったとは思いません。そして、852などで指摘したことは、
現実に弊害として現れていると思います。
ラカンなどの数学用語、記号などを使い方も、本来の操作的明確さを欠いた
日常言語的用法(一種の比喩)でしかなく、曖昧であるというしかない。
まあ、いいでしょう。さようなら。
903 :
考える名無しさん:01/10/06 07:41
仮に答えがあっても、それは
日本語(たとえばね)専用の答えだ。
904 :
考える名無しさん:01/10/06 07:48
>902
数学の方が「まし」ってこと?
905 :
考える名無しさん:01/10/06 10:11
>>872 >意味と形式の一対一の対応というのは、
>たとえば、プログラム言語を想像すればわかると思う。
君のいいたい「意味」は、実際に計算機を作って、
プログラムを実行することによって、はじめて
示されるということも、考えればわかるだろ。
それはもはや形式をはみ出ている。
いっとくけど、自然数論で解釈を変えることなんて造作もない。
スコーレム・レーヴェンハイムの定理を知らんのか?
ノン・スタンダード・セオリーを知らんのか?
現実の数学は、むしろ多義性すら飼いならそうとしているのだ。
906 :
考える名無しさん:01/10/06 10:15
>>902 >数学は言語の問題ではないです。
>それは、数学の操作性について議論した
>レス836で明らかであると思います。
それは「数学教徒」には明かだろう。
しかしながら、それは信仰の共有に過ぎん。
操作の意味は体験による。それは畢竟私的なものだ。
もちろん、結果として一意的になるかもしれん。
しかしながら、それは数学によるのではなく、
この世の一意性、つまり、神の一意性という
徹底的な「他力本願」なのだ。
907 :
考える名無しさん:01/10/06 10:59
908 :
考える名無しさん:01/10/06 11:01
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| なんで哲学やってるの?
\
 ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・) ∧ ∧ < 暇なんスよ、ゴルァ!!
( ⊃ ) (゚Д゚;) \____________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (つ_つ__
 ̄ ̄ ̄日∇ ̄\| PHILO |\
 ̄ ======= \
909 :
考える名無しさん:01/10/06 11:06
哲学においては沈黙ということにのみ美がある
まあ数学でもするこった
910 :
考える名無しさん:01/10/06 11:09
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 数学より哲学って簡単?
\
 ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・) ∧ ∧ < ・・・・・・・。
( ⊃ ) (゚Д゚;) \____________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (つ_つ__
 ̄ ̄ ̄日∇ ̄\| PHILO |\
 ̄ ======= \
911 :
考える名無しさん:01/10/06 11:17
しかし私はこころが傷むんです
まだ若く才能のある人が私と同じように
おしゃべりでその人生を無駄にしてしまうことを。
912 :
考える名無しさん:01/10/06 11:40
" ほら上も下もないさ 求めるとは失うこと” 尾崎豊
この意味がわかる?
求めるとは失うことだと、
”死んでしまうじゃないかって、”
913 :
考える名無しさん:01/10/06 11:45
もっともっと純粋になりたいんです。
もっともっと真摯になりたいんです。
ノイズはいらないんです。ノイズは排除してしまおう。
私はもう目を閉じようと思う。
914 :
考える名無しさん:01/10/06 11:55
哲学で時間を浪費し頭脳を駄目にするなんて勿体無い。
若いうちに数学や物理をやっておいた方がいいのに。
年を取ってからやろうとしても戻れなくて、科学を攻撃し始める。
それにしても「数学」と「哲学」って仲悪いな。
物理をやっていると、数学はただの道具にしか過ぎん。
もし、数学より哲学の方が役に立つって分かれば鞍替えもアリ。
物理学者は「宇宙の仕組み」が分かればそれでいいからなぁ。
怠惰といわれれば怠惰だけど、謙虚といえば謙虚。
「数学」にしろ、「哲学」にしろ思考の対象が広すぎるんだよなぁ、きっと。
916 :
考える名無しさん:01/10/06 12:38
物理と哲学が一番仲悪いじゃん。
しかし、仲良くすればイイコトもあるかも。
それとも、仲の悪いまま、互いに批判しあったほうが
学問の発展にはいいのかな。
918 :
考える名無しさん:01/10/06 14:03
仲良くはできないだろ。発想が違いすぎて。数学物理の人間は、
もともと哲学が嫌いというより、アカデミックな哲学をやってる人間の非生産的発想に
愛想を尽かしてるんじゃないの。
919 :
考える名無しさん:01/10/06 14:15
>>915 そんなこというと、、哲学者がでてきて、
「宇宙とは何か? 仕組みとは何か? わかるとは何か? 役に立つとはなにか?」
って質問してきますよ(w
920 :
考える名無しさん:01/10/06 14:36
哲学側から数学側を批判するなんてことは、
あまり聞いたことがないが。
数学原理主義厨房が暴れてるだけだ。
彼の意見が数学者を代表してるなんて誰も思いはしないよ。
>>920「哲学側から数学側を批判するなんてことは、
あまり聞いたことがないが。」
フッサールの『ヨーロッパ〜』あたりが、数学批判と
読まれているのではないでしょうか。
カントなど『プロレゴメナ』など読むと、数学に比べて
哲学は如何にその基礎が脆弱であるか嘆いている。
だからこそ彼は哲学批判をもって哲学を再構築しようと
する。カントは、変な言い方だが嘆かわしい事に
いまだにアクチュアルなのである。
物理数学の人に半殺しになる覚悟で書きますが、
物理をやっている人間で、現在の思考方法(数学を使った自然へのアプ
ローチ)が本当に生産的であると胸を張っていえる人間がどれほどいる
のかと思ってしまいます。
確かに、ニュートン力学に始まり素粒子物理まで実によく「数学」が機
能してきました。
しかし、「なぜ自然は数学によって記述されるのか?」っていうのは物
理学者の、ニュートン以来の不安です。
本当に今の物理学の延長線上に「宇宙の真理」が存在するのだろうか?
結局、色々な「思考方法」を持つっていうのが一番安全な道ではないか
と思います。その一つ一つとして、「物理」「数学」そして「哲学」が
あるんじゃないですかね。
結局、「思考を楽しむ」という点では同じ民族だといえると思いますが。
924 :
考える名無しさん:01/10/06 15:29
外野から批判されてもシカトできるのならそれでいいんじゃないか?_
いちいち知らないことに首を突っ込んでくる奴など相手にしなければいい。
>>923 数という概念を使用して生産的に考えることを物理、数学と呼ぶようになったのでは?
926 :
傍観者の保護者:01/10/06 15:38
自然に論理を読むのか
論理で自然を読むのか
927 :
考える名無しさん:01/10/06 15:41
自然に論理を読む?
できるの?
>>926 なるほど。
そして、
論理で自然が読めるのか?
自然が論理なのか
929 :
考える名無しさん:01/10/06 15:49
その時点で数学や物理で解決できないからといって哲学で解決できる訳ではない。
寧ろ、後になって数学的物理的に解決できることが大半。
930 :
考える名無しさん:01/10/06 15:51
ていうか哲学で物理・数学的問題が解決されることなど最近ではまずないね。
931 :
考える名無しさん:01/10/06 16:15
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| なんで数学やってるの?
\
 ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・) ∧ ∧ < サラリーマンなんて、勤まらないっすから
( ⊃ ) (゚Д゚;) \____________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (つ_つ__
 ̄ ̄ ̄日∇ ̄\| PHILO |\
 ̄ ======= \
932 :
考える名無しさん:01/10/06 17:51
哲学者ってクズだし。
自己弁護に熱心だよね。
933 :
考える名無しさん:01/10/06 20:04
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 数学って生産的?
\
 ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・) ∧ ∧ < ま、ボクの稼ぎは生み出してますね。
( ⊃ ) (゚Д゚;) \____________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (つ_つ__
 ̄ ̄ ̄日∇ ̄\| PHILO |\
 ̄ ======= \
935 :
考える名無しさん:01/10/06 21:01
結局、なんだかんだいいながら、
「哲学は、俺がクズだと思うからクズなんだ」
以上の根拠って出せる人いないね。
936 :
考える名無しさん:01/10/06 21:20
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 君ってサラリーマンより有用なの?
\
 ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・) ∧ ∧ < ・・・・・・・・・・・・・・
( ⊃ ) (゚Д゚;) \____________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (つ_つ__
 ̄ ̄ ̄日∇ ̄\| PHILO |\
 ̄ ======= \
938 :
考える名無しさん:01/10/06 21:31
哲学者って基本的には努力したくない人達。
939 :
考える名無しさん:01/10/06 21:53
>935
出してるのに気付かない。ホントにクズなのか?
940 :
考える名無しさん:01/10/06 21:55
本当はだいたい自分でわかってるくせに、
相対化して自分をごまかしてる。
もしくはマジでバカ。
941 :
考える名無しさん:01/10/06 21:59
” と も か く ”哲学は必要でなければならない
と言う結論をなんとしてでも導かなければならないバカ
942 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:00
939=940?
943 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:01
こむばんは
944 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:02
939=940=941さん、レスお願いします
945 :
考える名無しさん:01/10/06 22:05
思弁的で自己・内輪の充足的な言葉で解決できているような気分になるのが原因。
その場その場の気分にすくわれてしまっている。
946 :
考える名無しさん:01/10/06 22:08
939はアホなのか?
949 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:11
939=949=941さんへ
哲学者のなかには、哲学が不必要ということを分かってる人もいますよ。
訂正
誤 939
正 947=935
951 :
考える名無しさん:01/10/06 22:13
939=941
ではないよ。
952 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:15
しつれい
953 :
考える名無しさん:01/10/06 22:16
940だが、939でも941でもないぞ。
まあ同じようなもんだから別にいいけど。
954 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:16
しつれい>939=941 ではないよ。
955 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:17
で、哲学は不必要だと?
とりあえず、批判するなら、単に「ダメだ」、「不必要だ」、
って主観を書くだけじゃなくて、議論できるような内容を書きなよ。
どう思うかは個人の自由だから、主観を表明されただけでは、
レスのつけようがない。
957 :
考える名無しさん:01/10/06 22:17
必要とは何か?
958 :
考える名無しさん:01/10/06 22:18
959 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:18
そもそも、ここでの「哲学」とはどのような哲学を指しているので?
960 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:20
何かお気に障りましたか?>不要
961 :
考える名無しさん:01/10/06 22:22
>956
比較的に無意味だから。わかってくれるか?
963 :
考える名無しさん:01/10/06 22:24
科学で説明できないことはたくさんあるが、科学の方法論でしか物事は
説明できない。
そもそも説明可能かどうかの検証も、科学の範疇。
ちなみに説明できないことのほとんどは、やはり科学の言葉「偶然」で
片付けることが可能。量子力学によれば、この宇宙ではたいていのことが
起こりうるのだ。
964 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:26
>>955 どうも仲間に入れてもらえないようなので失礼いたします
965 :
考える名無しさん:01/10/06 22:28
966 :
考える名無しさん:01/10/06 22:29
哲学は実践できていない。
科学は実践も兼ねている。
967 :
考える名無しさん:01/10/06 22:29
>962
客観的に見てるつもりなんだが・・。
他の学問より、より無意味だと思うが。
968 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:34
気になったのでまた来ました
>>965哲学は説明じゃなく、実践。
ではなくて、哲学は問いの空間の設定です。
>>967他の学問より、無意味だと思うが。
設定された問いに興味がない第3者にとっては無意味でしょう。
969 :
考える名無しさん:01/10/06 22:37
>>966 哲学によって意志され、科学によって考察され、
行為によって実践されるってこと。
>ポンコツ
つまらんチャチャいれるなよ。
>>963 「科学で定義するところの現象」というものが、
「説明の対象」の全てである
ということを大前提にしてしまっているね。
その前提でそのような結論になるのは当然だが、
そのことにどんな意味があるのかな。
972 :
考える名無しさん:01/10/06 22:39
>>968 >哲学は問いの空間の設定です
そんなこと言ってるから、哲学はバカにされる。
>>967 いや、だから、「つもり」や「思う」のは個人の自由だから、どうぞご自由に。
私が言っているのは、それをいくら表明しても、
あなたがどう思っているのかがわかる以上の、なんの意味もないということ。
974 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:41
哲学は純粋に問いです。
主張をおこなうのは思想です。思想は途中で中断された哲学です。
975 :
考える名無しさん:01/10/06 22:42
>969 哲学によって意志され
意志するのは人間だよ。「哲学」って言葉って、
そんな使い方しかできないから
バカにされるんじゃないか。
976 :
考える名無しさん:01/10/06 22:46
>>975 スマソ、言葉が足りんかった。
もちろん意志するのは人間。意志を決定する手段として哲学がある。
977 :
考える名無しさん:01/10/06 22:49
>973
「思う」とかいちいち取り上げて
お前が思ってるだけーみたいに言うなよ。
そういう現実があるだろう。なんで哲学だけ
こんな風にいわれるのか、ってことが。
978 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:50
>>976 哲学がなんらかの意志決定手段となることはないでしょう。
問いだから。
979 :
考える名無しさん:01/10/06 22:50
466 :考える名無しさん :01/10/03 02:24
哲学を哲学という名の下に批判しても、批判者が哲学の名のもとに
認識している言説の範囲を批判した事にしかならないんだけど、こういう構造に
批判者が自覚的であれないことについての反省は、科学的に検討できる問題じゃないよね。
哲学を支持している人たちについて言えば、哲学という名の元に、哲学的な思考が
なされている様を語る必然性はないでしょう(ひどい話では、あるけれども)。
論理的には、哲学者が、哲学的思考として分類しているような思考のあり方のうちに、
科学的な思考方法として認知されている以外の有用な方法論(例 現象学的還元)があり、
それらは、明らかに社会に対する方法論として必要だということを言えばOKでしょう。
なお、ごねてきたら、じゃあ科学的な思考は、一般人の生活部面にまで浸透しているかと問う。
おそらく浸透してないことについては合意に至れるだろうから、
そこで、科学的思考が浸透していないこと自体については、科学的方法論自体で解決は
与えられるの? そうした部分の解決も、議論でなすべきだとすれば(それは科学の前提でも
あるはずだ)、そうした部面は別の思考法・説得法により解決されるべき問題としてあるかもと
考えることは、それほど不自然じゃないだろと言えばいいでしょう。
上のような試みを、哲学という名で呼ぶかは、お好みで。どうせ、後世においては、
哲学という名以外の名をふって、哲学としてなされていたという経緯は、きれいさっぱり
忘れ去られるのが、通例なのだから。過去にもそういうことあったしね。
ベーコンは、哲学者でしょ。 ・・・とか言っとけばいいんじゃない?
980 :
考える名無しさん:01/10/06 23:03
>>978 一生問い続けるのですか?それが何をもたらすの?
981 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 23:05
982 :
考える名無しさん:01/10/06 23:09
ある意味正しい相対主義者。
983 :
考える名無しさん:01/10/06 23:09
980は気付いた。そうか、相手にしたボクが馬鹿だったんだ、と。
984 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 23:12
985 :
考える名無しさん:01/10/06 23:12
哲学って偉い行為に思えなくなってきた。
個人が考えた哲学はその人一人のものでしかないんだし。
視点が広いというわけでもないしね。哲学者は実は、物事に理由をつけないと気が済まない
ヒッキーなのかもしれない。
哲学って(良くも悪くも)「営み」だからナー。
もっとも世の中の人すべてに必要な「営み」かどうかは知らんけど。
987 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 23:14
>>985哲学者は実は、物事に理由をつけないと気が済まないヒッキーなのかもしれない。
「ヒッキー」は置いといて、少なくともそうだと思います。
「変人」が良いかと。
988 :
考える名無しさん:01/10/06 23:18
私が(2ch以外で)他人に「哲学やりたい」って言うときには、
あまりに諸学問がおもしろそうで目移りしちゃってどれかひとつの
学問だけに絞れないっていう理由がある。
哲学は自由だね。
990 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 23:21
>>988 実存主義になにを求めていらっしゃるのですか?
991 :
考える名無しさん:01/10/06 23:21
>哲学って偉い行為に思えなくなってきた。
哲学者自身でも、偉いと思ってる人は少数派じゃないかな。
偉い、偉くないという視点を持ち込む必然性がよくわからない。
992 :
考える名無しさん:01/10/06 23:23
なぜ私はこんなにも数学コンプレックスがあるんだらう。
993 :
考える名無しさん :01/10/06 23:23
そろそろ1000!
994 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 23:25
995 :
考える名無しさん:01/10/06 23:25
やめとけ、もう無駄だ。いろんな意味で。
996 :
考える名無しさん:01/10/06 23:26
哲学研究の罪はまさに哲学性を奪ったことにある。
つまり御喋りに変換してしまった。
沈黙だけが哲学だ。
997 :
考える名無しさん:01/10/06 23:26
新しい議論をしたほうがいい
998 :
考える名無しさん:01/10/06 23:27
わたしほんと後悔してるんです。ああどうして私は今まで数学に気付かなかったんだろう。
999 :
考える名無しさん:01/10/06 23:27
>世の中の人すべてに必要な「営み」かどうかは知らんけど
赤ちゃんが立ち上がるように、ある程度は万人に必要。
ただ、そのレベルのものを「学問」と言うのはどうかと。
かといってハナシが込み入ってくると専門職に及ばないし
問うことしか目的にできない言葉遊びになる。
1000 :
考える名無しさん:01/10/06 23:27
数学は語学だ。
1001 :
1001:
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