38 :
心脳問題(13) ◆2s0nB8So :01/09/06 22:11
俺が今アンチエディプスを読みながら頭から離れないのは
ドゥルーズではない。それはレヴィ・ストロースであり
文化人類学という発想である。それは哲学そのもののパラダイム変換に関係しているように思うのだ。
すなわち哲学、伝統的な意味における哲学は、せいぜいのところハイデガーで終わったのだ。
が、超越的次元が「無」であることにより、哲学のモチベーションは消え失せたであろうか。
俺はそうは思わない。新たな次元が、言わば擬似超越的な地平として浮上してきたのではないか。
それは社会、しかも、言わば約束された家族的親和性の象徴としての原始共産社会である。
神というハイ・ステージから、父性や母性、世代の問題が等身大的な仕方で主題化されてきた。
言うまでも無くこれらはヘーゲルやマルクス、或いはフロイトによって用意されてきたテーマであったが
それを実証的な成果へともたらしたのは、やはりレヴィ・ストロースの功績である。
ストロースまんせ〜である。
襞
40 :
考える名無しさん:01/09/26 23:48
構造主義は何故そう呼ばれるかだっけ
41 :
考える名無しさん:01/10/04 19:14
あげ
だれか「千のプラトー」好きな人おる?
「アンチオィディプス」はなんか中身見えそうなんで、買わなかった。
今時「千のプラトー」、読んだ事、おもしろいって思えるの、俺だけ?
43 :
考える名無しさん:01/10/13 05:08
いや、おれ「千のプラトー」の話がしたかったんやけど・・・
45 :
考える名無しさん:01/10/13 05:18
46 :
考える名無しさん:01/10/13 05:24
ログの新しいとこ見てみたけど、
「千のプラトー」内容については、あまり議論が無いなぁ・・・
おれ、浅田は「構造と力」買ったけど、わからんと言うか、
おれには関係無いというか、ツマラン、と思って、古本屋に売った。
「千のプラトー」<遊牧論あるいは戦争機械>とか、
<強度になること、動物になること、知覚し得ぬものになること>
以降は、今時タイムリーで、思い出してもメチャメチャ面白い。
ただ、ベルクソンがワカランので、結論だけは未だに読んでない。(藁
49 :
考える名無しさん:01/10/23 00:22
age
50 :
考える名無しさん:01/10/23 02:01
彩ちゃんは今どうしてるのよ
今日、T2見てたら、また面白かった。「千のプラトー」
やっぱ、SFなんかいな。
52 :
mimesis:01/10/28 07:07
『差異と反復』の序文に、この本には、SFのような弱さがあって、
この本で科学について言及してるけど、それは科学的じゃない。
書くってことは、知ってることと知らないことの境界線で書くこと
なんであって知らないことを埋めるのを待ってたらなんも書けなくなる。
およそ、こんなことが書いてある。
53 :
考える名無しさん:01/10/29 11:58
ドゥルーズ・柄谷=電波
54 :
考える名無しさん:01/11/06 22:31
まともに再考してる本ないですか?
本人が対談本で自分の著作について振りかえってる。
56 :
科学戦争ウォッチャー:01/11/07 20:57
>>52 んで、それを無視する奴等が知の欺瞞みたいな本を書く…
何世紀経っても大部分の科学者の逝ってる事のイタさは変わらんな。
57 :
考える名無しさん:01/11/07 21:00
何世紀経っても大部分の哲学者の逝ってる事のイタさは変わらんな。
58 :
考える名無しさん:01/11/07 21:11
科学者は最悪の哲学を選ぶ、と誰かがいっていたが、ほんとうの
ことだったのだよ。
59 :
考える名無しさん:01/11/17 00:32
ドルゥーズの思想って禅思想と一緒なの?
違いはあるの?
科学者=大衆の代表。
61 :
考える名無しさん :01/11/17 23:29
千のプラトーはいつ読んでもすごい。
自分の思考を拡張してくれる起爆剤。
>>59 ドゥルーズのどこが禅思想なのよ。
道元はちょっと引用しているけど。
ラカンの方が禅じゃない? ようするに、すべてが無だと。
63 :
考える名無しさん:01/11/20 02:39
ドゥルーズと禅思想もうちょい詳しくage
>>62 ドゥルーズは全てが実在だって話だよね。
構造はその要素を0記号の写像にしてしまうって事で、構造主義を批判したぐらいだから。
65 :
考える名無しさん:01/11/20 03:20
『千のプラトー』では「器官なき身体」はゼロ=過剰っていうニュアンスで書いてたけど、それが禅思想との違いなのかな。
66 :
考える名無しさん:01/11/20 04:38
晩年はホワイトヘッドを参照するようになったしな。
ソーカルの極端さは、
ホワイトヘッド的なメタフィジックまでもサイエンス・ウオーズ化してしまうと思われ。
67 :
考える名無しさん:01/12/01 22:50
Age
禅と言えば、有でも無でもなく空。
ラカンは無のニュアンスが強く、ジジェクなどはどうやっても
うまくいかない、という感じの無の骨頂。
ドゥルーズは有の思想なのか、空の思想なのか、
漏れにはわからない。
69 :
考える名無しさん:01/12/01 22:56
>>66 そこまでやると逆にカッコ悪い文章になるよな
70 :
考える名無しさん:01/12/02 03:23
「狂った経験主義」が相応しい。
詳しい説明ぎぼんぬ
ドゥルーズ再興age
あげときます
ドゥルーズはポストモダンの何とかとかそんな感じだけど、
ほんとはものすごく純粋な哲学者な感じかなと。
だいたい、ヒュームとかベルグゾンとかちゃんと読んでないと、
何を問題にしてるのか分からないでしょ。逆に、ちゃんと読めば、
たぶん、そんなに大胆なオリジナルの発想ではないということが
分かる気がする。ドゥルーズはちゃんと勉強してるかどうかの
試金石になるんじゃないの。
75 :
考える名無しさん:01/12/09 14:29
ソーカルは英訳の誤訳をあげつらってるところがある。
「サイエンス」って言葉の含意が狭すぎるよな。
あと、
理系と文系が共に学ぶエコール・ノルマルの雰囲気をわかっていない。
これは日本でもそうだな。
例えばプリゴジンの『混沌からの秩序』って、
原書では『差異と反復』誉めてて、
英訳でカットされた。
日本語訳は英語からの重訳。
みたいな話も聞くし。
76 :
考える名無しさん:01/12/10 07:01
ドゥルーズを本格的に読んだことはないけど(いずれは読みたいと思っている)
彼について述べている解説でイマイチ良く理解できない部分があります。
それは、以前にデリダの「外部のないテクスト」「相互テクスト性」なる概念に妙に
共感してしまった私にとって、ドゥルーズの言う「新しい概念の想像」が外部侵犯に
相当するのではないかという疑問です。つまり、ドゥルーズがどのように「オリジナル」を
規定しているか分からないのです。
ゼロからの概念創出は不可能だし… うーん…
今のところ私は、彼の言う「新しい概念」を「別のメタファーを生産する」とか「差延
と言う概念に翻訳していますが、おおむねこれでいいんでしょうか?
それと、
ドゥルーズ関係のスレってイマイチ盛りあがらないのは私の錯覚かな?(w
78 :
考える名無しさん:01/12/10 07:36
誰もちゃんと読んでないからだよ
79 :
考える名無しさん:01/12/14 23:47
『シネマT,U』の英語訳ってどうなの?ダメ?
80 :
考える名無しさん:01/12/15 00:32
>>76 >ドゥルーズがどのように「オリジナル」を規定しているか分からな
>いのです。
『差異と反復』でドゥルーズは「個別的なものに関する一般性である
限りの一般性と、特異なものに関する普遍性としての反復とを対立し
たものとみなす」といっています(p20)
これからして、オリジナルとは前者の一般性を前提とした個別性とい
うことになると思います。
ドゥルーズ哲学にはオリジナルの規定はないように思えます。
概念創出は後者にあたるのではないでしょうか?
81 :
考える名無しさん:01/12/15 01:51
ねえねえねえ。
『ヒューム』のさあ、クレソンの担当した場所ってどこなんですか。
82 :
考える名無しさん:01/12/15 08:17
ついさっきAOを読み始めたばかりなんだけど、のっけから分かんねえ(汗)
「シュレーバー控訴院長は、尻の中に太陽光線をもっている」のくだりは
分からないをとっこし、爆笑してしまった。スゲエおっさんがいたもんだ…
まあ、これはいいとして、気になるのはp15ないし17にある<過程>についての説明。
資本家を固定したマルクスの誤りを指摘し、登録と消費とを生産とみなす<過程>の定義
は分かる。また、<人間-自然>という二項対立をなし崩していく<過程>も分かる。
唯一分からんのはp17にある<過程>の第三の意味。
「<過程>というもは、目標や目的であると考えてはならない。また<過程>は、<過程>
自身を無間に継続することと混同されてもならない」と書いてあるんだけど、イマイチ
良く分からんです。誰かここらへんを分かりやすく説明してくれますう?
>>82 そこはドゥルーズのスピノザ解釈の部分ですね。スピノザの『エチカ』に
おいて、実体は様態を無限に産出するけれども、その<過程>は目標でも
目的でもないし、重要なのはどのようにしてどのような様態が産出されるか、
AOで言えば、流れにどのような切断が加えられるか、であって、
無限に続く様態の産出<過程>それ自体ではない、ということでしょう。
ただ、そこは大学のレポートとか、試験でどうこう、ということでないなら、
直後のロレンスの引用で、感覚的に、別の言い方をすれば、なんとなく(笑)、
わかっていればいいんじゃないでしょうか。AOはあれを読まなければ、
わからない、といった積分的な書物ではない、はずですから。
84 :
考える名無しさん:01/12/15 13:45
>>76 デリダの論文「差延」の注を見た?
デリダの差延概念って実はドゥルーズから来てるんだよ。
もちろんさらに変形加えているけど、論理的にはほぼ同一の事態。
85 :
(・∀・)オンチ・アイディプス!!:01/12/17 13:55
>>82 シュレーバーに興味があるならば、手記が邦訳されています。
シュレーバー「シュレーバー回想録 ある神経病患者の手記」平凡社
<過程>ですが、AOには愛と分裂症というふたつの例があがっています。
うんと平たく言えば、女の子を好きになって思い悩んだり口説いたりデートしたり
という過程がまるで目的のようになって、ストーカーになったり心中したりしては
いけませんよ。また分裂症は既存の決めごとや境界をどんどん越えていくという点で、
ドゥルーズ=ガタリの考えではポストモダン的な人間のあり方の典型なのですが、
そればっかり極限まで追求していくと、幻覚や妄想によって現実の判断がつかないような、
ホントの「分裂病患者」になってしまうよ・・という感じでしょうか。
86 :
考える名無しさん:01/12/17 14:16
ドゥルーズはどっかで、理性は批判するが非論理的であっては
ならない的なこといってなかったっけ。
87 :
考える名無しさん:
最高