44 :
39:2001/08/05(日) 01:13
そうなんですか。
それでは私は永井の問題意識が理解できません。
私がどのように世界を想像したところで、世界の側が変わるとは思えませんから。
私は、私が(私でない)Aさんであるということは、可能ではないといいたくなります。
(もちろん、想像することはできる)
45 :
:2001/08/05(日) 04:57
少しづつ読んでます。
46 :
考える名無しさん:2001/08/06(月) 13:15
47 :
考える名無しさん:2001/08/19(日) 01:49
agye
48 :
考える名無しさん:2001/08/19(日) 02:05
>>44 その考えは疑ってみる価値があるかも
以前にね、あるライターのHPで、他人の視点から物事を見て、何を考えるかを子供の頃から訓練してたという人がいたんだ。
でね、スゴイ人物眼してて、言葉の組み合わせからでさえ、かなりの的中率!
なんらかのトリックがあると考えるのが妥当かもしれないけど。。。
本人でさえ、気付いてないみたいだけど
ひょっとすると
ひょっとする!?
49 :
考える名無しさん:2001/08/19(日) 03:21
>>44 君の言ったことはまさに語り得ることであって、
それを雄弁に語ることによって語り得ない事柄が示されているよ。
死ね
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62 :
44:01/08/30 15:34 ID:SYPJDegg
この本はよくわかりません。
63 :
考える名無しさん:01/09/25 18:20
age
64 :
考える名無しさん:01/09/25 22:36
転校生とブラックジョーク
65 :
考える名無しさん:01/10/01 15:22
厨房な読者が考えるようなことは、当然、永井は検討済みのようですな。
66 :
考える名無しさん:01/10/04 14:24
とりあえず、あんまり意味のなさそうなツッコミを一つ。
序章で、身体の物理的連続性や、記憶などによる心理的連続性などがあったとしても、それ
だけでは<私>が存在している保証はない、という旨の議論をしている(と思う)。
そして、現在は<私>であるところの人物は存在し続けるが、<私>は存在しなくなる、という
可能性を論じ、それに対する恐怖を、純化された死の恐怖、と呼んでいる。
しかし、それはほんとに「死の恐怖」なのかいな?(笑)。
ある人物の身体的、心理的連続性とは関係なく、<私>が存在しなくなる(死ぬ)ことが、
本当に可能であるとすれば、同様に、存在しなくなったはずの<私>が、また改めて存在
するようになる(生き返る?)ことも、同様に可能なのでは。
そうすると、普通の意味では、一度死んだものは生き返らないはずであるのだから、<私>
の存在について語るときに、「死」という言葉を使うのは、やや不適切だと思われる。
・・・この程度のこと、みんなわかってますね。スマソ
しかし、<私>を独我論プラス独今論(なんて読むんだろ)的に考えることを徹底すると、
<私>が存在しなくなる、死ぬ、ということは、ありえないのではないか。<私>は、現に
存在している以上は存在している。存在しなくなっても、他人はそれを知りえないし、
<私>はもういないのだから、それがわかるものは誰もいない。もし<私>が生き返ったと
しても、やはり他人はそれを知りえないし、<私>も、それまで死んでいたということを
気づきようがない。
すると、実は、<私>が存在しなくなることを論じるのは、ナンセンスなのでは?
・・・この程度のことも、この本を読めば、みんなわかりますね。(;´Д`)
>>66 ><私>が存在しなくなる(死ぬ)ことが、
本当に可能であるとすれば、同様に、存在しなくなったはずの
<私>が、また改めて存在 するようになる(生き返る?)ことも、
同様に可能なのでは。 そうすると、普通の意味では、一度死んだ
ものは生き返らないはずであるのだから、<私> の存在について
語るときに、「死」という言葉を使うのは、やや不適切だと思われる。
ソレは問題の本質と全く関係ないよ。
〈私〉の存在には何の根拠もないんだよ。なにものもそれを
保証してはくれない。
それゆえ、次の瞬間には〈私〉が消滅しているかもしれない・・・。
(例えそれが、原理的に誰にも知られなくても。)
また存在するようになったとしても(どうゆう意味だろ。)、
それも無根拠だよね。偶然。
66のはただの言葉使いの問題で、内容はないんじゃなあい?
>66のはただの言葉使いの問題で、内容はないんじゃなあい?
「死の恐怖」云々のところに関しては、まったくそのとおりですな(笑)。
しかし、せっかくレスがついたので
>次の瞬間には〈私〉が消滅しているかもしれない・・・。
>(例えそれが、原理的に誰にも知られなくても。)
ということが、本当に言えるのか、という点をちょこっと。
まず、用語として、この本では<私>に加えて≪私≫という用語が登場している。
≪私≫とは、要するに、永井が今まで行ってきたような議論が、他人にも理解されるような
一般論になってしまっているときの表現である。そのような一般論に収まりきらないものを
表現したいときは、<私>が使われる。しかし、<私>と言葉で書き、そして他人にも理解
されてしまえば、やはり<私>は≪私≫に変質してしまう。
(大体こんな感じだと思いますが、適切な表現になってないかも)
さて、<私>が存在しなくなる、とは、どういうことだろうか。それは語りうることなのか。
とりあえず現在、66という一人の人間が、なぜか<私>と結びついている。しかし、それは
偶然であり、66に何の変化もないまま、突然<私>がいなくなってしまうかもしれない。
66・・・<私> →→→ 66
その他の人々 →→→ その他の人々
しかし、これは、実は語り得ないのではないか。上のような想定は、実は
(思考実験の中での)66・・・≪私≫ →→→ 66
(思考実験の中での)その他の人々 →→→ その他の人々
\______________________________/
○
O
o
(今、現に思考実験を行っている)<私>
という形になってしまっているのではないか。そうではない、<私>の消滅などどいうものが、
本当に想定できるんだろうか。
…と、一応書いてみたけど、まるで間違ってるような気がしてきた。
読み直してみます。間違いに気づいた方がいれば、叩いてやってくだされ。
いや、こりゃ本当に全然だめな気がしてきた…。
間違ってるどころか、永井の議論を理解しようとしている人を混乱させ、永井支持者を
減らそうとしている、アンチ永井主義者の謀略みたいな文章になってしまってる可能性が。
すみませんが、無視してやってください。
>>69 確かに上の話は69自身が言うように、「だめ」なもの
だと思う。デモサ、永井哲学ってのは、すでに独在性を
(なぜだか)理解してる人じゃなきゃ、それについて理解も出来ないし
その上での誤解も出来ないんじゃない。理解してる人しか誤解できな
い・・・とも言えるかもね。それ以外の人はただ的を外してるだけ。
69はとりあえず、それ(独在性)を理解していて、改めてそれについて考えて
みようとしたら「こんがらがった」のかもしれない。
全然だめな議論でも語ろうとしたYOUの勇気に乾杯!なんちて・・・。
71 :
考える名無しさん:01/10/09 19:18
<私>の独在性を強調する生徒の名前が「E」君であることには、やはり意味があるのか?
と、どうでもいい話題でage
73 :
考える名無しさん:01/10/10 01:28
>>73 お、ありがと。
ってゆーか、それ「不連続な読書日記」だよね。
それ、オイラもメルマガ取ってたよ(笑)。
忘れてた・・・。
75 :
考える名無しさん:01/10/10 02:15
というか、66の引用する永井は、
ウィトゲンシュタインの私的言語論そのものだよ。
いまさらながら。
>73
へえ、この本って、最後の晩餐だったんた(笑)。
>75
あれは、ウィトゲンシュタインの私的言語論そのものなんですか?
他の解釈は全然知らないけど、永井が『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)
で論じている内容は、私的言語を作ろうとしても、それはどこまでも他人に理解可能
なものになってしまう。よって、私的言語の言いたいことを実現するのは不可能である、
というようなことだったと思う。
…えーと、確かに、66の内容とだいたい同じかな?(笑)
誰かかまって〜、がんばってネタを振ってみるから(わら
<太郎は、最近流行の火星旅行をしてみることにした。旅行会社が開発した最新の方法は、
旅行者の細胞の状態などの全身の情報を記録した後、旅行者の体をいったん破壊する。そ
して、情報を火星に送信し、新たに旅行者の体を完璧に再現する、という方法らしい。な
んだか無茶苦茶な方法のように聞こえるが、クラスメートの次郎が大丈夫と言うので、太
郎も試してみることにした。
ところが、目を覚ましてみると、何かトラブルがあったらしい。モニターには自分そっく
りのやつが写っていて、会社の人に「あれは、火星に行ったあなたです」と説明を受けた。
そんなばかな、自分が二人いるなんてあるもんか、と太郎の頭は混乱した。
そこに怪しげな医者(太郎はブラック・ジャックと呼ぶことにした)が現われ、太郎にさ
らにとんでもないことを告げた。「あの機械には問題があって、きみの心臓には障害が生じ
てしまっている。きみは数日以内に心不全を起こして、死ぬことになる」
おれはもうすぐ死んでしまうって?太郎の頭は真っ白になった。そこへブラック・ジャッ
クは話を持ち掛けた。「大丈夫、私が手術を行えば、何も問題はなくなる」
太郎は他になすすべもなく、ブラック・ジャックに言われるままに手術台に身を横たえた。
するとブラック・ジャックは、何の説明もなしに、いきなり太郎に強力な麻酔をかけた。
「ちょ、ちょっと待てよ。いったいどんな手術を…」
「なに、簡単なことだ。まずは、きみに麻酔をかけっぱなしにしておく。今、地球にいる
きみは、安らかに死ぬことができる。次に、火星にいるもう一人のきみに、助手が手術を
する。そして、ここ数日間の地球のきみの記憶を植え付け、それに対応する分の、火星で
の数日間の記憶を除去する。そうすれば、きみは健康体のままで、火星旅行に成功したこ
とになる、というわけだ」
「そ、そんな…方法で…」薄れゆく意識の中で、太郎は考えた。そんな方法で、本当にこ
のおれが火星に行ったことになるのか?このおれは、やはり地球で、眠ったまま死んでし
まうだけじゃないのか。しかし、火星にいるそいつは、手術が終わって目が覚めたときに
は、今のおれとまったく同じ記憶を持つことになる、そうすると…。
後にブラック・ジャックが語ったところによると、手術は完璧に成功し、太郎は火星旅行を
満喫して、地球に帰ってきた、とのことである。>
以上が、全世界で「名作を汚したドキュソ逝ってよし」と認定された、「転校生とブラック・
ジャック」のバッタもんです。さて、これは何を言おうとしてるのだろうか。
79 :
考える名無しさん:01/10/13 01:18
第8章が一番おもしろいな
80 :
考える名無しさん:01/10/13 03:08
よし、反応してやろう。
>>66の第1パラグラフは<私>の性質が語られた後、
それが消えるとすればそれはどのような事態なのかについての
永井の一連の議論の格の部分だけを抜き出したものだ。
このような議論が成り立つためには<私>と現に<私>であるところの人物を
分離できるような立場が必要になる。
この立場については永井のデカルト解釈を読めば十分だろう。
で、<私>が消えるとはどういうことなのか。
定義上<私>はその上に世界が成り立っている基盤である。
従って<私>の消滅とは世界が消滅することである。
これについては形式的に理解できるだろう。
問題は<私>であるところの人物(以後「私」とする)が死ぬのと、<私>が死ぬのでは何が違うのか
ということだ。
そこの部分が理解されないと、結局永井が何を言っているのかが理解されないだろう。
永井の独我論に触れた限りでの私の問題意識に即して語るならば、
「私」の死について私は考えることができるが、<私>の死は理解を超えた出来事である
ということが言える。
私はこれまで死んでこなかったし、死んだ後に蘇ってきた人も知り合いに居ないので、
死はこの世との別れと考えている。
「私」の死に対して抱くイメージは、自分が宙に浮いていて目の前に「私」の死体がある、
といったイメージが最も受け入れやすい。
「私」の死とは、つまりは世界内の出来事なのである。
これに対して<私>の死は世界を越えた出来事(もはや出来事とも言えないのだが)である。
私は先ほど「私」の死を眺めている存在を想定したが、これこそが<私>なのであるから、
「私」の死を考えても<私>がそこに余ってきてしまう。
そして、<私>の死を考えることは不可能である。
何故なら<私>が消滅した場面を想像した場合、そこで想像している存在が<私>なのであるから、
この試みは失敗しているからである。
そして、いかなる方法をもってしても<私>が消滅するとは思えない。
たとえ何も見えず、何も聞こえず、何も感じないという状況こそが<私>の死であるとしても、
それを想像しているお前は誰だ、それは<私>ではないか、ということになってしまう。
こうした議論を永井がしているわけではなく、これは永井に感銘を受けた私自身の永井解釈である。
で、ここまでで<私>の死とはこの世の出来事ではないということがわかってもらえただろうか。
この説明じゃ無理かもしれんが先に進むことにする。
純化された死の恐怖とは何か。
俺もこのスレ参加するね。
82 :
考える名無しさん:01/10/13 10:41
〈私〉の消滅という話は一応分かるんだけど、
どうしても、それが「恐怖」とは感じられないんだよねぇ。
なくなっちゃうんだから。
(もっとも、その感覚も最近は少しづつ違ってきたが)
83 :
考える名無しさん:01/10/14 23:08
age
ヤター カマッテモラエタヨ(w
>80
>ここまでで<私>の死とはこの世の出来事ではないということがわかってもらえただろうか。
そうそう、これがきちんと指摘されてないから、66、68は逝ってよしなんですな。
常識的には、人の死というのは、その人の意識が無くなり、体が冷たくなって…というような
世界の中での出来事なんだけど、<私>の死は、世界の中での出来事ではなく、世界そのものの
消滅ということになる。
ところで、この議論は、≪私≫ではなく<私>でなければ成立しないんだろうか。
なんとなく≪私≫では成立しない気がするけど、まあ一人で勝手に考えます。
85 :
考える名無しさん:01/10/15 14:55
>85
なんで宮崎駿やねん(わら
ちなみに、77、78は、存在論的ラディカル・パーフィッティズムとやらが、分岐しない
ケースで成立するのなら、なぜ分岐するケースでは成立しないのか?その違いが生じる
理由としては、数日間の記憶の違いくらいしかないんじゃないのか?というようなことを
言いたかったんだけど…。
<私>の独在性という永井の議論の中心テーマからすると、カナーリどうでもいいです。
87 :
考える名無しさん:01/10/16 04:32
age
どうでもいい話題でage
>86
>存在論的ラディカル・パーフィッティズムとやらが、分岐しない
>ケースで成立するのなら、なぜ分岐するケースでは成立しないのか?その違いが生じる
>理由としては、数日間の記憶の違いくらいしかないんじゃないのか?
よく読むと、この答えになりそうな議論が、ちゃんとありますな。
未来のある時点で、ある人が今の自分のことを正確に思い出してしまった場合には、たとえその人が
今の自分と何の関係もないようなやつであっても、そいつが≪私≫になってしまうのか?という話。
(B君問題?とでも読んでおきます)
このB君問題で、未来のその人が≪私≫であると言えるならば、身体の性質が同じである火星の分身が、
さらに今の自分のことを正確に思い出せば、ますますそいつを≪私≫と言ってよい、ということに
なるんでしょうね。
またしても、十分に読み込んでないことがバレちゃたよ (;´Д`)
それじゃ、Fさんのレポートを読み直してきます。
ぼくはE君にいちばん共感できたな。レベル低いので。
ところでゲティアって誰?検索したら難しそうなのが
出てきてさ・・・。
90 :
考える名無しさん:01/10/20 09:05
ゲティアってのは,
知識=正当化された信念という主張
を論駁した人。
『知識という環境』名大出版
に付録でその論文(4ページ)が載ってる。
E君の主張って、面白いんですな。E君の言っている内容は、極端な独我論に逝ってしまって
いるように見えるにもかかわらず、同時に、誰にでも適用できる一般論になってしまっている。
やっぱり、ここをもう一歩詰めないことには、<私>の特別さを本当につかまえたとは言えない
んじゃないかなあ、と。
…またしても、N先生のセリフをなぞってるだけだよ (;´Д`)
しかし、E君の考え方を貫いた場合、他者とか他人とかはどうなるんでしょうね。
なんとなく、<今>の<私>しか存在しない、他者も実は存在しない、というほうに
逝きそうな気がするんだけど。
まあ、それが別に悪いということはないけど。
ただ、第5章の最後のほうで、「ひょっとしたら、自分が死んだら世界が終わるのかも
しれない」と主張するのは、必ずしも間違っているとは言えない、という議論があり
ますな。すると、<私>だけが存在すると主張することも、まともな議論として成立
する余地があるということなんだろうか。
それはなんかオモロイ