コジェーブ

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1考える名無しさん
どうですか
2アルチュセリアン:2001/06/25(月) 13:14
フランスに『ヘーゲル=マルクス主義』をもたらした頭目。
アルチュセールやバタイユにもたらした影響は大きいと思う。
3考える名無しさん:2001/06/25(月) 13:20
そうですか
現代での妥当性はどうなのですか?
注目度低い?
4アルチュセリアン:2001/06/25(月) 13:44
微妙なとこだけど、ヘーゲルを自分なりに使い尽くした、という点
は、私は買ってます。ホント微妙だけど「わかりやすいヘーゲル」
像を上手くうちたてているので、、、(それはよいとも悪いとも言
えない。)
5考える名無しさん:2001/06/25(月) 16:42
コジェーヴは今、旬です。つうか、彼についてまだやることはたくさんあります。
6考える名無しさん:2001/06/26(火) 05:11
もうみんな寝ちゃったのか……。
7考える名無しさん:2001/06/26(火) 08:50
ヘーゲル、カール・シュミット、コジェーブでしょうか
8考える名無しさん:2001/06/26(火) 10:51
でもF・フクヤマを輩出したのは失点ですよね。
9考える名無しさん:2001/07/01(日) 01:53
>>8
べつに弟子じゃないですよ。
知ってて言ってるんだろうけど……。
レオ・シュトラウスかなんかの授業に出てたくらいじゃなかったっけ。
ハロルド・ブルームだっけ。
10考える名無しさん:2001/07/01(日) 02:20
F・フクヤマ×
イデオロギーの欠点をまったく理解していない。
11考える名無しさん:2001/07/01(日) 03:21
>>10
だーかーらー、べつに弟子じゃないですって。

問いの形を変えなきゃ。
たとえば、「歴史の終わり」概念は、
どの点まで有効で、どの点からダメなのか、とか。
12考える名無しさん:2001/07/02(月) 18:27
フクヤマ、逝ってよし。
13考える名無しさん:2001/07/02(月) 19:01
コジェーヴの『概念・言説・時間』は、かなりの手抜きでは。
14考える名無しさん:2001/07/02(月) 20:34
現時点でコジェーブが一番。
15考える名無しさん:2001/07/02(月) 20:55
>13 『概念・時間・言説』
16考える名無しさん:2001/07/04(水) 16:05
>>14
? もう少し書いて。
17考える名無しさん:2001/07/06(金) 00:20
旬なの?ふーん
18考える名無しさん:2001/07/06(金) 16:12
>>10
けっこう、哲学系の人ってフクヤマきらいだよね?
おれは、歴史学の人間で、さいしょ『歴史の終わり』を読んだときは感動すら覚えたものだけど、
フクヤマのどこがダメなの?
「イデオロギーの欠点」ってなーに? おせーて。
19考える名無しさん:2001/07/09(月) 15:54
>>18
いずれ出るはずの
デリダ『マルクスの亡霊たち』
を読んでくれ。
2018です〜。:2001/07/09(月) 17:51
>>19
ラジャー!
でも、この本はまだ翻訳されてないの?
21考える名無しさん:2001/07/09(月) 19:22
>>20
部分訳が藤原書店の雑誌『環』に出てる。
22考える名無しさん:2001/07/10(火) 00:51
>>18
今密かに始まっているのは、分子生物学に基づく優生学と、
それを礎とする選択的民主制の可能性である。
悪い遺伝子を持つ人間は淘汰・強制改良される社会が近づいている。
未来の被差別民は、被強制遺伝子改良種なのだ。
われわれ人間の否定性はフクヤマの歴史の終焉を否定し、
ヘーゲルの円環は新しい弁証的運動を開始しているのである
(ネタ)
23考える名無しさん:2001/07/10(火) 19:05
>>22
あっはっは。
MMRみたい。なんか、なつかしさすら感じる意見だよね。
「そ、それじゃあ、人類はどうなってしまうんです、キバヤシさん!?」

優秀人種は火星に行くのさ〜。まだまだ歴史は終わんないね。
2418っす。:2001/07/10(火) 19:10
>>21
でも、翻訳すらされてないものを待ってるのも切ないです。

あなた個人の意見で結構ですから、フクヤマ批判を聞かせてもらえませんか?
やっぱり何が問題?
フクヤマのヘーゲル主義解釈がダメなの?

それとも、まだまだリベラル民主主義は決定的な矛盾を抱えていて、
そこから自己崩壊していく可能性が残っているということ?
25考える名無しさん:2001/07/10(火) 19:11
MMRってほんとに面白いですよね
2621:2001/07/10(火) 20:09
>>24
google で「コジェーヴ デリダ」で探して見つかったのは以下
http://www.aguni.com/hon/back/takakuwa/01.html
27考える名無しさん:2001/07/10(火) 23:05
外交官
28考える名無しさん:2001/07/11(水) 00:24
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/kan/kan01.htm

ちょうど、この部分じゃなかったっけ、フクヤマ批判の箇所は
2928:2001/07/11(水) 00:27
だから読んでみてくれ
30考える名無しさん:2001/07/11(水) 00:42

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3118っす。:2001/07/16(月) 03:37
>>26
読んだけど、よく分かんなかった。
ようするに、議会主義的民主主義が勝ったからといって、
それで安心せずに、ちゃんとまだマルクス主義と向き合いなさいってこと?
『歴史の終わり』と云って、すべての総括を停止してしまうのが安易でいちばん危険ってことかな?
それが、「イデオロギーの欠点」なの?
32考える名無しさん:2001/07/17(火) 22:13
むりやり関連文献
http://www.criticalspace.org/special/asada/010701.html

それと、『現代思想』7月号(特集「帝国」)を読め!
33考える名無しさん:2001/07/18(水) 20:20
イッポリートと比べてどうだ?
34考える名無しさん:2001/07/18(水) 21:51
35ι:2001/07/19(木) 21:12
コジェーブの分厚い評伝が邦訳されたようです。
誰か読んだ人いますか?
36考える名無し:2001/07/20(金) 06:30
フクヤマの『歴史の終わり』は、歴史・政治哲学書として少しの誤りもないよ。
本人も歴史・政治哲学書として書いてるんであって、
それ以外の方向から批判しても、けっきょく『お門違い』なんじゃないの?
俺は、ほとんどのフクヤマ批判はみんなそうだと思うね。
もちろんデリダも含めて。

やっぱり、フクヤマをちゃんと批判するんだったら、
つぎの歴史段階のヴィジョンを提出できなきゃ意味がないよ。
37考える名無しさん:2001/07/20(金) 09:29
>やっぱり、フクヤマをちゃんと批判するんだったら、
>つぎの歴史段階のヴィジョンを提出できなきゃ意味がないよ。

なんで?
38考える名無し:2001/07/21(土) 01:52
だって、フクヤマが『歴史の終わり』で言ってることは、
けっきょく、「『上部構造としての議会制民主主義・下部構造としての高度資本主義』、
これが、歴史の弁証法的発展段階の最終形だ」ってことでしょ?
それだけだって、言ってもいい。
だったら、つぎの歴史段階を提出できないかぎり、本質的な意味で歴史終焉論を批判したことにはならないんじゃないかな?

弁証法的な発想に立てば、「いま無いものは、過去にも未来にも存在しない」から、
世界中のどこを見渡しても、リベラル民主主義に対抗できるイデオロギーは存在しない以上、
もう永遠につぎの歴史段階はやってこないって言ってもいいんじゃないのかな?
39考える名無しさん:2001/07/21(土) 08:48
>>38
資本主義がすべてを解決できているわけではない。
貧困などについてフクヤマは問題にしなさすぎ。
それと、その体制内での抵抗の挙措についても問題にしていない。
これは大問題。
40考える名無しさん:2001/07/22(日) 07:53
>>39
>資本主義がすべてを解決できているわけではない。

たしかにそうだけど、
フクヤマが重視しているのは資本主義よりも、リベラルな民主主義のほう。
資本主義はすべてを解決できるわけではないけど、
リベラルな民主主義(自由・平等・博愛)はすべてを解決できるんじゃないだろうか?

「いままでの歴史上のトラブルは、リベラルな民主主義そのものの欠陥じゃなくて、
民主主義的精神が十分普及してなかったから起こった」っていうのがフクヤマの主張でしょ?

フクヤマはマルクス主義だけでなく、
ニーチェ主義(ルサンチマン説と永劫回帰説)までふまえて論を展開しているんだよ。
逆に言えば、そこがいちばんすごいんだ。
41考える名無しさん:2001/07/22(日) 09:41
つーか、リベラルな民主主義は形容矛盾では?
ハイエクは自分はリベラリストだが、民主主義者
ではないといっているけど、リベラリズムと
民主主義は必ず両立するものとは思えない。
民主的選挙でヒトラーのような反リベラリストが
政権取ってしまうこともあったしね。
42考える名無しさん:2001/07/22(日) 10:19
>>41
なるほど〜。
そういや〜、ヒトラーの選挙戦術は有名だね。
それはリベラル民主主義に対して深刻な不信感を呼んだよね。

リベラル(自由主義)と民主主義は矛盾しないのか?

また、自由と平等(振り子の原理)は矛盾しないのか?
4339:2001/07/22(日) 17:45
>>40
では、「新しい知らせ」(福音)としてその体制(歴史の終わり)を語る、
福音主義的イデオロギーについてはどう思うか?
デリダはそれを批判しているのだと思うが?
4439:2001/07/22(日) 17:57
>>40
あと、その体制が国際的規模で展開する暴挙についてはどうか?
きみに、ジェノヴァでの抵抗運動について、思うところを述べてもらいたい。

フクヤマのロジックに典型的なのは、
これは達成されたのだから、良いものだ
というものだ。
大多数については、そう言ってもよいかもしれない。百歩ゆずって。
しかし、常に残るものについてはどうか?

それと、『現代思想』7月号(特集「帝国」)を読んだうえで、
そこで名指されているもの(ネグリとハートのいう「帝国」)が
依然として擁護されるべきものと言えるかどうか、
ぜひ考えを聞きたいものだ。
4540:2001/07/23(月) 13:56
いや、だから、あくまでもフクヤマ氏の『歴史の終わり』は
歴史・政治哲学の本だっていうこと。

もちろん、ただロジックで批判するだけだったら、
いくらでも『歴史の終わり』は批判できるでしょ?
でも、フクヤマ氏にとって大事なのは、
それが歴史を動かす力(運動)になり得るかっていうこと。
運動化しなきゃ、それはあくまでも思弁的で、形而上学的な議論でしかない。

フクヤマ氏はよく誤解されるけど、
現状を無条件で全肯定しているわけじゃないよ。
ただ、今の段階の問題はすべて、将来、リベラル民主主義的な精神と手続きによって解決されるであろうということだけ。
大国の横暴とか、そのジェノバで起こっているという抵抗運動もそう。
あれだって、よくある国際的な経済摩擦のひとつでしかない。

少なくとも、それらが、新しい歴史段階を構築しうるだけのアンチ・テーゼたりえることはないだろう。
フクヤマ氏は、それらが自分の歴史終焉論を揺さぶるものだ、なんて思ってないと思うよ。

経済問題はしょせんは下部構造にしかすぎない。トラブルの本質ではないよ。
トラブルの本質は、あくまでも人間のエゴ(優越願望)なんだから。
46考える名無しさん:2001/07/23(月) 14:23
>>41
>つーか、リベラルな民主主義は形容矛盾では?

ヒトラー政権獲得は、『手続き』は確かに民主主義的だったけど、
とても政策の『精神』はリベラル民主主義的とは言い難い。
人種差別を公然と国策に掲げてたぐらいだから。
途中で全権委任法を議会が可決しちゃうし。
結局あれは、リベラルな民主主義の精神が十分普及してないことから起こった悲劇だったんじゃないだろうか?
リベラル民主主義そのものの欠陥とは思えないよ。

もちろんフクヤマ氏が民主主義の前に『リベラルな』って言葉を付け加えるのは、
市場志向型経済も意識はしてるってのもあるんだろうけど(ソ連なんかの共産主義的民主主義と区別するために)、
やっぱり、民主主義に自由主義は必要不可欠だと思う。
自由主義を否定しちゃうと、計画経済から、指導者原理(ソ連でいえばスターリン独裁)に行きついちゃうし。
日本も高度経済成長期はほとんど計画経済状態だったけど、
ちゃんと複数政党制を維持してたから、ソ連のように経済的停滞をまねかなかった。
それは決定的な差だったと思うよ。
47考える名無しさん:2001/07/23(月) 16:33
フクヤマにはフランクフルト学派的視点がないよね。
自由(リベラリズム)からの逃走として独裁者を求めて
しまうという群衆心理の分析がね。
また無制限の自由は人に不安を呼び起こし、その不安を解消するもの
として逆に徹底した管理を求めてしまうという自由と管理の
弁証法的転化への視点もね。
自由は部分的に制限されないとそもそも自由たりえず、
無際限な自由はその反対物(完全な管理)に転化してしまうのに、自由主義者は
完全な自由、完全な無規制・無制限をもとめてしまう。
だから、フクヤマのオプティミスティックな自由主義評価は
いずれ皮肉な反転に襲われる可能性があると思う。
4839:2001/07/23(月) 17:55
>>45
だから、何度も言うように、
オルタナティヴは、
体制の新たな代替物となるわけではない。
にもかかわらず、否定できない重要性をもっている。
フクヤマのようなパースペクティヴからだと、
こうした抵抗の挙措のもつ力はけっして理解できないだろう、
と私は言っているのだ。
4940:2001/07/24(火) 05:11
>>47
>フクヤマにはフランクフルト学派的視点がないよね。
>自由(リベラリズム)からの逃走として独裁者を求めて
>しまうという群衆心理の分析がね。

これはまだ語り合う余地のある、本質的な議論になると思う。

「人間は自由をおそれ、服従を求める」

これはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の大審問官のところに出てくる《跪拝の統一性》とか、
ヒトラーの『わが闘争』などにも指摘され、リベラル民主主義にたいするつよいアンチ・テーゼになった。

でも、ぼくは、フクヤマの『歴史の終わり』はこの視点の欠落じゃなくて、
むしろ克服だと読みとったんだ。
人間はやっぱり、服従より自由を求める。
そうでなければ、これだけ自由主義的民主主義が惑星レベルで拡大した理由を説明できないよ。
だからこそすごいと思ったんだが、みんなはどう思う?
5040:2001/07/24(火) 05:20
>>48
>にもかかわらず、否定できない重要性をもっている。

もちろんそれは認めるよ。フクヤマだって、それは完全には否定しないはずだ。
でも、それはあくまで下部構造論に過ぎない。
フクヤマはコジェーブを媒介とした、ヘーゲル的な精神現象学的歴史観(上部構造論)を展開してるんだよ。
それを、下部構造から批判しても本質的とは言えないんじゃないかな? 
51考える名無しさん:2001/07/24(火) 06:52
>>50
見方を変えれば、それは誰からもまた何事にも邪魔されずに、
あらゆる事象をまとめ得るような包括的な視座が確立されたっていう
だけの話だよね。つまり高見の見物をできる特等席が見つかった。
「歴史の終わり」とは、したがって、視座の安定性についての問題で
あり、当然「歴史」が終わったわけではない。試合は続行する。
そして、だからこそ、いま大切なのは、そのような特等席から
降り立った地点で出来事をとらえるということではないの。
5239:2001/07/24(火) 08:47
>>51
あんた今いいこと言った
53>50:2001/07/24(火) 16:15
でもね、下部構造(経済)の軽視は危険よ。例えば
今話題の不良債権処理が実現すれば、土木建築などの
公共事業依存の業種がかなり削られるらしいが、
公共事業といえばヒトラーのアウトバーンがそうだが
国家主権と結び付いていて、今度それを切るわけだから、
それは一見、自由市場の再建にみえるけど、他方その切り捨て
られた土木建築とか流通業者のルサンチマンをどう処理する
かという問題もあるんだよね。
そのルサンチマンはおそらくナショナリズムを生むし(韓国への
挑発は2CH内でも現によくある)、戦争による特需の要請なども
唱えられるだろうし、そういう下部構造にうごめくルサンチマン
をどうするかは政治学者のフクヤマからは語られないのが問題だと思う。
5418っす。:2001/07/25(水) 07:15
>>51
>「歴史の終わり」とは、したがって、視座の安定性についての問題で
>あり、当然「歴史」が終わったわけではない。試合は続行する。

う〜ん、ちょっとわかりずらいけど、
「今の段階の問題はすべて、
将来、リベラル民主主義的な精神と手続きによって解決されるであろう」
ということは、いま、まだ問題は解決されていないということだから、
『今の段階の問題』が、解決されない限り、
歴史は終わったとは、まだ言えないということかな?
それなら分かるな〜。
55考える名無しさん:2001/07/25(水) 10:18
>>49
「人間は自由をおそれて、服従を求める」

こんなの詭弁以外のなんでもないよ。
人間は自由を《委任》したいと思っても、ぜったいに《放棄》したいとは思わない。
《委任》は指導者に不信任案を出せば、自由を回復できるが、《放棄》は不信任案を出す自由すらも失うこと。この点がちがう。

「人間は自由をおそれて、服従を求める」なんていかにも屈折したインテリが好きそうな言葉だ。
こんな詭弁がもっともらしくまかり通ってしまったのが、20世紀の悲劇。
56考える名無しさん:2001/07/25(水) 10:27
>>55
あ〜あ。
単細胞な啓蒙主義者があらわれちゃったよ。
57考える名無しさん:2001/07/25(水) 11:24
>>47
>また無制限の自由は人に不安を呼び起こし、その不安を解消するもの
>として逆に徹底した管理を求めてしまうという自由と管理の
>弁証法的転化への視点もね。


47さんには悪いけど、今時こんなこと本気で心配してる人いるのかな?

大衆が指導者に服従(忠誠)を誓うのは、あくまでも指導者が大衆をより偉大さへと導いてくれると信じた場合だけ。
指導者のエゴが、大衆の肥大したエゴと重なったときだけだよ。
でも、こんな権威主義は、もうリベラル民主主義国家内じゃ、マジョリティーを獲得することはできないでしょう。
オウム真理教なんかはもはや、永遠のマイノリティー。
58考える名無しさん:2001/07/25(水) 11:31
>>56
ざけんな。

>>55
同意。
59考える名無しさん:2001/07/25(水) 12:38
>>57
弁証法の停止=歴史の終わりという
ヘーゲルの意見の正しさがまた証明されたネ。
これほど非弁証法的意見が堂々とかきこされの
はまさに歴史が終わったからなのだ(ワラ
君こそ歴史の彼岸に立ち世界を永遠の固定した相に眺める
絶対知の体得者だ。
思想的ナポレオンのお通りだ(ワラ
60考える名無しさん:2001/07/25(水) 12:51
先のアメリカの大統領選のゴタゴタも
リベラル民主主義の勝利の現れだね。
多数決で決めるらな、あういうゴタゴタも
しょうがない。
しかし、ああなってはブッシュは民主党支持者にも
配慮しなきゃいかんから、結局挙国一致体制みたいに
なっているがね。
まあ、民主、共和の政策的差異はあまりなかったから、
どっちが勝とうが大差なしだよ。
イギリスみたいに労働党でもあればやはり違うのだろうが、
アメリカの政党政治も日本同様ヌエ的になってきたね。
61考える名無しさん:2001/07/25(水) 13:23
>>59
意味が分かんない。
62考える名無しさん:2001/07/25(水) 22:42
まあKojeveはFukuyamaを遥かに超過した可能性(の中心)を持っているし、
Hegelにも回収できやしない。
KojeveのHegelはHeideggerとMarxによって媒介されているからだ。
それは次の一節からもわかる:
「人間は私有財産や資本の観念に自己を投企することによって自己を超越し、
自己を乗り超え、自己を自己自身から遠方へと投企する。」(Intro to Hegel P83 Kokubunsha)
63考える名無しさん:2001/07/26(木) 11:19
>>62
>「人間は私有財産や資本の観念に自己を投企することによって自己を超越し、
>自己を乗り超え、自己を自己自身から遠方へと投企する。」

誰か、この言葉の意味を理解できてる人はいるのだろう?
いたら、教えて。
64考える名無しさん:2001/07/26(木) 12:24
>>63
言葉のまんまだよ
65考える名無しさん:2001/07/26(木) 15:38
>>56
>あ〜あ。
>単細胞な啓蒙主義者があらわれちゃったよ。

こんなこと言うから、インテリは屈折してるって言われるの!
66考える名無しさん:2001/07/26(木) 15:45
>>62
>「人間は私有財産や資本の観念に自己を投企することによって自己を超越し、
>自己を乗り超え、自己を自己自身から遠方へと投企する。」

ようするに、私有財産や資本は人間の『優越願望』を満たしてくれるってことかな?
だから、より強い『優越願望』を得るために、人はさらに私有財産を求めるってこと?
67考える名無しさん:2001/07/26(木) 16:24
超越に失敗してパニック(恐慌)を起こすという
ところまで言わないとマルクス的とはいえないな。
超越(命懸けの飛躍)に失敗などありえないと言いたいなら、
それは所詮予定調和の古典経済学的認識の枠内をでていないよ、
コジューブは。
68考える名無しさん:2001/07/26(木) 19:54
『歴史の終わり』が何の誤りもなく見えるのは当然の話で、
だいたいヘーゲルの歴史観からして、終わりから(事後的に)振り返って
歴史を捉える見方であるから、どんな偶然的なプロセスも起こるべくして
起こったように見えてくる。しかし、それはただの結果論に過ぎないし、
後出しジャンケンのようなものだ。それは何ももたらしてくれない。
実際には、その時、その場で先を見通せないまま闇雲に動いてるに過ぎない。
69戦争史の終焉:2001/07/27(金) 14:48
「人類の歴史は戦争の歴史である」とは、けだし至言である。
 日本史においても、大和、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、そして大日本帝国。これらはことごとく戦争によって起こり、戦争によって滅んだ。

 そして、フクヤマの「歴史の終わり」の核心は『テロリズムによる無限革命の終焉』である。

 大日本帝国は滅んでも、日本国は滅びることはない。なぜならば歴史は終焉し、つぎの時代の推移を半永久的に停止したからである。
 もちろん、高度資本主義国家・日本のおいても、オウム真理教の地下鉄サリン事件のように、局所的なテロは今後も起こりつづけるだろう。しかし、それが国家体制を揺さぶる革命まで拡大することはもはや永遠にない。現にオウムは、ほとんどなんの社会的同情も受けず、あっさり民主主義の前に敗北した。もはや宗教ファシズムなどに誰も共感したりしないのだ。
70戦争史の終焉:2001/07/27(金) 14:48
「歴史は繰り返し、人類も過ちを繰り返す」と悟りすまして語る悲観主義者に、我々はもうこう反論することができる。
「歴史は繰り返さないし、人類も過ちを繰り返さない。それほど愚かではないのだ」と。

 そして、それが歴史の終焉なのだ。
71考える名無しさん:2001/07/27(金) 15:20
小泉の構造改革、不良債権処理で日本は
経済的に崩壊します。
さようなら。さようなら。
72考える名無しさん:2001/07/27(金) 15:53
>>69,70
あなた、かたい文章書くね。(w

でも、フクヤマが《戦争史》というものを重視してるのは、その通りだと思うね。
それは、民主主義国家間での非戦闘性の立証や、武力外交でしか考えられない《現実主義者》批判にそれなりのページを割いているもでもわかる。
この認識の違いが、経済哲学(下部構造)側から批判してる人たちとうまくかみ合わない原因になってると思う。

もう第三次世界大戦は起きない。
経済哲学者にとってはピンとこないかもしれないけど、
歴史・政治哲学者であるフクヤマには、それで歴史終焉を宣言するには十分だったんだろうね。
73考える名無しさん:2001/07/27(金) 15:55
>>69-70
イスラム原理主義によるテロはむしろ
ソ連崩壊以降激しくなってきているが、
それについてはどうなのかな?
74考える名無しさん:2001/07/28(土) 07:30
>>73
 イスラム諸国家は、まだ『歴史世界』(リベラル民主主義が、最終的勝利をおさめていない世界。だからまだ革命の可能性がある)だからだよ。
 あそこは歴史発展の過程で、冷戦構造に押さえつけられていたものが噴出したに過ぎない。あそこはまだ歴史が動く可能性があるから、テロも起こる。
 フクヤマはちゃんとそこまで言及してるよ。

 でも、日本やイギリスなど先進国の『脱歴史世界』では、共産主義であれ、民族主義であれ、宗教原理主義であれ、もう《革命》は起きない。そのことをいちばんよく知ってるのは、全共闘世代じゃないの? あれだけやって、なにも変わらなかったんだから。
75考える名無しさん:2001/07/29(日) 23:52
>>74
だーかーらー、革命が起こらないということはべつに指摘するほどのことじゃないわけ。
だからって現状維持しなければならない、ということはないだろ?
要するに、局所的に、階級は生産され続けるし、
階級(排除されたものたち)は反抗を続けるだろう。
それだけが希望であり、その希望は明らかにフクヤマの望むものではない
(というより、フクヤマのメガネにはそんな反抗は映らないんだろう)。
76考える名無しさん:2001/07/31(火) 10:07
>>75
>フクヤマのメガネにはそんな反抗は映らないんだろう

だーかーらー、『映らない』んじゃなくて、乗り越えちゃったの。もう下部構造の変化に上部構造を覆す力はないっていってるの。経済に対するイデオロギーの優位の確認、これを主張したのがフクヤマの特権性。

>革命が起こらないということはべつに指摘するほどのことじゃないわけ。

本当にそうだろうか?
下部構造を重視する君には、《革命》っていったら共産主義革命しか連想しないのかもしれないけど、ことはそんなにシンプルじゃないよ。
歴史的に見て、あらゆる国家は滅んだ。ローマ帝国も、モンゴル帝国も、ドイツ第三帝国も、大日本帝国も、ソビエト連邦も。でも、どうしてアメリカ合衆国や、イギリス、日本は滅びないのか? 特にアメリカはあらゆる戦争に常に勝利しつづけてきた(ベトナムでは議論はあるけど)。
これはどうしてなのか?
歴史哲学的にも、政治哲学的にも、充分議論する価値があると思うけどな。
77考える名無しさん:2001/07/31(火) 20:17
>フクヤマの特権性
ハァ?
78考える名無しさん:2001/07/31(火) 20:29
>>73 それは弁証法の第三項排除の論理(サイード)で説明つく。
79ナナーシー:2001/07/31(火) 22:13
フクヤマさらにはヘーゲルの歴史観に特徴的なのは
「終わり」を設定するところで、さらに、
その「終わり」は「目的」に置き換えられる。
そして、この「終わり=目的」から歴史を振り返るならば、
すべて事象はその目的めがけて必然的に流れ込んで
きたかのように見える。
たとえば、多くの戦争を経てきたおかげで今日の平和がある、
ゆえに戦争は必要(悪)だった、というわけである。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉があるが、
結果的に勝利した側へ、負けた側をすべて包摂させてしまう。
これが「理性の狡知」であり、それはまた、
弁証法の悪しき(間違った)活用形態である。
80考える名無しさん:2001/08/02(木) 16:01
>>79
>そして、この「終わり=目的」から歴史を振り返るならば、
>すべて事象はその目的めがけて必然的に流れ込んで
>きたかのように見える。

 確かにそうだよね。
「ミネルバのフクロウは黄昏時に飛び立つ」
 けっきょく人間は、結果を見てみないと、なんの結論も下すことはできない。
 まあ、フクヤマやヘーゲルに限ったことじゃないだろうけど。
 けっきょく、冷戦でアメリカが勝った理由は、究極、勝ったから勝ったとしか言いようがないよね。
 理由なんて後付けだよ。すべては結果論でしかない。
8176:2001/08/02(木) 20:48
>>77
>>フクヤマの特権性
>ハァ?

ちょっと、言葉の選択を誤った。「フクヤマが言いたかったこと」に訂正。
82考える名無しさん:2001/08/02(木) 20:56
前も書いたけどコジェーヴの射程はフクヤマとかヘーゲルに回収できるもんじゃないよ。
コジェーヴの伝記を入手したんで、いずれ報告してあげます。
83考える名無しさん:2001/08/02(木) 20:56
>>79のような書き込みを見られるだけで、俺は哲学板見てて
良かった、と思えるよ。>>79マンセー
84考える名無しさん:2001/08/02(木) 22:47
>>82
ヨロピク
85考える名無しさん:2001/08/03(金) 19:40
82に期待
86age:2001/08/10(金) 20:01
普遍等質的国家?
87考える名無しさん:2001/08/16(木) 19:16
tyotto
88考える名無しさん:2001/08/17(金) 18:30
oui,oui
89考える名無しさん:2001/08/17(金) 19:12
>>88
Hi
90考える名無しさん:2001/08/18(土) 04:11
なんか書き込むと他のスレに載るぞ。                          
サーバーもやられてる。            
91考える名無しさん:2001/08/18(土) 04:52
アレクサンドル・コジェーブ
1902年にロシアの大ブルジョアの子として生まれる。叔父は
抽象画の有名な画家カンディンスキー。
ロシア革命時に青年として直面し、亡命する。
ハイデルベルグでヤスパースに学ぶ。仏教やインドの哲学、
サンスクリット語の造詣を深める。フッサール、ハイデガーらは避けていた。
ベルリンの歓楽街で退廃的な生活もしている。
セシル・シュタークと出会う
1926年パリに移って、セシルと同棲。豪奢な家でブルジョワ生活を
続ける。ソルボンヌで数学と物理を勉強する。コイレのヘーゲル講義を聴講。
しかし世界恐慌における株式暴落で豪奢なブルジョワ生活を続けられなくなる。
ソロヴィヨフの宗教哲学に関する論文を書く。
古典力学と量子力学における決定論の概念についての論文を国家博士論文と
して提出するも受理されず
1933年にコイレのヘーゲル講義を引き継いで有名なヘーゲル講義を始める(生活資金を
得るためでもあった)ヘーゲル「精神現象学」を現代化する。この講義は1939年まで6年間続く。
1943年『権利の現象学試論』
1945年 仏経済省対外経済関係局の特務官になる
以後、GUTなどでフランスおよび欧州の貿易・経済交渉に敏腕を発揮。
一方で哲学書も執筆していた。
1947年 『ヘーゲル読解入門』
1967年 日本を訪問、日本的スノビズムを見る
1968年 死去
92考える名無しさん:01/09/12 04:26
良スレだと思うんだが、最近元気ないね。とりあえずageとく。
93考える名無しさん:01/09/16 07:17
話すことがもうないんです……。
94考える名無しさん:01/10/08 04:44
今、店頭に並んでいる伝記って面白い?
95考える名無しさん:01/10/20 17:07
sage
96考える名無しさん
pinpointosage