【マルクスその可能性の中心in2ちゃんねる】

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小生はマルクスについては無知であります。大いに語ってください。
2観客その1:2001/05/30(水) 07:24
いつか来ると思ったよ(w
楽しく観戦させてもらうよ。
茶々入れるかもしれんけど。
3考える名無しさん:2001/05/30(水) 08:05
4外野席その1:2001/05/30(水) 12:41
さて,誰が口火を切るかな。
どのように語り始めても波乱の予感。
5考える名無しさん:2001/05/30(水) 16:35
まず経済学について。
あえて純粋に「経済学」として見た場合、投下労働価値説とか
余剰価値論ってもうダメダメだよね。結局残るものはあるんだろうか。
「経哲草稿」の初期疎外論も今読むとあまりにナイーブすぎる。
個人的には「ルイ・ボナパルトのブリュメール」みたいな、ジャー
ナリズム+哲学みたいなテキストが今読んでもエキサイティング
だと思われ。
6考える名無しさん:2001/05/30(水) 16:52
マルクスは哲学者としては二流だって、
晶子ねえたんが言ってたよ。
7考える名無しさん:2001/05/30(水) 17:37
ヘーゲルの解釈者として、マルクスは一流の存在だよ。
ヘーゲル左派の中で、最も優秀なのがマルクスだね。
8考える名無しさん:2001/05/30(水) 20:31
>>1
君には理解できないっしょ。
そんなコテハン使ってるようじゃ。(笑
9考える名無しさん:2001/05/30(水) 23:15
皆、ビビッてレス付けないのかな?
RAGEを厨房扱い出来るいいチャンスなのに、、、
ソ連スレのせいか?
10考える名無しさん:2001/05/30(水) 23:36
>>9
つうか、彼の知識は上っ面だけでしょ。
後期フッサールのレスで生き恥さらしてたよ。(藁
どうでもいいけど皆さん『資本論』全て読んでるわけ?
それとも読むポイントってあるわけ?
12考える名無しさん:2001/05/30(水) 23:47
だれか資本論を一行づつ読むスレッドを作ってくれ。
13ネットアイドルてるみ:2001/05/30(水) 23:53
資本論読んでも金持ちにはなれんぞな。
エロ本の方が有意義だぞな、もしかしてェ
14考える名無しさん:2001/05/30(水) 23:58
>>11
マルクスはね、いろんな分野に手を出してるからね、
基本的な彼の考えは、「資本論」の一巻を読み、足りないところは
解説書で補えばよいわけ。
経済学で扱うとなると別だけどね。
「俺は全部読んだぞ〜」つっても自慢にもならないわけよ。
資本論全部読むよりね、カントを読破する方がはるかに
つらいよ。(あ、別に俺カント研究者じゃないからね。
なぜっかていうとね、彼の考えは大系化して基本的には
主張のゆれがすくないからね。
ニーチェみたいにあっちこっちで違うこと言ってないからね。
カントだってね、例えば岩波では三巻本(純理)あるけど
たいてい一巻しか四℃欄。アンチノミーまで含めて四ドルやつは少ないんだけど
やっぱマルクスでもそうなのだねぇ。
研究者も参照する程度の解説書ってないですか?
17考える名無しさん:2001/05/31(木) 00:21
>>16
君はいやにこのスレでは、腰が低いな。(藁
君の頭だったら、社会学、哲学辞典で細かい用語の使用法をしらべ、
あとは、原本読んだほうが速いんでないかい?
あとね、結構解説書の解釈は信望者に汚染されてるのがあるから、
気をつけてね。経済学サイドならまだO・K。
哲学サイドの研究者は、あまり解説書を信用していないと思われ。
それぞれ自説があるからね。
とりあえずE・H・カーの『カール・マルクス』を購入した。
19名無しさん:2001/06/01(金) 01:40
資本論は哲学書、とくに認識論&存在論として読むと面白い。
20恋する器官なき身体:2001/06/01(金) 02:33
う〜ん、なんで資本論はあんなに回りくどいんですかね〜。
21名無しさん:2001/06/01(金) 02:51
カントやヘーゲルも回りくどいでしょ?
っていうか、哲学はだいたい回りくどい(笑)。
22恋する器官なき身体:2001/06/01(金) 03:52
ヘーゲルの「精神哲学」なんかをさぼっちゃってますが〜。
それにしても、あれは、酷いっす。
っていうか、あれはエンゲルスの仕事だっちゅう話が。
23考える名無しさん:2001/06/01(金) 04:10
>>22
精神現象学のこと?
ヘーゲルの文章は悪文の見本。
へたくそな翻訳文はもう理解不能(w
自己を回復する相等性、
あるいは他在の中で自己自身へと反省すること、
これこそが真理・・・
ただ、ここにマルクスの原点があることもたしかなんだけどね。
24名無しさん:2001/06/01(金) 04:17
>>22
たしかに超悪筆の遺稿を見ながら2巻3巻をまとめたのはエンゲルス。
25考える名無しさん:2001/06/01(金) 23:38
マルクスが自分はマルキストじゃないって言ったってのは有名なハナシ。
で、ヘーゲルを知らずしてマルクスは理解できないって意見をどう思う?
26OFW:2001/06/02(土) 00:22
どもです。マルクス関連のスレはこれで幾つめかな・・・。
>>3
 ネットに乗ると引用も楽ですね。しかし、対談録という性格上議論が厳密で
 ないせいか、ざっと読んだだけでも随所に反論したくなる所がある。
 「マルクスはたんに「批評的」なんです。」(柄谷)
 とは、批評家としての自らの立場にマルクスを引き寄せてしまいたい、と
 言う動機がなんとなく感じられ。(その後の活動は唐突だが)
 マルクスは「批評的(評論家的)」ではなく、徹底して<批判的>なのです。
>>5
>「ルイ・ボナパルトのブリュメール」
 私も好きですね。『フランスにおける内乱』を含めて、現代でも間違いなく
 ジャーナリスト大賞を取れるでしょう。
>>6
>マルクスは哲学者としては二流
 それは残念だな。しかし、奥さんは美人だったそうな(関係無い?失礼)。
>>12
>資本論を一行づつ読むスレッド
 ネット上にはドイツ語や英語訳はあるが、和訳は現在プロジェクト進行中
 ttp://www.cpm.ll.ehime-u.ac.jp/AkamacHomePage/
 DVProject/DVProjectJ.html
 また、下記のサイトで『共産党宣言』その他が参照可能。
 ttp://www5.big.or.jp/~jinmink/TAMO2/DT/index.html
 その他、(新)左翼諸政党HPに労働者向けの解説がある。
>>16(RAGEさん)
>解説書ってないですか?
 17氏も言うように、原著を読む方が良いでしょう。ただいきなり『資本論』
 から始めるのは、無謀でしょう。初期の頃の著作から追って行きながら、
 マルクス独特の思考法に馴染むのが宜しかろうと。
27福田でぶ和也:2001/06/02(土) 01:05
コミュニズムって結局、実現不可能なんだろうね。
だから、柄谷なんかはコミュニズムを「統整的理念」として
でもなんとか生き残らせようとしているけど、
それは苦肉の策でしょうな。
それにコミュニストは一般的に言って、「未来指向」だよね。
「未来」のためなら「今」を犠牲にしても仕方がないと考えている。
昔の柄谷はそういう未来指向性に批判的だったが、
NAMを結成してからは、「今の幸福」の犠牲を肯定しだしたね。
カント的リゴリズムさながらに。
マルクスの弁護士・柄谷は、まさになりふりかまわずになったよな。
それだけマルクスの威信は地に落ちたということだね。
柄谷的には「今の幸福」を追求することは「美学的(反唯物論的)夢想」なんだが、そういう「美学」に
現実の資本制的矛盾を「想像的に」止揚する可能性があるとも言っているね。
その物質的基盤として例えば「ドラック(アルコールがその典型)」があろう。
だから、「資本制の美学的止揚」も十分”物質的”なんだよ。
あるいは、阪神タイガース(「祭」と一般的にいってもよい)への「ネーション的」没入とかもね。
これらの「美学的止揚」は柄谷自身、ずっと”実践”してきたんだよな。
マルクスに可能性がないことは、マルクスの弁護人が一番知っているという
いい例だね。
つまり、「美とネーションのファシズム」にこそ可能性があるということだよ。
28OFW:2001/06/02(土) 06:07
>>25
>ヘーゲルを知らずしてマルクスは理解できないって意見をどう思う?
 別に知らなくても良いが、商品・貨幣・資本の本質を理解するためには
 唯物論およびいわゆる弁証法的な思考は必要でしょうね。実際、マルクス
 が明らかにしたにも拘らず、「お金って何?」に関して未だに無理解が続い
 ているのは、<価値><実体>等の概念把握ができていないため。
 そもそも<概念的認識>に対する無理解は、専門分化した科学共通の限
 界であり、社会科学では致命的ともなり得る。
>>27 (福田でぶ和也さん)
>マルクスの弁護士・柄谷
 そうとは思えないな。むしろマルクスを自分の趣味(理念といってもよい)
 に合わせて解釈あるいは誤読しているだけのようですが。
 多分「本当は私も良く分からない」と言うべきなのでしょうが、彼の言う
 マルクス像をそのまま受け入れてしまう怠惰な読者が多いため、結果とし
 て 「コミュニズムは所詮不可能だ」といった宣伝に手を貸すことになる。
 「自由で自立した」知識人が繰り返しマルクスやコミュニズムに言及する
 理由は一体何なのかな。労働者に対する倫理感?
29福田でぶ和也:2001/06/02(土) 15:59
>>28(OFWさん)
柄谷がマルクスに言及しつづけるのは、おそらくマルクスほど
資本制の本質を熟知している他の分析家がみあたらないから
でしょうね。
柄谷が興味があるのはマルクスその人というより、資本制そのもののほうで
あって、たまたまマルクスがその資本制の最良の分析家だったということですね。
それで、柄谷はマルクスに敬意をも表しているわけです。
柄谷もマルクスも資本制の解明とその止揚を共通の目的に
していますが、そこに柄谷がマルクスに入れこむ理由があるわけです。
ところで、柄谷が終始一貫して攻撃対象にしているのは「共同体」です。
柄谷にいわせれば、資本制もまた信用と貨幣に基づく「想像の共同体」です。
それは結局他者を排斥するものです。
それゆえ、柄谷は資本制を攻撃せずにはいられないのでしょうね。
無論、私は美のファシストですから、柄谷には最終的には賛成しません。
私は資本制の(芸術やドラックによる)美学的超越にしか可能性の中心を見いだせません。
そこで、逆に、OFWさんがマルクスに可能性を見いだしているのなら、
その可能性とは何かを教えて頂きたいのですが・・・
30考える名無しさん:2001/06/02(土) 17:25
>>29
>美のファシスト
ワラタ
31考える名無しさん :2001/06/02(土) 19:18
>>29
>柄谷が終始一貫して攻撃対象にしているのは「共同体」です。
>柄谷にいわせれば、資本制もまた信用と貨幣に基づく「想像の共同体」です。
>それは結局他者を排斥するものです。
プ
32田中洸人:2001/06/02(土) 19:50
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422
ここを見てください。量子力学がきわめて「人間的」な物理学であることがわかります。
33OFW:2001/06/02(土) 21:03
>>29(福田でぶ和也さん)
>その可能性とは何かを教えて頂きたいのですが・・・
 一般に可能性とはどのような思想や事柄にもあり、結局それを活かす主体
 に依存して現実的か否かが決まる性格のものですから、強いて答えるなら、
 「労働者階級にとって、自己の解放のために無限の可能性がある」としか
 言いようがない。(資本家にとっては無限の不可能性しか無いのと同様)
 そもそも「マルクスに可能性はあるのか?」という設問自体が暗黙の前提
 を含んでいるから、「あなたは何を<マルクス>と呼んでいるのか?」と
 聞き直す必要がありますね。たとえば、また>>3のサイトから引用すると、
 「コミュニズムというのは世界市民的社会だと思います。」(柄谷)
 と言われており、<コミュニズム>に関する平均的な理解から外れている
 らしく、そうなると「コミュニズムに可能性はあるのか?」と聞かれても
 即答できないでしょ?そしてそれは、
 「共産主義とは達成すべき何らかの状態を言うのではない。それは現実の
 中にあって、それを止揚しようとする不断の運動を言うのである。」
 (マルクス)とも、さらに異なるし。
 (本当にマルクスを読んだのかなぁ・・・)
34福田でぶ和也:2001/06/03(日) 03:02
>>33(OFWさん)
私の理解するマルクスは生産を神秘化したフェティシスト
にすぎません。
彼が労働者階級を擁護するのは、彼らが生産活動をする
階級だからですが、逆に、そういう視座は生産しない人々を
価値外におくことになります。
例えば、病人や子供や老人は生産活動ができない。彼らは、それゆえ
福祉や贈与によって生存しなければならないが、しかし、
生産中心主義的価値序列からすると、彼らは邪魔もの以外では
ありえない。
こういう価値序列に正当性を与えたのがマルクスだと思います。
ところで元々、支配階級には「不具者」が多いのです。
例えば、村の支配者である村長は老人が多い。村長は村の若者が
生産する生産物を上納させる(収奪する)でしょうが、非生産者が生産者から
物を収奪していることには変わりないから、それもやはり「搾取」なのです。
子供が親から物を与えられるのも同様です。なぜなら、子供は生産せずして、
財を享受しているからです。子供は親を「搾取」しているのです。
子供や老人や病人は誰かから生産物を収奪せずには生存できないから、
搾取(収奪)一般を否定することは不可能ですね。
「搾取のない共産主義社会」が不可能な理由の一端がここにある
と思われます。病や老いは人間にとって不可避だからです。
生産したくてもできない人たちの存在。これが共産主義の不可能性の
中心であり、搾取(弱者への贈与=福祉)の必要性の中心なのです。
そして、ブルジョワ階級というものも、神経衰弱者の集団のようなもの
なのです。彼らも十分に病人だと思います。
つまり搾取を肯定する資本制こそ、逆説的にも福祉社会なのであり、それゆえ
美のファシストである私は資本制に我慢ならないのですが、しかし、
弱者を保護することこそ強者の倫理ですから、美学的超越によって
資本制という名の福祉システムに目をつむる次第なのです。

35考える名無しさん:2001/06/03(日) 03:16
>>34は微妙に電波がは言ってると感じるのは俺だけだろうか?
>美学的超越によって資本制という名の福祉システムに目をつぶる・・
俺には何をいってるのか100%解からないのだが。藁
そういう俺はアホなのか、ALL?
36福田でぶ和也:2001/06/03(日) 03:49
>>35
ニーチェの発狂に無限の親近感をもつ
美のファシストである私は確かに鋭く
電波に近接していることを自認しております。
搾取とは転倒された福祉だ、などとは電波でなければ
いえない認識です。
無論、私はブルジョワ階級の人間ですから、神経症を患っている。
それゆえ病人である私には福祉が必要だから、労働者から生産物の施しを
受けている(労働者を搾取をしている)のです。


37恋する器官なき身体:2001/06/03(日) 05:22
>搾取とは転倒された福祉だ、などとは電波でなければ
>いえない認識です。

ネタなんでしょうけど、それは電波ではないと思います。。。。

>無論、私はブルジョワ階級の人間ですから、神経症を患っている。
>それゆえ病人である私には福祉が必要だから、労働者から生産物の施しを
>受けている(労働者を搾取をしている)のです。

トンデモ主体性ですね。
3830:2001/06/03(日) 05:36
>>35
確か、似た様な事を福田が何処かで言ってましたよん。
思い出して笑いました。
やっぱ福田はただのデブのチンコロだな。
40OFW:2001/06/03(日) 07:25
>>34(福田でぶ和也さん)
>私の理解するマルクスは生産を神秘化したフェティシスト
 それはあなたの誤解です。(やすいゆたか氏に近接しているな。)
>子供や老人や病人は誰かから生産物を収奪せずには生存できない
 それは「収奪」とは呼ばないな。味噌もクソ(失礼)もごったですね。
>病や老いは人間にとって不可避だからです。
 身体的病気や老人は生物学的な自然ですが、階級とは社会的な存在で
 あり、なくす事ができる。それが、「マルクスの可能性」ですね。
 社会学板にもありましたが、小室直樹氏のいう<社会科学的思考>を
 身につけることが必要です。
>>36(福田でぶ和也さん)
>私はブルジョワ階級の人間
 それは自分を誤解しているのでは?
 ヒットラー、ニーチェ、三島由起夫を含めて、プチ(小)プルジョアと呼ぶべ
 きでしょう。本来のグラン(大)ブルジョアはまさに「資本の人格化に過ぎな
 い」(マルクス)から、黄金色を除き、およそ美などには関心が無い存在です。
 確かにファシズムは中産階級の社会経済的な不安定さが社会心理的な不安に反
 映して起こった政治現象と言えるが、美的現象ではないでしょう。
・・・まぁ、限りなくネタスレになりそうなので、この程度で。
41日本@名無史さん:2001/06/03(日) 12:57
>>34
生産中心主義的価値序列?
マルクスがプロレタリアートを擁護してると思ったら大間違い。
マルクスはプロレタリアートは人間を完全に喪失していると言って罵倒してるんだから(藁
42恋する器官なき身体:2001/06/03(日) 21:11
プロレタリアートとブルジョアジーの二項対立自体が、
現代においては、かなり大雑把な代物かと。
かといって、マルクスは無視出来ないけど。

ファシズムは資本主義を補完する、急進的でやたらコストの掛かるイデオロギ〜。

新しい植民地主義の時代には、新しいマルクス解釈を〜〜。
43我輩は名無しである:2001/06/03(日) 22:03
その二項対立を、現実の階級闘争という形で実体論的に捉えるのではなく、
マルクス的思考の形式上のダイナミズムとして救い出せないかなぁ
44名無しさん:2001/06/03(日) 23:24
生産第一なのは封建社会や資本制社会。
勤労が美徳とされる一方、老人や病人は家計の負担になる。
45福田でぶ和也@『搾取の系譜学』:2001/06/04(月) 00:32
贈与と収奪は起源において同一です。
与えられること(贈与されること)に慣れてた挙げ句、
贈与の停止が行われそうになる時、人は他人に暴力的に贈与をさせる
ようになる。それが「収奪」。
疑うものは「ひきこもり」人間の実態を見よ。
彼らは、成年期に達し、親からの贈与を打ち切られる
その時、自分がこうなったのは親のせいだ、と親に暴力を
振るい、結果、贈与を継続させることに成功するではないか。
子供への不足ない贈与は子供を不幸な暴君にする。
これが支配者(暴君)を育てる帝王学の基本であろう。
不足を知らないものは他人から奪うことしか知らないのだ。
美のファシストたる私が「父権」の確立を唱えるのは、まさに
子供を不幸な暴君にしないためであって、その逆ではない。
子供に不足なく財を与える歪んだ母性こそ、人を無邪気な収奪階級へと
成長させるのではないだろうか。
まさに、父権の確立が必要なゆえんである。
46考える名無しさん:2001/06/04(月) 00:55
>>45
正に父権が強固に家族幻想を支えていた時代の父親が、
現在の引き篭りを作り出す家庭の父親を育てたのでは?
気持ち悪いなぁ。
硬直した二分法をところ構わず押し付けるんじゃないよ。
デブの論理は極めて単純。
収奪/贈与、父性/母性、大人/子供などの対概念を
歴史の似非弁証法的な構図に当てはめているに過ぎない。
それは歴史ではなく、君の極めてステレオタイプ的な歴史像に過ぎない。
48福田でぶ和也@電波:2001/06/04(月) 01:23
>>46
濃密な母子一体関係が子供が家庭から
自立できない関係を作ったと見るべきです。
むしろいままでの父親は家庭幻想を支えていない
どころか、家庭において「不在」だった。
「不在」として働くゼロ記号のような父親がいままでの父親である。
しかし、その不在の効果は母子一体化として帰結する。
なぜなら、不在であるような父親が第三者として母子一体関係に割ってはいり、
その濃密な関係に切断をもたらすことができないから。
だから私の言う「父権の確立」とは「父親不在」を「父親実在」へと変換し、
母子一体関係にメスを入れ、家庭内に第三者の審級(社会性)の再構築も目論むものです。
そして、家庭内にも事前に社会性があれば、子供は家庭と実社会との温度差におののくことも
なくなる。
まあ、体育会系の家庭でひきこもりがないことを想起してくれれば、
私の言い分も理解して頂けるかと思われます。
簡単なことですね。
49福田でぶ和也@ステレオタイプ:2001/06/04(月) 01:42
確かに、私の容姿は気持ち悪い。
ゆえに、私は美を求めるのだ!
ひとつ聞きたいけど
ホンモノの福田もこれほどアホなわけ?
読む必要ないなぁ。
51名無しさん:2001/06/04(月) 07:45
>>45
で、搾取はどこいった?
収奪と混同するなよ。
52恋する器官なき身体:2001/06/04(月) 08:03
マルクスのいう搾取は相変わらず続いてると思われ。
ヒッキ−は団塊世代の郵貯を食い潰してると思われ。
郵便局は世界最大の金融機関と思われ。
国家間にも搾取があると思われ。
餓死者は後をたたないと思われ。
合衆国は今後も度々イラクを爆撃すると思われ。
53考える名無しさん:2001/06/04(月) 09:35
引きこもりは感情を搾取されたくないってことなんだよっ!!
54考える名無しさん:2001/06/04(月) 15:43
>>48
それは家族の幻想を括弧に入れろと言っているに過ぎない。
母子一体関係を良しとする価値の醸成が父親の世代で行われた事に注目せよ。
単純な父子母の関係性から分析しても処方箋は作れないよ。
てか、RAGEと同じ意見だな。

それと、福田和也が何処で言ってたか説明きぼん。
55考える名無しさん:2001/06/04(月) 16:07
51と同じ。
搾取の説明はどうなったの?
56福田でぶ和也@アホ:2001/06/04(月) 19:43
ひきこもりを批判して、現役ひきこもりあるいは
パラサイト・シングルの逆鱗に触れてしまったようだな。
とにかく、金だけは入れて、後は知らん顔をしている
父親のいる家庭は「郊外」のように空虚だな。
母系社会では元々父親は育児には参加せず、そのかわり、
母方の兄弟が父親代わりをしていたわけだが、
母系社会の崩壊とともに、実の父こそ父親として子供に
接しなければならなくなったのに、実の父は相変わらず、
母系社会幻想を引きずって、育児を放棄しているのだよ。
そこに「父親不在」という空虚が発生し、子供はいつまでも
大人になれないでいる。それがひきこもり人間だ。
今はもう母系社会ではない。もはや母方の兄弟が父親代わりなどしてくれない。
だからこそ、実の父が父親にならねばならぬ。
これが「父権の確立」の要諦だ。
「母系社会幻想」こそ、ひきこもり発生の元凶なのだ。


57恋する器官なき身体:2001/06/04(月) 20:32
別にヒッキ−を批判してないよ。
私自身ヒッキ−だし〜。
このスレは、「マルクス」で、「現代的可能性」なわけです。
現状を客観的に考える為の軽〜い問題提起です〜。
そんなに怒んないでくらさい。
58OFW:2001/06/04(月) 23:04
>>43
>その二項対立を、・・・マルクス的思考の形式上のダイナミズムとして
 「賃労働と資本」の本質的対立=本質的同一関係という形式はまさに弁証
 法的な運動の中に置かれているわけです。<労働力商品>としての賃
 労働者の生産的労働が<(経済的)価値>の源(実体)であり、それは社
 会的生産が私的に行われているという資本家制的生産様式の必然的な
 結果だ、という点を捉えたのが<疎外された労働>から始まるマルクス的
 思考の到達点でしょう。
 それは「人と人との関係がモノとモノとの関係として現象する」(マルク
 ス)という、いわゆる<物象化>(俗物主義や社会システム化でもある)
 として、社会全般を覆っている転倒した事態の根元でもある。
 貨幣の力は何よりも強い。何故ならそれは人間の類的な本質力をモノとし
 て外化(疎外)させた、全能の神(但しあくまで世俗的な神)の地位を占
 めているから。天上の神よりは地上の神の方が無限に多くの現実性をもつ
 のは、けだし当然でしょう。(このあたりは『聖家族』、『ユダヤ人問題
 によせて』に詳しい。)
 家族の問題として考えても、「父性の復権」「父権の確立」などは全く見
 当違いの俗物的な精神論に過ぎない。家族が協働的社会に開かれているか
 否かが重要な視点であり、小市民的な父性をいくら振りかざしても、所詮
 無力なもの。「お父さんは誰にリストラされちゃったの?」など言われて。
 必要なのは、労働者大衆的な<地底からの唯物論>であり、ヘーゲルの
 哄笑もプロレタリアのそれによって歴史的な真理を得ると言えるでしょう。
 ・・・質問の趣旨と違ったかな?
59考える名無しさん:2001/06/04(月) 23:28
未開社会におけるポトラッチの「自発性」を、近代市民社会に
おける自発性と混同するのはナンセンスでしかない。

引きこもり者の「収奪」が幼年期の「扶養としての贈与」の
発展形であるかはどうでもいいことであって、引きこもりは
再生産されない点において社会システムと決定的に異なる。

ついでに言えば、醜形恐怖や老醜恐怖に由来するところの
美のフェティシズムなど、糞でしかない。
60絶望する器官なき身体:2001/06/05(火) 00:32
「暴力と音」(平井玄)のに、フリータープロレタリアートと
フリーターブルジョアジーってのがありました。
前者はドキュンプラプラ〜、後者は高等教育受けてプラプラ〜。

マルクスが旧ソ連やポルポトの悲惨にも関わらず今でも輝き(?)を
失わない理由は、その強烈な批判力にあると思います。
このスレ、ちょっとドキドキ。
61考える名無しさん:2001/06/05(火) 00:38
>>59
すべてを否定形で語っても生産性はまったくないね。
なぜポトラッチの自発性が近代社会の自発性と異なるのか、
を説明しなければ。また生活を続行させるために実際に
何かを生産している引きこもり者が、家族からの扶養として
の贈与を収奪しつづけることがなぜ社会システムと
「決定的に異なる」ことになるのか。

「糞でしかない」などという根拠を欠いた断定も、以上の
理由から意味をなさない。むしろそうしたカキコをする
あなた自身が「糞でしかない。」
62考える名無しさん:2001/06/05(火) 01:04
ドキュソから搾取できない。

搾取は高度な資本主義が成立していないところでは
成立しえない。

アメリカは日本から搾取し、日本はアメリカから搾取する。
この2地域以外に搾取できる場所が地球上に存在しない。

今日、退嬰したヨーロッパからの搾取は非常に困難である。
アジア、アフリカ、中南米は言うに及ばず、、、

ソ連の崩壊によって独立国家は増えたが、搾取できる市場
は縮小してしまった。
63絶望する器官なき身体:2001/06/05(火) 02:44
実際に、中国には日本の工場があるし、東南アジアにもいっぱいある。
そして、賃金に格差がある。
生活レベルにも格差がある。
そして、西洋の文化は華やかだ。
64福田でぶ和也@俗物的な精神論者:2001/06/05(火) 17:19
>OFWさん
私はむしろ家族内に社会性を持ち込み、家族を私的な閉鎖空間
から解放するために、「父権」の導入を言っているのであって、
その逆ではありませんよ。
それに失業問題は柄谷も言うように、「社会民主主義」でも解決可能ですね。
だから、失業問題をバネにして、プロレタリアートをコミュニズムへと駆り立てることは
困難なはず。彼らはむしろ「国家」にすがるだけですね。
そして彼らは軍隊という名の国営企業に就職し、殺戮兵器へと商品化され、
植民地を収奪する殺人営業社員になるのがオチ。
これが失業問題の顛末であるが、しかし、国家にすがるプロレタリアート
には実に「自意識」が欠如していますな。
故に、私は父権を確立し、プロレタリアート=父親に「精神」をもてと言いたい。
精神をもつものは、そうやすやすと権力に服従するものではない。
柄谷も言うように、精神とは「外部性」であり、(国家)共同体と背立するものだから。
あと、家庭と父権の関係でいうと、父親とは元々家庭という閉鎖的共同体(母子一体関係)の外部に立つ者だが、
父親は家庭の外部に立つものとして家族共同体を解体し、社会性へと解放する可能性をもっている。
父権とはその可能性に与えられた名称である。
だから、可能性に留まっている精神=外部性は、父権によって実効的なものになる。
まさに父権の確立と精神の確立とは不可分である、というゆえんである。
(また電波発言をしてしまった・・・)

65海原雄山:2001/06/05(火) 18:54
>>57
ウソをつくな。
おまえがヒッキーなはずがない。
わかるぞ、そのエネルギーィィィィィィィ!!!
66考える名無しさん:2001/06/05(火) 19:12
>>63に賛成>>62は搾取って分かってる?
67無し:2001/06/05(火) 21:26
そうさな、搾取されてるからこそ>>62でいう、退嬰したヨーロッパ、
アジア、アフリカ、中南米のような事態になってるわけでその逆ではない。
あぶなく納得してしまうところだった。
68絶望する器官なき身体:2001/06/05(火) 22:58
「オタクはキモい」「なんか違う」「ストーカー」「異常」って感じで
フラれた私の気持ちは分からんだろうな〜。
このスレ、いつもの長スレ激論で、学習できると思ってたけど、
なんかノリが変だ。
69G-W-G':2001/06/05(火) 23:13
>>68
そのフラレは、
一度交際という「社会的関係」を経ているや否や?
これこそが美醜の政治の要諦と言えよう。
70絶望する器官なきドキューソ:2001/06/06(水) 01:04
新しい搾取。
自己啓発的イデオロギーはどうか?
「我が企業で貴方の夢を実現してみませんか?」
71考える名無しさん:2001/06/06(水) 01:13
>>64
>家族内に社会性を持ち込み、家族を私的な閉鎖空間から解放する
具体的にはどうやって実現するの?
72考える名無しさん:2001/06/06(水) 01:31
父権の問題は、このスレと関係ない。
別にスレ建てて、やってくれ!
73OFW:2001/06/06(水) 02:15
>>61
(横レス失礼)
>ポトラッチの自発性が近代社会の自発性と異なるのか
 マルクス主義的・経済人類学的視点から言えば、たとえばポランニーある
 いはモーリス・ゴドリエを参照すれば、一定の経済社会構成体の本質を
 解明する際には、その社会において「何が<生産関係>として機能してい
 るのか」がまず問われるべきだ、ということです。
 <ポトラッチ>(収奪−贈与)という経済的=政治的関係はそれが社会の
 再生産を規定する主要なものであるかどうか、によって生産関係と見られ
 得るかどうかが決まる。明らかに、資本家制的生産様式の下では<交換>
 が支配的な関係様態であり、<収奪>あるいは<贈与>は二次的なもの
 でしょう。すなわち、擬制の等価交換としての<搾取>という近代的な関係
 は<収奪><贈与>というカテゴリーに還元できないということです。
>>62
>アメリカは日本から搾取し、日本はアメリカから搾取する。
 不正確な表現ですね。「アメリカ」「日本」とは単一な主体ではなく階級に
 分裂した<国家>という幻想の共同体であり、搾取の真の主体ではない。
>搾取できる市場
 市場は常に等価交換に基づくのであり、労働力市場もまた同様です。
 そこに資本主義の秘密がある。
74OFW:2001/06/06(水) 02:19
>>64(福田でぶ和也さん)
>彼らはむしろ「国家」にすがるだけですね。
 かって「国家社会主義」として登場したナチズムの経験は生かされずかな。
>柄谷も言うように、精神とは「外部性」であり、
 そんなことを言っているとしたら?ですね。精神こそ内面の力です。
>元々家庭という閉鎖的共同体(母子一体関係)の外部に立つ者
 母子家庭が家庭の原型?
>家族共同体を解体し、社会性へと解放する可能性をもっている。
 歴史上、血縁に基づく伝統的共同体が解体され<国家>が成立したが、
 それは一方で戦争と略奪、他方で商品交易によってでしょう。
>>69(G-W-G'さん)
(横レス失礼)
>一度交際という「社会的関係」を経ているや否や?
 <援助交際>は貨幣と愛情との等価交換ですが、無論「援助」という言葉
 通り、不等価な等価交換という<社会的関係の不可能性>を示している。
 ギブアンドテイクとは卑小な商人的モラルであり、交際(社交)の本分に
 反する非社会的な行為(取引)でしょう。GがいかにしてG'になり得るか。
 確かに「政治的動物」としての人間は交際好きであり、引きこもりは非社
 会的と言えるかも知れないが、疎外された利己的・打算的社会に対する受
 動的な反発であり、本来の精神的な社会(人倫)を求めているとも言える。
75絶望する器官なきドキューソ:2001/06/06(水) 15:02
ポトラッチのことは、「呪われてチョンマゲ」、
家庭ってのが社会的である事は、「アンチハリウッド」
に長々と書いてある。
そうじゃなくて、情報空間で哲学なんかやって、
いざ現実に立ち返って、厨房が何らかの力を感じる。
そんな現代においてマルクスの可能性はとは来た日にはだね・・・
・・・・・・、え〜〜〜と、なんでしたっけ?????
76福田でぶ和也@『私の反ユダヤ主義』:2001/06/07(木) 00:54
(父権の問題はこのスレに関係ないってか・・・)
「交換」は「命懸けの飛躍」を伴うとマルクスは言うが、
その命懸けの飛躍を隠蔽するものとして、資本主義と
共産主義があると考えることができる。
前者は商品を'売れたことにする'「信用取引」によってそれを回避し、
後者は生産物をそもそも'交換に出さないこと'で、それを回避するから。
ひきこもりもまた社会(交換の場)へ出ることを拒否し、交換(コミュニケーション)
を拒否しているから、彼らは言わば「家庭内共産主義」をやっている
ようなものだな(笑)。
普通、資本主義は交換を最大限重視しているように言われているが、
実はそうではなく、信用によって交換という命懸けの飛躍を隠蔽し、
交換を透過的なものとみなそうとする制度だね。それは命懸けの飛躍という
交換の本質の否定にすぎない。
だから、柄谷みたいな人は交換そのものを否定する共産主義は勿論のこと、
信用によって交換の命懸けの飛躍を隠蔽する資本主義をも批判するわけだ。
こう見ると、資本主義と共産主義とはある意味、隣接しているな。
どちらも、交換=命懸けの飛躍をできれば拒絶したいわけだから。
美のファシストたる私が資本主義も共産主義も双方とも否定するゆえんであります。
そして、「精神」とは命懸けの飛躍にたじろがない「男らしさ」を意味することは
いうまでもなかろう。資本主義者にも共産主義者にもその「精神」がない。
ゆえに、彼らは交換から逃げ回るのである。
ところで、資本主義者にも共産主義者にもユダヤ人が多いよね。
大澤真幸が言うには、ユダヤ人の文化は「表現の禁止に立つ文化」だという。
その典型がユダヤ教における神の偶像表現の禁止だね。
しかし、コミュニケーションには表現は不可欠なはず。
だから、表現を禁欲するユダヤ人はコミュニケーション=交換を拒絶するはめになる
といえるのではないか?
だとするなら、彼らが資本主義や共産主義の普及をはかるのは、
それらが交換=コミュニケーションの制度的な隠蔽を可能にする
システムとして都合が良いからかもしれない。
美(芸術)とは表現なしにはありえない。
けだし、美のファシスト(ロマン主義者)たる私が表現を禁止するユダヤ文化(ヘブライズム)に
反発するゆえんである。
「ユダヤ人」とは単にコミュニケーションスキル(命懸けの飛躍に耐える能力=精神力)
の欠如せる人間に与えられる呼称にすぎない。
「ユダヤ人」とは実に「精神」に欠けた"唯物論的"人間なのだ。
(そういう意味で、ひきこもりも実にユダヤ人的である!)
77考える名無しさん:2001/06/07(木) 02:07
>しかし、コミュニケーションには表現は不可欠なはず。
>だから、表現を禁欲するユダヤ人はコミュニケーション=交換を拒絶するはめになる
>といえるのではないか?
      中略
>「ユダヤ人」とは単にコミュニケーションスキル(命懸けの飛躍に耐える能力=精神力)
>の欠如せる人間に与えられる呼称にすぎない。
>「ユダヤ人」とは実に「精神」に欠けた"唯物論的"人間なのだ。
>(そういう意味で、ひきこもりも実にユダヤ人的である!)
ワラタ イヤ オモシロイ
ユダヤキョウニ、モットゲンキュウシテ!
78ったく:2001/06/07(木) 02:10
自説を開陳したかったら、スレを建てろって言ってるんだ!
79福田でぶ和也@反エホバ:2001/06/07(木) 03:47
近所のものみの党から、夏でも一張羅を来て出てくる子供たちを見て、
私は「子供の人権宣言」を読み返し、涙したものだ。
日本にもついにユダヤの魔の手が・・・
嗚呼にっぽんの汚れ無きお子たちよ!
ともに小川未明の童謡歌集を歌おう!
さあいくよー、いち、にの、上海!


80考える名無しさん:2001/06/07(木) 03:53
なんだよ。
RAGEが来ないから完全にネタスレになっちまったじゃないか!
ふざけやがって。(・ε・)プップクプー
福田は二次文献の読みすぎで言ってることも
出来の悪い二次文献のようだ。悪意のない分だけ
フッサールスレの腐れ研究生よりタチ悪いな。
いやいや、勉強させてもらってます。
だいたい「命がけの飛躍」って何だ?
83OFW:2001/06/07(木) 06:09
>>76(福田でぶ和也さん)
>「交換」は「命懸けの飛躍」を伴うとマルクスは言う
 不正確な引用。等価形態における交換=商品売買における価値実現の偶然性
 として「命懸けの飛躍」が言われるのであり、交換一般ではない。
>その命懸けの飛躍を隠蔽するものとして、資本主義と共産主義がある
 信用制度は資本主義の高度化ではあるが、資本主義一般ではない。
 また、自己流の「共産主義」は共産主義の隠蔽でしかない。
>交換(コミュニケーション) を拒否
 経済的カテゴリーと精神的・社会的カテゴリーとを同一視するのは誤まり。
 それは類推(アナロジー)という原始的思考であり、類似性を同一性と混同
 することは<分裂病的思考>に繋がる。擬電波的と言われる所以です。
>それは命懸けの飛躍という交換の本質の否定にすぎない。
 信用は本質の否定ではなく、その矛盾の発展なのです。破局を先延ばしに
 しても本質力は自己を貫徹し、運命的必然(精算日)として突如襲う。
>ところで、資本主義者にも共産主義者にもユダヤ人が多いよね。
 まさに<ユダヤ人>の実体化であり、類概念と個体概念の無媒介的な同一
 視。資本主義がユダヤ人的なのでなく、多くのユダヤ人商人が資本主義的
 なのです。確かにユダヤ教では偶像崇拝を禁止するが、商業では現世の神
 である<貨幣>を崇拝する。<ユダヤ人性>とは貨幣物神としての物神崇
 拝の完成を指しているのであり、フェティシズム的資本主義の精神をです。
>>82(RAGEさん)
>「命がけの飛躍」って何だ?
 商品生産の場面において価値が形成されても、商品が市場で売れて価値
 が実現されるかどうか(商品が実を示せるかどうか)はまったく分からない。
 価値の形成とその実現とが切り離され、市場の偶然性の中に置かれてい
 るという、資本主義的市場経済の無法則的な法則性・非合理性を言います。
 通常「付加価値」などと言いますが、利潤とは実現された価値からの控除
 (分け前)に過ぎない。
84池谷鉄之棒:2001/06/07(木) 14:15
「資本主義者にも・・・ユダヤ人が多い」
という意味不明の文言に関して。
仮にこれが資本主義の勃興にユダヤ人資本家の多くが
参加してこれを整備した、という意味であれば、
それはゾンバルト説であって、必ずしも
全ての研究者がこれに賛成しているような見解
ではニャイのでは?と思われ。

「表現を禁止するユダヤ文化(ヘブライズム)に反発する」
というアナロジーの果ての無惨な文言に関して。
ためしに19-20cのクラシック史をユダヤ人抜きで
想像してみ?

>「ユダヤ人」とは実に「精神」に欠けた"唯物論的"人間なのだ。
っつか、ネタ?
85>84:2001/06/07(木) 15:08
ネタとマジレスの境で議論は奇跡的に進行しております。
86福田でぶ和也@分裂病的思考者:2001/06/07(木) 18:21
「破局」とは何か?
それは命懸けの飛躍に直面することと考えよ。
ハイパーインフレによって貨幣の価値が著しく減価し、
貨幣が一般的等価物として機能しなくなるとき、
人は「単純な価値形態」の偶然性=命懸けの飛躍に
もろに直面することになる。
そこには貨幣(シニフィエ)による超越論的統覚なき生産物(シニフィアン)の
「偶然的な戯れ」しかなくなる。
それはまさに「分裂病的」世界。
私はそのような世界の到来を肯定するものである。
しかし、そのような分裂した世界にユダヤ人が再び「統一」を
もたらそうとすることは容易に予想できる。
無論、その「統一」とは信用の再構築(資本の再生)か、交換の完全停止(共産化)かによる
命懸けの飛躍の隠蔽でしかないの常だがな。
あーあ、つまらんよなー。
シニフィアンの無意味な戯れのほうが楽しいのによー。
87福田でぶ和也@分裂病的思考者:2001/06/07(木) 18:33
>>84(池谷さん)
クラシックは十分、禁欲的な音楽だよ。
あんな退屈なものはない。
私はむしろパンクのほうが好きなのさ〜
パンクのあの過剰な感情表現・・・
あれはまさに、ロマン主義だよ〜
88絶望する器官なきドキューソ:2001/06/07(木) 19:13
も〜、いや。
89OFW:2001/06/07(木) 22:03
>>86(福田でぶ和也さん)
>人は「単純な価値形態」の偶然性=命懸けの飛躍にもろに直面する
 誤まり。単純な価値形態(物物交換における価値)は飛躍を伴わないが故に
 単純と呼ばれる。それはあくまで価値の可能性であって、現実的なものでは
 ない。物物交換においては、使用価値と交換価値との矛盾が内的に統一され
 ており、相対する生産物の量に応じて任意に交換比率が設定されるが故に、
 偶然的な交換なのです。それに対して資本主義の下では、その偶然性が必然
 的な偶然性として現実化されており、誰もが命懸けの飛躍を日々行わざるを
 得ない。隠蔽どころか、常に破産や失業の不安を抱えており、それが赤裸々
 になっている姿が貨幣経済および信用経済の常態です。ハイパーインフレが
 引き起こすもの、それは価値が幻想的な存在であることの現実化であり、価
 値の消滅でしょう。
 価値法則は、実際に社会的な依存関係にあって協働関係を結んでいる人間が、
 その社会経済的な合力を私的に占有しようとするために成立する擬自然的な
 法則です。価値とは<社会的な必要労働>が物象化(過去化)した姿であり、
 社会の再生産にとって労働が必要である限り、そしてそれが「他者の労働」
 である限り、必然的な存在でしょう。また、「類的なもの」と「個別的なも
 の」の転倒が、<モノ>(所有)の観念論であり、過去の(死んだ)物質が
 現在の(生きた)人間を支配する転倒した世界を現出する。
 実際、かってのドイツでは、行き詰まったハイパーインフレから先祖帰りの
 非合理としてファシズムが登場した。無意味なのは過去の資本であって現在
 の労働ではなく、モノに憑かれた人間であって現実的な(働く)個人ではな
 い。個人の解放のすべてはその類的な解放に懸かっている。それが共産主義
 と呼ばれる未来に向かう運動です。「終りなき現在」の無意味な戯れとは資
 本の運動の受動的な反映(表象)に過ぎないでしょう。
90福田でぶ和也@年金が早く欲しい:2001/06/08(金) 00:44
>OFWさん
如何にマルクス的な共産主義の理論的可能性を
説いたところで(現にOFWさんのマルクス理解は実に正しい。)、
明日もまた資本主義社会がやってくるのです。
故に、この絶望を回避するためには、明日にも
世界が変わらねばやり切れない。
ロマン主義とはこういう要望から生成した観念形態ですね。
それは現実の資本主義をせめて意識のなかででも、
抹消しようとする技術です。
ニーチェがよくやった音楽や薬で意識を飛ばすという方法ですね。
この手法は現在、広く普及しています。
アルコールやタバコや音楽鑑賞はありふれているからです。
或いは、芥川龍之介が言うように、自殺もその便法の一つです。
死ねば、資本主義から縁が完全に切れますから。
OFWさんも言うように、共産主義とは「未来指向」の運動ですが、
しかしその未来とは「明日」という卑近な未来ではなく、いつとは解らぬ
「不定の遠い未来」なのですね。
明日さえ来て欲しくないほど絶望している人間にとって、
明日の解放を説きようもない共産主義のほうこそ、反動的なのね。
むしろ明日失業し、明日賃労働から解放されることのほうが、「明日の革命」ってことですよ。
"万国のプロレタリアートよ、明日失業せよ"と言いたいゆえんでありんす。
まっ、これもプチブル・イデオロギーって批判が返ってきそうだわい。
マルクス主義者の脳内では、「労働者が資本家の支配にもめげず、日々過酷な労働に従事するのは、
社会の生産力を上げ、来たるべき共産主義のために備えているんだ」という
都合あわせがなされているのかね?
しかし労働者の本当の意識は一刻も早く引退し、年金生活をしたいということではないか?
それに疎外されてない労働が楽しい保証なんてどこにもないでしょう。
疎外の有無に関わらず、豚の屠殺業や便所掃除の仕事とかはキツイですよ・・・
全ての人間が農民であるような社会を想定するなら、話は別ですがね。
マルクスは資本の原始的蓄積は農民からの土地収奪だと言っているそうですが、
それは重農主義的偏向を免れていないでしょう。
資本の否定は農民の解放であるが、しかし、豚の屠殺業者の解放ではない。
植物を殺すのと、動物を殺すのでは「負い目」(宗教臭!)の量が違うから。
(無論、動物を殺すことに負い目を感じない人もいるが)
故に、豚の屠殺業者を解放するためには、共産主義のみならず、「菜食主義」も不可欠ですね(笑)。
ヘンな盛り上がり方だなぁ。
とりあえず福田は気持ち悪ぃんだよ。お前の絶望告白なんぞ他でやれ。
死にたきゃ死んでくれ。
92福田でぶ和也@絶望の告白者:2001/06/08(金) 01:43
絶望を告白するって、きもちいいぞ〜
無論、表現を禁欲するユダヤ的人間には不可能な芸当だがな。
ヨダヤ人→知らん
ヨダヤ人的→お前の腐れ妄想
たかだか2chと戯れてる青二才が絶望とは笑止。
資本主義が嫌なら畑のひとつでも耕せばどうだ?
94福田でぶ和也@絶望の告白者:2001/06/08(金) 01:52
言い忘れたが、私の容姿は確かに気持ち悪い。
内面は出るものだしね
96考える名無しさん:2001/06/08(金) 02:01
>95
確かに出てるねキミは(藁
97福田でぶ和也@2chと戯れてる青二才:2001/06/08(金) 02:02
重農主義(ケネー)を評価しているのはマルクスであって、
私ではない。
私はむしろ豚の屠殺業者に同情する者なり。
なにせ、私の醜い容姿はまさに豚そのものだからだ。
豚の屠殺業者は豚のように蔑まされている。
私の豚のような容姿同様にな。
98絶望する器官なきドキューソ:2001/06/08(金) 02:09
私は絶望していても尚ユートピアに生きていたいな〜。
ノバーリスなんかいいね〜。
美しいよね〜。
99絶望する器官なきドキューソ:2001/06/08(金) 02:17
おもしろいよ。福田氏。
長レスしなかったら。
100考える名無しさん:2001/06/08(金) 03:10
怠け者が理屈こねてるだけ。
101絶望する器官なきドキューソ:2001/06/08(金) 04:05
いやいや、醜いからって単なるルサンチマン哲学じゃない
ってトコは評価しようYO。(ユダヤ人嫌いは別として)
勿論ノル気はないけど。
102さげさん:2001/06/08(金) 23:07
マルクスは、共産主義社会における労働時間を必要最小限とし、
職業固定化の廃止を提唱しているよん。
103考える名無しさん:2001/06/09(土) 01:14
職業選択の自由なら建て前上、資本主義日本にもあるじゃん。
それとも職業選択の自由と職業固定化の廃止は別概念なのか?
104102:2001/06/09(土) 01:26
職業選択の自由じゃなくて、移動の自由ね。
単純作業は順番に少しずつ移っていけば、それほど苦痛でなくなる。
もちろん、修行期間が長い専門職は簡単に移動できないけどね。

資本主義の場合はあくまでも建前でしかないし、リスク・賃金格差・差別もある。
105考える名無しさん:2001/06/09(土) 01:39
単純作業の非固定化は、労働者の「多能工化」として
資本制工場内でも既にある。
まあ言いたいことは解るよ。
すべての工場が多能工化に積極的とは限らんし、労働時間は
依然として長いしね。
106くりたん:2001/06/10(日) 00:02
容姿の悪さ(先天的な欠如)は確かに共産主義革命をもってしても、
どうにもならないな。
むしろ、整形外科のほうが頼りになる。
107OFW:2001/06/10(日) 07:32
>>106(くりたんさん)
>(先天的な欠如)は確かに共産主義革命をもってしても、どうにもならない
 自然的・先天的な<欠如>は必ずしも社会的な欠如ではなく、美的価値
 や社会差別に直結するものではない。
 確かに自然は不平等とも言えるが、それが何らかの実効性を持つかどう
 かは社会の在り方に依存する。
 個人の自然的な被規定性は「ただ存在するだけの差異」として、類の統一
 の中では止揚されるでしょう。
108MtFTG・CD:2001/06/10(日) 08:15
妨害行為が止まった(一時休止?)ようですので、細かい経緯をレポートしておきます。
アタシがこのところ熱心に取り組んでいた「ゲイ・スタディーズ」スレッドですが。
たまたまスレの様子を観に来たところ、何者かが大量の空投降をしていたところでした。

アタシはその時点では事態を正確に掴んでいなかったため、直ちに、レス削除依頼をの提出作業に取り掛かりました。
削除依頼を出し終わった時点で、観てみたらすでに「ゲイ・スタディー」のスレは使用不能状態にされていたのです。
同じ手口で使用不能にされたのは「永井均スレッド」だそうです。
さらに、アタシが、「ゲイスタディーズ」への問題行為を指摘した「雑談・質問」スレが同じ手口で使用不能にされました
続いて、この卑劣な妨害行為が話題になっていた「哲学板自治(討議)スレッド」も今、同じ手口で使用不能にされました。

一連の妨害行為は、同じ手口であり、明らかに愉快犯ではなく、確信犯の仕業、としか思えません。
109福田でぶ和也@宅間守ファンクラブ会長:2001/06/10(日) 21:40
いやいや、また起きましたな、精神分裂病者による
殺人事件が。
「また」というのは、精神病理学者の木村敏によれば、
あのサカキバラ少年も分裂病らしいんですね。
しかし、あのサカキバラ事件以来、ポストモダン思想が
鳴りを潜めたと思うのは私だけだろうか?
なにせ、サカキバラにはニーチェ思想と分裂病という
ポストモダニズムの主要構成因が入っていたわけだが、
その帰結が、あの凄惨な殺人事件になってしまった。
だから、もはやポストモダンなどといって、神経症に対する分裂病の
優位(ドゥルーズ)などと無邪気にはいってられなくなったよね。
しかし、サカキバラは勿論宅間もすでに2chの一部ではダーティーヒーローになっているように、
分裂病者の異常行動はかくも人を引き付けるのかは依然、謎だけどね。
また模倣犯がでるね、こりゃ。
しかし分裂病者にとっての命懸けの飛躍はまさに”命懸け(殺人)”だな(笑)。
110考える名無しさん:2001/06/10(日) 22:16
やっと福田でぶ和也氏のパーソナリティーが、わかりかけて来た。
やっぱキショイね。
111福田でぶ和也@キショイ:2001/06/10(日) 22:53
ネタをまことしやかに語れる私のパーソナリティ・・・。
私はやはり「文学板」へ帰るべきなのか。
112下等恥的生物を尽く抹殺する者:2001/06/10(日) 22:55
>>111
その方が身の為だ。
嫌味ではない。其の方の身が真に心配なのだ。
113文学板住人:2001/06/10(日) 23:49
>>111
それは困ります。もう戻ってこないでください。
政治思想板に逝ってください。お仲間がたくさんいます。
114OFW:2001/06/11(月) 20:04
>>109(福田でぶ和也さん)
>精神分裂病
 「フロイトの業績」スレにも書いたが、分裂病がいかなるものかは中井久夫
 氏の本でも読んだ方が宜しかろう。実際の事件を安易にネタにしないこと。
 疎外(Alienation)は財産(Property)の譲渡でもあり、自己の固有性の喪
 失(他者化)としての狂気でもあるから、社会的人間の本性に関わる事態で
 しょう。
 フォイエルバッハの人間学的唯物論によって、宗教的観念が人間の類的本質
 の自己疎外として捉え返され、観念論の逆立ちが明らかにされたことで、初
 めて人間が感性的・情熱的・身体的な現実存在であることが哲学的に示され
 た。マルクスはその不徹底さを批判したが、「フォイエルバッハにより、哲
 学は本質的に終りを告げた」と言われたように、それはおよそ哲学一般の止
 揚(現実の実践への解消)の始まりを告げるものだった訳です。
 (現象的には観念論は未だ花盛りで、この板でも唯物論への関心は殆ど見ら
 れないが、観念論哲学はますます出口無しの様相を呈しつつあり。)
 マルクスの唯物論は徹底的に実践の哲学であり、自然の一部である人間が自
 然との関係を自己との関係として捉える媒介として、社会的労働を正面に据
 える。賃労働においては、労働の成果において対象的自然が主体化されるこ
 とにより達成されるべき類的・社会的な自己確信が阻止され、自己対象化活
 動は自己喪失として、見知らぬ<モノ>(商品、貨幣)の内に消え去り(実
 体の闇への消滅)、その結果、対象世界は疎遠な世界として現象するという
 訳です。ちょうど「利子生み資本、この逆立ちした資本世界の狂った花嫁」
 と呼ばれたように、貨幣の力は類的人間の疎外された本質力そのものであり、
 (カネがカネを生む)金融資本において、私的所有(Property)という共同
 的世界の譲渡が完成する。イデオロギー的転倒や精神病理学的症状形成も、
 それを基礎にした社会心理的な疎外の一つとして見るべきでしょう。しかし、
 事柄の弁証法的な本性は資本主義の胎内から<否定の否定>として自己の真
 理を顕現せずには措かない、とか言われ。
115考える名無しさん:2001/06/11(月) 20:26
細かすぎて字が見ずらいよ〜
116閑話休題:2001/06/12(火) 03:07
資本論の『労働日』の章。

読むのがツライ。
というかマルクスはここで何を書き止めておきたかったのか?
「労働日・労働時間」を巡る、資本と労働者の綱引き大会の歴史??
マルクスが皮肉家なのは分かるが、教養がないオレには皮肉が利かない(w

んでは議論をぞっこーして下さい。
117福田でぶ和也@寝るのが趣味:2001/06/12(火) 16:17
>OFWさん
精神病をネタにしたのは、少しおふざけが
すぎましたな・・・
精神分裂病はダブルバインドと不可分だと、どっかで聞きましたが、
ところで、人間にとっての本源的ダブルバインドは、
生と死ですね。
人間はいずれ死なねばならぬのに、生きなければならない。
この矛盾をロマン主義的に止揚せんとすると、
生きる目的とは死である(武士道は死ぬことだ)という「葉隠の美学」がでてくるわけだと
思われます。
もし、この生と死の矛盾を科学的に止揚するとなると、
不老不死の医療を開発せねばならない。
現にその研究はあるし、哲学サイドからはカントが「魂の不死」を要請し、ボーヴォワールは「人類の不死」を
現に要請していますね。
しかし無論、永遠の命は現時点ではない。
故に、生と死の矛盾はいかなる方法をもってしても解消不能。
突然訪れる死によって共産主義者の夢(目的)も無慈悲に断絶するかもしれない。
トロツキーは現にそうだったでしょう。
それとも、この死による断絶を「意識のリレー」(埴谷雄高)で凌ぎますか?
生と死の矛盾にさえ抵抗しようとする弁証法家の苦闘には頭が下がります(笑)。
私は「眠りは死よりも愉快だ」という芥川の言葉に共感しますがね。
118OFW:2001/06/12(火) 23:40
>>115
>細かすぎて字が見ずらい
 どもスマソ。1レスの中にまとめるのは、結構大変なのです。
>>116
>資本と労働者の綱引き大会の歴史??
 ある点ではそうでしょう。そして、労働価値説の歴史的な検証でもある。
 労働(抽象的人間労働)こそが価値の源泉ということから、労働時間の
 短縮は資本家と労働者の双方にとって死活問題です。
 労働日(日払い賃金の基準単位)が自然的・物理的な長さではなく、社会
 的に伸縮するものであること、そしていわゆる搾取に関する主要テーマで
 あったことが跡付けられている、と見るべきでしょう。
 労働日については、現在でも「時短」として労使間交渉の主要なテーマで
 あり、また「1日は何時間だ?」とは、納期が迫った時に、上司が部下に
 向ってよく使う言葉です。当然1労働日は24時間まで伸ばせる(皮肉)。
>>117(福田でぶ和也さん)
>人間にとっての本源的ダブルバインドは、生と死ですね。
 だいぶネタ切れの感じ・・・。ダブルバインドの本来の意味は
 「『生きろ』と励ます相手の顔が『氏ね』と告げている」
 といったコミュニケーション上の背反(バイアス矛盾)の事態を指しており、
 生死の矛盾とは無関係。
>「意識のリレー」(埴谷雄高)
 正しくは『精神のリレー』です。それは高橋和巳の追悼から始まった講演会
 シリーズの記録です。あの雰囲気はもはや戻って来ないだろうが・・・。
 講演者の一人でもあった吉本隆明氏はその後「昼寝のすすめ」だそうで。
>芥川
 そう言えば、前日本共産党議長の芥川論である『敗北の文学』は当時の
 『改造』懸賞評論で1等をとり、小林秀雄の『様々なる意匠』を破ったが、
 時代は変り、現代では『マルクスその可能性の中心』が文学賞を取る。
 しかしながら、日本の知識人は哲学的あるいは政治的な事柄を文学的に
 捉え、客観的な論理を表象あるいは倫理に流す点では相変わらず、かな。
・・・ということで、私も閑話休題デシタ。
福田のデヴも好かんが
小林秀雄はとことん芥川を嫌ってるなぁ。
『芥川龍之介の美神と宿命』と他二編の芥川論があるけど
晩年にちょこっと誉めてるだけだもんなぁ。
120福田でぶ和也@宅間は似非精神病?:2001/06/13(水) 00:11
宅間ネタついでにいうと、
宅間のとった行動はエリート校の子供の殺害だけど、
エリート校の子供はいずれ支配階級の再生産に寄与するわけだから、
この宅間のとった行動はある意味、その再生産に一撃をくらわした
革命的行為ともとれるんじゃないか?
アルチュセール理論に照らしても、宅間のテロは支配階級の再生産、
強いては、資本の再生産に打撃を与えた革命的行為だといえる。
アルチュセールによれば、エリート学校は資本と国家のイデオロギー装置だから。
故に、宅間のとった行動は未来の支配階級への革命的テロ攻撃である!?
・・・ってなんか学校と警察を罵倒したサカキバラの行動を高く評価する革マル派的な意見と
似た意見になってしまった(笑)。

>エリート校の子供はいずれ支配階級の再生産に寄与するわけだから、
>エリート校の子供はいずれ支配階級の再生産に寄与するわけだから、
>エリート校の子供はいずれ支配階級の再生産に寄与するわけだから、
>エリート校の子供はいずれ支配階級の再生産に寄与するわけだから、
>エリート校の子供はいずれ支配階級の再生産に寄与するわけだから、

 氏ね。失せろ。消えろ。クズ。豚野郎。
122福田でぶ和也@豚野郎:2001/06/13(水) 00:22
『宅間守その可能性の中心』でした(爆)。
123考える名無しさん:2001/06/14(木) 01:03
マルクスっていいよね。
エンゲルスからの生活援助で、研究人生送れてさ。
レモネードと大量のタバコを用意して、書斎にいりびたるマルクス・・・
あーあ、羨ましい。
でも、マルクスの理論を信じすぎると、社会嫌悪に陥って出社拒否になりそうで恐い・・・
そういう社会嫌悪の人間のための受け皿を積極的に作ろうとしない
ところにマルクス派への不人気の理由があるかも。
宗教組織のほうが、受け皿を作っているだけまだましだね。
オウムにいたっては、衣食住の面倒までみてくれるし。
別にオウムを誉めるつもりはないが。
マルクス派の人は理論研究や、政治闘争には熱心だが、
実際の生活組織の提供にはノータッチだね。
これがマルクスが流行らない理由の一つでしょう。
なぜなら、一般大衆は理論や政治にはうんざりしているが、
しかし生活不安は絶えず抱えているから。
しかし、マルクス派の人はその大衆の生活不安に対して、「革命を起こせ」という
空疎な言葉(政治的言語)でしか対応できていないのが現状かと。
124Rage Against The Philosophy:2001/06/14(木) 01:48

マルクスの理論と生活とを混同してるぞ。
頭大丈夫か?
125考える名無しさん:2001/06/14(木) 01:56
作家の実生活と彼が作る作品は無縁だという
おなじみの意見をいいたいわけか?
くだらん・・・
126Rage Against The Philosophy :2001/06/14(木) 02:00
いや単に123の文章の運びが論理的に変なだけだが
にしても
>作家の実生活と彼が作る作品は無縁だというおなじみの意見
ほう。そんな意見しらなんだ。誰の?
127下等恥的生物を尽く抹殺する者 :2001/06/14(木) 03:13
ぷっ
おい、れーじぷー
名前が弱ってるぞ(ブヒャヒャ
128下等恥的生物を尽く抹殺する者 :2001/06/14(木) 03:28
>れーじぷー
オマエの勘違いっぷりにはいい加減辟易させられるよ。
まあそのうちこのオレが直々に啓蒙してやるから安心しな。
オマエの足りない頭でついてこれたらな(ブヒャヒャ
129下等恥的生物を尽く抹殺する者:2001/06/14(木) 03:37
喧嘩上等ってな(ワラ
偽者よ、何故お前はそんなにも
ルサンチマン丸出しなんだ?
聞いてやるよ、云ってみ
131考える名無しさん:2001/06/14(木) 06:56
>RAGE
>マルクスの理論と生活とを混同してるぞ。
>頭大丈夫か?
お、さすがカーの「カールマルクス」を読み進めてるラゲ氏。
精進してるねー。
132Rage:2001/06/14(木) 07:34
カーの『カール・マルクス』面白いぞ。
19世紀は熱い時代だったんだなぁとしみじみ。
133考える名無しさん:2001/06/14(木) 20:33
>>123
>マルクス派の人は理論研究や、政治闘争には熱心だが、
>実際の生活組織の提供にはノータッチだね。
システム全体を変えないとダメだからかな。
資本と国家への対抗運動=NAMもあるけど、自立してない人はお断わり。
ヤマギシズムは、今では清貧共同体のイメージがあるけど、最初は稼ぐのが
目的だったらしい。昔は鶏卵が高かったから。

>>124
>マルクスの理論と生活とを混同してるぞ。
それは、>>123の最初から3行だけ。
134考える名無しさん:2001/06/14(木) 22:41
資本論たくさんでてるけど、よむならどの出版社がいいの?
135考える名無しさん:2001/06/14(木) 23:16
何故らげは小文字になってしまったのですか?
やはり子どもができると丸くなってしまうのですか?
いつか子どもが出来たって言ってましたよね?
136下等恥的生物を尽く滅殺するもの(ビーム):2001/06/14(木) 23:23
>>135
まじ?らげおめでと〜
大事にしないと貴様を殺しに逝くから覚悟しとけよ〜
子供はかわいいのう
137考える名無しさん:2001/06/14(木) 23:49
>>134
岩波文庫版が読みやすい。
国民文庫版は定番で資料用。
新日本出版社版は逐語訳で、原文対照用。
138考える名無しさん:2001/06/14(木) 23:50
>>135
どっかのスレで、「全角文字は長すぎる。偉そうだ」と文句を言われたから。
139考える名無しさん:2001/06/15(金) 01:49
>>117
生と死の矛盾を解消する方法として、
「死後の生(死後の世界=あの世)」を想定するというのがあるのでは?
もし死後の生があるとしたら、結局生は永続することになり、そして結果
死が抹消され、生の死からの分離が果たされ、矛盾は解消される。
矛盾が無意味と同義なら、生と死の矛盾をはらむ人間存在はそもそも
無意味だと結論するほかないが、もし人生に意味があるとしたら、
やはり生は永続すると仮定せざるをえず、従って、死後の生はあると
想定するほかない。
・・・という話をゲーデルがしていたな。
カント風にいえば、死後の生は超越論的仮象として人間(理性)の無矛盾性の保持に
不可避だと。
このような思考を不合理な観念論(宗教)とかたずけてきたのが唯物論者だが、でも
このような思考法のほうが手っとり早い気休めにはなるのは確か。
逆に矛盾をそのまま引き受けると、ニーチェの発狂の二の舞になるほかない。
140アンチ・キリスト:2001/06/15(金) 02:00
>>139
ハァ?
共産主義こそ世俗化されたキリスト教だろ?

141名無しピーポ君:2001/06/15(金) 14:20
共産主義は近代化されたクリスチャニズムです。。。
142北杜夫:2001/06/15(金) 17:29
俺も最近、この世は単なる仮の宿であって、あの世には別の宿
があると思い始めてきた。
早く、その別の宿に行きたい。
欝だ・・・
143考える名無しさん:2001/06/15(金) 21:02
>>137
どうもありがとう。
おれ持ってるの岩波文庫版だったよ。
144OFW:2001/06/15(金) 22:02
>>123
>社会嫌悪に陥って出社拒否になりそう
 それは余り感心できないな。抽象的な否定は第一の否定であり、非現実的な
 もの。否定的環境下にせよ会社の中にも真の社会は存在するのです。
>社会嫌悪の人間のための受け皿を積極的に作ろうとしない
 「労働者階級の解放は労働者自身の行為でなくてはならない」(マルクス)
 のであり、未来を切り開こうとする人間のための(受け皿ではなく)指針と
 いうことならいくらも見出せるでしょう。
>実際の生活組織の提供
 ではなく、労働者階級の組識が必要なのであり、それは「マルクス派」の
 人ではなく、労働者自身が行うことでしょうね。
 「未来社会の具体的なイメージが与えられないから、共産主義反対」とは
 昔から良く聞いた不満であり、(進歩主義的知識人および労働者双方が
 互いに相手に期待している)他力本願的な心理が反映されている。
 特に旧ソ連や東欧諸国の「社会主義体制」(実は国家資本主義体制)が
 崩壊した後では、もはや社会主義のモデルが見当たらないとして、大量の
 「転向者」を生み出した。
 しかし、要は事柄を客観的に捉えられるかどうか、に懸かっており、実際の
 資本主義体制の何が根本的な問題なのか、を正しく理解することから、
 本来の社会は如何なるものであるべきか、そしてあり得るかが逆照射される
 わけです。
 たとえば、商品、貨幣および資本とは何か、を知ることは、その必然性を
 知ることであり、「それは確かに一定の条件の下では無くてはならない
 (他様の不可能性)ものだ」という点を理解することです。そうなれば、
 その<一定の条件>がなければ、それはまったく不要なものであり、より
 合理的で人間的な仕組みが可能だ、ということが分かるでしょう。
 (確かにそこまで具体的に問題を提起している「社会主義政党」は少ないか
 も知れない。現存の多くの政党は社会民主主義的か急進主義的ですから。)
145OFW:2001/06/15(金) 22:30
要するに、マルクス理論は絵に書いた餅です。
腹の足しにはなりません。
我々マルクス主義者は指針しかあたえませんから、
その指針を理解できない無知な労働者諸君は
どうぞ、失業した折はハローワークに行きなさい。
我々は君達の生活の世話までするお人好しではないのです。
146考える名無しさん:2001/06/15(金) 22:32
ほんじゃキェルケゴールは〜? 正月に憑いた餅?
147考える名無しさん:2001/06/15(金) 22:40
正月についた餅は食べれる。
148考える名無しさん:2001/06/15(金) 22:47
憑いたって漢字を使用したのに・・・
現象学がマッタリしてるから
こっちでスレ違いに発展させようと企んでみたのに・・・
149考える名無しさん:2001/06/15(金) 22:49
口だけ達者なマルクス君は、
永遠に学生と研究者だけのアイドルであって、
労働者からは相手にされてないってことで、いいですね。
皆さん。
150OFW@区別モード:2001/06/16(土) 08:13
>>145
>マルクス理論は絵に書いた餅
 かどうかは、それを活かす主体によるとは、前にも書いた。
 「かくめいとは人間のこころが変らなければ、成就しないものです」
 (太宰治)(正確な引用ではない)ということかな。
>無知な労働者
 は学習により、哲学者すら超えることができる。
 「哲学はプロレタリアを止揚せずに自己を止揚できず、プロレタリアは哲学
 を止揚せずには自己を止揚できない」(マルクス)とも言われ。
 現在、労働者学習会はあちこちで開催されており、労働者自身が自己の無知
 からの脱却を計っているのも事実。
 自己を知らないと、賃金奴隷は所詮奴隷としてマインドコントロールを受け
 たまま、<無知の涙>で一生を終ることになるでしょう。
 「汝、自己の無知を知れ」とは、最初の哲学者ソクラテスの金言でもある。
151考える名無しさん:2001/06/16(土) 16:18
そういう太宰治は何故自殺したのでしょう(w
結局何も変わらないと悟ったからではないの?
152OFW:2001/06/16(土) 21:44
>>151
>そういう太宰治は何故自殺したのでしょう
 そう来ると思てた。
 無論一言で簡単に言えることではないが、余りにも倫理的かつ文学的だった
 から、かな。しかし、その直言は当時の無頼漢的「革命家」に向けられて
 いて鋭い。また「共産主義者は倫理的でなくてはならない」とは、林達夫
 『共産主義的人間』でも言われている主張で、当時の政治イデオロギー化
 していたソ連等の「共産主義」(実は全体主義)に対する批判でもあった。
 まぁ、どちらにしても、知識人はとかく個人的倫理に偏り、客観的現実を
 捨象する傾向があるから、労働者にとっては気まぐれな人種でしかないな。
153>OFWさん:2001/06/16(土) 22:13
労働者の組織って労働組合のことかな?
しかし、労働組合は賃上げなどの経済的闘争に終始
するだけで、結局賃労働の条件即ち資本の条件の廃止
にまで至らないですよね。
しかし、生産手段を労働者の手にもどす、といって工場占拠
をしても、それは法的には違反なので、当然、国家警察によって
粉砕されるのがおち。
そこで、選挙によって共産主義者の政党が合法的に国政をにぎることを
目指す議会主義的な闘争があとに残った。
しかし、左翼政党はいまではマルクス理論を放棄しないと、
大衆からも危険とみなされ、保守化の道へとまっしぐら。
マルクスを捨てないと、人気が出ないという有様ですな(w
154考える名無しさん:2001/06/17(日) 16:15
商品と貨幣の非対称性を資本が隠蔽する。
生産は即消費に結び付く、つまり商品を作れば、
必ず売れるというセーの法則は資本の隠蔽作用
のイデオロギッシュな反映ということであるが、しかし
マルクスの価値形態論はその資本による隠蔽を引きはがし、
商品と貨幣の非対称性、そしてその激昂形態としての恐慌を
を遡及的に見いだしたというのが、マルクスの可能性の中心
ってことでいいですね、ALL。
つまり、マルクスの功績とは資本の経済学のうちに恐慌を
導入したことってことで(それが経済学批判の批判性である)。
そして、その恐慌への治療法は貨幣の過剰投与による
インフレ経済にしかないということで。
155立川談志:2001/06/17(日) 20:44
まだ、お前らマルクスなんていっているのか?
でもよ、人が悩むのは経済的貧困もあるが、
それよか人間関係のほうだろうよ。その典型が上下関係。
つまり先輩と後輩との間にある技術的・情報的差異が
卑しい権力を可能にしているんであって、だから先輩あるいは師匠
の下につかなければ、権力はそもそも作動しないんだよ。
少しは、小さん師匠の言うことを聞かなかった俺を見習えよな。
上の人間に頼ろうとするから、辛いんでよ、
だから、俺が立川流を創始したように、独立のすすめだよ。
156をたくん:2001/06/17(日) 22:06
マルクスが重要だってのはわかるけどね。
でもさ、それにこだわりつづける、サヨくんは
思考停止しているよね。マルクスよりも
重要な思考っていっぱいあるじゃん。
157をたくん:2001/06/17(日) 22:08
なんで、マルクスが学習・参照したものを
マルクス君たちは、追体験しないの?
そのへんが、よーわからん。
158OFW:2001/06/17(日) 22:36
>>153
>労働者の組織って労働組合のことかな?
 必ずしもそうではない。現状の労働組合とは、仰せの通り、現行法の枠内
 で許された経済的”闘争”を行うだけの団体になっており、ますます体制
 補完的な役割を果たすだけの保守的な存在になっているが。
>国家警察によって粉砕されるのがおち。
 それは労働者自身の自覚と団結力に依存することですね。近くの例で言え
 ば、旧ソ連や東欧「社会主義」諸国(実は国家資本主義諸国)の崩壊は、労
 働者のゼネストあるいは蜂起から起こった革命と呼べる。その場合、法とは
 むしろゼネストのことを指すでしょうね。
 「窓の外を見なさい。あの大衆の行進の中にこそ、生きた憲法がある。」
 (ローザ・ルクセンブルグ)
>合法的に国政をにぎることを目指す議会主義的な闘争
 現在の”先進国”共産党の多くは、実質的には社会民主主義の党でしょう。
>マルクスを捨てないと、人気が出ないという有様ですな
 日本の某党なども、大衆迎合主義(ポピュリズム)花盛りで、まともな啓蒙・
 宣伝がないのは、その通りですね(実際、公然とレーニンを捨て始めた。)
159OFW:2001/06/17(日) 22:39
>>154
>商品と貨幣の非対称性
 ではなく、本質的な対立(矛盾)です。商品は相対的価値形態にある(他者
 にとっての)有用物であり、それは一般的等価物としての貨幣の存在によっ
 て初めて価値ある物として社会的に認められる訳です。
>資本が隠蔽する。
 のではなく、資本とは労働力商品として購入した賃労働者の剰余労働によっ
 て剰余価値を紡ぎ出す、自己増殖する価値自体であり、それは生きた人間
 の社会的労働を価値という物象的形態によって隠蔽するのです。モノ、カネ
 が人間社会を支配しているのは、誰でも分かるが、その根拠は生産手段の
 私有による私的な生産という、社会の生産関係にあるということ。
>その恐慌への治療法は貨幣の過剰投与によるインフレ経済にしかない
 最近の傾向は、マルクスをなんとか経済学の枠内に押え込み、「マルクス理
 論はもう折り込み済だよ」と矮小化する戦略らしい。多分、似非マルクス主
 義者が増えたためでしょうが、商品、貨幣そして資本の廃止こそが治療法で
 す。
160考える名無しさん:2001/06/17(日) 23:21
とりあえず、単純作業や重労働で疲れ果てた
労働者を精神病院で治療してやりたいね。
彼らは体より心を病んでいるよ、まじ。
やたら短気で、すぐ切れるから。
色々精神分析すれば、トラウマだらけじゃないの、彼らは。
工場のラインなんて、人が機械に従属しているという
本末転倒の疎外論的世界そのものだしね。
ハッキリいって、彼らの精神衛生やばいです、はい。


161考える名無しさん:2001/06/18(月) 00:37
>商品、貨幣そして資本の廃止こそが治療法です。
こーゆーの、マジでそれを望んでいってるのか、それとも、
マルクスの解釈ではこーなりますって意味で言って
るのかいつも気になるんだが・・・

それはさておき、マルクスに関する勝手な個人的疑問

労働力の価値は、労働者の生活を維持するのに必要な
価値量ですよね。(あんまり自信なし)
当時はそんな感じなのかもしれないが、現在は労働者が
受け取る価値は、生活を維持するのに必要な価値量
よりも遥かに多くなってますよね。
何で多くなったのか?
マルクスで答えられるのか?

このような社会、(消費資本主義とか超資本主義とかいわれる)
での消費者の行動をマルクスで答えられるのか?
つかマルクスには消費者という概念があるのでしょうか?
162考える名無しさん:2001/06/18(月) 23:28
OFW氏のマルクス弁護はすべて実に良く出来た
ネタだと思われ。

163OFW:2001/06/19(火) 00:24
>>161
>労働力の価値は、労働者の生活を維持するのに必要な価値量ですよね。
 労働力の価値=(実際に支払われている)賃金ではなく、一定の社会状態
 において労働者の再生産(つまり生活自体ですね)に必要な財の価値とい
 う点を踏まえていれば、その通りです。
>現在は労働者が受け取る価値は、生活を維持するのに必要な価値量より
>も遥かに多くなってますよね。
 「労働者が受け取る価値」とは(実際に支払われている)賃金のことを指
 しているなら「生活するのに必要な金額以上に十分に支払われているか?」
 という設問と同じですが、果たしてそうなっているでしょうか?
 (リーマン板を見ても、大企業と中小企業の格差は相当なものだが、ローン
 を抱えたリーマンには総じて余裕などないはず。)
>何で多くなったのか?
 消費財の豊かさ(富)を価値と混同することが、すべての誤まりの根本です。
 物の有用性(使用価値)とその交換価値、そして本来の価値とは相互に区別
 すべきであり、それを明確にしたのは、マルクスが初めてなのです。
 (近代)経済学でもかっては価値を「限界効用」「稀少性」などと呼び混乱
 し続けた挙げ句、今では「ある主観的なもの」としか言わなくなった。
 富の増大自体は、科学技術の進歩および機械性大工業の進展が主要な要因
 でしょう。それは労働者の生活レベルを相対的に押し上げたが、同時に資
 本の大規模な集中により独占資本化をもたらし、政治的国家の積極的介入
 なしには貧富の差の拡大や個別資本間の食い合いを防止できなくなった。
164OFW:2001/06/19(火) 00:27
>>161(つづき)
>マルクスで答えられるのか?
 上記のように前提が誤まりですから返答しようも無いが、本質的に何も変わ
 っていない訳です。「電子マネーとて『日の下に新しきものなし』と言うこ
 とです」(岩井克人、正確な引用ではない)。
>消費資本主義とか超資本主義とかいわれる
 20世紀の資本主義は「フォーディズム」と呼んだ方が具体的なイメージが
 沸くな。それは労働者を消費者として取り込むことで成功した。
 「消費者は神様」「大衆の時代」という訳ですね。
 しかし、事柄の本質である<資本>の本性に目を向ければ、「消費者主権」
 などという美辞麗句も、資本の<価値増殖欲>が商品に対する消費者大衆
 の欲望を借りて自己を貫徹させている姿の裏返しに過ぎないことが良く分か
 るでしょう。「美しいボディーと最高速のエンジンを装備した最新のスポー
 ツカー」とはまさに「月世界までを商品で埋め尽くそうとする<ブルジョア
 ジーの夢>」(ベンヤミン)そのままの物神崇拝(フェティシズム)ですね。
 商品とは何の仮装かは、マルクスが最も鋭く見抜いていた所です。
 因みに『資本論』はシェークスピアを借りて商品語を人間語に翻訳した書、
 とも言えるな。
>消費者の行動
 が重要なのは、それが消費を能動的要因にするからではなく、資本にとって
 その商品の販路(はけ口)として自己の被誘導的要因にできるからです。
 「誘発されるように誘惑せよ」(ヘーゲル)。それは欲望の化学的作用。
(貨幣の示す禁欲は倫理的なものではないから「不買運動」は無力でしょう)
165考える名無しさん:2001/06/19(火) 01:34
不買運動は金が惜しいから、ある商品を
買わないというのではなく、その商品を
販売している資本制企業が倫理的でないから、
それを買わないということでしょう。
例えば、山崎パン工場で働いたことのある人は
そこのパンをもう買いたくないという。
なぜなら、そこの工場が不衛生であるとともに、
そこでの労働が常軌を逸して過酷だから、とのこと。
(詳細はアルバイト板の山崎パンスレ参照)
つまり、山崎パンという資本制企業はそこで働く労働者にたいしても、
パンを買う消費者にたいしても、倫理的ではないわけだ。
山崎パンへの不買運動があるとしたら、それは山崎パン
という企業の非倫理的体質によるのであって、金惜しさではないでしょう。
166考える名無しさん:2001/06/19(火) 07:24
>>165
それが事実だと仮定して、
「山崎パン工場で働いたことのある人は
そこのパンをもう買いたくないという。   」に対し、
「そこの工場が不衛生であるとともに」は、
そこで作られたパンが欲望の対象として商品価値が無いことであり、
「そこでの労働が常軌を逸して過酷だから」は、
労働者による個人的な報復ということになり、
その報復の問題は、そのパンの購買者に対し、
その労働者以外である大部分の人にとって意味を持たないと思う。
167161:2001/06/19(火) 20:08
OFMさん、レスありがとうございます。

>「生活するのに必要な金額以上に十分に支払われているか?」
> という設問と同じですが、果たしてそうなっているでしょうか?
人間の意識レベルで捉えた場合と、物質レベルで捉えた場合などで、
いろいろな回答が出てきそうですが、例えば今の時代ほぼ誰でもインター
ネットできる、見たいな観点で言えば、インターネットなど生活必需品
では無いわけで、然りと言えそうな気もします。

いずれにしても、マルクスの言う価値というものを理解して無いと
どーにもならなそうですね。勉強しなおしてみたいです。
168考える名無しさん:2001/06/19(火) 22:11
>>166
それでいいじゃん。
報復結構。
不衛生な食品買わないの当たり前。
それでも山崎パンを買うのは阿呆な消費者。
無論、君もその阿呆な消費者ということで
いいですね(w
コンビニ弁当も本当は食えたものではないのだが、
166みたいな従順な消費者のおかげで、
その生産は絶えないということで。
169考える名無しさん:2001/06/19(火) 23:51
>>168

>それでいいじゃん。
>報復結構。
>不衛生な食品買わないの当たり前。
>それでも山崎パンを買うのは阿呆な消費者。

>>165は、あいまいで混同しているような文章から、
飛躍的にはっきりした結論を出しているように見えたので、
それを>>166に、文章を整理してしまいました。


>それでも山崎パンを買うのは阿呆な消費者。
>無論、君もその阿呆な消費者ということで

私はその山崎パンの問題の関係者ではなく、第三者になりますが、
それに対し、山崎パンの立場の意見はその当事者の立場の意見ですが、
同じように山崎パンを批判する立場の意見もその当事者の立場の意見であり、
いくら、「不衛生な食品買わないの当たり前。
それでも山崎パンを買うのは阿呆な消費者。」といっても、
どうしても 「ふーん。君の意見はそうなんだね。。」に
なってしまいます。
資本主義については世界史板で面白いスレを発見しました。
「なぜ東洋では資本主義は起こらなかったか」
http://mentai.2ch.net/whis/kako/962/962614997.html
のっけの10の指摘からして面白い。
あ〜眠い。。。
172考える名無しさん:2001/06/20(水) 14:20
rageeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee
173考える名無しさん:2001/06/20(水) 14:24
rage!!!!hikikomori!!!!!!!!!!
174OFW:2001/06/20(水) 23:54 ID:gx5kh4kE
鯖移動作業のあおりでスレが沈められてしまった・・・。
>>170(Rageさん)
>「なぜ東洋では資本主義は起こらなかったか」
 さすが世界史板は多彩で本格的な議論が展開されていて、とても面白い。
 ざっと読んだだけの感想・・・歴史家は事実的な多様に向かう余り、事象の
 本質を見失いがちになり、逆に哲学者は抽象化を急ぐあまり、実在の多様
 性を切り捨ててしまう、という事かな。
 「ヒトの解剖はサルを解剖する上で鍵となる」(マルクス)という事が、歴史
 的事象の本質論的な理解の導きの糸になるという事は確かでしょう。
 上記の設問に答えるためには、何よりも「ある事柄を<資本主義>と呼ぶ
 ためには、何が必要不可欠なのか」という、その本質に関する理解が先に
 無くてはならない。そして、それは十分に展開されて普遍的な定在となった
 現在においてのみ可能な認識であり、その後に、未だ不十分な形態であっ
 た過去からの形成を跡付けて、決定的な要因と偶然的な要因とを腑分け
 することができる。件のスレでも種々の立場からの見解があるが、幾分欠
 けているのはその本質認識でしょう。(それは哲学者の仕事かな。)
 資本主義経済に絶対に欠かせないもの、それは<自由な労働力商品>
 の存在ですね。何故そうなのか。資本とは賃労働の別名だからです。
 東洋には<自由>で同時に<商品>であるような奇怪な存在は成立すべ
 くもなかったのではないかな。その為には絶対的な個人主義とその裏付け
 としての<(私的)所有>の絶対化(物象的世界観)が必要であり、また
 法制度として自由な主体間の<契約>の原則化が無ければならない。
175考える名無しさん:2001/06/21(木) 00:35 ID:OMXIzTsg
過剰生産を絵にかいた所だよな、
食品工場って。
作るだけ作って、売れなきゃ廃棄。
つーか、どうせ捨てるなら、ただでくれよ(w
176考える名無しさん:2001/06/21(木) 00:45 ID:???
>174
唯一神の前に人間をゴミのように物象化できたキリスト教のような
宗教の人間支配の問題が抜け落ちてますね。
それでは単なる唯物論で何故個人が、所有の絶対化が生じたか説明
できない理論でしかない。
ウェーバーや人類学やフーコーをつなぐ問題の前にはマルクスも粗
雑きわまりない歴史家にすぎないんですが。
といってもこのスレでそんな難しいこと言っても無理か?
177考える名無しさん:2001/06/21(木) 01:13 ID:3h38MlcU
工場と固定化された分業があれば、資本は発生する。
なければ、資本は発生しない。
ただそれだけ。
つーか、私的所有は資本の存在条件ではない。
分業があれば、交換が必須だし、交換があれば、
貨幣、強いては資本が必須だから。
だから、資本のない共産主義社会では、生産者は
生産物を「交換しない」とマルクスは断言した。
一応筋が通ってますね?
178考える名無しさん:2001/06/21(木) 18:55
中沢新一『はじまりのレーニン』を読んだ。
つまらなかった。
179考える名無しさん:2001/06/21(木) 19:16
>>178
私たちが生きている現実世界へのアクセスポイントが希少な本だからね。
180名無し:2001/06/21(木) 19:35
>>174 OFWさん
>資本とは賃労働の別名
マルクスはそう言っているのかもしれませんし、
また、過去においては実際そうであったかもしれませんが、
現在の状況には必ずしも合致しないように思えます。
私見では、資本とは、カネ自体がカネ(利益、利子)を
生むような、自らを不断に増殖させていく一種の
非人間的な主体だと解しております。
181刃牙:2001/06/21(木) 19:44
哀believe
182くりはら:2001/06/21(木) 19:48
労働価値説を信じて疑わない
OFW氏に何を言っても無駄よ。
183考える名無しさん:2001/06/21(木) 22:23
OFWは馬鹿と言うことで(w
184OFW:2001/06/22(金) 00:16
>>176
>唯一神の前に人間をゴミのように物象化できたキリスト教
 <物象化>はそういう事を指しているのではなく、またキリスト教の理解と
 しても正しくない。
 たとえば、人身売買はまさに人間を家畜と同様の<所有物>として扱うが、
 決して自由な主体間の意志に基づく対等の契約による交換、という形態を
 とらない。しかし労働者が労働力を売る場合は、まさに物象的な交換契約
 (売買契約)の形態をとるわけ。(雇用契約とはどういう契約かを考えて
 みれば良く分かる。)
>単なる唯物論で何故個人が、所有の絶対化が生じたか説明できない
 <物自体>という観念の登場により<ある>ではなく<持つ>という関係
 性が定立される、とはヘーゲル『論理学』で論証されているが、所有の観念
 論はカントから始まったとも言える。ヘーゲル左派のシュティルナーの『唯
 一者とその所有』は、近代的個人と私有の不可分性を示しており、絶対的
 な主体性とは絶対的な客体性との所有関係を必要とする二元論的観念
 なわけ。
>ウェーバーや人類学やフーコーをつなぐ問題
 とは如何なること(として考えているの)か、具体的に説明下されば、議論
 可能かと。大分テーマが散乱しているようだが。
>>180
>資本とは、カネ自体がカネ(利益、利子)を生むような、自らを不断に増殖
>させていく一種の非人間的な主体
 まさにその通りです。それを物象化というのです。
 「資本家とは資本の人格化に過ぎない」(マルクス)のであり、主語は人間
 ではなく、モノ・カネが主体として現れるのが、転倒した資本主義社会です。
185考える名無しさん:2001/06/22(金) 07:32
>>180
資本は元を正せば過去の労働。
186考える名無しさん:2001/06/22(金) 21:47
ofwはしょうもない奴だな。
市場なんか人類にとって普遍的じゃなかろうに。
世界史スレ良く読んで己の無能を噛みしめろ。
187考える名無しさん:2001/06/22(金) 21:50
時間で、人間が物象化されなければ、契約もくそもないが、ウェーバー読めば、
それはキリスト教の時間観念から来てることは自明。
188OFW:2001/06/22(金) 22:05
>>186
>市場なんか人類にとって普遍的じゃなかろうに。
 当然そうでしょう。私は近代以降「世界市場」の成立と共に、普遍的になっ
 たと言っているので、このスレを良く読んで誤解のないように。
 人類にとって普遍的だと主張するのは、むしろ(近代)経済学者であり、ア
 ダム・スミスやジョン・ロックの説いた超歴史的なフィクションを受け継い
 でいる。彼らは「商品や貨幣のない世界などあり得ない」と言い、それが最
 も普遍的で永遠のものであるかのように大衆に喧伝している。責めるべきは
 その無能の方でしょう。
189>OFW氏:2001/06/22(金) 23:06
しかし商品と貨幣の支配は絶大でしょう。
しかもその支配に抑圧を覚えていない人も
多いようで。
抑圧を覚えているなら、それなりのリアクション
もあろうが、なにもないですね。
なんか資本を廃止しようとする有力な運動(組織)が
あるなら、教えて欲しい。
あなたがその運動を始めれば?というのはなしで(w
190考える名無しさん:2001/06/22(金) 23:29
つーかなんで資本主義じゃダメなの?
最善じゃなくても最悪でもないんじゃない
191スレ読んだ感想:2001/06/23(土) 02:29
<マルクスその不可能性の中心>というスレタイトル
のほうがふさわしい・・・
192:2001/06/23(土) 06:17
もしかして柄谷、知らんの?
193OFW:2001/06/23(土) 11:13
>>189
>商品と貨幣の支配は絶大でしょう。
 確かにその通り。そしてそれは何故かを考えなくてはいけない。
>その支配に抑圧を覚えていない人も多い
 それは資本家階級の人でしょうね。多くの中産階級(自営業、自営農民、
 自由業)の人も資本の支配の下で不安定かつ展望の無い有り様。
 また先進国特に大企業の労働者は労働貴族と呼ばれ、比較的高収入。
 しかし世界の圧倒的多数の労働者は絶大な支配の抑圧に苦しんでいる。
>なにもないですね。
 歴史上の社会主義そして共産主義の運動は資本主義の興隆と軌を一にし
 ており、現在も世界各地で続いています。
>資本を廃止しようとする有力な運動(組織)
 確かに、現在社会主義は劣勢にあるが、それは労働者に対する物質的な
 妥協(再分配)や精神的なマインド・コントロール(欲望と利己主義の煽り)
 が強力なため。しかし社会の現実を見失わず、自己の解放を目指す人達
 もまた少なからず存在する。
>>190
>なんで資本主義じゃダメなの?
 資本の支配により、類的・協働的人間が疎外されていることが根本的な問題
 です。それは社会自体の収奪でしょう。
 現実の経済をとっても、19世紀以降、資本主義は矛盾した運動を拡大させ、
 まともな資本主義などはとうになく、国家が介入してようやく維持されてい
 る反動的な政治経済制度(生産関係)になっている。
>>191
><マルクスその不可能性の中心>
 どこにその中心があるのかと考えることも重要であり、印象だけではダメね。
 あなたが労働者なら、労働者の解放に一生をかけた人の言うことに対して
 少なくとも感情的な反発をする理由はないはず。社会の根本認識は重要で
 あり、観念論の迷妄から覚めるというだけでも可能性は十分にある。
194考える名無しさん:2001/06/23(土) 13:55
>>OFW氏
新入社員いじめについてどう思いますか?
先輩労働者が後輩労働者を抑圧するという現実がありますね。
だから、労働者を一面的に神聖視する左翼イデオローグ
には視点の偏りがあると思う。
労働者のなかにもろくでもない奴がたくさんいますよ。
労働者解放という事業達成の暁には、彼らのろくでもなさも
解消されますかね?
ろくでもない先輩労働者がいると、職場の雰囲気がまじ暗い。
195考える名無しさん:2001/06/23(土) 14:02
すみませんド素人なんですけど、マルクスの哲学の部分を
知りたいのですが、なに読めばいいでしょうか。「資本論」?
196元学生運動家、現ヒッキー:2001/06/23(土) 14:19
マルクス思想のはまり過ぎると
危険だよ。
『資本論』とか読んで、搾取だの
収奪だの剰余労働だのと聞かされると、
資本主義社会が恐怖の対象になって、労働意欲が
萎えて、ヒッキーになる可能性があるからね。
ヒッキーになる位なら、マインドコントロールにかかってでも、
資本主義社会でも社会参加したほうがマシ。
たとえ資本主義社会であろうと、そこに良い面を見つけて、
くれぐれもヒッキーにならず、社会参加したほうがいい。
職業革命家ではとても食っていけない。
197 :2001/06/23(土) 14:24
職業革命家になる気はないのですが、観念論に対する唯物論
という構図の後者に対してあまりに無知なのでマルクスちゃんと
読まなきゃと思った次第です。このスレのタイトル本も読みたいと
思っているのですが、まず原典読まなきゃいけないだろうし、でも
ムズそうだし時間もないし経済のところはできるだけ省いた哲学的な
とこだけ書かれた本はマルクスは書いてないかなと思ったのです。
なんかマジメに勉強してる人から怒られそうですね。すみません。
198考える名無しさん:2001/06/23(土) 14:25
>>196
ただ50年後、100年後の地球環境を考えると、
資本主義のマインドコントロールにかかって安心してるわけにもいかない。
なぜヒッキーが増加しているか、
不登校が増加しているか、
ということを考え直さねばならないのでは?
199考える名無しさん:2001/06/23(土) 14:28
>>197
アルチュセールを読めば?
彼はマルクス主義哲学者だから。
200 :2001/06/23(土) 14:33
アルチュセールは面白そうだなと思っています。構造的因果性の
問題とか、ドゥルーズにつながるとされているし(@『逃走論』)。
で、すごく不純な動機なんですがマルクスを読まずにアルチュセール
とかを読むのはなんかカッコワルイ気がして・・・。すみません。
いいかげんに怒られそうだな。でも『資本論』はブ厚いし。とほほですみません。
201考える名無しさん:2001/06/23(土) 14:48
>>200
『資本論』の第一巻だけなら、そんなに
読むのに時間かからないよ。
第一巻だけで一応話は完結しているし。
第一巻の終わりで、資本の死滅の予測が語られるから。
つまり第一巻は独立した書物として読むことができる。
マルクスが生前に刊行したのはその第一巻だけだしね。
第二、三巻は遺稿。
202考える名無しさん:2001/06/23(土) 14:59
>>201
そうなんですか。じゃ、夏休みだしチャレンジしてみるかな!
どもありがとうございました。
203kurihara:2001/06/23(土) 22:16
マルクスたんより僕たんのほうが
賢いでしゅ〜
204OFW:2001/06/24(日) 00:47
>>194
>労働者のなかにもろくでもない奴がたくさんいますよ。
 たくさんかどうかは別にして、その通りですね。
 大体「いじめ」とは常に「弱いものいじめ」であり、真に強い者は嫌うもの。
 (殆どの経営者もその点ではまったくの俗物です。)
 労働者はその立場上、現在の社会では弱者(圧倒的多数を占めるマイノリ
 ティー?)でしょうから、そのはけ口を更に弱い者に向けることになる。
>彼らのろくでもなさも解消されますかね?
 労働者精神というものがある。それは「俺達が汗水流して働いているからこ
 そ社会が成り立っている」という、大地にしっかりと立つ者の自信からくる
 ものです。それは同時に、「俺達は互いに協力し合わなくては、仕事になら
 ない」という連帯感でもある。
>ろくでもない先輩労働者がいると、職場の雰囲気がまじ暗い。
 陰険な先輩、上司に対しては、直言が一番。(殆どのケースは虎の威を借
 る狐ですから、反抗には意外に弱い。)
 それが無理なら上司への直訴、告げ口も宜しかろうかと。(リーマン板に上
 司の買春旅行自慢を社内メールでチクッて、左遷させた話があった(笑))
 しかしお互いが、もともと弱い立場であることを忘れずに。
 いずれにせよ、資本主義は大分おかしくなっており、資本家・経営者も自信
 を失っているのは確かですから、相手の姿を笑えるだけの余裕を持てば?
 昔とは違い、会社を自分の人生と一体化して考える手合いは少なく、経営
 者も正面切って「会社のために死ぬまで働け」などとは言えなくなっている。
 (過労死や過労自殺は相変わらずだが)。バブル破綻やデリバティブの狂乱
 で、経済学者も含め、彼らはもはや本気で自分達の正統性を信じられなくな
 っているのでしょう。
205考える名無しさん:2001/06/24(日) 01:11
>>204
対人恐怖症で他人と連帯できない人は
労働者に向いていないということでいいですね?
206OFW:2001/06/24(日) 09:52
>>205
>対人恐怖症
 自体が社会の有り様の反映でしょうから
>他人と連帯できない
 ことは社会の有り様を変えることに関わる。
 連帯とは「すべての人は一つである」ということの実現に向かう。
>労働者に向いていない
 サラリーマンに向いている人などこの世にはいないでしょうね。
 不自然な愛想笑いの営業マン、ノルマ・納期に追われて異常に攻撃的な
 中間管理職、疲れたゴルフ談義、いつも不機嫌な中年OL、電車内の無
 表情な男女、エトセトラ、エトセトラ・・・
 しかしマルクスの唯物論的なユーモアを学べば、アホな経営者や学者
 の卑小な姿が良く見えてきて、精神的な優位を得られるでしょう。
207考える名無しさん:2001/06/24(日) 11:11
資本論っていろんな訳があるんですか?
どこのを読めばいいですか?
208考える名無しさん:2001/06/24(日) 12:18
>207
とりあえず,大月じゃねえの?
でもお前,資本論読むだけの頭はあるの?
209考える名無しさん:2001/06/24(日) 13:03
>>208
おまえよりはある。藁

>とりあえず,大月じゃねえの?
なんだおまえ?さぶぅ。
210考える名無しさん:2001/06/24(日) 17:38
サラリーマンって我慢強いよね。
この我慢強さはどこから来るのだろう。
完全なロボットになれる才能が
人間には潜在的にあるということか?
211サンクス:2001/06/24(日) 17:50
もっと唯物論的に考えろ。
212考える名無しさん:2001/06/24(日) 17:53
>OFW氏
マルクスを勉強しているサラリーマンって
いるんですか?
学生が勉強しているならわかりますが。
それにマルクス思想を保有していると、
職場から危険人物扱いされそうですね。
213考える名無しさん:2001/06/24(日) 17:59
しかし、リーマンの生態って観察してると
笑えるよな。
見事に疲れきっている。
そして狂ったように、カラオケで熱唱・・・
さぶっ!
214考える名無しさん:2001/06/24(日) 18:12
資本主義のほころびは膨大な不良債権
に象徴されている。
しかも勝ち組の企業といったら、低賃金で
こき使う馬鹿企業ばかり。
不満爆発も時間の問題だな。
215考える名無しさん:2001/06/24(日) 19:07
このまえ会った。
パフォーマンスはさすが。
ホモらしいが。
216OFW:2001/06/24(日) 23:42
>>212
>マルクスを勉強しているサラリーマンっているんですか?
 以前の戦闘的な労働組合では勉強会をやっていたでしょうが、今では一部
 の組合や有志グループが半ば非公式にやっている程度でしょうか。
 また上にも書きましたが、(新)左翼系の政党でも学習会を開いている。
 (ネット検索すれば有名、無名政党主催のものがいくつかあります。)
>マルクス思想を保有していると、職場から危険人物扱いされそうですね。
 まず間違いなくそうでしょう。「思想の自由」など誰も保証しないのが
 現実であり、会社に対する不満分子に対しては実に敏感に反応するのが、
 資本家・経営者の「階級本能」(笑)です。
 しかし、給料(賃金)、労働時間、労働環境に対する不満や失業の不安
 は一部大企業の「エリート・ビジネスマン」を除き、殆どのサラリーマ
 ンが現実に抱えているものですから、マルクス如何に拘らず、職場の全
 員が潜在的な危険分子である事は、経営者の方がよく承知しているので
 す。
>>213
>見事に疲れきっている。
 日本のサラリーマン(に限らないが)は確かに集団志向が強いが、仕事
 に対する真面目さもあり、条件が満たされれば主体性も発揮する。
 問題は、彼らが階級として組識されていないことであり、個々の会社の
 使用人として囲い込まれている点です。
 実際、現実は階級社会である、とは誰も言わず、小学校の教科書でも市
 民、国民と呼ばれている以上、サラリーマンが自己を知らないのも無理
 はない。天動説の中世並みの「嘘社会」(宮台真司)あるいは「偽りの
 リアリティ」(ウォルフレン)ですね。
217考える名無しさん:2001/06/24(日) 23:59
リーマンのマインド・コントロール
を解くのにどれだけの労力と資金が
いるかわからん・・・
218考える名無しさん:2001/06/26(火) 00:18
時代錯誤とか言われ照るけど、カールくんもちゃんと読めばそれなりに
おもしろいよね。でも、アウレリウスもいいですよん。
219考える名無しさん:2001/06/26(火) 11:53
マルクスは物神崇拝は商品・貨幣経済とは
異なる他の生産様式に移行してしまえば、
それは消滅するというけど、肝心のその他の
生産様式がないんだよね。だから、人はマルクスを
読んで、頭の中ではいかに物神崇拝から自由でも実際の行為
においては依然物神崇拝者として振る舞ってしまっている。
勿論マルクスに詳しいOFW氏もその例外ではない。
220考える名無しさん:2001/06/26(火) 18:42
バイトの面接で不採用になった。
という事態はマルクス理論でどう説明されるのか?
回答如何によっては、マルクス主義者になってもいい。
221ななし:2001/06/26(火) 19:03
社会をある時点で切り取って、その断面をみてみるならば
階級社会であるという見方は成り立つかもしれない。
だが、この階級性はカースト制度のような絶対的なものではなく、
流動性をもつ相対的なもの。
チャンスさえつかめば上へ行くことはできる。
(もちろんそれは同時に、下をつくることでもあるが。)
だから、自分の不遇を階級社会のせいにするのは、
ごまかし、あるいは自分にたいする言い訳という感じを否めないところがある。
アメリカンドリームを標榜する米国において、
マルクス評価も含めて、その辺はどうなっているのだろうか。
222吾輩は名無しである:2001/06/26(火) 19:11
>>216
うち、出版社なんだけど、社長からしてマルクス好きだよ。
これはこれで珍しいんじゃないか(藁
223結論:2001/06/27(水) 00:04
マルクスに可能性はないということで
いいですね、ALL
224考える名無しさん:2001/06/27(水) 00:19
>220
なんかものを買うためにはなんか売らなきゃならない
おそらくあんたには労働力しか売るものがない。
でもあるもんが売れるかどうかは暗闇でジャンプするようなもんだ。
で、ジャンプしたら谷間でした。以上。
225わかりません:2001/06/27(水) 02:12
そうなのかなあ、ほかのとこでも、プラトンやデカルトのことわかりませんとか
いっちゃってますけど、生理的にだめなんだよな、こういうの。
方法序説読んでると、スコラ哲学のことぼろくそに言ってるじゃないですか。
そして、まったく無前提で哲学をはじめるなんていってて、結局は、
スコラ的伝統から抜けてないように思えてしまうのが、結局だまされたって気
になっちゃうんですよね。
むしろ、近代哲学は彼から出発したといわれていますが、これはどうも、
中世的権威に対してのエディプスコンプレックスの発現だったんではないかと
最近思ってるんですね。デカルト個人はそれでいいけど、それに後世の
我々が付き合う必要はないんじゃないかって思っててね。
しかも、デカルトの愛読書がトマスの「神学大全」でしょ。トマスの
パクリですよ、パクリ。
だから、スピノチスト氏が言う「差異」ですか、私にしてみれば、
エディプスコンプレックスなんだよな。
プラトンについては、ディベートとしては面白いし、その手法は
有益ですが、なんかな、こういう人嫌いなんです、私。そんなの
人の勝手じゃんって、つい突っ込みながらひそかに読んでます。
226わかりません:2001/06/27(水) 02:24
すいません↑。
違うとこに書き込んでたら、なぜかここに書き込み入ってしまいました。
私が悪いんじゃないですけど、なんか、ごめんなさいだな、こりゃ。
無視してください。
227OFW:2001/06/27(水) 21:46
結局、私のマルクス理解への賛同者はいないのか。
欝だ氏脳・・・
228OFW@区別モード:2001/06/27(水) 23:15
>>219
>肝心のその他の生産様式がないんだよね。
 生産様式についての理解は十分でしょうか?
 ある時代における支配的な生産様式により、時代の唯物論的区分が可能
 になる。今の時代は資本家制生産様式が支配的であり、それが他の生産
 様式に変わるとは、本質的に新しい時代が来るということ。
>依然物神崇拝者として振る舞ってしまっている。
 お金を使わざるを得ないということは、必ずしもをそれを「崇拝」して
 いることにはならない。「じゃお前の金よこせ」と来る方が崇拝者。
>>220
>バイトの面接で不採用になった
 理由とは事象の根拠としての総体性を言い、個々の場合について社会的諸
 関係の中で何が決定的な理由なのかは、無論一概には言えない。
 唯物論の主張は、”結局の所”社会の最終的な審級は物質的な土台である
 生産関係である、というものです。それは本質論の領域での主張であり、
 個々の実在のすべてに、現在の不況は影を落としている、ということ。
>>221
>この階級性はカースト制度のような絶対的なものではなく、流動性をもつ
>相対的なもの。
 まさにそれが<身分>とは異なる<階級>の属性です。但し相対的なのは
 「誰が支配階級に属すか」であり、「支配ー隷従関係」自体は絶対的。
>自分の不遇を階級社会のせいにする
 昔から繰り返される「自分の無能やなまけを社会や回りのせいにするな」
 という議論ですね。確かに個別ケースではそう言える場合もあるでしょう。
 しかし、仮に「100万人の成員のうち金持ちになれるのは1人だけで後
 は皆不遇にならざるを得ない」社会だとしたら、さすがに不遇の原因が当
 人にあるとは誰も言わないでしょう。無能はむしろ結果ですね。
>アメリカンドリーム
 は夢のように稀な話ですね。努力とチャンス(幸運)の反弁証法、かな。
229219:2001/06/28(木) 00:03
資本家的生産様式にいる限り、
>>228
人は物神崇拝者たらざるを得ない。
それは構造的に強いられていることであり、
その構造的な被規定性を認識しない限り、
それを破ることはできないと思う。
資本家的生産様式では誰もが守銭奴のようにふるまうことを
不可避に強いられている。
そのみじめさを徹底的に認識せずして、その脱規定性は不可能では?
だから、資本家的生産様式にいながら、ひとり自分だけは
物神崇拝者ではないと語ることは、自分の今の在り方に対する
盲目を生むことだと思います。
例えば恐慌の時、銀行への取り付き騒ぎが起きますが、
そのゴタゴタはいかに人が貨幣を大事に思っているかを実によく
暴露してくれると思います。
もし、OFW氏の預金がある銀行が倒産したら、氏は消えてしまった
自分の預金になんら未練をもたないでしょうか?
自分の預金がどこかへ消えても、平然としていられるなら、
確かにその人は物神崇拝者ではないでしょう。
230219:2001/06/28(木) 00:06
(>>228)の場所が変な所についてしまった。
すまそ。
231考える名無しさん:2001/06/28(木) 02:52
なんつーか、貨幣経済が悪いのではなく、
貧乏(貨幣の欠如)が悪い。
貨幣経済では、貨幣なしにはなにも出来ないから、
貧乏ほど貨幣経済と相性悪いものはないんだな。
貧乏な人はいわば貨幣経済への参加権を持っていない
ということだから、貨幣経済が無くなろうとどーってこと
ないが、金持ちはそれはやはり嫌だろうね。
こういう観点からするに、共産主義(貨幣の廃止)とは貨幣を
持たざる貧乏人が貨幣なしでも生産物の生産・供給
をやれる経済の創出運動だといえる。
しかし、貧乏人を苦しめていて、共産主義創出を動機付けている
矛盾(貨幣の欠如)は、彼らが金持ちになることで、
容易に解消されるという側面もある。
現に日本はそうだから。だから、日本の左翼運動は
日本が金持ちになるにつれ、勢いを失ったし、
NAMのように資本を倫理的に攻撃するしか抵抗基盤を
見いだせなくなった。
勿論、倫理的批判など、資本にとっては痛くも痒くもない
ことはいうまでもない。
しかし革命のカギがあるとしたら、未だ貧乏である後進国からのそれ
にしかないと思われ。
そして金持ち日本からの革命の可能性は皆無と思われ。
無論、アメリカもなー。
232考える名無しさん:2001/06/28(木) 09:43
>>193 OFWさん
>それは社会自体の収奪でしょう
ちょっと意味がわからないのでもう少し易しく教えてください。
それに「社会主義に比べ資本主義ではだめなのか」という>>190さんの
問の答えになっていないように思われるのですが。
233考える名無しさん:2001/06/28(木) 15:29
OFWははぐらかしがうまいからなぁ〜
これも弁証法なのか(ww
234ウィンナー:2001/06/28(木) 19:45
>>231
ややスレ違い気味ですいませんが・・・

>NAMのように資本を倫理的に攻撃するしか抵抗基盤を
>見いだせなくなった。
ここだけ、まったく正反対に誤解してると思う。
それとも、「倫理的な動機がなければ、コミュニズムはその意義をうしなう」というのに対し
ての評?

>しかし、貧乏人を苦しめていて、共産主義創出を動機付けている
>矛盾(貨幣の欠如)は、彼らが金持ちになることで、容易に解消されるという側面もある。
確かに。だから「たんにより豊かになりたい、というだけなら、資本主義でいい」(『倫理21』)
で、上のかぎかっこにつながるんだけど、たぶんこの辺りのことを指してか、いまや柄谷は
平然とカントのリゴリズムに拠るようになった、という意見が2chでもよくあるけど、誤解だと
思う。
235ウィンナー:2001/06/28(木) 19:46
資本の運動(これにおいて、人間は主体ではありえない)が招来する危機は、今よりもむし
ろ未来の他者に降りかかるが、倫理を功利主義にもとめるかぎり、「お互いの幸福追求を
妨げない」というかたちでの、今生きている人々のあいだでの「合意」はできても、まだ存在
しない未来の人々を考える契機はなくなる。そして、功利(幸福←欲望)も、自然に規定され
ていて、自律的ではありえない(スピノザ的決定論を超えられない)。
倫理を、主体(自由)で「あろうとすること」に見たカントに柄谷が拠る理由はそういうことです、
と思う
(ちなみに、「倫理に幸福が伴うこともあるし、そうなればそのほうがいい」という言葉を柄谷
もリゴリズム批判としてひいている)

環境破壊、飽食と飢餓、戦争・・・が将来どう滅茶苦茶しようが自分らには関係ない、という
のであれば、資本主義に対する抵抗、などという理由もなくなる。
実際には、たとえば「次の世代のために地球環境をこれ以上悪化させない」ということに関
して人々は反対するどころか、当然のこととして積極的にそのことを考えているが、そこに
は功利だけでは説明できない動機がある、という実感としてはあたりまえのことに、カントの
考えた倫理を見つけているのでは。
236ウィンナー:2001/06/28(木) 19:47
>勿論、倫理的批判など、資本にとっては痛くも痒くもない
>ことはいうまでもない。
で、マルクスの価値形態論から「原理的に」みいだした資本への対抗基盤が、
「買う立場」です。
237考える名無しさん:2001/06/28(木) 20:18
俺いまがよけりゃどーでもいいんすけど。原発とかも
あとさき考えてないし。
238231:2001/06/28(木) 21:10
>ウインナーさん
例えば、昔、一般大衆へ共産主義の大義名分を
伝えるとき、「共産主義社会には貧乏人はいない」というのが
一般的だったし、それはそれで理解のしやすさと一定の共感を
生んだと思う。
しかし、貧乏の問題は日本ではその後、資本の限界内でも
クリアーできてしまった。その時、大衆に根を下ろす共産主義運動の目的意識は
急速にうすれ、その運動は全共闘のように"美学的"なものなってしまった。
(目的意識なき運動=美学とするなら、三島由紀夫みたいな"美学者"が
彼ら全共闘に同情を示したのも偶然ではない。)
しかし柄谷は全共闘にも三島にも批判的だから、再び共産主義において失われた目的意識性の
再生を求めて、共産主義とは貧困の解決ではなく倫理の実現にこそその「本来の目的」がある
とし、NAMを創始したようにも思える。
戦後日本の革命運動史的には、NAMの位置付けはそういうふうになると思う。
まあ、史的位置付けなどは遠近法的倒錯の所産だし、
NAMの可能性の中心とは無関係なことは十分承知しているのですが、
かつてカントに批判的だったあの柄谷が、何故突然カント的倫理を言い出したのかが
不可解だったので、無理矢理、史的位置付けをしてみました(w
(カントはスピノザと違い、「目的論」を限定つきで認めてますしね)
239考える名無しさん:2001/06/29(金) 01:36
今後先進国でも金持ちと貧乏人との再二極分化
がおこるだろうから、その新貧困階層(ニュープアー)
を左翼がオルグできるか否かに先進国革命の
明暗があると思われ。
240>239:2001/06/29(金) 01:44
>その新貧困階層(ニュープアー)を左翼がオルグできるか

無理だろ。
貧困層は、出身の人種・民族・宗教で、個別の小集団に群れるよ。
一方、エスタブリッシュメント層は、なんだかんだ言って、
利害関係だけで結束できるくらいには利巧だからね。
241>240:2001/06/29(金) 01:57
LETSによるオルグならできるかもよ。
そしてそのLETSでオルグされた小集団を
さらにINTER-LETSで拡大オルグすれば、
大組織になるから、資本を完全包囲することも
ありうるかも。
242>241:2001/06/29(金) 02:02
>INTER-LETS

もう地域通貨じゃなくて、
単なる(国際)通貨になるんじゃないの?
243考える名無しさん:2001/06/29(金) 02:07
LETSはマルクス思想(唯物論)とは基本的に無縁だから、
宗教的な集団にも親和的というところがみそだね。
現にNAMは仏教徒とも組む用意があるらしいし。
244鈴木:2001/06/29(金) 02:16
INTER-LETSではなくGETS(glocal exchange system)。
245鈴木:2001/06/29(金) 02:20
Glocal Exchange Trading Systemだ
246考える名無しさん:2001/06/29(金) 03:05
マルクスってやっぱ哲学に属するんだ。
経済版よりも生き生きと語られている。
納得。
247考える名無しさん:2001/06/29(金) 03:34
>>240
反グローバリズム反資本主義の国際的な運動が起きてる。
日本を除いて。
248>247:2001/06/29(金) 04:34
それは認めるのに吝かでないし、実際そうだと思う、
が、その担い手が、貧困層の主要な部分に一般化していくものであり、
しかも、現状にカウンター・カルチャーとななるべきものや、
結束できるような理念的なものを共有できるとは、
現在までのところでは、到底思えない。
現状を補完する「ガス抜き」でしかないのではないか?
249考える名無しさん:2001/06/29(金) 11:39
>>247
具体的にどんな運動?
>>248
LETSやGETSでは無理ってこと?
250考える名無しさん:2001/06/29(金) 17:59
>>247
「日本を除いて」というのが笑える。
やっぱ、日本は資本にとっての天国なんだね。
これほど扱いやすい奴隷民族はいないと評判なんだろう(w
251アントニーノ倉木:2001/06/29(金) 23:30
とにもかくにも、死ねば楽になれるさ。
恐れず逝けよ、プロレタリア諸君!
逝けばわかるさ!
1・2・3、ダァー
252247:2001/06/30(土) 00:05
>>248
あらゆる政治運動は、成功するまで不発の「ガス抜き」ということですか。

>>249
あちこちで数万人規模のデモが起きてます。
日本語の情報ソースが見つからないから、思想的背景がまだよくわからない
ですけど。

>>250
構造改革で失業者が増加すれば、日本だって例外ではなくなるかも。
253考える名無しさん:2001/06/30(土) 00:26
>>反グローバリズム反資本主義の国際的な運動が起きてる。

グローバリゼーションへの抗議者たちが『世
界経済フォーラム』会場を封鎖
http://www.hotwired.co.jp/news/news/Culture/story/20000912206.html
ビル・ゲイツ「グローバリゼーションはすばら しい」
http://www.hotwired.co.jp/news/news/20000913204.html

・激しい抗議運動でWTO会議開会式が中止 に
http://www.hotwired.co.jp/news/news/Culture/story/3418.html
254最近の反グローバリズム国際行動:2001/06/30(土) 01:21
99年11月
 世界貿易機関(WTO)シアトル閣僚会議 ・・・・・5万人(逮捕者600人)
00年1月
 世界経済フォーラム(スイス・ダボス)・・・・・・500人
00年4月
 国際通貨基金・世界銀行ワシントン閣僚級会議・・・1万人
00年9月
 国際通貨基金・世界銀行プラハ年次総会・・・・・・1万人(逮捕者400人)
00年12月
 欧州連合(EU)首脳会議(フランス・ニース) ・・5万人
01年1月
 世界経済フォーラム(スイス・ダボス)・・・・・・4000人(逮捕者100人)
01年4月
 アメリカ首脳会議(カナダ・ケベック)・・・・・・3万人(逮捕者400人)
255福田でぶ和也:2001/06/30(土) 03:02
失業者が増えても、彼らが運動を起こすことは
ありませんよ、日本でも。
それ以前にマルクスは『資本論』で失業者は
単なる産業予備軍であって、新産業が出来れば、
すぐに資本に回収されるとしています。
特に日本だと、労働者のプライドのなさ(社蓄性)とか
奴隷根性の徹底性とかがあるから、余計運動は起こりませんよ。
彼らはせいぜいハローワークに通うか、自殺か、犯罪しか
しないと思っていたほうが適切です。
おまえが氏ね。
プライドのないレスしやがって
258福田でぶ和也:2001/06/30(土) 03:29
>>248
その通り。
貧困層が求めているのは理念ではなく
金と職でしかない。
だから、貧困層を買収することなど全くたやすい。
パンと娯楽を与えとけばいいだけ。
259名無しさん:2001/06/30(土) 03:29
19世紀の資本主義と21世紀の資本主義の違いがわからない福田は逝ってよし!
パンに娯楽に労働者・・概念が古すぎるわ
脳みそくさっとるな
261福田でぶ和也:2001/06/30(土) 03:43
柄谷はむしろマルクスの生きていた19Cの資本主義に
今の資本主義が似てきているとしている。
故に、違いはむしろなくなってきている(ワラ
262福田でぶ和也:2001/06/30(土) 03:45
さて、寝るか。
まともなレスしばらくなさそうだし。
263248:2001/06/30(土) 03:55
>19世紀の資本主義と21世紀の資本主義の違い

もちろん時代や人口、主流の政治体制や、産業の生産力、国際経済の緊密化、
など、資本論なんかの「資本主義」とは、明らかに別物なのは、よく理解できます。
が、その中で、労働者階級とか貧困層、社会的被抑圧階層・・・
(と、いう言い方自体が、もはやマト外れでしょうが、まあ、オレらようなビンボウ人ね(ワラ))
その行動様式や原理が、具体的に、どのように変わったか、変わると期待できるか、説明願います。
でないと、>>258さんの言うような、
「貧乏で卑しい連中なんだから、日々の糧と、若干の娯楽で、すぐ保守層になるさ」
という意見は、日本の戦後の農民層を見てると、納得できるものがあるのですが、どうですか?
264考える名無しさん:2001/06/30(土) 04:13
らげ。お前は普段何してるんだ!!
265259:2001/06/30(土) 06:33
>>263
>>259では、>>255が日本の10年不況を古典的景気循環と同一視してる点を批判しただけ。

>その行動様式や原理が、具体的に、どのように変わったか、変わると期待できるか、
反グローバリゼーション参照。

構造改革が失敗すれば、日本発の世界大恐慌に発展する可能性がある。
ふぅ。福田のデブよ
似てる点をいくら列挙したって根本的な解決にはならんだろうが。
相変わらずお前の頭は単純すぎる。
>>264
 ひきこもりにきまっとる!
268なんとかの法則:2001/06/30(土) 07:56
理解してないやつに限ってよく引用したがる。
269Rage Against The “Rage”:2001/06/30(土) 08:07
>>267
ひきこもりがどうやって月4、5万円(別スレより)も稼げるの?
270>269:2001/06/30(土) 09:10
ひっきーであることと、
収入があることとは、
一般に無関係だろ。
マンションの一棟でも持っていれば、
家賃収入で十分贅沢な生活できるしな。
(面倒な店子とのやり取りは、管理会社がやってくれるし)
271>265:2001/06/30(土) 09:26
>>259では、>>255が日本の10年不況を古典的景気循環と同一視してる点を批判しただけ。

了解しました。

>>その行動様式や原理が、具体的に、どのように変わったか、変わると期待できるか、
>反グローバリゼーション参照。

たとえば
http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku/h13/html/13311200.htm
のまとめは分かりやすかったが、
現状に対する「反」である以上のヴィジョンは見えてこないように思える。
(もちろん、このような現状に対する批判と行動が必要なのは当然だか)
よって
http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku/h13/html/13312100.htm
の「このように統一的なデモンストレーションを通じて「反グローバリゼーション」を主張する
非協調型NGOの間でもその主張は環境問題から保護貿易主義にまで広範囲にわたり、
必ずしも明確な統一目的を掲げて主張運動を展開しているわけではない。」
「暴動の主導者は必ずしも「反グローバリゼーション」を主張する非協調型NGOだけではなく、
無政府主義者等が「反グローバリゼーション」運動に乗じて暴動を起こしたものとも言われている」
なんて書かれちゃうし(ワラ
272OFW:2001/06/30(土) 17:45
>>232
>ちょっと意味がわからないのでもう少し易しく教えてください。
 >>193にも書きましたが、私は<(人間)社会>とは一つの共同体と考えま
 す。それはすべての個人の<類的本質>の根拠となる実体的な存在と言え
 ます。何故なら、物質的生存のためにすべての個人は互いに依存関係に入ら
 なくてはならず、個人の自立もあくまで社会の中における自立であり、
 社会とはすべての個人の存立の根拠をなす共同的存在だからです。
 そして人間が類的存在であるとは、個人において全人類の成果が現れ、
 個人は<具体的普遍>として自由にその成果を我が物にできる、という事
 です。
 上記は社会の概念ですが、実際の社会はそうではない。たとえば近代社会
 は絶対的主体として個人を立て、社会は外的なもの(無くもがなのもの)と
 されている。それは私的・利己主義的個人の立場です。唯物論的に言えば、
 それは共同的な社会が、生産手段の私有に基づいて私的に収奪されていると
 いうことです(かっての伝統的共同体における共有地が<囲い込み>によっ
 て私有化され、壊されていったように)。無論その現実を政治的に隠蔽する
 ために、公共性(抽象的共同性)が立てられた訳で、<国家>とは設立され
 た幻想の共同体(必要悪?いやもはや不必要悪)です。
 この辺りは近代主義者ハーバーマスの<生活世界の内植民地化>とも重なる
 が、それは抽象的・倫理的にではなく、その物質的根拠としての、社会の物
 質的・経済的な下部構造からくるのです。
273OFW:2001/06/30(土) 17:48
>>232(つづき)
>>190さんの問の答えになっていないように思われるのですが。
 「資本主義は最善でなくても最悪ではない」という点について言えば、善悪
 は相対的であり、個人の社会的立場(究極的には階級)によって正反対にも
 なる。いずれにせよ、どんなに富が溢れていても、貨幣がなければ、原始時
 代より悪い餓死が待っている。「すべての物は私有物であり、いくら余って
 いても、金が無ければ渡してはいけない」とはまさに商業倫理の要請でしょ
 う。
 確かに20世紀は、主に科学技術の進歩により大衆消費文化が花開いたが、
 俗物化そして物象化も進行し、精神的人間という存在は消えつつある。
 あるいはまた「どんなに不況や倒産があってもあの(旧)ソ連のような全体
 主義的な社会主義よりはましだ」と自分を慰める人がいるが、旧ソ連(そし
 て現中国)は、イデオロギーはどうあれ、国家資本主義の政治経済体制の国
 です。それは、商品、貨幣、資本、そして国家を廃止しない階級社会です。
 (最近、「レーニンは革命の2、3年後に『願わくば私の子供、いや孫の世
 代には社会主義が実現することを』と語っていた」(広松渉『マルクスと歴
 史の現実』)というのを見つけました。スターリン「我が国はついに一国社
 会主義を完成した」と如何に異なることか。)
>>233
>OFWははぐらかしがうまいから
 多少敷衍する場合があるからそう見えるのかな。
 相手の質問に直接答えるのではなく、その質問の(暗黙の)前提に対して、
 反省を促すので、『これが答えだ』(宮台真司)式の論法は哲学には向かな
 い。
274福田でぶ和也:2001/06/30(土) 17:51
労働者=保守層なんだよね、まじ。
例えば、東京の足立区なんかは労働者の街なんだが、
自民支持がやはり大半。
下町ほど保守的なことは、北野武みたいな人ほどよく解っているね。
(因みに、足立区は農村からの離村者が多く住む街)
他方で石原慎太郎氏のような真性ブルジョワほど、革命なんてことを言う。
あッ、マルクスもブルジョワ階級の出身だったな(ワラワラ
275考える名無しさん:2001/06/30(土) 18:05
らげの煽りは2chではむしろありふれた
没個性と思われ。
276考える名無しさん:2001/06/30(土) 18:09
ふぅ。らげのデブよ
似てる点をいくら列挙したって根本的な解決にはならんだろうが。
相変わらずお前の頭は単純すぎる。
277190:2001/06/30(土) 18:10
>>232
そうですねOFWさんのお答えは良く分かりません
ただ分かるのはOFWさんは疎外論的主張をなさる博識な方、ということぐらいですね
278イッテヨシAgainst The “らげ” :2001/06/30(土) 18:15
==============================================================
==========================================================
======================================================     |
======================== ∧ ======== ∧=============== \\ ら ///
====================== / λ======  / λ===========   \  げ/
====================  /   λ====  /   λ========     \  逝  /
==================                 \========   \   ッ  /
================   <(◎)> (_人_)<(◎)>λ         \  .テ
================          |∨ ∨|       |             ヨ  \
================           |    |       |        /   シ  \
================          /⌒⌒ .|       |        // !! \
==================       .  ――┤      /           /  \
==================                /             |
================    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ>     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄〇> +
==============             |>            〇>
============   _______ ノ> _______〇>
==========            /=============
========            /=============
======            /================
====           /===========
279栗痰:2001/06/30(土) 18:17
>>273
精神的人間ってなんですか?
280考える名無しさん:2001/06/30(土) 18:19
OFWさんの言っているのはよく分かるけど。
281考える名無しさん:2001/06/30(土) 23:11
>>271
反グローバリズムに関しては、だいたいそうだと思います。
話の流れで問題となるのは運動の主体がおもに低所得者層か
どうかですけど、わかりません。

それより大事なのは、日本経済がいつまで現状を維持できるか、
だと思います。バブル期に由来する過剰雇用の調整をIT産業の
推進によって乗り切ろうとしてるわけですが、アメリカの例を見ると、
各産業のIT化は中間管理職の大量失業をもたらし、当然ながら、
IT産業はこれを吸収しきれません。

福田が産業予備軍を持ち出しましたが、今の日本では、派遣社員・
フリーター・パートタイマーの存在を抜きにして考えられません。
282名無しさん@蘇る勤労:2001/07/01(日) 00:55
>>246
>マルクスってやっぱ哲学に属するんだ。
近経しか「経済学」関係は、私はかじったことがないので、
わからないけど、私もずっと「哲学者」(ジャーナリスト兼)
だと考えていた。(若い頃のマルクスにしか興味なかったもんで)

政治経済の現代的な問題に関しては、
ウォーラーステインの世界システム論は、
なかなか説得力がある。
共産圏なんてブロックを作ったつもりでいても、
結局のところ、世界という経済関係のなかでは、
なかば無秩序に近い状態で、世界市場というシステムの中に
必然的に巻き込まれてしまう...という話には納得できる。

かといって、そのシステムに対する抵抗(運動)することが、
数々の問題(所得格差、南北問題、環境問題など)の
解決になるとは、個人的には考えられない。
やっぱり難しい問題だ。
283OFW:2001/07/01(日) 10:23
>>279(栗痰さん)
>精神的人間ってなんですか?
 精神vs物質の対立から言えば一見逆のように見えるが、唯物論者はむし
 ろ精神の高潔さを求める。逆に俗物的な精神論者は物質(モノ)に執着して、
 精神的な価値(知性、教養、倫理、友愛、芸術等)を軽んじる。
 福田氏とは異なり「人はパンのみにては生きるにあらず」ということは、確
 かであり、労働者が、自分達がモノのように扱われているが故に、むしろ精
 神的な価値を求めざるを得ないことは、逆説的ながら、宗教や政治イデオロ
 ギーの流行からも分かる。
 彼らおよび彼女らは、生活不安と多くの非現実的な虚偽の観念に晒されて
 きたため、理性一般に不信を抱いていますが、唯物論的な啓蒙こそが哲学
 者、知識人の使命でしょう。実際、かってブルジョアジーは「すべての個人
 は人間であり、不可侵の人権をもつ」と高らかに宣言したが、現在本気でそ
 んなことを考えている資本家・経営者などいないでしょう。
284232:2001/07/01(日) 15:14
>>272 >>273
OFWさんレスどうも。で、さらに質問。(質問ばかりですいません)
確かに20世紀において大量生産・大量消費のフォードシステムの行渡りによって
「大衆消費文化が花開」き、「精神的人間が消えつつある」この点については
OFWさんが>>283で言われているように同感です。しかし同じことを繰り返しますが
>>277(190)さんが言うように疎外論や精神的なものが軽視されていること
については分かりますがこれをもって「資本主義が社会主義よりも優れている理由」
にはならないように思われるのですが。
285福田でぶ和也:2001/07/01(日) 17:43
労働者はパンのみに生きるにあらず。
確かにそうです。
彼らはセク〜スのためにも生きていますから(ワラ
あとギャンブルも。
彼らの話題の中心は今も昔も「飲む・打つ・買う」!
(因みに今日『アエラ』を本屋で立ち読みしたら、柄谷が出てた。
柄谷の家系は代々「地主」だったそうだ。
彼もやっぱ、労働者階級の出身ではないということだね。納得。)
286考える名無しさん:2001/07/01(日) 18:03
人生の楽しみは酒と女に尽きますから
287福田でぶ和也:2001/07/01(日) 18:28
労働者にとってはプロ革より赤線の復活のほうが、
喜ばれると思われ。
これが本当の「赤色革命」(ワラ
288考える名無しさん:2001/07/01(日) 22:29
>>284
多分OFWさんがいいたいことは
>上記は社会の概念ですが、実際の社会はそうではない。
この部分が全てを語っているのではないでしょうか
つまり『本来』>社会とはすべての個人の存立の根拠をなす共同的存在『なのに』
『資本主義(近代社会)では』
>唯物論的に言えば、それは共同的な社会が、生産手段の私有に基づいて私的に収奪されていると
 いうことです(かっての伝統的共同体における共有地が<囲い込み>によって私有化され、壊されていったように)。
つまり「本来」の状態から「疎外」されているので資本主義は良くないと、なるのでは
289考える名無しさん:2001/07/01(日) 22:34
>>283、273
精神主義者の言う精神主義とは、実生活や現場の問題に対し、
現象を捉え、それを理性で分析、総合、計画し、
(それを技術的に実践する)というプロセスを進もうとするやり方ではなく、
精神の力によって直接解決しようとするやり方であり、
それは、情念(例えば愛、熱意、怒り、など)の力が道徳的な力(意志力)となり、
その力によって物事を支配、統制しようとすることだと思います。

それに対し、OFWさんの言う精神とは、
理性的なものであり、情念的なものとは違うのでしょうか?
それとも、情念的なものでしょうか?、またはそれらとはまた別なものでしょうか?
290考える名無しさん:2001/07/01(日) 22:52
その精神主義とは、一種の神秘主義のようなものだと思う。
291考える名無しさん:2001/07/01(日) 23:00
伝統的な村社会に抑圧を感じてきた人にとっては
それを破壊した資本の運動はある意味救世主的に
映ったはずだとも思う。
従って、伝統的社会から社会主義へいきなりジャンプ
できるとしたロシア・マルクス主義は伝統的社会における
抑圧の肯定者としても機能してしまった。
それがマルクスが嫌われる理由の一つだと思う。
現に共産主義=単に工業化された封建社会というイメージが人々の間では
根強いと思う。
292NAMっ子:2001/07/01(日) 23:21
マルクスが考えた「本来の状態」とは
独立自営農民であって、彼らから
生産手段を収奪することで、彼らのプロレタリア化
が起こったと『資本論』では言われている。
だから、マルクス的には「本来の状態」とは
共同的社会ではなく、ヨーマンが孤立して(いわば単独者として)
個々別々に生産を営む非共同的関係がそれだったのでは?
むしろ共同=協働とは資本による高度の分業化の結果だと思う。
293NAMっ子@292の続き:2001/07/01(日) 23:38
故にマルクスは資本家的私有=国有とは違う
個体的所有=ヨーマン的所有の再生に
コミュニズムのメルクマールを据えた。
(エンゲルスは馬鹿だから、個体的所有は生活手段の個人的所有
だ、ととんちんかんな解釈をしているが、それでは国家=資本主義の
の正当化にしかならない。)
労働者とか農民とかの概念がよくわからないんだよね。
カーは、マルクスは基本的に都会っ子で農民なんて見たこと無いっていってた。
だからマルクスは、バカ農民ばっかりのロシアを侮蔑してたとか何とか。
ともかく今の時代に都市労働者とか農民みたいなアナクロな概念で
社会が説明できるとは思われない。
定義を何とかしろ。
295考える名無しさん:2001/07/01(日) 23:56
>>294
いま起きたんかいな。
完璧に朝晩逆転してまんな。
296232:2001/07/02(月) 00:00
>>288
レスどうもです。
>つまり『本来』>社会とはすべての個人の存立の根拠をなす共同的存在『なのに』
>『資本主義(近代社会)では』
>唯物論的に言えば、それは共同的な社会が、生産手段の私有に基づいて私的に収奪されていると
>いうことです(かっての伝統的共同体における共有地が<囲い込み>によって
>私有化され、壊されていったように)。
これは決定論と考えてよいのでしょうか?
297糞スレ立てんな!:2001/07/02(月) 00:03
>>294
馬鹿だな。
マルクスがそもそもアナクロだということ
に何故気付かない?
だから「可能性」と断ってるでしょ。
マルクスが念頭においてるのは当時のイギリスの中間所得層かな。
ううむ、世界史板かなぁ。。
299考える名無しさん:2001/07/02(月) 00:07
確かにひきこもりは労働者も農民も知るよしはないな(ワラ
300考える名無しさん:2001/07/02(月) 00:11
らげは『資本論』を読んでいない
ということでいいですね、皆さん。
つーか『共産主義者宣言』さえも(w
読んでませんよ。
はは〜ん・・過去ログ見てない新参者だな?
302>301:2001/07/02(月) 00:21
『賃労働と資本』くらい読んでから、
発言しようね(ワラ
重箱の隅をつつくぐらいなら
少しは生産的な発言をしたらどうだ?
とりあえず294へのレスお願いね
304>294:2001/07/02(月) 00:35
プロレタリアート=生産手段を持ず、労働力を
資本家に売ってその対価で自分が作った生産物を買い戻す人。
農民=農産物を生産する人(ワラ
305>294:2001/07/02(月) 00:36
「持ず」、ではなく
「持たず」
306考える名無しさん:2001/07/02(月) 01:13
>>291
>伝統的な村社会に抑圧を感じてきた人にとっては
>それを破壊した資本の運動はある意味救世主的に
ブルジョアジーだけかな。
封建社会の生活は初期の資本主義ほどひどくなかった。
労働時間は短かったし。

>ロシア・マルクス主義は伝統的社会における抑圧の肯定者としても機能してしまった。
これは間違い。クレムリン官僚は農村共同体ミールを破壊した。

>>292
マルクスが考えた「本来の状態」とは独立自営農民であって、
平田清明が言ってるだけ。
307NAMっ子:2001/07/02(月) 02:07
>>306
平田はマルクスではないな、確かに(w
しかし、マルクスの言う個体的所有の再建とは、
資本の原始的蓄積で破壊されたヨーマン的所有の
再建と考えるべきじゃないか?
生産手段の国有化=コミュニズムでないことは自明なのだから。
平田のマルクス読解は、国有化がコミュニズムでないなら、
コミュニズムとは何をするものなのか、という問いへの一つの答えだろう。
308NAMっ子:2001/07/02(月) 02:24
まさか、今でもコミュニズムを国有化と考えている
奴はいないだろうな?
まあ、元左翼で現公務員の奴などは国を美化したい
気持ちにもなろうが(w
しかしそれは単なるヘーゲルへの退行でしかない。
309考える名無しさん:2001/07/03(火) 00:10
>>294
>>298
プププ・・・
310浅田彰:2001/07/03(火) 00:17
『資本論』は寝ながら読みなさい。
311考える名無しさん:2001/07/03(火) 04:15
>>310
「構造と力」ですな。
312OFW:2001/07/03(火) 05:41
>>288
 OKです。因みに、<疎外の止揚>とは疎外されていない本来の状態を
 再建することですが、実在した過去の状態を復元することではなく、発展
 した形態においてあるべき姿を取り戻すこと。(否定の否定)
>>289
>精神とは
 自然に対比した場合の人間の在り方として、自覚的に未来を切り開き、
 歴史のすべての成果を自らの内容にする活動、ですから、理性、情熱、
 意志すべてを含むものです。それは単に主観的・個人的ではなく、客観的
 ・類的なものです。
>>291
>ロシア・マルクス主義は伝統的社会における抑圧の肯定者としても機能
 少なくともロシア・マルクス主義(スターリン主義?)下のソ連が一国社会
 主義として成功などせず、国家資本主義となった点は押さえておくべきです。
 革命直前までレーニンは「少なくともドイツあるいはイギリスで社会主義
 革命が勝利しなければ、ロシアの未来は開けない」と考えていた。
>>293(NAMっ子さん)
>ヨーマン的所有の再生にコミュニズムのメルクマールを据えた
 それは誤解。確かに
 「生産手段の共同占有に基づく個体的(individual)所有の再建」
 という言葉に関して議論が続いたが、明確に<共同占有>です。
>>296(232)(横レスかな)
>これは決定論と考えてよいのでしょうか?
 決定論というのが、歴史の必然、つまり他には道はなかった、ということな
 ら、生産力の増大により、旧来の生産関係が壊され、新しい時代が始まる、
 という一般的な面については必然的でしょう。しかし歴史は常に条件的であ
 り、それがいつ、どこで始まるか、は客観的な条件布置および主体の力量・
 判断によって決まる。つまり、それは未定です。
313NAMっ子:2001/07/03(火) 18:43
>>312
生産手段の共同占有とは、全ての人が想定上
生産手段の所有者になるということですね?
ところで、ヨーマンとは生産者兼所有者です。
だから、全ての生産者が想定上生産手段の所有者に
なる生産手段の共同占有とは、その実、生産者が同時に
所有者であるヨーマン的所有のいわば弁証法的再生でしょう。
マルクスは生産手段の共同占有に基づく個体的所有の再建という言い方を
しているが、生産手段の共同占有=生産手段の個体的所有の再建なのです。
でないと、エンゲルスのように、生産手段の共同所有と個体的所有を分離して、
後者を「生活手段の個人所有」とするごまかしをするはめになります。
しかし、マルクスにおいては、共同占有も個体的所有も「生産手段という同一の主語」
に対して言われているのであって、後者の主語を生活手段にすり替えることは
大きな誤解でしょう。
314NAMっ子:2001/07/03(火) 19:07
あとindividualismがヨーマンのイデオロギーなら、
それはむしろ資本の原蓄過程によるヨーマンの解体に
よって否定されたと考えるべき。
そうなら、近代資本制社会=individualismとするのは
全く逆ですね。
資本とはむしろ個体性の破壊者なのです。
故に、コミュニズムはindividualismを否定しないどころか、
それを回復する運動でしょう。
コミュニズムとは資本によって無惨に否定されたものの
回復運動(抑圧されたものの回帰=revolusion)なのだとしたら。
315NAMっ子@314のつづき:2001/07/03(火) 19:29
そうであるなら、資本の運動の代弁者たる
"現代思想家"たちが、「自己=他者」なる
言明を濫用し、個体性(自己同一性)の撹乱を
執拗に繰り返した理由もはっきりすると思う。
柄谷がいうように、資本の原蓄過程(農民収奪)は第二次大戦後、
本格的に世界中で始まったのであり、そこから、自己同一性の解体を
肯定する"現代思想"が資本の個体破壊運動と共振しながら出てきたと思う。
316nanasix:2001/07/03(火) 19:50
その前に「個人」とは何かが理解されなければならない。
おれはOFWさんがマルクスを借りて言う「類的本質(存在)」
というのは疑わしいと思っている。
というより、「本当の個人」などあるのだろうか。
それはもう一つの観念ではないのか。
「個人」とは社会的関係に規定されるシニフィアン(意味されるもの)
の器でしかないのではないか。つまり社会が変わればそれに
会わせて変容する一個の器でしかない。
マルクス主義的な唯物論を唱える者にその徹底性が感じられず、
もう一つの観念を見ているだけではないかという印象はそのへん
にある。
317NAMっ子:2001/07/03(火) 20:39
イギリスの個人主義の背景にはヨーマンの
存在があると思う。
しかし、彼らはエンクロージャーによって破壊された。
そこにおいて個人主義は実在的経済的基盤を失い、
文字通りそれは「思想」になってしまった。
その「思想」に再び実在的経済的基盤を与えようとするのが、
イギリスの社会主義運動のモチーフだと思われる。
反面、国家=資本のやり方は人の孤立を許さず、工場に人をかき集めて、
彼らの協働によって生産力の拡大を図る「集団主義」。
個人で生産しても生産性が低いので、個人主義は集団主義によって
駆逐されたと思われる。
318288:2001/07/03(火) 20:46
>>296
決定論というより私は典型的な疎外論だと思い要約してみました
私は心情的には疎外論を否定したい「本来の状態なんて勝手に夢想してるだけ」
とか思ってしまいますがOFWさんは>>272で何故
><(人間)社会>とは一つの共同体『で』それはすべての個人の<類的本質>の根拠となる実体的な存在と言え 『るのか』
 明確にこう言っている
>何故なら、物質的生存のためにすべての個人は互いに依存関係に入らなくてはならず、
これはかなり説得力があるように思います
319NAMっ子:2001/07/03(火) 21:09
>何故なら、物質的生存のためにすべての個人は互いに依存関係に入る
「物質的生存のため」ではなく、「生産力の向上のため」の誤りでは?
物質的生存だけなら、自然との依存関係で十分であって、他人との依存関係は
必ずしも必要条件ではないから。
320考える名無しさん:2001/07/03(火) 22:08
>>296 昆虫標本家としてのOFW氏の描く社会は、その重苦しさが気にかかる。
彼にかかると運動しているものが止まる。
321考える名無しさん:2001/07/03(火) 23:09
>>316
>「個人」とは社会的関係に規定されるシニフィアン(意味されるもの)
>の器でしかないのではないか。つまり社会が変わればそれに
>会わせて変容する一個の器でしかない。
マルクスは、まさにそう言ってます。
物象化論は、さらに徹底。
322考える名無しさん:2001/07/03(火) 23:16
精神的人間とか。そこから見え隠れする教養主義とか。
啓蒙主義。とか。
すげーぶるじょあ的。
いろいろおかしな言葉が飛び交うかんじ
累進課税制とか相続税制度は
資本の固定化の解体にたいして機能しているのでしょうかねぇ。
nanasixさんの言うことはよく分かるなぁ。
個人とか「本来」とかそういう・・なんていうの、起源信仰こそが
マルクスが否定したイデオロギーじゃないかなぁ。
だから、哲学的言説、或いはあらゆる言説にたいして
自己言及的なチェックを行うように提唱したことが
マルクスの思想のひとつの功績じゃないかなぁ。
325大和龍門:2001/07/03(火) 23:33
「戦争から革命へ」というレーニンの革命論が
正しいなら、我々はまず戦争を起こさねばならぬ。
そういうことでいいんだな?
326考える名無しさん:2001/07/03(火) 23:36
結局暴力ですか
327考える名無しさん:2001/07/04(水) 00:00
とりあえず、核戦争。
328288:2001/07/04(水) 00:16
えーとですね多分RageさんやnanasixさんやNAMっ子さんは(間違っていたらすみません)
マルクス−柄谷ラインで考えていてOFWさんはヘーゲル−マルクスラインというか
まあそんな感じだとおもうんです(後期マルクスと前期マルクスともいえるかな?)
私自身は完全に前者だったのですが、結局マルクス−柄谷だと「なんで資本主義ではいけないのか?」
というのがでてこない気がするのです。実際柄谷はNAMを始めるまでは(カントをもってくるまでは)
資本主義でしかたない(批判(批評)的に振る舞う)しかないという立場だった。
「なんで資本主義ではいけないのか?」に答えるには疏外論的になるしかないのでは?
もちろんマルクスの「可能性の中心」は>>324のいうようなこととも言えると思いますが
329考える名無しさん:2001/07/04(水) 00:18
>>325
戦争中は、どう行動するべきかってこと。
しかも、植民地争奪戦として戦争が遂行されてた時代の話。
330考える名無しさん:2001/07/04(水) 01:21
>>323
解体というほどでもないな。いくらでも抜け道はあるし。
331大和龍門:2001/07/04(水) 01:29
まあ、いい。
とりあえず、俺を殴れ!
332ヘルマン・コーヘン:2001/07/04(水) 22:12
カントこそドイツ社会主義の真実の創始者なのです。
333変人:2001/07/04(水) 23:19
マルクスは18世紀後半のイギリス貧民街をモデルに理論を打ち立てた
世界は彼の理論「唯物史観」どうりに動かなかった。それにだんだん
気がついた運動家達は、だんだんマルクス主義から離れていった。
334NAMっ子:2001/07/05(木) 01:35
>>328
資本主義で何故いけないのか、ということへは
柄谷は月並みに「環境問題」を挙げていますね。
「このままいったら人類死ぬぞ、だから資本を
止揚せねばならない」という感じに。
しかし実際は「買う立場」からの対抗運動の有効性とか、
LETSの有効性とかを柄谷自身、深く認知して、そのあとで、
資本への対抗のモチーフとして人々に理解しやすい「環境問題」
で後付けしたというのが本当のところでしょうが。
あるいは、未来の他者への責任倫理から、環境保全の当為が
出てきたともいえる。
しかし、日本人に資本の問題性を伝えるのは確かに難しい。
なぜなら、日本は成功した資本制国家ですからね。
勝利者に「お前の勝利は悪だ」といっても、その人は聞く耳を持つかどうか
ということですね。
335nanasix:2001/07/05(木) 21:57
NAMの意義があるとしたら、資本主義に外部を設けるということじゃないですか。
歴史上そういったものは存在しなかったわけですしかつての共産主義諸国のそれは
ドメスティックなものに過ぎず、世界的見地からすれば資本主義に属するというのは、
既にコンセンサスだろうか)、また、いくら資本主義についてよい悪いを論じたところで、
そこから出る手段がなかったら何の意味もないですから。
(逆に言うと、NAMは積極的な意義をもたない「本質的な」オルタナティブである。)

>>318
>何故なら、物質的生存のためにすべての個人は互いに依存関係に入らなくてはならず

この回答は、資本主義社会にしても個人相互の依存関係の一つのバリエーションには
違いないのだから、共産主義による依存関係の正しさを説明する理由にはならない。
そこで「本来の依存関係」を持ち出すならば、『本来の』という形容詞が意味する
ところについて再考を願いいたい。おそらく『理想の』に置き換えた方が適切だろう。
336吾輩は名無しである:2001/07/05(木) 22:44
柄谷と吉本のマルクスを合体させる。
理想じゃないかな。
337>333:2001/07/05(木) 22:56
>世界は彼の理論「唯物史観」どうりに動かなかった。

EXAMPLE木彫り
338kurihara:2001/07/05(木) 23:27
>>336
吉本のアナルに柄谷のチンポ
が合体希望ですか?
339浅田:2001/07/05(木) 23:39
僕もまぜて・・・(ハァト
340名無し:2001/07/06(金) 00:24
ってーか、南無吉が望むように社会が動けば環境問題って解決する
ものなのか?
341考える名無しさん:2001/07/06(金) 00:53
>>340
資本主義では解決しないよ、ってことです。
なぜかというと資本主義が倫理的でないからです。
じゃあNAMが環境問題を解決するための具体的なヴィジョンを持ってるかというと、
持ってない。ただ倫理的にはなれるということです。
342Rage Against The Philosophy:2001/07/06(金) 01:36
机上の空論だな
343考える名無しさん:2001/07/06(金) 01:54
権力の裏付けがない倫理は瓦解するよ。
344考える名無しさん:2001/07/06(金) 06:32
資本主義の矛盾が環境問題だけなら、資本主義のままで、
環境監視を強力にすればいいのでは?
345考える名無しさん:2001/07/06(金) 13:28
>>344
どうやって?
346考える名無しさん:2001/07/06(金) 13:30
とりあえずアメリカは京都議定書に加われやゴルァ!!
347考える名無しさん:2001/07/06(金) 16:16
>>344
ねえ、どうやって?
348考える名無しさん:2001/07/06(金) 23:42
>>347
昼間レスできるのは、ナマケ社員かヒッキーでしょ?

>どうやって?
環境税と環境Gメンと環境運動で。
環境しか浮かばない柄谷は、平和ボケで政治&経済オンチ。
349考える名無しさん:2001/07/06(金) 23:50
>>348
ああ、結局国家権力ですか
350Kurihara:2001/07/07(土) 00:12
地球が駄目なら、火星がある。
しかし果たして、火星にまで資本主義を
移植できるかな、ブルジョワ諸君。
空間的差異や時間的差異がなければ、資本は発生しない。
火星の人工シェルター内にも、そのような差異はあるかな?
僕はないと思うがね。
なぜなら、火星には最も発達した科学技術による最先端の生産システム
が移植されるだろうから、技術革新による時間的差異の創出は
困難だから。
加えて、火星には歴史がないから、文化共同体も当然ない。
つまり、火星は文化的(価値体系的)に均質空間であるので、
そこでは空間的差異は存在しないし、創ることもできない。

よって火星に資本を移植することはできない。
つまり火星では資本蓄積を不要とするLETSによる経済(NAM)になるほかない。
351Rage Against The Philosophy:2001/07/07(土) 00:15
福田君
自作自演はやめなさい
352考える名無しさん:2001/07/07(土) 00:18
イや違う人
353考える名無しさん:2001/07/07(土) 00:18
きてぃ?
354Kurihara:2001/07/07(土) 00:25
火星(コミュニズム)の地球(資本主義)からの
独立戦争が数百年後起こるということなのだ!

ジーク・ジオン!
355考える名無しさん:2001/07/07(土) 00:30
ジーク・ナオン!
356OFW:2001/07/07(土) 00:30
ネタスレ化してる・・・
357考える名無しさん:2001/07/07(土) 00:38
>>349
国家権力じゃなくて、住民運動よ。
358考える名無しさん:2001/07/07(土) 00:44
>>357
じゃぁ、税とかGメンとかはなんだ?(ワラ
359考える名無しさん:2001/07/07(土) 00:45
NGOってさぁ、、

あ、やべ。
山形が言うとおりになってきてるな(藁
360:2001/07/07(土) 00:46
賃労働と資本
361浅田彰:2001/07/07(土) 00:49
山形のけつの穴をほりたい(ハァト
362所有の弁証法:2001/07/07(土) 02:33
(1)自己の労働にもとづく個体的な所有(始源)
(2)(1)の否定=独立生産者からの生産手段の収奪=資本家的私有の成立
(3)(2)の否定=(1)の否定の否定=個体的所有の発展的再建(始源への発展的回帰)
363大和龍門:2001/07/07(土) 18:22
恐慌で資本主義が倒れるという見通しは
間違っていたということでいいんだな?
364ななし:2001/07/07(土) 21:16
というより、資本主義について、倒れる、倒れないといったとらえ方をすると
間違ってしまうと思う。
資本主義というのは、その言葉とは裏腹に、たんなる「イズム(主義)」ではなく、
貨幣というものが存在する限り、逃れることのできない現実性のようなものだから。
現にわれわれはそれを取捨選択することはできない。
ちなみに、NAMは資本主義とは別の体系を設定することを目論んでいるが、
資本主義からの完全な自立ができるかどうかは、はなはだ疑問である。
365西部忠:2001/07/07(土) 21:41
>>364
あの〜
LETSは資本に転化しない貨幣なんすけど。
366菜無機知:2001/07/07(土) 21:51
資本蓄積を行わない貨幣を設定することで、
資本蓄積をする貨幣(資本の種子)に対抗するとともに、
貨幣の商品への統覚的作用は積極的に救うという
のが(つまり貨幣そのものは残す)、LETSの思想的理念。
367ななし:2001/07/07(土) 22:22
>>365,>>366
そういうことじゃなくて、私が言いたかったのは、
現実には、NAMは資本主義社会から食いブチを分け与えてもらい
ながらしか存続できないでしょ、ということです。
もっと言えば、それは当面に限ってのことではなく、永久に(逃れられ
ない条件として)そうあるほかないのでは、ということ。

>>364(自己レス)
下から2行目の「(別の)体系」は「回路」にした方が適切かな。
NAMの人たちも見ているようだし、ヘタな言い方はできないから。
368Skinhead:2001/07/07(土) 22:35
>>306
至上命令としてではなくて、
資本蓄積が起きないメカニズムを明示してみたら?
369Skinhead:2001/07/07(土) 22:36
>>368 >>366の間違い
370>>368:2001/07/07(土) 22:44
西部忠のHPへどうぞ。
ttp://www.econ.hokudai.ac.jp/%7Enishibe/
371柄谷善男:2001/07/07(土) 22:52
NAMに入らなければ、資本主義から
永久に逃れられないというだけ。
だから、NAMに入れヨ、お前ら。
生産−消費協同組合もちゃんと作るからさ。
そのためにも、お前らの協力が必要なのよ!
372Skinhead:2001/07/07(土) 23:05
>>370  どこに書いてある?見当たらん
373久本福子:2001/07/07(土) 23:10
>>371
なんで、私は入れないのよ!!
374OFW:2001/07/07(土) 23:26
>>313(NAMっ子さん)
>生産手段の共同占有
 占有(Possession,Besitz)は現実的領有であり、生産手段の共同占有と
 は生産手段(土地、工場、機械、原料等)の使用、管理、処分が社会全体に
 わたる生産者組識によって直接的に行われるということです。それは想定
 上(観念上、権利上)の占有である所有の基礎にある現実の関係行為です。
>ヨーマンとは生産者兼所有者です。
 それは正しいがあくまで小土地私有に基づくもの。それは個体的占有にして
 個体的所有であり、非社会的な立場といえる。
>生産手段の共同占有=生産手段の個体的所有の再建
 イコールではなく、共同占有は根拠、基礎であり、たとえば工場などが特定
 の主体による排他的な運営に任されるのではなく、社会全体の運営という
 基礎の下に、個別的な運営・処分権限が与えられる、と理解すべきでしょう。
>後者の主語を生活手段にすり替えることは大きな誤解でしょう。
 その点は賛成です。
>>314(NAMっ子さん)
>資本とはむしろ個体性の破壊者
 そうですね。それはモノを通して他者の活動を領有(独占)しようとする利
 己主義であり、人間の主体性(個体性)の剥奪でしょう。
>>315(NAMっ子さん)
>自己同一性の解体を肯定する"現代思想"
 個体(個人)の自己同一性とシステムの自己同一性(関係の実体性)との対
 立=本質的同一性は相互媒介的なものであり、社会の解放とは、主体として
 の個人が具体的普遍(自由な特殊性)として、類(すべての個人)に媒介さ
 れるための関係性を実現するもの、と定義できるでしょう。
375OFW:2001/07/07(土) 23:28
>>316(nanasixさん)
>「個人」とは社会的関係に規定されるシニフィアン(意味されるもの)の器
 資本主義社会の無関係な関係性は疎外された個人(他者性でしかない量的
 個人)を作り出すが、それこそが個人を単なる記号にしてしまう。
>>319(NAMっ子さん)
>物質的生存だけなら、自然との依存関係で十分
 社会的動物とは集団化の戦略をとって生き延びてきた種であり、サルで
 すら群れから離れては生存できないのではないかな。特に労働するサル
 においては・・・。
>>320
>運動しているものが止まる。
 資本の運動は結局未来の無い永久運動(実体への永劫回帰)です。
>>335(nanasixさん)
>『本来の』という形容詞が意味するところ
 多分出ると思てた。事物の本来性とは始源性、本源性、本質性であると同
 時に事物の真理性を含意するのは、プラトンのイデア論においても見られ
 る所です。それは否定的な現実において、もはやない過去(失われたもの)
 として時間性において表現された場合の、理念的存在を指します。
 それは否定の否定として、歴史の弁証法とでも言えるものを示しているが、
 あくまで現実の中におかれた主体がその否定性を反省し、それを否定し返す
 契機として「本来あるべき調和」としての未来(未だ到来しないもの)を
 指す言葉と言えるでしょう。
>>356
 Who are you?
376NAMっ子:2001/07/08(日) 00:28
>>374-375
「初めに類ありき」なわけですか。
その類が疎外されて個(近代的個人)ができた。
そして疎外された個が類へと帰還するのが
個の(類への)解放だと。
しかし他方、人と自然との純粋な贈与関係が失われ、そこで初めて、
農耕・牧畜=自然の支配(自然からの一方的略奪)が起こり、
その効率化としての人の集団化・組織化・軍隊化が起こり、
その極限としての国家−資本主義(ソ連の計画経済!)が
起こったともいえるかと。
もしそうなら、初めに類(集団)があったのではなく、自然との
純粋な贈与関係があったのであって、人の集団化はむしろ自然からの離脱後の
第二次的現象かと思われますが。
まあ、歴史化された自然という言い方をエンゲルスがしていますが、
その歴史化された自然とは人間による集団的支配の対象としての
自然(我々に略奪される自然)であって、それに先立つ贈与の主体としての自然
(我々に与える自然)ではないでしょう。
「始源」は「類」なのか「自然」なのか?
ここに分かれ目がある。
377考える名無しさん:2001/07/08(日) 00:38
>>358
オール・オア・ナッシング?
先進国の政府と企業は、いちおう環境保護を標榜してる。
いまは、住民による環境保護運動でそれを後押ししてる。
もちろん限界はあるだろうけど、体制を変えるリスクと比べて、
今のところどちらが選択されてるか。
378Rage Against The Philosophy:2001/07/08(日) 06:01
あげてみる。
資本論なかなか面白い。
けど量と質に関するヘーゲル的論理が分からないと
苦労するなぁ。
379OFW:2001/07/09(月) 00:23
>>376(NAMっ子さん)
>「初めに類ありき」なわけですか。
 類(Genus)とは元々生物分類学の概念で、生物の系統発生の連続性を言う
 ものでしょう。それは生物における種(Species)の特殊性に対する普遍性
 の契機を表わすものです。人間以外の動物個体はいわば種の奴隷であり、種
 に埋没しているが、人類が誕生して、種的な制約性を脱して有機体一般に高
 まったことを、人間の類的本質と呼び得るでしょう。それは2足歩行、道具
 の使用、採集・狩猟から農耕生産といった、行動(生活)様式における自由
 度の飛躍的な増大から達成された<歴史的文明>への発展です。
 つまり、類的本質とは<自由な変容性>として定義できる。そのためには諸
 個人間の社会的交流(物質的・精神的)という媒介が必要であり、それによ
 りすべての個人は具体的に普遍的であり、相互に区別されながら、一つの共
 同存在であること(全一者)であることが活動態として実現されると言えま
 す。それはあくまで成果であり、初めに実在していた統一ではないのです。
>その類が疎外されて個(近代的個人)ができた。
 <疎外>一般とは、主体的な本質性が非本質性として外化すること、です。
 つまり、現実的個人の対象的活動の成果が他者(他の主体)の力の現れと
 して現象する(せざるを得ない)ことです。たとえば、狩猟民族が、槍には
 マナ(霊力)が宿ると考えるようなもの。近代的個人における疎外とは、類
 的な社会力がモノとして客体的関係性に移行し尽くすこと(物象化)です。
>人と自然との純粋な贈与関係が失われ、
 人間と自然との間の物質代謝を<贈与関係>と表象するのは神話的思考で
 あり、既に宗教的な疎外(アニミズム)です。現実の自然は人間にとって
 富の源泉であるが、それは労働の成果として得られるもの。
>そこで初めて、農耕・牧畜=自然の支配(自然からの一方的略奪)が起こり、
 支配とは政治的な概念であり、自然を支配することなど不可能事です。自然
 を「支配」するためには、既に他の人間を支配していなくてはならない。
>その効率化としての人の集団化・組織化・軍隊化が起こり、
 効率性(Performance)とは近代的観念であり、経済的本質の意識化が要る。
380NAMっ子:2001/07/09(月) 02:00
>>379
狩猟採集と農耕牧畜との間に連続性をみるなら、
それは甚だ疑問です。
つまり、前者も後者も共に人の生産行為の所産だとするなら、
それは誤りだとおもう。
例えば、マルクスは人は生産するが、「自然も生産する」と
言っていますね。
狩猟採集とはその自然の生産力の所産に与る行為であって、
人の生産力はさほど必要ではない。労働時間もほとんど要らない。
しかし、農耕となると自然の生産力に改良を加え(品種改良などで)、
自然の生産力を意図的に操作することを伴います。そのことを
「自然への支配」といったのであって、ヘーゲルの支配概念とは
関係ありません。
つまり、狩猟採集と農耕牧畜との間には自然への関与の仕方に
決定的な相違があるのに、すべて人の生産力の賜とするのは
マルクスの考えではなく、ラサールの考えでしょう。
マルクスはそのようなラサールを批判して、自然また生産者だ、
と強調しましたね。
だから労働者だけを生産者にするのは、偏ったプロレアリア主義だと
思います。
381NAMっ子:2001/07/09(月) 02:26
>>380
「自然また生産者」は「自然もまた生産者だ」の誤り。
すまそ。
ちなみに、ルソーのいう「自然人」とは狩猟採集民のことであって、
農耕牧畜民のことではない。
彼のいう「自然へ帰れ」とはそういうレベルにまで遡及せよということで
あって、この態度はエンゲルスなどのマルクス主義者より余程ラディカルな態度である。
382OFW:2001/07/09(月) 05:22
>>380(NAMっ子さん)
>狩猟採集とはその自然の生産力の所産に与る行為であって、
>人の生産力はさほど必要ではない。
 無論そうでしょう。しかし、確か『資本論』で、
 「地上に落ちている果実を拾うだけでも、労働力の支出を必要とする」
 といったことが書いてあったはず。価値と富は異なるということです。
>すべて人の生産力の賜とするのは
 前レスでも、そのような主張はしていないのですが。
 自然は富の一方の源泉であるが、あくまで、価値を形成するのは労働
 である、と言うことです。
>>381(NAMっ子さん)
>この態度はエンゲルスなどのマルクス主義者より余程ラディカルな態度
 ルソーのラディカルさは認めますが、素朴な自然主義は行き過ぎでしょう。
383NAMっ子:2001/07/09(月) 20:42
>>382
>価値と富とは異なる
富の永遠の自然形態は「使用価値」ですが、
富が「価値」を帯びるのは労働の対象化によってで
すね。『資本論』によれば。
しかし、その価値とは他人にとっての使用価値(自分にとっての無使用価値)であって、
そうなら、価値概念は他人との使用価値の交換(商品交換の原型)を
自明の前提にしている。だが、狩猟採集民は自己消費のために
主に財(富)の獲得をするのであって、交換に出すためにそうするのでは
ありません。彼らの取得する財は自分にとっての使用価値であって、
他人にとっての使用価値(交換財)ではありません。
ゆえに、狩猟採集民の"労働"は価値生産的ではないでしょう。
だから、狩猟採集民の"労働"にまで価値生産性を見いだすのは、
近代労働者の「交換財生産労働」を基準にして、狩猟採集民の"労働"
を類推する遠近法的倒錯の所産でしょう。
財の交換のないところに価値概念はありません。
ゆえに、林檎を拾っても自分やその仲間で自家消費してしまう
狩猟採集民は価値を形成する"労働"はしていないと思われます。
384NAMっ子:2001/07/09(月) 21:01
ちなみに、労働の対象化=価値生産というのは
リカードの考えであって、マルクスの考えでは
ありません。
マルクスの考えは交換が成立したとき初めて、あたかも
交換された二つの財の間に共通の実体=抽象的労働が
遡及的に見いだされるという考えであって、始めから
労働の客観的属性としての労働の価値生産性が存在する
とは考えていない。
だから、マルクスの本来の考えからすると、狩猟採集民の
"労働"が価値生産的でなくても少しもおかしいところはない。
労働に価値生産性という客観的属性など始めから備わっていない
からであり、それは交換行為の事後的に発見される「仮象」でしょう。
385考える名無しさん:2001/07/09(月) 23:04

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386考える名無しさん:2001/07/10(火) 22:37
中井久夫は狩猟民は分裂病的だったといっている。
彼らがもし文明社会に紛れ込んだら、「異常者」として「治療」
の対象にされてしまうだろうが、人類が狩猟段階にあった
頃は、むしろ皆分裂病的であることが常態だったわけだ。
しかし農耕共同体が拡大するにつけ、人は強迫神経症的になり、
分裂病を"克服"していったらしい。
分裂病の「治療」とは、だから、人を分裂病から強迫神経症に
タイプ替えすることを意味するようだ。
他方で、ドゥルーズのような人が分裂病を持ち上げるのは、
共同体のディコンストラクションというデリダと同じ課題を
全うするためなんだろう。強迫神経症(定住共同体)に対し、分裂病(ノマド)を
対置するという戦略によって。
387OFW:2001/07/10(火) 23:01
>>378(Rageさん)
>けど量と質に関するヘーゲル的論理が分からないと苦労するなぁ。
 『資本論』を本当に理解するためには、ヘーゲル論理学が必要(これ本当)。
 しかし、少なくとも日本ではヘーゲル学者とマルクス(主義)経済学者とは
 まったく別個の作業をしているようで、未だにまともな理解が無いよう。
388OFW:2001/07/10(火) 23:02
>>383,384(NAMっ子さん)
 <価値論>を本気でやると認識論までも含む話になりますが、図式的には
    <経済的価値>    <ヘーゲル論理学>
      使用価値   −   実在(質、量、限度)
      交換価値   −   現象と本質(根拠)
      価値本体   −   現実性(実体)
 と対応づけることができます。使用価値(有用性→稀少性→価値標準)は
 価値の実在的な基礎であり、価値の現象形態としての交換価値における
 形式規定(価値形態)に対する質料として、自然的な限界をなしている。
 現象する価値としての交換価値(商品)は、現存在する価値根拠としての
 価値自体(貨幣)において、まさに自然的実体性(物自体)を獲得するが、
 価値の運動(価値法則)はその実体が社会関係の総体であることを云々。
>価値とは他人にとっての使用価値(自分にとっての無使用価値)であって、
 それは使用価値(有用性)が無関心な量として現れる、つまり財の余剰の
 場合です。稀少性としての価値は有用性に対してその限度を設定する。
>価値概念は他人との使用価値の交換(商品交換の原型)を自明の前提に
>している。
 およそ概念は実在と本質の統一ですから、価値概念とは、価値の本質を
 商品交換における自己同一性として把握し、それが実在的有用物において
 現象し、価値法則として展開される必然性を捉えることです。それは近代に
 なってマルクスによって初めて成し遂げられた。しかし、価値概念の対象
 (つまり有用物)は交換が行われる以前から実在したわけです。
>だが、狩猟採集民は自己消費のために主に財(富)の獲得をするのであって、
>交換に出すためにそうするのではありません。
 まったくその通り。そこでは富(有用性)と価値が即自的に統一されている。
>他人にとっての使用価値(交換財)ではありません。
 他人というのが共同体内部の他者を指す場合には、交換は無かった。
 交換は所有における他者を前提する。
389OFW:2001/07/10(火) 23:03
>>383,384(NAMっ子さん)(つづき)
>ゆえに、狩猟採集民の"労働"は価値生産的ではないでしょう。
 価値は有用物の生産と共に"形成"されるのです。それが現実的になるため
 には、一定の社会構成体が必要です。しかし、即自性としての価値形成労
 働、ということは常に反省的、本質的認識の対象として真です。
>遠近法的倒錯の所産でしょう。
 かって○経において、「『資本論』冒頭に現れる単純商品は歴史的に実在し
 たか?」という議論があったのと同様の誤解です。それは本質論的な歴史認
 識(即自ー向自的発展概念)を経験的な歴史認識と混同する議論です。
>財の交換のないところに価値概念はありません。
 価値概念の対象は価値本体であり、交換価値(現象)に止まらない。
>リカードの考えであって、マルクスの考えではありません。
 アダム・スミスも漠然と考え、マルクスはその必然性を明らかにしたのです。
>マルクスの考えは交換が成立したとき初めて、あたかも交換された二つの財
>の間に共通の実体=抽象的労働が遡及的に見いだされるという考え
 やはりそういう誤解が出ますね。それは<実体>概念に対する無理解です。
 実体(Substance)とは通常、自然的実体として、物質のように対象の基体
 をなす存在として思念されますが、本来現実における偶有性の総体として、
 現実の現実性を言います。それは常に事象の生起の終りにおいて、その本体
 的な存在として事象の否定性において自己を現すもの、という過去的な存在
 です。そして、いわゆる労働価値説(労働が価値の実体であるという説)に
 おける労働は決して自然的実体としての労働(投下労働)ではなく、社会的
 実体としての労働(社会の再生産のための必要労働)をいうのであり、それ
 が価値なる物象的形態において転倒的に自然的実体(物自体)として現れて
 いるということです。それは決して主観的なものではなく、客観的です。
>それは交換行為の事後的に発見される「仮象」でしょう。
 そうなると、価値とは<主観的なあるもの>となってしまう。(誤解された)労働
 価値説を否定するのは構わないが、マルクスにそれを負わせるのはNGです。
390考える名無しさん:2001/07/10(火) 23:24
>やはりそういう誤解が出ますね。それは<実体>概念に対する無理解です。
 実体(Substance)とは通常、自然的実体として、物質のように対象の基体
 をなす存在として思念されますが、本来現実における偶有性の総体として、
 現実の現実性を言います。それは常に事象の生起の終りにおいて、その本体
 的な存在として事象の否定性において自己を現すもの、という過去的な存在
 です。そして、いわゆる労働価値説(労働が価値の実体であるという説)に
 おける労働は決して自然的実体としての労働(投下労働)ではなく、社会的
 実体としての労働(社会の再生産のための必要労働)をいうのであり、それ
 が価値なる物象的形態において転倒的に自然的実体(物自体)として現れて
 いるということです。それは決して主観的なものではなく、客観的です。


これは苦しい
391考える名無しさん:2001/07/11(水) 00:33
こいつまだ居たの?
馬鹿なくせに日本語を書き連ねるのが趣味だから邪魔なんだよね。
392NAMっ子:2001/07/11(水) 01:33
>>388-389
>価値論
使用価値は全歴史を貫く財の自然形態
ですが、(交換)価値はどうなんでしょう。
共産主義社会でも、財は依然として使用価値でしょうが、
しかしそこでは財が交換価値をもつことはないのではないでしょうか?
でなければ、マルクスが「生産者は生産物を交換しない」(『ゴータ綱領批判』)
とした共産主義のメルクマールと食い違いをきたすからです。
私の解釈だと、マルクスは『資本論』で交換は共同体と共同体の
「間」で行われるといっているが、もしそうなら、交換に先立って
共同体がまずなければならない。つまり、二つ以上の共同体の存在が
交換の可能条件ですね。
ところで、共産主義的社会状態では交換はない。
ゆえに、共産主義的社会状態では共同体は「一つしかない」か、あるいは
「全くない」ということになりますね。
つまり、共同体が一つしかないか、全くなくなった時、
社会は共産主義的状態を迎えたと判定できると思う。
そこでは、マルクスがいうように「交換がない」のだから、
交換価値もないでしょう。
共産主義社会は価値論的には「使用価値一元論」的世界だと
思われますね。
それはあたかも、「自分とっての使用価値」しか取得しない狩猟採集民的
世界の"回帰"を思わせるものがある。
393NAMっ子:2001/07/11(水) 20:43
>>389
>社会的実体としての労働
これは交換と分業が発展した商品交換経済に特有の労働
であって、通時的に見いだされる労働ではないでしょう。
労働の永遠の自然形態は具体的有用労働だけです。
(交換)価値を形成する抽象的人間労働は交換経済特有の
労働であって、交換のない共産主義社会では、この種の
労働はなくなると思われます。
勿論、そこでも具体的有用労働は残ります。永遠の自然必然性ですから。
もし、抽象的人間労働を労働の客観的属性だとすると、それは客観的
であるがゆえ、なおさら廃棄できないものになってしまう。
それは同時に商品交換経済の廃棄の不可能性をも基礎付けてしまうでしょう。
それゆえ、やはり抽象的人間労働は交換行為の事後に発見され、かつ、
商品交換を廃棄することで「消去可能な『仮象』」とするほうが
革命論(商品交換の廃棄の実践論)上も妥当だと思われます。
商品交換を廃棄することで、商品交換経済における労働の具体的有用労働と抽象的人間労働
への二元化(分裂)を再統一することが、共産主義革命の目的の一つですが、
それは労働の具体的有用労働(労働の永遠の自然形態)への一元化、
いわば抽象的人間労働の具体的有用労働への"溶解"によって
果たされると思われます。
394NAMっ子:2001/07/11(水) 21:24
>>389
>価値は有用物の生産と共に"形成"されるのです。それが
 現実的になるためには、一定の社会構成体が必要
ここで言われている「社会構成体」とはまさに「商品交換経済」のことなのです。
なぜなら、商品交換によって始めて価値は実現される(現実的になる)のだから。
そして、その価値を現実的にする商品交換経済を廃棄するのが、
共産主義革命の目的でしょう。
395考える名無しさん:2001/07/11(水) 23:33
くそすれ
396OFW:2001/07/12(木) 22:16
>>390
>これは苦しい
 確かに価値論の中心的な部分をコンパクトにまとめるは苦しい。
 異論があれば、説明可能なので、具体的にどうぞ。
>>392-394(NAMっ子さん)
>共産主義社会でも、財は依然として使用価値
  上にも示唆したように、使用価値とは有用性と稀少性の統一であり、有用
  物の存在量に応じて度合いが規定される量的な存在(Value)です。
  あり余る程の財(例:空気や日本人にとっての水)には使用価値は無い。
>「交換がない」のだから、交換価値もないでしょう。
 おっしゃる通り。
>共産主義社会は価値論的には「使用価値一元論」的世界
 と言うよりは、価値の消滅ですね。
>通時的に見いだされる労働ではないでしょう。
 それは誤解です。抽象的とは類的という普遍性の契機でもあるわけ。
>(交換)価値を形成する抽象的人間労働
 交換が有無ではなく、人間労働の普遍性の問題です。
>客観的であるがゆえ、なおさら廃棄できないものになってしまう。
 意味不明。止揚とは否定的外面を否定してその肯定的内実を保存する、と
 いうことであり、廃棄すべきは労働の抽象性です。
>仮象
 仮象(Shine)とは直接的・個別的実在に反照(反映)する本質の影を言い
 ます。それが必然的なものであるとき、現象(Phenomenon)と呼ばれます。
 商品交換が何故必要なのかが理解できなければ、その廃棄は難しい。
>いわば抽象的人間労働の具体的有用労働への"溶解"
 感覚的な比喩(表象)ではなく、概念的把握が必要でしょう。
>商品交換経済を廃棄するのが、共産主義革命の目的
 NAMの主張とはかなり異なるようですが、その方法は?
397NAMっ子:2001/07/13(金) 02:21
>>396
>その方法は?
>>392でも言いましたが、商品交換の可能条件は
二つ以上の共同体が存在することです。マルクスが
言うように、交換は共同体と共同体の「間」で
行われるのだから。
だから商品交換の廃棄とは、その可能条件そのものを廃棄すれば
達成できるのです。
つまり、共同体を「一つにする」か、或いは「全くなくす」ことです。
そうすれば、「共同体の間」という構成が無意味化しますね。
一つしかない共同体に共同体の間はないし、共同体がなければ尚更そうです。
だから柄谷が共同体を攻撃するのは、(二つ以上の)共同体の存在がそもそも
商品交換の可能条件だという理由からなのであって、共同体の内と外という
区別を廃棄するところに「無限の自然」(スピノザ)としての
コミュニズムを見るわけです(スピノザから読み込んだマルクス)。
つまり共同体の脱構築と商品交換を廃棄する実践とは意外にも表裏をなしている
のだが、これは通念的なマルクス理解(ヘーゲルorエンゲルスから読み込んだマルクス)
とは全く逆ですので、注意してください。
しかし、こう理解することで、共同体の脱構築を執拗に説いたデリダやドゥルーズ
が自らマルクス主義者であることを表明した理由も明らかになるものと思われます。
共同体を破棄することが、商品交換の可能条件を破棄することであり、
そして商品交換を破棄することがコミュニズムの実践だからです。
398OFW:2001/07/13(金) 23:44
>>397(NAMっ子さん)
>交換は共同体と共同体の「間」で行われるのだから。
 第1に、それは歴史的な起源としての話であり、現代では社会のすべてに
 交換(売買)は行き渡っている。
 第2に、それは可能性であり、現実性ではない。複数の共同体があっても、
 その間に贈与関係、支配隷従関係等の、交換が生じない場合もある。
>共同体を「一つにする」か、或いは「全くなくす」ことです。
 両者は天地ほども異なる。前者では何故いけないのか不明です。
>柄谷が共同体を攻撃する
 理由は多分、昔ながらの村社会のように、個人の自由がなく、「全体主義
 的」な存在というマイナスのイメージを持っているからではないのかな?
>共同体の内と外という区別を廃棄するところに「無限の自然」(スピノザ)
>としてのコミュニズムを見るわけです
 それは誤読でしょうね。「共同体」「内と外」「無限の自然」とカテゴリー
 レベルの異なる単語が並ぶのは、文学的な比喩であって、概念的区別が必要
 ではないのかな。
>そして商品交換を破棄することがコミュニズムの実践だからです。
 LETS(地域通貨)は商品交換ではない?
399NAMっ子:2001/07/14(土) 03:49
>>398
>LETS(地域貨幣)は商品交換ではない?
私のNAMっ子というHNを使っていますが、
別にNAM会員ではありませんし、だからといって
NAMに否定的ではない。むしろ肯定的です。
しかし、LETSはやはりあなたの言う通り商品交換でしょう。
LETSによって可能なのはプルードン的アソシエーション
であって、マルクス的コミュニズムではないでしょう。
ところで、共同体の問題ですが、それは組織(企業)の問題といってもいい。
例えば、今現在、複数の企業が乱立して競争をしている。私のいう
一つの共同体とはその乱立状態を一つにすることを意味する。
つまり、一つの企業による全生産・流通の支配です。こうすれば、
失業の問題はなくなる。なぜなら、企業が一つしかないなら、
そこで働くしかないし、そこでは会社替えが不可能だから、失業は労働者にとって
死を意味するから。つまり、企業が一つしかないなら、企業の外部(他の企業)という
構成は無意味ですね。それは共同体が一つしかないなら、共同体の外部はないし、
それゆえ人を共同体の外(つまり別の共同体)へ追放する村八分もないのと同じことです。
しかし、このような「一つ」へと向かう運動("積分"的運動)は資本の運動である。
なぜなら、それは競争の結果として残った強い資本が弱い資本を淘汰し、自分の資本だけが
「唯一の資本(一つの工場!)」たらしめることだから。そこでは商品交換という財の
分配方法がなくなり、一種の配給制という財の分配方法が敷かれるかもしれない。
しかし、やはりそこでも唯一の資本家による全労働者の支配は依然として残る。
だから、「一つ」という構成から「全くない」という構成への深化が必要です。
それをやろうとしているのがおそらくNAMでしょう。NAMという寄生体が「唯一の資本」に
寄生し、その組織構成を解体構築し、それをコミュニズムへと書き替えていく。
そしてその方法はもはやLETSではありえない。
それは唯一の資本による私有を徹底的に"微分"し、生産手段の所有権を個々の生産者に
分配し、移し替えるという「個体的所有化の戦略」によってでしょう。
400Rage Against The Philosophy:2001/07/14(土) 06:07
くそっ読みたい参加したい文句言いたいが
時間が・・なっしんぐ(TOT;
401OFW:2001/07/14(土) 17:46
>>399(NAMっ子さん)
>マルクス的コミュニズムではない
 このスレのテーマである「マルクスの可能性」から外れているようですが、
 そちらの可能性はない、ということ?
>一つの企業による全生産・流通の支配
 そこでは、企業は何を活動原理にするのでしょう?価値増殖?
>会社替えが不可能だから、失業は労働者にとって死を意味する
 そこでは、何故失業が生じるのでしょう?唯一の企業が赤字になるとは?
>そこでは商品交換という財の分配方法がなくなり、一種の配給制
 そこでは、どのようにして従業員への配分量を決めるのでしょう?戦時中の
 ように配給切符を貰って、その企業の農業部門に行って決められた米の量
 を受け取る?もし米の量に過不足が生じた場合、どのように調整するの?
>そこでも唯一の資本家による全労働者の支配は依然として残る。
 そこでは、支配とは具体的にどういう内容なのでしょう?
 「俺の言うことを聞かないと、失業するぞ」と脅して、働かせること?
 失業者に対しては、政府(当該企業のこと?)が生活扶助は行わない?
>だから、「一つ」という構成から「全くない」という構成への深化が必要
 共同体がない場合の社会の運営方法は具体的にどうなるの?
 生産協働組合の連合体だとしても、それも共同体でしょう。
 企業が存在せず、自由人?だけの集まりでは、誰が産業を担うのかな?
>それをやろうとしているのがおそらくNAMでしょう。
 何を根拠に、そう思われるのでしょう?
>それをコミュニズムへと書き替えていく。
 ですから、どのようにして?というプロセス、方法を聞いているのですが。
402NAMっ子:2001/07/14(土) 22:16
>>401
>社会の運営方法
優秀な人工知能を持ったスーパーコンピューターに
計算してもらいましょうか。生産計画から財の
分配量まで。人間が社会を運営するには、人はあまりに
感情や好みに左右されすぎる。
機械のほうがよほど人を平等に扱うでしょう。
(疑う人は自動販売機やATMを見よ)
無論、そうなるには更なるコンピューターサイエンス
の発展(特にAIの絶対的発展)が必要ですが。
漫画家の手塚治は共産党のシンパだったといわれ、共産主義に関心が
あったのかもしれないが、彼の描く『鉄腕アトム』などは
人と機械が協働・共生する可能性を描いていますね。
人と人との協働の不可能性(カントはそれを非社交的社交性といっている)
は人と機械の協働に移しかえられることで破棄されるのでしょう。
そして機械(産業用ロボット)が人の代わりに生産活動に従事してくれるのです。
人の役割は財の消費と機械のメンテランスorオペレーション
位しかなくなるでしょう。だから暇が沢山できるので
人は自由人として浅田彰のように趣味と教養に耽ることが
できるようになるのです。
生産を機械まかせにする世界は人に自由時間を与え、その自由の消費が
人固有の"仕事"になる、それが未来の自由社会のイメージです。
つまり自由人の世界とはAIに制御された生産体制が人いらずで
財を勝手に生産してくれる世界であって、そこでは肉体労働者
という概念はなくなるのです。
そして財の自由人への分配はほぼ無料になるでしょう。なぜならその財は
機械が自動で作ったため、人間労働が対象化されていないので、
(交換)価値=価格がないからです。
つまり、「価格なし=タダ」ということです。
価格がないから貨幣もいらない。これこそコミュニズムでしょう。
403考える名無しさん:2001/07/14(土) 22:31
>>402
えっ急にネタ?マジ?
404考える名無しさん:2001/07/14(土) 22:38
>>403
いや、「空想から科学へ」は要約すると
こんな内容だよ。
405考える名無しさん:2001/07/14(土) 22:42
だけどそれじゃあ機械を操れるもの=絶対的権力者になるんじゃない?
406NAMっ子:2001/07/14(土) 22:44
ちなみに>>402でいうコミュニズムは
マルクス的ともNAM的とも異なっている
ので注意してください。
このコミュニズムはいわば"サイバーパンク的なコミュニズム"
であって、私はこの(アメリカの)サイバーパンク的構想力に
現代の資本主義貨幣経済の彼岸を見ている。
407Rage Against The Philosophy:2001/07/15(日) 01:03
402アヤシィ・・

ちなみに世界が既に「一つの共同体」として
捉えられねばならないようなケース、或いは実際にそう捉えられて
議論が進んでいるケースは多いと思う。
環境問題や資源の問題においては、既に宇宙船地球号という形で(ぶ
社会のトータルな理解が要請されているように見える。
408Rage Against The Philosophy:2001/07/15(日) 01:05
でも共産主義者は本気で交換の無い社会を考えているのか?
409OFW:2001/07/15(日) 01:35
またネタスレに戻って行く・・・
>>402(NAMっ子さん)
>人間が社会を運営するには、人はあまりに感情や好みに左右されすぎる。
>生産を機械まかせにする世界
 アドルノがSF小説『すばらしい新世界』(オルダス・ハックスリー)
 を批評して、
 「ハックスリーは、生きた人間と石化した諸関係との葛藤をテーマにする
 長編小説の伝統全体と軌を一にして、人間性と物象化を頑なに対立させて
 いる。」(『プリズメン_文化批判と社会』)
 と語ったそうですが、確かに自然や社会の唯物論が足りないようですね。
>その自由の消費が人固有の"仕事"になる
 生産なしに自由を消費するとは、とても退屈な世界なのかな?
>AIに制御された生産体制
 そのプログラムは何を基準に生産計画や分配計画を立てるのでしょう?
 「感情や好みに左右される人間には、一律同じ財を与えよ」という命令?
 「感情や好みに左右される人間に応じて、生産を左右せよ」という命令?
 結局、社会の運営を左右するのは誰なのだろう?。
>そこでは肉体労働者という概念はなくなるのです。
 仕事と肉体労働の違いは何でしょう?肉体労働がお嫌いなようですが。
>>406(NAMっ子さん)
>"サイバーパンク的なコミュニズム"
 貨幣のない世界でのバンクの機能とは何でしょう?
410NAMっ子:2001/07/15(日) 02:23
>>409
>ネタスレ
コンピューターサイエンスの研究者はこのネタ
を実現するよう日夜AIの研究に取り組んでいる。
その方向性を批判してもその運動は止められないし、
なにより、資本がそれに莫大な資金を投資している。
だから、あなたはこういう思考が嫌いでしょうが、
もう牧歌的な農村共同体は回帰してこないし、こなくていい。
腰のひんまがった農村の老婆に悲惨な奇形性を見ないのは
おかしいことだからです。生産的労働が体を無惨に変形
させてしまったんですよ。だから機械化が労働の過酷さを緩和する
ということまで否定するなら、それはおかしなことです。
>プログラムは何を基準
人間が生存に欠かせない栄養素とカロリー量をはじきだし
なにを生産し、どの位分配するかを決定し、プログラミング
すればよろしいでしょう。労働価値によって決める必要は
全くないのです。
>バンク
バンク(銀行)ではなくパンクの誤りです。
>アドルノ
機械嫌悪は脳の石化とノスタルジーの産物でしょう。
>肉体労働
それは人体に活性酸素を増やし、人体の老化(酸化)を促進する要因
になります。最近の人が長生きなのは、肉体労働からかなり
解放された成果です。対していまだに肉体労働をやっている
スポーツ選手などは多くの肉体損傷に苦しんでいる。
>退屈な世界
自由人の世界は会社人間には向かない世界でしょう。
彼らは定年になってから、自由を与えられると何をしていいか
解らず、欝と引き篭りが彼らを襲うといいますね。
会社人間は自由を恐怖しているのです。
411OFW:2001/07/15(日) 17:03
>>402(NAMっ子さん)(補足)
>人間労働が対象化されていないので、(交換)価値=価格がないからです。
 人間労働の対象化が価値という物象的形態を取るのは、生産関係によるの
 であり、生産物が完全機械生産によるかどうかではない。
 (大体、機械自体の生産は人間由来であり、完全機械生産による生産物に
 も過去の人間労働は対象化されているわけ。)
>>410(NAMっ子さん)
>人間が生存に欠かせない栄養素とカロリー量をはじきだし
 1.たとえば、ほぼ同じ栄養素とカロリー量を持つパンと米があったとして
   どちらの生産を優先させるのか、その計算原理、算出方法は如何?
 2.社会全体の食料の需要量を与えてから個別の小麦、米の生産計画を算
   出するのか、(好みを含む)個別需要からの積上げ方式なのか?
 3.必需品、便宜品、贅沢品の区別(基準、優先順位)はどこに置くのか?
 4.たとえばロポットによる小麦生産、米生産でも最低限の土地・資源を必要
   とし、土地や資源が生産不可能な自然として<稀少価値>を持つ限り、
   経済原則(使用価値と稀少価値の比率)が存在し、その経済計算如何?
  等々、基本的な課題を明確にする必要があるでしょうね。生存に欠かせな
  い量しか生産しないのでは「飽食の時代」以下になる。
>パンクの誤り
 失礼。如何なるコミュニズム(共同体主義)でしょう?
>機械嫌悪
 ではなく、アドルノは社会の物象化と人間の物質性の無視を同時に批判して
 いるわけでしょう。
>会社人間は自由を恐怖している
 確かに会社は「転倒した社会」でしょうね。しかし「形式的な自由を恣意と
 言う。それは内容に対して外的であり、内容は他から与えられるしかない。
 それは自由の疎外形態である」(ヘーゲル、ちょとパラフレーズ)と言われ、
 「自由人の無根拠な恣意」をもまた恐怖しているのではないかな?
 個人の自由とは社会的な自律から切り離されれば、単なる恣意でしょう。
412NAMっ子:2001/07/16(月) 00:32
>>411
>完全機械生産
機械そのものはエンジニアの手で作られる必要が
あるが、完全機械生産がシステムとして稼働する
ようになれば、人間労働をわざわざ下さなくても
よくなるし、その完全機械生産システムが私有物
でないなら、そこからの生産物はタダでしょう。
それは誰の所有物でもない森林になる木の実はタダ
で取得できるのと同じことだし、その木の実は人間
労働の所産でないからこそ、タダなのです。
>「飽食の時代」以下
バイオテクノロジーの発展も完全機械生産の条件です。
農産物は試験官の培養液の中で育成すればいいだけの話。
バイオテクノロジーが発達すれば農産物を土の中で育てる
必要などなくなるのです。科学技術の進歩はあなたの心配を
打ち消してくれるでしょう。
ユダヤ人には優秀な科学者が多いが、彼ら優秀な科学者こそコミュニズム
の無自覚的ではあるが真の担い手であって、前衛党もプロレタリアートもその
担い手ではありません。全ては科学技術の進歩にかかっているのです。
(だから哲学者などの出る幕はそもそもない。)
>如何なるコミュニズム
科学技術の発展によって生産が自動化された世界のことです。
そのような世界はしばしばSF小説家などによって表現されるので、
サイバーパンク的といったのです。彼らは基本的にユートピアニスト
だが、その空想的思想は科学の実際の発展でリアライズされるのです。
>ヘーゲル
彼の自由論に関心はないです。自由とは拘束のないこと
という定義で十分であって、それ以外の定義は意味不明
です。
413NAMっ子:2001/07/16(月) 00:52
ちなみに英語の「free」には「自由な」という意味と
もうひとつ「無料(タダ)の」という意味がありますね。
だから、わたしの言うコミュニズムは二重の意味で
「free」な("自由"でありかつ財の"無料"取得ができる)
世界のことなのです。
414中西:2001/07/16(月) 09:18
一般的には共産主義は“宗教は阿片だ”という命題を固持しているように思う。
しかし、私は共産主義を完成させる為には宗教の存在が不可欠であると考える。
もし、各個人が自己の利得を動機としないで、多謝への奉仕という動機で活動するならば、(比率の問題ではあるが)
誰もがこぞって生産性を上げることに夢中になると思う。より多くの人により多くの商品を供給することを、喜びとするような民からなれば共産主義は可能だと思う。
それには、本能的に倫理至上主義でなければならない。その結果として、おそらくは、一種の宗教(必ずしも宗教という言葉を使用する必要もないが)が生じると思う。
415考える名無しさん:2001/07/16(月) 19:38
プロテスタンティズムとユダヤ教。
勤労、禁欲、契約、栄光(=幸福)の追求を求めた。
それが近代資本主義成立の大きな要素の一つだった。
マルクスはそれを徹底させて共産主義を提案した。
だが国家や神に頼ったヘーゲルと違いニーチェを経由していたマルクスには
その暗さがガマンならなかった。
416中西:2001/07/17(火) 00:05
ニーチェを経由したマルクス?
417NAMっ子:2001/07/17(火) 00:07
>>414
>生産性を上げることに夢中
これは資本の欲動ですね。
生産力を絶対的に発展させることが資本の歴史的使命だと
マルクスは言っています。
共産主義はその資本制の後にくるものであって、
生産性の発展は共産主義のモチーフではないのでは?
つまり共産主義とは資本の力で発展したがもはや
商品交換という財の分配方法では処理しきれなく
なるほど発展した生産力を有効に処理する新しい
財の分配方法と考えるべきでしょう。
生産力の発展は資本に固有の課題であって
共産主義はその発展した生産力の有効活用をその固有の
課題としていると思われます。
418Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 02:21
>>412
 電波発言はやめなさい。
>>414
>一般的には共産主義は“宗教は阿片だ”という命題を固持しているように思う。
>しかし、私は共産主義を完成させる為には宗教の存在が不可欠であると考える。
 は?
 共産主義そのものが宗教じゃないか。ワラ
419中西:2001/07/17(火) 02:37
ウサギは白い、白いは豆腐。うさぎは豆腐?
“イデオロギー”と“宗教”の違いは?
イデオロギー=宗教
420中西:2001/07/17(火) 02:44
書き損じ。
イデオロギー=宗教?
イデオロギー=信念?
宗教=信念?
イデオロギー=宗教?
ああめんどくさい、
外延と内包の関係でも考えたまえ、それと必要条件と十分条件もね。
421Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 02:48
今夜はやたらバカの食いつきがいいなぁ。
形式論理学の話する意味あるのか?
イデオロギー=宗教、この場合事柄を説明するのには
十分な図式だ。
422Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 02:50
あと414の超電波的な発言も撤回したほうがいいよ。
>各個人が自己の利得を動機としないで、多謝への奉仕という動機で活動するならば
これを普遍化できれば君は間違いなく神になれるよ(ワラ 
423Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 02:58
中西君返事まだ?
424中西:2001/07/17(火) 03:02
返事はしている。先の発言で十分
425考える名無しさん:2001/07/17(火) 03:07
>>423
お前のような反動の権現はバラバラになるまで切り刻んでやる。
左翼は武闘が出来ないへたれだと思ってるだろ。
426Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 03:08
422についてです。
427Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 03:09
>>425
 スレ違いですよ。
428これが哲学板のルール:2001/07/17(火) 03:12
>>424
ラゲは存在しないものとして扱って下さい。
つまり、彼にレスしてはいけないのです。
429Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 03:14
無視の後は自作自演ときた。
くっくっく中西君、左翼にしては凡庸な煽りだよ。
アーヒャヒャヒャヒャ!!
430考える名無しさん:2001/07/17(火) 03:21
>>428
裸下って知性が感じられないよね。
431部外者:2001/07/17(火) 03:27
RAGEの突っ込みは正当だな。
>各個人が自己の利得を動機としないで、多謝への奉仕という動機で活動するならば
笑った。
ほんとに哲学の本よんだことあるのか、疑うような文だな。
まさに、宗教だ。(ワラ
432考える名無しさん:2001/07/17(火) 03:33
RAGEにレスをすると奴は>>429のような
行動を取ります(これがRAGEの生態です)。
RAGEにレスしてはいけない理由が分かりましたね、
中西さん。
433考える名無しさん:2001/07/17(火) 03:33
>>431=完全にラゲ
もうコイツはどうしようもないバカだ。
何が部外者だ、ここには今三人しかいない。
怖いって、やめろよ、マジで。
自作自演人間は怖いね。(ワラ
434中西:2001/07/17(火) 03:51
らげ、とか、わらとかって何よ?
435考える名無しさん:2001/07/17(火) 03:51
部外者と名乗れば自作自演がばれないと
思ったんだ、ラゲは(ワラ
部外者と名乗ったほうが余計アヤシイって(ワラ
436考える名無しさん:2001/07/17(火) 03:53
             ζ
          / ̄ ̄ ̄ ̄\
         /         \
        /\    \  / |
        |井井   (・)  (・) |
        (6-------◯⌒つ |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        |    _||||||||| |  <自作自演厨房、ラゲはさっさと氏ね!
         \ / \_/ /    \________________
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         ______.ノ     人 (⌒)
        //::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐
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       レ::::::::::::::::::|/::: ̄`ー‐---‐′
437考える名無しさん:2001/07/17(火) 03:58
429 名前:Rage Against The Philosophy 投稿日:2001/07/17(火) 03:14
無視の後は自作自演ときた。
くっくっく中西君、左翼にしては凡庸な煽りだよ。
アーヒャヒャヒャヒャ!!

アーヒャヒャヒャヒャ!! ⇒ラゲ行き
438考える名無しさん:2001/07/17(火) 03:59
>>434
Rage Against The Philosophy =ラゲ
藁=ワラ=笑=滑稽なさま
439中西:2001/07/17(火) 04:06
>>438
ありがと、
では“マルクスその可能性の中心”を去ることにする。
バイバイ!
440部外者:2001/07/17(火) 04:09
俺、Rageじゃねえぞ。ってか、むしろ嫌いなほうだ。(笑
確かにやつは、せめられて仕方ないとこあるが、
やつの意見すべてが、間違ってるわけじゃない。
RAGEがあってるなと思ったから、レスしたのよ。

>各個人が自己の利得を動機としないで、多謝への奉仕という動機で活動するならば
この発言が何を意味するかわからないくせに、
自作自演を発見したと思い込んで、無様に喜んでる
厨房ピエロ君は、どうしようもないね。(ワラ
441考える名無しさん:2001/07/17(火) 04:16
>各個人が自己の利得を動機としないで、多謝への奉仕という動機で活動するならば
自分の為に他人に奉仕できるのであれば、それはそれですばらしい事だし。
そもそも宗教と言うのは、自分の為に行うもだという事が分かっていない
RAGE の戯言を擁護するのは、ラゲ自身しかいません。
442考える名無しさん:2001/07/17(火) 04:18
>>440
らげ、往生際悪すぎ。
443考える名無しさん:2001/07/17(火) 04:21
と思うと同時に、らげが往生するわけないじゃんと思った。
444部外者:2001/07/17(火) 04:22
>>441
喜んでた人間と同じ人?だったら、侮蔑的にいきたいけど、
違ったら失礼なので止めておく。

全然この文の意味わかってない。
>自分の為に他人に奉仕できるのであれば

>各個人が自己の利得を動機としないで
利得の定義を変えるならともかく、
まったく違うこと言ってるよ。(笑
445考える名無しさん:2001/07/17(火) 04:35
>>444
初めから全く違う事を言っているんだ。このぱげ
他者への奉仕という動機は直接は存在しない。
それを踏まえての言い分だ、ボケ
446部外者:2001/07/17(火) 05:24
>>445
なんだ、同じ低脳君か。(ワラ
まったく違うこといってんだったら、
弁護にならネーだろ、このドアホ
テメーの言い分なんてどうでもいいんだよ。
中西とかいうやつの話だろが、アア?
447哲学板ニュース速報:2001/07/17(火) 05:25
哲学板ニュース速報です。
らげは今度から部外者というHNを
使うことになりました。
みなさん、お見知りおきください。
448考える名無しさん:2001/07/17(火) 05:34
>>443
しかし、しばらくは出てこれないんじゃないの?
こんな恥ずかしい醜態を晒したんだから(w
449部外者:2001/07/17(火) 05:46
だから、ちがうっつーのに。(ワラ
アホだな、ほんとおまえは。
醜態さらしてんのは、お前だろがよ。
まあ、お前が俺をRAGEだと思っても
別に俺はな〜んにも困らない。(ワラ
便宜上このスレで部外者となのってるだけだから。
それから、RAGEを論破したいんだったら、
せめてRAGEぐらいの能力はみにつけろよ。
宗教的行為の意味を勝手に普遍化してる
おまえにゃ絶対無理だな。(ワラ
450>449:2001/07/17(火) 06:00
>せめてRAGEぐらいの能力はみにつけろよ。
激しくわらた。
どんどん醜態を晒して下さい(w
451Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 06:03
おっは〜
452考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:03
あのさ、
RAGE叩いてる奴さ、
少しは勉強してくれよ。
お前等のせいでRAGEがマトモに見えるんだよ。
気付けよ、ドアホ。
453Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 06:04
>>450
 チャットしようぜ!
454Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 06:07
あれ、もうだれもいない?
まぁいいや、皆さん
ここはマルクス・スレだということをお忘れなく。
いくら俺が小泉首相並みの哲板支持率を誇るからといって
ファン同士の戯れはなるべく控えなさい。
ぢゃ。
455部外者:2001/07/17(火) 06:09
>>452
すげ〜笑った。
まあ、>>450には理解できないだろうな。
なんつったて、自分が批判したいやつより
頭悪いんだから。
>>450
RAGEの醜態が見たいんだったら、
後期フッサールのスレでもみとけよ。(ワラ
そこでオナニーでもしてろや。
456考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:09
何が「おっは―」だ
これから寝るんだろうが!雑魚が!
457部外者:2001/07/17(火) 06:11
>>455
俺はテメーのファンじゃねー。(ワラ
ちょっと、弁護したからって調子にノンなよ、RAGE。
先の発言の正当性は認めるけどな。
458考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:11
ラゲを叩いているのは最低でも今二人はいるぞ。
459考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:13
>>454
森の間違い
460考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:13
↑注意:負け犬には、エサをやらないでください
461460:2001/07/17(火) 06:14
げげ、Rage人気あるのね。やっぱり。
462部外者:2001/07/17(火) 06:15
おっと
>>457の中の>>455
>>454に訂正
463考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:15
実際のところ支持率はどうなんだろ。
464考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:15
やめろラゲ〜これ以上の醜態を曝すな
臭いぞ〜〜〜〜
465考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:16
>>456
>何が「おっは―」だ
>これから寝るんだろうが!雑魚が!
どうでもいいけど、この台詞語感がいいよね。
466考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:17
             ζ
          / ̄ ̄ ̄ ̄\
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        /\    \  / |
        |井井   (・)  (・) |
        (6-------◯⌒つ |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        |    _||||||||| |  <RAGE さっさと氏ね!
         \ / \_/ /    \________________
           \____/
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467考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:17
いまごろやつは「ファン同士」の馴れ合いをみて
笑ってるにちがいない。
やろうども轢きらげ、いやひきあげだ!
468考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:18
             ζ
          / ̄ ̄ ̄ ̄\
         /         \
        /\    \  / |
        |井井   (・)  (・) |
        (6-------◯⌒つ |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        |    _||||||||| |  <黙れRAGE(>>467) さっさと氏ね!
         \ / \_/ /    \________________
           \____/
         ______.ノ     人 (⌒)
        //::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐
       / /:::::::::::|  /:::::ノ__ | .| ト、
       | /:::::::::::::::| 〈 ̄   `-Lλ_レ′
469部外者:2001/07/17(火) 06:19
>>467
それには、同意だな。
引きRAGEしよ。(ワラ
470Rage Against The Philosophy :2001/07/17(火) 06:19
おっはー
471考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:20
             ζ
          / ̄ ̄ ̄ ̄\
         /         \
        /\    \  / |
        |井井  <(・)><(・)> |
        (6-------◯⌒つ |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        |    _||||||||| |  <RAGE さっさと氏ね!
         \ / \_/ /    \________________
           \____/
         ______.ノ     人 (⌒)
        //::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐
       / /:::::::::::|  /:::::ノ__ | .| ト、
       | /:::::::::::::::| 〈 ̄   `-Lλ_レ′
472Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 06:22
いやん。ばかん。
473考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:23

             ζ
          / ̄ ̄ ̄ ̄\
         /         \
        /\    \  / |
        |井井   (・)  (・) |
        (6-------◯⌒つ |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        |    _||||||||| |  <放置!
         \ / \_/ /    \________________
           \____/
         ______.ノ     人 (⌒)
        //::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐
       / /:::::::::::|  /:::::ノ__ | .| ト、
       | /:::::::::::::::| 〈 ̄   `-Lλ_レ′
474中西:2001/07/17(火) 06:46
訂正、
多謝への奉仕ではなくて、他者への奉仕
475考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:49
>>474
アンタ、訂正遅すぎ。
476考える名無しさん:2001/07/17(火) 07:08
>>475
戦略でしょ
477中西:2001/07/17(火) 08:04
寝ちょっただけ
478OFW:2001/07/17(火) 08:24
なに、これ?
479考える名無しさん:2001/07/17(火) 08:56
>>463
だから森内閣の支持率並だって。
480中西:2001/07/17(火) 12:47
ハーガリッラー
481考える名無しさん:2001/07/17(火) 19:01
つーかRageが>>422で指摘してるのはまともでしょ
ほんでこのスレに関係なくRageの追っかけして叩いたり
してる奴はウザイ。Rageも乗るし。正に固有名と転移の実証例。
482考える名無しさん:2001/07/17(火) 22:56
コテハン叩きはおもしろいというだけ
483考える名無しさん:2001/07/20(金) 10:34
ラゲの醜態自作自演、晒しあげ
484考える名無しさん:2001/07/20(金) 13:14
正に固有名と転移の実証例
485考える名無しさん:2001/07/21(土) 06:21
晒しあげてみる
486考える名無しさん:2001/07/22(日) 00:20
本題に戻ってくれ
487うむ。:2001/07/22(日) 09:06
反グローバリズム運動が盛んなようだね。
ジェノバに10万人のデモ隊が集結している。
結構すごい数ちゃう、これ?
マルクスの亡霊なのかな、これも。
488考える名無しさん:2001/07/22(日) 14:43
マルクスと関係ないと思います>>487
489考える名無しさん:2001/07/23(月) 00:14
ドイツ・イデオロギーってふぉイエルバッハについてのところだけ
読めばいいの?大月から出てる文庫にはシュティルナーの部分はないけど
490考える名無しさん:2001/07/23(月) 00:28
シュティルナーの部分が大事です。
唯一者とその所有の共産 ああ・・
491考える名無しさん:2001/07/24(火) 15:35
492NAMっ子:2001/07/25(水) 20:15
(本題に戻ると・・・)
とりあえず、商品交換がなかなかうまくいかないから
資本は発生するんですよね。
商品生産物は作れば必ず売れるというセーの法則が
成立するなら資本は始めからいらないのです。
しかし、あたかもそのセーの法則が成立しているかに
みせる仮象が資本の効果です。
つまり商品を「売れたことにする」という信用売りです。
こうなれば、商品は実際に売れるまえに売れたことになるから、
商品生産物は作れば売れるという幻想が生まれ、そこから
作れば売れるというセーの「法則」さえ発想される。
しかし、それは信用売りの効果(結果)であって、法則ではないと
批判したのがマルクスの仕事だったといえるでしょう。
つまり商品交換には「命懸けの飛躍」という崖があるの
であり、売りと買いの間にはセーのいうような法則的結合関係など
ないのであるが、しかし、その溝の存在を資本が隠蔽してしまう
という批判です。
そしてその批判は信用崩壊=恐慌の存在によって現に実証される
わけです。
なぜなら、恐慌になると商品が生産されても売れなくなるから
であり、そこでは作れば売れるというセーの法則とは真逆の
事態が現象するからです。
そこでこのような事態にならないためにも、生産には計画性が
必要だというマルクス主義的発想が生まれてもおかしくは
ないのですが、いまいち評判はよくないですね。
しかし今、資本制企業が抱えている膨大な不良債権の存在は
その生産の無計画性をよくあらわしており、この無計画性を
計画性にとりかえない限り、不良債権の発生はむしろ日常茶番事
として永続化されるでしょうね。
いい加減、消費量を前もって計算しそれに応じて生産する無駄のない
経済の必要性に人々が気づいてもよいのではないかと思います。
493考える名無しさん:2001/07/26(木) 12:39
>>492
その場合誰がどのように計画するかが大問題ではないでしょうか?
494NAMっ子:2001/07/26(木) 14:02
>>493
消費者が決めればいいと思います。
どのように決めるかは端末のコンピューター
から中央のコンピューターにアクセスし欲しいもの
とその量を制限内で入力し、それを集計して、その
結果に基づいて生産を開始すればいいでしょう。
資本制生産では経営者が生産を勝手に仕切りますが、
それは結局消費者不在の生産であり、生産と消費の
不均衡をうみますが、以上のようにはじめに消費者の
需要を計算してから生産すれば、生産と消費の不均衡は
なくなると思います。
495Rage Against The Philosophy:2001/08/06(月) 00:20
>資本制生産では経営者が生産を勝手に仕切りますが、
 ふっ
496考える名無しさん:2001/08/06(月) 00:26
>>495
ドキュソな意見には、ここぞとばかりに噛付くところは
相変わらずでございます。
497考える名無しさん:2001/08/06(月) 00:27
>らげ あげいんすと ふぃろそふぃー
ふっ
498考える名無しさん:2001/08/06(月) 00:29
     うふふ☆
    Λ_Λ    ∧  _∧
   ( ´∀`)  ヽ(`Д |´ )
   (    ノ   (ヽ|  |  )←らげ
   ノ ノ UU+------|  | |
  (__)_)     (_ ) (_)
499考える名無しさん:2001/08/06(月) 00:30
     ふっ☆
    Λ_Λ    ∧  _∧
   ( ´∀`)  ヽ(`Д |´ )
   (    ノ   (ヽ|  |  )←らげ
   ノ ノ UU+------|  | |
  (__)_)     (_ ) (_)
500考える名無しさん:2001/08/06(月) 00:33
ふっ
501カウツキー:2001/08/15(水) 15:01
もっと簡単なマルクス入門書はありませんか。
502考える名無しさん:2001/08/15(水) 17:24
Das Capital
503考える名無しさん:2001/08/15(水) 17:26
らげは天に召されました。
504makorin:2001/08/15(水) 21:26
柄谷を読むHPをやってますので
宜しくお願いします。
http://www2.to/makorin/
505考える名無しさん:01/08/28 20:14 ID:ZR6bbEh6
価値形態論って・・・
506考える名無しさん:01/08/29 00:32 ID:X1L3paJ6
アルチュセールの『不確定な唯物論のために』って本は面白いですか?
507考える名無しさん:01/08/29 02:12 ID:AOVdAxAQ
ハイパーインフレ
508さよならRage@フォーエバー:01/09/04 06:16 ID:A0qCxmi6
あげてみる・・
509考える名無しさん:01/09/05 19:38 ID:buQI7SkM
OFWは?
510考える名無しさん:01/09/07 22:59
いいよまるくす
51175@Rageファン:01/09/07 23:05
ああっ、RAGEさん?
コテハンを「さよならRage@ふぉーえばー」に
変えたのですか?
512考える名無しさん:01/09/12 00:01
        




           テロ
513なんだろね:01/09/12 00:30
>>506
250円でハイライトは買えるけど、ハイライトで250円は普通買いずらいね。
あたりまえのこと言ったけど、よくよく考えてみれば不思議なことですね。
だって、同じ250円の価値があるのにどうしてハイライトで250円を買えないの。
お金というものには「何でも他の商品と交換できる」という不思議な力があるんだ。
どうしてそんな不思議な力があるのかを考えるのが価値形態論の課題です。
514ななししゃん:01/09/14 22:07
らげというてんさいはもうこないの?
515考える名無しさん:01/09/14 22:10
>>514
ネタですか?
516考える名無しさん:01/09/14 22:19
>>514
爆笑!
さらしらげ!
517考える名無しさん:01/09/17 22:14
>>513
それでその課題は
518考える名無しさん:01/09/23 15:25
>>492
>資本制企業が抱えている膨大な不良債権の存在は
>その生産の無計画性をよくあらわしており、

事実誤認。
むしろ、その件は、国民経済を考えるという旗印の下、
政府が市場の原理にまかせずに余計な介入をしたから。
計画性が、市場的調整を阻害したゆえに、これだけ長引いた、というべき。
519考える名無しさん:01/09/23 23:29
rage来いや
520考える名無しさん:01/09/24 02:20
OFWも来いや
521考える名無しさん:01/09/26 06:30
らげはいい人だと思う。
522考える名無しさん:01/09/26 07:01
私はラゲのファンです。
ここ見てたらお返事ください。
523名無しさん:01/10/03 16:12
著しくスレ違いだけど「ルイ・ボナパルトのブリューメル十八日」
って面白いよねあげ
524考える名無しさん:01/10/03 16:22
チンポ太郎=フッサールも来いや
525考える名無しさん :01/10/03 16:24
電波化の予感
526考える名無しさん:01/10/03 16:25
フッサール来い!
527考える名無しさん:01/10/03 16:26
お願い! 生き返って!
528考える名無しさん:01/10/03 16:29
チンポ太郎カムバック!
フッサールか、「優しい」研究者として!
529考える名無しさん:01/10/04 02:02
ずいぶん古いスレがあがってきたな・・一応sageで書きます。
学生時代、マルクスの本は結構読んではまってた時期もあるけど。
リーマンになってマルクスを読むと・・・
「自分の収入で食ってねぇヒッキー野郎がえらそうに社会を語ってんじゃねぇ」と思う。
もしワシがタイムマシンに乗ってマルクスに会えたなら問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。
オマエはプロレタリアートのホントの苦しみを知っているのかと。ただ革命という言葉に憧れて自分のヒッキー根性を社会への反抗の中で正当化しただけと違うのかと。
まだ資本家として不本意ながらも仕事を目一杯して、こんなヒッキーに援助しつづけたエンゲルスの方が人間的に幅が広いように思う。
530考える名無しさん:01/10/04 02:30
マルクスに(俗に言う)人間的魅力がないってのは常識ダーヨ
531考える名無しさん:01/10/04 02:37
>>529
働いてる人が現にマルクスの見解に賛同したケースがあるわけだけど、
そうした場合、彼からもマルクスの見解は主張されたわけだよね。

そういう面については、どう考えるのかな?
532529:01/10/04 03:57
>531
もちろん、マルクスの主張がすべて間違いな空論だとは思っていません。
自分が言いたいのは、マルクスは現場を知らないということだけです。
それは現在のテレビでキレイ事なご高説を垂れてる社会評論家たちと同列だと思うのです。
働いていてマルクスの見解に賛同した人は、自分たちの立場にのっとってマルクスの言葉を自分たちなりに噛み砕いて理解したのでしょう。
それまで批判する気持ちはありません。
533考える名無しさん:01/10/04 04:06
>532
マルクスの本っていっても、それぞれで色合いが全然違うんだけれど。
『資本論』のマルクスもみとめないということ?
534529:01/10/04 06:27
>533
経済学としての資本論は認めます。
学生時代は経済学部でマルクス経済学と近代経済学を半々くらいにやってます。
マルクス経済学には近代経済学には無い視点からかかれている点が多く、参考になる点は多かったです。
ただ、実社会で汗水垂らしいてる自分にはマルクスが世間知らずに見えるということです。
資本論をはじめ、マルクスの著書に実社会との関わりが深かったエンゲルスが編纂に関わっているのは彼にとって幸運だったと思います。
535考える名無しさん:01/10/04 20:33
マルクスはいまで言えばジャーナリストみたいのよーな。
色々な国を回って、新聞なんかを書いてた。
それから、極貧生活でいつもエンゲルスに無心してた。
だから、良く世界が見える位置にいたと思うけど。

あと現場の苦しみみたいなのはあんまり問題に
してなかったんじゃないかと思うね。

苦しみとか悲しみとかそう言う感情から出発
することをマルクスは嫌ったんだし。
536533:01/10/08 04:14
>>534
なるほど。納得しました。
彼のユートピア主義的な部分に同意できないということでしょうか。

資本論は、資本家側にいる人間に(も)受けがいいと聞いたことがあります、そういえば。
537考える名無しさん:01/10/12 09:56
unoage
538OFW:01/10/14 04:15
>>529
>オマエはプロレタリアートのホントの苦しみを知っているのかと。
 苦しみの内容を具体的に語って貰えると助かります。
 また「俺はプロレタリアートの一員である」との自覚があるなら、それは
 むしろマルクスの功績でしょう。何故なら、<プロレタリアート>を最初に
 発見したのは彼であり、それまではプロレタリアート自身、自己が何者であ
 るかを知ることもなかったから。
539考える名無しさん:01/10/14 04:28
OFW氏、こっちにも来てください。

弁証法って結局どういう事をいうんでしょう?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/979828579/
540考える名無しさん:01/10/21 18:44
age
541考える名無しさん:01/10/21 21:01
オーラハッハ!オーラハッハ!オーラハッハ!
OFW祭り!OFW祭り!
オーラハッハ!オーラハッハ!オーラハッハ!
OFW祭り!OFW祭り!
・・・・・
542考える名無しさん:01/10/28 20:36
age
543考える名無しさん:01/10/29 02:13
初心者ですが資本論読もうと思ってます。
誰の翻訳がよいでしょうか?とりあえず岩波文庫で読もうかと思ってるんですが。
教えて君ですみません。
544考える名無しさん:01/11/06 12:57
資本論全部読んだ人哲板にいる?
545考える名無しさん:01/11/06 15:46
>>544
確認してませんが、恐らくOFW氏他数名ではないでしょうか?
第一巻を理解すれば以降は読まなくても良い様な気がします。
如何でしょうか?
546考える名無しさん:01/11/06 16:25
全部読まないと威張れない
547考える名無しさん:01/11/06 18:12
全部読まないと眠れない
548考える名無しさん:01/11/06 19:27
どうでもいいがこのスレ名、
こういう場合 in ではなくて on が
正しいのでは?
549考える名無しさん:01/11/06 20:37
柄谷は、学生時代に『資本論』の構成を全部暗記したといって
自慢していた。
だから価値形態論しか読んでいないお前らとは違うんだ、と。
カコイイ
550考える名無しさん:01/11/06 21:32
つか、価値形態論自身すごく難しいんですけど・・
広松の解説本では難しいのもあたりまえ、その原因は
通常言うところの循環になっているからだとあって
ああ、俺がわからないのは一概に俺の頭のせいだけではなかったんだ
と少し安心した記憶あり
551考える名無しさん:01/11/06 22:15
岩井克人の『貨幣論』における価値形態論の
解説は簡潔を得ていると思う。
しかし、この本はマルクスへの皮肉に満ちているね。
恐慌は資本主義を崩壊させないどころか、逆に強化する
とかね。
552   :01/11/06 22:24
>>544
一週間位で読めるよ、意味が全く分らなくても。
553考える名無しさん:01/11/06 22:29
結局マルクスは資本主義の不可能性と不可避性を・・・
554考える名無しさん:01/11/06 22:31
>>552 意味が全く分らなくても
ワラタヨ
>>551 岩井克人の『貨幣論』における価値形態論の解説は
わしも読んだ
内容はもう忘れちったけど すごくおもろかった覚えはあり
555三流:01/11/12 00:07
ほんとにらげっていなくなったの?
556考える名無しさん:01/11/12 00:16
>>555
うるさい!
557考える名無しさん:01/11/19 19:54
OFW自殺記念あげ
558考える名無しさん:01/12/01 22:47
ソレヤリスギ
559考える名無しさん:01/12/01 23:37
マルクスについてのスレッドはここでいいんですよね?

『経済学・哲学草稿』(岩波文庫・p135)に、

>死は〔特定の〕個人にたいする類の冷酷な勝利のようにみえ、
>そして両者の統一に矛盾するようにみえる。
>しかし特定の個人はたんに一つの特定の類的存在であるにすぎず、
>そのようなものとして死をまぬがれないものなのである。

というわりと有名な文章がありますが、これは何度読んでも意味が分かりません。
これはどんなことを言っているのでしょうか?
560考える名無しさん:01/12/01 23:55
死んで花実が咲くものか、さよならだけが人生だ。
561考える名無しさん:01/12/02 00:24
>>560
花に嵐の喩もあるぞ、さよならだけが人生だ。
562考える名無しさん:01/12/02 01:15
>>559
それは読んだことないが、こういうことではないか.
特定の個人の死は類にとって折り込み済みであるが、そんなことは
特定の個人にとって知ったことではない。納得いかない。
しかし特定の個人自身が、自分を特定の類的存在であることを悟れ
ば、類的存在として死ぬということも悟る。
563五色園:01/12/02 11:22
>>559さんへ
父親が死んだとき、この言葉によって癒された記憶があります。
生の一回性と永遠性への弁証法的な理解です。
経哲草稿にはこのようなグッとくる言葉がたくさんあります。
564考える名無しさん:01/12/02 19:46
>559
>矛盾するようにみえる。

ただみえるだけじゃなくて、やっぱりそうなんだってことじゃないの。
ふつう、日本語で、「……にみえる」ときたら、つぎは「しかし本当は……なんだ」って続くことが多いけど、
このマルクスの文章は、「……にみえる。そしてやっぱり……の通りなんだ」ってことじゃないの?
つまり見たまんまってこと。

「死は個人にたいする類の冷酷な勝利のようにみえるが、そのとおりで、やっぱり個人は類的存在として死ぬしかない」って意味。
個人は類(社会)には勝てないってことじゃないの? 実存主義の否定っつーか。

正確には知らんけど。
565OFW:01/12/02 20:23
・・・何で自殺せなあかんのや(と関西弁など)。
>>559
 若きマルクスの、まだヘーゲルの影響を残した文章ですが、私なりに・・・
>死は〔特定の〕個人にたいする類の冷酷な勝利のようにみえ、
 実体の3契機である類ー種ー個において、普遍的な存在としての類的生命は
 個体に内在するが、個体の死に対して無関心なまま次の個体に引き継がれる。
>そして両者の統一に矛盾するようにみえる。
 本来個体は普遍的なものとして、個体の生命と類的生命は直接統一されて
 いるが、個体の抽象的な死はその統一に矛盾するようにみえる。
>しかし特定の個人はたんに一つの特定の類的存在であるにすぎず、
 しかし、個人(個体)とは一個の限定された存在(Individual,分かたれた
 もの)として、種の一員(サンプル)に過ぎないという矛盾である。
>そのようなものとして死をまぬがれないものなのである。
 そのような特殊性の限界(種の限界)内にある個体は死をまぬがれ得ない。
 すなわち、個体の必死性とは普遍が特殊なものとして種に固定化されている
 という、実体的生命がもつ矛盾の現れである。

 ここでは<実体>という概念がキーですが、生命とは最初の主体的実体です
 から、個体と類が直接に一体化されているために、かえって特殊な種の限界
 が生じる。<種は進化する>(ダーウィン)ことにより、類的な生命(フェ
 ニックスのごとき無限に変様する統一)の働きが顕わになり、ヒトが人間に
 なり、社会そして精神という媒介的・コミュニケーション的形態においてその
 統一がそれとして現実的になる。
 ヘーゲルはそれを<具体的普遍>という概念で表現しました。たとえば、ど
 のような人間個人も特殊な規定性(人種、性、職業等々)のうちにあっても
 全人類の一員として振舞い、その豊かな内容を教養あるいは能力として自己
 のものにできる存在者ですね。「私は一個の人類である」(個は一つの普遍
 である)とは、社会的主体において、個人の生理的死が何らその人間的死と
 見なされなくなる地点で、始めて真実となるでしょう。
566名無しさん@1周年:01/12/03 19:48
>565
やっぱり、むずかしいです……(-_-;)。

>「私は一個の人類である」(個は一つの普遍
>である)とは、社会的主体において、個人の生理的死が何らその人間的死と
>見なされなくなる地点で、始めて真実となるでしょう。

これってどういう意味なんですか?
たとえば、ジョン・レノンは死んだけど(生理的死)、
みんなの心のなかに生きている(人間的に死んでいない)ということですか?
567OFW:01/12/03 21:22
>>566
>たとえば、ジョン・レノン
 そうですね。ジョン・レノンは<Imagine>において一つに結ばれた人類を
 空想(Imagine)したわけですが、その精神はあの丸い眼鏡をかけ、ひょろ
 っとした身体の中に息づいていた。それはまさにジョン・レノン以外の誰で
 もない、唯一の個性としての精神ですが、その内容はすべての人に訴えかけ
 るものだった。死は無論悲しむべき事態ですが、他者の死において個人の生
 の<かけがえのなさ>を知ることは、分かち得ない一つの(類的)生命を分
 かち持つ存在者として、諸個人の実存の共同性を知ることです。
 (以前にも引用したが、)キルケゴールの言葉である
 「君が一歩進む時、人類もまた一歩進む」
 とは、人類は個人に内在するものだという事を表現している。
 そして、ジョン・レノンが芸術的に、キルケゴールが擬ー宗教的に表現した
 その理念的な内容を、マルクスは現実の社会の中に見出した。それが
 「現実を不断に止揚しようとする運動」としての共産主義です。
568:01/12/03 21:35
みんな、難しく考え過ぎ!
「現世でイヤなことばっかでも、死んだら終わり!でも死ぬのはこわい。矛盾してるっぽいけど、それとこれとはカンケーねーYO!」
569考える名無しさん:01/12/03 22:03
う〜ん、ではジョンを例にとって、先述の文章を解読してみましょう。

>死は〔特定の〕個人にたいする類の冷酷な勝利のようにみえ、

ジョンは人間だから死ぬ。しかし、ジョンの歌はいつまでも人々の心に残りつづける。これは、『ジョン』<『ジョンの歌』ということであり、ジョン個人よりも、ジョンの歌のほうが価値が上なのだ。(類の冷酷な勝利)

>そして両者の統一に矛盾するようにみえる。

これは、『ジョン』≠『ジョンの歌』ということだから、両者の統一に矛盾するようにみえる。

>しかし特定の個人はたんに一つの特定の類的存在であるにすぎず、

しかし、やっぱりジョン(特定の個人)はたんにジョンの歌(特定の類的存在)であるにすぎない。やっぱり、『ジョン』=『ジョンの歌』なのだ。

>そのようなものとして死をまぬがれないものなのである。

ということは、やっぱり『ジョン』が死ぬときは、『ジョンの歌』も死ぬ。

ということ?
なんか、後半部分が支離滅裂だなぁ。
570福田でぶ和也:01/12/03 22:34
キリスト教では「魂の不死」が説かれるが、
マルクスは魂という不可解な部分を「(人)類」
という現実的存在に置き換え宗教の逆立ちを
批判的に指摘したということですな。
しかし、そのことは若きマルクスが所詮キリスト
教神学の枠内での批判に終始していたにすぎないという限界を示すものとして解読すべきと思う。
しかし、後期マルクスは個体と類という対応概念
をシニカルに経済語に翻訳し、個別資本−社会的
総資本という対応概念に置き換えたが、もし類が
不滅なら社会的総資本も不滅となろう。
ゆえに個体−類という回路をマルクスの思考装置
と考えることは誤りだと思う。
むしろマルクスの思考は個体(個別資本)−類
(社会的総資本)という回路からの超越にこそその
本質があるが、ヘーゲルからマルクスを読むことしか
しない"マルクス主義者"にはそれが見えない
ということなのでしょう。
571考える名無しさん:01/12/03 23:21
>>570
あんた論敵選ぶね〜。
哲板のイイ所どりかよ。
文学板じゃもの足りねえんか?
572五色園:01/12/04 23:32
まわる、まわるよ、時代はまわる、喜び、かなしみ繰り返し今日は倒れた旅人たちもうまれかわって
歩き出すよ。
経哲草稿いいよ。だけどきちんとマルクスを葬々すべき。
573OFW:01/12/05 05:32
>>569
>ジョンは人間だから死ぬ。
 ではなく、ジョンは一人の人間だから死ぬ、が正しい。人間一般(類)は死
 ぬことはない。
>ジョンの歌のほうが価値が上なのだ。
 価値の話はどこにもでてこないでしょう。確かにCD等で売れているから、
 歌には(金銭的)価値があるが、その作者は価値の源泉として無限です。
>『ジョン』≠『ジョンの歌』ということだから、両者の統一に矛盾
 両者の統一とは如何なるものでしょう?
>やっぱりジョン(特定の個人)はたんにジョンの歌(特定の類的存在)
 ではなく、特定の個人は限定(否定)された類的存在(実存、現存在)であ
 り、現存在(類の現れ)自身は変化・消滅をまぬがれないということ。
>>570(福田でぶ和也さん)
>「(人)類」という現実的存在
 類は働きでありそれ自体は存在しない、神(類的個体)が存在しないように。
>若きマルクスが所詮キリスト教神学の枠内での批判に終始していた
 フォイエルバッハの影響下にあったのは確かだが、既に「天上の批判」から
 「地上の批判」に移行していた時期で、『経哲草稿』において<疎外された
 労働>概念が初めて出てくる。(『ユダヤ人問題に寄せて』参照)
>個別資本−社会的総資本という対応概念に置き換えた
 哲学的・論理的範疇を経済的範疇に無媒介的に置き換えることは無意味。
 経済の本質は「労働力の節約(エコノミー)」にあるとはマルクス自身の謂。
>>572(五色園さん)
>だけどきちんとマルクスを葬々すべき。
 その根拠は?70年代後半のマルクス葬送派はマルクスと共に自分の知性も
 葬送してしまい、気功やら探偵小説やらに逝ってしまったが・・・。
574考える名無しさん:01/12/05 12:04
僕は死ぬぞ
575考える名無しさん:01/12/07 10:05
お前は正しい
576名無しさん:01/12/07 11:19
>573
>70年代後半のマルクス葬送派はマルクスと共に自分の知性も
>葬送してしまい、気功やら探偵小説やらに逝ってしまったが・・・。

探偵小説は、ただの勘を現象学的本質直観を主張する笠井潔でしょ?
気功ってのはだれなんですか?
577OFW:01/12/07 22:08
>>576
>気功ってのはだれなんですか?
 かって全共闘運動のイデオローグの一人であった津村喬氏です。
 (自ら葬送派と名乗っていたかどうかは記憶があいまいだが。)
 因みに、精神世界に向かう最近の傾向に関する下記評論の中に彼への言及を
 見つけました。(傾向全般への評価を勝手に引用)

 ttp://www.mapro.or.jp/~senshuup/maekawa.html
>自分以外の人間の多様な関係性が成り立ち、自己の意思を離れたところで
>客観的に存立しているものとしての「社会」のリアリティが見失われてし
>まっている。
 賛成!但し、疎外された社会は「偽りのリアリティ」(ウォルフレン)に
 溢れた「嘘社会」(宮台真司)であることも確かでしょう。
578考える名無しさん:01/12/07 22:19
>>577
太極拳評論家だっけ・・・
「人民に依拠せよ!」というテーゼの
ポストモダンな解釈と受け取っておこう(w
579五色園:01/12/07 23:29
>573
マルクスの思想は原理主義や一元論を導き出す。
それらは善意によって増幅せられ、いまだ大きな厄災をもたらす。
笠井潔氏の「テロルの現象学」等の著作は評価すべき。
580考える名無しさん:01/12/07 23:40
>>579
だけどそれはマルクスに限らずなんの思想だってもってる危険性だよ
581福田でぶ和也:01/12/07 23:57
マルクス自身、自分自身を埋葬したかったはず。
ユダヤ人としての自分をね。
ユダヤ人の守銭奴性の分析はマルクス自身の
自己分析であり、コミュニズムはそれへの診断書
だったと思う。
何故、ユダヤ人はこれほどまでに貨幣フェティシズム
に取りつかれているか?それは国土を失い貨幣にしか
頼れるものがなくなったから。それゆえ土地の共有が
必要だと。
土地の生産力という本来性から疎外されたユダヤ人は
貨幣の増殖力(資本)という疑似的生産力に生活手段を
発見するほかなかった。そして貨幣という類的能力は自己を
疎外し、農産物や衣服に自己を実現するのだ!という倒錯を
創造するまでユダヤ人の"唯物論哲学"は進歩を遂げたのである。
582OFW:01/12/08 09:44
>>579(五色園さん)
 残念ながらあまりリアリティが感じられない。
 マルクスの思想をどの程度理解しているのか疑問。
思想は常に現実に向かうのであり、客観的現実を捉えているかどうかが、
その力を決めるのです。
>>581(福田でぶ和也さん)
>倒錯
 マルクスは「貨幣物神(貨幣自体に価値増殖力があるとして崇拝すること)
 という倒錯がある。」(言明F)と言ったわけですが、それに対して
1.Fは捏造である。つまり貨幣物神など存在しない。
 2.Fは倒錯である。つまり貨幣物神は正しく何ら倒錯ではない。
 のいずれでしょう?
>ユダヤ人の"唯物論哲学"
 ユダヤが実体で唯物論はその仮象であるとは、ファシズム的倒錯でしょう。
 それは(ユダヤ的ならぬ)ブルジョア的貨幣物神の倒錯と並行している。
 それとも、ユダヤ人=共産主義者という実体的同一視の倒錯???
583五色園:01/12/08 10:52
>582
引きこもりしているものがいる。
そのものに何か言わなければならない。そのものの言い分を理解しなければならない。
そのとき「フォィエルバッハにかんするテーゼ」は無力だ。
あれを今読むと社会的な成功を奨めているとしか読めない。これが客観的な現実です。
584フロンティア ◆BI5mlp6. :01/12/08 10:57
今日は良い天気です
585福田でぶ和也:01/12/08 21:51
>>582
ユダヤ人が民族として存在すると力説している
人にハンナ・アーレントというユダヤ人がいたのを
知らないのですかな?
他方、サルトルはユダヤ人とは他人によってユダヤ
人だと呼ばれている人のことだ、と言ってユダヤ人
の実体性を否定した。
このことからも非ユダヤ人ほどユダヤ人の実体性を
否定したがることが解る。
では、何故ユダヤ人は自己の底に民族という基体性を
見いだしたがるのか?それは民族としての統体性を
措定せずには生存できない「受苦」があったからだ。
つまり"バビロン捕囚"以来の受苦が。
OFW氏にはその「受苦=トラウマ」が解らないのだ。
そしてヒトラーがゲルマン民族の民族性を称揚し、
民族としての統体性を鼓舞したのもまた第一次大戦
におけるドイツ帝国の敗北という「受苦」のためなのだ。
このことからドイツ人のヒトラーがユダヤ人のチャップリンを
模倣した理由も解るだろう。
両者はともに「敗北というトラウマ」を背負っているという点で
同根だったのだ。
586OFW:01/12/08 23:04
>>583(五色園さん)
 <引きこもり>と『フォイエルバッハに関するテーゼ』の関係を問われ
 た場合、<社会>の本質にまで遡る必要があるでしょう。
 「人間は社会諸関係の総体である」とはマルクスのフォイエルバッハ批
 判(それはルーゲを引き継ぐものだったが)の要点の一つですが、個人
 は徹頭徹尾社会に浸透されていることを捉えたものと言えます。
 引きこもりとて社会の中での引きこもりであり、決して社会から孤立し
 た存在ではあり得ない。ちょうど人が行き交う広場の真ん中にテントを
 張って、外が見えない一人だけの空間を作っても、それは非現実的な世
 界でしかないように。
 要は個人の内部にある社会的・類的な本質と現実の社会との間にある超
 えがたい矛盾が問われるべきなのです。実際に分業・教育・扶助等の相
 互依存関係を結ばなくては生存できない諸個人が、利己主義の下に敵対
 ・競争を強制される社会(家族、友人、学校、職場、国家、世界)のあ
 り方が引きこもりの背景にあり、「人間として生き難い」という思いを
 生んでいる源ではないでしょうか。
 かって「君の最も固有な問題を、世界の最も普遍的な問題に結びつけよ」
 と呼びかけ、自ら実践した人もいたが・・・。
>>585(福田でぶ和也さん)
 論点をずらされたが、「ユダヤ人が民族として存在する」か否かが問題
 なのではなく、民族が政治経済的な事柄の本質(実体)かどうかです。
 歴史の真の動力はその主人公の意識とは区別すべきだ、とは唯物論の基
 本であり、アーレントやサルトルの観念論的な人間観では人間も歴史も
 理解できないでしょう。
 社会の客観的本質を心理的あるいは精神的なものに還元するのは小ブル
 ジョア思想に共通的だが、特に日本では政治や経済を倫理的あるいは文
 学的に語る論客が後を断たないのは、芸術的精神の高さ故? 
587考える名無しさん:01/12/08 23:06
つうか生物学的にユダヤ人てのがあるんじゃないの?
588五色園:01/12/09 00:12
>586
非常な違和感を感じています。
内容にではありません。内容はかつてよく読んだものです。
なぜ、今このような思考方法を温存できるのかということにです。
このような思考方法では現実とリンクできない、このような思考方法を
早急にリセットし、現実に相渉るテーゼが必要と感じています。
589考える名無しさん:01/12/09 00:12
>>587
そんなもんあるわけ無いだろ。馬鹿。
590OFW:01/12/09 08:56
>>586(五色園さん)
>このような思考方法では現実とリンクできない
 今一つ趣意が不明。
 『経済学・哲学草稿』を評価し、同時期に書かれた『フォイエルバッハに関するテーゼ』を
 「社会的な成功を奨めている」(全然違うと思うが)として否定する根拠もはっきりしない。
 ひきこもりという現実もあれば、たとえば同時多発テロ(笠井氏は言及しているのかな?)
 という現実もある。それら両者にリンクし、世界全体を統一したものとして理解するために
 は、強い<客観性への意志>が必要でしょう。それは原理主義とか一元論とかとは無縁の、
 重層的で多元的な現実総体に向かう思考を要求しており、マルクスが死ぬまで一貫して
 "温存"していたものでしょう。
 実際、少なからず世の現実を経験してきた者として、「ひきこもりの言い分」がどこまで
 現実を正しく捉えているのかは疑問であり、それを理解するとはむしろ当人以上に当人が
 置かれた(主観的ならぬ)客観的現実を認識する必要があるでしょう。
591OFW:01/12/09 08:59
>>590
 誤:586  正:588
592カルヴァン:01/12/14 22:24
>>OFWさん、福田でぶ和也さん、ほかみなさん
いつも拝見させてもらっています。

価値形態論、とある入門書で読みました。
資本って、おもしろいですねageです。
593五色園:01/12/16 22:14
>>590
引きこもり者に対するには、現実的には金銭の許す限りにおいて個別対応するしかない。
しかし、事情により、その存在を肯定しなければならない時、それが可能かどうかだ。

私の知見した引きこもり者の言い分は、要約すると「独我論」であった。
「自分だけが存在し自分以外のものは(自分の心の中にしか)存在しない」という「独我論」の
主張は認識論的な懐疑論に端を発しているそうである。(出典、永井均氏「<子ども>のための
哲学)
このような主張に対して、精神分析的、社会学的な分析では引きこもり者の存在にイエスを言う事はできない。

アンディ・ウォーホールがご託宣したように、私達はスパーマーケットの棚に並んだキャンベルスープのひと缶に
であったら、やはり「私の存在の比類のなさ」を夢見るだろう。
永井均氏はこの切実さに応えようとしているように見える。

しかし、私には、堤防を越えてくる濁流のような客観的な事実を否定する事はできない。

私には、マルクスの諸著作は、芸術鑑賞の対象であり、現実に対する指針を求めるものではない。
594福田でぶ和也:01/12/16 23:47
資本の文明化作用で破壊されたのは
ほかならぬ民族的共同体である。
それは第一の否定である。
そして第二の否定(否定の否定)は
資本によって否定された民族の名の下に
資本を否定しかえすることである。
これが歴史の弁証法であり、ナショナリズムこそ
その動力なのだ。
つまり資本こそが民族的諸差異を抹消し(それは労働力商品の成立
と表裏をなす。貨幣は急進的なレヴェラーとして人を数量的に
つまり質=差異を無化してみる視点を与えるからだ)人を「労働市場」
という名のるつぼに溶かしこむのだが、もしそうであるならば、むしろ
資本の否定を求めるものは民族性の再措定を肯定すべきなのだが、
そのような思考を反動的だと揶揄する左翼が後を絶たないのが
現状であろう。
595カルヴァン:01/12/16 23:53
>>593(五色園さん)
マルクス詩集、とても恍惚となりました・・

>>594(福田でぶ和也さん)
福田さん復活マンセー!!
第二の否定(資本の否定)とは、国家主義を鼓舞することで起こりうる
ということですか?
596福田でぶ和也:01/12/17 00:30
>>595
ベネディクト・アンダーソンはネーションのことを
「想像の共同体」といっていますが、なぜ「想像」
かというともはや実在しないからこそ想像なのです。
ではなぜ、実在しないか?それは資本に破壊された
からですね。
資本制には多々の矛盾がある。その過酷な矛盾に
比すれば、否定された民族的共同体のほうがまし
にみえる。なぜなら、民族的共同体には同胞意識
に支えられた互酬制があるからですね。
ここにネーションが想像的に回帰する理由がある。
しかし、ナショナリズムとはそのような想像の次元に
留まるものではない。
なぜなら、ネーションとは確実に"かつては"実在した
のだから。
それを地理的・経済的・制度習慣的に発展の相で
「復元」せんとする試みがナショナリズムなのです。
それはいわゆる排外主義とは本来無縁なのです。
597595:01/12/17 00:50
>>596(福田でぶ和也さん)
お返事ありがとうございます!何度も反芻して拝読させて頂いてます。
ネーションは、資本制によって破壊された。ということは、
原始共産制、奴隷制、農奴制の時代にのみ、ネーションが存在できた
ということなのでしょうか?ネーションの復元運動としてのナショナリズム
は、それらの時代のどういった部分を継承しようとしているのでしょう?
意味不明な質問でしたらお許しください・・
598阿修羅無限大落とし:01/12/17 01:05
>>597
福田でぶ和也というのは
福田和也を嘲笑う為のパロディーキャラだよ。
>>596みたいな物言いで化かされるのは
思想にかぶれ始めた学生くらいのものだよ。

哲板ロムっているなら、見抜けると思うんだ。
色々、勉強してみよう。
599595:01/12/17 01:10
>>598(阿修羅無限大落としさん)
なるほど・・今一度、このスレッドの全発言を読み返してみます。
ご助言、ありがとうございます!もっと本読んでから発言します。
すみませんでした。
600595:01/12/17 01:25
・・・らげさん、OFWさん、福田でぶ和也さん、NAMっ子さん
たちの論戦は面白いですね。みなさん、どこに行かれたのでしょう・・
こういったスレが100個くらいあれば良かったのに・・
ところで、資本論第一巻のほかに、読まなくてはならない本というのが
あれば、教えて下さい。
福田でぶ和也さんのお話にもついていけるようになりたい・・
601カルヴァン:01/12/18 23:56
ageさせてもらいます・・
602カルヴァン:01/12/21 21:37
止揚あげ
603考える名無しさん:01/12/21 21:52
誰も書き込みしねーんだから終わってんじゃないの?このスレ。
上げ名阪奈世・・・
しっかし、福田でぶ和也っての、実際のあのデブもこの程度の
ことしか書いてねーのか?俺、不愉快だからまともにコイツの
書いた(事になっとる)もの読んだことねーから知らんのだが・・・
慶應って、出身だってだけですごい事なんだねぇ。
604考える名無しさん:02/01/03 23:12
資本主義は手強いね
605考える名無しさん:02/01/15 18:55
すまんが、素朴な質問。

八百屋の店主は、ブルジョアジーか、プロレタリアートか。
どこからどこまでがブルジョア/プロレタリアを分けるのか、教えて。
606考える名無しさん:02/01/15 19:17
>>605さんの質問に便乗して質問

資本は労働者から搾取するわけですから、労働者が多ければ多いほど
実入りが大きいはずですよね しかし、不況になればなるほど企業は
労働者を解雇しようとする これは矛盾しているのではないですか?
607考える名無しさん:02/01/15 19:49
608考える名無しさん:02/01/15 19:53
>>605,606さんの質問に便乗して質問。

古典的な芸術形態ってのは、マルクスではどう解釈されてるわけ?
609考える名無しさん:02/01/15 21:03
俺も便乗質問。マルクス主義美学ってなに?ルカーチ?
610 :02/01/20 10:54
質問があるんですが、他板で、

>マルクスは唯物論なんてものにそもそも固執してなかったんだよ。
>マルクス主義が唯物論だなんてのは、スターリンが自分の個人崇拝を
>正当化するためにデッチあげたウソ。
>「弁証法的唯物論」なんてのはもっともらしく聞こえるけど、
>マルクスもレーニンも一度もつかったことのない言葉だ。
>唯物史観と唯物論は全然位相の異なるタームだよ。

と言っていた人がいたんですが、これは本当なんでしょうか?
だとしたら、弁証法的唯物論という言葉を、いちばん最初に使った人は誰なんでしょうか?
611考える名無しさん:02/01/20 11:39
>>610
それはエンゲルスっぽいです。
確かに、マルクスが唯物論だといって云々しているのは
あまり見かけないです。
読書量の少ない者が言うのも変ですが・・
612考える名無しさん:02/01/20 12:13
ディアマート(dialectik materiarism)はソ共謹製でちゅ。
613 :02/01/20 13:30
>>612
>ディアマート(dialectik materiarism)はソ共謹製でちゅ。

そうだったんですか!?
マルクスとはほんとうにぜんぜん関係がなかったんですね。
できれば、もう少しくわしく話を聞かせてもらえませんか?
614OFW:02/01/20 20:30
>>605
>八百屋の店主は、ブルジョアジーか、プロレタリアートか。
 前にも書きましたが、正しい階級区分とは生産手段(土地、施設設備、
 道具機械、原材料等)の所有関係に応じたものです。資本主義社会の基
 本的(本質的)な階級は資本家階級(ブルジョアジー)と賃労働者階級
(プロレタリアート)の2階級ですが、両者以外にも中間的あるいは派生
 的な階級が存在しており、その中でも社会的・イデオロギー的に重要な
 ものはいわゆる中産階級(小市民、プチブルジョア階級)と呼ばれる、
 生産手段を私有し、かつ自らの労働で生計を立てている部分です。自営
 業、自営農民、自由業(大学教師、医師、文化人等)等に従事する人々
 がそれに該当し、アダム・スミスやベンジャミン・フランクリンが生き
 ていた資本主義初期の時代において模範とされた、勤勉で合理的精神を
 持った自由で個人主義的な<市民>(ブルジョア)とは、中産階級をモ
 デルにしている。それは、大資本家(グランブルジョア)の進展の前に、
 現在では中間的で動揺する階級部分として受動的なものに成り下がって
 しまっており、通常は進歩的でも危機の時代に保守反動化しやすい層と
 言えます。
 当然ながら、八百屋の店主が店員を雇えば立派な資本家であり、使用人
 は賃労働者です。また、大会社の雇われ経営者・役員も資本家階級の一
 員であり、公務員(官僚)は、国家および公共団体を実質的に握ってい
 るプルジョアジー(総資本)に雇われている公的な私的使用人と言える。
615OFW:02/01/20 20:31
>>606
 資本とは市場経済の中で「カネ→商品→カネ’」の交換サイクルを通し
 利潤を生むカネのことですが、問題は作った商品が売れるかどうかはま
 ったく“運任せ”だという点です(マルクスが言う「命がけの飛躍」)。
 好況時により多くの商品を生産してより多くの利潤を得るために買入れ
 た労働力(労働者の雇用)も、不況時には商品代金が入らないため賃金
 の支払いができず、廃棄(放出)せざるを得ない。これは資本という過
 去のカネが未来の儲けに向かって博打を打たざるを得ないという、資本
 主義経済自体が抱えている矛盾です。
>>608,609
 マルクス自身はまとまった芸術論を残していないが、その後のマルクス
 主義系統の潮流としては社会主義リアリズム、ルカーチ模写理論、ロシ
 ア・フォルマリズム、ベンヤミン文芸批評、ブレヒト演劇論等々、多彩
 ですから、一概には言えないと思う。
>>610
>>マルクスは唯物論なんてものにそもそも固執してなかったんだよ。
 初めて聞く意見で興味津々。しばし静観。
616考える名無しさん:02/01/20 20:34
OFWってひと、スゲー。全部答えてる
617ぴかぁ〜:02/01/20 20:35
説明になってないよ…
そんなお題目よりも『鋼鉄はいかにして鍛えられたか』
でも読めば…
618ぴかぁ〜:02/01/20 20:39
それにしても、肝心なところが「命がけの飛躍」…か。
619考える名無しさん:02/01/20 20:42
地方大学の非常勤講師並みの文章でし
620 :02/01/21 13:46
OFWさんは、質問にマジレスしてくれる貴重な人だから、煽っちゃダメ!
621考える名無しさん:02/01/23 08:11
AGE
622名無し:02/01/23 10:48
>>615
マルクスの芸術論って?
623OFW:02/01/26 17:27
>>618(ぴかぁ〜さん)
>それにしても、肝心なところが「命がけの飛躍」…か。
 「命がけの飛躍」が肝心なところだ、と理解すべき。
 それは不合理なことであり、商品経済に内在するその不合理性(<交換
 の不可能性>)が資本主義では現実的な(必然的な)ものになっている
 (いわゆる<恐慌の必然性>)ということを、です。
 たとえば近代経済学や「マルクス経済学」の代表である宇野経済学では
 上記の内在的矛盾に無頓着であり、恐慌を単に偶然的な現象と捉えるが、
 マルクスの弁証法的な見方が現れている箇所の一つです。
>>619
>地方大学の非常勤講師並みの文章でし
 「先生」と呼ばれるほどの○○でなし、かな。
>>622
>マルクスの芸術論って?
 このスレのタイトルでもある柄谷氏の当該書の中で「マルクス最後の疑
 問」と銘打って引用されている、古典ギリシャ神話と文明の関わりに関
 するモノローグや、『資本論』の中でのシェークスピア等の引用など、
 芸術(人間精神の象徴化作用)についてマルクスがどのように捉えてい
 たかは、おぼろげながら推測され得る位でしょう。「商品に付いた値札
 は古代ヒエログリフのような謎めいた文字として現前している」とかね。
624考える名無しさん:02/01/26 18:21
嫉妬はみっともないぞぴかぁ〜
625595:02/01/27 13:33
>>OFWさん
結婚してください。
626考える名無しさん:02/01/27 17:44
>>OFWさん
二三質問があります。

マルクシズムというのはルサンチマンというか負のエネルギーというか
そうゆうものが動力源となっているのですか?
ちなみにOFWさんの動力源は?

僕は無政府主義なのですか、それは理論的に可能ですか?

経済学って本当に信用できるものなのですか?
経済学といってもいろいろな経済学がありますが、信用できる
としたらどの経済学ということになりますか?
一番経済現象をよく解明している、という意味での信用です。
627考える名無しさん:02/01/27 18:34
>>626 アホか? OFWは神じゃねえんだよ
自分で判断しろよ
6281974:02/01/27 18:40
629考える名無しさん:02/01/27 22:18
>>626
>ちなみにOFWさんの動力源は?
まともな奴に言っても相手にされない理論でも
キミみたいなのには通用することを期待して。

>僕は無政府主義なのですか、それは理論的に可能ですか?
クスリと理屈は何処にでもつくんだよ。

>経済学って本当に信用できるものなのですか?
俺はできない。

>信用できるとしたらどの経済学ということになりますか?
経済現象の挙動(マクロな)に対する解釈ならカオスの縁かな。

>>627
一度でもいいからOFWを完全に論破しないと
こういう奴は後を絶たないと思われ。
630考える名無しさん:02/01/27 22:30
>>629
じゃあお前が論破してみろYO!
631考える名無しさん:02/01/27 22:34
唯物論・・・不可知なことに関する決め付けに過ぎない。
      独我論的世界か唯物論的世界かどちらかしかないと
      考えるのは、とんち不足。

弁証法・・・よく知らないが、ゲーテルのフレームに当てはめるなら
      一階が唯物論で、二階からの論理展開が(唯物論的)弁証法に
      含まれてることは確かだろうから、穴があるだろ。

ダメだ、こんなんじゃ勝てないな。
632考える名無しさん:02/01/27 22:43
>>631
とんち不足はお前だったな。(w
633考える名無しさん:02/01/27 22:46
>>629 論破はできなくても、こいつはどうも怪しい
っていう程度は、特定のジャーゴンでしか語らないあたりで、
普通の奴は引くだろ 「信心する」のはDQNだけ
634ひゅーむ:02/01/28 13:06
>>626
>僕は無政府主義なのですか、それは理論的に可能ですか?
こんなアナキストはいない。
635OFW:02/02/02 20:11
久しぶりにレスをば。
>>625
 ネタもまた楽し、ちゃん。
>>626
>ルサンチマン
 ニーチェ以来有名になった言葉ですが、どうもニーチェ自身の感情を普
 遍化したようなニュアンスをもち、ショーペンハウワより後退の面も。
 『ヒューモアとしての唯物論』(柄谷)にもあるが、唯物論者のパトス
 とは、大地の底から湧き上がってくるような、大らかで生肯定的な笑い
 に満ちたもの、と考えた方が近いでしょう。
 無論、一部の自称マルクス主義者には破壊主義的な傾向をもつ者がいる
 のは事実ですが、大衆的ではなくプチブル的な心情と言えるものです。
>OFWさんの動力源は?
 大げさに言えば<真理への意志>とでも言えるかな(エラそ!)。
 <権力への意志>とは異なり、真・善(正義)・美は一体にして不可分
 の精神的価値をなす、という古臭い狂信とでも。
>>633
(横レスながら)
>特定のジャーゴンでしか語らないあたり
 「教条的」と「原則的」とは異なる語りですから、区別が必要です。
 何らかの思想に対して、自分で納得できない間は疑わしいものとする
(蓋然的判断)のは精神の正しい態度ですが、すべてを疑わしいと考え
 て中途半端な所で判断停止をすることは、精神の脆弱性であり、むしろ
 ドグマに対する信念(実然的、断定的判断)に陥りやすい。「根拠に基
 づく確信」(確然的、論証的判断)と「信心」とを区別することは、哲
 学的思考(真理に向かう知)にとって極めて重要です。
636実存主義者:02/02/07 01:03

革命は可能であるか?
637OFW:02/02/07 02:48
>>636(実存主義者さん)
>革命は可能であるか?
 ルカーチは「レーニンが捉え実践したものは<革命の現実性>であった」
 と言っています(ちょとパラフレーズ)。
 <現実性>とは単なる<可能性>つまり<他であることの可能性>では
 なく、<必然性>(他であることの不可能性)と<条件>(実在的可能
 性)を結ぶ<自己の生成>です(ヘーゲル『小論理学』参照)。
 <恐慌の必然性>(マルクス)は<革命の不可避性>に直結するでしょ
 うが、それが客観的条件(世界情勢)と主体的条件(力量)に依存する
 ものであることも、また確かなことです。
 <組織されたプロレタリアート>が事柄を最終的に決定するのは確かだ
 としても、それは諸個人の連合あるいは職業的革命家の前衛党といった
 ものではなく、生産諸主体間の有機的結合を指すのです。
638φ:02/02/07 16:40
「国労冬物語り」スレに書いたけど反応がないのでこっちで聞きます。

革マル、の教祖=黒田寛一の「哲学」って、哲学の世界では相手にもされてないんでしょうか?
昔、中核の人が「黒田の哲学は侮れない。革共同分裂前のイデオロギー的支柱だったんだし」と言っていましたが
639考える名無しさん:02/02/07 16:46
>637

><組織されたプロレタリアート>が事柄を最終的に決定するのは確かだ
>としても、

どっからこの確信が生まれてくるんでしょうか?
実存主義者とofw。
なんというコンビだろ。
30年前の世界のようだ。
640考える名無しさん:02/02/07 17:31
黒田寛一ってどうよ。
資本論入門は、かなり難しかった。

OFW氏。
無知な私を啓蒙してくれる書物、教えてください。
641実存主義者:02/02/07 18:39

639さん、とりあえず、実存主義とマルクス主義が一つの潮流と化して
街頭で活動、当時の学生達が運動をしてそれがピークにあたるのは、
1960年代の後半にあたります。30年前の1972年の ぐらいの時には学生運動は
下火になっていたようです。スチューデント・パワー。つまり、僕がいうのもなんですが、
大体40年くらい前に一大潮流をなした、といった感じでいいでしょう。
1960年代、ということで。当のサルトルのフランスでは、1968年のパリ五月革命がピークで、
(運動)一般の労働者までもが、なびきました。スチューデント・パワー。
江口 幹さんの「パリ68年5月 叛逆と祝祭の日々」(注 叛逆と祝祭の日々、はちょっと
ちいさめに打ってある、副題。)がいいでしょう。論創社、というところから、出ています。
 僕はいってしまえば左翼です。基本的に、マルクスとか好きなんです。
  
642φ:02/02/07 23:36
1972年、左翼運動が下火になる契機があった。連合赤軍事件
で、それで逮捕された植垣康博は27年間を獄中で過ごし物理などを勉強し出所後、静岡でスナックをはじめた
2月16日スナック開店一周年イベントが行われる
映画「光の雨」原作者・立松和平 宮崎学 鈴木邦男などが来る。
http://money.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1012400177/l50


彼の書いた「兵士たちの連合赤軍」によれば
死体を埋める穴を掘っていて、「えっ、ここにこんな地層があったのか!」と驚き、
異常な状態の中で自分が中学のころから興味の対象だった地質学に関する興味が涌
き出た自分自身に驚いた、そうです。
あと、雪降る中、下宿の部屋で物理の勉強に没頭する、どさっと雪が落ちる音がして、はっと我に返りふと人恋しくなって、酒を持って友のところに行く
というあたり、すごく良く分かる感じ。
それほど学問への熱意があった人が、なぜ簡単にあほなイデオロギーにはまって殺人までしてしまったのか、、、、。
643実存主義者:02/02/07 23:40

 僕は平和主義者です。
644実存主義者:02/02/07 23:43

 連赤事件は許せません。マルクス主義者、共産主義者と、テロ集団は
わけなくてはなりません。
645φ:02/02/07 23:56
>連赤事件は許せません。マルクス主義者、共産主義者と、テロ集団は
>わけなくてはなりません。

それはそうなんだけど、スターリンの粛清、ポルポト、内ゲバなど
なぜ「共産主義」を掲げた人たちが、残虐なことをしたのかは考えなくては行けないと思う。

天皇制とアジアで残虐行為をした人を完全に分けることが出来ないように
646φ:02/02/08 00:01
オウムにしろアルカイダにしろ、やってる人は主観的には「正義と自己犠牲」でやっている。私利私欲で大量殺人する人はあまりいない。そんなことしたら自分がそんだから。
ブッシュも「善意」でアフガンを空爆してたのかもしれない。

自らを「正義」と思って行動してる人は厄介である。利害で行動してる人は利益がないと動かないが。
主観的善意と客観的行動が引き起こす事態が、往々にして乖離してる場合がある。
647考える名無しさん:02/02/08 00:09
他者のレベルを低く見積もり過ぎだ。
だから良く調べもせずに適当な事を書き込んでしまう。
648考える名無しさん:02/02/08 00:15
ポパーの歴史主義批判があったね。これはサルトルなんかにも当てはまりそうだ。
649考える名無しさん:02/02/08 00:19
あと社会を一つの主体と見なすヘーゲル以来の社会認識、そしてユダヤ・キリスト教以来の
終末思想とユートピアにズムの結びつきってとこか(ここらへん歴史主義批判とだぶるけど)
現在において可能なマルクス主義を提示してる哲学者ってどんなのがいるだろう?
650実存主義者:02/02/08 00:36

ドグマティズムに陥ったときの非客観性でしょう。
 オウムは正義ではないし、オウムの場合は、宗教集団と、テロ集団の
区別をしなければならない、というところ。アメリカの同時多発テロ、
やったのはイスラム教徒としてやったわけではなく、まさしく、テロリスト
としてやった、となるわけです。恐いですが。適当ではなく自論です。
645-646さんはマルクスに対しては、いい、と思ってらっしゃるところはあるのでしょう。
そして、ひとついえるのは、教条的に、隔離的に、なる人が「正義」
としてやるのは、時に「主観的善意」の極限値と、その非客観性という事態が
平和に反するあり方で出てくるのは遺憾であり、とんでもないと思う。
 結論としては連赤事件とオウム、そして、アルカイダの犯行は許せません。
その犯罪は許せない。そして、ドグマティズムと理論的な問題は、とても難しい
と思います。僕の場合は、浅田 彰さんのような(1983年の構造と力で示された
ような)シラケつつもノリ、ノリつつシラケること、(構造と力 6ページ)といった
ポストモダニズムな相対的とらえ方がいいと思います。僕においては、実存主義が
それを受けてくれるわけです。サルトルですね。ブッシュがアフガンを
空爆したのには反対です。無辜の良民が空爆の犠牲となってしまったこと、
不条理ですね。アプシュルデイテ、不条理です。実存主義はそこから出発します。
651実存主義者:02/02/08 00:39

 649さん、どうでしょうね。
652実存主義者:02/02/08 00:42

 でも、このスレは、マルクスその可能性の中心in2ちゃんねる、なので
マルクスの可能性の中心についてやりましょう。
 
653考える名無しさん:02/02/08 00:43
しかしそれならば投げ出された存在である僕チンは革命に参加しなければならないか。
そこで歴史主義出てくるとアウチって感じなんですね。
なんかサルトル、僕よくしらんのですけど実存の不条理さ、無意味さからどうやってマルクスに接ぎ木するのか
その辺よくわからんチンです。ヘーゲルとキェルケゴールがどうくっつくんだ。みたいな。
654考える名無しさん:02/02/08 00:44
あ、1行目に「なぜ」入れるの忘れた。
655実存主義者:02/02/08 00:45

 柄谷さんとか、OFWさんとかになるんでしょうかねぇ。
656考える名無しさん:02/02/08 00:49
蠅とか読むとうぉーかっちょえーってなるんだけども。
657実存主義者:02/02/08 01:41

平和が一番ということです。サルトル。サルトル。
658φ:02/02/08 14:03
>645-646さんはマルクスに対しては、いい、と思ってらっしゃるところはあるの
>でしょう。

マルクス主義に対しては是々非々ですね。
複雑な世の中を一つの理論で解釈しようとしたのが間違いだったように思う。
戦前の講座派・労農派論争にしても、現実を理論に当てはめようとして四苦八苦して
る感じです。

で、マルクスの思想も、存在が意識を規定する例外ではなく、やっぱりヨーロッパ
という地域やその時代を色濃く反映したものだと思うのです。
歴史には最終的に到達するはずの目的地があるかのような思想はキリスト教の影響
だと思います。

 あと平和主義ですが、マルクス主義自体は「暴力は革命の助産婦」と言ってる通り
あまり平和的ではないかもしれません。
 NATOがユーゴ空爆してドイツが参戦した時、独フィッシャー外相(緑の党、学
生運動で逮捕歴がある)は、「セルビアはベトナムではない。ミロセビッチはホー
チミンではない。私はこれまで一度として平和主義であったことはない」といって
ました。
 つまりベトナム反戦ってのは「戦争反対」というより、「米国のベトナム侵略戦争
反対」だったわけです。元べ平連の吉岡忍が「自分たちは『殺すな』といって米兵
に脱走を呼びかけ、かくまった。でも、『殺すな』ということであれば、北ベトナ
ムや解放戦線の兵士が『戦争は嫌だ』と逃亡して来るのも助けるべきである。でも
自分たちは当時そんなことは発想すらしなかった」と言っています。

私としては、「戦争の階級性を見ぬいて、戦争一般でなく帝国主義の、、、、』と
いうより、戦争という手段それ自体を否定すべきだと思っています。
その辺も私がマルクスから距離を置いてる理由です。
659OFW:02/02/08 23:45
>>638(φさん)
>黒田寛一の「哲学」
 戦後の主体性論争において、従来の公認マルクス主義の客観主義に対抗
 した主体性論者の多くは、等しく京都学派の影響下にあった。特にクロ
 カンの場合、西田哲学の「無の場所的自覚」を“唯物論的”に改訂した
 梯哲学の「物質の自覚」を受けて、マルクス主義の主観主義化を最も推
 し進めたと言えるでしょう。いわゆる「プロレタリア的人間の自覚」の
 論理とは、むしろ無媒介的な決断主義に結果する超論理的な倫理思想だ
 と思う。(昔読んでガッカリした記憶があるので多言はしません。)
>>639
>30年前の世界のようだ。
 30年間で世界はどう変わったのかな?
 東欧諸国やソ連の崩壊により「イデオロギーの終焉」と言われたが、実
 際には「思考の終焉」と思える程の惨状かと。
>>640
>啓蒙してくれる書物
 たとえば『資本論』を理解しようとして解説書を読むよりは、たとえ難
 しくても原著に当たるべきでしょう。でないと、一遍に2つの思想を相
 手にしなくてはならず、混乱・誤解は避けられなくなる。
>>649
>社会を一つの主体と見なすヘーゲル以来の社会認識
 ヘーゲルの社会認識もマルクスのそれも、「社会は一つの主体である」
 とは見なしていない。ヘーゲルは近代社会(社会としての社会)を<欲
 望の体系>と呼び、(絶対的君主が主体である)政治的国家において一
 つの精神的統一を得ると考えていたし、マルクスの立場は<現実的な諸
 個人>をもって始めるという社会の唯物論ですから。いわゆる社会有機
 体説はコント以来のものでしょう。
660φ:02/02/09 02:26
>>659
どうもありがとうございます。すごく難解そうですね。さすが「理論の革マル」。
ついでに、広松渉あたりはどうなんでしょうか?

661 :02/02/09 02:34
>>660
現代革命論への模索は(30代の著作)名著であり、迷著でもある。
662江藤淳「漱石とその時代」:02/02/10 19:42
「可能性の中心」と
「可能なるコミュニズム」
663ねこ:02/02/11 00:25
ここは「マルクス可能」スレであって、「OFWさんにたずねる」スレで
ないのは承知ですが、「マルクス可能」の一助にでもなればと思い
カキコします 関心のある方々はご参加ください

******************************************************************

OFWさん お久しぶり?です 広松スレでポパーネタで最後に絡んでいた者です
こちらに移動するのが適当と考えました まだ私の疑問は氷解されていませんので
もう少し絡み続けさせていただきます 最初は広松スレとかなり重複するかも
しれませんが ご容赦ください また仮の固定ハンドルで以下、「ねこ」と名乗ります

******************************************************************

私は、マルクス主義には問題があると思っています
そのうちの大きな一つが ポパーの指摘した反証可能性と科学性、
その点に関してのマルクス主義批判です

私はポパーのしっかりした本を読んでません(^^;  ので、
もししっかりした方がいらっしゃれば私と交代していただきたい位ですが・・

とりあえず始めます
664ねこ:02/02/11 00:26

OFWさんは、前掲のスレで私が尋ねた諸点について 以下のように
答えてくれました なお、【  】は私がつけたもの さらに、引用は抜粋ですから、
それによって、OFWさんの論旨を変えてしまっているようなら ご指摘ください

1 (ポパーの反証可能性に関して)

 それが成立する客観的条件(これは経験的なもの)
 から切り離されてそれだけで真であると主張されるなら、形而上学的
 ドグマになる。自由主義しかり、科学主義しかり、形式主義しかりです。

また、次のようにも言われています

 アド・ホックな仮説による反証逃れをおこなわないように科学のルールを
 定めようとすることは首肯できるとしても、そもそも「アド・ホックな仮説」
 とは何ら仮説ではない、定義的あるいは公理的言明


2 マルクス主義の上部構造−下部構造論
 
 物質生産に関する諸個人間の関係(生産関係)が社会の法的・政治的・社
 会的な諸制度を最終的(究極的)に規定するのであり、その逆ではない、
 という【 主張 】です。【 その限りそれは一つの決定論的(因果論的)な主張で
 す 】が、

3 また、続いて労働価値説について

 因みに上にも書きましたが、<労働価値説>に対するマルクスの徴候論
 的読み(アルチュセール)とは、必然性(他であることの不可能性)の
 洞察であって、単に仮説(他であることの可能性)の経験的な検証では
 ないのです。
665ねこ:02/02/11 00:26
 1に関しては、いわゆる分析的命題についてどのように考えているのか?
また、「経験的」「客観的条件」というものを、どのように定義すべきか? という
大問題を「おけば」(^^; 私も同感です

 ですが、だとすれば、OFWさんもおっしゃられているとおり、2で、客観的条件
と切り離された【 主張 】が、当該理論の基幹となっているのはおかしいのでは
ないでしょうか? もしも、基幹ではないというならマルクス主義の基幹はどこに
あるとお考えでしょう?

 また、3に関して、やはりマルクス主義理論の基幹部分である労働価値説が
仮説の経験的な検証を離れて、「必然性の洞察」??として存在するのも
納得がいかないところです

 さらに、私は先のスレで、マルクス主義の基幹的な概念装置は、どうにでも言い逃れが
可能な、「反証可能性の低い」概念であって科学性に乏しい、すなわち、現実的な
有効性が欠如していることが問題だと考えており、マルクス主義を支持する
人たちには、その危機意識が極めて薄い、と書きました

 もしも、前掲の諸点が、マルクス主義の問題点ではないとお考えなら、
マルクス主義の、その理論上の問題点は、どのような点にあり、それをどうしたらよいと
お考えでしょう?
666考える名無しさん:02/02/11 00:28
667ねこ:02/02/11 00:31
わたしゃ オーメン(古っ!)か? っての (^^;
668考える名無しさん:02/02/11 00:33
春休みに資本論読む予定。どの版がいいですか?
669考える名無しさん:02/02/11 01:07
江藤淳シンデホシイ。
死んだ? 成就・・・成仏。

670考える名無しさん:02/02/11 21:11
668へ、「フランス語版」...馬鹿でも分かる。
671考える名無しさん:02/02/11 21:13
668へ。アルチュセールを参照してちょ。
672668:02/02/11 22:15
>>670
フランス語版・・・・?日本語訳だとどれがいいでしょうか。
>>671
でもやっぱアルチュセールとか読む前にモノホン読まなきゃ
まずいですよね。失礼ですが,やっぱみなさんちゃんと読んでるんですよね?
673 :02/02/11 22:19
>>672
それってアルチュセール読んだことがないから言える言葉だよね♪ 
ヽ(゚Д゚* )ノ  ドカン ドッカン
674考える名無しさん:02/02/11 22:20
>>672は失礼。
675 :02/02/11 22:21
>>669
♪  ヽ(゚Д゚* )ノ  ドカン ドッカン
676考える名無しさん:02/02/11 22:22
どっちも読め
ヽ(゚Д゚* )ノ  ドカン ドッカン

677考える名無しさん:02/02/11 23:28
ヽ(゚Д゚* )ノ  何か知らんが、ドカン ドッカン

678横浜銀蝿:02/02/11 23:29
ドカンをはいてますが、なにか?
679 :02/02/12 00:28
マルクスとエンゲルスはどっちがえらいの
680IQ190:02/02/12 00:49
山口昌男や中村雄二郎が演劇を論じる理由が分からなかったが、
アルチュセールが昔、論じてましたよね。
681 :02/02/12 00:50
>>680
どこで?
682IQ190:02/02/12 00:57
『甦るマルクス』あたりの最後の章が
演劇論だったと思う。
683 :02/02/12 01:00
>>682
ありがとう。
684OFW:02/02/12 22:07
>>665(ねこさん)
>いわゆる分析的命題についてどのように考えているのか?
 分析的/総合的方法とは認識の発展段階において必然的な一段階を占め
 るものですから、クワインなどの量的な相対化ではその意義を十分に把
 握できないでしょう。因みに、再びヘーゲルから引用すると
 「綜合的方法の運動は分析的方法の逆である。分析的方法は、個から出
  発して普遍に進むが、総合的方法においては、普遍(定義としての)
  が出発点をなし、われわれは普遍から特殊化(分類における)を通じ
  て個(定理)へ進んでいく。」(同上228節補遺)。
 両者(分析的と総合的)は概念の種別(普遍、特殊、個)の相互媒介を
 行う、弁証法的な認識運動の両契機として捉える必要があるということ。

>「経験的」「客観的条件」というものを、どのように定義すべきか?
 定義の問題なら、大げさに考えなくても、「誰もが確認でき、個人の意
 志、願望等の主観に依らずそれ自体として存在するもの」位で良い。
 しかし具体的な事象について「それが成立する客観的条件は何か?」と
 いう設問に関しては、無論事象に即して具体的な研究が必要になる。
 また経験の対象に応じた概念形式を、その対象的条件を超えて使用した
 場合、形式主義というドグマになりますね。
 (例:論理形式を数学的集合論に還元する形式主義論理学)。
685OFW:02/02/12 22:09
>>665(ねこさん)(つづき)
>客観的条件と切り離された【 主張 】が、当該理論の基幹となっている
 それは誤解です。史的唯物論とは、まさに客観的・歴史的条件に即して
 人間社会を捉える立場です。たとえば労働価値説が妥当するのは<価値
 としての価値>が対象的に存在する社会、つまり資本主義社会において
 だけであり、(商品交換が普遍的でなかった)それ以前の社会および
 (価値自体が止揚されるだろう)未来の社会においては妥当しないでし
 ょう。ブルジョア経済学が如何に商品交換を永遠不滅と考えようとも、
 その客観的条件は歴史的に変化するのです。また人間的実存の物質的条
 件としての<労働>は当然ながら人類学的なタイムスケールにおいて妥
 当するでしょう。

>「必然性の洞察」??として存在するのも納得がいかない
 労働価値説自体はアダム・スミスが漠然と見出し、リカードがより明確
 に定式化したもので、マルクスのオリジナルではない。マルクスが明ら
 かにしたことは、それが資本家制経済の<本質>に関わる概念であり、
 その矛盾した全運動を理解し概念把握するためのキー(秘密を解く鍵)
 であるという点です。「資本の必然的な運動を貫いている<赤い糸>
 (本質的実体)は何であるのか」という疑問に関して、マルクスが古典
 派が使う「労働の価値」という現象的概念の無対象性を通して「労働こ
 そが価値の源泉である」という本質認識にジャンプ(転回)した、その
 認識論上の事態を指して、アルチュセールは<本質論的切断>と呼んだ
 のです。
 経験的現象を説明するべき本質自体は説明され得ない。それは直観(洞
 察)されるもの。それが必然性の認識(蓋然的仮説の形成とその否定を
 通して得られる確信という運動)です。
686OFW:02/02/12 22:13
>>665(ねこさん)(つづきのつづき)
>「反証可能性の低い」概念であって科学性に乏しい
 繰り返しになりますが、「反証可能性が低いこと」が「科学性が低いこ
 と」の指標であるとはポパー一流の誤解でしょう。事柄の本質を捉えて
 いる理論のことを(その説明力と予見力と制御力により)科学性が高い
 と言うべきであり、ドグマ自体はいくらでも反証可能でしょう。
 たとえば、「現代日本は自由な市民からなる民主的な社会である」とい
 う命題は小学校でも教えている(形式主義的)ドグマですが、それに対
 して「私は少しも自由ではない」という反証が可能ですね。それは正し
 い反証ですが、<自由な市民>の存在問題が「<不自由な市民>は市民
 ではない」という「市民」の定義問題に変えられるとドグマになる。

>現実的な有効性が欠如していることが問題
 マルクス主義の「階級モデル」(笑)には現実的な有効性がないと言わ
 れる場合、よく出される例に「マルクスによると資本主義システムは自
 己保存せず、崩壊するはずだが、一向にその気配が見えない。よって、
 マルクスの理論は誤っている。」というのがありますね。その議論が奇
 妙である理由の一つに「科学的説明が合理的であるならば、決して本質
 的な不安定性を説明できない」という事情があります。本質とは本質的
 自己同一性であり現存在(例:等価交換)の根拠を指すものですから、
 階級社会などという自己非同一な社会(差別社会ではない!)は科学的
 にあり得ないわけです。つまり、科学的(経済学的)には資本ー賃労働
 という社会関係の物象化としての<価値>(両者の同一性)が真なるも
 のとして立てられるのが正しく、その非真理には根拠があるわけです。

>マルクス主義の、その理論上の問題点
 上記のように、本来科学的理論とは現実と整合的である、つまり現実を
 合理的に説明するためのものですから、不合理な現実を妥当的に説明す
 る科学的理論などあり得ない、という点に無自覚なことです。
687考える名無しさん:02/02/12 22:48
> 「綜合的方法の運動は分析的方法の逆である。分析的方法は、個から出
> 発して普遍に進むが、総合的方法においては、普遍(定義としての)
> が出発点をなし、われわれは普遍から特殊化(分類における)を通じ
> て個(定理)へ進んでいく。」(同上228節補遺)。
> 両者(分析的と総合的)は概念の種別(普遍、特殊、個)の相互媒介を
> 行う、弁証法的な認識運動の両契機として捉える必要があるということ。

個が具体的事物だとすれば個から普遍に進めば帰納に?
「経験 総合」「無経験 分析」が「演繹」「演繹的帰納」に?
688ねこ:02/02/12 22:50
OFWさん こんばんは
さすがに難しい(^^; ちょっと考えて後でレスします

ところで、私はこのスレのタイトルどおり
「マルクス可能(世界)」を、まあ、マジに考えていますから、
煽りや荒らしということはありません
もし、そのように見えることがあったら
端的に私の能力不足せいです 一応念のため

今までのカキコでわかるとおり(?)、私はマルクス可能(世界)を
追求する?なら、いわゆる分析哲学系?の議論、論者と真剣に
刃を交えるべきだと考えております

私の考え中(^^; に、OFWさんと議論を展開してくれる
分析哲学系の論者の登場を期待します
689考える名無しさん:02/02/12 23:07
(できれば早く687の答えをください。
そこそこ有名らしいマルクスの
専門家の、分析系論者への批判
(?陰口?議論したうえで)を
聞いたことがあります)
690考える名無しさん:02/02/13 14:30
691考える名無しさん:02/02/13 14:46
ヽ(゚Д゚* )ノ  いやー意外とみんな資本論全部は
        読んでないと思うよ? ドカン ドッカン
692考える名無しさん:02/02/13 20:43
「原初的蓄積」でこけるよね、ふつう。
693IQ190以上:02/02/13 23:30
全部読みました。
エンゲルスのあとがきに出てきた、
「18世紀の詐欺師・カリオストロ伯爵」
が一番印象に残ってます。
694実存主義者:02/02/14 02:34
 ちょっとあれですけど、昨日、マルクスの「経済学・哲学草稿」を
読んでいました。電車の中や、渋谷などで。
695考える名無しさん:02/02/14 02:53
マルクスっておもしろいよね。
はっきりいって。
696実存主義者:02/02/14 03:16
 正直言っていいですね。695さんのいうとおり。
 マルクスって源泉みたいな感じがします。
 サルトルは、マルクス主義のことを同伴者としています。
 また、乗り越えられない地平、としています。サルトルがですね。
697バブル紳士:02/02/14 13:52
おらってば、今資本論第二部第一編資本の諸変態とその循環を4jところだっぺ。
循環過程の三つの図式、なんかええっぺ。近経のツールが数学とすれば、マルクスのそれは、生物学とか地質学みたいな感じがするっぺ。
あと、五七、八年草稿なんかもええね。資本主義的生産に先行する諸形態とか激萌え。
698OFW:02/02/14 22:55
>>684
誤:同上228節補遺
 正:『小論理学』228節補遺
 (227節補遺も参照下さい。)
>>687
>個が具体的事物だとすれば個から普遍に進めば帰納に?
 正確に言えば、分析/綜合の区別は主観が客観に向かう<認識>におけ
 る方法上の種別であり、帰納/演繹の区別は主観内部での<推理>にお
 ける種別です。
 帰納(Induction)とは質の推理の成果である全称推理を媒介する
 反省の推理です。帰納自体も類推(Analogy)に媒介されており、
 普遍的本質<個物そのもの>の媒介的定立として、演繹(Deduction)
 (ヘーゲルは「必然性の推理」と呼ぶ)の前提となるものです。
 経験的な各個物の特性は実験的に調べられ、<すべての個物>への類推
 により、そこに含まれる普遍的な本質が定立される。帰納は主観に対し
 て、具体的経験の領域から反照的本質の領域へ向かうための架橋を提供
 するものと言え、一方演繹(定言推理、仮言推理、選言推理)は主観が
 総体的客観に向かうための架橋を提供するものと言えるでしょう。
>「経験 総合」「無経験 分析」が「演繹」「演繹的帰納」に?
 認識の理念とは<客観>として即自的な向自有を向自的に定立すること
 ですから、具体的な対象内容をカテゴリー形式の元に包摂する行為です。
 認識主観は客観を概念、判断および推論形式により(カント以降の主観
 的観念論における構成とは異なり)“再構成”する。それは分析→綜合
 という方法(定義し、分類し、対象の客観性を証明すること)により、
 直接的経験の対象が自己を媒介する客観的なものであることを明らかに
 することです。
699考える名無しさん:02/02/14 23:23
僕はグルーチョが好きだなあ・・・。
700ねこ:02/02/15 00:13
 「客観的条件と切り離された主張が、マルクス主義理論の基幹
となっている」という私の批判は誤解とのことですが、これは、
先にOFWさんが、上部構造−下部構造論は、ひとつの主張に過
ぎない、と言われたことによったつもりでした。しかし、少なく
ともつもりとしては、いわゆる客観的条件からの乖離を標榜する
はずも無い、ということですね

 であれば、それらの主張や理論が、「客観的・歴史的条件に即
して」いることは、どのように「検証」すべきだとお考えでしょ
う?

 ブルジョア的アトミズムに基づく私的財産制が、客観的・歴史
的条件に即してはおらず、人間の類としての本質を体現する共産
主義社会が、前者より客観的・歴史的条件に即していることは、
どのように我々の前に明らかにされるのでしょうか?

 マルクス主義であれ、オウム真理教であれ、量子力学であれ、
真なるものを標榜しようとする者なら誰でも、科学と非科学との
境界線を引こうと試みた論理実証主義者以来の分析哲学と同じ舞
を、観客の前で舞わねばならないのではないでしょうか?
701ねこ:02/02/15 00:14
 もしそうでないとすれば、その論者は、全く新しい舞を、観客
に対して披露する必要があろうかと思います(弁証法でしょうか?
OFWさんは既に別の舞方をされているようでもありますが・・
いずれにしてもこういう文学的???な表現は嫌いですから、も
う止めます)

 「アルチュセールの認識論的切断」(あれ?ガストン・バシュ
ラール?だかっていう人だっけ?)という言葉は知っていました
が、マルクスの労働価値の認識に関してであったことは、知りま
せんでした。
 それはともかく、私が「必然性の洞察」に難癖を付けたのは、
少なくとも日本語でその語句のみ切り離した場合の意味を考える
と、その言葉によって、労働価値説が検証(でも反証でもOK)
を免れる理由が説明されているとは思えなかったからです
 広松スレ以来、同じことを何べんも書いていただいて恐縮です
が、OFWさんの「説明」とコミュニケーションがとりづらい理
由は、再掲ですが、私が弁証法を理解していないことが原因かも
かもしれません(私はAでなければAバー。でも、弁証法は、単
純に否定せずに「止揚」するのですよね。)。
702ねこ:02/02/15 00:14
 蓋然性が高くなることを科学的と称するポパーの定義は、なる
ほど「科学」というものをどのように考えるかによっては、甚だ
物足りないものかもしれません。例えば、反証がないからと言っ
て、生物がやがて死ぬことを科学的理論だと主張することに、実
際的な意味がさほどあるとは思えません。
 しかし、逆に次のような例はどうでしょう。
 例えば、霊魂が存在しそれらが祟るという理論?は、説明力が
高く、我と我が身に降りかかる災厄は、私の信仰心が薄いという
理由によって説明することが可能です。また、我々は死者の前で
は手を合わせるし、度胸試しと称して、夜お墓に行くことを勇気
の有る無しの基準にしようとします。このように制御力?も高い。
 しかし、この霊魂理論は科学的と言えるでしょうか? 特に、
科学という言葉にこだわる気は毛頭無いので、言い換えれば、我
々に対する説得力を持つのか?。単に祟りが恐ろしいが故にその
ような仕草を強いられるに過ぎないのでは?。マルクス主義もま
た・・(以下自粛)。

 要するに、まずは私とOFWさんとで科学的の言葉の使い方を
決める必要があります。私の主張は、どれが真の科学であるかを
決めることではなく、反証可能な言論のほうが、根拠として用い
る際に確実性を有しており、また、我々はそうでないものを、に
わかに盲信すべきではないということにつきます。

「科学的説明が合理的であるならば、決して本質的な不安定性を
説明できない」。言葉遊びをするなら、これが真なる言明だとす
れば、対偶をとって、「本質的な不安定性を説明できる(理論)な
ら、科学的説明(というよりもそうであることを標榜する理論は
、と言った方が適切でしょうが)は、非合理的である。」となり
ますね。この対偶が常識的に言って真だとは考えにくいのですが
、如何ですか?。
 言われていることはわかるつもりですが、OFWさんのこの主
張のままでは、所詮、カビの生えたイデオロギー論に過ぎない
(下部構造決定論)ように思われます。
703ねこ:02/02/15 00:16
 失礼。途中で切れたので、一部再掲。

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「科学的説明が合理的であるならば、決して本質的な不安定性を
説明できない」。言葉遊びをするなら、これが真なる言明だとす
れば、対偶をとって、「本質的な不安定性を説明できる(理論)な
ら、科学的説明(というよりもそうであることを標榜する理論は
、と言った方が適切でしょうが)は、非合理的である。」となり
ますね。この対偶が常識的に言って真だとは考えにくいのですが
、如何ですか?。
 言われていることはわかるつもりですが、OFWさんのこの主
張のままでは、所詮、カビの生えたイデオロギー論に過ぎない
(下部構造決定論)ように思われます。

 科学的理論が現実を隠蔽するイデオロギーに過ぎないというの
は、例えば、空間や時間さえも変化しうるとした相対性理論、
複数の今この世界とは異なる「可能世界」(正確には違いますが)
をさえ予見しようとする量子力学などの科学理論によって、明確
に「反証」されているように私には思われます。
704考える名無しさん:02/02/15 00:43
うざい。
705考える名無しさん:02/02/15 20:40
ageまし
706考える名無しさん:02/02/15 20:43
うまい。
707考える名無しさん:02/02/15 22:57
まいう〜
708考える名無しさん:02/02/15 23:17
おまえらマルクス兄弟で言うと誰だぁぁぁぁ!!!ぁ?
709考える名無しさん:02/02/15 23:34
おやつのカールです。
710OFW:02/02/16 10:06
>>700-701(ねこさん)
>どのように「検証」すべきだとお考えでしょう?
 労働価値説の検証の一つとして、現在の恐慌状態を挙げることができる。
 テレビや新聞で「デフレギャップ」つまり供給過剰(需要過少)あるい
 は「資産デフレ」として“説明”(実際は単なる現象記述)されている
 この歴史的不景気の根本原因は、資本のあくなき価値増殖欲を支える労
 働力の乱費(生産労働の極大化とそのコストの極小化)から来るわけ。
 <恐慌>を資本主義経済の本質に基づく、その不可避的な帰結であると
 説いたのはマルクスが最初であり、現在の経済学(○経含む)でも、そ
 れを単なる均衡からの逸脱あるいは調整可能な一時的局面としてしか捉
 えていない。失業者が身をもって恐慌の現実性を実証しても、「本質的
 には恐慌などあり得ない」と反証され、単に「リストラ」(構造調整)
 などと呼ばれてしまう。まことに反証不可能な“科学的”理論ですね。

>どのように我々の前に明らかにされるのでしょうか?
 歴史の法則性の発見と唯物史観の形成史については、下記を参照。
 エンゲルス『空想から科学へ』
 ttp://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/kuso0.html
 
>ガストン・バシュラール?
 アルチュセールの<認識論的切断>は<問題論>(徴候論)と共に、
 バシュラールに負う所が大であることは、本人も述べている通りです。

>労働価値説が検証(でも反証でもOK)を免れる理由
 として「必然性の洞察」を挙げたのではなく、「徴候論的読み」とは、
 直接性(自明性)から蓋然性(問題性)を経由した必然性への転回(確
 証性)のプロセスであるということ、として挙げたのです。当然その確
 信が正しいかどうかは、そこからの帰結を現実と照合する検証作業を必
 要とするのであり、まさに『資本論』全体がその成果なのです。
711OFW:02/02/16 10:07
>>702-703(ねこさん)
>霊魂が存在しそれらが祟るという理論?
 確かに中世キリスト教神学は近代合理主義に匹敵する啓蒙性を示してい
 た(『啓蒙の弁証法』)が、<霊魂の祟り>は余りにも気まぐれで、測
 りがたい(予測しがたい)のも事実。それは解釈であり説明ではない。

>反証可能な言論のほうが、根拠として用いる際に確実性を有しており
 1.「ここに机がある」
 2.「宇宙人は実在する」
 3.「私は自由な市民である」
 4.「論理は実証(検証)可能である」
 5.「批判的合理主義は反証可能である」
 の中で、反証可能そして検証可能(両者は違う)な言論はどれでしょう?
 
>科学的の言葉の使い方
 科学とは元々「学問」と同義語であり、専門化が進んで後、特に自然現
 象を対象にして、その法則性の解明と第一原理からの法則の説明を目的
 とした理性の営為を指して言う。理論一般の表徴としては、論理性、体
 系性、客観性が挙げられるが、近代科学はその実践的な基盤としての技
 術的な操作性が顕著です。この点から、狭義の「科学的」とは「説明的、
 予測的、制御(操作)的」とほぼ同義です。一方、社会科学は人間社会
 において<自由な主体>という非法則的な行動を行う対象を前にして、
 科学的であるための基盤(対象の必然性)が自然科学のようには満たせ
 ず、規範科学たらざるを得ないと言われるが、社会は自然の一部であり、
 その物質的な基礎を明らかにすれば、規範の根拠も客観的に説明可能に
 なる(例:生産労働に基づくコミュニケーションの自然史的性格)。

>科学的理論が現実を隠蔽するイデオロギーに過ぎない
 「不合理な現実を合理的なものとして説明する科学的理論が」が正しい。
712考える名無しさん:02/02/16 15:29
713考える名無しさん:02/02/16 15:55
714考える名無しさん:02/02/16 15:55
715考える名無しさん:02/02/16 15:56
716考える名無しさん:02/02/16 15:57
717考える名無しさん:02/02/16 15:57
718考える名無しさん:02/02/16 15:58
719考える名無しさん:02/02/16 15:58
720考える名無しさん:02/02/16 15:59
721考える名無しさん:02/02/16 16:00
722考える名無しさん:02/02/16 16:03
723考える名無しさん:02/02/16 16:03
724考える名無しさん:02/02/16 16:04
725考える名無しさん:02/02/16 16:04
726考える名無しさん:02/02/16 16:05
727考える名無しさん:02/02/16 16:05
728考える名無しさん:02/02/16 16:06
729考える名無しさん:02/02/16 16:07
730考える名無しさん:02/02/16 16:07
731考える名無しさん:02/02/16 16:10
732考える名無しさん:02/02/16 16:10
733考える名無しさん:02/02/16 16:11
734考える名無しさん:02/02/16 16:11
735考える名無しさん:02/02/16 16:12
736考える名無しさん:02/02/16 16:13
737考える名無しさん:02/02/16 16:13
738考える名無しさん:02/02/16 16:14
739考える名無しさん:02/02/16 16:14
740考える名無しさん:02/02/16 16:16
741考える名無しさん:02/02/16 16:16
742考える名無しさん:02/02/16 16:17
743考える名無しさん:02/02/16 16:18
744考える名無しさん:02/02/16 16:18
745考える名無しさん:02/02/16 16:19
746考える名無しさん