アンチ・オイディプスを一文づつ読むスレ

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1考える名無しさん
第一章 欲望する諸機械
 第一節 欲望する生産
 [<それ>[エス]。機械の機械]
2一日一文:2001/04/23(月) 12:15
<それ> ca は作動している。
3考える名無しさん:2001/04/23(月) 13:09
市倉宏祐の翻訳ってどうよ?
ときには流れるように、ときには時々とまりながら、いたるところで<それ>は作動している。
5<それ>ってなんだろう・・・:2001/04/23(月) 13:37
<それ>は呼吸し、<それ>は熱を出し、<それ>は食べる。
<それ>は大便をし、<それ>は肉体関係を結ぶ。
7<それ>って言うのは人間?:2001/04/23(月) 13:41
にもかかわらず、これらをひとまとめに総称して<それ> le ca と読んでしまったことは、何たる誤りであることか。
いたるところで、これらは種々の諸機械 des machines なのである。
9え、隠喩じゃないの!:2001/04/23(月) 15:12
しかも、決して隠喩的に機械であるというのではない。
これらは、互いに連結し、接続して、[他の機械を動かし、他の機械に動かされる]機械の機械なのである。
11源泉はわかるが、器官って?:2001/04/23(月) 15:16
<源泉機械>には、<器官機械>がつながれている。
12器官機械=切断する機械?:2001/04/23(月) 15:18
一方の機械は流れを発する機械であるが、他方の機械は、この発せられた流れを切断する機械である。
乳房は母乳を生産する機械であり、口はこの機械に連結されている機械である。
14ええと:2001/04/23(月) 16:31
ここまでの文章の主語「それ」は、
機械論的唯物論の視点で見た人間のこと、
という解釈でいいんでしょうか?
15考える名無しさん:2001/04/23(月) 16:57
>>14
たぶんそうでしょう。分からんけど・・・(汗)
厨房ですみません。
16リアル工房:2001/04/23(月) 20:02
この一文節要はタイトルの『アンチ・オイディプス』をそのまま読めばいいんじゃないかと。
<それ>を無意識と呼んだフロイトに対する抵抗で新たな概念を提示してる?
ただ最後の一文節がよくわからない。フロイトは意識化のものを無意識と一まとめにしたが
ドゥルーズ&ガタリは全てを機械というメタファーで一まとめにしようとしている気がする。

ゴメン、マジ工房なんで必死に考えたけどこんなもんだ。
17器官なき身体:2001/04/23(月) 21:00
このスレ絶対凄いよ!!!!!!!!!!!!!

因みに、私は「アンチ・オイディプス」を、他者の自己同一性を
振動させる分裂者の言葉をタブー視してきた資本主義体制に対し、
真っ向から対抗する為のレトリックを、分裂者自身に供給
する為に創出された装置だと思います。
或いは、分裂への誘いだとも思います。

因みに、「器官機械」「機械」「ブラックホール」などの表現は
決してメタファーなんかではない。
分子生物学がここまで成果をあげている以上、有機的存在を指す
のに、「機械」という言葉を使うのに、何をためらう必要があるのか?

さらに言わせて頂けば、アンチオイディプスは感覚の論理だといわれて
いる。
概念の厳密性を重んじるあまり、陥穽に陥る危険性もあると思う。
数学的な厳密さに欠けるとの批判があるが、器官なき身体はそんな事を
意に介さない筈だ。

このスレ、超期待してますぅ。ガンガン行ってよ!
ではではではでは。
18話とぶけど:2001/04/23(月) 23:19
碁の「平滑」空間対将棋の「条理」空間。碁のノモス対将棋の国家、
ノモス対ポリス。…
『千のプラトー』p.409
馬鹿麦価(藁
20山形:2001/04/24(火) 00:19
>みに、「器官機械」「機械」「ブラックホール」などの表現は
>決してメタファーなんかではない。

メタファーって、たとえ話のことね。ブラックホールはたとえ話に決まってるでしょう。
そんなものがそこらに転がってちゃあぶなっかしくてしょうがない。ほかのも、どうだか。
21>20:2001/04/24(火) 01:17
とりあえずメタファーってことにしておかないと
今のところはまずいでしょう。
あくまで今のところってことで。
22考える名無しさん:2001/04/24(火) 01:31
>1
キミって他にネタないの? 自作自演だらけだし。
http://mentai.2ch.net/philo/kako/971/971631573.html
23器官なき身体:2001/04/24(火) 04:07
>20.21
おいおい、決してメタファーなんかではないって、ドゥルーズ自身が、
他著でも言ってんだからさ〜。
そのあたり曖昧にしちゃうとですね・・・・・・、ま、いいか別に。
もういいです!
プンプン!
>>781
激しく同意。
25考える名無しさん:2001/04/24(火) 05:09
>>20
ドゥルーズは哲学者、批評家というよりも、
古今亭志ん生みたいな人ですから
「そんなものがそこらじゅうに転がっているあぶなっかしくてしょうがない世界」
を記述している可能性が大です(笑)
26考える名無しさん:2001/04/24(火) 05:37
メタファーか否かというだけでもこれだけ意見が出るんだから、
一行づつ読む意味はありそうですね。
27再開っす:2001/04/24(火) 06:00
食指欠損症の口は、いくつかの機械を前にしてためらっている機械である。
28つうか:2001/04/24(火) 06:02
「ブラックホールがそこら中にある世界」だったら、
古今亭志ん生じゃなく石原藤夫でしょう。
29口が肛門になるかぁ?:2001/04/24(火) 06:04
すなわち、食べる機械であるのか、肛門機械であるのか、話す機械であるのか、呼吸する機械であるのか(この場合には喘息の発作が起る)を決めかねているのだ。
30やはり「ひと」か・・・:2001/04/24(火) 06:05
だから、ひとはすべて何でも器用にこなす存在なのである。
31皆さんご意見有難う。:2001/04/24(火) 06:06
各人はそれぞれ自分の小さい種々の機械を具えている。
<エネルギー機械>に対して、<器官機械>があることは、常に流れと切断とがあることである。
シュレーバー控訴院長は、尻の中に太陽光線を持っている。
これは、太陽肛門なのだ。
<それ>は作動するものですから、どうぞ御安心を。
シュレーバー控訴院長は何かを感じ、何かを生産し、そしてこの何かの理論を形成することができる。
何かが生産される。
この何かは機械が生み出した結果であって、単なる隠喩なのではないのである。
39:2001/04/24(火) 06:26
今朝はこれくらいにしといてやるか!
凄くおもしろかたです。
明日も期待してませ。
41シュレーバー控訴院長の肛門:2001/04/24(火) 07:13
( * )>>333333太陽光線ビビビビビビビビ333333333
42考える名無しさん:2001/04/24(火) 07:24
東クンはそれをすべて「綾波」と考える気がする。
43考える名無しさん:2001/04/24(火) 07:26
シュレーバー控訴院長って自分を女だと言い張った奴だよな。
控訴院長にとって、肛門=オ○ンコだったということが言いたいのか?
44考える名無しさん:2001/04/24(火) 07:32
人間はなんにだってなれる!
男にも女にもなれる!
肛門をマンコにもできるってか。
クソレス、スマソ。
45器官なき身体:2001/04/24(火) 12:35
現代のシュレーバー先生ならココにいるよ!↓
http://www2u.biglobe.ne.jp/~mcva-jp/j1_1.htm

電波系には、ガタリ的実験の可能性がおおいにあると思います。
D&Gと電波さんたちを情報空間でパサージュさせて、
誰か論文書いてくれません?
勿論、私はやりません。そんなにヒマじゃないから。

あ、ところで、シュレーバー症例に関する良い本あったら、
誰か教えてくれませんか?

46肛門太陽:2001/04/24(火) 12:46
しかし、『アンチ・オイディプス』の電波文体、
慣れたらきっと、はまるだろうな。
一時期、2chで「定説語」がミニブームになってたけど、
ああいう感覚で文体を真似したくなったんだろうね。
47すごいっすね。>>45:2001/04/24(火) 15:47
 分裂者の散歩
48でた分裂症患者。:2001/04/24(火) 15:49
 分裂症患者の散歩。
49何のモデルだろう?:2001/04/24(火) 15:50
この散歩は、精神分析家のソファの上に横たわる神経症患者よりも、ずっとよいモデルである。
50p.14:2001/04/24(火) 15:51
ここには、一陣の外気があり、外部とのつながりがある。
51注は無視します(汗):2001/04/24(火) 15:53
ブュヒナーによって再構成されているレンツの散歩がそうだ。
散歩の場合のレンツは、彼のよき司牧者の家にもどっている場合のレンツとは異なっている。
53・・・:2001/04/24(火) 15:59
この家にいるときには、このよき司牧者によって、レンツは、既成宗教の《神》に対する関係を、あるいは父や母に対する関係を学んで、自分を社会の中に位置付けることを強制されている。
54・・・:2001/04/24(火) 15:59
ところが、散歩においてはそうではない。
レンツは、[既成宗教の《神》ではない]他の神々とともに、雪にまみれて山の中にいる。
あるいは、まったく神もなく、家庭もなく、父も母もなく、ただ自然とともに過ごす。
「私の父は何を欲しているのか。かれは、何かをもっと私に与えることができるのか。できはしない。私をそっとしておいて欲しい。」
58・・・:2001/04/24(火) 16:08
一切は機械をなしている。
59・・・:2001/04/24(火) 16:09
天の星々や空の虹。
60・・・:2001/04/24(火) 16:09
天空諸機械。
6159と60は逆でした(汗):2001/04/24(火) 16:11
アルプス諸機械。
62でた連結。:2001/04/24(火) 16:13
これらの機械は、レンツの身体のさまざまの機械と連結している。
63・・・:2001/04/24(火) 16:13
「かれはこう考えていたのだ。
64・・・:2001/04/24(火) 16:16
 あらゆる形態の生命と深くふれあうこと、石や金属や水や草木と交流する心をもつこと、また、ちょうど花々が月の満ち欠けに応じて大気を吸い込むのと同じように、夢の中にでもいるかのように自然の一切の要素を自分の中に迎えいれること。
65・・・:2001/04/24(火) 16:17
 こうしたことは全て限りない至福の感情であるに違いない、と。」
66体言止め・・・:2001/04/24(火) 16:20
[無機の世界と有機の世界とを結ぶ]葉緑素機械すなわち光合成機械であること、少くとも、このような機械の中に自分の身体をひとつの部品として滑り込ませること。
67分裂症患者の世界観?:2001/04/24(火) 16:22
レンツは、人間と自然とが二元的に区別される以前に、あるいはこの区別を条件とし根拠とする一切の座標軸の以前に身をおいたのだ。
68・・・:2001/04/24(火) 16:24
かれは自然を自然としてではなくて、生産の過程として生きる。
69・・・:2001/04/24(火) 16:25
もはや、ここには人間もなければ、自然もない。
あるのは、ただひたすら人間《あるいは自然》の中に自然《あるいは人間》を生産する過程、つまり種々の機械を相互に連結する過程だけである。
いたるところに、生産する諸機械が存在するのである。
すなわち欲望する諸機械が、分裂症的諸機械が、つまり類的生命そのものが存在するのである。
私と私でないもの、外なるものと内なるものとの区別は、もはやここでは何の意味をももたないのだ。
74あのお:2001/04/25(水) 00:30
レンツって誰なの?
75器官なき身体:2001/04/25(水) 00:32
因みに、その先のアネクトードで、分裂者を、ピクニックに連れ出すってのがあり
ますけど、その部分の「地獄の爆弾」って表現はかなり好き。
いま流行りの「糞カウンセリング」「糞癒し」等の、日経連、臨時教育審議会絡み
の陳腐な珍理学を、D&Gは既に70年代において跡形も無いほどに爆破してしまっ
ていたわけですね。
キャハハッハハッハハッハハハハハッ八ハハハハッハアハハハハハハハハ!!!!!
76考える名無しさん:2001/04/25(水) 00:33
ロマン派の詩人
77考える名無しさん:2001/04/25(水) 01:10
75は何故喜んでいるの?
781:2001/04/25(水) 06:47
巻末の人名索引に詳しい説明がありました。なんて親切なんだ。

・シュレーバー D.P. Schreber (1842-1911) その『回想録』をフロイトが精神分析的に考察して「シュレーバー症例」を報告。
・ビューヒナー G. Buchner (1813-37) ドイツの詩人・小説家。『レンツ』は同名の実在の人物を題材にした彼の作品。
・レンツ J.Lenz (1751-92) ドイツの詩人・劇作家。ビュヒナーの同名の作品の主人公。

っつーか、レンツって分裂病患者なのかと思ってました(恥)
79朝の読書:2001/04/25(水) 06:49
ベケットの作品の人物たちが思い切って外に出ることを決心する場合に即して、分裂者の散歩の続きを見てみることにしよう。
80振る舞いが機械をなしている:2001/04/25(水) 06:51
まず、彼らの種々の振る舞いが、それ自身において綿密な機械をなしているかのようにみなすことが必要である。
そして次には、ベケットの作品における自転車の役割を見ることとが必要である。
<自転車−笛>機械は、<母−肛門>機械といかなる関係にあるのか。
83ベッケットの引用か?:2001/04/25(水) 06:57
「自転車と笛とについて語ることは、何たる安らぎであることか。
84・・・:2001/04/25(水) 06:58
 不幸にも、私が語らなければならないのは、このことについてではない。
85・・・:2001/04/25(水) 06:59
そうではなくて、あの女性についてなのである。
 つまり、私の記憶が正しければ、自分の尻の穴から私を世に送って私に日の眼を見させてくれた、あの女性についてなのだ。』
87でたオイディプス。:2001/04/25(水) 07:02
しばしば、オイディプスは簡単なものであり、はっきりと与えられているものと思われている。
88・・・:2001/04/25(水) 07:03
しかし、ほんとうはそうではない。
オイディプスは、欲望する諸機械のとてつもない[意識的社会的]抑制を前提として成立しているのだ。
90・・・:2001/04/25(水) 07:05
では、これらの欲望する諸機械は、何故、またいかなる目的で抑制されるのか。
91・・・:2001/04/25(水) 07:07
こうした抑制に従うことは、ほんとうに必要なことであるのか、あるいは望ましいことであるのか。
92・・・:2001/04/25(水) 07:07
また、何を用いて抑制するのか。
93・・・:2001/04/25(水) 07:08
オイディプス三角形の中には、何をもちこむべきであるのか。
94・・・:2001/04/25(水) 07:09
何によって、この三角形を形成すればよいのか。
95・・・:2001/04/25(水) 07:09
自転車の笛と私の母の尻とがあれば、それで十分であるのか。
96・・・:2001/04/25(水) 07:10
しかし、こうしたことよりもっと重要な問題は存在しないのか。
ある効果が生じているとしても、いかなる機械がまさしくこうした効果を生み出す能力をもっているのか。
98・・・:2001/04/25(水) 07:14
また、ある機械が与えられているとしても、この機械はいかなることに役立ちうるものであるのか。
99・・・:2001/04/25(水) 07:15
たとえば、食卓用のナイフ置きの整然とした使用説明書を読んだだけで、その使い方を推測してごらんなさい。
100・・・:2001/04/25(水) 07:17
[果して正確に推測できるであろうか]。
101・・・:2001/04/25(水) 07:18
それとも、別の例をあげれば、次のような完全な機械を前にした場合はどうであろうか。
この機械は、私のマントの右ポケット(石を供給するポケット)の六個の小石と、私のズボンの右ポケットの五個の小石(ズボンのポケットは、小石が通過するポケットである)とからなり、マントの残りのポケットは、ポケットからポケットへと次々と小石が進んでゆくのに従って、すでに使用済みの小石を受けとる役割を果たすものとしよう。
103・・・意味不明!:2001/04/25(水) 07:24
この小石の配給回路には、私自身の口そのものがまた小石をしゃぶる機械として組み込まれているのであるが、この場合、この小石の配給回路の効果はいかなるものとなるのか。
104官能・・・:2001/04/25(水) 07:24
この回路においては、官能の享楽はどこに生み出されることになるのか。
105・・・:2001/04/25(水) 07:26
『マローヌ死す』の最後において、ペダル夫人は分裂症患者を戸外に連れ出し、腰掛付きの馬車やボートにのせたり、自然の中へピクニックに連れて行ったりしている。
106・・・:2001/04/25(水) 07:27
ここでは地獄の機械[仕掛け爆弾]が用意されつつあるのだ。
107・・・今朝はここまで。:2001/04/25(水) 07:29

  皮膚の下では、体が加熱した工場となっている。
  そして、外側では、
  病人は輝いている。
  きらめいている。
  かれのすべての毛穴が
  はっきりと開いたままになっている。
108考える名無しさん:2001/04/25(水) 18:36
ちっちっちっ、分裂症は自然主義の極点なんかじゃないの。

なちゅらりすとってなんすかーせんせー?
109器官なき身体:2001/04/25(水) 19:38
「分裂者は資本主義の衝動そのもの」らしい。
資本主義を、欲望で乗り越えようとする。
110無能ですいません。:2001/04/25(水) 20:26
>>108
え、自然主義ってなんですか?唯物論のこと?
ドゥルーズは唯物論的な視点で分裂症を見てるとは思うけど、
分裂症者自身が唯物論者とはいってないんじゃ・・・。

>>109
分裂症は資本主義が生み出したっていうことですよね。
この部分では、「どうして分裂症が生まれたのか」っていうのを、
欲望する諸機械というのを使って説明しようとしている、という理解でいいんでしょうか?
111再開ッス。:2001/04/25(水) 20:26
ベケット S.Beckett (1906- ) アイルランド生まれの小説家・劇作家。『マーフィ』、『モロイ』、『マローヌ死す』などは彼の作品。
112再開ッス。:2001/04/25(水) 20:27
 自然と産業。<過程>
 われわれは、分裂症を自然主義的なひとつの極点に固定しようとしているのではない。
分裂症患者が典型的に類的に生きているものは、自然の特定のある極点なのではまったくない。
115・・・:2001/04/25(水) 20:33
そうではなくて、それは、生産の過程としての自然なのである。
116・・・:2001/04/25(水) 20:34
では、ここでいう<過程>とはいかなる意味であるのか。
117区別…ふつうそうですね。:2001/04/25(水) 20:35
恐らく、ある次元においては、自然と産業とははっきりと区別される。
118・・・:2001/04/25(水) 20:36
すなわち、ある観点からいえば、産業は自然に対立している。
119・・・:2001/04/25(水) 20:38
ところが他の観点からいえば、産業は自然からその原料をひきだし、また別の観点からいえば、産業は廃棄物を自然にかえしている、等々。
ところがこんどは、<自然-人間>、<自然-産業>、<自然-社会>の三者を区別する関係が考えられるが、この関係は、社会の中で「生産」「分配」「消費」と呼ばれる相対的に自律した三領域を区別する条件とさえなっている。
しかし、一般にこうした次元の区別は、発展した形態構造の中に認められるが、(マルクスが指摘したように)それはたんに資本の存在と分業過程とを前提としているだけではない。
資本家であることがもたらす次のような誤った意識をも前提としているのだ。
123・・・:2001/04/25(水) 20:53
すなわち、資本家であることは、必ず全体の進行の中で資本家自身やまたこの進行の諸境域をそれぞれ独立に凝固固定しているものとして誤って意識することであるからである。
この意識が誤っているのは、実際には―――錯乱[妄想]の中に宿るまばゆくも暗い真実が示しているように―――、相対的に独立した領域や回路といったものは存在しないからである。
生産はただちに消費であり、登録である。
126・・・:2001/04/25(水) 20:59
登録と消費は直接に生産を規定しているが、しかもそれはまったく生産そのもののただなかにおいてである。
127・・・:2001/04/25(水) 21:00
だから、一切は生産なのだ。
128・・・:2001/04/25(水) 21:02
ここに存在するのは、生産の生産《能動と受動との生産》であり、登録の生産《分配と配置の生産》であり、消費の生産《享楽と不安と苦悩との生産》なのである。
129注つけました:2001/04/25(水) 21:16
一切はまさしく生産であるから、登録はただちに消費され消尽されて、この消費は直接に再生産される。

(注3) http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=985019469&st=3&to=3&nofirst=true
130静態論の批判?:2001/04/25(水) 21:19
<過程>というものがもっている第一の意味は、こうしたものである。
131全部生産ですか…:2001/04/25(水) 21:20
すなわち、登録と消費とを生産そのものの中に組み込むこと、登録と消費をも同じひとつの進行の中の生産と見なすことである。
1321:2001/04/25(水) 21:23
・・・難しくなってきた。今日はここまでッス。
1331:2001/04/25(水) 21:41
しかし、消費と分配と生産の区別をつけない経済学ってのが、あったら面白いかもね・・・。
そのばあい、分析単位は欲望ということになるんでしょうか・・・?
134考える名無しさん:2001/04/25(水) 22:20
このペースだと、1年2ヵ月ほどで読了できます。
かんばれ!
135考える名無しさん:2001/04/26(木) 01:11
俺って資本主義バリバリだけど分裂症なの?
136考える名無しさん:2001/04/26(木) 01:54
>>135
だって70年ぐらい前に資本主義は消えたぜ、アメリカでも
日本でも。

皮肉なことに共産圏の闇市場だけで資本主義は生き残った
137考える名無しさん:2001/04/26(木) 02:43
それはないだろ。
138器官なき身体:2001/04/26(木) 05:33
>110
何故分裂者が生まれたのか?って事でも良いし、
ただ単に「言い当てようとしている。」って事でも良いだろうし、
なんだって良いんじゃないですかね。
私の意見を言わせていただくと、スキゾはエキスパートだと思います。

>133
ドゥルーズ自身、もはや経済学とリビドー経済があるのではなく、
リビドー経済しか存在しないとか、言っちゃってます。
全ては生産です。消費も生産です。分配、再配置も生産です。
そして、この本自体の視点がスキゾです。

私はドキューソなので、この本の読解には10年くらい掛かると思います。
ただスラスラ読むだけなら、3日で出来ます。

それにしても、>1氏、暇な方ですね〜。
全部ココで読み終えられる事を望みます。
ヘーゲルもヤバイが、G&Dにもかなりイカレちゃいます〜。
1391:2001/04/26(木) 08:11
>>135
資本主義バリバリってだけでは、どちらともいえないのでは・・・
やっぱりオイディプスを乗り越えているかどうか、が分かれ目ということになるのかな?
>>136-137
ここでいう資本主義って、マルクス的な資本の蓄積運動が高度におこってる社会だとおもうんで。
闇市場なんかのは、単なる交換経済・・・かな?
>>138
エキスパート・・・おれもエキスパートになりたいッス。
三日で・・・すごい。
おれは読みたいと思っていつも途中で挫折してきたので・・・頑張ります!
哲学科ではないけど、経済学部の学生なんで暇だけが取り柄です。
140再開ッス:2001/04/26(木) 08:12
第二に、この<過程>においては、<自然−人間>の区別も存在しない。
141自然の人間的本質・・・?:2001/04/26(木) 08:14
すなわち、生産としてのあるいは産業としての自然においては、人間の類的生命における場合と同じく、自然の人間的本質と人間の自然的本質とは一体をなしている。
142・・・:2001/04/26(木) 08:15
この場合、産業はもはや有用性という外面的な観点からは把握されない。
143・・・:2001/04/26(木) 08:16
そうではなくて、産業は、自然と根本的に一体をなしているという観点から把握される。
144・・・:2001/04/26(木) 08:22
自然は、人間を生産するとともに、人間によって生産されるからである。

(注4) http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=985019469&st=4&to=4&nofirst=true
145・・・:2001/04/26(木) 08:25
ここでは、人間は万物の王者としての人間ではない。
146・・・:2001/04/26(木) 08:28
むしろ、あらゆる形態あらゆる種類の生命と深くつながり、星辰や動物とさえかかわるものとしての人間であり、<器官機械>を<エネルギー機械>につなぐことをやめないものとしての人間である。
人間は、樹木を自分の身体に、母乳を口に、太陽を尻につなぐことをやめはしない。
148・・・:2001/04/26(木) 08:31
人間は宇宙のさまざまの機械を担当する永遠の係員なのである。
これが<過程>というものがもっている第二の意味である。
150考える名無しさん:2001/04/26(木) 12:45
オイディプスを乗り越えてると分裂症なの?教えて1!
1511:2001/04/26(木) 22:05
>>150
すみません。調子に乗って適当なことを書いてしまいました。
資本主義とオイディプスと分裂症、この3者の関係が
まだよく分からないんで、なんともいえませんです。

ただ、資本主義のもとで同じように生活していても、
分裂症になる人とならない人がいて、その境目にオイディプスが関係していると
いいたいんじゃないかと思います。>>87-107の辺りで・・・。
152再開ッス。:2001/04/26(木) 22:06
自然と人間とは、相互に相対する二項のようなものではない。
153・・・:2001/04/26(木) 22:11
だから、因果や理解や表現などといった関係(<原因−結果><主観−客観>等々の関係)においては、捉えられないものである。
154・・・:2001/04/26(木) 22:13
むしろ自然と人間とは、唯一の同じひとつの本質的な実在であり、ここでは生産するものとされるものとが一体をなしているのだ。
155観念的な範疇をはみだす?:2001/04/26(木) 22:17
<過程>としての生産は、 一切の観念的な範疇をはみだすものであり、欲望を内在的原理としてひとつのサイクルを形成している。
したがって、欲望する生産は唯物論的〔質料論的〕精神医学の現実の範疇であり、この精神医学は分裂者を《自然人》 Homo natura として定立し、またそうしたものとして取扱うことになる。
ところが、このことはあるひとつの条件の下において成立することであり、この条件が<過程>の第三の意味を構成することになる。
つまり、<過程>というものは、目標や目的であると考えられてはならない。
159・・・わからん。:2001/04/26(木) 22:28
また<過程>は、<過程>自身を無限に継続することと混同されてもならない。
160人工的な分裂症患者って。:2001/04/26(木) 22:31
<過程>に目的をおいたり、あるいは<過程>を無限に継続するということは、厳密にいえば、その<過程>を早まって突然に停止してしまうことと同じことであり、それは、精神病院の中にみられるあの人工的な分裂症患者をつくりだす操作にほかならないのである。
この人工的な分裂症患者とは、自閉的な行動をおしつけられてボロボロになり、分裂症の臨床実体として生みだされたひとのことなのである。
ロレンスは愛についてこう語っている。
163・・・:2001/04/26(木) 22:36
「われわれは、ひとつの過程をもって目標としてしまったのだ。
いかなる過程であれ、過程の目的はその過程の無限の継続ではなくて、その過程そのものの完成である……。
過程が向かうべきはそれ自身の完成であって、何かしら恐ろしい増大する強度とか、何かしら恐ろしい極地などといったものなのではない。
こうした極地に至れば、心も体もなくなってしまうことになるからである。」
167・・・:2001/04/26(木) 22:49
分裂症においても、事態は愛と同じである。
分裂症的な特性とか、その臨床実体とかいったものは、何ら存在しないのである。
分裂症とは、生産し再生産する欲望する諸機械の宇宙であり、「人間と自然との本質をなす実在」としての生産の働き《普遍的根源的なる生産の働き》である。
1701:2001/04/26(木) 23:08
分裂症って自然主義者(というか自然状態の人)とどう違うのか分かんなくなってきました。
たとえば、犬とか猫とかは、ここで描かれているような世界を普通に生きているような気がするッス。犬に聞いたわけではないが(汗
あ〜わからん。悩む。
・・・病院で作られる分裂病と、そうでない分裂病があるってところに何か秘密があるかも・・・
171人名:2001/04/26(木) 23:09
ロレンス D.H. Lawrence (1885-1930) イギリスの詩人・小説家。
172器官なき身体:2001/04/27(金) 03:58
オイディプス、忘れた頃にオイディプス。
ルサンチマンを克服しきれていない憎悪の反逆は、
より強大なオイディプス機械にとり込まれちゃうのれ〜す。
173あほ:2001/04/27(金) 04:44
私は本物の分裂病なんですけど。
この前告知されました。
あんたら、ホントに分裂病の何たるかを知っているの?
概念だけじゃないのお?
分裂病がどんな病気か知ってる人おせーて。
私自身よくわからんのよねぇ。
174あほ:2001/04/27(金) 04:49
ちなみに、私は、社会学と哲学っぽいことやってて、
分裂病になったわさ。
1751:2001/04/27(金) 08:41
>>173
すいません、実は概念的なこともよく知らなかったりして・・・。
あほさんは、別のスレッドを作ってらっしゃいますので、
そこでいろいろ質問させて下さい。よろしくお願いします。
176p.17の下段です。:2001/04/27(金) 08:43
 欲望する機械。部分対象と流れ。<これと、あれと> et ... et ...
177つながり体制:2001/04/27(金) 08:45
欲望する諸機械は二項機械であり、二項規則《つまり、つながり体制》の下にある機械である。
178つねに連結:2001/04/27(金) 08:45
ひとつの機械は常に他の機械と連結している。
179・・・:2001/04/27(金) 08:48
生産的綜合《すなわち、生産の生産》は、「これと」 et 「これの次にあれ」 et puis... という接続的な形態をもって作動する。
180・・・:2001/04/27(金) 08:51
ということは、ここには常に流れを生産する機械<と> et 、この機械に接続されてこの流れを切断し採取する働きをするもうひとつの機械<と> et が存在するということである。
181・・・:2001/04/27(金) 08:52
(<母乳−口>といった関係がそうである)。
そしてまた、今度は逆に、始めの機械がもうひとつの別の機械の方に接続され、この機械に対して始めの機械が切断あるいは採取の行動をとることになる。
したがって、二項系列はあらゆる方向に単系的線型状に〔多岐的でなく〕のびてゆくことになる。
<連続する流れ>と<本質的に断片的なまた断片化した部分対象>との間に、欲望はたえず連結を実現し続けることになる。
欲望は流れを起こして、みずから流れ、そしてみずから切断するのだ。
186・・・:2001/04/27(金) 09:08
「私は一切の流れるものを愛する。
187・・・:2001/04/27(金) 09:09
 あの月経の流れさえも。
188・・・:2001/04/27(金) 09:09
 受精しなかった卵をはこぶあの月経の流れさえも……。」
189・・・:2001/04/27(金) 09:14
ミラーはかれの欲望の歌においてこう歌っている。

(注6) http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=985019469&st=5&to=5&nofirst=true
190・・・:2001/04/27(金) 09:15
羊水をたたえた胎胞と腎臓の結石。
191・・・:2001/04/27(金) 09:17
髪の毛の流れ、涎の流れ、精子、糞、小便の流れ。
これらの流れはもろもろの部分対象によって生産され、またたえず他の諸々の部分対象によって切断される。
193・・・:2001/04/27(金) 09:24
ところが、今度はこれらのほかの部分対象が他のさまざまの流れを生産し、これらのほかの流れはまた別のほかのさまざまの部分対象によって再び切断されるのだ。
194・・・:2001/04/27(金) 09:25
およそ「対象」はいtずれも、流れが連続していることを前提とし、およそ流れはいずれも、対象が断片化していることを前提としている。
195おもろい。:2001/04/27(金) 09:28
恐らく、それぞれの<器官機械>は、自分自身の流れに従って、つまり自分自身から流れ出るエネルギーに従って、世界全体を解釈するのだ。
196・・・:2001/04/27(金) 09:31
眼は一切のことを――語ることも、聞くことも、大便することも、肉体関係を結ぶことも……――視覚の言葉で解釈するのだ。
197横断線?:2001/04/27(金) 09:32
しかし、他の機械との間には、接続の関係が横断線によって常に設定されている。
198今日はこれまで・・・:2001/04/27(金) 09:34
この横断線を通じて、ひとつの機械は他の機械の流れを切断するか、あるいは自分の流れが他の機械によって切断されるのを「見る」かするのである。
199器官なき身体:2001/04/27(金) 12:37
>分裂病がどんな病気か知ってる人おせーて。
>私自身よくわからんのよねぇ

私も分裂ちょい電波です。
ズバリ、分裂症の概念などありますぇん。
そもそもあのように多様(多忙)で、横断しまくりな代物に、
厳密な定義など出来るわけないと思います。
私は、ドゥボールがきっかけでした。
ドゥボールの理解と、狂った労働が、私自身を
オルゴン集積器にしてしまったのです。
分裂者にとっての現実そのものは、客観的世界に対して我々が抱いている
共通の普遍的な信頼を、変質させてしまう。
そしてそれは、必然的に即物的な帰結を生みだす。

かつてヴィトゲンシュタインは、「哲学は精神の病」といった。たぶん。

「分裂者の散歩」。素晴らしい。

200再開ッス:2001/04/27(金) 20:30
第一の綜合。接続的綜合あるいは生産の生産
201・・・:2001/04/27(金) 20:34
それゆえ、<流れ−部分対象>の関係において成立する接続的綜合の連結の形態は、また<生産する働き−生産されるもの>という関係でも表わせる別の形態をももつことになる。
202・・・:2001/04/27(金) 20:36
生産する働きは、常に生産されるものに接木されている。
だから、ちょうど、 一切の機械が機械の機械〔他の機械に接続されて他の機械を動かすとともに、また他の機械によって動かされる機械〕であるように、欲望する生産は生産の生産〔他の生産に接続されて、他の生産を生みだすとともに、他の生産によって生みだされる生産〕である。
こうした生産の現象は、表現などという観念論的範疇によっては満足には把握されえない。
205・・・:2001/04/27(金) 20:47
分裂症患者の作品を生産の<過程>に関係づけることなしに、この作品を語ろうとすることはできないし、またそうしてはならないであろう。
『なまの原芸術ノート』はこのことの生きた証拠であり、(そしてまた同時に、分裂症患者の臨床実体などといったものが存在することを否定している)。
207:2001/04/27(金) 21:02
うーん、短いけど今日はこれまでッス。
次の文からなが−い引用が出てくるからこれは明日の朝に読もう。
208再開ッス:2001/04/28(土) 07:00
あるいは、別の例をあげれば、アンリ・ミショーは、欲望の進行にほかならない生産の進行に合わせて形成された机《分裂症患者の机》のことを書いている。
209・・・:2001/04/28(土) 07:01
「ひとたび注目されるや否や、この机はずっとひとの心を引きつけ続けてきた。
210・・・:2001/04/28(土) 07:02
何か分らない仕事であるが、この机は恐らくずっとそれ自身の仕事を果し続けてさえきたのだ……。
211単純でも複雑でもない・・・:2001/04/28(土) 07:03
驚くべきことは、この机が単純でもなく、またじっさいに複雑でもなかったということである。
212・・・:2001/04/28(土) 07:04
つまり、始めから複雑であったのでもなければ、意図的に複雑にされたものでもない。
213・・・:2001/04/28(土) 07:05
あるいは、複雑なプランによって作られて複雑になったのでもない。
214・・・:2001/04/28(土) 07:06
むしろ、この机が手を加えられてゆく過程に応じて、単純でなくなってきたのだ……。
215付加物:2001/04/28(土) 07:07
この机はそれ自身が、いくつもの付加物をもった机であった。
216・・・:2001/04/28(土) 07:08
ちょうど、分裂症患者のデッサンが総じてその相当数がいわゆる積めこんで描かれたものであったことに似ている。
217・・・:2001/04/28(土) 07:11
この机が完成することになるのは、この机に何かを付け加えるてだてがなくなった限りにおいてである。
218・・・:2001/04/28(土) 07:12
この机はだんだんといろいろのものが付け加えられ積み重ねられて、それはますます机でないものになっていった……。
219・・・:2001/04/28(土) 07:14
この机は、机として用いるには、また机として期待するには、全く適さないものとなっていった。
220・・・:2001/04/28(土) 07:15
それは、重くてかさばったものとして、ほとんど運び難いものとなっていった。
221・・・:2001/04/28(土) 07:17
この机をどう扱ったらいいのか、誰もが分らなくなっていった(考えも及ばず、手をつけることも不可能となっていった)。
222・・・:2001/04/28(土) 07:19
机の上面、 つまり普段使う部分は、かさばった余計な構造とはだんだん関係がなくなり、その全体はもはやひとつの机とは考えられないものとなっていった。
223・・・:2001/04/28(土) 07:21
むしろ、その全体は、ひとつの特別な家具《あるいは、何の為のものであるのか、分らなくなった忘れられた道具》としてみられることとなり、この机の有用な部分は、次第に減少し消滅していった。
224・・・:2001/04/28(土) 07:22
これは人間世界の外にでた机である。
225・・・:2001/04/28(土) 07:23
この机は気楽な心安さとは無縁なるものとなり、ブルジョワ風のものでも、素朴なものでも、田園風のものでも、料理のためのものでも、作業のためのものでもなくなった。
226・・・:2001/04/28(土) 07:24
それは何ものにも役に立たないものとなった。
227コミュニケーションの拒否:2001/04/28(土) 07:25
それ自身は、どんな形にしろ、サーヴィスやコミュニケイションを提供することを頑なに拒否するものとなっていった。
228・・・:2001/04/28(土) 07:26
この机には、何か心をうちのめし、身をすくませるものがある。
恐らく、そこにはとまったモーターを思わせるものがあったのかもしれない。」
2301:2001/04/28(土) 07:38
>>208-229 長い引用だったけど、なかなか面白かったです。
生産の進行に応じて有用性を失っていく「机」。
人間世界の内部で「机」の役割を果たすには、
生産の進行を抑制する働きが必要だと思います。
というか、資本主義には、有用性のために、
生産の過程に目標や目的を定めたりする抑制の機能があるということでしょうか…。

この分裂症の机と有用性との関係を、そのまま欲望とエディプスの関係に当てはめていいでしょうか?
そうであれば、この部分は結構単純でわかりやすいことを言ってるような気がしました。

ミショー H.Michaux (1899- ) ベルギー生まれのフランスの詩人。
2311:2001/04/28(土) 07:50
>>199
器官なき身体さん、ドゥボールって誰なんですか?
よければ教えてください。すみません。

分裂症ってちょっとだけ調べたけど、症状もさまざまで何が原因かもわかってないみたいですね・・・。
精神のいろんな機能が互いに連携を保てなくなって(分裂して)、社会とのコミュニケーションがうまく取れなくなるとか。
ある物事を激しく好きでかつ憎むというアンヴィバレンツな感情をもったりするというのも聞きました。
232器官なき身体:2001/04/28(土) 09:09
ギー・ドゥボール。代表作「スペクタクルの社会」。
この本は1968年5月パリ蜂起を予言した書とされてます。
本人は、1957年、「シチュアシオニスト・インタナショナル」を設立。
5月パリ蜂起にも、実践的に深く関与。
去年は、これまた本人著の「スペクタクルの社会についての注解」の
邦訳が出版されて話題になりました。
情報資本主義批判、メディア批判理論のなかでも両書はピカイチです。たぶん。
しかし、「スペクタクルの社会」、それほど長い論ではないのですが、
「アンチ・オイディプス」とタメ張るくらい難解な代物です。
2331:2001/04/29(日) 10:22
>>232
レス、ありがとうございます。活動家の人なんでしょうか。
「アンチ・オイディプス」ぐらい難解とは・・・当分読めなそうですね〜。
234昨晩はサボってしまった!:2001/04/29(日) 10:23
分裂症患者は普遍的なる生産者である。
ここには、生産の働きとその生産物とを区別する根拠は存在しない。
236・・・:2001/04/29(日) 10:29
少くとも生産されたものは、自分自身の存在するその場所を新しい生産の働きの中に運び込むのである。
237・・・:2001/04/29(日) 10:34
机はその「自分自身の仕事」をなし続ける。
238構造枠組みによって?:2001/04/29(日) 10:36
机の上面は机の構造枠組によって喰われてしまう。
机が末完であることは、生産する働きの至上の命令なのだ。
レヴィ=ストロースが器用仕事を規定するとき、かれは物の種々の特性がひとつのセットをなして密接に結びつけられている仕事としてそれを説明している。
241ブリコラージュ:2001/04/29(日) 10:45
すなわち、多様でチグハグではあるが、それでもやはり限られた資材やコードを具えているものとしてそれを説明している。
242・・・:2001/04/29(日) 10:49
器用仕事とは、断片的なガラクタを随時に新しい異なったパターンに配列しなおす能力のことである。
243・・・:2001/04/29(日) 10:50
ここから、生産する働きと生産されるものLが、また用いらるべき道具の全体と仕上げられる仕事の全体とが、全く区別されないことになる。
244・・・:2001/04/29(日) 10:52
器用仕事で何かに電流を引いてきたり、また水路のむきをかえたりするときにひとが感ずる満足は、「パパーママ」遊びや、タブーを犯す楽しみなどによっては、決してうまくは説明されないであろう。
245・・・:2001/04/29(日) 10:59
たえず生産の働きを生産し、この生産の働きを生産されるものに接木してゆくといったきまりこそ、欲望する諸機械、すなわち生産の生産という根源的な生産の特質なのである。
246・・・:2001/04/29(日) 11:01
『機械と少年』 Boy with Machine というリチャード・リンドナーの絵は、ずんぐり太った少年が、自分の小さい欲望する諸機械のひとつを大きな技術的社会的機械に接木してから、これを作動させている姿をえがいている。
247・・・:2001/04/29(日) 11:02
(じじつ、このことは、後にふれることになるが、まことに既にこどもが文字通り行っていることなのである)。
248今日はここまで・・・:2001/04/29(日) 11:11
レヴィ=ストロース C.Levi-Strauss (1908- ) フランスの文化人類学者。構造主義を唱える。
リンドナー R.Lindner (1901- ) ドイツ生まれのアメリカの画家。
249考える名無しさん:2001/05/01(火) 04:40
そんなモン読む前に
まず「知の欺瞞」読めよ(藁
250考える名無しさん:2001/05/09(水) 02:07
251考える名無しさん:2001/05/09(水) 02:28
雑談スレでハイデガー読んでたら怒られちゃいました。
ここのひとは飽きちゃったのかな?
5月病?
252考える名無しさん:2001/05/09(水) 02:59
「知の欺瞞」読んでるんじゃない?
253考える名無しさん:2001/05/10(木) 20:39
続けようYO!
254こっそり再開:2001/05/12(土) 20:33
器官なき身体の生産
<生産する働き>、<生産されるもの>、<生産する働きと生産されるものとの一体化>……。
この第三の一体化がまさに、単系的線型状系列の中に第三項を構成することになる。
257・・・:2001/05/12(土) 20:40
この第三項は、未分化の巨大対象である。
258・・・:2001/05/12(土) 20:42
ここでは、 一切は一瞬に停止し、 一切はその場に凝固する。
(そして次に、 一切の過程がまた再び始まることになるのだ)。
ある意味では、何ものも動かず、何ものも作動しない方がいいのかもしれない。
261第三項=輪廻の外?:2001/05/12(土) 20:47
生まれてこなかったならば、母乳を吸う口も、大便をする肛門ももつことなく、生死の輪廻の外にでることになるわけだ。
262・・・:2001/05/12(土) 20:51
しかし、機械自身が無に帰し、われわれもが無に帰するまでに、機械そのものが調子を狂わせ、機械の部品が噛み合わなくなるような事態は起るのであろうか。
263・・・:2001/05/12(土) 20:51
ひとはこういうかもしれない。
エネルギーの種々の流れはなおきわめて密接に結びついているはずだし、さまざまの部分対象も依然として十分に有機的な関係をもっているはずだ、と。
ところが、じつは、ひとつの純粋なる流体が、切断されることもなく自由な状態にあって、ひとつの充実身体の上を流れ滑っているのである。
種々の欲望する諸機械は、われわれの有機体を形成するものであるが、ところが、この形成生産する働きの只中において《この有機体が生産されてゆく働きそのものの中において、といってもいい》、身体自身は、有機体の形態に有機化されることに苦痛を感ずるのである。
267おもしろい。:2001/05/12(土) 21:03
つまり、別の形の組織化なら、あるいは全く組織化されないことなら何でもないが、まさに有機体の形態に有機化されることには苦痛を感ずるのだ。
こうして、進行の只中に第三の時点として「不可解な、金縛りにあったような全く端的な運行の停止」が到来することになるのである。
269考える名無しさん:2001/05/13(日) 00:59
age
270再開ッス:2001/05/13(日) 09:50
そこには、「口もない。舌もない。歯もない。喉もない。食道もない。胃もない。腹もない。肛門もないのだ。」
271諸機械の運動が停止する。:2001/05/13(日) 09:52
種々の自動機械装置は一瞬にして停止し、それは非有機体的な塊りを出現させることになる。この塊りは、それまではこれらの自動機械装置が分節し作動させていたものにはかならない。
272充実・・・って?:2001/05/13(日) 09:56
この器官なき充実身体は、非生産的なるもの、不毛なるもの、発生してきたものではなくて始めからあったもの、消費しえないものなのである。
アントナン・アルトーは、自分がいかなる形態〔手にふれられるような形や体〕をとることもなく、またいかなる形象〔眼に見えるような姿や形〕をなすこともなしに存在していたその時に、この器官なき身体を発見したのだ。
274タナトス・・・なのかな?:2001/05/13(日) 10:04
死の本能、これがこの身体の名前である。
275・・・:2001/05/13(日) 10:05
この死には、モデルがないわけではない。
276・・・:2001/05/13(日) 10:06
じじつ、死の充実身体は、みずからは動かずして欲望を動かす<不動の動者>であり、このために欲望はこのことをも《つまり、死をも》また欲望することになるわけなのである。
277・・・:2001/05/13(日) 10:09
こうしたことは、ちょうど、生のもろもろの器官が作動する機械 working machine であり、このために欲望が生を欲望することになる事態に対応している。
278・・・:2001/05/13(日) 10:11
では、こうした相反する方向をもちながら、いかにして全体がうまく調和して進行するのか、といった問題はいまは問わないことにしておこう。
こうした問題の提起の仕方自体が、抽象の産物なのである。
欲望する諸機械は、たえず自分の調子を狂わせながら、変調の状態においてしか作動しないものなのである。
281ちょいと邪魔してゴメンよ:2001/05/14(月) 09:49
某スレで態々TEXT化されてたのが勿体無い。相応しいスレなのでコピペしときます。

【第一章、注3】
ジョルジュ・バターユは、自然のエネルギーと関係づけながら、奢侈的な、生産的でない支出や消費に
ついて語っているが、このとき問題とされているのは、独立した領域と思い込まれている人間的生産
の領域には登録されていない支出や消費のことである。
《つまり、「有用性」の概念によって規定されるものとしての人間的生産の領域には登記されていない
支出や消費のことである》。だから、バターユが問題にしているのは、我々が消費の生産と呼んでいる
ところのものである。
(cf. La Nation de depense et la Part maudite, Ed. de Minuit.)
【第一章、注4】
マルクスによれば、《生産−自然》とる意的生命とは同一であるが、この点については、ジェラール・グ
ネラルの次の注釈を参照。
cf. les commentaires de Gerard Granel, 《L'Ontologie marxiste de 1844 et la question de la coupure》,
in l'Endurance de la pensee, Plon, 1968, pp.301-310.
【第一章、注6】
Henry Miller, Tropique du Cancer, ch. XIII.
(「……そして私の臓腑は、分裂症的な巨大な流れとなって吹きだしてゆく。この流れは、私を絶対者
に直接に面前させてくれる排泄物なのである……。」)
2821:2001/05/14(月) 19:22
>>281
あ、そのスレはおれが書いてた奴です。
こっちからリンクしようと思いまして。
いずれにしろどうもありがとうございます〜。
283再開です〜:2001/05/14(月) 19:22
シュレーバー控訴院長は「長いこと生きていた。
胃もなく、腸もなく、食道は裂けて、ほとんど肺もなく、また膀胱もなく、肋骨は折れたままで、長いこと生きていた。
285・・・実話じゃないよね。:2001/05/14(月) 19:24
かれは時々、自分自身の喉の肉の一部を食べてしまっていた。万事がこうした事態である。」
286・・・:2001/05/14(月) 19:25
器官なき身体は、非生産的なるものである。
287・・・:2001/05/14(月) 19:31
それでも、それは、接続的綜合の中に時と所をえて、生産する働きと生産されるものとの一体化として生みだされてくるものなのだ。
288・・・:2001/05/14(月) 19:31
(分裂症患者の机は、ひとつの器官なき身体である)。
289・・・:2001/05/14(月) 19:33
器官なき身体は、根源的な無の証人でもなければ、失われた全体性の残骸でもない。
290・・・:2001/05/14(月) 19:33
とりわけ、それは何かの投影ではない。
291・・・:2001/05/14(月) 19:36
固有の身体そのものとは、つまり身体のイマージュとは無関係である。
292・・・:2001/05/14(月) 19:36
それはイマージュをもたない身体なのである。
こうした器官なき身体そのものは、非生産的なるものとして<単系的線型状の二項系列>の第三の時点において、それが生みだされるまさにその場所に存在するものなのだ。
この器官なき身体は、ここからまたあらためてたえず生産の過程の中に投入されてゆくことになる。
カタトニーの身体が浴槽の水の中に生みだされてゆくのである。
器官なき充実身体は、反生産の領域に属しているが、しかし、生産をこの反生産に《つまり、反生産の境域に》連結することが、やはり接続的綜合《すなわち、生産的綜会》のひとつの性格なのである。
2971:2001/05/14(月) 20:20
やっと、第一章・第一節を読み終わりました。長かった。
ちょっと第一節のまとめが出来ないか考えてみます。

ちなみに、どっかでリンクしてありましたけど。
早稲田大学でやってらっしゃる、ドゥルーズ / ガタリ読書会のページ。
http://classes.web.waseda.ac.jp/z-shioda01/japanese/Menu/voluntaryseminar/2000/dgd/index.htm
読書会レポート 第1回 第1章・第1節 欲望する生産
http://classes.web.waseda.ac.jp/z-shioda01/japanese/Menu/voluntaryseminar/2000/dgd/report_1.htm
本文をここまで読み終わってリンク先のレポート読んだら、分かりやすいのなんの。すげぇッス。
2981:2001/05/15(火) 23:55
っていうか、おれいきなり間違ってるし。 >>7の<それ>ってのは、エス(無意識)で、
それ以降の説明は、ガタリの機械状無意識という観点(=唯物論的精神医学)を
説明してあるんですね。

んで、その諸機械の接続を、生産的綜合と接続的綜合によって、
その機械状無意識を「生産の単系的線形状系列」へ表現しなおしているようです。
器官なき身体は、まだよくわかんない。
299やっと第二節・・・:2001/05/16(水) 09:38
第二節 器官なき身体
300パラノイア・・・:2001/05/16(水) 09:38
 反生産。反搬とパラノイア機械
301戦い・・・:2001/05/16(水) 09:39
欲望する諸機械と器官なき身体との間に、明らかな戦いが起る。
302・・・:2001/05/16(水) 09:40
さまざまの機械がそれぞれに接続し、その機械がおのおのに生産を行って、そのすべてが運転音をたてることになると、このことが器官なき身体には耐え難いものとなるのだ。
303・・・:2001/05/16(水) 09:45
この器官なき身体は、種々の器官となるべきもののその下に胸の悪くなるような蛆虫や寄生虫がうごめくのを感じて、《神》の働きが到来するのを感ずることになる。
この《神》の働きは、この器官なき身体に器官を与え有機体化することによって、まさにこの器官なき身体を台無しにし、これを圧殺する働きをなすものなのだ。
「この身体は身体だ/この身体ただひとつが存在するのだ/いかなる器官もいりはしない/この身体は決して有機体なのではない/有機体は身体の敵なのだ。」
身体の肉に打ちこまれる釘は、それだけの数の拷問なのだ。
307すべすべ・・・:2001/05/16(水) 21:10
種々の<器官機械>の到来に抵抗するために、器官なき身体はすべすべした不透明な引締った自分の表面をこれらの器官機械に対抗させる。
いくたの流れは結びつけられ接続されて切断し直されるが、これらの流れに抵抗するために、器官なき身体は自分の無定形未分化なる流体をこれらの流れに対抗させる。
309・・・:2001/05/16(水) 21:28
はっきりと発音されたことばに抵抗するために、器官なき身体はいくつかの息吹きや叫びをこれらのことばに対抗させる。
310考える名無しさん:2001/05/17(木) 12:45
ageてもやめないで
311がんばりま〜す♪:2001/05/18(金) 00:29
これらの息吹きや叫びは、それだけの数の未分節の音のブロックに外ならない。
われわれの立場からみると、根源的といわれる[無意識的心理的]抑圧はこれと別の意味をもっているとは思われない。
つまり、この根源的抑圧は、器官なき身体が欲望する諸機械を《逆備給》するのではなくて、むしろそれが欲望する諸機械に対して反撥することを意味しているのだ。
314パラノイア機械:2001/05/18(金) 00:41
そしてこのことは、まさに、パラノイア機械が意味していることなのである。
315なるほど:2001/05/18(金) 00:45
パラノイア機械は、<器官なき身体に対して欲望する諸機械が侵入してゆく作用>と、<これらの欲望する諸機械に対して器官なき身体が反撥する反作用>とを意味しているからである。
器官なき身体は、これらの欲望する諸機械を全体として迫害装置と感ずるのである。
317タウスクってだれ?:2001/05/18(金) 00:48
だから、タウスクが、パラノイア機械の中に「患者自身の身体」や生殖器のたんなる投射[投影]をみるとき、われわれはこのタウスクに従うことはできない。
パラノイア機械の発生は、欲望する諸機械の生産の進行と器官なき身体の非生産的停止とが対立するとき即座に起ることなのである。
パラノイア機械が無名であるという性格をもっていることと、この機械の表面が未分化の状態にあるということが、このことの証拠である。
320???:2001/05/18(金) 00:54
パラノイア機械を何かの投射とする概念は、二次的に介入してくるにすぎない。
321意味不明だぁ〜!!!:2001/05/18(金) 00:56
つまり、逆備給の場合と同様に、器官なき身体が<逆内部>あるいは<逆外部>を備給する限りにおいて二次的に介入してくるにすぎない。
つまり、<内部の岨虫や寄生虫を迫害する内的器官>、あるいは同じく<外部からの《神》の働きを迫害する外的執行者>といった形のもとに、<逆内部>あるいは<逆外部>を備給する限りにおいて、二次的に介入してくるにすぎない。
しかし、パラノイア機械は、それ自体においては、欲望する諸機械の転身した姿なのである。
すなわち、パラノイア機械は、欲望する諸機械と器官なき身体との間の関係から生じてくるもので、器官なき身体がもはや欲望する諸機械に耐えられなくなる場合に生起してくるものなのである。
3251:2001/05/18(金) 01:14
ここの部分、パラノイア機械の説明が難しいですね。
器官なき身体(反生産)と欲望する諸機械(生産)のあいだには、戦いの関係があるようですね。
で、器官なき身体は、この欲望する諸機械からの攻撃(神の働き?)を反撥するんだけど(その両者の作用・反作用がパラノイア機械)、
ちょっと見それは、なにかの投影のように見えるけど、間違いだよ〜といいたいみたいです。(・・・そうか?)

ちなみに備給(cathexis)ってのは、「心的エネルギーが特定の対象・人物・観念に結びつけられること」らしいです。
う〜ん、いまいちよくわかんない。なんとなく解釈はできるみたいだけど、なんか判然としないッス。・・・読み進むべし!
326p.22の下の段落です。:2001/05/18(金) 10:22
 欲望する生産と社会的生産。反生産はいかにして生産諸力を自分のものとするのか
327・・・社会的生産:2001/05/18(金) 10:27
 しかし、中断されることなき<過程>の中で器官なき身体がその後も力を働かすことについて、その概略をとらえようとすれば、われわれは欲望する生産と社会的生産との間の平行関係をみておかなければならない。
328現象学的?:2001/05/18(金) 10:28
このような平行関係はたんに現象学的なるものにすぎない。
329・・・:2001/05/18(金) 10:30
この平行関係は、これら二つの生産の本質についても、その両者の間の関係についても何らの予断を与えるものではない。
330・・・:2001/05/18(金) 10:30
またさらに、この二つの生産がじっさいに二つ存在するのかどうかを問う問題についてさえ、何らの予断を与えるものではない。
端的にいえば、二つの生産の間に平行関係があるということは、社会的生産の諸形態もまた、欲望する生産のそれと同じく次のようなものを含んでいるということである。
すなわち、発生してきたものではない非生産的な停止、進行に連結した反生産の境城、社会体として規定される充実身体、といったものを含んでいるということである。
この充実身体は、大地[土地]という身体でも、あるいは専制君主という身体でも、あるいはまた資本でもありうるものである。
マルクスが、それは労働の生産物であるのではなくて、むしろ労働の自然的なるあるいは神聖なる前提として現われるものなのだといったのは、まさしくこの充実身体についてなのだ。
335・・・:2001/05/19(土) 15:33
じじつ、充実身体は、たんに生産力そのものに対立することに甘んじているものではない。
それは、一切の生産の上に折り重なり[そこに自分の像を写して]、生産力と生産の担い手とが分配配置される表面を構成するものなのである。
337そりゃ、資本だからねぇ:2001/05/19(土) 15:38
このことによって、この身体は一切の剰余生産物を自分のものとなし、生産の進行の全体ならびに各部分を意のままに操作することになる。
338・・・:2001/05/19(土) 15:39
となると、この全体と各部分とは、いまやこの充実身体から発出してくるかのような様相を呈することになる。
339・・・:2001/05/19(土) 15:40
まるで、それが、ひとつの原因に準ずる働きをするもの[ひとつの準原因]ででもあるかのように。
340・・・:2001/05/19(土) 15:51
生産力と生産の担い手とは、充実身体の力を奇蹟のような形において示すことになる。
つまり、この両者は、充実身体によって奇蹟を授けられているようにみえるわけなのだ。
要するに、充実身体としての社会体は、 一切の生産が登録される表面を形成し、この登録の表面から、すべての生産が発出するような様相を呈する。
343再開〜:2001/05/23(水) 22:29
社会は、生産の過程を登録することによって、自分自身の錯乱〔妄想〕を構成することになる。
しかし、それは意識が錯乱〔妄想〕したことではない。
345・・・:2001/05/23(水) 22:51
この場合の誤れる意識は、むしろ偽りの運動を真に誤りなく意識したものなのである。
外見上の客観的運動を真に誤りなく知覚したもの、登録の表面の上で生産の働きをする運動を真に誤りなく知覚したものなのだといって
もいいかもしれない。
347なるほどな〜:2001/05/23(水) 23:04
資本とは、まさしく資本家の《あるいはむしろ、資本家であることの、といってもいい》器官なき身体なのだ。
348・・・:2001/05/23(水) 23:16
しかし、こうしたものである限りにおいて、資本は、たんに貨幣が流体の形態をとりながら固型化した実体なのではない。
349・・・:2001/05/23(水) 23:23
資本とは、不毛なる貨幣に対して、<貨幣が貨幣を生む生産的形態>を付け加えることになるものなのである。
350資本論:2001/05/23(水) 23:30
資本は、固定資本としてみずからを機械の中に具体化し、この機械に相対的剰余価値をつくりだす役割を負わせる。
351・・・:2001/05/23(水) 23:40
そして、機械と生産の担い手とは資本の上に引っかかり付着する関係にあるので、それらの働きそのものも資本による奇蹟をうけてその力を授けられているかのような事態が生ずるのだ。
352・・・:2001/05/24(木) 00:09
(客観的には)、一切は、準原因としての資本によって生産されるようにみえる。
353・・・:2001/05/27(日) 01:00
マルクスがいうように、初期においては、資本家たちは、必ず、労働と資本との対立を意識し、剰余労働を収奪する手段としての資本の使用を意識している。
354・・・:2001/05/27(日) 01:02
ところが、登録の表面は、一切の生産の上に折り重なり[そこに自分の像を写すものであるから](剰余価値を供給あるいは実現すること、これが登録の権利である)、資本がこの登録の表面の役割を演ずると同時に、すぐさま魔法にかけられ逆立ちした物神的世界が早くもうちたてられることになる。
「相対的剰余価値が資本主義に特有な体系の中で発展し、それによって社会的労働の生産性が増大するに従って、労働の清算書力と社会的諸連関は、生産過程から切り離されて、労働の領域から資本の領域へと移行するように見える。
356上の清算書力=生産諸力っす:2001/05/27(日) 01:08
こうして、資本は極めて神秘的な存在になる。
357・・・:2001/05/27(日) 01:09
というのは、一切の生産諸力は、資本の胎内から生じ、資本に属しているように見えるからである。」
358・・・:2001/05/27(日) 01:14
この場合、資本主義に特有であるものは、貨幣の役割と資本の使用である。
この資本は充実身体として、登記あるいは登録の表面を形成するものなのである。
まさしく、充実身体はいかなるものであれ《大地の身体であれ、専制君主のそれであれ》、登録の表面、外見上の客観的運動、魔法をかけられて逆立ちした物神的世界といったものは、いずれにしても、社会的再生産の常数として、一切の型の社会に属しているものなのである。
361p.24上段:2001/05/29(火) 16:46
領有あるいは吸引と、奇蹟を行う機械
器官なき身体は欲望する生産に折り重なり、この欲望する生産を引きつけ〔吸引し〕、これを自分のものにする〔領有する〕。
器官機械は、器官なき身体に引っかかり付着することになる。
364・・・わからん。:2001/05/29(火) 16:49
まるで、フルーレのフェンシング選手の綿入れジャケットにでも付着するかのように。
365・・・いいのか?:2001/05/29(火) 16:50
あるいは、ユニフォームの胸につけたメダルを踊らせながら、敵に向かって突進するレスラーを考えていただければ、器官機械は、このレスラーの胸につけられたメダルのようなものだといってもいいかもしれない。
こうして吸引機械が反搬機械の後に続きこれに代ることになる。
367・・・:2001/05/29(火) 16:52
あるいは、これに代る可能性が開けてくることになる。
つまり、パラノイア機械の後に、奇蹟を行う機械が続くことになるのだ。
369・・・:2001/05/29(火) 16:53
しかし、ここで「後に」とは何を意味しているのか。
370そうでしょうね。:2001/05/29(火) 16:54
むしろこの二つの機械は共存しているのだ。
371ブラックユーモア???:2001/05/29(火) 16:55
もともと、ブラック・ユーモアが引きうけている仕事は、矛盾を解決することではなくて、むしろその矛盾がないかのごとく、あるいは全くなかったかのごとくに事態を表現することである。
非生産的なるものであり、消費されえないものである器官なき身体は、欲望の生産の一切の進行を登録する表面の役割を果しているので、外見上の客観的運動からすると、欲望する諸機械は右の登録表面から発出してくるように思われる。
客観的運動の外見からいうと、欲望する諸機械は器官なき身体に関係づけられているからである。
シュレーバー控訴院長の身体は《神》の光を自分に吸引しているので、さまざまの器官はこの院長の身体の上で再生させられ、奇蹟を授けられる。
375パラノイアは嘲笑する・・・:2001/05/29(火) 17:05
これに対して、恐らく古いパラノイア機械は、噺笑する声の形をとって存続し、この声は院長の諸器官やとりわけ肛門に授けられた「奇蹟を解除し」ようとする。
しかし、本質的なことは、登記あるいは登録の魔法の表面が確立されたことである。
377準原因=物神(呪物)???:2001/05/29(火) 17:12
この表面は、一切の生産力ならびに生産器官を自分に帰属させ、これらの生産力と生産器官とに外見上の運動を伝えることによって、準原因としての(物神〔呪物〕としての)働きをするものであるからである。
分裂者がポリティカル経済学〔政治経済学〕を学んでおり、また一切の性欲が経済の事柄に関しているということは、きわめて真実なることなのである。
3791:2001/05/29(火) 17:25
むずかしい!
前段落で、「器官なき身体(反生産)がいかにして生産諸力を登録するのか」を
説明するために、いきなり資本論の話に飛んだから、ちょっとわかんなくなった。

彼らは、資本を使って説明した方が分かりやすいからという理由で、このように書いているのだろうか?
それとも、この奇蹟を、無意識の領域において説明するのが不可能だからなのだろうか?

反生産が生産諸力を獲得するのは、パラノイアを克服(?)する「奇蹟」らしいので、
ぜひ、そのプロセスを知りたいもんです。あとで出てくるかな?

それから、一方で、はたして資本にとっての「パラノイア」はどんな状態なんでしょうか?
案外、不良債権という過去の負債によって、生産力の登録が上手くいってない
現在の不況の日本こそ資本がパラノイアになってる状態だったりして。・・・これは根拠レスな話です。
380帰還なき死体:2001/05/29(火) 18:54

>案外、不良債権という過去の負債によって、生産力の登録が上手くいってない
>現在の不況の日本こそ資本がパラノイアになってる状態だったりして。・・・これは根拠レスな話です。

まさしく、現代日本の経済状況はパラノイアといってしまってよいとおもいます。
バブル期のポトラッチ的な浪費が、全然現在の生産力にまわっていない。

っつうか、マックス・ウエーヴァー的なことをいっているんですかね?
「プロテスタンティズムの精神と資本主義の倫理」みたいなものがが、
高度資本主義社会に於いては機能不全に陥っているという、そういうことなのかな?
日本なんかは、そういうものがもともとなかったしね。天皇だったでしょ。
3811:2001/05/29(火) 19:52
>>380
ども、レスありがとうございます。
マックスウェーバーのことは頭にありませんでした。
日本経済にもはやく奇蹟が訪れないかなとおもいますね。ほんと。
382恋する器官なき身体:2001/05/30(水) 16:25
しかし「日本経済の危機」って煽られて小泉内閣支持率95%ってのは超問題あり〜。
383test:2001/06/01(金) 03:46
test
384名無しさん:2001/06/01(金) 04:27
>>380
プロテスタンティズムが有効に働いたのは資本主義の初期だけ。

日本の場合は、石田梅岩の心学がそれに相当するって、誰の説だっけ?
3851:2001/06/01(金) 23:13
>>384
ちょうど手元にあった小笠原真『近代化と宗教』世界思想社によりますと、
石門心学と日本の近代化については、圓谷弘(社会学)、和辻哲郎なんかがいってたらしいです。

しかし、マルクスとかドゥルーズ=ガタリのような唯物論の立場からみたら、
ウェーバーのプロ倫がいってる、人間の思想が経済状況を作ったんだなんてのは、
どう考えるんでしょうね???
3861:2001/06/01(金) 23:23
 第二の綜合。離接的綜合あるいは登録の生産。<これであれ……あれであれ>
3871:2001/06/01(金) 23:24
ただし、生産が自分を登録するのは、自分を生産するのと同じ仕方においてではない。
あるいはむしろ、生産を構成する進行の中で生産が自分を生産していたのと同じ仕方で、生産は外見上の客観的運動の中で自分を再生産するわけではないのだといったほうがいいかもしれない。
389登録の生産・・・:2001/06/01(金) 23:30
何故なら、われわれは気づかぬうちに登録の生産の領域に移行していたのであり、登録の生産の法則は、生産の生産の法則とは同じものではないからである。
生産の生産の法則は、接続的綜合すなわち連結であった。
ところが、生産的接続が、(ちょうど、労働から資本に移行するように)機械から器官なき身体に移行するとき、この生産的接続は別の法則の下に入るのだといってもいい。
この別の法則とは、「自然的なるあるいは神聖なる前提」としての非生産的境域との関係において、分配を表現する法則のことである。
(これが資本の離接の働きである)。
種々の機械は、それだけの数の離接点として器官なき身体の上に引っかかり付着していて、これらの離接点の間には、新しい綜合の網が全面的にはりめぐらされ、これらの離接点が表面を碁盤の目のように仕切っているのだ。
394・・・:2001/06/03(日) 15:48
分裂症的な「これであれ……あれであれ」《soit ... soit》が、「これの次にあれ」《et puis》を引き継ぐことになる。
どのような二つの器官が考察されるにしろ、これらの二器官が器官なき身体に引っかかり付着する仕方は、これら二器官の間の一切の離接的綜合が、つるつる滑る表面においては結局は同じことになるといった仕方でなければならない。
「あれか……これか」《ou bien》が、互換不可能なる二項の間の決定的な(二者択一的)選択を表明しようとするものであるのに対して、分裂症的な「これであれ……あれであれ」は、種々に相異したものの間で互換が可能なる体系を指示しているものなのである。
397・・・:2001/06/03(日) 15:57
この場合には、相異したものは、自分をおきかえ、互に滑り合い、たえず同じものに帰するのである。
398・・・:2001/06/03(日) 15:57
ベケットの話す目と歩く足との場合がそうである。
「かれは、時には何もいわずに立ち止ることがあった。
400ベケットの引用です。:2001/06/03(日) 16:00
 かれが結局はいうことがなかったにしろ。
401・・・:2001/06/03(日) 16:01
あるいは、何かいいたいことはありはしたが、結局はいうのをやめることにしたにしろ……。
402・・・:2001/06/03(日) 16:01
 他の主要な場合が心に浮かんでくる。
403・・・:2001/06/03(日) 16:02
 〈すぐにまた歩き始めて、話がすぐに続く〉。
404・・・:2001/06/03(日) 16:02
 〈間をおいてまた歩き始めて、話がすぐに続く〉。
405・・・:2001/06/03(日) 16:02
 〈すぐにまた歩き始めて、話が間をおいて続く〉。
406・・・:2001/06/03(日) 16:03
 〈問をおいてまた歩き始めて、話が間をおいて続く〉。
407・・・:2001/06/03(日) 16:04
〈すぐにまた歩き始めて、話はすぐには続かない〉。
 〈間をおいてまた歩き始めて、話はすぐには続かない〉。
 〈すぐにまた歩き始めて、話は間をおいても続かない〉。
410399〜409引用終わり。:2001/06/03(日) 16:06
〈間をおいてまた歩き始めて、話は間をおいても続かない〉。」
もっとも貧しい、もっとも痛ましい資本(たとえば、 マローヌの所有物がそうしたものである)の占有者たる分裂症患者は、自分の身体の上に種々の離接の長々とした連祷を書き込み、<これであれ……あれであれ……>のパレードの世界を自分のためにつくりだすのだ。
このパレードの世界においては、ほんの少しでもおきかえをすれば、そのことが新しい状況に対して、あるいはぶしつけな質問者に対して応答することであるとみなされるのだ。
だから、登録の離接的綜合が生産の接続的綜合に重なってくることになるのだ。
414登録の場合は手順なんだ?:2001/06/05(火) 11:18
生産の過程としての〈過程〉が、登記の手順としての〈手順〉にまで及ぶことになる。
415ぬ、ヌーメン!?:2001/06/05(火) 11:19
あるいは、むしろ、ひとが欲望する生産の接続的「労働」をリビドーと呼ぶのであれば、われわれは、このエネルギーの一部が離接的登記のエネルギー(《ヌーメン》)に変換するということを語っておかなければならない。
これは、エネルギーの変換である。
417ヌーメン(numen)=神霊:2001/06/05(火) 11:23
無意識の問題が惹き起している一切の暖味さは、この問題がみかけの上でだけ宗教的であるにすぎないことに由来するのであるが、にもかかわらず、エネルギーのこの新しい形態をなぜ神聖なるもの《つまり、《ヌーメン》[神霊]》と呼ぶのか。
418>>303-304参照:2001/06/05(火) 11:26
器官なき身体は《神》ではない。
まさにその反対である。
しかし、器官なき身体が一切の生産を吸引し、これらの生産をすべてそれぞれに離接の中に登記することによって、 一切の生産に対して、奇蹟を行う力をもった魔法の表面としての役割を果すことになるとき、この器官なき身体を遍歴するエネルギーは神聖なるものであるわけなのである。
ここから、シュレーバーが《神》との間に結んだ奇妙な関係がでてくることになるのである。
422・・・:2001/06/05(火) 11:35
あなたは《神》を信じているのかと問うひとに対しては誰にでも、われわれは、厳密にカントあるいはシュレーバーのような仕方で、次のように答えなければならない。
423・・・:2001/06/05(火) 11:42
すなわち、〈もちろん、信じていますとも。ただし、それはただ、ちょうど、離接〔選言〕的三段論法の先天的原理を信じているのと同じように、あるいはこの三段論法を操作する先生〔主人〕を信じているのと同じように、信じているだけのことなのです〉、と。
(ここでは、《神》は《実在の総体》 Omnitudo realitatis と規定されており、この実在を分割することによって、一切の実在が派生してくるのである)。
4251:2001/06/05(火) 11:58
この段落(>>386-424)はむずかしい!!!
ここでの課題は、「離接的接合」。
すなわち、欲望する諸機械が、どうやって
器官なき身体の表面に登録されるのかだと思うんですけど。

離接(=選言)というのは論理学の用語らしくてよくわかりません。
「あれか・・・これか・・・」とか「これであれ・・・あれであれ」ってのは、
この離接原理や排中原理ってのとかんけいあるみたい。
ちょっと調べてみます。
426ずらー:2001/06/15(金) 16:17
あげるずらー
4271:2001/06/16(土) 12:25
ハァハァ・・・
「離接(=選言)」ってわかんないよ。まぁいいか。
10日もさぼってしまった。
・・・がんばりま〜す!
 分裂症の系譜
だから、神聖であるというのは、離接のエネルギーの性格のことをいっているだけのことなのである。
シュレーバーの神聖さは、かれが自分自身において自分を分割するのに用いる種々の離接の働きと不可分の関係にある。
つまり、自分を初期の帝国と後期の帝国とに分割する離接の働き、また後期の帝国を上位の《神》の帝国と下位の《神》の帝国とに分割する離接の働きと。
432なぬ?フロイトがか?:2001/06/16(土) 12:32
フロイトは、とくにシュレーバーの錯乱〔妄想〕において、またそれのみならず一般現象としての錯乱において、いかにこうした離接的綜合の働きが重要であるかをとりわけ強調している。
「このような分割は、全くパラノイア的精神病に特徴的なものである。
434・・・:2001/06/16(土) 12:51
 ヒステリーが凝縮するのに対して、パラノイアは分割するのである。
435フロイトの引用おわり。:2001/06/16(土) 12:53
 あるいはむしろ、このパラノイア的精神病は、無意識の想像の中に現われる凝縮化した一体化をあらためてそれぞれの境域に分解するものなのだ」と。
436・・・:2001/06/16(土) 12:53
しかし、何故フロイトは次のように付け加えているのか。
よく考えてみると、ヒステリー的神経症が根本的なるものであり、種々の離接の働きは、根源の凝縮したものを投射してゆくことによってしかえられないものなのである、と。
恐らく、これは、錯乱〔妄想〕の《神》の中に、また〈分裂者‐パラノイア〉的なる登録の中に、オイデイプスのさまざまの権利を保持するための手だてなのであろう。
439・・・:2001/06/16(土) 13:05
このため、われわれは、この点に関して次のような全体にわたる最も一般的な疑問を提起しなければならなくなるのだ。
440・・・:2001/06/16(土) 13:05
欲望の登録は、オイディプスの諸項を経由して行われるものであるのか。
441・・・:2001/06/16(土) 13:11
この離接の過程は、欲望がたどる系譜の形態を形成するものであるが、しかしこの系譜はオイディプス的なるものであるのか。
つまり、オイディプス的三角形化の中に登記されるものであるのか。
それとも、オイディプスは、社会的再生産のひとつの要求、あるいはひとつの結果であるのか。
444・・・:2001/06/16(土) 13:15
つまり、社会的再生産が、いたるところで自分の手におえない系譜をもった質料や形相を飼いならそうとする限りにおいて、それがもつひとつの要求、あるいはそれがもたらすひとつの結果であるのか。
445尋問:2001/06/16(土) 13:16
じじつ、分裂者がきびしく尋問にさらされ、またたえずさらされ続けているということは、確かであるからである。
446・・・:2001/06/16(土) 13:18
まさに、分裂者はひとつの特定の極においてのみ自然と結びついているのではないから、分裂者は現行社会のコードのことばによってきびしく尋問されるのである。
447・・・:2001/06/16(土) 13:20
お前の名前は。
448・・・:2001/06/16(土) 13:20
お前のお父さんは。
449・・・:2001/06/16(土) 13:20
お前のお母さんは。
450・・・:2001/06/16(土) 13:20
といった具合にである。
451・・・:2001/06/17(日) 13:10
欲望する生産の遂行過程において、モロイは警察官に次のように尋問されている。
452モロイって・・・?:2001/06/17(日) 13:10
「〈あなたのお名前はモロイですね〉と警察署長がいった。
453・・・:2001/06/17(日) 13:11
 〈はい、いま、思い出しました〉と私がいった。
454・・・:2001/06/17(日) 13:11
 〈では、あなたのお母さんは〉と署長がいった。
455・・・:2001/06/17(日) 13:11
 私には、何のことか分りませんでした。
456・・・:2001/06/17(日) 13:12
 〈かの女もモロイというお名前ですか〉と署長はいった。
457・・・:2001/06/17(日) 13:12
 〈かの女がモロイという名前ですかって〉と私がいった。
458・・・:2001/06/17(日) 13:12
 〈そうです〉と署長がいった。
459・・・:2001/06/17(日) 13:13
 私は、考えこみました。
460・・・:2001/06/17(日) 13:13
 〈あなたのお名前はモロイですね〉と署長がいった。
461・・・:2001/06/17(日) 13:13
 〈そうです〉と私がいった。
462・・・:2001/06/17(日) 13:13
 〈では、あなたのお母さんも、モロイというお名前ですか〉と署長がいった。
463・・・意味不明だ:2001/06/17(日) 13:14
 私は、考えこみました。」
464・・・:2001/06/17(日) 13:14
精神分析がしていることも、この程度のことであって、それが極めて革新的であるなどということはできない。
465・・・:2001/06/17(日) 13:15
精神分析は、一方において、今日では、精神病といわれる諸現象がいかに自分の基準理論の枠を超えているかということに気づいていながら、依然としてみずからは、自分流の問題を提起しては、その基本的見地たるオイディプス三角形の基盤からその解釈を発展させ続けているのだ。
精神分析家は、シュレーバーの上位の《神》の下にはパパを見いださなければならないといっている。
467兄???って重要なのか?:2001/06/17(日) 13:16
となると、下位の《神》の下には兄をということになるが、なぜそうでなくてはいけないのか。
468・・・:2001/06/17(日) 13:17
分裂症患者は、時には辛抱ができなくなって、ひとが自分を静かにひとりにしておいてくれるように要求する。
ところが、時には自分から仲間の中に入って進んで余計の趣向をさえ付け加え、自分に与えられた所定のモデルの中にあらためて自分自身の独自の立場を導入し直して、内部からこのモデルをこわしてしまうことも辞さないのだ(そうです、それが私の母です。ところが、私の母こそ、じつはまさしく《処女マリア》さまなのです)。
470・・・:2001/06/17(日) 13:21
シュレーバー控訴院長がフロイトに答えている姿は、容易に想像される。
471・・・:2001/06/17(日) 13:21
そうですとも。そうです、そうです。
472・・・:2001/06/17(日) 13:27
ことばを語っている鳥たちは、若い娘たちです。
473・・・:2001/06/17(日) 13:27
上位の《神》は、それは父のことです。
474・・・:2001/06/17(日) 13:27
そして下位の《神》は私の兄なのです。
475・・・:2001/06/17(日) 13:28
ところが、こっそりと、シュレーバーは、言葉を話すすべての鳥たちを介して若い娘たちを、上位の《神》を介して自分の父を、下位の《神》を介して自分の兄を再び孕ませるのだ。
476かえって複雑になる?:2001/06/17(日) 13:28
これらのすべての神聖な形態は、オイディプス三角形の極めて単純な諸項や諸機能を通過してくるに従って、かえって複雑なものとなる。
477・・・:2001/06/17(日) 13:29
あるいは、むしろ「単純なものでなくなるのだ」といった方がいいかもしれない。
478・・・:2001/06/17(日) 13:30

  私は父も信じない
             母も
  わたくちは
  <パパ−マンマ>のものちゃない
479考える名無しさん:2001/06/18(月) 02:27
age
480考える名無しさん:2001/06/18(月) 17:33
 欲望する生産は、単系的線型状の二項体系を形成する。
481第三項:2001/06/18(月) 21:33
充実身体は、系列の中の第三項として導入されるが、しかし、この系列の右のような単系的線型状の二項的性格を破壊することはない。
482・・・:2001/06/18(月) 21:33
つまり、この系列は、2・1・2・1……といった形態をとるからである。
483・・・:2001/06/18(月) 21:34
この系列は、次のような転記に対しては全面的に抵抗する。
484・・・:2001/06/18(月) 21:35
すなわち、オイディプスのそれのような、典型的に三項よりなる三角形形態の中にこの系列を移行させ、こうした三角形形態に鋳造し直すような転記に対しては全面的に抵抗する。
485意味不明だ!:2001/06/18(月) 21:35
器官なき充実身体は《反生産》として生みだされるが、これがこうしたものとして介入してくるのは、三角形化のあらゆる試みを拒否するためでしかないのだ。
この三角形の試みは、この器官なき充実身体が両親によって生みだされることを前提としているからである。
487・・・:2001/06/18(月) 21:38
この身体は、自分が自分自身を自動生産することを《つまり、自分自身でひとりで発生してくることを》みずから示している。
488・・・:2001/06/18(月) 21:38
あなたがたは、どうしてこの身体が両親によって生みだされるなどということを望むのか。
489投射ってなんだっけ?:2001/06/18(月) 21:39
じじつ、およそ投射の働きなどとは関係なく、この身体の上に、この身体が存在するその場所に、《ヌーメン》は分配され、もろもろの離接の働きが確立されるのである。
490・・・:2001/06/18(月) 21:39
そうだ、私は私の父であったし、また私は私の息子であった。
491・・・:2001/06/18(月) 21:39
「私、アントナン・アルトー、この私は私の息子であり、私の父であり、私の母であり、そして私である。」
492・・・:2001/06/18(月) 21:40
分裂者は、自分自身の独自の位置を決定する種々の様式を意のままに用いる。
何故なら、かれは、何よりも、自分自身に特有な登録コードを自由に操作するものであるからである。
この特有な登録コードは、社会的コードとは一致しないものであり、あるいはたとえ一致しても、それはその社会的コードをパロディ化するためでしかないといったものなのである。
495・・・:2001/06/18(月) 21:42
錯乱〔妄想〕するコードあるいは欲望するコードは、並はずれた流動性を示すものである。
496・・・:2001/06/18(月) 21:42
分裂症患者はひとつのコードから他のコードヘと移行し、次々と提起される質問に応じてすばやく滑ってゆきながら、一切のコードをかきまぜてしまうのだ。
497・・・:2001/06/18(月) 21:44
かれは、何かといえばすぐさま同じ説明を与えることもしないし、同じ系譜を引き合いにだすこともしない。
498・・・:2001/06/18(月) 21:44
また、同じ出来事を同じ仕方で登録するということもしない。
499・・・:2001/06/18(月) 21:44
オイデイプス的な陳腐なコードを無理に強制されても、いらだっていないときには、このコードを平気で受けいれることさえする。
しかも受けいれるときには、もともとこのコードが排除しようとしていた離接をもすべて、再びこのコードの中に詰め直すことまでやってのける。
501考える名無しさん:2001/06/23(土) 16:08
やめないで。。。
502考える名無しさん:2001/06/24(日) 04:38
このスレが好きだ!
age
503考える名無しさん:2001/06/24(日) 05:19
だれかに、終了までに必要なスレ数を計算してもらいたい。
といっても煽りじゃなくて、ただ数字が見たいってだけなんだけど、
そりゃ野暮かな?
アドルフ・ヴェルフリのデッサンは、さまざまの大時計を登場させている。
タービン、発電機、天空機械、建物機械などを登場させている。
それに、これらの機械の生産は、周辺から中央へ、いくつかの層や区域を次々と経由して、接続的な仕方で行われている。
507・・・:2001/06/24(日) 22:39
かれはこれらのデッサンに「説明」を加え、自分の気分に応じてこの「説明」を変えたりしているが、これらの「説明」が根拠としているのは、デッサンの登録を構成している系譜上の諸系列である。
508考える名無しさん:2001/06/25(月) 17:06
どこかで著作権に触れないのか?
ってがいしゅつかも
509考える名無しさん:2001/06/27(水) 16:33
508の一言で、この名スレッドは死亡しました
510大丈夫みたい:2001/06/27(水) 18:26
>>509
大丈夫みたい。
非営利目的の場合は除外されるらしい。
それにあれは親告罪だから、権利者が訴えなければ罰せられることはないです。
まさかこのスレを訴える人もいないでしょう。それに誰を訴えればいいのか判らないでしょうし。
511考える名無しさん:2001/06/27(水) 18:28
被疑者不特定のまま起訴することはできるよ、アップルなんかは
自社製品情報がリークされるといつもそうやってる。
512考える名無しさん:2001/06/28(木) 10:21
とにかく、508が、面白くなるはずのこのスレッドをつぶした事が事実!!!
513まだ潰れてませんよ〜(ワラ:2001/06/29(金) 00:21
さらにもっと大切なことは、この登録がデッサンそのものに折り重なり〔そこに自分の像を写して〕、「破局」や「没落」を表わす線の姿をとって現われていることである。
この場合、「破局」や「没落」を表わす線はそれぞれ、渦巻曲線にかこまれたその中のそれだけの数の離接に対応しているのである。
515・・・:2001/06/29(金) 00:26
分裂者は、たえず不安定な状態にありながら、常にバランスをとって立ち直る。
516・・・:2001/06/30(土) 19:47
その理由は簡単である。分裂者にとっては、〔一切のコードは流動的であるから、〕いたるところ、いかなる離接の中におかれても、結局は事態は同じことになるからである。
ということは、器官機械が器官なき身体に引っかかり付着しても無駄であるということである。
器官なき身体は、依然として器官なしにとどまり、ことばの通常の意味で有機体になることはないのである。
519すべすべ・・・:2001/06/30(土) 19:51
この器官なき身体は、その流動的なすべすべした性格を護持するのである。
520・・・:2001/06/30(土) 19:53
生産の諸動因がシュレーバーの身体に着陸し、この身体に吊り下る場合も、事態は同様である。
521精子を含んでる???:2001/06/30(土) 20:02
シュレーバーが身に引きつけているあの太陽光線は、数千の小さな精子を含んでいる。
522考える名無しさん:2001/07/01(日) 04:41
ageとこう
523・・・:2001/07/01(日) 10:33
ここでは、光線、鳥、声、神経といったものが、系譜の上では《神》や《神》の分割された形態と複雑に結びついて、相互に交換可能なる関係を形成している。
524・・・:2001/07/01(日) 10:34
しかし、 一切のことが生起し登録されるのは、器官なき身体の上においてである。
つまり、諸動因の交接や《神》の分割さえもが、また碁盤の目のように縦横に走る系譜やそれらの系譜の入替え交換さえもが、生起し登録されるのは、この身体の上においてである。
526第二節の終り!:2001/07/01(日) 10:35
しらみがライオンのたてがみの中に住みついているように、すべてのことは、創造されないで始めから存在しているこの器官なき身体の上に存在しているのである。
527考える名無しさん:2001/07/06(金) 19:37
age
528ROM:2001/07/11(水) 17:23
>1
嫌がらせも終った様なのでどうぞ続けて下さい。
529こっそり再開・・・:2001/07/24(火) 13:40
第三節 主体と享受
 独身機械、第三の綜合。連接的綜合あるいは消費の生産。「だから、これは……である」
531考える名無しさん:2001/08/03(金) 19:27
u-mu
532Rage Against The Philosophy:2001/08/05(日) 02:13
今読んでいるよ反エディプス。
邦訳で90pぐらい。まだまだつかめん。
533 :2001/08/05(日) 06:25
俺も「器官なき身体」になれたら、すっきりするのかな…。
534考える名無しさん:2001/08/12(日) 07:33
続けてキボン
535考える名無しさん:2001/08/18(土) 00:37
定期あげ
536考える名無しさん:2001/08/18(土) 02:45
>>359(わかりませんさん)
>混乱が生じるのではないでしょうか。
 確かに端折った言い方で、錯綜が生じているようですが、<実在><本質存
 在><概念><対象>という用語に関するややこしい(弁証法的な)事情も
 あります。
 「実在は一つ」とは(個体の向自性と根拠存在の同一性を共に指すため)
 ミスリーディングな表現で、正確には「客観は統一的存在」と言った方が良
 かったようです。
 また、「客観的実在」という言葉も厳密には正しくないのは、客観とは実在
 以上の存在だからです。
 実在(Real being)とは、通常非実在つまり観念的存在の反対であり、時間
 性においてある存在者を指しますが、直接的に措定された場合<それ>とし
 て指示される在るもの(定有するもの、Dasein)です。それは何らかの場所
 を占めるめるものとして、反照的には区別された特定の対象を指します。
 何が実在か、は認識の段階に応じて相対的であり、知覚においては物=感性
 的実在、判断においては事実(事象)=悟性的実在、必然的推論においては
 実体(Substance)=理性的実在が真に実在するものと見なされ、また本質
 領域に応じてその現存在(Existense)は実在的です(例:物理学的実在)。
>物質にすべて還元される
 機械論的な唯物論とは異なり、弁証法的唯物論は還元主義ではありません。
>唯物論的階層論とは何か
 実在の階層とは、要は歴史的自然の発展の結果として、諸客観の階層性が
 現存在している、という認識でしょう。それは物質の運動形式の発展段階が
 実在の階層的区分となっており、連続的な不連続を形成しているということ
 です。自然、社会、精神と特種化され、主観においてその反照を得る、と。
537考える名無しさん:2001/08/18(土) 04:00
>>1
哲学は幅が広い。
幅は広いが現代には現代の哲学があってしかるべきだ。
今、新しい哲学が生まれる土壌が日本にもできていると思っている。
今くらい倫理哲学が問われている時代も珍しい。政治倫理しかり、経済倫理しかり。
それに気付いている人は2chにずっといないで行動を起こしているだろう。
ニュースくらい見ようね。事態は急を要している。
「哲学者だけのための哲学」でない哲学が今、要求されているのだ。
いい加減に気付け!他の学問にこれができるか!
538考える名無しさん:2001/08/18(土) 04:09
ルサンチマン自体にはいいも悪いもないと思います。
ルサンチマンを抱えること自体については、
本人の責任を追及できません。
抱えてしまったものは、本人にもどうしようもないのです。
あたりくじをつかむ人がいれば、はずれをつかまされる人もいる。
ルサンチマンを抱えることは、運悪くはずれをひいた、
というだけのことにすぎません。
ニーチェにしても、別にこれにとやかく言いたいわけではないでしょう。
ただ、ルサンチマンを抱くこと自体は別にいいも悪いもないとしても、
そのあとの処理が問題です。
ルサンチマンを隠蔽し、自分が勝てそうにない価値基準を、
他人に気づかれないようにコソッと
自分が何とか勝てそうな価値基準にすり替え、しかもその価値基準を
あたかもそれが従来からのスタンダードであるかのごとく脚色して、
当然のように他人に押し付ける、しかもこれらの一連の作業を
自己欺瞞によって半ば無自覚に行っている、
こういうことはみっともないことである。
少なくともルサンチマンを自覚し、自分の欠点を素直に認めているほうが
こういう状態よりかはよっぽどマシである。
これだけのことではないでしょうか。
つまり、この問題はルサンチマンがない人、対ある人、という図式ではなく
ルサンチマンがある人同士の対立です。
幸運にもルサンチマンを持たなくてすむ人は、とりあえずこの図式の埒外です。
539考える名無しさん:2001/08/18(土) 07:22
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540考える名無しさん:01/09/10 18:29
あげても駄目か
541考える名無しさん:01/09/12 22:06
ひょっとして自分で勝手に読み進んで終わってしまったと思われ(w
542考える名無しさん:01/09/18 12:08
あげ
543考える名無しさん:01/10/05 00:25
あげ
544考える名無しさん :01/10/05 18:26
廃墟スレ認定!
545てろりすと:01/10/05 21:00
このスレは我がゲトガナフ団が占拠した!
546考える名無しさん:01/10/13 23:20
age
547考える名無しさん:01/10/14 00:51
今度は「純粋理性批判」編でもやってくれ
548考える名無しさん:01/10/16 02:54
おれも「器官なき身体」になりたきい!
549考える名無しさん:01/10/16 03:27
だれか続きやって!
550中坊:01/10/17 20:34
いきなり『アンチ・オイディプス』読んでも分かりませんよね
やっぱり精神分析関係(フロイト、ラカン)読まなきゃ
551考える名無しさん:01/10/27 22:19
age
552考える名無しさん:01/10/27 23:04
>>550
ほんとに厨房
55329ページ:01/10/29 14:59
「過程」ということばの意味を文字通り生かして事態を捉えれば、生産の上に登録が折り重なってくるわけであるが、この登録の生産そのものは、生産の生産によって生み出されてくるものなのである。
554考える名無しさん:01/10/29 15:03
同様に、この登録に続いて消費が起こってくるが、この消費の生産は登録の生産により、またこの登録の生産の中で生み出されてくるのである。
555考える名無しさん:01/10/29 15:05
ということは、主体の秩序に属する何者かが、登記の表面の上に姿を見せてくるということである。
556考える名無しさん:01/10/29 15:07
ただし、この主体は、固定した一定の自己同一性[身元]をもたない奇妙な主体である。
557考える名無しさん:01/10/29 15:08
この主体は、器官なき身体の上をさまよい、常に欲望する諸機械の傍らにあって、生産されたものからいかなる取り分を吸収するかによって自分が誰であるかを明確にしてゆくものなのだ。
558考える名無しさん:01/10/29 15:10
この主体は、いたるところで、自分が生成し転身することからその報償を享受し、みずから消費を終える時点において主体として生まれてくるのだ。
559考える名無しさん:01/10/29 15:11
だから、新たに消費を終えるたびごとに、主体はその時点において生まれ変わって現われる。
560考える名無しさん:01/10/29 15:12
「だから、これは私なのである。だから、これは私のものなのだ……。」
561考える名無しさん:01/10/29 15:13
マルクスがいっているように、苦しむことさえ、自己を享受するひとつの形態である。
562考える名無しさん:01/10/29 15:14
おそらく、欲望する生産はすべて、すでに直接的に消費である消尽であり、したがって「享楽」なのである。
563考える名無しさん:01/10/29 15:23
しかしそうはいっても、それはまだひとりの主体にとってそうであるというのではない。
564考える名無しさん:01/11/01 01:56
主体は、登録の表面の種々の離接を介して、それぞれの地区の残余の中にしか姿を現わさないからである。
565考える名無しさん:01/11/01 01:58
シュレーバー控訴院長においていえば、かれは常にこうしたことを最も生き生きと意識している。
566考える名無しさん:01/11/01 02:00
宇宙的には享受の比率は定まっているのであるから、シュレーバーが女性に変容するのと引き換えに、≪神≫はシュレーバーから享楽をうることを要求する。
567考える名無しさん:01/11/17 18:58
生きろ!
568考える名無しさん:01/11/18 00:43
サイの反復横跳び
569考える名無しさん:01/12/10 22:30
age
570考える名無しさん:01/12/18 13:40
期待あげ
571考える名無しさん:01/12/20 20:21
続きは?
572考える名無しさん
あげ