因果律とはなにか??

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1考える名無しさん
しょせん我々は・・・・??
2考える名無しさん:2001/01/21(日) 02:50
単に原因が在って結果が生ずるってだけの事だろ
3>1:2001/01/24(水) 10:41
古典物理学の基本的な前提です。
4考える名無しさん:2001/01/24(水) 11:02
それにのっとって物事を認識するところの形式の一つです。
2は既にこの形式づけがなされてしまったところからの説明です。
5考える名無しさん:2001/01/24(水) 11:08
因果律よりはるかに低い成果しか上げられないのに、一定の信者を獲得している考えに、
共時律があります。
6考える名無しさん:2001/01/24(水) 11:12
>物事を認識するところの形式の一つ

どうかな。。
物事を理解する際の基本的なカテゴリーのひとつにすぎないんじゃないかな。
認識の形式、というほど、縛りはないと思う。
7考える名無しさん:2001/01/24(水) 11:27
>>6
カテゴリーと言う表現自体に形式という意味があるので
批判になってないように思われ
8考える名無しさん:2001/01/24(水) 11:29
人間の意識は因果律的に事物を認識するように予め構造付けられているが、
因果律を一つの理解の形式と考えた場合に対立概念である共時律と同一の
カテゴリーに属するように認識され、一方の優位を認識することはできない。

ってどう。認識ばっかだけど。
9考える名無しさん:2001/01/24(水) 11:37
>>8
共時律の説明きぼん。

関係ないけど、意識的でない行動にも因果律と思われる行動パターンが見られるよ。
猫は転がるボールを見ると追いかけていくけど、
人はボールがどこから転がってきたか、そちらの方向に目を向けるでしょ?
10考える名無しさん:2001/01/24(水) 12:33
俺ボール見るけど。
11考える名無しさん:2001/01/24(水) 12:35
因果律として纏め上げあれるような認識のパターンは、人によって多く見られたり
少なくしか見られなかったりするのでしょうね。
12考える名無しさん:2001/01/24(水) 13:00
>>10
あなた公僕(いぬ)でしょ?
13考える名無しさん:2001/01/24(水) 13:05
>12
ぎゃはは!
鋭いねぇ。
14考える名無しさん:2001/01/24(水) 13:06
>>12,13
対人関係恐怖症では?
15考える名無しさん:2001/01/24(水) 13:12
>>11
無意識的行動においては日ごろの習慣が大きく影響するから。
16考える名無しさん:2001/01/24(水) 13:14
>>15
無意識と呼ばれる領域の情報処理量を非常に少なく見積もるよい考え方ですね。
一部の心理学が失敗したのはこの部分の見積もりの過ちですよね。
17考える名無しさん:2001/01/24(水) 13:19
>>16
無意識ということで意識的でない行動すべてを指してるつもりですが何か?
18考える名無しさん:2001/01/24(水) 13:21
>>17
いやちょっとちゃちゃです。いまちょっと無意識の行動の大部分は無意識を保つためだけに使われて、
意識的な行動と同等の行動に現れる部分はごくわずかなどと考えていたので。
本題を続けてください。
19黒ガッツ:2001/01/25(木) 03:39
因果律といえばベルセルクだよ。
でも、あのマンガでいう因果律は逆因果律とでもいった方がいいな。
つまり予定律か。
僕は予定律が現実に合ってると思うな。
人類の半数近くは結局救われない運命にある…
20考える名無しさん:2001/01/25(木) 03:46
因果律により時間があるように感じるのです。
因果律とは前後に関わる物事の関係です。
因果律は観測者の認識と記憶により生じるのです。
21考える名無しさん:2001/01/25(木) 03:50
すべての現象またはその要素が因果的にしか成り立たないとしたら、
それはつまり限りなく相対主義的な考え方ですね。
因果律を突き詰めていくと、この世は相対的にしか成り立たないことになる。

22OFW:2001/01/25(木) 06:14
>>21
>因果律を突き詰めていくと、この世は相対的にしか成り立たないことにな
>る。
 それは、ちょっと違うのでは?
 因果律とは自立的な原因が派生的な結果を引き起こす、ということです。
 確かに原因自体が一つの結果として見られ得るが、それはそれ自身が引き
 起こす結果とは「別の」結果、別の事柄です。
 因果律の相対性については、ディーツィンゲン『人間の頭脳活動の本質』
 に例が出ています。
  木に小鳥がとまっていて、猟師が鉄砲を撃ったが、それに驚いて一羽の
  小鳥が飛び立った。
  その場合、「他の」小鳥も飛び立ったのなら、鉄砲の音が飛び立つ原因
  と言えるが、「他の」小鳥が飛び立たなかったのなら、小鳥の臆病さが
  原因と言える。
 といった趣旨です。因果律とは統計的な概念として、偶然性、蓋然性と
 関連するが、決して単に相対的なものではない。相関の全体は客観的、
 絶対的(必然的)でしょう。
23考える名無しさん:2001/01/25(木) 09:21
因果律は物質の挙動を説明する上で絶対的ですが、
因果律を原因と結果を説明する人間の頭脳活動の一つとして
(強く)相対化すると、とうぜん相対主義に陥るのでしょう。
24考える名無しさん:2001/01/26(金) 01:23
原因にも原因があるわけでしょ?
25考える名無しさん:2001/01/26(金) 01:40

因果律の考え方は仏教に影響を与えたインド哲学あたりからその多くを由来しているのでは?
事物を相対主義的に説明するという解釈はまんざら間違ってもいない。

26黒ガッツ=19:2001/01/26(金) 01:48
グリフィスがついに受肉したよ!
まったく2年近くもひっぱるんだから。
あの作者、相当気が長いね。

閑話休題。
27考える名無しさん:2001/01/26(金) 01:50
>>24

つまり仏教的にいう因果律というのは、原因が同時に結果であり結果が同時に原因でもあるという関係のこととも言えるし。
Aが原因になるか結果になるかは観察者の視点や問題意識によって相対的に決定されるしかないわけだから。

28黒ガッツ=19:2001/01/26(金) 01:58
無視しないで。
俺はこのスレッドでは因果律の外にいるのか?
29考える名無しさん:2001/01/26(金) 02:00
>>28
無視も関係のひとつ。因果の産物。かも?
30考える名無しさん:2001/01/26(金) 02:11
>>22
>確かに原因自体が一つの結果として見られ得るが、それはそれ自身が引き起こす結果とは「別の」結果、別の事柄です。

結果/原因を結びつける関係は、どのような問題意識、どのような目的論を志向して因果を切り取るかの問題になる。


31考える名無しさん:2001/01/26(金) 02:27
因果律とは事物の本質それ自体に原因をもとめることができないという考え方でしょう?
事物の本質はなんらかの因果という関係によってのみ相対的に動機づけられるものというように
32考える名無しさん:2001/01/26(金) 03:04
相対主義と言った場合、何との対立語になっている?
33OFW:2001/01/27(土) 14:18
>>23
>因果律は物質の挙動を説明する上で絶対的ですが、
 必ずしもそうではない。むしろ、現代物理学は「相互作用」という観点が
 物質の挙動を説明するためにより基本的だと考えられています。
>因果律を原因と結果を説明する人間の頭脳活動の一つとして
>(強く)相対化すると、とうぜん相対主義に陥るのでしょう。
 「強く」相対化するとはおもしろい考え方ですね。ただ、「人間も自然の
 一部」ですから、頭脳活動の本質は客観的であり、決して相対主義にならな
 いでしょう。
>>24
>原因にも原因があるわけでしょ?
 そうです。しかし原因の原因と言えば、元の原因は原因ではなく結果です。
 そのことは、原因が結果に対してもつ関係と、自己(原因)に対してもつ
 関係が異なるということであり、原因とは「他の結果」つまり、自己の原
 因ではない、という弁証法です。ライプニッツは高次の原因を「自己原因」
 という概念で表現した。それは因果律を超える、目的論を指示しています。
 抽象的に言えば、必然性の真理は自由ということです。
34OFW:2001/01/31(水) 01:35
>>30
>結果/原因を結びつける関係は、どのような問題意識、どのような目的論
>を志向して因果を切り取るかの問題になる。
 自然が全体として目的を持つのか?という問題意識は古来からあり、アリ
 ストテレスも『自然学』で自然学者の使命として、4種の原因(質料、
 形相、作用、目的)を明らかにすること、と言っていますね。
 近代においては、自然それ自体に目的はない、というのが常識的な見解で
 あり、そこでは因果律も機械的・外的なものと考えられています。
 しかし、有機体が示す「合目的性」の存在は否定できないことから、従来
 の機械論的自然観から、より全体論的・システム論的・相関的な自然観に
 進んできています。しかし、目的概念については相変わらず、目的対手段
 という外的な相関としてしか捉えられていない。実在するものはある主体
 の目的にとって手段として見られるが、手段は与えられたものであり、目
 的に対して外的なもの。それはそれ自体の目的を別に持つから、結局その
 連関は因果律と同様の無限退行に陥り、「究極の目的」とは結局の所、
 自己保存といった無目的でしかない。多くの目的があり、多くの手段があ
 るということは、それらは偶然的な存在だということであり、他によって
 媒介されたものということです。真に必然的な存在とは、因果律の内にあ
 る同一性(一者)としての自然の形成作用そのものでしょう。そして、
 個別的な因果はその自然的な限度をもち、自然総体の運動のうちに止揚さ
 れているのです。その総体的な連関を捉えることは、生成する自然(自然
 史)の本質を認識することであり、自然の一部としての人間が自然的な被
 拘束性を脱して自由な目的に向かう歴史的行為の現実的な条件を明らかに
 することです。自然はデュナミス(可能態)ではなくエネルゲイア(現成
 態)として捉えられるべきものであり、その時に目的も単に可能なものか
 ら現実的なものとなるでしょう。
35考える名無しさん:2001/01/31(水) 04:53
>>33 >>34
OFWさん、すごくボリュームあるレス、サンクスです。(感謝)
頭ん中が納豆状態だったりします。(冷汗)


36考える名無しさん:2001/01/31(水) 05:04
jj
37OFW:2001/02/03(土) 07:25
>>19(黒ガッツさん)
>僕は予定律が現実に合ってると思うな。
 運命論にも東洋的なもの(仏教的な宿命論)と西洋的なもの(キリスト教
 的な予定説)とがあり、行為を無化するような考え方(「結局何も変わら
 ない」)は自然に対して無力な人間の諦観になる。一方、人間の行為によ
 って未来が開けるという能動的な考え方は、個人の意志を超えた存在を
 前にして、むしろ「未来は既に決定されている(予定されている)」と
 変容する。
 それは自然的生と歴史的行為の矛盾でしょうが、自由はまず偶然として
 現れるから、因果律では規定できない現実の非決定性を見る必要がありま
 す。現実を現実的にしている条件(可能的無限?)に向かうことから、自
 律的な自由が始まるでしょう。そして、自由は共同的なものです。
>人類の半数近くは結局救われない運命にある…
 何故半数なのでしょう?そして「救われる」とは何から救われるのでしょ
 う?原罪とは過去の自由な行為のために現在の宿命が決定されていると
 いう矛盾であり、また現在の自己の悲惨な状況を未来において復讐しよう
 という他力本願的な願望の裏返しではないでしょうか。
38考える名無しさん:2001/02/03(土) 10:21
因果律にあてはまらない現象、というか、原因のない結果なんて存在するのでしょうか。
自由意志、とか、不確定性原理、とか言ってみても、その結果が出てみれば、結局原因はあったということになるんじゃないのでしょうか。
39OFW:2001/02/03(土) 21:00
>>38
>因果律にあてはまらない現象、というか、原因のない結果なんて存在する
>のでしょうか。
 まず因果律は現象に適用されるのではなく、現実に適用される概念です。
 それは「ある事態は他の事態によって引き起こされた」という現実の被媒
 介性を言います。そして、原因という本源的な事態を立てるわけですが、
 どのような事態もそれだけ孤立して見れば、直接的・偶然的なものですが、
 それを何らかの結果として見れば、既に原因を前提していることになる。
 この前提作用こそが因果律の根拠ですが、時間的に先行する事態が後続する
 事態の原因と呼ばれるためには、その間は自然的な過程でなくてはならな
 い。つまり本源的には自己同一的な実体を想定しなくてはならない、とい
 うことです。実体自身は現象しません。それは、潜在的な内容の外化(現
 実化)としてあくまで過程の底にある存在です。結果は原因と同一である
 が、結果は原因とは別の現実である、ということが因果律の矛盾です。
>自由意志、とか、不確定性原理、とか言ってみても、その結果が出てみれ
>ば、結局原因はあったということになるんじゃないのでしょうか。
 自由とは自己原因(自己に基づき他に依らない本源的存在)と言えます。
 それは同時に自己結果として、自らの行為に対してその責任を負うべき
 自律的な主体を立てます。(他動的な子供には責任を負わせられない。)
 また、不確定性原理とは量子力学で言われるもので、因果律とは異なり、
 「量子的物体の位置と運動量は同時に確定できない」というものです。
 それは観測問題(観測の結果、対象の状態が変わってしまうこと)と関係
 します。
 行為主体の被決定性とは、すなわち自らの過去がどうあれ、すべてを全く
 新しく始めることができるという可能性のことを言います。それは現実過
 程の自然的な時間順序を逆転させ、未来が現在を限定して過程を導くこと、
 そしてそこには無限(他に限定されているのではなく、他を限定する)の
 活動主体がいる、ということです。これは無限(無限定な限定)の概念で
 あり、必然から自由への移行です。
40考える名無しさん:2001/02/04(日) 04:34
高等な動物だけではないかもしれないけど、動物には先を予感したり予期したりする因果律化する能力がある。
4138:2001/02/04(日) 07:41
OFWさん。立派なレスありがとうございます。密度の濃い内容のため、理解の及ばない部分がたくさんあるので、あげてみます。
> まず因果律は現象に適用されるのではなく、現実に適用される概念です。
「現象」と「現実」の正確な定義は知りませんが、「現実」が知覚的に捉えられたものが「現象」である、と考えてよいのでしょうか。どうも因果律の適用範囲を誤解していたようです。
> この前提作用こそが因果律の根拠ですが、時間的に先行する事態が後続する
> 事態の原因と呼ばれるためには、その間は自然的な過程でなくてはならな
> い。つまり本源的には自己同一的な実体を想定しなくてはならない、とい
この「・・・ならない」の部分を理解するのが難しいです。つまり、「風が吹けば桶屋が儲かる」、という現象が見られたとき、「風が吹く」ということの背後にあるものと、「桶屋が儲かる」ということの背後にあるものが同じものである必要がある、と言われているのだと思いますが、その理由が想像できません。たとえば「おなかへったから、めし食った」なら、自己同一的な実体(おなかへって、めし食うモノ)を想定できるのですが・・・
> 行為主体の被決定性とは、すなわち自らの過去がどうあれ、すべてを全く
> 新しく始めることができるという可能性のことを言います。それは現実過
> 程の自然的な時間順序を逆転させ、未来が現在を限定して過程を導くこと、
> そしてそこには無限(他に限定されているのではなく、他を限定する)の
> 活動主体がいる、ということです。これは無限(無限定な限定)の概念で
> あり、必然から自由への移行です。
・・・ううう、全然わかりません。自然な時間の流れを逆転して考えるような不自然な説明でなければ、自由は手に入らないということなのでしょうか。
以上、よろしければ、もう少しご教示ください。
42考える名無しさん:2001/02/04(日) 14:53
因果律それ自体は概念、それも主体とその認識についての言及を必然的に問わ
れる概念ではある。(この概念が人間の観察や思考の結果から得られた事に私は
何ら異論は無いし主体認識が依然として問題だと言う事も承知している)
 が、原因と結果の関係は「世界」についての言及にも有効である。
(この「世界」は「物理法則の支配する世界」や「現象」や「現実」等の曖昧な
言い方と言い換えも可能である)
1.ある状態(結果)には、そうさせるある状態(原因)がある。(過去について)
2.ある状態(原因)は、ある状態(結果)になる(であろう)。(未来について)
OFW氏>>22の「自立的な原因が派生的な結果を引き起こす」と言う捉え方は自身
の言う>>39の因果律が「現実に適用される概念」と同じでしょうか?
その後にある「自然的な過程」と「自己同一的な実体の想定」は、哲学的概念で
あれ、この文脈で自然科学上理解される因果律と同じ関係にあるとは思えません。
これでは汎神論的理解と同じですが、科学はそれにまだ正否を与えてません。
ある状態が前後の状態と(例えそれが確率的な物であれ)連続しているのが因果律では?
つまり、理由や法則、もっと言えば差異構造以前に、実体が因果律の概念によって
必然的に導かれる、又は必要とされるとは思えません。
原因と結果による関係はハッキリ言えば時間の、少なくともそして現在の科学
でも、主な説明として用いられています。
例えば熱力学の第3法則の様に状態と状態の連続性について少なくとも非連続と
言う言い方はしていない、と言うかそのものだ。
科学的に「相互作用」と言う時も、ある状態からある状態に非連続に移る事を
可能としません。(実は、素粒子科学上で因果律の破れが見つかるかもしれない。
ボーアとアインシュタインの論争でもある)
あくまで、各要素が影響し合って連続的に次の状態になるだけである。
そこで、認識上の「連続する」と因果律は同じ概念と言えませんか?
人間の実存的認識も含む世界の認識は、時間認識と共に必然的に因果律に
辿り着き、理由(原因)を必要とする。
何故なら、世界の構造が因果律(認識出来るかは別)を法則としているから。
(人間の自由意志については、意図的にとばしました。OFW氏反論を)
43考える名無しさん:2001/02/04(日) 15:00
初めての書込み間違った。
熱力学第2法則です。不可逆性と連続性。
44黒ガッツ:2001/02/04(日) 20:48
>OFW
突然のレスありがとうございます。ベルセルクはお読みですか?
このマンガによく出てくる好きなフレーズに
「この世の中には人の運命を司る律のようなものはあるのだろうか?
少なくとも、人は自らの意思さえ、自由にはできない」というものがあります。
私がイメージするのは、努力すれば努力したぶんだけ生が良くなる、
というのが因果律。
だから、無限に努力すれば無限に生は良きものになりうる。
ところが、予定律では、努力に比例した良き生は厳密に合理的に得られるものの
努力できる心の強さみたいなものが予め定められているため、
結局、どれだけ努力しても目標とする成果は得られず徒労に終わる。
ベルセルクで言う「因果の流れ」はこのような運命的な予定律と
同様な意味で使われている。
主人公ガッツのライバル、グリフィスは数々の奇跡的な武勲をあげるものの
まさにこの「因果の流れ」にのっとった人生を生きている。
しかし、主人公のガッツだけは例外だ。
ガッツだけは律から離れたところで、あるいは律そのものと一体となって
律を改変させる能力みたいなものを持ってしまう。
このマンガには人外の存在、神的なものが出てくるのだが、
「蝕」と呼ばれる特別な時期には人は
個人の意思を越えた神的な存在にとっても予想外のことを起こしうる。
その場合には通常の予定律はチャラになってしまう。

>>人類の半数近くは結局救われない運命にある…
すいません。根拠はありません。
私の目から見て周囲の人間で幸せそうに生きている人が半分、
不幸せそうに生きている人が半分、に見えているというだけのことです。
しかも、不幸せな人はいくら努力しても幸せになることができない、
幸せになる才能みたいなものが予定律によって欠如している
のではないかと思ってしまうことがあるのです。
45OFW:2001/02/04(日) 22:41
>>40
>高等な動物だけではないかもしれないけど、動物には先を予感したり予期
>したりする因果律化する能力がある。
 確かにそう見える、というより生命体は無機的自然との相互作用において
 外界からの刺激を感受するが、それは一つの予感、予期と言えるでしょ
 う。ただ、それは本来の因果律の把握というよりは、兆候というアナログ
 情報を受けて適応行動が解発される、ということですから、進化を通して
 獲得された合目的的な行動連関という有機的(自然的)なものでしょう。
>>41(38)
>「現実」が知覚的に捉えられたものが「現象」である、と考えてよいので
>しょうか。
 そうですね。因果律とは一つのカテゴリーであり、直接的な現象面を超え
 た存在を想定しなくてはならない。何かが結果を引き起こすが、その当体
 は現象していない。それは現象の背後に潜在しているということです。
>「風が吹けば桶屋が儲かる」、という現象が見られたとき、「風が吹く」
>ということの背後にあるものと、「桶屋が儲かる」ということの背後にあ
>るものが同じものである必要がある
 経済学の問題ですね。それは「風が吹く」という過去の事態と「桶屋が
 儲かる」という現在の事態との間に何らかの関係があるのか?という
 設問から始まる。そして、多くの繰り返される事例においてそれが妥当す
 るならば、両者の間には「強い相関がある」と言われ得るでしょう。
 しかし、それが因果関係にまで進むためには、より強く、「風が吹く」と
 「桶屋が儲かる」との間に、同一の経済的実体としての価値的な関係が
 立てられなくてはならない、ということです。ある原因が結果を引き起こ
 すとは、それが蓋然的ではなく、必然的であることまで言えなくてはいけ
 ないのです。「資本主義においては恐慌は必然的である」というようにね。
 しかし、経験的な事象は常に条件的なものですから、因果律とは経験を超
 えていると言えます。それは経済システム自体の根拠に遡及しなくては
 ならないでしょう。
46OFW:2001/02/04(日) 22:43
>>41(38)(つづき)
>「おなかへったから、めし食った」
 「空腹」は「めしを食う」ことの「理由、根拠」であって、原因ではない
 でしょう。(つまりそこには実体ではなく、主体がいる)
 もし「空腹」を原因と見るならば、それは「めしを食う」ことが「空腹感
 の消滅」を結果した、という自然的な順序を逆に見ているに過ぎない。
 空腹だからといって、他人のめしを奪ってまで食うのが許されないのは、
 人間が自然的な実体ではなく、行為主体として、他の結果も引き起こせる
 可能性をもつ存在だからでしょう。
>自然な時間の流れを逆転して考えるような不自然な説明でなければ、自由
>は手に入らないということなのでしょうか。
 自由と必然性の問題は哲学の定番のようなもので、また極度に難しいもの
 ですから、一言で説明するのは苦労です。最近出た本(今日初めて見つけ
 ました)では、
  中島義道『カントの時間論』(岩波現代文庫)
 がその辺の事情を解説しているので、お読み下さい(と言って逃げる)。
 ただ、人間が自然の法則を知ることは、自然過程を予見することであり、
 それを利用して自己の自由を実現してきた、という点は、特に難しいこと
 ではないでしょう。(「社会の自然」は未だに問題でしょうが)
47OFW:2001/02/04(日) 22:45
>>42
>原因と結果の関係は「世界」についての言及にも有効である。
 私は、ヘーゲルに倣って、世界とは「現象の総体」と考えています。
>1.ある状態(結果)には、そうさせるある状態(原因)がある。
 状態とは世界の状態のことでしょうか?そうなると、状態とは世界の中に
 生起する様々な事態の共時的な配置ということでしょうが、それに対して
 は世界総体は確定できない、という事情があるでしょうね。
>「自立的な原因が派生的な結果を引き起こす」と言う捉え方は…
>因果律が「現実に適用される概念」と同じでしょうか?
 私は、現実性とは現象の総体としての世界の客観性をいうものと考えてお
 り、諸現実の総体は客観的な自己運動であるという点を先取りして言いま
 した。因果律の真理は相互作用する全体の発展だということです。
>これでは汎神論的理解と同じですが、
 何故、汎神論的と言われるのか理解できませんが、「実体」とは自然過程
 の連続性の根拠と考えれば良いでしょう。現代流に言えば「システム」と
 呼べるような何らかの自己同一的な存在です。そして、「実体の複数性」
 こそが因果律の矛盾を示すのです。
>ある状態が前後の状態と(例えそれが確率的な物であれ)連続しているの
>が因果律では?
 上に言及した『カントの時間論』から、少し引用します。
 「因果性のカテゴリーは、これまでの世界の秩序から独立に未来の秩序を
 確定する能力はない。因果性のカテゴリーが保証することはただ、これま
 での秩序が未来へと拡張し得るとすれば、それは未来において一定の結果
 をもちうるであろう、…ということのみである。」(p.227)
 結局、上記では、私も中島氏と同程度のことを言っているに過ぎないので
 す。(今日見つけて、拾い読みして、若干がっかりしました。)
>そこで、認識上の「連続する」と因果律は同じ概念と言えませんか?
 上記の引用にもある通り、未来を除けば同じでしょうね。
 未来とは開かれた可能性(非決定性、飛躍)だとは思いませんか?
4842:2001/02/05(月) 11:52
>>47
ここでは、自然科学に軸足を置いて言及してます。
私の指す状態とは「局所的な状態」で「世界の総体の状態」の事ではありません。
瞬間的に見て局所的な状態(現象)は、影響を与えた強弱の斑のある範囲があり、
その範囲外の他の状態とは無関係(影響し合わない)と言えます。只、連続的変化
の先、その影響を範囲外の他の領域に被ると言う事です。
「今、この(観測主体により条件付けされてしまう)局所的な状態(現象)は、因果律
(法則性のある連続性)に従い様々な影響を世界に与えて行くであろう(観測出来る
であろう)。」これが現在の科学的了解、又は時間概念の前提ではないでしょうか。
世界の総体と局所的事象の関係は、システム論的に言っても強度階層が存在こそ
すれやはり因果律に従うモノでしょうし、相互作用でエントロピーの法則から自由
になると言うのは私は訊きません。(自然科学で結果が原因を生む事例の可能性は
素粒子物理学[量子力学]にあります。前から疑問に思っていたのですけど量子力学
のコペンハーゲン解釈を現象学で見ると、どうなるんでしょう?)
自然科学は、言われる「世界」を同一化たらしむシステム法則を見つける学問です。
でも、これは必ずしも普遍の法則があると断定して進んでいるのではありません。
認知出来ない事であればこの学問の実証主義的立場は問題に現在不可知の印を押
します。自然科学が自由意志を否定する物ではまだ無いと言う事を示唆しようと
して、汎神論(スピノザ神学に私が最近影響されてた)は出ちゃいました。ただ、
スピノザについて訊かれても理解が出来てると自分で思っていないので困ります。(笑
で、楽観的な言い方ですが「実体の複数性」は、単に各実体がシステム論で言う所の
相で違うのでは?相対・相互的で、いけませんか?実体が同レヴェルで複数だとす
る理由は何なのでしょうか?
未来は開かれた可能性(非決定性)は同意します。そう思う理由は違うのですが(苦笑
余談ですがOFW氏の言う共時性は、唯同時に起こると言う意味に使っているのですか?
ユングの使う共只ならぬ関時性は意識と現象の係を指して使ってましたが、それを
今言及すると話しがややこしく(収拾がつかなく)なるので控えます。
OFW氏を待って自由意志と未来について言及します。
4942:2001/02/05(月) 12:02
>>48
末尾より3行目訂正
ユングの言う共時性は意識と現象の只ならぬ関係を指して使ってましたが、それを
50OFW:2001/02/05(月) 21:02
>>44(黒ガッツさん)
>ベルセルクはお読みですか?
 読んだことはありませんが、ネット検索してみてゲームがあるようなので、
 今度買って見よう。実際、今の日本で誇れるものはアニメやファミコンゲ
 ームだけという話もありますが、想像力なき時代に、哲学的ですらあるナ
 イスなマンガ、ゲームが日本に多いのは、一つの救いでしょうね。
>ガッツだけは律から離れたところで、あるいは律そのものと一体となって
>律を改変させる能力みたいなものを持ってしまう。
 ギリシャ神話にでてくる神と英雄との相克、そしてキリスト教的な予定説
を渾然と連想させる。そして「律(法律)を改変する」というのは近世の
考え方であり、「立法者としての人間」の目覚めとも解釈できます。
自然の法則と人間社会の律法との区別がポイントかな。
51OFW:2001/02/05(月) 21:07
>>48(42)
>相互作用でエントロピーの法則から自由になると言うのは私は訊きません。
 無機的自然界の中に誕生した有機的自然(生物)については如何でしょう?
 また、「情報とはネガ・エントロピーである」(N.ウィーナー)とも言
 われています。
>自然科学で結果が原因を生む事例の可能性は素粒子物理学[量子力学]
>にあります。
 多分それは不可能でしょう。それは物理学の問題というより、概念的な
 解釈上の要請ですから。量子力学が扱う世界は、原理的に測定系(マクロ)
 と対象系(ミクロ)との間の相互作用を無視できない、確率的な因果性
 (蓋然性)の領域でしょうが、それは結果が原因を生むことではない。
>量子力学のコペンハーゲン解釈を現象学で見ると、どうなるんでしょう?
 哲学的な(現代)現象学が直接コペンハーゲン解釈と関連することはない
 でしょう。現象学の立場は、総じて科学的な説明は超越的であり、客観的
 実在に対する判断は留保する、ということですから、「波動関数は実在の
 波を記述したものか、否か?」という設問には「判断保留」でしょう。
>認知出来ない事であればこの学問の実証主義的立場は問題に現在不可知の
>印を押します。
 まったく賛成であり、健全な態度でしょうね。
 ただし、問題は理論の解釈において、おかしな哲学が混じることです。
>楽観的な言い方ですが「実体の複数性」は、単に各実体がシステム論で言
>う所の相で違うのでは?相対・相互的で、いけませんか?
 上の量子力学における「EPRパラドックス」と呼ばれるものなどを
 見れば、要は「孤立系」と呼べる範囲・限度はどこまでか?という点で
 はないかな。「互いに独立な実体が相互作用する全体」とは矛盾した言
 明であり、実体はそこではもはや実体ではなく、属性的な構成要素
 にすぎない。つまり、全体を新たな実体(同一的なもの)と見なくては
 ならない、ということです。
52OFW:2001/02/05(月) 21:10
>>48(42)(つづき)
>実体が同レヴェルで複数だとする理由は何なのでしょうか?
 それが実体概念のもつ矛盾だということです。たとえば、物質は原子から
 構成されるが、個々の原子は独立している、とはおかしなことでしょう?
 それは、個々の原子(分かち得ない単一のもの)とは分かたれた結果とし
 て生じたもの、すなわち分析操作の結果生じたもの、ということですね。
 それは認識論(概念)上の問題です。実体の真理は主体である、かな。
>OFW氏の言う共時性は、唯同時に起こると言う意味に使っているのです
>か?
 共時性とは通時性に対する概念であり、(現実的であれ、観念的であれ)
 一定の統一を前提します。歴史的に発展する全体的な存在の構造的断面と
 でも言えるでしょうか。それは発展の「自己に帰る運動」という面を示し
 ており、各要素、各部分の相互連関が反照的に示されたものです。
 世界史的な例では「同時代性」と言えば、内容が分かりやすいかな。
 単に時間的に同時というよりは、実在的部分が相互に関連(浸透)して
 いる、ということ。
 (長文失礼)
53考える名無しさん:2001/02/10(土) 03:49
思考展開中あげ
54名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/02/11(日) 16:34
高校時代自称裏口入学の2人組が俺に近ずいてきて俺が何か言うごとに
2人で所作合わして馬場の真似でポウ1つ覚えで言うものだからしまいには
言いそうな時こっちが先に分かってしまい白けた。次なんかあるとすりゃ
猪木でだぁだなと思いそうこうして何年か後馬場の真似でポウと言う奴らも
おらず安心してる頃借りたAVで女優が行く時だぁと言っておりあこら旦那が
プロレスファンだな位に思ってポウの件は忘れていたのだがその頃俺に頻繁に
近ずいてくる女の風体から声まで同じで確認するとやっぱ同一人物で取り巻き
のささくれだった女子高生までどさくさにまぎれてだぁみたいと言うありさま
でこの様にして馬場猪木ラインの筒もち因果律の輪郭は形成されるのでございます。
55名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/02/12(月) 17:23
ガキになにがわかるかきさんだいてえてめいら30年のながさ
じっかんでききるかきさん30ねんいきてじっかんしてうまれてから
いままでのじかんまいなすうまれたじてんで60年じっかん
すんだろうよきさん
56Seisei Yamaguchi (f青星 l山口) :2001/02/12(月) 22:38
>>20
同意するズラ .
57考える:2001/02/13(火) 03:32
自由意思は存在しません。
意思決定システム(人脳)も決定論的な自然科学の法則に従い状態を変えているからです。

すべての事象が決定している世界で、因果というものを想定しても無意味ではないでしょうか。
58考える名無しさん:2001/02/13(火) 04:08
もう一度最初から読んで再考して貰えませんか?
そうでなければ科学で生命を定義して下さい。
中途半端な理解は無知より怖い結果を招きかねませんよ。
59考える名無しさん:2001/02/13(火) 04:18
無論、>>58>>57に対してね。
60考える名無しさん:2001/02/13(火) 04:25
因果律論者=計算機論者
非因果律論者=非計算機論者
61考える名無しさん:2001/02/13(火) 04:57
>>60
因果律論が決定論でも皆が計算機械論者じゃないちゅー華3千年の味、
計算機械論は人間の認識上の問題で、非決定性は人間の認識限界に対する
洞察も無ければならないから簡単な話では無いちゅー東和平合意決裂(悲
62考える名無しさん:2001/02/13(火) 06:19
因果律の極北=相対主義?
63吾輩は名無しである:2001/02/13(火) 12:10
所謂諸法
如是相
如是性
如是体
如是力
如是作
如是因
如是縁
如是果
如是報
如是本末究境等
64考える名無しさん:2001/02/13(火) 12:30
自由意思がないってのは実感に反するだろ。
物質が因果律に従っている様に見えるってのも確かだ。
どちらかを拡大解釈してもう一方をないっていうのが間違いなのは自明だろ。
65考える名無しさん:2001/02/13(火) 12:40
そして、双方を想像的に媒介して、京都学派的に分かった気になるのも間違いなのは自明だろ(笑
66考える:2001/02/13(火) 13:13
>自由意思がないってのは実感に反するだろ。

そうですか?私には自由意思があるというほうが理解できないのですが。
自由意思の存在はどんなときに実感できるのでしょう?
67考える名無しさん:2001/02/13(火) 13:14
>>65
チョットワラタ
68考える名無しさん:2001/02/13(火) 13:24
>>66
目の前にコーヒーがある。砂糖を入れるか入れないか迷う時は無いかい?
普通意識せずとも、さあどっち?、と考えると意志を感じない?
因みに感じないとチョット精神的にあぶなかったりしたりしがなおや。
69考える名無しさん:2001/02/13(火) 13:29
感覚と脳の間が遮断している公算大。カフェイン等アルカロイドの入った食物・飲料を
大量摂取していませんか?
70考える名無しさん:2001/02/13(火) 14:05
>>69
ちょっち言うと現実感を作り出す説明がまだ科学で出来ていない。
クオリアやニューロネット内の量子効果で説明したり色んな説がある。
が、脳科学や認知科学の研究はまだ先が長そう。
こないだ心理学板で意志は無いとのたまう輩に生物機械論かよ?と
いちゃもん付けたがつい頭に血が上って口が滑っちゃって・・・。
で、現実感と自由意志は深い関係が有りそうなんだけど・・・。
まだ、はっきりした事は言えない。だが、これは自由意志が
あるとも無いとも科学では言えないと言う事だ。
>>68の問い掛けの意味は、君が今この瞬間の現実に因果律を感じると
のならば、因果律による未来の姿を認識していると言う事だよね?
何時もそうなの?意志についても因果律による必然性を感じてるの?
詳しくは忘れたけどそんな症例を持つ心の病があった様な無い様なポレオン1世。
71考える名無しさん:2001/02/13(火) 14:51
>>70
科学は物質だけを対象にしますからね。量子うんぬんはペンローズのビッグマンシロドロームだと聞いた事がありますが、違うんですかね。
世界観として因果律があるという風には感じてますが、個々の決断をするときに因果律という知識に触れる場合は稀です。
というのは因果律がない世界を考慮する必要がほとんどないからですね。
72考える名無しさん:2001/02/13(火) 16:24
ふむふむ、あなたは二元論者では無く脳還元論者らしいですね。
自由意志否定派にして神を想定しない世界観をお持ちの御様子。
ペンローズとハメロフの「Orch OR Model」は量子干渉がメインファクター
でした。スイマソ。現在の評価は知りません。が、否定された話も
聞きません。あなた知ってますか?(知りて〜学術誌読みて〜)
で、いや、知識じゃ無くて経験主義的な学習による刷り込みでも
なくて、脳生理学的な生理反応でもなくて意識上で認識を言語的
枠組み(ワラ)で観念的概念的に行う事ありんしょ。で、ある、瞬間
判断するでしょ。その時、今、自分の意志を自分で選択したと
思わないのかな〜って尋ねてるんですミソニアン博物館。
(実感としてですよ。後の学習による感覚操作抜きの)
73考える名無しさん:2001/02/13(火) 16:28
>>72
そういう受け身な感じはないです。意識が普遍的な媒体でその上で普遍的な決定主体である
自分がなにかを決定したり選択したりする…というのは、そういう説もあるなぁと思いながら本を読んだりすることはありますが、
自分の実感として感じたことはないですねぇ。
7467=68=70=72:2001/02/13(火) 16:36
>>72>>71に対して
実はこの話、このスレの前のほうでOFW氏と展開しようと思って
暖めておいたんだけどな〜
まだ自説は固まっていないでありんす。
ヘーゲル哲学の論客OFW氏に自分の考えをぶつけて新たな考えを
手に入れたかった。(ここで意欲が萎えるかも)
すいません、独り言ですタニスラフスキーシステム。
75考える名無しさん:2001/02/13(火) 17:05
>>73
う〜ん、君の思考過程がとっても知りたいです。
出来るなら、主観的であれ教えて頂けないでしょうか?
このスレで議論する時の参考にさせて下さいンドシナ半島。
76考える名無しさん:2001/02/13(火) 17:28
>>75
感覚を開くと外部から意味の塊である情報が投入されて、
感覚を閉じると意味の塊が内部の既存の知識と整合性を取るべく
解体、変容されるので、それで次の知識を受け入れる準備ができたら最初に戻るという感じですが。
77つきあってくれてありがとう:2001/02/13(火) 19:20
>>76
私の場合、意味と言うよりもソシュールの言う分節される前の
世界の状態そのままを一度受け入れる様な感じです。
で、必要に応じてそこに意味を付けて余計な情報を無意識に
追いやる感じです。だから、平穏な時、通常の私はぼーっとしてます。
感覚を全開にしてる状態で自然体ですが感覚的に無防備です。
観念的思考に集中する時はやはり外界の刺激はそのまま無意識に
受け流す感じですね。
全体に渡り意識の奥に主体らしき持続感による統一感があります。
恐らく外界認識に圧迫される主体らしき感覚から、情報取込み過多
なのでしょう。情報処理を意識し始めると物凄い勢いで意識が変化
するので眩暈がする事があります。
自由意志を感じるのは世界に開かれている感覚を自分に向けて自己の
自由(あれこれ考えられる事)を確かめる時と、思考結果を確認したと
同時に身体が動き出す時ですかね。
今、思い出しつつ書いたのでホントにこんな感じか確信できませんが
かなり近いと思いますトックホルム症候群。
7866:2001/02/13(火) 19:23
>>68
>目の前にコーヒーがある。砂糖を入れるか入れないか迷う時は無いかい?

それはありますが。そこで砂糖をいれるとか選択をしたとしても、
それは決定論的な法則にしたがって脳が状態を変えた結果はじき出した答えにすぎないわけですよね。

79ちょっち疲れたっス:2001/02/13(火) 20:17
>>78
あれっ?69=71=73=76ではないのかえ?
あぁぁ...むぅぅ...んっ!すいません、取り乱しました。
前にも書いてるのですが、もう一度自分の知りうる限り解り易く
知ったかぶって説明したいと思います。
その前にご飯とお風呂に行ってたいと思いますカンジナヴィア半島。
80OFW:2001/02/17(土) 07:13
>>70
>現実感と自由意志は深い関係が有りそうなんだけど・・・。
 その通り、大いに関係があるでしょうね。現実感とは弁別の弁別としての
 自己意識につながる。
 実在感(クオリア?)と現実感はどう違いますか?
 西田幾太郎「働くものから見るものへ」かな?
>>72
>意識上で認識を言語的 枠組み(ワラ)で観念的概念的に行う事ありんしょ。
 概念的思考は因果自体を対象にするから、それ自体は非因果的な働きで
 しょう。
>>74(67=68=70=72)投稿日:2001/02/13(火) 16:36
>ヘーゲル哲学の論客OFW氏に自分の考えをぶつけて新たな考えを
>手に入れたかった。
 何でもどうぞ。
>>76
>感覚を開くと外部から意味の塊である情報が投入されて、
>感覚を閉じると意味の塊が内部の既存の知識と整合性を取るべく
>解体、変容されるので、それで次の知識を受け入れる準備ができたら
>最初に戻るという感じですが。
 コンピュータ(チューリングマシン)の感じのようなもの?
 あなたがコンピュータでないことを証明しないと、チューリングテスト
 に合格してしまう。
 情報処理技術者試験で言われる「情報とは意味のあるデータである」
 とは無意味な定義でしょうね。
81  :2001/02/17(土) 10:55
>あなたがコンピュータでないことを証明しないと、チューリングテスト
>に合格してしまう。

どーゆー意味?
 
82OFW:2001/02/18(日) 03:45
>>81
>どーゆー意味?
 人間なら、情報という言葉を使うとき、それがどういう意味かを知って
 いる。しかし、コンピュータなら、情報という言葉を使うとき、それが
 どういう意味かを知らないから、「情報を与えよ」という命令がインプッ
 トされた場合、データ辞書の中から「情報」というラベルのレコードを検
 索して、その記録内容をアウトプットするだけでしょう。
 インプットされたデータを「理解すること」ができれば、それが人間であ
 りコンピュータではないことが分かる。
 しかし、相手がデータを理解しているかどうか、はどうして分かるのか?
 「規則的な答えをしてこないこと」によって、かな。
 「どういう意味ですか?」と応答してくるから、かな。
 コンピュータのアウトプットが人間のものと区別できない場合、それは、
 「人間そっくりのコンピュータ」なのか、「コンピュータそっくりの人間」
 なのかは区別できないでしょうね。
 「人間はノイズをシグナル化できる機械である」(ウィーナー)。
 「情報とはネガ・エントロピーである」(ウィーナー)。
 人間は無秩序から秩序を作りだす、かな。
 与えられた規則を理解して、その因果を超える、かな。
83考える名無しさん:2001/02/18(日) 03:59
学生の頃、自分は因果律の支配下にあると感じた。
しかし、親元を離れ自活するようになってから自分は自由だと感じた。

・・・ってのはありか?
84ag:2001/03/14(水) 19:28
秩序とかシグナルというのが人間による概念だから
>人間はノイズをシグナル化
85考える名無しさん:2001/03/15(木) 03:42
「真理」がもし「絶対神」として働くならその発見は自由意志の否定か?
どうやら科学の自己言及問題が絡んでいるようにも感じる。
脳科学や認知科学あたりの問題にまで踏み込んでくると。

86考える名無しさん:2001/03/24(土) 21:11
自由意思があるということは
意思によって世界の時間発展に影響がおよぼせるってことですよ。

本気でそんなことを信じているのですか?
87考える名無しさん:2001/03/24(土) 21:23

おまえは神だ。
88考える名無しさん:2001/03/24(土) 21:32
>>86
世界の時間発展ってどんな事を言ってるのですか?
>>87
ところで87、あんた、「(●´Д`●)リュシスたん萌え〜」だね。
89考える名無しさん:2001/03/24(土) 21:32
・2000年の時点で日本に残るもの、それは焼け野原
・日本は1996年の終わりを契機として大きな変換に至る
・その前に多くの殺戮が日米決戦の形でなされる。つまり、日本の一部の権力者とアメリカが結びつき、日米決戦を行う。
 それにより、日本人の多くの魂は死ぬ。しかし、そこで多くの軍事産業が一旦勃興し、それによりフリーメーソンだけで
 はなく、世界統一政府をもくろむ多くの企業が多額のお金を手中にする。それにより、より強固な国家体制を作ろうとする。
90考える名無しさん:2001/03/24(土) 21:53
>>89
キミ、「(●´Д`●)リュシスたん萌え〜」だろ。
様々に偽って大勢を演出してるつもりなのか?
91考える名無しさん:2001/03/24(土) 21:55
まあ、いや、子供というよりもですね、それもまた、仏教の奥儀の瞑想の一つで、ま、この肉体を完全に不浄のものと見ると。
で、この不浄のものと見て、それを単に否定するんではなくて、その肉体から離脱して、もう一つの自分の本質があるわけですけど、ま、その本質というのは、先程言われた、その分子・原子レベルのまあ肉体だとお考えください。

で、それは、食べる必要もないし、飲む必要もないと。ただ、その空間にあるそのエネルギーを吸収することによって、まあ素晴らしい経験、素晴らしい、ま、心地いい状態になるわけですけど。

で、そういうことを、小さいときから考えていらっしゃるということは、明らかに、仏教の、まあステージでも、不還とかいわれる段階があるわけですけど、そういう段階を、前生において経験していらっしゃる証拠だと思いますね、それは。
92考える名無しさん:2001/03/24(土) 22:03
>>91
オイオイ。今度は2chにお馴染のオウムネタかい?
どこからコピペしてんのか知らないがご苦労様。
「リュシスたん萌え〜(●´Д`●)」に「オウムネタ」の次は何だい?
93考える名無しさん:2001/03/24(土) 23:08
>>88 物体の運動など
94考える名無しさん:2001/03/24(土) 23:45
>>93,>>86
例1
ある日、貴方は目の前にある林檎と蜜柑のうち蜜柑を食べたとします。
暫く放って置いたので林檎は腐りかけたので裏庭に放り捨てました。
何年かした後、裏庭には林檎の木が育ちました。

例2
ある日、野球をしに行きました。
9回裏逆転のチャンス、コーチはバントを支持しましたが貴方は
バットを振りホームランを打ちます。

上記の例を考えた時、自由意志があるか無いかは別として、意志が
世界の時間発展に影響を及ぼさないとは、どの様に考えればいいのですか?
95考えよ名無しさん:2001/03/25(日) 01:11
>>10
で、NAMって何よ。
96考えよ名無しさん:2001/03/25(日) 01:12
ごめん、スレ違い。削除してください。
>>95
97考える名無しさん:2001/03/25(日) 01:18
一度終わったスレを無理矢理あげると醜い。
98考える名無しさん:2001/03/25(日) 19:07
>>97
あんた、このスレに何かトラウマあるのか?
99考える名無しさん:2001/03/26(月) 20:15
林檎を捨てたら木が育った
バットを振ってホームランを打った

意思の影響がどこかにありますか?
自然のながれにみえるのですが
100考える名無しさん:2001/03/26(月) 21:24
>>99
何で、蜜柑じゃないんですか?
何で、バントじゃないんですか?
101考える名無しさん:2001/03/26(月) 22:25
それが自然のながれだからです。
102考える名無しさん:2001/03/26(月) 22:28
初期条件と物理法則から導かれた結果です。
なるべくしてなったことです。
103>101,102:2001/03/27(火) 00:49
恥かしいな。
マジ?
104考える名無しさん:2001/03/27(火) 00:56
人間の肉体は物理システムにすぎないでしょう?
何か間違っていますか。
105考える名無しさん:2001/03/27(火) 01:09
>>104
途中参加だけど、94って意思決定は因果的かって聞いてんでしょ。
物理システムにしろ意志決定のシステム自体が明らかになってないじゃ
何も言えないんじゃない。
物理システムと言ったって自由意志を生まないとも限らないんじゃないの。
106考える名無しさん:2001/03/27(火) 02:06
意思決定のシステムは実は問題ではないのです。

肉体の運動は物理法則に従っている以上
意思がどうあれそれをコントロールすることはできません。
107考える名無しさん:2001/03/27(火) 03:05
あなたはジャンケンするのに自分の意志で出せないの?
108考える名無しさん:2001/03/27(火) 20:45
ジャンケンで出すときに出す手を意志の力で変更することはできません。

たとえば、石を出すという結果になる初期状態の場合には、
石を出そうというような意識を感じつつ運動神経の電位が変動したり
筋肉が収縮したりして握り拳を出すことになるでしょう。
肉体は物理システムとして法則にしたがった運動をしているだけです。

賽が振られたときに意志の力で目を変更できないのと同じです。

肉体も物理法則にしたがった結果をあたえるという前提にたてば、
意思の介入する余地がない以上、自由意思は否定されます。
心身問題や物理法則が決定的かどうかを考慮しなくてもここまでの結論は得られます。


筋肉の収縮などの物理システムの連鎖の結果として
109あぼーん:あぼーん
あぼーん
110考える名無しさん:2001/03/28(水) 01:59
>>108
う〜ん、問題が摩り替えられている。

>石を出そうというような意識を感じつつ
何故、チョキやパーではなく、グーなのですか?
ここを問題にしてるのですけれど・・・
111考える名無しさん:2001/03/28(水) 17:45
だからそれは物理的な結果ですって。

初期状態が石を出すという結果をあたえるものだったら、
私が意志の力でそれを
紙や鋏をだしたりジャンケンを中止したりといった結果に変更することは
できません。
112考える名無しさん:2001/03/28(水) 17:53
初期状態って何をいってるんだ?
ジャンケンの手を決めた時の、思考過程の説明をふっ飛ばすな。
あなたはカキコしたのも初期状態がそうだったからと説明するのか?
113考える名無しさん:2001/03/28(水) 17:58
バカだな。初期状態を把握できる訳がないじゃないか。
114考える名無しさん:2001/03/28(水) 19:04
>>113
誰に言ってるの?
115考える名無しさん:2001/03/28(水) 19:07
>>114
バカにだよ。
116考える名無しさん:2001/03/28(水) 19:27
分けわからんな。
物理法則による因果律を当て嵌め様としてるのかな?
だったら思考過程でグー・チョキ・パーのどれを出すか決める時に
決定論的物理法則が適応出来る事を証明しなければならない。
認知科学や脳科学はそこまで行ったのかな?
古典力学か量子力学か、決定的か確率的か、まだ解らないんじゃないの?
117考える名無しさん:2001/03/28(水) 19:30
1.人間をふくめた全物体は物理法則にしたがう。
2.意志の力は物理法則に介入できない。

意志の力では物質世界のながれを変更できない。
118考える名無しさん:2001/03/28(水) 19:33
>>116
>>108でいっているように物理法則が決定的かどうかは
この議論に関係ありません。
119考える名無しさん:2001/03/28(水) 19:41
自分という系が物理的に決定されているとして、
それが外乱を受けているかどうかを考えれば自分のすることが決定されているかどうかすぐわかるだろ。
自分の外にはなにもないというのならすべて決定されているし、
そうでなければ決定されていないということでいじゃない。
120考える名無しさん:2001/03/28(水) 20:03
>>118
だから、あなたはグー出そうとしてチョキが出るのかい?
運動中枢にシグナルを送る前にそれを決める思考過程が
あるんじゃないのかい?
>>119
そうじゃなくて、意志決定は物理法則で解析出来るかって事じゃない?
脳科学や認知科学は脳は古典力学に支配されているって言ってるの?
121考える名無しさん:2001/03/28(水) 20:10
どっちにしても外部からの刺激に対して脳が判断を下すんだから、
外部の刺激を完全にコントロールできない以上、判断内容もコントロールできないだろ。
結果が予想不可能なんだから決定論的かどうか判断するのは不可能。
122考える名無しさん:2001/03/28(水) 20:27
あっ。間違った。>>116,120の古典力学は古典力学的決定性の事。
もし、決定論的な物理法則に従うなら結果から初期状態を絞れる。
123考える名無しさん:2001/03/28(水) 20:36
脳細胞の電位がもろに量子力学的効果にさらされてるから、
結果から何らかの初期状態を特定するのは不可能だろう。
124sage:2001/03/28(水) 20:41
脳の状態が変化する過程はカオスです。
脳は複雑系です。意識は自由です。
125考える名無しさん:2001/03/28(水) 20:49
>>120
?鋏が出るときには私が何をかんがえていても鋏がでるはずですが。

>>117のとおりの簡単な3段論法なのですが。
この結論に反対のひとは、
前提1もしくは2を否定しているのですか?
論理展開を否定しているのですか?

たとえば、生きている脳内では既存の物理では説明不能の現象が起きている可能性がある
として前提1を否定する、とかならば納得できます。
しかし前提1,2を仮定するならばこの結論が得られる、
というのを否定するのは理解できません。
126考える名無しさん:2001/03/28(水) 20:55
>>125
既存の物理学では結果を完全に予想することができないことになっていますよ。
もちろんボールやバットや手の様な大きなものに関しては日常的な原因−結果の関係が成り立つとされていますが、
脳の配線のような小さいスケールでは、原因と結果の関係を観測から特定することは難しくなってきます。
127考える名無しさん:2001/03/28(水) 21:39
結果を予想できるか、とか、決定しているか、とかは関係ないのです。
確率的にしか定まらないとしても、
意志の力で結果をうんぬんできなければそれは自由意思とは言えないでしょう。
128考える名無しさん:2001/03/29(木) 00:54
>>127
あんた、宗教的な匂いを感じるよ。
129考える名無しさん:2001/03/29(木) 22:29
>>127
考え方が変だよ。ぜったい変!
130考える名無しさん:2001/04/11(水) 19:01
どう変なのか?あなたの考える自由意志とは?
131考える名無しさん :2001/04/12(木) 00:15
結果を予測できると決定しているは
ホントウニ
関係無いのか?
132考える名無しさん:2001/04/12(木) 04:23
自由意志とは、ある事情に対して決められた範囲内にのみある。
ジャンケンならグー、チョキ、パーがそれにあたる。
結果として勝ち負けあいこがあるのだが、十分影響していませんか。
これは問と答の関係です、式は思考です。
問に問で答えるのも自由です、この場合式は関連性のある疑問です。
133考える名無しさん:2001/04/12(木) 08:02
確率的にしか定まらない、予測できない、ということから
自由意志を支持している方は、例えば、
他人のふったサイコロにも自分の自由意志が働くと考えるのでしょうか。
各目は1/6の確率で出て予測不能なのですが。
私には、この出目の確率を意志の力で変化させることができた場合のみ
自由意志と言える、と思われるのですが。

予測できないとか確率しか定まらないということが、
自由意志を裏付けるとは思えません。
むしろ問題は、確率は定まっていて意志の力では曲げられない、
ということなのではないでしょうか。
134考える名無しさん:2001/04/12(木) 16:14
なるほど、運命スレや神様スレでも似た話出てるけど、
未来が決まっているかどうかということと、それが予測可能かどうかというのは別の話なんだな。
常識的な考えとしては、未来は一つで既に決まっているが今現在からは予測不可能で、
自由意志に関しても、実際に取りうる行動は一つしかないが、可能性は無限にある。
だから未来は必然だが神はいないってところか。自由意志も在る(ように見えるが実は無い)
135考える名無しさん:2001/04/12(木) 16:52
自由意志があるという感覚は未来が予想できない事に由来して、
未来が確定しているという感覚は過去を知ることが出来ると言う事からの
推測だと考えるのが妥当だと思うのですが。あるいは過去に関する自分の知識を
知識の全体だと勘違いする誤謬から来るものかもしれませんが。
136考える名無しさん:2001/04/12(木) 17:03
未来というのは既に決まってるんじゃなくて、未来というのが本当は
存在しません.あるのは永遠の今だけ.あるいは今から眺めた未来
だけがある.でもそれも今の一部.もし自由意志があるとすれば今だけ
ということになります.
137考える名無しさん:2001/04/12(木) 17:14
永遠というのは、現在の一部で知ることが出来ない部分があるということですね。
人間は現在の全体から見れば部分ですし、人間の外とも関わっていますし、
現在の全体を知ることは出来ないですから、それを求める作業は永遠に終わらないということで。
138ヨシフ:2001/04/12(木) 20:13
因果律とは・・・。
ヒュームの「人間本性論」読んだら?面白いと思うよ。
結局、因果律は人間の心の中に習慣によってできるだけで、なんら事物の方に根拠があることは無いってこと。
139飛び火した様だ:2001/04/27(金) 02:58
物理板「■■我々の未来は決まっているの?■■」スレ
http://cheese.2ch.net/test/read.cgi?bbs=sci&key=986577692&ls=100
140考える名無しさん:2001/04/29(日) 21:23
-
141考える名無しさん:2001/05/03(木) 00:52
>>139
omoroi
142考える名無しさん:2001/05/03(木) 04:02
随意運動するときは、運動する前から脳には活動が現れます。
この活動はニューロンの運動準備電位として記録できます。
自由意志は、前頭連合野のニューロン活動によって生まれ、
その活動が補足運動野を制御することによって随意運動が起ります。
143考える名無しさん:2001/05/09(水) 02:19
144考える名無しさん:2001/05/09(水) 23:49
宇宙がはじまる前は因果律はなかったそうです。
145>144:2001/05/10(木) 05:27
見たんかい、おっさん!
146名無し:2001/05/10(木) 06:03
>>145
見えなくても、考えればわかります。
宇宙の始まる前は「無」
しかし我々は無いものについては考えられない。
よって、宇宙の始まる前は存在しない。

147>146:2001/05/10(木) 06:37
>宇宙の始まる前は「無」

見たんかい、おっさん!
148名無し:2001/05/10(木) 06:39
見えません・・・(/_;。) ウッウッウッ
149名無しさんの主張:2001/05/10(木) 14:44
因果律に関して、機械論的な認識は
現代物理学の不確定原理により否定されている。
認識論の世界観は現代科学に追い付いていない。
150ヨシフ:2001/05/10(木) 14:46
因果律は人間の心の中にしか存在しない。
恒常的連接に基づく、習慣的な観念連合が存在するだけ。
151考える名無しさん:2001/05/10(木) 14:57
人間が人間の心をコントロールできる訳ではないのでねぇ。
因果律が自然に感じられる様は物理的な現象と心理的な解釈が
必然的にあると考えたほうがいいのではないかな。
152名無しさんの主張:2001/05/10(木) 15:19
>>150
観念論は止めなさい!
153匿名希望:2001/05/10(木) 16:55
>>150
ヨシフ氏が書かれた事は、むしろ古典的経験論の立場では?
154考える名無しさん:2001/05/10(木) 16:59
古典的経験論は主観を論ずるのにあらかじめ因果律を認識するようなアプリオリな前提は必要でない

という以上の主張はしていないのでは??
155名無しさん:2001/05/10(木) 17:00
観念に依らずに思考することは可能ですか?
156考える名無しさん:2001/05/10(木) 17:03
『観念』というのをどの程度構造化されたものと捉えるかによるでしょう。
いわゆるイデアなど、時間の流れに対して思考の対象として不変に思われる一方
意味内容が限定されているために明らかに永遠では有り得ないものを仮に『観念』とすると、
観念はむしろ思考を表現するのに必要で、思考そのものには必要でなく、むしろ思考過程には
有害であるケースもあり得るのではないでしょうか。
157いちご姫:2001/05/10(木) 17:27
>>155
少なくとも明らかに可能です。
思考過程が全く思考者にも不明であっても、発話に有意味性・論理性が
見られれば、その人は思考した、といわれ得るでしょうから。

(でもないか、本人が「発話はしたが何を言ったかもわからない」と主
張するような事例では、彼/女に思考を帰属するのは無理かも?もし無理
だとすると、思考結果としての発話に導かれる命題は彼/女が理解してい
なけばならず、その為には観念による表象を彼/女がしている必要がある
かも・・・・

   と、考えたがやはり観念は不必要。思考結果としての命題を彼/
女が「理解している」と発話する傾性を命題を発話する傾性と併せ持ち、
かつその発話命題に即する行動傾性をも有していれば、思考の理解は彼/
女に帰属される。

 結論、やはり、観念に依らず思考することは可能。)
158考える名無しさん:2001/05/10(木) 17:30
観念によらず思考したものを観念によらず表現した場合に、
その表現が思考によるものか表現した本人が確かめるのは不可能。

思考は可能ということで。ポアンカレマンセー
159名無しさん:2001/05/10(木) 18:20
115です。
むぅ…私は『観念』というものを広く捉えすぎていたのかな?
思考して表現しなければ可能?
レスありがとうございます。m(._.)m
160名無しさん:2001/05/10(木) 18:22
↑間違えました。
155です
161いちご姫:2001/05/10(木) 18:35
>>158
 その発話の発話内容が本人が思考したものであるか否かは、それを
確言する為に本人が<確かめる>必要はないのです。
 発話者本人が、彼/女が思考したものである、と確言しさえすれば、
十分に疑わしいと見なされるに足る反対的証拠が提示されない限り、そ
の確言内容は真である、と見なされます。一人称特権( first person
authority )がそこに見出される、ということです。
162いちご姫:2001/05/10(木) 18:37
>>158
むしろ、思考内容の観念ととりあえず考えられたものが、現にその思考
内容であるか否かを確かめる事こそ、本人であれ他者であれ不可能でし
ょう。
163考える名無しさん:2001/05/10(木) 18:44
>>162
そりゃそうだ。思考内容が観念で表現できるのは、思考そのものが持つ性質=イデアか、
他者とやりとりする結果(ラカンなんかはそういうモデルを立てていた気がする)か、
というのは保留しておいても、観念はここで言う思考と自覚との関係とは別の問題だ。

つまり何だ、不可知な順に並べると 思考者が有限・主観的で独立した存在であるという自明性<思考<観念<<<もろもろの具体的な概念や個物
まあ両端はもっといい哲学の術語があるはずだけどね。
164考える名無しさん:2001/05/10(木) 18:58
えーと、やや話題を戻すと
レス135くらいまでの
自由意志は果たして可能なのか否かの議論は
まだ決着がついていないようにも見えるのですが
果たして結論は出たのでしょうか?

>ALL
165考える名無しさん:2001/05/10(木) 19:00
>>164
>>161の一人称特権、
>>163の主観がうんたらかんたら

というのは古い言いまわしでの「自由意志」と「運命」との対比で言う所の前者なので、
結論としては164以外に自由意志が可能だと思っている人が2人はいるという事で、どうでしょう?
166考える名無しさん:2001/05/10(木) 19:10
>165
なるほど。レス感謝です。

では「自由意志は可能だ」論者の人に聞きたいのですが

>>117氏が「自由意志は不可能」論の根拠に挙げた

1.人間をふくめた全物体は物理法則にしたがう。
2.意志の力は物理法則に介入できない。

3意志の力では物質世界のながれを変更できない。

という三段論法(と117氏のそれ以降のレス)はどこがおかしいのでしょうか?

私自身は直感的には自由意志の存在を「信じて」いるのですが
117氏の論法もなかなかそれなりに説得力があるような印象もあり
正直、どう論破しうるのか悩んでいるのですが・・
167考える名無しさん:2001/05/10(木) 20:58
俺も知りたい>166
168考える名無しさん:2001/05/11(金) 00:06
●決定論の認識
(1)時間t1において物体の状態はAと観察される。
(2)A⊃Bなる法則が認識される。
(3)時間t2において物体の状態はBと観察される。
●自由意志論の認識
(1)時間t1において物体の状態Bが良いと認識される。
(2)Bを実現するためのA⊃Bが認識される。Aは直接実現可能な命題である。
(3)時間t2において物体の状態はBと観察される。

決定論も自由意志論も意識の認識の形態である。
自由意志はその起動において価値命題が設定される。
両者は議論領域を別とする認識の形態である。
対象は光が波,あるいは粒子として背反的に観察されるような事象である。
もっとも自由意志は価値命題が介在する以上、観察の対象とはなりえない。

∴117は因果論に支配される物理的実在を前提とした仮想の世界である。
169いちご姫:2001/05/11(金) 00:25
>>165
一人称特権は自由意志ではなく、心的内容や行為の理解についての認識論的
概念です。

私は「自由意志」は無意味な語だと思っています。
「自由な行為」は、(拘束のような例外を除いた)行為についてのべられる
語だ、と考えます。
従って、自由な行為の存在は決定論を何ら脅かすものではありません。
(但し、「決定論」というのが果たして概念の鮮明な語であるか否か、という
別問題は残りますが。)
170いちご姫:2001/05/11(金) 00:38
>>166
2.意志の力は物理法則に介入できない。と3意志の力では物質世界の
ながれを変更できない。は同じ命題の言い換えですね。

2.には、「意志の力の結果といえど(物的事象であるから)、物理法則
に従わねばならない。」
でももってくれば妥当な三段論法になるでしょう。
171いちご姫:2001/05/11(金) 00:43
>>168
「●自由意志論の認識
(1)時間t1において物体の状態Bが良いと認識される。
(2)Bを実現するためのA⊃Bが認識される。Aは直接実現可能な命題である。
(3)時間t2において物体の状態はBと観察される。」

これでは、良い、と判断されたそのことが生起した、というだけで、その
生起した良い事象が(自由意志により)主体によって引き起こされた、と
いう意味合いが含まれていません。
172考える名無しさん:2001/05/11(金) 00:59
>>166 >>170
もっと単純だよ。>>177の論証では、2が自由意志の不可能論そのものだから、
論点先取。よって、その論証は非妥当。
173考える名無しさん :2001/05/11(金) 01:01
>>177 ×
>>117 ○
174考える名無しさん:2001/05/11(金) 01:41
本題から少しズレ気味ですが…
>>169
「行為」が「自由」であるとは、どういう意味ですか?
行為が自由だということは、その行為を引き起こす意志も自由だ
ということになりませんか?
175考える名無しさん:2001/05/11(金) 06:02
>>171
>生起した良い事象が(自由意志により)主体によって引き起こされた、
>という意味合いが含まれていません。
認識とは主体によってなされる行為とは違うのかね。
きみは他者の認識を観察できるのかね。
わたしは両者ともども認識という範疇に封じ込めたのだが・・・。
>>174
>行為が自由だということは、その行為を引き起こす意志も自由だ
>ということになりませんか?
主体が状態Bを想定する時、Bの価値判定は肯定と否定の二区分がある。
わたしがきみに「腕を上げたまえ」と命令しても、きみには腕を上げる自由と
上げない自由が存在するというわけだ。
自由とは言ってみれば「やりたいことができる、かつ、やりたくないことはしない」
だからだ。

さあ、あさだ。前から腕を上げて大きく深呼吸。
176考える名無しさん:2001/05/11(金) 07:03
いったい誰の自由意思なんだろうね.
人間の無意識や深層意識も含めてのことなのか.
山をも動かすことができるといったイエスは正しかった.
神がそのようにした意志が彼の自由意志だった.
だから山を動かす必要はなかった.
自由意志は近代自我にはないでしょ.
177考える名無しさん:2001/05/11(金) 08:06
>>176
フロイトや聖書や実存主義の用語を持ってきてくだらんこというな。
そういうのを朝からマスカキというんだ。
178考える名無しさん :2001/05/11(金) 08:22
えー、麻原彰晃とかけまして、オナーニととく、
(そのこころは?)

                                                                       朝からショコショコ
179考える名無しさん :2001/05/11(金) 08:36


       彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡
      彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡
     彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡
    彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡  彡彡彡
   彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡   - -    ]
  彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡    - ---   [
  彡彡彡彡彡彡彡彡彡     彡彡巛   )
 彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡    彡  _   )
 彡彡彡彡彡彡/ ̄ ̄彡彡    ∠=≡  (
 彡彡彡彡彡彡| |   彡彡           \
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 彡彡彡彡彡彡彡 ̄彡彡       _ノ ⌒─
 彡彡彡彡彡彡彡彡彡     _ノ《《《巛巛巛》
 彡彡彡彡彡彡彡彡彡      |巛巛     )
 彡彡彡彡彡彡彡彡彡       巛/ ̄ ̄ ̄)  ポアが足らんようだな...
 彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡     《巛 ̄ ̄ ̄(
 彡彡彡彡彡彡彡彡彡       》》》》》》》》》
彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡》》》》》》》》》》
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彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡彡》》》》》》》》》》》》》》》》》
180考える名無しさん:2001/05/11(金) 10:29

深い海に落ちていくのが怖いんだね
181いちご姫:2001/05/11(金) 12:48
>>174
>行為が自由だということは、その行為を引き起こす意志も自由だ
ということになりませんか?
なりません。意志は行為と因果連関に立ちうるような何らかの事象
(出来事)ではないからです。

>「行為」が「自由」であるとは、どういう意味ですか?
「自由でない」(「拘束された」「限定された」「強要された」等)際
以外の行為が全て「自由な行為」(自由に為された行為)と<呼ばれる>
のです。
182考える名無しさん:2001/05/11(金) 12:51
>>181
いいぞーもっと言ってやれ。
自由に伴う責任を回避するために、自由そのものがない、全ては運命だ、と逃げ道を用意するのは占い師依頼の悪徳商法の常套手段だ!!!
183ピッチ:2001/05/11(金) 14:49
>>181
人間意志の自由性が因果帰属に含まれないという君の認識は正しい。

ただ「自由でない以外の行為」を「自由な行為」と「呼ばれる」という
説明内容は無意味な同語反復に聞こえる。
184考える名無しさん:2001/05/11(金) 15:12
>>183
完全に自由でないのは自明だから。東京から大阪に3分で移動する自由は何人にも与えられていない。
185考える名無しさん:2001/05/11(金) 15:19
>>183
「制約の無い行為を自由と呼ぶ」てやると意味が揺れるでしょ。
いいのでは?
186考える名無しさん:2001/05/11(金) 15:21
制約が自然の制約か人間による制約なのか、人間が恣意的に制約を作るのが自然の制約の一部なのか、、
ゆれるゆれる。
187いちご姫:2001/05/11(金) 15:25
>>183
>ただ「自由でない以外の行為」を「自由な行為」と「呼ばれる」という
>説明内容は無意味な同語反復に聞こえる。

行為の中で、「自由でない」ものが先ず繰り出され、その残余が「自
由だ」といわれる、という順序をのべたものです。
具体的な特徴付けは括弧内で行いました。
188ぎゃらりい:2001/05/11(金) 15:27
>>181
すいません。ちょっと混乱してきたのですが
いちご姫さんは最初169で「自由意志とは無意味な語だ」と主張され
しかし同時に「自由な行為」には肯定的なようにも見受けられ
はたまたしかし「自由な行為の存在は決定論を何ら脅かすものではありません」
と主張されているように見えるのですが
やや相互の主張の整合性が分かりにくいので
もう少し解説していただければ幸です。
189考える名無しさん:2001/05/11(金) 15:27
より主観的な事象が柔らかい()で括られている所にセンスをかんじるな。
190ぎゃらりい:2001/05/11(金) 15:52
あともし自由意志が否定されて、人間の行為も含めて全ては
自然の物理的法則に従っている運動にすぎない、と主張するの
であれば、もはや人間の「犯罪を罰する」とかは無意味に
なってしまうようにも思うのですがこの理解は正しいでしょうか?

つまり犯罪者がその「自由意志」で選択して行った行為に対して処罰するのは
自明ですが、自由意志ではない「物理的法則」によって生起した犯罪行為を
その犯罪者の責任にすることはナンセンスではないでしょうか?


191いぬのめい:2001/05/11(金) 16:00
>>190
「罪を憎んで人を憎まず」
という精神が日本にはあるね。
192考える名無しさん:2001/05/11(金) 16:00
>>190
実際には主観的に自由意志があり、それを他人を裁く根拠にしている人が一人はいる訳ですから
(差し支えなければ私をその一人に入れて頂いて決行ですし)この世に
自由意志が全く無いという仮説は複数の人間が相互に行動を規制しあう様な状況に関する議論では
無意味な前提なのですが、実際に自分の行動に責任を取らされるのが嫌であったり単に両親の行動を模倣するだけで
それを犯罪扱いされる様な環境に生まれた人間が、自我(=自己肯定的な部分を含む世界観)を守るために
上の様な主張をすることはある様です。

まあ全ての法律が納得できる内容であるとは言えないので、法律やルールを全面的に公定するのはある種の極端であるのでしょうが、
その部分的な齟齬を否定するのに、自由意志から根こそぎ否定するのもやりすぎという事だと思います。
193ピッチ:2001/05/11(金) 16:17
>>187
順序を述べたはいいと思うが、定義付けに関しては同語反復。
「定義」と「特徴」は異なります。
194考える名無しさん:2001/05/11(金) 16:27
それが明らかにあると考えてる人には定義でも、
それを今から探さなければならない人には「特徴」としてしか捉えられないだろ。
体験をどの程度共有しているかを確かめるのには、ある人が「定義」で指し示すものの
特徴を延々と語り合ってみるしかないんじゃないの?
195いぬのめい:2001/05/11(金) 16:38
>>190及び192
個人的には191で言うように「個人」には罪はないと考える。
真の悪は「罪」であり、その責任は(個人そのものではなく)
(その個人の考え方、又、個人にその行動をとらせた)「環境」に因る。

(他人に対しての)「環境」の為に、(本当は、その人間を罰するのではないが)
その人を「見せしめ」として「刑を執行し」(→ここでは死刑の意味がある)
また、刑務所内ではその「(良い?)環境」を彼に与えることによって
彼を更生させる(犯罪を彼から二度と発生させない)(この点では、死刑の意味はない)
その二つの理由で「刑」は執行されるのである。
ここで重要なのは「彼自身」を、罰するための罰では決してない、と言う事。
(未来の犯罪を減らすための罰である。)
いぬのめい、「罪と罰」を勝手に語るの巻でした。
(少なくとも国家側はこのように考えているのでは?→人に罪なし→『自由意志なし』)
どうですか?意見もとむ。(だから洗脳なんてできるんだって↑)
196いちご姫:2001/05/11(金) 17:23
>>190
簡潔に答えられそうな問から回答します。

「人間の行為も含めて全ては
自然の物理的法則に従っている運動にすぎない、と主張するの
であれば、もはや人間の「犯罪を罰する」とかは無意味に
なってしまう」
無意味になりはしません。刑罰は、ある状況(特定の犯罪を犯した)
にある人をしかじかに扱う(拘禁する・処刑する等々)、という事です。
拘禁や処刑をいかなる対象に科すか、というのは社会の選択の問題であ
り、何ら自由意志を持つ対象にしか科し得ない、という意味を含みません。
例えば、処刑は催眠術にかかった人にのみ行うとか特定の身体障害がある
人にのみ行う、と言う共同体があったとしても、概念違反ではないのです。
197考える名無しさん:2001/05/11(金) 17:41
>>195
それは外在説(ちょっとうるおぼえ)などといって、実効性の高い犯罪取締りのプログラムを作るのに
今までより環境の影響力を重視した方が実際に有効だという事実に裏付けられた考え方なのだと思うけど、
今まで考えられた範囲より自由意志の影響範囲が狭いと分かったからって、自由意志と責任担当能力そのものを
全否定してしまうのはやはりナンセンスでは?
198いちご姫:2001/05/11(金) 17:46
>>188
ぎゃらりいさんの要約の通り、私は
(1) 語「自由意志」は無意味
(2) 語「自由な行為」は有意味かつ自由な行為は存在する
(3) 自由な行為の存在と、決定論は両立可能
を合わせて主張しています。

(1) と(2)の違いは、明らかですね。「自由で無い意志」というものを人はおそらく想像不可能だ、と思います。仮に想像不可能であれば、「自由な意志」も無意味ですね。
(2) の「自由な行為」における語「自由な」は、行為の一部を括りだし、行為のサブ・クラスを作っているだけです。そして、その「自由」は「自由で無い」事が想像可能(で実行可能)な様々な場合(拘禁・強要等々の)補集合に過ぎません。

さて、(2)と(3)との関係です。全ての行為は、(少なくとも同時に)物理的出来事でもあります。(物理的現象でない行為が存在する、という人とは議論の必要が別にありますが、私はそれを信じない。)すると、(現行科学を承認するなら)その出来事=行為は因果法則にのっとっていることになります。ここで、「自由な」行為といえど、(2)において
何ら法則に反する出来事を引き起こす・因果法則に介入するといった規定が与えられていません。(因果法則に反するというのは、複数の可能な未来から予測とは異なるある未来が現に選択可能、といった場合※)だから、(3)は成立します。

※ 社会は、犯罪者にその犯罪行為と異なった行為(もしくはその行為を慎む事)が出来たはずだから、彼は自由にその行為を行った、としばしば弾劾します。しかし、その選択可能性は、その時点の因果法則に反する出来事連鎖のあるものも含めて選択可能、といわれているのです。

説明が不完全なところが多いので、細かく質問していただければ応答可能かと思います。


199考える名無しさん:2001/05/11(金) 18:01
犯罪に関しては、もし宇宙事象が決定論であったとしても免責されません。
なぜなら、犯罪を犯したものは、犯罪を犯し、捕獲され、弾劾されることを
決定されていたのです。
てか、扱ってる事象のレベルが違いすぎるので、まず因果律だけを考察し、
そのご演繹しましょう。
200いぬのめい:2001/05/11(金) 18:05
>責任担当能力
を問うのは、
そのような現実(環境)を見せ付けられることによって
人々は「しっかりしなくちゃ」と思うでしょう。
そして犯罪が減る、このことがただ、目的であり
本当は、真に個人の責任は認めていない。
なぜなら、全ての犯罪の発生は、それをとりしまう国家側の力不足による物だからである。
→ここで言いたいのは、「個人の責任を問う」事によって、「より犯罪を減らしている」
という効果を狙ってのものであり、それ以上ではない、ということ。
ふははははぁ わ〜い。どうだ(?)
201いぬのめい:2001/05/11(金) 18:07
>>197
>責任担当能力
を問うのは、
そのような現実(環境)を見せ付けられることによって
人々は「しっかりしなくちゃ」と思うでしょう。
そして犯罪が減る、このことがただ、目的であり
本当は、真に個人の責任は認めていない。
なぜなら、全ての犯罪の発生は、それをとりしまう国家側の力不足による物だからである。
→ここで言いたいのは、「個人の責任を問う」事によって、「より犯罪を減らしている」
という効果を狙ってのものであり、それ以上ではない、ということ。
わ〜い。どうだ(?)←ちょっと調子に乗ってみたい気分
202いぬのめい:2001/05/11(金) 18:11
なんてこったい、打ち込めなかったとおもってしまった
故意ではないです→それでも罪は罪?すんまそん。
203考える名無しさん:2001/05/11(金) 20:26
>>202
それよりさ、
いちご姫さまが一生懸命因果律をご説明されてるときに
犯罪責任追求可否の話をして負担をかけるのは如何なものかな?
議論を拡散させ潰したのでないならば、ここは納得行くまで拝聴すべき
時だと考えようぞ。
204考える名無しさん:2001/05/12(土) 00:49
>>181
>意志は行為と因果連関に立ちうるような何らかの事象(出来事)ではないから
>です。
行為の原因となりうる出来事とは何ですか?

>>196
>拘禁や処刑をいかなる対象に科すか、というのは社会の選択の問題であ
>り、何ら自由意志を持つ対象にしか科し得ない、という意味を含みません。
>例えば、処刑は催眠術にかかった人にのみ行うとか特定の身体障害がある
>人にのみ行う、と言う共同体があったとしても、概念違反ではないのです。
制度が共同体に相対的だというのはいいんだけど、
あなた自身は「有責性」をどう定義しますか?
自由意志の概念を含まない「有責性」概念をつくっても、
あまり「意味がある」とは思えないけど。

>>198
>「自由で無い意志」というものを人はおそらく想像不可能だ、と思います。
>仮に想像不可能であれば、「自由な意志」も無意味ですね。
例えば、心的状態をニューロンの発火パターンで記述することを目指す最近の脳
科学者たちは、それが可能かどうかはともかく、「自由で無い意志」の存在を
「想像」はしてるでしょうし、それは「有意味」だと思ってもいるでしょうね。

>「自由な行為」における語「自由な」は、行為の一部を括りだし、行為のサブ・
>クラスを作っているだけです。そして、その「自由」は「自由で無い」事が想像
>可能(で実行可能)な様々な場合(拘禁・強要等々の)補集合に過ぎません。
「行為」の用法がよく分からんです。
そして、「行為」は何に対して「自由」なんでしょうか。
その対象が明らかでないと、それこそ「無意味」では?
205ぎゃらりい:2001/05/12(土) 04:39
いちご姫様まずはレス感謝です。まだよく飲み込めない点について

>(2) 語「自由な行為」は有意味かつ自由な行為は存在する
>(3) 自由な行為の存在と、決定論は両立可能
>を合わせて主張しています。

>(1) と(2)の違いは、明らかですね。「自由で無い意志」というものを人はおそらく想像不可能だ、と思います。仮に想像不可能であれば、「自由な意志」も無意味ですね。

そもそも、いちご姫さんはある人間がなにか有意味な行為(と他人から見えること)をしているときに、
自由だろうが非自由(?)だろうがそこに何らかの「意志」といった余計なものを想定すること自体が無意味だ、という主張なのでしょうか?

>(2) の「自由な行為」における語「自由な」は、行為の一部を括りだし、行為のサブ・クラスを作っているだけです。そして、その「自由」は「自由で無い」事が想像可能(で実行可能)な様々な場合(拘禁・強要等々の)補集合に過ぎません。

えーと日常的な意味で拘束や強制(例えば銀行強盗に銃を突きつけられて仕方なく金を渡すとか)がない行為(自分でコップの水を飲むとか)を「自由な行為」としていると理解して良いでしょうか?
すると(1)の論点と絡みますが、「意志」を想定せずにそうした「自由」な行為が可能になる根拠は何なのでしょうか?
もし意志や意図のようなものを想定しないならコップの水を飲む、という行為も実は身体の生理的必要に身体が「強制」された反応という見方もできると思いますが

206ぎゃらりい:2001/05/12(土) 04:45
続きです
>さて、(2)と(3)との関係です。全ての行為は、(少なくとも同時に)物理的出来事でもあります。(物理的現象でない行為が存在する、という人とは議論の必要が別にありますが、私はそれを信じない。)すると、(現行科学を承認するなら)その出来事=行為は因果法則にのっとっていることになります。ここで、「自由な」行為といえど、(2)において
>何ら法則に反する出来事を引き起こす・因果法則に介入するといった規定が与えられていません。(因果法則に反するというのは、複数の可能な未来から予測とは異なるある未来が現に選択可能、といった場合※)だから、(3)は成立します。

やはり先の質問と絡みますが
もし全ての身体のふるまいも出来事の因果法則に反することはできず因果に介入できない
とするなら、その身体のふるまいが「自由」な行為である、ということの意味がやや分かりにくい
ようにも思いますが誤解でしょうか?
たとえばその「自由な」身体の行為と、風にのってそよぐ木の葉の運動(これはふつう「木の葉の自由な行為」とは
呼ばない筈です)を区別するものは何でしょうか?

以上、質問が長くてすいません


207考える名無しさん:2001/05/12(土) 11:54
>>168 ∴117は因果論に支配される物理的実在を前提とした仮想の世界である。
もちろん。それを前提したうえでの話です。

>>170
>2.意志の力は物理法則に介入できない。と3意志の力では物質世界の
>ながれを変更できない。は同じ命題の言い換えですね。
違います。2.は物理「法則」に介入できない。であり、3.は実際の物的事象に介入できない。です。

>>172
2.は確かに仮定ですが、論点先取ではありません。
現在知られている物理法則には意志の介入する余地はない、という事実から導かれた推測です。
もちろんこの仮定を否定する立場があってもいいですし、
反例となる物理法則を示すことができればはっきりしますが、
今のところ私はこの仮定を信じています。

208考える名無しさん:2001/05/12(土) 16:18
>現在知られている物理法則には意志の介入する余地はない、
>という事実

というのは具体的にいうとなに?


209考える名無しさん:2001/05/12(土) 17:27
>>208
前に進みたいから進むというのが意志。
どうしたいとか、どうすべきという記述が物理法則にはないということ。
210考える名無しさん:2001/05/12(土) 17:44
>>207
>>2.意志の力は物理法則に介入できない。と3意志の力では物質世界の
>>ながれを変更できない。は同じ命題の言い換えですね。
>違います。2.は物理「法則」に介入できない。であり、3.は実際の物的事象に介入できない。です。

すいません自由意志で物理「法則」に介入することはできないというのは
分かりやすい(重力の法則や電磁気学の法則を変更するとかはできない)ですが
実際の人間が物的事象に介入することができない、とは具体的にどういう意味でしょうか?

物理的法則に完全に従いながら物的世界に介入する、というのはありふれた出来事にも思えますが・・
誤解があれば指摘して欲しいのですが
たとえば人がモノを持ち上げるとかロケットで宇宙へ飛ぶには
別に物理学の法則を捻じ曲げ(介入し)なくともむしろ完全にその法則に従った行為ですが
同時に明らかに物的世界に作用を及ぼし介入する行為ではないのでしょうか?
211いちご姫:2001/05/12(土) 21:15
>>205
ぎゃらりいさま

「いちご姫さんはある人間がなにか有意味な行為(と他人から見えること)をしているときに、
自由だろうが非自由(?)だろうがそこに何らかの「意志」といった余計なものを想定すること自体が無意味だ、という主張なのでしょうか?」

「意志」が何らかの<出来事もしくは持続>として想定される事自体が無意味だ、という主張です。「意志」はある行為を行為者が自ら欲して行ったという事を表す副詞的な表現であり、名詞とその対象という構造で考えてはいけない、と考えます。
 ある行為の意志が存在者でありかつそれが伴われる事無しには行為は意志的であり得ないしたら、<東京から大阪へ行く>という行為が意志的である為には<東京から大阪へ行く意志>が行き始めてから辿りつくまで存在していなければならない。(ある一時点で<意志>すればよいのだとしたら、その後意志を放棄したのに非意志的に行った場合と、最後まで意志的に行った場合の区別が失われる。)従って、意志は(ある特定の瞬間に生起する)出来事ではない。
 しかるに、東京から大阪に至るまでの間、常に意志を表象的に抱いていられる訳ではない(たとえば名古屋・京都間に列車で昼寝をした時の事を考えてみよ)。仮に、意志が表象されるような出来事や持続であれば、その間は非意志的に移動した事になる。しかし、その間も含め、その行為者は<東京から大阪に意志的に移動した>のであり、東京から名古屋までと京都から大阪までのみ意志的に残りは非意志的に移動した訳ではない。従って、意志は表象されている当の出来事や持続ではない。
 だが、だからといって意志は表象されていない持続でもない。というのは、もし持続であれば、それは行為者本人が特権的に認識できるかあるいは第三者が観察により認識できねばならない。しかし、仮に第三者的に観察によってのみ認識されえるならば、自らの行為が意志によるのかいなかを、行為者は必ずしも知らず、またその認識を誤る事があり得る(意志的と思ったがそうではなかった、またその逆)、という受け入れ難い帰結を招く。対して、行為者が特権的に知り得るのに、それが表象で無いとして、かつそれが持続であるとしても、それがいかなる持続であるか想定し難い。それ故、意志はそもそも出来事でも持続でもないのだ、と考えざるを得無い。
212いちご姫:2001/05/12(土) 21:33
>>205
「日常的な意味で拘束や強制(例えば銀行強盗に銃を突きつけられて仕方なく金を渡すとか)がない行為(自分でコップの水を飲むとか)を「自由な行為」としていると理解して良いでしょうか?」

そうです。日常的な意味で拘束や強制がない行為を<自由な行為>と見なします。
(但し、その大部分が、行為者は問われた時に「斯く斯くの意志によって」「しかじかの意図で」なした、と説明できる事を要する、と考えますが。)
「(1)の論点と絡みますが、「意志」を想定せずにそうした「自由」な行為が可能になる根拠は何なのでしょうか?」

私たちが、他者や状況のあるものが行為を齎していると<みなす>場合には「自由で無い」それ以外は「自由な」行為と呼ぶ、という言語習慣を採用している以上に、何らかの根拠がある訳ではありません。(但し、上記の付記同様、「自由な」行為において、人がその行為に意図・意志を付与・説明出来ない事が多々あるならば、そのような習慣は存続し難いでしょうが。言い換えれば、習慣とこの特性が<現に>折り合っている事が、「自由」概念を存立させ続けている(理由ではなく)原因なのです。)

「もし意志や意図のようなものを想定しないならコップの水を飲む、という行為も実は身体の生理的必要に身体が「強制」された反応という見方もできると思いますが」

出来るが、我々の言語習慣は現にそういう見方を採用していない、という事だ、と考えます。
213いちご姫:2001/05/12(土) 21:38
>>206
「たとえばその「自由な」身体の行為と、風にのってそよぐ木の葉の運動(これはふつう「木の葉の自由な行為」とは 呼ばない筈です)を区別するものは何でしょうか?」

我々の言語習慣がそれを区別している、という事につきます。但し、この「言語習慣」には(狭義の言語の外部である)諸慣習も含みます。具体的には、我々は、木の葉に責任を問いその動きを罰しはしないが、人の身体における行為は人に責任を問い彼/女を罰する、という違いがあることです。

(なお、中世ヨーロッパでは虫や鳥を裁判にかけ罰する例があったそうです。その場合には、虫や鳥は自由な意志による行為ができる存在として扱われていた(それ故事実そのような存在であった)という事になるでしょう。
214無礼講:2001/05/12(土) 21:44
無理やりかどうかということさ
215考える名無しさん:2001/05/12(土) 21:50
苺姫様と他の人はかなり
216考える名無しさん:2001/05/12(土) 21:52
かなりどうやねん
217いちご姫:2001/05/12(土) 21:57
>>204
(1)「行為の原因となりうる出来事とは何ですか?」
行為はある意図の相で記述された行動です。
従って、物理的もしくは素朴物理的な存在者は行動です。
ある行動の原因はそれに先行する物理的な諸出来事です。(何をそれに同定するかは、何を意図して因果関係を記述するか、その意図によります。例えば、神経生理理学的な記述がしたいとか、行為者の社会環境に原因を求めたいとか、幼児期の体験に遡りたいとか・…)

(2)「あなた自身は「有責性」をどう定義しますか?
自由意志の概念を含まない「有責性」概念をつくっても、 あまり「意味がある」とは思えないけど。」

「有責性」とは、「我々がある行為がその特性を有しているならば行為者に責任を帰する当の特性」です。(当然のように同語反復的になる)ぶっちゃけていえば、我々がその行為は責任を問われてしかるべきだ、と考えるならば、我々にとってその行為には有責性がある、ということです。

自由意志の概念を含むか否かにかかわらず、有責性概念が存在すれば、有責な行為についてはその行為者に責任を問う事が出来ます。従って、彼/女に賠償を求めたり、彼/女を罰したりする事が出来ます。それらができるようになる、ということは、社会的に十分意味(機能)のあることだ、と私は考えますが・…

(3)「>「自由で無い意志」というものを人はおそらく想像不可能だ、と思います。
>仮に想像不可能であれば、「自由な意志」も無意味ですね。
例えば、心的状態をニューロンの発火パターンで記述することを目指す最近の脳
科学者たちは、それが可能かどうかはともかく、「自由で無い意志」の存在を
「想像」はしてるでしょうし、それは「有意味」だと思ってもいるでしょうね。」

ぎゃらりーさんへの回答で触れましたように、意志は出来事や持続ではありません。従って、神経状態といった物理的でもある――従って出来事もしくは持続――事柄ではありません。故に、物理―生理科学は意志について記述・言明する事は出来ないのです。それ故、科学者が「「自由で無い」意志の存在を「想像」している」としたら、彼等はその事態を想像しているのではなく、その事態を想像していると想像しているに過ぎないのです。

(4)「行為」の用法がよく分からんです。
そして、「行為」は何に対して「自由」なんでしょうか。
その対象が明らかでないと、それこそ「無意味」では?

「行為」は、行為者の意図のもとでの記述が可能な行動です。
自由である行為が自由なのは、強制や拘束からです。

218いちご姫:2001/05/12(土) 22:00
「行為」「意図」等の概念については
アンスコム『インテンション』産業図書
菅豊彦  『実践的知識の構造』勁草書房

大森荘蔵のある論文

などを参照されると良いのではないでしょうか
219考える名無しさん:2001/05/12(土) 22:52
>218
どうしたいねん
220考える名無しさん:2001/05/12(土) 23:04
物理の世界まで考慮して語りたいなら
まず自由意志というものを具体的に定義しましょうね。
でないとまた言葉遊びって言われるよ。
221考える名無しさん:2001/05/12(土) 23:06
その具体性とは科学性という事か
222いちご姫:2001/05/12(土) 23:21
>>220
私は哲学は言葉遊び(良く言えば概念分析とか文法記述)だ、と断固と
して主張します。
223考える名無しさん:2001/05/12(土) 23:32
>>222
その表現自体は言葉遊びなのか否か?
224考える名無しさん:2001/05/12(土) 23:47
自由意志がないとき主体性がすべて剥奪されるのでした.
外部が内部をすべて規定するのでした.
というふうに内部が思いこんでるだけなのでした.
未来があるのかないのかと考えているのと同じことなのでした.
225考える名無しさん:2001/05/13(日) 00:25
>>222
今は亡きヴィトゲンシュタイン氏の言辞はさて置き、
人間の思惟活動が言語から離れられない限り“言葉遊び”は言い過ぎでは、、、
現に現実主義と称し理性的検証をなし崩し様々な戦が行われり、思想を拠所に
安易なポピュラリズムで大戦も起こった訳だし。
何を持って“遊び”と言えるのでしょう?
例え限界があったとしても。
226考える名無しさん:2001/05/13(日) 00:27
目的の安易さ
227いちご姫:2001/05/13(日) 00:31
>>225
>言い過ぎでは

言い過ぎといっていただけるとうれしいです。
わたしの論点は、ことばのそとに一切踏み出さない(経験的知見に関わ
らない)という事につきますので。

228225:2001/05/13(日) 01:12
>>227
だがしかし、その様な(哲学の一派であるとはいえ)姿勢が
“哲学”全体に向けられるのは如何なものか?
(反論したいが相応しいスレでは無いので)
言語一元論が語り得る範疇に“哲学”は収まってしまうと?
何か虚しいものを感じまズロー。

それではスレの本題へどうぞ御戻り下さい。
229ぎゃらりい:2001/05/13(日) 01:13
>>211-213
丁寧なレスどうも。ちょっとまた私の頭には高度なものになってきて
かつとても興味深いのですが
(まだ全てを理解できたわけではありませんが)議論のために、
的外れな誤解かもしれませんが、敢えて疑問点を提示したいのですが

とりあえず素朴な疑問から・・・
>「意志」が何らかの<出来事もしくは持続>として想定される事自体が無意味だ、
>という主張です

そして水を飲むような行為が「身体の生理的必要に身体が「強制」された反応」
ではなくて他ならぬ「自由な行為」とされるのは別に「(自由)意志」があるから、
ではなく

>我々の言語習慣は現にそういう見方を採用していない、という事だ、
>と考えます。

として「言語慣習」によってそうみなされている、ということを理由にして
論じているように思えます。
そうすると、しかし、日常的な言い方で「私は京都に行きたいと思った(意図した)ので
新幹線に乗った」とか「あなたはいつの時点で彼を殺そうと思ったのか?」と
いった「意志を特定の時点での出来事として語る」語り方も現在の言語習慣では
極めて頻繁にあると思われますが、いちご姫さんが
そうした(1)「意志に関する現在の言語慣習(意志を出来事とみなす)」は論理的誤謬として(?)
拒否されながら
(2)「自由な行為」や「行為者である人間と行為者とはされない木の葉の区別の基準」に関しては
それが「現在の言語慣習」にかなっているから、認める、
というのは論の進め方が矛盾ないし二重基準に基づいているような気もしますがいかがでしょうか?


230204:2001/05/13(日) 02:05
>>217 いちご姫さん
>ある行動の原因はそれに先行する物理的な諸出来事です。(何をそれに
>同定するかは、何を意図して因果関係を記述するか、その意図によります。

それは違うでしょ。行動が物理的な出来事なら、その原因の特定は因果関係
の記述における意図とは独立であるべき。そうでなければ、「私はこれを原
因に求めたい」と言えば、それが原因になるということになるよ(笑)。

>意志は出来事や持続ではありません。従って、神経状態といった物理的でも
>ある――従って出来事もしくは持続――事柄ではありません。故に、物理―
>生理科学は意志について記述・言明する事は出来ないのです。

「意志」は心理学では「行動を行おうという欲求」といった意味で使われている
(「意志」には哲学的な意味合いがあるので、「意思」や「動因」のほうが使われ
るけど)。だから、行動があるためには、意志は少なくとも行動の初めにきっかけ
としてあれば十分で、行動の途中にそれがあることは必ずしも必要ないです。

結局、あなたは「意志」を「理由」の意味で使っているようですが、理由は行
為者にとっての主観的原因にすぎないわけだから、客観的原因になりえないのは
当然でしょうね。私は自由意志論のつもりで書いてたけど、あなたはDavidson的
な行為論で書いていたですね。

>ぎゃらりいさん
横レス失礼しました。
231考える名無しさん:2001/05/13(日) 03:47
意志かぁ..。
たしかに「持続」ではないけれど、「行動を行おうという欲求」
でもない気が..。
>行動の途中にそれがあることは必ずしも必要ないです。
行動のありかたとはからまないのかな?
232考える名無しさん:2001/05/13(日) 05:16
なかなか面白いスレ。
俺も自由意志はあるのかないのか、物理法則や決定論と両立するのかしないのか
とか興味あり。
よってあげ
233考える名無しさん:2001/05/13(日) 06:11
リベットとコルンフーバー?の実験を見ると被験者の脳の電気反応は
ボタンを押す数秒前から活発に活動を始めている。
統一的な見解は無いのだけれど、被験者は
「さっきは一定間隔でボタンを押したから、今度はもうちょっとはやめに」
とか
「もうすこしすばやく」
とか
自分の行動をなんらか意味付けしてボタンを押すという身体反応(意志)
を起こすのだと思います。
意志発動の前に引き起こされる脳の活動の意味付けは現在どんなものが
あるかご存知でしょうか?
234考える名無しさん:2001/05/13(日) 06:14
つまり
>たしかに「持続」ではないけれど、「行動を行おうという欲求」
意志は欲求ではないと思います。


235日本アメリカ化計画:2001/05/13(日) 12:04
A型は徒党を組んで国民を操ろうとする。注意せよ!
236いちご姫:2001/05/13(日) 14:27
>>230
「意志」は心理学では「行動を行おうという欲求」といった意味で使わ
れている

 心理学のテクニカル・タームとしての「意志」の使用法の御紹介の様で
すから、それには異議を唱えません。

 但し、哲学上は「意志」と「欲求」は区別されて然るべきだ、と考える
立場に私は組します。
 理由は、同時に相反する複数の事柄を欲求する事は可能だが、同時に相
反する複数の事柄を意志する事は出来ない、という事です。
 例えば、「今からディズニー・ランドに行く」事と「今から講義を受け
に行く」事の双方を欲する=欲求する事は可能です。だから、人は複数の
欲望の間でディレンマにかられ得るのです。他方、その両者を意志する事
は不可能でしょう。意志する事は、その行為を選択し自己の将来的な諸行
為のプログラムに合理的に繰り込む事を必要とします。しかし、相反する
複数の行為両方を成就させるプログラムは構成不可能だからです。
237パンドラ:2001/05/13(日) 17:41
>「今からディズニー・ランドに行く」事と「今から講義を受け
>に行く」事の双方を欲する=欲求する事は可能です。

VA1「ディズニー・ランドに行きたい」・欲求希望
VA2「講義を受けに行かなければならない」・当為義務

PA1「今日はディズニーランドは休みだ」・可能命題の否定
PA2「パチンコで5000円儲けたから、タクシーで新大久保まで行ける」
・可能命題の肯定
∴「講義を受けに行こう」← THE WILL

いちご姫さま、横からごめんなさ〜い。
江戸の仇を長崎で・・・。
ここって因果律のスレッドでしょう?
時制問題に絡んでA⊃B≡¬B⊃¬Aなんてやらないのかしら〜ん。

さ〜いだ〜いきゅ〜う〜の〜む〜 なさ〜わ〜ぎ〜♪(笑)
238にせらげ:2001/05/14(月) 00:17
意志は結果ずら(藁
239考える名無しさん:2001/05/14(月) 00:30
レス229への回答はどうなったのでしょうか?
240考える名無しさん:2001/05/14(月) 00:50
因果律は量子力学を含むすべての物理法則において成立します。
241考える名無しさん:2001/05/14(月) 01:05
自由意志否定論者は意志が因果法則に介入できないので
この物的世界(の因果)に介入しえないというが

自由意志が因果法則に介入できないという主張は理解できるけど
自由意志が物的世界に介入できないというのは理解できない。

コップを投げつけて割るのは物的世界に介入していないと言うのだろか?
242考える名無しさん:2001/05/14(月) 06:44
>>241
自由意志が“物的世界の因果法則”に介入できない,ということでしょ.
243考える名無しさん:2001/05/14(月) 06:51
>>241
つまり,“意志”の全原因が脳の物理的状態にあるとすれば,
意志は脳という“物的世界”の出来事の原因にはなりえないから.
2443流理系:2001/05/14(月) 08:18
>>240
場の量子論を聞くとそうか?って思うのですが…
2453流理系:2001/05/14(月) 08:29
あちゃーごめん>>244無視してくだされ。
246考える名無しさん:2001/05/14(月) 10:07
明らかに因果律が成立していないけど人間(の脳)が認識できる事象の例は?
247パンドラ:2001/05/14(月) 14:04
>>246
A⊃B≡¬B⊃¬A
「しかられなければ勉強しない」というのは、その対偶
「勉強すればしかられる」を真とするでしょう。
これって因果律が成立してるの?
248パンドラ:2001/05/14(月) 14:12
イチゴ姫さまってすごいのよ〜。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bbfe4va4ha4oa4ja4sa4ga47a4ga4a6a1a9&sid=1835217&mid=213

逆行因果でいぢめられた〜い。


249考える名無しさん:2001/05/14(月) 18:03
>>248
パンドラさん、あんた性格も悪いな。
(そこの姫さんの発言を中傷するものでは無いので。念の為)
250いちご姫:2001/05/14(月) 18:55
>>230
>結局、あなたは「意志」を「理由」の意味で使っているようです
違いはある、と思います。意図は理由になりますが、意志は理由にはならないので
はないか、と考えるので。意思は副詞的に行為を修飾する以外の用法は、二次的だ
と考えていますから。(というか正直「意志」が使われる文脈ってそれほど一般的
とは思えない。)
 但し、まだ今のところ私が意志と意図とを適切に論じ分けられていない事は認め
ます。

>理由は行為者にとっての主観的原因にすぎない
原因に主観的・客観的の区別があるということが、またそれで何が意味されているのか
私には不明です。

>私は自由意志論のつもりで書いてたけど、あなたはDavidson的な行為論で書いて
いた
パラレルになっていないと思います。Davidson的な意図や意志への考え方から自由意思
を論じる事も、それ以外の立場から論じるのと同様に出来るのではないでしょうか?
自由意志論に特有なそして(ディヴィドスン的な行為論からは排除される)意志の把握の
し方、というものがあるのでしょうか?私には不可解な御発言に思われます。

 なお、私は理由に対応する物的存在者を想定するディヴィドスンよりは、それを
みとめないアンスコムに近い立場です。
251パンドラ:2001/05/14(月) 18:58
わたしは中傷なんてしてません。
イチゴ姫さまを尊敬しております。論理は論理で哲学には哲学で・・・。
過去わたしは真剣にぶつかってわたしの理屈を求めました。
あなたも、ただセクトをつくることに汲々しないでぶちあたることを
なぜしないのですか?
現実にはしがらみがありますが、ここはバーチャル空間。
そうした真剣さはゆるされないのですか?
252考える名無しさん:2001/05/14(月) 19:19
>>251
人の発言を不用意に切取り持って来る事は無作法では無いかね?
っと、返すがスレの流れと関係無いのでオシマイ。
253いちご姫:2001/05/14(月) 21:38
>日常的な言い方で「私は京都に行きたいと思った(意図した)ので
>新幹線に乗った」とか「あなたはいつの時点で彼を殺そうと思ったのか?」と
>いった「意志を特定の時点での出来事として語る」語り方も現在の言語習慣では
>極めて頻繁にあると思われます

結論から言うと、「意志」で時刻を特定する言い方は存在しないか希である、と思います。従って、時によって私は(現行の慣用を絶対視したり批判したりといった)方針を使い分けているということにはならない、というのが私の回答です。

 まず、上記二例は<意志を特定の時点で語っている>でしょうか。
「私は京都へ行きたいと思った」は時点が特定されていません。
それを挿入して「○月9日に私は京都へ行きたいと思った」としても、「○月×日に私は京都へ行きたいと思った」は欲求の表現で意図やまして意志の表現ではないでしょう。
 そこで、意志の表現「○月9日に私は京都へ行く事を意志した」「あなたはいつの時点で彼を殺す事を意志したのか?」を作ってみます。
 ここで大きな疑問がわきます。これらの表現には非常な違和感が感じられないでしょうか。おそらく、それは「意志」という語がこのようなコンテクストで使用されるべきで無い事を示唆していると思います。あるいは「私は昨日の7時からずっと××する事を意志している。」とか、「今朝の6時には、××することを意志しなくなった」という表現は我々の言語直観に反するのではないでしょうか。もし反するなら、そもそも、意志に時刻を帰することは出来ない、という私の主張が正しい事になります。
 仮に作られた「あなたはいつの時点で彼を殺す事を意志したのか?」は、むしろ、欲求「あなたはいつの時点で彼を殺す事を欲したのか?」や、決断「あなたはいつの時点で彼を殺す事を決断したのか」であると思います。

※意図についてはもっと微妙そうなのでここではペンディング

 実際、「強い意志で」この事業を行った、とか、「あの人は意志が弱い」といったように、
人の性格や当の行為がいかなる相でみられるか(前者はさまざまな困難等が出てきたが、それによって当初の計画が揺るぐことなく貫徹された、そのような経緯を辿った事業という相、後者は多少の他の欲求や困難で一度意図された(意志ではなく)行為が簡単に破棄・撤回される、そういう行為性向の人という相)を示すのが「意志」という語の機能ではないでしょうか。
254パンドラ:2001/05/15(火) 02:41
>>252
すみません、ちょっとやりすぎでした。
255考える名無しさん:2001/05/15(火) 04:34
>>253

>意志の表現「○月9日に私は京都へ行く事を意志した」「あなたはいつの時点で彼を殺す事を意志したのか?」を作ってみます。
> ここで大きな疑問がわきます。これらの表現には非常な違和感が感じられないでしょうか。
>おそらく、それは「意志」という語がこのようなコンテクストで使用されるべきで無い事を示唆していると思います

たしかに「意志する」という表現は上記の文中では日本語としてこなれていないかもしれませんね。

では(いちご姫様も言及されていますが)
「意図する」と言い換えればどうでしょうか?
例えば「あなたはいつの時点で彼を殺す事を意図したのか?」といった問いは
理解可能だしナンセンスな表現ではないように思いますが・・

(意志と意図が概念上どう区別されるのか?自問自答・・)
256204:2001/05/16(水) 00:26
>>250
>原因に主観的・客観的の区別があるということが、またそれで何が意味されて
>いるのか私には不明です。

行為の原因の特定が当人にのみ依存するなら、精神医学も脳科学も存在価値はな
くなるのではないでしょうか。

>意思は副詞的に行為を修飾する以外の用法は、二次的だと考えていますから。
>(というか正直「意志」が使われる文脈ってそれほど一般的とは思えない。)

「意思が明確だ」や「〜という意思をもっている」といった名詞的用法は、
「二次的」かどうかはともかく、おかしくはないのでは?(意志や意図でも同じ)。
ほかのレスを見ても思うのですが、あなたは「意志」という言葉にこだわりすぎて
いるのではないでしょうか。私は哲学が「言葉遊び」だとは思わない立場なので、
言葉の用法の適切さを論じるよりも、ことばが表す対象のあり方を論じるほうが
おもしろいです。自由意志についての話なら、たとえば心的存在者の存在論的
身分(脳に対して因果的に自律しているのか、「随伴」する「幻影」にすぎない
のか、など)といったことになるでしょうか。ただ、いずれにしろこのスレのお
題からはズレているので、別スレでやったほうがいいかもしれないですね。
257考える名無しさん:2001/05/19(土) 00:39
議論復活期待あげ
258伍長:2001/05/19(土) 03:13
ズレついでですが、
「意志」「意図」などを含む“心的用語”の起源は、本来は動詞だったのではないかと思います。
つまり、ある種の行動・行為に対してラベリングされた動詞。
これらの動詞から、まず、準動詞(おそらく、姫の言う副詞的用法が最初で、次いで、形容詞的、名詞的用法)が派生したのだろうと。
このうち、名詞的な準動詞(動名詞のような)が、完全に名詞化した。
例えば、「怒る」という動詞から、「怒り」という名詞が派生した。

>ことばが表す対象
「怒り」という名詞が表す対象とは、何らかの“心的存在者”?
そんな気がしてしまうのが日常用法なんじゃないでしょうか。
ただし、生活においては、あくまで日常用法が「正しい」用法。
では、なぜそれが「正しい」用法になってしまったのか。必ずしも「適切な」用法とは言えないのに。
私は、
>言葉の用法の適切さ
を論じることは重要だと思います。特に“心的用語”については。
「言葉の用法」というのは、「言語行動による言葉産出のあり方」のことだと考えたい。
「“言葉”を発する」ということ自体は“言語行動”。“言葉”はその産物。
(#だから私は、前者の“言語行動”に関心があります。哲学者は“言語行為”とよぶらしいけど)。
259いちご姫:2001/05/19(土) 13:19
>>256
副詞的用法が一次的、という発言は撤回(ペンディング)

「〜という意思が明確だ」「〜という意志をもっている」等の用法

α「彼は行政改革を成し遂げようという意志が明確だ」
β「彼女は○○株を買い占めようという意志を持っている」

すこしぎこちない気はしますが可能なようですね。

ただし、何れの場合もそれらの用法が可能だからと言って「意図」という語に対応するエンティティを想定する必要はない、と思います。
αは、行政改革を妨害する諸要因があろうともそれに屈せず彼は改革を推進するであろう、という、彼の将来に渉る特定の性向で彼の諸行為を観られる、というアスペクト的観点が述べられているのだ、と考えます。
βも同様。

私には語の用法にこだわっている事によって、意志の存在論的身分を明らかにしているつもりなので、あなたの、私が前者をなしているゆえ後者をしていないとの批判には違和感を感じます。
260いちご姫:2001/05/19(土) 13:28
>>259
>そんな気がしてしまうのが日常用法なんじゃないでしょうか。
>ただし、生活においては、あくまで日常用法が「正しい」用法。
>では、なぜそれが「正しい」用法になってしまったのか。必ずしも「適切な」用法
とは言えないのに。

上記の日常語法は問題ない、と考えます。
問題は、その語法に対して、存在者を想定する、日常語法についての解釈にある、と
考えます。
261考える名無しさん:2001/05/19(土) 13:58
ログ読んでないけど意思による結果とそうでない結果を
どうやって区別してるの?それが区別できないと自由意志は
定義できないよ。
262いちご姫:2001/05/19(土) 14:03
>>256
私は、原因の特定は第三人称的にしかできない(一人称特権はない)と
考えています。

だから、主観的原因という概念が理解出来ないです。
263いちご姫:2001/05/19(土) 14:06
>>262
訂正

心的原因も原因であり得るとすると、その同定の一人称特権が存在する
所の原因もあり得るかもしれない
264考える名無しさん:2001/05/30(水) 08:27
265考える名無しさん:2001/06/09(土) 04:26
あげとく
266考える名無しさん:2001/06/09(土) 05:44
ちんがりつとはなにか
267考える名無しさん:2001/06/09(土) 07:47
268あぼーん:あぼーん
あぼーん
269あぼーん:あぼーん
あぼーん
270あぼーん:あぼーん
あぼーん
271あぼーん:あぼーん
あぼーん
272あぼーん:あぼーん
あぼーん
273あぼーん:あぼーん
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274あぼーん:あぼーん
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275あぼーん:あぼーん
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276あぼーん:あぼーん
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278あぼーん:あぼーん
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280あぼーん:あぼーん
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281あぼーん:あぼーん
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283あぼーん:あぼーん
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298あぼーん:あぼーん
あぼーん
299考える名無しさん:2001/06/10(日) 00:40
あげ
300考える名無しさん:2001/06/10(日) 01:54
この板って改行の制限ないのか
301考える名無しさん:2001/06/10(日) 02:08
哲板は旧スクリプトから変更してないらしい。
1000超えても書込めるしね。
これまで平和だった証だね。
302考える名無しさん:2001/06/10(日) 02:18
えーと結局、整理すれば

人の行為に対して意志や意図といった内面的な原因を想定するのは怪しいし、
人間の行為といえども全て自然の物理的法則の枠内にあるはずだから
自由意志なんて存在しない、というような結論でいいのでしょうか?
303考える名無しさん:2001/06/10(日) 02:50
お前なに話を差し戻してんだYO!
過去ログ読んで考え直せ馬鹿。
議論をループさせる気か。
304考える名無しさん:2001/06/10(日) 03:48
自由意志なんて存在しない、とは誰も言ってないのでは?
305考える名無しさん:2001/06/10(日) 03:52
結論はまだ何もでてないよ
306考える名無しさん:2001/06/10(日) 04:05
比較的良質なスレだったのに近頃は煽りや荒らしが多いね
307考える名無しさん:2001/06/11(月) 01:14
age
308考える名無しさん:2001/06/17(日) 06:34
302でいいんですよ。
自由意志が有意義に定義できるものならしてみなさい
>>304
じゃあ、俺が言う
「自由意志なんてない」
石ころに意思はあるのか?
川の流れは思考なのか?
何故我々動物だけが特別扱いされるのだ?
希望的観測〜
傲慢なサル共〜
311考える名無しさん:2001/06/17(日) 10:15
自分は世界にとって特別な存在だから
312考える名無しさん :2001/06/17(日) 10:24
ある特定の囲いの中だけで、ひとつの目的だけを思考するなら、あぁ 因果律は美しく 調和を保つだろうな・・・
313考える名無しさん:2001/06/17(日) 10:35
結論がでましたね
314考える名無しさん:2001/06/17(日) 10:41
>>308
はい、先生。
宅が学校を襲撃したのは決定されていた事なのですね。
小学生の死も決定されていた事ですね。
・・・なんか違和感があります、先生。
この違和感も決定されていた事ですよね?
315考える名無しさん:2001/06/17(日) 10:42
いいえ
316.:2001/06/17(日) 10:54
>314  ったく・・・。 屁理屈ですよ、それは。 君が 自分の考えを言葉に 変換した瞬間に「調和」のなかで 踊らされている、 泡と 化しているのですよん。 そのジレンマが君には 見えないのかい?
317考える名無しさん:2001/06/17(日) 11:42
見えない以前に言ってる意味が分りません。

自分の考えを言葉に変換?「調和」の中で踊らされている?そのジレンマ?

貴方がその様な書き込みをするのも決定されていた事ですね。
頭が痛くなりました(w
318考える名無しさん:2001/06/17(日) 11:48
決定されていません
319考える名無しさん:2001/06/17(日) 12:14
おつかれでした。
320考える名無しさん:2001/06/17(日) 12:25

拝啓 317様。

317 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2001/06/17(日) 11:42

見えない以前に言ってる意味が分りません。

自分の考えを言葉に変換?「調和」の中で踊らされている?そのジレンマ?

貴方がその様な書き込みをするのも決定されていた事ですね。
頭が痛くなりました(w


318 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2001/06/17(日) 11:48

決定されていません

********************************

上記も決定されてたの?。 うふふ。 この文も? この文も?(笑)・・・・・
・・・・・・・・・・・ ってことです。 ハイ。

                         かきこ。
321>320:2001/06/17(日) 17:08
あげ荒しキショイ。
しかもこの様なカキコミもするとは、、、
キティーか?
322考える名無しさん :2001/06/17(日) 17:33
age
323考える名無しさん:2001/06/18(月) 01:05
agetoko
324考える名無しさん:2001/06/18(月) 02:56
因果律というのは、例えば
一度小指をぶつけたタンスには必ず再びぶつける
というようなものです。
325考える名無しさん:2001/06/18(月) 06:32
>>314

因果律と決定論的世界観を混同されても困ります。
また、そうでなくても未来の事象を完全に予言する事は
原理的にも不可能であり、それゆえ自由意志というものを
物理法則と分離して定義する事は不可能です。
326考える名無しさん:2001/06/18(月) 06:32
ついでに言うと324は大嘘つきです。
327考える名無しさん:2001/06/18(月) 11:34
>317 逝ってよーし
328考える名無しさん:2001/06/18(月) 16:56
age
329うぜぇ:2001/06/18(月) 22:26
いんがりつ(イングヮ‥)【因果律】
1 哲学で、すべてのできごとは、ある原因から生じた結果のすがたで、その間には一定の必然的関係があり、原因がなくては何ごとも起こらないという法則。
2 物理学で、ある刻限に系の状態が与えられると、それ以後あるいは以前の系の状態が決定するという法則。
330考える名無しさん:2001/06/19(火) 14:29
age
331因果律とは:2001/06/19(火) 16:17
セクースをすると子供ができる。
332考える名無しさん:2001/06/19(火) 23:59
安芸
333考える名無しさん:2001/06/20(水) 01:04
拝啓 317様。

317 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2001/06/17(日) 11:42

見えない以前に言ってる意味が分りません。

自分の考えを言葉に変換?「調和」の中で踊らされている?そのジレンマ?

貴方がその様な書き込みをするのも決定されていた事ですね。
頭が痛くなりました(w


318 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2001/06/17(日) 11:48

決定されていません

********************************

上記も決定されてたの?。 うふふ。 この文も? この文も?(笑)・・・・・
・・・・・・・・・・・ ってことです。 ハイ。

                         かきこ。


334ズババババーン!!:2001/06/20(水) 01:27
超光速粒子「タキオン」!!
罪無き人のピンチを救う!超光速粒子「タキオン」!!
悲鳴轟く時まばゆい光が体を包み、
彗星のごとく現れる!それがっ!超光速粒子「タキオン」!!
悪の使徒イン=ガリッツをやっつけろ!
君がいればなんでも出来る!すごいぞ僕らの、
超光速粒子「タキオン」!!! ♪テレ〜〜ッ
335ズババババーン!! :2001/06/20(水) 02:00
超光速粒子「タキオン」!!
罪無き人のピンチを救う!超光速粒子「タキオン」!!
悲鳴轟く時まばゆい光が体を包み、
彗星のごとく現れる!それがっ!超光速粒子「タキオン」!!
悪の使徒イン=ガリッツをやっつけろ!
君がいればなんでも出来る!すごいぞ僕らの、
超光速粒子「タキオン」!!! ♪テレ〜〜ッ
336名無しさん@1周年:2001/06/20(水) 07:24
いちご姫いないともうボロボロ(w
337考える名無しさん:2001/06/20(水) 16:15
>320 あなたは すでに シタテになってるような 気が・・・
338考える名無しさん:2001/06/20(水) 16:15
  ,へ、        /^i
   | \〉`ヽ-―ー--< 〈\ |
   7   , -- 、, --- 、  ヽ   なんだもう終わりか・・
  /  /     i      ヽ  ヽ  もうかえって寝る。
  |  ( ●    ●  )  |
 / 彡   ▼    ミミ   、
く彡彡   _/\_    ミミミ ヽ
 `<             ミミ彳ヘ
    >       ___/   \
339考える名無しさん:2001/06/21(木) 11:06
 
340考える名無しさん:2001/06/21(木) 17:51
安芸
341考える名無しさん:2001/06/22(金) 05:21
w
342考える名無しさん:2001/06/22(金) 21:13
逆に「物理法則とは自由意志のことだ。」と定義してみたらどうなるのでしょうか。
343考える名無しさん:2001/06/22(金) 22:24
>342 言葉でなら いくらでも。 調和を演出できますよね? ですから・・・
344考える名無しさん:2001/06/23(土) 11:48
「因果律」の「因果」という言葉自体になにかマイナスのイメージを感じるYO
345考える名無しさん:2001/06/25(月) 04:08
age
346考える名無しさん:2001/07/11(水) 17:45
げh
347考える名無しさん:2001/07/17(火) 17:25
誰か>>263から続けてくれよ。
自由意志を有意義に定義してみろって、お前は意志を定義出来るのかよ?って話だよ。
厨房の水掛論争になっちまって、、、
こんな簡単な話なら苦労ねえよ。
348因果鉄道の夜:2001/07/17(火) 21:41
>>344
根本敬の漫画を思い出した(笑)
349ザ・神様こと吟遊詩人WIZ!!:2001/07/17(火) 22:25
自由意志を有意義に定義っすか
自由意志ねぇ。。

自分の勝手に生きてれば それが一番幸せなんだよ
それで失敗しても うまく行っても 自分のせいだしさ

誰かの引いたレール歩くよりは 早くゴールできるよ
350考える名無しさん:2001/07/17(火) 22:27
>15でチンゲも生えたばっかりのクセしてイキがってんじゃねーぞコラ
>15でチンゲも生えたばっかりのクセしてイキがってんじゃねーぞコラ
>15でチンゲも生えたばっかりのクセしてイキがってんじゃねーぞコラ
3517月23日人類は目覚める:2001/07/17(火) 22:27

ついに事態が大きく動きだしました。
多年にわたる、いわゆる「UFOカバーアップ(隠蔽)」に対する、本格的な「暴露プロジェクト(Disclosure Project)」の成果が、5月9日、首都ワシントンのナショナルプレスクラブの記者会見で発表されました。(7月22日にも記者会見がある)
これは、これまでの断片的な暴露情報とは全く異なる背景を持っており、主要国政府の異星人コンタクト公式発表につながる可能性が極めて濃厚です。
記者会見の見方
出てきたページの左下にある、VIEW Part One 、VIEW Part Two をそれぞれクリックします。
http://www.connectlive.com/events/disclosureproject/
証言者は、宇宙飛行士のエドガー・ミッチェルやゴードン・クーパーを始め、NASA(アメリカ航空宇宙局)の関係者、現役および退役の軍人、国防総省を含む政府関係者、航空会社のパイロットや管制官、航空宇宙関係メーカーの技術者、UFO墜落地の警官など多岐にわたっています。
★これを、単なる「UFO騒ぎ」の一部として矮小化することは、大きな誤りです。
それどころか、これから順次姿を現してくる驚天動地の出来事の先駆け、人類の真の覚醒と、歴史を操作してきた影の政府(フリーメイソン・コントロール)の終えん、そして世界の政治・思想・科学技術が根底から覆されることを意味するのである。
これらの情報は、驚くべきことにすべて事実である。アメリカや日本の主なメディアが、今のところ沈黙を守っているのは、いつものことで、気にすることはありません。
イギリスBBCニュースでは報道されています。
http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/americas/newsid_1322000/1322432.stm
われわれ人類よりも、数万年〜数億年も進んだ文明・テクノロジーを持った異星人が現実に地球に来ているのである。
そして、フリーエネルギー・反重力推進装置などの驚くべきテクノロジーが存在する!
http://www.nectar.com.au/~tateno/technology.htm
UFOページ
http://www.geocities.com/futureshock2000/
一般大衆、民間団体、および政府機関への行動勧告
http://www.nectar.com.au/~tateno/recommend.htm
驚異のミステリーサークル
http://home.clara.net/lovely/homepg.html
352考える名無しさん:2001/07/17(火) 22:27
>>349にとってはこれがゴールなのかー
353あぼーん:あぼーん
あぼーん
354考える名無しさん:2001/07/18(水) 05:32
ガッツがこれに苦しんでるよ!
355