菜食主義者スレッド

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1考える名無しさん
倫理的菜食主義、というものは考えられますか。
好きなものは焼肉、という若者を見聞きするに
つけて、菜食主義に魅力を感じるのですが、こ
れは倒錯的なのでしょうか。むろん植物も命で
あることは承知しています。
南北問題、世代間倫理の観点から見て、先進国
の人間は今のエネルギー消費を数分の一に下げ
ないとフェアでないそうです。
2考える名無しさん:2001/01/09(火) 22:58
>きなものは焼肉、という若者を見聞きするに
>つけて、菜食主義に魅力を感じる

??
なんで?
若者と違うこと、やりたいだけに聞こえるよ。
なんか書いてることが、やたら飛躍してるので、
もうちょっと筋道立ててね。
3吾輩は名無しである:2001/01/10(水) 13:10
俺は菜食主義者じゃないけど
肉全般が嫌いだから食べてない
4考える名無しさん:2001/01/10(水) 13:25
肉を食べるには穀物が大量に必要なので、肉を食べないことは資源の
節約にたいそう寄与するらしいね。今世界のみんなが日本人なみに肉食
したらパンクするのだろうから、「原則は普遍妥当たるべし」という原則から
すれば、肉は食すべからず、少なくとも、極端に減らすべし、となるわけのもの
ではないか?

殺すな、ということでは、菜食主義も同罪だけどね。

5考える名無しさん:2001/01/10(水) 13:57
あ、現れたか?別人だったらアレだけど
ちょっと前に宗教板に菜食主義者を名乗る人間が現れて
「どうして肉を食べるんですか」というスレを立てて
よせばいいのに余計なことを言いまくって叩かれていたんだよ

もしその人なら今度はもっとうまくやりましょう

一応言っておくと俺は肉が好きじゃないから好き好んでは食べないが
絶対食べないとかそういうことはないし、肉食を別に非難も否定もしない
6考える名無しさん:2001/01/10(水) 14:32
別人です。
私は質問したいので、けんかを売りたいのでも、ひんしゅくを
買いたいのでもありません。
7にゃんこ:2001/01/10(水) 15:09
肉(牛豚)は食わん。感情ありそう。気持ちわるいにゃー。
魚は食うぞ。
8ぶ〜ぶ:2001/01/10(水) 15:37
「倫理的菜食主義」というものは、言葉はともかくとして、充分あり得るんじゃないかな。
というよりも、欧米における現代の菜食主義は、倫理的な動機の場合が多いと思う。
一昨年まで3年ほどカナダの大学にいたけど、大学生の2割くらいは菜食主義者だった。
もちろん肉は駄目だけど魚はOKというもっともソフトなものから、
牛乳、卵、動物油脂まで一切NOというハードな立場までいろいろだったけど。
Animal right movementの影響、環境倫理やエコロジカルな立場など、
ほとんどの学生においてはいくつかの思想が混然として影響しているようだった。
もちろん健康や美容という動機もいくぶんかはありそうなんだが。
そういった意味で菜食主義が倫理的な立場というのは自然ではないだろうか。
9ぶ〜ぶ:2001/01/10(水) 15:46
何で大学生の2割くらいが菜食主義者といえるかというと、
ホテルのレストランであるディナーパーティのときなど、ボーイが全員に確認して歩くんだよね。
菜食主義の人間にはvegitarian menuというものがディナー用に用意されており、
それを希望するのがいつもそのくらいの割合だったんだ。
わたしは医学だったので、主に生物学系の人間とのつき合いが多かったんだけど、
生物系学生ですらvegitarian、あるいは動物擁護のシンパであることに驚嘆したのを覚えてる。
10考える名無しさん:2001/01/10(水) 15:55
自分以外に肉食べない人見たこと無いよ
日本には菜食主義ってあんまり広まってないんじゃないの?
11ぶ〜ぶ:2001/01/10(水) 16:05
大学のカフェテリアには毎日、
必ずvegitarian lasagnaなどといった菜食主義者用のメニューが
必ず一品以上用意されていたけどね。
12にゃんこ:2001/01/10(水) 17:42
ラーメン屋で肉抜いてください、と頼んだら、中華に来ないほうが
いいんでは、宗教やってんのか、みたいなこと、ちょっこと言ってた。
だまってラーメン食いながら、魔術やってんのは、そっちだろ、と
考えてた。へんなもんで、だしとるな!かつおだしにしれ!
13考える名無しさん:2001/01/10(水) 18:36
>12
肉抜いてってのは言ったこと無いなあ
でもラーメンのチャーシューやチャーハンに入ってる肉は
完璧に取り分けて残すけど。
14考える名無しさん:2001/01/10(水) 21:59
確かに白人の菜食主義には思想的背景がありそうだ。
もともと肉食人種だから、自らの伝統に対するひとつの
強力なアンチテーゼになるわけだ。
日本ではファッションか美容かグルメの一種にしかならないのは
上の(ラーメン関係の)下らないレスをみても一目瞭然。
誰かベジタリアン自身からのコメントはないか?
15考える名無しさん:2001/01/10(水) 22:31
例えばネコの腕をもぎ取ったら罪悪感があるけど
バラの葉っぱをちぎっても罪悪感はない。

という感情あたりが倫理観の根本にありそうね。
16名無しさん@1周年:2001/01/10(水) 23:13
>all
丁寧なレスポンスに感謝。
肉食のほとんどの人が、自分でブタならブタを殺して食するのではなく、ほかの
人に殺してもらったものを食べているわけだよね。てめえでできねえことを人に
やらせて罪悪感からのがれようというわけだ。ずるい。せこい。私もだけれど。


いずれにしても、宗教的戒律への服従以外の動機による菜食主義も、おおいわけですね。
それにしても、二割程度もいるとはね。
倫理的潔癖主義者はしばしば独善的になってしまい、そうでない人々を不当に
抑圧してしまうと言う問題はあるものの、自堕落主義がいいわけでもない・・・

>15
やはりヒトと猫とでは、同類性が高いからね。
17考える名無しさん:2001/01/10(水) 23:23
思想的背景というより、一種の強迫観念ではないかと思う。
自分たちが植民地にしていたインドに、西洋文化とはまったく違う
洗練された宗教文化があったのに気づいて戸惑い、罪悪感も絡んで
仏教やヒンズー教の信者になってしまうのと似ている。
自分たちがさんざん殺生をやってきたという負い目がやっぱり
心の負担になってるのでは?
18私は肉を食べる人がにくいの:2001/01/11(木) 00:37
卵は卵であって肉ではありませんか?
19考える名無しさん:2001/01/11(木) 00:50
すべてを分けているのは人間です。
んで私は間違っているので間違ってるの洪水です。
もう涙はでません take over
20考える名無しさん:2001/01/11(木) 01:51

  ∧ ∧       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ミ@`@`・Д・彡   <  ふさふさ あ
〜ミ___ 彡      \__________
21名無しさん脚:2001/01/11(木) 02:35
あー、とりあえず飢ェ氏ネ
22肉嫌いな哲学者:2001/01/11(木) 15:47
結局のところ自己満足。
23存在の連鎖:2001/01/11(木) 18:14
結局、魂(なり何なり人間性の本質)を、
持つものと持たないものとの境界を、
白黒ぱきっとした分離線と考えるか、
灰色の濃淡のグラデュエーションと考えるか、
という違いでしょ。
菜食主義の前提は〈存在の連鎖〉chain of beingで、
生類の中をその境界に近いかどうかで区分する。
これは、人間もその境界に近いか遠いかで区分することになる
論理なので、日本人はそこに人種差別を感じるのだと思う。
菜食主義の本家のヒンドゥーが、
人類文化の中で一番差別的な文化であるように。
「差別」というキーワードに機械的に反応してそれを絶対悪と見なし
思考停止するのは哲学ではない、という留保は必要だが、
菜食主義と差別の論理が通底しているという認識は、
議論の前提として共有されるべきだと思う。

24にゃんこ:2001/01/11(木) 18:27
倫理的には、大概、犬猫は食べない。何処まで枠を広げるかという事。
それは本人の物事の認識の在り方にある程度依存する。
(輪廻、業、人間至上主義等含め)
大豆、トウモロコシ、イワシ等、家畜に食わせるより、人間が直接食う
方が率がいい、となれば、そういう方へ多少向かう。
食料不足の危機’感情’が湧かなければ、いくら理屈をいってもだめ
ともいえる。
倫理がどうでも感覚がそれを望むから無理という人にはムリな話。
食べるということは、生存の為という考え、以前に感覚的欲求である。
牛豚を殺す事、事態は、生存の為という考えであって、
感覚的欲求ではないと思うが。

>21
ねこをいじめてはだめです。
25考える名無しさん:2001/01/11(木) 20:45
野生動物を殺すのは残酷だが家畜は人間に食べられるために
存在するのだから、殺してもかまわない、という考え方が、
世界の主流であるようだ。家畜は人間に奉仕させるために神が作った
というキリスト教の思想を背景とするらしい。

動物の気持ちを理解できる人がいない以上、また、動物に意思能力が
あるといえない以上、動物の「感情」とか「自由意思」を根拠にする
議論はナンセンス。
「残酷」かどうかは、人間にそう見えるかどうか、人間の感情として
その光景を受け入れられるかどうか、という人間側の事情に終始する。
この点の認識がいちばん重要だと思う。

生命が貴いという論理なら、動物と植物とを区別する理由はない。
知能を基準とするのは明らかに差別主義。
ただ、(究極的に人間のための)地球環境ということを考えると、
家畜を増やすと大量の飼料を必要とし、森林伐採や砂漠化の原因に
もなる。
26誤痴鋭:2001/01/11(木) 23:44
>倫理的には、大概、犬猫は食べない。
 ってのは嘘だなあ。支那も朝鮮も日本も犬は食ってました。日本じゃ
鳩は食わないが、外国では食います。そんなのは感情移入の度合に過ぎない。
イルカなんてのはその最たる例であって。可愛い動物は得だよね。
 第三世界で1万人死ぬより買ってる犬猫が死ぬほうが悲しいのは
ある程度当たり前のことだと思うし。

 あと、そういう「倫理の継ぎ足し」をしてくと、ヨーグルト菌やら、
冷凍保存されてる天然痘菌の「人権」も主張しなきゃなんなくなるよ。
太田竜って人がそんなこと言ってた気がするけど。
27考える名無しさん:2001/01/11(木) 23:49
>23
なるほど。菜食主義と差別の通底ですか。カーストがあがるほど、
菜食主義になるらしいですね。カーストがあがるほど、差別的に
なる、ということか・・・。
しかし、はじめの方のレスポンスで知った2割の大学生は差別への
志向性があるのか? 無いと思いたいが・・・

>24
犬猫を食さないのは特殊文化的問題。ブタや牛を食べていい
必然性はむろんない。イヌはまずいらしいから、味覚の
問題か。

>25
以前、子供たちの前で鶏をしめて見せる教師が問題になったみたいですね。
たしかにやりすぎかもしない。過剰な正義感は、正義感以外の動機が
強そうだから。しかし、自分がしめられないものを食うのは・・・
28考える名無しさん:2001/01/12(金) 00:40
菜食主義者のような、人間の本質を押し付けの倫理観で語る偽善者は嫌いだけど、
(仮に)牛一頭で人間を食わせていこうとした場合、その労力や飼料を考えると、
穀物だけの約6倍の資源を使うらしい。
簡単に言えば、牛肉一人前を作るのに、穀物六人前が必要だと言う事になる。
それを考えると、菜食主義もしょうがないのかなあ。
でも、グリーンピースみたいなバカには本当に賛成できない。
29動物擁護団体、バーガー・キングに動物福祉基準求める :2001/01/12(金) 01:12
動物擁護団体「PETA」はファストフード・チェーンの「バーガー・キング」に対して、新たな動物福祉基準を採用するよう求めるキャンペーンを行うことを明らかにしたそうだ。PETAは、バーガー・キングが「動物が大量に殺されず、また雌鳥が余分な卵を産まされることがないようにする努力をほとんどしていない」などと主張。「MurderKing」と書かれた広告を使うなどし、同社のボイコット、デモ活動などの反対キャンペーンを行ってゆくらしい。
30所詮は傲慢な欧米人:2001/01/12(金) 02:17
世界の10%は飢餓だが世界の10%は肥満に悩むという昨年の国連の統計から
現在の食料問題は資源の枯渇の問題ではなく分配の不均等の問題であことが分かる。
従って資源の浪費を理由に菜食主義を主張するのは無理があるだろう。

クジラの問題でも分かるように彼等の主張は取り立てて根拠もない
漠然とした感情に他人を従わせるといった暴力そのものである。
31考える名無しさん:2001/01/12(金) 12:31
自分以外の生物の心配をする動物って人間くらい
なんだろうなあ・・関係なくてごめん
32考える名無しさん:2001/01/12(金) 15:33
>>31
自分の身が危ないからね。
33考える名無しさん:2001/01/12(金) 21:04
>29
自分たちは動物の側にたっているというのは自己欺瞞ですね。
>30
欧米人のもいろいろいるじゃん。
また日本人にもずいぶん傲慢なのが多い。

近代科学のおかげで、殺生をしないでいきることは出来ないことが
わかったわけだね。良寛さんなどは、自分が殺生をしていないと
確信できたのだろうなぁ。
>31
人間以外の動物は自分の心配もしないのでは?
34誤痴鋭:2001/01/12(金) 21:41
     >>23
 「カーストと菜食に関係がある」というのと、「菜食主義と差別の論理が通底している」
というあたりがどうもうまく繋がらないので説明いただけませんか?
 27の意見には「カーストがあがるほど、菜食主義になる」とありますが、だからといって
「カースト上位ほど差別的」とは言えないと思いますし。差別のない菜食主義も、菜食主義
のない差別もあり得ると思うのですが。
35考える名無しさん:2001/01/12(金) 22:22
>>34
そう言う意味じゃないんじゃない。私は23じゃないけど。
菜食主義だと、動物は殺しては行けないが、植物はかまわない、
ということになる。その理由が、動物と植物との命の重さに
格差を認めるものだとすると、結局、生き物の命に種によって
あるいは知能などによって差別を認めるということになる。
また、動物の「権利」を尊重するということになると、人間と
他の生き物との区別を曖昧にすることになり、他の生き物に差別
(貴賎)があるように、人間にも差別(貴賎)があるという論理に
なりかねない。人間と他の生き物とを峻別する考えのほうが、
人間であることが貴く、人間である以上みな平等だという論理に
なりやすい。
36にゃんこ:2001/01/12(金) 23:17
動物には独立した感情ある。人間ほど豊かでないにしろ。
植物には独立した感情があるようには観えんが、わからん。
植物の場合その背後の育てた人等の感情移入と観る事は出来る。

確かに犬猫を食べてはいけない、という倫理はない。
生類哀れみの令は、将軍様の威光と僧侶の意向か。
沖縄サミット前のは、海外の動物愛護の目を気にして
と、いったところか。
動物実験でおびえてる犬とかねちねちいじってたら、
倫理に反すとは思うが。これは別問題。倫理自体いいかげん。
37誤痴鋭:2001/01/12(金) 23:18
     >>35
 どうもそういう文脈に読めないんだが……。
 それに差別が論理によって導かれているものとは思いがたい。
論理で否定できるなら同和問題なんてとっくに解決してなきゃ
イカンと思うし。
 むしろ「はじめに差別ありき」という気がするんだけども。

 あと、その理屈でいうと「人間のためなら何を犠牲にしても
かまわない」という、狭義のヒューマニズムにも行き着くよね。
38考える名無しさん:2001/01/12(金) 23:31
「人間のためなら何を犠牲にしてもかまわない」、というのは
「狭義」どころか立派なヒューマニズムそのものだよ。
「広義のヒューマニズム」とやらを教えてほしいものだ。
人間と動植物をはっきり区別して、(神に選ばれた)人間は貴い
とする思想から、近代の人権思想や平等思想が生まれてきた。
そう言う文脈から考えると、人間と動植物との境界を曖昧にし
人間主義を否定すれば、平等思想の否定にもつながることはあり得る。
論理によって直接導かれるわけではないがね。規範論理的な発想では
そう言う「つながり」をいうことは出来るだろう。

同和問題はここでは関係ないな。論理的に差別につながり得るとは
いったが、「論理で否定できる」とはひとことも言ってない。
39誤痴鋭:2001/01/12(金) 23:53
「広義のヒューマニズム」
 もっと市民運動的な意味で使われてる「ヒューマニズム」。
「差別と菜食主義」
 はおおすじ諒解したが、差別には「人を人として見ない」という
構造もあるやね。黒人や新大陸人のように。その程度の「つながり」
ってのはあまり信用できないなあ、という心理的な違和感が。

 あと、同和云々は35の「平等だという論理になりやすい。」に対しての話。
「平等だという論理」が導かれながら差別をするというのは矛盾でしょう。
40考える名無しさん:2001/01/13(土) 00:12
>>39
>  あと、同和云々は35の「平等だという論理になりやすい。」に対しての話。
> 「平等だという論理」が導かれながら差別をするというのは矛盾でしょう。

差別があるという事実と、「差別はいけない」という規範を
ごっちゃにして論じるのはナンセンス。
人間が最も貴い、という思想がなければ、人間は平等だ、という
思想も生まれなかっただろうといってるだけ。
人間は平等だ、というのは言うまでもなく事実問題ではなくて
規範だよ。
ここでは規範の論理、イデオロギーの論理を問題にしてるのであって、
差別があるかどうかという事実を問題にしてるのではないのがどう
してあなたにわかってもらえないのか、私には理解できない。
私が法律出身だからか?場違いだったかな。
41名無しさん@1周年:2001/01/13(土) 00:21
今>> 40が少しいいこと言った
42誤痴鋭:2001/01/13(土) 01:02
 規範が導かれたのは諒解したと言っているでしょう。草食/肉食は
動植物間|人間間にそれぞれ貴賎があるとする/ないとするという
構造だということでしょ? で、後者の論理が平等思想を導いたと。

 じゃあ動植物・人間の間に壁を敷く思想は差別とは「論理が通底して」
いないのかってことですよ。回りくどくて申し訳ないが。
43代理いぬ:2001/01/13(土) 03:37
動物愛護や菜食主義は、その実、
自分(人間)中心主義のエゴの醜い表れだね。

我々は人間。
人間が生きる為に他の生物を蹂躙してなにが悪い。
くだらない"愛護"の精神に陶酔したあげく、
その価値観で持って人間が人間を攻撃し始めたら終わりだね。
まずは人間を救うこと。
その後で"地球の王者"として、他の生物も思いやれるようでなければ。
何の為の"愛護"の精神か。(まずは人間を思いやれ)

地球の王者として、
人間がこの地球を統括・コントロールしようとするのは、
なにも悪いことではない。
むしろ、これは我々に科せられた義務だと考えるべきだ。
しかし、そのことを「傲慢だ」などと、
包み隠そうとするような卑しい人々が世の中にはたくさんいて、
また、そういう人々こそがペットの去勢なんかをして、
「ペットの為です」などとケロリと言ってしまうんだ。
こういう人間の方が、よっぽど"悪"だろう?


じゃ、おやすみ。
44考える名無しさん:2001/01/13(土) 03:44
>>43
緻密な思考ができないみたいだね。
およそ哲学向きの人間ではないな。
45・e・:2001/01/13(土) 03:51
いぬ君のレスは
現代の功利主義(悪口じゃないよ)的な倫理観の典型だろう。
動物愛護に関しては、個の保存ではなく種の保存が
ヒューマニズムに関しては、人間第一主義と、
人間による地球環境の統括的な操作との間に明確な線引きがあることを理解しよう。
加藤尚武の『21世紀のエチカ』(未来社)がこの手の入門書としては最適ですぞ。
46・e・:2001/01/13(土) 03:53
>>44
 さきに極論を呈示し煽っといて
 次第に綿密に攻めるのが彼の手法だろうから
 そのへんを汲んでやりなよ。
47・e・:2001/01/13(土) 03:53
じゃぁ俺もこのへんで。
48考える名無しさん:2001/01/13(土) 04:02
>43
地球の一要素にしか過ぎない人間ごときが、地球をどうこうしようとする
姿勢は、馬鹿げているとは考えないんだね。
偽善者の「自然愛護団体」の考え方と、何も変わらないよ。

49・e・:2001/01/13(土) 04:14
>>48
 心情的にはそうかもしれないけど、根本的には誤りじゃないの。
 確かに僕らは地球の一要素に過ぎないけど、その一要素の集合によって
 地球環境の著しい変化が生じているのも確かでしょ。
 文明を拒否することより、文明の在り方を内側から改変していこうというのが
 現在の趨勢だろうと推察してるけど。

 今の倫理学の見方から言えば、積極的な行為とその結果のみが責任を問われる当のものではない。
 何もしないことが罪に問われる時代なんだね。
50考える名無しさん:2001/01/13(土) 04:26
>49
うーん、そりゃそうなんだけど、「地球に優しく」とか
「地球の為に」とか、とてもおこがましい感じがする。
自分達がもたらした環境の変化によって、自然淘汰されるもよし。
まあ、一要素と言える段階で、極論すれば「人間も地球」と言っても
過言ではないから、「何とかする姿勢」はあながち間違いでもないかも。
51考える名無しさん:2001/01/13(土) 04:37
>>43
人間の生命(or身体・精神的に十分な健康)が他の動植物の生命よりもプライオリティを持つ理由は?
また、なぜわれわれが「人間」であるという理由だけで他の「人間」の生命を尊重せねばならないのか?
たとえば、ある人は街ですれ違った名前も知らないような人間の生命よりも自分のペットの生命を尊重することを選ぶかもしれない。
ペットが急病にかかり、獣医のところに車で連れて行く時に、道端に大怪我をした人が倒れていた。
素人目に見ても、いま病院に運ばないと絶命は確実であろうと思われる。
しかし、その人を車に乗せると自分のペットを下ろさなくてはいけないので、無視して獣医のところに向かった。
彼(彼女)の行為を道徳的に(法律のことはよくわからないのだが、法的にではなく)非難できるのだろうか?
「人間」が地球をコントロールする「義務」は何に裏付けられているのか?
(もし、「権利」であったら「地球の使い捨て」のような思想も是認できるのだろうが……。)
上述の議論と重なるが、なぜ「人間」であるというだけでそのような義務を課されなくてはならないのか?
(そもそも「人間」や「他の生物」という統一的な実体があるかのような論じ方が誤りではないだろうか? と思う)
52・e・:2001/01/13(土) 04:55
>>51
 そうでわないのでは?
 人間に最も価値があるから、地球のコントロールが是認されるのではない。
 明らかに地球の使い捨てのような状態が、他ならない人間によってなされているという事情があるから。
 極端な話、人間がたとえ無価値≠ナあろうとも、
 義務の遂行に関して人間がその第一次的な責務を履行しなけれはならないということ。

 
53・e・:2001/01/13(土) 04:56
もう寝る。
5451:2001/01/13(土) 05:16
>>52
>人間に最も価値があるから、地球のコントロールが是認されるのではない。
そのようなことを書いたつもりはないのだが、書き方が悪かったならスマソ。
7行目以前と8行目以降は独立した問題であると考えてほしい。

最後の
>そもそも「人間」や「他の生物」という統一的な実体があるかのような論じ方が誤りではないだろうか? と思う
が最も主張したかったこと。
55鍔鳴りの太刀:2001/01/13(土) 09:12
菜食主義ってのはつきつめれば「倫理」でも何でもなくて、
単純に趣味や臆病さの問題やと思う。

だって牛豚は食べられなくても穀物は食べられるってのは、
同じ殺生をするって事においては同等やろ。
ただ、自分に近しい生命体の存在を奪う事に
本能的な恐怖や苦痛を感じているだけちゃうの。
あるいは単純に肉類がおいしくないと感じているとか。

「良心」ってのは全てそういう恐怖や苦痛から来るもんなんだけれど、
こういうのを自分から「倫理」って呼んだらお終いのような気がする。
56鍔鳴りの太刀:2001/01/13(土) 09:17
「地球のために」とか「動物愛護の観点から」って言う団体は
時に偽善性を感じる時があるけれど、それは彼らの責任だけじゃなくて、

そのバックボーンである思想を広めた連中が
「そしてそれが我々人類のためである」
って事実をちゃんと説明しきれてなかったせいじゃないの?

それがしの友達でそういうボランティアやっている奴いるけれど、
そいつは究極には地球なんかのためではなく、
自分ら人類の未来の為にやっていると自覚してる。

要するにここでそれがしが言いたいのは、
そういう団体の主張に偽善性が感じられる事はあるが、彼らのやっている事に
それとは別にやはり人類のためにはやらないかんような宿題を含んでいる事。
57ピエール瀧:2001/01/13(土) 11:39
無人島で飢え、目の前に置かれたジューシーなステーキには目もくれず
草を食べ続けたら、一人前のベジタリアンと認めてやる。
草も食べ尽くし、それでもなおステーキを食べることを拒否して
飢え死にしたら、ベジタブルマスターの称号をやる。
それ以外は単なる嗜好の問題で肉を食べていないだけのヘタレ。
もし肉食主義者を5人殺したら、ベジタブルゴッドだな。
58考える名無しさん:2001/01/13(土) 11:57
>55、56さん
すると殺人も趣味や臆病さの問題になりませんか。「殺人しないのは臆病だから。
勇気の有る奴は殺人できる。勇気はもつべきものである。すると・・・・」

肉はおいしい。だから食べない。という人もいるでしょう。

ちなみに、倫理を倫理規範への従属と考えると、倫理の倫理性が消えてしまうと
思います。倫理はある無根拠な(実存的な)決意としてある。

>48さん
人間が、やろうと思えば、地球を破壊できるのは事実でしょ?

>54さん
無論人々の間の差異も大きいのだから、実体化してしまうのは問題がある。しかし
地球環境ということを考えると、人類の共通性(共同体性)を強調すべきでは?
むろん、先進国/途上国で利害がちがってくるのだから、その意味で人類という
くくり方には問題があるけれども。

人に殺してもらっている、という点は、みなさん、どうお思いですか?
殺すなら、てめえで殺して食え。こういわれると、私、弱いのですが。
私が家を大工さんに建ててもらうのは(仮定の話)、単に自分にはで
きないからですが、ブタを殺してもらっているのは、なによりも自分
では殺したくないからです。
59ピエール瀧:2001/01/13(土) 12:59
よそでも書いたが、倫理というのは一部の人間にとってのみ都合のいいルール。
共通のルールは、「自由」ということ。
つまり、肉を食わないのは勝手だが、それを「倫理」に摺り替えられては
我々肉食主義者としては困る。
フェアでないのは当たり前。所詮弱肉強食の世の中なのだ。
特に食のように生命維持に直結した問題では、自分以外の存在は二の次、
三の次になるのは当然。
いずれは10人の餓死者の上で1人の金持ちが腹一杯食う世の中になると思うよ。
そしてそれが健全だと思う。
60名無しさん@1周年:2001/01/13(土) 14:58
君がその10人の餓死者の中に入っていても?
61ピエール瀧:2001/01/13(土) 15:49
>>60
当然。
無論1人の金持ちになるために努力するがね。
これが良い悪いではなく、自然だと言いたいのだ。
自然でないものは、そう長続きするものではない。
62ピエール瀧:2001/01/13(土) 16:13
人間に「欲」というものがある限り、
欲のために他人を不幸にする者は必ず現れる。
だから、「不幸」をなくすには「欲」をなくすしかない。
しかし「欲」がない人間は「不幸」と感じることはない。
つまり、「不幸」はなくせないという結論になる。
なぜなら「不幸」をなくすということは「幸」をなくすということであり
「幸」をなくすということ自体が「不幸」だからだ。
63考える名無しさん:2001/01/13(土) 16:31
>「幸」をなくすということ自体が「不幸」だからだ。
ここだけ日同意。

64名無しさん@1周年:2001/01/13(土) 16:34
電気か??
65名無しさん@1周年:2001/01/13(土) 16:52
自然だから・・・か。

便利な言葉ではあるなあ。
66考える名無しさん:2001/01/13(土) 23:07
「ひかりごけ」は、最後のところで論点をすりかえているのではないでしょうか。
6740:2001/01/14(日) 00:14
人間が人間である以上「欲」がなくなることはない。
人間は生きたいと思う。これはいちばん大切なことだ。自らが生きたい
という欲望がなくなったら、他人や他の生物の命を尊重することも
なくなるだろう。
人間が生きるためには、必ず他の生物を犠牲にしなければならない。
人間はいかに客観的であろうとしても、人間として立場からしか
物を見ることは出来ない。人間が人間である以上、人間の目でしか
物を見ることは出来ない。他の生物や地球環境全体の立場(そういう
ものがあればの話だが)に立てるかのように思いこむのは人間の傲慢
にほかならない。

>>42
白人はかつて黒人を同じ人間として認めず、家畜のように扱うことに
何の抵抗も感じなかったようだ。しかし、黒人も生物学的には人類で
あることは、当時から知られていた。
ヒューマニズムは人間が最も尊いとする。人間が尊いのは「人間である
からだ」と考える(神が地の支配者として選んだという理由は背後に隠れる)。
「最も」尊いものたちに貴賎の差別をつけることは不可能だ。また、
「人間である」ことの最低の条件は個体(個人)である事である。
ここから、「個人の尊厳」そして「個人の平等」という思想が導かれ
得る。
逆に、人間と動植物との境界を曖昧にし、人間が最も尊いとする立場
を崩してしまうと、個人の尊厳や個人の平等の論理的な前提を崩す
ことにもなるのではないかという「危機感」を私は感じる。
人権思想の立場からは、平等は「差別」の対として導かれるのではなく
「個人の尊厳」の論理的な帰結として導かれている。したがって、
人間と動植物の間の「差別」と人間同士の間の差別とは、論理が通底
してはいないと思う。
68誤痴鋭:2001/01/14(日) 02:13
 人間と動植物との境界を曖昧にすべきかは論じてません。
 黒人やアメリカの土人を人と思わない「論理」は、その境界が
白人(キリスト教徒)とそれ以外というようにシフトしたからでしょう。
論理が通底どころか、その境界が差別そのものになっていると思うのだが。
69ピエール瀧:2001/01/14(日) 04:33
>>67
君自身が「人間の傲慢」とやらを発しているような気がする。
「個人の尊厳」の論理的な帰結としての「平等」に異論はないが、
それは所詮人間の中ですら一部の存在にしか通用しない限られたルール。
テロリストやマフィアにそんな戯れ言は通用しない。
ではテロリストやマフィアに人権はないのか?
70・e・:2001/01/14(日) 04:50
>>69
 ちょっと違う気がする。日本では個人の尊厳という概念が先行しているが
 本来、前提条件としてあたのは平等概念のほうではないのかな。
 基本的に、個人の権利行使の背後には、その自由が他者の権利を侵害しない程度に、という条項がある。
 つまり、個の自由は、同時に公共的な利益や機会平等の原則に基づいている。
 かつてクアラルンプールのハイジャック事件で日本は「1個の生命は地球より・・」などと
 囚人を解放したが、これは欧米では考えられないことである、と聞いたことがある。
 マフィアの行為が他者への危害を意味するものである以上、
 通り一遍の人権尊重が貫徹されるとは思われない。
71考える名無しさん:2001/01/14(日) 04:55
>69,70
自由の概念規定をしなさい。
空理空論に終わる。
72考える名無しさん:2001/01/14(日) 05:02
>>69
だから、「人権思想の立場からは」と念を押しているでしょう。

>>68
>黒人やアメリカの土人を人と思わない「論理」は、その境界が
> 白人(キリスト教徒)とそれ以外というようにシフトしたからでしょう。

意味がよく通じない文章ですね。
それに「論理が通底している」といったのはあなたではないですか?
ヒューマニズムにとって重要なのは「人と思うかどうか」ではなく、
「人かどうか」だと思いますよ。

「差別」が原理ではなく、「平等」が原理なのであって、差別は事実
に過ぎないと思います。したがって、「差別とはこういうものだ」と
いうところから差別かどうかを論ずるのは、私の立場(人権論から考える)
ではないです。
73・e・:2001/01/14(日) 05:03
一例として

自由とは、行為の選択の自由である。
ただし、あらゆる行為が赦されるわけではないので、必然的に選択の幅には制限が設けられる。
制限を加えるものは、喩えは社会的常識であり、法律であり、対他関係における力関係であり・・
いずれにせよそれは、ある歴史状況において主要なパラダイムのようなものであって、必ずしも不変(普遍)的なものではない。
このパラダイムを、一種の価値観とみるか、それとも政治的な力学と見るかはひとまず未決定にしておく。

こういう素描はどうでしょう。
74考える名無しさん:2001/01/14(日) 05:07
72=67です。
私は憲法の教科書的なことしか書けないし、ここの議論にはついて
行けないので、これで退散します。
75考える名無しさん:2001/01/14(日) 05:12
>73
そんなんじゃだめ。
自由は公正としての枠組み=社会的構造によって保証される。
公正は価値から独立し特定善からは中立的である。
自由は消極的自由であり禁止的スペクタクルの位置と範囲を決定する。
抽象的ルールの選択に関するプロセスは手続き的正義とそのルールの
ないようの正統性についてのもであるが、直観主義ではなくいかに
公正としての枠組みが成立するかについての条件を追求することによ
ってのみ概念としての自由は決定される。したがって簡単に自由という
言葉を通常の形態で用いても何ら実効的結論・理論的展開は生まれない。
76・e・:2001/01/14(日) 05:18
言ってることはだいたい分かるけど、
その場合、公正の枠組みをいかに形成するか、ということと合わせて
公正とは何か、という原理的な問いを立てないと、例えば自文化中心主義になるでしょう。
もっとも分かってると思うけど。要は直観主義ではない公正の概念ね。
77ピエール瀧:2001/01/14(日) 05:18
言いたいのは、「自由」が制約されるのは「社会」の中だけであって、
例えその制約を破っても、「社会」からハジかれるだけだということ。
そしてその「社会」というものは、極めて不安定なシステムであり、
その範疇での価値観というのも極めて限定的だということです。
「社会」の外では「自由」が唯一のルールであり、人間の本性が
そのような獣的なものである以上、最悪の場合を想定する必要が
あると思うのです>>73
78考える名無しさん:2001/01/14(日) 05:28
>76
公正とは何か?公正概念それ自体が価値でありとすれば
価値相対主義になってお話にならない。公正はロールズが
言うように誰もが理性的に思惟すれば到達できる原理なのか。
無知のヴェールなどというフィクションを仮定したとして、
人間にそのような完全な理性を負荷させることによっていったい
社会の創発的現象をうまく説明することが可能であるのか。
功利主義はお話にならないとしても社会契約論的アプローチの困
難性は、自由の概念に歴史相対主義の要素を組み込んでいることである。
これでは自然科学主義的であり解釈学的アプローチによる社会認識は
不可能である。よって私の結論は自由を規定する公正概念はア・プリ
オリなものではなく、しかし相対主義的なものではなく自生的に解釈学的に
成立する自生的抽象的なものである、ということ。
すなわち、自由という概念によってすべての理論を演繹する事は不可能であり
社会構造の動態的均衡においてのみ捉えられるものであるということ。
79・e・:2001/01/14(日) 05:29
そろそろ失礼するね。
>>77
その場合、社会という概念の外延をどこまで広げるかが問題でしょ。
一見して価値観とは無縁の場面で、暴力や殺人がなされる場合もあるし、
逆に価値観という美名のもとで公然と殺人がなされる場合もある。
人間の獣性ではなく、人間理性が殺人を誘惑する場合があるというのは
ラスコーリニコフの命題ね。
80ピエール瀧:2001/01/14(日) 05:31
難しい言葉がでてきたなー
素人にもわかるような説明してもらえるとありがたいッス。
81考える名無しさん:2001/01/14(日) 05:33
倫理、道徳の根本には平等(公平)の思想があると思うね

「人殺しをした人が罰せられないのはなぜ悪いか?」と質問したら、
多くの人が「それは不公平だから」「平等でない」と応えたらしい。


82・e・:2001/01/14(日) 05:34
>>78
 自由の概念が抽象的で没実質的なものであれば、
 なおさら具体的な社会的文脈において恣意的に適用される恐れが出てくるのでは?
 私は、議論としては胡散臭いが、
 実情としては相対論―相対主義ではい―で結構な気がする。

 続きはまた。
83考える名無しさん:2001/01/14(日) 05:41
>>70
それはたんに「個人の尊厳」の解釈の問題だと思う。
日本国憲法の「個人の尊厳」思想は、アメリカのバージニア権利章典
や独立宣言に由来するもの。
ただ、ひとりひとりに独立かつ平等な法人格(権利能力)を認めると
いうことが「個人の尊厳」の論理的な前提となっているというかぎり
では、たしかに自由よりも平等が先といえる。
つまり、ここで個人とはある個人や特定の個人でなく、個人一般、
個人であるもの、個人としての人間、という意味。

個人の「自由」はまず「個人意思の自治」という枠組のなかで展開され
ている。
84ピエール瀧:2001/01/14(日) 05:43
まず「社会」の定義が必要では?
テロリストなども社会の中なのか、人喰い人種なども同じに扱うのか。
それともこれは日本に限った話ですか?
85考える名無しさん:2001/01/14(日) 05:49
もしくは共同体
86考える名無しさん:2001/01/14(日) 05:49
社会の中にあっても法の外にいる人はつねに存在します。
法が規範である以上、つねに破られることがあるのをを想定している。
人殺しや強盗を「テロリスト」と区別する意味はどこにあるの?
「テロリスト」かどうか、「人食い人種」かどうかはどう判断するの?
その概念を規定して。
87ピエール瀧:2001/01/14(日) 05:59
>>86
つまり、「法」というものが極めて限定的な存在ということです。
「テロリスト」などを「悪」と定めたものが「法」であり、
テロリストから見れば法が「悪」です。
結局は「利」によって立場が決まるのであり、本質的には
みんな同じく自由。
ということは、「肉食=悪」という「倫理」を定義したとしても
それはテロリストを根絶できないのと同様、たいして意味のないものです。>>86
88考える名無しさん:2001/01/14(日) 06:10
もちろん根絶できないでしょう。
でも、少なくすることは出来るでしょう。
「ゴミは分別しましょう」、と言い出してから、もちろん
平気で一緒に捨てる人もなくなりませんが、分別する人が
多数になったのは確かでしょう。
私はべつに肉食=悪とは思いませんが。

社会というのは事実上の存在であって、どうしても定義しなけれ
ば議論が先に進まないというものではないと思うのですが。
89ピエール瀧:2001/01/14(日) 06:20
>>88
そのとおり!「少なくする」ことはできる。
それはつまり他の勢力を弱まらせるということであり、
結局闘いなのです。どちらがいい悪いではなく。
勝った方が「善」を名乗ることができるのです。
90考える名無しさん:2001/01/14(日) 06:34
>>89
その「善」とはなんですか?
91ピエール瀧:2001/01/14(日) 06:38
>>90
ゴミみたいなものです。
集団維持のためのルール。
他の集団にとってはゴミです。
92考える名無しさん:2001/01/14(日) 06:46
集団維持のためのルールが、どうして「ゴミみたいな物」
となるのかよくわかりませんね。
その集団にとって必要だから存在するのでしょう?
他の集団にとっても必ずしもゴミとは限らないでしょう。
93ピエール瀧:2001/01/14(日) 06:55
まぁ過激な言い方ですが、ようするにただのルールだってことです。
守る守らないは各人が「利」を計算して判断すればいいだけのこと。
例えば、なぜサッカーでは手を使わないのか。反則だからです。
ペナルティよりも手を使うことを選ぶ場面もあります。
つまり、「道徳」を考えるとき、それによる「利」について
考えることが必要だと思うのです。>>92
94考える名無しさん:2001/01/14(日) 07:00
>>93
つまり、倫理というものを一切否定するということですね。
それなら、最初からそう言って下さればわかりやすかったのですが。
95ピエール瀧:2001/01/14(日) 07:05
>>59で書いたつもりでしたが、まぁそゆことです。>>94
正確には否定するのではなく、純粋に「利」を計算すべきだと
言いたいのです。どういうルールがより「利」となるか。
100人いれば100通りあるとは思いますが。
96考える名無しさん:2001/01/14(日) 07:12
>>95
倫理を肯定することと、利を計算することは全然矛盾しませんよ。
利を計算するからと言って、すこしも倫理を否定することには
ならないはずです。
97ピエール瀧:2001/01/14(日) 07:16
では計算しましょう。
まず倫理草食主義者の見解が聞きたいです。
肉を食べないことにどういうメリットがあるのか。
98ピエール瀧:2001/01/14(日) 07:20
菜食主義ね。失礼しました。。
99考える名無しさん:2001/01/14(日) 07:24
>>97
すくなくとも、自己の倫理的欲求が満足されるという
利はあるでしょうね。
私は倫理的菜食主義者じゃないですが。
100ピエール瀧:2001/01/14(日) 07:31
>>99
「倫理的欲求」とはどういうものでしょう。
「世界をコントロールしている」という手ごたえでしょうか。
101考える名無しさん:2001/01/14(日) 07:43
どうして「世界をコントロールしている」なんて観念がここで
出てくるのか理解できませんね。
それに「欲求」というのは、「手ごたえ」ではないと思いますよ。

倫理は基本的に個人のものではないですか?
倫理的欲求は、自己が倫理規範の命ずるところにしたがって行動
したいという欲求でしょう?
「世界をコントロール」することとは関係ないと思いますが。
102ピエール瀧:2001/01/14(日) 07:47
では「倫理」について考えてみます。
落ち。
103考える名無しさん:2001/01/14(日) 17:21
>>97
1種のすがすがしさがあるのではないか。
自分で殺せないものを食べていると考えると、少しは気が重い。抑圧
しないと苦しいのは確かだよね。
104名無しさん@1周年:2001/01/14(日) 17:34
菜食主義の牛に、牛肉を食べさせてやると狂牛病になった。
人間も菜食主義なので、人間に近い種の肉を食べると、
狂人病になるという心配があるのでないだろうか?
肉を食べた後って、ゲッてくるから。
105にゃんこ:2001/01/14(日) 17:36
個人の利益・価値を各人が効率よく運用する為、ルールを定式化したものが倫理
と、判断しとくよ。あくまで人間主体の社会。ペットは飼主いるけど、野生のは
保護団体や保護法が出来るまで何されてもいい事になるけど。
社会倫理や法律も手段だろうけど、ファッション、美的センスの方が上に思える。
江戸の化け猫文学なんかも案外猫好きが書いたのかもしれないなー。
106にゃんこ:2001/01/14(日) 18:52
遺伝子組み替えトウモロコシ混入事件で、日本は米国から輸入(95%)
してるけど、結局、家畜に食わせる安くて大量の輸入先は米国しか
ないらしい。(クローズアップ現代NHK)
みそラーメンに、ひき肉とコーンが入ってると、食べるのが大変だ。
107鍔鳴りの太刀:2001/01/14(日) 23:09
>>58
遅レスですまんな。
「殺人しないのは臆病だから。勇気の有る奴は殺人できる。勇気はもつべきものである。すると・・・・」
って、何や。最後の「持つべき」だなんてのは強引に人の論を変えているよ。
誰が「肉食をする勇気を持つべきだ」なんて言うた?
殺人も究極的には「臆病さや趣味」の問題にいれる事が出来ると思うよ。

「肉はおいしい。だから食べない。という人もいるでしょう」
それだって趣味の範疇に入れてしまおうとすれば出来る事やで。
108変態日本人:2001/01/15(月) 01:38
魚の肉を生で食べることがそんなに猟奇的で倒錯的なことなのか?
109ピエール瀧:2001/01/15(月) 04:39
ようするに、肉を食べ続けると草の消費も莫大になる。
資源が尽きてしまう。だから草を食べよう
こういうことですよね?
草も肉も無尽蔵にあれば、どちらを食べても問題ないわけです。
つまり倫理菜食主義者になる他に生き残る手段がないだけの話。
>>57にも反応がありませんが、なぜ肉を食べないのか、未だによくわかりません。
110考える名無しさん:2001/01/15(月) 09:41
>57
>無人島で飢え、目の前に置かれたジューシーなステーキには目もくれず
>草を食べ続けたら、一人前のベジタリアンと認めてやる。
>草も食べ尽くし、それでもなおステーキを食べることを拒否して
>飢え死にしたら、ベジタブルマスターの称号をやる。
>それ以外は単なる嗜好の問題で肉を食べていないだけのヘタレ。
>もし肉食主義者を5人殺したら、ベジタブルゴッドだな。

無人島なら、目の前に自分で置いた、でしょうが、それはともかく、「ジューシーな
ステーキが人肉だった場合、あなたは召し上がりますか。食うかも。菜食主義者がぎりぎりの状況
でヒト以外の動物の肉を食べたとしても、その菜食主義者を、単なる嗜好を主義と
言いなしていたと批判するのは不当では?

>55
>「殺人しないのは臆病だから。勇気の有る奴は殺人できる。勇気はもつべきものである。すると・・・・」
>って、何や。最後の「持つべき」だなんてのは強引に人の論を変えているよ。
>誰が「肉食をする勇気を持つべきだ」なんて言うた?
>殺人も究極的には「臆病さや趣味」の問題にいれる事が出来ると思うよ。
何かを臆病に由来するというなら、それはそうしないことが勇気のあること
であり望ましいということを含意します。日本語はそうできているのでは・・・

>「肉はおいしい。だから食べない。という人もいるでしょう」
>それだって趣味の範疇に入れてしまおうとすれば出来る事やで。
倫理的決断、美学的決断は、一種の「趣味」「嗜好」であり、私とあなたは意見の一致を
見たともいえる。趣味といっても、強烈な意志をともなうものであり、ただの
趣味ではないけれども、しばしば趣味はそのようなものでしょう。

103の「自分で殺せないものを食べていると考えると、少しは気が重い。抑圧
しないと苦しいのは確かだよね。」はひとつの十分な理由になりませんか?
111考える名無しさん:2001/01/15(月) 09:52
前にもいったけれど、人類全体が先進国の人間並に肉を消費したらパンクするでしょう。
原則は普遍妥当であるべきだ、という原則からすれば、やはり肉食は問題。みんな
ができるわけではないことを自分はしている、という場合、単にありがたいと
思えばよいということでもないでしょう?

112考える名無しさん:2001/01/15(月) 10:37
>>111
人類全体が先進国並に肉を食うころには人口は今の数十分の一に戻ってるよ。
113考える名無しさん:2001/01/15(月) 11:14
先進国のわるさのおかげで、途上国を中心に人口激減する、ということ?
そうかもしれない・・・
他方で、画期的な安全バイオ技術で、人類全員焼肉食べ放題状態の成立と
いうシナリオはないか?
そして、実は安全ではなく、人類一気に滅亡というシナリオも・・・

先進国の人間のエネルギー消費の数分の一のレヴェルなら、人類全体
が享受可能ということらしい。菜食にすれば、食生活におけるエネルギー
消費は六分の一程度になるらしいので、その意味で適正規模になる。
114考える名無しさん:2001/01/15(月) 11:26
>>113
別に行進国の人が全員野菜しか食べてないということはないですよ。
ただ緑の革命というのがあって、土地面積当たりの農作物の生産料が何倍だかになったとき、
その地域の人口も何倍だかになったというケースがあるんですよ。
115ピエール瀧:2001/01/15(月) 18:03
>>110
もし人肉だったらイヤイヤ食うでしょうな。でもできるだけ避けるでしょう。
しかしそれは単なる嗜好の問題。倫理などを持ち出す以前に
人肉はマズそうで食べる気がしません。
つまり菜食主義者も同じだろうと言いたいのです。
「動物の尊厳」などを持ち出した上で>>57をやり遂げられないなら、
口先だけと批難されて当然でしょう。
「道徳者」という称号が欲しいのであれば、それなりの行動を
しなくてはならないのです。
もし「人がこうあるべき模範」というものが「倫理」とするならば、
それは「欲」とは相反するものです。究極的には「生」という欲望すら
抑制することになります。動物にとっては人間の存在そのものが
悪である(かもしれない)のですから。

ちなみにあなたは倫理菜食主義者なんですか?>>110
116考える名無しさん:2001/01/15(月) 19:21
>115
いいえ。環境倫理的見地からの可能性を考えてみたいだけです。
くりかえしになりますが、倫理を規範への準拠と見ると、倫理の
倫理たるゆえんを見失うのではないか。その意味で、倫理と嗜好は
意外に近いと思います。

>動物にとっては人間の存在そのものが
>悪である(かもしれない)のですから
そうかもしれないと思うのは人間だけですよね。いいかえれば、それは
人間の側の倫理的意識です。あなたは倫理的に考えている・・・
117考える名無しさん:2001/01/15(月) 19:26
質問です。おしえてください。
学校給食では、今でも「好き嫌いせず、残さず食べましょう」とか
指導されてますか?
それとも主食(パン・米?)の量や、おかずを選べますか。
118ピエール瀧:2001/01/16(火) 01:49
>>116
環境倫理的見地というのは、環境を最優先に考えるということではないのですか?
それとも人間が最優先であることを前提にした環境保護意識ですか?
後者のそれは「嗜好」と同義です。個人ではなく「人間」全体の嗜好。
119代理いぬ:2001/01/16(火) 16:14
>67(40)
>人間が人間である以上、人間の目でしか物を見ることは出来ない。
>他の生物や地球環境全体の立場に立てるかのように思いこむのは
>人間の傲慢にほかならない。
傲慢でもやらなきゃだめだろ。
人間も滅ぶぞ。

>人間と動植物の間の「差別」と人間同士の間の差別とは、
>論理が通底してはいないと思う。
その通りだね。
私は、人間と他の動物の間に境界線があるような書き方をしたが、
それがただの便宜である事は重々承知しているよ。
生物にとって、唯一特別な存在というのは自己の存在だけだ。
だけど、人間それぞれが自分のことだけを可愛がるような状態では、
社会(共同体)が立ち行かない。

人間にだけ都合のよいルールで何が悪いのさ。
透徹した論理なんてどこにもないことは、初めから明らかなんだし。
だから、どうせ"愛護"を口にするなら同族を優先してくれてもいいんじゃないの?
もちろん、「ペットも家族です」ってな人達もたくさんいることは知ってるけどね。
120代理いぬ:2001/01/16(火) 16:25
私は、動物愛護や菜食主義自体が"悪"だと言っているのではないよ。
そういう(もとより)不徹底な論理をもって、
人間が人間を抑圧するような状況が許せないと言っているのだ。
動物愛護や菜食主義といった理念は社会に許容されるべきだけれど、
それが得てしてエゴに汚れやすいものだということは、心にとどめておくべきだろう。

それに、「人間に地球を統括する権利があるか?」ということをあらためて論じる必要もない。
既に人間には地球環境を左右するだけの力があるのだから、
力の用い方を考えることは行為者の当然の義務だ。

「人間の傲慢?」
うるさいです。
これはやらねばならないことなのです。
みんなで責任をかぶりましょう。
嫌なら文明を捨ててください。
私は肉がおいしい限り、菜食主義者になるつもりはありません。
121フィロゾファッカー:2001/01/16(火) 16:36
>ピエール瀧
特別扱いするから「人間」と位置付けるのではないでしょうか。
生物学的にはヒトでしかないですから。
そして同種のものとして共有した何かを持てると判断できるからこそ「人間」という枠組みがあるようにも思います。
昨今叫ばれるホリスティックな地球観、生物観もあくまで人間の視点でしかないということはそうだと思います。
しかし、包括的に見ることで人間にとってよりよい結果を得ることができるならそれもまた価値があるといえるのではないでしょうか。
菜食主義者が個人の視点ではなく人間という大きな視点で見ることをその活動してるのだと主張する時、彼らを批判することなど誰にもできないことのように思えます。

最後に動物による差ですが、これはキリスト教的な世界観が関係してるように思えます。
キリスト教で言えば、魂の有無がその殺害の善し悪しの判断基準となりますが、
どうもこの魂の概念は理性→脳の容量と捉えられているようですね。

数々の菜食主義者の中で、地球的視点にたって一切の生命の殺害を拒否する人など一人もいないと思います。
そういう点では厳密には菜食主義とは言えないものなのかもしれませんね。

でも菜食主義と主張してもよいのではないでしょうか?別に草食と言ってるわけではないのですから。


122考える名無しさん:2001/01/16(火) 16:42
菜食主義=反肉食主義という主張であることが自明であるかどうかですね。
123代理いぬ:2001/01/16(火) 16:44
「刺身が食べたい!」
みんなでイワシを食べれば20人の空腹が満たせるのに、
ハマチを食べたい人が一人いるならば20人はお預けです。
はまちを育てるのにイワシが20Kg必要だからです。

「ファーストフードで腹ごなし!」
マックでバーガーを食べると熱帯雨林が六畳一間分減ります。
ダブルバーガーなら二間分です。
肉を得るのにそれだけの牧草がいるからです。

「緑の革命で単位面積あたりの収穫量が倍増?」
それは不可能な夢です。
化学肥料で土地をドーピングしてます。

「遺伝子組換え作物で農薬は必要ない?」
その通りです。
トウモロコシ自身が殺虫成分を生成するからです。
虫も食わないトウモロコシになります。
でも、人間と家畜はそれを食べます。

「汚れのない土地へ逃げよう!」
できません。
北極ではクマの子供が死んでいます。
母親が人間の作った化学物質に暴露しているからです。
微量な量の化学物質でも、胎児は決定的な影響を受けます。
土地は違えど、地球の屋根(大気)は共通なんです。
この屋根でも飛び越えない限り逃げ場はありません。

「じゃあ宇宙へ…」
私は無理だと思っています。
124誤痴鋭:2001/01/16(火) 16:45
     >>67(40)
 分かった気がする。
 人間と動植物をわける「差別」と、カーストの(的な)差別は、そりゃあ
論理が通底するわけがない。

 ヒューマニズム的構造での差別と、カースト的構造の差別を一緒くたにした
から話が捩れたんだと思ふ。
125考える名無しさん:2001/01/16(火) 16:47
家畜並の生活をさせられるのなら、いっそ野菜でも食わせろ!
って開き直ってる人がいるのかもね。
126代理いぬ:2001/01/16(火) 16:57
哲学板にこんな書き込みをして申し訳ないが(しかも超厨房モードで)、
しかし、人間にとって本当に必要な問題を見定める必要はある。

透明だが、しかし確実に我々の目の前にある環境問題の超え難き壁に比べたら、
哲学なんてゴミくずみたいなものだ。
哲学史的古典を読んで喜んでる場合じゃないよ。
ほんと。
まじで。

もちろん、個人にとっての究極的な問題とは、
自身の生命に関わる問題であるけれど、
それを他人と論じる必要はない。
酒の肴で十分だ。

本当に重要な事を見定めろ。
<snob上等。>
ちょっとはマシなことを考えよう。
127考える名無しさん:2001/01/16(火) 17:00
まあ落ち着いて、困ってることを具体的に書けよ。
128代理いぬ:2001/01/16(火) 17:03
>127
>まあ落ち着いて、困ってることを具体的に書けよ。
ちきゅうのしょくりょうがたりません。
たすけてください。
129フィロゾファッカー:2001/01/16(火) 17:09
50年後にいったいどれほどの人間が食料を手にすることができるのか。
真剣に考えれば夜も眠れないでしょうね。
そのクセ、現代の状況は明らかに食べれるものを捨てることで成り立っている社会でもあるわけです。
時間的な差があるものの経済的に非効率なのは明らかですからね。

ところで126の><snob上等。>は何ですか?


130考える名無しさん:2001/01/16(火) 17:12
>>128
工業人口が支えられる肥料の生産量がある。それが食料生産量の上限を決めて、一方でエイズの蔓延が行進国の人口をコントロールする主因になる。
一人一人の生活は向上しつづけるが世界人口は減る。エイズの感染速度<利子率<肥料の普及率。
泣くな。頼むから。子供の頃にマルサスを読んで、泣いたよ。
131代理いぬ:2001/01/16(火) 18:01
>129(フィロゾファッカー)
地球的な食料の配分について考えている組織はないんだろうか。
現状で足りなくはないそうだが、
先進国が過剰に食料を集めていることが、
食糧不足の地域を生んでいるらしい。
それって、間接的殺人に当たるだろ。
でも罪の意識はゼロ。

>130
しかし、君はその楽観視の内に、
自分が食えなくて死ぬという状況は想像しなかっただろ。


世の中については易々と考えてみてはするものの、
自分もまたその世の中の一部であるということが実感できない。
生物の無意識な利己的行動に言及する生物学者は多いが、
その範囲にもおのずと限界がある。
人間一人一人がもっと大きな視点で考えられるようになるには、
より目に見えるような困難な現実が必要なのかな。
面倒な生き物だ。(そのくせ腕力だけはありやがる)

人間が人間を外から啓蒙するようなことは可能なんだろうか。
不可能な気がする。(マックス・プランクも嘆いていた)
それぞれが、自らを内から啓蒙するよりほかに。
しかし、そのきっかけを作ることぐらいはできるな。
心身に関する一元論が正しい限り、
人間の脳が聞き入れたことに影響されないということはない…ね。
132考える名無しさん:2001/01/16(火) 18:05
当面は失業してホームレスになるのを避けるのが精一杯ですね。
133猫電波@横レス:2001/01/16(火) 19:06
番号を入れないから誰が誰だか…
>誤痴鋭さん
カースト(ジャーティ)の上下には、浄不浄の観念があり、高位のジャーティほど強い戒律を持っていて
食肉などの不浄な行為を行うジャーティは劣位に置かれる(低位のジャーティが菜食やサティ等を取り入れて上へ登ることもある)そうです
それとグリーンピースなんかの「道徳屋」が他人を攻撃するのを重ねてるという解釈も…無理ありますね

あと、伊勢田哲司氏のサイトには動物開放論系の論文が結構ある
http://www.info.human.nagoya-u.ac.jp/~iseda/index_japanese.html
1341=110=116です。:2001/01/16(火) 22:26
>みなさま。勉強になります。ありがとうございます。

>代理いぬさま。

>私は、動物愛護や菜食主義自体が"悪"だと言っているのではないよ。
>そういう(もとより)不徹底な論理をもって、
>人間が人間を抑圧するような状況が許せないと言っているのだ。
>動物愛護や菜食主義といった理念は社会に許容されるべきだけれど、
>それが得てしてエゴに汚れやすいものだということは、心にとどめておくべきだろう

ならば、エゴによごれないタイプの菜食主義を追及すべきではないか。菜食
主義だが、だから肉好きよりまともだなどど錯覚しないでいることは可能でしょう。
倫理的とは、ある意味でわざわざ面倒なことをすることでしょう。たとえばガンジー。
135代理いぬ:2001/01/17(水) 00:43
>134(1)
>ならば、エゴによごれないタイプの菜食主義を追及すべきではないか。
>菜食主義だが、だから肉好きよりまともだなどど錯覚しないでいることは可能でしょう。
>倫理的とは、ある意味でわざわざ面倒なことをすることでしょう。
その通りだね。

でも、肉はおいしい。
楽しみを捨ててまで菜食主義者になる必要はないと思うけど、
(私自身は)食べ物を捨てたりすることは許せない。
ようするに、地球原理をみんなが感じているならば、
後はそれぞれの感覚と程度の問題なんです。
あまり押し付けにならない程度に各々で努力しましょうや。
妙な運動に参加するより、そっちの方がよっぽど効率がいい。
都知事がディーゼル車を規制したらしぶしぶ協力すること、
地球の為に。

あと、お茶碗にご飯粒を残すやつは死刑。
残さず綺麗に食べましょう。
136猫電波:2001/01/17(水) 18:32
> ならば、エゴによごれないタイプの菜食主義を追及すべきではないか。菜食
>主義だが、だから肉好きよりまともだなどど錯覚しないでいることは可能でしょう。
>倫理的とは、ある意味でわざわざ面倒なことをすることでしょう。たとえばガンジー。

菜食主義の理由が「動物にも道徳的価値がある」という理由ならば
(程度や方法の問題はあるにせよ)押し付けを完全に排除してしまうのは、欺瞞ということになりませんか?(完全に排除すると書かれてはいませんが)
道徳的主張が「私はこう考える。あなたもそう考えなさい」を含むとするならば、押し付けのない菜食主義は倫理的ではなく単なる嗜好になってしまいまうでしょう

137考える名無しさん:2001/01/17(水) 21:53
age
138フィロゾファッカー:2001/01/17(水) 22:56
>131
>地球的な食料の配分について考えている組織はないんだろうか。
ないと思います。
ただ誰かの予測で、数年後には一般的な消費者にも危機意識が高まって
食物を無駄にしている企業は消費者から選択、淘汰されるのではないか、というものがありました。

>現状で足りなくはないそうだが、
>先進国が過剰に食料を集めていることが、
>食糧不足の地域を生んでいるらしい。
>それって、間接的殺人に当たるだろ。
>でも罪の意識はゼロ。
私は経済学についてはトンと無知なのですが、
なんとなく資本主義では、何らかの富を得ることは同時に誰かからそれを奪う奪うことのように思えます。
例えば利潤の追求のための廃棄処分などはその典型と言えるのではないでしょうか。しかし社会主義がいいとも思いませんが。
罪の意識を持てば搾取していいのかという疑問も出ると思います。
しかし私はまぁその覚悟を持って裕福になりたいとは思います。
願わくば搾取される側も最低限の人間らしい生活は保障されて、
間接的殺人ならぬ間接的暴行程度におさまってくれたらと思います。
虫がいい話ですが、悲しいかな、つまりは相変わらず肉は食べつづけるのです。
139吾輩は名無しである:2001/01/18(木) 09:21
>138
ほぼ同意。ただ自分たちの間接的暴行の姿を如実に見せ付けさせてくれる機会が
もっとあったら、ちがってくるかも。

また企業がいかに食料を無駄にしているかが明らかになったら、またちがってきますよね。
もっとも、企業はなるたけ無駄がでないようにする術にたけているはずなので、意外に、
無駄が無い、かも。
140考える名無しさん:2001/01/18(木) 09:35
地上の楽園だったはずの共産圏で公害が垂れ流されていたという前例もありますしね。
141代理いぬ:2001/01/18(木) 18:13
>138(フィロゾファッカー)
>私は経済学についてはトンと無知なのですが、
>なんとなく資本主義では、何らかの富を得ることは同時に誰かからそれを奪う奪うことのように思えます。
私は、地球的リソースの問題の根本にあるのは、国や制度ではないと思う。
資本主義の流れは容易に止められないし、
市場価値の暴落を防ぐために農家がキャベツを廃棄するのも仕方が無いことだ。
食料がもったいないからといって、キャベツ農家に損失を被ってもらう訳にはいかない。
(それこそエゴの押し付けになってしまう)
これらの問題の根本的解決に必要な事とは、資本主義の本当の支配者である消費者が意識を変える事だ。

資本主義社会は、それを構成する消費者全体が実はその支配者であるという非常に厄介な構造を持っている。
だからこそ、この構造にてこ入れするのは難しい。
資本は常に低きに流れるが、一体どこが"低いのか"は誰にもわからない。

社会を構成する者の全員が、啓蒙され、
地球原理を意識するように努めるほかにないと思う。

>139
>ただ自分たちの間接的暴行の姿を如実に見せ付けさせてくれる機会がもっとあったら、ちがってくるかも。
よし、みんなでNHKだけを見よう。

>140
>地上の楽園だったはずの共産圏で公害が垂れ流されていたという前例もありますしね。
そうなのか。
やはり、これは国や制度の問題ではないね。
地球原理を個人個人のレベルで意識する事が肝要だ。

世界中を啓蒙した―い!
142にゃんこ:2001/01/18(木) 18:35
>>119
>人間にだけ都合のよいルールで何が悪いのさ。

人間にとって存在価値の少ない存在者は、存在の権利すら奪って良い。
と、聞こえる。
人間が全ての存在者の、存在理由や存在意欲を理解しようとしているなら、
人間優先でいいよ。
でも、ガン細胞の様にただ増殖しか考えず、母体すら死に至らしめる様に、
なった時点で、人間優先には、出来ないよ。
菜食主義にしても、農薬で虫やカエルが殺される事は自覚してるよ。
彼らが田舎の風景を、にぎやかにしようとしても、人間がそんなもん要らん、
といったらさみしいなー。
143考える名無しさん:2001/01/18(木) 18:37
さみしいってのは人間様の都合だろ。
144代理いぬ:2001/01/18(木) 19:12
>142(にゃんこ)
>人間にとって存在価値の少ない存在者は、存在の権利すら奪って良い。
>と、聞こえる。
そう聞こえてもらっても構わない。
>>119での私の論旨はまさにそういうことなのだから。

私は(119)で、現に食用、その他として他の生物を十分に蹂躙する生活の中にありながら、
"動物愛護"を平気で口にする人々の傲慢さが許せないと言ったのだ。
そして、我々があくまで人間中心の価値観に基づく社会の中に生きているという事実を認めた上で、
他の生物を含む環境全体を考慮していく方向が正しい。
そういう意味で"人間優先"なのだ。
145考える名無しさん:2001/01/18(木) 19:21
猫のためならダメ人間は切ってもいいよ。
146猫電波>代理いぬ:2001/01/18(木) 19:33
その言い方が、既に他の生物の道徳的価値を前提にしてるように聞こえるのは私の気のせいですか?
147考える名無しさん:2001/01/18(木) 19:36
人間だって生物なんだからそこんとこは差別しないでいいだろ。
148代理いぬ:2001/01/18(木) 19:40
>146(猫電波)
>その言い方が、既に他の生物の道徳的価値を前提にしてるように聞こえるのは私の気のせいですか?

と、言うと?
(どの発言?)

この場を離れるので続きはまた明日ですが。
149猫電波>代理いぬ:2001/01/19(金) 17:29
他の生物を「蹂躙」する、等の言い方がそう聞こえるということです
150誤痴鋭:2001/01/19(金) 19:01
 価値観が恣意的であってなにが悪かろう。
 感情移入できる猫犬を重んじ、見たことのない牛や豚を軽んじて何が悪かろう。
 植物と動物を隔てる壁と、鯨と牛を隔てる壁に何の相違があろう。

 感情移入の対象が広いことは徳と言えるかもしれぬが、それは衣食足りて後のこと。
151にゃんこ:2001/01/19(金) 21:17
極論だけど、バイオ無脳牛みたいな植物牛(狂牛と違って健全)が在れば、
食べる気する?栄養も根っ子ならぬ、くだで、育てる。

やっぱり自然のものを食いたいでしょう。
化学農業で田んぼにしろ、江戸時代の3倍の収穫量になって、又、貿易均衡の為、
輸入ものを、バンバン食べ、米余りや農業高齢者の為結果、減反されて行く。
いまだ除草剤(枯葉剤)まいて、それを使用しない物は正規のルートに乗せない。
高く売れるからと、ラベルだけ有機農法としたりと、これこそ「痴」だね。
人間の欲望の拡大のために、自然を歪めるといっても限度は必要。

人間も環境の為、少しは遠慮しよう。これなら異論はあるまい。
152匿名希望:2001/01/19(金) 23:18
     >>151
 たぶん馴れる。自然モノは食いたいが、資本の論理で。

 衣食足りねば遠慮はできんと思うし、無理にその遠慮を望むと
粛正を生むことになりがち。

 余裕がないと人間は色々なものが目に入らないものだと思うのです。
153にゃんこ:2001/01/20(土) 01:13
知恵なんてその気になれば、そこそこ湧くもの。
もし他人の考えた知恵の結果を取って食って生きてる存在になると、
次々にそういう食う対象を探し食うという業を背負う。
いずれ己が逆に食われるか、はたまた食う物がなくなり餓死する。

みんなそれぞれ工夫して生きてると思うが、責任の取れない工夫
は、すべきではない。若い内は食って当然だが、食わせる側に
なる事を目指しましょう。
154フィロゾファッカー:2001/01/20(土) 01:14
>>人間にとって存在価値の少ない存在者は、存在の権利すら奪って良い。
結局は動物愛護も菜食主義も誰のためにやっているか、ということだと思います。
これらは結局はそういった思想が人間にとって有益であるから採用されるのだと思います。
例えば動物のためを追求した結果、人間の存在が悪となって人間を殺すような思考が生じるなら
本末転倒と言えるのではないでしょうか。
ただ、人間が他の生命を気にしない発展をしてきた中で、
人間も生態系の恵みを受けているのだからその配慮をしたほうがより人間にとって有益であるという発想が支持されたからこそ
現在の動物愛護も続いてるような気がします。

バイオや田舎の例も結局は田舎のほうが人間にとって利益のあるということが根本にあるような気がします。
決しておこがましいの一言では解決できないような気がします。
155代理いぬ:2001/01/20(土) 15:34
>149(猫電波)
>他の生物を「蹂躙」する、等の言い方がそう聞こえるということです
ああ、確かにわからんでもないね。
ま、特別気になるようなことでもないが…。

で、以降の方々の書きこみは、全体的に合意に達しているような感じだね。
実際にどうすれば良いかはともかくとして、各々が考える機会を得たわけだね。
これを以って良として、ワシ的には「しゅ〜りょ〜!」ってことで。

言いたいことがあったらまた…。
156考える名無しさん
>>155
考える機会というけれど
あんたノは菜食主義と関係ないジャンか